3. 中川隆[-9518] koaQ7Jey 2024年8月08日 13:04:21 : mzArSCMWDI : MUlXeVFERWc3cUk=[1]
ユングの集合的無意識の研究で今はもう常識になっていますが、無意識はどんな民族でも同じなので、同じイメージが全く関係無い民族でも出て来るんですね。
音楽・美術・文学が表現しているのも「集合的無意識」の世界に現れる神のイメージなのですね。
教育で重要なのは古典教育や宗教教育・哲学教育ではなくて、学生に古今の優れた音楽・美術・文学を教えて、「集合的無意識」の世界を理解させる事でしょう:
「集合的無意識」という概念
これは、私たちの無意識の深層に存在するもので、国や民族を超えて人類全体に共通して存在するものだと考えられています。普遍的に存在する「無意識」全ての人類に共通して存在すると言われている「集合的無意識」。
でも、ユングはなぜ、「人類に共通して」と言い切る自信があったのでしょうか? その答えの一つが、「マンダラ」です。
マンダラは、仏教の世界観を表現した円形の絵。祈祷の道具に使われたりもしますので、みなさんも1度くらいは目にしたことがあるのではないでしょうか?
そのマンダラと、ユング自身が描いていた絵との間に大きな共通点があったのです。この発見を機に、ユングは東洋哲学の研究にのめり込んでいきます。
また、西洋と東洋それぞれに伝わる神話や伝説には共通したテーマを扱った物も多いことから、洋の別を問わず人類の心の奥深くには「共通した何か」があると考えたのです。
例えば、「太陽を崇拝する」というテーマや自然に「母性」を見出すというテーマ…etc。
これらのテーマを生みだす根底にあるもの、それが「集合的無意識」なんですね。
意識や個人的無意識よりもさらに深いところにある層で、民族や国家、人種を問わず普遍的に存在しています。
集合的無意識の役割とは?ユングによれば、私たちが「自分」を認識できるのもまた、この「集合的無意識」が存在するからなのだとか。
確かに、無意識・普遍的に共有できる「何か」がなければ、自分が生きる価値を見いだすこともできないでしょうし、他人と話をしても通じないような気がしますよね。
遠い昔の民話や伝説から学ぶことが多いのも、世代が違う人と会話できるのも、国籍が違う人との間に会話が成立するのも、(言語の壁をクリアすれば、の話ですが…)普遍的に共有できているものがあるからなのかもしれません。 そういったベースがなければ、会話は全く噛み合わないでしょう。
「集合的無意識があるからこそ、人は自分自身とも他者とも対話・理解し合えるのだ」
と言うユングの説はごもっともですね。
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「集合的無意識」の世界を表現したベートーヴェン晩年の音楽
ベートーヴェン:ピアノソナタ第32番 ハ短調 作品111
https://www.youtube.com/watch?v=nGaD7E8KCoM
https://www.youtube.com/watch?v=vRFSY0AMhhM
Beethoven Piano Sonata No.30 op.109 - Backhaus - (Firenze 1969)
https://www.youtube.com/watch?v=1jROtkvOwDM
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110
https://www.youtube.com/watch?v=j63pdgyy9mo
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第15番イ短調作品132
Capet Quartet - Beethoven : String Quartet No.15 op.132 (1928)
https://www.youtube.com/watch?v=Ke7DlRquRDs
https://www.youtube.com/watch?v=fCpahP-_DVo
https://www.youtube.com/watch?v=2wevXmDfveg
https://www.youtube.com/watch?v=RLVEj9niuOI&t=21s
ベートーヴェン: 弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調作品131
Capet Quartet - Beethoven : String Quartet No.14 op.131(1928)
https://www.youtube.com/watch?v=dulV8wxCFRM
https://www.youtube.com/watch?v=EhmHJt94vnI
The Smetana Quartet - Beethoven's String Quartet No. 13, Op. 130 / The Gross Fugue, Op. 133
https://www.youtube.com/watch?v=JVetdoJ5Dxk
https://www.youtube.com/watch?v=IhQnpTuWw3A
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芸術というのは本来、向こうの世界(集合的無意識の世界)を一般人に垣間見せる為のものなのですが、芸術家も、統合失調症患者を除いては、向こうの世界に行く為には麻薬かアルコールを使うしかないのですね。
有名な大作曲家がみんなアル中だったのはそういう事情があるのです:
信じがたい数の「偉大な作曲家」が飲んだくれだった
https://gigazine.net/news/20161225-great-composer-was-drunk/
「Mozart and Liszt(モーツァルトとリスト)」あるいは「Brahms and Liszt(ブラームスとリスト)」という言葉は、英語圏では「酔っぱらい」の意味で使われます。この言葉通り、表だっては語られないものの、現代において「偉大だ」と言われている作曲家の多くが飲んだくれであり、誰がどう飲んだくれていたのかや醜態の様子がThe Spectatorに記されています。
「偉大な作曲家たちは飲んだくれだった」という話はあまり聞きませんが、ある時、ジャーナリストのダミアン・トンプソン氏は作家のオリバー・ヒルムズ氏の書いたリストに関する文書を読んでいたところ、「晩年のフランツ・リストのぞっとするような酔っぱらいエピソード」を目にしたとのこと。このことから作曲家たちの飲酒癖に興味を持ったヒルムズ氏は調査を開始。調べてみたところリストのバイオグラフィーは音楽学者のアラン・ウォーカー氏なども書いているのですが、ウォーカー氏の著作にはリストの飲酒癖について書かれていません。ウォーカー氏はリストが1日1瓶のコニャック、あるいは1日2本のワインを飲んでいたことを認めていますが、リストがアルコール中毒だっとは考えていない様子。一方で、リストの弟子であるフェリックス・ワインガルトナーはリストについて「確実にアル中」と述べていたそうです。
ブラームスは、売春宿やパブでピアノをよく演奏していました。多くの記事ではブラームスが売春宿などで演奏していた理由について「お金のため」と書かれていますが、実際には、売春婦にとって魅力的なブラームスは、サービスを利用することも多々あったようです。そして、あるパーティーにおけるブラームスの素行について、「酔った彼は、全ての女性たちに衝撃的な言葉を浴びせて、場をめちゃくちゃにした」という言葉も残されています。
上記の2つから見るに、「ブラームスとリスト」という言葉は、意味のない比喩ではななく、史実を踏まえて作られたと言えそうです。
酔っぱらいエピソードが残されているのは、リストやブラームスだけに留まりません。シューベルトは若い頃からお酒を好み、「品行方正な家族のプライベートな宴会に招かれた時の嘆かわしく恥ずべき振る舞い」が複数の文書に記録されています。またベートーベンもシューベルトと同じような感じで、街路をふらふらとした足取りで歩いていたことが記録されています。また、シューマンは1830年に行われたドイツ南西部にあるハイデルベルクのカーニバルで「ラムの飲み過ぎで意識が混乱し道ばたで転倒、宿の女主人のスカートの下をまさぐる」という素行が確認されているとのこと。
このほか、モーツァルト、ヘンデル、ムソルグスキー、チャイコフスキー、シベリウスというそうそうたる面々が「酔っぱらいリスト」に入っていますが、ベルリオーズとワーグナーはアルコールよりもアヘンを好んでいたようです。
作曲家たちの音楽にアルコールの影響を見いだすことができるかどうかは難しいところですが、ムソルグスキーの「死の歌と踊り」はアルコール中毒に苦しむ中で書かれた曲であり、作曲家の置かれた状況が不穏なハーモニーに反映されていると言えるとのこと。また、酔っ払った状態で正確な作曲活動を行うのは難しいため、シベリウスは人生の最後の30年において曲を完成させることがありませんでした。
聴覚を失い最悪の二日酔いに悩まされながらも、ベートーベンは言葉では言い表せないほどに荘厳な楽曲を創り上げました。ベートーベンはベッドで死の淵にいながらも、ドイツのラインランド州から送られてくるワインを楽しみにしていたのですが、ワインが到着して来た時にはほとんど意識がなく、ベートーベンは「なんて残念だ。遅すぎた」とささやき意識を失ったそうです。
http://www.asyura2.com/24/ban12/msg/130.html#c3