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[番外地9] 爽彩さんは小学校の時にパニック障害を発症しているので、小学生の時にレイプされたか覚醒剤を打たれたのが原因でしょう 中川隆
4. 中川隆[-15734] koaQ7Jey 2021年10月30日 04:24:24 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[1]
​ @shiratakun
旭川事件はイジメではなくヤクザがらみの児童売春事件なので、普通のイジメ事件とは質的に違うのですね:
爽彩さんは小学校の時にパニック障害を発症しているので、小学生の時に rape されたか覚醒剤を打たれたのが原因でしょう。 覚醒剤障害になるとフラッシュバックで被害妄想になるのですね。
それで精神病院では爽彩さんが自殺しない様に下着も着せなかったそうです。
爽彩さんが精神病院に入れられた前後に、警察は覚醒剤関係者を捜査して逮捕しています:

0601 名無番長 2019/07/12 17:15:29
旭導会 若頭補佐
唐沢昌幸(からさわまさゆき)56歳
旭川市豊岡7条1丁目
稲川会荒木組の組員と共謀し、小学生と中学生の姉妹に覚せい剤を注射した上で卑猥な行為をした。
この姉妹の母親と唐沢は顔見知りであり、母親の依頼でトリトンの会長を恐喝し逮捕。その捜査の過程で小学生と中学生の姉妹に対する猥褻行為が発覚。旭導会本部はこれに対する処分をしておらず、強く処分を求める。

2020年8月12日、旭川中央警察署は、自宅に大量の覚せい剤と注射器を隠し持っていた組員を逮捕。同年9月2日、旭川市の事務所に家宅捜索が行われた。

▲△▽▼

爽彩さんが11,12歳の頃にパニック障害を発症し、被害妄想になった(?)のは覚醒剤障害になったのが原因か?

大橋隆二(23歳)は都内の大学3年生。昨年の大学祭で友人から大麻を勧められ軽い気持ちで手を出した。その後も数回、大麻を吸った後、覚せい剤にも手を出した。

何度目かの覚せい剤吸引後、警察官が自宅を尋ねてきた。母親の公子が対応、警察官は隆二の住んでいる地域で空き巣が多いため、各家庭を訪問し注意を促すとともに聞き込みをしていたのだが、隆二には覚せい剤使用がばれて調べにきたのではないかと思えた。

そのうち、警察ではなく、覚せい剤常習者を取り締まる影の組織があり、その組織の暗殺者が隆二を狙っていると思うようになった。
コトッ、外で音がすると暗殺者が来たと思い怯えた。
ニャー、「ふん、間抜けな暗殺者だ。そんな声でだまされるか!」

ヘリコプターの音がすると、監視されていると確信した。
空挺部隊の暗殺特殊部隊がやってくる。
不安にさいなまれ、覚せい剤を吸った。

●妄想と現実の区別がつかずに犯罪へ

「宅配便です」の声に隆二は居留守を使った。
母が帰宅して
「あら、隆二、出かけてたの?不在連絡票が入っていたわよ」
「うん、少しね」

この時、隆二は「なるほど、わざと出かけていたんだな」と思い母まで組織の手に落ちたと確信した。
この時以降、母親が作る食事を食べずに
お菓子やカップラーメン、パンなどを食べて過ごすようになった。
「どうしたの隆二、なぜ食事しないの?」
“毒をいれてあるんだろう。組織から指示されて、母親のくせに俺を殺そうとしているんだ”何も言わずに、母親を睨みつけた。
「なによ、そんなに怖い顔して、へんな子ね。きちんと食事しないと体が悪くなるわよ」
母はそう言った。

公子は近頃、隆二の様子が変なことには気がついていたが、どうして良いのかわからずそのままにしていた。でも、隆二の様子が日を追うごとに変になってくる。これは普通じゃないと思い夫の朗に相談したものの、「そんな時期なんだろう」ですまされていた。
「でも、普通じゃないよ」
“そうだ、明子に相談しよう。彼女なら保健所に勤めているし、精神障害に関わる仕事をしていると言ってたからなにかアドバイスしてくれるかも知れない”そう思ってすぐに明子に電話した。

●事件(暗殺者を返り討ちに)
数日後、明子(母親の友達で保健所で精神障害関連の仕事をしている)がやってきた。
「隆二君、ごぶさた」
部屋の外から明子が隆二に声をかけた。

隆二は、とうとう殺される日が来たと思った。
「そうはさせるか。殺される前に殺してやる。組織がどんなに大きくても、一人でも二人でも道連れにしてやる!」
バットを持って、母親とその友達がいる台所へと向かった。

大きな音と悲鳴を聞きつけた隣家からの通報で
警察官が駆けつけると
眉間から血を流した女性が片手を押さえている。
中年の男性が二人で青年を押さえつけているのだが、その青年は押さえつけられながら笑い転げており、ときたま訳の分からないことを口走っている。

隆二は警察官を認めると、お前も死ね!と言ってつばを吐きかけた。
くそ!!ここで捕まったら裁判もなく殺されるじゃないか!!
と思った瞬間、隆二は警察官に手錠をかけられていた。
「お前がやったのか!」
「そうだ、こいつらが殺しにきたから返り討ちにしてやった。お前も暗殺部隊のメンバーなんだろう。なぜひとおもいに俺を殺さないんだ!」
「えっっ・・・」

救急隊員が入ってきた。
眉間から血を流していたのは母親の公子だった。
明子は手でかばったらしく腕を骨折していたが他に外傷は見当たらなかった。
救急隊員が二人を連れてゆく。

翌日の新聞に
「バットで母とその友人を襲う!」
「23歳の青年にいったい何が?」
という見出しが躍った。

●警察から病院へ
警察で取り調べを受けている間も不安で仕方なかった。
殺される!殺される!殺される!
どうしよう・・・・!

警察官は逮捕時の様子から見ていて薬物使用を疑っていた
そのため令状を取り採尿のため
宮内病院に連れて行った。
隆二は抵抗して暴れたが3人の警察官に押さえつけられ
医師の手により強制採尿された。

取調室でも隆二は
「殺さないでくれ!」と叫んだかと思うと
「死んでやる」と言って壁にむかって走ろうとした。
幸いそばにいた警察官に押さえられ、
壁に頭を打ち付けて自殺しようとした隆二の企みは成功しなかった。

検察官から精神鑑定の依頼が大学病院の田中教授のもとにあった。
起訴予定の罪名は殺人未遂と覚せい剤取締法違反である。
精神鑑定をした田中教授は「覚せい剤の影響で現実的な判断をする能力が低下していた」との結果を伝えた。

2〜3日すると、隆二は落ち着いてきた。
覚せい剤が体から抜けたことで事件前のような恐怖感はなくなったものの、それが覚せい剤による幻覚や妄想によるものだったという確信は持てなかった。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/887.html#c4

[近代史5] 絶対に食べるな!!実はハゲる危険な食べ物の闇 中川隆
1. 中川隆[-15733] koaQ7Jey 2021年10月30日 04:46:27 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[2]
髪が薄くならない為にやってはいけない事
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/353.html

パンやラーメンを食べるとハゲになる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/724.html

ラーメンは絶対に食べてはいけない
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/523.html

パンは食べてはいけない
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/524.html

輸入小麦は食べてはいけない
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/318.html

世界中の飢餓に苦しむ貧困者を救ったインスタントラーメンだけど…
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/999.html

カップヌードルの人体への影響
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/557.html

食べてはいけない _ カップ麺や袋めんが年間6000億円 麺市場は1兆円に拡大
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/326.html

長生きしたけりゃパンは食べるな
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/327.html

卵の黄身と白身は掻き混ぜてはいけない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/569.html

甘酒・酒粕は肝臓を強化し、髪をふさふさにして肌まで美しくする、飲む”若返り薬”
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/871.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1235.html#c1

[近代史5] 野菜の絶対的王者ブロッコリーの洗い方・食べ方 中川隆
1. 中川隆[-15732] koaQ7Jey 2021年10月30日 05:03:16 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[3]
【ゆっくり解説】ブロッコリーで体臭が悪くなる?!誰も知らないブロッコリーの危険性
2021/10/18



http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1120.html#c1
[近代史5] 納豆のとんでもない効果とは!毎日食べたらどうなる? 中川隆
2. 2021年10月30日 05:10:07 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[4]
【ゆっくり解説】納豆は身体にいい!でも見落としてない?アレには添加物がいっぱい!?危険性について
2021/10/29




納豆は身体にいい!でも見落としてない?アレには添加物がいっぱい!?危険性についてゆっくり解説します!

目次
00:00 今日は納豆についているタレの危険性について
01:36 納豆の栄養
06:33 安い納豆は危険?
08:46 どんな納豆が安全?
09:49 納豆のタレは危険?
14:29 タレを使わずに美味しく食べる方法

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1109.html#c2
[リバイバル3] 水道料金「月額2万円」時代へ? 値上げと地域格差拡大の背景 中川隆
32. 2021年10月30日 07:14:26 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[5]

2021年10月30日
日本初の水道民営化、外資が過半数の株式

現在の水道は各自治体が古臭い制度で運営している


水道民営化と電力自由化

国は水道の民営化を推進し、宮城県が全国で初めて民間企業に水道運営権を売却し、フランス企業が株式の51%をすることになった。

ここで第一の懸念が生じるが、売却するのは20年間などの「運営権」で水道そのものは自治体の所有物です。

2番目の懸念は値上げによって「金持ちしか水を飲めなくなる」ような事で、アメリカではそうした例がある。

アメリカでは水道は民間企業の所有物だったりし、ゲーム機と同じで売るも売らないも企業の方針一つです。

アメリカのある地域は農業用水のほうが高く売れるという理由で、飲料水を止めてしまいました。

住民は汚染された水を飲んだり、ミネラルウォーターを購入したり、遠くまで車で水を買いに行きます。


日本方式はこれとは違い、水道の価格決定権は自治体が握り、市議会などの承認を経ないと変更できない。

とはいうものの水道を管理する民間企業が「赤字なので値上げしたい。」と言えば値上げを認めるでしょう。

アメリカでは「この料金を払えないなら水を止める」と言って平気で元栓を止めますが、日本ではそうはしないでしょう。


3番目の懸念は民営化でコストが上昇するのではないかという事で、これは寡占の原則でこうなる。

欧米のある地域では、1社しか水道会社がなく料金は民間の自由にまかされている。

すると民間水道会社は高額料金を設定し、払わない家の水道を止めています。

水道も大手電力会社のようにすべき

アメリカは電気も同じで電力自由化したら1社独占の電力会社は値上げをし、自由化前より料金が上がりました。

日本の電力会社が値上げせず全国一律料金なのは、実際には大日本帝国が創設した「国営電力会社」だからです。

国営だから国民は国と東電に文句を言えば良いだけだが、アメリカのような自由経営だったら「金を払ったやつだけに電気を売る」商売になります。


アメリカの電気料金は日本の半額くらいですが、それは自由化と関係なくエネルギーを自国で生産できるからです。

日本の水道民営化はこれとは違い、今までは自治体が水道を経営していたが、所有権は自治体のまま半民営化するという事です。

戦時中の日本は電力会社を統合し国が管理したが、1952年にGHQの命令で再び民営化し現在の大手電力ができた。


このシステムは批判されながらも、全国同一料金で安定供給し、料金もまあまあ抑えられている。

例えば電力を本当に「自由化」したら東京など大都市は1kWh10円、沖縄や佐渡島は100円以上になります。

離島や過疎地の電力事業は赤字の筈ですが、事実上国営なので国策で全国一律にしています。


水道はこれと違い自治体が勝手に水道料金を決めているので、数倍も差がある場合があります(過疎地では住民が水利組合を運営する場合も多い)

この非効率なシステムのせいで水道格差はどんどん広がり、将来は水道の為に月数万円払う地域もでてきます。

正しい政策としては水道も電力会社のように大手水道会社にしてしまい、全国サービスにしてしまう事です。


電気料金は東京や大阪の人に多く請求することで、沖縄や佐渡島でも同一料金を維持できています。

水道も都会の人に多く負担してもらえば、全国一律料金にできるのです。

そうしないと過疎地では水道もガスも交通費(車が必須)も高いので、だれも住めなくなります
https://www.thutmosev.com/archives/87042529.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/908.html#c32

[近代史4] 田舎の水道料金とガス料金は都会の2倍 中川隆
4. 中川隆[-15731] koaQ7Jey 2021年10月30日 07:18:46 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[6]
2021年10月30日
日本初の水道民営化、外資が過半数の株式
現在の水道は各自治体が古臭い制度で運営している


水道民営化と電力自由化

国は水道の民営化を推進し、宮城県が全国で初めて民間企業に水道運営権を売却し、フランス企業が株式の51%をすることになった。

ここで第一の懸念が生じるが、売却するのは20年間などの「運営権」で水道そのものは自治体の所有物です。

2番目の懸念は値上げによって「金持ちしか水を飲めなくなる」ような事で、アメリカではそうした例がある。

アメリカでは水道は民間企業の所有物だったりし、ゲーム機と同じで売るも売らないも企業の方針一つです。

アメリカのある地域は農業用水のほうが高く売れるという理由で、飲料水を止めてしまいました。

住民は汚染された水を飲んだり、ミネラルウォーターを購入したり、遠くまで車で水を買いに行きます。


日本方式はこれとは違い、水道の価格決定権は自治体が握り、市議会などの承認を経ないと変更できない。

とはいうものの水道を管理する民間企業が「赤字なので値上げしたい。」と言えば値上げを認めるでしょう。

アメリカでは「この料金を払えないなら水を止める」と言って平気で元栓を止めますが、日本ではそうはしないでしょう。


3番目の懸念は民営化でコストが上昇するのではないかという事で、これは寡占の原則でこうなる。

欧米のある地域では、1社しか水道会社がなく料金は民間の自由にまかされている。

すると民間水道会社は高額料金を設定し、払わない家の水道を止めています。

水道も大手電力会社のようにすべき

アメリカは電気も同じで電力自由化したら1社独占の電力会社は値上げをし、自由化前より料金が上がりました。

日本の電力会社が値上げせず全国一律料金なのは、実際には大日本帝国が創設した「国営電力会社」だからです。

国営だから国民は国と東電に文句を言えば良いだけだが、アメリカのような自由経営だったら「金を払ったやつだけに電気を売る」商売になります。


アメリカの電気料金は日本の半額くらいですが、それは自由化と関係なくエネルギーを自国で生産できるからです。

日本の水道民営化はこれとは違い、今までは自治体が水道を経営していたが、所有権は自治体のまま半民営化するという事です。

戦時中の日本は電力会社を統合し国が管理したが、1952年にGHQの命令で再び民営化し現在の大手電力ができた。


このシステムは批判されながらも、全国同一料金で安定供給し、料金もまあまあ抑えられている。

例えば電力を本当に「自由化」したら東京など大都市は1kWh10円、沖縄や佐渡島は100円以上になります。

離島や過疎地の電力事業は赤字の筈ですが、事実上国営なので国策で全国一律にしています。


水道はこれと違い自治体が勝手に水道料金を決めているので、数倍も差がある場合があります(過疎地では住民が水利組合を運営する場合も多い)

この非効率なシステムのせいで水道格差はどんどん広がり、将来は水道の為に月数万円払う地域もでてきます。

正しい政策としては水道も電力会社のように大手水道会社にしてしまい、全国サービスにしてしまう事です。


電気料金は東京や大阪の人に多く請求することで、沖縄や佐渡島でも同一料金を維持できています。

水道も都会の人に多く負担してもらえば、全国一律料金にできるのです。

そうしないと過疎地では水道もガスも交通費(車が必須)も高いので、だれも住めなくなります
https://www.thutmosev.com/archives/87042529.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/404.html#c4

[番外地10] グレートリセット・新しい資本主義というのは共産革命を起こせない様にする管理社会化の事 中川隆
1. 中川隆[-15730] koaQ7Jey 2021年10月30日 07:25:50 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[7]
グレートリセット・岸田首相の新しい資本主義というのは共産革命を起こせない様にする管理社会化の事
これから起きるのは共産革命か?、グレートリセットか?
資本主義というのは投資してその利子や配当で稼ぐシステムですが、今は世界中ゼロ金利になっているので、投資では稼げない、つまり資本主義システム自体が世界中で既に破綻しています。
理由は明らかで、国債には利子が付いていて、その金はすべて資本家の所に行くので、格差が開いてマルクスが預言した階級社会になってしまったのです。そうすると内需が壊滅して、新規事業しても稼げないので銀行から金を借りる人が居なくなる、それで金利がゼロなる。
これからは世界中で共産革命の嵐が吹き荒れる時代になります。
今世界の支配層が取り組んでいるグレートリセットというのは、共産革命を起こしそうな人間をすべてデジタル管理して、反体制活動を始めたらすぐに抹殺するシステムです:
デジタルIDを推進することを目指すNGO、「ID2020」が存在する。ビル・ゲーツのマイクロソフト、Gavi、あるいはロックフェラーやロスチャイルドといった富豪が参加したプログラムで、2019年9月にニューヨークで開かれたID2020の総会で2020年から新しいプログラムを始めることを決めている。デジタルIDをテストする場所として決まったのはバングラデシュだった。
 デジタルIDで個人が管理される時代には免許証やパスポートが必要なくなるだけでなく、日常の生活も一括管理されることになる。1980年代からアメリカの軍、治安機関、情報機関などは個人の学歴、銀行口座の内容、ATMの利用記録、投薬記録、運転免許証のデータ、航空券の購入記録、住宅ローンの支払い内容、電子メールに関する記録、インターネットでアクセスしたサイトに関する記録、クレジット・カードのデータなどの個人データを収集、分析するシステムを開発、実用化してきたのだが、そうした個人データを一括管理する仕組みの中にデジタルIDも組み込まれることになるだろう。
ヘンリー・キッシンジャーの教え子で、WEF(世界経済フォーラム)を創設したクラウス・シュワブは、パンデミックを利用して「資本主義の大々的なリセット」すると宣言した。

 そのWEFはロックダウンが世界の都市を改善しているとツイット。彼らによると、地球に悪い影響を与えてきた人間の活動をロックダウンは緩和したと評価しているのだが、人間にかぎらず、生命活動は生態系へ何らかの影響を及ぼす。どこかで折り合いをつけなければならない。そうでなければ、人類は死滅しなければならないということになる。ビル・ゲーツやテッド・ターナーたちが人口削減を口にするのは必然かもしれない。

 シュワブは資本主義のリセットをすると言っているのだが、資本主義はすでに行き詰まっている。一国ではすぐに行き詰まり、早い段階で国外での略奪に活路を求めた。これが帝国主義だが、侵略を「グローバル化」しても早晩行き詰まる。1970年代から金融操作で誤魔化してきたが、21世紀へ入った頃には限界。新たなシステムを築かなければならないくなっている。そこでのリセットだ。

 そのリセットを実行する主体になりそうな団体が創設された。リン・フォレスター・ド・ロスチャイルドを中心とする「包括的資本主義会議」で、ローマ教皇庁との連携を謳っている。その中心グループにはロックフェラー財団のラジブ・シャー、フォード財団のダレン・ウォーカー、あるいはイングランド銀行元総裁のマーク・カーニーも含まれている。

 この団体の背後には強大な私的権力のネットワークが存在しているのだが、目指している方向は、TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)と同じだろう。こうした協定にはISDS(投資家対国家紛争解決)条項が含まれ、巨大企業のカネ儲けを阻むような法律や規制を政府や議会が作ることを事実上、禁止している。強大な私的権力が各国の政府を上回る力を持つ体制だ。

 ウォール街と敵対関係にあったフランクリン・ルーズベルトは大統領時代の1938年4月29日、ファシズムについて語っている。「もし、私的権力が自分たちの民主的国家そのものより強くなることを人びとが許すならば、民主主義の自由は危うくなる」としたうえで、「個人、グループ、あるいは私的権力をコントロールする何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ」としている。
_____________

 アメリカの場合、シオニスト(親イスラエル派)系の富豪は政治家に資金を提供する際、国際面の政策、つまり外交や軍事を彼らに任せることを条件にしてきたと言われている。ジョン・F・ケネディもその条件を呑んでいた。

 しかし、ケネディの場合、大統領に就任してからイスラエルの核兵器開発に対して厳しい姿勢で臨んで対立が生じ、ジミー・カーターはイスラエル一辺倒の政策をとらず、パレスチナにも配慮する政策を打ち出して有力メディアから激しく攻撃され、1期で終えた。

 こうした背景があるため、外交や軍事に関する政策は大統領が交代しても基本的に変化しない。ドナルド・トランプやバイデンでも同じことが言えるのだが、それでもトランプは選挙期間中にソ連との関係修復を訴え、CIAやFBIとタッグを組んだ有力メディアから激しく攻撃されていた。

 トランプはCOVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)を巡っても危機感を煽り、ワクチン接種を推進する有力メディアやその背後にいる私的権力と対立していた。最前線で旗を振ってきたのはビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団だが、この財団と歩調を合わせ、COVID-19騒動を利用してWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは資本主義を大々的に「リセット」すると宣言している。

 このリセットを実行する司令部になりそうな存在が「包括的資本主義会議」。ローマ教皇庁と連携している。その中心的な存在であるリン・フォレスター・ド・ロスチャイルドはエベリン・ド・ロスチャイルドの3番目の妻。エベリンはロンドンを拠点とするNMロスチャイルド銀行の取り仕切ってきた人物で、昨年8月で90歳になった。リン・フォレスターは66歳。

 ふたりは1998年のビルダーバーグ・グループの会議でヘンリー・キッシンジャーに紹介されて知り合い、2000年に結婚、新婚旅行の際にクリントン夫妻からホワイトハウスへ招待されている。ちなみにシュワブはハーバード大学でキッシンジャーの下で学んでいたという。

 2015年の段階で次期アメリカ大統領に内定していたと言われているヒラリー・クリントンは2016年に失速する。民主党の内部では彼女の好戦的な姿勢を好まない人びとがバーニー・サンダースを支援、共和党のトランプも浮上した。そこで民主党の幹部やヒラリー陣営はサンダースを潰した後、トランプを攻撃することになる。トランプが浮上する際に動いていたのがキッシンジャーだ。

 キッシンジャー人脈の動きを見ると、トランプは1期目の途中、私的権力から切られたように見える。軍事面でトランプの腰が引けていると判断された可能性もあるが、私的権力は2001年頃、つまりニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された頃からパンデミックを想定したシナリオを考えていた。COVID-19に対するトランプの態度を私的権力が怒ったのかもしれない。

 トランプに替わって大統領になったバイデンは1972年の上院議員選挙で当選している。その当時、彼に助言していた人物は富豪のW・アベレル・ハリマン。ジョージ・W・ブッシュの祖父にあたるプレスコット・ブッシュとエール大学の同窓で、ふたりとも学生の結社「スカル・アンド・ボーンズ」のメンバーだった。ハリマン家とブッシュ家はスカル・アンド・ボーンズだらけだ。  
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/128.html#c1

[近代史5] スタグフレーションに備えよ! 中川隆
3. 2021年10月30日 07:30:09 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[8]
第3四半期のアメリカGDPは大幅減速、スタグフレーションへ秒読み
2021年10月29日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/16963

10月28日に2021年7-9月期のアメリカGDP統計が発表され、実質経済成長率は2.0%の成長(前期比年率、以下同じ)となり、前期の6.7%から大幅減速した。一方でインフレはそれほど減速しておらず、やはりアメリカ経済にはスタグフレーションの匂いが立ち込めている。

急減速するアメリカ経済

この展開はここの読者には当然の流れに見えるだろう。アメリカ経済は4-6月期の時点で、数字には表れない減速の兆候が見られると指摘しておいたからである。

絶好調に見えて実は満身創痍の第2四半期米国GDP
ともかく先ずは全体のチャートを見てみよう。アメリカの実質GDP(そのままの数字で成長率ではない)のチャートは次のようになっている。


コロナ後の急回復が徐々に鈍化してきているのが分かるだろう。そしてついに年率2%という普通の数字に戻った。しかしここで鈍化が終わっていないとすれば、アメリカ経済はやはり低成長か、悪ければ景気後退というのが人為的な刺激策のない場合の本当の姿ということになる。

そしてその見方はやはり正しそうに思える。何故ならば、ここまで急回復を演出してきたのはアメリカで3回行われた現金給付であり、最後の現金給付は3月に行われ4-6月期のGDPを押し上げたが、それが7-9月には切れた結果、成長率が2%になった。

4月以降ほぼ横ばいの個人消費

その様子が一番分かるのが、GDPの最大要素である個人消費である。実質個人消費は1.6%の成長となり、前期の12.0%から大幅減速した。


チャートの形はGDP全体とかなり似ている。個人消費がGDPの最大要素なのだから当たり前である。

しかし個人消費は毎月発表されている指標であり、月次データがある。この月次のチャートを(8月分までだが)掲載すると、個人消費が現金給付だけでここまで伸びてきたことがよく分かる。


3月の現金給付で急騰した後、ほぼ横ばいなのである。この傾向が続けば当然GDPも同じようになり、2%成長さえ怪しくなってくる。一方でインフレはそれほど減速していないのである。

ポール・チューダー・ジョーンズ氏: インフレはどんどん酷くなる
現金給付で副作用なしに経済成長出来るという幻想の誤りにアメリカ人は嫌でも気付き始めた。日本人はこれからそこに突っ込もうとしている。人生がギャグなのだろうか。

日本経済はこうすれば復活する 自民党が絶対に実行しない経済政策
上向きの投資

一方で今回良かったのが投資である。実質国内民間総投資は11.7%の成長となり、前期の-3.9%から反発した。


投資が良かった理由としてはまず第一に企業がコロナに慣れてきたことが挙げられるだろう。個人消費が上がったにもかかわらず設備投資が進んでいないことは供給過少を生みインフレの原因となっているわけだが、逆に言えば企業の投資には上昇余地があると言える。

企業がコロナに慣れてくるにつれその状況は改善してくるはずで、その意味では投資はアメリカのGDPの要素で唯一希望が持てるものであると言える。

第二の理由としてはやはり長期金利だろう。アメリカの長期金利は3月に頭打ちとなっており、これが時間差である程度は効いているものと思われる。


しかし金利は当然ながらインフレ次第でどうなるかは分からない。一度インフレが始まれば現金給付にも低金利にも頼れなくなるのである。何度も言うが、デフレの何と有難かったことだろうか。

ハイエク: インフレ主義は非科学的迷信
政府支出

さて、次は政府支出である。政府支出は0.8%の成長となり、前期の-2.0%からやや持ち直したがあまり動きがないと言える。


この要素は結局バイデン政権次第であり、バイデン政権が動くのは来年11月の中間選挙に向けてだろうから、まだ時間がある。

止まらないアメリカの経常赤字

最後に輸出入だが、これは酷い状態である。実質輸出入は元々マイナス(経常赤字)であり、その赤字幅は23.4%拡大した。前期の6.2%からかなり加速した形となる。


もうアメリカの双子の赤字(財政赤字、経常赤字)は止まらないのだろうか。アメリカは資金を失い続けていることになる。ジェフリー・ガンドラック氏などはこれがドル暴落に繋がると予想している。

ガンドラック氏: ドル暴落は何年かの内に 米国株から避難せよ
経常赤字は当然ながらドルの価値だけではなくGDPをも蝕んでいるが、それも止まりそうにない。

結論

ということで、アメリカGDPで少しでも望みがあるのは投資だけで、その他はもう駄目である。もう一度現金給付をしようにも物価高騰が口を開いて待ち受けている。

ポール・チューダー・ジョーンズ氏: インフレはどんどん酷くなる
もはやフランスのように自爆覚悟で「インフレ対策で現金給付」するしかないだろう。

フランス、インフレ対策で現金給付へ
この状況で俄然面白くなってくるのが米国債のトレードである。

筆者のスタグフレーショントレードはほとんど以下の記事に集約されると言っても良い。スタグフレーションでは株式も債券も普通に投資しても勝てないが、債券に関しては勝つ方法がある。もう一度読み直す時期が来ているのだろう。

長期金利とテーパリングの関係、今後の推移予想


https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/16963
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1202.html#c3

[リバイバル3] CD プレーヤーは進歩しているのか?  中川隆
141. 中川隆[-15729] koaQ7Jey 2021年10月30日 07:58:28 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[9]
Esoteric N-05XD ネットワークDAC/プリアンプの私的インプレッション:レガシーを超えて
by pansakuu | 2021-09-25
https://pansaku.exblog.jp/29673013/

「遺産は継承できるが、幸福は継承できない。」
イリヤ カスパロフ(ロシアの実業家)

Introduction:

高級食パンというのが流行っている。

食パンという性格上、毎日食べても飽きの来ない味を目指してはいるが、その前提のうえで素材や製法を工夫し、コンビニやスーパーで売っている普通の食パンと差別化して美味しくしてある。

さりげなく高級だが、どんな気分のときでも嫌われず、様々な食材や飲み物に合わせやすい。それでいて値段は今まであった普通の食パンよりやや高いぐらいで、ちょっと思い切れば誰にでも買えるくらいのものといった立ち位置である。実際、この手のパンは一時的流行にとどまらない部分もあり、恒常的なニーズが出てきているようで、その専門店も見かける。高級食パン1種類を売るだけで一応、店がやっていけるのだから本当に必要とされているのだろう。

私は常々、そういう高級食パンのようなオーディオ機器があってもいいなと思っていた。

だって、そういう機材が本当に少ないんだもの。

例えば2021年秋のステサンのパワーアンプ特集を見れば、800万円を超えるような超高額機が並んでいる。このようなパワーアンプの価格に合理的な妥当性なんてものはあるのだろうか。アンプの実物をつぶさに点検しても、ただ闇雲に高くしているだけとしか思えないケースもあって、何故こんな価格になるのか詳しく説明してほしいと思うのは私だけではあるまい。

その価格に良心が感じられないばかりか、微かな悪意すら感じることも皆無ではなくなっている。

オーディオ機器は昔から一般的な金銭感覚を超えて高価だったが、最近の価格はそういうひと昔前のハイエンドオーディオの感覚でも追いつかないくらいに高くなっている。

そいうえばこの前、

あるオーディオ店で店員さんがステサンを開きつつ立ち話をしているのを小耳に挟んだ。

彼は「この値段は特殊詐欺としか考えられないよな」と笑いながら同僚に語り掛けていた。

冗談じゃない。

売る側がこんな話をしている状況はもう異常だと思ったほうがいい。

ステサンはこの記事を書くにあたり、なぜ価格については不問としたのか?

記事の中に価格について言及した形跡がない。

こういう高額機を集めた特集を組むのはいいとして、その中で一本クギを刺すぐらいのことはやってほしかった。

現状に対する不満を表明しないオーディオジャーナリズムに存在意義などあろうか。

もちろん質の低い機材を薦めるわけにはいかないけれど、

高品質だが手に届く価格帯のモノこそ、しっかりとプッシュすべきではないだろうか?

そんな高級食パンのようなモノ作りを現代のハイエンドオーディオでもやればできる、という一例を聞いたのでここに書いておくことにする。

それは Esoteric N-05XDというデジタルプレーヤーについての話である。

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Exterior:

Esoteric N-05XDはEsotericのNシリーズ、すなわちネットワークオーディオプレーヤーのシリーズの最廉価機である。価格は100万円よりもずっと低い。これは明らかに手を出しやすいモデルである。

しかしその造りや操作フィーリングは極めて上質であり、最上位のGrandiosoのラインのものと比べても、実物はさほど遜色はない。

例えば筐体の構造は最近のEsotericの手法を完全に踏襲しており、スパイクと受けが一体となった独特の三点フットや、音のヌケを良くするためにわざと遊びを持たせた天板などは、上位機と共通している。筐体表面のサラサラした質感や、ボタンやノブの周囲にまで及ぶ青いLED表示・照明も同じく、なのである。ボリュウムノブの回転の滑らかさに至ってもGrandiosoを冠した最高級プリアンプのそれと同等であり、素敵な操作感を演出する。

このノブは早く回してもゆっくり回しても指に伝わる抵抗はほとんどないが、止めたいところでピタリと止められる。LINNのKLIMAX DSM/3やdcs Bartokなど、他社製の同様の機能を持つ機材についているノブの回し味と比較して、これが最も高級である。

手に触れる場所がここまで優れていると価格の方は相当高いのでしょうとなりそうだが、意外にそこは抑えられている。

この高品位なボリュウムについてはパワーアンプ直結というシンプルな使用法を選択枝に加えてくれるように見えて、その意味でも好ましい。

だがこのパワーアンプ直結という言い方は少し考えねばなるまい。このDACはボリュウム付きDACではない。正しくはプリアンプ付きDACと言うべきでプリアンプがないときにこそ直結という言葉が使えるのだ。この機材はアナログ入力も受け付けており、入力のセレクター機能もある。単体のプリアンプとして機能するように設計されているのである。

ボリュウムのないヘッドホンアンプ、MSB Reference HPAを使う私にしても、この機能は魅力がある。

まあ、逆に言えばEsoteric として、外観には新奇な部分はないとも言える。Esotericの伝統的な形をそのまま引き継ぎ、わかる人には同社機とすぐわかる佇まいをしてはいる。

しかし、N-05XDはその中でも比較的小型かつ薄型の機材であり、設置がしやすい。

リビングやリスニングルームに置いてもGrandiosoシリーズのように存在を主張する感じはない。これはある意味、現代的なデザインだと思う。あまり目立たず、オーディオに詳しくない人にとってはアノニマスな形である。

近頃、現代の中学生や高校生、大学生と接していて分かるのは、昔の人に比べて、集団の中で目立つことをはっきりと嫌っている人が多いということだ。現代の都市生活では目立って良い事はないらしい。私は彼らの着る腹や持ち物に、外部に積極的にアピールする色や形があるものがあまり選ばれない傾向を明確に感じる。昭和生まれの人間たちの中では目立つことはかなり高い確率で格好の良さにつながっていたような気がするし、そういう人と違う持ちモノをあえて選ぶ生き方というのが賞賛されてきた形跡もあるけれど、今は違う。

上位のGrandiosoシリーズを買う顧客は主に昭和期に生まれた古い日本人であり、彼らは高級品にはそれに見合う豪華な外観が必要と考える人間だから、そういうエクステリアにしたのはうなづける。

一方、このN-05XDはもっと若い人たちにも使ってもらいたいという意図があるかもしれない。

そういう意味から、このやや素っ気ないデザインというのは、その年代の人にも受け入れやすいものなのではないか。

ただ、この機材にはブラック仕上げも限定版でなく用意されているようで、

そちらになると俄かに精悍度が高くなってくることは付け加えておきたい。

黒いEsotericというのは多く見かけるものではないけれど、非常に戦闘的で強力な機材という印象があって記憶に残る。こちらをあえて選ぶ人がいてもおかしくない。

正直、私は黒の方が好きだ。

リアパネルには、その多機能性を実現するための沢山の端子類が整然と並んでいる。どこか素っ気ないくらい普通に端子がそこにある。他社の機材、例えばBartokやKLIMAX DSM/3だとこの辺は端子類がガヤガヤと集結したような雰囲気があり、どこか物々しいのであるが、この機材ではそれぞれの端子が比較ゆとりを持って配置されているようで結線もしやすいような気がする。

こうして見るとこの機材、入力は多種多様である。

まずメインの入力となるデジタル入力はUSB B端子、イーサネット端子、USBドライブ端子(フロントパネル)、光デジタル入力、AES-ESU(XLR)、COAX(RCA)と豊富である。(さすがにHDMIやオプティカルイーサネットには対応しないが・・・。)

加えてインピーダンス50Ωで10MHzの信号を受け付けるクロックシンク用のBNC端子、さらにはXLRとRCAのアナログ入力がそれぞれ一系統ついている。

出力についてはデジタル出力はなく、アナログ出力がXLRとRCAそれぞれ1系統設けられる他、 Esoteric独自の信号伝送系であるES-LINK Analogの端子も見える。(これは電流伝送であり、使うインターコネクトケーブルの品質や長さによらず、音質が一定しているという接続だが、今回の試聴では対応機器がなく使っていない。)

加えてフロントパネルに私にとっては重要な径6.3mmのシングルエンドヘッドホンジャック、XLR4pinのバランスヘッドホン端子が見える。

この機材の登場を機に、このクラスのDACには単体のヘッドホンアンプと比べても遜色のない音質を目指したヘッドホンアンプが搭載されることがトレンドとなると良いのだが・・・と根拠のない期待をこめてこの出力端子を私は眺めている。

リアパネルの入力を眺めていると気になるのは、このN-05XDが対応するデジタルフォーマットなのだが、PCMロスレスはFLAC, Apple Lossless, WAV, AIFF, MQAであり、MQAについてはフルデコード再生が可能である。

DSDについてはDSF, DSDIFF, DoP、圧縮ファイルについてはMP3,AACである。入力の信号形式については16bit/24bit/32bit, 44.1k〜384kHzのリニアPCM, そして2.8、5.6、11.2、22.5MHzのDSDとなる。

そしてストリーミングサービスについては、TIDAL、Qobuz、Spotifyに対応する。なお、私がこの機器を借りた時点ではROONには未対応であったが、近いうちに対応するというコメントは聞いている。

こうして見るとdcs Bartokと同じく現在考えられる、ほとんどのデジタルフォーマット、ストリーミングに対応していると考えていいと思う。MQAについては各社が飛びついているのだが、私はこのフォーマットに特段の優位性は感じていない。音は悪くないが特別にいいとも思えないからだ。あってもなくても良い。

もちろん、この機材の中身の目玉は、これらのフォーマットで表現されたデジタル信号を、より良いアナログ信号に変換する自社製のディスクリートDACである。

N-05XDに載せるDACは、完全に自社で開発され、上位機に採用しているMaster sound discrete DACの回路を基礎としたものである。上位機に比べてやや簡素化はされているものの、独自のエレメント構造は変わっておらず、共通する部品も多いようである。実際、音の柔らかさなどは似通ったものを感じる。

また、この機材の特徴として本格的なプリアンプが内蔵されていることも挙げられる。先ほど述べたアナログ入力の存在はそれを意味する。ここでのアンプの構成はフルバランス構成かつデュアルモノというDACと並んで一つの筐体に格納される回路としては贅沢なものである。DACともども潤沢な電源部を擁しており、高級機に通じる十分な物量投入がなされている。


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私にとってのもうひとつの目玉、ヘッドホンアンプはDACに併設する形で実装される。それはdcs Bartok+のHPAと同じように、デジタルプレーヤーに組み込まれたものとしては、という制限なしでも現代最高クラスの音響性能を持つものである。これは高インピーダンスの機種を含む、市場にあるほとんどのヘッドホンを的確にドライブ可能であると謳ったEsotericの自信作となる。このヘッドホンアンプの構成もフルバランス・デュアルモノであり、回路図を見ると、ヘッドホン用ボリュウムは本機のライン出力用のボリュウムとは別回路となっているようである。

既述したようにヘッドホンとの接続は、バランス、シングルエンド両方に対応しているが、特にシングルエンド接続においてはアース電位をアクティブに0ボルトに落とす回路も付加されており、他社の機材の回路とは一線を画そうとしている。この回路により電位の変動がもたらす悪影響を排除しているとのことだが、実際、シングルエンド接続で他社機と比較しながら聞いてみると、この回路がヘッドホンの出音のバランスの良さ・安定性の高さに貢献しているのではと思わせる部分が確かにある。

後述するが、このN-05XDのヘッドホンサウンドはトータルとして完成度の高いものであり、二倍以上の価格のdcs Bartok+のヘッドホンアウトと比べてもあまり遜色がないものと言える。とりあえずヘッドホンリスニングのためにこの機材を買うのもアリだと私は思っている。

今回の試聴は自宅と店舗で行っている。スピーカーとヘッドホン両方で聞いており、プリアンプ機能も試している。ただし、多機能な機材なので隙間なくその能力を試せたかは分からない部分もあるし、個人的にはヘッドフォンアウトの音を中心に聞いていたので、評価に偏りはあるかもしれない。デジタル入力はUSB、LAN、AES-EBU、アナログ入出力はXLRを使った。

なお、デジタル入力はなにを入れても大きく印象は変わらないが、個人的にはUSB入力の音が一番鮮度が高くて好みであった。AES-EBUに関してはデュアルAESが使えるとなお良かったかもしれない。

以下にサウンドについて少し詳しく書くわけだが、その前に試聴を終えて思った音質以外の部分の感想を。

オーディオ初心者の人で、これからオーディオでどんなことをやろうか明確に決まってはいなくとも、とりあえずこのN-05XDを買っておけば、将来にわたり何かしらの役には立つものだということがある。例えば、後から買った別なデジタルプレーヤーやフォノイコライザーからの出力を入れてスピーカーやヘッドホンで聞くこともできる。これはただのボリュウムではなくプリアンプ機能を持たせたことが効いている。しかもEsotericでこのような機材はこれだけだし、他社機にしてもここまでの自由度の高さ、使い勝手の良さを持つものは市場にほとんど存在しない。音質以外の意味でこの機材を選ぶ意味はこの辺にもあるような気がする。

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The Sound:

現代のオーディオのトレンドを捉えた適度な解像感と聞き味の良い柔和な音のテクスチャーがバランスよく配合されており、様々な音のニュアンスを効率よく表現できる上品なサウンドに仕上がっているというのが聞き始めの印象だ。

一聴して価格を越えた高性能は明らかなのだが、それを主張しすぎないようにすることで、聞きやすく、ピーキーな部分の少ない安定したサウンドを追求し成功している。

これは誰にでもとっつきやすいサウンドで、どんな音楽でも普通に良い音で鳴らし、飽きがこない。

まさに日本の高級食パンのようなオーディオというのが第一印象なのである。

これはバランスの良さが際立つ優れたサウンドである。

オーディオにはバランスを取るべき様々な対立した要素、なかなか並び立つことの難しい音質上のポイントが多くあるものだが、それらがうまく均衡を保ちつつ、ひとつのサウンドとして上手くまとまっているところが素晴らしい。

例えば音像の細部を描写する能力として、音数の多さや音の解像度の高さなどがあるが、このような音像を微視的に見つめるオーディオ表現は、音楽全体の雰囲気やスケールを小さく聞かせてしまうきらいがある。

ここは小型だがハイグレードな音を目指すプレーヤーやアンプ、スピーカーが陥りがちな罠なのであるが、N-05XDのサウンドステージは演奏される音楽が求める適度な広がりを持っていながら、奏者の気配や楽音の質感のような、そこに漂う微視的な情報もかなり多い。

また音楽の躍動感を十分につたえつつも、しっかりと音が定位して安定するのも、ともすると相反しがちな要素が均衡している部分と言える。音楽の楽しさを伝えるには音楽の動きのスピードやエネルギーをダイレクトにリスナーに伝える必要があるが、それをやりすぎると定位は甘くなり、楽器たちの音の分離も悪くなってしまうことがある。

N-05XDのサウンドはそういうピットフォールを巧妙に避け、音楽の波動の強弱を感動的に伝えつつも、空間の三次元的な広がりの中での楽器の位置関係を安定して表現できている。

逆に言えば、なにか音に強い特色・得意分野があり、その部分に限って掘り下げた表現ができるというサウンド、たとえ多少バランスを崩してでも、魅力を或る音質的側面に集中させて「一点突破」するようなサウンドにはなっておらず、多くのポイントで及第点を公平に取るという平均拡散型の「面」で押すようなサウンドとなっている。

このN-05XDの出音の特徴として、というよりはEsoteric自製のDACの音の特徴としてそうなのだろうが、音の輪郭は締まっていながら、滑らかで柔らかな耳当たりの良さがあるということが素晴らしい。ここでは例えばフランスのMetronomeのCDプレーヤーから聞こえるような艶や人肌の温度感を伴う、濡れたような音の感触までは振り切ってはいないけれど、かつてハードでクッキリとした音を身上としていたEsotericサウンドとはだいぶ印象の異なるものである。こういう風合いだと女性ボーカルなどを演奏させても十分な情感が得られて満足度が高い。

キリッと立ち上がるエッジやドライな割り切りの良さを随所に感じさせつつも、全体として柔軟なニュアンスをよく捉えるということ。これは先ほど述べた、矛盾する音の要素の均衡を取るという文脈に沿った動きに他ならないのだが、ここではそれぞれの要素が自己主張を弱めることなく併存していることが注目される。

音のバランスの良い機材では、対立する音質の要素どうしが自己主張を弱め、相手に遠慮するような形で均衡を保つケースが多く、むしろ平板でつまらない音が演出されてしまう場合もあることを私は知っている。

ここで貫かれるEsotericのDACの音作りの極意とは、そういう平板さとは無縁である。

これは実際、対立の抱擁だ。

音楽の硬さと柔らかさ、微視的な視点と巨視的な視点、音楽の動的要素である躍動感と静的要素である定位、精密な音像と広大な音場など相反するものどもの対立と矛盾をひとつの音のなかに抱擁しつつ、互いをむしろ引き立てるような方向へと動かしてゆく。

そんなEsotericの成熟した音作りをN-05XDの出音は見事に体現している。


N-05XDの出音が持つダイナミックレンジやSN、これはまさに価格を超えたものだと思う。その部分は二倍以上の価格帯にあるdcsのBartokには及ばないにしてもかなり近いものを感じるし、例えばロングセラーのCHORD DAVEの性能を超えているのは、彼が持つ音のインパクトの強さに惑わされさえしなければ、短いフレーズを聞いただけですぐわかることだろう。こうも流れが速いとDAVEはもうクラシカルな機材であり、最先端DACとしての役割を終えた感もある。(後継機を考えるべき時だろう。)

音の強弱の階調の細かさなどは、従来のEsotericのDACに比べると明らかに一段上のものがある。柔らかで滑らかな音のテクスチュアを必要とする場面では、この音のグラデーションの緻密さがブランドの下位機とは信じがたいほどのハイグレードな感覚を演出してくる。

なお、この機材のライバルになる製品は多くないが、強いて挙げればMolaMolaのTambaquiだろう。クロック入力はなく、プリアンプ機能もないが、音質はあちらも新世代のものであり、さらにコンパクトな筐体である。ヘッドホンアンプの実力はN-05XDが上であるが、DAC自体の音質としてはTambaquiが好きだという人もいるはずだ。この2機の比較は難しい。

それから、私の個人的な感覚からすると自社製のDACのお蔭か、N-05XDの方が2017年に出た上位モデルN-01より音は格段に優れていると思う。後発である分、ユーザーの意見を取り入れたのか、使い勝手も良いと思う。

音の違いの主要な部分はDACそのものの違いから来ている。これは根本的な差異だ。N-01はAK4497を使ったDACであり、N-05XDは自社製のオリジナルDACである。

自社製のDACを一から開発する過程で、メーカー側で音質の細部をより自由にコントロールすることが可能になったことが、既存のDACチップを使うよりも音が良くなる要因となっている。最近は自前でディスクリート構成のDACを作るハイエンドメーカーも増えてきたが、一概にこれほど音が良いわけでもない。なにせその開発は困難なのだ。鳴り物入りで自社製のDACと謳っていても、実際は外部の専門家集団に開発をまるごと委託しているケースもあると聞くので、Esotericのように機転の効いた巧みな音作りばかりではないのは覚えておくべきだろう。

まずは、自前のDACだから優れているなどという先入観なしに慎重に評価するのだが、やはりそういう疑いを混じえた目で見ても、N-05XDの価格を超えた音の良さは光っていた。

無論、このカテゴリーの新しい上位機で、よりハイグレードなMaster sound discrete DACを使用しているEsoteric N-01XDには音の基本的なスケールや描写の彫りの深さなどの点でかなわない部分があるが、価格やヘッドフォンアンプを内蔵しているなどの使い勝手の良さまで加味すると、私はN-05XDの方が汎用性に優れて魅力的と映る。

最上位のGrandiosoシリーズはひたすら究極のサウンドを目指したシリーズであり、そのデジタルサウンドは雄大さや限りないとさえ思わせる懐の深さが強く印象に残る。

ただあそこまでやると、お腹いっぱいでもう食べきれないというか、

少なくともこちらにも精神的あるいは体力的に余裕がないと十分にそのサウンド全体を受け止めきれない辛さも出てくる。

一方の最廉価機N-05XDの音は常に等身大である。

普段着で朝に食する食パンのようだが、そこいらのパンより高級で、少しばかりだが非日常を連れてきてくれる。

音のスケールは一個人がそれほど広大でないリスニングルームやリビングで楽しめる適切なレベルであって、最近のスーパーハイエンドオーディオに見られるような、異常なほどの音の深まりや、部屋の大きさからはみ出しそうなほどの、場合によっては過剰なサウンドステージの広がりなどはあえて避けている。私は最近のスーパーハイエンドオーディオに対して、過ぎたるはなお及ばざるがごとしという賢人の言葉を投げかけたくなることがあるが、それは音質を追及しすぎるあまり、音全体のバランス感覚をどこかで失っているからだ。

休日の朝、ゆっくり起きてコーヒーを淹れながら、なにげなくマウスを操作してストリーミングサービスを起動すると、小さいが選び抜かれたブックシェルフスピーカーや、あるいはインテリアに溶け込んだトールボーイスピーカーから、または選りすぐりのハイエンドヘッドフォンから、始まりはあくまで気軽にだが、ふと聞き込めば本格的なハイファイサウンドで、自分のプレイリストが流れる。

そんなどこかイージーな、しかしハイエンドオーディオとして十分にディープなイメージで楽しむ現代のオーディオのスタイリングに、この機材のサウンドはピタリと寄り添う。

こんな書き方だといかにもオーディオとしては深みのない楽音が想起されそうだが、それは誤解である。このサウンドは時間をかけて練り込まれたものであり、たとえ偏屈でうるさ型のオーディオマニアであろうとも、この音の優位性を否定することはまず無理だろう。


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私は、この音を一枚の絵のような音だと思う。

このサウンドからフェルメールの珠玉の風景画を想起することがしばしばあったからだ。

N-05XDのサウンドはそれぞれのアルバムの体現する世界を、等身大の大きさで私たちに見せてくれる。

それはインテリアに溶け込むような丁度よいスケールの絵画に似ている。

それはルーベンスの大作を思わせるGrandiosoのサウンドとは対照的な小品ではあるが、大きすぎて部屋には飾れそうもない作品に勝る価値を持つ。

フェルメールの絵の特徴のひとつは、例えばヤン ファン アイクの絵のように普段、人間の眼に届かない部分、微視的な細部にどこまでも入り込む容赦ない描写ではなくて、

適度な距離と正常な視力のもとで自然と眼に見えて脳裏に映る風景を、空気感を伴わせながら素直に描写するところにあると思う。だからフェルメールの絵は近寄ってみると描き込み過ぎていない。病的な細部へのこだわりを省いて、逆に見やすさ、見ていて心地よい空間を醸し出している。これがN-05XDの音の態度にそっくりとあてはまる。

このサウンドは私たちの日常空間に溶け込むインテリアのような内容を持つ、ほどよいイメージを持つ絵画のように聞こえる。


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ところで、Esoteric N-05XDは日本のメジャーなオーディオメーカーが、ハイエンドDACにまともなヘッドホンアンプを組み込んだ初めての例となるのではないだろうか。

ラックスマンは単体の高級ヘッドホンアンプを出しているが、これほどの機能を持つハイエンドDACと合わせたものは開発していない。さらに、アキュフェーズにいたってはそもそもヘッドホンオーディオに深い関心を払ったことは今まで一度もなさそうだ。SONYはDAC付きのヘッドホンアンプを開発しているけれど、Esotericのこの製品ほどハイエンド寄りのものではなくて、やはり違うクラスだ。また、世界的にも自社製のディスクリートDACにヘッドホンアンプを組み込んだ例となると、dcs Bartok+とCHORD DAVEあたりしかなかったはずだ。


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こうして注目されるN-05XDのヘッドフォンサウンドであるが、期待にたがわぬものだ。
特にヘッドフォンをドライブするパワーに十分な余裕を持たせているのが注目される。これに関してはdcs Bartok+を研究した可能性もあるが、内蔵ヘッドフォンアンプといえども、このクラスの機材を買う人が使うヘッドフォンには様々なものがあって、中にはかなり鳴らしにくいものが混在していることを知っているようだった。

私が今まで聞いて、鳴らしにくいと感じたものとしてSusvaraを最右翼としてUtopiaやEdition9などがあり、その他にも一般には鳴らしにくい部類には入っていないが、ポテンシャルを出したいとなると意外に苦労するStelliaやMDR-Z1R、HD800s、HD820、ちょっと変わり種のEdition11まで、いろいろな意味で難物がある。そんな多様な世界というのがヘッドフォン界の現状だ。

そういう現状を考え巡らしながらN-05XDのHPAに聞き入っていると、バランス接続したHD800sをこれだけ伸びやかに、表情豊かに鳴らせるアンプがあるとすれば、ラックスマンのP750uあたりまでいかなければならないでは、という思いが湧き上がってきた。

少なくともこれはRNHPやマス工房のModel404より若干上の音世界を聞かせるヘッドホンアウトであり、人気のiFiの単体HPAあるいは評価の高いRMEのADI-2 DACにビルトインされているHPAなど明らかに上回っている。

このヘッドフォンサウンドは非常にきめ細かく、流れが滑らかなサウンドであって、音の大小の階調の細かさなどはスピーカーで聞くよりも良く分かる。

音像のエッジや各パートの分離は鮮やかであり、それらが配置される音場の三次元的なひろがりはあくまで自然である。最近使い始めたFinal D8000proをN-05XDにシングルエンド接続してみると音像の解像感の高さや定位の安定性が際立っており、dcs Bartok+とほぼ同等の世界が目の前に広がり始めて驚かされた。

これはBartok+を使いながら感じていることだが、

ハイエンドDACに相応の覚悟をもってHPAをビルトインすると、

DACとHPAをこれ以上できないほど短距離で接続し、

互いに電源もメーカーの思うがままに最適化できる可能性が出て来る。

適切な物量投入と設計の工夫、特にセクションどうしの隔離とマッチングの最適化の労を惜しまないなら、別々のメーカーが作った、電気的な相性もバッチリとは言いがたいDACとHPAを、そこそこの品質のケーブルでつないだ場合より結果が良くなること。それはよく考えると当たり前なのかもしれない。

ただし、その為にはメーカー側にDACとアンプに関する十分なノウハウと、

ヘッドフォンサウンドにかける高い理想が必要であることも忘れてはならない。それらの要素の中でも、特にヘッドフォンサウンドに求める理想の高さという点では日本のメーカーは低きに流れやすく、N-05XDのような製品は現れなかった。これまで日本のメーカーは現代のハイエンドヘッドホンの実力に関する無知をよいことに、ヘッドフォンというものを完全に舐め切っていて、結局は新規に開拓できる分野を見逃している場合が多かったようである。

つまりEsotericは、この構成の優位性を認識できた初めての日本のオーディオメーカーと言えるのかもしれない。

なお、この機材はプリアンプとしても使うこともできるのだが、その意味でも秀逸なサウンドであった。dcs Bartokのアナログ出力を入れて出力してみたのであるが、これは完全にハイエンドプリの世界に入り込んでいる。左右の広がりや奥行き、SNなど、このプリがDACに内蔵されていることを忘れてしまうレベルであり、適度な躍動感の増量もあって、そのシステム内での存在感は価格に比して十分に大きい。プリアンプとして使うためだけにN-05XDを買うことを特段薦めることはないだろうが、逆にオマケとしての機能と考えるには、あまりにも高性能で困ってしまうほどだ。

ヘッドフォンを聞く者としての視点から見ると、

このEsoteric N-05XDは日本版のdcs Bartok+である。

すなわち本格的なヘッドホンアウトを備えた、比較的コンパクトな多機能デジタルストリーマーであり、精緻な音量調整機構を持つネットワークプレーヤー、あるいはUSB DAC、CDトランスポートに接続するDAC、さらにはプリアンプとしても機能し、

音質としてもdcsの世界戦略機と遜色ないものに仕上がった。

これならdcsのBartok+で今、私が今やっているのと同じく、高精度な外部クロックからの信号を入れて、さらにフォーカスの合った音像と確たる気配感を音楽の中に聞くこともできよう。個人的にEsoteric製の10MHzのマスタークロックと合わせて使うことによって、ある程度、システムの規模と価格を抑えながらも、音質的に大きく飛躍した、限界突破のヘッドホンサウンドが聞けるのではないかと期待している。

こうして結果的にはdcs Bartok+と同等の能力、あるいはボリュウムのフィーリングやプリアンプ機能を含めて考えるなら、部分的にはそれ以上の能力を秘めつつ、これといった死角を持たない製品が出来上がった。

そのうえで、dcsの半額以下の価格を実現できたこと、それは素晴らしい成果だ。

このような機材の登場は多くの初心のオーディオマニアに、本当に上質なサウンドへの門戸を開くことになる。

dcs Bartok+がそうだったように、これはEsotericの世界戦略機であり、

ひとつの野心の表れかもしれない。

EsotericはGrandiosoシリーズに続き、最も廉価なグレードにおいてもハイエンドオーディオの未来を大きく拓(ひら)くことになりそうだ。

今回の試聴全体を通して、音についてもうひとつ感じたこととして、

Esotericのサウンド シグネチュアがMaster sound discrete DACの開発を機に決定的に変わったという話がある。このサウンドの変革はDACの開発以前から始まってはいたようだが、ここへきて定着してきた。

思えば、かつてのEsotericサウンドというのはもっと硬質で特別な音のエッジ、剛性感があったはずだ。

それは脈々と受け継がれてきた音の傾向、いわばサウンドシグネチュアであり、会社を支えてきた先人たちの遺産であったかもしれない。

しかし、Esotericは柔軟に音の方向性を変えてきた。

それは客観的にはGrandioso P1x+D1xあたりからオーディオマニアの側に明確に意識されてきた傾向ではないか。

開発の方向性もそうだろう。国内の大手のハイエンドオーディオメーカーとしては比較的早期にネットワークプレーヤーの開発に着手したり、自前のDACについても比較的早い段階からテーマとしていた。

これは同じく日本のハイエンドオーディオの雄であるアキュフェーズとは全く対照的であり興味深い。

過去の遺産=レガシーをほとんど変えないで受け継いでゆこうとする、いわば古風で頑固なアキュフェーズと、時代に合わせた柔軟な対応でレガシーを超えてゆこうとするEsotericとの明確な差異を感じる。

Conclusion:

唐突な話で恐縮だが、

私はこの夏、東京でオリンピックをやる意味はほとんどなかったと考えている。

オリンピックに意義がないというのではない。

東京でやる意味がなかった。

無観客だったからだ。

私はチケットを持っていたが、観戦することはかなわなかった。

これでは外国でやっているオリンピックをテレビで見たのとどこが違うのか。

ではこの東京2020オリンピックにどんな意味があるのかと問えば、

レガシーだという返事が返ってきた。

レガシー、つまり東京にオリンピックにまつわる遺産が残るというのである。

だが私はそんな甘美な思い出の依代(よりしろ)ようなものが残ったとしても何の役にも立たないような気がしている。少なくとも世知辛い今という時代を生きるのにそれは大した助けにはなりそうもない。それどころか、そんなもののために大金を出してしまったという大きな後悔、負の遺産が逆に残ってしまった。もう誰もあのオリンピックに言及したがらないのが、その証拠だ。

これはレガシーにこだわりすぎて、レガシーそのものを損ねてしまった一例だろう。

ハイエンドオーディオにも、そんなレガシーがあるように思う。

ひたすら高価になってゆく機材たちを見ていると

彼らは躍起になってそのレガシーを追い求めているようにも見える。

資材にも価格にも制約を設けない開発を通し、

かつてのハイエンドオーディオの栄光の軌跡に自分たちも連なって、

ハイエンドオーディオを受け継ぎ発展させたいという思いがにじむ。

単なる一攫千金の狙っただけの機材も散見するが、

それらを除けば、確かに、その願い自体は純粋なものだろう。

しかし、このままだと、

その遺産は一部の大金持ちにのみ相続されるものとなりそうな勢いだ。

このような開発・売り方では、レガシーにしがみつくあまり、

レガシーそのものを壊してしまうことになりかねない。

元来、ハイエンドオーディオとは

それを志す全ての人に門戸を開くものでなくてはならない。

それが大前提であったはず。

ならば、このままでは・・・。

全てではないにしても、なにかを変えてゆかなくては。

いや私は、ここでそろそろ過去のレガシーを捨てろなどと言いたいんじゃない。

レガシーを受け継ぐために、レガシーを超えろと言っている。

その動きは具体的には高級食パンを彷彿とさせるような極端に走らない高級感や、高性能・多機能を追及しつつの下克上の如き価格破壊につながってゆくのだろうと思う。

ハイエンドオーディオは今どうあるべきか、

過去のことは忘れて、純粋に、そして具体的に問い直す時だ。

Esoteric N-05XDのボリュウムを回す快感とそのサウンドの魅力に触れ、

ふと、その実力に不釣り合いなほど安いプライスタグに目をやると、

その問い直しの答えがひとつ見えた気がするのは私だけだろうか。

現代という時代に即した、あるべきハイエンドオーディオの姿、音、そして価格。

レガシーを超えて、

やっとこさ時代に追いついたEsotericのモノ作りの先端部がここにある。


https://pansaku.exblog.jp/29673013/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/842.html#c141

[リバイバル3] プリアンプに金をかけなさい 中川隆
165. 中川隆[-15728] koaQ7Jey 2021年10月30日 07:59:31 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[10]
Esoteric N-05XD ネットワークDAC/プリアンプの私的インプレッション:レガシーを超えて
by pansakuu | 2021-09-25
https://pansaku.exblog.jp/29673013/

「遺産は継承できるが、幸福は継承できない。」
イリヤ カスパロフ(ロシアの実業家)

Introduction:

高級食パンというのが流行っている。

食パンという性格上、毎日食べても飽きの来ない味を目指してはいるが、その前提のうえで素材や製法を工夫し、コンビニやスーパーで売っている普通の食パンと差別化して美味しくしてある。

さりげなく高級だが、どんな気分のときでも嫌われず、様々な食材や飲み物に合わせやすい。それでいて値段は今まであった普通の食パンよりやや高いぐらいで、ちょっと思い切れば誰にでも買えるくらいのものといった立ち位置である。実際、この手のパンは一時的流行にとどまらない部分もあり、恒常的なニーズが出てきているようで、その専門店も見かける。高級食パン1種類を売るだけで一応、店がやっていけるのだから本当に必要とされているのだろう。

私は常々、そういう高級食パンのようなオーディオ機器があってもいいなと思っていた。

だって、そういう機材が本当に少ないんだもの。

例えば2021年秋のステサンのパワーアンプ特集を見れば、800万円を超えるような超高額機が並んでいる。このようなパワーアンプの価格に合理的な妥当性なんてものはあるのだろうか。アンプの実物をつぶさに点検しても、ただ闇雲に高くしているだけとしか思えないケースもあって、何故こんな価格になるのか詳しく説明してほしいと思うのは私だけではあるまい。

その価格に良心が感じられないばかりか、微かな悪意すら感じることも皆無ではなくなっている。

オーディオ機器は昔から一般的な金銭感覚を超えて高価だったが、最近の価格はそういうひと昔前のハイエンドオーディオの感覚でも追いつかないくらいに高くなっている。

そいうえばこの前、

あるオーディオ店で店員さんがステサンを開きつつ立ち話をしているのを小耳に挟んだ。

彼は「この値段は特殊詐欺としか考えられないよな」と笑いながら同僚に語り掛けていた。

冗談じゃない。

売る側がこんな話をしている状況はもう異常だと思ったほうがいい。

ステサンはこの記事を書くにあたり、なぜ価格については不問としたのか?

記事の中に価格について言及した形跡がない。

こういう高額機を集めた特集を組むのはいいとして、その中で一本クギを刺すぐらいのことはやってほしかった。

現状に対する不満を表明しないオーディオジャーナリズムに存在意義などあろうか。

もちろん質の低い機材を薦めるわけにはいかないけれど、

高品質だが手に届く価格帯のモノこそ、しっかりとプッシュすべきではないだろうか?

そんな高級食パンのようなモノ作りを現代のハイエンドオーディオでもやればできる、という一例を聞いたのでここに書いておくことにする。

それは Esoteric N-05XDというデジタルプレーヤーについての話である。

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Exterior:

Esoteric N-05XDはEsotericのNシリーズ、すなわちネットワークオーディオプレーヤーのシリーズの最廉価機である。価格は100万円よりもずっと低い。これは明らかに手を出しやすいモデルである。

しかしその造りや操作フィーリングは極めて上質であり、最上位のGrandiosoのラインのものと比べても、実物はさほど遜色はない。

例えば筐体の構造は最近のEsotericの手法を完全に踏襲しており、スパイクと受けが一体となった独特の三点フットや、音のヌケを良くするためにわざと遊びを持たせた天板などは、上位機と共通している。筐体表面のサラサラした質感や、ボタンやノブの周囲にまで及ぶ青いLED表示・照明も同じく、なのである。ボリュウムノブの回転の滑らかさに至ってもGrandiosoを冠した最高級プリアンプのそれと同等であり、素敵な操作感を演出する。

このノブは早く回してもゆっくり回しても指に伝わる抵抗はほとんどないが、止めたいところでピタリと止められる。LINNのKLIMAX DSM/3やdcs Bartokなど、他社製の同様の機能を持つ機材についているノブの回し味と比較して、これが最も高級である。

手に触れる場所がここまで優れていると価格の方は相当高いのでしょうとなりそうだが、意外にそこは抑えられている。

この高品位なボリュウムについてはパワーアンプ直結というシンプルな使用法を選択枝に加えてくれるように見えて、その意味でも好ましい。

だがこのパワーアンプ直結という言い方は少し考えねばなるまい。このDACはボリュウム付きDACではない。正しくはプリアンプ付きDACと言うべきでプリアンプがないときにこそ直結という言葉が使えるのだ。この機材はアナログ入力も受け付けており、入力のセレクター機能もある。単体のプリアンプとして機能するように設計されているのである。

ボリュウムのないヘッドホンアンプ、MSB Reference HPAを使う私にしても、この機能は魅力がある。

まあ、逆に言えばEsoteric として、外観には新奇な部分はないとも言える。Esotericの伝統的な形をそのまま引き継ぎ、わかる人には同社機とすぐわかる佇まいをしてはいる。

しかし、N-05XDはその中でも比較的小型かつ薄型の機材であり、設置がしやすい。

リビングやリスニングルームに置いてもGrandiosoシリーズのように存在を主張する感じはない。これはある意味、現代的なデザインだと思う。あまり目立たず、オーディオに詳しくない人にとってはアノニマスな形である。

近頃、現代の中学生や高校生、大学生と接していて分かるのは、昔の人に比べて、集団の中で目立つことをはっきりと嫌っている人が多いということだ。現代の都市生活では目立って良い事はないらしい。私は彼らの着る腹や持ち物に、外部に積極的にアピールする色や形があるものがあまり選ばれない傾向を明確に感じる。昭和生まれの人間たちの中では目立つことはかなり高い確率で格好の良さにつながっていたような気がするし、そういう人と違う持ちモノをあえて選ぶ生き方というのが賞賛されてきた形跡もあるけれど、今は違う。

上位のGrandiosoシリーズを買う顧客は主に昭和期に生まれた古い日本人であり、彼らは高級品にはそれに見合う豪華な外観が必要と考える人間だから、そういうエクステリアにしたのはうなづける。

一方、このN-05XDはもっと若い人たちにも使ってもらいたいという意図があるかもしれない。

そういう意味から、このやや素っ気ないデザインというのは、その年代の人にも受け入れやすいものなのではないか。

ただ、この機材にはブラック仕上げも限定版でなく用意されているようで、

そちらになると俄かに精悍度が高くなってくることは付け加えておきたい。

黒いEsotericというのは多く見かけるものではないけれど、非常に戦闘的で強力な機材という印象があって記憶に残る。こちらをあえて選ぶ人がいてもおかしくない。

正直、私は黒の方が好きだ。

リアパネルには、その多機能性を実現するための沢山の端子類が整然と並んでいる。どこか素っ気ないくらい普通に端子がそこにある。他社の機材、例えばBartokやKLIMAX DSM/3だとこの辺は端子類がガヤガヤと集結したような雰囲気があり、どこか物々しいのであるが、この機材ではそれぞれの端子が比較ゆとりを持って配置されているようで結線もしやすいような気がする。

こうして見るとこの機材、入力は多種多様である。

まずメインの入力となるデジタル入力はUSB B端子、イーサネット端子、USBドライブ端子(フロントパネル)、光デジタル入力、AES-ESU(XLR)、COAX(RCA)と豊富である。(さすがにHDMIやオプティカルイーサネットには対応しないが・・・。)

加えてインピーダンス50Ωで10MHzの信号を受け付けるクロックシンク用のBNC端子、さらにはXLRとRCAのアナログ入力がそれぞれ一系統ついている。

出力についてはデジタル出力はなく、アナログ出力がXLRとRCAそれぞれ1系統設けられる他、 Esoteric独自の信号伝送系であるES-LINK Analogの端子も見える。(これは電流伝送であり、使うインターコネクトケーブルの品質や長さによらず、音質が一定しているという接続だが、今回の試聴では対応機器がなく使っていない。)

加えてフロントパネルに私にとっては重要な径6.3mmのシングルエンドヘッドホンジャック、XLR4pinのバランスヘッドホン端子が見える。

この機材の登場を機に、このクラスのDACには単体のヘッドホンアンプと比べても遜色のない音質を目指したヘッドホンアンプが搭載されることがトレンドとなると良いのだが・・・と根拠のない期待をこめてこの出力端子を私は眺めている。

リアパネルの入力を眺めていると気になるのは、このN-05XDが対応するデジタルフォーマットなのだが、PCMロスレスはFLAC, Apple Lossless, WAV, AIFF, MQAであり、MQAについてはフルデコード再生が可能である。

DSDについてはDSF, DSDIFF, DoP、圧縮ファイルについてはMP3,AACである。入力の信号形式については16bit/24bit/32bit, 44.1k〜384kHzのリニアPCM, そして2.8、5.6、11.2、22.5MHzのDSDとなる。

そしてストリーミングサービスについては、TIDAL、Qobuz、Spotifyに対応する。なお、私がこの機器を借りた時点ではROONには未対応であったが、近いうちに対応するというコメントは聞いている。

こうして見るとdcs Bartokと同じく現在考えられる、ほとんどのデジタルフォーマット、ストリーミングに対応していると考えていいと思う。MQAについては各社が飛びついているのだが、私はこのフォーマットに特段の優位性は感じていない。音は悪くないが特別にいいとも思えないからだ。あってもなくても良い。

もちろん、この機材の中身の目玉は、これらのフォーマットで表現されたデジタル信号を、より良いアナログ信号に変換する自社製のディスクリートDACである。

N-05XDに載せるDACは、完全に自社で開発され、上位機に採用しているMaster sound discrete DACの回路を基礎としたものである。上位機に比べてやや簡素化はされているものの、独自のエレメント構造は変わっておらず、共通する部品も多いようである。実際、音の柔らかさなどは似通ったものを感じる。

また、この機材の特徴として本格的なプリアンプが内蔵されていることも挙げられる。先ほど述べたアナログ入力の存在はそれを意味する。ここでのアンプの構成はフルバランス構成かつデュアルモノというDACと並んで一つの筐体に格納される回路としては贅沢なものである。DACともども潤沢な電源部を擁しており、高級機に通じる十分な物量投入がなされている。


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私にとってのもうひとつの目玉、ヘッドホンアンプはDACに併設する形で実装される。それはdcs Bartok+のHPAと同じように、デジタルプレーヤーに組み込まれたものとしては、という制限なしでも現代最高クラスの音響性能を持つものである。これは高インピーダンスの機種を含む、市場にあるほとんどのヘッドホンを的確にドライブ可能であると謳ったEsotericの自信作となる。このヘッドホンアンプの構成もフルバランス・デュアルモノであり、回路図を見ると、ヘッドホン用ボリュウムは本機のライン出力用のボリュウムとは別回路となっているようである。

既述したようにヘッドホンとの接続は、バランス、シングルエンド両方に対応しているが、特にシングルエンド接続においてはアース電位をアクティブに0ボルトに落とす回路も付加されており、他社の機材の回路とは一線を画そうとしている。この回路により電位の変動がもたらす悪影響を排除しているとのことだが、実際、シングルエンド接続で他社機と比較しながら聞いてみると、この回路がヘッドホンの出音のバランスの良さ・安定性の高さに貢献しているのではと思わせる部分が確かにある。

後述するが、このN-05XDのヘッドホンサウンドはトータルとして完成度の高いものであり、二倍以上の価格のdcs Bartok+のヘッドホンアウトと比べてもあまり遜色がないものと言える。とりあえずヘッドホンリスニングのためにこの機材を買うのもアリだと私は思っている。

今回の試聴は自宅と店舗で行っている。スピーカーとヘッドホン両方で聞いており、プリアンプ機能も試している。ただし、多機能な機材なので隙間なくその能力を試せたかは分からない部分もあるし、個人的にはヘッドフォンアウトの音を中心に聞いていたので、評価に偏りはあるかもしれない。デジタル入力はUSB、LAN、AES-EBU、アナログ入出力はXLRを使った。

なお、デジタル入力はなにを入れても大きく印象は変わらないが、個人的にはUSB入力の音が一番鮮度が高くて好みであった。AES-EBUに関してはデュアルAESが使えるとなお良かったかもしれない。

以下にサウンドについて少し詳しく書くわけだが、その前に試聴を終えて思った音質以外の部分の感想を。

オーディオ初心者の人で、これからオーディオでどんなことをやろうか明確に決まってはいなくとも、とりあえずこのN-05XDを買っておけば、将来にわたり何かしらの役には立つものだということがある。例えば、後から買った別なデジタルプレーヤーやフォノイコライザーからの出力を入れてスピーカーやヘッドホンで聞くこともできる。これはただのボリュウムではなくプリアンプ機能を持たせたことが効いている。しかもEsotericでこのような機材はこれだけだし、他社機にしてもここまでの自由度の高さ、使い勝手の良さを持つものは市場にほとんど存在しない。音質以外の意味でこの機材を選ぶ意味はこの辺にもあるような気がする。

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The Sound:

現代のオーディオのトレンドを捉えた適度な解像感と聞き味の良い柔和な音のテクスチャーがバランスよく配合されており、様々な音のニュアンスを効率よく表現できる上品なサウンドに仕上がっているというのが聞き始めの印象だ。

一聴して価格を越えた高性能は明らかなのだが、それを主張しすぎないようにすることで、聞きやすく、ピーキーな部分の少ない安定したサウンドを追求し成功している。

これは誰にでもとっつきやすいサウンドで、どんな音楽でも普通に良い音で鳴らし、飽きがこない。

まさに日本の高級食パンのようなオーディオというのが第一印象なのである。

これはバランスの良さが際立つ優れたサウンドである。

オーディオにはバランスを取るべき様々な対立した要素、なかなか並び立つことの難しい音質上のポイントが多くあるものだが、それらがうまく均衡を保ちつつ、ひとつのサウンドとして上手くまとまっているところが素晴らしい。

例えば音像の細部を描写する能力として、音数の多さや音の解像度の高さなどがあるが、このような音像を微視的に見つめるオーディオ表現は、音楽全体の雰囲気やスケールを小さく聞かせてしまうきらいがある。

ここは小型だがハイグレードな音を目指すプレーヤーやアンプ、スピーカーが陥りがちな罠なのであるが、N-05XDのサウンドステージは演奏される音楽が求める適度な広がりを持っていながら、奏者の気配や楽音の質感のような、そこに漂う微視的な情報もかなり多い。

また音楽の躍動感を十分につたえつつも、しっかりと音が定位して安定するのも、ともすると相反しがちな要素が均衡している部分と言える。音楽の楽しさを伝えるには音楽の動きのスピードやエネルギーをダイレクトにリスナーに伝える必要があるが、それをやりすぎると定位は甘くなり、楽器たちの音の分離も悪くなってしまうことがある。

N-05XDのサウンドはそういうピットフォールを巧妙に避け、音楽の波動の強弱を感動的に伝えつつも、空間の三次元的な広がりの中での楽器の位置関係を安定して表現できている。

逆に言えば、なにか音に強い特色・得意分野があり、その部分に限って掘り下げた表現ができるというサウンド、たとえ多少バランスを崩してでも、魅力を或る音質的側面に集中させて「一点突破」するようなサウンドにはなっておらず、多くのポイントで及第点を公平に取るという平均拡散型の「面」で押すようなサウンドとなっている。

このN-05XDの出音の特徴として、というよりはEsoteric自製のDACの音の特徴としてそうなのだろうが、音の輪郭は締まっていながら、滑らかで柔らかな耳当たりの良さがあるということが素晴らしい。ここでは例えばフランスのMetronomeのCDプレーヤーから聞こえるような艶や人肌の温度感を伴う、濡れたような音の感触までは振り切ってはいないけれど、かつてハードでクッキリとした音を身上としていたEsotericサウンドとはだいぶ印象の異なるものである。こういう風合いだと女性ボーカルなどを演奏させても十分な情感が得られて満足度が高い。

キリッと立ち上がるエッジやドライな割り切りの良さを随所に感じさせつつも、全体として柔軟なニュアンスをよく捉えるということ。これは先ほど述べた、矛盾する音の要素の均衡を取るという文脈に沿った動きに他ならないのだが、ここではそれぞれの要素が自己主張を弱めることなく併存していることが注目される。

音のバランスの良い機材では、対立する音質の要素どうしが自己主張を弱め、相手に遠慮するような形で均衡を保つケースが多く、むしろ平板でつまらない音が演出されてしまう場合もあることを私は知っている。

ここで貫かれるEsotericのDACの音作りの極意とは、そういう平板さとは無縁である。

これは実際、対立の抱擁だ。

音楽の硬さと柔らかさ、微視的な視点と巨視的な視点、音楽の動的要素である躍動感と静的要素である定位、精密な音像と広大な音場など相反するものどもの対立と矛盾をひとつの音のなかに抱擁しつつ、互いをむしろ引き立てるような方向へと動かしてゆく。

そんなEsotericの成熟した音作りをN-05XDの出音は見事に体現している。


N-05XDの出音が持つダイナミックレンジやSN、これはまさに価格を超えたものだと思う。その部分は二倍以上の価格帯にあるdcsのBartokには及ばないにしてもかなり近いものを感じるし、例えばロングセラーのCHORD DAVEの性能を超えているのは、彼が持つ音のインパクトの強さに惑わされさえしなければ、短いフレーズを聞いただけですぐわかることだろう。こうも流れが速いとDAVEはもうクラシカルな機材であり、最先端DACとしての役割を終えた感もある。(後継機を考えるべき時だろう。)

音の強弱の階調の細かさなどは、従来のEsotericのDACに比べると明らかに一段上のものがある。柔らかで滑らかな音のテクスチュアを必要とする場面では、この音のグラデーションの緻密さがブランドの下位機とは信じがたいほどのハイグレードな感覚を演出してくる。

なお、この機材のライバルになる製品は多くないが、強いて挙げればMolaMolaのTambaquiだろう。クロック入力はなく、プリアンプ機能もないが、音質はあちらも新世代のものであり、さらにコンパクトな筐体である。ヘッドホンアンプの実力はN-05XDが上であるが、DAC自体の音質としてはTambaquiが好きだという人もいるはずだ。この2機の比較は難しい。

それから、私の個人的な感覚からすると自社製のDACのお蔭か、N-05XDの方が2017年に出た上位モデルN-01より音は格段に優れていると思う。後発である分、ユーザーの意見を取り入れたのか、使い勝手も良いと思う。

音の違いの主要な部分はDACそのものの違いから来ている。これは根本的な差異だ。N-01はAK4497を使ったDACであり、N-05XDは自社製のオリジナルDACである。

自社製のDACを一から開発する過程で、メーカー側で音質の細部をより自由にコントロールすることが可能になったことが、既存のDACチップを使うよりも音が良くなる要因となっている。最近は自前でディスクリート構成のDACを作るハイエンドメーカーも増えてきたが、一概にこれほど音が良いわけでもない。なにせその開発は困難なのだ。鳴り物入りで自社製のDACと謳っていても、実際は外部の専門家集団に開発をまるごと委託しているケースもあると聞くので、Esotericのように機転の効いた巧みな音作りばかりではないのは覚えておくべきだろう。

まずは、自前のDACだから優れているなどという先入観なしに慎重に評価するのだが、やはりそういう疑いを混じえた目で見ても、N-05XDの価格を超えた音の良さは光っていた。

無論、このカテゴリーの新しい上位機で、よりハイグレードなMaster sound discrete DACを使用しているEsoteric N-01XDには音の基本的なスケールや描写の彫りの深さなどの点でかなわない部分があるが、価格やヘッドフォンアンプを内蔵しているなどの使い勝手の良さまで加味すると、私はN-05XDの方が汎用性に優れて魅力的と映る。

最上位のGrandiosoシリーズはひたすら究極のサウンドを目指したシリーズであり、そのデジタルサウンドは雄大さや限りないとさえ思わせる懐の深さが強く印象に残る。

ただあそこまでやると、お腹いっぱいでもう食べきれないというか、

少なくともこちらにも精神的あるいは体力的に余裕がないと十分にそのサウンド全体を受け止めきれない辛さも出てくる。

一方の最廉価機N-05XDの音は常に等身大である。

普段着で朝に食する食パンのようだが、そこいらのパンより高級で、少しばかりだが非日常を連れてきてくれる。

音のスケールは一個人がそれほど広大でないリスニングルームやリビングで楽しめる適切なレベルであって、最近のスーパーハイエンドオーディオに見られるような、異常なほどの音の深まりや、部屋の大きさからはみ出しそうなほどの、場合によっては過剰なサウンドステージの広がりなどはあえて避けている。私は最近のスーパーハイエンドオーディオに対して、過ぎたるはなお及ばざるがごとしという賢人の言葉を投げかけたくなることがあるが、それは音質を追及しすぎるあまり、音全体のバランス感覚をどこかで失っているからだ。

休日の朝、ゆっくり起きてコーヒーを淹れながら、なにげなくマウスを操作してストリーミングサービスを起動すると、小さいが選び抜かれたブックシェルフスピーカーや、あるいはインテリアに溶け込んだトールボーイスピーカーから、または選りすぐりのハイエンドヘッドフォンから、始まりはあくまで気軽にだが、ふと聞き込めば本格的なハイファイサウンドで、自分のプレイリストが流れる。

そんなどこかイージーな、しかしハイエンドオーディオとして十分にディープなイメージで楽しむ現代のオーディオのスタイリングに、この機材のサウンドはピタリと寄り添う。

こんな書き方だといかにもオーディオとしては深みのない楽音が想起されそうだが、それは誤解である。このサウンドは時間をかけて練り込まれたものであり、たとえ偏屈でうるさ型のオーディオマニアであろうとも、この音の優位性を否定することはまず無理だろう。


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私は、この音を一枚の絵のような音だと思う。

このサウンドからフェルメールの珠玉の風景画を想起することがしばしばあったからだ。

N-05XDのサウンドはそれぞれのアルバムの体現する世界を、等身大の大きさで私たちに見せてくれる。

それはインテリアに溶け込むような丁度よいスケールの絵画に似ている。

それはルーベンスの大作を思わせるGrandiosoのサウンドとは対照的な小品ではあるが、大きすぎて部屋には飾れそうもない作品に勝る価値を持つ。

フェルメールの絵の特徴のひとつは、例えばヤン ファン アイクの絵のように普段、人間の眼に届かない部分、微視的な細部にどこまでも入り込む容赦ない描写ではなくて、

適度な距離と正常な視力のもとで自然と眼に見えて脳裏に映る風景を、空気感を伴わせながら素直に描写するところにあると思う。だからフェルメールの絵は近寄ってみると描き込み過ぎていない。病的な細部へのこだわりを省いて、逆に見やすさ、見ていて心地よい空間を醸し出している。これがN-05XDの音の態度にそっくりとあてはまる。

このサウンドは私たちの日常空間に溶け込むインテリアのような内容を持つ、ほどよいイメージを持つ絵画のように聞こえる。


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ところで、Esoteric N-05XDは日本のメジャーなオーディオメーカーが、ハイエンドDACにまともなヘッドホンアンプを組み込んだ初めての例となるのではないだろうか。

ラックスマンは単体の高級ヘッドホンアンプを出しているが、これほどの機能を持つハイエンドDACと合わせたものは開発していない。さらに、アキュフェーズにいたってはそもそもヘッドホンオーディオに深い関心を払ったことは今まで一度もなさそうだ。SONYはDAC付きのヘッドホンアンプを開発しているけれど、Esotericのこの製品ほどハイエンド寄りのものではなくて、やはり違うクラスだ。また、世界的にも自社製のディスクリートDACにヘッドホンアンプを組み込んだ例となると、dcs Bartok+とCHORD DAVEあたりしかなかったはずだ。


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こうして注目されるN-05XDのヘッドフォンサウンドであるが、期待にたがわぬものだ。
特にヘッドフォンをドライブするパワーに十分な余裕を持たせているのが注目される。これに関してはdcs Bartok+を研究した可能性もあるが、内蔵ヘッドフォンアンプといえども、このクラスの機材を買う人が使うヘッドフォンには様々なものがあって、中にはかなり鳴らしにくいものが混在していることを知っているようだった。

私が今まで聞いて、鳴らしにくいと感じたものとしてSusvaraを最右翼としてUtopiaやEdition9などがあり、その他にも一般には鳴らしにくい部類には入っていないが、ポテンシャルを出したいとなると意外に苦労するStelliaやMDR-Z1R、HD800s、HD820、ちょっと変わり種のEdition11まで、いろいろな意味で難物がある。そんな多様な世界というのがヘッドフォン界の現状だ。

そういう現状を考え巡らしながらN-05XDのHPAに聞き入っていると、バランス接続したHD800sをこれだけ伸びやかに、表情豊かに鳴らせるアンプがあるとすれば、ラックスマンのP750uあたりまでいかなければならないでは、という思いが湧き上がってきた。

少なくともこれはRNHPやマス工房のModel404より若干上の音世界を聞かせるヘッドホンアウトであり、人気のiFiの単体HPAあるいは評価の高いRMEのADI-2 DACにビルトインされているHPAなど明らかに上回っている。

このヘッドフォンサウンドは非常にきめ細かく、流れが滑らかなサウンドであって、音の大小の階調の細かさなどはスピーカーで聞くよりも良く分かる。

音像のエッジや各パートの分離は鮮やかであり、それらが配置される音場の三次元的なひろがりはあくまで自然である。最近使い始めたFinal D8000proをN-05XDにシングルエンド接続してみると音像の解像感の高さや定位の安定性が際立っており、dcs Bartok+とほぼ同等の世界が目の前に広がり始めて驚かされた。

これはBartok+を使いながら感じていることだが、

ハイエンドDACに相応の覚悟をもってHPAをビルトインすると、

DACとHPAをこれ以上できないほど短距離で接続し、

互いに電源もメーカーの思うがままに最適化できる可能性が出て来る。

適切な物量投入と設計の工夫、特にセクションどうしの隔離とマッチングの最適化の労を惜しまないなら、別々のメーカーが作った、電気的な相性もバッチリとは言いがたいDACとHPAを、そこそこの品質のケーブルでつないだ場合より結果が良くなること。それはよく考えると当たり前なのかもしれない。

ただし、その為にはメーカー側にDACとアンプに関する十分なノウハウと、

ヘッドフォンサウンドにかける高い理想が必要であることも忘れてはならない。それらの要素の中でも、特にヘッドフォンサウンドに求める理想の高さという点では日本のメーカーは低きに流れやすく、N-05XDのような製品は現れなかった。これまで日本のメーカーは現代のハイエンドヘッドホンの実力に関する無知をよいことに、ヘッドフォンというものを完全に舐め切っていて、結局は新規に開拓できる分野を見逃している場合が多かったようである。

つまりEsotericは、この構成の優位性を認識できた初めての日本のオーディオメーカーと言えるのかもしれない。

なお、この機材はプリアンプとしても使うこともできるのだが、その意味でも秀逸なサウンドであった。dcs Bartokのアナログ出力を入れて出力してみたのであるが、これは完全にハイエンドプリの世界に入り込んでいる。左右の広がりや奥行き、SNなど、このプリがDACに内蔵されていることを忘れてしまうレベルであり、適度な躍動感の増量もあって、そのシステム内での存在感は価格に比して十分に大きい。プリアンプとして使うためだけにN-05XDを買うことを特段薦めることはないだろうが、逆にオマケとしての機能と考えるには、あまりにも高性能で困ってしまうほどだ。

ヘッドフォンを聞く者としての視点から見ると、

このEsoteric N-05XDは日本版のdcs Bartok+である。

すなわち本格的なヘッドホンアウトを備えた、比較的コンパクトな多機能デジタルストリーマーであり、精緻な音量調整機構を持つネットワークプレーヤー、あるいはUSB DAC、CDトランスポートに接続するDAC、さらにはプリアンプとしても機能し、

音質としてもdcsの世界戦略機と遜色ないものに仕上がった。

これならdcsのBartok+で今、私が今やっているのと同じく、高精度な外部クロックからの信号を入れて、さらにフォーカスの合った音像と確たる気配感を音楽の中に聞くこともできよう。個人的にEsoteric製の10MHzのマスタークロックと合わせて使うことによって、ある程度、システムの規模と価格を抑えながらも、音質的に大きく飛躍した、限界突破のヘッドホンサウンドが聞けるのではないかと期待している。

こうして結果的にはdcs Bartok+と同等の能力、あるいはボリュウムのフィーリングやプリアンプ機能を含めて考えるなら、部分的にはそれ以上の能力を秘めつつ、これといった死角を持たない製品が出来上がった。

そのうえで、dcsの半額以下の価格を実現できたこと、それは素晴らしい成果だ。

このような機材の登場は多くの初心のオーディオマニアに、本当に上質なサウンドへの門戸を開くことになる。

dcs Bartok+がそうだったように、これはEsotericの世界戦略機であり、

ひとつの野心の表れかもしれない。

EsotericはGrandiosoシリーズに続き、最も廉価なグレードにおいてもハイエンドオーディオの未来を大きく拓(ひら)くことになりそうだ。

今回の試聴全体を通して、音についてもうひとつ感じたこととして、

Esotericのサウンド シグネチュアがMaster sound discrete DACの開発を機に決定的に変わったという話がある。このサウンドの変革はDACの開発以前から始まってはいたようだが、ここへきて定着してきた。

思えば、かつてのEsotericサウンドというのはもっと硬質で特別な音のエッジ、剛性感があったはずだ。

それは脈々と受け継がれてきた音の傾向、いわばサウンドシグネチュアであり、会社を支えてきた先人たちの遺産であったかもしれない。

しかし、Esotericは柔軟に音の方向性を変えてきた。

それは客観的にはGrandioso P1x+D1xあたりからオーディオマニアの側に明確に意識されてきた傾向ではないか。

開発の方向性もそうだろう。国内の大手のハイエンドオーディオメーカーとしては比較的早期にネットワークプレーヤーの開発に着手したり、自前のDACについても比較的早い段階からテーマとしていた。

これは同じく日本のハイエンドオーディオの雄であるアキュフェーズとは全く対照的であり興味深い。

過去の遺産=レガシーをほとんど変えないで受け継いでゆこうとする、いわば古風で頑固なアキュフェーズと、時代に合わせた柔軟な対応でレガシーを超えてゆこうとするEsotericとの明確な差異を感じる。

Conclusion:

唐突な話で恐縮だが、

私はこの夏、東京でオリンピックをやる意味はほとんどなかったと考えている。

オリンピックに意義がないというのではない。

東京でやる意味がなかった。

無観客だったからだ。

私はチケットを持っていたが、観戦することはかなわなかった。

これでは外国でやっているオリンピックをテレビで見たのとどこが違うのか。

ではこの東京2020オリンピックにどんな意味があるのかと問えば、

レガシーだという返事が返ってきた。

レガシー、つまり東京にオリンピックにまつわる遺産が残るというのである。

だが私はそんな甘美な思い出の依代(よりしろ)ようなものが残ったとしても何の役にも立たないような気がしている。少なくとも世知辛い今という時代を生きるのにそれは大した助けにはなりそうもない。それどころか、そんなもののために大金を出してしまったという大きな後悔、負の遺産が逆に残ってしまった。もう誰もあのオリンピックに言及したがらないのが、その証拠だ。

これはレガシーにこだわりすぎて、レガシーそのものを損ねてしまった一例だろう。

ハイエンドオーディオにも、そんなレガシーがあるように思う。

ひたすら高価になってゆく機材たちを見ていると

彼らは躍起になってそのレガシーを追い求めているようにも見える。

資材にも価格にも制約を設けない開発を通し、

かつてのハイエンドオーディオの栄光の軌跡に自分たちも連なって、

ハイエンドオーディオを受け継ぎ発展させたいという思いがにじむ。

単なる一攫千金の狙っただけの機材も散見するが、

それらを除けば、確かに、その願い自体は純粋なものだろう。

しかし、このままだと、

その遺産は一部の大金持ちにのみ相続されるものとなりそうな勢いだ。

このような開発・売り方では、レガシーにしがみつくあまり、

レガシーそのものを壊してしまうことになりかねない。

元来、ハイエンドオーディオとは

それを志す全ての人に門戸を開くものでなくてはならない。

それが大前提であったはず。

ならば、このままでは・・・。

全てではないにしても、なにかを変えてゆかなくては。

いや私は、ここでそろそろ過去のレガシーを捨てろなどと言いたいんじゃない。

レガシーを受け継ぐために、レガシーを超えろと言っている。

その動きは具体的には高級食パンを彷彿とさせるような極端に走らない高級感や、高性能・多機能を追及しつつの下克上の如き価格破壊につながってゆくのだろうと思う。

ハイエンドオーディオは今どうあるべきか、

過去のことは忘れて、純粋に、そして具体的に問い直す時だ。

Esoteric N-05XDのボリュウムを回す快感とそのサウンドの魅力に触れ、

ふと、その実力に不釣り合いなほど安いプライスタグに目をやると、

その問い直しの答えがひとつ見えた気がするのは私だけだろうか。

現代という時代に即した、あるべきハイエンドオーディオの姿、音、そして価格。

レガシーを超えて、

やっとこさ時代に追いついたEsotericのモノ作りの先端部がここにある。


https://pansaku.exblog.jp/29673013/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1027.html#c165

[リバイバル3] CD プレーヤーは進歩しているのか?  中川隆
142. 中川隆[-15727] koaQ7Jey 2021年10月30日 08:02:22 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[11]
LINN KLIMAX DSM/3の私的インプレッション:幻の12番
by pansakuu | 2021-09-04
https://pansaku.exblog.jp/29650043/

「あなたの能力は?」
「カネ持ち。」

映画ジャスティスリーグでのブルース ウェインとフラッシュの会話より

INTRODUCTION:

かつてLINN SONDECK CD12というCDプレーヤーを愛用していた。
もう20年以上も前のことだ。
あれはConstellation AudioのPerseusフォノイコライザーやNagra HD DACなどと並んで、私が最も影響を受けたオーディオのモノのひとつだ。
この伝説的なCDプレーヤーについて本気で書くとすると、それこそ一章は必要なので、ここではやめておくが、そのサウンドやフォルムは、ハイエンドオーディオ機器を試聴するにあたって、常に参照するものである。
その凝縮された力強いフォルムや、独特だが触覚に直接訴えかけるオペレーション、太くてキレが良く濃厚なサウンド、そして何より心を躍らせる音楽性が私のオーディオ観のコアを形作っている。
自分にとって良いオーディオとは何かという問いがあったとすると、そのベストアンサーのひとつとして、心に刻まれるプレーヤーがこのCD12なのである。
これを使っていた頃はハイエンドオーディオという趣味を始めたばかりだったから、いつもとても新鮮な気持ちで機材と向き合っていた。
今と比べれば知らないことも多かったが、その分、知ってやろうという気概に溢れてもいたように思う。

LINNというスコットランドのオーディオメーカーについて、昔あったことを思い出そう。このCD12の前にLP12というアナログプレーヤーがあり、これはLINNのオーディオメーカーとしての基礎を築いた傑作であった。
そしてCD12の後には、革新的なKLIMAX DSネットワークストリーマーが旗艦機となったことも思い起こされる。
これは当時としては先例のない、真に新しいオーディオシステムであった。私はそのサウンドを聞いて、デジタルオーディオの可能性の地平が大きく開かれたと感じ、勇んで導入、しばらくは使っていた。

これを使いはじめた当初は確かに新味のあるサウンドだったのだが、デジタルオーディオの世界はその後も激しく変化し、
様々な機材、様々なサウンドが生まれ、KLIMAX DSのサウンドは徐々にその中に埋没していった。具体的にはdcsやCHORD、Playback designs、EMM Labs、CH precision、SforzatoそしてMSBなどの先端的なデジタルオーディオを看板とするメーカーが、野心的な音質を掲げたDACを相次いで世に放ち、先行のKLIMAX DSのサウンドを追い抜かすような人気を得ていったということだ。デジタルオーディオの世界ではやはり最新モデルに衆目が向いてしまう。
また、LINNがDSDにあえて対応しなかったり、ネットワークオーディオという形式にこだわってUSBに対応しないなど、見ようによっては停滞しているうちに、PCとUSBを使うシンプルなオーディオ手法やストリーミングサービスが台頭し、MQAをはじめとするニューフォーマットも登場するなどデジタルオーディオを巡る混沌が深まっていったことも、KLIMAX DSの相対的な没落と関連があろう。
また、そういうデジタルオーディオの規格や流行の問題とは別に、その後ずっと、大きなモデルチェンジはせず、マイナーチェンジで済ませてきたKLIMAX DSのサウンドそのものについても、そのオーディオ界での存在感には陰りが見えていた。それは旭化成などの大手半導体メーカーが生産するオーディオ用DACチップを採用した機材の、性能限界を示すものでもあった。ハイエンドオーディオでは徐々に、異なるメーカーの異なるDACであっても、全く同じDACチップが使われていることに疑いの目が見けられ始めていた。DACチップの銘柄だけが音質を決定するわけではないというメーカーの言い訳は、それが事実であるにも関わらず、もはや通じにくくなっており、他社との差別化のため、自然、ハイエンドオーディオに使われるDACはFPGAを用いた自社製のオリジナルDACを希求する動きが目立ってきた。(高級時計が自社製ムーブメントにこだわるようになったのと似ている。)LINNもこの流れを無視はしておらずKLIMAX DSのバージョンアップの裏で地道に新型フラッグシップマシンの開発を続けていたようである。
そんな中、ついに全く新しいKLIMAX DSM/3が発表された。
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LP12、CD12というふたつの背番号12はハイエンドオーディオにおけるレジェンドとして語り継がれるものだろうが、その後現れた、12というナンバーを冠さないKLIMAX DSについては、少なくとも私にとってはそういう存在ではない。これだけはLINNの旗艦機の流れの中ではやや異質なものだ。それは今思い返せば、音楽性が前の2つよりも明らかに薄く平板であると感じるからだ。KLIMAX DSは新しいデジタルオーディオ技術であるネットワークオーディオを創始したという大きな功績があるが、LINNというブランドに色濃くある優れた音楽性を十分に受け継いではいなかった。
とはいえ、それを実際に使っていたころはそんなことを私はあまり感じていなかった。
つまりその事に、私はこのLINN KLIMAX DSM/3を聞くまで、はっきりとは気づいていなかったのである。
しかし今、私はLP12、CD12と続いたLINNの系譜を本当に受け継いだのは、このDSM/3であると理解した。
先代のKLIMAX DSは前章に過ぎなかった。
私にとっては、LINNのデジタルファイルオーディオの本章はここからはじまるのである。

EXTERIOR:
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空間をそこだけ鋭いカッターで切り取ったような、シャープで凛々しい筐体である。
入念に幅、高さ、奥行きの比率を全体にバランスよくなるように定めて、極めてリジッドな箱をこしらえたという感じだ。
リアパネル側に回らないかぎりは、六角星のトルクスネジが一切見えないクリーンな外観である。
今回もLINNのデジタル機材の約束を厳密に守っているようだ。
エクステリアからしてLINNは古くからの顧客を裏切らない。
筐体を掴むと、ひんやりとした感触とともに金属の高い密度、どっしりとした安定感が伝わる。フルサイズの筐体ではないのに16kgほどの重さがある。
実物を自分の部屋にセッテイングしたが、今迄体験した送り出し機器の中でも、かなり重く感じる部類だった。
ブラック仕上げとシルバー仕上げが選べるが、私ならやはりシルバーだろうか。
この筐体にはなんとなくあの名機CD12の面影があるからだ。
CD12にはシルバー仕上げしかなかったのである。
もっとも大きさとしては厚みも幅も奥行もCD12より一回り大きく、リスニングルームでの存在感はもっと大きい。
ただ、銀色で堅牢な箱というコンセプトは共通していて、LINNの旗艦ということだから、やはり私にはCD12が連想される。
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例によってシンプルな2ピース構造の筐体のようにも見えるが、今回は中身の仕切りは先代より幾分か複雑である。なにしろ今回の中身は二階建てであり先代の二倍の容量がある。
写真で見ると、FPGAを用いたオリジナルのDAC回路、電源部などが、筐体内に設けられた仕切りによって互いに隔離された状態で実装されている。その配置はどこか前のKLIMAX DSのそれに類似している。青い基盤の出力回路上にルンダール製と思しきトランスが置かれているのも目を引く。これはRCA出力の方に装備されていて、トランスを通す、通さないをユーザーがコントロールアプリを通してワンタッチで選べるらしい。家庭で使われるオーディオ機器は周囲の家電のノイズの影響を受けることが考えられ、場合によってはノイズ耐性のあるトランスを通した方が結果はいいからだ。
回路基板を見るとXLR出力も無論ついている。が、聞くところによれば、DSMのアナログ出力回路はアンバランス構成とされており、これは真のバランス出力ではないことが考えられる。
この部分はdcsなどの同クラスのDACとは異なる。他は明らかにバランス回路からのバランス出力が多い。
なお今回の試聴はすべて後段のアンプとの接続の都合上、XLRバランス出力を使用している。
アンバランス出力は試していない。もしめでたく入手できたら、これも試してみたいものだ。

この筐体に格納されているDACはOrganic DACと名付けられ、FPGAを用いたオリジナルDACとある。先代のDAC回路Katalystとは全く異なる設計のDACであるという。私が集めた情報だと先代のKLIMAX DSでも部分的にはFPGAの使用はあったのだが信号の処理過程のごく一部に限られていた。先代は実質的にデジタル信号を受け、DA変換し、アナログ出力するというプロセスの多くの部分は旭化成の小さなチップが担っていたわけだ。
これをFPGAが担う過程を大幅に増やしたうえで、独自のディスクリートのDA変換回路を加えたのが今回のOrganic DACの概要ということらしい。
MSBやCHORD、dcs、Mola Mola、Playback designs、Esotericなどの他の自社製DACに比べて、極端に個性的な処理を行ってはいないようだが、やはりどことも違うもののようだし、LINN御手製のディスクリートのDA変換回路も音質に影響を与えているだろう。
事実、その出音はライバルたちの誰とも似ていないものだ。
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このプレーヤーはプリアンプを内蔵しているのでボリュウムがついている。
(この機材は優れたプリアンプを内蔵していることにしないと価格の説明がつかない。)
これはデジタルボリュウムであり、このプレーヤーの全ての入力に関して効いている。
つまりアナログ入力についてもAD変換して音量調節される。アナログプレーヤーに結線したフォノイコライザーの出力などをDSM/3に通して聞いてみたいという願望はあるが、まだ果たせていない。また、このボリュウムをあえて通すメリットとして、LINNが開発したスペースオプティマイザーが使えることがある。これはリスニングルームのデータやスピーカーの位置を入力してLINNのサーバーに送信してから、機能をONにすると部屋の定在波の影響を消すようなイコライジングを計算して音出ししてくれるという音質対策機能である。ただそんなことをしなくても、このプレーヤーの音は本当に良いので、素のままで出しても多少の部屋の癖は押さえつけて、なんとかしてしまうようなところがあり、私はよほどのことがないかぎりは使う必要はないように感じた。

ガラスのノブの感触は軽く乾いたもので、粘りはほとんどない。あっけないほどだ。
もうちょっと回し味に色気があってもいいとは思う。
この機材は、ジェフローランドのアンプのノブを掴んだ時のような特別な感触があってもおかしくない価格だ。
上から見ると放射状に配置された100本の細いLED表示(LINNではとこれをステータスライトと名付けている)が光っており、ボリュウムがどれくらい回っているのか、視覚的にも確認できる。なおボリュウムの位置はフロントパネルの底部に表示されたバーの長さでも知ることができる。ただフロントパネルの方はしばらくすると消灯する設定にでき、その方が音に良さそうのなので、見えなくなることはあるだろう。
一方のダイヤルのステータスライトはずっと光っているから、私はいつもこちらを確認していた。
またこのボリュウムは押し込むと一時停止、長押しするとスタンバイ状態に移行する機能も持つ。このような直感的な操作フィーリングはなかなか気持ちいいし、便利である。
さらに、ボリュウムノブを中心にレコードの溝のような繊細な同心円の文様が彫琢されているのが目新しい。この文様は音質的な意味はありそうには見えないけれど美しい。
CD12やKlimax DSのフロントディスプレイの下縁に認められた、あのスマイルカーヴを受け継いでいるとか、LP12にちなんだレコードの溝をフューチャーしているのだとか言われているが、退屈になりがちな天板のデザインを美しくできたことがなによりの効果だろう。
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本機のフロントパネルは全面ハーフミラー仕上げのガラス製で、その両端はガラスが切りっぱなしで露出している。ここになにかをぶつけて欠けたりしたら怖いが、これでいいのか。確かにデザインとしては美しいが心理的には枠があった方がよかろう。
ディスプレイはLINNジャパンの方の話ではTFTであり(ある雑誌では間違えて記載しているらしい)、先代のKlimax DSの数倍に大型化されており、多くの情報をより大きな文字で遠くから視認できるので進歩したと言えるだろう。
さっき言ったとおり、この表示はつきっぱなしではなく、しばらくすると、まるで忍者がドロンと消えるかのような面白い挙動をしつつ消える。消えたあとは前面がフラットの金属面のように見える。そこでシンプルでクリーンなデザインが極まってくる。この表示が消えたあとのデザインのためにフロントパネルに枠がないのだろう。
ただ、LINN KLIMAX DSMという右下のロゴは消せない。これはどうだろう。dcsはロゴも消灯することができるのだが。

フロントパネルの上縁に並んでいる細長いボタンはPINボタンと呼ばれるもので、
KAZOOを使ってそこに機能を割り当てて自由に使える。プレイボタン、ストップボタンとしても使える他、ワンタッチでインターネットラジオを呼び出したり、NASやストリーミングサービス上のお気に入りのアルバムや曲を指定して一発再生したりなど、直感的かつ多彩な使い方ができる。最近のフルサイズミラーレスカメラなどにもよくついているファンクションボタンと同等だ。
このステンレス製のボタンは押した時の感触は独特で、ボタンというよりもスイッチのようなカクッとした押し味だ。確実に押し込まれた反応が指に伝わる他では経験したことのないものだ。プリアンプKLIMAX KontrolなどでもそうだったがLINNの高級機のボタンは押し込む角度などがかなり細かく吟味されており、今回もまたそのこだわりが発揮されている。
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後ろに回ろう。
先代のKLIMAXではリアパネルの上に庇(ひさし)のような部分が突き出ており、コネクターや配線を隠して美観を保っていた反面、非常に結線しにくく、リアパネルの状態の確認も容易ではなかった。
今回、この庇の部分がなくなったのはとても良いことだ。これだけ多くの入力を受け付けるのだから、その結線や視認性は重視されるべきだ。
リアパネルそのものを見てみると、先代よりも随分と豊かになったものだ。
入力としてRCA同軸2系統、TOS入力、USB(TypeB)入力、HDMI入力4系統、アナログ入力(XLR、RCAそれぞれ1系統)、ネットワーク端子(イーサネット1000Base-Tiとオプティカルイーサネット)あり、出力としては先ほど触れたアナログ出力(XLR、RCAそれぞれ1系統)、HDMIリピート出力(eARC/ARC)、LINN製品用のEXACT LINK2系統、RCA同軸1系統(入力と兼用)が認められる。この他、リアパネルには見えないが、ワイヤレス接続機能もありWifiまたはBluetoothを介して音楽を聞くこともできる。また対応するデジタルファイルはFLAC, WAV, ALAC, DSD(64,128,256), MP3, WMA, AIFF, AAC, OGGである。さらに対応することをメーカーで保障するストリーミングサービスとしてはTidal, Quabaz, Spotify, Connect, Airplay, RoonそしてDEEZERとなる。つまり代表的なものに関しては、ほぼフル対応ということだ。

ここで私が注目するのはLINNがMQAには対応しないことである。一部では熱烈なファンもいるというMQA(私はあってもなくてもいいものだと思っているが)を今回は敢えて無視なのである。LINNはMQAになんらかの疑義を持っているようだが、これはとてもLINNらしいところだ。つまり常に現状に対して反対意見を持ち、それを製品に反映させるということだ。なにかそういう反骨精神がLINNには受け継がれており、サウンドにもその精神が宿っていると感じる。現状に対する不満の意識なしに前衛的なオーディオは前には進まないのだから、これはこれでよい。
反面、新しいものにすぐに飛びつかないLINNらしくもなく、光LANには対応しているところもまた面白い。もちろん、光LANはまだ発展途上にあり、実際に試した人の話では、まだまだ普通のLANの方が音が良いという話だったから、今回はあえてテストしなかった。

ここで標準装備されるHDMI端子。日本のピュア思考のオーディオファイルには受けが良くないのだが、私はこれこそDSMをあえて買う大きなメリットではないかと考えている、例えばライバルと見られるdcsなどのハイエンドDACにはこれがない場合が多い。はっきりあると言っているのはMSBぐらいではないか。しかしMSBの場合はオプションだ。はじめからついているわけではない。
HDMIは音が良くない、HDMIがあるとアナログ出力の音が濁るなど、とやかく言う向きがあるようだが、LINNでは全く影響がないというだけでなく、むしろHDMI入力の出音こそ聞いて欲しいと言う。確かに映画やゲームをこれほど高品位な機材を通して楽しむという体験は、そうそうできないもので個人的にも興味深いのだが、これはLINNの機材を検討するうえでぜひ注目してほしいフューチャーである。私も運よく導入できたら試してみたいものだ。特に高品質なブルーレイプレーヤーに接続したときの音質については強い興味がある。
なおピュアオーディオに特化している純潔主義の日本のユーザーに向けてか、HDMI端子を省いた使用も注文できるようだ。
これらのオミットモデルの特徴は価格がフル装備モデルと同じであることだろう。つまりメーカー側としては標準モデルを買いなさいということだ。
オレの推奨したカタチで、オレの音をそのまま聞け、といわんばかりのLINNの自信と心意気が垣間見える。

なお、リアパネルには電源スイッチがない。今回はフロントパネルのすぐ下の底面にシーソー式のスイッチがある。これはヨーロッパのRoHAS指令によるものらしく、LINNが好き好んでこうしたわけではないとのこと。私はプレーヤーの電源は一度入れたら基本的には年中切らない。音にいいからだ。スイッチがリアにある場合は特にそうだ。その場合はメーカーが基本的に電源は切るなと言っているような気がする。だが、この機材は先代と違ってフロント側にスイッチが移動してしまっている。こういうところにスイッチがある場合、聞き終わりに一回一回電源を切るべきなのかと考えてしまう。
確かにRoHAS指令には、簡単に電源を切れるようにスイッチは前面あるいはその近くにあるべしという項目があると、どこか聞いたような気もするが、電気の節約とかの意味でもあるのだろうか。

底板は分厚く、CD12などのように立体的で中央に行くにしたがって厚くなるような造りである。こういう底板のつくりは他のメーカーにはほとんど見られないが、これはLINNの旗艦機ならではの音の分厚さに寄与していることだろう。
そしてフットは青いゴムリングで滑り止めする三つ足だが、これはどうだろう。
前に一個、後ろに二個という足の配置は三つ足の機材としてもやや変則的だ。
音質でこれを選んだのか、他にも理由があるのか。よく分からない。
足の数とは別に、LINNのこの手の機材を初めて見る人が驚くとしたら三つ足のうちフロントパネル側のひとつの裏に直筆サインが入っていることだろう。
これは最終検品者のサインということだが、実は各基盤にもアッセンブラーの署名があるという。これは伝統だ。CD12にもKLIMAX DSにもこれに類するサインがあった記憶がある。LINNのあるスコットランドのグラスゴー、そこを流れるクライド川のほとりにある工場で製造されたという意味の、クライドビルトのプライドがここに表れている。

外観のフォルムの上での美しさは、CD12、KLIMAX DSと続くアルミの工芸を眺めるような満足感につながっている。またその独特の心地よく便利な操作フィーリングはまさにCD12のそれを彷彿とさせる。最近のデジタルファイル再生機材は余計なスイッチがないものが多い。具体的な操作は専用リモコンでなく汎用のipadなどが担っている場合も多い。それは確かに便利であって、LINNもこのDSMで当然のことながら採用している方式である。(なお、ipadに比べたら基本的な操作しかできないが、このDSMには、小さな専用リモコンもついていた。今回はテストしていないが。)
しかしipadによる多様な操作に加え、純粋に手の感覚のみで操作したり、機器の状況をipad以外の機材側にあるディスプレイやLEDで確かめられるように心がけたのは英断である。時代は変わっても、人間は人間のままであり、指先に伝わる感覚や機材そのものもつ視覚的な美しさなど五感に直接訴えることは忘れるべきではない。DSMのボリュウムを操作したあと、天板に刻まれた同心円状のグルーブを撫でていると、とても優しい気分になれる。ダイヤルから離れるにつれて間隔をあけてゆくこの溝は、近頃のデジタル機器が忘れかけていたことを教えてくれるようだ。

今回の試聴のセッテイングはごく普通の、つまりDELAやFidataではない安価なNASとテレガトナーなどのオーディオ用ではない普通のハブ、アンスズのLANケーブル(アンスズの機材は外国では評判がいいが、日本ではあまり有名ではない。私はケーブルやインシュレーターなどいくつか試聴しているが、自分で取り上げる気になったことがない。つまりこれは普通のケーブルである。)を使ってネットワークオーディオシステムを構築している。KAZOOなどのソフトウェアについては先代のものをそのまま引き継いで使える。
既述のとおり光LANは使っていない。(LINNの方でも試聴の結果として、現時点ではまだ推奨しないようである。将来的には無視できない存在になるかもしれないと踏んで、先取りして付けているだけだという。)
外付けのプリアンプを使っても試聴したが、すぐによほどのプリでなければこの機材の相手は勤まらないと分かった。なにしろ単体で500万ほどする機材である。100万クラスのプリでは相手にならないことは考えられる。一方、内蔵のプリアンプは一緒に開発されたものだけに、DACとの相性が良かった。なんといっても音のまとめ方が上手い。一聴してLINNの推奨するサウンドが内蔵プリを使う方であることが直感的に分かった。
(ただこのプリアンプ自体の実力は300万円台のプリアンプと比較すると若干だが、音の肌理細やかさや音の広がりなどで劣る場合もありそうに感じた。やはりDSM/3の中で使ってこそ意味のあるプリなのだろう。
こうなると、既に自分が気に入ったプリアンプを持っている人にとってはDSM/3の価格は割高かもしれない。)
結果的に外付けプリアンプはパスしてブリッジ接続したアキュフェーズのパワーアンプ2台にDSMを直で繋いで試聴するのが、まずは最高と考え、使える時間のほとんどをその形式での試聴に費やした。スピーカーはB&W803D3であったが、まだエージング中のようで少し音が硬かったので、その点は差し引いて試聴しているつもりだ。
また、スピーカー以外に自分のヘッドホンアンプに繋いでも、試聴している。この時はDSM/3をUSB DACとして使ってみた。サウンドはネットワークを使った場合とよく類似していた。はっきり言ってブラインドでは区別できないだろう。なお、自分の部屋のヘッドホンシステムにこれを組み込んで大丈夫か、特にMSBのヘッドホンアンプとの相性はどうかと心配はしていた。機器の相性については事前には判然としなかったが、思い切って結線してみるとあっけなく素晴らしい音が出てきたし、機能も万全だったので安堵した。
ヘッドホンでこのDSM/3を聞いた人はほとんどいないだろうが、そこにはdcs Bartokとは異なる感動が待っていたとだけ、ここでは言っておく。いつかDSM/3を導入することがあれば、それについてより詳しく書くことになるだろう。

The Sound:

人は500万円のデジタルプレーヤーに何を求めるのか。
それはそれを買おうとするオーディオファイルの感性と経験値にゆだねられていると私は思う。
いろいろな答えがあっていいのだが、ここでは他の価格帯のデジタルプレーヤーとどのように差別化されるかということが最大の問題ではないか、ということである。要するに他を選ばず、このDSM/3を敢えて選ぶ意義があること、それが500万円のデジタルプレーヤーに求めることである。

オーディオファイルたるもの、この問題について様々に思い巡らすことはあるのだろうが、やはりその主たる判断基準は、言うまでもなく音質であろう。他といかに異なる音の魅力をもっているか。これが最も重要な要素になる。
このDSM/3の場合、数値化できる音響性能、例えばSNとかダイナミックレンジとか歪み率とかいう音響的な性能に関しては議論の余地はない。現代のデジタルプレーヤーとしては文句の付けようのないレベルに達している。当社比で見れば、先代より圧倒的に音の特性が良くなっていると感じる。
でもそれだけで先代の二倍に近い価格を払えるのか?
音響特性のみを見れば、同レベルにある機材は今なら他社にも同価格帯に存在する時代である。
例えば、dcsのRossiniやMSBのReference DACはそうだし、dcsのBartokやMSBのDiscrete DAC premierも大きく負けているとは思えない。
さらに多くのDACと比較すれば、DSMの500万円という価格はいささか割高であるという感は否めない。つまり、他社のDACの音質も既にかなり良いので、DSM/3のサウンドとはっきりとした差別化はつけにくいのだ。
しかし、それを知りながらも、このDSMに前から容易に立ち去ることはできそうもない。すなわち、このDSMのサウンドの魅力は、表面的な音響特性以外の部分、つまりオーディオにおいて、音楽性と言われる深部領域にかかる部分が大きいからだ。

DSM/3のサウンドとは、名機SONDEK CD12の音調をベースに、現代の先端技術を用いてダイナミックレンジを拡張、SNも上げたうえで、さらに強烈な音楽的訴求力をも加えたサウンドである。
これは音質的にはKlimax DSの進化形であると同時に、CD12が持っていた音楽的な距離感・求心力を深化させた機器である。
台頭する他社のデジタルオーディオプレーヤー、特にdcsを仮想敵として開発されたようだが、出来上がったサウンドは彼らとは全く異なる方向性を持つ。端的に言ってdcsにはこのような音楽性への志向が全くない。絶対的な性能の比較うんぬんの前に、音楽性を第一に求める立場に立つとするならば、このNew KLIMAX DSM/3のサウンドは既にdcsを含めた現代のあらゆるデジタル機材の音を凌駕している。

このプレーヤーの音を聞いて私がまず感じたのは、多くの先行する試聴者の感想と同じく、音楽との距離感の近さである。この機材を使うと演奏者とリスナーとの距離がほとんど見えなくなる。
今迄聞いたデジタルプレーヤーの中では一番に音楽に接近している感じのする音だ。
そこでは音楽そのものが持つ体温や演者の息遣いはもちろん、聞こえるはずもない匂いやスタジオの広さの気配までが伝わるような気がしてくる。
ここでは音楽がこちらに鮮明なリアリティをもって近づいて、向こうの方から私に直接触れようとしている。少なくとも、そういう積極的な思いが音に宿っていると感じる。
おそらくこの距離感の近さには他のハイエンドDACよりもDSM/3の音圧が高いということが効いているのだろうが、その説明だけではとても片付けられない音とも思われる。
ここにあるのは高い音圧が単純な面で押してくる、ヴィンテージの機材などにありがちな様式ではなくて、感情の起伏を感じさせる波動の強弱や音の触感としての柔らかさや硬さを表現しながら、私を通り過ぎてゆく音の圧力であり、音圧とひとくちに言っても、かなり複雑な様相を呈しているように思われる。
この音圧の波は私にぶち当たりながら通り過ぎ、また次の音の波が押し寄せ、私にあたって砕ける。その繰り返し、波状攻撃が感動を高める。しかもこの音圧の波は冴えわたるクリアーな音場の広がりを十分に感じさせながら迫る。音圧は透明で音場の見晴らしを決して曇らせないのである。こうしてリスナーに伝えられる、パルシブな音楽の躍動は、今までになくダイレクトで饒舌である。

サウンドを聞いて直ぐにわかる技術的な進歩として、先代に比してダイナミックレンジの拡大や優れたSN、そして音の解像度の高さがある。これらのポイントについてはLINNが今迄発売した機材の中では最も優れているのは間違いない。
しかしそれらにこのプレーヤーの音の良さのコアがあるとは思えない。
繰り返すが、現代においては音質の良い機材は他にもあるのだ。
MSBやdcsの機材と比べれば、音質のスペック上の部分で飛びぬけたアドバンテージがある機材ではない。
例えばDSM/3から流れ出して来る音楽、そこで聞かれる音数自体は同じ価格帯のDACと比べると、むしろやや少ない。潔(いさぎよ)いと表現したくなるほど音を選んでいると感じることすらあった。
だがその分、選び抜かれた純粋な音だけがここにはある。
先述のように、音楽が心に浸透するというよりは、ぶち当たってくるようなインパクトがシンプルに感じられるサウンドなのだが、その純度の高さから、その衝撃が疲れではなく快感として脳裏に残り続ける。無駄な音がないと思わせるほど高純度な音は、単純に音数が多い機材とは異なる快感を巻き起こす。

また、音像が立ち方の見事さもある。
これほど冴え冴えとした音像は、一度たりとも聞いたことはなかった。
シャープで硬質なエッジをもった鮮やかな音像が、少しひんやりとした音場の広がりの中に美しく林立する様はめったに聞けない爽快さであり、音の純度の高さと相まって私の記憶に深く刻まれるサウンドイメージとなっている。
さらに現行の他社機に比べて個性的だと思うのは、音に凛々(りり)しさとともに、芯の太さと音色の濃さも十分に盛り込まれているところだ。中域から高域にかけてSNや反応の速さを磨いたような、ひたすらクリアーなサウンドを指向する時もあるが、低域の量感や音の厚み、音の密度の高さや重さで魅せる時もある。ここでの音色は淡く爽快な水彩画のような雰囲気だけではなく、幾重にも厚く重なった深みのある油彩画のような景色も演出できる。
ただ、あえて見通しを悪くしたような、奥ゆかしい表現となると苦手ではある。あくまで音はクリアでソリッドであろうとするため、ノイズの多い古いクラシックの録音から古風な典雅さを引き出すなどはもっと得意なプレーヤーもあろうかと思う。向き不向きが全くない音調だとは私は思っていない。
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そして、何より音楽性の深化は素晴らしい。
色々な曲を聞いて、アクセントの置き方、一音一音の間の取り方、音楽の流れの滑らかさ、リズムのインパクトなど演奏者の細かな意図を示す部分をこれほど鮮烈に表現できるデジタルプレーヤーはほとんどないと思われた。
ここではDSM/3がまるで音楽そのものが持っている性質を熟知していて、それに合わせて音の調子を変えているかのような印象さえ受けた。
聞き進むうち、この音楽性の秘密は、音が洗練され過ぎないこと、バランスが良すぎないことにあると気付いた。洗練からはかけ離れた激しい音、ぎこちないメロディ、やや混乱し偏っている、乱雑な音楽をも的確に演奏する能力がこのプレーヤーにはある。そう思わせる場面が試聴中、何度も訪れた。

オーディオにおける音楽性というのは、抽象的な概念であり、感覚的な部分も多分にあって、計測することができないこともあり、話題にのぼることは決して多くない。
しかしこれはハイエンドオーディオにおいて、なくてはならぬものだと思う。
音楽性とは音の集合体である音楽に内在する、作曲者や演奏者の思いや考え、感情を表す能力を指していると私は考えている。作曲者が楽譜の中に表現したいと願った情景や意図をどれくらい鮮明にリスナーに伝えられるか、あるいは演奏者が演奏時にどれほどの熱情を込めたのか、どのような感興でもって楽器を操ったのかが、どれほど確実にリスナーに伝わるか。そういうことが音楽性の有無や強弱として評価される。
音楽性は、それが過ぎれば演出過多になり、本来の録音の意図から離れた音もなりうるし、なければまったく無味感想な音となって、オーディオをつまらなくするものでもあり、匙加減はなかなか難しい要素である。
一方、最近のデジタルオーディオは洗練されすぎていて、どのような音楽、録音に対しても中立的かつ公平な立場を取ろうとするあまり、演奏者の深い感興の領域に踏み込んだ表現をすることが苦手になっている。音楽性という意味では消極的な表現に終始しがちだ。
端的に言えば、DSM/3は愉しい音楽は積極的に楽しく、悲しい音楽は積極的に哀しく表現する。
このような積極的表現は、現代ではなかなかできることではなくなってきている。
デジタルファイル再生となると、綺麗だけどどうも平板に聞こえがちで、本当に感動したことがないというベテランのオーディオファイルがいるが、そういう人にもDSM/3を
聞いてもらいたい。
きっといい意味で裏切られると思う。

このDSM/3は私がここ数年聞いた中では、最も高度な音楽性・音楽的な訴求力を発揮できる機材である。
このDSM/3のサウンドを聞いて、私を含め音楽が近くなったと評する人は多いが、これは音圧の高さによりサウンドの音楽とリスナーの物理的な距離が近くなったからだけではない。これはステージの近くの良い席に座る場所が変わったというような、単純な変化ではない。
この機材を通すことで、直接聞こえたり、見えたりしないはずの奏者のパッションがより強くこちらに伝わる。
それは、この機材を通すことで生まれる、適切なアクセントが音楽にスパイスの香りのようなものを与えて、演者の感興をより感じやすくしているからだ。
別な言い方をすれば、この機材を通せば、音楽の表情がいままでになく豊かになり、音のエネルギーの変化がよりダイレクトに感じられる。
そうなれば、休符に漂う余韻の意味、リズムの微妙な変化が指し示すところも、リスナーにしっくりと会得されるようになるのだ。
DSM/3独特の奏者の内面が透けてくるような音の表現は、上記のような音楽のデリケートな部分にLinn のオーディオが敏感である証だろう。
既に述べた音楽との接近、音像の立ち方、前進するような動的な音場感、加えて楽音の変化に対する反応の速さとダイナミックレンジの広さ、極めつけのSNと音の解像度の高さ、音の太さや潔さが、これほどの音楽性の表現に寄与しているのは言うまでもない。
だが、そんな特性で語れる内容のみでこの音楽性を語りつくせるはずもない。
これは言葉を連ねるより、DSM/3を自分の部屋に迎え入れて聞いてみるのが一番だ。

さて、音質についての記載の最後に他社のDACとの音質の比較をしてみよう。
まずCHORDのDACやSforzatoのネットワークプレーヤーのサウンドと比較すると、やはりDSM/3の方が音質そのものが上、ややハイグレードな音という印象である。価格も違うので当然かもしれない。Sforzatoなどはゼロリンクを使う、クロックを高級オプションにするなどという手も残っているが、それでもやはり既存のDACチップの限界を露呈する部分は残るように思う。独自のDACを採用するPlayback designs、EMM、Nagraに関しても、DSM/3との比較では、やはり少し昔のデジタル機器だということを露わにすることになる。この場合は開発時期が違う。DSM/3はやはり最新の機材だ。SNやダイナミックレンジといった部分で、後出のDSM/3には一日の長があると思う。一方、価格や筐体の置きやすさなども考える場合、MolaMolaの健闘は目立つ。MolaMolaは音質そのものではDSM/3にやや及ばないかもしれないが、その差は大きく開いていないような気がする。価格なども考慮すると満足度がより高い。
CH precisionのプレーヤーに関しては音楽性や音の傾向に類似した部分を感じるが、音の凛々しさやSNなどで私はDSM/3にアドバンテージを見ている。CH precisionのオーナーはDSM/3に入れ替えても後悔しないかもしれない。
EsotericのGrandiosoシリーズの最新のプレーヤーシステムに関しては、自社製のDACという意味では共通点があるが、あちらはシルバーディスクプレーヤーということなので、比較しにくい。ただ純粋に音だけで比較するとEsotericの方が低域の力感やゆとりもあり、格上のサウンドに聞こえる。ただDSM/3の方が、聞いていて感情をより強く掻き立てられるような気がするし、システムの規模もよりシンプルに済ませることができるわけだからLINNを選ぶ人がいてもおかしくない。

最後に(既に所々で述べているが)実質的なライバルとなるdcsやMSBの500万円台のプレーヤーシステムと比較する。
クロックを入れたRossiniやMSBのReference DACと比べるとやはり音数の多さやスケール感でDSM/3は僅かに後退すると思う。また、私はdcs Bartok+にRossiniクロックを入れて使っている。これはdcsとしては下位モデルであるがDSM/3に決定的に劣る音とは思っていない。音質の差は大きくない。こうなると正直、500万円をさらに出してDSM/3を買うかと言われると微妙だ。
(DSM/3が300万前後なら入れ替えたかもしれないが・・・・)
ただdcsもMSBも先述のごとく音が洗練され過ぎているのが弱点だと私は思う。
特にLINNのファンは、dcsやMSBはつまらない音だと思うかもしれない。
あえて言えば、音楽を熱く語ったり、現状に抗ってでも自分を表現しようというロックな心意気に欠けるのがMSBやdcsの音だ。だが、それが基本方針なのだから、DSM/3のような強烈な音楽性などというものはないものねだりなのである。ここらへんは好みで選ぶしかない。

ちなみに、DSM/3で聞くイギリスのバンドOASISの音楽は絶品であった。
世界中にある全てのデジタルプレーヤーを聞いたわけではないけれど、
これほどハマるプレーヤーは無さそうだと根拠のない確信を抱くほど格好のよい音だ。
OASISのファンを自認する私であるが、
DSM/3でスーパーソニックやDon’t look buck in anger、Whateverなんかを聞いていると、彼らの若々しい魂に直接迫れるような気がして頭がクラクラした。
昔は俺もこんな気分で生きていた時分があったかもしれないとひとりごちた。
CHORDもdcsも同じ国のメーカーなのだが、これほどまでのマッチングはない。
先代のKLIMAX DSにしても、こんなプレゼンテーションはできないだろう。
LINN党でOASISのファンにはDSM/3を薦める。


Conclusion:

今回試聴したLINNの新フラッグシップDSM/3は総じてLINNらしいシャープでクリーンな外観、ラグジュアリーを感じる操作フィーリング、そしてデジタルファイルオーディオにおいて唯一無二の音質が実現されており、対応するフォーマットやデジタルインターフェースなどの規格の面でもほぼ完備されているように思う。
しかし、この機材の本体価格やLINNのオーナーを優遇する特殊な売り方に私は疑問を感じている。ここでは、それについて私見を詳しく述べようかとも考えたが、やめておく。そんなことを細かくあげつらっても何も変わらないし、退屈だ。
私はCD12の時代からLINNの製品は大好きで使ってきたし、そのモノづくりには賛辞を惜しむつもりはない。
しかしこの価格設定や売り方は結局LINNのためにならないかもしれない、とは言っておきたい。高価格化しすぎたハイエンドオーディオ全体もそうだが、より多くの人に自社の機材の良さを知ってもらい、新参者、部外者にも買ってもらえるような価格設定や売り方もしないと、仮に今は良くても先々は分からない。
それとも、LINNで把握しているLINNユーザーの数から、DSM/3の売れる台数を予測し、そこから見積もられた生産台数から安定した企業経営に必要な売り上げを得られる価格を弾き出すと、この値段になるということなのだろうか。
はじめからLINNの現オーナーにさえ売れればよいという考え方であるなら、議論の余地は残されていない。

とにかく、私がここで一番言いたいことは、LP12、CD12と続いたLINNの系譜を本当に受け継いだのはこの最新のKLIMAX DSM/3であるということだ。
トータルとしての出音はすこぶる良いのである。
実際、私はこれにLINNの伝統を受け継ぐ最高級機材の証としての背番号12を贈り、Streamer12と呼びたいほどなのだ。
なるほど、この機材は初代KLIMAX DSのような革命を叫ぶ機材ではない。
だが、LINNの伝統としての豊かな音楽性をそっくり受け継ぎ、さらに発展させている。この点では現代のハイエンドデジタルオーディオ機器で並ぶものはない。
私はこのレジェンダリーな音楽性に懐かしさを感じない。
それはあえて洗練を拒み、より新しく強い音を求めようとする進取の精神が息づく音楽性だからだ。

サウンドについて弱みがあるとするなら、音のスペックのみを重視するオーディオファイルにとっては、この機材は微妙な存在となるかもしれぬということだろうか。それは主にライバルたちとの比較で、そういう感覚を持つのである。
このDSM/3がシェアを争う主な相手はdcsとMSBということになるだろうが、既に述べたとおり、どちらのメーカーの製品にしても500万という価格帯で得られる音は、スペック上ではDSM/3よりも少し上を行っているように思われる。肌理の細かさ、スケール感、SN、ダイナミックレンジ、どれも若干であるが、上の音世界である。このわずかだが決定的にあると思われる差を埋め、アドバンテージを取ることができるとすれば、それはLINNの持つ独自の音楽性の力に他ならない。
そこを重視するオーディオファイルがどれくらいいるかが、このDSM/3が成功するか否かのカギとなろう。
私はデジタルファイル全盛の時代になってから、音楽性を重視するオーディオファンが減ってきたような気がする。特に最近オーディオファイルになった若い人は音楽データの数字でオーディオの良し悪しを判定しがちだと思う。
しかし、音楽性は数字では決して測れない何かなのだ。そして、これはオーディオにとっては命の奥に宿る魂のように不可欠なものである。
これを知らずにオーディオをやるのはありえないと私などは思うのだが、近頃はそうでもないらしい。
少しずつ人間臭さがかき消されて、無味乾燥になっていく現代という時代において、このDSM/3に宿る新たな魂が、音楽性にまだ目覚めていない多くの人の感情を揺さぶることが必要なのかもしれない。そのためには、この音にもっと手軽にアクセスできなければならないはずなのだが、ここでまたしても500万という価格が敷居の高さとなってそれを阻む。
最近のデジタル機器でこれほどの音楽性を持つ者は他に居ないというのに。
もったいないことだ。
近頃のハイエンドオーディオで繰り返されている悲劇が、ここでもまた繰り替えされる。

高価なデジタルプレーヤーを聞くとき、私の頭の中心にはいつも、以下のような問いがある。
ネット上のストリーミングサービスが、個人で構成しようとすれば、それこそ数千万円は下らないであろうという巨大なミュージックライブラリーを、毎月わずかな金額で、万人に公平に提供している時代に、基本的には音楽を聞くためだけに使用するシステムの、しかもその一部に過ぎない機械に500万円ものお金を消費するアンバランスに我々は耐えられるだろうか?
このプレーヤーの音は良いし、凄く使える機材だとも思うのだが、
レビューを書き進めるのがどうにも苦しく、いつになく手間取った。
というか、いくら時間をかけても書ききれなかった。
私はハイエンドオーディオのレビューを書くことに年々、困難の増加を感じているが、
それはこの種の気分の悪さが増しているからだ。
この機材に12という背番号が贈られなかったことと、この私の気分は無関係だろうが、このひっかかりがなくなってこそ、12という番号がしっくりとこのDSM/3に似合うようになるのではないかと私は勝手に考えている。

ここでもっとよく考えてみた。
20年前、LINN SONDEK CD12を使っていた頃は素晴らしいサウンドがあるだけで素直に感動できたものだし、その対価は決して安くはなかったが、頑張って払っていた。
あの頃はそれで良かった。
しかし、もう今となっては、あんな風に新鮮な気持ちでハイエンドオーディオと向き合うことができなくなってしまった。昔を懐かしむなど私の主義ではないが、今が良いとは断言もしかねるのが本音だ。
そして今回の試聴で気が付いた。
これは私がオーディオについて多くを知りすぎたせいだ。
あれから随分たくさんの機材を聞いたし、触ったし、買ってもみた。
そこで得た経験値は膨大な記憶となって私の中に降り積もっているが、それは新しい気持ちでオーディオを楽しむという意味では足枷になっている。
あまりにも多くの優れた過去のサウンドが私の記憶にあり、それらとの比較対照が今聞いている音を純粋に楽しむことを妨げている。
過去を知らなければ、現状を素直に受け入れられるのかもしれない。
あの頃よりは使えるお金の自由度も高くなっているのに、どうも自分のオーディオにリミッターがかかっているような気分なのは、そこらへんに深いワケがある。実はストリーミングに月々かかるカネとハイエンドオーディオの価格のアンバランスなんてことは表面的な問題であり、そこが根本なのだ。
オーディオに興味がありながら、オーディオについてよく知らないという状態が、実は素晴らしいことだったのだろう。
私がオーディオに対する純粋な気持ちを取り戻せないのは、多くのオーディオを知りすぎた罰だということ、この一点をDSM/3の音によって気づかされたというだけでも、この試聴には深い意義があるのかもしれない。

https://pansaku.exblog.jp/29650043/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/842.html#c142

[リバイバル3] CD/SACDプレーヤーからPC・ネットワークオーディオへ 中川隆
67. 2021年10月30日 08:16:48 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[12]
Shunyata reserch OMEGA USBケーブルの私的インプレッション:第4の正解
by pansakuu | 2021-09-05
https://pansaku.exblog.jp/29651781/


力を尽くして狭き門より入れ
(ルカ伝十三章二十四節)

INTRODUCTION:

あまりにも忙しいと人は自分を見失う。
その人がオーディオファイルなら、
大事にしてきたオーディオという趣味まで見失うことになる。
まさにいまの私がそうなのかもしれない。
ここ一年はあまりにも忙しく、
オーディオを続けるのがとても難しくなっていた。
それでも私はオーディオをやめてはいない。
なぜなのか自分でも分からない。
このハイエンドオーディオという滅びゆく世界の中にもまだ自分の知るべきことが残っていると無意識に信じているからだろうか。
自分のサウンドの正しい解が分からなくなりがちでも、そしてレビューに書くべきことが何も思いつかなくても、オーディオの砂漠を突っ切って前に進むことだけはやめなかった。
その前進は歩くというよりは、藻掻きながら彷徨うと言った方が正しいような、無様な有様ではあったけれど。
Shunyata reserch OMEGA USBケーブルの私的インプレッション:第4の正解_e0267928_23170240.jpg
先週、仕事の合間に、あるレストランで食事を摂(と)った。
予約が物凄く難しいレストランで、
他では食べられないような個性的で美味しい料理が出て来るとかいう評判の店だった。(当然、ワクチンを打った家族とアルコールなし、という条件下でだが・・・)とはいえ、そういう評判のレストランに出向いて、見事に裏切られたことは多いのだから、さはど期待はしていなかった。
 実際、行ってみると、なるほどこれは変わってるなと思った。
立派なコース料理をシェフがたった一人で作っている。ミシュランの星をこれだけ取れるレストランでシェフ一人が全てを切り盛りする店はおそらくここだけではないか。給仕も彼の奥様と思われる方が一人だけ。
実にシンプルなレストランだ。
オープンキッチンのなので、
シェフが集中して料理を作っているのがつぶさに見えたのだが、彼に無駄話をしかけるなど到底できそうにもない厳しいオーラが漂っていた。
そして、その料理は緊張感に満ちていた。途轍もなく複雑でキレのよい味だ。品数は多いのに、手を抜いた部分はなにひとつ見当たらない。
随所にシェフの斬新なアイディアが光っていたが、なにひとつ外していない。
全てが的中した味なのだ。
肉や魚の焼き加減やパスタの茹で具合なども絶妙である。
ここで鍋から上げる、ここで火を止める。
そういう瞬間の見極めがこんなにも絶妙な料理は知らなかった。
これはシェフがだれにも工程を任せないからこそ出来る料理の出し方なのだろう。
盛り付けもさりげないが、計算されつくしたものに見えた。
ここまで精緻な料理は初めてだ。
勘定は安くはないが、それに見合うだけの新しい体験ができたような気がした。
この夏、本当に面白い体験というとこれだけになるような気がする。

自分の知るべき感覚がこの世界にはまだ残されている。
帰り道を歩きながら、そう噛みしめることができたのは良かったのだが、
オーディオについても、そういうものがまだあるのか、
断言することはまでは憚られた。
例えばハイエンドUSBケーブルなどはもう極めたはずだった。この手のケーブルについてのインプレッションを書くことは、もうしばらくないと思っていた。Nordost Valhalla USB,  Crosspoint USB,  Jorma Reference USBの比較試聴で、その話は済んだはずだと。その時にも他にいくつかのハイエンドメーカーから高価なケーブルが出ているのを横目で見ながらレビューを書いていたが、海外の評価や、その会社の過去の製品の音質傾向から見て、それほど期待できないと思ってそれらは全てパスしてきた。

だがシャンヤッタリサーチのUSBケーブルについてはその時点でノーマークだった。このメーカーがUSBケーブルを5つのグレードに分けて開発し、日本の代理店を通して販売しはじめているのを知ったのは、試聴のつい数日前である。
 アメリカの軍需産業にオリジンを持つシュンヤッタの製品というと、10年以上前にプリアンプに挿していた極太の電源ケーブルを思い起こす。ゆったりとした空間の広がりや独特の柔らかく豊かな低域、繊細な音像は記憶に残っている。
このようなサウンドを身上とするメーカーが高みを狙ったUSBケーブルを作った例はまだなく面白そうに思われた。1994年の創業以来、主宰のケーリン ガブリエルが一貫して手掛けるハイエンドケーブルの成熟ぶりを久しぶりに聞いてみたくなったということもある。

 今回は日本での価格が30万円ほどもするが、まだセカンドベストモデルであるシグマUSBケーブル、そしてその上のフラッグシップ・オメガ USBケーブルを試聴できた。特筆すべきはシャンヤッタリサーチではインターコネクトやスピーカーケーブルにはこのオメガというグレードがないことだ。シグマどまりなのである。デジタルケーブルにのみ、一段上のこの名称が用意され与えられる。シュンヤッタのデジタルケーブルにかける自信がうかがい知れよう。価格はJorma Reference USBとほぼ同じ、すなわちUSBケーブルの最高価格帯である。
最初はシグマだけを試聴する予定だった。
そこでレポートを書いていたのだが、さらにその後でオメガを試聴できることになり、それを聞いてから大きくレポートを書き直すことになった。
結果、いつまでもレポートが出来上がらない仕儀となった。

じっくりと聞いてみると、オメガはJormaともNordostともCrosspointとも異なる第4のUSBケーブルであることがわかった。この極めて高い性能を誇るデジタルケーブルについて、そのサウンドの果てを聞くまでには時間がかかるだろうが、追求する価値はあると判断した。
つまりJormaのReference USBはいったん脇に置いて、オメガUSBを先に買うかどうか、真剣に悩むこととなった。

こうして今回、少なくとも4種類の全く異なる個性と高い完成度を誇るUSBケーブルがこの世界に存在することを私は新たに知った。
おそらくハイエンドケーブルで最も面白いジャンルというのはUSBケーブルじゃないだろうか。他のケーブルのテストではこんなに多くのバリエーションで盛り上がれない。
もしかするとLANケーブルもそうなのかもしれないが、高級なLANケーブルによる音質変化はUSBケーブルによる変化以上に認識が薄いのが現状だと思う。そのためか、各メーカーいまひとつ力が入っていないような気がする。役者がUSBケーブルほどには揃っていないのが現状だ。LANケーブルについてはネットワーク構築の手前、何本かに必要でコストが高いし、そもそもネットワークオーディオのオリジネーターであるLINNが高価で高音質なLANケーブルはネットワークオーディオには不要であるということを喧伝していた時期も長く、ネットワークオーディオ実践者にその意識が乏しいのかもしれない。


EXTERIOR:
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オメガUSBケーブルは円筒形のいわゆる「謎箱」が2個ついた灰色のケーブルである。線体は少し硬めで弾力があり、取り回しはそれほど良くもない。
ラック裏のスペースに余裕がなく、ケーブルの取り回しが悪いせいで結線できないことを避けるために、長めのケーブルをあえて注文する人もいるが、今回に限り、その心配はいらない。このケーブルは1.5mからしか製造されないという、ちょっと変わったものだからだ。1mという尺モノが製造されていないようである。1mで済めば安上りだったのになどとケチなことを考えなくて済む。

この長さの特殊性は謎箱が二つあることと関係があるのだろう。二つの間を十分に離す必要があるのかもしれない。そもそも謎箱が2つもついているケーブルが珍しい。MITに昔そういうのがあったが、それ以外にはすぐ思いつかない。
ガラスファイバー製と見られるその円筒を振るとカチャカチャと音がする。金属製の円板が沢山積み重なっているのを私は想像した。なぜかというと下位モデルのSIGMAでは、この箱は透明なアクリル製の円筒であって、中が見えたからである。しっかり固定せず、わざと微妙に遊びをもたせた薄い金属板が十数枚重ねられて、そこに格納されていた。OMEGAにも同じものが入っているんじゃないだろうかと疑う。そういう音がする。
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この謎箱はメーカーの説明では、コモンモードノイズ(すなわちスイッチング電源等から漏れたノイズが入力からグランドへまわり電源に戻ってきたもの)を低減するデバイスとされている。だがカタログを見てもその仕組みは具体的には説明されていない。手元にあるこのカタログを読むとその他にも横軸偏光子、VTX(中空の管状構造を取る導体)など、多くの技術的なフューチャーが記載されている。要約すると注意深く選ばれた導体を独自の中空構造内に配置する設計とし、実際の製造にもじっくりと時間をかけて精度の高いケーブル作りを心がけているというところだろうか。昔からこういう自社の技術を喧伝するメーカーは多いが、シュンヤッタはかなりうるさく書いているたぐいだろう。
文字がとても多いカタログを読んでいると、もしかしてこれはいままで試したハイエンドケーブルの中では最も多くの技術が投入されたケーブルではないかという気がしてくる。ただ、それらが音の良さにつながって、私に直接感じられなくては意味はないのだ。音を聞くまでは、カタログ内のこういうくだりは適当に読み飛ばすべきだろう。結局バイアスにしかならないからだ。
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USBコネクターはオリジナルのようで、今迄見たことのない形である。普通はUSBコネクターというと平らな形をしているものが多いのだが、これは先がつぶれた円筒形であり、少し変わっている。金属製のハウジングではなくプラスチックを用いている。また線体の径が大きいこともこの形状と関連があるだろう。この円筒形という形自体はノートパソコンを置いてあるテーブル面と端子が干渉する可能性を残しているため、私はあまり良くは思っていない。幸い私の常用のパソコンは専用のオーディオボードに載せているため問題はなかったが・・・。
カタログではこのコネクターではグリップと耐久性を重視しているという。つまり持ちやすく挿しやすいこと、壊れにくいコネクターを目指しているらしい。こういうことを謳うメーカーも珍しいかもしれない。
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ちなみにOMEGAの下のSigma(シグマ)は黒いケーブルで線体の太さや硬さ、コネクターの材質や形状などは変わらない。ただ謎箱は一個だけで、上記のようにアクリル製であり、中が見える。薄い金属板が十数枚ほど重ねられてその中心を導体が貫通している。
ふと考えてみると、この謎箱の中身が見えたというのは画期的である。いろいろなハイエンドケーブルに謎箱自体はついていたが、中身が外から常に見えるというものは初めてではないだろうか。ただこれをいくら見ても、どういう原理で動作しているのか理解できないところは他のケーブルの謎箱の同じようであり、中身が見えても空しいような気はする。


THE SOUND:

Shunyata OMEGA USB(シュンヤッタ オメガ USB)は今迄聞いたUSBケーブルの中で最も高性能なものである。
一聴してスペックの高さが際立つケーブルなのだ。
音楽性を合わせたトータルサウンドで比較すれば、同等かそれ以上に音の良いケーブルとしてJormaやNordostなどのケーブルを挙げることはできる。
しかしダイナミックレンジやSN、歪み率などの音のスペック上の評価としては、このシュンヤッタのケーブルは最も優れていると思う。
特にSNについては他のケーブルを引き離す。

また、このケーブルには意図的な音作りがない。
音楽性はほとんど感じられず、徹底的に測定のみで仕上げたような印象を受ける。スピーカーで言えばYGやMagicoのような雰囲気を持っている。このケーブルの音を最新の理詰めアメリカンサウンドと取る向きがあってもいいと思う。
このケーブルと比べるとJormaやNordostの最高級USBケーブルはいわばメーカーのサウンドイメージを音楽性すなわち文学的な言葉で語るようなニュアンスが強い。あれらは芸術的な傾向のある、文学的な部分が多分にあるケーブルなのであるが、このシュンヤッタのケーブルは理詰め、いわば数学的な音なのであり、その側面の良さが前面に出ている。これは無個性な音を意識させる方向性なのだろうが、このクラスのケーブルに芸術派が多いのでむしろ個性的に映る。

結線して聞き始め48時間くらいは音が全く安定していない。その途中でいろいろと音の印象は変化する。初めの数時間は音に濃厚さを感じたり、全く特徴のない普通のUSBケーブルのように価格に比して物足りなく聞こえる時間帯もあった。そして24時間を過ぎたころから、徐々に変化が少なくなり、一定の音質に近づくようで、72時間以上経つとそのまま変わらない。この状態で聞いた印象を記載する。

このケーブルの長所はまずは他社製品を圧倒するSNの良さである。
SNがここまで良くなると、視覚的な傾向が強く前に出て来る。
細かい音が非常に良く聞こえるだけでなく、リバーブが美しい彗星のように長く尾を引く。そのようなリバーブの広がりは、その音が広大な音場の中にミクロ的にどのように広がってゆくのかを私につぶさに魅せるのだ。
この音が空間に拡散する微粒子のように聞こえる感覚というのはとても不思議なもので他のUSBケーブルでは感じたことはない。
 
HD650のカスタムで有名だったDmaaという会社の主宰としてKさんという人がいたが、この人は音楽を聞いていると音が見えるとよく言っていた。音が部屋のコーナーに複雑に跳ね返ってまた戻ってくる様子について彼は語った。ヘッドホンのハウジングの中で音がどのように回って、互いに混ざっているのかとか、そういうイメージを私によく熱っぽく説明してくれたものだ。一方、私は凡人でそういう感覚をあまり持てたことがなかった。だが、このケーブルを使って初めて、彼の感性に近づけたような気がしたものだ。それは幻のような感覚かもしれない。しかしヘッドホンで聞いていても叩かれたシンバルから同心円状に音が広がり、周りの共演者や機材や壁や天井にぶつかり、また後から来た音と干渉してさらに複雑な波紋を作り出しつつ、減衰してゆく。確かにそう、見えるように聞こえる録音が少なからずある。ある野外コンサートの録音だと最終的に空に向かって音が減衰してゆくようにきこえたのには恐れ入った。

 また各楽器、パートの分離がこれほど見事なケーブルは他にない。SNの高さがこの分離の感覚を生み出すのだろう。どんなに多くの楽器が重なっても混濁しないのではないかと疑うほど、音が分かれて聞こえる。実際、オーケストラのトウッテイは録音の上手さとデータの大きさがあれば本当にひとりひとりが指せるような音に聞こえる。
もっともこういう分析的な音でよいのかどうか、それはアルバムの音作りの方針やリスナーの好みにかかっている。かつて小澤征爾は「私は指揮台で必死に音を混ぜようとして頑張っているのに、オーディオはそれらを全て分離しようとしていて困る」というようなことを語っていた。私もその気持ちはよく分かる。だがオーディオとはライブとは異なる幻を作り出せる唯一の手段だからこそ存在価値がある。こういう分離のすこぶる良い音も間違いなくアリなのである。

 さらに、このサウンドの魅力は音像の後ろに広がる無音空間の描写の素晴らしさにもある。音場の広さとか奥行きが感じられるだけでは背景の空間描写は到底完結しないということを示す好例だ。このケーブルを通すと音源が音場に占める位置が精密に決定されるようになる。音楽が鳴りだしたとたんに、音場の広さと三次元的な形が設定される。新しい楽器の出番が来るたびに、その位置が明らかにされ、音場のしかるべき場所にピタリと固定される。そして、それらの音源を隔てる空間に向かって様々な広がり方で、様々な質感と色彩、速さを持つ音たちが放射され互いに干渉し複雑な系を造り始める。私はそういう動的な音の系をただ眺めるだけだ。圧倒されながら。
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 このほど、ヘッドホンオーディオにもっと広いフィールドを求めて、私は自分のメインヘッドホンにFinal D8000に加えてSennheiser HD800sを持ち込んだということが、オメガUSBケーブルの高評価に多少なりとも関わっている。価格のうえではD8000に比べてダウングレードしたとも取れるが、同じものばかり使っていても展望が開けないと思うし、HD800sのまだ見ぬ力をも引き出したいとも考え、数週間前にメインヘッドホンに加えたばかりだ。
(なおHD800sを皮切りにFinal D8000pro、T+A Solitaire P-SE、Meze Empyrean Elite、DCA Stealth、Brise Audio 夜刀-HP Ultimateなどの導入計画が持ち上がっているが・・・・。)
D8000に比べると低域はやや薄くなったが、出音はD8000より自然に広がり、さらに素っ気ないほどフラットでバランスの良いサウンドとなった。D8000の音は今でも捨てがたいが、どうしても低域にアクセントがあって、そこを取ればバランスが良いとは言い切れない場合もある。究極のヘッドホンアンプとも言えるMSB Reference HPAの長所である音場を十分に発揮させるにはD8000はわずかながら役不足と思う日もあるのだ。とにかく、ことサウンドステージの広がりに関してはHD800sが上をゆくのは明らかだ。
 そのサウンドステージをさらに広げ、精密な定位を出すことを目指すなら、オメガUSBは必要だろうと強く思う。このケーブルにHD800sをあわせて使うと、Nordost Valhalla USB,  Crosspoint USB,  Jorma Reference USBなどの既知のハイエンドUSBケーブルよりも音場の三次元的な展開が明確になる。はっきり言って、こういう重層的な三次元の音場はこのオメガUSBケーブルと空間表現に長けたヘッドホンの両者を通して初めて得られるものだと思う。
Nordost Valhalla USBのような華々しさはないし、 CrosspointのUSBケーブルのような客観性と情熱を足し合わせて二で割ったような巧みな音作りでもないし,  Jorma Reference USBのように麻薬的な美音を響かせるわけでもないのだが、今自分が最も求める音はこれしかないような気になってくる。

 ここでは音像にも音場にも温度感がほぼ感じられないのも特徴だろうか。熱い音でもひんやりした清涼感を持つ音でもない。シュンヤッタがメーカーとして音楽にそういう色を付けることを拒んでいるような気さえする。オーディオ機器が持つ固有の音の温度感というものはメーカーや設計者の音楽観を反映していることが少なくない。ハイエンドになればなるほどそういう隠し味の存在が勢いを増す傾向がある。もちろん、そういうものと反対の立ち位置にモニターサウンドという無私を目指したサウンドがあるのだが、そんなシンプルな対置関係で片付けられない複雑性が、このサウンドには込められている。
このサウンドにはモニターサウンドというレッテルは似合わない。モニターサウンドには音楽を聞くことが仕事という意識が多分に入りこんでいて、元来無駄がない。
聞こえるべき音さえ聞こえていればよいという割り切りがある。
一方、オメガのサウンドはもっと貪欲である。ソースから全ての要素を絞り出さないと気が済まないとでも言わんばかりに情報量が多い。割り切ってここまでなどというリミットは設けていない。ここまでは無駄に音数が多いと言われるのではないかと疑うほどに、過剰なまでの情報量でオーディオファイルを唸らせようとする意図を感じる。これは、いわゆるモニターサウンドというものには見られないマニアックな態度である。

OMEGA USBを通して得られる、今までになく精緻なデジタルファイルの再生、この類希なサウンドスケープがケーブルによって生み出される様を見つめていると、ふと、このサウンドが生み出された動機がなんだったのかを知りたくなる。
例えばJormaやNordostには、そのメーカーならではの音質傾向の具現化、その目指す理想郷を指し示すために、ハイエンドなUSBケーブルを開発・製造するという理由があったように感じた。デジタルファイル再生に自分たちの音を持ち込むためにはそれしかなかったからだろう。
無論、シュンヤッタでもそこは同じはずなのだが、それ以外にやはりこれはMagicoやYGといった最新のアメリカンハイエンドオーディオの音質傾向を受けての開発ではなかったかと思う。OMEGAにはSIGMAに比べても、特にそういう雰囲気が漂っているように思う。
自己主張以上に、そのような最新のハイエンドオーディオの流行とのマッチングが重視されているのではないか。
例えばJorma のケーブルだと、既存のシステムにヨルマ味を新たに付け足すというところが大きく、音質の方向性が陰影の増強や音のうねりの粘度の増加によって変わってしまうきらいがある。それもヨーロピアンハイエンドオーディオの手法の一つとも受け取れなくはない。
一方、OMEGA USBを組み込むと今迄の音質傾向を素直に拡張するだけで、方向性を変えるような変化は起きない。情報量を極限まで拡大し、もはや新たに掘り起こされる音など残っていないと、聞くものに信じさせることに主眼を置いているかのような積極的なオーディオなのだが、奇妙な慎ましさのようなものも、その奥に感じるのはそのせいなのかもしれない。

一つ下のSIGMA USBについてはOMEGAの全てを少しずつグレードダウンした音になっているのだが、もしOMEGAを聞いていなかったら、これを買ってしまった可能性はある。初めにSIGMAを聞いただけで、その時は十分に満足できたからである。すでに、そこにはOMEGAによく似た精密な音場描写が展開されており、他のケーブルでは期待できないSN感の高さが聞き取れた。
価格はOMEGAほどではなく、CrosspointのUSBケーブルに近いので、良い比較相手と思われる。比較試聴の結果としては、音像を的確にモニターする、実直なサウンドを求めたい向きにはCrosspointをお薦めしたいのだが、もっと空間的な情報を豊富に含んだ音を求めたい場合にはSIGMAを推したくなる。
しかしOMEGAを聞いて魅了された人に、CROSSPOINTのUSBケーブルをあえて提案する気にはなれそうもない。これは圧倒的にスペックが高い。

私がこのOMEGA USBに惹かれた最大の理由は今迄聞いたどのハイエンドUSBケーブルとも違う世界を高い完成度をもって聞かせてくれたからだろう。
Jormaの音は電源ケーブル、アナログインターコネクトケーブル、デジタルケーブルで十分に知っているし、Nordost、CrossPointも現在使っている。だがSyunyataのハイエンドデジタルケーブルは初めて使うものであり、しかもメーカーが別なグレードを用意して差別化するほど音質に自信を持っている製品で、その名に恥じない実力を持つケーブルなのだ。
これは序文で書いた初めて行ったレストランでの体験と似ている。
随分と様々なオーディオを聞いてきて、大概のモノには飽き飽きしている自分が、それでも知らないモノを聞かされた。それだけでも感動がある。ましてやその未知のレベルが予想以上に高いところにあるならば、なおさら深い感興が湧き上がる。このケーブルは未だ有名なものとは言えず、その音を全く知らない方はまだ多いはずだが、ぜひ多くのハイエンダーに実際に聞いてもらいたい、未知なるサウンドなのである。


Conclusion:

いまさらかもしれないが、ブログは止めていないことは再度言っておきたい。
ブログシステムの設定上のトラブルがあり、長い間更新がかなわなかった。
実際、別な場所、seesaaで私的インプレッション2としてリブートすることを考えていたが、それもまたシステム上の不具合に見舞われた。
結局、元の場所に戻るしかなくなって試行錯誤するうち、
偶然に上手い方法が見つかり、再びexciteで書けるようになった。

このブログは上奉書屋時代から数えると足掛け十年くらいやってきている。
もう同じ場所で同じようなことばかり書くのも飽きてきたし、
かといって全く違う趣味、全く違う文体で新たに書くこともかったるいような気もする。もう私も歳なのか、文章が昔みたいにスラスラ浮かぶ気がしない。
だがすっぱりとやめてしまうほど、面白いものが全滅してしまったわけでも。
また、このブログを使って製品の宣伝をしてほしいという業者の方の要望も増えてきたが、私は乗り気ではない。私が取り上げたいものだけを取り上げたいからだ。私が書いてきたいくつかの文章が彼らがモノを売る際に非常に役に立ったらしいのだが、それは私の意図したところではない。

ここ最近、仕事は異様に忙しくなった。
気苦労も多くなった。
全てはこのウイルスの流行と政府の不作為のせいだ。
この危機の最前線で働かされている視点から未来を見れば、この時代はあと数年は続くだろう、という予感はある。
そして、この世界の人々の多くが、この見えない侵略者の実力を低く見積もりすぎているということも痛感する。
自分の居住する都市でこれだけの大事(おおごと)が起こっているのに、感染さえしていなければ何も知らずに笑っていられるのだ。

そんな見えない危機の中、この先どうやってオーディオを続けたらよいのか。
やはり自分のまだ知らないサウンドを発掘しつづけるに越したことはあるまい。
続けてさえいれば、驚けるうちなら、驚けるはずだ。
何気ない一皿のパスタにさえ感動があるのだから、望みはある。

こうしてハイエンドオーディオケーブルをめぐる旅はまだ終わらないらしい。
どうもオメガUSBを聞いた後では、もうNordost Valhalla2 USBのサウンドは少し古い音に感じられるようになった。
もうこれは買い替えなければならないだろう。
そしてJormaとSyunyataどちらに乗り換えたらよいのかと悩む。

たかがUSBケーブル選びだと思っていたが、ここにはオーディオの奥深い秘密と愉しみがかくれていることに今更ながらに気づく。
必ずしも最高のサウンドが求めているものではなかったりするのである。
価格も実は満足度とは直接関係がない。
このオーディオというアートに正解はないことを改めて思い知る。USBケーブルに限ってさえ4つも正解があった。
しかしあからさまな誤答はあったりする。
却下してしまった10本以上のUSBケーブルがそれだ。
また、こうでもないああでもないと苦心はするが、
結局それは状況に即した判断でしかないと想ったりもする。
どこへ行きたいのかしっかりと目指していたつもりだったのに、
そこに行き着いたとたん幻のようにそれは消えてしまっていることもあるし。
そんな時には悟るのだ、自分はなにも知らなかったと。
USBケーブルの最終到達点は昨日までJorma referenceだと思い込んでいたが、今の私に合っていたのはオメガUSBが作り出す、精緻過ぎるほど精緻でありながら不思議な慎ましさを秘めたサウンドだったようだ。

永遠に勝ち続けなければと勢い込んで、持てるカネの情熱もすべて注ぎ込んでやるハイエンドオーディオもあれば、
倦怠の果て、ドロップアウト寸前でとどまりながら、ギリギリの資金でダラダラと続けている私のやっているようなオーディオもある。
こうして惰性でオーディオを続けるうち、
いつか、その日、つまりこの恥多き人生最後の日を迎えたとしよう。
その24時間の中の、とある一瞬において
この忙しく苦しい時代に、このOMEGA USBケーブルを使っていた記憶を歓びとともに思い出せるとしたら、全ては報われるはずだ。
今はこんなに苦しく、先が見通せなくても、
このケーブルはやはり手に入れるべきなのだろう。

https://pansaku.exblog.jp/29651781/


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/854.html#c67

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ ヨハン・シュトラウス2世『千夜一夜物語 作品346』 中川隆
1. 中川隆[-15726] koaQ7Jey 2021年10月30日 09:15:44 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[13]
クラウス

Clemens Krauss /VPO - Johann Strauss : Thousand and One Nights Waltz 千一夜物語 (再復刻)









Vienna Philharmonic Orch.
transferred from Jpn Victor 78s / 9990(69229)

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/987.html#c1
[近代史6] 最美の音楽は何か? _ ヨハン・シュトラウス2世『酒、女、歌 作品333』 中川隆
1. 2021年10月30日 09:20:30 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[14]
シューリヒト

Johann StraussU: Wein, Weib und Gesang,Op.333、酒・女・歌(Schuricht)




Carl Schuricht
Orchestra of the Vienna State Opera
April 1963

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/986.html#c1
[近代史6] ヨーゼフ・シュトラウス(Josef Strauss、1827年8月20日 - 1870年7月22日) 中川隆
1. 中川隆[-15725] koaQ7Jey 2021年10月30日 09:28:20 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[15]
クレメンス・クラウス


NEUJAHRSKONZERT 1954 -Teil1




NEUJAHRSKONZERT 1954 - first part
Wiener Philharmoniker, Clemens Krauss

0:00:09 - Josef Strauß: Schwert und Leyer, Walzer op. 71
0:10:04 - Josef Strauß: Rudolfsheimer-Polka, op. 152
0:12:45 - Josef Strauß: Die Libelle, Polka mazur op. 204
0:17:36 - Josef Strauß: Auf Ferienreisen, Polka schnell op. 133
0:19:58 - Josef Strauß: Auf Ferienreisen, Polka schnell op. 133 (zugabe)
0:22:47 - Johann Strauß,jr: Bei uns z'Haus, Walzer op. 361
0:31:24 - Johann Strauß,jr: Neue Pizzicato-Polka, op. 449
0:35:32 - Johann Strauß,jr: Neue Pizzicato-Polka, op. 449 (zugabe)
0:39:42 - Johann Strauß,jr: Éljen a Magyár! Polka schnell op. 332
0:43:02 - Johann Strauß,jr: Éljen a Magyár! Polka schnell op. 332 (zugabe)

Live recording: 31.12.1953, Musikverein, Wien




NEUJAHRSKONZERT 1954 -Teil2




0:00:34 - Josef Strauß: Sphärenklänge, Walzer op. 235
0:09:37 - Josef Strauß: Mailust, Polka française op. 182
0:13:16 - Josef Strauß: Plappermäulchen, Polka schnell op. 245
0:16:01 - Josef Strauß: Plappermäulchen, Polka schnell op. 245 (zugabe)
0:18:54 - Johann Strauß,jr: Im Krapfenwald'l, Polka francaise op. 336
0:23:20 - Johann Strauß,jr: Frühlingsstimmen, Walzer op. 410 (applause)
0:23:49 - Johann Strauß,jr: Frühlingsstimmen, Walzer op. 410
0:30:38 - Johann Strauß,jr: Auf der Jagd, Polka schnell op. 373
0:32:52 - Johann Strauß,jr: Auf der Jagd, Polka schnell op. 373 (zugabe)
0:35:33 - Johann Strauß,jr: Perpetuum mobile, Musikalischer Scherz op. 257
0:38:40 - Johann Strauß,jr: An der schönen blauen Donau, Walzer op. 314 (applause)
0:38:59 - Johann Strauß,jr: An der schönen blauen Donau, Walzer op. 314
0:48:43 - Johann Strauß,sr: Radetzky-marsch, op. 228 (applause)
0:49:08 - Johann Strauß,sr: Radetzky-marsch, op. 228

Live recording: 31.12.1953, Musikverein, Wien







Strauss Family Concert / Wiener Philharmoniker, Clemens Krauss




Introduction(0:00)

Johann Strauss (Sohn):
Ouvertüre zur Operette „Der Zigeunerbaron“(2:00)

Johann Strauss (Sohn):
Stadt und Land, Polka Mazur, op. 322(9:40)

Johann Strauss (Sohn):
Bei uns z’Haus. Walzer, op. 361(13:48)

Josef Strauss: Die Libelle. Polka Mazur, op. 204(21:53)

Johann Strauss (Sohn):
Ouvertüre zur Operette „Die Fledermaus“ (26:25)

Intermezzo ~Schrammelmusik~(34:30)

Johann Strauss (Sohn):
Künstlerleben. Walzer, op. 316(37:40)

Josef Strauss:
Moulinet-Polka, op. 57(45:59)

Johann Strauss (Sohn):
Éljen a Magyar!. Polka schnell, op. 332 (49:07)

Johann Strauss (Sohn):
Im Krapfenwald’l. Polka française, op. 336(52:14)

Johann Strauss (Sohn):
Frühlingsstimmen. Walzer, op. 410(56:22)

Johann Strauss (Sohn) & Josef Strauss:
Pizzicato-Polka(1:02:36)

Johann Strauss (Sohn):
Csárdás aus der Ballettmusik der Oper „Ritter Pásmán“ (1:06:00)

Josef Strauss:
Plappermäulchen. Polka schnell, op. 245(1:10:26)

Josef Strauss: Jockey-Polka (Polka schnell), op. 278(1:13:31)

Johann Strauss (Sohn):
An der schönen blauen Donau. Walzer, op. 314(1:15:32)

Johann Strauss (Vater):
Radetzky-Marsch, op. 228(1:25:18)


Wiener Philharmoniker
Dirigent : Clemens Krauss
Sofiensaal, Oder Musikverein ,Wien





Johann & Josef Strauss - Waltzes / Polkas + Presentation (Century’s recording : Clemens Krauss)




Josef Strauss (1827-1870) - Johann Strauss II (1825-1899) Waltzes & Polkas

Dopfschwalben Aus Österreich, Op.164, Walzer - Josef Strauss (00:00)
Moulinet, Op.57, Polka - Johann Strauss II (7:47)
Ohne Sorgen, Op.271, Polka Schnell - Josef Strauss (10:56)
Stadt Und Land, Op.322, Polka-Mazurka - Johann Strauss II (12:44)
Auf Der Jagd, Op.373, Polka Schnell - Johann Strauss II (17:01)
Morgenblätter, Op.279, Walzer - Johann Strauss II (19:21)
Feuerfest, Op.269, Polka Schnell - Josef Strauss (28:13)
Ritter Pazman - Czárdás, Op.441 - Johann Strauss II (31:35)
Perpetuum Mobile, Op.257 - Johann Strauss II (36:09)
An Der Schönen Blauen Donau, Op.314, Walzer - Johann Strauss II (38:57)
Auf Ferienreisen, Op.133, Polka Schnell - Josef Strauss (48:59)
Bei Uns Z'Haus, Op.361, Walzer - Johann Strauss II (51:22)
Sphärenklänge, Op.235, Walzer - Josef Strauss (59:45)
Annen-Polka, Op.117 - Johann Strauss II (1:08:28)
Plappermäulchen, Op.245, Polka Schnell - Josef Strauss (1:12:52)
Radetzky Marsch, Op.228 - Johann Strauss II (1:15:58)


Clemens Krauss
Vienna Philharmonic Orchestra
Recorded in 1952,1953

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/973.html#c1
[近代史6] ヨハン・シュトラウス2世 & ヨーゼフ・シュトラウス 『ピツィカート・ポルカ』 中川隆
1. 中川隆[-15724] koaQ7Jey 2021年10月30日 09:29:10 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[16]
クレメンス・クラウス


NEUJAHRSKONZERT 1954 -Teil1




NEUJAHRSKONZERT 1954 - first part
Wiener Philharmoniker, Clemens Krauss

0:00:09 - Josef Strauß: Schwert und Leyer, Walzer op. 71
0:10:04 - Josef Strauß: Rudolfsheimer-Polka, op. 152
0:12:45 - Josef Strauß: Die Libelle, Polka mazur op. 204
0:17:36 - Josef Strauß: Auf Ferienreisen, Polka schnell op. 133
0:19:58 - Josef Strauß: Auf Ferienreisen, Polka schnell op. 133 (zugabe)
0:22:47 - Johann Strauß,jr: Bei uns z'Haus, Walzer op. 361
0:31:24 - Johann Strauß,jr: Neue Pizzicato-Polka, op. 449
0:35:32 - Johann Strauß,jr: Neue Pizzicato-Polka, op. 449 (zugabe)
0:39:42 - Johann Strauß,jr: Éljen a Magyár! Polka schnell op. 332
0:43:02 - Johann Strauß,jr: Éljen a Magyár! Polka schnell op. 332 (zugabe)

Live recording: 31.12.1953, Musikverein, Wien




NEUJAHRSKONZERT 1954 -Teil2




0:00:34 - Josef Strauß: Sphärenklänge, Walzer op. 235
0:09:37 - Josef Strauß: Mailust, Polka française op. 182
0:13:16 - Josef Strauß: Plappermäulchen, Polka schnell op. 245
0:16:01 - Josef Strauß: Plappermäulchen, Polka schnell op. 245 (zugabe)
0:18:54 - Johann Strauß,jr: Im Krapfenwald'l, Polka francaise op. 336
0:23:20 - Johann Strauß,jr: Frühlingsstimmen, Walzer op. 410 (applause)
0:23:49 - Johann Strauß,jr: Frühlingsstimmen, Walzer op. 410
0:30:38 - Johann Strauß,jr: Auf der Jagd, Polka schnell op. 373
0:32:52 - Johann Strauß,jr: Auf der Jagd, Polka schnell op. 373 (zugabe)
0:35:33 - Johann Strauß,jr: Perpetuum mobile, Musikalischer Scherz op. 257
0:38:40 - Johann Strauß,jr: An der schönen blauen Donau, Walzer op. 314 (applause)
0:38:59 - Johann Strauß,jr: An der schönen blauen Donau, Walzer op. 314
0:48:43 - Johann Strauß,sr: Radetzky-marsch, op. 228 (applause)
0:49:08 - Johann Strauß,sr: Radetzky-marsch, op. 228

Live recording: 31.12.1953, Musikverein, Wien







Strauss Family Concert / Wiener Philharmoniker, Clemens Krauss




Introduction(0:00)

Johann Strauss (Sohn):
Ouvertüre zur Operette „Der Zigeunerbaron“(2:00)

Johann Strauss (Sohn):
Stadt und Land, Polka Mazur, op. 322(9:40)

Johann Strauss (Sohn):
Bei uns z’Haus. Walzer, op. 361(13:48)

Josef Strauss: Die Libelle. Polka Mazur, op. 204(21:53)

Johann Strauss (Sohn):
Ouvertüre zur Operette „Die Fledermaus“ (26:25)

Intermezzo ~Schrammelmusik~(34:30)

Johann Strauss (Sohn):
Künstlerleben. Walzer, op. 316(37:40)

Josef Strauss:
Moulinet-Polka, op. 57(45:59)

Johann Strauss (Sohn):
Éljen a Magyar!. Polka schnell, op. 332 (49:07)

Johann Strauss (Sohn):
Im Krapfenwald’l. Polka française, op. 336(52:14)

Johann Strauss (Sohn):
Frühlingsstimmen. Walzer, op. 410(56:22)

Johann Strauss (Sohn) & Josef Strauss:
Pizzicato-Polka(1:02:36)

Johann Strauss (Sohn):
Csárdás aus der Ballettmusik der Oper „Ritter Pásmán“ (1:06:00)

Josef Strauss:
Plappermäulchen. Polka schnell, op. 245(1:10:26)

Josef Strauss: Jockey-Polka (Polka schnell), op. 278(1:13:31)

Johann Strauss (Sohn):
An der schönen blauen Donau. Walzer, op. 314(1:15:32)

Johann Strauss (Vater):
Radetzky-Marsch, op. 228(1:25:18)


Wiener Philharmoniker
Dirigent : Clemens Krauss
Sofiensaal, Oder Musikverein ,Wien





Johann & Josef Strauss - Waltzes / Polkas + Presentation (Century’s recording : Clemens Krauss)




Josef Strauss (1827-1870) - Johann Strauss II (1825-1899) Waltzes & Polkas

Dopfschwalben Aus Österreich, Op.164, Walzer - Josef Strauss (00:00)
Moulinet, Op.57, Polka - Johann Strauss II (7:47)
Ohne Sorgen, Op.271, Polka Schnell - Josef Strauss (10:56)
Stadt Und Land, Op.322, Polka-Mazurka - Johann Strauss II (12:44)
Auf Der Jagd, Op.373, Polka Schnell - Johann Strauss II (17:01)
Morgenblätter, Op.279, Walzer - Johann Strauss II (19:21)
Feuerfest, Op.269, Polka Schnell - Josef Strauss (28:13)
Ritter Pazman - Czárdás, Op.441 - Johann Strauss II (31:35)
Perpetuum Mobile, Op.257 - Johann Strauss II (36:09)
An Der Schönen Blauen Donau, Op.314, Walzer - Johann Strauss II (38:57)
Auf Ferienreisen, Op.133, Polka Schnell - Josef Strauss (48:59)
Bei Uns Z'Haus, Op.361, Walzer - Johann Strauss II (51:22)
Sphärenklänge, Op.235, Walzer - Josef Strauss (59:45)
Annen-Polka, Op.117 - Johann Strauss II (1:08:28)
Plappermäulchen, Op.245, Polka Schnell - Josef Strauss (1:12:52)
Radetzky Marsch, Op.228 - Johann Strauss II (1:15:58)


Clemens Krauss
Vienna Philharmonic Orchestra
Recorded in 1952,1953

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/989.html#c1
[近代史6] ヨーゼフ・シュトラウス 鍛冶屋のポルカ 中川隆
1. 中川隆[-15723] koaQ7Jey 2021年10月30日 09:29:41 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[17]
クレメンス・クラウス


NEUJAHRSKONZERT 1954 -Teil1




NEUJAHRSKONZERT 1954 - first part
Wiener Philharmoniker, Clemens Krauss

0:00:09 - Josef Strauß: Schwert und Leyer, Walzer op. 71
0:10:04 - Josef Strauß: Rudolfsheimer-Polka, op. 152
0:12:45 - Josef Strauß: Die Libelle, Polka mazur op. 204
0:17:36 - Josef Strauß: Auf Ferienreisen, Polka schnell op. 133
0:19:58 - Josef Strauß: Auf Ferienreisen, Polka schnell op. 133 (zugabe)
0:22:47 - Johann Strauß,jr: Bei uns z'Haus, Walzer op. 361
0:31:24 - Johann Strauß,jr: Neue Pizzicato-Polka, op. 449
0:35:32 - Johann Strauß,jr: Neue Pizzicato-Polka, op. 449 (zugabe)
0:39:42 - Johann Strauß,jr: Éljen a Magyár! Polka schnell op. 332
0:43:02 - Johann Strauß,jr: Éljen a Magyár! Polka schnell op. 332 (zugabe)

Live recording: 31.12.1953, Musikverein, Wien




NEUJAHRSKONZERT 1954 -Teil2




0:00:34 - Josef Strauß: Sphärenklänge, Walzer op. 235
0:09:37 - Josef Strauß: Mailust, Polka française op. 182
0:13:16 - Josef Strauß: Plappermäulchen, Polka schnell op. 245
0:16:01 - Josef Strauß: Plappermäulchen, Polka schnell op. 245 (zugabe)
0:18:54 - Johann Strauß,jr: Im Krapfenwald'l, Polka francaise op. 336
0:23:20 - Johann Strauß,jr: Frühlingsstimmen, Walzer op. 410 (applause)
0:23:49 - Johann Strauß,jr: Frühlingsstimmen, Walzer op. 410
0:30:38 - Johann Strauß,jr: Auf der Jagd, Polka schnell op. 373
0:32:52 - Johann Strauß,jr: Auf der Jagd, Polka schnell op. 373 (zugabe)
0:35:33 - Johann Strauß,jr: Perpetuum mobile, Musikalischer Scherz op. 257
0:38:40 - Johann Strauß,jr: An der schönen blauen Donau, Walzer op. 314 (applause)
0:38:59 - Johann Strauß,jr: An der schönen blauen Donau, Walzer op. 314
0:48:43 - Johann Strauß,sr: Radetzky-marsch, op. 228 (applause)
0:49:08 - Johann Strauß,sr: Radetzky-marsch, op. 228

Live recording: 31.12.1953, Musikverein, Wien







Strauss Family Concert / Wiener Philharmoniker, Clemens Krauss




Introduction(0:00)

Johann Strauss (Sohn):
Ouvertüre zur Operette „Der Zigeunerbaron“(2:00)

Johann Strauss (Sohn):
Stadt und Land, Polka Mazur, op. 322(9:40)

Johann Strauss (Sohn):
Bei uns z’Haus. Walzer, op. 361(13:48)

Josef Strauss: Die Libelle. Polka Mazur, op. 204(21:53)

Johann Strauss (Sohn):
Ouvertüre zur Operette „Die Fledermaus“ (26:25)

Intermezzo ~Schrammelmusik~(34:30)

Johann Strauss (Sohn):
Künstlerleben. Walzer, op. 316(37:40)

Josef Strauss:
Moulinet-Polka, op. 57(45:59)

Johann Strauss (Sohn):
Éljen a Magyar!. Polka schnell, op. 332 (49:07)

Johann Strauss (Sohn):
Im Krapfenwald’l. Polka française, op. 336(52:14)

Johann Strauss (Sohn):
Frühlingsstimmen. Walzer, op. 410(56:22)

Johann Strauss (Sohn) & Josef Strauss:
Pizzicato-Polka(1:02:36)

Johann Strauss (Sohn):
Csárdás aus der Ballettmusik der Oper „Ritter Pásmán“ (1:06:00)

Josef Strauss:
Plappermäulchen. Polka schnell, op. 245(1:10:26)

Josef Strauss: Jockey-Polka (Polka schnell), op. 278(1:13:31)

Johann Strauss (Sohn):
An der schönen blauen Donau. Walzer, op. 314(1:15:32)

Johann Strauss (Vater):
Radetzky-Marsch, op. 228(1:25:18)


Wiener Philharmoniker
Dirigent : Clemens Krauss
Sofiensaal, Oder Musikverein ,Wien





Johann & Josef Strauss - Waltzes / Polkas + Presentation (Century’s recording : Clemens Krauss)




Josef Strauss (1827-1870) - Johann Strauss II (1825-1899) Waltzes & Polkas

Dopfschwalben Aus Österreich, Op.164, Walzer - Josef Strauss (00:00)
Moulinet, Op.57, Polka - Johann Strauss II (7:47)
Ohne Sorgen, Op.271, Polka Schnell - Josef Strauss (10:56)
Stadt Und Land, Op.322, Polka-Mazurka - Johann Strauss II (12:44)
Auf Der Jagd, Op.373, Polka Schnell - Johann Strauss II (17:01)
Morgenblätter, Op.279, Walzer - Johann Strauss II (19:21)
Feuerfest, Op.269, Polka Schnell - Josef Strauss (28:13)
Ritter Pazman - Czárdás, Op.441 - Johann Strauss II (31:35)
Perpetuum Mobile, Op.257 - Johann Strauss II (36:09)
An Der Schönen Blauen Donau, Op.314, Walzer - Johann Strauss II (38:57)
Auf Ferienreisen, Op.133, Polka Schnell - Josef Strauss (48:59)
Bei Uns Z'Haus, Op.361, Walzer - Johann Strauss II (51:22)
Sphärenklänge, Op.235, Walzer - Josef Strauss (59:45)
Annen-Polka, Op.117 - Johann Strauss II (1:08:28)
Plappermäulchen, Op.245, Polka Schnell - Josef Strauss (1:12:52)
Radetzky Marsch, Op.228 - Johann Strauss II (1:15:58)


Clemens Krauss
Vienna Philharmonic Orchestra
Recorded in 1952,1953

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/975.html#c1
[近代史6] ヨーゼフ・シュトラウス ワルツ『天体の音楽』 中川隆
2. 中川隆[-15722] koaQ7Jey 2021年10月30日 09:30:22 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[18]
クレメンス・クラウス


NEUJAHRSKONZERT 1954 -Teil1




NEUJAHRSKONZERT 1954 - first part
Wiener Philharmoniker, Clemens Krauss

0:00:09 - Josef Strauß: Schwert und Leyer, Walzer op. 71
0:10:04 - Josef Strauß: Rudolfsheimer-Polka, op. 152
0:12:45 - Josef Strauß: Die Libelle, Polka mazur op. 204
0:17:36 - Josef Strauß: Auf Ferienreisen, Polka schnell op. 133
0:19:58 - Josef Strauß: Auf Ferienreisen, Polka schnell op. 133 (zugabe)
0:22:47 - Johann Strauß,jr: Bei uns z'Haus, Walzer op. 361
0:31:24 - Johann Strauß,jr: Neue Pizzicato-Polka, op. 449
0:35:32 - Johann Strauß,jr: Neue Pizzicato-Polka, op. 449 (zugabe)
0:39:42 - Johann Strauß,jr: Éljen a Magyár! Polka schnell op. 332
0:43:02 - Johann Strauß,jr: Éljen a Magyár! Polka schnell op. 332 (zugabe)

Live recording: 31.12.1953, Musikverein, Wien




NEUJAHRSKONZERT 1954 -Teil2




0:00:34 - Josef Strauß: Sphärenklänge, Walzer op. 235
0:09:37 - Josef Strauß: Mailust, Polka française op. 182
0:13:16 - Josef Strauß: Plappermäulchen, Polka schnell op. 245
0:16:01 - Josef Strauß: Plappermäulchen, Polka schnell op. 245 (zugabe)
0:18:54 - Johann Strauß,jr: Im Krapfenwald'l, Polka francaise op. 336
0:23:20 - Johann Strauß,jr: Frühlingsstimmen, Walzer op. 410 (applause)
0:23:49 - Johann Strauß,jr: Frühlingsstimmen, Walzer op. 410
0:30:38 - Johann Strauß,jr: Auf der Jagd, Polka schnell op. 373
0:32:52 - Johann Strauß,jr: Auf der Jagd, Polka schnell op. 373 (zugabe)
0:35:33 - Johann Strauß,jr: Perpetuum mobile, Musikalischer Scherz op. 257
0:38:40 - Johann Strauß,jr: An der schönen blauen Donau, Walzer op. 314 (applause)
0:38:59 - Johann Strauß,jr: An der schönen blauen Donau, Walzer op. 314
0:48:43 - Johann Strauß,sr: Radetzky-marsch, op. 228 (applause)
0:49:08 - Johann Strauß,sr: Radetzky-marsch, op. 228

Live recording: 31.12.1953, Musikverein, Wien







Strauss Family Concert / Wiener Philharmoniker, Clemens Krauss




Introduction(0:00)

Johann Strauss (Sohn):
Ouvertüre zur Operette „Der Zigeunerbaron“(2:00)

Johann Strauss (Sohn):
Stadt und Land, Polka Mazur, op. 322(9:40)

Johann Strauss (Sohn):
Bei uns z’Haus. Walzer, op. 361(13:48)

Josef Strauss: Die Libelle. Polka Mazur, op. 204(21:53)

Johann Strauss (Sohn):
Ouvertüre zur Operette „Die Fledermaus“ (26:25)

Intermezzo ~Schrammelmusik~(34:30)

Johann Strauss (Sohn):
Künstlerleben. Walzer, op. 316(37:40)

Josef Strauss:
Moulinet-Polka, op. 57(45:59)

Johann Strauss (Sohn):
Éljen a Magyar!. Polka schnell, op. 332 (49:07)

Johann Strauss (Sohn):
Im Krapfenwald’l. Polka française, op. 336(52:14)

Johann Strauss (Sohn):
Frühlingsstimmen. Walzer, op. 410(56:22)

Johann Strauss (Sohn) & Josef Strauss:
Pizzicato-Polka(1:02:36)

Johann Strauss (Sohn):
Csárdás aus der Ballettmusik der Oper „Ritter Pásmán“ (1:06:00)

Josef Strauss:
Plappermäulchen. Polka schnell, op. 245(1:10:26)

Josef Strauss: Jockey-Polka (Polka schnell), op. 278(1:13:31)

Johann Strauss (Sohn):
An der schönen blauen Donau. Walzer, op. 314(1:15:32)

Johann Strauss (Vater):
Radetzky-Marsch, op. 228(1:25:18)


Wiener Philharmoniker
Dirigent : Clemens Krauss
Sofiensaal, Oder Musikverein ,Wien





Johann & Josef Strauss - Waltzes / Polkas + Presentation (Century’s recording : Clemens Krauss)




Josef Strauss (1827-1870) - Johann Strauss II (1825-1899) Waltzes & Polkas

Dopfschwalben Aus Österreich, Op.164, Walzer - Josef Strauss (00:00)
Moulinet, Op.57, Polka - Johann Strauss II (7:47)
Ohne Sorgen, Op.271, Polka Schnell - Josef Strauss (10:56)
Stadt Und Land, Op.322, Polka-Mazurka - Johann Strauss II (12:44)
Auf Der Jagd, Op.373, Polka Schnell - Johann Strauss II (17:01)
Morgenblätter, Op.279, Walzer - Johann Strauss II (19:21)
Feuerfest, Op.269, Polka Schnell - Josef Strauss (28:13)
Ritter Pazman - Czárdás, Op.441 - Johann Strauss II (31:35)
Perpetuum Mobile, Op.257 - Johann Strauss II (36:09)
An Der Schönen Blauen Donau, Op.314, Walzer - Johann Strauss II (38:57)
Auf Ferienreisen, Op.133, Polka Schnell - Josef Strauss (48:59)
Bei Uns Z'Haus, Op.361, Walzer - Johann Strauss II (51:22)
Sphärenklänge, Op.235, Walzer - Josef Strauss (59:45)
Annen-Polka, Op.117 - Johann Strauss II (1:08:28)
Plappermäulchen, Op.245, Polka Schnell - Josef Strauss (1:12:52)
Radetzky Marsch, Op.228 - Johann Strauss II (1:15:58)


Clemens Krauss
Vienna Philharmonic Orchestra
Recorded in 1952,1953

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/974.html#c2
[近代史6] 最美の音楽は何か? _ ヨハン・シュトラウス2世『皇帝円舞曲 作品437』 中川隆
2. 中川隆[-15721] koaQ7Jey 2021年10月30日 09:31:47 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[19]
クレメンス・クラウス


NEUJAHRSKONZERT 1954 -Teil1




NEUJAHRSKONZERT 1954 - first part
Wiener Philharmoniker, Clemens Krauss

0:00:09 - Josef Strauß: Schwert und Leyer, Walzer op. 71
0:10:04 - Josef Strauß: Rudolfsheimer-Polka, op. 152
0:12:45 - Josef Strauß: Die Libelle, Polka mazur op. 204
0:17:36 - Josef Strauß: Auf Ferienreisen, Polka schnell op. 133
0:19:58 - Josef Strauß: Auf Ferienreisen, Polka schnell op. 133 (zugabe)
0:22:47 - Johann Strauß,jr: Bei uns z'Haus, Walzer op. 361
0:31:24 - Johann Strauß,jr: Neue Pizzicato-Polka, op. 449
0:35:32 - Johann Strauß,jr: Neue Pizzicato-Polka, op. 449 (zugabe)
0:39:42 - Johann Strauß,jr: Éljen a Magyár! Polka schnell op. 332
0:43:02 - Johann Strauß,jr: Éljen a Magyár! Polka schnell op. 332 (zugabe)

Live recording: 31.12.1953, Musikverein, Wien




NEUJAHRSKONZERT 1954 -Teil2




0:00:34 - Josef Strauß: Sphärenklänge, Walzer op. 235
0:09:37 - Josef Strauß: Mailust, Polka française op. 182
0:13:16 - Josef Strauß: Plappermäulchen, Polka schnell op. 245
0:16:01 - Josef Strauß: Plappermäulchen, Polka schnell op. 245 (zugabe)
0:18:54 - Johann Strauß,jr: Im Krapfenwald'l, Polka francaise op. 336
0:23:20 - Johann Strauß,jr: Frühlingsstimmen, Walzer op. 410 (applause)
0:23:49 - Johann Strauß,jr: Frühlingsstimmen, Walzer op. 410
0:30:38 - Johann Strauß,jr: Auf der Jagd, Polka schnell op. 373
0:32:52 - Johann Strauß,jr: Auf der Jagd, Polka schnell op. 373 (zugabe)
0:35:33 - Johann Strauß,jr: Perpetuum mobile, Musikalischer Scherz op. 257
0:38:40 - Johann Strauß,jr: An der schönen blauen Donau, Walzer op. 314 (applause)
0:38:59 - Johann Strauß,jr: An der schönen blauen Donau, Walzer op. 314
0:48:43 - Johann Strauß,sr: Radetzky-marsch, op. 228 (applause)
0:49:08 - Johann Strauß,sr: Radetzky-marsch, op. 228

Live recording: 31.12.1953, Musikverein, Wien







Strauss Family Concert / Wiener Philharmoniker, Clemens Krauss




Introduction(0:00)

Johann Strauss (Sohn):
Ouvertüre zur Operette „Der Zigeunerbaron“(2:00)

Johann Strauss (Sohn):
Stadt und Land, Polka Mazur, op. 322(9:40)

Johann Strauss (Sohn):
Bei uns z’Haus. Walzer, op. 361(13:48)

Josef Strauss: Die Libelle. Polka Mazur, op. 204(21:53)

Johann Strauss (Sohn):
Ouvertüre zur Operette „Die Fledermaus“ (26:25)

Intermezzo ~Schrammelmusik~(34:30)

Johann Strauss (Sohn):
Künstlerleben. Walzer, op. 316(37:40)

Josef Strauss:
Moulinet-Polka, op. 57(45:59)

Johann Strauss (Sohn):
Éljen a Magyar!. Polka schnell, op. 332 (49:07)

Johann Strauss (Sohn):
Im Krapfenwald’l. Polka française, op. 336(52:14)

Johann Strauss (Sohn):
Frühlingsstimmen. Walzer, op. 410(56:22)

Johann Strauss (Sohn) & Josef Strauss:
Pizzicato-Polka(1:02:36)

Johann Strauss (Sohn):
Csárdás aus der Ballettmusik der Oper „Ritter Pásmán“ (1:06:00)

Josef Strauss:
Plappermäulchen. Polka schnell, op. 245(1:10:26)

Josef Strauss: Jockey-Polka (Polka schnell), op. 278(1:13:31)

Johann Strauss (Sohn):
An der schönen blauen Donau. Walzer, op. 314(1:15:32)

Johann Strauss (Vater):
Radetzky-Marsch, op. 228(1:25:18)


Wiener Philharmoniker
Dirigent : Clemens Krauss
Sofiensaal, Oder Musikverein ,Wien





Johann & Josef Strauss - Waltzes / Polkas + Presentation (Century’s recording : Clemens Krauss)




Josef Strauss (1827-1870) - Johann Strauss II (1825-1899) Waltzes & Polkas

Dopfschwalben Aus Österreich, Op.164, Walzer - Josef Strauss (00:00)
Moulinet, Op.57, Polka - Johann Strauss II (7:47)
Ohne Sorgen, Op.271, Polka Schnell - Josef Strauss (10:56)
Stadt Und Land, Op.322, Polka-Mazurka - Johann Strauss II (12:44)
Auf Der Jagd, Op.373, Polka Schnell - Johann Strauss II (17:01)
Morgenblätter, Op.279, Walzer - Johann Strauss II (19:21)
Feuerfest, Op.269, Polka Schnell - Josef Strauss (28:13)
Ritter Pazman - Czárdás, Op.441 - Johann Strauss II (31:35)
Perpetuum Mobile, Op.257 - Johann Strauss II (36:09)
An Der Schönen Blauen Donau, Op.314, Walzer - Johann Strauss II (38:57)
Auf Ferienreisen, Op.133, Polka Schnell - Josef Strauss (48:59)
Bei Uns Z'Haus, Op.361, Walzer - Johann Strauss II (51:22)
Sphärenklänge, Op.235, Walzer - Josef Strauss (59:45)
Annen-Polka, Op.117 - Johann Strauss II (1:08:28)
Plappermäulchen, Op.245, Polka Schnell - Josef Strauss (1:12:52)
Radetzky Marsch, Op.228 - Johann Strauss II (1:15:58)


Clemens Krauss
Vienna Philharmonic Orchestra
Recorded in 1952,1953

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/381.html#c2
[近代史6] 最美の音楽は何か? _ ヨハン・シュトラウス2世『春の声 作品410』 中川隆
2. 中川隆[-15720] koaQ7Jey 2021年10月30日 09:32:17 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[20]
クレメンス・クラウス


NEUJAHRSKONZERT 1954 -Teil1




NEUJAHRSKONZERT 1954 - first part
Wiener Philharmoniker, Clemens Krauss

0:00:09 - Josef Strauß: Schwert und Leyer, Walzer op. 71
0:10:04 - Josef Strauß: Rudolfsheimer-Polka, op. 152
0:12:45 - Josef Strauß: Die Libelle, Polka mazur op. 204
0:17:36 - Josef Strauß: Auf Ferienreisen, Polka schnell op. 133
0:19:58 - Josef Strauß: Auf Ferienreisen, Polka schnell op. 133 (zugabe)
0:22:47 - Johann Strauß,jr: Bei uns z'Haus, Walzer op. 361
0:31:24 - Johann Strauß,jr: Neue Pizzicato-Polka, op. 449
0:35:32 - Johann Strauß,jr: Neue Pizzicato-Polka, op. 449 (zugabe)
0:39:42 - Johann Strauß,jr: Éljen a Magyár! Polka schnell op. 332
0:43:02 - Johann Strauß,jr: Éljen a Magyár! Polka schnell op. 332 (zugabe)

Live recording: 31.12.1953, Musikverein, Wien




NEUJAHRSKONZERT 1954 -Teil2




0:00:34 - Josef Strauß: Sphärenklänge, Walzer op. 235
0:09:37 - Josef Strauß: Mailust, Polka française op. 182
0:13:16 - Josef Strauß: Plappermäulchen, Polka schnell op. 245
0:16:01 - Josef Strauß: Plappermäulchen, Polka schnell op. 245 (zugabe)
0:18:54 - Johann Strauß,jr: Im Krapfenwald'l, Polka francaise op. 336
0:23:20 - Johann Strauß,jr: Frühlingsstimmen, Walzer op. 410 (applause)
0:23:49 - Johann Strauß,jr: Frühlingsstimmen, Walzer op. 410
0:30:38 - Johann Strauß,jr: Auf der Jagd, Polka schnell op. 373
0:32:52 - Johann Strauß,jr: Auf der Jagd, Polka schnell op. 373 (zugabe)
0:35:33 - Johann Strauß,jr: Perpetuum mobile, Musikalischer Scherz op. 257
0:38:40 - Johann Strauß,jr: An der schönen blauen Donau, Walzer op. 314 (applause)
0:38:59 - Johann Strauß,jr: An der schönen blauen Donau, Walzer op. 314
0:48:43 - Johann Strauß,sr: Radetzky-marsch, op. 228 (applause)
0:49:08 - Johann Strauß,sr: Radetzky-marsch, op. 228

Live recording: 31.12.1953, Musikverein, Wien







Strauss Family Concert / Wiener Philharmoniker, Clemens Krauss




Introduction(0:00)

Johann Strauss (Sohn):
Ouvertüre zur Operette „Der Zigeunerbaron“(2:00)

Johann Strauss (Sohn):
Stadt und Land, Polka Mazur, op. 322(9:40)

Johann Strauss (Sohn):
Bei uns z’Haus. Walzer, op. 361(13:48)

Josef Strauss: Die Libelle. Polka Mazur, op. 204(21:53)

Johann Strauss (Sohn):
Ouvertüre zur Operette „Die Fledermaus“ (26:25)

Intermezzo ~Schrammelmusik~(34:30)

Johann Strauss (Sohn):
Künstlerleben. Walzer, op. 316(37:40)

Josef Strauss:
Moulinet-Polka, op. 57(45:59)

Johann Strauss (Sohn):
Éljen a Magyar!. Polka schnell, op. 332 (49:07)

Johann Strauss (Sohn):
Im Krapfenwald’l. Polka française, op. 336(52:14)

Johann Strauss (Sohn):
Frühlingsstimmen. Walzer, op. 410(56:22)

Johann Strauss (Sohn) & Josef Strauss:
Pizzicato-Polka(1:02:36)

Johann Strauss (Sohn):
Csárdás aus der Ballettmusik der Oper „Ritter Pásmán“ (1:06:00)

Josef Strauss:
Plappermäulchen. Polka schnell, op. 245(1:10:26)

Josef Strauss: Jockey-Polka (Polka schnell), op. 278(1:13:31)

Johann Strauss (Sohn):
An der schönen blauen Donau. Walzer, op. 314(1:15:32)

Johann Strauss (Vater):
Radetzky-Marsch, op. 228(1:25:18)


Wiener Philharmoniker
Dirigent : Clemens Krauss
Sofiensaal, Oder Musikverein ,Wien





Johann & Josef Strauss - Waltzes / Polkas + Presentation (Century’s recording : Clemens Krauss)




Josef Strauss (1827-1870) - Johann Strauss II (1825-1899) Waltzes & Polkas

Dopfschwalben Aus Österreich, Op.164, Walzer - Josef Strauss (00:00)
Moulinet, Op.57, Polka - Johann Strauss II (7:47)
Ohne Sorgen, Op.271, Polka Schnell - Josef Strauss (10:56)
Stadt Und Land, Op.322, Polka-Mazurka - Johann Strauss II (12:44)
Auf Der Jagd, Op.373, Polka Schnell - Johann Strauss II (17:01)
Morgenblätter, Op.279, Walzer - Johann Strauss II (19:21)
Feuerfest, Op.269, Polka Schnell - Josef Strauss (28:13)
Ritter Pazman - Czárdás, Op.441 - Johann Strauss II (31:35)
Perpetuum Mobile, Op.257 - Johann Strauss II (36:09)
An Der Schönen Blauen Donau, Op.314, Walzer - Johann Strauss II (38:57)
Auf Ferienreisen, Op.133, Polka Schnell - Josef Strauss (48:59)
Bei Uns Z'Haus, Op.361, Walzer - Johann Strauss II (51:22)
Sphärenklänge, Op.235, Walzer - Josef Strauss (59:45)
Annen-Polka, Op.117 - Johann Strauss II (1:08:28)
Plappermäulchen, Op.245, Polka Schnell - Josef Strauss (1:12:52)
Radetzky Marsch, Op.228 - Johann Strauss II (1:15:58)


Clemens Krauss
Vienna Philharmonic Orchestra
Recorded in 1952,1953

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/988.html#c2
[近代史6] 最美の音楽は何か? _ ヨハン・シュトラウス2世『千夜一夜物語 作品346』 中川隆
2. 中川隆[-15719] koaQ7Jey 2021年10月30日 09:32:41 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[21]
クレメンス・クラウス


NEUJAHRSKONZERT 1954 -Teil1




NEUJAHRSKONZERT 1954 - first part
Wiener Philharmoniker, Clemens Krauss

0:00:09 - Josef Strauß: Schwert und Leyer, Walzer op. 71
0:10:04 - Josef Strauß: Rudolfsheimer-Polka, op. 152
0:12:45 - Josef Strauß: Die Libelle, Polka mazur op. 204
0:17:36 - Josef Strauß: Auf Ferienreisen, Polka schnell op. 133
0:19:58 - Josef Strauß: Auf Ferienreisen, Polka schnell op. 133 (zugabe)
0:22:47 - Johann Strauß,jr: Bei uns z'Haus, Walzer op. 361
0:31:24 - Johann Strauß,jr: Neue Pizzicato-Polka, op. 449
0:35:32 - Johann Strauß,jr: Neue Pizzicato-Polka, op. 449 (zugabe)
0:39:42 - Johann Strauß,jr: Éljen a Magyár! Polka schnell op. 332
0:43:02 - Johann Strauß,jr: Éljen a Magyár! Polka schnell op. 332 (zugabe)

Live recording: 31.12.1953, Musikverein, Wien




NEUJAHRSKONZERT 1954 -Teil2




0:00:34 - Josef Strauß: Sphärenklänge, Walzer op. 235
0:09:37 - Josef Strauß: Mailust, Polka française op. 182
0:13:16 - Josef Strauß: Plappermäulchen, Polka schnell op. 245
0:16:01 - Josef Strauß: Plappermäulchen, Polka schnell op. 245 (zugabe)
0:18:54 - Johann Strauß,jr: Im Krapfenwald'l, Polka francaise op. 336
0:23:20 - Johann Strauß,jr: Frühlingsstimmen, Walzer op. 410 (applause)
0:23:49 - Johann Strauß,jr: Frühlingsstimmen, Walzer op. 410
0:30:38 - Johann Strauß,jr: Auf der Jagd, Polka schnell op. 373
0:32:52 - Johann Strauß,jr: Auf der Jagd, Polka schnell op. 373 (zugabe)
0:35:33 - Johann Strauß,jr: Perpetuum mobile, Musikalischer Scherz op. 257
0:38:40 - Johann Strauß,jr: An der schönen blauen Donau, Walzer op. 314 (applause)
0:38:59 - Johann Strauß,jr: An der schönen blauen Donau, Walzer op. 314
0:48:43 - Johann Strauß,sr: Radetzky-marsch, op. 228 (applause)
0:49:08 - Johann Strauß,sr: Radetzky-marsch, op. 228

Live recording: 31.12.1953, Musikverein, Wien







Strauss Family Concert / Wiener Philharmoniker, Clemens Krauss




Introduction(0:00)

Johann Strauss (Sohn):
Ouvertüre zur Operette „Der Zigeunerbaron“(2:00)

Johann Strauss (Sohn):
Stadt und Land, Polka Mazur, op. 322(9:40)

Johann Strauss (Sohn):
Bei uns z’Haus. Walzer, op. 361(13:48)

Josef Strauss: Die Libelle. Polka Mazur, op. 204(21:53)

Johann Strauss (Sohn):
Ouvertüre zur Operette „Die Fledermaus“ (26:25)

Intermezzo ~Schrammelmusik~(34:30)

Johann Strauss (Sohn):
Künstlerleben. Walzer, op. 316(37:40)

Josef Strauss:
Moulinet-Polka, op. 57(45:59)

Johann Strauss (Sohn):
Éljen a Magyar!. Polka schnell, op. 332 (49:07)

Johann Strauss (Sohn):
Im Krapfenwald’l. Polka française, op. 336(52:14)

Johann Strauss (Sohn):
Frühlingsstimmen. Walzer, op. 410(56:22)

Johann Strauss (Sohn) & Josef Strauss:
Pizzicato-Polka(1:02:36)

Johann Strauss (Sohn):
Csárdás aus der Ballettmusik der Oper „Ritter Pásmán“ (1:06:00)

Josef Strauss:
Plappermäulchen. Polka schnell, op. 245(1:10:26)

Josef Strauss: Jockey-Polka (Polka schnell), op. 278(1:13:31)

Johann Strauss (Sohn):
An der schönen blauen Donau. Walzer, op. 314(1:15:32)

Johann Strauss (Vater):
Radetzky-Marsch, op. 228(1:25:18)


Wiener Philharmoniker
Dirigent : Clemens Krauss
Sofiensaal, Oder Musikverein ,Wien





Johann & Josef Strauss - Waltzes / Polkas + Presentation (Century’s recording : Clemens Krauss)




Josef Strauss (1827-1870) - Johann Strauss II (1825-1899) Waltzes & Polkas

Dopfschwalben Aus Österreich, Op.164, Walzer - Josef Strauss (00:00)
Moulinet, Op.57, Polka - Johann Strauss II (7:47)
Ohne Sorgen, Op.271, Polka Schnell - Josef Strauss (10:56)
Stadt Und Land, Op.322, Polka-Mazurka - Johann Strauss II (12:44)
Auf Der Jagd, Op.373, Polka Schnell - Johann Strauss II (17:01)
Morgenblätter, Op.279, Walzer - Johann Strauss II (19:21)
Feuerfest, Op.269, Polka Schnell - Josef Strauss (28:13)
Ritter Pazman - Czárdás, Op.441 - Johann Strauss II (31:35)
Perpetuum Mobile, Op.257 - Johann Strauss II (36:09)
An Der Schönen Blauen Donau, Op.314, Walzer - Johann Strauss II (38:57)
Auf Ferienreisen, Op.133, Polka Schnell - Josef Strauss (48:59)
Bei Uns Z'Haus, Op.361, Walzer - Johann Strauss II (51:22)
Sphärenklänge, Op.235, Walzer - Josef Strauss (59:45)
Annen-Polka, Op.117 - Johann Strauss II (1:08:28)
Plappermäulchen, Op.245, Polka Schnell - Josef Strauss (1:12:52)
Radetzky Marsch, Op.228 - Johann Strauss II (1:15:58)


Clemens Krauss
Vienna Philharmonic Orchestra
Recorded in 1952,1953

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/987.html#c2
[近代史6] 最美の音楽は何か? _ ヨハン・シュトラウス2世『酒、女、歌 作品333』 中川隆
2. 中川隆[-15718] koaQ7Jey 2021年10月30日 09:33:05 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[22]
クレメンス・クラウス


NEUJAHRSKONZERT 1954 -Teil1




NEUJAHRSKONZERT 1954 - first part
Wiener Philharmoniker, Clemens Krauss

0:00:09 - Josef Strauß: Schwert und Leyer, Walzer op. 71
0:10:04 - Josef Strauß: Rudolfsheimer-Polka, op. 152
0:12:45 - Josef Strauß: Die Libelle, Polka mazur op. 204
0:17:36 - Josef Strauß: Auf Ferienreisen, Polka schnell op. 133
0:19:58 - Josef Strauß: Auf Ferienreisen, Polka schnell op. 133 (zugabe)
0:22:47 - Johann Strauß,jr: Bei uns z'Haus, Walzer op. 361
0:31:24 - Johann Strauß,jr: Neue Pizzicato-Polka, op. 449
0:35:32 - Johann Strauß,jr: Neue Pizzicato-Polka, op. 449 (zugabe)
0:39:42 - Johann Strauß,jr: Éljen a Magyár! Polka schnell op. 332
0:43:02 - Johann Strauß,jr: Éljen a Magyár! Polka schnell op. 332 (zugabe)

Live recording: 31.12.1953, Musikverein, Wien




NEUJAHRSKONZERT 1954 -Teil2




0:00:34 - Josef Strauß: Sphärenklänge, Walzer op. 235
0:09:37 - Josef Strauß: Mailust, Polka française op. 182
0:13:16 - Josef Strauß: Plappermäulchen, Polka schnell op. 245
0:16:01 - Josef Strauß: Plappermäulchen, Polka schnell op. 245 (zugabe)
0:18:54 - Johann Strauß,jr: Im Krapfenwald'l, Polka francaise op. 336
0:23:20 - Johann Strauß,jr: Frühlingsstimmen, Walzer op. 410 (applause)
0:23:49 - Johann Strauß,jr: Frühlingsstimmen, Walzer op. 410
0:30:38 - Johann Strauß,jr: Auf der Jagd, Polka schnell op. 373
0:32:52 - Johann Strauß,jr: Auf der Jagd, Polka schnell op. 373 (zugabe)
0:35:33 - Johann Strauß,jr: Perpetuum mobile, Musikalischer Scherz op. 257
0:38:40 - Johann Strauß,jr: An der schönen blauen Donau, Walzer op. 314 (applause)
0:38:59 - Johann Strauß,jr: An der schönen blauen Donau, Walzer op. 314
0:48:43 - Johann Strauß,sr: Radetzky-marsch, op. 228 (applause)
0:49:08 - Johann Strauß,sr: Radetzky-marsch, op. 228

Live recording: 31.12.1953, Musikverein, Wien







Strauss Family Concert / Wiener Philharmoniker, Clemens Krauss




Introduction(0:00)

Johann Strauss (Sohn):
Ouvertüre zur Operette „Der Zigeunerbaron“(2:00)

Johann Strauss (Sohn):
Stadt und Land, Polka Mazur, op. 322(9:40)

Johann Strauss (Sohn):
Bei uns z’Haus. Walzer, op. 361(13:48)

Josef Strauss: Die Libelle. Polka Mazur, op. 204(21:53)

Johann Strauss (Sohn):
Ouvertüre zur Operette „Die Fledermaus“ (26:25)

Intermezzo ~Schrammelmusik~(34:30)

Johann Strauss (Sohn):
Künstlerleben. Walzer, op. 316(37:40)

Josef Strauss:
Moulinet-Polka, op. 57(45:59)

Johann Strauss (Sohn):
Éljen a Magyar!. Polka schnell, op. 332 (49:07)

Johann Strauss (Sohn):
Im Krapfenwald’l. Polka française, op. 336(52:14)

Johann Strauss (Sohn):
Frühlingsstimmen. Walzer, op. 410(56:22)

Johann Strauss (Sohn) & Josef Strauss:
Pizzicato-Polka(1:02:36)

Johann Strauss (Sohn):
Csárdás aus der Ballettmusik der Oper „Ritter Pásmán“ (1:06:00)

Josef Strauss:
Plappermäulchen. Polka schnell, op. 245(1:10:26)

Josef Strauss: Jockey-Polka (Polka schnell), op. 278(1:13:31)

Johann Strauss (Sohn):
An der schönen blauen Donau. Walzer, op. 314(1:15:32)

Johann Strauss (Vater):
Radetzky-Marsch, op. 228(1:25:18)


Wiener Philharmoniker
Dirigent : Clemens Krauss
Sofiensaal, Oder Musikverein ,Wien





Johann & Josef Strauss - Waltzes / Polkas + Presentation (Century’s recording : Clemens Krauss)




Josef Strauss (1827-1870) - Johann Strauss II (1825-1899) Waltzes & Polkas

Dopfschwalben Aus Österreich, Op.164, Walzer - Josef Strauss (00:00)
Moulinet, Op.57, Polka - Johann Strauss II (7:47)
Ohne Sorgen, Op.271, Polka Schnell - Josef Strauss (10:56)
Stadt Und Land, Op.322, Polka-Mazurka - Johann Strauss II (12:44)
Auf Der Jagd, Op.373, Polka Schnell - Johann Strauss II (17:01)
Morgenblätter, Op.279, Walzer - Johann Strauss II (19:21)
Feuerfest, Op.269, Polka Schnell - Josef Strauss (28:13)
Ritter Pazman - Czárdás, Op.441 - Johann Strauss II (31:35)
Perpetuum Mobile, Op.257 - Johann Strauss II (36:09)
An Der Schönen Blauen Donau, Op.314, Walzer - Johann Strauss II (38:57)
Auf Ferienreisen, Op.133, Polka Schnell - Josef Strauss (48:59)
Bei Uns Z'Haus, Op.361, Walzer - Johann Strauss II (51:22)
Sphärenklänge, Op.235, Walzer - Josef Strauss (59:45)
Annen-Polka, Op.117 - Johann Strauss II (1:08:28)
Plappermäulchen, Op.245, Polka Schnell - Josef Strauss (1:12:52)
Radetzky Marsch, Op.228 - Johann Strauss II (1:15:58)


Clemens Krauss
Vienna Philharmonic Orchestra
Recorded in 1952,1953

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/986.html#c2
[近代史6] 最美の音楽は何か? _ ヨハン・シュトラウス2世『美しく青きドナウ 作品314』 中川隆
2. 中川隆[-15717] koaQ7Jey 2021年10月30日 09:33:46 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[23]
クレメンス・クラウス


NEUJAHRSKONZERT 1954 -Teil1




NEUJAHRSKONZERT 1954 - first part
Wiener Philharmoniker, Clemens Krauss

0:00:09 - Josef Strauß: Schwert und Leyer, Walzer op. 71
0:10:04 - Josef Strauß: Rudolfsheimer-Polka, op. 152
0:12:45 - Josef Strauß: Die Libelle, Polka mazur op. 204
0:17:36 - Josef Strauß: Auf Ferienreisen, Polka schnell op. 133
0:19:58 - Josef Strauß: Auf Ferienreisen, Polka schnell op. 133 (zugabe)
0:22:47 - Johann Strauß,jr: Bei uns z'Haus, Walzer op. 361
0:31:24 - Johann Strauß,jr: Neue Pizzicato-Polka, op. 449
0:35:32 - Johann Strauß,jr: Neue Pizzicato-Polka, op. 449 (zugabe)
0:39:42 - Johann Strauß,jr: Éljen a Magyár! Polka schnell op. 332
0:43:02 - Johann Strauß,jr: Éljen a Magyár! Polka schnell op. 332 (zugabe)

Live recording: 31.12.1953, Musikverein, Wien




NEUJAHRSKONZERT 1954 -Teil2




0:00:34 - Josef Strauß: Sphärenklänge, Walzer op. 235
0:09:37 - Josef Strauß: Mailust, Polka française op. 182
0:13:16 - Josef Strauß: Plappermäulchen, Polka schnell op. 245
0:16:01 - Josef Strauß: Plappermäulchen, Polka schnell op. 245 (zugabe)
0:18:54 - Johann Strauß,jr: Im Krapfenwald'l, Polka francaise op. 336
0:23:20 - Johann Strauß,jr: Frühlingsstimmen, Walzer op. 410 (applause)
0:23:49 - Johann Strauß,jr: Frühlingsstimmen, Walzer op. 410
0:30:38 - Johann Strauß,jr: Auf der Jagd, Polka schnell op. 373
0:32:52 - Johann Strauß,jr: Auf der Jagd, Polka schnell op. 373 (zugabe)
0:35:33 - Johann Strauß,jr: Perpetuum mobile, Musikalischer Scherz op. 257
0:38:40 - Johann Strauß,jr: An der schönen blauen Donau, Walzer op. 314 (applause)
0:38:59 - Johann Strauß,jr: An der schönen blauen Donau, Walzer op. 314
0:48:43 - Johann Strauß,sr: Radetzky-marsch, op. 228 (applause)
0:49:08 - Johann Strauß,sr: Radetzky-marsch, op. 228

Live recording: 31.12.1953, Musikverein, Wien







Strauss Family Concert / Wiener Philharmoniker, Clemens Krauss




Introduction(0:00)

Johann Strauss (Sohn):
Ouvertüre zur Operette „Der Zigeunerbaron“(2:00)

Johann Strauss (Sohn):
Stadt und Land, Polka Mazur, op. 322(9:40)

Johann Strauss (Sohn):
Bei uns z’Haus. Walzer, op. 361(13:48)

Josef Strauss: Die Libelle. Polka Mazur, op. 204(21:53)

Johann Strauss (Sohn):
Ouvertüre zur Operette „Die Fledermaus“ (26:25)

Intermezzo ~Schrammelmusik~(34:30)

Johann Strauss (Sohn):
Künstlerleben. Walzer, op. 316(37:40)

Josef Strauss:
Moulinet-Polka, op. 57(45:59)

Johann Strauss (Sohn):
Éljen a Magyar!. Polka schnell, op. 332 (49:07)

Johann Strauss (Sohn):
Im Krapfenwald’l. Polka française, op. 336(52:14)

Johann Strauss (Sohn):
Frühlingsstimmen. Walzer, op. 410(56:22)

Johann Strauss (Sohn) & Josef Strauss:
Pizzicato-Polka(1:02:36)

Johann Strauss (Sohn):
Csárdás aus der Ballettmusik der Oper „Ritter Pásmán“ (1:06:00)

Josef Strauss:
Plappermäulchen. Polka schnell, op. 245(1:10:26)

Josef Strauss: Jockey-Polka (Polka schnell), op. 278(1:13:31)

Johann Strauss (Sohn):
An der schönen blauen Donau. Walzer, op. 314(1:15:32)

Johann Strauss (Vater):
Radetzky-Marsch, op. 228(1:25:18)


Wiener Philharmoniker
Dirigent : Clemens Krauss
Sofiensaal, Oder Musikverein ,Wien





Johann & Josef Strauss - Waltzes / Polkas + Presentation (Century’s recording : Clemens Krauss)




Josef Strauss (1827-1870) - Johann Strauss II (1825-1899) Waltzes & Polkas

Dopfschwalben Aus Österreich, Op.164, Walzer - Josef Strauss (00:00)
Moulinet, Op.57, Polka - Johann Strauss II (7:47)
Ohne Sorgen, Op.271, Polka Schnell - Josef Strauss (10:56)
Stadt Und Land, Op.322, Polka-Mazurka - Johann Strauss II (12:44)
Auf Der Jagd, Op.373, Polka Schnell - Johann Strauss II (17:01)
Morgenblätter, Op.279, Walzer - Johann Strauss II (19:21)
Feuerfest, Op.269, Polka Schnell - Josef Strauss (28:13)
Ritter Pazman - Czárdás, Op.441 - Johann Strauss II (31:35)
Perpetuum Mobile, Op.257 - Johann Strauss II (36:09)
An Der Schönen Blauen Donau, Op.314, Walzer - Johann Strauss II (38:57)
Auf Ferienreisen, Op.133, Polka Schnell - Josef Strauss (48:59)
Bei Uns Z'Haus, Op.361, Walzer - Johann Strauss II (51:22)
Sphärenklänge, Op.235, Walzer - Josef Strauss (59:45)
Annen-Polka, Op.117 - Johann Strauss II (1:08:28)
Plappermäulchen, Op.245, Polka Schnell - Josef Strauss (1:12:52)
Radetzky Marsch, Op.228 - Johann Strauss II (1:15:58)


Clemens Krauss
Vienna Philharmonic Orchestra
Recorded in 1952,1953

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/419.html#c2
[近代史6] 最美の音楽は何か? _ ヨハン・シュトラウス2世『ウィーンの森の物語 作品325』 中川隆
2. 中川隆[-15716] koaQ7Jey 2021年10月30日 09:34:21 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[24]
クレメンス・クラウス


NEUJAHRSKONZERT 1954 -Teil1




NEUJAHRSKONZERT 1954 - first part
Wiener Philharmoniker, Clemens Krauss

0:00:09 - Josef Strauß: Schwert und Leyer, Walzer op. 71
0:10:04 - Josef Strauß: Rudolfsheimer-Polka, op. 152
0:12:45 - Josef Strauß: Die Libelle, Polka mazur op. 204
0:17:36 - Josef Strauß: Auf Ferienreisen, Polka schnell op. 133
0:19:58 - Josef Strauß: Auf Ferienreisen, Polka schnell op. 133 (zugabe)
0:22:47 - Johann Strauß,jr: Bei uns z'Haus, Walzer op. 361
0:31:24 - Johann Strauß,jr: Neue Pizzicato-Polka, op. 449
0:35:32 - Johann Strauß,jr: Neue Pizzicato-Polka, op. 449 (zugabe)
0:39:42 - Johann Strauß,jr: Éljen a Magyár! Polka schnell op. 332
0:43:02 - Johann Strauß,jr: Éljen a Magyár! Polka schnell op. 332 (zugabe)

Live recording: 31.12.1953, Musikverein, Wien




NEUJAHRSKONZERT 1954 -Teil2




0:00:34 - Josef Strauß: Sphärenklänge, Walzer op. 235
0:09:37 - Josef Strauß: Mailust, Polka française op. 182
0:13:16 - Josef Strauß: Plappermäulchen, Polka schnell op. 245
0:16:01 - Josef Strauß: Plappermäulchen, Polka schnell op. 245 (zugabe)
0:18:54 - Johann Strauß,jr: Im Krapfenwald'l, Polka francaise op. 336
0:23:20 - Johann Strauß,jr: Frühlingsstimmen, Walzer op. 410 (applause)
0:23:49 - Johann Strauß,jr: Frühlingsstimmen, Walzer op. 410
0:30:38 - Johann Strauß,jr: Auf der Jagd, Polka schnell op. 373
0:32:52 - Johann Strauß,jr: Auf der Jagd, Polka schnell op. 373 (zugabe)
0:35:33 - Johann Strauß,jr: Perpetuum mobile, Musikalischer Scherz op. 257
0:38:40 - Johann Strauß,jr: An der schönen blauen Donau, Walzer op. 314 (applause)
0:38:59 - Johann Strauß,jr: An der schönen blauen Donau, Walzer op. 314
0:48:43 - Johann Strauß,sr: Radetzky-marsch, op. 228 (applause)
0:49:08 - Johann Strauß,sr: Radetzky-marsch, op. 228

Live recording: 31.12.1953, Musikverein, Wien







Strauss Family Concert / Wiener Philharmoniker, Clemens Krauss




Introduction(0:00)

Johann Strauss (Sohn):
Ouvertüre zur Operette „Der Zigeunerbaron“(2:00)

Johann Strauss (Sohn):
Stadt und Land, Polka Mazur, op. 322(9:40)

Johann Strauss (Sohn):
Bei uns z’Haus. Walzer, op. 361(13:48)

Josef Strauss: Die Libelle. Polka Mazur, op. 204(21:53)

Johann Strauss (Sohn):
Ouvertüre zur Operette „Die Fledermaus“ (26:25)

Intermezzo ~Schrammelmusik~(34:30)

Johann Strauss (Sohn):
Künstlerleben. Walzer, op. 316(37:40)

Josef Strauss:
Moulinet-Polka, op. 57(45:59)

Johann Strauss (Sohn):
Éljen a Magyar!. Polka schnell, op. 332 (49:07)

Johann Strauss (Sohn):
Im Krapfenwald’l. Polka française, op. 336(52:14)

Johann Strauss (Sohn):
Frühlingsstimmen. Walzer, op. 410(56:22)

Johann Strauss (Sohn) & Josef Strauss:
Pizzicato-Polka(1:02:36)

Johann Strauss (Sohn):
Csárdás aus der Ballettmusik der Oper „Ritter Pásmán“ (1:06:00)

Josef Strauss:
Plappermäulchen. Polka schnell, op. 245(1:10:26)

Josef Strauss: Jockey-Polka (Polka schnell), op. 278(1:13:31)

Johann Strauss (Sohn):
An der schönen blauen Donau. Walzer, op. 314(1:15:32)

Johann Strauss (Vater):
Radetzky-Marsch, op. 228(1:25:18)


Wiener Philharmoniker
Dirigent : Clemens Krauss
Sofiensaal, Oder Musikverein ,Wien





Johann & Josef Strauss - Waltzes / Polkas + Presentation (Century’s recording : Clemens Krauss)




Josef Strauss (1827-1870) - Johann Strauss II (1825-1899) Waltzes & Polkas

Dopfschwalben Aus Österreich, Op.164, Walzer - Josef Strauss (00:00)
Moulinet, Op.57, Polka - Johann Strauss II (7:47)
Ohne Sorgen, Op.271, Polka Schnell - Josef Strauss (10:56)
Stadt Und Land, Op.322, Polka-Mazurka - Johann Strauss II (12:44)
Auf Der Jagd, Op.373, Polka Schnell - Johann Strauss II (17:01)
Morgenblätter, Op.279, Walzer - Johann Strauss II (19:21)
Feuerfest, Op.269, Polka Schnell - Josef Strauss (28:13)
Ritter Pazman - Czárdás, Op.441 - Johann Strauss II (31:35)
Perpetuum Mobile, Op.257 - Johann Strauss II (36:09)
An Der Schönen Blauen Donau, Op.314, Walzer - Johann Strauss II (38:57)
Auf Ferienreisen, Op.133, Polka Schnell - Josef Strauss (48:59)
Bei Uns Z'Haus, Op.361, Walzer - Johann Strauss II (51:22)
Sphärenklänge, Op.235, Walzer - Josef Strauss (59:45)
Annen-Polka, Op.117 - Johann Strauss II (1:08:28)
Plappermäulchen, Op.245, Polka Schnell - Josef Strauss (1:12:52)
Radetzky Marsch, Op.228 - Johann Strauss II (1:15:58)


Clemens Krauss
Vienna Philharmonic Orchestra
Recorded in 1952,1953

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/418.html#c2
[近代史5] キャベツは生で食べた方が良い 中川隆
1. 2021年10月30日 10:32:33 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[25]
【ゆっくり解説】食べすぎると昏睡状態に?!誰も知らないキャベツの危険性
2021/10/28



http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1188.html#c1
[番外地9] 利子付き国債を発行すると、その利子を返す為に新規国債を次々に発行しないといけなくなる 中川隆
8. 中川隆[-15715] koaQ7Jey 2021年10月30日 12:09:30 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[26]
利子付き国債を発行すると、その利子を返す為に新規国債を次々に発行しないといけなくなるので、ネズミ講と同じです。 失業云々とは関係ありません。完全雇用になっても国債の利子を返す為に、新規に国債を発行しなければいけないというのが現在の状況です。 だから財務省は財政破綻、財政破綻と大騒ぎしているのです。  
貨幣のプール論は正しい。
三橋さんは完全に誤解していますが、本来の貨幣のプール論というのは
税金で徴収した以上の金を政府が使うと、その分はインフレ税という形で通常の税額に加えて後から追加徴収する事になる
という意味です。何処の国でも国債発行でマネーストックを増やして意図的にインフレにしています。つまり、国民が気付かない様にこっそり金を取って政府資金を増やしているのです。
サルの朝三暮四の話と同じ騙しの手口ですね。 三橋信者みたいな 右翼・保守はアホだから簡単に騙せるんです。

日本政府が使える金は税金で徴収する金額だけ
日本政府が国債を発行すると日本国内で流通する貨幣が増えるので貨幣価値が下がります。

円の貨幣価値が下がると
・日銀の借用証である日銀紙幣の実質価値が下がる。
・政府の借用証である日本国債の実質価値が下がる。
・銀行預金額の実質価値が下がる。
・労働者の賃金の実質価値が下がる。

従って、日本政府が公共事業をやる為に国債を発行すると、労働者の持って居る金の一部を日本政府に取られた事になります。
つまり、日本政府が財政支出する元金は税金の他に、貨幣価値が減少した為に労働者から日本政府に移転した金額も含まれます。

政府が財政出動しなければ税金だけで政府支出を賄っていたのが、余計な公共事業をやった為に貨幣価値の減少した分(所謂インフレ税)も加算されます。
即ち、政府が使える金額は (税金 +インフレ税) で徴収した金額 になります。
つまり貨幣のプール論は正しいのです。

▲△▽▼

GDPとは国内総生産、つまり国内で産み出された付加価値の総額です。
それが3割減したのに株価が V字回復する不思議。

以下は金価格。
このように実は昨年の7月頃からずーっと上がりっぱなし。

で、以下が金価格に換算した日経平均です。
実は、昨年9月から下がりっぱなし。


NYダウゴールド換算のチャート

日経平均はゴールド何グラム?

と言う訳で、庶民が気づかないうちに通貨は紙屑化しつつある。
たった今、ステルス紙屑化が進行中なのでした。

で、富裕層はせっせと現金を物に変えつつある。

多分ですが、富裕層の換金ならぬ換物が済んでから、
バーチャルリアリティ市場を崩壊させるのでしょう。


因みに、金、原油、穀物価格, 商品相場は何でも大体同じ値動きです、ゴールド価格のデータが一番入手し易いのでゴールドを使っただけです。:

ハイエク: インフレ主義は非科学的迷信
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11992

ハイエク: 政府から通貨発行の独占権を剥奪せよ
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12051

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で人々はリッチになったような気がする
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10616

世界最大のヘッジファンド: 紙幣の刷り過ぎでドルが暴落するとき
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11685

世界最大のヘッジファンド: ドルは既に紙くずになっている
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645

ドラッケンミラー氏: 金融緩和こそがデフレの元凶
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/7103

ガンドラック氏: 量的緩和はデフレの原因
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/15537

ポール・チューダー・ジョーンズ氏: インフレはどんどん酷くなる
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/16629

日本経済はこうすれば復活する 自民党が絶対に実行しない経済政策
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/16728

▲△▽▼

本当の貨幣のプール論というのは
税金で徴収した以上の金を政府が使うと、その分はインフレ税として徴収する事になる
という意味なんですね。
正規の税金以上は払いたくなければ国債発行はNGという事。
国債発行すると貨幣価値が下がって銀行預金と実質賃金は目減りします。
更に、国債発行で増えた金は、たとえ公共事業に使ったとしても、最終的にはすべて資本家のものになります。
つまり、国債発行すると貧富の差が拡大、実質賃金が下がり、内需が減ってデフレが深刻化します。

「放漫財政」で日本は今危機的な状況にあります。 プラザ合意以降に日本が「放漫財政」に変わった経緯は大西つねきさんが何時も指摘しています:

民間銀行はもうこの世に必要ない(Live配信2021/1/12)
https://www.youtube.com/watch?v=a3y34SLGKlo

大西さんが何度も繰り返し説明している様に、プラザ合意後は民間人が民間銀行から借りる金の量が頭打ちになったので、日本政府が、国債金利でマネーストックが増える分の金、を出すしかなくなったのです。
政府の緊縮財政というのはマネーストックの増加分を政府がすべて負担出来なくなったという事です。

MMT論者や財政破綻を否定する人は大西つねきの財政破綻論に耳を傾けた方がいいよ:

大西つねきがやろうとしていること
https://www.youtube.com/watch?v=pcifNIAlVG0
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/864.html#c8

[番外地9] 最も「勝ち組」の投資は日本国債だった 中川隆
2. 中川隆[-15714] koaQ7Jey 2021年10月30日 12:11:54 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[27]
MMT論者・財務省批判者が知らない日本国債の真実
最も「勝ち組」の投資は日本国債だった _ 国債を発行すると資本家だけがボロ儲けして労働者はどんどん貧しくなる
マネーストックが毎年毎年増えているのは新規国債発行分だけ金が増えているからだよ。
財務省や経済学者が騒いでいる財政危機というのは、民間が新規事業を増やせないのに、国債の利払い額だけが毎年毎年増え続けて、その増加分もすべて新規国債で賄わないといけない、という現状の事だよ。政府財政はネズミ講と同じになってしまったんだ。
利子付き国債の発行は貧富の差を拡大しマルクスの預言した階級社会を作ってしまう
最も「勝ち組」の投資は日本国債だった

投資をしている人は「日本国債が危ない」「国債が破綻する」「国債を買うな」という情報を、今までに数多く聞いてきたと思います。

ニュースを見れば国債破綻、投資コラムでは国債を買うなという具合で、悪い投資の筆頭に上げられることが多い。

だが現実に1990年台バブル崩壊で「1円も損をせず」「元金が7倍以上になった」のは日本国債を買った人だけだった。

バブルの頃は色々な投資がブームで、金銀、土地、ゴルフ会員権、株やピカソの絵、ハワイや湯沢の別荘が人気でした。

これらの投資はその後のバブル崩壊で全て損をした筈で、保険や年金商品ですら政府の方針でカットされていました。

そんな中で唯一バブル崩壊の影響をまったく受けなかった投資商品が「日本国債」で、日本国債が危ないという定説とは真逆の結果です。


バナナ売りみたいな投資アナリスト達は毎日毎日「あぶないよあぶないよ、さあ国債が破綻するよ」と道端で「国債が危ない」と言い続けています。

彼らがそう言っている理由は国債以外の投資商品を売って稼いでいるからで、国債が売れたら困るのです。

日経先物とかFXとか株とか土地とかピカソの絵を売って初めて「カモ」から金を取れるので、日本国債が売れたら儲からなくなるのです。


1980年に日本国債を購入した人は、30年後の2010年に7倍に増えていて、もし最初に1000万円なら7000万円、100万円でも700万円に増えていたのです。

バブル崩壊も阪神大震災も福島原発もリーマンショックもすべて無関係で、1980年台に買っていさえすれば誰でも7倍になったのです。

では日本国債を買う以外でこの30年間に投資で資産を7倍にした人がどれだけ居たか、聞くまでもなくほとんど居ないはずです。


日本国債より危険な投資に手を出す人々

「そんなのウソだ。日本国債はゼロ金利じゃないか」というもっともな意見がありますが、それでも30年間毎年金利が付くことで、5倍とか7倍に増えるのです。

考え方を変えれば本当に「金利ゼロ」だったとしても、デフレで物価が下がると実質的にお金が増えるのです。

「経済専門家は皆日本が破産すると言っている」というもっともな意見もあるが、逆に日本政府が破産した後に残る安全な物って何なんでしょう?


例えば土地は消えませんが、戦前日本最大の資産家だった本間家(ローソク足を発明した本間宗久の子孫)は敗戦でアメリカ軍に土地を没収され、ただの釣具屋になり今は中国に買収されて消滅しました。

有名企業の株を保有しても日本政府が倒産するほどの事態なら、三菱や三井やトヨタだって倒産するでしょう。

金などの貴金属は物質として目減りしませんが、あの手のものは長期的には必ず物価上昇率より価値が目減りしていきます。


日本国債がデフォルトするほどの危機なら、どんな資産も無価値になる可能性が高く、それらより危険ではありません。

例えば沖縄県知事のアホは「中国に統一してもらって日本から独立しよう」と言っていますが、中国は共産国家で個人の土地所有が認められていません。

米軍基地が中国軍基地にかわり、土地は政府の所有になり、住民は政府から借りた借地に住む事になります。(中国人民はそうしている)

日本国債より安全な投資って何?

日本国債が無効になるほどの衝撃というのはこれほどの事が起きると推測でき、こんな事を考えるよりは自衛隊に税金を払ったほうが幾らかマシです。

「日本国債がアブナイから他に投資しよう」という考えは一見合理的にみえて、相当におかしいのが分かると思います。

例えていえば「巨大隕石が地球に落下するから地球の裏側に逃げよう」みたいな話で、恐竜より頭の働きが鈍いです。


日本国債ではなく米国債など外国政府に投資しようという人も居て、こちらの方は理にかなっています。

円高が進んでも日本よりアメリカの金利が高いので、最終的に日本国債を買うよりも、数十年後に元本が増える可能性は高いです。

だがしかし日本の証券会社から米国債を買って、日本政府が倒産したときにその証券会社は存在し、銀行は投資した元本を保証してくれるのか甚だ疑問です。


日本が破産したとき自分が買った証券会社が倒産していて、資産保全しているメガバンクも倒産したら、買っておいた米国債も消滅するでしょう。

アメリカの証券会社から米国債を買うという方法もあるが、おそらく日本からだと余計なコストを取られたり不利になるかも知れません。

▲△▽▼

利子付き国債を発行すると、その利子を返す為に新規国債を次々に発行しないといけなくなるので、ネズミ講と同じです。 失業云々とは関係ありません。完全雇用になっても国債の利子を返す為に、新規に国債を発行しなければいけないというのが現在の状況です。 だから財務省は財政破綻、財政破綻と大騒ぎしているのです。
 
貨幣のプール論は正しい。
三橋さんは完全に誤解していますが、本来の貨幣のプール論というのは
税金で徴収した以上の金を政府が使うと、その分はインフレ税という形で通常の税額に加えて後から追加徴収する事になる
という意味です。何処の国でも国債発行でマネーストックを増やして意図的にインフレにしています。つまり、国民が気付かない様にこっそり金を取って政府資金を増やしているのです。

サルの朝三暮四の話と同じ騙しの手口ですね。 三橋信者みたいな 右翼・保守はアホだから簡単に騙せるんです。

日本政府が使える金は税金で徴収する金額だけ
日本政府が国債を発行すると日本国内で流通する貨幣が増えるので貨幣価値が下がります。

円の貨幣価値が下がると
・日銀の借用証である日銀紙幣の実質価値が下がる。
・政府の借用証である日本国債の実質価値が下がる。
・銀行預金額の実質価値が下がる。
・労働者の賃金の実質価値が下がる。

従って、日本政府が公共事業をやる為に国債を発行すると、労働者の持って居る金の一部を日本政府に取られた事になります。
つまり、日本政府が財政支出する元金は税金の他に、貨幣価値が減少した為に労働者から日本政府に移転した金額も含まれます。

政府が財政出動しなければ税金だけで政府支出を賄っていたのが、余計な公共事業をやった為に貨幣価値の減少した分(所謂インフレ税)も加算されます。
即ち、政府が使える金額は (税金 +インフレ税) で徴収した金額 になります。
つまり貨幣のプール論は正しいのです。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/872.html#c2

[番外地9] 利子付き国債を発行すると、その利子を返す為に新規国債を次々に発行しないといけなくなる 中川隆
9. 中川隆[-15713] koaQ7Jey 2021年10月30日 12:13:02 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[28]
MMT論者・財務省批判者が知らない日本国債の真実
利子付き国債を発行すると、その利子を返す為に新規国債を次々に発行しないといけなくなるので、ネズミ講と同じです。 失業云々とは関係ありません。完全雇用になっても国債の利子を返す為に、新規に国債を発行しなければいけないというのが現在の状況です。 だから財務省は財政破綻、財政破綻と大騒ぎしているのです。  
貨幣のプール論は正しい。
三橋さんは完全に誤解していますが、本来の貨幣のプール論というのは
税金で徴収した以上の金を政府が使うと、その分はインフレ税という形で通常の税額に加えて後から追加徴収する事になる
という意味です。何処の国でも国債発行でマネーストックを増やして意図的にインフレにしています。つまり、国民が気付かない様にこっそり金を取って政府資金を増やしているのです。
サルの朝三暮四の話と同じ騙しの手口ですね。 三橋信者みたいな 右翼・保守はアホだから簡単に騙せるんです。

日本政府が使える金は税金で徴収する金額だけ
日本政府が国債を発行すると日本国内で流通する貨幣が増えるので貨幣価値が下がります。

円の貨幣価値が下がると
・日銀の借用証である日銀紙幣の実質価値が下がる。
・政府の借用証である日本国債の実質価値が下がる。
・銀行預金額の実質価値が下がる。
・労働者の賃金の実質価値が下がる。

従って、日本政府が公共事業をやる為に国債を発行すると、労働者の持って居る金の一部を日本政府に取られた事になります。
つまり、日本政府が財政支出する元金は税金の他に、貨幣価値が減少した為に労働者から日本政府に移転した金額も含まれます。

政府が財政出動しなければ税金だけで政府支出を賄っていたのが、余計な公共事業をやった為に貨幣価値の減少した分(所謂インフレ税)も加算されます。
即ち、政府が使える金額は (税金 +インフレ税) で徴収した金額 になります。
つまり貨幣のプール論は正しいのです。

▲△▽▼

GDPとは国内総生産、つまり国内で産み出された付加価値の総額です。
それが3割減したのに株価が V字回復する不思議。

以下は金価格。
このように実は昨年の7月頃からずーっと上がりっぱなし。

で、以下が金価格に換算した日経平均です。
実は、昨年9月から下がりっぱなし。


NYダウゴールド換算のチャート

日経平均はゴールド何グラム?

と言う訳で、庶民が気づかないうちに通貨は紙屑化しつつある。
たった今、ステルス紙屑化が進行中なのでした。

で、富裕層はせっせと現金を物に変えつつある。

多分ですが、富裕層の換金ならぬ換物が済んでから、
バーチャルリアリティ市場を崩壊させるのでしょう。


因みに、金、原油、穀物価格, 商品相場は何でも大体同じ値動きです、ゴールド価格のデータが一番入手し易いのでゴールドを使っただけです。:

ハイエク: インフレ主義は非科学的迷信
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11992

ハイエク: 政府から通貨発行の独占権を剥奪せよ
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12051

世界最大のヘッジファンド: 量的緩和で人々はリッチになったような気がする
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10616

世界最大のヘッジファンド: 紙幣の刷り過ぎでドルが暴落するとき
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11685

世界最大のヘッジファンド: ドルは既に紙くずになっている
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/10645

ドラッケンミラー氏: 金融緩和こそがデフレの元凶
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/7103

ガンドラック氏: 量的緩和はデフレの原因
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/15537

ポール・チューダー・ジョーンズ氏: インフレはどんどん酷くなる
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/16629

日本経済はこうすれば復活する 自民党が絶対に実行しない経済政策
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/16728

▲△▽▼

本当の貨幣のプール論というのは
税金で徴収した以上の金を政府が使うと、その分はインフレ税として徴収する事になる
という意味なんですね。
正規の税金以上は払いたくなければ国債発行はNGという事。
国債発行すると貨幣価値が下がって銀行預金と実質賃金は目減りします。
更に、国債発行で増えた金は、たとえ公共事業に使ったとしても、最終的にはすべて資本家のものになります。
つまり、国債発行すると貧富の差が拡大、実質賃金が下がり、内需が減ってデフレが深刻化します。

「放漫財政」で日本は今危機的な状況にあります。 プラザ合意以降に日本が「放漫財政」に変わった経緯は大西つねきさんが何時も指摘しています:

民間銀行はもうこの世に必要ない(Live配信2021/1/12)
https://www.youtube.com/watch?v=a3y34SLGKlo

大西さんが何度も繰り返し説明している様に、プラザ合意後は民間人が民間銀行から借りる金の量が頭打ちになったので、日本政府が、国債金利でマネーストックが増える分の金、を出すしかなくなったのです。
政府の緊縮財政というのはマネーストックの増加分を政府がすべて負担出来なくなったという事です。

MMT論者や財政破綻を否定する人は大西つねきの財政破綻論に耳を傾けた方がいいよ:

大西つねきがやろうとしていること
https://www.youtube.com/watch?v=pcifNIAlVG0
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/864.html#c9

[近代史3] 秋篠宮文仁  僕の父親は一体誰なんでしょう? 皆さんも一緒に探してください 中川隆
98. 中川隆[-15712] koaQ7Jey 2021年10月30日 12:29:37 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[29]

2021年10月30日
不合格?「小室圭」の名前が無かった !
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68876586.html


宮内庁の計算ミスなのか?

Princess Mako 883234Komuro 999218

 10月29日の深夜、小室圭が7月に受けた司法試験の結果が、NY州法務委員会(New York State Board of Law Examiners)のホーム・ページで公表された。マスコミ報道によると、合格者リストに小室氏の名前は無かったという。筆者も「まさか・・・」と思ったので、一応、「July 2021 Bar Examination Results Public Lookup」を覗いてみたんだけど、やっぱり無かった。ただし、法務委員会によれば、追加の合格者もいるというので、もしかすると小室氏の合格があるのかも知れない。だから、現時点では「不合格」と断定することは時期尚早。これは筆者の意見なんだが、もし、今回、司法試験に落ちても、来年の2月に試験が開催されるから、どうしても小室氏が弁護士になりたければ、再びチャレンジすればいい。別に、初回で合格することが目標じゃないんだから。

  でも、週刊誌や一般国民は、「待ってました !」とばかりに大騒ぎ。とりわけ、小室圭に反感を募らせる国民は、「やったぁぁ〜 ! 小室圭が落ちたぞぉ〜!」と欣喜雀躍。確かに、皇室ブランドを利用して数々の特権や利権を手にしてきた小室氏だから、みんなから揶揄されても当然だ。特に、10月26日の記者会見を視聴した一般国民は、あまりにも一方的な「叱責会見」を耳にして、「えぇぇ〜、俺達は根拠の無い、間違った情報に基づく噂話で、お二人を誹謗中傷していたのかぁ〜?」と驚き、一部の国民は憤慨した。しかも、圭君は眞子内親王殿下の“指示”に従って動いていたというんだから更に驚く。となれば、一連の忖度サービスも眞子内親王殿下の差し金だったのか?

  26日の記者会見はどうみても失敗で、竹田恒泰も「虎ノ門ニュース」で「火に油を注ぐようなもの」と評し、「やらなければよかった」と嘆いていた。筆者も同感で、どうせ記者からの鋭い質問は受け付けず、眞子内親王殿下の見解だけを述べるだけなんだから、どんな結果になるのかは“大凡(おおよそ)”察しがつく。それなのに、宮内庁は弁明用の台本ばかりに執着し、あとは振付師やマナー講師を雇って、演者の二人にお辞儀の仕方や喋り方のレッスンを授けるだけだった。眞子様の説教を聞いていると、「あぁ、先生の前で何度も練習されたんだなぁ〜」と判るし、小室圭が口にした「眞子様を愛しています」というセリフは、如何にも演出家が考えそうなセリフだった。もっと不愉快だったのは彼の笑顔で、「そんなに皇族と結婚できて嬉しいのか !」と腹立たしくなる。

  小室氏が受けた利益や怪しい経歴については以前の記事で述べたから、ここでは省略する。ただ、筆者が不満なのは、宮内庁職員の怠慢だ。本来、宮内庁の役人は秋篠宮殿下を補佐すべき立場なのに、その本分を忘れ、なるべく波風を立てないよう努めるばかりであった。西村泰彦(にしむら・やすひこ)長官だって、元は警察官僚なんだから、少しくらいは智慧があったはず。もし、不用意に小室氏へ特典を与えれば、すぐ世間の注目を集めてしまい、一般国民の間から「何だ、それ、依怙贔屓じゃないか !」とか、「こんなの、ロイヤル・パワーの濫用だ !」という非難が起きるじゃないか。ただでさえ、小室佳代の借金問題や男性問題があるんだから、小室圭が「米国の大学に入りたい」と懇願しても、「そんなのは駄目 ! 自分のお金で実現しないさい!」と窘(たしな)め、 「ちゃんと日本で働き、資金を貯めてからの留学にせよ !」と叱るべきだった。それなのに、眞子内親王の要望を聞き入れてしまったので、恩恵と忖度、そのうえ特典までが雪だるま式になって、「優秀な小室圭」という虚像が誕生してしまったのだ。

  だいたい、小室氏が三菱UFJ銀行や奥野総合法律事務所に就職できたのも、皇室ブランドかコネ採用があったからで、彼の実力が認められたからではない。フォーダム大学への入学だって、理事会や経営陣がプリンセスの婚約者を迎えたかったからだろう。米国の社会事情を知っている日本人なら直ぐ分かるが、彼の学力が卓越していたからではない。そもそも、小室氏はロー・スクールのJDコースをちゃんと履修できたのか? 皇室を支援する国民でさえ、小室氏の司法試験には疑問を抱き、本当に受験資格があったのか、試験に合格する程の学力があったのか、と疑っているのだ。もし、皇太弟殿下と宮内庁が眞子内親王殿下の懇願を斥け、小室氏に平凡な人生を歩むよう諭していれば、こんな大騒ぎにはならなかったであろう。

  だいたい、敗戦後、皇室を支える補佐役には“いかがわしい”者や不適切な人物が少なくなかった。例えば、上皇陛下が皇太子時代であった頃、首相の吉田茂が仕えたことは有名だが、赤い松本重治(まつもと・しげはる)なんかが混ざっていたんだから驚きだ。(松本氏は逆賊の近衛文麿に仕えた助言者で、共産主義者と連動する売国奴。) まともだったのは、外務官僚で初代国連大使であった加瀬俊一や、イギリス大使館附武官を務めたこともある辰巳榮一(たつみ・えいいち)陸軍中将くらい。一番ウンザリするのは、クェーカー信仰を持つエリザベス・ヴァイニング(Elizabeth Janet Gray Vining)夫人が明仁殿下に仕えたことだ。乃木希典大将のような武人ではなく、反戦主義者の未亡人が殿下の家庭教師なんだから、正常な日本人であれば呆れてしまうだろう。

  確かに、昭和天皇が教育使節団のジョージ・D・ストッダード(George D. Stoddard)団長に家庭教師の派遣を依頼されたが、よりにもよって、女流作家の平和主義者を選ばなくってもいいじゃないか ! そもそも、ヴァイニング夫人を教師にしようと進言した小日向会の前田多聞(まえだ・たもん)は、元は文部大臣だが、師匠の新渡戸稲造と同じくクェーカー信徒であったからしょうがない。それでも、海軍大将で学習院の院長を務めた山梨勝之進も選定に加わっていたんだから、反対してもよさそうなものだった。( 加瀬俊一 「新天皇・明仁陛下の『帝王学』」、『諸君 !』1989年3月号、p.85.) 本当にガッカリしてしまうが、当時、東宮の常勤教育係だった小泉信三博士(慶應義塾大学の塾長)も賛成派で、ヴァイニング夫人を温かく迎えた一人であった。まことに残念だが、皇太子時代の上皇陛下は、昭和天皇が受けた帝王学とは断絶した文弱教育を受けてしまった。皇室の藩屏になるべき側近が、悉く、尚武の精神や勤王精神を忘れ、「事なかれ主義の役人」と化しているんだから、秋篠宮殿下の御判断が裏目に出たのも当然だろう。

  形式的には、眞子内親王殿下と小室圭は「民間人」とか「一般人」となっている。だが、眞子様が皇族であることには変わりなく、これからも皇族の威光を狙った輩がたくさん群がってくるだろう。第一、亭主になった小室圭が皇室ブランドで稼ぐ訳だから、皇室の名誉は小室親子によってズタズタにされてしまうだろう。能無し亭主でヒモにしか見えない圭は、これから永遠に「プリンセスの夫」を看板にして仕事を取るはずだ。大半の日本人が察しているように、小室圭を雇った「ローウェンシュタイン・サンドラー」社は、最初から小室氏のステータスを目当てにしている訳だから、彼が何と言おうとも「ロイヤル・パワーの魔術師」という役割を押しつけてくる。たとえ、小室氏が司法試験に受かっても、彼には日本絡みの依頼しかない。普通のアメリカ人は小室圭を馬鹿にするから、この若造に依頼を持ちかける顧客はいないだろう。

  これは筆者の単なる妄想だけど、いったい、秋篠宮家は小室圭にいくら注ぎ込んだのか? もし、皇室に秘密の資産があるなら、数億円の予算を使っているのかも知れないぞ。小室圭との結婚を許可した時には、既に何十年先までの「計画」が練られていた可能性だってある。眞子内親王殿下は「圭君の実力だけで入学や就職ができた」と思っているが、父親である秋篠宮殿下が娘に真相を話すことはない。お嬢さん育ちの内親王殿下は、国民に向けて「事実無根の誹謗中傷です!」と叱りつけたが、世間通の日本国民なら「真相を知らないお姫様の戯言(たわごと)かなぁ〜」と思ってしまう。26日の記者会見がインターネット上で炎上したのは、皇族と国民の間に大きな認識のズレがあったからだ。秋篠宮殿下が早い段階で小室圭を「凡庸な平民」にしておけば、一般国民の激昂は無かったであろう。嘘を嘘で塗り潰すことで平穏な日々が現れるとは思えない。正直になれば、皇族の体面は傷つくが、反省の後には心の開放感を得られる、と思う。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68876586.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/109.html#c98

[近代史3] (小室圭問題/佳子さま盗撮) 皇室記事まとめ一気読み 中川隆
44. 中川隆[-15711] koaQ7Jey 2021年10月30日 12:30:12 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[30]

2021年10月30日
不合格?「小室圭」の名前が無かった !
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68876586.html


宮内庁の計算ミスなのか?

Princess Mako 883234Komuro 999218

 10月29日の深夜、小室圭が7月に受けた司法試験の結果が、NY州法務委員会(New York State Board of Law Examiners)のホーム・ページで公表された。マスコミ報道によると、合格者リストに小室氏の名前は無かったという。筆者も「まさか・・・」と思ったので、一応、「July 2021 Bar Examination Results Public Lookup」を覗いてみたんだけど、やっぱり無かった。ただし、法務委員会によれば、追加の合格者もいるというので、もしかすると小室氏の合格があるのかも知れない。だから、現時点では「不合格」と断定することは時期尚早。これは筆者の意見なんだが、もし、今回、司法試験に落ちても、来年の2月に試験が開催されるから、どうしても小室氏が弁護士になりたければ、再びチャレンジすればいい。別に、初回で合格することが目標じゃないんだから。

  でも、週刊誌や一般国民は、「待ってました !」とばかりに大騒ぎ。とりわけ、小室圭に反感を募らせる国民は、「やったぁぁ〜 ! 小室圭が落ちたぞぉ〜!」と欣喜雀躍。確かに、皇室ブランドを利用して数々の特権や利権を手にしてきた小室氏だから、みんなから揶揄されても当然だ。特に、10月26日の記者会見を視聴した一般国民は、あまりにも一方的な「叱責会見」を耳にして、「えぇぇ〜、俺達は根拠の無い、間違った情報に基づく噂話で、お二人を誹謗中傷していたのかぁ〜?」と驚き、一部の国民は憤慨した。しかも、圭君は眞子内親王殿下の“指示”に従って動いていたというんだから更に驚く。となれば、一連の忖度サービスも眞子内親王殿下の差し金だったのか?

  26日の記者会見はどうみても失敗で、竹田恒泰も「虎ノ門ニュース」で「火に油を注ぐようなもの」と評し、「やらなければよかった」と嘆いていた。筆者も同感で、どうせ記者からの鋭い質問は受け付けず、眞子内親王殿下の見解だけを述べるだけなんだから、どんな結果になるのかは“大凡(おおよそ)”察しがつく。それなのに、宮内庁は弁明用の台本ばかりに執着し、あとは振付師やマナー講師を雇って、演者の二人にお辞儀の仕方や喋り方のレッスンを授けるだけだった。眞子様の説教を聞いていると、「あぁ、先生の前で何度も練習されたんだなぁ〜」と判るし、小室圭が口にした「眞子様を愛しています」というセリフは、如何にも演出家が考えそうなセリフだった。もっと不愉快だったのは彼の笑顔で、「そんなに皇族と結婚できて嬉しいのか !」と腹立たしくなる。

  小室氏が受けた利益や怪しい経歴については以前の記事で述べたから、ここでは省略する。ただ、筆者が不満なのは、宮内庁職員の怠慢だ。本来、宮内庁の役人は秋篠宮殿下を補佐すべき立場なのに、その本分を忘れ、なるべく波風を立てないよう努めるばかりであった。西村泰彦(にしむら・やすひこ)長官だって、元は警察官僚なんだから、少しくらいは智慧があったはず。もし、不用意に小室氏へ特典を与えれば、すぐ世間の注目を集めてしまい、一般国民の間から「何だ、それ、依怙贔屓じゃないか !」とか、「こんなの、ロイヤル・パワーの濫用だ !」という非難が起きるじゃないか。ただでさえ、小室佳代の借金問題や男性問題があるんだから、小室圭が「米国の大学に入りたい」と懇願しても、「そんなのは駄目 ! 自分のお金で実現しないさい!」と窘(たしな)め、 「ちゃんと日本で働き、資金を貯めてからの留学にせよ !」と叱るべきだった。それなのに、眞子内親王の要望を聞き入れてしまったので、恩恵と忖度、そのうえ特典までが雪だるま式になって、「優秀な小室圭」という虚像が誕生してしまったのだ。

  だいたい、小室氏が三菱UFJ銀行や奥野総合法律事務所に就職できたのも、皇室ブランドかコネ採用があったからで、彼の実力が認められたからではない。フォーダム大学への入学だって、理事会や経営陣がプリンセスの婚約者を迎えたかったからだろう。米国の社会事情を知っている日本人なら直ぐ分かるが、彼の学力が卓越していたからではない。そもそも、小室氏はロー・スクールのJDコースをちゃんと履修できたのか? 皇室を支援する国民でさえ、小室氏の司法試験には疑問を抱き、本当に受験資格があったのか、試験に合格する程の学力があったのか、と疑っているのだ。もし、皇太弟殿下と宮内庁が眞子内親王殿下の懇願を斥け、小室氏に平凡な人生を歩むよう諭していれば、こんな大騒ぎにはならなかったであろう。

  だいたい、敗戦後、皇室を支える補佐役には“いかがわしい”者や不適切な人物が少なくなかった。例えば、上皇陛下が皇太子時代であった頃、首相の吉田茂が仕えたことは有名だが、赤い松本重治(まつもと・しげはる)なんかが混ざっていたんだから驚きだ。(松本氏は逆賊の近衛文麿に仕えた助言者で、共産主義者と連動する売国奴。) まともだったのは、外務官僚で初代国連大使であった加瀬俊一や、イギリス大使館附武官を務めたこともある辰巳榮一(たつみ・えいいち)陸軍中将くらい。一番ウンザリするのは、クェーカー信仰を持つエリザベス・ヴァイニング(Elizabeth Janet Gray Vining)夫人が明仁殿下に仕えたことだ。乃木希典大将のような武人ではなく、反戦主義者の未亡人が殿下の家庭教師なんだから、正常な日本人であれば呆れてしまうだろう。

  確かに、昭和天皇が教育使節団のジョージ・D・ストッダード(George D. Stoddard)団長に家庭教師の派遣を依頼されたが、よりにもよって、女流作家の平和主義者を選ばなくってもいいじゃないか ! そもそも、ヴァイニング夫人を教師にしようと進言した小日向会の前田多聞(まえだ・たもん)は、元は文部大臣だが、師匠の新渡戸稲造と同じくクェーカー信徒であったからしょうがない。それでも、海軍大将で学習院の院長を務めた山梨勝之進も選定に加わっていたんだから、反対してもよさそうなものだった。( 加瀬俊一 「新天皇・明仁陛下の『帝王学』」、『諸君 !』1989年3月号、p.85.) 本当にガッカリしてしまうが、当時、東宮の常勤教育係だった小泉信三博士(慶應義塾大学の塾長)も賛成派で、ヴァイニング夫人を温かく迎えた一人であった。まことに残念だが、皇太子時代の上皇陛下は、昭和天皇が受けた帝王学とは断絶した文弱教育を受けてしまった。皇室の藩屏になるべき側近が、悉く、尚武の精神や勤王精神を忘れ、「事なかれ主義の役人」と化しているんだから、秋篠宮殿下の御判断が裏目に出たのも当然だろう。

  形式的には、眞子内親王殿下と小室圭は「民間人」とか「一般人」となっている。だが、眞子様が皇族であることには変わりなく、これからも皇族の威光を狙った輩がたくさん群がってくるだろう。第一、亭主になった小室圭が皇室ブランドで稼ぐ訳だから、皇室の名誉は小室親子によってズタズタにされてしまうだろう。能無し亭主でヒモにしか見えない圭は、これから永遠に「プリンセスの夫」を看板にして仕事を取るはずだ。大半の日本人が察しているように、小室圭を雇った「ローウェンシュタイン・サンドラー」社は、最初から小室氏のステータスを目当てにしている訳だから、彼が何と言おうとも「ロイヤル・パワーの魔術師」という役割を押しつけてくる。たとえ、小室氏が司法試験に受かっても、彼には日本絡みの依頼しかない。普通のアメリカ人は小室圭を馬鹿にするから、この若造に依頼を持ちかける顧客はいないだろう。

  これは筆者の単なる妄想だけど、いったい、秋篠宮家は小室圭にいくら注ぎ込んだのか? もし、皇室に秘密の資産があるなら、数億円の予算を使っているのかも知れないぞ。小室圭との結婚を許可した時には、既に何十年先までの「計画」が練られていた可能性だってある。眞子内親王殿下は「圭君の実力だけで入学や就職ができた」と思っているが、父親である秋篠宮殿下が娘に真相を話すことはない。お嬢さん育ちの内親王殿下は、国民に向けて「事実無根の誹謗中傷です!」と叱りつけたが、世間通の日本国民なら「真相を知らないお姫様の戯言(たわごと)かなぁ〜」と思ってしまう。26日の記者会見がインターネット上で炎上したのは、皇族と国民の間に大きな認識のズレがあったからだ。秋篠宮殿下が早い段階で小室圭を「凡庸な平民」にしておけば、一般国民の激昂は無かったであろう。嘘を嘘で塗り潰すことで平穏な日々が現れるとは思えない。正直になれば、皇族の体面は傷つくが、反省の後には心の開放感を得られる、と思う。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68876586.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/291.html#c44

[近代史3] プチエンジェル事件の顧客と噂されている秋篠宮・高円宮はロリコンなのか? 中川隆
99. 中川隆[-15710] koaQ7Jey 2021年10月30日 12:30:39 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[31]

2021年10月30日
不合格?「小室圭」の名前が無かった !
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68876586.html


宮内庁の計算ミスなのか?

Princess Mako 883234Komuro 999218

 10月29日の深夜、小室圭が7月に受けた司法試験の結果が、NY州法務委員会(New York State Board of Law Examiners)のホーム・ページで公表された。マスコミ報道によると、合格者リストに小室氏の名前は無かったという。筆者も「まさか・・・」と思ったので、一応、「July 2021 Bar Examination Results Public Lookup」を覗いてみたんだけど、やっぱり無かった。ただし、法務委員会によれば、追加の合格者もいるというので、もしかすると小室氏の合格があるのかも知れない。だから、現時点では「不合格」と断定することは時期尚早。これは筆者の意見なんだが、もし、今回、司法試験に落ちても、来年の2月に試験が開催されるから、どうしても小室氏が弁護士になりたければ、再びチャレンジすればいい。別に、初回で合格することが目標じゃないんだから。

  でも、週刊誌や一般国民は、「待ってました !」とばかりに大騒ぎ。とりわけ、小室圭に反感を募らせる国民は、「やったぁぁ〜 ! 小室圭が落ちたぞぉ〜!」と欣喜雀躍。確かに、皇室ブランドを利用して数々の特権や利権を手にしてきた小室氏だから、みんなから揶揄されても当然だ。特に、10月26日の記者会見を視聴した一般国民は、あまりにも一方的な「叱責会見」を耳にして、「えぇぇ〜、俺達は根拠の無い、間違った情報に基づく噂話で、お二人を誹謗中傷していたのかぁ〜?」と驚き、一部の国民は憤慨した。しかも、圭君は眞子内親王殿下の“指示”に従って動いていたというんだから更に驚く。となれば、一連の忖度サービスも眞子内親王殿下の差し金だったのか?

  26日の記者会見はどうみても失敗で、竹田恒泰も「虎ノ門ニュース」で「火に油を注ぐようなもの」と評し、「やらなければよかった」と嘆いていた。筆者も同感で、どうせ記者からの鋭い質問は受け付けず、眞子内親王殿下の見解だけを述べるだけなんだから、どんな結果になるのかは“大凡(おおよそ)”察しがつく。それなのに、宮内庁は弁明用の台本ばかりに執着し、あとは振付師やマナー講師を雇って、演者の二人にお辞儀の仕方や喋り方のレッスンを授けるだけだった。眞子様の説教を聞いていると、「あぁ、先生の前で何度も練習されたんだなぁ〜」と判るし、小室圭が口にした「眞子様を愛しています」というセリフは、如何にも演出家が考えそうなセリフだった。もっと不愉快だったのは彼の笑顔で、「そんなに皇族と結婚できて嬉しいのか !」と腹立たしくなる。

  小室氏が受けた利益や怪しい経歴については以前の記事で述べたから、ここでは省略する。ただ、筆者が不満なのは、宮内庁職員の怠慢だ。本来、宮内庁の役人は秋篠宮殿下を補佐すべき立場なのに、その本分を忘れ、なるべく波風を立てないよう努めるばかりであった。西村泰彦(にしむら・やすひこ)長官だって、元は警察官僚なんだから、少しくらいは智慧があったはず。もし、不用意に小室氏へ特典を与えれば、すぐ世間の注目を集めてしまい、一般国民の間から「何だ、それ、依怙贔屓じゃないか !」とか、「こんなの、ロイヤル・パワーの濫用だ !」という非難が起きるじゃないか。ただでさえ、小室佳代の借金問題や男性問題があるんだから、小室圭が「米国の大学に入りたい」と懇願しても、「そんなのは駄目 ! 自分のお金で実現しないさい!」と窘(たしな)め、 「ちゃんと日本で働き、資金を貯めてからの留学にせよ !」と叱るべきだった。それなのに、眞子内親王の要望を聞き入れてしまったので、恩恵と忖度、そのうえ特典までが雪だるま式になって、「優秀な小室圭」という虚像が誕生してしまったのだ。

  だいたい、小室氏が三菱UFJ銀行や奥野総合法律事務所に就職できたのも、皇室ブランドかコネ採用があったからで、彼の実力が認められたからではない。フォーダム大学への入学だって、理事会や経営陣がプリンセスの婚約者を迎えたかったからだろう。米国の社会事情を知っている日本人なら直ぐ分かるが、彼の学力が卓越していたからではない。そもそも、小室氏はロー・スクールのJDコースをちゃんと履修できたのか? 皇室を支援する国民でさえ、小室氏の司法試験には疑問を抱き、本当に受験資格があったのか、試験に合格する程の学力があったのか、と疑っているのだ。もし、皇太弟殿下と宮内庁が眞子内親王殿下の懇願を斥け、小室氏に平凡な人生を歩むよう諭していれば、こんな大騒ぎにはならなかったであろう。

  だいたい、敗戦後、皇室を支える補佐役には“いかがわしい”者や不適切な人物が少なくなかった。例えば、上皇陛下が皇太子時代であった頃、首相の吉田茂が仕えたことは有名だが、赤い松本重治(まつもと・しげはる)なんかが混ざっていたんだから驚きだ。(松本氏は逆賊の近衛文麿に仕えた助言者で、共産主義者と連動する売国奴。) まともだったのは、外務官僚で初代国連大使であった加瀬俊一や、イギリス大使館附武官を務めたこともある辰巳榮一(たつみ・えいいち)陸軍中将くらい。一番ウンザリするのは、クェーカー信仰を持つエリザベス・ヴァイニング(Elizabeth Janet Gray Vining)夫人が明仁殿下に仕えたことだ。乃木希典大将のような武人ではなく、反戦主義者の未亡人が殿下の家庭教師なんだから、正常な日本人であれば呆れてしまうだろう。

  確かに、昭和天皇が教育使節団のジョージ・D・ストッダード(George D. Stoddard)団長に家庭教師の派遣を依頼されたが、よりにもよって、女流作家の平和主義者を選ばなくってもいいじゃないか ! そもそも、ヴァイニング夫人を教師にしようと進言した小日向会の前田多聞(まえだ・たもん)は、元は文部大臣だが、師匠の新渡戸稲造と同じくクェーカー信徒であったからしょうがない。それでも、海軍大将で学習院の院長を務めた山梨勝之進も選定に加わっていたんだから、反対してもよさそうなものだった。( 加瀬俊一 「新天皇・明仁陛下の『帝王学』」、『諸君 !』1989年3月号、p.85.) 本当にガッカリしてしまうが、当時、東宮の常勤教育係だった小泉信三博士(慶應義塾大学の塾長)も賛成派で、ヴァイニング夫人を温かく迎えた一人であった。まことに残念だが、皇太子時代の上皇陛下は、昭和天皇が受けた帝王学とは断絶した文弱教育を受けてしまった。皇室の藩屏になるべき側近が、悉く、尚武の精神や勤王精神を忘れ、「事なかれ主義の役人」と化しているんだから、秋篠宮殿下の御判断が裏目に出たのも当然だろう。

  形式的には、眞子内親王殿下と小室圭は「民間人」とか「一般人」となっている。だが、眞子様が皇族であることには変わりなく、これからも皇族の威光を狙った輩がたくさん群がってくるだろう。第一、亭主になった小室圭が皇室ブランドで稼ぐ訳だから、皇室の名誉は小室親子によってズタズタにされてしまうだろう。能無し亭主でヒモにしか見えない圭は、これから永遠に「プリンセスの夫」を看板にして仕事を取るはずだ。大半の日本人が察しているように、小室圭を雇った「ローウェンシュタイン・サンドラー」社は、最初から小室氏のステータスを目当てにしている訳だから、彼が何と言おうとも「ロイヤル・パワーの魔術師」という役割を押しつけてくる。たとえ、小室氏が司法試験に受かっても、彼には日本絡みの依頼しかない。普通のアメリカ人は小室圭を馬鹿にするから、この若造に依頼を持ちかける顧客はいないだろう。

  これは筆者の単なる妄想だけど、いったい、秋篠宮家は小室圭にいくら注ぎ込んだのか? もし、皇室に秘密の資産があるなら、数億円の予算を使っているのかも知れないぞ。小室圭との結婚を許可した時には、既に何十年先までの「計画」が練られていた可能性だってある。眞子内親王殿下は「圭君の実力だけで入学や就職ができた」と思っているが、父親である秋篠宮殿下が娘に真相を話すことはない。お嬢さん育ちの内親王殿下は、国民に向けて「事実無根の誹謗中傷です!」と叱りつけたが、世間通の日本国民なら「真相を知らないお姫様の戯言(たわごと)かなぁ〜」と思ってしまう。26日の記者会見がインターネット上で炎上したのは、皇族と国民の間に大きな認識のズレがあったからだ。秋篠宮殿下が早い段階で小室圭を「凡庸な平民」にしておけば、一般国民の激昂は無かったであろう。嘘を嘘で塗り潰すことで平穏な日々が現れるとは思えない。正直になれば、皇族の体面は傷つくが、反省の後には心の開放感を得られる、と思う。

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[近代史6] 最美の音楽は何か? _ バーバラ・ヘンドリックス「黒人霊歌」 中川隆
1. 中川隆[-15709] koaQ7Jey 2021年10月30日 13:13:10 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[32]

Date: 10月 29th, 2021
Negro Spirituals

ずいぶん昔、一度聴いただけでそれっきりというディスクは少なくない。
最初に聴いた時に、なにか感じるものがなかったりしたのか、
心に響かなかったのか、聴き手として未熟だったのか、
理由は他にもあるだろうし、その時その場合によって違っていようが、
とにかく、そういうディスクがある。

昨晩は、そういうディスクの一枚を、たまたまTIDALで見かけたので聴いていた。
バーバラ・ヘンドリックスの“Negro Spirituals”である。

1983年の録音、当時、評判にもなっていたので一度だけ聴いている。
自分で買って聴いたわけではない。
どこで聴いたのかも、もうおぼろげだ。

そんな“Negro Spirituals”を聴いていた。
ほんとうにいいアルバムだ。
いまごろになってそのことに気づいた。

私の知人に、理想の女性は待っていてもダメだ、という男がいる。
とにかく女性との出逢いに関しては、かなりというよりも、おそろしく積極的である。
具体的なにどんなことをやっていたのかは、
いまの時代、同じ行動をすれば、間違いなくストーカー扱いされるはずだ。

昭和という時代だったから、
そんなやり方もストーカー呼ばわりされることなく、くり返せたのだろう。

知人がいわんとするところはわからないでもない。
でも、私はほんとうにそうだろうか、と思う男だ。

実は、すでに出逢っているのかもしれない──、
ただそのことに、こちらが気づかないだけである。

彼は音楽に関しても、ものすごい量のCDを買って聴いている。
おそらく音楽に関しても、女性に対する考えと同じなのだろう。

理想の音楽を求めて、ただ待っているだけではダメ、
こちらから積極的に行動しなければ、ということなのだろう。

完全に受身では、生涯をともにできる音楽とは出逢えないだろう。
ある程度の積極性はむろん必要である。
けれどそれも限度というものがあるはずだ。

理想の女性、理想の音楽を求めて、
それまで出逢っていない女性、音楽を追い求める。

彼はおそらく、これまで聴いてきた音楽に、
すでにあったことに気づかないかもしれない。

“Negro Spirituals”に気づいた私は、よけいにそうおもっている。
さいわいなことに録音された音楽とは、再会できる。

http://audiosharing.com/blog/?p=35833



http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/993.html#c1

[近代史6] 最美の音楽は何か? _ バーバラ・ヘンドリックス「黒人霊歌」 中川隆
2. 中川隆[-15708] koaQ7Jey 2021年10月30日 13:15:27 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[33]
黒人霊歌【こくじんれいか】
ニグロ・スピリチュアルズnegro spiritualsとも。
米国南部で奴隷となっていたアフリカ黒人が歌った宗教的な歌。

白人の聖書,賛美歌と,アフリカ起源の音感やリズムが合成されたものといえる。旧約聖書の伝説を多く含んだ歌詞は,奴隷としての苦しい境遇からの,信仰と想像による逃避を願うものが多い。奴隷制度が廃止(1865年)された後に,1871年から合唱団フィスク・ジュビリー・シンガーズによって白人好みに洗練されたものが米国全域に紹介され,黒人霊歌として世界にも知られるようになり,一方,教会内ではゴスペル・ソングとして発達した。


黒人霊歌 black spirituals

アフリカ系アメリカ人が奴隷時代につくったキリスト教宗教歌。ブラック・スピリチュアルズ。かつては「ニグロ・スピリチュアルズ」とよばれたこともあったが、現在はほとんど用いられていない。

つくられた時期も作者も不詳だが、19世紀初頭ごろにプロテスタントのイギリス系白人の農場で働く奴隷黒人たちが歌い始めたことは確かと考えられる。歌詞の内容は『旧約聖書』中の物語に取材したものが多く、苦しい現実からの逃避、キリスト教が約束した信仰による来世での自由と幸福の希望が歌われる。音楽的にはアフリカ的要素とヨーロッパ的要素が融合され、五音音階を基調とした単純な音階、シンコペート(切分)されたリズム、躍動するビート感覚などを特徴とする。黒人たちの集まりで合唱され、合唱音楽として整えられ発達した。

 黒人霊歌は、19世紀後期の大衆娯楽の一つである旅回り芸能集団ミンストレル・ショーに取り入れられて普及した。また、黒人教育とキリスト教伝道のためテネシー州ナッシュビルに設立されたフィスク大学が資金難となったとき、資金募集を目的として結成された合唱団フィスク・ジュビリー・シンガーズThe Fisk Jubilee Singersが1871年から全米各地およびヨーロッパでも公演したことによって広まった。そして、ゴスペル・ソングやジャズの母体の一部ともなり、今日ではアメリカ民謡の一種となっている。

代表的な名歌に『深い河』『だれも知らない私の悩み』『スイング・ロウ、スイート・チャリオット』『ジェリコの戦い』『行け、モーゼ』『時には母のない子のように』などがあり、世界的に親しまれている。

https://kotobank.jp/word/%E9%BB%92%E4%BA%BA%E9%9C%8A%E6%AD%8C-64065
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/993.html#c2

[近代史4] 音楽は女性ヴォーカル以外は必要ない 中川隆
35. 中川隆[-15707] koaQ7Jey 2021年10月30日 13:16:37 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[34]
最美の音楽は何か? _ バーバラ・ヘンドリックス「黒人霊歌」
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/993.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/575.html#c35
[近代史5] 音楽関係投稿集 中川隆
35. 中川隆[-15706] koaQ7Jey 2021年10月30日 13:18:58 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[35]
最美の音楽は何か? _ バーバラ・ヘンドリックス「黒人霊歌」
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/993.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/397.html#c35
[リバイバル3] ジャズピアノ御用達 JBL D120(2130) と D110(2120) 中川隆
7. 中川隆[-15705] koaQ7Jey 2021年10月30日 14:16:28 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[36]
JBL 2120のこと 〜山下トリオを聴け〜
2021-10-06
https://ameblo.jp/oohpopo/entry-12702052283.html


https://ameblo.jp/oohpopo/image-12702052283-15011534587.html


ステージやスタジオのモニター用、フェンダーのギターアンプでもお馴染みの
D110のオーディオ・ユースがこの”Pro.#2120”となる。

(サンスイ経由が2120で、サンスイ以外がD110というわけである。
K110は型番以外の相違なし、後のSFGのE110も基本的には同じ)

10inchのエキステンデッドドライバーで、
JBLドライバー群においても、名器と自信を持って言う。

持ち前の高能率で音離れが良く、明るくスパーンと前へ出る。
それでいて中庸な口径のせいもあってか、
デリカシーのある(JBLの中では)繊細で、

時には艶と陰影のある表現すらも可能だ。

10inchは何といっても、中低域〜中高域の
ピントのあったシャープな楽器のソロが聴け、
ヴォーカルも肥大せず、それでいて横で歌っているような
ライヴ感と供に、キリっとしまった口元で歌う。

(小口径の20smのLE8Tだと、ジャズのダイナミズムが出てくれない。

8inch口径は小さすぎで、所詮、箱庭的なのだ。

逆に15inchのエキステンデッド・レンジだと中域のソロがぼける。

ピントをシャープにするなら、ミッドハイドライバーの2425や2445などで

ミッドから上は、ホーンを使わないといけなくなる。)

2120(K110/D110)は何でも得意だが、特にピアノは10inchの良さを発揮し
コリっと気持ちよく立ち上がる。

ALやクラシックJBLの潮流の正当継承された音は
創始者James・B・Lansingの直系の伝統のサウンド。
Lansingが生きていたら、涙を流して喜びそうなその音の性格は
ALの600BやD130Aの小口径の現代版だ。

ジャズファンは特に20pという寂しい口径で低能率でマイルド、

JBLらしからぬ暗めの音で、名前だけ有名なLE8Tなんぞを、

ストレスを溜めつつ使うより、この2120を使うべしなのだ。


他に2130という12inchの超弩級のエキステンデッドもあり、
ホーンを配すなら12inch、ツイーターを6db位で乗せるなら
この10inchの2120だろう。

大河ドラマのタイトルではないが、
「青天を衝け」とは、まさに2120(D110)や2130(D120)の音の形容の為にあるのだ。

クレイ / 山下洋輔トリオ

世界のヤマシタである。

世界に誇る日本人なら植村直己さんやイチローさんなどと供に
真っ先に名前を挙げたい天才。

その山下洋輔トリオが全盛期で最も過激な頃、
1974年ドイツでのライヴ録音。
疾走する鍵盤から放出される刃のような音のエッジ、
破壊と創造の複合的循環。
最高傑作の誉れ高い世界のヤマシタここにあり。

スピード感と音がバッフル周辺でとどまらずに、
ソロがこちらへ飛んで来ないとjazz再生ではない。
10inchや12inchの中域の充実したスピードのある
エキステンデッドドライバークラスでないと
ヤマシタトリオは聴けない。
もちろん、聴く側の体力・知力・忍耐力(?)も試されるのは
言うまでもない。

https://ameblo.jp/oohpopo/entry-12702052283.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1116.html#c7

[番外地10] あのお母さんは教頭と担任だけをトカゲの尻尾切りして終わらせようとしているのです。 中川隆
1. 2021年10月30日 16:51:44 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[37]
どんな名誉棄損のデマでも 7割は真実で残りの3割だけが尾ひれです。というのは一般論だよ。
どんな名誉棄損のデマでも 5割は真実で残りの5割だけが尾ひれです。であっても本質はかわらないよ。

名誉棄損のデマで 10割尾ひれです。という事は有り得ない、という事だよ。
『彼女の家はモンスターペアレント』というのが旭川の人が思っている事だからね。
まともな家庭だと思っていた人は誰も居なかったみたいだね。だから先生に相談しても相手にされなかったんだ。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/134.html#c1

[近代史4] 中川隆 _ ホラー映画関係投稿リンク 中川隆
14. 2021年10月30日 19:14:13 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[38]
ザ・ヴィシャス・ブラザーズ『グレイヴ・エンカウンターズ』 2011年 カナダ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1197.html

アントニオ・マルゲリーティ 『幽霊屋敷の蛇淫』 1964年 伊=仏
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/675.html

ハーヴェイ 『恐怖の足跡』(Carnival of Souls) 1961年 アメリカ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/673.html

マリオ・バーヴァ 『白い肌に狂う鞭』 1963年 イタリア/フランス
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/668.html

J・A・バヨナ 『永遠のこどもたち』(El Orfanato)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/661.html

ラッキー・マッキー 『ザ・ウーマン 飼育された女』 アメリカ 2011年
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/669.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/193.html#c14

[近代史5] ホラー関係投稿集 中川隆
10. 中川隆[-15704] koaQ7Jey 2021年10月30日 19:15:12 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[39]
ザ・ヴィシャス・ブラザーズ『グレイヴ・エンカウンターズ』 2011年 カナダ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1197.html
アントニオ・マルゲリーティ 『幽霊屋敷の蛇淫』 1964年 伊=仏
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/675.html

ハーヴェイ 『恐怖の足跡』(Carnival of Souls) 1961年 アメリカ
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/673.html

マリオ・バーヴァ 『白い肌に狂う鞭』 1963年 イタリア/フランス
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/668.html

J・A・バヨナ 『永遠のこどもたち』(El Orfanato)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/661.html

ラッキー・マッキー 『ザ・ウーマン 飼育された女』 アメリカ 2011年
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/669.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/408.html#c10

[近代史5] 山へ行こう 中川隆
16. 2021年10月30日 19:57:58 : y9oJSsGeWg : LzAuSFZDVkpiMEU=[40]
【ゆっくり解説】北海道学芸大学山岳部 遭難事故




【ゆっくり解説】今回は1962年に起きた北海道学芸大学山岳部 遭難事故をお届けします。

1962年、愛知大学薬師岳遭難事故が有名ですが、実は同時に北海道でも大学生の遭難が起きていた。
荒れる天候、一体北海道の遭難はどのようなものだったのか…。

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/422.html#c16

   

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