12. 2022年3月09日 20:44:23 : 90l9k4DMcg : emN1Q1VCcGJWREk=[1]
プ−チン大統領との比較は、脇に置いて、ヒトラ−のことだけを書いておく。
教科書が教える歴史とは、これも何とかの壁の一つだ。
@ ヒトラ−ならびに国民社会主義ドイツ労働者党が、政権を取れるように画策し、資金援助を惜しまなかったのは、ウォ−ルストリ−ト金融街である。
証拠は、たくさんあるが、今回はウクライナつながりから、興味深い証言をあげる。
ウクライナの外相、クリスチャン・ラコフスキー(Christian Rakovsky)は、スターリンが行った血の粛清の際の尋問で、クーン・ローブ(Kuhn, Loeb & Co.)が、ワーバーグ(Warburg)をヒトラ−と合わせ、その結果、ロシアに侵攻させるために、ヒトラ−を擁立したと証言した。
シドニ−・ワ−バ−グ(Sydney Warburg)の本には、ラコフスキ−の証言を裏付けるような記述がある。
A ヒトラ−の思想の立役者であり、外交問題担当であった、アルフレト・ロ−ゼンベルク(Alfred Rosenberg)は、1931年から1933年まで、たびたびロンドンを訪問し、シェルのヘンリ−・デターディング卿(Henri Deterding)の邸の一階に陣取って、英国の戦争相(Hailsham)とか国王のジョ−ジ五世とかイングランド銀行の頭取(Montagu Norman)の訪問を受けていた。、
B 英国のファシスト、オズワルド・モズレー(Oswald Mosley)は、エドワ−ド八世に、閣僚の中で、ファシズムに友好的な人物のリストを作成して渡していたが、
その中に、チャ−チルの名前がある。
C ヒトラ−は、英国が自分の側に立っていると考え、その支持なしには、ポ−ランドを侵攻しないと決めていた。
D ヒトラ−が、ズデ−テンランドを併合する前、1938年に、ドイツ軍のヴェルナー・フォン・フリッチュ将軍(Werner Freiherr von Fritsch)は、ヒトラ−に対する謀反計画を立て、英国首相のチェンバレンと接触を図ったが、「裏切り者とは交渉しない」と冷たく断られた。
後は、自分で検索して、調査してください。
http://www.asyura2.com/21/kokusai31/msg/497.html#c12