31. 2022年3月27日 09:48:38 : 43SzQaK9sU : eU93YXNrb2FNSlE=[1]
ウクライナとロシアの関係を正確に判断せねば、起こされた戦争の内容について正確に語ることは不可能であろうが、いずれにしてもロシアが武力をもって、所謂他国に暴力的に攻め入るようなことは、21世紀の今日許されるものでは無い。我が身に置き換えてみれば理解は簡単なことだ。
ここに登場する山東昭子参議院議員は、第二次世界大戦中の生まれである。生い立ちがどの様な環境にあったかは定かでは無いが、少なくとも昭和24年位に、小学一年生になったわけだ、周囲を見渡せば、戦後復興は未だにの時代、戦争の悲惨さを識っている最後の世代でもあるが、それでも大変なことが日常であったことは、記憶にあるはずなのである。それであるのに、しかも女性であるのに、このような発言になることが実に哀しいことである。戦争の悲惨体験が、全く生かされていないのだ。恐ろしいことだ。
現在の、国会議員の殆どが、戦争の実態を体験してはいない。戦争がどれ程人間にとってネガティブな、非人道的なものを引き起こすのか、体験していなければ分からないのかなとしみじみ思う今日である。私は、関東の軍需関連施設の全く無い一地方都市に生まれたが、戦後の悲惨さは並大抵のものではなかった。三度の食事も不安定な時期を過ごしたし、親の苦労は本当に思い出すだけしみじみ大変なものであったろうことは想像に難くない。
戦争を体験していない世代が、世の中枢になって仕舞うと,人間は何度もこの愚かしい行動を惹き起こす。実に哀れなことだ。
ロシアが、ソヴィエト連邦の時代、ウクライナもその一員であったわけで、しかも常時開港出来ている面にあるのはウクライナであった。軍需産業の中心を成す為には格好の位置づけにあったわけで、鉱工業の中心であったことは、当然のことであった。ソビエト連邦は、社会主義体制を標榜していたとは云え、明らかにそれは似而非そのもので、歴史的な流れから云えば、専政君主の時代からの一足飛びの変化であったわけで、国民の意識の本当の改革には繋がっていなかったのである。従って、本来、社会主義社会は、資本主義社会よりデモクラシーが厳然として第一主義に掲げられていなければならないはずであるのだが、全くもってそれは実践されてはこなかったのである。全てが、資本主義との戦いに明け暮れて来た。従って、そこには全くと云う程に民政は育たなかったのである。しかるに、未だに満足な自動車も造れない程に、民政は脆弱のままなのである。
その中で、ウクライナに於ける鉱工業の位置づけは、ソビエト・ロシアにあって最重要拠点であったわけだ。そのウクライナが、ソビエト連邦崩壊の後、独立国家として歩み始め、そこにある鉱工業の基本的知的財産を一手に収めてきたのは確かなことであったろう。そのウクライナが、民度の向上と共に、デモクラシーへの足掛かりを得、結果西欧諸国に近づいて行ったことは、歴史的流れから云えば、当然のことと思えるのだ。ロシアにしても中国にしてもデモクラシーは、現在”夢のまた夢”であるからである。
一方、資本主義社会体制の国々を見渡せば、これはこれで、資本が一人闊歩しはじめ、それに群がる欲望の際限の無い形によって、大切なデモクラシーが大きく損なわれつつあることは否めないことになってきている。今回のコロナ疾病等、その最たるものと思うのだ。そのような中で、これらのグローバルな資本は、それに乗り切れない国々を利用し、抗えない程に打ちのめしてきたのであり、それが現在も増長しつつあるのだ。基本的に、それらの陵辱に抗う国力があるであろうと思われている大国、ロシア、中国、インド等は、必ずしもその資本の言いなりにはならないとの自負心を持ち続けているのだ。
そこに、降って沸いたのが、どうもウクライナ戦争であると思う。ロシアは、それでなくとも、国民総生産を、天然資源と軍需産業に委ねて来た、民政は一向に育まれて来ていないからだ。その時点で、良好な関係にあったウクライナの持つ鉱工業の知的資産が、本来であればロシアが共有出来るはずであったし、そのように今までは来ていたわけなのであったものが、どうも、ウクライナが、NATOに近づきつつあるのを感じ取ったロシアが、政治での和解を成就できないことを悟った上での実力行使に及んだ開戦であったと思ったのだ。しかし、歴史的必然の流れに即応し始めたウクライナの挙動は、ある意味許されるものであるが、ロシアにしては、掌中の玉を失うことになる。その結果の戦争と云うことであるとおもう。しかし、武力、暴力によるそれらは一切許されざるものであることも、これまた自明である。
云えることは、資本主義が当然最良の体制で無い事は、地球の現況に照らし明白なことではあるが、少なくとも、ロシア、中国のような所謂大国は、絶対的にデモクラシーをシッカリと国是の第一主義に掲げ、それを実践することをせねば、本物の大国にはなり得ないことを識るべきと考えている。勿論、アメリカもである。資本主義の爛熟期を過ぎたアメリカで、若者を中心にソーシャリズムが広がりだしたことを見れば、歴史的必然はやはり機能していることになる。