12. 俗物僧[1] ka2VqJFt 2020年10月11日 21:55:16 : JQLVpevzvI :TOR dU8xdzhDNmlOa2M=[1]
以前、禅寺で、その日の一食だけ「うどんをたら腹食べられる」
そういう日頃のストレス発散行事に臨む修行僧の光景、テレビで
見かけたけど、先輩坊主が普段気に入らない後輩坊主に「食べて
いる振りをして善い子ぶるな!」とかストレス発散の食事の場で
叱り飛ばしていた。
近くで見ている住職は、全く我関せず、知らぬ振り。
これに限らず俗世を卒業し仏門に入ったのに、結局俗世と同じ
縦社会の理不尽な人間関係で苦しむことになるのだが、
それが丁度俗世のカルト教団同様「修行」という口実建前で
正当化されてしまうのだからまったく俗世そのもの。
良寛は住職になることを自ら拒絶、托鉢で凌ぐ「仏教」本来の
修行の道を選んだ人らしけど岡山だか修行先の寺でやはり
そういう坊さん世界の人間関係の生臭さを身を持って知った故
敢えて苦しい生き方を選択したと言われている。
先日、学術者会議の任命拒否問題で、インタビューを受けていた
将来研究者の道を目指すであろう学生さんが、権力の意向に沿った
研究にしか予算が与えてもらいない、と答えていた
研究者に限らず現在の若者らは、権力に迎合せねば生きていけない
って状況を当然のごとく受け入れざるを得なくなって久しい。
日本の「仏教」界も、元々が権力迎合気質。某作家などは
「仏教」を「口実」に「すべての苦しみを諦めて受け入れる」のが
「仏教」的あり方だ、と念仏のごとく繰り返し、権力迎合を進めている。
「一休さん」に登場する一休宗純なんかは、俗世の在り方をそのまま
具現し権力に迎合する仏教、寺社、住職の姿が「本道」ではないと
やはり寺の住職におさまる道を拒絶したそうで
権力者に招かれた住職がキンキラキンの綺麗な法衣まとって、法要に
出向いていったり、土台、お釈迦様が教えた「仏教」の教えとは
かけ離れていると、自らの行動であり方を批判した真の坊主だったらしい。