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1. 2022年6月11日 10:11:20 : Lv2b7vbw3o : L2lIby5oWVdEbDI=[1]
カール・シューリヒト
ドイツの名指揮者カール・シューリヒトの音楽を愛好する人のための掲示板です。
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3. 2022年6月11日 16:05:18 : Lv2b7vbw3o : L2lIby5oWVdEbDI=[2]
メディアは終わったのか?
2022年06月11日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1887.html
朝日新聞の凋落
読者はメディアに何を望んできたのか?
私は、今から60年近い前のことだが、家では朝日新聞を購読していたので、情報といえばテレビ・ラジオと新聞しかなかった時代、新聞が届くと、目を皿のようにして、隅から隅までなめまわすように読んでいた。
私のお気に入りは、なんといっても夕刊に連載される本多勝一のドギュメンタリーレポートだった。1963年の「カナダエスキモー」から始まって、「ニューギニア高地人」、アラビア遊牧民、そして1968年の「戦場の村」。
学校から帰ると、家族から夕刊をひったくるようにして、興奮しながら夢中になって読んだものだ。
それらのレポートは、本田と藤木カメラマンが、実際に現地に飛んで、実体験をそのまま記事にしたもので、空想やウソが含まれていないから、迫真のリアリティが心を打ったのだ。
一つ一つのエピソードが、間違いなく現実に起きている出来事であって、小説を読むのとは訳が違う。私は、本田勝一に夢中になり、憧れ、ちょうど思春期のスポンジのような心に、その情報を吸収し、私の人生を支える血肉になった。
「戦場の村」と「中国の旅」は、以降の私の反戦思想の根底に刷り込まれた。
私は、アメリカによるベトナム戦争が、まるで身内家族を苛んでいるように思え、学業などそっちのけで、ベトナム反戦デモにはせ参じた。
日中戦争の真実を知るため、日中友好協会正統に顔を出し、名古屋ピンポン外交の警備にも参加した。
某高校でも学校から帰宅する途中で、当時の全学連デモに、そのまま参加し機動隊と対峙することに興奮を覚えた。
そして大学進学よりも、ベトナム反戦の方がはるかに大切だと思い上京し、ベ平連デモに参加した。
私は、米軍立川基地の滑走路の先端にある砂川に行き、離着陸する輸送機からベトナム戦争を思い続けた。
私の青春は、本田勝一とともにあったのだ。それは巨大な存在だった。
私は、いずれ本田のような戦場ジャーナリストになりたかったが、学業を放棄してデモにばかり行っていたので、それは叶わなかった。
しかし、自分一人で図書館に通い、コツコツと民俗学を学んだ。あとは山三昧で、奥多摩の五万図は赤鉛筆で真っ赤になった。
それから、半世紀以上の時間の流れを思い返しても、本田勝一ルポルタージュのように、命の危険をものともせず、現地に飛び込んで我々に手の届かない世界の現実を知らしめてくれる報道は、残念ながら、非常に少ない。
もし匹敵するとすれば、沢田教一・一ノ瀬泰造・石川文洋・岡村昭彦・橋田信介・広河隆一あたりの戦場カメラマンたちだろうか?
みんな猛烈にクセの強い人物ばかりで、実に面白い。個性が強すぎて、とても同調圧力と規格品三昧の社会人として適性があるとは思えないが、実際に戦場で本物の報道ができる人たちは、人格破綻者とでもいうべき独善的で強情な人たちだけなのだ。
もし、私が戦場報道者になれていたとしたら、そこそこの活躍ができていたと思う。
だが、本田勝一以降、1980年代以降の朝日新聞は、どれもこれも画一的で、勇敢な戦場カメラマンの手に汗を握るような鮮烈な記事にお目にかかれなくなった。
エリート意識が鼻につくような政治記者のスクープごっこなど、なんの魅力も感じなかった。どれもこれもノルマ記事ばかりで、人を心から感動させるような記事がメディアから消えてしまった。
記者たちが、政権に忖度してばかりで、あたりさわりのない記事しか書かなくなったことにより、メディアは急速に活気を失っていったのだ。
だが、メディアは、「命を張ってナンボ」の世界ではないのか? 80年代以前は、暴力団の取材でも、首に銃口をつきつけられたような緊張感の記事がたくさんあったが、90年以降は、警察のぬくぬくとしたソファーでコーヒーを飲みながら書いているような弛緩した記事ばかりで、これでは読者から飽きられるだろう。
冒険心を失い、体制に忖度するような軟弱な記者が増えたことで、メディアは、心を打つような記事を世に送り出せなくなり、競合するメディアが増えたことで、世間の関心から外れた、ありふれた風景に落ちぶれていったのだ。
それに、新聞社もテレビ局も、結局は、電通に生命線を握られていて、電通の株主や広告提供者に慮った記事しか書けないように追い詰められていった。
実は、大半のニュースの配信源である、時事通信や共同通信も事実上、電通の子会社なのだ。社長や重役は、ほとんど電通から派遣される。それは株式を奪われているからだ。
テレビ局も同じで、電通の意に逆らえば、重役とて干されてしまう。
TBSの金平キャスターが経営陣から追放されたのも耳新しい。金平氏は、TBSを退社させられていた。
https://www.rokusaisha.com/wp/?p=22687
https://ampmedia.jp/2020/11/03/dentsu-tbs-schop/
本田勝一も退任まで、朝日新聞最大の功労者でありながら、冷遇され続けたことが知られる。それも、電通からの指示で、追放寸前だったらしい。
朝日新聞の村山一族は、有名なフリーメーソンだ。電通も麻薬王里見甫の創業から、メーソンのマークを使い続けていた。
今でも、電通本社の床には、ルシファーの眼でぎっしり覆われている。
dentuu.jpg
なるほど、電通は、ルシファーの目玉で日本社会を監視するために登場したことが、良く分かる。
とにかく、今のマスコミ・メディアは、かつての批判精神を完全に失って、政権の忖度擁護機関に成り下がっている。
人を惹き付けるような素晴らしい記事も、ほとんど見えない。これでは、読者が離れてゆくのは必然であって、朝日新聞も含めて、メディア全体が、情報統制機関に成り下がっていることの意味は、メディアが死んだということを意味している。
そこで、次に、ネット社会のなかで、人々の「良い記事を見たい」というニーズに応えてくれるのは、やはり、問題の起きている現地に飛んで、砲弾の飛び交う現場で、人々の生の声を取材報道するジャーナリストだろう。
私は田中龍作に期待している。かつての、本田勝一、岡村昭彦、沢田教一の魂を引き継いでくれるものとして。
それから、今の若手の冒険家たちにも、「ヒマラヤへ行くより、ウクライナに行け」と言いたい。私が若ければ、たぶん行ったと思うが、今では全身ケガと病気の化身みたいなので、残念ながら動けない。
でも命なんか、全然惜しくないので、最期の最期になれば、人生の終着駅として戦場を選びたいという希望もかすかに芽生えている。
命と引き換えに、人を感動させるドギュメンタリー・ルポルタージュを書いてみたい。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1887.html
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/210.html#c3
85. 2022年6月11日 18:53:25 : Lv2b7vbw3o : L2lIby5oWVdEbDI=[3]
我が家には二つの「AXIOM80」があり、いずれも薄板の自作の箱に収めている。
左が「復刻版」で、右が「オリジナル版」。
コーン紙の色や軽さが違うのを嚆矢として肝心のマグネットなどの材質が違うという。
で、肝心の音の違いだが結局、最後は「色気」の有無に行き着く。
「色気」といってもこればかりは言葉で表現するのは難しいが、胸にキュンとくる切なさ、あるいはムラムラっと情感を煽ってくるような妖しげな響きとでもいおうか、その辺が違う。
お値段の方はオークション相場でいけば、程度の良し悪しを含めてペアで前者が「20万円台」、後者が「30万円台」となる。
メチャ繊細なつくりなので過大入力などによりすぐに故障しやすくザザッとしたノイズが出てくるので、その都度、専門業者に修繕に出してこれが「2万5千円」ほどかかる。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/26aa20c966266d2f41f0487d03cec24b
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/686.html#c85
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