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[番外地9] 明治時代の日本政府は今のウイグルでのジェノサイドと同じ事をやっていた 中川隆
2. 中川隆[-14568] koaQ7Jey 2021年12月14日 09:14:12 : VDlObE8vEg : MGpQcG5ZQ2ZvMUU=[1]
日本人には異民族の死は非常に軽い、死んだらまた新しいのを連れてくればいいという感覚
明治時代の日本政府は今のウイグルでのジェノサイドと同じ事をやっていた
日本人はこうやってアイヌ人から北海道を乗っ取った
▲△▽▼

旭川・釧路は、アイヌの人たちを騙して和人が奪い取った地
そんな土地だから、ろくでもない悪人の子孫しか住んでいない

 「知床日誌」 松浦武四郎
 松浦の実見によれば、たとえば現在の釧路場所においては
 「四十一人の番人三十六人まで土人の女(め)の子を奸奪して妾となし」といった状態であった。
 彼らは情欲に任せてメノコを強姦し、思いのままにならぬ女は、その夫を遠い漁場に強制的に追いやり、
 その留守に犯したりしたのである。犯されたアイヌメノコの多くは感染した梅毒に悩まされた。

 また、これらの和人は、彼女たちが妊娠すると唐辛子やいぼたなどの煎じ薬を飲ませて堕胎させ、
 生まれた子は「鯨針にて刺殺し、また膝の下に敷殺」(松浦武四郎『炉心余赤』)し、病気にかかれば山に棄てたりした。

こうやってできたのが旭川

 江戸時代の上川郡域は西蝦夷地に属する松前藩領となっており、石狩十三場所の範囲に含まれた。天明6年2月、佐藤玄六郎は幕府に提出した蝦夷地調査の報告書(「蝦夷地之儀是迄見聞仕候趣申上候書付」『蝦夷地一件』二)で、
 
蝦夷地は穀物栽培を禁じており、上川郡域でアイヌが米作したところ、和人は籾・種を没収し償いさせた

と書いている

日本人の蛮行の原型が、このアイヌ民族浄化にある

▲△▽▼

とこしえに地上から消えた千島アイヌとその文化―日本人が自ら葬り去った異文化

 アイヌ文化には三つの文化圏がある。すなわち「北海道」島に栄えた北海道アイヌ、樺太(ロシア領サハリン)島南部に栄えた樺太アイヌ、そして、中部千島・北千島(ロシア領クリール諸島)に栄えた千島アイヌである。
 このなかで、千島アイヌはそのひとを含め、文化・言語は今日にまったく伝わらないのである。国際交渉の陰で、しかもきわめて平和裡に、日本人は地上から一つの文化を葬り去ったのである。

「1884年の日露両国間の協定によって、樺太はロシアに、千島列島は日本に帰することになった。その後、日本は総人口わずか九七人のものが群島の各地点に分散している極北の新しい国民の憐れな状態に憐憫の情をもよおし、彼らを絶滅から救うことを願った。そのため、彼ら全員を、はるかに豊で気候も温暖なシコタン島へ移住させた。ここは蝦夷の根室地方とクナシリ島の間にあり、千島列島の最南端に位置する。しかし、憐れな彼らにとってそこが楽園となったであろうか。否、無益であった…」(鳥居竜蔵『千島アイヌ』序)。

 日露間で締結された「樺太千島交換条約」によって、樺太はロシアに割譲され、全千島列島が日本の版図となった。このとき、日本政府は先住民であるアイヌの人びとをも同時に自らの民に加えた。樺太アイヌは北海道に強制移住させられ、当初は樺太に程近い稚内のメグマに居住地が定められたが、じきに札幌近郊の対雁(ツイシカリ、現在の江別市内)に移された。

 シムシュ島、ホロムシリ島などに住む千島アイヌが移された先が、鳥居の序文にあるシコタン島である。

 明治36年の戦争の結果、樺太アイヌはそれでも故郷に帰りえた。しかし千島アイヌは、そこが日本領土であったにもかかわらず、帰ることはできなかった。望郷の想いにかられながらも、かれらは北海道とその付属島嶼(島々)のなかで、みずからの文化を放棄せざるを得なかった。今日、千島アイヌの文化を伝えるひとはただのひとりも存在しない。
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千島アイヌの強制移住
1884年(明治17年)に占守島や幌筵島、及び中部千島の羅処和島に居住していた千島アイヌの人々が色丹島に強制移住させられた。

これは根室から遠く離れた絶海の孤島では監督も行き届かず、当時、盛んに千島に出没する外国の密猟船に対して便宜を与える恐れがあったことと、千島アイヌは風俗・習慣共に著しくロシア化していて、殆どロシア人と変わることなく、こうした者を国境近くに置くことは、日本の領域を確定するにおいて危険な障害と感じられたためである。

移住した千島アイヌに対しては農地が与えられ、また牧畜や漁業も奨励されたが、元々が漁撈民であった彼らは慣れぬ農耕に疲弊し、多くが病に倒れ命を失った。
_____

色丹島移住後のクリル人

 移住の年より漁船や漁網を与えて漁業に従事せしめ、また北千島時代に露人の指導に依って既に試みられていた牧牛と、新たに緬羊・豚・鶏の飼養が相当の計画のもとに始められ、農耕も指導奨励されたが、これらの組織化は彼らにとって未だ経験したことのない急速な生活上の変化であったため、適応は困難であった。農耕についてはやや望みがあるとみられたが、明治27年8月の水害による耕土の流失を機として殆ど廃止され、自家用の野菜を収穫する程度にとどまり、各種漁業も細々ながら唯一の生業として期待されたが、移住後の生活の安定した拠り所とするには至らなかった。

 この間、明治18年より27年まで10カ年間撫育費が計上され、その後も更に期間が延長されて32年まで継続された。また、同年3月より新たに保護法が制定され、その中に特別科目が設けられて救恤事業(救済)が続行された。

強制移住による人口の減少
 移住後、生活の急変に加え風土の変化の為に、彼らの着島後、僅か20日も経たぬうち、3人の死者があり、更にその後も死亡者が続出し、これには彼らも愕然たらざるを得なかった。17年には6名、18年には11名、19年・2名、20年・17名、21年・10名の死亡者があり、出生11人を差し引くも33名の減少をきたし、ついに64名を数えるに過ぎなくなった。それは生活環境の急激な変化、ことに内地風に束縛された生活、肉食より穀食を主とした食物の急変等によるものであるとみられるが、移島当時は動物性食料の欠乏を補充する食物の貯蔵が少なく、冬期野菜類が切れて壊血病にかかり死亡したものとも言われている。事実そうであるとするならば、政府の不用意な強制移住がこの結果を招いたとも言えるであろう。

 明治18年2月22日付色丹戸長役場の日記を見ると、
「此の日土人等具情云、当島は如何にして斯く悪しき地なる哉。占守より当島へ着するや病症に罹る者陸続、加之(これにくわえ)死去する者実に多し。今暫く斯くの如き形勢続かば、アイヌの種尽きること年を越えず。畢竟(ひっきょう)是等の根元は、占守において極寒に至れば氷下に種々の魚類を捕らえ食す。故に死者の無きのみならず、患者も亦年中に幾度と屈指する位なり。然るに当島には患者皆々重く、軽症の者と言えば小児に至るまでなり。見よ一ヶ月に不相成(あいならざる)に死する者3名、実に不幸の極みとす−云々」

故に故郷占守島に帰還したいが、もしそれが不可能ならば得撫島にでも移りたいと嘆願している。
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北海道の和人の人命軽視は今も昔も変わらない:

被害者の死後、加害者は、「便所ATM壊れちゃった。新しいの探さなきゃ」と、被害者死亡を暗示させるようなLINEをしていた。

#270 2021/04/27 22:23
なぜ、加害者たちが、被害者を便所ATMと呼んでいたのか?
いつでも、どこでも、Cからの呼び出しがあれば急いで行かないといけなかったのか?
母親と一緒にいる早朝4時にCから呼び出しがあり、家を出ていく被害者を止めた母親に、
「行かないと後でひどい目にあわされる」と震えていたとか。「私は汚れているから・・」と言って悩んでいた被害者。

352 名前:ニューノーマルの名無しさん投稿日:2021/04/19(月) 02:44

友達のなかでの女の子のあだなは便所ATM。やらせて金ももってきてくるからだって
便所ATMが壊れたから今の便所と一緒に働く新しいの見つけるから、仲いい友達とかに卒アル見せてもらってかわいい子いたら便所ATMにするために同窓会やろってゆって参加させて新しいの調達するって言ってた
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/670.html#c2

[リバイバル3] 3万円代のロボット掃除機「ルンバ 600シリーズ」の実用度 中川隆
5. 2021年12月14日 09:51:54 : VDlObE8vEg : MGpQcG5ZQ2ZvMUU=[2]
ロボット掃除機と電気ストーブに潜む危険。冬にこそ見てほしい動画があります
ハフポスト日本版 2021/12/14 07:11

ロボット掃除機も電気ストーブもおうちにある、という方へ。

冬にこそ見てほしい2本の動画があります。

動画では、稼働中のロボット掃除機が、電源の入ったままの電気ストーブをぐいぐいと押し続け、布のかかったソファーにあっという間にぴったりとくっつけてしまいます。

もう一つの動画には、ロボット掃除機が電気ストーブのコンセントを巻き込む様子が映っています。じわじわと電気ストーブの本体を動かし、最終的には一本目の動画と同じく、ソファーに密着させてしまいます。

2本の再現動画はいずれも、東京消防庁が公式YouTubeチャンネルで公開しています。

東京消防庁は2019年の発表資料で、電気ストーブがロボット掃除機に押されて可燃物に接触し、火災が発生したとして注意を呼びかけています。

「自動掃除ロボットは各種センサーが搭載されていますが、使用条件によっては火災が発生する可能性がありますので、ご注意ください」(発表資料より)

火災を防ぐ方法として、東京消防庁は

・ロボット掃除機の取扱説明書等に記載されている使用条件や注意点をよく読み、危険な状態とならないよう注意する

・ロボット掃除機を自動運転する場合は、電気ストーブのコードを抜く

ことを挙げています。

電気ストーブの暖かさが恋しくなる季節。最悪の事態を招かないよう、使用する際には十分気をつけましょう。

https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%88%E6%8E%83%E9%99%A4%E6%A9%9F%E3%81%A8%E9%9B%BB%E6%B0%97%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%96%E3%81%AB%E6%BD%9C%E3%82%80%E5%8D%B1%E9%99%BA-%E5%86%AC%E3%81%AB%E3%81%93%E3%81%9D%E8%A6%8B%E3%81%A6%E3%81%BB%E3%81%97%E3%81%84%E5%8B%95%E7%94%BB%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99/ar-AARMmKF
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/875.html#c5

[番外地7] ボブ・ディラン 名曲集 中川隆
4. 中川隆[-14567] koaQ7Jey 2021年12月14日 11:41:13 : VDlObE8vEg : MGpQcG5ZQ2ZvMUU=[3]
ボブ・ディランの公式YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/BobDylan/videos
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/262.html#c4
[近代史7] 「愛のプレリュード We've Only Just Begun」ロジャー・ニコルス(Roger Nichols、1940年9月7日 - ) 中川隆
1. 2021年12月14日 12:34:20 : VDlObE8vEg : MGpQcG5ZQ2ZvMUU=[4]
ロジャー・ニコルス(Roger Nichols、1940年9月7日 - )は、アメリカ合衆国モンタナ州ミズーラ生まれの作曲家、ソングライターである。ヴァイオリン、ベースギター、ピアノも演奏するマルチ・プレイヤーでもある。


来歴
1968年にニコルズは、アルバム『Roger Nichols & The Small Circle of Friends』を発表した。その後、ニコルズとポール・ウィリアムズのコラボレーションには、もともとアメリカの銀行のコマーシャルのために書かれた「愛のプレリュード」(カーペンターズが演奏)が含まれた。彼らはジングルを書くように依頼され、それは締め切り前の最終日の数時間のうちに作曲された。

ウィリアムズが歌う同曲をテレビで聞いたリチャード・カーペンターは、潜在的なヒットの可能性を持っていると信じ、カーペンターズは1970年に彼らによるバージョンを録音し、ヒット7に至ったことでグラミー賞のSong of the Yearを受賞しました[1]。

彼は、シンガーソングライターのポール・ウィリアムズと組み、カーペンターズやスリー・ドッグ・ナイトのヒット曲を作曲した。スリー・ドッグ・ナイトによるニコルズ&ウィリアムズの曲「アウト・イン・ザ・カントリー」[2]がトップ10に到達した。カーペンターズの「雨の日と月曜日は」はゴールドレコードとなった。

一時低迷期もあったが、76年にはポール・アンカによって歌われた「Times of Your Life」が、アダルト・コンテンポラリー・チャート(1976年1月3日〜1月10日)で1位に達した。


作曲作品
「愛のプレリュード」 We've Only Just Begun (カーペンターズ、1970年)
「雨の日と月曜日は」 Rainy Days and Mondays (カーペンターズ、1971年)
「あなたの影になりたい」 Let Me Be the One (カーペンターズ、1971年)
「愛は夢の中に」 I Won't Last a Day Without You (カーペンターズ、1974年。録音1972年)
「アウト・イン・ザ・カントリー」 Out in the Country (スリー・ドッグ・ナイト、1970年)
「想い出よいつまでも」 Times of Your Life (ポール・アンカ、1975年)
「ザ・ドリフター」 The Drifter (ハーパーズ・ビザール、1968年)
「サムデイ・マン」 Someday Man (モンキーズ、1969年)


ディスコグラフィ(ソロ・アルバム)
Roger Nichols and the Small Circle of Friends (1968)
Roger Nichols and a Circle of Friends—Be Gentle With My Heart (1995)
Roger Nichols and the Small Circle of Friends—Full Circle (2007)
Roger Nichols and the Small Circle of Friends—Full Circle (2008; Now Sounds edition with 5 extra tracks)
Roger Nichols and the Small Circle of Friends - My Heart is Home (2012)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%82%BA
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/753.html#c1

[近代史7] エレニ・カラインドルー(Eleni Karaindrou 1941年11月25日 - ) 中川隆
1. 2021年12月14日 18:30:30 : VDlObE8vEg : MGpQcG5ZQ2ZvMUU=[5]
エレニ・カラインドルー(英語: Eleni Karaindrou、ギリシア語: Ελένη Καραΐνδρου、1941年11月25日 - )は、ギリシャの女性作曲家。


経歴
ティヒオ(Τείχιο)に生まれ、アテネで成長。エリニコ・オディオ(Ελληνικό Ωδείο)でピアノと音楽理論を学び、1969年から1974年にかけてパリで民族音楽を研究し、ギリシャに戻った。

映画音楽や劇場用音楽の作曲など、多方面で活躍している。多くの映画監督との協力関係があるが、1982年以来、テオ・アンゲロプロスの多くの映画作品(『霧の中の風景』『永遠と一日』『エレニの旅』など)で作曲をしている。


ディスコグラフィ

アルバム
The Great Vigil (1975年、Minos)
The Price of Love (1983年、Minos)
Voyage to Cythera (1984年、Minos)
The Beekeeper (1986年、Minos)
Landscape in the Mist (1988年、Milan)
Herod Atticus Odeon (1988年、Minos) ※ライブ
L'Africana (1990年、Minos)
Unreleased Recordings (1991年、Minos)
The Suspended Step of the Stork (1991年、Minos)
『ミュージック・フォー・フィルムズ』 - Music for Films (1991年、ECM)
『「こうのとり、たちずさんで」オリジナル・サウンドトラック』 - The Suspended Step of the Stork (1992年、ECM)
『「ユリシーズの瞳」オリジナル・サウンドトラック』 - Ulysses' Gaze (1995年、ECM)
Rosa, Wandering (1996年、Lyra)
『「永遠と一日」オリジナル・サウンドトラック』 - Eternity and a Day (1998年、ECM)
『トロイアの女たち』 - Trojan Women (2001年、ECM)
『「エレニの旅」オリジナル・サウンドトラック』 - Trilogy 1 The Weeping Meadow (2004年、ECM)
『絶滅に寄せる哀歌』 - Elegy of the Uprooting (2005年、ECM) ※ライブ。DVD版もある
The 10 (Greek TV: "το 10") (2008年、Mikri Arktos/ECM)
Dust of Time (2009年、ECM)
『コンサート・イン・アテネ』 - Concert in Athens (2013年、ECM) ※ライブ
Medea (2014年、ECM)
Music for the Small Screen - Original Recordings [1976-1989] (2014年、Mikri Arktos)
Music and songs for the theater (2015年、Mikri Arktos) ※1983年-1993年録音
Pothοi Kato Apo Tis Lefkes / Glyko Pouli Tis Niotis (2017年、Mikri Arktos)
『ダヴィデ』 - David (2016年、ECM)
Tous des Oiseaux (2019年、ECM)


フィルモグラフィ
映画
『霧の中の風景』(1988年)
『ユリシーズの瞳』(1995年)
『永遠と一日』(1998年)
『エレニの旅』(2004年)
『エレニの帰郷』(2008年)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BC
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