86. 2022年12月09日 19:24:14 : 3IGf8hindc : dVozS0Y1Y0tXUzY=[1]
西大寺>「第二次安倍政権が真っ先に手をつけたのが「生活保護基準引き下げ」だった・・・13年から生活保護費は3年かけて670億円削減。もっとも引き下げ幅が大きかったのは子どもがいる世帯だ」
本年流行語大賞は村神様でなく、山神様のマチゲエじゃあねえかな、衝撃は半端でネかったよ。で、今のワケエもんは朝日 茂さんつう名なんか知らねえかな。日本共産党員で重症寝たきり(最後の頃は)の結核患者の朝日 茂は、国立岡山療養所の入院患者であったが、1957年8月に、紆余曲折経てついに生活保護基準行政訴
訟を東京地裁に提訴した。訴状骨子は、生活保護患者の日用品費600円は憲法25条「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を侵してる、であった。
説明すれば、前年の1956年頃は結核入院患者に対し、国からの経費削減の様々な攻撃が加えられてた。更に、入院患者の近親縁者を徹底して探し出し、国の経費を肩代わりさせろ、ということも強行された。朝日さんも、中国から引き揚げた兄がいたが、音信不通であったが, 国はその兄を探し出し、弟の入院経費を幾分でも負担せよと迫った。兄からの手紙でこれを知った朝日さんは、毎月1500円送るから滋養のあるもん食って体力つけろという手紙の内容に、喜んだ。しかし、ぬか喜びであった。入院生活保護患者は、医療扶助の他に、日常生活に供するために日用品費という名目で月に600円が支給されてた。こんときの国(福祉事務所)のやりくちは、兄からの1500円を、900円は国が医療扶助代金の一部に充当で貰うよ、残
りの600 円は日用品費として自由に使ってよい、但し従来の国からの600円は打ち切るよ、との冷たい仕打ちだった。兄からの1500円は、朝日さんには全くプラスにならなかった。
こうして、翌57年に朝日さんの訴訟提起となったのは有名な話だが、“1956年頃は結核入院患者に対し、国からの経費削減の様々な攻撃が加えられてた“と上述したが、訴訟提起の1957年は、首相は岸 信介で、社会保障に対する様々な攻撃が強化された時期だった。朝鮮戦争を背景に、警察予備隊・保安隊・自衛隊三軍創設で、軍事費を捻出に社会保障費削減が狂奔された、時期だった。今また、岸の孫の安倍晋三が、7年半で爺様のやりくちとオンナシことやったちゅうが、不思議でも何でもねむ、当たり前田のクラちゅう感じだな。