29. 2020年10月07日 13:39:15 : ZY15y2rw0Q : LkNYYVJ3YkpqSmc=[1]
昨2019年7月24日の阿修羅サイト“山本太郎にこんな素敵なコメント”に寄せて、下記コメを載せたが、今読んでも直す必要は全くない。昨参院選から今夏都知事選、そしてそして現今の大阪の都構想住民投票、山本太郎の一連の公開プレゼンは単に街頭説法の域を超えてる。現実の府民・市民の心に浸透し、動かかせる力を持つのが真の学問とすれば、山本太郎の公開プレゼンの場こそ、正にハイレベルの学問であり、いわば民衆の大学だ。山本太郎の公開プレゼンに参加する民衆は、大変な学問に参加してるわけであり、後世我が国が再興の際は、あの公開プレゼンの場がスタートだったと、言われるかも。
これに比較できるのは、明治10年代の自由民権運動の中で、多摩の草深い深沢部落で、名主の権八邸に毎夜村の若ケエ衆が集まり、囲炉裏を囲んで口角泡とばして、ルソーの民約論や米独立宣言等々先端いく権利人権を学んだ、あの時かも。村の若ケエ衆は、千葉卓三郎等を中心に討論を“五日市民衆憲法草案”としてまとめたが、この草案こそ我が国の底を伏流水のように流れ、ついに戦後の現行日本国憲法として陽の目を見た、画期的なものだった。現憲法はアメリカの押し付けとか言うもんがおるが、考え違いも甚だしい。一世紀半以上も前に、村の若ケエ衆が作ろうとしてた憲法、それが現憲法なんだ。何れにしても、山本太郎の公開プ/ゼンの評価は高まる一方だし、歴史の中で後世位置付けられるもんだろう。上述昨7/24付コメを再掲しておく
< 世界一受けたい授業
花農の生徒は羨ましい、賢治先生の授業を何年間も共に聞くことができたなんて、兎に角羨ましい、とものしたんは山尾三省だ。三省は著書の中で、世界一受けたい授業として、賢治先生の授業を挙げた。何年間も共にその授業受けることできた生徒たちがいた、何と贅沢、何と羨ましい事なんだと。
山本太郎が賢治先生の再来とすれば、山本太郎公開プレは彼の講義だから、全国各地公開プレに数百人の聴衆が殺到し、更に数万の者がその状況をネット動画で見てる、賢治先生を彷彿させるんじゃあ、人気でるんは当然じゃな。山本公開プレを聞くことは賢治先生の授業を受けることとオンナシか。公開プレに参加し、聞き、発言する。三省流に言えば、”何と羨ましい、何と贅沢なことなんだ”となるようだ。歴史の過渡期の、まあ、最高の生き方の一つだろう >
http://www.asyura2.com/20/senkyo276/msg/348.html#c29