33. TondaMonta[1705] gnOCj4KOgoSCgYJsgo@CjoKUgoE 2020年3月10日 21:10:39 : krUH7Um2ZA : MjZHc1JMRkd5YXc=[1]
しかしゲンダイも不正確だなあ。
InDeepで、92%は日本人と南の中国人、とある。
➊つまり中国人一般ではないということ。
➋中国には少数民族が56ある。漢人は少数民族に入らない。南というのはベトナム、ラオス、あるいはミャンマ−よりの中国人をいう。すなわち、南の少数民族。
したがってウィグル地区の少数民族は除かれる。
➌この文章の発表は1月23日だから、イタリアの例は考慮に入れられていない。クラシスよ、早まるな。
➍日本人の一部は昔々台湾から来たと言われている。朝鮮半島経由が大部分だが、南の海からやってきた日本人もいる。ならば台湾の人々はどこから来たのか。民俗学的には福建省辺りから海を渡って台湾に来たという。
その逆もあるが順路としては中国大陸から台湾に移動してきたと言える。ならばその一部は中国南部の山岳地帯例えば雲南省に行き、他の一部は台湾に渡ったと考えれば、そのまた一部が日本に移動したと考えれば、南の中国人と日本人の一部はほぼ同じ遺伝子を持つ。したがってこの場合ACE2が似ていたとしても問題はない。つまり片方が高ければ他方も高くなる。低い場合も同じ。
❺この文章の標本数が明らかでない。
➏シンガポールは昔、奴隷市場があった。福建省出身の華僑もいる。遺伝子が南中国人と日本人とほぼ同じといってもよい。ということは日本と同じことが起きるだろう。
マレー半島の人々の中にはチベットやミャンマ−を経て半島人となった集団がある。土着のネグリート族もある。雲南省から来たマレ−人々は半島の北に多い。
❼ シナ半島にはヒンズー教がやってきた時代がある。カンボジャのアンコールワットである。そしてチャンパ帝国もあった。酒は飲まない,牛はたべない宗教である。牛を労役に使い、酒を飲む集団はシナ半島から逃げた。ボルネオ島やジャワ島に渡った。フィリピンはもっともっと近い。かくしてフィリピンから台湾に移動した民族は日本人の祖先と重なる。
❽民俗学的には、南の中国人とボルネオ島のマレー人とは遺伝子クラスターが似ているので中国から来たと言われている。したがってボルネオ・マレー人と日本人と南中国人はACE2が同じである可能性が高い。結果として肺細胞がおなじなので、コロナ・ウィルスに対しても同じ反応を示すだろう。
❾したがって、この論考文章の発表者はいくらか民俗学的・遺伝子学的知識を利用して当たり前のことを医学的に言ったに過ぎない。したがって韓国でコロナ感染者が多いのは日本でのPCR検査が少ないことを示唆し、中韓の人々も同じ遺伝子をもつ、日本人も同じことを連想させる。
➓日n本人はどこから来たか。民俗学が教えるように韓半島、インドシナ半島、
台湾、フィリピン、ボルネオ島から来たと言えよう。
⓫しかし日本人は仏教が入ってくるまで文字をもたない集団、民族であった。しかし日本語文法はあったからその日本語はどうして形成されたかという問題が残る。縄文人が突然消えて弥生人が突如現れた理由が小学生のワタチにはよく分からなかった。
また日本語はドラヴィダ語(インド)が祖先だという説もある(大野晋学習院大教授)。民族風習が日本と似ているという。ワタチは最近、ドラヴィダ語に近いテルグ語を一文だけ見たが膠着語である。テニヲハを必要とする。すると大昔、南なり北なりを通じて日本に入った可能性を示唆する。
日本語は学界ではウラル・アルタイ語に属するという。つまり膠着言語。しかしウラル・アルタイ山脈のどの民族、風習とも一致しない。なぜなら、彼らはイスラム教を信じている。つまり、お酒を飲む習慣がないか、捨てた。
日本は水穂の国である。米で酒を造る。久米宏とはどこかのキャスターだったが、「くめ」とは「クメ」つまり「こめ」を意味する。ドラヴィダ語でもテルグ語でも「クメ(久米)」だ。
ボルネオ島は多宗教が共存する島だが、ヒンズー教がマレー半島およびインド洋を渉ってジャワ・スマトラ島に伝わった。バリ島はインド以上にヒンズー文化が盛んなところである。しかし豚を食べ酒を飲む習慣を捨てきれない集団、民族はキリスト教に改宗せざるを得なかった。それはオランダ、スペイン、イギリスが来た後の話であるが。
一方、仏教はすでに封建制度をもつタイで取り入れられたが、封建制を持たない少数民族には受け入れられなかった。
他方日本は、文明開化の音がするまで牛を食べる習慣はなかった。ヒンズー文化の名残であろう。つまりドラヴィダ語の影響が残っていたのである。(豚についてはよく分からないので御教示願いたい)
左門氏やACE2の話を聞いて以上のような感想を抱いた。
オマケのケ;繰り返すが、南の中国人は中国人一般に非ず。