22. 2021年8月23日 21:26:24 : MTJrlQVoX2 : MmZrY2QwbXNuUFk=[1]
大川小学校の悲劇が語るもの
行政側の権限を学校現場に押し付けてよいのか、20110311午後1530の北上河口の大川小学校の校庭では、伝聞と類推交えて、教頭は東側の山に逃げるを主張だが、父兄代表は教委の権限をちらつかせて、川沿いに行くことを主張、なかなか纏まらなかった。危機をかんじた児童は、山に駆け登る子もいたが、ご丁寧にも追いかけて連れ戻す教員もいた。ここでの30分の時間の浪費が、致命的となった。
新田『聖職の碑』では、状況は違うが、行政側の意図が学校現場に持ち込まれるのに応じて、時流に乗ろうとする教員に対し、抵抗する自由教育主張の教員もいた。そうした対立を十分承知の上で、赤羽校長は恒例駒ヶ岳山行を数十名の生徒と決行したが、折からの台風の強雨や手違いも重なり、自らも含めて多くの犠牲が出た。教員間の対立と、山行実施・重大事故の両者の関係は、直接はないだろうが、引率教員が校長を含め計3名というのは、ちと少なすぎる気がする。三浦『氷点』のストーン神父に似て、校長は自らの防寒着を生徒に着せてやる等懸命だったが、急速な低体温症の進行には勝てなかった。
行政が学校現場に介入すると、必ずリアクタンス起きる。行政の意向で、生徒をパラ観戦に動員する、大量感染含めて2重・3重の意味で、実務的にも法的にも疑義がある。