21. 2019年4月06日 06:57:32 : 53nYtEOYXw : MFhkcE94cEJ0TVU=[1]
ためらう理由が2つあるんだと思う。1つは選挙、2つ目は政権奪取後の壮絶な戦いである。
周知のように選挙に公正などなく、捏造支持率に沿って開票結果が改竄されてきた。CIAご指導のもと、選管・ムサシ・NHKを含むメディア・総務省などの合作によるデッチアゲである。多くの裁判も提訴されているが、殆どが門前払いされ続けている。そして当然ながら、与野党のキーマンはそれらの事実を知っている。こんな選挙のなかで、自分たちの立ち位置をどうするか?という判断をしなければならない。未来の党のように、生活の党のように不正の標的にされたら議員の席を失ってしまう。だから・・・・。
もう一つは政権奪取後の壮絶な戦いである。本当に国民のための政治を実現するのであれば、あれゆる外敵・既得権益軍との戦いが始まる。官僚機構にもカルト統一・創価が巣食っている。場合によっては冤罪に嵌めれら或いは自分の身に危険が及ぶかもしれない。・・・。
>小沢一郎の疑獄事件には、この国の利権構造が集約されている。壮絶なバッシングのモチベーションは小沢が掲げていた政策をみれば明らかだろう。つまり弾圧は彼が政界、財界、官僚、米国、報道これら全ての既得権益の解体を目指し、エスタブリッシュメントの逆鱗に触れたことに拠るのである。
マニフェストの骨子とは@特別会計の廃止、A独立行政法人など外郭団体の統廃合、B天下りによる官僚OBの不労所得の禁止、C米国による内政干渉の排除、Dクロスオーナシップ(新聞社によるテレビ局経営)の禁止と電波オークション制度の導入、E企業団体献金の廃止(「政党評価表」による外資支配の排除)、F消費税引上げ禁止、G最低賃金法の導入と非正規労働の規制強化であり、つまり政策本質とは支配体制の破壊そのものであったわけだ。・・・
https://ameblo.jp/dembo531/entry-11880169601.html
つまるところ、「本気で国民のための政治を目指すのか」、もしくは「今までのように野党のままで演技を続けるのか」という判断の分かれ道に立っているということだろう。後者は、55年体制もしくは野党病とも言われるようだけど。
>野党共闘と不正選挙_______________________________
__完全にコントロールされた不正選挙の出す数字は現実の投票数には縛られないが、過去に自らが出した数字に縛られる。擬似民主主義は偽の民意で選挙結果を出して本物の民意と誤認させ国民に責を負わせることを目的とするのだから、それを現実のものとする者の「分析」に耐える数字を出さなくてはならない。理由なく与野党の得票率が乱高下しては誰も選挙の公正など信じなくなるだろう。だから不正選挙を主導する者(以下「業者」)は前回出した数字を「基礎票」と見なし票の増減に理由付けをするという制限のもと数を決めなくてはならない。・・・
__つまり野党共闘には二種類あった。小沢の「不正選挙のもとでも勝つ野党共闘」と、民進の「負けるための野党共闘」だ。勝てる状況が揃いつつあるのに野党共闘を捨てるのが小沢の仕業であるはずがない。負けることができる状況でなくなると55年体制のような状況を求めるのが民進党。これは前原に限った話ではないのだろう。つまり「小沢アレルギー」とは「自公に勝つ気があるかどうか」「政権を担う気があるかどうか」もっと言うなら「『業者』の書く筋書きから外れる気があるかどうか」「政治主導で『業者』と戦う気があるかどうか」というパラメータだ。・・・
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http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/325.html#c21