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[近代史5] GDP・経済成長率や株価の上昇に意味は無い _ 貨幣価値が下がったから GDP も株価も名目値が上がっているだけ 中川隆
56. 中川隆[-8269] koaQ7Jey 2024年12月10日 16:28:43 : cgTuRwGi0A : dkNJeTRpcE9pWGc=[1]
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レイ・ダリオ氏: 日本人は日本政府の低金利政策のせいで年間7%の資産を失っている
2024年12月9日 globalmacroresearch
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/57066

世界最大のヘッジファンドBridgewater創業者のレイ・ダリオ氏が日本やアメリカの政府債務とマネタイゼーションについて語っている。

政府債務の意味

アメリカでは政府債務が大いに話題になっている。アメリカではコロナ後に金利が上がり、GDPの129%という莫大な政府債務に多額の利払いが発生しているからである。

米国政府は借金の利払いのために借金を増やしている。政府債務が雪だるま式に増えるプロセスが開始しており、利払いの金額はGDP比で見て次のように増えている。


だがアメリカのこのプロセスは始まったばかりだ。まだ利払いがGDPの1%ほど増えたに過ぎない。上がり方が急速だから非常事態ではあるのだが、まだこれから始まる話に過ぎない。

政府債務はなぜ問題か

アメリカで政府債務が雪だるま式に増えるプロセスが始動していることはただの事実である。だが政府債務はなぜ増えてはいけないのか?

それは国債市場にも需要と供給があるからである。買い手に対して供給が多すぎれば国債の価格は下落するだろう。

グリフィン氏: 米国債暴落でブラックマンデー再来の可能性
ましてや今はインフレによって中央銀行が量的緩和を出来なくなっている。だから政府債務だけではなくて、インフレ政策によるあらゆるツケが回ってきているのである。

では国債の価格が下落すれば誰が困るのか。ダリオ氏は次のように言っている。

誰かの負債は誰かの資産だ。

困るのは国債の保有者である。では国債の保有者とは誰か? 銀行である。

だが銀行はもともとお金を持っていない。お金を預かっているに過ぎない。銀行は預かったお金で国債を買っている。ではそれは誰のお金か? 預金者である。

麻生太郎氏も言っていたではないか。借金をしているのは政府であって国民ではないと。

だから国債価格が下がって困るのは政府ではない。国民の方である。

国債価格が下落しない代わりに

預金者は銀行を通して大量の国債を保有している。だからダリオ氏は次のように言っている。

通貨が富の貯蓄手段だと言うとき、実際にはそれは債務が富の貯蓄手段だということを意味している。

そしてそこに大きなリスクがある。

だが実際には、先進国で国債価格が大幅に下落する可能性は低い。多くの人は漠然とそう思っているだろうし、それは正しい。

しかし国債の需給問題は事実として存在する。では政府はこの問題をどうするのだろうか?

ここで登場するのが日本である。国債価格を下落させられないなら、量的緩和で日銀に国債を買わせたり、低金利を維持させて債務負担を減らすしかない。

ダリオ氏は次のように述べている。

日本は非常に良い例だ。

日本が過去15年ほど行なってきたことは、平均してアメリカよりも3%低い金利を維持することである。そして自国通貨の価値を年率4%下落させている。だから日本人は年間7%を失っている。

誰も気付いていないが、低金利政策で得をするのは金利を払う側である政府であり、損をするのは金利をもらう側である国民である。

更に2022年まで誰も気付いていなかったが、政府のインフレ政策もまた、債務(イコール日本円)の実質的な価値を下落させ、日本円の保有者の犠牲によって債務者である政府の借金を実質的に帳消しにする政策である。

数年前まで誰も知らなかっただろうが、インフレとは物価上昇という意味なのである。インフレ政策を支持していた人にとっては何という驚きだろうか。その結末は名前に書いてある。

ダリオ氏は次のように言う。

インフレは通貨の保有者から少しずつ資金を奪う。人々は名目の金額で物事を考えすぎだ。インフレを差し引いた実質ではお金のことを考えない。

マネタイゼーションのために債務の保有者を犠牲にしているのだ。

結論

更に日本人にとって物悲しいのは、ダリオ氏が次のように述べていることである。

同じことがわれわれアメリカ人にも起きる可能性がある。

お分かりだろうか。ダリオ氏にとっては日本人の資産減少は既に起きた話なのである。アベノミクス以来、日本円の価値は半分になっている。

減価された日本円で計算した日本のGDPが上がって喜んでいるような国民が気付けるわけのない話なのだが、減価した通貨で計算したGDPや株価が上がるのは当たり前の話である。それはGDPや株価が上がったのではなく、円が下がったのである。

恐らく日本人はこのまま自分が資産を失っていることにさえ気づかずに、日本政府によるマネタイゼーション完了を見届けるのだろう。まさにダリオ氏が『世界秩序の変化に対処するための原則』で予言した、衰退してゆく先進国の典型的なシナリオである。

すべてはこれまで数十年の選挙の結果である。日本国民が自分で望んだことなのだから、他人がどうこう言えることではないのである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/57066
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/391.html#c56

[近代史5] 金融緩和や財政出動をするとこういう結果になる 中川隆
61. 中川隆[-8267] koaQ7Jey 2024年12月10日 16:33:44 : cgTuRwGi0A : dkNJeTRpcE9pWGc=[3]
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レイ・ダリオ氏: 日本人は日本政府の低金利政策のせいで年間7%の資産を失っている
2024年12月9日 globalmacroresearch
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/57066

世界最大のヘッジファンドBridgewater創業者のレイ・ダリオ氏が日本やアメリカの政府債務とマネタイゼーションについて語っている。

政府債務の意味

アメリカでは政府債務が大いに話題になっている。アメリカではコロナ後に金利が上がり、GDPの129%という莫大な政府債務に多額の利払いが発生しているからである。

米国政府は借金の利払いのために借金を増やしている。政府債務が雪だるま式に増えるプロセスが開始しており、利払いの金額はGDP比で見て次のように増えている。


だがアメリカのこのプロセスは始まったばかりだ。まだ利払いがGDPの1%ほど増えたに過ぎない。上がり方が急速だから非常事態ではあるのだが、まだこれから始まる話に過ぎない。

政府債務はなぜ問題か

アメリカで政府債務が雪だるま式に増えるプロセスが始動していることはただの事実である。だが政府債務はなぜ増えてはいけないのか?

それは国債市場にも需要と供給があるからである。買い手に対して供給が多すぎれば国債の価格は下落するだろう。

グリフィン氏: 米国債暴落でブラックマンデー再来の可能性
ましてや今はインフレによって中央銀行が量的緩和を出来なくなっている。だから政府債務だけではなくて、インフレ政策によるあらゆるツケが回ってきているのである。

では国債の価格が下落すれば誰が困るのか。ダリオ氏は次のように言っている。

誰かの負債は誰かの資産だ。

困るのは国債の保有者である。では国債の保有者とは誰か? 銀行である。

だが銀行はもともとお金を持っていない。お金を預かっているに過ぎない。銀行は預かったお金で国債を買っている。ではそれは誰のお金か? 預金者である。

麻生太郎氏も言っていたではないか。借金をしているのは政府であって国民ではないと。

だから国債価格が下がって困るのは政府ではない。国民の方である。

国債価格が下落しない代わりに

預金者は銀行を通して大量の国債を保有している。だからダリオ氏は次のように言っている。

通貨が富の貯蓄手段だと言うとき、実際にはそれは債務が富の貯蓄手段だということを意味している。

そしてそこに大きなリスクがある。

だが実際には、先進国で国債価格が大幅に下落する可能性は低い。多くの人は漠然とそう思っているだろうし、それは正しい。

しかし国債の需給問題は事実として存在する。では政府はこの問題をどうするのだろうか?

ここで登場するのが日本である。国債価格を下落させられないなら、量的緩和で日銀に国債を買わせたり、低金利を維持させて債務負担を減らすしかない。

ダリオ氏は次のように述べている。

日本は非常に良い例だ。

日本が過去15年ほど行なってきたことは、平均してアメリカよりも3%低い金利を維持することである。そして自国通貨の価値を年率4%下落させている。だから日本人は年間7%を失っている。

誰も気付いていないが、低金利政策で得をするのは金利を払う側である政府であり、損をするのは金利をもらう側である国民である。

更に2022年まで誰も気付いていなかったが、政府のインフレ政策もまた、債務(イコール日本円)の実質的な価値を下落させ、日本円の保有者の犠牲によって債務者である政府の借金を実質的に帳消しにする政策である。

数年前まで誰も知らなかっただろうが、インフレとは物価上昇という意味なのである。インフレ政策を支持していた人にとっては何という驚きだろうか。その結末は名前に書いてある。

ダリオ氏は次のように言う。

インフレは通貨の保有者から少しずつ資金を奪う。人々は名目の金額で物事を考えすぎだ。インフレを差し引いた実質ではお金のことを考えない。

マネタイゼーションのために債務の保有者を犠牲にしているのだ。

結論

更に日本人にとって物悲しいのは、ダリオ氏が次のように述べていることである。

同じことがわれわれアメリカ人にも起きる可能性がある。

お分かりだろうか。ダリオ氏にとっては日本人の資産減少は既に起きた話なのである。アベノミクス以来、日本円の価値は半分になっている。

減価された日本円で計算した日本のGDPが上がって喜んでいるような国民が気付けるわけのない話なのだが、減価した通貨で計算したGDPや株価が上がるのは当たり前の話である。それはGDPや株価が上がったのではなく、円が下がったのである。

恐らく日本人はこのまま自分が資産を失っていることにさえ気づかずに、日本政府によるマネタイゼーション完了を見届けるのだろう。まさにダリオ氏が『世界秩序の変化に対処するための原則』で予言した、衰退してゆく先進国の典型的なシナリオである。

すべてはこれまで数十年の選挙の結果である。日本国民が自分で望んだことなのだから、他人がどうこう言えることではないのである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/57066
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/555.html#c61

[近代史4] ユダヤ人のエージェントで強硬な反共だったウィンストン・チャーチル 中川隆
22. 中川隆[-8266] koaQ7Jey 2024年12月10日 17:23:22 : cgTuRwGi0A : dkNJeTRpcE9pWGc=[4]
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2024.12.10XML
日本軍が真珠湾を攻撃してから12月7日で83年
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412100000/

 マレーで戦端を開いた直後、1941年12月7日午前8時(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾にあるアメリカ太平洋艦隊の基地を攻撃した。その時点でアメリカ側は日本側の機密情報を入手していた。ドイツの外交官ハンス・トムセンは日本の外務省が使っていた暗号機B型(パープル)の暗号をアメリカが解読しているとヨアヒム・フォン・リッベントロップ独外相へ報告、その情報は日本側へ伝えられていたが、日本の外務省はそれを使い続けている。

 真珠湾攻撃の半年前、1941年6月22日に300万人以上のドイツ軍はソ連に向かって進撃を開始した。バルバロッサ作戦だ。西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人にすぎない。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、ヒトラーに退けられたという。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)

 日本軍は1939年にノモンハンでソ連軍に敗北、その後、東南アジアへ向かい始める。自分たちの利権が脅かされることを恐れたウィンストン・チャーチルは1941年11月にベンガル(現在のバングラデシュ周辺)で「拒否政策」と呼ばれる焦土作戦を打ち出した。日本軍に食糧を調達させないということで、サイロや倉庫から種籾を含む全ての米を押収、また輸送手段を奪うということで漁民の船や自転車を取り上げたのだ。

 その政策を推進中の1942年10月にベンガル地方はサイクロンなど自然災害に襲われる。死傷者が出ただけでなく、農作物が大きな打撃を受けた。食糧不足は避けられない状態になり、飢餓が見通されたのだが、チャーチルの意思で米の運び出しは続いた。

 1943年10月、インドからチャーチル首相に対し、政策の継続は大惨事を招くという警告の電報が打たれ、イギリス下院では満場一致で食糧を送ると議決しているのだが、それを首相は無視。食糧を送るというアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領からの提案もチャーチルは拒否した。

 チャーチルの焦土作戦の結果、ベンガルでは1943年から44年にかけて大規模な飢饉が引き起こされ、餓死者の人数はベンガル周辺だけで100万人から300万人に達したと推計されている。

 1942年8月にドイツ軍はスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まるが、11月にソ連軍が猛反撃、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲され、43年1月には生き残ったドイツの将兵9万1000名は降伏した。この段階でドイツの敗北は決定的だった。そうした中、チャーチルはインドで人びとを餓死に追い込む作戦を強行したのだ。

 スターリングラードでのドイツ軍降伏に慌てた米英仏の首脳は1943年1月にカサブランカで会談、「ソ連勝利」の印象が広がらないように戦争を長引かせようと考え、打ち出されたのが「無条件降伏」だと言う人もいる。

 イギリス軍とアメリカ軍は1943年7月にシチリア島へ上陸するが、その際、アメリカの情報機関はコミュニスト対策でマフィアと手を組んでいる。ハリウッド映画で有名になったノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月になってからだ。こうした作戦の目的はソ連軍だけでなく、コミュニストを主力とするレジスタンスに対抗することにあった。

 アメリカ海軍のONI(対諜報部)はユダヤ系ギャングの大物だったメイヤー・ランスキーの仲介でイタリア系犯罪組織の大物ラッキー・ルチアーノに接触、協力させることに成功した。ランスキーとルチアーノは子ども時代からの友人。ふたりともアーノルド・ロスティンの子分だった。

 当時、ルチアーノは30年から50年の強制労働という不定期刑が言い渡されていた。優雅に暮らしていたとはいうものの、死ぬまで刑務所から出られそうになかった。そこに救いの手をさしのべてきたのがONIである。

 ルチアーノはシチリア島の大ボスだったカロージェロ・ビッツィーニを紹介、ビッツィーニの要請で島内のボスはイタリア軍やドイツ軍に関する情報を米軍に提供したうえ、破壊活動にも協力した。シチリア島で強い影響力を持っていたコミュニストを押さえ込むため、マフィアを利用したという側面もある。大戦後、シチリア島がマフィアの支配地になるのはそのためだ。1946年2月9日、ルチアーノは「好ましからざる人物」という名目で刑務所を出され、国外に追放された。自由の身になったということだ。

 チャーチルと対立関係にあったアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は1945年4月に急死、その翌月にドイツは降伏した。その直後にチャーチルはソ連への奇襲攻撃を目論み、イギリスのJPS(合同作戦本部)に対して作戦立案を命令する。そして5月22日にアンシンカブル作戦は提出された。

 その作戦によると、攻撃を始めるのはその年の7月1日を予定、アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団が投入されることになっていたが、これは発動していない。発動しなかった理由は参謀本部が5月31日に計画を拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 ソ連と日本が手を組むことを懸念したという見方もあるのだが、イギリスには真珠湾攻撃前、「日本・アングロ・ファシスト同盟」を結成しようという案もあった。この案を考えた勢力は敵をソ連と考えていたわけだ。実際、アメリカやイギリスで大きな力を持つ金融資本はナチスへ資金や石油を提供していた。チャーチルはシティの中枢に繋がっている人物だが、ウォール街は1933年から34年にかけてルーズベルト政権を倒すためにクーデターを計画していた。この計画を阻止したのが海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将だ。

 しかし、ルーズベルトが急死してニューディール派が衰退するにつれて金融資本の力は強まる。米英情報機関は両国の金融資本によって作られたと考えられている。

 チャーチルは1945年7月に首相の座から降りるが、翌年の3月にアメリカのミズーリ州フルトンで「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで鉄のカーテンが大陸を横切っている」と演説し、冷戦の開幕を告げた。​1947年にはアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 また、チャーチルは1951年4月にソ連を核攻撃するという考えを口にしている。​自宅でニューヨーク・タイムズ紙のジェネラル・マネージャーだったジュリアス・アドラーに対し、ソ連に最後通牒を突きつけ、それを拒否したなら20から30発の原爆をソ連の都市に落とすと脅そうと考えていると話していたことを示す文書が発見された​というのだ。

 チャーチルはシティの大物代理人であり、その戦略は今でもイギリスに残っているように見える。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412100000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1036.html#c22

[近代史4] チャーチルはソ連を核攻撃しようとしていた 中川隆
11. 中川隆[-8265] koaQ7Jey 2024年12月10日 17:23:34 : cgTuRwGi0A : dkNJeTRpcE9pWGc=[5]
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2024.12.10XML
日本軍が真珠湾を攻撃してから12月7日で83年
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412100000/

 マレーで戦端を開いた直後、1941年12月7日午前8時(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾にあるアメリカ太平洋艦隊の基地を攻撃した。その時点でアメリカ側は日本側の機密情報を入手していた。ドイツの外交官ハンス・トムセンは日本の外務省が使っていた暗号機B型(パープル)の暗号をアメリカが解読しているとヨアヒム・フォン・リッベントロップ独外相へ報告、その情報は日本側へ伝えられていたが、日本の外務省はそれを使い続けている。

 真珠湾攻撃の半年前、1941年6月22日に300万人以上のドイツ軍はソ連に向かって進撃を開始した。バルバロッサ作戦だ。西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人にすぎない。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、ヒトラーに退けられたという。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)

 日本軍は1939年にノモンハンでソ連軍に敗北、その後、東南アジアへ向かい始める。自分たちの利権が脅かされることを恐れたウィンストン・チャーチルは1941年11月にベンガル(現在のバングラデシュ周辺)で「拒否政策」と呼ばれる焦土作戦を打ち出した。日本軍に食糧を調達させないということで、サイロや倉庫から種籾を含む全ての米を押収、また輸送手段を奪うということで漁民の船や自転車を取り上げたのだ。

 その政策を推進中の1942年10月にベンガル地方はサイクロンなど自然災害に襲われる。死傷者が出ただけでなく、農作物が大きな打撃を受けた。食糧不足は避けられない状態になり、飢餓が見通されたのだが、チャーチルの意思で米の運び出しは続いた。

 1943年10月、インドからチャーチル首相に対し、政策の継続は大惨事を招くという警告の電報が打たれ、イギリス下院では満場一致で食糧を送ると議決しているのだが、それを首相は無視。食糧を送るというアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領からの提案もチャーチルは拒否した。

 チャーチルの焦土作戦の結果、ベンガルでは1943年から44年にかけて大規模な飢饉が引き起こされ、餓死者の人数はベンガル周辺だけで100万人から300万人に達したと推計されている。

 1942年8月にドイツ軍はスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まるが、11月にソ連軍が猛反撃、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲され、43年1月には生き残ったドイツの将兵9万1000名は降伏した。この段階でドイツの敗北は決定的だった。そうした中、チャーチルはインドで人びとを餓死に追い込む作戦を強行したのだ。

 スターリングラードでのドイツ軍降伏に慌てた米英仏の首脳は1943年1月にカサブランカで会談、「ソ連勝利」の印象が広がらないように戦争を長引かせようと考え、打ち出されたのが「無条件降伏」だと言う人もいる。

 イギリス軍とアメリカ軍は1943年7月にシチリア島へ上陸するが、その際、アメリカの情報機関はコミュニスト対策でマフィアと手を組んでいる。ハリウッド映画で有名になったノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月になってからだ。こうした作戦の目的はソ連軍だけでなく、コミュニストを主力とするレジスタンスに対抗することにあった。

 アメリカ海軍のONI(対諜報部)はユダヤ系ギャングの大物だったメイヤー・ランスキーの仲介でイタリア系犯罪組織の大物ラッキー・ルチアーノに接触、協力させることに成功した。ランスキーとルチアーノは子ども時代からの友人。ふたりともアーノルド・ロスティンの子分だった。

 当時、ルチアーノは30年から50年の強制労働という不定期刑が言い渡されていた。優雅に暮らしていたとはいうものの、死ぬまで刑務所から出られそうになかった。そこに救いの手をさしのべてきたのがONIである。

 ルチアーノはシチリア島の大ボスだったカロージェロ・ビッツィーニを紹介、ビッツィーニの要請で島内のボスはイタリア軍やドイツ軍に関する情報を米軍に提供したうえ、破壊活動にも協力した。シチリア島で強い影響力を持っていたコミュニストを押さえ込むため、マフィアを利用したという側面もある。大戦後、シチリア島がマフィアの支配地になるのはそのためだ。1946年2月9日、ルチアーノは「好ましからざる人物」という名目で刑務所を出され、国外に追放された。自由の身になったということだ。

 チャーチルと対立関係にあったアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は1945年4月に急死、その翌月にドイツは降伏した。その直後にチャーチルはソ連への奇襲攻撃を目論み、イギリスのJPS(合同作戦本部)に対して作戦立案を命令する。そして5月22日にアンシンカブル作戦は提出された。

 その作戦によると、攻撃を始めるのはその年の7月1日を予定、アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団が投入されることになっていたが、これは発動していない。発動しなかった理由は参謀本部が5月31日に計画を拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 ソ連と日本が手を組むことを懸念したという見方もあるのだが、イギリスには真珠湾攻撃前、「日本・アングロ・ファシスト同盟」を結成しようという案もあった。この案を考えた勢力は敵をソ連と考えていたわけだ。実際、アメリカやイギリスで大きな力を持つ金融資本はナチスへ資金や石油を提供していた。チャーチルはシティの中枢に繋がっている人物だが、ウォール街は1933年から34年にかけてルーズベルト政権を倒すためにクーデターを計画していた。この計画を阻止したのが海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将だ。

 しかし、ルーズベルトが急死してニューディール派が衰退するにつれて金融資本の力は強まる。米英情報機関は両国の金融資本によって作られたと考えられている。

 チャーチルは1945年7月に首相の座から降りるが、翌年の3月にアメリカのミズーリ州フルトンで「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで鉄のカーテンが大陸を横切っている」と演説し、冷戦の開幕を告げた。​1947年にはアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 また、チャーチルは1951年4月にソ連を核攻撃するという考えを口にしている。​自宅でニューヨーク・タイムズ紙のジェネラル・マネージャーだったジュリアス・アドラーに対し、ソ連に最後通牒を突きつけ、それを拒否したなら20から30発の原爆をソ連の都市に落とすと脅そうと考えていると話していたことを示す文書が発見された​というのだ。

 チャーチルはシティの大物代理人であり、その戦略は今でもイギリスに残っているように見える。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412100000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1028.html#c11

[近代史5] コーカソイドは人格障害者集団 中川隆 中川隆
23. 中川隆[-8264] koaQ7Jey 2024年12月10日 17:26:32 : cgTuRwGi0A : dkNJeTRpcE9pWGc=[6]
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2024.12.10XML
日本軍が真珠湾を攻撃してから12月7日で83年
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412100000/

 マレーで戦端を開いた直後、1941年12月7日午前8時(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾にあるアメリカ太平洋艦隊の基地を攻撃した。その時点でアメリカ側は日本側の機密情報を入手していた。ドイツの外交官ハンス・トムセンは日本の外務省が使っていた暗号機B型(パープル)の暗号をアメリカが解読しているとヨアヒム・フォン・リッベントロップ独外相へ報告、その情報は日本側へ伝えられていたが、日本の外務省はそれを使い続けている。

 真珠湾攻撃の半年前、1941年6月22日に300万人以上のドイツ軍はソ連に向かって進撃を開始した。バルバロッサ作戦だ。西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人にすぎない。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、ヒトラーに退けられたという。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)

 日本軍は1939年にノモンハンでソ連軍に敗北、その後、東南アジアへ向かい始める。自分たちの利権が脅かされることを恐れたウィンストン・チャーチルは1941年11月にベンガル(現在のバングラデシュ周辺)で「拒否政策」と呼ばれる焦土作戦を打ち出した。日本軍に食糧を調達させないということで、サイロや倉庫から種籾を含む全ての米を押収、また輸送手段を奪うということで漁民の船や自転車を取り上げたのだ。

 その政策を推進中の1942年10月にベンガル地方はサイクロンなど自然災害に襲われる。死傷者が出ただけでなく、農作物が大きな打撃を受けた。食糧不足は避けられない状態になり、飢餓が見通されたのだが、チャーチルの意思で米の運び出しは続いた。

 1943年10月、インドからチャーチル首相に対し、政策の継続は大惨事を招くという警告の電報が打たれ、イギリス下院では満場一致で食糧を送ると議決しているのだが、それを首相は無視。食糧を送るというアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領からの提案もチャーチルは拒否した。

 チャーチルの焦土作戦の結果、ベンガルでは1943年から44年にかけて大規模な飢饉が引き起こされ、餓死者の人数はベンガル周辺だけで100万人から300万人に達したと推計されている。

 1942年8月にドイツ軍はスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まるが、11月にソ連軍が猛反撃、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲され、43年1月には生き残ったドイツの将兵9万1000名は降伏した。この段階でドイツの敗北は決定的だった。そうした中、チャーチルはインドで人びとを餓死に追い込む作戦を強行したのだ。

 スターリングラードでのドイツ軍降伏に慌てた米英仏の首脳は1943年1月にカサブランカで会談、「ソ連勝利」の印象が広がらないように戦争を長引かせようと考え、打ち出されたのが「無条件降伏」だと言う人もいる。

 イギリス軍とアメリカ軍は1943年7月にシチリア島へ上陸するが、その際、アメリカの情報機関はコミュニスト対策でマフィアと手を組んでいる。ハリウッド映画で有名になったノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月になってからだ。こうした作戦の目的はソ連軍だけでなく、コミュニストを主力とするレジスタンスに対抗することにあった。

 アメリカ海軍のONI(対諜報部)はユダヤ系ギャングの大物だったメイヤー・ランスキーの仲介でイタリア系犯罪組織の大物ラッキー・ルチアーノに接触、協力させることに成功した。ランスキーとルチアーノは子ども時代からの友人。ふたりともアーノルド・ロスティンの子分だった。

 当時、ルチアーノは30年から50年の強制労働という不定期刑が言い渡されていた。優雅に暮らしていたとはいうものの、死ぬまで刑務所から出られそうになかった。そこに救いの手をさしのべてきたのがONIである。

 ルチアーノはシチリア島の大ボスだったカロージェロ・ビッツィーニを紹介、ビッツィーニの要請で島内のボスはイタリア軍やドイツ軍に関する情報を米軍に提供したうえ、破壊活動にも協力した。シチリア島で強い影響力を持っていたコミュニストを押さえ込むため、マフィアを利用したという側面もある。大戦後、シチリア島がマフィアの支配地になるのはそのためだ。1946年2月9日、ルチアーノは「好ましからざる人物」という名目で刑務所を出され、国外に追放された。自由の身になったということだ。

 チャーチルと対立関係にあったアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は1945年4月に急死、その翌月にドイツは降伏した。その直後にチャーチルはソ連への奇襲攻撃を目論み、イギリスのJPS(合同作戦本部)に対して作戦立案を命令する。そして5月22日にアンシンカブル作戦は提出された。

 その作戦によると、攻撃を始めるのはその年の7月1日を予定、アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団が投入されることになっていたが、これは発動していない。発動しなかった理由は参謀本部が5月31日に計画を拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 ソ連と日本が手を組むことを懸念したという見方もあるのだが、イギリスには真珠湾攻撃前、「日本・アングロ・ファシスト同盟」を結成しようという案もあった。この案を考えた勢力は敵をソ連と考えていたわけだ。実際、アメリカやイギリスで大きな力を持つ金融資本はナチスへ資金や石油を提供していた。チャーチルはシティの中枢に繋がっている人物だが、ウォール街は1933年から34年にかけてルーズベルト政権を倒すためにクーデターを計画していた。この計画を阻止したのが海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将だ。

 しかし、ルーズベルトが急死してニューディール派が衰退するにつれて金融資本の力は強まる。米英情報機関は両国の金融資本によって作られたと考えられている。

 チャーチルは1945年7月に首相の座から降りるが、翌年の3月にアメリカのミズーリ州フルトンで「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで鉄のカーテンが大陸を横切っている」と演説し、冷戦の開幕を告げた。​1947年にはアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 また、チャーチルは1951年4月にソ連を核攻撃するという考えを口にしている。​自宅でニューヨーク・タイムズ紙のジェネラル・マネージャーだったジュリアス・アドラーに対し、ソ連に最後通牒を突きつけ、それを拒否したなら20から30発の原爆をソ連の都市に落とすと脅そうと考えていると話していたことを示す文書が発見された​というのだ。

 チャーチルはシティの大物代理人であり、その戦略は今でもイギリスに残っているように見える。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412100000/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/380.html#c23

[近代史02] 白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程 中川隆
252. 中川隆[-8263] koaQ7Jey 2024年12月10日 17:27:06 : cgTuRwGi0A : dkNJeTRpcE9pWGc=[7]
<■101行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2024.12.10XML
日本軍が真珠湾を攻撃してから12月7日で83年
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412100000/

 マレーで戦端を開いた直後、1941年12月7日午前8時(現地時間)に日本軍はハワイの真珠湾にあるアメリカ太平洋艦隊の基地を攻撃した。その時点でアメリカ側は日本側の機密情報を入手していた。ドイツの外交官ハンス・トムセンは日本の外務省が使っていた暗号機B型(パープル)の暗号をアメリカが解読しているとヨアヒム・フォン・リッベントロップ独外相へ報告、その情報は日本側へ伝えられていたが、日本の外務省はそれを使い続けている。

 真珠湾攻撃の半年前、1941年6月22日に300万人以上のドイツ軍はソ連に向かって進撃を開始した。バルバロッサ作戦だ。西部戦線に残ったドイツ軍は約90万人にすぎない。ドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、ヒトラーに退けられたという。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)

 日本軍は1939年にノモンハンでソ連軍に敗北、その後、東南アジアへ向かい始める。自分たちの利権が脅かされることを恐れたウィンストン・チャーチルは1941年11月にベンガル(現在のバングラデシュ周辺)で「拒否政策」と呼ばれる焦土作戦を打ち出した。日本軍に食糧を調達させないということで、サイロや倉庫から種籾を含む全ての米を押収、また輸送手段を奪うということで漁民の船や自転車を取り上げたのだ。

 その政策を推進中の1942年10月にベンガル地方はサイクロンなど自然災害に襲われる。死傷者が出ただけでなく、農作物が大きな打撃を受けた。食糧不足は避けられない状態になり、飢餓が見通されたのだが、チャーチルの意思で米の運び出しは続いた。

 1943年10月、インドからチャーチル首相に対し、政策の継続は大惨事を招くという警告の電報が打たれ、イギリス下院では満場一致で食糧を送ると議決しているのだが、それを首相は無視。食糧を送るというアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領からの提案もチャーチルは拒否した。

 チャーチルの焦土作戦の結果、ベンガルでは1943年から44年にかけて大規模な飢饉が引き起こされ、餓死者の人数はベンガル周辺だけで100万人から300万人に達したと推計されている。

 1942年8月にドイツ軍はスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まるが、11月にソ連軍が猛反撃、ドイツ軍25万人はソ連軍に完全包囲され、43年1月には生き残ったドイツの将兵9万1000名は降伏した。この段階でドイツの敗北は決定的だった。そうした中、チャーチルはインドで人びとを餓死に追い込む作戦を強行したのだ。

 スターリングラードでのドイツ軍降伏に慌てた米英仏の首脳は1943年1月にカサブランカで会談、「ソ連勝利」の印象が広がらないように戦争を長引かせようと考え、打ち出されたのが「無条件降伏」だと言う人もいる。

 イギリス軍とアメリカ軍は1943年7月にシチリア島へ上陸するが、その際、アメリカの情報機関はコミュニスト対策でマフィアと手を組んでいる。ハリウッド映画で有名になったノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)は1944年6月になってからだ。こうした作戦の目的はソ連軍だけでなく、コミュニストを主力とするレジスタンスに対抗することにあった。

 アメリカ海軍のONI(対諜報部)はユダヤ系ギャングの大物だったメイヤー・ランスキーの仲介でイタリア系犯罪組織の大物ラッキー・ルチアーノに接触、協力させることに成功した。ランスキーとルチアーノは子ども時代からの友人。ふたりともアーノルド・ロスティンの子分だった。

 当時、ルチアーノは30年から50年の強制労働という不定期刑が言い渡されていた。優雅に暮らしていたとはいうものの、死ぬまで刑務所から出られそうになかった。そこに救いの手をさしのべてきたのがONIである。

 ルチアーノはシチリア島の大ボスだったカロージェロ・ビッツィーニを紹介、ビッツィーニの要請で島内のボスはイタリア軍やドイツ軍に関する情報を米軍に提供したうえ、破壊活動にも協力した。シチリア島で強い影響力を持っていたコミュニストを押さえ込むため、マフィアを利用したという側面もある。大戦後、シチリア島がマフィアの支配地になるのはそのためだ。1946年2月9日、ルチアーノは「好ましからざる人物」という名目で刑務所を出され、国外に追放された。自由の身になったということだ。

 チャーチルと対立関係にあったアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は1945年4月に急死、その翌月にドイツは降伏した。その直後にチャーチルはソ連への奇襲攻撃を目論み、イギリスのJPS(合同作戦本部)に対して作戦立案を命令する。そして5月22日にアンシンカブル作戦は提出された。

 その作戦によると、攻撃を始めるのはその年の7月1日を予定、アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団が投入されることになっていたが、これは発動していない。発動しなかった理由は参謀本部が5月31日に計画を拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 ソ連と日本が手を組むことを懸念したという見方もあるのだが、イギリスには真珠湾攻撃前、「日本・アングロ・ファシスト同盟」を結成しようという案もあった。この案を考えた勢力は敵をソ連と考えていたわけだ。実際、アメリカやイギリスで大きな力を持つ金融資本はナチスへ資金や石油を提供していた。チャーチルはシティの中枢に繋がっている人物だが、ウォール街は1933年から34年にかけてルーズベルト政権を倒すためにクーデターを計画していた。この計画を阻止したのが海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将だ。

 しかし、ルーズベルトが急死してニューディール派が衰退するにつれて金融資本の力は強まる。米英情報機関は両国の金融資本によって作られたと考えられている。

 チャーチルは1945年7月に首相の座から降りるが、翌年の3月にアメリカのミズーリ州フルトンで「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで鉄のカーテンが大陸を横切っている」と演説し、冷戦の開幕を告げた。​1947年にはアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 また、チャーチルは1951年4月にソ連を核攻撃するという考えを口にしている。​自宅でニューヨーク・タイムズ紙のジェネラル・マネージャーだったジュリアス・アドラーに対し、ソ連に最後通牒を突きつけ、それを拒否したなら20から30発の原爆をソ連の都市に落とすと脅そうと考えていると話していたことを示す文書が発見された​というのだ。

 チャーチルはシティの大物代理人であり、その戦略は今でもイギリスに残っているように見える。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202412100000/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html#c252

[昼休み52] 意図的な世論誘導報道で悪魔呼ばわりされているシリア アサド大統領 富山誠
113. 中川隆[-8262] koaQ7Jey 2024年12月10日 19:43:45 : cgTuRwGi0A : dkNJeTRpcE9pWGc=[8]
<△20行くらい>
意図的な世論誘導報道で悪魔呼ばわりされているシリア アサド大統領
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/816.html

シリアに対する侵略戦争
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14098853
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/331.html

【シリア】ロシアの崩壊間近!?シリア内戦がもたらす可能性
世界史解体新書 2024/12/10
https://www.youtube.com/watch?v=4AjxkdVhMh8

【越境3.0チャンネル】石田和靖 シリア崩壊,アサド大統領亡命... その裏側にあるものは何か?
https://www.youtube.com/watch?v=-ueh2dKSVSA&t=991s

【越境3.0チャンネル】ネタニヤフ命令発動! "シリア全土を侵攻せよ" イスラエル不法な土地強奪を全面開始
【越境3.0チャンネル】石田和靖
https://www.youtube.com/watch?v=1IouVyNOHpU
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/816.html#c113

[近代史5] シリアに対する侵略戦争 中川隆
7. 中川隆[-8261] koaQ7Jey 2024年12月10日 19:44:02 : cgTuRwGi0A : dkNJeTRpcE9pWGc=[9]
<△20行くらい>
意図的な世論誘導報道で悪魔呼ばわりされているシリア アサド大統領
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/816.html

シリアに対する侵略戦争
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14098853
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/331.html

【シリア】ロシアの崩壊間近!?シリア内戦がもたらす可能性
世界史解体新書 2024/12/10
https://www.youtube.com/watch?v=4AjxkdVhMh8

【越境3.0チャンネル】石田和靖 シリア崩壊,アサド大統領亡命... その裏側にあるものは何か?
https://www.youtube.com/watch?v=-ueh2dKSVSA&t=991s

【越境3.0チャンネル】ネタニヤフ命令発動! "シリア全土を侵攻せよ" イスラエル不法な土地強奪を全面開始
【越境3.0チャンネル】石田和靖
https://www.youtube.com/watch?v=1IouVyNOHpU
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