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[近代史4] ユダヤ教 中川隆
15. 中川隆[-8684] koaQ7Jey 2024年11月02日 16:22:52 : wExJudqzZ6 : dmJ0Skx3ak5VUzI=[1]
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『イスラエルとパレスチナ:ユダヤ教は植民地支配を拒絶する』 ヤコヴ・ラブキン 著 鵜飼哲 訳
2024年10月31日
https://www.chosyu-journal.jp/review/32404

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%81%A8%E3%83%91%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%8A%E2%94%80%E2%94%80%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E6%95%99%E3%81%AF%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E6%94%AF%E9%85%8D%E3%82%92%E6%8B%92%E7%B5%B6%E3%81%99%E3%82%8B-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88-1099-%E3%83%A4%E3%82%B3%E3%83%B4%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%96%E3%82%AD%E3%83%B3/dp/4002710998


 現在世界各地で多くのユダヤ人が、ガザの即時停戦、占領の終結、パレスチナの解放を求めてデモ行進などをおこない、イスラエルのジェノサイドへの批判を強めている。ドイツではガザの虐殺に抗議したことで逮捕された人々のなかに、元イスラエル人を含む多数のユダヤ人がいた。ところがこれらのユダヤ人も「反ユダヤ主義」のレッテルを貼られて非難を受けているそうだ。

 この本は、どうして世界の多くのユダヤ人がシオニズムを拒絶し、イスラエルを非難しているのかを理解する助けになる。ユダヤ教のラビ(宗教指導者)たちや知識人たちは、シオニズムがこの世に誕生した19世紀末から、「ユダヤ人国家」という思想そのものを、ユダヤ人にとってもアラブ人にとっても命取りになりかねないものとして批判してきた。著者は、1945年に旧ソ連に生まれ、モスクワのソ連科学アカデミーで学んだ後にカナダに移住し、モントリオール大学教授としてユダヤ教とシオニズムおよびイスラエルを研究してきた人だ。

ナチス思想と酷似 ユダヤ人に嫌われた主張

 著者によれば、19世紀半ばのオスマントルコ領パレスチナは、平和な辺境の属州で、宗教、種族、言語の異なる様々な集団が共存して生活していた。当時パレスチナに住んでいたユダヤ教徒、ムスリム、キリスト教徒にとって、ナショナリズムは馴染みのない外国思想だった。

 米国のユダヤ教専門家、ラビのジェイコブ・ニューズナーは、「存在するあらゆる宗教のなかで、イスラームとユダヤ教ほど共通点が多く、相互理解のチャンスに恵まれた二つの宗教は存在しない」といった。中世のユダヤ教は、文法、哲学、科学など多くの要素をイスラームから吸収した。ユダヤ人はアラブの知を、ルネッサンス期のキリスト教徒の思想家たちに伝達するうえで重要な役割を果たした。

 変化が起きたのは、19世紀末のシオニズム誕生からである。シオニズムの目的は、ユダヤ人をその出身国からパレスチナに移住させ、パレスチナに政治的経済的支配を確立することだったが、その主張があまりにも欧米の反ユダヤ主義者と似ていたので、大半のユダヤ人はこれを嫌った。聖地への帰還は日々の儀礼の一部をなしていたとはいえ、それは政治的な、いわんや軍事的な目標などではなかったし、ユダヤ教の教えはパレスチナに向けて集団で運動を起こすことを、たとえ「諸国民の同意」があっても一切禁じていたからだ。

 ところが第一次大戦後、イギリスが領土を中東に拡大する意図から、「パレスチナにおけるユダヤ人の民俗的郷土」への支持を表明すると、それがシオニストたちへの援護射撃となった。

 注目すべきは、初期のシオニストの大半が、ロシアや東欧にいた無神論者のユダヤ人であり、彼らが「神の代わりにユダヤ民族を信じていた」ことだ。つまりシオニズムが体現しているのは、数千年間に発展してきたユダヤ教ではなく、19世紀末にヨーロッパの植民地主義が持ち込んだ企てに共鳴した連中の、東欧(ポーランドやウクライナ)の種族的ナショナリズムに影響を受けた思想であり、それはアラブ人の非人間視を特徴としていた。

 当時、多くのユダヤ人は、その思想がナチスのドイツ民族至上主義とうり二つだったことから、これを拒絶した。80万人以上といわれるパレスチナ難民を生んだ1948年の第一次中東戦争の最中にも、パレスチナのラビたちが白旗を掲げてシオニズムに反対するデモ行進を敢行したことも、この本の中に記されている。

 シオニズムの特徴は、世界中に四散したばらばらの集団から、一つの「新しい民」を人工的につくり出さねばならないことに由来すると著者はいう。しかも、すでに地元に住んでいるパレスチナ人を追い出して入植する入植植民地主義を実行するわけだから、シオニストはアメリカ大陸にやってきた清教徒と同じようにみずからの「道徳的優位性」を信じ込み、原住民は抹殺しなければならない部外者とみなした。それが今につながっている。

 このようにユダヤ教とシオニズムの間には巨大な溝が広がっている。そのシオニズムの暴力が最初に向かったのが、ユダヤ人だった。ユダヤ人の弁護士ヤコブ・デ・ハーンは、ユダヤ教超正統派やアラブ人の名望家と結びついて、シオニストは少数派に過ぎないことを英当局に報告し、パレスチナにユダヤ人の民族的郷土を建設する計画を破棄させようとして、1924年に暗殺された。

 イスラエル国内の教育は、アラブ諸国に包囲されているという恐怖を煽動し、「祖国のための死」を教え込む狂信的なものだ。そして、ガザ地区での民間人の犠牲を教えようとした歴史の教師を逮捕するなど、真実から目を背けるよう強いている。そうして肉弾として駆り出された戦場は、米軍需産業の新兵器の実験場だ。それは、中国の脅威が煽られ、米本土の盾にされようとしている日本にとっても他人事ではない。

ガザで示した本質 自ら墓穴掘ったイスラエル

 しかし、と著者は強調する。ガザの壊滅は、世界中のユダヤ人に入植植民地としてのイスラエルの性格をはっきりと焼き付けた。イスラエルの行動がユダヤ教の教えのすべてに、とりわけ慎み、共感、親切という基本的価値に反するからだ。そして1世紀以上前にシオニズムを拒絶した父祖たちのことを思い起こし、全世界でパレスチナ人を支持する行動に参加している。イスラエルはみずから墓穴を掘ったに違いない。

 今、イスラエル国家内外からの声は、「シオニズムの実験は悲劇的な誤りだった。それを停止するのが早ければ早いほど、それだけ全人類のためになる」と呼びかけている。このことが意味するのはヨルダン川と地中海の間のすべての住民に平等を保障し、現在の植民地支配をすべての市民の国家にかえることだ。

 その批判は、イスラエルに武器弾薬を供与し続け、パレスチナ人やレバノン人の虐殺を支え続けるアメリカやG7の諸国にも向けられている。これら一握りの国々こそが、国際法を踏みにじり、国際法廷の判決に目をつぶり、他国を侵略して社会全体を荒廃させ、自国民の福祉も完全に無視して、平和な世界をつくる障害になっているからだ。
https://www.chosyu-journal.jp/review/32404
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/365.html#c15

[近代史3] ドゥテルテ大統領はフィリピンの救世主である 中川隆
3. 中川隆[-8683] koaQ7Jey 2024年11月02日 16:31:31 : wExJudqzZ6 : dmJ0Skx3ak5VUzI=[2]
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ドゥテルテ元大統領。暗殺部隊を指揮して1万2,000人を殺したダーティー・ヒーロー
2024.10.31
https://blackasia.net/?p=46814

ドゥテルテ氏は、ドラッグが社会に及ぼす悪影響を懸念し、その撲滅を目指した。彼の意図は国民の安全を守ることにあった。 悪人をかたっぱしから抹殺するのは問題だったが、逆にそれが一部の市民からは支持を得ていた点も事実である。「正義の殺人」は悪だったのか?(鈴木傾城)


職務に復帰するなら、ふたたび同じことをする
2024年10月28日。ロドリゴ・ドゥテルテ前フィリピン大統領が議会の公聴会に出席したのだが、ここでドゥテルテ氏は、ドラッグ密売者を殺戮するための「暗殺部隊」の存在を認めた。

「弁解も謝罪もしない。信じようと信じまいと、私は違法薬物問題に妥協せず、国のために最善を尽くし、やるべきことをやった」

この発言は、同国の政治と司法制度の根幹を揺るがす重大な告白となった。長年にわたり噂されてきたダバオ市での超法規的殺害の実態が、当事者ドゥテルテ氏本人の口からあきらかにされたのは衝撃だった。

ドゥテルテ氏は、ダバオ市長時代に「ギャング」で構成される暗殺部隊を組織し、犯罪者の排除に利用していたことを認めた。さらに大統領就任後も、ドラッグ取引関係者の殺害を公然と奨励。その結果、公称で6,000人(実際は約1万2,000人)以上もの市民が法的手続きを経ずに命を奪われた。

当時、これは「ドラッグ・ウォー」と呼ばれた。このときのフィリピンの情勢については、こちらでも取り上げている。(ブラックアジア:(閲覧注意)フィリピン麻薬戦争。これが現場の血まみれ殺害光景だ)

このドゥテルテ氏の告白に、「警察や裁判所を通じた適正な手続きを経ずに、一部の権力者の判断で人命が左右される状況は、法治国家の根幹を揺るがすものだ」と国際刑事裁判所が激しく批判している。

しかし、国際社会からの批判にもかかわらず、ドゥテルテ氏の強権的手法は一定の支持を得てきた。犯罪やドラッグ問題に対する市民の不満や不安が、法の支配よりも即効性のある暴力的手段を容認させる土壌となっていた。

「また職務に復帰するなら、ふたたび同じことをする」

ドゥテルテ氏がこのように述べたとき、公聴会では拍手が湧き上がったのだった。

少なくとも1万2,000人が殺害されたと推測
ドゥテルテ政権下での「ドラッグ・ウォー」の犠牲者数について、正確な把握は困難だが、複数の調査結果から推計が可能だ。人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチによると、2016年7月から2022年3月までのあいだに、少なくとも1万2,000人が殺害されたと推測している。

フィリピン政府の公式発表では、2016年7月から2022年5月までの死者数は6,252人である。しかし、この数字には警察の関与しない殺害事件は含まれておらず、実際の犠牲者数はさらに多いというのが人権団体の報告だ。

特に注目すべきは、警察による「正当防衛」を理由とした殺害の多さだ。

政府発表によると、警察の麻薬取締作戦(アンチ・ドラッグ・オペレーション)で殺害された容疑者の数は、2016年7月から2022年5月までのあいだで3,968人に上る。これは全体の約63%を占めており、警察による過剰な武力行使の実態を示唆している。

一方、ダバオ市での殺害についても、具体的な数字があきらかになっている。

ヒューマン・ライツ・ウォッチの調査によると、1998年から2008年のあいだに、ダバオ市で1,020人から1,040人が殺害または失踪したとされる。

この数字は、ドゥテルテ氏がダバオ市長を務めていた時期と重なっており、ダバオ暗殺部隊(ダバオ・デス・スクワッド)の活動実態を裏づけるものだ。ちなみに、この暗殺部隊は現地では「忍者部隊」とも呼ばれていた。

法の手続きを経ない殺害としては、すさまじく多い死者数だ。たしかに状況を見ると国際的な人権基準から大きく逸脱しており、フィリピンの民主主義と法治国家としての在り方に重大な疑問が投げかけてもしかたがない結果であったともいえる。

しかし、多くの市民が治安回復のために、こうした剛腕を求めていたという事実もまた重い。


「私だけが法的・道徳的に全責任を負う」
ドゥテルテ前大統領が認めた「暗殺部隊」の実態は、フィリピン社会に深い影を落としている。彼の証言によれば、この部隊は警察官で構成されていたのではない。ドゥテルテ氏はかかわった警察官を守るためにそれを強調している。

「ダバオ・デス・スクワッドは、警察官ではなくギャングで構成されていた。警察官で構成されていない。彼らはギャングだった。なぜなら、ドラッグ容疑者を殺した場合に、警察官が停職になるリスクを冒したくなかったからだ」

これは、法執行機関の外部に、半ば公認の暴力装置が存在していたことを意味する。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、「標的となった死者の中には、軽犯罪容疑者やドラッグ依存者の他に、路上の子供たちもいた」と述べる。彼らは事前に作成されたリストに基づいて選ばれ、多くの場合、公共の場で銃撃されていた。

公聴会の上院議員は「暗殺部隊の存在は、フィリピンの司法制度への信頼を大きく損なうものだ。適正な法的手続きを経ずに、一部の人間の判断で生死が決められる状況は、法の支配を根底から覆す」と激しく批判したが、ドゥテルテ氏は毅然として自らの「政策」を弁護した。

「たしかにドラッグ・ウォーは完璧なものではなかった」
「これについては、私だけが法的・道徳的に全責任を負う」

ドゥテルテ氏はそう述べている。人権団体は、警察が殺害現場の基本的な捜査手順さえ怠っていたケースを指摘している。これは、超法規的な手段への依存が、正規の法執行プロセスを形骸化させていた証左でもあったと指摘する。

「容疑者を殺すべきだ、というのは受け入れられない。なぜなら、私たちには適正手続きがあるからだ」と上院議員もドゥテルテ氏を批判した。


ドゥテルテ氏が現れて「汚い仕事」をやったのだ
ドゥテルテ前大統領の暗殺部隊に関する告白は、フィリピンのドラッグ問題と法執行の在り方に大きな一石を投じた。ドゥテルテ氏の強権的な手法は、結局は長期的には深刻な人権侵害と法治国家の危機をもたらしたというのが公聴会の意見でもあった。

しかし、実際にこのドラッグ・ウォーはどのように評価したらいいのだろうか。

ドゥテルテ氏の剛腕はたしかに死体の山を築いて、中には無実の人々や子供も含まれていた。この点については擁護できない点もある。だが、一方でドゥテルテ氏の剛腕に感謝し、擁護する市民の声は依然として大きい。

それを理解するには、フィリピンのドラッグ蔓延の深刻さを認識する必要があるのかもしれない。フィリピンでは300万人以上ものドラッグ依存者がいて、メス(覚醒剤)のような深刻なドラッグが子供たちのあいだでも広がっていた。

ドゥテルテ氏は、ドラッグが社会に及ぼす悪影響を懸念し、その撲滅を目指した。彼の意図は国民の安全を守ることにあった。 悪人をかたっぱしから抹殺するのは問題だったが、逆にそれが一部の市民からは支持を得ていた点も事実である。

今もフィリピンではドラッグの蔓延がとまらないのだ。スラムにもドラッグ依存者が集まって売買したり使用したりする場があり、子供たちがドラッグを売っている。(ブラックアジア:とまらない覚醒剤汚染。フィリピンで覚醒剤は何と呼ばれているか知っているか?)

ドラッグの密売人やドラッグによる治安悪化に苦しんでいた人々にとって、強硬な姿勢は魅力的に映ったはずだ。誰でもいいから、そして「どんな手段でもいいから」、こうした犯罪を消し去ってほしいと彼らは願っていた。

そこに、ドゥテルテ氏が現れて、誰もが見て見ぬフリをしていた「汚い仕事」をやってくれたのだった。ドゥテルテ氏が国民の一部からは強烈に支持されているのは、そうした「正義の悪」が評価されているからでもある。

公聴会は「深刻な人権侵害と法治国家の危機をもたらした」とドゥテルテ氏を責めているのだが、私はふと中南米の悲惨な状況を思い浮かべた。

そこではドラッグ・カルテルが誕生して、警察や司法や政府さえも凌駕する権力を持ち、悪が社会を覆い尽くしている。この中南米の状況を見ていると、ドゥテルテ氏はある意味、国を救ったダーティー・ヒーローのように見える人がいても当然のようにも思える。

ドゥテルテ元大統領は、暗殺部隊を指揮して1万2,000人を殺したダーティー・ヒーローであった。
https://blackasia.net/?p=46814
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/226.html#c3

   

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