72. 政治では何も変わらない[1] kK2OoYLFgs2JvYLglc@C7YLngsiCog 2021年12月08日 16:46:13 : 8cX3au9oNk :TOR L2lLbmVUQnFFcVE=[1]
山本太郎は前妻の生い立ちと離婚後の自傷ともリベンジとも想像される経緯
そして現在の結婚相手との生活形態とに「本当の人間性」がにじみ出ている
と推察する
山本周五郎という有名な作家が描いた「おたふく」という話で家庭が置かれて
いる苦境とは裏腹に家を出ていって「世直し」だか「政権転覆」だか「改革」
の運動に明け暮れる長男の姿を連想してしまったのである
それは「老介護」を自分の嫁にすべて任せきり自分は「金を稼ぐ」という大義
名分の下「仕事」に打ち込むことで実際の「老介護」の現実から事実上の逃避
が出来る「男」の「マヤカシ」や「ゴマカシ」人間本来の「狡さ」「調子の良さ」
とも似ているかもしれない
離婚した前妻は新婚当時山本太郎が政治家への転身の足がかりとなる「反原発運動」
にのめりこみ家をほとんど留守にする間彼の母親との2人暮らしを強いられていた
そうでその事と前妻が公に告白している幼少時の虐待とが繋がってくるようにも
思われる
昔の「男」が妻からすれば「軽んじられる」「蔑ろに扱われる」「大事にされて
いない」と夫を批判する時よく使ったのが「釣った魚に餌はやらない」という
言葉である
あくまでも建前として男女関係で「フェミニズム」が構築されている米国では
こんな考え方は論外なのだが殊この日本国においては男女間の合意さえあれば
普通にまかり通るというのが実情
こういう関係「惚れた私が悪いのよ」演歌の愚痴のような「惚れた側が惚れた
相手に服従する男女関係」が身近でもまだまだ多く見かけられる
「男」が仕事を最優先しその仕事の為に「女」は黙って言う事を聞くそんな
本当に古臭い日本社会の男女関係が山本太郎のそれにも感じられるのである
それを「個人主義」を貫徹したり「社会変革」の為の些細な犠牲だと評価する
向きも当然あるだろう
だが前妻の離婚後の経緯にリベンジのそれが色濃く滲んでいるように犠牲と
される側身内の者は全く事情が異なるわけで社会で評価を受けている人間の
生身の姿本性その底に横たわる冷たさやエゴイズムと嫌と言うほど向き合って
生きている筈である
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