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[近代史4] ドストエフスキーの世界 中川隆
4. 中川隆[-13426] koaQ7Jey 2020年2月28日 02:09:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[88]

●ドストエフスキーのいる現代ロシア文学 望月哲男
http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/literature/mochizuki-no76.html


目次


はじめに


I ドストエフスキー受容の諸相――評論と文学研究から
1. 評論の事例から
2. 文学研究の事例から
II ドストエフスキー文学の現代的展開
1. ドストエフスキー・テーマの変奏
a)現代の地下室人:Iu.マムレーエフ『ある個人主義者の手帳』(1986)
b)ポスト全体主義の地下室:V.マカーニン『アンダーグラウンドあるいは現代の英雄』(1998)
c)宗教と生命のテーマ:Ch.アイトマートフ『処刑台』(1986)
d)ロシア論の文体:D.ガルコフスキー『果てしない袋小路』(1995/1997)
2. ドストエフスキー論のある現代文学
a)反ユダヤ主義批判:F.ゴーレンシテイン『ドストエフスキー論争』(1990)
b)イデオロギー批判の反転:Iu.クワルディン『戦場はドストエフスキー』(1996)
c)文学の呪縛:V.ピエツフ『新モスクワ哲学』(1989)
d)寸鉄詩的批判:D.プリゴフ「文学と芸術の諸法則」;V.シャラーモフ「赤十字」
3. 加工されるイメージ
a)ナンセンス小説風ドストエフスキー:V.ナルビコワ『第一人物の場と第二人物の場』(1989)
b)ジャンキー・ノヴェル風ドストエフスキー:A.ヴィトゥフノフスカヤ『ロシア文学最後の金貸しの老婆』(1996)
c)ヴァーチャル・リアリティ版ドストエフスキー:V.ペレーヴィン『チャパーエフとプストタ』(1996)
d)テキスト自壊型ドストエフスキー:V.ソローキン『ドストエフスキー・トリップ』(1997);『青脂』
(1999)


むすび

はじめに


 本稿のテーマは、19世紀文学の現代的な意味や応用可能性という問題と関係する。筆者の目的は、今日のロシア文学作品中で19世紀作家ドストエフスキー(1821-1881)に関連するモチーフが利用されているケースをいくつか取り上げ、大まかな類型に分けながら、それぞれの場合にドストエフスキー・イメージが果たしている役割や意味を考えることである。筆者はこの作業がドストエフスキー文学の理解の拡大に役立つと同時に、現代ロシア人の自己表現の特徴を考える材料ともなると考えるが、それは次のようなことを根拠としている。

 現代ロシアの文学作品には、ドストエフスキーとその文学への直接・間接の言及を含むものが少なからずみられる。ドストエフスキー作品の主題、状況設定、人物像などの明示的・暗示的応用、ドストエフスキーを意識した作中論議、文体や表現手法面での模倣やパロディ、などといったものである。

 このような要素がそれぞれの作品中で果たしている役割はまちまちである。すなわちドストエフスキーに関連した部分が、作品の主題設定や構成の本質的部分に関わっていると思われる場合がある一方で、この作家への言及が唐突で不自然な印象を与える場合もある。

またそれぞれの作家の言及から推測されるドストエフスキー解釈の姿勢にも、対象を総合的に捉えようとする生真面目なものから、一面に偏った恣意的なもの、あるいは明らかに揶揄や遊戯を目指しているものまで、様々なものがある。すなわち古典を受容し応用する動機や姿勢の個別差が、そこに自然に反映されているのであって、ドストエフスキーへの言及が必ずしも彼への積極的関心から生じているわけではない。

 しかしそのような個別的差異があるからこそかえってわれわれは、現代作家の自己表現においてドストエフスキーがもっている特殊な意味を意識することになる。そもそも古典の応用という行為は、現代文化の自己認識と密接に連動した行為である。現代作家の個人的文化史地図というものを想定するならば、そこでは古典作家の位置づけが相対的に地図の作者の位置を指し示すことになろう。古典作家に触れる手つきが、そのまま現代人の自意識の表現なのだ。ただし人は漠然と古典を自作に利用したりはしない。自己表現の題材は、意識的にせよ無意識にせよ、選ばれている。文化論の表面にしばしば登場する歴史上の人物や事項は、過去を介しての現在認識というフィードバック作業にとって、有意義でかつ無視できない要素を供えているとみなすのが妥当だろう。文体模写やパロディの対象選択にもまったく同じことが言える。ドストエフスキーのイメージが現代文学に頻出するとするならば、現代の文学的自己表現にとってこの作家がそれだけ広い応用可能性を持つことを意味する。くりかえしになるが、この選択には必ずしも対象への積極的関与は前提とされない。共感や理解のみではなく、反感や揶揄、これみよがしの蔑視を含んだ言及の中にも、われわれは一定の対象への強迫的なこだわりを感じとり、文化の下意識のようなものを読みとるのではないだろうか。ソ連文化論におけるスターリンの神話的地位を思い起こせば足りよう。

 実際ドストエフスキーの名前は、一連の定型化したイメージ群と強く結びついている。表層にあるのは、例えば彼の数奇な人生のエピソード群(流刑、病気、賭博、外国流浪・・・・・・)、作品中のユニークな人物や事物のイメージ(例えば「斧」「老婆」「白痴」といった語はドストエフスキー連想語である)、奇怪な事件と普遍的人間論や社会論を組み合わせた物語構成、濃密な文体が生み出す非日常的な時間・空間感覚、といったものである。そしてその背後には、ある独特な文化論のパラダイムが開けている。その中心をなす系列が、ロシアと西欧(あるいはアジア)、ロシア人とユダヤ人(あるいはドイツ人、ムスリム・・・・・・)、ロシア正教とカトリシズム(あるいはプロテスタンティズム)、キリスト教的な自由論と科学的決定論等々といった、ロシア的なものを一方に据えた対比や択一のパラダイムである。

またエゴイズムと博愛衝動、劣等感と優越感、ショーヴィニズムと民族融和思想といった対立概念の処理の手続きも、矛盾物の対話的共存とも、詭弁的な意味の転倒や組み替えとも見なせるような、独自の論理に従っている。

 このような問題のパラダイムや論理自体は、ある程度ロシア近代に普遍的なものであったにも関わらず、しばしば象徴的にこの作家の名前と結びつき、「ドストエフスキー的問題」「ドストエフスキー的論理」とさえ見なされている。ドストエフスキーの名前はこうした観念連想をともなった、いわばロシア文化論上のビッグ・ネームなので、ロシア作家が彼の名や文章にナイーヴで偶然的な態度で言及することは、想像しがたい。ドストエフスキーの主題を自己流に展開し直したり、彼の作品のパロディを書いたりするとき、作家たちはドストエフスキー作品が一種代表的な形で表現しているロシア文学の特殊な社会的機能や、この作者の民族観・人間観を含めた全体について、なんらかの態度を表明しているとみて、あながち間違いではないだろう。

 没後120年の間に、ドストエフスキーは何度かロシア文化論の熱い話題となってきた。

前世紀末にはウラジーミル・ソロヴィヨフ、ワシーリー・ローザノフ、ドミートリー・メレシコフスキー、アキーム・ヴォルインスキー、レフ・シェストフらが、ドストエフスキーの宗教観や審美・倫理観を論ずることで、時代精神を表現しようとした。1920年代後半には、彼の名前はプチ・ブルジョアジー式の歪んだ人間観と結びつけられ、批判や風刺の素材となった。70年代には、再発見されたミハイル・バフチンの理論が、ドストエフスキーにおけるイデオロギーと創作原理の位置関係を逆転して見せ、彼の名はポリフォニックなタイプの思想表現の代名詞となった。この時代にはまた、ソ連 国内のネオ・スラブ主義や新土地主義といった思潮との関連で、ドストエフスキーの思想が語られ直すようにもなった。そしてこの世紀末、ドストエフスキーはソ連後の新しい思想文脈で、あらためて文化意識の表現媒体となったようにみえる。例えば90年代半ばに発足した二大文学賞のひとつでロシア資本による「アンチ・ブッカー賞」が、96年以降その長編小説部門を「カラマーゾフの兄弟賞」と名づけるようになったのも、(トルストイその他を差し置いて)この作家をロシア的小説家の代表として名指すという、文化意識の選択的表現なのである。そうだとすれば、文学作品中のドストエフスキー・イメージを拾い集める作業は、現代ロシア文化論のフィールド・ワークとしての意味をも持つだろう――これが筆者の仮説である。


I 現代ドストエフスキー受容の諸相――評論と文学研究から

 ドストエフスキーの登場する文学作品を具体的にみる前に、ドストエフスキーがどのような意味で現代文芸の関心対象となるのかという背景的問題を、90年代の文芸評論と文学研究を材料に、例示的に検討してみたい。

1.評論の事例から

 資料のひとつは、雑誌『ズナーミャ』1990年7号所収の「ドストエフスキーと21世紀前夜」と題する誌上対談1。これは政治思想家・ドストエフスキー研究家で、ゴルバチョフ時代に大統領顧問も勤めたユーリー・カリャーキンの同名の著書2を記念したものである。

ちなみにカリャーキンの本はソ連後期を通じて書かれてきた論文を集めたもので、中心主題のひとつがドストエフスキーを通じてみたスターリニズムおよびテロリズムの問題。人間の自己欺瞞はどこに発生するか、目的は行為を正当化するか、倫理的な価値は何によって保証されるかといった一連の問いが、ドストエフスキーを介してマルクス主義から形而上学へと「転向」したこの著者の立場から検討されている。文学を倫理学・政治学の書として読み抜いたカリャーキンの論考をまくらにしたこの誌上対談は、ドストエフスキーに対するかなり多様な受容や評価のあり方を垣間みせてくれる。

例えばイーゴリ・ヴィノグラードフにとって、ドストエフスキーの意義は(トルストイと同じく)近代における信仰喪失が生む諸問題を先鋭に描いたところにある。ソ連という非宗教社会の経験を経た今日のロシア人は、あらためて善・良心・名誉・慈悲といった人間的な価値を、宗教によらず保つことができるかという問いの前にたたされている。この点でドストエフスキー文学は、ロシア社会にきわめてアクチュアルな意味を持つというのである。

 『悪霊』の研究者リュドミラ・サラスキナは、社会主義革命を含む20世紀政治史に対するドストエフスキーの予見性を強調している。ロシアの革命家たちは何者だったか?『悪霊』で戯画化されたような悪魔的犯罪者や陰謀家だったのか、それとも高潔な者たちだったのか?――そう彼女は問う。マクシム・ゴーリキーの『勤労者への呼びかけ』(1917.11.10)を引用しながら彼女が主張するところによれば、レーニン派は『悪霊』のモデルとなったネチャーエフ・グループの意図したところと同じく、陰謀的手段で革命を遂行し、労働者階級を貶め、大量虐殺や不当逮捕を遂行した。ドストエフスキーはこの歴史の歩みを正確に予見していたのである。
 レニングラード封鎖史に強い関心を持つ作家アレシ・アダモーヴィチにとって、ドストエフスキーは苦悩や残酷さへの態度という視角から人間性の深奥を描き出そうとした作家である。革命と大戦を通じて想像を絶する歴史の暗黒を経験してきたロシア人の心は、苦悩に関するドストエフスキー的認識の中に、復活への方途を学ぶことができるだろうというのである。

 一方でドストエフスキーの限界性を、現代にとって警戒すべき問題として指摘する立場もある。

 アレクシス・クリモフにとって、ドストエフスキーはひたすら人間性の破壊的・消極的な側面を探求した作家であった。屈辱に快楽を見出し、自ら破滅を選択するような「地下室の精神」の持ち主は、自己救済の道を自分で閉ざしている。そうしたドストエフスキーの文学は、現代人に救いをもたらさないというのだ。
 ミハイル・ヴォリケンシテインやカレン・ステパニャンは、ドストエフスキーからそれぞれ大きな歴史的教訓を引き出しつつ、彼のイデオロギー性を批判している。前者によれば、ドストエフスキーは普遍人類的博愛の理念を説く一方で、自らはナショナリストで排外主義者であるという矛盾から抜け出られなかった。また後者は、ドストエフスキーが身内と余所者の論理に強くとらわれていたことを指摘する。スラブ対非スラブ、ロシア正教対イスラム(カトリック・・・・・・)といった相互排除の論理の中で、侵略が救済と、革命が解放と呼びかえられ、戦いが永遠に回避されないメカニズムが継承される。ドストエフスキーはこうした意味で、現代にも共通するナショナリズムの病を明示してくれる反面教師なのである。

 現代のドストエフスキー受容のあり方自体を批評する、メタ・文学論的言説もここには含まれている。

 文芸学者ヴャチェスラフ・イワノフは、ドストエフスキーをイデオロギー的評価から解放し、文学として捉え直すことを提唱している。彼によれば、そもそもロシア文学は、哲学、法的規範論、現代史論といったような、文学以外のジャンルの役割を担いすぎてきた。

ドフトエフスキーにはもちろん哲学者や宗教家の素養があったが、彼の真骨頂はあくまでも文学作品を描いたところにあるというのだ。こうした批判は、もちろんフォルマリストやバフチンの文学観に通じると同時に、ワレリー・ポドロガ、ミハイル・ヤンポリスキーら現代の「余白の哲学」派による、ロシアにおける文学言説の権威主義的機能への批判とも共通している。

 またドミートリー・ウルノフは現代の定型化された、通俗的ドストエフスキー解釈が、実は無知や思いこみに立脚した虚像であることを、いくつかの例をあげて指摘している。

彼によればドストエフスキーは「われわれとはちがうばかりか、時にはまったく反対のことを言っている」のである。

 ドストエフスキーへの現代的関心の一端を伺わせるこのような議論は、多かれ少なかれペレストロイカ以降の思想環境の変化と連動している。例えば、カリャーキンのソ連期の著作においてはスターリン批判やジダーノフ批判の文脈で行われていたドストエフスキーの政治観の祖述が、今日では革命とソ連史全体の批判を背景としているが、これは政治思想上の環境変化が文学論に反映した例である。

 ただし現代的ドストエフスキー受容の特徴は、そうした部分をみるだけでは把握できない(スターリン批判であれ革命批判であれ、文学に政治的メッセージを読む関心のあり方としては変わりがないとも言える)。今日のドストエフスキー受容の特徴は、規範的で教科書的な解釈の枠が失われ、様々な枠組み、態度、方法による多元的なドストエフスキー理解が文化論の場に持ち込まれるという、その状況自体にあるのだ。

2.文学研究の事例から

文芸学におけるドストエフスキー論のジャンルでも、以下に例示するような複数のアプローチによる研究が同時に展開されている。

 a)テキストをめぐる環境整備:旧正字法とコンコーダンス

 ドストエフスキーの定本を目指したソ連科学アカデミーによる30巻全集が1990年に完結したが、ソ連崩壊後これに対抗する形で、1917年までの(ドストエフスキー時代の)旧正字法による『ドストエフスキー全集定本』がペトロザヴォツク大学のウラジーミル・ザハーロフの編集で出版されはじめた3。文学作品はそもそもそれが書かれたときの言語で存在すべきであり、文学の受容も文学論もそれを前提とすべきである、というのが編者の率直な主張であるが、これも一面で文化規範の揺れが生んだ新しい文芸意識の所産と言えるかも知れない。ザハーロフはまたドストエフスキーの全作品コンコーダンスも公開している。

 b)歴史の中のドストエフスキー像:アルヒーフ、帝政、物語

 ドストエフスキーの伝記研究家イーゴリ・ヴォルギンは『ロシアに生まれて:資料にみるドストエフスキーと同時代人』(1991)5で、ドストエフスキーの家系と関連人物からなる物語を、中世の大リトワ公国から1840年代にかけての大きなスパンで記述している。

また『権力のメタモルフォーゼ:18−19世紀におけるロシア皇帝暗殺の試み』(1994)6では、1849年のペトラシェフスキー事件を主な接点に、皇帝対インテリゲンツィアの対抗図式の中にドストエフスキーを位置づけようとしている。前出のリュドミラ・サラスキナも、ペトラシェフスキー事件の関連人物(特にニコライ・スペシネフ)および小説『悪霊』に描かれた1860年代の政治的人物(特にセルゲイ・ネチャーエフ)を中心素材として、ロシア政治史の中における人間ドストエフスキーを描き出そうとしている(『悪霊:警告の小説』(1990)、『ドストエフスキー:デーモンたちの超克』(1996))。

ヴォルギンとサラスキナの見解はある点で対立しているが、共通するのはアーカイヴ資料や外国のドストエフスキー研究を積極的に利用する態度、帝政ロシアとは何だったかという関心、そしてドストエフスキー史を物語として成立させようという伝記作者としての野心である。彼らの仕事はある意味で、ペレストロイカ以降の「歴史の復権」運動や、ロシア人の精神的ルーツ探しのムードと連動している。

 c)キリスト教の視点

 先述のザハーロフや文芸評論家カレン・ステパニャン、若い世代のタチアーナ・カサトキナなどが中心となって、ドストエフスキー文学とキリスト教文化(福音書、ロシア正教、イコン等々)の研究が盛んに行われている。ザハーロフ編『18−20世紀ロシア文学における福音書テキスト』(1994,1998)、ステパニャン編『20世紀末のドストエフスキー』(1996)、カサトキナ『ドストエフスキーの性格学』(1996)、A.ストリジョフ編『ドストエフスキーと正教』(1997)などがその例である8。この問題に関する関心や考察態度も様々で、例えばストリジョフの本に収録されたウラジーミル・マリャーギンの論文9は、ドストエフスキーが信仰の必要性を正しく説きながら、正教の具体相(例えば長老制度や修道生活)の認識においても、また理念の解釈においても誤りをおかしているという、かつてのコンスタンチン・レオンチェフのドストエフスキー批判を追認する内容である(ただし彼はこれをドストエフスキーの問題というよりは、19世紀宗教精神の弛緩の故と捉えている)。一方カサトキナは、例えばドストエフスキーの主要長編のエピローグを、それぞれの主題に捧げられたシンボリックな宗教画(「言葉のイコン」)と見なすというような、宗教論の芸術手法論への展開を試みている10。ミハイル・バフチンのポリフォニー文学論とキリスト教思想の関係に関する関心も潜在的に高い。

いずれにせよこの領域での議論はソ連時代を通じてないがしろにされてきたものであり、ロシアの読者・研究者は今あらためて革命前の議論を継続する位置に立ったのである。


d)新しい文化学の応用:精神分析、受容理論、エロスフロイト的精神分析学の方法をロシア精神文化史に応用するイーゴリ・スミルノフは、ドストエフスキーの時代のリアリズム文学を、エディプス・コンプレクスの問題に捧げられた文学と性格づけている。すなわち父(世代)と子(世代)の葛藤への様々な対応の形が、文学としてモデル化されているというのだ。社会的なテーマ設定としては、エディプス・コンプレクスの文学は、ニヒリズム文学と反ニヒリズム文学に類型化される。前者が宗教・国家・家庭といった権威の生成システムを否定するのに対し、後者はそれらを共同体の条件として擁護するのだ。しかるにドストエフスキーの文学は第三のカテゴリーを形成すると、スミルノフは考える。『悪霊』にみられるように、彼はニヒリストの論理を破産に追い込むと同時に、社会秩序の代弁者をも戯画化してしまう。彼の文学は、社会モデルの自己批判、文学の自己批判を含んだ「ポスト文学」だというのがスミルノフの論旨である(『プシホディアフロノロギカ:ロマン主義から現代までのロシア文学の精神史』1994)。


少しちがったスタンスの「心理詩学」をかかげるエフィーム・エトキンドは、文学を人間の合理的部分と非合理な部分の関係論として捉え、虚偽の持つ表現性と真実の訥弁性という背理のレベルで、ドストエフスキーの小説『白痴』を読解している(『<内的人間>と外的言語』1998)。これらもまたソ連文芸の公式路線から排除されてきた方法のドストエフスキーへの応用である。

 文化学者ヴァレリー・ポドロガやミハイル・ヤンポリスキーは、読書を身体的コミュニケーションと捉える現代的受容理論の立場から、ドストエフスキー作品を性格づけている。

彼らによればドストエフスキーの作品では、主人公たちの身体と精神のバランスが壊れているうえに、個別的な身体の輪郭も曖昧で、あたかも主人公たちが集合的に一定の精神状態を表現しているかのようである。そこには読者が日常的な身体感覚で追体験できるような三次元空間の代わりに、複数の時間帯が混在し、存在と非存在、瞬間と永遠が接するような時空間(ミハイル・バフチンのいう「ソブイチエ=共存・事件」空間)が開けている。

 読者の作業は特殊な叙述のリズムに沿って、この境界の世界を体感していくことである(V.ポドロガ「皮膚のない人間」1994、M.ヤンポリスキー「痙攣する身体:ゴーゴリとドストエフスキー」1996)。これも新しいアプローチの応用であると同時に、ようやく自国で全面的に展開されようとしているバフチン理論への、多少屈折した応援演説のようにみえる。

 最後に言及するG.レヴィントンは、ドストエフスキー文学の民衆フォークロア的要素に注意を促している。彼によればドストエフスキーとフォークロアの研究は、従来宗教歌や伝説といった「上品な」ジャンルに限られていて、より大衆的で下品なジャンル(エロチシズム、スカトロジーを含む諺やチャストゥーシカの類)にはおよんでいない。しかしこのジャンルは文化研究の重要な領域であり、記述文学への影響も無視できない。M.バフチンのいうカーニヴァル文学のジャンルも、これと深い関係を持っているのであって、ドストエフスキーのそうした側面もより研究されるべきなのである(G.レヴィントン「ドストエフスキーとフォークロアの<下品な>ジャンル」1996)。彼のこの論には、1975年にドストエフスキー記念館での会議で報告して公式筋の酷評を受けたものという自注がついているが、ここにも規範の崩壊のしるしを読みとることができる。

 作家の創作の生理的部分に着目するこうした視点との関連で、ドストエフスキーの病的で好色な側面の記述を含む同時代人の回想の類が出版されていることもつけ加えておきたい15。また自殺に関する思想史という一般的文脈のなかで、ドストエフスキーの自殺観を整理したG.チハルチシヴィリの仕事も、広い意味での彼の文化史的意味の再評価といえるだろう。


 社会評論と文学研究の両世界に取材した以上のサンプルは、網羅的というにはほど遠いが、現代版ドストエフスキー受容の「愉快な雑居性」(バフチン)を伺うには十分であろう。

こうした雰囲気がそのまま、文学作品における様々な「ドストエフスキー・ゲーム」の背景となっているのである。


II ドストエフスキー文学の現代的展開


 以下ドストエフスキー・イメージの応用を含む現代文学の実例を観察するに際して、主として作者の姿勢に応じて対象を3つのグループに分ける。すなわち、ドストエフスキーのテーマの積極的展開を含むもの、ドストエフスキー批判やドストエフスキー論自体を文学化したもの、文体模写やパロディを主な動機としたもの、の3グループである。これらのカテゴリーは必ずしも相互排除的ではなく、むしろ大まかなアクセントの差にすぎないが、実際の検討には便利な作業枠を提供すると思う。

 分析に際しては、何かの一般原則に照らして個別ケースを検討するのではなく、作家個々の論理を推測する作業を重視した。すなわちそれぞれの「引用者」がドストエフスキーに見いだしている応用可能性や問題性とは何か、彼はドストエフスキーの何を取り何を捨てたか、ドストエフスキー・イメージは彼の作品に何をもたらしているか、といった問いが本論の中心関心である。それらを集積してドストエフスキー(あるいは19世紀文学)の現代的意味といった一般論に展開する作業は、課題として残されている。

 なお対象の選択原理は体系的であるよりは経験的であり、「現代」という概念の枠も明確にしていない。ただし本論の作業は、主としてソ連後の文芸に関するこの数年間の共同研究を背景にしているので、資料もおおよそペレストロイカ以降の作品が選ばれている。その結果、広義の現代ドストエフスキー・イメージ論に欠かせないヴェネディクト・エロフェーエフ、アレクサンドル・ソルジェニーツィン、サーシャ・ソコロフなどのソ連末期の作品が大半漏れ落ちているが、それらを補完して論の枠を広げていくことも、近い将来の課題としたい。


1.ドストエフスキー・テーマの変奏

 ドストエフスキーに特徴的なテーマを現代風に展開した作品をまず検討したい。例示されるのは、地下室人のテーマ、宗教および生命のテーマ、ロシア論のテーマである。

 a)現代の地下室人:Iu.マムレーエフ『ある個人主義者の手帳』(1986)17
ドストエフスキーの男性主人公の一定型として、『地下室の手記』(1864)の主人公を代表例とする、いわゆる「地下室人」のタイプがある。一種の幻滅したロマンチストで、知性や想像力に恵まれながら、現実への適応性や生活意欲を欠き、世間から孤立した生活をしている。彼の存在は様々な意味で宙ぶらりんである。近代文明人の不幸な自意識を身につけた彼は、ルソー的な自然人の理想に従えないと同時に、契約社会における経済的人間(技術的人間・政治的人間)のあり方にも反発する。伝統的信仰生活をとうに逸脱しながら、自然科学や功利主義的社会論の説く人間観には違和感を覚える。世間のエリートやたくましい生活者を鈍感な俗物と軽蔑しながら、彼らに羨望に近いものを覚えている。

 地下室人は、その言説もアイロニーに満ちている。すなわち自意識の前提となる自己の特権化・彼我の差異化の意志(私は彼らとは違う、私は独立独歩だ・・・・・・)と、自意識自体の対話的本性の認識(私は誰かを意識した発話の中で自己を発見する、私は常に内なる発話者、聞き手、対象といった複数の私に分裂する)とが、彼の発言の中で葛藤を起こしている。彼らの多くは、近代的人間の不合理な運命――理想に照らした自己の不完全さを認識する知性を持ちながら、その不完全性を克服する能力を持たない状態――を、個人的な屈辱と感じている。このようないくつかの要因から、地下室人の発言は、他者を斬る刀でまず自らが傷つくような自虐性を持っている。

 地下室人は思想的な人間であり、彼の思索は彼一個の運命を越えた、普遍的な問題としての広がりを持つ(逆に言えば、彼の思想は彼個人の運命の改善に対して無力である)。ドストエフスキーの作品では、地下室人はしばしば聖なる女性、子供、キリスト的人間といった反対イメージとのペアで現れる。

 しかし地下室人の属性をこのような形で網羅的に名指すことは、おそらく不可能である。地下室人は文字通り近代社会に対する下部や外部からの反省的視点を人格化したものとして、尽きせぬ文化論上の可能性を持っているからだ。したがってこのアイロニカルな形象の中に何を見いだすかということが、それぞれの時代や個人の自己表現となりうる。ちなみにドストエフスキー自身は、このようなタイプを19世紀ロシア知識人のうちに実在する、両面価値を持った人間像ととらえていた。彼は小説の中でその批判者としての機能を利用する一方で、こうした偏った人格の精神的な調和の回復をテーマとして意識していた。一方ドストエフスキーの「残酷な才能」、「病的人間観」を批判したニコライ・ミハイロフスキーやマクシム・ゴーリキーは、これを近代ブルジョア社会の病理を背負った、作者自身の精神の表象として論じた。さらに、たとえば今世紀のフロイト派は地下室人のルサンチマンの心理的メカニズムに、実存主義者は存在と意識の乖離に、ミハイル・バフチンは彼らの発話の対話的構造に、それぞれ注目したのである。

 現代ロシア文学におけるこのタイプのヴァリエーションとして、まずユーリー・マムレーエフ(1931-)の小説の主人公を観察してみたい。

 亡命作家マムレーエフは、人間の奇怪な想像力、とりわけ死・暴力・狂気といったものへの両義的な関心を突き詰めて描写する点で、ゴーゴリ風の怪異談やドストエフスキーのゴシック・ロマンス的側面を受け継ぐ表現者と見なされている。たとえば亡命先のアメリカでのデビュー作『地獄の空』(1980)には、死んでいく人間の魂の状態をのぞき込もうとして次々と殺人を犯す人物が登場する。インド哲学やオカルティズムを背景とした生命輪廻のイメージと、個々の存在の局面を脱し得ない人間の認識の限界性との落差が、彼の小説をグロテスクな悲喜劇にしている。世間から孤立して一種の哲学的実験空間に入り込んでいく彼の主人公たちは、総じて「地下室人」の仲間だといえよう。

 短編『ある個人主義者の手帳』は、文体までドストエフスキーを連想させるものである。

主人公の手帳の冒頭は、次のような『地下室の手記』風文体で始まる。

 やはり私はいやらしい奴だ。そしてなおさらいやらしいことに、そう書きながら満足している。つまりろくでなしの、ボケ老人の、耳を引っ張るぐらいじゃ足りないのと、さんざん自分の悪口を言いながら、それでも愛しているのだ! しかもその愛し方といったら! この世のものとは思えぬような愛し方なのだ。P.117

 彼が世間から孤立している動機も、ドストエフスキーの地下室人の「良識人」批判を忍ばせる。 


 
 断っておくが、この世で私が一番我慢できないのは、地上の人間の90パーセントを占めている凡人たちだ。誓って言うが、どんな殺人者だろうと変質者だろうとアルコール中毒だろうと、平凡人に較べれば、ましで高尚な存在なのだ・・・・・・。殺人者なら、例えば心に後悔の念やら恐怖やらを抱えていて、額には感覚の高ぶりから汗を浮かべていたりするものだが、凡人の場合にはそんなものの影さえない。凡人はただの喋る機械であり、精神性がなく、病的に鈍感で、しかもそれが良識人の証明と見なされているのだ。P.119


 この人物のもう一つの特徴をなすのは、ドストエフスキーの別種の地下室人――『白痴』のイッポリートや掌編『宣告』の主人公など自殺志願者たち――に通じる、死への恐怖と死すべき人間の運命に感じる屈辱感である。

 私は自分自身病的に、震えがくるほどに死を恐れており、自分がやがて膿みただれて死にゆく身であること、たとえ理論上といえども、いつ何時死ぬかもしれぬ身であることに対して、造物主自らわが身の前に跪いて謝ってもらわねばと感じているものである。P.125

 ドストエフスキーの主人公が、娼婦や貧しい孤児といった「聖なる弱者」や「聖なる子供」を相手に経験することになる他者との限定的交流実験を、この「個人主義者」は若い女性を相手に行う。彼は「適度に悪魔的で、詩的で、夢遊病を患っていた」「きわめてハイレベルの処女」と結婚してアパートに閉じこもり、人々への嫌悪、死への恐怖、性の快楽を強制的に共有することによって、一種逃避的な「他者との融合」を試みるのである。以下は死のイメージと性衝動(タナトスとエロス)が耽美的な結合を見せている例である。

 「絡み合うんだ、絡み合うんだ」私は彼女の耳にわめいた。性交時の高まりゆく叫び声の中で、私は彼女に人生のすべてを垣間みさせた。死を運命づけられた脆い生、まるで精液のように、一時高揚し、甘い肉の快楽にしがみつきながら、ついには落下して無に帰してしまう、忌まわしい老人のような生の姿を。私は彼女に理解させようとした。肉欲の汗は死の前の汗であり、性交の果ての疲弊した姿は、人生の終わりのシンボルであって、人生とはまさに射精と同じように、忌まわしくもいとおしいもの、速やかな破滅を約束されたものであると。P.124


 しかし自己の主観的世界感覚を相手と共有しようとするこの強引な試みは、相手が別個の主観の持ち主であるという当然な理由によって、簡単に破綻してしまう。こうした展開において、この小説はきわめて「哲学的」な図式性を持っている。

 自分の外に自分を見ることが私には実に快かったが、同時にその自分の「自我」の塊を食べてしまいたい、自分の体に取り込みたいとも思うのであった。しかしその時、われわれの関係のドラマの最後の一幕が始まった。つまり彼女を自分の中に取り込み、自分のものにしようとすればするほど、私はなにかしら自分には貫き通せぬほど硬いもの、他人の精神の核のようなものに突き当たってしまうことに気がついたのだった。

それはなにやら敵意をもった、弾力のある「非私」であり、私はそれにはねのけられて自分の中へと退散したのであった。P.127


 マムレーエフの脆き独裁者・個人主義者の精神は、この後一直線に内向し、病的になっていく。『白痴』のイッポリートや『カラマーゾフの兄弟』のイワンに現れたような、悪魔的な分身が彼の元を訪れ、唯我論の思想を説き始める。さらに彼は、死への恐怖とは裏腹の、死に対するただならぬ興味に惹かれて、墓地を訪れて暮らすようになっていく。次のような描写は、三文文士の墓地での幻想体験を描いたドストエフスキーの短編「ボボーク」や、注15にあげたオポチーニンの回想にあるドストエフスキーの口述の物語(墓地に通って若い女性の死体に口づけする役人の話)を連想させる。


 墓穴に至るまでの比類なく神秘的な埋葬行進の道を、私はなにか病的なまでに親しい自分の道のように感じた。それはこの世と死後の世界のどこか中間にあって、魂はもう離れようとしているが、まだ離れきってはいないのだ。魂はこの世の夢や叫びや泣き声や幻と別れ切れていない。そしてこの世が今別れの時にあたって、何か別の、非現実的な意味をもちはじめたのだ。(中略)

 死体が穴の側に置かれると私は何よりも真っ先にその顔をのぞき込もうと勤めた。

すると時として、荘厳な劇的なものとは反対に、心の中に笑い上戸の愚者のような力がわき起こってきた。突然死人の顔に唾を吐きかけたくなったり、死者が今にも起きあがって、駆けてくるのではというようなばかげた予感がしたりした。私はそんなとき目をじっと閉じて、また開いてみた。ひょっとして本当に駆け出したら?(中略)

 私は故人の冷たく固まった容貌をじっと見つめた。もしもずっと、気が狂うほど長い間その顔を見つめていたら、きっとその動かぬ悪夢のような、死んだ仮面をはぎ取って、その背後に生の秘密を、自分自身の秘密を見出すことができるように思えたのだ。
(中略)

 エクスタシーも何度か経験した。つまりぼうっとして正体を失った私が、もはや自分の世界の仕切りを越えて、みんなを突き飛ばしながらもぐり込んで、死者たちとキスをしようとするのだ。そんなとき一人の老人が私にオーバーシューズを落としてくれた。P.138-139

 マムレーエフの作品は、鈍感な良識人への反発、死すべき運命への屈辱感、唯我主義的感性といった主人公の心理的造形、エロスとタナトスの結び付け方といった諸点で、ドストエフスキーの世界に近いところが多い。奇人の手記を局外者が読むという物語枠の設定も、19世紀好みである。

 ただし両者の地下室人の位置づけは、いささか食い違っている。

 ドストエフスキーの地下室人は、アイロニカルな個性として自己完結する以前に、一定の社会的機能を背負っている。すなわち高邁な理想を失い、功利主義的な原理に沿って浅薄に固まりかけている近代社会の「良識」に、疑問を投げかける機能である。彼は積極的な属性を何一つ持たないが故に、自己を笑いながら他者をも笑うことのできる批判的な道化である。先述のようにドストエフスキーの小説は、この両義的機能を持った道化を、聖なる女性・子供・キリストといったイメージを媒介として積極的な人格として完成させる、という構想の中で理解することができる。

 一方マムレーエフの地下室人は、そうした社会的な機能をはぎ取られた、いわば純粋な地下生活の実践者である。彼は世の良識人を鈍感と批判するが、それは彼の死への感受性や独自の美学を、彼らが理解しないからにすぎない。たとえばイッポリートやスタヴローギン、イワン・カラマーゾフといったしたたかな「神の摂理の批判者」たちにさえドストエフスキーが与えた留保や疑念――もしかしたら自分の知覚を越えたところで何かの調和原理が働いているかもしれないという形で、彼らの批判を認識論的に相対化してしまう疑念――が、マムレーエフの主人公には与えられていない。同様にこの主人公には、結局人格としての他者から隔絶している。ラスコーリニコフに対するソーニャのように、地下室人の主観的物語を別の論理で読み解いてしまうような他者との接触が、彼には恐怖なのだ。

この物語を怪談として読むなら、一つの山場は、自我の拡大幻想の餌として利用した妻がもう一つの自我の主体だと、彼が気づくシーンであろう。

 マムレーエフの描く地下室人の世界はいわば純粋な荒廃であり、ドストエフスキーとの比較を媒介にすることで、その本質が鮮明に浮かび上がってくる。それは共同体、母性原理といった、個を結んで集団となす概念が全く効力を失った世界での、肥大した不安を抱えた自我のイメージである。


 b)V.S.マカーニン『アンダーグラウンドあるいは現代の英雄』(1998)

 ドストエフスキーの地下室人は内省の人であるばかりか行為の人でもあり、何かの事件を契機にその思想と人生への態度を試みられる。たとえば『罪と罰』のラスコーリニコフは、殺人を犯すことで複雑な問題群に直面する。すなわち、いわゆる凡人と非凡人に関する彼の思想は正しかったか否か、その論理に基づいて行った行為は適切であったか否かといった、犯行の正当性をめぐる一連の問題と並行して、親族や警察といった他者に犯行を隠すべきか告白すべきか、犯罪者に正常なコミュニケーションは可能かといった、発話行為をめぐる倫理や心理の問題が発生するのである。

 題名もドストエフスキー(およびレールモントフ)の作品を連想させるウラジーミル・マカーニン(1937-)の小説『アンダーグラウンドあるいは現代の英雄』の主人公は、ソ連全体主義社会の地下世界出身者だが、彼の経験はそうしたラスコーリニコフ的問題の現代版というべきものを含んでいる。

 主人公は90年代モスクワの地下室人――すなわちソ連期からのアングラ作家で、ソ連後の時代にも出版して世に出ることをかたくなに否む54歳の男性である。かつて出版社訪問をしながら、ついに121回目に掲載を拒絶されたとき、彼は手元の原稿をすべてピローグの包み紙に提供してしまった。現在の彼はもっぱら頭の中で創作するばかりで、彼がどんなタイプの作家なのかは、読者には不明である。

 現代の地下室人は経済的問題にさらされていて、この人物も妻子と別れたまま、タイプライター一つを抱えて巨大なアパートの留守宅を時限付き管理人として転々と住み暮らすという、綱渡り生活を強いられている。その環境の中で、彼は廊下を歩き回って他人のドアの向こう側を推測したり、夜中に女性を訪問したりといった、ドストエフスキーの地下室人にはない生態をも身につけているのである。

 この人物の「地下生活」の意味は揺らいでいる。本来主人公にとって、アンダーグラウンドとはソ連後期の良心的知識人が強いられたライフスタイルもしくは精神態度の一つであり、しかもソ連社会に必須な構成要素でさえあった。個人が超自我と下意識を必要とするように、社会も公的部分とアングラ的部分を必要とするという論理である。しかしそのような意識は、社会の変動と無縁ではいられない。次のような内省は、ソ連後の非体制派知識人にとっての自己正当化の複雑さを反映している。

私の人生は失敗ではないと知り、信じたかった。そして何か特別の目的と至上の配慮によって、いま(現在このロシアで)私のような人間が、評価も名声も得ることなく、しかもテキストを生産する力を持って生きていることが必要とされているのだと、信じる必要があったのだ。アンダーグラウンド。言葉無しで生きてみること。他の連中はそうして生きている。沈黙者として生きることがリスクかリスクでないか――それが問題だった。そして私は最初の一人だった。私は自分の無名性を敗北ではなく、引き分けでもなく、勝利として受け止めた。私の自我がテキストを凌駕したのだと。

 そしてゴルバチョフ改革の後でアングラの連中が地下のあちこちから飛び出してきて、まるで急に我に返ったように昼の光の中での名声をひっつかみ、奪い取ろうとし始めたとき(そしてその名声の奴隷となり、過去の傷痍軍人のようなものとなっていったとき)、私は私のまま残った。私にはなにも埋め合わせるべきものはなかった。次々と本を出したり、何かの地位を占めたり、雑誌の編集をしたりするのは、ただの誘惑であり、そして次には俗悪な振る舞いとなった。書かざる私の「私」は、それ自身の人生を獲得した。拒絶の瞬間に神が私に多くのものを恵み、そのままでいるすべを与えてくれたのだ。3:136


 主人公の言う「沈黙」や「拒絶」の意味を読みとるのは意外に難しい。メディアを支配する<全体主義的公式文化>対自由で主体的な<地下文化>というソ連時代の対立構造が崩れ、非体制的であることの自明の意味も失われた。主人公の仲間たちはいまやあらためて、出版か沈黙か、文化の表面に出るか地下にとどまるかの選択を迫られている。そしてすでに社会主義時代に作品発表の努力を放棄したこの人物は、ペレストロイカの時代にもその姿勢を貫こうとしているように見える。彼が抱えているタイプライターは、あたかも禁煙者にとってのパイプのように、何を放棄したかを示す記号なのである。その選択の根拠が、ここではあたかも倫理的なもの、良心の問題(俗悪さの拒否)であるかのように語られているのだが、なぜ作家や編集者の地位に納まることが限定的に俗悪さのみを意味することになるのかは、じつは経験的にしか説明されていない。彼の選択は柔軟で主体的なものというよりは、むしろ定型的で受動的なものにさえ見える。つまり沈黙や無名性という概念が、すべてを超越する精神の純粋さを示す指標として、この人物の選択を支配しているようなのだ。従って彼の選択を社会倫理的に説明するだけでなく、心理的なレベルで説明することも大いに可能であろう。たとえば彼のうちには、官憲の暴力で精神障害を被った弟との関係や、何度も出版を拒否する編集者たちとのつきあいなどから生じた一連のトラウマがあり、それがいわば地下室症候群とでも言うべき症状に結びついたあげく、あらゆる社会的・積極的選択の意味をその都度覆してしまうのだ、というように。いずれにせよ彼の行動は、彼の意識的な説明からだけでは理解できない。彼は地下室的な生活を選んでいるというよりは、むしろ選ばされている。彼の倫理的な議論はドストエフスキーの主人公の皮肉な饒舌の前では奇妙なほどナイーヴであるが、にもかかわらず両主人公は、彼らの存在の客観的様態とその主観的(主体的)動機付けとの間の乖離という点で、共通性を持っている。

 これが小説の前提である。

 物語のプロセスで、この地下室人も否応なく現実の他者世界との関係を強いられる。その関係の中心をなすのが、二つの殺人事件である。主人公はコーカサス・マフィアとのトラブルから、偶然に相手の一人を殺し、次にはソ連期からの国家保安部のスパイを、計画的に暗殺するのである。ラスコーリニコフの場合と同じく、殺人は主人公に、責任の所在、罪意識への対応、他者への態度といった一連の問題を投げかける。そしておもしろいことに、この文学的人物は、そうした問いをドストエフスキーの小説のコンテクストで受け止めるのである。

「殺人を犯すと、人は殺人自体にとらわれるのではなく、本や映画やテレビで殺人について読んだり見たりしてきたすべてのことにとらわれるようになるものだ」(1-92)と主人公は考える。とりわけ文学は、経験の意味を判断する媒介物として、非常な影響力を彼に発揮する。たとえば「殺すなかれ」という命題は、(『山上の垂訓』などではなく)ドストエフスキー文学を通じてロシア精神を呪縛していると、彼は述懐する。


 私は「殺すな」について考えてきた。テーマは(時代で言えば)もちろん19世紀のこと・・・・・・それから、文学の(文学による)警告のこと・・・・・・それからかのフョードル・ミハイロヴィチ(ドストエフスキー:訳者)のこと――この人物抜きではどうしようもない。本当の道徳思想の香りが漂ってくるのは、どうしてもこのあたりしかない。そしてドストエフスキーのいわゆる「殺人者は自らを滅ぼす」という思想は、ほとんど絶対命題のようなものになっている。古典でありカノンなのだ(ロシア人にとっての文学は、いまだに巨大な自己暗示である)。「殺人を犯すなかれ」という立派な、根本的な教訓――例えばドストエフスキーの小説は、いまだにわれわれにとって生きている。しかしそれはすでに思想として、エネルギッシュに表現された芸術的抽象概念として生きているのだ。過去の天才的な言葉(そして当時としては無条件に先見的な言葉)の中に、すでに来るべきタブーが見えかくれしている。1:101

 ロシア文学はこのように強力な倫理的呪縛力を持つ「一大ウイルス」であり、ドストエフスキーの作品はその代表である。しかし同時に、彼の論理によれば、文学ウイルスのメッセージは時代ごとに変化する。たとえばドストエフスキーから20年ほどさかのぼったプーシキンの時代には、殺人(決闘)は名誉を守る手段として文化的に正当化されていたのだ。タブーは一定ではない。だから主人公は、文学同士を対立させることで、罪意識を回避することさえできる。

 背中を刺されてベンチに坐っているカフカス人の姿は、相変わらず私の目に映っていた。それは当たり前だ。しかしそのベンチも血痕も、それ自体は呵責を促す物ではなかった。ましては殺人への呵責を。これは計画殺人ではなくむしろ決闘であり、われわれはともにナイフを抜いたからだ。しかも相手のほうが先に私を殴り、斬ってきた(及び発砲した)のだから。つまり私は正当に勝ったのだ。だから時がたってどんなことを言われようとかまわない。あるいはたとえいわゆるロシア文学が、今まさに私の耳元でなにを叫び、わめこうと。だがいったいロシア文学はなにを叫ぶのだろう。

例えば19世紀のどちらの半分の声で叫ぶのか。決闘好きの前半世紀か、それとも懺悔好きの後半世紀か。まさにそんな風に私は問題に対して反対からの問題を投げかけ、時間を分割することで自分を正当化した。1:101-102


 当然ながら、文学と実人生の非同一性という自明の命題も、彼の遁辞のネタとなる。

 ドストエフスキーも言葉でわれわれを説得しただけだ。だがF.M.(ドストエフスキー:訳者)が最後の言葉を発して自己の勝利を誇示したとき、すぐさま明らかになったのは、彼が説得した相手は誰か関係ない人間で、私ではなかったということだ。つまり単に内部で、自分のテキストの領域で、読んでいる私を説得しただけだ。テキストの中でということは、私の「我」の中ではないのだから。1:102


 しかしこの主人公は、論理とも倫理とも違う心理的な面で、苦しい状態に追いつめられていく。すなわちまたもやラスコーリニコフと同じように、すべてを沈黙のうちに隠し通すという至上命題と、告白への衝動との間で引き裂かれるのである。

 それはわがプロットの展開をめぐる小さな、しかし大事な心理的発見であった。つまり私を(私の心を)いま圧迫しているものは、良心というよりは喋らないでいるという状態なのだと、ふとそう思ったのである。その通り、いまの私を苦しめるのは良心の呵責ではない(それは概して弱い)。沈黙していることが苦しいのだ。目の前に一枚の紙もなく、一人の聞き手もいないことが。(中略)そんな風に考えながら私は寝込んだ。何か心が知らせたのだろうか。当面私には謎だった。考えが及ばないのだ。そんなおしゃべりな、危険なやり方でも、この私を言葉へと回帰させたいという心のメッセージなのか。もし目の前に聾で唖の女がいたら、私はもうとっくに相手に話し、懺悔していただろう。3:75


 こうして主人公は皮肉な状態に陥っていく。すなわち地下室人の反対陣営である世の管理者たち(刑事や精神科医)が、罠にかけたり薬物を用いたりして彼の言葉を要求するのに対し、彼自身が告白の相手に選ぼうとした同じアンダーグラウンドの弱者たちは、彼の言葉を受け入れる用意がない。木賃宿暮らしの女性フルート奏者ナータ(この人物はドストエフスキーの聖なる女性=弱者を連想させる)は、精神薄弱気味で長い話を理解する能力がないし、顔見知りの若い娼婦は、あまりにも屈託がなくてとりつく島がない。「ラスコーリニコフとソーニャの関係のようなものは、薬にするほどもないのだ。だから彼女のうち明け話を聞いたり、彼女に向かってうち明けたりするなんてことは、考えることさえできない。それはまるで一緒に寝ながらソ連の宇宙飛行士のマーチを歌うのと同じくらい場違いなのだ」(1:104)――そう主人公は考える。この後彼は精神と肉体をやみ、死の瀬戸際までいくのだが、いわば倫理問題において19世紀文学を相対化しようとした彼が、この問題では現実によって自らの文学性を笑われることになるのである。

 この小説は結局、沈黙者として生きようとした地下室人が、現実的経験を文学的レベルで解釈・消化し、乗り越えようとしたあげく、他者とのコミュニケーションの喪失に足をすくわれるという、皮肉なテーマ構造を持つ。最後に彼は、同じく無名作家の友人や精神障害を持つアングラ画家の弟との交流の中で、再び言葉への信頼を取り戻すのだが、地下室人のコミュニケーション体験をめぐるこの物語は、マムレーエフのものよりも読者の受容に向けて開かれた印象を与える。それは作者が地下室人を悲劇化することなく、文学と社会状況の両面から彼を相対化し、その弱さや矛盾、道化的側面を描くことに成功しているからである。


 c)宗教と生命のテーマ: Ch.T.アイトマートフ『処刑台』(1986)

ドストエフスキーの小説は、特殊個人的な問題と普遍人類的な問題とをダイナミックに関係づける点で、悲劇や哲学的対話のジャンルとの類縁性が指摘されてきた。これはすなわち、主人公一個の限られた経験のうちに、生命や人類の未来といった大規模な問いにふさわしい時空間が開けていることを意味するが、ドストエフスキー文学のそうした側面を意識した現代作品も散見される。

 上述のマカーニンも、中編『抜け穴』(1991)20の中で、ドストエフスキーの言葉のシンボリックな使用により、一種運命的な選択の場を小説中に導入していた。すなわち、この近未来アンチ・ユートピア小説の主人公が不思議な抜け穴を通って訪れる地下世界のホールで、たまたま「未来への姿勢」という意識調査が行われているのだが、そこでは絶望した人々が投げ捨てるアンケート用紙が、主人公の目の前に堆くたまっていく。主人公はそれを、「未来への入場券の返却」というメッセージと受け止めるのだが、これはむろん『カラマーゾフの兄弟』のイワンが、幼児の苦しみのような不条理を前提とした未来の調和を拒絶する態度表明として用いた表現の応用である。

このような大きな問いに開かれた小説構成を持ち味とする現代作家の一人が、チンギス・アイトマートフ(1928-)である。86年に出版された長編『処刑台』は、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』中の「大審問官」の章や、ミハイル・ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』などの系列に属す、キリストの試練物語の変奏という要素を持っている。

 この小説には三組の主役たちがいる。中央アジアのモユンクムィ・ステップを流浪するオオカミの家族、ジャーナリストを目指す元神学生のアヴジイ、キルギスの熱心な牧羊家ボストンの一家である。このうち第二のアヴジイの物語が、ドストエフスキーのテーマと深く関わっている。ソ連末期の神学生アヴジイは、教会のキリスト教がもつ社会的な意味に疑問を覚え、ジャーナリストとして直接世の悪と戦おうとする。彼は中央アジアとバルトを結ぶ麻薬密輸団の存在を知り、大麻採取グループに潜入するが、道中自前のキリスト教を振りかざして説教するために、半殺しの目にあってしまう。書き上げたルポルタージュも結局握りつぶされた彼は、女性環境学者と結婚しようと再度赴いた中央アジアで、食肉生産ノルマ補填のため野生カモシカを大量捕獲するグループに雇われたあげく、再度リンチを受けて十字架刑のような死に方をする。

 麻薬、宗教、環境破壊などソ連期の禁忌テーマを積極的に盛り込んだ点で、ペレストロイカ期の告発文学の先鋒と見なされたこの小説には、イエス・キリストのエピソード以外にも、ドストエフスキーの小説を下敷きにしたと思える要素が多い。
 たとえば教会の教条主義を批判するアヴジイの論理には、主体的人間の視点から伝統的な神のイメージを修正しようとする意図が見えるが、ここにはイワン・カラマーゾフ流のヒューマニズムに立脚した摂理批判(弱者の苦悩は将来の世界調和によってはあがなわれないという思想)、およびラスコーリニコフや『悪霊』のキリーロフのいわゆる「人神」思想(人間がその神的資質によって神に成り代わるという思想)の反映を見いだすことができる(もちろん今世紀の建神主義等も媒介項として考えられる)。地上の人間の知的能力が発展するにつれて神の概念も発展すべきであると考える彼は、伝統的な民族・民衆の宗教がすでに役割を終えたと感じ取り、現代社会の需要に合致した神の理念を備えた、現代の宗教を追求する必要があると主張するのである。

 私たち自身から生じているものを天上の力のせいにしてはいけません――そう主人公は神父の一人に語りかける。――もしも被造物である私たちが、善の力と悪の力という両極の力を同時に身に備えることを神が避け得たとするならば、神は何のために私たちをこれほど不完全なものとして作る必要があったのでしょうか。私たちをかくも疑心と欠点だらけの者、神ご自身に対するにさえ狡知をもってするような者に、作る必要がどこにあったのか。あなた様は教理が絶対的なものであり、世界と私たちの精神の本質がそこに最終的に把捉されていると、断固主張されています。しかしそれは不合理です。果たしてキリスト教2000年の歴史において、私たちはほとんど聖書以前の時代に述べられた事柄に、一言も付け加えることができなかったというのでしょうか。あなたは真理を独占するために戦っておられる。しかしそれは控えめにみても自己欺瞞です。なぜならたとえ神の教えだろうと、真理を究極まで認識し尽くしたといえる教えなどあり得ないからです。もしそうだとしたら、そんなものは死んだ教えではありませんか。P.81


 この神学生は、宗教的新思想のほかにキリスト幻想にもとりつかれていて、麻薬団や密猟団での奇怪な体験のプロセスに、イエスの放浪とゴルゴダのイメージがつきまとう。実際、作中には彼の幻想の形で、ブルガーコフの小説を連想させるピラトとイエスの最後の対話シーンが登場するが、そこにはドストエフスキーが描いた中世の異端審問官と復活したキリストの対面シーンも、潜在イメージとして包含されている。ただし沈黙を通すドストエフスキーのイエスと違って、アイトマートフのイエスは雄弁に自らの思想を語る。しかも彼の説く神のイメージには、主人公自身の抱く理性的人間神の要素が混入している。つまりアイトマートフのキリストは、主人公の思想を別の側から代弁しているのだ。

 創造主は私たちに理性というこの世で最高の恵みを授けられた。そして理性によって生きる自由を与えられた。この神の恵みをいかに使うか――そこに人間の歴史の眼目があるのです。総督よ、まさかあなたは人間の存在の意味が自己の精神をみずから完成させることにあるということを否定なさりはすまい。それ以上の目的は世にないのですから。輝かしい精神の完成に向かって、一日一日と無限の階段を上っていくこと――そこにこそ理性的存在の美しさがあるのです。(中略)
 神の御心は、いつかある日あたかも青天の霹靂のように神の子が復活し、諸国民に裁きを下すために天から下ってくるということではありません。目的は全く同じでも、事情は正反対なのです。この私が、つまりこの町を通ってゴルゴダに至るまでの距離しか余命のないこの私が、復活再臨するというのではなく、あなた方人間たちが、キリストのうちで、気高き正義のうちで、生きるために来臨する、つまりあなた方が、この先数え切れぬほどの世代の果てに、私の元へやってくるのです。そしてそれが私の再臨となる。言い換えれば、私は人々のうちにあって自らの苦悩を通じて自らの元へ戻る。つまり人々のうちで人々の元へと戻るのです。P.150-151


 この小説のイエスは、神と人とを連続したカテゴリーとしてとらえている。彼によれば「総体としての人類は地上における神の似姿」なのだ。

 一方この幻想の対話の相手であるピラトの発言も、同じくドストエフスキーの大審問官の思想を想起させる。主体性を欠いた弱い存在である人類は、自由で自発的な愛の原理によって生きるよりも、奇跡、神秘、権威によって支配されることを望んでいると、大審問官は説くが、次のような箇所はそうした思想のパラフレーズと見なせるだろう。

 確かにおまえの洞察は鋭い。だが、おまえはあまりにも思い上がっていはしまいか。広場の群衆の卑しい本性を忘れ、人間の信仰に強い期待をかけすぎてはいまいか。おまえはもうじき市壁の外でこのことを思い知らされるだろう。(中略)カエサル無しには世界は成り立たず、ある者の支配と他の者の服従は存在かなわぬ。故におまえが思いついた別の秩序を新しい歴史として押しつけようとつとめても無駄である。カエサルにはカエサルの神々がいる――カエサルは連綿と続く「明日」の永遠性の中で一定の境界を失い、空気のようにすべての者に平等に属するような、おまえの抽象的な神、明日という神を認めない。なぜなら平等に与えることのできるものはすべて、何でもないか、価値がないか、下らないものに決まっているからだ。(中略)おまえがどんな予言をしようと、おまえの努力は無駄である。権力によって治められる世界はほかの形を取り得ないのだから。世界はより強い者が権力を握るという従来のあり方を今後もとり続けるであろう。今後も強者が世界を支配するであろう。P.153-154


 未来に向けた人類の成長・完成の思想を説くイエスと、現在の秩序の論理を擁護するピラトの対立の構図は、アヴジイの物語だけでなく小説全体の構想の雛形となっている。オオカミの家族の物語でも、牧羊家ボストンの物語でも、個のイニシアティヴによる生命の積極的展開や競争的共存の思想が、権力のもとでの保身や異分子排除の論理と対立し、敗れていくのである。それがソ連末期の現実だと作者は言いたいようだ。

 近代ロシア文学の記憶は、いわば福音書的なモチーフを現代の物語に応用する際の媒介イメージを提供している。牧羊家ボストンの人物像がトルストイの小説から農村派文学にまで現れる「誠実な農民」のイメージに連なっているとすれば、アヴジイはドストエフスキーのムイシキン公爵からヴェネディクト・エロフェーエフやサーシャ・ソコロフらの主人公たちに通じる、「聖なる愚者」、「弱き義人」のイメージと重なっている。この後者――聖愚――のイメージの中に、アイトマートフはドストエフスキー的キリスト教のヒューマニズム的側面とキリスト崇拝の要素を選択的に取り入れた。だからアヴジイの物語は、たとえばゾシマ長老を欠いたアリョーシャ・カラマーゾフの話といったものを連想させる。

ただしマムレーエフの場合と同様、テーマの類似はその処理の差を際だたせている。アイトマートフ版ドストエフスキーが与える違和感は、主人公たちがすでにある思想を持った(あるいはプログラミングされた)信念の人として登場することである。あたかもオオカミの母親が(人間語で言うところの)母性本能・種族維持本能を脳神経に組み込まれて、それに反する行動ができないのと同じように、アイトマートフの人間たちも、信念に矛盾する行動ができない。ドストエフスキーの小説を開かれたものとしていた、思想の不完結性、人間と思想の関係の決定不能性、およびそれ故のダイナミズムが払拭され、かわりにある信念の人の冒険が悲劇的な色調で描かれる。小説は一面で思想による現実の批判、他面で思想の諸側面の展開という機能を果たしているが、思想自体の正当性や整合性が試みられる機会は欠落している。1990年の『カッサンドラの烙印』で、アイトマートフは新しい進化の方向選択の理念(賢明なる優生学)を唱道して敗北する「宇宙修道士」の物語を書いたが、思想のニュアンスの差にも関わらず、そこでも一つの思想の悲劇的絶対化が行われているのである。

 アイトマートフは、小説ジャンルに近代以前の叙事詩の要素を持ち込むのを持ち味とした作家である。『一世紀より長い一日』(1980)のような作品では、リアリズム小説的な要素と叙事詩的要素との対抗が、近代的なものと伝統的なもの、ソ連的なものと民族的なものといった対立を表現する装置として、見事に機能している。たとえばカザフの物語詩やそのバリエーション(記憶を奪われた捕虜マンクールトのエレジーなど)が現代社会の事件や状況(宇宙開発基地に先祖の墓地を奪われた民族の状況など)と拮抗する、神話的空間をなしていた。『処刑台』では民族のエポスに代わって、福音書やドストエフスキーの小説のモチーフが物語の神話的ベースとして利用されているのだが、それは作品を重層化する機能を十分に果たしていないようにみえる。それはおそらく作者が古典を作品に取り込む過程で、対象の多義的な陰影を省略し、自分の思想に引きつけたいくつかの単純なメッセージに還元してしまったからである。その結果ドストエフスキーのモチーフも、作品の神話素と言うよりは、むしろ書き割りのようなものと化してしまったのである。


 d)ロシア論の文体:D.ガルコフスキー『果てしない袋小路』(1995/1997)21

 ミハイル・バフチンはドストエフスキーの主人公の言葉の分析に際して、文が直接の指示内容以外に含んでいる発話者の意識に関するメッセージに、とりわけ注目している。たとえば「隠された論争や対話」と彼が呼ぶ種類の言表においては、表面に言及されない他人の言葉を相手にした葛藤が、ほのめかしや留保を含んだ、屈折した表情を発言に与えている。そのような言葉は、いわば想像上の他者の問いや糾弾を先取りしたうえでの、応答や釈明なのである。これは前出の地下室人タイプの発話にとりわけ顕著な特徴であるが、時としてナレーションの言葉にも、あるいはドストエフスキー自身による評論の言葉にも、類似の兆候を見いだすことができる。

 バフチンはこのような現象を、人間の意識と思想の対話的性格に関するドストエフスキーの認識に帰している。彼の考えによれば、ドストエフスキーの主人公は社会的なタイプや心理学的性格の観点からは定義しきれない、世界と自分をみる視点や意識として設計されている。この意識は自己認識に向けて無限の運動を行う。すなわちそれは外部世界との相互作用を通じて自己を知ろうとしながら、自分に対する外部からの定義を裏切ろうとする。そして同時に自分が自らに与えた定義やイメージまで、常に相対化してしまうのである。「自己」とは既存のものでなく、こうした運動の中で絶えず新しく認識し直されていく、非完結の存在なのだ。

 このことはドストエフスキーの思想の扱いにも直接関係する。バフチンによれば万人共通の意識のあり方を前提として単一の普遍的な真理を求めるたぐいの形而上学を、ドストエフスキーは否定した。彼が思想の名で意味するものは、特定の意識の視野に写った真実、およびそれらの相互関係の叙述である。すなわち思想とは、意識同士の相互主観的、対話的な関係の中で発せられる問いと応答からなっていて、そこには個人の肉声の調子や彼の他者への顧慮のあり方が、すべて含まれている。そして意識が完結しないものである以上思想も完結しない。自己について無限の発話が可能であるように、思想についても最終的な定義は存在しないのである。22

 思想家ドミートリー・ガルコフスキー(1960-)は、このようなバフチンのドストエフスキー解釈をきわめて積極的に受け取りながら、それをドストエフスキーの個人的特徴と言うよりは、もっと一般的な文脈でとらえ直そうとしている。すなわち彼は上記のようなドストエフスキー風の思想表現のあり方を、ロシア人によるロシア論の必然的な形式と考えるのである。

 彼の『果てしない袋小路』は、その風変わりな形式の故に思想的エッセイとも文芸評論とも特異な小説とも読める作品だが、そこで彼はドストエフスキー、ワシーリー・ローザノフ、ウラジーミル・ナボコフを中心主題としたユニークなロシア文化論を展開している。

ただしそれは、ロシアにおけるロシア文化論の特殊な意味、論者の心理、適切な議論形式のあり方等々、ロシア文化論というジャンルの背景・方法・意味・機能に関する様々な考察や思考実験を含んでいる点で、メタ・ロシア文化論と呼ぶべきものである。

 ガルコフスキーの論理では、ロシア文化にはそもそも合理的な自己表現はふさわしくない。ロシア人はまず民族の中心的神話を持たず、また文化の輪郭や境界も曖昧である。しかもロシアでは言語(ロシア語)自体が、論理性や哲学的機能を欠いている。

 ロシア語。ロシア語がどの程度まで哲学システムの構築材料となるか。答は簡単。ゼロ程度だ。ロシア語とは根本的に「非哲学」言語だ。ロシア語は虚の言葉だ。ロシア語は絶えず分裂し、「両義的になり」、一つの形から別の形へととりとめもなく流れ込み、虚のイメージを与えるのだ。G.1-222

 「発せられた思想は嘘となる」はすでに碑銘ものの金言である。ところでこの真理の私家版として「ロシア語で発せられた思想は不合理である」と言ってもいいであろう。なぜなら本来合理的な思想でも、ロシア人の口に上ると不合理なニュアンスを帯びてしまうのだから。G.1-224


 さらにロシア人の精神が、中心に空虚を抱え込んでいる。

 ロシア精神は本来おとなしく黙しがちで、不定型な精神である。それは完全な空虚、虚ろな穴だ。そもそもロシア自体が不毛なのだ・・・・・・。
 しかし――とガルコフスキーは自分の命題をドストエフスキー風の逆説で展開する。

――その空虚さが恐るべき感受性を生み、認知された素材を驚くべき、信じがたいほどの明察の光で照らし出すことができるのだ。G.1-229


 「ロシア人は自分を完全な本物ではないと思っている」(G.2-14)とガルコフスキーは書くが、それならば自らの精神の曖昧さや虚ろさを自覚したロシア人が、曖昧なロシア語を用いて、曖昧なロシアを語るには、果たしてどのような態度が可能か。ガルコフスキーによればその見本がこの書の主題であるローザノフおよびドストエフスキーの方法なのである。

 「ローザノフは一生涯柔らかな空虚の中で、ロシア文化の壁の在処を手探りしていた」という詩人マンデリシタムの言葉を受けて、ガルコフスキーは書いている。

 柔らかな空虚の中で堅い基盤を求めて手探りしている思想家の像――これはすでにシンボルの域を超えている。これはローザノフの本質であり、ひいてはローザノフ自身に対する必須の態度でもあるのだ。G.2-5


 ローザノフの態度とは、具体的にはこの20世紀初期の思想家の作品を貫くアフォリズム文体を示す。すなわち「蜂蜜」のように不定型なロシアという素材を、小さな断片に分けてアフォリズム的に描写し、さらにそれぞれのアフォリズムに必要な注釈、逸脱、変奏を加えていく手法であった。

 作者にとって論理的に一貫し、自足したロシア論は、すでにロシア論ではない。曖昧なものを曖昧にとらえて破綻しない方法、あるいは最初から自己矛盾や破綻をプログラムしたローザノフの方法こそが、ロシアへの言語的対応として模範とするにふさわしい。そして絶えず留保、補足、例証や反証を必要とするアフォリズムの迷路に入り込んでいく中で、ロシア人はロシアのみか自分自身をも表現することができるというのである。

 限界性を自在さと読み替えるようなこうした独特な評価を、作者はローザノフのほかにドストエフスキーにも与えている。

 ドストエフスキーとローザノフ――彼らはおそらく唯一自由なロシアの思想家たちである。まさにその自由さの代償として、彼らの思考は民族的なイデエによって厳しく規定されていたのだ。すなわち彼らを通してルーシ(ロシアの古称:訳者)が自己現したのである。G.1-241

 ドストエフスキーはいまだ自国の哲学をもたない国に生まれた哲学者である。ただしその国には自前の文学があった。だからドストエフスキーは自分の哲学を小説の形で表現した。これは悲劇であると同時に幸福でもある。というのも、このユニークな場合には、内部の精神世界とその言語表現との間に分裂が生まれなかったからである。

ドストエフスキーは自由で、その哲学の才能はロシア文学の広い懐の中で展開された。

ドストエフスキーの口を借りて、ロシア的なタイプの考え方が自己表現した。すなわち発作的でとぎれとぎれでありながら、同時にしつこくていつまでも言い訳したりつけ加えたりといったタイプの考え方である。G.1-240


 ガルコフスキーはドストエフスキー流の人間論やロシア論の本質的特徴を捉えているだけでなく、そうしたものを自己流に利用・応用している。きまじめながらポストモダン派の世代に属す彼は、すでに(たとえばソルジェニーツィンのように)ロシアの「実体」や「精神」そのものを、直接に論ずる姿勢を貫くことができない。一つにはすでにロシア論やロシアイメージの膨大な集積が目の前にあり、言われるべきことは言い尽くされているからである。また一つには、ロシア人たる自己がロシア人を対象化して語ることの限界(自己言及のアイロニー)を自覚させられているからである。彼はこうした限定された立場を意識し、許された範囲のゲームを行おうとしている。それはロシア論の集積のうえにある現代の自己の立場から、ロシア論自体について語ること、具体的には様々なロシア論の視点や文体を比較検討し、自分の声に乗せてその可能性を試してみることである。メタ・ロシア論は、彼が選んだ方法と言うよりも、彼に強いられたフィールドなのである。
 実際彼は一見自前の断定的な口調の中に複数の他者の文体を取り込みながら、対象を対象自身の言葉で語ってみせる。またあるところでは、文体自体が議論の内容を模倣している。次の文章は、ロシア人の地下室人的側面を、地下室人的な言葉で語っている例である。

 ロシア文化には沈黙の才はあるが、物事を伏せておく才はない。ロシア人は適当なときに話を止めるすべを知らず、全部話してしまおうとし始めるのだ。この次第は『地下室の手記』に見事に描写されている。(中略)途中で話を止めるすべを知らぬロシア人は、いったん喋りはじめると最後までいってしまい、そしてその言葉の洪水が、ついにはへとへとになって自壊するまで続くのである。(中略)これは全て罪悪感の具体的発露である。それも自己に向けられた罪悪感、つまり単なる弁明でなく弁解であっ、それが例の『内部に終点を持たぬ発話』、何でも口から出してしまう発話の原因となり、それが「退化」と呼ぶべきか、弁明の破壊的な力を自己自身に伝える作業となり、いわば弁明の内に閉じこもることとなって、それが恐らく、少なくとも他人の意識にとっては、人格の消滅となる(これは思想的模倣の一種である)。ロシア人の『自己』の不幸な性格がここから理解できる。弁解するとき、ロシア人は常に自分の世界のもっとも弱い、病んだ部分を取りあげる。しかも自分が考えていることをではなく、他人が(恐らく)自分について考えているであろうことを話題にする。それもその『他人』にそう思ってほしくないがためなのである。(中略)自我という回転する漏斗が、自己弁明の空虚が、絶えずロシア人を吸い込んできたのだ。G.2-5


 ここでは、自虐とも自己陶酔ともみえるロシア人の際限ない弁明衝動の説明が、空虚を動力として回転し続ける漏斗のような、果てしない文体をまとっている。このような形式と内容の対応は、実は文体だけでなくこの作品のコンセプト全体についてもいえる。『果てしない袋小路』(本稿でG.2 と呼んだもの)は、本来この作者がローザノフらを論じた同名の評論(本稿のG.1)への注釈書という体裁をとっている。ただしもとの評論(『コンチネント』誌所収)は書物としての『果てしない袋小路』には収録されていないので、大半の読者は目に見えぬ評論への言及と向かい合うことになる。しかもこの注釈書は、量にしてもとの評論(雑誌版で90ページ弱)の十数倍にもふくれあがっていて、約700ページ、949項の注を盛った百科事典の一巻のような形をしているのだ。注は内容的にももとのテキストを逸脱して広がり、注への注、さらにその注という風に分岐している。そしてこの密林のような総体の中には、ロシア思想論・文化論だけではなく、作者とその地下室人のような父親との関係を中心とした、インチームなロシア人の自己の物語までが展開されているのである。

 この特異な<注・小説>は、その形式自体がいくつもの点で現代ロシア人たる作者の自意識を表現している。すなわちそれは求心力の不在(まとまりのなさ)、非論理性、形式感覚の喪失、自虐性と自己顕示の混在、そうした矛盾のただ中にある独特の美的快楽や陶酔、等々といった点で、筆者の意識するロシア人の性格を表現している。そして同時に自己言及の逆接性、思考の非完結性、形而上学の不可能性といった、現代哲学の認識をも模倣している。作者の論理を敷衍すれば、おそらくロシアは近代に遅れてきた分だけ近代を早く脱したという、ポストモダン派の言説に近づいていくだろう。ドストエフスキーは、非合理や無秩序といったマイナス価値を自在さというプラス価値に変質させるような、ロシア近代の知恵の代表例として、この作家の自己表現の中心部分に取り込まれているのである。


2.ドストエフスキー論のある現代文学

 ドストエフスキーへの批判は評価と同じほど長い歴史を持つもので、論点も少なくない。

ツルゲーネフやストラーホフなど個人的関わりがあった者たちがほのめかしていた人格的問題(猜疑心、名誉心、予言者気取り、果ては性的嗜好の偏り等々)、ミハイロフスキー、レオンチエフ、ゴーリキーなどがいろいろな角度から指摘した彼の文学の倫理・思想上の問題点(プチ・ブルジョア的価値観、宗教上の修正主義、人間観のグロテスクな偏向等々)、最初の評価者ベリンスキーからナボコフまでがしばしば指摘してきた、創作作法の欠点(冗長さ、バランスの悪さ、大衆文学的通俗性等々)といったものが、代表的論点として例示される。

 ジャーナリストでもあったドストエフスキーには、もちろんそのイデオロギーや政治的立場への批判もついて回る。実際彼の民族主義的偏見もしくはショーヴィニズム(反ユダヤ、反ポーランド、反イスラム、反ドイツ・・・・・・)の要素をどのように批判するか、あるいはどのような手続きで理解するかという議論は、学界でも時としてうねりのような高まりを見せる。

 90年代ロシアでも、このようなドストエフスキーの問題点、とりわけ反ユダヤ主義の側面を取り上げ、ドストエフスキーに関する議論を文学化した作品が発表されている。以下現代の文学的ドストエフスキー批判の展開ぶりを検討してみたい。


a)反ユダヤ主義批判: F.ゴーレンシテイン『ドストエフスキー論争』(1990)23
フリードリヒ・ゴーレンシテイン(1932-)の戯曲『ドストエフスキー論争』は、実は1973年に書かれていた作品で、ペレストロイカ後のソ連で初めて出版されたものである。

作者は粛正された父を持つユダヤ系の映画脚本家・小説家。『惑星ソラリス』(A.タルコフスキー)『愛の奴隷』(N.ミハルコフ)等の脚本を手がけ、79年に非公式文集『メトローポリ』の出版に参加した後、亡命している。

 『ドストエフスキー論争』は、エデムスキーといういかにもユダヤ人らしい姓を持った文学研究者が書いた「ドストエフスキーの無神論」という問題論文の採否をめぐって、作家同盟の編集部で行われる議論を戯曲化したもの。配役にもせりふ回しにも、上演用の配慮がなされているとはいえない、いわゆる「読むための戯曲」のように感じられる。

 論争の参加者は、主人公の文学研究者以外に編集者、作家、学者など十数名におよび、思想傾向も、反スターリニズムの農村派シンパサイザー、反ユダヤ主義のナショナリスト、その逆の反ロシア主義者など、多彩である。作品の所々に暗示されている事柄から判断して、出来事は執筆と同時期、すなわち70年代初期を背景にしているようだ。この時代、ドストエフスキーを含めた革命前文学の研究・評価において、すでにスターリン時代のような露骨なイデオロギー的規制は弱まっていて、様々な解釈基準や方法論の導入が可能になりつつあった。しかしそれだけに、古典の解釈が個々人の思想的な立場の表現としての意味合いを強く持ち、19世紀作家の評価をめぐって、イデオロギー上の「アヴァンチュリスト」対保守主義者が対立するという場面も、珍しくはなかった。先にふれたようにドストエフスキーはこの時期、一種の文化的復古主義やロシア民族主義のムードにも影響されて、比較的によく読まれ、生誕150周年を一つの契機として新しい科学アカデミー版の全集も編まれ始めていた。しかしそれゆえに個々の解釈の持つ論争的意味も大きく、たとえば「西側の」「ブルジョア式心理学」や「構造主義」といった文学研究の方法に対する態度、あるいはこの作家の宗教観、社会主義観、民族意識といったイデオロギー的要素の扱い方が、論者の自己主張の指標となっていた。――それがこの作品の大まかな背景状況である。

 論文の著者エデムスキーは、ドストエフスキーを良心的ロシア知識人のモデルとして、あるいは19世紀ロシア作家の代表者として崇拝する風潮に反対する、ドストエフスキー批判者の立場から立論している。

 今日ではドストエフスキーの体が、偉大なる19世紀ロシア文学の全身を隠してしまっている。19世紀文学を自分に取り込むのでも、冠のようにその頂を飾るのでもなく、まさに影のように覆い隠しているのだ。トルストイも彼の陰に隠れてしまったし、プーシキンはなおさらだ。チェーホフだけが一見意外なことに、かろうじて影から逃れ、彼と並び立っている。(中略)それどころか最悪なことに、19世紀ロシア文学のすべてが、今日ではドストエフスキーの視点から、ドストエフスキーを介して理解されているのだ。これはわが国でも外国でも同様である。P.19


 こうした意見とそれをめぐる議論の詳しい検討は省略するが、エデムスキーのドストエフスキー批判の主な論点と論理の骨子のみを列挙すれば、おおむね以下のような矛盾をはらんだ多彩なリストになる。

ア)男性原理批判:ドストエフスキーは男性原理中心の作家で、女性原理を理解していない。両性の原理の尊重から「愛」のモチーフが生まれるのに対して、単性原理は「自由」の概念を絶対化する。ドストエフスキーは自由を人間存在の最重要問題とし、自由との関連で犯罪のテーマを作品の中心に据えた。自由追求の志向が、(信仰=自発的自由の委託につながらず)「不死がなければすべては許されている」というイワン・カラマーゾフの思想につながるとき、20世紀的な殺人の肯定が帰結される。

イ) 宗教上の修正主義批判:ドストエフスキーは宗教の解釈に科学的な論理や方法を持ち込んでいる。神によって生きる代わりに、神を解釈しようとしている。従ってアインシュタインやフロイトとは通じ合うが、本来の宗教的神秘からは外れている。

ウ) キリスト解釈批判:ドストエフスキーはイエス・キリストの個性には共感したが、キリストの教えには従おうとしなかった。総じて彼の教義論は浅薄である。

エ) 民族的宗教の批判:ドストエフスキーにおいてはキリスト教観がロシア民族論と結びつき、自国民の属性や使命を説明する原理として用いられている。彼にとって世界とはロシアであり、人間の苦悩とはロシア人の苦悩である。『山上の垂訓』の普遍人類的な意味が恣意的に読み替えられている。

オ) ジャーナリスト的側面の批判:民族主義のイデオローグであったドストエフスキーが真価を発揮したのは、小説家としてよりもジャーナリストとしてであった。

カ)仏教的要素(!)批判:ドストエフスキーがキリスト・イメージの表象として描いた『白痴』のムイシキン公爵は、実はキリストに似ていない。キリストにとって人間的なものがすべて無縁でないのに対し、ムイシキンは人間的なものからの自由(解脱?)を求めている。

キ) 革命批判の批判:ドストエフスキーは革命勢力の批判にも失敗している。『悪霊』に書かれているのは、国家と革命勢力の戦いではなく、民族主義的無神論と社会主義的無神論という、二つの革命勢力の争いである。

ク) 女性観批判:女性はドストエフスキーにとって総合的人格ではなく、情欲か憐憫かのいずれかを喚起する偏った存在としてイメージされている。そこに生ずる愛
には、破滅が約束されている。

ケ) 20世紀への反面教師性:ドストエフスキーは神なくして生まれてきた。そこに彼の現代性があり、20世紀の精神が彼に惹かれている根拠がある。ドストエフ
スキーの誘惑は、現代の精神病の一つである。


 このような一連の批判と、それをめぐる議論の後、この異端の文学研究者の労作に出版不可の判定が下される。戯曲の最後に作者は、怒れるエデムスキーの呪詛のような言葉を付け加えている。

 (西欧によってさんざん見当違いにもてはやされたあげく:訳者)ドストエフスキーは全世界的な予言者、新時代の意識のイデオローグとして戻ってきた。それはどんな精神の実験にもころりと参ってしまうような、半アジア人の若年層には、きわめて危険なイデオローグである。皆に共通する指導的理念を信じない者は、自分の手で理念を量産するようになる。そして自分の手で作るものだから、自分ではそれが尊重できない。何の神秘もない、ただの作り物だからだ。ドストエフスキーは生の理念も死の理念も尊重しなかったし、本当に身近に感じていた「ロシア」の理念のような本物の理念でさえ、尊重していなかった。彼はそれを形而上学的に理解しただけなのだ。(中略)

20世紀は科学の世紀であるばかりか、意外なことに民族主義の世紀であった。

科学と民族主義という前代未聞の組み合わせのせいで、文化は成熟した力を失い、解体された。一貫した進歩の道を奪われた文化は、誘惑に負けやすい。とりわけ悲惨な時代における危険な誘惑の一つは、苦悩を通じて幸福を得ようという誘惑である。それこそが、とりわけ「世界的」小説群を書いていた時期の、ドストエフスキーの創作精神の眼目だった。(中略)

ドストエフスキーは20世紀文化の支配者である精神分析学の「ブーム」によって持ち上げられた。ゴーゴリやツルゲーネフに学ぶより、ドストエフスキーの方が楽だし、まねもしやすい。彼の思想に誘惑されるのはおもしろく、また自尊心も満足させてくれる。みんな完全な人間ではないから。ドストエフスキーとは、多くのものを得ながらただ一つのもの、神聖なるものを失った文化の頂点をなす存在である。その失われたものとは、保守的で、ダイナミズムや流動性に欠け、反逆者の視点から見れば滑稽なものでさえあるのだが・・・・・しかしそうしたものを欠いた文化は、遅かれ早かれ自滅を約束されているのだ。P.50


 エデムスキーの議論には、先に瞥見した90年代のドストエフスキー論議につながる観点も含まれている。たとえば宗教の危機の時代の作家としての彼の現代的な意味、そのキリスト観とキリスト教観の正当性、民族主義的側面への関心など。しかしそうした問題を論ずるエデムスキーの態度は、学問的な公平さや冷静さを離れて、きわめて断定的・主観的・択一的であるし、論点同士の整合性にも怪しいところがある。彼の論点のすべてを備えた(そしてそれ以外の積極的資質を欠いた)個人としての作家を想像するのはいささか難しい。あたかも彼にとってドストエフスキーは、単なる研究対象の域を遙かに越えた、一種の強迫観念として存在しているかのようだ。同じことは彼の説を擁護したり批判したりする他の登場人物たちについてもいえる。ドストエフスキーは人々の思想的な格闘の場に、一つの人格としてではなく、悪魔もしくは神のごときものとして君臨しているかのようである。

 ゴーレンシテインの作品は、ドストエフスキー論を媒介として、ソ連ユダヤ人という「内側にいる外部者」の目が、70年代ソ連知識階層の思想的雰囲気に感じた違和感や危機感をも表現している。そして同時に、こうした対立の様相自体が隠蔽された心理的閉塞状態の中で、古典作家の定型イメージがグロテスクに肥大していく様も、そこに反映されているのである。


b)イデオロギー批判の反転:Iu.クワルディン『戦場はドストエフスキー』(1996)24

 ユーリー・クワルディン(1946-)の小説『戦場はドストエフスキー』の設定には、ゴーレンシテインの戯曲との共通点が多い。すなわちここでも文学者同士の議論が描かれ、そこでドストエフスキー批判が展開される。ただしゴーレンシテインの議論が多人数での討論会であったのに対し、ここで行われるのは二人の主人公の間のダイアローグである。それも一因して、議論は文学論や思想論のレベルを逸脱した、より個人的、人間的な要素を含んで広がっていく。

 議論の主体の設定にも、皮肉なひねりが感じられる。ドストエフスキー批判者の役を務めるのは、この作品でもユダヤ人学者なのだが、ただし彼は青年時代からエリートコースを歩んでアカデミー会員の地位に上り詰めた学会の大立て者である。これに対してドストエフスキーの専門研究者として彼の擁護役に回るのが、ソ連後の学界で路頭に迷いかけている無名のロシア人学者なのだ。あたかもフェミニズムやポストコロニアル思想が支配するアメリカ文学界のような強者と弱者の逆転現象が、ロシアでも起こっているかのようである。

 舞台はアカデミー会員の文学者ダヴィドソンが住む大きなフラット。現代の経済危機で収入の道を絶たれたある研究所の学者エゴーロフが、この学界の権威を訪れ、研究助成金申請の推薦者となってくれるよう依頼する。現代文芸学理論の用語を散りばめた滑稽な文学談議を通じて、エゴーロフはこの大学者の関心を得ることに成功するかに見えるが、本題に入ったところでひとつの難題が持ち上がる。すなわち彼の研究テーマが「ドストエフスキーの予言性」であるのに対して、ユダヤ人のダヴィドソンは大のドストエフスキー嫌いなのである。

 ダヴィドソンのドストエフスキー批判は、先に見たゴーレンシテインの主人公の論点と幾分重なりながら、きわめて感情的反発をも含む形で、多岐にわたって展開されている。

 彼によれば、ドストエフスキーはまず自らの思想を客観視する冷静さやユーモアを欠いた真面目人間で、たとえばキリスト神人説に傾倒するあまり、キリストを文学上の人物として検討するゆとりを持たなかった。それが彼の文学を浅いものにしている。またドストエフスキーは作家というよりも、国家に無益な政策提言をするようなジャーナリストであった。彼は人間の行動の動機を美しくカモフラージュしてくれるイデオロギーの魅力にとりつかれ、「スポンジのようにイデオロギーに浸っていた」(p.20)。さらにドストエフスキーは収入のために書くプロレタリア作家であり、その様な文学の横行は国家の貧困を反映している。その調和や節度を欠いた書きぶりも、原稿料への打算と精神的アンバランスのしからしむるところで、「チェーホフの手で編集したいくらい」(p.23)である。またドストエフスキーにとって女性とは単なる性愛の対象に過ぎなかった・・・・・・。

 取り留めもなく羅列されるこのような批判の後に、ついに核心にあたるものが登場する。ダヴィドソンの議論の矛先は、ドストエフスキーの反ユダヤ主義に向けられているのである。

『ヴレーミャ』『エポーハ』という雑誌や『グラジダニン』という新聞で、ドストエフスキーは西欧派とスラブ派の中間に陣を張ろうとした。つまり今の言葉で言えば、中間派(ツェントリスト)を目指したのだ。(中略)

そもそも、スラブ派と西欧派の論争は結局のところ、今でも同じだが、ユダヤ人への態度という明々白々な問題に帰着するのだ。(中略)ユダヤ人への態度は、キリスト教的とは言わないまでも、せめて寛容なものでなくてはならないということを、ドストエフスキーは理性では理解していた。しかしもちろん実際には第一カテゴリーの人間すなわち極右スラブ派に同調し、ユダヤ人を憎んだのだ。P.30


 ドストエフスキーの書簡集を開きながら、彼はこの作家がユダヤ人を「ジュー」と呼び、ユダヤ人がロシアのジャーナリズム、思想、経済界に勢力を張って「国家の中の国家」を形成し、社会主義運動を広め、非ユダヤ人への陰謀をたくらんでいることへの警戒を表明した箇所を引用してみせる。この意味で彼にとってのドストエフスキーは特殊な存在ではなく、ロシア民族主義の矛盾した心理構造を代表する存在に過ぎない。

 偉大なるロシア人は偉大なるユダヤ人から書物(聖書)を借用し、それに馴染み、自分のものとしてしまった。そしてその後、ユダヤ人をジューと呼んで呪うようになったのだ!興味深い変わり身ではないかね! またこれはどうだ――共産主義を考え出したのはユダヤ人(マルクス:訳者)だ。そしてロシアがこの思いつきを実行した。

すると結論として、共産主義者はユダヤ人崇拝者ということになるな?――それじゃ、スターリンの反ユダヤ政策はどこからきたのだ?謎だろう?哀れなユダヤ人から思想だけ取り上げておいて、その民族を呪うんだからな! P.31-32

 ダヴィドソンによれば、ドストエフスキーは登場人物をマリオネットのように操りながら、ひたすらこうした自らの思想をモノローグ的に述べただけであり、ミハイル・バフチンの言うポリフォニー文学という定義は、まったく見当はずれなのである。

 バフチンの定義なんて忘れなさい・・・・・・バフチンはドストエフスキーをちっとも分かっていない。ポリフォニーはチェーホフのもので、ドストエフスキーはモノローグ作家だ!・・・・・・彼の登場人物は人間じゃなくて操り人形だ。ドストエフスキーが彼らの後ろで糸をひき、今度はこの人形、次はあの人形と、作者の思想を伝えさせているのだ。
 (中略)

声たちのざわめきはやがてひとつの声、作者の声にまとまっていく。そうなるともう文学的仕掛けなど糞くらえで、作品を新聞記事のように読むしかない。そこですべてがはっきりする。ドストエフスキーは新聞記事として読むべきなのだ。例えば今の『文学新聞』のようにね。まったくドストエフスキーと同じで、文学を除けばすべてについて書いてあるから。P.35-36


 クワルディンの主人公のドストエフスキー批判は、ゴーレンシテインのものに劣らず矛盾に満ちている。彼にとってドストエフスキーの文学は、まじめなイデオロギーの表現であると同時にポストモダニズム的なゲームであり、執筆狂の書き流しかと思えば原稿料をねらっての水増し文である。

 さて、こうした多面的で一貫性を欠いたドストエフスキー批判が、この作品でどのような意味を持っているのかは、あくまでも判然としない。例えば貧しい家に私生児として生まれながら「生来の怠惰の故に」偶然文学の道に紛れ込んだエゴーロフという毛並みの悪い文学者が、俗っぽさをむき出しにしながら「ドストエフスキーを愛せるのは、自ら苦しんでいる者だけなのだ」と独白する様子は、それなりにダヴィドソンの怪気炎と拮抗している様に見える。エゴーロフの態度の根底にあるのは、きわめて素朴故に否定しがたい、作家の言葉に対する絶対の信頼感である。

エゴーロフはみんなが互いに寛容な態度をとり、軽率な過ちや侮辱を許し合い、他人の良い面のみを見いだして、それを会話でも強調するような、そんなことを望んでいたのだ。ドストエフスキーはなんとすばらしい人間だったことか。なぜダヴィッドソンはそれを理解しようとしないのか。ドストエフスキーはどの作品でも、人間に対する善良な態度について、キリスト教的な態度について語っている。その際、彼がもっとも大事にしたのは道徳の問題であった。道徳性だけが、彼の重要な関心事であった。

彼が常に<肯定>と<否定>を、善と悪を対決させていたのも、そうした例を通じて、善の優位を導くためであった。もしもドストエフスキーの作品のこうした面に気づかないとしたら、人生のことも何一つ気づかず、理解しないということになるだろう。
P.45


 一方で作中に紹介されるダヴィドソンの出自も、彼の思想を相対化してしまう意味あいを持っている。このアカデミー会員は、実は20年代からの古参党幹部の息子であった。

彼は幼時からエリートコースを歩みながら、スターリン時代には社会主義リアリズムを、ペレストロイカ期にはモダニズムやポストモダニズムを論じることで、常に学会の指導者の地位を保ち続けてきた、ソ連的変身術の達人なのである。おまけにこの人物は(彼の論じるドストエフスキーのごとく)性欲の権化のような人物で、定例の曜日に美人学生を自宅に招いて、あやしげな指導をしている(ちょうどこの日がその曜日で、主人公たちの談話は、女子学生の訪問で中断されるのである)。
 この奇怪な物語は、あたかもドストエフスキーの短編『いやなはなし』(1862)のような、やるせない結末を迎える。ダヴィドソンは結局エゴーロフの研究を基金に推薦することを拒絶するのだが、それに代えて別の提案をする。すなわちドストエフスキーの代わりに自分ダヴィドソンを研究対象とするならば、相手に月額1500ドルの助成金を保証しよう、ただしその見返りとして、自分に助成金の20パーセントをよこせと持ちかけるのである。こうしてドストエフスキー嫌いの毛並みの良い俗物と、ドストエフスキー好きの毛並みの悪い俗物とが、経済的なベースで手を握り、物語は大団円を迎える。つまりこの小説では、ドストエフスキーの反ユダヤ主義への批判が、いつの間にかユダヤ人学者の俗物性への批判と入れ替わっているのである。

 ゴーレンシテインとクワルディンの作品は、ドストエフスキー評価という窓口から、この20年間におけるロシア文学世界の変化を垣間見させてくれる。すなわち前者の作品でドストエフスキーをめぐる言説がはらんでいたイデオロギー的緊張が、後者においてはすっかり失われている。親ドストエフスキーも反ドストエフスキーも含めて、ここでは全ての言説の真の動機は個人的嗜好や利害である。ユダヤ人としての視点も、個人が隠蔽したり強調したりできる、選択的立場であるかのようだ。そうした意味で、ここでもあらゆる発言は自己言及的であり、対象を性格づけると同時に発話者自身を描写している。打算的で節操のない好色漢としてのドストエフスキー像は、じつは論者であるダヴィドソンの
自己の投影なのである。


c)文学の呪縛: V.ピエツフ『新モスクワ哲学』(1989)25

 前出のマカーニンの小説『アンダーグラウンド・・・・・・』には、殺人という行為が文学作品の記憶を介して初めて理解されるという、一種の事実とフィクションの転倒関係がほのめかされていた。こうしたことを、個人的経験論でも文学一般論でもなく、ロシア文学とロシア人読者の間の特殊な関係に帰す立場がある。文学作品の社会的な機能――世界の情報を伝え、空間や時間の観念を均一化し、宗教・思想・科学などを流布し、歴史や現実の事件の解釈を提供し、人々の行為に影響を与える、といった働き――は、本来小説(ノヴェラ)の本質に組み込まれていたものだが、近代ロシアの政治・社会状況の中で、文学のそうした側面がとりわけ涵養された。すなわちロシア文学は、人々に世界を教え、行動規範を説く教師のように、ロシア社会に君臨してきたというのである。

この種の事柄は心情的なイメージを背負っているので、真実性を論じることは意外に難しい。しかし現実として、たとえば言論の自由が抑圧されていた19世紀ロシア(あるいは20世紀ソ連)では、かろうじて文学が社会問題を表現し思想を語る媒体として機能していた、というようなロシア文学史の記述を、多くの人は抵抗なく受け入れてきた。これに逆の評価を与えれば、ロシアには事実の代わりに言葉や観念が、現実の代わりに文学があったという、ミハイル・エプシテイン流のロシア=シミュレーション社会論となる。ドストエフスキーの文学は、しばしばその種の議論の強力な例証として言及されてきた。

 ヴャチェスラフ・ピエツフ(1946-)は、小説『新モスクワ哲学』において、このような疑似現実体験の生産装置としてのロシア文学論、とりわけドストエフスキー論を、物語の輪郭として配置するという、風変わりな実験をしている。以下はこの小説の序文である。

 驚くべきことだが、ロシアの人間はずいぶん昔から母国の言葉の支配下に、あるいはくびきの下におかれてきた。例えばオランダ人はキェルケゴールを百年もの間読まずに放っておいたし、フランス人にとってのスタンダールも、死ぬまではお呼びではなかった。ところがわが国では、サラトフ県の何とかいう坊主の息子上がりの教師(19世紀作家・思想家チェルヌィシェフスキー:訳者)が、国民の将来のためには(板に打ちつけた:訳者)釘のうえで眠る方法を修得したらいい、といったことを書くと、もう国民の半数が釘のうえで寝はじめる始末なのだ。文学の言葉へのそうした服従的態度は二重の意味で驚くべきである。なぜなら、子供か狂人ででもない限りみんなよく知っているように、そうした言葉自体の陰に隠れているのは、単に生命のない現実の反映、模型に過ぎないからである。いや模型ならまだましなほうだ。悪くすると人々はひょいと腰を下ろしてありとあらゆるデタラメ話を作り出す。そしてその人生ごっこに我を忘れ、実在したこともない男や女に、前代未聞の行動をさせ、おまけにそのデタラメを実話だとふれこんで、罪もない何百万の人々を事実上誤った道に誘い込む。しかもその際、何か超人的な特権が自分にあるかのようにふるまうのだ。というのも、よく「彼は考え込んだ」とか「彼の頭にこんな考えが浮かんだ」などと書いてあるが、ある人間がどんなことを考え込んだか、どんな考えが彼の頭に浮かんだかなんてことが、いったい誰に用があるっていうんだろう!

 またあるとき本を開いてみると、実際こんなことが書いてある。「七月のはじめ、途方もなく暑い時分の夕暮れ時、一人の青年が借家人から又借りしているS横町の小部屋から通りに出て、なんとなく思いきりわるそうにのろのろと、K橋のほうに足を向けた・・・・・・」(『罪と罰』冒頭:訳者)これを読むと、つい考えてしまうだろう。そもそも、暑い七月も、青年が小部屋から出ていった夕暮れ時も、S横町も、青年自身も、何も存在せず、これはただある作家が自らの悪夢から逃れ、さらにはバタつきパンの一片を手に入れようとして、考え出したことなのだと。いやもし仮に、例えば暑い七月はあった、恐らくはS横町もあった、そして住人から又借りされた小部屋もあったとしても、この青年なるものは影もかたちもなかったのだ。いや百歩譲って、この青年が存在したとしても、彼は決して夕刻にアパートの敷地を出て決められた場所に向かうことはなかった。いやもし仮に向かったとしても、「何となく思いきり悪そうに」ではなくて、反対にドイツ風の足どりで出かけたのだし、それも小部屋からでも、夕刻でも、七月のはじめでもなく、きっとイズマイロフスキー連隊のアパートから九月三〇日の早朝に出かけたんだと。

 一番面白いのは、なぜかこの種の洞察が原寸大の大きさで得られることはなく、われわれはあたかもかつて先祖たちが最後の審判の日を信じていたように、無条件で文学を信じている、ということだ。あるいはこの文化現象は、わが国の文学が福音書的文学だからということで説明されるかもしれない。しかし一面では別様の原因も考えられる。つまり書いてあることがそのまま起こったのだと。つまり本当に暑い七月があって、夕刻も、青年もそのままで、まさに彼が「思いきり悪そうに」敷地を出ていったのだ。たとえそれが前世紀の六〇年代ではなかったとしても、前前世紀の四〇年代とか、あるいはボリス・ゴドゥノフの時代とか、はたまた二年前だとか。なぜならば人類はかくも長いあいだ、豊かでかつ多様な形で生存してきたのだから、たとえ文学者がどんな突飛な、悪夢のようなシチュエーションを考え出そうとしても、人間が実際に一度も経験したことがないことなど考えつくことはできないのだ。如何なる幻想もやがては現実となり、如何なる原因もそれなりの結果に結びつき、如何なる子音と母音の組み合わせも、必ずや人類のいずれかの言葉で何事かを意味するものとなる。

ことほど左様に、如何なる芸術的な思いつきも必ずや現実のシチュエーションや出来事と呼応したあげく、ついには現実の出来事と受け止められる定めなのである。問題はまさに、すべてが実在したというその点にある。エヴゲーニー・オネーギンとタチアーナ・ラーリナも、アカーキー・アカーキエヴィチと彼の不運な外套も、レビャートキン大尉とその突飛な詩句も、かの頑固一徹居士も――確かにこういう連中は、実は別の名前を持ち、別の状況におかれて、住む時代も場所も別だったのだが、そんなことは相対的に無意味である。大事なのは別のこと、つまりむしろ文学こそがいわば生活の根っこ、もしくは生活そのものであって、ただちょっと水平方向にずらしてあるだけだということなのだ。だからこそ、わが国では実生活の向かう方向に文学が向かうということも、また反面で、文学が向かう方向に実生活が向かうということも、はたまた実生活に沿って文学が書かれるばかりでなく、ある点でいえば文学に沿って実生活が営まれているということも、さらに文学の精神的呪縛力が強いあまりに、きわめて良識的な人間さえ、ある種のロマンチックなケースにおいては、ふと「アリョーシャ・カラマーゾフならそんなことはしなかっただろう」などと考えかねないことも、どれもこれも決して少しも驚くべきことではないのである。だからある種のロマンチックなケースでわれわれがつい神聖なるトルストイ、ドストエフスキー、チェーホフの作品を参照するとしても、そこに恥じるべきことはなにもない。なぜなら彼らはフィクションではなくて、ほぼ作品のまま現実に存在したロシア生活の司祭、つまり見習うべき手本に従って苦悩し、思考した存在だからである。つまりすべて現実だったということが大切なのだ。例えば次のような一節は、いかにも比類なくおぞましいものに見える。「老婆は叫び声をあげたが、しかしそれもごく弱々しい声であり、かろうじて両手を頭のほうにあげたかとおもうと、そのままへなへなと床にしりもちをついた。・・・・・・倒したコップの水のように血がほとばしり、体は仰向けに倒れた。・・・・・・彼女はもう事切れていた。目は飛び出さんばかりにむき出され、額から顔全体がしわくちゃで、痙攣に歪んでいた。・・・・・・頭蓋骨は粉々になり、少し脇にずれている・・・・・・」
(『罪と罰』老婆殺害の場面:訳者)しかしこのようなシーンが、まったくこの描写通りのディテールをともなって、実際に何度も繰り返されてきたばかりか、つい最近もまたぞろ繰り返されたのである。確かにこの最近のケースはこれほど残虐ではなかった。被害者の老婆は現代の素材とスタイルの暗いまだら縞のコートを着て、耳あてのついた滑稽な毛の帽子を被り、「さらば青春」の名でお馴染みのゴムとフェルトのオーバーシューズをはいて、ポクロフスキー並木道の取っつきにあるベンチに、目を閉じて腹に両手をあてた恰好でちょこんと座っていた。なんといっても二〇世紀最後の四半期の風俗が、古典的なシーンをも甘く修正したのである。P.54-55


 文学と現実の関係をめぐるこの饒舌な序文は、いわば引き延ばされた逆説、文章として展開された反語法である。すなわちロシア文学の現実支配力の暴露・告発に始まり、文学のリアリティ構築のメカニズム分析、ロシアにおける文学の「福音書」的性格の指摘へと進んだ議論が、最後には文学とは「ちょっと水平方向にずらされた(=シンボライズされた)」実生活であり、文学と現実は連動するのであって、人が文学に沿って行動したり、文学に書かれたことが実現したりするのは当然であるという、文学の現実支配力の肯定に終わっているのである。

 告発者が弁護人と裁判官をかねたような、この見せかけの文学批判においては、ガルコフスキーの作品に似て、内容とスタイルが一致している。すなわち文学の呪縛力を論ずる言説が、いかにも文学的観念連想の世界に閉じこめられた人のような、果てしない袋小路風の文体をまとっているのだ。

 この序文と小説本体との関係もアイロニカルである。物語はある共同住宅を舞台とした失踪・殺人事件を、二人の主人公がアームチェア・デテクティヴ風に推理・捜査するというもので、この序文の議論とも、小説のタイトルが意味する新しいモスクワの哲学とも、とりわけ関連した印象はない。従って小説におけるこの序文の位置づけは、ローレンス・スターンやニコライ・ゴーゴリ風の真面目くさった冗談、人を煙に巻くためのペダントリー、物語を遅延させるための遠回りといったものとの類推で理解される。つまりこの序文のうちで作品の物語部分にとって必要なメッセージは、最後の数行に書かれたある老婆の死という事件に尽きていて、それ以前の部分(ロシア文学の呪縛力への驚きに始まって、『罪と罰』の老婆殺しのシーンに至る部分)は、「ある老婆の死」という発端のシチュエーションを導くための回りくどい「枕詞」なのである。

 ちなみにこの小説は序文ばかりか後書きめいたものも備えていて、そこにまた物語本体に場所を譲っていた前書きの議論の尻尾のごときものが顔を出す。そしてそれはもう、完全な文学肯定・文学賛歌となっている。

 (主人公ベロツヴェートフの:訳注)考えは次の点に落ちついた。つまり人類精神の発展プロセスにおいて、文学は遺伝子にも比すべき重要な意義を担ってきた。なぜならば文学とは人類の精神的経験が集約されたものであり、その意味で人類という理性的な存在の遺伝子コードに付加された本質的な書き込みなのである。だから文学がなければ人間は本当の意味で人間にはなり得ない。つまり先祖の血とともに世代から世代へと受け継がれていくものがあると同時に、書物によってのみ受け継がれていくものもあるのだ。まさにこの結果として、人々は文学を顧慮しながら生きるべく義務づけられている。ちょうどキリスト教徒が「我らが父」を顧慮するように・・・・・・。P.124


 

 つまりこの小説は一種の枠物語で、ここに引用した頭と尻尾の部分は、本文とは別次元の「小説ジャンルに関するメタ・言説」として切り離して考えることができる。そしてそのことは逆の可能性をも示唆している。つまり序文と末尾に分担された、いかにも屈折した文学批判/文学賛美こそが、この作品の本体すなわち「新モスクワ哲学」であって、探偵気取りの人物たちの経験を書いたストーリー部分は、他の何かと代替も可能な、イラストレーションに当たるのかもしれない。本当の主人公は文学――というわけである。

 いずれにせよわれわれに興味深いのは、ロシアにおける文学の心理的・倫理的呪縛力や文学と現実の相似性というテーマが、マカーニンの場合と同様に、ここでもドストエフスキー文学(とりわけ『罪と罰』)を素材として展開されていることである。順序としてはピエツフの作品が10年ほど早いので、ピエツフ――マカーニンという影響関係も考えられなくはない。しかし問題はおそらく個人的な影響関係ではなく、すでに長いことロシア人一般に共有されているドストエフスキー・イメージのステロタイプであろう。少なくともシンボリズムの時代には形成されていたと思われる紋切り型イメージによれば、たとえばラスコーリニコフは思想とプライドのために罪を犯すインテリ、彼に殺される老婆は卑俗な現実原則の代弁者、ポルフィーリーは人間を知悉した心理分析家、マルメラードフは寄る辺のない酔いどれ・・・・・・ということになる。あらゆるステロタイプと同様に、これらはオリジナルの人物像の一面をわかりやすく切り取っているせいで、非常に強固なイメージとして人々の心に染みついている。そしてドストエフスキー自身には、こうしたイメージ群を駆使して近代ロシア社会の葛藤を描いたリアリスト、ロシアの進むべき道の探求者、さらにロシアの未来を文学的に洞察した予言者、といったイメージが与えられるのである。

 このような紋切り型の人間群像は、簡単に実生活のシチュエーションに適用することができる。従って文学と現実の相似性、文学の現実への影響力といったテーマの展開にドストエフスキーを利用するのは、きわめて自然なことだ。この作家はつまり、そうした議論に好適な、できあいのコンテクストを丸ごと提供してくれるのである。これを逆からみれば、ドストエフスキーをネタに文学と現実の関係を語るということ自体が、とうに紋切り型であり、新しいインパクトを与えにくいということにもなる。

 おそらくこの作品の作者は(後に言及するパロディ作者たちと同様)そのような事情を十分ふまえたうえで、あえて「ちょっと水平方向にずらした」言及の遊びを行っている。

それがこの序文の、循環論法めいた奇妙な論理構成であり、最後に登場する被害者の老婆の滑稽な現代風の服装なのである。


d)寸鉄詩風批判:ドミートリー・プリゴフ「文学と芸術の諸法則」(『D.プリゴフ:

1975-1989 の作品集』1997)26ヴァルラーム・シャラーモフ「赤十字」(『コルィマ物語』1959)27


 ステロタイプの集積の頂点に形成されるのが神話であるが、主としてシンボリズム時代の思想家たちが作り上げた神話的なドストエフスキー像――たとえば天上の原理と地上の原理の和解を求めて苦悩する思想の巨人のイメージ――は、そのまま現代の文脈に移されると違和感をもたらす。前出のユーリー・カリャーキンの書物『ドストエフスキーと21世紀前夜』にも、そのような感慨をもたらすドストエフスキー像の巨大化・神秘化作用が働いているようだ。また一方でそのような神話を真っ向から批判する議論――たとえば先に見たゴーレンシテインやクワルディンの主人公たちの議論――にも、ともすると文学のメッセージを逆方向に単純化し、別の極端なイメージ(「ショーヴィニズムの権化」「悪趣味なジャーナリスト」等々)を生産するきらいがある。こうしたケースで認識のバランス回復に役立つものの一つは、寸鉄詩やアネクドート等の、軽やかなからかいやユーモアをベースにした批判である。

 詩人ドミートリー・プリゴフ( 1940−)の作品にその例がある。

レールモントフは人生に苦しむあまり
人生を愛する力がなかった
シェストフは書物に苦しむあまり
書物を嫌う力がなかった
ドストエフスキーは神に苦しむあまり
愛するすべを知らなかった
俺は国家のことに苦しみながら
真面目に愛そうとしてきた
ただ俺がとびきり苦しむものだから
誰も俺を愛そうとしない(プリゴフp.106)

           *****

ドストエフスキーはプーシキンをたたえて言った
「飛んでいけ、小鳥よ、あの地平線めがけて
その後どうするかは、私が教えよう
二人で楽しく流刑地で暮らすため」


プーシキンは答える。「近寄るな、畜生め!
詩人は自由なもの! 恥辱とは無縁さ!
君のような退屈な苦悩などまっぴらだ!

は高木美菜子訳、ヴァルラーム・シャラーモフ『極北コルイマ物語』(朝日新聞社、1999)を利用した。

詩人は神がお好みの場所に、憩わせてくれるのさ!」(プリゴフp.107)


 前者では苦悩と愛のアイロニーという文脈でドストエフスキーの苦悩者ぶりがからかわれ、後者では散文作家ドストエフスキーの地上的・政治的な精神が、自由な詩人の立場から批判されている。もちろん「苦悩する地上人」も「自由な詩人」も、ともにステロタイプにすぎない。ただこのコンセプチュアリズムの詩人は、紋切り型の概念同士を単純にぶつけることによって、ある意味でゴーレンシテイン風の批判よりも効果的なイメージ転換を成し遂げている。それはおそらく紋切り型イメージから深刻さを払いのける手つきの背後に、自分自身をも笑っている道化的詩人の姿が見えるからである。

 これとは全く違う意味ではあるが、次のようなヴァルラーム・シャラーモフ(1907-82)の寸鉄言も、長々しい議論に劣らぬ批判力を発揮している。

 ドストエフスキーは『死の家の記録』で、大きな子供のようにふるまう人びと、芝居に夢中になり、怒りを見せずに子供のように言い争う不幸な人びとのふるまいに感動している。ドストエフスキーは本物のやくざ世界の人間に会ったこともなければ、知り合ったこともないのだ。このやくざ世界を描くとなれば、ドストエフスキーは同情の言葉など使わないはずだ。(シャラーモフp.14)


 17年をソ連のラーゲリで過ごしたこの作家はおそらく、19世紀にシベリアの監獄で4年間を過ごしたドストエフスキーを批判することに、とりわけ関心があるわけではない。

ただ彼は自らの体験を語るに際して、ドストエフスキーの描く民衆像は参考にならないと言っているだけだ。そしてそれが、流刑地で本当のナロード(人民)を発見したと感じたドストエフスキーの陥ったロマンチックな錯誤を、端的に暴く結果になっている。つまり神話の向こう側にあるドストエフスキーの人間像に迫っているのである。


3.加工されるイメージ

最後に扱うのは、意識的な加工や改変を施されたドストエフスキー・イメージを含む文学作品である。つまり広義の文体模写やパロディの手法によって生み出された、もう一人のドストエフスキー、新しい『罪と罰』、似て非なるドストエフスキー風文体といった、一連の「もじり」が、作品の中で大小さまざまな役割を果たしているケースである。

 パロディの意味や効果は、作家自身の構想や技量に応じてまちまちである。しかしドストエフスキー自身が先輩作家ゴーゴリをモデルに行ったような文体模写やパロディは、先行文学を批判的に受容する手続きとして、あるいは文化的権威や時代のモードに対する自己主張の方法として、普遍的かつきわめて有効なものである。したがってパロディ文学の出来栄えは、古典文学の現代的な意味やインパクトを伺ううえでも、現代作家の文化的自意識をみるうえでも、大切なポイントであろう。

 ここに言及する例は4点だけであるが、もじりの姿勢や方法において皆異なっている。

それぞれを仮に名付ければ、

a)ナンセンス小説版、
b)ジャンキー・ノヴェル風、
c)バーチャル・リアリティ版、
d)テキスト自壊型ドストエフスキー、

といったところである。それぞれの作家の決して一義的でないドストエフスキー観を見分けるために、以下では主として次のような点に注目したい。すなわち、

1)それぞれの文体模写の動機付けは何か、

2)それは作品にどのような効果を及ぼしているか、

3)それぞれの作家はドストエフスキーの文体のどのような側面に関心を持っているか、

4)ドストエフスキーの文学はロシア文化のどのような側面を表象するものとして受け止められているか。


 なお模写もパロディも、直接的には文章自体を対象としている。すなわちその出来栄えは、作家の発想や構想自体の質もさることながら、改編された文章がオリジナルの文章の記憶との対比において醸し出す、既視感、違和感、不気味な驚きといった効果に帰す部分がきわめて大きい。従って以下の言及においても、必要に応じて関連テキストを付す。


a) ナンセンス小説風ドストエフスキー:V.ナルビコワ『第一人物の場と第二人物の場』
(1989)28

 最初の作品は名前遊びの例。個人にまつわる情報やイメージを究極に圧縮した記号が固有名詞である。夏目漱石は明治期の知識人であり、開化時代の余計者を描き、神経を病み・・・・・・といった無数の情報の集合だが、一言で表現するなら「夏目漱石」というに尽きる。この圧縮された情報記号の一部を改変すると、名前のパロディあるいは名前の仮面(八目漱石、夏目宝石・・・・・・)が生まれる。名前の仮面は瞬時に多重の効果をもたらす。すなわちオリジナルのイメージを喚起しつつ、そのイメージを何らかの方向に向けて換骨奪胎し、同時に作品のコンテクストを多元化する。すなわち言葉遊び、下世話なユーモア、権威の嘲弄、現実風刺といったものを広く許容する、開放的な非日常空間(バフチン的に言えばカーニヴァル的な世界)を生み出すのである。

 ドストエフスキー自身この手のことが好きで、実在の人物に似た名前の考案(シチェドロダーロフ←シチェドリン、カラマーゾフ←カラコーゾフ)、イニシャルや語尾だけによるモデルのほのめかし(――ボフ氏=ドブロリューボフ、批評家B=ベリンスキー)、地口的な固有名詞の言い換え(雑誌『ゴーロス(声)』→『ヴォーロス(毛)』)といった、フォークロアや子供の言葉遊びにも似た固有名詞の遊戯を、小説でも評論でも試みている。ある種の場合には、これは相手に直接言及することをはばかるという礼儀上の、あるいは政治的な身振りであったが、大半は相手に対する悪意の間接的な表現であった。

 ドストエフスキー自身もこの手の遊戯のネタになった。たとえば前出のサラスキナによれば、1920年代末のソ連で、二人組のユーモア作家イリヤー・イリフとエヴゲーニー・ペトロフが、「F.トルストエフスキー」というペンネームで『千一の昼、もしくは新シェヘラザード』と題する40ほどのエッセイを書き、プチブル的俗物や旧体制の残滓を攻撃してみせた。また二人はこれと前後して、ドストエフスキーの主人公をもじった人物が登場する、悪趣味なユーモア物語を書いていた。

 ドストエフスキーはなにかとこの手のプリミティヴなゲームに縁があったのである。

 ドストエフスキーとトルストイという19世紀文学の二大巨匠の仮面を風変わりな恋愛小説の主人公たちに与えたのが、ヴァレリヤ・ナルビコワ(1958-)である。ドドストエフスキーとトエスチルストイという奇抜な名の主人公たちが登場する彼女の小説『第一人物の場と第二人物の場』(1989)は、次のように始まっている。

これは不合理(イラショナル)だね。
でも私の名前イッラよ。
の字が二つ入っているのかい。
イッラはイッラよ。
君に敬意を表してイラショナルっていうときも大文字で書きたい気分だね。

時計はシンメトリーで十時十分だった。酔っ払いが橇の刃で引き裂かれて死んだので、シャベルをもった子どもたちがその埋葬をしているところ。近所のアパートではロッシーニの『シンデレラ』をかけていた。

あなた本当にそんな年?――イッラが聞いた――ドドストエフスキーなんて苗字、なんだか先史時代みたいね。
名前のほうで呼んでくれてもかまわないよ。
どんな名前?
彼は言った。
そんな名前なら呼ばない方がましだわ
車庫はエレベーターでできているが、それは・・・・・・だから。電車道を最終電車が通過し、それから汽車が走っていく。
汽車が走ってる――イッラが窓をさす。
よくあることさ――ドドストエフスキーが答える。
汽車だわ――彼女は繰り返す。そして列車が完全に通り過ぎるまで、彼女はその怪物を見つめていた。

なぜだか汽車がいるのよね――彼女は三度目に言う。
彼女が寝かせてくれと言うので、彼は枕をもってきてやり、彼女がベッド全体を占領した。そして彼もベッド全体を占領した。
わたしたち友だちなのに――彼女は当惑する。P.9


こうして知り合い、同棲するようになった二人のもとに、ドドストエフスキーの友人トエスチルストイが訪ねてきて、そのまま住み着いてしまう。やがてヒロイン・イッラとトエスチルストイの間にも恋愛関係が生じ、部屋組と台所組に分かれた奇妙な共同生活が始まる。

 彼らは二つのカップルに別れた。イッラとドドストエフスキーが部屋に、イッラとトエスチルストイが台所に。つまり彼らは結局四人というわけだ。けれども台所に集まってみると、また三人になってしまう。P.35


 イッラにとって恋人ナンバーワンはあくまでもドドストエフスキーで、トエスチルストイは二番手なのだが、不思議な経緯で彼女はトエスチルストイの方と結婚してしまうので、一番手と二番手の間の心理的テリトリー関係が微妙になる。これが小説の変わったタイトルの由来である。この意外なほどに古めかしい面を持つ心理的葛藤は、結局作品の最後近くまで続くのだが、作者はそれまでの過程で固有名詞を使ったナンセンス風言葉遊びを十分楽しんでいる。

 イッラはドドストエフスキーを愛していない振りをし、ドドストエフスキーはイッラを愛していない振りをし、イッラはトエスチルストイを愛している振りをし、トエスチルストイは気分が悪い振りをし、イッラは上機嫌の振りをし、ドドストエフスキーは気分が良くても悪い振りをし、仕舞いには周囲の雰囲気に関わらぬ一定のポーズができあがっていった。P.42


 ある部分では、ドドストエフスキーの名はさらに縮められてドド(Dodo)となり、トエスチルストイはT.e.と略称されるが、後者はロシア語のト・エスチすなわち「つまり/端的に言えば」の略号と同一になる。

 この家庭内三角関係の果てに、ドストエフスキーがトエスチルストイを殺害し、追われる身となった彼とイッラはかろうじて空中に飛び上がって難を逃れる、という展開になる。クライマックスの殺害シーンは、次のようなシュール・レアリスティクなどたばた劇風の描写を与えられている。

 トエスチルストイはすぐに帰ってきた。彼はそのまま台所に入って、そこから聞いた「彼女はここにいたのか?」

「彼女はここにいた。それが?」ドドストエフスキーは言った。トエスチルストイは台所を出てトイレに向かった。ドドストエフスキーはそれに気がついて、行く手を遮った。トエスチルストイは膀胱も胃袋もいっぱいだったので、ゆっくりと動いていた。二人がぶつかったとき、ドドストエフスキーは相手の喉をつかもうとしたが、トエスチルストイはすばやく身を丸めた。彼の背筋は非常に強く、ドドストエフスキーはどうしてもその丸まった体を開けなかった。そこで彼は球になった体を風呂場まで転がしていって、片足で押さえつけながらバスタブに水を溜めた。水がたまって彼がその中にトエスチルストイを投げ込むと、相手はすぐに水中で体を伸ばした。今にもイッラが戻ってくるかと心配だったので、ドドストエフスキーは一刻も早く済ませてしまいたかった。トエスチルストイは水中では球になれなかったので、ドドストエフスキーにとってもう処理は難しくなかった。彼が相手の首を締めると、トエスチルストイは「はなせ、馬鹿野郎」と言い、ドドストエフスキーは「馬鹿野郎はお前だ」と言い、トエスチルストイは何も言い返さず、そこでドドストエフスキーはもう自分が相手を窒息死させたことを知った。彼は相手の体をきわめて慎重に解体したが、それは膀胱を傷つけたくなかったからだ。内臓が尿にまみれることを警戒したのだが、どうやらイッラの帰宅前に全部片づけて、ビニール袋にしまうことができた。彼が鍋を火にかけたとき、イッラがドアベルをならした。台所に入ってくると彼女は鍋の蓋をあけてたずねた。「これ何?」はじめ彼女はそれが若鶏だと思ったのだが、しかしじっと見たあげくそれがなんだか理解した。「なんであなたハリネズミを殺したの?」「食べるのさ」彼は答える。「どうして?食べ物がないって言うの? マカロニならいっぱいあるでしょう」「こいつは珍味なのさ」ドドストエフスキーは言った。二人は煮こごりを食べた。たいそうおいしかったが、ドドストエフスキーにはどうしても少し尿の臭いがするような気がした。もちろんそんなはずはないのだが。P.61-62(テキストA参照)


 ちなみにこのシーンは、ロシア版ナンセンス文学の代表者ダニール・ハルムスの、次のようなロシア文学者遊びを連想させる。

ゴーゴリ: (袖から舞台へと倒れ込み、そのままじっとしている)
プーシキン: (登場してゴーゴリの体に躓いて転ぶ)くそ!いやはや、ゴーゴリに躓いた!
ゴーゴリ: (立ち上がって)なんてことだ!おちおち休んでもいられない(歩き出してプーシキンに躓いて転ぶ)いやはや、プーシキンに躓くなんて!
プーシキン: (立ち上がって)一分間も休めやしない!(歩き出してゴーゴリに躓い
て転ぶ)くそ!あれ、またゴーゴリか!(以下同様なことが4回繰り返される)30


 ナルビコワの作品におけるオリジナル人物とパロディの関係は、少し複雑である。男性主人公たちが19世紀作家たちを連想させる要素は、名前以外にあまり多くない。強いて言えば両者とも書物の蒐集家で、はっきりした趣味傾向を持っている。ドドストエフスキーにはファンタジーや宗教的なものへの関心が、トエスチルストイにはエロチシズムや即物的な世界への関心が優勢であるように見える。たとえばドドストエフスキーが旧約聖書と新約聖書の比較論を展開するのに対し、トエスチルストイは、女性の胸は成人男性の掌に収まるのをよしとする、といった俗物的な意見を披瀝する。これは霊的作家ドストエフスキー対地上的作家トルストイというシンボリストの観念と、どこか関連しているように見える。

 モデルとパロディが思想レベルで重なり合うのは、ドドストエフスキーが福音書批判をするところである。

つまり仮に努力すれば、「盗むなかれ」、「殺すなかれ」、「親を愛せ」、「みだりに姦淫するな」、という教えは守ることができる。しかしどんなにがんばっても、結局隣人を自らのごとく愛するのは無理なのだ。P.50


 地上的人間にとっての隣人愛の困難さの認識は、空想的社会主義の博愛の理念に惹かれていた1840年代のロマンチックなドストエフスキーと、60年以降の宗教的ドストエフスキーを隔てるポイントの一つである。もちろんこれは、ナルビコワが下世話に展開しているテーマとも関連している。つまりこの作品によれば、隣人どころか同居人を愛することが大問題なのだ。

 しかしこの種の類似要素がオリジナルとパロディを近づけるわけではないし、かといって両者を対立させるわけでもない。両者の共通点も差異も、テキストの大部分を占めるグロテスクやナンセンスの雰囲気に飲み込まれてしまっている。総じてこの作品の構成原理は、一致・調和でも反対・対立でもなく、無関係なものの共存である。つまり意外なイメージ結合、語と語、文と文の間の論理的・心理的関係の不在、言葉と行為の裏腹さといった、アンバランスな関係性の生むエネルギーが、作品を支配しているのである。ドドストエフスキーやトエスチルストイという名前自体の中でも、オリジナル・イメージへの連想と単なる軽薄な音の遊び、意味と無意味が戦っているのであって、作者は主人公たちが確固たるイメージを獲得しようとするたびに、軽やかな言葉遊びでそれを突き崩していく。たとえばイッラがドドストエフスキーという名前を「先史時代みたい」というのは、おそらく単に「〜以前」を示すロシア語の接頭辞「ド」が二つも入っているからにすぎない。

 古典作家の名前遊びがここで果たしている役割の一つは、ある古い恋愛物語のパターンを現代風に再利用しようとする作家の姿勢を、シンボリックに表示することである。実際、第一の人物(恋人・夫)と第二の人物(その友人)が一人の女性をめぐって対立するという設定は、ヨーロッパ文芸(小説、演劇その他)の月並みテーマであり、『白痴』や『アンナ・カレーニナ』の作者たちも、このジャンルのロシアでの代表者に混じっている(この意味で二人のオリジナル作家の選択は、偶然とは思えない)。このいわば永遠の(=手垢にまみれた)題材を改めて作品に用いるには、ジャンルの伝統を意識したうえでの大いなる自己主張が必要とされるだろう(さもないと作品は安価なテレビドラマ風の反復になってしまう)。つまり現代版三角関係小説には、古典の思い切ったリメイクやパロディの意識が必要とされるのである。

 ナルビコワはいくつかの点でこれを行っている。彼女はまず女性自身の論理や欲望を、物語に大幅に導入した。女性は単なる愛情の対象ではなく、自ら選択し、恋愛ゲームを作っていく主人公である。作者はさらに物語を首都のアパートの一室に封じ込め、愛のテーマを食事や排泄の話題と等価の、ほとんど生理現象のようなものに変貌させた。そして同時に19世紀小説が内包していた倫理的・心理的テーマ設定――トルストイにおける愛と貞節、性愛と母性愛の対立といった問題設定、ドストエフスキーにおける嫉妬や他者の欲望の模倣、エゴイズムと自己犠牲の論理の対立といったテーマ群――を、きわめて希薄なものにしてしまった。マルキ・ド・サドの名前が作中で言及されるのも、恋愛をセンチメンタリズムから解放し、快楽と哲学の問題として扱おうという意志表示に見える。ジャンルの内部改造と言うべきこの一連の手続きの中に、ナンセンスな言葉遊びや名前の仮面の遊びも混じっている。つまりナスターシャ・フィリッポヴナやアンナ・カレーニナの軽薄な複製づくりに、それも一役買っているのだ。

 従って、冒頭にでてくるイッラの名前がイラショナル(=不合理・ナンセンス)な小説構成を暗示するのと同じことを、主人公たちの名前も行っているとみるのが当然かもしれない。つまりこれは「ドストエフスキー以前」の小説のようなプリミティヴな迫力を持って、トルストイ的テーマを「端的に要約してしまう(=ト・エスチ)」ような、身も蓋もない恋愛小説なのである。


b)ジャンキー・ノヴェル風ドストエフスキー:ヴィトゥフノフスカヤ『ロシア文学最後の金貸しの老婆』(1996)31


 ナルビコワ風の日常性の中のナンセンスを遙かに逸脱して、幻想もしくは妄想の世界に導入されたドストエフスキー――アリーナ・ヴィトゥフノフスカヤ(1973-)の小説『ロシア文学最後の金貸しの老婆』(1996)は、そのようなものを連想させる。
 舞台は「全世界中国」の毛沢東に支配された「分離モスクワ」。独裁政権のもとで堕胎が禁じられ、文学が死に、魚が絶滅させられている(魚は即物的に殺されるばかりか、イデオロギー的にも有害物と見なされ、魚という語の使用も犯罪である)。

 主な登場人物は、地下室人タイプの猫背の技師、彼が非合法に飼っているロシア文学に造詣の深い片目の小魚、それに技師の母親である。論理的に再話しにくいこの物語を、ドストエフスキー・イメージを手がかりにたどると、おおむね以下のようになる(ドストエフスキーを中心とした主な文学的連想を【】中に指摘する。なおこの作品のグラフィックな印字面についてテキストB−1を参照)。

 独裁体制下のモスクワに住む技師が、反国家的意志の象徴のような小魚を瓶に入れて飼育し、相手の好物である羊チーズ、毛髪、トルストイ全集第3巻を与えている。【地下室人的な孤独な思想営為の比喩か?】彼は魚を「ロシア文学の唯一の貯蔵庫」「わが秘密の花嫁」「ロシア・マゾヒズムの内縁の妻」などと名付けている。

 ある時彼の母親がトイレに隠された秘密の瓶を発見、自らの頭髪をそり落として餌として与える。するとひょうきんな片目の小魚が、「おまえはロシア文学最後の金貸しの老婆だ」と言う。【『罪と罰』風のテーマ設定への暗示】

 やがて息子の身を案じた母親が、瓶を壁に投げて魚を殺害しようとすると、息子が反発する。

 「あんたは俺の母親じゃない。独裁者の禿頭の走狗だ。あんたを殺してやる、殺してやる!そして金も奪ってやる。それが俺の罰だ。つまり心の浄さで身を立てることができないのだ。不自由で、しかも抵抗しようとしない俺は、汚れた、卑劣な人間だ(これは無意味な客観論だが、たとえ自分を正当化できたところで、下劣なことに変わりはない)。だから俺は実際の行動においても下劣な人間になってやる。一目瞭然、どんな哲学も不要なように」

 そして彼は母親を斧で惨殺した。P.14-15【ラスコーリニコフとは逆方向の、しかし同じく自尊心と劣等感の葛藤を含んだ犯罪。ラスコーリニコフの老婆殺しのイメージに重なる斧による惨殺】


 すると意外にも死にゆく母親の頭に、波打つ長い黒髪が生えてくる。瀕死の母親は、ロシア文学と、殺された魚たちと、いずれ息子を通じて実現されるべき反中国革命の名において、自分の髪を将来に備えて保存せよと命じる。

 その後彼女は変身する。

そう彼女は言った。
そして顔を変えた。
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー登場。
ただし体は女で、髪は長い巻き毛。P.16【ドストエフスキー本人の出現。『分身』のモチーフ応用?】


 息子は母の遺志を受け止め、罪意識に陥る代わりに革命への使命感をはぐくむ。
 一方、この技師の物語を離れて、アメリカの学者ジークムント・フォード【精神医学者フロイトを連想させる名前】の視点から、ロシアにおける「中国のくびき」のマゾヒスティックな心理構造が分析される。それによれば本物の中国人はすでに大半が死に絶えており、ドイツの精神病院で治療中の、わずか二名を残すのみである。従ってモスクワを支配している中国人とは、中国人の振りをするロシア人か、もしくは架空の存在にすぎない。つまり毛沢東の独裁政権下に苦しむモスクワというのは、ロシア人自身による自虐的な演出なのである。

 物語の最後の方で、この仮説に落ちが付く。実はドイツの精神病院でヒトラーとエヴァ・ブラウンを装っていた二人の中国人というのが、公的には死んだと思われていた毛沢東と主人公の技師自身の父親で、二人はモスクワを裏から操りながら、権力意識を満たしていたというのである。

 この荒唐無稽な筋を背景に、さらにいくつかドストエフスキー・イメージの展開がみられる。

 母親殺しの後、主人公は自らの子を宿した女ナスチャと結婚することになるが、彼には相手と交わった記憶がない。【ナスチャ=ナスターシャは、『白痴』のヒロインをと同名である。彼女にはドストエフスキーの聖痴愚(ユロージヴァヤ)に似た行動や感情表現の特異性が感じられる】主人公は妻に欲望を感じぬまま、かつて「わが秘密の花嫁」と名付けたペットの魚のことを思い浮かべつつ、彼女を抱く。やがて妻は口から魚の子供を生む。【この一連の経緯は、魚にたとえられることのあるイエス・キリストの誕生物語を連想させる】

 物語の少し先で、読者は主人公が殺した母の体に宿ったドストエフスキーが、実は生きていることを知らされる。このドストエフスキーは、身体損傷と他人に成り代わった罪、ホモセクシュアリズム宣伝の罪、魚を飼育した罪により、300年の刑期を得て入獄していたのである。自分の知らぬ間に身代わりとなって母親殺しや魚飼育の罪をかぶった形になっているこの存在に対して、主人公は深い劣等感を覚える。

 彼は天才なのに俺は悪人。

 彼は英雄なのに俺は自分のヒロイズムを実証するために革命を待っているような人間だ。(中略)彼にしてやられた後では、俺はもう自分の使命に値しない。俺は我が身一個の確立を考える人間に成り下がってしまった。つまり使命を通じて自分を確立しようとしたんだ。P.40


 しかしドストエフスキーを意識した内省の中で、賛美と劣等感が、批判や攻撃へと転換されていく。

 あいつは卑劣なやくざものだ。まれにみる人非人だ。

 第一あいつは性転換したいという動機から、俺のママの体を自分の体に変えてしまった(つまり一種のホモセクシュアリズムか、それに類した強迫的なものがそこにあったのだ)。

 第二にあいつは金がほしくて俺の所へ来た。117ルーブリが必要だったのだ。もちろん俺だって、ただでくれてやろうという気はなかった。だが人間の苦しみを黙ってみてはいられない。俺はほだされやすい人間で、そこを見抜かれたのだ。
 上告して死刑に変えてもらうという手だって、あいつは事前に計算済みだった。つまり高潔さのかけらもない、天才的にずるがしこい人間なのだ。(中略)
 金が必要だったのはカード賭博をやるためだ。どうしても直らない病気なのさ。【ドストエフスキーの賭博癖への言及】(中略)

 ところでロシア文学は救うに値するだろうか?P.41(テキストB−2参照)


 主人公とドストエフスキーの対決は、ドストエフスキー文学の遍在的テーマである子と父の葛藤を思い起こさせる。『未成年』に典型的に現れる父親コンプレクスの諸相――父親の偉大さへのあこがれと劣等感、父の崇高さの背後に隠れた卑俗さ、狡猾さや性的だらしなさへの反発、母親や異性をめぐるライバル意識など――が、ここに正確になぞられている。

 一方、もう一人の「父親」像、すなわちドイツの精神病院にいるモスクワ政治の黒幕は、同じドストエフスキーの「大審問官」を彷彿とさせる。主人公はこの人物の内に、人民の恐怖感を利用したヴァーチャルな独裁の論理を発見するのである。

 そして彼はすべてを理解した。狂気は去り、父の裏切りも、様々な幻覚も理解した。

この幻覚に自分は一生だまされてきたのだし、国民もその巨大な妄想の犠牲になったのだ。

 そうして主人のいない奴隷制、独裁者のいない独裁政治が成立していった。人々は幻を信じて苦しみながら死に絶えていき、すべてが嘘になったのだ。P.51


 アメリカ人のジークムント・フォードが最後の中国人を殺害するのと同時に、主人公は父たちによる虚の独裁幻想からさめるのだが、しかし同時に自分の認識を表現・伝達する言葉の不在を感じて、実存のアイロニーや孤立の感覚に陥っていく。彼は結局思想的な自殺を果たすことになる。

そこで技師は死を望んだ。なぜならすべては良きものだったのに、誰もそれを知らなかったから。そして皆が苦しんでいたから。P.52【『悪霊』のキリーロフ等に似た、先覚者としての自殺モチーフ】


 作品全体の結末も憂鬱なもので、支配者を突然失った人々は、自由の不安や空虚さを感じて、再び隷属の相手を求めるのである。

 そのとき彼らは自分のために作り出した。毛沢東と奴隷制を、国家と恐怖を、隷従の倒錯した魅力と抗議が弾圧されるときの微妙な喜びを。彼らはそのとき自分用に作り出した。マクロ・セックスとマクロ・ポリティクスを、ロシア文学の起源とその終焉を、魚のシンボルと魚の絶滅を、全世界の祈りと猫背の技師についての恐ろしいお話を。P.55


 自身麻薬所持や販売容疑で90年代に2度逮捕・投獄されたことがあるヴィトゥフノフスカヤの作品には、まるで麻薬常用者の夢のように説明しがたいところがある。魚・毛髪・文学全集といった意外な組み合わせ、殺された老婆がドストエフスキーに、若妻が母親に変身するような予測のつかない展開、随所にでてくる魚のイメージの多義性――これらはおそらく夢のシンボル学の類を媒介にして読みとられるべき謎であろう。

 ただしわれわれのテーマであるドストエフスキーも、決してこの種の不合理な世界と無縁ではない。夢見を信じ、また様々な幻覚、持病のてんかん時の離人感覚や法悦感覚、根拠のない罪障感といったものを味わっていた彼は、現実原則と違う夢の論理を認めて、『白痴』などの作品に応用している。従ってこの面でもこの作者とドストエフスキーの親和性のようなものを想定することができる。

接的な関係が想定される。とりわけここにみられるエディプス・コンプレクスのモチーフの多元的展開、すなわち個人・家族のレベルから国家レベルに至るまで、権威に対する反抗と隷属願望という背反的心理を人間行動の中に暴いていく視点は、まさにドストエフスキーのものである。

 すなわちこの奇妙な小説には、テーマの骨格の部分にも、イメージ選択や結合の原理にも、ドストエフスキー的なものが横溢している。ただしそれら個々の要素が有機的に結びついて一つの物語を作るのではなく、むしろあらゆる物語原則の虚構性、政治的作為性が強調される結果になっている。その意味で作品に遍在する「ロシア文学復活」のメッセージは、アイロニカルなものとして受け止めるべきだろう。

 技師は我に返って目を開き、その時が来たのを知った。どんな代価が支払われたのか考えもしなかったが、使命が成就したことを理解したのだ。

「毛をくれ!」無声映画の行進曲と機関車の汽笛のような音を通して、小魚が叫んだ。

 なぜなら、まるで死をひさぐ売春婦のような、不作法なロシア文学が復活したので、映画もその他の芸術も、すべて耳と口を失ってしまったからだ。P.48-49


 所々に(空虚/ナンセンスだ)という言葉を配したこの自己言及的な小説、文学的文学破壊作品は、片目の魚とロシア文学最後の金貸しの老婆が哄笑し合うシーンで終わっている。


 c)ヴァーチャル・リアリティ版ドストエフスキー:V.ペレーヴィン『チャパーエフとプストタ』(1996)32

 ヴィクトル・ペレーヴィン(1964-)は、サイエンス・フィクションの世界から出てきた作家で、複数の時空間や複数の主観の関係をアレンジしながら、哲学的ファンタジーと風刺や文明論が一緒になったような小説を書いてきた。

 彼の長編『チャパーエフとプストタ』も、同じく多重のテーマ構成をしている。そこで作者は、革命期と90年代のロシアに暮らす二つの別個の自我を持った精神分裂病患者という主人公像を設定し、ロシアが20世紀の始めと終わりに経験した破壊や混乱の諸相を、この人物の経験として並行的に描いた。そのような設定によって、人間主体の危うさや現実と夢の相対性に関する哲学的・宗教的思考実験と、ロシア・ソ連文明論とを、一つの物語の中で合体させたのである。なおこの作品の主人公名ピョートル・プストタも固有名詞遊びの例で、名のピョートルはペテルブルグの建設者でロシア西欧化改革の主導者である大帝からソ連版アネクドート(チャアパーエフ・アネクドート)の主人公まで、多重の連想を含む。姓のプストタは「空虚」「無」「ナンセンス」の意味で、仏教や実存哲学を含む作品のテーマ構成を暗示すると同時に、荒唐無稽なファンタジー小説としてのジャンル意識を宣言している。

 コピーライター的なセンスに長けたペレーヴィンは、両時代ロシアの同一性と差異を効果的に表出するために、様々な小道具や仕掛けを用いている。すなわちレーニンからアーノルド・シュワルツェネッガーにいたる人気者の名前、内戦から93年のロシア議会ビル砲撃にいたる歴史的事件、文学キャバレー、テレビドラマ、歌などの風俗、仏教思想、西洋哲学、精神分析学、アネクドートなど現象の説明原理、といったものである。作者はこれらを巧みに利用しながら、二つのロシアのいずれをも「本当の現実」として絶対化せず、すべてが書き割りであるかのような仮想現実感を生むことに成功している。おそらく作者によれば、実体がない故に何にでもなり得る空虚――それがロシアなのだ。

 ドストエフスキー・イメージは、1918年冬のモスクワのシーンに登場する。主人公の過去の半身であるペテルブルグの詩人プストタは、非常時委員会(Ch.K.)に追われてやってきたモスクワで旧友と再会するが、この友人もまた非常時委員会の手先だったとわかって、相手を殺害してしまう。この後主人公は殺した友人になりすまして文芸キャバレーに教宣活動に行き、さらにチャパーエフ(同じくアネクドートの主人公名を借りた遊び)と名乗る赤軍将校にスカウトされて、中央アジアに遠征することになるのだが、この経緯のいくつかのシーンに『罪と罰』のモチーフが応用されている。

 一つは友人殺しのシーン。アパートの一室で銃を持った相手をかろうじて絞殺した主人公は、ラスコーリニコフの殺人を追体験しているような錯覚に陥る。

 彼(主人公が殺す友人フォン・エルネン:訳者)が静かになっても、私は長い間その喉を放すのをためらっていた。両手はほとんど言うことを聞かない。きちんと息をするために、私は呼吸の練習をはじめた。これは変な効果を及ぼした。軽いヒステリーが起こったのだ。私は突然、この光景を脇から見始めた。つまり誰かさんが死んだばかりの友人の体にまたがって、ヨギのラマチャラカが『イシス』に紹介した呼吸法で一所懸命に呼吸している図だ。私は立ち上がった。するとすぐに、自分がたったいま殺人を犯したのだという認識が襲いかかってきた。

 もちろん権力を信用しきれない人間がすべてそうするように、私はいつもリボルバーを携帯していて、二日前にも平気で使用したばかりであったが、しかしこの現場は何かしら独特な感じで、いわば暗黒のドストエフスキー的雰囲気といったものが漂っていた。空っぽの部屋、英国の外套でくるまれた死体、敵のいる世界へのドア、そしてひょっとしたらすでに暇な連中が、そのドアめがけて歩いてくるところかもしれない・・・・・・。私は意志の力でそうした考えを追い払った。ドストエフスキー的な雰囲気なるものは、もちろんこの死体にも弾丸の貫通痕のついたドアにもあるわけではなく、私自身の内に、自分のものでないような後悔の念があれこれ形を変えていくのに驚いている私の意識の中にあるのだ。

 階段に面したドアを少し開けて、私は何秒間か耳を澄ませた。なにも聞こえなかった。なに、仮にピストルを何発かぶっ放したって、誰の注意も惹かないだろう――私はそう思った。4:33


 これはインテリによる殺人行為が自動的にラスコーリニコフの老婆殺しを想起させるという、おなじみの観念連想の応用である。人気の絶えたアパートの部屋、階段の足音に耳を澄ますといった細部のシンボリックな利用もなされている。だがもっと興味深いのは、出来事が文学的連想を呼び覚ますと同時に、文学の記憶が出来事の認識枠を作るというピエツフやマカーニン流の理解が、ここでも確認されていることである。さかのぼって付け加えれば、ラスコーリニコフの犯罪自体が、すでにシーザー、ナポレオン、バルザックの主人公などに関する文化的記憶をふまえた行為だったのである。

 なおこの後で主人公が友人の所持品を物色するシーン、また少し先でチャパーエフが唐突に主人公の部屋に出現するシーンも、ラスコーリニコフの物語へのアリュージョンを含んでいる。後者の場合には、犯人の正体を見抜いたポルフィーリー予審判事や地主スヴィドリガイロフの役を、赤軍将校チャパーエフが演じているのである。

 次のシーンでは、ドストエフスキー作品のイメージに、より手の込んだ細工が施されている。主人公が二人のバルチック艦隊の水兵を従えて教宣活動に赴いた<オルゴール式タバコ入れ>という退廃的な文芸キャバレーには、ワレリー・ブリューソフ、アレクセイ・トルストイ等当時の文人がいて、「エゴ・へそ派ポストリアリズム劇」といった、未来派をもじったような出し物が演じられている。ここでの会話から、主人公自身が『レビャートキン大尉の詩』『我の王国の歌』といった、ドストエフスキーを連想させる詩集の作者だということも明らかになる。そしてこのキャバレーの演目の一つが、同じく『罪と罰』をもじった小悲劇『ラスコーリニコフとマルメラードフ』というものである。

それはおおむね次のように描写されている。

 マルメラードフィ(ママ)という名札のそばに立ち止まった俳優が、ゆっくりと片手をあげて歌うような調子で語りだした。

 「私はマルメラードフ。ここだけのはなしだが/私にはもう行くべき所がない/この世を長いことさまよった/前途に灯は見えなかった/その目つきからすると/あなたにも虐げられた民衆は無縁ではないご様子/ひとつ乾杯といきますか。お注ぎしましょう」

 「いやいらない」

 斧をもった俳優が同じく歌うように、ただし低音で答える。話しながら彼は片手をあげて、それをマルメラードフの方に突き出す。相手は急いで自分に一杯注ぐと、酒をマスクの穴にこぼし、先を続けた。

 「お好きなように。あなたに乾杯。こうしてみると/あなたのお顔は謎めいた栄光に満ちている/美しい口は笑みをたたえて黙したまま/額は青白く、両手は血まみれ/でも私にはもうないのです/じっと動かぬ面の皮の背後に/傲慢な力で空虚の花を開かせ/神に似たものにならんとする理由が/おわかりですか?」

 「たぶん」

 「さて、そんな理由もないとすると、おわかりでしょうが/毎朝、雪に血を滴らせるような/斧でうなじを殴られるような、そんな気がするのですよ。わかりますか/それが、若いお方」

 「わかります」
 「心を見たいとは思いません/そこは靴の中のように真っ暗でしょうから/まるで狭くて寒い物置に/女たちの死体が入っているみたいに。怖いでしょう?」
 「はあ。何が言いたいんですか?話の主旨は」
 「いきなり主旨ですか」
 「すぐに言うんです」
 「でも、まずリキュールを一杯どうですか?」
 「あなたはまるで床屋みたいにうんざりさせる人だ。ぼくはいきますよ」
 「若い方、おこっちゃあいけません」
 「無意味な話をしているのがいやなんです/それとも説明する気になったんですか?/何が言いたいんですか?」
 「斧を売って下さい・・・・・・」(中略)
 「・・・・・・なんだって?なぜ?」
 「仕事用です/存在の一側面のシンボルというやつで/もしご自分も使うなら、別のを盗んだらいかがです/盗んだやつの方が都合がいいでしょう?」
 「ふーん・・・・・・なんのことかな?/ひょっとしてあなた、あそこにいたんですか?あの衝立の陰に、そうでしょう?」
 「それはちょっと軽率ですね/斧をもってはいらっしゃるが。でも若い人はいつも/本質も原因も有限のものの中に見ようとする/笑ったり愛したりと単純なことが好きで/肩に下げたわっかを優しくいじっている/いくら欲しいですか?」
 「ひとつ聞きますが/あなたにとってこれがなんになるのです?」
 「最初から言っているでしょう/力、希望、グラーリ、エグレゴール/永遠/輝き/月の満ち欠け/刃/若さ・・・・・・斧を下さい」
 「ぼくには分からない。でもどうぞ」
 「ほうほう・・・・・・光っていますな、まるで岩間の火のように/おいくらです?」
 「お好きに」
 「高いですか?」
 「10か・・・・・・15か・・・・・・えい、泥棒め/だがどうも問題はその/金じゃない。何かが変わってしまう・・・・・・もう/まるで倒れかかってくるようだ・・・・・・もうつかまってしまった・・・・・・そして風が/裂けた心に冷たく吹き付ける/あなたは誰だ?ぼくの神か、仮面をつけて!/あなたの目はふたつの黄色い星のようだ/なんて愚劣なんだ!仮面をとれ!」

 マルメラードフは長い恐ろしいポーズを決める。
 「仮面をとれ!」
 ・・・・・・マルメラードフはぱっと仮面をとる。それと同時に仮面にくっついていたキトーンが体から外れて、レースのパンタロンにブラジャーを着けた女性の姿が現れる。

 女性はネズミ編みのお下げがついた銀髪のカツラをかぶっている。
「ひゃあ・・・・・・婆さんだ・・・・・・しかも僕は素手だ」

 ほとんど聞き取れぬような声でそう言うと、ラスコーリニコフは底高の靴をはいた高さから床に崩れ落ちる。

 次に起こったことは私(主人公=訳注)を青ざめさせた。舞台には二人のバイオリン弾きが駆け上がって、狂ったようにジプシー音楽風のモチーフを演奏し始めた(またブロークか、と私は思った)。一方女マルメラードフは倒れたラスコーリニコフの体に自分のキトーンを投げかけ、その胸にひょいとまたがると、レースの服の尻をむやみにくねくね動かしながら、相手の首を絞めにかかったのだ。

 一瞬私はこの出来事がとんでもない陰謀の所産で、居合わせた全員が私の方を見ているような気がした。(中略)

 ラスコーリニコフを絞め殺すと、カツラの女は舞台の端に駆け寄り、二人のバイオリニストが奏でる狂ったような調べに合わせて、むき出しの足を天井に振り上げ、斧を振りながら踊り出した。この芝居の間じっと立ちつくしていた四人の黒マントが、キトーンにくるまれたラスコーリニコフの体を抱えると、舞台の外に運んでいく。『ハムレット』の剽窃だなという考えが、ふとひらめいた。あの芝居の最後にも、死んだ王子を運ぶ役の4人の隊長というのが出てくるのだ。おかしなことにそう考えると私はすぐに正気づいた。これは自分への陰謀ではないと理解したのだ。だいたいがこんなことを急に仕組むなんて誰にもできまい。これはありふれた、神秘的挑発というやつだ。4:38-40(テキストC参照)


 ある種の軽みと抑制を持ったペレーヴィンの文章は、状況を明晰に伝えていて、時間や空間の表現にも人間内面の描写にも、曖昧なところがない。その限りで彼はリアリストである。しかしこの単純でリアルな作中劇は、込み入った役割を果たしている。

 まずこの仮面劇は、文芸キャバレーの空間全体とともに、革命直後のロシアを覆っていた文化的混沌の一側面を表現している。退廃・爛熟と実験や文化革新が同居しているようなこの空間は、街路を横行する田舎出の兵士たちの世界と鋭く対立しており、その緊張が作品の奥行きを生んでいる。

 次にこのシーンは、主人公自身が感じ取るように、彼が直前に犯した殺人行為をシンボリックに再現している。主人公は劇中のラスコーリニコフである。ただし彼の立場は、ここでも夢の文法を思わせる置換、転倒、変身といった手法によって、変奏されている。意味作用の中心はマルメラードフの遂げる一連の変身で、この未来を失った行き場のない酔漢が、ラスコーリニコフを追いつめて武器を奪う脅迫者となり、最後に金貸しの老婆に変身して彼を殺す。弱者から強者へのこの変身は、社会論的に見ればルンペン・プロレタリアートが搾取者や権力者に成り代わる構図で、ブルガーコフの『犬の心臓』におけるプロレタリア革命の戯画とも共通したところがある。一方ラスコーリニコフ/プストタの立場に即していえば、これはナイーヴなインテリが、状況から裏切られる図といえるだろう。とりわけ最後の、殺人者と被害者の立場の逆転は、理論家の行為不能性を意味し、現実原則への挑戦が実は現実逃避にすぎないというメッセージとも受け取れるが、これはドストエフスキー作品の理解としても正当であろう。ドストエフスキー自身、ラスコーリニコフの夢の中に、殺しても死なない老婆の哄笑を描いているし、また前出のヴィトゥフノフスカヤも同じイメージを用いている。理想主義をうち砕く現実原則のシンボルとしての「死なない老婆」のイメージ、いわばロシア文学の悪夢が、主人公の出口なき状況のシンボルとしてここに導入されているのである。

 このような意味作用と同時に、この作中劇のシーンは、小説の構造モデルとしての機能も果たしている。この機能は二つのレベルで展開されている。第一のレベルでは、劇中の「変身」という現象自体が意味を持つ。マルメラードフの変身は、主人公と状況の関係変化を意味する以前に、主人公のアイデンティティの揺らぎ自体を模倣していると考えることができる。逃亡詩人から政治将校へと行き当たりばったりに変化する彼の社会的アイデンティティの怪しさが一方にあり、他方には20世紀の両端にまたがった彼の個人的アイデンティティの本質的な亀裂がある。彼の生活は余儀なき変身と新しい自己発見の連続である。そして主人公以外にも、チャパーエフをはじめとした登場人物の多くが、正体不明なのだ。変身するマルメラードフ像は、この先作品中で展開される特殊な「人格」概念へのイントロダクションなのである。

 また別のレベルで、このシーンにおける舞台と客席の関係が、小説の構造モデルを提供している。主人公はある意味で典型的な観劇をする。つまり最初は心理的距離と非常な違和感を持ってこの舞台を眺め、やがて舞台上に自分の行為への当てこすりを見いだして、現実のことのように戦慄し、後にそれが劇にすぎないと確信して安心する。いわばこの不安定な人物は、架空世界を相対化することで、かろうじて現実の現実性を納得することができた。しかしこの後の展開は、この認識自体が一時的なものでしかないことを証明してしまう。つまりやがて出現するチャパーエフは、ヨガの秘法や老荘的な空の論理を駆使して、現実世界を幻想的なものにしてしまうし、夢として現れる主人公のもう一つの自我が、さらにすべてを相対化してしまうからである。マルメラードフの劇は、寄る辺ない主人公に確かな現実を提供するとみせて、実はこの無限の現実否定プロセスの基本モデルを経験させているのである。

 人格の相対性と現実の相対性という二重の不確実性の表象として、『分身』の作者ドストエフスキーのイメージを利用することは、非常に適切な選択と思える。

 様々なジャンルの作品から必要なだけのイメージや情報を拾い上げて自作にちりばめることに長けたペレーヴィンは、ドストエフスキーに対しても同じことをしている。ラスコーリニコフの物語から殺人後の知覚のモデルパターン、および加害者と犠牲者、弱者と強者、現実と虚構の相対性に関する潜在的メッセージをくみ取る一方で、彼は罪意識をはじめとしてドストエフスキーの主人公の心中に生ずる様々な出来事を無視している。殺人は作品の第2章以降の主人公に、何のトラウマも残さないのである。しかしこのような割り切り方が、逆にオリジナルのある一面を自在に展開し、利用することを可能にしているといえるだろう。ドストエフスキーはこの作家にとって、いくらでも展開可能な矛盾、逆説、不安を豊かに備えた、魅力的な加工材料の一つなのである。

 ちなみにペレーヴィンの近作『ジェネレーションP』(1999)では、ロシア的理念の唱道者としてのドストエフスキー・イメージが、アネクドートのような形で利用されている。

ロシアのイメージ・コピーを作れという注文に窮したコピーライターが、こっくりさんの道具でドストエフスキーの霊を呼び出すのだが、自動筆記具はあたかも多方向に同一の力で引っ張られているかのように、ふるえる線を記すのみ。主人公はこれに失望しながら、しかしロシアの理念はきわめて先験的なものだから、これが唯一可能な表現法かもしれないと考えて納得するのである。33これもまた本人不在のまま一つの方向にデフォルメされた、秀逸なドストエフスキー・イメージと言えるだろう。


 d)文体模倣と自壊:V.ソローキン『ドストエフスキー・トリップ』(1997)34『青脂』(1999)35

 ウラジーミル・ソローキン(1955-)の場合、他者の作品に対する態度はさらに独特である。

他の作家の主題、人物像、事件、状況設定等々を借用して自分の構想に役立てるという作業は、彼には本質的なことではない。彼にとって大事なのは、そうした要素を盛る器としての、他者の文体を利用することである。いろいろな文章のリズム、スピード、質感、語彙といったものを、彼は絵画的にと言えるほど巧妙に模倣することができる。そればかりでなく、それぞれの文体が持つ潜在的な可能性をとらえたうえで、オリジナルとは別の方向に発展させたり、性質の異なった文体同士を隣接させて新しい効果を生み出したりといった加工作業も、彼の本領である。自前の文体を持たず、文化とも社会とも距離をおいた、外部の観察者のような関係を保とうとするコンセプチュアリストとしての意志が、この種の作業を支えている。いわばソローキンの文体とは、他者の文体を利用する手つきのことである。

 小説『ノルマ』(1994)において、彼は社会主義リアリズム小説風、ソ連のスローガン風、形容詞活用辞典風、イワン・ブーニン風、猥歌風・・・・・・といった多様な文体による小作品群をグラフィックな効果付きで配列し、20世紀ロシア文字文化の展示館のような空間を作ってみせた。一方『ロマン』(1994)では、19世紀長編小説風の流麗で息の長い文体で書きあげた恋愛物語を、ある種の経文やラップの歌詞のような単文の羅列によるスプラッタ小説に変貌させ、物語文学の終焉を表現した36。いずれの場合にも彼は、小説の物語的内容と形式の組み合わせを、自在に変化させている。このような作業の裏に推測される心理は、二律背反的なものである。すなわち文学作品を単なる「記号で覆われた紙」もしくは「死んだ世界」と呼ぶようなポストモダニスト的シニシズムと、文体の調合に美的快楽を覚える職人的な嗜好、いわば文学の権威剥奪や脱神話化のパトスと文学へのマニアックな愛情とが、彼の内に同居しているのである。

 文体模写をベースにしたソローキンの創作には明白な傾向があって、それが彼の作品を反社会的なものにしている。それはつまり、良識が文学の外に排除しようとするもの――暴力、差別、拷問、排泄趣味(スカトロジー)、加虐趣味(サディズム)、被虐趣味(マゾヒズム)、死体愛玩(ネクロフィリア)等々――を多様に表現しようとする志向である。正統的で上品な文学の下部に穴をうがって、卑猥語や差別表現に満ちた下品なポルノグラフィーを埋め込むような作業に、彼は大きな情熱を傾ける。もちろんここには正統派文学の規範的人間観を批判してマージナルなものを復権しようとする、アングラ文学の一般的意志が反映しているが、しかしそれがすべてではない。むしろそこには、精神と身体の下部構造にてらして、倫理の彼岸に生の充足感を得るような、作者自身の心理傾向が反映されている。これは彼の文学を、一方でマムレーエフ的な地下室人の世界に近づけ、他方でラブレー風の豊穣な無秩序世界に似せている。彼の創作はある意味で、そのような反社会的欲求に表現を与え、不安解消や快楽充足の役を引き受けてくれる、慰安装置でもある。

 作品への態度と同じく、読者への彼の態度も単純ではない。ソローキンにとって文学とは基本的に作家の創作行為に尽きるものであって、何らかの読者を想定して、彼らのために書かれるものではない。つまり作家にとって読者は存在しないし、従って文学行為に社会的な意味での倫理規範はいらない。しかし(一見詭弁的ではあるが)作者の創作行為とは別個に、作品と読者の関係が存在する。しかもそれはきわめて一方的な関係である。すなわち文学作品は、あたかも読む者の意識下の世界に働きかけながら、特定のリアリティ感覚や論理を強引に押しつけるような、「全体主義的暴力装置」だというのである。もちろん読者側のマゾヒズムを前提にすれば、文学は読者にとっても願望充足装置ということになる。いずれにせよ彼は(作者にとっての)文学行為の目的と(読者に対する)文学の作用とを、全く切り離して考えている。そしてここにもまた、19世紀以降のリアリズム文芸における作者=読者関係の単純さに対する一般的な反省と、この作家特有の願望充足装置としての文学観とが入り交じっているのである。

 従ってソローキンが文学を麻薬にたとえるとき、その麻薬の効果・作用として少なくとも3レベルの意味の可能性が含まれている。すなわち、

1)テキストの加工や調合作業が作家に与える美的快楽、
2)創作行為が提供する反社会的願望充足の快楽、
3)作品が読者を支配し操縦してしまう催眠術的作用、

である。

 戯曲『ドストエフスキー・トリップ』において、ソローキンは『白痴』を素材に文学の麻薬性というテーマに取り組んでいるが、その作業はまさに上記の複数のレベルにわたって展開されている。そこではまず小説の読者が文字通り文学世界に入り込み、主人公たちの心理的コンプレクスや潜在的願望を狂ったように演じてみせる。【上記1のテキスト加工の快楽、および3の催眠術的読者操縦作用の描出】そしてその恍惚夢(トリップ)の果てに彼らは自己制御力を失い、意識下に隠されていた自らの心理的外傷(トラウマ)を告白し始める。

【3の作用の強調】そしてこの文体とテーマ上の遊びの上に、古典をどたばた喜劇や下品なポルノグラフィーに変貌させる快楽【上記2の願望充足作用】に酔う作者の姿が二重写しになっているのである。

 この作品を読む(観る)者は、まず比喩の実体化という約束事を受入れなければならない。つまりこの作品世界では、文学作品が本として読まれるのではなく、クスリとして売られているのである。

 地味な作りの部屋の中、七人の薬物中毒の男女が苛立ちながらバイニンを待っている−−そんなシーンで舞台が始まる。だがすぐに明らかになるのは、彼らの必要としているのが通常の薬物ではなく、文学作品だということである。

 所在ないままに交わされる会話によると、この世界ではセリーヌ、クロソウスキ、ベケットといったのが強くてハイなクスリで、フロベール、モーパッサン、スタンダールなどが口直しに使われる弱いやつらしい。ジュネーヴにはカフカ、ジョイスで始めてトーマス・マンやトルストイで抜けるコースもあるらしいが、トルストイはどうもボーヴォワール顔負けのひどい代物のようだ・・・・・・。

 そこへようやく作家の名前のついた瓶をたくさん抱えたバイニンが到着、一連のやりとりの後、彼らに七人で集団トリップできるドストエフスキーを薦める。こうして一同が錠剤を含んで始まるのがドストエフスキー・トリップである。

 現れるのは『白痴』のナスターシャ・フィリッポヴナの家での夜会場面。男女の「演ずる」ナスターシャ、ムィシキン公爵、ガーニャ、その妹ワルワーラ、レーベジェフ、イッポリートが、原作のシーン割りを無視して集っている(トーツキー、エパンチン将軍などは省略されている)。ナスターシャが公爵の忠告でガーニャの求婚を断り、続いて十万ルーブリの現金を持ったラゴージンが登場。やがて貧乏公爵ムイシキンが大金持ちになることが明らかになり、ナスターシャをめぐる馴染みの三角関係が現出する。ナスターシャはラゴージンの女たることを選び、ことのついでに十万ルーブリを暖炉に捨ててガーニャに手でつかみ出せと命ずる・・・・・・。

ナスターシャ:じゃあ、お聞きなさい、ガーニャ。最後にもう一度お前さんの性根を見てみたいの。三カ月も私を苦しめてくれたんだから、今度はこちらの番よ。この包みが見える?十万ルーブリ入ってるわ。これを今この暖炉に、火の中に投げ込むの!

そうして全体に火が回ったら、すぐに暖炉に手を突っ込みなさい。ただし手袋はしないで、むき出しの手でね。そうして火の中から包みを引っぱり出してごらん!見事取り出せたらあんたのものよ!十万そっくりね!みんなが証人だわ、この包みはあんたのものだって。私はあんたの性根をとっくり見せてもらうわ。あんたが私の金を取ろうと火の中に手を突っ込むのを見物しながらね!もし手をつっこまなけりゃ、そのまま燃えてしまうのよ。他の人は手を出しちゃ駄目!私のお金なんだからね!私のお金だろう、ロゴージン?

 ロゴージン:ああ、お前さんのだ!お前さんのだぜ、女王様!

ナスターシャ:そう、じゃあみんなどいとくれ。邪魔はなし。レーベジェフ、火を
ちゃんと起こして!

 レーベジェフ:ナスターシャ・フィリッポヴナ、手が動きませんよ。
ナスターシャは暖炉の火掻き棒をつかみ、中のおきをかき立てたててから、包みを投げ込んだ。

 イッポリート:この女を縛るんだ!やめさせろ!
 ヴァーリャ:だめ、だめ、だめ!ガーリャ、はやく!
 レーベジェフ:(ナスターシャの前に跪く)ご主人様!女王様!全能の女神様!十万ですよ、十万!わたしに暖炉へ入れと命令して下さい。丸ごと入って見せましょう、この白髪頭をそっくり突っ込みましょう!足なえの病弱な妻がいて、子供は十三人――それもみんな孤児で、先週父親を葬ったばっかしで、腹を減らしているんですよ!
(暖炉に入ろうとする)

 ナスターシャ:(レーベジェフを足で蹴りつけて)おどき!ガーニャ、何を突っ立ってるの?恥ずかしがってる場合じゃないわ!手を突っ込みなさい!運をつかむのよ!
ガーニャは火のついた包みを呆然と見ている。(後略)p.25-26


 ソローキンの文体模写は5段階ほどに分かれているが、上に引用した部分までのところは、登場人物やシーンの多少の省略をのぞいて『白痴』の文体と内容をほとんど忠実になぞっており、ドストエフスキー特有の集合場面の雰囲気も再現されている。

 次の短い段階では、文体はそのままだが、発言者のメッセージがパターン化し、滑稽な要素が増幅される。この段階の最後には、すでに対話が独白の羅列へと変化している。

イッポリート:あの女を縛ってくれ、お願いだ、縛り付けてくれ!
ヴァーリャ:私もう死ぬわ!ああ、何で私たちがこんな目に!
レーベジェフ:手を出せ、手を突っ込むんだ、口ばっかりのろくでなし!燃えちまう、燃えちまう!
ガーニャ:ああ、いや、いや、いや!
ナスターシャ:燃えてる!燃えてる!燃えてる!
ロゴージン:好きだ!愛してるぜ、女王様!
イッポリート:死だ!死だ!
ヴァーリャ:兄さんを助けてあげて!助けてあげて!
レーベジェフ:この私なら歯でくわえてつかみだしましょう。跪いて、泥の中でも這いましょう。
ムイシキン公爵:ああ、なんて不幸な人たちなんだ!
レーベジェフ:跪いて!泥の中を!イモ虫のように這ってやる!
ナスターシャ:燃えてる!ぜんぶ燃えてる!ぜんぶ燃えてる!(中略)
イッポリート:みんな平気なんですね、ぼくがじきに死んでも!残酷な、冷たい人
たちだ!本当に死期が近いんですよ!2週間と言われたんです!
ナスターシャ:全部燃えるがいい!世界中の金が燃えてしまえばいい!ルーブリもドルもフランもマルクも円もシェリングも、みんな燃えるがいい!
ロゴージン:好きだ、お前が好きだ!お前の中には、世界中の女たちがいる!俺は彼女たちを感じる!俺は彼女たちを知っている!俺は彼女たちが欲しい!
 ヴァーリャ:妹の愛!純粋な、神聖な、妹の愛!それは無私の愛!売ることも買うこともできぬ愛!この世の何よりも貴重な愛!永遠の、果てしない愛!
 公爵:苦悩と痛み!世界の痛み!これこそわれわれを救ってくれるものだ!ほら、聞こえるでしょう、孤児や貧しき者の痛みが!虐げられ、辱められた者たちの痛みが!
p.27-28


各人物が物語の文脈を離れて夢を語り始める次の段階では、反復、列序、漸層といったレトリック効果が最大級に高まり、同時に卑猥語の類も混入する。各人の発言は、意味が単純化される一方で長くくどくなり、全体にヒステリックでグロテスクなイメージが誇張される。

 ガーニャ:俺は大変な金を稼いでやる!百万の百万倍、十億の十億倍稼いでやる!
 ナスターシャ:お金を全部焼いてやる!金庫も銀行も全部!世界中の造幣局も全部!
 ガーニャ:エヴェレストの頂上に城を建てるんだ!氷と雲しかないところに!世界中で一番高価な城だ!基礎はプラチナ!壁はダイヤモンドとエメラルド!屋根は金とルビー!毎朝俺は軟玉のテラスに出て、眼下の人々に宝石をばらまいてやるんだ!下の連中は宝石を拾いながら叫ぶだろう。「栄えあれ、ガーニャ・イヴォルギン、世界一の大金持ち!」

 ロゴージン:俺は世界中の女が欲しい!俺は女たちを感じる!一人一人を知って、愛している!俺はみんなをはらませなければならない!それが俺の人生の目的だ!俺の神々しいペニスが闇の中で光っている!俺の精液は、溶岩のように煮えたぎっている!世界中の女の分があるぞ!女を連れてこい!全員はらませてやる!全員だ!全員だ!

 ナスターシャ:私は素晴らしい完璧な自動車を作るわ!鋼鉄の巨人のように地球上を闊歩して、放火して回るの!走っていっては火をつけるの!自分で運転するのよ!町も村も燃やしてやる!森も野原も!川も山も!

 公爵:ぼくの肉体には3265150 本の神経がある!その1本1本にバイオリンの弦を結ばせるんだ!その3265150 本のバイオリンの弦がぼくの体から四方八方に伸びていく!そして3265150 本のバイオリンの弓を持った3265150 人の孤児たちが、ぼくの弦をこするんだ!ああ、それこそが世界の痛みだ!それが苦悩の音楽だ!ああ、子どもたちの痩せた腕!ああ、ぴんと張ったぼくの神経!すべての孤児と不遇な者たち、すべて虐げられ辱められた者たちよ、ぼくの体で演奏するがいい!そしてみんなの痛みを、ぼくの痛みとするがいい!

 ヴァーリャ:私は「妹の愛」という名の素敵な飛行船を空に浮かべるわ!銀色で透き通っていて、空気みたいに軽くてダイヤモンドみたいに硬いの!その飛行船に乗って、下劣で醜悪な地上から空へと飛んで、全世界に向かって叫ぶの。「愛すべき妹たち!汚れなき妹たち!無私の妹の愛を失わない妹たち!ここにおいでなさい!あなた達を悪の世から善と光の世に連れて行くから!」すると妹たちは船の下に集まる。私が銀の梯子を下ろしてあげると、みんな上ってくるの!

 レーベジェフ:私は巨大な鋼鉄の豚になる!前足はもぐらの足!もっぱら地面の下に住み、夜中だけ地上に這いあがっては、世の不浄なものをむさぼるのだ!地中に一大トンネル網を作る。夜にはゴミ箱のゴミを喰い、下水を飲む!すると私の鋼鉄の皮膚の下に、重たい鉛の脂身がたまるだろう!そしてただ舌だけが、人間の、優しい、ピンクの、湿った舌のまま残るだろう!昼間は、不浄物を消化しながら、舌べろだけを地上に突き出して、伯爵や公爵、侯爵や男爵の靴底を舐めるんだ!
 イッポリート:ぼくは死を出し抜いてやる!世界最良の医師たちを雇って、新しいぼくを作らせるんだ!新しい、永遠のイッポリートを!それは巨大なプロジェクトになるだろう!28 人のアカデミー会員・ノーベル賞受賞者が指導する165 の研究所がこれに従事するのだ!ぼくの朽ちゆく肉体に残された2週間という時間で、彼らは新たなる永遠のイッポリート・テレンチエフの身体を準備するんだ!素材はもっとも丈夫で耐久性のあるものだ!太陽のように輝く身体ができる!強くて若い身体ができる!

その身体からは四方八方に歓喜とオプチミズムの光が流れる!そしてぼくの古い肉体が死の苦しみにのたうっているとき、世界最高の神経外科医がぼくの掛け替えのない脳を古い体から抜き取って、新しい体にはめ込むのだ!するとぼくは立ち上がり、強い新しい腕でイッポリート・テレンチエフの古い肉体をつかみ、笑いながら死の婆さんの口に放り込んでやるのだ!そして死の黄色の歯がぼくの古い肉体を噛みはじめたら、若い、永遠のぼくは、笑いながら死の目のない顔に唾を吐きかけてやる!あはあは笑いながら唾を吐きかけてやるんだ!p.29-31(テキストD参照)


 各自が狂ったように演じてみせるこの願望夢は、やがてファルスから悪夢へと変わる。

宝石が底をついたガーニャは城のダイヤの壁を取り崩す羽目になり、ワルワーラの『妹の愛』号は世の妹たちの重みでタラップが壊れてしまう。レーベジェフは放射性廃棄物に悩まされ、イッポリートの人造の肉体からは筋肉が剥離していく。ナスターシャもナパームの不足と放射器の故障に見舞われ、ラゴージンはヨーロッパの女性の半数と関係したところでインポテンツになる。公爵は孤児たちがでたらめにかきむしる弦の音に苛まれる。

 この部分(引用略)では漸降(デグラデーション)の修辞が用いられ、再び文が単純化していく。

 の混乱のあげく、皆は役柄を捨てて自身の心的トラウマの記憶を語り始める。通学の電車で性的いたずらをされた少年、猟犬を死なせて父親に裸の尻を打たれた少年、隣人の男色シーンを目撃した少女、ポリオの後遺症の脚を笑われた少年、瀕死の祖父の体をもてあそび続けた少女、母親との近親相姦にふけった少年、ナチス包囲下の町で死人の尻の肉を集めてカツレツとして売っていた双子の兄弟・・・・・・。この部分はすでにドストエフスキーのテキストを完全に逸脱して、社会主義リアリズム風ポルノグラフィーとでもいうべき別の文体世界になっている。

 この回想の後、一同はすっかり虚脱状態に陥ってばたばたと倒れていく、という展開になるのだが、このような計算された枠組みの中で、ソローキンはドストエフスキーの文体が本質的に備えているある特異な機能を誇張的に再現している。それは一種の言葉の魔術的作用――感情、思想、欲望を表出する言葉が、いつしか話者のコントロールを逸脱してそれ自体の論理で発展していき、ついには話者のアイデンティティを狂わせてしまう作用――を描出する機能である。ドストエフスキー文学の呪縛力は、作者の思想とかリアリストとしての才能とかにあるのではなく、このような文体自体の麻薬的作用にある――そうソローキンは言っているようだ。そしてそのような手続きを介して、彼は自分とは別の次元にいるはずの読者(麻薬中毒者)の姿をも、作品の中に描き出したのである。


 ソローキンのもう一つの作品『青脂』では、荒唐無稽な動機付けによって作中に組み込まれたエピソードとして、ドストエフスキーのパロディが登場する。

 2068年のシベリア。核の冬を経た後らしい荒涼とした世界で、ロシア政府派遣の諸民族混成学術チームが、青脂(goluboe salo=水色の脂身)と呼ばれる<ゼロ・エントロピー物質>を開発している。青脂はこの世界のエネルギー開発に不可欠な物質らしいが、自然状態では存在せず、なぜかロシア有名作家たちのクローン(複製人間)が文学作品を執筆した後、その体内に蓄積されるのを採取するしかない。つまりチームの仕事は、何年かがかりで開発してきた7体のクローン作家たち(ドストエフスキー2号、アフマートワ2号、プラトーノフ3号、チェーホフ3号、ナボコフ7号、パステルナーク1号、トルストイ4号:号数は世代を示す)に、好適な環境で執筆を促し、青脂を蓄積させることなのである。

 この後ストーリーは、20世紀と21世紀の両方にまたがる青脂をめぐっての一大スペクタクルに発展するのだが、本論にとって大事なのは、上記のような設定によって、作者がロシア作家たちのパロディを存分に展開する動機付けがなされているということである。

ただしこのパロディ・ゲームには一つの制約がある。すなわちクローン作家の出来栄えは完璧ではなく、作家ごとに精度のムラがあるということである。たとえばトルストイ4号は73%、ナボコフ7号は89%という風に。従ってここに導入されるのは、完璧なパロディではなく、各個体の精度に応じた不完全なパロディということになる。

 このような前提で導入されるドストエフスキー2号の作品は以下のように始まる。


ドストエフスキー2著
『レシェートフスキー伯爵』

 七月も末のある日の真昼の二時過ぎ、とほうもなく雨模様が続き、夏らしくなく冷え冷えした頃合、道中の泥でさんざんに汚れた幌馬車が、一対の見てくれの悪い馬に曳かれてA橋を駆け抜け、G通りの三階建ての灰色の家の車寄せの脇にとまったが、その様子は全体がとほうもなくどうもあんまりで、そのニワトリのコトバときたらニワトリのコトバときたらもうまったく良からざるものだった。

 馬車からは二人のがっしりとした体躯の紳士が出てきたが、その服装はしかしもはや夏服でもなく、しかもペテルブルグ風でもなかった。一人はステパン・イリッチ・コストマーロフ、特殊任務を課された政府のさる局の参議官で、短い羊革の外套を着込み、もう死んではいるがとほうもなく長い黄色と黒のまだらヘビで腰のところを締めていたが、もう一人の、若死にした将軍の裕福な遺産相続人でそれゆえ定職をもたないセルゲイ・セルゲーヴィチ・ヴォスクレセンスキーの体には、広場で演技しているヴェネツィアのアルルカン風の細いまだら絹が巻き付けられていて、あの頃彼は自分のを見せつける光栄を得たのだが、彼女ときたらもうまったく下劣な売女であった。

 その姿を一目見ただけでこちらがなにやら突然に圧倒され感動させられてしまい、胸が締めつけられて訳もなく涙が流れ出してくるようなタイプの人がいるものだが、それはもし人間にある性向がある場合にはひどく残念なことになるが、それがどんな性向なのかはご自分で考えてみて欲しいわけで、まったくこの役立たずが。

 ちょうどその様な印象をコストマーロフとヴォスクレセンスキーはその出現によって数少ない通行人たちに与えた。二人の平民、つまり学生と初老の女性ははっと立ち止まったが、それはまるで地面に打ち込まれた柱、柱、柱、柱です、柱みたいで、そう一里塚みたいで、興奮を隠し切れぬ様でこの驚くべき二人連れが玄関につくところまでずっと目で追っていた。この三階建ての家はドミートリー・アレクサンドロヴィチ・レシェートフスキーの持ち物で、よく火曜日ごとにあるいは木曜日ごとに、まるでミツバチが巣に通うように、そうまさにすばしこい働き者のミツバチが、新しい巧みに加工された巣に通うように、といっても蜂の巣には様々な構造のものがあって、丸太くり貫き型、お家型、立木くり貫き型、さらに土ミツバチまでいるのでございますが、そんな風にペテルブルグの社交界人士はこの家に引き寄せられあそばすわけです。しかしこの日は水曜日であったため、この訪問者を出迎えたのは金モールの刺繍をしたお仕着せの玄関番ではなく、びっこのコサック、ミーシカで、これは伯爵の忠実な伝令兵としてともにトルコ遠征を経験し、伯爵のサンチョ・パンサまがいの存在となったのであるが、しかしこれは全くの破局であり、彼のおかれた立場は想像しがたいもので、その地位からいって腹蔵のない側近、あるいは単にいやらしい人間、つまりロシア語でいう卑劣漢となるべき必然性はまったくなかった。P.32-33(テキストE参照)


 ソローキンによるドストエフスキーの文体のもじり具合は、このテキストを『罪と罰』や『白痴』の冒頭と比較するとわかる。すなわちドストエフスキー特有の語彙や言い回し(3回使われる「とほうもなく」、

「A橋を駆け抜け、G通りの・・・・・・」、

「夏服でもなく、しかもペテルブルグ風でもなかった」)、

特徴的な構文(「七月も末のある日の真昼の二時過ぎ・・・・・・」「二人の紳士が・・・・・・、一人は・・・・・・、もう一人の・・・・・・」)が、ここで巧みに借用されている。また三段落の「その姿を一目見ただけで・・・・・・」の文における関係代名詞節の用法、最終段落の「この三階建ての家は・・・・・・」という文脈を逸脱する比喩の長たらしさも、ゴーゴリの影響下にあった初期ドストエフスキー風である。そしてその一方で、(クローンの不完全さに動機づけられた)無意味な繰り返し、舌足らず、意味不明の言葉、文の結構の乱れといったものが描き込まれている(「もう死んではいるがとほうもなく長い黄色と黒のまだらヘビ」、「柱、柱、柱、柱です」、「といっても蜂の巣には様々な構造のものがあって・・・・・・」等々)。

 もちろん文体のもじりと並行して大きな枠組みレベルでのパロディが進行しているわけで、二人の異なったタイプの男性が女性問題を抱えている貴族の屋敷を訪れるという設定は、『白痴』そのものである。『白痴』の模倣はこの後しばらく継続され、またもやナスターシャ・フィリッポヴナの夜会を連想させるような、衆人の中で高慢な女性にやりこめられる男たちの話が描かれるのだが、しかしエピソードの最後はきわめてユニークである。つまり結末の見えない口論を続ける男女の前に、突然二人のドイツ人技師が奇妙な機械を伴って現れ、さらにガリバー物語のリリパット族のような小さな人間が登場する。そして一同に向かって「さあ、体を縫い合わせて一緒になりましょう」と呼びかけるのである。

しばしのためらいの後、主人公の伯爵は二名の男女とともに「縫い合わされる」ことを選び、三人で暮らすためにスイスへと去っていく。

 これはむろんギリシャ悲劇の収束装置であるデウス・エクス・マキーナ(機械仕掛けの神)のソローキン版であるが、同時にドストエフスキーの葛藤処理・場面転換法をも戯画的に模倣している。すなわちこの機械は、ナスターシャ・フィリッポヴナのもとへ大金を持って駆けつけ、状況を一変してしまうラゴージンや、貧乏公爵から急に金持ちの遺産相続者に変身するムイシキンの代役でもあるのだ。さらに付け加えれば、世間を離れて三人で暮らす夢自体も、ドストエフスキーの模倣である。

 ソローキンもペレーヴィンと同じくドストエフスキーの内で自らに必要な側面を選択的に利用している。彼の場合その側面とは、われわれが文体という名前で呼んできたもの、すなわち言語表現の形式面に現れた作者の思想や世界感覚である。しかし文体模写やパロディという言葉の響き以上に、ソローキンの加工はドストエフスキーの登場人物の奇妙な情熱や、彼らの言葉と思想がはらむ生産的な矛盾や葛藤を、インパクトのある形で表現する結果になっている。そしてそこに、ソローキンという作家自身の文学に対するアンビヴァレントな感情も映し出されている。これはおそらく、メディアこそメッセージであり、文体こそ作家の思想の本質であるという、古い逆説の一つの証明であろう。


 以上この章で検討した文体模写の諸例は、いわゆるポストモダニズム的インター・テクスチュアリティの認識に裏付けられている。つまり、テキストはほかのテキストとの相互関係の中にのみ存在すること、独創的な文体が存在するのではなく、文体への独創的な態度が存在するのであること、すべてのテキストは作者の文学への態度を示すメタテキストでもあること、などについての認識である。こうした意味で、現代ロシア作家にとってのドストエフスキーのテキストも、無数の他者のテキストのひとつにすぎず、それに何らかの特権的な意味を与える根拠はない。
 しかし同時に彼の文学はいくつかの点で、現代的な文体模写にとって格別豊かな可能性を持つ素材となっているように観察される。まず注目すべきは、彼の創作様式が、その多面的で多義的な世界観を反映した、きわめてダイナミックなものだということである。これは彼の文学に矛盾をはらんだ多様な解釈の可能性を与え、ひいては様々な方向への応用や展開の意欲をそそる結果となっている。実際、ここに見た作家たちはそれぞれ、ドストエフスキーの文体(つまり世界把握と描写の論理)の異なった側面に注目している。たとえばペレーヴィンは何らかの破局の予感を含んだ世界の相対性の感覚――現実と幻想、舞台と客席、時間と空間等々の相対性――の表現に関心を寄せ、ソローキンはむしろドストエフスキーに独特な言葉の様態――種々な思想的・感情的要因をひとつの文学的時空に圧縮することにより、作中人物にも読者にも意想外な自己発現や自己発見を促してしまうような、彼の文体のメカニズム――に興味を示している。

 そしてその際以下の三つのことが観察される

a)作家たちは概してドストエフスキーの文体の、正反対の評価を許容するような矛盾を含む側面に関心を寄せている。いわばドストエフスキーの文学のうちもっとも問題の多い要素こそが、現代作家の文体加工にとってもっとも有意義で生産的素材なのである。


b)作家たちはドストエフスキーの文体を、単に彼個人に関わる現象としてではなく、ロシア的メンタリティの特性の表象と受け止めている。ドストエフスキーの文体模写は、いわばロシア人のロシア性(ルスコスチ)の端的な表現に利用されている。

c)多くの作家にとってドストエフスキーの文学は、ロシア社会における文学の特殊な地位を典型的に示すものである。「文学中心主義」の概念で表される諸現象――文芸が人々に現実の見方を教え、彼らの行為に影響を与え、自己表現の方法を提供し、ひいては現実に変わる疑似現実を提供する、といった作用――が、この章で見た作家たちだけではなく、ガルコフスキー、マカーニンといった多くの作家によって、ドストエフスキー文学との関連で問題にされている。彼の作品の文体模写は、いわばロシア的文学中心主義の非常に自意識的な実演行為である。


むすび


 以上、現代ロシアの文学作品におけるドストエフスキー・イメージのうち、有意味だと思われるケースを拾いあげてみた。古典作家やその作品が意味のある形で現代作品の中に登場するという現象が、あまり一般的なものとは言えない以上、ドストエフスキーが現代作家の自己表現に特殊な意味を持つという本論の仮説は、ある程度確かめられたと思う。

 本論の作業は、それぞれの作品や作家個人にとってのドストエフスキー・イメージの意味役割を検討することを中心とした。その際、各作家がドストエフスキーを全体としてどう評価しているかということよりも、どのような点に自らの創作にとっての応用可能性や生産性を見いだしているかに注目しようとした。結果として得られた図柄は、かなりの個別差を含んでいる。しかし差異を前提とした上での条件付きの一般化を行うならば、以下のことが言えそうである。

 a)ドストエフスキーと彼の作品に関しては、久しく紋切り型のイメージ群が定着している。従って現代作家がドストエフスキーを扱う場合、それが定型イメージの二次加工、三次加工であるという意識と、そのための方法論を持つことが前提となる。

 b)文学の二次的利用一般に言えることだが、しばしばオリジナルの整合的で積極的な側面よりも、矛盾や多義性をはらんだ側面の方が、利用者・加工者にとって生産的である。

そうした側面の代表例が、人格としての地下室人、現象としての人格分裂や幻想、思想としてのロシアの理念である。

 c)ドストエフスキーの文体は、今日でも魅力的な利用・加工素材である。なかでも優れた文体模写は、ガルコフスキー流のロシア論への積極的展開のケースも、ソローキン流のパロディ風デフォルメのケースも、必ず自己言及的な形式と内容の相応という側面を持つ。

 d)ドストエフスキーの創作は、ロシアにおける文学の呪縛、文学と現実の密な関係性のシンボルのように見なされている。ある者は文学による現実社会のシミュレーションや思想的実験の例として、またある者は文学の読者への感化力・影響力の例として、ドストエフスキー文学に言及している。

 e)上のすべてと関連して、ドストエフスキーへの言及は、言及する者たちのロシア作家(ロシア語作家)としての自意識と、密に関係している。マカーニン、ガルコフスキー、アイトマートフ、ピエツフ、ヴィトゥフノフスカヤ、ソローキンといったきわめて異なった作家たちが、ロシア文学やロシア語の問題、あるいはロシアの思想や文化の問題を、ドストエフスキーの人格や文学の問題と重ね合わせてイメージしている。そこには自己へのこだわりと同質の要素があり、ドストエフスキーへの言及は常に幾分か自己弁明、自己韜晦、自己嫌悪、自己賛美といった心理作用を伴っていると感じられる。

 もちろん、本論の作業は分析対象の数も分析手法も限られており、ここで得られた認識はさらに修正・補完されるべきである。またこのような認識を総合して、現代文化におけるドストエフスキーの意味、あるいはロシア社会における文学的伝統の役割といった、一般的な議論に展開していくことの必要性や意義は、論者の視野にも入っている。しかし創作が基本的に個人の作業であること、そして作家は社会的人間としての理念や生き方に沿ってではなく、作品の作者の立場から創作の題材を選択するものであることをふまえると、個々の作品から文芸一般論へ、さらに社会論へと展開するには慎重な方法論の検討が必要であろう。

 それらを今後の課題としたい。


 【付記:この文章を書いた後、筆者はここにあげたものと並べて検討すべきいくつかの文学作品に出会った。そこには1870年代の雰囲気再現にドストエフスキーのテキストを利用したボリス・アクーニンの歴史推理小説、フョードル・ミハイロフなる作者が現代モスクワを舞台に描いた『白痴』のリメイク37のほか、セルゲイ・ボルマット、ミハイル・イワノフ、エゴール・ラードフ、アレクセイ・スラポフスキー、ワレリー・ザロトゥーハ、ミハイル・シシキンなどの作品が含まれている。またトルストイやチェーホフら古典作品の続編やヴァリアントを書くブームについても、同じ枠組みの中で論じることができるだろう。従って、本稿はまだまだ大きな改訂の余地を残している。】

http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/literature/mochizuki-no76.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/334.html#c4

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
269. 中川隆[-13425] koaQ7Jey 2020年2月28日 08:07:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[89]

平野憲一の株のお話 2020.02.28 ダウ、弱気相場突入

 27日のNY株。
ダウは1190.95ドル安の2万5766.64ドル、ナスダックも414.29ポイント安の8566.48ポイントとクラッシュ的下げ。

ダウは6営業日連続で、下げ幅としては2018年2月の1175ドルを上回り、過去最大。今まで世界一の強さを示していたNY株は下げが止まりません。

つい2週間前の史上最高値2万9551.42ドルからの下げ率は12.8%となり、NY市場で、上昇相場の終わりを意味すると言われる12%の下げを超えました。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c269

[近代史3] 安倍晋三は会う人ごとに「相手が望むこと」を言っている 中川隆
17. 中川隆[-13424] koaQ7Jey 2020年2月28日 08:20:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[90]

「店じまい国家」からの脱却を!(後編)
店じまい国家の成れの果て 2020-02-28


 安倍総理大臣が、首相官邸で開かれたCOVID−19の対策本部会合で、全国すべての小中高校や特別支援学校を、来週月曜日(3月2日)から休校とするよう要請すると表明したのです。いや、感染症が発症している地域ならわかりますが、全国って・・・。


 しかも、またもや「要請」・・・。実際に休校を決めるのは、政府ではなく自治体(教育委員会)です。

 イベント自粛要請に続き、小中学校の休校要請。


 責任はイベント主催者や、各地自治体に丸投げし、「対策を打っているポーズ」を採り、それでも緊縮財政路線は堅持。イベント自粛や、休校により所得的なダメージを受ける企業や国民への支援は、少なくとも「カネ」についてはしない。


 というか、カネは出さない、中国人入国規制を早期に決断するなど、国家の機能を使う気もない。それでも、対策をとっているポーズをとりたいからこその、「要請」の連発なのでしょうけれども。


 緊縮財政。店じまい国家の成れの果てを、我々は目撃しています。

『休校要請 専門家「評価難しい」

 日本環境感染学会の理事長で、政府の新型コロナウイルス対策の専門家会議の委員でもある、東京慈恵会医科大学の吉田正樹教授は「人から人への感染を防ぐという意味では、実施しないよりは感染者が少なくなる可能性はある。ただ、感染が起きている地域での休校は感染を広めないためにはよいと思うが、感染が起きていない地域で同じ対応をとることにどれほどの効果があるかはわからない。子どもたちが外に出歩き、友だちと遊んでしまっては効果は下がるだろうし、現時点で評価することは難しい」としています。(中略)

 政府の新型コロナウイルス対策の専門家会議の委員で、感染症に詳しい川崎市健康安全研究所の岡部信彦所長は、「専門家会議で議論した方針ではなく、感染症対策として適切かどうか一切相談なく、政治判断として決められたものだ。判断の理由を国民に説明すべきだ」と話しています。

 また、感染症対策としての妥当性について、「一定の効果はあるかもしれないが、2009年に当時、新型と呼ばれたインフルエンザの経験をふまえると、各地域の状況に応じてそれぞれ対策をとることが有効だ。ウイルスに感染した患者がいない地域もあるのに、全国一律に小中高校の休校を要請するという、国民に大きな負担を強いる対策を、現時点ではとるべきではないと思う」と話していました』

「専門家会議で議論した方針ではなく、感染症対策として適切かどうか一切相談なく、政治判断として決められたものだ」

 でしょうね。


 2月25日に決定された「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」では、イベントについて、

「イベント等の開催について、現時点で全国一律の自粛 要請を行うものではない」

 とあり、学校休校については、「イ)今後」のAにおいて、
「学校等における感染対策の方針の提示及び学校 等の臨時休業等の適切な実施に関して都道府県等 から設置者等に要請する」

 と、優先順位はあくまで「今後」と低く設定されていたのが、いきなり転換したわけです。しかも、感染症確認地域ではなく「全国」に対する「要請」ですので、総理の判断がいかに「適当」であるかが理解できます。


 二日で覆る「基本方針」が、まさに安倍政権の行き当たりばったりというか、「緊縮財政下の政府の非常事態対策」を象徴しているのです。


『新型肺炎 各国、大規模対策費 シンガポール5000億円 米国2700億円 日本153億円

 新型コロナウイルスによる肺炎(COVID19)の感染が世界中に広がり、各国・地域の政府が大規模な対策費の支出を決めている。日本政府も既に緊急対策をまとめたが、消費税増税後にマイナス成長に陥るなど景気が停滞する中、追加の支出を求める意見が徐々に強まっている。(中略)

 ただ二十六日の衆院予算委員会では、野党が各国の対応と比較するなどし「日本は予算が少なすぎる」と相次いで指摘した。安倍晋三首相は、新型肺炎の緊急対策とは別に大規模な総合経済対策を昨年末にまとめた点などを強調。「現時点で経費の不足が見込まれる状況ではない」と述べた。』
 
 いや、総理、直接的な対策経費ではなく、昨年の消費税増税に続く、CCOVID−19による自粛、休校、消費激減による「経済ショック」への対策が必要という話です。しかも、昨年末の「大規模総合経済対策」など、単なる毎年やっている補正予算の「言い換え」に過ぎず、しかもCOVID−19蔓延「前」の決定でしょ。


 まあ、店じまい国家では、大規模な所得補償や休業補償、国内消費や「日本人」の観光旅行を喚起する「追加的予算」など出てこないのでしょうが(精々が「融資枠設定」とう、国民に借金を求める対策)。

『新型コロナ対応 厚労省の53%が「非正規公務員」の現実

 新型コロナウイルスの拡大がとまらない。感染症拡大の最前線で取り組むのは現場の公務員たちだ。しかし、この30年間、公務部門は、人員の非正規化や民間委託が進められ、人員や予算を削減され続けてきた。

 その結果、災害や感染症など「異常事態」が発生した際に、きわめて脆弱な体制がつくりだされてしまった。クルーズ船のずさんな対応などは、国内外から厳しく批判されている。いったい、いま、公務を担う現場にどのような異変が起きているのだろうか? (後略)』

「感染症対策の担当省庁である厚生労働省では、2019年時点で53%と、省庁の中でも最も非正規率が高くなっている。」

 非正規率が高いのが労働行政(ハローワーク)の方だとしても、異常な数値です。

 というか、「雇用を守る厚生労働省の職員」が非正規雇用って、もはや乾いた笑いしか出てこないんですが・・・。

 まあ、安倍総理ばかりを責めるわけにはいきません。安倍総理は、戦後、ナショナリズムを失い、国家を否定し、90年代以降は国家の役割を減らす「小さな政府路線」こそが善と信じ、

「公務員は多すぎる! 公務員を削減しろ!」
「公務員給与は高すぎる! 予算を削減しろ!」

「政府は放漫財政! 国の借金で破綻する! 無駄を削れ!」

 という国民のルサンチマンに応える形で、国家の店じまいを進めてきた「店じまい国家、日本」の完成者に過ぎないのでございます。


 現在の日本、国家の店じまいの成れの果てから目をそらすのはやめましょう。これが、我々が選択した結果としての「我が祖国」なのです。


 現実を理解した上で、前に進まなければなりません。少なくとも我が国では、希望は絶望の先にしかないのです

https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12578317719.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/629.html#c17

[近代史3] 浜崎洋介 _ 安倍「器」論 中川隆
10. 中川隆[-13423] koaQ7Jey 2020年2月28日 08:20:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[91]

「店じまい国家」からの脱却を!(後編)
店じまい国家の成れの果て 2020-02-28


 安倍総理大臣が、首相官邸で開かれたCOVID−19の対策本部会合で、全国すべての小中高校や特別支援学校を、来週月曜日(3月2日)から休校とするよう要請すると表明したのです。いや、感染症が発症している地域ならわかりますが、全国って・・・。


 しかも、またもや「要請」・・・。実際に休校を決めるのは、政府ではなく自治体(教育委員会)です。

 イベント自粛要請に続き、小中学校の休校要請。


 責任はイベント主催者や、各地自治体に丸投げし、「対策を打っているポーズ」を採り、それでも緊縮財政路線は堅持。イベント自粛や、休校により所得的なダメージを受ける企業や国民への支援は、少なくとも「カネ」についてはしない。


 というか、カネは出さない、中国人入国規制を早期に決断するなど、国家の機能を使う気もない。それでも、対策をとっているポーズをとりたいからこその、「要請」の連発なのでしょうけれども。


 緊縮財政。店じまい国家の成れの果てを、我々は目撃しています。

『休校要請 専門家「評価難しい」

 日本環境感染学会の理事長で、政府の新型コロナウイルス対策の専門家会議の委員でもある、東京慈恵会医科大学の吉田正樹教授は「人から人への感染を防ぐという意味では、実施しないよりは感染者が少なくなる可能性はある。ただ、感染が起きている地域での休校は感染を広めないためにはよいと思うが、感染が起きていない地域で同じ対応をとることにどれほどの効果があるかはわからない。子どもたちが外に出歩き、友だちと遊んでしまっては効果は下がるだろうし、現時点で評価することは難しい」としています。(中略)

 政府の新型コロナウイルス対策の専門家会議の委員で、感染症に詳しい川崎市健康安全研究所の岡部信彦所長は、「専門家会議で議論した方針ではなく、感染症対策として適切かどうか一切相談なく、政治判断として決められたものだ。判断の理由を国民に説明すべきだ」と話しています。

 また、感染症対策としての妥当性について、「一定の効果はあるかもしれないが、2009年に当時、新型と呼ばれたインフルエンザの経験をふまえると、各地域の状況に応じてそれぞれ対策をとることが有効だ。ウイルスに感染した患者がいない地域もあるのに、全国一律に小中高校の休校を要請するという、国民に大きな負担を強いる対策を、現時点ではとるべきではないと思う」と話していました』

「専門家会議で議論した方針ではなく、感染症対策として適切かどうか一切相談なく、政治判断として決められたものだ」

 でしょうね。


 2月25日に決定された「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」では、イベントについて、

「イベント等の開催について、現時点で全国一律の自粛 要請を行うものではない」

 とあり、学校休校については、「イ)今後」のAにおいて、
「学校等における感染対策の方針の提示及び学校 等の臨時休業等の適切な実施に関して都道府県等 から設置者等に要請する」

 と、優先順位はあくまで「今後」と低く設定されていたのが、いきなり転換したわけです。しかも、感染症確認地域ではなく「全国」に対する「要請」ですので、総理の判断がいかに「適当」であるかが理解できます。


 二日で覆る「基本方針」が、まさに安倍政権の行き当たりばったりというか、「緊縮財政下の政府の非常事態対策」を象徴しているのです。


『新型肺炎 各国、大規模対策費 シンガポール5000億円 米国2700億円 日本153億円

 新型コロナウイルスによる肺炎(COVID19)の感染が世界中に広がり、各国・地域の政府が大規模な対策費の支出を決めている。日本政府も既に緊急対策をまとめたが、消費税増税後にマイナス成長に陥るなど景気が停滞する中、追加の支出を求める意見が徐々に強まっている。(中略)

 ただ二十六日の衆院予算委員会では、野党が各国の対応と比較するなどし「日本は予算が少なすぎる」と相次いで指摘した。安倍晋三首相は、新型肺炎の緊急対策とは別に大規模な総合経済対策を昨年末にまとめた点などを強調。「現時点で経費の不足が見込まれる状況ではない」と述べた。』
 
 いや、総理、直接的な対策経費ではなく、昨年の消費税増税に続く、CCOVID−19による自粛、休校、消費激減による「経済ショック」への対策が必要という話です。しかも、昨年末の「大規模総合経済対策」など、単なる毎年やっている補正予算の「言い換え」に過ぎず、しかもCOVID−19蔓延「前」の決定でしょ。


 まあ、店じまい国家では、大規模な所得補償や休業補償、国内消費や「日本人」の観光旅行を喚起する「追加的予算」など出てこないのでしょうが(精々が「融資枠設定」とう、国民に借金を求める対策)。

『新型コロナ対応 厚労省の53%が「非正規公務員」の現実

 新型コロナウイルスの拡大がとまらない。感染症拡大の最前線で取り組むのは現場の公務員たちだ。しかし、この30年間、公務部門は、人員の非正規化や民間委託が進められ、人員や予算を削減され続けてきた。

 その結果、災害や感染症など「異常事態」が発生した際に、きわめて脆弱な体制がつくりだされてしまった。クルーズ船のずさんな対応などは、国内外から厳しく批判されている。いったい、いま、公務を担う現場にどのような異変が起きているのだろうか? (後略)』

「感染症対策の担当省庁である厚生労働省では、2019年時点で53%と、省庁の中でも最も非正規率が高くなっている。」

 非正規率が高いのが労働行政(ハローワーク)の方だとしても、異常な数値です。

 というか、「雇用を守る厚生労働省の職員」が非正規雇用って、もはや乾いた笑いしか出てこないんですが・・・。

 まあ、安倍総理ばかりを責めるわけにはいきません。安倍総理は、戦後、ナショナリズムを失い、国家を否定し、90年代以降は国家の役割を減らす「小さな政府路線」こそが善と信じ、

「公務員は多すぎる! 公務員を削減しろ!」
「公務員給与は高すぎる! 予算を削減しろ!」

「政府は放漫財政! 国の借金で破綻する! 無駄を削れ!」

 という国民のルサンチマンに応える形で、国家の店じまいを進めてきた「店じまい国家、日本」の完成者に過ぎないのでございます。


 現在の日本、国家の店じまいの成れの果てから目をそらすのはやめましょう。これが、我々が選択した結果としての「我が祖国」なのです。


 現実を理解した上で、前に進まなければなりません。少なくとも我が国では、希望は絶望の先にしかないのです

https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12578317719.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/688.html#c10

[近代史4] ドストエフスキーの世界 中川隆
5. 中川隆[-13422] koaQ7Jey 2020年2月28日 08:40:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[92]

ロシアのアンチ・ドストエフスキー派:なぜ、どこが嫌いなのか?
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/505.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/334.html#c5
[近代史4] ドストエフスキーの世界 中川隆
6. 中川隆[-13421] koaQ7Jey 2020年2月28日 08:45:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[93]

ドストエフスキーの三つの恋
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/506.html
 


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/334.html#c6

[近代史4] 中川隆投稿集 _ 世界の料理 中川隆
3. 中川隆[-13419] koaQ7Jey 2020年2月28日 08:58:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[95]

ロシア人は黒パンをかじり、グラスのウォッカを少し口に含んで、パンと一緒に飲む
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1043.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/139.html#c3
[近代史4] ドストエフスキーの世界 中川隆
8. 中川隆[-13418] koaQ7Jey 2020年2月28日 09:04:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[96]

トルストイ、ドストエフスキーの収入は?
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/508.html
 



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/334.html#c8

[近代史4] ドストエフスキーの世界 中川隆
9. 中川隆[-13417] koaQ7Jey 2020年2月28日 09:16:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[97]

『白痴』が書かれてから150年:ドストエフスキーのキリスト的な傑作が読まれる5つの理由
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/509.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/334.html#c9
[近代史4] ドストエフスキーの世界 中川隆
10. 中川隆[-13416] koaQ7Jey 2020年2月28日 09:19:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[98]

『罪と罰』出版から150年
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/510.html
 

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/334.html#c10
[番外地7] ドストエフスキー風な食卓 中川隆
1. 中川隆[-13415] koaQ7Jey 2020年2月28日 09:31:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[99]

ドストエフスキーが食べたもの:ロシアの古典作家が愛したレシピ 2018年2月28日
マリア・アフォニナ
https://jp.rbth.com/cuisine/79789-dostoevsky-ga-tabeta-mono


『ニシンの子牛肉添え。食べ物と作家とレシピについての本』エリダール・オルジェフ著、画像:インナ・バガエワ


 モスクワ風セリャンカとパンの牛肉詰めからドストエフスキー風紅茶まで


 ドストエフスキーの2人目の妻アンナは、ドストエフスキーがレストランで、ペテルブルク出身の彼女を驚かせようとフライパンで焼いたモスクワ風セリャンカを注文したことを忘れてはいない。

 「セリャンカは本当に驚くべき料理である」。最近出版された「ニシンの仔牛肉添え。食と作家とレシピの本」の著者エリダール・オルジェフ氏はこう明言する。

 「セリャンカはスープでありながらメインでもある。ときに魚のスープでさえある。しかしモスクワ風セリャンカは疑いなくメインである。かつてはロシアにおけるピッツァの一種でもあり、レストランでは、前の日に食べきれなかったもので作り、翌朝に出されるいわば庶民の料理でもあった」。

 それではセリャンカを始め、ドストエフスキーが好んだ料理のレシピをいくつかご紹介しよう。

フライパンで焼くモスクワ風セリャンカ

材料:

●玉ねぎ 1個
●バター 150g
●ザワークラウト 750g
●小麦粉 50g
●牛肉などお好きな肉 750g
●塩漬けのキュウリ 2本
●オリーヴ 50g
●酢漬けのキノコ 50g
●塩 適宜

作り方:

 みじん切りにした玉ねぎをバターで炒め、そこに汁気をしぼった千切りのザワークラウトを加えたら、塩をふる。よく混ぜたら、ふたをして、しんなりするまで蒸し煮にする。焦げつかないようときどき混ぜ、出来上がったら小麦粉を加える。

 ザワークラウトを別のフライパンに移す。まずザワークラウトをフライパンに敷き詰めたら、その上に、火を通して細かく切った肉(牛肉、仔牛肉、ベーコン、鶏肉、ソーセージなんでもよい)を層になるよう全体に広げ、その上にもう一度フライパン全体にザワークラウトをかぶせる。

 上に細かく刻んだ塩漬けのキュウリ、コルニション、オリーヴ、酢漬けのキノコを飾り、肉を焼いた際の肉汁をかけたら、180–200℃に予熱したオーブンで10分焼く。オーブンに入れたフライパンのままテーブルに出す。

パンの牛肉詰め料理

材料:

●牛肉 700g
●ねぎ 1本
●玉ねぎ 2個
●イタリアンパセリ 1束
●バター 300g
●小麦粉 大さじ1
●サワークリーム 100g
●ハードチーズ 大さじ2–3
●卵黄 3個
●塩コショウ 適宜

作り方:

 玉ねぎ、ねぎ、イタリアンパセリを少量の水の中に入れて煮たら、少し塩こしょうする。このブイヨンで牛肉のやわらかい塊を煮る。肉がやわらかくなったら、鍋から取り出し、一口大に切る。ブイヨンは漉して、脂を取り除いたら沸騰させる。

 鍋にバターを溶かし、千切りにした玉ねぎをやらかくなるまで炒め、小麦粉とサワークリームを加える。これをよく混ぜて煮たら、そこに先ほどのブイヨンを注ぎ入れ、沸騰させる。火から下ろして、卵黄3個をしっかり混ぜながら加えていく。

 牛肉とソースが入るような大きさの丸いパンを用意したら、上の部分を切り取って、パンをくり抜く。くり抜いた部分の内側にバターを塗り、チーズをふりかける。パンの中に切った肉を並べて置き、肉の上にもチーズをふりかけ、ソースをかける。切り取ったパンでふたをして、食べる30分前に180℃に予熱したオーブンに入れる。パンに入れたままパテのようにしていただく。残ったソースは器に入れて、添えて出す。

ドストエフスキー風紅茶

 フョードル・ドストエフスキーは紅茶が大好きだった。小説「地下室の手記」の中には「一杯の紅茶を飲むためなら世界が滅びてもかまわない」という文章が出てくるほどである。

 家ではいつも自分でお茶を淹れていたというドストエフスキー。お茶の淹れ方だけは妻のアンナさえも信用しなかったという。この手順について、アンナは次のように回想している。「まず熱湯でティーポットを濯ぎ、スプーン3杯のお茶を入れる。そこにティーポットの3分の1だけお湯を注ぐとナプキンでポットを覆う。3分ほどしてからティーポットがいっぱいになるまでさらにお湯を注ぎ、またナプキンでポットを覆う。自分のカップにお茶を注いだら必ずお茶の色を確かめ、お茶を注ぎ足したり、減らしたりしていた・・・」

https://jp.rbth.com/cuisine/79789-dostoevsky-ga-tabeta-mono
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/507.html#c1

[リバイバル3] ロシア人は黒パンをかじり、グラスのウォッカを少し口に含んで、パンと一緒に飲む 中川隆
1. 中川隆[-13414] koaQ7Jey 2020年2月28日 09:31:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[100]


ドストエフスキーが食べたもの:ロシアの古典作家が愛したレシピ 2018年2月28日
マリア・アフォニナ
https://jp.rbth.com/cuisine/79789-dostoevsky-ga-tabeta-mono


『ニシンの子牛肉添え。食べ物と作家とレシピについての本』エリダール・オルジェフ著、画像:インナ・バガエワ


 モスクワ風セリャンカとパンの牛肉詰めからドストエフスキー風紅茶まで


 ドストエフスキーの2人目の妻アンナは、ドストエフスキーがレストランで、ペテルブルク出身の彼女を驚かせようとフライパンで焼いたモスクワ風セリャンカを注文したことを忘れてはいない。

 「セリャンカは本当に驚くべき料理である」。最近出版された「ニシンの仔牛肉添え。食と作家とレシピの本」の著者エリダール・オルジェフ氏はこう明言する。

 「セリャンカはスープでありながらメインでもある。ときに魚のスープでさえある。しかしモスクワ風セリャンカは疑いなくメインである。かつてはロシアにおけるピッツァの一種でもあり、レストランでは、前の日に食べきれなかったもので作り、翌朝に出されるいわば庶民の料理でもあった」。

 それではセリャンカを始め、ドストエフスキーが好んだ料理のレシピをいくつかご紹介しよう。

フライパンで焼くモスクワ風セリャンカ

材料:

●玉ねぎ 1個
●バター 150g
●ザワークラウト 750g
●小麦粉 50g
●牛肉などお好きな肉 750g
●塩漬けのキュウリ 2本
●オリーヴ 50g
●酢漬けのキノコ 50g
●塩 適宜

作り方:

 みじん切りにした玉ねぎをバターで炒め、そこに汁気をしぼった千切りのザワークラウトを加えたら、塩をふる。よく混ぜたら、ふたをして、しんなりするまで蒸し煮にする。焦げつかないようときどき混ぜ、出来上がったら小麦粉を加える。

 ザワークラウトを別のフライパンに移す。まずザワークラウトをフライパンに敷き詰めたら、その上に、火を通して細かく切った肉(牛肉、仔牛肉、ベーコン、鶏肉、ソーセージなんでもよい)を層になるよう全体に広げ、その上にもう一度フライパン全体にザワークラウトをかぶせる。

 上に細かく刻んだ塩漬けのキュウリ、コルニション、オリーヴ、酢漬けのキノコを飾り、肉を焼いた際の肉汁をかけたら、180–200℃に予熱したオーブンで10分焼く。オーブンに入れたフライパンのままテーブルに出す。

パンの牛肉詰め料理

材料:

●牛肉 700g
●ねぎ 1本
●玉ねぎ 2個
●イタリアンパセリ 1束
●バター 300g
●小麦粉 大さじ1
●サワークリーム 100g
●ハードチーズ 大さじ2–3
●卵黄 3個
●塩コショウ 適宜

作り方:

 玉ねぎ、ねぎ、イタリアンパセリを少量の水の中に入れて煮たら、少し塩こしょうする。このブイヨンで牛肉のやわらかい塊を煮る。肉がやわらかくなったら、鍋から取り出し、一口大に切る。ブイヨンは漉して、脂を取り除いたら沸騰させる。

 鍋にバターを溶かし、千切りにした玉ねぎをやらかくなるまで炒め、小麦粉とサワークリームを加える。これをよく混ぜて煮たら、そこに先ほどのブイヨンを注ぎ入れ、沸騰させる。火から下ろして、卵黄3個をしっかり混ぜながら加えていく。

 牛肉とソースが入るような大きさの丸いパンを用意したら、上の部分を切り取って、パンをくり抜く。くり抜いた部分の内側にバターを塗り、チーズをふりかける。パンの中に切った肉を並べて置き、肉の上にもチーズをふりかけ、ソースをかける。切り取ったパンでふたをして、食べる30分前に180℃に予熱したオーブンに入れる。パンに入れたままパテのようにしていただく。残ったソースは器に入れて、添えて出す。

ドストエフスキー風紅茶

 フョードル・ドストエフスキーは紅茶が大好きだった。小説「地下室の手記」の中には「一杯の紅茶を飲むためなら世界が滅びてもかまわない」という文章が出てくるほどである。

 家ではいつも自分でお茶を淹れていたというドストエフスキー。お茶の淹れ方だけは妻のアンナさえも信用しなかったという。この手順について、アンナは次のように回想している。「まず熱湯でティーポットを濯ぎ、スプーン3杯のお茶を入れる。そこにティーポットの3分の1だけお湯を注ぐとナプキンでポットを覆う。3分ほどしてからティーポットがいっぱいになるまでさらにお湯を注ぎ、またナプキンでポットを覆う。自分のカップにお茶を注いだら必ずお茶の色を確かめ、お茶を注ぎ足したり、減らしたりしていた・・・」

https://jp.rbth.com/cuisine/79789-dostoevsky-ga-tabeta-mono
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1043.html#c1

[リバイバル3] ロシア人は黒パンをかじり、グラスのウォッカを少し口に含んで、パンと一緒に飲む 中川隆
2. 中川隆[-13413] koaQ7Jey 2020年2月28日 09:34:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[101]

作家たちのレシピ、トルストイ、ゴーゴリ、プーシキンとお料理しよう 2018年2月07日
マリア・アフォニナ
https://jp.rbth.com/cuisine/79679-roshia-sakka-tachi-no-recipe


『ニシンの子牛肉添え。食べ物と作家とレシピについての本』エリダール・オルジェフ著、画像:インナ・バガエワ

 ロシアの文豪たちは田舎の屋敷や美しい娘たちに通じていただけでなく、自分で「コンロの前に立つ」こともできたのである。


アレクサンドル・プーシキンのポテト

 「僕は、マイニスト(フィン族)のように炒めたジャガイモを食べているよ、卵はルイ18世のように半熟だ。これが僕の昼食だよ」と、詩人のアレクサンドル・プーシキンは妻のナターリアに手紙で書いている。


 炒めた「プーシキン風ポテト」のレシピは今日、望む人は誰でも作ることができる。そのためには、小さなジャガイモを皮ごと茹でてから皮を剥き、その後、バターとハーブを入れてフライパンで炒め、お好みで塩コショウをすることだ。

 このレシピは、長い爪をしたプーシキンの絵と同様に、この詩人の有名なもので(彼には、「有能な者が爪の美を考えてもよかろう……」(『エヴゲーニー・オネーギン』)という詩行がある)、エリダール・オルジェフの著書『ニシンの子牛肉添え。食べ物と作家とレシピについての本』の中にも見つけることができる。

 「本の企画は偶然に生まれました、私はクルピャンニク(挽き割りの粥)のレシピに出会って驚いたんです、なぜこんな簡単な伝統料理のレシピが普通に使われていないのかと、それでこの問題を研究し始めたのです」と、エリダール氏はロシア・ビヨンドに語ってくれた。その後、この作家は友人たちへの贈り物としてレシピの載った記念になるような本を作ることにした――こうしてわずかな部数を出したのだが、それはまもなく英語でも出版されることになる。

レフ・トルストイ家のクルピャンニク

 「クルピャンニクは冷たくても温かくても食べることができる」と作家は語っている。「中身は無くれも作れるし、甘いもの(干しアンズ、干しブドウ)と同じように、野菜(ブロッコリーやキノコ)でもいいし、実に様々な物を入れることができる。クルピャンニクは簡単に作れる。型に入れてひとつずつ作るんだ。中には、体に良くてミネラルが豊富なソバの実が入るが、他のものでも挽き割りならなんでも使える」。

材料:

●ソバの実 600g
●牛乳 ソバの実がひたひたになるくらい
●卵 6個
●カッテージチーズ 200g
●砂糖 小さじ1
●塩
●バター 100g

作り方:

 ソバの実を牛乳に入れて火にかけ、砂糖、塩を少し加えて冷ます。その後、卵を入れ、カッテージチーズを加え、すべてを混ぜて型に入れ、上にバターを塗ってから180度に熱しておいたオーブンで20分焼く。

ニコライ・ゴーゴリのカクテル

 エリダール・オルジェフの本には、ゴーゴリが叔父に書いた手紙の引用がある、「あなたはまだ私の長所をすべてご存じないのです。私はあれこれの仕事を知っているんですよ、良い仕立屋ですし……台所で働きもします、料理法もあれこれたくさん知っているんですよ……」。そこには、カクテル「ゴーゴリ・モーゴリ」のレシピが挙げられている。


材料:

●羊のミルク 0.6ℓ
●干したレモンの皮 半個分
●砂糖 50g
●卵白 1個分
●ダーク・ラム 50ml
●ブランデー 100ml
●シナモン ひとつまみ

作り方:

 鍋に、レモンの皮と砂糖、シナモンを一緒に入れてミルクを温める。沸騰したら、すぐに火から下ろし、かき混ぜながら、泡立てておいて卵白を加える。その後、ラムとブランデーを入れる。温かい状態で出す。

*マイニスト―帝政ロシアに住み、ロシア語を解さない沿バルト海地域のフィン族の古い呼び名。


https://jp.rbth.com/cuisine/79679-roshia-sakka-tachi-no-recipe
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[近代史4] 中川隆 _ 美術関係投稿リンク 中川隆
1. 中川隆[-13412] koaQ7Jey 2020年2月28日 09:49:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[102]

ドストエフスキーはエドヴァルド・ムンクにどんな影響を与えたか
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/511.html
 

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/233.html#c1
[近代史4] ドストエフスキーの世界 中川隆
11. 中川隆[-13411] koaQ7Jey 2020年2月28日 09:50:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[103]

ドストエフスキーはエドヴァルド・ムンクにどんな影響を与えたか
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/511.html
 

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/334.html#c11
[近代史4] ポール・ゴーギャンの世界 中川隆
1. 中川隆[-13410] koaQ7Jey 2020年2月28日 10:06:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[104]

日本のフツーの男はみんなロリコンだった

16. 中川隆 2018年12月22日 C ゴーギャン
ゴーギャンこそ「南国楽園」白人セックスツーリズムおよび児童買春ツーリズムのパイオニアである
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/108.html#c16
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/346.html#c1

[近代史4] 酒は飲んではいけない 中川隆
1. 中川隆[-13409] koaQ7Jey 2020年2月28日 10:12:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[105]

ロシア人は黒パンをかじり、グラスのウォッカを少し口に含んで、パンと一緒に飲む
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1043.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/330.html#c1
[近代史3] ウイスキーやブランデーをストレートで飲み続けた人の末路は? 中川隆
13. 中川隆[-13408] koaQ7Jey 2020年2月28日 10:13:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[106]

ロシア人は黒パンをかじり、グラスのウォッカを少し口に含んで、パンと一緒に飲む
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1043.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/529.html#c13

[リバイバル3] 酒を飲むとバカになる 中川隆
45. 中川隆[-13407] koaQ7Jey 2020年2月28日 10:13:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[107]

ロシア人は黒パンをかじり、グラスのウォッカを少し口に含んで、パンと一緒に飲む
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1043.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/723.html#c45

[リバイバル3] ロシア人は黒パンをかじり、グラスのウォッカを少し口に含んで、パンと一緒に飲む 中川隆
3. 中川隆[-13406] koaQ7Jey 2020年2月28日 10:52:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[108]

ロシア文学のキャラクターたちはどんな酒を飲んだか? 2018年8月27日
アレクサンドラ・グゼワ
https://jp.rbth.com/arts/80761-roshia-bungaku-no-kyarakuta-tachi-ha-donna-sake-wo-nonda-ka


 コメルサント紙も書いているように、作家ヴェネディクト・エロフェーエフの散文詩「酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行」では、飲酒が最初のテーマになっている。だが、ロシア文学の登場人物たちはというと、いつでもどこでも飲んだ!それぞれのキャラクターと、その好みの酒類を――もちろん、ほんの一部だが――ご紹介しよう。でも、くれぐれも真似はしないように!


1.パンチ――アレクサンドル・プーシキン『大尉の娘』の主人公ピョートル・グリニョフ


 年かさの士官ズーリンは、お金が必要だった。そこで彼は、うら若いピョートル・グリニョフからビリヤードでひとつまきあげてやろうと考えた。しかしピョートルは遊び方を知らなかったので渋った。ズーリンは「教えてやるよ」と請け合い、およそ士官たるものはビリヤードができて酒が飲めなくちゃいかん、とまくし立てた。

 「ズーリンはパンチをくれと命じ、一杯やるように私を説き伏せた。そして、軍隊勤務ではこれに慣れなきゃいかん、パンチ抜きの勤務なんてあり得ん!としつこく言った」

 結局、ピョートルは大金をすってしまう。

 「グラスをあおればあおるほど、くそ元気が出てくるのだった」。そして彼は目が覚めるが、ひどい頭痛がした…。


2.何でもかたはしから飲みまくる――ニコライ・ゴーゴリ『死せる魂』の地主たち

 退屈し切ったロシアの地主たちは、酒に目がなかった。とくにお客が来たとなればなおさら、客の辞退など耳に入らなかった。

 『死せる魂』の主人公チチコフは、書類上はまだ生きているが実はすでに死んでいる農奴を買い漁っている。それを担保に銀行から大金を借り出すのが目的だ。そんな彼が地主ノズドリョフのもとにやって来たとき、次のような光景が展開する。

 「ノズドリョフはワインの瓶に身をかがめた。まだスープも出てこないというのに、もう客たちに注いでいた。大型のグラスにポートワインを、別のグラスには特別なボルドーの白ワインを。というのも、地方の県、郡の都市には普通のがなかったので。それからノズドリョフは、マデイラ・ワインを一瓶持って来させた。元帥だってこれより上等なのは飲んだことがなかったようなやつだ。マデイラは実際、口の中が焦げそうだった。なぜなら商人どもは、地主たちが上等のマデイラに目がないことをとっくに承知していたので、そいつにラム酒をしこたましこんでいたし、おまけに王水(*濃塩酸と濃硝酸とを混合してつくる橙赤色の液体。金属の溶解などに使う――編集部注)まで加えていたからだ。ロシア人の胃の腑ならこんなのにも耐えられるだろうと当てにして。さらにノズドリョフは、また何か特別な瓶を持って来させた。彼いわく、ブルゴーニュワインとシャンパンを混ぜたものだとか」


3.マデイラ・ワイン――イリヤ・オブローモフ(作家イワン・ゴンチャロフ『オブローモフ』の同名の主人公)

 たいていの場合、この主人公は水平の状態で過ごしている(つまりいつも寝そべっている)。よく眠るためには、酒は止められない。彼の召使は、御者と召使たちに話した。

 「信じられますかい?おひとりでマデイラの一瓶半に、クワス2杯をおあがんなすった。で今は、ぶっ倒れなすってるよ」。しかもオブローモフがひとりで飲むときは、こういうケースはどうやら珍しくなかったようだ。


4.シャンパン、コニャック、酒精――ミハイル・ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』の悪魔のパーティーで飲まれる

 悪魔のパーティーでは、いわばゾンビ・ゲストのために食前酒として、シャンパンプールが3つ用意された。

 「3つのプールのシャンパンは泡立った。そのうちの1つは、透明な紫色、2つ目は鮮紅色、3つ目は透明だった」。女たちはプールに飛び込み、酩酊して飛び出す。

 その後、猫のベゲモートが何か魔法をかけると、プールの一つで、シャンパンがコニャックに変わる。そこに飛び込んだのは最も大胆な者だけだった(そのなかには猫もいた)。

 パーティーの後、疲れ果てた猫とヒロイン、マリガリータと悪魔のヴォランドは、酒精を飲む。この場面から引用してみよう。

 「『これはウォッカかしら?』。弱々しい声でマリガリータは聞いた。

 猫は椅子の上で怒って飛び上がった。

 『とんでもない、女王さま』。彼はしわがれ声を出した。『いったいわたくしがご婦人にウォッカなんぞをお注ぎするわけがありましょうか?これは純粋な酒精ですよ!』」

5.ウォッカとビール――マクシム・ゴーリキーの戯曲『どん底』に出てくる木賃宿の住人

 第四幕の初めに、サーチン、男爵、ナースチャの前に、ウォッカ1瓶、ビール3本、それに黒パンの大きなスライスが置かれ、登場人物たちは幕切れまで飲み続ける。

 「あいつに注いでやんなよ、サーチン!…兄弟たち!人間にそんなにたくさんの酒が必要だとでも言うのかね?ほら、俺はちっとばかしひっかけただけだが、それでご機嫌さ!」


6.あらゆる酒をかたはしから――フョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のミーチャが宴会で


 カラマーゾフの三兄弟の長兄ドミトリーが思い切り痛飲しながら、女たちと陽気に騒ぐ一幕は、象徴的に「悪夢」と題されている。「ほとんど酒池肉林のどんちゃん騒ぎ、全世界に向けての大宴会」には、ありとあらゆる酒がそろっていたようだ。

 「シャンパンは娘たちだけにあてがわれた。男どもは、ラムやコニャック、とくにホットパンチが気に入った」。サモワールは一晩中パンチで煮えたぎり、誰もがご馳走にあずかれた。ところが残念ながら、この派手な飲み会は何もいいことはもたらさず、その後でミーチャは、父親殺しで告発される。


7.カクテル「ジナナス」――ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』のハンバート・ハンバート

 「日が成熟し、夜に向かってしなだれ始めた。私は一杯のアルコールを飲んだ。私の好きな飲み物『ジナナス』、つまりジンとパイナップル・ジュースのカクテルだ。これはいつも私のエネルギーを2倍にする」

 その後でハンバートは、サマー・キャンプへロリータをいそいそと引きとりに行くのだが、「ニンフェット」の魅力がいつも彼の脳裏から離れない(「ニンフェット」は、9歳〜14歳の倒錯した性欲をかきたてる少女を指して、ハンバートが作中で用いている言葉――編集部注)。


https://jp.rbth.com/arts/80761-roshia-bungaku-no-kyarakuta-tachi-ha-donna-sake-wo-nonda-ka
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1043.html#c3

[近代史4] ドストエフスキーの世界 中川隆
12. 中川隆[-13405] koaQ7Jey 2020年2月28日 11:17:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[109]

トルストイとドストエフスキーの国
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/513.html

トルストイ VS ドストエフスキー:どちらがスゴイか
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/512.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/334.html#c12

[近代史4] フィンセント・ファン・ゴッホの世界 中川隆
1. 中川隆[-13404] koaQ7Jey 2020年2月28日 12:02:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[110]

メリー・ホプキン Fields of St. Etienne



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/345.html#c1
[リバイバル3] 春は奥只見に行こう _ 奥只見丸山スキー場・栃尾又温泉・駒の湯温泉 中川隆
6. 2020年2月28日 12:46:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[111]

新潟 魚沼市 駒の湯山荘


駒の湯山荘 公式HP
http://komanoyu.exblog.jp/


駒の湯山荘(旧・駒の湯温泉 駒の湯休憩舎) - 奥只見|ニフティ温泉
https://onsen.nifty.com/okutadami-onsen/onsen001709/

駒の湯山荘【 口コミ・宿泊予約 】- トリップアドバイザー
https://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g1021357-d4298856-Reviews-Komanoyu_Sanso-Uonuma_Niigata_Prefecture_Koshinetsu_Chubu.html

駒の湯山荘 - 魚沼市その他/旅館 [食べログ]
https://tabelog.com/niigata/A1504/A150401/15011706/


駒の湯温泉 駒の湯山荘 - 秘境温泉 神秘の湯
ランプの灯と囲炉裏で過ごすドバドバ掛け流し秘湯の宿
https://hikyou.jp/report/stay/50126/

駒の湯山荘 ☆ 最終回 日帰り浴舎 | 温泉にいらっしゃい♪
https://ameblo.jp/naruru8854/entry-12308796552.html

ランプの宿 ☆ 駒の湯山荘【宿泊記】 | 温泉にいらっしゃい♪
https://ameblo.jp/naruru8854/entry-12307470495.html
https://ameblo.jp/naruru8854/entry-12307491337.html
https://ameblo.jp/naruru8854/entry-12307875094.html

駒の湯温泉 駒の湯山荘 ぬる湯 混浴露天風呂
https://山と温泉と写真.com/post-4616/

▲△▽▼

毎分2000リットル(駒の湯山荘(旧・駒の湯温泉 駒の湯休憩舎))
しろうさぎさん [入浴日: 2010年10月17日 / 2時間以内]

湯之谷温泉郷最奥で冬期休業する。
湯船の中央からぬるい源泉が吹き出しており、洗い場は洪水。 
女性用脱衣所からは混浴と女性用のどちらの湯船に行けるようになっている。

駒の湯温泉 アルカリ性単純温泉 
32.6度 pH8.6 
酸化還元電位(ORP)マイナス78 (2010.10.17)
https://onsen.nifty.com/okutadami-onsen/onsen001709/kuchikomi/0000116718/

▲△▽▼


駒の湯山荘
新潟県 魚沼市 大湯温泉719-1
電話 090-2560-0305

営業時間 4月下旬〜11月上旬
時間 8時〜16時
日帰り入浴 可
料金 500円


アクセス

電車・バス・車
上越新幹線浦佐駅より、ローカル線にて小出駅へ 小出駅より大湯栃尾又行きバスにて、30分。 大湯温泉バス停下車(大湯温泉まで、お泊りのお客様に限り、駒の湯山荘がお迎えにまいります)
関越自動車道 小出インターより 国道352号線を大湯方面へ約20分 大湯温泉より、民家、電線はなくなり、約10分弱

地図
https://tabelog.com/niigata/A1504/A150401/15011706/dtlmap/
https://www.mapion.co.jp/m2/37.16219834,139.08911204,16/poi=ILSP0000638092_ipclm


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/839.html#c6

[リバイバル3] 春は奥只見に行こう _ 奥只見丸山スキー場・栃尾又温泉・駒の湯温泉 中川隆
7. 中川隆[-13402] koaQ7Jey 2020年2月28日 12:54:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[113]







駒の湯山荘 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%A7%92%E3%81%AE%E6%B9%AF%E5%B1%B1%E8%8D%98

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/839.html#c7
[近代史4] ドストエフスキーの世界 中川隆
13. 中川隆[-13401] koaQ7Jey 2020年2月28日 13:38:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[114]
望月哲男 『白痴』の現代的リメイクをめぐって
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/514.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/334.html#c13
[近代史4] 風俗には行ってはいけない 中川隆
1. 中川隆[-13400] koaQ7Jey 2020年2月28日 14:51:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[115]
もう手遅れ?風俗嬢発の新型コロナウイルス大感染〜歌舞伎町は恐怖に包まれている=鈴木傾城 2020年2月20日

クルーズ船をはじめ新型コロナウイルスへの稚拙な対応が問題になっているが、日本ではアンダーグラウンドから爆発的に感染が広がる可能性がある。風俗嬢発の大感染だ。


「経路が分からない感染者」多発は当然

日本全国でじわじわと新型コロナウイルスが広がっている。政府は1月の段階で大量の中国人を阻止しないで国内に入れてしまったので、今になって日本国内のあちこちで感染者が出てきている。

タクシーの運転手が「100人と濃厚接触」だとか、「医師と看護婦が濃厚接触」と書いてあるのを見て、ぼんやりしていると「タクシーの運転手は100人と性行為を行ったのか」「医師と看護婦が性行為していたのか」と勘違いしてしまう。

濃厚接触とは『感染症などの疑いがある有症者と行動をともにしたり、接触したり、航空機などで近隣の座席に座ったりした人』を指すので、それこそ誰かと一緒に食事したり談笑したりしているだけで「濃厚接触」となる。


当然だが、満員電車の中で感染者と隣り合ったりしたら濃厚接触だ。

春節の時期に1月下旬から2月2日までに大量に日本に入ってきた中国人が、日本国内で多くの日本人と濃厚接触をしたのは事実である。

タクシーの運転手、バスの運転手、病院の医師が感染者となってクローズアップされているが、濃厚接触の現場はそれだけではない。

中国人観光客は日本国内を自由に歩きまわり、自由に店に入り、自由に様々な人と接触したのだから、今後は「経路が分からない感染者」が多発しても何ら不思議なことではない。

中国人・韓国人の客と遭遇する風俗嬢が恐怖している

幸いなことに日本人は衛生観念がしっかりした民族だ。多くの人はマスクをつけて他人にうつさないようにしている。また、しっかりと手洗いをして清潔を心がけているので、感染は比較的緩やかであるかもしれない。

こうした衛生観念が抑止になって、日本国内でのエピデミック(伝染)が最小限に抑えられることを私は期待している。

しかし、そうだとしても家族のひとりが感染したら、その一家は濃厚接触で全滅になるだろうし、会社や学校でも濃厚接触は避けられないので、感染がネズミ算式に拡大していくと、もはや日本人の衛生観念でも太刀打ちできなくなるかもしれない。

私が懸念しているのは、アンダーグラウンドもまた新型コロナウイルスの影響を避けることができなくなるだろう、というものだ。

金曜日、私は歌舞伎町で中国語でも宣伝している風俗に勤める20代前半の風俗嬢に会ってきたのだが、彼女の恐怖と危機感は尋常なものではなかったことを報告したい。

こんな状況下にあるのだから、さすがの風俗店も外国人客を100%シャットアウトしているはずだと私たちは思うはずだ。
ところが風俗嬢に話を聞いてみると、そうではなかった。

さすがに日本語のできない中国の客は店側がすべて拒否しているということだが、問題は日本語がうまい客はケースバイケースになってしまうということだ。たとえば、日本在留の長い中国人や韓国人の客は店もことさら拒めない。

つまり、受け入れる外国人客もいるということを意味している。

彼女は中国人の客はまだ当たっていないのだが、日本語のできるアジア系の外国人の客は仕方なく受け入れたと言う。しかし、恐怖は消えないし「怖い」と心情を吐露していた。


今ごろどこかの風俗嬢が感染しているはずだ

日本人なら絶対に安全で、中国人なら絶対に危険であるというわけではない。日本人でも感染者はいるかもしれないし、中国人でも感染していない人はいくらでもいる。

そもそも、中国人とひとことで言っても、香港人もいればシンガポール人もいれば台湾人もいるわけで一概に「すべて大陸から来た中国人」ではない。
そういう意味で、中国人でなければ安全が担保されるわけではない。

しかし、新型コロナウイルスの震源地は中国大陸であるのは「まごうことなき事実」であり、風俗嬢が警戒したり恐怖を感じたりするのは分からないことでもない。今は言ってみれば非常事態なのである。

非常事態である以上は、リスクのある客と関わりたくないと思うのは自然な感情である。何しろ風俗嬢の仕事は、表社会の人たちが言うところの「近隣の座席に座ったりした人」どころではないのだ。濃厚な性的接触なのである。

もし相手が新型コロナウイルスの感染者であれば、もはや「100%の確率で感染してしまう」と言っても過言ではない。密室で、近距離で、全裸で、長時間に渡って皮膚接触と粘膜接触を行うのである。

新型コロナウイルスの場合は、有症者と2メートルの距離で2分間一緒にいたら間違いなく感染するとか、1メートルの距離で15秒一緒にいた人も感染したとか、いろんなことが言われている。

風俗嬢は0ミリの距離で60分以上に渡って一緒にいる。まさに「超濃厚」である。これでは避けられるわけがない。

1月の下旬から2月2日の春節の休みの間に日本にやってきて、日本人の風俗嬢と関わった中国人の男はゼロではないはずだから、その中で「たったひとり」でも感染者がいたのであれば、どこかの風俗嬢が感染しているはずだ。


風俗嬢発の新型コロナウイルス大感染が起きるか?

新型コロナウイルスに感染したら1日で発症する人もいれば、25日目に発症する人もいる。平均して14日であるというのが今の定説だ。

新型コロナウイルスに感染した風俗嬢が、仮に14日間フルで風俗の仕事をして1日4人の客と関わったとしたら、彼女は14日で56人の客に感染させることになる。もし、感染した風俗嬢が10人いたらその10人が560人の人間を感染させることになる。
10人の風俗嬢だけで560人の男が感染してもおかしくないのである。

風俗嬢と関わる男は30代から50代までの働き盛りが大半なので、彼らは満員電車に乗って通勤する。

満員電車でこの560人が新型コロナウイルスをばら撒くと、東京は1ヶ月も経たないうちに武漢を彷彿とさせるほどの凄惨な汚染エリアと化す。

場合によっては日本が壊滅するようなレベルになっても不思議ではない。

私は新型コロナウイルスが1,000万人レベルの日本人を感染させるような事態になったとしてもまったく驚かない。すでに日本政府がインバウンド政策を採ってから、アンダーグラウンドでは梅毒やエイズが大量発生している。

日本の梅毒感染者は20代の女性と30代から50代の男性の間で大量発生しているのだが、梅毒は2年連続で6,000人超えなのである。

日本はインバウンド政策で風俗嬢が非常に危険な状況に陥ってしまったのに、このことについては冷淡かつ無関心で放置してきた。そうであれば、風俗嬢発の新型コロナウイルス大感染が始まったとしても、ツケが回ったとしか言うしかない。
パンデミックの下地は整っている


もう一度まとめよう。

春節で日本にやってきた新型コロナウイルスの中国人感染者が日本の風俗嬢を抱いたら、風俗嬢は100%の確率で感染する。その風俗嬢は2週間で50人超の男に100%感染させることができる。感染した男たちは働き盛りでアクティブに行動して感染を広げる。

そうであるならば、風俗嬢発の新型コロナウイルス大感染で、日本が壊滅状態になったとしても不思議ではない。

そうならないことを望むが、最悪そうなってもおかしくないことは覚悟しておく必要がある。日本政府は中国人の観光客を無尽蔵に入れた。だから、日本のアンダーグラウンドで感染が広がっていても何ら驚きではないのだ。

春節の時期に日本に入った中国人の感染者が、風俗嬢と関わっていないことを私たちは祈ろう。
https://www.mag2.com/p/money/893557

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/351.html#c1

[リバイバル3] 越後湯沢の近くの名湯 1 _ 大沢山温泉 「幽谷荘」 中川隆
4. 中川隆[-13399] koaQ7Jey 2020年2月28日 15:37:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[116]

新潟 南魚沼市 大沢山温泉 幽谷荘


越後湯沢の近くの名湯 1 _ 大沢山温泉 「幽谷荘」
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/579.html


幽谷荘 - 奥只見|ニフティ温泉
https://onsen.nifty.com/okutadami-onsen/onsen009365/


大沢山温泉 ☆ 幽谷荘 温泉にいらっしゃい♪
https://ameblo.jp/naruru8854/entry-12308797893.html


【大沢山温泉 幽谷荘】★4 新潟県南魚沼市 - 源泉掛け流しを求めて(温泉マニア)
https://blog.goo.ne.jp/monsyuger/e/9f47796721a4036e8ec17a34025632a3


風呂バカは絶対行くべき。石打IC近くの日帰り温泉、幽谷荘。 雪バカ日誌
https://yukibaka.com/archives/yukokuso.html

▲△▽▼


大沢山温泉 幽谷荘
新潟県 南魚沼市 大沢1233
電話 025-783-2579


日帰り入浴  土日可
料金 500円
時間 10時半〜20時頃まで
休業日 要確認

アクセス

電車・バス・車
関越自動車道 塩沢石打ICから約20分


地図
https://www.google.com/maps?ll=37.021995,138.801326&z=13&t=m&hl=ja&gl=JP&mapclient=embed&cid=5301761686654800757


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/579.html#c4

[近代史4] オリーブ油とゴマ油以外の油は使ってはいけない 中川隆
1. 中川隆[-13398] koaQ7Jey 2020年2月28日 16:30:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[117]

オリーブオイルの8割は偽物!? 騙されない為の美味しいオイルの選び方
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/331.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/320.html#c1
[近代史4] エドヴァルド・ムンクの世界 中川隆
1. 中川隆[-13397] koaQ7Jey 2020年2月28日 16:58:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[118]

「表現主義画家」エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch)の絵画集



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/344.html#c1
[近代史4] ポール・ゴーギャンの世界 中川隆
2. 中川隆[-13396] koaQ7Jey 2020年2月28日 17:00:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[119]

「後期印象派画家」ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin)の絵画集



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/346.html#c2
[近代史4] フィンセント・ファン・ゴッホの世界 中川隆
2. 中川隆[-13395] koaQ7Jey 2020年2月28日 17:01:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[120]

ファン・ゴッホの絵画(Vincent van Gogh paintings)



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/345.html#c2
[リバイバル3] 幽玄の世界 _ モナリザは何故書き換えられたのか? 中川隆
15. 中川隆[-13394] koaQ7Jey 2020年2月28日 17:08:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[121]
レオナルド・ダ・ヴィンチ、晩年は神経麻痺で絵が描けず=イタリア研究 2019年05月10日
https://www.bbc.com/japanese/48197235


da VinciImage copyright Museum of Gallerie dell’Accademia, Venice
Image caption
レオナルド・ダ・ヴィンチを描いたスケッチ。右手の「わし手」がうかがえる


レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452〜1519年)は転倒した際に神経に損傷を受け、晩年は絵を描く能力を失っていたかもしれない。イタリアの医療チームが、このような研究内容を発表した。

研究チームはダ・ヴィンチの右手を描いた2点の作品を分析し、ダ・ヴィンチが尺骨(しゃっこつ)神経まひ、あるいは「わし手」と呼ばれる症状だったと診断した。

これまで、ダ・ヴィンチの手の症状は脳卒中によるものだと思われていた。


しかし王立医学協会で発表された研究では、ダ・ヴィンチは神経の損傷によってパレットや絵筆が持てなくなった可能性が示唆されている。

画家であり発明家でもあったダ・ヴィンチは、絵画だけでなく、建築や解剖学、エンジニアリング、彫刻にもその才能を発揮した。

歴史学者はこれまで、ダ・ヴィンチがどちらの手で絵を描いてきたか議論を繰り返してきた。

絵画の分析では左上から右下へと影を付けているため、左利きだったとみられているが、歴史的な資料では絵画以外の作品では右手も使っていたことが示唆されている。

「右手にまひがあった」

調査では晩年のダ・ヴィンチを描いた2点の作品を分析した。うち1つはロンバルディア出身の画家、ジョヴァンニ・アンブロジョ・フィジーノが描いた作品だ。


この作品では、ダ・ヴィンチの右腕が不自然に衣服に覆い隠されている。わずかに見える右手は「硬く縮こまった状態」にある。

調査を主導した美容外科医のダヴィデ・ラッゼリ氏は、「この作品には、脳卒中後にみられる典型的な筋肉の痙縮(けいしゅく、手首などが曲がったまま伸びなくなること)ではなく、わし手と呼ばれる尺骨神経まひの症状が描かれている」と指摘した。

尺骨神経は肩から小指にかけて伸びる神経で、手の筋肉をしなやかに動かす役割を担っている。つまり、ダ・ヴィンチは転倒した際に上腕をけがし、まひを患った可能性があるという。

ラッゼリ医師はさらに、認識力の低下や右手以外の運動障害といった報告がないことも、ダ・ヴィンチの右手の障害が脳卒中によるものではなかった証拠だと説明した。

「ダ・ヴィンチが最後の5年に手掛けた、『モナ・リザ』を含む多くの絵画が未完成な一方、その間も彼が弟子の教育や素描を続けていたことにも、これで説明がつく」

最近になってダ・ヴィンチだと特定された男性が描かれた版画も調査の対象になった。この版画では、ダ・ヴィンチはリラ・ダ・ブラッチョというルネッサンス時代の楽器を演奏している。

さらに、1517年にダ・ヴィンチの家を訪れたある枢機卿の部下が残した日記も、ダ・ヴィンチの症状を特定する証拠となった。

アントニオ・デ・ベアティスというこの部下は、次のように書いている。

「まひによって右手に障害を持ってしまった彼には、もう名作を期待することはできない。(中略)しかし、あの独特の甘美さを持つ絵を描くことはできなくても、レオナルド氏はなお設計や、他人の指導は行えるのだ」

https://www.bbc.com/japanese/48197235

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/199.html#c15

[近代史4] レオナルド・ダ・ヴィンチの世界 中川隆
1. 中川隆[-13393] koaQ7Jey 2020年2月28日 17:37:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[122]
レオナルド・ダ・ビンチの音楽 La Canzone di Leonardo



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/355.html#c1
[近代史3] 在日韓国人が急速に減少 9割が日本人と結婚し子供は日本人になる 中川隆
3. 中川隆[-13392] koaQ7Jey 2020年2月28日 19:30:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[123]

2020年02月28日
在日韓国人は超高速少子化で2050年に出生数100人になる



韓国人同士の子供は生まれないので、赤の韓国籍外国人は減り続けている


画像引用:http://www.moj.go.jp/content/000076936.gif

在日韓国人は1世代で半減し2世代で絶滅する

インターネットやSNSなどでは「日本は在日韓国人に支配されている」という情報がとても多い。

保守系の主張に多いのは、たとえば「芸能人のほとんどは在日韓国人」というような事です。

彼らの説明だと国会議員のほとんどが韓国人だし、弁護士のほとんども韓国人、テレビ局や製作スタッフのほとんども韓国人だという。




だが在日韓国人の人数は2019年は45万1千人(法務省HP)で、1991年の約69万人から急減しています。

「芸能人や政治家のほとんどが帰化人」のような主張もあり得ない話で、帰化申請は年間5千人程度です。

50年間帰化の平均が5千人だったとしても今までの合計は30万人未満の筈で、外務省の統計でもそうなっている。


在日韓国人の出生数減少は目を覆うほど悲惨で、現在は年間1000人を下回っていると見られます。

在日韓国人の出生数は生まれた時点では確定せず、日本人と結婚した場合、子供は22歳まではレンホーのように2重国籍が認められている。

民団によると在日韓国人の結婚相手の9割は日本人で、韓国籍同士の結婚は9%しかありません。


日本人と在日韓国人の間に生まれた子供は、大半が日本国籍を選択すると推測されます。

民団の人口統計では0歳から4歳までの年齢別人口は平均1385人だが、仮に半数が22歳で日本国籍を選択したら、各年齢で700人以下しか居ない事になる。

これは現在の数字であり、韓国人同士の結婚が9%なのを考えると、25年ごとに在日韓国人の出生数は1割から4割程度に減少します。


すると西暦2050年頃には在日韓国人の年間出生数は100人から300人程度になっている計算です。

「日本は在日に支配されている」どころか、在日韓国人は今後1世代でほぼ絶滅するのです。

在日韓国人とは限界集落なみの小さい世界であり、次の世代には小学校も維持できなくなりすべて廃校になります。

朝鮮学校はいずれ廃校になる

東京都や大阪府が援助するしないで話題になった朝鮮学校は、現在は北朝鮮の朝鮮総連指揮下にあるが、最初「(南北)朝鮮」の学校でした。

いつの間にか北朝鮮に乗っ取られて金一族を教祖として崇めるようになったのだが、実は生徒の半数は韓国籍の在日韓国人です。

韓国学校も存在するが規模は小さく、日本の学校に通わせたくない親は子供を朝鮮学校に通わせています。


韓国政府が支援する韓国学校のほうは、韓国で生まれて仕事などで日本に赴任した韓国人のための学校です。

ここでは在日韓国人は厄介者であり、日本の学校に通うよりも阻害されるので、在日韓国人の子供は通いません。

先ほど書いたように在日韓国人の結婚相手の9割が日本人なので、日本国籍と韓国籍を持ちながら朝鮮学校に通う日本人生徒も多い。


日本人が通ってはいけないというルールもないので、日本に帰化した人の子供も通っていると思われます。

朝鮮学校在校生の過半数が韓国籍で、北朝鮮国籍は3割未満、日本国籍を持つ人も通っている。

朝鮮学校の在校生は最盛期に4万人だったが、2016年は6千人で現在は5千人程度だと思われます。


在日韓国人の子供は25年ごとに良くて半減、悪ければ1割まで減少するので、生徒の減少ペースは日本の過疎地よりも早い。

それでは学校経営が成り立たないので援助してくれというのが朝鮮学校の言い分で、援助するとかしないとかで揉めている。

だがこれほどのペースで生徒になる分母が減少したら、自治体が支援したとしても1世代か2世代で廃校になるしかない。


従って在日も民団も総連も朝鮮学校も、援助しようがしまいが今後1世代で日本から消えてなくなるのです。

今在日の中心世代は40代ですが、後に続く世代はおらず超高速少子高齢化が待っています。
http://www.thutmosev.com/archives/82277652.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/787.html#c3

[] 在日朝鮮人タレント
111. 中川隆[-13391] koaQ7Jey 2020年2月28日 19:30:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[124]

2020年02月28日
在日韓国人は超高速少子化で2050年に出生数100人になる



韓国人同士の子供は生まれないので、赤の韓国籍外国人は減り続けている


画像引用:http://www.moj.go.jp/content/000076936.gif

在日韓国人は1世代で半減し2世代で絶滅する

インターネットやSNSなどでは「日本は在日韓国人に支配されている」という情報がとても多い。

保守系の主張に多いのは、たとえば「芸能人のほとんどは在日韓国人」というような事です。

彼らの説明だと国会議員のほとんどが韓国人だし、弁護士のほとんども韓国人、テレビ局や製作スタッフのほとんども韓国人だという。




だが在日韓国人の人数は2019年は45万1千人(法務省HP)で、1991年の約69万人から急減しています。

「芸能人や政治家のほとんどが帰化人」のような主張もあり得ない話で、帰化申請は年間5千人程度です。

50年間帰化の平均が5千人だったとしても今までの合計は30万人未満の筈で、外務省の統計でもそうなっている。


在日韓国人の出生数減少は目を覆うほど悲惨で、現在は年間1000人を下回っていると見られます。

在日韓国人の出生数は生まれた時点では確定せず、日本人と結婚した場合、子供は22歳まではレンホーのように2重国籍が認められている。

民団によると在日韓国人の結婚相手の9割は日本人で、韓国籍同士の結婚は9%しかありません。


日本人と在日韓国人の間に生まれた子供は、大半が日本国籍を選択すると推測されます。

民団の人口統計では0歳から4歳までの年齢別人口は平均1385人だが、仮に半数が22歳で日本国籍を選択したら、各年齢で700人以下しか居ない事になる。

これは現在の数字であり、韓国人同士の結婚が9%なのを考えると、25年ごとに在日韓国人の出生数は1割から4割程度に減少します。


すると西暦2050年頃には在日韓国人の年間出生数は100人から300人程度になっている計算です。

「日本は在日に支配されている」どころか、在日韓国人は今後1世代でほぼ絶滅するのです。

在日韓国人とは限界集落なみの小さい世界であり、次の世代には小学校も維持できなくなりすべて廃校になります。

朝鮮学校はいずれ廃校になる

東京都や大阪府が援助するしないで話題になった朝鮮学校は、現在は北朝鮮の朝鮮総連指揮下にあるが、最初「(南北)朝鮮」の学校でした。

いつの間にか北朝鮮に乗っ取られて金一族を教祖として崇めるようになったのだが、実は生徒の半数は韓国籍の在日韓国人です。

韓国学校も存在するが規模は小さく、日本の学校に通わせたくない親は子供を朝鮮学校に通わせています。


韓国政府が支援する韓国学校のほうは、韓国で生まれて仕事などで日本に赴任した韓国人のための学校です。

ここでは在日韓国人は厄介者であり、日本の学校に通うよりも阻害されるので、在日韓国人の子供は通いません。

先ほど書いたように在日韓国人の結婚相手の9割が日本人なので、日本国籍と韓国籍を持ちながら朝鮮学校に通う日本人生徒も多い。


日本人が通ってはいけないというルールもないので、日本に帰化した人の子供も通っていると思われます。

朝鮮学校在校生の過半数が韓国籍で、北朝鮮国籍は3割未満、日本国籍を持つ人も通っている。

朝鮮学校の在校生は最盛期に4万人だったが、2016年は6千人で現在は5千人程度だと思われます。


在日韓国人の子供は25年ごとに良くて半減、悪ければ1割まで減少するので、生徒の減少ペースは日本の過疎地よりも早い。

それでは学校経営が成り立たないので援助してくれというのが朝鮮学校の言い分で、援助するとかしないとかで揉めている。

だがこれほどのペースで生徒になる分母が減少したら、自治体が支援したとしても1世代か2世代で廃校になるしかない。


従って在日も民団も総連も朝鮮学校も、援助しようがしまいが今後1世代で日本から消えてなくなるのです。

今在日の中心世代は40代ですが、後に続く世代はおらず超高速少子高齢化が待っています。
http://www.thutmosev.com/archives/82277652.html
http://www.asyura2.com/2002/dispute2/msg/515.html#c111

[昼休み54] 在日朝鮮人を全員殺さないと日本は滅びる 中川隆
19. 中川隆[-13390] koaQ7Jey 2020年2月28日 19:33:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[125]

2020年02月28日
在日韓国人は超高速少子化で2050年に出生数100人になる



韓国人同士の子供は生まれないので、赤の韓国籍外国人は減り続けている


画像引用:http://www.moj.go.jp/content/000076936.gif

在日韓国人は1世代で半減し2世代で絶滅する

インターネットやSNSなどでは「日本は在日韓国人に支配されている」という情報がとても多い。

保守系の主張に多いのは、たとえば「芸能人のほとんどは在日韓国人」というような事です。

彼らの説明だと国会議員のほとんどが韓国人だし、弁護士のほとんども韓国人、テレビ局や製作スタッフのほとんども韓国人だという。




だが在日韓国人の人数は2019年は45万1千人(法務省HP)で、1991年の約69万人から急減しています。

「芸能人や政治家のほとんどが帰化人」のような主張もあり得ない話で、帰化申請は年間5千人程度です。

50年間帰化の平均が5千人だったとしても今までの合計は30万人未満の筈で、外務省の統計でもそうなっている。


在日韓国人の出生数減少は目を覆うほど悲惨で、現在は年間1000人を下回っていると見られます。

在日韓国人の出生数は生まれた時点では確定せず、日本人と結婚した場合、子供は22歳まではレンホーのように2重国籍が認められている。

民団によると在日韓国人の結婚相手の9割は日本人で、韓国籍同士の結婚は9%しかありません。


日本人と在日韓国人の間に生まれた子供は、大半が日本国籍を選択すると推測されます。

民団の人口統計では0歳から4歳までの年齢別人口は平均1385人だが、仮に半数が22歳で日本国籍を選択したら、各年齢で700人以下しか居ない事になる。

これは現在の数字であり、韓国人同士の結婚が9%なのを考えると、25年ごとに在日韓国人の出生数は1割から4割程度に減少します。


すると西暦2050年頃には在日韓国人の年間出生数は100人から300人程度になっている計算です。

「日本は在日に支配されている」どころか、在日韓国人は今後1世代でほぼ絶滅するのです。

在日韓国人とは限界集落なみの小さい世界であり、次の世代には小学校も維持できなくなりすべて廃校になります。

朝鮮学校はいずれ廃校になる

東京都や大阪府が援助するしないで話題になった朝鮮学校は、現在は北朝鮮の朝鮮総連指揮下にあるが、最初「(南北)朝鮮」の学校でした。

いつの間にか北朝鮮に乗っ取られて金一族を教祖として崇めるようになったのだが、実は生徒の半数は韓国籍の在日韓国人です。

韓国学校も存在するが規模は小さく、日本の学校に通わせたくない親は子供を朝鮮学校に通わせています。


韓国政府が支援する韓国学校のほうは、韓国で生まれて仕事などで日本に赴任した韓国人のための学校です。

ここでは在日韓国人は厄介者であり、日本の学校に通うよりも阻害されるので、在日韓国人の子供は通いません。

先ほど書いたように在日韓国人の結婚相手の9割が日本人なので、日本国籍と韓国籍を持ちながら朝鮮学校に通う日本人生徒も多い。


日本人が通ってはいけないというルールもないので、日本に帰化した人の子供も通っていると思われます。

朝鮮学校在校生の過半数が韓国籍で、北朝鮮国籍は3割未満、日本国籍を持つ人も通っている。

朝鮮学校の在校生は最盛期に4万人だったが、2016年は6千人で現在は5千人程度だと思われます。


在日韓国人の子供は25年ごとに良くて半減、悪ければ1割まで減少するので、生徒の減少ペースは日本の過疎地よりも早い。

それでは学校経営が成り立たないので援助してくれというのが朝鮮学校の言い分で、援助するとかしないとかで揉めている。

だがこれほどのペースで生徒になる分母が減少したら、自治体が支援したとしても1世代か2世代で廃校になるしかない。


従って在日も民団も総連も朝鮮学校も、援助しようがしまいが今後1世代で日本から消えてなくなるのです。

今在日の中心世代は40代ですが、後に続く世代はおらず超高速少子高齢化が待っています。
http://www.thutmosev.com/archives/82277652.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/237.html#c19

[昼休み54] 日本の中枢は既に在日朝鮮人に乗っ取られている 中川隆
48. 中川隆[-13389] koaQ7Jey 2020年2月28日 19:33:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[126]

2020年02月28日
在日韓国人は超高速少子化で2050年に出生数100人になる



韓国人同士の子供は生まれないので、赤の韓国籍外国人は減り続けている


画像引用:http://www.moj.go.jp/content/000076936.gif

在日韓国人は1世代で半減し2世代で絶滅する

インターネットやSNSなどでは「日本は在日韓国人に支配されている」という情報がとても多い。

保守系の主張に多いのは、たとえば「芸能人のほとんどは在日韓国人」というような事です。

彼らの説明だと国会議員のほとんどが韓国人だし、弁護士のほとんども韓国人、テレビ局や製作スタッフのほとんども韓国人だという。




だが在日韓国人の人数は2019年は45万1千人(法務省HP)で、1991年の約69万人から急減しています。

「芸能人や政治家のほとんどが帰化人」のような主張もあり得ない話で、帰化申請は年間5千人程度です。

50年間帰化の平均が5千人だったとしても今までの合計は30万人未満の筈で、外務省の統計でもそうなっている。


在日韓国人の出生数減少は目を覆うほど悲惨で、現在は年間1000人を下回っていると見られます。

在日韓国人の出生数は生まれた時点では確定せず、日本人と結婚した場合、子供は22歳まではレンホーのように2重国籍が認められている。

民団によると在日韓国人の結婚相手の9割は日本人で、韓国籍同士の結婚は9%しかありません。


日本人と在日韓国人の間に生まれた子供は、大半が日本国籍を選択すると推測されます。

民団の人口統計では0歳から4歳までの年齢別人口は平均1385人だが、仮に半数が22歳で日本国籍を選択したら、各年齢で700人以下しか居ない事になる。

これは現在の数字であり、韓国人同士の結婚が9%なのを考えると、25年ごとに在日韓国人の出生数は1割から4割程度に減少します。


すると西暦2050年頃には在日韓国人の年間出生数は100人から300人程度になっている計算です。

「日本は在日に支配されている」どころか、在日韓国人は今後1世代でほぼ絶滅するのです。

在日韓国人とは限界集落なみの小さい世界であり、次の世代には小学校も維持できなくなりすべて廃校になります。

朝鮮学校はいずれ廃校になる

東京都や大阪府が援助するしないで話題になった朝鮮学校は、現在は北朝鮮の朝鮮総連指揮下にあるが、最初「(南北)朝鮮」の学校でした。

いつの間にか北朝鮮に乗っ取られて金一族を教祖として崇めるようになったのだが、実は生徒の半数は韓国籍の在日韓国人です。

韓国学校も存在するが規模は小さく、日本の学校に通わせたくない親は子供を朝鮮学校に通わせています。


韓国政府が支援する韓国学校のほうは、韓国で生まれて仕事などで日本に赴任した韓国人のための学校です。

ここでは在日韓国人は厄介者であり、日本の学校に通うよりも阻害されるので、在日韓国人の子供は通いません。

先ほど書いたように在日韓国人の結婚相手の9割が日本人なので、日本国籍と韓国籍を持ちながら朝鮮学校に通う日本人生徒も多い。


日本人が通ってはいけないというルールもないので、日本に帰化した人の子供も通っていると思われます。

朝鮮学校在校生の過半数が韓国籍で、北朝鮮国籍は3割未満、日本国籍を持つ人も通っている。

朝鮮学校の在校生は最盛期に4万人だったが、2016年は6千人で現在は5千人程度だと思われます。


在日韓国人の子供は25年ごとに良くて半減、悪ければ1割まで減少するので、生徒の減少ペースは日本の過疎地よりも早い。

それでは学校経営が成り立たないので援助してくれというのが朝鮮学校の言い分で、援助するとかしないとかで揉めている。

だがこれほどのペースで生徒になる分母が減少したら、自治体が支援したとしても1世代か2世代で廃校になるしかない。


従って在日も民団も総連も朝鮮学校も、援助しようがしまいが今後1世代で日本から消えてなくなるのです。

今在日の中心世代は40代ですが、後に続く世代はおらず超高速少子高齢化が待っています。
http://www.thutmosev.com/archives/82277652.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/232.html#c48

[近代史3] 朝鮮人の血統は恥ずかしい _ 在日朝鮮人に生まれた事の悲しみ 中川隆
4. 中川隆[-13388] koaQ7Jey 2020年2月28日 19:36:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[127]

2020年02月28日
在日韓国人は超高速少子化で2050年に出生数100人になる



韓国人同士の子供は生まれないので、赤の韓国籍外国人は減り続けている


画像引用:http://www.moj.go.jp/content/000076936.gif

在日韓国人は1世代で半減し2世代で絶滅する

インターネットやSNSなどでは「日本は在日韓国人に支配されている」という情報がとても多い。

保守系の主張に多いのは、たとえば「芸能人のほとんどは在日韓国人」というような事です。

彼らの説明だと国会議員のほとんどが韓国人だし、弁護士のほとんども韓国人、テレビ局や製作スタッフのほとんども韓国人だという。




だが在日韓国人の人数は2019年は45万1千人(法務省HP)で、1991年の約69万人から急減しています。

「芸能人や政治家のほとんどが帰化人」のような主張もあり得ない話で、帰化申請は年間5千人程度です。

50年間帰化の平均が5千人だったとしても今までの合計は30万人未満の筈で、外務省の統計でもそうなっている。


在日韓国人の出生数減少は目を覆うほど悲惨で、現在は年間1000人を下回っていると見られます。

在日韓国人の出生数は生まれた時点では確定せず、日本人と結婚した場合、子供は22歳まではレンホーのように2重国籍が認められている。

民団によると在日韓国人の結婚相手の9割は日本人で、韓国籍同士の結婚は9%しかありません。


日本人と在日韓国人の間に生まれた子供は、大半が日本国籍を選択すると推測されます。

民団の人口統計では0歳から4歳までの年齢別人口は平均1385人だが、仮に半数が22歳で日本国籍を選択したら、各年齢で700人以下しか居ない事になる。

これは現在の数字であり、韓国人同士の結婚が9%なのを考えると、25年ごとに在日韓国人の出生数は1割から4割程度に減少します。


すると西暦2050年頃には在日韓国人の年間出生数は100人から300人程度になっている計算です。

「日本は在日に支配されている」どころか、在日韓国人は今後1世代でほぼ絶滅するのです。

在日韓国人とは限界集落なみの小さい世界であり、次の世代には小学校も維持できなくなりすべて廃校になります。

朝鮮学校はいずれ廃校になる

東京都や大阪府が援助するしないで話題になった朝鮮学校は、現在は北朝鮮の朝鮮総連指揮下にあるが、最初「(南北)朝鮮」の学校でした。

いつの間にか北朝鮮に乗っ取られて金一族を教祖として崇めるようになったのだが、実は生徒の半数は韓国籍の在日韓国人です。

韓国学校も存在するが規模は小さく、日本の学校に通わせたくない親は子供を朝鮮学校に通わせています。


韓国政府が支援する韓国学校のほうは、韓国で生まれて仕事などで日本に赴任した韓国人のための学校です。

ここでは在日韓国人は厄介者であり、日本の学校に通うよりも阻害されるので、在日韓国人の子供は通いません。

先ほど書いたように在日韓国人の結婚相手の9割が日本人なので、日本国籍と韓国籍を持ちながら朝鮮学校に通う日本人生徒も多い。


日本人が通ってはいけないというルールもないので、日本に帰化した人の子供も通っていると思われます。

朝鮮学校在校生の過半数が韓国籍で、北朝鮮国籍は3割未満、日本国籍を持つ人も通っている。

朝鮮学校の在校生は最盛期に4万人だったが、2016年は6千人で現在は5千人程度だと思われます。


在日韓国人の子供は25年ごとに良くて半減、悪ければ1割まで減少するので、生徒の減少ペースは日本の過疎地よりも早い。

それでは学校経営が成り立たないので援助してくれというのが朝鮮学校の言い分で、援助するとかしないとかで揉めている。

だがこれほどのペースで生徒になる分母が減少したら、自治体が支援したとしても1世代か2世代で廃校になるしかない。


従って在日も民団も総連も朝鮮学校も、援助しようがしまいが今後1世代で日本から消えてなくなるのです。

今在日の中心世代は40代ですが、後に続く世代はおらず超高速少子高齢化が待っています。
http://www.thutmosev.com/archives/82277652.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/495.html#c4

[近代史3] 社会主義マジック _ 中共が GDP 世界第二位の超大国になれた理由 中川隆
36. 中川隆[-13387] koaQ7Jey 2020年2月28日 20:09:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[128]
中国は新自由主義の国。

新自由主義の教祖的な存在であるシカゴ大学のミルトン・フリードマンが1980年に中国を訪問して新自由主義、つまりレッセフェール流の資本主義路線を採用させた。

ミルトン・フリードマンは1988年に妻のローザとともに中国を再び訪れ、趙紫陽や江沢民と会談している。

また中国からは多くの若者が留学生としてアメリカへ渡り、その新自由主義的な考え方をイデオロギーをたたき込まれることになる。

アメリカの支配層にとって中国とロシア/ソ連の同盟は悪夢。ニキータ・フルシチョフがソ連の書記長だった時代に中国とソ連は激しく対立するようになるが、その再現を願っている人もいる。

 中ソ対立の中、1972年2月にリチャード・ニクソンが中国を訪問して米中の国交回復を実現。

その裏ではヘンリー・キッシンジャーは秘密裏に動いていたのだが、これは単にアメリカと中国とが関係を改善することが目的ではなく、中国をアメリカ側へ引き寄せ、中国とソ連との関係を冷やそうとしていたのだろう。

こうして築いたアメリカと中国との関係をオバマ政権のネオコンは破壊したとも言える。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002280001/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/203.html#c36

[近代史3] 日本はもうすぐ中国小日本省になる 中川隆
12. 中川隆[-13386] koaQ7Jey 2020年2月28日 20:10:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[129]
中国は新自由主義の国。
新自由主義の教祖的な存在であるシカゴ大学のミルトン・フリードマンが1980年に中国を訪問して新自由主義、つまりレッセフェール流の資本主義路線を採用させた。

ミルトン・フリードマンは1988年に妻のローザとともに中国を再び訪れ、趙紫陽や江沢民と会談している。

また中国からは多くの若者が留学生としてアメリカへ渡り、その新自由主義的な考え方をイデオロギーをたたき込まれることになる。

アメリカの支配層にとって中国とロシア/ソ連の同盟は悪夢。ニキータ・フルシチョフがソ連の書記長だった時代に中国とソ連は激しく対立するようになるが、その再現を願っている人もいる。


 中ソ対立の中、1972年2月にリチャード・ニクソンが中国を訪問して米中の国交回復を実現。

その裏ではヘンリー・キッシンジャーは秘密裏に動いていたのだが、これは単にアメリカと中国とが関係を改善することが目的ではなく、中国をアメリカ側へ引き寄せ、中国とソ連との関係を冷やそうとしていたのだろう。

こうして築いたアメリカと中国との関係をオバマ政権のネオコンは破壊したとも言える。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002280001/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/186.html#c12

[近代史3] キッシンジャーがやった事 中川隆
27. 中川隆[-13385] koaQ7Jey 2020年2月28日 20:10:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[130]
中国は新自由主義の国。
新自由主義の教祖的な存在であるシカゴ大学のミルトン・フリードマンが1980年に中国を訪問して新自由主義、つまりレッセフェール流の資本主義路線を採用させた。

ミルトン・フリードマンは1988年に妻のローザとともに中国を再び訪れ、趙紫陽や江沢民と会談している。

また中国からは多くの若者が留学生としてアメリカへ渡り、その新自由主義的な考え方をイデオロギーをたたき込まれることになる。

アメリカの支配層にとって中国とロシア/ソ連の同盟は悪夢。ニキータ・フルシチョフがソ連の書記長だった時代に中国とソ連は激しく対立するようになるが、その再現を願っている人もいる。


 中ソ対立の中、1972年2月にリチャード・ニクソンが中国を訪問して米中の国交回復を実現。

その裏ではヘンリー・キッシンジャーは秘密裏に動いていたのだが、これは単にアメリカと中国とが関係を改善することが目的ではなく、中国をアメリカ側へ引き寄せ、中国とソ連との関係を冷やそうとしていたのだろう。

こうして築いたアメリカと中国との関係をオバマ政権のネオコンは破壊したとも言える。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202002280001/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/141.html#c27

[近代史4] 枯山水庭園の世界 中川隆
1. 中川隆[-13384] koaQ7Jey 2020年2月28日 21:17:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[131]

京都の「おもてなしの文化」 とは _ わかる人にはわかる日本一ハイ・センスな京都 俵屋旅館
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/231.html

知ったら住みたくなるケンミン性 (第6回)魅力度ランキング2位「京都」に住んでわかる理想と現実
http://www.asyura2.com/09/ishihara13/msg/777.html

京都にだけは住んではいけない
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/918.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/368.html#c1

[近代史4] 天平仏 中川隆
1. 中川隆[-13379] koaQ7Jey 2020年2月28日 21:41:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[136]


保存修復・彫刻 『東大寺法華堂執金剛神立像の模刻制作を通した奈良時代塑像の構造・技法研究』重松 優志



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/369.html#c1
[近代史4] 密教仏 中川隆
1. 中川隆[-13381] koaQ7Jey 2020年2月28日 22:03:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[137]

観心寺 如意輪観音 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%A6%B3%E5%BF%83%E5%AF%BA+%E5%A6%82%E6%84%8F%E8%BC%AA%E8%A6%B3%E9%9F%B3


観心寺 国宝 
観心寺金堂 木造如意輪観音坐像 もくぞうにょいりんかんのんざぞう
https://ameblo.jp/kansainokokuhou/entry-12373287970.html

観心寺の本尊で、金堂内陣の厨子内に安置される。秘仏で、毎年4月17・18日の2日間のみ開扉される。

平安時代前期・9世紀の作。
像高108.8cm。六臂(手が6本)の密教彫像。

長らく秘仏であったため、保存がよく、表面の彩色や文様もよく残っている。

右脚を立て膝とし、6本の手のち、右第一手は頬に当てて思惟相とし、第二手は胸前で如意宝珠を捧持し、第三手は垂下して数珠を持つ。左の第一手はまっすぐ下方に伸ばし、第二手は掌を正面に向けて胸の高さで蓮茎を持ち、第三手は伸ばした指先で法輪を支える。カヤ材の一木造で、頭・体の主要部を一材から木取りしたうえで、左膝外側部、各腕などに別材を矧ぎ付けている。

各腕は臂釧(ひせん、上腕部に巻いた装飾)のあたりで矧いでいるとみられる。国宝指定名称は「木造」となっているが、乾漆技法が併用されており、各所に木屎漆(こくそうるし、麦漆に木粉などを混ぜたもの)を厚く盛り上げて、肌の柔らかい感触を表現しており、密教彫像特有の神秘性と官能性を表出する。面相部や、左肩から右腰に掛かる条帛(じょうはく)、下半身にまとった裳などの衣文は乾漆技法で成形されている。条帛、裳、台座の蓮弁などには繧繝彩色と截金を用いた造像当初の彩色が残っている。特に裳の装飾は文様帯を4段に分けて地色や文様を違えた入念なものである。頭上の宝冠は木製透彫で、造像当初のものではないが、平安時代後期の作とみられる。

台座は蓮華、上敷茄子(うわしきなす)、華盤(けばん)、下敷茄子、受座、反花(かえりばな)、上框、下框から成る八重蓮華座で、造像当初のものであり、平安初期の仏像台座の典型作である。蓮弁は12方3段(計36枚)に葺かれるが、うち1枚を亡失する。残り35枚の蓮弁は様式から3種に分かれ、うち9枚が像と同時期のものとみなされる。光背は二重円相部分は平安時代のものだが、像と一具ではなく、他の像の光背を転用したものと推定される。

なお、1955年(昭和30年)、金堂に不審者が侵入した際に本像を毀損し、右第三手の手先と左第二手の手先を持ち去ったため、これらの部分は補修されている。


御開帳は4月17,18日の二日のみという貴重な仏像です。

私が今まで見た仏像の中でも最も印象深い仏像の一つです。

何とも言えない妖艶な表情と細かい彫刻は忘れられません。

時間が許す限り毎年見に行きたいと思っています。


観心寺・公式ホームページ
http://www.kanshinji.com/index.html


拝観時間 午前9時〜午後5時

拝観料
大人 300円
小中学生 100円

毎年4月17日と18日は本尊御開帳日(午前10時から午後4時まで)につき、特別拝観料として700円



大阪府 河内長野市 寺元475

電話:0721(62)2134

アクセス

電車バス

※南海高野線及び近鉄長野線「河内長野駅」から南海バス小深線「金剛山ロープウェイ前行」
「石見川行」か、小吹台団地線「小吹台行」に乗車、 バス停留所「観心寺」下車

駐車場 あります 無料

https://ameblo.jp/kansainokokuhou/entry-12373287970.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/370.html#c1

[番外地7] ピカソはアフリカ美術から何を得たのか 中川隆
1. 中川隆[-13380] koaQ7Jey 2020年2月28日 22:50:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[138]

 フランス・パリの市内、新オペラ座の近くの裏町にあるピカソ美術館には、ピカソの描いた作品だけではなく、ピカソ本人が収集した絵や彫刻も飾ってある。

これらにはピカソと親交があった画家の絵のほか、アフリカの木彫もある。動物とも人間ともつかない原始芸術風のアフリカの木彫もある。これらアフリカの木彫から、彼が芸術のインスピレーションを受けていたことは間違いがあるまい。

パリにあるピカソ美術館には、ピカソの作品のほか、ピカソが収集した美術品やアフリカの木彫品が展示されている。木彫品には、面は少なくとも展示してはいなかったが、動物の立像などがある。

製作した人たちはそう思って作ったのではなくて、祭事に使うために作ったに違いない「アフリカの芸術」に、欧州の近代美術が、それなりに影響を受けたのは間違いがないだろう。

____

西洋や東洋の美術が到達し得なかった高みに達している「作品」

 北極や南極のような人が住んでいない雪や氷の世界で仕事をすることが多い私だが、そのため、無性に人恋しくなることがある。

 それゆえにか、集めているのがアフリカの各部族が祭事のために彫った木彫の仮面だ。これらの仮面は観光客用に媚びを売っている土産ではない。自分たちの祭事に使うための魂がこもっている。そして、これらの仮面は、西洋や東洋の美術が到達し得なかった高みに達している「作品」だと私は思う。

 たとえば、写真一を見てほしい。これはアフリカの西海岸に近いサハラ砂漠の内陸国、マリの面だ。これほど憂愁に満ちた表情を持つ仮面は、日本の能面を含めて、世界でもめったにあるまい。作った人にとっては宗教的なものに違いないが、この憂いの深さは、例えばジャコメッティをほとんど凌ぐほどの芸術に見える。緑と黄色の耳飾りの華やかさと憂愁のコントラストが見事だ。

 仮面の高さは24センチ。この仮面は木彫だが、木の上に薄い真鍮板を被せ、夥しい数の、丸い頭の釘で留めてある。これは、同国に住むマルカ部族の仮面の特徴である。

 じつは、アフリカの国々は、いまはたまたまひとつの国になっていても、そこに住む部族は、人種も文化も違うことが多い。フランス、英国、オランダ、ベルギーなどかつての列強である文明国の、いわば勝手な都合で、それぞれの国にされてしまったのである。

 このため、たとえば象牙海岸(コートジボアール)ひとつとっても、何種類もの違う種類の仮面がある。これはそれぞれの部族によって作る仮面がまったく違うからである。それゆえアフリカの西海岸の部族の仮面と東海岸のそれとは、まったくの別物である。

 フランス・パリの市内、新オペラ座の近くの裏町にあるピカソ美術館には、ピカソの描いた作品だけではなく、ピカソ本人が収集した絵や彫刻も飾ってある。これらにはピカソと親交があった画家の絵のほか、アフリカの木彫もある。動物とも人間ともつかない原始芸術風のアフリカの木彫もある。これらアフリカの木彫から、彼が芸術のインスピレーションを受けていたことは間違いがあるまい。

 写真二は同じマルカ族の、二本の角が生えた男の仮面である。角(つの)も木製の芯が金属板で丁寧に覆われている。製作の基本的な手法は写真一のものと同じだが、真鍮板を留めている釘の数は、こちらのほうがずっと少ない。写真一が釘の配置と数で表現している肌の質感を、こちらはまるで彫金のような真鍮板のディテールで表現している。

 この写真二の仮面が表そうとしているものは、西洋美術のジャコメッティが指向したものと遠くないように見える。くぼんだ眼窩と小さな口。デフォルメと簡略化と、そして必要なところは強調しているというバランスが絶妙である。

 写真ではちょっと見えにくいかもしれないが、両方のこめかみと、そこから下がった真鍮の長いもみあげの先に深紅のリボンが、合計四ヶ所に着いている。これらは、写真一と同様、金属の面に鮮やかな彩りを添えている。 これは、兜を被った戦士の面ではないだろうか。部族のための闘いに赴く戦士の憂愁を表しているように見える。仮面の高さは39センチと、かなり大きなものだ。

 写真三は象牙海岸の女性の仮面だ。アフリカの仮面には比較的柔らかい木に彫って彩色したものも多いが、この仮面には彩色はない。その代わり、とても硬くて目が詰んだ木で、細部までじつに精密に彫られている。とくに頭髪の彫刻は細かい。彫るのには大変な手間がかかったに違いない。

 この仮面は、私には貴婦人の面に見える。みごとに鼻筋が通り、目が大きい。頬も唇も豊満だ。両眉が繋がっているのが不思議に見えるかもしれないが、これは象牙海岸の仮面の特徴である。

 美しいばかりではない。この仮面は、見る角度によって微妙に表情を変える。この写真の角度より、少し下から眺めると、ずっとふくよかで、もっと穏やかな顔になる。

 表情の品の良さ、穏やかさ、見える角度によって変える表情は、すぐれた日本の能面を凌ぐ出来栄えだと思う。仮面の高さは38センチある。

 ここでは私の集めた仮面全部を掲げる紙数はないが、なかにはジョアン・ミロ風のとぼけた丸顔も、穏やかな笑顔も、道化も、また、まるで秋田のなまはげのような怪奇な仮面もある。興味のある方は「魂の詩(うた)」と名付けて私のホームページ(http://shima3.fc2web.com/african-masks/)に、そのうち二十数個を公開しているので、ご覧いただきたい。

 私は、これらの仮面を西欧各国の蚤の市で買うことが多い。日本と違ってアフリカ美術は彼の地では美術品のジャンルのひとつになっていて、専門の店や画商のところに行けば、驚くほど高い値段で、白人たちが売っている。

 しかし、この高い価格が、製作者や、画商以外の流通に関与した人たちに還元されていることは到底、考えられない。一種の搾取というべきだろう。

 しかし、道端で開かれている蚤の市では、仮面を作った人たちの後裔が、他の部族の面も並べて売っている。値段も、画商と比べれば、びっくりするくらい安い。いまのアフリカの国名ではこれこれだが、じつは部族にはこれとこれがあり・・、と言った詳しい話や由来を聞かせてくれる。しかし他の部族についてはほとんど知らないことも多い。

 だが、自分や一家が欧州に来た顛末を話してくれたり、一緒に売っている民族楽器を驚くほど器用に奏でてくれたりする。

 ヨーロッパとアフリカの結びつきは長くて深い。第二次世界大戦前には、多くの西欧の国がアフリカに植民地を持っていた。戦後、それぞれの植民地は独立を果たしたが、それまでの歴史の影響がいまだに強く残っている。たとえば、一般的にアフリカ西海岸の国々はフランス語、東海岸は英語が通じるのもその影響のひとつだ。

 私がつきあっている西欧の知識人の心には、アフリカに対する原罪という底流が流れている。それなりの文化を持っていたアフリカを、植民地として収奪して蹂躙してしまっただけではなく、現在に至るまで貧しくて病気も多く、安定しない状態にしてしまったという贖罪意識なのであろう。

 私の専門である地球物理学からいえば、そもそもアフリカには大地溝帯という大地の割れ目が走り、世界の他の地域よりはずっと高い地熱がある。ここは大陸プレートが割れていずれ大西洋のような海が誕生しようとしているところだ。この地球の息吹は少なくとも数百万年、つまり人類の誕生以前から続いている。

 地球上で最初の人類が発生したのがこのアフリカだ。また、地球上でプレートが陸上で誕生しているのはここだけだ。この二つに関連があるのかないのか、いまだ解けぬナゾとはいえ、なにかの関連を思いながら、遠い昔に思いを馳せさせてくれる仮面なのである。
http://shima3.fc2web.com/sibusawazaidan55.htm

魂の詩・アフリカの仮面

私が持っているアフリカなどの面(マスク、 仮面、African Mask、African Art)をご紹介します。なお、これらを作った「部族 tribes」と今の「国」とは1対1に対応しているわけではなく、また今の国境を越えて同じ部族が住んでいることも珍しくありません。アフリカの国々の国境線は、かつての植民地争奪戦や国際政治の力学によって押しつけられたことも多かったわけですから。

19世紀末以前のアフリカでは、欧州列強の植民地は大陸全体の約10%にしかすぎませんでした。

しかし、アフリカの分割は、1884年のベルリン列国会議から1914年に勃発した第一次世界大戦にかけて、アフリカは欧州列強に分割されていき、ほぼ全域が植民地となってしまったのです。

そして、その影響は、多くの国が独立を果たした現在でも、色濃く残っています。


1-1:マルカ部族(いまのマリ)の真鍮でカバーした木製の「憂いの面」
華やかな耳飾りの陰で、この憂いの深い顔には、どのような感情が込められているのだろう。戦の憂いだろうか。

木製の面の上に、薄い真鍮板を張り付けて、おびただしい数の丸い頭の釘で留めている。これは マルカ(MARKA)部族 (WARKAとも書く)の面の特徴である。
このマルカ部族は、マンデ(Mande)部族の一部だと思われており、マリから象牙海岸にかけて暮らしている。下の西アフリカ内陸の部族分布図にはWarkaと書かれている。人口は知られていない。

バンバラ(Bambara)部族(下の部族の地図の中央部にある)とは別の部族だが、Bambara部族の強い影響を受けているという。また、5-2のセヌーフォ(Senufo)部族とも近くで暮らしている。

(高さ24cm。2001年、フランス・パリ、 レピュブリーク大通りのアフリカ民芸店の地下で買う)

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1-2:マルカ部族(いまのマリ)の、真鍮でカバーした木製の「戦士の面」

上の1-1と同じように、木製の面の上に、薄い真鍮板を全面に張り付けて、丸い頭の釘で留めている。

角も木製の芯が金属板で丁寧に覆われている。製作の手法は上のものと同じだが、釘の数は、こちらのほうがずっと少ない 。

西洋美術でいえばジャコメッティだろうか。デフォルメと簡略化と、そして必要なところの強調のバランスが絶妙である。

見えにくいが、両方の額と、そこから下がった髪の先に赤いリボンが、合計4ヶ所に着いている。 これは、戦士の面ではないだろうか。

(高さ39cm。1991年、フランス・パリ北部のクリニャンクールの蚤の市で買う)

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1-3:マルカ部族(いまのマリ)の真鍮でカバーした木製の「鳥の全身像」

では、このマルカ部族が、仮面以外のものを作ったら、どのような才能を発揮するのだろう。

抽象化された、しかし気品のある頭部や嘴、厚い胸、ピンと張った翼。背の高さ。これも、ジャコメッティなのである。あるいは、それを超えているかもしれない。
これはブルキナファソで昔から多く食用にされてきているホロホロ鳥にちがいない。ハゲタカやワシのような猛禽類ではあるまい。

左下の写真は、ホロホロ鳥の骨格標本である。マルカ族の鳥の立像が、身体の特徴をきちんと捉えながら、「芸術表現」としての抽象化が見事になされているのが見て取れよう。

また、抽象化された頭部の中でも、嘴の根元にある鼻の穴も表現されているなど、この鳥を良く知る者だけが表現できるディテールも盛り込まれている。

木製の像の上に、薄い真鍮板を全面に張り付けて、丸い頭の釘で留めている。両足で丸い石をしっかり抱えて立っている全身像である。

なお、ホロホロ鳥は、15世紀くらいから欧州でも食用にされ、フランス料理では美味な鳥として知られている。しかし、この鳥が部族の人たちにとって貴重な蛋白源であるのとちがって、フランス人にとっては、飽食の果ての贅沢な材料なのである。

なお、この鳥のモチーフは、マルカ部族にかぎらず、周辺の多くの部族の仮面にも使われている。しかし、このように金属をかぶせているのではなくて、木彫である。

(高さ40cm。2000年、フランス・パリ北東部の路上の、その日かぎりの蚤の市で買う)

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2-1:バウレ部族(象牙海岸)の木製の「ミロの面」

同じ象牙海岸でも、部族が違うのだろう。これは、まるでジョアン・ミロの世界である。眼とその表情も、口も、そして顔の輪郭も、どれもすさまじい表現力である。

木製の面に、要所だけ彩色されている。

これは象牙海岸の中央部に暮らしているバウレ BAULE部族(BAOULE, BAWULEとも書く)の仮面だ(下の部族の分布図参照)。

バウレ部族はBaule (Akan cluster of Twi)語を話す部族で、人口は40万人といわれている。約300年前にAsante部族(6-1)に西に追われて、いまの地に落ち着いた歴史を持つ。

バウレ部族の木彫りの仮面は、近くに住むセヌーフォSenufo部族(5-2)やグーロ Guro部族(2-3)の仮面に影響されているものもある、といわれている。しかし、この「ミロの面」は独特のものだ。

(高さ46cm。頭の上に、大きな木の輪が着いている。2001年、フランス・パリ南部のバンブの蚤の市で買う)

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2-2:同じバウレ部族(象牙海岸)の「貴婦人の面」

上の2-1と同じバウレ族が、まったく違う仮面も作る。これも木製の面だが木質が違い、表現はもっと違う。鼻筋が通り、目が大きい。

彩色はないが、とても硬くて目が詰んだ木で、細部まで精密に彫られている。とくに頭髪の彫刻は細かい。

この面は、見る角度によって、微妙に表情を変える。この写真の角度より、少し下から眺めると、ずっとふくよかで、もっと穏やかな顔になる。
この、角度によって表情を変えることや、彫りの品の良さは、日本の能面を凌ぐほどの出来栄えである。

(高さ38cm。2001年、フランス・パリ北部のクリニャンクールの蚤の市で買う)

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2-3:隣のグーロ部族(象牙海岸)の「道化の面」

この木製の仮面は、徹底して道化ぶりを発揮している。部族を纏めるためには、このような役割が必要であったに違いない。

あでやかな彩色がされている。口のまわりが、なんとも言えない表情を醸し出している。

頭の上に、頭を前に傾げて面を突つこうとでもしている鳥の全身像を背負い、またアゴの下には、面を支える取っ手だろうか、出っ張りが着いている。

日本の能面にも、頭の上に鹿の角をつけているものがある。一角仙人である。しかし、角は本来、鹿の頭に着いているものだから、このアフリカの面の鳥のように「異物」が着いている異様さはない。

この仮面はグーロ(GURO)部族(GOURO, GWIO, KWENI, LO, LORUBEとも書く)のものだ。グーロ部族は象牙海岸の南部に住み、上のバウレ部族の西、セヌーフォ部族の南に、ほとんど隣接している(上の2-1の部族分布図を参照)。人口は約20万人を擁している。

グーロ部族は、もともとはクウェニ部族と自称していた。しかし、196年から1912年にかけて、侵略してきたフランスに強制的に植民地化されてバウレ部族が呼びならわしていたグーロ族という名前に変えられてしまった歴史を持っている。フランスに限らず、欧州各国は、アフリカで暴虐のかぎりをつくした。彼らの心の底には、いまでも原罪意識が流れているのは、その歴史と無縁ではない。

(高さ32cm。2000年、フランス・パリ北東部の路上の臨時の蚤の市で買う)

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2-4:これはヨフレ部族(象牙海岸)の「怒りの面」

これも上の赤い面と似た木製の面だが、上のと同じ赤い色ながら、一転、口をへの字に結んだ険しい表情をしている。目も、頬のバツ印も、四角い鼻も、上の道化とは対照的である。

しかし、対照的に、四角く抽象化された耳と、左右がつながった眉だけは、まるで、しきたりでもあるかのように、微妙に違いながらも、よく似ている。しかし、そのつながった眉は、鼻と離れている点で、バウレ族の仮面(2-2)とは違っている。

これも、頭の上に鳥の全身像を背負っているが、その鳥は顔を真正面に向けて凛としている。またアゴの下には、面を支える取っ手の出っ張りが着いている。
上の面と同じように、木製の面に彩色をしてあるが、上の3-2の、のっぺりした絵の具の塗装とはテクスチュアも色合いも違った、別の表現手法である。

この仮面は、上と同じグーロ部族のものかもしれないが、表現が少し違うところから、多分、ヨフレ(YOHURE)部族 (SNAN, YAOURE, YAUREとも書く)の仮面ではないかと思われる。

ヨフレ部族は象牙海岸の中央部に住む、人口2万人という小さな部族だ(上の2-1の部族分布図を参照)。地理的にも、東にバウレ部族、北と西にグーロ部族が住んでいて、文化的にも言語的にも、この二つの影響が強いという。それゆえ、仮面も似ているのであろう。

長細い顔の上に動物を組み合わせる仮面、そして突き出した口は、このヨフレ部族の仮面の特徴である。

(高さ49cm。2001年、フランス・パリ中央部の路上の臨時の蚤の市で買う)

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2-5:ダン部族(象牙海岸)の穏やかな「少女の面」

これも象牙海岸の木製の面だが、上のと違って、自然の硬い木の肌のままで、彩色はしていない。

眉の形に、バウレ部族やグーロ部族が作った上の象牙海岸の3つの面(2-2, 2-3, 2-4)との共通点がある。 しかし、鼻との連続に、微妙な違いもある。

これはダン( DAN)部族 (DAN-GIOH, GIO, GIOH, GYO, YACOUBA, YACUBA, YAKUBAとも書く)が作ったものだ。ダン部族は、象牙海岸の比較的南部、グーロ部族の西に住む(上の2-1の部族分布図を参照)。一部は隣国リベリアにも住む。

人口は35万人ほどで、Dan (Mande)語を話す。19世紀までは、中央政府を持っていない部族だった。政府らしきものが出来たのは、比較的最近である。

しかし、この仮面は、なんという穏やかな顔だろう。 あるいは永遠の眠りについた死に顔なのだろうか。

画家のアメデオ・クレメンテ・モジリアーニ(モジリアニ。Amedeo Clemente Modigliani, 1884-1920)は、アフリカの仮面に大きな影響を受けた。影響されたのは、たぶん象牙海岸あたりの仮面だと思われているから、このような仮面だったのかもしれない。

しかし、ある意味では、魂の叫びという面では、モジリアニといえども、アフリカの原始美術を超えられなかったのではないだろうか。

(高さ22cm。1991年、フランス・パリ北部のクリニャンクールの蚤の市で買う)

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3-1:ガボンのプーヌー部族の木製の「東洋人の面」

ガボンの木製の彩色面。鮮やかな彩りだ。

黄色い肌、細い眼。低くて丸い団子鼻。アフリカの人の面ではないだろう。 私には東洋人を模したものに見える。

頭の上に、嘴をこの顔に向けた鳥の全身像を背負い、またアゴの下には、面を支える取っ手だろうか、出っ張りが着いている。

この仮面はプーヌー(PUNU) 部族(APONO, BAPUNU, MPONGWE, PUONOU, PUNOとも書く)のものだ。額(おでこ)についている菱形の特有の模様が、このPUNU族特有のものなのである。

PUNU族はガボンの南部とコンゴに住む(下のガボンからザンビアまでのアフリカ中西部の部族の分布図参照)。Punu (Bantu)語を話し、部族は約40000人しかいない小さな部族だ。

しかし、この部族がどこから来たか、どんな宗教的な歴史を持っているかは、あまりわかっていない。

(高さ34cm。2001年、フランス・パリ中央部の、路上の臨時の蚤の市で買う。次の日には、影も形もない露店である。)

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4-1:コンゴ民主共和国(旧ザイール)のレガ部族の「白人の面」

穏やかな、見方によっては無表情な木製の面。口の表情が特異である。

アフリカの面の中でも、この面が特異なのは、白く塗られていることだ。白人を模したものであろうか。

これはレガ(LEGA)部族(BALEGA, BALEGGA, REGA, WALEGA, WAREGAとも書く)が作った仮面だ。

レガ部族はコンゴ民主共和国(旧ザイール、コンゴ共和国の東隣)の東部、つまりアフリカの大地溝帯やタンガニイカ湖の近くに住む部族だ(上の3-1の部族の分布図を参照)。 人口は10〜25万人と、比較的小さい部族だ。

じつはカメルーン・ガボン・コンゴ共和国(コンゴ民主共和国の西隣の別の国)が国境を接する近くに住むクウェレ(KWELE)部族(BAKWELE, BEKWIL, EBAA, KOUELEともいう。3-1の部族分布図を参照)も、同じような白くて平板な顔の仮面を作っている。しかし、眉から鼻へのつながりが、このレガ民族のものとは、やや違っている。

なお、KWERE部族は東アフリカ、タンザニアに住む人口5万人ほどの小さな部族で、KWELE部族とは別の部族である。

(高さ26cm。1994年、フランス・パリ南部のバンブの蚤の市で買う)

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4-2:コンゴ民主共和国(旧ザイール)のルバ部族の「ひょっとこの面」

彩色した木製の面。上の象牙海岸の道化の面と同じような用途で使われたものだろうか。

口は真四角で、顔中に皺(あるいは装飾)がある。鼻翼の表現が独特だ。

この仮面は、たぶんルバ(LUBA)部族 (BALUBA, KALUBA, LOUBA, URUWA, WALUBA, WARUAとも書く)のものだ。コンゴ民主共和国(旧ザイール、コンゴ共和国の東隣)の南東部、つまりアフリカの大地溝帯の近くに住む部族である(上の3-1の部族の分布図にLUBAとして出ている)。上の4-1のレガ部族よりは、南に住んでいる。

その北に住むソンギエ部族(SONGYE。その他 BASONGE, BASONGYE, BASSONGO, BAYEMBE, SONGE, SONGHAY, WASONGAとも書く)も、この仮面とやや似た、四角いひょっとこ口の仮面を作っている。顔中に皺(あるいは装飾)があるものもある。しかし、顔の形がデフォルメされているものが多く、このルバ族のものほど、丸と四角の形が単純ではない。

このルバ部族は100万人ほどいる、大きな部族だ。16世紀から19世紀にかけてルバ帝国を作り、領土を拡大していった、しかし、その後欧州列強によって没落させられてしまった。一方、ソンギエ部族は16世紀にこの辺に移住してきた部族で、現在15万人ほどいるといわれている。ルバ部族はCiluba (central Bantu)語を話すが、ソンギエ部族は KiSongye (Bantu)語を話す。

世紀末を彩ったウィーンの画家、グスタフ・クリムト(1862-1918)は56歳でなくなったが、その晩年、時代から取り残される自分を強く感じていた。そして、1914年にブリュッセルを訪れたクリムトは、そこで(当時の)ベルギー領コンゴのアフリカ美術を見て、いたく感心したと伝えられている。「彼らは独自の造形で我々よりはるかに多くのことが出来る」と述べたという。しかし、アフリカ美術から影響を受けて、新しい境地を開拓するための時間は、もう、クリムトには残されていなかったのであった。

(高さ17cm。1996年、英国・ロンドンのカムデンロックの蚤の市で買う。店の白人の主人は、しょっちゅう、アフリカに買い付けに行っているので、この面は留守番役の奥さんから買った。)

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5-1:カメルーンの「部族長の面」

表情を表す、というよりも、手の込んだ細工で威厳を表しているように見える木製の面。鎖風の金属を、ごく硬い木の表面に埋め込んだ、恐ろしく手間がかかったに違いない面である。

顔の周りには髭を模したものだろうか、縄が廻されている。

この仮面を売っていたアフリカ系の男によれば、この仮面はカメルーンから来た、部族はわからない、ということだった。

しかし、いまのところは、この仮面は、そもそもカメルーンかどうかも謎である。しかし、たとえばカメルーンのチカール(Tikar)部族は、いくぶん似たような仮面を作っている。

アンゴラ東部、コンゴ民主共和国(旧ザイール)の南部、そしてザンビアに広くまたがって住んでいるチョクウェ(CHOKWE)部族(人口110万人を超えるというこの部族は、住んでいる地域が広いせいか、(BAJOKWE, BATSHIOKO, JOKWE, TCHOKWE, TSHOKWEなど、少なくとも30の別の書き方があるという)の仮面には、この硬い木や、顔を覆う縄など、似たところがある仮面が多い。しかし、これほど手の込んだ細工はない。

またダン(DAN)部族(2-5)も、この面に似ていなくもない仮面を作っているが、やはり、この精緻さにはかなわない。

(高さ40cm。1999年、フランス・パリ南部のバンブの蚤の市の「場外」(本来の市としては許されていない場所での露店)で買う)

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5-2:セヌーフォ部族(象牙海岸など)の「女性を背負った面」

この表情は、笑っているのか、泣いているのか、私には読めない。口の表情も独特のものだ。

もちろん、ほかのアフリカの面と同じく、目のところは、このように細いものでも穴が開いていて、面を被ったときに前が見えるようになっている。
頭の上に、顔を正面に向けた女性の裸の全身座像を背負い、また顔の八方には、この写真にも一部見られるような、複雑な、まるで花魁のような飾りが突き出ている。

面は木製で彩色していない。 上の5-1などとは違って、木としてはツヤのない木だ。

これは、象牙海岸の奥地に住むセヌーフォ(SENUFO)部族 (SENOUFO, SIENA, SIENNAとも書く)の仮面だ。セヌーフォの仮面には多くの種類があるが、どの木彫にも、じつにすぐれた能力が発揮されている。

セヌーフォ部族は1-1の西アフリカの内陸の部族(太字)の分布地図の中央部にある(2-1の地図にも、部族の位置が出ている)ように、いまの象牙海岸の奥地を中心にして住んできた部族である。部族の人口は60〜100万、比較的大きな部族だ。
セヌーフォ部族が住んでいるのは象牙海岸とはいっても、海岸からは、はるかに遠い。このほか、ブルキナファソ、ガーナ、マリなど広い範囲に住んでいる。i
(高さ44cm。2000年、フランス・パリ、 レピュブリーク大通りのアフリカ民芸店の地下で買う)

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5-3:タンガニイカ湖畔のベンバ部族の「顔が二つある面」

これも、ジョアン・ミロ風に見えなくもないが、私には、それを超えて、西欧の近代美術が到達できなかった高みの魂が作った面に見える。

パリにあるピカソ美術館には、ピカソの作品のほか、ピカソが収集した美術品やアフリカの木彫品が展示されている。木彫品には、面は少なくとも展示してはいなかったが、動物の立像などがある。

製作した人たちはそう思って作ったのではなくて、祭事に使うために作ったに違いない「アフリカの芸術」に、欧州の近代美術が、それなりに影響を受けたのは間違いがないだろう。

面は木製で彩色してある。不思議なことに、顔が二つあり、口はない。上の眼は安らかで、下の眼は、まるで慈しむような眼だ。鼻は上の顔にはあり、下の顔にはない。しかし、全体としてみると、不思議に、奇妙さも奇怪さもが感じられない。つまり、すぐれた美術品と同じなのである。

この不思議な仮面は、ベンバ(BEMBA)部族 (AWEMBA, AYEMBA, BABEMBA, BEMBE, WABEMBA, WEMBAとも書かれる)のものだと思われる。

ベンバ部族はザンビアの東北部からコンゴ民主共和国の南東部にかけてタンガニイカ湖の岸に住んでいる部族で、人口は6万しかいない(右の東アフリカの部族分布図、と3-1の図を参照)。部族の名前であるベンバ(あるいはBabemba)は「湖の人」の意味である。

小さい部族ゆえ、そして、あるいは戦いを好まなかった部族ゆえか、Lega(4-1), Buyu, Binjiといった周囲の部族と多くの習慣を共有してきている。

じつはタンガニイカ湖の北西部に住むゴマ(GOMA)部族(BAGOMA, BAHOMA, BENEMBAHO, HOMA, NGOMA, WAGOMAとも書く)も、全体の形や眼の表情が似ている仮面を作ってきた。しかし、彼らの仮面は、一様に、丸いおちょぼ口が突き出した、つまり日本のひょっとこのような口をしている。つまり、この口が仮面の表現にとって、大事な要素になっているのだ。それゆえ、この仮面とは違うものだと思われる。

(高さ37cm。2003年、フランス・パリ北部のクリニャンクールの蚤の市で買う)

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6-1:アサンテ部族(ガーナ)の「安産のお守り」

これは、見てきたほかの「面」とは違って、全身像の顔の部分のクローズアップである。

これは、安産のためのお守りである。現在のガーナに住むAsante tribe(アサンテ部族)が作ったAkua'ba doll (アクアバ人形)というものだ。

アサンテASANTE部族は、ACHANTI, ASHANTE, ASHANTI、とも書かれるが、いまでいえばガーナの中南部に、17世紀初めに作られたアサンテ帝国の生き残りの部族で、約15000人がいるといわれている。

全身像の形は、日本の埴輪に似たところもある。乳房だけが象徴的に突き出した、簡略化された胴体から下の像と比べて、顔の部分は大きく、また胴体が簡略化されているのと比べて、頭の部分は精緻に作られている。なお、丸い顔は美女の象徴であった。

像は比較的硬い木製で、彩色してある。

2-1 の地図(西アフリカの海岸部の部族(太字)の分布地図)で、ガーナの中南部、象牙海岸に近いところにアサンテ族という表記がある。
(高さ33cm。1996年、オランダ・アムステルダムのウォーターループレインの蚤の市で買う)

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7-1:ナイジェリアの「少年の面」

この面には、まるでウサギのような尖って大きな耳が付いている。その耳から延びた布らしきものが、頬かぶりのように下りてきている。祭りごとなのか、戦に赴く姿なのか、どちらであろうか。

像は木製で、黒いのは地色である。

(高さ21cm。1992年、英国・ロンドンのポートベローの蚤の市の「場外」(本来の市が終わった先)で買う。一般には、昔の植民地の縁で、西アフリカのフランス語圏の国々から来た面はフランスに多く、東アフリカの英語圏の国々の面は英国に多い)

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8-1:(出所不明の)「着飾った丸顔の面」

なんという鮮やかな飾りだろう。色とりどりのビーズのほか、まるで金箔のような三角形の飾りまで纏っている。アイシャドーも金色だ。

面は木製で、彩色してある。飾りは、象嵌細工のように、はめ込んである。
(高さ13cm。1992年、オランダ・アムステルダムの骨董屋で買う。昔の植民地の縁からいえば、西アフリカの国々から来たのかもしれない)
GOMA (BAGOMA, BAHOMA, BENEMBAHO, HOMA, NGOMA, WAGOMA)

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8-2:(出所不明の)「着飾った猿の面」

この面は、胸部まであり、全体は盾の形をしている。写真の左下に見えているが、首から下の衣装部分も精緻な造りになっている。

しかし、衣装が精緻に出来ているのと違って、顔の部分は、あまりにも落差が大きい。顔は真っ平らだし、眼は、単に丸い穴が開いているだけで、なんの表情も窺えないし、色も朱色一色で塗りつぶしてある。

口も、人間をかたどったにしては、形がへんだ。つまり、この面は人面ではなくて、猿か類人猿を表したものではないだろうか。

だとしたら、上の8-1の丸い面も、鳥の顔のようにも見えてくる。 あるいは4-2のザイールの面も、もしかしたら猿のような動物であろうか。

面は木製で、彩色してある。

(高さ35cm。1998年、フランス・パリ北部のクリニャンクールの蚤の市で買う。昔の植民地の縁からいえば、西アフリカの国々から来たのであろう)


9-1:パプアニューギニアの「おどけた面」

木製の仮面を作って祭事に使ったり、飾りにする習慣は、アフリカに限らず、世界中にある。

これは、パプアニューギニアの面である。パプアニューギニアは驚くほど多くの部族が独立に暮らしている「国」だから(それが「国として成り立つものかどうかはこちらを参照)、仮面も多岐に渡っている。

この面の表情は、悲しみや怒りではあるまい。驚愕でもなく、たぶん、上の1-6のような道化の面ではないかと思われる。一見不要なようだが、じつは部族にはなくてはならない役回しなのであろう。

この面は木製で彩色してある。面の表情も、絵の具の種類や塗り方も、アフリカの面とは、ずいぶん違う。木は、ごく柔らかい木だ。

(高さ40cm。1997年、パプアニューギニア・ポートモレスビーで買う)

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9-2:パプアニューギニアの「戦士の憂いの面」

この面は同じく木製だが、彩色はしていない。上の面よりは、ずっと硬い木だ。
眉間に刻まれた深い皺、高くてまっすぐ通った鼻、意志の強そうな口、それでいて憂いを含んだ眼。この面は戦士の面に違いないと、私は思っている。

(高さ46cm。1997年、パプアニューギニア・ポートモレスビーで買う)

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9-3:パプアニューギニアの「戦死者の面」

この面も柔らかい木を使った面だが、上のものと違って、鮮やかな彩色がされている。また、眼にはタカラガイがはめ込まれている。

パプアニューギニアの多くの部族は、顔にこのような色を塗って祭事を行っている。かつては頻繁に行われた部族の存続を賭けた闘いや、女性を取り戻すための闘いに赴いた姿である。この面にはめ込まれた貝の目は、死者の目に見えるが、違うのだろうか。

(高さ41cm。1996年、パプアニューギニア・ポートモレスビーで買う)

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9-4:パプアニューギニアの「鳥人の面」

これはパプアニューギニアの本土の東北にある Sepik (セピック)川中流地方の Tambaum (タンバウム)村に住む部族が作った面である。

この鼻。この眼。見るものに恐怖心を与えるための面であろう。鳥をかたどった人というべきであろうか。パプアニューギニアの祭りも、鬼面人を驚かすような飾り付けや衣装が多い。ほとんど、秋田のなまはげの世界なのである。

(高さ39cm。1994年、ニュージーランド・ウェリントンで買う)

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9-5:パプアニューギニアの「抽象芸術、その1」

パプアニューギニアにも、上の9-1や9-3のような大味なものばかりではなくて、上のアフリカの3-1や5-1のような細かい細工の木彫りがある。これがそのひとつの例だ。

全体のフォルム、眼のまわりの念の入った刻み、胴体や鰭の装飾。愛らしい唇。これは具象芸術を昇華した、ほとんど抽象芸術というべきものだろう。

パプアニューギニアの本土の東北に離れているニューブリテン島のラバウルで買った。比較的柔らかい木を彫ったもので、白いところには、貝がはめ込んである。
(長さ16cm。1996年、パプアニューギニア・ラバウルで買う)

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9-6:パプアニューギニアの「抽象芸術、その2」

パプアニューギニアのカメの木彫。カメを知り尽くして、なおここまでデフォルメできるのは、芸術的な才能であろう。要所要所には、上の魚と同じように、7色に光る貝が埋め込んである。

上の魚と違って眼のまわりが素っ気ないわりには、足の付け根や尻尾の先には、念の入った刻みが施されている。一方、甲羅の模様は具象というよりは抽象だ。省くところは省き、必要なところだけは過不足なく表現している。

パプアニューギニアの本土の東北に離れているニューブリテン島のラバウルで買った。黒檀かマホガニーのような硬い木を彫ったものだ。なお、腹側(裏側)にはなんの彫り込みもない。

(長さ26cm。1996年、パプアニューギニア・ラバウルで買う)


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9-7:パプアニューギニアの「具象芸術」

しかし、パプアニューギニアの「抽象芸術」としての木彫りが優れているといっても、それは具象芸術としての「腕」が優れていないことを意味しているわけではない。

あたかもパブロ・ピカソが「青の時代」などに優れた具象的な作品を造ったあと、抽象芸術の花を咲かせたように、優れた具象芸術の腕があってこそ、抽象芸術が優れたものになるのであろう。

このワニはパプアニューギニアのラバウルで、私が滞在中に、現地の火山観測所の技官が半年間にわたった(海底地震計の)共同観測の餞別として彫ってくれたものだ。鼻の先から、尻尾の先まで(ワニの体長に沿って)60cmを超える大作である。
この木彫りには、ワニをふだんから見なれているものにしか分からないディテールまで、じつに細かく表現されている。リアリズムが凄い。そして、一方で、背中の模様などは、それなりに抽象化されているのが興味深い。

この種の「確かな木彫りの腕」が、パプアニューギニアには綿々と受け継がれている。その「腕」の上に、上の9-5や9-6のような具象的な木彫りが造られているのである。

(長さ43cm。1997年、パプアニューギニア・ラバウルで餞別として造って貰う)

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9-8:フィジー諸島のワニ。これも具象芸術だが。

同じワニでも、南太平洋のフィジーで作られている木彫りは、パプアニューギニアのものとは、大分、違う。

この木彫りにも、ワニをふだんから見なれているものにしか分からないディテールがある。背中、腹、尾、脚。それぞれが忠実に表現されている。

しかし、パプアニューギニアのワニのような凄みのあるリアリズムは、ここにはない。殺すか、殺されるかの鋭い部族対立が続いていて殺伐としているパプアニューギニアとはちがって、南海の楽園というのにふさわしかったフィジーでは、木彫りのワニも、人間にとっての、よき「隣人」なのであろう。

しかし、最近のフィジーは、いろいろな問題が噴出している。世界のどこにも、楽園はなくなってしまったのであろう。

なお、このワニも、上のパプアニューギニアのワニも、腹側には雌の生殖器が彫られていることが共通しているのは興味深い。

(長さ37cm。体長は39cm。1973年、フィジー諸島スバで買う)


10-1:フィジー諸島の「王の面」(観光みやげ用の複製)

これは、南太平洋のフィジー諸島の面。貝から取った白い模様を象嵌細工のようにはめ込んであるのは、海の民らしい細工である。

上のアフリカの面とは、唇も、目の「表情」も違う。なお、この面は王冠をかぶっている。強い意志を感じさせる唇を持ち、それなりに気高い顔をしているというべきだろう。

(高さ33cm。1973年、フィジー島スバで買う)


11-1:カリブ海ハイチの「あまりにも貧相な面」

アフリカの面も、そして多くの地域の面も、喜怒哀楽の感情を表したり、あるいは威厳を示したりするためのものに違いない。いわば、魂がこもっているのである。
しかし、この面は、それらの面と違って、なんと貧相な顔つきをしているのだろう。鼻筋が通っていないのは、もしかして民族性かもしれないが、目や口の表情は、なんともなさけない。眼に力がなく、頬に表情がない。

木製でニス(樹脂)を塗った面だ。

どんな気持ちで作られて、どんな用途に使われた面か、私にはわからない。祭事にも、強い個性を発揮してくれては困る「その他大勢」が必要で、そのための面であろうか。

(高さ18cm。ハイチの首都ポルトープランスで買う)

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12-1:サラワク(マレーシア・ボルネオ島)の「仁王様の面」とケランタン(マレーシア)の「身内が見た東洋人の面」

同じ木製の仮面でも、東南アジアに来ると、どこか日本の面に似てくる。左は日本の寺の入り口にある仁王様の顔に似ているし、右下は能面や、あるいはひょっとこの面に似ている。

このふたつの面はマレーシア・クアラルンプールの国際空港のロビーに民俗文化の紹介として展示してあったものだ。

左はボルネオ島(マレーシア。サラワク州)で儀式に使われていた面だ。Kayan mask といわれる。高さ38cm、幅26cm。つまり、顔を十分覆うほど大きい。
しかし、上のアフリカの面と比べると、なんと人間的な表情に乏しいのだろう。泣く子も黙る恐ろしさだけを訴えている日本の仁王像の顔と、無表情という意味では、そっくりである。

この12-1のふたつの面だけは、この頁のほかの木彫と違って、私の持ち物ではない。感情に乏しく、魂がこもっているようには見えないので、この種のものは、買う気がしなかったのである。

右はマレーシア。ケランタン州で演劇と音楽と踊りがミックスされた演芸のコメディアンに使われていた面だ

喜劇ゆえ、顔を全部覆ってしまうのではなく、口の表情を見せたり、聴衆に明瞭な発音を聞かせることが必要だったのだろう。ナマの口を見せるというのは、この頁に出している、どの面とも違った特異なものだ。

アフリカやパプアニューギニアの面と比べると、顔の造作や表情が、なんとも日本的、というよりも東南アジア的、なのが興味深い。上の3-1が「東洋人以外が見た典型的東洋人」なのに対して、こちらは「身内が見た東洋人」なのである。

なお、タイと国境を接するマレーシア北部のケランタン州の州都コタバルは第二次大戦中の南方侵略を始めた日本軍が1941年に最初に上陸したところだ。

最近、コタバルには日本軍が残した「傷跡」を展示する「第2次世界大戦博物館」が作られ、同国の生徒や一般人に歴史を語り継いでいる。日本人は忘れても、現地の人々は忘れていない。

(ともに2009年5月、マレーシア・クアラルンプールの国際空港ロビーで。なお、右写真の赤いものは仮面を置いてある台である。)


13-1:北極海の「牙彫り」

どちらが先か分からないが、木彫りのほかに、動物の牙や骨を彫る「芸術」もある。

たまたま手許にある材料を使ったことは同じで、ただ、入手できる材料の大きさや堅さから、自ずから「芸術」が違ってくる。

動物の牙や骨を彫るものには、象牙が有名だが、セイウチやトナカイなど北極海の動物の牙や角を彫った「作品」が各地で残されている。

これは、セイウチの牙を彫ったもので、材質が硬いから、木彫りのように大きな凹凸を造る代わりに、全体の形を生かして、こみ入った絵を彫り込んだものだ。
全体は鳥の頭を擬している。牙の形を生かして、嘴と鋭い目と頭部と羽根が、じつにみごとに表現されている。

それと同時に、北極海で行われている原始的なクジラ漁のありさまが、左右両側に描かれている。

貴重な蛋白源であり、油や骨やヒゲまで残すところなく使えたクジラは、北極圏に住む人たちにとって、大事な獲物だった。

もちろん、大きなクジラを、冷たくて荒れる北極海で、描かれているような小さな舟と原始的なモリで仕留めるのは、命がけの冒険でもあったに違いない。


この牙には「1850年、北極海で取れた」と英語で書いてある。

私はこの牙をオランダ・アムステルダムの有名な蚤の市 waterloo plein の古美術商から買った。もともと誰が造って、どうしてアムステルダムまで流れてきたものかは、残念ながら、売り主は知らなかった。

それゆえ、サーメやエスキモー(エスキモーと呼ばれるのを嫌がるカナダのイヌイットも、エスキモーと呼ばれてかまわないグリーンランドのエスキモーもいる)の製作になるものかどうかは分からない。もし、お分かりの方がおられたら、お教えいただければ幸いである。

しかし、いずれにせよ、欧州の蚤の市には、なんでもある。私の知り合いのノルウェー在住の地質学者はロンドンの蚤の市で、マンモスの歯を二束三文で買った。ロンドンの売り主には、マンモスの歯は、たんに、形の悪い石にしか見えなかったに違いない。

アムステルダムのこの売り主は、額縁に入っていない藤田嗣治の猫の絵を売っていたことがある。売り主が差し出してくれたルーペで見ると、猫の毛の一本一本が極細の筆で描いてあった。生涯、(芸術家ではなく)Artisan(職人)にすぎない、として批判を受け続けた藤田嗣治ならではの筆使いに感心したことがある。
http://shima3.fc2web.com/african-masks.htm


アフリカの仮面の「眼」

表現の制約のなかで「眼」を表現する難しさ

 以前、この『青淵』で、私が趣味で収集しているアフリカの仮面について書いたことがある、2005年5月のことだ。

 そこでは、アフリカ西部の内陸国マリのマルカ族の仮面と、象牙海岸の仮面を紹介した。今回は、その他の面を含めて、アフリカの仮面の特徴的な眼の表情のいろいろを紹介しよう。

 眼は、人間の表情の中でも、もっとも雄弁に感情を物語るものだ。目は口ほどにものを言い、という言い方もあり、眼だけは笑っていない、という言い方もあるように、眼の表す感情は多彩で、そして正直である。

 ところで、前に書いたようにアフリカの仮面は観光客用に媚びを売っている観光土産ではない。自分たちの伝統的な祭事に使うために、神と対峙して作る魂がこもっている。

 祭事に使うために、仮面の眼のところには、被った人間が前方が見えるように、穴が開いている。じつは、このことは眼の表情を仮面の表現として表現するためには、重大な制約を課せられていることを意味している。絵画や彫刻のように、一番大事な、眼の中心部を表現できないからである。

 写真一はカメルーンの仮面だ。高さ40センチほどあるもので、鎖のように加工した金属を、ごく硬い木の表面にまるで象嵌細工のように丹念に埋め込んだ、たいへんな手間がかかった面である。

 木は黒灰色で目が詰まっていて、ほとんど金属のような光沢を持っている。
 私には、この面は威厳を示そうとしていて、なお、憂愁を含んでいるように見える。

 他の部族との争いで、いつ命を落とすかもしれない武士の憂愁である。多分、戦いも死も、日常からは決して遠いものではなかったはずだ。以前私が『青淵』で紹介したマリのセヌーフォ族の仮面も、深い哀愁を含んだ戦士の仮面であった。

 しかし、アフリカの仮面には、このような憂愁の表情を表したものだけではない。まったく対照的に、あきらかに道化の役割を担ったに違いないものもある。
 たとえば写真二は彩色した木製の面で、高さ17センチほどのものだ。ザイール(現・コンゴ民主共和国)の仮面だ。眼のまわりと鼻は黒に、あとは朱色に近い茶色に着色されている。

 まるで日本のひょっとこの面のような口をしている。顔中の皺や、鼻翼の単純化された表現が、眼の表情と、この仮面の道化としての役割を際だたせている。
 ところで、珍しいものもある。普通の仮面とは違って、一つの仮面にふたつの顔、そしてふたつの違う眼の表情を盛り込んだものだ。

 写真三はタンガニイカ湖畔に住むベンバ部族の仮面だ。高さは37センチある。ある時期以降のピカソの絵には、一つの顔に、正面の表情と横顔の別の表情を盛り込んだものがあるが、これは左右ではなく、上下に別の顔を重ねている。
 ピカソがアフリカの木彫を集めていたことは前回に書いた。ピカソがアフリカの木彫から、なにかを学んだ可能性は大きい。

 両方の顔とも、口がない。しかも下の顔には鼻さえない。つまり他の部分を意識的に省略して、豊かな眼の表情だけが、この仮面の表現を支えているのである。下の顔の眼の慈しむような表情と、上の顔の眼のおだやかな表情を、みごとに描き分けている。

 カラーでお見せできないのが残念だが、この仮面は木に彩色したもので、淡い灰色、淡い深緑、そして淡い桃色が絶妙の彩りを添えている。

 ある意味では、これはジョアン・ミロが表現したかったものに似ている。以前私が『青淵』で紹介したセヌーフォ族の仮面が、ジャコメッティの表現に似ていたように、私には、アフリカの仮面は、西欧の近代美術が究極のものとして望みながら到達できなかった、高みの魂が作ったものだと思える。

 アフリカの仮面には、日本の能面のように、喜怒哀楽をそれぞれ表したものがある。写真四は怒りの表情であろう。これは象牙海岸のものだ。

 赤い色に彩色されている。高さは49センチもあるが、こんなに長いのは、この顔の上に、鳥の全身像を背負っているのと、アゴの下には、面を手で支えるために、取っ手風の出っ張りが着いているためだ。

 このように鳥を頭の上に背負っている仮面は象牙海岸の仮面に多い。

 鳥は、嘴を下げてまるで仮面の人の頭を突こうとしているようなものもあるが、この仮面の場合には、鳥は顔を真正面に向けて凛としている。

 仮面の表情は硬い。口をへの字に結んだ険しい表情をしている。眼はもちろん、頬のバツ印も、四角い鼻も、怒りを露わにした表情をみごとに表現している。顔の下に取っ手が付いているのは、この仮面を付けて出演するべき祭事の場面に、瞬時に対応するためだろう。

 なお、四角く抽象化された耳と、左右がつながった眉は、象牙海岸の仮面に多い特徴である。

 当たり前のことだが、仮面は表情を変えることができない。以前私が『青淵』で紹介した象牙海岸の貴婦人の仮面のように、日本の能面のように、見る角度によって、微妙に表情を変えるものもある。しかし、それにも、もちろん限界がある。
 この限界ゆえ、一見したところでは、なんの表情か分からない仮面も多い。つまり、いくつかの役を演じきるために、顔や眼が表す感情を意識的に殺してしまった仮面である。場面に応じて、声や音楽を変え、あるいは衣装を替えることで、仮面が表す役回りを変えるのであろう。

 そのひとつは、写真五のセヌーフォ部族の仮面である。この表情は、笑っているのか、泣いているのか、私には読めない。仮面を被る人物が役割を演じない限り、誰にも読めないだろう。

 恐ろしく細い眼が、感情を押し殺している。しかし、単に眼を細くしただけでは、間延びしてしまう顔の表情を、頬の隈取りと、抽象化された涙袋で引き締めているのはみごとである。また、口の表情も独特のものだ。

 この仮面は、頭の上に、顔を正面に向けた女性の裸の全身座像を背負い、また顔の八方には、この写真にも一部見られるような、複雑な、まるで花魁のような飾りが突き出ている。仮面は黒い木で作られており、彩色はしていない。 高さは44センチほどある。

 じつは、私はアフリカの仮面だけではなく、パプアニューギニアの仮面もいくつか持っている。人間の顔を同じように模するものとはいえ、アフリカのものとは天と地ほどに違うのが面白い。

 そのひとつに、写真六のパプアニューギニアの戦士の面がある。高さ41センチほどで、現地に多く生えている、ごく柔らかい白い木に彫って、朱色と黒の、鮮やかな彩色がされている。

 パプアニューギニアの多くの部族は、いまでも実際に、顔にこのような色を塗って祭事を行っている。

 この顔の彩りは、かつては頻繁に行われた部族の存続を賭けた戦いや、女性を取り戻すための闘いに赴いた姿である。相手に恐怖を与える化粧だ。

 いかにも海に近い熱帯のものらしく、眼にはタカラガイがはめ込まれている。この面にはめ込まれた貝の眼は、安らかに眠っている死んだ戦士の眼に見える。

 いずれにせよ、近代西洋文明が入ってくる前のアフリカや大洋州では、祭事は人間と神が対話できる限られた機会だった。人々は魂の叫びを仮面作りに込めたのに違いない。
http://shima3.fc2web.com/sibusawazaidan7c.htm
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/515.html#c1

[近代史4] ピカソの世界 中川隆
1. 中川隆[-13379] koaQ7Jey 2020年2月28日 22:53:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[139]


「パブロ・ピカソ作品集」



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/371.html#c1
[番外地7] ピカソはアフリカ美術から何を得たのか 中川隆
2. 中川隆[-13378] koaQ7Jey 2020年2月28日 22:54:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[140]


「パブロ・ピカソ作品集」



http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/515.html#c2
[近代史4] 縄文土器・土偶 中川隆
2. 中川隆[-13377] koaQ7Jey 2020年2月29日 00:30:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[141]

八ヶ岳の山麓に広がる縄文文化圏 井戸尻遺跡 縄文土器の美



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/367.html#c2
[近代史4] 縄文土器・土偶 中川隆
3. 中川隆[-13376] koaQ7Jey 2020年2月29日 00:35:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[142]

Girl in the 尖石縄文考古館



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/367.html#c3
[近代史4] 縄文土器・土偶 中川隆
5. 中川隆[-13374] koaQ7Jey 2020年2月29日 00:47:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[144]

岡本太郎と縄文



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/367.html#c5
[近代史4] 天平仏 中川隆
2. 中川隆[-13373] koaQ7Jey 2020年2月29日 00:52:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[145]

奈良 新薬師寺




いま、ふたたびの奈良へ−新薬師寺 90秒



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/369.html#c2
[近代史4] 天平仏 中川隆
4. 中川隆[-13371] koaQ7Jey 2020年2月29日 00:59:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[147]

鑑真  (世界・ふしぎ発見!)



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/369.html#c4
[近代史4] アフリカの部族が祭事のために彫った木彫の仮面 中川隆
1. 中川隆[-13370] koaQ7Jey 2020年2月29日 01:03:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[148]


「パプアニューギニア・精霊宿る仮面や木像」『天理参考館この一品』



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/366.html#c1
[近代史4] アフリカの部族が祭事のために彫った木彫の仮面 中川隆
2. 中川隆[-13369] koaQ7Jey 2020年2月29日 01:05:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[149]

アフリカのマスク 東京都庭園美術館 フランス国立ケ・ブランリ美術館所蔵 マスク展



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/366.html#c2
[近代史4] アフリカの部族が祭事のために彫った木彫の仮面 中川隆
3. 中川隆[-13368] koaQ7Jey 2020年2月29日 01:06:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[150]


【アフリカ】仮面の森 The Forest of masks in Africa



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/366.html#c3
[近代史4] アフリカの部族が祭事のために彫った木彫の仮面 中川隆
4. 中川隆[-13367] koaQ7Jey 2020年2月29日 01:09:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[151]


Dogon Mask Dance (日本語字幕版)





ドゴンの文化と風習:

ドゴンの人々は西アフリカのマリ共和国に住む神話を今も生きる先住民族で仮面を着けて舞うその独特の儀式でもよく知られている。その仮面は現世と死後の世界をつなげるのに使われると言われている。

20世紀の芸術家パブロ・ピカソとやジョルジュ・ブラックなどのキュビズムにも多大な影響与えている。家父長制で構成されているドゴンの社会では仮面の扱いや儀式はアワと呼ばれる男性陣によって行われる。

古代から引き継がれているドゴンの仮面舞踊には、過ちを償い世代の更新象徴するドゴンで最も重要とされる儀式シギが60年に一度催される、そして死者の魂を体から引き離しドゴンの人々を守る先祖となるべく葬送の儀式ダマの2種類がある。

*ドゴンの村ティレリ出身の友人ベイリ サイェは現在マリの首都バマコを拠点にツアーガイドして生計を立てています。もし西アフリカへ、特にドゴンへ旅行を考えていらっしゃる方は是非ベイリを旅のお供にお勧めします。ガイドの経験も豊富でとても気さくな良いやつです。彼は英語、仏語、バンバラそしてドゴンをしゃべります。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/366.html#c4
[近代史4] アフリカの部族が祭事のために彫った木彫の仮面 中川隆
5. 中川隆[-13366] koaQ7Jey 2020年2月29日 01:11:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[152]

ドゴン 仮面ダンス



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/366.html#c5
[近代史4] アフリカの部族が祭事のために彫った木彫の仮面 中川隆
6. 中川隆[-13365] koaQ7Jey 2020年2月29日 01:12:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[153]


「ニューギニア島の仮面」『天理参考館のこころ』



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/366.html#c6
[近代史4] アフリカの部族が祭事のために彫った木彫の仮面 中川隆
7. 中川隆[-13364] koaQ7Jey 2020年2月29日 01:15:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[154]

三陸国際芸術祭 2017 チルボン仮面舞踊



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/366.html#c7
[近代史4] アフリカの部族が祭事のために彫った木彫の仮面 中川隆
8. 中川隆[-13363] koaQ7Jey 2020年2月29日 01:18:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[155]

インドネシア・チルボン ラシナ仮面ダンス  1997年10月10日






http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/366.html#c8
[近代史4] 密教仏 中川隆
2. 2020年2月29日 01:21:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[156]

西洋の達人が悟れない理由
2. 梵我一如はエロスの世界
3. 秘密仏教(密教)とは…
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/385.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/370.html#c2
[近代史4] ミケランジェロの世界 中川隆
1. 中川隆[-13362] koaQ7Jey 2020年2月29日 01:24:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[157]

「ミケランジェロ」プロ



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/364.html#c1
[近代史4] ミケランジェロの世界 中川隆
2. 中川隆[-13361] koaQ7Jey 2020年2月29日 01:31:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[158]

大塚国際美術館 PART1 「システィーナ礼拝堂」ミケランジェロ 2016.8.24





大塚国際美術館|徳島県鳴門市にある陶板名画美術館
https://o-museum.or.jp/



大塚国際美術館 
徳島県 鳴門市 鳴門町 土佐泊浦字福池65-1
電話 088-687-3737


9時30分〜17時(入館券の販売は16時まで)
月曜休館(祝日の場合は翌日)

アクセス
https://o-museum.or.jp/publics/index/7/

地図
https://www.google.com/maps?ll=34.232515,134.63772&z=16&t=m&hl=ja&gl=US&mapclient=embed&q=34%C2%B013'57.1%22N+134%C2%B038'15.8%22E+34.232515,+134.637720@34.2325154,134.63772



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/364.html#c2
[番外地7] 池内紀 著『カ フ カ の か な た へ 』 中川隆
1. 中川隆[-13360] koaQ7Jey 2020年2月29日 01:52:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[159]
カフカのかなたへ (講談社学術文庫) – 1998/1
池内 紀 (著)
https://www.amazon.co.jp/カフカのかなたへ-講談社学術文庫-池内-紀/dp/4061593145

内容紹介

20世紀の悪夢を予兆した作家として、第2次大戦後に爆発的なブームが生じたユダヤ人作家カフカ。その明晰透明な表現法は、リアルでありながら大きな謎をはらんでいて、これまでさまざまな解釈がなされてきた。著者は性急な意味付けをしりぞけ、カフカの文学は、たぐいまれな想像力による読んで楽しい〈大人のためのメルヘン〉であると説く。作品そのものに即してカフカの魅力の源泉を語った好著。


内容(「BOOK」データベースより)
二十世紀の悪夢を予兆した作家として、第二次大戦後に爆発的なブームが生じたユダヤ人作家カフカ。その明晰透明な表現法は、リアルでありながら大きな謎をはらんでいて、これまでさまざまな解釈がなされてきた。著者は性急な意味付けをしりぞけ、カフカの文学は、たぐいまれな想像力による読んで楽しい「大人のためのメルヘン」であると説く。作品そのものに即してカフカの魅力の源泉を語った好著。


著者について

1940年兵庫県姫路市生まれ。ドイツ文学者。著書に

『諷刺の文学』(亀井勝一郎賞)『ウィーンの世紀末』『ザルツブルク』『恋文物語』『悪魔の話』『少年探検隊』『海山のあいだ』(講談社エッセイ賞)『幻獣の話』『ぼくのドイツ文学講義』『とっておき美術館』『見知らぬオトカム』など、編訳に『カフカ短編集』『カフカ寓話集』、講談社学術文庫に『モーツァルト考』がある。


カスタマーレビュー

Amazon Customer 5つ星のうち5.0
ウィトゲンシュタインとカフカ

カフカがどのようにして書いたのか、つまりどのような紙に、どのようなペンで、どこで、いつ?とか、カフカの言う「工程区分方式」の意味などについての解説がよかったです。

カフカは「錬金術師通り」でせっせと小説を書いたこともあったようで、自作の「予見性」を信じていたこと、結果として予見的であったことなど、心理学、とりわけユング派の人々が研究してみたくなる気持ちがよくわかりました。
(ユングの言う「錬金術」の意味を是非調べてみてください。)

さらにユングからは離れるんですが、僕が特に興味深かったのはウィトゲンシュタインとカフカの比較です。長編「城」は「測量士」からの視点で語られますが、著者は、「カフカはあきらかにある精神風土の測量をした。(p.190)」、と言います。(測量士らしい仕事はいっさいしません。)

カフカ曰く、「私はたえず、伝え得ないものを伝えること、説き得ないものを説くことを試みた」「伝え得ないものは、言いあらわすすべがない。言いあらわすすべがないからこそ、伝えられようとしてもがいている。」さらに「沈黙は完全さの属性である。」

ここでウィトゲンシュタインを引用してしまうのは性急でしょう。興味がある人は本書を読んでもらうしかないです。厚くはないですが、ウィトゲンシュタインの言葉も引きながら比較しているので是非ですね。(p133、179など)

有名な比較なのかな、と思って「kafka wittgenstein」で検索したらやたら出てきたので、多分有名なんだと思います。日本語の本はあるのかな。ただ一般人としては比較の視点だけ知っていて、あとは自分で読んだらいいと思うので。


_____


TaroTaro 5つ星のうち5.0
読んで楽しいカフカの作品論

ドイツ文学者でありカフカの研究家として有名な著者による、カフカの作品論…というか作品の楽しみ方を記した本である。よって、カフカの人物像については作品に関係ある事柄以外はほとんど触れていない。

カフカの作品は、文章自体は明瞭でも、その内容はかなり難解で不可思議であることから、さまざまな解釈がなされているのだが、著者はカフカの作品は「大人のためのメルヘン(おとぎ話)」であると説く。しかし、あとがきで「でもネ、やはり作品にもどって、自分の目でたのしむのが第一ですよ」と記しているとおり、押し付けがましいところは全くなく、“こういう読み方もありますよ”という感じである。

研究者が書いた難しい学術書というよりも、日本一のカフカ作品の愛読者による、“読んで楽しい作品論”である。講談社の学術文庫からの発売なので、文庫本としては多少高いが、千円以下でこういう作品が手に入るのはありがたい。

この作品とは関係ないが、著者が訳したカフカの作品は、直訳調ではなく大意に合わせた非常に読みやすい訳文で素晴らしいものである。岩波文庫から出ている「カフカ短編集」「カフカ寓話集」が値段も手頃なので是非読んでみてほしい。と書いてみたが、この「カフカのかなたへ」を手に取る人はこれらの作品はもう読んでいるのだろう…。

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中島弘貴 5つ星のうち4.0
カフカのかなたへ

岩波文庫の『カフカ短篇集』、『カフカ寓話集』の訳者による、カフカについて記された本。

作品を中心に、カフカの人生の片鱗が語られる。それらの作品の謎を紐解くようでいて、その実、新たな謎が加えられる。結果として、謎は深みを増し、カフカの作品にさらなる魅力が付与される。しかも、それらは少しも押しつけがましいところがなく、この書を読み進めるうちに自ずと喚起されるのだ。

池内さんの、カフカと彼の作品に抱く愛情が伝わってくる気がした。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/516.html#c1

[近代史4] ニーチェが耽溺したワーグナー トリスタンとイゾルデの世界 中川隆
1. 中川隆[-13359] koaQ7Jey 2020年2月29日 02:24:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[160]

ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/811.html

ワーグナー 舞台祝典劇 「ニーベルングの指輪」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/812.html

ワーグナー 楽劇「パルジファル」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/813.html  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/375.html#c1

[近代史4] アドルフ・ヒトラーの世界 中川隆
1. 2020年2月29日 02:35:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[161]

アドルフ・ヒトラーが愛したワーグナーのゲルマン神話の世界


ワーグナー 舞台祝典劇 「ニーベルングの指輪」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/812.html


ワーグナー《ワルキューレ》第1幕(全曲) クナッパーツブッシュ指揮 - YouTube



Wagner: Wotan's Farewell - George London; Vienna Philharmonic Orchestra/Knappertsbusch (1958)




Wagner "Siegfried" -- Knappertsbusch -- Windgassen -- Hotter -- Varnay -- Stolze 1958




Wagner "Götterdämmerung" -- Knappertsbusch -- Windgassen -- Varnay -- Grümmer 1958





http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/374.html#c1
[近代史4] アドルフ・ヒトラーの世界 中川隆
2. 中川隆[-13358] koaQ7Jey 2020年2月29日 03:12:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[162]

【日本語字幕】ヒトラー 演説 "世界は我々を裁けない!"
- Hitler Speech "The world cannot judge us!"



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/374.html#c2
[近代史4] アドルフ・ヒトラーの世界 中川隆
3. 中川隆[-13357] koaQ7Jey 2020年2月29日 09:54:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[163]

アドルフ・ヒトラーが愛したワーグナーのゲルマン神話の世界 2


Die Walküre, Ride of The Valkyries · Hans Knappertsbusch · Richard Wagner · Vienna Philharmonic Orchestra




Wagner: Siegfried's Journey to the Rhine, Knappertsbusch (1957)




Hans Knappertsbusch: Wagner - Götterdämmerung, 'Siegfried's Death & Funeral March'




Furtwangler: Siegfried's Funeral March from Gotterdammerung
Vienna Philharmonic, Wilhelm Furtwangler
Studio Recording, March 2, 1954




Flagstad, Furtwangler: Brunnhilde's Immolation







http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/374.html#c3
[近代史4] アドルフ・ヒトラーの世界 中川隆
4. 中川隆[-13356] koaQ7Jey 2020年2月29日 10:01:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[164]

ヒトラー 奇跡の名演説

Hitler's First Speech As Chancellor Aka Nazi Mass Rally - Hitler Speaking (1933)





Adolf Hitler: Speech at Krupp Factory in Germany (1936) | British Pathé





Hitler In Essen (1938)





great dictator speech charlie chaplin


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/374.html#c4
[近代史4] 正しい紅茶の入れ方、正しい蒸留酒の飲み方 中川隆
1. 中川隆[-13355] koaQ7Jey 2020年2月29日 10:09:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[165]

ウイスキーやブランデーをストレートで飲み続けた人の末路は?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/529.html

カルヴァドス _ 一番香りの良いお酒
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/794.html#c4  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/347.html#c1

[近代史4] 中島みゆきの世界 中川隆
1. 中川隆[-13351] koaQ7Jey 2020年2月29日 10:56:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[169]

時代 -ライヴ2010〜11- (東京国際フォーラムAより)



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/381.html#c1
[近代史4] 中島みゆきの世界 中川隆
2. 中川隆[-13350] koaQ7Jey 2020年2月29日 10:57:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[170]

地上の星 / 中島みゆき [公式]


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/381.html#c2
[近代史4] 中島みゆきの世界 中川隆
3. 中川隆[-13349] koaQ7Jey 2020年2月29日 11:02:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[171]

柏原芳恵 Lonely Canary (春なのに)


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/381.html#c3
[リバイバル3] 「マイ電柱」は効果が有るのか? 中川隆
39. 中川隆[-13348] koaQ7Jey 2020年2月29日 11:14:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[172]
仮想アースの効果 - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2020年02月29日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/7fe1d299efc84a8e954dfee2e03a78b2

今や「新型肺炎」対策で日本中が大騒ぎ。学校は休止になるし、通いつけの「運動ジム」でも仲間同士で「いつ閉鎖されるんだろう」というのが専らの話題。

そういう張り詰めた空気の中で「オーディオなんて悠長なことをするな、書くな!」と眉を顰められそうだが、今のところ唯一の楽しみなのでどうか許してくださいな(笑)。

さて、このブログは本州方面とは違って肝心の地元「九州」からは、これまでまったくといっていいほどメールをいただかなかったが、このほど長崎県のYさんという方からメールをいただいた。

以下、内容を紹介させてもらいます。匿名ということで無断転載お許しください。

「仮想アースの件でメールさせていただきました。アースラインノイズの吸収効果等があるそうです。オカルトかと思いましたが、廉価で手軽に試せることから、ステンレスタワシ数個で試作したところ、思いのほかの効果がありました。

ガラスケース等にステンレスタワシと銅板の電極を詰め込み、アース線などで機器のシャーシやアース端子に接続するだけです。

現在、DACのUSBアースとパワーアンプのSP端子(マイナス)に接続しています。

ウッドベースが「ボン・ボン」から「グオン・グオン」に、シンバルが「チン・チン」から「シャン・シャン」に化けました。稚拙な表現ですみません。

数千円程度でできますので、チャンデバのGND等に試されてはいかがでしょうか。また、真空管アンプで効果が確認できれば仮想アースの理解が進みます。

これらの一連の仮想アースは、安全アース(地球の地中)作用の代用ではございません。ただ、音質アップを狙った試行錯誤によるアイデア品です。

測定値、理論などには全く行き届いておりません。純粋に、なぜか音が良くなる的な ”ユニーク発想品” です(それもお使い機材や環境により、必ずのお約束は出来ません)。

以上のとおりだが、生来の「新し・珍し」もの大好き人間にはたまらない話である。

常々、オーディオは「理屈よりも実践」をモットーにしている。なぜならサウンドにまつわる環境はあまりにも変数が多過ぎて物理的に解明するのが無理だから実践あるのみ。そういうわけでさっそく勝負に出た(笑)。

「 この度のメール、まことにありがとうございます。実は、仮想アースの件は 仲間からも散々聞かされ興味を持っていましたが、何しろ手間がかかりそうなので躊躇していたところです。

そこで、お願いです。代金と送料と手間賃を送付しますので作っていただくわけにはいかないでしょうか。 どうかご一考、よろしくお願いします。」

すると、ありがたいことに「了解しました。ただし素人作業なので外見は期待しないでください」と、ご快諾をいただいた。

そして、ほどなく格安の代金引換とともに送付されてきたものがこれ。想像以上に立派な製品だった!

現用中のことなので、RCAコードやSPコードが入り乱れて見苦しいがどうかご容赦を。

そして、時の過ぎゆくままにおよそ1か月、現在ではチャンデバの「アース端子」と「パワーアンプ」のシャーシに同時接続しているが、心なしかひっそりとした静寂感のもと深い漆黒の暗闇の中から音がスッと浮かび上がってくる感覚がある。

SN比(シグナル対ノイズ比)が良くなるとこういう現象になることを承知しているので、これは明らかに仮想アースの効果ではなかろうかと思っている。

これと、ほぼ同様のものを作った仲間からも「絶大な効果あり!」との頼もしい報告があった。

Yさん、この度はどうもありがとうございました。これからもずっと愛用させてもらいます。遅ればせながら誌面(?)を借りてお礼申し上げます。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/7fe1d299efc84a8e954dfee2e03a78b2
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/759.html#c39

[近代史4] 1970年代 四畳半フォークの世界 中川隆
1. 中川隆[-13347] koaQ7Jey 2020年2月29日 11:29:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[173]

かぐや姫 神田川










かぐや姫 神田川 1973年9月20日 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%81%8B%E3%81%90%E3%82%84%E5%A7%AB++%E7%A5%9E%E7%94%B0%E5%B7%9D

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/382.html#c1
[近代史4] 1970年代 四畳半フォークの世界 中川隆
2. 中川隆[-13346] koaQ7Jey 2020年2月29日 11:32:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[174]

伊勢正三「22才の別れ」








伊勢正三「22才の別れ」  1975年2月5日 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=22%E6%89%8D%E3%81%AE%E5%88%A5%E3%82%8C

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/382.html#c2
[近代史4] 1970年代 四畳半フォークの世界 中川隆
3. 中川隆[-13345] koaQ7Jey 2020年2月29日 11:36:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[175]

「夢一夜」 作詞:阿木燿子 作曲:南こうせつ








「夢一夜」 作詞:阿木燿子 作曲:南こうせつ 1978年10月25日 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%8D%97%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%9B%E3%81%A4+++%E5%A4%A2%E4%B8%80%E5%A4%9C++1978%E5%B9%B4

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/382.html#c3
[近代史4] 1970年代 四畳半フォークの世界 中川隆
4. 中川隆[-13344] koaQ7Jey 2020年2月29日 11:39:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[176]

雅夢「愛はかげろう」








雅夢「愛はかげろう」 1980年9月25日 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%9B%85%E5%A4%A2%E3%80%80%E6%84%9B%E3%81%AF%E3%81%8B%E3%81%92%E3%82%8D%E3%81%86&sp=mAEB

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/382.html#c4
[近代史4] 密教仏 中川隆
3. 中川隆[-13343] koaQ7Jey 2020年2月29日 12:06:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[177]

「宗教」とは根源的な世界畏怖、怖れ畏む気持ちこそが原点ではないかと思うー鎌田東二
04. 中川隆 2012年11月05日
密教の起源はインドにおける「尸林(しりん)の宗教」にあります。
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/614.html#c4


西洋の達人が悟れない理由
04. 中川隆 2011年1月30日 V. 密教は宗教の最終到達点
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/385.html


皇族初夜の儀式
03. 中川隆 2013年7月15日
真言密教立川流と後醍醐天皇の子沢山
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/851.html#c3

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/370.html#c3

[近代史4] 密教 中川隆
1. 中川隆[-13342] koaQ7Jey 2020年2月29日 12:07:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[178]

西洋の達人が悟れない理由
2. 梵我一如はエロスの世界
3. 秘密仏教(密教)とは…
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/385.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/384.html#c1
[近代史4] 神仏習合の日本仏教 中川隆
1. 中川隆[-13341] koaQ7Jey 2020年2月29日 12:27:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[179]

出羽三山「生まれかわりの旅」



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/383.html#c1
[近代史02] 世界を席巻した回転寿司 _ どんな屑ネタでも気付かずに食べさせる魔法の技術 中川隆
60. 2020年2月29日 12:34:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[180]
スシロー独走 くら寿司との勝敗の分かれ目はどこにあったのか 2020/02/29
https://www.msn.com/ja-jp/news/money/スシロー独走-くら寿司との勝敗の分かれ目はどこにあったのか/ar-BB10xAUF?ocid=ientp



© マネーポストWEB 提供 業界1位「スシロー」の強さの秘密は?

 回転寿司業界では、最大手「スシロー」の独走が続いている。休日は終日家族連れで、平日の夜はサラリーマンで賑わう。平日の午後には、デザートを頬張って盛り上がる女子中高生の姿も。

「まぐろの赤身2貫を100円で食べられるのは破格だと思います。普段よりネタが大きい『てんこ盛り祭』とか、ワンランク上のマグロが食べられる『まぐろ祭』とか、期間限定キャンペーンが多いのも足を運ぶきっかけになっている」(50代会社員)

 2019年9月期決算の売上高は前年比13.8%増の1990億円、営業利益は同24.1%増の145億円と、いずれも過去最高を記録した。

 対照的なのが、業界2位の「くら寿司」だ。2019年10月期決算の営業利益は前年比20.4%減の54億7500万円と、スシローに差を広げられた。

 くら寿司をめぐっては、昨年5月、アルバイトがゴミ箱に捨てたハマチを拾ってまな板にのせる様子を撮影した動画がSNSにアップされ、批判が殺到した。だが失速の原因はそれだけではないというのは、回転寿司評論家の米川伸生氏である。

「勝敗の分かれ目は『サイドメニュー』にあると考えています。過去、“回転寿司チェーンのファミレス化”と言われるほど各店がサイドメニューに力を入れた時期があり、くら寿司はそのサイドメニュー開発のパイオニアでした。牛丼やラーメン、カレーにハンバーガーまで、寿司以外の様々なメニューを販売していったのですが、そこに注力するあまり本来の寿司ファンが離れてしまった感は否めない。そうなると結局、消費者は原点に帰って美味しい寿司を出す店に行くわけです。そこで選ばれたのが、スシローでした」

 米川氏によれば、スシローも同じようにサイドメニューを強化してきたが、本筋は寿司だという姿勢を貫いたという。

「鮮度の高いネタを安く効率的に手に入れるため、産直の流通網を整えるなど、『寿司の品質向上』にかけるスシローの取り組みは他店に比べて群を抜いている。サイドメニューは最初こそ話題になりますが、リピーター獲得には繋がりにくいんです。カレーが食べたい客はカレー店に行きますからね」(米川氏)

 寿司店に足を運ぶ客は、あくまで寿司を食べに来ているというわけだ。

※週刊ポスト2020年2月28日・3月6日号

https://www.msn.com/ja-jp/news/money/スシロー独走-くら寿司との勝敗の分かれ目はどこにあったのか/ar-BB10xAUF?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/370.html#c60

[近代史4] 食べてはいけない 中川隆
1. 中川隆[-13340] koaQ7Jey 2020年2月29日 12:36:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[181]

世界を席巻した回転寿司 _ どんな屑ネタでも気付かずに食べさせる魔法の技術
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/370.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/141.html#c1
[近代史4] トーテムポール 中川隆
1. 中川隆[-13338] koaQ7Jey 2020年2月29日 13:20:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[183]

「宗教」とは根源的な世界畏怖、怖れ畏む気持ちこそが原点ではないかと思う

02. 中川隆 2012年11月04日 崇拝
そして、その特定の何かの事を、トーテムと呼びます。元々は、アメリカ・インディアンのオジブワ族の言葉ototeman〔彼は私の一族の者だ〕に由来するものです。特にそのトーテムを柱に刻んだトーテムポールでして知る人も多いでしょう。
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/614.html#c2


05. 中川隆 2012年11月05日 H、トーテミズム
山崎「ルナは、トーテムポールを知っているかな?」。
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/614.html#c5

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/389.html#c1

[近代史4] 縄文時代・弥生時代の日本の原住民の信仰 中川隆
1. 中川隆[-13337] koaQ7Jey 2020年2月29日 13:52:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[184]


サルはなぜサルか 1 _ 白人崇拝がタイ人を猿にした
3. 性奴隷にされるタイ山岳民族の少女
1) タイ山岳民族は日本の弥生人と同系の民族
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/396.html



山岳少数民族、首長カレン族、アカ族、ヤオ族 2015 2 8




アカ族プロモーション









http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/387.html#c1
[近代史3] 日本円と日本の物価は異常に安過ぎる _ 1ドル=50円 が適正価格 中川隆
29. 中川隆[-13336] koaQ7Jey 2020年2月29日 13:54:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[185]
2020年02月29日
ロンドンやアメリカの住宅危機 世界の先進国は家賃が東京の3倍


シリコンバレーのホームレスはモーターホームで車中生活している

画像引用:グーグル本社 オフィス - Khabarplanet.com https://cdn.mainichi.jp/vol1/2019/08/04/20190804k0000m030119000p/8.jpg?1

欧米都市の驚きの家賃

東京23区の平均家賃はワンルームで10万円前後だが、これは先進国の主要都市と比べて1/3程度です。

アメリカ主要都市や欧州の大都市は30万円以上が多く、年間家賃は360万円という事になります。

東京の場合は年収中央値が572万円で月収は38万円なので、約570万円のうち120万円を家賃に使っている。


ロンドンの年収中央値も東京と同じくらいなので、年収600万円くらいの人が家賃360万円を払っている事になる。

ニューヨークの年収中央値は700万円くらいだが、家賃は先進国でも最高の35万円なので年420万円をはらっている。

年収700万円で家賃420万円なら払えるが、年収が少なくても家賃は同じ金額がかかってしまう。


ニューヨークやシリコンバレーの平均家賃は35万円だが、これはワンルームマンションの家賃です。

アメリカのワンベッドルームは大きなベッドを2つ置ける2人部屋なので、日本のワンルームよりずっと広い。

だが結婚して子供ができファミリー用物件を借りると、家賃は平均50万円くらいに跳ね上がります。


すると年間家賃600万円で子供の費用も100万円ほどかかり、生活費も200万円はかかるでしょう

結局ニューヨークに家族4人で平均的なマンションに住むと、年間1000万円かかってしまいます。

すると税引き前の年収が夫婦で千数百万円は無いと、平均以下のボロアパートにしか住めなくなります。

年収800万円のホームレスがいるシリコンバレー

これが東京だと家賃は半額か3分の1なので、1人なら年収300万、ファミリーでも600万あれば平均的なマンションに住める。

最近は円安の影響もあって欧米の年収が驚くほど高いが、家賃などを計算すると彼らの暮らしは日本より厳しい。

ロンドンやアメリカの主要都市では住宅危機が起きていて、シリコンバレーでは年収700円以上のホームレスがゴロゴロいる。


シリコンバレーでは家族4人で年収1000万円以下を低所得世帯に分類し補助金を出したというニュースは日本で話題になった。

IT企業が多く年収も全米屈指になったが家賃も全米一高くなり、家族4人用の部屋を借りると年600万円以上になる。

他の物価も高いし教育費も高いので、確かに家族4人で年収1千万円以下だと赤字になります。


そこでシリコンバレー周辺には部屋を借りずにキャンピングカーで暮らす「ホームレス」が数万人も存在する。

最近は最初からトレーラーハウスを設置してある「ホームレス村」が建設され、どこも流行っているそうです。

ホームレス村ですら月10万から20万円ほどかかるが、4人部屋で50万円以上にくらべれば格安だと考えられている。


この10年間アメリやイギリスは日本より好景気だったが、好景気は土地の利用価値を上げ家賃も上げてしまう。

ロンドンでは何年も家賃を滞納せず払い続けたのに、家主から追い出されるホームレスが増加している。

土地の利用価値が上がったことで家主は「安い賃貸マンションを壊してビジネスビルにしよう」などと思いつく。


家賃が安いマンションほど早く取り壊され、家賃が高いマンションや別な用途に土地が使われる。

日本は人口減もあって基本的には住居が余っているので、欧米の3分の1の家賃にとどまっている。

好景気も良い事ばかりではなかった。
http://www.thutmosev.com/archives/82320371.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/189.html#c29

[番外地7] 東北医科薬科大学病院 「新型コロナウイルス感染症 〜市民向け感染予防ハンドブック」 中川隆
1. 中川隆[-13335] koaQ7Jey 2020年2月29日 14:33:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[186]
2020/2/29
自己免疫疾患のある人は重症化する・・・コロナウイルスで危険な人  新型コロナウイルス
 

■ 両方の肺が同時に肺炎を起こして重症化する新型コロナウイルス ■

新型コロナウイルスによって少数ですが若い方も重症化します。若年層の重症化で特徴的なのは「両方の肺が同時に肺炎を起こして呼吸困難に陥る」ケースが多いという点です。

一般的や風邪やインフルエンザなどで起こる肺炎は片肺のケースが多い様で、肺炎を起こしていないもう片方の肺で酸素の取り込むが出来るので呼吸困難が重症化する事は在りません。しかし、新型コロナウイルスでは両方の肺が同時に肺炎になるので、酸素吸入が必要になる。

従来のインフルエンザなどでも、両方の肺が同時に肺炎になるるケース稀に発生し、免疫系の疾患を持つ患者に多いそうです。


■ 新型コロナウイルスの重症者に多い糖尿病 ■

新型コロナウイルスの重症者の多くが高齢者と糖尿病などの基礎疾患を持つ方々です。

1) 高齢者など免疫機能の低下した高齢者

2) 糖尿病・高血圧・心疾患、脳血管疾患のある方


高齢者など免疫機能の低下した方は、新型コロナウイルス以外の様々な感染症で重症化するので、検討から除外します。

では、糖尿病・高血圧・心疾患・脳血管疾患を持つ方は何故重症化し易いのか。ここで注目すべきは「糖尿病患者には高血圧や心疾患や脳血管疾患を併発する患者が多い」という点です。

実は糖尿病は循環器系の疾患の原因になっており、高血圧や心疾患(環状動脈系)や脳血管疾患を引き起こしているのです。


■ 自己免疫の暴走(サイトカインストーム)を起こしやすい新型コロナウイルス ■


実は新型コロナウイルスによる肺炎で特徴的なのは、肺の組織が線維化して起こる間質性肺炎が見られる事で、これは新型コロナウイルスに限らずインフルエンザなどウイルス性肺炎でも発生します。間質性肺炎は過剰免疫反応の一種で、肺の細胞を自分の免疫が攻撃する事で発生します。

インフルエンザで若い方が重症化する場合特徴的なのは、自己免疫の暴走による「サイトカインストーム」です。人体はウイルスなどの侵入を検知するとサイトカインというタンパク質を生産します。サイトカインは受容体の一種で、これにより免疫反応が高まります。しかし、稀にサイトカインが過剰に生産され、自分の細胞を攻撃する事が有ります。これを「サイトカイン・ストーム」と呼びます。体の様々な器官の細胞が攻撃され、最悪死に至ります。

実は先に取り上げた糖尿病ですがT型とU型に分類されます。

T型・・・自己免疫の異常によりインスリンを分泌する膵臓の細胞が攻撃される
     糖尿病患者の5%程度。

U型・・・長年の飲酒や過剰な糖分摂取によってインスリンの分泌低下が起こる

T型糖尿病は自己免疫疾患の一種ですが、遺伝性の疾患なので若い方でも発症します。この様に自分の細胞を免疫系が攻撃して発症する病気を「自己免疫疾患」と呼びます。

新型コロナウイルスでは自己免疫疾患が患者は重症化する可能性が指摘されていますが、自己免疫疾患の方の重症化の原因は二つ推測されます。

1) 自己免疫疾患を発生させる因子が新型コロナウイルスと相互作用して
   サイトカインストームを誘発する

2) 免疫抑制剤の服用によろ、新型コロナウイルスへの免疫を低下させる

ごく少数ではありますが、健康な若い方が新型コロナウイルスで重症化するケースでは1)の遺伝的因子によるサイトカインストームの発生を私は疑っています。これは新型コロナウイルスに限らず、一般の季節性インフルエンザウイルスでも発生しますが、新型コロナウイルスでは、その発生確率が高いのかも知れません。


■ 一般の若い人は、インフルエンザよりも軽症の気がする ■

新型コロナウイルスで高齢者が重症化し易いのは、新しいウイルスで免疫を持っていない為で、この事が新型コロナウイルスの致死率を高めています。これはワクチンの開発により来年以降は抑制されます。

一方、免疫系が正常に働く若い方では、先に挙げたサイトカインストームを除けば、軽症者が多いと言うか、ほとんどの方が微熱や軽い咳などの症状か、症状すら出ない不顕性感染だと思われます。

新型コロナウイルスの感染力がインフルエンザ並みだとすると、日本国内で既に「それなりの数の感染者」が居るハズですが、身近で罹った人の話を聞きません。「検査をしてくれない」というのも一因では有りますが、少なくとも武漢の様に重症者が大量発生している印象は受けません。


まだまだ謎の多いウイルスですが、毒性に関して過度な警戒は必要無いと私は考えます。ハイリスクと思われるシソ疾患や自己免疫系の疾患を持つ人以外は。
https://green.ap.teacup.com/pekepon/
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/503.html#c1

[近代史3] 「認知の歪み」が諸悪の根源だった _ 医療少年院で精神科医が受けた衝撃 中川隆
16. 中川隆[-13334] koaQ7Jey 2020年2月29日 14:38:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[187]
2020年02月29日
認知能力が低い人ほど自分の考えに近いフェイクニュースを信じやすい、「偽の記憶」まで作り出してしまうことも
https://gigazine.net/news/20200229-fake-news-lead-false-memories/


SNSや掲示板などで拡散されるフェイクニュースは、人々の判断を惑わせて混乱させるだけでなく、深刻な社会的分断を引き起こすこともあります。アイルランドやアメリカの研究者らが発表した研究では、「人は自分の考えに沿ったフェイクニュースを信じやすく、『偽の記憶』まで作り出してしまう」ことが判明しました。

False Memories for Fake News During Ireland’s Abortion Referendum - Gillian Murphy, Elizabeth F. Loftus, Rebecca Hofstein Grady, Linda J. Levine, Ciara M. Greene, 2019
https://journals.sagepub.com/doi/abs/10.1177/0956797619864887

Fake News Can Lead to False Memories – Association for Psychological Science – APS
https://www.psychologicalscience.org/news/releases/fake-news-can-lead-to-false-memories.html

現実世界の投票と個人の記憶の形成に対してフェイクニュースが及ぼす影響を調査するため、研究チームはアイルランドに住む3410人の有権者をオンラインで募集しました。アイルランドでは2018年5月に人工妊娠中絶合法化に関する国民投票が行われており、人工妊娠中絶が合法化されることが決定しています。

今回の実験は国民投票が行われる前の週に実験を行われたとのことで、研究チームは参加者に対して「人工妊娠中絶合法化の国民投票で賛成と反対のどちらに投票するか」を尋ねました。その後、研究チームは参加者に対して、人工妊娠中絶合法化に関する6個のニュースを見せたそうです。

6個のニュースの中には、「人工妊娠中絶合法化に賛成する人々に関するスキャンダル」と「人工妊娠中絶合法化に反対する人々に関するスキャンダル」が1つずつ含まれていました。これらのニュースは、それぞれの支持者が違法行為や問題のある行動に及んでいるという内容でしたが、実は2つのニュースは研究チームが作成した「フェイクニュース」だったとのこと。



研究チームは6個のニュースについて読んだ参加者に対し、「以前にこれらのニュースについて読んだり聞いたりしたことがあるか」「ニュースに関する特別な出来事の記憶があるか」を尋ねました。その結果、参加者の約半数が、研究チームが作ったフェイクニュースについて「以前に見たり聞いたりした記憶がある」と答えたほか、3分の1以上がフェイクニュースについて「関連する出来事の記憶がある」と答えたそうです。

また、2つのフェイクニュースに関する記憶は、その人が人工妊娠中絶合法化に賛成か反対かというスタンスによって左右されたと研究チームは指摘。人工妊娠中絶合法化に賛成の人は、「人工妊娠中絶合法化に反対の人々が起こしたスキャンダル」のフェイクニュースを覚えていると答える割合が高く、人工妊娠中絶合法化に反対の人は「人工妊娠中絶合法化に賛成の人々が起こしたスキャンダル」のフェイクニュースを覚えていると答える割合が高かったとのこと。




研究チームはニュースに関する記憶について尋ねた後で、「6個のニュースの中にフェイクニュースが含まれている可能性があります」と参加者に伝えたそうですが、参加者は依然として高い割合でフェイクニュースについて覚えていると回答し続けました。

さらに、研究チームは参加者に対して認知能力テストも実施しており、テストの結果とフェイクニュースの記憶に関する回答結果を照らし合わせて分析しました。その結果、「認知能力テストで低得点だった参加者ほど、フェイクニュースを『覚えている』と回答しやすい」ことも判明。「偽の記憶」を作り出す割合については認知能力テストの結果が関係しなかったそうですが、「この発見は、認知能力が高い人ほど、見聞きしたニュースの真偽や自身の偏見について疑問を抱きやすいことを示しています」と、研究チームは主張しています。



今回の研究に参加したカリフォルニア大学アーバイン校の認知心理学者であるエリザベス・ロフタス氏は、「人々は自身が作った『偽の記憶』に基づいて行動し、それが『偽の記憶』であると納得させることは困難です」とコメント。精巧なフェイクニュースを生み出す技術が進化している中で、フェイクニュースが人々の心理に与える影響を理解することは重要だと述べています。

今回の論文の筆頭著者であり、アイルランドの国立大学であるユニバーシティ・カレッジ・コークで応用心理学の講師を務めるGillian Murphy氏は、「2020年のアメリカ合衆国大統領選挙など、非常に感情的になりやすい党派政治的な論争では、有権者は作られた偽の記憶を『覚えている』かもしれません」「有権者は特に、敵対する候補者にとって不利なスキャンダルを覚えている可能性が高いでしょう」と指摘しました。



研究チームは今後さらに、イギリスの欧州連合離脱に関する国民投票や、#MeToo運動に「偽の記憶」がどのような影響を与えたかの調査を行い、今回の研究をさらに充実させる考えだとのことです。
https://gigazine.net/news/20200229-fake-news-lead-false-memories/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/630.html#c16

[近代史3] 「認知の歪み」が諸悪の根源だった _ 医療少年院で精神科医が受けた衝撃 中川隆
17. 中川隆[-13333] koaQ7Jey 2020年2月29日 14:42:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[188]
2019年11月18日
フェイクニュースが持つ「人々の注目を集め、偽の記憶を形成する」仕組みとは?
https://gigazine.net/news/20191118-fake-news-false-memories/

近年は画像・映像のテクノロジーが発達し、簡単に「本物と見間違うようなうそのニュース」が作れてしまうことから、フェイクニュースが民主主義を破壊しかねないと危険視されています。とはいっても、「フェイクニュースに自分の意志が左右されるはずがない」と考えている人も多いはずです。そこで、カナダのラヴァル大学で神経科学を研究するRachel Anne Barr氏が、いかにフェイクニュースが脳に大きな影響を及ぼすかを解説しています。

Fake news grabs our attention, produces false memories and appeals to our emotions
https://theconversation.com/fake-news-grabs-our-attention-produces-false-memories-and-appeals-to-our-emotions-124842

感覚神経科学の分野では、「予想しなかった情報は脳の処理の高次に達することができる」と示されています。これはつまり、感覚皮質は日常的な体験に適応するため大きな反応を示さず、予想できないことや驚きに大きく反応しがちだということ。同じ情報にさらされるにつれ、脳は「この刺激には報酬がない」ということを学ぶので、脳神経の反応は徐々に減っていきます。

「新規性」はそれ自体がモチベーションとなり得ます。新しいことを認識すると私たちの脳は「報酬の可能性」を予測するため、新規情報に触れると神経伝達物質であるドーパミンが増加するとのこと。2008年の研究では、海馬がニューロン間でシナプスの接続を作り出す能力は、「新しいこと」の影響で増加するとも示されました。



また黒質/腹側被蓋野という部分は、学習と記憶において重要な役割を果たす海馬や扁桃体と深く関係しています。これらの部位における記憶の強化は、主に睡眠時に起こります。睡眠中の脳は限られた時間の中で情報を統合しようとするために、情報の優先順位付けを行いますが、この時、感情に強く訴えかけてくる刺激的な情報は私たちの記憶に余韻を残し長期記憶として刻まれやすいとのこと。このため、新規性があり、キャッチーなフェイクニュースは、記憶形成の中で強化されていきます。

上記の通り、フェイクニュースは私たちの目を引き、学習や記憶の神経回路をジャックする力を持ちます。しかし、フェイクニュースの持つ特長のうち、最も人々に与える力が大きいのは、「感情に訴える能力」です。2017年の研究ではコンテンツのテキストに「道徳的な感情」が含まれていると拡散しやすいことが示されています。


意志決定の多くは、自覚しないほど深い部分の「感情」によって行われています。フェイクニュースの見出しを目にするだけで、後に情報に触れた時の印象が変わるため、感情的な言葉が使われた記事であふれるソーシャルメディアのフィードは、私たちの政治的な意志決定を変える力を持っているといえるとのことです。

フェイクニュースの新規性や感情的な言葉選びが人々に作用する方法は、人間の脳の分析能力を超えています。何らかの手段で現実かフェイクかを見極める手段がなければ、人は脳の機能をもって政治的信念やアイデンティティを左右される可能性があると、Barr氏はその危険性を指摘しています。
https://gigazine.net/news/20191118-fake-news-false-memories/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/630.html#c17

[リバイバル3] 「住宅は資産」という幻想で誰があなたをカモにするのか? 中川隆
270. 中川隆[-13332] koaQ7Jey 2020年2月29日 16:35:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[189]
新型コロナで倒産・収入減…「住宅ローン難民」が増加する可能性 2月28日
https://news.finance.yahoo.co.jp/detail/20200228-00070675-money_gendai-column


新型コロナの影響が次々と…(文 山下 和之) 

新型コロナウイルスによる混乱が実態経済にも影響を与え始めている。

 愛知県では、中国からの観光客をメインにしていたホテルが倒産するなど、観光、飲食業だけではなく、製造業などにも不安が広がっている。

 倒産やリストラに拍車がかかれば、収入が途絶えて、住宅ローンの返済が困難になる人たちが増えてくるのではないだろうか。

 そんなとき何もしないで延滞を続けていると、競売によって住まいを取り上げられ、借金だけが残るといった最悪の事態もあり得る。

 しかし、そうならないための対策もある。いつ我が身に影響が及んでくるかわからないので、転ばぬ先の杖として知っておきたいところだ。

休業保障が出ない企業も多い?


 新型コロナウイルスの汚染拡大を防ぐため、政府は広く経済活動やイベントの自粛を求めている。

 早くも倒産企業があらわれ、大手企業では全社規模でテレワーク、自宅待機を実施するなど、影響が広がっているのは周知の通りだ。

 大手企業ならテレワークでも通常通り給与が支給されるだろうが、コロナウイルス倒産に陥った場合には、収入が途絶えてしまう。

 まして中堅・中小企業でも会社側が自宅待機とした場合には、一定の保障があるだろうが、安全のために自主的に自宅待機した場合などは、給与が出ず、収入が減少する可能性が高いのではないだろうか。

 短期間で終息すればいいが、これから1ヵ月、2ヵ月と長期化すると、当然のことながら家計への影響が出てくるし、住宅ローンの返済が厳しくなる家庭も増えてくるだろう。

 そもそも、このところは図表1にあるように、自己破産が少しずつ増えつつある。

 2017年度、2018年度は前年度比で6%台の増加が続いている。

 キャッシュレス化で、家計の状況をキチンと把握できていない人が増加しているのが大きな要因といわれるが、このうち、2割前後は住宅ローンによる破綻という見方もある。

 そこにコロナウイルスによる収入減少が加われば、いっそう深刻な事態になりかねない。

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図表1 自己破産申請件数と前年度比の推移
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住宅ローンの延滞が半年続くと…

 しかし、「コロナウイルスのせいだから仕方がない」というのは、言い訳にはならない。住宅ローンは、返済を待ってはくれないのだ。

 一般的には延滞が半年続くと、住まいは競売にかけられる。競売の落札価格は市場での取引価格よりかなり安くなるのが普通で、落札額ではローン残高を返済仕切れず、住まいを取り上げられた上で、ローンの返済だけが残るといった悲惨な状況に陥りかねない。

 だからといって自己破産すると、住宅ローン債務はチャラにできるものの、資産のほとんどは取り上げられて、手元には生活資金などしか残せない。

 しかも、将来、クレジットカードを作ったり、再び住宅ローンを利用したりしたいと思っても、信用情報に自己破産の履歴が残っていれば、さまざまな制約が出てくる可能性がある。

 自己破産は最悪の手段だし、まして消費者金融からの借り入れでその場を凌ごうなどとは考えない方がいい。そうなる前に打つ手はある。収入が減ったり、なくなったりしても、何とか返済を続けて、マイホームを維持する道があるのだ。

延滞発生前に金融機関に相談を

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〔PHOTO〕iStock
 では、具体的にどうすればいいのか。

 何よりも大切なことは、延滞が発生する前に、住宅ローンを利用している金融機関で相談することだ。延滞が発生してからでは、担当者の心証を害して、相談しにくくなるし、住宅ローンの返済条件が厳しくなってしまう。

 延滞には、意外に知られていない落とし穴があるのだ。

 ほとんどの人が、住宅ローンの金利に関しては優遇金利制度の適用を受けているはずだが、住宅ローンの契約書には、「延滞が発生すると優遇金利の適用を受けられなくなる」といった内容の記載があるはず。

 つまり、延滞した翌月から金利が上がって、返済額が増加、いっそう返済が厳しくなってしまう。

 たとえば、2020年2月現在、メガバンクの変動金利型の住宅ローンの店頭表示金利は2.475%だが、優遇金利制度によって0.6%台、0.5%台で利用している人が多いだろう。それが、もとの店頭表示金利の2.475%に戻るのだからたいへんな事態だ。

期間延長や一定期間の返済額減額の可能性

 借入額4000万円、金利0.6%、35年元利均等・ボーナス返済なしだと、毎月の返済額は10万5611円だが、3年後に延滞が発生、金利が2.475%になると、返済額は13万9177円に増加する。「泣きっ面に蜂」とはこのこと。いよいよ競売へ向けて坂を転げ落ちるだけだ。

 そうなる前に、金融機関に相談すれば、救済策の適用を受けられる可能性がある。金融機関だって、お客に自己破産されるよりは、何とか返済を続けてもらうほうが得策だし、担当者としては社内での評価が落ちるのを防げるメリットがある。

 このため、条件を緩和すれば確実に返済を続けることができるお客であると判断できる場合には、条件の変更などに対応してくれる。

 民間機関ではそうした対応の内容については詳細を公開していないが、フラット35を実施している住宅金融支援機構では、(1)返済期間の延長などによる返済額の減額、(2)一定期間、返済額を減額、(3)ボーナス返済の変更――といった条件変更メニューを用意している。民間でも、これに準ずる対応を行っているとみられる。

返済額を毎月2万円以上減額

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写真:現代ビジネス
 (1)の返済期間延長は、離職や病気などで返済が困難となっている人で、以下の条件すべてに当てはまる人が対象になる。

 ・年収が年間返済額の4倍以下になっている人
・月収が世帯人員×6万4000円以下になっている人
・住宅ローンの年間返済額の年収に占める割合(返済負担率)が、年収400万円未満の人は35%、400万円〜700万円未満の人は40%、700万円以上の人は45%を超える人

 この条件に当てはまれば、最長15年間返済を延長できる。

 図表2にあるように、借入額4000万円で、3年後に返済が困難になったときに、この適用を受ければ、毎月の返済額11万2914円が8万2456円に減って、3万円以上負担を減額できる。これなら、何とか返済可能という人も多いのではないだろう。

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図表2 期間延長による返済額軽減例
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完済までの総返済額は増加する

 (2)の一時的に返済額を減額するケースは、たとえば、子どもの教育や入院などで一定期間だけ支出が多くなる、または収入が減少するといった場合に適用される。

 一定期間後には元に戻すのが原則。減額幅はケースバイケースだが、たとえば、毎月の返済額を7万円から5万円に減額するケースなどが想定される。

 そのほか、(3)のボーナス返済の変更は、ボーナス返済をなくして毎月返済だけにする、あるいは比重を変えるなどの対応が可能だ。

 ただ、(1)(2)に関してはあくまでも一時的な負担軽減策であり、軽減策の適用を受けると、完済までの総返済額はむしろ多くなってしまう。

 新たな仕事が見つかったり、収入が元に戻ったりしたときには、早めに元の返済期間、返済額に戻すのが得策だ。

解決策を頭に入れておこう

 以上のような条件変更によっても、簡単には返済を継続できそうもないということであれば、金融機関による競売になる前に、自分で売却する、いわゆる任意売却という手がある。

 ただ、ローン残高が売却可能価格を上回っている場合には、その差額を手持ち資金などで埋めることができないと、金融機関は抵当権のかかっている物件の売却を認めないこともある。

 その場合には、親などに頼み込むなどして資金を用意して売却するのが現実的かもしれない。そうすれば、マイホームは失うものの、ローン支払いをゼロにできる。

 もちろん、賃貸住宅などを見つけて引っ越す必要があるが、競売や自己破産に陥るよりは、リセットしやすいだろう。

 競売や自己破産はマイナスからの出直しになるが、任意売却が可能なら、ゼロからのスタートですむからだ。

 自分たちにとってはどの方法が可能なのかを確認して、できるだけ傷の少ない形で乗り切れるようにしていただきたい。

 そのためにも、いまからこうした解決策があることをシッカリと理解しておくことが大切だ。

https://news.finance.yahoo.co.jp/detail/20200228-00070675-money_gendai-column

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c270

[近代史3] 人類進化史 中川隆
44. 中川隆[-13331] koaQ7Jey 2020年2月29日 17:00:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[190]
2020年02月29日
中期新石器時代から現代のサルデーニャ島の人口史
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_57.html


 中期新石器時代から現代のサルデーニャ島の人口史に関する研究(Marcus et al., 2020)が報道されました。サルデーニャ島は、100歳以上の割合が高く、βサラセミアやグルコース-6-リン酸脱水素酵素(G6PD)欠損症のような自己免疫疾患や病気の割合が平均よりも高いため、病気や加齢に関連する可能性のある遺伝的多様体を発見するために注目されてきました。サルデーニャ島の現代人全体の遺伝的多様体の頻度は、しばしばヨーロッパ本土とは異なり、ヨーロッパ本土では現在ひじょうに稀な遺伝的多様体も見られ、その独特な遺伝的構成が研究されてきました。

 アルプスのイタリアとオーストリアの国境付近で発見されたミイラの5300年前頃の「アイスマン」のゲノムは、サルデーニャ島の現代人とよく似ていました。また、スウェーデン・ハンガリー・スペインなど、離れた地域の初期農耕民も、遺伝的にはサルデーニャ島の現代人とよく似ていました。この類似性の理解には、ヨーロッパにおける人口史の解明が必要です。ヨーロッパにおける現代人に直接的につながる人類集団は、まず旧石器時代と中石器時代の狩猟採集民です。次に、新石器時代農耕民集団が紀元前7000年頃以降に中東からアナトリア半島とバルカン半島を経てヨーロッパに到来し、在来の狩猟採集民集団と交雑しました。紀元前3000年頃以降にポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)を中心とするユーラシア草原地帯の集団がヨーロッパに拡散し、さらに混合しました。これらヨーロッパの現代人を構成した遺伝的系統は、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)・初期ヨーロッパ農耕民(EEF)・早期草原地帯集団としてモデル化できます。サルデーニャ島の人類集団は早い段階で高水準のEEF系統の影響を受け、その後は比較的孤立しており、ヨーロッパ本土とは異なり草原地帯系統の影響をほとんど受けなかった、と推測されています。しかし、このサルデーニャ島の人口史モデルは、古代ゲノムデータではまだ本格的に検証されていませんでした。

 サルデーニャ島の最古の人類遺骸は2万年前頃までさかのぼります。考古学的記録からは、サルデーニャ島の人口密度は中石器時代には低く、紀元前六千年紀の新石器時代の開始以降に人口が増加し、紀元前5500年頃、新石器時代の土器はサルデーニャ島を含む地中海西部に急速に拡大した、と推測されています。後期新石器時代には、サルデーニャ島の黒曜石が地中海西部で広範に見られ、サルデーニャ島が海洋交易ネットワークに統合されたことを示唆します。青銅器時代の紀元前1600年頃に、独特な石造物で知られるヌラーゲ文化が出現します。ヌラーゲ文化後期の考古学および歴史学的記録は、ミケーネやレヴァントやキプロスの商人など、いくつかの地中海集団の直接的影響を示します。紀元前9世紀後半から紀元前8世紀前半にかけて、現在のレバノンとパレスチナ北部を起源とするフェニキア人がサルデーニャ島南岸に集落を集中して設立したため、ヌラーゲ文化の集落はサルデーニャ島の大半で減少しました。サルデーニャ島は紀元前6世紀後半にカルタゴに支配され、紀元前237年にはローマ軍に占領されて、その10年後にローマの属州となりました。サルデーニャ島はローマ帝国期を通じて、イタリアおよびアフリカ北部中央と密接につながっていました。ローマ帝国崩壊後、サルデーニャ島は次第に自立していきましたが、ビザンツ帝国をはじめとする地中海の主要勢力との関係は続きました。

 サルデーニャ島の住民は集団遺伝学において長く研究されてきましたが、その理由の一部は、上述のように医学にとって重要なためです。サルデーニャ島の現代人集団は遺伝的に複数の亜集団に分類されており、中央部と東部の山岳地帯は比較的孤立しており、WHGおよびEEF系統がわずかに多い、と明らかになっています。サルデーニャ島集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)の研究では、コルシカ島と文化・言語的つながりのある北部において、中央部と東部の山岳地帯より遺伝的構成の変化が大きく、21人の古代mtDNA研究では、サルデーニャ島特有のmtDNAハプログループ(mtHg)のほとんどは新石器時代かその後に起源があり、それ以前のものはわずかだった、と推測されています。サルデーニャ島のフェニキア人居住地のmtDNA分析では、フェニキア人集団とサルデーニャ島集団との継続性と遺伝子流動が推測されています。カルタゴおよびローマ期の大規模共同墓地では、3人でβサラセミア多様体が見つかっています。

 本論文は、放射性炭素年代で紀元前4100〜紀元後1500年頃となる、サルデーニャ島の20ヶ所以上の遺跡で発見された70人のゲノム規模データを生成します。本論文は、サルデーニャ島の人口史の3側面を調査します。まず、紀元前5700〜紀元前3400年頃の新石器時代の個体群です。当時、サルデーニャ島に拡大した初期の人々はどのような遺伝的構成だったのか、という観点です。次に、紀元前3400〜紀元前2300年頃の銅器時代から紀元前2300〜紀元前1000年頃の青銅器時代です。考古学的記録に観察される異なる文化的移行を通じて、遺伝的転換はあったのか、という観点です。最後に、青銅器時代以後で、地中海の主要な文化とより最近のイタリア半島集団は、検出可能な遺伝子流動をもたらしたのか、という観点です。本論文は、サルデーニャ島の初期標本はヨーロッパ本土の初期農耕民集団と遺伝的類似性を示し、ヌラーゲ文化期を通じて混合の顕著な証拠はなく比較的孤立しており、その後は、地中海北部および東部からの交雑の証拠が観察される、との見通しを提示します。

 サルデーニャ島の70人の古代DNAに関しては、完全なmtDNA配列と、120万ヶ所の一塩基多型から構成されるゲノム規模データが得られました。核DNAの平均網羅率は1.02倍です。70人の内訳は、中期〜後期新石器時代が6人、早期銅器時代が3人、中期青銅器時代早期が27人、ヌラーゲ文化期が16人で、それ以後では同時代でも遺伝的相違が大きいため、遺跡単位で分類されています。フェニキアおよびカルタゴの遺跡では8人、カルタゴ期では3人、ローマ期では3人、中世は4人です。これらの新石器時代〜中世にかけてのサルデーニャ島の人類遺骸からのDNAデータが、ユーラシア西部およびアフリカ北部の既知のデータと比較されました。

 中期〜後期新石器時代のサルデーニャ島の個体群は遺伝的に、新石器時代ヨーロッパ西部本土集団、とくにフランスの個体とよく類似していますが、イタリア半島など同時代の他地域の標本数が不足している、と本論文は注意を喚起しています。中期〜後期新石器時代ののサルデーニャ島個体群は、早期新石器時代のアナトリア半島集団と比較して、WHG系統の存在が特徴となっています。サルデーニャ島の中期新石器時代〜ヌラーゲ文化期までの52人に関しては、mtDNAハプロタイプが全員、Y染色体ハプロタイプが男性34人中30人で決定されました。mtHgは、HVが20人、JTが19人、Uが12人、Xが1人です。同定されたY染色体ハプログループ(YHg)では、11人がR1b1b(R1b-V8)、8人がI2a1b1(I2-M223)で、新石器時代のイベリア半島で一般的なこの2系統で過半数を占めます。YHgでR1b1bもしくはI2a1b1を有する既知の最古の個体はバルカン半島の狩猟採集民および新石器時代個体群で、両者ともに後に西方の新石器時代集団で見られます。

 サルデーニャ島では、中期新石器時代からヌラーゲ文化期まで、遺伝的連続性が確認されます。対照的に、ヨーロッパ中央部のような本土では、新石器時代から青銅器時代にかけて、大きな遺伝的構成の変化が見られます。qpAdm分析では、サルデーニャ島の中期および後期新石器時代の個体群が、ヌラーゲ期の個体群の直接的祖先である可能性を却下できません。qpAdm分析ではさらに、新石器時代アナトリア系統との混合モデルにおいて、WHG系統はヌラーゲ期を通じて安定して17±2%のままと示されます。中期新石器時代からヌラーゲ文化期までのサルデーニャ島の個体群では、たとえば後期青銅器時代のイベリア半島集団のような、顕著な草原地帯系統は検出されません。また、イラン新石器時代およびモロッコ新石器時代系統のどちらも、中期新石器時代からヌラーゲ文化期までのサルデーニャ島の個体群には遺伝的影響を及ぼしていない、と推測されます。

 ヌラーゲ文化期後のサルデーニャ島個体群には、遺伝子流動の複数の証拠が見つかっています。サルデーニャ島の現代人集団は、ヌラーゲ文化期と比較して、遺伝的にはユーラシア西部・アフリカ北部集団により近縁です。これは、草原地帯系統の割合が現在のヨーロッパ本土集団より低いとはいえやや見られるようになり、地中海東部系統がかなり増加したためです。ヌラーゲ文化期後のサルデーニャ島集団には、複雑な遺伝子流動があった、と推測されます。

 ヌラーゲ文化期後のサルデーニャ島集団における遺伝子流動を直接的に評価するため、17人の古代DNAが直接解析されました。新たな系統の流入という推定と一致して、ヌラーゲ文化期後にはmtHgの多様性が増加しました。たとえば、現在アフリカ全体では一般的であるものの、サルデーニャ島ではこれまで検出されていなかったmtHg- L2aです。YHgでも、サルデーニャ島では新石器時代からヌラーゲ文化期まで見られず、現代人では15%ほど存在するR1b1a1b(R1b-M269)がカルタゴ期と中世で確認されます。また、カルタゴ期遺跡ではYHg-J1a2a1a2d2b(J1-L862)、中世個体ではYHg-E1b1b1a1b1(E1b-L618)が見られます。YHg-J1a2a1a2d2bはレヴァントの青銅器時代個体群で最初に出現し、サルデーニャ島の現代人では5%ほど見られます。

 これらを踏まえてモデル化すると、サルデーニャ島では新石器時代からヌラーゲ文化期までほぼ新石器時代アナトリア系統とWHG系統で占められていたのが、ヌラーゲ文化期後には草原地帯系統と新石器時代イラン系統と新石器時代アフリカ北部(モロッコ)系統が加わります。草原地帯系統と新石器時代イラン系統はともに0〜25%の範囲でモデル化されます。また、フェニキア期〜カルタゴ期の遺跡の6人では、20〜35%と高水準のアフリカ北部系統が推定されました。サルデーニャ島の現代人でも、わずかながら検出可能なアフリカ北部系統が見られます。しかし、このフェニキア期〜カルタゴ期の遺跡から現代までの直接的連続性のモデルは却下されます。対照的に、ヌラーゲ文化期後の他の遺跡の個体は全員、サルデーニャ島現代人の単一の起源としてモデル化可能です。

 古代のサルデーニャ島個体群に最も近い現代人は、東部のオリアストラ県(Ogliastra)とヌーオロ県(Nuoro)の個体群です。興味深いことに、カルタゴ期のオリアストラ県の個体は、他の個体群と比較してオリアストラ県の個体群と遺伝的により近縁です。また、サルデーニャ島北東部の個体群はヨーロッパ本土南部集団により近く、サルデーニャ島南西部の個体群は地中海東部により近くなっています。これは、サルデーニャ島における地中海北部系統と地中海東部系統の地域間の混合の違いを反映している、と示唆します。

 このように、中期〜後期新石器時代のサルデーニャ島個体群は、地中海西部の他のEEF集団と同様に、本土EEFとWHGの混合としてモデル化されます。この期間のサルデーニャ島の男性のYHgは大半がR1b1b(R1b-V88)とI2a1b1(I2-M223)で、両方ともバルカン半島の中石器時代狩猟採集民および新石器時代集団で最初に出現し、後にイベリア半島のEEF集団でも多数派ですが、新石器時代アナトリア半島もしくはWHG個体群では検出されていません。これらは、紀元前5500年頃にヨーロッパ地中海沿岸を西進した新石器時代集団からのかなりの遺伝子流動の結果と考えられます。ただ本論文は、中期新石器時代よりも前のサルデーニャ島やイタリア半島の常染色体の古代DNAが不足しているので、この遺伝子流動の時期と影響について、北方もしくは西方からのどちらが重要なのか確定的ではない、と注意を喚起しています。中期新石器時代のサルデーニャ島個体群のWHGの推定割合はそれ以前のヨーロッパ本土のEEF集団より高く、ヨーロッパ本土では混合の進展に伴いしだいにWHG系統の割合が増加することから、サルデーニャ島への遺伝子流動には時間差があったことを示唆しますが、最初の地域的な交雑の結果か、あるいは本土との継続的な遺伝子流動の結果だったかもしれません。この問題の解決には、サルデーニャ島の中石器時代および早期新石器時代個体群のゲノム規模データが必要となります。

 中石器時代から紀元前千年紀初めまで、サルデーニャ島への異なる系統の遺伝子流動の証拠は見られません。この遺伝的構造の安定性は、紀元前3000年頃以降、ユーラシア中央部草原地帯からかなりの遺伝子流動があったヨーロッパの他地域と、しだいにWHG系統が増加していったヨーロッパ本土の多くの早期新石器時代および銅器時代とは対照的です。上述のように、中期新石器時代からヌラーゲ文化期まで、サルデーニャ島個体群ではWHGの割合が約17%で安定しています。イベリア半島の鐘状ビーカー(Bell Beaker)集団のように、遺伝的に類似した集団からの遺伝子流動の可能性は否定できませんが、草原地帯系統の欠如は、サルデーニャ島がヨーロッパ本土の多くの青銅器時代集団から遺伝的に孤立していたことを示唆します。また、現在ヨーロッパ西部において最も高頻度で、紀元前2500〜紀元前2000年頃のブリテン島とイベリア半島への草原地帯系統の拡大と関連しているYHg- R1b1a1bが、ヌラーゲ期の紀元前1200〜紀元前1000年頃まで見られないことも、中石器時代から紀元前千年紀初めまでのサルデーニャ島の遺伝的孤立の証拠となります。サルデーニャ島からの標本数が増加すれば、微妙な交雑を検出できるかもしれませんが、サルデーニャ島が青銅器時代ヨーロッパの大規模な遺伝子流動から孤立していた可能性は高そうです。考古学的記録からは、サルデーニャ島はこの期間に地中海の広範な交易網の一部に組み込まれていましたが、それが遺伝子流動と結びついていないか、類似した遺伝的構造の集団間のみで交易が行なわれていた、と考えられます。とくに、ヌラーゲ文化期は遺伝的構成の変化が検出されず、その石造建築の設計はミケーネなど東方集団からの流入によりもたらされた、という仮説に反します。

 ヌラーゲ文化期後のサルデーニャ島では、地中海北部および東部からの遺伝子流動の証拠が見られます。フェニキアおよびカルタゴ期の遺跡で、最初に地中海東部系の出現が観察されます。地中海北部系統はそれよりも後に出現し、サルデーニャ島北西部の遺跡で確認されます。ヌラーゲ文化期後の個体の多くは、直接的な移民もしくはその子孫としてモデル化できますが、他の個体は在来のヌラーゲ文化期の系統をより高い割合で有します。全体的に、ヌラーゲ文化期後の系統の多様性は増加し、これは、イベリア半島(関連記事)やローマ(関連記事)やペリシテ人(関連記事)など、鉄器時代以後の地中海も対象にした詳細な古代DNA研究と整合的です。

 サルデーニャ島の現代人は、古代標本で観察された遺伝的変異内に収まり、同様のパターンは、鉄器時代に系統多様性が著しく増加し、その後は現在まで減少していくイベリア半島とイタリア半島中央部でも見られます。サルデーニャ島においては、東部のオリアストラ県とヌーオロ県の現代人ではヌラーゲ文化期後の新たな系統の割合が低く、他地域よりもEEFやWHG系統の割合が高くなっています。サルデーニャ島内を対象とした主成分分析は、オリアストラ県の個体群が比較的孤立していた可能性を示唆します。サルデーニャ島北部は、ヌラーゲ文化期後に地中海北部系統の影響をより強く受けた、と推測されます。これらの結果は、紀元前にフェニキア人およびカルタゴ人がおもにサルデーニャ島の南部および西部沿岸に居住し、コルシカ島からの移民はサルデーニャ島北部に居住した、とする歴史的記録と一致します。

 本論文は紀元前二千年紀後のサルデーニャ島における遺伝子流動を推測し、これはサルデーニャ島の遺伝的孤立を強調した以前の研究と矛盾しているように見えますが、他のヨーロッパ集団との比較では、サルデーニャ島が青銅器時代〜ヌラーゲ文化期に孤立していたことは確認されます。また、ヌラーゲ文化期後の混合にしても、おもに草原地帯系統が比較的少ない集団に由来する、と推測されます。その結果、サルデーニャ島の現代人集団はヨーロッパの他地域と比較してひじょうに高い割合のEEF系統を有しており、アイスマンのような銅器時代ヨーロッパ本土の個体と高い遺伝的類似性を示します。高い割合のEEF系統を有する集団としてバスク人が知られており(関連記事)、サルデーニャ島集団との遺伝的関係が示唆されていました。本論文でも、現代バスク人と古代および現代のサルデーニャ島集団との類似性が示されました。サルデーニャ島集団もバスク人も異なる起源の移民の影響を受けているものの、共有されたEEF系統が地理的分離にも関わらず遺伝的類似性を示すのだろう、と本論文は推測しています。

 サルデーニャ島のフェニキアおよびカルタゴ期の遺跡の個体群では、アフリカ北部および地中海東部系統との強い遺伝的関係が示されました。これは、以前の古代DNA研究でも示されている(関連記事)、フェニキア人の地中海における拡散を反映していると考えられます。また、サルデーニャ島のフェニキアおよびカルタゴ期の遺跡でも、早期の方がアフリカ北部系統の割合は低く、アフリカ北部系統との交雑が後のカルタゴの拡大に特有だったか、異なる系統の到来だった可能性を示します。アフリカ北部系統の割合は、フェニキアおよびカルタゴ期よりも後では低下しており、サルデーニャ島も含むヨーロッパ南部のいくつかの集団における、低いものの明確に検出されるアフリカ北部系統の割合という観察と一致します。ローマでも、アフリカ北部系統の割合が帝政期以後に低下します(関連記事)。

 本論文は、古代DNA研究における古代と現代との遺伝的連続性および変容について、古代DNAの標本数の少なさと、現代(医学的な目的での遺伝情報収集)と古代では標本が異なるバイアスで収集されていることから、一般化に注意を喚起します。本論文はそれを踏まえたうえで、サルデーニャ島においては、中期新石器時代から後期青銅器時代まで、遺伝子流動が最低限か、遺伝的に類似した集団の継続の可能性が高いことを指摘します。ヌラーゲ文化期の始まりも、明確な遺伝子移入により特徴づけられません。鉄器時代以降のサルデーニャ島は、地中海の広範な地域と結びついていました。地中海西部を対象とした他の研究でも同様の結果が得られており、サルデーニャ島は新石器時代以降遺伝的に孤立してきた、という単純なモデルよりも実態は複雑だったことを示します。サルデーニャ島の現代人には地域的な違いも見られ、歴史的な孤立・移住・遺伝的浮動により、独特なアレル(対立遺伝子)頻度が生じた、と考えられます。この遺伝的歴史の解明は、βサラセミアやグルコース-6-リン酸脱水素酵素(G6PD)欠損症のような、サルデーニャ島も含めて地中海全域の遺伝性疾患を理解するのに役立つでしょう。


参考文献:
Marcus JH. et al.(2020): Genetic history from the Middle Neolithic to present on the Mediterranean island of Sardinia. Nature Communications, 11, 939.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-14523-6

https://sicambre.at.webry.info/202002/article_57.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html#c44

[近代史3] 日本共産党の(かなり危ない)アレな裏話…(おや?後ろに誰か来たようだ…(震…| 中川隆
5. 中川隆[-13330] koaQ7Jey 2020年2月29日 17:24:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[191]
私が好きなエピソードがある。

三島由紀夫の友人の素人作曲家が、戦時中「大東亜行進曲」という曲をつくり、北支、中支総司令官に贈り感謝状をもらった。そして戦後は、題名だけを「民主主義行進曲」に変え、GHQへ贈り感謝状をもらったという。

 三島は言う。

〈私はどうも戦後の文化の状況を考えてみて日本人が一方に偏してしまい文化の中心のバランスを崩してしまったように思う。はやい話が戦争中、軍部に協力し鼓吹した人間が戦後たちまちオピニオンリーダーになって、こんどは平和主義、反戦主義、あるいは革命を唱え、あるいは日本の国家観念の破壊をくわだててきたという道すじをみると、私は筆をとる人間として恥ずかしくてしかたがない〉(「私の自主防衛論」)
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/216.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/687.html#c5

[近代史3] 左翼の本質は思想ではなく「タカリ」という生き方 中川隆
3. 中川隆[-13329] koaQ7Jey 2020年2月29日 17:24:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[192]
私が好きなエピソードがある。

三島由紀夫の友人の素人作曲家が、戦時中「大東亜行進曲」という曲をつくり、北支、中支総司令官に贈り感謝状をもらった。そして戦後は、題名だけを「民主主義行進曲」に変え、GHQへ贈り感謝状をもらったという。

 三島は言う。

〈私はどうも戦後の文化の状況を考えてみて日本人が一方に偏してしまい文化の中心のバランスを崩してしまったように思う。はやい話が戦争中、軍部に協力し鼓吹した人間が戦後たちまちオピニオンリーダーになって、こんどは平和主義、反戦主義、あるいは革命を唱え、あるいは日本の国家観念の破壊をくわだててきたという道すじをみると、私は筆をとる人間として恥ずかしくてしかたがない〉(「私の自主防衛論」)
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/216.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/671.html#c3

[近代史3] 日本は共産党にとって天国だった 意外と知られていない世界の共産党事情 中川隆
7. 中川隆[-13328] koaQ7Jey 2020年2月29日 17:25:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[193]
私が好きなエピソードがある。

三島由紀夫の友人の素人作曲家が、戦時中「大東亜行進曲」という曲をつくり、北支、中支総司令官に贈り感謝状をもらった。そして戦後は、題名だけを「民主主義行進曲」に変え、GHQへ贈り感謝状をもらったという。

 三島は言う。

〈私はどうも戦後の文化の状況を考えてみて日本人が一方に偏してしまい文化の中心のバランスを崩してしまったように思う。はやい話が戦争中、軍部に協力し鼓吹した人間が戦後たちまちオピニオンリーダーになって、こんどは平和主義、反戦主義、あるいは革命を唱え、あるいは日本の国家観念の破壊をくわだててきたという道すじをみると、私は筆をとる人間として恥ずかしくてしかたがない〉(「私の自主防衛論」)
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/216.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/565.html#c7

[近代史3] 右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた 中川隆
65. 中川隆[-13327] koaQ7Jey 2020年2月29日 17:26:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[194]
私が好きなエピソードがある。

三島由紀夫の友人の素人作曲家が、戦時中「大東亜行進曲」という曲をつくり、北支、中支総司令官に贈り感謝状をもらった。そして戦後は、題名だけを「民主主義行進曲」に変え、GHQへ贈り感謝状をもらったという。

 三島は言う。

〈私はどうも戦後の文化の状況を考えてみて日本人が一方に偏してしまい文化の中心のバランスを崩してしまったように思う。はやい話が戦争中、軍部に協力し鼓吹した人間が戦後たちまちオピニオンリーダーになって、こんどは平和主義、反戦主義、あるいは革命を唱え、あるいは日本の国家観念の破壊をくわだててきたという道すじをみると、私は筆をとる人間として恥ずかしくてしかたがない〉(「私の自主防衛論」)
http://www.asyura2.com/20/senkyo270/msg/216.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html#c65

[近代史3] 内田樹 生きづらさについて考える 中川隆
1. 中川隆[-13326] koaQ7Jey 2020年2月29日 17:31:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[195]
「今さえよければそれでいい」
社会が“サル化”するのは人類が「退化のフェーズ」に入った兆候
内田 樹 2020/02/29
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/「今さえよければそれでいい」社会が“サル化”するのは人類が「退化のフェーズ」に入った兆候/ar-BB10xLno?ocid=ientp


「今さえよければ、自分さえよければ、それでいい」――。

新著『 サル化する世界 』で、利己的で近視眼的なものの見方をする人々が増殖する社会を“サル化”と定義した思想家・内田樹氏が、世界的なモラルハザードを喝破する。

◆◆◆

「今さえよければそれでいい」という発想

――現代社会の趨勢を“サル化”というキーワードで斬った思いは何でしょうか?
内田 “サル化”というのは「今さえよければそれでいい」という発想をすることです。目の前の出来事について、どういう歴史的文脈で形成されたのか、このあとどう変化するのかを広いタイムスパンの中で観察・分析する習慣を持たない人たちのことを“サル”と呼んだのです。

 歴史学的なアプローチも探偵の推理術も同じです。目の前に断片的な情報が散乱している。そこから「何が起きたのか」をいくつかのパターンで考え出し、すべての断片をつなぐことのできるストーリーを選ぶというのが探偵の推理術です。それが論理的思考ということです。でも、今の日本では、政治家も官僚もビジネスマンもメディアも、論理的にものを考える力そのものが急速に衰えた。広々とした歴史的スパンの中で「今」を見るという習慣がなくなった。時間意識が縮減したのです。それが「サル化した社会」です。

「サル化」という言葉は「朝三暮四」の故事から


――確かに社会のさまざまな局面で長期ビジョンが失われ、刹那的な傾向が強まったように思います。

内田 「サル化」という言葉は「朝三暮四」の故事から採りました。サルたちにこれまで給餌していた8つの栃の実を7つに減らすことになったとき、「朝3、夕方4ではどうか」と言ったらサルは怒り出し、「じゃあ、朝4、夕方3は?」と言ったら狂喜した。朝の自分と夕方の自分が同一であるということが仮想できなかったのです。ある程度長い時間を通じて自己同一性を保持できない人を笑ったのです。

 中学の漢文の授業で習ったときは「変な笑い話だ」と思っていたんです。どうして「こんな話」が何千年も語り伝えられるのか、意味がわからなかった。でも、よく考えたら、漢文で習う「守株待兎」も「矛盾」も「鼓腹撃壌」も、全部春秋戦国時代のものですが、本質的に「同じ話」なのです。どれも時間意識が未成熟な人間を笑っている。

適切な時間意識を持たないと人に笑われるぞという “脅し”

「矛盾」の武器商人は、「矛を売っているときの自分」と「盾を売っているときの自分」が同一であるということをうまく想像できない。切り株に偶然ウサギがぶつかったら、次の日から野良仕事を止めてしまった「守株待兎」の農夫には「確率」とか「蓋然性」という概念がなかった。「鼓腹撃壌」では「皇帝の善政のおかげでみんな幸福に暮らしている」と歌う子どもたちと「オレの日常に皇帝は何の関係もない」とうそぶく老人が対比的に扱われていますが、この老人には「因果」という概念がない。「矛盾」も「蓋然性」も「因果」もすべてある程度長い時間を俯瞰する視座に立たないと発生しない概念です。

 これらの逸話が春秋戦国時代に集中しているということは、おそらくその時期に「時間意識が成熟した人間」と「時間意識が未成熟な人間」が混在していたということだと思います。だから、「時間意識が未成熟な人間」を文明化することが社会的急務だった。こういう逸話が集中的に語られたのは、適切な時間意識を持たないと人に笑われるぞという「脅し」によって、人々を教化しようとしたからだと思います。


――有名な故事の数々が、時間意識のトレーニングになっていたというのは驚きです。

内田 時間意識とは「もう消え去った過去」と「まだ到来していない未来」を自分の中に引き受けることです。過去の自分のふるまいの結果として今の自分がある。未来の自分は今の自分の行動の結果を引き受けなければいけない。そういう骨格のはっきりした、ある程度の時間を持ちこたえられるような自己同一性がその時代から要求されるようになった。

 エマニュエル・レヴィナスが「時間とは主体と他者の関係である」という非常にわかりにくい命題を語っていますが、僕たちがそれが「わかりにくい」と思うのは、「時間意識」というものが伸縮するということを忘れているからです。ごく限定的な時間意識しか持たない人間と、広々とした時間意識を持つ人間がいる。

 一神教信仰は信仰者にこの「広々とした時間意識」を要求します。「造物主による創造」という想像を絶するほどの過去と、「メシアによる救済」という想像を絶するほどの未来の間に宙吊りにされている今の自分というものを把握できたものだけが一神教のアイディアを理解できる。そこから人間の知性と倫理性が発動する。そういうアイディアが生まれたのが紀元前1000年から500年くらいのことであり、それが人類史的な特異点(シンギュラリティ)を形成したのだと思います。
現代人が「退化のフェーズ」に入ったことの徴候ではないか

 だから「今だけ、自分だけよければ」という現代人に特徴的な時間意識の縮減は、それから2000年、3000年経って人類が「退化のフェーズ」に入ったことの徴候ではないかと思ったのです。


 ――いまは日々あまりに忙しすぎて、目の前のことにあくせくせざるを得ないという社会環境も大きいと思います。

内田 産業構造の変化のせいだと思います。経済活動が人間的時間を超えた速度で活動し出した。株の売り買いなんかはマイクロセコンド単位で、アルゴリズムが行うわけですから、今の経済活動の基本時間はもう人間的時間ではない。人間の身体感覚や知性が賦活される時間の流れ方ではないのです。

 僕が子供の頃、1950年代はまだ生産者のうち農業従事者人口が50%を占めていました。ですから、経済活動を考量するときの時間単位が「植物的」だった。ですから、学校教育でも、子どもたちの成長は農業のメタファーで語られていました。「種子を撒いて、水と肥料をやって、日に当てて、風水害や病虫害から守ると、収穫期には果実が実る」という言い方で家庭教育も学校教育も語られた。

 子どもたちは「種子」ですし、育ち方はお天道さま頼りですから、先行きどのようなものに結実するか予測できない。キュウリができるのか、トマトができるのかは分からないけれど、きちんと手入れをすれば、この子が持ってる潜在可能性は開花するだろうという、諦観と楽観の入り混じった感情で子どもは育てられた。いくら手入れをしても、さっぱり芽を出さない子については「大器晩成」といって、そのうち何か大きなものに結実するんじゃないかというような気楽なことが言われた(笑)。

かつての植物的な時間の中での子育て

――ゆったりとした植物的な時間の中で子供も育まれていたわけですね。

内田 植物的時間というのは、基本四季のサイクルですからね。のんびりしたものでした。子どもは工場で工業製品を作るように、仕様を決めて、納期を決めて、規格を決めて、全工程を管理したら出て来るものだという考え方をしなかった。親や教師が管理できるのはせいぜい全体の2〜3割であって、8割ぐらいは自然力任せという感覚があった。日光や雨量やイナゴの来襲は人力ではコントロールできませんから。

 人類史のなかで農業が支配的な産業だった時期は長いです。だから、「子育て」についてのプロセスは無意識に農業のメタファーで語られていました。たとえば、ガリ版で刷った学級通信なんてだいたい「めばえ」とか「わかば」とか「みのり」(笑)というようなタイトルだったでしょう。幼稚園のクラス名などもよく植物の名前が使われていた。「うめ組」とか「ひまわり組」とかね。でも、産業構造が変わって、第二次産業が基幹産業になると同時に、工場での工業製品の生産プロセスに準拠したメタファーが用いられるようになった。そういう転換は無意識のうちに行われたので、誰も気づかなかった。


人間は生身の生き物なんであって、缶詰や乾電池じゃない

 今は学期ごとに学習到達目標が数値的に示されて、そこで示された「納期」と「仕様」に合わせて「生産」がなされなければいけないとみんな思っている。まるで自動車やコンピュータを作るように精密な工程管理と製品の質保証がうるさく言われるようになった。教育について語る言葉遣いも工学的になってきた。「シラバス通りの授業をしろ」とか「学士号の質保証」とか「PDCAサイクルを回す」とかいう、どれも工業の用語です。

 それと同時に四季のサイクルを基準にした植物的時間が棄てられて、その代わりに納期と仕様に合わせて工業製品を生産する工学的時間が採用されるようになった。人間では制御できない巨大な自然力が子どもの成長に介入するという考え方そのものが廃棄されて、すべては人工的に管理できるということが前提になった。

 でもね、人間は長らく植物的な時間のなかで子どもを育ててきた。それで何千年かやってきて、うまくいったんです。産業構造が変わったからと言って、教育まで支配的な産業構造に合わせて変える必要なんかないと僕は思います。子どもは植物的時間の中で成長すればいいじゃないですか。人間は生身の生き物なんであって、缶詰や乾電池じゃないんですから。


長期スパンで見たときのドナルド・トランプ

――近年、とみに政治家が平気で嘘をつくようになりました。嘘の答弁を並べ立てたり、フェイクニュースを垂れ流すのもまた時間意識の縮減でしょうか。
内田 Honesty pays in the long runということわざがありますね。「長期的に見れば、正直は引き合う」という意味ですが、それは逆に言えば、「短期的に見れば、嘘は引き合う」ということです。だから時間意識が縮減して、「短期的に見る」ことしかしない人間にとっては「嘘をつくことの方が引き合う」んです。

 ドナルド・トランプは100年単位の長期的なスパンでとらえたら、米国史上でもっとも愚鈍で邪悪な大統領として歴史に名を残すでしょう。長期スパンで見たときに、アメリカの国益を大きく損なった人として世界史に記録されることは確かですが、短期的に見れば大成功している。ファクトチェックによると、就任からすでに1万以上の嘘を重ね、フェイクニュースを垂れ流したことによって成功したわけです。「嘘は引き合う」の最も説得力のある事例です。

アメリカでも日本でも“サル化”が進行している

 約束を守るとか、隣国との信頼関係を構築するのは、短期的にはコストがかかるかも知れませんけれど、長期的には安全保障コスト、外交コストを引き下げることになる。でも、今のアメリカにはそれができない。他国を恫喝して、外交的な危機を煽ったほうが有権者は喜ぶし、兵器産業は儲かる。トランプが今もアメリカ国民の相当数から支持されてるということは、アメリカ人でも“サル化”が進行しているということだと思います。

 日本でも同じです。安倍晋三も嘘に嘘を重ねてきましたけれど、本人はそれほど罪の意識はないと思います。「長期的に見た場合、こんな嘘を言って帳尻は合うのか」という考え方をしない人間にとっては「嘘をつかない」インセンティブはありませんから。世界中が“サル化”しているわけで、日本だけが特別悲惨なわけではないということです。そんなことを言っても何の慰めにもなりませんが。
――嘘が蔓延する一方で、露悪的に暴言を吐いたりヘイト発言をする人が、ある一定層にウケている現象についてはどうご覧になってますか?

内田 暴言を吐く人は昔からいました。でも、そういう「下品な人間」はあまり人前には出てこられなかった。そういうことは人前で言うもんじゃないという常識の抑制がかかっていたし、人前で下品なふるまいをする人間にはそれなりのペナルティが科された。でも、今はネットで匿名で発信できます。実社会で、固有名で発信した場合には相応の社会的制裁を覚悟しなければならないことでも、匿名でなら、責任をとるリスクなしにいくらでも下品になることができる。だから、これまで抑制されてた下品さが噴出してきた。下品な人間の比率そのものは時代によって変わりはしません。別に日本人が全体として下品になったわけじゃなくて、これまで隠れていた下品な人間が可視化されただけなんです。

さっぱり楽しくない「気まずい共生」とは?

――そうした時間意識が社会の分断化をより強めてきたようにも思います。どうしたら互いに溝の深い人々とも同じ共同体を形成することができるのでしょうか。
内田 哲学者のオルテガ・イ・ガセットが言うとおり、「敵と共に共生する、反対者とともに統治する」というのがデモクラシーです。だから公人たる者は反対者たちの意向も代弁して集団の利益を代表するのが仕事であって、自分の支持者の利益を代表するわけではない。それがいまや、デモクラシーというのは多数決のことだというシンプルな理解が支配的になった。選挙結果が51対49だったら、敗けた49についてはまったく配慮する必要がないと公言するような人物が首長になったり議員になったりしてる。彼らは自分が公人であるという自覚がない。自分の支持者を代表しているだけなら、「権力を持った私人」でしかない。

 デモクラシーの原点に立つなら、公人たる者は、自分の個人的な思いは痩せ我慢してでも抑制して、異論と対話して、反対者と共生する作法を学ばなければいけないと思います。それが本書にも書いた「気まずい共生」ということです。「気まずい」わけですから、さっぱり楽しくない。合意形成にもやたら時間がかかる。でも、それがデモクラシーのコストなんです。デモクラシーのコストを引き受ける気がないなら、独裁制か無秩序か、どちらかを選ぶしかない。


https://www.msn.com/ja-jp/news/national/「今さえよければそれでいい」社会が“サル化”するのは人類が「退化のフェーズ」に入った兆候/ar-BB10xLno?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/937.html#c1

[近代史3] 沖縄 首里城火災 _ 琉球人は何をやっても いい加減、無責任で「ゆすりとごまかしの名人」 中川隆
80. 中川隆[-13325] koaQ7Jey 2020年2月29日 17:46:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[196]

2020年02月29日
沖縄県の優遇ぶりと金満、タカリ体質 年間1兆円の「隠れ基地予算」
http://www.thutmosev.com/archives/64719968.html

働きもせず何年も座り込みする費用は、米軍と日本政府が出している。


引用:http://banmakoto.air-nifty.com/photos/uncategorized/2014/01/13/henoko4_2.jpg


基地反対なら沖縄予算を削減

日本政府は沖縄県だけを特別に優遇し、年間数千億円もの無償援助をしてきたが、沖縄は反発するばかりです。

以前から沖縄への特別な予算を見直すべきという意見があったが、政府は今まで見直さないとしてきました。

沖縄への特別な配慮として、様々な名目で年間数千億円を支出していたが、米軍基地の存在とは関連づけられていなかった。




政府は普天間飛行場などの返還が遅れると、跡地を利用した振興策が実行できなくなり予算が少なくなると説明している。

政府が意図的に減額するのではなく、跡地に対する予算が執行出来ないので減額される、という意味のようです。

普天間工事の妨害に対する制裁ではないが、「基地と振興はリンクしている」として将来的に移設が遅れるほど予算減額という方向になる。


日本政府や国内では沖縄振興予算の他、税制優遇も「不要ならば続けるべきではない」という意見が強まっている。

沖縄振興予算は年間約3350億円を支出し、将来も3000億円以上を維持するよう沖縄県が要請している。

那覇空港拡張や大学建設費、振興予算以外の各種補助金などは別に増額を要請しています。


普天間基地の辺野古移設で知事の埋め立て承認取り消しに対して国は違法確認訴訟を起こし、反発した沖縄県はさらに国を提訴しています。

辺野古移設に関して、国と沖縄県は訴訟合戦で複数の裁判を闘っています。

沖縄県は米軍基地負担と沖縄県の予算は無関係で、国からお金を受け取っていないと主張しています。

沖縄のぶらさがり体質

たとえば沖縄県のホームページでは「国からの財政支援は、全国12位」で多くは無いと書かれています。

沖縄振興予算がなぜ必要かについては「中国などアジア諸国との交流のため」日本国が必要としていると説明しています。

沖縄振興一括交付金の理由は特に書かれていないが、離島振興や人材育成、交通コスト対策、医療、教育、福祉などが対象だと書かれています。


ここで沖縄県に、他の県には出していない国からの予算がどれだけ出ているのかを書き出してみたい。

まず先ほどから書いている沖縄振興予算は3000億円以上が恒例になっているが、基地の見返りでなければ使途不明金という事になる。

沖縄県は「中国と仲良くする為に必要なお金」だと言っているが、その予算を使って沖縄知事は頻繁に北京と交流してスパイ活動をしている。


米軍基地の多くが借地で、地権者に高額の借地料を払っているが、全額日本政府が米軍に支払って負担している。

沖縄県の借地料は900億円だが、米軍を迂回して日本政府が70年間地権者に支払っているのです。

1平方辺り2千円から4千円などとなっているが、名義だけもっていれば100坪で約100万円入るのは美味しい利権です。


沖縄県の活動家の資金源は「借地料」や補償金で、普天間から居なくなったら借地料等が入らないので反対している人も居ます。

反基地運動の中心になっているのが、地権者と基地労働組合で、米軍が払った金で「日当」を支払って座り込みをしています。

いわゆるプロ市民と呼ばれる人たちで、仕事もしないで何年も座り込みやテント生活できる秘密がここにあります。

また沖縄県など自治体は、反対運動に参加する職員に給与を支払うなど、反基地運動を支援しています。

プロの活動家と沖縄県

過去に日本政府と米軍は、沖縄で反対運動が起きるたびに、借地料や補償金、補助金を値上げしてきました。

これを沖縄県から見ると、反対運動は金になり、報酬を支払ってでも基地反対運動をやって欲しいのです。

普天間訴訟も金儲けになっていて、「集団訴訟に参加すれば一人100万円出す」と言って募集していたのが分かっています。


米軍が直接支払っている金額だけで、軍用地料900億、軍雇用員給与460億、軍関係消費500億が毎年支払われている。

軍人と家族用の住宅だけで4000戸が存在し、建設費と借地料、家賃など全て米軍が支払っている。

家族や軍人、軍属による買い物、住宅や生活支出は何倍にもなって沖縄経済に波及しています。


沖縄の道路には95%の補助金、学校整備では85%、公営住宅75%、水道75%、空港95%、港湾90%など公共事業の90%が国の補助金です。

沖縄のGDPは3.7兆円ですが、こうした補助金が1兆円を占め、波及効果でGDPの半分以上は基地および補助金なのです。

公安調査庁の資料によると、辺野古移転反対運動に革マル派などの過激派が含まれている。


革マル派とは70年代の学生運動の成れの果てで「日本を中国軍に『解放』してもらおう」という狂った思想の連中です。

お金の流れとして日本政府が沖縄県に1兆円払い、沖縄県は元日本赤軍や元革マル派をプロ市民として雇って反対運動をしている。

そして沖縄の人間は「中国軍に沖縄を占領してもらい、日本軍を追い出そう」などと言って、日本政府の金で北京でスパイ活動をしています。


また沖縄県は「全国の米軍基地の74%が沖縄にある」と常々言っているが、実際にはどう検証しても23%しか無い。

74%というのは共用利用地として県民が自由に使える土地を含めていて、軍人の住宅地まで含めている。

そうした土地に対しても沖縄は借地料や利用料を受け取って儲け、その儲けでまた反対運動をして金儲けしている。

沖縄県はプロ左翼を職員として雇ったり臨時雇用し、給料を払って反対運動や反対派の送迎をしています。


そいつらに支払っている給料は結局のところ、沖縄以外の日本の納税者とアメリカ政府が負担しています。

http://www.thutmosev.com/archives/64719968.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/703.html#c80

[番外地7] 最近、反安倍に転向したチャンネル桜の出演者を見てると、必ずこの話を思い出す 中川隆
1. 中川隆[-13324] koaQ7Jey 2020年2月29日 18:18:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[197]


77 713 分前(編集済み)

最近、反安倍に転向したチャンネル桜の出演者を見てると、必ずこの話を思い出すんだ:
三島由紀夫の友人の素人作曲家が、戦時中「大東亜行進曲」という曲をつくり、北支、中支総司令官に贈り感謝状をもらった。そして戦後は、題名だけを「民主主義行進曲」に変え、GHQへ贈り感謝状をもらったという。

 三島は言う。

〈私はどうも戦後の文化の状況を考えてみて日本人が一方に偏してしまい文化の中心のバランスを崩してしまったように思う。はやい話が戦争中、軍部に協力し鼓吹した人間が戦後たちまちオピニオンリーダーになって、こんどは平和主義、反戦主義、あるいは革命を唱え、あるいは日本の国家観念の破壊をくわだててきたという道すじをみると、私は筆をとる人間として恥ずかしくてしかたがない〉(「私の自主防衛論」)

“サル化”しているチャンネル桜の出演者


“サル化”というのは「今さえよければそれでいい」という発想をすることです。目の前の出来事について、どういう歴史的文脈で形成されたのか、このあとどう変化するのかを広いタイムスパンの中で観察・分析する習慣を持たない人たちのことを“サル”と呼んだのです。

 歴史学的なアプローチも探偵の推理術も同じです。目の前に断片的な情報が散乱している。そこから「何が起きたのか」をいくつかのパターンで考え出し、すべての断片をつなぐことのできるストーリーを選ぶというのが探偵の推理術です。それが論理的思考ということです。でも、今の日本では、政治家も官僚もビジネスマンもメディアも、論理的にものを考える力そのものが急速に衰えた。広々とした歴史的スパンの中で「今」を見るという習慣がなくなった。時間意識が縮減したのです。それが「サル化した社会」です。

「サル化」という言葉は「朝三暮四」の故事から採りました。サルたちにこれまで給餌していた8つの栃の実を7つに減らすことになったとき、「朝3、夕方4ではどうか」と言ったらサルは怒り出し、「じゃあ、朝4、夕方3は?」と言ったら狂喜した。朝の自分と夕方の自分が同一であるということが仮想できなかったのです。ある程度長い時間を通じて自己同一性を保持できない人を笑ったのです。

 中学の漢文の授業で習ったときは「変な笑い話だ」と思っていたんです。どうして「こんな話」が何千年も語り伝えられるのか、意味がわからなかった。でも、よく考えたら、漢文で習う「守株待兎」も「矛盾」も「鼓腹撃壌」も、全部春秋戦国時代のものですが、本質的に「同じ話」なのです。どれも時間意識が未成熟な人間を笑っている。

適切な時間意識を持たないと人に笑われるぞという “脅し”
「矛盾」の武器商人は、「矛を売っているときの自分」と「盾を売っているときの自分」が同一であるということをうまく想像できない。切り株に偶然ウサギがぶつかったら、次の日から野良仕事を止めてしまった「守株待兎」の農夫には「確率」とか「蓋然性」という概念がなかった。「鼓腹撃壌」では「皇帝の善政のおかげでみんな幸福に暮らしている」と歌う子どもたちと「オレの日常に皇帝は何の関係もない」とうそぶく老人が対比的に扱われていますが、この老人には「因果」という概念がない。「矛盾」も「蓋然性」も「因果」もすべてある程度長い時間を俯瞰する視座に立たないと発生しない概念です。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/517.html#c1

[番外地7] 最近、反安倍に転向したチャンネル桜の出演者を見てると、必ずこの話を思い出す 中川隆
2. 中川隆[-13323] koaQ7Jey 2020年2月29日 18:23:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[198]
最近、反安倍に転向したチャンネル桜の出演者を見てると、必ずこの話を思い出すんだ:
三島由紀夫の友人の素人作曲家が、戦時中「大東亜行進曲」という曲をつくり、北支、中支総司令官に贈り感謝状をもらった。そして戦後は、題名だけを「民主主義行進曲」に変え、GHQへ贈り感謝状をもらったという。

 三島は言う。

〈私はどうも戦後の文化の状況を考えてみて日本人が一方に偏してしまい文化の中心のバランスを崩してしまったように思う。はやい話が戦争中、軍部に協力し鼓吹した人間が戦後たちまちオピニオンリーダーになって、こんどは平和主義、反戦主義、あるいは革命を唱え、あるいは日本の国家観念の破壊をくわだててきたという道すじをみると、私は筆をとる人間として恥ずかしくてしかたがない〉(「私の自主防衛論」)

“サル化”しているチャンネル桜の出演者


“サル化”というのは「今さえよければそれでいい」という発想をすることです。目の前の出来事について、どういう歴史的文脈で形成されたのか、このあとどう変化するのかを広いタイムスパンの中で観察・分析する習慣を持たない人たちのことを“サル”と呼んだのです。

 歴史学的なアプローチも探偵の推理術も同じです。目の前に断片的な情報が散乱している。そこから「何が起きたのか」をいくつかのパターンで考え出し、すべての断片をつなぐことのできるストーリーを選ぶというのが探偵の推理術です。それが論理的思考ということです。でも、今の日本では、政治家も官僚もビジネスマンもメディアも、論理的にものを考える力そのものが急速に衰えた。広々とした歴史的スパンの中で「今」を見るという習慣がなくなった。時間意識が縮減したのです。それが「サル化した社会」です。

「サル化」という言葉は「朝三暮四」の故事から採りました。サルたちにこれまで給餌していた8つの栃の実を7つに減らすことになったとき、「朝3、夕方4ではどうか」と言ったらサルは怒り出し、「じゃあ、朝4、夕方3は?」と言ったら狂喜した。朝の自分と夕方の自分が同一であるということが仮想できなかったのです。ある程度長い時間を通じて自己同一性を保持できない人を笑ったのです。

 中学の漢文の授業で習ったときは「変な笑い話だ」と思っていたんです。どうして「こんな話」が何千年も語り伝えられるのか、意味がわからなかった。でも、よく考えたら、漢文で習う「守株待兎」も「矛盾」も「鼓腹撃壌」も、全部春秋戦国時代のものですが、本質的に「同じ話」なのです。どれも時間意識が未成熟な人間を笑っている。

適切な時間意識を持たないと人に笑われるぞという “脅し”

「矛盾」の武器商人は、「矛を売っているときの自分」と「盾を売っているときの自分」が同一であるということをうまく想像できない。切り株に偶然ウサギがぶつかったら、次の日から野良仕事を止めてしまった「守株待兎」の農夫には「確率」とか「蓋然性」という概念がなかった。「鼓腹撃壌」では「皇帝の善政のおかげでみんな幸福に暮らしている」と歌う子どもたちと「オレの日常に皇帝は何の関係もない」とうそぶく老人が対比的に扱われていますが、この老人には「因果」という概念がない。「矛盾」も「蓋然性」も「因果」もすべてある程度長い時間を俯瞰する視座に立たないと発生しない概念です。

これらの逸話が春秋戦国時代に集中しているということは、おそらくその時期に「時間意識が成熟した人間」と「時間意識が未成熟な人間」が混在していたということだと思います。だから、「時間意識が未成熟な人間」を文明化することが社会的急務だった。こういう逸話が集中的に語られたのは、適切な時間意識を持たないと人に笑われるぞという「脅し」によって、人々を教化しようとしたからだと思います。

時間意識とは「もう消え去った過去」と「まだ到来していない未来」を自分の中に引き受けることです。過去の自分のふるまいの結果として今の自分がある。未来の自分は今の自分の行動の結果を引き受けなければいけない。そういう骨格のはっきりした、ある程度の時間を持ちこたえられるような自己同一性がその時代から要求されるようになった。

 エマニュエル・レヴィナスが「時間とは主体と他者の関係である」という非常にわかりにくい命題を語っていますが、僕たちがそれが「わかりにくい」と思うのは、「時間意識」というものが伸縮するということを忘れているからです。ごく限定的な時間意識しか持たない人間と、広々とした時間意識を持つ人間がいる。

 一神教信仰は信仰者にこの「広々とした時間意識」を要求します。「造物主による創造」という想像を絶するほどの過去と、「メシアによる救済」という想像を絶するほどの未来の間に宙吊りにされている今の自分というものを把握できたものだけが一神教のアイディアを理解できる。そこから人間の知性と倫理性が発動する。そういうアイディアが生まれたのが紀元前1000年から500年くらいのことであり、それが人類史的な特異点(シンギュラリティ)を形成したのだと思います。

現代人が「退化のフェーズ」に入ったことの徴候ではないか だから「今だけ、自分だけよければ」という現代人に特徴的な時間意識の縮減は、それから2000年、3000年経って人類が「退化のフェーズ」に入ったことの徴候ではないかと思ったのです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/517.html#c2

[番外地7] 最近、反安倍に転向したチャンネル桜の出演者を見てると、必ずこの話を思い出す 中川隆
3. 中川隆[-13322] koaQ7Jey 2020年2月29日 18:45:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[199]
最近、反安倍に変節したチャンネル桜の出演者を見てると、必ずこの話を思い出すんだ:
三島由紀夫の友人の素人作曲家が、戦時中「大東亜行進曲」という曲をつくり、北支、中支総司令官に贈り感謝状をもらった。そして戦後は、題名だけを「民主主義行進曲」に変え、GHQへ贈り感謝状をもらったという。

 三島は言う。

〈私はどうも戦後の文化の状況を考えてみて日本人が一方に偏してしまい文化の中心のバランスを崩してしまったように思う。はやい話が戦争中、軍部に協力し鼓吹した人間が戦後たちまちオピニオンリーダーになって、こんどは平和主義、反戦主義、あるいは革命を唱え、あるいは日本の国家観念の破壊をくわだててきたという道すじをみると、私は筆をとる人間として恥ずかしくてしかたがない〉(「私の自主防衛論」)

習近平来日と新型コロナ騒動を口実に泥船から逃げ出す安倍ヨイショ連中

「だからあれほど言ったのに」という感想しか出てこない。

 私は昔から安倍とその周辺は反日売国カルトだから、放置しておくと国が壊れると指摘してきたが、実際そうなってから、騒ぎ出す連中が増えてきた。

 特に新型コロナウイルスを巡る政府のデタラメな対応は、そのツケを払うときが巡ってきたことを示している。残念ながら自業自得と言うしかない。安倍政権の7年間は、国と社会に対するテロだった。

 安倍に騙されて安倍礼賛を続けてきたチャンネル桜は万死に値する。
「何を今更」である。その「無能」に媚びへつらい、礼賛してきたのはどこのどいつなのか?

 手のひらを返したチャンネル桜関係者は安倍の壊国に加担した罪を悔いているわけではない。単に算盤をはじいて、習近平来日とコロナウイルス騒動を口実に泥舟から逃げ出そうとしているだけだ。仮にこの先、安倍が逮捕されるようなことがあっても、連中は知らぬ顔を決め込むのだろう。


“サル化”しているチャンネル桜の出演者


“サル化”というのは「今さえよければそれでいい」という発想をすることです。目の前の出来事について、どういう歴史的文脈で形成されたのか、このあとどう変化するのかを広いタイムスパンの中で観察・分析する習慣を持たない人たちのことを“サル”と呼んだのです。

 歴史学的なアプローチも探偵の推理術も同じです。目の前に断片的な情報が散乱している。そこから「何が起きたのか」をいくつかのパターンで考え出し、すべての断片をつなぐことのできるストーリーを選ぶというのが探偵の推理術です。それが論理的思考ということです。でも、今の日本人は論理的にものを考える力そのものが急速に衰えた。広々とした歴史的スパンの中で「今」を見るという習慣がなくなった。時間意識が縮減したのです。それが「サル化した社会」です。

「サル化」という言葉は「朝三暮四」の故事から採りました。サルたちにこれまで給餌していた8つの栃の実を7つに減らすことになったとき、「朝3、夕方4ではどうか」と言ったらサルは怒り出し、「じゃあ、朝4、夕方3は?」と言ったら狂喜した。朝の自分と夕方の自分が同一であるということが仮想できなかったのです。ある程度長い時間を通じて自己同一性を保持できない人を笑ったのです。

 中学の漢文の授業で習ったときは「変な笑い話だ」と思っていたんです。どうして「こんな話」が何千年も語り伝えられるのか、意味がわからなかった。でも、よく考えたら、漢文で習う「守株待兎」も「矛盾」も「鼓腹撃壌」も、全部春秋戦国時代のものですが、本質的に「同じ話」なのです。どれも時間意識が未成熟な人間を笑っている。

適切な時間意識を持たないと人に笑われるぞという “脅し”

「矛盾」の武器商人は、「矛を売っているときの自分」と「盾を売っているときの自分」が同一であるということをうまく想像できない。切り株に偶然ウサギがぶつかったら、次の日から野良仕事を止めてしまった「守株待兎」の農夫には「確率」とか「蓋然性」という概念がなかった。「鼓腹撃壌」では「皇帝の善政のおかげでみんな幸福に暮らしている」と歌う子どもたちと「オレの日常に皇帝は何の関係もない」とうそぶく老人が対比的に扱われていますが、この老人には「因果」という概念がない。「矛盾」も「蓋然性」も「因果」もすべてある程度長い時間を俯瞰する視座に立たないと発生しない概念です。

これらの逸話が春秋戦国時代に集中しているということは、おそらくその時期に「時間意識が成熟した人間」と「時間意識が未成熟な人間」が混在していたということだと思います。だから、「時間意識が未成熟な人間」を文明化することが社会的急務だった。こういう逸話が集中的に語られたのは、適切な時間意識を持たないと人に笑われるぞという「脅し」によって、人々を教化しようとしたからだと思います。

時間意識とは「もう消え去った過去」と「まだ到来していない未来」を自分の中に引き受けることです。過去の自分のふるまいの結果として今の自分がある。未来の自分は今の自分の行動の結果を引き受けなければいけない。そういう骨格のはっきりした、ある程度の時間を持ちこたえられるような自己同一性がその時代から要求されるようになった。

 エマニュエル・レヴィナスが「時間とは主体と他者の関係である」という非常にわかりにくい命題を語っていますが、僕たちがそれが「わかりにくい」と思うのは、「時間意識」というものが伸縮するということを忘れているからです。ごく限定的な時間意識しか持たない人間と、広々とした時間意識を持つ人間がいる。
 一神教信仰は信仰者にこの「広々とした時間意識」を要求します。「造物主による創造」という想像を絶するほどの過去と、「メシアによる救済」という想像を絶するほどの未来の間に宙吊りにされている今の自分というものを把握できたものだけが一神教のアイディアを理解できる。そこから人間の知性と倫理性が発動する。そういうアイディアが生まれたのが紀元前1000年から500年くらいのことであり、それが人類史的な特異点(シンギュラリティ)を形成したのだと思います。

現代人が「退化のフェーズ」に入ったことの徴候ではないか だから「今だけ、自分だけよければ」という現代人に特徴的な時間意識の縮減は、それから2000年、3000年経って人類が「退化のフェーズ」に入ったことの徴候ではないかと思ったのです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/517.html#c3

[番外地7] 最近、反安倍に転向したチャンネル桜の出演者を見てると、必ずこの話を思い出す 中川隆
4. 中川隆[-13321] koaQ7Jey 2020年2月29日 18:49:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[200]
最近、反安倍に変節したチャンネル桜の出演者を見てると、必ずこの話を思い出すんだ:
三島由紀夫の友人の素人作曲家が、戦時中「大東亜行進曲」という曲をつくり、北支、中支総司令官に贈り感謝状をもらった。そして戦後は、題名だけを「民主主義行進曲」に変え、GHQへ贈り感謝状をもらったという。

 三島は言う。

〈私はどうも戦後の文化の状況を考えてみて日本人が一方に偏してしまい文化の中心のバランスを崩してしまったように思う。はやい話が戦争中、軍部に協力し鼓吹した人間が戦後たちまちオピニオンリーダーになって、こんどは平和主義、反戦主義、あるいは革命を唱え、あるいは日本の国家観念の破壊をくわだててきたという道すじをみると、私は筆をとる人間として恥ずかしくてしかたがない〉(「私の自主防衛論」)

習近平来日と新型コロナ騒動を口実に泥船から逃げ出す安倍ヨイショ連中

「だからあれほど言ったのに」という感想しか出てこない。

 私は昔から安倍とその周辺は反日売国カルトだから、放置しておくと国が壊れると指摘してきたが、実際そうなってから、騒ぎ出す連中が増えてきた。

 特に新型コロナウイルスを巡る政府のデタラメな対応は、そのツケを払うときが巡ってきたことを示している。残念ながら自業自得と言うしかない。安倍政権の7年間は、国と社会に対するテロだった。

 安倍に騙されて安倍礼賛を続けてきたチャンネル桜は万死に値する。
「何を今更」である。その「無能」に媚びへつらい、礼賛してきたのはどこのどいつなのか?

 手のひらを返したチャンネル桜関係者は安倍の壊国に加担した罪を悔いているわけではない。単に算盤をはじいて、習近平来日とコロナウイルス騒動を口実に泥舟から逃げ出そうとしているだけだ。仮にこの先、安倍が逮捕されるようなことがあっても、連中は知らぬ顔を決め込むのだろう。


“サル化”しているチャンネル桜の出演者


“サル化”というのは「今さえよければそれでいい」という発想をすることです。目の前の出来事について、どういう歴史的文脈で形成されたのか、このあとどう変化するのかを広いタイムスパンの中で観察・分析する習慣を持たない人たちのことを“サル”と呼んだのです。

 歴史学的なアプローチも探偵の推理術も同じです。目の前に断片的な情報が散乱している。そこから「何が起きたのか」をいくつかのパターンで考え出し、すべての断片をつなぐことのできるストーリーを選ぶというのが探偵の推理術です。それが論理的思考ということです。

でも、チャンネル桜関係者は論理的にものを考える力そのものが全く無い。
広々とした歴史的スパンの中で「今」を見るという習慣が無い。
時間意識が縮減したのです。それが「サル化した人間」です。

「サル化」という言葉は「朝三暮四」の故事から採りました。サルたちにこれまで給餌していた8つの栃の実を7つに減らすことになったとき、「朝3、夕方4ではどうか」と言ったらサルは怒り出し、「じゃあ、朝4、夕方3は?」と言ったら狂喜した。朝の自分と夕方の自分が同一であるということが仮想できなかったのです。ある程度長い時間を通じて自己同一性を保持できない人を笑ったのです。

 中学の漢文の授業で習ったときは「変な笑い話だ」と思っていたんです。どうして「こんな話」が何千年も語り伝えられるのか、意味がわからなかった。でも、よく考えたら、漢文で習う「守株待兎」も「矛盾」も「鼓腹撃壌」も、全部春秋戦国時代のものですが、本質的に「同じ話」なのです。どれも時間意識が未成熟な人間を笑っている。

適切な時間意識を持たないと人に笑われるぞという “脅し”

「矛盾」の武器商人は、「矛を売っているときの自分」と「盾を売っているときの自分」が同一であるということをうまく想像できない。切り株に偶然ウサギがぶつかったら、次の日から野良仕事を止めてしまった「守株待兎」の農夫には「確率」とか「蓋然性」という概念がなかった。「鼓腹撃壌」では「皇帝の善政のおかげでみんな幸福に暮らしている」と歌う子どもたちと「オレの日常に皇帝は何の関係もない」とうそぶく老人が対比的に扱われていますが、この老人には「因果」という概念がない。「矛盾」も「蓋然性」も「因果」もすべてある程度長い時間を俯瞰する視座に立たないと発生しない概念です。

これらの逸話が春秋戦国時代に集中しているということは、おそらくその時期に「時間意識が成熟した人間」と「時間意識が未成熟な人間」が混在していたということだと思います。だから、「時間意識が未成熟な人間」を文明化することが社会的急務だった。こういう逸話が集中的に語られたのは、適切な時間意識を持たないと人に笑われるぞという「脅し」によって、人々を教化しようとしたからだと思います。

時間意識とは「もう消え去った過去」と「まだ到来していない未来」を自分の中に引き受けることです。過去の自分のふるまいの結果として今の自分がある。未来の自分は今の自分の行動の結果を引き受けなければいけない。そういう骨格のはっきりした、ある程度の時間を持ちこたえられるような自己同一性がその時代から要求されるようになった。

 エマニュエル・レヴィナスが「時間とは主体と他者の関係である」という非常にわかりにくい命題を語っていますが、僕たちがそれが「わかりにくい」と思うのは、「時間意識」というものが伸縮するということを忘れているからです。ごく限定的な時間意識しか持たない人間と、広々とした時間意識を持つ人間がいる。
 一神教信仰は信仰者にこの「広々とした時間意識」を要求します。「造物主による創造」という想像を絶するほどの過去と、「メシアによる救済」という想像を絶するほどの未来の間に宙吊りにされている今の自分というものを把握できたものだけが一神教のアイディアを理解できる。そこから人間の知性と倫理性が発動する。そういうアイディアが生まれたのが紀元前1000年から500年くらいのことであり、それが人類史的な特異点(シンギュラリティ)を形成したのだと思います。

現代人が「退化のフェーズ」に入ったことの徴候ではないか だから「今だけ、自分だけよければ」という現代人に特徴的な時間意識の縮減は、それから2000年、3000年経って人類が「退化のフェーズ」に入ったことの徴候ではないかと思ったのです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/517.html#c4

[番外地7] チュチェ思想は共産思想ではなく典型的な儒教思想 中川隆
1. 中川隆[-13320] koaQ7Jey 2020年2月29日 19:04:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[201]
一番基本的な事が全くわかっていない人がいるので書いておきます:
チュチェ思想は共産思想ではなく典型的な儒教思想
中国も北朝鮮も共産主義国ではなくて儒教国家です。
世界で本当の共産主義に近かった国はバブル前の日本だけです。
それは、終戦後、共産主義者・ニューディ−ラーばかりだった GHQ が農地改革したり、意図的にインフレを起こして資産家の財産を取り上げて日本を無階級社会にしたからなのです。

日本共産党や労働組合もGHQが合法化しました。
一方、自称共産国家の中国はそんな事はしていません。
本来の共産主義国には、現在の中国みたいな階級も極端な貧富の差は絶対に存在しません。つまり、 中国共産党員は共産主義者ではなく正統派の儒教者なのです。


●中国・kankoku は儒教国。儒教は徳治主義。

●徳治主義は「徳のある」人には「良い結果」が訪れるという理屈。

●もしもお金を騙し取られた場合、騙されたのは「徳が無い」からとなる。

●もしもお金を騙し取り、うまく逃げおうせたら、それは「徳がある」から、お金を手に入れたとなる。

●よって騙されるより、嘘をついて騙す方が得。嘘がバレたらケンチャナヨ(まぁいいか)となる。

●嘘をつくというよりは、嘘のハードルが低い。

徳治主義について中国・kankoku は儒教の国です。儒教は徳治主義です。徳治主義というのは「徳のある人が統治者になると国が栄える」というものです。これは統治者に関わらず、国民全体に浸透しています。よって中国・kankoku ではこの徳治主義が倫理の基礎となっています。 それで庶民にとっての徳治主義をというのは、何か良い結果があれば、それはその人に徳があったからということになります。逆に悪い結果があれば、その人に徳がない、つまり、悪い人であるか、もしくはバカということになります。
この理屈をよく覚えておいてください。
騙す人と騙される人はどちらが悪いか。

ここで問題です。 Aさんがいます。 このAさんが、騙されてBさんにお金を取られたとします。
このとき、AさんとBさんはどちらが悪いでしょうか?普通の国ならBさんが悪い 普通の国ならノータイムで悪いのはBさんになります。 Bさんが騙しているからです。 事実と異なることを言って、誤解させてお金をせしめているからです。Bさんが嘘をついているから、Aさんは悪くないということです。 まぁ、場合によっては、「よくそんな嘘に騙されたな」ということもありますが、ほとんどの法治国家ではAさんに非は無く、Bさんの犯罪ということになります。 儒教の徳治主義に照らすとAさんが悪い でも儒教ではそう簡単にはいきません。 「悪い結果があったのは、その人に徳がないから」
という原則があるからです。 この原則に照らすと、Aさんが悪くなります。
お金を騙し取られるという「悪い結果」が起きたのはAさんに徳が無いからです。 騙す人の論理ではBさんの側で考えてみましょう。
Bさんは普通の国では問答無用で「悪い」のですが、儒教では「嘘をついた時点で悪」というわけではありません。儒教では警察に捕まるなどしないと、「悪い結果」と受け取られません。もしも、うまく逃げおうせたら、単に「BさんがAさんのお金を手に入れた」というBさんにとって「良い結果」だけとなり、なぜBさんがお金を手に入れることが出来たのかというと、それはBさんに徳があるからということになります。つまりBさんはうまくやった立派な人であり、徳のある正しい人となります。

無論、中国・kankoku 以外の国では警察に捕まろうと捕まらなくとも嘘をついた時点で「悪人」なのですが、儒教ではこういった結論と成ります。バレなければOK。バレたらケンチャナヨ精神です。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/502.html#c1

[文化2] ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン 中川隆
225. 中川隆[-13319] koaQ7Jey 2020年2月29日 19:15:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[202]
「今さえよければそれでいい」
社会が“サル化”するのは人類が「退化のフェーズ」に入った兆候
内田 樹 2020/02/29
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/「今さえよければそれでいい」社会が“サル化”するのは人類が「退化のフェーズ」に入った兆候/ar-BB10xLno?ocid=ientp

「今さえよければ、自分さえよければ、それでいい」――。
新著『 サル化する世界 』で、利己的で近視眼的なものの見方をする人々が増殖する社会を“サル化”と定義した思想家・内田樹氏が、世界的なモラルハザードを喝破する。

◆◆◆

「今さえよければそれでいい」という発想

――現代社会の趨勢を“サル化”というキーワードで斬った思いは何でしょうか?


内田 “サル化”というのは「今さえよければそれでいい」という発想をすることです。目の前の出来事について、どういう歴史的文脈で形成されたのか、このあとどう変化するのかを広いタイムスパンの中で観察・分析する習慣を持たない人たちのことを“サル”と呼んだのです。

 歴史学的なアプローチも探偵の推理術も同じです。目の前に断片的な情報が散乱している。そこから「何が起きたのか」をいくつかのパターンで考え出し、すべての断片をつなぐことのできるストーリーを選ぶというのが探偵の推理術です。それが論理的思考ということです。でも、今の日本では、政治家も官僚もビジネスマンもメディアも、論理的にものを考える力そのものが急速に衰えた。広々とした歴史的スパンの中で「今」を見るという習慣がなくなった。時間意識が縮減したのです。それが「サル化した社会」です。
「サル化」という言葉は「朝三暮四」の故事から

――確かに社会のさまざまな局面で長期ビジョンが失われ、刹那的な傾向が強まったように思います。


内田 「サル化」という言葉は「朝三暮四」の故事から採りました。サルたちにこれまで給餌していた8つの栃の実を7つに減らすことになったとき、「朝3、夕方4ではどうか」と言ったらサルは怒り出し、「じゃあ、朝4、夕方3は?」と言ったら狂喜した。朝の自分と夕方の自分が同一であるということが仮想できなかったのです。ある程度長い時間を通じて自己同一性を保持できない人を笑ったのです。

 中学の漢文の授業で習ったときは「変な笑い話だ」と思っていたんです。どうして「こんな話」が何千年も語り伝えられるのか、意味がわからなかった。でも、よく考えたら、漢文で習う「守株待兎」も「矛盾」も「鼓腹撃壌」も、全部春秋戦国時代のものですが、本質的に「同じ話」なのです。どれも時間意識が未成熟な人間を笑っている。

適切な時間意識を持たないと人に笑われるぞという “脅し”
「矛盾」の武器商人は、「矛を売っているときの自分」と「盾を売っているときの自分」が同一であるということをうまく想像できない。切り株に偶然ウサギがぶつかったら、次の日から野良仕事を止めてしまった「守株待兎」の農夫には「確率」とか「蓋然性」という概念がなかった。「鼓腹撃壌」では「皇帝の善政のおかげでみんな幸福に暮らしている」と歌う子どもたちと「オレの日常に皇帝は何の関係もない」とうそぶく老人が対比的に扱われていますが、この老人には「因果」という概念がない。「矛盾」も「蓋然性」も「因果」もすべてある程度長い時間を俯瞰する視座に立たないと発生しない概念です。

 これらの逸話が春秋戦国時代に集中しているということは、おそらくその時期に「時間意識が成熟した人間」と「時間意識が未成熟な人間」が混在していたということだと思います。だから、「時間意識が未成熟な人間」を文明化することが社会的急務だった。こういう逸話が集中的に語られたのは、適切な時間意識を持たないと人に笑われるぞという「脅し」によって、人々を教化しようとしたからだと思います。

――有名な故事の数々が、時間意識のトレーニングになっていたというのは驚きです。

内田 時間意識とは「もう消え去った過去」と「まだ到来していない未来」を自分の中に引き受けることです。過去の自分のふるまいの結果として今の自分がある。未来の自分は今の自分の行動の結果を引き受けなければいけない。そういう骨格のはっきりした、ある程度の時間を持ちこたえられるような自己同一性がその時代から要求されるようになった。

 エマニュエル・レヴィナスが「時間とは主体と他者の関係である」という非常にわかりにくい命題を語っていますが、僕たちがそれが「わかりにくい」と思うのは、「時間意識」というものが伸縮するということを忘れているからです。ごく限定的な時間意識しか持たない人間と、広々とした時間意識を持つ人間がいる。
 一神教信仰は信仰者にこの「広々とした時間意識」を要求します。「造物主による創造」という想像を絶するほどの過去と、「メシアによる救済」という想像を絶するほどの未来の間に宙吊りにされている今の自分というものを把握できたものだけが一神教のアイディアを理解できる。そこから人間の知性と倫理性が発動する。そういうアイディアが生まれたのが紀元前1000年から500年くらいのことであり、それが人類史的な特異点(シンギュラリティ)を形成したのだと思います。
現代人が「退化のフェーズ」に入ったことの徴候ではないか

 だから「今だけ、自分だけよければ」という現代人に特徴的な時間意識の縮減は、それから2000年、3000年経って人類が「退化のフェーズ」に入ったことの徴候ではないかと思ったのです。

 ――いまは日々あまりに忙しすぎて、目の前のことにあくせくせざるを得ないという社会環境も大きいと思います。

内田 産業構造の変化のせいだと思います。経済活動が人間的時間を超えた速度で活動し出した。株の売り買いなんかはマイクロセコンド単位で、アルゴリズムが行うわけですから、今の経済活動の基本時間はもう人間的時間ではない。人間の身体感覚や知性が賦活される時間の流れ方ではないのです。

 僕が子供の頃、1950年代はまだ生産者のうち農業従事者人口が50%を占めていました。ですから、経済活動を考量するときの時間単位が「植物的」だった。ですから、学校教育でも、子どもたちの成長は農業のメタファーで語られていました。「種子を撒いて、水と肥料をやって、日に当てて、風水害や病虫害から守ると、収穫期には果実が実る」という言い方で家庭教育も学校教育も語られた。
 子どもたちは「種子」ですし、育ち方はお天道さま頼りですから、先行きどのようなものに結実するか予測できない。キュウリができるのか、トマトができるのかは分からないけれど、きちんと手入れをすれば、この子が持ってる潜在可能性は開花するだろうという、諦観と楽観の入り混じった感情で子どもは育てられた。いくら手入れをしても、さっぱり芽を出さない子については「大器晩成」といって、そのうち何か大きなものに結実するんじゃないかというような気楽なことが言われた(笑)。
かつての植物的な時間の中での子育て

――ゆったりとした植物的な時間の中で子供も育まれていたわけですね。

内田 植物的時間というのは、基本四季のサイクルですからね。のんびりしたものでした。子どもは工場で工業製品を作るように、仕様を決めて、納期を決めて、規格を決めて、全工程を管理したら出て来るものだという考え方をしなかった。親や教師が管理できるのはせいぜい全体の2〜3割であって、8割ぐらいは自然力任せという感覚があった。日光や雨量やイナゴの来襲は人力ではコントロールできませんから。

 人類史のなかで農業が支配的な産業だった時期は長いです。だから、「子育て」についてのプロセスは無意識に農業のメタファーで語られていました。たとえば、ガリ版で刷った学級通信なんてだいたい「めばえ」とか「わかば」とか「みのり」(笑)というようなタイトルだったでしょう。幼稚園のクラス名などもよく植物の名前が使われていた。「うめ組」とか「ひまわり組」とかね。でも、産業構造が変わって、第二次産業が基幹産業になると同時に、工場での工業製品の生産プロセスに準拠したメタファーが用いられるようになった。そういう転換は無意識のうちに行われたので、誰も気づかなかった。

人間は生身の生き物なんであって、缶詰や乾電池じゃない

 今は学期ごとに学習到達目標が数値的に示されて、そこで示された「納期」と「仕様」に合わせて「生産」がなされなければいけないとみんな思っている。まるで自動車やコンピュータを作るように精密な工程管理と製品の質保証がうるさく言われるようになった。教育について語る言葉遣いも工学的になってきた。「シラバス通りの授業をしろ」とか「学士号の質保証」とか「PDCAサイクルを回す」とかいう、どれも工業の用語です。

 それと同時に四季のサイクルを基準にした植物的時間が棄てられて、その代わりに納期と仕様に合わせて工業製品を生産する工学的時間が採用されるようになった。人間では制御できない巨大な自然力が子どもの成長に介入するという考え方そのものが廃棄されて、すべては人工的に管理できるということが前提になった。
 でもね、人間は長らく植物的な時間のなかで子どもを育ててきた。それで何千年かやってきて、うまくいったんです。産業構造が変わったからと言って、教育まで支配的な産業構造に合わせて変える必要なんかないと僕は思います。子どもは植物的時間の中で成長すればいいじゃないですか。人間は生身の生き物なんであって、缶詰や乾電池じゃないんですから。

長期スパンで見たときのドナルド・トランプ

――近年、とみに政治家が平気で嘘をつくようになりました。嘘の答弁を並べ立てたり、フェイクニュースを垂れ流すのもまた時間意識の縮減でしょうか。

内田 Honesty pays in the long runということわざがありますね。「長期的に見れば、正直は引き合う」という意味ですが、それは逆に言えば、「短期的に見れば、嘘は引き合う」ということです。だから時間意識が縮減して、「短期的に見る」ことしかしない人間にとっては「嘘をつくことの方が引き合う」んです。

 ドナルド・トランプは100年単位の長期的なスパンでとらえたら、米国史上でもっとも愚鈍で邪悪な大統領として歴史に名を残すでしょう。長期スパンで見たときに、アメリカの国益を大きく損なった人として世界史に記録されることは確かですが、短期的に見れば大成功している。ファクトチェックによると、就任からすでに1万以上の嘘を重ね、フェイクニュースを垂れ流したことによって成功したわけです。「嘘は引き合う」の最も説得力のある事例です。

アメリカでも日本でも“サル化”が進行している

 約束を守るとか、隣国との信頼関係を構築するのは、短期的にはコストがかかるかも知れませんけれど、長期的には安全保障コスト、外交コストを引き下げることになる。でも、今のアメリカにはそれができない。他国を恫喝して、外交的な危機を煽ったほうが有権者は喜ぶし、兵器産業は儲かる。トランプが今もアメリカ国民の相当数から支持されてるということは、アメリカ人でも“サル化”が進行しているということだと思います。

 日本でも同じです。安倍晋三も嘘に嘘を重ねてきましたけれど、本人はそれほど罪の意識はないと思います。「長期的に見た場合、こんな嘘を言って帳尻は合うのか」という考え方をしない人間にとっては「嘘をつかない」インセンティブはありませんから。世界中が“サル化”しているわけで、日本だけが特別悲惨なわけではないということです。そんなことを言っても何の慰めにもなりませんが。


――嘘が蔓延する一方で、露悪的に暴言を吐いたりヘイト発言をする人が、ある一定層にウケている現象についてはどうご覧になってますか?

内田 暴言を吐く人は昔からいました。でも、そういう「下品な人間」はあまり人前には出てこられなかった。そういうことは人前で言うもんじゃないという常識の抑制がかかっていたし、人前で下品なふるまいをする人間にはそれなりのペナルティが科された。でも、今はネットで匿名で発信できます。実社会で、固有名で発信した場合には相応の社会的制裁を覚悟しなければならないことでも、匿名でなら、責任をとるリスクなしにいくらでも下品になることができる。だから、これまで抑制されてた下品さが噴出してきた。下品な人間の比率そのものは時代によって変わりはしません。別に日本人が全体として下品になったわけじゃなくて、これまで隠れていた下品な人間が可視化されただけなんです。

さっぱり楽しくない「気まずい共生」とは?

――そうした時間意識が社会の分断化をより強めてきたようにも思います。どうしたら互いに溝の深い人々とも同じ共同体を形成することができるのでしょうか。

内田 哲学者のオルテガ・イ・ガセットが言うとおり、「敵と共に共生する、反対者とともに統治する」というのがデモクラシーです。だから公人たる者は反対者たちの意向も代弁して集団の利益を代表するのが仕事であって、自分の支持者の利益を代表するわけではない。それがいまや、デモクラシーというのは多数決のことだというシンプルな理解が支配的になった。選挙結果が51対49だったら、敗けた49についてはまったく配慮する必要がないと公言するような人物が首長になったり議員になったりしてる。彼らは自分が公人であるという自覚がない。自分の支持者を代表しているだけなら、「権力を持った私人」でしかない。

 デモクラシーの原点に立つなら、公人たる者は、自分の個人的な思いは痩せ我慢してでも抑制して、異論と対話して、反対者と共生する作法を学ばなければいけないと思います。それが本書にも書いた「気まずい共生」ということです。「気まずい」わけですから、さっぱり楽しくない。合意形成にもやたら時間がかかる。でも、それがデモクラシーのコストなんです。デモクラシーのコストを引き受ける気がないなら、独裁制か無秩序か、どちらかを選ぶしかない。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/「今さえよければそれでいい」社会が“サル化”するのは人類が「退化のフェーズ」に入った兆候/ar-BB10xLno?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c225

[近代史3] 平和主義者だったトランプがイラン革命防衛隊の精鋭組織コッズ部隊の司令官を殺害した理由 中川隆
52. 中川隆[-13318] koaQ7Jey 2020年2月29日 19:31:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[203]
長期スパンで見たときのドナルド・トランプ

――近年、とみに政治家が平気で嘘をつくようになりました。嘘の答弁を並べ立てたり、フェイクニュースを垂れ流すのもまた時間意識の縮減でしょうか。

内田 Honesty pays in the long runということわざがありますね。「長期的に見れば、正直は引き合う」という意味ですが、それは逆に言えば、「短期的に見れば、嘘は引き合う」ということです。だから時間意識が縮減して、「短期的に見る」ことしかしない人間にとっては「嘘をつくことの方が引き合う」んです。

 ドナルド・トランプは100年単位の長期的なスパンでとらえたら、米国史上でもっとも愚鈍で邪悪な大統領として歴史に名を残すでしょう。長期スパンで見たときに、アメリカの国益を大きく損なった人として世界史に記録されることは確かですが、短期的に見れば大成功している。ファクトチェックによると、就任からすでに1万以上の嘘を重ね、フェイクニュースを垂れ流したことによって成功したわけです。「嘘は引き合う」の最も説得力のある事例です。


アメリカでも日本でも“サル化”が進行している

 約束を守るとか、隣国との信頼関係を構築するのは、短期的にはコストがかかるかも知れませんけれど、長期的には安全保障コスト、外交コストを引き下げることになる。でも、今のアメリカにはそれができない。他国を恫喝して、外交的な危機を煽ったほうが有権者は喜ぶし、兵器産業は儲かる。トランプが今もアメリカ国民の相当数から支持されてるということは、アメリカ人でも“サル化”が進行しているということだと思います。

 日本でも同じです。安倍晋三も嘘に嘘を重ねてきましたけれど、本人はそれほど罪の意識はないと思います。「長期的に見た場合、こんな嘘を言って帳尻は合うのか」という考え方をしない人間にとっては「嘘をつかない」インセンティブはありませんから。世界中が“サル化”しているわけで、日本だけが特別悲惨なわけではないということです。そんなことを言っても何の慰めにもなりませんが。

――嘘が蔓延する一方で、露悪的に暴言を吐いたりヘイト発言をする人が、ある一定層にウケている現象についてはどうご覧になってますか?

内田 暴言を吐く人は昔からいました。でも、そういう「下品な人間」はあまり人前には出てこられなかった。そういうことは人前で言うもんじゃないという常識の抑制がかかっていたし、人前で下品なふるまいをする人間にはそれなりのペナルティが科された。でも、今はネットで匿名で発信できます。実社会で、固有名で発信した場合には相応の社会的制裁を覚悟しなければならないことでも、匿名でなら、責任をとるリスクなしにいくらでも下品になることができる。だから、これまで抑制されてた下品さが噴出してきた。下品な人間の比率そのものは時代によって変わりはしません。別に日本人が全体として下品になったわけじゃなくて、これまで隠れていた下品な人間が可視化されただけなんです。


さっぱり楽しくない「気まずい共生」とは?

――そうした時間意識が社会の分断化をより強めてきたようにも思います。どうしたら互いに溝の深い人々とも同じ共同体を形成することができるのでしょうか。
内田 哲学者のオルテガ・イ・ガセットが言うとおり、「敵と共に共生する、反対者とともに統治する」というのがデモクラシーです。だから公人たる者は反対者たちの意向も代弁して集団の利益を代表するのが仕事であって、自分の支持者の利益を代表するわけではない。それがいまや、デモクラシーというのは多数決のことだというシンプルな理解が支配的になった。選挙結果が51対49だったら、敗けた49についてはまったく配慮する必要がないと公言するような人物が首長になったり議員になったりしてる。彼らは自分が公人であるという自覚がない。自分の支持者を代表しているだけなら、「権力を持った私人」でしかない。

 デモクラシーの原点に立つなら、公人たる者は、自分の個人的な思いは痩せ我慢してでも抑制して、異論と対話して、反対者と共生する作法を学ばなければいけないと思います。それが本書にも書いた「気まずい共生」ということです。「気まずい」わけですから、さっぱり楽しくない。合意形成にもやたら時間がかかる。でも、それがデモクラシーのコストなんです。デモクラシーのコストを引き受ける気がないなら、独裁制か無秩序か、どちらかを選ぶしかない。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/「今さえよければそれでいい」社会が“サル化”するのは人類が「退化のフェーズ」に入った兆候/ar-BB10xLno?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/786.html#c52

[近代史3] トランプは反グローバリズムの旗手なのか? それとも自分の支持率や人気を上げる事しか考えていない無知蒙昧なアホなのか? 中川隆
15. 中川隆[-13317] koaQ7Jey 2020年2月29日 19:32:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[204]
長期スパンで見たときのドナルド・トランプ

――近年、とみに政治家が平気で嘘をつくようになりました。嘘の答弁を並べ立てたり、フェイクニュースを垂れ流すのもまた時間意識の縮減でしょうか。

内田 Honesty pays in the long runということわざがありますね。「長期的に見れば、正直は引き合う」という意味ですが、それは逆に言えば、「短期的に見れば、嘘は引き合う」ということです。だから時間意識が縮減して、「短期的に見る」ことしかしない人間にとっては「嘘をつくことの方が引き合う」んです。

 ドナルド・トランプは100年単位の長期的なスパンでとらえたら、米国史上でもっとも愚鈍で邪悪な大統領として歴史に名を残すでしょう。長期スパンで見たときに、アメリカの国益を大きく損なった人として世界史に記録されることは確かですが、短期的に見れば大成功している。ファクトチェックによると、就任からすでに1万以上の嘘を重ね、フェイクニュースを垂れ流したことによって成功したわけです。「嘘は引き合う」の最も説得力のある事例です。


アメリカでも日本でも“サル化”が進行している

 約束を守るとか、隣国との信頼関係を構築するのは、短期的にはコストがかかるかも知れませんけれど、長期的には安全保障コスト、外交コストを引き下げることになる。でも、今のアメリカにはそれができない。他国を恫喝して、外交的な危機を煽ったほうが有権者は喜ぶし、兵器産業は儲かる。トランプが今もアメリカ国民の相当数から支持されてるということは、アメリカ人でも“サル化”が進行しているということだと思います。

 日本でも同じです。安倍晋三も嘘に嘘を重ねてきましたけれど、本人はそれほど罪の意識はないと思います。「長期的に見た場合、こんな嘘を言って帳尻は合うのか」という考え方をしない人間にとっては「嘘をつかない」インセンティブはありませんから。世界中が“サル化”しているわけで、日本だけが特別悲惨なわけではないということです。そんなことを言っても何の慰めにもなりませんが。

――嘘が蔓延する一方で、露悪的に暴言を吐いたりヘイト発言をする人が、ある一定層にウケている現象についてはどうご覧になってますか?

内田 暴言を吐く人は昔からいました。でも、そういう「下品な人間」はあまり人前には出てこられなかった。そういうことは人前で言うもんじゃないという常識の抑制がかかっていたし、人前で下品なふるまいをする人間にはそれなりのペナルティが科された。でも、今はネットで匿名で発信できます。実社会で、固有名で発信した場合には相応の社会的制裁を覚悟しなければならないことでも、匿名でなら、責任をとるリスクなしにいくらでも下品になることができる。だから、これまで抑制されてた下品さが噴出してきた。下品な人間の比率そのものは時代によって変わりはしません。別に日本人が全体として下品になったわけじゃなくて、これまで隠れていた下品な人間が可視化されただけなんです。


さっぱり楽しくない「気まずい共生」とは?

――そうした時間意識が社会の分断化をより強めてきたようにも思います。どうしたら互いに溝の深い人々とも同じ共同体を形成することができるのでしょうか。
内田 哲学者のオルテガ・イ・ガセットが言うとおり、「敵と共に共生する、反対者とともに統治する」というのがデモクラシーです。だから公人たる者は反対者たちの意向も代弁して集団の利益を代表するのが仕事であって、自分の支持者の利益を代表するわけではない。それがいまや、デモクラシーというのは多数決のことだというシンプルな理解が支配的になった。選挙結果が51対49だったら、敗けた49についてはまったく配慮する必要がないと公言するような人物が首長になったり議員になったりしてる。彼らは自分が公人であるという自覚がない。自分の支持者を代表しているだけなら、「権力を持った私人」でしかない。

 デモクラシーの原点に立つなら、公人たる者は、自分の個人的な思いは痩せ我慢してでも抑制して、異論と対話して、反対者と共生する作法を学ばなければいけないと思います。それが本書にも書いた「気まずい共生」ということです。「気まずい」わけですから、さっぱり楽しくない。合意形成にもやたら時間がかかる。でも、それがデモクラシーのコストなんです。デモクラシーのコストを引き受ける気がないなら、独裁制か無秩序か、どちらかを選ぶしかない。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/「今さえよければそれでいい」社会が“サル化”するのは人類が「退化のフェーズ」に入った兆候/ar-BB10xLno?ocid=ientp
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/493.html#c15

[近代史4] 仏教 中川隆
4. 中川隆[-13316] koaQ7Jey 2020年2月29日 19:57:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[205]

仏教信仰は人間を堕落させる _ タイが売春国家になった理由
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/708.html

タイは天国に二番目に近い国 1 _ タイの仏教
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/377.html#c5

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/219.html#c4

[近代史02] サルはなぜサルか 2 _ タイ人が微笑む理由 中川隆
18. 中川隆[-13318] koaQ7Jey 2020年2月29日 20:23:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[206]
経済危機が起きると一瞬で巻き込まれる。そのことを私は1997年にタイで学んだ
2020.02.29
https://blackasia.net/?p=17348

新型コロナウイルスはグローバル経済に大きなダメージを与えることになり、それが私たちの生活を極度に悪化させることになるのも覚悟しなければならない。「自分だけはうまく逃げられるはずだ」と思う人もいるかもしれない。しかし、それは疑問だ。かつて、私は天国から地獄に堕ちた国を目の前で見たことがある。誰もそこから逃れることができなかったのは、今でも強い印象として残っている。今の状況を見ていると、ふと「1997年の、あの頃に似ている」という思いが心によぎる。(鈴木傾城)


私たちの生活を極度に悪化させることになるのも覚悟せよ

新型コロナウイルスを巡る危機がいつ収まるのか、それは誰にも分からない。今までパンデミックを頑なに認めなかったWHO(世界保健機関)も、とうとう今頃になって危険性を最高レベルに引き上げた。

新型コロナウイルスはすでに震源地であった中国から離れて、日本や韓国や東南アジアやEU(欧州連合)や中東やアフリカや南米に広がり、いよいよアメリカにも上陸しようとしている。

封じ込めに成功する国家もある。シンガポールや台湾だ。しかし、封じ込めに失敗する国家もある。日本や韓国やイタリアやイランだ。これからも封じ込めに失敗する国家は続出するだろう。

そうなると、新型コロナウイルスの収束はどんどん延びていく。それを収束できるのはワクチンだけとなる。ワクチンが開発されれば必ず収まるということだけは分かっているのだが、ワクチンの開発がいつ成功するのか誰にも分からない。
数ヶ月後かもしれないが場合によっては来年に持ち越すかもしれない。そんなことは誰にも分からないのである。

そうであれば、新型コロナウイルスはグローバル経済に大きなダメージを与えることになり、それが私たちの生活を極度に悪化させることになるのも覚悟しなければならない。

「自分だけはうまく逃げられるはずだ」と思う人もいるかもしれない。しかし、それは疑問だ。

かつて、私は天国から地獄に堕ちた国を目の前で見たことがある。誰もそこから逃れることができなかったのは、今でも強い印象として残っている。今の状況を見ていると、ふと「1997年の、あの頃に似ている」という思いが心によぎる。


私は、経済危機に陥る前のと後をつぶさに見つめた

国が経済衰退や経済破綻に向かっていったら、国民のすべてはそれに巻き込まれて塗炭の苦しみを負うことになる。私は、実はある国の経済危機に陥る前と後をつぶさに見つめた「歴史の証人」である。

「その国に襲いかかった経済的苦境の嵐」が国民の生活を一変させる。そんな姿を私はこの目で見つめ、恐ろしく思ったのだった。それこそが、1997年に起きた「アジア通貨危機」である。

ちょうどその頃、私は経済好況に沸いて急激に先進国のようになっていくタイに嫌気がさして、軸足をタイからカンボジアに移している頃だった。この頃のタイは、毎日毎日そちこちで摩天楼の工事をしており、街の光景が一変していた。

その頃のタイ人の表情は明るく、そして快活だった。好況はタイだけではなかった。香港からシンガポールからマレーシアまで、東南アジアの多くの国は100年に一度あるかないかの経済好況に沸いていて、「ベトナム戦争の影を引きずる暗いアジア」という姿を捨て去ろうとしていたのだ。

経済成長が東南アジアを席巻していた。そのため街の光景まで一変して、ハイセンスな街が次々と姿を現すようになっていた。当時のバンコクの変わり様は驚くべきものだった。

街中の至る所で工事が進んでいて、目が覚めたら新しい街がひとつ出来上がっているような錯覚をするほどだった。

パッポンも売春ストリートというよりも、単なる土産屋のストリートに変化していき、もはやタイは私のような真夜中の世界で売春する女たちを追うハイエナがいるような場所ではなくなっていたのである。

ところが、その好況の最中に巨大な経済事件が起きた。

タイの通貨バーツが、突如として大暴落をはじめて止まらなくなっていったのだ。それは、1997年7月に起きた。


国が経済苦境に堕ちるとみんなまとめて人生が飛ぶ

アジア通貨危機は、ジョージ・ソロスのファンドや、それに付随するアメリカのヘッジファンド群れが、ドルに回帰して新興国通貨を売る過程で起きた経済事件である。

この当時、ヘッジファンドは次の成功は東南アジアではなく中国で起きると確信し、東南アジアの中で経常赤字を積み上げていたタイを標的にして怒濤の如く通貨を切り崩す「バーツ空売り」を仕掛けていた。

タイ政府はこれを防衛したが、空売りの勢力があまりにも強く通貨防衛できなかった。そこで起きたのがバーツ暴落だった。このとき、タイの優良企業はことごとく破滅寸前になって株価は大暴落した。

一流企業も、一流銀行も、国有化されることによって生き延びるしかないような危機に陥った。バンコク銀行ですらも、破産しかけたのだ。

当然、翌年から多くの人たちが失職し、この年から一流企業に勤めていたエリートの女性ですらも、セックス産業に流れるような事態になっていた。

あれほど自信に湧いていたタイ社会が、その翌年には何か別の国にでも来たかのようなほど意気消沈しているのは印象的だった。

皮肉なことに「もう終わりだ」と言われたパッポンが売春地帯としていきなり復活したのもこの頃だ。終わったのは、タイの真夜中の世界ではなく、表社会の方だったのだ。

このアジア通貨危機は世界経済に波状的に広がっていき、インドネシア経済をも吹き飛ばし、長らく続いたスハルト政権がこの時に崩壊している。

(ブラックアジア:1998年5月、インドネシアのコタの街で起きたレイプと虐殺)

いったん国が経済苦境に堕ちると、高学歴の人間も実務経験を持った人間も、一流企業に勤めていた人間も、中小企業の人間も、みんなまとめて人生を吹き飛す姿を私は目の当たりにした。それは、劇的であり、壮絶でもあった。

「国が傾くと、誰も逃げられないんだ……」と、私は肌身に感じた。

このアジア通貨危機はバブル崩壊を迎えていよいよ深刻化していた日本経済をさらに深刻化させていった。山一証券の破綻、長銀の破綻、北海道拓殖銀行の破綻は、このアジア通貨危機の最中に起きていた事件である。
恐ろしい時代だった……。


経済危機は、いったん巻き込まれたら逃げる間もない

1998年にはロシアも債務不履行に追い込まれていた。ロシアの国債は紙くずとなり、ロシア国内では預金封鎖が行われ、ロシア国民は一瞬にして生活できなくなった。

老人がゴミ箱を漁って暮らし、若い女性が世界中に人身売買されて売り飛ばされたのは、この時代だった。

この数年間のロシア女性の悲哀は私もよく覚えている。

カンボジアにもタイにもロシアの女性が哀しい目をしてセックス産業に堕ちていた。バンコクのスクンビット通りにも彼女たちが立っていた。

(ブラックアジア:娼婦ナナ。戦争を始めるのは男たち、代償を払うのは女たち)

バンコクの路上でロシア人の若い女性が売春ビジネスをするようになって、彼女が外国人の男を客として薄汚いホテルに連れて行く時代になるとは、いったい誰が想像しただろう。

この時、暗い目をして汚いアパートを見つめていたロシア人の女性ナナのことは今も忘れられない。他にも、ホテルに監禁されていたロシア女性もいた。(ブラックアジア:マイクズ・プレイス。緑の虹彩を持った女性とロシアの崩壊)
この2つのリンクを読んで欲しい。私が出会ったロシアの女たちだ。国が崩壊すれば、こんなことになるのである……。

この時代、自分の身の回りでも、たくさんの人たちが窮地に落ちていき、自殺したり、消息がなくなったり、逮捕されたり、殺されたりしている。
私たちは誰でも、自分だけが例外であると思いがちだが、そんなことはない。国が経済崩壊し、世の中がどん底に向かって流転していくとき、誰もがそれに巻き込まれていくのである。

アジア通貨危機はじわじわと来たのではない。ある日、突如として通貨暴落が来て、そのまま一直線で国家破綻、一流企業の崩壊がやってきた。経済危機は、いったん始まったら逃げる間もなく突き進むのだ。

今回の新型コロナウイルスも、突如としてやってきて株式の暴落を引き起こしている。そして世界を巻き込んで経済情勢を視界不良に陥れた。だから、今の状況を見ていると、ふと「1997年の、あの頃に似ている」という思いが心によぎっている。


https://blackasia.net/?p=17348
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/398.html#c18

[近代史3] 日本や中国のバブルは簡単に崩壊するけれど、アメリカのバブルだけは絶対に崩壊しない理由 中川隆
50. 中川隆[-13317] koaQ7Jey 2020年2月29日 20:23:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[207]
経済危機が起きると一瞬で巻き込まれる。そのことを私は1997年にタイで学んだ
2020.02.29
https://blackasia.net/?p=17348

新型コロナウイルスはグローバル経済に大きなダメージを与えることになり、それが私たちの生活を極度に悪化させることになるのも覚悟しなければならない。「自分だけはうまく逃げられるはずだ」と思う人もいるかもしれない。しかし、それは疑問だ。かつて、私は天国から地獄に堕ちた国を目の前で見たことがある。誰もそこから逃れることができなかったのは、今でも強い印象として残っている。今の状況を見ていると、ふと「1997年の、あの頃に似ている」という思いが心によぎる。(鈴木傾城)


私たちの生活を極度に悪化させることになるのも覚悟せよ

新型コロナウイルスを巡る危機がいつ収まるのか、それは誰にも分からない。今までパンデミックを頑なに認めなかったWHO(世界保健機関)も、とうとう今頃になって危険性を最高レベルに引き上げた。

新型コロナウイルスはすでに震源地であった中国から離れて、日本や韓国や東南アジアやEU(欧州連合)や中東やアフリカや南米に広がり、いよいよアメリカにも上陸しようとしている。

封じ込めに成功する国家もある。シンガポールや台湾だ。しかし、封じ込めに失敗する国家もある。日本や韓国やイタリアやイランだ。これからも封じ込めに失敗する国家は続出するだろう。

そうなると、新型コロナウイルスの収束はどんどん延びていく。それを収束できるのはワクチンだけとなる。ワクチンが開発されれば必ず収まるということだけは分かっているのだが、ワクチンの開発がいつ成功するのか誰にも分からない。
数ヶ月後かもしれないが場合によっては来年に持ち越すかもしれない。そんなことは誰にも分からないのである。

そうであれば、新型コロナウイルスはグローバル経済に大きなダメージを与えることになり、それが私たちの生活を極度に悪化させることになるのも覚悟しなければならない。

「自分だけはうまく逃げられるはずだ」と思う人もいるかもしれない。しかし、それは疑問だ。

かつて、私は天国から地獄に堕ちた国を目の前で見たことがある。誰もそこから逃れることができなかったのは、今でも強い印象として残っている。今の状況を見ていると、ふと「1997年の、あの頃に似ている」という思いが心によぎる。


私は、経済危機に陥る前のと後をつぶさに見つめた

国が経済衰退や経済破綻に向かっていったら、国民のすべてはそれに巻き込まれて塗炭の苦しみを負うことになる。私は、実はある国の経済危機に陥る前と後をつぶさに見つめた「歴史の証人」である。

「その国に襲いかかった経済的苦境の嵐」が国民の生活を一変させる。そんな姿を私はこの目で見つめ、恐ろしく思ったのだった。それこそが、1997年に起きた「アジア通貨危機」である。

ちょうどその頃、私は経済好況に沸いて急激に先進国のようになっていくタイに嫌気がさして、軸足をタイからカンボジアに移している頃だった。この頃のタイは、毎日毎日そちこちで摩天楼の工事をしており、街の光景が一変していた。

その頃のタイ人の表情は明るく、そして快活だった。好況はタイだけではなかった。香港からシンガポールからマレーシアまで、東南アジアの多くの国は100年に一度あるかないかの経済好況に沸いていて、「ベトナム戦争の影を引きずる暗いアジア」という姿を捨て去ろうとしていたのだ。

経済成長が東南アジアを席巻していた。そのため街の光景まで一変して、ハイセンスな街が次々と姿を現すようになっていた。当時のバンコクの変わり様は驚くべきものだった。

街中の至る所で工事が進んでいて、目が覚めたら新しい街がひとつ出来上がっているような錯覚をするほどだった。

パッポンも売春ストリートというよりも、単なる土産屋のストリートに変化していき、もはやタイは私のような真夜中の世界で売春する女たちを追うハイエナがいるような場所ではなくなっていたのである。

ところが、その好況の最中に巨大な経済事件が起きた。

タイの通貨バーツが、突如として大暴落をはじめて止まらなくなっていったのだ。それは、1997年7月に起きた。


国が経済苦境に堕ちるとみんなまとめて人生が飛ぶ

アジア通貨危機は、ジョージ・ソロスのファンドや、それに付随するアメリカのヘッジファンド群れが、ドルに回帰して新興国通貨を売る過程で起きた経済事件である。

この当時、ヘッジファンドは次の成功は東南アジアではなく中国で起きると確信し、東南アジアの中で経常赤字を積み上げていたタイを標的にして怒濤の如く通貨を切り崩す「バーツ空売り」を仕掛けていた。

タイ政府はこれを防衛したが、空売りの勢力があまりにも強く通貨防衛できなかった。そこで起きたのがバーツ暴落だった。このとき、タイの優良企業はことごとく破滅寸前になって株価は大暴落した。

一流企業も、一流銀行も、国有化されることによって生き延びるしかないような危機に陥った。バンコク銀行ですらも、破産しかけたのだ。

当然、翌年から多くの人たちが失職し、この年から一流企業に勤めていたエリートの女性ですらも、セックス産業に流れるような事態になっていた。

あれほど自信に湧いていたタイ社会が、その翌年には何か別の国にでも来たかのようなほど意気消沈しているのは印象的だった。

皮肉なことに「もう終わりだ」と言われたパッポンが売春地帯としていきなり復活したのもこの頃だ。終わったのは、タイの真夜中の世界ではなく、表社会の方だったのだ。

このアジア通貨危機は世界経済に波状的に広がっていき、インドネシア経済をも吹き飛ばし、長らく続いたスハルト政権がこの時に崩壊している。

(ブラックアジア:1998年5月、インドネシアのコタの街で起きたレイプと虐殺)

いったん国が経済苦境に堕ちると、高学歴の人間も実務経験を持った人間も、一流企業に勤めていた人間も、中小企業の人間も、みんなまとめて人生を吹き飛す姿を私は目の当たりにした。それは、劇的であり、壮絶でもあった。

「国が傾くと、誰も逃げられないんだ……」と、私は肌身に感じた。

このアジア通貨危機はバブル崩壊を迎えていよいよ深刻化していた日本経済をさらに深刻化させていった。山一証券の破綻、長銀の破綻、北海道拓殖銀行の破綻は、このアジア通貨危機の最中に起きていた事件である。
恐ろしい時代だった……。


経済危機は、いったん巻き込まれたら逃げる間もない

1998年にはロシアも債務不履行に追い込まれていた。ロシアの国債は紙くずとなり、ロシア国内では預金封鎖が行われ、ロシア国民は一瞬にして生活できなくなった。

老人がゴミ箱を漁って暮らし、若い女性が世界中に人身売買されて売り飛ばされたのは、この時代だった。

この数年間のロシア女性の悲哀は私もよく覚えている。

カンボジアにもタイにもロシアの女性が哀しい目をしてセックス産業に堕ちていた。バンコクのスクンビット通りにも彼女たちが立っていた。

(ブラックアジア:娼婦ナナ。戦争を始めるのは男たち、代償を払うのは女たち)

バンコクの路上でロシア人の若い女性が売春ビジネスをするようになって、彼女が外国人の男を客として薄汚いホテルに連れて行く時代になるとは、いったい誰が想像しただろう。

この時、暗い目をして汚いアパートを見つめていたロシア人の女性ナナのことは今も忘れられない。他にも、ホテルに監禁されていたロシア女性もいた。(ブラックアジア:マイクズ・プレイス。緑の虹彩を持った女性とロシアの崩壊)
この2つのリンクを読んで欲しい。私が出会ったロシアの女たちだ。国が崩壊すれば、こんなことになるのである……。

この時代、自分の身の回りでも、たくさんの人たちが窮地に落ちていき、自殺したり、消息がなくなったり、逮捕されたり、殺されたりしている。
私たちは誰でも、自分だけが例外であると思いがちだが、そんなことはない。国が経済崩壊し、世の中がどん底に向かって流転していくとき、誰もがそれに巻き込まれていくのである。

アジア通貨危機はじわじわと来たのではない。ある日、突如として通貨暴落が来て、そのまま一直線で国家破綻、一流企業の崩壊がやってきた。経済危機は、いったん始まったら逃げる間もなく突き進むのだ。

今回の新型コロナウイルスも、突如としてやってきて株式の暴落を引き起こしている。そして世界を巻き込んで経済情勢を視界不良に陥れた。だから、今の状況を見ていると、ふと「1997年の、あの頃に似ている」という思いが心によぎっている。


https://blackasia.net/?p=17348
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/121.html#c50

[近代史4] カール・グスタフ・ユングの世界 中川隆
1. 中川隆[-13316] koaQ7Jey 2020年2月29日 21:16:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[208]

オーディオ・オタクの性格 _ ユング性格学概説
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1044.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/394.html#c1
[近代史4] トランジスターアンプの世界 中川隆
3. 中川隆[-13315] koaQ7Jey 2020年2月29日 21:18:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[209]

オーディオ・オタクの性格 _ ユング性格学概説
2. マーク・レヴィンソンは元祖オーディオ・オタク
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1044.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/115.html#c3
[近代史4] 中川隆 _ アンティーク・オーディオ関係投稿リンク 中川隆
5. 中川隆[-13314] koaQ7Jey 2020年2月29日 21:19:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[210]

オーディオ・オタクの性格 _ ユング性格学概説
2. マーク・レヴィンソンは元祖オーディオ・オタク
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1044.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/109.html#c5
[近代史02] プーチン大統領は神の申し子_____小沢一郎先生はこういう人になって欲しかった 中川隆
169. 中川隆[-13313] koaQ7Jey 2020年2月29日 21:49:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[211]

国が経済苦境に堕ちるとみんなまとめて人生が飛ぶ

アジア通貨危機は、ジョージ・ソロスのファンドや、それに付随するアメリカのヘッジファンド群れが、ドルに回帰して新興国通貨を売る過程で起きた経済事件である。

この当時、ヘッジファンドは次の成功は東南アジアではなく中国で起きると確信し、東南アジアの中で経常赤字を積み上げていたタイを標的にして怒濤の如く通貨を切り崩す「バーツ空売り」を仕掛けていた。

タイ政府はこれを防衛したが、空売りの勢力があまりにも強く通貨防衛できなかった。そこで起きたのがバーツ暴落だった。このとき、タイの優良企業はことごとく破滅寸前になって株価は大暴落した。

一流企業も、一流銀行も、国有化されることによって生き延びるしかないような危機に陥った。バンコク銀行ですらも、破産しかけたのだ。

当然、翌年から多くの人たちが失職し、この年から一流企業に勤めていたエリートの女性ですらも、セックス産業に流れるような事態になっていた。

あれほど自信に湧いていたタイ社会が、その翌年には何か別の国にでも来たかのようなほど意気消沈しているのは印象的だった。

皮肉なことに「もう終わりだ」と言われたパッポンが売春地帯としていきなり復活したのもこの頃だ。終わったのは、タイの真夜中の世界ではなく、表社会の方だったのだ。

このアジア通貨危機は世界経済に波状的に広がっていき、インドネシア経済をも吹き飛ばし、長らく続いたスハルト政権がこの時に崩壊している。

(ブラックアジア:1998年5月、インドネシアのコタの街で起きたレイプと虐殺)

いったん国が経済苦境に堕ちると、高学歴の人間も実務経験を持った人間も、一流企業に勤めていた人間も、中小企業の人間も、みんなまとめて人生を吹き飛す姿を私は目の当たりにした。それは、劇的であり、壮絶でもあった。

「国が傾くと、誰も逃げられないんだ……」と、私は肌身に感じた。

このアジア通貨危機はバブル崩壊を迎えていよいよ深刻化していた日本経済をさらに深刻化させていった。山一証券の破綻、長銀の破綻、北海道拓殖銀行の破綻は、このアジア通貨危機の最中に起きていた事件である。
恐ろしい時代だった……。


経済危機は、いったん巻き込まれたら逃げる間もない

1998年にはロシアも債務不履行に追い込まれていた。ロシアの国債は紙くずとなり、ロシア国内では預金封鎖が行われ、ロシア国民は一瞬にして生活できなくなった。

老人がゴミ箱を漁って暮らし、若い女性が世界中に人身売買されて売り飛ばされたのは、この時代だった。

この数年間のロシア女性の悲哀は私もよく覚えている。

カンボジアにもタイにもロシアの女性が哀しい目をしてセックス産業に堕ちていた。バンコクのスクンビット通りにも彼女たちが立っていた。

(ブラックアジア:娼婦ナナ。戦争を始めるのは男たち、代償を払うのは女たち)

バンコクの路上でロシア人の若い女性が売春ビジネスをするようになって、彼女が外国人の男を客として薄汚いホテルに連れて行く時代になるとは、いったい誰が想像しただろう。

この時、暗い目をして汚いアパートを見つめていたロシア人の女性ナナのことは今も忘れられない。他にも、ホテルに監禁されていたロシア女性もいた。(ブラックアジア:マイクズ・プレイス。緑の虹彩を持った女性とロシアの崩壊)
この2つのリンクを読んで欲しい。私が出会ったロシアの女たちだ。国が崩壊すれば、こんなことになるのである……。

この時代、自分の身の回りでも、たくさんの人たちが窮地に落ちていき、自殺したり、消息がなくなったり、逮捕されたり、殺されたりしている。
私たちは誰でも、自分だけが例外であると思いがちだが、そんなことはない。国が経済崩壊し、世の中がどん底に向かって流転していくとき、誰もがそれに巻き込まれていくのである。

アジア通貨危機はじわじわと来たのではない。ある日、突如として通貨暴落が来て、そのまま一直線で国家破綻、一流企業の崩壊がやってきた。経済危機は、いったん始まったら逃げる間もなく突き進むのだ。
https://blackasia.net/?p=17348


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◆マイクズ・プレイス。緑の虹彩を持った女性とロシアの崩壊
2012.01.16 タイ編 売春地帯をさまよい歩いた日々
https://blackasia.net/?p=3350

久しぶりにバンコクに降り立ってソイ3を歩きロシア女性を捜した。しかし、半年前にはあれほどいたロシア女性たちが、煙のように消えてしまっていた。

ロシア女性はいつしかタイに現れ、バンコクのソイ3ストリートを歩き回っては男を誘っていた。それから半年もしないうちに、もう事態は変わっていた。

白人の売春女性の存在はタイでは目立ち過ぎていた。人身売買マフィアが巣食っていた悪名高きリージェント・ホテルは何度も家宅捜索の憂き目に遭っていた。

マイクズ・プレイス・ホテル

そして、ソイ3で客引き中にロシア女性が検挙されていた。ロシア女性はタイ売春業界の徒花(あだばな)であり、タイ警察の執拗な追求の前に消え去るのは時間の問題だったと言える。

時計を見るとまだ夜の9時を回ったばかりだった。

再び出直すことにして一度ナナ・プラザに向かい、夜の0時頃に再び戻ってロシア女性を確認してみた。同じだった。ソイ3を歩いているのはモスリムの男と、モスリム目当てのタイ人女性ばかりである。

しかし、この熱帯の国からロシア女性が完全に消えてしまったわけではないことを知っていた。

彼女たちを仕切るタイ・マフィアは度重なる警察の捜索に対抗して、ますますロシア女性を地下(アンダーグラウンド)に隠してしまっただけなのだ。
大半のロシア女性は危険なバンコクを逃れて、今はパタヤに移動していると聞いた。

ところが、いまだバンコクに残っている女性たちも少なくない。彼女たちはマフィアにほとんど監禁されたような状態で男に声をかけられるのを待っている。
その場所を知っていた。マイクズ・プレイス・ホテル(Mike”s Place Hotel)である。

ここでは実に1年以上も前からロシア女性を扱っていた。スクンビット通りからソイ3を入り、ずっと歩いていくとアラブ人御用達のグレース・ホテル(ここでもロシア女性の検挙が何度か行われている)が見える。

それを通り越してさらに歩いていくと道の左側にマイクズ・プレイスが見えてくる。

ここがロシア女性の「隠れ家」である。

マフィアにとってホテル経営は最適だ

マイクズ・プレイスは人身売買に関与し、ホテルぐるみでロシア女性を隠し、彼女たちに売春行為をさせては利益を吸い上げている極悪ホテルと言ってもいい。
ロシア女性はここに押し込まれて警察の目を逃れているのだった。

カンボジアもそうだが、マフィアは表向きの正業をホテル経営に求めることが多い。なぜならマフィアにとってホテル経営は様々なメリットがあるからである。
たとえば、人を誘拐・監禁するのに、ホテルは好都合である。あるいはホテルの部屋を盗聴・盗撮して利用客のプライベートを掌握して恐喝するのにも好都合である。

また、もぐりの違法賭博を設定するのもホテルなら好都合である。法に触れる仕事をこなした身内を匿(かくま)うのにも好都合である。
多額の現金が動く麻薬の売買も、ホテルの一室が使われることが多い。自分たちの経営するホテルなら密告もなく安全である。
そして忘れてはならないのは、人身売買で手に入れた女性たちを監禁して仕事をさせるのにも、ホテルはまさに打ってつけの場所であることだ。
やってきた客に部屋を供給するのもホテルなら当然の仕事だ。そういうホテルの数々のメリットにマフィアが飛びつかないはずがない。
結論として、タイ・カンボジア・中国・インドネシアのマフィアは、ホテル経営に精を出し、正業を隠れ蓑にして違法なビジネスに邁進することになる。
この当時、カンボジア・プノンペンの香港ホテルと、フェイバー・ホテルが相次いで爆破されていた。のちに、ここは経営者がマフィアであったことが暴露された。
ロシア女性の隠れ家であるマイクズ・プレイスも、まさにそんなホテルの典型的な例だろう。

ロシア女がいっぱいだ

グレース・ホテルを越えると、だんだん人通りが少なくなっていく。道ばたで寝ている浮浪者の姿も見える。

人通りが完全に消えるか消えないかの瀬戸際の距離にマイクズ・プレイスがある。
車の切れ目を狙って道路を渡り、一面ガラス張りの一階の扉を開けると、入口が小ぎれいなレストランになっているのが見える。
こんなところで食事を取ろうと思う人は少ないらしく、いつ行ってもここのレストランは閑散としている。
しかしホテル側もレストランで儲けようとは思っていないらしく、まったく営業努力をしている様子はない。
客の姿を見ると、ひとりの目つきの鋭い男が寄ってくる。顔は笑っているが目は笑っていない。これがタイ・マフィアの目であった。
身長は160センチほどで、タイ人にしては派手めの模様のついたポロシャツを着ていた。相手が何者か探りながらも、やって来た客を逃すまいと、客が何も言わない間から片手で奥へ促そうとしている。
「友達からロシアン・レディがいると聞いた」
英語で伝えると、その男はニヤリと笑った。そして「それなら俺は知っている」と達者な英語で奥に案内してくれた。
奥の左側はカウンターとエレベータがあった。
右側はロビーになっていて右裏に階段がある。その階段を登ると黒い扉のパブがあり、男は「ロシア女がいっぱいだ」と言いながら中に導き入れた。
店内は薄っすらと暗い。エアコンディションのよく効いた室内では、生演奏の音楽が大音量で鳴り響いていた。右側カウンターに向かい、案内役の男は一緒にカウンターに座った。
まわりを見回すと、白人女性が固まって何人も丸テーブルを囲んで、入ってきた客を注視しているのが見えた。大柄な身体、ブロンドヘア、そして親しみのある顔の作り……。
まぎれもなくロシア女性たちだった。
まるで犬でも扱っているように見えた
ウエイターに飲み物を頼み、マフィアの男と雑談をしながら改めて女たちをよく見つめた。
太った女、痩せた女、落ち着かない様子の女、眼鏡をかけた女……いろんな女たちがいたが、すべて白い肌のロシア女性であるという点で共通していた。
女は多かったが、客はあまりいなかった。
白人の男が数人と、旅行者らしき団体のアジア人がいた。一瞬、この団体は日本人なのかと目を疑ったが、よく見るとどうも表情やしぐさで日本人ではないというのが分かった。個人的には中国人だったと思う。
「どの女が好きだ?」とマフィアの男は急かせた。
「ブロンドもレッドもいる。ほら、あそこのテーブルを見ろ。あの女はナンバー1だ。セックスはうまい。スモーク(フェラチオ)も問題ない」
男はそんなことを言いながら親指を立てて”Good”のゼスチャーをした。
それから「ヘイ!」と大声を出してその女性を呼びつけ、女性が振り向くと”You!”(お前だ)と言いながら、ひとりを指差した。
乱暴な扱いだった。男はそのロシア女性にこちらに来るように言った。まるで犬でも扱っているように見えた。
女性は無表情のままゆっくりと歩いてやって来た。そして彼女はこちらをちらりと見て顔をそらす。
身長は170センチくらいだろうか。売春女性が好むボディコンシャスではなく、ジーンズをはいてブラウスを着ており、化粧も派手ではなかった。
この世界に飛び込んで、まだ日が浅いのだというのが分かる。二十歳を過ぎた女性だが、表情が何となくあどけない女性だった。
「グッド? もしお前がこのレディを欲しかったら、上の階の部屋へ一緒に行け。俺が案内する」マフィアの男は性急だった。
不快感を耐えているのが分かった
「待ってくれよ。他の女性も見たい」と言った。「もっと、もっと、たくさんの女を……」
男は苦々しく笑い、「じゃ、あの女はどうだ? こっちの女はどうだ?」とあちこち促す。客に早く金を吐き出させて、手っ取り早くカタをつけたいという態度がありありと分かった。
改めてよく見ると、どの女も笑っていなかった。
テーブルに座ってじっとしており、ときどき男をちらちらと眺めているだけだ。
女たちをモスクワから熱帯の国まで連れてきた巨大な組織の圧力が、女たちを見えない鎖で縛りつけているかのようだった。
踊っている女などひとりもいない。彼女たちは楽しむためにパブに来ているのではなく、ビジネスのためにここにいるのである。
ここは彼女たちにとって踊って楽しむところではなく、男に買われるために自分をディスプレイするところなのだ。
こちらが何も言わない間に、男は別の女性を「お前だ!」と呼びつけて、また目の前に立たせた。
「俺は何も言っていないよ」と男に向かって言うと、男は「いいから、いいから」となだめる。そして呼びつけた女の尻をぽんと叩いて「どうだ!」と笑った。
今度は眼鏡をかけたロシア女性で、ダークな照明のせいで眼鏡のガラスがまるでミラー入りのサングラスのようになっていた。
そんな眼鏡の反射のせいで目は見えなかったが、表情からして明らかに女性は白けており、不快感を耐えているのが分かった。「この女もグッドだ」と男は言った。
ショート、3,000バーツだ
無理やり押しつけられても、戸惑うばかりだ。
決めかねていると、男は席を立って女を目の前に座らせた。そして、ちょっと話でもしろと言う。彼女は無理やり笑顔を作って英語で「Hi(ハイ)」と言う。
笑顔でそれに答える。女が話し始めたのに安心したのか、男は大股で向こうの方に消えて行った。
「どこから来たの?」と女は尋ねたので、「日本から」と答えた。そして、彼女の出身地を聞いてみる。返事はやはりモスクワだった。
彼女の耳元に口を近づけて、「俺は彼が嫌いだ」と、さっきまでいたマフィアの男のことを小声で言った。
彼女は驚いて、しばらく何も言わなかったが、そのうち彼女も顔を近づけて「わたしも」と答えた。ふたりで意味ありげに笑った。
再び彼女の耳元に口を近づけ、「マフィア?」とさらに小声で念を押すと、彼女は黙ってうなずいた。
さらに突っ込んだ話をしようと身を乗り出すと、向こうに行った男がせわしなく戻ってきた。そして「オーケー?」と尋ねる。
やれやれと思いながら「オーケー。いくら?」と値段交渉に入る。男は今や満面の笑みを浮かべていた。そして「ショート、3,000バーツだ」と言い放った。
3,000バーツはタイではかなり高額であるのは間違いない。
パッポンやナナ・プラザ、テルメ等では、1,000バーツから1,500バーツで女性たちと手を打っている。
また半年前、ソイ3を歩いていたロシア女性は1,000バーツだと自分から切り出した。それから考えると、3倍の値段を提示されていることになる。「高いね」と言うしかなかった。
交渉は平行線を辿ったまま決裂
男は大袈裟に驚いた振りをして「ノー。全然高くない。なぜなら、よく見てみろ! ロシア女だ。タイの女じゃない。そうだろ?」と声高に主張した。
「彼女がロシア女性だというのは分かる。しかし、高い。ソイ3を歩いていたロシア女性は1,000バーツだった」
「お前は上の部屋を使え。ウーマン、ルーム、エアコンディション、すべて含めて3,000バーツだ。高くない。安いんだ」
男はそう言い張った。ディスカウントするつもりはないようだった。
それでも「高い」と言った。男は頑強に首を振って「安い」と言う。ふたりで言い合っていると、やがて見知らぬ男がやってきて交渉の中に割り込んだ。この男もまたマフィアの一員のようだった。
「よく聞け、3,000バーツは高くない」と根拠もなく断言する。
財布には常に5,000バーツは入っている。3,000バーツくらい決して払えない金額ではなかった。
しかし、それはマフィア価格である。まったく言い値のまま押し切られるのも、納得できないものがあった。
結局、交渉は平行線を辿ったまま決裂した。「すべてのロシア女性は3,000バーツか?」と尋ねると、男は「そうだ」と答えた。
溜息をつき、ロシア女性に指一本触れないままマイクズ・プレイスを後にすることになった。
パブを出る時に振り向くと、相手をしてくれた眼鏡のロシア女性はもはやこちらを見向きもしなかった。
そう言えば彼女の名前を聞くのを忘れた。忘れたというよりも聞くヒマもなかったのだった。

マイクズ・プレイスはまだやっていた
翌日、知り合いのタイ女性と共にゆっくりと時間をつぶしていた。ひとりで自分の宿泊するホテルに戻ったのはすでに真夜中も2時を過ぎていた。
シャワーを浴びてそのまま寝るつもりでいたが、ふと昨日のマイクズ・プレイスのことを思い出す。
こんな時間でもまだやっているのだろうか。
今から行こうかどうか迷ったが、そのうち服を着替えてホテルを抜け出て、真夜中のバンコクを野良犬のように歩き始めていた。
ソイ3はこんな時間になっても人通りは多かった。
民族衣装をつけたアラブ人やオープン・バーのタイ人女性が連れ添って歩いていたり、屋台のイスに座って通りがかる人々を所在なげに見つめていたりする。
ソイ3をどんどん奥へ進んで行くと真っ黒のボロ着をまとったホームレスの中年男女が道端で寄り添いながら寝ていた。夫婦のように見えた。
この夫婦を通り越してさらに歩いていくとマイクズ・プレイスは、煌々とネオンを発して客を待っていた。
中に入ると、昨日の男とは違って、正式にホテルの従業員の制服を着た50歳過ぎの男が即座にやってきた。
「ロシアン・レディに会いたい」と言うと、その男はニヤリと笑って「オーケー」と即答した。パブはまだやっているのかと思ったが、男は階段の方へ案内しないでエレベータの方へ連れて行った。
「パブはあっちじゃないのか?」と言うと、「もうクローズした。2時にクローズだ」と男は答えた。
パブではないとすると、いったいこの男はどこに連れて行くつもりだろうか。エレベータが来ると、好奇心に駆られるままそれに乗り込んだ。
エレベータの中では「どこから来た?」と男が尋ねる。「日本から」と答えると、男は黙ってうなずいた。男は7階で降り、それに続いた。
計5人が一室に閉じこめられていた
エレベータを降りると床は趣味の良い絨毯が敷いてあり、廊下の両側は客室になっている。エレベータわきには見張りと思われる男がひとり黙って立っており、こちらをじろじろと見つめた。
従業員と見張りの男はしばらく何かを話していたが、やがてふたりが奥の一室に案内してくれた。
見張りの男は客室のドアを何度かノックした。ドアはすぐに開かず、辛抱強く待った。
やっとドアが開いて中に通される。部屋は広く、テレビが点けっぱなしになって大きな音を立てていた。
ここまで案内してくれた従業員の男は、「ロシアン・レディだ」と言いながら、ベッドの方に顎をしゃくった。
ダブルベッドに、四人のロシア女性が皆一様にジーンズをはいて寝そべったり座ったりしていた。
見張りは数を数えていたが、ひとり足りないと思ったのか、急にバスルームに向かって行ってドアを開ける。
すると、バスルームから化粧直しをしていたロシア女性がもうひとり現れた。計5人がこの一室に閉じこめられているらしかった。
昨日の眼鏡の女性はいなかった。
「他の女は?」と聞くと、従業員の男が「イエス。他の部屋にいる。もしお前がこの女たちが気に入らないのなら、他の部屋の女のところに行こう」と言った。
現場を取り仕切る元締め
女性たちをよく見た。やはりどの女性も笑いかけるようなことはまったくなかった。みんな能面のような顔で、ただじっと客を見つめるだけであった。
いや、視線さえ合わせようとしない女もいた。ひとりは目も覚めるような見事な赤毛で、冷たい感じのする美人だった。
別のひとりは肩までのブロンドで、平凡で優しそうな顔つきをしていた。このふたりに興味を惹かれた。
「ショートでいくら?」と聞いてみた。すると、従業員は昨日と同じく「3,000バーツだ」と答える。
そう言われるのは予期していたが、やはり「高い」と言った。
今日は3,000バーツで手を打つつもりではいたが、ごねるだけごねてからオーケーするつもりだった。
従業員は、昨日の男と同じく「部屋代も何もかも込みで3,000バーツだから決して高くない」と言い張った。
こういう言い訳のところになると口が滑らかなのは、やって来る客が一様に「高い」と言っているのを何度も説明しているからに違いない。
値段交渉しているうちに、さらにふたりの男が部屋に入ってきた。部屋の雰囲気が一瞬にして変わった。誰も彼もが緊張した面持ちで口を閉ざした。
従業員は慌ててテレビの音量を下げる。ひとりは背が低く太っているが精力的な雰囲気を身体中から発散して人を威圧するような目つきをしていた。
肌の色はタイ人に比べると若干白い。携帯電話を片手に持ち、場を仕切る有様は、タイ人というよりも中国人に近かった。
この男が売春の現場を取り仕切る元締めであるというのは、この場に居合わせたすべての男、すべての女が沈黙して彼を見つめていることで分かった。
もうひとりは恐らく彼のボディガードだろう。
こちらは刺青を彫った裸の上半身に着古したデニムの上着を軽く引っかけて、まったくの無表情のままであった。
最後通牒
元締めの男がタイ語で吼えるような調子で何かを言うと、従業員が今までの経緯を話し出した。
たぶん「この日本人は3,000バーツが高いと駄々をこねている」などと言っているのだろう。
元締めは威嚇するように「どの女がいいんだ?」と尋ねてきた。ブロンドの平凡なロシア女性に目をやって「彼女がいい」と答えた。「オーケー。3,000バーツ。部屋はここだ」と元締めはあっと言う間に決めてしまった。
「ノー」と反論する。「3,000バーツは非常に高い。2,000バーツにしてくれ」
それを聞いて男たちは一瞬沈黙したが、元締めは「2,500バーツ。これでいいな? いいな!」と脅迫するかのように大声で言った。
有無を言わさない交渉であった。元締めは威圧するように立ち、まわりを男たちが囲んだ。
つまりこれは最後通牒であった。
これを受け入れなければ、どんな目に遭ったとしても文句は言えないに違いない。しばらく考えてからオーケーした。
2,500バーツは確かに相場よりも高いが、ロシア人売春女性は違法(イリーガル)であり、タイ・マフィアもそれだけ危険を冒して女性を提供しているのだ。
彼らにはコストがかかっており、そのコストが値段に反映していると考えると、資本主義の理屈には合っているには違いない。
3,000バーツでもオーケーするつもりでいたが、500バーツをディスカウントさせてひとりのロシア女性を手に入れた。
現金をその場で支払うと、男たちは残りの女たちを引き連れて部屋を出ていき、平凡な顔つきのロシア女性がポツンと残された。
あなたの目はブラウンよ
女は先ほどの緊迫したやり取りにすっかり怯えきっており、こちらを見る目がこわばっていた。
名前を聞くと「ローラ」と答えた。英語は「リトル」だった。彼女もまたモスクワ出身だと言った。
「日本からやって来たツーリスト」だと言って、マフィアの一員ではないことを説明すると、彼女は幾分気が和らいだようだった。
近くで見るローラの目は青く澄んでいて美しく、素直に彼女の目が魅力的だと言った。「目の色はブルーだね」と言うと、彼女は「違うわ」と首を振って「グリーンよ」と答えた。
ホテルの少々薄暗い明かりが悪いのか、どう見ても彼女の目の色はブルーにしか見えなかった。
「今はブルーにしか見えない」と言うと、彼女はわざわざハンドバックから手鏡を取り出して自分の目をのぞき込んだ。「イエス、ブルー。でも、グリーンよ」と彼女は言い続けた。
「俺はブラックだよ」と言って彼女に見せる。彼女は目をのぞき込んで、また「ノー」と言った。
「あなたの目はブラウンよ」。手鏡を借りて自分の目をのぞき込むと、確かに自分の目は深い茶色というのが正確だった。
初めてローラの顔に笑みが浮かんだ。やっと打ち解けた。
話が途切れると、彼女が服を脱ぎ始めた。黒のブラジャーに黒のパンティ、そして黒のストッキングをガータベルトでとめている典型的な欧米型の売春ファッションが目の前に現れる。
欧米の売春女性にはガータベルトが必須のアイテムだ。
タイのような熱帯の国に来てまでストッキングをはくのは、このガータベルトをつけたいがために違いない。ローラの肌は透き通るように白く美しかった。
ローラの緑色の虹彩
彼女のビジネスが終わった後、先にローラがシャワーを浴びた。そのあとに浴室に入ると明るい蛍光灯が灯っていた。ローラを浴室に呼んだ。下着姿のままのローラが怪訝な顔をしてやってくる。
「目をもう一度見せてくれ」と言うとローラは顔いっぱいに笑みを浮かべた。明るい蛍光灯の下で見るローラの目は、確かに輝くようなグリーンだった。
「イエス。グリーンだ」と言うと、ローラは「あなたはブラウンね」と再び言った。
「イエス」と答える。いつ見ても白人女性の瞳の色は神秘的だ。ローラの緑色の虹彩の中に引き込まれそうだった。

虹彩の色はメラニン色素の量が決定していると言う。すなわち、メラニン色素が多いと瞳は黒くなり、少ないと青っぽい色になるらしい。

ローラはまぶしそうに目をしばたかせて、ロシア語で何かを言った。聞き返すと彼女は何でもないと言う風に首を振り、浴室から出て行く。

着替え終わると、ローラと最後の抱擁をして部屋を出た。エレベータのところでは見張り役がひとりだけ廊下にいて、客の姿を見つけると何も言わずにうなずいただけで合図して1階のボタンを押した。

やがてやって来たエレベータに乗って1階に降りると、ちょうどホテルのカウンターのところで元締めがボディーガードと一緒にいるところに出くわした。
元締めは「終わったか?」と尋ねた。「終わった」と答えると、すぐに興味をなくしてカウンターの女性と話し込む。

ホテルの従業員がやって来て、慇懃にホテルのエントランスまで送り届けてガラス戸を開けた。

金を払って用済みになった客はさっさとホテルから出ていくように無言で伝えているかのようだった。

夜中の4時を回ったソイ3を歩きながら、マイクズ・プレイスのロシア女性を扱った稼業はこれからもずっと続いて行くのだろうかと考えていた。
もし警察に踏み込まれるようなことにでもなれば、マイクズ・プレイスの売春稼業は壊滅するだろう。

しかし、あれだけの用心深さで稼業を守っているとすると、当分は安泰と考えていいのだろうか。

ロシア女性があまりにも抑圧されていたのが気になった。


黒の下着とガータベルト

若く魅力的なロシア系の白人女性は、ここではただの奴隷だったのだ。国が破綻して経済的に成り立たなくなると、その国の女性はどうなるのか目の当たりにしてきた。

白人の国であろうが、黒人の国であろうが、黄色人種の国であろうが同じである。国が破綻すると、女性は売春に身を落とす。
状況が揃えば、女性たちはマフィアに売られ、知らない国へと人身売買されてゆく。

そして、どこかに監禁されて売春を強要されるのだ。どこかとは置屋であったり、マッサージ・パーラーであったり、パブであったり、ホテルの一室であったりする。

ローラは経済破綻が生み出した現在の奴隷だった。共産主義体制、アフガン戦争、チェチェン戦争……。そのような歴史で国を疲弊させた政治家が、ローラのような女性を生み出した。

ソビエト連邦が崩壊し、エリツィン前大統領は「ロシアを500日で近代的な資本主義国へ転換する」と豪語した。

しかし、経済は混乱し、社会秩序は乱れ、道徳は崩壊し、ついには国そのものが破綻してしまった。

ソ連は、かつて東南アジア一帯に大きな影響力を持っていた。ベトナム戦争時は共産主義というイデオロギーと共にソ連の影響力はインドシナ半島を席巻した。
カンボジア・ラオスの共産化についてもソ連の存在とは無縁では存在しなかった。
そんな強大なソ連は、1991年に崩壊して、もはや東南アジアにロシア(ソ連)の影響力は皆無に近い存在になった。

そして現在。

かつての支配者はすっかり落ちぶれて、自分たちの国の女性をプターナ(売春女性)として世界中に流出させる事態となっている。

世界中というのは誇張ではない。オランダ、ドイツ、シリア、イスラエル、サイパン、グアム、ハワイ、タイ、カンボジア、日本、香港、中国、アメリカ……。
あらゆる国でロシア女性は売春奴隷として酷使されているのだ。

オランダに売られた旧ソ連の女性は、アムステルダムの飾り窓に立たされる羽目になっている。

イスラエルの売春宿にも偽造パスポートで送り込まれたロシア女性が、ひっきりなしに男を取らされている。

アメリカ・ロサンゼルスでも密入国したロシア女性が逮捕される事件もあり、実際には売春宿に多数潜り込んでいるのが確認されている。今やロシア最大の輸出品は女性だと言ってもいいかもしれない。

奴隷にしか見えなかった売春ビジネスは、本国ロシアでは若い女性の人気の職業のひとつになっているそうだ。なぜなら、手っ取り早く現金が稼げるからである。
彼女たちはもはや国など当てにできず、信じられるのは自分の肉体だけという極限の状況に放り込まれている。

しかし、そんな人気の職業は、マフィアによる人身売買の歯車であり、女性の肉体は単なる商品のひとつとして扱われる。
人格は無視されるのが当たり前の危険な職業だった。そうであったとしても他に選択肢がなかったに違いない。

国の経済的な破綻と個人の絶望的な貧困の前で、彼女たちは国を捨てて異国へ赴く。黒の下着とガータベルトをつけて……。
https://blackasia.net/?p=3350

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html#c169

[近代史02] プーチン大統領は神の申し子_____小沢一郎先生はこういう人になって欲しかった 中川隆
170. 中川隆[-13312] koaQ7Jey 2020年2月29日 21:54:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[212]

◆娼婦ナナ。戦争を始めるのは男たち、代償を払うのは女たち
2011.12.22
タイ編 売春地帯をさまよい歩いた日々
https://blackasia.net/?p=3405



タイ・バンコク。熱帯の夜の喧噪の街をゆっくりと歩いていると、真っ正面から黒いボディ・コンシャスに身を包んだ白人女性が近づいて来た。

売春ビジネスに関わる女独特の視線が絡みついてきた。それに応えると、女は流し目を投げて”How are you ?”(ご機嫌はいかが?)とていねいな口調で尋ねた。

肌はきれいなホワイト、彫りの深い顔立ち、ふんわりと仕上げた肩までのショートカットは黒髪。

まっすぐこちらを見つめるその瞳の色は透明度の高い灰色と言えばいいのか、茶色を限りなく灰色にした色と言えばいいのか、日本人には形容しにくい色をしている。

目次 閉じる 1. グレースホテル界隈
2. ナナ・ホテルと同じナナだね
3. 20歳前後なのかもしれない
4. ミーシャ
5. どこに滞在してるの?
6. リージェント・ホテル
7. 数人の女たちが共同生活している部屋
8. モスクワに帰りたい
9. 貧窮に追い込まれたロシアの娘たち
10. 悪い意味の平等

グレースホテル界隈

“I”m Fine.”(気分はいいよ)と伝え、さらに”Where are you come from?”(どこから来たの?)と尋ねてみた。女はむっちりとした胸を見せつけるような姿勢をしながら簡潔に答える。

“Moscow”(モスクワよ)

この女性こそがモスクワからやってきたロシア女性で、探していた女性のようだった。

“Bombom mai?”(セックスですか?)

白人女性がタイ語のスラングを使うことに軽い違和感を感じながらもうなずく。すると彼女は手を回してきて「あなたのホテルへ行きましょう」と言った。

肩を抱いて同意すると、彼女はにっこりと笑いかけてきた。

バンコクのスクンビット通りからソイ3を北上して行くとグレースホテルがある。このホテルは20年ほど前からアラブ人の集まる界隈として有名だ。

華やかな民族衣装を着たモスリムの人々が闊歩する姿を見ていると、ここはタイではなくアラブのどこかの街ではないかという錯覚に陥る。

街の看板にはアラビア語が踊り、マトンの肉を大きな塊のまま焼いて薄く削いでいる料理人の姿を見ることができる。

初めてこの界隈を歩いた15年前はまだ中華料理屋もあった。しかし、商魂たくましい中国人もモスリムにはさすがにお手上げだったようで、現在はどちらを見てもアラブ一色に染まっていた。

ソイ3周辺の光景。歩いているのはイスラム系。そして看板もまたアラビア語であることが分かる。

ナナ・ホテルと同じナナだね

ここはまさにタイの異邦の地である。

間違えてこの界隈に足を踏み入れた日本人は、違和感に圧倒されて退散するしかないような独特の雰囲気を醸し出している。

有名なグレースホテルのコーヒーショップには、アラブ人やインド人の好みである太った女性が多く集まる。

この界隈のオープンバーもまたそのような女性たちが媚びを売っている姿を見ることができる。価値観の違い・文化の違い・嗜好の違いは決定的で、この界隈は長い間、縁遠い地でしかなかった。

ところが、ここ2年ほどの間でソイ3界隈にロシアの白人売春女性がちらほらと姿を現すようになっていた。それで「縁遠い場所」とは言ってられなくなった。

白人に対して憧れや思い入れはないのだが、彼女たちの存在そのものが興味を引いた。熱帯の地まで来て売春するロシア女性とは、いったいどういう女性なのか知りたかった。

そして陽も落ちてネオンと喧噪が街を埋め始めた頃、ソイ3をゆっくり北上して難なくロシア女性と知り合ったというわけである。ホテルに向かう道すがら、彼女に名前を尋ねた。

「ナナ」と彼女は答える。

「ナナ・ホテルと同じナナだね」と笑うと、「わたしはホテルではないわ」とふくれた。

仲間内でからかわれているらしく、そうやって軽く怒るところに彼女の愛嬌を感じた。

実際、彼女は愛嬌があって大らかな性格をしていた。彫りの深い顔は性格のキツさを感じさせるのだが、それは勝手な思い込みのようで、素朴な優しさが彼女にはあった。

20歳前後なのかもしれない

宿泊していたホテルの部屋に入ると、ナナはベッドの端に座って屈託のない笑みを浮かべ、”Money”(マネー)と言った。

「終わってから払うよ」と言うと、「どうしても先に欲しい」と言った。

「お金は持ってるから心配ないよ」と財布を開いて見せて上げたが、それでも「先に欲しい」と聞かないので彼女の言う通りにした。

あとで知ったのだが、ロシアからやってきた女性たちのほとんどは、先に売春代をもらうようにしているようだ。

彼女たちは主にアラブ人を客にしているのだが、アラブ人は終わったあと、何かと長い交渉を始めて金を払わないので自然と先にもらうようになったようだ。

抱きしめようとすると、彼女は子供をいさめるような口調で「ノー」と言いながら、部屋の電気を消そうとした。

「ライトは点けたままがいい」

そう言うと、彼女は笑いながら「ダメ」と言った。

しかし「白い肌を見ていたいからライトは必要だ」と主張すると、彼女は何か納得したようにうなずき、ライトは点けたままでもいいことになった。

シャワーを浴び、バスタオルを巻いてベッドに入ってきたナナを裸にすると、横になっても形の崩れない美しい乳房が目の前に現れた。

服を着ているときは豊胸だと思ったのだが、実際は大きくなかったのは服で誤魔化していたのだろう。

真っ白な肌に青い血管がうっすらと見える。陰毛は周辺を剃って、小さな三角地帯だけを残していた。

彼女の顔から判断して20代後半だろうと思っていたが、乳房の張りや瑞々(みずみず)しい肌に考えを変えた。20歳前後なのかもしれない。

ミーシャ

彼女はプロの仕事をこなした。終わると緊張が解けたのか、さかんにロシア語らしき言葉で独り言を言った。意味は分からない。

巻き舌のそれを真似ると彼女はくすくすと笑い、一生懸命に発音を矯正して完璧に近づけようと努力した。

彼女の乳房をもてあそびながら、いつの間にかロシア語講座を受ける羽目になった。彼女は何度も発音を訂正した。

ナナは笑いながらも、真剣だった。きっと何事にも一途になる性格なのだろう。結局、セックスと同じくらいの時間をロシア語の発音に割いたように思う。

すっかりナナが面白くなったので、翌日もソイ3に行きナナの姿を捜した。ロシアの女性がソイ3に5〜6人ほど固まって煙草を吸っていたがナナの姿はない。

彼女たちに「ナナを知ってる?」と聞くとほぼ全員が「イエス」と答えた。「彼女はどこにいるの?」と質問すると、そのうちのひとりが肩をすくめて「知らない」と答えた。

他の男に買われたのだとすぐに悟った。そうでなければ、もっと別の答え方をするはずだろう。

ナナが目当てだったので、どうしようか迷った。すると、女のひとりが煙草を捨てて身体をぴったり密着させてきた。そして「わたしはどう?」とモーションをかけてくる。

ナナと違って化粧が厚く、人工的な雰囲気がした。

どこか退廃の匂いを感じさせる女だった。名前を聞くとミーシャと答えた。やはりロシア出身だ。

曖昧な答え方をしながら5分ほど時間を稼いで目当てのナナを待ったが、結局彼女は姿を見せずじまいだった。ミーシャと一緒にいることにした。

どこに滞在してるの?

ミーシャはぶっきらぼうでそっけなく、どこか投げやりなところがあった。まったく噛み合わないまま、事務的に彼女の仕事を終わらせて別れた。

やはり別の女のことが頭にあるとうまくいかないもので、必ずしもミーシャが悪かったわけでもないように思う。

女は信じられないほど敏感な生き物だ。他の女のことを考えていると、すぐに悟られてしまう。

満たされないものを抱え、翌日の夜になるとまたもやソイ3に行く羽目になった。

今度は何時間待ってでもナナを指名する覚悟だった。路地にはやはりナナの姿は見えず、失望した。通りに立っている白人の女たちに尋ねても、昨日と同じく肩をすくめて「知らない」と言う。

ナナは特に美人というわけではなかった。スタイルもそれほどいいわけでもない。

確かにセクシーな服を着せればそれなりに見えるが、普通の服を着せれば、何の取り柄もない平凡な女性に早変わりするに違いない。

それでもナナにこだわったのは、彼女の性格が心地良かったからだ。優しく飾り気のない性格が、そのときの気分にぴったりと合っていたのだ。

アルバニアから来たという金髪の白人女性と時間をつぶしながら待っていると、10分ほどでナナが姿を見せた。

そんなに待たずに彼女に会えたのはラッキーだった。挨拶すると彼女は笑みを浮かべてそれに応えてくれた。

「このあたりはロシア女性が多いけど、みんなどこに滞在してるの?」

そう尋ねると、彼女は「この近く」と答えた。少し好奇心を持ったので「そのホテルに行きたい」と言ってみる。”No Good.”(それは良くない)と彼女は答えた。

「わたしのホテルはノー・グッド。だからあなたのホテルに行く」

リージェント・ホテル

ノー・グッドと言われると、どんな風に良くないのか急に彼女の部屋を見たくなった。頼み込むと、ナナは男の妙な好奇心に苦笑いしながら了解した。

「でも、あなたはホテルに300バーツをペイしなければならない」

いわゆるジョイナー・フィーのことを言っているようで「それでもいいのか」と尋ねているのだ。もちろん異論はなかった。

ナナに連れて行かれたのは、ソイ3を右手に折れたリージェント・ホテルだった。

一見ホテルとは分からない古い建物である。ホテルの入口はアラブ系の男たち、ロシア人売春女性、タトゥを刺したタイ人の男たちで溢れている。

男たちは容赦ない視線を投げかけてきて、決して目をそらそうとしなかった。ロビーでたむろしている白人の女たちもまた、ナナと一緒に入ってきた闖入者を冷ややかな視線で見つめていた。

その中でも2、3人の女は息を飲むような美しさだった。

ホテルのフロントの痩せたタイ人女性は電話を取ったまま、金をよこせと手だけを差し出した。彼女のまわりにいた屈強なタイ人男性が「300バーツだ」と言う。

財布を取り出して金を払おうとすると、ほぼ全員が財布の中をのぞき込んできた。まるでまな板の鯉になった気分だった。

金を払っても、なぜかカウンターの女は鍵を出さなかった。ナナは「大丈夫」と言いながら奥のエレベータまで歩いていき、やって来たエレベータに乗り込んだ。

エレベータのランプはつかず、ボタンを押してもちゃんと作動しているのか不安になる。

エレベータは古くて動きがゆっくりしており、箱の中は煙草の匂いが充満していた。売春女性やアラブ系の男たちはどこでも煙草を吸う。エレベータの中も例外ではないようだった。

数人の女たちが共同生活している部屋

連れて行かれた5階は部屋が5つほどあり、その中の一番奥が目指す部屋のようだった。

ナナはドアをノックした。鍵をもらえないわけが分かった。部屋には誰かいるのだ。中から反応がなく、ナナはドアのノブをがちゃがちゃさせてさらにノックを続けた。

しばらくしてゆっくりとドアが開き、中からひとりの男が出てきた。

生気のない痩せた白人の男で、歳は40歳くらいだろうか。派手なシャツと金のネックレスは、この男が旅行者ではなくマフィアの一員であることを窺わせた。

この男とナナはロシア語で短い会話をして、男は鋭い一瞥をくれて部屋を出て行った。

部屋に入ると窓は開けっ放しになっていた。下をのぞくとソイ3からひとつ中に入った路地が見える。

路地にいたアラブ系の男たちと、たちどころに視線が合った。どうやらこのホテル全体は鉄格子のない監獄のように見張られているようだ。点けっぱなしのテレビは白黒の画像が流れていた。

ナナにベッドに座らせられた。

彼女は一度部屋の奥に行き、それから今度は何も言わず部屋から出て行った。突然、部屋の中にひとり取り残され、はっとして最悪の事態を覚悟した。

このホテルがマフィアの巣窟になっているのはどんな鈍い男でも分かる。

その中で女に導かれてのこのこやって来たあげく、ひとりで部屋に放り出されているのだ。次に何が起きてもおかしくない。

ベッドはトリプルベッドのサイズだった。部屋の隅にはマットレスに毛布を敷いた簡易ベッドも置いてある。

よく見ると段ボールが6個ほど2段に積み上げられて、一番上の段ボールの口から女性ものの下着や衣類が詰め込まれているのが見えた。

どうやらここで数人の女たちが共同生活している気配だった。

モスクワに帰りたい

しばらくして入口のドアが開く気配がした。いよいよ男たちがカネ目当てにやってきたのだろうか。

背筋に冷たいものを感じたが、姿を見せたのはさっき出ていったばかりのナナだった。

“What”s is happen?(どうしたんだい?)と尋ねたが、ナナは”Nothing”(別に)と答えてベッドに身体を投げ出した。

“This hotel is no good.”(このホテルは最低ね)
ナナは顔をしかめながら言った。

“Are you stay here?”(ここにステイしているの?)
“Yes”(イエス)
“How many stay in this room?”(この部屋で何人くらい?)

そう尋ねると”six”(6人)と言う。なるほど、それくらいの人間が共同生活をしている「生活臭」がこの部屋から漂ってきている。

ナナとはここで刹那的な愛を交わした。

“I want to go back to Moscow. But No work, No money.”
(モスクワに帰りたい。でも、帰っても仕事がない。お金がない)

そう訴えるナナを抱きながら、いつしかカンボジアの70ストリートの女たちのことを思い出した。

いずれにせよ、ナナも70ストリートの女たちも資本主義の犠牲者として底なしの地獄まで堕ちてしまった境遇だ。

マフィアの商売道具にされ、場末の売春宿で大勢の男の慰み物にされて朽ち果ててしまう人生が待っている。

長い内戦によって経済が破綻したカンボジアには貧困が蔓延(はびこ)っている。戦争が国を破綻に追いやった分かりやすい例だ。

一方のロシア(ソ連)もまた、かつては超大国として君臨したにもかかわらず、アメリカとの冷戦構造やアフガニスタンとの戦争によって国を疲弊させてしまった。ここにも暗い戦争の影がある。

1979年にアフガンに侵略したソ連はそれから延々と10年間に渡って残虐な戦争を続け、この戦争に敗北してしまった。

イスラム教を罵る共産主義者に対して、燃え上がるような宗教心で戦いに望んだアフガニスタンのゲリラ統一戦線に、ソ連は為す術もなかった。そして、戦意を失ってしまったのだ。

貧窮に追い込まれたロシアの娘たち

この侵略戦争がやがて自国を破滅に追いやるほどの経済的負担、人的負担を与えていることに気がついたソ連の首脳陣はプライドを捨てて撤退した。

しかし、その時にはすでに時遅しだった。国内経済は手の打ちようもなく完全に自壊していた。それから4年後、ソ連は崩壊してしまった。

1992年のソビエト社会主義連邦共和国の瓦解は、この国を長らく統制してきた共産党の崩壊だった。

共産党の次にやってきたのはエリツィン率いる民主主義だったが、これが見事に失敗してしまい、その後のロシアの迷走は周知の事象である。

度重なる経済危機に翻弄されてバランスを失っていくエリツィン政権、マフィアの台頭、そしてチェルノムイルジン等、大物政府高官の派手な汚職、債務履行遅延(モラトリアム)、プーチン大統領と原潜事故……。

ロシアから流れてくるニュースはどれもこれも破滅的なものばかりであり、現在もまだロシアは立ち直る気配すら見せていない。

そして貧窮に追い込まれたロシアの娘たちは、自らの身体をマフィアにゆだねた。

2000年8月に、カンボジアでは7人の旧ソビエト連邦の娘たちが保護されたが、これは氷山の一角に過ぎなかった。

実際にはタイを舞台にロシアン・マフィアが暗躍し、貧困で立ちゆかなくなった女性を供給し始めている。ナナが共同生活しているホテルにはそういう女たちが30人ほどいるようだ。

悪い意味の平等

彼女たちは故郷を捨て、慣れない熱帯の国の不潔なホテルで共同生活を強いられている。

マフィアに監視され、聞いたこともないような国の男たちに抱かれる。結局、悲惨な状況に陥った女性たちにとって取るべき選択肢は売春でしかないのか。

コロンビア女性は日本で売春を行い、タイ女性はスリランカで売春を行い、ベトナム女性はカンボジアで売春を行い、北朝鮮女性は中国で売春を行い、ネパール女性はインドで売春を行う。

そして、ロシア女性はタイで身体を開き、望郷の念を口走りながら男を迎え入れる。

戦争を始めるのは男たち、代償を払うのは女たち。そして、女が身体で払う代償を受け取るのもまた男だ。

しばらくして、シャワーを浴びようとバスルームに行くと、ナナはスリッパを用意してくれた。

シャワーは壊れてるし、水しか出ないのだとナナは肩をすくめながら説明してくれた。

バスルームを見ると、誰かが土足で出入りしているせいか、床は土やゴミで黒ずんで恐ろしく不潔な状態になっていた。

便器もこびりついた汚物で汚れ、女たちの下着が便器わきに干されているのが何か物悲しいものを感じさせた。ここで水を浴びて、ベッドに戻って服を着替えた。

ナナは部屋に残るというので、ひとりで部屋を出た。外にはマフィア風の痩せた男がじっと廊下に立ちつくしていた。

出てきた客を見るとただ顎をしゃくっただけで挨拶し、入れ替わりで部屋の中に消えて行った。どうやらナナがビジネスをしている間、じっと部屋の外で待っていたようだ。

エレベータは相変わらず動いているのかどうか分からないので、階段で下に降りて行った。どの階もマフィア風の男がそれぞれ立っており、中には女と言い争いしている男もいた。女はやはり白人ロシア系だった。

檻のない収容所のようなホテルを出て、ふとこの世には「平等な世界」が底辺では存在していることに気がついた。

貧困に喘ぎ、何も持たない女は、国籍・人種を問わず「平等に食い物にされる」という悪い意味の平等だ。

ナナはそんな「平等」の中に堕ちてしまった。そして、「モスクワに帰りたい」と言いながら、いろんな男たちに抱かれ続ける。

https://blackasia.net/?p=3405
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/297.html#c170

[近代史4] チャンネル桜のアホ番組に出演する自称専門家の話は信じてはいけない 中川隆
1. 中川隆[-13314] koaQ7Jey 2020年3月01日 00:34:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[213]

日本はアジアの植民地解放の為に戦争したのではない


日本のアホ右翼は太平洋戦争はアジアを植民地支配から解放する為にやったというデマを流しているが…
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/157.html

戦後の日本人は本当に GHQ とマッカーサーに洗脳されて東京裁判史観・自虐史観を持つ様になったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/232.html

「特亜」以外のアジアは「親日」だという妄想
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/733.html

昭和天皇が2・26事件を起こさせた本当の理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/578.html

ディビット・バーガミニ _ 天皇の陰謀 天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/760.html

鬼塚英昭 日本の真相 天皇のための戦争・天皇は内通していた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/761.html

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トランプは反グローバリストではなく親イスラエルのネオコンだった


トランプは反グローバリズムの旗手なのか? それとも自分の支持率や人気を上げる事しか考えていない無知蒙昧なアホなのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/493.html

平和主義者だったトランプがイラン革命防衛隊の精鋭組織コッズ部隊の司令官を殺害した理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/786.html

ユダヤ陰謀論とグローバリズムを考える _ ヨーロッパ化されたキリスト教がユダヤ思想の正体で、ユダヤ教やユダヤ人とは何の関係も無かった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/504.html

東海アマ 福音派キリスト教はキリスト教の仮面を被ったユダヤ教
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/487.html


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/401.html#c1

[近代史3] ロベルト・シューマン 交響曲第4番 中川隆
11. 中川隆[-13313] koaQ7Jey 2020年3月01日 02:05:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[214]
E.T.Aホフマン「牡猫ムルの人生観」 2020 FEB 29 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/02/29/e-t-aホフマン「牡猫ムルの人生観」/

序論

世の中は新型コロナで騒然としてきた。僕はウィルスのメカを医師に教わったり本やネットで調べたり、大昔からそういうことが好きであり、その結果で腑に落ちた世界観に忠実に2月から行動してきたのがコロナの一連のブログだ。世間がいまさらになって何を騒いでるかなんてことにはからっきし興味がない。唯一あるとすると、KOVID-19が特異だということだ。ウィルスはこわいし徹底して忌避しているが、それはそれとして、ぎょしゃ座エプシロンの伴星ぐらい知的好奇心を喚起されるものがある。この星に子どもの時からずっと興味があるが行ってみたいとは思わないのと一緒である。

人も物事も、齢65にもなると大事なのは興味あるかどうかだけだ。それは、僕の場合は「特異かどうか」なのだ(特異点さがしこそ僕の本質)。「特異」の意味を定義しておくが、「普通でない」ということだ。ではまず普通とは何か。ここでそれを表す日本語が少ないことに気づく(古語だと「つね」)。英語はcommon、usual、normal、average、ordinaryなど盛りだくさんだが、それらの否定語がすべて、ニュアンスの異なる「普通でない」になる。僕の言う「特異」はそのどれでもないからそもそも特異なのである。では何かというと、ある一点をもって偏差値80以上ほどのスペックが明確にあり、そのことが奇異だという、なにか秘境を見つけたようなワンダフルな特別のエモーションを喚起するものであって、英語はそれに対し、普通の否定形でない独立の形容詞を用意している。それはeccentricだ。
言葉は民族の感性と思考が生む。日本人は普通に重きを置かず西洋人は置く(だから分別する語彙が豊富)が、それはそもそも人間に同じ人はいないというギリシャ的視点からは同質の集団が珍しく、名前を付けて区別する動機があったからで、逆に日本人は人間は(庶民は)同質で、いわば羊が不加算名詞であるに似て、区別する動機がなかったから語彙が少ないのだと思う。西洋はその反作用として「普通でない」ものの普通でなさを細かく認識する語彙も豊富になったという気がするのだ。日本ではそれは「変な」「妙な」「けったいな」で感情的に否定して思考停止で終わってしまい、主知的な観察は放棄してしまう。つまり、根っから異質を嫌うそういう民族だということが語彙で分かる。

eccentric(エキセントリック)を多くの日本人は否定的な形容詞と思っているだろうが、むしろとんがった所を肯定するニュアンスだってある。ところがそれをうまく表す日本語がない、だからそういうことになるのである。僕においてはクラシック音楽は、常人が書けるものではないeccentricな音楽であり、したがって、そう定義した非常にピンポイントな意味において「特異」である。そう書きながら自分で馬鹿だと思うのは、特異な曲しかクラシックとして残らないトートロジーではないかと感じるゆえだ。つまりそれは長い時を経て西洋人が、それもとんがりを「なにか秘境を見つけたようなワンダフルな特別なエモーションを喚起するもの」として愛でることのできる美的素養、教養のある人たちが愛好してきたものだけのクラスターだ。だから「クラシック音楽」というジャンルは一曲一曲、特異を生むわくわくするような秘密があるのあり、僕のような習性の人間には楽譜を解剖してそれを解き明かす無上の喜びの宝庫である。

そのことは音楽だけでなく人間にも当てはまる。クラシックにまつわるすべての人物の内でもとりわけ特異な男がいる。eccentricだがもちろんその言葉のポジティブ・サイドの極だ。作曲家はみなとんでもない男ばかりだが、格別に特異であるのが本稿の掲題ホフマンである。能力というもの泣いても笑ってもアウトプットしたものでしか他人にわかりようも認められようもがないが、この男のそれは質も量も巨大だ。量だけならワーグナーに軍配が上がるが、それは音楽いち教科のこと。ホフマンは三教科で全部80越えだから異質の異能、二刀流どころか三刀流の達人であり、僕にとってあらゆる角度から興味を引く人間の最右翼である。いま邦訳で手に入る彼の小説を片っ端から読んでいるところだ。


(1)法律を学んだ音楽家たち(才能の二面性について)

E.T.A.ホフマン(1776 −1822)は法律家の家に生まれた。彼がどういう人であったはわかりずらい。ケーニヒスベルクの陪席判事、プロイセンのワルシャワ市首席行政官、バンベルグの劇場支配人、ライプツィヒの音楽新聞の評論家、プロイセン大審院判事というところが給金を得るための公の職業であったが、後世は彼をまず幻想文学の小説家として、次にくるみ割り人形、コッペリア、ホフマン物語の原作者として、そして、作曲家ロベルト・シューマンに文学的影響を与えたマイナーな作曲家として記憶している。僕はというと、オペラ、宗教曲、交響曲、室内楽、ピアノ・ソナタが200年後にCDになっている人類史上唯一の裁判官として評価している。大酒飲みでパラノイアであり、反政府の自由主義者としてメッテルニヒに処分されそうになったが、うまく逃れてベルリンで梅毒で死んだ破天荒の男だ。

総合音楽新聞(1808年)

彼の「公の職業」はパンのためで、ライフワークは文学、なかんずく音楽であった。著名な音楽評論家でもあって、Allgemeine musikalische Zeitung(総合音楽新聞)の執筆陣に名を連ねている。この新聞は最古の楽譜出版社として著名なブライトコプフ・ウント・ヘルテル社(https://mag.mysound.jp/post/491)のオーナー、ヘルテルらがドイツを中心とした音楽界の事情を発信するメディアとして立ち上げたものだ。19世紀になると作曲家は楽譜を印刷して収入を得ることで自立の道が開けた。そのため彼らは出版社と運命共同体であり、出版社は新聞に識者による評論を掲載して彼らの新作をプロモートし円滑に売ることができる。その良好な関係がワークするには執筆陣の質的な優位性はもちろんだが、同時に中立性が求められた。同紙が「御用新聞」でないことは、例えば、後に金の卵となる若きベートーベンが1799年の同紙で「モーツァルトの『魔笛』主題による変奏曲」を始めとする初期の変奏曲の変奏技術を同紙の複数の論者に酷評されていることで証明されている。

ところが同じ年のピアノ・ソナタ作品10(第5−7番)のレヴューで評が好転し、彼の作曲スタイルが初めて認知された。その後数年で、彼の初期作品の複雑さが同紙で重ねて議論されるようになり、それなら再演して確認しようという声が上がりだした。その例として1804年に同紙の発起人で主筆のヨハン・フリードリヒ・ロホリッツ(ゲーテ、シラー、E.T.Aホフマン、ウエーバー、シュポーアの友人)が交響曲第2番ニ長調(1803)の再演を求めていることが挙げられる。2番が難しいと思う人は現代にはいないだろうが、当時、初演だけでは専門家にも理解が充分でない “現代音楽” だったことが伺える。かように出版と評論が表裏一体を成して新作の理解と普及に能動的に関与していた。ロマン派に向けて準備していた時代のダイナミズムを感じられないだろうか。

Hoffmann’s portrait of Kapellmeister Kreisler

その最も著名な例だが、E.T.Aホフマンは評論家として今日あるベートーベンの評価に貢献している。それは1808年(上掲写真の年)に同紙に発表した交響曲第5番、コリオラン序曲、ピアノ・トリオ作品70(第5,6番)、ミサ曲 ハ長調 作品86、エグモント序曲の論考であった。それが大きな影響力があったことはベートーベン自身が謝辞を述べたことでわかる。これぞホフマンの審美眼と文筆力のあかしだ。ちなみに本稿掲題の「牡猫ムルの人生観」に登場する楽長クライスラーのポートレートはその際に同紙に初めて登場している。ベートーベンもこの絵を眺めたのだろう。なおクライスラーという空想の人物はホフマン自身の分身、カリカチュアであることは後述する。

ホフマンの音楽はyoutubeで聴ける。廣津留すみれさんに教えていただいたクララ・シューマンのピアノ・トリオも良かったが、もっと前(1809年)に書かれたE.T.A.ホフマンのトリオもこの出来である。

お気づきと思うが、第4楽章はジュピター音型(ドレファミ)を主題としている。ペンネームのE.T.A.を使用しだしたのがやはり1809年であり、その “A” の由来を「Amadeusから」と述べている彼が音楽でモーツァルトへの敬意を示したのがこれだろう。

更に素晴らしいのは「ミゼレーレ、変ロ短調」である。

1809年の作品であるが、ここにもモーツァルトのレクイエムの和声や書法を想起させるものが聴こえる。

これだけの作曲ができる人がプロイセン大審院判事として判決文を書いていたという事実は一応の驚きではあるが、論理的な作業に人一倍すぐれた能力があるという理解でくくれないことはない。しかし、一転して、感性の領域である「砂男」などオカルト文学、幻想文学の作家でもあるという二面性の保持者となると、そのどちらもが人類史に作品が残る水準にあったという一点において非常に異例だ。ワーグナーは楽劇の台本も自分で書いたが、音楽のない指輪物語でどこまで彼の名が残ったかは疑問に思う。

ホフマンに限らず、音楽と法学をやった人は意外に多い。テレマン 、ヘンデル 、L・モーツァルト、チャイコフスキー 、ストラヴィンスキー 、シベリウス 、シャブリエ、ショーソン、ハンス・フォン・ビューロー、ハンスリック、カール・ベームなどが挙げられるが、このことをもって僕は「二面性」と言うのではない。比喩的に極めて大雑把に丸めればどちらも論理思考を要する点で理系的であり、この名簿にロベルト・シューマンも加わるわけだが、同時に、文学者、詩人というすぐれて文系的な資質も開花させる才能を併せ持つのは異例だという意味で二面的なのである。そして、以下に述べるが、名簿の内でもシューマンだけはE.T.A.ホフマンに匹敵する才能の二面性の保持者であった。それが本稿の底流に流れるもうひとつのテーマである。

シューマンがハイデルベルグ大学で法学を学んだアントン・ティボー教授も上記名簿のひとりだろう。同大学は1386年創立。ヘーゲルやマックス・ウェーバーが教授を勤め33人のノーベル賞受賞者を出したドイツで1,2を争う名門大学だ。ティボーはパレストリーナをはじめとする教会音楽の研究家でハイデルベルクを代表する楽団 “Singverein” を創設、運営していた音楽家でもあるが、ドイツの法典を「ナポレオン法典」に依拠させるか否かの「法典論争」の主役を張った法学界の大家である。ローマ法を基盤とする汎ドイツ的な民事法を「一種の法律的数学」とした主張は、キリスト教徒がルネッサンス以来懐いてきたアポロ的理性で諸侯が群立する神聖ローマ帝国に啓蒙の光を投じようという啓蒙思想的、自由主義的なものだ。中産階級市民の子であったシューマンが共鳴しそうな議論だが、しかし、教授は教え子に関しては「神は彼に法律家としての運命を与えていない」と審判を下し、シューマンは20才でライプツィヒに戻ってフリードリヒ・ヴィークに弟子入りする運命になるのである。


(2)フリーランスの音楽家

外科医の娘であったシューマンの母親が息子に法律を学ばせたのは、絶対王政末期から国民国家の揺籃期の当時、ガバナンスのツールである法典の専門家に権力側の需要があったからだ。法学は中産階級が確実に食える実学だったのである。かたや音楽家はミサを書いたりオルガンを弾く教会付きの職人でしかなく、宮廷に職を得てもモーツァルトですら料理人なみの待遇だった。「フリーランスの音楽家」などというものはベートーベンが出現するまで存在しなかったのである。19世紀に大学に通う子弟の家庭は地位も財力も教養もアッパーである。好んで息子を音楽家にする選択肢はなく、息子の方も教会と貴族によるアンシャンレジームに取り入る方が人生は楽だった。かような時代背景の中、神童ではなかったシューマンはピアノ演奏を覚えはしたが、20才まで作曲家になるレベルの訓練を受けていない。
日本語のシューマン本はほとんど読んだと思うが、その彼の思春期について音楽家か詩人かで迷う文学青年のごとく描くのが馬鹿馬鹿しいほどステレオタイプと化している。独語の種本のせいなのか日本人特有のセンチメンタルなパーセプションなのかは知らないがどっちでも構わない。本稿で本当にそうだろうかという反問を呈したい。僕は独語の原書が語学力不足で充分に読めないしその時間もないが、日本語になった充分な根拠があると思われるピースを推論という論理の力を借りて組み合わせるだけでもその反問は成立する。天才的作曲家であったという結果論から推論を逆行するのは学問的にナンセンスで「天才」という思考停止を強いる言葉は危険ですらある。音楽家の道を推してくれた父を16才で失い、20才で法学に挫折して国に帰ってきた青年である。本当に音楽、文学で食っていける自信があったの?というのが自然な疑問であろう。

その証拠に、なかったからピアノに人生を賭け、同い年のショパンにコンプレックスと焦りを覚え(それは評論家の仮面で巧みに隠している)、だからこそ自ら大リーグ養成ギブスばりの機械を作って星飛雄馬みたいに特訓し、ついに指を故障してその道すら断たれてしまったのである。夢見る詩人のシューマンはそんな悩みと無縁だったという類の仮定は否定する論拠はないが、現実性がないという反論を否定する論拠もない。最も身近にいた母は亭主が残したそこそこの遺産を相続したが、息子がそれを食い潰して終わる懸念を強く持ち、だから名門大学に進ませ、彼もそれにこたえるだけのギムナジウムでの優等な成績をあげていた。音楽の道と別の何かとを迷ったとすれば、それは法律家だったに違いない。彼のその道での生まれ持った能力が、その時点での意思に現実性を与えていたかどうかは別としてだが。

そう考える根拠は2つある。まず、彼が作品を愛読して強い思想的影響を受けたアイドルであるE.T.A.ホフマンが、まさにお手本のようにそれに成功した人だったからである。そしてもうひとつは、指の故障でピアニストを断念したおり「一時はチェロに転向することや音楽をあきらめて神学の道に進むことも考えた」(wikipedia)ことだ。彼はハイデルベルグ大学に進む前にまず父の母校であるライプツィヒ大学の法科に入ったが、彼が心酔したもうひとりのアイドル、ジャン・パウルは同大学神学部に在籍して1年で文壇に転身して成功した。法学の道もすでに断たれ自信も指針も喪失したシューマンが作曲でなく神学の道に向きかけたことは、彼にとって何が「現実的」だったかを雄弁に証明してくれる。

現実性がない、という主張は歴史の大局を眺めない人にはピンとこない。時はナポレオン戦争後のウィーン体制下だ。そこで再びパリで革命の狼煙が上がる。靴屋だろうと音楽家だろうと法学者だろうと、シャルル10世がギロチンで斬首かという隣国の暴動に無縁、無関心でいられた人はいない。音楽史というのは戦争、政治力学、貨幣経済によほど鈍感、無知な人が書いているのか、とてもナイーブな、宝塚のベルばらのノリの説が堂々と真面目に信じられている。ウィーン体制が全面的に崩壊するのは1848年だが、その端緒となった七月革命は遠くポーランドにまで飛び火して、蜂起した祖国がロシアに蹂躙され悲嘆したショパンは『革命のエチュード』を書く、それほどの重大事件なのだ。20才のシューマンの精神状態はそのパラダイムに規定されていたという世界的常識に基づいて思考するというインテリジェンスなくして語れないものである。

音大の学生で七月革命とは何だったか正確に知ってそれを弾いている人がどれだけいるか?知らなくても音符は弾けるが、ショパン・コンクールのような舞台で満場を唸らせる演奏をしようというなら、カール・ベームが指揮者の条件とはと問われて「音楽の常識です」と答えたその事を心したほうが良い。その年にショパンと同じ20才だったシューマンが無縁であったはずはない。彼はビーダーマイヤー期の旧態依然たる人々を「ペリシテ人」と名づけて揶揄し、それに対抗する「ダヴィッド同盟」なる彼の革命のための脳内結社を作るが、フリーランスの音楽家に挑むも指を怪我してしまった不安な彼にとって心の要塞のようなものだったろう。『ダヴィッド同盟舞曲集』はもちろんのこと、『謝肉祭』や『クライスレリアーナ』を弾こうという人がそうした常識を身に備えていないというなら、僕には少々信じ難いことである。


(3)ベートーベンの後継者

その時代においてベートーベンこそ貴族にも教会にもひれ伏さず、群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌う叩き上げのスキルの持ち主だった。難聴だったことで彼の音楽に価値を認めた音楽家はいない。それは楽譜の読めない後世の信者が神殿に奉納した「天才伝説」という聖者の冠であり、モーツァルトの借金伝説と同様のものである。音楽家はまずピアノの即興演奏と変奏の技量で、そして何より名刺代わりの交響曲の作曲で、彼を人生の目標とした。新時代にフリーランスの音楽家として食っていくためにはベートーベンの正統な後継者だというレピュテーションを得ることが出世のパスポートだったからである。20才で法律を捨てて音楽で身を立てる決意をしたシューマンは、名誉もさることながら、それを得るコミットメントを自らに課したのである。

アントン・フリードリヒ・ユストゥス・ティボー(Anton Friedrich Justus Thibaut, 1772年1月4日 – 1840年3月28日)


神童でありティーンエイジャー期に職業音楽家としての特訓を受けたモーツァルト、ベートーベン、ショパン、クララ、リスト、メンデルスゾーンらに比べ、作曲家としてのシューマンの心のありようには別種の立ち位置があるように思えてならない。私事で誠に恐縮だが、都立高校出で受験技術の訓練を積んでいなかった僕は大学で出会った有名難関校出に根本的に違う資質を見たが、ああいうものが20才まで作曲素人だったシューマンにあるように感じてしまう。10代の思考訓練は一生の痕跡を残すが、20を過ぎてからのは必ずしもそうならない。彼が根っからのロマンチストであるなら若くして十分に達者であったピアノでショパンのように詩人になり、交響曲やカルテットは書かなかったろう。しかし、彼はそういう人ではなかったのだ。町名(ASCH)を音化したり、ABEGGの文字を変奏したり、クララの文字や主題をミステリー作家のようにアナグラムとして仕掛けを施す論理趣味があり、バッハの平均律への執着、ベートーベンのピアノソナタ、交響曲のテキスト研究は文学青年の作曲修行などではなく、10代の思考訓練の賜物としての内面からの欲求であろう。その精神が青年ブラームスにも伝わり、ハンス・フォン・ビューローの「バッハは旧約、ベートーベンは新約」の言葉に受け継がれていったのではないだろうか。

ここでもう一つ、背景を俯瞰しておく。興味深いことだが、神学と哲学と法学と音楽はテキスト研究、解釈の方法論の厳格さにおいて科学に比肩する。神学についてあまり知識はないが、科学と神学は中世では同義であり、聖書の厳格なテキスト研究がマルティン・ルターのプロテスタンティズムを生んだと理解してる。音楽と法学は、明白に人間の書いたものなのに、あたかも神の法である科学の如く扱うという姿勢を、少なくともドイツ語圏ではとっていた。それはア・プリオリの法則ではなく、かくあるべしという「心理的態度」に過ぎないのだが、アントン・ティボー教授の「民事法は法律的数学」という比喩に見事に表象されている。後に音楽を数学的に扱う作曲家が現れるのもこの観察に整合的だろう。

音楽先進国イタリアには左様な心理的態度が芽生えなかった。「歌」に理屈はいらないだろうが、さらに本質的な理由として、カソリックが宗教改革と無縁であり続けたことと軌を一にするように思える。それは真にドイツ的な、ドイツ語世界での現象である。シューマンがとった態度を見ると、北イタリアを旅はしたが、ロッシーニを酷評し、オペラ等の歌は器楽の下に見る地点からスタートしている根っからのドイツ人である。アリアのように感じたまま気の向くままに心をこめて音楽すればいいという姿勢は程遠い。彼は評論家としてベルリオーズの幻想交響曲を医学の検体のような眼で眺め、第1楽章の自らによる子細な分析スタンスを「解剖」という言葉で端的に述べている。


(4)シューマンのファンタジーの深淵

一方で彼には、二面性の他方である、先達にはない非常にオリジナルな側面があった。文学からのインスピレーションである。文学者を志しライプツィヒ大学に学んだ父アウグスト、詩作を嗜んだ母ヨハンナから受け継いだ資質だろうが、彼の楽曲が生き残ったのは解剖、解析による堅固で論理的な要素の貢献よりも、その資質による詩的な要素の魅力によるところが多いというのは衆目の一致する所だろう。彼自身も、名人芸を浅薄としイタリア風を否定したが、同時に、規則にがんじがらめの対位法家を糞食らえとしている。「根本的に勉強したあとでなければ規範を軽蔑しないように。これ以上危険な反則はない」と述べている(「音楽と音楽家」38ページ)のに、「わたしはナイティンゲールのように、歌がつぎつぎとあふれてくる。わたしは歌って、歌って、歌い死にしそうだ」(同248ページ)とも書いているのが二面性の裏面だ。理性と情緒。その両方がバランスを時々に変化させながら、後にも先にも類型のないシューマンの音楽というものを形作っている。

『新音楽時報』(Die Neue Zeitschrift für Musik)

彼は評論においても、ホフマンに負けず劣らず理性と情緒を駆使して美文調だが本質を鋭利に見抜く眼で音楽を語っている。シューマンの音楽評論はそのほとんどが、冒頭の「総合音楽新聞」(1798年創立)と同じライプツィヒでシューマン自身が発起人として1834年に創立した「新音楽時報」(Die Neue Zeitschrift für Musik)にて展開されることになる。「総合音楽新聞」の確立したベートーベン崇拝の伝統を受け継ぎ、シューベルトを発見し、ショパンの天才、ベルリオーズの新しさ、メンデルスゾーンの新古典主義を讃えるなど、ロマン派幕開け期の作曲家と作品の評価を高める貢献があったと評されているが、読んでみた僕の感想は、主情的、感覚的な人間と思われているシューマンが公平で客観的な眼を持っていることだ。ここにも二面性が現れている。

同年生まれのライバルでもあるショパンの持ち上げ方は理性を超えているように見えるが、彼の理性は科学のように客観性を内包した性質のものなのだ。シューマンにベルリオーズを称賛すべき何があるのか?「最高の力を持っているのは女王(旋律)だが、勝敗は常に王(和声)によって決まる」と述べている事実がある。そこで彼の幻想交響曲の第1楽章の子細な「解剖」を調べてみると、ブログで僕が「展開部ではさらに凄いことが起こる。練習番号16からオーボエが主導する数ページの面妖な和声はまったく驚嘆すべきものだ。」と書いた第1楽章のその部分に何の反応もコメントもしておらず期待外れだ。彼の称賛は和声も標題も形式も包含した新しい音楽(ノイエ・ムジーク)への情熱からベルリオーズをダヴィッド同盟の同志と見たものだと解するのが説得力があろう。マーラーが「私はシェーンベルクの音楽が分からない。しかし彼は若い。彼のほうが正しいのだろう」と評価したのと似たスタンスかもしれない。

「新音楽時報」の2019年4月号

「新音楽時報」は一時の中断を経て現在も刊行されているが、19世紀初頭から脈々と続く「ドイツ語世界」での批評家精神は畏敬に値する。批評、評論というものは主観に照らしたその物の形であるが、評者の思考プロセスに一定の普遍性、客観性が備わっていなくては説得力がない。評論にフロレスタンとオイゼビウスという ”二面性キャラ” を登場させ、知的に戯画化した文学的創作(ドビッシーが ”クロッシュ氏” によってそれを模倣しているが)がシューマンの評論を乾ききった理屈の干物にしないばかりでなく、自己の心のうちに潜む対立する2本のナイフによってその物の形をクリアに彫琢する。この手法は敬愛した文学者であるジャン・パウル、E.T.Aホフマンから継承したものであった。

バッハ、ベートーベンに習った「一定の普遍性、客観性」という入れ物のなかに、持ち前の詩情、ファンタジーの泉がこんこんと湧き出ているという様相が僕にとってのシューマンの楽曲の特性だ。


(5)「牡猫ムルの人生観」

『牡猫ムルの人生観』2巻。

E.T.A.ホフマンの長編小説「牡猫ムルの人生観」は学識のある猫による自伝である。ムルは上述した楽長クライスラー(ホフマン自身だ)の自伝のページをちぎって下書きやインクの吸取り紙として使用したが、製本ミスでそれが挿入されたまま両者が交互に現れる形で印刷されてしまったという誠にトリッキーで実験的な構造を持っている。当然ながら、章ごとに場面も人物もガラッと変わるが、その様はミステリーのカットバック手法かと思う程だ。何か深い意図があるか?と思ってとりあえず身構えて読むと、実は単なる印刷の失敗でしたというタネは落語的でもある(それでも捨て猫のムルが引き取られるのがクライスラー自伝の始めに来ているので時間的連続性は担保)。

ジャン・パウル(1763 – 1825)

シューマンは自己の精神の内奥に潜む二面性を知り、まったく同じものをE.T.A.ホフマンに見た。ホフマンはこの小説で自己を楽長クライスラーに投影し猫ムルとの裏表の二面性を描いたが、クライスラーという自分のカリカチュアは、ジャン・パウルが自作に登場させたドッペルゲンガー(Doppelgänger、自己像幻視)である。10代のころジャン・パウル(マーラーの「巨人」の作者)を精読し、その世界に浸りきっていたシューマンは自己像をひとつ提示するのでなく、アポロ的人物(フロレスタン)とディオニソス的人物(オイゼビウス)に分割した。ふたりの対話で評論は書かれるが、実は彼らはそれを記述しているシューマンに対するドッペルゲンガーであり、シューマンは文面に出ないがシャーロック・ホームズに対する記述者ワトソンとして存在している。

同書は「そもそも猫が執筆なんて」というところからホフマンの術中にハマれない頭の固い御仁はお断りでございという軽妙洒脱とハイブロウな粋(いき)がスマートで格好良く、愛猫家の必読書である(ただし岩波の日本語版は絶版だ。独語、英語は入手できる)。そこはソフトバンクのお父さん犬と同様だ、それってアリだよねと楽しんでしまう姿勢がいいねという暗黙知が世間にあるからそのキャラが成り立つのであって、見た者は死ぬと伝わるドッペルゲンガーの不気味さはないが、何せ未完だから本当はどういう構想だったかは謎だ。

フラクタル図形ツリー

シューマンはこれを読んだインスピレーションで「クライスレリアーナ」を書いた。本作は漱石の「吾輩は・・」と歴史的名作をふたつも生んだ偉大な作品ということになる。E.T.A.ホフマンは生涯の業績をマクロ的に見てもお化けのように巨大だが、こうして細部をミクロで見てもやっぱりお化けであるというフラクタル型巨人である。漱石は作中で本作に軽く言及している。知ってるけどパクリでないよというスタンスだが、どう考えてもパクリだろう。それでも上質のパロディではあるから不名誉どころかお見事と称賛したい。ただ、漱石は猫に自分の言いたいことを語らせただけであり、ドッペルゲンガーの闇はない。

https://sonarmc.com/wordpress/site01/2020/02/29/e-t-aホフマン「牡猫ムルの人生観」/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html#c11

[近代史4] チャンネル桜のアホ番組に出演する自称専門家の話は信じてはいけない 中川隆
2. 中川隆[-13312] koaQ7Jey 2020年3月01日 09:26:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[215]
チャンネル桜 : アイヌは先住民ではない、民族ですらない


なんでも、自称アイヌ人は


13世紀にシベリアから移住してきた新参で

自称アイヌ語は 8つの完全に違う言葉の総称

自称アイヌ人は 8つの完全に違う民族の総称

なんだそうです。それも論拠は的場光昭とかいうお医者さんの学説(?)だけ

しかし、チャンネル桜の関係者は何故、遺伝学や人類学、考古学、民族学、歴史学の知識が完全にゼロのフツーのお医者さんの的場光昭(医療法人健光会理事長)が言った事をそんなに簡単に信じられるのかな?


的場光昭 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%9A%84%E5%A0%B4%E5%85%89%E6%98%AD

【渡邉哲也show】渡邉×小野寺 ア〇ヌの真実とは
https://www.youtube.com/watch?v=pkyqfF_3a3Y

【ch桜北海道】[特別番組]討論会 アイヌ新法がなぜ問題か?in北海道[R1/12/8]
https://www.youtube.com/watch?v=hoE2Z2p7fT4

【ch桜北海道】[アイヌ問題集中講座]第1回アイヌ先住民族国会決議[R2/1/8]
https://www.youtube.com/watch?v=pNv9QboRiDU

【ch桜北海道】[アイヌ問題集中講座]第2回アイヌ先住民族国会決議[R2/1/23]
https://www.youtube.com/watch?v=d7sN6EXnuZM  


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/401.html#c2

[近代史4] チャンネル桜のアホ番組に出演する自称専門家の話は信じてはいけない 中川隆
3. 中川隆[-13311] koaQ7Jey 2020年3月01日 09:29:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[216]
アイヌ人は先住民ではない、日本人は単一民族だというデマを撒き散らすチャンネル桜
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/323.html

アイヌ民族は12世紀ごろ樺太から北海道に渡来した?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/538.html

北方領土はアイヌ人の領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html

▲△▽▼

日本人によるアイヌ人の民族浄化

日本人はこうやって千島アイヌを民族浄化した _ とこしえに地上から消えた千島アイヌとその文化
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/231.html

迫害された民族同士の朝鮮人とアイヌ民族の歴史的つながり
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/679.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/401.html#c3

[近代史4] チャンネル桜のアホ番組に出演する自称専門家の話は信じてはいけない 中川隆
4. 中川隆[-13310] koaQ7Jey 2020年3月01日 09:41:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[217]

日本人は本当に縄文人の子孫なのか?

チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明と田中英道の学説(?)によると、

・日本人は縄文人の直系の子孫で、渡来人でも朝鮮人でもない

・アイヌ人は縄文人の子孫ではなく、12世紀シベリアから移住してきた異民族

なんだそうです:

長浜浩明 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%95%B7%E6%B5%9C%E6%B5%A9%E6%98%8E

田中英道 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%8B%B1%E9%81%93


▲△▽▼


チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html

西洋美術史の専門家だった(?)田中英道は何時から頭がおかしくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/206.html

チャンネル桜の常連の三橋貴明はチャンネル桜関係者の受け売りしかできないアホだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/374.html

アイヌ人は先住民ではない、日本人は単一民族だというデマを撒き散らすチャンネル桜
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/323.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/401.html#c4

[近代史4] 日本人は本当に縄文人の子孫なのか? 中川隆
1. 中川隆[-13309] koaQ7Jey 2020年3月01日 09:45:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[218]

日本人と日本古来の文化を滅ぼそうとしているクリスチャンでグローバリストの天皇一族 _ 天皇は何人で何処から来たのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/102.html

天皇一族の様な一重瞼・奥二重瞼は華北に居た漢民族にしかみられない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/103.html

大和朝廷は漢民族?
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/451.html

弥生文化の起源
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/128.html

弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/549.html

先住民族は必ず虐殺されて少数民族になる運命にある
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/590.html

被差別同和部落の起源 _ 朝鮮からの渡来人が先住の縄文人・弥生人をエタ地域に隔離した
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/113.html

被差別部落出身の有名人は?_ 日本のカースト制 氏姓制度(しせいせいど)
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak45/msg/860.html#c91

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/402.html#c1

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
270. 中川隆[-13308] koaQ7Jey 2020年3月01日 10:08:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[219]
平野憲一の株のお話 2020.03.01 いよいよ急所を迎えました。
http://kasset.blog.fc2.com/

 欧米の投資家は、国境封鎖まで検討されたイタリアでの新型コロナウイルス感染拡大の事態になって、今まで無視していた態度を一変させパニック的売りを出しました。その前から不安感に陥っていた日本市場は一方的な売り方市場になり、なすすべも無い1週間でした。

前の週末の終値が2万3386.74円、先週末の終値が2万1142.92円でその差2243.82円。100年に一度と言われるリーマンショックに匹敵する下げでした。

 ファンドのリスクパリティ(年金マネーなど海外機関投資家が使っている方法で、ポートフォリオに占める各資産のリスク割合が均等になるように分散してリスク低減を図る運用手法)の調整売りにAIの短期ファンドの売りが重なったと思われます。

 年金筋の手口が現れる信託銀行が11週連続売り越しになっていますが、この間株価上昇と共に上がった組み入れ比率を落としていた事が窺えますが、この下げで予定以上に比率が下がってしまったと思います。今後は組み入れ比率を下げ過ぎた年金筋の買いが予想されます。

 さて昨日中国国家統計局から2月の製造業PMIが発表されました。前月比14.3ポイント減の35.7ポイントと、100年に1度のリーマンショックの08年11月の38.8を下回るとんでもない数字でした。あの時日本の中小企業の社長さんの言葉が思い出されます。「注文が減ったんじゃない、注文が消えたんだ」と。

 今回の数字をどう取るか。100年に1度を超える1000年に1度のショックと取るのか、「リーマンショックの時のような受注消滅ではなく、春節からずっと工場がまともに動いていないのだから当然の数字。動き出せば一気にV字回復」と取るのか。

 FRBやECBは支援策発動を示唆し、日本政府も支援追加策に動き出し、そして突然飛び出した「米国とアフガニスタンの和平合意」。ボラティリティの高い相場ですが、いよいよ急所を迎えたと思います。引き続き気持ちをしっかり持って対応しましょう。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c270

[リバイバル3] 酷い音のインチキ・レプリカを量産して伝説の評価を落とした Goodmans Axiom80 中川隆
62. 中川隆[-13307] koaQ7Jey 2020年3月01日 10:11:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[220]

「傾国のスピーカー」とは - 「音楽&オーディオ」の小部屋 2020年02月25日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/c5aae33baa203fd46b469cfe30749767


今回からこのブログに新たな「カテゴリー」を創設しました。

名付けて「傾国のスピーカー」シリーズです。命名の由来については末尾で明らかにします。

今後「AXIOM80」関連の記事が多くなると思いますが、すべてこの「カテゴリー」にぶちこむ予定です(笑)。

さて、去る2月16日のブログ「振るいつきたくなるような美音とは」の最後に次のような拙文を記載していたのをご記憶だろうか。

「最後に、全国の「AXIOM80」のファンの皆様、この空前絶後のユニットについて、これを機会に使い方のノウハウなど(このブログが)ぜひ意見を寄せ合う場になるといいですね。

これよりももっと巧い使い方をして、「魅力的なサウンド」を出している方がきっといらっしゃるはずだし、「雄大なスケール感」は無い物ねだりにしても「リアリティ、透明感、色気」においては「世界有数の音」と言っても過言ではないでしょうからさらに極めていく価値が大いにありです。

メールのあて先は「自己紹介欄」にありますので、気が向いた方はどうかお気軽にどうぞ〜。」

これまでにこういう呼びかけを再三にわたって実施してきたが反応となると皆無といっていいほどだったので、今回も内心あまり期待していなかったところ、とてつもなく大きな魚が網にかかったんですよねえ。おっと、魚扱いにしてごめんなさいね(笑)。

別府から「豊予(ほうよ)海峡」を隔ててお隣の「四国」の方からメールをいただいたもので仮に「S」さんとしておこう。ご本人のご了解のもと、メールを紹介させていただきます。

「今回のaxiom80 の記事 行間から悲鳴のようなものが聞こえ 同じaxiom80の同好(病)者の一人としていたたまれず 相哀れむ気持ちで 初めて慣れないパソコンでメールなるものを

axiom80は 「デザインの現場」(1995年4月)掲載の「荒木 博志」氏作のスピーカー(一つ目小僧みたいなヒト型)で初めてその姿を知りました


(このスピーカーは俳優の佐野史郎さん所有 北原照久さんも別のユニットで似たようなものを作ってもらったとか)


まさに音を出すためのキカイといった武骨なカタチ 一目ぼれです


25年ほど前 当時はインターネットが普及していなかったので雑誌の広告を頼りに電話で購入 「ちょうど今いいのがありますよ」と

送られてきたものは2個とも銀色のバックプレートに旧ロゴ 一個は木製の桶のケース入りの最初期版

恐る恐る結線してテバルディのオペラアリアを  魂を奪われました


裸で鳴らしただけなのに自分が理想とした声が前触れなく出てきました

お察しの通りこの瞬間が自分の原点であり悲劇(喜劇)の始まりです 肝心のエンクロージャーは長岡氏の本を参考に憑りつかれたように設計しました  


ARUを付けるのが常識でしたが直感からバックロードしかないと

フロントにはショートホーン  作った後に出版されたステレオサウンド別冊のコーネッタに感じが似ていてびっくりしました


出来上がったのが写真のスピーカー 片側だけで80キロ以上 若かったので作れましたが 同じものはもう二度と作りたくありません

現時点での結論(現状)ですが

ユニットはバッフルにネジ止めせずフェルトがバッフル裏に接するだけ
そのため マグネットを固定する重量のある支えを制作し エンクロージャー内の棚に免震ゲルをはさんで固定しています

海外の画像にマグネットを固定する金具と一緒に写ったaxiom80を見たことがあります おそらく吊るか支えたのではないかと

裸で鳴らすのが素直ですがaxiom80はちゃんと低音も出してくれているので 出ないと諦めて低域をカットするのは疑問です

コイルやコンデンサーを介さずストレートに繋ぐべきかと


バックロードの開口部に首をつっこんでみると ちゃんと低音を出してくれています

その低音は「いかにも」ではなく 人によってはボリュームの足りないものかも知れませんが まぎれもなくaxiom80の品位ある低音です

axiom80の繊細さにはリボンツイーターが合うように思います

パイオニアの「 PTR−7」をウエスタンのオイルコンデンサ 2μ と板抵抗併用のネットワークで300Bシングルで控えめに高域を少し足すほうが音がすっきりするようです


axiom80への結線は太いケーブルよりは細いもの(Westernの16GA)が合いました

アンプは300Bシングルで聞いていましたが音がややぼやけるようで


マランツ8を3結にしたら静寂感と繊細さが出てきました


30Wが18Wになりますが十分すぎます

CDはあまり聞いてなかったのですがDenon のDCDS-1にマランツのライントランスLT-1をつないでT型アッテネータで57db落としてMarantz♯7のマイク入力へ


上げて下げてまた上げてと笑われそうな使い方ですが不思議とこれが一番アナログに近くなりました

今後も何かと変更すると思いますが現時点での使い方です


axiom80はどこかを変えてもすぐ反応するので  深みにはまると終わりがないのはよくご存じかと思います いろいろ勉強させられ そして散財させられる

「傾国のスピーカー」です


長々と駄文 釈迦に説法 ご容赦ください」

以上「原文そのまま」です。

AXIOM80のことを「傾国の美女」ならぬ「傾国のスピーカー」とは言い得て妙ですね。

なにしろ(鳴らし方に)「正解のない」スピーカーなので、オーディオ人生が傾いてしまうほどの魅力とインパクトを持っていることは確かです(笑)。

それでは、次回以降にこの「使い方のノウハウがいっぱい詰まった」内容を研究材料にさせていただくとしましょう。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/c5aae33baa203fd46b469cfe30749767


これぞオーディオ!
2020年02月27日 | 「傾国のスピーカー」シリーズ
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/d334b1adcbb9ea4daed442acb6992666


前回からの続きです。

四国にお住いの「S」さんが取り組まれている「AXIOM80」(以下「A

80」)の鳴らし方についてはなかなかユニークな点が多くて、大いに興味を惹かれた。

独自の工夫に基づく手づくりの匂いがプンプン漂い「これぞオーディオ!」の感がある。

ときどきブログなどでウェスタン系を筆頭に「いかにも」という仰々しいシステムを拝見することがあるが、いくら個人の勝手にしろ家庭で音楽を聴く道具にしては趣味が悪くてウンザリしてしまう。

それでは項目ごとに検証していきながら参考にさせていただこう。

✰ 重さ80kgの箱について

往年のSPメーカー「グッドマン社」(英国)はタンノイを軽く凌駕する技量を持ちながらユニットの製作だけに専念し、箱はつくらなかった。

したがって国内に出回っている「A80」入りの箱は国産の「ヤマハ」や「ヒノ・オーディオ」が作成した「棺桶型」が一般的である。


しかし、はたしてこの箱でいいのかどうかは諸説あるところで、自分はといえば「懐疑派」に属しており、「A80」にふさわしい箱がもっとあるはずだという思いをどうしても捨てきれなかった。

一般論としては「A80」用の箱は薄厚の板を使った方がいいとされている。けっして低音が豊かではないユニットなのでなるべく箱を共振させて低音の響きを増やそうという狙いである。

実際に我が家では「板厚1.5cm」と超薄い板を使って箱を自作しているほどなので、箱の重さはせいぜい10kgぐらいのもんだろう。「S」さん宅の「80Kg」とはまったく真逆の方向だ。

ただ、本格的な低音を望むとなるとやはり箱が重いに越したことはない。となると、ぜひSさん宅の音を実際に聴いて確かめてみたくて居ても立ってもいられないほどだ(笑)。

✰ 「ARU」を使わず「バックロードホーン」方式

「A80」の場合、「ARU」(背圧調整器)を使ってユニットに微妙な背圧をかけて低音を引き出すのが常識とされている。ただ「ARU」を使うと、そこそこの低音になってしまいあえなく限界を露呈してしまうのも事実。

その点、Sさんはバックロードホーン方式を採用ということなので実に興味深い。A80から本格的な低音を出すとしたらこの方式しかない。

これはSさんが提供された「バックロードホーン方式」の側面図。

これは憶測になるがフロントをショートホーンにしているのは高音域をなるべく控えめにして全体のボリュームを上げられるようにするためだとしたら脱帽の至り!

ちなみに「A80」のカタログ仕様を見ると、周知のとおり低音域は「20ヘルツ〜」になっているのもけっして伊達ではないかもですね。

✰ マグネット部分を固定してバッフルへのネジ止めをしない

「A80」はとてもデリケートなツクリなので我が家の場合、過去の経験からバッフルへのネジ止め(4か所)は細心の注意を払って極力「締め付け過ぎない」ようにしている。

ユニットの金属フレームにストレスを与えるとサウンドが委縮してしまい伸び伸び感が失われてしまうからだ。ただし、昔JBLのユニットに同じことをやったところ、逆に音が歪んでしまったので、慌ててガッチリ締め付けてやると良くなった経緯がある。

ことほど左様にユニットの種類によっても随分違ってくるのでネジの締め付け強度はケースバイケ−ス。

その点、「S」さん宅では箱の中に台座を設定して、A80のマグネット部分を挟み込んで固定するやり方なのでバッフルへのネジ止めは不要だ。これは理想的な方法だと思う。

システムの「肝」となるこの箇所についてはSさんから後続のメールで、さらに詳しいご説明があった。

「私見ですが ユニットをバッフルにネジ止めするのは 例えば ステージ上のディーバ(オペラの歌姫)の足元をコンクリートで固めて 声のエネルギーを建物に吸わせ 同時に応力も受ける

能楽の舞台のようによくできたものなら別でしょうが 声帯のエネルギーは骨格と筋肉によって適度に支えられ 舞台と劇場に伝えられるとすれば 適度な重量の台座でユニットを支え 適度な柔らかさでステージ(バッフル、エンクロージャー)に伝えるのも 一理あるかと」

「S」さんの個人情報については今のところ最小限の「住所、氏名」しか伺っていないが、おそらく専門的に工学系の研究をされている方ではなかろうかと勝手に推察している。

我が家でもぜひやってみたいが、まるっきり新しく箱を作り直さないとムリね(笑)。

そして、最後に

✰ 80の低音域に対する考え方

Sさんの本文中にある「axiom80はちゃんと低音も出してくれているので 出ないと諦めて低域をカットするのは疑問です」には素直に一考させられた。

現在、我が家ではチャンデバを使って「125ヘルツ以下」をあっさりカットしているがあまりに安易すぎるのかもしれない。

もう一度、基本からやり直してみよっかなあ。またまた迷走が始まりそうな予感が・・。

まさに「傾国のスピーカー」の本領発揮ですな(笑)。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/d334b1adcbb9ea4daed442acb6992666
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/686.html#c62

[リバイバル3] 酷い音のインチキ・レプリカを量産して伝説の評価を落とした Goodmans Axiom80 中川隆
63. 中川隆[-13306] koaQ7Jey 2020年3月01日 10:16:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[221]

因みに、Axiom80 の日本での最高の権威と言われている >>14 Sawada-Audio の澤田さんによると

Axiom80 にバックロードホーン方式のエンクロージャーを使うと Axiom80 の美味しい所が完全に消えてしまうそうです。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/686.html#c63

[リバイバル3] 3万円代のロボット掃除機「ルンバ 600シリーズ」の実用度 中川隆
2. 中川隆[-13305] koaQ7Jey 2020年3月01日 10:29:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[222]
2020年03月01日
ルンバのイメージを覆すデザインで「完璧な清掃」を実現した性能も価格も折り紙付きのフラッグシップ「ルンバ s9+」レビュー
https://gigazine.net/news/20200301-roomba-s9-plus/



ロボット掃除機の代表的なメーカーであり、今年で創設30周年を迎えるiRobotから、最新フラッグシップモデル「ルンバ s9+」が登場しました。「完璧な清掃」を実現するためにルンバのアイコンであった丸型の構造を捨てて、まったく新しいデザインを採用したルンバ s9+は、開発に5年以上の期間を要したiRobotの力作です。そんな最新モデルの実力を、実際に使って確かめてみました。

s9+|ロボット掃除機 ルンバ | アイロボット公式サイト
https://www.irobot-jp.com/product/s-series/

ルンバ s9+が部屋の隅までしっかり掃除している様子は以下のムービーで確認できます。

ルンバ s9+で部屋の隅を掃除してみた - YouTube




ルンバ s9+のパッケージは黒を基調としたシックなデザイン。



内容物はルンバ s9+本体、交換用コーナーブラシ、交換用ダストカットフィルター、クリーンベース用電源コード、交換用紙パック、そしてクリーンベースです。ルンバ i7+には付属していたバーチャルウォールは入っていません。



ルンバ s9+の外観はこんな感じ。おなじみの丸型ではなく「ウルトラエッジデザイン」と呼ばれるD型の構造を採用しており、今までのルンバとは一線を画すデザインです。



ルンバ i7+と外観やサイズを比較してみます。最大幅は35.1cmと、ルンバ i7+から変化していませんが、ルンバ i7+にはあった持ち運び用のハンドルがなくなっています。



両機種とも高さは9.2cmで、こちらも差はありません。



ルンバ s9+はHOMEボタン、CLEAN/電源ボタン、SPOTボタンが天面右上についており、本体側で行う操作はこの3つのボタンで完結します。



天面に搭載されたセンサー類は、現在位置や清掃済みエリアを認識するためのiAdaptローカリゼーションカメラと、赤外線受信部の2つ。



本体前面は壁際センサーと障害物センサーが一体となっています。



本体後方には排気用の穴が開いています。



天面のふたを開けると……



ダスト容器にアクセスできます。



ハンドルがついているので、簡単に取り出すことが可能。



カビや花粉などのアレルゲンをカットしてくれる交換式のダストカットフィルターがついています。



本体裏面はこんな感じ。



吸い込み口の大きさがルンバ i7+と比較して30%増加しており、吸引力はルンバ i7+比で4倍に増加。ルンバ i7+と同様、髪の毛が絡まりにくいゴム製デュアルアクションブラシを採用しています。



ルンバ i7+では3本だったコーナーブラシの本数を5本に増やしたことで、部屋の隅のゴミを徹底的に掃除できるようになったとのこと。



裏面についているセンサーは周囲に配置された6つの段差センサーと……



ルンバの位置状態や走行距離などを計測するためのフロアトラッキングセンサー。



ルンバ i7+と裏面を比較してみると、裏面の凹凸が減り、ゴミが絡まりにくくなっていることがわかります。



これはルンバ i7+から登場した、本体の充電と同時にダスト容器内部のゴミを自動で吸い上げてくれる「クリーンベース」です。ルンバ i7+に付属するものと基本的な構造は同じですが、ルンバ本体との接点の位置が変更されているほか、装飾のラインが本体天面のふたと同じカラーになっています。



クリーンベースのふたを開けると紙パックが装着されていました。



灰色の部分を引っ張ると紙パックを取り出すことができます。紙パックはダスト容器30杯分のゴミを収納できるので、ダスト容器が週に1回の頻度でいっぱいになる程度の使い方であれば、6カ月以上は紙パックを交換する必要がない計算になります。



紙パックは引き出し時にゴミを取り込む穴がふさがる構造なので、ゴミを一切目にすることなく処理することができ、空気中へちりが拡散するのも防いでくれます。



ルンバ s9+を使うため、まずはクリーンベースを設置してみます。付属の電源コードをクリーンベースのプラグに差し込んで……



余ったコードをクリーンベースの背面に巻いて収納します。



コンセントにプラグを差し込むと正面のLEDが白く点灯しました。



紙パックがいっぱいになっている場合はLEDが赤色に点灯します。



クリーンベースは上方0.3m、両側0.5m、階段などの段差から1.2m、前方に1.2mのスペースがあり、Wi-Fiの受信状態が良好な場所に設置する必要があります。



クリーンベースにルンバ s9+を設置し充電が始まると、ルンバ本体のリング状のランプが点滅します。初回使用時は約3時間充電することが推奨されており、満充電から約120分間連続で稼働することができます。



さっそくCLEAN/電源ボタンを押して部屋の掃除を開始。



ルンバ s9+がクリーンベースを離れ、清掃を始めました。



ルンバ s9+が実際に部屋を掃除している様子は以下のムービーで確認できます。

ルンバ s9+で部屋の隅を掃除してみた - YouTube




本体のSPOTボタンを押すと、直径約1mの範囲を重点的に掃除するSPOTモードに切り替わります。実際にSPOTモードを使用しているムービーは以下。

ルンバ s9+のSPOTモードを試してみた - YouTube




部屋の掃除が終わると天面のライトが青く光りはじめます。その後ひとりでにクリーンベースに戻っていき、戻った後はクリーンベースがルンバのダスト容器内のゴミを吸い取ります。

ルンバ s9+がクリーンベースへ戻る様子はこんな感じ - YouTube




もちろん天面のふたを開けてダスト容器から直接ゴミを捨てることも可能。ルンバ i7+と同じく、ダスト容器はフィルターを取り外せば水洗いできます。



天面のボタンによる操作も可能ですが、ルンバ s9+ではスマートフォンアプリ「iRobot HOME」で細かいオプションを設定することもできます。iRobot HOMEのセットアップ方法は以下で詳しくレビューされています。

お掃除ロボ「ルンバ」が頭脳派に、スマホ操作可能&カメラ搭載で部屋の形や家具の位置を把握して掃除可能になった「ルンバ980」レビュー - GIGAZINE



iRobot HOMEはiOSとAndroidで利用可能。今回はiOS版を使用します。

「iRobot HOME」をApp Storeで
https://apps.apple.com/jp/app/irobot-home/id1012014442

iRobot Home - Google Play のアプリ
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.irobot.home

セットアップ後のホーム画面はこんな感じ。中央の「CLEAN」をタップすることで清掃を開始できます。



アプリでの制御は基本的にルンバ i7+と同じで、「スケジュール」「履歴」「スマートマップ」の設定項目については下記で詳しくレビューされています。

ルンバ最新フラグシップモデル「ルンバ i7+」レビュー、ゴミを見ることなく処分できる全自動ゴミ収集機「クリーンベース」搭載でロボット掃除機の完成形に - GIGAZINE



特にルンバ s9+はバーチャルウォールが付属されていないので、バーチャルウォールを所持していない場合は「スマートマップ」によるエリア区分によってルンバの動作範囲をすべて設定することになります。



ルンバ i7+から制御面で進化したのは、カーペット上など吸引力が必要な場所を検知して自動的に「パワーブースト」と呼ばれる強力な吸引モードに切り替わる点。「パワーブースト」はアプリ上で手動切り替えすることもできます。ホーム画面の「設定」をタップして……



「清掃モード設定」をタップ。



吸い込み動作を「カスタム」にすると、吸引力を調整できるゲージが現れます。ゲージの一番左は「静音クリーン」、中央は「徹底的に清掃」、一番左は「パワーブースト」に対応しており、ゲージを一番右にセットすれば「パワーブースト」を常時使用することが可能。強力な吸引力が得られますが、連続稼働時間が120分から30分になってしまう上に、動作音が非常に大きくなります。



それぞれのモードで清掃してみたムービーが以下。最初が「静音クリーン」、13秒からは「徹底的に清掃」、27秒からは「パワーブースト」です。

ルンバ s9+の動作モードを比較してみた - YouTube




また、拭き掃除ロボットのブラーバ ジェット m6とアプリで連携すれば、ルンバ s9+の掃除が完了した後、自動でブラーバ ジェット m6による拭き掃除を開始することができます。



ルンバ s9+と同じようにブラーバ ジェット m6をアプリに連携すると、「CLEAN」ボタンを押した際に「後で拭き掃除する」ボタンが現れます。



タップすると、清掃する部屋を指定する画面に移行。部屋を指定して「今すぐ清掃」ボタンを押せばルンバ s9+とブラーバ ジェット m6を連携して掃除することができます。



実際に連携させているムービーは以下。この機能はルンバ i7+でも利用できます。

ルンバ s9+とブラーバジェット m6を連携するとこんな感じ - YouTube




外見が劇的に変化したことに注目してしまいがちですが、形状の変化やブラシの本数、大型化した吸い込み口など、実際に使ってみると前世代のフラッグシップであるルンバ i7+を正統進化させたモデルだとわかります。「本体に持ち手がない」ことと「バーチャルウォールが付属していない」のが弱点ですが、「完璧な清掃」を目指すiRobotの意気込みが感じられる製品でした。












なお、ルンバ s9+はAmazon.co.jpでも販売されており、価格は18万6780円となっています。

Amazon | ルンバ s9+ アイロボット ロボット掃除機 ブラック S955860 | アイロボット(IRobot) | ホーム&キッチン 通販
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00FU6PG1W/asyuracom-22

https://gigazine.net/news/20200301-roomba-s9-plus/


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/875.html#c2
[近代史3] 人類進化史 中川隆
45. 中川隆[-13304] koaQ7Jey 2020年3月01日 10:35:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[223]

2020年03月01日
西秋良宏「アフリカからアジアへ」
https://sicambre.at.webry.info/202003/article_2.html

 朝日選書の一冊として朝日新聞出版より2020年2月に刊行された西秋良宏『アフリカからアジアへ 現生人類はどう拡散したか』所収の論文です。現生人類(Homo sapiens)には固有の「現代的行動」があり、そのために世界中に拡散して非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)を置換した、との見解が以前は有力でした。しかし本論文は、拡散期の現生人類の行動が多様であることから、この見解に疑問を呈しています。また、現生人類は拡散していく過程で、行動や文化を発展させてきた、とも指摘されています。現生人類が世界中の多様な環境に適応できた理由として、古代型ホモ属とは異なる生得的な認知能力の高さを想定する見解が根強いことを、本論文は指摘します。ただ本論文は、古代型ホモ属と現生人類との間に学習行動の違いは見られるものの、それが生得的な能力差を反映しているのか、考古学的証拠だけでは判断が難しい、と慎重な姿勢を示します。それは、学習の在り様や各集団の文化的特徴を決める要件はあまりにも多岐にわたっているからです。

 そこで本論文は、社会の総合力が学習行動の違いに関わっていたのではないか、と推測します。総合力とは、歴史あるいは文化です。古代型ホモ属も現生人類も、文化の力に依拠して生存していたことに違いはありません。本論文は、拡散先の自然環境および先住集団との関係を検証しています。拡散先の自然環境が故地と類似し、先住集団が存在しないか希薄、あるいは外来文化をそのまま受容した場合や、先住集団が拡散集団に駆逐した場合、故地の文化がそのまま拡散先でも維持されます。拡散先が故地とは異なる自然環境だった場合、それに応じて故地とは異なる技術を発展させます。先住集団や同時に拡散してきた複数集団の技術が混合する場合も想定されます。本論文は、ヒトの拡散を議論するには、少なくとも、集団の拡散先の自然環境、先住集団との関係、その相互作用の三つを考察する必要がある、と指摘します。それにより、古代型ホモ属から現生人類への交替が急速に進んだ地域、両者の共存が長かった地域、現生人類の拡散がなかなか進まなかった地域が分かれたかもしれない、というわけです。

 アジアの自然環境は多様で、考古学的証拠も多様です。本論文が着目したのは、石器製作技術の違いです。石刃・小石刃の分布は、生物地理区分での旧北区とよく一致します。ただ、生物地理区分は近年改訂が提案されており、たとえば中国と日本は新たな地理的区分(中国・日本区)として設定されています。本論文は、新旧の地理的区分のどちらが考古学的証拠の解釈に適切なのか、判断は難しい、と慎重な姿勢を示します。ただ本論文は、中国・日本区のような中間的な地理的区分を設定すると、更新世における石器製作技術の変動と気候変動とを組み合わせて説明できるかもしれない、と指摘します。寧夏回族自治区の水洞溝1遺跡の4万年前頃の上部旧石器時代初頭の石器群は、西方由来と推測されるものの、定着したわけではなく、本格的な石刃石器群が定着するのは寒冷期となる2万数千年前の細石刃文化になり、中間的な地域では気候変動により考古学的証拠も異なってくる、というわけです。同じく中間的な日本列島でも、初期の上部旧石器は南方を主体としつつも北方要素も一部見られ、寒冷期となる2万数千年前に押圧剥離技術による細石刃石器群が定借します。

 本論文は一方で、拡散先の生物地理的環境に初期現生人類の文化・技術が大きく影響された、との想定とは異なるかもしれない事例として、オーストラリアを挙げています。オーストラリアの環境は、アジア南東部の森林地帯とは異なり、内陸に砂漠や草原地帯が広がります。しかし、オーストラリアの初期現生人類で石刃や小石刃が発達したわけではありません。本論文は、アジア南部や南東部の森林地帯で西方の技術がフィルタリングされ、それ以降に再興された要素もあれば、そうではなかった要素もあるかもしれない、と指摘します。本論文は、自然環境と技術との単純な対応が見られない場合には、文化伝達理論が有効かもしれない、と指摘します。

 本論文は現生人類と古代型ホモ属との文化的交流の可能性も取り上げています。現生人類にとってユーラシア中緯度地帯以北は新天地となり、それ以前から適応していた古代型ホモ属の防寒技術を採用した可能性がある、というわけです。たとえば、皮なめしに特化した道具とされる骨製のヘラは、ネアンデルタール人の遺跡の方でより古いものが見つかっており、ネアンデルタール人から現生人類への文化的影響の証拠になるかもしれない、と指摘されています(関連記事)。また、竪穴で暖を取るタイプの住居遺構も、ネアンデルタール人遺跡でより古い事例が喫県されています。

 石器製作技術における古代型ホモ属と現生人類との交流の可能性の事例として、本論文はアジア西部を挙げています。アジア西部は、現生人類とネアンデルタール人の共存期間が最も長い地域と考えられており、7万〜5万年前頃には両者の遺骸が複数の遺跡で発見されています。本論文は、ルヴァロワ(Levallois)技術で製作された、小さい尖頭器を特徴とするタブン(Tabun)B型石器群に注目しています。タブンB型と共伴している人類遺骸はすべて、現時点ではネアンデルタール人です。ネアンデルタール人はヨーロッパ起源と考えられますが、これと類似したヨーロッパの石器技術はまだ知られていません。二次加工の尖頭器はヨーロッパからアジア中央部までのネアンデルタール人分布域で一般的でしたが、レヴァントのタブンB型石器群のように無加工のルヴァロワ尖頭器をと要する例はほとんど知られていません。本論文は、アフリカ北部の初期現生人類において、二次加工せずにルヴァロワ石器を利用する文化が一般的だったことから、ネアンデルタール人のタブンB型は現生人類との交流の結果発展したのではないか、と推測しています。

 本論文は、チンパンジーでも飼育下では現代人の指導に従って石器を製作する事例が知られており、それよりもずっと近縁な関係にあるホモ属の各種間で文化的な交流や伝達もあっただろう、と指摘します。文化の拡散・定着には若い世代への継承が必要となりますが、それを、親から子への垂直伝達、親世代の他人から伝えられる斜行伝達、子と同世代の間で伝えられる水平伝達に分類する見解があります(関連記事)。親世代から継承される場合、現生人類から古代型ホモ属への確率が0ではない限り、古代型ホモ属から現生人類への技術継承はあり得る、と予測されます。現生人類集団の侵入と交替がゆっくり起きた場合、古代型ホモ属の文化が継続するように見えます。また、現生人類と古代型ホモ属は交雑しましたから、垂直伝達のみでも古代型ホモ属の文化が現生人類集団に浸透することもあり得ます。

 本論文は、アジア各地への現生人類の拡散を考えるうえで、まず証拠のそろっているヨーロッパの事例を取り上げます。20万年以上前にギリシアまで現生人類が拡散した、との見解も提示されていますが(関連記事)、それよりもさらにヨーロッパ奥地にまで拡散したのか定かではなく、現生人類がヨーロッパに広範に拡散したのは、5万年前頃以降の上部旧石器時代初頭集団です。ただ、当初は中部旧石器時代に典型的なムステリアン(Mousterian)遺跡も多数あり、ネアンデルタール人と現生人類が共存していた、と考えられます。ネアンデルタール人は4万年前頃までに絶滅し、その背景として5万〜4万年前頃の複数回のきょくたんな寒冷期が挙げられています。4万年前頃、プロトオーリナシアン(Proto-Aurignacian)式の小石刃石器群を有する現生人類集団がヨーロッパに拡散しており、ヨーロッパへの現生人類の拡散は大きく2回あった、と考えられます。

 こうした二段階による交代劇を理論的に予想したのが第6章(関連記事)です。本論文は、ネアンデルタール人と現生人類の共存を可能にしたのは、一つには環境で、アジア西部では、砂漠を現生人類が、森林をネアンデルタール人がおもに開発していました。生態的地位が異なっていた、というわけです。ヨーロッパでは、ネアンデルタール人の継続的な人口減少により、侵入してきた現生人類の利用可能な空間が拡大していた可能性も指摘されています。共存を可能にしたもう一つの要因は、第二波の現生人類集団にはネアンデルタール人集団を圧倒する高い技術があった、ということです。アジア西部では上部旧石器時代初頭の技術、ヨーロッパでは上部旧石器時代前期のプロトオーリナシアンの小石刃技術です。

 広範なアジアの他地域について同じモデルで説明できるのか、議論の対象となり得ます。本論文は、北回りでは現生人類の侵入と古代型ホモ属との交替が速やかに起きたように、南回りでは共存期間が長かったかもしれないように見える、と指摘します。中国南部では、4万年以上前に現生人類が到来した、との見解が提示されている一方で、石器技術は前代からの剥片石器群が継続しています。こうした対照性は共存に適した生態的地位の有無に依存するのかもしれない、と本論文は推測します。草原地帯よりも森林地帯の方が集団は分断されるので、共存の可能性は高く、島嶼部ではなおさらである、というわけです。

 現生人類と古代型ホモ属との「交替劇」に関しては、第6章も指摘するように人口も要因になると考えられます。本論文はこれに関して、かりに現生人類と古代型ホモ属との認知能力が同じだとしても、アフリカからは常に高い技術を有したヒト集団が出現したはずだ、との見解を取り上げています。ヒトの文化や行動は時間の経過により新たなものが創造されたり、改良されたりしますが、集団内で継承されるため蓄積して複雑さを増していきます。ヒトは他人から学ぶ社会学習を発達させているので、それが「文化的歯止め」となり、集団内に文化要素が留まります。この場合、歴史のある大集団は、社会学習により蓄積された他の集団よりも多くの文化を保有しています。人口が圧倒的に多く長期にわたる文化蓄積を経験したアフリカの現生人類集団と、出アフリカ後のユーラシアで新たな文化蓄積を果たさねばならない古代型ホモ属の小集団では、技術のレパートリーの原資や蓄積に差があって当然と予測できる、というわけです。本論文は、古代型ホモ属から現生人類への交代劇を文化の視点から理解するには、文化進化の理論研究をさらに深めていく必要がある、と指摘しています。


 なお、西秋良宏編『アフリカからアジアへ 現生人類はどう拡散したか』の本論文を除く各論文の記事は以下の通りです。

門脇誠二「現生人類の出アフリカと西アジアでの出来事」
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_38.html

西秋良宏「東アジアへ向かった現生人類、二つの適応」
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_39.html

Robin Dennell「現生人類はいつ東アジアへやってきたのか」
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_40.html

海部陽介「日本列島へたどり着いた三万年前の祖先たち」
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_46.html

高畑尚之「私たちの祖先と旧人たちとの関わり 古代ゲノム研究最前線」
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_48.html

青木健一「現生人類の到着より遅れて出現する現代人的な石器 現生人類分布拡大の二重波モデル」
https://sicambre.at.webry.info/202002/article_51.html


参考文献:
西秋良宏(2020B)「アフリカからアジアへ」西秋良宏編『アフリカからアジアへ 現生人類はどう拡散したか』(朝日新聞出版)第7章P221-244

https://sicambre.at.webry.info/202003/article_2.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html#c45

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
240. 中川隆[-13303] koaQ7Jey 2020年3月01日 10:40:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[224]

パウエル議長、新型コロナウィルスについて声明文を発表、3月利下げを確約か
グローバルマクロ・リサーチ・インスティテュート2020年3月1日
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8846

アメリカの中央銀行であるFed(連邦準備制度)が3月半ばのFOMC会合に先駆けて手を打ったようである。パウエル議長による声明文が発表されたので、今回の記事ではそれを紹介したい。金利の最新情報にも触れたいと思っていたところなので丁度良いだろう。

声明文

先ずはパウエル議長による声明文から見て行きたい。短いものなので訳したものを全文掲載する。


米国経済のファンダメンタルズは強いままである。しかしながら、コロナウィルスによる経済活動へのリスクが高まっている。中央銀行は状況とその経済動向への影響を注視している。経済を支えるために存在する手段を使って適切に行動するつもりである。

一見こうした状況で発表する定型文のようで意味がないように見えるが、それは日本語に訳すと重要な意味が消えてしまうからである。しかし最後の「行動するつもりである」の部分は原文ではwill actとなっており、これは英語のニュアンスでは何らかの行動を起こすことを確約した意味となる。少なくともこの文章で何も行動を起こさなければ嘘をついたことになる原文である。

さて、では「何らかの行動」とは何かだが、米国時間3月18日のFOMC会合における利下げのことを指す可能性が高い。金利先物市場も同意見のようで、既に3月のFOMC会合における利下げを100%織り込んでいる。つまり利下げが行われない可能性はゼロだと見ているということである。

急な利下げを催促する金利先物市場

ただ、市場の織り込みはそれだけではないようである。3月の会合における利下げ確率の織り込みを厳密に見てみよう。

•利下げなし: 0%
•0.25%利下げ: 5.1%
•0.5%利下げ: 94.9%

何と0.5%の利下げをほぼ確実だと織り込んでいる。通常の利上げは1回につき0.25%なので、2段階の利下げを既に織り込んでいることになる。

これは予想というよりは市場の要求である。叶えられなければ更に株価が下がるぞと脅しをかけているのである。

これをパウエル議長が呑むかどうかだが、わたしの予想では彼は呑むだろう。市場に逆らうとどうなるか、彼は2018年の世界同時株安で思い知ったからである。パウエル議長は2018年12月当時、市場が暴落していたにもかかわらず金融引き締めを撤回しないと声高に主張し、当時暴落の開始前から株を空売りしていたわたしはそれを「空売り派への満額回答」と呼んだ。

•12月FOMC会合結果は空売り派への満額回答 (2018/12/20)

パウエル議長のこの発言が下落相場にとどめを刺す結果となり、Fedは結局方向転換を迫られることとなった。

パウエル議長はこの時のことがトラウマになっているはずであり、また市場に逆らって決定をしても結局最後には従わなければならなくなるということを学んだはずである。だから3月の半ばまで金利先物市場がこのまま2段階の利下げを織り込み続けるのであれば、FOMC会合の結果も2段階の利下げになるだろう。

ちなみに年末までに合計何回(何段階)利下げが行われているかについての市場予想は次のようになっている。

•0回: 0%
•1回: 0.2%
•2回: 4.0%
•3回: 20.0%
•4回: 35.5%
•5回: 28.0%
•6回: 10.5%
•7回: 1.8%

年末までに4回、つまり1.00%の利下げがメインシナリオだと市場は織り込んでいるようである。ちなみに現在のアメリカの政策金利は1.5%なので、0.25%の利下げを7回行うとマイナス金利となる。その可能性も1.8%あると市場は考えているということである。

相場への影響は

さて、来週は面白い相場になりそうである。パウエル議長が利下げを行うつもりであることは株式市場にはプラスである。一方で市場にとっての問題は新型肺炎に関する悪材料が出尽くしていないということである。来週か再来週には以下の2つのイベントが発生する可能性がある。

•ヨーロッパでのウィルス流行がイタリア以外の国に拡大
•アメリカでの国内流行が拡大

つまりはヨーロッパとアメリカで流行が広がる可能性がまだ残されているということである。

筆者はヨーロッパにおける流行拡大は不可避だと予想している。イタリアの感染者数は既に1,100人を超えており、そのイタリアと国境を接しているフランスやスイス、オーストリアは国境を開けたままにしている。これで感染が広がらないとすれば奇跡だろう。

一方でアメリカでの流行拡大はヨーロッパよりも不確かだが、感染経路不明の流行がいくつか出ていることを考えるとこちらも国内流行拡大がメインシナリオのように思える。これら2つのシナリオは来週か再来週には明らかになると思われ、その時には市場は次の試練を迎えることになる。

したがって3月の相場は利下げによる中央銀行からの流動性という好材料と欧米での流行拡大という悪材料がぶつかり、どちらが勝つかという相場になることになる。

2018年の世界同時株安は利下げと量的緩和で防ぐことが出来た。それは2018年の世界同時株安の原因が中央銀行自身による金融引き締めだったからである。だから中央銀行は自分でその原因を取り除くことが出来た。

しかし今度は中央銀行はウィルスという外部要因と戦うことになる。どちらが勝つだろうか。悪材料が出尽くしていれば中央銀行が勝つだろうが、そうなってはいない。

以下の記事で紹介したような個別銘柄を空売りしている投資家で、十分に利益が得られた場合にはここで利益確定するのも悪くない選択肢であるのかもしれない。確実な部分だけを取るのは投資家としては良い戦略である。

•新型肺炎関連銘柄: 国内感染拡大で下落する個別銘柄はどれか

一方で更なる感染拡大が不可避であることもまた妥当な予想のようである。日本では東京オリンピックの中止が真剣に議論され始めるシナリオもまだ残っている。個人的には暴落している原油の底値買いを狙っているが、買いで入るタイミングはまだ先だろう。底が厳密に何処になるかは問題ではない。100%売り材料の時に売り、100%買い材料の時に買えば良いのである。

•新型肺炎で原油価格暴落、今後の動向と推移予想

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/8846
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c240

[リバイバル3] 「住宅は資産」という幻想で誰があなたをカモにするのか? 中川隆
271. 中川隆[-13302] koaQ7Jey 2020年3月01日 10:56:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[225]

2020年03月01日
引っ越すなら40年後も「持続可能な街」が良い


憧れで移住して20年後に自治体が消滅しているかも


画像引用:「移住しやすい地域ランキング」1位に選ばれたのは人口約3000人の小さな町だった!|@DIME アットダイムhttps://dime.jp/genre/797172/


限界集落に住むべきではない

移住先の人気ランキングでは毎回長野県が1位で2位以下も富山、新潟、北海道などが続きます。

住んでみたい街というアンケートでは高級住宅地が上位だったりするが、両極端の傾向です。

おそらく高級住宅地はもしお金があったら住んでみたい街で、現実の移住先ではないでしょう。




他には郊外のベッドタウンとか、市街地よりも自然が豊かなチョイ田舎な場所が選ばれる傾向がある。

日本人の9割は都市部に住んでいるので、多くの人は混雑した場所で狭い家や部屋に住んでいる。

憧れの対象になるのは一戸建ての広い家で、自然環境に恵まれた郊外や田舎になるのでしょう。


だが郊外のチョイ田舎は良いとしても長野や富山や北海道の田舎に移住するのは現実的でしょうか?

政府の統計によると2050年には日本の町や村のほとんどは人口が減少し自治体消滅するそうです。

日本創生会議によると西暦2040年までに896の自治体が消滅し、村や「字」や郷がつくような場所は人口ゼロになります。


人口が少なくなると住みたくても住み続けることができなくなり、移住者は絶対に現れません。

電気や水道やごみ収集、道路整備や災害防止など生活に必要な自治体サービスが行われなくなるからです。

山から水を引いてきて電気はなくて良いという人以外は、日本のほとんどの村で生活不可能になります。

40年後も存在する街

そこまで行かなくても例えば田舎にはプロパンガスしかなく料金は都市ガスの2倍、水道料金やガス料金も都会の2倍です。

大きな病院には車で1時間かかり、コンビニやスーパーも車で30分はかかるでしょう。

車を運転できるうちは良いが、年を取るといずれ運転が不自由になる。


憧れで田舎に移住しても先行きの展望がないと、どんどん不自由になり後悔する事になります。

移住した先で残りの人生を過ごし、子供も住むかも知れないので、移住先の40年後まで予想しなくてはならない。

その町や地域が将来栄えるかどうかは自然な地形で決まり、例えば東京は周囲の地方都市の扇の要のような要衝に位置します。


だから家康は江戸に拠点を構え、秀吉は大阪に大阪城をつくり、東京と大阪は今も栄えています。

都市は発展するべき場所につくられたから発展したので、信長のように山の中に「ニュータウン」を作ってもだめです。

発展する場所には必ず川が流れて平野があり、いくつかの川が合流する地点にある筈です。


道は川沿いにあり、複数の川が合流する場所は四方八方の道が合流する地点になっています。

地方の主要都市は必ずこういう場所にある筈で、そうした町は50年後も栄えているでしょう。

地形が悪い場所を無理やり開発したとしても、最初は栄えるが2世代ほどでゴーストタウンになります。


移住先は憧れや夢よりも、地図を見て「発展するべくして発展した」街を選んだ方が良いです。
http://www.thutmosev.com/archives/82327606.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c271

[リバイバル3] 苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった 中川隆
570. 中川隆[-13301] koaQ7Jey 2020年3月01日 10:57:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[226]

2020年03月01日
引っ越すなら40年後も「持続可能な街」が良い


憧れで移住して20年後に自治体が消滅しているかも


画像引用:「移住しやすい地域ランキング」1位に選ばれたのは人口約3000人の小さな町だった!|@DIME アットダイムhttps://dime.jp/genre/797172/


限界集落に住むべきではない

移住先の人気ランキングでは毎回長野県が1位で2位以下も富山、新潟、北海道などが続きます。

住んでみたい街というアンケートでは高級住宅地が上位だったりするが、両極端の傾向です。

おそらく高級住宅地はもしお金があったら住んでみたい街で、現実の移住先ではないでしょう。




他には郊外のベッドタウンとか、市街地よりも自然が豊かなチョイ田舎な場所が選ばれる傾向がある。

日本人の9割は都市部に住んでいるので、多くの人は混雑した場所で狭い家や部屋に住んでいる。

憧れの対象になるのは一戸建ての広い家で、自然環境に恵まれた郊外や田舎になるのでしょう。


だが郊外のチョイ田舎は良いとしても長野や富山や北海道の田舎に移住するのは現実的でしょうか?

政府の統計によると2050年には日本の町や村のほとんどは人口が減少し自治体消滅するそうです。

日本創生会議によると西暦2040年までに896の自治体が消滅し、村や「字」や郷がつくような場所は人口ゼロになります。


人口が少なくなると住みたくても住み続けることができなくなり、移住者は絶対に現れません。

電気や水道やごみ収集、道路整備や災害防止など生活に必要な自治体サービスが行われなくなるからです。

山から水を引いてきて電気はなくて良いという人以外は、日本のほとんどの村で生活不可能になります。

40年後も存在する街

そこまで行かなくても例えば田舎にはプロパンガスしかなく料金は都市ガスの2倍、水道料金やガス料金も都会の2倍です。

大きな病院には車で1時間かかり、コンビニやスーパーも車で30分はかかるでしょう。

車を運転できるうちは良いが、年を取るといずれ運転が不自由になる。


憧れで田舎に移住しても先行きの展望がないと、どんどん不自由になり後悔する事になります。

移住した先で残りの人生を過ごし、子供も住むかも知れないので、移住先の40年後まで予想しなくてはならない。

その町や地域が将来栄えるかどうかは自然な地形で決まり、例えば東京は周囲の地方都市の扇の要のような要衝に位置します。


だから家康は江戸に拠点を構え、秀吉は大阪に大阪城をつくり、東京と大阪は今も栄えています。

都市は発展するべき場所につくられたから発展したので、信長のように山の中に「ニュータウン」を作ってもだめです。

発展する場所には必ず川が流れて平野があり、いくつかの川が合流する地点にある筈です。


道は川沿いにあり、複数の川が合流する場所は四方八方の道が合流する地点になっています。

地方の主要都市は必ずこういう場所にある筈で、そうした町は50年後も栄えているでしょう。

地形が悪い場所を無理やり開発したとしても、最初は栄えるが2世代ほどでゴーストタウンになります。


移住先は憧れや夢よりも、地図を見て「発展するべくして発展した」街を選んだ方が良いです。
http://www.thutmosev.com/archives/82327606.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html#c570

[近代史4] 中川隆投稿集 _ アイヌ人は先住民ではない? 中川隆
2. 中川隆[-13300] koaQ7Jey 2020年3月01日 11:29:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[227]

チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 的場光昭、長浜浩明と田中英道の学説(?)によると、


・日本人は縄文人の直系の子孫で、渡来人でも朝鮮人でもない

・アイヌ人は縄文人の子孫ではなく、12世紀シベリアから移住してきた異民族


なんだそうです:


的場光昭 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%9A%84%E5%A0%B4%E5%85%89%E6%98%AD

長浜浩明 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%95%B7%E6%B5%9C%E6%B5%A9%E6%98%8E

田中英道 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%8B%B1%E9%81%93


▲△▽▼

アイヌ人は先住民ではない、日本人は単一民族だというデマを撒き散らすチャンネル桜
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/323.html

チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html

西洋美術史の専門家だった(?)田中英道は何時から頭がおかしくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/206.html

チャンネル桜の常連の三橋貴明はチャンネル桜関係者の受け売りしかできないアホだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/374.html

しかし、チャンネル桜関係者は何故、遺伝学や人類学、考古学、民族学、言語学、歴史学の知識が完全にゼロの自称専門家が言った事をそんなに簡単に信じられるのかな?




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/150.html#c2

[近代史4] 相場に失敗した時に、楽に死ぬ方法教えてあげる 中川隆
1. 中川隆[-13299] koaQ7Jey 2020年3月01日 13:10:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[228]

死ぬ前に美味しいお酒を飲もう


カルヴァドス _ 一番香りの良いお酒
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/794.html#c4  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/407.html#c1

[近代史4] 相場に失敗した時に、楽に死ぬ方法教えてあげる 中川隆
2. 中川隆[-13298] koaQ7Jey 2020年3月01日 13:12:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[229]

悪霊

「ぼくのほうは、なぜ人間があえて自殺しようとしないのか、その原因を探求しているんで、それだけのことなんです。でも、こんなことはどうでもいい」
「あえてしないというのは?自殺が少ないというわけでも?」

「非常に少ないですね」

「ほんとうにそうお考えですか?」


彼はすぐには答えず、立ちあがって、何か考えこみながら部屋の中を行ったり来たりしはじめた。


「あなたの考えだと、人間に自殺を思いとどまらせているのは何なのです?」

私はたずねた。


私たちが何を話していたのかを思い出そうとでもするように、彼はぼんやりとこちらを見た。


「ぼくは……ぼくはまだよくわかりません……

二つの偏見が思いとどまらせていますね、二つのこと。二つきりです。

一つはたいへん小さなことで、もう一つはたいへん大きなことです。

でも、その小さなことも、やはり大きなことにはちがいない」


「小さなことというと?」

「痛いことです」

「痛いこと?そんなことが重要ですかね……この場合に?」

「いちばんの問題ですよ。二種類の人があって、非常な悲しみや憎しみから自殺する人たち、でなければ気がちがうとか、いや、なんでも同じだけれど……

要するに、突然自殺する人たちがいます。この人たちは苦痛のことはあまり考えないで、突然です。

ところが思慮をもってやる人たち――この人たちはたくさん考えますね」


「思慮をもってやる人なんかがいるものですかね?」

「非常に多いですね。もし偏見がなければもっと多いでしょう。非常に多い。みんなです」

「まさかみんなとはね」


彼は口をつぐんでいた。


「でも、苦痛なしに死ぬ方法はないものですかね?」


「ひとつ想像しててみてください」

彼は私の前に立ちどまった。

「大きなアパートの建物ほどもある石を想像してみてください。

それが宙に吊るしてあって、あなたはその下にいる。もしそれがあなたの頭の上に落ちてきたら、痛いですかね?」


「建物ほどの石?もちろん、こわいでしょうね」

「ぼくはこわいかどうかを言ってるんじゃない、痛いでしょうかね?」

「山ほどの石、何十億キロのでしょう?痛いも何もあるものですか」

「ところが実際にそこに立ってごらんなさい。

石がぶらさがっている間、あなたはさぞ痛いだろうと思って、ひどくこわがりますよ。

どんな第一流の学者だって、第一流の医者だって、みんなこわがるにちがいない。だれもが、痛くはないと承知しながら、だれもが、さぞ痛いだろうとこわがる」

「なるほど、では第二の原因は、大きいほうは?」

「あの世です」

「というと、神罰ですか?」

「そんなことはどうでもいい。あの世、あの世だけです」

「でも、あの世なぞまるで信じていない無神論者だっているでしょうに?」


彼はふたたび押し黙った。


「あなたは、たぶん、自分に照らして判断されているんじゃありませんか?」

「だれだって自分に照らしてしか判断できませんよ」

彼は赤くなって言った。

「自由というのは、生きていても生きていなくても同じになるとき、はじめてえられるのです。これがすべての目的です」

「目的?でも、そうなったら、だれひとり生きることを望まなくなりはしませんか?」

「ええ、だれひとり」

彼はきっぱりと言いきった。

「人間が死を恐れるのは、生を愛するからだ、ぼくはそう理解しているし」

と私が口をはさんだ。

「それが自然の命ずるところでもあるわけですよ」

「しれが卑劣なんです、そこにいっさいの欺瞞のもとがあるんだ!」

彼の目がぎらぎらと輝きだした。

「生は苦痛です、生は恐怖です、だから人間は不幸なんです。いまは苦痛と恐怖ばかりですよ。

いま人間が生を愛するのは、苦痛と恐怖を愛するからなんです。

そういうふうに作られてもいる。いまは生が、苦痛や恐怖を代償に与えられている、ここにいっさいの欺瞞のもとがあるわけです。

いまの人間はまだ人間じゃない。幸福で、誇り高い新しい人間が出てきますよ。

生きていても、生きていなくても、どうでもいい人間、それが新しい人間なんです。

苦痛と恐怖に打ちかつものが、みずから神になる。そして、あの神はいなくなる」


「してみると、いまは神がいるわけですね、あなたの考えだと?」

「神はいないが、神はいるんです。

石に痛みはないが、石からの恐怖には痛みがある。神は死の恐怖の痛みですよ。

痛みと恐怖に打ちかつものが、みずから神になる。

そのとき新しい生が、新しい人間が、新しいいっさいが生まれる……

そのとき歴史が二つの部分に分けられる――ゴリラから神の領域までと、神の領域から……」


「ゴリラまでですか?」


「地球と、人間の肉体的な変化までです。

人間は神になって、肉体的に変化する。

世界も変るし、事物も、思想も、感情のずべても変る。

どうです、そのときは人間も肉体的に変化するでしょう?」


「生きていても、生きていなくても同じだということになったら、みんな自殺してしまうだろうし、それが変化ということになりますかね」

「それはどうでもいい。欺瞞が殺されるんです。

最高の自由を望む者は、だれも自分を殺す勇気をもたなくちゃならない。

そして自分を殺す勇気のある者は、欺瞞の秘密を見破った者です。

その先には自由がない。ここにいっさいがあって、その先には何もないんです。

あえて自分を殺せる者が神でう。

いまや、神をなくし、何もなくなるようにすることはだれにもできるはずです。

ところが、だれもまだ一度としてそれをしたものがない」


「あのときはまだ自分が幸福なことを知らなかったんです。

きみは葉を見たことがありますか、木の葉を?」

「ありますよ」

「ぼくはこの間、黄色い葉を見ましたよ、緑がわずかになって、端のほうから腐りかけていた。風で舞ってきたんです。

ぼくは十歳のころ、冬、わざと目をつぶって、木の葉を想像してみたものです。

葉脈のくっきり浮き出た緑色の葉で、太陽にきらきら輝いているのをです。

目をあけてみると、それがあまりにすばらしいので信じられない、それでまた目をつぶる」

「それはなんです、たとえ話ですか?」

「いいや……なぜです? たとえ話なんかじゃない、ただの木の葉、一枚の木の葉ですよ。木の葉はすばらしい。すべてがすばらしい」

「すべて?」

「すべてです。人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないから、それだけです。これがいっさい、いっさいなんです! 

知るものはただちに幸福になる。その瞬間に。あの姑が死んで、女の子が一人で残される——すべてすばらしい。ぼくは突然発見したんです」

「でも、餓死する者も、女の子を辱めたり、穢したりする者もあるだろうけれど、それもすばらしいのですか?」

「すばらしい。赤ん坊の頭をぐしゃぐしゃに叩きつぶす者がいても、やっぱりすばらしい。叩きつぶさない者も、やっぱりすばらしい。すべてがすばらしい、すべてがです。

すべてがすばらしいことを知る者には、すばらしい。

もしみなが、すばらしいことを知るようになれば、すばらしくなるのだけれど、すばらしいことを知らないうちは、ひとつもすばらしくないでしょうよ。

ぼくの考えはこれですべてです、これだけ、ほかには何もありません」


「きみは自分がそんなに幸福だということをいつ知ったのです?」

「先週の火曜日、いや、水曜日です、もう深夜をすぎて水曜日になっていたから」

「どんなきっかけで?」

「覚えていません、自然とです。部屋の中を歩いていて……これはどうでもいいことだな。ぼくは時計を止めましたよ、二時三十七分でした」

「時が静止するしるしにですか?」


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/407.html#c2

[近代史4] 南京大虐殺30万人は過大評価なのか? 中川隆
1. 中川隆[-13297] koaQ7Jey 2020年3月01日 13:57:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[230]


【永久保存版】南京大虐殺の証拠〜当時の記録映像と生存者の確実な証言

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/409.html#c1
[近代史4] 南京大虐殺30万人は過大評価なのか? 中川隆
2. 中川隆[-13296] koaQ7Jey 2020年3月01日 14:01:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[231]

【永久保存版】南京大虐殺の証拠〜当時の記録映像と生存者の確実な証言






〔虐殺否定の書き込みの前に、まずこちらの解説文に目をお通し下さい。誤解の大半が解けると思います。解説を読まずに否定論デマを書かれた場合、荒しとして対応します〕

【右派も左派も必見の動画】

南京大虐殺に関する動画は、戦後中国政府が作ったプロパガンダ映像が混じっていることが多いが、これは「1938年」(虐殺直後)に公開された当時のもの。

日本と同盟していたドイツ高官が「総統閣下にも見て欲しい」と公式に送った第一級の資料映像。

しかも生存者の証言が細部まで一致している。女性や子どもも無差別に殺害しており、便衣兵云々の言い訳は通用しない。

また「日本軍がやった」と外国人医師を含め誰もが詳細に語っており、「国民党軍の成りすまし」論がどれほど被害者を馬鹿にしたものか分かる。

番組前半の映像はショッキングだが、それ以上に番組後半の、家族を失った証言者の話「今は日本人と友だちになりたいと思っている」が心に残る。この言葉に対して謙虚でありたい。

※MBSナウ・スペシャル『フィルムは見ていた 検証・南京大虐殺』より(1991年10月放送)※ギャラクシー賞・選奨を受賞

★他の第一級資料動画

●CGで再現した南京大虐殺 https://youtu.be/QJ38Hg7Vdw8

●残念だが南京事件はあった〜当時の陣中日記から(2008) http://goo.gl/d2fGMA (32分)

●当時の一次史料『南京事件・兵士たちの遺言』(2015) http://goo.gl/K0U1Ef (45分)

●日本軍の記録に残る南京大虐殺(軍命令により実施) http://urx3.nu/ouPU (7分)

−−−−−

南京占領軍への当初の命令は「青壮年はすべて敗残兵、又は便衣隊(ゲリラ)と見なし、­すべて逮捕監禁すべし」。つまり、老人と子ども以外の中国人男子は全員逮捕監禁せよと­いう厳命。だが、捕虜10万人の食料も収容する施設もない。やがて命令は「捕虜を処分­(処刑)、殲滅(せんめつ)せよ」に変わった。『ハーグ陸戦協定』では「武装解除した­捕虜の虐殺」を戦争犯罪としている。ネット上では多数のデマが流れているため、よくあ­る質問と答えを以下にまとめる→

・日支事変は国際法上の“戦争”ではないため『ハーグ陸戦協定』は当てはまらない。→­ならば平時の殺人であり戦犯以前に殺人罪。

・便衣兵(ゲリラ)だから処刑していい。→略式でも裁判は必要だし、そもそも南京城内に便衣兵はいなかった(後述)。

・虐殺証言で登場する元日本兵は中国共産党に洗脳された中国帰国者(中帰連)。→南京­戦に投入された部隊(歩兵第66連隊等)は捕虜にならず帰国しており、中国共産党は無関係。

・虐殺を見ていない海外ジャーナリストがいる。→虐殺現場は街から4キロ離れた揚子江­の川岸。中心街で数万人を殺害したのではない。

・南京入りした後発補充部隊は「虐殺はなかったと聞いている」と証言している。→「な­かった」と証言する元兵士は全員が事件後に南京市入りしている。しかも伝聞の証言であ­り説得力なし。何より、軍の公式記録である第66連隊の部隊記録に捕虜殺害の数が記録­されており、その数は加害兵士の陣中日記や証言と一致している。

・捕虜の暴動が起きたので仕方なく殺した→この話は戦後に現場指揮官の1人が戦犯指定を逃れるためにでっち上げたものと2018年に判明。暴動説はデマが確定。

〔まとめ〕南京を占領した日本軍は、各部隊とも自軍の10倍近くの捕虜を得て、その処­理に困って殺害に至った(例えば山田支隊1500人に対して15000人の捕虜が発生­し幕府山事件が起きた)。本来、捕虜ならば軍法会議、捕虜以外は軍律会議の判­決で処断せねばならない。便衣兵が「ハーグ陸戦協定違反」であろうとなかろうと、丸腰­の人間を裁判抜きで殺害するのは戦争犯罪。“南京事件否定派”の意見は国際社会で通用­しない。

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〔補足・通州事件〕
拡散希望【通州事件…ネット右翼が知らない3つの事実】

(1)通州事件は、日本人104名と朝鮮人108名、計212人が殺害された。朝鮮人の死者の方が多いが、当時の朝鮮は日韓併合下にあったため「邦人200人以上」としている。

(2)通州事件は日本軍の誤爆事件が先にあった。襲ってきた中国人部隊は元々親日派で、日本軍が育てた子飼いの部隊。誤爆事件で飼い犬に手を咬まれた。

(3)日本軍は通州からヘロインなど大量の麻薬を大陸に流していた(毒化政策)。その悪行が中国人から反発を買った。

−−−−−−−−−

〔補足2・便衣兵のせいというデマ〕

第一次上海戦では便衣兵(ゲリラ)の攻撃を受けたが、第二次上海戦では便衣兵からの攻撃はないに等しかった。特に南京城内では報告皆無。南京戦では「国際法を違反した便衣兵」は存在せず、虐殺を正当化する理由にはならない。仮に便衣兵がいたとして、日本が他国を武装して占領するから装備に劣る相手側が「祖国を守るため」にゲリラ戦を選んだのであり、加害者がそれを虐殺の理由にするのは酷い話。侵略していなければそもそも便衣兵になる必要もなかった(ここは非常に重要な部分)。

−−−−−−−−−

〔補足3・人口のデマ〕
否定派は「南京の人口が占領前に30万人で占領後40万人増えているのがいい証拠」という。これは簡単に説明できる。南京一帯で戦闘が行われているわけで、南京市の国際安全区になだれ込んでいる。

参考までに以下のやり取りも紹介。

KAZUYA氏「人口20万人の南京で、30万人殺したという。ファンタジー的だ」

記者「20万人というのは南京市の特定地域(国際安全区)の人口の推計で、市全体のものではない」

KAZUYA氏「知っています。耳を引くためにオーバーな言い方をしています」

−−−−−−−−−

〔補足4・犠牲者30万人に根拠はあるか〕

1927年に国民政府が南京を首都に定めて以降、南京市政府は市内の常住人口について統計資料を保存している。1935年に100万人の大台を突破し、虐殺9カ月前の1937年3月の調査では101万9667人で、戸数は20万810戸(南京の首都警察庁調べ)。この3月時点の100万人は、虐殺肯定派、否定派とも見解が一致している。その後、日本軍の連日の空襲で人口が減り始め、11月20日に国民政府が重慶への首都遷都を宣布、さらに日本軍の接近が伝えられたことで住民が激減、11月23日に南京市政府(馬超俊市長)は「現時点で人口は約50万」「ただし今後20万人の周辺難民の流入を予測」と国民政府軍事委員会に報告している。実際、膨大な数の農民が難民となって城内に避難した。南京守備部隊、常住人口、流動人口の合計が約60万人、そして虐殺後の人口が30万人強であることから、中国側が主張する犠牲者30万人は、「最大値としては」あり得る数字だ。

−−−−−−−−−

〔補足5・消えた遺体について〕

南京守備隊(5万人以上)の処刑は揚子江の河岸で行われ、遺体は大河に流されたことが日本軍の記録で明らかになっている。いったい何万人が揚子江に投げ込まれたのか不明ではあるが、墓がない大きな理由のひとつ。次が重要な点。日本側が考える南京事件は、期間が「1937年12月13日の南京陥落から17日の入城式まで」、場所は「南京城内で行われた掃討戦」としているケースが多いのに対し、中国側は期間が「南京戦から3カ月」、場所は「南京周辺の農村を含んだ広大な地域」であり、この時点で両者が主張する数字が合致するはずがない。中国が嘘をついているのではなく、単に期間と場所が異なるだけ。それゆえ、一般市民の墓は点在しており、ここを掘れば数万人の遺体があるといった場所がない。ちなみに埋葬隊記録では155,000体。これは焼き棄てられた死体や、揚子江に投げこまれた死体を計算に「入れていない」。

−−−−−−−−−

〔補足6・パール判事について〕

「パール判事が日本の戦争行為に理解を示した」というのは保守派のデマ。パール判事は日本軍の残虐行為に激怒している。東京裁判は、新しく作った法律で過去の行為を処罰できないという法学者の信念から「無罪」としたのであって、「日本は悪くない」とは言ってない。南京大虐殺では「宣伝と誇張を出来る限り考慮しても、なお残虐行為は日本軍が占領したある地域の一般民衆、また、戦時俘虜に対し犯したものであるという証拠は圧倒的である」と虐殺を認め断罪している。パール判事の息子は、東條英機の伝記映画『プライド』が東條を美化するため自分の父を利用していると憤慨し、田中正明(勝手に松井石根大将の文章を改変し、日本に「南京事件はなかった」と嘘をまき散らした張本人)に抗議している。

パール判事の激しい批判:

・張作霖爆殺事件は「無謀でまた卑劣である」「殺人と言う卑怯な行為」
・満州事変を「非難すべきもの」
・満州国建設を「手の込んだ政治的狂言」
・南京虐殺やフィリピンでの虐殺を事実と認定し「鬼畜行為」と批判。南京大虐殺について20箇所以上の残虐行為を指摘したうえで「鬼畜の性格を持っている」と断じ、戦争指導者は無罪であっても、殺人・強姦など通例の戦争犯罪の実行者に対する処罰は(新法で後から処罰することですら)「正当である」と述べている。

−−−−−−−−−

この問題を語るとき、もう少し相手の立場になって考えてみませんか。終戦時に中国にいた日本軍は105万5700人です。そして日本軍には補給がまともになく、基本は現地調達です。農村から命綱の牛馬鶏を奪い、穀物を奪いながらの行軍、占領です。そして少なくない部隊で強姦が起きています。抵抗すれば殺害。
この歴然たる事実を正面から見つめ、どうかネットにデマを広めないよう、同じ日本人として心からお願いします。


★その他、南京大虐殺否定派の疑問は以下の3つのリンク先で100%解決されると思います。

「南京事件FAQ」 https://seesaawiki.jp/w/nankingfaq/
「南京事件資料集」 http://kk-nanking.main.jp/index.html
「南京事件ー日中戦争 小さな資料集」http://yu77799.g1.xrea.com/

「人口20万の都市で30万は殺せない」デマにはくれぐれも注意を。20万人は南京特別市の一部である南京城の中のさらに一部である安全区の人口に過ぎず、犠牲者30万人が発生したという地域は南京城の外、南京特別市の広い範囲を対象にしたもの。混同厳禁です。

https://www.youtube.com/watch?v=uyVeMusrS-k&bpctr=1583040171

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/409.html#c2
[近代史4] 南京大虐殺30万人は過大評価なのか? 中川隆
3. 中川隆[-13295] koaQ7Jey 2020年3月01日 14:04:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[232]

日本軍の記録に残る南京大虐殺(軍命令により実施) - YouTube動画






★関連:南京で婦女子など大虐殺 https://youtu.be/uyVeMusrS-k

★関連:CG再現南京大虐殺 https://youtu.be/QJ38Hg7Vdw8

南京占領軍への当初の命令は「青壮年はすべて敗残兵、又は便衣隊(ゲリラ)と見なし、すべて逮捕監禁すべし」。つまり、老人と子ども以外の中国人男子は全員逮捕監禁せよという厳命。だが、捕虜10万人の食料も収容する施設もない。やがて命令は「捕虜を処分(処刑)、殲滅(せんめつ)せよ」に変わった。『ハーグ陸戦協定』では「武装解除した捕虜の虐殺」を戦争犯罪としている。ネット上では多数のデマが流れているため、よくある質問と答えを以下にまとめる→

・日支事変は国際法上の“戦争”ではないため『ハーグ陸戦協定』は当てはまらない。→ならば平時の殺人であり戦犯以前に殺人罪。

・難民の中に逃げ込んだ兵士は便衣兵ゲリラであり公式の捕虜ではなく『ハーグ陸戦協定』は当てはまらない。→そもそも、ハーグ条約に「便衣兵は捕虜資格がないため殺しても良い」という条項は存在しない。“捕虜”でないのなら単なる非武装の「民間人」の殺害であり、これも戦犯以前に殺人罪。

・虐殺証言で登場する元日本兵は中国共産党に洗脳された中国帰国者(中帰連)。→南京戦に投入された歩兵第66連隊は捕虜にならず帰国しており、中国共産党は無関係。

・虐殺を見ていない海外ジャーナリストがいる。→虐殺現場は街から4キロ離れた揚子江の川岸。中心街で数万人を殺害したのではない。

・南京入りした後発補充部隊は「虐殺はなかったと聞いている」と証言している。→「なかった」と証言する元兵士は全員が事件後に南京市入りしている。しかも伝聞の証言であり説得力なし。何より、軍の公式記録である第66連隊の部隊記録に捕虜殺害の数が記録されており、その数は加害兵士の陣中日記や証言と一致している。

・米軍だって日本兵捕虜を殺害しており、どっちもどっち。→南京大虐殺と米軍による日本兵捕虜虐殺を並べるのは非論理的。中国人にとって無関係。また、米兵による捕虜殺害がある一方で、今日ガダルカナル、ペリリュー島、サイパン、テニアン、硫黄島などの激戦地で生き残った人たちが証言できるのは、捕虜として手厚く扱われたから。


〔まとめ〕
南京を占領した日本軍は、各部隊とも自軍の10倍近くの捕虜を得て、その処理に困って殺害に至った(例えば山田支隊1500人に対して15000人の捕虜が発生し幕府山事件が起きた)。しかし、本来、捕虜ならば軍法会議、捕虜以外は軍律会議の判決で処断せねばならない。便衣兵が「ハーグ陸戦協定違反」であろうとなかろうと、丸腰の人間を裁判抜きで殺害するのは戦争犯罪。“南京事件否定派”の意見は国際社会で通用しない。



〔他の第一級映像資料〕

●残念だが南京事件はあった〜当時の陣中日記から(2008年) http://goo.gl/d2fGMA (32分)

●一次史料『南京事件・兵士たちの遺言』 http://goo.gl/K0U1Ef (45分)

●「南京大虐殺の証拠〜当時の記録映像と生存者の確実な証言」 http://youtu.be/uyVeMusrS-k (32分)


https://www.youtube.com/watch?v=20HWTlXY-Wc

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/409.html#c3
[近代史4] 従軍慰安婦は売春婦なのか? 中川隆
1. 中川隆[-13294] koaQ7Jey 2020年3月01日 15:17:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[233]

チャンネル桜の常連 西岡力 の悪質な詐欺の手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/216.html

従軍慰安婦問題で詐欺師 西岡力と櫻井よしこが流した悪質な嘘とデマ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/133.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/410.html#c1

[近代史4] 徴用工の待遇は本当に良かったのか? 中川隆
1. 中川隆[-13293] koaQ7Jey 2020年3月01日 15:29:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[234]

【心霊・北海道最強】日本人への恨み・憎しみで溢れている「中国人徴用工墓地」へ行った結果...






http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/411.html#c1
[近代史4] 徴用工の待遇は本当に良かったのか? 中川隆
2. 中川隆[-13292] koaQ7Jey 2020年3月01日 15:42:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[235]

チャンネル桜の常連 西岡力 の悪質な詐欺の手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/216.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/411.html#c2
[近代史4] 従軍慰安婦・徴用工への個人補償は本当に解決済みなのか? 中川隆
1. 中川隆[-13291] koaQ7Jey 2020年3月01日 15:43:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[236]

チャンネル桜の常連 西岡力 の悪質な詐欺の手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/216.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/412.html#c1
[近代史4] チャンネル桜のアホ番組に出演する自称専門家の話は信じてはいけない 中川隆
5. 中川隆[-13290] koaQ7Jey 2020年3月01日 15:57:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[237]

ネトウヨ一般に共通する特性
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/634.html

朝日新聞陰謀論 _ なんでもみんな朝日新聞が元凶だというアホ右翼の妄想
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/233.html

自称 中国・朝鮮問題の専門家 加瀬英明 : 慰安婦問題の最高権威 吉見義明のことは「知りません」、秦郁彦の『慰安婦と戦場の性』は「読んだことない」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/488.html

世界に比類なき日本文化 _ 名誉白人認定されたいアホ右翼は欧米人に金渡して「日本スゴイ!」と言わせている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/235.html

こうしてベストセラーは創られる _ 「見計らい本」で書店にヘイト本が並ぶ現象が問題に
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/225.html

"官邸御用ジャーナリスト" 山口敬之の「韓国軍慰安所報道」はやはり捏造だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/654.html

櫻井よしこ はその時点で一般大衆に受けそうな意見を受け売りしてるだけの無知蒙昧・無定見なオバサン
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/217.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/401.html#c5

[近代史4] 従軍慰安婦・徴用工への個人補償は本当に解決済みなのか? 中川隆
2. 中川隆[-13289] koaQ7Jey 2020年3月01日 16:10:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[238]

韓国への戦争賠償を優遇措置と言ったので永遠に韓国から たかられる事になった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/639.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/412.html#c2
[近代史4] 南京大虐殺30万人は過大評価なのか? 中川隆
4. 2020年3月01日 17:35:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[240]

アメリカ政府や日本のマスコミが南京大虐殺を必死で否定しようとしているのは
昭和天皇が直々に命令して虐殺を実行させたからなのですね:


ディビット・バーガミニ _ 天皇の陰謀 天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/760.html

天皇の戦争責任を暴いたバーガミニをアメリカが抹殺した理由は?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/751.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/409.html#c4

[近代史4] 南京大虐殺30万人は過大評価なのか? 中川隆
5. 中川隆[-13288] koaQ7Jey 2020年3月01日 17:37:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[241]

南京大虐殺、南京での組織的略奪とその隠蔽は昭和天皇が直々に命令して実行させた?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/131.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/409.html#c5

[近代史4] 南京大虐殺30万人は過大評価なのか? 中川隆
6. 中川隆[-13287] koaQ7Jey 2020年3月01日 17:39:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[242]
731部隊の人体実験も昭和天皇直々の命令でやったみたいですね:


戦争犯罪の証拠になる公文書を米軍の占領前にすべて焼却させた元法相 奥野誠亮
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/413.html

731部隊と医療被曝 _ 無事に内地に帰還した731部隊員は何をやったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/471.html

昭和天皇の戦争犯罪問題が再燃すると困るから天皇一族は靖国神社に参拝できなくなった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/128.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/409.html#c6

[近代史4] 南京大虐殺30万人は過大評価なのか? 中川隆
7. 中川隆[-13286] koaQ7Jey 2020年3月01日 17:44:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[243]

東海アマブログ  731部隊の人体実験 猿の頭痛
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1043.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/409.html#c7
[近代史4] カール・グスタフ・ユングの世界 中川隆
2. 中川隆[-13285] koaQ7Jey 2020年3月01日 18:00:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[244]

秦氏は本当にユダヤ人なのか?
「集合的無意識」という概念
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/414.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/394.html#c2
[近代史4] 天皇一族は本当に朝鮮からの渡来人ではないのか? 中川隆
1. 中川隆[-13284] koaQ7Jey 2020年3月01日 19:33:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[245]


弥生人のDNAで迫る日本人成立の謎







弥生人は韓国人に近い遺伝子だと思われてたが今回の調査で違うことがわかった

大がかりなDNA解析による新情報では弥生人の初期は縄文人に近い遺伝子だったが集団の戦いなどで弥生人は時代が進むにつれて韓国人のDNAに近づいて
現代日本人はほとんど韓国人のDNAと一緒になった


これ旧日本人が韓国人に大虐殺された後に中出しレイプされて生まれたのが俺たち現代日本人ってことになるぞ

ナレーション(弥生人の核DNA分析から予想された現代日本人の位置は ここ。弥生人同士がまじわって 現代日本人が成立したと考えられるからです。ところが…。)

篠田謙一:実はですね 現代日本人はもう既に この辺りだということが分かったんですね。つまり 弥生人って 混血していけば恐らく 混血する相手は
この縄文人になりますから当然 現代日本人の位置っていうのはこちらに ずれてくるはずなんですよね。ところが そうならなくてこっちに来てしまったということで
ちょっと 考え方を変えなきゃならないというふうに思ったわけですね。つまり こっち(韓国人)に引っ張る 何かがなければいけないということになるんですね。

小島瑠璃子:てことは 韓国とか あとは大陸の方と多くまじわりながら人口を増やしてったのが私たちってことですか?

篠田謙一:そういうことになると思うんです。

小島瑠璃子:え〜!

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/416.html#c1
[近代史4] 林千勝の陰謀論を考える _ 八百長の太平洋戦争を策謀したのは昭和天皇ではなく近衛文麿だったのか? 中川隆
1. 中川隆[-13283] koaQ7Jey 2020年3月01日 20:53:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[246]

鬼塚英昭 _ 日本のいちばん醜い日




http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/417.html#c1
[リバイバル3] 超絶人気の名曲喫茶ネルケンのマダム _ クラシック・ファンが本当に求めているのは… 中川隆
23. 中川隆[-13282] koaQ7Jey 2020年3月01日 21:02:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[247]
長〜い春休みが始まりました それが終わると・・・ GRFのある部屋 2020年 02月 28日
https://tannoy.exblog.jp/31074952/

コロナウイルスの影響で、学校が休校になるようです。早くも近くの公園は、何時もの幼稚園や小学校低学年では無く、高学年の子供達や、中学生も一気に増え、学校の校庭みたいな混みようです。自転車置き場は一杯、みんなで元気に飛び回っています。午後からは日差しも無くなり、北風が冷たいなかでも、子供達は元気です。

コロナウイルスは、高血圧、気管支炎、心臓が弱い人、糖尿体質の人など、高齢者を直撃するようです。そして、伝染力も強く、吊り輪やスイッチなどプラスチックの表面などには、最長四日間も生き延びるそうです。本当に必要な物はマスクより手袋ですね。でも、それを外すときには必ず内側も汚れるし、薄いプラスティックの手袋には、ミクロ的に見ると穴が空いています。そこをウイルスは通り抜けるそうです。マスクをしても通り抜けるし、手袋をしても万全では無いということは、外から帰ってきたら、入念な石鹸による手洗いとうがい、できれば顔も洗いたいぐらいです。


それは通常のインフルエンザ対策とほぼ同じだし、まだ変異が少ないので、免疫力のある子供は余り重症化しないし、陽性でも症状が現れない場合もあるようです。その意味では、全国的な休校措置はよくやったと思います。でも、問題は公園ならまだ外だから良いのですが、施設や集会所などに集まれば同じですね。グループ単位が小さいから、全校生徒が同じ空間に来るよりはリスクは下がりますが。


これから二週間の休校ですと、卒業式だけ行えばそのまま春休みです。新学期まで学校に集まるのはずいぶんと防げます。今年の異常気象では、三月の中旬には桜が咲くそうです。その頃はまだ不安定な季節の変わり目ですが、桜が散る三月末頃には、季節は変わり、四月、新学期が始まる頃には、今年は大分暖かくなっているでしょう。季節の早さが良い方に転ぶかもしれません。ただ、それまでの一ヶ月半、外食産業や通常のショッピング、スポーツやイベント施設の売り上げ減は大変な損失になっているでしょう。緊急融資と言っても、貸し出しの条件が緩くなるだけで、借金は借金です。借りた金は返さなければなりません。低金利なのが唯一の救いですが、これらの緊急支援時に、条件はつけないでもらいたいです。


私の好きな「町中華」や「酒場」は、それらの番組を見なくても高齢化が進んでいます。高齢者は、やはりウイルスには弱いし、一月以上、今の状態が続くと、経営がなりたくなります。店は閉めざるを得なくなり、結果的に資本力のある大企業系の「食堂」「飲み屋」だけが生き残り、ウイルス終焉後の、街の風景は一変することでしょう。特に、生ものを扱う魚系の店やお寿司屋さんは相当な影響を受けるのは必須です。大資本も採算の悪い店は容赦なく閉められるでしょう。そして、高齢者夫婦がかろうじて続けてきたお店が無くなるか、運が良ければ世代交代するか、この2020年は、いろいろな意味で21世紀になった時代だと後世に伝えられるでしょう。1914年からの第一次世界大戦で、ベルエポックが消えたように、2020年以降は、ロボット化と独裁政治が支配する、予見された世界の始まりかもしれません。


2030年になる頃には、今の高齢者は皆いなくなっています。2020年以前は世界に冠たる高齢者天国だった日本という国が消えて、相当の国際化が進んでいることでしょう。今でも、高円寺までは、以前の大久保のような多国籍化が進んでいます。この状況下で、大地震が来て、火災で焼け落ちれば、そこに残る風景は、かってのロス・アンジェルスやシカゴ、アトランタみたいな人種ごとに棲み分けた街になり、市中は多国籍化されているでしょう。関東大震災後に開発されて、大東亜戦争の空襲も、中央線沿いの高円寺や阿佐ヶ谷の駅までは焼けたけれど、鎌倉時代からある狭い道沿いに作られた、一種、二種住専の木造住宅が、震災で焼け払われる風景も見えるようです。


高円寺と言えば、、、


長〜い春休みが始まりました それが終わると・・・

高円寺に映画館があった昭和33年(1957年)のエトワール通りです。


https://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=31074952&i=202002%2F28%2F99%2Ff0108399_17264240.jpeg


長〜い春休みが始まりました それが終わると・・・

こちらはその横の長仙寺の門前通りです。遠くに名曲喫茶ネルケンの看板があります。

https://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=31074952&i=202002%2F28%2F99%2Ff0108399_17284731.jpg

1968年のカラー写真です。箱スカも見えます。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/281.html#c23

[近代史4] 林千勝の陰謀論を考える _ 八百長の太平洋戦争を策謀したのは昭和天皇ではなく近衛文麿だったのか? 中川隆
2. 中川隆[-13281] koaQ7Jey 2020年3月01日 21:27:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[248]

東京を囲むように米軍基地がある。
横須賀に海軍もある。

東京に敵は攻めて来るか?
なら、東京周辺は、何のために?

天皇家を守るために、又ク-デタ-を心配して駐屯しているのだそうだ。


▲△▽▼


日本人の反乱に恐れおののいていた天皇家の人々


梨本宮伊都子妃の日記

梨本宮伊都子妃の日記が死後発表された。梨本宮伊都子妃は昭和51年まで生き、死後、この日記は発表された。よく発表したもんだと思う。プライベートに書き綴ったものを遺族が発表したのだ。ここまで書いていたら普通なら発表しない。あるいは、この部分は省略するか、あるいは発表する前に破り捨ててしまうか。それをしなかったのは大変な勇気だと思う。


伊都子妃が、「日本ももうだめだ」と考えたのが昭和33年11月27日だ。その4ヶ月前、その皇太子さまも、絶望的な気持ちになっていた。「おことば」はこうだ。

 『昭和33年7月14日。
 きみ、きっと、これが僕の運命だね。
 明仁皇太子』

 どんな運命かというと、「暗殺される運命」だ。島田の「解説」には、こうある。

 『この日、イラク国王ファイサル二世は、軍部のクーデターと民衆の蜂起により暗殺された。ご学友の橋本明氏がたまたま御所に招かれていて、一緒にお茶を飲んでいると、侍従から報告があったという。

 「皇太子はその瞬間、蒼白になり、手にしていた紅茶が入った茶碗を膝の上に落として、数秒だったが、口をおききになれなかった」が、自分を取り戻してこう発言されたそうだ。まだ美智子妃の実家、正田家が婚約を固辞していた頃だ。二十二才で暗殺された国王の不幸を他人事とは思えなかったのだろう』


(3)「浩宮の代で最後になるのだろうか」と悲しいおことばを

 昭和33年というのは、1958年だ。60年安保闘争の直前だ。左翼の力が強かった時だ。「天皇制打倒!」を叫ぶ人々も多くいた。そうした日本の風潮も知っていたのだ。そこにイラク国王の暗殺の報だ。

 しかし、ご学友が遊びに来てる時にわざわざ、こんな事を報告するなんて、侍従もおかしい。島田はさらにこう続けている。

 『のちに、戦後初の国賓として来日し、鴨猟で接待したエチオピア皇帝ハイレ・セラシェも亡くなり、イランのホメイニ革命によりパーレビ王朝も打倒され、アジアからは続々、王制が消えてゆく。

 長男浩宮が生まれると、明仁皇太子は学友たちに「浩宮の代で最後になるのだろうか」といったという』
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2005/shuchou0822.html

▲△▽▼


米軍は何故日本に駐留しているのか? 日本は何故軍隊が持てないのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/575.html

革命は軍や警察が国家を裏切り市民側に就かないと成功しない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/574.html

アホが書いた日本国憲法
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/613.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/417.html#c2

[近代史4] 統合失調症患者が体験する世界 中川隆
1. 中川隆[-13280] koaQ7Jey 2020年3月01日 21:52:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[249]

阿修羅掲示板はパラノイアや統合失調症患者の投稿が多いので、真に受けない様に気を付けて下さい
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/899.html

保江邦夫 _ アメリカの調査の結果、日本人の精神は祖先である宇宙人に由来することが明らかになった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/236.html

理論物理学の専門家だった保江邦夫は何時から頭がおかしくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/239.html

釈迦は何故日本に再誕したか _ 我は大川隆法であって、大川隆法ではない。 エル・カンターレであ-る!!!
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/341.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/342.html

淡路島5人殺害事件
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/750.html

津久井やまゆり園 障害者19人殺害事件
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/752.html

陰謀論大好き _ 京都アニメーション集団放火殺戮事件でささやかれるCIA黒幕説
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/563.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/419.html#c1

[近代史4] パラノイアの世界 中川隆
1. 中川隆[-13279] koaQ7Jey 2020年3月01日 22:38:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[250]

プロケーブル社長は音楽も音も全くわからないパラノイアのカルト教祖
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/987.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/420.html#c1
[近代史4] 統合失調症患者が体験する世界 中川隆
2. 中川隆[-13278] koaQ7Jey 2020年3月01日 22:40:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[251]

カルト宗教の教祖も殆ど統合失調症です:


新興宗教「神の子どもたち」
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/181.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/419.html#c2

[近代史4] 統合失調症患者が体験する世界 中川隆
3. 中川隆[-13277] koaQ7Jey 2020年3月01日 22:48:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[252]

ムンクも統合失調症が発病してから緻密な絵が描けなくなったのですね:


エドヴァルド・ムンクの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/344.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/419.html#c3

[近代史4] 統合失調症患者が体験する世界 中川隆
4. 中川隆[-13276] koaQ7Jey 2020年3月01日 22:53:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[253]

つげ義春も若い頃から統合失調症ギリギリの人で、30歳以降は作品が描けなくなりました:


つげ 義春(1937年10月30日 - )
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/199.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/419.html#c4

[近代史4] 統合失調症患者が体験する世界 中川隆
5. 中川隆[-13275] koaQ7Jey 2020年3月01日 22:54:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[254]

キリコも統合失調症ギリギリの人でした:


ジョルジョ・デ・キリコの世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/358.html
 

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/419.html#c5

[近代史4] 林千勝の陰謀論を考える _ 八百長の太平洋戦争を策謀したのは昭和天皇ではなく近衛文麿だったのか? 中川隆
3. 中川隆[-13274] koaQ7Jey 2020年3月01日 23:08:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[255]

太平洋戦争
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/764.html


昭和天皇は共産革命を極端に恐れ、1928年から共産思想を持っていそうな人間を全員検挙・拷問した:


【ノモンハン戦役】 @ 治安維持法 自由はこうして奪われた - YouTube動画



昭和天皇は麻薬ビジネスでボロ儲けする為に満州・中国・東南アジアを侵略した
大東亜共栄圏は満州で栽培したケシを北朝鮮でモルヒネ・ヘロインに加工して中国・東南アジアで売り捌く為に構想したが、欧米から麻薬ビジネスを非難されて国際連盟を脱退した:


【ノモンハン戦役】 J 阿片 - YouTube動画




満州国周辺は、阿片の原材料である芥子の世界的な産地であり、満州国の行政・経済を支配していた関東軍は、阿片ビジネスによって、自軍の軍資金や国家の資金を荒稼ぎしていた。

 販売ルートは、満州国政府専売局が芥子栽培組織から原材料を入手し、阿片に加工した後、上海や香港を経由して中国内陸部にまで販売するというものだった。

 阿片の利益は膨大で、満州国建国の8年目の利益は、その年の国家予算の約6分の1に相当する、1億2千万円(現在の価格で約2千億円)にもなったとされる。

▲△▽▼

反共の昭和天皇の為に数千万人が太平洋戦争で死んだ

15年にわたる戦争は日本人の軍人軍属などの戦死230万人、民間人の国外での死亡30万人、国内での空襲等による死者50万人以上、合計310万人以上(63年の厚生省発表)の犠牲をもたらしました。

日本の侵略戦争は、アジア・太平洋各国に2000万人以上の死者をふくむ史上最大の惨害をもたらしました。この数は、各国の政府公表あるいは公的発表にもとづくものです。

 中国1000万人以上(「中国の人権状況」中国国務院=ただし37年7月〜45年8月まで。他に2000万人との報告もある)、

べトナム200万人(独立宣言)、
インドネシア400万人(サンフランシスコ講和会議での同国代表発言)、
フィリピン111万1938人(対日賠償要求)、
インド150万人(べンガル飢餓死者のみの推計、政府任命飢餓調査委員会)、
ニュージーランド1万1625人(政府公表)、
オーストラリア2万3365人(同)、
そのほか泰緬(たいめん)鉄道建設に投入された労働者の各国死者7万4025人(英国調査)など。

ミャンマーやシンガポール、朝鮮などをのぞいても、これら諸国の公的発表の死者数だけでも1872万から2872万人を数えます。

さらに日本の植民地支配のもとにおかれた朝鮮では、36万4186人が軍人・軍属として戦場にかりたてられ、死亡・行方不明者15万人(推定)、強制連行などによる死者・行方不明者をふくめ20万をこえる人びとが犠牲となりました。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-11-04/faq12_01.html

▲△▽▼

日本占領下、ベトナムで200万人が餓死

 60年前のアジア太平洋戦争は、アジアで2000万人以上の犠牲者をだしました。日本がおこなった各国への侵略と加害の歴史を私たちは忘れてはなりません。日本占領下のベトナムで起きた大量餓死もその一つです。1944〜45年、中部クアンチ省から北部にかけて、当時の人口の10分の1にあたる推定200万人が餓死したとされています。

 92〜95年に日本の学者と共同で餓死の調査をした歴史学者のバン・タオ教授は「調査で、200万人という数字が誇張でないことがよりはっきりした。45年当時、北部ハイズオン省で教師をしていたが、教え子の約半数が餓死した」と本紙特派員に答えています。

 日本は、インドシナを支配していたフランス植民地当局に圧力をかけ、40年9月22日に結んだ協定で、日本軍のベトナム北部駐留を認めさせ、翌日から駐留を強行(仏印進駐)。アジア太平洋戦争開始の翌日、41年12月9日に結ばれた日本・仏印協定で日本支配はより強化され、フランス植民地機構は日本支配の下請けと化しました。45年3月9日には、仏植民地機構を武力で解体、単独支配を敷きました(仏印処理)。こうした状況で起きたのが、大量餓死という同国史上空前絶後の惨事でした。

 原因として、バン・タオ教授は、(1)日本がフランス植民地機構を下請けにして、食料を安い価格で強制的に買い付けた、(2)ジュートなど戦略物資を得るために稲作面積を減らした、(3)北部で天候不順による凶作が起きた、(4)豊作だった南部から米が北部に運ばれなかった―という4点をあげています。

 しかし、問題は、何が致命的原因になったかということです。同教授は、凶作が不可避だったとしても他の原因がなければ、飢餓はずっと軽微ですんだはずだと指摘しています。

 01年11月、ホーチミン市にある戦争証跡博物館などの主催で、ベトナムに対する戦争犯罪に関するシンポジウムが開かれましたが、北部の飢餓の最中にも、仏植民地当局がサイゴンに35万トン、チョロンに20万トンのもみを、日本軍もサイゴンに20万トンの米を備蓄していたと報告されました。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-04-14/12_01ftp.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/417.html#c3
[近代史4] 発達障害者の体験する世界 中川隆
1. 中川隆[-13273] koaQ7Jey 2020年3月01日 23:18:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[256]

天皇家では何時から知恵遅れや発達障害の子供しか生まれなくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/110.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/422.html#c1
[近代史3] 「認知の歪み」が諸悪の根源だった _ 医療少年院で精神科医が受けた衝撃 中川隆
18. 中川隆[-13272] koaQ7Jey 2020年3月01日 23:23:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[257]

820 :神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 12:07:45 ID:/w8Lwm8l

幸福の科学の信者の人って、何かしら脳に病を持ってる人だと思う、だから病院で診てもらってもわかんないんだよ。今そんな人がたくさんいるのが、医学的にわかりつつあるらしい

大きな大学病院で相談してみたら、幸福の科学ではないけど、脳の病が原因で信者だったって人、実際にいたからね

自分自身をコントロールする訓練を3ヶ月近く入院してやるみたいだけどね


828 :神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 12:53:23 ID:rnoDxt6r
>>820
> 信者の人って、何かしら脳に病を持ってる人だと思う、だから病院で診てもらってもわかんないんだよ。


マジレスしとくと境界性や自己愛性をはじめとした各種の人格障害の場合、CTなどで精密検査しても脳に問題が出ない事が多く
医師がこの診断を下す事をためらう場合が多い。
つまり肉体というハードウエアの欠陥が見つからない事が多いため、診断に至らない場合もあるという事。

(ある程度長期で見ないと結論出ないとか、特定条件化でしか異常が現出しないなどなど)で、原因は?って言うと、ここのスレかな?だれか書いていたけど「認知の歪み」という現象に起因することが多いんだよね。

この歪みは習慣的なものが原因で発生するんだけど、多くは幼少時、学童期などの親子関係や家庭環境に起因する。
虐待とかはわかりやすい例なんだが言葉によって形成されるもの、態度で形成されるものも少なくない。


つまり対象者がおかしくなってしまった原因をさかのぼったとき、実は他者が繰り返し「操作」を行ったために起こる
「認知の歪み」が原因である場合が少なくないのだ(DVの原因などがこれに起因する)


> 自分自身をコントロールする訓練を3ヶ月近く入院してやるみたいだけどね

認知行動療法ね、まだやってるところは少ないし手間がかかるので多くのメンタルクリニックは薬で押さえ込んだりが基本。
しかしこれがもとで「お薬依存症」になってしまうことも多いんだわ。
やはりカウンセリングやセラピーが必要になるんだけど、幸福の科学の場合アダルトチルドレンの集団っていう要素強いからね。

インナーチャイルド療法が必要な人多いよ、これが解消しないもんだからみんなだまされて利用され続けるんだよな。
要するに傷ついたインナーチャイルドが足引っ張ってるんだよ、それに振り回されてるうちに幸福の科学の洗脳にやられるという仕組みだからね、まずはインナーチャイルドの呪縛から足を洗うことだよ。

前述の「認知行動療法」は少々内容が難しいものの、今の幸福の科学の教えや祈願、研修なんかよりもず〜っと効果あるから、気になる人は調べてみるといい

結論、幸福の科学信者のみなさんインナーチャイルド療法と認知行動療法がお勧めですよ

★なぜインナーチャイルド療法をするのか?

子どもは生まれてから6才頃までに基本的な性格が形成され、潜在意識が初期設定され、7才までに脳はかなり発達し、8才までに対応メカニズムが定着するといわれています。

子どもは生まれてから自分の育った家庭や環境の中で、人間関係というものを学んで育ちます。家族の中で、親や他の大人や、かかわり合う兄弟からの影響を受けて、いろいろなことを学びます。そこではコミュニケーションの仕方や問題処理の仕方や防衛の方法や愛情表現の仕方などさまざまな事を、意識的に無意識に模倣しながら多くのことを学んでいます。

しかし子どもが安全に守られた状態ではない「機能不全家庭」で育った場合、子どもの心は傷つきます。それは感情、思考、人間関係にも影響を与えます。

肉体的・感情的・精神的・霊的に虐待を受けた場合、感情は抑圧され、否定され、
感情を感じたり表現することはよくない事だというビリーフ(信じ込み)と、ゆがんだ形で表現することを覚えていきます。

子どもは家族関係の中で、親の愛を得る為にいろいろな役割を意識的、無意識に演じているうちに、感情的な痛みやを葛藤を避けて、自分本来の感情を感じたり表現したりすることから遠ざかってしまいます。

そしていつしかその演じている自分、仮面の自分「マスク」を自分だと思い込み
本来の活き活きとした生命力から遠ざかってしまったことさえわからずに人生を生き続けます。

その安全な家庭で育つことができず、抑圧した感情と満たされなかった子ども
(傷ついたインナーチャイルド、またはローアーセルフともいう)を抱えたまま大人になって「アダルトチルドレン」になります。

多くの場合アダルトチルドレンは、人間関係や行動の仕方、防衛反応や思考や感情表現の仕方など、自覚しているしていないにかかわらず、その自分の傷ついたチャイルドの影響を受けて、生きにくさを感じることが多いようです。

インナーチャイルド療法では、本来のあなたの人生を生きる為に、パワーや創造性の表現を阻んでいる「傷ついたインナーチャイルド」を見つけ出して、受容し共感し、満たされなかった思いや体験を満たして癒し、擁護し統合を行います。
http://www11.ocn.ne.jp/~oneness/innerchild.html


インナーチャイルド療法

誰の心の中にも、純粋で想像性の豊かな子供心が存在します。
インナーチャイルドとは、その心の中にいる小さい頃の自分です。

小さい頃には、たくさんの体験があります。
その体験からは、遊び心や好奇心、そして、わがままなどと、素晴らしいものが芽生えてきます。

でも、体験の中には、自分でどうすることも出来ず、ただひたすら耐え忍んだり、見て見ぬふりをしたり、ただ、じ〜っと堪えながら時の流れを待つような辛く悲惨で過酷な時もあるのではないでしょうか。
その時の自分「内なる子供」は、抵抗も何もできず、ただ、泣いて、怒って、おびえて、悲しんで、苦しんで・・・etc、の表情しかできないまま孤独になっているのです。

そこから生まれた、不安、恐怖感、不満・・・などは、ネガティブな感情となり、今の私たちの心の中で傷となり残ってしまいます。忘れようとしても、忘れたつもりでも、潜在意識に深くインプットされているのです。

そして、心の傷は、気付かない内に私たちの前に現われてきます。
人間の不和となり現われたり、体の不調や癖として現われたり、心の病として現われたり、様々な形で現われます。
その人の人生、生活、人間関係、全てに影響しているのです。

インナーチャイルドセラピーでは、あなたが幼かった頃まで時間を遡ります。
そこで起きた辛い出来事を再度体験して癒そうと言うものです。

あなたは、辛い体験を思い出したくないかもしれません。
でも、あなたの心の中では、小さい頃のかわいい子ども「あなた自身」が、傷を負い独りぼっちで寂しがっています。

その「内なる子ども」を救えるのは、あなたしかいないのです。

再度体験しながら、その時の小さい頃のあなたの気持ち、表情に気づいてやってください。そして、語り、話を聞き、慰めて、誉めて、励まして、温かく抱きしめてあげるのです。

あなたの、その優しい愛情により、傷ついた子どもは安心することができます。
安心した子どもは願いを叶えられるようになります。

そうすることによって潜在意識の深い部分で、癒しが始まります。
小さい頃の出来事を理解できるようになります。
そして、放出することの出来なかった感情を快方することができるのです。

今あなたの心の中にいる子どもとは、どんな顔をしているのでしょう。
小さなあなたの声に、少しだけ耳を傾けてみてはいかがでしょうか?
http://www010.upp.so-net.ne.jp/innerheart/inner_heart_hypnotherapy_innerchild.html

かづ235さんは副島隆彦先生に随分と入れ込んでいる様ですが、人に入れ込むというのが「アダルトチルドレン」の特徴なんですね:


ダメダメ家庭出身者には相談相手がいませんよね?

そもそもコミュニケーション能力が低いので通常のコミュニケーションにも問題がある。これは育った家庭が原因なので、いまさら如何ともしがたいものです。

コミュニケーション能力が低いという理由ばかりではありません。「自分自身の最も身近な人間(つまり親)が最大の敵」という原体験を持っているわけですから、子供時代に気軽に相談したこともないわけです。

ダメダメ家庭出身者は、信頼できる相談相手を見つけることに大変に苦労する。

だから自分の考えを理解してくれる人に出会うと、その人に入れ込んでしまうことになります。

「俺を理解してくれるのはオマエだけ!」

「オマエを理解できるのは、オレだけ!」

まあ、ドメスティック・ヴァイオレンスだけでなく、ストーカー問題に陥る発想の典型ですよね?

ドメスティック・ヴァイオレンスに至る例もありますが、それ以外にもやっぱり特定の人間に入れ込んでしまう傾向がありますよね?

バルザックの小説「谷間のゆり」においても、アンリエットというダメダメ家庭出身の伯爵夫人が言う「私と同じこと言う人と初めて出会ったわ!」などといったセリフもありました。そうやって青年のフェリックスに入れ込んでしまう。

そのようなお互いが理解しあえる友人とめぐり合うことができれば素晴らしいこと。しかし、ダメダメ家庭出身者ではことが単純には行かない。

どうしても相手の自由意志を縛る傾向が出てきます。
まるでスッポンが食いついたような感じで相手にしがみつくわけですね。

「やっとめぐり合った私の理解者!」というわけです。

「どうしても離したくない!」

と思いますよね? まあ、典型的なストーカーの発想。

そして初めて出会った理解者を偶像化したりする。
しかし、その相手からちょっとでも自分の意に沿わない発言が出てきたりしたら、それこそ「自分自身の最大の敵」と認定されてしまうわけです。

「まあ、裏切られたわ!!」

「私をだましていたのね!?」

まあ、自分の好きなアイドルタレントは「間違ったことが何一つない純真可憐な女性でないとダメ!」と妄想する思春期の男の子と同じ心情。

だから入れ込む。ちょっとでも気に入らないことがあることが許せない。
これはダメダメ家庭出身者が持っている妄想癖と結びついて、最大の味方から最大の敵へトリップしてしまうわけですね。

相手そのものを見ているというより、自分の妄想世界の出演者として見てしまっているわけです。映画監督が出演者に注文をつけたくなるわけですね。

しかし、相手はやっぱり不快ですよね?
折角、善意からやり取りをしたり、相談に乗っているのに・・・逆に、相手方から色々と注文をつけられて・・・

それこそちょっとでも相手に厳しいことを言ったりすると、逆上されてしまう。

「アナタは私の味方じゃなかったの?!」

・・そうなんですが・・・味方だと思っているからこそ厳しいことも言ったりするわけで・・・

今までちゃんとした会話をしてこなかったダメダメ家庭出身者にしてみれば、過剰に期待してしまうのもいたし方がないわけですが、そうするとますます相談相手がいなくなってしまうわけです。

ますます相談相手がいなくなったダメダメ家庭出身者はどうなるのでしょうか?
結局は、自分の子供しか話し相手がいなくなってしまうことになる。
しかし、子供に入れ込んでしまうと、結局は同じことの繰り返しなんですね?
ただ、子供は表だって反論せずに親に合わせてくれる。
だからこそ、問題は潜在化してしまうんですが・・・

そういえば、2002年のサッカーのワールドカップの韓国チームの監督をされたオランダ人ヒディングさんは、韓国の国民に付きまとわれて閉口していますね。
韓国の人にしてみれば、「ヒディングこそわれらの理解者!」と偶像化しちゃったわけですね。しかし、ヒディングさん本人にしてみれば当然に恐怖ですよ。
ちょっと考えればわかる話ですよね。

そのような「人に入れ込む」発想は、普段から「自分は理解されていない。」と思っていることから来ているわけです。ダメダメ家庭出身者には、ありがちなことなんですね。

いたし方がない部分も確かにあります。ただ限度を越すとますます自分を追い込んじゃうことになり、ますます理解されなくなるわけです。
http://renewalmmbacknumber.hp.infoseek.co.jp/04-04/04-04-02.htm


ダメダメ家庭出身者は普段から「自分は理解されていない。」と思っているので、「この人は、私のことをわかってくれる!」と思ってしまうと、その人に入れ込んでしまうんですね。

では、どんな人に入れ込むの?

入れ込む対象は当然のこととして、「自分をわかってくれる」人ということになります。ダメダメ家庭出身者の感情をわかってくれる人ということで・・・・結局は「入れ込まれる」人もダメダメ家庭出身者なんですね。

以前、書きましたがフランスの小説家のバルザックの小説「谷間のゆり」で、典型的に表れています。ダメダメ家庭出身者の伯爵夫人アンリエットが、「私と同じこという人と初めて会ったわ!」と、ダメダメ家庭出身の青年フェリックスに入れ込んでしまうわけ。

「私と同じこと言う人と初めて会ったわ!」って・・・身に覚えのある人も多いでしょ?

まあ、お互いが理解しあえる関係を築くことができれば、お互いに幸福ですよね?

しかし、このようなダメダメ家庭の「人に入れ込む」発想だと、上手くはいかない。多くの人とコミュニケーションが取れる中で、ダメダメ家庭の人とも仲良くなる・・・というわけではないんですね。マトモな人とのコミュニケーションが取れない状態の中で、ダメダメ家庭の人のみと話が通じる状態。

これでは何がしかの事件も起きますよ。

だって、「入れ込んでいる」人は、今現在入れ込んでいる人を逃したら、「自分には後がない」状態なんですからね。必死になりますよね?

まるでスッポンのように食いつくわけ。

おまけにダメダメ家庭出身者は妄想との親和性が高い。「恋に恋する」傾向が強い。だから被害者意識も強いわけ。どうしても過激な行動になりがちです。

しかし、そのような過激に「入れ込まれた」側は、鬱陶しくなるものですよね?もうちょっと距離を置きたい・・・と思っても、相手は「入れ込んで」いる状態だし・・・

一体どうしよう?困ったなぁ・・・

マトモ家庭出身者はこのあたりの心情が理解できないわけ。
だって「私と同じ事を言う人と初めて会ったわ!」というダメダメ家庭特有の心情は、マトモ家庭出身の人にはわからない心情なんですね。

しかし、「人から入れ込まれて」しまって困っている状態の人も、元はと言えばダメダメ家庭出身者の人の気持ちを理解してあげて、その人から「私と同じことを言う人」という認定を受けたことに端を発しているわけ。

「入れ込む」人も、「入れ込まれる」人も、結局はダメダメ家庭出身者・・・当人たちの発想は、マトモ家庭出身者には理解できないでしょうね。

逆に言うと、そのようなダメダメ家庭出身の人間に入れ込まれている人間は、ダメダメ家庭の人間に限られてくると言えます。マトモ家庭の人間は、多少の付き合いはあっても、決して入れ込まれたりはしないんですね。だってお互い共感なんて起きませんから。

まあ・・・身をもって体験した人も多いでしょう・・・ネ?

よく話題になるストーカー問題も、このような「人に入れ込む」発想が肥大化したものなんですね。

ちなみに“新しい”方の長崎県の事件ですが・・・

実に微妙な話になってしまいますが、加害者の少女が典型的にダメダメ家庭の子供の発想をしていることは疑いもありませんが・・・

被害者の少女も、どうして、そのようなダメダメ家庭の子供に「入れ込まれて」しまったのでしょうか?

マトモ家庭の子供にしてみれば、ダメダメ家庭の子供の心情などは全く理解できないものです。犬と猫とが会話しているようなもの。共感なんて起こりようがないんですね。雑談したりケンカになることはあっても「入れ込まれる」ことは絶対にない。

加害者の子供から「私と同じことを言う人」・・・もっと端的にいうと「自分と同じ苦しみを抱えている人」・・・そのような認定を受けてしまっていたからこその、事件なんですね。だからあのような残虐な行為になってしまうわけです。ただのケンカならあのようにはなりません。

「私のことをわかってくれる」認定を受け、次に「裏切り者!」認定を受けてしまった。その挙句の事件なんですね。
http://renewalmmbacknumber.hp.infoseek.co.jp/04-06/04-06-11.htm

[幸福の科学の信者の人って、何かしら脳に病を持ってる人だと思う、
境界性や自己愛性をはじめとした各種の人格障害の場合、CTなどで精密検査しても脳に問題が出ない事が多く医師がこの診断を下す事をためらう場合が多い。
「認知の歪み」という現象に起因することが多いんだよね。
この歪みは習慣的なものが原因で発生するんだけど、多くは幼少時、学童期などの親子関係や家庭環境に起因する。 虐待とかはわかりやすい例なんだが言葉によって形成されるもの、態度で形成されるものも少なくない。

つまり対象者がおかしくなってしまった原因をさかのぼったとき、実は他者が繰り返し「操作」を行ったために起こる「認知の歪み」が原因である場合が少なくないのだ(DVの原因などがこれに起因する) ]


他者が繰り返し「操作」を行ったために起こる「認知の歪み」はこういう過程で生じるんですね:


幸福の科学 会員と語るトピ


Re: 少しお返事。 2009/ 7/29 15:53 [ No.21578 / 24561 ]
投稿者 : cxpnj735


母は。。。。

8歳のときに。。。。わたしを包丁で殺そうとしました。。。。

それを命がけでとめたのが死んだ父です。。。。。

その後のわたしの精神状態は。。。。。

生まれ出たおおもとであるその根源がわたしを殺そうとした。。。

今でもかんしゃくを起こした時などは。。。大変ですよ。。。

この人生の問題集をどう答えを出すか大変に苦しみました。。。。

世界中の誰でも良かった。。。母以外ならまだ理解できる。。。

なぜ。。。実の子供を殺すのか。。。。。。。

わたしの魂は。。。すでに半分。。。あの世に帰っている気がします

ただ。。。ひとつだけわかったことは。。。。。

人の痛みや心の傷。。。おきてはいけない事件の中に。。。。

とてつもない慈悲の心が光りだすということ。。。。。

愛は。。。。その一部だと感じます。。。。。。。空船

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21578


Re: マニフェスト出ました。 2009/ 7/31 17:12 [ No.21609 / 24564 ]

投稿者 : cxpnj735

私は。。。なるべく思い出さないようにしています。。。。

母が。。。包丁をもって追いかけてきた時のことは。。。。

先のとがった包丁を見ると。。。冷や汗と吐き気。。。。。

それも乗り越えました。。。。。ポイントは。。。。

思い出さないこと。。。。それしかないのです。。。。。

3日に1回が。。。10日に1回。。。一月に一回と。。。。

思い出すペースの幅を広げていきました。。。。。

何十年もかかりましたが。。。。今では。。。1年に数回程度。。。

その間。。。生きる正しい執着を起こすまでも数十年。。。。

新たなる問題は無神論者の主人との生活。。。。。

これが難解でした。。今現在は。。。神棚と仏壇に手を合わせるところ

まできました。。。。。やれやれ。。。「笑」

自分の境遇で。。。憎しみに燃えたときも経験しました。。。。

胃潰瘍をしました。。。。今は考え方が違うので。。。。

ほとんど完治しました。。。不思議だねえ。。。

いまだにその母は。。。。時々感情が乱れて暴言しますが。。。。

小さく見えますよ。。。本当に。。。小さくて。。。。

がんばろう。。。仏法真理は。。。。あらゆるものを救済する。。。。

読みやすいのが。。。なりよりで。。。すごいなあとおもいます

あなたが。。。幸福になりますように。。祈ります。。。空船
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21609#under-deli


Re: マニフェスト出ました。 2009/ 7/31 16:22 [ No.21607 / 24564 ]

投稿者 : hosini_negaio_007

>>親の子供への虐待のない社会も実現してほしい。。

私は親に虐待されて育ちました、
心の苦しみはいまだに消えません。。

それが私の選んだ人生だから
カルマだからしょうがないと思っていました。。

(親も色々な事があり大変で、
子供も少し憎かったのかもしれないけど・・)

でも親が少しでも宗教的な教育を受けていれば、
宗教的心情を持っていれば、、
踏みとどまって虐待まではしなくなるだろうと思う。。

学校でのいじめの問題にせよ
家庭に問題のある子供が
いじめをするケースも多い、、

この教えが広がって
家庭に学校に社会に<いじめのない>世界が展開して欲しい。。


今はまだ、
正直この世の中の人の
幸福まで願える心情ではない。。
心が悲しみで一杯だから、、、


テポドンが落ちなければ、
危機が分からない人が多いなら
目を覚ますために
一度落ちてみるのも手かもしれない・・

返信 これは メッセージ 21593 yumi92ing さんに対する返信です http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21607#under-deli


cxpnj735 さん 2009/ 7/31 21:27 [ No.21610 / 24564 ]

投稿者 : hosini_negaio_007

ありがとう。。

今まで誰にも、
私の気持ちなんて分かってもらえないと思っていたのですが、、、、、

心が軽くなりました、、ありがとう。。


貴方は私よりも、
もっと大変な経験をされているのかもしれないと思いました。

それを乗り越えてこられたのですね。。

私は40代、
会に入ってからも20年近くも過去に苦しみ続けてきました。。


ダメかもしれないと諦めかけた事もあります。。


早くあの世に連れて行って欲しいと何度も願いました。。


でも、、もう一度・・生きていこうと思う、、ありがとう。。

返信 これは メッセージ 21609 cxpnj735 さんに対する返信です
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21610#under-deli


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Re: 信者さんはこれをどう思いますか? 2009/ 7/28 20:07 [ No.21571 / 24564 ]

投稿者 : cxpnj735

幸福の科学の人たちが。。。。

全て完璧な人だと想わないでくださいね。。。。

人間は不完全。。。。完璧な人などこの世には存在しません。。。

あなたがどうしてやめたのかは知らないけれど。。。。

紹介してくれた方が。。。実はあなたの精神より低い場合い。。。。

よくあるんです。。。。これで私も最初。。。

苦しんだことがあります。。。。正直なところね。。。「笑」

でもね。。。経典を読み込むうちに。。。気ずいたことがあったんです。。

相手に完璧さを求めては。。。人間関係は成立しないということ。。。

これは。。。全ての世界にいえることだと想います。。。。

家庭の中でも。。。職場の中でも。。。。。。

子供に対しても。。。。植物を育てる時さえそうです。。。。。

あなたもきっと。。。正義の味方だと想う。。。。

わたしも。。。潔癖症なところがあります。。。。。。

自分の至らなさを自分で攻めては。。。。何度も答え探ししながら。。。

母親に。。。殺されそうになった時のことなども含め。。。。

この世の中を恨んだ事もありました。。。。。

血の汗をかくほどの経験もありました。。。。。。。

何時も一人で。。。捜し求めておりました。。。。。。。。。

お釈迦様の教えを。。。いろんな宗教でもお手本になることを求めました

自分は。。。この世になにをしに来たのかを知りたくて。。。。

最後にたどり着いたところなのです。。。。。。。。。。。。。。。

いろんな人が幸福の科学に集っています。。。。。。

一つがだめなら全てだめという考えを。。。。。

わたし自身やめた時に。。。。答えが見えた気がします。。。。。

私は。。。落ちこぼれです。。。。。

落ちこぼれの仏弟子です。。。。。。。。「笑」

毎日。。。平和な世の中になるように。。。

小さな祈りをして。。。一日の終わりを感謝して眠ります。。。。

こんな人間もいることを。。。。忘れないでください。。。。。

あなたの幸福を祈ります。。。。。。。空船

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21571#under-deli


Re: 信者さんはこれをどう思いますか? 2009/ 7/29 20:24 [ No.21579 / 24564 ]

投稿者 : cxpnj735

ありがとう。。。優しい天使さん。。。。。

わたしは。。。何時も自分が死に装束を着てるとおもって生きています

この世に未練はありません。。。

たぶん。。。死に場所を探していた気がします。。。。

ただねえ。。子供を生んだらね。。。。

欲が出た。。。そしてね。。。エルカンターレの役に立ちたいと。。。

出すぎた考えかもね。。。。「笑」

母に対しては。。。最後まで優しく手を握り。。。

支えになるつもりです。。。

落ちこぼれと自分で言うのはね。。。。。

まだ悟り切れない自分を原点に戻すための呪文みたいなもので。。。。

基。。。訂正します。。。。もう自分を責めるのはほどほどにします

反省。。。あなたの愛で。。。今日はなぜか心が軽いです。。。。

ありがとう。。。。。。。。。。空船

返信 これは メッセージ 21574 emiko1963f さんに対する返信です http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21579#under-deli


Re: お返事のお返事。 2009/ 7/30 20:20 [ No.21596 / 24564 ]

投稿者 : cxpnj735

たぶん。。。。

あなたと年齢が近いか。。。

もしくは年上のうちの主人と同じくらいなのかもしれないですね。。。

あなたの落ち着いた言葉に。。。。

話しやすさが感じられます。。。。。。。。。。

わたしは朝起きると。。。。。

神棚。。仏壇。。。イエス様に十字を切り。。。もちろん。。。

エルカンターレ。。。。竜神。。。「4代目の受け取りでお守りしている」

主人は新婚当時から。。。ほぼ無神論者。。。。。。。

このようなわたしを。。。初めて受け入れてくれたのが幸福の科学。。

いろいろな宗教に誘われましたが。。。。。なにかがちがう。。。

主人と仏教やキリスト教の話は。。。今もほとんどしておりません

死んだ父は。。。よく天災を予知しては。。まわりを驚かせていました

わたしも含めて。。。宗教者なら自然に話すこと。。。。

あの世がない死んだら終わりだという唯物論者には。。。。

通じない話。。。。唯物論者から見れば。。。

お寺の住職も廃業です。。。なにせ魂の供養をしたり。。。。

お盆や彼岸には先祖の魂を家に迎えて。。。お墓参り。。。。

本家に親族が集まり。。。故人の思い出話をしたり。。。。。。

あの世で元気にしてるよとなぐさめたり。。。。。

幸福の科学もお寺です。。。ただ神様が多いこと多いこと。。「笑」

宗教同士の争いはいつの時代も悲しいです。。。。。

壁なんてなければいいのにと、若いころから想っていました。。。

あなたの話のなかでわたしの人生の問題集が。。。。

また一つ増えました。。。。ありがとう。。。。。。空船

返信 これは メッセージ 21590 hyougo_36 さんに対する返信です http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21596#under-deli


Re: 移動しまつた。 2009/ 7/31 16:23 [ No.21608 / 24564 ]

投稿者 : cxpnj735

リニアモーターカー。。。

ああ。。。乗りたい。。。2019年くらいかア。。。「嬉・」

夢いっぱいの未来ビジョン。。。。。

幸福実現党は。。。。天才の大集団だあ。。。。。。。。

今日も。。。仕事が終わったら。。。チラシ配りがんばります。。。

神様の仕事のお手伝いが少しでもできるこの幸福。。。。。

生まれてきて。。。。よかった。。。。「涙嬉」。。空船

返信 これは メッセージ 1 hyougo_34 さんに対する返信です

__________________________


幸福の科学をちょっとでも批判すると信者さんはこういう反応を示します:


__Re: 信者さんはこれをどう思いますか? 2009/ 7/27 9:54 [ No.21564 / 24564 ]

投稿者 : cxpnj735


仏法。。流布を妨ぐる。。。。

悪魔はこれを許すまじ。。。。。。

仏。法。僧への中傷は。。。。

極悪非道の所業なり。。。。。。。。

もはや人間として生まれるは。。。。

これが最後と悟るべし。。。。。

この世のいかなる大罪も。。。。

和合僧。。。破壊の罪は。。。。。

阿鼻叫喚。。。堕地獄への道。。。避けがたし。。。。。


私たちは。。。出家者。。。つまりね。。お坊さん。。。。。

袈裟もつけていないが。。。。。心にね。。。

仏法真理をまとい三法に帰依した僧侶なんですよ。。。。。

あなたが地獄に行った時には。。。。。

私が行きましょう。。。これも縁だからねえ。。。。。「笑」

お坊さん。。。いじめるのやめなさい。。。。。。

あなたの幸福を祈ります。。。。。


ああ。。。。

言い忘れたことがある。。。。

地獄であなたを探さなくてはいけないので。。。。

名前を言いなさい。。。。。。。。。。。。

救済に行くから。。。。。必ずね。。。。。

最後にもう一度言うよ。。。。

お坊さんをいじめるのは。。。やめなさい。。。。。

自分を破壊するのと。。。同じだよ。。。。。。。。空船

返信 これは メッセージ 21558 中川隆さんに対する返信です
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21564


________________________


これは赤星博峰さんという幸福の科学の狂信的信者に対する常識人の見解ですが、程度の差こそあれ、すべての信者にそっくりそのまま当て嵌まりますね:


恐ろしいほど 2009/ 8/29 0:45 [ No.21876 / 21877 ]

投稿者 : hyougo_36

会話が噛み合いませんねww

掲示板だからですか?
それとも実生活で誰かと会話している時もその調子ですか?

普通に答えてくれれば結構なんですけど。

坊さんも3人くらいリアルで知り合いが居るけど、みんな普通に会話できるんですが…

返信
これは メッセージ 21874 特命・弘希さんに対する返信です
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21876#under-deli


Re: 恐ろしいほど 2009/ 8/29 5:22 [ No.21877 / 21877 ]

投稿者 : ukiyo_banare0823

普通の会話は無理でしょう。

幸福の科学の教義には合理性がありません。教義の正当性を証明するものがないのです。

客観的事実や科学的根拠の前ではいとも簡単に瓦解してしまいます。
それでも信じようとする者は、合理性や科学性を無視しなくてはいけません。もっともこれは幸福の科学に限らず、キリスト教を代表とする多くの宗教に共通します。

異なる宗教を信じている者同士では会話は成立しないのは昔も今も変わらないようです。

返信
これは メッセージ 21876 hyougo_36 さんに対する返信です
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21877#under-deli


まあ、幸福の科学信者と会話しようとしても こういう感じになりますからね:


2009/ 8/ 9 12:34 [ No.21676 / 22044 ]

投稿者 : tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

↓のメシヤ教系列教団は、現在グレーゾーン的存在 ですが、もう一つ 病気治しが得意な宗教に、生長の家 があります。幸福の科学より詳しく説法されています。
生長の家 は、認定宗教のひとつ です。本物です。


2009/ 8/ 9 13:03 [ No.21678 / 22044 ]
投稿者 : hyougo_36

誰が認定していて、それってどういう基準なのでしょうか?
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21678


私の根本は高野山真言宗(正統密教)です 2009/ 8/ 9 16:22 [ No.21679 / 22044 ]

投稿者 : tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

教えの内容 霊的審査による認定です。
本物の定義とは、実際 神仏に繋がりのある宗教です。
また、悪霊によるものと判明した場合、指定済邪教 となります。


Re: 私の根本は高野山真言宗(正統密教)です 2009/ 8/ 9 20:27 [ No.21685 / 22044 ]

投稿者 : hyougo_36

なるほど。他者には一切確認のしようの無い基準であるわけですね。

で、なぜに真言宗の正統密教が、そのような認定が出来る権威を持っているのでしょうか?

それから「霊的審査」とは、具体的にどのようなことが為されるのでしょうか?
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21685#under-deli


神仏に直接教えを戴く霊的審査 2009/ 8/ 9 20:39 [ No.21686 / 22044 ]

投稿者 : tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

個人差はありますが 神仏と通信できる僧侶は、他にもおられますよ。


Re: 神仏に直接教えを戴く霊的審査 2009/ 8/ 9 20:55 [ No.21687 / 22044 ]

投稿者 : hyougo_36

>個人差はありますが 神仏と通信できる僧侶は、他にもおられますよ。

世界中には「○○と通信した」とし、また、それを自らの主張の正当性の理由とする人間がたくさん居ます。

また、それらの主張していることは似通うものもあれば相反する内容のものもあったりします。

そこでまた質問なのですが、なにを持って真言密教のそれを「正しい」とされているのか教えてもらえませんか?

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21687#under-deli


回答 2009/ 8/ 9 20:59 [ No.21689 / 22044 ]

投稿者 : tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

密教は、伝統宗教のなかでは 最高峰にあります。
大日如来直接伝授のみ教えです。


Re: 回答 2009/ 8/ 9 21:04 [ No.21690 / 22044 ]

投稿者 : hyougo_36

>密教は、伝統宗教のなかでは 最高峰にあります。

「最高峰」となっている理由は下記の

>大日如来直接伝授

が理由なのでしょうか?

ちなみに「直接」とはどのようなものであったのですか?


霊能力は宗教としての資格 2009/ 8/10 16:45 [ No.21693 / 22044 ]

投稿者 : tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

霊的波長を読み取りキャッチ。科学的には、未解明電磁波ですかね。
言葉ではありません、神仏のみ心がそのまま入ってくる感覚 です。
その後、頭で人間語に 翻訳しています。


未解明電磁波という 2009/ 8/10 18:50 [ No.21696 / 22044 ]

投稿者 : tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

解説
自分のなかの電磁波=妄想
実際の他力による電磁波=通信


高級霊の波動を受けるには 2009/ 8/10 19:52 [ No.21698 / 22044 ]

投稿者 :tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

アンチ波動が入ると、キャッチ出来なくなる矛盾があります。
特に、修羅霊に邪魔される・・・


世の中の根本 2009/ 8/10 22:14 [ No.21702 / 22044 ]

投稿者 : tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

宇宙の根本、それは 神
人間の根本、それは 霊。
以上


Re: 未解明電磁波という 2009/ 8/11 1:08 [ No.21704 / 22044 ]

投稿者 : hyougo_36

なんともユニークな発想ですね。

「電磁波」という言葉で括ってしまいましたか。

なんだかオイラ的には神様に失礼なんじゃないかなって感じましたけどwwいくらなんでも電磁波って…

>高級霊の波動を受けるには アンチ波動が入ると、キャッチ出来なくなる矛盾があります。

これのどの辺りが、何が何に対して「矛盾してる」という図になるのでしょうか?オイラにはさっぱり理解できないのですが。

まあ、理解できないのはオイラの頭が悪いからかもしれないので良いとして、
ところで神様って人間に対して何を語りかけてるんですか?

差し支えない範囲で教えていただけませんか?
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21704#under-deli


47投稿者:中川隆  投稿日:2009年08月11日(火) 10時50分47秒

弘希先生,これにも答えてあげてね:2009/08/11(火) 10:47:07 ID:FDc/i9oW

Re: 未解明電磁波という 2009/ 8/11 1:08 [ No.21704 / 21706 ]
投稿者 : hyougo_36
ところで神様って人間に対して何を語りかけてるんですか?
差し支えない範囲で教えていただけませんか?
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21704


48投稿者:tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho  投稿日:2009年08月11日(火) 18時17分46秒

落書き禁止


49投稿者:中川隆  投稿日:2009年08月11日(火) 19時51分43秒
hyougo_36 さんには礼儀としてちゃんと答えてね.


50投稿者:tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho  投稿日:2009年08月12日(水) 00時32分33秒

神の使徒の権威は、人間の作った礼儀などに勝る


そして結局,赤星博峰先生は何も回答しませんでした.

博峰先生の性格について解説します 2010/ 1/31 21:21 [ No.24299 / 24561 ]

投稿者 : 中川隆


          /l
 ___       〉 〉           /l
 ヽ ゙i_       〉 __ヽ,_    r‐'" ノ
  l、__ `l_,.-'く く_コ `'l ,ヘ、,ヘノ  l~
    l  /ー-、ヽ─‐'"/.__\ /
    `/l ̄V''ーv l_ し'"V   / ヽ
      | l、__/   ゙、__/   l     あなた方は幸運ですね
      |       rニヽ,       |   < 何故かって?
     |     lニニニl      /      変態博峰を見れたからです
      \           /       
         `ーァ---──'''"ヽ,        ハッピー
        / / l,  i ヽ ` \

ダメダメ人間は、自分で考えることをしない。ただ権威筋から与えられたご高説をオウム返しに繰り返しているだけ。自分で考えないから、人の話を聞かなくてもいい。

しかし、人の話を真摯に聞かない人に、誰がマトモに話をするの?
ということで、そのような人間には、誰も込み入った話をしなくなり・・・
つまり、その人の目の前からはトラブルが消えてしまう。
だから、その手の「ご高説」人間は、「私たちは、上手く行っている。」
と勝手に納得することになる。

だって、誰も、そんな人には自分の困りごとを相談しないんですからね。
そんな人は、無意識的には、相手から言わせないようにしているわけ。
だから、「自分の周囲には何も問題がない」と考えるのも、ある意味において無理のないところ。

ダメダメ人間は、話をしていても、文章のやり取りをしても、

「これは△△が原因なんだと思いました。」

「結局は、こんなことが原因なんだよ!」

なんてフレーズがいとも簡単に出てくるわけ。早めに原因とやらをリストアップしてしまって、自分自身に降りかかることを防止するわけです。だからその思考の展開もなく、実に猪突に結論に到達しちゃうんですね。

しかし、これからもっと深く考えようと思って、やり取りをしている時に、さっさと「これが原因なんだ!」なんて言われちゃったら、どう思いますか?
「アンタがそれで納得したいなら、それでいいけど・・・その結論に何の意味があるの?」となりますよね?

まあ、そんな人とは、それ以上のやり取りなんてしたくはないでしょ?
だってツマンナイもの。

そんな人は、どんなことが起こっても、いつも同じ理由で片付けてしまうんですね。

その手の人って、思考から逃げるための「取っておき」の理由を常に持っているもの。

都合が悪くなると、その言葉を持ち出す。
聞いている方は、「あ〜あ、また、いつものヤツね!」と、呆れるだけ。
その手の「取っておき」は、いわば相手の話から逃げるための理屈。
「いかにして相手の話から解放されるのか?」そんなことで必死になっているわけ。
http://renewalmmbacknumber.hp.infoseek.co.jp/09-11/09-11-04.html


博峰先生の「取っておき」の言葉は


90投稿者:↓  投稿日:2009年11月06日(金) 00時09分10秒
落書き禁止

196投稿者:↓  投稿日:2009年11月09日(月) 22時17分02秒 ID:LA5k6qJr
回答済み

88投稿者:↓  投稿日:2009年11月04日(水) 00時23分45秒
解決済み 落書き厳禁

101投稿者:↓  投稿日:2009年06月07日(日) 17時24分22秒
しつこい

84投稿者:↓  投稿日:2009年06月01日(月) 17時21分16秒
余計なお世話

74投稿者:↓  投稿日:2009年11月01日(日) 00時17分40秒
低レベルには分からないだけ

76投稿者:あまり  投稿日:2009年11月01日(日) 00時21分59秒 ID:LA5k6qJr
人を妬むな。

82投稿者:回答  投稿日:2009年11月01日(日) 15時39分48秒 ID:LA5k6qJr
全て、神仏直結の説法の通りだ。
唯物論は改心なさい。

75投稿者:そんなことより  投稿日:2009年11月01日(日) 00時19分17秒 ID:LA5k6qJr
南無本物宗教12
を究めなさい。時間の無駄だ。

94投稿者:↓  投稿日:2009年11月21日(土) 21時40分33秒 ID:LA5k6qJr
信じない者が、損するのみ。 http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=24299#under-deli


Re: 博峰先生の性格について解説します 2010/ 1/31 23:01 [ No.24300 / 24561 ]

投稿者 : 大川恭子

とても明解であり明快だわ。
もったいないわね、アンチにしておくのは。
赤星さんとやらより、よっぽど論理が通っているわよ。
大川総裁もあなたの粘りは評価してるわ。

返信
これは メッセージ 24299 中川隆さんに対する返信です
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=24300#under-deli


一般の幸福の科学信者も程度の差こそあれ、みんな赤星博峰先生と同じだと考えて下さい。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/630.html#c18

[近代史4] 統合失調症患者が体験する世界 中川隆
6. 中川隆[-13271] koaQ7Jey 2020年3月01日 23:26:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[258]

統合失調症患者の幻聴との会話

幻聴と会話してる方他にいませんか?


01: 名前:george(" ") 投稿日:2009/08/17(月) 08:39

僕は幻聴と普段から時折話しています。

麻雀やらせたら、ちゃんと正しく捨て牌を選び、ロト6の数字を選ばせたら六つ数字を選びます。

たいした会話はしませんが、自らを「幻聴」ではないと主張します。

しますが名前を聞いても、ごまかし、住所を聞いても答えません。
出てきて欲しくない時は出てこず、此方が話しかけると答えます。

手のかからない幻聴さんです。
他に、幻聴が聞こえる方、どんな様子でしょうか?

02: 名前:ジャイアンツ ◆jH.6d5ig投稿日:2009/08/17(月) 09:14

自分も幻聴聞こえるのですが、会話型ではなく一方的に聞こえてきます。

”ほかの人の話し声が自分の事言われている感じ”がしたり

“テレビの声が、自分の事言われている感じ”がします。

あと、”鳥の声や工事の音が暗号化されて自分の事言われている感じ”がしたりして怖くなることがあります。


03: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/17(月) 19:00

会話型幻聴って珍しいのでしょうか?

知らない道を案内されたことは無いんですが、散歩で道を選ばせたりしていると、一度通った道を覚えたりもします。

どうにも不思議で、他の会話型幻聴の人の経験も聞いてみたいです。

04: 名前:ルカ ◆Q8qPG/TA投稿日:2009/08/18(火) 06:35

私の場合は幻聴と会話というより、戦いといった感じであります。

「おまえはこうしくちゃならない」

ということを、耳にするのですが、それに対して、自分がどう対応するのか迷ってしまうのです。

それと以前ある精神科医が言ってたのですが、(基本的には)幻聴とは自分以外の
声だとの事です。

その意味においては当てはまらないのですが、私は自分の(と思っている)感情・思考がスパイラルすることがよくあります。

ラジオをつけっぱなしの如く、言葉が頭でぐるぐるになり、自分を責めるのです。
そのような体験をしています。

ただ、一時的な発作のようなもので、24時間ずっと続くわけではないのですが・・。


05: 名前:心 投稿日:2009/08/18(火) 12:09

私は会話というより予言する幻聴なら聞えますよ。

思考伝播もありました。

集団ストーカーの被害でもうけてるのかなとも思いましたけど最近は思わなくなりましたよ。


06: 名前:tako 投稿日:2009/08/18(火) 21:38

私も週末はベットにごろごろしながら、幻聴と話をしています。

最近は名前は言わなくなりましたが、前は登場人物がいっぱいいました。
一番出てきた子は”ゆう”という名前の男の子でローソンにいくと”これ、
買って”とかまで言ってきました。

でも会話ができるようになったのはまだいい事でその前は命令ばかりされて、
変な事をいっぱいしてました。

初めて病院に行った時には、トイレの天井に抜け道があると言われて探したり、
診察室の手前にある事務所のドアを突然開けてみたり、他の人の目を見たら
声がうつると言われていたので、初めての診察は先生の後ろにあるランの花
を見ながら”入院して休んでください。医療保護入院ですので断れません”
とかいうのを何となく聞いていました。

入院中も入院患者なのに夜以外はベットに寝ころぶ事を許されなかったり、
勉強をしてもいけないし、買う雑誌もおやつも全部決められて、ご飯はお米
一粒たりとも残させてもらえませんでした。

先生にも幻聴が聞こえる事を言うことを許されず、嘘を言って退院しました。

その後も仕事を探す時にこの仕事はだめとかいいとか指示を出し、ある会社
の面接に行った日の夕方に”今日、電話がある”と言われたので、もう夕方
だしないよ・・・と思っていたら、夜遅い時間に電話があり、仕事が決まりました。

仕事をはじめたら、今度はパソコンに入力してたら、”漢字違う”とか注意
されていました。

ジャイアンツさんの言われている症状も全部ありましたね。
他の人に言われている事はいまだに自分の事のように感じる時があります。

急性期はエアコンの音がメッセージに聞こえて、エアコンつけれませんでした。
笑っていいともでタモリが私の話していると感じました。

変な症状ですよね。
何年たっても、完治しないのでしょうか?


08: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/18(火) 23:22

幻聴は自称女性なんですが、自分のことをあまり答えないので、話題が広がりません。しゃべるといっても最近では、此方から話しかけないと滅多に話しかけてきません。

最初、幻聴のコトを昔好きだったある女性だと思って話しかけていたんですが
ある日幻聴が 「XXXにはなれない」と叫びだし、自分はその人物ではないと言い出し今に至ります。

最初の頃は色々、ドコソコにいるから来てくれ、振り回されました。自分も幻聴だとは思っていませんでした。


09: 名前:心 投稿日:2009/08/19(水) 12:20

某芸能人がニュースでハワイで挙式と放送される何秒前かにそとでハワイと聞えました。

それと郵便局に行った時、あいのてと、聞えて何日か後にラジオであいのてを入れたい曲というのをやってました。


georgeさん:

私の幻聴は昔好きだった男の子から始まり、その後、いろいろな人がその子に
会わせる前にしっかりしつけすると言っていろいろうるさく言い始めました。
私も幻聴と思わず、半年位、精神科の先生に嘘を言っていました。

今は誰でもありませんが、今気になる人がいるので、その人に嫌われてるだの
そんな事ないだの・・・週末はだらだらと言いあいしています。


心さん:

私も頭に浮かんだことを、偶然に前を通りかかった人が言ったりします。

一時は私の考えていることばかりがMSNのホームページに書かれているので、
インターネットが怖くなって、コンピューターの電源がつけれませんでした。


11: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/20(木) 00:53
>心さん
「あいのて」は偶然のような気がしますが、「ハワイ」はびっくりですね!
他にもあるのでしょうか?


>takoさん
うちの幻聴があまり多弁でないのに比べて、よく話し相手になってくれる幻聴のようですね。

まだテレパシーだと思っていた頃、うちの幻聴を精神科の先生と話させようとしたことがあったんですが、その途端、何もしゃべらなくなって、がっかりしたことがありました(苦笑

今も何か書き込めと言うと「なんで私がそんなことしなきゃならないんだ」
と言って、意味にならない単語を入力させようとするので、止めさせました。


12: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/20(木) 01:06

幻聴を説得して、掲示板に発言させてみました。
ぶつくさ、言いながら、以下の発言を記述するにいたりました。
「念話者」は定着しちゃった幻聴さんの呼称です。

「takoさんの幻聴さんこんにちわ、私はここにいます。念話者です。
なんでこんなこと考えるでしょうね、georgeは,」


13: 名前:tako 投稿日:2009/08/20(木) 20:21

georgeさんの書き込み見て、”私の幻聴は何か言うかな?”と思ったら、

”アホか?” って聞こえました。(私は関西人です)

まあ、よく似たものですね(笑)


14: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/20(木) 22:14

こんばんは、
幻聴は「そっか、なるほどね」って言ってました。


幻聴同士会話したら、何を話すかな?って思ったんですけど、
ダメでしたね、すいません、つき合わせてしまって。


15: 名前: 投稿日:2009/08/21(金) 01:05

幻聴一月目の者です。

誰か見ててくれれば、嬉しいのですが・・・皆寝てるかな・・

之は私の実体験ですが、一度誰かと右の脳なのか耳なのかで話したことがあります
でその方とは会えたのですが私の知ってる人ではなかったと思います。
ですが、腹の下辺りが熱くなりその方も同じ症状でした。嘘だと思ってもらってもいいです。

今はその方とは話ができませんが、今度は左の脳?の耳鳴り?が
私の頭で考えてることをシグナルのように自分の考えが自分で聞こえる?

表現が難しいですがそんな感じです。之も統合失調症の現れでしょうか?

病院へは行きました。勿論今は心因何とかと診断されていますが、処方されている薬を飲んでも欝っぽくなるだけで全く症状は改善されません。

最初は物凄く小さな耳鳴りでしたが今は少し大きくなってます。

女性のようです。怖いや好きなどの声を聞きます。


19: 名前:機動戦士パンダム 投稿日:2009/08/23(日) 20:52

私も幻聴がひどくて、薬を飲む前はいわゆるテレパシーがあると半分信じ込んでいました。

治療前でも、科学的にはそんなことありえないと落ち着いて考えれば判断できたのですが、そもそも落ち着いていられるときが少なかったので、徐々に妄想に押し
流されてしまいました。

幸いなことに薬がよく効く体質らしく、薬を飲んでからはそのような妄想から、かなり早いスピードで脱することが出来ました。しかし、今でも幻聴は残っていますし、暇だと会話してるときが多いです。

最近は幻聴に幻聴が答える事もあったりして、思わず笑ってしまいます。

幻聴の主は多数居て、実在の人物の過去の発言やそれに類する内容の発言と、架空の(抽象的な)人物が現在の行動や考えてに対して行う発言とに分かれます。


21: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/08/25(火) 21:44

私は、幻聴に時計の代わりをさせてみて、まともに時間を知らせることが出来ないことを知り、ああ、これは幻聴さんだな、と思えるようになりました。

普通の人なら、家に時計があり、携帯電話なり腕時計で時間を確認できますからね。

幻聴同士が会話するっていうのはすごいですね。
どんな話をするんでしょうか?
幻聴さん何人ぐらいいらっしゃるんでしょうか?

僕の場合最初幻聴が始まってすぐの頃、大量の幻聴さんどうしが話しあう声が聞こえ、「僕に味方する幻聴さん一人が残ることになった。」という演技を某さんがテレパシーでしたと考えてました。

複数の幻聴さんの声が聞こえたのは後にも先にもその数分の間だけでした。


24: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/08/27(木) 15:37

名前が何も表示されなかった者です。それ以降幻聴に指示された場所に行っても誰にも合えませんでした。これです私もこれでした。

その後も何度というより私の頭で考えてることがアッチに筒抜けと思い、切ってくれと頼んだらいつの間にか消えてました。

ただ私の場合はこの女性が自分は私の初恋の相手だと名乗りました。勿論、幻聴でです。

14年見ても無かったので私の記憶が正しければ、別の人だったと思います。かなり記憶が新しいので、その女性に会ったのは皆既日食の次の日でした。

その頃は余りにも怖かったので、その女性の家に行き(本物)が住んでいるだろう場所に行って事実確認をしました。結果は恥ずかしくて顔は見ませんでしたが結婚されてました。

同じような幻聴を聞いて、たまたま同じ場所に幻聴を聞いたもの同士が集まってしまったのでないことを確認されましたか?

またそのような現象が起こったら確認しようと連絡先など交換してませんか?
残念ながらしていません。ですが会ったのがカフェでして逆ナンではないですがライターの火が付かずカチカチしていましたのでライターは上げました。そして何も話していません。

その自分を私の初恋の相手だと言い、もし○○なら足を動かせと言えば動かしました。チョット面白かったです。

それともう一人女性がいました。この方の方は全く記憶にはありません。もしかしたら、その様にして出会った一人だったのかもしれません。

大量の幻聴さんどうしが話しあう声が聞こえ、「僕に味方する幻聴さん一人が残ることになった。」

これです!!私もありました。多数の人間が同時に同じ事を言ってる声です。

何でしょうか?未来予告みたいな事もありましたが、私の信条的に未来は誰にも分からないと思っていましたので、その時はなぜか舞い上がってましたが、紙に書いて残していましたが捨てました。

この2ヶ月の間に憑依?もされました。3回です。

最初は女性、次に3つの考えがある男、最後は人に雷落としたり疫病ばら撒いた事のある歴史上の日本人です。

今は左側の耳鳴り、脳鳴り?で治まってくれただけで奇跡かもしれません。うざいですけどね。しかし、何かに集中していたり、仕事をしていたりすると全く気にならないのでまぁいいかなということになってます。今度脳ドックへ行きます。


28: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/08/27(木) 21:48

私の場合幻聴さんの声にあわせて、何かを指でコツコツと叩くと何故か、声がよく聞こえたので、しばらく、そのようにしてました。

なるほど、私の場合さっきもですが今は脳鳴りは聞こえていません。ですが面白いことに喋ってるとき(私の妄想ですが)脳鳴りが聞こえない時、体がその喋ってる動きに合わせて動いている時が殆どです。

尻の下ぐらいから振動のように聞こえてくる声もあります。幻聴の声を自分で喋るですか・・・私の幻聴はチョット卑猥な発言もしますので喋ることは難しいですね。

憑依のときは凄かったです。もう部屋中ぐるぐる自分では決して動けない動きをしましたね。

最初の女性のときでしたが幻覚もその時のみ見ました。透明で冠みたいなのを被ってましたね。

あれはきつかった。その女性が言うにはというより、私にも体や声は自由に動かせませんが自覚がありました。それが凄いと後々の憑依された方々に言われました。精神力が強いと(笑)

精神も糞もねーと思っていましたが、まだ沢山の声が聞こえているときに今度取り付いたら許さんと言ってもうそれは無いと言われたのでホッとしています。

それが取れたとき今でもそれが見えるんですが体から白い煙がブワーッと出ているのを見ました。(普通はチョロチョロとしか見えない)


31: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/08/28(金) 20:00

幻聴に口を貸すのですが、貸すといっても、いつでも自分で割り込めるので・・

実はこの頃左の後ろ側の脳鳴り?がとても小さくなって凄く聞こえず楽なってし
まいました。

幻聴さんには、最初、ブッダの生まれ変わり扱いされました

実は3人目の憑依された方から、お前は俺の力と魂の生まれ変わりだと言われました。 その時、私が頭の中でそれは無いと言ってたのですがそうらしいです。名前は菅原道真といいます。

私も今は話せるのは一人だけですね(女)。と言っても今は会話になりませんw

病院へは行ったのですが・・薬はきつくてもう飲んでいないのに完全に回復してきています。 相変わらず体から出る煙は見えるのですがこうなるまでに実は私がそうだと思っている原因があります。


32: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/08/28(金) 20:11

最初はある神社からでした。岩戸?岩室?と言う所で願い事をしました

そして、その夜(体から煙がでてから)体のへそ辺り(丹田)に熱いなんか蛇かなんか? がぐるぐると動いていて、その頃ヨガをやってまして瞑想をしていました。

丹田呼吸をやっていたのですが、イメージでその丹田にあるエネルギー(本当は何も無い)を眉間に持っていくイメージですwをやっていると無茶苦茶気持ちよくなりました。なんでしょうか?

卑猥な表現になりますがセックスをしている時の射精をする感覚が2時間ぐらい続くみたいな事があり、煙も見えていましたのでこんな状態で神社にお願いしたらなんかいいことが有るんじゃないか?という気持ちで手を合わせて来ました。

その夜から今日までの事です。現実的に見ればはっきり言って何の足しにもなりませんでしたが・・・


48: 名前:だつ ◆RshxIIMU投稿日:2009/09/04(金) 22:04

>georgeさん アドバイスをありがとうございます

さっそく自分の幻聴か確かめるために、脳内パフュームに大学で何を専攻しているか訊いてみました(3人中2人は本当に未公表)。

やはりというか、案の定答えませんでした。
暇が出来たら病院に行ってみます。


49: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/09/05(土) 01:05

幻聴さんの答えられる範囲は概ね、自分の知識内のことに限られます。

例外もあって、その辺不可思議です。

えっと、ちなみに、専攻を答えたりした場合、専門的なことに踏み込んで、質問し、ネットで答え合わせすると、見事に頓珍漢で面白いですよ(笑

ソレをスラスラ答え始めて合ってたら、儲けモノですね(苦笑
教えを請いましょう(爆


50: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/09/05(土) 01:07

「集団ストーカー」は最近ネットでも取り扱うページが出来るなど、
既に浸透しているタームです。ですが、多分9割は、妄想だと思います。


51: 名前:心 投稿日:2009/09/06(日) 13:38

妄想なら良いですけどね。たまたま聞えた幻聴など、ほのめかしや原因を突き止めようとした者がたどり着く妄想の答えかもしれません。

被害妄想かもしれませんね。実際行われていたら事件にもなってます。


52: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/10(木) 02:21

その幻聴さんはあなたのことしか見てない・理解してない可能性がありますね。
あなたにリンクしてるのであってこの世界全体とはリンクしてないという可能性がありますね。

そのため、あなたが見たり、聞いたりしたものしかわからないのかもしれません。
性格が丸くなったのは良かったですね。私にとって悪いことをしないで良いことをしてくれるやさしい幻聴だけになってほしいと思ってます。

私にとって悪いことする超存在はいなくなってほしいのですが、なかなかいなくなりません。困ってます。

あなたの幻聴の性格が丸くなったきっかけはなにでしょうか?
よろしければ教えてくれませんか?

私は自分含めて複人数で異常体験をしましたので脳の問題でないことは理解しています。

悪いことする超存在(世間では悪霊とかというのでしょうか?)を退治する方法をご存知の方がいらっしゃったら教えてほしいです。
(統合失調症の薬以外で)


53: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/09/10(木) 20:00

 最初は、何かしら、嫌なヴィジョンを送り込んできていた、幻聴さんなんですが、話しかけているうちに、和んできたというか、夜の街を徹夜で歩かされたコトもあったんですが、そんなこんなしているうちに、自然に馴染んで来てしまった感
が強く、特にきっかけがあったわけではありません。

ところで、その「超存在」とは話が出来るのでしょうか?
私の場合、幻聴さんと話しているうちに、馴れ合ってしまって、仲良くなったので、「超存在」ともひょっとすると打ち解けられるかもしれないと思ってしまいます。


54: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/11(金) 02:13

例え話ですが、野球でいえば、8回まで2対0で勝ってたのに9回になったら0対0になってたといった感じです。 そして同じチームの健常者も同じようにスコアが変わったという認識を持っていたということです。

野球を例にしましたが実際はもっと少人数で体験したできごとです。

超存在と打ち解けて仲良くなれたらとてもいいですね。
自分もいろんなところを徹夜で歩かされました。
ただ、そのときは怖い幻聴が主流だったので大変でした。
私はまだ自分にとって良いとは思えないいろんな異常体験があるので、困ってます

ほんと悪いことする超存在(世間では悪霊とかというのでしょうか?)を退治する方法をご存知の方がいらっしゃったら教えてほしいです。(統合失調症の薬以外で)です。


56: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/11(金) 04:03

私も超存在ではないですがそういう状態がありました。私はそれを悪と呼んでいました。

先ず、話せるならその超存在をあなたがどういう者又は象徴だと理解していますか? 出来るなら質問してみてください。

あなたが理解している超存在と会話している超存在に違いがありませんか?あるなら取り敢えず話を終わらせることが出来るはず。多分それでも何か言い続けるでしょうが・・・・

それで次です。もし、その超存在がこれをしろとか、死ねとか言ってきたら何もしないでいてください。

多分その工程を踏めば落ち着いてくるはずです。
何もしないこれが大事です。出来れば寝ててください。目は覚めててもかまいません。

寝たら死ぬとか言われても絶対に死んだりしません。(薬はやめてね)

もし、憑依体験などされているならそれでも何もしないでください。
動かないで寝ていてください(動かないで寝る意識はいる)
深呼吸とかいいですよ。そんなアホなと言われるかもしれませんが効きます。
それだけで憑依されません。

ねこさんの脳の問題ではないでしょうが多分まだ超存在とのチャンネルが合ってることが問題だと思います。

人にはまぁ霊能者とか?w直せる人がいるのかも知れませんがほぼ無理です。と私は思います。勿論薬でも死ぬまで飲み続けなければならないかも知れません。薬を使いたくなければ自分の意識で消すことが非常に重要となります。
先ず重要なのはそれが出てきた根本原因を自分で探すことです。多分その部分がねこさん達の超存在根っこになっています。


57: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/12(土) 00:00

いろいろなたくさんの超存在がいます。
みなさんはそれぞれ1人だけなのでしょうか?

好意的であったり友好的な存在もいれば、負の感情をもってたり、私にひどいことをしたりするものもいます。性格もいろいろです。能力もいろいろです。

ひどい目にあっているやさしい弱者などのものなどもいるようで、そういったものたちに助かってほしいとも思っています。

人間との意思伝達手段が限られてるものもいるようです。
そのため意思伝達をしようとすると人間に苦しみなど、不利益が伴ったり、または思うように意思が伝わらない場合が多いようです。

そしてこの超存在たちの中には悪意あるものや悪いシステムの支配下にあったり、影響下にあったりするものもいるようです。

なんとかこの悪意や悪いシステム(当然、私に対しての悪意や悪いシステムを含めて)を退治したいものです。

霊能者には悪い霊はいないといったり、悪霊払いはしないというものが多いです。
ですが、実際には悪い異常体験をしてないか、悪霊を恐れているたりして悪霊に逆らいたくないのだと思います。
神主でも悪霊払いはなかなかやってもらえません。悪霊を恐れていて悪霊に逆らいたくないようです。(そりゃ当然か、怖いもんね普通。)
特に日本の場合、祭られてる神様自体がいろいろな性格だからなのか悪霊払いを断られることが多いです。

みなさん、悪霊払いをしてくれる良い神社を知りませんか?
是非教えてください。


59: 名前:george ◆uaFaM4H2投稿日:2009/09/12(土) 12:15

統合失調は、ただの「病気」ではない とは思っているのですが、「超存在」を悪霊のような存在だとは思いませんし、人知を超えた何かであっても、神社などそのようなモノに対抗するにきちんとした能力があるとは思えません。
霊能者と呼ばれる人たちの多くは、詐欺の一種であることが多いと思います。

私は自分が「超存在」の、「軽いイタズラ」だと思っていたものは、今は治まっており、治まる前の「イタズラ」は、自分の機能にも、問題があったのではないかと思います。


62: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/12(土) 17:34

私も統合失調症今はまだ心因何とか?wですが、改めて思うのはこの異常事態に
なる人々は一種凄い人間だと思います。社会のニッチに目を向けれる。しかも、それを存在させる(私の場合自分自身の中だけですがtt)。之は普通の人には無理です。考えを飛躍させると、ただ生きるという事に長けていると思います。

georgeさんは超存在を悪霊のような存在だとは思いませんと言われていますが、私の解釈では受け入れた(私もそうです)と思われます。ねこさんはまだこの手前だと思います(掲示板に掛ける時点でセーフ)。

インドでは其れを内在神といっています。之を現実的に言えばつまりあなた自身です。

私の解決策は取り敢えず、何もしないです。何故なら、必ず何かを言ってくるわけだからねこさんの言う良い者も悪い者も、必ず何かを要求します。そうでなければ存在しません。

だとするなら何もしない、要求は聞かない(之は難しいかも)だからその数?が減ってくるまでは何もしないが一番いいですよ。

無理だと思われたら仕方ないですが、薬にたよざるを終えません。
抵抗があるなら、どちらにしろ人は物を食わないと死にます。嗜好品で言えば酒もタバコも害ですが気分がよくなります。1つ希望を・・・たとえその時はチャンネルがあってても人は別の事、チョトたとえが悪いですがサッカーと剣道は別物です。サッカーをしていていきなり剣道をしても上達しませんが、色々なルールが違います。人の脳はどうにかして大多数のバランスに戻ろうとします。之が一番薬を使わずにすむ方法です。


63: 名前:心 投稿日:2009/09/12(土) 17:59

健康な心でいられるかどうかですね?何もしないのが一番ですが何か結果を出したいときは、アクション起こさないと出ないですしね。アクション起こしても相手が何もしなければ何もおきませんしね

良いことも悪いことも誰かのおかげで、止まってるかもしれませんね。


64: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/12(土) 19:39

私は今でも時々幻聴は聞こえます。健康な心という定義には少し疑問を抱かざる終えませんw

身体的には全身くまなく調べましたから、問題はありませんでした。
ただ、脳みそ自体は問題は無くても幻聴は聞こえます。全く苦しくはない程度ですが・・

何もしないとは、この場合ねこさんの状態のときです。
失礼ですが嫌な言い方かもしれませんが、ただ寝るという行為自体も脳の休養と体力の回復を図れます。何もしないとは呼吸はしますよw

良いことも悪いことも誰かのおかげで、止まってるかもしれませんね
統合失調症を心療内科的に言うと幻聴、幻覚を悪いことと捉えると最終的にはご自分の力です。 事実止まるのは自分自身ですから。

私のこの状態を(苦にならない幻聴)を完全に消すには薬に頼るか又は幻聴が出るまでに体験した出来事が完全に私の許容範囲に入った場合消えるかもしれません。

健康な心が何なのか正直な所、私には分かりません。それを考え出すとそれこそ宗教でしょう。勿論犯罪はダメですけどね。宗教は何にしてもただそれだけでルールがあります。薬と一緒です。

それに頼らざる得なくなる。健康、不健康、善と悪まぁここまで来るとややこしくなりますが・・・

簡単に考えると受け入れることが重要かもしれません。ねこさんが幻聴を聞いても別に何とも無くなるまでは今は殆ど聞こえない状態に戻るのが最善だと思います。それにはどんな声も無視してただ寝てたり、幻聴が出た根本原因をご自分で探ってみたり(手帳等にその経緯を書く之は私もしました)、
ボーっと散歩したり、悟ることが重要かも(ご自分で)自分に自信を持って下さい!


65: 名前:おはな 投稿日:2009/09/12(土) 19:51

私の幻聴の症状は、ほぼ全部が何故か学校の知り合いや芸能人の声でした。

症状が酷かった数年前は『え!?芸能人が話しかけてくれてる!?』と思い、
短期間、幻聴と会話してました。でも、処方薬を飲んだら、なくなりました。
今のところ、そういう症状は特に出てないですね。

医者には『幻聴が話しかけてきても会話するのはできるだけ避けた方が良い』
と言われましたよ。何故かは分かりませんが。


66: 名前:心 投稿日:2009/09/12(土) 20:00

>どうしてこうなった?さんへ
幻聴は誰もいないときに聞えるのですか?誰かを介して聞えるのですか?
誰かを介して聞えるのは実際には言ってないことを自分の脳で勝手に判断して
聞えるのかもしれませんね。

私の場合も苦にもならない幻聴の程度です。未来を予言するような幻聴体験もあります。

幻聴が出るまでに体験した出来事が完全に私の許容範囲に入った場合消えるかもしれません。っていうのは不思議な体験したということでしょうか?

今思えばあの時あの人を介して聞えた言葉は幻聴なのか?もしくわ何かされているのかと妄想に入る時もありますが、今こうして生きていられて良かったと思うときもあります。

幻聴なら何も起きていないのだと思います。
幻聴でなかったらなんだろう?と思います。
この前なんて○○が犯人と聞えてきました。
不思議ですねこの幻聴というのは!


67: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/12(土) 21:07

なるほど〜その様な方々の幻聴もあるんですね。会話はできるだけ避けた方がいいと言うのは分かります。多分グルグルと平行線で終わらないからだと思います。要するに現実的にですね。

>心さん
そうです。ほぼ家族や友人が居る時は聞こえなくなりました。私の場合、誰かを介してではなく何かを介しての方が正しいでしょう。

例えば風だったり(風が耳に当たると)その様に聞こえるとかw
水の音だったりそれは人それぞれかもwは実際にありました。

今は自分の頭左下?右脳下からしか聞こえません。

最初の方は集団ストーカーですかwみたいに思っていた事もありました。
が、私は気持ちオープンな奴なので別に見られても構わない。と思っていました。
要するに精神分裂という呼び名が適当かもしれません。私も未来の予言などはありました。


68: 名前:心 投稿日:2009/09/12(土) 22:22

同じような体験をしてるのですね。私の場合は携帯電話を8年前にハッキングのようなことをされ自分の未来を予言するようなことが録音されたテープを発見しました。

テープには昔働いていた職場の人の会話も録音されてました。
そして周りには人を介しての幻聴なのか、その人が言ってた声なのかあまり僕しか知りえないことなど聞えてきました。

このような事が重なり思考伝播、サトラレと思い込んだのです。
18歳くらいから幻聴みたいなものはあったのですが病気とも認識できませんでした。

元職場の人たちやその家族が集団ストーカーで出てくる宗教に入っているのです。
これも全て妄想のなのか現実なのかわからなくなる時があります。
これも病気なんだなと思うときもありますが、油断はなりませんね。
犯罪被害者なのか?被害者妄想なのか?
精神がやはり分裂しているのでしょうね


73: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/13(日) 04:51

いろいろな超現象を体験してきましたが、わかりやすいのを書きます。

冬場で何ヶ月も窓を締め切ってた(寒いからね)部屋のなかで幻聴と会話してるといろんなものが突然現れるのです。鳥とかいろいろ。

(狭い部屋の中では曲がりきれないので、壁にぶつかりまくり、逃がすのが大変でした。無事逃がせれてで良かったです。)

悪意のない超現象から、悪意のある超現象までいろいろです。


74: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/13(日) 04:58

悪魔がいくら強いといっても
自民党のように政権交代が起きて、悪魔が失脚するかもしれませんね。


75: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/13(日) 04:59
>>74では悪い超存在を悪魔といってます。


76: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/13(日) 05:31

おはなさんや、こころさんや、どうしてこうなったさん
の幻聴主は悪意のない存在のようですね。
何かを介して(波の音など)話してくるのなら
それは、あなたに負担をかけないようにかなり気を使ってるのだと思います。

超存在の中には能力不足かこちらのことや状況を理解できてないなどで、
悪意がないと主張しつつ、こちらに負担をかけてしまう(こちらが苦しんだり、不幸になったりしてしまう。)ものもいます。
当然、悪意をもった超存在たちもいます。(ほんとに苦しめられたり、不幸にされたりします。)

みなさんは幻聴で苦しんだり、不幸になったりしてるのですか?


78: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/13(日) 20:11
>ねこさん
私は思うのですが・・・この私の幻聴もはっきり言って現実的には理解できない事が発生してその苦しみから自分の頭のリミットが外れて妄想で幻聴が派生してしまったと思います。

73で言っていることを現実的に解釈していくと、ねこさんにとって、とても不幸なことが起きてしまったとします。あなたにその不幸な事を与えてしまったのは多分人です。その通りなんですがその人の悪意なんですよね。

ねこさんのレスを見ていて幻聴が聞こえ出しました。
私の幻聴にお前は悪意があるのか?尋ねました。
すると無いですと言いました。

ですが、私の考えではお前の存在自体が悪なんだがな〜と思ってしまって(正直ウザイですしw)幻聴がえ〜んえ〜んと言って泣いてますw

私の目には体から白い煙が出ているのが見えますwなんか使えないかなーと画策した日々もありましたが徒労に終わりましたw

私にとっての超常現象は自分の体から血液がひいていく状態に何日もなった事ですかね。今は全くそれはありませんが私にはそれが、何故なったのか?何故私なのか?何かを私が否定しているからなのか?そして今何故それが治まっているのか?
今でも分かりません。ある意味何かに取り憑かれていたのか?体の異常だったのか?

どちらにしても今はその症状はなく現在の私の体の異常はあまり何を言っているのか分からない幻聴のみに治まりました。

良い神・善霊的なもの(良い超存在)はいます。しかし、悪神・悪霊的なもの(悪い超存在)よりはるかに弱い・力がない
これは正に人の心その物に見えます。(現実的に言うならですが・・)


81: 名前:えり 投稿日:2009/09/14(月) 03:37

なんだか声がわたしを罵りつづけている。
金切り声で、でもきこえないほどの音量で。

なにかで、気をまぎらわせているときはいいけど、寝るときはつらい。
ひっきりなしに、声がきこえてきて、罵っている。

寝られないからネットを徘徊して、なぜ死んではいけないのか、などの書き込みをながめている。

なんて言っているんだろう、彼らは、ひとことでは、言い表せない。
時期がくると、叫び始める。

言っていることは、おそらく、たいしたことはない。
うぬぼれるな、とか、ひとを馬鹿にしている、とか、とにかく、まあ、わたしの態度を非難しつづけて、その声が、だれかの声だとしたら、機械的すぎるからきっと、自動的にくりかえされているのかも。

録音してだれかにきいてもらえたらいいんだけど、
だれも、録音してきくことのできる声だと思っていないし、わたしも、信じてもらおうとは思っていない。
どんな意図で、どんな人たちが、どんな仕組みで、声をきかせているのだろう。
あちらのほうからきこえてくると、音源は特定できる。でも、そちらへ行くとふいと止んだりする。

そしてまたべつのほうからきこえてくる。
わたしの態度を読み取って応じてくるから、幻聴だとひとは言う、わたし以外の全世界の人間が言う。

サトラレという言葉が、掲示板におどっていることに驚いた。
あの漫画の影響はこんなところにあったのだ。

そういえば、声は言っていたっけ、おまえは才能はないけれど、サトラレなんだよ、って。

謝れ、といい、働け、といい、それから、…。ああ、そう。わたしのまわりの家族はね、みんな手先で人質なの。たぶん、あいつら「声」の。
誘導補助員、そして、わたしが従わなかったときのための人質。

こうやってとらわれて生きているひとが、この世の中にはたくさんいるんだね。
「声」は、人々の恐怖を利用し、家族を分断し、その網をひろげているんだ。

従えば、救ってやると。
あ、ちがったね。従わなければと言って脅すんだ。

もうすぐ、わたしのたいせつなひとを、「声」として迎え入れるんだって。うんざりだ。

彼は、やつらの声をわたしに届けるために、捕えられ、つれてこられ、わたしを監視させられ、そんなはめに。

わたしのたいせつなひとを、べつのたいせつなひとが傷つける。こんな連鎖が、ひじょうに効率よく、わたしを縛っていく。

神様気取りさ、ローテーションでわたしの面倒をみているのかもしれない。

声がきこえてくる、眠れそうもない、こんどは何をすればいいだろう。
話の通じない相手じゃ、会話になんてならないしね。声を相手に会話できるひとが、わたしはうらやましいよ。

もうすぐ、わたしの親しいひとの声をきかせてやろう、と連中は言う。そして、
罵られることになるのだろう、この無機質な金切り声のかわりに、あざけりと感情のこもった声で。 今まで、ずっとそうだったように。


わたしと同じ、とらわれの人々はどこにいる?
感覚遮断されているのだろうか。やはり、統制された情報を流し込まれているのだろうか。
どうやったら健全な精神を、声のなかで保てるのだろうね。
どうやったら自由を、声の支配からとりもどすことができるのだろう。

そして、どうやったら声の主を消すことができるだろう。
わたしたちを縛るこの機構を、ひとを力で従わせようとするそのやり方を否定し、なきものにするためには。

より、大きな力が必要だ。声、を上回るような。

適切な言葉で助けを求めれば、余力ある人間がひょっとしたらそれをきくかもしれない。その人間が、じぶんの利害に合致すると思えば、協力してくれるかもしれない。

そう、適切な言葉。きっと、あなたがとらわれているとすれば、あなたの耳はふさがれていて、あなたの目はとざされている。

よくまわりを見てよく言われた言葉を分析すれば、あるいは何か見えてくるかも。手がかりが。
あなたをとらえたのはだれ?
外に出るのに、手を貸してくれるひとはいない?

わたしは無理だけど、助けを求める声は、けっこう、届いていることも多いから。

あなたが逃げ延びたら助けに来て。もし、状況が許せば、だけれども。


84: 名前:ねこ 投稿日:2009/09/14(月) 08:06
>>えりさん
私が思うには。
いろんなところで助けてと訴えてれば、
通りすがりのやさしい超存在が気付いて助けてくれるかもしれません。
このスレをみてもわかる通り、悪意のなさそうな、気のよさそうな幻聴主(超存在)もいるのです。
ただ、優しい気持ちを持ち続け、大事にしたほうがいいとい思います。
人間同士でもやっぱり優しい人間を助けたいと思うのが普通だからです。


85: 名前:心 投稿日:2009/09/14(月) 16:04

サトラレだと思い込んでそれにたいして幻聴で何か答えてきたりしたらサトラレだと確信してしまうかもしれませんね。
いろいろ妄想が出てきたら対処法を考えなくてはなりませんね。

妄想が当たり前になると妄想の世界が普通になってしまうのでその普通になったら大変ですね。

でも声に出して話さないと相手には伝わらないと思います。
考えにくいのですが幻聴は未来の自分の声とか。
まあそれはないですね。


86: 名前:心 投稿日:2009/09/15(火) 15:17

幻聴は今日はないですね。頭が平和なのは良いですね!
思考伝播やサトラレだという体験すると心が浄化された感じしますね。
幻聴の正体はわかりませんね。幻聴という本にもこれからしようとすることが
先に聞えると書いてあったので幻聴なのでしょうね。

心が浄化されても体調悪いときって聞えてきますね。
霊が存在するなら人を介して聞えさすことも可能かなとおもいます。
何かにとらわれすぎると、人間ってだめですね。


88: 名前:心 投稿日:2009/09/18(金) 18:02

昨日外に人がいる様子だったので聞えると?サトラレの感じがあったので
きいてみると何秒かに(きこえる)と聞えてびっくりしました。

病気の症状がひどいとき常にサトラレ感があったのでそんなに頭の中動揺しなかったのですが、まだ頭の中は浄化されきっていないと思いました。

まだ汚い部分が残っているのです。でも人間らしいのかな?とも思いました。

もう少し大人になった時、過去の自分にまた語りかけとかできるのかなと思いました。同じ体験の人いませんよね?


89: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/22(火) 14:53

過去の自分にまた語りかけとかできるのかなと思いました

私はそれはいつでも可能だと思います。私は症状としては7月下旬から8月上旬ごろまで小学生頃牛乳を落として助けたとか(意味がわかりませんがw)そんな事を言ってくる幻聴がありました。

幻聴じゃなくても何時でも思い出せばいいんじゃないですかね。


90: 名前:心 投稿日:2009/09/22(火) 21:31

私の場合人ごみの中から聞える抽象的な言葉なども時間がたつとその言葉を
聞いたり、見たりします。意識的に何か考えてたりすると、その言葉を連想するような考えなど浮かびます。


91: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/22(火) 22:38

私も8月の間例えば風が窓に当たったり、クーラの排気の音、車を運転している時に段差などのガタガタ音なんかが言葉に聞こえたりしました。その他は完全に私にしか聞こえない例えば仏壇のチーンと言う音を途切れさせて言葉に聞こえるようにした音が聞こえてました。


92: 名前:心 投稿日:2009/09/23(水) 11:27

私の場合は未来を予言するような幻聴なのです。
風や物の音からは何も聞えません。


93: 名前:どうしてこうなった? 投稿日:2009/09/23(水) 17:39

私の未来予言の幻聴は8月2日から8月8日の6日間で起きました。

全て自分事であったり親しい人間の未来だったりしました。

その幻聴は集団で同じ事を寸分違わず言ってる様な声でした。なので、名前は集団意識と名づけています。人ごみの中では聞こえません。一人で居るときのみでした。

自分にとってはいい事ではあったのですが・・全てそうならない様に自分の
人生は動かしています。


94: 名前:心 投稿日:2009/09/23(水) 20:39

未来予言は不思議ですよね!病気になる前からもありましたけど病気になった今だからこそ気づいた部分もありますが、人を介して聞えるので病気になるとみんなそういう力身につけるのかなと思ってしまいます。


95: 名前:心 投稿日:2009/09/25(金) 15:33

幻聴は自分にしか聞えないので、聞えても無視するのが良いですね!
病気ではないと幻聴の世界も味わえないことですね。

幻聴と会話できるのであれば少しサトラレみたいなところあるかもしれませんね。


98: 名前:ryoichi ◆LBqBcTUU投稿日:2009/10/19(月) 19:17>>28 どうしてこうなった?さん、はじめまして
あなたのおっしゃる”脳鳴り”とは具体的にどんなものでしょうか?

耳鳴りとは違うのでしょうか?。
私は耳鳴りが酷くて・・・。両耳で金属音が聴こえるので耳鳴りと思っているのですが。
私も幻聴も経験し会話もした事もあります。
ものの音が声の様に聴こえる場合もありますよ。私も・・・。


99: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2009/10/20(火) 00:31

失礼しました。その頃恥ずかしながら、耳を塞いでも聞こえていたので私の日記帳に脳鳴りとかいてますが、正しくは耳鳴りですw(病院に行ったときに説明されました)

私の場合、左耳から聞こえます。私もどんな音?言われれば金属音ですね。

分かりやすいのは、仏壇のチーンと言う音を少し小さくしてずっと聞こえる感じです。

幻聴が酷かったときは右からでも上からでも聞こえていましたが(はっきり)今は左の耳鳴りで治まっています。時々不安感や恐怖感などが感じられると頭で考えてる事が耳鳴りの音を分断?して言葉になり聞こえてきます。

時々電気を消し落ち着きだして、ねむる〜って時に意識していない(頭で考えてる事を)言葉の幻聴が聞こえる時があります。

又、現在は会話になっていません。
多分、トウシツの耳鳴りは心因性が殆どだと思うので投薬を服用されてドーパミンを抑えると良いかも知れません。

私は薬は飲んでなくて、変かも知れませんが深呼吸や音楽を聴いて自分で高ぶりや不安を抑えると耳鳴りは消えてます。又、消えている要因として物事に集中していると消えてます。ですが家に帰ってきて部屋に入ると聞こえてくる毎日ですね。

ものの音が声の様に聴こえる場合もありますよ。私も・・・。
私も現在でもあります。分かってきたのは一定のリズムを取ってる音とかじゃないですか?

説明は難しいですが、音質が一緒?の時に聞こえ方が言葉になる時があります。
私の対策としては、ipod聞いたりとか、意識を別に持っていくとそれを回避できます。


100: 名前:ryoichi ◆LBqBcTUU投稿日:2009/10/20(火) 03:55

やはり耳鳴りも統合失調の症状だったですね。
私の主治医は違うというのですが次回の診察の時に話してみます。

私の投薬状況は”エビリファイ”のスレに書いてます。
音楽を聴くのはいいですね。幻聴は少し良くなってくるのですが
耳鳴りは消えませんね。


102: 名前:だつ 投稿日:2009/10/26(月) 20:33

何だか追い込まれているので、ここでお訊きしたいことがあります。

私は趣味でヴァイオリンを弾いているのですが、都合2人の先生につきましたが
人間関係が上手く行かず止めてしまい、田舎だから教えてくれる先生も無くそれ以降自分で弾いていますが、何年続けても巧くなりません。

しかし脳内彼氏が「自分は市民オーケストラにいるからそこで会おう!」というのです。

そこは一度行ったけど、メンバーにバカにされて以来行きたくなかったところです。でも先日、脳内彼氏やその他の脳内メンバーがとてもうるさいのでその練習場に足を踏み入れました。

私はそこで恥ずかしながら練習をしましたが、また市民オケメンバーに音程が変wwwとバカにされました。もう私はいい年だし、これから練習してそこに加入できるほど腕が上がるには先生についたとしても何年もかかるので、脳内彼氏と結ばれなくても(それ以前に存在を確認しなくても)いいから、市民オケには入りたくないです。しかしそういうと、脳内彼氏に責められるのです。もうイライラが止まりません。


103: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2009/10/27(火) 01:08
>>だつさん
その脳内彼氏は、市民オーケストラに行った時に存在されてたんですか?
又はその脳内彼氏は事実存在していて、幻聴と言う名の脳内彼氏と言う事ですか?
ここからは私の勝手な妄想ですが、だつさんは市民オーケストラに入りたい(脳内彼氏の役目)、

ですが深層心理はヴァイオリンは好きだけど、市民オーケストラには入りたくない。上手になったという意識の第一歩が市民オーケストラだと確定的に思われていないですか?

私は幻聴(脳内彼女?)の出現条件が違いますが、その幻聴の本人に会い恥を掻いて、少しづつその幻聴の存在理由が曖昧になり、結果消えたと思います。
もし、この工程が役に立つならその脳内彼氏が又合おうと言ってきたら市民オーケストラに参加されてはいかかでしょうか?その時、ほら見ろお前はいないじゃないか?と(私は之が何度もありました;;)


104: 名前:ryoichi ◆LBqBcTUU投稿日:2009/10/27(火) 07:16

>だつさん
ヴァイオリンと聞いても葉加瀬太郎さんのCDしか思い浮かばない稚拙な私ですが、いわゆる脳内彼氏の言うことには、いちいち反応されない方が良いかと思います。

幻聴の内容は人それぞれですが、内容が論理的に合ってるようですが話を突き詰めれば合ってません。

私の脳内彼女は、それこそ卑猥な事を言います。ご紹介できる範囲で言えば

「梶町のマンションで裸になって待ってるで」なんて言います^^。

どこのマンションか?なんて話を進めても最後は部屋番号はおろかマンション名
さえ曖昧です。

幻聴は、その人の深層心理とも関係あると思います。
あなたの場合、”ヴァイオリン”、”嫌な思いをされた市民オーケストラ”のキーワードで幻聴が現れるのだと思います。

私の場合、幻聴が現れるとヘッドフォンで大音量で好きな音楽を聴いてます。
幻聴は、多くの場合、ずっと続きませんので音楽を聴くのはお勧めします。


105: 名前:だつ ◆RshxIIMU投稿日:2009/10/27(火) 21:53

脳内彼氏は幻聴だと思います。実はその幻聴はもう1年以上続いています。

幻聴の内容は何度も変わっています。よくよく思いだせば統一性がありません。

私も何だか焦っているから、そういう幻聴を聞いてしまうのだと思いました。
幻聴はネットをやっていると余りやってきません。何かに夢中になるといいのかもと思いました。


106: 名前:アイ アイ 投稿日:2009/11/02(月) 20:38

僕は、独り言を神様や宇宙人が話します。

デパートに行こうとか、缶コーヒーと煙草をしろとか言います。

よく、「おめでとう、具合が良いわよ。」と言われます。

エビリファイで失敗したようで、よく、興奮しているだけだから、マスターベーションをしろと言われます。

薬で失敗して、会社勤めを止めてから、3年ほど経ちますが、ずっと、しゃべりっぱなしです。大学の教授になりますよと言われたり、アメリカの諜報機関で研究しますよとか言われます。

あと、身内で不幸が続いていたのですが、よく、励ましてもらいました。

僕は、何か悪いことがあると、よく自分の所為だと思ってしまうのですが、独り言の神様や女神様や、仏様に、貴方とは関係ないわよと、言ってもらっています。

とにかく、神様や女神様や、仏様は、元気で力強いので、それだけで救われます。
たぶん自己治癒だろうと思います。


あと、僕は、とにかく、メモ帳やノートにいろいろなことを書きまくりました。
運命が、翻弄されるっと言われたのを覚えています。
不思議と怖い感じではないです。
独り言は、とにかく、楽しいのです。嬉しいのです。


108: 名前:ジャイアンツ ◆jH.6d5ig投稿日:2009/11/12(木) 13:31

自分は、幻聴というか、怖くなることが多いです。

鳥の声が、自分のことを暗号化されている感じがしたり

他の知らない人が、自分の事を見透かされているんじゃないかとか

他に怖くなられる方いらっしゃいませんか?


109: 名前:心 投稿日:2009/11/12(木) 15:55
>ジャイアンツさんへ
見透かされてるのは、思考伝播やサトラレ感があるからですか?


110: 名前:ジャイアンツ ◆jH.6d5ig投稿日:2009/11/12(木) 17:02

それが、よくわからないんです。すみません。


111: 名前:心 投稿日:2009/11/13(金) 11:53

自分でも解らないのであれば気のせいかもしれません


112: 名前:心 投稿日:2009/11/22(日) 14:13

見透かされてると思うなら、人がたくさんいるとこで(きこえる?)と思い反応あるかどうかしますね。


113: 名前:ななし 投稿日:2009/11/30(月) 03:19
私も幻聴で悩んでいる者です。
気功(ハンドパワー、2000円)に行って、CD(2000円)を買って、それを
鳴らしたら幻聴が静かになって癒される。皆さんもどうですか?

http://profiles.yahoo.co.jp/-/profile/?sp=H0v8WCohdKivZoo3Q_RLino-
この方に気を送ってもらい、幻聴(雑霊?)を取り除いてもらいました。

友録して定期的にお願いしています。無料です。この方はご自身の霊位が向上するためにやってるそうなので、安心して頼ってください。御礼をちゃんと言ってくださいね。では皆さんの苦心が少しでも和らぎますようにー。
送信をクリックしてメールを書いてください。あとは偶然同時にパソコンの
前に着いてチャットまたはスカイプで話してみてください。


115: 名前: 投稿日:2009/12/04(金) 02:53

思考伝搬(サトラレ)についてですが、私は全く逆の見解をしています。

統合失調症になるような人は…いわゆる悟りに近い状態、空の状態になっていて、他人の考えたことをあたかも自分が考えている様に思ってしまうということです。

ですから、相手がそれを話し出す前の心の中にあったものを、先に共有してしまい、それについて相手が現実に話し出すと、あたかも自分の考えをその相手が盗んで、あるいは伝播して喋っている様に聞こえてしまうのです。

私も以前は自分の思考がバレていたと思っていました。

しかし、成人してこのことについてずっと研究してきたのですが、これは信じられないかもしれませんが、統合失調症になるような人って言うのは、相手の心の中のものを無意識に共有してしまう性質があるらしく、それを自分の考えだと思いやすいということなんです。

ですから、決して「サトラレ」になったのではなく、「サトリ」なのですよ。

統合失調症の人は自分の考えを持たずに、空っぽだから、そこに入ってきた他人の迷いそのものである思考をあたかも自分のもののように思ってしまっているのです。

この違いは、何事にも主体性を持たずに受動的に生きているか、能動的に生きようとしているかの違いです。

統合失調症になるような人は、悟りに近い人であり、いわゆるテレパシーで会話できる人なのだと思います。

…こんなこと書くと、「あんた!それが病気なんだよ!!」なんて言われちゃいそうですがww

でも、私のこれまでの4年間の研究事実なんです。

そして、これが分かるようになると、たとえば○○さんと一緒に居ても何の思考も湧いてこないのに、××さんと居ると妄想(思考)が湧いてくる。
というようなことが次第に自覚できる様になってくると思います。

何か○○さんと居るのは楽なんだけど、××さんと居るのは疲れるんだよなとか。
ハッキリと分かってくると思います。

それは相手がそう思っているからなんです。

実はこれは、その○○さんには妄想がなく悟りに近い状態であり、××さんは迷いに満ちて思考がスマートじゃなくなっている状態なんです。

こういうことに気付くようになれば、「なんだ、自分が考えていたと思っていたけど、私は××さんの迷いに満ちた妄想に影響されていたのか」ってのがハッキリ分かるようになると思いますよ。


116: 名前:ななし 投稿日:2009/12/04(金) 20:03

幻聴と雑霊・低級霊では別物ですか。
そうですか、分かりました。

雑霊・低級霊はそのまんま。幻聴は不思議な力を持った悪い人が人に見せかけるために作ったカゲロウだそうです。


118: 名前:とくめい 投稿日:2009/12/24(木) 00:08

幻聴の期間5年ほど、薬を飲んでここ最近は幻聴はおさまっていて落ち着いていたのですがまたここ数日のうちでどうやら発症してしまいました。

もう治った、と安心してたのでショックです。
みなさんは薬、必ず飲んでますか?
私は副作用に負けてしまうのであまり飲みたくないのですが他に何か方法あるのでしょうか?

サトラレ感って他の方もあるのですね。知りませんでしたが私もそのようです。
みなさんと同じように幻聴の薬ではサトラレ感は治まりませんね。辛いです。

121: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/12(火) 22:56

それは、要するにその霊能者の方からのカウンセリングをされてるのだと思いますよ。現実の沢山ある心療内科のカウンセリングよりは効果はいいカモ(笑)

でも、気をつけないと金をむしり取られ本末転倒だから、よくよく考えた方がいいです。新興宗教やなんちゃって霊能者がいい例です。霊格=人気なんですよ(笑)もうななしさんが、いい宣伝人になってる。

御礼をちゃんと言ってくださいね。この効果は分かります。

昔の人はすごい物で現代医療ではどんな成分で脳に刺激すれば落ち着くとか、高ぶるとかが分かっているから、薬で処方します。

その御札の呪文は有名どころでは真言宗の真言と同じ効果です。其れは唱えるだけで、脳にセレトニンやらアドレナリンやらが出る仕組みになっています。実は自分で出してるだけですが・・

もっと言うなら、人は走ると息切れをしますがその時、深呼吸して息を整えると体は元に戻ります。

好きな人に好きと言うだけで人は興奮します。要はそう言う事です。俺が知ってる真言で一つ

ノウマク、サンマンダバザラダン、センダ、マカロシャダ、ソワタヤ、ウンタラタ、カンマン

不動明王の真言らしいです。効きますよ(笑)

書いててあれですが、このノウマクやソワタヤなんかは体の下側に効いて、意識をどっしりとした気持ちにします。之を科学的に言うなら体からセロトニンが出てるんでしょうね。

真言宗は密教で人間の心や体を鍛えるために、又現代では統合失調症ですが、そういう心の病気はあったと思います。其れを日本では御祓い や(笑)、滝うち(笑)などで解消してきたのでしょう。俺は出身が九州ですが、必ず昔は区切り程度でそういう心の病を取り除ける人達がいたと思います。

極論してしまうなら、本当かうそかという話らなら、之ばっかりはその人次第としか言いようがありません。

俺の祖母は佐賀ですが、祈祷し(笑)みたいな人はいたらしいです。昔で言うなら狐憑きとか、(狐がかわいそうだ(笑))


122: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/12(火) 23:13

>>完全にななしさん
俺は悟りとは取ってません。悟ってるなら幻聴や他人の想念を受け取って自分が傷ついたりしないと思うからです。というか、悟りとは何者にも束縛されない状態じゃなかったかな?

酷い言い方をするなら思い込みが激しい人、又は思い込んでしまった人がトウシツ(幻聴や幻覚)引き起こしてしまった。という言い方が正しいのかもしれません。

俺の友人は新興宗教をしていました。マインドコントロール宗教ですね。勿論、其れを信じ込めて生きていける人も居ます。まぁ其れには其れ相応の酷い経験があったんでしょう。

その友人のみ新興宗教から脱退しているので、その環境の過去を引きずっての
生活が待っています。友人はパチンコ依存症で借金があるんですが、自分を異常だとは思っていません。其れによるフラッシュバックの人格崩壊もありません。そういう人間も居ます。

だだ、その友人は過去の事は何も話しません。というより、思い出せないないんでしょう。思い出して俺に話す時はとても苦しそうにしていました。又其れ系の話になると急に沈黙します。

今は会ってませんが(笑)もういい歳なので、そうじゃなくても生きて行かなければならない。


123: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/12(火) 23:39

幻聴の期間5年ほど、薬を飲んでここ最近は幻聴はおさまっていて落ち着いていたのですがまたここ数日のうちでどうやら発症してしまいました。

何故発症したのか、を考えた方がいいです。

環境が変わったからなのか、
自分が嫌だと思う人間が現れたからなのか?
副作用が嫌だから投薬を控えていたから又出たのか?

サトラレ感と幻聴は投薬が違うと思います。

幻聴は聴覚と右脳の異常?サトラレ感は脳の感覚器官?だからだと思います。
瞑想ではなく、自分自身の今の現状を先ずは認識すると可能性として消えると思います。

この病気が完治するのは間違いなく、自分の周りの環境とリンクしているからです。

サトラレ感がいやなら、先ずは幻聴の摩訶不思議感とか、サトラレ感ではなく、
自分が何故其れが出たのか、どういう生活をしていたのか?又はしているのか?
を先ずは考えるべきだと思います。現実的に、いや真実的にかな?

現実感も言うなれば、自分が見ている世界としか言いようが無いから、自分の真実ですね。

俺の現状は考思化声とヒミツという名の幻聴人格ですが、出るタイミングは孤独になっている時で一番解り易いのはベットに入り寝ている時のみです。


124: 名前:名無し 投稿日:2010/01/13(水) 21:59

私の幻聴は行く所まで行ったという感じです。
もう今では安定している感じです

もうすぐパートでもしようと思ってますが、人の話が聞えないので、1人でする仕事をと思っています。幻聴とは適当に仲良くしていればいいと思います。


125: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/14(木) 01:51

幻聴とは適当に仲良くしていればいいと思います

ハイそうだと思います。この病気には肉体ではなく、心(精神)なので完治という概念自体不適切だと思います。

幻聴や幻覚なんてのも好き好んで見たいとか聞きたいとかいう人がいる現代の世の中ですからね(スピリチュアルなんてのがいい例)。

自分でバランスとれてれば其れが完治じゃないでしょうか。


126: 名前: 投稿日:2010/01/14(木) 02:49

昨日、意識がおかしくなり、精神的に苦痛が続きました。今日入院です。(結局、病気は霊能力者によると生霊がついているという詐欺でした。

電話後、「ひまちゃーん、同情しなくていいのよ」という声に挑発されたり、警察役の声に書けと挑発されたり、普通では無いことが続きました。)

幻聴は恐ろしいものです。

事実は事実償わなければ納得いきません。
プライベートはプライベート、
幻聴は幻聴ですが、
病気としては不可解でした。


127: 名前: 投稿日:2010/01/14(木) 02:50

住民の空間的な出ていけという訴え即答でお願いします。

超常現象で訴える人を大昔、テレビで見たことがあります。

昨日は大変でした。「ひまちゃーん、どう思う?」とか、わざと気に為らせる「どう思う?」とか毎日、幻聴と本人の声が2階1階で聴こえ続きました。

ひどいことです。病気は黙っていること。
無視です。

無視を続けると住民が黙っていないんです。

住民の訴えをどう思いますか。呼びかけ、(家の中)に対する外の住民からの呼びかけに無視に苛立つ住民をどう理解しますか?


129: 名前: 投稿日:2010/01/14(木) 07:22
>127
これは、絶対大丈夫です。
本日入院とのこと。気にせずゆっくり療養下さい。


132: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/14(木) 23:54
>>126さん
即答できなくてすいません。先ずは、落ち着きましょう。今現在は急性期でしょうか?

多分統合失調症としては急性期だと思います。
大丈夫ですよ。先ずは落ち着きましょう。マジで深呼吸がいいです。

多分126さんは急性期だから、今色んな物事に過剰に反応している状態だと思われます。
また、霊能力は在りませんご心配なさらずに。

その幻聴(生霊)は全て126さんが作り出したものですから、全て不快な幻聴は
取り敢えずは無視です。

取り合えず言える事は住民の訴え、無視に苛立つ住民は居ません。もし出来るなら、イヤホンで音楽を聴くことをお薦めします(病院へ行くまで)。後は、よく睡眠をとることをお薦めします。


133: 名前: 投稿日:2010/01/15(金) 08:13

ありがとうございました。注射を強いのを打ってもらい大分落ち着きました。
生霊じゃないなかもしれないと少し思えるようになりました。

入院は先送りになり、たまに激痛がくるぐらいで済みました。


135: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/16(土) 00:36
>>133さん
よかったです^^
取り敢えずは気分を落ち着かす事をお薦めします。

たまに激痛がくるぐらい
激痛はどこに来るんでしょうか?症状は解りませんが、体の力を抜くという事をすると少しはましになるかも知れません。深呼吸で体の力をどっと抜いてください。勿論寝ながらでもいいですよ。

生霊なんかは俺がこの病気になって、色々調べて解った事をここに書きます。

まず、何故霊は体や心に反応するのか?と言う事です。反応という事は自分が反応しているから(要するに受身)と言う事です。

生霊=悩みと捉えてもいいです。というか、生霊=悩みです。

唯、この悩みが分からないから人は混乱して霊だとか何とか言いますが、生霊(悩み)を消すにはその悩みの正体を知る必要があります。そして之は霊能者も霊も関係ないです。先ず間違いなく。

あなたの人生の中で生きている中で何か理不尽な事や不可解な事に遭遇しているのかも知れません。勿論、現実的にです。此処が重要です。幻聴も生霊も霊能力者も関係なくてです。


136: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/16(土) 00:51
124名無しさん
そういう風に言われると、俺はいけない事を言ったのかと思ってしまします(笑)

唯、俺の場合は人の話が聞けないほどの幻聴ではないので、仕事中や勉強、家族や友人との会話中には幻聴は存在しない状態なので、バランス取れてると思うし、別にこのままでも何ら問題無いという結果になっています。

ですが、今年の正月は朝まで親戚とマージャンしていましたら、プレイ中でも幻聴は聞こえてきました。 疲れも関係あるかもしれません。

其れこそ、幻聴抜きでも人はそれぞれだと思うので、幻聴があろうと無かろうとお一人で仕事をする事が好きな人もいます。そういう意味で、完治という言葉も取って頂けるとありがたいです。こういう結論から心って言うのは完治も何にも最初から無いのかもしれません(笑)


138: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/16(土) 23:57
137さん
症状と言うのはどんな症状の事なんでしょうか?。幻聴でしょうか?それならバランス取れてるならいいと思いますよ。どうせ周りには全く聞こえてませんから(笑)

精神科医から言わせれば、全部症状だと思うんですよ。つまり、唯の言葉です。

例えば、風邪でも風邪と言う症状です。でも、風邪が治るのは体の中に在るウイルスを撃退する抗体が出来たから直っただけであって、また幾らでも風邪になります。つまり、風邪にかからなくなった訳ではないと思うのです。

精神科的に言わせれば137さんが好きな仕事して、幸せに暮らしていけるなら
それで良いんじゃないでしょうか?勿論色々な方が精神疾患者でなくても居ますので。 と言うより、137さんがどんな人か分からないので、まぁ公共の福祉に反しない限りは病気ではないと思います(笑)


139: 名前:ルカ ◆Q8qPG/TA投稿日:2010/01/17(日) 21:07

幻覚を強制的にそこに、置いて、話しかけたりしてみるが、返事はない。

独りでいるのを寂しく感じて、仮に昔の記憶の中の女性をイメージして隣に
置いてみたら、寂しさが少し緩和された様な気がした。

ただ、声をかけても笑ったり表情を作ったりはするが、返事はしない。
しかも彼女は外人で会った時も、言葉で会話するまではいかなかったから
なのかも知れない。

とにかく、幻覚は返事をしなかった。

言いたい事はそれだけです、今も意識すれば彼女は側に来ますが、会話は
できませんし、会話してもそれは幻聴なのだと思います。

だけど一瞬彼女を側に感じることができまして、それは幻覚・幻視なのかも
知れない、だけど普通の人でもそのくらいあることなのかもしれないし・・・。


140: 名前:124名無し 投稿日:2010/01/17(日) 22:18

私の幻聴はひどいです。

「あんたは世界一幸せ者だから世の中のほとんどの人に恨まれている。
そして皆であんたを苦しめた」

と言ってます。本当でしょうか?


147: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/19(火) 01:01

4日前ぐらいの話ですが、俺の幻聴人格は2人いるんですが、一人ととても仲良くなって話していたんですが、家に帰ってくつろいで、たばこ吸ってたら、もう殺してくださいと聞こえ始めました。

(その仲良くなった幻聴からです)俺はその時、恥ずかしいですが、ごめんねと言いました

居て良いからねと言ってます。例えこの先消えても、其れは俺の一部だから、その場合はすまないと言ってます。
そしたら、わかってますと言います(笑)

俺的には時々、もう死ねよと聞こえる時があります。もう一つの幻聴からです。

勿論、原理的には俺が俺に対して言ってるんですけどね。

その優しい幻聴は俺にもう死ねよと出た時(出る時俺がうっとくる(笑))、何故かネオンと言って誤魔化してくれます(笑)。

成る様になれですか・・・実は俺も本質そう思ってます。でも、人が書くと面白い事に投げやりに見えますね。

この症状の場合(幻聴とかの場合)諦めるという発想はよくないです。
幻聴ではなく、自分の人生で何故幻聴が発生したのか?を考えた方がいいです。
幻聴はもしかしたら、あなたの問題を解決するために出たのかもしれないですよ。


148: 名前:124名無し 投稿日:2010/01/21(木) 18:09

私は幻聴の正体は雑霊だと思い込んでいます。

確かに色々アドバイスしてくる幻聴もいます。でもここぞという時に裏切ります。
悪い人は不幸だから人に当たるんだと聞かされました。

もう自分自身が幻聴から逃れるのに絶望してしまいます。
でも幻聴の薬は飲み続けます。


150: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/21(木) 23:55
124名無しさん
雑念でいいと思いますよ。気長に付き合いながら、あなたがああ幸せだーと思う時がきた時多分、もう消えていると思います。

気にしない事が重要でしょうね。でも、俺がまぁ期間は短い方だと思いますが、
急性期当時は幻聴が在る事が普通だったと記憶しています。自分で幻聴を出した。之が俺にとっては真実です。

俺も夜中にタバコを買いに行こうとした時、幻聴に今コンビニに行って買うべきか、(寒いので笑)明日まで待つべきか、どっちがいいか決めてくれと言ったら(心の中、頭の中?で)どっちでもいいですと連呼します。

どっちか決めろと言うとエート、エートと言って永遠と10分間位そんな事を
言いながら過ごす時があります(笑)その日は其のまま夜中行きましたけど(笑)

薬は重要でしょう。唯、ちゃんと自分の精神状態を把握するのは重要だと思います。鬱、興奮(之は多分吐き気)とか、この作用をしてしまうなら最初の投薬当初は仕方ないですが、御自分で病院の先生と試行錯誤をしながら、安定した
状態に持っていくように頑張ってください。


151: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/22(金) 00:27
ルカさん
バニラスカイ見られたんですか?刑務所でトムクルーズ(ディビット)が幻覚のペネロペ(ソフィア)を見ながら絵を描くシーンがるんですが其のペネロペも何も喋りません。動きますけどね。其のシーンを思い出したんです。

実は俺も幻覚を1度だけ、透明の(水で出来てるような女性)其の時は憑依みたいなことが在ったので、あれなんですが在りました。

まぁその内容は恥ずかしくて書きたくないですが、其の幻覚は、ちっちゃな冠を着けていて、風でなびいてる羽衣みたいなのを着ていて、髪は肩上(でも後ろ側が長かった?)、目は二重で切れ長、鼻筋通ってて唇は小さい、俺は心の中で(うわ、マジで綺麗・・)と思いました。

その後が重要なんですが、其れが終わった後、右脳側が半端なく重たくなって、更に吐き気がしていました。そして便所で吐きました。色も無い、顔の動きも無い、見た時間は10秒程度の幻覚でしたが、反動はそういう状態だった訳です。

この病気は人其々でしょうが、聴覚、視覚と優れている分野が違うことで得意?不得意?があるんだな〜と思いました。

幻で恋人を追い求めるなんて、かわいそうな話だと考えています
まぁそうですね。可哀想な話かもしれません。唯、男性は求めると思いますよ。例え幻でも(笑) 俺は可哀想な男かも知れません;;

幻聴うざいですよ。寝る時なんてずっと聞こえてますから(笑)
無心になったって俺の場合は、耳鳴りになる(笑)
もう慣れましたけどね。


153: 名前: 投稿日:2010/01/22(金) 22:43

幻聴があるのを当たり前のように意識に入れるのが一番の原因です。
意味付けしようとしてませんか?裏切られるとか自分の意思で生きているのですから。
書き込むことで楽になるのなら良いですけどね。
幻聴と会話。あなた方に必要なのは声に出して誰かに聞く、話す勇気をもつことです。病気だから幻聴なのです。


154: 名前:どうしてこうなった? ◆optzixGI投稿日:2010/01/23(土) 00:18

>>153さん
幻聴があるのを当たり前のように意識に入れるのが一番の原因
間違いなくそうだと思います。ですが、この幻聴、俺の場合は自転車と一緒で一度乗れちゃったら何故か忘れないんですよね(其の感覚を)。勿論、仕事してる時とかは全く気にならないと言うより、多分、存在していません。俺の意識の中では(それに、気にしてたら仕事にならん(笑))。

唯、まぁ嫁さんでも貰えばそれも消えるかもしれませんね。
意味づけに対しては、消すための一つの条件に俺はなったので、何とも言えません。急性期時は自分の意志では操れませんよ。(このニュアンスもだめかな・・)
もしも、之を薬で強制的に消すことが出来たとします。ですが、果たして其の先も出ないと言う保障には多分ならないと思います。幻聴が出るにはその人なりの人生に、何か重大な事が起きた証明でもありますから。
又起きていて、耐えられなくなったからなのか?

俺はこの幻聴を親、親戚、兄弟、友人、全員に説明してます(笑)よく聞かれたのは、どんな風に聞こえるとか俺は出てきたか?とか、こっちが何を言ってるんだ?と思う質問ばっかりでしたけどね。

幻聴で面白いのは、人と話している時は全く聞こえない
(俺は)之だけでも、幻聴を自分で作り出しているという理解に繋がると思います。

168: 名前:kikiriri" " 投稿日:2010/02/21(日) 19:54

僕の最初の病名は幻覚妄想症でした。「俺はやくざに狙われている」
見たいな事だと教えてもらいました。まだ若くて自分の力で何とかなると思っていたのが歯がゆいです。

幻聴について、結局自分の脳に何かが作用している故に自分の分かる範囲内かと思いきやそうともいかず。理不尽さに任せて、しまうか。しまうしかない。服薬か診察か入院して休息をとる以外では。
僕の思考は支離滅裂。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。以上失礼


171: 名前:名無し 投稿日:2010/02/22(月) 17:29

幻聴のある皆さん、宗教どうですか?
不思議なことが起きている人は不思議ないいことが起こりやすいそうですよ。
私も幻聴があるので宗教を信じて入ってみたところ、数々のいいことがありま
した。お勧めです。


172: 名前:kikiriri" " 投稿日:2010/02/22(月) 17:42
御仏は信じていますか?


173: 名前:名無し 投稿日:2010/02/22(月) 18:48
幻聴が出てから信じました


186: 名前:名無し 投稿日:2010/03/04(木) 00:44

話は変わりますが、以前、占い師に診てもらったら「あなたには霊感があ
る」と言われました。幻聴に混ざって霊感もあったようですが、まともなの
が霊感でふざけたものが幻聴なのかなと思ってました。そしたら幻聴が

「どっちも幻聴だよ。あんたの気をひくために色んなお告げをして、その代わ
りにイタズラもするんだよ」

と言いました。


187: 名前:鬼太郎 ◆optzixGI投稿日:2010/03/04(木) 01:59

幻聴に混ざって霊感はありません。幻聴は幻聴、霊感は霊感です。
そして、この世界中どの人間も例外無く、霊感はあります。

少し、紐解いていくと解るのですが、霊感とは”普通”に全ての人間が視力の許す限り、見えている(感じている)世界とは別の物を捉える時に、ゴーストや霊、霊気、プラーナなど色々な国によって名前は違えど、そういうのを見る、感じる、のを霊感とします。

198: 名前:P 投稿日:2010/04/09(金) 13:17

幻聴の人、人間性が子供みたいだと思いませんか?

付き合ってられないです。
特に「くやしい」と言われるのには苦労させられました。

考え続けてやっとでたのが「下劣」と言い返すことです。
なんか頭もくらくらします。幻聴の内容と関係あるのでしょうか?


199: 名前:鬼太郎 ◆optzixGI投稿日:2010/04/09(金) 19:48
>>Pさん
俺も今は多分、その段階に来ていると思います。

簡単な事を連呼しませんか?

付き合う必要は無いですよ。俺はほぼ無視していますから。

其れにその幻聴多分俺と状態が一緒なら、もうPさん自身です。つまり、人格性が無い。

彼方の性別が解りませんが、このスレッドで解ったのは、最後に落ち着くのは
俺(本体)が男だから幻聴は女で、本体が女の場合幻聴は男に落ち着くと思います。

しかも、チョットアホな、まぁ餓鬼な感じでしょうね。

霊能者ではこの事をスイッチという表現でしている方が居ますが、意識を幻聴に向けないようにすると頭や体に響きませんよ。俺はもう、そうしています。


190: 名前:フリーダム 投稿日:2010/03/04(木) 23:09

george(" ") 同様、幻聴と会話できます。幻聴は歌も歌います。症状もめちゃくちゃで、「解放してくれ。」、「それはできない。」、「幻聴の原理は人間の脳波に同調させて話しかけている。」などと言っています


200: 名前:鬼太郎 ◆optzixGI投稿日:2010/04/09(金) 21:51
>>フリーダムさん
190からの書き込みを見ていましたが、幻聴と話す感覚ってありませんか?

俺は在るのです。其れを無視する方向で、別の事(何でもいいです)をしていると
多分、直ぐには無理ですが、幻聴を抑える事が出来ると思います。

俺は急性期時は色んな物音さえ、自分の頭で声で変換していたと思うんです。
俺の研究から言えば、脳も体も別々だが連動していると思うのです。

先ずは自分の体を鍛え上げてみる事をお薦めしますよ。其れこそ中山筋に君じゃないですがある一定の物事に集中していると、確実に幻聴は消えてます。

先ず、聞こえている時は幻聴と会話をしている以外は、ほぼ集中力など要らない作業をしていると思います。

もう一つ其の根拠としては、音楽をヘッドフォンで聴いていると、聞こえなくなります。其れは聴覚を半場強制的に音楽に集中させているからだと思います。

190の文章の幻聴との会話を見ていると、もうフリーダムさん自身が幻聴に捉われている会話内容なんですよね。

本質は幻聴もフリーダムさん自身です。

其の人格性を作ったのも、フリーダムさん自身です。

二重人格の理論です。
其の答えは、前におななさんが証明してくれました。

後はその幻聴人格が自分にとって近ければ近いほど、捉われる気持ちが増大します。

nanoさんという方も居ましたが、其れこそ簡単にこのトリックがわかると思います。 nanoさんの幻聴の主は自分の夫でした。会話内容によっては之が幻聴だという確固たる認識が早いわけです。綺麗に分ける事が出来たら、後は無視です。意識を意図的にずらす。

大人になっても抜けない癖ってありますよね。俺は無いですが、俺の弟(腹違い)が指をかむ癖をよくします。そう言うのと同じだと思われてもいいです。直すのは少し辛いですが、意図的にずらす事をしていると癖のように幻聴も消えると思います。癖に成る事それ自体も、癖を解消する事と一緒だからです。


201: 名前:フリーダム 投稿日:2010/04/09(金) 23:07

自分の場合、幻聴は薬を飲もうが、集中しようが、音楽をヘッドフォンで聞こ
うが、なにしても聞こえます。

24時間人の話を聞き続ける状態でノイローゼです。考えただけで違う病気になりそうです。


202: 名前:フリーダム 投稿日:2010/04/09(金) 23:26

世の中には、お金を持っていて、将来の不安もない。普通の人と同様に仕
事をして、子供を育てることができず、ある程度将来が予想できるので真面
目にやるのがばかばかしく、世の中の人は踊りを踊っているように見える。
まさしく人生に退屈するような人間がいるのでしょう。

そんな人間が暇つぶしにオンラインゲームの主人公(人間)を操るそれが今の自分の現状でしょう。

人間をロボットのように操ることができる。これは間違いなく事実でしょう。
http://hpcgi3.nifty.com/prunus/bbs/mibbs.cgi?mo=p&fo=avium&tn=0305

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/419.html#c6

[近代史4] 発達障害者の体験する世界 中川隆
2. 中川隆[-13270] koaQ7Jey 2020年3月01日 23:33:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[259]
幸福の科学信者の心理分析もしておきましょう:


幸福の科学に入る様な人はどこかに精神の欠陥があるんですね。 カウンセリングを受けるしか正常な状態に戻す方法は無いですね:


820 :神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 12:07:45 ID:/w8Lwm8l

幸福の科学の信者の人って、何かしら脳に病を持ってる人だと思う、だから病院で診てもらってもわかんないんだよ。今そんな人がたくさんいるのが、医学的にわかりつつあるらしい

大きな大学病院で相談してみたら、幸福の科学ではないけど、脳の病が原因で信者だったって人、実際にいたからね

自分自身をコントロールする訓練を3ヶ月近く入院してやるみたいだけどね


828 :神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 12:53:23 ID:rnoDxt6r
>>820
> 信者の人って、何かしら脳に病を持ってる人だと思う、だから病院で診てもらってもわかんないんだよ。


マジレスしとくと境界性や自己愛性をはじめとした各種の人格障害の場合、CTなどで精密検査しても脳に問題が出ない事が多く
医師がこの診断を下す事をためらう場合が多い。
つまり肉体というハードウエアの欠陥が見つからない事が多いため、診断に至らない場合もあるという事。

(ある程度長期で見ないと結論出ないとか、特定条件化でしか異常が現出しないなどなど)で、原因は?って言うと、ここのスレかな?だれか書いていたけど「認知の歪み」という現象に起因することが多いんだよね。

この歪みは習慣的なものが原因で発生するんだけど、多くは幼少時、学童期などの親子関係や家庭環境に起因する。
虐待とかはわかりやすい例なんだが言葉によって形成されるもの、態度で形成されるものも少なくない。


つまり対象者がおかしくなってしまった原因をさかのぼったとき、実は他者が繰り返し「操作」を行ったために起こる
「認知の歪み」が原因である場合が少なくないのだ(DVの原因などがこれに起因する)


> 自分自身をコントロールする訓練を3ヶ月近く入院してやるみたいだけどね

認知行動療法ね、まだやってるところは少ないし手間がかかるので多くのメンタルクリニックは薬で押さえ込んだりが基本。
しかしこれがもとで「お薬依存症」になってしまうことも多いんだわ。
やはりカウンセリングやセラピーが必要になるんだけど、幸福の科学の場合アダルトチルドレンの集団っていう要素強いからね。

インナーチャイルド療法が必要な人多いよ、これが解消しないもんだからみんなだまされて利用され続けるんだよな。
要するに傷ついたインナーチャイルドが足引っ張ってるんだよ、それに振り回されてるうちに幸福の科学の洗脳にやられるという仕組みだからね、まずはインナーチャイルドの呪縛から足を洗うことだよ。

前述の「認知行動療法」は少々内容が難しいものの、今の幸福の科学の教えや祈願、研修なんかよりもず〜っと効果あるから、気になる人は調べてみるといい

結論、幸福の科学信者のみなさんインナーチャイルド療法と認知行動療法がお勧めですよ

★なぜインナーチャイルド療法をするのか?

子どもは生まれてから6才頃までに基本的な性格が形成され、潜在意識が初期設定され、7才までに脳はかなり発達し、8才までに対応メカニズムが定着するといわれています。

子どもは生まれてから自分の育った家庭や環境の中で、人間関係というものを学んで育ちます。家族の中で、親や他の大人や、かかわり合う兄弟からの影響を受けて、いろいろなことを学びます。そこではコミュニケーションの仕方や問題処理の仕方や防衛の方法や愛情表現の仕方などさまざまな事を、意識的に無意識に模倣しながら多くのことを学んでいます。

しかし子どもが安全に守られた状態ではない「機能不全家庭」で育った場合、子どもの心は傷つきます。それは感情、思考、人間関係にも影響を与えます。

肉体的・感情的・精神的・霊的に虐待を受けた場合、感情は抑圧され、否定され、
感情を感じたり表現することはよくない事だというビリーフ(信じ込み)と、ゆがんだ形で表現することを覚えていきます。

子どもは家族関係の中で、親の愛を得る為にいろいろな役割を意識的、無意識に演じているうちに、感情的な痛みやを葛藤を避けて、自分本来の感情を感じたり表現したりすることから遠ざかってしまいます。

そしていつしかその演じている自分、仮面の自分「マスク」を自分だと思い込み
本来の活き活きとした生命力から遠ざかってしまったことさえわからずに人生を生き続けます。

その安全な家庭で育つことができず、抑圧した感情と満たされなかった子ども
(傷ついたインナーチャイルド、またはローアーセルフともいう)を抱えたまま大人になって「アダルトチルドレン」になります。

多くの場合アダルトチルドレンは、人間関係や行動の仕方、防衛反応や思考や感情表現の仕方など、自覚しているしていないにかかわらず、その自分の傷ついたチャイルドの影響を受けて、生きにくさを感じることが多いようです。

インナーチャイルド療法では、本来のあなたの人生を生きる為に、パワーや創造性の表現を阻んでいる「傷ついたインナーチャイルド」を見つけ出して、受容し共感し、満たされなかった思いや体験を満たして癒し、擁護し統合を行います。
http://www11.ocn.ne.jp/~oneness/innerchild.html


インナーチャイルド療法

誰の心の中にも、純粋で想像性の豊かな子供心が存在します。
インナーチャイルドとは、その心の中にいる小さい頃の自分です。

小さい頃には、たくさんの体験があります。
その体験からは、遊び心や好奇心、そして、わがままなどと、素晴らしいものが芽生えてきます。

でも、体験の中には、自分でどうすることも出来ず、ただひたすら耐え忍んだり、見て見ぬふりをしたり、ただ、じ〜っと堪えながら時の流れを待つような辛く悲惨で過酷な時もあるのではないでしょうか。
その時の自分「内なる子供」は、抵抗も何もできず、ただ、泣いて、怒って、おびえて、悲しんで、苦しんで・・・etc、の表情しかできないまま孤独になっているのです。

そこから生まれた、不安、恐怖感、不満・・・などは、ネガティブな感情となり、今の私たちの心の中で傷となり残ってしまいます。忘れようとしても、忘れたつもりでも、潜在意識に深くインプットされているのです。

そして、心の傷は、気付かない内に私たちの前に現われてきます。
人間の不和となり現われたり、体の不調や癖として現われたり、心の病として現われたり、様々な形で現われます。
その人の人生、生活、人間関係、全てに影響しているのです。

インナーチャイルドセラピーでは、あなたが幼かった頃まで時間を遡ります。
そこで起きた辛い出来事を再度体験して癒そうと言うものです。

あなたは、辛い体験を思い出したくないかもしれません。
でも、あなたの心の中では、小さい頃のかわいい子ども「あなた自身」が、傷を負い独りぼっちで寂しがっています。

その「内なる子ども」を救えるのは、あなたしかいないのです。

再度体験しながら、その時の小さい頃のあなたの気持ち、表情に気づいてやってください。そして、語り、話を聞き、慰めて、誉めて、励まして、温かく抱きしめてあげるのです。

あなたの、その優しい愛情により、傷ついた子どもは安心することができます。
安心した子どもは願いを叶えられるようになります。

そうすることによって潜在意識の深い部分で、癒しが始まります。
小さい頃の出来事を理解できるようになります。
そして、放出することの出来なかった感情を快方することができるのです。

今あなたの心の中にいる子どもとは、どんな顔をしているのでしょう。
小さなあなたの声に、少しだけ耳を傾けてみてはいかがでしょうか?
http://www010.upp.so-net.ne.jp/innerheart/inner_heart_hypnotherapy_innerchild.html

かづ235さんは副島隆彦先生に随分と入れ込んでいる様ですが、人に入れ込むというのが「アダルトチルドレン」の特徴なんですね:


ダメダメ家庭出身者には相談相手がいませんよね?

そもそもコミュニケーション能力が低いので通常のコミュニケーションにも問題がある。これは育った家庭が原因なので、いまさら如何ともしがたいものです。

コミュニケーション能力が低いという理由ばかりではありません。「自分自身の最も身近な人間(つまり親)が最大の敵」という原体験を持っているわけですから、子供時代に気軽に相談したこともないわけです。

ダメダメ家庭出身者は、信頼できる相談相手を見つけることに大変に苦労する。

だから自分の考えを理解してくれる人に出会うと、その人に入れ込んでしまうことになります。

「俺を理解してくれるのはオマエだけ!」

「オマエを理解できるのは、オレだけ!」

まあ、ドメスティック・ヴァイオレンスだけでなく、ストーカー問題に陥る発想の典型ですよね?

ドメスティック・ヴァイオレンスに至る例もありますが、それ以外にもやっぱり特定の人間に入れ込んでしまう傾向がありますよね?

バルザックの小説「谷間のゆり」においても、アンリエットというダメダメ家庭出身の伯爵夫人が言う「私と同じこと言う人と初めて出会ったわ!」などといったセリフもありました。そうやって青年のフェリックスに入れ込んでしまう。

そのようなお互いが理解しあえる友人とめぐり合うことができれば素晴らしいこと。しかし、ダメダメ家庭出身者ではことが単純には行かない。

どうしても相手の自由意志を縛る傾向が出てきます。
まるでスッポンが食いついたような感じで相手にしがみつくわけですね。

「やっとめぐり合った私の理解者!」というわけです。

「どうしても離したくない!」

と思いますよね? まあ、典型的なストーカーの発想。

そして初めて出会った理解者を偶像化したりする。
しかし、その相手からちょっとでも自分の意に沿わない発言が出てきたりしたら、それこそ「自分自身の最大の敵」と認定されてしまうわけです。

「まあ、裏切られたわ!!」

「私をだましていたのね!?」

まあ、自分の好きなアイドルタレントは「間違ったことが何一つない純真可憐な女性でないとダメ!」と妄想する思春期の男の子と同じ心情。

だから入れ込む。ちょっとでも気に入らないことがあることが許せない。
これはダメダメ家庭出身者が持っている妄想癖と結びついて、最大の味方から最大の敵へトリップしてしまうわけですね。

相手そのものを見ているというより、自分の妄想世界の出演者として見てしまっているわけです。映画監督が出演者に注文をつけたくなるわけですね。

しかし、相手はやっぱり不快ですよね?
折角、善意からやり取りをしたり、相談に乗っているのに・・・逆に、相手方から色々と注文をつけられて・・・

それこそちょっとでも相手に厳しいことを言ったりすると、逆上されてしまう。

「アナタは私の味方じゃなかったの?!」

・・そうなんですが・・・味方だと思っているからこそ厳しいことも言ったりするわけで・・・

今までちゃんとした会話をしてこなかったダメダメ家庭出身者にしてみれば、過剰に期待してしまうのもいたし方がないわけですが、そうするとますます相談相手がいなくなってしまうわけです。

ますます相談相手がいなくなったダメダメ家庭出身者はどうなるのでしょうか?
結局は、自分の子供しか話し相手がいなくなってしまうことになる。
しかし、子供に入れ込んでしまうと、結局は同じことの繰り返しなんですね?
ただ、子供は表だって反論せずに親に合わせてくれる。
だからこそ、問題は潜在化してしまうんですが・・・

そういえば、2002年のサッカーのワールドカップの韓国チームの監督をされたオランダ人ヒディングさんは、韓国の国民に付きまとわれて閉口していますね。
韓国の人にしてみれば、「ヒディングこそわれらの理解者!」と偶像化しちゃったわけですね。しかし、ヒディングさん本人にしてみれば当然に恐怖ですよ。
ちょっと考えればわかる話ですよね。

そのような「人に入れ込む」発想は、普段から「自分は理解されていない。」と思っていることから来ているわけです。ダメダメ家庭出身者には、ありがちなことなんですね。

いたし方がない部分も確かにあります。ただ限度を越すとますます自分を追い込んじゃうことになり、ますます理解されなくなるわけです。
http://renewalmmbacknumber.hp.infoseek.co.jp/04-04/04-04-02.htm


ダメダメ家庭出身者は普段から「自分は理解されていない。」と思っているので、「この人は、私のことをわかってくれる!」と思ってしまうと、その人に入れ込んでしまうんですね。

では、どんな人に入れ込むの?

入れ込む対象は当然のこととして、「自分をわかってくれる」人ということになります。ダメダメ家庭出身者の感情をわかってくれる人ということで・・・・結局は「入れ込まれる」人もダメダメ家庭出身者なんですね。

以前、書きましたがフランスの小説家のバルザックの小説「谷間のゆり」で、典型的に表れています。ダメダメ家庭出身者の伯爵夫人アンリエットが、「私と同じこという人と初めて会ったわ!」と、ダメダメ家庭出身の青年フェリックスに入れ込んでしまうわけ。

「私と同じこと言う人と初めて会ったわ!」って・・・身に覚えのある人も多いでしょ?

まあ、お互いが理解しあえる関係を築くことができれば、お互いに幸福ですよね?

しかし、このようなダメダメ家庭の「人に入れ込む」発想だと、上手くはいかない。多くの人とコミュニケーションが取れる中で、ダメダメ家庭の人とも仲良くなる・・・というわけではないんですね。マトモな人とのコミュニケーションが取れない状態の中で、ダメダメ家庭の人のみと話が通じる状態。

これでは何がしかの事件も起きますよ。

だって、「入れ込んでいる」人は、今現在入れ込んでいる人を逃したら、「自分には後がない」状態なんですからね。必死になりますよね?

まるでスッポンのように食いつくわけ。

おまけにダメダメ家庭出身者は妄想との親和性が高い。「恋に恋する」傾向が強い。だから被害者意識も強いわけ。どうしても過激な行動になりがちです。

しかし、そのような過激に「入れ込まれた」側は、鬱陶しくなるものですよね?もうちょっと距離を置きたい・・・と思っても、相手は「入れ込んで」いる状態だし・・・

一体どうしよう?困ったなぁ・・・

マトモ家庭出身者はこのあたりの心情が理解できないわけ。
だって「私と同じ事を言う人と初めて会ったわ!」というダメダメ家庭特有の心情は、マトモ家庭出身の人にはわからない心情なんですね。

しかし、「人から入れ込まれて」しまって困っている状態の人も、元はと言えばダメダメ家庭出身者の人の気持ちを理解してあげて、その人から「私と同じことを言う人」という認定を受けたことに端を発しているわけ。

「入れ込む」人も、「入れ込まれる」人も、結局はダメダメ家庭出身者・・・当人たちの発想は、マトモ家庭出身者には理解できないでしょうね。

逆に言うと、そのようなダメダメ家庭出身の人間に入れ込まれている人間は、ダメダメ家庭の人間に限られてくると言えます。マトモ家庭の人間は、多少の付き合いはあっても、決して入れ込まれたりはしないんですね。だってお互い共感なんて起きませんから。

まあ・・・身をもって体験した人も多いでしょう・・・ネ?

よく話題になるストーカー問題も、このような「人に入れ込む」発想が肥大化したものなんですね。

ちなみに“新しい”方の長崎県の事件ですが・・・

実に微妙な話になってしまいますが、加害者の少女が典型的にダメダメ家庭の子供の発想をしていることは疑いもありませんが・・・

被害者の少女も、どうして、そのようなダメダメ家庭の子供に「入れ込まれて」しまったのでしょうか?

マトモ家庭の子供にしてみれば、ダメダメ家庭の子供の心情などは全く理解できないものです。犬と猫とが会話しているようなもの。共感なんて起こりようがないんですね。雑談したりケンカになることはあっても「入れ込まれる」ことは絶対にない。

加害者の子供から「私と同じことを言う人」・・・もっと端的にいうと「自分と同じ苦しみを抱えている人」・・・そのような認定を受けてしまっていたからこその、事件なんですね。だからあのような残虐な行為になってしまうわけです。ただのケンカならあのようにはなりません。

「私のことをわかってくれる」認定を受け、次に「裏切り者!」認定を受けてしまった。その挙句の事件なんですね。
http://renewalmmbacknumber.hp.infoseek.co.jp/04-06/04-06-11.htm

[幸福の科学の信者の人って、何かしら脳に病を持ってる人だと思う、
境界性や自己愛性をはじめとした各種の人格障害の場合、CTなどで精密検査しても脳に問題が出ない事が多く医師がこの診断を下す事をためらう場合が多い。
「認知の歪み」という現象に起因することが多いんだよね。
この歪みは習慣的なものが原因で発生するんだけど、多くは幼少時、学童期などの親子関係や家庭環境に起因する。 虐待とかはわかりやすい例なんだが言葉によって形成されるもの、態度で形成されるものも少なくない。

つまり対象者がおかしくなってしまった原因をさかのぼったとき、実は他者が繰り返し「操作」を行ったために起こる「認知の歪み」が原因である場合が少なくないのだ(DVの原因などがこれに起因する) ]


他者が繰り返し「操作」を行ったために起こる「認知の歪み」はこういう過程で生じるんですね:


幸福の科学 会員と語るトピ


Re: 少しお返事。 2009/ 7/29 15:53 [ No.21578 / 24561 ]
投稿者 : cxpnj735


母は。。。。

8歳のときに。。。。わたしを包丁で殺そうとしました。。。。

それを命がけでとめたのが死んだ父です。。。。。

その後のわたしの精神状態は。。。。。

生まれ出たおおもとであるその根源がわたしを殺そうとした。。。

今でもかんしゃくを起こした時などは。。。大変ですよ。。。

この人生の問題集をどう答えを出すか大変に苦しみました。。。。

世界中の誰でも良かった。。。母以外ならまだ理解できる。。。

なぜ。。。実の子供を殺すのか。。。。。。。

わたしの魂は。。。すでに半分。。。あの世に帰っている気がします

ただ。。。ひとつだけわかったことは。。。。。

人の痛みや心の傷。。。おきてはいけない事件の中に。。。。

とてつもない慈悲の心が光りだすということ。。。。。

愛は。。。。その一部だと感じます。。。。。。。空船

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21578


Re: マニフェスト出ました。 2009/ 7/31 17:12 [ No.21609 / 24564 ]

投稿者 : cxpnj735

私は。。。なるべく思い出さないようにしています。。。。

母が。。。包丁をもって追いかけてきた時のことは。。。。

先のとがった包丁を見ると。。。冷や汗と吐き気。。。。。

それも乗り越えました。。。。。ポイントは。。。。

思い出さないこと。。。。それしかないのです。。。。。

3日に1回が。。。10日に1回。。。一月に一回と。。。。

思い出すペースの幅を広げていきました。。。。。

何十年もかかりましたが。。。。今では。。。1年に数回程度。。。

その間。。。生きる正しい執着を起こすまでも数十年。。。。

新たなる問題は無神論者の主人との生活。。。。。

これが難解でした。。今現在は。。。神棚と仏壇に手を合わせるところ

まできました。。。。。やれやれ。。。「笑」

自分の境遇で。。。憎しみに燃えたときも経験しました。。。。

胃潰瘍をしました。。。。今は考え方が違うので。。。。

ほとんど完治しました。。。不思議だねえ。。。

いまだにその母は。。。。時々感情が乱れて暴言しますが。。。。

小さく見えますよ。。。本当に。。。小さくて。。。。

がんばろう。。。仏法真理は。。。。あらゆるものを救済する。。。。

読みやすいのが。。。なりよりで。。。すごいなあとおもいます

あなたが。。。幸福になりますように。。祈ります。。。空船
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21609#under-deli


Re: マニフェスト出ました。 2009/ 7/31 16:22 [ No.21607 / 24564 ]

投稿者 : hosini_negaio_007

>>親の子供への虐待のない社会も実現してほしい。。

私は親に虐待されて育ちました、
心の苦しみはいまだに消えません。。

それが私の選んだ人生だから
カルマだからしょうがないと思っていました。。

(親も色々な事があり大変で、
子供も少し憎かったのかもしれないけど・・)

でも親が少しでも宗教的な教育を受けていれば、
宗教的心情を持っていれば、、
踏みとどまって虐待まではしなくなるだろうと思う。。

学校でのいじめの問題にせよ
家庭に問題のある子供が
いじめをするケースも多い、、

この教えが広がって
家庭に学校に社会に<いじめのない>世界が展開して欲しい。。


今はまだ、
正直この世の中の人の
幸福まで願える心情ではない。。
心が悲しみで一杯だから、、、


テポドンが落ちなければ、
危機が分からない人が多いなら
目を覚ますために
一度落ちてみるのも手かもしれない・・

返信 これは メッセージ 21593 yumi92ing さんに対する返信です http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21607#under-deli


cxpnj735 さん 2009/ 7/31 21:27 [ No.21610 / 24564 ]

投稿者 : hosini_negaio_007

ありがとう。。

今まで誰にも、
私の気持ちなんて分かってもらえないと思っていたのですが、、、、、

心が軽くなりました、、ありがとう。。


貴方は私よりも、
もっと大変な経験をされているのかもしれないと思いました。

それを乗り越えてこられたのですね。。

私は40代、
会に入ってからも20年近くも過去に苦しみ続けてきました。。


ダメかもしれないと諦めかけた事もあります。。


早くあの世に連れて行って欲しいと何度も願いました。。


でも、、もう一度・・生きていこうと思う、、ありがとう。。

返信 これは メッセージ 21609 cxpnj735 さんに対する返信です
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21610#under-deli


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Re: 信者さんはこれをどう思いますか? 2009/ 7/28 20:07 [ No.21571 / 24564 ]

投稿者 : cxpnj735

幸福の科学の人たちが。。。。

全て完璧な人だと想わないでくださいね。。。。

人間は不完全。。。。完璧な人などこの世には存在しません。。。

あなたがどうしてやめたのかは知らないけれど。。。。

紹介してくれた方が。。。実はあなたの精神より低い場合い。。。。

よくあるんです。。。。これで私も最初。。。

苦しんだことがあります。。。。正直なところね。。。「笑」

でもね。。。経典を読み込むうちに。。。気ずいたことがあったんです。。

相手に完璧さを求めては。。。人間関係は成立しないということ。。。

これは。。。全ての世界にいえることだと想います。。。。

家庭の中でも。。。職場の中でも。。。。。。

子供に対しても。。。。植物を育てる時さえそうです。。。。。

あなたもきっと。。。正義の味方だと想う。。。。

わたしも。。。潔癖症なところがあります。。。。。。

自分の至らなさを自分で攻めては。。。。何度も答え探ししながら。。。

母親に。。。殺されそうになった時のことなども含め。。。。

この世の中を恨んだ事もありました。。。。。

血の汗をかくほどの経験もありました。。。。。。。

何時も一人で。。。捜し求めておりました。。。。。。。。。

お釈迦様の教えを。。。いろんな宗教でもお手本になることを求めました

自分は。。。この世になにをしに来たのかを知りたくて。。。。

最後にたどり着いたところなのです。。。。。。。。。。。。。。。

いろんな人が幸福の科学に集っています。。。。。。

一つがだめなら全てだめという考えを。。。。。

わたし自身やめた時に。。。。答えが見えた気がします。。。。。

私は。。。落ちこぼれです。。。。。

落ちこぼれの仏弟子です。。。。。。。。「笑」

毎日。。。平和な世の中になるように。。。

小さな祈りをして。。。一日の終わりを感謝して眠ります。。。。

こんな人間もいることを。。。。忘れないでください。。。。。

あなたの幸福を祈ります。。。。。。。空船

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21571#under-deli


Re: 信者さんはこれをどう思いますか? 2009/ 7/29 20:24 [ No.21579 / 24564 ]

投稿者 : cxpnj735

ありがとう。。。優しい天使さん。。。。。

わたしは。。。何時も自分が死に装束を着てるとおもって生きています

この世に未練はありません。。。

たぶん。。。死に場所を探していた気がします。。。。

ただねえ。。子供を生んだらね。。。。

欲が出た。。。そしてね。。。エルカンターレの役に立ちたいと。。。

出すぎた考えかもね。。。。「笑」

母に対しては。。。最後まで優しく手を握り。。。

支えになるつもりです。。。

落ちこぼれと自分で言うのはね。。。。。

まだ悟り切れない自分を原点に戻すための呪文みたいなもので。。。。

基。。。訂正します。。。。もう自分を責めるのはほどほどにします

反省。。。あなたの愛で。。。今日はなぜか心が軽いです。。。。

ありがとう。。。。。。。。。。空船

返信 これは メッセージ 21574 emiko1963f さんに対する返信です http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21579#under-deli


Re: お返事のお返事。 2009/ 7/30 20:20 [ No.21596 / 24564 ]

投稿者 : cxpnj735

たぶん。。。。

あなたと年齢が近いか。。。

もしくは年上のうちの主人と同じくらいなのかもしれないですね。。。

あなたの落ち着いた言葉に。。。。

話しやすさが感じられます。。。。。。。。。。

わたしは朝起きると。。。。。

神棚。。仏壇。。。イエス様に十字を切り。。。もちろん。。。

エルカンターレ。。。。竜神。。。「4代目の受け取りでお守りしている」

主人は新婚当時から。。。ほぼ無神論者。。。。。。。

このようなわたしを。。。初めて受け入れてくれたのが幸福の科学。。

いろいろな宗教に誘われましたが。。。。。なにかがちがう。。。

主人と仏教やキリスト教の話は。。。今もほとんどしておりません

死んだ父は。。。よく天災を予知しては。。まわりを驚かせていました

わたしも含めて。。。宗教者なら自然に話すこと。。。。

あの世がない死んだら終わりだという唯物論者には。。。。

通じない話。。。。唯物論者から見れば。。。

お寺の住職も廃業です。。。なにせ魂の供養をしたり。。。。

お盆や彼岸には先祖の魂を家に迎えて。。。お墓参り。。。。

本家に親族が集まり。。。故人の思い出話をしたり。。。。。。

あの世で元気にしてるよとなぐさめたり。。。。。

幸福の科学もお寺です。。。ただ神様が多いこと多いこと。。「笑」

宗教同士の争いはいつの時代も悲しいです。。。。。

壁なんてなければいいのにと、若いころから想っていました。。。

あなたの話のなかでわたしの人生の問題集が。。。。

また一つ増えました。。。。ありがとう。。。。。。空船

返信 これは メッセージ 21590 hyougo_36 さんに対する返信です http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21596#under-deli


Re: 移動しまつた。 2009/ 7/31 16:23 [ No.21608 / 24564 ]

投稿者 : cxpnj735

リニアモーターカー。。。

ああ。。。乗りたい。。。2019年くらいかア。。。「嬉・」

夢いっぱいの未来ビジョン。。。。。

幸福実現党は。。。。天才の大集団だあ。。。。。。。。

今日も。。。仕事が終わったら。。。チラシ配りがんばります。。。

神様の仕事のお手伝いが少しでもできるこの幸福。。。。。

生まれてきて。。。。よかった。。。。「涙嬉」。。空船

返信 これは メッセージ 1 hyougo_34 さんに対する返信です

__________________________


幸福の科学をちょっとでも批判すると信者さんはこういう反応を示します:


__Re: 信者さんはこれをどう思いますか? 2009/ 7/27 9:54 [ No.21564 / 24564 ]

投稿者 : cxpnj735


仏法。。流布を妨ぐる。。。。

悪魔はこれを許すまじ。。。。。。

仏。法。僧への中傷は。。。。

極悪非道の所業なり。。。。。。。。

もはや人間として生まれるは。。。。

これが最後と悟るべし。。。。。

この世のいかなる大罪も。。。。

和合僧。。。破壊の罪は。。。。。

阿鼻叫喚。。。堕地獄への道。。。避けがたし。。。。。


私たちは。。。出家者。。。つまりね。。お坊さん。。。。。

袈裟もつけていないが。。。。。心にね。。。

仏法真理をまとい三法に帰依した僧侶なんですよ。。。。。

あなたが地獄に行った時には。。。。。

私が行きましょう。。。これも縁だからねえ。。。。。「笑」

お坊さん。。。いじめるのやめなさい。。。。。。

あなたの幸福を祈ります。。。。。


ああ。。。。

言い忘れたことがある。。。。

地獄であなたを探さなくてはいけないので。。。。

名前を言いなさい。。。。。。。。。。。。

救済に行くから。。。。。必ずね。。。。。

最後にもう一度言うよ。。。。

お坊さんをいじめるのは。。。やめなさい。。。。。

自分を破壊するのと。。。同じだよ。。。。。。。。空船

返信 これは メッセージ 21558 中川隆さんに対する返信です
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21564


________________________


これは赤星博峰さんという幸福の科学の狂信的信者に対する常識人の見解ですが、程度の差こそあれ、すべての信者にそっくりそのまま当て嵌まりますね:


恐ろしいほど 2009/ 8/29 0:45 [ No.21876 / 21877 ]

投稿者 : hyougo_36

会話が噛み合いませんねww

掲示板だからですか?
それとも実生活で誰かと会話している時もその調子ですか?

普通に答えてくれれば結構なんですけど。

坊さんも3人くらいリアルで知り合いが居るけど、みんな普通に会話できるんですが…

返信
これは メッセージ 21874 特命・弘希さんに対する返信です
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21876#under-deli


Re: 恐ろしいほど 2009/ 8/29 5:22 [ No.21877 / 21877 ]

投稿者 : ukiyo_banare0823

普通の会話は無理でしょう。

幸福の科学の教義には合理性がありません。教義の正当性を証明するものがないのです。

客観的事実や科学的根拠の前ではいとも簡単に瓦解してしまいます。
それでも信じようとする者は、合理性や科学性を無視しなくてはいけません。もっともこれは幸福の科学に限らず、キリスト教を代表とする多くの宗教に共通します。

異なる宗教を信じている者同士では会話は成立しないのは昔も今も変わらないようです。

返信
これは メッセージ 21876 hyougo_36 さんに対する返信です
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21877#under-deli


まあ、幸福の科学信者と会話しようとしても こういう感じになりますからね:


2009/ 8/ 9 12:34 [ No.21676 / 22044 ]

投稿者 : tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

↓のメシヤ教系列教団は、現在グレーゾーン的存在 ですが、もう一つ 病気治しが得意な宗教に、生長の家 があります。幸福の科学より詳しく説法されています。
生長の家 は、認定宗教のひとつ です。本物です。


2009/ 8/ 9 13:03 [ No.21678 / 22044 ]
投稿者 : hyougo_36

誰が認定していて、それってどういう基準なのでしょうか?
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21678


私の根本は高野山真言宗(正統密教)です 2009/ 8/ 9 16:22 [ No.21679 / 22044 ]

投稿者 : tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

教えの内容 霊的審査による認定です。
本物の定義とは、実際 神仏に繋がりのある宗教です。
また、悪霊によるものと判明した場合、指定済邪教 となります。


Re: 私の根本は高野山真言宗(正統密教)です 2009/ 8/ 9 20:27 [ No.21685 / 22044 ]

投稿者 : hyougo_36

なるほど。他者には一切確認のしようの無い基準であるわけですね。

で、なぜに真言宗の正統密教が、そのような認定が出来る権威を持っているのでしょうか?

それから「霊的審査」とは、具体的にどのようなことが為されるのでしょうか?
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21685#under-deli


神仏に直接教えを戴く霊的審査 2009/ 8/ 9 20:39 [ No.21686 / 22044 ]

投稿者 : tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

個人差はありますが 神仏と通信できる僧侶は、他にもおられますよ。


Re: 神仏に直接教えを戴く霊的審査 2009/ 8/ 9 20:55 [ No.21687 / 22044 ]

投稿者 : hyougo_36

>個人差はありますが 神仏と通信できる僧侶は、他にもおられますよ。

世界中には「○○と通信した」とし、また、それを自らの主張の正当性の理由とする人間がたくさん居ます。

また、それらの主張していることは似通うものもあれば相反する内容のものもあったりします。

そこでまた質問なのですが、なにを持って真言密教のそれを「正しい」とされているのか教えてもらえませんか?

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21687#under-deli


回答 2009/ 8/ 9 20:59 [ No.21689 / 22044 ]

投稿者 : tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

密教は、伝統宗教のなかでは 最高峰にあります。
大日如来直接伝授のみ教えです。


Re: 回答 2009/ 8/ 9 21:04 [ No.21690 / 22044 ]

投稿者 : hyougo_36

>密教は、伝統宗教のなかでは 最高峰にあります。

「最高峰」となっている理由は下記の

>大日如来直接伝授

が理由なのでしょうか?

ちなみに「直接」とはどのようなものであったのですか?


霊能力は宗教としての資格 2009/ 8/10 16:45 [ No.21693 / 22044 ]

投稿者 : tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

霊的波長を読み取りキャッチ。科学的には、未解明電磁波ですかね。
言葉ではありません、神仏のみ心がそのまま入ってくる感覚 です。
その後、頭で人間語に 翻訳しています。


未解明電磁波という 2009/ 8/10 18:50 [ No.21696 / 22044 ]

投稿者 : tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

解説
自分のなかの電磁波=妄想
実際の他力による電磁波=通信


高級霊の波動を受けるには 2009/ 8/10 19:52 [ No.21698 / 22044 ]

投稿者 :tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

アンチ波動が入ると、キャッチ出来なくなる矛盾があります。
特に、修羅霊に邪魔される・・・


世の中の根本 2009/ 8/10 22:14 [ No.21702 / 22044 ]

投稿者 : tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

宇宙の根本、それは 神
人間の根本、それは 霊。
以上


Re: 未解明電磁波という 2009/ 8/11 1:08 [ No.21704 / 22044 ]

投稿者 : hyougo_36

なんともユニークな発想ですね。

「電磁波」という言葉で括ってしまいましたか。

なんだかオイラ的には神様に失礼なんじゃないかなって感じましたけどwwいくらなんでも電磁波って…

>高級霊の波動を受けるには アンチ波動が入ると、キャッチ出来なくなる矛盾があります。

これのどの辺りが、何が何に対して「矛盾してる」という図になるのでしょうか?オイラにはさっぱり理解できないのですが。

まあ、理解できないのはオイラの頭が悪いからかもしれないので良いとして、
ところで神様って人間に対して何を語りかけてるんですか?

差し支えない範囲で教えていただけませんか?
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21704#under-deli


47投稿者:中川隆  投稿日:2009年08月11日(火) 10時50分47秒

弘希先生,これにも答えてあげてね:2009/08/11(火) 10:47:07 ID:FDc/i9oW

Re: 未解明電磁波という 2009/ 8/11 1:08 [ No.21704 / 21706 ]
投稿者 : hyougo_36
ところで神様って人間に対して何を語りかけてるんですか?
差し支えない範囲で教えていただけませんか?
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21704


48投稿者:tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho  投稿日:2009年08月11日(火) 18時17分46秒

落書き禁止


49投稿者:中川隆  投稿日:2009年08月11日(火) 19時51分43秒
hyougo_36 さんには礼儀としてちゃんと答えてね.


50投稿者:tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho  投稿日:2009年08月12日(水) 00時32分33秒

神の使徒の権威は、人間の作った礼儀などに勝る


そして結局,赤星博峰先生は何も回答しませんでした.

博峰先生の性格について解説します 2010/ 1/31 21:21 [ No.24299 / 24561 ]

投稿者 : 中川隆


          /l
 ___       〉 〉           /l
 ヽ ゙i_       〉 __ヽ,_    r‐'" ノ
  l、__ `l_,.-'く く_コ `'l ,ヘ、,ヘノ  l~
    l  /ー-、ヽ─‐'"/.__\ /
    `/l ̄V''ーv l_ し'"V   / ヽ
      | l、__/   ゙、__/   l     あなた方は幸運ですね
      |       rニヽ,       |   < 何故かって?
     |     lニニニl      /      変態博峰を見れたからです
      \           /       
         `ーァ---──'''"ヽ,        ハッピー
        / / l,  i ヽ ` \

ダメダメ人間は、自分で考えることをしない。ただ権威筋から与えられたご高説をオウム返しに繰り返しているだけ。自分で考えないから、人の話を聞かなくてもいい。

しかし、人の話を真摯に聞かない人に、誰がマトモに話をするの?
ということで、そのような人間には、誰も込み入った話をしなくなり・・・
つまり、その人の目の前からはトラブルが消えてしまう。
だから、その手の「ご高説」人間は、「私たちは、上手く行っている。」
と勝手に納得することになる。

だって、誰も、そんな人には自分の困りごとを相談しないんですからね。
そんな人は、無意識的には、相手から言わせないようにしているわけ。
だから、「自分の周囲には何も問題がない」と考えるのも、ある意味において無理のないところ。

ダメダメ人間は、話をしていても、文章のやり取りをしても、

「これは△△が原因なんだと思いました。」

「結局は、こんなことが原因なんだよ!」

なんてフレーズがいとも簡単に出てくるわけ。早めに原因とやらをリストアップしてしまって、自分自身に降りかかることを防止するわけです。だからその思考の展開もなく、実に猪突に結論に到達しちゃうんですね。

しかし、これからもっと深く考えようと思って、やり取りをしている時に、さっさと「これが原因なんだ!」なんて言われちゃったら、どう思いますか?
「アンタがそれで納得したいなら、それでいいけど・・・その結論に何の意味があるの?」となりますよね?

まあ、そんな人とは、それ以上のやり取りなんてしたくはないでしょ?
だってツマンナイもの。

そんな人は、どんなことが起こっても、いつも同じ理由で片付けてしまうんですね。

その手の人って、思考から逃げるための「取っておき」の理由を常に持っているもの。

都合が悪くなると、その言葉を持ち出す。
聞いている方は、「あ〜あ、また、いつものヤツね!」と、呆れるだけ。
その手の「取っておき」は、いわば相手の話から逃げるための理屈。
「いかにして相手の話から解放されるのか?」そんなことで必死になっているわけ。
http://renewalmmbacknumber.hp.infoseek.co.jp/09-11/09-11-04.html


博峰先生の「取っておき」の言葉は


90投稿者:↓  投稿日:2009年11月06日(金) 00時09分10秒
落書き禁止

196投稿者:↓  投稿日:2009年11月09日(月) 22時17分02秒 ID:LA5k6qJr
回答済み

88投稿者:↓  投稿日:2009年11月04日(水) 00時23分45秒
解決済み 落書き厳禁

101投稿者:↓  投稿日:2009年06月07日(日) 17時24分22秒
しつこい

84投稿者:↓  投稿日:2009年06月01日(月) 17時21分16秒
余計なお世話

74投稿者:↓  投稿日:2009年11月01日(日) 00時17分40秒
低レベルには分からないだけ

76投稿者:あまり  投稿日:2009年11月01日(日) 00時21分59秒 ID:LA5k6qJr
人を妬むな。

82投稿者:回答  投稿日:2009年11月01日(日) 15時39分48秒 ID:LA5k6qJr
全て、神仏直結の説法の通りだ。
唯物論は改心なさい。

75投稿者:そんなことより  投稿日:2009年11月01日(日) 00時19分17秒 ID:LA5k6qJr
南無本物宗教12
を究めなさい。時間の無駄だ。

94投稿者:↓  投稿日:2009年11月21日(土) 21時40分33秒 ID:LA5k6qJr
信じない者が、損するのみ。 http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=24299#under-deli


Re: 博峰先生の性格について解説します 2010/ 1/31 23:01 [ No.24300 / 24561 ]

投稿者 : 大川恭子

とても明解であり明快だわ。
もったいないわね、アンチにしておくのは。
赤星さんとやらより、よっぽど論理が通っているわよ。
大川総裁もあなたの粘りは評価してるわ。

返信
これは メッセージ 24299 中川隆さんに対する返信です
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=24300#under-deli


一般の幸福の科学信者も程度の差こそあれ、みんな赤星博峰先生と同じだと考えて下さい。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/422.html#c2

[近代史4] 幸福の科学 中川隆
1. 中川隆[-13269] koaQ7Jey 2020年3月02日 06:23:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[260]
幸福の科学信者の心理分析もしておきましょう:

幸福の科学に入る様な人はどこかに精神の欠陥があるんですね。 カウンセリングを受けるしか正常な状態に戻す方法は無いですね:


820 :神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 12:07:45 ID:/w8Lwm8l

幸福の科学の信者の人って、何かしら脳に病を持ってる人だと思う、だから病院で診てもらってもわかんないんだよ。今そんな人がたくさんいるのが、医学的にわかりつつあるらしい

大きな大学病院で相談してみたら、幸福の科学ではないけど、脳の病が原因で信者だったって人、実際にいたからね

自分自身をコントロールする訓練を3ヶ月近く入院してやるみたいだけどね


828 :神も仏も名無しさん:2009/10/04(日) 12:53:23 ID:rnoDxt6r
>>820
> 信者の人って、何かしら脳に病を持ってる人だと思う、だから病院で診てもらってもわかんないんだよ。


マジレスしとくと境界性や自己愛性をはじめとした各種の人格障害の場合、CTなどで精密検査しても脳に問題が出ない事が多く
医師がこの診断を下す事をためらう場合が多い。
つまり肉体というハードウエアの欠陥が見つからない事が多いため、診断に至らない場合もあるという事。

(ある程度長期で見ないと結論出ないとか、特定条件化でしか異常が現出しないなどなど)で、原因は?って言うと、ここのスレかな?だれか書いていたけど「認知の歪み」という現象に起因することが多いんだよね。

この歪みは習慣的なものが原因で発生するんだけど、多くは幼少時、学童期などの親子関係や家庭環境に起因する。
虐待とかはわかりやすい例なんだが言葉によって形成されるもの、態度で形成されるものも少なくない。


つまり対象者がおかしくなってしまった原因をさかのぼったとき、実は他者が繰り返し「操作」を行ったために起こる
「認知の歪み」が原因である場合が少なくないのだ(DVの原因などがこれに起因する)


> 自分自身をコントロールする訓練を3ヶ月近く入院してやるみたいだけどね

認知行動療法ね、まだやってるところは少ないし手間がかかるので多くのメンタルクリニックは薬で押さえ込んだりが基本。
しかしこれがもとで「お薬依存症」になってしまうことも多いんだわ。
やはりカウンセリングやセラピーが必要になるんだけど、幸福の科学の場合アダルトチルドレンの集団っていう要素強いからね。

インナーチャイルド療法が必要な人多いよ、これが解消しないもんだからみんなだまされて利用され続けるんだよな。
要するに傷ついたインナーチャイルドが足引っ張ってるんだよ、それに振り回されてるうちに幸福の科学の洗脳にやられるという仕組みだからね、まずはインナーチャイルドの呪縛から足を洗うことだよ。

前述の「認知行動療法」は少々内容が難しいものの、今の幸福の科学の教えや祈願、研修なんかよりもず〜っと効果あるから、気になる人は調べてみるといい

結論、幸福の科学信者のみなさんインナーチャイルド療法と認知行動療法がお勧めですよ


★なぜインナーチャイルド療法をするのか?

子どもは生まれてから6才頃までに基本的な性格が形成され、潜在意識が初期設定され、7才までに脳はかなり発達し、8才までに対応メカニズムが定着するといわれています。

子どもは生まれてから自分の育った家庭や環境の中で、人間関係というものを学んで育ちます。家族の中で、親や他の大人や、かかわり合う兄弟からの影響を受けて、いろいろなことを学びます。そこではコミュニケーションの仕方や問題処理の仕方や防衛の方法や愛情表現の仕方などさまざまな事を、意識的に無意識に模倣しながら多くのことを学んでいます。

しかし子どもが安全に守られた状態ではない「機能不全家庭」で育った場合、子どもの心は傷つきます。それは感情、思考、人間関係にも影響を与えます。

肉体的・感情的・精神的・霊的に虐待を受けた場合、感情は抑圧され、否定され、
感情を感じたり表現することはよくない事だというビリーフ(信じ込み)と、ゆがんだ形で表現することを覚えていきます。

子どもは家族関係の中で、親の愛を得る為にいろいろな役割を意識的、無意識に演じているうちに、感情的な痛みやを葛藤を避けて、自分本来の感情を感じたり表現したりすることから遠ざかってしまいます。

そしていつしかその演じている自分、仮面の自分「マスク」を自分だと思い込み
本来の活き活きとした生命力から遠ざかってしまったことさえわからずに人生を生き続けます。

その安全な家庭で育つことができず、抑圧した感情と満たされなかった子ども
(傷ついたインナーチャイルド、またはローアーセルフともいう)を抱えたまま大人になって「アダルトチルドレン」になります。

多くの場合アダルトチルドレンは、人間関係や行動の仕方、防衛反応や思考や感情表現の仕方など、自覚しているしていないにかかわらず、その自分の傷ついたチャイルドの影響を受けて、生きにくさを感じることが多いようです。

インナーチャイルド療法では、本来のあなたの人生を生きる為に、パワーや創造性の表現を阻んでいる「傷ついたインナーチャイルド」を見つけ出して、受容し共感し、満たされなかった思いや体験を満たして癒し、擁護し統合を行います。
http://www11.ocn.ne.jp/~oneness/innerchild.html


インナーチャイルド療法

誰の心の中にも、純粋で想像性の豊かな子供心が存在します。
インナーチャイルドとは、その心の中にいる小さい頃の自分です。

小さい頃には、たくさんの体験があります。
その体験からは、遊び心や好奇心、そして、わがままなどと、素晴らしいものが芽生えてきます。

でも、体験の中には、自分でどうすることも出来ず、ただひたすら耐え忍んだり、見て見ぬふりをしたり、ただ、じ〜っと堪えながら時の流れを待つような辛く悲惨で過酷な時もあるのではないでしょうか。
その時の自分「内なる子供」は、抵抗も何もできず、ただ、泣いて、怒って、おびえて、悲しんで、苦しんで・・・etc、の表情しかできないまま孤独になっているのです。

そこから生まれた、不安、恐怖感、不満・・・などは、ネガティブな感情となり、今の私たちの心の中で傷となり残ってしまいます。忘れようとしても、忘れたつもりでも、潜在意識に深くインプットされているのです。

そして、心の傷は、気付かない内に私たちの前に現われてきます。
人間の不和となり現われたり、体の不調や癖として現われたり、心の病として現われたり、様々な形で現われます。
その人の人生、生活、人間関係、全てに影響しているのです。

インナーチャイルドセラピーでは、あなたが幼かった頃まで時間を遡ります。
そこで起きた辛い出来事を再度体験して癒そうと言うものです。

あなたは、辛い体験を思い出したくないかもしれません。
でも、あなたの心の中では、小さい頃のかわいい子ども「あなた自身」が、傷を負い独りぼっちで寂しがっています。

その「内なる子ども」を救えるのは、あなたしかいないのです。

再度体験しながら、その時の小さい頃のあなたの気持ち、表情に気づいてやってください。そして、語り、話を聞き、慰めて、誉めて、励まして、温かく抱きしめてあげるのです。

あなたの、その優しい愛情により、傷ついた子どもは安心することができます。
安心した子どもは願いを叶えられるようになります。

そうすることによって潜在意識の深い部分で、癒しが始まります。
小さい頃の出来事を理解できるようになります。
そして、放出することの出来なかった感情を快方することができるのです。

今あなたの心の中にいる子どもとは、どんな顔をしているのでしょう。
小さなあなたの声に、少しだけ耳を傾けてみてはいかがでしょうか?
http://www010.upp.so-net.ne.jp/innerheart/inner_heart_hypnotherapy_innerchild.html


かづ235さんは副島隆彦先生に随分と入れ込んでいる様ですが、人に入れ込むというのが「アダルトチルドレン」の特徴なんですね:


ダメダメ家庭出身者には相談相手がいませんよね?

そもそもコミュニケーション能力が低いので通常のコミュニケーションにも問題がある。これは育った家庭が原因なので、いまさら如何ともしがたいものです。

コミュニケーション能力が低いという理由ばかりではありません。「自分自身の最も身近な人間(つまり親)が最大の敵」という原体験を持っているわけですから、子供時代に気軽に相談したこともないわけです。

ダメダメ家庭出身者は、信頼できる相談相手を見つけることに大変に苦労する。

だから自分の考えを理解してくれる人に出会うと、その人に入れ込んでしまうことになります。

「俺を理解してくれるのはオマエだけ!」

「オマエを理解できるのは、オレだけ!」

まあ、ドメスティック・ヴァイオレンスだけでなく、ストーカー問題に陥る発想の典型ですよね?

ドメスティック・ヴァイオレンスに至る例もありますが、それ以外にもやっぱり特定の人間に入れ込んでしまう傾向がありますよね?

バルザックの小説「谷間のゆり」においても、アンリエットというダメダメ家庭出身の伯爵夫人が言う「私と同じこと言う人と初めて出会ったわ!」などといったセリフもありました。そうやって青年のフェリックスに入れ込んでしまう。

そのようなお互いが理解しあえる友人とめぐり合うことができれば素晴らしいこと。しかし、ダメダメ家庭出身者ではことが単純には行かない。

どうしても相手の自由意志を縛る傾向が出てきます。
まるでスッポンが食いついたような感じで相手にしがみつくわけですね。

「やっとめぐり合った私の理解者!」というわけです。

「どうしても離したくない!」

と思いますよね? まあ、典型的なストーカーの発想。

そして初めて出会った理解者を偶像化したりする。
しかし、その相手からちょっとでも自分の意に沿わない発言が出てきたりしたら、それこそ「自分自身の最大の敵」と認定されてしまうわけです。

「まあ、裏切られたわ!!」

「私をだましていたのね!?」

まあ、自分の好きなアイドルタレントは「間違ったことが何一つない純真可憐な女性でないとダメ!」と妄想する思春期の男の子と同じ心情。

だから入れ込む。ちょっとでも気に入らないことがあることが許せない。
これはダメダメ家庭出身者が持っている妄想癖と結びついて、最大の味方から最大の敵へトリップしてしまうわけですね。

相手そのものを見ているというより、自分の妄想世界の出演者として見てしまっているわけです。映画監督が出演者に注文をつけたくなるわけですね。

しかし、相手はやっぱり不快ですよね?
折角、善意からやり取りをしたり、相談に乗っているのに・・・逆に、相手方から色々と注文をつけられて・・・

それこそちょっとでも相手に厳しいことを言ったりすると、逆上されてしまう。

「アナタは私の味方じゃなかったの?!」

・・そうなんですが・・・味方だと思っているからこそ厳しいことも言ったりするわけで・・・

今までちゃんとした会話をしてこなかったダメダメ家庭出身者にしてみれば、過剰に期待してしまうのもいたし方がないわけですが、そうするとますます相談相手がいなくなってしまうわけです。

ますます相談相手がいなくなったダメダメ家庭出身者はどうなるのでしょうか?
結局は、自分の子供しか話し相手がいなくなってしまうことになる。
しかし、子供に入れ込んでしまうと、結局は同じことの繰り返しなんですね?
ただ、子供は表だって反論せずに親に合わせてくれる。
だからこそ、問題は潜在化してしまうんですが・・・

そういえば、2002年のサッカーのワールドカップの韓国チームの監督をされたオランダ人ヒディングさんは、韓国の国民に付きまとわれて閉口していますね。
韓国の人にしてみれば、「ヒディングこそわれらの理解者!」と偶像化しちゃったわけですね。しかし、ヒディングさん本人にしてみれば当然に恐怖ですよ。
ちょっと考えればわかる話ですよね。

そのような「人に入れ込む」発想は、普段から「自分は理解されていない。」と思っていることから来ているわけです。ダメダメ家庭出身者には、ありがちなことなんですね。

いたし方がない部分も確かにあります。ただ限度を越すとますます自分を追い込んじゃうことになり、ますます理解されなくなるわけです。
http://renewalmmbacknumber.hp.infoseek.co.jp/04-04/04-04-02.htm


ダメダメ家庭出身者は普段から「自分は理解されていない。」と思っているので、「この人は、私のことをわかってくれる!」と思ってしまうと、その人に入れ込んでしまうんですね。

では、どんな人に入れ込むの?

入れ込む対象は当然のこととして、「自分をわかってくれる」人ということになります。ダメダメ家庭出身者の感情をわかってくれる人ということで・・・・結局は「入れ込まれる」人もダメダメ家庭出身者なんですね。

以前、書きましたがフランスの小説家のバルザックの小説「谷間のゆり」で、典型的に表れています。ダメダメ家庭出身者の伯爵夫人アンリエットが、「私と同じこという人と初めて会ったわ!」と、ダメダメ家庭出身の青年フェリックスに入れ込んでしまうわけ。

「私と同じこと言う人と初めて会ったわ!」って・・・身に覚えのある人も多いでしょ?

まあ、お互いが理解しあえる関係を築くことができれば、お互いに幸福ですよね?

しかし、このようなダメダメ家庭の「人に入れ込む」発想だと、上手くはいかない。多くの人とコミュニケーションが取れる中で、ダメダメ家庭の人とも仲良くなる・・・というわけではないんですね。マトモな人とのコミュニケーションが取れない状態の中で、ダメダメ家庭の人のみと話が通じる状態。

これでは何がしかの事件も起きますよ。

だって、「入れ込んでいる」人は、今現在入れ込んでいる人を逃したら、「自分には後がない」状態なんですからね。必死になりますよね?

まるでスッポンのように食いつくわけ。

おまけにダメダメ家庭出身者は妄想との親和性が高い。「恋に恋する」傾向が強い。だから被害者意識も強いわけ。どうしても過激な行動になりがちです。

しかし、そのような過激に「入れ込まれた」側は、鬱陶しくなるものですよね?もうちょっと距離を置きたい・・・と思っても、相手は「入れ込んで」いる状態だし・・・

一体どうしよう?困ったなぁ・・・

マトモ家庭出身者はこのあたりの心情が理解できないわけ。
だって「私と同じ事を言う人と初めて会ったわ!」というダメダメ家庭特有の心情は、マトモ家庭出身の人にはわからない心情なんですね。

しかし、「人から入れ込まれて」しまって困っている状態の人も、元はと言えばダメダメ家庭出身者の人の気持ちを理解してあげて、その人から「私と同じことを言う人」という認定を受けたことに端を発しているわけ。

「入れ込む」人も、「入れ込まれる」人も、結局はダメダメ家庭出身者・・・当人たちの発想は、マトモ家庭出身者には理解できないでしょうね。

逆に言うと、そのようなダメダメ家庭出身の人間に入れ込まれている人間は、ダメダメ家庭の人間に限られてくると言えます。マトモ家庭の人間は、多少の付き合いはあっても、決して入れ込まれたりはしないんですね。だってお互い共感なんて起きませんから。

まあ・・・身をもって体験した人も多いでしょう・・・ネ?

よく話題になるストーカー問題も、このような「人に入れ込む」発想が肥大化したものなんですね。

ちなみに“新しい”方の長崎県の事件ですが・・・

実に微妙な話になってしまいますが、加害者の少女が典型的にダメダメ家庭の子供の発想をしていることは疑いもありませんが・・・

被害者の少女も、どうして、そのようなダメダメ家庭の子供に「入れ込まれて」しまったのでしょうか?

マトモ家庭の子供にしてみれば、ダメダメ家庭の子供の心情などは全く理解できないものです。犬と猫とが会話しているようなもの。共感なんて起こりようがないんですね。雑談したりケンカになることはあっても「入れ込まれる」ことは絶対にない。

加害者の子供から「私と同じことを言う人」・・・もっと端的にいうと「自分と同じ苦しみを抱えている人」・・・そのような認定を受けてしまっていたからこその、事件なんですね。だからあのような残虐な行為になってしまうわけです。ただのケンカならあのようにはなりません。

「私のことをわかってくれる」認定を受け、次に「裏切り者!」認定を受けてしまった。その挙句の事件なんですね。
http://renewalmmbacknumber.hp.infoseek.co.jp/04-06/04-06-11.htm


[幸福の科学の信者の人って、何かしら脳に病を持ってる人だと思う、
境界性や自己愛性をはじめとした各種の人格障害の場合、CTなどで精密検査しても脳に問題が出ない事が多く医師がこの診断を下す事をためらう場合が多い。
「認知の歪み」という現象に起因することが多いんだよね。
この歪みは習慣的なものが原因で発生するんだけど、多くは幼少時、学童期などの親子関係や家庭環境に起因する。 虐待とかはわかりやすい例なんだが言葉によって形成されるもの、態度で形成されるものも少なくない。

つまり対象者がおかしくなってしまった原因をさかのぼったとき、実は他者が繰り返し「操作」を行ったために起こる「認知の歪み」が原因である場合が少なくないのだ(DVの原因などがこれに起因する) ]


他者が繰り返し「操作」を行ったために起こる「認知の歪み」はこういう過程で生じるんですね:


幸福の科学 会員と語るトピ


Re: 少しお返事。 2009/ 7/29 15:53 [ No.21578 / 24561 ]
投稿者 : cxpnj735


母は。。。。

8歳のときに。。。。わたしを包丁で殺そうとしました。。。。

それを命がけでとめたのが死んだ父です。。。。。

その後のわたしの精神状態は。。。。。

生まれ出たおおもとであるその根源がわたしを殺そうとした。。。

今でもかんしゃくを起こした時などは。。。大変ですよ。。。

この人生の問題集をどう答えを出すか大変に苦しみました。。。。

世界中の誰でも良かった。。。母以外ならまだ理解できる。。。

なぜ。。。実の子供を殺すのか。。。。。。。

わたしの魂は。。。すでに半分。。。あの世に帰っている気がします

ただ。。。ひとつだけわかったことは。。。。。

人の痛みや心の傷。。。おきてはいけない事件の中に。。。。

とてつもない慈悲の心が光りだすということ。。。。。

愛は。。。。その一部だと感じます。。。。。。。空船

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21578


Re: マニフェスト出ました。 2009/ 7/31 17:12 [ No.21609 / 24564 ]

投稿者 : cxpnj735

私は。。。なるべく思い出さないようにしています。。。。

母が。。。包丁をもって追いかけてきた時のことは。。。。

先のとがった包丁を見ると。。。冷や汗と吐き気。。。。。

それも乗り越えました。。。。。ポイントは。。。。

思い出さないこと。。。。それしかないのです。。。。。

3日に1回が。。。10日に1回。。。一月に一回と。。。。

思い出すペースの幅を広げていきました。。。。。

何十年もかかりましたが。。。。今では。。。1年に数回程度。。。

その間。。。生きる正しい執着を起こすまでも数十年。。。。

新たなる問題は無神論者の主人との生活。。。。。

これが難解でした。。今現在は。。。神棚と仏壇に手を合わせるところ

まできました。。。。。やれやれ。。。「笑」

自分の境遇で。。。憎しみに燃えたときも経験しました。。。。

胃潰瘍をしました。。。。今は考え方が違うので。。。。

ほとんど完治しました。。。不思議だねえ。。。

いまだにその母は。。。。時々感情が乱れて暴言しますが。。。。

小さく見えますよ。。。本当に。。。小さくて。。。。

がんばろう。。。仏法真理は。。。。あらゆるものを救済する。。。。

読みやすいのが。。。なりよりで。。。すごいなあとおもいます

あなたが。。。幸福になりますように。。祈ります。。。空船
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21609#under-deli


Re: マニフェスト出ました。 2009/ 7/31 16:22 [ No.21607 / 24564 ]

投稿者 : hosini_negaio_007

>>親の子供への虐待のない社会も実現してほしい。。

私は親に虐待されて育ちました、
心の苦しみはいまだに消えません。。

それが私の選んだ人生だから
カルマだからしょうがないと思っていました。。

(親も色々な事があり大変で、
子供も少し憎かったのかもしれないけど・・)

でも親が少しでも宗教的な教育を受けていれば、
宗教的心情を持っていれば、、
踏みとどまって虐待まではしなくなるだろうと思う。。

学校でのいじめの問題にせよ
家庭に問題のある子供が
いじめをするケースも多い、、

この教えが広がって
家庭に学校に社会に<いじめのない>世界が展開して欲しい。。


今はまだ、
正直この世の中の人の
幸福まで願える心情ではない。。
心が悲しみで一杯だから、、、


テポドンが落ちなければ、
危機が分からない人が多いなら
目を覚ますために
一度落ちてみるのも手かもしれない・・

返信 これは メッセージ 21593 yumi92ing さんに対する返信です http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21607#under-deli


cxpnj735 さん 2009/ 7/31 21:27 [ No.21610 / 24564 ]

投稿者 : hosini_negaio_007

ありがとう。。

今まで誰にも、
私の気持ちなんて分かってもらえないと思っていたのですが、、、、、

心が軽くなりました、、ありがとう。。


貴方は私よりも、
もっと大変な経験をされているのかもしれないと思いました。

それを乗り越えてこられたのですね。。


私は40代、
会に入ってからも20年近くも過去に苦しみ続けてきました。。


ダメかもしれないと諦めかけた事もあります。。


早くあの世に連れて行って欲しいと何度も願いました。。


でも、、もう一度・・生きていこうと思う、、ありがとう。。

返信 これは メッセージ 21609 cxpnj735 さんに対する返信です
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21610#under-deli


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Re: 信者さんはこれをどう思いますか? 2009/ 7/28 20:07 [ No.21571 / 24564 ]

投稿者 : cxpnj735

幸福の科学の人たちが。。。。

全て完璧な人だと想わないでくださいね。。。。

人間は不完全。。。。完璧な人などこの世には存在しません。。。

あなたがどうしてやめたのかは知らないけれど。。。。

紹介してくれた方が。。。実はあなたの精神より低い場合い。。。。

よくあるんです。。。。これで私も最初。。。

苦しんだことがあります。。。。正直なところね。。。「笑」

でもね。。。経典を読み込むうちに。。。気ずいたことがあったんです。。

相手に完璧さを求めては。。。人間関係は成立しないということ。。。

これは。。。全ての世界にいえることだと想います。。。。

家庭の中でも。。。職場の中でも。。。。。。

子供に対しても。。。。植物を育てる時さえそうです。。。。。

あなたもきっと。。。正義の味方だと想う。。。。

わたしも。。。潔癖症なところがあります。。。。。。

自分の至らなさを自分で攻めては。。。。何度も答え探ししながら。。。

母親に。。。殺されそうになった時のことなども含め。。。。

この世の中を恨んだ事もありました。。。。。

血の汗をかくほどの経験もありました。。。。。。。

何時も一人で。。。捜し求めておりました。。。。。。。。。

お釈迦様の教えを。。。いろんな宗教でもお手本になることを求めました

自分は。。。この世になにをしに来たのかを知りたくて。。。。

最後にたどり着いたところなのです。。。。。。。。。。。。。。。

いろんな人が幸福の科学に集っています。。。。。。

一つがだめなら全てだめという考えを。。。。。

わたし自身やめた時に。。。。答えが見えた気がします。。。。。

私は。。。落ちこぼれです。。。。。

落ちこぼれの仏弟子です。。。。。。。。「笑」

毎日。。。平和な世の中になるように。。。

小さな祈りをして。。。一日の終わりを感謝して眠ります。。。。

こんな人間もいることを。。。。忘れないでください。。。。。

あなたの幸福を祈ります。。。。。。。空船

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21571#under-deli


Re: 信者さんはこれをどう思いますか? 2009/ 7/29 20:24 [ No.21579 / 24564 ]

投稿者 : cxpnj735

ありがとう。。。優しい天使さん。。。。。

わたしは。。。何時も自分が死に装束を着てるとおもって生きています

この世に未練はありません。。。

たぶん。。。死に場所を探していた気がします。。。。

ただねえ。。子供を生んだらね。。。。

欲が出た。。。そしてね。。。エルカンターレの役に立ちたいと。。。

出すぎた考えかもね。。。。「笑」

母に対しては。。。最後まで優しく手を握り。。。

支えになるつもりです。。。

落ちこぼれと自分で言うのはね。。。。。

まだ悟り切れない自分を原点に戻すための呪文みたいなもので。。。。

基。。。訂正します。。。。もう自分を責めるのはほどほどにします

反省。。。あなたの愛で。。。今日はなぜか心が軽いです。。。。

ありがとう。。。。。。。。。。空船

返信 これは メッセージ 21574 emiko1963f さんに対する返信です http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21579#under-deli


Re: お返事のお返事。 2009/ 7/30 20:20 [ No.21596 / 24564 ]

投稿者 : cxpnj735

たぶん。。。。

あなたと年齢が近いか。。。

もしくは年上のうちの主人と同じくらいなのかもしれないですね。。。

あなたの落ち着いた言葉に。。。。

話しやすさが感じられます。。。。。。。。。。

わたしは朝起きると。。。。。

神棚。。仏壇。。。イエス様に十字を切り。。。もちろん。。。

エルカンターレ。。。。竜神。。。「4代目の受け取りでお守りしている」

主人は新婚当時から。。。ほぼ無神論者。。。。。。。

このようなわたしを。。。初めて受け入れてくれたのが幸福の科学。。

いろいろな宗教に誘われましたが。。。。。なにかがちがう。。。

主人と仏教やキリスト教の話は。。。今もほとんどしておりません

死んだ父は。。。よく天災を予知しては。。まわりを驚かせていました

わたしも含めて。。。宗教者なら自然に話すこと。。。。

あの世がない死んだら終わりだという唯物論者には。。。。

通じない話。。。。唯物論者から見れば。。。

お寺の住職も廃業です。。。なにせ魂の供養をしたり。。。。

お盆や彼岸には先祖の魂を家に迎えて。。。お墓参り。。。。

本家に親族が集まり。。。故人の思い出話をしたり。。。。。。

あの世で元気にしてるよとなぐさめたり。。。。。

幸福の科学もお寺です。。。ただ神様が多いこと多いこと。。「笑」

宗教同士の争いはいつの時代も悲しいです。。。。。

壁なんてなければいいのにと、若いころから想っていました。。。

あなたの話のなかでわたしの人生の問題集が。。。。

また一つ増えました。。。。ありがとう。。。。。。空船

返信 これは メッセージ 21590 hyougo_36 さんに対する返信です http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21596#under-deli


Re: 移動しまつた。 2009/ 7/31 16:23 [ No.21608 / 24564 ]

投稿者 : cxpnj735

リニアモーターカー。。。

ああ。。。乗りたい。。。2019年くらいかア。。。「嬉・」

夢いっぱいの未来ビジョン。。。。。

幸福実現党は。。。。天才の大集団だあ。。。。。。。。

今日も。。。仕事が終わったら。。。チラシ配りがんばります。。。

神様の仕事のお手伝いが少しでもできるこの幸福。。。。。

生まれてきて。。。。よかった。。。。「涙嬉」。。空船

返信 これは メッセージ 1 hyougo_34 さんに対する返信です

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幸福の科学をちょっとでも批判すると信者さんはこういう反応を示します:


__Re: 信者さんはこれをどう思いますか? 2009/ 7/27 9:54 [ No.21564 / 24564 ]

投稿者 : cxpnj735


仏法。。流布を妨ぐる。。。。

悪魔はこれを許すまじ。。。。。。

仏。法。僧への中傷は。。。。

極悪非道の所業なり。。。。。。。。

もはや人間として生まれるは。。。。

これが最後と悟るべし。。。。。

この世のいかなる大罪も。。。。

和合僧。。。破壊の罪は。。。。。

阿鼻叫喚。。。堕地獄への道。。。避けがたし。。。。。


私たちは。。。出家者。。。つまりね。。お坊さん。。。。。

袈裟もつけていないが。。。。。心にね。。。

仏法真理をまとい三法に帰依した僧侶なんですよ。。。。。

あなたが地獄に行った時には。。。。。

私が行きましょう。。。これも縁だからねえ。。。。。「笑」

お坊さん。。。いじめるのやめなさい。。。。。。

あなたの幸福を祈ります。。。。。

ああ。。。。

言い忘れたことがある。。。。

地獄であなたを探さなくてはいけないので。。。。

名前を言いなさい。。。。。。。。。。。。

救済に行くから。。。。。必ずね。。。。。

最後にもう一度言うよ。。。。

お坊さんをいじめるのは。。。やめなさい。。。。。

自分を破壊するのと。。。同じだよ。。。。。。。。空船

返信 これは メッセージ 21558 中川隆さんに対する返信です
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21564


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これは赤星博峰さんという幸福の科学の狂信的信者に対する常識人の見解ですが、程度の差こそあれ、すべての信者にそっくりそのまま当て嵌まりますね:


恐ろしいほど 2009/ 8/29 0:45 [ No.21876 / 21877 ]

投稿者 : hyougo_36

会話が噛み合いませんねww

掲示板だからですか?
それとも実生活で誰かと会話している時もその調子ですか?

普通に答えてくれれば結構なんですけど。

坊さんも3人くらいリアルで知り合いが居るけど、みんな普通に会話できるんですが…

返信
これは メッセージ 21874 特命・弘希さんに対する返信です
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21876#under-deli


Re: 恐ろしいほど 2009/ 8/29 5:22 [ No.21877 / 21877 ]

投稿者 : ukiyo_banare0823

普通の会話は無理でしょう。

幸福の科学の教義には合理性がありません。教義の正当性を証明するものがないのです。

客観的事実や科学的根拠の前ではいとも簡単に瓦解してしまいます。
それでも信じようとする者は、合理性や科学性を無視しなくてはいけません。もっともこれは幸福の科学に限らず、キリスト教を代表とする多くの宗教に共通します。

異なる宗教を信じている者同士では会話は成立しないのは昔も今も変わらないようです。

返信
これは メッセージ 21876 hyougo_36 さんに対する返信です
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21877#under-deli


まあ、幸福の科学信者と会話しようとしても こういう感じになりますからね:


2009/ 8/ 9 12:34 [ No.21676 / 22044 ]

投稿者 : tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

↓のメシヤ教系列教団は、現在グレーゾーン的存在 ですが、もう一つ 病気治しが得意な宗教に、生長の家 があります。幸福の科学より詳しく説法されています。
生長の家 は、認定宗教のひとつ です。本物です。


2009/ 8/ 9 13:03 [ No.21678 / 22044 ]
投稿者 : hyougo_36

誰が認定していて、それってどういう基準なのでしょうか?
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21678


私の根本は高野山真言宗(正統密教)です 2009/ 8/ 9 16:22 [ No.21679 / 22044 ]

投稿者 : tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

教えの内容 霊的審査による認定です。
本物の定義とは、実際 神仏に繋がりのある宗教です。
また、悪霊によるものと判明した場合、指定済邪教 となります。


Re: 私の根本は高野山真言宗(正統密教)です 2009/ 8/ 9 20:27 [ No.21685 / 22044 ]

投稿者 : hyougo_36

なるほど。他者には一切確認のしようの無い基準であるわけですね。

で、なぜに真言宗の正統密教が、そのような認定が出来る権威を持っているのでしょうか?

それから「霊的審査」とは、具体的にどのようなことが為されるのでしょうか?
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21685#under-deli


神仏に直接教えを戴く霊的審査 2009/ 8/ 9 20:39 [ No.21686 / 22044 ]

投稿者 : tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

個人差はありますが 神仏と通信できる僧侶は、他にもおられますよ。


Re: 神仏に直接教えを戴く霊的審査 2009/ 8/ 9 20:55 [ No.21687 / 22044 ]

投稿者 : hyougo_36

>個人差はありますが 神仏と通信できる僧侶は、他にもおられますよ。

世界中には「○○と通信した」とし、また、それを自らの主張の正当性の理由とする人間がたくさん居ます。

また、それらの主張していることは似通うものもあれば相反する内容のものもあったりします。

そこでまた質問なのですが、なにを持って真言密教のそれを「正しい」とされているのか教えてもらえませんか?

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21687#under-deli


回答 2009/ 8/ 9 20:59 [ No.21689 / 22044 ]

投稿者 : tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

密教は、伝統宗教のなかでは 最高峰にあります。
大日如来直接伝授のみ教えです。


Re: 回答 2009/ 8/ 9 21:04 [ No.21690 / 22044 ]

投稿者 : hyougo_36

>密教は、伝統宗教のなかでは 最高峰にあります。

「最高峰」となっている理由は下記の

>大日如来直接伝授

が理由なのでしょうか?

ちなみに「直接」とはどのようなものであったのですか?


霊能力は宗教としての資格 2009/ 8/10 16:45 [ No.21693 / 22044 ]

投稿者 : tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

霊的波長を読み取りキャッチ。科学的には、未解明電磁波ですかね。
言葉ではありません、神仏のみ心がそのまま入ってくる感覚 です。
その後、頭で人間語に 翻訳しています。


未解明電磁波という 2009/ 8/10 18:50 [ No.21696 / 22044 ]

投稿者 : tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

解説
自分のなかの電磁波=妄想
実際の他力による電磁波=通信


高級霊の波動を受けるには 2009/ 8/10 19:52 [ No.21698 / 22044 ]

投稿者 :tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

アンチ波動が入ると、キャッチ出来なくなる矛盾があります。
特に、修羅霊に邪魔される・・・


世の中の根本 2009/ 8/10 22:14 [ No.21702 / 22044 ]

投稿者 : tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho

宇宙の根本、それは 神
人間の根本、それは 霊。
以上


Re: 未解明電磁波という 2009/ 8/11 1:08 [ No.21704 / 22044 ]

投稿者 : hyougo_36

なんともユニークな発想ですね。

「電磁波」という言葉で括ってしまいましたか。

なんだかオイラ的には神様に失礼なんじゃないかなって感じましたけどwwいくらなんでも電磁波って…

>高級霊の波動を受けるには アンチ波動が入ると、キャッチ出来なくなる矛盾があります。

これのどの辺りが、何が何に対して「矛盾してる」という図になるのでしょうか?オイラにはさっぱり理解できないのですが。

まあ、理解できないのはオイラの頭が悪いからかもしれないので良いとして、
ところで神様って人間に対して何を語りかけてるんですか?

差し支えない範囲で教えていただけませんか?
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21704#under-deli


47投稿者:中川隆  投稿日:2009年08月11日(火) 10時50分47秒

弘希先生,これにも答えてあげてね:2009/08/11(火) 10:47:07 ID:FDc/i9oW

Re: 未解明電磁波という 2009/ 8/11 1:08 [ No.21704 / 21706 ]
投稿者 : hyougo_36
ところで神様って人間に対して何を語りかけてるんですか?
差し支えない範囲で教えていただけませんか?
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=21704


48投稿者:tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho  投稿日:2009年08月11日(火) 18時17分46秒

落書き禁止


49投稿者:中川隆  投稿日:2009年08月11日(火) 19時51分43秒
hyougo_36 さんには礼儀としてちゃんと答えてね.


50投稿者:tokumei_hiroki_akahoshi_hakuho  投稿日:2009年08月12日(水) 00時32分33秒

神の使徒の権威は、人間の作った礼儀などに勝る


そして結局,赤星博峰先生は何も回答しませんでした.

博峰先生の性格について解説します 2010/ 1/31 21:21 [ No.24299 / 24561 ]

投稿者 : 中川隆


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 ___       〉 〉           /l
 ヽ ゙i_       〉 __ヽ,_    r‐'" ノ
  l、__ `l_,.-'く く_コ `'l ,ヘ、,ヘノ  l~
    l  /ー-、ヽ─‐'"/.__\ /
    `/l ̄V''ーv l_ し'"V   / ヽ
      | l、__/   ゙、__/   l     あなた方は幸運ですね
      |       rニヽ,       |   < 何故かって?
     |     lニニニl      /      変態博峰を見れたからです
      \           /       
         `ーァ---──'''"ヽ,        ハッピー
        / / l,  i ヽ ` \

ダメダメ人間は、自分で考えることをしない。ただ権威筋から与えられたご高説をオウム返しに繰り返しているだけ。自分で考えないから、人の話を聞かなくてもいい。

しかし、人の話を真摯に聞かない人に、誰がマトモに話をするの?
ということで、そのような人間には、誰も込み入った話をしなくなり・・・
つまり、その人の目の前からはトラブルが消えてしまう。
だから、その手の「ご高説」人間は、「私たちは、上手く行っている。」
と勝手に納得することになる。

だって、誰も、そんな人には自分の困りごとを相談しないんですからね。
そんな人は、無意識的には、相手から言わせないようにしているわけ。
だから、「自分の周囲には何も問題がない」と考えるのも、ある意味において無理のないところ。

ダメダメ人間は、話をしていても、文章のやり取りをしても、

「これは△△が原因なんだと思いました。」

「結局は、こんなことが原因なんだよ!」

なんてフレーズがいとも簡単に出てくるわけ。早めに原因とやらをリストアップしてしまって、自分自身に降りかかることを防止するわけです。だからその思考の展開もなく、実に猪突に結論に到達しちゃうんですね。

しかし、これからもっと深く考えようと思って、やり取りをしている時に、さっさと「これが原因なんだ!」なんて言われちゃったら、どう思いますか?
「アンタがそれで納得したいなら、それでいいけど・・・その結論に何の意味があるの?」となりますよね?

まあ、そんな人とは、それ以上のやり取りなんてしたくはないでしょ?
だってツマンナイもの。

そんな人は、どんなことが起こっても、いつも同じ理由で片付けてしまうんですね。

その手の人って、思考から逃げるための「取っておき」の理由を常に持っているもの。

都合が悪くなると、その言葉を持ち出す。
聞いている方は、「あ〜あ、また、いつものヤツね!」と、呆れるだけ。
その手の「取っておき」は、いわば相手の話から逃げるための理屈。
「いかにして相手の話から解放されるのか?」そんなことで必死になっているわけ。
http://renewalmmbacknumber.hp.infoseek.co.jp/09-11/09-11-04.html


博峰先生の「取っておき」の言葉は


90投稿者:↓  投稿日:2009年11月06日(金) 00時09分10秒
落書き禁止

196投稿者:↓  投稿日:2009年11月09日(月) 22時17分02秒 ID:LA5k6qJr
回答済み

88投稿者:↓  投稿日:2009年11月04日(水) 00時23分45秒
解決済み 落書き厳禁

101投稿者:↓  投稿日:2009年06月07日(日) 17時24分22秒
しつこい

84投稿者:↓  投稿日:2009年06月01日(月) 17時21分16秒
余計なお世話

74投稿者:↓  投稿日:2009年11月01日(日) 00時17分40秒
低レベルには分からないだけ

76投稿者:あまり  投稿日:2009年11月01日(日) 00時21分59秒 ID:LA5k6qJr
人を妬むな。

82投稿者:回答  投稿日:2009年11月01日(日) 15時39分48秒 ID:LA5k6qJr
全て、神仏直結の説法の通りだ。
唯物論は改心なさい。

75投稿者:そんなことより  投稿日:2009年11月01日(日) 00時19分17秒 ID:LA5k6qJr
南無本物宗教12
を究めなさい。時間の無駄だ。

94投稿者:↓  投稿日:2009年11月21日(土) 21時40分33秒 ID:LA5k6qJr
信じない者が、損するのみ。 http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=24299#under-deli


Re: 博峰先生の性格について解説します 2010/ 1/31 23:01 [ No.24300 / 24561 ]

投稿者 : 大川恭子

とても明解であり明快だわ。
もったいないわね、アンチにしておくのは。
赤星さんとやらより、よっぽど論理が通っているわよ。
大川総裁もあなたの粘りは評価してるわ。

返信
これは メッセージ 24299 中川隆さんに対する返信です
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=9acja1a4n2j3xa1a12q0wa4h8la4ka5ha5t&sid=1835217&mid=24300#under-deli


一般の幸福の科学信者も程度の差こそあれ、みんな赤星博峰先生と同じだと考えて下さい。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/231.html#c1

[近代史4] 幸福の科学 中川隆
2. 中川隆[-13268] koaQ7Jey 2020年3月02日 06:25:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[261]
幸福の科学の信者に多い発達障害者については


「認知の歪み」が諸悪の根源だった _ 医療少年院で精神科医が受けた衝撃
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/630.html


発達障害者の実例

剱岳行方不明 _ 19歳の妹が9/8の日曜の夕方から行方不明です。何か情報をお持ちの方よろしくお願いいたします。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/992.html  

天皇家では何時から知恵遅れや発達障害の子供しか生まれなくなったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/110.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/231.html#c2

[近代史4] 中川隆投稿集 _ 世界の料理 中川隆
4. 中川隆[-13267] koaQ7Jey 2020年3月02日 06:39:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[262]

食物によし悪しなし! 柴田流健康長寿の14か条  健康リスクを回避する、食肉生活のススメ (PRESIDENT ) 
39. 2012年9月22日 アイヌの食文化
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/550.html#c39
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/139.html#c4
[近代史3] アイヌの食文化 中川隆
3. 中川隆[-13266] koaQ7Jey 2020年3月02日 06:43:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[263]

食物によし悪しなし! 
39. 2012年9月22日 アイヌの食文化
http://www.asyura2.com/09/health15/msg/550.html#c39
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/182.html#c3
[昼休み54] 菅、枝野、北沢が妨害しなければ福島原発事故は起きなかった 中川隆
1. 中川隆[-13265] koaQ7Jey 2020年3月02日 06:48:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[264]

菅、枝野、北沢が妨害しなければ福島原発事故は起きなかった


「炉心溶融はない」「放射能は漏れていない」「健康被害はない」と大嘘を付いていた枝野幸男


引用:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-b5-6d/level4level4/folder/172944/49/29051549/img_0


福島原発の事故で、菅首相の指示で「炉心溶融」を2ヶ月間隠していたのが分かりました。

菅内閣は当時他にも、放射能漏れや、健康被害の可能性も隠していました


あの日責任者達は何をしていたのか

6月16日、2011年の福島原発事故でメルトダウン、(炉心溶融)の公表が2ヶ月遅れた問題で、調査報告書が出されました。

東京電力の依頼で調べていた弁護士らの第三者委員会が、2016年3月から調査していました。

福島第一原発は2011年3月11日の津波で冷却水用発電機が海水を被り、全電源停止に至りました。

翌3月12日には建屋が次々に、充満した水素で爆発し、冷却水の水位が下がって燃料棒が剥き出しになりました。

燃料棒は冷却水が循環する事で冷やされているが、水から露出すると高温になり、やがて自らの熱で溶け出します。

燃料棒が溶けて下に落ちる状態がメルトダウン(炉心溶融)で、原発事故で最も深刻な事態とされています。


福島原発では隔壁で仕切られた原子炉の中に溶けた燃料棒が溜まっていると考えられるが、チェルノブイリでは外部に放出されました。

この炉心溶融が事故当時秘密にされ、事故から2ヵ月後にようやく明らかにされました。

事故直後は放射能漏れも否定していて、枝野官房長官が「人体には影響が無い」と何度も強調していたのが印象的でした。


後に枝野官房長官は人体に影響があるのを知っていたと認めたが「ただちに影響がないとはとは言っていない」という名言を残しました。

枝野は炉心溶融も知っていたし、放射能漏れも知っていたが、同じような論法で言い逃れていました。

「炉心溶融は起きていない」と記者会見で何回も断言していたが、それも嘘でした。


「炉心溶融」を禁止したのは菅直人

調査報告書では事故3日後の3月14日に、記者会見中だった武藤副社長に広報担当者からメモが渡されていました。

メモには「炉心溶融」という言葉を使わないように、清水正孝社長からの手書きの指示が書かれていました。

清水社長から副社長には、炉心溶融を使ってはならないという、官邸からの指示があったと説明していました。


東京電力は「明確な定義がなく誤解を与えるので炉心溶融を使わなかった」という嘘の説明をしていました。

事故後の一部報道によると、東電の清水社長は地震の30分後に自衛隊幹部に電話を掛け「メルトダウンは避けられない」と助けを求めたとされています。

自衛隊の動きは素早く、必要な機材を大型ヘリで運んだり人員を投入する準備を始めました。


3月11日に清水社長は名古屋に居たので、東京で指示を出す為、自衛隊機に乗せて羽田に向いました。

だが枝野官房長官と北沢防衛長官の2人が「無断で自衛隊が動いているのは軍事クーデターだ」と大騒ぎして、着陸数分前に名古屋に引き返させました。

清水社長は翌日未明に陸路で東京に戻ったが、この間に貴重な10時間ほどが失われました。


枝野、北沢、菅の3人は自衛隊が東京電力と電話する事を禁止し、今後一切自衛隊は関わるなと命令しました。

自衛隊の支援を絶たれた東京電力は大混乱に陥ったが、冷却の為に海水を入れることと、水素ガスの放出が必要と判断しました。

燃料棒は水から出ると水素を放出するので、建屋に水素が充満しているのは、燃料棒が露出していると考えられました。


菅、枝野、北沢は「現場から逃げ出そうとした東電を止めた」などと大嘘をついて、全てを吉田所長のせいにした
94c1b802
引用:http://livedoor.blogimg.jp/kimito39/imgs/9/4/94c1b802.jpg


「なんだ、馬鹿野郎」

ここで菅直人首相は歴史に残る名言「ボクは原発の事は良く分かっている」と口にし、水素放出と海水注入の許可を出しませんでした。

菅首相は翌3月12日朝、ヘリコプターで原発を視察する為に、水素放出を禁じたといわれています。

首相の視察が終わった後でようやく水素放出が許可されたが、この頃には圧力が上がりすぎて弁が動かず、放出が不可能になっていました。


結局建屋は次々に爆発し、福島原発の吉田所長と東電本社の珍問答が延々と続けられます。

所長は海水注入の許可を求めたが東電本社は禁止し、禁止した理由は菅首相が「海水を入れたら爆発する」と主張したからとされている。

しかも菅首相は「自分が海水注入や水素放出を指示した事にしろ」と言って東電に責任をなすりつけ、「東電が東電が」と騒いでいました。


自分が東電の清水社長を名古屋に追い返しておきながら「東電の社長は連絡もしない」などと言っていました。

自衛隊についても自分が活動を禁止したのに、「自衛隊の動きが遅い」などいかにも自分が自衛隊を急がせているように装っていた。

アメリカ軍についても、核処理部隊の協力申し出が初日に来ていたのに「米軍は地震を利用して日本占領を目論んでいる」などと言っていました。


吉田所長は東電社長や菅首相の命令を無視して、無断で海水注入し、本当の核爆発だけは防止しました。

海水注入の是非を検討する会議では所長が菅首相に「なんだ、馬鹿野郎」と言ったとされています。


嘘だらけの閣僚達

その後も菅首相は「東電の吉田所長は原発を放棄して逃げ出そうとしたが、私が止めました」などと嘘八百を繰り返しました。

菅、枝野、北沢、海江田らの閣僚は次から次に事故対策を妨害し、例えば消防には最初福島入りを禁止していました。

だが次の瞬間には直ぐに現場入りするよう指示し、現場に入ったら「指示があるまで何もするな」といって活動を禁止しました。


だがそう言った次の瞬間には「なぜ早く原子炉を冷やさないんだ、さっさとやれ」と罵倒したりもしました。

要するに「自分のお陰で危機から救われた」という演出をしたいがために、テレビの前で自分が指示したかったのでした。

こういった行動が現場を大混乱に落しいれ、例えば菅首相は「ヘリで原子炉に水を撒け」と指示しました。


空から少量の水を撒いても、水は空中に拡散するだけで、作業を妨害しただけでした。

だが次の瞬間には、「消防車で原子炉に水を入れろ」とまるで自分が思いついたように指示していた。

果たして菅、枝野、北沢そして海江田らが閣僚でなかったら、原発は爆破しなかったのか、推測はできるが仮定にすぎない。


だがもし森首相や小泉首相や安倍首相であったら、大型ヘリで発電機やポンプを原発に輸送し、自衛隊は原子炉を冷却しようとしたでしょう。

最初から水素は放出され海水注入が行われたら、おそらく単なる放射能漏れで済んだでしょう。

その上でやっぱり水素が充満して爆発した可能性もあるが、その可能性はかなり低い。

なにより緊急時に最善を尽くさず、作業の妨害ばかりしていた閣僚らが、未だに罪を裁かれていないのは納得出来ないのではないか。
http://thutmose.blog.jp/archives/62021694.html


ABWR
東京電力(株) 柏碕刈羽原子力発電所6,7号機
中部電力(株) 浜岡原子力発電所5号機
北陸電力(株) 志賀原子力発電所2号機


電源無しで緊急注水できる蓄圧系(コアフラッド系)が有るし
(PWRで実績が有る窒素ガスで加圧したタンク、こいつだけでも冷温停止に持っていけるし)
ミスで炉心損傷したTMIでもこの系統で損傷を食い止める事が出来たんだし
福島原発より重心(炉心の位置)を低くしてるし
炉心周り細かい再循環系配管は無しだから地震に強い構造だし

福島事故で注水できなかったって事はこの炉ではまずない設計だよ


http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/747.html#c1

[昼休み54] 菅、枝野、北沢が妨害しなければ福島原発事故は起きなかった 中川隆
2. 中川隆[-13264] koaQ7Jey 2020年3月02日 06:51:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[265]

2018年11月11日
凍土壁はどうなったのか? 成功したのに「失敗」と言うマスコミ

原子力規制員会が凍結を禁止していたのに「凍らない」「失敗」と書いた新聞


画像引用:【東京新聞朝刊】凍らぬ「凍土壁」責任は?/国費350億円 識者は「破綻」 (木村留美)https://pbs.twimg.com/media/Cq2HvxWUMAE76Mh.jpg

あいかわらず”マスゴミ”

安倍首相が東京オリンピック誘致で福島原発汚染水対策の決定打とした「凍土壁」はどうなったのでしょうか?

A新聞などマスコミ各社は「凍土壁は効果がない」というキャンペーンを数年間展開していました。

ところが不思議なことにある日を境に一切報道しなくなり、その「ある日」とは凍土壁が完成した日でした。


凍土壁は最初半分完成し、効果が出ていないとして全マスコミが袋叩きにしていました。

半分しか壁がないバケツと同じで効果が無いのは当たり前なのだが、理屈無視でとにかく叩いた。

凍土壁が完全凍結したのは2017年10月19日で、この日を境に全マスコミは「報道しない権利」によって報道拒否しています。


凍土壁は一か所を除いて2017年春には完全凍結していたが、原子力規制員会が凍結を禁止しました。

禁止の理由は完全凍結によって汚染水が外部に流れ出す可能性があると説明していました。

つまり原発建屋などに汚染水が詰まっているので、凍結で周囲の水位が下がったら「中身が出てくる」ということでした。


マスコミはこれを「凍結したのに効果が出ていない」とウソの報道をし、凍土壁は税金の無駄遣いと言って非難しました。

事実は原子力規制員会が凍結禁止したので凍結できず、だから効果が出ていなかったのです。


報道しない権利というフェイクニュース

凍結後はどうなったかというと、東電報告書では1日当たり汚染水約490トンだったのが110トンに減った。(最大時は一日800トン以上だった)

この数字をどう眺めても4分の1以下に減っているが、A新聞やS新聞などは「凍土壁はほとんど効果がなかった」と報道しました。

どういう理屈かと言うと汚染水減少は井戸による排水や地表の舗装など複数の原因なので「凍土壁」は効果がなかったのだと論評しています。


屁理屈もここまで行くとねつ造だと思いますが、A新聞やS新聞は凍土壁は350億円の無駄遣いだったと結論付けています。(他の新聞は確認していない)

凍土壁が完全凍結したのに110トンの汚染水が発生しているのは、毎日110トンがどこかから敷地内に流入していることになります。

雨水のほか凍土壁の隙間、地中深くの水脈からの地下水などが考えられる。


マスコミは「凍土壁は税金の無駄だからやめろ」と言うのだが、凍土壁をやめれば汚染水が再び増加するのは明らかです。

発生した汚染水を処理しているのは汚染水浄化装置「ALPS」だがこれもマスコミによる被害にあっている。

ALPSは2014年は試験期間で良く故障したが、同年末頃に完成し、今では汚染水以上の処理能力を持っている。


ALPSで処理しきれない放射性物質が残されている問題はあるが、ALPS自体は正常に動作している。

試験期間にALPSが故障していた時は毎日トップニュースで報道していたマスコミは、故障しなくなると一切報道しなくなりました。

今も不具合や測定ミスがあった時だけ報道されるので、ほとんどの国民はALPSと凍土壁は何の役にも立っていないと思っている。


何の役にも立っていないのはマスゴミの方ではないか?
http://www.thutmosev.com/archives/78104304.html

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/747.html#c2

[近代史4] 中川隆投稿集 _ 原子力発電は本当に危険なのか? 中川隆
1. 中川隆[-13263] koaQ7Jey 2020年3月02日 06:52:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[266]

菅、枝野、北沢が妨害しなければ福島原発事故は起きなかった
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/747.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/136.html#c1
[近代史4] 統合失調症患者が体験する世界 中川隆
7. 中川隆[-13262] koaQ7Jey 2020年3月02日 06:58:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[267]

統合失調症の大川隆法先生の世界没落体験


福岡のみなさんこんにちは、えー幸福実現党総裁 大川隆法です。

初めまして、えー、先般福岡の講演会に休んでしまいましたら、
その間に宇宙人の日本侵略が着々と進んでいるようでございます.

私くし いたく反省いたしておりますので、
今日はその遅れを取り返すべく、やってまいりました。

(23日総裁街宣 福岡天神イムズ前)


【ニュース】北朝鮮のミサイルが直撃!



北朝鮮、ミサイル発射の深層【『金正日守護霊の霊言』CM】




世界没落体験とは:

青年期に初発する精神分裂病に「世界没落体験」という症状がある。

急性期に現れる妄想で「世界が今や崩壊に向かっている。いやすでに崩壊した。森羅万象のことごとくが生命を失った。最後の審判が開始された。世界革命が勃発した」などの、周囲の世界の劇的変化が絶対的な妄想確信をもって迫ってくる特有の妄想である。

この妄想の際には不安と同時に昂揚感や宗教的啓示が現れ、世界の崩壊と同時に新しい未知の世界の誕生が予告され、しばしば世界の中心にある自分が至上者と一体化するという宗教的恍惚感が生じ、ときに救済妄想にいたる。

精神病の初期には、自己の内部が崩壊していくカタストローフの感覚があり、しばしば患者は「自分が誰かわからない、狂ってしまいそうだ」と表現するが、この内的カタストローフが外界に全面投影されて生れるのが、世界没落体験である。

一般に思春期は、自己のアイデンティティを形成していくうえで、危機的状況にある。「自分とは何者か」、「何処からきて何処へ向かうのは」、「何をすればよいのか」と真剣に悩む。

世界没落体験は分裂病特有の症状というより、思春期を含めて、人が精神的危機状態にあるときに親和性を示す普遍的な心理的メカニズムなのである。
http://www.geocities.co.jp/Berkeley/4549/chonoryoku.html


分裂病患者は異常体験を説明するのに「電子頭脳」や「テレパシー」などSFの言葉を使うことが多いが、「魔術師に魔法をかけられた」などとファンタジー用語を使う人は見たことがない。

 これはなぜだろう。

 それはたぶん、SFと分裂病の妄想との間には共通点があるからなのだろう。

 まず、SFは世界を描く小説だということ。ファンタジーではあくまで異世界における人間が描かれるのに対し、SFには世界そのものを疑い、新しく構築しようとする意志がある。

一方、分裂病患者に特徴的とされている症状に、世界没落体験というのがある。

これは「世界はいまや危機に瀕している。世界の終末は近い」という、周囲から迫ってくるような絶対的な確信のこと。

分裂病患者にとって、世界はグロテスクに変貌をとげつつあるのだ。それじゃホラーじゃないか、だと思われるかもしれないが、ホラーの理不尽な世界で人間が長いこと生き続けるのは難しい。グロテスクで不条理な世界の中で自己を守るためには、SF的な論理を使ってでも世界を論理の中に位置づけるしかないだろう。それが、分裂病者がSF用語を選ぶ理由なんじゃないだろうか。

 さらに、SFには、形而上的なものを強引に形而下に引きずり下ろしてしまうという特徴がある。抽象的な思想も無理やり「絵」として見せてしまう。バリントン・ベイリーの諸作を思い出してもらえばわかるように、これはSFのパワーであると同時に安っぽさの源泉でもあるのだけど、一方で分裂病の思考にはコンクレティスムス(Konkretismus(独) 英語ではconcretism。具象化傾向と訳されている)という特徴がある。

分裂病者は比喩や抽象を理解できず、そのまま具体的に受け取ってしまうというのだ。
 ただし、SFと妄想に共通点があるからといって、分裂病者の妄想を病者の豊かな想像力のあらわれだと考えるのは間違いである。彼らは決して、想像の翼を羽ばたかせているわけではない。彼らはこのような観念の中で身動きが取れなくなっているのであり、それは想像力とは正反対のものである。彼らは、妄想世界を想像しているのではない。妄想世界を生きているのだ。

________________________________________________________________

それで実際の大川隆法先生の世界没落体験の方は:


圧巻はやはりノストラダムスの霊言。さすが大川先生、ちまちま電波文書みたいな自称・予言詩を解読するよりも、ご本人様に聞けば手っ取り早いというわけです。

 さて。1988年に出版された「ノストラダムスの新予言」によると… 

 ノストラダムス ノストラダムスです。

 ―― あなたは予言者ノストラダムス様ですか。

 ノストラダムス そうです。

 ノストラダムス これは前哨戦ではありますが、三番目の世界大戦が起きます。この勃発は、おそらく1992年ぐらいです。1992年春です。

 ノストラダムス 1992年春、まず1つの核ミサイルが飛んでいる姿が見えます。これは核戦争勃発の発端でしょう。私の眼には核ミサイルが、ヨーロッパのある都市に落ちているのが見えます。

 ノストラダムス 1996年から7年にかけても、また大きな戦乱が起きてきます。(略)中東のイラン、イラク、そうした国々は、核ミサイル、その他の通常兵器によって、かなり徹底的に破壊され、人口はおよそ5分の1になるでしょう。

 ノストラダムス 1998年4月、世界の地形が変わりはじめます。私の眼には幾つかの大陸が沈んでいく姿が見えます。最初に水没する所がでてきます。最初に水没するのは…アメリカ西海岸です。アメリカ西海岸が沈んでいきます。

―― そんな感じで、肝心の1999年7月にはバンアレン帯が裂けて宇宙線や紫外線が地上に降り注ぎ、ついでに地軸もずれて天変地異が次々と起こるそうです。

 ノストラダムス 鯨が熱帯の海に泳ぎはじめたり、また北極海に、熱帯の魚が押し寄せたり、こうしたことが起きてくるでありましょう。日本の漁師たちも魚を漁りに言って信じられないものを漁る、捕獲するようなことが起きてくるようになるでしょう。

1999年は大変な年であります。

―― それは大変ですね。

 そして気になるソ連の運命ですが、2003年から第四次世界大戦が始まって、ソ連は徹底的な打撃を受けるそうです。

 ノストラダムス 共産主義を信望するソビエト政府は、この大戦によって滅んでいきましょう。ソビエトは中国によって滅ぼされます。

 ―― その時期、中国は共産主義政権ではないわけですね。

 ノストラダムス 帝国主義です。自由主義的帝国主義になっております。

 ―― ともあれ、2020年には「幸福の科学」の教えが世界中に広まり、素晴らしい大調和の時代を迎えるそうです。めでたしめでたし。

ちゆ が個人的に大川先生の最高傑作だと信じているのが、1991年に出版された「ノストラダムス 戦慄の啓示」です。 その内容は、日本を海の怪物・リヴァイアサンにたとえて、それが世界征服するという予言です。

 21世紀、リヴァイアサンは無敵となるであろう。
 年老いた鷲の喉を食いちぎり、また、力尽きた赤き熊を打ち倒し、老いたるヨーロッパを嘲笑い、中国を奴隷とし、朝鮮を端女(はしため)とするであろう。

 特に、大川先生ノストラダムスのアジアに対する怨念は凄まじいものがあります。
 たとえば、中国に関する記述。

 ああ、ああ、何だろう、この魚の大群にも似た国は。
 そんなにも餌がないのか。

 おまえたちは、海に程近いところにいるではないか。なのに10億の小魚たちは群れをなして、どこにその姿を隠せばよいかさえわからぬらしい。
 毎日毎日が、食糧との闘いだ。

 おまえたちは、いったい何のために生まれてきたのか。
 何の因果があって、そのように、冬の日によく晴れて蚊トンボが湧くように、数多くの命を得たのだ。

 十一億の中国の民は、三億人にまで人口を減らす。 八億は死ぬ。

 いかなる死に方をするか、それをあなたがたに選ぶ権利はない。

 あなたがたは、人間として生まれて来ないほうがよかったのだ。


さらに、韓国と北朝鮮に関する記述は。

 最も愚かなる者がいる。
 ああ、他人のひさしを借りて生業を立てる者よ。東洋の淑女よ。おまえは数限りなく犯され続けてきた。

 引き裂かれたる姉妹が、一つになろうとするとき、この姉妹の不幸が起きる。この由緒ある家柄に育った姉妹は、再び怪物に犯され、怪物の子を孕(はら)むことになる。

 おまえたちは、怪物の子を産むことのみによって生き長らえることができるのだ。

 海の怪物は、おまえたちを犯しに再びやって来る。そのときに、手のひらを返したような態度をとっても、もう遅い。

 借金のかたに娘を奪われるは、いつの時代も同じ。そのときに泣き叫んでも、もう遅いのだ。

 おまえたちの、不幸を愛し、不幸を忘れず、不幸を心に刻み、不幸を他人のせいにし続けた心が、また不幸を呼ぶことになるのだ。

 相手は海の怪獣なのだ。

 怪獣に対して、小魚が嘲笑ったということが、命とりとなったのだ。それをまた深く悔いることが来るであろう。


 「新しい歴史教科書」など歯牙にもかけぬ、差別表現の嵐。

 結局、「史実と異なることを話す霊言」と「まるで当たらない予言」のダブルパンチは後で激しく非難され、これらの霊言集は全部廃刊になります。

 しかし、だからと言って大川先生が嘘つきなのではありません。

 実は、一般の人が知らない間にも「幸福の科学」の会員さんたちの努力が続けられていたのです。その結果、天変地異を起こす「悪想念」が減らされて、予言された事態が回避されただけだったのです。

 その時点で予言書は役割を終えたのですから、その後もあえて出版し続ける必要はないというわけです。ブラボー。
http://tiyu.to/permalink.cgi?file=news/01_07_07




142 名前: 湾岸戦争のときの予言 投稿日: 2001/06/02(土) 02:37

昔の宣伝チラシを発見しました。90年頃のもの。以下引用


>驚天動地の世紀末。信じる信じないにかかわらず、この予言は現実になる

●動乱の中東  アメリカを主役とした多国籍軍とイラクとの間に始まった戦乱は、
 世界の予想を裏切って長期化する。さらに地震がこの地を叩く。戦火はイスラエルを
 巻きこみ、全アラブへと拡大する。(後略)

●EC統合は失敗 1992年、EC統合。しかしこの動きは大方の予測と期待にもかかわらず
 失敗に終わる。各国のエゴが表面化し、足並みは乱れ、ついには醜い争いとなる。
 このころ東欧諸国には、次々と大地震が襲う。その復興は、もはや不可能。(後略)

●血に染まるソ連・東欧 (略)

●革命と天変地異の中国  1997年。香港返還の前後に起こる中国の革命運動は、強力なる
 カリスマによって指導される。この流血の革命は、大量の難民を生み出す。
 さらに襲いかかる天変地異は、破壊と大飢饉をもたらすのみである。多くの命が、この地
 から奪われる。(後略)

●地に堕ちるアメリカ  (前略)ウォール街には死の商人の匂いがたちこめ、
 この街はアメリカのガン細胞となる。(中略)
 1995年までに、エイズ以上の恐るべき病が、社会的地位の高い者を次々と襲い、
 奇怪な死へと招くであろう。最強のアメリカン・ドリームの国は、わずか百年の
 きらめきを残し、西から東から海中に沈みはじめる。
●大波乱のアジア (前略)禍がそのピークを迎えるのは、中国が動く時
 であろう。中国の無数の民が、中ソ国境を越えてゆく。それは容赦無き
 戦い。この争いは、中ソ国境のみならず、中東、西南アジアへと動乱を
 及ぼしてゆくであろう。

●世界の人口は半減、日本も又…?  戦乱、飢饉、天変地異の時代を迎え
 世界52億の人口は半減する。現在の中東動乱は、その序章にしかすぎない。
 1999年夏。大気圏のバンアレンシア帯に巨大な裂け目。有害な宇宙光線が
 数億の生命を奪うであろう。そしてある日突然、生き残った人々は揺れ動い
 ている地球を体験するにちがいない。
 地軸がその位置を変え、南極の氷は流れ出す。寒帯は温帯となり、日本の
 太平洋岸のある都市をはじめ、世界の多くの都市が海中へ没してゆく。
 これは悪い夢などでは決してない。90年代の現実であり、近未来の事実である。

>これは悪夢ではない。現実である。

●日本はどうなる?   これは地球規模での大動乱です。日本もその災いを
 免れることはできません。
 かろうじて生き残ったとしても、世界中のいたるところに戦火が渦巻き、
 天変地異・食料飢饉・経済恐慌が蔓延しています。(後略)

●正確な予言情報を発信できるのは、霊天上界と直結している「幸福の科学」だから
 なぜ、私たち「幸福の科学」には未来が見えるのでしょう。それは、私たちの人類
 幸福化運動を支援するべく、高級霊界に500人を超える指導霊団がおられるからです。
 高級諸神霊のみなさんは、現成の仏陀さまを通して、私たちをつねに指導してくださって
 います。(後略)

湾岸戦争が始まる頃に配られた戸別用のチラシのようです

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 『奇蹟の時代を生きる』(95年3月出版)より


すでに、1980年代後半から「世紀末が来れば、どのようになるか」ということについて、私は何度も予言的警告をしてきましたが、いつしか時代そのものが、その世紀末へと突入してきたように思います。
 
1995年――。もう今世紀も残り少なくなりました。
大きな流れとしては、私が予言してきた方向に、だいたい動いてきたのではないかと思います。

私はみなさんに言っておきます。

「阪神大震災の“大”の字は、付ける必要がなかった」と言われる時期が迫ってきているということを――。
 
確かに阪神地方で起きた災害は、五十年ぶりの悲劇ではありますが、これから起きるものを想定すると、今回の震災による被害は、その1パーセント程度にしかすぎません。もっともっと信じられない光景が、今世紀末から来世紀初頭にかけて現われるでしょう。

これは最後ではない。これが始まりである。

これが世紀末の本当の序章である。日本は地震列島といわれるだけあって、全国各地に震源地を持っています。これから世紀末の数年および来世紀の
はじめにかけて、地震を中心とした災害が起きる可能性があると思われる地域を述べます。』(P.15〜24)


東京には、大きな地震が少なくとも三つは来ます。
おそらく、一九九八、一九九九年ごろに来る地震が最大のものであろうと思います。

(中略) この、首都圏を中心とした次なる大震災に、いかに対応すべきか──。

私もここ一週間ほど考え抜いたのですが、
残念ながら、現実的方法として、打つべき手はほとんどありません。

すでに、世紀末まで押し迫っているこの時期において、こうした大きな震災を止めうる手段はないと思います。
(大川隆法著『奇蹟の時代を生きる』 22〜24頁)

_________________________________________


「これは最後ではない。これが始まりである」

大川隆法・幸福の科学主宰は,今年【=1995年】2月5日の大講演会(於・横浜アリーナ)で今後世紀末の数年間に起こりうる日本各地の大地震について,具体的地名を挙げて明言した。【〜略〜】

九州
「九州一帯の危険地帯は日向灘。ここで地震が起きた場合に直撃するのは,宮崎です」

「次に,北九州の福岡方面に,海底での地震による被害が予想されます」


中国
「最も予想されるのは,広島を中心とした地震です。この近辺に大きな地震が起きる可能性があります」

近畿
「今回,神戸を中心としての大地震が起きましたけれども,まだ,これでは終わらない。大阪,滋賀,この辺りの直下型地震」

「奈良,和歌山,この直下型地震」

「それから,原発があるところの敦賀中心の地震。琵琶湖から日本海へ抜ける断層が危険です」


中部
「長野および岐阜の地震が予想されます。さらに,一番恐れられている,駿河湾を中心とした東海地震」

関東
「そして,神奈川西部,小田原を中心とした地震」

「さらに,東京においては,東京湾直下型地震」

「さらに,東京西部八王子,立川の活断層の地下における直下型地震」

「さらに,東京荒川断層直下型の地震」

「さらに,津波を伴う房総沖の地震」


東北
「仙台を中心とする地震。津波を伴う可能性があります」

「そして,青森と函館を結ぶ途中の海底で起きる地震」

「その他にも,私に感じられるものは数多くあります」

(『The Liberty』創刊号,1995年5月 24項〜25項)

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「西暦2000年。世界の人々は、前年の夏に起きた衝撃的な悪夢からまだ立ち直れないでおります。

この頃まで世界の中心だったニューヨークは、その機能をほぼ壊滅的なまでに失っているでしょう。ロンドンの人びとは、夜明けの薄明かりの中を、手探りをしながら歩いている状態です。

フランスは、眠っております。中近東は、仮死状態です。中国では政変が起きて、共産主義体制が急速に崩壊していきます。

ソビエト? その名は、死を意味しています。大きな死体が横たわっているのと同じです。

日本は――日本は、全国各地で復旧作業が続いているでしょう。自衛隊員が、ミミズのように分断された新幹線の線路工事に、玉のような汗を流しているでしょう。かつて都市だった太平洋岸のある地域には、黒潮が打ち寄せて、藻が繁り始めています。

日本各地で、政府主催の合同慰霊祭が行われて、その読経の声が低く流れております。しかし、日本は無事でした。この災難を機に、日本では、神理を求める声が全国津々浦々から聞こえてき始めて、人々は悪しき万能主義、唯物主義の迷信から目覚め、光へと向かいつつあります」

(大川隆法『黄金の法』角川文庫版 204ページ15行目から205ページ11行目まで)

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●「太陽の法」大川隆法

「太陽の法」といえば、思い出されるのが大川隆法の代表作だ。ここしばらくの間に「アラーの大警告」「ノストラダムス戦慄の啓示」など立て続けに発表し、その売れ行きも好調なようで、そのしたたかな商売人ぶりは注目に値するほどだ。

湾岸戦争突入直前に、シドニー・シェルダン級の大宣伝をうった「アラーの大警告」は、テレビで連呼されていた「イスラムの原理」や「アラブの商法」といった日本人に馴染みの薄い言葉と同様の不気味なエキゾチシズムを持っていた。そのポスターは戦車やミサイルや雷様の跋扈する黙示録的世界を描いたものだったが、その図案は1973年の第一次ノストラダムスブームの折、勢いのみで作られた東宝映画「ノストラダムスの大予言」のものと非常によく似ていたので、その手の事情に明るい者達の失笑を買ったのだった。

しかし大川隆法の悪ノリに留まる事は無く、300万部を売ったと自称する「ノストラダムス戦慄の啓示」と、神がかり社長が率いる角川書店から「ノストラダムスの新予言」が文庫化されたのであった。この2冊の「ノストラ本」、大川隆法がお筆先でノストラダムスのメッセージを受けとり、「戦慄の啓示」では詩篇として、「新予言」ではヨハネやエリヤといった聖書に登場する預言者達を交えたインタビューによって世界の滅亡が熱っぽく語られるのである。

大川による人類滅亡のシナリオは、戦争と天災、バンアレン帯が真二つに裂けた挙げ句に数億人が死んでしまう、というこれ又物騒なもの。しかし日本を中心に『太陽の法』が広まり、2010年以降は救世主の言葉通りに世界は新しい秩序を取り戻してめでたし、となる。これの一体どこが五島勉による人類滅亡の筋書きと違うのだろうか? 

五島勉が押えた口調で「死ぬぞ死ぬぞ」と脅迫したのに対し、大川は「熱帯の魚が北極海に押し寄せる」と大ボラを吹いている。せいぜいがその程度の差しか無く、内容は73年以降のノストラダムス話の焼き直しでしかない。

つまりは五島勉が考えた人類破滅のアラスジにそのまま便乗し、「世界を救うべく」「『太陽の法』を日本中心に広めていく」商売にノストラダムスを見事利用した者こそが大川隆法なのだ。

実際、膨大な量を誇る大川の著書のほとんどはオリジナルな悟りの境地から生まれたものでは無く、仏教、儒教、イスラム教といった既成のものを使った当たり前の道徳や説教のたぐいにすぎない。

そこにUFOだのノストラダムスを恥も外間も無くぶち込めば、「新興宗教なんて」と馬鹿にしていた、73年のブームを知っている世代もついつい軽い気持ちでそれらの本を手にしてしまう。

五島勉から大川隆法と連なる破滅志向のデマゴギスト達を支えているのは、洒落と紙一重で世の中を見る事が格好良いと考えている若きおタク連中の一部なのである。http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/242.html


5139.地球系霊団の最高責任者?

名前:アウグスト 日付:10月1日(木) 18時47分

大川髢@という人は状況を客観的に把握する能力が決定的に欠けていると思います。

民主党政権が行き詰まったら、民意は第3極である幸福実現党に向かう
そんなことを本気で考えているようです。

幸福実現党=KKが世間からどのように見られているか
その恐ろしいまでの現実をご存じないようです。

はっきり言ってカルト教団が政治的野心から立ち上げた怪しげな政党
国民の大多数の受け止め方はそのようなものです。
選挙の間、私の職場でも幸福実現党のことが話題にのぼっていました。
職場では信者であることを隠していましたからもうみんな言いたい放題です。

KK信者が10万人台であることを知らないはずはなかったと思いますが
それでも、シンパ層を含めれば100万人台は間違いないと思っていたのでしょう。
書籍の売り上げを見ればどれもベストセラー。
実際は信者が大量に購入していただけなのですが信者の100倍ぐらいはシンパ層がいてもおかしくないと自負(錯覚)していたのかもしれません。

あのバブル大伝道の時は世紀末の恐怖の予言で信者を駆り立てていました。

そしてやってきた1999年の7月

記憶は定かではありませんが
その時の御生誕祭の法話は
コーヒーブレイク系の何か軽い内容だったことを覚えています。
その時、私は「総裁は逃げているな」と感じました。
おそらく総裁は嘘をついたつもりはなかったのでしょう。
自身の霊感によれば、世紀末の危機がくるのは不可避だったのだと思います。
しかし、幸か不幸か現実はそうではなかった。

そこで考え出したのがエルカンターレの光がノストラダムスの予言を滅ぼしたのだ
とする論理です。

下手な言い訳にしか聞こえない論理だと思っていましたがとにかく不幸は現実化しなかったのだからよかったではないか。
そう自分に言い聞かせて信仰から離れるまでには至りませんでした。

しかし今回また同じような行動原理が使われました。
恐怖の予言によって信者を行動に駆り立てるという。
今度は北朝鮮のミサイル攻撃です。
「毅然たる国家」というキャッチフレーズが使われました。
敵基地先制攻撃という勇ましい言葉が飛び交いました。

愛する人を守るために今こそKK信者が行動を起こさなければならない。
選挙期間中にも金正日がミサイルを発射するかもしれない。
そんな噂がまことしやかにKK信者の間で語られました。

確かに世論に一石を投じるという役割は果たしたかもしれません。
しかし、数十億の資金を投じてまでやらなければならないことだったのでしょうか。
教団の財政的体力は、致命的な打撃をうけたはずです。
「宗教界のトヨタ」を自負していますが信者からお布施を巻き上げているような実態から言えば体力の消耗は深刻なはずです。

総裁には状況を客観的に把握する能力がないのでは?
「地球系霊団の最高責任者」を自称するにはあまりにお粗末な経営能力だと言わざるを得ません。


5142.Re: 地球系霊団の最高責任者?
名前:イエスまりあ 日付:10月2日(金) 1時20分

かつて阪神大震災の直後(良く覚えていないことをお詫びします)
日本中が大惨事になる。そういう講演会がありましたね。

あの頃は信者の多くが必死で伝道したものです。

結果は何事もなく数十万円出して揃えたグッズは今も押入れの中で
眠っています。その時も何も起きなかったのは信者が必死で結界を作って守ったからです。とおっしゃいました。

何事もなかったことは大変喜ばしいことですが総裁の言葉をどうしても
素直に聞き入れることが出来なかった事を思い出します。

今は冷静に判断することができますが恐怖心を煽ること自体がお粗末であることはまちがいないでしょう。

今回の選挙も問題のビデオを見た信者は必死で一般の方に伝えていたよ
うです。世の中は新しい風を起こすことに躍起になっていました。

一石を投じた?ですか。
世の人々にオウムと同じ輩であるという認識を持たせた今回の選挙であったように思いました。
http://www2.ezbbs.net/30/kofukunokagaku/

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/419.html#c7

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