9. 2021年1月01日 16:25:55 : PBpt8BtLdw : dkFFNlNJR3V5QVk=[1]
bug大先生>「民主主義と呼ぶ政治理念・・・政治の仕組みとしてはともかく、統治 理念としては、我が国の伝統や歴史にはしっくりとこない」
近代民主主義政治思想は、政治思想としても統治制度としても、市民革命を経て形成されたものだ。我が国では、明治期の秩父困民党事件は、茨城加波山から群馬事件へ連なる関東同時蜂起の構想有したから、萌芽の形での市民革命であったと言える。1945年8月の敗戦時は、占領軍という絶対的権力下で、権力が天皇を頂点とする既得権益層から国民大衆へ移行したから、一種の革命であった。ただ既得権益層がこのことをどうしても認めようとしないため、宮沢甲案など、極東裁判接近で焦った占領軍が、強権発動的形を取らざる得なかった。権力移行受けて、国民大衆側は民主主義的な理念を文書(憲法)に表明しようとしたのだが、居座った既得権益層の妨害受けて、陽の目みなかったわけだ。
近代民主主義は、政治理念としても政治制度としても、革命あるいは市民革命の所産である。この意味で我が国も政治的民主主義は、政治理念としても政治制度としても、決して不毛でなく豊かに成長する可能性を内包してた。ただ、その成長の芽は断ち切られたとはいえ、伏流水の如く地下をコンコンと流れ続け、大河となって表面に出る機会をいつも狙ってるのだ。
bug大先生の論旨は、根底にある市民革命への視点が欠落してるから、歴史的検証に向かない。