1. 2021年4月07日 06:31:36 : o2ntGCbK6k : MlcvUlhYVUlPOUU=[1]
EMT 930stを使い続けて
清滝練一郎/久和亮平/吉田秋生
http://www.audiosharing.com/people/nakahara/emt.htm
10年以上ひとつの機種を使い続ける……、簡単そうでいて、なかなか難しい。もちろん、だらだらとつきあってきてはなんの意味もないが、真剣にとりくんできた10年は、ずっしりとした重みがある。その機械の長所だけでなく、欠点も見えてくる。ときには欠点だけがやたら目につく時期すらある。そんなときを乗り越える、するといままで以上に密なつながりができるはず。 この企画では、タイトルどおりに、ひとつの機種にこだわり続けて10年以上つきあってきた方々に、その思いのたけを語っていただいた。座談会は、お互いの装置を紹介したあとではじまった……。
久和 吉田さんのラインナップを見ていると、瀬川冬樹氏のことを思い出すのですが。
吉田 やっぱりそうですか。実は930stを選んだのも、マークレビンソンのアンプや4343を選んだのも、私なりの瀬川イズムの追及からなんです。
久和 なぜ瀬川氏なのですか。
吉田 氏の書かれたものだけが、私に音を想像させた、ということにつきます。志向する音の方向が似ているのかもしれません。
久和 吉田さんが930stをお買いになったころには、マイクロのRX5000が出ていたはずですが、なぜマイクロを選ばれなかったんですか。
吉田 瀬川氏は、ふたつのスピーカーで再生する現在のオーディオの限界を十分知ったうえで、その範囲内でその可能性を、レコードならではの音の美しさを追及されていたように思うんです。例えば、かつて評論家の瀬川氏はピラミッドのT1(注1)の優秀さを認めながらも、JBLの2405の切り絵的な魅力に騙されていたい、というようなことを言われましたが、私がマイクロではなく、930stを選んだ理由も、そこです。
音を物理的な側面から判断すると、マイクロのプレーヤー、特に現在のSX8000IIのほうが上でしょう。そのことは素直に認めますし、興味もあります。
でも、私の場合、その凄さに感心はしても感動はしなかった。音楽を聴いた感動という点で、930stだったわけです。久和さんはどういう理由からですか。
久和 一言でいえば、レコードでぼくの望む「美しい音」を出してくれるプレーヤーは、EMTしかなかった。ここで説明しておきたいのはぼくにとっての「美しい音」についてです。
吉田 久和さんのラインナップ、特にアンプのクワドエイトとスモの組合せからすると、音楽のアクティブな面を重視されているような気がしますけど。
久和 おっしゃるとおりで、ぼくは演奏家の動き、音楽の表情の変化といったものを、すごく重視するんです。それには音楽のエネルギー、演奏家の持つエネルギーが、ストレートに勢いを失うことなく、こちらに伝わってほしいし、それがない音には、どんなに姿形が整っていても、傷ひとつない繊細な音でも、ぼくは美しいと感じない。つまり生きた音でなければだめなんです。
もうすこし具体的にいえば、ヴァイオリニストのシゲティ(注2)ですね。彼は、新即物主義(ノイエ・ザッハリヒカイト)と紹介されることが多かったためか、きたない音を出すように言われていますが、ほんとうにそうなのか、そんなことを言っている人たちは、シゲティをきちんと聴いているのか、と言いたくなるんです。シゲティの音は、なんといったらいいかな、目的のある音、意志が感じられる音、芯のある音ですか。そんな気がしますし、ぼくはシゲティの音をひときわ美しいと感じています。
清滝 久和さんのおっしゃりたいことは、よくわかります。シゲティは、自己に厳しい誠実な演奏家で、実にいい音を出しますからね。
吉田 いま誠実という言葉が出てきましたけど、同じことを930stにも感じられませんか。
久和 感じます。
吉田 930stはプロ用機器だから、つくり手のへんな思い入れのある音は、絶対に出さない。押しつけがましい音を出さない。そこに私は、EMTの誠実さを感じます。
久和 同感です。それでいて、表情がヴィヴィッドで美しい。そして求心力がある。だから音楽を聴いて、気持ちがいい。たまらないですね。
清滝 930stの音には930stならではの味があるように感じますし、930stの愛用家でもあった五味康祐氏が書かれておられるように、同じレコードをEMTでかけると、コーラスやオーケストラの人数が増して聴こえるのも、930stならではのレコード音楽の魅力だと思うんです(注3)。これらがEMTを選んだ大きな理由ですが、もうひとつ、絶対的な信頼性、安心感がほしかったんです。
私が若い時代の機械は、いまと違って安定していなかった。あれこれ調整していい状態まで追い込んでも、翌日には不安定になっていたりする。そういう経験がありますから、いつ聴いても安定しているものが無性に欲しくなったんです。
吉田 それは私にもあります。さきほどの話に戻りますけど、マイクロを選ばなかった理由のひとつはそこなんです。
私だってオーディオマニアですから、いい音を出すために調整するのは好きです。けれども一度調整したら、後は大丈夫というのでなければ生理的にだめなんです。マイクロのプレーヤーは、たびたび調整を要求するような、そんな感じを受けたもので、930stにしたんです。
清滝 歳をとっていくと、強くそれを感じるようになります。だから、私の使っているものは、シーメンスのスピーカー(注4)にしても、エッグミラーのアッテネーター(注5)にしても、定期的なメンテナンスさえすれば、安定した性能を維持できる。それはスポーツカーのような飛び抜けた性能の高さではないけれども、メルセデス・ベンツのミディアムクラスの4ドア・セダン的なよさ、快適さがある。プロ用の機械の堅実さ、ドイツ製品の生真面目さがある。この歳になると、そのことがほんとうにありがたい。
久和 シーメンスのオイロフォンは知っていますが、エッグミラーって、なんですか。
清滝 昔のノイマン社のミキシングコンソールについていたスライド式のアッテネーターです。私の知っている範囲で申しますと、バランス対応のモノーラル型で、マイナス85dBまで絞れます。インピーダンスは、ドイツの古い製品ですから、一般的な600Ωではなく200Ωです。またEMTのプレーヤーのクイックスタート・ストップを連動させる端子もついています。パーマロイのシールドカバーで保護されている中身は、ひじょうに緻密なつくりです。故障したら、製作者のエッグミラー氏以外は直せないんじゃないかと思わせるほどで、ある時代のドイツの凄さが充分伝わってきます。
久和 EMTのプレーヤーのために存在しているようなアッテネーターですね。もういまは手に入らないんでしょう。
清滝 いまでもときどきパーツ店に出ているようです。
久和 ちなみにおいくらでしたか。
清滝 私は数年前に知人を通じて手に入れましたが、もちろん中古ですけど、2つで7万円ほどですね。
久和 いまだとどのくらいするんでしょうね。
清滝 お店の良心次第でしょう。
久和 ところでそういうアッテネーターをお使いだということは、当然インピーダンス・マッチングをとられているわけでしょう。
清滝 エッグミラーを見つけてきてもらったのもそうですけど、機械の接続も信頼できる専門家の知り合いにまかせているんです。彼自身、プロ用機器をうまく使いこなしている人ですから、そへんのことも熟知している。彼に言わせると、一時期はやりましたプリアンプのかわりにフェーダーを使うのと似てはいるけれども、インピーダンス・マッチングの概念があるかないかで、根本的に違うそうです(注6)。
久和 ぼくがクワドエイトを選んだのもそこなんです。930stに限らず、プロ用機器のアウトは600Ωのバランスゆえに、それを守らなければならないということは、時折耳にしますから(注7)。クワドエイトだと、これもプロ用ですから、入力も出力も600Ωのバランス、二芯シールドのケーブルでつなぐだけでいいというのがありがたいんです。もちろん音も気に入っています。
吉田 私は155st(930st内蔵のイコライザーアンプ)を使っていないんです。理由は、いまおふたりが話されていることなんです。155stのほんとうの音は、600Ωでターミネイトしないと聴けないと、ある人から言われたんです。私は機械をいじるのは得意としませんから、600オームにあわせるなんてとんでもないことなんです。電気に強い人は、抵抗を取り付けるだけだからそんなの簡単だよ、といいますけども。それに抵抗の種類によって音も変わるわけでしょう。どのパーツを選んだらいいのかもわからないし、たとえ抵抗一本でもアンプをいじるのは、心情的にやりたくない。
とにかく私は、これでいいんだろうか、間違って使っているんじゃないか、もっといい使い方があるんじゃないか、という精神的な不安定さを感じながら、音楽を聴くのもオーディオ機器を使うのも嫌なんです。やや消極的なオーディオとの接し方かもしれませんが、心底安心して聴きたい、自分の理解の範囲内で装置を使いこなしたいという理由から、155stを使うのはやめたんです。
でも時折、を通して聴きますけど、私の好みでは、LNP2Lのイコライザーアンプの音をとります。久和さんはどうなんですか、当然LM6200のイコライザーと155stの音を比べたうえで、いまの状態にされているわけでしょう。
久和 ぼくが持っているクワドエイトにはイコライザーアンプはついていないんです。イコライザーアンプがついているのはLM6200Rなんです。RのついているLM6200(注8)は、それほど日本に輸入されなかったようで、中古もほとんど出ないらしいんです。ぼくもいろいろ探しましたけど、見つけ出せなかった。それでRなしのほうにしたんです。こちらのほうはプロのミキサーがけっこう使っているようで、その方面にコネがあると手に入るんです。
吉田 インピーダンス・マッチングの話がでましたけど、プロ用機器にとって、それは当たり前のことでしょう。ところがコンシュマー機器は、ほとんど無頓着。ときどきこれでいいのかなと思うんですけど。
久和 理論的な根拠はありませんけど、ぼくの感覚論からいえば、コンシュマー機器のローインピーダンス送り、ハイインピーダンス受けは信号の波形伝送にはいいかもしれないけど、エネルギー伝送には向いていないような気がする。やはりエネルギーを送るなら、600Ω送りの600Ω受けにするしかないんじゃないかと思うんです。だからぼくは、プロ用機器中心の組合せになったんです(注9)。
吉田 たしかに同じ1Vの信号を送るにしても、600Ωのほうが電流が多くケーブルを通る。つまり電力として大きくなる。
久和 もっとも最近ではケーブルにあまり電流を流さないほうが、接点やケーブルのもつ抵抗成分の影響を受けにくいという意見もありますから、ぼくが言う600Ω優位論は、さっきもいいましたように、あくまでも感覚論ですけど……。
清滝 でも、その感覚論というのが、オーディオには必要なのではありませんか。それにいい悪いは別として、600Ωのほうが、ケーブルによる音の違いが少ないでしょう。
吉田 そうかもしれませんね。先日、チェロのアンコール1MΩを聴く機会があったんですが、とにかくCDプレーヤーとアンコール間のケーブルを変えると、ものすごく敏感に音が変化する。そのときは、アンコールは、なんて敏感なアンプなんだと思いましたが、いまの話を聞いていると、それだけではないようですね。1MΩという高い値で受けているわけですから、ケーブルに流れる電流は極端に少ない。だからケーブルの差がはっきりと出る、そうは言えないでしょうか。
久和 たぶんそうでしょう。だからといってぼくは1MΩ受けを否定はしないし、ケーブルの差がよく出るほうがいいという人も大勢いるはず。でも、ぼくはケーブルによって、がらがら音が変わるのは、できれば敬遠したい。
清滝 それに600Ωにしますと――私の場合200Ωですけど――私の装置のように、EMTのプレーヤーとシーメンスのスピーカーの間にアッテネーターを入れるだけという、簡単至極な仕掛けで音がきちんと聴けるわけですから、インピーダンス整合という面倒くささはあるものの、それに見合うメリットは十分あると思います。
吉田 お話を聞いていて驚くのは、おふたりとも、かなり以前からバランス伝送をやられているんですね。バランス伝送が話題になりはじめたのは、5、6年前くらいからでしょう。特に久和さんは、パワーアンプの出力までバランスでしょう。これはちょっとした驚きです。
久和 言われてみるとそうですけど、ぼくとしては自分の使っている機械を、きちんと使いこなそうとしたら、自然とバランス伝送になったわけですから。
清滝 私もそうですね。好きな機械を集めて、専門家の彼にきちんと接続・調整してもらったらバランスになっただけですから。
久和 ところで清滝さん、もしかして930stのイコライザーは(管球式の)139stなのでは?
清滝 いいえ、155stです。いわゆる古物を使っているから、イコライザーも139st(注10)だと思われたのでしょうけど。
久和 そうですけど。
清滝 私には球でなければという考えはないんです。オイロフォンのアンプもトランジスター式ですし。
久和 それにしても清滝さんの趣味は、渋いですね。どういう音がするのか、すごく興味があります。
清滝 ハイファイ装置というよりも電気蓄音機という印象の音ですよ。
吉田 ドイツ製蓄音機ですね。
清滝 渋いといえば聞こえはいいですけど、いまの若い人が聴かれると、古くさい、と感じられるかも。なにしろ、どれもこれも博物館行きの製品ばかりですから。
吉田 博物館行きといえば、販売店の人から聞いた話ですけど、アメリカのオーディオ関係者が、930stのことを、ミュージアム・プレーヤーと言ったらしいんです。博物館行きという意味でしょう。
久和 確かに、アメリカのハイエンドのオーディオファイルの技術志向からすると、そういわれても仕方ないかもしれないけど、製品としての完成度から言えば、比較にならない。逆に930stを見習えと、ぼくは言いたい。それに技術的にも930stのほうが本質的なところがあるということも、強く言いたい。
具体的にいえばサスペンション(注11)。世の中のほとんどのプレーヤーのインシュレーターやサスペンションのコンプライアンスは、縦方向だけでしょう。ところが930stの専用サスペンションは横方向がメインでしょう。
清滝 ステレオレコードの縦方向(逆相成分)と横方向(同相成分)のどちらの信号を重視するかの違いですね。私はまず横方向を重視すべきだと思いますけど。
久和 ぼくもそう思います。実際サスペンションをロックしたときの音の劣化は大きいですから(注12)。
吉田 センターに定位する音像の実体感が、かなり違ってきますね。ロックすると、センター定位の音像がまわりの音にとけこんでしまう。
久和 世の中のプレーヤーは横方向の振動に対して、もっと気を配るべきではないですか。それからプレーヤーとしての使いやすさ、つまみの大きさ、配置、アームリフターの自然さ、誤操作をふせぐ配慮、そして長期間に渡って安心して使えるということ、まだまだ930stから現代の製品が学ぶことはいろいろあると思うんです。
清滝 確かに930stは、大きさといい、使いやすさといい、ほんとうによく出来た機械ですね。完成度という点では、927Dst(注13)よりも上でしょう。
久和 927Dstの名前が出たところでおふたりにお聞きしたいんですが、927Dstに対するコンプレックスはありませんか。 清滝 ないですね。927そのものを見たことがありませんから。
吉田 瀬川氏が930stから927Dstに買い換えられていますから気にはなりましたけど、価格と大きさで諦めました。一度は聴いてみたいと気持ちはもっていますけど、聴いてしまうと、後が怖いな、という気持ちもありますし、幸か不幸か、いままで聴く機会もありませんでしたので、私もコンプレックスはありません。
久和 そうですか。ぼくは、「Dstコンプレックス」と勝手に名付けていますけど、かなり強くある。 吉田 音を聴かれたからでしょう。 久和 聴き比べの機会があったんです。もう、完全に「白旗」ですよ。ある程度の格の違いは想像していましたけど、あれほど違うとは。
吉田 そんなに違うんですか。瀬川氏もかなり違うと書かれていましたけど。
久和 なにもかも927Dstが上手なんです。フォルティシモの瞬発力とエネルギーが違う、ピアニシモも凄味のある底力を感じさせるし、すごいリアリティで楽器ひとつひとつが提示され、耳が惹きつけられてしまう……。大人と子供ですね、927Dstと930stは。
清滝 927Dstの凄さは、写真を見ただけでも伝わってきますが、その「凄さ」というのは、家庭内でレコードを楽しむには過剰なまでの凄さのように私には思えますけど、久和さんはどう思われましたか。
久和 過剰だと思います。でもそれは理性の部分での判断でしかないんです。それに927Dstはレコードを楽しむためのプレーヤーではないんです、れコードをしゃぶりつくすためのプレーヤーだと思います。とにかく927Dstの音を聴くと、理性なんか吹っ飛んでしまう。茫然自失になる。しばらくして気を取り戻して、自分に言い聞かせるんです、927Dstは大きすぎる、930stのほうが製品としては完成度が高い、専用サスペンションがないから苦労するぞ、それにいま程度のいいのが少ない、もしあっても数百万円するぞ……。むなしくなりますね……。
吉田 それだけの音の違いは、どこからきていると思われますか。
久和 いろいろあるでしょう。例えばメインターンテーブルの大きさが違う、サブターンテーブルがDstだと高精度のガラス製、それにスピンドルが芯のエラスティックスピンドルで、トーンアームもロングの997でしょう。それからモーターの大きさも違う。930stのモーターもいまどきのプレーヤーからすると、圧倒的に大きい。けれどもDstは、さらに大きい。
吉田 あれだけのモーターは、いまどき洗濯機にもついてないんじゃないかと思わせるほどですからね。
久和 最後はやはりメインベースの材質の差でしょう。930stの樹脂製にたいしてアルミダイキャストですからね。これらの違いが積み重なって、あれだけの音の違いとなって表れるんだと思うんです。
だからぼくは、すこしでもDstに近づけないかと、数年前に出た930st用のガラスターンテーブルシートと927Dst用のスタビライザーを買ったんです。
吉田 神田オーディオで出していたものでしょう。私も気になっていたんですけど、疑わしいかなと思って、手を出すには到らなかった。
久和 噂は聞いています。あれはドイツ製ではないとかね。でも実物はよくできていますよ。ガラスの裏表に貼られているゴムシートは、927Dstのそれとそっくりですし、加工精度もなかなかいい。これだったら、喜んで騙されますね、音もぼく好みになりましたから。ただしクイックスタート・ストップの機能は使えなくなりますけど。
清滝 さしずめ930「D」stといったところですか。
久和 お恥ずかしい。こっそうそう呼んでいるんです(笑)。
吉田 久和さんは、言動一致ですね。クワドエイトやザ・パワーをだてに使われているわけじゃない。
ところで、TSD15はSFLタイプ(注14)でしょう。
久和 一応丸針も持っていますけど、ほとんどSFLですね。丸針が気が向いたときに、ときどき聴くぐらいです。清滝さんはどうですか。
清滝 丸針のほうが主ですね。オイロフォンにそのほうがあっていますし、馴染みのある音がしますから、安心して聴けます。
久和 ぼくは反対で丸針だとどう調整しても、トレースが困難なレコードがあって、完全にまかせきれない。どんなレコードにも対応できるという点で、SFLタイプが安心できるし、信頼しているんです。
吉田 私もトレースに関しても音色的にもSFLですね。一時期、SFLが出る前にトーレンスのMCH(注15)を使っていたんです。新しさを持っているけれども、私の印象では、やはり「トーレンス」なんです。EMTがプロ用に対して、トーレンスはコンシュマー用(注16)、その違いが音の芯の部分というか、核のところで違うような気がするんです。音楽の訴求力でEMTをとったんです。それでも丸針だとトーレンスも捨て切れずにいたところにSFLの登場でしょう。音のプロの音、つまりEMTの音が聴ける、それからはSFLだけです。
でも不思議ですね、MCHとSFLは、針先の違いくらいでしょう。それなのに、あれだけ音が違う。思うに、トーレンスは一貫してベルトドライブ、一方EMTはトーレンスの製品をベースにした928(注17)は例外として、930stも927Dstもアイドラードライブ。この方式の違いと、MCHとSFLの音の違いは、性質的に同じような気がしますけど、どう思われますか。
久和 われわれはアマチュアで製品開発をしているわけじゃないので、実際に市販されている製品を聴いただけの印象からの判断になりますけど、力強い音を求めるならば、アイドラードライブだと思います。なにかベルトドライブには頼りなさを覚える。特にフォルティシモの最後の一押しが、アイドラードライブにはあっても、ベルトドライブには感じられない。反対にピアニシモはベルトドライブのほうがいい、きれい。これも感覚論で、なんの根拠もありませんけど。
吉田 EMTのアイドラードライブとSFL、トーレンスのベルトドライブとMCH、彼らは、それぞれの方式のもつ本質的なものを見抜いている、そんな感じですね。これがヨーロッパの音づくりの巧みさなんでしょうか。
清滝 そうかもしれませんね。
実は私もSFL針は持っているんです。新しい演奏家の録音を聴くときには、SFL針の助けが必要となることが多いものですから。
私の装置のありかたと年令から、故人となった演奏家の古いレコードばかり聴くように思われるでしょうが、新しい人たちのものも積極的に聴いているつもりです。指揮者ですと、アバドやカルロス・クライバー、ジュリーニ、ブリュッヘンですが、とくにそのなかでも最近のジュリーニの素晴らしさには正直驚いています。それからピアニストですと、アルゲリッチ、ブレンデル、内田光子、弦だとマイスキーやクレーメル、そういった人たちのレコード、当然デジタル録音になるわけですが、丸針というか、装置そのものが古いかな、と少々気になるところが出てくるんです。そんなときのとりあえずの手段としてSFL針に登場願うわけですが、それでも苦しいのは認めざるを得ないですね。たとえばベルクの『ヴォツェック』、ベームのものだと丸針でもいいんです、けれどもアバドになると、SFL針を使っても、十全ではないような気がする。
久和 意外です、清滝さんのラインナップからして、古い演奏家ばかりで、それもアナログ録音のみを好まれるものと、勝手に想像していましたから。
清滝 それで最近CDを試してみようかなと思っているんです。なにしろ新しいレコードは、輸入盤でもLPを手に入れるのが大変になってきましたから。音も大事ですけど、やはりなんといっても聴きたい音楽を聴きたいときに聴けるということのほうが大切ですから。すでにいくつかのCDプレーヤーは試しています。
吉田 久和さんは?
久和 使っています。スチューダーのA730(注18)です。
吉田 やっぱり。久和さんにはA730しかないでしょう。音の点からいっても、600Ωバランスの送り出しの点からいっても。
久和 吉田さんはどうなんですか。
吉田 いま3台目で、ワディアの組合せです。WT3200のトランスポートと D/AコンバーターはX32ですの組合せです。
久和 CDとLP、聴く割合はどのくらいですか。
吉田 半々くらいか、時にはCDのほうが多くなりますね。なぜかというと、CDでしか聴けないソフトがずいぶんあるでしょう。新しい演奏家もそうですけど、特に昔の演奏家のものですね。
確かにLPもあるんでしょうけど、ほとんど市場に出てこないし、出てもとてつもなく高かったりするし、LPでも復刻されていないものがCDで出ているでしょう。それから地味な存在だけど忘れがたい演奏を残している人、例えば私にとっては瀬川氏がお好きだったエリカ・ケート(注19)、それからヨッフムのレクイエム(注20)などです。エリカ・ケートはオイロディスクとEMIから追悼盤が出ていますし、ヨッフムのレクイエムも一昨年の12月にCD復刻されています。いままでずっと聴きたいと思っていたものが、やっと聴けるようになる、この喜びをCDは与えてくれるわけでしょう。LPにこだわりすぎていては味わえない喜びです。
だから、LPに執着しすぎるのは、どうかと思うんです、私個人の考えとしては。
もっとも昔からオーディオをやってきて、どんなSPもLPも所有されていて、新しい演奏家は聴かないというのならば別ですけどね。
久和 ぼくも同じですね。デジタルを目の敵にしたり、LPのみにこだわって音楽の幅を狭くするのは本末転倒でしょう。
CDの音はいかがですか。
吉田 思い切ってワディアにしたのも、2台目のCDプレーヤーでかなり満足のいく音が出たからで、さらに大きな可能性を目指してなんです。ですからかなり満足していますし、デジタルのもつ可能性の大きさが、ようやく見えてきたような気がします。そうなると、巷のアナログ信者がいっていることに対して、疑問を持つようになりました。
久和 具体的には?
吉田 ヴァイオリンについてです。よくヴァイオリンはアナログに限る、デジタル録音を含めてCDはまったくだめみたいなことが言われていますけど、ほんとうかなという気持ちです。
私もヴァイオリンは人に負けないほど好きですし、うるさいほうだと思っていますが、CDのヴァイオリンは悪くないどころか、そうとうなレベルだと思います。
久和 ヴァイオリンに関しては、録音サイドと再生サイドで、かなりギャップがあるみたいです。録音サイドでは、ヴァイオリンは位相差成分が豊富だからデジタル録音でなければならないという意見がある一方で(注21)、再生サイドではヴァイオリンのソロはモノーラルで十分どころか、モノーラルのほうがいいという人までいる。
吉田 私は録音サイドの意見に賛成です。モノーラルのヴァイオリンの音は、いい悪いは別として、独特の世界だと思っていますから。
久和 その独特の世界を、ぼくはみとめないわけではないし嫌いでもない。しかし、その独特な音が染みついて、それが基準となってしまうから、デジタル録音のヴァイオリンはひどい、つまらないということになると思うんです。それにデジタル録音が高域をカットするのはヴァイオリンが高音楽器ということが一緒くたになって、勝手にイメージができあがった、とぼくは見ています。
吉田 初期のデジタル録音の中にはひどいものもありますけど、デジタル録音が、ハードと録音テクニックの進歩で、シンプルなマイク・セッティング、それも無指向性のマイクが主流になるにつれて、自然な質感のヴァイオリンを聴くことができるようになった。そして、そういう録音はLPで聴くよりも優れたCDプレーヤーで聴いたほうが、録音のよさがそのまま出てくるように思いますが、清滝さんはどうですか。
清滝 難しいところですね。
ただ五味康祐氏も、『西方の音』で、昔のレコード、いわゆるモノーラルではヴァイオリンの高音はラッパかピッコロに聴こえる、と書かれています。だから悪いとおっしゃるのでなく、逆にモノーラルのそんな弦の音でないと、氏のお好きなベートーヴェンの弦楽四重奏のアダージョがきこえてこない、と。実はきっとこの話題が出ると思って、『西方の音』をもってきているんです。これは大事なことですので、多少長くなりますけど、正確な引用文をのせていただきます(注22)。
久和さんや吉田さんのおっしゃりたいことは理解できますけど、難しいとしか言えないですね。
吉田 いろいろなことを考えさせられる文章ですね。
久和 同感です。古くならないどころか、いまの時代こそ、みんなに読んでほしい本ですね。
清滝 久和さんにお聞きしたいのは、私の印象としては、LPがエネルギー伝送のイメージをもつのに対して、CDこそ信号は形伝達の最たるものだと思うんです。エネルギー伝送を重視される久和さんとしては、いかがお考えですか。
久和 おっしゃるとおりです。
LPはカッティングの段階から、ものすごいエネルギーを必要としますから。
吉田 その凄いエネルギーを完全に取りだそうとすると、久和さんにとっては927Dst しかないんでしょう。
久和 また927Dstですか(苦笑い)。
吉田 清滝さんや私と違って、927Dstにこだわっておられるのは、久和さんの再生スタイルの理想の具現化だからでしょう。清滝さんが言われたように、エネルギー伝送のイメージが薄いCDと久和さんがどうつきあわれるか、それから930stから927Dstに買い換えられるのか、ひじょうに興味ありますね。
久和 ぼくのこれからはいいとして(笑)、おふたりは、これからも930stでいかれるのですか。
清滝 レコードを楽しむプレーヤーとして930stには満足していますから、買い換えるつもりは毛頭ありません。これからの興味は自分の好みにあうCDプレーヤーを見つけること、そして、いまの装置とうまく馴染ませることですね。
吉田 清滝さんも第一候補はA730ですか。
清滝 そうなりますね。ワディアやゴールドムンドもいいと思いますが、いかんせん、私の装置と音の上でうまくいったとしても、全体の雰囲気がくずれてしまいますから、やはりスチューダーですね。
吉田 実は、930stとは別にマイクロのSX8000IIが欲しかった時期があったんです。でも、ワディアが930stでは聴けない音を出す、ワディアで出ない音を930st聴かせる、といういまの状況になって、より930stの魅力がわかるようになりましたから、これからも使い続けていくつもりです。一方CDプレーヤーは、これからもクォリティアップしていくつもりですが、いまのワディアにかなり満足していますから、どちらかといえばスピーカーの交換が先ですね。
久和 エッジが傷んでいるんでしょう(注23)。
吉田 ウレタンエッジですから、傷みに関してはどうしようもないですね。それで思うんですけど、もし瀬川氏が生きておられたら、どのスピーカーを使われているかな、と。
久和 それでしたらダリのスカイライン2000をお聴きになるのをお薦めします。実はぼくも620Aでは、最近のぼくの要求に十全に応えていないな、と感じていて、交換の予定なんです。スカイライン2000は、その候補のひとつなんです。
吉田 久和さんは、その前にやはり927Dstでしょう。いま思い出したんですけど、神田オーディオから927Dst用のサスペンションが以前発売されていたでしょう。つまり、927Dstにはサスペンションがないから苦労する、という言いわけは通用しなくなる。
久和 確かにおっしゃるとおりです(苦笑い)。
で、スピーカーに戻ると、スカイライン2000はリボン・トゥイーターで、しかも後面開放型という、見方によってはややゲテモノ的なところも持ち合わせてますけど、とにかく音が伸びやかで、いきいきとしている。瀬川氏が、このスピーカーを使われるかどうかわかりませんが、きっと高い評価をされるんじゃないかと思えるほど、みずみずしくて楽しい音を聴かせてくれる。
吉田 そういうことを聞くと、すごく興味をそそられますね。それにヴァイオリン好きとしては、リボン・トゥイーターというのは、やはり大きな魅力ですから。
久和 最後にお訪ねしたいことがあるんです。サスペンションの930−900の後ろ側からリード線が出ているでしょう。これはどこにつなげばいいんですか。
清滝 あれはアース用ですから、プレーヤー本体の出力ピンを固定しているネジ、それもアースをとっているほうにつなぐんです。
久和 そうなんですか。輸入代理店や販売店に聞いたんですけど、わからなくて……。
清滝 もっとも私がわかってやったわけではなく、専門家の彼のおかげなんです。彼からの受け売りですが、ヨーロッパの機械では黄色と緑色のまだらの線はアース線だそうです。きちんとサスペンションのアースをとると、音も変わります。ピアニシモがより静かになり、ひっそりとした表情がはっきりと出てくるようです(注24)。
吉田 私もそれがわからなくて、いろいろな雑誌や取扱説明書を調べてみたんですけど、すくなくとも私が見た範囲では、どれもふれていなかった。その他にもノウハウ的なことがあったら、教えていただけませんか。
清滝 あとは電源コードにシールド付きのものを使うことですか。これも音が静かになって、その分、表情が豊かになる。サスペンションのアースにしても、シールドの必要性を最近とみに感じるようになってきました。
久和 これからもますますシールドのテクニックが要求されるようになるんじゃないですか。その点、TSD15はふつうのカートリッジと違ってリード線がむきだしになっていない。金属製のシェルでシールドされている(注25)。こういう細かい部分も見逃せなくなると思いますけど。
吉田さんならではの使いこなしはありますか。
吉田 私はトライガードのシート(注26)と厚手のフェルトを、本体の下に敷くことですね。細かいディテールにまとわりついていたもやがなくなりますし、音場感がすーっと広がります。それに、ぱっと見、なにかをやっているなと思わせないところが、結構自分では気に入っているんです。
久和さんはいかがですか。
久和 オイルです。
吉田 もしかして例のスクアランですか。
久和 トライガードを使われているんですから、ご存じですよね。ぼくはスクアランオイル(注27)に全面的に交換しています、シャフトのオイル、モーター、アイドラーのセンター、スピード調整用のパッドまで、すべて。
最初は恐る恐るでしたけど、音を聴くと、そんな心配はなくなりましたね。とかにくターンテーブルの起動は速くなるし、ストップ後の惰性回転の時間も長くなる。それに音の変化も大きいんです。特に低音楽器の鳴り方。音程の変化がはっきりしてきたし、よりリズミックになって、レコードを聴くのが、ほんとうに楽しくなりました。
吉田 そういう話を聞くと、私も、と思うんですけど、肝心の信頼性はどうですか。
久和 すくなくとも4年ほど使っていますが、なんのトラブルもないですし、スクアラン自体、ぽっと出の新製品のオイルではなくて、第二次大戦中には、すでに軍で使われていたそうです。深海鮫の肝油からつくるらしいですけど。
清滝 そのせいですか、おかげで戦時中はアンモニア臭い鮫の肉の配給があって、よく食べさせられました(笑)。子供心に、なぜ鮫の肉だけあるんだろうと思いましたけど、やっと謎がとけました。
(1992年秋 掲載誌・サウンドステージ)
http://www.audiosharing.com/people/nakahara/emt.htm
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1155.html#c1