9. 2020年5月13日 04:20:51 : LtM77zaOCU : dzBSSmViamZONy4=[1]
日氏、お忙しい所失礼します。5です。遅筆で大変済みません。
>6への返答の前に私の考えなどを先ず簡潔にお話しさせていただきます。
このいまの国難・経済危機は、安倍政治に代表される独裁司法に原因が求められると思います。500万人が反対と声を挙げたその陰で、一握りの政治家失格の人間の決めたことが果たして世界にどう影響するというのでしょうか。そんなものは何の強制力も気迫も持たないものです。憲法の条文が何だと言うのでしょう。それ以前に、積極的に法を守ろう、正しい事のみをしようとしないものが憲法を論ずる資格等持つはずも無いでしょう。そんなおためごかしが通用する世の中ならそうそうに壊してしまえばいい。
アベノミクスなどという誇大な壮(妄)言大語と自作自演の虚勢によって推進された政策により、この国の借金は無尽蔵に増え続けることとなりました。その返金の目処を未来の国民たる子供たちに押し付けようなどとした考えはもはや誰も呑みません。この国もそうしてついに経済リセット前提の袋小路に入りこみました。既に実質的な債務破綻状態を迎えたと言える状況であれば、あとは潰れるのを待つばかりです。
国民が経済を元に戻そうと努力したところで、既にどうすることもできないというところまで来ました。政府がどう足掻いても世界経済はまもなく終了の鐘が鳴りひびくでしょう。特権主義的経済信奉者はこの流れの先で凋落します。
今ある地方のリーダーはそのことを理解しているでしょうか。わかっていてなお動いていないのでしたら幻滅するほかなさそうです。しかし全てが全てそうではないと確信を持って理解しています。それは一種の鎖国的流れに見ることができます。いま、コロナの感染予防対策のため、地方は実質的な封鎖体制を築こうとしています。自粛という言葉であっても、心理的には人々は都市部からの流入を牽制する動きを探っています。これはある意味「中央政権管理から脱するチャンス」とも取れるものです。もしこれが地方の独立の機運へと繋がるのならどうでしょうか。「地方単位の自給自足」生活へと繋がるとした場合、地方の人間はどのような備えを作り出す必要があるでしょうか。この実質的な鎖国の流れを好機と捉えれば、地方は独自の経済活動を一挙に形成することも可能ではないでしょうか。より大きな地方連立経済の流れも起きてきそうでは無いですか。そうなると地方ファースト、地元人命最優先で、既存経済は同点下位、もしくは次点ということになるでしょう。
世界は今回人命最優先で活動自粛の最中、いつ再発しかねないとする事態に対する備えの必要性を痛感したはずです。再び一斉活動自制を促された時、中央管理の政府はまったく当てにできないことも経験した訳です。もしまた同じことが起きるという可能性を否定できない現在、想定できることへの備えは絶対的に必要です。
地方はこの機会を活かして、中央利権へのぶら下がりを諦めて、現経済とは別のもうひとつの地元人命を守ることのできる生産体制の完備・食料の最低限の備蓄、緊急時の流通体制の枠組みを「準経済循環経路の構築」によって確保しなくてはなりません。地方独自とする循環経済の枠組みをそれぞれの地方で同時多発的に起こるとすれば、それを結びつけるところ迄きちんと想定し、そうした前向きで当然必須な話合いをはじめておくことはトップとして当然考えておくべきことであるだろうと思います。世界経済を当たり前に予測するなら、今の政府は見限って、地方トップはいざというときの備えを今から準備しなくてはいけない。地元人命を何より優先する、地産地消・自給型地方ファースト経済へと移行する過渡期にもう来ていると思います。
提案したいことの要点は三つ。
ひとつは地方独自の流通貨幣を作り一律給付をして地域全員が生きられる枠組みを作る。現経済の横に併設機能させる地元ファースト循環経済の確立。
ふたつ、地方自給率100%を目指す。希望者を募り、生産者育成と作地開発を行政が音頭をとってやる。既存経済の外循環の経済と内循環のサークルをふたつ同時に動かす。地産地消と特産品として他県へ売り込む商品分け。
みっつ、行政の手足となって動く民間の地域循環相談員を結成する。これは既存経済のの枠組みの中で動かし、他地域とも連繋し、国内の問題点を話し合えるメンバーとする。若い者を中心とする。過疎地域や高齢化の方々を中心とした地域の暮らしの充実を図る、そのためのブレインメンバーをつくる。
コロナへの警戒が解けぬうちは、中央が幾ら解除だ経済を動かせと言ってもまず動こうとするバカはいないだろうと思います。
県外からの出入りの殆どは運輸業者中心となるはずです。
これら要点のそれぞれに具体案として煮詰める必要がまだまだあるものの、一応のアイデアがあります。それをここに、時間ある時、少しずつまとめとしてじっくり書かせていただきます。
そして日氏が念頭に置かれていること、6で誘導された場所にある日氏のコメントの内容ですが、私は多分そこで危惧されている案件については日々、徐々に解消されつつあるものと考えています。よって「時は来た」ということを申し上げたまでです。私が理解するのは、これら新しい節目のことは、より多くの人々が皆で成し遂げるものだということです。二年前から見れば状況は雲泥の差ほどあります。日ごとに人々の意識が変わって行くのを感じます。折れ曲がって錆び付いてもはやどうにもならないと思っていた屋台骨が自然と息を吹き返して再生していくかのようです。
それについてはひとつは、Qanon勢の活躍があったといえると思います。若い人を中心に今回のコロナでより一段と大きく多くの人々が目覚め始めたと思います。
ともかく、今ある日氏のアイデアを私は邪魔する立場にもありませんし、方向性が同じであれば、それはいずれひとつになるだろうし、そうなると思っています。それはまた対岸からそれぞれ浅瀬を埋めていき道路を造る様なもので、とりかかる所がまったく真逆であっても、目指す所が一緒ならそれはより好都合というだけかと存じます。
そしてまた、篩にかけられるというのは、救うか落ちるか、それは自らの心がけでそれぞれがそうしているだけのことで、誰かができるというものではありません。もし自分以外の誰かに篩にかけられるのだとしても、それは落ちるのではなく角が落ちて丸みが生まれるだけです。
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/812.html#c9