15. 2022年5月12日 10:11:28 : 8cG3vrNSlI : eUh1elJKdG9nN1U=[1]
雑記帳
2022年05月11日
ウクライナのヴァーテバ洞窟のトリピリャ文化個体群のゲノムデータ
https://sicambre.seesaa.net/article/202205article_11.html
ウクライナのヴァーテバ洞窟(Verteba Cave)遺跡(VC)のトリピリャ(Trypillia)文化期の個体群のゲノムデータを報告した研究(Gelabert et al., 2022)が公表されました。ヨーロッパの新石器化は、劇的な技術的および文化的変化をもたらし、新たな生計慣行が含まれていました。この新石器化を説明するモデルには二つの主要分類群があります。人口拡散モデルは新石器化を農耕民による植民過程として説明し、それは新石器時代の急激な人口増加特色により促進されます。もう一方の分化変容モデルは、新石器化の過程を、移行の少なくとも一部は在来狩猟採集集団を伴ものとして概略し、在来狩猟採集集団は近隣の外来農耕民との相互作用期間におけるさまざまな長さの期間に続いて農耕を採用した、とされます。
ヨーロッパの大半では、新石器化は顕著な人口置換として遺伝学的に定義され、アナトリア半島からの人口拡散と一致します(関連記事1および関連記事2)。アナトリア半島農耕民はバルカン半島とヨーロッパ南東部の他地域に紀元前七千年紀に到達し、その後に地中海、さらにその後にはドナウ川を経由してさらに拡大し、実質的に在来の中石器時代ヨーロッパ人口集団を置換しました(関連記事)。ヨーロッパ中央部とは対照的に、現在のウクライナとモルドバとロシア西部とルーマニアを含むヨーロッパ東部地域では、農耕は後期新石器時代(紀元前4500年頃)まで採用されませんでしたが、ヨーロッパ東部におけるさまざまな定住および半定住狩猟採集民中石器時代集団は、早くも紀元前8500年頃には土器の使用を始めました。
ククテニ・トリピリャ(Cucuteni-Trypillia)文化複合(CTCC)は、現在のウクライナとモルドバとルーマニアの一部に存在した、相互に関連するいくつかの中石器時代と新石器時代および銅器時代の考古学的文化の分類です。CTCCはトランシルバニア・アルプスからドニエプル川まで広がっており、ルーマニアとウクライナのキーウ(キエフ)州のトリピリャ(Trypillia)の2ヶ所の標準遺跡に因んで命名されました。トリピリャはロシアではトリポリエ(Tripolye)としても知られています。ククテニ文化とトリピリャ文化は、プレククテニ(Precucuteni)文化に共通の起源があります。最初のCTCC遺跡はカルパチア山脈の麓で見つかり、プレククテニ2期となる最古の放射性炭素年代は紀元前4800年頃です。CTCCはいくつかのドナウ川新石器時代集団の相互作用に起源があり、家屋建築や土器様式や石器製作における類似性の証拠があります。
カルパチア山麓のこの文化複合の起源に続いて、CTCCは最終的に現在のウクライナとモルドバとルーマニアの領域の大半にまたがる地域に広がりました。最初の診断できる前期トリピリャ(トリピリャA)遺跡は、ドニエストル川流域で紀元前4500年頃にプレククテニ文化から分岐しました。後の人口移動は中期となるトリピリャBI期以降に起き、トリピリャ文化は西方では現在のウクライナ北西部のヴォルィーニ(Volhynia)、東方ではドニエプル川にまで拡大しました。この領域拡大はおもに、成功した農耕牧畜生計戦略と関連する人口増加、および新たな耕作に適した土地の探索の結果と考えられています。
しかし、一部の人口増加は、バグ・ドニエストル(Bug-Dneister)文化の構成員など在来の狩猟採集(HG)集団を組み込んだ、トリピリャ文化人口集団の産物だったかもしれません。人口増加の別の形態は、現在のルーマニアとハンガリーとブルガリアにおける新石器時代の崩壊に続く難民の文化変容だったかもしれません。トリピリャ文化の中期〜後期(トリピリャBII〜CI、紀元前4100〜紀元前3400年頃)には、一部のCTCC集団はウクライナ中央部でひじょうに大きな集落を確立しており、100〜320haの規模に達する「巨大集落」もしくは「巨大遺跡」とよく呼ばれます。紀元前四千年紀の変わり目の頃のCTCC内での急速な人口増加は、新たな領域の開発を必要とし、以前の周辺地域への移住を促進しました。とくに、巨大遺跡の台頭に関する仮説はさまざまです。草原地帯牧畜民もしくはCTCC内の競合する下位集団による脅威への防御反応だった可能性か、ドニエストル地域からの大規模な移住に起因する人口密集の一時的な事象を単純に表している、と提案されてきました。
トリピリャ文化人口集団はウクライナ西部および中央部に高密度の集落を確立しましたが、埋葬はほとんど行なわれませんでした。ウクライナのチャパイエフカ(Chapaievka)とモルドバのヴィフヴァティンツィ(Vykhvatyntsi)など、トリピリャ文化後期のわずかな墓地が1960年代と1970年代に発掘されました。これらの遺跡によりトリピリャ文化の埋葬行動を垣間見ることができますが、その時間的範囲は限定的で、現代の実験室分析は行なわれていません。
CTCCの起源とつながりと多様性をよりよく理解するため、ウクライナのテルノーピリ(Ternopil)州のヴァーテバ洞窟遺跡(VC)の3ヶ所の玄室からヒト遺骸が収集されました。VCは、CTCCと関連するヒト遺骸を含む数少ない遺跡の一つです(図1)。ヒトと非ヒト動物遺骸の加速器質量分析法(accelerator mass spectrometry、略してAMS)放射性炭素年代測定法により、VCのトリピリャ文化期は紀元前3950〜紀元前3520年頃と位置づけられました。洞窟に存在する土器群と低解像度の液体閃輝走査法(scintillation)に基づくと、洞窟の居住はトリピリャ文化後期(CII)と前期青銅器時代の移行期へと続いた可能性があります。最近では、AMS放射性炭素年代測定により、中石器時代(紀元前7950〜紀元前7490年頃)と青銅器時代と鉄器時代と中世にまたがる、洞窟のさまざまな位置の堆積物も特定されました。
骨格群はVCの3ヶ所の別々の玄室で採集されました(図1)。これらの玄室にはそれぞれCTCC物質文化が含まれますが、洞窟の埋葬は本質的には二次的で、古代のヒトの活動と生物攪乱により、洞窟の使用と年代の再構築が複雑になっています。本論文で分析されたほとんどの個体はVCの遺跡7(図1B)で発見され、遺跡7は土器分析と放射性炭素年代測定により広範に記載されており、トリピリャ文化期のCIとCII初期が居住の最盛期です(紀元前3900〜紀元前3350年頃)。洞窟の使用に関する解釈は、一時的な待避所や儀式場や埋葬場などさまざまです。洞窟の埋葬は大半が混ざり合って本質的には二次的で、戦争や生贄の犠牲者を表している、との考えを裏づける追加の証拠があります。以下は本論文の図1です。
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トリピリャ文化人口集団の古遺伝学は、8個体の片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)のミトコンドリアDNA(mtDNA)とゲノム規模分析に限定されています。古代ユーラシアの農耕集団に典型的なmtDNAハプログループ(mtHg)はH・HV・T・K・Jで、洞窟で収集されたこれらの個体群で観察されました。以前の研究では、単一玄室内でmtHg-Wの証拠が見つかり、これは縄目文土器(Corded Ware)文化およびヴォルガ川中流域のウーニェチツェ(Únětice)文化と関連する草原地帯人口集団で観察されます。
CTCC個体群のゲノム規模分析では、前期新石器時代農耕集団の遺伝的構成要素(推定60〜80%)が示され、ウクライナ西部および中央部に居住した初期農耕民はアナトリア半島およびヨーロッパ西部の農耕民と同じ供給源人口集団にほぼ由来する、と確証されました(関連記事)。残りの20%は、さほど確実ではありません。以前の研究では、この祖先的構成要素が、新石器時代のこの地域に居住していた狩猟採集民集団で見つかる、ヨーロッパの西部狩猟採集民(WHG)と東部狩猟採集民(EHG)の混合と明らかになりました。
以前の研究では、ヴァーテバ洞窟より放射性炭素年代で5世紀新しい、モルドバ北部の紀元前3500〜紀元前3100年頃となるトリピリャ文化後期の2ヶ所の別々の遺跡に埋葬された4個体のゲノム規模データが回収され、草原地帯関連祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の割合がより大きいものの、標本抽出された個体でのその割合はさまざまと明らかになりました(関連記事)。この観察は、少なくともモルドバの集団については、在来の中石器時代および新石器時代狩猟採集集団のトリピリャ文化人口集団への漸進的同化により説明できます。
トリピリャ文化の集落体系は、ヨーロッパ中央部および草原地帯の人口集団の両方と相互作用しました。草原地帯との相互作用の証拠は貝殻で捏ねた土器で見つかり、草原地帯様式土器と類似しています。これらの一部は草原地帯の遺跡で見つかる土器とほぼ同じに見えますが、他の土器はCTCC装飾文様と貝殻で捏ねることを組み合わせています。石製の矛の先端など草原地帯共同体により影響を受けたか、草原地帯共同体から直接的に輸入された象徴的物質は、トリピリャ文化の中期〜後期の一部の遺跡で見つかり、土器交換は早くもトリピリャ文化BII期で明らかです。
間違いなく、トリピリャ文化の人口集団とドニエプル・ドネツ文化との間の相互作用はある程度ありましたが、トリピリャ文化とその後のヤムナヤ(Yamnaya)遺構との間の同時性は、ひじょうに短かった可能性が高そうです。しかし、それにも関わらず、一部のトリピリャ文化人口集団は、草原地帯共同体人口集団と持続的に接触していた可能性が高そうです。興味深いことに、紀元前3400年頃以後、トリピリャ文化の巨大遺跡はほぼ放棄されました。この放棄の原因は広く議論されてきており、一つの仮説は、草原地帯人口集団の西方への拡大に起因する紛争増加です。そうした仮説は、ヴァーテバ洞窟で発見された暴力的な死の高頻度の証拠に裏づけを見出すかもしれません。
本論文は、ヴァーテバ洞窟に埋葬された20個体からゲノム規模配列データを回収し、そのうち8個体は直接的にAMS放射性炭素年代測定法が適用され、その年代は紀元前3790〜紀元前825年頃でした。本論文はこのデータを用いて、以下の問題を具体的に検証します。(1)以前の研究で示唆されたように、在来狩猟採集民との混合の証拠はありますか?(2)以前の研究(関連記事)よりも高い網羅率の拡張データセットを用いて、トリピリャ文化人口集団の新石器時代の祖先構成要素を識別できますか?つまり、トリピリャ文化人口集団は、アナトリア半島か線形陶器文化(Linear Pottery、Linearbandkeramik、略してLBK)か他の初期農耕民とより類似していると示せますか?(3)CTCC個体群は草原地帯人口集団との近くに居住していたので、ヤムナヤ文化もしくはより古い草原地帯人口集団との遺伝的混合の証拠はありますか?(4)この地域の後の青銅器時代人口集団は、ヴァーテバ洞窟のCTCC集団と遺伝的類似性を共有していますか?
●標本
標本20点のうち8点では直接的に放射性炭素年代測定され、遺跡7のうち6点(VERT-035、VERT-106、VERT-031、VERT-100、VERT-104、VERT-015)が紀元前3790〜紀元前3535年頃の後期銅器時代、1点(VERT-113)が紀元前1960〜紀元前1770年頃の中期青銅器時代(MBA)、遺跡17の1点(VERT-114)が紀元前980〜紀元前紀元前825年頃の後期青銅器時代(LBA)です。配列された標本では0.2〜2.2倍のゲノム網羅率が得られました。全個体で分子的な性別を決定でき、8個体が女性、12個体が男性でした。分子的な性別と形態学的性別は全て一致します。分析されたデータでは、親族関係は特定されませんでした。
●片親性遺伝標識
一般的に銅器時代に由来すると考えられている分析された個体のmtHgは、T2b・H・HV・K1・N1・J1・U5・T2cです。中期青銅器時代(MBA)標本はmtHg-HVで、ヨーロッパ青銅器時代個体群と同様に、ALPC(ハンガリー平原東部LBK)などいくつかの新石器時代文化で典型的です。後期青銅器時代(LBA)1個体はmtHg-T2で、複数の青銅器時代個体および文化とも関連しています。これらのmtHgはヨーロッパの新石器時代と青銅器時代の人口集団で典型的に見られます。Y染色体ハプログループ(YHg)はG・I・Cを示し、ヨーロッパの新石器時代と青銅器時代の人口集団でも以前に報告されてきました。全個体のmtHgとYHgは両方、以前に報告されたデータと完全に一致します。
●集団遺伝学
ヴァーテバ洞窟(VC)個体群を現代および古代のユーラシア人口集団内に位置づけるため、ヨーロッパと地中海沿岸の現代人729個体で構築された主成分分析(PCA)が用いられました。VCの20個体のゲノムとともに、追加の古代人478個体のゲノムがPCAに投影されました。VCの20個体のうち18個体は、LBKとヨーロッパ中央部の中期〜後期新石器時代標本やモルドバのトリピリャ文化個体群など、新石器時代および銅器時代のヨーロッパ人口集団の近くに配置されます(図2A)。PCAは、新たに報告されたトリピリャ文化の18個体と、以前に配列されたVCのトリピリャ文化4個体とり間の極度の類似性も証明したので、これら22個体はVCトリピリャとして分類され、さらにまとめて分析されました。
青銅器時代2個体は明らかな外れ値です。VERT-114個体は鐘状ビーカー個体群の多様性内に収まり、チェコとハンガリーとポーランドの鐘状ビーカー集団と近い位置にあるようです。個体VERT-113はヨーロッパの縄目文土器文化およびスルブナヤ(Srubnaya)文化人口集団に近いようで、草原地帯標本との強い類似性を示します。次にqpWaveを用いて(主要なまとまりから22標本のみ使用)、トリピリャ文化人口集団における構造の存在が調べられました。その結果、トリピリャ文化人口集団の構造の存在が示されました。したがって、閾値0.05を用いた残りの統計的に有意な組み合わせの差を示した個体はいなかったので、全標本がまとめて分析されました(図2B)。以下は本論文の図2です。
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次にADMIXTUREを用いて、VC個体群の遺伝的多様性が調べられました。銅器時代標本で類似性を示した主成分分析でVCトリピリャと分類された22個体は、アナトリア半島新石器時代個体群で優勢な祖先構成要素によりほぼ定義され、以前の研究と同様に(関連記事1および関連記事2)、ヨーロッパ新石器時代人口集団との強い関係が示唆されます。しかし、これらの標本は以前の研究で示されたようにEHGとコーカサス狩猟採集民(CHG)とWHGの存在も示し、例外はEHGとCHGの祖先系統が欠如しているようである1個体(I3151)です。後期青銅器時代(LBA)の1個体(VERT-114)は顕著なアナトリア半島新石器時代構成要素と、EHG構成要素の大きな存在を示します。中期青銅器時代(MBA)1個体(VERT-113))は、縄目文土器文化およびヤムナヤ文化の草原地帯人口集団との高度の類似性を示します(図2C)。
次に、f統計を用いてVC個体群の遺伝的類似性が調べられました。f3外群統計を用いて、他の古代ヨーロッパ人口集団に対して検証された、VCトリピリャ、VERT-114、VERT-113の共有される遺伝的浮動量が定量化されました。全体的に、VCトリピリャ個体群は新石器時代ヨーロッパ人口集団とより多くの派生的一塩基多型(SNP)を共有しました(図3)。VERT-114個体は、後期新石器時代および青銅器時代人口集団に対してと共に、狩猟採集民人口集団との高水準の派生的SNPを示します。次にVERT-113個体は、狩猟採集民人口集団およびヨーロッパの縄目文土器文化などいくつかの草原地帯関連人口集団と派生的SNPを共有します。以下は本論文の図3です。
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f4統計とqpAdmが実行され、遺伝子流動の方向性が推定されるとともに、祖先系統構成要素が定量化されました。外れ値を除くVCトリピリャの遺伝的構成と、VCトリピリャ集団の遺伝的混合の考えられる供給源を理解するため、いくつかの検定が実行されました。まず、CTCC個体群と年代の近い人口集団を用いて、qpAdmが実行されました。その結果、5モデルが機能し、最も単純なモデルは、ハンガリー後期C・EBAバーデン・ヤムナヤ祖先系統を約93%に加えて、ヤムナヤ関連人口集団からの7%を含み、ハンガリー後期C・EBAバーデン・ヤムナヤも草原地帯祖先系統を有しているので、トリピリャ文化人口集団と草原地帯人口集団との間のつながりが証明されます(図4)。次に、f4統計(ムブティ人、VCトリピリャ;ロシア・サマラEBAヤムナヤ、ウクライナEBAヤムナヤ)を用いて、特定の草原地帯関連人口集団との考えられるつながりが検証され、トリピリャ文化個体群とウクライナもしくはロシアのヤムナヤ人口集団とは統計的に関係していませんでした。以下は本論文の図4です。
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次に、同じ個体群が調べられましたが、今回はCTCC遺伝子プールに寄与したかもしれないさまざまな基底部祖先系統を表している人口集団、つまりEHGとCHGとアナトリア半島N(新石器時代)とWHGとウクライナNが用いられました。その結果、1モデルだけが機能し、アナトリア半島N関連祖先系統を40%、WHGを20%、CHGを40%含みます。これらの結果は以前の研究でもよく似た割合で観察されましたが、モルドバのトリピリャ文化個体群では適していませんでした。
VCトリピリャ22個体の狩猟採集民構成要素の考えられる供給源を調べるため、f4統計(ムブティ人、VCトリピリャ;ウクライナN、シベリア鉄門中石器時代)と(ムブティ人、VCトリピリャ;ウクライナN、コロス狩猟採集民)と(ムブティ人、VCトリピリャ;ウクライナN、コロス狩猟採集民)と(ムブティ人、VCトリピリャ;コロス狩猟採集民、シベリア鉄門中石器時代)が調べられました。その結果、コロス(Koros)狩猟採集民がウクライナのトリピリャ文化個体群と最高の遺伝的類似性を有するWHG供給源と示されます。
ヨーロッパ中央部銅器時代人口集団と比較すると、銅器時代VC個体群は、f4統計(ムブティ人、VCトリピリャ;ハンガリー後期C・EBAバーデン・ヤムナヤ、トリピリャ・モルドバ)で示されるように、モルドバのCTCC人口集団と統計的に有意な類似性を共有していないようです。qpAdmでも、ウクライナNとWHGは、ハンガリー後期C・EBAバーデン・ヤムナヤに加えて、VCトリピリャへの狩猟採集民関連祖先系統の可能性が高い2つの供給源です。f4統計(ムブティ人、VCトリピリャ;ウクライナN、WHG)はWHGへの明確な傾向を示しており、VC個体群における在来の狩猟採集民からの祖先系統の存在がほとんどないことを示唆します。
異なる個々の祖先系統構成要素を検出するため、qpAdm検定がVC22個体で個々に実行され、そのほとんどが、トリピリャ・モルドバかハンガリー後期C・EBAバーデン・ヤムナヤかハンガリー後期新石器時代(LN)ティサ(Tisza)の単一の供給源でモデル化できる、と示されます。これは、そうした人口集団が全て草原地帯構成要素の存在を示すので、草原地帯祖先系統を有するLN人口集団について、明確な類似性を示唆します。驚くべきことに、VCトリピリャ文化個体群は単一の供給源としてトリピリャ・モルドバを用いてモデル化できます。
これらの個体の考えられる供給源間で統計的に有意な違いがあるのかどうか調べるため、f4統計(ムブティ人、VC個体;ハンガリー後期C・EBAバーデン・ヤムナヤ、トリピリャ・モルドバ)が個々に実行されました。その結果、1個体(VERT-035)のみがトリピリャ・モルドバとよりもハンガリー後期C・EBAバーデン・ヤムナヤの方と統計的に関連しており、ウクライナにおけるトリピリャ文化個体群内のある程度の変動性の存在が示されます。一般的な人口集団に対して行なわれたように、遠位供給源(EHG、CHG、アナトリア半島N、WHG、ウクライナN)を用いてqpAdmも実行されました。その結果、個体のほとんどはアナトリア半島Nに20%程度のWHG/ウクライナNを用いてモデル化できる、と示されます。f4統計(ムブティ人、VC個体;ウクライナN、WHG)が個々に実行されると、統計は違いを示しませんが、人口集団水準でのWHGとの類似性は、f統計に基づく評価の実行に、大規模な標本が重要だと明らかにします。
MBAとなるVERT-113個体は草原地帯関連祖先系統の明確な兆候を示し、データセットでは、この祖先系統の強い流入を示す唯一の個体です。VERT-114個体での同じ検定は、統計的に有意ではありません。関連して、f4統計を用いるいと、ウクライナ・ヤムナヤに対するロシア・ヤムナヤへの大きな類似性が観察されます。さらに、f4統計(ムブティ人、VERT-113;ウクライナN、WHG)により示されるように、これは狩猟採集民関連祖先系統の供給源として、WHGに対してウクライナNへの大きな類似性を示す唯一の個体です。
基底部祖先系統を用いてのqpAdmの遠位モデルにより明らかにされるのは、VERT-114個体が最大でウクライナNを33%とCHGを66%示すことで、大量の草原地帯関連祖先系統を裏づけます。年代の近い人口集団でモデル化すると、VERT-114個体は縄目文土器文化と関連する単一の供給源を必要とします。しかし、この兆候が、スルブナヤ文化個体群など、遺伝的に類似していながらVERT-113個体とより時空間的に近い人口集団に対応しているのかどうか、f4統計(ムブティ人、VERT-113;ポーランド南東部縄目文土器文化、ロシア・スルブナヤ文化)を用いて評価しようとしたものの、結果は、統計的関係がないことを示し、スルブナヤ文化起源を裏づける証拠はない、と示唆されます。
LBAに近いVERT-114個体は、PCAとADMIXTUREでは鐘状ビーカー人口集団と近い遺伝的位置を示しました。VERT-114個体は、EHG人口集団からよりもWHG人口集団の方からの祖先系統の流入が多いことを示し、これはVC22集団で得られた結果と類似しています。VERT-114個体のqpAdmの結果は、単一の供給源として鐘状ビーカー人口集団との単一のモデルが機能する、と示します。2方向モデルの多くは、ウクライナの球状アンフォラ文化(Globular Amphora Culture、略してGAC)人口集団および草原地帯人口集団と関連する人口集団を含み、その祖先系統の割合は、前者が約60%で後者が約40%です。
VERT-114個体と、その同年代のキンメリア人(Cimmerian)との間のあり得る関係も調べられました。キンメリア人は現在のウクライナに紀元前1000年頃に定着しました。f4統計(ムブティ人、VERT-114;モルドバのキンメリア人SG、ポーランド南東部縄目文土器文化)および(ムブティ人、VERT-114;モルドバのキンメリア人SG、ハンガリーEBA鐘状ビーカー)は両方、キンメリア人よりも鐘状ビーカー個体群へのVERT-114個体の明確な類似性を示しました。VERT-114個体は、トルコN(67%)とウクライナN(33%)との間の混合としてもモデル化できます。
以前の研究で提示された手法を用いて、ROH(runs of homozygosity、同型接合連続領域)の存在が調べられました。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレル(対立遺伝子)のそろった状態が連続するゲノム領域で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。ROH区間の分布は、有効人口規模と、1個体内のハプロタイプの2コピー間の最終共通祖先の時間を反映しています(関連記事)。検証された標本は、ROH下のゲノム部分がごくわずかしか示さない、と観察され、大規模な人口集団の一部だったことを意味します。例外は長いROH断片を示したVERT-100個体で、親族関係の両親の子供だった、と示唆されます。
●表現型位置
代謝や色素沈着や病原体抵抗性の表現型形質と関連する、105ヶ所のSNPが遺伝子型決定されました。これらの遺伝子型から、検証されたVC個体は、全員がSNP(rs4988235およびrs182549)の非耐性多様体を同型接合で有しているので、ラクターゼ(乳糖分解酵素)活性持続(LP)を有していなかったことが明らかです。また興味深いのは、VC個体群では2個体を除いて大半が青色の目と関連するSNP(rs12913832)の多様体を有しており、2個体は濃い色の目と関連する多様体を有していたことです。
●考察
CTCCは、ヨーロッパ東部に農耕をもたらした重要な考古学複合です。先行研究では、CTCCのゲノム記録はVCの4個体とモルドバの4個体だけで構成されていました。それにも関わらず、以前に報告されたCTCC内の多様性では、CTCCの遺伝的多様性に関するより多くの研究が、その起源と動態と崩壊の理解に必要と示されていました。最近の研究では、特定の遺跡に焦点を当てた大規模計画の有用性と関連性が明らかにされました(関連記事)。
本論文は、VCに埋葬された紀元前四千年紀と二千年紀と千年紀の20個体のゲノムデータを提示しました。これらの個体の遺伝的分析は、前期青銅器時代と後期青銅器時代両方での重要な遺伝的入替を明らかにしました。将来、これらの観察を明らかにするためにはより多くの個体が配列されるべきで、とくに紀元前三千年紀以降の個体をより多く得る必要があります。それは、青銅器時代のウクライナのゲノム記録が限定的で、紀元前三千年紀と紀元前二千年紀では6個体からしか得られていないからです。先行研究では、少なくとも中石器時代から現代まで繰り返し利用されたことに起因するVCの多様な物質の存在が論証されていたので、重要なことに、ひじょうに関連性の高い8個体の新たな放射性炭素年代も本論文では提供されます。
CTCC個体のmtDNA超可変領域I(HVRI)の以前の分析は、初期新石器時代集団との密接な母系祖先系統を示唆し、H・HV・T・V・J・Kなど新石器時代「一括」を表す系統が伴います。mtHg-U5aの2個体を除いて、本論文の分析に含まれる他の18個体は全て、ヨーロッパ中央部新石器時代集団と類似したmtHgを示します。この多様性は、mtHg-Uのみのウクライナのそれ以前の非農耕新石器時代遺跡の個体群とはひじょうに対照的で、それ以前の中石器時代狩猟採集民との連続性の結果かもしれません。mtHgの多様性から、在来人口集団はトリピリャ文化と関連する人口集団によりほぼ置換された、と示唆されます。VC個体群の大半はYHg-G2a2を示し、これはアナトリア半島関連新石器時代ヨーロッパ個体群に広く存在します。他の特定されたYHgはC1とI2で、ヨーロッパ新石器時代人口集団でも報告されており、性別の偏りのある移住の過去がないCTCC個体群の起源を示し、青銅器時代における草原地帯からの移住とは対照的です(関連記事)。
集団遺伝学的分析から、紀元前3790〜紀元前3535年頃となる後期新石器時代にVCに埋葬された個体群は、既知の他のCTCC個体群と遺伝的に類似しており、モルドバの他の既知のCTCC個体群と密接に関連している、と示唆されます。これらの観察から大まかには、銅器時代CTCC個体群は、同じか密接に関連した人口集団の子孫だった、と示唆されます。その起源集団はヨーロッパの大半で新石器文化を広め、狩猟採集民関連祖先系統で構成され、それ以前のウクライナの中石器時代もしくは新石器時代集団とは混合の兆候がなく、具体的にはハンガリーのバーデン(Baden)個体群を示します。じっさい、トリピリャ文化個体群の大半は、草原地帯祖先系統を有するヨーロッパの銅器時代人口集団によりモデル化できますが、20個体のうち4個体はモルドバのトリピリャ文化個体群としてモデル化できます。qpAdmモデル化でのこれらの結果から、VCのトリピリャ文化個体群の祖先系統構成に違いがあり、個体の狩猟採集民の割合と関連している可能性があるものの、この変動性はさまざまな人口集団へと個体を区別するのに充分ではない、と示唆されます。
CTCC個体群の先行研究は、CTCC関連集団の狩猟採集民構成要素の明確な起源を提供できませんでした。本論文では、ウクライナNとWHGを含むモデルが機能しているように見える観察にも関わらず、f4統計はその狩猟採集民構成要素の供給源がおもにWHGだろう、と示唆します。さらに、供給源としてEHGを用いる単一のqpAdmモデルは機能せず、その観察を裏づけます。トリピリャ文化個体群で見つかるWHG祖先系統の顕著な割合(最大18%)は、ヨーロッパ中央部の他の中期新石器時代人口集団で見られる狩猟採集民の「回復」と関連しているかもしれず、CTCCの起源に先行するアナトリア半島関連新石器時代集団に由来するより高いWHG構成要素をすでに有していた、西方の集団との混合の可能性が高そうです。これは、ウクライナの狩猟採集民の新石器時代集団が、トリピリャ文化個体群に多くの祖先系統をもたらさなかったことも示唆します。さらに、モルドバで明らかになったように(関連記事)、これらの個体における草原地帯関連祖先系統の存在も観察されますが、VC個体群におけるその割合はより低く、紀元前四千年紀において、東方から西方への次第に増加するヤムナヤ文化関連祖先系統からの継続的な波を示唆する個体群の年代と相関するかもしれません。
紀元前1960〜紀元前1770年頃となるMBAのVERT-113個体は、それ以前のCTCC個体群とはかなり異なる祖先系統特性を有しています。VERT-113個体は、有意に多いコーカサス狩猟採集民/ヤムナヤ祖先系統とEHG祖先系統を示すので、ヤムナヤ文化の拡大と関連していました。qpAdmの結果はVERT-113個体とポーランドの縄目文土器文化人口集団との間のつながりを示唆し、両者の間の類似性が示されます。また、VERT-113はWHGとよりもウクライナNの方とより高い遺伝的類似性を示す唯一の個体で、紀元前二千年紀にMBAを創始した人口集団が、ウクライナN人口集団と類似性を共有していたかもしれない、と示唆します。
興味深いことに、LBAのVERT-114個体は、f3値によると、ヤムナヤ文化牧畜民と明確に関連するMBAのVERT-113個体と多くの遺伝的つながりを示しません。VERT-114のゲノム構成は、鐘状ビーカー現象の終焉よりほぼ1000年新しく、キンメリア人もしくはスキタイ人の方と年代がより近いにも関わらず、ビーカー関連人口集団との関係を示唆します。しかし、これらの文化集団とのqpAdm モデルは機能せず、f4結果はキンメリア人よりも鐘状ビーカー個体群との類似性を確証しているようです。強い西方との類似性を有するVERT-114個体の遺伝的背景は、LBAにおける草原地帯への西方からの流入の証拠を裏づけます(関連記事)。紀元前三千年紀のVCおよびその周辺地域の個体のさらなる配列と分析が、CTCC関連個体群により放棄された後のVCの使用の調査に重要でしょう。
本論文の古ゲノム分析結果は、ヨーロッパ極東部の新石器化過程の理解に重要な意味を持ちます。CTCC人口集団はルーマニアとモルドバからウクライナ西部および中央部の森林草原地帯地域へと拡大するにつれて、おもに採食を生計体系とする在来のバグ・ドニエストル文化と関連する人口集団と接触するようになったでしょう。この集団は、中石器時代狩猟採集民の子孫だった可能性が高そうです。VC個体群の古ゲノミクスから、在来の中石器時代狩猟採集民は後のトリピリャ文化祖先系統に顕著には寄与せず、ウクライナ西部における新石器化の過程は、農耕慣行の在来民による採用ではなく、かなりの移住の産物だったことを示唆します。
本論文の結果は、森林草原地帯の定住農耕民とその近隣のポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)からの遊動的な牧畜民との間に、長期にわたって境界が存在した、という見解の裏づけも提供します。この境界は、物質文化と生計制度の劇的な対照により特徴づけられ、先史時代には大きな言語の違いとともに生計要因の違いのために維持された可能性が高そうです。この文化的境界における混合の欠如の論証は、ヤムナヤ文化の移住が起きた背景を理解するのに重要です。
結論として、本論文の結果は、VCが東方と西方をつなぐ重要な埋葬遺跡を表している、と示します。CTCC個体群の遺伝的構造は、西方のそれ以前の狩猟採集民および近東の農耕民の両方と関連する祖先系統と、モルドバのCTCC個体群の祖先系統と遺伝的に異なる祖先系統を含んでいます。ウクライナ新石器時代狩猟採集民と関連する在来祖先系統の欠如は、これらの農耕民が在来の採集民をほぼ置換し、近隣の草原地帯人口集団と混合しなかったことを示唆します。さらに青銅器時代においてVCは、最終的にはヨーロッパに顕著な遺伝的および文化的変化をもたらし、トリピリャ文化人口集団の在来の子孫と混合した、東方からの遊牧的な牧畜民の連続的な波に使用されました。これら後の期間の追加のゲノム標本抽出は、遺跡の年代の問題への回答に役立つでしょうし、トリピリャ文化が最終的にどのように崩壊したのか、示唆できるでしょう。
参考文献:
Gelabert P. et al.(2022): Genomes from Verteba cave suggest diversity within the Trypillians in Ukraine. Scientific Reports, 12, 7242.
https://doi.org/10.1038/s41598-022-11117-8
https://sicambre.seesaa.net/article/202205article_11.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/274.html#c15