21. 2019年4月03日 16:08:30 : SbReXqmcg6 : dXZNOWc4NVIzMG8=[1]
こうして騒ぐだけとするのは単細胞のバカかと思うね。(笑)
新元号がなぜ一か月前倒しに行なわれたかの意味を考えろ。どういう経緯があったとみれるとしても新元号を批判すれば皇太子の世継ぎ式の足を引っ張ることにしかならなくなって皇族方とやり合う連中に利する事にしかならんと思うが。(笑)それどころかおとしめた分権威者としての地位があがると期待するんじゃないか?(笑)
安倍らの思惑が逸れて誰に何の思い入れも無い元号とした事になる訳だ。ケチつけられて痛くも痒くもないはずだろう。(笑)
ともかく令和に決定した事について「面白くない」とするならその意味するところを
「安倍らの思う所」を意味するものでなく、
皇族方が納得したとする「令」の意味にこそ真意を汲取って視るべきだ。
そして前者を下視し後者側に寄り添うのが賢明だろう。
その後者の意味するところとは、「命令」の「令」などではなく、
藤原直哉氏が説いてるように、「神の声を聞いてかしずく人の姿」と視るのが正しいだろうな。
これには身分の差など無く、神の前に人々は和をもって平等にあるべきとする。
神に向き合う人の姿こそ尊しとするなら、そこには自然の法性、調和しか無い。それこそ真の目指し実現すべき人の姿、人の世とすべき。
人の世界の一番頂点をただ神と見定めて、形ばかりガキの宗教観で、そこに権力を重ねて荒ぶって令声を発してきたのがこれ迄の悪辣な人の世の中だとする。安倍らは尚もそれを求めているとして「令」に批判する気持ちも分かる。だが、その偽政の神の声を打ち砕きたいというなら、メディアの一連の騒ぎの陰に隠されたもうひとつの「令」の意味を表に出すべきではないか?
和をもって尊しとする人の心とは自然の法性による恵みに包まれていることを自覚しないと始らない。感謝する神への感謝あってこそ人の心は調律される。
神とは調和でしかない。人もまたそこに共に和し、法(のり)に包まれた世界の一部だ。
真に神の意を汲取って体現せんとすればそこに個人の欲得など無いのであってそれが真のリーダーの姿として求められると云うものだろう。真に人の心により沿うとは、人の自発的な積極性を呼び起こさせる活動的に誘う力を与えるということだろう。
今回、皇族方が知する意として適った「令」とは、人の世を和(やわ)すことのできる力、或いは人間が表に踊り出ることのできる世界に替えて行く機運として真の神の声を世に出そうとする意図をもってのことだとする。だとすればこれこそまさに安倍らの野望を打ち砕き、真の格差なき皇民国家の意に沿う黄金時代の力が発令されるという事になる。
人の理解すべき知性とはこれ以外に無い。
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/239.html#c21