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[近代史5] 脱炭素と原油価格高騰 中川隆
1. 2022年1月25日 07:40:41 : Gwr9PY9hOY : LjV5N2VBeEFtLms=[1]
極悪の殿堂、東京電力
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1561.html

太陽光発電・風力発電等の再生可能エネルギー発電は国家経済を破綻させ環境も破壊する
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/435.html

太陽光発電は国家経済を破綻させ環境も破壊する
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/144.html

風力発電は環境を破壊するだけでなく低周波音で風車病・睡眠障害を引き起こす
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/145.html

バイオマス発電のウソ 森林伐採しCO2増加を招く
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/322.html

バイオマス発電の為に放火による森林火災が世界中で激増
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1038.html

電力自由化 地方では弊害
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/962.html

新電力の契約プランによって「突然電気代が10倍になった」などのトラブルが多発
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1573.html

原子力発電は本当に危険なのか?
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/148.html

北海道停電で露呈した「原発を稼働しないリスク」
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/261.html

調査報告/原子力発電所における秘密
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/363.html

原発廃炉作業は放射能に強い中国人移民に任せるのが正解
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/520.html

反原発運動は中国・朝鮮工作員が扇動していた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/702.html

菅、枝野、北沢が妨害しなければ福島原発事故は起きなかった
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/747.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/424.html

放射能汚染地帯から子供たちを避難させなかった人々
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/986.html

地球温暖化はデマだった?
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/137.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1453.html#c1

[リバイバル3] 大阪 飛田遊郭 _ やり手ばばぁ がまだ現役でおわします  江戸時代みたい 中川隆
53. 2022年1月25日 07:43:49 : Gwr9PY9hOY : LjV5N2VBeEFtLms=[2]
◆吉原に隣接して山谷ドヤ街がある理由。そして吉原も山谷も衰弱死しつつあること
2022.01.25
https://blackasia.net/?p=29814

あなたは、吉原や山谷に足を踏み入れたことがあるだろうか?

アンダーグラウンドを扱う作家としての職業柄として、吉原の元ソープ嬢と会って話を聞く機会も何度かあった。

若い頃からソープという特別な世界に生きていた彼女たちの話を聞いていると、「吉原」という地域に特別な感慨を持っているというのが言葉から伝わってくる。まるで背後霊に取り憑かれたように。

私は東京都台東区に「吉原」という地名があるものとずっと思っていたのだが、吉原は「吉原遊郭」のなごりから「吉原」と言われているだけで、吉原という地名がそこにあるわけではない。

この吉原遊郭も、最初は現在の人形町あたりにあったのだが、1657年に焼け落ちて現在の場所に移設されている。現在の場所というのは、東京都台東区千束である。

この地区はご存知のように山谷《さんや》と呼ばれる、かつては日本最大のドヤ街だった場所でもあり、山谷をウロウロしていると、いつしかソープ街にまぎれ込んだりするので興味深い。

もっと興味深いのは、大阪のドヤ街である釜ヶ崎(現・西成区あいりん地区)もまた飛田新地が隣に隣接しているということだ。

はじめて私が釜ヶ崎を訪れたのは2014年だったのだが、何も知らないでたまたま釜ヶ崎をうろついているうちに飛田新地に遭遇して驚いた。(ブラックアジア:大阪。あいりん地区と、飛田新地に寄ったので歩いてみた)

もちろん、これは偶然の一致でも何でもない。江戸幕府が意図的に行ったことでもある。順番から言うと、最初に遊郭ができて、次に貧困地区ができた。これは、どういう経緯でそうなったのだろうか?

https://blackasia.net/?p=29814
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/328.html#c53

[近代史02] 作曲家フルトヴェングラーとは何であったのか? 中川隆
41. 中川隆[-14071] koaQ7Jey 2022年1月25日 11:02:30 : Gwr9PY9hOY : LjV5N2VBeEFtLms=[3]
931名無しの笛の踊り2022/01/23(日) 17:38:48.94ID:suvK3FC9
で結論はなんだって?

932名無しの笛の踊り2022/01/23(日) 18:15:12.43ID:Cqa6N3zW>>938
フルヴェンは作曲家として三流で、演奏もウケねらい
ブルックナーを改竄しR.シュトラウスと喧嘩したシャルクこそ王道
ワーグナーを振らないワインガルトナーは貴族


938名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 01:18:29.26ID:xln3EPbN
>>932
ばーかw
ワインガルトナーはワーグナーをたくさん指揮している。
レコード録音もしている。
それを知らないお前は低能無知馬鹿w

939名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 07:58:36.37ID:tVNvLUxE
ワインガルトナーは、1863年に現在のクロアチア(南ヨーロッパ)にあたる地方都市で生まれた、19世紀後半〜20世紀前半を代表する名指揮者。あのフランツ・リストに師事しブラームスとも親交があったというから、もはや音楽史上の人物であるが、そのワインガルトナーが実際に指揮した録音が今日まで伝えられていることは人類にとっての幸いである。
ワインガルトナーが現れるまでの第九は、リヒャルト・ワーグナーやハンス・フォン・ビューローの手によって大きく変えられて演奏されていた。彼らは、ベートーヴェンの作品は楽器の工業製品としての発達、進化がまだ不十分な時代に書かれたということを念頭に「もしベートーヴェンの時代に今の楽器が存在したなら、ベートーヴェンはきっとこう書いただろう。」と考え、楽譜に積極的に手を加えていた。また、テンポや表現法も時代の好みにしたがって感傷的、情緒的に改変して、彼ら自身が欧州各地で指揮者として演奏活動を行なった。その結果、18世紀後半にはこのロマンチック(ロマン派的)な演奏が当時の第九のスタンダードになっていった。
そのような動きに「待った」をかけ、ベートーヴェンの楽譜を子細に研究して大げさな表現を排したのがワインガルトナーだった。しかし、ワインガルトナーも今日言われるような意味での「原典主義者」であったわけではない。彼もまた、楽譜に実に多くの「改変」を行なっている。「ワインガルトナーの改変」として有名なこれら一連の細工については、今日の演奏現場ではあまり顧みられることはなくなったが、この録音によっていくつも確認することができる。
テンポに関して言えばきわめて「中庸」である。ワーグナーが演奏した第九がどのようなものであったかを直接音として知ることはもはやできないが、その後の数々の名指揮者の演奏(たとえばフルトヴェングラーの「バイロイトの第九」)と比べても、ワインガルトナーの演奏は決して熱くなることなく、全体的に淡々と進めることを意図していることがよくわかる。

940名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:03:47.36ID:tVNvLUxE
後にザクセンの宮廷指揮者になったワーグナーは1846年、33才の時にそこで9番を指揮した。シラーの歌詞を重視して自身の楽劇なみに文学性を盛り込んだワーグナーの解釈は、しかし大変にロマン的なものだったと思われる。なぜそう思うことが許されるかというと、そのザクセンの9番演奏会を聴いて指揮者になろうと決心した16歳の少年こそハンス・フォン・ビューローであり、彼はワーグナーの熱烈な崇拝者となるからだ。彼が書き込みをした9番のスコアはワーグナーの解釈をもとにしたものであったという。そしてそのビューローの解釈に真っ向から反旗を翻して敵視されてしまったワインガルトナーの演奏を我々は幸いにもCDで聴くことができるからである。

それは市販されているので興味ある方はご一聴をお薦めする。今の耳にも古臭いものではなく、恣意的なテンポルバートや強弱を排したいわば現代的なものだ。それが「反旗」だったのだから、ビューローの、そしてワーグナーの9番がどんな傾向のものだったか想像がつくのだ。ビューローの名声は指揮者としてだけではない。シューマン夫人クララの父ヴィークにピアノを習い、ベートーベンの愛弟子チェルニー(あの教則本の)の弟子フランツ・リストにも習った。こちらも演奏不能とされたチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番を独奏者として初演もしている。音楽界の大御所である。そういう人の奥さん(リストの娘コジマ)を寝取っておいてなお崇拝させたワーグナーも凄いが、そういう大御所の9番解釈にアンチテーゼを思い切りぶつけたワインガルトナーの蛮勇も快哉である。

941名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:07:04.93ID:tVNvLUxE
ワーグナーの影響と慣例的な改変
今回は、従来の演奏で数多く行われてきた慣例的な楽譜の改変について紹介します。

ドイツ近代指揮者の系譜を辿っていくと、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の音楽監督だったメンデルスゾーンと、地方の重要なオペラハウスを渡り歩いていたワーグナーという二人の全く異なった個性の音楽家に辿りつきます。
メンデルスゾーンの指揮は、拍子をきっちりと示して早めの一定したテンポを保ち、
ニュアンスの変化も必要最小限にとどめた、作品に忠実な客観的な指揮振りだったといわれています。
一方のワーグナーの指揮は、音楽の流れに応じてテンポの緩急を大胆につけ、過剰なまでに抑揚をつけたロマンティックなものだったそうです。作品を再創造する芸術家であることがワーグナーの理想とする指揮者像でした。この流れは後にマーラーやビューロー、ニキシュ、フルトヴェングラーといった指揮者たちに受け継がれました。

第9の作曲された時代は、管楽器が急速な発展を遂げつつある時期でした。
そのためワーグナーは、ベートーヴェンがもし改良された現代の楽器を使用することができるならば、必ずやこのように演奏させたであろうという前提に立って、オーケストレーションの変更を行いました。その影響は絶大なものがあり、それを受けて20世紀前半の名指揮者ワインガルトナーがテンポやデユナーミクも含めた具体的な提言を行い、著書「ベートーヴェンの交響曲の演奏への助言」の中で理論化しています。
以後ベートーヴェンのスコアを近代の大編成オーケストラ向けに手を加えて演奏するのが、つい最近までごく普通のごとく行われてきました。

942名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:07:15.08ID:tVNvLUxE
代表的なものとして、
  ・ 第4楽章冒頭のファンファーレ部分のトランペットをクラリネットと
    同じ旋律を吹かせる。
  ・ 第4楽章の二重フーガで、自然倍音の記譜のみのトランペットパートに
    旋律の欠落部分を加えたり、アルトトロンボーンに最初の2音(D音)を加える。
  ・ 第2楽章の第二主題に木管だけでなくホルンを重ねる。
  ・ 当時の楽器の制約のため、不自然な跳躍を強いられていた、木管楽器の
    セカンドパートの  低音部分を加える。(第1楽章の第2ファゴットの扱いなど)
などですが、
スコア片手に真剣に聞き直すと、トスカニーニのようにやたらとティンパニを加えたり、セルのようにホルンに数多くの旋律を吹かせたりなどと、現実には指揮者によって千差万別、定評のある名盤の多くが独自の改竄の手が入り、同じものは全くないという状況です。
次回から、さまざまな演奏を紹介していきますが、ベーレンライター版が出版されてからまだ日が浅く、ベーレンライター版を参照したとされる録音は十指に満たない状況です。
したがって、これから紹介する演奏の大部分は、ブライトコプフの旧全集版に基づいた演奏となります。

943名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:09:49.42ID:tVNvLUxE
第九を聴く」3 初期の録音…1920年代から30年代初め
管弦楽の録音が始まったのは1909年と言われ、第九は20年代はじめから既に
全曲録音が登場しています。

   ・ワイスマン&ブリュトナー管           1922年
   ・ ザイドラー=ウィンクラー&ベルリン国立歌劇場管 1923年
   ・ コーツ&アルバートホール管           1924年 英語版
   ・ ワインガルトナー&ロンドン響          1926年 英語版
   ・ フリード&ベルリン国立歌劇場管         1928年
   ・ コーツ&ロンドン響               1929年 英語版
   ・ ストコフスキー&フィラデルフィア管       1934年 英語版
   ・ ワインガルトナー&ウィーンフィル        1935年

944名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:10:50.94ID:tVNvLUxE
・ フェリックス・ワインガルトナー(1863〜1942)
  ウィーンフィル、ウィーン国立歌劇場合唱団
  S:ヘルツグルーバー、A:アンダイ、T:マイクル、Br:マイール

リストの弟子で、ブラームスにも高く評価されたワインガルトナーの演奏は、美しくも
ノーブルな第九。ベートーヴェンの権威と言われた確信に満ちた説得力のある名演です。
第2楽章のホルンの追加や第4楽章でのトランペットの補筆など、いたる所で自分の確立させた理論をそのまま実践に移しています。
意外だったのは、第4楽章の歓喜のテーマがチェロとベースで歌われる部分で第1ファゴットが対旋律を受け持ちますが、ここでワインガルトナーは第2ファゴットにベースと同じ動きを吹かせています。これはブライトコプフ旧版には欠落していますが、ベートーヴェンの自筆譜には指示されていて、最近の古楽器による演奏やベーレンライター版による演奏ではごく普通のこととして演奏されています。その後のブライトコップフ旧版を用いている指揮者で、この第2ファゴット部分を採用している指揮者はほとんどいませんでした。

テンポの変動は、第1楽章で多少時代を感じさせる部分もありますが、違和感は感じさせません。録音も当時としては極めて優秀、ウィーンフィルの美しい弦楽器の響きや、第2楽章の木管群の完璧とも言えるアンサンブルも忠実に再生します。
当時のウィーン国立歌劇場のベストメンバーを集めたソリストと合唱も見事なもので、
フィナーレの猛烈な加速もバッチリ決まっていました。
これは20世紀初期を代表する第九の歴史的な名盤だと思います。

945名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:13:31.35ID:tVNvLUxE
「第九を聴く」4 戦前派巨匠の時代 I ・・メンゲルベルクとトスカニーニ
1920年代から40年代前半までのベルリンを中心とするヨーロッパの音楽界は、フルトヴェングラー、エーリッヒ・クライバー、クレンペラー、クナッパーツブッシュ、たちがベルリンフィルや主要なオペラハウスの音楽監督として君臨し、さらにウィーンフィルにはワインガルトナーがいまだ健在、そしてライプチヒ・ゲヴァントハウス管のブルーノ・ワルターとアムステルダムコンセルトヘボウ管のメンゲルベルクが定期的にベルリンに来演し、スカラ座のトスカニーニもバイロイトやザルツブルクの音楽祭で指揮をするといった、まさに空前絶後の大指揮者の時代となりました。

これからの数回は、第2次世界大戦の勃発直前に最盛期を迎えた、これら大指揮者たちの個性的な第九をいくつか紹介していきます。


・ レオポルド・ストコフスキー(1882〜1977)
    フィラデルフィア管、合唱団
    S:ディヴィス、A:カーハート、T:ベッツ、Br:ローウェンタール

ストコフスキーは録音歴の非常に長かった人で、後にロンドン響とのステレオ再録音も残しています。フィラデルフィア管との録音は、明るく楽天的な演奏でした。オケのアンサンブルは実に優秀で、特にオーボエとフルートは傑出しています。
問題は英語版による歌唱で、オー・フロイデ!がオー・ブラーザァー!。これにはかなり違和感を感じます。合唱も独唱もとにかくお祭り気分的な雰囲気で、ストコフスキーの歌い回しもレガートを多用したり、突然テンポを緩めたりと古さを感じさせる大時代的な演奏でした。
ストコフスキーは楽譜にいろいろと手を加える事が多いのですが、当時一般的だった第2楽章の第2主題にホルンを加えてはいるものの、フィナーレ冒頭のトランペットは譜面通りのようです。
今回聴いたのは独ヒストリー社の復刻CDで、これはあまり良質な復刻とは言えず、第2楽章に編集ミスがあり、最初のリピートがおかしな場所で折り返しています。音質も妙なイコライジングと残響付加で不自然な響きでした。

946名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:14:23.67ID:tVNvLUxE
ウィレム・メンゲルベルク(1871 - 1951)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管、 アムステルダム・トーンクンスト合唱団、
S:デル・スルイス、A:ルーヘル、T:トウルダー、Br:ラヴェッリ
 (1938年5月1日 アムステルダム・コンセルトヘボウでの実況録音)

オランダ生まれの名指揮者。24才でアムステルダム・コンセルトヘボウ管の常任になり、 ナチに協力したことでスイスに追放されるまでの50年間、このオーケストラを世界的な水準にまで成長させました。専制君主型の典型で、自分の意思を厳しい訓練で徹底してオケに植え込み、一定の様式化した解釈でオーケストラを自分の手足同様に操りました。
メンゲルベルクの残された録音を聴くと、同一曲の異なった日のライヴ録音を聴いても、テンポの微妙なユレなどが全く一致しているのに驚かされます。
第九も例外でなく、38年と40年の二つのライヴ録音は、全体の印象だけでなく一部分を取り出して聴き比べてみても、微妙な歌い回しやテンポの緩急がほとんど同じでした。
メンゲルベルクの第九は、テンポを自由に動かす濃厚なロマンティシズムに溢れた、超個性的な演奏です。
ポルタメントを多用した第3楽章などまるでチャイコフスキーのよう、管楽器を各所でダブらせていますが、第2楽章の第2主題にはホルンだけでなく、トランペットも加えるという徹底ぶり。第1ヴァイオリンにも各所で1オクターヴ上げさせています。

947名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:14:35.53ID:tVNvLUxE
特に第4楽章はメンゲルベルクの個性が最も顕著に出ていて、バリトンソロが入る2度目のファンファーレ前の木管部分にヴァイオリンを重ねたり、テノールソロが歌う行進曲風の部分におけるトランペットの合いの手を、極端に強調したりしています。またバリトンソロが冒頭部分でテーネーと歌う部分(221小節)は、楽譜ではF−FとなっているのをG−Fと歌わせていました。(これはワインガルトナーも同じ)
そして終結部プレスティッシモ部分、最後の4音の猛烈なリテヌートの急ブレーキは、とどめの一発といった感じで強烈な印象を残します。
ここで変幻自在に変化するメンゲルベルクの解釈にぴったりとついていくコンセルトヘボウ管のうまさは驚異的、まるで同一の周波数でコントロールされている機械のようです。
これはピッチが完璧に合った時の澄んだオケの響きとともに一聴の価値のある演奏だと思います。なお1944年6月、ナチ占領下でのパリのシャンゼリゼ劇場において、空襲警報の鳴り響く緊迫した状況の中でおこなわれた、パリ放送響とのベートーヴェンチクルス最終日の第九がメンゲルベルク生涯最後のステージとなりました。

948名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:15:33.97ID:tVNvLUxE
アルトゥーロ・トスカニーニ(1867 - 1957)
 NBC響、ロバート・ショウ合唱団、
 S:ファーレルA:メリマン、T:ピアース、Br:スコット
 (1952年3月31日、4月1日 カーネギーホール)

イタリアのパルマ生まれ、ヴェルディの「オテロ」の初演にチェロ奏者として参加。
指揮者としては「ボエーム」や「道化師」「トウーランドット」などの名作オペラやレスピーギの「ローマの祭り」などの初演も振っています。
トスカニーニの演奏は虚飾を排し、インテンポで楽譜に忠実なもの。メンゲルベルクが19世紀ロマンティシズムの典型ならば、トスカニーニは即物的な20世紀の演奏スタイルの元祖とも言えるもので、後の多くの指揮者に多大な影響を与えました。
第九はスカラ座管を振ったイタリア語版の演奏やテレビ用の映像も含めて、ライヴ録音が7種残されています。今回はトスカニーニのためにアメリカの国内外の名手を集めて組織されたNBC響との1952年ライヴを聴いてみました。

949名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:15:46.34ID:tVNvLUxE
この第九は、早いテンポ緊張感に溢れ、鍛えぬかれた鋼鉄のような力強さが迸るドラマティックな名演奏です。
楽譜に忠実と言われているトスカニーニですが、ここではテンポは楽譜にほぼ忠実なのに、オーケストレーションにトスカニーニ自身の手が数多く入っています。
ワインガルトナーが提案した改変は、ほぼそのまま採用。特に第1楽章再現部の301小節にティンパニには執拗なクレッシェンドとアクセントを加え、トランペットに1オクターヴ高く吹かせています。ここは同じ改変を行っているメンゲルベルク以上にドラマティックな効果をあげていました。その他に第1楽章の53、54、103、107小節にもテインパニを追加。
また第3楽章までは、テンポや歌い回しは楽譜にほぼ忠実なのですが、第4楽章になると、最初のベースのレチタティーヴォを含めて、急に緩急自在のテンポ運びとなります。
歌唱が入る楽章ということで、長年培われてきたオペラ指揮者としての習性がこのあたりで表面化してきたのでしょうか。バリトンソロの「Tö-ne」もメンゲルベルクと同じG-Fに変え、同じソロの231小節目の「freuden」が長く引き伸ばされている個所では、一度区切って、「freuden」という単語を2度歌わせています。
トスカニーニの改変のいくつかは、グスタフ・マーラーがニューヨークフィルの首席指揮者時代に実践していたことなので、後にニューヨークフィルの首席指揮者となったトスカニーニが、マーラーの譜面への書き込みを見てその影響を受けたのかもしれません(トスカニーニのシューマン「ライン」の録音はマーラー版です。)。
ロバート・ショウの率いる合唱団は力感溢れる見事なもの、独唱者と一体となって硬質なトスカニーニの解釈に見事に同化しています。

950名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:18:50.66ID:tVNvLUxE
ウイルヘルム・フルトヴェングラー(1886〜1954)
ワーグナーの物真似だったフルトヴェングラーの第九

  ・ ベルリンフィル、ブルーノ・キッテル合唱団、
    S:ブリーム、A:ヘンゲン、T:アンデルス、Br:ワッケ
    (1942年3月22日または 3月24日か4月19日)

第2時大戦中の録音、ベルリンフィルの重心の低いドイツ的な重厚な響きと刃金のような強固なアンサンブルが魅力の演奏です。フルトヴェングラーの数ある第九の中でもっともテンポが速く、劇的でダイナミックな演奏。
曲全体に漂う悲愴なまでの緊張感はこの時代ならでは、ティンパニの壮絶な響きが
一層の緊張感を煽ります。演奏者も幾分緊張気味で、第3楽章ファンファーレの直前の4番ホルンと第4楽章の後半のソプラノソロに大きなミスがあります。
戦争により多くの団員が欠けていたベルリンフィルですが、フィナーレの終結部の猛烈なアッチェレランドも乱れることなく決まっていて、フリード盤で見事な歌唱を聴かせたブルーノ・キッテル合唱団も充実した出来です。
オーケストレーションの改変は、第2楽章第2主題のホルン追加と、第4楽章の冒頭と二重フーガのトランペットぐらいで、第1楽章の後半部分で一般的におこなわれていたヴァイオリンの1オクターヴ上げもありません、テンポと強弱設定はフルトヴェングラー独自のロマンティックなもので、いわばワーグナーの流れをくむデユオニソス的な演奏の典型。
演奏の完成度としては、私が聴いたフルトヴェングラーの第9の中で最も高い演奏ですが、あまりにも壮絶なために繰り返し何度も聴く気にはならない演奏でした。

951名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:19:27.11ID:tVNvLUxE
ワーグナーの物真似だったフルトヴェングラーの第九

戦時中ベルリン放送局に保管されていたフルトヴェングラーの放送録音のオリジナルテープは、終戦直後に旧ソ連が本国に持ち帰ってしまったことにより、収録データに混乱を生じています。
この第9の収録日にも大きな謎があり、HUNTをはじめとした多くのディスコグラフィーや大部分のディスクの録音表示は3月22日または24日におこなわれたブルーノ・キッテル合唱団の創立四〇周年記念コンサートにおける演奏ということになっているのですが、実は4月19日のヒットラー生誕祝賀前夜祭での演奏だという説があります。また、前半は3月22日収録で第4楽章の後半のみ4月19日の演奏であるという説もあります。
実は4月19日の演奏は、第4楽章後半5分ほどの当時のニュース映像が残されていて、ここで4人の独唱者のみが歌う部分でソプラノソロが音を間違え、フルトヴェングラーや楽員たちが「あっ」と驚いている様子がしっかりと映っているのですが、この部分は私の手持ちのLPやCDとぴったり一致しました。したがって、出まわっている録音の多くは第4楽章の後半部分に関する限り4月19日収録と思われます。
どうやらソ連国内で3月22日、4月19日の演奏が同一番号でLP化された混乱が現在にいたるまで尾を引いているようです。
今回私が聴いたのは、国内盤として日本フォノグラムから発売されたLP、と正体不明のドイツ盤LP,そしてAUDIOPHILレーベルのCDです。
音質はCDが最も鮮明、おそらくソ連で製作されたLPをコピーしたと思われる2つのLPは、両盤ともピッチが不安定で音質も劣悪なものでした。

952名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:20:23.88ID:tVNvLUxE
ワーグナーの物真似だったフルトヴェングラーの第九

・バイロイト祝祭管と合唱団、
  S:シュワルツコップA:ヘンゲン、T:ホップ、Br:エーデルマン
    (1951年7月29日)

戦後初のバイロイト音楽祭のオープニングを飾った記念碑的な録音。第九といえば必ず名前が挙がる名盤です。
テンポを自由に動かしたロマンティックで劇的な演奏で、神秘的な第1楽章の冒頭から、無の状態から作品が創造される瞬間に立ち会うような感動があります。
第1楽章は始めの重々しさは多少抵抗を感じるものの、通常大きな盛り上がりを見せる310小節以後はむしろあっさりと片付け、終結部に向かって次第に加速し、大きなきな盛り上がりを見せるテンポの設計のうまさが光ります。
第2楽章もデモーニッシュで独特の凄味のある演奏です。特に中間部の木管部分の優しい歌わせ方には聴いていてホロリとさせられるものがあり、第3楽章の静かで奥深い表現も比類のないものです。
曲全体のクライマックスの第4楽章は、遥か彼方からほとんど聞こえないほどのピアニシモで始まる歓喜の主題が次第に実体を現わし、大きなうねりをみせながら加速し巨大な姿が出現する部分に鳥肌が立つほどの感動を覚えました。
曲想が変化する前での長い沈黙も実に雄弁。名匠ウイルヘルム・ピッツに率いられたバイロイト祝祭合唱団も気迫十分で、(特にvor Gottの渾身の力を込めたの長いフェルマータ)シュワルツコップをはじめとした当時ドイツの最高の独唱者たちも実に素晴らしい歌唱を聴かせます。終結部の猛烈なアッチェレランドは演奏者の能力の限界を超えてしまうほどで、アンサンブルも崩壊状態ですが、これがスリリングな効果を築いています。
オーケストレーションの変更は基本的に1942年盤と同じですが、二重フーガの後半部分でテインパニに旋律線を叩かせ、壮麗な効果を上げていました。これはバイロイト盤のみに聴くことができる変更です。

953名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:21:15.62ID:tVNvLUxE
ワーグナーの物真似だったフルトヴェングラーの第九

・ ベルリンフィル、フィルハーモニー合唱団、
    S:ベルガー、A:ピッツィンガー、T:ルートウィッヒ、Br:ワッケ
    (1937年5月1日 ロンドン クィーンズホール)

イギリス国王ジョージ6世戴冠祝賀コンサートのライヴ。長い間録音の存在すら知られていませんでしたが、1984年フルトヴェングラー没後30年の年に日本EMIがLPを発売、世界中のフルトヴェングラーファンを驚かせました。
当時のアセテートディスクに録音されていたもので、針音はありますが録音状態はさほど悪くありません。世界初発売となった国内LPはディスクの切れ目がうまく繋がっていなかったようですが、その後出たCDを聴く限りにおいては問題はありません。
演奏は50才代壮年期のフルトヴェングラーの演奏ということで、さぞ若々しい演奏だと思いきや、意外と老成した演奏です。
第1楽章などゆっくりと進めていくのですが、後年の重々しさはなく、むしろ静的で慎重な趣。第2楽章以降は一転して生命力溢れる表現、第4楽章はせっかちさも感じられるほどの早さで始まり、歓喜の主題も大きなユレはなく、淡々とした歌わせ方には後の録音にない良さがあります。特にヴィオラの絶妙なヴィヴラートが印象に残りました。名歌手ベルガー以下当時のドイツ一流メンバーを揃えたソリストも見事なもの。合唱の実体はよくわかりませんが、発音の軽さから想像するとイギリスで組織された合唱団かもしれません。幾分ドイツ的な重量感には欠けますが、熱狂的な歌唱を聴かせます。vor Gotのフェルマータは私が聴いたフルトヴェングラーの第九の中では最長でした。
オーケストレーションの改変は後の演奏と変らず、当時としてはかなり楽譜に忠実な演奏です。第4楽章合唱部分257小節以下のテノールパートの低い部分をフルトヴェングラーは通常1オクターヴ上げさせていますが、この37年と54年盤は楽譜のとおりに歌わせていました。
フルトヴェングラー独特の第九フィナーレの猛烈なアッチェレランドはここでも健在ですが、幾分唐突で取って付けたような印象です。

954名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:21:49.94ID:tVNvLUxE>>961
ワーグナーの物真似だったフルトヴェングラーの第九

・フィルハーモニア管、ルツェルン音楽祭合唱団、
    S:シュワルツコップA:カヴァルティ、T:ホップ、Br:エーデルマン
    (1954年8月22日)

フルトヴェングラー生涯最後の第九。この演奏の3ヶ月後に他界しています。
今までのフルトヴェングラーの第九は即興性を見せながらも、テンポ設定に一定のパターンがありました。しかしこの演奏は今までにない間の取り方、テンポのユレを見せています。フルトヴェングラーが晩年に到達した崇高にして偉大な第九で、歓喜の爆発というよりも内省的な演奏に仕上がっています。
フィルハーモニア管の淡白な響きが純粋な透明感を助長しているようにも思えますが、
演奏の随所に緊張の弛緩する部分もあり、老いの翳が多少感じられます。
第4楽章オケ部分歓喜の主題の歌い始めはかなり重く、暗さすら感じられます。やがてフルトヴェングラー自身が唸り声を上げながら急速にテンポを早め、頂点では崇高なクライマックスを築きます。独唱は相変わらず文句のない出来ですが、エーデルマンのレチタテーィーヴ部分に、フルトヴェングラーが今までにない長めのテンポ設定をとるため、多少のとまどいがあるように感じられます。vor Goは短くあっさり片付けた肩の力の抜けたもの。合唱はかなり検討していますが、中間部610小節あたりで突然力を失いバラけそうになっています。これは合唱側というよりもフルトヴェングラーの指揮に何かが起こったのだと思います。
以上部分的には多少の問題は残りますが、透明で深い第3楽章には、いつまでもその美しさに浸っていたいような深い感動を覚えました。創立間もないフィルハーモニア管は既に世界最高水準に達していて、ホルンのデニス・ブレイン以下特に管楽器群は驚異的な名技を聴かせます。録音はターラから出ているCDが生々しい収録で、フルトヴェングラーの残された第九の中では一番良い録音だと思います。

955名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:26:23.61ID:tVNvLUxE
ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908〜1989)
20世紀を代表する巨匠、ザルツブルク生まれ、ウルムの歌劇場の指揮者を皮切りに27才でアーヘンの歌劇場の音楽総監督(北原先生もここの総監督でした)。
1956年からフルトヴェングラーの後任としてベルリンフィルの終身指揮者に就任、その間ウィーン国立歌劇場、イギリスのフィルハーモニア管、パリ管の音楽監督をも兼任し、文字通り音楽界の帝王として君臨しました。
カラヤンの録音数は実に膨大で、第九は正規録音だけで、実に5種類のスタジオ録音と3種類の映像があります。

  ウィーンフィル、ウィーン楽友協会合唱団、
 S:シュワルツコップ、A:ヘンゲン、T:パツァーク、Br:ホッター
  (1947年11月 12月)
第2時世界大戦後、カラヤンがナチ関係者としての戦犯容疑のため、公開演奏を禁止されていた時期に名プロデユーサーのワルター・レッゲがカラヤンに提供した仕事で、ウィーンフィルとしては、ワインガルトナー以来の録音。
速いテンポの爽快でスピード感があり、アクセントを強調したダイナミックな演奏です。
主題が再現する部分でテンポをわずかながら落とすところなどは、未だドイツ的伝統的スタイルを見せている個所もあります。
当時の最高の歌手をそろえた独唱者も聞き物です。ホッターもクレンペラー盤ほどの不調はありませんが、冒頭部分で何ヶ所か楽譜を崩して歌っているのが、多少気になりました。合唱はテノールが突出気味でソプラノも音程不安定気味、これは問題があると思います。
譜面はブライトコップ版に極めて忠実で、これは録音年を考えると注目すべきことだと思います。ただバリトンソロのテーネーはG−Fに変えています。後のカラヤンの録音はこの部分に関しては全てF−Fなので、名歌手ホッターの主張にカラヤンが譲ったのでしょうか。

956名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:26:55.89ID:tVNvLUxE
フィルハーモニア管弦楽団、ウィーン楽友協会合唱団、
 S:シュワルツコップ、A:ヘンゲン、T:ヘフリガー、Br:ホッター
  (1955年 7月)
カラヤンが残した4回のベートーヴェン交響曲全集のうち、第一回目全集中の一枚。
しなやかで生き生きとしたリズム、ウィーンフィルの演奏をより洗練させた、若き日のカラヤンの良さが出た名演です。所々に後のカラヤンに見られるテヌートの多用が第4楽章あたりで見られるのが面白いと思います。特に変幻自在のテンポの変化を見せる第2楽章は見事な出来。推進力溢れる第4楽章は独唱者が素晴らしく、テノールのヘフリガーがマーチ部分で快適なテンポに乗って、素晴らしい歌唱を聴かせます。
合唱は49年盤ほどの破綻は見せていません。しかし後のカラヤンからは想像できないことですが、全体としてのアンサンブルに多少ラフな部分もあり、オケと独唱者、合唱のタイミングがずれて進行する箇所があり、勢いで押し切った感もあります。

957名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:27:34.38ID:tVNvLUxE
ベルリンフィル、ウィーン楽友協会合唱団、
 S:ヤノヴィッツ、A:レッスル=マイダン、T:クメント、Br:ベリー
  (1962年 10月)リハーサル付き

カラヤン&ベルリンフィルの第1回全集録音。この第九にはかなり長時間にわたるリハーサル録音が残されていて、国内盤と外盤の非買品として世に出たことがあります。国内盤は第1、第3楽章と第4楽章のそれぞれ一部、外盤は、第4楽章のみですが国内盤と収録個所が違います。今回はこのリハーサル盤を中心に聴いてみました。
この全集を録音する際にカラヤンはトスカニーニの録音を団員に聴かせたというエピソードが伝わっていますが真偽のほどはわかりません。ただ過去の伝統様式から離れて、インテンポで楽譜に忠実な演奏を目指しているの点で、トスカニーニと共通していると思います。事実第4楽章のテンポ運びなどは、トスカニーニとほとんど同じと言って良いほど似ていました。ただし出てくる音楽は、レガートを多用したカラヤン独自の世界です。リハーサルでも、常に美しく美しくといったことを協調しています。全曲を聴き通した時点では見事な演奏だと思ったものの、正直なところこの演奏の良さはよく判りませんでした。
しかし丁寧なリハーサルを聴いているうちに、この演奏の磨きぬかれた美しさに次第に惹かれてしまいました。時折弦楽器と管楽器を別々に分奏させるのですが、歓喜の主題をチェロのみで延々と弾かせるところなど、その洗練された美しさに思わず聞きほれてしまいました。このピアニシモの美しさは、カラヤン独自の麻薬にも似た魅力があります。独唱はソプラノのヤノヴィッツが圧倒的。合唱も悪くありません。カラヤンの残された第九の録音の中では、この曲のスタンダードといって良い名演です。

958名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:28:03.15ID:tVNvLUxE
ベルリンフィル、ウィーン楽友協会合唱団、
 S:トモワ=シントワ、A:バルツァ、T:シュライヤー、Bs:ファン・ダム
  (1976年11月 1977年 1月 2月)
カラヤン&ベルリンフィル第2回目の、このコンビ絶頂期の全集録音。
この録音が初めて発売された当時に非常に評判になり、各音楽雑誌が揃って特集を組んだのをよく覚えています。旧全集に比べてより緻密になったアンサンブルが聞き物、譜面には極めて忠実であるものの、録音や管楽器奏者の人数でバランスをとっているようです。事実楽器によっては不自然に協調されていて、おそらく実演ではありえないようなバランスで聞こえる個所がありました。独唱者は相変わらず最高のメンバーですが、オケの完成度がより上がった分、合唱のアンサンブルの脆さが浮き上がってしまいました。

  ベルリンフィル、ウィーン楽友協会合唱団、
  S:ペリー、A:バルツァ、T:コウル、Br:ファン・ダム、
    (1983年 9月 )
カラヤン5度目のベートーヴェン交響曲全集中の1枚。カラヤンにとって最後の第九となりました。オケを極限まで磨きぬいた現代演奏技術の極地ともいえる演奏。
ダイナミックレンジが広くスケールの大きな演奏で、現代的なスタイルの演奏としてはある種の到達点だと思います。第1楽章のクライマックスなど、凄まじい盛り上がりです。
ただ既に優れた第九の録音を残しているカラヤンにとって、この再録音はいかなる存在価値があるのでしょうか。私には疑問です。

959名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 08:32:22.04ID:tVNvLUxE
ワーグナーの物真似だったフルトヴェングラーの第九も悪くはないけど、
結局一番まともな第九の名演はワーグナーの脚色を排したワインガルトナーでした。

高貴で品位に満ちたワインガルトナー
チンドン屋のフルトヴェングラー

世間ではチンドン屋の方が遥かに人気が有ります。
世の中には音楽がわかる人がいないのですね。

960名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 09:09:32.12ID:5KqOshyj
  
死ね

961名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 09:27:34.10ID:ys1ISh7p
>>954
>フィルハーモニア管、ルツェルン音楽祭合唱団
>フルトヴェングラーの残された第九の中では
>一番良い録音だと思います。

この人とは、まるで話があわないが、
唯一、ここだけは同意かな

962名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 10:29:21.99ID:tVNvLUxE
フルトヴェングラーの演奏はすべてワーグナーの物真似だった
バロック音楽から古典派やロマン派初期の音楽が後期ロマン派の時代に従来よりぐんと遅いテンポで演奏されるようになったということは、どうやらヨーロッパにおいては定説と化しつつあるようです。少なくともベートーヴェンにおいて、それを始めたのはおそらくワーグナーだったのではと僕は思うのです。
なぜなら彼は古き音楽に忠誠を捧げていたメンデルスゾーンの演奏をテンポが速すぎると罵る一方、自らの楽劇をベートーヴェンの「合唱」の発展型であると主張していたのですから、実生活でも他人を利用することを全くためらわなかった彼なら十分ありえたことだと思われます。
なにしろ人格面はともかく、こと音楽においてワーグナーは本物の天才であり、彼は他人が書いた音楽をとことん自分の色に染め上げたばかりか、それに新たな説得力を持たせるだけの力を持っていました。
もしワーグナーにそこまでの力量がなかったら百年後の20世紀後半に我々が耳にしていたベートーヴェン演奏はあれほど重厚壮大なものではなかったのではとさえ思います。
ともあれワーグナーの才能のありかたが既存のものを全て呑み込み自分の意図に合わせて変容させるものだったからこそ、彼は音楽で物語を語るあらゆる技法を体系化させることができ、それが今の我々が知る映画音楽の分野における洗練された語法の直接の母胎になったのだと思うのです。

963名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 10:30:29.72ID:tVNvLUxE
そしてワーグナーがその反ユダヤ主義的な考えゆえメンデルスゾーンを悪し様に罵った際、メンデルスゾーンのベートーヴェンについてテンポが速すぎると書き残していることは重要です。
それは録音の形で残されなかったワーグナー以前のベートーヴェン演奏がそれ以後よりもテンポが速かったことを示す状況証拠にはなりえるものですし、それがワーグナーにとっては不都合だったからこそメンデルスゾーンを貶めることで自分のベートーヴェンこそが正しいのだと強弁する必要を感じていたことを滲ませてもいる資料でもあるのですから。
だからこそワーグナーはそれまでラテン系の作曲家の後塵を拝していた歌劇の分野で成功するためにも、自らをドイツ音楽の分野における最初の歌劇の巨匠に祭り上げる必要があり、そのためには歌劇の分野においてはそれほど成功をおさめていなかったベートーヴェンを無理やりにでも接ぎ木しなければならなかった。
だからベートーヴェンの音楽をより忠実な形で受け継ごうとしていたメンデルスゾーンが正当性を獲得しきらないうちに彼がユダヤ人であったことを理由に引きずり落とし、ベートーヴェンの音楽を自分の音楽により近い形になるようにして演奏した。
それがワーグナーの時代に蔓延しつつあった空気に合致するものであったからこそより重厚さを増したそのベートーヴェン演奏は多くの支持者や模倣者を生み、古い音楽は新たな時代に合わせてスタイルを変えてこそその命が保たれるという考え方ともども後に巨匠時代と呼ばれる一大ムーブメントの礎になったのでしょう。

964名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 10:31:28.81ID:tVNvLUxE
そしてそのドイツ至上主義や反ユダヤ主義、音楽を宗教的なまでに荘重なものとして民族的な結束の要に置くことなどを受け継いだ第三帝国が絶対悪とみなされたとき、ワーグナーを源とする流れも欧米ではいったん全否定されねばならなくなった。
それが巨匠時代が終焉を迎え、入れ替わるように前衛音楽がそれまでの音楽のありかたを一斉に壊しにかかった現象が意味したはずの事態で、ベルリンフィルの演奏スタイルが一貫してワーグナー的な考え方から遠ざかる形で変遷してきたのも当然のことだったとも思えます。
なによりロマン派以外のレパートリーへの関心に端を発し21世紀への変わり目において一つの徹底ないし完成へとたどり着いた楽曲への学究的なアプローチもまた、そんな状況とは無縁たりえなかった現象ではないかとも。
そして日本の我々がナチスを生み出したドイツ人ほどそれまでの自分たちを強く否定してこなかったとの以前からなされてきた指摘を思えば、この国で巨匠時代の音楽のありかたが未だに根強く信奉されていることの少なくとも説明の一つとみなせることかもしれません。
なにしろヨーロッパはたとえそれが世界における政治経済上の力というか発言力を求めてのことであれ多様な民族や文化を持つ国々をEUという共同体に再編する歴史的実験に至った地域であり、ここが最も先端的な前衛音楽の牙城であったことやアメリカなどに比してさらに過激なオペラ演出のメッカでもあることも同じ根を持つことだと思えば、戦後ひたすらコスモポリタンな性格の団体へと変貌してきたベルリンフィルの軌跡も、同じ動きの一例だったと思えてしまうものですから。

965名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 10:32:25.63ID:tVNvLUxE
それだけに世界が再びナショナリズムにも似た空気へと急速に接近し始めた近年、たとえばメンデルスゾーンの、それも日本における演奏が率先するかのように巨匠様式と似たものへと変貌し始めているのはなにやら不気味でさえある光景です。
これが移民問題を前にやおら右傾化し始めたヨーロッパや、限りなく帝国主義へと回帰しつつあるような諸大国における演奏スタイルにまで波及してゆくのか否か、単に興味深いとの言葉では追いつかない心持ちで見守っているところです。
 なぜそんなに気にするのかとおっしゃる方もおられるかもしれませんが、2つある理由の1つは絵画や造形、著作などと異なり音楽は作者が創ったままの形を留めることが難しく、説得力ある演奏であればあるほどそれがいかに元の姿からかけ離れていても受け入れられてしまうのではという危惧を覚えてしまう点。
もう1つは巨匠時代のような音楽のありかたは不幸な時代でなければ出てこないのではないかと感じるからです。
かつて神経を病んでおられた時にフルトヴェングラーのベートーヴェン演奏に救われた体験から、ベートーヴェンの音楽やフルトヴェングラーの演奏には神を感じると力説するようになられた方を知っていますが、確かにそんなことができる境地は凄いと思います。
けれどそれは古い音楽は新たな時代に合わせて仕立て直してこそ価値があるというワーグナーの主張の果てに成り立つものであり、その感動の質が宗教的な法悦の近みにあることを思えば、そういうものに救われねばならぬ人が多数を占めるほど強い危機感に満ちた時代は幸せとは言い難いのではともやはり感じてしまうのです。

966名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 10:33:50.25ID:tVNvLUxE
ワーグナーの物真似だったフルトヴェングラーのベートーヴェンも悪くはないけど、
結局一番まともなベートーヴェンの名演はワーグナーの脚色を排したワインガルトナーでした。

高貴で品位に満ちたワインガルトナー
チンドン屋のフルトヴェングラー

世間ではチンドン屋の方が遥かに人気が有ります。
世の中には音楽がわかる人がいないのですね。

967名無しの笛の踊り2022/01/25(火) 10:46:36.11ID:tVNvLUxE
まともな指揮者
ワインガルトナー、シャルク、ブルーノ・ワルター、シューリヒト、ムラヴィンスキー

チンドン屋
フルトヴェングラー、ストコフスキー、トスカニーニ、メンゲルベルク

本物の天才
ニキッシュ、マーラー、クナッパーツブッシュ
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/482.html#c41

[番外地10] 旭川中学校関係の隠語  中川隆
2. 中川隆[-14070] koaQ7Jey 2022年1月25日 14:44:56 : Gwr9PY9hOY : LjV5N2VBeEFtLms=[4]
旭川中学校関係の隠語
野菜=マリファナ
アイス=覚醒剤

ナマコ=生娘=12,13歳の女の子
ナマコ密漁が摘発されて凌げなくなった旭導会が、少女baisyun に 軸足を移し、それをナマコ(生娘)という隠語で呼ぶようになった

イジメ=アイスを飲ませて児童売春させる
自殺=自殺に見せ掛けてコロす

年が若すぎる子はアイス使わないと痛くてたまらないし感じるなんて無理なので、ヤクザが子どもを売るときはアイスよく使います
あと、年はいってても山程客取らせてると疲れで動けなくなるので、この場合も
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/258.html#c2

[番外地9] 緑内障の原因 1 _ コーヒー 中川隆
1. 2022年1月25日 15:46:21 : Gwr9PY9hOY : LjV5N2VBeEFtLms=[5]
1日に3杯以上コーヒーを飲むと失明する恐れがある?
コーヒー好きに悲しいニュースが飛び込んできた。なんと、1日に3杯以上コーヒーを飲むと、視力の低下、さらには失明する恐れがあるという研究結果が発表されたのだ。

米ハーバード・メディカル・スクールなどが、7万9120人の女性と4万2050人の男性、合計12万1170人のカフェイン摂取量と医療記録を解析した同研究によると、カフェインを摂らない人と比べ、1日に3杯以上コーヒーを飲む人は水晶体落屑症候群を引き起こすリスクが上がることがわかったそう。

水晶体落屑症候群は、眼圧の上昇や視神経を傷つけ、緑内障の原因になるという。また、今回の研究では、世界で最もコーヒーの摂取量が多いスカンジナビア人は、緑内障を引き起こす水晶体落屑症候群を患っている人の割合が非常に高い(約50%)ことも判明したそうだ。

なお、同研究では、コーラや紅茶などその他のカフェイン入り飲料と水晶体落屑症候群の相関関係は証明できなかったという。

▲△▽▼

「コーヒーやお茶」に配合されている「カフェイン」が緑内障に密接にかかわっている。

残念なことに「悪い方に・・・」。

カフェインが眼圧を高める?


私も緑内障に関して図書館などに行き本を開いて調べているんですが、けっこう昔の本にでも記載されていて、「コーヒーやお茶」についてかかれていました。

コーヒーやお茶に含まれている成分の一つであるカフェイン。まず、このカフェインにもイイ所があり、「眠気覚まし、脂肪を分解、脳の疲労回復」など、健康的なところがたくさんあります。

しかし、カフィインの悪い所が、私の悩みである緑内障と相性が悪い・・・。1日に大量のコーヒーを摂取することで、含まれているカフェインが「眼圧を高くし緑内障に支障をきたす」わけです。

つまり、コーヒーやお茶に含まれているカフェインは、緑内障の症状の人にはお勧めではない飲み物。

1日の理想のカフェイン

しかし、ここで気になるのが、「どれだけのカフェイン量で眼圧が高くなるのか?」。この部分が大事。私もできることなら眼圧に負担をかけたくない、やけどもコーヒーは飲みたい・・・。

海外の実験データによると、カフェインの量はで眼圧が高くなるのは「約200mg以上」とのデータがでています。。(これはあくまでも基準値で、年齢層や男女によって異なります。)

つまり、毎日生活する中でカフェインを摂取する量を「200mg以下」にこだわれば大丈夫だということになります。


「カフェイン200mg」
緑茶30〜50mg=2〜3杯
紅茶50mg=2〜3杯
コーヒー豆100mg=2〜3杯

私も「カフェインと緑内障の関係」を全く知らなかったために、コーヒーの1日の摂取量がヒドイ時で5杯も6杯もガブガブと飲んでいました。これで緑内障に悪いとなると反省しなくてはいけない。しかも私が飲んでいたマグカップで360mlは入るためんい、かなりカフェインを摂取していたと思う・・・。これからは意識して、計画的に飲むようにしないと。
http://ryokunai.net/coffe.html
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/619.html#c1

[近代史5] テレビドラマ関係投稿集 中川隆
18. 2022年1月25日 16:09:54 : Gwr9PY9hOY : LjV5N2VBeEFtLms=[6]
昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 桃井かおり、豊川悦司、川上麻衣子(KTV 1993年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1067.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/407.html#c18
[近代史4] 中川隆 _ テレビ・ドラマ関係投稿リンク 中川隆
34. 中川隆[-14069] koaQ7Jey 2022年1月25日 16:10:45 : Gwr9PY9hOY : LjV5N2VBeEFtLms=[7]
昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 桃井かおり、豊川悦司、川上麻衣子(KTV 1993年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1067.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/195.html#c34

   

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