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[リバイバル4] 45 シングルアンプ 中川隆
7. 中川隆[-13671] koaQ7Jey 2022年2月18日 16:27:11 : EonKvGsRbw : eFRRamhWamM4T2M=[1]
真空管
各種45
http://www7b.biglobe.ne.jp/~ballds/VT05.html


大型の出力管の誕生前にオーディオ用(電蓄とよばれた時代)に多く使われた小型の出力管です。 小出力(2W程度)ですが、何か説得力のある音を聴かせてくれて、この球のアンプは1台は常に手元に置いておきたいという人も多いようです。 小編成の演奏なら、高効率のスピーカーであれば十分な音量かと思います。 ローサー等もすんなり鳴らしてくれますし、AMPEXも意外と素直に鳴ってくれます。 古くはナス管で245とか345という名前で色々なメーカーが作っていたようです。
有名なものでは、RAYTHEONの4ピラー形が有名です。 ナス管時代が多いようですが、ST管時代にはいっても作られていて、ST管の中では出色の音が聴かれます。


RAYTHEONの4ピラー、行灯形のプレート。

NU製45ST,4ピラーのプレートの厚さの違いが分かります。

刻印ST45各種: 左からRaytheon−4ピラー、 NU-45ST、 PHILCO-45ST、 TUNGSOL-45ST

プリント45ST: 左からRCA−45ST、 NU-45ST

RCA Cunningham&Radiotron併記の刻印45ST。 年代が違うのか刻印ノ記し方が違います。
音はあまり差がありません。 ちょっとGM値に差があるので音量の違いはあります。
音は気に入っているので、CX345とともに常用しています。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~ballds/VT05.html
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/153.html#c7

[リバイバル4] 45 シングルアンプ 中川隆
8. 中川隆[-13670] koaQ7Jey 2022年2月18日 16:31:36 : EonKvGsRbw : eFRRamhWamM4T2M=[2]
真空管
CX345
http://www7b.biglobe.ne.jp/~ballds/VT06.html


大型の出力管の誕生前にオーディオ用(電蓄とよばれた時代)に多く使われた小型の出力管です。 小出力(2W程度)ですが、何か説得力のある音を聴かせてくれて、この球のアンプは1台は常に手元に置いておきたいという人も多いようです。 小編成の演奏なら、高効率のスピーカーであれば十分な音量かと思います。 そんな45の中で、今一番好きな音をだすのが、CX345です。 ER280と組み合わせると、キレも良く、音の広がりもあり、聴き入ってしまいます。


RCS Radiotronのナス型45。 
旧式ナス管、X245。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~ballds/VT06.html
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/153.html#c8

[リバイバル3] 伝説の静電型スピーカー QUAD ESL57・ESL63 中川隆
130. 2022年2月18日 16:38:30 : EonKvGsRbw : eFRRamhWamM4T2M=[3]
Audio Cheap Chic
妄想:静電型スピーカーのダイレクト・ドライブ
1月 15, 2021
https://audiocheapchic.blogspot.com/2021/01/blog-post.html


静電型スピーカーには大抵昇圧トランスが付いている。最初のフルレンジの静電型スピーカーと言ってもいいQUAD ESL57では中高音域は凡そ1:100に昇圧している。低音域は同じトランスに凡そ1:100の別巻線が2巻あり、トータルで1:300に昇圧する。静電型は低い内部抵抗で駆動する、すなわち定電圧駆動するとハイ上がりになる。後面開放型と同様にダイポール型なので前面と後面の位相が逆なので、打消しが生じるため、6dB/Oct.では無く、100 Hzから5 kHzにかけて3dB/Oct程度で上昇する。無論、室内の反射とか、低音域の共振とか、バフル効果とか色々相まって周波数特性が変わる。

定電圧駆動ではなく抵抗を直列に入れるなどして定電流ドライブするとある周波数から上はほぼフラットになるが、最高音域は振動膜の厚さに応じてある周波数から徐々に減衰することになる。QUAD ESL57では3ウェイにして、大雑把に言えば、高音域は1:100を経てローカットして、中高音域は同じ巻線から抵抗を直列に入れた上で結線されており、低音域は1:300で昇圧して抵抗を直列に入れて結線されている。このように3ウェイにすることによって総合的には平らに近い周波数特性を得ている。QUAD ESL57は元々15 WのQUAD II型アンプ(KT66のウルトラリニア接続PPでカソードNFBあり)で駆動することを前提していたのでパワーは入らない。その分、電極と振動膜が近い。出力の大きな半導体アンプを接続することで電極と振動膜との接触やアーク放電が頻発し、高音域のローカット回路が追加されるなど変更がなされている。QUAD ESL63以降の製品や他社の静電型スピーカーでは高圧バイアス電源から振動膜への回路に高抵抗が直列に入れられている。QUAD ESL63では確か10 MΩ、Acoustatでは500 MΩだったと思う。この抵抗は振動膜が大振幅で固定電極と接触したときのダメージを恐らく小さくしてくれるだろう。しかし、QUAD ESL57には入れられていない。中古品を手に入れると振動膜(特に高音域と中音域)に焼か焦げが出来ている例が多い。そのため信号電圧を制限するリミッターもオプションにあった。後に発表された405アンプでは基板に出力電圧リミッター用の結線ができるようになっていた。

昭和光音工業からSTAXへ社名が替わった頃、創業者の林 尚武 氏がラジオ技術1964年4月号に静電型のフルレンジ・スピーカー(STAXではコンデンサ形スピーカと呼称)システムについて寄稿した。ESS-3型、ESS-6型、ESS-12型が紹介されており、ESS-3型のトランスを省略したものがESS-6型で、ESS-3型のユニットを倍に増やしたのがESS-12型と紹介されていた。開発秘話というか製品紹介であったが、ESS-3型は同誌に載った宣伝で新発売であることが分かるが、その時点で既に発売されていたのか、販売予定だったのかは私には分からない。何しろSTAXの衝立型スピーカーの黎明期の話である。

前出の記事によれば、林 氏は大枚を払って(1米ドル=360円の時代であった)QUAD ESL57を入手して試聴したものの、原理的には素晴らしいはずなのに、と必ずしも満足できなかったらしい。エヌエフ回路設計ブロック創業者の北野 進 氏も満足しなかったひとりで、「高音はむしろホーン型スピーカと入れかえてみたら、いっそうよいのではないか(ラジオ技術1962年6月号)」と感想を述べていた。このような事情が静電型(コンデンサー)型トランスジューサーに可能性を追求していた林 氏のスピーカー開発のドライビング・フォースであったようだ。無論QUAD ESL57は当時の理論、資材、そして技術での試行錯誤の結果であり、生産性も含め非常に高い次元でバランスよく纏めたものである。当時のQUAD流のというかPeter J. Walker流の最高水準での妥協の結果である。歪率など、当時のダイナミック型を大きく凌駕していたし、トランジェント特性も素晴らしかった。

STAXはそれを越えることを目標にしたと考えられる。ESS-3型の公表された周波数特性はかなりフラットなのだが、それでも林 氏は310 Hzと5.5 kHz近辺のディップを気にしていた。尤もこれらはトランスと発音ユニットの間に入るネットワークで解消可能だろうとも述べていた。また、低音域での歪率をQUAD ESL57と比較したグラフを載せており、静電型が低音域でも十分に使えることを示していた。このデータがESS-3型のものなのかESS-6型なのか明示されていないが、他のデータから類推してESS-3型のものだろうと思う。

それより数年前、静電型スピーカーが高音用、乃ちツイーターとして注目された時期があった。ジェンセン社等が先鞭を付けたのだが、安価で高性能な日本製が注目され、昭和光音(後のSTAX)や品川無線(カートリッジのグレースとして有名)、新日本電気音響などが米国に輸出した。当時は目的がツイーターであっため電極が片側だけのシングル型が主であったが、昭和光音は両側に電極を置いて駆動するプッシュプル(PP)型を発表し、林 氏はラジオ技術(1959年5月号)誌上でPP型のCSP-500について特に詳しく解説ている。CSP-500には発音ユニット(エレメントと記載)が3箇角度を付けて装着されており高圧バイアスは2 kVで500〜800 Vの駆動電圧が必要。林 氏は専用のアンプ(6CA7 五結PP)も試作している。写真ではタムラの400型と思しき小型の出力トランスだが、一次側で2倍に昇圧しており、十分な駆動信号電圧を得ようとしていたようだ。昇圧後のトランスのインピーダンスが20 kΩということだから、6CA7の負荷はPPで5 kΩということになる。PK分割の位相反転回路にバランス型のNFBとトランスのNF巻線から初段のカソードへのNFBの多重負帰還で、PK分割への負帰還がちゃんとバランス取れたかどうかはともかく、500 V程度の出力は十分得られたであろう。ただ、この手の駆動方法は中音域は良いのだが高音域でインピーダンスの下がる容量負荷を十分駆動できるかが課題だろう。

1950年代の静電型スピーカーの振動膜にはしばしば金属蒸着フィルムも用いられている(例えば、C. I. Malme 1959)。しかし、金属蒸着のような電荷が自由に動き回る状態の定バイアス電圧型は振動膜の表面抵抗率が高い定電荷型に比べ特に低音域での歪の点で不利ということで、極めて低い導電性というか極めて高い表面抵抗率、具体的には108 Ω/□~1010 Ω/□といった値が求めらた。QUAD ESL57では水溶性ナイロン(ICI社のCalton®)の塗布、他の例ではグラファイトや帯電防止剤等が用いられ、各社独自の開発を行っている。Calton®の代替品としてDuPontのElvamide®が良いらしい。欧米のアマチュアに好評なのは帯電防止剤スプレーのLicron Crystalであるが表面抵抗率が107 Ω/□~109 Ω/□でやや低めである。類似の帯電防止剤スプレーSB-8を試したら108 Ω/□台であった。この高表面抵抗率の薄膜を湿度などの環境の変化に関わらず一定に保つような材料を探すのは容易ではない。

ラジオ技術1965年7月号の林 尚武・貝塚 邦泰 連名の記事では、STAXの静電型スピーカー専用の真空管アンプの開発について解説がなされていた。この記事では、前述のSTAXのフルレンジ・スピーカーの商品名に就いて、ESS-6型がESS-3型に、ESS-12型がESS-6型に改称されことがまず記されている。また、当初は昇圧トランス無しと有りがあった、あるいは計画されていたようだ。トランス付きにはモデル名の後にTが付いている(ESS-3TとESS-6T)と記事中にはあるが、雑誌の宣伝などでTの付いたモデルは見たことが無い。

また、夫々専用のアンプが開発されていた。STAXは小回りの利くビジネス・スケールだったのだろうし、当時の製品は顧客の意見を聞きながらの受注生産的な部分もあったのかも知れない。そのアンプは6RA8のSEPP OTLで、ESS-3用は2パラ(SEPPなので4本)のステレオ、ESS-6用は4パラ(8本)のモノラル仕様だった。数百Ω負荷で設計されたアンプなので、トランスの昇圧比を比較的低くできるので、特性をコントロールし易いのは確かだろう。記事を読むと林 氏の情熱が伝わってくる。

その記事にはまず前述のMalme (1959)が円形の静電型スピーカーを駆動するために製作・実験したアンプが紹介されている。これはハイμ高電圧レギュレータ管の2C53を低電流条件で抵抗(1.5 MΩ)負荷で終段にもってきてバランス出力とし、スピーカとは直結されている。B電源は8 kVで、プレートに何ボルト掛かっていたかは明示されていない。出力端からバランスNFBが掛けられている。NFBは45dBに及び、トータルの利得が80dB、1 kHzでの出力インピーダンスは6 kΩ。最大出力は4.5 kV、4.3 kVにおける1 kHzでの総歪率が0.7%という値が公表されている。ただ、高音域では十分な出力電圧が取れたとは思えないし、一般家庭で8 kVのB電源電圧は危険過ぎる。また、スピーカーを含めた周波数特性も電気的にイコライズする必要があったらしい。

STAXでも同様に高電圧(1.5 kV)電源で送信管3C24Gをトランス負荷のPPとし、更に別巻線をシリーズで繋いで低音域の出力とするアンプを試作していたが、あまり芳しくは無かった様で、少なくとも市販には至らなかった。

折角静電型による発音機構なのでトランスを排したいと云う考え方は誘惑的だ。これは単にトランスが嫌だというより、トランスで昇圧して容量負荷を繋ぐとアンプへの要求が厳しくなるということだ。確かに低音域や中音域において必要なのは電圧で(負荷インピーダンスが高い)電力はほとんど必要ないように思われるが、高音域となると厄介だ。QUAD ESL57でもMartin Logan CLSでも10 kHz以上では2 Ωあるいはそれ以下だったりする。Acoustatだと1枚の発音ユニットの容量が約300 pF。Model 3だと3枚並列で約1,000 pFなので20 kHzのインピーダンスは凡そ8 kΩ。高音域は1:60のトランスを通るので、20 kHzのインピーダンスは2.2 Ω。回路上は直列に抵抗が入っていたりするから、もう少し大きくはなるだろう。

しかし、トランスのインピーダンスは高音域では容量性なので、それが並列に入るだろうし、トランスのインダクタンスと発音ユニットの容量との共振も考えないといけない。Acoustat では16.5μm厚の振動膜を使っているので5 kHz超辺りから減衰するはずだがが、16 kHz辺りにトランスとの共振があるので補償されている。例えば、MK-121-2Aでレオスタットのつまみを右に回すと10 kHz以上の帯域が加減できるのはそのおかげである。

このような条件だと、抵抗負荷の真空管回路で駆動できるのではないかと誰しも考えるだろう。また、当時は入手可能な高電圧素子は真空管しかなかった。しかし、もうひとつ問題が出てくる。それが駆動電圧だ。例えばAcoustat Model 3の場合、公称インピーダンスは4Ωで88dB/W/mと記載されている。とは言っても8 Ωで1 Wの2√2≒2.83 Vでの値という可能性もある。とすると-3dBで85dB/W/mということになる。無線と實験1986年1月号での測定(フォクテクスが実施、2 V 2 mで計測されている)での実測値を見るともう少し低く83dB/W/m位ではないかと思われる。平面波に近いから、点音源と違って、距離が離れても音圧が落ち難いのだが、一応この1 mでの値を目安にする。普通に日本家屋で周囲に迷惑を掛けずに音楽を聴いている場合、個人差も大きいのだが、16〜20 cm位のフルレンジで低音を欲張っていない標準的な93dB/W/m程度のスピーカーであれば1 Wあれば足りるだろう。10dBの差違は電圧だとおおよそ√10≒3倍の違い。公称インピーダンス4 Ωなので1 Wということは2 V。√10倍だと凡そ6.3 V。(2√10)2/4=10 Wあれば良い筈。低音域はインターフェースの1:200のトランスで昇圧するから発音ユニットは2√10×200≒1,265 VRMSで駆動されるのでpeak-to-peakで3,578 V。これは5 kΩ負荷のPPアンプのプレートに繋いで得ようとするとなんと出力320 Wのアンプでないと得られない。なお、高音用トランスの巻線比は1:60なので高音域は2√10×60≒379 VRMS、peak-to-peakで1,073 Vで宜い。


ところで、内部抵抗の高い多極管にチョークトランス(あるいは無負荷のトランス)を繋いだ状態だと逆起電力による電圧が非常に大きくなる可能性があり、真空管の内部放電とか起こしかねない。その点、三極管(含 三結)の方が多少は安全だろう。この点も気を付けておく必要がある。QUADのESL57のトランスには1次、2次巻線以外に短絡された巻線があり、真空管の内部放電が起き難いようにしているらしい(不確かな推測)。

もし、抵抗負荷の真空管PPアンプであれば、プレート電圧が1,400 V程度必要だし、負荷抵抗は25 kΩ程度は欲しい。20 kHzでは発音ユニットの8 kΩがパラに入るので約6 kΩになり、6kΩ負荷でもある程度十分な出力電圧を得られるような真空管でないと、周波数が高くなるにしたがって出力電圧が極端に制限されることになる。単に内部抵抗が低いだけでなく負荷抵直線が立っても出力電圧が極端に減らないようにアイドル電流をたっぷり流せないといけない。となるとUV-845やUV-211クラスでもまだ足りないということになる。UV-211のPPだとプレートに規格一杯の1,250 Vを掛け、グリッドをプラス領域まで目一杯ドライブしてもまだちょっと足りないかも知れない。

広い部屋で、例えば103dBの音圧が必要となるとさらに√10倍、4,000 Vが必要である。peak-to-peakだと1万ボルトを超え、現実的では無い。これは通常の昇圧トランスを用いた場合も同様で、通常のオーディオ用のトランスではレアショートや放電を引き起こす電圧領域だ。Acoustatで"Medalion"と称するトランスのアップグレードがあったのも恐らくは線輪の絶縁強化がなされたのであろう。もっともオーディオの世界にありがちな単なる金儲けアップグレード戦略だった可能性も無きにしもあらず。。。

Acoustatの初期の製品(Model X、Monitor シリーズ)にはSERVO-CHARGE AMPLIFIERという組込みアンプでダイレクト・ドライブした、発音パネルが4枚あるいは3枚のものがあった。終段にテレビ受像機の水平増幅管の6HB5を5結SRPPで使い、半導体でドライブしている。終段の電源電圧は5 kV。peak-to-peakで4,500 Vの出力、つまり、約1,600VRMSを得ている。終段の上側のバイアス抵抗は10 kΩで、かなり低電流条件のようだ。このアンプは今でも修理しながら使っているマニアも多いらしい。SRPPの上側の真空管のヒーター・カソード耐性が気になるところだが、夫々独立のトランスから供給し、フローティングさせて対処してある。

なお、3dB/Oct.のハイ上がりはアンプにイコライザを設置して対処していた。

おそらくは広い部屋でそれなりの音量で聴いている米国の愛好家が約1,600VRMSで満足できたのなら、それはAcoustat で3枚以上の発音ユニットを持つものなら能率が他の静電型スピーカーと比べればちょっと高いので、まだダイレクト・ドライブの可能性があるということだろう。それでも約1,600VRMSの出力は難しい。


(The ACOUSTAT SERVO-CHARGE AMPLIFIER Service and Owner's Manual 1979 より)
さきのAcoustat Model 3の試算で、もし90dBで妥協、いや満足できれば、必要とされる出力電圧は凡そ900 Vとなる。これで71AのようなミニワッターのアンプでDiatone P-610Aを駆動したような音量と等価である。これなら、UV-845やUV-211のPPアンプのトランスに繋がるプレートから何とか電圧を取り出すことができるだろう。

もっと低い出力電圧では使えないのだろうか?

古い話ばかりで恐縮だが、1984年の無線と實験2月号に森川忠勇 氏が試作している。森川 氏は当初STAXから同社のELS-F81型に用いられていたユニットの提供を受け、平面バッフルと後面開放型の中間のようなシステムを試作した。このユニットは何しろ能率が低い。当時のSTAXの技術者は能率が低い程音が良いと考えていたのだろうか?高圧バイアス3,600 Vで8 Ω換算1 W 1 m、つまり2.83 Vで73dB。試作アンプは差動バランス型で終段はEL34三結のSRPPのBTL。伝統に従ってEL34三結のプレート電圧を500 V程度としたため、SRPPには正負夫々500 V程度かけてBTLで出力約500 VRMS弱を取り出す構想だった。

森川氏は4種類の終段回路を考えていた:@抵抗負荷のPP(バランス)型、ASRPP BTL、Bプレートチョーク(出力トランスの一次側を使う)のPP型、CPP型の出力トランスでステップアップ。そのなかでAのSRPP BTLを選択した。1982年の「D.I.Y. オーディオ」(芸文社 GEIBUN MOOKS 81 号)に森川 氏が寄稿していたSTAXイヤースピーカー用6BX7のSRPP BTLアンプ(回路図にミスプリがあった)のEL34版とも言える。ちらっと見たとき、500 VRMSの出力で73dB/W/mの静電型スピーカーのドライブは難しいだろうなあと思った記憶がある。

この記事は続くかと思ったら、第2報がなかなか出なかった。1984年8月号にやっと出た。が、スピーカーユニットがELS-F81型のそれから同じSTAXだがESTA-4U Extraを4台使ったものに変更になっていた。ESTA-4U Extraのカタログには78dB/W/mとあり、4台で単純に+6dB/Wであれば、84dB/W/mである。ただ、公表された周波数特性を見ると100 Hzに共振と思しきピークがあり、そこから500 Hzまで-6dB程の幅広い谷間がある。これは、ピアノで言えば真ん中から左の音域で、いろいろな楽器の重要な基音が含まれる領域である。ここが凹んでいるのはあまり嬉しくない。それより上の倍音成分の多く含まれる領域がしっかり出ているからさっと聞いた時には明瞭で、解像度の高いスピーカーに聞こえるだろうけれど。森川 氏の最初の試作時のELS-F81型のユニットは能率が低すぎたのだが、このユニットの変更により、やっと84dB/W/m位になり、出力500 VRMS程度の真空管アンプによるダイレクト・ドライブにも多少は可能性が出てきたということではないだろうか。

この8月号で、彼自身、静電型のダイレクトドライブが如何に難しいかを語っている。「静かに聴く程度の音量であると、平均レベルで500 V前後(RMS値で)、普通の音量で1,000 V位、普通用いる音量より少し大きいかなというところで、約1,500 Vのドライブ電圧となります(ステレオ再生時)。。。以下略」と記述した。これは、AcoustatのModel X等の成功例を裏付ける考察である。

森川 氏は、折角出力トランスレスSRPP BTLであったが、そのままではせいぜい出力電圧が500 VRMSであったため、1:2及び1:3の昇圧トランスを用いることに戦術変更し、それに伴って高音域を十分にドライブするためにプレート電流を増加させ、プレート電力の増加に対応して終段はEL34からプレート耐圧の大きな8417に変更し、電源トランスもより大型のものに変更されている。何故8417なのか?プレートの定格電力だけならKT-88や6550でも良さそうだが、それらはバイアスが深いのだ。SRPPでは少なくとも上側の真空管は自己バイアス(カソード・バイアス)であり、μの低い真空管の場合、カソード・バイアスの分だけ電源電圧の利用効率が下がる。一方、Gmが高く、μも高めの8417ならバイアス電圧が小さくて済む。高音域で重くなる容量性負荷に対応するため、新たに用意された昇圧トランス(昇圧比の異なる2種類)は少なめの巻線で分布容量を減らし、そのぶん低音域で必要となるインダクタンスを得るために大型のものとなっていた。

森川 氏は静電型スピーカーのポテンシャルを改めて認識された一方、ダイレクト・ドライブの難しさを詳しく解説されており、残念な結果ではあるが、後続のマニアには非常に有意義なチャレンジとなっている。より大きな出力電圧を求めて電源電圧が2 kVを超えるとアマチュアの手に負えなくなりそうである。であるならば抵抗負荷やSRPPは諦めて、プレートチョークが現実的である。その状態で出来るだけプレート電圧を高くできるような真空管を探すのが良いだろう。中音域においては1,000 V以上の出力電圧を確保でき、高音域でも極端に出力電圧が制限されないよう十分なプレート電流を流せる条件を探すしかない。

ラジオ技術1964年4月号には吉田 登美男 氏が「音質測定 よもやま話」というコラムの中で、HiFiの追及のため標準スピーカーが必要だとしてMFB(モーショナル・フィード・バック)を掛けた静電型スピーカーを松下通信で試作した例について記述している。方形のスピーカーで50 Hz〜10 kHzで±1.5dBというフラットな周波数特性を得たとの由(ラフだが周波数特性図も載せていた)。高圧バイアス電源が4 kVで1,100 V(peak-to-peakで約3,000 V)で駆動しなければならず、矢張り駆動するアンプで苦労したようだ。下記の略図で示されているだけだが、6CA7(EL34)の二段重ねで、吉田氏がシリーズ・プッシュプルと呼んだところの回路で駆動していた。カスコード接続の一種なのだが、通常のカスコード接続と呼ぶものだとカソード接地回路の上にグリッド接地回路が乗っているが、吉田 氏の回路ではカソード接地回路の二段重ねである。


吉田 登美男 ラジオ技術1964年4月号 P177
この回路は真空管のバラツキを克服するために抵抗をひとつひとつホイーストン・ブリッジで測って使用したと書いているので、おそらく自己バイアスで使ったのだろうが、それでも真空管の特性変化には苦しめられたであろう。もし固定バイアスを採用すると調整がかなり難しそうだし、安定性にも課題が残る。上下のバランスが崩れると最大出力電圧がさがるし、片方のプレート損失も増える。抵抗負荷でB電源は3,500 Vのようだ。カソード・バイアスにしてシリーズに抵抗が入る方が安定性はよかろう。入力は文から察するに入力トランスを用いたようだが、インターステージ・トランスを用いたらMFBが駆け難かっただろうと推測される。三結で使ったか五結で使ったか記述が無い。もし五結であったとすると上側のスクリーングリッド電源はフローティングしたのだろうか。三結の方が回路的には作りやすいが、スクリーングリッド電圧の規格は無視してプレートと結んだのなら後述のHVTCと同様ということになるのだが。個人的には興味がある回路だが、3,500 Vの電源はちょっと大変。負荷の抵抗は常時電熱器のように発熱して熱いだろうし、プレート電流をある程度縛った上でセンタータップ付きのチョーク(出力トランスの一次側)負荷で良いように思う。

吉田 氏らはMFDで対処したのかも知れないが、そのまま定電圧駆動すればハイ上がりになるので、アンプのどこかにイコライザーが必要になるだろう。

超三結の考案者であった上條 信一 氏が「一日一回路」というサイトの2001年3月3日の項に2球シングルというのを説明していた。前後の事情を知らないので類推だが、ラジオ技術の誌上あるいはインターネット上でどなたかが2球シングルという回路を考案されたのかも知れない。それを上條 氏が解説されている。シングル動作だが、吉田 氏の言うところのシリーズPPの片側である。上條氏はμが2倍のひとつの真空管と等価であると説明しておられる。μが2倍でrpも2倍である。バイアスの与え方と入力電圧の与え方をうまく行えば約2倍の出力電圧を出せるかも知れない。下側を自己バイアスにして、上側のバイアスは下側のプレートと接地とを分圧すればすれば安定するのではないだろうか?上側の入力信号も下側の真空管の出力を利得分の一だけ分圧して与えれば、上下の真空管が協働してあたかもμとrpが2倍の1本の真空管として働く筈である。

上條 信一 「一日一回路」2001年3月3日
従然から多極管の三結時のプレート許容最大電圧は五結時のスクリーングリッドの規定された最大定格電圧以内になるようにして用いるのが通例だし、大抵の教科書にそう書いてある。乃ち、スクリーングリッドの最大定格電圧以内でしか三結では使えないということになっていて、だから三結は低い電圧で低い出力に甘んじてきた。しかし、音声信号の場合、プレートとスクリーングリッドが同電位で推移すればスクリーングリッドにほとんど負担が加わらないので、高電圧でも大きな負荷にはならない筈だ。これを調べた方がいる。柳田 克 氏で、高B電圧高負荷条件で他極管を三結で使う方法をいろいろな真空管で試し、これに「高圧三極管接続」[High Voltage Triode Connection(HVTC)]とという名前を付けている。

三結時にスクリーンの負担が少ないことや少々プレートの定格電圧をオーバーしてもプレートの定格消費電力さえ規定内なら赤熱や内部放電などははそうそう起こらないことは多くの技術者が経験済みだが、それを言うと浅野 勇 氏とか伊藤 喜多男 氏といった真空管を愛する大御所に怒られそうなので誰も言い出さなかっただけかも知れない。WE300Bに規格一杯の電圧を掛けてカソードフォロワで駆動したり、ドライバー管に600 V程度掛けて、なーにこれぐらい大したことは無いとか書いて大御所連の顰蹙を買った(あくまで私の推測、邪推です‼)のではないかというのは武末数馬 氏くらいだろうと思っている。大抵の雑誌の試作記事はスクリーングリッドの定格電圧を三結時のプレート電圧として製作されているのが通例である。

伊藤 氏はめったなことでは壊れては困る映画館などの今で謂うところのPAシステムで腕を磨いたのだし、浅野 氏は最初は最初は軍の通信関係というこれ又滅多なことでは壊れては困る分野で、両氏とも安定性や耐久性への配慮が深く、真空管が壊れ難い設計である。対して、武末 氏は元々は重電分野がご専門だが学校で教鞭をとっておられた筈。真空管アンプの試作はあくまでアマチュアの趣味で、電気工学の知識を活かして本来の性能を精一杯活かした設計を指向されていた。物の無い時代にトランスも自分で巻いて作る根っからの自作指向で、測定データとそれに基づく調整では武末 氏の記事から学んだことが多い。尤もしょっちゅうはメンテしないズボラな自分が使うには少し内輪の規格で、熱暴走しにくい等耐久性を考えて作るだろう。トランス負荷の真空管アンプの場合、固定バイアスは怖い。暴走しやすい。交流のロードラインは緩やかでも直流的には負荷抵抗が小さくロードラインは立っているので。

前出の柳田 氏は、例えば、ソ連時代のロシアで生産され、最近NOSが安価で流通されていたGU-50(ГУ-50)に600 V程度を掛けたHVTCで用いている。この真空管のルーツは戦中のドイツのレーダーの変調管であったLS-50で、プレート損失40 Wのタフな真空管である。後に中国でも製造されFU-50も同一規格で最近安価に出回った。アルミ鍋のような帽子をかぶっていてあまりカッコよくないせいか安価である。戦後発表された帽子の無いEL152、FL152等もソケットは異なるが同じグループで良く似た特性を有しているが、こっちはEL156の弟分といった感じでカッコよく、比較的高価だ。GU-50三結を抵抗負荷で電流は少なめにして800 V位掛けてみたい気もする。

GU-50は柳田氏によれば、HVTCで500〜600 V掛けても普通は簡単にはくたばらないらしい(例外的な事故もあったらしいが)。800 Vではどうだろう?ソ連時代のGU-50の三結のEp-Ip曲線では660 V辺りまでしか示されていないが、姉妹管であるEL152では三結のグラフでは1,300 V迄示されており、HVTCが全くの幻想ではないことが示唆される。安価で沢山手元にあるので今回の実験用には最適の真空管である。専用の無骨なソケットが意外に高価なのが欠点だ。これでプレート損失が60 Wくらいあれば万々歳なのだが。。。

GU-50のHVTCのPPでデンゲンデンアツを600V程度掛け、トランスの二次側を開放しプレートから信号を取り出せば500 V位は取れる。更にこれを上記の2段重ねカスコード接続にして1,200 V程安定に掛けることができれば何とか1,000 V程度の出力は得られそうである。その際、カソード側を-1,200 Vに引っ張っておいて出力トランスの中点を接地すればプレート電圧はせいぜいマイナス10 V位で安全に外部に引き出して発音ユニットに接続できる。勿論、交流1,000 Vがかかるので、テフロンなど高圧に耐えるコードが必要であることは忘れてはいけない。これなら、UV845 とかUV211とか暖房器具のように発熱し煌々と輝く貴重な真空管を引っ張り出す必要が無い。ただ、2本で1本の真空管の機能をさせると消費電力は結構大きい。


上図はGU-50の三結を前提に考えたものの概念図。三結のための抵抗などは書き込んでない。VR1aとVR1bは夫々上側の真空管V3とV4のバイアスの調整用で、例えば、V3のバイアス電圧はV1のプレート電圧を(R2a+VR2a+2xR3)/(R1a+VR1a+R2a+VR2a+2xR3)で分圧することで決まる。VR2aとVR2bは各々上下の真空管であるV1とV3、V2とV4の音声入力電位(交流)を等しくするための調整用である。V1のプレート出力を分圧してプレート出力との差が上側の入力電圧となる。VR2aとVR2bを二連にしているのは、V3側とV4側でほゞ揃っている筈で、V1とV2の位相は180°違うので打消し併せるためで、かつ上側のバイアスへの影響をさけるため。別々に調整する必要があればそのままでは上側の真空管のバイアスもずれるので、二連ではなく独立させVR2aとVR2bの摺動子間の接続を直結ではなくコンデンサーを挟めば宜い。懸念は下側の真空管V1とV2のバイアスの与え方。上図では二本纏めて抵抗一本(定電流回路にすれば差動になる)で済ませているが、より自動的な安定を求めるならば@夫々に抵抗を入れ電解コンデンサーを並列に入れる、あるいはA夫々に定電流回路を入れて電解コンデンサーを並列に入れる、B夫々に定電流回路を入れ双方のカソードを無極性の電解コンデンサー(極性のある電解コンデンサーの突合せ)で結ぶ、などが考えられる。ただし、定電流回路を入れると安定性は上がるが負荷抵抗が小さい高音域で負荷曲線の傾きがきつくなったときに振幅が取れないだろう。@の独立した自己バイアスが良いのかも知れない。上側の真空管は両カソードの間に500 V弱の交流がかかるので、ヒーターは別々でしかもフローティングさせる必要がある。最初から1,000 Vを超えるB電圧は厄介なので、もう少し低い電圧で試してみたい回路である。イヤースピーカー用に7044辺りで試してみようか?

懸念は別にもある。想定している安価なGU-50の三結では、プレート・カソード間に600 V掛けるとして40 Wのプレート定格電力をから考えてプレート電流は凡そ60 mAが限度だろう。負荷抵抗が大きいうちは良いのだが、1本当たり5 kΩ位になると出力電圧の振幅が取れなくなる。つまり、静電型スピーカーをダイレクトに繋いだ場合に高音域では出力電圧が制限されるということだ。もっとたっぷり電流を流せる、乃ち同じプレート電圧ならプレート定格がGU-50の40 Wより大きな真空管を探さねばならない。そうなるとKT120とかKT150位しか入手しやすいものがない。そうなると複雑な回路ではなく、UV211とかUV845の選択も考える価値があろう。矢張り静電型スピーカーのダイレクトドライブは難しい。

使った経験は無いのだが、シリコン・カーバイド型のMosFETだと1,200 V位に耐えるものが安価で入手可能なのだ。例えば、SCT2450KEはVDS 1,200 V、PD 85 Wだ。ただ、入力容量が大きく、直線性はあまり良くないようだが。IXCP10M90Sは900 V、40 Wで、なんとデプレッションタイプで直線性も悪くはなさそうである。これなどは静電型スピーカーには力不足だが、Staxのイヤースピーカーのドライバーには使えるスペックで、すでに試作されている方が居る。

耐圧が2,000V位のもので入力容量の小さい半導体が安価で入手できるのであれば静電型スピーカーをダイレクトにそこそこ駆動するアンプが作れるだろう。

Acoustatのインターフェイスの回路は巧妙で、2個の昇圧トランスが使われている。片方は大型で、1:167、1:200、1:250のタップがあり、それぞれパネル4枚、3枚、2枚に対応している。これは中台音域を受け持っている。もう一方はやや小型で、昇圧比は1:60の中高音域用。両者が抵抗とコンデンサで繋がれて、3dB/Oct.のハイ上がりをイコライズする役割も担っている。似たようなふたつのトランスによる周波数帯域の分担はSound Lab A1も良く似た構成(抵抗は無くコンデンサだけ)だ。

ということは、3dB/Oct.のハイ上がりなので高音域は低音域と同じ信号電圧を供給する必要は無いということだ。中低音域の最大出力は1,000 VRMS、高音域は300 VRMSもあれば小さ目の音量で満足できるなら十分ということになる。これなら、電源電圧1,200 V程度のチョーク負荷の三極管PPアンプで、仮に高音域で負荷直線が立って出力が減少しても何とかなりそうである。UV211PPか、あるいはGU-50のシリーズPPか。いや、1,200 VのB電圧というだけでアマチュアにはちと荷が重い。プレートから発音体に繋ぐコンデンサの耐圧も大変である。直流で1,500 WVで直流+交流で余裕を見て3,000 V耐圧のコンデンサはそうそう手に入るまい。かといってB電源のプラス側をアース電位にするとフィラメント(カソード)側は-1,200 V。今度は前段のプレートとグリッド間の段間をつなぐコンデンサがやっぱり耐圧3,000 Vクラスになってしまう。調整中に感電しそうで、安全なアンプを作るのが大変だ。多くのフィルム・コンデンサの耐圧は直流で高くても交流では周波数が高くなる程耐圧が激減する。例えばAcoustat用にとe-Bayに時々出てくる某社のフィルム・コンデンサーのシリーズには直流では耐圧6,000 Vのものどころか16,000 Vのもの迄揃っているのだが、交流耐圧はたかだか270 Vしかない。耐圧を超えてもすぐには壊れないかも知れないが、暫く動作した後でコロナ放電とか起こしたら怖い。

結論:静電型スピーカーを入手したら、まずはオリジナルの昇圧トランスのインターフェースで使用する。そして、昇圧トランスの1次側、つまりパワーアンプ出力の音声信号をオシロスコープで観察する。通常の音量で1次側の音声信号電圧がpeak-to-peakで10 Vを超えていたら(間違いなく超えている筈)潔くダイレクト・ドライブを諦める。2次側は高圧なので安全に分圧できない限り絶対触らない。つまり、ダイレクト・ドライブは私には無理ということになろう。

https://audiocheapchic.blogspot.com/2021/01/blog-post.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/682.html#c130

[近代史7] 酒井法子 名唱集 中川隆
28. 中川隆[-13669] koaQ7Jey 2022年2月18日 19:14:56 : EonKvGsRbw : eFRRamhWamM4T2M=[4]
酒井法子 斎藤歩 呪怨2(劇場版)(東京テアトル 2003年) - youtube動画
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/884.html
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/836.html#c28
[近代史3] 秋篠宮文仁  僕の父親は一体誰なんでしょう? 皆さんも一緒に探してください 中川隆
110. 中川隆[-13668] koaQ7Jey 2022年2月18日 19:48:59 : EonKvGsRbw : eFRRamhWamM4T2M=[5]

2022年02月17日

裏口という玄関 / 秋篠宮は不正の常習者なのか?
「見せかけ」だけの入試映像
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68888564.html


Prince Hisahito 033Akishinonomiya 0011


  2月13日、独占放送なのか、TBSだけが速報として悠仁親王殿下の一般受験を報道した。かねてから週刊誌などが、殿下の筑波大附属高校への"特別入学"だ、と大騒ぎをしていたが、突然、一般の子供達と同じように五教科の筆記試験を受けるようになったから、事情を知らない一般国民は"エッ !"と驚いた。なぜなら、昔からずっと、悠仁親王殿下は紀子妃殿下の肝煎りで創られた、あの"いかがわしい"「提携校進学制度」を使って入学するんだろう、と思われていたからだ。

  しかし、これは予め学校側が決めていたことで、たとえ「推薦入学」の特待生でも、一応、"形式的"に学力試験を受けるという条件があったのだ。もちろん、試験の点数で合格の約束が取り消されることはないが、他の受験生に対して示しが付かないので、無駄と判っていても「入試会場に来い !」という命令だった。さすがに、皇室特権の「無試験合格」じゃ、一般受験生の親が黙っていないから、苦肉の策で「ガス抜き条項」が加えられたのだろう。

  とはいっても、TBSの独占映像は、ある程度の成果があったようで、巷のオッちゃん、オバちゃん達は、「なぁ〜んだ、悠仁様は"ちゃんと"受験されているんじゃないか ! 週刊誌はガセネタを書いていたんだなぁ〜 」と早合点。なるほど、テレビと新聞しか目にしない中高年だと、八百長報道で騙すのはいとも簡単だ。宮内庁は白々しく「悠仁殿下は一般人と同じように筆記試験を受けました !」と述べていた。ところが、公正明大名入試は黒い闇に包まれている。試験の採点は誰も観ていないし、各教科の点数なんかは極秘事項。もしかすると、殿下の名前が書かれた解答用紙は、そのまま採点されず、金庫か何処かにひっそりと保管されているんじゃないか? それとも、"ヤバイ証拠"は即座に燃やすことにしているとか・・・。何しろ、内部の者が金銭に目が眩んでマスコミにリークしたりすると、紀子妃殿下の激昂を招き、インターネット界隈でも大炎上となるから、筑波大は冷や汗ものだ。

剽窃疑惑の受賞作文

  地上波テレビは2月16日、「悠仁親王殿下が筑波大附属高校に合格されました ! 」との発表を行った。ところが、『女性自身』や『週刊新潮』は別のスクープ記事をぶつけてきた。悠仁殿下は令和二年、福岡県北九州市が主催する第12回「子供ノンフィクション文学大賞」に"自身"の作文を投稿し、その作品は見事「佳作」に輝いた。殿下は『小笠原諸島を訪ねて』という題で作文を書いたが、これを最初に読んだ時、筆者は小室圭の入賞論文を思い出してしまった。なるほど、殿下は小学五年生の時に訪れた場所を懐かしみ、小笠原の海や生物について回想したのだろう。しかし、その文面の奥には何となく"他人の口添え"が入っているようで、筆者は素直に黙読できなかった。

  これは個人的な見解、勝手な妄想に過ぎないから、筆者は悠仁親王が誰かの"助力"を得て書き上げたとは断定できない。しかし、『女性自身』の"ゲスト探偵"が殿下の"剽窃部分"を詮索し、似通った文章を発見したのだ。殿下の作文には、次のようなが感想が書かれていた。

  小笠原諸島は、火山が隆起してできた島で、一度も大陸と陸続きになったことがない「海洋島」です。では、こうした島の生き物は、どのようにして島々にたどり着いたのでしょうか。
  あるものは海流に乗って運ばれ、あるものは風によって運ばれ、翼をもつものは自力で、あるいはそれに紛れて、三つのW、Wave(波)、Wind(風)、Wing(翼)によって、海を越えて小笠原の島々にたどり着き、環境に適応したものだけが生き残ることができました。(第12回子供ノンフィクション文学賞、 p.77.)

  『女性セブン』によれば、疑惑の文章は、福田素子 著『世界遺産 小笠原』(JTBパブリッシング刊、2012.)で記された、以下の箇所によく似ているという。(「悠仁さまの文学賞入賞作文の一部が他の人の文章と酷似 宮内庁は参考文献の記載漏れを認める」『女性セブン』 2022年3月3日号 )

  小笠原諸島は、火山が隆起してできた島で、一度も大陸と陸続きになったことがない。こうした島を海洋島という。(中略)まる裸で太平洋に突き出していた小笠原諸島に、生きものたちはいったいどのようにしてたどり着いたのだろうか。あるものたちは風によって運ばれ、また、あるものは海流に乗って。あるいは、翼を持つものは自力で、またはそれに紛れて。いわゆる3W 、風(Wind)、波(Wave)、翼(Wing)により、数少ない生きものだけが海を越えて小笠原の島々にたどり着くことができた。(pp. 11〜12.)

  ちなみに、北九州市が主催した文学賞の募集要項には、「応募の注意」が記されており、次のように書かれていた。

  《他人の文章を勝手に使ってはいけません。使う場合は「 」で囲んだり、段落を落としたりして、自分の文章と他人の文章の区別がつくように工夫してください。また、どこから用いたかも必ず書いてください》

  悠仁殿下の作文には、文末のページに「小笠原諸島返還50周年記念誌『原色 小笠原の魂 The Spirit of Ogasawara Islands, 2018.』」という一冊の参考文献しか記載されていなかった。『女性自身』が宮内庁報道室に問い質したところ、「ご指摘に感謝します」との回答を得たそうだ。そして、宮内庁を通した形で、悠仁さまからのお答えもあったらしい。曰わく、

 「この旅行記は、悠仁親王殿下が、自らいろいろな文献等をお調べになり書かれましたが、参考文献の記載が十分ではなかったと振り返っておられました」、と。

  宮内庁は参考文献の記載漏れを認めたが、「意図的な盗用は無かった」と弁解していた。これに続けて、宮内庁の担当者は、「本件につきまして主催者に連絡いたしますとともに、ほかの箇所についても確認をされ、必要があれば正していかれたいとのことでございます」と釈明していた。文学賞の主催者である、北九州市の市立文学館の担当者は、次のように説明したという。

 「今回、両方の文章を比較して、確かに似たような文章が連なっていることは把握しました。参考文献の記載漏れがあったとしても、同文学賞は作品のテーマ、表現力を総合して評価した結果なので、賞の授与の撤回は考えていない」と。

  まぁ、主催者が「気にしない」というのであれば、他人がどうこう言う問題でもあるまい。しかし、秋篠宮殿下と妃殿下は、こんな小細工をしてまで、悠仁殿下の「偉業」を創り上げたいのか? 尊皇精神を持つ国民は、親王殿下の「神童伝説」なんかを望んではいまい。たとえ、殿下が凡庸であっても、正直で明るい少年であれば、それで「充分」と思っているはずだ。天子様の威光は学校の成績で決まるものではない。古来からの信仰に篤く、臣民をいたわる心を持ち、愛国心に満ちた大元帥であれば、それで国民は満足だ。「東大卒の天皇」なんかは、卑しい根性の持ち主か、見栄っ張りの俗人が褒めちぎる"虚飾"に過ぎない。心の底から皇室の永続を願う国民は、名門大学の肩書きを見せびらかす天皇には興味が無い。紀子妃殿下は皇統の本質を勘違いしているんじゃないか?

  作文の"ミス"で、ちょっと気になるのは、悠仁殿下が家庭教師というか、アドヴァイザー的側近から、どのような指導や補助を得たのかである。これは、完全に筆者の憶測なんだが、もしかすると、指導教師が稚拙な作文を立派にするため、それとなく名文を挿入したり、誰かの随筆をごちゃ混ぜにしたのかも知れない。 殿下の作文を読むと、確かに「よく出来た感想文」なんだが、どことなく大人の感性が滲んでいた。 もしかすると、国語の家庭教師が殿下の想い出を幾つか聞き出し、「じゃあ、小笠原旅行での作文にしましょう !」と勧めたのかも知れないぞ。しかし、構成作家の先生に本題の知識が乏しかったので、急遽、小笠原諸島に関する参考書を何冊か読み、その中に福田氏の『世界遺産 小笠原』があったのかも知れない。

  迂闊だったのは、先生が面倒くさくなって、自分で全文を考えず、福田氏の文章を"拝借"して、中学生らしい文体に焼き直したことだ。おそらく、先生は「どうせ、誰にも判らないさ !」と高を括っていたんじゃないか? はっきりとした引用にしなかったのも、盗作がバレたらマズいから参考文献にしなかったんだろう。ところが、『女性自身』へ原稿を持ち込んだ記者が、偶然か誰かの指図で"疑惑の文章"を見つけ出したので、慌てて宮内庁が「参考文献の記載ミスでした」と詫びる破目になった。たぶん、作文担当の教師は紀子妃殿下からコッテリ絞られ、キツい"お咎め"を受けたはずだ。「アンタ、何やってんのよ !」と烈火の如く怒り狂う姿が想像できるじゃないか。

  宮内庁が即座に「不手際」を認めたのは、誤魔化したり否定したりすると、もっと傷口が悪化するから、初期段階でダメージ・コントロールに徹しようと決めたに違いない。おそらく、雑誌記者に確実な証拠を握られたから、宮内庁と秋篠宮殿下は観念し、「今回だけは素直に降参して、誤りを認めてしまおう」と話し合ったのかも知れない。そうでなければ、あんなに早く「修正」を発表しないだろう。

  ここで問題のなのは、悠仁殿下の学力じゃなく、真剣に秋篠宮家を憂慮する側近がいないことだ。もし、有能で愛国的な侍従がいれば、小室圭に法外な恩恵は与えなかっただろうし、数々の不正行為も事前にブロックし、「凡庸なフィアンセ」という真の姿にしたはずだ。ところが、秋篠宮殿下に厳しい諫言をする者は全て排除され、ゴマすり役人ばかりが殿下の周りを固める、という状況になっているから、小室問題が蟻地獄のようになってしまったのだろう。悠仁親王殿下のケースも同じ類いで、杉浦重剛みたいな倫理担当教師がいれば、両殿下に対し「ズルはいけません ! どんなに下手くそな作文でも、悠仁殿下独りの実力で書かせなければ駄目です !」と釘を刺したはずだ。

  そもそも、どうして東京に住む悠仁殿下が、福岡県の作文コンクールに応募するんだ? しかも、「佳作」という微妙な受賞にしているところが狡賢い。おそらく、「大賞」を与えてしまうと八百長がバレるから、優勝は平家和志君の『葬儀のススメ』にし、「煙幕」として中尾慶人君が書いた『曾祖父母の覚悟』に「佳作」を与えたのだろう。皇室への忖度を肝に銘じる主催者は、二名枠の「佳作」に殿下を捩じ込めば怪しまれない、と考えたんじゃないか? さすがに、「選考委員特別賞」じゃ「特別待遇」が疑われるので、「佳作」くらいが丁度いい。だって、もう一つある「リリー・フランキー賞」だと、「幾らかお金を貰ったのか?」と怪しまれるじゃないか。

「秋篠宮家に対する誹謗中傷」という反撃

  月刊『WiLL』はYouTube番組も作っており、この雑誌には白川司という評論家がよく登場する。彼は雑誌に記事を投稿しているが、自身のツイッターやインターネット番組の「WiLL増刊号」で、「秋篠宮家に対するバッシングが酷い」と愚痴をこぼしていた。白川氏はTBSが悠仁殿下の入試報道を観た後、ヤフー・コメントを読んだところ、あまりにも多くの罵詈雑言が述べられていたことに唖然としたそうだ。筆者はヤフー・コメントなんて読まないし、あんなのは便所の落書きと同じで、誰が書いたのか判らぬ悪口・陰口と思っている。なぜ、白川氏は顔と名前すら判らぬ匿名コメントに目くじらを立てるのか?

  もし、朝鮮人や支那人、皇室打倒を叫ぶ左翼が組織的、ないしゲリラ的に書き込んでいたら、そんなのは世論操作の一種だろう。だいたい、『WiLL』に「秋篠宮家批判」の批判なんて出来るのか? 初代の編集長である花田紀凱(はなだ・かずよし)は、スキャンダル報道を得意とする『週刊文春』で皇室バッシングに努め、美智子皇后陛下に対する痛烈な批判記事で陛下を精神的に痛めつけていた。その後、文藝春秋社を辞めると、新興の「ワック」社へ入り、保守系雑誌の『WiLL』を創刊した。当初は人気知識人を集めて"保守"を看板にしていたが、昔の癖が蘇り、「雅子妃叩き」で売り上げを伸ばそうと考えた。そこで、花田氏が登庸したのが、「保守」の仮面を被った西尾幹二だ。この業績が乏しい俗悪老人は、皇室の公務を厭がる雅子妃を「獅子身中の虫」とまで言い張った。(筆者は御婚約以前から小和田雅子嬢に感謝していた。この件については別の機会で述べたい。)

  そして2016年、花田編集長が「ワック」の鈴木隆一社長と経費の件で揉めると、花田氏は編集部の全員を引き連れて退社する。彼が飛鳥新社に移籍して、ライバル雑誌の『Hanada』を創刊するや、『WiLL』で連載を持っていた堤堯と久保紘之をも引き抜いた。何と、この二人も西尾氏と同じく、宮中行事をサボる雅子妃は"我がまま"と感じており、西尾氏がワック社から出版した『皇太子さまへの御忠言』に好意的だった。雅子妃殿下は何も不正をはたらいていないのに、堤氏と久保氏は反論できぬプリンセスを庇おうとはせず、「雅子妃バッシング」に一枚噛んでいた。白川氏も認めていたけど、最近の『WiLL』は眞子様・小室圭問題でも小室批判を大々的に繰り広げ、眞子内親王殿下の御婚約と御結婚についても苦言を呈していた。

Komuro Kei 9324  筆者は小室佳代と小室圭の留学、および眞子様のNY生活を批判したが、お二人の御結婚に反対したことはない。眞子様が小室圭に惚れてしまったんだから、他人である一般国民が「結婚に反対だ !」と苦情を言い立てるのはおかしい。反対できるのは両親である秋篠宮両殿下と天皇陛下、上皇陛下、他の皇族の方々くらいで、政治家や大学教授、評論家、ジャーナリストが「あの男はダメ !」という権利は無いはずだ。また、竹田恒泰さんまでもが小室佳代の借金問題で小室圭との結婚に反対していたが、母親の借金トラブルと息子の恋愛は別だろう。母親の佳代が元婚約者と話をつければいいだけだ。竹田氏が借金問題を取り上げて眞子様の御結婚に反対したのは、生理的に小室圭が嫌いだったからだろう。おそらく、「あんな奴が皇族の仲間になるなんて、絶対に赦せない !」と憤慨したからじゃないのか?

  小室夫妻への批判というのは、小室佳代の借金問題や小室圭の就職問題ではない。以前、当ブログで述べた通り、秋篠宮殿下が皇族のロイヤル・パワーを濫用して、通常では不可能なことを「可能(現実)」にしてしまったことだ。本来なら、小室圭みたいな「碌でなし」は、三菱東京UFJに入ることはできないし、一橋大学のビジネス・スクールも無理で、フォーダム大学への留学なんて夢のまた夢といった空想である。小室圭は法務助手として「ローウェンシュタイン・サンドラー」社に雇われているというが、実際にどんな役職で働いているのか? コピー係とかコーヒー運搬の業務なんて「パラリーガル」の仕事じゃないぞ。それに、小室圭は司法試験の勉強をしているのか? たぶん、宮内庁と外務省は五月の不合格発表に備えて、幾つかの滞在プランを去年から練っているはずだ。宮内庁が懸念しているのは、「いつ、どんな言い訳」をすべきか、つまり如何なる「奸計」で小室夫妻の米国滞在を正当化すべきかである。

  話を戻す。白川氏は2月16日のYouTube「WiLL増刊号」で悠仁殿下の受験を取り上げ、マスコミによる過熱報道や、一般国民による誹謗中傷を批判していた。白川氏は今回の報道を「あら探しだ」と批判していたが、本当に単なる「国民からのイチャモン」なのか? そして、彼は秋篠宮家に対するバッシングを非難したいのか、「まだ15歳の殿下が受ける入試なんだから、あんな風にTBSが全国放送したら、殿下にとっては相当な心理的プレッシャーになりますよ」と述べていた。

  筆者は白川氏について詳しく知らないけど、「どこに目を附けているんだ?」と言いたくなる。あの報道はTBSと宮内庁がグルになって放送した「仕込み報道」じゃないか ! そもそも、どうしてTBSだけが"事前"に殿下の登校を察知し、"独占放送"できたのか? おそらく、宮内庁が各テレビ局の皇室記者を密かに集め、どこの局に放送させるかを吟味したんだろう。そして、今回は宮内庁と仲の良いTBSを指名し、当日の段取りを伝え、指名された記者が台本通り派遣された訳だ。これは警察が新聞記者にリークする場合と似ている。よく新聞記者と昵懇の特捜やマル暴の刑事が、不正な事件をやらかした会社とか暴力団のガサ入れを事前に教え、取材陣が建物の前で待ち伏せるのと同じ構図だ。白川氏はこんな見え透いた猿芝居を見抜けなかったのか? まぁ、『WiLL』に雇われているくらいだから、知能や洞察力が劣っていても不思議じゃない。

  白川氏がどんな人物のコメントを読んだのか知らないが、まともな保守派国民は悠仁殿下が筑波大附属を受験したことに腹を立てている訳じゃない。その"入学方法"について異議を唱えただけだ。ちょっと常識的な日本人ならば、皇族、特に次期天皇となる悠仁親王殿下が「特別」なのは百も承知である。だから、筆者は「特別な存在である殿下が、好きな学校へ"特別"に入る」ことには反対しないし、正々堂々と公言するなら文句は無い。もし、どうしても秋篠宮殿下が母校の学習院を嫌い、「やはり筑波大附属高校に悠仁殿下を入れたい」と公言するのであれば、ほとんどの国民は反対しないだろう。別に筆者は皇室を憎んでいないし、「悠仁殿下は学習院以外で勉強するな !」と言ったことはない。たとえ、秋篠宮殿下が校長や理事長に特別待遇を要求し、「成績の如何に関わらず悠仁を卒業させろ !」と厳命しても、それが国家と皇室の利益に適うなら、「仕方ない」と思っている。

  ところが、秋篠宮殿下は以前から「皇族の特別扱い」には反対で、なるべく一般人に迷惑を掛けず公務を果たしたいと考えていた。例えば、2019年6月、皇太弟となって初の海外公務である、ポーランド・フィンランドへの公式訪問では、政府専用機やチャーター機ではなく、一般客も同乗する民間機で訪問したという。しかし到着が遅れ、ホスト国に迷惑をかけてしまった。また、秋篠宮殿下は「公費支出を抑えたい」とか「多くの人に迷惑をかけたくない」という要望が強いらしい。そのため、専用機の使用とか信号を止める移動には否定的なようだ。(「秋篠宮皇嗣夫妻『信号を止めるな』大騒動 宮内庁が憂慮する交通格差」週刊ポスト、2021年3月19・26日号)

  しかし、それが却って周囲の手間を増やしてしまうから困ったものである。ちゃんと交通規制を敷いて、意図的に信号を全部青にすれば、リムジンが順調に走行できるのに、一々赤信号で止まっていたら警護の人達が大変じゃないか。おそらく、秋篠宮殿下は学生時代に左翼教師から、あの進歩主義や多民族主義、寛容な精神などを吹き込まれたんだろう。もしかすると、紀子妃殿下の川嶋家からも人間の上下を否定する、赤い平等主義をレクチャーされたのかも知れない。身分の違いで存在する皇族や公家でも、アナーキスト風の平等思想や護憲思想に魅了されるピンク・リベラルは意外と多い。

  秋篠宮殿下は前々から「皇族の特別扱い」を嫌い、内親王殿下の訓育に関しても、他の国民と変わらない"普通の教育"を望まれた。だから、悠仁親王殿下が利用する「提携校進学制度」を隠したかったんじゃないか? もし、秋篠宮家が「皇族の特権行使」を躊躇(ためら)うのなら、悠仁殿下に一般生徒と同じく「学力テストを受けて合格するように」と言うはずだ。しかし、秋篠宮殿下は自身が嫌う「特別枠」を筑波大に要求し、それを内緒にしたかったから、週刊誌の暴露報道に腹を立てたのだろう。つまり、殿下は自分の行動がいかがわしく、世間に公表できないと判っていたから、加地隆治・皇嗣大夫に命じて、マスコミの暴露報道を封殺したのだろう。

  加地皇嗣大夫は皇室担当者や雑誌記者に向かって、「勝手な憶測で進学問題を報じるな !」と脅しをかけたが、案の定、悠仁殿下は特別枠での推薦入学だった。怪しい教育計画は前々からあったらしい。殿下がお茶の水女子大附属の幼稚園に入る頃から、紀子妃殿下は"長期計画"を描いており、東大進学を画策していたというのだ。でも、せっかくの計画が途中で漏洩したので、中学進学はお茶の水の附属校になったそうだ。報道によれば、秋篠宮家に仕える誰かが内部情報をリークしたというが、もしかすると、妃殿下に恨みを抱く召使いの誰かが、あるいは筑波大附属の教師で、ロイヤル・パワーに憤慨した者が、雑誌記者にチクったのかも知れないぞ。

  そもそも、妃殿下が馬鹿げた計画を無理やり押し通そうととするから、様々な"綻び"が噴出してしまうのだ。蜃気楼のような小室圭のプロフィールを思い出せば判るじゃないか。もし、悠仁殿下に充分な学力があれば、筑波大附属でも開成でも、灘校でも筆記試験で合格するはずだ。紀子妃殿下は息子の学力をよく解っているから、"安全確実"な裏ルートを開拓したんだろう。白川司が愚劣なのは、まともな日本国民がどこに怒りを感じているのかを理解していないからだ。ヤフー・コメントを深刻に捉えるなんてアホとしか言い様がない。秋篠宮殿下も認識しているように、皇族が「後ろめたい方法」をとっているから、多くの国民が怒りを感じているのだ。

保守派知識人が指摘しない秋篠宮家の恥部

  小室騒動の一件以来、秋篠宮家には様々な"疑惑"が噴出したが、『正論』や『WiLL』、『Hanada』などで指摘されない問題を述べたい。

 まづ、一つ目は失態を繰り返す秋篠宮を天皇陛下でさえ止められないことだ。本来なら、小室圭が三菱東京UFJ銀行に入った時点で、陛下も「怪しい !」と感じたはずで、秋篠宮殿下に「皇室ブランドを使うな !」と言いたかったはず。ダメ男の「コネ入社」はしょうがないとしても、明らかな不正工作によるフォーダム大留学はロイヤル・パワーの濫用だ。

  とにかく、秋篠宮家には嘘が多い。例えば、宮内庁はマーチン奨学金まで獲得した小室圭が、司法試験に落ちたことで"ショック"を受けたらしいが、そんな衝撃はマスコミ向けの嘘だろう。最初から、無能な小室圭を「優秀なフィアンセ」に仕立て上げたのが秋篠宮家だ。殿下こそが間違っている。おそらく、今上陛下は留学に関する裏工作を側近から聞いているんだろう。しかし、弟の暴走を制禦することが出来ない陛下は、悠仁親王殿下の裏口入学も許してしまった。たぶん、ずっと前から「合格」が決まっていたので、覆すことが出来なかったのだろう。

  二つ目は、宮内庁の思考様式が昭和で止まっていることだ。つまり、秋篠宮家に関する暴露報道を阻止するためには、週刊文春や週刊新潮などの雑誌に加え、テレビと新聞を恐喝すればよいと、思っている。しかし、インターネットが普及した令和時代で、昭和時代の言論統制なんて無理だろう。いくら地上波テレビで口封じを行っても、抜け駆けをする雑誌記者や一攫千金のパパラッチが跋扈すれば、どこかで情報が漏れてくる。会員制の雑誌である『テーミス』が、内緒にしていた「小室プロジェクトPart 2」をスッパ抜いたのも、優秀な記者が動いたからだろう。たとえ、全国民の数パーセンにすぎないとはいえ、疑惑を持つ国民が増加すれば、その真相を突き止めようとするジャーナリストは出てくる。小手先の彌縫策(びほうさく)で国民を騙そうとするのは愚かだ。賢い皇室支持派が憤慨するだけ。宮内庁は一般国民を見下し、ワイドショーだけを観ている連中を「皇室支持派」と思っているんだろう。

 三つ目は、秋篠宮両殿下が「偉大なる次期天皇」という脚本を書いて、それが成功すると思っている点だ。今回の作文事件で判った通り、紀子妃殿下はやり過ぎた。北朝鮮の金王朝じゃあるまいし、「虚構」を作って、それに悠仁殿下を当て嵌めようとするなんて馬鹿げている。もし、学校から苦手とする作文を要求されたら、正直に中学生らしい感想文を投稿すればいい。それなのに、「優秀な殿下」を創作するために、二流の演出家や幽霊作家を雇ったから不正がバレれてしまったのだ。

  宮内庁は速やかな"訂正"を発表したが、剽窃を指摘された悠仁親王殿下はどう思っているのか? 公の場で赤恥をかかされた殿下は、きっと友人からの反応を気にされてしまうだろう。そもそも、「疑惑の提携校進学制度」というスキャンダル報道がなされたんだから、筑波大附属高校に進学しても、級友からは尊敬されまい。たぶん、同級生の悪ガキどもは「皇室特権を使った裏口入学だ !」と陰口を叩くし、「ズル入学をしたから、お前はズルヒトだ !」と呼ぶだろう。別の生徒は「偏差値の水増しで入学しやがって !」と小馬鹿にし、「よっ ! 将来の裏口天皇 ! 親のコネで既に東大合格なのか?!」と揶揄するに違いない。

  SNSが発達した現在だと、高校生だって色々な情報を耳にするから、悠仁殿下がイジメの対象になる危険性は否定できない。たとえ、イジメを受けなくても、クラスで白眼視されることもあるのだ。もし、陰湿なイジメが起これば、秋篠宮殿下や紀子妃殿下は担任教師や校長に対して「何らかの対策を !」と求めるだろう。しかし、こうした問題の元兇は秋篠宮家じゃないか ! 「身の丈に合った皇室」とやらを標榜する殿下が、権力の濫用を繰り返し、「身の丈を超えた虚像」を作っているんだから、普通の国民だって呆れてしまうじゃないか。左翼分子が「天皇制打倒」を標榜するのは普通である。しかし、皇族が無意識に皇室破壊を目論むなんて前代未聞だ。

  チャンネル桜や『WiLL』の"保守系知識人"は、「秋篠宮バッシング」を懸念し、男系男子の皇統を危うくする愚行と思っている。確かに、「愛子天皇」を実現したい左翼は、熱心に秋篠宮家を叩く。しかし、少なくとも筆者は女性天皇や女系天皇、女性宮家には反対で、旧宮家の男子皇族が復帰することを願っている。だいたい、将来の天皇陛下になる皇族が、"たった一人"なんて異常だろう。せめて5、6人いないと不安である。筆者は単なる平民だから、皇室問題に係わることはできないし、何を言っても下界の戯言(たわごと)でしかない。秋篠宮殿下が目にするのは週刊文春や週刊新潮くらいだろう。

  そもそも、皇室への関心が無い国会議員や、赤色分子の元裁判官が皇室会議のメンバーになること自体がおかしい。皇統に関する問題は、皇族を主体とする「皇族会議」で議論すべきだ。なんで、尊皇精神のカケラも無い連中が、ズラリと雁首揃えて「女性宮家の創設」を協議するのか? 皇室の未来を定めるのは天皇陛下だろう。もし、秋篠宮家が皇室伝統に反しているなら、旧皇族を復活させて、幼い子供を立派な皇太子にすればいい。皇太子の教育掛には、東大出身の赤色学者じゃなく、乃木大将のような武人を教師にすべきだ。昭和天皇を身近に観てきた皇族ほど、現在の危機をよく解っているんじゃないか?

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68888564.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/109.html#c110

[近代史3] プチエンジェル事件の顧客と噂されている秋篠宮・高円宮はロリコンなのか? 中川隆
112. 中川隆[-13667] koaQ7Jey 2022年2月18日 19:50:01 : EonKvGsRbw : eFRRamhWamM4T2M=[6]

2022年02月17日

裏口という玄関 / 秋篠宮は不正の常習者なのか?
「見せかけ」だけの入試映像
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68888564.html


Prince Hisahito 033Akishinonomiya 0011


  2月13日、独占放送なのか、TBSだけが速報として悠仁親王殿下の一般受験を報道した。かねてから週刊誌などが、殿下の筑波大附属高校への"特別入学"だ、と大騒ぎをしていたが、突然、一般の子供達と同じように五教科の筆記試験を受けるようになったから、事情を知らない一般国民は"エッ !"と驚いた。なぜなら、昔からずっと、悠仁親王殿下は紀子妃殿下の肝煎りで創られた、あの"いかがわしい"「提携校進学制度」を使って入学するんだろう、と思われていたからだ。

  しかし、これは予め学校側が決めていたことで、たとえ「推薦入学」の特待生でも、一応、"形式的"に学力試験を受けるという条件があったのだ。もちろん、試験の点数で合格の約束が取り消されることはないが、他の受験生に対して示しが付かないので、無駄と判っていても「入試会場に来い !」という命令だった。さすがに、皇室特権の「無試験合格」じゃ、一般受験生の親が黙っていないから、苦肉の策で「ガス抜き条項」が加えられたのだろう。

  とはいっても、TBSの独占映像は、ある程度の成果があったようで、巷のオッちゃん、オバちゃん達は、「なぁ〜んだ、悠仁様は"ちゃんと"受験されているんじゃないか ! 週刊誌はガセネタを書いていたんだなぁ〜 」と早合点。なるほど、テレビと新聞しか目にしない中高年だと、八百長報道で騙すのはいとも簡単だ。宮内庁は白々しく「悠仁殿下は一般人と同じように筆記試験を受けました !」と述べていた。ところが、公正明大名入試は黒い闇に包まれている。試験の採点は誰も観ていないし、各教科の点数なんかは極秘事項。もしかすると、殿下の名前が書かれた解答用紙は、そのまま採点されず、金庫か何処かにひっそりと保管されているんじゃないか? それとも、"ヤバイ証拠"は即座に燃やすことにしているとか・・・。何しろ、内部の者が金銭に目が眩んでマスコミにリークしたりすると、紀子妃殿下の激昂を招き、インターネット界隈でも大炎上となるから、筑波大は冷や汗ものだ。

剽窃疑惑の受賞作文

  地上波テレビは2月16日、「悠仁親王殿下が筑波大附属高校に合格されました ! 」との発表を行った。ところが、『女性自身』や『週刊新潮』は別のスクープ記事をぶつけてきた。悠仁殿下は令和二年、福岡県北九州市が主催する第12回「子供ノンフィクション文学大賞」に"自身"の作文を投稿し、その作品は見事「佳作」に輝いた。殿下は『小笠原諸島を訪ねて』という題で作文を書いたが、これを最初に読んだ時、筆者は小室圭の入賞論文を思い出してしまった。なるほど、殿下は小学五年生の時に訪れた場所を懐かしみ、小笠原の海や生物について回想したのだろう。しかし、その文面の奥には何となく"他人の口添え"が入っているようで、筆者は素直に黙読できなかった。

  これは個人的な見解、勝手な妄想に過ぎないから、筆者は悠仁親王が誰かの"助力"を得て書き上げたとは断定できない。しかし、『女性自身』の"ゲスト探偵"が殿下の"剽窃部分"を詮索し、似通った文章を発見したのだ。殿下の作文には、次のようなが感想が書かれていた。

  小笠原諸島は、火山が隆起してできた島で、一度も大陸と陸続きになったことがない「海洋島」です。では、こうした島の生き物は、どのようにして島々にたどり着いたのでしょうか。
  あるものは海流に乗って運ばれ、あるものは風によって運ばれ、翼をもつものは自力で、あるいはそれに紛れて、三つのW、Wave(波)、Wind(風)、Wing(翼)によって、海を越えて小笠原の島々にたどり着き、環境に適応したものだけが生き残ることができました。(第12回子供ノンフィクション文学賞、 p.77.)

  『女性セブン』によれば、疑惑の文章は、福田素子 著『世界遺産 小笠原』(JTBパブリッシング刊、2012.)で記された、以下の箇所によく似ているという。(「悠仁さまの文学賞入賞作文の一部が他の人の文章と酷似 宮内庁は参考文献の記載漏れを認める」『女性セブン』 2022年3月3日号 )

  小笠原諸島は、火山が隆起してできた島で、一度も大陸と陸続きになったことがない。こうした島を海洋島という。(中略)まる裸で太平洋に突き出していた小笠原諸島に、生きものたちはいったいどのようにしてたどり着いたのだろうか。あるものたちは風によって運ばれ、また、あるものは海流に乗って。あるいは、翼を持つものは自力で、またはそれに紛れて。いわゆる3W 、風(Wind)、波(Wave)、翼(Wing)により、数少ない生きものだけが海を越えて小笠原の島々にたどり着くことができた。(pp. 11〜12.)

  ちなみに、北九州市が主催した文学賞の募集要項には、「応募の注意」が記されており、次のように書かれていた。

  《他人の文章を勝手に使ってはいけません。使う場合は「 」で囲んだり、段落を落としたりして、自分の文章と他人の文章の区別がつくように工夫してください。また、どこから用いたかも必ず書いてください》

  悠仁殿下の作文には、文末のページに「小笠原諸島返還50周年記念誌『原色 小笠原の魂 The Spirit of Ogasawara Islands, 2018.』」という一冊の参考文献しか記載されていなかった。『女性自身』が宮内庁報道室に問い質したところ、「ご指摘に感謝します」との回答を得たそうだ。そして、宮内庁を通した形で、悠仁さまからのお答えもあったらしい。曰わく、

 「この旅行記は、悠仁親王殿下が、自らいろいろな文献等をお調べになり書かれましたが、参考文献の記載が十分ではなかったと振り返っておられました」、と。

  宮内庁は参考文献の記載漏れを認めたが、「意図的な盗用は無かった」と弁解していた。これに続けて、宮内庁の担当者は、「本件につきまして主催者に連絡いたしますとともに、ほかの箇所についても確認をされ、必要があれば正していかれたいとのことでございます」と釈明していた。文学賞の主催者である、北九州市の市立文学館の担当者は、次のように説明したという。

 「今回、両方の文章を比較して、確かに似たような文章が連なっていることは把握しました。参考文献の記載漏れがあったとしても、同文学賞は作品のテーマ、表現力を総合して評価した結果なので、賞の授与の撤回は考えていない」と。

  まぁ、主催者が「気にしない」というのであれば、他人がどうこう言う問題でもあるまい。しかし、秋篠宮殿下と妃殿下は、こんな小細工をしてまで、悠仁殿下の「偉業」を創り上げたいのか? 尊皇精神を持つ国民は、親王殿下の「神童伝説」なんかを望んではいまい。たとえ、殿下が凡庸であっても、正直で明るい少年であれば、それで「充分」と思っているはずだ。天子様の威光は学校の成績で決まるものではない。古来からの信仰に篤く、臣民をいたわる心を持ち、愛国心に満ちた大元帥であれば、それで国民は満足だ。「東大卒の天皇」なんかは、卑しい根性の持ち主か、見栄っ張りの俗人が褒めちぎる"虚飾"に過ぎない。心の底から皇室の永続を願う国民は、名門大学の肩書きを見せびらかす天皇には興味が無い。紀子妃殿下は皇統の本質を勘違いしているんじゃないか?

  作文の"ミス"で、ちょっと気になるのは、悠仁殿下が家庭教師というか、アドヴァイザー的側近から、どのような指導や補助を得たのかである。これは、完全に筆者の憶測なんだが、もしかすると、指導教師が稚拙な作文を立派にするため、それとなく名文を挿入したり、誰かの随筆をごちゃ混ぜにしたのかも知れない。 殿下の作文を読むと、確かに「よく出来た感想文」なんだが、どことなく大人の感性が滲んでいた。 もしかすると、国語の家庭教師が殿下の想い出を幾つか聞き出し、「じゃあ、小笠原旅行での作文にしましょう !」と勧めたのかも知れないぞ。しかし、構成作家の先生に本題の知識が乏しかったので、急遽、小笠原諸島に関する参考書を何冊か読み、その中に福田氏の『世界遺産 小笠原』があったのかも知れない。

  迂闊だったのは、先生が面倒くさくなって、自分で全文を考えず、福田氏の文章を"拝借"して、中学生らしい文体に焼き直したことだ。おそらく、先生は「どうせ、誰にも判らないさ !」と高を括っていたんじゃないか? はっきりとした引用にしなかったのも、盗作がバレたらマズいから参考文献にしなかったんだろう。ところが、『女性自身』へ原稿を持ち込んだ記者が、偶然か誰かの指図で"疑惑の文章"を見つけ出したので、慌てて宮内庁が「参考文献の記載ミスでした」と詫びる破目になった。たぶん、作文担当の教師は紀子妃殿下からコッテリ絞られ、キツい"お咎め"を受けたはずだ。「アンタ、何やってんのよ !」と烈火の如く怒り狂う姿が想像できるじゃないか。

  宮内庁が即座に「不手際」を認めたのは、誤魔化したり否定したりすると、もっと傷口が悪化するから、初期段階でダメージ・コントロールに徹しようと決めたに違いない。おそらく、雑誌記者に確実な証拠を握られたから、宮内庁と秋篠宮殿下は観念し、「今回だけは素直に降参して、誤りを認めてしまおう」と話し合ったのかも知れない。そうでなければ、あんなに早く「修正」を発表しないだろう。

  ここで問題のなのは、悠仁殿下の学力じゃなく、真剣に秋篠宮家を憂慮する側近がいないことだ。もし、有能で愛国的な侍従がいれば、小室圭に法外な恩恵は与えなかっただろうし、数々の不正行為も事前にブロックし、「凡庸なフィアンセ」という真の姿にしたはずだ。ところが、秋篠宮殿下に厳しい諫言をする者は全て排除され、ゴマすり役人ばかりが殿下の周りを固める、という状況になっているから、小室問題が蟻地獄のようになってしまったのだろう。悠仁親王殿下のケースも同じ類いで、杉浦重剛みたいな倫理担当教師がいれば、両殿下に対し「ズルはいけません ! どんなに下手くそな作文でも、悠仁殿下独りの実力で書かせなければ駄目です !」と釘を刺したはずだ。

  そもそも、どうして東京に住む悠仁殿下が、福岡県の作文コンクールに応募するんだ? しかも、「佳作」という微妙な受賞にしているところが狡賢い。おそらく、「大賞」を与えてしまうと八百長がバレるから、優勝は平家和志君の『葬儀のススメ』にし、「煙幕」として中尾慶人君が書いた『曾祖父母の覚悟』に「佳作」を与えたのだろう。皇室への忖度を肝に銘じる主催者は、二名枠の「佳作」に殿下を捩じ込めば怪しまれない、と考えたんじゃないか? さすがに、「選考委員特別賞」じゃ「特別待遇」が疑われるので、「佳作」くらいが丁度いい。だって、もう一つある「リリー・フランキー賞」だと、「幾らかお金を貰ったのか?」と怪しまれるじゃないか。

「秋篠宮家に対する誹謗中傷」という反撃

  月刊『WiLL』はYouTube番組も作っており、この雑誌には白川司という評論家がよく登場する。彼は雑誌に記事を投稿しているが、自身のツイッターやインターネット番組の「WiLL増刊号」で、「秋篠宮家に対するバッシングが酷い」と愚痴をこぼしていた。白川氏はTBSが悠仁殿下の入試報道を観た後、ヤフー・コメントを読んだところ、あまりにも多くの罵詈雑言が述べられていたことに唖然としたそうだ。筆者はヤフー・コメントなんて読まないし、あんなのは便所の落書きと同じで、誰が書いたのか判らぬ悪口・陰口と思っている。なぜ、白川氏は顔と名前すら判らぬ匿名コメントに目くじらを立てるのか?

  もし、朝鮮人や支那人、皇室打倒を叫ぶ左翼が組織的、ないしゲリラ的に書き込んでいたら、そんなのは世論操作の一種だろう。だいたい、『WiLL』に「秋篠宮家批判」の批判なんて出来るのか? 初代の編集長である花田紀凱(はなだ・かずよし)は、スキャンダル報道を得意とする『週刊文春』で皇室バッシングに努め、美智子皇后陛下に対する痛烈な批判記事で陛下を精神的に痛めつけていた。その後、文藝春秋社を辞めると、新興の「ワック」社へ入り、保守系雑誌の『WiLL』を創刊した。当初は人気知識人を集めて"保守"を看板にしていたが、昔の癖が蘇り、「雅子妃叩き」で売り上げを伸ばそうと考えた。そこで、花田氏が登庸したのが、「保守」の仮面を被った西尾幹二だ。この業績が乏しい俗悪老人は、皇室の公務を厭がる雅子妃を「獅子身中の虫」とまで言い張った。(筆者は御婚約以前から小和田雅子嬢に感謝していた。この件については別の機会で述べたい。)

  そして2016年、花田編集長が「ワック」の鈴木隆一社長と経費の件で揉めると、花田氏は編集部の全員を引き連れて退社する。彼が飛鳥新社に移籍して、ライバル雑誌の『Hanada』を創刊するや、『WiLL』で連載を持っていた堤堯と久保紘之をも引き抜いた。何と、この二人も西尾氏と同じく、宮中行事をサボる雅子妃は"我がまま"と感じており、西尾氏がワック社から出版した『皇太子さまへの御忠言』に好意的だった。雅子妃殿下は何も不正をはたらいていないのに、堤氏と久保氏は反論できぬプリンセスを庇おうとはせず、「雅子妃バッシング」に一枚噛んでいた。白川氏も認めていたけど、最近の『WiLL』は眞子様・小室圭問題でも小室批判を大々的に繰り広げ、眞子内親王殿下の御婚約と御結婚についても苦言を呈していた。

Komuro Kei 9324  筆者は小室佳代と小室圭の留学、および眞子様のNY生活を批判したが、お二人の御結婚に反対したことはない。眞子様が小室圭に惚れてしまったんだから、他人である一般国民が「結婚に反対だ !」と苦情を言い立てるのはおかしい。反対できるのは両親である秋篠宮両殿下と天皇陛下、上皇陛下、他の皇族の方々くらいで、政治家や大学教授、評論家、ジャーナリストが「あの男はダメ !」という権利は無いはずだ。また、竹田恒泰さんまでもが小室佳代の借金問題で小室圭との結婚に反対していたが、母親の借金トラブルと息子の恋愛は別だろう。母親の佳代が元婚約者と話をつければいいだけだ。竹田氏が借金問題を取り上げて眞子様の御結婚に反対したのは、生理的に小室圭が嫌いだったからだろう。おそらく、「あんな奴が皇族の仲間になるなんて、絶対に赦せない !」と憤慨したからじゃないのか?

  小室夫妻への批判というのは、小室佳代の借金問題や小室圭の就職問題ではない。以前、当ブログで述べた通り、秋篠宮殿下が皇族のロイヤル・パワーを濫用して、通常では不可能なことを「可能(現実)」にしてしまったことだ。本来なら、小室圭みたいな「碌でなし」は、三菱東京UFJに入ることはできないし、一橋大学のビジネス・スクールも無理で、フォーダム大学への留学なんて夢のまた夢といった空想である。小室圭は法務助手として「ローウェンシュタイン・サンドラー」社に雇われているというが、実際にどんな役職で働いているのか? コピー係とかコーヒー運搬の業務なんて「パラリーガル」の仕事じゃないぞ。それに、小室圭は司法試験の勉強をしているのか? たぶん、宮内庁と外務省は五月の不合格発表に備えて、幾つかの滞在プランを去年から練っているはずだ。宮内庁が懸念しているのは、「いつ、どんな言い訳」をすべきか、つまり如何なる「奸計」で小室夫妻の米国滞在を正当化すべきかである。

  話を戻す。白川氏は2月16日のYouTube「WiLL増刊号」で悠仁殿下の受験を取り上げ、マスコミによる過熱報道や、一般国民による誹謗中傷を批判していた。白川氏は今回の報道を「あら探しだ」と批判していたが、本当に単なる「国民からのイチャモン」なのか? そして、彼は秋篠宮家に対するバッシングを非難したいのか、「まだ15歳の殿下が受ける入試なんだから、あんな風にTBSが全国放送したら、殿下にとっては相当な心理的プレッシャーになりますよ」と述べていた。

  筆者は白川氏について詳しく知らないけど、「どこに目を附けているんだ?」と言いたくなる。あの報道はTBSと宮内庁がグルになって放送した「仕込み報道」じゃないか ! そもそも、どうしてTBSだけが"事前"に殿下の登校を察知し、"独占放送"できたのか? おそらく、宮内庁が各テレビ局の皇室記者を密かに集め、どこの局に放送させるかを吟味したんだろう。そして、今回は宮内庁と仲の良いTBSを指名し、当日の段取りを伝え、指名された記者が台本通り派遣された訳だ。これは警察が新聞記者にリークする場合と似ている。よく新聞記者と昵懇の特捜やマル暴の刑事が、不正な事件をやらかした会社とか暴力団のガサ入れを事前に教え、取材陣が建物の前で待ち伏せるのと同じ構図だ。白川氏はこんな見え透いた猿芝居を見抜けなかったのか? まぁ、『WiLL』に雇われているくらいだから、知能や洞察力が劣っていても不思議じゃない。

  白川氏がどんな人物のコメントを読んだのか知らないが、まともな保守派国民は悠仁殿下が筑波大附属を受験したことに腹を立てている訳じゃない。その"入学方法"について異議を唱えただけだ。ちょっと常識的な日本人ならば、皇族、特に次期天皇となる悠仁親王殿下が「特別」なのは百も承知である。だから、筆者は「特別な存在である殿下が、好きな学校へ"特別"に入る」ことには反対しないし、正々堂々と公言するなら文句は無い。もし、どうしても秋篠宮殿下が母校の学習院を嫌い、「やはり筑波大附属高校に悠仁殿下を入れたい」と公言するのであれば、ほとんどの国民は反対しないだろう。別に筆者は皇室を憎んでいないし、「悠仁殿下は学習院以外で勉強するな !」と言ったことはない。たとえ、秋篠宮殿下が校長や理事長に特別待遇を要求し、「成績の如何に関わらず悠仁を卒業させろ !」と厳命しても、それが国家と皇室の利益に適うなら、「仕方ない」と思っている。

  ところが、秋篠宮殿下は以前から「皇族の特別扱い」には反対で、なるべく一般人に迷惑を掛けず公務を果たしたいと考えていた。例えば、2019年6月、皇太弟となって初の海外公務である、ポーランド・フィンランドへの公式訪問では、政府専用機やチャーター機ではなく、一般客も同乗する民間機で訪問したという。しかし到着が遅れ、ホスト国に迷惑をかけてしまった。また、秋篠宮殿下は「公費支出を抑えたい」とか「多くの人に迷惑をかけたくない」という要望が強いらしい。そのため、専用機の使用とか信号を止める移動には否定的なようだ。(「秋篠宮皇嗣夫妻『信号を止めるな』大騒動 宮内庁が憂慮する交通格差」週刊ポスト、2021年3月19・26日号)

  しかし、それが却って周囲の手間を増やしてしまうから困ったものである。ちゃんと交通規制を敷いて、意図的に信号を全部青にすれば、リムジンが順調に走行できるのに、一々赤信号で止まっていたら警護の人達が大変じゃないか。おそらく、秋篠宮殿下は学生時代に左翼教師から、あの進歩主義や多民族主義、寛容な精神などを吹き込まれたんだろう。もしかすると、紀子妃殿下の川嶋家からも人間の上下を否定する、赤い平等主義をレクチャーされたのかも知れない。身分の違いで存在する皇族や公家でも、アナーキスト風の平等思想や護憲思想に魅了されるピンク・リベラルは意外と多い。

  秋篠宮殿下は前々から「皇族の特別扱い」を嫌い、内親王殿下の訓育に関しても、他の国民と変わらない"普通の教育"を望まれた。だから、悠仁親王殿下が利用する「提携校進学制度」を隠したかったんじゃないか? もし、秋篠宮家が「皇族の特権行使」を躊躇(ためら)うのなら、悠仁殿下に一般生徒と同じく「学力テストを受けて合格するように」と言うはずだ。しかし、秋篠宮殿下は自身が嫌う「特別枠」を筑波大に要求し、それを内緒にしたかったから、週刊誌の暴露報道に腹を立てたのだろう。つまり、殿下は自分の行動がいかがわしく、世間に公表できないと判っていたから、加地隆治・皇嗣大夫に命じて、マスコミの暴露報道を封殺したのだろう。

  加地皇嗣大夫は皇室担当者や雑誌記者に向かって、「勝手な憶測で進学問題を報じるな !」と脅しをかけたが、案の定、悠仁殿下は特別枠での推薦入学だった。怪しい教育計画は前々からあったらしい。殿下がお茶の水女子大附属の幼稚園に入る頃から、紀子妃殿下は"長期計画"を描いており、東大進学を画策していたというのだ。でも、せっかくの計画が途中で漏洩したので、中学進学はお茶の水の附属校になったそうだ。報道によれば、秋篠宮家に仕える誰かが内部情報をリークしたというが、もしかすると、妃殿下に恨みを抱く召使いの誰かが、あるいは筑波大附属の教師で、ロイヤル・パワーに憤慨した者が、雑誌記者にチクったのかも知れないぞ。

  そもそも、妃殿下が馬鹿げた計画を無理やり押し通そうととするから、様々な"綻び"が噴出してしまうのだ。蜃気楼のような小室圭のプロフィールを思い出せば判るじゃないか。もし、悠仁殿下に充分な学力があれば、筑波大附属でも開成でも、灘校でも筆記試験で合格するはずだ。紀子妃殿下は息子の学力をよく解っているから、"安全確実"な裏ルートを開拓したんだろう。白川司が愚劣なのは、まともな日本国民がどこに怒りを感じているのかを理解していないからだ。ヤフー・コメントを深刻に捉えるなんてアホとしか言い様がない。秋篠宮殿下も認識しているように、皇族が「後ろめたい方法」をとっているから、多くの国民が怒りを感じているのだ。

保守派知識人が指摘しない秋篠宮家の恥部

  小室騒動の一件以来、秋篠宮家には様々な"疑惑"が噴出したが、『正論』や『WiLL』、『Hanada』などで指摘されない問題を述べたい。

 まづ、一つ目は失態を繰り返す秋篠宮を天皇陛下でさえ止められないことだ。本来なら、小室圭が三菱東京UFJ銀行に入った時点で、陛下も「怪しい !」と感じたはずで、秋篠宮殿下に「皇室ブランドを使うな !」と言いたかったはず。ダメ男の「コネ入社」はしょうがないとしても、明らかな不正工作によるフォーダム大留学はロイヤル・パワーの濫用だ。

  とにかく、秋篠宮家には嘘が多い。例えば、宮内庁はマーチン奨学金まで獲得した小室圭が、司法試験に落ちたことで"ショック"を受けたらしいが、そんな衝撃はマスコミ向けの嘘だろう。最初から、無能な小室圭を「優秀なフィアンセ」に仕立て上げたのが秋篠宮家だ。殿下こそが間違っている。おそらく、今上陛下は留学に関する裏工作を側近から聞いているんだろう。しかし、弟の暴走を制禦することが出来ない陛下は、悠仁親王殿下の裏口入学も許してしまった。たぶん、ずっと前から「合格」が決まっていたので、覆すことが出来なかったのだろう。

  二つ目は、宮内庁の思考様式が昭和で止まっていることだ。つまり、秋篠宮家に関する暴露報道を阻止するためには、週刊文春や週刊新潮などの雑誌に加え、テレビと新聞を恐喝すればよいと、思っている。しかし、インターネットが普及した令和時代で、昭和時代の言論統制なんて無理だろう。いくら地上波テレビで口封じを行っても、抜け駆けをする雑誌記者や一攫千金のパパラッチが跋扈すれば、どこかで情報が漏れてくる。会員制の雑誌である『テーミス』が、内緒にしていた「小室プロジェクトPart 2」をスッパ抜いたのも、優秀な記者が動いたからだろう。たとえ、全国民の数パーセンにすぎないとはいえ、疑惑を持つ国民が増加すれば、その真相を突き止めようとするジャーナリストは出てくる。小手先の彌縫策(びほうさく)で国民を騙そうとするのは愚かだ。賢い皇室支持派が憤慨するだけ。宮内庁は一般国民を見下し、ワイドショーだけを観ている連中を「皇室支持派」と思っているんだろう。

 三つ目は、秋篠宮両殿下が「偉大なる次期天皇」という脚本を書いて、それが成功すると思っている点だ。今回の作文事件で判った通り、紀子妃殿下はやり過ぎた。北朝鮮の金王朝じゃあるまいし、「虚構」を作って、それに悠仁殿下を当て嵌めようとするなんて馬鹿げている。もし、学校から苦手とする作文を要求されたら、正直に中学生らしい感想文を投稿すればいい。それなのに、「優秀な殿下」を創作するために、二流の演出家や幽霊作家を雇ったから不正がバレれてしまったのだ。

  宮内庁は速やかな"訂正"を発表したが、剽窃を指摘された悠仁親王殿下はどう思っているのか? 公の場で赤恥をかかされた殿下は、きっと友人からの反応を気にされてしまうだろう。そもそも、「疑惑の提携校進学制度」というスキャンダル報道がなされたんだから、筑波大附属高校に進学しても、級友からは尊敬されまい。たぶん、同級生の悪ガキどもは「皇室特権を使った裏口入学だ !」と陰口を叩くし、「ズル入学をしたから、お前はズルヒトだ !」と呼ぶだろう。別の生徒は「偏差値の水増しで入学しやがって !」と小馬鹿にし、「よっ ! 将来の裏口天皇 ! 親のコネで既に東大合格なのか?!」と揶揄するに違いない。

  SNSが発達した現在だと、高校生だって色々な情報を耳にするから、悠仁殿下がイジメの対象になる危険性は否定できない。たとえ、イジメを受けなくても、クラスで白眼視されることもあるのだ。もし、陰湿なイジメが起これば、秋篠宮殿下や紀子妃殿下は担任教師や校長に対して「何らかの対策を !」と求めるだろう。しかし、こうした問題の元兇は秋篠宮家じゃないか ! 「身の丈に合った皇室」とやらを標榜する殿下が、権力の濫用を繰り返し、「身の丈を超えた虚像」を作っているんだから、普通の国民だって呆れてしまうじゃないか。左翼分子が「天皇制打倒」を標榜するのは普通である。しかし、皇族が無意識に皇室破壊を目論むなんて前代未聞だ。

  チャンネル桜や『WiLL』の"保守系知識人"は、「秋篠宮バッシング」を懸念し、男系男子の皇統を危うくする愚行と思っている。確かに、「愛子天皇」を実現したい左翼は、熱心に秋篠宮家を叩く。しかし、少なくとも筆者は女性天皇や女系天皇、女性宮家には反対で、旧宮家の男子皇族が復帰することを願っている。だいたい、将来の天皇陛下になる皇族が、"たった一人"なんて異常だろう。せめて5、6人いないと不安である。筆者は単なる平民だから、皇室問題に係わることはできないし、何を言っても下界の戯言(たわごと)でしかない。秋篠宮殿下が目にするのは週刊文春や週刊新潮くらいだろう。

  そもそも、皇室への関心が無い国会議員や、赤色分子の元裁判官が皇室会議のメンバーになること自体がおかしい。皇統に関する問題は、皇族を主体とする「皇族会議」で議論すべきだ。なんで、尊皇精神のカケラも無い連中が、ズラリと雁首揃えて「女性宮家の創設」を協議するのか? 皇室の未来を定めるのは天皇陛下だろう。もし、秋篠宮家が皇室伝統に反しているなら、旧皇族を復活させて、幼い子供を立派な皇太子にすればいい。皇太子の教育掛には、東大出身の赤色学者じゃなく、乃木大将のような武人を教師にすべきだ。昭和天皇を身近に観てきた皇族ほど、現在の危機をよく解っているんじゃないか?

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68888564.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/362.html#c112

[近代史5] 中国人の起源 中川隆
16. 2022年2月18日 20:02:19 : EonKvGsRbw : eFRRamhWamM4T2M=[7]
2022年02月18日
古代DNA分析から推測される龍山文化期の親族関係
https://sicambre.at.webry.info/202202/article_18.html


 龍山(Longshan)文化期の親族関係に関する研究(Ning et al., 2021)が公表されました。モーガン(Lewis Henry Morgan)や他の初期人類学者によりヒトの社会的進化に与えられた重要な役割は、エンゲルス(Friedrich Engels)など19世紀後半からの社会理論に大きな影響を及ぼしました。1960年代から、狩猟採集民の民族誌的野外研究では、母方居住から父方居住への歴史的変化を裏づけないたいへん柔軟な結婚後の居住配置が見つかり、古典的理論への社会人類学の批判が高まりました。

 しかし同時期に考古学では、新進化人類学への寄与を深めるために、先史時代社会組織の再構成に新たな関心が抱かれました。埋葬と土器の分析技術が検証され、後には頭蓋歯の計量および非計量分析や安定同位体分析など、生物考古学的手法で補足されました。しかし遺伝学は、古代人遺骸から抽出されたDNA分析により、先史時代のヒト個体群間の明らかな関係を論証できる唯一の分野です。次世代配列決定技術の適用により、古代の遺骸から回収されたDNAは、費用対効果の高い方法にて低網羅率(通常は1倍未満)で配列できるようになりました。この技術の急速な成長は、より低網羅率の古代ゲノムが毎年利用可能になることを意味します。

 しかし、ほとんどのそうした研究は人口史に焦点を当ててきており、古代の社会組織の再構成における親族関係分析の大きな可能性は、充分な注目を集めてきませんでした。この分野は、大規模な地域間の研究から社会経済的過程へのより局所的な観点へと移行する傾向が高まっていますが(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4および関連記事5)、そうした研究はまだ比較的限られています。この主因の一つは、PLINKなど現代の個体群間の遺伝的関連性を特定するのに最も一般的に用いられる手法が、古代の個体群の検定ではかなりの偏りにつながることです。

 最近、低網羅率配列決定データから遺伝的親族関係を推定するために特別に設計された幾つかのプログラムが、古代の個体群間の関連性決定に大きな力を示してきました。本論文は古代DNA分析を、中華人民共和国河南省の淮河中流域に位置する後期新石器時代の龍山(Longshan)文化期の平糧台(Pingliangtai)古代都市遺跡(以下、平糧台遺跡)の骨格遺骸に適用します(図1A)。以下は本論文の図1です。
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 龍山文化(4500〜3800年前頃)は、独立した共同体から王朝国家への中国文化(本論文では「civilization」が用いられていますが、以前の記事で述べたように、当ブログでは基本的に「文明」を用いないことにしていますので、以下訳語は「文化」で統一します)の発展における重要な移行段階とみなされています。埋葬パターンと家屋の分布と食性同位体の研究は、龍山文化の社会組織の大きな変化を確証します。中期新石器時代の仰韶(Yangshao)文化と比較して龍山文化期には、公共墓地の縮小と、複数個体との二次埋葬など大規模な墓の消滅が見られます。同時に考古学は、多文化の人工物の統合とさまざまな食性習慣の人々の集団の集まりという両方の観点から、社会的移動性の向上を示唆します。

 これらの変化は考古学者に、龍山文化期には、恐らくは大規模な拡大家族から小規模な核家族へという親族関係組織の大きな変化があった、と示唆します。しかし、同じ共同体もしくはより具体的に同じ住居からの個体群の関連性の正確な識別なしには、そうした仮説は実証的には検証できません。したがって、龍山文化個体群の遺伝的親族関係を特徴づけることは、中国文化の形成期における、家族構造と配偶パターンと先史時代人口集団の社会的複雑さの根底にあることを理解する上で、ひじょうに重要です。

 後期新石器時代(LN)の平糧台遺跡から発掘された4個体が、本論文では分析対象となります。そのうち3個体(M310とM311とM313)は学童期(juvenile、6〜7歳から12〜13歳頃)です。M312は、骨学的特徴に20歳頃の若い男性と特定されました(図2C・D・E)。4個体全員は、公共墓地ではなく家屋の土台近くに埋葬されており、この種の埋葬パターンは中原の多くの龍山文化社会で一般的です。以下は本論文の図2です。
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 家屋の近くに埋葬された学童期個体は、生前にそこで暮らしており、家屋の所有者と密接な親族関係を共有していたかもしれない、と以前から仮定されてきました。平糧台遺跡の遺伝的親族関係パターンの可能性を調べるため、以前に報告された4個体(関連記事)で、より高い平均網羅率3.2倍となるショットガン配列が実行されました。考古学的調査結果を組み合わせるとともに、常染色体とミトコンドリアとY染色体の遺伝標識を用いて、個体間の密接な遺伝的親族関係が特定され、後期新石器時代の龍山文化における遺伝的親族関係に基づく拡大家族構造の直接的証拠が提供されます。

 その後、ROH(runs of homozygosity)分析により、これらの標本における血族単位の1事例が明らかになりました。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレル(対立遺伝子)のそろった状態が連続するゲノム領域(同型接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。ROH区間の分布は、有効人口規模と、1個体内のハプロタイプの2コピー間の最終共通祖先の時間を反映しています(関連記事)。考古学と人類学と考古ゲノム学を含む学際的手法により、複雑で変化する社会への洞察が得られます。この変容期の社会では、遺伝的親族関係は社会組織の焦点だったようで、拡大家族に基づく世帯単位がすでに4000年前頃の中国中央部に出現していた、という証拠があります。


●平糧台遺跡への考古学的および人類学的洞察

 平糧台遺跡は中華人民共和国河南省周口市淮陽(Huaiyang)区に位置します。平糧台遺跡は2014〜2016年にかけて、河南省文物管理局と北京大学考古文博学院の合同調査団により発掘されました。龍山文化期と年代測定された合計14基の墓が発掘され、8基の墓は整然と配置され、遺跡の南西部に小さな公共墓地を構成し、全て成人と同定されました。他の6基の墓は家屋の土台近くにあらゆる副葬品なしに散らばっており、20歳頃の1個体を除いて14歳未満の個体と同定されました。

 家屋は3列に並んでおり、F 26・F 22・F 23・F 34が北の列、F 28・F 36が南の列、F 30・F 40・F 41が中間の列に位置します(図2A)。F34の前に埋葬されたM313を除いて、他の3個体(M310とM311とM312)は全てF28の前に埋葬されています。F28は同じ列のF36から離れているので、考古学的観察に基づくその死の前にF28で暮らしていた、と考えられます。家屋の土台の前に学童期個体を埋葬することは、河南省東部では仰韶文化期と龍山文化期に一般的に見られる伝統です。M310とM311は両方、同じ層序と特定され、両者の埋葬の開口部がF28の初期の土壌を攪乱したので、F28の建築後に埋葬されました(図2A)。しかし、M312はM310とM311よりもわずかに後で埋葬されました。それは、M312の埋葬の開口部がF28の後の土壌を確認したからで、層序関係は骨格遺骸の放射性炭素年代と一致します(図2Bおよび表1)。

 これら4個体は全て、それぞれ副葬品なしに小さな墓で埋葬されており、龍山文化社会の他の上流階層被葬者とは大きく異なっていました。F28は2部屋のある家屋で、他の家屋の土台と明らかな違いはありません。これは、同じ世帯に暮らしていた個体群の遺伝的親族関係を特徴づけることにより、龍山文化社会の基礎的な世帯構造を検証する理想的事例を提供します。成人が埋葬された公共墓地からの学童期個体の分離は、新石器時代の黄河地域では広く行なわれた慣行でした。一部の考古学者は、これがある種の祖先崇拝と関連しているかもしれず、その祖先崇拝では若年もしくは婚姻前に死亡した個体は不吉とみなされ、公共墓地への埋葬を許可されなかった、と考えています。


●古代DNA確証と片親性遺伝標識の遺伝学的分析

 平糧台遺跡の家屋の土台近くの4個体が、0.74〜4.36倍と中程度の網羅率でショットガン配列されました。この4個体の放射性炭素年代は、紀元前2275〜紀元前1844年です(表1)。古代DNAの確証は、複数の手法で実証されました。この4個体は全て、古代DNAに特徴的な損傷パターンと、低水準の現代人のDNA汚染を示しました。この4個体の生物学的性別は、常染色体に対するX染色体とY染色体の網羅率比の比較により決定されました。その結果、M310とM313は、X染色体の比率がそれぞれ0.783と0.862で、Y染色体の比率はそれぞれ0003と0.01とごく僅かだったので、女性と分類されました。M311とM312は、類似のX染色体比(それぞれ0.412と0.392)とY染色体比(それぞれ0.44と0.28)だったので、男性と同定されました。

 この4個体全てで網羅率23〜274倍と完全なミトコンドリアDNA(mtDNA)配列が回収され、さらに明示的なmtDNAハプログループ(mtHg)に分類されました。同じ層の被葬者であるM310とM311とM312はmtHg-D4b1aを共有しており、その全てが同一のmtDNA一致を保持しています。しかし、その後で埋葬されたM313は、異なるmtHg-pre-F2hに分類されます。mtHg-D4b1a およびpre-F2h は両方、アジア東部の現代人集団では最も一般的です。mtHg-D4b1aは漢人や日本人や朝鮮人などアジア北東部人口集団と、アムール川流域および極東ロシアの人口集団で最高頻度となります。対照的に、mtHg-pre-F2hは台湾やタイなどアジア南東部人口集団においてかなりの頻度で見られます。

 M311とM312の2個体は、Y染色体ハプログループ(YHg)N1b2∗に分類され、このYHgはシナ・チベット語族話者人口集団などアジア北東部現代人で広範にみられる系統です。要するに、片親性遺伝標識(母系のmtDNAと父系のY染色体)の分析から、平糧台遺跡の4個体のうち3個体(M310・M311・M312)は母系で関連している可能性があり、男性2個体(M311・M312)はおそらく父系で関連していた、と分かりました。


●中国南部から黄河流域への新石器時代における遺伝的寄与

 遺伝的祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を調べ、新石器時代の平糧台遺跡の4個体の先行人口集団および現代中国の人口集団との関係を判断するため、本論文のデータを「ヒト起源」調査対象者群や既知の古代96人口集団と統合することで、データセットが準備されました。次に、アジア東部現代人一式で主成分分析(PCA)が実行されました。その結果、平糧台遺跡4個体(平糧台遺跡LN)はアジア東部人遺伝子プールに収まり、文献(関連記事1および関連記事2)で報告されている黄河流域の他の後期新石器時代の龍山文化個体群(黄河LN)とまとまる、と分かりました(図3A)。これは、平糧台遺跡4個体が黄河LNと最高の類似性を共有する、という外群f3統計の観察(図3B)と一致し、地域的な後期新石器時代龍山文化人口集団の遺伝的均質性を示唆します。

 黄河流域の先行する中期新石器時代(MN)の仰韶文化個体群(黄河MN)と比較すると、平糧台遺跡4個体は主成分分析の位置で中国南部の人口集団の方に動いています(図3A)。同様の遺伝的パターンは教師なしモデルに基づくADMIXTURE分析でも観察されており、平糧台遺跡4個体は黄河LNと類似の遺伝的特性を共有しており、黄河MNよりも緑色の構成要素の割合が高く、この緑色の構成要素はアミ人(Ami)やタイヤル人(Atayal)など台湾の在来人口集団と、中国南部の他の人口集団で最大化されます(図3C)。この結果はさらに、対称性f4統計(ムブティ人、世界規模の検証集団;黄河LN/平糧台遺跡LN、黄河MNによりさらに裏づけられ、黄河MN集団と比較すると、後の黄河LNと平糧台遺跡LNの個体群は両方、中国南部およびアジア南東部の人口集団と有意な遺伝的類似性を示しました。これは黄河へのさらに南方からの広範な遺伝的寄与を記録しており、以前の研究で指摘されています(関連記事)。以下は本論文の図3です。
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 さまざまな古代黄河流域個体群や他の中国の現代人集団も比較され、共通の遺伝的土台を共有しているのかどうか、検証されました。予測されたように、漢人やナシ人(Naxi)やイー(Yi)人やチベット人やトゥチャ人(Tujia)など全てのシナ・チベット語族話者の中国の現代人集団と、チベット高原北東部の斉家(Qijia)文化やネパール(関連記事)の古代の人口集団の、新石器時代黄河流域人口集団との遺伝的類似性が観察されました。結果として、全ての現代シナ・チベット語族話者は、新石器時代黄河人口集団からの主要な祖先系統(35.1〜86.7%)を有している、とモデル化でき、これは、黄河からの新石器時代雑穀農耕民の拡大と一致するシナ・チベット語族言語の中国北部起源と適合します(関連記事1および関連記事2)。


●平糧台遺跡の3個体は相互に2親等の関連性を共有します

 平糧台遺跡4個体の遺伝的関連性をより詳細に推定するため、常染色体で個体間の遺伝的関連性の程度が決定されました。まず124万ヶ所の半数体遺伝子型のペアワイズ不適正塩基対率(PMR)が計算されましたが、さらにX染色体とY染色体上の一塩基多型が除外されました。この手法は、各個体の組み合わせのアレル(対立遺伝子)不一致率を計算し、個体の組み合わせ間の関連性の程度を推定します。本論文の全6組は、常染色体で4万ヶ所以上の一塩基多型が重複しており、充分なデータにより、組み合わせに基づくPMRの結果はひじょうに正確になります。

 結果として、4個体のPMR値の範囲は0.19〜0.24で、2つの主要なまとまりが観察されました。最初のまとまりは、M313と他の平糧台遺跡3個体(M310とM311とM312)の比較を含んでおり、ここでは高いPMR値(0.237〜0.241)が得られ、M313が他の3個体と密接な関連性を共有しない、と示唆されます。これは、M313のmtHgが他の平糧台遺跡3個体とは異なる、という観察と一致する発見です。第二のまとまりは、3個体の組み合わせ(M310とM311、M310とM312、M312とM313)を含んでおり、PMR値の範囲は0.19268〜0.2126で、基準値(無関係)の約7/8となり、この3個体は相互に2親等の関連性(SDR)を共有します。

 第二に、READを実行し、平糧台遺跡4個体間の遺伝的親族関係がさらに確認されました。この手法はデータを正規化する段階を含み、それはP0(それぞれ重複しない100万塩基対における不適正塩基対アレルの割合)を正規化する明示的関係のある個体群に追加のデータを要求するので、分析には同じ地域の5ヶ所の異なる新石器時代遺跡の全ての既知の古代人ゲノムが含められ、合計120組の比較が特徴づけられました。その結果、M310とM311とM312との間の正規化されたP0の範囲は0.8242〜0.9011で、無関係な個体群のそれは1.0084〜1.0286となり、標準誤差は0.005と小さくなります。このような結果は、M310とM311とM312が互いにSDRを有しているものとして推定される、という点でPMR分析を反映しています。

 第三に、観察された最尤枠組みではなく遺伝子型尤度からの情報を用いるlcMLkinが使用され、全体的な関連性係数と、個体の組み合わせ間の個々の遺伝的親族関係構成要素が推定されました。アレル頻度を推定するのに充分な数の個体を確保するために、平糧台遺跡標本が中国中央部および北部の他の利用可能な古代ゲノムデータと組み合わされました。完全に無関係の個体の場合、k0=1(二倍体の2個体が0アレルを共有する可能性)が予測されます。その結果、M310とM311とM312でk0の範囲が0.497〜0.673となり、相互に2親等の親族を表しています。

 他の個体については、本論文のM313を含めて、1に近い高いk0値が観察され、遺伝的に相互に無関係と示されます。本論文のデータ解像度の範囲内で最大3親等までのk0に対する血縁計数(r)を入れることで、平糧台遺跡個体間の関連性を直接的に可視化できました。M310とM311とM312は2親等の関係の範囲に収まり、M313(底の赤い点)と他の個体群は無関係と同定されました(図4)。こうした結論は、LcMLkinと同じ論理に従う手法であるNgsRelate2によりさらに確証されました。結論として、上述の分析は全て一貫して、M310とM311とM312が相互にSDRを共有する、と裏づけます。以下は本論文の図4です。
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●平糧台遺跡個体群における親の関連性

 ROHはゲノムにおいて変異を欠く連続領域で、これらの長いDNA断片の長さは、家系の近親交配を反映している可能性があります。長いROHがある場合、唯一の妥当な説明は、その個体が遺伝的に密接に関連した両親からゲノムを2コピー継承した、ということです。平糧台遺跡個体群が最近のある程度の近親交配の子孫なのかどうか識別するために、以前の研究で実行された手法に従って、選択されたゲノムのROHが推定されました。

 その結果、平糧台遺跡の3個体(M311とM312 とM313)は4 cM(センチモルガン)以上の長さの検出されたROHは有さないものの、M311およびM312とSDR(2親等の関連性)である M310はそのゲノムに、合計109 cM以上の長さのROH断片(20 cM超)を有しており、ハトコ(イトコ同士の予測される子供の断片の平均値は135 cMです)の子供の程度に近くなります。次に、この手法が中原の全ての利用可能な古代ゲノムデータに適用され、平糧台遺跡個体で検出された近親交配事象が古代中国で一般的なパターンだったのかどうか、さらに調べられました。

 その結果、選別された33個体のうち20個体は4 cM 以上の長さの検出されたROHを有さない、と分かり、3000年にわたる大きな地域人口集団規模を示します。中国中央部の漢代(2000年前頃)の1個体だけが、3親等かそれ以上の関連性を共有する両親の子供として特徴づけられました(図5A)。これは、族内婚が先史時代中国では限られていたことを示唆し、中国では新石器時代と鉄器時代の両方で特異な同族婚が検出されたかもしれない、という直接的証拠を提供します。以下は本論文の図5です。
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●考察

 本論文は古代のゲノムデータを利用し、中国の先史時代共同体の配偶戦略および基礎となる社会的組織を再構成しました。本論文で利用された遺伝標識の3種類、つまり片親性遺伝標識であるY染色体(父系)とmtDNA(母系)、より詳細な人口集団の混合史と遺伝的親族関係と親の関連性を反映できる常染色体です。平糧台遺跡の4個体のうち3個体(M310とM311とM312)は、2親等の親族として同定されました。遺伝学的に言えば、SDR(2親等の関連性)は相互にその遺伝子の1/4を共有する個体です。これには、曾祖父母と曽孫、オジ・オバとオイ・メイ、半キョウダイ(片方の親のみを同じくするキョウダイ)、イトコ同士が含まれます。具体的には、M310とM311とM312は同一のmtDNA配列を有し、同じmtHg-D4b1aとなります。mtHg-D4b1aは中国の他の古代の個体群では観察されていませんが、アジア東部現代人では広範に分布しています。これは、M310とM311とM312がおそらくは同じ母系の子孫で、共通の母親に由来する可能性さえあることを示唆します。

 Y染色体の証拠から、M311とM312はYHg-N1b2∗の特定の新規一塩基多型一式を共有している、と示されます。これは、M311とM312が父系で関連していることを示しますが、この2個体が同じ父系の子孫だと公式には主張できません。なぜならば、低網羅率で、情報の得られる利用可能な遺伝標識が限られているからです。上述の関連性と近親交配の兆候に従うと、M310ではいくつかのあり得る節約的家系図が再構築されました(図5C)。しかし、M311とM312が同じ父系を共有し、両方ともM310と同じ母系を共有していると仮定すると、この特徴づけられた関連性を説明できる唯一の家系図形態は、3個体(M310とM311とM312)のうち少なくとも2個体はソロレート婚(夫の死後に妻が夫の兄弟と結婚)かレビラト婚(妻の死後に夫がその姉妹と結婚)の子孫だった、というものです。レビラト婚とソロレート婚は、時として子孫を残して家系を継続するために、兄弟か姉妹がキョウダイと配偶する習慣です。

 中国でこの習慣が初めて確認されるのは、紀元前5世紀の『春秋左氏伝』など歴史的記録で、後期青銅器時代の周王朝に媵(Ying)として見え、上流階級社会では貴人と姉妹2人が配偶します。そうした事例では、M311とM312は、どちらかの母親もしくは父親が遺伝的に相互に関連しているので、厳密なSDRを示しません。したがって、M311とM312は、M310とよりも相対的に高い関連性を共有しなければなりません。これは、M311とM312が他の組み合わせとよりも相互で最高の遺伝的関連性を共有しているものの、M310とはSDRを共有する、という観察(図4)と一致し、またその観察により確証されます。

 死ぬ前に同じ世帯で暮らしていたと考えられる龍山文化期の個体の共有された2親等の遺伝的親族関係を考えると、以前に提案された、核家族を超えた拡大家族が、龍山文化社会の基礎的な世帯単位として機能した、という明確なDNAに基づく証拠が提供されます。この観察は、龍山文化がアジア東部の重要な新石器時代文化で、仰韶文化の後に続き、初期青銅器時代の二里頭(Erlitou)文化が龍山文化の後に続く、という考古学的調査結果と一致します。

 二里頭文化は通常、夏(Xia)と呼ばれる最初の中国王朝の根拠とみなされていました。先行する仰韶文化と比較して、龍山文化はより平等主義的な社会から、町に壁が建築され、暴力と戦争が広がった階層化された社会への社会的変化の過程を示し、地域的単位から定義された社会的もしくは政治的階層を有する集落への移行がありました。本論文の結果が示唆するのは、龍山文化の社会的単位は氏族に基づく仰韶文化もしくは歴史的記録で知られる後の中国王朝の父系家族とは異なっており、氏族に基づく社会から家族に基づく社会への移行期段階にある、ということです。

 中原はアワ(Setaria italica)やキビ(Panicum miliaceum)など雑穀が最初に耕作され、栽培化された世界で最初の中心地の一つで、それは遅くとも紀元前6000年頃に始まりました。狩猟採集生計から穀物農耕への移行により、人口規模の急速な成長が可能となりました。龍山文化期までに、強化したキビとコメの農耕が発達し、龍山文化遺跡のより高い密度により示されるように、先行する中原の仰韶文化と比較して人口規模が顕著に増加しました。これは本論文の遺伝学的結果と一致し、黄河流域古代人は人口密度の高い可能性がある遺伝学的に安定した共同体として示されます(図5B)。

 局所的な人口規模が増加すると、ROHの長さは減少する傾向にありますが、平糧台遺跡の1個体は長いROH断片を有しており、それはイトコ同士の子孫で予測されるものと類似しているので、4000年前頃の龍山文化社会における血族配偶の直接的証拠を提供します。密接な親族間の配偶は多くの社会で記録されており、ヨーロッパの王族や上流階層で広く行なわれていました(関連記事)。高い社会的地位を維持し、強い政治的同盟を確立するために、王族の構成員は庶民と結婚できず、唯一の実行可能な選択肢はその親族と結婚することです。たとえば、スペインのハプスブルク王朝(紀元後1516〜1700年)の歴代の王は、密接な親族と結婚し、多くのオジとメイやイトコ同士や他の密接な血族婚などが行なわれました。類似の配偶戦略は漢王朝(紀元前206〜紀元後220年)の中国の文献でもよく記録されており、『史記』と『漢書』によると、皇族の構成員は皇統の政治力を強化するため、その親族と結婚しました。本論文は、血族配偶がすでに4000年前頃の龍山文化社会で起きていたことを示します。

 紀元前2500〜紀元前1800年頃となる龍山文化期は、先史時代の中国における大きな文化的および人口統計学的変化の時期で、この時期の親族関係と社会組織と配偶慣行は、歴史学者や考古学者や人類学者にとって主要な関心事でした。本論文は学際的研究を通じて、この先史時代社会の遺伝的親族関係と配偶戦略と根底にある社会組織を再構成できます。本論文は、血族配偶が後期新石器時代社会において行なわれており、それが中国の歴史的記録での証明よりも約2000年早かった、という直接的証拠を提供します。

 さらに本論文は、同じ世帯の遺伝的親族関係を特徴づけることにより、龍山文化社会においては核家族を超えた拡大家族が基礎的な世帯として機能し、龍山文化期には遺伝的親族関係が依然として社会組織の主要な焦点として機能した、という明示的兆候を提供します。本論文の個体群が単一の遺跡に由来することは、強調されねばなりません。さまざまな地域と墓地のより大規模な標本でのさらなるこうした研究は、龍山文化社会の配偶慣行や埋葬パターンや社会組織について、より詳細な知識を提供するでしょう。以下は本論文の要約図です。
画像


●本論文の限界

 本論文では、中国河南省の平糧台遺跡の古代人4個体のゲノム規模データを調べ、その標本規模は比較的限られており、現在の分析は、最大3親等の親族の遺伝的関係の程度を正確に推定できる、124万タッチダウンアレルのみに制約されています。後期新石器時代のさまざまな遺跡のより多くの標本と、特に高網羅率の古代人ゲノムを伴うさらなる研究が、中原地域と中国全体の社会組織のより包括的な理解を得るために必要であることに要注意です。


 以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は後期新石器時代の黄河流域における近親交配の事例を報告していますが、同時に中国で発見された先史時代個体群において近親交配が稀だったことも示唆しています。本論文が指摘するように、近親交配自体は人類史において珍しくありませんが、それは、太古の人類社会で近親交配が一般的だったことの名残で、「社会の発展」とともに倫理的に抑制されていったというよりは、人類にも他の動物と共通の起源に由来する近親交配を回避する生得的な認知的仕組み自体は備わっており、更新世(やさらにさかのぼって鮮新世や中新世)にも近親交配は避けられていたものの、近縁の現生分類群であるチンパンジー属やゴリラ属のように、その仕組みはさほど強力ではないので、時として近親交配が行なわれた、ということなのだと思います(関連記事)。

 近親交配を推進する要因としては、本論文で指摘されている、支配層の特権性があります。もう一つ想定されるのは人口密度と社会的流動性と移動性の低い社会で、近親交配を回避しない配偶行動の方が適応度を高めると考えられます。更新世の人類社会は後者の状況に陥ることが多かったでしょうから、完新世と比較して近親交配が多かったかもしれず、その可能性を示唆した研究もあります(関連記事)。じっさい、現生人類(Homo sapiens)ではありませんが、シベリア南部のアルタイ山脈のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)で近親交配の個体が確認されています(関連記事)。

 しかし、クロアチアで発見されたネアンデルタール人では近親交配の痕跡が確認されておらず(関連記事)、やはり更新世人類においても基本的に近親交配は避けられていたのでしょう。人類の「原始社会」を親子きょうだいの区別なく乱婚状態だったと想定する唯物史観的な「原始乱婚説」が成立するとは、現在の知見からはとても思えません。本論文が提示した龍山文化期の平糧台遺跡の事例は、人口規模が大きく、南方からの人類集団の移動も推測されるなど、移動性も比較的高かったと考えられるので、その理由は支配層の特権性維持の可能性の方が高そうです。


参考文献:
Ning C. et al.(2021): Ancient genome analyses shed light on kinship organization and mating practice of Late Neolithic society in China. iScience, 24, 11, 103352.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2021.103352


https://sicambre.at.webry.info/202202/article_18.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/272.html#c16

   

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