1. 2023年6月18日 17:45:33 : Ss9E9zI1lE : eHduNGEwVXhLV2M=[1]
あらゆるものがただ乗っ取りを受けて来たという歴史は既に暴かれているので、QAJFのEri氏はじめ、それを指示する純粋なひとたちの吐く毒っぷりにはきちんと期待しています。人々の中に眠った毒を消すにはそこに対抗する強い毒もが必要だからです。だから言いたいことも時にはありますが、黙ってだけいます。
彼らの活躍もあって、封印は6/12、呪縛が解けたとする状況です。
次は8/2なのですかね。その日付で意識が上とくっつく、などと自分で記録して忘れてたんですが、見直した中にそんな阿呆みたいな記述がありまして。そしたらまだでてきました。111、14:41。よくわからないので放置していますが、最近じつは見た数字で宝くじ買ったら、ストレートに2回来たので、(それ以降欲は出していませんが)数字に関する直感はするどくなってるのは間違いないんです。ですから気をつけるようにしています。
そう言えばQAJFのみなさんが話していた内容で、「呪」という字には兄という文字がはいってる、とした話で思ったことを少々書きます。
尺という字も似てますね。尺は実際には旧書体を簡略化する際使われています。
尺と只で咫(シ)になります。「咫」は「貴人に近づく・当った」という意味。「八咫」は実は(やあた)と読むそう。八幡と同じものですね。八幡大菩薩とはオオクニヌシのミコトと同格化しています。
トコシナエ(物質界の上位世界とより上位世界との境界)に広がるそれぞれの方向性(物理的なプリズムから発せられる分光色)を表す色を旗で表しているとかよく言われてますね。物理世界との境界線を意味していそう。
イヤサカ(弥栄)についても「やはえ」と読めますね。旧字体をどのような意図でなぜその簡略体にいつ置き換えたかは知りたいと思っています。縄文人のルーツはマヤ語とヘブライ語つかってたとします。縄文世界では盗人は重罪なので、入れ墨をして流浪の刑にしました。
人々がそうした知識を持たず、知らず知らずの内に物事が変遷して行く中で、意味が変えられて行っても気づかない。それ自体がのっとりですし、また呪いでもありますね。
実際は「悪魔」という言葉も「鬼」も、「強いもの」という意味しか持たなかった。平安の次の時代以降のことです。つまり政敵に対する側がその言葉の意味と歴史を改竄(書き換えた)した。
畠(畑etc.)氏の成り立ちに関しては、かぐや姫に詳しい館長さんが自費本を出してます。わたしはハタ氏は秦の皇帝からの指図に嫌気がさしてこの島国に家族を連れて逃げてきた人々、との認識なので、わたしは彼らに同情します。
またわたしは神格的存在である人格神ヤハウェの成り立ちを一応は理解するので、そのように感情的になるような歴史的事実として認識に捉えていません。そのように伝えられている事実は裏と表もがあって普通だからです。
殆どのものはまずはじめは純粋に存在したかと理解しています。
大分後年になってからです。これほど人と云うものがここ複雑化し、雑種のように荒れ狂うようになったのは。
いまの時代からみて、その存在に対して必要性が感じられなければそれは変えられて良いと思います。だとして正しい隠れていた歴史的認識はきちんと事前に知っておく必要はあるとは考えますね。
ああ、そう言えば唐変木という言葉もありますが、唐人が変化して朴になった、という意味ですかね。木下籘吉郎、秀吉が農家の出だったというありえない話も本当のところ、いつ頃作られた話かも理解されていません。
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