20. 2020年12月08日 10:07:31 : lLc7YEFIro : MUlJdEVVZjhSQ2c=[1]
2020.12.08
戦争に反対していたジョン・レノンが殺されて40年
ビートルズの一員だったジョン・レノンが殺されたのは1980年12月8日のことだった。それから40年前が経つ。マーク・チャップマンなる人物に射殺されたことになっているが、異説もある。銃撃時に彼はレノンの右側にいたのだが、レノンは左から撃たれたというのだ。しかも銃撃後、チャップマンはその場から逃げようとせず、その場でJ・D・サリンジャーの小説『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいたという。(Lisa Pease, “A Lie Too Big To Fail,” Feral House 2018)
レノン殺害では不可解なことが少なくない。例えば、当初、チャップマンはレノンのファンだとされていたが、実際は違った。イギリスの弁護士でジャーナリストとしても活動していたフェント・ブレスラーによると、実際はトッド・ラングレンのファンだったという。チャップマンは福音主義(キリスト教原理主義)の信者だともいう。(ファントン・ブレスラー著、島田三蔵訳『誰がジョン・レノンを殺したのか?』音楽之友社、1990年)
チャップマンの行動が不自然なことから、CIAが進めていた人間の行動を制御する研究を連想した人は少なくない。CIAは1950年に「ブルーバード」を開始、53年には「MKウルトラ」へたどり着く。研究の「材料」には西ドイツや日本にあった秘密の刑務所に収容されていた囚人が使われた。
1951年、つまりブルーバード時代にCIAのチームは東京でソ連とのつながりが疑われた4名の日本人を尋問したが、その際にいくつかの薬物を試し、ソ連との関係を白状させている。その後、4名は射殺され、東京湾に沈められた。(Stephen Kinzer, “Poisoner in Chief,” Henry Holt, 2019)
現在、エンターテイメントの世界は情報機関の強い影響下にある。特にアメリカの映画界や音楽業界はそうした傾向が強く、イギリスで首相を務めたトニー・ブレアのスポンサーだったマイケル・レビーも音楽業界の人間で、1973年にマグネット・レコードを設立している。
ブレアの台頭はイスラエルによるパレスチナ人弾圧と深く結びついている。イスラエルが出現して以来、イギリスの労働党はイスラエル寄りの立場だったのだが、1982年に大きく変化する。
この年の6月6日にイスラエル軍がレバノンへ軍事侵攻を開始する。イスラエル軍がベイルートから撤退したのは8月20日、その翌日にはPLOが撤退を始める。残されたパレスチナ難民を守るためにアメリカ、フランス、イタリアは国際監視軍を編成したが、この部隊も9月12日にレバノンから引き揚げた。
その2日後、14日にレバノンのバシール・ジュマイエル次期大統領が暗殺される。イスラエル軍はこの出来事を利用して15日に西ベイルートへ突入してパレスチナ・キャンプを包囲。サブラとシャティーラの難民キャンプではレバノンの与党、ファランジストの民兵を中核とする右派キリスト教の民兵が16日から18日にかけて難民を虐殺する。この民兵を率いていたのはピエーレ・ジュマイエル、つまりバシール・ジュマイエルの父親。事前にピエーレは親友のシャロン国防相(当時)に手紙を書き、その中で息子の復讐を誓っていた。
殺されたパレスチナ人の数は、レバノン政府によると460名、イスラエルの報告書では700から800名、PLO側は死者と行方不明者を合わせて5000から7000名としている。現地を取材したジャーナリストの推計では、国際赤十字が確認した死体が663、これにブルドーザーなどを使って隠されたり運び出された死体を加えると3000名以上だという。
この虐殺を実行したのはファランジストだが、その黒幕がイスラエルだということからイギリスの労働党はイスラエルから離れ始めた。党の内部ではイスラエルの責任を問い、パレスチナを支援する声が大きくなり、イスラエルを支えているアメリカへも批判の目は向けられた。
そうした情況を懸念したアメリカのロナルド・レーガン政権はイギリスとの結びつきを強めようと考え、メディア界の大物を呼び寄せて善後策を協議し、BAP(英米後継世代プロジェクト)なるエリートを集めた組織を作り上げる。その中には少なからぬメディアの記者や編集者が参加した。
その一方、イギリス労働党を親イスラエルへ引き戻す工作も進められる。親イスラエル派にとって好都合なことに、1994年5月に党首だったジョン・スミスが急死、その1カ月後に行われた投票でブレアが勝利して新しい党首になったのである。
ブレアと彼の妻は1994年1月にイスラエルへ招待され、3月にはロンドンのイスラエル大使館で富豪のマイケル・レビーを紹介された。その後、ブレアの重要なスポンサーになるわけだが、真のスポンサーはイスラエル政府だと言うべきだろう。
レビーのほか、イスラエルとイギリスとの関係強化を目的としているという団体LFIをブレアは資金源にしていた。ブレアがマーガレット・サッチャーの後継者と呼ばれるようになるのは必然だった。イラクへの先制攻撃を実現するためにブレアが偽文書を作成したのもそうした背景があるからだ。
ブレアはジェイコブ・ロスチャイルドやエブリン・ロベルト・デ・ロスチャイルドとも親しい。首相を辞めた後、彼はJPモルガンやチューリッヒ・インターナショナルから報酬を得るようになる。
こうしたブレアのネオコン的な政策への反発に後押しされて2015年に労働党の党首となったのがコービン。彼がライバル政党だけでなく、労働党の内部や有力メディアから攻撃されたのも必然だった。
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