39. 2019年10月15日 11:37:00 : cckJUQJ9HA : LlQuT2lUMnp0MS4=[1]
「民主主義」という言葉が正しくないことが問題。
「民」が有権者の唯一定義だとするなら、
「官」に選挙権が有っていいわけないからなあ。
当然「在日コリアン」も、選挙権が与えられるわけがないのに、
「民主党」と名乗る政党が、在日コリアンに選挙権与えると言っている。
有り得ない矛盾だ。
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「民」が有権者の唯一定義だとするなら、
「官」に選挙権が有っていいわけないからなあ。
当然「在日コリアン」も、選挙権が与えられるわけがないのに、
「民主党」と名乗る政党が、在日コリアンに選挙権与えると言っている。
有り得ない矛盾だ。
ただ、日本国憲法には15条として、
「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」
としているので、
日本におけるdemocracyの定義は、
「選挙」というdemo示威行動により、
「選挙の結果に従う」ことがdemocracyと、
概ね理解できると思う。
だからdemocracyとは、「選挙主義」と訳すのが言語上正しい。
要するに「多数派主権・大衆迎合主義」ということだよね。
社会主義陣営というのは、
「基本的人権のうち社会権を主張する」
という意味はない。
あくまで「ソビエト」という国際機関をcommuneの中心に据え、
自分たちは其れを形成する衛星国のcommuneとして、
一国ゞのnationalismを煽動する政治結社である。
共産党の綱領にはっきり書いてあり、
@ nationalismを煽ること、
A 中小企業経営者をProletariatと定義(これの代表組織が独裁者する)すること、
B slaveは収奪されねばならないこと、
以上は人民戦線構築の基本戦略と明示されている。
自由陣営が、
「基本的人権のうち自由権を主張する」
というのも正しくない。
ただ日本国憲法記載の基本的人権の定義とは、
基本的人権のうち社会権を含まないので、
現政権は社会権の拡大を政権反映させたいため、
基本的人権のうち自由権の縮小を指して、
「憲法より基本的人権の記載を削除」
と言っていることは正しい。
日本における自由陣営と社会陣営とは、
実は同じ勢力である。
どちらも共産党communism partyである。
「自由民主党と名乗る共産党」と、
「日本共産党と名乗る共産党」があり、
自由民主党と名乗る共産党を
日本共産党と名乗る共産党が攻撃することで、
自由民主党と名乗る共産党を、
「共産党ではない」と有権者に錯誤させる。
共産化が進んでいるのに、
民主化が進んでいると有権者に錯誤させる。
その目的にて両党は、
正に共闘ならぬ競闘をしているのだ。
あと、私は貴君が期待する人ではないよ。
人間は肉体だけで構成された動物の一個体で、
spirit(霊)ghost(魂)を有さない、
生存競争優勝劣敗の生き残りの事実のみに正義を求めた、
「宗教を否定する目的で構築されたアンチ宗教」、
「ressentiment教・反動主義を教義化したもの」だ。
すべて生き残った少数が正義であり、
優勝劣敗の敗者・失われる者とは、
それが愚かなことにより失われるのであって、
親とはただ自分を生んだだけの物体であり、
親愛・感謝など生産性に結びつかない何事とも創価に符号せず、
ただゞ自分が勝利者たると自分が信ずることのできる地位、
あるいは他人に自分が勝利者だと思わせられる地位、
または他人を敗者と他人に思い込ませる詐術、
それ等によって構築される、
「少数至上主義(commune x ism)のことである。
人類は1950年代より世界的規模で、
spirit Communicationという精神生命感について、
これを科学的に立証していく過程が生まれ、
それを機に唯物論・反動主義共産の共産体制は、
世界中から支持を失い退潮してゆく流れとなった。
唯物論・反動主義によって生まれた、
非道徳教義である共産教が人類を滅ぼしかかった瞬間、
人類に生じた癌細胞共産教に対するVakzinとして、
唯物論の否定が科学的に証明されていくことで、
人類の治癒力は人類の滅亡を自力で治癒したのである。
共産教が病巣として蔓延る形態とは、
2つの決定的な定義を備えている。
1つは「王の否定」である。
(王とは民族の魂の拠り所となる国教の司祭を勤める閨閥のこと)
1つは「多数派主義の否定」である。
「血縁による宗教観・国民による多数決」
この2つを否定することで、
道徳上その誕生を許されない権力が、
地上に立地し得る。
それが「学閥至上主義」。
共産主義とは、
学閥による反動主義・唯物論信奉教である。
その永久会長として、
任命された者である。
http://www.manjiro.or.jp/backnumbers/foundation/index02.html
デビッドロックフェラーは、
1980年代に起こった“アメリカ合衆国新自由主義化”の波に、
日本を資本主義陣営から切り取って、共産軍に編入することで、
ソビエトに代わる新たな「極」を中華人民共和国に求めることで、
その資本の“脱アメリカ合衆国”“入植中華人民共和国”の実現のため、
デタントの終結によって崩壊する軍産複合体の「極」構築を目指した。
小沢一郎は、
官民共同体の再構築を図るため、企業と官僚とで共同事業を行う組織を編成、
ジョン万次郎の会は、その折衝の場として、官僚と経団連企業に解放された。
通産省と経済企画庁(現・経産省)
運輸省と建設者(現・国交省)
郵政省と自治省(現・総務省)
外務省は、
その軍門に降った。
東京電力は、
代々これの顧問を務め、事実上、ジョン万次郎の会は、
小沢一郎と東京電力によって、日本の省庁の半分を支配する勢力となった。
その収益が、
当時、1機のジェット戦闘機すら保有できない中華人民共和国を、
世界最大級の軍事国家として、崩壊するソビエトに代わって、デタント終了後、
失われる軍産複合体の、存続し続ける理由・棲家とするため、
中華人民共和国の開発資本として投じられるのである。
そこで小沢一郎は、共産軍側の連立政権を樹立することで、
日本をアメリカ合衆国と対峙反目する、多極構造参加国へと導くため、
自由民主党を捨て去り、日本社会党とCIA日本支部である公明党の、
事実上の合併を画策し、共産軍側の政治家へと豹変を果たすのである。
これが現代日本における「反米活動を行うネット民の正体」だ。
共産党だと死ぬ
それだけだろ?
日夜、政権批判を繰り返すことで、政権批判同意者を釣っては、
過去投稿歴だの、アクセス歴だの、
投稿者の素性を嗅ぎまわり、
政権批判投稿者を特定しようとする。
体制側のお巡りさん。
よう見てや?
阿修羅の山本太郎支持者って、
前河やら、日高見やら、
お巡りさんばっかりやで?
お巡りさん、
どうして山本太郎の支持してんの?
釣れますか?w
●communismの主権者communeには、
[共産]という日本語上の語彙は無い。
●communeとは、
[限られた人々]という意味である。
●単純に、
[極少数による独裁を信奉する]
との考え方。
●これがcommunismであって、
それ以上の意味も、
それ以下も意味も無い。
●[communismを共産主義と訳す]ことは、
単なる[誤訳]である。
そして、その道筋が、
巨万の人間の心をとらえたということは、歴史的事実である。
その間違いを明らかにすることなく、
次の本当の人間社会への本当の道筋を見つけることができると思えない。
●マルクスの友人・エンゲルスは、
商品が誕生したのは、
今から5000年〜7000年前ととらえる。
―5000年〜7000年前―
・・・・・・商品の誕生・・・・・
おそらく、
ここは奴隷制社会で、
商品の考察とは、
商品が誕生したここで行う必要がある。
ここから出発して、原始の社会の物々交換へともどって考察することも必要だ。
なぜなら、
商品経済は物々交換経済と密接に結びついているからである。
人間社会の経済は、
物々交換経済から商品経済・資本制経済へと発展してきた。
[物々交換経済 から 商品経済・資本制経済]
商品は、
人間経済のこの壮大な発展の中で生まれる。
ところがマルクスは、
この壮大な経済発展の歴史を抜きに、
ただ限られた資本制経済の中だけで商品の考察を行ってく。
そして、
その考察の狭さが重大な間違いへとつながるのである。
➖マルクス『資本論』の間違いについて➖
●マルクスの共産主義論をその根底から支えているのは、マルクスの『資本論』である。
●『資本論』の中で、
商品の分析をはじめたマルクスは、
次のような考察をする。
●商品Aと商品Bが等しいという時、
いったい何が等しいのか?
商品A=商品B
このとき、
商品Aと商品Bとのあいだに何か共通する同じものがなくてはならない。
たとえば、
商品Aがあたたかいコートなら、
「寒さを防ぐ」
という使用価値がある。
商品Bが時計なら、
「時間がわかる」
という使用価値がある。
この使用価値の大きさには、
具体的な基準が無い。
したがって、
使用価値の大きさで、
商品Aと商品Bは等しいといっているのではない。
そこでマルクスは、
商品Aと商品Bとの間に、
1つの共通点を見つける。
それを、
それぞれの商品を生産するときに支出した労働量とした。
商品Aを生産したときに支出した労働量と、
商品Bを生産するときに支出した労働量が、
同じだととらえた。
そして、
支出した労働量が累積(るいせき)して、
商品の中に価値をつくっている。
このように論じた。
●人間の労働が、
商品のなかに累積し価値をつくる。
これが、
マルクスの労働価値説で、
これが、マククス資本論の前提となっている。
さて、
マルクスが考察したこの商品はすでに出来上がった商品である。
しかし、
商品には歴史がある。
ただの生産物が商品となっていった歴史だ。
商品経済が発達すればするほど、
このまちがいが、
明らかになっていった。
➖相対主義・絶対主義➖
マルクスの考察によると、
商品の価値は変動しない。
すなわちこの時点で、
マルクスの労働価値説は間違っているということになる。
何が間違いなのか?
マルクスは、
「支出した労働が価値をつくる」
ということを法則(絶対主義)として、
とらえているからである。
マルクス価値法則とは、
商品を生産するときに支出した、
社会的・抽象的必要労働量が商品の価値。
「支出した労働が価値をつくる」
というとらえ方は、
マルクス経済学では、
法則=[絶対]である。
マルクス価値法則は、
資本制社会を貫く法則としてとらえら、
法則は例外を認めないので、
例外があれば、
それは法則とは言えない。
しかし、
商品の価値は本当に変動しないだろうか?
1として商品の価値は、
市場のニーズによって、
変動する。
2として商品の価値は、
流通する生産量によっても、
変動する。
3として商品の価値は、
生産工程における技術革新によっても、
これは変動するのである。
(この部分は、マルクスの算式そのものを変動させる)
つまり例外が存在している。
そして例外の商品には、
価値法則が貫かれていない。
法則はすべてを貫くから法則である。
もし法則が一部にでも貫かれないのであれば、それはもう、法則ではない。
だから、
マルクス価値法則は、
法則(絶対主義)として、
もうすでに崩壊している。
マルクス資本論は、
このマルクス価値法則を前提として展開されている。
しかし、
その前提が崩壊している。
商品の中に、
労働が累積した価値が存在しているという事実は無い。
価値法則は、存在しない。
商品の価値は[相対主義]の産物であるのだ。
デフレーションとは、
商品の価値は、
絶対主義によって担保されると信じる者によって、
過剰生産されることに起因している。
つまりデフレーションに陥る社会とは、
マルクス経済理論の誤りに、
陥っているということなのである。
この病魔に冒された社会へのVakzinは、
相対主義を商品生産に導入することである。
すなわち生産業界が、
市場原理という相対主義に気付くことが、
これに当たる。
もしも経済がコントロール出来ないなら?
「経済政策」とは何をコントロールするものなのか?
もしかして「経済政策」とは、
出来もしないけれど、
人を騙すため吹聴される架空公約ということか?
つまり、
山本太郎は嘘を言っていると?
スタグフレーションとは、
生活必需品がインフレーションであるにも関わらず、
生産界においては生活必需品の製造へ転向せず、
相変わらず生活不用品の製造を続けている状態を言う。
言うなれば、
スタグフレーションに陥っている社会こそが、
「日本」である。
日本には、
食料・介護・医療・他リスクマネジメント、
こう言った生活必需品(サービスを含む)が枯渇している。
日本において、
デフレーションは明日にでも解決できる課題である。
デフレーションが解決できない理由は、
デフレーション製品に代わる生産媒体を認知できないからである。
日本には、
今日取り組めば明日から売れる生活必需品が、
溢れかえっている。
しかし、
企業は食料・介護・医療・他リスクマネジメント、
こう言った生活必需品(サービスを含む)の生産に取り組まない。
相変わらず生活必需品ではなく、
ゼロから生活基盤を構築する戦後復旧とか、
貧富の差に憧れる贅沢品の製造生産に明け暮れている。
これは日本の生産界が、
考える力を失っていることを指す。
一方で、
生産界が生活必需品の生産・提供に移行することを、
阻害する帰省と、
それぞれの提供分野に存在するする学会が、
生産界・サービス界への新規参入事業者を拒み、
スタグフレーションを加速させている。
それを分析・考証して、
帰省を緩和する知能と勇気が不足している。
言うなれば、
「日本は、もう老いている」のである。
「老い」た者が市場の専有権を握って新しいことを拒むことは、
「害」である。
従来の共産党は勝つ気が無いので、
いい加減な公約を濫発してでも、
「共産党だけは良い子」の地位を狙ってきた。
勝たないと、
どんな都合の悪い約束をしていても、
果たす立場にならないから、
嘘とバレないからです。
それを今回、
消費税廃止と言わないのは、
「勝つ可能性がある」
そう思っている証拠です。
それだけ日本国民の間に、
消費税の嘘が浸透していて、
もう消費増税しないと日本が破綻するなど、
誰も信じていないということです。
だから今度は、
消費税廃止と言えば、
勝ってしまう。
その他いろいろ負けようとするんだけど、
それでも勝つかも知れないほど、
自民党の方が重傷だと云うこと。
滝口弘人 1966年6月講演
(反独占国民戦線について)
統一戦線は一つの階級の共同利害の下への他の階級の成員が包摂されていくことだから、反独占国民戦線というのは、ただ諸階級、農民、労働者が平等に並んで、共同の敵、独占に対して闘おうというのではないから、反独占国民戦線として実現された場合には、確かにその構成部分に労働者その他もいるけど、それは小市民的要求の下へ、労働者が包摂されてのみはじめて可能である。
(民族民主統一戦線について)
同様に民族民主統一戦線は労働者、中小企業主、農民等々が共同の敵、アメリカ帝国主義と「売国的独占資本」に対して闘う統一戦線だと言っている。
その中身は本来の意味の共同闘争ではない。
政府を目指す統一戦線は、どれかの階級の要求が支配的地位を占めている。
民族民主統一戦線も農民的、中小企業的要求のもとに、労働者が包摂されると言うことを意味する。
(プロレタリア統一戦線について)
我々にとって必要な統一戦線はただプロレタリア統一戦線である。
現在のあらゆる共同闘争において、繰り返し繰り返し共同闘争をプロレタリア統一戦線へと形成していかなければならない。
このための槓杆となるものこそ、一方では、行動委員会運動であり、古い政党の革命的再編成のための分派闘争である。
労働者階級の独立した党によって秩序づけられた、賃金制度の廃棄に向かう労働組合と共に強大なプロレタリア統一戦線を形成してゆかねばならない。
>>12 は、
日本に存在する3つの共産主義者による、
労働戦線の構築概念だ。
立憲民主党を端的に表すと、
立憲民主党が「プロレタリア統一戦線」である。
滝口弘人は社会党の指導者で、
共産党とは仇敵の間柄であったので、
滝口が言うこの統一戦線が、
枝野幸男が有する社会党の過激派の戦略である。
滝口によって非難される共産党の2戦線。
これが自由民主党と、
共産党の分析として重要である。
「民族民主統一戦線」を見てもらうと、
アメリカ帝国主義と戦うため、
農民的・中小企業的要求に、
労働者が包摂されねばならないものを指している。
これは現在の自民党右派(石原派・二階派)の言ってること、
および支持層がそのままである。
「反独占国民戦線」が、
現在の共産党による「野党共闘」と同じものである。
滝口は社会党の指導者なので、
共産党の反独占国民戦線を非難している。
今の枝野幸男が野党共闘に後ろ向きなのと、
実は同じ理由・同じ目的である。
労働組合が指導しない国民戦線など、
意味は無いし、
成功もしないし、
所詮は勝てないと言うことで、
それが社会党であり立憲民主党である。
共産党の歴代の戦術を見て行けば、反独占国民戦線とは、
反動主義とよくわかる。
「敵を作って」「敵に対して共同利害を設定する」
「そして共同利害の下に他の階級を包摂する」
このように論評している。
正に今の共産党が望む野党共闘である。
「共同利害」とは、
他の階級を包摂するために提示されるだけで、
他の階級は共闘すれば包摂される。
これが共産党が、
昔から多様する戦略なのである。
そして野党共闘の未来における結果は、
滝口の予想する通り、
労働者の惨めな包摂に繋がるだけである。
立憲民主党は、
Proletariat独裁の独裁者の地位には、
滝口と同じ、
労働組合(公務員労組・電事連労組)を置いている。
滝口の分析による労働戦線(今の自民党)は、
Proletariat独裁の独裁者の地位には、
農村と中小企業経営者を置いているので、
自民党の支持層は農村と中小企業経営者だ。
滝口の分析による共産党(野党共闘)が、
Proletariat独裁の独裁者の地位とするものとは、
「小市民」とされてある。
小市民とはpetit bourgeoisとも言う。
bourgeoisが「大市民」だから、
言わば企業の2番手グループに、
企業のトップに対し下克上を起こさせる。
これが事実上の共産党の戦略と言える。
そこで、
トップに対し2番手は直接戦えないので、
共同利害を説くことで、
労働者もトップに反旗を翻らせさせて、
2番手グループを独裁者の地位に付けるのである。
だから共産党の戦略によって、
共同利害を説かれて戦力化される労働者は、
企業のトップに2番手グループが立って、
それが独裁者になるだけなので、
実は労働者は共闘すればするほど、
労働者にとって厳しい環境しか構築できないのだ。
消費税は流通円の間引きによる緊縮だから、
物価に対し供給量を減らす効果がある。
すなわち消費税を実行すると円が上がり、
QEを実行するとギャグ転現象として円が下がる。
円が下がれば、
円借款による利息返済の額面も下がる。
緊縮政策とは、
その他に歳入の見込めない日本政府が、
止むを得ず進行させている政策と言える。
共産・立憲は立憲の主導での選挙区調整まで決まってる。
山本太郎が立憲との共闘と言ってる以上、
貴君の投票先は無いよ。
大人しく、
家でTVでも観ていたまえ。
何処の誰なのか?
調べてるお巡りさんに訊けば?
お前はこの時の◎◎なんじゃないか?
とかな。
前河お巡りさんなんて、
返信レスするのに、
その投稿者の過去歴までチェックして返信してくるんだぜ。
異常者、ストーカーだよ。
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