11. 2019年3月21日 13:58:31 : VFDQ62dGdo : eG5qcU5aRThoTWM=[1]
1939年8月に結ばれた、独ソ不可侵条約では、「条約の有効期間は10年。一方が有効期間終了の1年前に破棄通告をしなければ5年間の自動延長となる」条文があったにもかかわらず、ドイツは、1941年6月のソ連侵攻によって、事実上、条約は破棄された。
その際、日独伊三国同盟を結んでいた、日本側に、ソ連への侵攻を窺わせる、不穏な動きがあった。
すなわち、関東軍を総動員した軍事訓練を行ったり、一部の政治家の間で、ソ連侵攻を唱える風潮があった。
結局、侵攻を見合わせたのは、日本軍の軍事的な都合によって、一時的に、沙汰止みになったからだ。
> 近衛は、独ソ戦によって三国同盟の意味が無くなったとして同盟を破棄することも考えたが、陸軍の反発を恐れて結局この考えを公に提起することは無かった。松岡は直ちに対ソ攻撃するよう主張したが、陸軍内部ではソ連の敗北が明らかになってから参戦する「熟柿論」が台頭したため、結局参戦を見合わせた。
結局、日本は、世界情勢が連合国側に有利に傾き、日本の敗色が濃厚になって、ソ連侵攻が不可能になってから、負け犬の遠吠え的に、日ソ不可侵条約に、過度に依拠し、あげつらうようになったにすぎない。
ソ連参戦を促した、スターリン宛てのトルーマン書簡の責任は、どうなるのか?
> アメリカ大統領ハリー・S・トルーマンはソ連首相ヨシフ・スターリンに送った書簡の中で、連合国が署名したモスクワ宣言(1943年)や「国連憲章103条・106条」などを根拠に、「ソ連の参戦は平和と安全を維持する目的で国際社会に代わって共同行動をとるために他の大国と協力するものであり、国連憲章103条に従えば憲章の義務が国際法と抵触する場合には憲章の義務が優先する」という見解を示した。
終戦への前段階として行われた、一連の会談において、米国、イギリスが、ソ連に対して、約束したことの責任は、どうなるのか?