28. 中川隆[-13124] koaQ7Jey 2020年3月04日 12:06:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[408]
エジソン・トライアンフD型 ミュージックマスターホーン付き1910年頃。
エジソンの本格的なシリンダー蓄音器。全ての部分が大きく頑丈、かつ高精度に作られおり、強力な3丁ゼンマイの投入された本格的な大型モデル。
美しく青きドナウ(J.シュトラウス) 1913年
アメリカン・スタンダード・オーケストラ Edison Blue Amberol 1750
http://www.youtube.com/watch?v=uIJN4BSHXQc&feature=related
エジソンの蓄音機
エジソンは、1877年(明治10年)に実際に音を録音し、再生することのできる蓄音機を発明しました。
エジソンは、銅製の円筒(シリンダー)に錫箔を巻き付けたものを手で回転させ、振動板に直結した録音針を錫箔に押し当てて、錫箔の変形としてつくられる溝の深さを音の強さに応じて変化させることにより音を記録しました。そして、この溝を針で再びたどらせることにより、音を再生したのです。エジソンは、この世界最初の録音・再生機をフォノグラフPhonographと名づけて発表しました。最初の公開でフォノグラフから再生された音は、エジソン自身の声による「メリーさんの羊」であったと伝えられています。
エジソンのフォノグラフはその後、電話の発明者であるベルらによって改良され、銅管に錫箔を巻き付けたもののかわりに、円筒形の厚紙の上にワックス(蜜ろう)をかぶせたものをレコードとすることで、音量の増大、寿命の向上が図られるようになりました。ここに展示してあるエジソン・フォノグラフの型式は、トライアンフ「Model C and D」です。
http://atom.dendai.ac.jp/kokai/2007/02/post.html
エジソンの錫箔蓄音機
蓄音機のラフスケッチ(図1)
エジソン第一号蓄音機(図2)
一般的には、円筒レコードを使用した蓄音機をロウ管蓄音機と呼んでいる。
エジソンがこのタイプの蓄音機を発明した時は、円筒に錫箔を巻いたいわゆる錫箔蓄音機と呼ばれる物であった。図1が、1877年にエジソンが描いた有名な蓄音機のラフスケッチで、これを弟子にわたして製造したのが、図2のエジソン第一号蓄音機である。動力源は手動で一定の回転数を保つのは容易ではなかっただろう。再生時間は約30秒であった。
その後エジソンは、この蓄音機をサイエンテフィックアメリカン誌社に持ち込み世界最初の音出しデモンストレーション を行った。1887年12月6日のことである。エジソンはこの蓄音機をフォノグラフと命名した。アンプの入力端子にフォノとあるのはその名残である。
この蓄音機を基に、エジソンは米国に特許を出願し認められている。エジソンはこの特許の目的として“人間の声および他の音を永久的な記号で記録して将来再生し、再び聴くことが出来るようにすること“と述べている。この特許のなかでエジソンは円筒のソフトだけでなく、円盤ソフトや、多量の複製の事も述べている、このようにすでに将来を見据えた項目を基本特許に盛り込んでいた点は注目に値する。
その後、エジソンは蓄音機の開発は休止し白熱電球や他の開発に没頭してしまう。
http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk2-2.html
A)グラフォフォン蓄音機
エジソンが、蓄音機の開発を休止している間に、電話機の発明で有名なグラハム・ベルによって設立された「ボルタ研究所」で、ベルのいとこのチチェスター・A・ベルとチャールズ・S・テインターは蓄音機の改良を進めた。この改良型蓄音機はエジソンの蓄音機のレコード部の錫箔に変え、厚紙にロウをぬった円筒をレコードとし、サファイヤ針を用い、振動系のダイアフラムにはマイカ(雲母)を使用して数段のレベルアップを図った。
ベルはこれをグラフォフォンと名づけた。(グラモフォンの誤植ではない、有名な文献でも間違っている本が有るので注意、グラモフォンについては後出)
その後、このグラフォフォン蓄音機はベルとテインターによって設立された、アメリカングラフォフォン社によって発売された。エジソンが錫箔蓄音機を発明してちょうど10年目の1887年であった。レコードの外径は1インチ(25・4MM)で、その後のエジソンのロウ管タイプの半分以下であった。その後、エジソンのロウ管蓄音機に巻き返され主流にはなりえなかった。
B)エジソンのロウ管蓄音機
ベルなどが開発したグラフォフォン蓄音機は、電球やその他の開発に没頭していたエジソンに非常に大きなショックを与えた。すぐに、エジソンは蓄音機の開発を再開させることを1887年に公表した。急ピッチに開発を進め、1888年には、ベル等と同様のロウ管を素材としたレコードの蓄音機を完成させた。
ロウ管レコードの仕様は、直径2・25インチ(5・72cm)長さ4インチ(10・16cm)で、1インチにつき100本の溝を刻み再生時間は約2分間であった。ロウ管の材質は文字通り主成分がワックスでこれに蜜蝋、樹脂等が加えられていた。振動系は、録音用のカッターと再生用のリプロヂュウサーは交換が可能で、1台の蓄音機で録音、再生が可能となりこの蓄音機の大きな特徴になった。
録音および再生用の針は、主にサファイヤが用いられていた
http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk3.html
A)エジソン・ホームA(スーツケース型)
エジソンが他社の製品に刺激され、蓄音機の開発再開を行ってから11年後の1899年の製品です。この製品以前に発売された“トライアンフ”型の機構を簡略化して、家庭用として売り出したモデルです。
初期のロウ管レコード用で、再生時間は2分間専用モデル。価格は当時40ドルで発売されました。
B)エジソン・アンベローラ1A
初期の蓄音機のホーン(メガホンの様に音を拡声する)は、外部に金属むき出し。
写真は、アンベローラ1Aと呼び、ホーン内臓型のエジソン1号機です。スマートになり、女性にも好まれるようになりました。1909年製。
アンベロールレコード用(ロウ管タイプの改良型ソフトで、紙や石膏を芯材とし音溝部をセルロイドで作り、再生時間も初期の2倍の4分になり、音質も改良されました。)として開発されました。その後に発売されたアンベローラシリーズも含めて最も大型で豪華な製品でした。
この蓄音機は他のモデルと大きく異なった点があります。通常の蓄音機のロウ管は回転のみの動きですが、このアンベローラ1Aはリプロデューサー(今風に言うと再生カートリッジです。黒いアナログレコードに、指をかけて針を降ろしますよね?あの部分です。)が固定されており、ロウ管が回転しながら右から左に移動して再生するように出来ていました。
面白いことに現在、CDプレーヤーでこのメカニズムを採用した製品があります。エジソンは先取りしていたんですね。エジソンは、いろいろなメカニズムにトライしていましたが、残念ながらこのメカニズムは短命に終わってしまいました。ちょっと複雑だったからでしょうか?
C)エジソン・アンベローラ30
写真は、アンベローラ30型です。4分間再生できるアンベロールレコード用として1915年に発売されました。アンベローラシリーズは10機種ありますが、この30型は最もコンパクトに出来ていました。
また、このシリーズからダイヤモンド針が使用されました。(意外ですが当初は、サファイアやガラスなどが針として使われたそうです。)
駆動はギヤ式で、ベルト駆動に比べ経年変化は少なかったそうです。クリヤーな音質で音量も予想外に大きいです。
http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk4.html
テープレコーダーの原点 ロウ管蓄音機(録音、再生機の原点。口述筆記用機)
写真は口述筆記用機で、テープレコーダーが実用化されるまで簡易録音再生機として使用されました。映画ファンですと、少し古い映画のスクリーンにこのタイプの機械が使用されていたのを、見覚えの有る人も居るでしょう。(ちょっと古い映画ファンですね笑い)
エジソンは、蓄音機の用途として1878年に以下の10項目をあげています。
1) 速記者を必要としないで、手紙が書けたり、口述筆記に使える。
2) 目の不自由な人のための音の本。
3) 話し方の教育に使える。
4) 音楽の録音、再生。
5) 家族の記録として、家庭の人の話肉声や遺言を録音出来る。
6) オルゴールや玩具になる。
7) 帰宅時間や食事時間を教える事が出来る。
8) 発音を正確に録音するので保存出来る。
9) 教師の講義を録音し、ノート代わりとして単語の記憶用として使える。
10)電話と蓄音機を組み合わせ、通話を永久保存できる。
エジソンは、このように第1番目に口述筆記用を持って来ていますが。第4番目に挙げられている音楽鑑賞用が、人々の要求としては歴史的に圧倒的に第1番だったのは、ご存知のとうりです。
写真の製品は1930年頃の物です。左側は録音用でこれで録音したロウ管を中央の再生機に移動してセットした後に再生し、ヘッドホンの原点と言われる(聴診器のような飛行機内で使用されているイヤホンと同様の物)イヤホンで聞きながらタイプライターで文字に変換します。文字になったロウ管の音溝は必要なくなるので写真右側の消去機でロウ管の溝部分だけを平らにカットし、また使用します。
左から、録音、再生、消去機でこれで一セットです。今では、手の平に乗るような機器(たとえばMDなどですね)で録音、再生を手軽に行なっていますが、当時は、このような大掛かりな機器で行なっていたのです。
http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk5.html
円盤蓄音機(横音溝タイプ)
エジソンは蓄音機を発明(1877年)しました。しかし、開発にいきずまってしまったのと電球の開発に没頭し、蓄音機の改良については中断してしまいました。この間、10年あまりが経過し、シリンダータイプの蓄音機はエジソン以外の人達(主に電話の開発で有名なベル研究所)によって改良されました。
エジソンが蓄音機の開発に復帰することを宣言する直前の1887年9月に、ドイツ人でアメリカに帰化したエミール・ベルリナー(本によってはベルリーナ)が円盤タイプの蓄音機を発明し特許申請をしました。(左図)
書類上は円筒が主体になっていますが円盤についても記載されています。
ベルリナーはレオンスコットのフォノートグラフの方式を利用して特許図面に見られる円筒に紙を巻いてススを塗り、この面に横音溝(蛇が蛇行するように音溝を刻む)で音声を記録しました。
左図<ベルリナーの特許出願図>
ベルリナーは音声の録音方式として縦音溝(海の波と同様の動き)は歪みが多いと判断し、横音溝による記録方式を選びました。左の写真は、ベルリナーが製作した世界最初の円盤レコードの写真です。上段がその現物でエボナイト(硬質ゴム)で作製されています。性能的には、まだロウ管レコードに比べ劣っていました。直径は5イン(12.5cm)で奇しくもCDより5mm大きいだけでした。大きさの点と片面録音と言う事でCDは円盤ソフトの原点に戻った事になります。
ベルリナーはこれをグラモフォン(Gramophone)と名づけました。エジソンのフォノグラフ(Phonograph)をもじって命名したようです。このレコードは当初音楽鑑賞用としてでなく、玩具として手回し蓄音機につけて販売されました。写真の下段はその後に開発された7インチ(17.8cm)レコードです。すでに、ベルリナーの好きだったエンジェルがレコードに録音しているマークがはいっています。
レコード誕生初期の段階で、レコード材料を柔らかくして、それをプレスによって(せんべいを作るように)ソフトを作製する技術は確立されました。CDも基本的には同じ方法で作製されているのは偶然ではありません。
http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk6.html
円盤レコードの蓄音機(縦音溝タイプ)
代表的な蓄音機(C-250)
エジソンにも円盤レコードを再生する蓄音機の考えは既にあったのですが、円盤はレコード内周になると線速度(一定時間に再生する音溝の距離)が落ち音質が劣化するとの事で、レコードのどの部分でも等速の円筒蓄音機にこだわって改良を続けていました。 しかし、いよいよ円筒レコードの限界を感じたエジソンは、円盤レコードの開発を開始しました。ただし、音溝振動方向はベルリナーの横方向と異なりロウ 管蓄音機と同じ縦方向にこだわりました。
レコードの材質はフェノール樹脂を使い、平面性を確保するため厚さを6mmと厚くしました。音溝は1インチ(2.5cm)幅に150本で、再生針にダイヤモンドを使用したことによりダイヤモンドデイスクと呼んでいます。(左画像)
この蓄音機は、エジソンC-250といい1915年につくられたエジソンの代表的な高級モデルで“ダイヤモンドディスクチッペンデール”(チッペンデールとは、18世紀イギリスの家具デザイナー、トーマス・チッペンデールに由来する。)と呼ばれました。大きさ、デザイン、再生音など、いずれを取り上げても他を寄せ付けない性能を備えていました。
リニアトラッキング的なリプロデユ―サー(アナログプレーヤーのアームとピックアップカートリッジ部分に相当する。)、メカ的リモコンアームリフター、音量調整機構(トランペットのミュートの様な)が採用されています。振動板には紙が使われ、シェラックという接着剤で数枚を張り合わせています。さらに、コルクでその振動板の不要振動を適度に抑えると言った手の込んだ作りになっています。
C-250のプレーヤ部
C-250型には、「歌手の声とのすりかえ実験(エジソンの音の試聴演奏会)」という後世に残るエピソードがあります。
始め蓄音機の横で本物の歌手(エジソン会社の専属歌手。マギー・テイト)が歌い、途中でC-250型蓄音機にバトンタッチして終了したが観客はすり替えに殆ど気がつかなかったと言われます。それだけ音質に対して自信が有ったわけです。価格は当時$250で、型名のC-250はここから由来されています。
さて、円盤レコードを再生する蓄音機で音溝が横方向と縦方向の2商品が登場する事になりました。再生時に互換性の無い(ビデオカセットデッキのVHSタイプとベータタイプのような)製品が市場に現れ、消費者は非常に迷惑を被ったわけです。歴史的には横音溝タイプが主流になり、LPレコードも含めて1958年ステレオレコードが発売されるまでその横溝円盤方式は続きました。
http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk7.html
エジソンの蓄音機
1)エジソン・スプリングモーター 1895年製
テクニカギャラリー内で一番古いタイプの蓄音機です。
残念ながら写真でわかるようにリプロデューサーとホーンが欠如してます。1895年製でエジソンが蓄音機を発明して18年後の製品です。(以前にも述べましたが、電球及び発電システムの開発で10年程蓄音機開発の空白期間があります。)
すでに3モデル程製品化した後のモデルで、エジソンとしては初めてゼンマイを使用したモデルです。トライトンと呼ばれる3重のゼンマイがつけられ、2分ロウ管レコード用です。価格は、40ドル。このデザインは後の“コンサート”型の初期タイプにも使用されています。
2)エジソン・ホームA(スーツケース型) 1899年製
トライアンフ型の機構を簡略化して家庭用として売り出したモデルです。
動力源はゼンマイがシングルで、2分ロウ管レコード用です。この“ホーム”シリーズの最終モデルは、Fタイプです。特長はオークのシグネットホーンが付けられたことと、4分ロウ管レコード専用になったことであります。ホーンが本体外部に有るタイプでは、最終の部類です。
3)エジソン・ジェムA 1901年製
4)エジソン・ジェムD 1909年製
テクニカギャラリーに展示しているのは、ジェムの内でも新型の分類です。旧型は1899年に発売されました。当モデルは、前面にGEMの文字が入っており、1901〜1905年の間に販売されました。エジソンの蓄音機中最も安価なモデルで、7.5$で売り出されました。形状は名前が示すようにかわいらしく、家庭用、事務用として広く愛用されました。2分ロウ管レコード専用モデルです。 ボディの色が赤になり、朝顔型のホーンが今までの製品より大きめの物が取り付けられました。
2分、4分レコード共用で、レッドジェムの愛称で親しまれました。1912年まで製造されました。
5)エジソン・スタンダードA 1901年製
エジソンでは初めての家庭用蓄音機で価格は20$でした。2分レコード専用機。
ゼンマイはシングルタイプを使用、角型のケースに入っています。
当モデルはシリーズ化されましたが、テクニカギャラリーではBタイプも保有しています。
6) エジソン・コンサート 1901年製
ロウ管蓄音機が発売されると、少しでも良い音で再生できないか考えられました。ロウ管の外径を大きくし(5インチ、127ミリ)、回転速度がスタンダード品と同じであれば、単位時間当たりの針先走行距離が多くなり、音が良くなる原理に基いています。(後のアナログステレオレコードで、33回転から45回転にしてハイグレードレコードを作製したのと考えは同じです。)
このモデルは、1899年から1901年まで製造されましたが、その間にキャビネットが3回も変わっています。エジソン唯一の5インチ円筒レコード用でありますが、標準円筒レコードも使用出来る様になっています。(標準タイプの外側にコンサート専用ドラムを取り付けます。)
7) エジソン・アイデリアD-2 1909年製
シリンダー型後期の高級モデルで1911年まで製造されました。
ケースはマホガニーでユニット部は模様入りの塗装がほどこされています。ホーンは合板のシグネットホーンが取り付けられています。2分、4分レコード両用です。
このモデルの後継モデルで、最後の外部ホーン付となった傑作機は“オペラ”という名称のモデルです。オペラ以後のモデルはすべてホーン内蔵型となりました。
8) エジゾン・トライアンフE 1910年製
エジソンの蓄音機も新型が出るに従い、デラックスなモデルと変化していったが、シリンダータイプの末期に近いこのモデルも合板シグネットホーン、新型大型リプロデューサー、3重のゼンマイ、2分、4分レコード両用と多彩な機能を持っています。
しかし、市場の大勢は円盤レコードに移行しており、1913年にはエジソンもついにロウ管型蓄音機の生産をすべて中止することになりました。(エジソン・トライアンフAも所有しています)
9) エジソン・ファイアサイドB 1912年製
セルロイド製のブルーアンベロールレコード(4分再生)を演奏するための普及型プレーヤーとして発売されました。
このB型は、改良型ゼンマイを使用し、2分、4分レコード両用になっています。2分、4分の切替えはプレーヤー左側のボタンを押したり、引いたりすることにより行ないます。黒ワンス塗装をした朝顔型シグネットホーン付きで1913年まで製造されました。
10) エジソン・アンベローラ1A 1909年製
当蓄音機は、ホーンを本体内キャビネットに内蔵した、エジソン社の1号機であります。(ホーン内蔵型蓄音機については、既にビクター社より1906年にビクトローラの名において発売されています。)アンベロールレコード用(4分ロウ管再生)として開発されました。アンベローラ蓄音機は4台保有していますが、その後に発売されたアンベローラ・シリーズも含めて最も大型で豪華な造りになっています。M型のリプロデューサー再生P.U付で2分ロウ管、4分ロウ管のレコード両用です。
当蓄音機は、他のモデルと大きく異なる点があります。それは、リプロデューサーが固定されており、その代りにシリンダーが右から左へ移動するようになっています。当発想は現代でも生きており、同じメカニズムを持ったCDプレーヤー(CD-PUを固定しておいて、CDdiskを移動させるメカニズム)が大手オーディオメーカーより発売されています。ただ、当メカニズムは主流にはなり得ませんでした。
11) エジソン・アンベローラ6 1913年製
ホーン内蔵型で一つのシリーズを形作ったモデルです。
アンベロールレコード専用として、このモデル以外にも数機種発売されました。
機能的にはロウ管型蓄音機として、エジソン社の技術が十分注ぎ込まれており、完成度の高いレベルに達しておりました。
12) エジソン・アンベローラ30 1915年製
ホーン内蔵型のアンベローラシリーズは10機種程ありますが、テクニカギャラリーには4モデルが展示されています。
この30型は最も小型に出来ています。このシリーズからリプロデューサーにはダイヤ針が使用されました。駆動系はギア式で、ベルトに比べて経年変化は少なくなっています。小型ながらクリアな音質で音量も十分有しています。4分ロウ管アンベロールレコード用です。
13) エジソン・アンベローラ50 1915年製
駆動はギア式が採用されて、安定した性能を有し当時50$で売られていました。
_______
今回は、エジソンの円盤レコード用蓄音機について述べます。
エジソンは円盤レコード(ディスク)用蓄音機も数多く製作しています。他社では既に円盤レコードに切替えていましたが、エジソンはやっと1912年になって円盤レコードと蓄音機を発表しました。レコードの音溝は、ロウ管レコードと同じで縦振動で刻まれており、ディスクの平面性が要求され厚さ6mmにもなっていました。
16) エジソンA-100 1912年製
標準的なモデルです。円盤再生用蓄音機のシリーズ中の機能は同程度でした。
ユニークな構造のトーンアームとリプロデューサーにダイヤ針を使用しています。(ダイヤモンドディスクの命名の由来です)アームと連動しているホーンなど、他には見られない多くの特長を持っています。A-100は初期のモデルです。
17) エジソンC-150 1915〜20年製
機能的には、円盤再生用エジソン蓄音機の他機種と全く同一です。
ちなみに、エジソンは蓄音機とレコードの製造を1929年まで続け、以後完全に業界から撤退しました。
18) エジソンC-250 1915年製
エジソンの代表的な高級モデルで、ダイヤモンドディスクチッペンデールと呼ばれました。
チッペンデールとは、18世紀イギリスの家具デザイナー、トーマスチッペンデールの名前を取り上げて命名されています。デザイン、大きさ、再生音などいずれを取っても他を寄せ付けぬ性能を持っています。機能的にはリニア、トラッキング的なアームとサウンドボックス、リモコン操作によるアームリフター、トランペットのミュートみたいな音量調節機構が付いています。C-250には有名なオペラ歌手との声のすりかえ実験が何度も行なわれています。C-250の名称の由来は、当時250$で販売されたためです。
19)エジソン エジソニック 1928年製
エジソンが最後に商品化した蓄音機です。
ダイヤモンドディスク(縦溝)再生がメインですが、その他にダイヤモンドディスクの長時間盤と横溝ディスクもかけられるようになっています。 リプロデューサーがアームの先端で交換できる兼用機として仕上げられています。
http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk10.html
http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk11.html
http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk12.html
http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk13.html
http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk15.html
http://www.audio-technica.co.jp/corp/gallery/gallerytalk39.html
1877年アメリカのトーマス・エジソンが蓄音器を発明したことは知られている。しかし彼が考えた針の縦振動方式はベルリナーの横振動方式に敗れ去ったのである。
もともとエジソンは音楽を録音し、それを広めるという考えは第一義ではなかった。10ケ条のメモを残しているが、その第一には、「速記者を必要とせず手紙がかけるほか、口述筆記に使えること」だった。幼い時に耳を悪くした彼にとって当然だったのかもしれない。「盲人でも本が読める」「雄弁術の教育に使える」そしてようやく4番目に「音楽を録音、再生すること」が出てくる。
横振動を唱えたベルリナーは最初から音楽再生に力点を置いた。横振動の平円盤はプレスすることで同じものが大量に作ることが出来るので1枚当たりの単価がやすく出来た。
それに対して、エジソンは縦振動が音質的に良いのだと主張したが、同じものをプレスすることが難しく、大量生産には向かなかった。
さらに縦振動にこだわったため盤が厚くなり、材料費などコストもかかった。蓄音器は針にダイヤモンドを使ったために横振動のビクター製より高かった。いわばハードもソフトも高かったのである。理論的に縦振動は音はいいが、実際には値段が違いすぎたのである。
ベルリナーのビクター社では、ガイズバーグという若い技術者がレコード制作の面でプロデュサーとしての手腕を発揮した。彼は当時のロシア第一の人気を誇っていたシャリアピン、イタリアの大物オペラ歌手カルーソに破格の大金を払って録音した。さらにはメルバ、タマーニョ、パッティなどをくどいた。世界一流の歌手がお茶の間で手軽に聞ける、このことが横振動の平円盤が勝利した決定的な出来事だったわけである。
ガイズバーグは明治36年に日本でも3ケ月にわたり出張録音を行い273面を製作している。
エジソンは技術者としてプロであったが、一流の芸術を理解するソフトの製作者が周りにいなかった。技術のみが先行するのではなく、それに伴うソフトがいかに大切かを、このエピソードは教えてくれる。
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「エジソンの音は立っている!」
神戸から来館された山下さんと名乗るかたは、エジソン・ダイアモンド・デイスクL-35の蓄音器の奏でる音を聴いて、そう語った。エジソン・ダイアモンド・デイスクL-35というのは、エジソンが作った平円盤用(いわゆる丸い円盤型レコード)の蓄音器である。
レコードといえば既にエジソンが発明したろう管型でなく、ベルリナーの開発した横振動の平円盤が主流となっていた。時代に残ろうとエジソンも平円盤を開発し、徹底的に音質にこだわった。
針を縦に振動させること、針先を直線的に動かすこと、針は摩耗のもっとも少ない硬いダイアモンドを使ったこと、ノイズを減らすため3ミル(0,075ミリ)の針で毎分80回転、4分間の演奏を可能にしたこと、レコードは反らないように6ミリの厚さを持たせたことなどである。
このエジソン蓄音器と生の演奏を“共演”させるという実験をカーネギーホール始め全米各地で行った。その結果、聴衆が音の違いがわからぬほど完成度が高かったと言われている。
しかしエジソンの蓄音器、レコードともに横振動のものと比べると随分と高くなってしまい売れなかった。
エジソンのカタログを見ると最高級品でなんと6000ドル、横振動のビクター製品なら500ドルくらいだった。
金沢蓄音器館の聴き比べの時間では、エジソンのろう管型、平円盤型の蓄音器はともにその音を聴くことが出来る。
あなたも<音が立っている>体験にぜひどうぞ。
http://www.kanazawa-museum.jp/chikuonki/hitorigoto.html
あくまでも音質にこだわったエジソン
704 : 黒神 めだかψ ◆ZjqBzMECHA : 2011/03/27(日) 06:00:44.91 ID:DzNxUGGJ BE:3073756469-PLT(12203) [1回発言]
縦振動盤は垂直に音波を刻む構造のため、レコード盤が分厚く、主に片面のみの記録だ。
縦振動盤は、現代のレコードプレイヤーで再生する場合は、縦振動に対応する専用のカートリッジに取り替えないと再生できない。
706 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 2011/03/28(月) 19:27:10.85 ID:3dYXC1f2 [1回発言]
)レコード盤が分厚く、主に片面のみの記録だ。
これは正しいとは言えない。
たしかにEdisonのDiamond Discは分厚いが、それは縦振動の溝が深いからではなく、音質の歪みを少なくするためのアイデア。
Pathe系や初期Vocalion, Brunswickの縦振動盤は横振動盤と変わらない厚さだし映画用のトーキーディスクも径は大きいが薄さは普通のSP盤と変わらない。
片面のみの記録というのに至っては、いったいどこからそんな情報が出てきたのかむしろそれを知りたいw
708 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 2011/03/29(火) 22:13:35.52 ID:SK3jOQpc [1回発言]
EdisonのDiamond Discは持ってないが見たことはある。 あれは確かに厚いな。
あれで何枚もコレクションしたら大変なことになりそうだ。
そこまで厚くしてもこだわったのは何なのかな。
線速度一定のシリンダーにもこだわってるしね。
709 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 2011/03/29(火) 22:30:33.11 ID:hWQfOPzQ [1回発言]
))708
エジソンがこだわったのはとにかく一にも二にも音質なんだ。
ソフトの内容ではなくて音質。そのためには生産性も犠牲にしたw
シリンダーの素材開発、浮遊するリプロデューサーの開発で、アンベロールシリンダーは同時代の横振動レコードよりはるかに明瞭で分離のいい音質だったんだ。
生産性の悪そうなシリンダーだけど、真空プレスを行なうことで、1910年代半ばまでアメリカのレコード業界のシェアを保つことに成功した。
とはいっても1910年頃にはすでに平円盤が世界的なソフトに成長していたので、エジソンも平円盤に進出した。(1914年)
因みに、はじめに平円盤のアイデアを特許登録したのはエジソン。
1885年にテープ方式と平円盤方式の録音再生装置を特許登録している。
710 : 名無しさん@お腹いっぱい。 : 2011/03/30(水) 01:13:11.81 ID:UDmCKnAe [1回発言]
Edisonのシリンダーは復刻のいいやつ?だと確かにいい。
外周と内周の差も存在しないのは確かに合理的だと思う。
ただし、シリンダーも集めたら場所を食いそうだね、、、
あとは円盤も含めてEdisonは演奏家が弱い。確かに名演奏もあるが少なくて、多くはHMV-Victorに取られてる。
精緻で優秀な機械の技術があっても、簡単な機械で再生できる横振動にソフトと営業力で負けたのかな。商売とは難しいのだな。
http://unkar.org/r/pav/1140065288
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c28