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[不安と不健康18] 「両肺に起きる急激な異変に注意…」新型コロナ感染者を診察した医師3人を独自取材!大きな2つの特異性とは?(FNNプライム)… こーるてん
4. 2020年3月20日 16:12:46 : 2e2mosRCVQ : eTZPMVk0ZER3a28=[1]
仕事中、ストレス性の咳き込み(咳込みが止まらなくなる症状)を経験した事があるが、経験した咳込みが果たしてストレス性のものだったかは自覚も全くないし分からない。何故なら血気盛んに仕事をしている最中のことで仕事そのものを苦にしていた事はなかったからだ。

参考になるかもと考えるのである持論を展開したいと思う。

昨今の、コロナ等に拠る仕事量の激減や経済的な損失に拠る過度の精神疲労により、心身共に不安定な真理から抜け出せなくなる現代人は多い事と思う。身体もそこに併せて緊張状態へと陥り、そこから脱しにくくなっている人はかように多いと思う。そうした事をストレスと呼ぶのは妥当だが、それを弛緩、または治癒するために手軽さを売りにした不自然な投薬にすがるのはよした方が良いと思う。

そもそもその緊張状態(筋収縮状態からの緩和だけを呼び込むためにアルコールや睡眠薬は用いられているが、それらは身体的感度を鈍らせるだけの麻酔剤としての処方効能しかないのであり、大切なのはそのものの精神的復旧である。

服用投薬が手放せなくなる事を依存症といい、それ自体が心理的病である。それ自体は精神的病を助長する働きはあっても改善するものではない。

投薬、内服によって身体的にはただ回復の見込みが齎されるまで重度の作用で感度が鈍らされる=眠らされるだけとなる。抗ウイルス剤にしても抗がん剤=痛み止めにしても一時の緩和の為に強い薬の作用力で細胞がただ「不活性に抑制される状態」に落とし込まれるだけであるからそれは謂わば死と同様なのである。自分自身の対抗力への否定が=鬱である。鬱状態を引き起こすのは強い精神抑制剤による。

身体を健全に保つには自然であるものすべてに備わってるアクティブ性(自然な積極的精神作用)を活かすことが何より重要であると思う。謂わば上記自然な感覚を削ぎ落とし、抑え込む投薬とは真逆の見解である。
咳込みが激しくなるのならば、それはその身体が自然な治癒のための取り組みとして「咳込み」が発症するのであって、それが自然治癒のための方向性(過程)であるから、その咳込みを意識的に抵抗したり抑制すべきではない。だが現状その咳込みを強く抑制する方向にすべての価値観、世論は流されていると思う。
異物が咽頭に混入した時も自然に鼻水が流れたり、血が出たり、くしゃみをしたりする。この症状自体は治癒能力そのもので在る。それを抑制すること自体は何ら改善を見るものではない。治癒過程を否定するのは誤りである。その症状自体が悪なのではないのだから、その働きを抑制すべきではないし、抑制された分は別の何かで同じエネルギーのものが別途現れるだろうと思うのである。それが所謂悪循環を生む皮膚の生気のない弛み、ホルモンバランスの変容、副作用としての鬱だったりするのである。

またこれとは別に幼少期の成長過程に於ける背簿の生育過程に於いても同じ症状を発する。高熱だったり、咳込みはこの時の急激な骨成分の細胞分裂における発熱量でもあり、真っすぐに骨が伸びるよう背骨と繋がる全身の筋肉とのバランス、矯正として成長過程を大いに助ける。

経験から申せば、ストレス性とは思わない咳き込みの長期化で一度肺炎とほぼ(第三者からみれば)等しい状態に陥ったことがあるが、その時本当に死を覚悟する程咳込みが続いた。しかし、一旦それを受け容れて気にしなくなると、咳込みをしつづけるほどに気分が高揚してエネルギーが湧いて来た。眠らないと明日の仕事に影響するとしながらも、そんなものを越えて自分という力を自分自身で支持するとの表明が強まり、無意識にほぼ寝ても覚めても強く咳をし続けられるようになって行った。そのことで最終的には一種のアスリートのランナーズハイの様な状態になって行った。つまり睡眠時間を摂取したかしないか(眠れたかどうかを心配もせず)分からない状態でも日常生活が全く困難とは感じられなくなったのである。そして増々強く強くと、自分を追い込むかのように、ネガティヴな心理の蔓延る隙間が無い程に積極的に前のめりに咳込みを続けるようになった。例えれば応援団の死にものぐるいの練習のようにである。そうして世間一般の価値観による不安と絶え間ないはずの恐怖を克服した。すると十日目にして咳は突然収まったのである。今から13年程前の話だ。その頃は毎日朝と夜と三時間後の休憩を挟んで、別の職場から一旦家に帰り仮眠してまた別の職場へと夜から朝へ、朝から夜へという現場二つを掛け持ちして仕事も出来た。

自分の頭の中を巡る考えをしづらくなる状態に一度陥れば、自然な治癒機能の出番となってくるのだろう。それは意識的に可能だろう。頭、そして胸、そして腹とをひとつの脳のように繋げることであると理解する。頭だけでの思考は「片寄って居る」という事でもある。
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