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[近代史4] 西側で第二次大戦を戦ったのはレジスタンスだが、その主力はコミュニスト 中川隆
7. 中川隆[-12022] koaQ7Jey 2023年12月10日 08:05:12 : 9MLGdSYR5I : eHR5QmFPZ0czLkU=[1]
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2023.12.10XML
今年の12月で真珠湾攻撃から82年、レノン暗殺から43年
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202312100000/

 今から82年前の1941年12月7日に日本軍はハワイの真珠湾にあるアメリカ太平洋艦隊の基地を攻撃、43年前の1980年12月8日にジョン・レノンがニューヨーク市にあるダコタの入り口で射殺された。

 真珠湾を攻撃する直前、日本軍はマレー半島を攻撃している。その時点でアメリカ側は日本側の機密情報を入手していた。ドイツの外交官ハンス・トムセンは日本の外務省が使っていた暗号機B型(パープル)の暗号をアメリカが解読しているとヨアヒム・フォン・リッベントロップ独外相へ報告、その情報は日本側へ伝えられていたのだが、日本の外務省はそれを使い続けている。

 ちなみに、アメリカでは第2次世界大戦が始まった後、通信傍受と暗号解読を目的とするSSA(通信安全保障局)を設立、1942年3月には日本海軍が使っていた呂暗号(JN-25)も解読に成功、同年6月に実行されたミッドウェー諸島攻略作戦の内容を事前に入手していた。

 日本軍が太平洋で軍事作戦を計画していたことをアメリカ側は知っていた可能性が高いのだが、どこを攻撃するかはつかんでいなかった。真珠湾は遠浅のため攻撃が技術的に難しく、守りの堅い軍港。攻撃のリスクは高い。

 その前、アメリカ政府の内部では日本に対する石油の輸出が議論されていた。財務省は積極的だったが、フランクリン・ルーズベルト大統領は石油の禁輸が「日本をインドシナへ駆り立てる」と考え、1937年より前の日本に対する石油輸出量は維持すると主張していた。(岩間敏「戦争と石油(1)」石油・天然ガスレビュー、2006年1月)

 日本軍はマレー半島を攻撃するという考えが常識的だろう。実際、最初に攻撃したのは石油があるマレー半島だ。そこへ日本の艦船が近づいていることもわかっていた。

 イギリスのウィンストン・チャーチル首相も日本のそうした動きを察知、1941年11月にベンガル(現在のバングラデシュ周辺)で「拒否政策」と呼ばれる焦土作戦を打ち出す。日本軍の食糧にしないということでサイロや倉庫から種籾を含む全ての米を押収、また輸送手段を奪うということで漁民の船や自転車を取り上げたのだ。

 その政策を推進中の1942年10月にベンガル地方はサイクロンに襲われた。死傷者が出ただけでなく農作物が大きな打撃を受け、食糧不足は避けられない状態になる。ところが飢餓が見通されてもチャーチル政権は米の運び出しを続ける。チャーチルは1943年1月、イギリスの食糧と資源の備蓄を強化するため、インド洋で活動していた商船は全て大西洋へ移動させていた。(Madhusree Mukerjee, “Churchill’s Secret War,” Basic Books, 2010)

 それに対し、現地の提督は1943年10月に政策の継続は大惨事を招くとチャーチル首相に警告、イギリス下院では満場一致で食糧を送ると議決したが、首相は無視した。食糧を送るというルーズベルト大統領の提案も拒否している。その結果、ベンガルでは1943年から44年にかけて大規模な飢饉が引き起こされ、餓死者の人数はベンガル周辺だけで100万人から300万人に達したと推計されている。

 チャーチルが焦土作戦を実行したのは日本軍がインドへ侵攻してくると考えたからだが、そうなるとアメリカの参戦なしにイギリス軍は日本軍に勝てないとイギリス政府は見ていた。日本軍の真珠湾攻撃を見てチャーチルは大英帝国が存続できると考えただろう。(Nu’man Abd Al-Wahid, “Debunking the Myth of America’s Poodle, Zero Books, 2020)

 真珠湾を攻撃した頃、ドイツ軍はモスクワでの戦いでの敗北が決定的になっていた。これが独ソ戦の転換点だ。そして1942年8月にドイツ軍はスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まるが、11月になるとソ連軍が猛反撃でドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲され、43年1月には生き残ったドイツの将兵9万1000名は降伏する。

 これを見て慌てたのがチャーチル。ルーズベルトやフランスのシャルル・ド・ゴールとカサブランカで会談、そこで「無条件降伏」という語句が出てきた。これはドイツの降伏を遅らせ、米英が軍事作戦を行う時間的な余裕を作るためだったとも言われている。

 そして1943年7月に米英両国軍はシチリア島へ上陸。ハリウッド映画で有名になったノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月になってからだ。コミュニストの影響力が強かったシチリア島へ上陸するため、アメリカ軍はマフィアの協力を得ている。

 アメリカ海軍のONI(対諜報部)はユダヤ系ギャングの大物だったメイヤー・ランスキーの仲介でイタリア系犯罪組織の大物ラッキー・ルチアーノに接触、協力させることに成功した。ランスキーとルチアーノは子ども時代からの友人。ふたりともアーノルド・ロスティンの子分だった。

 当時、ルチアーノは30年から50年の強制労働という不定期刑が言い渡されていた。優雅に暮らしていたとはいうものの、死ぬまで刑務所から出られそうになかった。そこに救いの手をさしのべてきたのがONIである。

 ルチアーノはシチリア島の大ボスだったカロージェロ・ビッツィーニを紹介、ビッツィーニの要請で島内のボスはイタリア軍やドイツ軍に関する情報を米軍に提供したうえ、破壊活動にも協力した。シチリア島で強い影響力を持っていたコミュニストを押さえ込むため、マフィアを利用したという側面もある。大戦後、シチリア島がマフィアの支配地になるのはそのためだ。1946年2月9日、ルチアーノは「好ましからざる人物」という名目で刑務所を出され、国外に追放された。自由の身になったということだ。

 真珠湾攻撃の39年後にレノンは殺された。レノンの右側、2.5メートルほど離れたところにいたマーク・チャップマンが発射した4発の銃弾がレノンの左側から命中している。至近距離から撃たれたことが医学的に示されている。殺される直前、レノンは反戦運動の前面に出ようとしていた。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202312100000/


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[近代史4] スピーカーユニットは平面バッフルに取り付けるのが一番安くて、音も一番良い 中川隆
53. 中川隆[-12021] koaQ7Jey 2023年12月10日 08:24:21 : 9MLGdSYR5I : eHR5QmFPZ0czLkU=[2]
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「音楽&オーディオ」の小部屋
オーディオ冬の陣〜スピーカー弄り〜
2023年12月10日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/321f1f6c7a0d7e8eaa480219ad62cebf

このブログの読者ならお分かりのとおり、我が家には6系統のスピーカーがある。

「それほど広くもない部屋にそういう余分なものを置いていると、音響的に悪いに決まっている」と厳しく指摘されるのが関の山だが、本人にとってみれば、気の向いたときに好みの音をドラスティックに変える楽しみともなると、そういうマイナス面を補ってあまりある・・。

で、このうち「AXIOM80」「TRIAXIOM」のグッドマン勢は箱の補強などでどうにか合格ラインに到達し、ほかにもモニター・オ−ディオの「PL100」と「口径20cmのユニット」もこれ以上弄る必要はなさそうで、一応目途がついた感じ〜。

で、残るはさらなる高みを目指していよいよ2系統のスピーカーに絞られてきた。

そのうちの一つがこれ。

ワーフェデールのスーパー10(口径25cm:赤帯マグネット)と最高音域を「075ツィーター」(JBL)でカバーした組み合わせだが、自分でいうのも何だがとても「いい音」には違いない。

代えるのがもったいないくらいだが、英国のスピーカーを板厚が4cmもある頑丈な箱に容れて聴くのがどうしても気になって・・。

総じて英国製のユニットは板厚の薄い箱に容れて微妙な箱鳴りとともに聴くのが本来の姿だと思っているし、これは我が家のポリシーといってもいい。

そこで、「スーパー10」を思い切って「D123」(口径30cm)に代えることにした。これでJBLユニットのそろい踏みである。

丁度季節も冬に入ったことであり鬱陶しい気持ちを晴らすためにも、いささか湿っぽい英国製のスピーカーとは違って、一つぐらいはスッキリ爽やかな、まるで「カリフォルニアの透き通った青空」のようなサウンドがあってもいいだろうという胸算用(笑)。

「D123」は専用のバッフルに取り付け済みなので、ものの20分もあれば十分という簡単な作業を経てこの姿。

コイルで700ヘルツあたりでハイカットし、075ツィーターは5000ヘルツあたりでローカットして2ウェイで聴いてみた。

アンプはもちろん別々で「D123」にはWE300Bシングルを、075ツィーターには「71Aシングル」を当てた。

ちなみに、我が家の場合「075」でヴァイオリンの音が気にならないアンプは9台のうちこれだけである。

「人間にたとえれば、スピーカーは「外見=容姿」にあたり、それに精神を吹き込むのはアンプである」という格言(?)がありますな(笑)。

前段管の「AC/HL」(英国マツダ:初期版)が「ハイミュー」の持ち主なのでメチャ利いている気がする。

で、ワクワクしながら耳を傾けると、ドドッと音の塊が噴出してくる感じで、その勢いに惚れ惚れした。やっぱり、アメリカ系のSPの良さも十分あるなあ・・。

この音でたっぷり2日間ほど聴いてみたが「好事魔多し」!

我が家のテスト盤となっているエンヤの「カリヴィアン・ブルー」の冒頭の一撃でガックリきてしまった。

音が大きな塊になって個々の楽器の音色がどうも判然としない・・、これが一番目の動揺〜。

二番目の動揺は「D123」は能率が高いせいか(102db)、アンプの微かなハム音までもを綺麗に捕えてくる「狩りの名手」なのだ(笑)。

つまり、日常使っている英国系のユニットはせいぜい「95db」前後なので目立たないが、「D123」だとかなりハム音が目立つ。

このせいで手持ちの9台のアンプの中で使えるのはせいぜい4台ほどに限定されてきた。

しばし、沈思黙考の上、思い切って別のユニットに取り換えることにした。どうやら我が家は「JBL」と相性が悪そうだ・・。

お目当ては「コロンビア」製の随分昔のユニットで口径25cm、もちろんアルニコマグネットの持ち主である。

ウーファー専用なのでコイルは不要というのが大いに助かる。

さっそく「カリヴィアン・ブルー」を聴いてみたが、音の塊(解像力)はそれほど変わらない気がしたが、少し小さくなり、何よりも音像がスピーカーの後方に広がる感じが気に入った。

結局、箱の板厚が4cmもあるとデリケートな余韻などの再生は無理なのかもしれない・・。チェロもヴァイオリンも胴体の箱はみんな薄いよねえ。

右往左往したが、どうやらこれにて一件落着といこう・・。

空は雲ひとつない冬晴れの好日で、わくわくはらはらした楽しい1日でしたよ〜(笑)。
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[近代史3] 馬渕睦夫 米国がつくった中華人民共和国 中川隆
27. 中川隆[-12020] koaQ7Jey 2023年12月10日 09:09:05 : 9MLGdSYR5I : eHR5QmFPZ0czLkU=[3]
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ソ連化する中国、建国からスーパーバブル経済の崩壊まで
2023.12.10
https://www.thutmosev.com/archives/31407.html

毛沢東とスターリンは国民を罰する事で権力の座に就いた。習近平も同じ事をしている


https://www.newsweekjapan.jp/rebelpepper/2016/03/post-22.php 毛沢東の衣鉢を受け継いだ習近平を待つ「未来」|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
中国成立前史

ソビエト連邦は1922年から1991年まで存在したが実は国家ではなく労働者会議の世界連邦で、全世界が共産主義化したのちの「国連」に相当するような機関だった

だが共産主義革命は世界の一部でとどまったため彼らの世界は狭い物になり、西側世界に対して国家という形態をとる事になった

中華人民共和国は最初ソビエト共産党北京支部であり、1921年に東京大学への留学から帰国した李漢俊の自宅で共産党が結成され毛沢東も初期メンバーの中にいた

1912年に辛亥革命で清帝国が倒れてすぐに日本から共産主義思想が伝わり2019年までに各地で共産主義組織が結成され、1921年に中国共産党として統一された

初期の中国共産党はソ連共産党の指示で動いておりソ連は都市の市民によって共産主義革命を起こそうとしたが、当時の中国に市民など存在していなかった

そんな中でソ連と一線を画し農村の共産主義化を進めたのが毛沢東で、国民党の失策に困窮していた農民の支持を集めて勢力を拡大した

1930年代になると日中戦争がはじまったが毛沢東の戦争指導は現実的で卓越しており、消耗する国民党軍に対してノーダメージで第二次大戦を乗り切り農民の圧倒的な支持を受けていた

戦後国共内戦が起きたが農村を拠点とする毛沢東に対し、都市を拠点にする蔣介石はアメリカからの援助を受けていて、数でも質でも優位に立っていた

蔣介石の国民党軍はアメリカから膨大な援助を受ける一方でソ連とも協定を結んだので、毛沢東の共産党は米ソ両方から捨てられた格好になり風前の灯とみられた

だが毛沢東率いる農民軍は山岳地帯で強さを発揮し、兵力と装備で優位に立つ国民党軍を何度も打ち破り勢力を拡大した

都市部の国民党軍を包囲した共産党は1949年10月1日に中華人民共和国の建国を北京で宣言し1950年に国民党軍は台湾に逃走する事になった

アメリカは放っておけば良いものを国民党軍と幹部を台湾島に輸送し、国民党は「台湾人」10万人以上を粛清した挙句今では「台湾人」に成りすましてアメリカや日本に保護されて生きている

中国の怒涛の成長と墜落
こうして中華人民共和国の方の中国が成立したが台湾には中華民国の中国も存在し、紛らわしいので台湾島の中国を「台湾」と呼んでいます

最初台湾の中華民国は中国の代表として国連常任理事国だったが1971年にソ連が衛星国家を大量に国連に加盟させ台湾と中国を入れ替える決議を可決して中国を常任理事国にした(アルバニア決議)

この時アメリカはベトナム戦争で負けようとしていて、中国に接近してソ連と引き離す戦略をとり、1972年2月にニクソンが北京を訪問した

この日から中国の成長が始まり1978年に改革開放が決定され1992年の南巡講話によって、中国が資本主義に参加するのが国民に通知された

2008年北京五輪まで中国は年10%以上の高度成長が続き、全ての国が中国経済の恩恵を受けたので中国の国内問題に目をつぶる風潮が生まれた

チベット問題もウイグル問題も周辺国への侵略も国内の人権や公害も、「中国がお金をくれるので許可します」という事になった

風向きが変わったのは2008年でこの年に北京五輪が華々しく開催されたがリーマンショックの年でもあり、中国は50兆円の経済対策を実施した

翌年以降も中国は大型の経済投資を拡大し、100兆円、200兆円、300兆円という公共投資を行い、都市開発や不動産売買によって経済成長する国になった

これはバブル経済の日本と同じ手法であり破綻が約束されていたのだが、「お金を使うとお金が増える」というあまりにも美味しいマネーゲームを辞められなくなった

お金がお金を生み、そのお金がまたお金を産んで、お金を使う程にどんどんお金が増えていくという正に金の成る木であった

2015年に最初のチャイナショックが発生したがこれを巨額投資によって乗り切り、投資額を年々増額する事で経済失速を防止した

2020年になると武漢で新型ウイルスが発生し22年まで中国はゼロコロナ政策によって自国の経済を破綻寸前にまで追い込んでしまう

3年間で習近平の手法は経済成長や豊かさを国民に与えるのではなく、習近平に逆らう者を罰するように変化し、政府要人が次々に失踪する異常事態になった

その手法はソ連のスターリンやかつての毛沢東に似ていて、彼らは国民い富を与えるよりも政敵を追い落し罰する事で権力を手にした

中国が成長していた頃「中国はソ連のようにならない」と言われたが、2020年を境に急速にソ連化が進み香港は北朝鮮か東ドイツのようになっている
https://www.thutmosev.com/archives/31407.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/135.html#c27

[近代史02] 中国最後の皇帝 毛沢東 _ 共産革命とは一体何であったのか? 中川隆
38. 中川隆[-12019] koaQ7Jey 2023年12月10日 09:10:05 : 9MLGdSYR5I : eHR5QmFPZ0czLkU=[4]
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ソ連化する中国、建国からスーパーバブル経済の崩壊まで
2023.12.10
https://www.thutmosev.com/archives/31407.html

毛沢東とスターリンは国民を罰する事で権力の座に就いた。習近平も同じ事をしている


https://www.newsweekjapan.jp/rebelpepper/2016/03/post-22.php 毛沢東の衣鉢を受け継いだ習近平を待つ「未来」|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
中国成立前史

ソビエト連邦は1922年から1991年まで存在したが実は国家ではなく労働者会議の世界連邦で、全世界が共産主義化したのちの「国連」に相当するような機関だった

だが共産主義革命は世界の一部でとどまったため彼らの世界は狭い物になり、西側世界に対して国家という形態をとる事になった

中華人民共和国は最初ソビエト共産党北京支部であり、1921年に東京大学への留学から帰国した李漢俊の自宅で共産党が結成され毛沢東も初期メンバーの中にいた

1912年に辛亥革命で清帝国が倒れてすぐに日本から共産主義思想が伝わり2019年までに各地で共産主義組織が結成され、1921年に中国共産党として統一された

初期の中国共産党はソ連共産党の指示で動いておりソ連は都市の市民によって共産主義革命を起こそうとしたが、当時の中国に市民など存在していなかった

そんな中でソ連と一線を画し農村の共産主義化を進めたのが毛沢東で、国民党の失策に困窮していた農民の支持を集めて勢力を拡大した

1930年代になると日中戦争がはじまったが毛沢東の戦争指導は現実的で卓越しており、消耗する国民党軍に対してノーダメージで第二次大戦を乗り切り農民の圧倒的な支持を受けていた

戦後国共内戦が起きたが農村を拠点とする毛沢東に対し、都市を拠点にする蔣介石はアメリカからの援助を受けていて、数でも質でも優位に立っていた

蔣介石の国民党軍はアメリカから膨大な援助を受ける一方でソ連とも協定を結んだので、毛沢東の共産党は米ソ両方から捨てられた格好になり風前の灯とみられた

だが毛沢東率いる農民軍は山岳地帯で強さを発揮し、兵力と装備で優位に立つ国民党軍を何度も打ち破り勢力を拡大した

都市部の国民党軍を包囲した共産党は1949年10月1日に中華人民共和国の建国を北京で宣言し1950年に国民党軍は台湾に逃走する事になった

アメリカは放っておけば良いものを国民党軍と幹部を台湾島に輸送し、国民党は「台湾人」10万人以上を粛清した挙句今では「台湾人」に成りすましてアメリカや日本に保護されて生きている

中国の怒涛の成長と墜落
こうして中華人民共和国の方の中国が成立したが台湾には中華民国の中国も存在し、紛らわしいので台湾島の中国を「台湾」と呼んでいます

最初台湾の中華民国は中国の代表として国連常任理事国だったが1971年にソ連が衛星国家を大量に国連に加盟させ台湾と中国を入れ替える決議を可決して中国を常任理事国にした(アルバニア決議)

この時アメリカはベトナム戦争で負けようとしていて、中国に接近してソ連と引き離す戦略をとり、1972年2月にニクソンが北京を訪問した

この日から中国の成長が始まり1978年に改革開放が決定され1992年の南巡講話によって、中国が資本主義に参加するのが国民に通知された

2008年北京五輪まで中国は年10%以上の高度成長が続き、全ての国が中国経済の恩恵を受けたので中国の国内問題に目をつぶる風潮が生まれた

チベット問題もウイグル問題も周辺国への侵略も国内の人権や公害も、「中国がお金をくれるので許可します」という事になった

風向きが変わったのは2008年でこの年に北京五輪が華々しく開催されたがリーマンショックの年でもあり、中国は50兆円の経済対策を実施した

翌年以降も中国は大型の経済投資を拡大し、100兆円、200兆円、300兆円という公共投資を行い、都市開発や不動産売買によって経済成長する国になった

これはバブル経済の日本と同じ手法であり破綻が約束されていたのだが、「お金を使うとお金が増える」というあまりにも美味しいマネーゲームを辞められなくなった

お金がお金を生み、そのお金がまたお金を産んで、お金を使う程にどんどんお金が増えていくという正に金の成る木であった

2015年に最初のチャイナショックが発生したがこれを巨額投資によって乗り切り、投資額を年々増額する事で経済失速を防止した

2020年になると武漢で新型ウイルスが発生し22年まで中国はゼロコロナ政策によって自国の経済を破綻寸前にまで追い込んでしまう

3年間で習近平の手法は経済成長や豊かさを国民に与えるのではなく、習近平に逆らう者を罰するように変化し、政府要人が次々に失踪する異常事態になった

その手法はソ連のスターリンやかつての毛沢東に似ていて、彼らは国民い富を与えるよりも政敵を追い落し罰する事で権力を手にした

中国が成長していた頃「中国はソ連のようにならない」と言われたが、2020年を境に急速にソ連化が進み香港は北朝鮮か東ドイツのようになっている
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[近代史4] 独裁者列伝 _ 毛沢東 中川隆
9. 中川隆[-12018] koaQ7Jey 2023年12月10日 09:10:21 : 9MLGdSYR5I : eHR5QmFPZ0czLkU=[5]
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ソ連化する中国、建国からスーパーバブル経済の崩壊まで
2023.12.10
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毛沢東とスターリンは国民を罰する事で権力の座に就いた。習近平も同じ事をしている


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中国成立前史

ソビエト連邦は1922年から1991年まで存在したが実は国家ではなく労働者会議の世界連邦で、全世界が共産主義化したのちの「国連」に相当するような機関だった

だが共産主義革命は世界の一部でとどまったため彼らの世界は狭い物になり、西側世界に対して国家という形態をとる事になった

中華人民共和国は最初ソビエト共産党北京支部であり、1921年に東京大学への留学から帰国した李漢俊の自宅で共産党が結成され毛沢東も初期メンバーの中にいた

1912年に辛亥革命で清帝国が倒れてすぐに日本から共産主義思想が伝わり2019年までに各地で共産主義組織が結成され、1921年に中国共産党として統一された

初期の中国共産党はソ連共産党の指示で動いておりソ連は都市の市民によって共産主義革命を起こそうとしたが、当時の中国に市民など存在していなかった

そんな中でソ連と一線を画し農村の共産主義化を進めたのが毛沢東で、国民党の失策に困窮していた農民の支持を集めて勢力を拡大した

1930年代になると日中戦争がはじまったが毛沢東の戦争指導は現実的で卓越しており、消耗する国民党軍に対してノーダメージで第二次大戦を乗り切り農民の圧倒的な支持を受けていた

戦後国共内戦が起きたが農村を拠点とする毛沢東に対し、都市を拠点にする蔣介石はアメリカからの援助を受けていて、数でも質でも優位に立っていた

蔣介石の国民党軍はアメリカから膨大な援助を受ける一方でソ連とも協定を結んだので、毛沢東の共産党は米ソ両方から捨てられた格好になり風前の灯とみられた

だが毛沢東率いる農民軍は山岳地帯で強さを発揮し、兵力と装備で優位に立つ国民党軍を何度も打ち破り勢力を拡大した

都市部の国民党軍を包囲した共産党は1949年10月1日に中華人民共和国の建国を北京で宣言し1950年に国民党軍は台湾に逃走する事になった

アメリカは放っておけば良いものを国民党軍と幹部を台湾島に輸送し、国民党は「台湾人」10万人以上を粛清した挙句今では「台湾人」に成りすましてアメリカや日本に保護されて生きている

中国の怒涛の成長と墜落
こうして中華人民共和国の方の中国が成立したが台湾には中華民国の中国も存在し、紛らわしいので台湾島の中国を「台湾」と呼んでいます

最初台湾の中華民国は中国の代表として国連常任理事国だったが1971年にソ連が衛星国家を大量に国連に加盟させ台湾と中国を入れ替える決議を可決して中国を常任理事国にした(アルバニア決議)

この時アメリカはベトナム戦争で負けようとしていて、中国に接近してソ連と引き離す戦略をとり、1972年2月にニクソンが北京を訪問した

この日から中国の成長が始まり1978年に改革開放が決定され1992年の南巡講話によって、中国が資本主義に参加するのが国民に通知された

2008年北京五輪まで中国は年10%以上の高度成長が続き、全ての国が中国経済の恩恵を受けたので中国の国内問題に目をつぶる風潮が生まれた

チベット問題もウイグル問題も周辺国への侵略も国内の人権や公害も、「中国がお金をくれるので許可します」という事になった

風向きが変わったのは2008年でこの年に北京五輪が華々しく開催されたがリーマンショックの年でもあり、中国は50兆円の経済対策を実施した

翌年以降も中国は大型の経済投資を拡大し、100兆円、200兆円、300兆円という公共投資を行い、都市開発や不動産売買によって経済成長する国になった

これはバブル経済の日本と同じ手法であり破綻が約束されていたのだが、「お金を使うとお金が増える」というあまりにも美味しいマネーゲームを辞められなくなった

お金がお金を生み、そのお金がまたお金を産んで、お金を使う程にどんどんお金が増えていくという正に金の成る木であった

2015年に最初のチャイナショックが発生したがこれを巨額投資によって乗り切り、投資額を年々増額する事で経済失速を防止した

2020年になると武漢で新型ウイルスが発生し22年まで中国はゼロコロナ政策によって自国の経済を破綻寸前にまで追い込んでしまう

3年間で習近平の手法は経済成長や豊かさを国民に与えるのではなく、習近平に逆らう者を罰するように変化し、政府要人が次々に失踪する異常事態になった

その手法はソ連のスターリンやかつての毛沢東に似ていて、彼らは国民い富を与えるよりも政敵を追い落し罰する事で権力を手にした

中国が成長していた頃「中国はソ連のようにならない」と言われたが、2020年を境に急速にソ連化が進み香港は北朝鮮か東ドイツのようになっている
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[近代史4] 独裁者列伝 _ アドルフ・ヒトラー 中川隆
39. 中川隆[-12017] koaQ7Jey 2023年12月10日 12:58:22 : 9MLGdSYR5I : eHR5QmFPZ0czLkU=[6]
ヒトラーに息子がいた
【ゆっくり解説】独裁者の血縁たちのその後!
闇堕ち世界史【ゆっくり世界史解説】
2023/06/01
https://www.youtube.com/watch?v=xVURCepbyG8
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/798.html#c39
[近代史4] アドルフ・ヒトラーの世界 中川隆
28. 中川隆[-12016] koaQ7Jey 2023年12月10日 12:58:52 : 9MLGdSYR5I : eHR5QmFPZ0czLkU=[7]
ヒトラーに息子がいた
【ゆっくり解説】独裁者の血縁たちのその後!
闇堕ち世界史【ゆっくり世界史解説】
2023/06/01
https://www.youtube.com/watch?v=xVURCepbyG8
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/374.html#c28
[近代史3] アメリカの極秘文書が伝える天才ヒトラーの意外な素顔 中川隆
55. 中川隆[-12015] koaQ7Jey 2023年12月10日 12:59:14 : 9MLGdSYR5I : eHR5QmFPZ0czLkU=[8]
ヒトラーに息子がいた
【ゆっくり解説】独裁者の血縁たちのその後!
闇堕ち世界史【ゆっくり世界史解説】
2023/06/01
https://www.youtube.com/watch?v=xVURCepbyG8
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/207.html#c55
[近代史5] エドガー・アラン・ポー作品集 中川隆
1. 中川隆[-12014] koaQ7Jey 2023年12月10日 21:22:03 : 9MLGdSYR5I : eHR5QmFPZ0czLkU=[9]
エドガー・ポーを破壊したアルコールが薄暗く恐怖にまみれた作品を生み出した
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16829465
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/894.html#c1
[近代史4] エドガー・アラン・ポーの世界 中川隆
1. 中川隆[-12013] koaQ7Jey 2023年12月10日 21:23:21 : 9MLGdSYR5I : eHR5QmFPZ0czLkU=[10]
エドガー・ポーを破壊したアルコールが薄暗く恐怖にまみれた作品を生み出した
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16829465

エドガー・アラン・ポー作品集
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person94.html#sakuhin_list_1  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/635.html#c1

   

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