44. 2022年3月05日 04:30:36 : ZkNMu7W7Ag : djVsREZVU2VMYU0=[1]
Date: 3月 3rd, 2022
オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(300Bのこと・その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=36706
八年前の(その7)で書いたことを、またくり返すのか。
ステレオサウンド 221号を読んでいて、そう思っていた。
221号の219ページ。
特集ベストバイのパワーアンプのページである。
ウエスギのU·BROS300AHPSが載っている。
傅 信幸氏の文章が、そこにはある。
《300Bは高域の響きの魅力だけでないことを教えてくれた》
とある。
不勉強なだけではない。
時が止っている。
http://audiosharing.com/blog/?p=36706
Date: 1月 19th, 2014
オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(300Bのこと・その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=13011
300Bシングルアンプの音が、楚々として細めという発言があって、
少なくともステレオサウンド 189号の座談会のまとめを読むかぎりでは、
賞の選考委員の全員が、300Bシングルアンプの音が、楚々として細めと受けとっているようだ。
ウエスギの300Bシングルアンプの音は、そんな300Bシングルアンプの音のイメージとは違う──、
そういうまとめかたになっていた。
(友人宅でちょっと読んだだけなので、正確な引用ではない)
これを読んでいて、ステレオサウンドグランプリの選考委員の誰ひとりとして、
伊藤先生の300Bシングルアンプの音を聴いたことがないんだろう、と思った次第だ。
何も選考委員全員が伊藤アンプの音を聴いていなければならない、なんてことは、
いわないし、求めたりもしない。
ただ誰も、ひとりもいないのか、と思っただけである。
これではなんのために選考委員が一人ではなく、何人もいる意味がどこにあるのだろうか。
オーディオ雑誌に、何人ものオーディオ評論家が書いている意味は、どういうことなのだろうか。
ひとりひとりには、オーディオ評論家としての役割があるから、だと私は考えている。
今回の件にしても、ひとりだけでいいから、伊藤先生の300Bシングルアンプの音を聴いた人がいるだけで、
座談会の内容は深みを増したであろうに……、と残念におもう。
http://audiosharing.com/blog/?p=13011
Date: 3月 4th, 2022
オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(300Bのこと・その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=36711
(その4)で書いたことを、もう一度、書いておこう。
300Bは、いうまでもなくウェスターン・エレクトリックの球である。
つまり300Bはトーキー用のアンプに使われる出力管である。
このことを思い出してほしいし、絶対に忘れないでいただきたい。
しかもアメリカの映画館で使われていたアンプの出力管である。
サウンドボーイの編集長だったOさんから聞いたことがある。
「300Bシングルは、いわゆる日本的なシングルアンプの音ではない」と。
Oさんは「トーキー用アンプの球なんだから」とも続けた。
Oさんは自他共に認める伊藤先生の一番弟子。
300Bのシングルアンプで、シーメンスのオイロダインを鳴らされていた。
1982年のステレオサウンド別冊 Sound Connoisseur(サウンドコニサー)に、
伊藤先生の300Bについての記事が載っている。
この記事(というよりサウンドコニサーそのもの)の担当も、もちろんOさんだった。
この記事のタイトルは、「真空管物語」。
さらにこうつけ加えられている。
「ウェスターン・エレクトリックの至宝 極附音玻璃球」である。
極附音玻璃球は、きわめつきおとのはりだま、と呼ぶ。
300Bのシングルアンプ、それも伊藤先生のアンプを聴いたことのある者には、
この「極附音玻璃球」こそ300Bのことだと、頷ける。
300Bとは、そういう音の球である。
それなのに、いまだに300Bシングルの音を、
他の直熱三極管の、出来の良くないアンプの音のイメージといっしょくたにしている。
しかも、それをくり返している。
ステレオサウンドの編集者は、誰もそのことに気づいていないのか。
http://audiosharing.com/blog/?p=36711
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/107.html#c44