262. アラジン2[651] g0GDiYNXg5My 2021年7月14日 05:40:06 : Ls1PqEfpWI : MnBmV2daVnhQN1U=[1]
>>260. 地下爺さん
>コメント もらえないじゃないかと 思ってヒヤヒヤしてました。
え? そんな心配は無用です。私は反対意見を聞くのは大好きです。
私には付け焼刃の知識しか無いので、自分の意見が絶対正しいとは思ってません。
知らないことがボロボロ出てきます。
グラバーは武器商人だそうです。
南北戦争の売れ残りの西洋式銃を売りたい外国人(グラバー)と買いたい日本人(薩摩長州)がいた、という本です。フリーメーソン連呼で、胡散臭くもあります。
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■「龍馬の黒幕 加治将一・著」 のレビューから。抜粋。
https://honto.jp/netstore/pd-review_0603119707.html?pgno=2
●グラバーと龍馬の関係で象徴的なのが、「亀山社中」と「薩長同盟」である。
亀山社中の設立時期がアメリカ南北戦争終結の時期(1865年5月)と一致することや、7,800丁もの銃を設立から僅か3か月後に輸入したスピードを考えれば、海外とのネットワークを持った黒幕がいたことは間違いない。
つまり、亀山社中はグラバーが作った武器輸入のダミー会社で、南北戦争で売れ残った銃を長州に引き渡すのが目的だったのだ(p.237)。
薩長同盟(1866年3月)にしても、龍馬という一浪人が薩摩・長州といった大藩の同盟の仲介をするど普通はありえない。つまり薩摩を動かせる人物、莫大な量の武器調達ができる人物が背後にいたとみるのはごく自然な発想だ。それはグラバー以外には考えられない(p.303)。
(略)
長崎のグラバー邸の門柱にはフリーメーソンのマークが彫られている(★私注・これは後日持ち込まれたものでグラバーがフリーメーソンという証拠にはならないそうです)
●フリーメーソンに関する記述は胡散臭いところも多い。けれどもそれを差し引いても薩摩長州の後ろにはグラバーがいたことは間違いない。薩英戦争も下関戦争も、両藩を討幕へと促すためのイギリスの策謀だった。
もともとイギリスには日本占領の意図はなく、倒幕により貿易(不平等貿易)を盛んにし、幕府側についたフランスから利権を奪い、富を独占することが目的だった。
(略)
明治維新の英雄と言われている、龍馬も西郷も高杉も勝も、みんなグラバーや、その後ろにあるイギリスに操られて、倒幕へ進んだ。操り人形とまでは言わないが、イギリスの意向を無視しては戦えもしなかった。
薩長同盟も江戸城無血開城も、イギリスがそうしろと命令したからそうしたまでで、高邁な理想を掲げて、日本の夜明けを切り開いた英雄像とは程遠い。
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イギリスが日本を植民地にしなかった理由として、アマゾンレビューに下記の記述がありました。
●インドを背景にアヘン戦争等により潤沢な資金を蔵していた英国とフランスは比べようもなかった。
アヘンがもたらした膨大な流動資金は英国にまさしく日中両国の海上沖合いにオフショア市場を形成させ、富んだ英国はもはや次の植民地を探すよりも、英国の船舶が行く先々を蓄積した金銀の投資先(その一例が日本の近代化)とした方が国益に沿ったという背景があった。←★★★
金銀は途中沈没・襲撃・盗難のリスクをおかしてまでロンドンまで6ヶ月以上航海するよりも、次々と主要地に投資してオフショア市場を通じて富を増やすのが賢明(しかも江戸幕府では不利な金銀交換比率により英国が一方的に一層の利益を上げた)。
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以上、これもまたネットで漁った付け焼刃の知識です。
私の根底には
「欧米人が他国の事を思いやるはずがない」という偏見?があるので、
グラバーについて詳しい地下爺さんなら、即、反論できるかもしれません。