115. 中川隆[-8311] koaQ7Jey 2024年12月04日 06:20:27 : HME8FBr4AI : dHhEYjVuM3VGY00=[1]
不良皇族の英国留学 / 薄くなる皇室の闇 Part 1
https://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68978542.html
秋篠宮殿下の原型モデル
寛仁3092寛仁 5409Prince Tomohito 6432秋篠宮4343
(左3枚 : 若い頃の寛仁親王 / 右 : 若い頃の秋篠宮殿下)
皇室を尊ぶ一般国民は、男系男子による皇位継承を主張する保守派陣営と女性天皇を容認する改革派勢力で別れている。しかし、最終的どうするかは、旧皇族や旧華族などの意見を聞いた上で、今上陛下が決めることなんじゃないか? 日本国民が本当に反対すべきは、尊皇精神のカケラも無い政治家や裁判官が左翼思想で皇室典範をいじくり、勝手に皇統を枉(ま)げてしまうことだ。
巷の庶民には様々な見解や要望があるのかも知れない。だが、皇室の将来は“皇族会議”の決定に委ねるべきで、有識者会議とか国会議員が介入すべき事柄ではない。藝人やスポーツ選手、売国奴や変態を選ぶような大衆に意見を求めたら、ロクな結果にならないし、問題を更に悪化させるだけである。
皇統の危機とは、男系・女系の論争を超えたところにある。皇位を継承する秋篠宮家に深刻な問題があるのだ。そもそも、悪事の常習犯たる秋篠宮殿下が、皇位継承の第一番なんだから恐ろしいじゃないか! サイコパスとまでは呼ばないけど、いかがわしい裏の顔を持つ人物だ。単なるアル中のオヤジじゃない。ロイヤル・パワーで不正をしても、それを不正と思わぬ唐変木ときている。
Hisahito 3945
以前のブログ記事でも述べたけど、悠仁親王の進学は、誰が見ても非常に“胡散臭い”手口だった。筑波大附属高校への「推薦入学」だって問題視されたのに、大学進学まで“裏口”とは呆れてしまうじゃないか。東京大学への“ズル入学”なんかは言語道断。もし、紀子妃が暴走して「東大一直線」を強行したら、世間の受験生や一般国民が大騒ぎとなるだろう。これだけでも厄介なのに、悠仁殿下の「海外留学」まで計画しているんだからね秋篠宮夫婦は異常だ。これだと保守派国民だって激昂するぞ! トルコ訪問を前にして、秋篠宮夫婦は記者会見を行ったが、この席で秋篠宮殿下は、次のように語っていた。
本人が大学生になったら学びたいと言っている、自然誌の分野なわけですけれども、もし、自然誌の分野をさらに深めようと思う時、私の経験からでも言えることではありますけれども、歐米は資料をものすごく、日本と比べものにならないくらい持っています。私自身も若い頃に、資料をいろいろ調べるときに、とにかく見たいものがすぐ出て来るというような、日本では考えられないような経験をしました。(江森 敬治、「悠仁さまの進学先は『初めから東大ありきではない』『海外も視野に』…秋篠宮さま(59)異例の“留学発言”の意味は」週刊文春、2024年11月30日)
秋篠宮 72943
秋篠宮殿下は「最初から東大を目指すわけではない」との牽制発言を口にしていたが、何年も前から「進学計画」は練られていたんじゃないのか? 食指を伸ばしたのが東京大学や京都大学、あるいは筑波大学であれ、受け容れ側の大学は大歓迎だ。もし、皇族を迎えることが出来れば、国からの研究費や補助金が増額されるし、皇室との太いパイプを築くことができる。大学の経営者はテーブルの上で理想論を語るが、その下で現金を手にする銭ゲバだ。
昔、明治大学の「替え玉受験」で、藝人の「なべおさみ(本名/渡辺修三)」は息子のために18万円をブローカー(明大のOBを名乗る謎のる紳士)に渡したが、新入生(なべやかん)と受験生の顔写真が違っていたからバレてしまった。だいたい、見知らぬ男から「推薦枠があるから入れる」という話を信じるなんて馬鹿げている。18万円なんて安すぎるだろう。もしかすると、この仲介者は裏社会の人間だったから、渡辺氏は本当の料金を言えなかったのかも知れない。よく、麻薬所持で逮捕された藝人がゲロしないけど、それは出所後の報復を恐れているからだ。渡辺氏の件は“藝人割引”という事も考えられるが、その場合でも、後で何らかの“見返り”を要求されるから、裏口入学は割に合わない。
でも、皇位継承者を擁する秋篠宮家だと、三菱家のような財界の有力者が「寄附金」という形で賄賂を渡すから大丈夫。しかも、国家(宮内庁や外務省、文科省、国税庁、警察庁)をバックにしているから山口組よりも強力だ。さらに、正田家や安西家の人脈もあるから、秋篠宮家は裏金や小細工に困ったら、おじさんの“ケツ持ち”に頼めばよい。(たぶん、須田慎一郎のような顔をした「オジキ」じゃなく、近衛文麿みたいな冷血漢の「オジさん」だよ。)
一方、東大に潜り込んだ支那人学生も、悠仁殿下の裏口入学に大喜びだ。もし、サークル活動やグループ研究で、この“ボンボン”をたらし込めば“北京の犬”にすることも可能となる。また、美形の女子学生(支那人留学生)、あるいは他校に通う帰化支那人を使って「ハニー・トラップ」を仕掛ければ、軍隊を用いずに東夷(日本人)を支配できる。まともな日系学生は悠仁殿下を相手にしないから、近づいてくるのは野心家の成金女性か、日本人のフリをした帰化鮮人の娘、あるいは北京の女工作員か日支混血児のスケ番くらいだ。温室育ちの親王なんかは、小学生よりもチョロいから、ちょっと甘い言葉で誘えば、直ぐベッドに引きずり込むことが出来る。秋篠宮家は“プライヴェート”を優先するから、惚れた女がデートに誘えば“目障り”なSPを遠ざけるし、公調から警告を受けても無視だろう。週刊誌のカメラマンがスクープを狙っていても、下半身の性慾を抑えられないのが秋篠宮家の特徴だ。
チャンネル桜の水島総社長や高清水有子、動物行動学とやらを専攻する竹内久美子らは、矢鱈と秋篠宮家を擁護するが、正常な国民が秋篠宮殿下に接触すれば、生理的に嫌ってしまうだろう。何しろ、秋篠宮殿下の話を聞いただけでも気分が悪くなる。最近、殿下は記者会見に臨まれたが、そこでの質疑応答は眉を顰めたくなるほど酷かった。特に腹立たしいのは、所謂「バッシング」に対する意見で、殿下は自分ではなく国民の方に“非”があると考えていた。殿下曰く、
当事者的に見るとバッシング情報というよりも、いじめ的情報と感じるのではないかと思います。つまり、不特定多数からそういうものが寄せられているという情報ですね。(「秋篠宮さま 59歳の誕生日」NHK、2024年11月30日)
もちろん、インターネットでは“罵倒”や“イチャモン”の類いが飛び交っているが、中には真剣な反論や批判だってあるだろう。誕生日に開かれる記者会見だって、毎回毎回、質問と答えが予め決められた八百長コントだ。不都合な事は隠蔽し、宣伝したいことだけをリハーサル通りに繰り返す。秋篠宮夫婦は今度トルコを訪問するというが、トルコ側は格下皇族を迎えて嬉しいのか? 接待役のトルコ人は、低能カップルの相手をする破目になるから、心の底で愚痴をこぼすだろう。まぁ、秋篠宮夫婦は“いつも”のように「通訳を介さず英語で会話」するんだろうが、トルコ共和国は英語圏じゃないぞ。ただ、中学生英語ならトルコ人にも理解できるから、秋篠宮夫婦は言葉が通じたことでハッピーだろう。
三笠宮と同じ秋篠宮の「海外遊学」
皇族の「海外留学」には“いかがわしい”ものが多い。秋篠宮殿下のオックスフォード大学への留学や眞子内親王のレスター大学留学などは、大金を使った“娯楽旅行”に過ぎない。一緒に英国へ渡航する警護官の費用だけでも“幾ら”になるのか分からないし、たとえ国民が質問しても宮内庁は決して明らかにしないだろう。もし、3交代制で24時間の警護となれば、SPと家族の住宅費や生活費、保険料、特別手当などで相当な金額となるはずだ。単なる聴講生なのに、わざわざ日本人のSPを附けての留学なんて馬鹿げている。しかも、現地の警察や外務当局に“便宜”を頼む訳だから、どれほどの負担になることか! 留学の総費用を正直に公表しないのは、国民の怒りを買ってしまうからだろう。
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秋篠宮殿下の「モデル」というのは、おそらく三笠宮家の寛仁親王だろう。「髭の殿下」というニックネームで呼ばれていた寛仁親王も、難なくオックスフォード大学に留学したが、その実態は観光や娯楽、スポーツなどをふんだんに盛り込んだ“遊学”であった。
寛仁親王は1968年4月22日にオックスフォード大学に渡り、約二年半、モドレン・カレッジ(Magdalen College)で勉強したという。だが、留学の“メイン”は飲酒や観光、パーティー、社会見学などで、肝心の学問は二の次だった。大学のボート部に入ることができたのも「日本からの皇族」という身分があったからで、「実力」で入部できた訳じゃない。本人は「ファースト・エイト(8人乗りボートの第一クルー)」の「バウ(bow / 漕手)」になれたと言って自慢したが、誰かの“口利き”で任命されたんじゃないか? だいたい、二学期を過ごしたくらいでボートレースに出場できるなんて怪しい。
第一、「留学」とはいっても、実際は「語学コース」からの出発で、10月から始まる一学期目は、「ゴドマー・ハウス」という語学学校に通ったそうだ。(三笠宮寛仁『皇族のひとりごと』二見書房、昭和52年p.119.) 寛仁殿下はここで正味四ヶ月間、“英語のみ”を勉強したというが、どの程度の英語力がついたのか疑問である。一応、授業は午前10時から12時半まで。昼食を挟んで午後の授業が再開され、2時半から5時まで勉強したというが、午前の文法クラスと午後の作文クラスを受けて、どれくらい上達したのか判らない。(三笠宮寛仁『トモさんのえげれす留学』文藝春秋、昭和46年p.34.)
そもそも、世界ランキングでトップに君臨するオックスフォード大学に、あの寛仁殿下が入学できたという事自体が怪しい。学習院大学時代にも勉強していなかった殿下が、難関校のオックスフォードに「合格」したなんて奇蹟としか言い様がないし、イギリス人学生と専門用語で議論できたとも思えない。留学経験のある一般国民なら、「どうせ“コネ入学”だろう!」と馬鹿にしたくなる。小説家の遠藤周作と対談した時、殿下は自身の“英語力”を語っていた。遠藤氏が「英語のほうは当時いかがでした?」と質問すると、殿下は次のように答えていた。
ぜーんぜん。イギリスに行ったときに何にも役に立たなかったですから(笑)。・・・「ハウ・ドゥ・ユ・ドゥー」と「サンキュー・ベリ−・マッチ」しかわからなかったなあ(笑)。(「諸国漫遊と友だち付合い」、三笠宮寛仁『トモさんの対談・座談・雑談』講談社、昭和53年、p.14.)
当時、寛仁殿下は珍しく真面目に勉強したそうで、予習や復習もやったそうだ。語学学校の授業では、「ウィーラー」という教師が小説を読み聞かせ、その後に生徒が同じ箇所を読んだらしい。そして学生が読む度に、教師が発音の間違いを正し、重要な単語を抜き出して説明したそうだ。(『トモさんのえげれす留学』p.42.) 与えられた英文をしっかりと理解するためなのか、朗読が終わると、各学生が読んだ部分を母国語に訳し、ノートに書き留めたら、再び英語に戻したそうである。まぁ、インド人やパキ人、アフリカ諸国からの留学生と交じって勉強だったから、初歩的な英文和訳や英会話のレッスン程度なんじゃないか。たぶん、高田馬場にあった「NOVA」や「イーオン」の英語教室と同じレベルなのかも知れない。寛仁殿下自身も語っていたが、「僕の英語は簡単な単語が繰り返しでてきて、文を作っていき、そのなかにきわめて多くの感嘆詞や形容詞がはさまって」いたそうだ。(『トモさんのえげれす留学』p.183.) もしかすると、ちょっとマシな「ルー大柴英語」だったりして。
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( 左 / 留学中、パーティーを楽しむ寛仁殿下)
寛仁殿下の「留学」は贅沢なもので、ゴドマー・ハウスで二ヶ月半通学したら、今度はケムブリッジ大学に渡って夏期講座(1968年の7月から8月)の受講生になったそうだ。トリニティー・カレッジの宿に泊まっていた殿下は、英国の政治史や教育史などの授業を聴講したが、非常に難しかったので「三分の一」程度しか理解できなかったという。(『トモさんのえげれす留学』p.57) でも、この「三分の一」すら怪しく、「全然解らなかった」というのが真相なんじゃないか? 殿下はが学習院大学時代に英国の歴史や社会をどの程度学んだのか判らないが、黒柳徹子と対談した時、殿下は学習院時代を振り返り、成績が「メチャクチャ悪かった。というより、勉強しなかったんだね」と答えていた。(「深夜のDJから巨人軍まで」『トモさんの対談・座談・雑談』p.114)
オックスフォードに戻った寛仁殿下は、「一人の教授対一人の学生」というチュートリアル(Tutorial)形式の授業を受け、教授が指定した本を7、8冊読み、精読した本について論文(用紙5枚から8枚程度)を書いたという。(『トモさんのえげれす留学』p.99)だが、どのような“質”の論文だったのか判らない。初歩的な英語しか解らぬ殿下に、イギリス人を感心させるような学術論文なんて無理だろう。おそらく、高校生が書くような拙い“随筆”程度の代物なんじゃないか。殿下は毎日毎日チュートリアルの日が近づくと、早く論文を「やらねば」と思っていたが、つい他の事をしてしまって、二日前になって慌てて書いていたという。(『皇族のひとりごと』p.122) となれば、どんな“レベル”の論文だったかは想像がつく。
一学期から三学期まで授業は24週あったから、殿下が1年で書く論文は合計24本だった。殿下も時間が足りなくなって、教師に“お許し”をもらい大目にみてもらったそうだから、相当苦労したのだろう。殿下がしごかれた授業では、教授の前で論文を朗読し、その後に教授から幾つか質問を受けたというが、ちゃんと答えられたのか、何となく怪しい。知っている単語を組み合わせただけの、所謂「ジャングリッシュ」の英文を喋っていたのかも知れないぞ。
殿下は独自の英語習得論を持っていたそうで、通訳が喋る英語じゃなく、「もっと人間味のある会話」が重要であるという。(『トモさんのえげれす留学』p.236.)また、「僕は昔から、言葉を目でおぼえるのではなく、耳から入れて覚える人間」であったそうだから、学術論文を精読し、論理的な論文を書く、といった勉強じゃないのかも。“優秀”な学生であった殿下は、二年の間に英語が上達したそうで、「お前、日本人のくせにオックスフォード・アクセントでしゃべっているじゃないか」とイギリス人から評される程になっていたという。(上掲書、p.236)えぇぇ〜、本当かなぁ〜?
寛仁殿下はモードレン・カレッジの関係者の勧めで、政治や哲学、経済の講義を受けたというが、とても歯が立たないので断念したそうだ。そりゃそうだろう。で、困った殿下はカレッジの学長やディーンに相談した。すると、親切な先生達は、大学に日本語学科があるから、英国人の学者をチューターにして日本史を勉強したらどうか、との助言を与えたそうだ。(『トモさんのえげれす留学』p.102) 他に選択肢が無い殿下は、「わざわざ英国まできて日本史とは」と嘆いたが、よく知っている日本の事を学ぶ訳だから、多少、英語が苦手でも授業について行けるはず。一般国民が聞けば「えっ、バカみたい! 留学の意味が無いじゃん!」と嗤ってしまうが、皇族の留学なんてこんなモンだ。
英語が苦手な殿下は、「かねがね関心を持っていた英国の憲法」を学ぶべく、高名な法学者のもとでチュートリアルを受けたというが、しばらくすると教授から、「もうこれ以上やると専門的になり難しくなるから」と言われてしまい、殿下はこの「微妙なアドヴァイス」に従って諦めたそうである。(『トモさんのえげれす留学』p.103) つまり、誰でも判る入門程度の「憲法史」ならいいけど、「大学レベルの法学は君には無理だよ!」という訳だ。殿下は英国史の授業も取ったそうだが、これも惨敗だった。
寛仁殿下は最終的な試験を受ければディプロマコースの卒業証書を取れたが、何度もチュートリアルを変えたので試験を受けることが出来なかった、と述べていた。要するに、「卒業証書の取得は無理だ! しようがないから諦めよう! 」ということだ。殿下曰く、
「オックスフォードに二年間在学した。そこで勉強もし、オックスフォードの良さを吸収したことに価値があった」と判断し、両親の許可もえて、証書は受け取ってこなかった。(『トモさんのえげれす留学』p.105)
寛仁殿下は開き直って卒業証書を「受け取ってこなかった」と豪語するが、本当は卒業するだけの“学力”が不足していたからだろう。何しろ、授業について行けず、“聴講生”と同じレベルだったから“卒業生”になれなくても当然だ。いくら「日本の貴族(皇族)」とはいえ、大学生の実力も無い外国人に卒業証書を渡すわけには行くまい。イギリス人は露骨に「落第」と言えないから、「期限切れ」を理由にして追い出したか、鄭重に諭して帰国させたか、のどちらかだろう。
皇族の世話をする英国の有力者
寛仁 ボート(左 / ボート部所属の寛仁殿下)
寛仁殿下の“遊学”で特筆すべきは、殿下を現地で迎えたホスト・ファミリーの正体である。支配民族たるイギリス人は、西歐に憧れる有色人種を操るのが実に上手い。アフリカやアジアの旧植民地からやって来る女学生とか、酋長や豪族のバカ息子が続々とやって来る。外政官のようなイギリス紳士は、彼らを鄭重にもてなし、適当な学位を与えて褒めそやす。なぜなら、こうした留学生は、帰国すれば現地の政治家になったり、財界や官庁の重要人物になったりするからだ。
日本の皇族も同じ部類で、たとえ中学生並みの英語力でもオックスフォード大学やケムブリッジ大学に入れてやるし、様々なパーティーを開いてアホを持ち上げたりする。古代ローマ人がゲルマニアとガリアの蛮族を懐柔したように、イギリス人も自惚れの強い寛仁殿下を笑顔で“歓迎”し、英国文化をご説明しながら“ジェントルマン”として遇していた。ちょっと賢い日本人が見れば、恥ずかしくなるような光景だが、甘やかされた皇族には何のことなのか解らない。
とにかく、外国への留学は結構大変だ。語学力の乏しい青二才なら当然だけど、皇族の海外留学となれば、必ず“有力な支援者”が出てくる。寛仁殿下を手助けしたのは、駐英日本大使の島重信みたいな外務省の役人だけじゃなく、御嬢様の麻生和子とジョン・ケズウィック卿(Sir John Henry Keswick)、そしてウェストモーランド卿も協力者になっていた。
よく知られているように、麻生和子は吉田茂の娘で、麻生太賀吉(たかきち)の夫人である。そして、このパワー・カップルのもとに生まれたのが麻生太郎だ。(太賀吉の父親も「麻生太郎」という名前だったから、本当に紛らわしい。) 麻生元総理の妹である信子さんは、昭和55年に寛仁親王と結婚し、彬子女王と瑤子女王を産んでいる。信子さんは寛仁殿下からの猛烈な求婚を受けてプリンセスとなったが、まさか後にアル中の亭主から暴力を受ける破目になるとは思ってもみなかったであろう。心労とショックで入院する事態になったくらいだから、相当なストレスが溜まっていたはずだ。遊び人の駄目亭主は、ナイト・クラブの酌婦に入れ込んだり、藝者の部屋に転がり込むといった有様だから、麻生家のお嬢さんとしては“誤算”というより“災難”だ。美人だった信子妃は、もっとマシな男性と結婚できたはずなのに。神様は何らかの試練を与えたのだろう。
吉田茂 麻生太郎Prince Tomohito & Nobuko 8843
(左 : 孫達に囲まれた吉田茂 / 右 : 新婚当時の寛仁殿下と信子妃)
話を戻す。駐英大使を務めた吉田茂は、ブロークンで下手糞な英語しか喋れなかったが、和子の方は五歳の頃からブリテン風の英語に馴染んでいた才女だ。(森繁久弥の「吉田茂」は虚構で、立派な宰相を宣伝するためのゴマすり映画である。) 「英国通」を嘯(うそぶ)いていたオヤジとは大違い。英語が得意な和子は、ローマ聖心女子学院を経てロンドン大学に留学できた。18歳の時、彼女は両親に伴われ、国王ジョージ6世に謁見し、これが英国社交界での初デビューとなったらしい。
吉田茂 21麻生和子 001Princess Nobuko 5432Prince Tomohito 843
(左 : 吉田茂 / 麻生和子 / 信子妃 / 右 : 寛仁殿下 )
Princess Masako 643Princess Kiko 732 また、和子さんは朝日新聞が主催した美人投票で第二位となったから、社交界の華になっても不思議じゃない。となれば、娘の信子が母の美貌を受け継いでいても納得できる。婚約した頃の信子妃は綺麗だったから、寛仁殿下が惚れたのも当然だが、嫁いだ信子妃の方は貧乏籤を引いたようなものだ。遊び人の暴力亭主なんて冗談じゃない。ついでに言うと、信子妃は正直者なのか、雅子妃に会うと笑顔になるが、紀子妃に近づくと急に冷淡になる。たぶん、信子妃は川嶋紀子の本質を察知したのだろう。あの“キツネ笑顔”はある意味恐ろしい。
寛仁親王の話によれば、英国通で秩父宮殿下とも知り合いだった麻生和子が、殿下の留学に関して人一倍骨を折ってくれたそうだ。麻生家はケズウィック家とたいへん親しく、和子さんの長女である雪子さんが英国に滞在した時、彼女は二年間ケズウッィク家に滞在し、この親日一家と生活していたという。(麻生家は歌舞伎役者みたいで、祖先と同じ名前を受け継いでいる。) 吉田茂に嫁いだのは牧野雪子で、大久保利通の息子である牧野伸顕伯爵の娘だった。この雪子夫人が熱心なカトリック信徒であったから、吉田首相も死後に洗礼を受け、聖マリア大聖堂で葬儀が行われたのである。孫の麻生首相もカトリック信徒。意外と知られていないが、財界の有力者でカトリック信徒は意外と多い。ちょっとビックリするけど、たぶん、上流階級の子供が名門のミッション・スクールに通ったりするからだろう。
この雪子さんは後に相馬和胤と結婚して「相馬雪子」になっている。吉田茂は白洲次郎とタッグを組んでいたので、娘の和子さんが麻生家に嫁いだ時、白洲夫妻が媒酌人を務めたそうだ。また、英語が達者で吉田首相の娘であったから、和子さんは駐日アメリカ大使であったジョセフ・グルー(Joseph Clark Grew)とも親しく、グルー大使の娘であるリラ・カボット・グルー(Lilla Cabot Grew)の親友でもあった。財閥の御曹司や外交官の御嬢様は西歐人との交流が深く、友人であったり結婚相手だったりする。大久保利賢の娘である百合子は、安田生命の安田一会長の夫人であった。(百合子の母親は高橋是清だったので、彼女はダルマ宰相の孫娘でもあった。) 彼らの息子である安田弘はジャーディン・マセソン商会に就職し、三井財閥の総帥であった池田成彬(いけだ・しげあき)の孫娘である恭子と結婚した。安田会長の娘である安田美和子は、日本の財界でも有名なスイスの金融業者、インターアリアンス銀行の頭取ピーター・フグラー(Peter Huggler)と結婚している。ホント、高級国民の親戚や閨閥は凄い。
Joseph Grew 11池田成彬 222相馬雪子 21ピーター・フグラー
(左 : ジョセフ・グルー / 池田成彬 / 相馬和胤と雪子夫人 / 右 : ピーター・フグラー )
日本史を勉強した人なら判るけど、ケズウィック家は英国で著名な有力一族だ。サー・ジョンの父親であるヘンリー・ケズウック(Henry Keswick)は、香港上海銀行の会長を務めていたし、父のウィリアムが亡くなると地盤を継いで保守党の政治家になった。ヘンリーの父親であるウィリアム・ケズウック(William Keswick)は、有名な「ジャーディン・マセソン商会(Jardine Matheson & Co.)」に属し、横浜支店を設立した人物だ。ヘンリー・ケズウィックには、デイヴィッド(David)、トニー(Sir William Johnston Keswick)、ジョンの息子がいたが、次男のトニーは横浜生まれである。ヘンリーは香港の拠点に戻ると、そこの「タイパン(Tai-Pan / 大班)」になった。この「タイパン」というのは、外人の最高経営者を意味し、香港や大陸の支那人はイギリス人の大班を目にしていた。
William Keswick 732Henry Keswick 1John KeswickWilliam J Keswick
(左 : ウィリアム・ケズウック / ヘンリー・ケズウック / ジョン・ケズウィック / 右 :「トニー」ことウィリアム・ジョンストン・ケズウィック )
ちなみに、「007」のジェイムズ・ボンド役を演じたピアース・ブロスナン(Pierce B. Brosnan)は、1988年に「The Noble House」というTVドラマに出演し、香港の貿易会社である「Struan & Company」の「タイパン」役に抜擢されていた。ピアース氏はアイリス系の若手俳優だったが、ドラマの中ではイギリス人のCEO「イアン・ダンロス(Ian Dunross)」を演じ、ブリテン・アクセントの英語を話していた。
幕末・維新の歴史を学んでいると、「ジャーディン・マセソン商会」の名前がよく目につく。伊藤博文や井上馨たちの留学グループ、所謂「長州ファイブ」がブリテンへ密航しようと謀った時、その計画を手助けしたのが「ジャーデスン・マセソン商会」やトマス・グラバー(Thomas Blake Glover)の「グラバー商会」だった。横浜駐在のウィリアム・ケズウィックは、長州からの「留学生」が英国で円滑に勉強や生活ができるよう、ロンドンのヒュー・マセソン(Hugh Matheson)に頼んだらしい。この有力商人が世話役を引き受けたから、長州藩士の山尾庸三や井上勝(野村弥吉)、遠藤謹助がユニヴァシティー・カレッジ・ロンドンやアンダーソン・カレッジ、ネピア造船所などで西洋の知識を習得することが出来たのである。(政財界の大物や皇族の英国留学・人脈・閨閥に関しては別の機会に述べたい。)
Thomas Glover 323Hugh Matheson 11井上馨 43伊藤博文 213
(左 : トマス・グラバー / ヒュー・マセソン / 井上馨 / 右 : 伊藤博文)
狡猾なイギリス人は寛仁殿下ばかりじゃなく、これまた劣等生の礼宮文仁(後の秋篠宮)殿下や、その馬鹿娘である眞子内親王と佳子内親王も温かく迎えていた。まぁ、皇室との太いバイプを築くことが出来るので、「寛大な精神」を発揮したんだろう。オックスフォード大学やレスター大学の教授どもは、外人の拙い英語に慣れているから、愚劣な外人貴族の学力に目を瞑り、「素晴らしい皇族」と褒めそやす。イギリス人は犬と馬と外人の調教に長けている。
オックスフォードの大学院で動物学科の教授を務めていたトマス・ケンプ氏は、日本の取材班から質問を受けた時、秋篠宮殿下を「優秀な学生」と評していたが、「どの点が?」と尋ねたくなる。そもそも、殿下はどんな論文を書き、どれくらいの討論が出来たのか? 眞子内親王の方はエディンバラ大学で美術史を学び、レスター大学の大学院で博物館学を専攻されたというが、修士号を取得できたなんて到底信じられない。第一、眞子内親王は英語の授業をちゃんと理解できたのか? ICU(国際基督教大学)の英語授業でも「全くダメな人」であったのに、ブリテンの大学で学位を取れるなんて奇蹟に等しい。恩師だったシーラ・ワトソン教授に実際の学力を訊いてみたいけど、おそらく「ノー・コメント」だろう。「雄弁は銀、沈黙は金なり(Reden ist Silber, Schweigen ist Gold)」と言うからね。
秋篠宮 オックスフォード大学時代Princess Mako 632Princess Kako 111
(左 : 英国留学中に友人と旅行した文仁殿下 / 中央 : ICU時代の眞子内親王 / 右 : ダンスに夢中だった 佳子内親王)
佳子内親王も2017年9月から2018年6月までリーズ大学に留学したが、これも“コネ入学”の類いだろう。「パフォーマンス文化産業学科」で舞台芸術を学んだそうだが、いったい何が目的だったのか? たぶん、開放感溢れる豪華な娯楽休暇なんだろう。教育学に興味があるというので学習院に入ったが、希望と違ったので中退し、祖母のコネを使ってICUに潜り込んだ。一応、「AO入試(特別入学選考)」で合格したと言うが、こんなのは美智子妃の差し金だろう。「英語が得意」というキャラクター設定でICUに入ったものの、佳子内親王が選んだ専門は心理学。でも、英国留学では藝術だった。宮内庁のホームページによると、「日本では学ぶ機会の少ない,舞台芸術に関わる分野や,国際基督教大学で専攻していた心理の分野などを含め,幅広く学びました」と。へぇ〜、モノは言い様だ。
三笠宮家や秋篠宮家の信奉者は、世間からの“バッシング”を聞くとヒステリーを起こして騒ぎ立てるが、冷静に考えれば当然の反応だろう。外務省や財界人の根回しで名門大学に迎えられ、留学費用の工面すら心配無い、というのが天上界に住む皇族だ。イギリス人の英語が解らなくても講義に参加できるし、論文作成となれば側近か幽霊が原稿を書いてくれる。日本からの貴族となれば現地の有力者がパーティーに招いてくれるし、下手糞な英語でも歐米人は笑顔で対応だ。休日に旅行となれば、親切なホストが案内してくれるし、SPの保護下だから何処に行っても安心である。こんな大名留学が世間にバレたら大変だが、宮内庁がマスコミを抑えているから大丈夫。日本の一般国民は皇族が英国で何をしているのか判らないから、テレビ局や雑誌社が協力すれば何でもOKだ。学歴信仰の日本人は、「優秀な殿下」と評して大喜び。宮内庁の職員は箝口令が敷かれているから、秋篠宮家は嘘が暴露されずにのうのうと過ごしている。素朴に秋篠宮家を信じ切っている国民は本当に憐れだ。
次回へ続く。
https://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68978542.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/109.html#c115