1. 中川隆[-5923] koaQ7Jey 2021年4月08日 05:34:22 : dyVNzycV9Q : dXdmQ2x3RGpxc3M=[1]
JBL SA600 再現?【SA750】1
2021-03-15
https://ameblo.jp/oohpopo/entry-12662490924.html
何十年ぶりの事なのであろうか。
JBLのインテグレーテッド・アンプがひっそりと発表されていたようだ。
社としてコンシュマー向けの最後のアンプがコントロールアンプのSG620と対を成すパワーアンプが最後だったと記憶している。
しかし、インテグレーテッド・アンプは、後にも先にも有名なSA600とそのパワーアップ版、SA660だけだ。
やや低域側にシフトした帯域バランスは
ブックシェルフと組み合わせるためであろう。
このSA600アンプとランサー101の組み合わせは、
当時としては伝説的な黄金の組み合わせと断言してもいい。
(三菱の六半を弄っていた頃の当時の我ら小僧には、
実際に視聴室で聴かせてもらった時には、腰を抜かさんばかりだった。)
今でもランサー101を鳴らすなら、SA600以外考えられない。
さほどの最強コンビだったと思う。
残念乍ら、今も残存するSA600で、まともに鳴るものはほぼ皆無だと思うし、
(メンテすれば、全く別の素子による別の回路を持ったアンプになってしまう)
そもそも地球上に新しいゲルマがない以上、
当該部品交換やそれに準じたメンテは絶望的な今、まともに当時の音が再現できる
個体は全滅だと思う。
SA600はその役目を終えて、インテリアのアート作品として、
往年のランサー101を鳴らしきった
その姿を想像し遠くから眺めるだけで良いのである。
しかしメモリアルとしての置物であったとしても、このアンプの造形は
半世紀経った今でも、とても魅力的だ。
デザイナーはあのアーノルド・ウォルフ。
後に副社長となるこの天才デザイナーが在籍したおかげで、
JBLは歴史に残る秀逸なインダストリアル製品を数々残すことになる。
これはブラウンなどの、ピーターラムスと双璧の存在だ。
そのSA600の現代復刻版?とおぼしきものが
SA750なのだろうか。
詳細な開発コンセプトがわからないが、造形から推測するに
SA600をが姿を若干変え、21世紀に再現させたということなのか。
SA600を知るものにとっては興味あるところだ。
https://ameblo.jp/oohpopo/entry-12662490924.html
JBL SA600 再現?【SA750】2
2021-03-17
https://ameblo.jp/oohpopo/entry-12662496987.html
詳細な開発コンセプトがわからないが、造形から推測するに
SA600をが姿を若干変え、21世紀に再現させたということなのか。
SA600を知るものにとっては興味あるところだ。
JBL SA-750
写真で見る限り、往年のSA600をベースに手が加えられているが
注意深く観察すると細部では色々と異なる部位がみつかるし気にもなってくる。
筐体やパネルのレイアウトのイメージ的にはSA600の後継と認識できる。
これをぱっと最初に見た時に最も印象に残るのは、パネルに開けられたウインドウ。
現在に蘇らせる上で今のデジタル風を強く印象付けたかったのだろうが、
これは余計。
SA600はあのヘアラインを縦横に研磨し配した
瀟洒なパネルデザインが魅力の一つだがパネル上にこんな
愛想無しの窓を開けてどうすると言いたい。
DAC付らしいが、21世紀的な”ハイレゾごっこ”のコントロールウインドウを目指すなら、
最初からデジタル的かつ未来へ向けての、
それなりのコントロールパネルのデザインで統一した方が良いだろう。
何もSA600の残像を中途半端にノスタルジックで再現するのはいかがなものか。
そして細部を見るならノブやスイッチ類、銘板の位置関係も変だ。
とにかくボリュームのノブがデカすぎる!
SA600の持つ知的かつ高貴な繊細さがない。
他のノブのサイズとデザインも頂けないし、それ等のレイアウトは間が空きすぎて
間延びしている。
何もパネルまで、ソーシャルディスタンスは必要ない。
他にパネルの横幅が間延びし増長、それでバランスを崩してているのと、
側の木目調フィニッシュもわざわざ安っぽくさせており、
何だかなあ?である。
例えば若い頃にあこがれた人、或いは自分も含めてそれを無理して買い
手元で愛用していた人々、そうした古くからのファンの一部には、
SA600への感傷的な思いれから、SA750を小遣い銭で”ポチって”しまう事のできる、
経済的にも豊かな一定の顧客層はいると思うし、そうした人達向けの製品であろう。
ただ結局のところ、音を聴いたわけではないが、これいいな!というインスピレーションが湧いてこない。
開発者には悪いが、どっちつかずのデザインや余計なお世話のDAC付、
個人的に食指は動かない。
(もちろん現物を見て、聴いてみないと、何とも言えないのはわかっているのだが・・)
例えばである。むしろレプリカとして、完コピで同じデザインで復刻させた方が良かったかもしれない。
だとしたら、レプリカは本来嫌いだが、今回だけは私も無理を承知で手を挙げたい。
SA600がまっさらの状態で復刻されるなら、それは”買い”だ。
(観賞用として)
何だかケチばかりつけてしまったが、言い換えればいかにSA600が
微細にまで計算されつくした、これ以上ないという完璧なレベルでノブのサイズや質感
スイッチ類の配置にまで巧みに計算されたものであったかと再認識させられた。
天才的なアーノルドの事など知らない新世代のデザイナーによる
SA750を、これと比較しては可哀そうな話ではある。
ブラウンの製品もだが、SA600という製品が一介の音響製品という枠を超え、
NY近代美術館へ収納されても、けっしておかしくない次元の
奇跡的なアート作品であったかという事になる。
現在、まともな音の出るものは、ほぼ皆無だろう。
球のアンプと違い、時代の経過した骨董の石アンプはメンテのしようがない。
全面OHという手もあるが、それはもうSA600とは別のものになる。
ならばそっとしておき、アート作品としてずっと眺めていたい。
https://ameblo.jp/oohpopo/entry-12662496987.html
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