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[近代史3] ベドルジハ・スメタナ 『モルダウ』 中川隆
2. 中川隆[-14021] koaQ7Jey 2020年2月06日 11:36:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-690]

東欧 - クラシック音楽 一口感想メモ
ベドルジハ・スメタナ(Bedřich Smetana, 1824-1884)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E6%9D%B1%E6%AC%A7


連作交響詩『わが祖国』(Má Vlast)(6曲)(1874-79年)

•第1曲:ヴィシェフラド◦3.8点


ワーグナーをすぐに連想するような、古代的なおとぎ話のような雰囲気を持っている。ヴィシェフラド城という城を題材にしているのはよく伝わってくる。心地よいファンタジー感で楽しい。かなり良いのだが、ワーグナーほど情熱的で地が湧く感じでないところに彼との差を感じる。

•第2曲:モルダウ◦4.5点


主要なメロディーをはじめとして、どの場面も旋律、雰囲気、音による描写の的確さなどいずれも非常に優れている。甘く劇的で描写的なロマン派の美点を見事に代表する曲の一つと言えるだろう。大地を流れる大河の自然の壮大さ、川の水のエネルギーなどをこれ以上なく表現できている。

•第3曲:シャールカ◦3.3点


やや和声や旋律に凡庸さを感じる場面が多くあるが、次々と移り変わる場面に身を任せることができるため、いちおう問題の解決になっている。ボヘミア的な民族的な旋律が楽しい。劇的ではあるが、激しさはそれほどでなく、おとなしい激しさとも呼ぶべき程度である。

•第4曲:ボヘミアの森と草原から◦3.3点


前半の森林浴やハイキングをしているかのようや自然の気持ちよさを満喫できる音楽。実際にハイキングに出かけたくなる。後半はポルカで楽しい踊りの音楽。ドヴォルザークのような躍動感があるが、同時に軽さもある。

•第5曲:ターボル◦3.0点


鋭角的な音楽。戦いを表現しているようだ。他と同様に正統派な交響詩らしい交響詩だが、インスピレーションは他と比べて強くない気がする。さらっと聴けて印象にあまり残らなかった。

•第6曲:ブラニーク◦2.8点


密度がオペラの音楽並みに感じでしまい、あまり楽しくない。正統派の交響詩として悪い曲ではないのだが、なんだか感動できる要素がかなり少ない。ここが良い、という部分がない。あと、5曲目と同じ旋律が多用されているのもマイナス。フス教徒の賛美歌とのことだが。


室内楽曲

•弦楽四重奏曲第1番ホ短調『わが生涯より』(1876年)

•弦楽四重奏曲第2番ニ短調(1882-83年)

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E6%9D%B1%E6%AC%A7
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/884.html#c2

[近代史3] モデスト・ムソルグスキー 組曲 『展覧会の絵』 中川隆
2. 中川隆[-14020] koaQ7Jey 2020年2月06日 11:39:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-689]

ロシア(1889年まで) - クラシック音楽 一口感想メモ
モデスト・ムソルグスキー( Modest Petrovich Mussorgsky, 1839 - 1881)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%281889%E5%B9%B4%E3%81%BE%E3%81%A7%29

管弦楽曲

•交響詩「禿山の一夜」


ピアノ曲

•組曲「展覧会の絵」◦5.5点


どの曲も強靭な発想力と独特の土臭さと色彩感が両立していて大変面白い。組曲としてのまとまりやプロムナードの変奏など曲集としての全体の構成感も大変素晴らしい。捨て曲なしであり、間奏的な作品はあるものの、名作揃いである。最後のキエフの大門の圧倒的なフィナーレには感動してしまう。ロマン派のピアノ用組曲としては圧倒的な出来だと思う。

ラヴェルの華麗な編曲も素晴らしいが、より土着的でグロテスクさもあるピアノ版が自分は好みである。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%281889%E5%B9%B4%E3%81%BE%E3%81%A7%29
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/874.html#c2

[近代史3] 音楽史上最高の名作 モンテヴェルディ 歌劇「ポッペアの戴冠」 中川隆
4. 中川隆[-14019] koaQ7Jey 2020年2月06日 11:42:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-688]

イタリア - クラシック音楽 一口感想メモ
クラウディオ・モンテヴェルディ(Claudio Giovanni Antonio Monteverdi, 1567 - 1643)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2

ルネサンスからバロックへの、西洋音楽至上最大の変革の両方の時代に生きた、前期バロック最大の作曲家。

彼の時代はまだ異世界音楽という感じであり聞きやすくないが、その中でも強く感情をほとばしらせる力は心に訴えかけるものがある。


•聖母マリアの夕べの祈り(1610年)◦3.5点


さまざまなバラエティ豊かで充実感がみなぎり滋味もある音楽が続く大作。まだバロック音楽というよりルネッサンス時代の音楽に近く、通常耳にするような音楽と仕組みが違うので、分かりやすくはない。

•倫理的、宗教的な森◦3.5点

長い曲なので、パロットの抜粋版で聴いた。「聖母マリアの夕べの祈り」同様に古い音楽ではあるが、通奏低音がより明確なラインとなっていて聞きやすいと思うし、敬虔な癒しの音楽という全体的な印象があるとともに、曲集としての総合性を感じる。自分はこちらの方が好みかもしれない。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/814.html#c4

[近代史3] リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』 中川隆
6. 中川隆[-14018] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:00:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-687]

クラシック音楽 一口感想メモ
リヒャルト・シュトラウス(Richard Georg Strauss, 1864 - 1949)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9

交響詩は、まだ存命だったブラームスとは時代の違うドイツの代表的な近代的な管弦楽法と、マーラーやブルックナーのように長大でなく気軽に楽しめる点で演奏頻度が高い人気曲が多い。

他のジャンルも優秀な作品を残しており、自分はほとんど聞いたことがないがオペラ作曲家として特に評価が高い。後期ロマン派の中ではバランスと総合性があり優秀な作曲家。


交響詩


•『ドン・ファン』1888年◦3.3点


交響詩というより交響的な舞台物語を見せてくれる感じである。正直なところ音楽が心に響く場面は無い。その意味では凡庸な曲だが、実に達者な管弦楽の扱い方を見せるので、しきりと感心してしまう。

•『マクベス』1890年◦2.5点


リヒャルト・シュトラウスの良さは部分的には現れているが、主題の魅力や音楽的な展開の自由で達者な筆致が足りず、まだ高みに登ることが出来ていない作品であり、努力を感じるが物足りないまま終わる。

•『死と変容』1889年◦3.3点


儚く美しい生の思い出と死を描いた曲。情緒的で浄化された美しさがあり、活発な部分もリヒャルト・シュトラウスにしてはロマン派的な分かりやすい曲になっている。しかし、展開はあるものの緩やかであり生への執着を描写するにしても25分はさすがに冗長である。死をテーマにしているため、マーラー晩年の曲に似ている。

•『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』op.281895年◦3.3点


管弦楽によるユーモラスな冒険活劇。描写的な音楽であり、ナレーションが欲しいほどである。巧みな管弦楽法とユーモラスなフレーズを楽しむ曲。

•『ツァラトゥストラはこう語った』1896年◦3.5点


有名な冒頭場面は心踊る。それ以降は大規模管弦楽を活用した場面表現力の卓抜さが際立つ。自然世界と人間の精神世界を行き来するような不思議な感覚の音楽が続く。心には響かないが興味深く音楽を追う事が出来る。一番長い後半の舞踏の部分とその後の終結部分は楽しい。

•『ドン・キホーテ』(Don Quixote)1897年◦3.5点


明るい曲だが、それほどユーモラスな印象はなく、むしろかなり叙情的である。独奏チェロと独奏ヴィオラの活躍もあるためかなり聴きやすい曲である。様々な場面展開が楽しめるし、変奏曲と銘うっていることもあり、リヒャルト・シュトラウスには珍しい落ち着いて聴ける居心地のよさがある。しなやかな叙情性と旋律の豊さは素晴らしい。

•『英雄の生涯』(Ein Heldenleben)1898年◦3.3点


歌のないオペラと呼びたいほど物語的な内容である。大規模な管弦楽の機能をフル活用して壮大かつ劇的に音楽が展開していく様は聞き物である。前半はあまり心に響かず、曲に思い入れを持ちにくい。後半は情緒的で聴きやすい。

交響曲


•家庭交響曲(Sinfonia domestica) 1903年◦3.0点


交響曲と命名されているが、表題性があり、内容は交響詩とにたようなものと思う。交響曲らしい総合性は少ししか感じられない。逆にいうと、楽章構成の中に少しは感じる。マーラーのようなゴージャスな管楽器の活躍する管弦楽の使い方が楽しい。演奏はいかにも難しそうだ。メロディーにはそれほど魅力がないが、派手だが艶めかしく幻想的で柔らかさもある雰囲気は悪くない。ただ正直にいって、こんな派手で大仕掛けの音楽は『家庭』を連想しないけれど。

•アルプス交響曲(Eine Alpensinfonie) 1915年◦4.0点


リヒャルト・シュトラウスはメロディーが分かりにくくて、とっつきにくい曲が多いが、この曲は表題的で非常にわかりやすい。まさに、彼の管弦楽曲の大作としての総決算と思う。交響詩の世界の広さを拡大して、精神的に成熟させて力みをなくしている。さらに、具体性を持たせて、親しみやすくさせたものに感じる。マーラーに近いが、マーラーと比較して哲学的なものが無い表題音楽であり、そこが良い。エンターテインメント音楽であり、余計な事を考えずに楽しめる。管弦楽法はやはりゴージャスで楽しめる。これほどのワクワク感やドキドキ感は彼の他の管弦楽曲では感じない。ロマン的心情を素直に表現しているからかもしれない。

管弦楽曲

交響的幻想曲『イタリアから』 1886年
◦3.3点


交響詩を書き始める前に書かれた4楽章の大規模作品。後期ロマン派らしいロマンティックで濃厚である。オーケストラを存分に壮大に歌わせており、ワーグナーに似ている。耳を楽しませるという点では、交響詩群に勝るとも劣らないと思う。何と言っても分かりやすいため、交響詩が苦手な人にもお勧めできる。しかし、精神的な成熟感や作曲者のオリジナリティやオーケストラの機能のフル活用という点では、少し落ちると思う。まだ技術が発展途上という印象であり、それにしては交響曲の長さであるため聴くのが大変。最終楽章よフニクリ・フニクラを使った楽章はウキウキ感とイタリアらしい陽気さがあってとても愉しい。


協奏曲

•ヴァイオリン協奏曲ニ短調 作品8 1882年

•ブルレスケ ニ短調(ピアノと管弦楽) 1885年◦2.8点


まだ最初の交響詩を書いていない初期の単一楽章ピアノ協奏曲。明確な和声と若干腰が重く重厚な中で醸し出すロマンチックな雰囲気、ピアノと管弦楽の交響的な協奏など、ブラームスの影響を強く感じる。

ピアノがかなり前面に出て華々しく活躍し、オーケストラも派手である点で聴きやすい曲なのだが、長くて捕らえ所が分からず聴いた後に残るものがない。

•ホルン協奏曲第1番変ホ長調 作品11 1883年◦2.8点


作曲者18才の時の作品であり、シューマンやメンデルスゾーンのような音楽で、後期ロマン派らしさは殆どない。ホルン協奏曲として貴重なレパートリーなのだろうし、聴きやすい曲ではあるが、あまり面白いという印象はない。リヒャルト・シュトラウスのルーツが分かる点では面白いが。

•ホルン協奏曲第2番変ホ長調 1942年◦2.5点


前作から60年を経た作品。長生きぶりが分かる。作品としては、1942年にしてはかなり古典的であり調性が明確だが、彼らしいヌルヌルとした滑らかさと転調の妙は生きている。独奏は出ずっぱりで大活躍であるが、楽想はかなり掴みにくい。切れ目なくなんとなく微妙に雰囲気が変遷していく。独奏も何かを言いたいのか、よく分からない。3楽章は音楽が一度切れてから盛り上がるから、分かりやすくなる。全体に、創造性に関して意志の明確さを欠いているように感じられる。いい曲とは言えないと思う。

•オーボエ協奏曲 1945年◦2.5点


1楽章は明快で流麗なオーボエが全面にでている。しかし、それ以上のものが何もない。2楽章は憂いのある少し美しい音楽。かなり古典的な内容。3楽章は、ユーモアもある美しく流れるような活発さで、一番優れた楽章である。ただし冗長なので後半は飽きてくる。

•二重小協奏曲(クラリネット、ファゴット、ハープ、弦楽合奏)1947年◦3.0点


2種類の管楽器による協奏曲は珍しいと思うが、ここでは成功している。オペラの伴奏の上で2人が歌っているような曲の雰囲気である。管楽器の協奏曲は、和音が出せないこともあり、どうしても一本調子になりがちである。この曲は違う2本の独奏のため、ずっと変化が多くなっている。それを楽しむ曲。このような構成の曲がもっと多ければよかったのにと思う。曲想としてはシンプルなもので特筆するべきものはないと思う。


室内楽

•チェロ・ソナタ 1883年◦3.0点


まだ18歳の作品であり、古風なロマン派の定跡の範囲内で書かれている。強い個性は感じられない。耳当たりの良さと、ある意味で上品で踏み外していないところが、とても聴きやすい曲という印象を与える。知らずに聞けばメンデルスゾーンと同世代の作曲家の曲に聞こえるだろう。精神的にはまだ大人になっていなくて定跡通りで面白くない部分は気になるが、華がありゴージャスで聞き映えのするソナタとして案外楽しめる。

•ヴァイオリン・ソナタ 1888年◦3.3点


1楽章はゴージャス感のある、交響的なスケール感のある曲。まだロマン派の真っ只中のような雰囲気。感情の変遷が楽しいとともに、曲の巨大さが心地よい。3楽章も似たところが多分にある。2楽章はロマン派らしい魅力。全体にヴァイオリンソナタとして存在感のある曲。ただし、スケール感の代償ではあるが音楽の密度の濃さが足りないと思う。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/881.html#c6

[近代史3] フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 交響曲 第100番ト長調「軍隊」 中川隆
1. 中川隆[-14017] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:06:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-686]

クラシック音楽 一口感想メモ
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732 - 1809)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3%28%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E3%80%81%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%29

モーツァルト、ベートーヴェンと並ぶ古典派の巨人。

2人に比べればキャッチーなメロディーやドラマ性に欠けて地味であるが、実力はほとんど変わらない。多作だが、工夫を凝らされているのでどの曲にも驚きがあり、快活で明るく滋味もあり、晩年は骨太で大変完成度の高い音楽に到達した。短くコンパクトにまとまっていて聴き易い。

交響曲一覧(Hob.I)

ハイドン入門はなんといっても交響曲である。107曲は多いが、だいたいの曲は何かしら聴き所がある。80番以降は傑作の森だし、それ以前もいい曲は多い。

とはいえ初期の1764年位までの作品は、ベートーヴェンの1790年代の作品みたいなもので成熟した時代とは別物だし、中期も時々駄作があり1〜2割くらい間引くとちょうどよいとは思う。


交響曲(1番から30番)


•交響曲第1番 ニ長調 1757◦3.5点


1楽章をはじめとして、どの楽章もエネルギー溢れる音楽でパワーに満ちており、心が躍る。音が非常に活き活きとしており、心を楽しませる度合いはハイドンの交響曲の中でもかなり上位クラスである。記念すべき1番に相応しい名作。

•交響曲第2番 ハ長調 1757-59/61以前?-64◦3.0点


どの楽章もパワーを感じるものの、1番のような名作感はなく、ごく標準的なレベルの曲である。メロディー重視というより勢い重視であり、高揚感があるため聴いていて楽しい。1番に続き3つの楽章しかなくコンパクト。

•交響曲第3番 ト長調 1759/60?-62◦3.5点


2番に続き、この曲も同様の楽しみのある曲。メロディーは耳に残らないものの、音の勢いに身を任せるだけでとても楽しい時間を過ごせる。初めての4楽章制で、構成が大きいだけ深みも増している。2楽章の骨太な手応えと陰影の深さにそれを感じる。最後の楽章は対位法の要素があり、ジュピター交響曲を連想する。

•交響曲第4番 ニ長調 1760以前?-62◦3.0点


3楽章制だが、各楽章はわりと長い。聴く楽しみなど、出来は同年の他の曲と大きくは変わらないが、プラフアルファの良さはあまり感じない。2楽章は短調だが、陰影の深さがあまりない。その代りにバロックのような端正さはあるため、わりと良い曲ではあるけれど。3楽章がメヌエットで終わるのは、優雅ではあるが締めくくりとしては物足らない。

•交響曲第5番 イ長調 1760以前?-62◦3.5点


1楽章は穏やかな曲。ホルンが美しい情景を演出する大変美しい曲である。このような詩情をハイドンが表現していたとは驚いた。教会ソナタ形式ならではかもしれないが、驚いた。2楽章も派手すぎず、聴きやすくて美しい。ヴァイオリンのソロの使い方も素敵だ。しかし、前半2楽章の素晴らしさと比較して、後半はありきたりであり、あまりトキメキがない。

•交響曲第6番 ニ長調『朝』 1761?◦3.8点


初期の交響曲。合奏協奏曲と交響曲の間のような曲である。旋律は単純で、和声も単純であまり機能が強くない。しかしながら、合奏的な楽器使いの多彩さが生み出す楽想の豊かさ、薄明のような雰囲気の詩情は驚くべきものがある。初期の曲だが非常に素晴らしい。

•交響曲第7番 ハ長調『昼』 1761◦3.5点


1楽章はごちゃごちゃした印象を受けてしまった。2楽章はソロの受け渡しがとても効果的で、非常に美しい。田園的な印象であり、様々な楽器のソロが活躍する様は多様な生命の息吹すらも感じさせる。3楽章と4楽章はこの合奏協奏曲らしい複雑さと音の動きの楽しさを存分に楽しませてくれる。ほぼ全ての楽器にソロがあるのは楽しい。

•交響曲第8番 ト長調『夕』 1761?◦3.5点


『朝』と同様に、バロック的な音の使い方により、活力のある貴族的な華やかさが演出されている。多くの楽器が活躍の場を与えられていて楽しい。素晴らしいのは2楽章。夜の帳の降りた世界で起こる幻想的で美しい情景は、大変美しい。ハイドンの緩徐楽章の中で、もしかしたら屈指の出来かもしれない。

•交響曲第9番 ハ長調 1762◦3.0点


小さな3楽章制の曲。小さく無難にまとまっているイメージであり、聴いていて楽しさはある。2楽章はフルートが旋律をずっと吹いていて大活躍で楽しい。3楽章は面白くない。

•交響曲第10番 ニ長調 1761?-66◦3.0点


これも9番と同じくコンパクトな3楽章制。1楽章はありきたりであまり面白くない。2楽章は優美で美しい。シンプルだがけっこう聞き惚れるものがある。3楽章はメヌエットと最終楽章を兼ねたような曲で、作曲者の意図はいちおう成功しているように聴こえる。

•交響曲第11番 変ホ長調 1761?-62/(1769?)◦2.5点


教会ソナタ。1楽章の雰囲気は素敵であり、空間的な広がり感のおかげで後期に教会ソナタ形式の1楽章を書いたならこう書いたかもと思わせるものがある。しかし、あまりに長すぎて終わるまで我慢が大変である。2楽章以降はその疲れのせいでいまいち頭に入ってこない。実際インパクトが薄く面白くない、ありきたりの曲に聴こえる。

•交響曲第12番 ホ長調 1763◦2.8点


1楽章はあまり印象的でない。2楽章の短調の憂いを活かして心に入り込んでくる様はなかなか良い。歌謡的な冒頭の旋律が分かりやすくて印象的。分かりやすいためか、ある意味でハイドンには珍しく映画音楽のようでもある。3楽章は普通の最終楽章らしい曲。

•交響曲第13番 ニ長調 1763◦3.0点


2楽章がチェロ協奏曲のようである。渋い音が気分を静かに盛り上げてくれる素敵な音楽である。3楽章も管楽器が活躍する、少し田園的な情緒がよい。4楽章はジュピターの最終楽章と同じドレファミの動機をふんだんに使っており、たたみかけるように高揚感を煽って盛り上げるところがそっくりである。聴いていてドキっとするのが楽しい。

•交響曲第14番 イ長調 1762/63◦2.8点


1楽章はハツラツとして元気がよくて良い。2楽章と3楽章はかなりありきたりで楽しくなく、がっかりする。4楽章は盛り上がる最終楽章であり、早いパッセージも登場したりして、楽しめる曲。2、3楽章のがっかり感をある程度挽回してくれる。完全には挽回できていないが。

•交響曲第15番 ニ長調 1761◦3.0点


1楽章は後年ほどもったいぶってはいない序奏からの、高速な音楽への突入はエンターテイメント的な楽しさ。また序奏の音楽に戻るのは斬新な構成である。ピチカートに乗った楽天的な音楽はオペラの前奏曲のようだ。2楽章の跳ねるリズムのメヌエットも楽天的で華やか。3楽章は普通。4楽章も普通。つまり1楽章の面白さが半分以上の価値を占めている。

•交響曲第16番 変ロ長調 1760頃/63?◦3.0点


1楽章は執拗な動機の繰り返しや、伴奏とメロディーの関係が珍しくて面白い。2楽章は普通であまり面白くない。3楽章は躍動感とモーツァルト的な力感のある音楽でなかなか良い。

•交響曲第17番 ヘ長調 1760頃/62?◦3.0点


1楽章は素朴ながらも、優美でありながら一つひとつの音に力強い表現のチカラを持たせているところがモーツァルトっぽい。2楽章も優美でモーツァルトを思い出す。彼よりもっと軽い遊びがあるし、中間の自由闊達さはかなり違うが。3楽章は3楽章制の欠点がモロに出ている。メヌエット風でいかにも物足りなくて満足できない。

•交響曲第18番 ト長調 1762頃/64?◦2.8点


1楽章はバロックの室内楽のようなごく素朴でのどかな曲調。2楽章も素朴で音の密度が薄く、聴きやすいが充実感がない。3楽章はディベルティメント風。どの楽章も聴きやすいのだが交響曲らしい充実感に欠ける。ただ、つまらないまではいかず、音感の良さで気分よく楽しませてくれるものがある。ただ、内容と比べて冗長だと思う。

•交響曲第19番 ニ長調 1757-59頃/60?◦3.0点


1楽章は疾走感があり、ダイナミックさが楽しい楽章。2楽章は短調で、歌劇の一幕のような具体的場面を思わせる描写的な音楽であり楽しい。3楽章は威勢の良い音楽であり、1楽章も似たところがあるため、この曲は尖った曲という印象を強くもつ。

•交響曲第20番 ハ長調 1757-59頃/63?◦2.5点


1楽章はトランペットが鳴り響く派手志向の曲。2楽章は優美さはあるものの、音の絡み方が単純である。3楽章もまた素朴で複雑さが足りないため手応えが足りない。4楽章はある程度の複雑さはあるが、トランペットの華やかさも上手く生かされていないし物足りない。

•交響曲第21番 イ長調 1764◦3.0点


1楽章は教会ソナタの1楽章としては良い塩梅の雰囲気で心地よい。2楽章のノリと快活さも良い。3楽章は曲としては普通と思うが、何よりアイネ・クライネ・ナハトムジークに冒頭が似ていてドキッとする。4楽章の前のめりさと舞台音楽的な人情を感じる快活さも楽しい。

•交響曲第22番 変ホ長調『哲学者』 1764◦3.5点


オーボエの代わりに音が5度低いコーラングレを使った渋い音が素敵。特に1楽章のバロック音楽の通奏低音を連続するようなゆったりとして豊かな低音の動きの上で、思索的ともいえるゆったりとした旋律を奏でる所が、哲学者の愛称の由縁になったのも納得の素敵さで魅力的。他の楽章は曲としては標準的に思えるが出来は良く、コーラングレ採用による響きの他との違いで楽しめる。

•交響曲第23番 ト長調 1764◦3.0点


1楽章は音をふんだんに使って、沸き立つような楽しい気分を演出したもので良い。2楽章もテンポは早くないが、楽しくてコミカル。3楽章と4楽章もコミカルで、特に4楽章は完全に諧謔的な音楽で客を驚かせるのを狙ってやっている。最後に消えるように終わるのはびっくりする。

•交響曲第24番 ニ長調 1764◦3.3点


1楽章は溢れるかのごとく素敵な光に満ちているような、幸せになれる曲。2楽章は冒頭から最後までフルートのソロが大活躍で、完全に協奏曲である。カデンツァすらある。とても美しく清純で運動性もあるフルートの良さを存分に引き出している曲で素晴らしい。3楽章は1楽章の幸せさと強く相関を感じるメヌエット。4楽章はジュピターの最終楽章を連想する骨太で壮麗な雰囲気で気分を持ち上げる曲。4音の動機も類似している。

•交響曲第25番 ハ長調 1761頃◦3.3点


1楽章は重厚な前奏に続いて、主要部も重厚さと疾走感を兼ね備えた曲なのが印象的。2楽章は中間の管楽器のソロがピツィカートに乗って奏される部分が楽園的な愉しさで良い。3楽章は普通の4楽章制の最終楽章のような曲調。それなりの聴きがいはある。

•交響曲第26番 ニ短調『ラメンタチオーネ』 1768◦3.3点


3楽章のメヌエットの独奏が大活躍するところとメロディーがチャーミングで素敵。愉しいなあと耳を奪われる。そのため、それに続く4楽章が存在しないのは非常に物足りなくて残念。また1楽章の激しい感情の表出も悪くない。

•交響曲第27番 ト長調 1761頃◦3.0点


1楽章は単に爽やかすぎるところがあり、ハイドンではないみたい。2楽章のシチリアーノも爽やかで何かの間奏曲のようだ。3楽章も同一性を保って爽やかであり、緊迫感が希薄な呑気な曲。どの楽章も音の密度が低くハイドンらしい良さは少ないものの、個性的な曲としての愉しみがあることは否定しがたい。

•交響曲第28番 イ長調 1765◦3.3点


1楽章のリズミカルな音形の支配する音楽は独特の躍動感に心を踊らせる効果があり、なかなか楽しい体験を与えてくれる。2楽章がその反動で低音中心の心が落ち着く曲調なのもよい。一方でリズムが活躍する場面があり一貫性を感じさせてくれる。その対比が楽しめる。3楽章もまたリズミカルさや、対比の鋭さで楽しめる曲。4楽章はコミカルさを内包しつつ、うまく締めくくってくれる曲。

•交響曲第29番 ホ長調 1765◦3.0点


1楽章は不思議な三拍子のきらびやかな曲であり、音の分解能が低いためメヌエットに似ているが違うという独特の雰囲気をもっている。2楽章は薄い音で掛け合いが続く、これまた不思議な雰囲気。といっても使われる音形はハイドンの手癖のようなものだが。3楽章はメヌエットの部分はなかなかよい。トリオは伴奏だけになってしまうという特殊曲。ハイドン研究室にあるとおり、これが元の作意とはとても思えない。4楽章も他の楽章と同じく、何か音が薄くてテンションが上がりにくい感じがする。

•交響曲第30番 ハ長調『アレルヤ』 1765◦3.0点


明るく快活な曲。悪くはないが特段の良さは見つからなかった。3楽章制であり、最後をメヌエット楽章で締めくくるところの雰囲気がやや面白い。


交響曲(31番から60番)
•交響曲第31番 ニ長調『ホルン信号』 1765◦3.8点


冒頭のホルンをはじめとした管楽器の大活躍が愉しい祝典交響曲。一番目立つのはホルンだが、他にも次々と新しい楽器が華々しく活躍する様は、豊かさがあるとともに痛快なエンターテイメントとして、ウキウキした気分になれる。かなり楽しめる。

•交響曲第32番 ハ長調 1760頃◦3.3点


33番との双生児のような同じ年に書かれた祝典交響曲。2曲はよく似ているのだが、気のせいか32番の方が内容が豊富で楽想も練られており、よく出来ている気がする。どの楽章も手応えを感じるものであり、単に派手なだけでなく品もよく優雅で、かつ中身のある良さを感じる。

•交響曲第33番 ハ長調 1760頃◦2.8点


祝典交響曲だから派手にトランペットとティンパニが鳴り響く楽しさはある。しかし、あまり深い内容がないため、完全にその場かぎりの音楽になっている。

•交響曲第34番 ニ短調 1767以前◦3.0点


最初にアダージョで始まる教会ソナタ形式でかなり古臭い印象のある曲。しかし、その音の響き方も含めた古臭さが味となり、新鮮さも演出するため、なんとなく興味を持って聴ける。

•交響曲第35番 変ロ長調 1767◦2.8点


これといって強い魅力を発見できなかった。1楽章の主題の組み合わせ方は良いなと思うが、特別によく出来ているというほどではない。

•交響曲第36番 変ホ長調 1761頃◦2.8点


多くの場面にバロックらしい素朴さをまだ残している。特に4楽章。全体に旋律の魅力はあまりない。過渡期を楽しむという点で好奇心を刺激してくれるところはある。

•交響曲第37番 ハ長調 1757-59頃◦3.3点


1楽章はティンパニがうるさいほど活躍する、祝典的なノリで攻めた曲。2楽章もティンパニが鳴り響き、勢いを抑えてはいるがパワーを持続しているのが面白い。3楽章は弦の冷静ながらも歌心と間合いの良い曲。他の楽章のどんちゃん騒ぎの間だから余計にかもしれないが、とてもよく出来た曲に聞こえる。4楽章は普通。

•交響曲第38番 ハ長調『エコー』 1769頃◦3.5点


軽妙なキレの良さがあり管楽器が大活躍するバロック的な音の軽さが楽しい。全編その雰囲気で統一されている。2楽章のエコーは楽しい仕掛けであり、ハイドンらしいあっと驚く機知の刺激を味わえる。

•交響曲第39番 ト短調 1765頃◦3.5点


1楽章はまさに文字通りの疾風怒濤の音楽。2楽章は1楽章の刺激を緩和しつつも、この楽章もまだ刺激的だと思う。なかなか面白い。3楽章は独特の地に足がつかない感じで面白い。4楽章はものすごく激しい曲。嵐のようなあまりの迫力に圧倒されてしまう。同じト短調のモーツァルトの25番との関連性を考えて聴くと面白い。

•交響曲第40番 ヘ長調 1763◦2.5点


4つの楽章すべて旋律の魅力が乏しく、それに代わる魅力も見つけられない。高揚感などの雰囲気的な良さも少なくて、気分が盛り上がらない。

•交響曲第41番 ハ長調 1770頃◦3.3点


2楽章の管楽器の活躍。3楽章の神々しいほどの輝かしさ。4楽章のたたみかける高揚感はいずれも愉しさを感じさせるもの。祝典的な交響曲として十分な価値がある。

•交響曲第42番 ニ長調 1771◦3.0点


1楽章は地味目でピンとこない。2楽章は大人な曲。長すぎるのが気になる。3楽章も、やや落ち着いている印象がある。4楽章がまた落ち着いていて、どうにもワクワク感が足りない。構成を工夫していて豊かさはあるが。

•交響曲第43番 変ホ長調『マーキュリー』 1771頃◦3.3点


品位と中庸な明るさや滋味や快活さや優美さのバランスに優れた、ハイドンらしい魅力に溢れた曲。上品で典雅な雰囲気が聴いていて心地よい。BGMに使えそうな穏やかな雰囲気である。1楽章からそう感じたが、楽章間の統一感もある。といっても、機会音楽のようなつまらなさわけではなく、交響曲らしい聴き映えはちゃんとある。1楽章のバランスの取れた快活さが特に魅力。4楽章は控えめながらもきっちりワクワクさせてくれる。

•交響曲第44番 ホ短調『悲しみ』 1772以前◦3.8点


まさに激情的な悲しみに溢れた曲である。そして3楽章は透明な癒しや安らぎに満ちた名曲。ハイドン作曲というのが驚きのドラマチックさである。ロマン派のようだ。そして、普段と違う作風ではあるが、やはり凡百の作曲家とはレベルの違う名作となっている。

•交響曲第45番 嬰ヘ短調『告別』 1772◦3.8点


1楽章はモーツァルトのト短調を想起させる始まり方。旋律の魅力はモーツァルトには劣るが、第2主題は割と魅力的で第1主題との対比に感動出来る。2楽章と3楽章も短調交響曲としてロマン的な感性すら感じさせる所がモーツァルトと同じである。4楽章の後半の、演奏者が一人ずつ減っていく場面がやはり全曲で一番印象的。この部分は世の中の多くの交響曲の中でも忘れがたい場面の一つ。

•交響曲第46番 ロ長調 1772◦3.3点


1楽章は短調に頻繁に転じる中間が面白い。メロディーが良いというより多くの変化が面白い。2楽章も短調で始まり、長調と入れ替えながら聴かせるとても美しい感動する曲。4楽章はコミカルな緩急のつけ方で驚かせてくれる面白い曲。

•交響曲第47番 ト長調『パリンドローム』 1772◦3.0点


標題の由来である回文構造の3楽章は、楽譜を順方向の後に逆方向に演奏するという、興味をそそる仕掛けで面白い。ただ、曲の良さとしては大したことはない。曲として面白いのは、音の動きが活発な1楽章だと思う。4楽章もわりとバランスよく充実している内容である。

•交響曲第48番 ハ長調『マリア・テレジア』 1769以前◦3.8点


1楽章の一度聴いたら忘れない華麗なファンファーレで始まる元気な祝典的音楽は気持ちよく聴けて愉しい。2楽章の流麗で優美な美しさとバランスの良さは出色の出来。メロディーがなかなか魅力的。3楽章と4楽章も活発さを楽しめる曲で出来は良い。

•交響曲第49番 ヘ短調『受難』 1773◦3.8点


全編を悲劇的な力強さが覆っているハイドンには珍しい曲。歯切れの良さが重すぎずに重要度の高い音を響かせててきぱきと音楽を進めるため、過度にロマン的な感情は抱かせないが、しかし強く訴えるものと美的感覚のバランスの良さのため、良い曲になっている。

•交響曲第50番 ハ長調 1771頃◦3.5点


1楽章の序奏のあとは豪快で内容もあり魅力的。2楽章は最後まで延々と2声部なのが面白い。3楽章と堂々として聞き応えがある。4楽章の高揚感も聞き応えがある。どの楽章も聴き所がある曲。

•交響曲第51番 変ロ長調 1771頃◦3.0点


1楽章は普通。2楽章はホルンやオーボエが大活躍で面白い。3楽章は華やかだがあっさり終わる。4楽章は速度が遅めなのが特色で、華やかさはあるが圧倒感はない。

•交響曲第52番 ハ短調 1771頃◦3.0点


短調曲。あまり長調に転じない。自分の慣れのせいかもしれないが、交響曲としての短調のこなれた使いこなしていないように感じる。長調曲を短調にしたように感じる場面が多い。最終楽章はわりと気に入ったが。

•交響曲第53番 ニ長調『帝国』 1778-79頃◦3.5点


祝典交響曲であり、全体に力強い輝かしさに満ちている。1楽章は威風堂々とした曲だが、それだけでない味わいがある。2楽章もくっきりとした力強さと味わい深さがある曲。3楽章は普通。4楽章は英雄的で舞台的なエンターテイメント曲。

•交響曲第54番 ト長調 1774頃◦3.5点


1楽章のエネルギーに満ちた明るく力強い音楽はかなり魅力がある。2楽章は大編成のオケが合いそうな、音の厚みで荘重に演奏される曲。ヴァイオリンとチェロの長い2重奏が最後に用意されているのが耳を引く。3楽章も華やかできらびやかで魅力的。4楽章はまた大編成が合いそうな音の厚みのある壮麗な輝かしい曲。ベートーヴェンより後の時代の息吹が感じられる曲。どの楽章もよく出来ている。

•交響曲第55番 変ホ長調『校長先生』 1774頃◦3.5点


軽快で少しコミカルさも感じる雰囲気で、心がワクワクする楽しさがある。メロディーの楽しさが素晴らしい。1楽章はまた聴きたいと思わせるものが強くある。2楽章もウキウキするような気分で聴けてとても楽しい。4楽章が弱いのが惜しい。

•交響曲第56番 ハ長調 1774◦3.3点


1楽章は祝典気分というだけ。2楽章はかなり美しい。ファゴットのソロが耳を捉える。この時期のハイドンの緩徐楽章の傑作だと思う。しかし、やや長すぎるきらいがある。3楽章は普通だが輝かしさがある。4楽章のぐるぐると音が廻るような運動性が愉しい。

•交響曲第57番 ニ長調 1774◦3.3点


1楽章は清冽な雰囲気がよい。なかなか聞き応えがあり、聴き入ってしまう。2楽章はピチカートが耳を引く。モーツァルトみたいな柔らかさの曲。3楽章は躍動感がある。4楽章は悪くない。弦がユニゾンで素早く動く部分が聴き応えがある。

•交響曲第58番 ヘ長調 1776◦2.8点


3楽章までは特段の長所を見つけられなかった。4楽章だけは楽器数などに緩急をつけたダイナミックさの高揚感が楽しい。

•交響曲第59番 イ長調『火事』 1766頃◦2.8点


初期の単純すぎる音楽の作りが耳についてしまい、不満が残ってしまった。少しおどけた感じやあたふたした感じのコミカルさが楽しめる。

•交響曲第60番 ハ長調『うかつ者』 1774◦3.3点


全6曲。舞台音楽を使い回したもので、組曲に近い。交響曲らしい構成の楽しみがない。音楽的にはそれなりに面白い。調弦をやり直す場面にはびっくりする。


交響曲(61番以降)
•交響曲第61番 ニ長調 1776◦3.3点


軽快に跳びはねるような雰囲気が支配的。どの楽章もなかなかの佳作だと思う。強烈な印象こそないものの、よく出来ているなと感じる。

•交響曲第62番 ニ長調 1780頃◦3.0点


複数の作品をつなぎ合わせて作った急造の作品とのことだが、知らずに聞けば気付くのは容易でないと思う。1楽章や2楽章はなかなか良いと思う。3楽章も活発で楽しめる。4楽章も悪くはないのだが、急造感を感じるので聞き終わった後の印象が良くない。

•交響曲第63番 ハ長調『ラ・ロクスラーヌ』 1779頃◦3.3点


1楽章はまあまあ。2楽章は面白い。主題が面白いうえに、弦楽器と管楽器の使い方など、舞台音楽のようで、新鮮な感覚がある。短調と長調を行き来するのも面白い。3楽章は主題がいまいちだが、展開に変化を付けて楽しませようとするメヌエット。4楽章は珍しいほど内容が豊富でよく出来ている。

•交響曲第64番 イ長調『時の移ろい』 1773?/78以前◦3.5点


1楽章も2楽章もしなやかで回想的な雰囲気がよい。特に2楽章は切ない気分にさせられる。3楽章はまあまあ。4楽章のロンドは力強くて充実感がある。

•交響曲第65番 イ長調 1771頃◦3.3点


爽やかで聴きやすい曲。愛らしくて可愛い。メロディーが良い。特別な工夫や仕掛けの楽しみではなく、純粋になんとなく良い曲だなあと感じるところが良い。最終楽章のホルンの活躍も愉しい。

•交響曲第66番 変ロ長調 1775-76頃◦3.0点


キラキラとした優美さで聴きやすい曲。工夫で聴かせるのではなく、しなやかな雰囲気で聴かせる。メロディーもなかなか良い。どの楽章もそれで統一出来ているのだから、ハイドンの芸風の広さを感じる。それなりに良い曲ではあるが、特徴が少なくて工夫やメロディーなどに特段の目立つポイントがない。

•交響曲第67番 ヘ長調 1775-76頃◦3.3点


様々な工夫がされているらしい。2楽章の特殊奏法もおやっと思うし、3楽章のヴァイオリン2本による民族音楽みたいな場面は耳につくかなり印象的な個所だ。曲として旋律が全般にわたりイマイチだし、前述の特殊場面も別に面白いだけで、あまり音楽として効果的とか必然性などは感じなかった。ただし、4楽章は中間で突然慈しみにあふれる室内楽になり、そこから楽器を重ねていく最後の流れはかなり魅力的だ。ここだけで評価が上がる。この時期にしてはかなり長い曲。

•交響曲第68番 変ロ長調 1774頃◦3.3点


1楽章は普通の出来で楽しめる。2楽章はイマイチ。この曲の特徴は異様に長い特異な3楽章。何度も楽章が終わったと思ってもまだ続く。ごくシンプルな薄い伴奏の上でのメロディーを何度も再現しながら間奏を奏でる。人情を感じる楽想であることもあり、主人公が何度も登場しては退場して脇役が出てくる舞台を観ているかのように楽しめる。4楽章も悪くない。

•交響曲第69番 ハ長調『ラウドン』 1775-76頃◦3.0点


ティンパニとトランペットを導入して華やかな曲。しかし、ハイドンの標準的な曲が並んでいる印象であり、あまり目立った良さは発見できなかった。メヌエットはつまらない。

•交響曲第70番 ニ長調 1778-79頃◦3.3点


1楽章は、シンプルで直接的な華麗さのある音楽。2楽章は短調と長調が交互であり、いい感じの哀愁と郷愁の音楽で心を奪われる。3楽章は祝典的。4楽章は冒頭の雰囲気や中間の対位法的な個所など工夫された曲で、再び聞き入ってしまう。終わり方に驚く。楽章構成などいろいろ独特な曲。

•交響曲第71番 変ロ長調 1778-79頃/80◦3.0点


薄めの音で、細かい所に仕掛けを入れていそうな複雑さがある。自然体で聞いている分には、華やかさがそれなりにあって、この時期らしい成熟感のある曲という印象。

•交響曲第72番 ニ長調 1763-65頃◦3.0点


番号が大きいが、31番「ホルン信号」と同じ時期の作品。手の込んだ作品群の中に、素朴時代の音楽が紛れ込んでいる印象である。1楽章はホルンが大活躍して派手で楽しいから気付きにくいが、2楽章以降では時代の違いが明白である。とはいえ、そのつもりで聞けば素朴なりに味があり楽しめる。各楽章でソロが活躍し、順番にソロを回すのも楽しい。

•交響曲第73番 ニ長調『狩』 1781?/1782以前◦3.5点


1楽章の広がりのある主題は印象的。モーツァルトのような活気のあり多くの発想がつまった展開はかなり良い。2楽章もハイドンらしい温かみのある穏やかさが素敵。3楽章は普通。4楽章は突然のティンパニとトランペットでどんちゃん騒ぎで驚く。

•交響曲第74番 変ホ長調 1780?/81以前◦3.0点


切れがよくてかなり快活であり、この時期らしい成熟感もあり楽しめる曲。そういう点では地味によく出来てる。それ以上のものはないため目立たないが、よく聴くと実は良い曲。

•交響曲第75番 ニ長調 1779?-80◦3.3点


ティンパニとトランペットが鳴り響く祝典交響曲。はじめの序奏が高める期待値は、ハイドンの中でもなかなかよく出来ていると思う。1、3、4楽章はいずれも、特筆するべきほどのものはないが、華やかで愉しい曲であり、メロディーもそれなりに良くて変化もあり十分に楽しめる。2楽章の変奏曲はお得意のパターンの曲だが、チェロの独奏が活躍するのが面白い。

•交響曲第76番 変ホ長調 1782◦3.0


この時期としてはいかにも標準的な作品。4楽章の主題に修飾音が多く付いていて、展開でも同様に多いのは、少し目新しさを感じる。全体に悪くはないが、快活さなど諸々の要素がほとほどであり、やや地味な作品。

•交響曲第77番 変ロ長調 1782◦3.8点


舞台音楽的なダイナミックさと愉悦感が多くの箇所で感じられる良曲。華があり麗しさもあり、モーツァルトの音楽に似ていると思う。他にも例えば弦と管の分担の仕方にも類似を感じる。1楽章はオペラの序曲みたいにも聞こえる。4つの楽章が全部出来が良いし、ワクワク感が感じられて、聴いて良かったと思わせるものがある。

•交響曲第78番 ハ短調 1782◦3.0点


1楽章は、跳躍する主題などを使って長い短調部分を使って切迫感を演出しているのだが、いかんせんハイドンの音楽の要領の良さのせいで、浸りきれず、心に迫るものがない。2楽章と3楽章は長調であり、これはなかなか良い。特に華やかな3楽章は好き。4楽章はモーツァルトの短調曲の最終楽章に雰囲気が似ていてまた切迫感を演出する主題を繰り返すのだが、魅力がもう一つであり、要領が良すぎるのもありもの足りない。

•交響曲第79番 ヘ長調 1783/84◦2.5点


4つの楽章に光るものがない。工夫が少なく、ハイドンとしてはありきたりの部類の音楽がずっと続いており、平板で盛り上がりにも欠ける。駄作だと思う。

•交響曲第80番 ニ短調 1783/84◦3.3点


短調でなかなかの迫力で始まるにも関わらず、のんきな田園的主題が挿入されたり、遊び感覚いっぱいの1楽章が愉しい。2楽章は珍しくモーツァルトにかなり似ている優美で美しい曲。もの悲しい短調を混ぜたり、表情豊かな曲。3楽章は入り口が短調で、その後もうまく短調を混ぜつつ長調主体で面白い。4楽章は控えめな音の厚さでバランスをうまく保っている。

•交響曲第81番 ト長調 1783/84◦2.8点


1楽章はモーツァルトに似ているがあまり面白くない。2楽章は滋味のある主題と軽快でバラエティーに富む変奏で悪くない。3楽章のメヌエットも明るく弾むような気持ちにさせてなかなか良い。4楽章は再びモーツァルトを連想するが、平凡な曲と思う。


パリ交響曲
•交響曲第82番 ハ長調『熊』 1786◦4.0点


3楽章までは、ドンドコと威勢がよく快活で愉しい曲だが、内容が充実している感じではない。しかし四楽章の楽しさが数あるハイドンの中の交響曲の素敵なフィナーレの中でも格別。

•交響曲第83番 ト短調『めんどり』 1785◦3.5点


冒頭いきなり短調に圧倒されるがすぐに明るくなる。一楽章と二楽章がかなり充実している。二楽章は美しい緩じょ楽章で聴き入ってしまう。

•交響曲第84番 変ホ長調 1786◦3.0点


どの楽章も普通だが歯切れが良いフレーズが多い印象があり、管楽器も活躍するのを楽しめる。

•交響曲第85番 変ロ長調『王妃』 1785?◦3.0点


概ね普通だが、一楽章の突発的な激情的な短調のフレーズに驚く。あとは三楽章の後半が美しい。

•交響曲第86番 ニ長調 1786◦3.0点


管弦楽の編成が大きいので分厚い響きを楽しめる。曲としては普通。

•交響曲第87番 イ長調 1785◦3.0点


フィナーレが高速でなく一楽章のような雰囲気なのが目新しい。


トスト交響曲
•交響曲第88番 ト長調『V字』 1787頃◦3.5点


やや重たい曲調は現代のオケで演奏すると風格がある。そして音のうちに秘められた叙情性があるのを楽しめる。

•交響曲第89番 ヘ長調 1787◦3.0点


いつものノリやドンチャン騒ぎが無く、ロマン派の予感も無く、やたらと優雅で大人しい。


ドーニ交響曲
•交響曲第90番 ハ長調 1789◦2.0点


ありきたりな素材ばかりで、一楽章は少しいいと思う部分もあるがそれ意外はいまいち。

•交響曲第91番 変ホ長調 1788◦2.0点


1、2も3楽章がありきたりでイマイチ。4楽章の弦の使い方などはそれなりに愉しいのだが、それまでのイマイチ感を打破する程のものではない。


ザロモン交響曲
•交響曲第92番 ト長調『オックスフォード』 1789◦4.0点


それまでの総決算のような充実ぶりでどの楽章も端正でありなヵら内容豊富。

•交響曲第93番 ニ長調 1791◦4.0点


主題がどの楽章も魅力的で、快活さと優美さのバランスや楽章間の出来上など、多くの点でバランスが取れたオーソドックスな上質の作品。

•交響曲第94番 ト長調『驚愕』 1791◦5.0点


一楽章の泉から湧き出るように絶妙な素晴らしい音楽が次から次へと現れる爽快な楽しさ。「びっくり」の二楽章も三楽章のメヌエットも四楽章も全ての楽章のメロディーが優れていて聞きやすく、爽快でありながら美しく詩魂をこめた充実の内容で大変素晴らしい。

•交響曲第95番 ハ短調 1791◦3.0点


ありきたりの素材しか使っていなくて斬新さが無いのだが、珍しい短調で力強さもありそれなりに聴いて楽しめる。短調の曲だがかなり多くの部分は長調。

•交響曲第96番 ニ長調『奇蹟』 1791◦3.0点


メロディアスでないのでザロモンの中で聴きやすいほうでない。分厚い音で音に意味をもたせて雄弁に演奏しやすい、ある種のかっちりしたゴツさがある。

•交響曲第97番 ハ長調 1792◦3.0点


あまり大きな特徴が無いが、一楽章の主題はシンプルながら魅力がそれなりにあるし、二楽章の優美な美しさと陰影も楽しめる。後半は普通。

•交響曲第98番 変ロ長調 1792◦3.5点


2楽章の優美さな美しさはモーツァルトみたい。他の楽章もしなやかな雰囲気で場面のつなぎがスムーズな所が多くモーツァルトぽい。最後の楽章の最後で協奏曲風になるのが面白い。

•交響曲第99番 変ホ長調 1793◦3.5点


優美でしなやかで上品な雰囲気を楽しめる。


•交響曲第100番 ト長調『軍隊』 1793-94◦4.5点


全ての楽章に旋律の美しさと親しみやすさ、柔らかくて瑞々しい感覚がある。後半の遊び心や楽しい気分も好き。軍隊の楽器のドンチャン騒ぎも面白い。

•交響曲第101番 ニ長調『時計』 1793-94◦4.5点


規模が大きく力強く、モーツァルトのように美しいメロディーが全楽章にあふれていて聴きやすい。有名な時計の楽章はシンプルなのに不思議なくらい素敵だ。

•交響曲第102番 変ロ長調 1794◦3.5点


100番台で唯一愛称が無いが曲のレベルは同じ。勇壮で豪快で男性的な雰囲気を楽しめる。

•交響曲第103番 変ホ長調『太鼓連打』 1795◦3.0点


2楽章があまり魅力的でない主題の変奏曲なのに長すぎる。他の楽章も、立派だが主題に魅力があまり無いので印象が薄い。

•交響曲第104番 ニ長調『ロンドン』 1795◦4.5点


前向きさ快活さを保ちつつスケールが大きく、ベートーベンのようにそれぞれのフレーズが意味を持って響く巨匠的な充実感のある素晴らしい内容に魅せられる。冒頭から心を持って行かれる。

その他の交響曲

•協奏交響曲 変ロ長調 (交響曲第105番) 1792◦3.3点


1楽章はメロディーの魅力こそあまりないが、たくさんの楽器が大活躍し、多くの音が聞こえてくる充実感はなかなかのもの。2楽章も同様である。もはやベートーヴェンの3番や4番くらいの重厚である広大な空間を沢山の楽器が奏でる音で埋めていく様はすごい聞き映えである。ベートーヴェンにも協奏交響曲を書いて欲しかったなとつよく思った。3楽章もまた同じような感想である。ただ、ここで初めて耳につく旋律が現れる。しかし、ソロの大活躍が主眼になるため、すぐに終わる。歌劇で各楽器が配役のように活躍するような華やかな音楽である。

•交響曲 ニ長調 (第106番) 1769?

•交響曲 A 変ロ長調 (第107番) 1757/61頃?

•交響曲 B 変ロ長調 (第108番) 1757-61頃?

協奏曲

ハイドンの協奏曲はモーツァルトの20代前半の協奏曲みたいなクオリティである。安定して心地よい音楽。モーツァルトと比較すると、独奏の輝かしく縦横無尽な活躍と、芸術として昇華された深みの点では確かに負けている。しかし、耳を愉しませて、心がウキウキするようなら楽しさを提供してくれるハイドンの協奏曲はとても楽しい。モーツァルト以前、バロック以降という立ち位置は独特の価値がある。モーツァルトは協奏曲の作曲において、ベートーヴェンの交響曲のような画期的な意味をもたらしたのだと気付くことが出来た。モーツァルトのピアノ協奏曲20番は、ベートーヴェンの交響曲3番のような位置にある曲なのであろう。ハイドンは協奏曲が不得意という先入観を排除することで、ハイドンの協奏曲を聴くのは驚くほど楽しくて素敵な時間になる。


ヴァイオリン協奏曲(Hob.VIIa)


•ヴァイオリン協奏曲第1番 ハ長調 1761-65頃 ◦2.5点


1楽章は全然面白くない。2楽章は素朴な独奏のメロディーがひたすら続く音楽がでヴィヴァルディよりシンプルなくらい。3楽章は協奏曲らしい活発さを楽しめて、耳を楽しませる点での価値はある。聞く価値があるのはこの楽章だけだが、高い価値とまでは言えない。

•ヴァイオリン協奏曲第2番 ニ長調 1765

紛失

•ヴァイオリン協奏曲第3番 イ長調『メルク協奏曲』 1770/71頃◦3.0点


オーケストラでなく弦楽合奏での協奏曲ということもあり、通奏低音が鳴っていそうな古臭いバロック風の曲に感じられる。地味ではあるが、温かみのあるハイドンの良さは感じられる。優雅で品の良い雰囲気を楽しめる曲。協奏曲としての面白みとしては、ヴァイオリンの活躍が不十分であり、あまり無いと思う。

•ヴァイオリン協奏曲第4番 ト長調 1769以前◦3.5点


全体にバロック協奏曲の色彩が濃い。1楽章はとても優雅で美しさに感動できる。2楽章はあまり特徴がない穏やかな曲。3楽章がきびきびとした音楽性と協奏曲の相性がよく、純粋に音を聞いていて楽しいと感じられる曲。

チェロ協奏曲(VIIb)

•チェロ協奏曲第1番 ハ長調 1760-65?/1780 ◦3.3点


1楽章は活発で楽しめるものの普通。2楽章は優美で美しく、チェロの独奏の歌が素晴らしい。3楽章はきびきびとしたフレーズが魅力。

•チェロ協奏曲第2番 ニ長調 1783 ◦3.5点


しなやかさ、優美さがあり、情熱的でもあるが基本は明るい。渋いところはあるが、よくある渋さをフル活用したチェロ協奏曲とは一線を画している。


ホルン協奏曲(VIId)

•ホルン協奏曲第1番 ニ長調 1762 ◦3.3点


シンプルで爽やか。モーツァルトほど耳に残るものはなし、内容が豊富という感じでもないのだが、なぜかアドレナリンが分泌されてくるような聴いていて身体の中から楽しさが湧き出てくる感覚はすごいものがある。楽しい気分にさせてくれる娯楽の音楽としては、かなりのレベルである。

•ホルン協奏曲第2番 ニ長調 1781以前 偽作?◦3.0点


1番よりも表情豊かであり、ホルン独奏の活躍度合いも高い。しかし、1番の不思議な魔法のような部分はないため、同じように良い曲だと思うのだが、単なる古典派の一般的な協奏曲以上のものがないようにも冷静に考えると思われる。


トランペット協奏曲(VIIe)

•トランペット協奏曲 変ホ長調 1796◦3.5点


トランペットの明朗な音を存分に楽しめるため、何度も聴きたくなる。ハイドンの協奏曲らしい胸の踊るような楽しさに加えて、トランペットの明朗さを活かした空間的な広がりのある音の気持ちよさが素晴らしい。晩年の作品であるため、ベートーヴェンに近いがっちりとした力強い重さや構築感があり、技術的な成熟感による安定感がある。この曲はそれがハイドンの協奏曲らしい魅力をさらに増している。


フルート協奏曲(VIIf)

•フルート協奏曲 ニ長調 1780?


2つのリラのための協奏曲(VIIh)

5曲とも爽やかで楽しい。コンパクトにしてコミカル。特別な何かがあるわけではないし、どの曲も似ている。だが、楽しいエンターテイメント曲として、もう一度聴きたいと思わせるものがある。リラ・オルガニザータは生演奏でどのように聞こえるか分からないが、イヤホンで聴いている限りはコミカルで可愛らしい音楽を奏でる楽器に聞こえる。聴いていてついニコっと笑顔になってしまう。

•2つのリラのための協奏曲第1番 ハ長調 1786 ◦3.8点


コンパクトにして、古典派らしい爽やかさに満ちている。内容充実。どの楽章も要領よく必要な要素をまとめていて無駄がない。かなり素敵。特に1楽章と2楽章は最高である。

•2つのリラのための協奏曲第2番 ト長調 1786 ◦3.5点


1楽章はコンパクトで悪くないがメロディーの魅力が今ひとつ。2楽章は優雅でなかなかよい。3楽章は音が生き生きとしていて優雅さもあり、心がワクワクさせられるような優雅な気分になるような、非常に魅力のある楽章。

•2つのリラのための協奏曲第3番 ト長調 1786 ◦3.8点


1楽章の爽やかで心が楽しさでいっぱいになり、気分が良くなる度合いは相当なもの。古典派の素晴らしさを堪能できる。2楽章はモーツァルトを思い出すミューズの神が宿ったような神々しい美しさを端々にみせる。3楽章は凄みこそないが、楽しさ心地よさを十分に魅せている。

•2つのリラのための協奏曲第4番 ヘ長調 1786 ◦3.5点


1楽章は他と同様にとてもコミカルでノリノリの楽しい曲。2楽章は優雅さのある楽しい明るい曲。3楽章はおとぎ話を連想するような可愛らしい旋律の曲で1番印象的。どの楽章も高いクオリティー。

•2つのリラのための協奏曲第5番 ヘ長調 1786 ◦3.0点


この5曲の中では他とそっくりである同工異曲感がなく、雰囲気が違うものになっている。しかし、明るさと内から湧いてくるような音楽の推進力がなく、それに代わる良さが見つけられず、面白くない曲になってしまったように感じる。

チェンバロ協奏曲(ピアノ協奏曲)(XVIII)

•オルガン協奏曲 ハ長調 XVIII-1 1756 ◦3.0点


初期の曲だが、すでに耳と心を楽しませる協奏曲としては良いものになっている。特に3楽章の祝典的な雰囲気はなかなか気分を盛り上がらせる。バロックから一歩進んだ協奏曲としての楽しさがある。

•オルガン協奏曲 ニ長調 XVIII-2 1767

•チェンバロ協奏曲 ヘ長調 XVIII-3 1765/71以前 ◦3.0点


1楽章は長めの曲なのだが、あまり魅力を見つけられない。2楽章はチャーミングな旋律の魅力がある。3楽章も盛り上げて楽しい気分にさせる、楽想を次々と繰り出してたたみかけるような音楽。ただ、1楽章が面白くなかったのを取り返すほどではない。

•チェンバロ協奏曲 ト長調 XVIII-4 1768頃?/82以前 「ピアノ協奏曲」とも◦3.3点


1楽章は自由に前面で活躍するチェンバロのがなかなかの聴きもの。原始的なチェンバロ協奏曲として、それなりの出来に聴こえる。2楽章は、旋律に魅力がある、心地よい温かみとある雰囲気が魅力。ただ、冗長だと思う。3楽章はアドレナリンの出るような曲で、旋律やフレーズは普通のようにみえて、なかなか楽しめる。

•オルガン協奏曲 ハ長調 XVIII-5 1763

•ヴァイオリンとチェンバロのための協奏曲 ヘ長調 XVIII-6 1766 ◦2.3点


鍵盤楽器と弦楽器という組み合わせの二重協奏曲は珍しい。しかし、録音のせいかヴァイオリンは目立たない。チェンバロが常に大活躍。1楽章はまあ普通の曲で強い印象は残らない。2楽章も3楽章もなんら特別感がなく、協奏曲らしい良さもたいしたことがなく、ハイドンには珍しいあまり面白くない曲と思う。

•オルガン協奏曲 ハ長調 XVIII-10 1771

•チェンバロ協奏曲 ニ長調 XVIII-11 1782「ピアノ協奏曲」として良く演奏される◦4.0点


モーツァルトと比べてシンプルだが爽やかで美しく独特の明るい霊感に満ちている。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3%28%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E3%80%81%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%29

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/877.html#c1

[近代史3] フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 交響曲 第100番ト長調「軍隊」 中川隆
2. 中川隆[-14016] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:09:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-685]

ハイドン(室内楽)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3%28%E5%AE%A4%E5%86%85%E6%A5%BD%29


弦楽四重奏曲一覧

ハイドンの交響曲は爽快で聴いて楽しい娯楽作品である。一方で弦楽四重奏曲は「ああ、いい曲を聴いたなあ」という胸が一杯になるような感動を得られる曲が多い。そして作品数がとても多いにも関わらず、初期を除けば駄作がほぼない。

ハイドンの練達の技術で次々と名作と呼べる水準の曲を生み続けており、あまりにも驚異的という印象を受ける。楽器の用法も楽曲もバランスが良く形式的な安心感がありながらも自由さがあり、リズムと旋律が一体となって合奏の楽しさを感じさせるものであり、非常に書法が優れている。切れ味のよさと心が温まる感じというハイドンの良さが最大に活かされている。そして現代の耳では、アダージョの3楽章の魅力がロマン派的であると共に温かみと感動を感じさせるものであり、ずば抜けている。

どの作品も後期ロマン派の爛熟したブルックナーの巨大なアダージョと同格なほどの深い精神世界に入り込んでいる。もちろん他の楽章も愉しめる曲ばかりであり、まさに宝の山である。「これを知らないとはクラックファンとして人生損している」と断言できる音楽である。

初期の弦楽四重奏曲

•Op.1(1755年

1番〜6番と0番。まだ音がスカスカであまり価値はない。

•Op.2(1755年?)

7番〜12番。同様に音がスカスカで価値は低い。


Op.9(1771年)
•Hob.III.19 弦楽四重奏曲第19番ハ長調◦3.3点


1楽章はあまり印象に残らない。旋律がいまいちである。2楽章は精彩があるというほどではないが、聴いていて楽しいものがある。3楽章は美しい成熟したメロディーと雰囲気で、宝物のようなものを産み出している。4楽章は急いでいるような前のめり感が楽しい曲。

•Hob.III.20 弦楽四重奏曲第20番変ホ長調◦3.5点


1楽章は冒頭の分散和音のメロディーが特殊で驚くが、その後は高い密度の音楽に驚く。1番より書法の成熟を感じる。2学も音の絡まりが心地よい。3楽章はメロディーが歌謡的でとても心に沁みるものがある。美メロディーで忘れ難い印象を残す。4楽章は勢いまかせでない、味のある締めくくり楽章で、フットワークは軽いながらも渋さがあって良い。

•Hob.III.21 弦楽四重奏曲第21番ト長調◦3.8点


1楽章は躍動感と冷静さが同居して、しかも渋さもある、とても素晴らしい曲。2楽章は品が良い。3楽章は感動的に始まり、心に深く食い込む美しさを見せていて感動させてくれる。なんと美しい音楽だろう。4楽章の品の良い軽快な音楽はスマートに締めくくってくれて素晴らしい。

•Hob.III.22 弦楽四重奏曲第22番ニ短調◦3.8点


短調の曲。1楽章も2楽章もモーツァルトのような音の流れの良さと、ベートーヴェンのような芯の強固さと、シューベルトのはかないセンチメンタルさを併せ持ったようなバランス。悲劇性を強調しておらず控え目だが、わりと悲しさをもった曲。3楽章はいつものように感動的で、短調の間だけに達観とか打ちひしがれた後の回復のようで素晴らしい。4楽章はやりすぎないながらも嵐のような激しさを内包した内容でよい締めくくり。

•Hob.III.23 弦楽四重奏曲第23番変ロ長調◦3.3点


1楽章の変奏曲は、単なる音の分解を細かくしていくだけでなく、様々なニュアンスの変化が多彩な表情となり、説得力をもった音楽になっている。2楽章は普通の曲。3楽章は感動的なメロディーで相変わらず素晴らしいのだが、2楽章との対比が効いておらず効果が薄い。4楽章も単体ではよいのだが、他とのつながりがイマイチ。

•Hob.III.24 弦楽四重奏曲第24番イ長調◦3.0点


1楽章と2楽章はあまり旋律の魅力を感じない。2楽章は休止を多く入れていて、独特の浮遊するような不安定感を感じる。3楽章は単なる感動的メロディーだけでなく、多少の推進力でポジティブに進めていく雰囲気を持っている。なぜか曲に入り込みにくい。4楽章はあっという間に終わる。全体にちょっと取っ付きにくい曲だと思う。


Op.17(1771年)
•Hob.III.25 弦楽四重奏曲第25番ホ長調◦3.3点


1楽章は中庸な中に磨かれた良さを持つ。2楽章は主張が控えめな曲であるが、シンプルななかに微妙なニュアンスをそれなりに楽しめる。3楽章は艶のある短調の曲で、移りゆく気分を奏でる弦の合奏の響きが美しい。やや長いが聴きがいがある。4楽章は手際が良い系統だが、多くのアイデアを詰め込んでおり充実している。

•Hob.III.26 弦楽四重奏曲第26番ヘ長調◦3.5点


1楽章は豊穣さと渋さを兼ね備えた内容豊かな曲。2楽章は旋律の穏やかさと愉しさを併せ持ち、中声の音の絡ませ方の美しさがその魅力を高めている。3楽章は沈み込みながらも、水面が見えるあたりを漂う感じで、絶妙な塩梅が楽しい。人生の悲哀を表現しているが、黄昏という感じでなく未来を見ているところが素晴らしい。4楽章は充実感があるものの、旋律の魅力が今一歩だと思う。

•Hob.III.27 弦楽四重奏曲第27番変ホ長調◦3.3点


1楽章の変奏曲は主題は悪くないものの、変奏が世界を深めていく感覚が弱くて、いまいち心が踊らない。2楽章は普通。3楽章はいつもの素晴らしさで、音の織物が心に折り重なるように触れてきて、深く感じ入るような感動をくれる。ニュアンスも豊富。3楽章のただベストの群に属するものではない。4楽章はそれを上手くうけて、盛り上げすぎでもないいい感じに適切なテンションで締めくくってくれる。

•Hob.III.28 弦楽四重奏曲第28番ハ短調◦3.5点


1楽章は短調に始まるが、最初だけである。中庸な速度で繰り出される多くのメロディーは、落ち着いて聴けることもありかなりの充実感で満たされる。2楽章は堂々とした主題が魅力的。中間で悲しげな心情にも変化するたて単純でない豊かさである。3楽章は素敵であり、儚い希望と生きる決意を感じさせる感動的な曲である。ただ、本当の深い精神世界まではいかない。4楽章は性急さをすこし含む曲で、内容豊富であり短調らしいしめくくりもあり、なかなか良い。

•Hob.III.29 弦楽四重奏曲第29番ト長調◦3.5点


1楽章はやや勘所をとらえにくい曲に感じる。内容は多いが、ふわふわと場面が移り変わっていく。2楽章は穏やかで上品な音楽だが、単なるディベルティメントに堕ちず、ほのかな刺激もある。3楽章は短調であり、嘆きの歌とでも呼びたいような悲痛感が覆っている。リズムが少ない詠唱的なアダージョは珍しいと思う。後半のソロにやるレティタティーボは最大限の悲しみに到達している。4楽章は生命感のある音の活発な動きが楽しい。

•Hob.III.30 弦楽四重奏曲第30番ニ長調◦3.5点


1楽章は刺激や工夫が音楽のつくりに沢山見受けられる。2楽章もまたありきたりでない音の動きで楽しませてくれる。3楽章はリズム感が常に消えないなかで、バロック的な明朗さのあるソロの穏やかな歌が続く。いつものアダージョの沈み込むような魅力はないが、これはこれで強く心に刻み込まれるものがある曲。4楽章は動機を重ねていくのだが、これも統一性があり、単なる勢いでない新鮮さをそれなりに感じる音形である。


Op.20 『太陽四重奏曲』(1772年)

次から次へと湧いてくる楽想の充実と自由闊達さが素晴らしい。

•Hob.III.31 弦楽四重奏曲第31番変ホ長調◦3.3点


かっちりした1楽章、滋味の溢れる2楽章、印象に残るメヌエットの3楽章、快活で楽しい4楽章と、どの楽章も存在感がある。

•Hob.III.32 弦楽四重奏曲第32番ハ長調◦3.5点


一度聴いただけでは構成が把握しにくい複雑な1楽章、インパクトがある強烈な短調と中間のトリオの対比が鮮明な2楽章、対位法的な4楽章と聴きどころが多い。

•Hob.III.33 弦楽四重奏曲第33番ト短調◦3.0点


緩徐楽章は素敵。最終楽章はモーツァルト的な性急さがあるものの物足りない。1楽章は短調から入るがすぐに長調になるパターンだが、いまいち分かりにくく、すっきりと音楽に入れない。

•Hob.III.34 弦楽四重奏曲第34番ニ長調◦3.5点


滋味と複雑さを兼ね備えた1楽章、変奏曲形式で切なく悲しい歌を切々と奏で続けるような2楽章が素晴らしい。3楽章は普通、4楽章のきびきびした音の動きも楽しい。

•Hob.III.35 弦楽四重奏曲第35番ヘ短調◦4.0点


短調曲で、1楽章はすぐに長調になるパターンではなく、短調が続き悲しい音楽が続く。緩徐楽章や最後のフーガもかなり素晴らしい。旋律がどの楽章も魅力に溢れており、ハイドンの短調の弦楽四重奏の中では傑作である。

•Hob.III.36 弦楽四重奏曲第36番イ長調◦3.5点


長調だが、単なる明快さや優美さではない複雑で味わい深い魅力がある。緩徐楽章がやはり一番だが、1楽章も味わい深く、4楽章のフーガは緊張感を演出して見事に太陽四重奏を締めくくっている。


Op.33 『ロシア四重奏曲』(1781年)

モーツァルトが衝撃を受けた作品。古典派らしい均整の取れた美しさ楽しめるが、複雑で味わい深いハイドンの多くの弦楽四重奏の中では、単純明快すぎてものたらないと感じる時もある。

•Hob.III.37 弦楽四重奏曲第37番ロ短調◦3.5点


古典派的な均整の取れたまとまりとシンプルな美しさがあり、はっとするような美しさが随所にあり音楽的に楽しめる。

•Hob.III.38 弦楽四重奏曲第38番変ホ長調『冗談』◦3.5点


1楽章の古典的な均整美や叙情性や4楽章の軽快さは楽しい。

•Hob.III.39 弦楽四重奏曲第39番ハ長調『鳥』◦3.0点


歯切れの良さよりしなやかさを重視しているような曲調。2楽章がいまいち。

•Hob.III.40 弦楽四重奏曲第40番変ロ長調◦3.5点


メヌエット風のスケルツォが珍しく非常に印象的。ラルゴも良い。

•Hob.III.41 弦楽四重奏曲第41番ト長調◦3.5点


1楽章は凡庸一歩手前だが素敵な曲。2楽章は短調で素晴らしい。4楽章の変奏曲も素敵な楽しめる曲。

•Hob.III.42 弦楽四重奏曲第42番ニ長調◦3.0点


旋律的な魅力がやや物足らない。特に魅力が強い楽章は無く、どれもそれなりに良いという感じ。


Op.42(1785年)
•Hob.III.43 弦楽四重奏曲第43番ニ短調◦3.5点


短調の響きを楽しめるコンパクトな作品。1楽章が割と充実し、2楽章も良い。4楽章があっさりしすぎ。

Op.50 『プロシア四重奏曲』(1787年)

かなり古典派らしい内容。シンプルな伴奏とメロディーという素朴さが耳につく曲が多い。

•Hob.III.44 弦楽四重奏曲第44番変ロ長調◦3.0点


Op54以降と比較すると古典派らしいシンプルな内容。最終楽章が充実している。

•Hob.III.45 弦楽四重奏曲第45番ハ長調◦3.5点


冒頭から印象的な半音階的なメロディー。前期ロマン派みたい。二楽章も巨匠的で素晴らしい。最終楽章も大きくて相応しい。

•Hob.III.46 弦楽四重奏曲第46番変ホ長調◦3.0点


あまり特徴が無いが、三楽章が印象に残る。

•Hob.III.47 弦楽四重奏曲第47番嬰ヘ短調◦3.5点


短調と長調の切り替えが美しい。二楽章はモーツァルトが短調曲の緩じょ楽章でやるような美しさ。最終的のフーガも面白い。

•Hob.III.48 弦楽四重奏曲第48番ヘ長調◦2.0点


1楽章はメロディーが単純すぎる。二楽章はあまりいい曲でない。3,4楽章も単純すぎて旋律の魅力がなく貧相。

•Hob.III.49 弦楽四重奏曲第49番ニ長調『蛙』◦3.0点


蛙みたいな四楽章の主題は笑いそうになるくらい面白い。他の楽章は普通の出来だと思う。


Op.51 『十字架上のキリストの最後の7つの言葉』(1787年)

(もとはオーケストラのための教会音楽をハイドン自身が弦楽四重奏に編曲)

•Hob.III.50~56 弦楽四重奏曲第50番-第56番

一楽章構成


Op.54 『第1トスト四重奏曲』(1788年)

古典派らしい素朴さが残っている曲があるが、そこから発展して少し複雑になり始めている。

•Hob.III.58 弦楽四重奏曲第57番ト長調◦3.5点


一楽章は渋さを兼ね備えた明るい曲。二楽章はかなり美しい。三楽章は生き生きとした良いメヌエット。四楽章も良い。全体に充実して聴き応えがある。

•Hob.III.57 弦楽四重奏曲第58番ハ長調◦3.5点


2楽章がエレジーと呼びたくなるほどに悲しい短調の曲。四楽章に大きな美しい前奏のような楽想が短いプレストを挟んでほぼ全編という曲で、かなり印象的。

•Hob.III.59 弦楽四重奏曲第59番ホ長調◦3.0点


1楽章が元気で楽しい。二楽章はモーツァルトみたい。まったりしたシンプルさ。三楽章以降は普通。


Op.55 『第2トスト四重奏曲』(1788年)
•Hob.III.60 弦楽四重奏曲第60番イ長調◦3.0点


古典派らしいシンプルで伸びやかで明るい曲。

•Hob.III.61 弦楽四重奏曲第61番ヘ短調『剃刀』◦3.5点


3楽章までは全体を悲痛な雰囲気が覆っているハイドンには珍しい曲。内容は濃い。最終楽章は晴れやか。

•Hob.III.62 弦楽四重奏曲第62番変ロ長調◦3.0点


古典派らしい颯爽としていて伸びやかな明るい雰囲気が心地いい。

Op.64 『第3トスト四重奏曲』(1790年)

トスト第1、第2より進化して古典派らしさが消えて複雑になりつつあるが、この曲集は駄作がいくつかある。

•Hob.III.65 弦楽四重奏曲第63番ハ長調◦2.0点


音がスカスカで声部の絡みが悪いし、旋律も魅力がない。しかも全部の楽章がそうなので、かなりイマイチである。

•Hob.III.68 弦楽四重奏曲第64番ロ短調◦2.5点


一楽章の短調の響きが美しい。冒頭の不思議なフレーズは面白い。二楽章と四楽章は素朴でやや物足りないが悪くない。

•Hob.III.67 弦楽四重奏曲第65番変ロ長調◦3.5点


活力がある一楽章、歌謡的な二楽章、優美なメヌエットの三楽章はかけ声みたいなフレーズが面白い、生き生きした四楽章と全部の楽章が魅力的。

•Hob.III.66 弦楽四重奏曲第66番ト長調◦3.0点


前半は素朴でやや薄味で脳天気でさえあるが、三楽章で濃厚ないつもの音楽になる。四楽章の快活さは楽しい。

•Hob.III.63 弦楽四重奏曲第67番ニ長調『ひばり』◦3.5点


他の曲と比較して、メロディーがはっきりしていて明快な分かりやすさがある。冒頭の雲雀の主題は印象的。この曲は有名だが、ハイドンの中で突出して優れている訳ではないと思う。

•Hob.III.64 弦楽四重奏曲第68番変ホ長調◦3.3点


一楽章は印象が薄い。二楽章は珍しいほどまさに感動するための音楽。メヌエットもなかなか良い。フィナーレもちょうど良い感じの明るくノリノリの曲。


Op.71 『第1アポーニー四重奏曲』(1793年)

後期らしい完成度になっているが、Op76への道程という感じがある。

•Hob.III.69 弦楽四重奏曲第69番変ロ長調◦3.5点


感動を内に秘める瑞々しい叙情性が印象に残る。しかしあくまで爽やかなのがいい所。前半二楽章が良い。

•Hob.III.70 弦楽四重奏曲第70番ニ長調◦3.0点


普通の曲。フィナーレが素敵な雰囲気。

•Hob.III.71 弦楽四重奏曲第71番変ホ長調◦3.5点


1、4楽章の充実感、二楽章の絶妙な伴奏に載せた歌うシンプルながらも素敵なメロディーなど、魅力的な曲。


Op.74 『第2アポーニー四重奏曲』(1793年)
•Hob.III.72 弦楽四重奏曲第72番ハ長調◦3.0点


全体にしなやかで柔らかい雰囲気が支配的。半音階の動機が多く使われていて所々はっとする。

•Hob.III.73 弦楽四重奏曲第73番ヘ長調◦3.5点


一楽章は展開部が好き。二楽章がモーツァルト的な美しさ。三楽章は普通。四楽章は軽快で耳に残る。

•Hob.III.74 弦楽四重奏曲第74番ト短調『騎士』◦3.0点


一楽章は主題の魅力が今ひとつ。二楽章はオーソドックスで温かみがあるが、美しさがもの足りない。四楽章の愛称の由来となった騎士の主題はそれほど強く印象に残らない。

Op.76 『エルデーディ四重奏曲』(1796年-1797年)

声部の絡みや磨かれ方が誰にも届かないほどの完成度になった。

•Hob.III.75 弦楽四重奏曲第75番ト長調◦4.0点


前半の二つの楽章は大変素晴らしい。楽しく充実した一楽章、柔らかく温かい音の世界が感動的な二楽章。後半は普通になる。

•Hob.III.76 弦楽四重奏曲第76番ニ短調『五度』◦3.5点


愛称の由来となった冒頭の主題はそれほど魅力を感じない。それより後半が良い。特にフィナーレは緊密で緊張感があり優れている。

•Hob.III.77 弦楽四重奏曲第77番ハ長調『皇帝』◦4.0点


1楽章はいつもの歯切れのよさで愉しい。二楽章はやはり、ドイツ国歌のメロディーが大変良い。変奏というより、伴奏と独奏楽器を変えながら何度もメロディーを演奏する感じだが聞きほれる。三楽章はトリオが良い。四楽章は突然の短調で驚くが内容は普通。

•Hob.III.78 弦楽四重奏曲第78番変ロ長調『日の出』◦3.5点


一楽章の叙情性と歯切れのよい軽快さのバランスが良い充実作。二楽章は深く入り込める叙情的な内容。三楽章以降は普通。

•Hob.III.79 弦楽四重奏曲第79番ニ長調『ラルゴ』◦3.5点


ラルゴ楽章は別格というほどではないが、非常に心に響くものがある美しさ。他の楽章もそれぞれ素晴らしい。

•Hob.III.80 弦楽四重奏曲第80番変ホ長調◦3.5点


大作の二楽章に心惹かれる。最終楽章の盛り上がりもなかなか。


Op.77 『ロプコヴィッツ四重奏曲』(1799年)

極限まで磨きぬかれてる。

•Hob.III.81 弦楽四重奏曲第81番ト長調◦3.8点


音楽の幅広さ、精巧な作り、楽器の声部の活用の豊さなど、多くの点で非の打ち所のないようなハイドン晩年の円熟の技が光る作品。

•Hob.III.82 弦楽四重奏曲第82番ヘ長調『雲がゆくまで待とう』◦3.8点


77−1と同様に非の打ち所が無く、さらに内省的で人生の回想を内に秘めたような感動があり、器楽曲でのハイドンの最後の到達点の凄さに痺れる。


Op.103(1803年)
•Hob.III.83 弦楽四重奏曲第83番ニ短調(未完成)

ピアノ三重奏曲

番号は前半がホーボーケン番号であり、後半がランドン版の番号である。


ハイドンのピアノ三重奏曲はピアノが主役であり、弦楽器は味付けだけである。ベートーヴェン以降とは楽器のバランスがかなり異なる。極めて芸術性が高い弦楽四重奏曲などと比較すると、ピアノ三重奏曲は娯楽的で軽くて内容が浅い曲が多いと感じる。曲数は多いが、特に初期の方はあまり真剣に聴くジャンルではないと思う。晩年はそれなりの充実感と聴き応えをみせていて楽しめる。とはいえハイドンらしい大作曲家の精華という感じではないと思う。

1番から20番まで

•ピアノ三重奏曲第1番 ト短調 第5番 1755-60 ◦2.8点


短調の曲。しかもずっと短調の物憂い雰囲気が継続する。ト短調であることもあり、悲劇的な悲しみを持っていてモーツァルトを連想するところがある。とはいえ、やはりハイドンの短調曲の常でメロディーの魅力は今一歩だと思う。

•ピアノ三重奏曲第2番 ヘ長調 第17番 1772 ◦2.8点


1楽章はごく普通。2楽章の変奏曲は少し面白い。特に延々とピアノとヴァイオリンでユニゾンをするのが新鮮。

•ピアノ三重奏曲第3番 ハ長調 ? 偽作

•ピアノ三重奏曲第4番 ヘ長調 ? 偽作

•ピアノ三重奏曲第5番 ト長調 第18番 1784 ◦3.0点


1楽章は長い前奏のような趣き。2楽章はそこそこ充実した曲。これで終わりでもよさそうだが3楽章が変奏曲として続く。しかし短く終わってしまい、位置付けがよく分からない。順番に聴いていると急に音が成熟して驚く。

•ピアノ三重奏曲第6番 ヘ長調 第19番 1784 ◦3.5点


1楽章は健全な普通の曲。 2楽章が素晴らしい。ゆったりとした中での、感情の揺れとか間の使い方が良い。突発的に想いがこみ上げるような場面もあり、かなり心を揺さぶられる。

•ピアノ三重奏曲第7番 ニ長調 第20番 1784◦3.3点


1楽章は前奏的な曲風だが、変奏曲であり構成が理解しやすい。感傷的な歌の2楽章も、それを受けた適度な運動感のある3楽章もなかなか良い。

•ピアノ三重奏曲第8番 変ロ長調 第21番 1784 ◦2.5点


冒頭で重厚な和音に驚かされる。しかし、これ以外は標準以下の出来だと思う。旋律が良くないためあまり面白くない。

•ピアノ三重奏曲第9番 イ長調 第22番 1785 ◦2.8点


1楽章は長くて、まったりしているだけでたいした内容ではない。2楽章の手際の良さは気持ちいい。

•ピアノ三重奏曲第10番 変ホ長調 第23番 1785 ◦3.0点


1楽章のノリの良さと、2楽章の手際の良さと高揚感。なかなか楽しい曲である。緩徐楽章がない楽しさを味わえる。

•ピアノ三重奏曲第11番 変ホ長調 第24番 1788? ◦3.0点


1楽章は成熟しているが、ごく普通の曲。2楽章も内容的にはしっかりした曲だが、普通の曲という以上のものはないと思う。

•ピアノ三重奏曲第12番 ホ短調 第25番 1788/89? ◦3.3点


1楽章は短調だが長調の色が強い。2楽章はモーツァルト的な歌謡性がありロマンティックさもある。3楽章はかなりピアニスティックで音数が多くて楽しい。晩年にさしかかった充実した音楽の場合は3楽章あった方がバランスが良いと感じる。

•ピアノ三重奏曲第13番 ハ短調 第26番 1789? ◦3.3点


1楽章はピアノ三重奏曲の中では長大な変奏曲。短調と長調を織物のように組み合わせて、優美な主題の魅力とあわせて、なかなか楽しめる。2楽章も適度な快活さと胸の膨らむような広がり感が組み合わされており、なかなか楽しい曲。

•ピアノ三重奏曲第14番 変イ長調 第27番 1789/90 ◦3.0点


成熟感のある3楽章の曲。上品にまとまめられている。規模が大きいため時間の使い方が通常と違うこともあり、シューベルトの世界に近付いてきた感がある。しかし、気合いの入った曲というより、ムードをまったり楽しむ音楽という印象。

•ピアノ三重奏曲第15番 ト長調 第29番 1789/90? ◦3.0点


柔らかくて耳あたりはよい雰囲気が続くのだが、印象にのこるような強い主張はない。ディベルティメントのような曲風。

•ピアノ三重奏曲第16番 ニ長調 第28番 1789/90? ◦3.3点


明るく活発な雰囲気が支配していて楽しんで聞けるが、一方で短調に転じる場面も多いので、急に雰囲気が変わってドキッとさせられる時もある。なかなか愉しい曲。2楽章は短調だがしなやかな愛らしさがあり、曲が暗すぎないのがよい。フルート版も聴いたが同様に楽しい。

•ピアノ三重奏曲第17番 ヘ長調 第30番 1790? ◦3.0点


さらっと書かれたような2楽章の曲。可愛らしいコンパクトさがある。

•ピアノ三重奏曲第18番 イ長調 第32番 1793/94? ◦3.3点


安定感を感じる1楽章。2楽章の沈み込むような短調のあとに、飛び跳ね廻るような3楽章。楽章ごとのコントラストが非常にはっきりしていて面白い。

•ピアノ三重奏曲第19番 ト短調 第33番 1793/94? ◦3.3点


1楽章は短調の変奏曲で悪くない。2楽章は歌謡的で美しくて心に響く曲。3楽章はコントロールされた高揚感が心地いい。

•ピアノ三重奏曲第20番 変ロ長調 第34番 1793/94? ◦3.3点


1楽章は少しだけ癖はあるが普通。2楽章は冒頭で異様に長いピアノのソロがある。その後も夜もしくは黎明のような雰囲気で、感動的な雰囲気を持続したままの変奏曲となる。ハイドンにしては非常にロマン的な感情に深く浸ることを主体とした曲。3楽章は激しすぎない音楽で2楽章の気分を壊さないように配慮されている。


21番以降

•ピアノ三重奏曲第21番 ハ長調 第35番 1794/95? ◦3.0点


1楽章は悪くはないが、この時代のハイドンならば当然に出来ることしかしていない。2楽章は優美でなかなか美しい。3楽章は音の躍動感を楽しむ曲。

•ピアノ三重奏曲第22番 変ホ長調 第36番 1794/95? ◦3.3点


モーツァルトのように綺麗にまとめようとする志向と、成熟した雄大さを併せ持った曲を書こうとしたのを感じる。規模の大きさとゆったりとした柔らかい雰囲気を楽しめる。2楽章はロマン派の息吹を感じる。3楽章は立派。この時期のピアノ三重奏曲はみんなそうだが、最後の交響曲と同時期という書法の成熟感と規模感が楽しい。

•ピアノ三重奏曲第23番 ニ短調 第37番 1794/95? ◦3.5点


1楽章は長いし、それほど魅力を感じない。2楽章は非常に美しい。ほとんどショパンに近いほど繊細な冒頭のピアノのソロと、それをうけて展開していく音楽は続く平穏さの中で強くロマンチックに心を動かす。3楽章の音の動きは独特であり、スケルツォのようである。それを軸に構築された曲であり、インスピレーションの強靭さを感じる。

•ピアノ三重奏曲第24番 ニ長調 第38番 1794/95? ◦3.5点


1楽章はなかなか詩的なインスピレーションに溢れた、内容豊かな楽章。控えめななかに素敵な音楽が詰め込まれている。2楽章は動機に近いメロディーを繰り返すハイドンには珍しいタイプの曲であり、アタッカで続けて3楽章も珍しい。3楽章はバッハに影響を受けたかのような、奥ゆかしい対位法的な曲。達観したかのような何か清々しい気分に満ちたハイドンには珍しい曲。感動した。

•ピアノ三重奏曲第25番「ハンガリー風」 ト長調 第39番 1794/95? ◦3.5点


1楽章は耳障りのよい寛いだ雰囲気が支配的。2楽章はモーツァルトのような回想的で感傷的な美メロディーをたっぷり聴かせる。音の間合いの使い方など、モーツァルトを意識していると思われる。狙いがあからさまでもやはり感動してしまう。3楽章のジプシー風はハイドンには珍しい。独特の民族的土着的な音楽はいつもと違うだけにハイドンらしい料理の仕方への興味も湧くし、やはり耳を捉えるものがある。

•ピアノ三重奏曲第26番 嬰ヘ短調 第40番 1794/95? ◦3.3点


1楽章は寛いだ雰囲気で特徴は多くないが、充実感と聞き応えが十分にある。2楽章は普通。3楽章はテンションの上がらない最終楽章らしさの少ない曲。しかし、執拗な動機の繰り返しと短調の切迫感がだんだん感動を増していく不思議な曲。

•ピアノ三重奏曲第27番 ハ長調 第43番 1796? ◦3.3点


1楽章は冒頭こそ素人っぽいがっかり感があるが、そのあとは普通の曲として、一応の労力を感じられる曲になっている。2楽章も作り込みをそれなりに行っているが、主題の魅力がない。3楽章は繊細な軽妙さのある主題が珍しい。ピアノの縦横で派手な活躍ぶりはモーツァルトの協奏曲みたいだ。具体的に似た曲はあまり思いつかないのにモーツァルトを思い出す。しかし、モーツァルトには、この楽章ほど斬新で面白い曲はないと思う。

•ピアノ三重奏曲第28番 ホ長調 第44番 1796? ◦3.5点


1楽章はピツィカートを主題の一部として完全に取り込んでいるのが珍しい。内容は変化を十分に詰め込んでいる。2楽章はまた一段と実験的。無機質なユニゾンから始まり、そのまま異様な伴奏とモノローグのピアノが延々と続くのは完全な異常事態である。これはもう、ハイドンなりの前衛的な音楽だろう。ショスタコーヴィチが乗り移ったかのようだ。後半は3つの楽器が絡み合い、悲しみの歌になる。3楽章はメロディーと感情の力が強くて、聴いていてハイドンであることを忘れてしまう。

•ピアノ三重奏曲第29番 ト長調 第45番 1796? ◦3.3点


1楽章となめらかな中に骨太さのある音楽だが、特別なものがない。ノーマルな音楽がさらっと流れていく印象。2楽章は美メロディー風だが、今ひとつ気分が盛り上がらない。3楽章は3拍子で舞踏性と高揚感を演出するのがとても良い。この楽章は何度でも聴きたくなる。

•ピアノ三重奏曲第30番 変ホ長調 第42番 1796? ◦2.8点


1楽章はベートーヴェン的な清々しさ空間的な広がりの共存が良い。ごく普通の曲ではあるが。2楽章は特筆することはない。BGMのような曲。3楽章も特段の特徴がない。

•ピアノ三重奏曲第31番 変ホ短調 第41番 1795 ◦2.8点


1楽章も2楽章と特段の創意工夫を見つけられない。ごく普通の音楽がさらっと書かれているだけで、あまり内容がないように感じる。

•ピアノ三重奏曲第32番 ト長調 第31番 1792/93? ◦3.5点


どこかで耳にすることがある分かりやすいキャッチーなメロディーを前面で推している1楽章は面白い。いきなりピチカートで始まる冒頭は新鮮。2楽章も分かりやすくてメロディーに力がある。いかにもマイナー曲ばかりのピアノ三重奏曲の中ではメジャーになれる属性を持つ曲。

•ピアノ三重奏曲第33番 ニ長調 第8番 ?

紛失

•ピアノ三重奏曲第34番 ホ長調 第11番 1755-60 ◦3.0点


1楽章がモーツァルトのように優美で愛らしい曲でメロディーが目立つ曲であり印象的。2楽章と3楽章はハイドンらしい楽しい曲。ピアノが中心として活躍する音楽なのは相変わらず。

•ピアノ三重奏曲第35番 イ長調 第10番 1755-60 ◦3.0点


1楽章はほとんど全てヴァイオリンとピアノと右手がユニゾンという実験的ともとれる構成で驚く。2楽章は活気あふれるパワーのある曲でかなり素晴らしい。3楽章は可愛らしいさがある普通の曲。

•ピアノ三重奏曲第36番 変ホ長調 第12番 1755-60 ◦2.5点


光る楽章が無いのであまり面白くない。あえて言えば3楽章の明快でかっちりとした快活さがいい感じ。

•ピアノ三重奏曲第37番 ヘ長調 第1番 1755-60 ◦2.5点


中庸のテンポでしなやかでセンチメンタルな1楽章が始まるのは意外だが、なかなか美しい。

2楽章はテンポが速くなり、活発だが、メロディーの魅力はあと一歩。あまりハイドンぽくない。3楽章は陰影に富む中庸のテンポの曲。この楽章もあと一押しの何かが欲しい。

•ピアノ三重奏曲第38番 変ロ長調 第13番 1755-60 ◦3.0点


1楽章の優雅な美しさがなかなか印象的。古典派らしい美しさを堪能出来る。3楽章の快活さもなかなか。バリトン四重奏曲の最終楽章を連想するスピード感の主題が印象に残る。

•ピアノ三重奏曲第39番 ヘ長調 第4番 1755-60 ◦2.5点


優雅でくつろいだ雰囲気の楽しい曲。5楽章ある。普通の曲だが、その中にハイドンらしさが感じられる。

•ピアノ三重奏曲第40番 ヘ長調 第6番 1755-60 ◦3.0点


1楽章と2楽章のほのぼのとした優雅な雰囲気。3楽章の快活さ。まだ磨かれ方は足りないがハイドンらしい楽しさが現れている。

•ピアノ三重奏曲第41番 ト長調 第7番 1755-60 ◦3.0点


珍しい4楽章制。2楽章のトリルの効果が美しくて心を捉えた。他の楽章は中庸でシンプルな普通の曲である。4楽章制であることが高い効果を上げている印象は特にない。


Hob番号外

•ピアノ三重奏曲 ハ長調 第2番 1755-60 ◦2.5点


1楽章は主題の魅力はそこそこ。展開部に随分と迫力があり驚いた。2楽章は優雅にまったりだが、よく短調になるので陰影は深い。3楽章は2楽章と雰囲気が似た優雅な変奏曲だが、音を細かく分けて繰り返すだけに聞こえてあまり面白くない。

•ピアノ三重奏曲 ヘ短調 第14番 1755-60 ◦2.8点


1楽章も2楽章も短調をたっぷり聴かせる。交響曲のようにすぐに長調にならない。3楽章は大半が明るい。手抜きしていない、きちんとした内容で満たされているのだが、演奏のせいか霊感がいま一つ足りないと感じてしまった。

•ピアノ三重奏曲 ト長調 第3番 1755-60 ◦2.0点


ピアノが大変支配的な曲で、他の2つは目立たない。特にチェロは可哀想なくらい。そしてメロディーに魅力がなくて、面白くない。

•ピアノ三重奏曲 ニ長調 第9番 ?

紛失

•ピアノ三重奏曲 ニ長調 第15番 1755-60 ◦2.0点


とにかくハイドンらしさが無い特殊な曲。本当に真作?と疑問に思う。曲自体もつまらない。

•ピアノ三重奏曲 ハ長調 第16番 1755-60 ◦2.3点


まったりした曲。あまり特徴がなく、面白くもない。


ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 Hov.VI[#xa0f11db]
•ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第1番 ヘ長調◦3.0点


チェロは完全に伴奏だけ。1楽章の変奏曲など、手を抜かずちゃんと書いている印象はある。とはいえ、ディベルティメント的な寛いで自分で演奏して楽しむための職人的に書かれた曲である。

•ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第2番 イ長調◦3.3点


1楽章は音の飛び方で耳へのひっかかりを演出している印象。2楽章は短調でハイドンには珍しく音を長く伸ばして存分に聴かせる曲であり、おおっとなる。胸に迫るものがかなりある。3楽章は普通。

•ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第3番 変ロ長調◦2.8点


2番までより少し難易度を上げられているように聴こえるのが最大の特徴。曲としては、特筆するほどの楽章はない。音の飛び方が激しいため、音の動きにスムーズさがない。

•ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第4番 ニ長調◦2.5点


これといった特長のある楽章がない。一貫して平凡であり、聴きどころに欠ける。優雅な音感の良さは一流作曲家の手による作品と分かるものだが、それ以上のものがない。

•ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第5番 変ホ長調◦2.5点


規模が小さくて聴きやすいのはよいが、1楽章の一部を除いてやはり内容が薄く、聴きどころがないと思う。

•ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第6番 ハ長調◦2.5点


2楽章が多少力強い表現になり聴きどころがある箇所がある。それ以外は、さらっと聴ける耳を少し楽しませるだけのディベルティメントである。


バリトン八重奏曲

•8声のディヴェルティメント ニ長調 Hob.X1 1775 brt,SQ,2hrn,BC◦3.3点


1楽章のキレと活発さが楽しい。2楽章と3楽章はごく標準的なディベルティメントだと思う。

•8声のディヴェルティメント ニ長調 Hob.X2 1775 brt,SQ,2hrn,BC◦3.5点


バランスがよくて、楽章の統一感もかなり良い。旋律も良いためいい曲だと没入できる。

•8声のディヴェルティメント イ短調/イ長調 Hob.X3 1775 brt,SQ,2hrn,BC ◦3.5点


1楽章の鎮魂的とも言える悲劇的な暗い曲から、2楽章の底抜けに明るい曲に転換し、3楽章はまったりという特殊構成。2楽章が魅力的。1楽章はモーツァルトの最も悲劇的な曲にも匹敵するほどエモーショナルである。

•8声のディヴェルティメント ト長調 Hob.X4 1775 brt,SQ,2hrn,BC◦3.3点


1楽章も2楽章も穏やかなのが、3番と対比を意図的しているように感じる。古典的な均整の取れた美しさと旋律の良さを楽しめる。

•8声のディヴェルティメント ト長調 Hob.X5 1775 brt,SQ,2hrn,BC◦3.0点


雰囲気は他と同様だが、旋律が平凡でやや魅力が落ちる。

•8声のディヴェルティメント イ長調 Hob.X6 1775 brt,SQ,2hrn,BC◦3.3点


2楽章がモーツァルトのように優美さを裏返したような歌謡的な悲しみの音楽。ハイドンにしては珍しいと思う。他の楽章は普通。

•8声のディヴェルティメント ト長調 Hob.X12 1775? brt,SQ,2hrn,BC◦3.3点


2楽章がまたしてもモーツァルト風の歌謡的な短調。これも良い曲。1楽章の広がりのある曲だがあまり良くない。3楽章のきびきびとした動きは魅力的。


バリトン五重奏曲

•ディヴェルティメント(五重奏曲) ニ長調 1767/68 brt,va,2hrn,BC ◦3.3点


高音が少なくて、父性の強い渋い音になっている。とはいえ、ホルンが2本もあるため華やかさと音の厚みは十分である。ただ、メロディーが地味だし、まったりした雰囲気のためもの珍しさだけで終わってしまう。


バリトン三重奏曲

•バリトン三重奏曲◦2.5点〜3.5点


全126曲。10分程度で3楽章のコンパクトな内容。同工異曲がたくさんあるが、領主に直接演奏してもらうための曲だからかひどい手抜きは無く、どの曲もそれなりのクオリティである。低音ばかりなので聞いていて気分が落ち着くし、ハイドンらしい楽しさにも満ちている。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3%28%E5%AE%A4%E5%86%85%E6%A5%BD%29

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/877.html#c2

[近代史3] フランツ・ヨーゼフ・ハイドン 交響曲 第100番ト長調「軍隊」 中川隆
3. 中川隆[-14015] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:12:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-684]

ハイドン(クラヴィーア曲、声楽曲)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3%28%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%A2%E6%9B%B2%E3%80%81%E5%A3%B0%E6%A5%BD%E6%9B%B2%29

クラヴィーア曲

クラーヴィアソナタ

曲名につけている数字は、前半がホーボーケン番号で、後半がランドン版による番号である。


ハイドンのソナタは、モーツァルトのソナタのように個別的な個性があったり、心を虜にするような愛らしさと旋律美のような強烈な魅力があるわけではない。しかし、ハイドンらしい素朴な暖かさや成熟感は魅力があり、地味さに耳が慣れると、なかなか楽しめる佳作が揃っていると思う。

1番から20番まで


•ピアノソナタ第1番 ハ長調 第10番 1750-55? ◦3.5


シンプルな短いソナタ。古典的な簡素さの美に感動する。3楽章もそれなりに良い曲だが、特に1楽章と2楽章が良い。1楽章も3楽章も短調に転じるのが面白い。いずれにせよ、バロック的なシンプルな美しさが素晴らしい。初期の中でも心に響く曲。

•ピアノソナタ第2番 変ロ長調 第11番 作曲年不明 ◦3.0点


1番と比べると各楽章が長く感じる。2楽章のモーツァルト顔負けの憂愁。半音階的で驚く。1楽章の滋味。3楽章は急速でなく時計のような歩みの進行であり、ハイドンらしい時計的な詩情を見せる。

•ピアノソナタ第3番 ハ長調 第14番 1765? ◦2.8点


素朴でシンプルなソナタ。バロックの香りを放つ素朴な味わいは悪くないが、それ以上の何かは無い。

•ピアノソナタ第4番 ニ長調 第9番 1765頃?-1772 ◦2.5点


6分2楽章の短いソナタ。あまりに簡潔で、音楽的にもあまり目立つ良さは無い。ハイドンらしい良さはこの曲にもあるが、物足りない。

•ピアノソナタ第5番 イ長調 第8番 作曲年不明◦2.8点


爽やかで内容もそれなりに盛り込まれた短い曲。歯切れの良さが魅力。しかし、旋律の魅力にどことない物足りなさを感じる。

•ピアノソナタ第6番 ト長調 第13番 ◦2.8点


いかにもチェンバロ用の曲。4楽章。簡素な曲だが、憂いをたっぷり聴かせる短調の3楽章が独特のバロック的美しさで心に響く。他の楽章は普通。

•ピアノソナタ第7番 ハ長調 第2番 1750頃? ◦2.5点


簡素な曲。特に3楽章はあっという間に終わる。旋律の魅力が足りず、未成熟を感じる。

•ピアノソナタ第8番 ト長調 第1番 ◦3.0点


7番同様にものすごく短い曲。7番より歌心を感じて、ピアノフォルテらしい音の動きを楽しめる。

•ピアノソナタ第9番 ヘ長調 第3番 1766/1760?  ◦2.8点


2楽章がやや長くて冗長に感じるが他はシンプル。これもピアノフォルテらしい音の動きを楽しむ曲。

•ピアノソナタ第10番 ハ長調 第6番 作曲年不明◦2.5点


9番までと比較して長くて構成が大きいのだが、響きを単純に楽しむ素朴さが損なわれている。旋律があまり良くないと音感の良さも微妙なのが気になる。

•ピアノソナタ第11番 ト長調 第5番◦3.0点


2楽章がなかなか美しい。3楽章はいろいろ詰まっていて楽しく、コンセプトは良いが、大成功とはいかないと思う。1楽章は並。

•ピアノソナタ第12番 イ長調 第12番 ◦3.0点


スローテンポから段々早くなる曲。1楽章が美しい。他は並。

•ピアノソナタ第13番 ホ長調 第15番 1766/1760? ◦2.8点


1楽章は重厚な和音が登場して驚く。2楽章などにも、ところどころ初期にはない古典派の後期のような響きが登場する。順番に聴いたら目新しく感じるが、曲としてはいまいち魅力が足りない。

•ピアノソナタ第14番 ニ長調 第16番 作曲年不明 ◦2.8点


過渡的という言葉がついよぎってしまう曲。いろいろとピアニスティックではあるが、曲として十分に使いこなせていないように聴こえる。

•ピアノソナタ第15番 ハ長調 op.41-3 Divertimento Hob.II:11の編曲。偽作。

•ピアノソナタ第16番 変ホ長調 1750-55?

•ピアノソナタ第17番 変ロ長調 op.53-1 作曲年不明 近年では、J.G.シュヴァンベルガーによるものであると判明

•ピアノソナタ第18番 変ロ長調 第20番 作曲年不明 偽作。

•ピアノソナタ第19番 ニ長調 op.53-2 第30番 1767 偽作

•ピアノソナタ第20番 ハ短調 op.30-6 第33番 1771◦3.8点


1楽章が序奏付き。短調の曲という目新しさがある。モーツァルトの幻想曲のような哀しく切ない歌の音楽。2楽章も深く沈み込むような感じときらめくような美しいに溢れたロマンティックな曲。3楽章もそれをうけた見事な内容。このような特殊な曲を高く評価するのは自分でも良いのか悩むが、感動するのだからしょうがない。

21番から40番まで


•ピアノソナタ第21番 ハ長調 op.13-1 第36番 1773◦3.3点


1楽章の執拗な跳ねるリズムは、ハイドンにしては非常に特異な音楽である。効果のほどを高く評価したい出来ではないが、とにかく印象に残る。2楽章はオーソドックスだが、なかなか叙情的で美しい歌心のある曲。3楽章もオーソドックスでなかなか楽しくて、ハイドンらしい素朴さが過剰でない演出となりいい味を出している。

•ピアノソナタ第22番 ホ長調 op.13-2 第37番◦3.3点


1楽章は普通。2楽章はかなり沈み込んだ悲痛の感情に支配された曲。3楽章はそれを受けたしみじみとした晴れやかさのある曲。突発的な激情も挟まれる。ロマン派の息吹を感じる。

•ピアノソナタ第23番 ヘ長調 op.13-3 第38番◦3.3点


1楽章の活発な運動性や展開力は、それだけで楽しめるもの。短調の2楽章も3楽章の意外性のある音の動きの運動性も楽しい。表現の幅があり、滋味も裏にもっていて成熟感がある。

•ピアノソナタ第24番 ニ長調 op.13-4 第39番 1773?◦3.0点


1楽章は活発だがいまいちピンとこない曲。2楽章は短調で歌謡的でモーツァルトのように美しい。3楽章は音の動きで押す曲だが、これも旋律としてはあまりピンとこない。

•ピアノソナタ第25番 変ホ長調 op.13-5 第40番◦3.3点


1楽章は広がり感があるソナタ。多くのものが詰め込まれている、がっちりとしたソナタでハイドンらしい魅力がある。2楽章が非常に短く、そのまま終わるという構成に驚く。

•ピアノソナタ第26番 イ長調 op.13-6 第41番 1773◦2.8点


1楽章は多くが詰め込まれているが、旋律の魅力をあまり感じない。2楽章もあまり旋律の魅力がない。3楽章はスケール主体であっという間に終わる。

•ピアノソナタ第27番 ト長調 op.14-1 第42番 1774-1776?◦3.0点


1楽章は音の動きを止めない勢いの良さでソナタを作っている楽しさ。2楽章と3楽章は中庸で特徴が薄い。

•ピアノソナタ第28番 変ホ長調 op.14-2 第43番◦3.0点


1楽章と2楽章は中庸であり、内容はあるが取り立てた特徴を感じない。3楽章は面白い音の動きでテキパキした雰囲気を楽しめる。

•ピアノソナタ第29番 ヘ長調 op.14-3 第44番 1774◦2.8点


1楽章はふわっとしたつかみどころの分かりにくい曲。2楽章は古典派らしい素朴さだが、構成は大きくバラエティがある。3楽章がうろうろした感じのとりとめもない音楽。

•ピアノソナタ第30番 イ長調 op.14-4 第45番 1774-1776◦3.0点


1楽章は冒頭の第一主題の軽快さが魅力だが、それだけでない多様な表情を持つ。2楽章は2声部でごくシンプルだが、陰翳のある示唆的な曲。前奏の役割。3楽章はそのまま2声部で続けて始まる。和音は登場するが、2声部でバロックみたいなのは変わらない。うまく言えないが独特の穏やかな浮遊感のようなものがる変奏曲。

•ピアノソナタ第31番 ホ長調 op.14-5 第46番◦2.5点


1楽章と2楽章は素朴で穏やかななだけであまり面白くない。3楽章は活発でシンプルにすぐ終わる。

•ピアノソナタ第32番 ロ短調 op.14-6 第47番◦3.0点


1楽章はしっかり書かれているが、学習用に感じてしまう。2楽章も似た印象。3楽章は短調の切迫感を演出する。モーツァルトの8番のソナタの3楽章を連想する。

•ピアノソナタ第33番 ニ長調 op.41-1 第34番 1778以前?◦3.0点


オーソドックスでどの楽章も悪くはない。しかし、学習用のシンプルな曲という印象である。

•ピアノソナタ第34番 ホ短調 op.42 第53番 1783/84 ◦3.3点


1楽章は悪魔的な魅力も見せている。3楽章の迫り来る哀愁も良い。モーツァルトのピアノソナタ8番を想起する。

•ピアノソナタ第35番 ハ長調 op.30-1 第48番 作曲年不明◦3.0点


ソナチネアルバムの曲。教育的な曲の印象が強い。1楽章は三連符の伴奏が珍しくて印象的。2楽章は単純でアルベリティ・バスの上のメロディーが続く。3楽章は軽快な音の動きの曲。コンパクトでよくまとまっていて、難易度が低く、どの楽章もハイドンの中では正統派なのが良いところであり、有名な理由だろう。しかし、ハイドンのソナタの中で特段この曲が優れているというわけではないと思う。自分も昔の学習時に弾いた時は好きだった曲だが、いま観賞用として聴くと代表作とは思わない。

•ピアノソナタ第36番 嬰ハ短調 op.30-2 第49番◦3.5点


1楽章はきっちりと重厚に書かれた悲しみの表現。2楽章も元気のよいのもよい。感動的なのは3楽章。芸術性の香りの高い、悲しみをこらえるような静謐さが非常に強く心を捉えて離さない。この楽章の順番がマジックを起こしている。

•ピアノソナタ第37番 ニ長調 op.30-3 第50番◦3.5点


1楽章はピアノ版の祝典曲かと思うほど威勢がよく技巧的で華やかな曲。音の洪水に圧倒される。2楽章はその反動で極めておとなしくて静謐な曲。3楽章は中庸になるわけだが、これもよくできた楽章である。刺激的な動機を使いつつ、詩的な情緒性も感じる。

•ピアノソナタ第38番 変ホ長調 op.30-4 第51番 1779-1780◦3.5点


1楽章は中庸な速度のソナタとして規模が大きくバランスが取られた立派な曲。2楽章は短調。過度でない程度に感情的なものが盛り込まれており、音の美しさを存分に聴かせる曲。3楽章はそれをうけて悟ったような雰囲気を醸し出す、余韻に浸りながら気分を上昇させていく変奏曲。

•ピアノソナタ第39番 ト長調 op.30-5 第52番◦3.0点


1楽章はコンパクトで柔らさのある曲。2楽章は穏やかな気分になる。初学者が弾くには良さそう。3楽章は素直で程よい運動性であり、やはり弾くと楽しそう。

•ピアノソナタ第40番 ト長調 op.37-1 第54番 作曲年不明◦3.3点


穏やかで愛らしさと味のある変奏曲。大きな激しさは瞬間的にしかみせないまま続くが、曲調に身を浸して楽しめる。ただ、少し長すぎるとは思う。2楽章はめまぐるしく活発な音の動きで、それを追いかけていくだけで楽しめる。


41番以降

•ピアノソナタ第41番 変ロ長調 op.37-2 第55番◦3.0点


ピアノフォルテでなくピアノ的な書法と感じる。1楽章は中庸で悪くないが特徴は少ない。2楽章は非常にめまぐるしさくて楽しい。どちらもメロディーの特徴は少ないが、ソナタを順番に聴くなかでは書法の変化の楽しみがある。

•ピアノソナタ第42番 ニ長調 op.37-3 第56番◦3.8点


1楽章は非常に雄弁であるとともに、シューベルトのような淡く儚い美しさを感じさせる名曲。主題は非常に美しい。2楽章はごく短く、締めのためだけに存在する。この構成じたいが、ハイドンが1楽章を名曲と考えていた証拠である。

•ピアノソナタ第43番 変イ長調 op.41-4 第35番◦3.0点


どの楽章も、なんというか普通で特別感がない。とても中庸な安心感はあるのだが、刺激がなさすぎて物足りない。棘のない音楽だし、ありきたりなつまらなさがあるわけではないのだが。

•ピアノソナタ第44番 ト短調 op.54-1 第32番◦3.3点


1楽章はすぐ長調になってしまう普通の曲だが、シンプルな書法に歌心が忍ばせてあり、なかなかよい。2楽章が短調の美しさを活かしていて、陰影がありながらも冷静で感情に溺れないのがよい。

•ピアノソナタ第45番 変ホ長調 op.54-2 第29番 1766◦3.3点


素朴な書法でハイドンの中ではミニマルな音という印象である。しかし3楽章は工夫が多くあって、驚きが多く感じられて楽しめる。思わず聴き入ってしまうものがある。

•ピアノソナタ第46番 変イ長調 op.54-3 第31番 作曲年不明◦3.5点


1楽章は規模が大きい。それに見合った内容があり満足できる。静かでしなやかな感受性に満ちた柔らかい曲。2楽章は非常に美しくて、強い感動に心を揺さぶられる。ここまで深い精神世界にハイドンが入り込んだかと感動する。3楽章は標準的な内容であり、快速にきっちり締める。

•ピアノソナタ第47番 ヘ長調 op.55 第57番 1788◦3.0点


1楽章は語法や同じ雰囲気が続くところなど、バッハのプレリュードみたいだと思った。2楽章はとても静かで間を使った曲。3楽章も活発だが派手なのは一部であり控えめな曲。

•ピアノソナタ第48番 ハ長調 op.89 第58番 1789◦3.0点


1楽章は幻想曲のような趣き。自由な心の動きをそのまま音楽でなぞったようだ。ハイドンにしては目新しく感じる。2楽章はほのかな高揚感のある曲であり、展開をそれなりに楽しめる。

•ピアノソナタ第49番 変ホ長調 op.66 第59番 1789-90 ◦3.5点


1楽章はハイドンらしい主題の魅力と構成のがっちりした印象で正統派の良さがある。2楽章も規模が大きく、ベートーヴェンの中期に近い充実感。音の響きかたもベートーヴェンにかなり似ている。静けさと、胸の膨らむような広がり感とパーソナルな領域に入り込む感情を両立している。3楽章も冷静で雰囲気は悪くないが、他の楽章ほどの充実感はない。もっと盛り上げてほしかった。

•ピアノソナタ第50番 ハ長調 op.79 第60番 1794-95頃◦3.3点


1楽章はピアニスティックな発想で書かれた大規模な曲。2楽章は初期ベートーヴェンみたいな曲で、若々しく新鮮で気持ちが良い 。ピアノの響きを生かしてる緩徐楽章で美しい曲。3楽章はピアノの機能を使うことに主眼がある曲で今までのソナタの最終楽章と音の使い方が違うように感じる。動機の使い方の成熟した自由さがある。

•ピアノソナタ第51番 ニ長調 op.93 第61番◦3.5点


1楽章はピアニスティックさがありつつも、曲の長さがコンパクトでありよくまとまっていて、聴きやすい。2楽章は適度に活発であり、複雑性も良い感じであり聴きやすい。この楽章もコンパクト。51番は旋律に大きな魅力があるという印象ではないが、50番と52番の大作に挟まれた小さな作品として独自の価値がある。

•ピアノソナタ第52番 変ホ長調 op.82 第62番 1794◦3.5点


ベートーベン初期やクレメンティを彷彿とさせるクラーヴィア曲のテクニックを豊富に活用し、主題の豊富さとスケールの大きさで聴かせる曲。50番以上に規模の雄大さと、楽器の進化にともなう書法の可能性の探求をさらに進めており、もはや完全にベートーヴェンの世界になっている。ピアノの機能と響きを楽しみ、その可能性を試して音楽を作る方向になって。1楽章は壮大にして雄大なソナタ。2楽章の小さな音の残響の産み出す詩的情緒の美しさは特筆もの。非常に規模が大きい。3楽章はピアニスティックで爽快さと性急さが主体だが、それ一辺倒にならないように構成されて締めくくり感を演出している。1番の驚きは、60歳を過ぎて新しい楽器の機能を理解して、それに適応した構造の語法のそれまでと別世界である音楽を書くことに成功していることである。頭が柔らかいなと思う。


声楽曲

•スコットランド民謡集◦4.0点


ホーボーケン番号で273曲。これがとにかく素晴らしい。ピアノ三重奏による伴奏による歌心あふれる曲は、癒される度合いは半端ない。素朴な味は心の故郷に帰った気分になる。これこそが歌、これぞ「The 音楽の楽しみ」とまで思ってしまう。聴ききれないほどの大量さで、まさに宝の山である。あまりに良すぎてテンションが上がってしまう。ちなみに後任のベートーヴェンの民謡集は面白くなかった。

•ウェールズ民謡集◦4.0点


少し聴いただけだが、スコットランド民謡集と同様に素晴らしい。


宗教曲

オラトリオ

•オラトリオ『トビアの帰還』 Hob.xxI-1◦4.0点


晩年の2大オラトリオとは全然違う。この曲はとても楽しめた。輝かしいコロラトゥーラと、華やかでイタリア的で舞台的なワクワク感は素晴らしい。エンターテイメント曲として楽しめる。ハイドンのオペラを見てみたくなる。次から次へと若々しくて驚くほど楽しい音楽が飛び出すから、心が躍りながら聴ける。モーツァルトのオペラが好きな人はぜひ聴いてみるべきだと思う。3時間は長いが苦痛を感じない。交響曲をたくさん聴き漁るようなものだ。レティタティーボが入っているのが息抜きとして良い。

•オラトリオ『天地創造』 Hob.xxI-2◦3.5点


ハイドン渾身の大作。ストーリー性のある音楽であり、オペラに近い雰囲気であり、開放的で明るい。個人的にはやはり、ハイドンの芸風と持ち味からすると少し外れた部分を狙った音楽になっていると思う。ハイドンの最良であるいくつかのモノを感じられない。スケール感や機転や温かさなどである。立派な大作であるものの、ヘンデルのオラトリオやモーツァルトのオペラの良さと比較すると少し落ちると思う。これは実力や労力の問題でなく、相性の問題だろう。

•オラトリオ『四季』 Hob.xxI-3◦3.8点


天地創造よりも壮大で力強くドラマティックであり、良さが分かりやすい。長丁場を面白く聴ける。舞台的ではないが描写的な場面は多い。音楽の活力が、長年で鍛えられた作曲能力をさらに一歩先に進める形で披露されている。古典派の語法で書かれたオラトリオとして、見事な出来である。天地創造より楽しい。大作でありながらどこを切ってもハイクオリティなのが凄い。

•十字架上の七つの言葉◦4.0点


オラトリオ版。各曲がずっしりと重たく、骨太でがっちりしており、壮大なスケールを持ち、メロディーが充実しており、まさに巨匠に相応しい出来となっている。遅い楽章ばかりで、変化に富んでいるとは言えないが、飽きないための工夫はされており、音楽自体の充実感とあいまって、じっくりと楽しんでは最後まで聞ける作品である。最後のコラールでまた感動。


ミサ曲

ハイドンの後期のミサ曲は気宇広大にして壮大で骨太な音楽の中に詩魂をいかんなく発揮した、すばらしい音楽である。アイデアが沢山詰め込まれていて飽きさせない。室内楽との違いは驚くべきであり、作曲家としてのスケールの大きさを感じる。同じミサ曲でも非常に人間臭くてドラマチックなモーツァルトのそれとはかなり印象が違う。前期はまたぜんぜん違うバロックに近い雰囲気だが、それはそれで非常に素晴らしい。

•ミサ曲第1番 ヘ長調 ミサ・プレヴィス Hob.XXII-1◦3.3点


各曲が短いため、コンパクトな仕上がりである。そして、素朴すぎて普通の作品とはだいぶ雰囲気が違う。自分だけかもしれないが、シンプルな音使いに前期バロックを連想するほどである。その点で独特で面白いとはおもうが、やはり完成度や質はまだ十分な高みには達していないと思う。とはいえ聞いていて楽しめないレベルでは全然なく、十分に面白い曲として聴ける。

•ミサ曲 ト長調◦3.5点


非常に短い曲の集合で書かれた曲。全部で8分しかない。とてもコンパクトで聴きやすいし、活力のある様々な曲がある。ダイジェスト版という感じで楽しく聴ける。初期らしい聖なる雰囲気の魅力を他と同様に持っている。短いだけで決して良さは同様だと思う。

•ミサ曲第2番 変ホ長調 祝福された聖処女マリアへの讃美のミサ Hob.XXII-4◦3.8点


初期のミサ曲の、素朴さと宗教的な雰囲気の魅力はここでも溢れている。クリスマスの音楽かと思うような聖なる雰囲気に満ちていて楽しい。バロックのような素朴な陰影感も楽しめるもの。3番と違い一曲が長い作品だが、聞いていて全然飽きなくて続きが楽しみでしょうがない気分で聴ける。自分で演奏したらどう感じるのか分からないが、音源を聴いている限りは後期の傑作とは違う意味で同じくらいの魅力を感じる。

•ミサ曲第3番 ハ長調 聖チェチリア・ミサ Hob.XXII-5◦4.0点


ミサ曲の中でこの曲だけ曲数が多い。これはものすごい力作であり、非常に感動的だ。交響曲の感覚では1765年はまだ初期であるが、実際には精神的に充実した一流の作曲家なのだと思い知らされる。バロックの息吹が感じられる響きや音楽の作りがまた素敵だ。バッハやヘンデルを思い起こす場面がある。ミサ曲らしい敬虔さや聖なる雰囲気と、それに加えた高揚感が楽しませる。曲のバラエティーの楽しさもあり、バッハのロ短調ミサ曲の有力な対抗馬とさえ言いたくなるほどだ。

•ミサ曲第4番 ト長調 聖ニコライ・ミサ Hob.XXII-6◦3.5点


バランスが良くてバラエティーに富んだ曲。バロックに近い素朴さが良い味になっていて、後期とは違う魅力になっている。敬虔さに感動させられる、宗教的な雰囲気が強くてミサ曲らしさがある。最後には強い感動で終わる。

•ミサ曲第5番 変ロ長調 小オルガン・ミサ Hob.XXII-7◦3.5点


瑞々しい繊細な感受性の表現が光る作品。冒頭から感傷的とも言える繊細さにおおっとなる。後期ほどの音の密度ではないにせよ、魅力でいえば同じくらいあるように感じられる。オルガンが大活躍でしんみりと敬虔な気分にさせるのが、また素敵である。最後の曲までも静謐である。

•ミサ曲第6番 ハ長調 マリアツェル・ミサ Hob.XXII-8◦3.3点


いい曲ではあるが、やはり後期の高みに登っている感がない。立派だが予想の範囲内であり、立体的な深みがない。とはいえ、対位法など聴きどころは多少はある。明るくて輝かしくて力強い曲。

•ミサ曲第7番 ハ長調 戦時のミサ Hob.XXII-9◦3.5点


後期のミサ曲の中で、充実度は変わらないが、なんとなくこの後のさらなる成長をみせる名作を予見させる作品というように聴いてしまう。どの曲も良いのだが、これは最高に良いという曲がなく、平均以上が続くように感じられる。濃厚さが少なくて、後期のミサ曲の中では少しだけあっさりしているようにも感じられる。

•ミサ曲第8番 変ロ長調 オフィダの聖ベルナルトの讃美のミサ Hob.XXII-10◦3.8点


立派で壮大な作品であるが、前半部分はやや立体的な奥深さには欠けるように思った。もちろん、このあとの驚異的な数作と比較しての話だが。そして後半はしなやかで敬虔さにあふれる音楽に変貌して感動に包んで最後を締めくくってくれる。驚くべき名作という聴後感を与えてくれる。構成が見事であり、充実感のある曲。

•ミサ曲第9番 ニ短調 ネルソン・ミサ Hob.XXII-11◦4.0点


ハイドンにしては非常に劇的であり、ロマンティックささえも感じる作品で、モーツァルトの短調の曲を連想する。それと同時にハイドンらしい格調高い立派さに溢れている。多くの楽想はいずれも素晴らしい表現の力強さに満ちており、確信に満ちた輝かしさも感じる。そのような方向性の作品としては確実にハイドンの作品の中で頭ひとつ抜けた曲だろう。とにかく充実した立派で劇的な作品。

•ミサ曲第10番 変ロ長調 テレジア・ミサ Hob.XXII-12◦4.0点


壮大に全体を包み込むような大きな包容力、気宇広大さ、敬虔さと優しさ、そういったものに心を委ね、時に圧倒される楽しさに満ちた曲。1曲目から何度も聴いているうちに、すっかり好きになってしまった。旋律も全体的に魅力的であり、多くの楽想が詰まっている。内容の充実感でいえば交響曲よりかなり上という気がする。

•ミサ曲第11番 変ロ長調 天地創造 Hob.XXII-13◦3.8点


すっきりした壮大さと、明快な明るい感じが全体の雰囲気になっている。しかし、シンプルすぎて深みや陰影がやや欠けるかなとは思う。10番ほどの名作には感じられない。しかし、5曲目と6曲目がしなやかで感傷的な感動的な曲。前半の物足りなさを吹き飛ばしてくれる。

•ミサ曲第12番 変ロ長調 ハルモニー・ミサ Hob.XXII-14◦3.3点


とても立派なのだが、全体に立派なだけという印象を持ってしまった。心に残る場面は少ない。充実感はもちろんあるが、それだけではやはり満足に限界がある。


宗教曲

•テ・デウム ハ長調 Hob.XXIIIc-2

•スターバト・マーテル◦3.5点


爽やかさと活力のある敬虔さともいうべき雰囲気が楽しめる音楽。正攻法で魅了がある古典派宗教曲の良作だと思う。音楽として楽しいから長さが全然苦にならない。シンプルではあるが、音楽の情報量は十分に多い。どの曲も音の作る雰囲気に心がウキウキしながら聴ける。宗教的すぎないが、十分に敬虔な気持ちにさせるものがあり、そのバランスが良い。

•サルヴェ・レジーナ◦3.0点


オルガンの活躍が面白い。ハイドンにしてはかなり深刻な音楽。悲しみに満ちている真剣な音楽。しかし、短いせいかもしれないが、なぜか不思議と心を強くは打たなかった。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3%28%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%A2%E6%9B%B2%E3%80%81%E5%A3%B0%E6%A5%BD%E6%9B%B2%29
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/877.html#c3

[近代史3] ブルックナーの作品は日本の男のためにある _ 日本でのブルックナー人気は宇野功芳のカリスマ評論が唯一の原因 中川隆
14. 中川隆[-14014] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:15:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-683]

クラシック音楽 一口感想メモ
アントン・ブルックナー(Josef Anton Bruckner, 1824 - 1896)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC

人間的感情に欠けるので聴き始めても最初はどこがいいのか分からない。長い全曲を何度も聴いて覚えて大自然の必然に身を置くように曲の流れに身を任せられるようになると、気持ち良くてやめられなくなる。一見禁欲的なようでいて、個人的には実は快楽的な音楽であると思う。

交響曲

•交響曲ヘ短調◦3.0点


初期の交響曲。もっと普通の曲かと思ったが既にブルックナーらしい世界である。まだ未熟で書法が単純であると感じるところはあるが、とはいっても十分な複雑さがありブルックナーが好きなら飽きずに楽しめるもの。茫洋とした雰囲気は0番などに似ている。曲がコンパクトで聞きやすく、各楽章を楽しめる。ブルックナーの作った世界の生い立ちを知る上でヒントを得られる点で興味深い。

•交響曲第1番ハ短調◦3.3点


ブルックナー生来の音は既に鳴っているが、まだオーケストラの使い方に荒削りさが気になるし、構成もブルックナー独特のものに固定されておるず発展中である。アダージョとスケルツォは特に魅力がある。初期であり完成度は後年のものには及ばないが、雰囲気に若い新鮮さもあり、案外聴きがいがある作品。

•交響曲第0番ニ短調◦3.5点


番号カウントに入っていない作品であり、後日改訂されていない作品である。しかしブルックナーらしい音はしっかりある。まあ、若い作品といっても45歳だから、いろいろ確立しているのは当然かもしれないが。茫洋とした雰囲気と、独特の力強さと不思議な世界観を見せている。なにより若々しい生命感と活力と感受性の発露があり、爺さんになってから書いた曲とは違った素敵さがある。2楽章の薄暗い曙光と冬の空気の雰囲気はロマンティック。3楽章のスケルツォはかなり秀逸で、霊感にあふれた巨匠的な内容のもの。4楽章は威勢が良くて、もったいぶってないのが爽快。

•交響曲第2番ハ短調◦3.5点


初期の作品であり、まだ精神の深い所に沈んでいく感じはなく、浅い。しかし、ブルックナーらしさは完成されてきており、構成が固まってきている。アダージョに感動的な魅力があるし、他の楽章もバランスがよく、既に大交響曲作曲家の一歩を踏み出している。

•交響曲第3番ニ短調(『ワーグナー交響曲』)◦3.8点


改編を晩年に実施した曲なので音の密度が濃く充実している。

•交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』(Romantische)◦3.8点


ブルックナーの中では短くて分かりやすいため入門に良い。全体にメロディーが良く、バランスも良く、長すぎないため曲を把握しやすい。明るく適度な開放感のある雰囲気は、聴いていて素直に楽しいと思わせるものがある。ただし、ブルックナーの真価である、7番以降ような世界と等身大のような広大さがまだない。とはいえ、聞きやすく純粋な音楽的部分でなかなか優れているので、この曲が一番有名というのは仕方ないと思う。なお、「ロマンティック」という副題は、普通のロマン派音楽の感覚でいえば全然ロマンティックではない曲なのであまり気にしない方がよいが、まったくロマンティックさが無い曲も多い本人の作品の中で、この曲は多少は感じる部分があると思う。

•交響曲第5番変ロ長調◦3.3点


8番と同様に、最後までの全体が立派で堂々としたスケールを持っている立派な曲。しかしながら、ブルックナーが感じさせるある種の快感がこの曲には少なく、聞いた後の疲れが多くてきつい。尖った感じがするともいえるが、むしろ、とっつきにくくて幻想的かつ思弁的という印象。構築的で同じ動機の使い回しが多いのだが、肝心の繰り返される動機が自分としてはあまり魅力を感じない。

•交響曲第6番イ長調◦3.5点


2楽章はブルックナーの曲の中では珍しく人間的な愛情のようなものが感じられる。何度も繰り返されるメロディーや、しなやかな深さをもって心をゆり動かす魅力は素晴らしく、聞く価値がある。また1楽章は巨大な深い森林のような雰囲気で、シベリウス初期に似た骨太なゴツさがあり、前に進む推進力がある。後半の楽章は可もなく不可もないと思う。


•交響曲第7番ホ長調◦4.5点


最初と二つの楽章は、メロディーが分かりやすくブルックナーにしては珍しく初聴で感動できるため、入門によい。田園的な心地よさと包み込むような柔らかさに満ちている。後半の2つの楽章のレベルが落ちるのが残念である。

•交響曲第8番ハ短調◦5.5点


圧倒的なスケールの正統派で雄大な作品。明るくポジティブな推進力があり、何度でも楽しめる。すべての楽章の完成度が高い。1楽章はあまりメロディーが無く、動機を使った運動的な曲。巨大な曲でありながら、全曲の中では序章に過ぎないのが凄い。2楽章はそれを展開するが、まだ序章その2という感じだ。3楽章からが本編である。精神世界の深い部分を逍遥するようなすばらしさ。特に第2主題の絶妙さは驚異的。コーダが最高である。4楽章の大自然の満点の星空のような雄大さと、アルプスの巨峰のような存在感の、稀にみる巨大スケールの曲。

•交響曲第9番ニ短調◦5.5点


4楽章が未完成。この曲はブルックナーの曲の中で密度の高さが大きく異なる。他の曲は曲の流れに身を委ねるのが気持ち良くて、聞き終わったらもう一度聴きたくなるが、この曲は胸が一杯になって満足感でしばらく動けなくなるような感じである。3つの楽章とも、8番の同じ楽章と比較するとより優れていると思う。この交響曲は人間的な愛情や信仰心といった感情をかなり強く感じさせる点が、ブルックナーの中で異質である。

室内楽曲

•弦楽五重奏曲 ヘ長調 1878-79◦3.8点


1楽章と3楽章が特に良い。1楽章は典型的なブルックナーのソナタ楽章だが、主題に魅力があり、規模の大きさと内容の充実があり、やや交響的なスケールを見せながらも室内楽としても魅力があり、満足感がある。3楽章はブルックナーの得意な息の長くたっぷりとメロディーをしなやかに感動をもって聴かせる美しい曲。これも彼の特質を発揮出来ている。2楽章はスケルツォとして間に入れる曲としてセンスが良い。4楽章が弱く、この曲の弱点になっている。旋律が弱くて、室内楽として最終楽章で出来ることをうまく発見出来ないまま書かれたように感じた。

•間奏曲ニ短調◦3.3点


一度弦楽五重奏曲の2楽章として差し替えられた後に、また外されて独立された。ウィーン的な上品さとブルックナーらしさが融合している面白い曲。しかしパンチが効いていないので、弦楽五重奏曲の中に入れるのは気分転換の図れるスケルツォの方が良さそうであり、ブルックナーの判断は正しいと思う。


合唱曲、宗教曲

•テ・デウム◦4.0


ブルックナーの宗教音楽の中の力作。交響曲のイディオムを合唱曲で使っているのだが、ダイナミックな音使い、ユニゾンの使い方などが、神々しい光を放って圧倒的に響くさまは、聞き込むほどに見事なものだと関心する。楽想の豊さと、構成の壮大さ、見事さといい、最後の二つの交響曲に近いほど重要な作品と感じる。交響曲と同様に何度も繰り返し聴いていくと、より素晴らしく聞こえてくる。短い部分に分かれているため、むしろ交響曲より聴きやすいかもしれない。


•ヘルゴラント◦3.8点

ブルックナー最後の作品。男性合唱の力強さが、ダイナミックな管弦楽とあいまって、なかなかの聴き応えある作品となっている。交響曲9番の時代ならではの、さらなる複雑さと神秘性を伴った響きが聞き物。そして高揚感も楽しい。最後の大円団はワクワクする楽しい音楽。なぜこれがマイナー曲なのか分からない。

•詩篇150◦3.3点

晩年の合唱作品。8分程度であまり長くないので、その分だけブルックナーの良さが完全には発揮されていない気がする。音の動きはかなり激しいのだが、野太さというブルックナーの特質が出し切られていないなど、ややブルックナーに期待するものが足りない。晩年らしく練達された作曲技法は使用されていて、楽しめる作品ではある。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/684.html#c14

[近代史3] ドイツ人にしか理解できないブラームスが何故日本でこんなに人気が有るのか? 中川隆
94. 中川隆[-14013] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:20:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-682]

クラシック音楽 一口感想メモ
ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms, 1833 - 1897)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9

ロマン派が爛熟し新奇さに走って構造の崩れた曲が増えた時代に、古典的な形式美を保持した曲を書き続けた人気作曲家。ドイツ3Bと呼ばれるのは伊達ではない。本格派にして実力派である。堅実な音楽ではあるが十分にロマン的情緒があり、素晴らしいメロディーメーカーでもある。

各ジャンルでロマン派を代表する傑作を書いた点で、同年代のチャイコフスキー、ドヴォルザークと双璧である。

難を言えば、このレベルの作曲家にしては芸風が狭く音楽がバラエティに欠けていると思う。また、いい所までいくのに突き抜けきれずにもどかしさの残るような作品が多い。一部の突き抜けられた作品はロマン派を代表する傑作になったのだが。あと、ターーラララのような手癖フレーズに安易に走ることが多いのも個人的には結構気になる。


交響曲

•交響曲第1番ハ短調作品68◦5.0点


闘争から勝利という図式が分かりやすく、ロマンチックな雰囲気を濃厚に持った名旋律が満載である。最後は楽しくウキウキした気分で締めくくられるので楽しく聞ける曲。ただし、長年推敲しすぎと気合入りすぎで多くの濃厚なものを詰め込みすぎなので、まとめきれておらず流れが不自然な箇所があったり、息苦しさを感じたりするところはある。

•交響曲第2番ニ長調作品73◦4.0点


風光明媚な土地の豊かさに包まれて生活するような、明るく田園的で広々とした気楽な雰囲気。さらさらと流れるように書かれたような緩やかさやロマン派らしい耽美的楽想と、古典交響曲的な緊密さ動機労作と、堅牢な構成の両面があり戸惑う。一楽章の第2主題は文句なしの美メロだが、それ以外はどのメロディーも惜しい。

•交響曲第3番ヘ長調作品90◦3.5点


3楽章が分かりやすい代わりに二楽章はいまいち。一楽章と四楽章は充実しているのを楽しめるものの、強い愛着を感じるほどのものでない。全楽章が静かに終わるのもなんだかなあと思う。


•交響曲第4番ホ短調作品98◦4.5点

古めかしい形式を交響曲に生かしたことは、現代からに見ると新鮮な創造性を感じる。一楽章の冒頭の魅力は素晴らしい。諦観と豊かさは見事なもの。二楽章の旋法を活用した古めかしい雰囲気も詩的で善い。三楽章も間奏的なものとして効果十分。四楽章のシャコンヌはゴツくていかめしくてめんどくさいが、創造的ではある。

管弦楽曲

•セレナーデ第1番ニ長調作品11◦3.5


難しいことを考えず心地よい音楽をくつろいで楽しめる。センスが良いので長くても飽きない。

•セレナーデ第2番イ長調作品16◦3.0点


ヴァイオリンが無いので管楽器が大活躍。少し響きに慣れが必要だが、内容は一番同様に良い。

•ハイドンの主題による変奏曲作品56a◦4.0点


なんといっても主題が魅力的。管弦楽のための変奏曲として、ヴァリエーションの豊富さ、ニュアンスの豊富さ、管弦楽らしい各種の管と弦楽合奏の共演という要素など、楽しくウキウキした気分で聴ける。

•大学祝典序曲作品80◦3点


大学生達の宿歌をつなげて作った序曲だが、対位法的な技法もうまく活用されていて、単なる明るい祝典序曲に留まらない音楽的豊かさがある。

•悲劇的序曲作品81◦3.0点


交響曲の一つの楽章のような曲。単一楽章なのでどうしても軽さがあり、深い所を繋げて展開していくストーリーを楽しむことが出来ないのだが、音楽的には充実していて、交響曲に匹敵している。


協奏曲

•ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15◦5.0点


一楽章では若いロマンチックな情熱がほとばしり、二楽章では思慕と感傷的気分に浸りきるような気分を隠さない。ほとんど若気の至りで書いたようなほとばしる情感をそのまま露わにした曲だが、二度と来ない青春時代の精神をそのままストレートな率直に表現した曲として大きな魅力があると思う。

•ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品83◦4.5点


交響曲のように充実した協奏曲。ピアノが派手に全面に出て引っ張る感じでない。明るく開放的なイタリア的。ピアノの豊富な音数が作る豊かさ充実感と、メロディーが浮き立つのは交響曲以上か。少しゴテゴテした暑苦しさや、構成の作り込みに繊細さが足りない所などが欠点か。

•ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77◦5.5点


個人的にはヴァイオリン協奏曲の最高傑作だと思う。特に一楽章の重厚なオーケストラに乗せて情緒たっぷりにヴァイオリンを歌わせる手法と複雑な構成と展開の出来の良さは見事なもの。軽い曲が多いヴァイオリン協奏曲の中において、この曲が見せる深淵さを見せる大人の情緒が良い。二楽章の叙情性や三楽章の活発さも素晴らしい。

•ヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調作品102◦2.5点


他の管弦楽曲と比較して非常に渋い。独奏楽器が2つなので、CDて聴くとあまり独奏という感じがせず、オーケストラは協奏しているというより後ろで支えている感じ。大家の演奏で聴けば聴き映えはする堂々とした独奏パートでを楽しむことは出来るが。


室内楽曲

六重奏曲

•弦楽六重奏曲第1番変ロ長調作品18◦4.0点


重厚だが柔らかくて温かみがある。弦の多くて声部の制約なく自由に書いている。響きがブラームスに合っているし、声部の豊かさが叙情となって美しさを出している。特に一楽章はかなりの名作。三楽章以降はややレベルが落ちて普通の音楽になる。

•弦楽六重奏曲第2番ト長調作品36◦4.0点


瑞々しくて甘くて美しい叙情に溢れる魅力作。交響楽団のような音の厚みや豊かさと、室内楽の要素を併せ持ち、両方の良さを兼ね備えている。一楽章の湖のほとりのような美しさは印象的。それ以外の楽章も同じくらい充実してる。三楽章は泣ける。甘い思い出を振り返ったり、優しい気持ちを思い出すような感情の曲。


五重奏曲

•弦楽五重奏曲第1番ヘ長調作品88◦3.0点


響きの豊かさ、対旋律の豊富さ、ニュアンスの精妙さなど耳を楽しませる曲としての充実感は素晴らしいのだが、メロディーなど心に響く感じがあまりない。

•弦楽五重奏曲第2番ト長調作品111◦3.5点


音楽的な充実感が半端ない。五本の弦楽器を縦横に活用して、聴いていて楽しく耳を楽しませる熟練の技を楽しむ事が出来る。

•ピアノ五重奏曲ヘ短調作品34◦3.0点


ある意味で中期までのブラームスらしさが最も典型的に詰まった曲だろう。重厚さ、情熱、憧れや諦めなどの感情、暗さなど。どちらかといえば若書きで練達の技術とまでいかず、分かりやすい魅力的な部分も少ない。人気曲で熱心なファンも高く評価する曲だが、正直個人的にはブラームスの室内楽のなかで上位とは思わない。

•クラリネット五重奏曲ロ短調作品115◦5.5点


クラリネットの哀愁漂う音色と諦念に満ちた曲想を存分に楽しめる晩年の大傑作。最終楽章の変奏曲が多少平凡な気がするが、1から3楽章までは全てにおいて文句なし。ブラームスの代表作のひとつであるとともに、ロマン派の室内楽の最高傑作だろう。1楽章のイントロからインパクトがすごい。2楽章は特に、両端部分の旋律の絶妙さといい、名人芸的な中間部の魅力といい、圧倒的に優れている。


四重奏曲

•弦楽四重奏曲第1番ハ短調作品51-1◦2.5点


このようなブラームスの弦楽の室内楽らしい緊密なアンサンブルが生み出す音の分厚さで押していく曲想の場合、四重奏だと音が足りなくて欲求不満になる。曲としてもブラームスらしいというだけで強く耳を引く部分は特にないと思う。

•弦楽四重奏曲第2番イ短調作品51-2◦3.5点


1番と違い柔らかくてロマン派の情緒たっぷり。音の薄さが気にならない。1,2楽章の哀愁が良くてその余韻のまま最後まで聞かせる。

•弦楽四重奏曲第3番変ロ長調作品67◦3.5点


四声部に適合して弦楽四重奏らしい曲を書く点や、曲の作り込みとロマン的情緒の表現において進歩してる感じがある。特に二楽章はロマンチックな良い曲。他の楽章も充実感があり秀逸。

•ピアノ四重奏曲第1番ト短調作品25◦3.5点


1楽章は実験的で聴いて楽しい曲とは思わない。二楽章はなかなかよい。三楽章の憧れに満ちた曲はぐっと胸に迫る。ここが一番の楽章。四楽章のジプシー風を活用した情熱的な音楽も面白い。この楽章は特にアンサンブルが効果的で生で聴いてみたい。

•ピアノ四重奏曲第2番イ長調作品26◦3.0点


明るく朗らかで柔らかい響きが支配的で、心地よく聞ける曲である。一楽章のリズムなと分かりやすく耳を楽しませる場面は多い。ただ曲が長いしやや底が浅い感じもあり、ブラームスらしいコクがない。

•ピアノ四重奏曲第3番ハ短調作品60◦3.5点


緊密で緊張感や悲劇的な雰囲気のある曲。無駄が少なく完成度は高い。その中で三楽章は耽美的な回想の雰囲気で心奪われる。

三重奏曲

•ピアノ三重奏曲第1番ロ長調作品8◦3.5点


渋めの曲想で親しみやすくはないし、名作という程の楽章も無いが、どの楽章も内容は濃く充実してる。三重奏だが音は厚い。

•ピアノ三重奏曲第2番ハ長調作品87◦2.5点


三楽章が多少いいかなという位。他の楽章は地味で、いい曲とまでいかないと思う。

•ピアノ三重奏曲第3番ハ短調作品101◦3.0点


最終楽章の高揚感や、三楽章の変わった拍子での繊細さに魅力を感じた。前の二つの楽章もそれなりに魅力がある。

•クラリネット三重奏曲イ短調作品114◦3.0点


ピアノが入っているので、五重奏にはない力強さがあり、クラリネットソナタにはないアンサンブルの楽しさがある。諦観やほの暗い情熱など自分の気分を生々しく音楽にしたような感じ。ブラームスのクラリネット入りの曲の中では暗くて甘さが少なくて取っつきにくい。

•ホルン三重奏曲変ホ長調作品40◦3.0点


この曲を聴いてホルンとは哀愁ただよう渋さを持つ楽器だとイメージが変わったのは自分だけだろうか?最終楽章だけやたら明快で、それ以外は渋い内容。

二重奏曲

•ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調作品78◦3.5点


柔らかくて穏やかなヴァイオリンが十分に歌うのを存分に楽しめる。あまり屈折していない若々しい中に、複雑な大人の感情も取り込まれた音楽。ブラームスの粘っこさや重厚さが二重奏の場合は曲の支えになってヴァイオリンを存分に歌わせることに結実している。

•ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調作品100◦3.0点


明るくたくましい音楽。ヴァイオリンを豊かに力強く響かせる。あまり底が深い感じは無いが、その分気楽に聴ける。

•ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調作品108◦4点


どの楽章も非常にメロディーがわかりやすく、感情移入しやすい曲。

•チェロ・ソナタ第1番ホ短調作品38◦3.5点


チェロの音色の甘さの活用は程々にして、渋い情熱的要素を重視しているのが心地よい。低音域の活用が上手い。ブラームス得意の耳をつくヴァイオリンの泣きの高音域が無いのが心地よくて好きだ。

•チェロ・ソナタ第2番ヘ長調作品99◦2.5点


力強いし渋くて内容は充実しているのだが、楽想やメロディーが全体的に凡庸なのであまり楽しめない。

•クラリネット・ソナタ第1番ヘ短調作品120-1◦3.5点


両端楽章がやや渋くて取っつきにくいが、中間の二つの楽章は孤独さや人生の回想を感じさせる魅力的な音楽。

•クラリネット・ソナタ第2番変ホ長調作品120-2◦4点


1楽章の甘美な回想の音楽はかなり魅力的。二楽章も甘くて強い回想。三楽章はいつもより控えめで雰囲気を壊さず終わる。クラリネットの甘さを生かし、すてきな歌心に溢れた名作。

ピアノ独奏曲

•ピアノ・ソナタ第1番ハ長調作品1◦3.5点


交響的な四楽章、室内楽的な三楽章。内容豊富で快活で堂々とした一楽章はベートーベンの後継者らしい素晴らしさ。若書きの作品ながらシューマンのソナタにもひけを取らない良さ。

•ピアノ・ソナタ第2番嬰ヘ短調作品2◦2.0点


3曲で最初に書かれたそうで、1番と比較するとこの曲は随分とありきたりの部分ばかりで面白くない。

•ピアノ・ソナタ第3番ヘ短調作品5◦2.5点


立派だが頑張っている若書き作品の感じが強い。二楽章の温かさとロマンチックさの共存は魅力。

•4つのバラード作品10◦3.0点


渋くて男臭い世界。渋さの中に隠された甘さが面白さの秘訣か。どの曲もそれなりのインスピレーションがあり、つまらない曲は無い。

•自作主題による変奏曲ニ長調作品21-1◦3.5点


叙情的で感動的な主題なので、しんみりとした気分になり感動する。

•2 ハンガリー民謡の主題による14の変奏曲作品21-2◦3.0点


ごく短い主題の変奏曲。出来はいいが主題が短すぎて習作の感がある。

•シューマンの主題による変奏曲作品23◦3.0点


沈鬱でメランコリックな主題を使い、その気分をずっと引っ張りながら変奏していく。主題が素晴らしいので聴き映えはする。

•ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ作品24◦4.0点


明るく明快でストレートで健康的。そして実に多彩で表情豊か。次々と楽しい変奏が現れてワクワクするので長い曲だが飽きない。書法ピアノ的でなかなか良い。

•パガニーニの主題による変奏曲イ短調作品35◦3.5点


難曲で有名。リストやラフマニノフほど華麗ではなく、重々しいブラームスらしさはある。技術やフレーズの鋭さを楽しむ曲としてかなり良いが、観賞用音楽として音楽的内容の豊富さはヘンデルの主題の変奏曲より下だと思う。

•8つの小品作品76◦3.0点


様々な種類の曲で構成された8つの曲。曲に特別感は無いものの、小ぶりな小品はどれもブラームスらしい渋い詩情におり楽しめる。また曲がピアノ的になっている。

•2つのラプソディ作品79◦1番3.5点


室内楽のような楽想でややピアノ曲らしさに欠ける。多くの素材を使ってしっかりした構成で書かれており、中期以降にピアノソナタが無いブラームスだけに、ソナタの代わりになる曲。

◦2番3.0点


立派な曲だが、1番と比べるとコンパクトであり、第一主題が次々と転調するものである、低音の面白いつかいかたの部分など、やや実験的である。


晩年の作品

•7つの幻想曲作品116◦3.3点

1曲目は交響的な響きと力強さと粘っこさ。2曲目の夜想曲のような雰囲気に込められた諦観。これらの曲は印象的なのだが、それ以降の5曲ははっきりしないモヤモヤとした雰囲気と面白くないメロディーだけの曲になってしまう。なんとなく美しく感じる場面はあるが、瞬間的なものに留まる。


•3つのインテルメッツオ作品117◦3.5点

三曲とも長めで穏やかで瞑想的で回想するような内容あり、枯れた味わいがあるので、晩年らしい作品となっている。

•6つの小品作品118◦3.0点

力強い曲もあるバランスの取れた曲集だが、何となく瞑想的だったり夢見るような場面が多いので晩年らしい。他の晩年の曲集と比較して何となく普通のレベルの曲が多い。

•4つの小品作品119◦3.5点

1,2曲目の特別感のある諦観にあふれた枯淡の境地は素晴らしい。そしえ四曲目の突然古い曲を持ち出したかのような、活き活きとしたカーニバルのような音楽には驚くが非常にいい曲である。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/681.html#c94

[近代史3] ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 中川隆
14. 中川隆[-14012] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:31:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-681]

クラシック音楽 一口感想メモ
ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner , 1813 - 1883 )
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC

歌劇、楽劇の巨人であり、ドイツロマン派を代表する作曲家の一人。

作品ごとに雰囲気が全然違い、音楽の構造すら違ったりする。それでありながら全てが傑作である。新しい時代を切り開いた革命家であり、それまでには存在しなかった音楽の可能性を切り開いた。

陳腐さが全く無い音感の良さ、音に強烈なエネルギーを持たせる表現力、表現の幅広さや奥行きや劇的な構成力など、多くの能力において、ロマン派の中で最高峰の実力者である。


歌劇

•『さまよえるオランダ人』 序曲

•『タンホイザー』 序曲◦4.0点


まだロマンの浸りきるところまでたどり着いていない、初期らしさの残る作品。しかし堂々としていて既に完全に大作曲家の領域に達している。

•『ローエングリン』 序曲◦4.0点


初期の中ではやはり1番完成している。非常に情熱的で、ロマン的純度が高いイメージで究極感のある音楽である。

•『トリスタンとイゾルデ』 前奏曲

無限旋律やトリスタン和音の妙は、音楽の構造として見事な発明品である。そして、愛を情熱的に表現した音楽は、聴いていて熱い想いを感じさせる。

•愛の死

•『ニュルンベルクのマイスタージンガー』序曲◦5.0点


堂々としたゲルマン的な英雄的な力強さに満ちている。行進曲でありながら、序曲らしさを兼ね備えているのが素晴らしい。

•『ニーベルングの指環』 (Der Ring des Nibelungen )

ライトモチーフとストーリーを覚えると楽しんで聴けるSFファンタジー超大作。さしずめ19世紀版のスターウォーズといった所か。

•序夜『ラインの黄金』 序曲◦4.5点


自然が発生して、物語の場面へと誘う雰囲気の作り方の素晴らしさと期待感の高さは、全4夜の超大作にふさわしいもの。

•第1夜『ヴァルキューレ』 第1幕◦4.0点


叙情的に物語が始まる場面だが、雰囲気の作り方がうまさは完全に天才の所業である。ライトモチーフを追う楽しさはを端的に味わえる。

•ワルキューレの騎行◦5.0点


有名な曲。ビュンビュンとワルキューレが飛び交う雰囲気は何度聴いてもかっこいい。

•第2夜『ジークフリート』

•第3夜『神々の黄昏』

•『パルジファル』 前奏曲

神聖さ、厳粛さを強く感じさせながらも、ロマン的な情熱とドラマトゥルギーを併せ持ち、そして宗教がかった曲にありがちな陳腐さに堕ちていないという、ワーグナーにしか作れない素晴らしい音楽。


その他

•ジークフリート牧歌

•交響曲

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/811.html#c14

[近代史3] フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』 中川隆
10. 中川隆[-14011] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:38:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-680]

クラシック音楽 一口感想メモ
フランツ・リスト(Franz Liszt 1811 - 1886)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88

史上最高クラスの大ピアニストにして、最も重要なピアノ曲作曲家の一人。

大ホールで聴衆を喜ばすことを目的とした音符の塊は、CDで繰り返し聴くための音楽としては内容に乏しく辛い曲もあるが、豪快かつ繊細で清新なピアノの響きを活用した芸術性の高い曲も多い。

また、交響詩の創始など新しいことに挑戦する開拓心、病的な作曲家が多い時代の中では健全な魂、繊細さと豪快さなどスケールの大きなピアノの活用などにおいて、重要な作曲家である。


交響曲

•3人の人物描写によるファウスト交響曲◦3.5点


75分全3楽章と、マーラーやブルックナー並の大作。1楽章は交響詩と同様のオーケストレーションの軽さだが、スケールが大きくて動機を活用し、作曲者の意欲が伝わる内容。2楽章は叙情的で愛らしい曲でグレートヒェンらしさがうまく描かれていおり、結構感動できる。隠れた名作と言える。3楽章は不気味で悪魔的でメフィストフェレスをうまく表現出来ている。最後の合唱と独唱も大仕掛けのこの曲に相応しい。全体として、大作で聴くのがタイヘンだしトップレベルの交響曲ではないが、特に2楽章と3楽章はなかなか楽しめる。

•ダンテの神曲による交響曲◦3.5点


マイナー曲だが、案外良い。リストらしい安っぽさや構成の緩さはあるものの、ベルリオーズの幻想交響曲の表題性に近い楽しさがあるし、豪快さや独特の音の使い方など耳を楽しませる場面は多い。最後のコーラスは非常によい。


交響詩

•人、山の上で聞きしこと◦2.0点


自然の描写が精神的なものを交えて描かれているて雰囲気は良い。精神的な世界観も珍しく深いものがあり、交響曲並みにかなり気合いの入った本格派の力作なのだろうというのは分かる。しかし長すぎてウンザリしてしまう。マーラーぽい。

•タッソー、悲劇と勝利◦3.0点


所々甘美でかなり魅力的な場面が登場するので、それを楽しみに聴くことが出来る。

•前奏曲◦4.0点


前半もいいが、後半の穏やかな部分がかなり感動的で素晴らしく、盛り上がって終わる。いい意味でリストらしくなくて、期待を上回る。

•オルフェウス◦2.5点


まあまあ。美しい部分が出ててくると続きを期待するがたいしたことがない、という場面が数回あった。

•プロメテウス◦2.5点


フーガが登場するのは面白い。全体に他の交響詩と比較して特にピアノ的な音型が多い。リストならピアノで出来る事をオケでやっている感じがする。

•マゼッパ◦3.0点


超絶技巧のマゼッパ。ピアノ曲っぽい。メロディーの良さとかっこよさを再認識できる。後半の勝利のような音楽は悪くない程度だが、前半からの流れで聞く分には楽しめる。

•祭典の響き◦2.5点


祝典的な晴れがましい響きを基調とするが、決して単調なドンチャン騒ぎではなく、交響曲の最終楽章のような、充実した内容がありそうで、しかし物足りない。

•英雄の嘆き◦2.5点


英雄の葬送行進曲から、感動的な雰囲気の中間部を経て、少し盛り上がり暗く終わる。聴きやすく分かりやすい曲。陳腐という程では無いがやや安易ではある。

•ハンガリー◦1.5点


あまりいい所が無い。駄作だと思う。

•ハムレット◦2.5点


それなりの雰囲気作りはされているものの、全体に散漫で良いメロディーに欠ける印象が強い

•フン族の闘い◦3.0点


先頭から勝利という図式がわかりやすく、全体に躍動感にあふれており、オルガンが効果的で、楽しんで聴ける。

•理想◦3.0点


弦のメロディーの鳴らし方や、観念的だが甘美さもある雰囲気など中期のワーグナーぽい。最後は感動する。雰囲気はかなり良いのだが、いいメロディーは無いし、冗長。我慢する気があるかどうか。

•ゆりかごから墓場まで◦2.5点


交響詩の中で一曲だけ大きく時代が異なり晩年の作品なのが貴重。晩年の書法のためオーケストラ的な曲になっている印象。


ピアノと管弦楽のための作品

•ピアノ協奏曲第1番変ホ長調(S.124/R.455)1849年◦3.5点


リストらしい快活で豪快な曲であり、短いので聴きやすい。エンターテイメント性重視の曲。

•ピアノ協奏曲第2番イ長調(S.125/R.456)1839-61年◦3.5点


1番とは大きく異なる、穏やかで瞑想的な芸術性重視の曲。

•ピアノ協奏曲第3番 変ホ長調 遺作◦2点


遺作の曲。凡庸な曲であり、知名度が低いのも当然と思った。

•呪い◦2.0点


曲の趣旨が分かりにくくて、いい曲には聞こえないが、各部分をみると響きの斬新さや面白い表現がある。

•ハンガリー幻想曲(S.123)1852年頃◦3.0点


ハンガリー狂詩曲14番のピアノ協奏曲への編曲版。編曲は自然であり最初からピアノ協奏曲のよう。楽しく聞ける。

•死の舞踏(S.126/R.457)1849-59年◦3.5点


怒りの日に基づくグロテスクな内容。曲想に強いインパクトがある。変奏も割と内容が濃くてなかなか良い。

ピアノ曲(オリジナル作品。曲集、連作)

玉石混交で長大な曲を含めて作品数が多く系統だっていないので全貌が掴みにくいリストのピアノ曲。だが、改訂で曲名を変えたり、編曲ものが大量にあるので、それらを除いて細かい無名の小品も除いてきちんと作品として完成された聴くべきオリジナル曲を整理すると、実はショパンと量はそれほど変わらないことが分かった。


超絶技巧練習曲(S.139/R.2b)

それぞれの曲の完成度が高く、技巧的にもみるべきものが多い傑作曲集。

•1 ハ長調『前奏曲』◦3.0点


いきなりド派手に豪快に始まる。

•2 イ短調◦3.0点


なかなかかっこいい。

•3 ヘ長調『風景◦3.0点


静かでゆっくりした曲だが、和声に詩情がある。

•4 ニ短調『マゼッパ』◦3.5点


勇壮で英雄的でかっこいい。

•5 変ロ長調『鬼火』◦3.5点


弾くのが凄く難しいらしい。鑑賞曲としても細かい音の動きと和声に詩情がある。

•6 ト短調『幻影』◦3.5点


激しい分散和音に載せて詩情があるメロディーを演奏されるので聴き映えがする。

•7 変ホ長調『英雄』◦3.0点


英雄の葬送行進曲的な内容。同じメロディーの繰り返しが多い。

•8 ハ短調『荒々しき狩』◦3.5点


イントロがかっこいいし、途中の楽しい狩の角笛や中間部の美しさなどよい場面があり、なかなかいい曲。

•9 変イ長調『回想』◦3.5点


昔を懐かしむようなまろやかな美しいメロディーが良い。

•10 ヘ短調◦3.5点


悲劇性をもった曲調は楽しめるもの。この曲集後半の名作揃いにあって少し地味だが同レベルにある。

•11 変ニ長調『夕べの調べ』◦3.5点


まったりした曲だが、中間部の感動的な部分と、そこへの持って行き方が素晴らしい。

◦12 変ロ短調『雪あらし』
◦4点


胸に迫るものがある。美しい詩情あふれたメロディーと秀逸な音響を作っている伴奏に感動する。


巡礼の年

リストのシリアスな曲集。標題音楽。


巡礼の年 第1年:スイス(S.160/R.10a)

•1 ウィリアム・テルの聖堂 ◦3.0点


荘厳さを感じさせる。やや密度が薄い。ギリギリでいい曲。

•2 ワレンシュタット湖畔で◦3.0点


風光明媚な感じのする爽やかで美しい景色のような曲。

•3 田園曲◦3.0点


短い小品だが、山岳の田舎のほのぼのとした雰囲気が出ている。

•4 泉のほとりで◦3.5点


キラキラした泉の湧き出る様子がよく表現されている。

•5 嵐◦3.0点


嵐の激しさが表現された曲。田園的な曲が多い曲集の中でこの曲が配置されていることはいいのだが、単体の曲としてはたいした曲ではない。

•6 オーベルマンの谷◦3.5点


五分位に最初に登場する感動メロディーは忘れがたい印象を残すし、最後はこれでもかというくらいの感動巨編になるが、ちょっと長すぎ。

•7 牧歌 ◦3.0点


のどかな雰囲気で、田舎の緑の豊富さを感じさせる


•8 郷愁 3.0点

胸に秘めたものを吐露するような渋いが味がある曲。冗長ではあるがギリギリいい曲。

•9 ジュネーヴの鐘:ノクターン 3.0点

最後を締めくくるに相応しい回想的な曲で最後は包みこむような安らぎに満ちて終わる。


巡礼の年 第2年:イタリア(S.161/R.10b)

•1 婚礼◦4.0点


舟歌のような穏やかな揺れの中に数百年前に作られた宝物の輝かしさと美しさ静謐さを表現して素晴らしい

•2 物思いに沈む人◦3.0点


沈思するような静的な曲。前半は同音が続きで石のように固まっているかのよう。詩的。

•3 サルヴァトル・ローザのカンツォネッタ◦3.5点


タンタッカのリズムで行進曲風だが穏やかというのが印象的で、美しさを感じる。

•4 ペトラルカのソネット第47番◦3.0点


柔らかくメロディーを唄わせる曲。

•5 ペトラルカのソネット第104番◦3.5点


かなりショパンのノクターンに近い。分散和音に乗せて右手で歌うように泣きの入ったやや大げさな感動のメロディーを弾く。

•6 ペトラルカのソネット第123番◦3.0点


やはりこの曲も歌うように柔らかくメロディーを弾く曲。

•7 ダンテを読んで:ソナタ風幻想曲◦4点


独奏ピアノの限界に挑むような巨大で圧倒的な曲。真剣さがあり、強烈な描写力と強靭なテクニックの融合で高みに到達している。リストの多くの要素がまとまり良く入っており、リストの代表作の一つだろう。


巡礼の年 第2年補遺:ヴェネツィアとナポリ(初稿:S.159/R.10d, 改訂稿:S.162/R.10c)

•1 ゴンドラを漕ぐ女◦2.5点


主題が少し単調で、変奏は巧みだがもの足らない

•2 カンツォーネ◦2.5点


アレンジや中間部の展開がなかなか良いがメロディーが単純

•3 タランテラ◦2.5点


タランテラ度が薄いし前半は派手なだけの悪いリスト作品。中間部は真面目でわりと美しいが冗長。半分の長さでいいのに。


巡礼の年 第3年(S.163/R.10e)
•1 アンジェルス!守護天使への祈り◦2.0点


シンプルな中に敬虔さを感じるが、曲としての充実感がない

•2 エステ荘の糸杉にI:哀歌◦2.0点


重い和音の連なりの中に敬虔さが現れているが、それだけ。

•3 エステ荘の糸杉にII:哀歌◦2.5点


最初の哀歌から大きく展開していくのでまとまりが良い感じではないが曲に充実感がある。

•4 エステ荘の噴水◦4点


印象派のような音の使い方、メロディーラインが美しくて素晴らしい。光に当たってキラキラしているような水の描写は天才的。

•5 ものみな涙あり / ハンガリー旋法で◦2.0点


重たい悲劇的な独白を重ねる曲

•6 葬送行進曲◦2.5点


鐘のような重くて悲劇的な曲調から独白を経て盛り上がるというストーリーを追う曲

•7 心を高めよ◦3.0点


荘厳で力強く盛り上げる。和音の進行に目新しさがある。


詩的で宗教的な調べ(S.173/R.14)

•1曲目◦3.0点


宗教的な気高い精神性が壮大なスケールで表現される。

•2曲目◦3.5点


合唱曲からの編曲ということで、コラール風。合唱曲らしい純粋な美しさに宗教的な気分になる。

•3曲目◦4.0点


大作。冒頭から聖霊が舞い降りてきているかのような美しさ。孤独な精神は人生を回想し強く生きることを改めて決意しているよう。名曲。

•4曲目◦2.5点


前半は地味なレティタティーボとコラールばかりで内容が薄い。後半は月光ソナタ一楽章とそっくりな部分が登場して面白いし、その後の部分もなかなか良い。

•5曲目◦2.5点


シンプルなコラール曲

•6曲目◦2.5点


いかにも合唱曲の編曲ものなので、雰囲気もメロディーも悪くないが、ピアノ曲としてはそこそこ。

•7曲目◦4.0点


聞き応え十分の傑作。一つずつのフレーズが強い意味をもって心に響く。ショパンの英雄のオマージュ部分も面白い。

•8曲目◦3.0点


ルネサンス時代の音楽のようなメロディーを使って宗教的な静謐さと神秘をまとった曲

•9曲目◦3.0点


孤独で寂しく哀しい雰囲気が長く続き冗長だが、曲想はぐっとくるものがある。

•10曲目◦2.5点


最後の曲らしい晴れやかな締めくくりの感情と壮大さがいい。


ハンガリー狂詩曲(S.244/R.106)

•1番◦2.0点


中身スカスカで無駄に長い曲だが、軽快さがあって気楽に聴ける良さもある。

•2番◦5.0点


ハンガリー狂詩曲のダントツの名曲。素晴らしい天才的な発想に充たされている。

•3番◦2.0点


終始粘っこい音楽が続き、ノリが良くならないまま終わる。

•4番◦3.0点


前半は簡素な書法でつまらないのだが、後半アップテンポになってからの軽快なノリは楽しい。

•5番◦3.0点


葬送行進曲風とショパンの葬送行進曲の中間部によく似た部分がある中間部は感動的でなかなか良い、

•6番◦3.0点


オーソドックスな遅いテンポから速いテンポに移る曲。有名だけど2番と違い他より際立っていいというほどでもないような。軽快な曲で上手い人が弾くとジェットコースターのような楽しさが出るところがあるが。

•7番◦2.0点


レティタティーボがしつこくて面白くない。アップテンポになっても繰り返しが多くてしつこい。

•8番◦2.5点


遅い部分は多少軽い音であまり重厚でなく、アップテンポはかなり軽い雰囲気。

•9番◦2.5点


それなりに華やかだが、あまり面白くない。

•10番◦2.0点


装飾ばかりで内容がない。

•11番◦2.5点


最初静かに始まるのが面白い。普通の曲になってからはまあまあ。

•12番◦3.0点


かなり技術を要求する曲に聞こえる。音楽的な内容面は大したことが無いが、技術を楽しむことは出来る。

•13番◦3.0点


割とオーソドックスな狂詩曲で楽しめる。

•14番◦3.0点


内容がなかなか充実している大作

•15番◦4.0点


発想が優れていて、奥は深くないかもしれないがいい曲だと思う。

•16番◦2.0点


音楽に艶がないし盛り上がらずにあっさり終わってしまう

•17番◦1.5点


静かすぎて、これはもはやハンガリー狂詩曲と呼ぶべきではないのでは。

•18番◦2.0点


これも17番に近い感じの曲で、ハンガリー狂詩曲という感じではない。

•19番◦2.5点


後期の4曲の中では唯一オーソドックスなハンガリー狂詩曲であり、内容はそこそこ良い。


その他連作

•パガニーニによる大練習曲(S.141/R.3b)◦3.5点


全6曲。三曲目のラ・カンパネッラが有名。パガニーニの悪魔性とリストの運動性がうまく相乗効果を発揮している。

•3つの演奏会用練習曲(S.144/R.5)

•1曲目◦3.0点


優美なサロン風の雰囲気を持ちなかなか良い。練習曲という感じがあまりない。長過ぎて自由に発展していくのに最後まで付き合うのは大変だが。

•2曲目◦2.5点


途中からのパラパラとしたフレーズ部分が楽しめる。

•3曲目◦4.0点


切なさい感傷的なメロディーが美しくて儚い雰囲気を演出する分散和音に乗せて奏される

•2つの演奏会用練習曲(S.145/R.6)

•1曲目◦2.5点


メロディーがいまいち

•2曲目◦3.0点


中間部以降が面白い。

•クリスマスツリー◦2.0点


特に気に入るような良作は無いし、後期の発想の弱さを感じる。曲調に宗教がかったしんどさが無いので気軽に聴けるのは良い。7曲目の子守唄などはなかなか良い。

•幻影(S.155)(1834年)◦1曲目 2.0点


普通の曲のようでとりとめが無く、捉えにくい曲で楽しみ方がよく分からない。どこか未熟。

◦2曲目 2.0点


この曲もすっと頭に入ってこない。

◦3曲目 2.0点


この曲もとりとめない印象。若いリストの原点と思われる音が聴けて興味深いが。


•慰め(コンソレーション)(R.172/S.14)

•1曲目 2.5点
•2曲目 2.5点
•3曲目 3.5点
•4曲目 2.0点
•5曲目 2.5点
•6曲目 2.5点

静かで平易で穏やかな曲集。旋律の良さは三番が光る。他はいい曲とまでは言えない。

•ウォロナンスの落ち穂拾い(S.249)(1847-48年)◦1曲目 2.5点


憂愁をたたえた主題による静かでおとなしい変奏曲

◦2曲目 2.5点


やや技術的な要求がある少し感傷的気分で息長く続く曲

◦3曲目 3.5点


感傷的な旋律がぐっとくる。前二曲で感傷的気分に浸っていればさらに感動。

•2つのポロネーズ(S.223)(1851年)

•ポロネーズ1番◦2.5点


ショパンのポロネーズのたぎるような熱い血と、マズルカの粘っこさの両方の濃さを併せたような曲。しかし長い割に展開が面白くない。

•ポロネーズ2番◦2.5点


メロディーはショパンのポロネーズの影響が濃厚で個性が薄い。その分聴きやすいとは言える。発展の仕方はそれなりに個性があるが抑えめ。ショパンが大好きな人なら気に入るかも。


ピアノ曲(オリジナル作品。単品)

ワルツ

•メフィスト・ワルツ1番◦4点


斬新な響き、悪魔的な表現、宴の楽しさ、めまぐるしさのあとのまったり感など、リストの一流のイマジネーションの強さと表現力を遺憾なく発揮した傑作。

•メフィスト・ワルツ2番◦2.5点


革新的な響きに続きを期待しては、発想力の足らない場面になりがっかりの繰り返しで終わる。

•メフィスト・ワルツ3番◦3.5点


スクリャービンの中期から後期に近い、時代や年齢を考えると驚異的な極めて斬新な響きが作りあげられており、各部分の完成度も高い。

•メフィスト・ワルツ4番◦3.0点


3番のような驚異的な斬新さと完成度はないものの、亡くなる前の年まで改革を目指した探求はされていることに驚ける内容にはなっている。

•4つの忘れられたワルツ


•忘れられたワルツ1番◦3.0点


軽やかなサロン風小品として楽しめる。

•忘れられたワルツ2番◦2.5点


サロン風では聴きやすい部分もあるが、内容的に迷走していたり枯れていたりでいまいち。

•忘れられたワルツ3番◦2.5点


ワルツで和音連打する発想は面白い。ここまで高音に寄せられてしまうとやり過ぎで聴きにくいし、悪い意味で枯れた感じがする。

•忘れられたワルツ4番◦2.5点


短い小品で前奏曲のような趣き。


大作

•ピアノソナタ ロ短調(S.178/R.21)◦4.5点

リストのオリジナル独奏曲の代表作を一つ挙げるならやはりこれ。いくつかの動機を素材として自在に変化させて組み立てて、深遠で気高い精神のもとにストーリーを組み立てた。リストにしては構成的だが、大変自由に組み立てられた曲であることに変わりはない。この曲の演奏はいわば精神の旅に出るような趣きである。例えばふらふら当てもなく彷徨い虚空を見つめてから、覚悟を決めて前に進むかのように。旅の目的地はあそこでよかったのだろうか?

•大演奏会用独奏曲(S176)◦3点


曲名がいけてないので知らないと興味を持てないが、実は内容はソナタに向かう道程を示している貴重な記録であり、曲想はよい。

•スケルツォとマーチ(S177)◦3.5点


作り込み度合いと、独特のグロテスクながらも霊感を感じる曲想で、地味ではあるが素晴らしい傑作の一つと言える。とても難しそう。

•リゴレットパラフレーズ◦3.5点


すごく華やかな曲調で長さもちょうど良く、聴いて楽しい曲。

•「ドン・ジョヴァンニ」の回想◦3.5点


素材としているメロディーがいいし、場面の移り変わりや変奏も自由な発想に基づいて上手く作られていて楽しい。長時間たっぷりリストのピアニズムに翻弄されながら、明るく楽しい音楽を聞く事が出来る。

•「ノルマ」の回想◦3.0点


メランコリックで叙情的なメロディーを中心に、多くの場面をつなげて順番にメロディーを楽しむ曲。


その他の曲

•アルバムの綴り 変イ長調(S.165)(1841年)◦3.0点


サロン風でありきたりではあるが曲としてはよい。

•ワルツ形式による音楽帳の1ページ(S.166)(1841年?42年?)◦2.0点


サロン風のありきたりなワルツ。

•ルイ=フェルディナント公の動機による悲歌(S.168)(1842年)◦3.0点


どこが悲歌?お洒落なサロン風ワルツ。非常に聴きやすい。

•夜の讃歌/朝の讃歌(S.173a)(1847-52年頃)◦2.0点


曲想は親しみやすいが凡庸な内容。

•スペイン狂詩曲(S.254)◦4.5点


この曲は霊感にあふれている美しい場面が多く、ピアニスティックな楽しさと両立出来ていて、10分オーバーだが冗長さもほとんどない名曲の一つである。

•2つの伝説(S.175/R.17)

•小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ◦2点


描写的な音楽。10分あるのに静かなまま、さらさらとした雰囲気で終わってしまう。

•水の上を歩くパオラの聖フランチェスコ◦2.5点


描写的。超常的な現象が起こっている現場をうまく描いているとは思うが、大作にしては単純な場面やメロディーが続き過ぎると思う。


愛の夢、3つの夜想曲(S.541/R.211)

•1番◦2.5点


甘美さは充分で悪くはないのだが、よい旋律という感じはない。

•2番◦2.5点


穏やかな甘美さで雰囲気は良いが、いい旋律ではない。

•3番◦5.0点


名旋律を名アレンジで聴かせる名曲で小品として文句なし。

•即興曲(夜想曲)(S.191)

•メフィスト・ワルツ1番◦4点


•バラード第1番変ニ長調(S.170/R.15)◦2.0点


穏やかな雰囲気のまま同じメロディーを繰り返して終わる。

•バラード第2番ロ短調(S.171/R.16)◦1.5点


大作だが、いいメロディーはないし心惹かれる場面は最後の盛り上がる部分だけという駄作。ショパンのバラードのようなレベルを期待してはダメ。

•ヘンデルのオペラ『アルミーラ』からのサラバンドとシャコンヌ(S.181)(1879年)

隠れた名曲。重厚でがっちりとした響きの元に進む変奏曲のサラバンドと、軽快で最後は華々しく終わるシャコンヌ、どちらも素晴らしい。

•ローマ内外の信徒に(S.184)(1864年)◦3.0点


晩年の印象派風の作品への橋渡しにもなっていそうな、変わった雰囲気の曲。

•即興曲(夜想曲)(S.191)

•モショーニの葬送(S.194)(1870年)◦2.5点


葬送の曲で哀悼の気持ちが伝わってくる

•眠れぬ問い(問いと答え)(S.203)(1883年)◦3.0点


斬新な響きで、もはやプロコフィエフさえも連想するほど。面白い。

•即興円舞曲(S.213, 改訂稿:S.213a)◦3.0点


雰囲気がついていくのが大変な位に、次々と即興的に移り変わる華やかな曲。

•無調のバガテル(S.216a/R.60c)◦2.5点


リストが時代の先をいった無調の曲。シェーンベルクのような純粋な無調ではなく和声も普通に使われている。希薄な調性感が独特の捉えどころのなさを演出してるのが面白い。

•2つのチャールダーシュ(S.225)(1881-82年)◦チャルダッシュ オブスティネ 3.0点


斬新で独特な小品でなかなか良い

•死のチャールダーシュ(S.224)(1881-82年)◦3.0点


死がタイトルに付いているが、その通りに重くて暗くて重たい雰囲気。とはいえ、単に暗いだけでなく、技術的なものも志向されている。

•ゲーテ生誕100年祭の祝典行進曲(S.227)◦2.0点


祝典的な雰囲気はあるけれども、単純なお祭りではなく、感動の想起とスケールの大きさを目指したように思える。

•子守唄◦1.5点


ショパンの子守唄にインスパイアされたのが明白だが、この曲はショパンを3分の1に薄めてから無駄な場面を挿入して引き伸ばしたような駄作になってしまっている。

•暗い雲◦2.5点


晩年の小品でフワフワとした不安な雰囲気をシンプルな音数だが実験的な和声で現されている特殊な曲。

•半音階的大ギャロップ◦3.0点


まさに半音階的なギャロップで、運動会の音楽みたいな楽しさ。


ピアノ編曲

リストは歌曲や管弦楽曲のピアノ編曲が数多くある。ピアノ編曲版は名曲を自分一人で演奏して楽しめるものであり、ピアノを演奏する人にとっては存在価値が大きい。ではCD等で聴く人にとっての価値は何だろうか?一つはピアノの均一な落ち着いた音色により原曲よりも落ち着いた気分で聴けることが挙げられる。また、大事な音だけが鳴るので曲の骨格がよく分かるメリットもある。打楽器的な性格のため、管弦楽よりもパンチが効いた音楽になる場合もある。これらのメリットがあるため、編曲を聴くことはオリジナル曲の鑑賞とは別の価値がある。

•ベートーヴェンの交響曲(9曲)(S.464/R.128)

初めて5番6番9番の編曲版を弾いてみた時の驚きは忘れ難い。ベートーヴェンの交響曲は音楽の充実度や発想の豊かさが彼のピアノソナタよりも段違いに上なのである。本気のベートーヴェンの凄さを痛いほど体感することになった。だから、ピアノが弾ける人は、ピアノ専用の曲ばかり弾いていてはもったいなくて、ぜひ有名曲の編曲版にも手を出してみることをお勧めする。ベートーヴェンの交響曲のリスト編曲版の中で、原曲に迫る魅力を持っているのは6番だろう。楽章単位でベストを挙げるなら6番5楽章と9番1楽章だろうか。

•1番◦3.0点


初期の交響曲は特にピアノ曲的な内容であり、アレンジされてもあまり違和感がない。非常に充実度した初期ソナタのようだ。

•2番◦3.5点


1番と同様に、ピアノ編曲の相性はよい。かなり楽しめる。

•3番◦4点


1楽章のアレンジは素晴らしく、オーケストラの壮大さやパワフルさをかなり再現できている。3番は個人的に聞いていて疲れる曲なのだが、この編曲はオーケストラ曲よりましなので、聴き始める時の心理的障壁は低い。しかしやはり編曲版も聞いていて疲れる。

•4番◦3.5点


柔らかい曲なのでピアノ向きであり、管弦楽ではやや掴みにくい曲の骨格と良さがよく分かる。

•5番◦4点


1楽章イントロはサステインのないピアノの悲しさで寂しいものになる。1楽章はあまりピアノに向いていない。2楽章は向いており、この楽章だけとっても、ピアノソナタ32曲の中にはこれほど充実した内容と展開を見せる曲はないと思うので弾いてみることをお勧めする。4楽章の最後が、盛り上げるためにリストっぽいピアニズムが前面に出てしまい、安っぽくて少しがっかりする。

•6番◦5点


この曲はピアノとの相性がバッチリ。素晴らしい展開力とメロディーの楽しさに溢れている。特に5楽章の感動は、ピアノのパンチの利き方がある分もしかしたらオリジナル以上かもしれない。5楽章に関しては、これほど気品と感動に溢れていて圧倒的な展開を魅せるピアノ用のオリジナル曲はおそらく古今東西皆無だと思うので、史上最高のピアノ曲のひとつではないだろうか。

•7番◦3.5点


バーンとオーケストラでノリ良く鳴らす曲なので、あまりピアノ曲との相性がよくない。

•8番◦3.5点


7番と同様にあまり相性がよくない。

•9番◦4点


点と線を紡ぎ合わせて書かれている1楽章はかなりピアノと相性がよく素晴らしい。2楽章も同様にフレーズ的に向いている。3楽章はジャジャジャーンの所以外は最初からピアノのために書かれた曲のようであるである。4楽章も驚くことにそれなりに雰囲気が出ているが、なぜその音を選んだのだろうと思う箇所はある。全般にピアノと相性の良い。この曲の良さと価値を思うとラッキーなことである。いつか自宅で年末第九演奏会をやるために弾けるようになりたいと思わせるものがある。

•ベルリオーズ:幻想交響曲(S.470/R.134, 136)


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/880.html#c10

[近代史3] イサーク・アルベニス 『アストゥリアス 』 中川隆
1. 中川隆[-14010] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:41:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-679]

スペイン - クラシック音楽 一口感想メモ
イサーク・アルベニス(Isaac Manuel Francisco Albéniz y Pascual, 1860 - 1909)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3


ピアノ音楽の大家。ピアノに適合したピアノ曲を書いたという点では、かなり上位の作曲家だと思う。

最初は親しみやすく難易度の低い作品を書いており、晩年になって難易度の高い傑作を書いた。

•スペイン狂詩曲◦3.3点


ピアノ協奏曲形式。かなり通俗的。わかりやすいメロディーはよいが18分もあるとさすがに気になる。ありきたりのメロディーの連続にも聞こえる。とはいえ、スペインらしさとピアノ協奏曲の華やかさを楽しめる。


ピアノ曲

•古風な組曲

•マズルカ

•スペイン舞曲

•舟歌

•組曲「スペイン」

全6曲。第2曲「タンゴ」が有名。「タンゴ」は熱気を含んだいかにもスペインらしい気だるさが心地よい曲。非常にいい曲である。


•組曲「イベリア」全12曲◦4.0点

晩年の名作。派手なパッセージはないのだが、演奏が難しいそうだ。たしかに楽譜をみると音だらけである。音楽はイメージの奔流であり内容が豊富で霊感にあふれている名作揃いである。ただし、曲の個性はあまり強くない。そのため統一感はあるが。ピアノ的な書法が素晴らしい。分かりやすい曲が多いアルベニスだが、この曲は成熟した大人っぽい雰囲気で不協和音も多くて渋い。明快な多くの作品と違い、複雑であり、何度も聞いても主なメロディーと構成が頭に入らず、すっきりと理解出来ない。20世紀のピアノ曲の名作のひとつ。霞の中のような感じで、幻想的で抽象的な場面が主である中に、スペインらしい現実感がたまに顔を覗かせる。そのさじ加減がよい。


•ピアノソナタ5番

3.8

隠れた名曲。1楽章や3楽章のしなやかな叙情性の美しさが大変素晴らしい。ショパンと同様にピアノの機能と完全に結びつき同化した音楽であり、書法が見事である。ドイツ的なソナタらしい構築性や対比はそれほど見られないが、それを補ってあまりある詩情である。スペインとはどれだけ美しい国なのだろうか、と想像が膨らむほどである。早い2楽章と4楽章は短いので、主要ではない。落ち着きと旋律のよさが耳につく素晴らしいソナタである。後期ロマン派時代の屈指のピアノソナタであり、なぜマイナーなのか分からないほどだ。

•ラ・ベーガ◦3.0点


15分の大曲。変奏曲のように同じ動機を細かく変容させながら繰り返す部分を、いくつか組み合わせて作っている曲。伝説のような幻想的な雰囲気を漂わせる。ピアニスティックな場面も多い。内面的に情熱を持ちつつも、あまり全面に押し出さず奥ゆかしい。幻想曲のようであり、構成は弱いと思う。


•スペインの歌

•アストゥリアス(伝説)◦4.0点


ずっとギター曲だと思ってた。ピアノ版もギターを模して書かれている。渋くてカッコいい。髭の濃いイケメンのスペイン人をイメージしてしまう。
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/875.html#c1

[近代史3] ヘンデル オペラ 『アグリッピナ』 _ ヘンデルのオペラ・オラトリオはどんな曲でもモーツァルトのオペラより上 中川隆
1. 中川隆[-14009] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:45:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-678]

クラシック音楽 一口感想メモ
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(Georg Friedrich Händel, 1685 - 1759)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB

王家の宮殿に相応しいような輝かしくきらびやかで華やかな音楽を書いた。
その点でまさに王者の星の元に生まれた作曲家という印象がある。
オペラやオラトリオが創作の中心で器楽曲は多くない。

管弦楽曲

•水上の音楽(管弦楽組曲)HWV348-350◦5.0点


優雅で宮廷的なきらびやかさにあふれている。使われている和声やメロディーはシンプルなのに、何度聴いても飽きない。素敵な時間が流れる華やかな音楽。

•王宮の花火の音楽(管弦楽組曲)HWV351 1748年◦5.0点


華やかできらびやか。水上の音楽と同様に何度聴いても飽きない。極上の時間を過ごせる逸品である。


協奏曲

6つの合奏協奏曲集 作品3 HWV312-317 1734年出版

•合奏協奏曲第1番 変ロ長調 1710 2bfl,2ob,vn,弦楽,BC Op.3-1◦3.3点


爽やかでしなやかな楽曲の雰囲気とソロの掛け合いを楽しめる曲。ヘンデルらしい輝きと音感の良さを楽しめるものの、旋律に印象的なものはないと思う。3楽章が短調で始まるのが意表を突かれた。

•合奏協奏曲第2番 変ロ長調 1715-18 2ob,2vn,2vc,弦楽,BC Op.3-2◦3.5点


1楽章の華やかな始まり方。2楽章の心を鷲掴みにするような美しいオーボエの独奏のメロディーとチェロの絡みの絶妙さ。3楽章で爽やかに締めくくったようにみせて、4楽章で継続させて5楽章で改めて晴れやかな気分で締めくくる。自在な雰囲気のコントロールと楽章の組み合わせが秀逸。

•合奏協奏曲第3番 ト長調 1717-18 fl/ob,vn,弦楽,BC Op.3-3◦3.3点


ソロが中心であり音が薄めで軽快なのが楽しい1楽章。華やかさのあるフーガを楽しめる3楽章はどちらも魅力がある。

•合奏協奏曲第4番 ヘ長調 1716 2ob,弦楽,BC Op.3-4◦3.3点


優しくしなやかな曲。懐の深さがバッハのようだ。爽やかながらも心が温かくなるような癒される曲。目立つ楽章はないが愉しめる。

•合奏協奏曲第5番 ニ短調 1717-18 2ob,弦楽,BC Op.3-5◦3.3点


短調であり、疾風怒濤を連想させるような激しさのある曲である。運動的な音楽はなかなかの激しさをみせている。ヘンデルの音楽の中では嵐のような曲と言っても過言ではない。しかし、音の輝かしさという特質はここにも残っており、のちの時代の音楽のような徹底したものではない。

•合奏協奏曲第6番 ニ長調/ニ短調 1733-34 org/cemb,2ob,fg,弦楽,BC Op.3-6◦3.3点


楽章が2つしかなく、2楽章は短調で実質的にオルガン協奏曲という変わり種の曲。1楽章はヘンデルらしい華のある曲なのに、2楽章は唐突に終わる。

12の合奏協奏曲集 作品6 HWV319-330 1739作曲,1740年出版

•合奏協奏曲第1番 ト長調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-1 HWV319 ◦3.0点


計算をあまり感じない。勢いでさらっと書いたかのように、即興的に音楽が進む。旋律の魅力もあまりないし、それほど面白くないと感じた。

•合奏協奏曲第2番 ヘ長調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-2 HWV320 ◦3.3点


かなり捻りを入れており、低音を充実させたり、荘重な雰囲気を作ったりして、微妙なニュアンスを作っている。対位法を曲のなかに混ぜ込んだり、表情の豊かさとアイデアで楽しませる曲になっている。

•合奏協奏曲第3番 ホ短調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-3 HWV321 ◦3.5点


短調の楽章に挟まれた長調の3楽章と4楽章が秀逸だと思う。ヴィヴァルディのような伸びやかさもありつつ、ヘンデルらしい調和のとれた複雑さと充実感を実現している。

•合奏協奏曲第4番 イ短調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-4 HWV322 ◦3.5点


短調で始まる。絶妙でありながらも、かなり強いインパクトを聞くものに与える劇的な音楽が並んでいる。爽やかなだけでない強烈さがあるため、ロマン派以降に慣れた耳には曲の個性と存在意義を強く主張する曲に聴こえて愉しめる。

•合奏協奏曲第5番 ニ長調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-5 HWV323 ◦3.0点


面白い部分はところどころにはある。しかし、全体としてはまとまりがない、もしくは焦点とストーリーが定まっていない曲に聴こえる。なんとなく納得できないまま終わる。

•合奏協奏曲第6番 ト短調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-6 HWV324 ◦3.3点


短調の各楽章もそれなりに魅力があるが、そのなかで3楽章が長調でありモーツァルトの緩徐楽章のような慈愛と優しさと愛おしさに包まれるような曲であるのが強く印象に残る。ここだけなら古典派のような音楽である。

•合奏協奏曲第7番 変ロ長調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-7 HWV325 ◦3.3点


瑞々しさと快活さを併せ持ち、そこそこの魅力はありながらも、吹っ切れるところまではいかないと感じる。音楽の構造はバロックなのだが、どこか古典派に近いものを感じる。自分にはどこがそう感じさせるのか分析できなかったが。

•合奏協奏曲第8番 ハ短調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-8 HWV326 ◦3.3点


短調が続く曲。曲調にそれほど極端な変化はなく、逆に言えば統一が取れている。控えめの中にバロックらしい音の美しさを存分に生かした内面的なドラマ性があり、心に響くものがある。

•合奏協奏曲第9番 ヘ長調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-9 HWV327 ◦3.5点


舞台音楽のような劇的な場面展開と気分の躍動がある。爽やかなバロック音楽なのだが、表情が豊かなためかどこか古典派の音楽に近いように聴こえる。様々な場面の登場に心が踊るものがある愉しい曲。普通の合奏協奏曲とは少し違う。

•合奏協奏曲第10番 ニ短調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-10 HWV328 ◦3.3点


悲嘆の色が濃い曲が続き、このまま終わるか思ったら最後は晴れやかに終わる。場面の描写力に優れていて、やはりヘンデルは舞台音楽の作曲家だと思わされるものがある。音の厚みもあって、古楽器でなくても楽しめそうだ。

•合奏協奏曲第11番 イ長調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-11 HWV329 ◦3.3点


明るく素朴で平明。ヴィヴァルディからイタリアの暑さを取ってドイツやイギリスの陽気にしたようなものか。心を踊らせる要素が少し足りないが、これはこれで魅力がある。

•合奏協奏曲第12番 ロ短調 1739 2vn,vc,弦楽,BC Op.6-12 HWV330 ◦3.8点


1曲目の序奏から始まって場面展開が劇的かつ明確なコントラストで作られており、かなり感情的な部分も強く作られている。ベートーヴェンもしくはバッハの受難曲のようにドラマチックである。3楽章の変奏曲は泣かせるものがある。

オルガン協奏曲集 第1集 作品4 HWV289-294

•オルガン協奏曲第1番 ト短調 1736 org,2ob,弦楽,BC オルガン協奏曲集第1巻。Op.4-1◦3.5点


華やかな舞台の高揚感を盛り上げるようなエンターテイメントの音楽の魅力が素晴らしい。楽しんで聴ける。1楽章がまず劇場の興奮を追体験できそうな力強い表現に満ちた曲で旋律も良い。4楽章は管弦楽とソロのダイナミックな分担のさせ方に独特の魅力がある。

•オルガン協奏曲第2番 変ロ長調 1735 org,2ob,弦楽,BC オルガン協奏曲集第1巻。Op.4-2◦3.0点


1番と同系統で楽しい曲ではあるが、はっとするようなアイデアがなく、敷かれたレールの上で音楽が進んでいる感じがする。1楽章は魅力的だが、それ以外があまり感動しない。

•オルガン協奏曲第3番 ト短調 1735 org,vn,vc,2ob,弦楽,BC オルガン協奏曲集第1巻。Op.4-3◦3.5点


ドラマチックな曲だ。1楽章はソロが全く出てこない悲劇的な序奏。2楽章は名曲と呼べる素晴らしい出来の曲。旋律も構成も天才性を感じるものであり、とても良い。3楽章の間奏が期待を持たせて4楽章に続くが、規模が小さく残念ながら肩透かしをくらってしまう。

•オルガン協奏曲第4番 ヘ長調 1735 org,2ob,2vn,BC オルガン協奏曲集第1巻。Op.4-4◦3.0点


幕間の間奏の趣の曲が多い。これはこれで悪くないが、単体で聴く分には少し物足らないというのが正直なところ。協奏曲らしい運動性がもう少しほしい。

•オルガン協奏曲第5番 ヘ長調 1735 org,2ob,弦楽,BC オルガン協奏曲集第1巻。Op.4-5◦3.3点


静かな楽章が多い中で祝典的な4楽章が映える。ウキウキする心が楽しい楽章である。それ以外も1楽章と3楽章は深く聴き入ってしまう音楽であり、2楽章は典型的なバロックらしい音楽であり楽しめる。

•オルガン協奏曲第6番 変ロ長調 1736 org,2bfl,2vn,BC オルガン協奏曲集第1巻。Op.4-6◦3.0点


ハープ協奏曲のオルガン版。ハープの馥郁とした響きの典雅な魅力はなくなって、大人しいごく普通の曲になってしまっている。オルガン版ならでは魅力はあまり見つけられなかった。


オルガン協奏曲第2集 HWV295-300

以下の2曲以外はオルガンソロのための協奏曲

•オルガン協奏曲第13番 ヘ長調『かっこうと夜うぐいす』 1739? org,2ob,弦楽,BC HWV295◦3.3点


幻想的で夢幻的な曲。現実感がなくふわふわしたまま場面が展開していく。全般に柔らかくて、感傷的な時も多い。なかなか斬新で描写力豊かな曲だ。意義深い多楽章の曲。

•オルガン協奏曲第14番 イ長調 1739? org,2ob,弦楽,BC HWV296◦3.3点


13番よりも活気がある正統派に近い曲がだが、やはり幻想的な雰囲気もある。柔らかくて何かの回想をしているような感傷的な感じをはらんでいる。しかし、時にそれを音楽的な力強さが上書きしたりする。それが波のように繰り返すところがある曲。

オルガン協奏曲集 第3集 作品7 HWV306-310
•オルガン協奏曲第7番 変ロ長調 1740 org,2ob,2fg,弦楽,BC オルガン協奏曲集第3巻。Op.7-1◦3.3点


大規模な1楽章に驚く。パッサカリアだろうか。その後も様々な雰囲気の楽章が続く、全体としてはなかなか大規模な曲。楽章が多いため雑多な印象もあるが、そこそこの満腹感を得られる。

•オルガン協奏曲第8番 イ長調 1743 org,2ob,2vn,va,BC オルガン協奏曲集第3巻。Op.7-2◦3.3点


全体にクリスマスのような聖なる気分を感じるのは自分だけだろうか?この雰囲気に浸れるだけで十分にこの曲の意義があると思った。最後の楽章が堂々とした大作なのも面白い。3楽章は逆に完全なソロで驚くが、かなり良い。

•オルガン協奏曲第9番 変ロ長調 1751 org,2ob,3vn,va,BC オルガン協奏曲集第3巻。Op.7-3◦3.0点


エモーショナルではあるが、楽章ごとのメリハリに欠けるように思える。沢山楽章があるのだから、もう少し爆発的ななにかがほしい。爽やかさも悲劇性も歓喜もなく、しんみりとしすぎだと思う。

•オルガン協奏曲第10番 ニ短調 1744 org,2ob,2fg,弦楽,BC オルガン協奏曲集第3巻。Op.7- 4◦3.5点


非常に重厚で劇的な悲劇性の重たい音楽である1楽章と、それをうけた軽やかな気分の2楽章の対比はすごい。それ以降は余韻に浸りながら聴くことになるが、どの楽章も長大で充実感がある。

•オルガン協奏曲第11番 ト短調 1750 org,2ob,3vn,va,BC オルガン協奏曲集第3巻。Op.7-5◦3.0点


1楽章はあまり面白くない。2楽章は同じ低音の伴奏に合わせてソロを変奏で演奏していく趣向作。実演奏でヘンデル本人がどう演奏したのか興味深いが、今日聴くにはあまり面白くない。3楽章は普通。4楽章は伴奏のせわしない音の動きに工夫がある独特の曲で面白い。

•オルガン協奏曲第12番 変ロ長調 1748-49 org,2ob,3vn,va,BC オルガン協奏曲集第3巻。Op.7-6◦3.3点


3楽章の非常に小ぶりな曲。1楽章は隠れエモーショナルなところがあり、わりと良い。2楽章は伴奏なしの独奏であり、3楽章は独奏の活躍が少ないという極端な構成である。3楽章も隠れエモーショナルなおおいなる感動を内包した所が素敵だ。


その他の協奏曲

•オルガン協奏曲第15番 ニ短調 1746 org,3vn,va,弦楽,BC HWV304◦3.5点


罪の意識に囚われて悩んでいるかのような1、2、4楽章は強く心をとらえるものがある。悲劇的というより、かなり内面的に深堀りされたものである。その間にフーガが挟まる構成も素晴らしい。輝かしさがありつつも、感動的な主題のフーガである。

•オルガン協奏曲第16番 ヘ長調 1748? org,2ob,弦楽,BC HWV305a◦3.5点


他とは全く雰囲気の違う驚異的な曲。協奏曲らしさは少なく管弦楽とオルガンが一体となって、悟りの境地の風景ような不思議な音楽を奏でる。世にも不思議な世界だと思った。現実感が少なく、これまでの15曲と同じヘンデルの作品とは思えないほどだ。

•合奏協奏曲「アレクサンダーの饗宴」HWV318◦3.5点


瑞々しい感受性を刺激する活力がかなり魅力的。それとともに神々しい輝かしさもある。1曲目はとくに「いい曲に会えた」という満足感と興奮を得られる曲であり、旋律が魅力的である。

•二重協奏曲第1番 変ロ長調 1747-48 HWV332 ◦3.8点


音の分厚さを活用しつつ、ダイナミックに変化に富みながら推進していく音楽がとても楽しい。最初の2つの楽章が興奮する音楽でとても良いし、最後の楽章が名曲だと思う。途中ももちろん良い。

•二重協奏曲第2番 ヘ長調 1747-48 HWV333 ◦3.3点


2つの合奏体の分厚い音が産みだす豪華さはなかなかのもの。メロディーに特別感こそないが、心にインパクトを与えるものがある、なかなか愉しめる曲である。

•二重協奏曲第3番 ヘ長調 1747-48 HWV334 ◦3.3点


333と同様の魅力がある祝典性の強い曲であるが、より表情が豊かになっている。中間の静かな部分は曲ごとの個性を際立たせて全体を効果的に聴かせている。

•ハープ協奏曲 変ロ長調 1736 HWV294a ◦3.5点


冒頭の一度聴いたら忘れないメロディーがまず印象的。1楽章のこじんまりとした形式と天上的で典雅な音楽。2楽章の陰影ある感動。3楽章の優雅さと高揚感の同居。いずれも素敵だ。ポロロンというハープの音色の魅力を引き出している。

•オーボエ協奏曲第1番 変ロ長調 1740 HWV301

•オーボエ協奏曲第2番 変ロ長調 1740 HWV302a ◦3.3点


爽やかで美しいが協奏曲らしい聴きどころの足りない1、2楽章である。しかし、3楽章は有名な楽章でやはりいい旋律だなと聞き惚れる。4楽章も悪くない。

•オーボエ協奏曲第3番 ト短調 1707? HWV287 ◦3.3点


2番と異なりオーボエがずっと出ずっぱりの大活躍の曲。曲想にひねりは感じないが、正統派でオーボエを堪能できる作品として楽しめる。3楽章はさすがオラトリオの大家らしい歌心を発揮させる旋律が見事である。


室内楽

作品1
•フルートソナタ ホ短調 1727–28 fl,BC Op.1-1a HWV379
•フルートソナタ ホ短調 1724 fl,BC Op.1-1b HWV359b◦3.5点


とにかく軽快によく音が動く曲という印象。特に最後の楽章は速く動く。難易度が高そうだが、同時にバロックの管楽独奏曲としてかなり優れた曲に聴こえる。他の楽章もなかなか良く出来ていると思う。

•フルートソナタ ト短調 1725-26 fl,BC Op.1-2 HWV360 ◦3-3点


どの楽章も素朴な味があって素敵だが、これという売りの点が無いように思えた。よくある範囲での曲だと思うため、聴き応えのような手応えが足りない。

•ヴァイオリンソナタ イ長調 1725-26 vn,BC Op.1-3 HWV361 ◦3.0点


規模が大きい分、密度が薄まったり端的な表現の魅力が弱くなった気がする。華やかさも少し足りなく感じる。

•フルートソナタ イ短調 1725-26 fl,BC Op.1-4 HWV362 ◦3.8点


素朴な中にフルートの魅力を存分に聴かせてくれて、心が洗われるようだ。なんという魅力だろう。バロックの魅力である。短調だけれど、悲劇的とかそういう何かではなくひたすら音の美しさで楽しめる。特別な魔法はない気がするがなぜかとてと魅力に心が惹かれる。

•フルートソナタ ト長調 1711–16 fl,BC Op.1-5 HWV363b◦3.5点


様々な曲がありすぎてまとまりがないような気はする。しかしながら半分以上は癒される素朴な美しさに心を惹かれる楽章であり、総じて満足度は高い。また聴きたいと思わせるものがある。

•ヴァイオリンソナタ ト短調 1722–24 vn(ob),BC Op.1-6 HWV364a◦3.3点


おそろしく美しい短調の陰影と美しさが教会ソナタに見事にマッチしている曲。どの楽章も魅力的。

•フルートソナタ ハ長調 1725–26 fl,BC Op.1-7 HWV365 ◦3.3点


ちゃんも確認していないが、聴き覚えがあるからヘンデルの他の曲の編曲のはず。あまりブロックフレーテに合っていない曲ある気がするため編曲として傑作ではないと思うが、全体的には管楽器の力作だろう。

•オーボエソナタ ハ短調 1711–12 ob,BC Op.1-8 HWV366 ◦3.8点


素朴な管楽器の魅力。音感の鋭さや美的感覚を素朴な音楽で発揮する困難さを見事に克服して、なんとも心に染み入る素敵な音楽になっている。何度も聴いて癒されたい。

•フルートソナタ ニ短調 1725–26 fl,BC Op.1-9 HWV367b
•ヴァイオリンソナタ ト短調 ? vn,BC Op.1-10。偽作? HWV368
•フルートソナタ ヘ長調 1725-26 fl,BC Op.1-11 HWV369 ◦3.0点


ごくノーマルな曲という印象。特段の長所が見当たらないから、悪い曲ではない以上の感想が出てこない。テンションが上がるものがないと思う。

•ヴァイオリンソナタ ヘ長調 ? vn,BC Op.1-12。偽作? HWV370 ◦3.0点


規模が大きくて典型的な美しさはあるものの、天才的な閃きが生む輝きは感じない。

•ヴァイオリンソナタ ニ長調 1749-50 vn,BC Op.1-13 HWV371 ◦3.3点


天才的な眩しいほどに輝かしいものを感じる曲。音に強い主張がある気がする。楽章の対比も強烈。

•ヴァイオリンソナタ イ長調 ? vn,BC Op.1-14 HWV372 ◦2.8点


これはあまり面白くない。バロックの魅力はあるが、平凡というか1流でない作品だと思う。

•ヴァイオリンソナタ ホ長調 ? vn,BC Op.1-15 HWV373 ◦3.0点


明朗で分かりやすいのが美点。鋭さがなくて天才的ではないが、そこそこ楽しめる佳作。


フィッツウィリアム・ソナタ

•オーボエソナタ 変ロ長調 1707-10 ob,BC HWV357 ◦3.3点


フィッツウィリアムソナタのどこと無い内向性を打ち消すような力強さを内包するオーボエがよく合っている。3楽章の小ぶりだがまとまっているソナチネとして楽しめる。

•ヴァイオリンソナタ ト長調 1707-10 vn,BC HWV358 ◦3.3点


1楽章の快活さがかなり魅力を放っている。2楽章と3楽章もバロックの魅力が詰まってる。

•フルートソナタ 変ロ長調 1724–25 fl,BC HWV377 ◦3.3点


3楽章のコンパクトさに凝縮された曲であること自体の魅力が大きい。バランスも良くて、ソナチネの佳作と呼びたくなってしまう。どの楽章もよく出来ているのだが、ただ心を強く打つには至らないのも確かである。

•フルートソナタ ニ短調 1725–26 fl,BC HWV367a◦3.3点


各楽章の個性が強すぎて、後半は楽章が終わるごとに「曲が終わった」と思ったらまだ違う楽章が続くと感じた。悪いことではないのかもしれないがまとまりは無いと思う。全体にパンチの効いた楽章が多くてそれなりに楽しめるとは言える。


ハレ・ソナタ

•フルートソナタ イ短調 ? fl,BC 偽作? HWV374 ◦3.5点


短調のなかでもやや陰鬱さや精神的に疲労したりような暗さを秘めた曲調である。滅びの予感を孕んだ美学とでも呼びたいような音楽。もちろんバロックだから破壊的なものはない。なかなか美しい作品で聴きごたえがある。

•フルートソナタ ホ短調 ? fl,BC 偽作? HWV375
•フルートソナタ ロ短調 ? fl,BC 偽作? HWV376 ◦3.0点


暗い曲調でありフルートも重く聴こえる。軽やかに動いても、重さが取れない。作曲としての品質は高いが、一つの曲としてはあまり光るところがない気がする。


その他の二重奏曲

•ヴァイオリンソナタ ニ短調 1724頃 vn,BC HWV359a◦3.3点


短調のバロックらしい美しさが全般に心を打つ曲。最終楽章がとくに好き。

•オーボエソナタ ヘ長調 1711–16 ob,BC HWV363a
•ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ ト短調 1724 gamb,BC HWV364b
•フルートソナタ ニ長調 1707? fl,BC HWV378
•アレグロ ハ短調 1725-29 vn,BC HWV408◦2.8点


短調と切れ味のある雰囲気をそれなりに楽しめるのだが、後に残るものがなく、良作とは思わない。

•412 アンダンテ イ短調 1725-26 vn,BC◦2.8点


しなやかで陰影のある雰囲気はよいのだが、徹底しておらず物足りない。単一楽章としては悪くはないが良くもない以上のものがない。


6つのトリオソナタ 作品2

•トリオ・ソナタ第1番a ハ短調 1717-19 fl(ob),vn,BC Op.2-1a HWV386a
•トリオ・ソナタ第1番b ロ短調 1717-19 fl,vn,BC Op.2-1b HWV386b
•トリオ・ソナタ第2番 ト短調 1717-19 2vn,BC Op.2-2 HWV387
•トリオ・ソナタ第3番 変ロ長調 1717-19 2vn,BC Op.2-4 HWV388
•トリオ・ソナタ第4番 ヘ長調 1717-19 fl,vn,BC Op.2-5 HWV389
•トリオ・ソナタ第5番a ト短調 1717-19 vn,va,BC Op.2-6a HWV390a
•トリオ・ソナタ第5番b ト短調 1717-19 2vn,vc,cemb(org) Op.2-6b HWV390b
•トリオ・ソナタ第6番 ト短調 1717-19 vn,va,BC Op.2-7 HWV391


7つのトリオソナタ 作品5

•トリオ・ソナタ第1番 イ長調 1739 2vn,BC Op.5-1 HWV396 ◦3.0点


爽やかな正統派というところ。特別に良い何かはないと思う。

•トリオ・ソナタ第2番 ニ長調 1739 2vn,BC Op.5-2 HWV397 ◦3.3点


1番よりもバラエティーに富んでいて面白い。演奏のせいか素朴で土着的な味も感じた。

•トリオ・ソナタ第3番 ホ短調 1739 2vn,BC Op.5-3 HWV398 ◦3.3点


短調の物悲しい雰囲気が全体を覆う。しかし、バロックらしい音自体の美しさが活かされており、リズム感を失わないため愉しみながら聴ける。

•トリオ・ソナタ第4番 ト長調 1739 2vn,BC Op.5-4 HWV399 ◦3.3点


音に複雑さと生気があり、しなやかさと活気あるリズム感を併せ持っており、合奏する楽しみがありそうな曲。なかなか魅力的だ。

•トリオ・ソナタ第5番 ト短調 1739 2vn,BC Op.5-5 HWV400 ◦3.5点


様々な作曲技法を駆使した作品で規模もわりと大きくて聞き応えを感じる。複雑さと素朴さの混ざり方が絶妙だし、雰囲気の作り方に巨匠性を強く感じる。

•トリオ・ソナタ第6番 ヘ長調 1739 2vn,BC Op.5-6 HWV401 ◦3.5点


とても魅力的な1曲目だが、そのあとは正統派に進む。とはいえ、音楽としての魅力はどの曲も心をつかむものがある。爽やかなだけでなく、どこかに感動が潜んでいる。

•トリオ・ソナタ第7番 変ロ長調 1739 2vn,BC Op.5-7 HWV402 ◦3.3点


しなやかな叙情性がある感情的な曲に聴こえる。どこか名残惜しい気分が全編を統一しているようである。曲集の最後にふさわしい。


クラヴィーア曲

クラヴィーア組曲第1巻

•組曲第1番 イ長調 1720 クラヴィーア組曲第1巻 426
•組曲第2番 ヘ長調 1720 クラヴィーア組曲第1巻 427
•組曲第3番 ニ短調 1720 クラヴィーア組曲第1巻 428
•組曲第4番 ホ短調 1720 クラヴィーア組曲第1巻 429
•組曲第5番 ホ長調『調子のよい鍛冶屋』 1720 クラヴィーア組曲第1巻 430 ◦4点


調子の良い鍛冶屋は大好きな曲。命名センスの良さも最高。華やでどこかおどけているかのように諧謔的で、とても楽しい曲。

•組曲第6番 嬰ヘ短調 1720 クラヴィーア組曲第1巻 431
•組曲第7番 ト短調 1720 クラヴィーア組曲第1巻 432
•組曲第8番 ヘ短調 1720 クラヴィーア組曲第1巻 433


クラヴィーア組曲第2巻

•組曲第9番 変ロ長調 1710?-17 クラヴィーア組曲第2巻第1番 434
•シャコンヌ ト長調 1705?-17 クラヴィーア組曲第2巻第2番 435
•組曲第10番 ニ短調 1721-26 クラヴィーア組曲第2巻第3番 436
•組曲第11番 ニ短調『サラバンド 主題と変奏』 1703-06 クラヴィーア組曲第2巻第4番 437
•組曲第12番 ホ短調 1710–17 クラヴィーア組曲第2巻第5番 438
•組曲第13番 ト短調 1703–06 クラヴィーア組曲第2巻第6番 439
•組曲第14番 変ロ長調 1703–06 クラヴィーア組曲第2巻第7番 440
•組曲第15番 ト長調 1703–06 クラヴィーア組曲第2巻第8番 441
•組曲第16番 ト長調 1703–06 クラヴィーア組曲第2巻第9番。 442


その他のクラヴィーア曲


オラトリオ

•メサイア HWV56 1742年

•サムソン HWV57 1743年

•セメレ HWV58 1744年

•ヘラクレス HWV60 1745年

•ベルシャザル HWV61 1745年

•マカベウスのユダ HWV63 1747年

•スザンナ HWV66 1749年

•ソロモン HWV67 1749年

•テオドーラ HWV68 1750年

•ヘラクレスの選択 HWV69 1751年

•イェフタ HWV70 1752年

•ジョージ2世の戴冠式アンセム 1.司祭ザドク HWV.258


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/824.html#c1

[近代史3] バッハ 『マタイ受難曲』 中川隆
2. 中川隆[-14008] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:49:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-677]

クラシック音楽 一口感想メモ
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685- 1750)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F

バロック音楽の総決算を行った作曲家の一人。卓越した技法と深々とした味わい深い情緒とスケールの大きさと普遍性の高い音楽で、後世に絶大な影響を与えた。

一部の曲は誰も凌駕出来ない高みに達しているが、一方で仕事としてさらさらと書いたような作品も多い。また、音楽が四角くて一拍の中にタンタタというのを納めたものを並べている感がある部分が多いこと、時として辛気臭く神秘主義であるのは欠点だと思う。


宗教曲

•ミサ ロ短調BWV232 Messe h-Moll 1724-49 ◦6点


バッハの宗教音楽の総決算となり、マタイ受難曲ならぶバッハの最高傑作。最高の充実度の曲が27曲で組み上げられた大伽藍を形成していて、何度聴いても飽きない。円熟した技術の粋が込められている。最後は感動的。合唱が主体で聴きやすい。

•マニフィカト ニ長調BWV243 Magnificat D-Dur 1728-31◦4点

受難曲

•マタイ受難曲BWV244 1727-29◦6点


この曲こそクラシック史上最もドラマティックな最高の作品だろう。特に二部はバッハの中でも極めつけの名曲揃いで、しかも話が進むにつれ音楽が深くなるという奇跡的な作品。最終合唱は涙を流さずにはいられない。


•ヨハネ受難曲BWV245 (Johannes-Passion) 1724/25-29 1746/49年改作◦4.5点


マタイに比べれば極めつけの名曲という感はないが、これもバッハの最高級の宗教音楽の一つ。


オラトリオ

•クリスマス・オラトリオBWV248 (Weihnachts-Oratorium) 1734 ◦4点


長いし全部が名曲ではないが、クリスマスらしい明るく希望に満ちた音楽でよい。

•復活祭オラトリオBWV249(Oster-Oratorium) 1725/35◦3.5点


40分程度とコンパクト。冒頭がトランペットを活用して華やか。その後は叙情的なバッハの宗教曲の世界を手軽に楽しめる。


モテット


オルガン曲

•トリオ・ソナタ第1〜6番 変ホ長調BWV525 1730頃 6つのトリオ・ソナタ

•トッカータとフーガニ短調BWV565 1704頃 ◦4点


個人的には残念ながら偽作と思っている。あまりに後年のバッハと違うので。有名なイントロから始まるトッカータはいいのだが、フーガはいまいち。

•トッカータとフーガ ホ長調BWV566 1706頃
•フーガ ト短調BWV578 1703-07 BWV542と比較され、小フーガとも呼ばれる

•フーガ ロ短調BWV579 1708-17

•パッサカリアとフーガ ハ短調BWV582 1706-12 ◦4点


パッサカリアを重々しく使っていて、何かの儀式でも執り行われるのかというような荘厳さが徹底しているところが魅力的。


クラヴィーア曲

•2声のインヴェンションと3声のシンフォニアBWV772 - 801 1720-23◦3.5点


初心者が練習する教材として有名だが、観賞用としてもシンプルな中に歌心があるのでそれなりに楽しめる。バッハ得意の半音階で深い世界に旋回しながら降りていくへ短調のように高度な内容の曲もある。


イギリス組曲

•イギリス組曲1番BWV806 1717◦3.5点


長調の正統派。奥ゆかしく味わい深い叙情を湛えた曲。美しい曲や印象的な曲がいくつもある。

•イギリス組曲2番BWV807 1717◦3.5点


短調の組曲として、憂いの美が活かされている、なかなかの曲が集まっている。早い曲と遅い曲の組み合わせの効果も良い。1曲目から魅力的だし、遅い曲も暗すぎない。正統派の楽しみを感じる。舞曲としての躍動も良い。

•イギリス組曲3番BWV808 1717◦3.3点


平凡で一瞬はっとしてもすぐにまた平凡と感じるような曲が並んでいる。短調らしい素朴さのある美しい曲は多あ。時々その美しさに感動してテンションが上がる。メロディーには霊感をあまり感じないが。

•イギリス組曲4番BWV809 1717◦2.5点


いまいち面白くない曲ばかりで、あまり価値が高くない組曲だと思う。そそられるような魅力がない。バッハならば技術を用いてさらっと書けそうな曲ばかり。

•イギリス組曲5番BWV810 1717◦3.3点


うら悲しい短調の美しさと、テクニカルな力強さを両立した曲。なかなかのどっしりとした手応えがある曲。

•イギリス組曲6番BWV811 1717◦3.3点


長大な大作であり、瞑想や情熱を見せたり、様々な表情を見せる。5番同様に聴き応えがあるが、うら悲しい感じはあまりなく、雰囲気はかなり異なる。


フランス組曲

フランス組曲はBWV812 - 817 1715

•1番◦3.5点


バッハらしい短調に殺文句的なエモーショナルな情念を響かせる曲。バッハとしては典型的な場面も多いが、一方ではっとさせる場面もところどころにあり、概ね感情を揺らされるのを楽しみながら刺激的な音楽として聴ける。

•2番◦2.8点


1番と比較するとはっとするような感動と発見がかなり少ない。さらさらと音楽が時間とともに流れていく。バッハらしい必殺の響きがなくて、聴き終わったあとにあまり印象に残らない。

•3番◦3.0点


1番と3番の中間の出来だと思う。ところどころに聴きどころはある。工夫も見られる。突き抜けたインスピレーションはあまりないが、曲想に意図が込められていてそれなりに楽しめる。

•4番◦3.3点


前半は心の現れるような美しさで素晴らしい。しかし、後半はありきたりの音形をありきたりの変化をつけて繰り返すばかりで面白くない曲が続く。前半の感動が吹き飛んでしまう。

•5番◦4.0点


この曲は単品で昔から何度も聴いている。他の曲とフェアに比較できないのだが、やはりどの楽章もキラキラとした音の美しさと愛おしい詩情に溢れていて、かなりの名作である。個々の曲の描写が優れているとともに、曲の組み合わせが浮き沈みを演出していて、美しさが心に強く染み渡っていく。そして捨て曲がない。

•6番◦3.5点


5番と似た曲調だが、ブリリアントな要素がなくて、しなやかで叙情的。これもなかなか心の琴線に触れる美しさをもっている曲だと思う。バッハらしい懐の深さと奥ゆかしさの楽しみもある。


パルティータ

パルティータはBWV825 - 830 1726-31

•1番◦3.5点


落ち着いた奥ゆかしさと熟成感がたまらない。豊かさに身を委ねてゆったり聴ける楽しみ。熟練した技術に裏打ちされた安心して幸せな時間を過ごせる音楽である。

•2番◦3.8点


1番と感想はほぼ同じ。短調でも高い品格と音の研ぎ澄まされた感性に従って、安心して幸せな時間を過ごせる。短調の美しさがあって、ロマン派のような情緒も見え隠れするたて1番よりさらに素敵に思えた。

•3番◦3.3点


1番2番と同じように雰囲気は素晴らしいようでも、どこかにマンネリを感じてしまう。霊感のヒラメキが弱いように思う。中間部分に目新しい場面はあるものの、前半と終わりの方があまり面白く無い。

•4番◦3.3点


長い曲であり、広大なキャンバスにゆったりとした時間の流れの中で絵を描いていく趣である。スケール感は魅力だが、満足度はそれほど高くない。もどかしい感じを常に感じながら時間が流れていくようであり、一歩間違えれば長いだけの曲になりかねないほどだが、詩情と円熟と洗練された技法はやはりあるため楽しめる。

•5番◦3.3点


規模が小さくて明快という点でフランス組曲と似た外面を持つものの、やはり熟成感と当たりの柔らかさが違う。特に良いという感じの曲は少ないため心に深く刺さるほどではないが、音に揺られたり、時に舞踏的になる楽しさは充分にある。

•6番◦3.0点


演奏時間も長いし、最初の辺りではバッハの渾身の大作かと期待する。しかし、悲劇性の強調の仕方が似ている曲が多い。だんだん飽きてくる。そうなると曲が長いのが負の効果を表してくる。対位法的な曲の多さとその中の執拗な繰り返しが悲劇性の一つの表現になっているが、やりすぎである。特に最後の曲は聴いていてしんどい。


その他

•フランス風序曲 ロ短調BWV831 1734◦3.5点


元はハ短調で出版時に移調されたそうだが、バッハのロ短調らしい独特の線の細い悲哀を帯びた美しさをもつ。特に序曲のフランス風序曲らしい華がありそれが余韻を最後まで保つことがあるため、各種の組曲との比較して聞き映えがして、聴いていて楽しい。


•平均律クラヴィーア曲集第1巻BWV846 - 869 1722-23◦3.5点


フーガは宇宙の摂理のようにあまりにも客観的であり、高度な内容とはいえ楽しむための音楽という感じではない。前奏曲もフレーズを重ねたものでロマン派の小品のようには楽しめない。ピアニストの旧約聖書などとも言われているが、一般的な鑑賞者にとっての重要性はベートーヴェンのソナタとは比較にならないほど小さい。ピアノ演奏の学習者にとっての重要性は高いのかもしれないが。高度な作曲技術により生み出された高貴で崇高で広大な音楽世界の素晴らしさは、特筆に価する。しかし、神秘主義や辛気臭さが鼻につくところもある。

•平均律クラヴィーア曲集第2巻BWV870 - 893 1738-42◦3.8点


第1集と比較して、若々しいストレートな伸びやかさが生み出すギラギラした感じが抑えられており、複雑な奥ゆかしさが増すとともに、しなやかさになっている。個人的には、バッハの晩年らしい良さが表れていて、第1集よりも好みである。順番に曲を聞いていくと、森羅万象のような気宇広大な多彩さと深遠さがあり、卓越した作曲技術に基づくエネルギーと伴っているため、激しく精神を翻弄される。あまり類を見ない独特の愉しさがある局集である。とはいえ、基本的には第1集と同様に、宇宙の摂理を音化したような客観的な音楽である。聞くのにある種の覚悟が必要と感じるような敷居の高さが難点。

•半音階的幻想曲とフーガ ニ短調BWV903 1719◦4.0点


緊張感が高く激情的な表現、緻密な構成は、バロック期をはるかに越えている。スリリングなフーガはアクション映画を見ているかのようにテンポよく進む。ベートーベンが研究したそうだが、熱情ソナタによく反映されている。

•イタリア協奏曲 ヘ長調BWV971 1734◦4.5点


バッハファンからすると軽すぎるかもしれないが、ノリノリで楽しい音楽で、一人なのにリズムや音の重ね方の工夫で驚くほど分厚い協奏的な音楽が楽しめる。

•ゴルトベルク変奏曲BWV988 1742◦5.5点


非常に長大な変奏曲。変化に富んでおり、飽きずに一気に楽しんで聴ける。充実した上品で平穏な音楽がさらさらと流れていく。楽しく幸せになれる曲。しかし短調になったり、さまざまな気分に変化していくところは、物語的でもある。よく調べると1音ずつずれていくカノンなど驚きの仕掛けもある。主題が魅力的であることも大きい。すべての物語が終わって最後にまた再現される時には、なんともいえない万感の想いになる。


室内楽曲

無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ、パルティータ

•無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番 ト短調BWV1001 1720◦4.0点


荘厳な1楽章、無窮動の情熱的な4楽章、全部の楽章がいいが、傑作は2楽章のフーガだろう。主題の魅力と展開と対位法の充実感が半端ない。

•無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番 ロ短調BWV1002 1720◦3.5点


バッハ無伴奏ヴァイオリン曲では一番劣ると思う。特に前半は特徴が乏しく並の曲である。後半はやや印象的な曲が続く。

•無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番 イ短調BWV1003 1720◦4.0点


1番と比較して、1楽章は荘厳な1番が上、2楽章は同レベルの充実した素晴らしいフーガ、3楽章は2番のシチリアーノがかなり好きなので2番が上、4楽章は同レベルだが、単なる無穹動でない2番の方が楽しい。ということで、同じ位素晴らしい曲。

•無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 ニ短調BWV1004 1720◦シャコンヌ 6点
◦その他は3.5点


シャコンヌはバッハのみならず独奏器楽曲の最高峰だろう。深々として厳しい精神性の高さ、欲しいところに音がある音感の良さ、主題の素晴らしさと変奏の絶妙さ、音の価値の高さ、中間の感動、後半の絶妙な終わりに向けた動き。その前の5曲はシャコンヌへの前奏曲という感じ。

•無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番 ハ長調BWV1005 1720◦3.8点


2楽章のソナタは主題こそ魅力が足りないものの、新しい主題を加えながら次々と変化していくので楽しく聴ける。しかし3楽章が面白くないし、1、4楽章もいい曲だが傑作とまではいかない。

•無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番 ホ長調BWV1006 1720◦5点


楽しく親しみやすい曲のオンパレードで名作集のような密度であり、満足感が半端ない。ものすごい名作だと思う。


無伴奏チェロ組曲

•無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調BWV1007 1717-23◦5.0点


オーソドックスで無理が無い音の運びがされており、豊かさと人肌のような温もりや包み込むような父性を感じる。そして根源的な舞曲としての楽しみも味わえる。素晴らしい名曲。

•無伴奏チェロ組曲第2番 ニ短調BWV1008 1717-23◦4点


瞑想的な一方で汗をかいているような情熱を、低音の渋さをうまく活用して味わうことが出来る。

•無伴奏チェロ組曲第3番 ハ長調BWV1009 1717-23◦3.3点


ハ長調で広々としたスケールの広がりとかっちりとした構築性を感じる。しかしながら、曲としては1番と比較して霊感が無く、面白くない。有名な5曲目のブーレだけがいい曲と思う。

•無伴奏チェロ組曲第4番 変ホ長調BWV1010 1717-23◦3.5点


前半は3番と似たようなレベルの曲だが、後半の3曲が素晴らしいので、飛び抜けていい曲は無いがトータルでは3番より良い。

•無伴奏チェロ組曲第5番 ハ短調BWV1011 1717-23◦3.5点


短調の曲として2番ほどメロディーの魅力はないものの、特に前半のレティタティーボのような渋い力強さの魅力が素晴らしい。漆黒のような黒い響きがする。後半はやや普通の曲になる。

•無伴奏チェロ組曲第6番 ニ長調BWV1012 1717-23◦3.3点


曲の雰囲気はまったりしていて1番と少し似ている。曲想は好きで発想は割と豊かだと思うが、5弦用の曲という事で普通のチェロだとハイポジションが多用されるので聴いていて疲れる。


その他

•無伴奏フルートのためのパルティータ イ短調BWV1013 1720初頭◦3.5点


バッハの無伴奏らしい和声の進行を感じさせる手法や、音域の音色の差異で伴奏を代替したりすることや、リズムと旋律が一体化させる手法が活用をされている。無伴奏チェロ曲に似ているが、少し違うフルートならではの音色の良さでバッハを楽しむための曲。良くも悪くも非常にバッハ臭が強いので好みは分かれるかもしれない。休符がないのは素人目にみるとフルート的ではない気がする。


•ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ1〜6BWV1014

•ヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ第1〜3BWV1027 1720-39頃

•フルートとチェンバロのためのソナタ第1〜3BWV1030 1735頃

•フルートと通奏低音のためのソナタ第1〜3BWV1033 1720頃

•2本のフルートと通奏低音のためのソナタ ト長調BWV1039 1720頃


協奏曲

•ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調BWV1041 1717-23頃◦3.5点


1楽章の跳躍する美しい短調の主題や2楽章の何度も回帰するオーケストラの主題、3楽章のバロックらしいテンポの良さなど聞きどころは多い。

•ヴァイオリン協奏曲第2番 ホ長調BWV1042 1717-23頃◦4.0点


1楽章と3楽章のキャッチーな分かりやすいメロディーは、上品で優雅でバロックらしい楽しさに満ちている。2楽章がやや地味なので弱点になっている。

•2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調BWV1043 1718頃◦4.5点


1楽章はすぐに覚えてしまう短調らしい印象的な主題で始まり、コンパクトで楽しい曲。2楽章はG線上のアリアにも匹敵しそうな非常に美しい緩徐楽章。3楽章は1楽章と2楽章ほどの圧倒的な素晴らしさは無いが、ヴィヴァルディに似ており活発なダイナミックさを楽しめる。


•チェンバロ協奏曲第1〜8BWV1052

•2台のチェンバロのための協奏曲第1番BWV1060 1736◦2.5点


散逸した協奏曲の編曲もの。曲が冴えなくて陳腐という印象が強い。編曲は頑張っているものの、あまり面白くない。

•2台のチェンバロのための協奏曲第2番BWV1061 1736◦3.5点


初めからチェンバロ協奏曲として書かれたのに相応しいしっくりとくる感じがよい。明るく華やかな心踊るような独奏の活躍ぶりは、バッハの欠点を表面に出していない。そして裏に隠された抒情が素敵さを演出している。3つの楽章全て良い。

•2台のチェンバロのための協奏曲第3番BWV1062 ◦3.0点


本人の名作2台のヴァイオリンのための協奏曲の編曲。しかし、チェンバロは一つの音のみ価値が小さいし音に伸びがないため、この編曲はかなり地味な印象になっている。あまりこの編曲で聴くメリットを感じない。

•3台のチェンバロのための協奏曲第1番BWV1063 1733◦2.5点


四角い箱に詰め込んで敷き詰めたようなバッハの音楽になってしまっている。協奏曲の楽しみを感じる場面が時々あるなど、4台の協奏曲よりはましだと思うが、あまりいい曲とは思えない。

•3台のチェンバロのための協奏曲第2番BWV1064 1733◦3.0点


1楽章の音の分厚さを生かした勢いのある豪勢な音楽が良い。うきうきした気分になれる。残りの楽章も、1番や4台用よりも聴き応えがあり、不満は少ない。

•4台のチェンバロのための協奏曲 イ短調BWV1065 1730頃◦2.5点


ヴィヴァルディの編曲。4台でもピアノほどの重さはないが、音がよく聞き取れない。そして編曲としてはあまり良さが感じられない。


ブランデンブルグ協奏曲

•ブランデンブルク協奏曲第1番 ヘ長調BWV1046 1717? 2hrn,3ob,fg,vn,弦楽,BC ◦3.5点


楽器構成が一番大規模なので、管弦楽のように豊富な音を楽しめる。曲は4楽章構成で、曲が終わったと思ったらさらに追加曲があるような印象。内容は四角くかっちりと構築されていて、テンポは遅めでほのぼのしている印象。

•ブランデンブルク協奏曲第2番 ヘ長調BWV1047 1717-18? tp,bfl,ob,vn,弦楽,BC ◦3.0点


6曲の中では地味な存在。トランペットがいるので音は華やかで明るいが、メロディーに耳を引くものがない。

•ブランデンブルク協奏曲第3番 ト長調BWV1048 1711-13頃 3vn,3va,3vc,BC◦4.0点


キレの良い1楽章の完成度が高い。3楽章もきびきびしているので、キレのよさがとにかく印象に残る。2楽章がチェンバロだけというのは面白い。早い2つの楽章の間で休憩するための曲になっている。

•ブランデンブルク協奏曲第4番 ト長調BWV1049 1720頃? vn,2bfl,弦楽,BC ◦3.5点


フルートの大活躍が目立つ曲。裏でのヴァイオリンの技巧的な活躍も面白い。メロディーがテンポ良く次々と繰り出されるのを楽しめる。

•ブランデンブルク協奏曲第5番 ニ長調BWV1050 1720-21頃? fl,vn,cemb,弦楽,BC ◦1楽章 5.5点
◦その他 3.5点


1楽章はバッハの多くの作品の中でも突き抜けた奇跡的な完成度と充実した内容の作品。宮殿のようなきらびやかな優雅さと、多くのエンジンを使って前へと進む推進力、豊富で有機的な動機を使っており、大きな作品でありながら構成が完璧である。まさに圧巻であり、類似例を思いつかないほどの完成度である。カデンツァがまた凄い。単体のクラーヴィアでここまで豪華さと推進力を出せるのかと驚く。2楽章と3楽章は並の曲。

•ブランデンブルク協奏曲第6番 変ロ長調BWV1051 1708-10頃? 2va,2Gamb,vc,BC ◦3.5点


ヴァイオリンが無いので地味ながらも、低音で奏でられる音楽は滋味あふれており『まろやか』で美しい。

管弦楽組曲

•管弦楽組曲第1番 ハ長調BWV1066 1717-23頃 2ob,fg,弦楽,BC ◦4点


着飾った貴婦人が華やかな広間の階段を降りてくる情景をまさに想像するような上品な曲。3番よりも管楽器が活躍し、叙情的な側面もあるし、舞曲の楽しみも満喫出来る。

•管弦楽組曲第2番 ロ短調BWV1067 1730頃 fl,弦楽,BC ◦4.0点


フルート協奏曲のようにフルートが大活躍する曲。ロ短調の哀しく美しく透明感のある響きに乗せた軽やかなフルートの動きを楽しめる。この美しさは独特だと思う。

•管弦楽組曲第3番 ニ長調BWV1068 1729-31頃 3tp,tim,2ob,弦楽,BC◦G線上のアリア5.5点
◦その他 4点


G線上のアリアの豊饒でまろやかで内声の豊かな味わいは素晴らしい。その外の楽章は上品であり、トランペットとティンパニが華やかで外面的な華麗さで、祝典的な雰囲気が楽しい。

•管弦楽組曲第4番 ニ長調BWV1069 1717-23頃 3tp,tim,3ob,fg,弦楽,BC◦3.5点


管弦楽組曲の中で唯一の地味曲。管弦楽組曲は華やかさを楽しむ曲なので、地味だと聴く順番はどうしても最後になる。といっても、3番までと比較して大きく劣るわけでは無く、あくまで比較しての話であるが。


対位法的作品

•音楽の捧げものBWV1079 (Musikalisches Opfer) 1747

•フーガの技法BWV1080 (Die Kunst der Fuge) 1742頃-49 未完◦4点


バッハのフーガ技術が尽くされており、音楽的にも成熟の限りで充実感がすごい。音楽的にもバッハらしい奥ゆかしい精神世界を存分に楽しむことが出来る。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/827.html#c2

[近代史3] バッハ 『マタイ受難曲』 中川隆
3. 中川隆[-14007] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:51:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-676]
教会カンタータ
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%28%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BF%29

1-20番

•1 暁の星はいと美しきかな 1725 ◦3.8点


長大な冒頭合唱は、ホルンの明快な信号に乗るように始まり、柔らかさと複雑な豊かさをもった非常に幸福感に満ちた時間を過ごせる曲。同じフレーズの繰り返しでも、全然飽きない。それどころか、終わってももっと聞き続けたいと思わせるものがある。次のアリアも晴れ晴れとした気分と敬虔さの混ざった絶妙な良いもの。しかし最後のアリアは面白くない。コラールで締めくくられる。

•2 ああ神よ、天より見たまえ 1724 ◦3.0点


冒頭は変な半音階的な主題のフーガの曲。なんとも分かりにくい、どう聴いたら良いのかピンとこない曲だ。アリアは時々見せる陰影は美しいが、全体としてはまあまあと思う。次のアリアは迫力がある力強い曲で悪くない。

•3 ああ神よ、いかに多き胸の悩み 1725 ◦3.3点


冒頭合唱も最初のアリアも、軽いひねりの入った主題であり落ち着かない。感情の没入はしにくい。次のアリアは二重唱であり、これはなかなか音の絡みかたが濃厚で感情の揺れ動きかたが良い曲で聞きごたえがある。伴奏もそれをサポートするよいもので、この曲だけで聞く価値がある。

•4 キリストは死の縄目につながれたり 1707/8 1724年改訂◦3.3点


レティタティーボがない。8曲ありざわざわとした鋭くて落ち着かない曲や不安感を煽るような曲が連続するため疲れる。その中で3曲目のような柔らかくて癒される曲は本当にオアシスのように感じる。半音階が多用されており、合唱も畳み掛けるような掛け合いが多くて、心が疲れながら落ち着く場所を求めて聴く感じになった。

•5 われいずこに逃れゆかん 1724 ◦2.8点


1曲目はあまり感動がない。次のアリアは泣きのフレーズを散りばめていてい悪くないが、強く感動するほどではない。次は男声と輝かしい金管の対比の曲で、これも悪くはないがたいした曲ではないと思う。全体的にあまり楽しめなかった。

•6 わがもとにとどまれ、はや夕べとなれば 1725 ◦3.0点


短調の正統派の曲であり、それなりの迫力はある。しかし、強く何か感動を与えるものに到達しておらず、予想を超える何かを見せてくれた印象はなかった。

•7 われらの主キリスト、ヨルダン川に来たれり 1724 ◦3.3点


冒頭合唱は繰り返しの運動性のある伴奏の音形と合唱との絡みが心地よいインパクトを与えてくれる。2曲目もチェロの独奏がマタイ受難曲を思い出させるもので、しみじみとした音楽を聴かせる。その曲調は最後まで同様に続き、明るく弾けることなくしんみりと終わる。

•8 最愛の神よ、われいつの日に死なん 1724 1735/50年改作◦3.5点


冒頭合唱の管楽器の同音連続が与える清冽な印象は素晴らしい。少年合唱の美しさと管楽器の絡みの美しさとあいまって、美的にある到達点まで極まった素晴らしさに到達している。他の楽章はそれなりの出来であり強い印象はない。

•9 救いはわれらに来たれり 1732-35
•10 わが心は主をあがめ 1724
•11 神をそのもろもろの国にてほめ讃えよ 1735 昇天祭オラトリオ
•12 泣き、嘆き、憂い、慄き 1714
•13 わが溜め息、わが涙は 1726
•14 神われらとともになかりせば 1735
•15 汝、わが魂を冥府に捨て置きたまわざれば 1703 1726年改訂。全2部9曲。偽作=J.L.バッハ作
•16 主なる神よ、我ら汝を讃えん 1726
•17 感謝を捧げる者、われを讃えん 1726
•18 天より雨と雪の降るごとく 1713-15
•19 かくて戦起れり 1726
•20 おお永遠よ、いかずちの声よ 1724


21-40番

•21 わが心には憂い多かりき 1714 1723年改訂
•22 イエス十二弟子を召寄せて 1723
•23 汝まことの神にしてダヴィデの子 1723
•24 飾りなき心ぞ 1723
•25 汝の怒りによりてわが肉体には 1723
•26 ああ、いかにはかなくいかに空しき 1724
•27 わが終わりの近きをたれぞ知らん 1726
•28 感謝せん、今ぞ年は終わりゆく 1725
•29 神よ、われ汝に感謝す 1731
•30 喜べ、救われし群れよ 1738-42 世俗カンタータ『楽しきヴィーデラウよ(BWV.30a)』のパロディ・カンタータ
•31 天は笑い、地は歓呼す 1715
•32 愛するイエス、わが願い 1726
•33 ただ汝ひとりに、主イエス・キリストよ 1724
•34 ああ永遠の炎、愛のみなもと 1746? 同名の結婚カンタータ(BWV.34a)を聖霊降誕祭のために改作したもの
•35 霊と心は驚き惑う 1726
•36 喜びて舞いあがれ 1731
•37 信じて洗礼を受けし者は 1724
•38 深き悩みの淵より、われ汝に呼ばわる 1724
•39 飢えたる者にパンを裂き与えよ 1726
•40 神の子の現れたまいしは 1723


41-60番

•42 されど同じ安息日の夕べに 1725
•43 歓呼のうちに神は昇天したもう 1726
•44 かれらは汝を追放せん 1724
•45 人よ汝によきこと告げられたり 1726
•46 考えみよ、かかる苦しみのあるやを 1723
•47 おのれを高うするものは低うせられ 1726
•48 われ悩める人、われをこの死の体より 1723
•49 われは生きて汝をこがれ求む 1726
•50 いまや、われらの神と救いと力と 1740頃 断片、合唱1曲のみ
•51 全地よ、神に向かいて歓呼せよ 1730
•52 偽りの世よ、われは汝に頼まじ 1726
•53 いざ来たれ、待ち望みたる時よ 1730頃 偽作=G.M.ホフマン作?
•54 いざ罪に抗すべし 1714
•55 われ貧しき者、われは罪のしもべ 1726
•56 われは喜びて十字架を負わん 1726
•57 かの人は幸いなり 1725 Lehms
•58 ああ神よ、心の痛手いと多く 1727
•59 われを愛する者は、わが言葉を守らん 1724
•60 おお永遠よ、汝おそろしき言葉よ 1723?


61-80番

•61 いざ来ませ、異邦人の救い主よ 1714
•62 いざ来ませ、異邦人の救い主よ 1724 BWV62
•63 キリスト者よ、この日を銘記せよ 1716以前
•64 見よ、父なる神の大いなる愛を 1723
•65 彼らはみなシバより来たらん 1724
•66 よろこべ、汝らの心 1724 ケーテン侯レオポルトのための誕生日カンタータの改作
•67 イエス・キリストを憶えよ 1724
•68 かくも神は世を愛したまえり 1725
•69 わが魂よ、主を讃えよ 1742-48
•70 目覚め、祈り、心を備えよ 1724
•71 神はいにしえよりわが王なり 1708
•72 すべてただ神の御心のままに 1726
•73 主よ、汝の御心のままにわれはあらん 1724
•74 われを愛する者は、わが言葉を守らん 1725 第1-第2曲を第59番より転用
•75 貧しき者は饗せられん 1723
•76 天は神の栄光を語る 1723
•77 汝主なる神を愛すべし 1723
•78 イエスよ、汝わが魂を 1724
•79 主なる神は太陽にして楯なり 1725?
•80 われらが神は堅き砦 1724? 1727年-31年改作


81-100番

•81 イエス眠りたまえば、われ何に頼るべし 1724
•82 われは満ち足れり 1727
•83 新しき契りのよろこびのとき 1724
•84 われはわが幸に満ち足れり 1727
•85 われは善き牧者なり 1725
•86 まことに、まことに、われ汝らに告ぐ 1724
•87 今までは汝らなにをもわが名によりて 1725
•88 見よ、われは多くの漁る者を遣わし 1726
•89 エフライムよ、われ汝をいかにせん 1723
•90 おそろしき終末、汝らを奪わん 1723
•91 讃えられよ、イエス・キリスト 1724
•92 われは神の御心のままに 1725
•93 愛する神のみに従う者 1724
•94 われは何ぞ世を思い煩わん 1724
•95 キリストこそわが命 1723
•96 主キリスト、神のひとり子 1724
•97 わがすべての行いに 1734
•98 神なしたもう御業こそ、いと善けれ 1726
•99 神のみわざはすべて善し 1724
•100 神なしたもう御業こそ、いと善けれ 1732-35


101-120番

•101 主よ、まことの神よ、われらから取り去り給え 1724
•102 主よ、汝の目は信仰を顧みるにあらずや 1726
•103 汝ら泣き叫ばん 1725
•104 イスラエルの牧者よ、耳を傾けたまえ 1724
•105 主よ、裁きたもうことなかれ 1723
•106 神の時こそいと良き時 1707/08? 哀悼行事のための
•107 汝なんぞ悲しみうなだるるや 1724
•108 我、去りゆくは汝らの益なり 1725
•109 我は信ず、愛する神よ、不信仰なる我を助け給え 1723
•110 われらの口を笑いで満たし 1725 序曲は管弦楽組曲第4番(BWV1069)の序曲を転用したもの
•111 わが神の欲し給うこと常に起こらん 1725
•112 主はわが忠実な牧者なり 1731
•113 主イエス・キリスト、汝こよなき宝 1724
•114 ああ、愛しきキリストのともがらよ、心安んぜよ 1724
•115 備えて怠るな、わが霊よ 1724
•116 汝平和の君、主イエス・キリスト 1724
•117 至高の善に賛美と栄光あれ 1728-31
•118 おおイエス・キリスト、わが生命の光 1736/37 合唱のみ。2つの稿が現存。楽曲の規模から新バッハ全集ではモテットに分類
•119 エルサレムよ、主をほめまつれ 1723
•120 神よ、人はひそかに汝をほめ 1728/29


121-140番

•121 われらキリストを讃えまつらん 1724
•122 新たに生まれしみどり児 1724
•123 最愛なるインマヌエル 1725
•124 わがイエスをわれ捨てず 1725
•125 平安と喜びもてわれは逝く 1725
•126 主よ、我らを汝の御言葉のもとに保ち 1725
•127 まことの人にして神なる主イエス・キリスト 1725
•128 ただキリストの昇天に 1725
•129 主に賛美あれ 1726/27
•130 主なる神よ、われらこぞりて汝を頌め 1724
•131 主よ、深き淵よりわれ汝を呼ぶ 1707?
•132 道をそなえ、大路をまっすぐにせよ 1715
•133 わが喜びは汝にあり 1724
•134 時は日と年を作り 1724 1731年改作
•135 ああ主よ、哀れなる罪人なるわれを 1724
•136 神よ、われを調べ、わが心を知り給え 1723
•137 力強き栄光の王なる主を讃えよ 1725?
•138 何故に悲しむや、わが心よ 1723
•139 神によれる者は幸いなるかな 1724
•140 目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声 1731


141-160番

•141 こはまことに信ずべき言葉なり ? 偽作
•142 ひとりの御子われらに生まれたり ? 偽作
•143 わが魂、主を讃えよ 1708/14? 偽作?
•144 おのがものを取りて、行け 1724 偽作?
•145 わが心よ、われは生きて汝を慰めん 1729? 偽作=G.P.テレマン作
•146 われらあまたの苦難をへて 1728?
•147 心と口と行いと生活で 1723 コラール『主よ、人の望みの喜びよ』はこのカンタータに含まれている
•148 主にむかいてみ名の栄光を讃えよ 1723?
•149 人は喜びもて勝利の歌をうたう 1728/29
•150 主よ、われ汝を仰ぎ望む 1708-09
•151 甘き慰め、わがイエスは来ませり 1725
•152 信仰の道を歩め 1714 全6曲
•153 愛する神よ、見たまえ、わが敵のいかにあるやを 1724
•154 いと尊きわがイエスは見失われぬ 1724
•155 わが神よ、いかに久しく 1716
•156 片足は墓穴にありてわれは立つ 1729?
•157 われを祝福し給わずば、われ汝を離さじ 1727
•158 汝に平安あれ 1728–31
•159 見よ、われらエルサレムにのぼる 1729?
•160 われは知る、わが救い主の生きるを ? 偽作=G.P.テレマン作


161-180番

•161 来たれ、汝甘き死の時よ 1715
•162 ああ、われは見たり、婚礼に行かんとする今 1715 1723年改作
•163 神はただ万人のために 1715
•164 汝ら、キリストの者と名のるともがら 1725
•165 おお、聖霊と水との聖なる洗礼 1715 1724年改作
•166 汝はいずこに行くや 1724
•167 人よ、神の愛を讃えよ 1723
•168 務めの報告をいだせ、と轟く雷の言葉 1725
•169 神にのみ わが心を捧げん 1726
•170 満ち足れる安らい、うれしき魂の悦びよ 1726
•171 神よ、汝の誉れはその御名のごとく 1729?
•172 鳴り響け、汝らの歌声 1714
•173 高められし血と肉と 1724? 1727年-31年改作
•174 われ、いと高き者を心を尽くして愛しまつる 1729
•175 彼はおのれの羊らの名を呼びて 1725
•176 反抗し臆するは 1725
•177 われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ 1732
•178 主なる神、われらがもとにあらざれば 1724
•179 心せよ、汝の敬神偽りならざるや 1723
•180 装いせよ、おお愛する魂よ 1724


181-200番

•181 軽佻浮薄なる霊の者ども 1724
•182 天の王よ、よくぞ来ませり 1714 1724年改作
•183 彼ら汝らを追放せん 1725
•184 待ちこがれし喜びの光 1724
•185 永遠の愛の慈悲深き心よ 1715 1723年改作
•186 おお魂よ、憤ることなかれ 1723
•187 ものみな汝を待てり 1726
•188 われはわが信頼を 1728
•189 わが魂はほめ讃う ? 偽作=M.ホフマン作
•190 主に向かいて新しき歌を歌え 1724/30 不完全
•191 天のいと高きところには神に栄光あれ 1740
•192 いざもろびと、神に感謝せよ 1730?
•193 汝ら、シオンの門よ 1727 全7曲のうち6曲のみ現存
•194 こよなく待ちこがれし喜びの祝い 1723
•195 光は正しき人のためにさし出で 1741 1749年改作
•196 主はわれらを思いたもう 1708
•197 主、かたき望み 1736?
•198 侯妃よ、願わくばなお一条の光を 1727 哀悼頌歌(Trauerode)
•199 わが心は血の海に泳ぐ 1714
•200 我はその御名を言い表さん 1724頃? 断片、1曲のアリアのみ


世俗カンタータ

•201 速く、速く、渦巻く風よ(アポロとパンの争い) 1729頃 全14曲
•202 しりぞけ、もの悲しき影 1718-23 全9曲、通称『結婚カンタータ』
•203 裏切り者なる愛よ 1723以前 偽作?
•204 わたしの心は満ちたりて 1726/27 全8曲
•205 破れ、砕け、壊て(鎮まれるアイオロス) 1725 全15曲
•206 忍びよれ、たわむれる波よ 1736? 全11曲
•207 互いに争いをやめ 1726 全11曲
•207a 響け、はれやかなラッパよ 1735
•208 楽しき狩こそ我が悦び 1712?/13 通称『狩のカンタータ』
•209 悲しみを知らぬ者 1729/34?
•210 おおやさしい日、待ち望んだ時 1738
•211 おしゃべりはやめて、お静かに 1734 通称『コーヒー・カンタータ』
•212 わしらの新しいご領主に 1742 通称『農民カンタータ』
•213 われら心を配りしかと見守らん 1733 または『岐路に立つヘラクレス』
•214 轟け太鼓よ、響けトランペットよ 1733
•215 恵まれしザクセンよ、汝の幸を讃えよ 1734
•216a 選ばれたプライセの町 1728-31
•217 主よ、我らが境遇を忘れ給うな ? 偽作

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%28%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BF%29
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/827.html#c3

[近代史3] モーツァルトで本当にいいのは 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」だけ 中川隆
2. 中川隆[-14006] koaQ7Jey 2020年2月06日 13:08:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-675]

クラシック音楽 一口感想メモ
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756 - 1791)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88

天才なバランス感覚、歌心を音に込める才能、あらゆる音楽を自分のものとして取り込む柔軟性、職人技を持っている。

顔で笑って、心の底では泣いているような音楽。寂しがったり、はしゃいだり、おどけたり、そんな人間的なところが大きな魅力である。

一方で「悪魔が人間を惑わすためにこの世に送り込んだ音楽」というゲーテの言葉も非常に素晴らしく見事に特別性を言い当てている。

早熟であり、日本の高校生くらいの年齢の曲で既に神が宿ったかのような天才性や別格性を発揮している。


管弦楽曲

交響曲

最後の二曲が最高であるため、モーツァルトの重要なジャンルというイメージがある。しかし、41曲もあるが30曲は18歳までに書かれた作品。それ以降も改編や急造の曲などあり、ピアノ協奏曲と比較するとモーツァルトにとっては主要ジャンルとは言えなかったのでは、という印象である。特に初期は番号付以外にも多くの曲があり、未熟な三品ばかりである。しかし初期にもモーツァルトの成長の過程がはっきりと現れているのを追いかける楽しみがある。ここでは、ごく初期の作品は除外している。

•交響曲 ヘ長調 K.75 (1771 旧全集番号では第42番)◦2.5点


節回しにハイドンの影響を感じる。全体に元気がよい感じが好印象。モーツァルトらしい特別さはほとんどなく、偽作説に納得ではあるのだが、なぜだか聴きやすい。

•交響曲第12番 ト長調 K.110(75b) (1771)◦3.3点


冒頭のバロックの息吹を感じる清冽な輝かしいメロディーが、モーツァルトとしては珍しいもので、耳に強く残る。それ以外の部分も輝かしい印象。まだ未熟ではあるが、この爽やかさの魅力は忘れがたいものがある。

•交響曲 ハ長調 K.96(111b) (1771? 旧全集番号では第46番)◦2.8点


1楽章のオペラの序曲のような明るい始まりと、モーツァルトには珍しい2楽章の古風な同じリズムがずっと続く憂いのある音楽がよい。楽章に個性があり聴き栄えのする曲。

•交響曲第13番 ヘ長調 K.112 (1771)◦2.8点


爽やかなだけで、特徴が少ないため、単に未熟な発展途上の曲に聴こえる。特に素敵だと思うような箇所はなかった。

•交響曲第14番 イ長調 K.114 (1771)◦3.5点


1楽章の冒頭の流麗で上品なメロディーの魅力はかなりのものである。彼の特質と天才性を見事に見せつけている。それ以外もどの楽章も後年を彷彿とさせる立派さとメロディーの魅力をふんだんにみせる素晴らしい作品であり、初期の交響曲の傑作と言っていいだろう。

•交響曲第15番 ト長調 K.124 (1772)◦2.8点


2楽章がしなやかな旋律のなかなか美しい曲だと思う。他の楽章はシンプルすぎてまだまだ未熟感が漂っており、感動には届かない。

•交響曲第16番 ハ長調 K.128 (1772)◦2.5点


1楽章が3拍子で舞踏性が高いのが面白い。2、3楽章もその雰囲気を受け継いでいる感じがする。とはいえそれだけであり、音の密度が薄い未熟感がまだまだ気になる。

•交響曲第17番 ト長調 K.129 (1772)◦2.3点


しなやかな雰囲気を楽しむ曲と思う。しかし、内容が薄くて聴き終わっても特に何も残らない。

•交響曲第18番 ヘ長調 K.130 (1772)◦2.3点


爽やかな中に少しモーツァルトらしい感性の強さが少しずつ表現され始めているようには思えるが、まだまだ非常に微妙なレベルである。

•交響曲第19番 変ホ長調 K.132 (1772)◦2.3点


規模がかなり大きくなった。しかし、内容がそれに伴った感じではない。あくまで、もっと後の曲のような規模感だけであり、内容は初期の未熟さから卒業できておらず、あまり面白くない。

•交響曲第20番 ニ長調 K.133 (1772)◦3.0点


祝典交響曲で華やか。2楽章のメロディーなど、聴き栄えのする楽しみのある曲でよい。4楽章のメロディーはハイドンみたいだ。規模感に内容が伴っている。

•交響曲第21番 イ長調 K.134 (1772)◦2.3点


J.C.バッハやC.P.Eバッハと聴いた印象がかなり近い。主題が単純であり、優美さやバランスの良さもまだ不十分であり他の作曲家を凌駕するものを感じない。唯一3楽章の中間部が耳を捉えた。

•交響曲第22番 ハ長調 K.162 (1773)◦2.3点


1楽章はメロディーが単純すぎる。2楽章と3楽章はいくぶんましだが、単純明快すぎてやはりあまり楽しめない。

•交響曲第23番 ニ長調 K.181(162b) (1773)◦3.0点


全3楽章8分で切れ目なく演奏。トランペットの輝かしさにより祝典的で高揚感のある雰囲気が創られている。割と好き。

•交響曲第24番 変ロ長調 K.182(173dA) (1773)◦2.3点


全3楽章10分の短い曲。この曲はメロディーに魅力がないため、あまり面白い曲ではい。短いため聴き通すのは容易だが、楽しめずに終わる。

•交響曲第25番 ト短調 K.183(173dB) (1773)◦5.0点


アマデウスの冒頭だが、この曲の燃えるような情熱は素晴らしい。40番より熱気があり心を動かされる。

•交響曲第26番 変ホ長調 K.184(166a) (1773)◦3.5点


全3楽章で続けて演奏される。これは深みがあり初期の中でも特に注目するべき曲の一つ。1楽章はイタリア風で快活で面白いが、素敵なのは2楽章と3楽章。短調でドラマチックで陰影に富んだ2楽章は晩年の作品以上にロマンチックである。3楽章はその余韻を反映した晴れやかな感情に満ちた曲で感動的。

•交響曲第27番 ト長調 K.199(161b) (1773)◦2.8点


快活で颯爽とした魅力がある。2楽章の滋味あふれる雰囲気はモーツァルトにしては珍しい。

•交響曲第28番 ハ長調 K.200(189k) (1774)◦3.0点


初期の一連の交響曲の中で最後に書かれた曲。ティンパニを使用しハ長調の堂々とした曲想が特徴。特殊なことをしている場面は少ないが、憂いがなく華やかで爽やかで輝かしいモーツァルトを楽しめる点で価値がある。

•交響曲第29番 イ長調 K.201(186a) (1774)◦4.0点


初期の交響曲の中では25番についで有名。明るい瑞々しい感性に支えられた勢いと楽しさ、爽やかさと優美さが、愉しいメロディーとともに奏でられており、それらが巨匠的な完成度で練り上げられて作品化されている。初期らしい汚れのなさと、聞きやすさで、後期の交響曲の中の大半の曲よりも魅力がある。

•交響曲第30番 ニ長調 K.202(186b) (1774)◦2.5点


初期の最後の交響曲で、それなりの規模と充実感はあるが、ありきたりな素材ばかりである。成熟して立派さが現れてきており、明るくて華やかであるが、深みや新鮮さには欠けると思う。


31番以降(20歳以降の作品)
•交響曲第31番 ニ長調 K.297(300a)『パリ』 (1778)◦2.5点


この曲は異例なほど推敲を重ねたそうだが、残念ながらその結果が自分にはあまり素晴らしいと感じられない。名曲とまではいかないと思う。

•交響曲第32番 ト長調 K.318 (1779)◦3.0点


1楽章のような長さの連続した曲の中に3つの楽章があるという特殊構成。印象的な冒頭を始めとして内容が豊富で、30番台前半では一番よい曲だと思う。

•交響曲第33番 変ロ長調 K.319 (1779)◦2.5点


1楽章は主題に多少の目新しさはあるものの、基本的に普通。2楽章は優美だが、天才性はあまりない。3楽章のメヌエットはごく普通。4楽章はオペラの伴奏みたいで面白くない。

•交響曲第34番 ハ長調 K.338 (1780)◦2.8点


メヌエットなし。1楽章はごく普通の序曲風の曲。2楽章は半音階を使ったメロディーがやや目新しいものの、全体の印象は普通だし冗長。3楽章は伸びやかで三連符の連続的な使用は目新しく、エネルギッシュで一番聴き所がある。

•交響曲第35番 ニ長調 K.385『ハフナー』 (1782 セレナーデからの改変曲。)◦3.3点


1楽章はオペラの序曲のように快活。2楽章は優美で呑気で美しく、この曲で一番印象的。3楽章は優美で華やかさのあるメヌエット。4楽章は祝典的。全体に元々がセレナーデとして書かれて改作されただけあり、天才的というほどではないが優美な華やかさを楽しめる。

•交響曲第36番 ハ長調 K.425『リンツ』 (1783)◦3.5点


どの楽章もオペラの音楽のようだ。登場人物が何かの行動をして物語を進行させているような生き生きとした感じがある。1楽章はオペラの序曲にそのまま使えそうである。たった四日で書かれたのは凄いが、知っていて聴くとやはりどこか仕事の荒さを感じてしまう。

•交響曲第38番 ニ長調 K.504『プラハ』 (1786)◦4.0点


39番より華やかでありながら叙情的であり各楽章に光る部分がある。特に1楽章は秀逸でメロディーが印象的。最後の3大交響曲はどの曲も特殊さがあるので、この曲は堂々とした正統派の音楽としては最大の交響曲かもしれない。

•交響曲第39番 変ホ長調 K.543 (1788)◦3.5点


最後の三大交響曲の1作だが、他2作と比べてしまうと地味であり、音楽の複雑度が低くて単純に聞こえるため物足りなく感じる。1楽章の純白の世界は素晴らしいのだが、2楽章と3楽章がもの足らず、4楽章もノリノリで楽しいがメロディーの魅力が足りない。個人的には、40番および41番と同時に書かれたとはいえ、3大交響曲として一括りにするべきでない大きな差があると思う。

•交響曲第40番 ト短調 K.550 (1788)◦6.0点


1楽章の有名メロディーはやはり非常に印象的であり、第二主題の魅力も全体構成も完璧な出来である。秋の憂愁と人間愛を感じさせる2楽章がまた大変に感動的で、どんなロマン派の曲も凌駕するほどに人間的でロマン的で胸がいっぱいになる。3楽章は3小節区切りなのが面白い。4楽章の性急さはモーツァルトがよく見せるものでやや小ぶりな印象があり、神がかり的とまではいかないが、この名作の締めくくりには十分な出来である。

•交響曲第41番 ハ長調 K.551『ジュピター』 (1788)◦6.0点


壮麗で神々しくて全世界に君臨する神のような偉大さを感じさせる音楽であり、まさに「ジュピター」の名がピッタリである。特に1楽章はそうなのだが、2楽章や3楽章でさえも、神々しさを発揮しているのが凄い。1楽章は堂々とした開始部分から、人間には及びもつかない神々の領域を感じさせる天上的で壮大で、かつ完璧なバランスで造形されている驚異的な音楽である。最後のフーガ楽章の畳み掛けるような高揚感と圧倒的な充実感の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。


セレナーデ

•セレナーデ第1番 ニ長調 K.100(62a) (1769 カッサシオン ニ長調 K.62と同一。)◦2.8点


13歳の作品。素朴な音楽の作りは幼さとともに古典派の初期の作曲家達の作品を想起するが、既に十分にセンスが良くて楽しい気分になれるのはさすがである。27分もの大作だが寛いで楽しく聴ける。

•セレナーデ第3番 ニ長調 K.185(167a) (1773)◦2.8点


45分。1曲目が面白くない。全体に古典派の標準を越えていない単純な書法。しかしだんだん耳が慣れてくるのか、聴き進むにつれてヘンデル的な華やかさや、活力のある音楽が楽しく聴けるようになってきて、聞き終わるとそれなりに満足できる。

•セレナーデ第4番 ニ長調 K.203(189b) (1774)◦2.8点


この時期のセレナーデにしては、優美で現代の楽器に合っている雰囲気である。快活さが足りないかわりにしっとりしていて、後年において増える雰囲気が出ており、聞きやすい。

•セレナーデ第5番 ニ長調 K.204(213a) (1775)◦2.8点


K.203からさらに進歩している。書法がこなれてきており、モーツァルト独特の気の利いた場面転換の巧みさが目立つようになっている。物語のような性格があり、オペラを聴くように楽しめるのも特徴。コミカルでドタバタ劇のような雰囲気もある。

•セレナーデ第6番 ニ長調 K.239 『セレナータ・ノットゥルナ』 (1776)◦3.0点


祝典的な華やかな雰囲気を管楽器を使わずに見事に出していて、なかなか楽しめる。メロディーも耳に残るもの。ティンパニを使っている場面もそれに頼っていない。最後のティンパニ独奏にはびっくりする。

•セレナーデ第2番 ヘ長調 K.101(250a) (1776)◦2.3点


弦楽合奏の短いセレナーデ。メロディーが地味で幼く聞こえる。あまり良い曲ではないと思う。

•セレナーデ第7番 ニ長調 K.250(248b) 『ハフナー』 (1776)◦2.8点


オーケストラ曲。全8楽章1時間。和声は単純であり、複雑さはあまり楽しめない。だが、結婚式の前夜祭のための曲というだけあって、貴族的なキラキラした華やかさと祝典的気分に溢れており、その点では楽しめる。また中間の2楽章から4楽章までがヴァイオリン協奏曲のようであり、この独奏は単なる単純明快さだけでない複雑さや音の動きを楽しめる。

•セレナーデ第8番 ニ長調 K.286(269a) 『ノットゥルノ』 (1776/77)◦2.8点


コンパクトで聞きやすい。変化はあまり多くなくシンプルすぎるため、現代的な意味ではあまり高く評価しにくいところがある。ただ、柔らかく美しい音楽を基調としつつ控えめに適切な快活さなどを取り入れていて、音のつくりはよい。娯楽音楽としてそれなりのレベルにあると思う。

•セレナーデ第9番 ニ長調 K.320 『ポストホルン』 (1779)◦3.5点


1楽章はオペラの序曲のような堂々とした曲。2楽章は後期の交響曲のメヌエットのような堂々とした曲。3楽章と4楽章は繊細な雰囲気。4楽章の管楽器の活躍は楽しい。5楽章は短調で気分転換。6楽章のポストホルンはラッパの音色が楽しい。7楽章はノリノリ。

•セレナーデ第10番 変ロ長調 K.361(370a) 『グラン・パルティータ』 (1781/83-84?)◦3.3点


成熟したモーツァルトらしいハルモニームジークの曲であり、初期とは一線を画している。様々な気分を内包しつつ、しなやかさを持った明るい楽しめる音楽を作っているのはさすがだ。しかし、フットワークの軽さ、場面転換の鮮やかさなどの特質が活かせないので、管楽合奏はやはりあまりモーツァルトには向いていないと思う。

•セレナーデ第11番 変ホ長調 K.375 (1781, 改訂1782)◦2.8点


管楽器の合奏としての楽しみよりも、モーツァルトらしい曲としての楽しみの方がようやく上回った曲だと思う。かなり成熟しており、制約に縛られずに伸び伸びとしたモーツァルトらしい旋律や雰囲気を作れている。ただ、それでも十分にいい曲であるという印象には至っていない。


•セレナーデ第12番 ハ短調 K.388 (384a) 『ナハトムジーク』 (1782/83)◦3.5点


管楽器の合奏によるハルモニームジーク。弦が無いのに慣れると、音色を楽しめる。

•セレナーデ第13番 ト長調 K.525 『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』 (1787)◦5.5点


有名曲。簡潔でありながら豊かな内容を持ち、優美で非の打ち所がない完璧な均整が取れている。4楽章がすべてよい出来でありバランスが良い。

ディヴェルティメント

•ディヴェルティメント 第1番 変ホ長調 K.113 (1771)◦2.5点


音に充実感が出てきたが時代の第1作なのだが、音楽がありきたりで、新鮮な素晴らしさに欠けてあまり面白くないと思う。

•ディヴェルティメント K.136(125a) ニ長調 (1772):弦楽四重奏◦3.5点


冒頭のメロディーがキャッチーで耳に残る。明るく快活でのびやかな雰囲気が楽しい曲であり、優美さとも両立している。

•ディヴェルティメント K.137(125b) 変ロ長調 (1772):弦楽四重奏◦3.0点


K.136が直球勝負の曲なのに対して、この曲は冒頭いきなり悲劇的に始まりその後もしばらく穏やかであるなど、変化球の曲である。とはいえ途中の本編からは伸びやかな曲になり、その部分はK.136と同様に素敵である。

•ディヴェルティメント K.138(125c) ヘ長調 (1772):弦楽四重奏◦3.0点


K.136やK.137と同様の弦楽四重奏によるディベルティメント。優美で中庸なテンポで違いを作っている。メロディーの魅力があと一息であり惜しい印象。所々美しい場面がある。

•ディヴェルティメント 第2番 ニ長調 K.131 (1772)◦3.0点


30分の大作。既に活き活きとした楽しい音使いで聞き手を楽しませる技を完全にマスターしており、ディベルティメント作曲家としては完成している。若い時代のシンプルな清々しさと音楽のバラエティーを楽しめる。

•ディヴェルティメント 第4番 変ロ長調 K.186(159b) (1773)◦2.5点


K166と同じくハルモニームジークで印象もほぼ同様。楽しいがごく普通の曲。

•ディヴェルティメント 第3番 変ホ長調 K.166(159d) (1773)◦2.5点


管楽合奏のハルモニームジーク。初期らしい爽やかさだが、モーツァルトの独自性をあまり感じないごく普通の曲。

•ディヴェルティメント 第7番 ニ長調 K.205(167A) (1773)◦2.5点


素朴すぎて、モーツァルトの天才性が発揮できていない。ごく普通の曲が並んでいる。

•ディヴェルティメント 第8番 ヘ長調 K.213 (1775)◦2.8点


モーツァルトらしさ、音楽の充実感において、1773年作のディベルティメントとは雲泥の差である。しかし、まだハルモニームジークの制約により十分な力を発揮出来ていないように聞こえる。

•ディヴェルティメント 第9番 変ロ長調 K.240 (1776)◦3.0点


この曲ではハルモニームジークの穏やかさとモーツァルトのセンスが融合して、ようやく独自性がある作品として完成レベルに達したという印象。

•ディヴェルティメント 第12番 変ホ長調 K.252(240a) (1776)◦2.8点


この時期の他の曲と似たようなハルモニームジーク。あと少し何か輝くものが欲しい所。

•ディヴェルティメント 第6番 ハ長調 K.188(240b) (1776)◦2.5点


2本のフルートと5本のトランペットとティンパニ。広々とした元気な印象を与える編成を楽しめる。曲は普通。

•ディヴェルティメント 第10番 ヘ長調 K.247 (1776)

•ディヴェルティメント 第11番 ニ長調 K.251 (1776)◦2.5点


本当にモーツァルト作のディベルティメントなのか耳を疑ってしまった。バロック的な清澄な響きであり、和声があまり機能していない。モーツァルトらしいフレーズがあまり登場しない。このようなバロック的な音楽の世界はそれはそれで別ジャンルとして好きではあるのだが、やはりモーツァルトらしさに驚くほど欠ける曲である。

•ディヴェルティメント 第13番 ヘ長調 K.253 (1776)◦3.0点


ハルモニームジーク。1楽章の変奏曲が目新しくて面白い。他の楽章も軽快でなかなか楽しい。

•ディヴェルティメント 第14番 変ロ長調 K.270 (1777)◦2.8点


ハルモニームジークだが、モーツァルトの管弦楽曲のような優美なメロディーが取り入れられている。ありきたりではないが、必ずしも管楽合奏の良さを活かせているとはいえないと思う。

•ディヴェルティメント 第15番 変ロ長調 K.287(271H) (1777)◦2.5点


かなり長い曲。全体に平凡でモーツァルトらしい冴えや天才性が感じられなくて、あまり楽しめない。

•ディヴェルティメント 第16番 変ホ長調 K.289(271g) (1777) …偽作説が有力。◦2.0点


リズムが平板であり、メロディーも面白くなくて、ひどくのっぺりした印象。メロディーの癖にモーツァルトらしさがなく、確実に偽作だと思う。

•ディヴェルティメント 第17番 ニ長調 K.334(320b) (1779)◦3.3点


弦楽合奏の曲。有名だが長いし演奏を選ぶと思う。曲中では有名なメヌエットがやはり断然輝いてる。他も優雅で充実した娯楽音楽だが、感動を感じるほど素晴らしいとは思わない。

•ディヴェルティメント K.563 変ホ長調 (1788):弦楽三重奏◦4.0点


何度聴いても飽きない充実の名作。他のディベルティメントよりもはるかに充実したこの曲がたった3つの弦楽器で演奏されるというのが驚異的。

その他

•フリーメイソンのための葬送音楽 ハ短調 K.477(479a)◦4点

迫力ある短調の音楽。

•『音楽の冗談』 (2Hr,2Vn,Va,Vc)K.522 (1787)◦3.5点

人を馬鹿にしたようなネタが面白すぎ。ホルンが入っていて活発な曲調なので音も楽しめる。面白すぎて初めて聴いた時は声を出して笑ってしまった。特に最後の終わり方。聞いていると映画アマデウスに出てくる人をはしゃいでサリエリを小ばかにするモーツァルトの姿が思い浮かぶ。


協奏曲

協奏交響曲

•オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットと管弦楽のための協奏交響曲 (1778 偽作?)

聴いた印象では、モーツァルトの手癖と少し違う感じのフレーズが多いと思った。したがって偽作だろうと思う。

•ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調 K.364 (320d) (1779)◦2.8点


交響的な音の豊かさを持った曲なのだが、それがモーツァルトらしい独走楽器の伸びやかで自由な活発さという協奏曲のよさをスポイルしてしまっていると思う。特に目立つような良い点はないし、実際のところ決して悪い曲ではないにしても、聴いて楽しいモーツァルトの協奏曲の魅力に欠けているため、あまりお勧めできない。


ピアノ協奏曲

交響曲とは違い20歳以降に沢山の曲を書いている。20番で急に覚醒して、芸術性の高い作品群となる。それまではやはり、美しいものの演奏会用のエンターテイメント曲の粋を出ないと感じる。

•ピアノ協奏曲第5番 ニ長調 K.175 (1773)◦3.0点


4番までは編曲なのでオリジナル作品のピアノ協奏曲の第一作。爽快であるとともに、トランペットとティンパニの祝典的な雰囲気が楽しい気分にさせる。2楽章の瑞々しさも魅力。バランスが良くて、ピアノがよく歌っており、既に完成度がかなり高い。協奏曲の作曲家としての才能の高さに痺れる。

•ピアノ協奏曲第6番 変ロ長調 K.238 (1776)◦3.0点


1楽章は5番と同じ位に魅力的でより技巧的に華やかにした感じ。2楽章は5番より陰影が豊かになった。3楽章はメロディーがシンプルすぎていまいち。

•ピアノ協奏曲第7番 ヘ長調 K.242『ロドロン』(3台のピアノのための)(1776)

•ピアノ協奏曲第8番 ハ長調 K.246『リュツォウ』 (1776)◦2.8点


1楽章は定形化の兆しを感じて、あまり面白くない。2楽章は美しいのだが、瑞々しく初々しいようなものが少なくなった。3楽章は悪くないがメロディーの魅力が今一歩。

•ピアノ協奏曲第9番 変ホ長調 K.271『ジュノーム』 (1777)◦3.3点


冒頭にいきなりピアノが登場するのは先駆的で最初は驚くが、慣れてくると後世の作品と比較すればごく控えめな使われ方であると感じる。清新で瑞々しさがあると共に、充実感が20番以降に匹敵するほどであり、名作の一つである。

•ピアノ協奏曲第10番 変ホ長調 K.365(2台のピアノのための) (1779)

•ピアノ協奏曲第11番 ヘ長調 K.413 (1782-83)◦2.0点


特にこれといった魅力がない。

•ピアノ協奏曲第12番 イ長調 K.414 (1782)◦3.0点


アダージョ楽章が優美でなかなかよい。他楽章もよく、10番台前半の中では音楽に魅力があり聞きほれる。

•ピアノ協奏曲第13番 ハ長調 K.415 (1782-83)◦2.5点


祝典的雰囲気が少しあり楽しい気分を感じる。

•ピアノ協奏曲第14番 変ホ長調 K.449 (1784)◦2.5点


ピアノ独奏が華やかさを増して、20番台に近づいた感がある。

•ピアノ協奏曲第15番 変ロ長調 K.450 (1784)◦2.5点


アダージョの美しさとロンドのノリノリで華やかな感じはなかなか良い。

•ピアノ協奏曲第16番 ニ長調 K.451 (1784)◦3.0点


20番台に匹敵する充実感を感じられるようになった。

•ピアノ協奏曲第17番 ト長調 K.453 (1784)◦3.0点


優美さを持っており長い作品の中で微妙なニュアンスの移ろいを楽しめる。

•ピアノ協奏曲第18番 変ロ長調 K.456 (1784)◦2.5点


充実感はあるものの、耳をひいたり胸を捉えるような素晴らしい瞬間はあまりない。

•ピアノ協奏曲第19番 ヘ長調 K.459 『第二戴冠式』(1784)◦3.0点


祝典的な華麗さがあって聴いていて楽しい。


20番以降
•ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466 (1785)◦5.5点


内に秘めた情熱と悲しみの第1主題と、そこからの展開として絶妙な心の中で泣いているような第2主題のどちらも良い1楽章。感動を内包する素晴らしく魅力的な静寂の主題と、強烈な対比をみせる激情的な中間のどちらも素晴らしい2楽章。疾走感があるロンドが、カデンツァのあとに最後にパッと雲が消えたように晴れやかに終わる感動的な3楽章。すべてが完璧な大傑作である。

•ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K.467 (1785)◦4.5点


いいメロディーが沢山あって聴きやすい。

•ピアノ協奏曲第22番 変ホ長調 K.482 (1785)◦3.5点


スケールの大きな威勢のいい曲。

•ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488 (1786)◦5.0点


こじんまりとしているが、非常に愛らしくて可愛らしさに心を奪われる1楽章。歌曲のように憂いのある優れたメロディーを存分に歌わせる2楽章。めまぐるしく新しい主題が出てきて息をつかせない3楽章。どれも素晴らしい。逸品である。

•ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491 (1786)◦4.0点


ソナタもそうだが短調の二曲目の方はハ短調で少し理屈っぽい。でも慣れると感動的。

•ピアノ協奏曲第25番 ハ長調 K.503 (1786)◦3.5点


20番台の中では地味でずば抜けた所が無い。それでも10番台よりはいい曲。

•ピアノ協奏曲第26番 ニ長調 K.537『戴冠式』 (1788)◦4.0点


華やかな中に独特の美しさが散りばめられている。

•ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調 K.595 (1791)◦4.5点


最後の年の曲であり、透明な純白の曲調。1楽章の気力が衰えた感じの第1主題からして聴いていて悲しくなる。3楽章の三拍子の主題メロディーは、顔で笑って心で泣いている雰囲気の代表的なものであり、感動する。

ヴァイオリン協奏曲

残念ながら19歳で打ち止めなので、ピアノ協奏曲と比較すると見劣りする。

•ヴァイオリン協奏曲第1番 変ロ長調 K.207 (1775)◦2.5点

書法の未熟さが気になる。あまりに単純なフレーズが多く作曲の初心者のようだ。ただしモーツァルトらしい魅力ほそれなりにある。


•ヴァイオリン協奏曲第2番 ニ長調 K.211 (1775)◦2.5点

快活さや優美さに一定の魅力はあるが、オーケストラの四分音符伴奏など内容面で未熟さが気になる。


•ヴァイオリン協奏曲第3番 ト長調 K.216 (1775)◦3.0点

優美でありながら生き生きとした雰囲気は悪くないし、書法に進歩が見られるものの、旋律があまり印象的ではない。


•ヴァイオリン協奏曲第4番 ニ長調 K.218 (1775)◦3.3点

明るく優美であり、楽想の繋ぎが流れるようになっている。旋律も少し良くなっている。3番よりも進歩が見られる。


•ヴァイオリン協奏曲第5番 イ長調『トルコ風』K.219 (1775)◦3.8点

キャッチーなメロディーが多くて聴きやすく楽しめる。どの楽章も耳を楽しませる分かりやすいフレーズのオンパレードである点ではモーツァルトでもかなり上位であり、深みに欠けるものの、かなり楽しめる。明るく快活で、雰囲気が良い。

•2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネ K.190(186E)◦3.0点

コンチェルーネという名称であるが、長い曲である。オーボエの独奏もときどき入っていて目立つ。それほど協奏曲らしい活発さがない、まろやかで柔らかくて大人しい曲。まったりした雰囲気の中で多くの独奏パートがはっとするような刺激をくれるため、娯楽曲としては案外楽しめる。

•ヴァイオリンと管弦楽の為のアダージョ ホ長調 K.261◦3.3点

単発の曲としては、このアダージョは陰影をもったしみじみとした美しさを堪能できるためK.269よりも楽しめる。ヴァイオリンを存分に歌わせていて、聴き応えがある。

•ロンド 変ロ長調 K.269(261a)◦2.8点


ヴァイオリン協奏曲の最終楽章としてなら悪くない曲。この時期らしい出来になっている。しかしながら、単発の楽章だけで聴くと深みが足りない。わざわざ聴くべき内容ではない。

•ロンド ハ長調 K.373(フルート協奏曲版(K.Anh.184)あり)◦3.3点


優雅なロンドのテーマは耳に残るもの。一連のヴァイオリン協奏曲よりも後に書かれたことによる成熟と、優雅な楽しい雰囲気を楽しめる小品。


管楽器のための協奏曲

管楽器の明るく伸びやかで歌心溢れた協奏曲群はモーツァルトの特質が生かされており素晴らしい。

•バスーン協奏曲 変ロ長調 K.191(186e) (1774)◦3.3点


18歳の作品なので深みはないが、一流の音楽的センスは完成の域に達している。彼のセンスが管楽器の協奏曲においてプラスに働いていており、センスが良く音楽的に楽しめる作品である。

•フルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K.299 (297c) (1778)◦4点


2楽章の高雅な美しさは知名度どおりの素晴らしさ。これほどまでに雅な音楽は思い当たらないくらい。キラキラした西洋の貴族というよりも平安時代以来の伝統の日本の京都の貴族をイメージするのは自分だけだろうか。しかしながら、1、3楽章はあまり冴えない曲で印象に残らない。

•フルート協奏曲第1番 ト長調 K.313(285c) (1778)◦3.0点


フルート協奏曲の2番と比較すると旋律の魅力に欠けており冴えがない。フルートの魅力を生かした良い作品ではあるだが、古典派の中の並みのレベルだと思う。

•フルート協奏曲第2番 ニ長調 K.314 (1778)◦3.5点


1楽章は伸びやかで明るくて清々しい。軽やかな気持ちなれる曲である。2楽章は優美でフルートの軽やかさと清らかさが活かされてる。3楽章の明るくて快活なところも魅力。全体的に深さはないもののフルート協奏曲として非常に魅力的な曲。

•オーボエ協奏曲 ハ長調 K.314(285d) (1778)

フルート協奏曲2番と同曲(先にオーボエ協奏曲が書かれたものをフルート協奏曲に編曲)

•ホルン協奏曲第1番 ニ長調 K.412+K.514(386b) ◦3.5点


1楽章は柔らかく美しいメロディーが優れている充実した傑作。メロディーセンスが光る。2楽章は1楽章ほどの名曲感はなく普通。この曲はモーツァルトが無くなった年に書かれたのが定説との事だ。その割には晩年の透明感はないが、充実の傑作である。

•ホルン協奏曲第2番 変ホ長調 K.417 (1783)◦2.5点


ホルンの柔らかさを楽しめるが、わりと当たり前のフレーズばかりで、内容に隙間が多く、印象に残らない。

•ホルン協奏曲第3番 変ホ長調 K.447 (1783)◦3.3点


1、2楽章はモーツァルトらしい繊細な流麗さがよく発揮されている。3楽章の快活さもホルン協奏曲なので控えめであるものの楽しい。

•ホルン協奏曲第4番 変ホ長調 K.495 (1786)◦3.3点


3番と似た感じだが、どことなくより繊細さが増している気がする。この曲に限らずホルン協奏曲全曲に言えるが、フルートなどの他の管楽器の協奏曲とは一味違うホルンらしい温かみを上手く活用した楽しい古典派協奏曲である。

•クラリネット協奏曲 イ長調 K.622 (1791)◦5.5点


モーツァルトの協奏曲の最高傑作だと思うし、全作品の中でも屈指の出来栄えだと思う。モーツァルトの協奏曲のフレームワークは他の曲と同様だが、この曲はその中で天才的なバランスを保持しながら、愛おしさ、人恋しさや諦観や未来への希望を歌心いっぱいに表現している。充実感と感動にあふれていて、強く胸を打つ作品になっている。

•フルートと管弦楽のためのアンダンテ ハ長調 K.315(1778)◦3.3点


歌心があり朗らかで牧歌的な主部と、陰影のある中間部。変化もあり中身は濃い。協奏曲の緩叙楽章としては、なかなかの出来だと思う。


室内楽曲

弦楽五重奏曲

30歳を超えて、四重奏よりも力を入れたジャンル。ヴィオラ1本でだいぶ印象が違う。充実作が並ぶ。


•弦楽五重奏曲第1番 変ロ長調 K.174 (1773)◦2.5点

爽やかで若々しいが、それ以上の魅力はない。とはいえ五重奏の音の充実感は楽しめる。


•弦楽五重奏曲第2番 ハ短調 K.406(516b) (1787年 管楽セレナードK.388 (384b) の編曲)◦3.5点

管楽セレナードの編曲。短調曲だが、悲痛な感じはあまりなく、美しく短調のメロディーを鳴らすのを楽しめる。どの楽章も内容が充実している。

•弦楽五重奏曲第3番 ハ長調 K.515 (1787)◦3.5点

1楽章は広々とした旋律で始まるのが印象的。全編が清々しく美しくしなやかで豊かな雰囲気を持っている。二楽章はよくある雰囲気だが美しさに満ちてる。三楽章はいまいち。最終楽章もよくあるロンドだが、美しくて大規模。


•弦楽五重奏曲第4番 ト短調 K.516 (1787)◦4.0点

憂いと悲しみを含んだメロディーが各所で現れる。イントロからして半音階的で悲しい。主要な短調の器楽曲の中で、ここまで憂いの色が濃い曲は無い気がする。アダージョは短調曲でのいつもの魅力を見せているが、その中でも傑作かもしれない。最終楽章がいつもと違いゆっくり始まるのが悲しいが本編は吹っ切れたかのような明るいロンド。


•弦楽五重奏曲第5番 ニ長調 K.593 (1790)◦4.0点

どの楽章も晩年の透明感を持つ美しさを楽しめる曲として貴重。人恋しさ、現世への儚くも淡い思い出を感じる。かなり名曲。

•弦楽五重奏曲第6番 変ホ長調 K.614 (1791)◦3.0点

最晩年の曲だが、5番ほど最後の透明な美しさを感じない。割と内容も出来も普通の曲だと思う。


弦楽四重奏曲

モーツァルトのカルテットは聴きやすいものの、ハイドンと比較すると自由闊達さも構築性も足りず、伸びやかさも足りない。どのジャンルでも高レベルな作品を作る彼においては、相対的にみてあまり向いているジャンルではないかもしれない。

•弦楽四重奏曲第1番 ト長調「ロディ」 K.80(73f) (1770)◦1.5点


まだ完全に未成熟な作品であり、スカスカで内容が無く面白くない。試しに聴いてみる以上の鑑賞価値はない。

•弦楽四重奏曲第2番 ニ長調 K.155(134a) (1772)◦3.0点


1楽章はメロディーに活き活きとしてかなり魅力的。2楽章は優美でそれなりに魅力がある。3楽章は可もなく不可もない。あっという間に終わる。弦楽四重奏曲の書き方に未熟な感はあるが、1番とは雲泥の差の作品である。

•弦楽四重奏曲第3番 ト長調 K.156(134b) (1772、第2楽章改訂1773年)◦3.0点


1楽章は愉しい雰囲気、2楽章は短調でともに雰囲気は良いが旋律の魅力としてはあと一息。3楽章は悪くない。4楽章で再びの短調の嘆きの歌で驚く。こちらはなかなか良い。序奏かと思いきや最後まで続く。

•弦楽四重奏曲第4番 ハ長調 K.157 (1772-1773)◦2.5点


1楽章は旋律の癖にハイドンの影響を感じる。しかし旋律に幼さを感じていまいち。2楽章は短調。しかし単純すぎて魅力はいまいち。3楽章は舞曲のようで少し面白い。

•弦楽四重奏曲第5番 ヘ長調 K.158 (1772-1773年)◦2点


1楽章はスカスカで未熟。2楽章は短調。スカスカでこれまでより劣る。3楽章もスカスカ。未熟な作品。

•弦楽四重奏曲第6番 変ロ長調 K.159 (1773)◦3点


4番あたりと比較すると成長著しくなかなかいい曲だと思った。

•弦楽四重奏曲第7番 変ホ長調 K.160(159a) (1773)◦3点


さわやかなディベルティメント風でいいと思った。

•弦楽四重奏曲第8番ヘ長調 K.168 (1773)◦3.0点


弦楽合奏にも使えそうな雰囲気。いい曲。

•弦楽四重奏曲第9番イ長調 K.169 (1773)◦3.0点


爽やかさと柔らかさを持っている。

•弦楽四重奏曲第10番ハ長調 K.170 (1773)◦2.8点


1楽章はしなやかで滋味があるところ、リズム感もハイドンに似ている。2楽章の単純ななかの響きの複雑さはなかなか良い。3楽章のしなやかで伸びやかな緩徐楽章はモーツァルトでは目新しい気がする。4楽章は普通。

•弦楽四重奏曲第11番変ホ長調 K.171 (1773)◦2.5点


おとなしい楽想。同時期の他曲と比較して少し落ちる気がする。聴く順番は後がいいかも。

•弦楽四重奏曲第12番変ロ長調 K.172 (1773)◦2.5点


11番同様に同時期の他曲と比較して少し落ちる気がする。ものすごく微妙な違いなので自信は無いが。

•弦楽四重奏曲第13番ニ短調 K.173 (1773)◦3.0点


初の短調のカルテット。モーツァルトの短調曲らしさがあり、聴く価値あり。


ハイドンセット

長い時間をかけて書かれた作品集。モーツァルトにしては作曲に時間をかけすぎた弊害で息苦しさがある、という意見に自分も賛成である。

•弦楽四重奏曲第14番 ト長調『春』 K.387 (1782)◦3.5点


一楽章がキャッチー。まさに春が訪れたように、明るく暖かくなりぱっと晴れたような気分になる。二楽章も三楽章も明るくて解りやすい。対位法的な高揚感のある四楽章もよい。全体に力作。

•弦楽四重奏曲第15番 ニ短調 K.421(417b) (1783)◦3.0点


ハイドンセット唯一の短調。二、三楽章がもの足らないし、一、四楽章も他の多くの短調の傑作と比べれば凡庸。それなりにいい曲ではあるが。

•弦楽四重奏曲第16番 変ホ長調 K.428(421b) (1783)◦3.5点


人を愛おしく思うような感情が満ちている。柔らかくて優しい音楽。前半の二つの楽章が素晴らしい。

•弦楽四重奏曲第17番 変ロ長調『狩』 K.458 (1784)◦3.5点


一楽章は牧歌的で活動的な主題が印象的。確かに狩りのようだ。二楽章も明るくてリズムに乗って主題が演奏されて愉しい。三楽章は美しく、四楽章はノリがよくて聞いていてウキウキする。

•弦楽四重奏曲第18番 イ長調 K.464 (1785)◦3.0点


ハイドンセットの中では規模は大きいが楽想は一番地味。大人しめの曲であり、それを代償とする際立ったものもない。いい曲ではあるが。

•弦楽四重奏曲第19番 ハ長調『不協和音』 K.465 (1785)◦3点

なんじゃこりゃ???、と驚く斬新な不協和音の冒頭は面白いアイデアで、ソナタの主題が魅力的になるのに大きな効果を発揮してる。全体に明るく美しさを重視した曲調でまとめられている。

ハイドンセット以降

•弦楽四重奏曲第20番 ニ長調『ホフマイスター』 K.499 (1786年)◦3.3点

全体にモーツァルトにしてはあまり音は耳触りの良い方ではないし明快さが少ないが、内面的に寂寥感や人恋しさを湛えていて精神面は充実している。4楽章でさえもどこか暗い。

プロシア王四重奏曲

•弦楽四重奏曲第21番 ニ長調 K.575 (1789)◦3.3点

しなやかで人間愛にあふれた切ない雰囲気が全体を支配している。また弦楽合奏の方が向いていそうな印象もあり、特に2楽章において特に顕著である。平均してどの楽章も充実している。


•弦楽四重奏曲第22番 変ロ長調 K.589 (1790)◦3.5点

2楽章が感動的。ハイドン後期の弦楽四重奏に近い。晩年らしい胸のうちに秘めた様々な感情が抑えきれずに音楽に現れている感じであり、聴き応えがある。


•弦楽四重奏曲第23番 ヘ長調 K.590 (1790年)◦3.3点

2楽章が一番良い。雰囲気や内容はプロシア王セットの他の2曲と同様。


弦楽三重奏曲

•二つのヴァイオリンと低音楽器のためのアダージョとメヌエット K.266 (1777)◦2.5点


かなり音のバランスが悪い特殊構成の曲。中間の音がないため、いわゆるドンシャリのような音がする。2つの楽章があるが、どちらもあまり面白い曲ではない。この曲は、特殊な構成であるという価値しかないと思う。

•ディヴェルティメント 変ホ長調 K.563 (1788)

ディベルティメントの方に記載。


弦楽二重奏曲

•ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 第1番 ト長調 K.423 (1783)◦3.5点


決してキワモノ曲としていい加減に書かれた作品ではなく、随分と内容が充実している立派な作品である。アイデアが豊富につぎ込まれている。たった2声部にも関わらず驚異の充実感であり、アレンジだけでも楽しめる。この2曲において声部の不足に伴う違和感がほとんどないのだから、逆にいえばモーツァルトの音楽が本質的には2声部で書かれているということに他ならないのかもしれない。

•ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 第2番 変ロ長調 K.424 (1783)◦3.5点


1番と同様の感想である。かなりの充実感のある作品である。


ピアノが入った室内楽曲

•ピアノ、オーボエ、クラリネット、ホルン、バスーンのための五重奏曲 変ホ長調 K.452 (1784)◦2.5点


1楽章は冴えない。2楽章は優美でなかなか良いが感動する程のものではない。3楽章はいまいち。全体にいまいちだが、ハルモニームジークが好きな人や生演奏なら楽しめるだろう。

•ピアノ四重奏曲第1番 ト短調 K.478 (1785)◦4.0点


ピアノ入りの室内楽の中では本格派の曲。1楽章は典型的なモーツァルトのト短調。悲劇性を帯びている情熱的な曲。2楽章はなかなか美しい。ピアノ四重奏のバランスの良さがプラスに働いている気がする。そして何より3楽章が素晴らしい。ピアノ協奏曲のようなピアノと弦のかけあいや、次々とテンポ良くメロディーが移り変わっていく技法が上手い。

•ピアノ四重奏曲第2番 変ホ長調 K.493 (1786)◦3.0点


叙情的で大らかな雰囲気で魅力があり、1番と同様に本格的で響きが豊かで楽しめるが、特別感のある楽章が無く、モーツァルトとしては普通の曲。1、2楽章は割といいが3楽章が面白くない。

•ピアノ三重奏曲第1番 変ロ長調 K.254 (1776)◦2.8点


ハイドンのような、古典派の中でも前期から中期のような素朴な曲と感じる。モーツァルトにしては爽快で快活さを味わう楽しみがある曲であり、成熟してからのピアノ三重奏曲の出来がいまいちなので、それよりむしろ魅力があるかもしれない。名作といはいえないが。

•ピアノ三重奏曲第2番 ニ短調 K.442 (1783,90 未完成)

•ピアノ三重奏曲第3番 ト長調 K.496 (1786)◦2.0点


どの楽章も音がスカスカで聴いていて楽しくない。メロディーが面白くないし、楽器の絡みも面白くない。これはモーツァルトにしては駄作だと思う。

•ピアノ三重奏曲第4番 変ロ長調 K.502 (1786)◦3.3点


2楽章がモーツァルトらしい純粋で切ない、協奏曲のかんじょ楽章のような美しさ。室内楽なのでより穏やかで個人的な切なさが表現される。1楽章と3楽章は名作とはいえはないが前作よりは充実している。

•ピアノ三重奏曲第5番 ホ長調 K.542 (1788)◦2.5点


3楽章が楽想豊かで快活でなかなか良いものの、全体的にはモーツァルトとしては水準以下。

•ピアノ三重奏曲第6番 ハ長調 K.548 (1788)◦2.5点


ピアノ三重奏の中ではしっかりした書法で書かれている曲だと思う。とはいえ音の薄さとチェロが有効活用されていないのは相変わらずだし、良いメロディーは無い。

•ピアノ三重奏曲第7番 ト長調 K.564 (1788)◦3.0点


前半の2楽章はK.548と音楽的レベルはほとんど同じレベルの印象だが、3楽章が最後のピアノ協奏曲27番を連想する晩年らしい純粋さを持った魅力作。

•ピアノ、クラリネット、ヴィオラのための三重奏曲 変ホ長調 K.498『ケーゲルシュタット・トリオ』 (1786)◦3.5点


ボーリングの前身に興じながら書いたと言われる割には、随分と穏やかで上品な曲調である。クラリネットとヴィオラとピアノは特殊構成ながら非常にバランスが良く、この構成自体が見事な発明である。名メロディーは無いものの、楽しめるなかなかの佳品。


管楽器が入った室内楽曲

•フルート四重奏曲第1番 ニ長調 K.285 (1777)◦4.0点


フルートの輝かしい華やかさと優美さを存分に生かしており、快活な1楽章と3楽章が非常に魅力的。また2楽章の情緒的な悲しいメロディーもまた非常に魅力的。短いから聴きやすい。

•フルート四重奏曲第2番 ト長調 K.285a (1778)◦2.0点


1楽章も2楽章もつまらない。偽作の疑いがもたれているが、出来の悪さや響きの薄さを考えると、偽作の方がしっくりくる。

•フルート四重奏曲第3番 ハ長調 K.Anh.171(285b) (1778)◦3.0点


1楽章はフルートが出ずっぱりのソナタで、たいした曲ではない。2楽章は変奏曲でそれなりにバラエティーに富んでいるので楽しめる。

•フルート四重奏曲第4番 イ長調 K.298 (1788)◦3.0点


他の作曲家の歌曲のメロディーを拝借してフルート四重奏に仕立てたもので、オペラのような軽いノリの曲。

•オーボエ四重奏曲 ヘ長調 K.370 (1782)◦2.5点


管の響きを堪能出来る内容だが、曲としては特別な工夫を感じないごく普通の曲でモーツァルトにしてはもの足らない。

•オーボエ五重奏曲 ハ短調 K.406 (1782)

弦楽五重奏曲2番のオーボエ五重奏曲への編曲版

•ホルン五重奏曲 変ホ長調 K.407(386c) (1782)◦3.0点


ほのぼのとしてくつろいだ雰囲気のディベルティメント的な内容。ホルンの柔らかい音色を堪能できる。

•クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581 (1789)◦5.0点


晩年の澄み切った透明感と、クラリネットが弦楽の響きのなかに溶けるようにして歌うことにより醸し出される豊穣さと愛おしさが全編にあふれている、何とも素敵な曲。モーツァルトの室内楽の中では一番わかりやすいし内容も素晴らしい。

•2つのクラリネットと3つのバセットホルンのためのアダージョ 変ロ長調 K.411(484a) (1785)◦3.3点


モーツァルトのアダージョらしい、柔らかくて温かみのありつつも透明感と憧れのある美しい音楽。オーケストラ曲のような雰囲気を管楽器だけで出せている。小品だが内容が豊かで十分に楽しめる。

•グラスハーモニカ、フルート、オーボエ、ヴィオラ、チェロのためのアダージョとロンド K.617 (1791)◦3.5点


映画「アマデウス」の雰囲気を彷彿とさせる、不穏さと生の継続への憧れに満ちた独特の雰囲気がすばらしい曲。つい引き込まれてしまう。15分もある大曲。ただし、曲の構成が自由すぎるため、何度も繰り返し聴くような種類の音楽ではないと思う。

•バスーンとチェロのためのソナタ 変ロ長調 K.292(196c) (1775)◦2.8点


低音の2つの楽器という特殊構成のソナタ。しかしバスーンはそれなりに高音のメロディーを吹けるため、それほど低音だけという感じはしない。さすがに特殊すぎてモーツァルトの作曲能力を十分に発揮できているとはいい難いが、バスーンを堪能するという目的ではそれなりに楽しめる。

•2つのバセットホルンのための12の二重奏曲 ハ長調 K.487(496a) (1786)◦2.8点


モーツァルトには珍しいタイプの曲集である。ごく小さな曲が並んでいる。モーツァルトの原風景の一つとして案外発見がある。とはいえ、習作もしくは練習曲のような内容で、あまり鑑賞する対象となるような音楽とはいえない。12曲もありだんだん飽きてくる。


ピアノとヴァイオリンのためのソナタ

ベートーヴェン以降のヴァイオリンソナタの感覚で聴こうとすると失敗する。ピアノ主体で、ヴァイオリンはいろどりを添えるような役割となっている。

•ヴァイオリンソナタ第24番 ハ長調 K296 (1778)◦3.0点


優美で快活というのに尽きる。ごくありきたりの内容なのだが、美しい瞬間もそれなりにあり心地よくて気軽に楽しく聴ける。

•ヴァイオリンソナタ第25番 ト長調 K301(293a) (1778)◦2.5点


24番と似たような内容だが、快活さが減少して楽しさも減少してありきたりな感が増している。

•ヴァイオリンソナタ第26番 変ホ長調 K302(293b) (1778)◦2.5点


25番と同様の印象。

•ヴァイオリンソナタ第27番 ハ長調 K303(293c) (1778)◦2.5点


優美な曲。冒頭の助奏が良いが、その後はごく普通の曲。

•ヴァイオリンソナタ第28番 ホ短調 K304(300c) (1778)◦3.5点


短調曲であり、物悲しい雰囲気を楽しめる曲。しかし多くの短調曲のような激情や強烈な悲しみはなく、割と淡々とした切なさや物悲しさであること、長調メロディーとの落差もあまり大きくないのが特徴で、それに慣れると楽しめる。

•ヴァイオリンソナタ第29番 イ長調 K305(293d) (1778)◦3.0点


快活で元気がよいので楽しい。冒頭のユニゾンを始めとして、1楽章は管弦楽曲のようである。

•ヴァイオリンソナタ第30番 ニ長調 K306(300l) (1778)◦3.5点


生き生きとした魅力的な楽章ばかり。モーツァルトのピアノ入りの室内楽の中ではかなり良い出来だと思う。

•ヴァイオリンソナタ第31番 変ロ長調 K372 (1781)◦3.0点


優美で愛らしい佳曲。どの楽章もそれなりに良い。

•ヴァイオリンソナタ第32番 ヘ長調 K376(374d) (1781)◦3.0点


1楽章は音の跳躍や無窮の主題、3楽章は影のあるメヌエット、2楽章は短調の変奏曲と、どの楽章も癖がある。

•ヴァイオリンソナタ第33番 ヘ長調 K377(374e) (1781)◦3.8点


モーツァルトらしい美しさがコンパクトな編成により引き立つ作品。特別感を感じるほどではないものの、メロディーが良くて、ヴァイオリンソナタらしい愛らしく美しく、可愛らしい音楽を非常に楽しめる名作。

•ヴァイオリンソナタ第34番 変ロ長調 K378(317d) (1779)◦3.3点


長い前奏のあと突然に短調で主題が始まり驚く。悲劇的で情熱的な雰囲気だが、長調の時間も長いので、それ程短調らしさは強くない。2楽章は変奏曲で時々いいなと思う位。

•ヴァイオリンソナタ第35番 ト長調 K379(373a) (1781)◦3.0点


どのあまり主題の旋律に魅力が無く、名作という感じはしない。普通の曲。

•ヴァイオリンソナタ第36番 変ホ長調 K380(374f) (1781)

未完成の作品


•ヴァイオリンソナタ第37番 イ長調 K402(385e) (1782)

未完成の作品


•ヴァイオリンソナタ第38番 ハ長調 K403(385c) (1782)

未完成の作品


•ヴァイオリンソナタ第39番 ハ長調 K404(385d) (1782)◦3.3点

フレーズや管弦楽的、協奏曲的な音楽で演奏時間も長い。規模が大きいのを楽しめるが、オーソドックスな正統派すぎてヴァイオリンソナタらしいコンパクトさの中の才能の輝きは足りない。


•ヴァイオリンソナタ第40番 変ロ長調 K454 (1784)◦3.3点

前作が正統派なのに比べて、この作品は工夫してありきたりにならないようにしている。2楽章がなかなか美しい。3楽章の変奏曲も主題に魅力があるし、変奏も変化が十分なので楽しめる。


•ヴァイオリンソナタ第41番 変ホ長調 K481 (1785)

未完成の作品


•ヴァイオリンソナタ第42番 イ長調 K526 (1787)

未完成の作品


•ヴァイオリンソナタ第43番 ヘ長調 K547 (1788)◦3.0点

純度が高まりややシンプルで、その代わりに輝きや精気がやや失われた感じで、それまでの曲と雰囲気が違う。うまく演奏すればこの雰囲気は活かされるかもしれないが、普通の演奏だとやや面白くない。


器楽曲

特殊楽器作品

•自動オルガンのためのアダージョとアレグロ ヘ短調 K.594 (1790)◦3.5点


怖いほどの焦燥感に驚く。人生の終わりに何か悪魔のような心がモーツァルトを追い詰めていたのでは?と思わせる。鬼気迫るような曲。

•自動オルガンのためのアレグロとアンダンテ(幻想曲)ヘ短調 K.608 (1791)◦4.0点


オルガンという楽器の素晴らしさのために、ロマン派の音楽よりもロマンチックな内容となっており素晴らしい。迫力満点になったり表情豊かで、対位法の利用も効果が高い。かなり感動的な名曲。

•自動オルガンのためのアンダンテ ヘ長調 K.616 (1791)◦4.5点


人恋しさや人生に対する名残惜しさのような者が滲み出て、感動が止まらない名曲。冒頭のメロディーは聴いていて本当に泣けてくる。モーツァルトが可哀想という気分になる。オルガンでこのようなメロディーを鳴らした人は他にいただろうか?

•グラス・ハーモニカのためのアダージョ K.356(K6.K.617a) (1791)◦3.8点


人生の総決算を感じさせるような曲。グラス・ハーモニカの独特な淡くてセンチメンタルな音色が、人生の儚さを驚異的なまでに音楽で演出する。メロディーとして単純であるから、モーツァルトの曲のなかできわめて高レベルとまでは本来ならばいかないのだが、グラス・ハーモニカという特殊楽器のおかげでかなり魅力的な作品となっている。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/815.html#c2

[近代史3] モーツァルトで本当にいいのは 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」だけ 中川隆
3. 中川隆[-14005] koaQ7Jey 2020年2月06日 13:11:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-674]

モーツァルト(クラヴィーア曲、声楽)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88%28%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%A2%E6%9B%B2%E3%80%81%E5%A3%B0%E6%A5%BD%29


クラヴィーア曲

ピアノソナタ

モーツァルトのピアノソナタは愛らしく可愛らしい曲が多い。単旋律を歌わせることに長けているモーツァルトに向いている分野である。現代ピアノの機能の一部しか使わずスケール感やピアニスティックな楽しみには少々欠けるものの、良作揃いで楽しめる。素直でシンプルな初期や中期の良く、後期の作品は考えすぎの感がありイマイチである。

•ピアノソナタ第1番 ハ長調 K.279(189d)◦3.5点


どの楽章もオーソドックスな構成や内容で、モーツァルトのソナタの魅力を端的に味わうことが出来る。

•ピアノソナタ第2番 ヘ長調 K.280(189e)◦3.5点


1、3楽章は1番の方が良いが、2番は二楽章の短調のアダージョの魅力が素晴らしいのでトータルでは同じくらいよい。

•ピアノソナタ第3番 変ロ長調 K.281(189f)◦3.5点


各楽章いい。コロコロとした曲であり、最終楽章らしい感情に満ちた三楽章は特に魅力的。

•ピアノソナタ第4番 変ホ長調 K.282(189g)◦3.5点


いきなりアダージョで始まり、その魅力がかなりのもの。他の楽章は並。

•ピアノソナタ第5番 ト長調 K.283(189h)◦3.0点


イントロは耳を捉える魅力があるが、それ以降は詩的な魅力において1から4番までより少し下がると思う。

•ピアノソナタ第6番 ニ長調 K.284(205b)◦2.5点


最後の長い変奏曲は聞くのが大変。それ以外も発想の素晴らしさがあまりない。

•ピアノソナタ第7番 ハ長調 K.309(284b)◦3.5点


オーケストラのようにユニゾンで鳴らすイントロが耳に残る。各楽章が6番までより華やかでどの楽章も魅力がある。

•ピアノソナタ第8番 イ短調 K.310(300d)◦3.5点


初の短調ピアノソナタ。1楽章と3楽章の悲しみが疾走する感じが良い。

•ピアノソナタ第9番 ニ長調 K.311(284c)◦3.5点


1楽章がかなり魅力的。2,3楽章はいまいち。

•ピアノソナタ第10番 ハ長調 K.330(300h)◦3.5点


全部の楽章が魅力的。16番同様にハ長調をやさしく柔らかく詩的に非常に魅力的に鳴らしている。

•ピアノソナタ第11番 イ長調 K.331(300i) 『トルコ行進曲付き』◦3.5点


一楽章が主題や前半部分は魅力的だが、長い変奏曲なので後半は次の曲にいきたくなる。二楽章は並。三楽章の有名なトルコ行進曲は素晴らしいの一言。

•ピアノソナタ第12番 ヘ長調 K.332(300k)◦3.5点

一楽章は内容充実。二楽章は伴奏に乗って歌うような曲。三楽章は技巧的フレーズなど工夫あり。短調を活用したり作者の意気込みを感じる。

•ピアノソナタ第13番 変ロ長調 K.333(315c)◦3.5点


全編がしなやかな瑞々しい美しさにあふれた曲。三楽章にカデンツァがあるのは面白い。

•ピアノソナタ第14番 ハ短調 K.457◦3.5点

二曲目の短調曲。同じハ短調の協奏曲を思い出す。イントロはベートーヴェンのようだ。二楽章の穏やかさによる対比はモーツァルトの得意技の一つだがやはり素敵。三楽章の性急さを持った悲しみの表現も素敵。で少し理屈っぽい。慣れが必要な曲だが良さが理解できると感動的。

•ピアノソナタ第15番 ヘ長調 K.533/494(旧全集では第18番)◦3.0点


大作というより長すぎの曲だと思う。モーツァルトのピアノソナタは若いときの発想の瑞々しさがだんだん無くなってそれを技術でカバーされてクオリティーを維持している印象があるのだが、この曲でいよいよ発想の衰えが顕著になって隠しきれなくなった感じがする。

•ピアノソナタ第16番 ハ長調 K.545(旧全集では第15番)◦4.0点


初心者向けとして有名だし、一般的な観賞用にもトルコ行進曲を除いてもっとも有名な曲。シンプルでコンパクトな中に巧みな作曲技術を生かした絶妙なバランスがあり、他人には真似出来ない不思議なほど耳を捉えて離さない美しさ。

•ピアノソナタ第17番 変ロ長調 K.570(旧全集では第16番)◦1.5点

モーツァルトのピアノソナタの中でダントツの駄作。冗長で内容も薄い。

•ピアノソナタ第18番 ニ長調 K.576(旧全集では第17番)◦2.0点

一楽章や三楽章のテクニカルさが楽しむポイントと思うが、発想力の豊さも美しさも足りないと感じる。


4手および2台のピアノのためのソナタ


•四手のためのピアノソナタ ハ長調 K.19d◦2.0点

9歳の作品。まだお子様の作品で、独奏のソナタでも構わないような単純な部分が大半である。しかしモーツァルトの旋律の癖や優美さなどのセンスが現れ始めているのが興味深い。

-四手のためのピアノソナタ ト長調 K.357(497a)

•四手のためのピアノソナタ 変ロ長調 K.358(186c)◦2.8点


音感の良さでは悪くはないのだが、冴えている霊感を感じる瞬間がほとんどない地味な曲。4手ピアノの音の厚さもあまり生かせていない。

•四手のためのピアノソナタ ニ長調 K.381(123a)◦3.3点


序曲風の豪華さがある1楽章。モーツァルトらしい穏やかな優美さを発揮しいる2楽章。オペラのような活力のある3楽章。いずれも管弦楽的で編曲のようであり、華やかさで耳を楽しませてくれる愉しい曲。

•四手のためのピアノソナタ ヘ長調 K.497◦3.3点


モーツァルトにしては、かっちりとした印象。規模が大きくて、堂々としていて、あまり優美さや愛らしさは感じない。2手用ピアノソナタとも協奏曲などの別ジャンルとも違うし、2人が活発に絡むのとも違う、独特のこの曲だけの音世界の美しさを作っている。若い新鮮さやメロディーの魅力が足りない点は物足りない。

•四手のためのピアノソナタ ハ長調 K.521◦2.8点


若いときの愛らしい曲調を取り戻している。しかし、音が薄くて4手で演奏する価値が低く、2手でいいのでは?と思ってしまう。メロディーも発想の瑞々しさに乏しい。愛らしいだけで面白くない曲になってしまっている。

•2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448(375a)◦3.3点

冒頭が非常に印象的。オペラが開幕するような威勢のよい音楽。1楽章はそのまま元気に管弦楽的な豊かさを見せる。2楽章は優美で管弦楽的なまったりした豊かさがある。3楽章は少し印象が薄いが、悪くない。


その他のピアノ曲

•アレグロ ト短調 K.312◦2.5点


普通のアレグロ曲。特段感動しなかった。ひどい曲というほどではないが。

•メヌエット K.355

モーツァルトにしては異様な不協和音に近い響きや半音階的進行を使った部分に驚かされる。しかし、全体に美しさが感じられず、あまり価値が高い曲とは思えない。

•プレリュードとフーガ◦2.5点


モーツァルト本人のスタイルによる作品というより模倣による習作であるのは明らか。プレリュードといっても普通の曲ではなく、自由な疾風怒濤の激しい幻想曲である。CPEバッハとJSバッハの作品を真似したものとはっきり分かる。フーガは感心するほどの出来ではなかった。

•カプリッチョ K.395◦2.5点


モーツァルトとは思えないヴィルトゥオーゾ的な即興的パッセージで埋め尽くされた曲。違うCDと間違えたかと思うほど異色の作品で驚いた。たいした曲ではない。

•組曲 K.399◦3.0点


ヘンデルの組曲の影響を受けた曲。バロック音楽色がかなり強い、異色の曲。アルマンドが素敵だし、他の曲も頑張っている。

•アレグロ K.400◦3.0点


未完の曲。活発なソナタ形式のアレグロ。将来ソナタにする予定だったため、きっちりとした形式感があるし、かなり華やかな派手さがあるため楽しめる。

•フーガ ト短調 K.401◦2.8点


バロック風のフーガであり、未完成である。まだ若い時の作品であり、昔の作品を真似しながら書いたように感じた。

•行進曲 K.408◦3.5点


かなり楽しめる行進曲。規模が大きくて勇壮で、心踊るような元気な楽しさに満ちていて、かなり魅力的。行進曲を書いても一流であることに感服した。管弦楽曲の編曲。

•2台のピアノのためのフーガ ハ短調 K.426◦3.0点


成熟した内容である。大バッハのフーガにテーマも展開も非常に似ており、伝記に登場するようなモーツァルトのバッハ体験の強烈さを体感できる曲の一つ。

•小さな葬送行進曲 K.453a◦3.0点


ごく小さな曲であるが、内容はしっかりしており、小品として良い曲である。葬送曲らしさを楽しめる。

•主題と2つの変奏曲 K.460◦3.0点


愉しいテーマと細かく音を分断して派手にする変奏曲。自筆譜に2つの変奏しか無いそうだ。おかげで短くて聞きやすい小品になっている。

•アンダンテと5つの変奏曲 ト長調 K.501 (四手のための)

•幻想曲 ハ短調 K.475◦3.8点


ハ短調の曲らしく悲劇的で堅い印象。内向的な作品で形式にとらわれない自由なドラマ構築がされている。かなり暗い曲であり、モーツァルトの内に秘めていた熱いものをさらけ出している。堅さはあるものの、悲しみを乗り越えて現実を受け入れるかのようなメロディーは胸をうつ。ドラマティックな場面展開はかなり優れていて、ソナタには無い自由さと長大さを正しく使いこなして、曲を成功させている。

•幻想曲 ニ短調 K.397◦4.0点


短調の曲における悲劇と悪魔的な雰囲気を最も感じさせるクラヴィーア曲。むしろやり過ぎで、あからさま過ぎなのが気になる。とはいえ、素直に音楽の流れに乗れれば感動できるし、印象的な場面ばかりなのは確か。同じ二短調のピアノ協奏曲と共通点がある。

•ロンド ニ長調 K.485◦3.5点


愛らしい主題によるロンド。成熟した音楽であり、転調を繰り返しながら、場面展開を繰り返す。ピアノソナタの大半の楽章以上に複雑で充実した作品である。

•ロンド イ短調 K.511◦3.5点


晩年の諦観の香りがする曲。どこもなく人恋しく寂しい感じのする主題が胸をうつ。書法に他の作品とどこか違う簡素さがあり、モーツァルトのクラヴィーア曲の中で特殊な曲という印象を与える。

•小葬送行進曲 ハ短調 K.453a

•アダージョ ロ短調 K.540◦3.5点


悲しい人生経験を衝動的に表現したくなって書いた事が容易に想像出来る曲。モーツァルトらしい悪魔的な表現、内面的なドラマティックさの塊のような曲であり、切々とした寂しさや悲しみに強く胸を打たれる。これだけ端的にこのような表現をされた曲は珍しい。10分の大作だが、聞き入っているうちにあっという間に終わる。とはいえ、時間をかけて何か特別な用意をした感じの曲ではないので、点数は抑え目にした。

•小さなジーグ K.574◦2.5点

2分以下の小さな曲。ソナタでは聴かれない特殊な軽快で活発な音楽という点で、モーツァルトの新しい面を聴ける。スケルツォのようでもある。ただ、良い曲という印象はない。

•2台のピアノのためのラルゲットとアレグロ変ホ長調◦2.8点

2台ピアノの書法に成熟感があり楽しめるだが、メロディーにあまり魅力がないため、全体としてはいまいちな作品である。

声楽作品

ミサ曲

•戴冠ミサ ハ長調 K.317◦3.3点

華やかで豪華な印象の強い曲。しかし、あまり目立つ良さがない。モーツァルトの良さが十分に生きていないというか、ミサ曲に馴染んでいないと感じる場面が多いのと、メロディーにこれはという感動がない。職人的に書かれた機械音楽の趣が強いと感じる。とはいえ舞台音楽の名手らしい躍動感で音の輝きをみせるし、華やかな聴き栄えの良さはなかなかである。

•大ミサ曲 ハ短調 K.427(K6.417a)◦4.5点

このような曲を自主的に書き始めるのは、どのような切羽詰まった心境だったのだろうか?冒頭こそ半音階的でバッハのような堅さが目立つが、すぐに音楽は悲しみにくれた心情を露わに表現する音楽が始まる。ロマン派の誰よりも直接的な感情表現の得意なモーツァルトの独壇場となって、次々とシンプルでありながら見事に心を打つメロディーをみせる。その迫力においてやはり非常に価値のある曲と言えるだろう。レクイエムと比較したくなる曲だが、自身で完成している割合がずっと高い点ではこちらの方が素直に楽しめる。ただし長いため最後の方は飽きてしまうが。


合唱音楽・モテット

•モテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618

•カンタータ『悔悟するダヴィデ』K.469

大ミサ曲ハ短調を改作した曲

•レクイエム ニ短調 K.626◦5.0点


映画アマデウスのイメージが強い。心の叫びのような素晴らしく感動的な曲が並んでいる。本人作は全曲良いが、その中でも特に全部本人が書いた1曲目は素晴らしいし、その後も次々と凄まじい曲が続いて圧倒される。ただし、全てが清算される無に返る超越的な事象である死を受け入れるというより、どちらかというと生への執着と劇的な悲しさを感じてしまう。他人が鎮魂するための曲というより、本人が死と格闘する曲であるかのようだ。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88%28%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%A2%E6%9B%B2%E3%80%81%E5%A3%B0%E6%A5%BD%29
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/815.html#c3

[近代史3] ベートーベン ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調 作品31−3 _ 何故この曲だけこんなに人気が有るのか? 中川隆
19. 中川隆[-14004] koaQ7Jey 2020年2月06日 13:17:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-673]

クラシック音楽 一口感想メモ
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン( Ludwig van Beethoven,1770 - 1827)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3

音楽に魂を込めて、ずば抜けた才能と強靱な精神力と高い理想で、ロマン派への道を切り開くとともに、クラシック音楽の金字塔となる大傑作を数多く作曲した。

それまでの作曲家が多作で似たような曲を多数書いたのに比べて、一つひとつの曲を作りこんで際立った個性を与えている。

その結果生み出されたクラシック史上の最高峰の作品群は、後年の多くの作曲家の目標になり、道しるべとなった。そして、生涯に生み出せた全作品を総合的に比較するならば、後の作曲家は誰一人太刀打ちできなかったと言える。

短調の激情的なイメージが強いが、明るい曲の方がずっと多く、明るい曲の1番の魅力は気品の良さであると思う。


管弦楽曲

交響曲

自分のベスト3は5、6、9番である。

•交響曲第1番ハ長調 Op.21(1800年)◦3.3点


初々しさが魅力である。しかし、この時は既に7重奏曲やピアノソナタ8番などの名作を書いており、それらと比較すると、交響曲の形式で自身の代表作を書く、というほどの気合を感じない。初めての大規模な管弦楽曲ということで、チャレンジという気分が強かったのではないだろうか。もちろん、完成度はそれなりに高いものではあるが。

•交響曲第2番ニ長調 Op.36(1803年)◦4.0点


1番からかなり進歩していて、魅力的な部分が多々ある曲になっている。ベートーヴェン中期の芸風が完成形に近づく途上にある曲である。肩肘張りすぎな所はあるが、どの楽章も多くの推敲を重ねられた内容の濃いもので、自身の代表作を目指した気合いがよく分かる。長い序奏からの、胸が膨らむようなスケールと爽快さがある1楽章。穏やかな温かみに包まれるような2楽章。間奏的な3楽章。ノリノリで終結を盛り上げる4楽章。どれもよい。

•交響曲第3番変ホ長調「英雄」 Op.55(1805年)◦4.5点


音楽史におけるエポックメイキングな作品。巨大なスケールで天才的な発想に満ちており素晴らしいが、ベートーヴェンの野心とエネルギーが溢れ過ぎて統制が効いていないので、造形的な収まりが悪く、とっちらかった発散する感じがある。それはそれで聴いていてパワーに圧倒されるし初々しくて魅力的ではあるのだが、この後の作品群と比較すると聞いていて疲れてしまう。そのため、なかなか聞く気にならない。

•交響曲第4番変ロ長調 Op.60(1807年)◦4.5点


巨大な3番と5番にはさまれた4番は、マイナーであるが魅力的な部分が多く、かなり良い曲だと思う。表題性が感じられない絶対音楽的な2番4番8番の中で、最も天才的な霊感に満ちている。全ての楽章のほぼすべての箇所が素晴らしい。生き生きとした音の躍動感と、しなやかな優美さを併せ持っている。

•交響曲第5番ハ短調 Op.67(1808年)◦6.0点


クラシックを代表する1曲。無駄のない緊密さ、内面的なドラマの白熱、演出の巧みさ、構成の完璧さ、内容の斬新さ、天才的なひらめきに満たされており、何度聴いても素晴らしいと感嘆してしまう。すべての楽章が史上最高レベルの出来であり、1楽章は特に完璧である。特筆すべきは2楽章だと思う。あまり類似曲が思いつかない独特な緊張感と透徹した世界感であり、他の楽章だけではドラマ的すぎるこの曲に哲学的深みを与えて大成功させることにつながっている。

•交響曲第6番ヘ長調「田園」 Op.68(1808年)◦6.0点


天才的な旋律美にあふれた超名曲。全編が最高である。分かりやすい表題性、純粋な精神的な高貴さと、内面的なドラマ性、自然美の崇高なものへの昇華など、驚くべき成功をひとつの作品として兼ね備えたことは奇跡である。そして、ベートーヴェンは決して旋律美の作曲家ではないのに、この曲においては全ての場面が天才的な霊感の塊であり誰にも到達できない旋律の美しさに溢れている。圧巻は最終楽章である。自然の美に感謝する精神のドラマが素晴らしすぎる。ちなみに、リスト編曲のピアノ版も好きである。

•交響曲第7番イ長調 Op.92(1813年)◦4.0点


天才的だし華やかだが、一方で聴いていて疲れる曲でもある。ベートーヴェン後期の狂気が現れ始めており、作り物っぽくと自然さに欠けるところがあるので、最高レベルの曲とは思えない。

•交響曲第8番ヘ長調 Op.93(1814年)◦3.8点


本人は自信作であり、人気が無いのが不満だったそうだ。これが彼の交響曲の最高傑作という人もいる。しかし、自分はこの曲は地味だと思うし、思い入れをもてない。純粋な交響曲として、コンパクトで磨きがかけられており、完成度が高いのは確かだ。しかし、努力により作られた感じがして、自然に閃いたものが足りないと思う。それが内的な活力の足りなさという結果なっている。旋律の魅力にあと一歩の物足りなさを感じるし、楽章の有機的な構成感もいまいちである。ただし、もちろん他の作品があまりに天才的であるから、比較してそう感じるというだけで、素晴らしい作品ではある。

•交響曲第9番ニ短調(合唱付き)Op.125(1824年)◦6.0点


何度聴いても飽きない。耳が聞こえなくなった状況で、ここまでの高みに自分の力でたどり着いたベートーヴェンは本当に偉大だと思う。後期に入ってバランス感覚が崩れていたり、狂気を感じる曲が多いなか、この曲はバランスが良いうえに極めて楽曲として完成度が高く充実している。天才中の天才が何10年も積み重ねてきたものを集大成させることによって可能になる仕事としか言いようの無い、人類の宝のような作品となっている。そして崇高であるとともに親しみやすく、人を楽しませるエンターテイメント性も兼ね備えていることがまた素晴らしい。


協奏曲

ピアノ協奏曲

•ピアノ協奏曲第1番 ハ長調Op.15(1795年)◦3点


初期らしい初々しさで、他の古典派のピアノ協奏曲と十分に対抗しうる作品ではある。

•ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調Op.19(1795年 )◦3点


1番と同様。

•ピアノ協奏曲第3番 ハ短調Op.37(1803年)◦3.3点


ベートーヴェンのハ短調らしさをあまり感じない。ベートーヴェンの中期の曲にしてはあまり面白くなく、まあまあであるという程度であり、個人的には思い入れがない。

•ピアノ協奏曲第4番 ト長調 Op.58(1807年)◦3.8点


5番の皇帝よりいいという人も多い曲であるが、個人的には同意できない。外面的な派手な5番より、気品の高さがあり素敵な雰囲気の4番の方がよいところもある。しかし、メロディーの良さや霊感の強さでは5番がやはり上である。4番はベートーヴェンの中期の中で上位の曲ではないと思う。

•ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調「皇帝」Op.73(1809年)◦5.5点


まさに「皇帝」の異名に相応しい、威厳と高貴さを感じる名曲。冒頭のピアノの豪快さな華やかさからして大変素晴らしい。オーケストラによるトゥッティーが始まるが、力感と威厳をもった天才的なメロディーが積み重なる音楽は、類例を思いつかない。2楽章は間奏的な変奏曲で落ち着く。そして3楽章のロンドのずば抜けた華やかさと高揚感の持続が1楽章と同様に大変に素晴らしい。ロマン派のどの協奏曲よりも高貴さと一貫性がある。協奏曲は得意分野ではないベートーヴェンだが、本気を出すとここまでずば抜けた曲を書けたという才能の高さに畏敬の念を感じる。

その他の協奏曲

•ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第1番 ト長調 Op.40(1802年)◦3.0点


親しみやすい曲だが、特段優れている所はなく普通の曲である。ソロで始まるのが面白い。ベートーヴェンの曲の中ではかなりモーツァルトっぽい。

•ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第2番 ヘ長調 Op.50(1798年)◦3.5点

どこかでよく耳にする有名な親しみやすいメロディーであり、曲の構成もメロディーの良さを活かしながらうまく適度な変化をつけてまとめられている。


•ピアノ、ヴァイオリンとチェロと管弦楽のための三重協奏曲 ハ長調 Op.56(1805年)◦1.5点


ピアノトリオの協奏曲。ソロ楽器同士の絡み合いは効果を上げておらず、メロディーは魅力が無い。3楽章の活発な雰囲気がやや楽しめるが、1楽章は特に楽しくなく、2楽章は少しましになる。オイストラフ、ロストロポーヴィチ、リヒテルという独奏陣でも面白くないという、ベートーヴェンの大規模な管弦楽曲では飛び抜けた失敗作といえよう。


•ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.61(1806年)◦3.5点

自分としては、この曲はベートーヴェンらしい良さはあるものの、マッタリしすぎだしメロディーの魅力も少なく、4大ヴァイオリン協奏曲の中では一番よくないと思っている。


その他管弦楽曲

•『ウェリントンの勝利』(戦争交響曲) Op.91(1813年)◦2.0点


作曲当時は評判だったようだが、ベートーヴェンにしてはかなりの駄作で、やっつけ仕事にしか聞こえない。

序曲

•『コリオラン』 Op.62(1807年)ハ長調◦3.5点


インスピレーションが豊富。序曲らしくすっきりとしていてキレが良く、端的な劇的表現が楽しい。

•『レオノーレ』第2番 Op.72a(1805年、オペラ「フィデリオ」初版の序曲)

•『レオノーレ』第3番 Op.72b(1806年、オペラ「フィデリオ」第2版の序曲)◦3.8点


交響曲にも使えそうな音楽的な密度と、序曲らしい清々しさや予感を感じさせる秀逸な曲。濃密の味わいはワーグナーのようだ。

•『エグモント』序曲(ゲーテの悲劇『エグモント』への音楽の序曲)Op.84(1810年) ◦3.5点


中期ベートーヴェンの管弦楽作品としてコンパクトに楽しめる。かなり有名だが、交響曲ほど充実した内容ではないしはっきりしたテーマも無いように思うので、それほど重要な曲ではないと思う。

•『シュテファン王』序曲(コッツェブーの祝祭劇『シュテファン王、またはハンガリー最初の善政者』への音楽 Op.117(1811年) ◦3.0


ごく普通の序曲。快活で聴きやすく、それなりにいい曲。

•フィデリオ序曲 Op.72c(1814年)◦3.5点


あまり特別なことはしていない序曲らしい序曲だが、胸が膨らむような広がり、優美さ、劇の期待感を高めるなどの手腕が見事で聴いて楽しい。

•『命名祝日』 Op.115(1815年)◦2.3点


祝典的な雰囲気の序曲だが、平凡であり面白くない。

•『献堂式』 Op.124(1822年)(『献堂式』全曲は序曲の他、『アテネの廃墟』Op.113から4曲を転用、WoO.98と合わせ初演)◦3.3点


ベートーヴェンが、純粋管弦楽のために作曲した最後の作品。気力は十分で堂々としており、胸の膨れるような感じや、後期らしい対位法的な書法も楽しめるので序曲の中でそれなりの存在感がある作品。

•『レオノーレ』第1番(遺稿) Op.138(1807年)◦2.5点


序曲らしい活発さや舞台への期待の盛り上げが足らない。駄作だと思う。

バレエ音楽

•『プロメテウスの創造物』 Op.43(1801年)◦2.5点(序曲)


序曲としてあまりにありきたりで、当たり前のフレーズばかりなのであまり面白くない。


室内楽曲

ヴァイオリンソナタ

•ヴァイオリンソナタ第1番 ニ長調 Op.12-1(1798年)◦3.0点


爽やかで明快な曲想のいい曲。自分で演奏したら楽しそうだ。三つの楽章が全部よい。

•ヴァイオリンソナタ第2番 イ長調 Op.12-2(1798年)◦2.5点


1番に比べると、いい曲という感じに欠ける。陽気で諧謔性があったり雰囲気が違うが、メロディーのレベルが落ちることの穴埋めにはなっていない。

•ヴァイオリンソナタ第3番 変ホ長調 Op.12-3(1798年)◦2.5点


2番と同様の印象である。頑張ってはいるが魅力が足りない。二楽章がイマイチだが三楽章は快活で聴きやすい。

•ヴァイオリンソナタ第4番 イ短調 Op.23(1801年)◦3.0点


短調の曲だが、悲劇的な感じではない。小型の形式の中でコンパクトにまとまっており、特別に凄いところはないが、アンサンブルを楽しめるし聴きやすい。

•ヴァイオリンソナタ第5番 ヘ長調「春」 Op.24(1801年)◦4.0点


やはり冒頭の美メロの魅力が最高である。この一楽章一曲でもヴァイオリン曲の歴史に名を残しただろう。他にもいいところが沢山ある名曲。

•ヴァイオリンソナタ第6番 イ長調 Op.30-1(1803年)◦2.5点


穏やかな雰囲気は悪くは無いのだが、美メロのような分かりやすい良さが無いので前後の名曲群と比べると評価は落ちる。

•ヴァイオリンソナタ第7番 ハ短調 Op.30-2(1803年)◦3.0点


ハ短調の本格派だが、普通の曲であり特別光る楽章は無い。

•ヴァイオリンソナタ第8番 ト長調 Op.30-3(1803年)◦3.5点


一楽章はアンサンブルが華やか。二楽章はおだやかないい曲。三楽章も明るく華やか。全体にいい曲。

•ヴァイオリンソナタ第9番 イ長調「クロイツェル」 Op.47(1803年)◦4.5点


規模が大きく、悪魔的な魅力が強く心をひきつけてやまない。天才的なインスピレーションに溢れた曲。一楽章が特に大変魅力的。三楽章の活き活きした魅力も素晴らしい。ベートーヴェンの二重奏曲の最高傑作と思う。

•ヴァイオリンソナタ第10番 ト長調 Op.96(1812年)◦3.5点


後期の内省的だが人情の温かみを感じる筆致が全体に感じられて、他の曲とは違う魅力がある。


チェロソナタ

•チェロソナタ第1番 ヘ長調 Op.5-1(1796年)◦3.5点


1,2番は同時期に作曲。序奏付きの長いソナタとロンドの二楽章も共通。初期だが書法がしっかりしており、楽しんで聴ける。若者らしい清々しさがある。主題が両方の楽章とも魅力的。心地よく気持ちよく聴けて、とても好感を持てる曲。

•チェロソナタ第2番 ト短調 Op.5-2(1796年)◦3.3点


1番も序奏が長いが2番はあまりにも序奏が長すぎる。とはいえ、本編はしっかり書かれていてアンサンブルを楽しめる。1番と同様にこの時期にしては非常に充実した力作。まだ20代だがこれほど巨匠的な音楽を書けたのだなと驚いた。1番と比較して、異常に長い前奏の試みはやはり失敗と思うのと、メロディーの魅力が1番ほどではない点で、少しだけ落ちると思う。

•チェロソナタ第3番 イ長調 Op.69(1808年)◦3.5点


構成が充実していて、立派な曲。特に三楽章はチェロの魅力を存分に生かしたいい曲。中期の充実したベートーヴェンを楽しめる作品という高い評価を目にするが、自分はこの時期の作品にしては特別感がない並みの曲だと思う。ベートーヴェンの自信の漲っているところには関心するのだが、そこが一番の評価ポイントになってしまう。

•チェロソナタ第4番 ハ長調 Op.102-1(1815年)◦2.0点


後期の音楽になっており、二楽章で長い曲ではないのだが、形式が自由で音楽の輪郭がくっきりせず正直よくわからない。

•チェロソナタ第5番 ニ長調 Op.102-2(1815年)◦2.0点


4番よりは少しだけ解りやすいかもしれないが、やはり同様にはっきりせず深い意味を感じられないフレーズが続き、どうにも理解しにくい。


弦楽四重奏曲

初期の弦楽四重奏曲

•弦楽四重奏曲第1番 ヘ長調 Op.18-1(1800年)◦3.0点


2楽章の歌心あふれた悲しい出来事を直截に表したような音楽が非常に印象的。しかし他の楽章は、典型的な快活だが面白くない初期ベートーベンの音楽。

•弦楽四重奏曲第2番 ト長調「挨拶する(Komplimentier)」Op.18-2(1800年)◦2.0点


モーツァルトのような均整とハイドンのような端正な快活さを併せ持っている。しかしながら、フレーズに聴いていて愉しいような魅力が足りないと感じる。

•弦楽四重奏曲第3番 ニ長調 Op.18-3(1800年)◦2.5点


全体的に普通の曲であり、さしたる特徴がない。アダージョや最終楽章など耳を楽しませる音楽ではある。

•弦楽四重奏曲第4番 ハ短調 Op.18-4(1800年)◦4.0点


悲愴ソナタと同様に同時代の同ジャンルの中でずば抜けた内容である。発想の豊かさ、響きの充実、内容の豊富さはいずれも中期の曲に匹敵する。ただし意外なことに彼のハ短調の曲らしさはあまりない。

•弦楽四重奏曲第5番 イ長調 Op.18-5(1800年)◦2.5点


1、2、3楽章は充実した内容である。二楽章の内容の豊富さや三楽章の若干複雑なリズムなど工夫や創意が楽しめる。四楽章の序奏はいけていない駄作だと思う。

•弦楽四重奏曲第6番 変ロ長調 Op.18-6(1800年)◦3.5点


優雅で古典的な美しさに溢れている。2楽章は特に貴族のような上品な優美さであり印象的だが、他の楽章も同様に上品であり、しかも堂々として充実した内容である。4楽章の冒頭に悲しみに打ちひしがれたような序奏があるのも効果的。


中期の弦楽四重奏曲

•弦楽四重奏曲第7番 ヘ長調「ラズモフスキー1番」Op.59-1(1806年)◦4.3点


それ以前の弦楽四重奏2〜3曲分の内容はありそうな巨大な曲。チェロのイントロのフレーズの感じさせる広大さからして、胸の膨らむようなワクワクさせる素晴らしさである。三楽章の悲しみ、最後のロシア主題の絡みつく声部の魅力まで、各楽章が実に幅広くて圧倒的に巨大であり、それが4つの楽章もあるのだから、たまらない。画期的な壮大さの点で交響曲3番を連想する。

•弦楽四重奏曲第8番 ホ短調「ラズモフスキー2番」Op.59-2(1806年)◦3.0点


同じラズモフスキーでも二番はサイズも内容も小ぶりな曲。音の充実や絡み合い方は素晴らしいものの、聴後に残る印象は強烈なものではない。

•弦楽四重奏曲第9番 ハ長調「ラズモフスキー3番」Op.59-3(1806年)◦3.5点


一楽章の英雄的な力強さは魅力的。二楽章は静かで淡々としすぎて、明快な良さに欠けると思う。三楽章は小さな曲。四楽章は非常に力強くてスピード感あふれる立派な素晴らしい曲である。

•弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調「ハープ」Op.74(1809年)◦4.0点


ラズモフスキーほどの衝撃的な密度ではないかもしれないが、音楽が力強く構成力も同等の内容と思う。ハープの愛称だが、優美で女性的というわけでなく非常に男性的な曲。三楽章まで素晴らしいが最終楽章がいまいち。

•弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調「セリオーソ」Op.95(1810年)◦4.5点


一切の冗長性を排した凝縮された音楽であるとともに、生真面目で文字通り厳粛な作品。すべての楽章が聴き映えする傑作である。曲の構成のバランスが完全に計算されていることや、圧倒的に劇的で密度の高い点は、交響曲5番を彷彿とさせる。

後期の弦楽四重奏曲

•弦楽四重奏曲第12番 変ホ長調Op.127(1825年)◦4.0点


二楽章のアダージョは後期らしい変奏曲の大作で大変素晴らしく、長い曲だがずっと聞き入ってしまう。一楽章や四楽章も重厚でなかなかよい。

•弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調Op.130(1825年)◦3.0点


自分の修行が足らないのかもしれないが一楽章から四楽章までは平凡な面白くない音楽だと思う。五楽章は幻想世界の深層世界を彷徨うような美しく素晴らしい曲。その後は大フーガでなければ風呂敷を広げたままになりバランスが悪い平凡な曲になってしまうと思う。新しい方の最終楽章も悪くはないのだが。

•弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調Op.131(1826年)◦4.0点


各楽章のバランスが良く推進力があり、後期によくある停滞しているような楽章がない。間奏曲的な楽章も内容が豊かである。その代わり後期作品によくあるアダージョの決定的な大傑作楽章はない。自由闊達な構成で曲を把握するのに時間がかかる変わった曲だが、構成を覚えて理解出来るようになると、胸に迫るような熱く温かい真情に曲全体が溢れていることが分かり、感銘を受ける。晩年になって到達した世界は、あまりにも画期的で驚く。

•弦楽四重奏曲第15番 イ短調 Op.132(1825年)◦4.0点


クライマックスの3楽章が感動的で泣ける。なんという感謝の心に満ちた音楽だろう。その他の楽章はどれも中期のような緊密さを保持している濃厚な内容であり、聴きやすい。

•大フーガ 変ロ長調 Op.133(1826年)◦3点


単体で聞くと、気が狂ったのかと思ってしまうような狂気に満ちている。聴いていて楽しい曲ではない。

•弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調 Op.135(1826年)◦3.5点


爽やかな一楽章、ユーモアがある二楽章は、初期に戻ったかのようなシンプルで快活な音楽でここまでは普通の曲である。三楽章が濃厚で胸に迫りくるものがある、人生を振り返るかのような後期の実力をいかんなく発揮した美しいアダージョ。四楽章の序奏も、人生において闘い問い続けたベートーベンの人生を総括してるかのよう。アレグロもどこか感動的なエモーショナルなものがある。しかし、曲の最後まで勢いを保たず力尽きてきてしまい、なんとか最後の力で曲を締めくくって終わるのがなんとも印象的。


ピアノ三重奏曲

•ピアノ三重奏曲第1番 変ホ長調 Op.1-1(1794年)◦2.0点


娯楽作品の印象が強い。そしてまったりしすぎであまり面白くない。

•ピアノ三重奏曲第2番 ト長調 Op.1-2(1795年)◦2.0点


1番と同様の印象。爽やかではあるが面白くない。

•ピアノ三重奏曲第3番 ハ短調 Op.1-3(1795年)◦2.5点


1、2番と比較して少し成長している気がする。1楽章に少し充実感があるし、他の楽章も多少見所がある。

•ピアノ三重奏曲第4番 変ロ長調「街の歌」 Op.11(1797年)◦2.8点


1楽章はメロディーがつまらないため魅力がない。2楽章は楽器に存分に歌わせる楽章で、高い価値があるのはこの楽章のみである。3楽章は1楽章ほどではないがあまり魅力がない。

•ピアノ三重奏曲第5番 ニ長調「幽霊」Op.70-1(1808年)◦2.8点


1楽章は冒頭のいきなりのユニゾンに驚かされるが、それ以外は面白くない。2楽章は痛切な感情を押し殺しているようなじわじわとした雰囲気で少し面白い。3楽章は活気ある雰囲気でそれなりに楽しめる。

•ピアノ三重奏曲第6番 変ホ長調 Op.70-2(1808年)◦2.3点


1楽章は叙情的ではあるがぱっとしない感じで面白くない。2楽章も3楽章も4楽章もベートーヴェン中期らしからぬ平凡さであり、まるで2流作曲家のようだ。全体にベートーヴェン中期の作品にしては駄作だと思う。同時期ならフンメルのピアノ三重奏曲の方が優れているかもしれない。

•ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調「大公」Op.97(1811年)◦6.0点


古今の室内楽を代表する一曲だろう。親しみやすさ、旋律の豊かさ、しなやかさ、漂う高貴な気品がすばらしい。規模が大きく雄大であり、ゆったりとした時間の流れを楽しめる。爽やかな風のような心地よい気分になれる曲でありながら、しかし濃密な時間が流れる。構成はがっしりとしていて手応え十分である。

弦楽三重奏曲

•弦楽三重奏曲第1番 変ホ長調 Op.3(1794年)◦3.0点


ベートーヴェンらしい高潔さと力強さを感じられる。初期の室内楽の中では単なる娯楽性に終わらない芸術性を感じる作品となっている。

•弦楽三重奏曲第2番 ト長調 Op.9-1(1798年)◦2.0点


後年の成長の萌芽が沢山秘められている曲だが、冗長であるとともに、三重奏の音の薄さが気になってしまう。弦楽四重奏の作曲の練習に書いたという価値しか見いだせないと思ってしまう。二楽章の歌心あふれる音楽はなかなか良いのだが。

•弦楽三重奏曲第3番 ニ長調 Op.9-2(1798年)◦2.5点


感想は2番とほぼ同様だが、短調の2楽章が効果的なのと、ベートーヴェンらしい3楽章のメヌエットや活発な4楽章も悪くないので少し上だと思う。

•弦楽三重奏曲第4番 ハ短調 Op.9-3(1798年)◦3.0点


前半の2楽章はなかなか立派な曲。後半は物足りないのだが、初期らしい爽やかさと、一生懸命頑張っている感じは悪くない。

•弦楽三重奏のためのセレナード ニ長調 Op.8(1797年)◦2.5点


娯楽作品であり、曲はバラエティーに富んでいる。また、弦が3本しか無いが、音が薄いことへの不満は無い。しかし、自分の聴いた演奏のせいなのかもしれないがあと一歩の何かが足らない。

弦楽五重奏曲

•弦楽五重奏曲 変ホ長調(管楽八重奏曲 変ホ長調 Op.103の改作) Op.4(1795年)◦2.0点


作品103の8重奏を編曲したもの。穏やかな雰囲気で落ち着いて聴ける曲だが、初期過ぎて発想も音の使い方も個性が無く、凡庸で面白くない。

•弦楽五重奏曲 ハ長調 Op.29(1801年)◦3.5点


初期の弦楽四重奏曲より優れているのに、聴かれる事が少ないのはもったいない。堂々とした巨匠の香りが漂う作品であり、2楽章のピチカートに乗ったとろけるようなメロディーの部分など魅力的な箇所が多くある。

•弦楽五重奏曲(フーガ)ニ長調 Op.137(1817年)◦2.0点


弦楽五重奏のためのフーガ。2分の短い曲であり内容もありきたりに聞こえた。特に感想を持てるほどの作品ではない。


その他の室内楽曲

•八重奏曲 変ホ長調 Op.103(2本ずつのオーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット)(1793年)◦2.5点


悪い曲ではなく、くつろいだ気分で管楽器の合奏をまったりと楽しめるのだが、ベートーヴェン作品に求めたい優秀さがほとんど感じ取れない。平凡な作曲家の作品のような印象。

•六重奏曲 変ホ長調 Op.81b(2つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、2つのホルン)(1795年)◦3.0点


ホルンの響きと合奏を楽しむことは出来るが、あまり弦楽四重奏との絡みを楽しめないし、ホルンパートの魅力も今一歩で、ベートーヴェンの管楽器入りの合奏曲の中ではいまいちな部類である。

•2本のオーボエとコーラングレのための三重奏曲 ハ長調 Op.87(1795年)◦3.0点


3本の管楽器のアンサンブルの爽やかな美しさを楽しめる。曲は取り立てて優れている訳ではないが、初期ベートーヴェンらしい気品と清々しさとセンスは活かされている。

•ピアノと管楽器のための五重奏曲 変ホ長調 Op.16(1796年)◦3.3点


2楽章が管楽器らしい音の温かさを生かした美しいかんじょ楽章で素晴らしい。1,3楽章は管楽器の合奏を楽しむ娯楽作品であり、優秀ではあるが名作というほどではない。

•六重奏曲 変ホ長調 Op.71(2本ずつのクラリネット、ホルン、ファゴット)(1796年)◦3.3点


まだベートーヴェンらしさがあまり感じられない。娯楽作品だが、管楽器の合奏曲として、耳に優しく優美で温もりのある響きと音色や楽器の絡みを案外楽しむことが出来る。

•6つのドイツ舞曲(アルマンド)WoO.42(ヴァイオリン、ピアノ)(1796年)

•四手のためのソナタ ニ長調 Op.6(1797年)◦3.0点


全2楽章の短い曲。1楽章はコンパクトなソナタでメロディーに魅力ある。2楽章はあまり面白くない。

•七重奏曲 変ホ長調 Op.20(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、クラリネット、ホルン、ファゴット)(1799年)◦4.0点


大編成であり、オーケストラ並みの声部数と重奏の楽しさを味わえる。どの楽章もセンス満点で心から楽しめる名作。娯楽性の高い作品でありながらベートーヴェンの天才を存分に味わえるのが新鮮。

•ホルンソナタ ヘ長調 Op.17(1800年)◦3.8点


1楽章はまさに初期らしい内容で、すっきりとした爽やかで快活なソナタ。2楽章は短くて間奏曲の役割。3楽章は伸びやかなロンド。あまり話題に挙がらない曲だがホルンの魅力とあいまってかなり魅力的。聴後にすがすがしい印象を残す作品である。

•フルート、ヴァイオリン、ヴィオラのためのセレナード ニ長調 Op.25(1801年)◦2.5点


娯楽的なセレナード。特殊構成であり、フルートの明るさを楽しめるものの、低音が無いためフワフワとした音響。作曲者の気合いをあまり感じず面白くないが、長い4楽章と6楽章は割と優れている。

•ピアノとフルートのためのセレナード ニ長調 Op.41(1803年)◦2.5点


作品25を他人が編曲しベートーベンは校訂だけをしたそうだ。こちらの方が楽器構成としては親しみやすいが、編曲がいけてない。ただ、4、6楽章がやはり優れているのは作品25と同様である。

•四手のための3つの行進曲 Op.45(1803年)

•ヴィオラとピアノのためのノットゥルノ ニ長調 Op.42(1803年)◦2.5点


弦楽三重奏曲op8の他人による編曲。編曲はなかなか優秀で、音が薄くてピアニスティックでないものの、十分に曲を楽しめる。

•フルートまたはバイオリンの伴奏を持つピアノのための6つの主題と変奏 Op.105(1817年)◦2.5点


シンプルな変奏曲集。フルート学習者には良さそうだが、一般的な鑑賞にはあまり向かない。民謡が主題なので親しみやすく聴きやすい曲もある。

•フルートまたはバイオリンの伴奏を持つピアノのための10の主題と変奏 Op.107(1820年)◦3.3点


作品105と同様の小さな変奏曲集だが、主題の魅力も変奏の自然さ音楽の美しさは作品105よりかなり上であり、民謡の主題の素朴な楽しさもあって何度も聞いてみたい曲になっている。

•大フーガ(Op.133を四手のために編曲)Op.134(1826年)◦3.0点


大フーガのピアノ用編曲だが、やはりこちらよりも元の弦楽の方が声部の聞き取りが容易でテーマの力強さがいかされるので良いと思う。このピアノ版の方がマイルドで耳に痛くないので最後まで簡単に気楽に聴き通せる利点はある。


ピアノ独奏曲

ピアノソナタ

初期ピアノソナタ

•ピアノソナタ第1番 ヘ短調 Op.2-1(1794年)◦2.8点


既に力強い表現への意志が発露していることには感動する。悲劇的で激情的な音楽。初めての出版作品のソナタとしての、気合いを感じる力作。しかし、音がスカスカであるのは否めず、どうしても未成熟な物足りなさを感じる。

•ピアノソナタ第2番 イ長調 Op.2-2(1795年)◦3.3点


明快で力強くしかも高潔な、後年のベートーヴェンの音が既に鳴っている。特に前半の2つの楽章は素晴らしい曲である。しかし、4楽章がいまいちであり、繰り返し聴いてもピンとこない。1番の音の密度の問題は改善されており、むしろ若々しい躍動感を楽しめるようになった。作品2の3曲は、20番台に匹敵する良い曲である。4楽章制のスケール感やメロディーの良さ、おおらかさ、躍動感、品の良さなど、小さくまとまっていない独自の魅力がある。ただし、曲に開眼するには、作曲技術の未成熟さを補う演奏者の力量と鑑賞者の耳の慣れが必要である。

•ピアノソナタ第3番 ハ長調 Op.2-3(1795年)◦3.3点


1楽章が大作。全体的におおらかで胸がすくような広大さと音の躍動感が楽しい曲。

•ピアノソナタ第4番 変ホ長調 Op.7(1797年)◦3.3点


どの楽章も管弦楽のような交響的な音楽と感じる。メロディーにどの楽章もなかなかの魅力がある。4楽章のおおらかさと中間との対比がドラマチックで良い。

•ピアノソナタ第5番 ハ短調 Op.10-1(1798年)◦2.8点


1楽章は冒頭のみ激情的でバランスが悪く、発想もいまいち。3楽章も性急さの雰囲気が1楽章よりは良いがやはりイマイチである。2楽章は真心に溢れた美しい曲であり、この楽章だけならば価値は高い。全体にハ短調の曲として悲愴ソナタの準備となる曲と思うが、レベルは落ちる。

•ピアノソナタ第6番 ヘ長調 Op.10-2(1798年)◦3.0点


まだ荒削りだが、音に若干の成熟が見られる。コンパクトで、個性的な楽章の集まった曲という印象。作品2のような壮大な野心は感じない。どの楽章もまあまあだが、1楽章は面白みがもの足りないと感じる。

•ピアノソナタ第7番 ニ長調 Op.10-3(1798年)◦3.0点


四楽章で荒削りでイマイチな部分と素敵な部分が混在している。

•ピアノソナタ第8番 ハ短調「悲愴」 Op.13(1799年)◦5.0点


2楽章はベートーヴェン生涯でも屈指の名メロディーだ。何度聴いても本当に素敵だなあと感嘆する。1楽章はこの時期にしては大変な力作である。悲壮感や憂いなど、多くのものが詰め込まれている。3楽章の性急さと多くの詰め込まれた楽想はベートーヴェンの努力を感じる。ピアノ書法や音響の豊かさや構成の緊密さなどの完成度の高さは後年に及ばない。しかし、若い瑞々しい感性と本気度が、持ち前の才気とぶつかり合って融合し、時間をかけて集めたのであろう多くの多彩なアイデアをぎっしり詰め込んだことで、強烈な魅力を放つ作品になっている。

•ピアノソナタ第9番 ホ長調 Op.14-1(1799年)◦3.0点


10番とともにしなやかで優美な印象が強い。活き活きとした感じを残しつつも、初期のような角があり無理のあるピアノ書法がだいぶ無くなり中期に近づいてきた印象

•ピアノソナタ第10番 ト長調 Op.14-2(1799年)◦3.0点


9番同様にしなやかで優美な魅力。コンパクトによくまとまっている。

•ピアノソナタ第11番 変ロ長調 Op.22(1800年)◦3.5点


四楽章の雄大さと優美さを兼ね備えた力作。後半の二つの楽章がキャッチー。

•ピアノソナタ第12番 変イ長調 「葬送行進曲」 Op.26(1801年)◦3.0点


ソナタ形式の楽章がなく画期的な曲ではある。葬送行進曲はいい曲だが、英雄交響曲のそれと比較してしまうとかなり物足りないといわざるをえない。他の楽章も中期に向かう興味深さはあるが観賞曲としての素晴らしさは足りない。


中期ピアノソナタ

•ピアノソナタ第13番 変ホ長調「幻想曲風ソナタ」 Op.27-1(1801年)◦3.5点


全編どこか内面を向いた曲調で、前を向いた明快な快活さに欠ける。まさに幻想風の自由な曲なので落ち着かないのだが、分かってくると実はあの「月光」と一緒に出版されただけのことはある良い曲である。

•ピアノソナタ第14番 嬰ハ短調「幻想曲風ソナタ」(月光) Op.27-2(1801年)◦5.5点


1楽章は発想が素晴らしい。シンプルだがベートーヴェンの作品の中でも屈指の強烈で天才的な詩情を見せている。暗黒の闇に溶け込んでいく、タッタターというモチーフのかっこよさには痺れる。2楽章は両端の音楽に息をつく暇ががないので、間奏として丁度よい。3楽章は全く隙がなくて、とにかくめちゃくちゃカッコいい曲。切れ味の鋭さはベートーヴェンの中でも屈指の出来である。

•ピアノソナタ第15番 ニ長調「田園」 Op.28(1801年)◦3.3点


1楽章の主題は田園風という愛称がふさわしい曲。しかし、全体は田園交響曲のような標題音楽ではなく他の多くと同様に抽象的なソナタである。内容充実で中期らしさが顕著になってきている。

•ピアノソナタ第16番 ト長調 Op.31-1(1802年)◦2.5点


どの楽章も印象がかなり薄い。

•ピアノソナタ第17番 ニ短調「テンペスト」 Op.31-2(1802年)◦3.5点


評価しにくい曲。一楽章はかっこいいのだが、やや通俗的な感じがしてしまう。二楽章はベートーヴェンの本気曲で登場する緩徐楽章らしい音楽で素晴らしい瞬間もあるが、密度が薄い。三楽章は無窮動の曲だが、1楽章と同様に通俗的な野暮さが気になる。どうしても自分の中で1楽章や3楽章が熱情ソナタと類似する部分があるために、その縮小版と位置づけて聴いてしまう。

•ピアノソナタ第18番 変ホ長調 Op.31-3(1802年)◦3.5点


明るくて飛び跳ねるような快活さにあふれており、マイナーだが結構いい曲である。

•ピアノソナタ第19番 ト短調(やさしいソナタ)Op.49-1(1798年)◦3.0点


学習者におなじみの2曲の易しいソナタの一曲目。一楽章は並だが二楽章は活き活きとしたいいロンド。

•ピアノソナタ第20番 ト長調(やさしいソナタ)Op.49-2(1796年)◦3.5点


おなじく学習者にはお馴染みの曲。両楽章ともいい曲。よい出来である。

•ピアノソナタ第21番 ハ長調「ワルトシュタイン」Op.53(1803年)◦4.0点


ハ長調で広大なスケール感と運動的な音の動きの感覚が売りの曲。沢山の素材を使った雄大で快活な一楽章。2は間奏曲。胸のすくような広大な三楽章が素晴らしい。

•ピアノソナタ第22番 ヘ長調Op.54(1804年)◦3.0点


まるで巨大な二曲の間奏曲のよう。この曲をシューマンが評価したそうだ。特に2楽章はシューマンに似ている。同じパッセージを使いながらうねって雰囲気を作る感じは、小品集に入っていても違和感が無さそう。1楽章も2つの楽想の対比があまりソナタの楽章ぽくない。ベートーヴェンの曲としては異色。1楽章はたいした曲ではないが、2楽章もはやロマン派のピアノ曲のようで先進的でなかなか良い。

•ピアノソナタ第23番 ヘ短調「熱情」 Op.57(1805年)◦5.5点


1楽章は、武士の居合い抜きのような静寂と一瞬の動きの対比が生む独特の緊張感が面白い。第2主題が渋くてよい。2楽章は幻想的で甘い切なさもある、大変美しい変奏曲。音を細分化していく変奏曲は数多くあるが、音楽が高揚して奔流のようになることで、これほどまでに感動的に心をゆり動かすことは少ない。3楽章は無窮動であり、急かされ走り抜ける緊迫した激情が息をもつかせないものであり、非常にかっこいい。どの楽章も本当に素晴らしいくて、完成度が高い。

•ピアノソナタ第24番 嬰ヘ長調「テレーゼ」 Op.78(1809年)◦4.0点


1楽章の穏やかで優しい気持ちになる曲想で素敵な曲。2楽章は1楽章のような素晴らしさがないのだが、1楽章の素敵さだけで大いに価値がある。1楽章は愛しい人の甘い思い出や人柄を回想するような曲である。

•ピアノソナタ第25番 ト長調「かっこう」 Op.79(1809年)◦3.0点


各楽章が短いこと、主題がシンプルであることから、ソナチネに分類したいような曲。内容は悪くないが、この時期にしては特に優れているわけではない。勢いにまかせたような1楽章と軽快でコミカルな3楽章の間に、童謡のように素朴な2楽章が挟まっているというシンプルながらも面白い構成を楽しむ曲。

•ピアノソナタ第26番 変ホ長調「告別」 Op.81a(1809年)◦3.5点


ルドルフ大公への親愛の情を込めた曲として全体に真心を感じられていい。人気曲のようだが、個人的には上位には属するものの特別にいい曲とは思わない。

•ピアノソナタ第27番 ホ短調 Op.90(1814年)◦4.0点


ピアノの歌わせ方がシューベルトのようだ。心にぐっと迫るくるものがある。特に二楽章は素晴らしい。

後期ピアノソナタ

•ピアノソナタ第28番 イ長調 Op.101(1816年)◦3.5点


後期らしさが顕著になった曲。どの楽章も温かみがあるシンプルながらも柔らかい響きが美しい素敵な曲。全体が綺麗にまとまっている最後の曲。

•ピアノソナタ第29番 変ロ長調「ハンマークラヴィーア」 Op.106(1818年)◦4.0点


圧倒的な巨大建築のような壮観さと交響曲と同等のスケール感は、結局のところロマン派以降の誰も真似をしようとしなかった。オンリーワンの怪曲といえる。交響曲のように堂々として立派な1楽章。ブルックナーのように深淵の底を逍遥するような雰囲気の長大な3楽章は素晴らしい。4楽章の高速なフーガはものすごい迫力であるが、正直なところ普通の音楽として鑑賞するのは困難と感じる。

•ピアノソナタ第30番 ホ長調 Op.109(1822年)◦4.5点


1楽章はシャガールの絵のように幻想的な大伽藍である。少しヘンな曲だが何度も聞いて理解が進み、幻想性に浸れるようになると大変美しいと感じる。2楽章が少し野暮で、現実に一時的に引き戻される。そして、この曲の核心はなんといっても三楽章の変奏曲である。あまりにも美しく、温かみを持って人生の素晴らしさを回想するかのごとく切々と心に訴えかける素敵な主題の魅力は大変なものである。それを何度もかみ締めるように繰り返していきながら、自由に大きく変容して行く変奏もすごい。32番の変奏曲のような究極的に突き詰めた彼岸の世界の凄みはない代わりに、人間的な心温まる現実的な素晴らしさでは上回る。

•ピアノソナタ第31番 変イ長調 Op.110(1822年)◦4.5点


1楽章は非常にまとまりがよく、美しい冒頭から心惹かれる。静謐さとおおらかさと幻想性とまとまりが共存して絶妙なバランスで成り立っているのが素晴らしい。2楽章は現実的であるが、特段の特別性はないと思う。3楽章がなんといっても驚異的な後期ベートーヴェンならではの傑作であり、この曲の価値の多くはこの楽章にある。嵐の中で孤独を耐えるような嘆きの歌や、晴れ晴れとした気持ちや人生の前向きな気持ちを描いたようなフーガ。自由度の高い複数の場面転換が驚異的な効果を産んでおり、あまりにも強烈に心を揺さぶる。曲を聴き混んで全部覚えると、虜になって二度と離れられなくなるような強烈な魅力がある。フーガはバッハが築いた世界を独自に敷衍し、後期らしい自由さとともに人間の心に深く力強く訴えるものを持っており、素晴らしい出来である。最後の歓喜溢れる気分にもっていく場面は素晴らしい。

•ピアノソナタ第32番 ハ短調 Op.111(1822年)◦4.0点


1楽章はハ短調らしい正統派の緊張感があり、なかなかよい。緊張度が高く、鋭く無駄をそぎ落としたような曲であり、対位法の効果が印象的。ただ、若干の無理を通して主題をつなげてソナタを成立させているような印象があり、聴きにくさを感じさせるため、個人的には愛着を感じない。前2曲と違い、とってつけたようなスケルツォが無いのは良いところ。長大な変奏曲である2楽章は、晩年の多くの傑作変奏曲の中でも特に自由であり、魂が身体から分離して宇宙のはるか彼方の遠くに連れて行かれるような感じのする、驚異的な曲である。時代を60年先取りし、肥大化したロマンを極めたかのような境地に達したベートーヴェンの凄みがここにある。


変奏曲

•創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 Op.34(1802年)◦3.3点


優しく穏やかな主題による変奏曲。常に気品にあふれているのが素敵。やや長い曲だが各変奏は変化が大きく、表情豊かで歌心があるので飽きない。

•『プロメテウスの創造物』の主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 Op.35(1802年)◦3.5点


2つの主題が魅力的なので、繰り返し変奏されても飽きない。変奏曲としてのバリエーションの豊富さや展開力はベートーヴェンにしてはやや物足りなく、まだ中期に入ったばかりなのを感じさせる。しかし、最後のフーガからのコーダの素晴らしさなど聴き所はある。

•創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80(1806年)◦2.5点


短い主題の変奏でピアノの教材としてはいいのだけれど、聴くための曲としては主題もややありきたりだし、あまりおもしろくない。

•創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 Op.76(1809年)◦3.0点


有名なトルコ行進曲の主題による変奏曲。明るく勇壮に変奏される。

•ディアベリのワルツの主題による33の変奏曲 ハ長調 Op.120(1823年)◦3.3点


長大で非常に立派な変奏曲。次々と万華鏡のように移り変わる雰囲気を楽しめる。しかし主題に魅力が無いからか、変奏を重ねてもあまり音楽が深まらず、間奏曲が延々と続いているようになっているのが不満。所々にある後期らしい瞑想の雰囲気は魅力。最後の穏やかな変奏は感動する。


その他のピアノ独奏曲

•すべての長調による2つの前奏曲 Op.39(1789年)(またはオルガン)◦2.5点


対位法的な作品。全ての調を一巡しているらしい。1曲目はあまりに教科書的だが2曲目の方は少し楽しめる。

•ロンド・カプリッチョ ト長調(「失われた小銭への怒り」)Op.129(1795年)◦3.0点


技巧的な部分もあるロンド。ややエキゾチックな雰囲気もある。それほど魅力を強く感じる曲ではないが、活発で変化があるのでつまらなくはない。

•アレグレット ハ短調 WoO.53(1797年)◦3.0点


劇的な力強さと柔らかい部分など対比の強さが印象的な小品。ソナタとは違う味がある。

•ロンド ハ長調 Op.51-1(1797年?)◦3.0点


穏やかで柔らかいロンド。初期の瑞々しい感性と、ベートーベンらしいフレーズを多く聴ける。

•ロンド ト長調 Op.51-2(1798年?)◦3.0点


優美で穏やかなロンド。長い序奏がある。ピアノソナタではあまり無いようなシンプルさで、モーツァルトを時々連想してしまうほど。

•ピアノのための7つのバガテル Op.33(1802年)◦2.5点


小品集。特段の印象に残る優れたい曲は1曲も無かったが、人恋しさを歌うような優しさと愛らしさがあり、ソナタとは違う独特の魅力がある。

•幻想曲 ト短調・変ロ長調 Op.77(1809年)◦3.0点


ザ・幻想曲とでも呼びたいような、自由な変化を楽しむための曲。ソナタ等では到底聴けない自由さを楽しめる面白い曲ではある。

•バガテル『エリーゼのために』イ短調 WoO.59(1810年)◦5.0点


非常に有名な作品。冒頭はシンプルだが、切々とうたう感じが心に強く迫る。

•ポロネーズ ハ長調 Op.89(1814年)◦3.0点


竹を割ったようなスカっとする雰囲気など、ベートーヴェンの特質が活かされているポロネーズ。ただの小品ではなく、割と楽想が豊かで場面が展開されていく曲。

•ピアノのための11の新しいバガテル Op.119(1822年)◦2.3点


曲が1曲目以外は2分以下と短い。そのせいで各々の曲に断片的な感が増してしまったせいか、あまり魅力がない。

•ピアノのための6つのバガテル Op.126(1824年)◦3.3点


ベートーヴェンの最後のピアノ作品。最晩年の作品として、弦楽四重奏曲と同様のずっしりとした精神的な重さがあり、夢のような儚さと人生を回想するような曲集になっている。他のバガテル集よりずっと聴き応えがある。

•アンダンテ・マエストーソ(「さらばピアノよ」)ハ長調 WoO.62(原曲は作曲予定の弦楽五重奏冒頭のスケッチ。ディアベッリによりピアノに編曲。ベートーヴェン最後の楽想と見られる。)(1826年)


声楽曲

宗教曲・合唱曲

•オラトリオ「オリーヴ山上のキリスト」(Christus am ?lberge)Op.85(1804年)◦3.3点


中期に入り始めた時期の作品である。劇的で物語的な表現力の巧みさは十分に優秀で聴き映えがする。ベートーヴェンの器用さに驚く。ただし1時間近くてパンチが効いた曲なので、歌詞が分からず聴き通すのは疲れる。

•ミサ曲 ハ長調 Op.86(1807年)◦4.3点


この曲はマイナー作品と認識しており聴く前は期待していなかったのだが、ベートーヴェンの充実していた時期に相応しい大変聴き応えのある傑作で驚いた。ミサ・ソレムニスの普遍性と壮大さには一歩劣るにしても、音楽のドラマの天才的な充実感と高らかに人間の素晴らしさを歌い上げるような精神力と劇的な高揚感は圧倒的に素晴らしい。ただ教会音楽という感じはあまりしない。また、調子が一辺倒であり変化が少ないのは弱点。

•ピアノ、合唱、オーケストラのための幻想曲(合唱幻想曲)Op.80(1808年)◦2.5点


企画倒れと言われるが確かにそうかも。いい曲と言っていいか微妙。

•カンタータ「栄光の瞬間」(Der glorreiche Augenblick)Op.136(1814年)◦2.5点


それなりの長さのカンタータだがあまり面白くない。いつもの強靭な発想力や創造性に溢れた音楽でないと感じた。薄めのオケと、長い独唱の場面が多いせいかもしれない。

•連合君主たちへの合唱 WoO.95(1814年)◦2.5点


2分程度の短い合唱曲。君主を讃えるような雰囲気。

•カンタータ「静かな海と楽しい航海(Meeresstille und gl?ckliche Fahrt)」Op.112(1815年)◦2.8点


ベートーヴェン節が全開すぎる。また7分の短さにしては構想が大きすぎるため、構えて聴かなければ体が曲についていけない。

•「修道士達の歌」(Gesang der M?nche)WoO.104(1817年)◦2.0点

1分程度の断片的な合唱曲。

•ミサ・ソレムニス Op.123(1822年)◦5.0点

ベートーヴェン畢生の対策。第九と違いエンターテイメント性は無いので分かりやすくないが、充実の大作で大変聴き応えがある。


独唱曲

•遥かなる恋人に(An die ferne Geliebte, Liederkreis nach Alois Jeitteles)Op98(1816年)◦3.3点


連作歌曲全6曲。曲に変化をつけて対比させておらず曲が似ており、次の曲になった事に気付かないほどである。ささやかで親愛なる感情を感じる佳作だが、名作というほどだとは思わない。シューベルトに近いようなロマン派の萌芽を感じる曲。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/680.html#c19

[近代史3] 20世紀の音楽を切り開いたストラヴィンスキー「春の祭典」の衝撃 中川隆
9. 中川隆[-14003] koaQ7Jey 2020年2月06日 13:21:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-672]

クラシック音楽 一口感想メモ
イーゴリ・ストラヴィンスキー(Igor Fyodorovitch Stravinsky、1882 - 1971)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC

バレエ音楽
•『火の鳥』(L'Oiseau de feu, 1910年)◦4.0点


たった1年の違いであるが、ペトルーシュカと比較すると刺激が少なくて、かなりノーマルな曲である。地味で物足りないと初めて聴いたときは思ったが、よく聞くとやはり面白いフレーズがたくさんある。超絶的ではないにしても、かなり刺激的な音楽である。それとともに、音の使い方のセンスの良さに立脚した、かなり発想が斬新ながらもいい音楽がそこかしこで現れており、いい曲だなと純粋に感じられる場面がかなり多い。自由でファンタジー的で、幻想的な映像を見ているかのようである。

•『ペトルーシュカ』(Petrushka, 1911年)◦4.5点

春の祭典の高みの一歩手前とは思うが、この作品も匹敵するくらい非常に素晴らしい。様々なイメージが奔流のように湧き出てくる。刺激的な音が次々に飛び出して、息もつかせない。とにかく面白くてたまらない。圧倒的な面白さという点ではクラシック音楽でも屈指だろう。意外な音が出て愉しい気分になったら、また全然違う音が飛び出す。おもちゃ箱のような曲だ。

•『春の祭典』(Le sacre du printemps, 1913年)◦5.0点

センセーショナルさを現代でも失わず、それでいて古典的な完成度である。鮮やかなリズムと和声、印象的なメロディー、野生の匂いをぷんぷんと漂わす音楽は、強烈な魅力を放っている。音楽の複雑さが絶妙であり、最大級の効果を発揮している。聴く前から心躍るし、聴きながらもずっと楽しく音楽に酔うことが出来る。

•『プルチネルラ』(Pulcinella, 1920年)◦3.0点

組曲版で聴いた。不協和音がなく平明ながらも現代性のある音楽というのは斬新なものだとは思う。この独特な世界はなぜか印象と記憶に強く残る。一方で、純粋にいい曲と思うかというと、あまり思わないのが偽らざる感想である。新古典主義に入ったという音楽史的な意義の大きさに匹敵するような感慨は得られないと思う。編成が小さくて、アイデアも豊富ではないように感じる。初期の三部作が圧倒的すぎるせいかもしれないが。


•『結婚』(Les Noces, 1923年)◦3.3点

野蛮で原始的な響きに支配された、声楽主体のバレエ音楽。聴いた感じのインパクトはかなり強い。しかし、声楽主体で声楽の使い方は似たものが続くため、音の多様性が少なくなっており、よく理解できない。リズムやピアノの使い方などに圧倒される楽しさと、ストラヴィンスキーらしい音のセンスの良さを愉しむことは出来る。

•『ミューズを率いるアポロ』(Apollon Musagète, 1928年;改訂1947年)◦3.3点

弦楽器だけの合奏のため、どうしても刺激が少なくて地味になっている。ただ、芳醇な弦の響きと音の動きの滑らかさ柔らかさが魅力になっていて、これはストラヴィンスキーのバレエ音楽の中で特徴的な魅力になっている。新古典主義ということで、この曲も不協和音や前衛性はないが飽きにくいものになっている。ただ、弦楽合奏の機動力の低さのためか、聴いていてだんだん物足りなくなっていく。新古典主義の表現の限界も感じる。

•『妖精の接吻』(Le Baiser de la fée, 1928年;改訂1950年)◦3.5点

まさにチャイコフスキーの音楽にインスピレーションを得たバレエ音楽である。音の取り扱いにおける、華やかさとダイナミックさ、動きの舞台的で、心を踊らせて、人の身体をも踊らせようとするような内在的なパワーを、そして時に愛らしい愛嬌や幻想的で魅惑的な魅力をこの曲も持っている。しかし勿論、深いレベルのインスピレーションの結晶であり、全然表面的な真似ではない。高く評価してよいか迷うがなかなか楽しめるのは間違いない。

•『カルタ遊び』(Jeu de Cartes, 1936年)◦3.5点

新古典主義らしい不協和音はないが、19世紀らしい制約のない自由な新しい響きの楽しさを存分に味わえる。バレエ音楽らしい音の活力と物理的にフワフワとした感じも良く出ている。圧倒的な何かこそないが、プルチネルラよりはずっと良い。エンターテイメント的な楽しみで、音楽に浸れる。

•『バレエの情景』(仏:Scènes de ballet, 1944年)◦3.3点

新古典主義の滑らかで穏やかな音楽が心地よい。情景というタイトルはかなり適切かもしれない。少しチャイコフスキーのような饒舌で音が踊り躍動する感じがあるが、冷静にみていつものストラヴィンスキーという気もする。練達の音の魔術を発揮した曲で、さすがと唸ってしまう。

•『オルフェウス』(Orpheus, 1947年)◦3.3点

密度が薄い。映画のバックミュージックのように雰囲気を一定のまま少しずつ変遷させていくだけの音楽である。とはいえ、単体で聴くぶんにも、個別部分のセンスは感じるためエンターテイメントとしては楽しめる。新古典主義的だが平明すぎず、ある意味で円熟した技術と精神の熟成感ともいうべき良さがあると思う。

•『アゴン』(Agon, 1957年)◦2.8点

晩年の音が薄く枯れた感じが印象的。老人になったストラヴィンスキーはさすがにインスピレーションが衰えているのを感じる。場面は刻々と移っていき、バラエティは豊かだが内容があまり豊富という印象がない。新しい音世界を75歳になっても作り続けたことはすごい。しかし、音や楽想のつながりの有機性が足りない。


バレエ以外の舞台作品

•『兵士の物語』(L'Histoire du soldat, 1918年)◦3.0点

基本的には特殊編成による軽妙な新古典主義作品に聴こえる。かなりコミカルなところが面白い。また、まだ純数に単純化された新古典主義音楽になりきっていないところが魅力か。土臭いところが残っていて、親しみやすさを感じた。全曲盤は語りの時間が半分以上を占めていたからあまりお勧めできない。


交響曲

•交響曲第1番変ホ長調 Op.1◦2.5点


これをストラヴィンスキー作曲と当てられる人は少ないだろう。驚くほどロマン派の先達の模範に則った音楽であり、新奇性が少ない。それどころか、ストラヴィンスキーらしさすら私には見つけ難かった。開放的であり、機能的な近代管弦楽法が使われている。19世紀の様々な作曲家の要素が現れているのが分かるのが面白い。華やかさはあるものの平凡でオリジナリティーが少ない、のちの天才を感じにくい曲だと思う。

•詩篇交響曲(Symphonie de psaumes)◦3.5点


全3楽章。合唱付きでヴァイオリンとヴィオラなし。1楽章は前奏曲ということで、最初の盛り上がりを作る単純な曲。2楽章は神秘的な管楽器の合奏で始まり、合唱も神秘性と荘厳な宗教性を帯びている。3楽章は一番長い。辛気くさい宗教性を感じさせてから、場面転換をしながらじわじわと盛り上げていく。どちらかというと宗教曲にいが、本格的な精神性や、構成が透徹していて作り込みを感じるので、交響曲としてもあまり不満はない。響きに明快さと複雑さがあり、よくまとめられておりバランスがよい。ヴァイオリンが無いことでオケがくすんだ響きになり合唱を浮かびあがらせ、奥の深さを演出している。良くできた作品である。

•交響曲ハ調◦2.3点


全4楽章30分。正直なところ新古典主義らしい明確でシンプルな音の構成であり、ハ長調らしい素朴さがあるなあ、くらいの感想しか持てず、鳴っている音の意味を感じ取ることが出来なかった。耳をそれなりに楽しませるストラヴィンスキー独特の管弦楽の扱いと内部の複雑さがあることで、辛うじて聴き通せる。交響曲らしさも希薄。

•3楽章の交響曲(Symphony in 3 Movements)◦3.0点


1楽章は二次大戦の事件を連想させる強烈さもあるが、映画音楽のような軽さとジャズの要素もある多彩な曲。ピアノ独奏の活躍はかなり控え目。

2楽章はハープが活躍し、多少社会的な深刻さを醸し出しながらも、流麗な多彩さがある。3楽章も多彩な楽しい曲。全体に、交響曲を名乗るだけの普遍性と構成感は一応あり、ストラヴィンスキーにしては重さもあるのだが、とはいえバレエ音楽に近い雰囲気であり一般的な交響曲とは違う異色の作品。


協奏曲

•ピアノと管楽器のための協奏曲◦3.5点


管楽器だけだが、吹奏楽のようではなく、オーケストラ風である。弦がないため音のキレが良く乾いており、湿っぽさがない。1楽章は複雑で前衛的な切れ味鋭い系統のピアノソロが続く。音が絨毯爆撃のようにガンガンと演奏されるとともに、リズムの複雑さで楽しませる。なかなかの迫力である。2楽章は一転してラヴェルの協奏曲のような叙情性だが、そのあとは期待通りに捻りの入った展開をみせる。3楽章は押せ押せで気持ちいいし面白い。とても聴き映えのする曲で内容豊富。名作というほどではないが、なかなか楽しめる。

•カプリッチョ(Capriccio) - ピアノと管弦楽のための◦3.0点


全3楽章17分。ピアノのテクニックはあまり超絶技巧という感じはしないが、音数が多く十分に派手である。新古典主義時代の音楽とピアノ協奏曲の相性がよく、スリリングで新しい事が次々と起こるような作品となっていて耳を楽しませる。初期の原始主義的な音楽の雰囲気が出ている感あり、冷静で客観的すぎる新古典主義の曲の中では聞きやすい。

•ヴァイオリン協奏曲ニ調◦2.8点

1楽章はトッカータの名の通りの曲調。多くの楽器が軽快に刺激的に活躍する楽しい曲。2楽章はアリアといいつつ、前半は割と活動的で、管楽器が活躍したりする。後半は泣きの入ったフレーズも登場し、アリアらしくなる。3楽章は軽快なフレーズを執拗に積み重ねる曲。全体に軽快で楽器が多彩に音を重ねながら扱われて耳を楽しませるし、独特の音使いによる独奏も面白い。しかし、構成や雰囲気が軽すぎるし即興的に感じて、腹に落ちる感じがない。

•協奏曲『ダンバートン・オークス』(Dumbarton Oaks Concerto)◦3.0点

全3楽章14分。小編成の合奏協奏曲。この時代にしては割と親しみやすい。メロディーは断片的で分かりにくいが、くつろいだ落ち着いた雰囲気で、楽器数も15人と少なく音の複雑さを楽しみやすい。


•エボニー協奏曲(Ebony Concerto)◦2.5点

クラリネットとジャズバンドの曲。3楽章11分。ストラビンスキーのジャズの影響を端的に味わえる曲として面白いのだが、曲自体は評価やコメントが困難だと感じた。

•弦楽のための協奏曲ニ調(バーゼル協奏曲)(Concerto in D for String Orchestra (Basle Concerto))◦2.8点


全3楽章12分。バーゼル協奏曲とも呼ばれる。弦楽だけなので音のバラエティーが少ないが、その代わりにまったり感が強くて、2楽章の優美さなどの目新しさが出ているし、声部が少ないので、良くも悪くも難解さが少ない。


室内楽曲

•エレジー◦2.8点

無伴奏ヴィオラ用の曲。ルネサンスの宗教曲のような雰囲気のコラールであり、人の声に近いヴィオラの特徴が活かされている。面白い。


•八重奏曲◦3.5点

様々な管楽器の軽快な扱いと新古典主義の作風が非常にうまく合致していて、よく出来た作品に聴こえる。夢に出てきた編成で書いた曲とのことだが、編成として成功している。おもちゃが跳ねて踊って遊ぶようなイメージであり、諧謔的で可愛らしくて軽くて愉しい。楽章に分かれているわりには雰囲気は変わらないが愉しさに浸れるため気にならない。


•七重奏曲◦3.3点

12音技法らしいが調性感がある。編成はピアノが入っているのがよい。ピアノの使い方がうるさくなくてセンスがいい。1楽章はセンスがよくて、明るい旋律もよくてなかなかの名曲と思う。しかし2楽章以降はあまり面白くない。レベルが落ちてしまう。


•弦楽四重奏のための3つの小品◦3.0点

バグパイプ風だったり、特殊な現代音楽風だったり。3曲目は魔法のような神秘性がある。断片的ともいえる曲が3つ並んだ合計7分の小品で、好奇心のような刺激を受ける。


ピアノ曲

•『ペトルーシュカ』からの3楽章◦3.5点

超難しいことでコアなピアノ曲ファンには有名。ペトルーシュカのエッセンスが詰まっていて楽しいし、無茶なフレーズをあっさり弾きこなすプロの技も楽しめる。


•ピアノ・ソナタ(1924年)◦3.8点

1楽章は硬く前衛的で、即物主義的でもある。かなりのセンスを感じる。2楽章は不協和音を使ったやはり前衛的な曲で、音のセンスがかなり良いと思う。3楽章は無窮動ではじまり両手の2声が蠢めく。全般にプロコフィエフを連想するのだが、非常にセンスが良く、彼の一連のソナタ勝るとも劣らない名作だと思う。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/818.html#c9

[近代史3] ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」をもって現代音楽が始まった 中川隆
8. 中川隆[-14002] koaQ7Jey 2020年2月06日 13:28:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-671]

クラシック音楽 一口感想メモ
クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy, 1862 - 1918)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC

機能和声の枠を越えて新しい音楽を開拓し、印象派の名前のとおり曖昧で繊細な感覚的音楽を書いた。

音楽による詩情の表出力は天才的であり、詩のような小品において特に力を発揮した。

しかし、大規模な作品の場合も小規模の作品と同様の手法で書かれており、壮大さや力強さや構築的な展開に欠けるため物足りなく感じる。


バレエ音楽

•カンマ 1911-12◦3.0点


強い特徴は感じられないが、わりと聴きやすい。

•遊戯 1912-13◦3.0点


鑑賞用の曲としてどうこうというより、音楽的に非常に現代音楽の管弦楽曲に近いのが面白い。調声感の稀薄さと秩序に乏しい音の動き。

•おもちゃ箱 1913◦3.0点


わりと長いので全曲聴く価値があるかというと微妙だが、バレエ音楽として普通に楽しめる。


管弦楽作品

ドビュッシーの管弦楽曲はとらえどころがない曖昧な雰囲気に慣れる必要がある。


夜想曲 1897-99 Op91

•1曲目 3.5点

穏やかな曲調の中に一つひとつのフレーズに詩情に満ちた夜の世界が表現されている。

•2曲目 3.5点

夜想曲なのに祭典的な雰囲気の曲というのも面白い。なかなか充実感のある曲

•3曲目 3.5点

女性コーラスの神秘的な海の精の表現が素晴らしい。


管弦楽のための『映像』 1905-12 映像第3集 Op122

•1曲目 3.0点

特に強く映像的なものや想像力を喚起する印象はないが、管弦楽曲として純粋に楽しめる。

•2-1曲目 3.0点

活き活きとしたスペイン情緒が愉しい。ドビュッシーにしては分かりやすく楽しめる管弦楽曲。

•2-2曲目 3.5点

これと分かりやすく楽しめる。夜がテーマだが、いつもの静寂さではなく情熱の余韻が残っている。

•2-3曲目 3.5点

この曲もスペイン情緒満載で街中のような活気もあり愉しい。

•3曲目 3.0点

活気があり、珍しくウキウキしそうになるような感情を秘めている気がする。


その他の管弦楽曲

•管弦楽組曲(第1番) 1883 Op50

•交響組曲『春』 1886-87 Op61◦2.5点


悪い曲ではないが若書きの感じが強く、個性もそれなりに出ているが確立していない。

•3つの黄昏の情景 1892-93 Op83

•牧神の午後への前奏曲 1892-1894 Op86◦4.0点


パンの笛の冒頭が印象的。神話のような夢幻的で霧の中のように儚い叙情性の音世界に浸れるようになれば、大変に楽しめる曲。

•交響詩『海』-3つの交響的スケッチ 1903-05 Op109◦3点


海をテーマにここまで多彩な情景を表出できる強靭な想像力と描写力には驚くが、喜怒哀楽などの人間的な感情をほとんど感じない音楽なので、この長さの曲は自分は聴き通せない。

•スコットランド風行進曲◦3.0点


バグパイプ風の音が鳴る。行進曲といってもドビュッシーなのでノリノリでは無い。とはいえ他の管弦楽曲よりはリズムが多少充実。


協奏曲

•間奏曲 1882 チェロ Op27

•ピアノと管弦楽のための幻想曲 1889-92 ピアノ Op73◦2.0点


ピアノ協奏曲の一種。普通の協奏曲にややドビュッシーらしい味付けをしたような感じで中途半端。ピアノもそれ程効果的ではないし、内容的にいまいちで失敗作だと思う。

•サクソフォンと管弦楽のための狂詩曲 1901-11 サックス Op98◦3.0点


古代の神秘の音楽と、くぐもった音のサックスのソロを取り合わせたのが面白い。しかし曲の中に使われている動機にやや平凡さが感じられる。

•神聖な舞曲と世俗的な舞曲 1904 ハープ Op103◦3.5点


この構成の曲と聞いてドヴュッシーが期待させる通りの内容。ハープをドビュッシーらしい和声に載せた美しい調べで見事に活用している。ハープの美しさを堪能出来る。明るくリズム感もあり、なかなか良い。

•クラリネットと管弦楽のための第1狂詩曲 1909-10 クラリネットOp116◦3.0点


とりとめのない感じがある。クラリネットの音の甘さや諧謔性やロマンティックさなど、特徴をうまく活用して、ドビュッシーの語法と合体させることに成功している。


室内楽曲

•ピアノ三重奏曲 ト長調 1879?/80 Op3

•夜想曲とスケルツォ 1880,82 チェロとピアノ Op26

•弦楽四重奏曲 ト短調 1892-93 Op85 ◦2.0点


ドビュッシーならもっといい弦楽四重奏を書けそうだけどなあ、と残念に思う。楽章ごとの音楽の違いもはっきりしないし、正直なところ四楽章がなんとなくピンとくる位であり、よく分からない。

•クラリネットとピアノのための小品 1910 Op120

•シランクス 1912 フルート独奏 Op129 ◦3.0点


フルートの独奏。古代ギリシャを想起するのような音色で神秘的で面白い。いい曲

•チェロソナタ ニ短調 1915 Op135 ◦2.0点


渋い中に作曲技巧が凝らされているのかもしれないが、観賞して楽しむ対象としては、チェロソナタとしてもドヴュッシーの作品としても、あまり優れた曲とは感じられないのは自分だけ?短いから聞くのは苦にならないが。

•フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ 1915 Op137

•ヴァイオリンソナタ 1916-17 Op140 ◦3.5点


最後の作品。ヴァイオリンの機能や音色をうまく生かして内容のある音楽にきっちり仕立て上げられていると思う。あまり最晩年の作品という感じがしない。


ピアノ曲、連弾曲

前奏曲第1巻 1909-10 全12曲 Op117

•1曲目 2.5点

前奏曲集の前奏曲という感じ。静かに終わる。

•2曲目 4.0点

神秘的世界から沸き立つ詩情が強すぎて、匂いが漂ってきそうに感じる位すごい。

•3曲目 3.5点

野の放つ蒸気が混ざったふわふわとした風が青空と陽に照らされて舞っているかのよう

•4曲目 3.0点

神秘的な響きと静寂の活用の曲だが、少し特徴が弱い。

•5曲目 3.5点

野の中で風に吹かれるような心地よさ

•6曲目 2.5点

静かすぎて分かりにくい

•7曲目 3.0点

力強くピアニスティックな中間以降が面白い

•8曲目 3.5点

分かりやすい旋律で、この曲集では異色。人間より人形を描いたかのよう。

•9曲目 2.5点

特徴が弱くあまりインスピレーションをかき立てられない

•10曲目 3.0点

神秘的な夜の帳が落ちていく中のような風情があるが、珍しく静物的な重量感もある。

•11曲目 3.0点

妖精の踊りのようということで、躍動感はあるが力強くはなくふわっとしてる。

•12曲目 3.0点

即興的に展開する雰囲気を楽しむ曲


前奏曲第2巻 1911-13 全12曲 Op123

•1曲目 2.5点

前奏曲の前奏曲という感じ

•2曲目 2.5点

後期に多くある和音の響きと時々のパッセージだけの曲

•3曲目 3.0点

低音の響きとアラビア風の音階が印象的。

•4曲目 3.0点

運動的な音の流れがまさに妖精の踊り子

•5曲目 3.0点

曲集の中では割と輪郭がはっきりしている。

•6曲目 3.0点

ユーモラスな強面の将軍を想起

•7曲目 3.0点

曲集の中ではかなり分かりやすい曲

•8曲目 3.0点

超常現象が発生しているかのよう。

•9曲目 2.5点

重たさや運動的な場面など即興的

•10曲目 2.0点

ほぼ和音進行だけのような印象

•11曲目 3.0点

運動的で面白い

•12曲目 3.5点

華々しい花火の描写の曲で面白い


ベルガマスク組曲 1890 全4曲。1905年改訂 Op75

•1曲目 4.0点

初期ドヴュッシーの典型的な和声や音使い。清新な雰囲気で楽しめる。

•2曲目 4.0点

内容も充実の可愛らしさのあるいい曲。

•3曲目 4.0点

有名な曲。湖に映る月が鮮やかに浮かぶような映像的な曲。

•4曲目 4.0点

組曲の中では活発な曲。やはり叙情性が優れていて、中間に登場するメロディーも効果的。


忘れられた映像 1894 pf 全3曲 Op87

•1曲目 3.0点

美しい音階と和音の並行移動を楽しめる曲。

•2曲目 3.0点

静かな曲だが、音に主張と力強さがあり悲しさを内に秘めている。

•3曲目 3.0点

運動的だが激しくなく、鮮やかさがある。

映像第1集 1901-05 Op110

完全に印象主義絵画のような世界になり、聞きやすくないし、曲の内容を掴みにくい。

•1曲目 3.0点

有名な水系の曲の中で特に傑作の方とは思わないが、それなりに美しい。

•2曲目 2.5点

この曲のどこがラモーなのか分かってないのだが、曲は静かに和音を重ねるだけなので聴くのがつらい。

•3曲目 3.5点

ピアニスティックで抽象的な音の運動が愉しい。


版画 1903 Op100

版画は映像のように完全に輪郭のない印象主義絵画のような世界に突入しておらず、まだ輪郭を残しており聴きやすい。

•1曲目 3.0点

闇夜に光を発しているような幻想的な世界。

•2曲目 3.5点

穏やかな美しいスペインを見事に表現していて見事。

•3曲目 3.5点

雨がしとしとふる情景をこんなに情緒的に美しくて表せるのかと驚く。


映像第2集 1907 Op111

•1曲目 3.0点

非常に美しく印象主義的な雰囲気と音楽的な内容を両立してバランスを取ることに成功している。

•2曲目 3.0点

この曲もメロディーが少なく和音の動きによる印象主義的な曲で、深い夜の中に沈む月や荒廃した寺といったイメージの世界を極めて抽象的に描いている。

•3曲目 3.0点

三曲の中では一番運動的。やはり抽象的で内容は充実している。この曲を華やかな金粉や漆器の音化と解説するというのは、かなり抽象的で難解なことだと思う。


その他

•ボヘミア風舞曲 1880 Op9◦3.5点


書法がシンプルであるため自分で弾いたら物足らないのかもしれないが、耳で聴く限りはかなり魅力的でショパンに匹敵するような優れた小品。ボヘミア風が愉しい。

•管弦楽組曲(第1番) 1883 4手pf 全4曲 Op50

•ディヴェルティスマン 1884頃 4手 Op36

•2つのアラベスク 1888,91 Op66◦1曲目 4.5点


夢のように大変美しくて、キラキラと輝かしく可愛らしい傑作小品。初期を代表するピアノ曲。

◦2曲目 3.0点


こちらは普通の小品。やはり可愛らしさやキラキラした感じがよい。

•マズルカ 1890?/91 Op67◦3.8点


初期ドビュッシーらしい幻想的な音遣いで、あの粘り気たっぷりのマズルカが書かれており、とても面白い。聴く前はイメージが湧いていなかったが、聴けば納得の曲。

•夢 1890 Op68◦3.0点


初期らしい明確な和声に乗せたメランコリーと美しさは分かりやすくて良いが、曲としての全体の完成度や独創性は初期の中で高い方ではないと思う。

•舞曲 1890 Op69◦3.5点


当初『スティリー風タランテラ』とされていた。将来に前奏曲に入りそうな曲調。やや成熟しきっていない初期らしさはありながらも、かなり親しみやすく快活さがあるので楽しい。

•バラード 1890 Op70◦3.5点


メロディーの魅力が少な目である。その代わりに、バラードらしい自由な物語性を、初期らしい美しさと透明感の魅力で表現している点で、十分すぎるくらいに感動的に仕上げられている。

•ロマンティックなワルツ 1890 Op71◦3.0点


初期の曲の中では魅力が少ない方だと思う。エキゾチックな雰囲気を持つメロディーを活用した曲であるのは面白い。ワルツらしいのはごく一部のみ。曲の方向性が分かりにくいと思う。

•スコットランド風行進曲 1891 4手 Op77

•ノクテュルヌ(夜想曲) 1892 Op82◦3.0点


ノクターンという題名の期待値に比べると物足りない。中間からの場面は美しくて素敵だが、冒頭からしばらくが面白くない。もっと夜の世界を突き詰めて欲しかった。

•ピアノのために 1894-1901 Op95

•リンダラハ 1901 2台 Op97

•仮面 1903-1904 Op105◦2.5点


ベルガマスク組曲に入る予定だったそうだが、渋すぎて親しみやすい良さに欠けるし、耳につくメロディーもないのでベルガマスク組曲の各曲よりワンランク以上劣ると思う。

•喜びの島 1903-1904 Op106◦3.5点


ピアニスティックで曲が長くて、ラヴェルの夜のガスパールを思い出す。交響的な響きの充実がある。

•スケッチブックより 1904 Op99◦3.0点


タイトルがないぶん自由に聴ける。中期ドビュッシーらしい美しさをたたえた小品。

•コンクールのための小品 1904 Op108

•子供の領分 1906-08 Op113◦3.5点


練習曲に挑戦する子というテーマと練習曲風の冒頭が面白い1曲目と、ケークウォークの可愛い六曲目が耳につく。他もアイデアがあるいい曲ばかり。

•小さな黒ん坊 1909 Op114◦3.0点


ケークウォークに独自の捻りを入れている感じはあまりないが、聴きやすいといえば聴きやすい。

•ハイドンを讃えて 1909 Op115◦3.0点


前奏曲に入ってそうな小品。どこがハイドンなのかはよく分からない。

•レントより遅く 1910 Op121◦2.5点


ふわふわとした取り留めのないワルツ。

•6つの古代墓碑銘 1914 4手 Op131◦3.5点


完成が後期の曲にしてはかなり分かりやすく聴きやすい。前奏曲集1頃の作品に聞こえる。はるか古代へ想いを馳せるような雰囲気はドビュッシー頻出のものの一つだが、それを6曲存分に味わえる。

•英雄的な子守歌 1914 pf Op132◦2.8点


子守唄という可愛らしい題名だが、動きに力を欠きグロテスクな音の動きが支配的名ピアノ曲である。葬送行進曲に近いイメージすら抱いてしまう。

•慈善団体「負傷者の衣」のために 1915 Op133

•白と黒で 1915 2台 Op134

•12の練習曲 1915 全2巻 Op136◦2.5点


12曲もあり、ドビュッシーの音楽の語法を活用しているものの、どちらかというと普通に練習曲としての性格が強く、鑑賞用の曲としては他の小品集ほど楽しめない。

•見出された練習曲 1915◦3.5点


本家の12の練習曲より内容が充実している。いい曲。

•エレジー 1915 Op138◦2.5点


晩年の小品だが、特に着目するほどの特徴やメロディーはないと思う

•燃える炭火に照らされた夕べ 1917


合唱曲

•カンタータ『選ばれし乙女』(La demoiselle élue)◦3.3点


もやっとした神秘的な雰囲気の中で、合唱も神秘的に進む。ドビュッシーとしてはありきたりにも感じるが、オーケストラだけでないために聴きやすいのが良い。短くない曲だが、ふんわりと大きな音楽の変化なく進み、ある意味では耳に優しくて、一歩間違えればムードだけの音楽になりそうなくらいだ。しかし、独特な印象派らしい世界観の構築のもとに作られた美しい音楽であるため、飽きない。途中で一瞬だけプッチーニを連想する場面があり、面白い。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/809.html#c8

[近代史3] バルトークの家系と出自 _ バルトークは作品ごとにマジャール人、スラヴ人、ルーマニア人、ジプシーが顔を出す 中川隆
27. 中川隆[-14001] koaQ7Jey 2020年2月06日 13:31:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-670]

クラシック音楽 一口感想メモ
バルトーク・ベーラ(Bartók Béla Viktor János 1881 - 1945)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF

管弦楽曲

•交響詩『コシュート』 (1903年) Sz.21◦3.5点


まだバルトークらしい前衛的な音楽ではなく、Rシュトラウスや、さらにいえばチャイコフスキーみたいに感じる部分もある。でもなかなかの力作でいい曲。22歳でこんなに本格的な曲を書けたバルトークはやはり天才作曲家だった。

•管弦楽のための組曲第1番 (1905年、1920年改訂) Op.3 Sz.31◦2.8点


まだ初期の作品で音楽的にはほぼ完全に19世紀末のロマン派の内容であり、たまに変な音の使い方が出てくるがほんの一瞬であり、前衛的な世界は殆ど無い。洗練されていない土泥臭さや牧歌的なユルさを感じる所が魅力。たまに出てくる運動会みたいなノリも楽しい。長い曲であり、個々の場面は悪くないのだが、やや散漫で冗長なので全体として長さに見合った効果を挙げているとは思えない。晩年の管弦楽のための協奏曲と類似する所がある。

•小管弦楽のための組曲第2番 (1905年-1907年、1943年改訂) Op.4 Sz.34

•『舞踏組曲』(1923年)Sz.77 ◦3.5点


舞踏的ということで、民族的なフレーズやワイルドさも聴きやすくまとめられており、なかなか良い。

•弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 (1936年) Sz.106◦3.8点


バルトークの作曲技術の高さや、不思議な東洋的神秘などの民族的要素や前衛など多くの要素を取り込んだ、作品としてがっちりと構築され、交響曲のような規模の作品として結実している。メロディーや和声は分かりやすいので十分に聞きやすく、しかし平明過ぎず刺激的であり、曲の長さも適切で楽しみやすい。

•弦楽のためのディヴェルティメント (1939年) Sz.113◦3.0点


1楽章と3楽章は調性が明確で楽しく分かりやすい音楽。2楽章は晦渋でバルトークらしさを記憶に残す。バルトーク入門には良いかもしれないが、明快過ぎて特段の素晴らしさがなく、あまり面白くない。

•管弦楽のための協奏曲 (1943年) Sz.116◦3.0点


一般的な曲のような平明な聴きやすいフレーズと不思議な雰囲気をバラエティー多く用意し、各楽器に活躍をさせる曲ということで、バルトークの中では人気のある曲になっているのだろうか。正直なところ、単純化のせいでバルトークの特長が消えており、普通の曲として聴くと別にそれ程魅力的な音楽というわけでもない。音楽の密度も低いし、高い評価は出来ない。恐らくバレエ音楽のような聞き方をするのが正解。

協奏曲

•ピアノと管弦楽のためのラプソディー (1904年) Op.1 Sz.27◦3.0点


まだ前衛的になる前の作品。ピアノのためのラプソディーSz.26の編曲。音楽的には平明ではあるがメロディーが全然印象に残らず心に響かないため、平凡な作品だと思う。しかしながらピアノ書法が素晴らしい。非常に華やかに活躍しており重すぎず軽すぎず使われる技巧も的確で見事である。ピアニストとしても一流だったので、ピアノの機能と特徴を知り尽くしていたのだろうなと思う。個人的にはピアノ独奏版の方が印象的。

•ピアノと管弦楽のためのスケルツォ(ブルレスク)(1904年) Op.2 Sz.28◦2.3点


初期の作品であり後期ロマン派の語法の範疇で書かれている。しかし、内容に冒険が少なくて個性の発揮も少なく、ありきたりと感じる場面が多い。ピアノも地味であまり活躍しない。大作にしてはあまり面白くない。駄作一歩手前と思う。

•ヴァイオリン協奏曲第1番 (1907年-1908年) Sz.36◦2.8点


2楽章しかない。死後に発見された曲。1楽章は悲嘆の感情をゆったりと歌っており、しんみりとさせられる。2楽章も叙情的でテンポが遅い場面が多く、1楽章と割と近い雰囲気。終わりの方はちゃんと盛り上げて終わるが。聴きやすい曲ではあるが総合性が足りない。

•ピアノ協奏曲第1番 (1926年) Sz.83◦3.3点


1楽章は明快でピアノが全面に出ている。2楽章は民族音楽的な要素が非常に強く、ほとんど完全にアジア音楽の世界である。3楽章はバルトークらしい前衛性を持っているが、基本的に快速で明快で軽やかな気持ちいい音楽。

•ピアノ協奏曲第2番 (1930年-1931年) Sz.95◦3.8点


1楽章は弦楽が使われていないせいか、多面的で多層的な印象であり、ピアノの技術的に特殊な箇所が何カ所も出てきて驚かされる。ピアノが全面に出て活躍する。2楽章は亜空間のような不思議な神秘的な雰囲気。高速な中間部分のピアノがかっこいい。3楽章はワイルドで力強く、ピアノもオケもとても格好いいしセンスが良い。

•ヴァイオリン協奏曲第2番 (1937年-1938年) Sz.112◦3.0点


調がはっきりしている分かりやすい音楽になったり、無調になったり、雑多な音楽がどっさりと混ざっていて、どのような曲なのか把握しにくいと感じる。ヴァイオリンを様々なやり方で歌わせる事に長けたバルトークの良さは独奏において出せているとともに、大作に見合った内容の豊富さはあるかもしれないとは思う。しかし録音で聴くせいだからか各場面の印象が弱く、そこそこの魅力の音楽が繋げられているだけのように聞こえる。正直に言うとあまり面白いと感じない。

•ピアノ協奏曲第3番 (1945年) Sz.119◦3.3点


1楽章は強い捻りが随所に大量に入ってあるとはいえ、アメリカ的気分を感じるロマン派協奏曲で驚く。2楽章も都会的な所が20世紀のアメリカ的なロマン派協奏曲。3楽章はほとんどガーシュインの世界である。全体的にロマン派の音楽に近すぎるが、アメリカ的なので陳腐すぎず楽しめるといったところか。

•ヴィオラ協奏曲 (1945年) Sz.120◦3.3点


ヴィオラの落ち着いた艶めかしい音を楽しむ曲。この曲において引き出されている中音域を主体とし幅広い音域で魅せられるヴィオラの魅力はなかりのものであり、じっくりと堪能できる。ただし、メロディーは耳につかないので、なんとなくいいなあと思いながら聴く曲ではある。管弦楽は本人作でなく控え目なのでなおさらヴィオラが大活躍である。


舞台作品

•バレエ音楽『かかし王子』1914年-1917年、Op.13 Sz.60 BB.74◦3.8点


色彩感の豊さに驚かされる。リヒャルト・シュトラウスを彷彿とさせる豪華なオーケストレーションであり、その中で鋭角的なメロディーセンスを披露しているところがバルトークらしい。おとぎ話のような可愛らしい曲調であり、その雰囲気だけでも楽しいが、場面の移り変わりや、踊れるバレエ音楽らしさもあるところがさらに良い。エンターテインメント音楽として、かなりの出来だと思う。

•パントマイム『中国の不思議な役人』(1918年-1924年、1931年改訂) Op.19 Sz.73◦4点


バルトークらしいワイルドさと、管弦楽の色彩の豊かさ、リズムの多彩さ、テンポと楽想の表情の豊かさが合わさっている。明らかに影響を受けているストラヴィンスキーの有名バレエ音楽に匹敵する素晴らしい出来映えである。抽象的で思弁的なバルトーク作品の中で、例外的に華やかで情景を音を描くような作品なので、聴いていてとても楽しい。

室内楽曲

•弦楽四重奏曲第1番 (1908年-1909年) Op.7 Sz.40◦4.0点


まだ1908年の作品とは思えないほど前衛的で異様に緊張感の高い響き。1作目から既に完成度が高く、まさに新たな表現の地平を切り開いて20世紀の弦楽四重奏の礎となった感が強い。鋭い不協和音や、対等な四つの楽器がうねってぶつかり合う、テンションの上げ下げ、音の間の活用、独奏と合奏やユニゾンの対比など、弦楽四重奏ならではの柔軟な表現力や手法を効果的に使っている。

•弦楽四重奏曲第2番 (1915年-1917年) Op.17 Sz.67◦4.0点


2楽章の終わり近くの高速部分はかっこいい!1楽章は悪く言えば民族的音楽と無調の折衷的音楽にも聞こえてしまう曲で、中間の展開部の力強さ以外はまあまあという感じである。2楽章で段々ボルテージを上げて極限に達し、そのあとに3楽章の汚れた浄化と呼びたいような、荒廃した静寂世界へのつなげ方が非常に秀逸で見事である。

•ヴァイオリン・ソナタ第1番 (Vn.&Pf) (1921年) Sz.75◦4.0点


無調的な凄い作品。1楽章は研ぎ澄まされた鋭利な刃物で構えているような、異常な緊張感で貫かれている。2楽章のアダージョも同様の緊張感で、さらに本当に人を襲おうとしているかのような狂気と恐怖感を感じる。3楽章は速度を上げる。相変わらずの緊張感でテンションが上がり凄いが、ヴァイオリンソナタの限界かバルトークがやりすぎを抑えたのか、異常を維持出来ない箇所が所々あると感じる。

•ヴァイオリン・ソナタ第2番 (Vn.&Pf) (1922年) Sz.76◦3.3点


ヴァイオリンソナタ1番と同じ系統の無調的で音の鋭利さを主な特徴とする音楽である。しかし1番で見せた圧倒的な緊張感や異常性は薄れ、切れ味がやや鈍り、所々でまとまりが悪く中途半端な印象を持ってしまう。勝手な印象だが1番のソナタとの内容の重複を避けた結果のように感じた。

•弦楽四重奏曲第3番 (1927年) Sz.85◦4.0点


バルトークの弦楽四重奏曲で一番短い。単一楽章だが部分の区切りは割と明確である。無調的だが、聞きにくく無い。簡素だが緊密で無駄が無く、特殊奏法の使い方、音の重ね方、音響やフレーズなど、前衛的だが非常に高いセンスと閃きの良さに感心する。

•ヴァイオリンとピアノのためのラプソディー 第1番 (1928年) Sz.86◦2.8点


尖った民族性ともいうような、少しきつめの雰囲気。あと一押しの雰囲気だけでない何かがほしい。

•チェロとピアノのためのラプソディー 第1番 (1928年) Sz.88

•ヴァイオリンとピアノのためのラプソディー 第2番 (1928年、1944年改訂) Sz.89◦3.0点


1番と雰囲気も感想も同じだが、後半パートの野蛮性が好きな感じなので少し評価は上。

•弦楽四重奏曲第4番 (1928年) Sz.91◦3.5点


特殊奏法が多く登場する。簡素な3番とは1年しか違わないが、かなり異なる曲。音自体の面白さを楽しめる点では素晴らしいが、音世界を尖鋭化し過ぎてやり過ぎになり、精神的には少し殺伐とし過ぎていると感じた。アーチ型ではあるが、曲のストーリーが追いにくいと思う。

•44のヴァイオリン二重奏曲 (1931-32年)Sz.98 Op.104 ◦3.3点


民族音楽を素材にしている。渋みとコクのある断片的な小品の曲集。教材として書かれた名曲があるわけではないし、本格的な曲もない。ヴァイオリンは音数が少なく簡素の書法である。しかし、気楽に聴けるのと、低音のない地に足の着かない響きのせいか、不思議な民謡の魔力を秘めたかのような魅力が心を捉える。

•弦楽四重奏曲第5番 (1934年) Sz.102◦4.0点


最初の方はあまり緊張感が高く無いのだが、後半になるに従い緊密度を増して先鋭的になり、おぞましい恐怖の世界を構築していく。最終楽章は魑魅魍魎の飛び交う世界のようである。耳に刺さるような音の痛さは少ないが、まさに天才が狂気をさらけ出した音楽。

•2台のピアノと打楽器のためのソナタ (1937年) Sz.110◦4.3点

全3楽章。特殊編成であるが、バルトークの良さを引き出すのに実に適切と感じる。神秘的で東洋的な雰囲気を出す打楽器、2台のピアノは分厚く、豊富な音数を使って自由な表現を実現している。先鋭的な音使い、充実したリズム、夜の歌など様々なバルトークらしい要素がよくまとめられており、音楽的に充実しているとともに詩的な情緒の面でも充実している。聴きやすさもあり、代表作の一つとして楽しめる作品。

•弦楽四重奏曲第6番 1939年 Sz.114◦3.5点


内省的な印象が強くなり、尖鋭性や強烈さは抑えられている。悲しみの主題が曲を覆い、時代背景を象徴しているのだが、分かりやすいエレジーの類ではない。古典的な印象があり、割と正気を保っており毒の少ない内容は、やや物足りない感じがする。

•無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 1944年 Sz.117◦3.3点


バルトークらしい強烈な緊張感をベースにヴァイオリンの音に強い意味と存在感を持たせる音楽は、無伴奏ヴァイオリンに向いているのだろう。しかし、無伴奏なので音の繋がりを簡単に把握出来ないため、難解な音楽であり、4楽章以外は簡単には聴けない。すごい何かを聞いた気分にはなれるが、それが何なのか分かりそうにないもどかしさがある。

ピアノ曲

•ピアノのためのラプソディー (1904年) Op.1 Sz.26◦3.3点


24分の大作でものすごい力作である。ハンガリー風の動機をふんだんに活用しながら自由に音楽が展開していく。曲としては、力作ぶりに圧倒されるものの、分かりやすくないし感動する感じではない。しかしながらピアノ書法が見事である。技術を駆使して華やかで幅広いピアノの能力を引き出しており、その点でピアノ音楽が好きな人なら、上位にランキングされるだろう。

•アレグロ・バルバロ (1911年) Sz.49◦3.5点


まさに野蛮なアレグロである。ゴツゴツした無機質で異質な音の岩の塊を並べたような曲。ごくみじかい曲だが、密度が濃すぎてもっと長く感じる。

•ソナチネ (1915年) Sz.55◦3.5点


3楽章合計4分の短い曲。ソナタ形式が使われておらず、どちらかというと3曲の小品集に近い。ただ、民謡が使ったこの曲はインパクトがあり出来も良いため、アピールの観点ではソナチネという命名は正しい気もする。

•ピアノのための組曲 (1916年) Op.14b Sz.62◦3.5点


小さな小品4曲。演奏会用の曲なので華々しい技巧が使われている。バルトークが民族音楽の研究の結果を自分の中で消化して生まれた本格的で意欲的な作品であり、かなり聴き映えがする。前衛性はほどほどであり、適度に耳を突き刺す音の痛さが心地よい。

•戸外にて (1926年) Sz. 81◦3.5点


全5曲。この時期に書かれたにしては調が明確で曲想もわかりやすく聴きやすい。激しいのは最後の曲だけであり静寂を主体としている。ドビュッシーの後継者と呼びたい程の詩情がある。

•ピアノ・ソナタ (1926年) Sz.80◦3.3点


ピアノを打楽器的に扱う語法が目立ち、ゴツゴツして野蛮な印象で迫力がある。バルトークらしい異質で鋭角的で前衛的な音楽を本格的に聴かせるピアノ曲として貴重な存在。しかし、ソナチネと呼んでもよいような小さな規模であり、総合性の観点では少し物足りない。

•ミクロコスモス (1926年から1939年)◦N/A


教育用の小曲の集まり。抜粋して少し聴いた印象だと、教育用の大部分は鑑賞するにはつまらないが、後半の難易度が高い曲になると鑑賞に耐える曲になる。

•6つのハンガリア舞曲◦3.0点


ミクロコスモスの最後の6曲。短くてかなり軽い。ごく短いピアノ曲。


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/807.html#c27

[近代史3] 誰にも理解されなかった超天才ショスタコーヴィチの人格の歪とは 中川隆
42. 中川隆[-14000] koaQ7Jey 2020年2月06日 13:35:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-669]

クラシック音楽 一口感想メモ
ドミートリイ・ショスタコーヴィチ( Dmitrii Dmitrievich Shostakovich, 1906 - 1975)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81

20世紀生まれの唯一のメジャーな大作曲家。

戦中戦後のロシアの悲劇を連想させる現代的な社会性を音楽芸術として昇華させつつ、古典的な形式であり、和声も歪んではいるがとっつき易いのが人気の所以か。

スケールが大きく深刻でシリアスな本格的なところが魅力である。一方で軽妙でシニカルさが魅力の曲も多い。

ただ個人的には、頭の中だけで書いたような機械的な書法に感じたり、わざとらしい作り物の盛り上げ方が気になる時がある。


交響曲

•交響曲第1番 ヘ短調 作品10 (1925年)◦3.5点


19歳の作品で、音に純朴さはあるがセンス抜群で非常によい。後年のひねくれたセンスや国家的なものとの戦いの要素がまだなく、精神的深さは無いものの彼の音感が原石として現れており、それが素晴らしい。

•交響曲第2番 ロ長調 作品14 「十月革命に捧ぐ」 (1927年)◦3.5点


前衛的な一楽章もの。短くて聴きやすい。ウルトラ対位法の部分はもの凄く面白い。だが最後の暑苦しい合唱はいやになる。1番ほどの感動は無いが、音楽としての充実と楽しさは上である。

•交響曲第3番 変ホ長調 作品20 「メーデー」 (1929年)◦3.5点


後年のショスタコらしさがかなり現れている。後年に見られる同じ音型を一定時間繰り返すことをせず、きびきびと次に展開していくのが非常に好印象でかなり良い。内容が濃い。

•交響曲第4番 ハ短調 作品43 (1936年)◦3.5点


1楽章はマーラー的なスケールの巨大な音楽。展開部の超高速のフーガは狂気にも程がある。マーラーのようなオーケストラの酷使と、ゴツゴツした荒さと、素材の乱暴な扱いによる取っつきにくさが魅力。2楽章もスケルツォも3楽章も同様の印象である。5番以降のように器用に整理されておらず、生々しい、未整理の"音のるつぼ"であるのが大きな魅力であると同時に、聞きにくく分かりにくい欠点にもなっている。

•交響曲第5番 ニ短調 作品47 (1937年)◦5.5点


純音楽的に優れているという点ではショスタコーヴィチの最高傑作だと思う。特に1楽章と3楽章は非常に出来がよい。他の交響曲の深い精神世界を知ってしまったファンは、この曲を浅く感じるので最高傑作と呼ばないかもしれないが、初心者にはやはり真っ先にお勧めしたい。

•交響曲第6番 ロ短調 作品54 (1939年)◦4.0点


1楽章はマーラーのようなゆったりした時間の流れで、大河的な巨大なスケールで叙情的に沈鬱な表情で世界の悲劇を嘆くような、非常に秀逸な楽章。2楽章は1楽章を受けた軽くて気分転換できる良い曲。3楽章は表面的な音楽でいまいちなように感じられるが、裏に皮肉や偽善を隠しているのに着目すると天才的と感じる曲。

•交響曲第7番 ハ長調 作品60 (1941年)◦4.5点


派手にドンチャン騒ぎする曲。確かに浅いから「壮大な愚作」という評価はしっくりくるものであるが、とはいえ大河的、国家的な壮大さを表現できており、やはりよい曲といえると思う。特に1楽章の中間の部分や3楽章は優れていると思う。

•交響曲第8番 ハ短調 作品65 (1943年)◦4.0点


純音楽的にはすこし冗長さが感じられたり響きの多様性や発想力が5番より劣る気がするが、精神的な深さとドラマ性では上回る。

•交響曲第9番 変ホ長調 作品70 (1945年)◦3.0点


この曲は第九なのにスケールが小さく肩すかしを食わせた曲として有名だ。自分は率直に言ってどう聴いたら良いのかよく判らない。いつもの精神的重さが無いが、それを代替する何かがあるかというと、センスが特別に良いとは思わないし、思い当たらない。交響曲と呼ぶのに必要なものが足りない気がする。交響的な組曲を聴く位の気分で気軽に接するのが正解だろうか。一応後半は何故かいつもの交響曲らしさを少しみせたりするが。

•交響曲第10番 ホ短調 作品93 (1953年)◦4.0点


古典的な均整の取れた4楽章制であり、内容も正統派の力作。古典性を備えた交響曲としては最後の作品集。8年経ち久しぶりの交響曲として気分一新で書いた事が伺える。スターリン時代の人々の苦悩や暴力が国家的なスケール感をもって見事に描かれているし、表面的な表情の裏では別のことを考えていそうな多義性もある。ただ、ショスタコーヴィチが狙っているその通りに音楽が進みすぎるような、作り物っぽさをどこかに感じる。

•交響曲第11番 ト短調 作品103 「1905年」 (1957年)◦3.5点


キリキリと音楽のテンションを高めたり沈鬱な音を鳴らして精神的なものを表現する感じが薄い、描写的な音楽。映画に使えそう。描写的なので音楽として楽しく聴ける。異常なテンションの高さが現れないので長い曲だが聴いていて疲れずまったり楽しめてよい。

•交響曲第12番 ニ短調 作品112 「1917年」 (1961年)◦2.5点


13番と共通するエグい音が散見される。あまり精神的な深い世界を描いていない描写的な交響曲だが、同じように扱われる11番ほど音の密度が濃くなく説得力がない。音だけではよく分からず曲の世界にのめり込めない。

•交響曲第13番 変ロ短調 作品113 (1962年)◦3.8点


全5楽章。バスの独唱と合唱のみであり、特に読経しているかのような単一声部の男声が暑苦しくも凄い迫力で印象的。大河的で圧倒的に巨大で骨太な音楽であり、歴史の闇を生々しく描き真正面から告発するような内容である。オーケストラは低音を使いドーンとかグワーンと鳴らされるのが、読経のような合唱とあいまって東洋的に感じる。異様な迫力と生々しさと巨大さは4番と並ぶ。最大限に深刻な1時間の音楽を緩みなく作りきった精神力は感服するが、純粋に音楽として評価すると、曲の雰囲気があまり変わらず、楽想のバラエティーの豊さはショスタコービチの交響曲の中で一番少ないと思うため、力作だが名曲というには少し足りない。

•交響曲第14番 ト短調 作品135 (1969年)◦3.5点


全11楽章の歌曲の交響曲。晩年の不思議な美しさが顔を見せている。13番同様に力作である。マーラーの大地の歌同様に体裁は交響曲ではないが内容の充実と有機的なテーマの関連性とつながりがあるので交響曲と呼ばれることに違和感は無い。久しぶりに歴史や国家から離れて個人の世界がテーマになった曲。バラエティーと変化に富むので聴きやすい。

•交響曲第15番 イ長調 作品141 (1971年)◦3.0点


様々な楽曲の引用で彩られたショスタコ流の人生回顧曲。ここでも歴史や国家のテーマは感じられない。曲の不思議な明るさと無邪気さには童心回帰を感じる。後半は音が薄く虚無感がある。謎めいた夢の中に帰るような終わり方は素晴らしい。しかし全体としては名曲とかの類ではないと思う。


弦楽四重奏曲

•弦楽四重奏曲第1番 ハ長調 作品49 (1938年)◦3.0点


明朗で爽やかな印象が強く分かりやすい。とはいえ諧謔などショスタコらしい要素は詰まっている。ちゃんとした音楽を充実した内容で書くという自信を感じる。

•弦楽四重奏曲第2番 イ長調 作品68 (1944年)◦2.5点


2次大戦中の曲で、大作。一楽章は少し変わった雰囲気でショスタコじゃないみたい。二楽章以降はなかなか本格的で重い。精神的にもなかなか深いものを表現している。ただ音楽の素材は彼の中の一級品は使ってないと思う。

•弦楽四重奏曲第3番 ヘ長調 作品73 (1946年)◦3.5点


交響曲8番と共通する悲劇的で深い世界を表現している。中期の交響曲群に匹敵する重さと響きの質の高さを持った作品。

•弦楽四重奏曲第4番 ニ長調 作品83 (1949年)◦2.5点


悪くはなく所々いい場面があるのだが強い印象は無く地味。曲の素材が一級品でなく二軍を使ってる。

•弦楽四重奏曲第5番 変ロ長調 作品92 (1952年)◦3.0点


アダージヨが美しい名作で心惹かれた。その流れで三楽章も楽しめた。最後の場面はショスタコ得意のパターンとはいえ美しい。

•弦楽四重奏曲第6番 ト長調 作品101 (1956年)◦2.5点


ショスタコの四重奏にしては全体が快活な雰囲気でまとめられており聴きやすい。

•弦楽四重奏曲第7番 嬰ヘ短調 作品108 (1960年)◦2.5点


短い作品で、ショスタコ節を鳴らして終わる普通の曲。

•弦楽四重奏曲第8番 ハ短調 作品110 (1960年)◦3.5点


激情にかられて一気に書いたという逸話に納得の内容。彼の熱い思いがみなぎるテンションに圧倒される。

•弦楽四重奏曲第9番 変ホ長調 作品117 (1964年)◦3.0点


ショシタコらしい音がして、バラエティー豊かで内容は豊富でバランスが取れているという点で聴きやすい。

•弦楽四重奏曲第10番 変イ長調 作品118 (1964年)◦3.0点


交響曲のような発想が所々あり、力強い楽章などそれなりに聞き応えがある。

•弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調 作品122 (1966年)◦3.0点


ダークで殺伐とした静かな後期の世界が展開される。複雑怪奇なフレーズは少ない。夜の闇の静けさの中で事象が発生しはるか遠くに消えていくかのようである。

•弦楽四重奏曲第12番 変ニ長調 作品133 (1968年)◦3.5点


歯止めの利かないクレイジーさはベートーベン後期のようだ。二楽章はしつこく繰り返される動機が妙に印象に残り、その間を自由で即興的で異様な内容の音楽がつないでいく。やけに即物的な音楽であるが、それがいい。後期四重奏の魅力を強く感じられる。

•弦楽四重奏曲第13番 変ロ短調 作品138 (1970年)◦3点


リズムがなく、もはや観客の視点も無い。暗闇の中で何かが唸っているような、自然の中の何かの現象が発生しているような曲。構成感も希薄で現代音楽のよう。雅楽のような虚無の使い方。ショスタコにしてはやり過ぎではないかとも思うが、割り切って聴けば悪くない気もする。
•弦楽四重奏曲第14番 嬰ヘ長調 作品142 (1973年)◦3点


1楽章はヘンテコで正直どう感じればいいのか分からない。二楽章はやたら分かりやすい、そして分かり易いと自然と感情移入できるというのを実感する。三楽章も自由だが割と音楽になっており理解は可能。

•弦楽四重奏曲第15番 変ホ短調 作品144 (1974年)◦3点


全編アダージョの長い曲だが、音楽的に充実していて飽きることなく最後まで聴ける。後期の四重奏の中で一番聴きやすい。ヴィオラソナタのように最晩年らしい特別な感情や世界が展開されてる感じではなく、ただただ叙情の世界である。

•弦楽のためのレクィエム 作品144bis(原曲は第15番)

管弦楽曲・吹奏楽曲

•タヒチ・トロット (1928年)◦3.5点


ヒットソングの編曲で、45分でオーケストレーションしたらしい。なかなか洒落ていて色彩的で愉しい編曲で面白い。何しろ原曲が秀逸である。

•ジャズ・オーケストラのための第1組曲 (1934年)◦3.5点


いわゆるジャズに分類される音楽ではないが、今でも耳にする事があるようか古いバンド向けお洒落音楽ではある。線を繋げて構成するショスタコーヴィチの柔軟さが生かされている。洗練度は微妙だが、クラシック専門作曲家にしてはセンスがよい。奔放な発想力が凄い。

•ジャズ・オーケストラのための第2組曲 (1938年)◦2.5点


ブラスバンド用もしくはディズニーランドで流れているような音楽のよう。ごくありきたりの音楽であり、悪い曲ではないがショスタコーヴィチ作曲である附加価値は何も無い。なお、いわゆるジャズ的な音楽ではない。この曲の本来の題名は舞台管弦楽のための組曲であり、誤って「第2番」として知られてしまっているのだそうだ。

•荘厳な行進曲 (1941年)

•バレエ組曲第1番 (1949)◦3.5点


非常に軽妙な舞台音楽の再編集による組曲。よくある音楽にショスタコーヴィチらしい味付けがされており、作曲者の個性がちゃんと発揮されている。センスがかなり良いし表情豊かで1曲ごとにちゃんと個性があるので、心底楽しい気分で聴ける。いつもの深刻なショスタコーヴィチとは全然違う一面がみれる。この曲集は1曲が非常に短いので聴きやすい。

•バレエ組曲第2番 (1951)◦3.8点


2曲目に独奏チェロを使用した7分程度のアダージョがあるのが特徴。アダージョといっても軽くて楽しい気分で聴けるものである。そのような楽しい曲を書けたショスタコーヴィチのセンスに驚く。その他の曲は1番と基本的に似ていて、同様に楽しめる。4曲目のトランペットの独奏によるロマンスは昭和の歌謡曲のようで面白い。そして非常にいい曲。

•バレエ組曲第3番 (1952)◦3.0点


この曲集もやはり個性豊かで聴いていて楽しい曲の集合である。しかしながら、曲にありきたりな感が増している印象をうけた。はっとするような感動や感心してしまうような場面が少なくて、よくある音楽にわずかな一捻りを入れただけの曲ばかりと思ってしまった。

•バレエ組曲第4番 (1953)◦2.8点


3曲しかなくて1曲が3から5分程度と長いのが特徴。どれも普通の曲であり、あまり特徴が無いので面白いと感じなかった。他のバレエ組曲同様に軽快ではあるが、軽やかさが少ない。

•祝典序曲 (1954年)◦2.5点


ファンファーレ吹きまくりのノリノリの曲である。生で聴いたら楽しそうだが、CDで鑑賞する場合にはそれほどいい曲ではない。

•交響詩「十月革命」 (1967年)◦2.0点


耳に残るものがなくつまらない。交響曲の中の一つの楽章だと評価が変わるかもしれないが、単品の曲としては評価できない。

•交響的哀悼前奏曲 (1967年)

•「緑の工場」のための序曲

•ソヴィエト民警の行進曲(1970年)◦2.0


吹奏楽曲。普通のマーチ。少しだけショスタコ風ひねりがある程度。

•ロマンス『春よ、春よ』Op128◦2.0


断片的な歌曲。歌詞も分からないのにわざわざ聞くほどのものでない。


協奏曲

•ピアノ協奏曲第1番 ハ短調 作品35 (1933年)◦3.5点


弦楽合奏のピアノ協奏曲だけでなく、所々にトランペットの効果的な彩りが入っているのが楽しい。重音が少なく軽快に駆け巡るピアノ書法と伴奏が良くマッチしている。軽くて楽しい曲だが適度にシニカルさが混入して表情豊かになり、聴き映えのある仕上がりになっている。

•ピアノ協奏曲第2番 ヘ長調 作品102 (1957年)◦3.0点


1番以上に軽快な曲であまり深い内容はありそうにない。聴く側も気楽に娯楽音楽を聴く気分で接すると良さそう。駆け巡るようなピアノ書法や2楽章の叙情性は楽しい。

•ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 作品77(99) (1948年)◦3点


交響曲以上に暗くて分厚くずっしりと重たい感じのする曲。本格派だが、暗すぎて気分が乗らないと聞いていて滅入ってしまう。しかも一楽章と三楽章が両方そう。カデンツァ長すぎ。アップテンポの楽章も耳に心地よくない。

•ヴァイオリン協奏曲第2番 嬰ハ短調 作品129 (1967年)◦2.0点


どの楽章も魅力や光るものが無いと思う。美しさや感動もなく、耳に痛いギシギシとしたヴァイオリンが続く。

•チェロ協奏曲第1番 変ホ長調 作品107 (1959年)◦3.0点


1楽章は同じ音型を繰り返すだけの行進曲で前奏曲のようなイメージ。二楽章は長くて叙情的でなかなか美しい音楽。三楽章は二楽章の続きでまるまる楽章全部がカデンツァ。四楽章はコンパクトな締めの楽章で悪くない。早い楽章は小品で、緩徐楽章がメインの曲。

•チェロ協奏曲第2番 ト短調 作品126 (1966年)◦3.0点


アダージョで始まる。長大で内省的にせつなく歌い続けるのはチェロの魅力を生かしてる。二楽章は短く活動的で、三楽章は長大で中庸なスピードや内容だが、重くないサウンドで飽きずに楽しめる。最後が交響曲15番と似たような終わり方なのが面白い。

室内楽曲

•弦楽八重奏のための2つの小品 作品11 (1927年)◦3.5点


二曲とも豊富な声部を面白く活用して興味深い音楽を作っている。聞き応えあり。

•チェロ・ソナタ ニ短調 作品40 (1934年)◦2.5点


静かで叙情的な1楽章と3楽章が長大で曲の中心になっている。分かりやすい歌うような部分は多いが、すぐに皮肉な捻りが入り落ち着かない。暗いような明るいようなはっきりしない場面が続く。2楽章と4楽章は割とはっきりしており聞きやすい。全体に心への響きが弱い。

•ピアノ五重奏曲 ト短調 作品57 (1940年)◦4.5点


交響曲5番と同様に、観念的な精神性にも娯楽性にも偏らず、正統的で純粋な音楽的内容の豊富さとレベルの高さと密度の濃さが特徴。交響曲以上の内容の豊富さであり、大変に聴き応えがある。しかも真実味に溢れ、交響曲のように余計なエンターテイメント性に気を使う必要も無く内容に注力出来ている。ショスタコーヴィチの最高傑作候補の一つ。

•ピアノ三重奏曲第1番 ハ短調 作品8 (1923年)

•ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調 作品67 (1944年)◦3.0点


1楽章と3楽章の追悼音楽の雰囲気が印象的。全体にとっつきにくく、心地よさを拒絶しているような内容で、メロディーがはっきりせず耳に残らない。4楽章は夜の墓場のようなおどろおどろしい雰囲気は悪くないが、曲が長すぎる。

•ヴァイオリン・ソナタ ト長調 作品134 (1968年)◦3.0点


1楽章は4度を主体にした虚無的な音楽がひたすら続きよく分からない。2楽章はかなり激しいピアノとヴァイオリンの絡み合いで、分かりやすさはある。3楽章は無調に近い響きでバルトーク的な狂気の世界の変奏曲。この曲はいろいろとやり過ぎで、力作ではあるが聴くのがしんどい。

•ヴィオラ・ソナタ ハ長調 作品147 (1975年)◦4点


最後の作品。静謐さと絶望をたたえている。世界が凍っていくような不思議な感覚は胸に迫るものがある

•弦楽四重奏のための2つの小品 (1931年)◦3.0点


1曲目はなかなかいいけど2曲目はいまいち。

•ヴァイオリン・ソナタ(1945年に着手したが未完)◦4.5点


最後の作品。静謐さと絶望をたたえている。世界が凍っていくような不思議な感覚は胸に迫るものがある。催眠にかけられて深遠の暗闇に引き込まれるような不思議な感覚を覚える。そんな両端楽章にあって、2楽章のスケルツォも骸骨の踊りのようであり、刺激の点で効果的に機能している。3楽章の月光ソナタのオマージュ部分はあまりにも儚く美しく、最後はベートーヴェンを使ったという事実に想いを馳せると胸を打たれる。

•3つのヴァイオリン二重奏曲◦2.5点


自分で演奏したら楽しそうなオーソドックスで分かりやすい小品。

合唱曲

•オラトリオ「森の歌」 (1949年)◦3.0点


ショスタコーヴィチにしては単純で分かりやすすぎると共に、演出が豪華で派手な合唱曲である。骨太で大地のような巨大なスケールであり聴き映えはする。本人の意図に反した保身目的の曲という歴史的興味を引く曲であるが、内容が表面的でありいつものエグさがないので物足りない。

•カンタータ『我が祖国に太陽は輝く』◦3.5点


少年合唱は使い方をはじめ、いかにもという感じのコテコテのプロパガンダ曲で、そういう音楽としては楽しめる。

•バラード「ステパン・ラージンの処刑」(1964年)◦3.5点


迫力満点。目の前で歴史的な事件が起きているかのような臨場感である。ショスタコがこのような政治や国家の関係する劇的な叙事曲を書かせたら圧倒的に凄いと再認識。交響曲に匹敵する重量感。


バレエ音楽

•黄金時代 (1930年)◦3.5点


黄金時代の組曲で聴いた。ショスタコ節がすでに確立しかかっている。

•ボルト (1931年)

•明るい小川 (1935年)

•お嬢さんとならず者 (1962年)


ピアノ曲

•5つの前奏曲(1921年)

•3つの幻想的な舞曲(1925年)◦3.0点


1分程度の小曲が3曲。すぐにサティーを思い出すような、フワフワしてアンニュイで幻想的な曲。

•2台のピアノのための組曲嬰ヘ短調(1925年)◦3.0点


初期の曲であり、まだロシア的なロマン派の香りが漂い和声に歪みが少ないが、新しい20世紀らしい音楽へと踏み出してもいる。輝かしい神秘的な響きが多いのが目新しく感じる。スケール感があり音が分厚く発想は豊かであり、2台のピアノ用組曲としては聴き応えのあるものである。

◦箴言
◦3.0点


古代からの不思議な伝承物を連想させるような謎めいた音楽。何かの暗号のようだ。即物的に聞こえる瞬間も多い。嫌いではないが、どちらかというと実験音楽のたぐいだろう。

•ピアノ・ソナタ第1番(1926年)◦3点


前衛的であり2番とは大きく異なる世界の曲である。

•ピアノ・ソナタ第2番(1943年)◦3点


多楽章のピアノ・ソナタとしては唯一の作品である。ソナタ形式の得意なショスタコーヴィチにしては残念である。この曲はショスタコーヴィチならばこれ位書けそうという予想の範囲を超えるものが無く、曲としてはまとまっていて規模も大きいのだが、形式にはまりすぎであり驚きの無い作品である。

•24の前奏曲(1933年)◦2.0点


1曲の長さは短い。24の前奏曲とフーガと同様の24曲の曲集ではあるが、こちらはかなり地味で各々の曲の特徴も薄く、聴いているとどんな曲か把握出来ないままに次の曲に移ってしまう感じである。よく聴くとショスタコーヴィチらしい風味がある音楽ではあるのが分かるものの、地味すぎて楽しめないというのが率直な感想である。

•24の前奏曲とフーガ(1952年)◦4.5点


1曲目が大変素晴らしくて、一般化された精神の深みをバッハのように音楽で体現し、心をノックアウトする音楽。

2曲目はパラパラとしたバッハの影響が強い雰囲気

3曲目はフーガがかなりバッハっぽく、前奏曲はショスタコーヴィチによくある雰囲気。

4曲目は悲しくエモーショナルで心を動かされる。

5曲目は前奏曲はエモーショナルでフーガは個性的な主題と、どちらも面白くて良い曲。

6曲目は暗い情熱が素敵。フーガはやや長すぎる。

7曲目は分散和音をテーマにしているのが面白い。

8曲目は虚空をさ迷うような前奏曲はいいが、長すぎるテーマのフーガはアイデア倒れ。

9曲目はユニゾンの曲でショスタコーヴィチ節全開すぎるし、フーガの押せ押せは面白いが刹那的すぎる。

10曲目は前奏曲も悪くないし、ロマンチック的情緒のフーガが割と良い。

11曲目は間奏的な軽いスケルツォの前奏曲と、軽くてあまり印象に残らないフーガ。

12曲目は、オクターブの重厚な低音が悲劇的な前奏曲も、耳を突き刺すようなフーガもともに力作。

13曲目は前の曲の流れをうけて静寂と平和を静かに望むような雰囲気が良い。

14曲目は前奏曲はムソルグスキーを彷彿とさせるグロテスクさ。フーガは普通。

15曲目はシニカルな前奏曲も良いが、前衛的で複雑な押しのフーガが圧倒的。

16曲目は黙示録のようなフーガがすごい。捕らえ所のないテーマが延々と薄い音とボソボソとした独白で続けられる。

17曲目は様々な色の絵の具を混ぜたような、複雑で何にも帰属できない雰囲気が面白い。

18曲目は普通だが、フーガのテーマに泣きが少し入ってる。

19曲目は謎めいたフーガが印象に残る。前奏曲も捉えにくさがある。

20曲目は静謐な曲で特にフーガの途中からは印象が弱い。

21曲目は軽快で気分転換できるが、だんだんひねくれてしまう。

22曲目は曙光のような薄暗さの中にいるような曲で雰囲気は好き。

23曲目は曲集の終わりに近付いた清々しさを表現した曲で心地よい。

24曲目は壮大に曲集を締めていて、十分な出来になっている。


全体にショスタコーヴィチにマッチした形式であり、ピアノ作品の代表作である。彼の音楽の類い希な普遍性が非常に良い形で現れている良作。24曲の表情は様々であり、多様な表現を見せている。

•2台のピアノのための小協奏曲(1954年)◦3.3点


多くの部分が伴奏とソロに別れており、協奏曲として楽しめる。ピアノ協奏曲としては他の曲と同様に軽い駆け巡るピアノが楽しめる曲になっている。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/716.html#c42

[近代史3] アルノルト・シェーンベルク _ 最初期の『浄められた夜』は素晴らしかったのに何であんな風になっちゃったの? 中川隆
15. 中川隆[-13999] koaQ7Jey 2020年2月06日 13:37:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-668]

クラシック音楽 一口感想メモ
アルノルト・シェーンベルク (Arnold Schönberg, 1874 - 1951)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF

12音技法の開発者。目新しい語法や音感を楽しむ刺激ありきの音楽ではあるだが、古典的な感性は保持しており、奥にはしっかりとした根を張っている。


管弦楽曲

•交響詩「ペレアスとメリザンド」 op.5(1903/1913、1918改訂)◦3.0点


初期のシェーンベルクに共通するように、ドロドロとして蠢く複雑な音のうねりが、精神の基底部分を表現しているように感じられる。40分もある大作であるが、その長さの必然性は理解できなかった。輝かしい場面はなく、ひたすらに音深夜の暗黒の中で寝付けずにうなされているかのように、動き続ける。最初からこんな作品を書くとは、シェーンベルクは他の人とは違う志向を生まれつき持っていたのだろう。

•室内交響曲第1番 op.9(1906/1923改訂/1914、1935管弦楽版)◦2.5点


単一楽章。15人の奏者で管楽器が弦楽器の倍の人数。従ってハルモニームジークに近い響きであり、軽やかで叙情的なしつこさがない。まだ無調ではないが、時代が近いマーラー晩年の作品を連想するような、調がやや曖昧で小節の区切りも分かりにくく、各声部が線となりそれがもつれ合うような書き方である。いい曲とは思えないが、興味深さはある。

•室内交響曲第2番 op.38(1906-1916、1939-1040)◦3.3点


楽章は2つ。調性が明確。1楽章は叙情的で悲劇性のあるアダージョ。純音楽としての美しさがあり、聴き応えのある曲。

2楽章は切迫感を基調として持ちながらも、多彩な楽想を盛り込んでバランス良く非常に巧みに曲が構成されており、なかなか素晴らしい。

•5つの管弦楽曲 op.16(1909/1922改訂/1949小管弦楽版)◦3.5点


これは優れた作品で、大作曲家ならではの領域に到達していると思う。斬新さだけでなく、技術と精神の両方を高レベルで作品として結晶させることに成功している。作品としても、個別には短い曲で、それが順番を意図して並んでいるのが聴きやすい。様々な技法の展示のようにも楽しめる。

•浄められた夜 op.4 (1917、1943弦楽合奏版)◦3.5点


マーラーの爛熟感をさらに推し進めて、とめどない表現の限界を探っている。ロマンチックで調性の枠内にあるが、音楽の崩壊を予兆させる部分は大いにある。パンドラの匣を開けたかのような、やりすぎの情緒性とか官能性が渦巻く曲。非常に美しいのだが、自分は精神の規範意識とかバランス感覚が許容できる限界を半ば超えており、聴いていてしんどい。すごい曲ではあるのは認めるが、バランスは大事でやりすぎは良くないと思ってしまう。「トリスタンとイゾルデ」を拡大した曲ともいえる。

•管弦楽のための変奏曲 op.31(1926-1928)◦3.3点


色彩感が豊かな管弦楽が美しい。12音技法の初めての大作とのことで、作曲者が全霊を傾けて書いただろうことは伝わってくる。調性感がない音楽はまさに前衛的な抽象絵画を観るようであるが、長い曲であり変奏を積み重ねていくうちに場面が次々と変化していく映像を見ている気分になる。やはり管弦楽であることの価値が高くて、色彩感と運動感を愉しめるのが大きいと思うから、12音技法の音楽にしては聴きやすい。映像化したものがあったら見てみたい。

•映画の一場面への伴奏音楽 op.33(1929-1930)◦3.3点


中間の盛り上がる場面のカオスで派手なやり方が気に入った。これがあるから前後のコントラストを楽しめるし、終わり方の不穏さもかっこいいと感じられる。映画音楽だけあって、エンターテイメント性が高い楽しませる曲である。

•組曲ト長調(弦楽合奏)(1934)

•主題と変奏 op.43a(吹奏楽版:1943)/op.43b(管弦楽版:1944)◦3.0点


随分とオーケストラの機能をフルに活かそうとしている意図が感じられる。聴き映えを明確に意識している。だから、12音技法とはいえ、かなり普通の曲に近いように聴こえる部分もある。ただし、変奏曲としての魅力はあまりない。なんとなく場面が移っているだけに聴こえる。

協奏曲

•ヴァイオリン協奏曲 op.36(1934-1936)◦3.3点


かなり長い作品。1楽章は無調の音のごった煮の中で、キーキーと耳につくヴァイオリンのソロが続くイメージ。ピアノ協奏曲ほどバランスが良くない。2楽章はドロドロとした秘めた情熱性が出ていて、なかなか引き込まれるものがある。このような音楽がシェーンベルクはうまい。3楽章は最初の方は2楽章の続きで心を突き動かすものがあり良いと思ったが、後半はいまいちだ。

•ピアノ協奏曲 op.42(1942)◦3.3点


情緒的な曲であるが、強い抑揚はない。ピアノの使い方や管弦楽とのバランスなど、よく出来た協奏曲ではある。12音技法の協奏曲としての興味と期待を満たしてくれる。しかし、ソロの技術的な大活躍はないし、全体を通し期待を越えた何かを見せてくれる印象はない。あくまで、センスの良さと職人的な技法的洗練を楽しむ作品に留まっていると思う。


室内楽曲

•浄められた夜 op.4(弦楽六重奏版:1899)

•弦楽四重奏曲第1番 ニ短調 op.7(1905)◦3.0点


異常に長大な単一楽章の曲。初期のシェーンベルクらしいモヤモヤして陰鬱でドロドロした暗い曲。聴き通すのにかなりの苦痛を強いられる。これはひどい。浄められた夜の世界をより進めたものとは言える。対位法的な音の使い方が耳につくのだが、その音の重なりがまた鬱陶しい(笑)ということで、表現力の高さにおいて芸術的価値はある曲だと思うが、聴く人をかなり選ぶと思う。1900年代の同時期のマーラーに似ているが外面的な派手さがなく内面的な感情の噴出の生々しさを増した感じである。

•弦楽四重奏曲第2番 嬰ヘ短調 op.10(1907-1908/1929弦楽合奏版)◦3.3点


1楽章も2楽章も1番よりもはるかに明確で精神的にも成熟した音楽であり、満足感が大きい。ドイツ的な骨格の太い音楽である。巨匠的な品格がある。3楽章からは歌曲との融合になるが、これも雰囲気だけでない多様性と鋭角的な表現の強さがあり、聴いていて心地よい。4楽章は無調とのことだが、あまり強く感じられない。ひたすら不安定で不安感を煽る短調の音楽という印象の場面が多い。

•弦楽四重奏曲第3番 op.30(1927)◦2.8点


まったりとした典型的な無調音楽に聴こえる。悪くはないが、弦楽四重奏の機能を十分に使い切っている感じもないし、意外性もない。予想通り以上ではない印象である。となると、無調の平板さのデメリットが目立ってしまう。シェーンベルクの作曲能力からして当然書ける以上のものがないから、面白くない曲になってしまっている。特に2回連続で聴いた2回目は全然面白くなかった。

•弦楽四重奏曲第4番 op.37◦3.0点


前半は交響的な雄大さが志向されており、明確な曲想を感じる。後半の特に4楽章は舞台的なドラマ性がある。やりたい事が分かりやすいため聴きやすく、楽しみながら聴ける。無調の限界は同じようにあるのだが、不平不満がたまるほどではない。音に力があるから、心を動かすものがある。3番よりも明らかに上だと思う。楽しいと思う瞬間は沢山ある。無調にしては、だが。

•弦楽三重奏曲 op.45(1946)◦2.5点


表現力がすごい。自由自在に音を動かして、弦楽三重奏があまり多声的ではないのを逆用して豊かな前衛的表現の器として活用してる気がする。しかし、良さはそれだけであり、音楽が心に響くような場面はほぼ無かった。

•鉄の旅団(1916)

•セレナード op.24(1920-1923)◦3.0点


マンドリンとギターが入っているのが面白い特殊編成の室内楽。中間で突然声楽入りの楽章があるが、唐突である。現代音楽的な無調もしくは無調的音楽による娯楽作品という面白さはある。しかし、現代の耳では凄みは感じられず、みんなが好き勝手に弾いているように聴こえるだけの、ありがちな現代音楽のように思えてしまった。

•クリスマスの音楽(1921)◦3.5点


心温まる素敵な曲だ。前衛性はなにもないが、多声的な要素のため、つまらなくは感じない。室内楽の柔らかい温かみの魅力に包まれて、浸って感動できる。

•管楽五重奏曲 op.26(1923-24)◦2.5点


管楽合奏はシェーンベルクの無調音楽との相性があまりよくないと思う。内部にエモーショナル内部にものがなく、無作為にランダムに音を並べただけの実験音楽にしか聴こえない。しかもやたらと長い。最初は管楽器の明瞭さを楽しめたが、同じ調子でいつまでもダラダラと音楽が続くのでだんだんウンザリしてくる。

•7楽器の組曲 op.29(1924-1926)◦2点


長い曲だが似たような音響が続いて退屈。30分の曲だが「5分にまとめればいいじゃん」と思った。短時間なら聞いてみる価値はある曲だが。特殊構成なので実際の演奏会を成立させるために曲の長さが必要だったのかもしれないが。

•ヴァイオリンのためのピアノ独奏付き幻想曲 op.47(1949)◦3.0点


無調でリズム感にも乏しく無機質であり、完全に現代音楽である。面白いが現代の耳で聴くとこの構成で想定される範囲内であり特筆するべきものはない。

ピアノ曲

•3つのピアノ曲 op.11(1909)◦3.5点


無調に向かうシェーンベルクの作品の発展のダイナミズムの中にある作品らしいエネルギーと創作性が楽しい。音感の良さと、表現の意思の強さが、感動的なものを曲に与えている。グロテスクさもありつつ、なんとも言えない独自の世界観が表現されている。それがなぜか心地いい。世界の狭間から地上の割れ目に落ちたかのような特殊な深みを感じる。そして音の使い方のセンスが良い。システマチックでないし和製的だから平板な単調さがない。

•6つのピアノ小品 op.19(1911)◦3.3点


あまりにも断片的な小曲の集まり。さすがに感想を持ちにくい。音のセンスがあってとても素敵と思うが、曲に酔う前に終わってしまう。静物絵のような静謐な世界観と、人形が動き出すような童話のような非現実性と愛らしさの音楽と思う。もう少し曲が長ければよかった。

•5つのピアノ曲 op.23(1920-1923)◦3.0点


なんだか新鮮さがなくなった。悪くはないのだが、テクニックで書かれていて驚異的で代替不可能なものがなくなった気がする。強く心を掴むものがない。バランスが良く尖っていない優等生になっている。

•ピアノ組曲 op.25(1921-1923)◦3.0点


最後の曲が技巧的だったり、いろいろと頑張って音楽の幅を広げようとしているのは分かる。しかし、本質的なピアノという楽器の魅力を引き出しているとは感じにくい。音を敷き詰めて曲らしい形に仕立て上げているだけに聞こえてしまう。新鮮な驚きに乏しい。

•ピアノ曲 op.33a(1928)
•ピアノ曲 op.33b(1931)◦3.3点


12音技法の生の音をそのまま感じられる点でなかなか興味深く聴けた。無調の音を敷き詰めているだけでないある種の艶かしい生理的なものに届く音楽になっていると感じる。曲がそれなりの長さであり、世界に入り込みやすいのもあるかもしれない。どこにも安定しないで狭間の世界に入り込むような浮遊感と孤独な静寂感がなかなか楽しめる。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/714.html#c15

[近代史3] ベルクのヴァイオリン協奏曲は何度聴いても理解不能なんだけど、本当にみんな感動してるの?(強い疑い) 中川隆
37. 中川隆[-13998] koaQ7Jey 2020年2月06日 13:41:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-667]

クラシック音楽 一口感想メモ
アルバン・ベルク(Alban Maria Johannes Berg, 1885 - 1935)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF

シェーベルクよりも「いい曲」であり「また聴きたい」と素直に感じる作品が多い。無調の作曲家ではあるが強く心に訴えるものがある。

•ピアノ・ソナタ Op.1◦4点


この曲は好きだ。独特のロマン派的感動エネルギーを内包しながらも。無調の世界を時折予感させるような不安定な調性。センス良く多重的に音の積み重ね続けて構築された世界は個性的な精神世界を生み出しており、ピアノの美しさを引き出している。ロマン的な世界など、断片的に一瞬だけ古い音楽を見せるのが効果的。聴後感がよいため、また聴きたくなる。

•弦楽四重奏曲 Op.3◦3.5点


無調のカオスが渦巻いたり、虚無的な音が鳴り響いて精神的な闇の底を露わにしたり。ピアノソナタ程の美しさと天才性はないと思うが、無調性の音楽の初期の時代の作品としてはよい作品。ピアノソナタと同様に、1曲しか無いのが残念である。

•管弦楽の為の3つの小品 Op.6 (1914年 - 1915年/1929年改訂)◦3.0点


独自のニュアンスに満ちた曲である。現実的な何かを連想できない前衛的で思弁的な哲学的な曲のため、難解であり聴き方が難しい。とはいえ、骨太のスケール感や、様々なものが強引にごった煮のように混ぜられたカオスや、そのなかに姿を見せるベルク独特の叙情は楽しめる。3曲で20分程度だが、長さ的には密度を保ち聴き手として楽しめる限界と感じた。

•歌劇「ヴォツェック」 OP.7 (1925年初演)◦4.0点


舞台を見ないで音楽だけ聴いても、相当に優秀な音楽であることがよく分かる。無調らしい不条理の表現が大成功しており、音楽の緊密さも高い。そして、音楽が劇的な物語表現と役者の表現行為への音楽の貢献が素晴らしい。器楽曲だけではなかなか分からないベルクの音楽が持つエモーションの力の強さに驚愕する。音楽の新しい表現世界を切り開いており、これ一曲でもベルクの名前は音楽史に残っただろう。

•室内協奏曲 (1923年 - 1925年)◦3.8点


音感の良さが感動的なレベルにある。無調であるのに、音があるべき所にあるため、なんとも素晴らしい心地よさである。ベルクらしい見事な表現の力を発揮しており、情熱的な精神と、高雅で高貴でありかつ厳しさを併せ持ったものが表現されている。特殊構成の曲であるが、ここ音のバランスがまた絶妙だ。管楽器が邪魔せずに控えめな柔らかさが対比されてよい雰囲気を作っている。ヴァイオリンとピアノの鋭さをうまく適度に中和している。かなり感心した。

•抒情組曲 (1925年 - 1926年)◦3.3点


これが抒情的かというと、音楽だけから内容を読み取るのには苦労が伴う。しかし、うまく感じ取ることに成功すると、情熱や甘酸っぱい思い出や悲哀や不条理を感じ取ることは可能だろう。強く感動するほどではないが、無調独特の灰色の世界と、同色の音色である弦楽四重奏で表現される抒情的音楽に、それなりの感慨を感じる。

•4つの小品 Op.5◦3.8点


クラリネットとピアノの曲。4つの曲だがごく短くて、あっという間に終わる。内容が非常に示唆的であり未来的とも言える。感性を強く刺激することではかなりのインパクトがある。音感の良さとセンスに感服する。空白が活かされており、日本的なわびさびに通じるものある。この曲は個人的には、かなり好みでありツボである。

•ヴァイオリン協奏曲 (1935年)◦3.3点


自分と曲との相性が悪いのか、聴いた演奏のせいか分からないが、自分にはベルクの代表作とされているほどのものを感じない。ヴァイオリン協奏曲としてのフットワークの良さや協奏の楽しみや、場面の変化による構成の楽しみが足りないからかもしれない。ベルクらしい無調であるが調性的な中心感がある音楽はここでも健在である。無調というよりむしろ、予想を外すことが多い調性曲という趣の場面も多い。無調が持つ独特のはかなさや超常的な透明感と美しさ、緊張感をうまく活かした曲調である。ヴァイオリンが出ずっぱりの活躍である。最後の完成作品として到達した完成度の高さはよく分かる。

•ルル組曲 (1928年 - )◦3.0点

オペラの一部分を組曲にしたもので、短い時間だけであるが歌も入る。オペラ的、もしくは映画音楽的という印象である。あまり管弦楽曲としての純度は高くない。無調的な映画音楽と考えて聴けば面白いけれども、密度が高くないのはやはり物足りないと感じる。音楽だけを聞く限りは、あまりストーリーも感じられない。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/710.html#c37

[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ 中川隆
9. 中川隆[-13997] koaQ7Jey 2020年2月06日 13:48:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-666]
完全に勘違いされているようですが、グローバリズムというのは国際化ではありません。企業の活動に便利な様に物・人・金が自由に移動できる様にする事です。共産諸国はそういう国際化はしていません。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html#c9
[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ 中川隆
10. 中川隆[-13996] koaQ7Jey 2020年2月06日 13:59:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-665]
完全に勘違いされているようですが、グローバリズムというのは国際化ではありません。企業の活動に便利な様に物・人・金が自由に移動できる様にする事です。関税も非関税障壁も撤廃した完全な自由貿易がグローバリズムの精神です。完全自由貿易にすれば開発途上国の企業はすべて淘汰されて消滅します。

共産諸国はそういう国際化はしていません。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html#c10

[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ 中川隆
11. 中川隆[-13995] koaQ7Jey 2020年2月06日 14:11:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-664]
グローバリズムは19世紀の帝国主義・植民地主義と同じもので、共産主義は反グローバリズム運動の事

20世紀のグローバリズムの典型は中南米のユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ合衆国の農業資本企業です。キューバのカストロやチェ・ゲバラはそういうアメリカのグローバリズムと戦う為に、キューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだのです。最近のベネズエラも社会主義国でかつ反グローバリズムですね。

どう考えても共産主義は反グローバリズムでしょう。
元々、グローバリズムというのは19世紀の帝国主義を耳障りが良く聞こえる様に言い換えただけのものですからね。

グローバリズム = 帝国主義 = 植民地主義

は資本主義の最終段階で、その後に来るのが共産社会です。

「万国の労働者、団結せよ!」という標語はグローバリズムを目指すという事ではなく、アメリカや西欧の反共産主義勢力による弾圧や経済封鎖に対抗するには世界中の共産主義者が連帯しなければいけないというだけの意味です。

キューバや北朝鮮、ベネズエラみたいに経済封鎖されたら一国だけではやっていけないですからね。

今、世間で問題視されているグローバリズムというのは唯の国際化という意味ではありません。
企業活動に便利な様に物・人・金が自由に移動できる様にする事です。関税も非関税障壁も撤廃した完全な自由貿易がグローバリズムの精神です。完全自由貿易にすれば開発途上国の企業はすべて淘汰されて消滅します。内需も破壊されて中間階層が没落して完全階級社会になります。

共産諸国ではそういう国際化はしていません。

ソ連のバルト三か国併合やウクライナ・ポーランド併合をみても、確かに多民族国家にはなりましたが、中南米みたいな自治や民主選挙を認めた傀儡国家化ではなく、戒厳令を敷いた弾圧・ミンゾクジョウカ政策ですね。つまり、共産国家の国家併合はグローバリズム支配ではなく民族文化の否定・ミンゾクジョウカになるのです。

グローバリズムというのは 物・金・人の移動の自由化、企業が仕事をし易い環境にする政策ですから、共産圏での国家併合とは180度違うものです。:


バナナ共和国(Banana republic)とは、バナナなどの第一次産品の輸出に頼り、主にアメリカ合衆国などの外国資本によってコントロールされる政情不安定な小国を指す政治学上の用語。


特に、大多数の貧困労働者層と政治・経済・軍部を包括する少数の支配者層という社会の階層化による格差を拡大させる[1]。この政治経済学的な寡頭政治体制はその国の第一次産業を支配するため、その国の経済を搾取することになると指摘される[2]。

20世紀初頭の中米で、ユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ合衆国の農業資本企業が広大なプランテーションを各国に建設し、その資金力で各国の政治を牛耳ったことに由来する。バナナの生産及び輸出には厳密な管理が必要だったため、各社は鉄道や港湾施設など、必要なインフラストラクチャーを自己資金で建設し、さらにバナナビジネスがうまく行くよう、各国の支配者層と結託して自らに有利な状況を維持させ続けた。 また、これらの国々の多くには他にめぼしい産業が育たなかったこともあり、外国の巨大企業に対抗できる勢力はほぼ存在せず、巨大企業、ひいてはそのバックにいるアメリカ合衆国の言いなりになる従属国化の道を歩むこととなった。


最初に「バナナ共和国」と呼ばれ、実際にそれらの企業の影響が最も大きかったホンジュラスでは、ユナイテッド・フルーツ社の経理部長から大統領になった人物もいる。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html#c11

[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ 中川隆
12. 中川隆[-13994] koaQ7Jey 2020年2月06日 14:17:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-663]
グローバリズムは19世紀の帝国主義・植民地主義と同じもので、共産主義は反グローバリズム運動の事

20世紀のグローバリズムの典型は中南米のユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ合衆国の農業資本企業です。キューバのカストロやチェ・ゲバラはそういうアメリカのグローバリズムと戦う為に、キューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだのです。最近のベネズエラも社会主義国でかつ反グローバリズムですね。

どう考えても共産主義は反グローバリズムでしょう。
元々、グローバリズムというのは19世紀の帝国主義を耳障りが良く聞こえる様に言い換えただけのものですからね。

グローバリズム = 帝国主義 = 植民地主義

は資本主義の最終段階で、その後に来るのが共産社会です。

「万国の労働者、団結せよ!」という標語はグローバリズムを目指すという事ではなく、アメリカや西欧の反共産主義勢力による弾圧や経済封鎖に対抗するには世界中の共産主義者が連帯しなければいけないというだけの意味です。

キューバや北朝鮮、ベネズエラみたいに経済封鎖されたら一国だけではやっていけないですからね。

今、世間で問題視されているグローバリズムというのは唯の国際化という意味ではありません。
多国籍企業の活動に便利な様に物・人・金が自由に移動できる様にする事です。関税も非関税障壁も撤廃した完全な自由貿易がグローバリズムの精神です。完全自由貿易にすれば開発途上国の企業はすべて淘汰されて消滅します。内需も破壊されて中間階層が没落して完全階級社会になります。

共産諸国ではそういう国際化はしていません。

ソ連のバルト三か国併合やウクライナ・ポーランド併合をみても、確かに多民族国家にはなりましたが、中南米みたいな自治や民主選挙を認めた傀儡国家化ではなく、戒厳令を敷いた弾圧・ミンゾクジョウカ政策ですね。つまり、共産国家の国家併合はグローバリズム支配ではなく民族文化の否定・ミンゾクジョウカになるのです。

グローバリズムというのは 物・金・人の移動の自由化、多国籍企業が仕事をし易い環境にする政策ですから、共産圏での国家併合とは180度違うものです。:


バナナ共和国(Banana republic)とは、バナナなどの第一次産品の輸出に頼り、主にアメリカ合衆国などの外国資本によってコントロールされる政情不安定な小国を指す政治学上の用語。


特に、大多数の貧困労働者層と政治・経済・軍部を包括する少数の支配者層という社会の階層化による格差を拡大させる[1]。この政治経済学的な寡頭政治体制はその国の第一次産業を支配するため、その国の経済を搾取することになると指摘される[2]。

20世紀初頭の中米で、ユナイテッド・フルーツ社などのアメリカ合衆国の農業資本企業が広大なプランテーションを各国に建設し、その資金力で各国の政治を牛耳ったことに由来する。バナナの生産及び輸出には厳密な管理が必要だったため、各社は鉄道や港湾施設など、必要なインフラストラクチャーを自己資金で建設し、さらにバナナビジネスがうまく行くよう、各国の支配者層と結託して自らに有利な状況を維持させ続けた。 また、これらの国々の多くには他にめぼしい産業が育たなかったこともあり、外国の巨大企業に対抗できる勢力はほぼ存在せず、巨大企業、ひいてはそのバックにいるアメリカ合衆国の言いなりになる従属国化の道を歩むこととなった。


最初に「バナナ共和国」と呼ばれ、実際にそれらの企業の影響が最も大きかったホンジュラスでは、ユナイテッド・フルーツ社の経理部長から大統領になった人物もいる。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html#c12

[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
1. 中川隆[-13993] koaQ7Jey 2020年2月06日 15:18:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-662]
クナッパーツブッシュ

Symphony No. 8 in B Minor, D. 759 "Unfinished": Knappertsbusch Wiener Philharmoniker 1949





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Wiener Philharmoniker, Hans Knappertsbusch
REC : 1949

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【高音質復刻】Knappertsbusch & BPO - Schubert: Sym. No.8(7) `Unfinished` (1950.1.29)


ハンス・クナッパーツブッシュ
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1950年1月29日、ベルリン、ティタニア・パラストでのライブ録音
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Schubert Symphony No.7 (No.8) 「Unfinished」(1950rec)


1950年録音
Hans Knappertsbusch
Berlin Philharmonic Orchestra


クナの「未完成」はこの3種で全部である。いずれもブルックナー第9と同じ演奏会およびそのリハーサルである。
ベルリン・フィル
audite。21.405。RIAS録音集5枚組。
1950年1月28日、ティタニア・パラストでの放送用録音。12:03, 11:16。
TAHRA TAH 214/5と同一録音であるが、こちらは29日表記(場所表記無し)。おそらくaudite盤が正しいのだろう。
音も良く、演奏もまっとうなものである。下のライヴよりもすっきりした演奏になっている。


ベルリン・フィル
audite。21.405。RIAS録音集5枚組。
1950年1月30日、ティタニア・パラストでのライヴ録音。12:20, 11:51。
TAHRA TAH 417/8と同一録音である。TAHRA盤は同日のブルックナー第9などとのカップリング2枚組。
上の放送用録音とくらべると、ライヴらしい感興があり、起伏に富んだ演奏になっている。基本テンポも若干ゆったりしている。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-m.htm


▲△▽▼

Symphony No. 8 In B minor, D. 759, Unfinished, Knappertsbusch the Bayerisches Staatsorchester





Hans Knappertsbusch Conducts the Bayerisches Staatsorchester

バイエルン国立管弦楽団
ORFEO。C426 981C。1958年2月10日、音楽アカデミー・コングレスザールでのライヴ。11:00, 10:21
これも特に変わったところもない、まっとうな演奏である。
55年3月20日ライヴのウィンナ・ワルツ&ポルカとカップリング。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-m.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c1
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
2. 中川隆[-13992] koaQ7Jey 2020年2月06日 15:57:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-661]

ブルーノ・ワルター

Schubert - Symphony n°8 "Unfinished" - Vienna / Walter




_____







Wiener Philharmoniker
Bruno Walter
Studio recording, Vienna, 19-21.V.1936

ブルーノ・ワルター指揮 ウィーン・フィル
EMI。戦前の有名なSP録音。10:30,12:01。
EMIのウィーン・フィル150周年記念盤(CDH7 64296 2、シャルクの「田園」とのカップリング)。
名演だが、このCDでは第2楽章後半になって復刻にともなうノイズが目立つのが残念である。
2003年初め、opus蔵OPK 2032でSPから復刻されたものも入手。実によい音だ。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-m.htm


▲△▽▼

Schubert - Symphony n°8 "Unfinished" - Philadelphia / Walter


Philadelphia Orchestra
Bruno Walter
Studio recording, Philadelphia, 10 & 12.I.1946

▲△▽▼

Symphony No. 8 in B Minor, D. 759 "Unfinished": Bruno Walter Bayerisches Staatsorchester 1950





Conductor: Bruno Walter
Orchestra: Bayerisches Staatsorchester

バイエルン国立管弦楽団
ORFEO。1950年10月2日、ドイツ博物館コングレスザールでのライヴ録音。
10:30, 12:51。
ワルターは第一次世界大戦前にバイエルン国立歌劇場の監督だったので、このオケは古巣である。
同日演奏の「巨人」とカップリング。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-m.htm


▲△▽▼

Schubert: Symphony No. 7(8) `Unfinished`, Walter & NYP (1958)






Bruno Walter (1876-1962), Conductor
New York Philharmonic

Rec. 3 March 1958, at Hotel St. George, in New York

ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィル
ソニー。1958年3月3日録音。10:57,13:53。
何度聴いてもすばらしい! 第1楽章の「死」と第2楽章の「天国」との対比。




▲△▽▼

Bruno Walter: Schubert: Symphony 8 Live 1960 & 9 Live 1950



• Franz Schubert: Symphony no.8 D759 “Unfinished”
Wiener Philharmoniker R.1960

• Franz Schubert: Symphony no.9 D944 “The Great”
Stockholm Philharmonic Orchestra R.1950


Altus。1960年5月29日、ムジークフェラインでのライヴ。
ワルターのウィーン・フィルとの告別演奏会のプログラム、マーラー「美しいトランペットの鳴るところ(角笛)」「僕は菩提樹の香りを吸い込んだ(リュッケルト)」、交響曲第4番(sop:シュヴァルツコプフ)とカップリングで2枚組。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-m.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c2
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
3. 中川隆[-13991] koaQ7Jey 2020年2月06日 16:17:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-660]

フルトヴェングラー指揮のシューベルト『未完成交響曲』


Wilhelm Furtwängler Composer INDEX 2

このコーナーでは、主要な作曲家・作品別にフルトヴェングラーのディスクを掲載します。特に「スタジオ録音」と記載のないものはすべてライヴ録音です。


Schubert:Sym.No.8

1)48/10/24 BPO Titania(RISA)

2)50/10/01 VPO Copenhagen

3)50/01/19-21 VPO Musikverein(EMIstudio)

4)52/02/10 BPO Titania

5)52/03/11 RAITorinoO TorinoRAI

6)53/09/15 BPO Titania

7)54/05/04 BPO Paris opera

8)54/05/30 VPO Musikverein


▼43/05/12(ストックホルム・VPO)と44/12/12(アドミラルパラスト・BPO)の1楽章が残されている。

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu09.htm#sch8
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c3

[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
4. 中川隆[-13990] koaQ7Jey 2020年2月06日 16:33:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-659]

Schubert - Symphony n°8 "Unfinished" - Berlin / Furtwängler 1948




_____





Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Live recording, Berlin, 24.X.1948


1948年
24 Oct. 1948 BPO Titania(RIAS)
Schubert: Sym. No.8
●10月24日 バッハ/管弦楽組曲3番 シューベルト/未完成 ブラームス/交響曲第4 BPO ティタニア RIAS収録

LP/PR(No8): Columbia(JP)DXM157('72) VoxTV34478('73?)
CD: Crown-JapanPAL1073(88/07) PricelessD13272('90?) WFSG TMK12681('98)

▼超名演とされながら正規盤のなかった未完成は独フ協会から正規CD(98/12)が出た。
ブラ4に比べて歪が多く音質が古ぼけているが、正規盤が登場した現在でもVOX原盤LP(TV/DXMなど)の音がベストと言える。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu12.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c4
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
5. 中川隆[-13989] koaQ7Jey 2020年2月06日 17:03:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-658]

Symphony No. 8 in B Minor, D. 759, "Unfinished": Furtwangler Vienna Philharmonic





Conductor: Wilhelm Furtwangler
Orchestra: Vienna Philharmonic Orchestra


1950年
19-21 Jan. 1950 VPO Musikverein (EMI studio Version=SP)
Schubert:Sym. No.8

●1月19-21日 シューベルト/未完成 VPO ムジークフェライン EMIスタジオ録音Matrix:2VH7190-1A/91-1A/92-1A/93-1A/94-1A/95-1A

SP/PR: DB21131-3(50/11)
CD: EMICDH7 63913 2(90?)CHS566770-2(98/03)

▽50年初頭のEMI録音はテープで収録されたといわれているが、この曲のモノラル盤に関しては針音が聞かれ、音質も暗めで、一連の50年録音の中では最も音質が悪かった。50年初頭の録音のマスター作りについての「SP原盤を空間的に再生した音を拾ってマスターにした」という説に合致するのは、この「未完成」と「名歌手」だったようだ。

オリジナルテープは残っていないと推測されたが、ART盤CHS5 66770 2は今までのSPおこしの録音ではなくオリジナルテープからの復刻と思われるが、2楽章に若干周期ノイズが聞こえるため即断できない状況。1楽章冒頭から3分間にベト7のような女性の声が聞こえ、ゴーストが多いのが気になる。この現象はオベロンでも確認でき、いくつかの50-51年録音で針音入りとなしの2ヴァージョンが確認できるミステリーとなっている。またこのCDの初版は2楽章が約3分欠落している。2000年に再販されたCDは正常でブックレットでも以前は19:44と印刷されていたものが23:56となっている。

長野S氏によればブライトクランク盤もこのテープを使ったらしく針音は聞こえない。
それでも演奏では54年パリ盤を推す


1 Oct. 1950 VPO Copenhagen Odd Fellow Palaet(Danish Radio)
Schubert:Sym.No.8

●10月1日 ベートーベン/運命 シューベルト/未完成 VPO コペンハーゲンオドフェローパレス デンマーク放送収録

LP/PR(No5): DanacordDACO114('85?)
CD: DanacordCD301('86)
未完成未発売 No8 not issued.

▼このデンマーク製のDanacord盤CDは輸入盤店で良く見かけた。カップリングは他のアーチストのブラームスの歌曲など。録音状態は直前のスウェーデン盤と同程度。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu14.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c5
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
6. 中川隆[-13988] koaQ7Jey 2020年2月06日 17:19:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-657]

Wilhelm FURTWÄNGLER conducts Franz Schubert - "Unfinished" LIVE 1952 !





Berlin Philharmonic
Wilhelm Furtwängler

Live, 1952.02.10. Berlin

1952年
10 Feb. 1952 BPO Titania(SFB)
Schubert: Sym.No.8

●2月10日 ベートーヴェン/大フーガ オネゲル/3楽章の交響曲 シューベルト/未完成 ブラームス/交響曲第1 BPO ティタニア SFB収録

LP/PR(No8): DG2535804('76)
CD: POCG3790(97/08)

>> W29(LP) and Venezia Disk V1001 copied of Japan NHK Broadcasting. This is same performance as DG. But DG the originals (POCG-3793= 453604-2) on Japan is unediting version. Old DG's CD(POCG2356=427402-2) edited to take off audience noise.
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu16.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c6
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
7. 中川隆[-13987] koaQ7Jey 2020年2月06日 17:34:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-656]

Schubert - Symphony n°8 "Unfinished" - Berlin / Furtwängler 1953







Berliner Philharmoniker
Wilhelm Furtwängler
Live recording, Berlin, 15.IX.1953


15 Sep. 1953 BPO Titania(RIAS)
Schubert: Sym.No.8

●9月15日 シューベルト/ロザムンデ序曲 未完成 ザ・グレイト BPO ティタニア RIAS録音

LP/PR(No8): ParagonDSV52101('80?)
CD: KingKICC2297('93)TAHRA FURT1017(97/07)

▼15-17日まで3日連続のシューベルト演奏会初日の実況録音。
TAHRAから97/08 第8正規盤出現。TAHRAのCDはいつもの派手な音質加工がなく平凡な仕上がり。ティタニアパラストの音質的限界を感じさせる一枚。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu18.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c7
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
8. 中川隆[-13986] koaQ7Jey 2020年2月06日 17:43:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-655]


Schubert "Symphony No 8 in B minor" Wilhelm Furtwängler 1954



BPO (Paris Opera)
Wilhelm Furtwängler, conductor
Paris, 04.V.1954



1954年
4 May 1954 BPO Paris Opera(INA Paris)
Schubert:Sym.No.8

●5月4日 ウェーバー/オイリアンテ序曲 ブラームス/ハイドン変奏曲 シューベルト/未完成 ベートーベン/運命 BPO パリオペラ座 ORTF収録 INAパリ所蔵

LP/PR(No8): ColumbiaJapanOZ7512(75?)
CD: SWF941-2('94) ELA901('96)

▼仏協会(SWF)盤でやっとこのパリでの演奏会が良質の音で聴け、楽器一つ一つの音が手に取るようにわかるようになった。

未完成は48年盤の評判がよいが、録音状態がいいこのパリ盤がshin-pの愛聴盤。



<SK氏のメール>
巨匠のウィーンでの最期の演奏会は 5月30日、シューベルト・プロで、ロザムンデ、交響曲第8番、第9番でした。

ハント第5版にはこの日の「未完成」が遺っている旨の記述がありますが、トレマンは載せていません。<終>

東芝新全集で H氏もこの未完成をディスコグラフィーに加えている。この「未完成」の確認情報は、79年1月の仏フ協会報にある。
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/shin-p/furu19.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c8
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
9. 中川隆[-13985] koaQ7Jey 2020年2月06日 17:52:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-654]

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮のシューベルト『未完成交響曲』


 LD「アート・オヴ・コンダクティング」で、彼とベルリン・フィルとのこの曲冒頭部のリハーサル風景が収録されている。


Furtwangler rehearsals Schubert Symphony No.8 in 1951



rare footage of W. Furtwangler rehearsing Schubert's Unfinished Symphony


from 1951



バスの導入からヴァイオリンのきざみ、そして第1主題へとずっと指揮棒が3拍子を振り続けているのがわかる。これを見たあとは、バスの導入句をフェルマータ気味にしたり、それに続く部分が別テンポになっていたりする演奏を聴くと、違和感を感じるようになってしまった。(何もカラヤンだけでなく、そういうのが結構多い。)

ウィーン・フィル----1950年1月、Musikverein、スタジオ録音
EMI。11:38,12:23。
ベートーヴェン第7番と同月録音なので、録音方法も同じである。
(→こちらを参照)
http://classic.music.coocan.jp/sym/beethoven/beethoven7-m.htm#1950rec


諸井誠氏が、この演奏のテンポを一定に保とうとする意図を指摘し、「すべてを十全に心得た上での禁欲的な演奏」と評価している。

 Referenceシリーズ輸入盤CDH7 63913 2(モーツァルト第40番とカップリング、写真左、譲渡済み)で長く聞いてきたが、2000年3月に、ART処理されたReferenceシリーズ輸入盤CHS5 66770 2(ウィーン・フィルとのスタジオ録音集3枚組、写真右)を入手した。

しかし何とこの盤の「未完成」は第2楽章の冒頭3分ぐらいが欠落している! ブックレット表記からして第2楽章が8分7秒と表記されている(それに伴い全曲時間も19:44と表記)ので、欠陥ではなく最初からそのように製造されているのだ。これが収録された2枚目のディスクの容量が足りないからというわけでもない(まだ6分以上余裕ある)。全く何故なのか理由不明である。

他の収録曲は、ハイドン「驚愕」、モーツァルト第40番、リスト「前奏曲」、シューマン「マンフレッド序曲」、ベルリオーズ「ラコッツィ行進曲」、メンデルスゾーン「フィンガルの洞窟」、ケルビーニ「アナクレオン序曲」、グルックの序曲2曲、ヴェーバーの序曲3曲、シュトラウスの皇帝円舞曲・ピツィカートポルカ。モーツァルト「魔笛」から夜の女王のアリア2曲。


2000.5.1。
 上の欠落について、この記事を読んだ方からメールをいただいた。その方は同じ「CHS5 66770 2」を入手したが全く問題なかった、という。タイム表記も正しく第2楽章12:18、全曲23:56となっているとのこと。
 どうやら、1998年発売後すぐにEMIはこの間違いに気づいて発売延期としたのだが、私は何故かその「貴重な」不良品をつかまされてしまった、ということのようである。


2000.8.10。
 私も正常品を入手した。HMVに注文した際に、上の件を担当者にメールして送付前に確認してもらったのである。一件落着!

2005年、日本のDeltaレーベルからSP復刻盤が出た(DCCA 0011)。ベートーヴェン第7番、ケルビーニ「アナクレオン」序曲もSP復刻で収録している。

2011年1月、フルトヴェングラー生誕125周年でSACD化された。このSACDは、上記Reference盤3枚組と同じ曲が、同じカップリングで3枚分売で出ている。



ベルリン・フィル----1948年10月24日、ティタニア・パラスト、ライヴ録音
クラウン(パレット) PAL-1073。
11:09, 11:37。

あの有名なEMI盤ブラームス第4番と同日の演奏である。今は廃盤。
音は悪いがドラマティックな演奏である。

正規音源からの再発売を期待する。
..と書いていたら、没後55周年の2009年にauditeレーベルから発売されたRIAS録音集12枚組BOX(21.403)でついに正規発売された。


ベルリン・フィル----1952年2月10日、ティタニア・パラスト、ライヴ録音
DG。OIBP化国内盤。
12:01,12:09。


同日演奏のブラームス第1番と大フーガもDGからCD化されている。
2002年発売のORIGINAL MASTERSシリーズ6枚組輸入盤474 030-2にも収録。


トリノRAI交響楽団----1952.3.11, トリノ、ライヴ
TAHRA FURT 1080/1。
11:35,12:01。

慣れていないオケとのフルトヴェングラー特有の手作り感がある。
この日はカップリングされているジョコンダ・デ・ヴィートとのメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲も演奏している。4日前のコンサート「ブラームス第1&V協」もあわせての2枚組である。


ベルリン・フィル----1953年9月15日、ティタニア・パラスト、ライヴ録音
TAHRA FURT 1017(写真左)。
11:47,11:40。

同日演奏の「グレイト」とカップリングである。
auditeから出たRIAS録音集(21.403、写真右)にも収録されている。



ベルリン・フィル----1954年5月4日、パリ・オペラ座、ライヴ録音
TAHRA。FURT 1023/4。
12:30,11:56。

同日の「運命」、ハイドン変奏曲、オイリアンテ序曲とカップリング。
大学時代所有していたチェトラのLPとは段違いの音質。

この日のコンサートは吉田秀和氏が聴いている。

内田光子が「レコ芸」誌上で、

「シューベルトは死が身近になると良い演奏ができる。死の年のフルトヴェングラーの未完成は素晴らしい」

というようなことを言っていた。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-m.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c9
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
10. 中川隆[-13984] koaQ7Jey 2020年2月06日 18:01:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-653]

フランツ・シャルク


Schubert "Symphony No 8 in B minor" Franz Schalk







Berlin State Opera Orchestra
Franz Schalk, Conductor
02.III.1928


フランツ・シャルク(Franz Schalk, 1863年5月27日 - 1931年9月3日)
シューベルト:交響曲第8番ロ短調「未完成」(1929年5月録音)

イギリス、及び、日本パーロフォン・レーベルではベルリン大交響楽団、ドイツ・オデオン、及び、コロンビア・レーベルではベルリン国立管弦楽団標記であるが録音は全く同じものである。両方のオーケストラの実体はベルリン国立歌劇場管弦楽団の演奏会用メンバーに拠るものである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/フランツ・シャルク

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c10
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
11. 中川隆[-13983] koaQ7Jey 2020年2月06日 18:25:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-652]


トスカニーニ

Toscanini / NBC, 14 Oct 1939 NYC Live Concert, restored





Schubert-Symphony No. 8, "Unfinished"
R. Strauss-Don Juan, Op. 20
Haydn-Symphony Concertante, Op. 84
Bach arr. Respighi-Passacaglia and Fugue in C minor

Live broadcast, 14 October 1939

NBC Symphony Orchestra
Arturo Toscanini, cond.

▲△▽▼

Schubert: Symphony No. 7(8) `Unfinished`, Toscanini & NBCso (1950)




Arturo Toscanini (1867-1957), Conductor
NBC Symphony Orchestra

Rec. 12 March & 2 June 1950

アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団
RCA。1950年、8Hスタジオ録音。9:34,11:27。
1992年トスカニーニ・コレクション・シリーズ、「グレイト」とカップリング。古典的なフォルム重視の名演である。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-m.htm




http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c11
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
12. 中川隆[-13982] koaQ7Jey 2020年2月06日 18:55:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-651]


メンゲルベルク

Schubert : Symphony No.8 in B minor "Unfinished" 1939


Willem Mengelberg (Conductor)
Concertgebouw Orchestra Amsterdam

(Rec.1939) Public Domain

▲△▽▼

Schubert “Symphony No 7 8 ‘Unfinished’” Willem Mengelberg, 1940



Conductor: Willem Mengelberg
Orchestra: Royal Concertgebouw Orchestra



ウィレム・メンゲルベルク指揮コンセルトヘボウ
PHILIPS。1940年12月19日ライヴ。

同日演奏の「グレイト」とカップリング。
13:59,11:01。

頻繁にテンポを変化させながらも、造形の崩れは見られない。名演である。ただし、アセテート盤録音のため、ちょっと我慢のならない断続的ノイズがある。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-m.htm

▲△▽▼

Schubert “Symphony No 7 8 ‘Unfinished’” Willem Mengelberg, 1942


Conductor: Willem Mengelberg
Orchestra: Royal Concertgebouw Orchestra
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-m.htm



ウィレム・メンゲルベルク指揮コンセルトヘボウ
Biddulph。WHL 039。1943年6月17日録音のTELEFUNKENのSP復刻。

こちらは第1楽章リピートなし。
10:59, 11:32。

音質も大変よく上のライヴよりも良い演奏だ。
前日6月16日SP録音の「グレイト」とのカップリング。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-m.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c12
[リバイバル3] 無痛で安らかに1分で確実に死ねる『サルコー(Sarco)』と名付けられたマシンが完成した 中川隆
48. 中川隆[-13981] koaQ7Jey 2020年2月06日 19:37:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-650]
2020年02月06日
日本の問題点「借金は貸すほうが悪い」のが世界の常識


金を貸すのは相手が破産するリスクを全て引き受けること。

引用:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-1d-e7/bnr32gtr_kouichi/folder/1034906/03/26774303/img_0


悪徳金融が借金の返済を迫る物語は、日本ではドラマや漫画のジャンルとして人気がある。

だが『闇金ウシジマくん』や『ナニワ金融道』は日本以外では通用しません。


金を貸すのはリスクを負って金利を得る事

日本では「金を借りたら返すのが当たり前」「返せない金を借りる人が悪い」とされています。

ところがこういう考えを持っているのは世界で日本人だけで、特に欧米では違います。

むかし渡辺美智雄という自民党の人気政治家が、アメリカにおける借金の常識を次のように揶揄しました。


「アメリカの連中は黒人とかいっぱいいて『うちは破産だ。明日から払わなくていいんだ』あっけらかんのかーだよ」

破産した人が「破産したから明日から借金を払わなくて良い。」と喜んでいる様子を見て、在り得ないと言っている訳です。

黒人差別発言として問題になったが、本質を突いた発言だったからこそ問題視されたのでしょう。


日本では借金を返せないと借りた人が非難されるが、アメリカでは貸した人が非難されます。

金を貸す、借りるのは純粋なビジネスであり、貸す人は金利で利益を得る為に金を貸すのです。

借りる人は借りたお金を元手に、事業を拡大したり生活のやり繰りをして、金利をつけて返します。


ここで借り手が事業に失敗したり失業して返せなくなったら、貸す人に人を見る目が無いのです。

競馬で自分が投資した馬が負けたときに「バカヤロー」と馬に叫ぶ人が居ますが、どう見ても自分が悪いのです。

日本の銀行や信販会社は、失業や事業の失敗で金を返せない人を罵って、追い立てていますが「私は馬鹿です」と言っているのと同じです。


一時期銀行や金融会社がバタバタと倒産しましたが、社員が馬鹿だったから会社が倒産したのです。

借金を返せないのは貸し手が悪い

金利とは何かというと、相手が破産して返せなくなるリスクと引き換えに受け取るもので、最初から破産前提です。

相手が破産するリスクを引き受けたくない人は、そもそもお金を貸すべきではありません。

借り手と貸し手は対等であって、貸し手が上という事ではありません。


戦前戦後にアメリカで活躍したジェシー・リバモアという投資家は生涯に何度も借金しては、何度も破産しました。

借りるときは「私は投資で成功する自信があるのでお金を貸してください」と言ってお金を借ります。

投資で負けて一文無しになると貸し手の所に行って「私に金を貸した貴方の見る目が無かったので、債権を放棄して下さい」と言いに行きます。


そしてさらに「再起するのに資金が必要なので、追加でお金を貸して頂きたい」と言うのです。

日本でこれをやったら社会から追放されるかも知れませんが、驚く事にアメリカでは貸した方が納得して応じるのでした。

結局リバモアは何度踏み倒しても一度も貸し手に謝罪したりせず、対等の立場を通しました。


だが日本では「金利」がリスクと引き換えだという事が認識されていないので、謝罪の意味だと考えている貸し手が多い。

借金をする人は悪い事をしているので、お詫びの印にお金を払っていると考えている。

だから相手が返せないと分かっているのに返済を迫り、借り手は謝罪しながら首をつったりする。

こんなバカな話はない。

返せない借金は踏み倒せ

欧米では借金を返せない人が破産を宣言して返済を拒否するのは、経済的に良い事だと考えられている。

いつまでも返せない借金を払い続けるのは、その人の経済活動が止まってしまい、社会を停滞させるからです。

貸し手は金利を受け取るのと引き換えにリスクを「買った」のだから、権利を放棄するのが当たり前だという考えです。


どんどんお金を借りて何かにチャレンジし、返せなければ破産しろというのが資本主義です。

これがあるから欧米では若者がリスクを負って起業できるが、日本は借金が一生ついて来るのでリスクを負えない。

奨学金みたいなものでも、悪徳金融のようにつきまとって返済を迫って人生を台無しにしています。


リーマンショックの前年にサブプライムショックがあり、ホームレスや不法移民に高金利で住宅ローンを貸していました。

無職で英語すら喋れない連中が、最初から返す気もなく借りていたので、破綻して当然でした。

当然彼らの家を没収するべくローン会社が動いたが、その時CNNのレポーターは「借りた金を返せないからといって家を取り上げるのはおかしい」と言いました。


驚いたことに多くの人はその意見に賛成し、結局多くの人はローンを返さないまま家を手に入れました。(政府の救済策)

「返せない人に金を貸す方が悪いのだから、家を取り上げるのはおかしい」これが資本主義の考え方です。

返せない借金は堂々と「返しません」と宣言して債権放棄を求める方が社会の為です。
http://www.thutmosev.com/archives/57414496.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/794.html#c48

[リバイバル3] 投資損失でも自己破産はできる 常識は嘘だらけ 中川隆
2. 中川隆[-13980] koaQ7Jey 2020年2月06日 19:37:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-649]
2020年02月06日
日本の問題点「借金は貸すほうが悪い」のが世界の常識


金を貸すのは相手が破産するリスクを全て引き受けること。

引用:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-1d-e7/bnr32gtr_kouichi/folder/1034906/03/26774303/img_0


悪徳金融が借金の返済を迫る物語は、日本ではドラマや漫画のジャンルとして人気がある。

だが『闇金ウシジマくん』や『ナニワ金融道』は日本以外では通用しません。


金を貸すのはリスクを負って金利を得る事

日本では「金を借りたら返すのが当たり前」「返せない金を借りる人が悪い」とされています。

ところがこういう考えを持っているのは世界で日本人だけで、特に欧米では違います。

むかし渡辺美智雄という自民党の人気政治家が、アメリカにおける借金の常識を次のように揶揄しました。


「アメリカの連中は黒人とかいっぱいいて『うちは破産だ。明日から払わなくていいんだ』あっけらかんのかーだよ」

破産した人が「破産したから明日から借金を払わなくて良い。」と喜んでいる様子を見て、在り得ないと言っている訳です。

黒人差別発言として問題になったが、本質を突いた発言だったからこそ問題視されたのでしょう。


日本では借金を返せないと借りた人が非難されるが、アメリカでは貸した人が非難されます。

金を貸す、借りるのは純粋なビジネスであり、貸す人は金利で利益を得る為に金を貸すのです。

借りる人は借りたお金を元手に、事業を拡大したり生活のやり繰りをして、金利をつけて返します。


ここで借り手が事業に失敗したり失業して返せなくなったら、貸す人に人を見る目が無いのです。

競馬で自分が投資した馬が負けたときに「バカヤロー」と馬に叫ぶ人が居ますが、どう見ても自分が悪いのです。

日本の銀行や信販会社は、失業や事業の失敗で金を返せない人を罵って、追い立てていますが「私は馬鹿です」と言っているのと同じです。


一時期銀行や金融会社がバタバタと倒産しましたが、社員が馬鹿だったから会社が倒産したのです。

借金を返せないのは貸し手が悪い

金利とは何かというと、相手が破産して返せなくなるリスクと引き換えに受け取るもので、最初から破産前提です。

相手が破産するリスクを引き受けたくない人は、そもそもお金を貸すべきではありません。

借り手と貸し手は対等であって、貸し手が上という事ではありません。


戦前戦後にアメリカで活躍したジェシー・リバモアという投資家は生涯に何度も借金しては、何度も破産しました。

借りるときは「私は投資で成功する自信があるのでお金を貸してください」と言ってお金を借ります。

投資で負けて一文無しになると貸し手の所に行って「私に金を貸した貴方の見る目が無かったので、債権を放棄して下さい」と言いに行きます。


そしてさらに「再起するのに資金が必要なので、追加でお金を貸して頂きたい」と言うのです。

日本でこれをやったら社会から追放されるかも知れませんが、驚く事にアメリカでは貸した方が納得して応じるのでした。

結局リバモアは何度踏み倒しても一度も貸し手に謝罪したりせず、対等の立場を通しました。


だが日本では「金利」がリスクと引き換えだという事が認識されていないので、謝罪の意味だと考えている貸し手が多い。

借金をする人は悪い事をしているので、お詫びの印にお金を払っていると考えている。

だから相手が返せないと分かっているのに返済を迫り、借り手は謝罪しながら首をつったりする。

こんなバカな話はない。

返せない借金は踏み倒せ

欧米では借金を返せない人が破産を宣言して返済を拒否するのは、経済的に良い事だと考えられている。

いつまでも返せない借金を払い続けるのは、その人の経済活動が止まってしまい、社会を停滞させるからです。

貸し手は金利を受け取るのと引き換えにリスクを「買った」のだから、権利を放棄するのが当たり前だという考えです。


どんどんお金を借りて何かにチャレンジし、返せなければ破産しろというのが資本主義です。

これがあるから欧米では若者がリスクを負って起業できるが、日本は借金が一生ついて来るのでリスクを負えない。

奨学金みたいなものでも、悪徳金融のようにつきまとって返済を迫って人生を台無しにしています。


リーマンショックの前年にサブプライムショックがあり、ホームレスや不法移民に高金利で住宅ローンを貸していました。

無職で英語すら喋れない連中が、最初から返す気もなく借りていたので、破綻して当然でした。

当然彼らの家を没収するべくローン会社が動いたが、その時CNNのレポーターは「借りた金を返せないからといって家を取り上げるのはおかしい」と言いました。


驚いたことに多くの人はその意見に賛成し、結局多くの人はローンを返さないまま家を手に入れました。(政府の救済策)

「返せない人に金を貸す方が悪いのだから、家を取り上げるのはおかしい」これが資本主義の考え方です。

返せない借金は堂々と「返しません」と宣言して債権放棄を求める方が社会の為です。
http://www.thutmosev.com/archives/57414496.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1017.html#c2

[番外地7] 住宅資金を借りたアイヌは金が無ければ返さなくても良い 中川隆
1. 中川隆[-13979] koaQ7Jey 2020年2月06日 19:53:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-648]
北海道庁はアイヌ人を差別・迫害した過去を帳消しにして国際社会に認めてもらいたくてアイヌに金を貸したのです。もうその目的は果たして既に大きな利益を得たのですから、社会の底辺で苦しむ食うや食わずのアイヌ人から金まで返して貰う必要は無いのです。

お金くらい日銀が何百兆円でもすぐに発行できるのですから、極貧のアイヌ人から金を毟り取る必要なんかないのですね。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/472.html#c1

[近代史3] シューベルト 劇付随音楽 『ロザムンデ』 中川隆
2. 中川隆[-13978] koaQ7Jey 2020年2月06日 20:44:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-647]
クレメンス・クラウス


Clemens Krauss - Schubert - Rosamunde - Ballet Music



Vienna Philharmonic Orch.
transfer from Jpn Victor 78s / JH-21(2L-215)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/858.html#c2
[近代史3] シューベルト 劇付随音楽 『ロザムンデ』 中川隆
3. 中川隆[-13977] koaQ7Jey 2020年2月06日 20:52:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-646]
メンゲルベルク

Willem Mengelberg - Schubert : Rosamunde - Overture D.747 (1938) - 再復刻






Concertgebouw Orchestra, Amsterdam
recorded November 30, 1938
transferred from Deutsche Telefunken 78s / SK-3008(023713/4)


____


Schubert “Incidental Music for ‘Rosamunde’” Willem Mengelberg, 1941





http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/858.html#c3
[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
3. 中川隆[-13976] koaQ7Jey 2020年2月06日 21:33:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-645]
日本人も中国人もまともな人間は少ないし、まともな人間であっても一時的に異常な言動をする:

「徳島コロナ上陸しました」 新型肺炎、徳島市の医師が誤情報拡散 
2020/2/6 05:05 (JST)
©一般社団法人徳島新聞社

徳島県庁

 新型コロナウイルスによる肺炎の感染拡大に不安が高まる中、徳島県内で感染者が出たとの誤情報を徳島市の女性医師が会員制交流サイト(SNS)に投稿した。既に拡散されており、県は冷静な対応を呼び掛けている。

 医師は4日午後、フェイスブックに

「徳島コロナ上陸しました」
「犯人は中国人夫婦だそうで」
「ばらまかれてます」

などと書き込んだ。

 4日中に削除されたものの、投稿内容への不安や発信元に対する疑念の声がネット上に拡散。県立中央病院などの医療機関や県に問い合わせが相次いだ。

 県感染症・疾病対策室によると、感染疑い例を含め県内で感染者は確認されていない。

 阿南市の50代の自営業男性は「社会を混乱させたかったのだろうか。医療従事者の行為とは。考えられない」と憤った。投稿内容を知人に連絡したという女性は「もっと冷静に情報収集すればよかった」とした。

 医師の夫は謝罪した上で「妻は(難病の)潰瘍性大腸炎やインフルエンザを患っている。病気のせいでこんな行為に及んだのではないか」と話した。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c3

[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
6. 中川隆[-13975] koaQ7Jey 2020年2月06日 23:53:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-644]
シューベルト 交響曲第8(9)番ハ長調D.944「ザ・グレート」 名盤: ハルくんの音楽日記
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/8d759-74e0.html


ブルーノ・ワルター指揮コロムビア響(1959年録音/CBS盤) 

冒頭から、歌い方の柔らかさに魅了されます。オケの響きの薄さも、必要以上にカロリー過多にならずに好ましく思えます。ゆったりとした落ち着きと推進力のバランスも自分には丁度良く感じられます。

スタジオ録音なので楽器の分離は良いですが、金管を常に抑え目に吹かせて、弦と溶け合わせるのはウイーン・スタイルでしょう。曲のどの部分をとっても表情に意味が有るので、この長い曲を少しも飽きさせません。特筆すべきは3楽章の中間部で、これほど浮遊感を感じさせる演奏は有りません。さすがに終楽章では音の薄さがマイナスに思えないことも有りませんが、騒々しいよりは好ましいので、これで充分満足です。

カール・ベーム指揮ベルリン・フィル(1963年録音/グラモフォン盤) 

ベーム壮年期の全集は記念碑的な名盤だと思います。ベルリン・フィルの当時の暗く厚い響きは本当に魅力的でした。この曲の場合も、堂々と立派な造形性が見事ですが、それでいて無機的に感じさせないのが素晴らしいです。弦楽と木管のしっとりとした音色や表情にはとても惹かれますが、金管が目立ち過ぎる点が自分の好みからは幾らか外れます。このあたりは恐らく好みの問題だと思います。

カール・ベーム指揮ウイーン・フィル(1975年録音/グラモフォン盤) 日本ツアーのNHKホールでのライブ録音です。オーケストラの音色で言えば、シューベルトはやはりウイーン・フィルが一番です。金管、木管、弦楽の全てが柔らかく溶け合って、極上にブレンドされた響きを聴かせるからです。録音もオフ・マイクなので会場で聴いているような臨場感が感じられます。その分、逆に楽器の分離、バランス的に少々のっぺりとした感じになるのは仕方が有りません。テンポは3種の中で一番ゆったりしていて重量感を感じます。

カール・ベーム指揮シュターツカペレ・ドレスデン(1979年録音/グラモフォン盤) 晩年のライブですが、演奏には驚くほどの若々しさを感じます。テンポは日本ライブよりも速めで、響きは引き締まって迫力が有ります。弦や木管の柔らかい音色はこのオケらしい魅力なのですが、金管が少々張り出し過ぎに感じられます。これは演奏の気迫と裏腹ですのでやむを得ないところかもしれません。「晩年のベームは年寄り臭い」とお思いの方は、きっと認識が覆される演奏でしょう。


この曲の演奏においては、余りに感情移入が激しいものは好みません。

例えばフルトヴェングラーが第二次大戦中に指揮した壮絶な演奏が有りますが、個人的には余り好んでいません。

クナッパーツブッシュ/ウイーン・フィルのライブ盤(グラモフォン)もクナ・ファン曰く「片手で地球をひっくり返したような凄演」として大変に人気が有りますが、僕は違和感を感じます。

期待して聴いたクレメンス・クラウス/ウイーン交響楽団(テルデック)の演奏もさほど良い印象が残っていません。

フランツ・コンヴィチュニーが珍しくチェコ・フィルを指揮した演奏(スプラフォン)は、金管のド迫力が自分には論外でした。

イシュトヴァン・ケルテス/ウイーン・フィル(DECCA)、それにウイーン子のヨーゼフ・クリップス/ロンドン響(DECCA)も、さほど良い印象が有りません。

そうしてみると、好むのは結局のところワルターとベームの二人に絞られます。

特にワルターの演奏は奇跡的な素晴らしさだと思います。

ウイーン、ベルリン、ドレスデンと世界に冠たる名楽団を三つ指揮したベームが、アメリカのセッション・オーケストラを指揮したワルターに敵わないのですから、これは驚くべきことです。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/8d759-74e0.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c6

[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
7. 中川隆[-13974] koaQ7Jey 2020年2月07日 00:23:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-643]
カール・ベーム

Symphony No. 9 in C Major, D. 944 "Great" Karl Böhm's Dresden Farewell Concert in 1979 (Live)









Conductor: Karl Böhm
Orchestra: Staatskapelle Dresden

シュターツカペレ・ドレスデン
DG原盤。1979年1月12日、ドレスデン、文化宮殿におけるシューベルティアーデのライヴ録音。


冒頭のホルンはおそらくペーター・ダムだろう。第1楽章は楽段ごとに熱くなったテンポをもとに戻している。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert9-s.htm


▲△▽▼

ベーム ベルリンフィルの「ザ・グレート」 ライヴ


Karl Bohm
Berliner Philharmoniker
9/9 1978 Live recording

▲△▽▼

Schubert Symphony 9 "The Great" - Karl Böhm (Live)


Karl Böhm / Wiener Philharmoniker
Live on 19 June 1977, "Schubertiade", Karl-Borromäus-Kirche, Wien

▲△▽▼

Schubert Symphony No.9 D944 "The Great" Karl Böhm V.P.O. 1976 Salzburg


シューベルト: 交響曲 第9番 ハ長調 《ザ・グレイト》
1976年度「ザルツブルク音楽祭」期間中の 8月15日に ザルツブルク・フェルゼンライトシューレに於いて、カール・ベーム指揮、ウィン・フィルハーモニー管弦楽団によって演奏されました。
1976 Salzburger Festspiele Felsenreitschule

▲△▽▼

Schubert: Symphony No.9 The Great / Böhm Wiener Symphoniker (1966 Movie)


ウィーン交響楽団
DREAMLIFE。UNITEL原盤DVD。
1966年、モノクロ・モノラル。アンリ・コルピ監督。

上のDGへの録音の際のリハーサル風景とあわせれば、ベームがこの曲をどう設計しているかが理解しやすい。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert9-s.htm


▲△▽▼

Schubert - Symphony n°9 - Berlin / Böhm 1963





Berliner Philharmoniker
Karl Böhm
Studio recording, Berlin, VI.1963

ベルリン・フィル
DG。OIBP化国内盤。1963年録音。「未完成」とカップリング。

この1曲単独でも1964年度レコード・アカデミー賞受賞。
かつこれから発展した全集も1973年度レコード・アカデミー賞。

古典的・模範的・ドイツ的....な名演である。ベルリン・フィルの音色がまた素晴らしい。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert9-s.htm


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c7
[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
8. 中川隆[-13973] koaQ7Jey 2020年2月07日 01:11:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-642]
トスカニーニ

Schubert: Symphony No.9 D.944 "The Great" / Toscanini Philadelphia Orchestra (1941)





Arturo Toscanini
Philadelphia Orchestra

1941.11.16


アルトゥーロ・トスカニーニ指揮フィラデルフィア管弦楽団
RCA。1941年11月16日録音。
ライヴではなく、客演の際に録音されたSPで後のNBCとの新録音よりも(なぜか)評判の良い演奏である。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert9-m.htm


▲△▽▼

SCHUBERT: Symphony No. 9 in C major D. 944 "The Great" / Toscanini · NBC Symphony Orchestra


Arturo Toscanini (conductor)
NBC Symphony Orchestra
1947/02/25 Mono, Carnegie Hall, New York


▲△▽▼

Schubert, Symphony No. 9 - Toscanini, Scala 1948




Arturo Toscanini
Orchestra del Teatro alla Scala
Live, Milano, Teatro alla Scala
September 16th, 1948

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Schubert: Symphony No. 8(9) `The Great`, Toscanini & NBCso (1953)


Arturo Toscanini (1867-1957), Conductor
NBC Symphony Orchestra

Rec. 9 February 1953, at Carnegie Hall, in New York

アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団
RCA。1953年2月9日、カーネギーホール録音。
古典的なフォルム重視の名演である。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c8
[リバイバル3] 8人死亡 那須温泉ファミリースキー場 _ どうやったら雪崩に合えるんだ、大田原高校 殺人山岳部 中川隆
10. 中川隆[-13972] koaQ7Jey 2020年2月07日 07:46:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-641]
那須雪崩「斜面に入り込むことで生じた」 生徒ら8人死亡 人災の可能性 専門家報告
毎日新聞 2020/02/07
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/那須雪崩「斜面に入り込むことで生じた」-生徒ら8人死亡-人災の可能性-専門家報告/ar-BBZJd3w?ocid=ientp


© 毎日新聞 雪崩発生時の状況
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/那須雪崩「斜面に入り込むことで生じた」-生徒ら8人死亡-人災の可能性-専門家報告/ar-BBZJd3w?ocid=ientp&fullscreen=true#image=1


 栃木県那須町で2017年3月、登山講習会に参加した県立大田原高の生徒ら8人が死亡した雪崩事故で、防災科学技術研究所の研究員ら専門家による調査チームが「雪崩は人為発生の可能性が高い」という見解をまとめ、学会で報告した。講習会を運営した教諭らが漫然と歩行訓練をさせたことが雪崩発生につながった疑いが強まった。

 調査チームは、雪崩発生から6日後に上空から現場を撮影した写真を解析するなどし、亡くなった8人を含むグループ(A班)と別のグループ(B班)の足跡や雪崩発生位置を調べた。

 その結果、雪崩発生域は茶臼岳山腹の大岩「天狗の鼻」から数十メートル離れた場所と推定。足跡から、A班は斜面を上方に向かって歩き、天狗の鼻直下(標高1465メートル程度)で発生推定域の近くに到達していたことが分かった。B班もA班の近く(標高1430メートル程度)を歩いていた。

 A、B班ともに発生推定域の数十メートルの地点にいたとみられることから、「登山研修中の班が斜面に入り込むことで表層雪崩が生じたと考えるのが自然」として、雪崩は人為発生の可能性が高いと結論づけた。

 雪崩発生域と推定される場所は、県教委が17年に設置した検証委員会のヒアリングでA、B班の生徒らが証言した内容と矛盾がないという。調査チームの結果は19年9月に山形市で開かれた雪氷研究大会で報告された。

 雪崩の発生原因について、県教委の検証委が17年10月に公表した事故の最終報告書は「自然発生か人為的かを特定することは難しい」としていた。

 雪崩事故は17年3月27日朝、茶臼岳で発生し、登山講習会に参加していた県内7校の山岳部の生徒や教諭計55人のうち8人が死亡した。講習会を中止するか安全な範囲を具体的に指定する義務を怠ったとして、県警は19年3月、講習会を運営した教諭3人を業務上過失致死傷容疑で書類送検した。【李舜】
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/那須雪崩「斜面に入り込むことで生じた」-生徒ら8人死亡-人災の可能性-専門家報告/ar-BBZJd3w?ocid=ientp

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/788.html#c10

[リバイバル3] 中川隆 _ 経済、ビジネス関係投稿リンク 中川隆
153. 2020年2月07日 07:59:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-640]
小型車を制した物が覇者になる歴史 _ 高級大型車メーカーはやがて淘汰される
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1039.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/813.html#c153
[リバイバル3] 中川隆 _ 共産主義関係投稿リンク 中川隆
3. 中川隆[-13971] koaQ7Jey 2020年2月07日 08:09:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-639]
ピケティで明けました
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/562.html

グローバリズムというのはファシズムだった
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/117.html

グローバル経済では人間が商品として売買される
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/884.html

終戦後、自称”労働者の代表”達の活動を背後で操り、支援していたのはGHQだった
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/116.html

主要企業・銀行の殆どが外資に乗っ取られてるとこういう社会になる
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/784.html

竹中平蔵物語 _ 竹中先生が理想とするアメリカ社会とは
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/301.html

池田信夫の逝かれっぷり _ 時代錯誤の「比較優位の原理」を鵜呑みにしている自称経済学者 池田信夫
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/543.html

日本の1946年預金封鎖
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/740.html

日本の異次元緩和はアメリカに資金提供するために行われた
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/744.html

実力主義だと白人男性だけしか高い地位を得られない
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/772.html

経済格差は知能の格差
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/759.html

家庭環境が貧しいと子どもの脳は「貧困脳」になる
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/770.html

ユダヤ人の「リベラル」思想とはどういうものか?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/922.html


アメリカが中国を世界の工場にして、日本の競合メーカーを壊滅させた手口
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/321.html

中野剛志 「没落について」 グローバル資本主義を超えてII
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/338.html

世界を救うトランプ _ ディープステート vs. ドナルド・トランプ
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/347.html


馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html

政府批判するとブラックリストに載せられて買い物もできなくなるキャッシュレス社会がやってくる
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/367.html

第25代日本銀行総裁(1984-1989年) 澄田智がやった事
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/153.html

日経平均株価が上がる程 日本人はどんどん貧しくなっていく _ アベノミクスがもたらした株価上昇による100兆円の損失
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/188.html


自由貿易は国家経済を破綻させる _ 自由貿易論者が信じているリカードの「比較優位の原理」は時代錯誤の幼稚な経済理論
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/192.html

新自由主義を放置すると中間階層が転落してマルクスの預言した階級社会になる理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/350.html

本当かな? リーマン危機から10年、膨らみ続ける世界の借金の先に見える崩壊の危機
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/368.html

日銀の金融緩和はアメリカの出口戦略に協力していただけだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/369.html

施 光恒 : 「グローバル化」とは「多国籍企業中心主義化」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/397.html

ディープステートとは何か
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/416.html




http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1037.html#c3

[リバイバル3] 中川隆 _ 相場関係投稿リンク 中川隆
43. 中川隆[-13973] koaQ7Jey 2020年2月07日 08:21:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-647]
小型車を制した物が覇者になる歴史 _ 高級大型車メーカーはやがて淘汰される
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1039.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/456.html#c43
[近代史3] 世界を反米にした殺人鬼ヒラリー・クリントン 中川隆
8. 中川隆[-13972] koaQ7Jey 2020年2月07日 09:02:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-646]
「神に選ばれた国」と「神に選ばれた民」に未来はあるか 
 国際教育総合文化研究所・寺島隆吉 2019年3月6日
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/10854


1 はじめに

 一昨年、九州を本拠地にして活動しているデータ・マックス社の経済情報誌『IB: Information Bank』から、「先生の訳書『アメリカンドリームの終わり』を拝読し、ぜひ本著を弊誌読者に紹介したい」との取材依頼があり、そのインタビューの記録を私のブログ「百々峰だより」でも紹介しました。
*「今日のアメリカは、明日の日本である」2018新春特別号
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-3 1 2.html

 ところがその後、再び上記の経済情報誌『IB』の記者から次のようなメールが飛び込んできて驚喜させられました。というのは今度は「九州本部の社長から、新春号に続いて夏季特集号でも、ぜひ先生のお話をというリクエスト」だというのですから、私にとっては驚愕の極みでした。

 しかも夏季特集号の大きなテーマは「大転換」で、政治・経済・社会・文化の分野での大転換を探るというのです。

 そこで私の頭に浮かんだのは「三つの大転換」でした。一つ目は「アメリカの現実を知ろう」、二つ目は「世界の流れを知ろう」、三つ目は「日本の良さを知ろう」です。

 日本の知識人は、ともすると「日本はだめだけどアメリカはすごい」と言ったりしますが、アメリカ国内の崩壊ぶりは、チョムスキーが『アメリカンドリームの終わり』で述べているとおりです。

 他方、国外でもシリア情勢を見れば分かるとおり、アメリカの失敗と孤立化は世界的に露呈しつつあります。

 その一方、日本は劣化しつつあるとはいえ、今でも世界で稀に見る長寿国であり高学力の国なのです。その証拠に、拙著『英語で大学が亡びるとき』(明石書店)でも詳述しましたが、OECD学力調査では、日本はトップクラスで、アメリカは最底辺です。

 したがって日本政府は、いたずらにアメリカの後を追うのではなく、日本の現実をふまえ、しっかり地に足をついた考えを持って欲しいと思います。世界でもうらやましがられている清潔で安全な社会を、維持・発展させなければならないからです。

 しかし残念ながら、この「三つの大転換」は、予定されていた夏季特集号のテーマが「時事国々、新先進国の台頭」に変えられたため、せっかく次のインタビューに備えて書きためつつあった原稿も宙に浮いてしまいました。そこで、その一部を私のブログに載せました。

 ところが、そうこうしているうちに、長周新聞から「2019年度の新年号のために何か書いていただけないか」との依頼があったので、この原稿に手を入れて載せていただくことにしました。しかし三つのテーマで書いたものはあまりに長いので、ここでは最初の二つにしぼらせていただきます。

 (ちなみに、「大転換」の代わりのインタビューは、「なぜ文科省は自発的『植民地化』に邁進するのか」というテーマでおこなわれ、その内容は下記に載せてあります。興味のある方は御覧いただければ幸いです。)
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-3 2 3.html?sp


2 アメリカ「民主主義」神話の崩壊

2―1

ドナルド・トランプ
 では、私が「アメリカの現実を知ろう」としてあげた一つ目の「大転換」とは何でしょうか。それは、「大統領は、アメリカ国民の意志に従って選挙され、その国民の意向に沿って政治をおこなうものであり、その理想型がアメリカである」という神話が、今や完全に崩壊したということです。

 このことを最もよく示してくれたのがトランプ大統領の誕生でした。

 選挙の下馬評ではヒラリー・クリントン女史が「アメリカ初の女性大統領」として当選が確実視されていました。

バニー・サンダース
 ところが自称「社会主義者」のバーニー・サンダース氏が「ヒラリー候補はウォール街と結びついている」と批判し、彼女を裏で支援しているのが共和党と同じ財界・特権階級であることを暴露してから、流れは大きく変わり、彼女に代わってサンダース氏が民主党の大統領候補になる可能性が出てきました。

 この頃から大手メディアの攻撃はサンダース氏に集中し、終盤のカリフォルニアの予備選挙では投票が始まる前から「ヒラリー女史が圧倒的優勢、当選確定」という報道が流されるまでになりました。

 このような風圧の中で、サンダース氏はついに膝を屈し、共和党候補として勢いを増しつつあったトランプ氏を勝たせないという理由で「ヒラリー女史こそアメリカで最良の候補者だ」という声明すら出すまでに変質してしまいました。

 一握りの富裕層・特権階級に富と権力が集中している現状に不満を感じて、サンダース氏の選挙運動に精力を注ぎ始めていた没落中産階級の人々や若者は、このようなサンダース氏の裏切りに失望し、その多くの票がトランプ氏に流れたと言われています。

 サンダース氏が民主党の候補者になっていたら、富豪として有名だったトランプ氏と互角に闘うことができ、大統領に当選していたかも知れないと言われているのも、このためです。

シリアで傭兵を激励するヒラリー・クリントン
 民主党の幹部はヒラリー女史を「アメリカ初の女性大統領」として売り出し、彼女を共和党の候補者と対決させることを、予備選が始まる以前から、裏で密かに決めてしまっていました。

 サンダース氏が各州で予備選を確実に勝ち抜いていくのを何とか阻止しようと、民主党の幹部が様々な工作をしたことも、今ではウィキリークスなどで暴露されています。

2―2
 しかし何と驚いたことに、ヒラリー女史は「ウィキリークスはプーチンの手先だ。トランプもプーチンの傀儡(かいらい)だ」と言って、大統領として公約を果たそうとするトランプ氏の手足を縛ることに、いまだに全力を注いでいます。

 1%(チョムスキーによれば実際は0・1%)の富裕層・特権階級を基盤にしている共和党のなかで、トランプ氏が共和党の予備選に勝利した背景には、氏が富豪であるにもかかわらず、主として白人の没落中産階級に「昔の豊かなアメリカを取り戻そう」と呼びかけたことにありました。

 裏切られたと感じたサンダース支持者の少なからぬ人たちが、トランプ支持者に変わった要因も、トランプ氏の呼びかけが「アメリカは外国に余計な手出しをして、戦争や政権転覆などにお金を使いすぎている。だからロシアと手をつないでシリアの戦争を一刻も早く終わらせるべきだ。軍隊をシリアから撤退させ、戦争に無駄遣いしている巨額のお金を国内産業の復興に回そう」ということにありました。

 不思議なことに、自称「社会主義者」を名乗り、アメリカ国内の富裕層・特権階級を攻撃していたサンダース氏でさえ、このような呼びかけを予備選でおこなっていないのです。

 外交政策では「シリアのアサド大統領は早く去るべきだ」という軍産安保複合体の要求、政権転覆の政策をそのまま掲げていたのでした。

 ですから、トランプ氏が大統領になったときにおこなわれた氏への強力な攻撃は、「トランプはプーチンの傀儡だ。ロシアが裏で密かに選挙介入したからこそトランプは大統領になれたのだ」というものでした。さらに、それに大手メディアも大々的に悪乗りすることになりました。

 アメリカが外国の選挙に介入したりクーデターや要人暗殺を企ててきた長い歴史をもっていることは、ウィリアム・ブルム『アメリカの国家犯罪全書』(作品社、2003)に詳しいのですが、それを全く棚に上げて、ヒラリー女史の選挙敗北をロシアのせいにするというのは、まったく「天に唾する行為」と言うべきでしょう。「亀は自分の甲羅に似せて穴を掘る」と言い換えてもよいかもしれません。

マイケル・フリン
 ところがトランプ氏は大統領になった途端に選挙時の公約をくつがえし、国家安全保障問題担当大統領補佐官として自らが任命したマイケル・フリン(元陸軍中将、元国防情報局DIA長官)を解任して、タカ派の人物と入れ替えてしまいました。

 フリン氏は、「ロシアと協調し、アサド政権と闘っているイスラム原理主義を一掃すべきだ」と主張してきた人物ですから、このような人物を解任することは、トランプ大統領が裏からの圧力に屈したことを示す典型的事件でした。

 こうしてフリン解任を皮切りに、トランプ大統領は次々と自分の任命した補佐官や閣僚を解任し、シリア紛争を終結させるどころか、この姿勢を逆転させてしまい、シリア政府の援助要請を受けてシリア内部で闘っているロシア軍やシリア政府軍をミサイル攻撃するまでになりました。

 公約だった「アメリカ第一主義」を逆転させて、トランプ氏が元大統領オバマ氏がとっていたのと同じ政策=「外国への干渉・侵略」に乗りださせた裏の勢力は、“Deep state”「裏国家」「闇の政府」と呼ばれています。

 このような「裏の勢力」が存在すること、それが“Deep state”という名称で、公の場で論議されるようになったことは、アメリカの歴史上かつてないことでした。

2―3
 今までも大統領の候補者が「裏の勢力」によって秘密裏に決定され、それがお祭り騒ぎの大選挙戦で、「アメリカ史上初の黒人大統領」などといったかたちで「売り出されてきた」ことは、公然の秘密だったわけですが、それが最も露骨なかたちで暴露されたのは、クリントン女史が「アメリカ史上初の女性大統領」というかたちで売り出され、大手メディアが、こぞってヒラリー支持の報道を繰り広げたときでした。

 というのは、先述したように、選挙戦が始まる以前から民主党幹部が「次の大統領はヒラリー女史だ」と決めていたこと、予備選でもサンダースにたいする露骨な選挙妨害を裏で工作していたことが、ウィキリークスその他で暴露されたからです。
(このためアサンジ氏は、エクアドルに新しい親米大統領が誕生したことによって、亡命したはずのロンドンのエクアドル大使館で今や幽閉状態です)。

 そのうえ選挙が終わったあとも、トランプ氏を大統領の座から引きずり下ろそうとする動きは止むことがありませんでした。それは現在も執拗なかたちで続けられています。

 もちろんトランプ氏の言動に問題がなかったわけではありません。それどころか大言壮語で、かつ矛盾する言動、間違った意見も少なくありませんでした。

 しかし氏の「アメリカはこれまで外国に干渉しすぎてきた。これからは政権転覆などに手を出すのではなく国内再建に精力を集中する」という主張は、大筋では正しいものでした。

 ところが、それを許せない勢力がアメリカ国内に存在するのです。それがいわゆる“Deep state”「裏国家」「闇の政府」です。

 しかし、このような「裏国家」「闇の政府」という名称と存在は、すでに述べたように、公の場で明らかにされ議論されたことは今までありませんでした。

 ところが今では民主党の元下院議員であり元大統領候補として2004年の予備選でも善戦したデニス・クシニッチでさえ、“Deep state”という言葉を使って今のアメリカの政治を鋭く批判するようになっています。
*闇の政府’Deep state’がシリアの紛争を求めて、これを推進している
https://on.rt.com/9 4a9

 クシニッチはラリー・キングのインタビューに応えて「シリアの紛争をわざと長引かせているのは、ペンタゴン、CIA、国務省の連中だ。彼らは自分たちの考え方にしたがってトランプ大統領を動かしている。しかし彼らは国民によって選挙で選ばれたのではない。これは実に憂慮すべき事態ではないか」と語っています。

 クシニッチ氏は、ここで“Deep state”を「CIA、ペンタゴン、国務省の連中」として、彼らを名指しで非難しているのですが、「CIA、ペンタゴン、国務省の連中」を裏で動かしている真の勢力は「軍産複合体」「0・01%の超富裕層」ですから、もっと鋭くDeep state”のなかみを分析し追及すべきでした。

 しかし、いずれにしても、この大統領選挙の過程とその後の進展で明らかになったことは、アメリカの大統領は民衆が選挙で選ぶものではなく裏で密かに誰を次期大統領にするかが決められていること、裏の勢力の意向に沿わない人物が選ばれた場合、 その人物は“Deep state”の言いなりになるか、さもなければ「消される」運命にあるということです。

 このことがアメリカ国民だけではなく、世界中の心あるひとたちの目にはっきりと見える形になったことは、何度も言うように、アメリカ史上かつてなかったことでした。

 これは、トランプ氏が大統領選に立候補したことによってもたらされたもので、氏が勝利しなければ、アメリカの裏舞台がこれほど劇的に暴露されることは、たぶんなかったでしょう。

 これは実にトランプ氏の「大きな功績」であり、世界の「大転換」として私がこれを第一に挙げたいと思う所以です。

2―4
 この節を終える前に、最後に付け加えておきたいことが三つあります。

 その一つはトランプ氏が大統領になった直後に解任されたマイケル・フリンについてです。元DIA(国防情報局)長官マイケル・フリンについて櫻井ジャーナルは2016年11月19日の時点で次のように書いていました。

 「ドナルド・トランプはマイケル・フリン元DIA長官に対し、安全保障担当補佐官への就任を要請したとAPが伝えている。
 トランプは、ロシアとの関係修復を訴え、シリアではバシャール・アル・アサド体制の打倒ではなくアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)と戦うべきだと主張しているが、そうした判断はフリンのアドバイスに基づいている可能性が高い。
 そのフリンを重用できるなら、軍事的な緊張は緩和される可能性が高い。
 マイケル・フリン中将は退役後にアル・ジャジーラ [中東カタールの放送局] の番組へ出演、自分たちの任務は提出される情報の正確さをできるだけ高めることにあり、そうした情報に基づく政策の決定はバラク・オバマ大統領の役割だとしている。
 何度も書いていることだが、DIAは2012年8月に作成した文書の中でシリアにおける反乱の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてAQIだと指摘、バラク・オバマ政権が支援している「穏健派」は存在していないとしていた。
 つまり、「穏健派」の支援とはサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてAQI(アル・カイダ系武装集団)にほかならないということだ。
 アル・カイダ系武装集団の主力はサラフ主義者やムスリム同胞団であり、アメリカ政府はアル・カイダ系武装集団を支援しているということになる。
 DIAの報告書ではシリア東部にサラフ主義者の国ができる可能性も警告していたが、これはダーイッシュという形で現実になった。
 トランプ政権へ入るとも噂されているルドルフ・ジュリアーニ元ニューヨーク市長は選挙期間中、「ヒラリー・クリントンはISISを創設したメンバーだと考えることができる」と口にしていた。オバマ同様、確かにヒラリー・クリントンもダーイッシュを操る勢力に属していると言えるだろう。」[引用終わり]

 ところが、フリン中将は、上記の報告をオバマ大統領に提出後しばらくして退役しました。

 自分の警告が受け入れられなかったから自ら辞職したのか、余計な報告書をつくるなという理由で解任されたのかは不明ですが、そのフリン氏をトランプ大統領は安全保障担当補佐官として採用したのです。しかし御存知のように、フリン氏は間もなく解雇されてしまいました。

 これは裏の戦争勢力がいかにフリン氏を嫌っていたかを示す典型的事例でした。このようにトランプ氏は大統領に就任直後から“Deep state”の攻撃にさらされ、それに屈するということを繰りかえしつつ現在に至っています。

2―5

バラク・オバマ
 二つ目は元大統領オバマ氏についてです。オバマ氏は「アメリカ史上初の黒人大統領」という宣伝文句で売り出されたのですが、この選挙戦についてチョムスキーは『アメリカンドリームの終わり富と権力を集中する10の原理』で次のように述べています。

 「大統領選挙の直後に、オバマ大統領は広告産業からひとつの賞を獲得しました。2008年の市場広告最優秀賞というものでした。つまり、2008年の大統領選挙で最も良い宣伝活動を展開したというのです。
 そのことはこのアメリカでは報道されませんでしたが、国際的な商業紙では、経営幹部は幸福感に満ちて次のように言っていました。『われわれはこれまでずっと大統領候補者を売り出してきた。レーガン政権からずっと大統領選挙という市場で、候補者を(練り歯磨きを売り出すのと同じように)売り出してきた。オバマはそのなかでも最高の成果だった。』
 私は普通、共和党の大統領候補であったサラ・ペイリンの意見に同調はしないのだけれど、彼女がオバマを、『ホープ(希望)とチェンジ(変化)という謳(うた)い文句だけを振りまく男』と呼んで揶揄(やゆ)したとき、彼女は正しかったのです。そもそもオバマは選挙で具体的なものをなにひとつ約束しませんでした。かれが振りまいたのは、ほとんどすべてが幻想で、具体的な提案に欠けるものだったからです。


 オバマが選挙運動の際に振りまいた言い回しをよく見てみれば、そのことがよくわかるはずです。かれの選挙演説のなかには、具体的な政策をめぐる論争はほとんど何もありませんでした。
 それには十分な理由がありました。政策にかんする一般民衆の世論は、二大政党の指導者や金融界の指導者の望んでいるものとは鋭く対立し、大きな溝があったからです。選挙運動が進めば進むほど、オバマの政策は選挙運動に資金を提供してくれる民間企業の利益に焦点を当てるものになっていました。そして民衆の要求はますます周辺部に追いやられてしまいました。」[引用終わり]

 つまりオバマという人物は、最初から“Deep state”によって選ばれ、「アメリカ史上初の黒人大統領」として選挙市場に売り出された人物だったのです。

 それにしてもオバマ氏の母親は白人なのですから、彼を「黒人」と呼ぶのはいかにも変な話です。オバマ氏の血の半分は白人のものなのですから、氏をなぜ「白人」と呼んではいけないのでしょうか。

 ナチスがユダヤ人を扱ったときと同じように、黒人の血が一滴でも混じっていれば「黒人」であるというのは、偏見の極みです。この一般化されている偏見を逆用して選挙市場に売り出そうと工作した「裏国家」の手腕は実に見事と言うしかありません。

2―6
 三つ目は、公民権運動・黒人解放運動の指導者として有名だったキング牧師の暗殺についてです。

 今からちょうど51年前に(1968年4月4日)キング牧師が公権力によって暗殺されたこと、それがキング師の遺族による裁判闘争で明確に結論づけられたことを下記ブログ(「百々峰だより」2018/0 4/1 4)で紹介しました。
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-3 1 6.html

 また、この偉大な勝利判決の翌日、1999年12月9日におこなわれた記者会見は下記のサイト(『寺島メソッド翻訳NEWS』)で読むことができます。
*MLK暗殺裁判判決についてキング家の記者会見
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-8 4.html

 ところが、この偉大な勝利判決について言及している大手メディアやアメリカ研究者は皆無に近いのです。

 キング師は、「黒人解放運動の指導者」という地位にとどまっていればおそらく殺されることはなかったでしょう。彼が“Deep state”の怒りにふれたのは、アメリカの外交政策に公然と反旗をひるがえし始めたからでした。その立場を明確に宣言したのが、暗殺のきっかり1年前、1967年4月4日にニューヨークのリバーサイド教会でおこなった演説「ベトナムを超えて」でした。

 この演説は、ハワード・ジン『肉声でつづる民衆のアメリカ史』下巻、156―164頁に載っています。

 ふつうキング師の演説と言えば誰でも思い浮かべるのが、1963年8月28日にワシントンDCで25万人近くの集会参加者を前におこなわれた有名な演説「I HAVE A DREAM」です。しかし内容的にはるかに重要なのは、この「ベトナムを超えて」という演説でした。

 キング師がアメリカの内政批判「公民権運動」にとどまっているかぎりは、“Deep state”にとっては、まだ我慢が出来る存在でした。

 というのは「戦争は国家の健康法である」と信じ、戦争で国家を維持し財力を貯えてきた“Deep
state”の人たちにとっては、「アメリカの外交=戦争政策に口出しをする人物は許すべからざる人物であり生かしておけない」存在だったのです。

 このことは上記のキング一家がおこした裁判でも明確に確認されたことでした。

 トランプ氏も「アメリカ第一主義」を掲げ、「国家の再興」という内政問題に関わっているかぎりでは、あれほどひどい攻撃を受けることはなかったでしょう。しかしトランプ氏が踏み外したのは、アメリカの外交(戦争政策)を痛烈に批判し、それを内政(国家の再興)と結びつけたことでした。

 トランプ氏が選挙戦で、オバマ政権やヒラリー女史の戦争政策「シリアの政権転覆」を痛烈に批判し、ロシアとの協力・協調を訴えたことは、“Deep state”の逆鱗に触れるものでした。

 これは、中国とロシアを包囲するという方針に真っ向から対立するものだからです。これは、時の政府が窮地に陥ったときの、恒例かつ最後の手段に鎖をかけるような政策だからです。

 ちなみに、夭折の天才ランドルフ・ボーンによる「戦争は国家の健康法である」という有名な論文も、『肉声でつづる民衆のアメリカ史』上巻、532―539頁に訳出されています。
(また私のブログでも過去3回にわたって、この論文をとりあげて紹介しているので、興味ある方はぜひ御覧ください。)
*「戦争は国家の健康法である」
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-2 9 4.html
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-2 9 5.html
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-2 9 6.html


3 「神によって選ばれた国」「神によって選ばれた民」

3―1
 前節では、「大転換」の一つ目として、トランプ大統領が誕生したおかげでアメリカ国内におけるDeep state”(裏国家、闇の政府)の存在が今や誰の眼にも明らかになったことを紹介しました。

 さて、そこで二つ目の「大転換」です。

 大国アメリカの「例外主義」(自称「神に選ばれた国」)と世界における孤立がこれほど明らかになったことはかつてなかったのではないか、これもトランプ氏の大きな「功績」ではないか―と私は思うようになりました。

3―2
 アメリカが世界の超大国・覇権国家となったのは、第二次世界大戦が終わってイギリスが帝国の地位から転落したときからでした。

 こうして大戦後、アメリカは経済的にも軍事的にも世界の帝国となりました。

 しかしチョムスキー『アメリカンドリームの終わり』によれば、これは同時に、大戦直後に世界の頂点に立ったアメリカの衰退の始まりでもありました。

 とりわけアメリカの経済的衰退ぶりが顕著になったのは、アメリカが金本位制を止めた1970年代からでした。これはアメリカの通貨である「ドルの弱体化」を示すものでもありました。

 この「ドルの弱体化」は、アメリカが投資銀行と商業銀行の垣根を取り払い、国内産業の構造が製造業から金融業へと大きく変化していくのと同時進行でした。

 製造業の多くは安い労働力を求めて海外移転し、国内産業は大きく疲弊したからです。代わって登場したのが金融資本が乱舞する世界でした。

 では衰退する経済力をくい止める手段としてアメリカが選んだのはどんな方法だったのでしょうか。それは産業の動力源である石油を支配することを通じて、世界を支配すること、アメリカの覇権を脅かす国が現れればそれを軍事力で叩き潰すことでした。

 世界の産業は石油で動いているのですから、これを占有しさえすれば、刃向かう国を屈服させることができます。

 アメリカが、「民主主義の理念」に反して、イスラム王制独裁国家のサウジアラビアを軍事力で支えているのも、OPEC(石油輸出国機構)の盟主であるサウジを通じて世界の石油の流れをコントロールできるからです。

 サウジ王室を目下(めした)の家来として使い、石油貿易の決済をドルを使っておこなわせることにより、ドルの弱体化を防ぐことができます。

 その代わりアメリカは、独裁王制の下で抑圧されているサウジ民衆が王室転覆に決起したとき、それを鎮圧する仕事を引きうけました。

 王室が鎮圧に失敗したときアメリカ軍が出動して王室を支えるという約束をしたわけです。これは同時に高額の武器をサウジに輸出する絶好の口実ともなりました。

3―3
 アメリカの覇権を脅かす国が現れればアメリカがそれを軍事力で叩き潰してきたことは歴史が数多くの事実を提供してくれます。

 その実例として前節ではブルム『アメリカの国家犯罪全書』(作品社)を紹介しましたが、それを読めばアメリカが犯してきた戦争犯罪、「拉致」「テロ」「暗殺」「拷問」「毒ガス」「クーデター」などの数々を知ることができます。

 もちろんアメリカの覇権を脅かす国が現れても、その為政者を賄賂・買収その他で籠絡できれば、わざわざ「拉致」「テロ」「暗殺」などの手段を使う必要はありません。ましてや軍隊を派遣して侵略する必要などありません。

 その具体的な手口は、ジョン・パーキンス『エコノミック・ヒットマン、途上国を食い物にするアメリカ』(東洋経済新報社、2007)に詳しく述べられています。

 この著者パーキンスは、表の顔は一流コンサルティング会社のチーフエコノミストですが、裏の顔・本当の姿は対象国を経済的に収奪するアメリカの工作員でした。

 この本は良心の痛みに耐えかねたエコノミック・ヒットマンの内部告発書です。彼は「買収工作が成功しないときは本当のヒットマン(暗殺者)の出番になる」と述べています。飛行機事故に見せかけて国家元首を殺すこともあったと言います。

 この本を読むと、アメリカ政府が多国籍企業と一体になっておこなってきた「買収」→「恫喝」→「暗殺」→「戦争」という流れがよくわかります。常に脅しをかけて言うことを聞かせたり、莫大な利益を約束して懐柔したりします。そして言うことを聞けば国家元首としての地位を与えるというわけです。

 アメリカは、第二次大戦後の日本政府の場合、戦犯で刑務所に入れられていた人物を為政者に仕立て上げ、かつ国際法廷で裁かれるべきだった人物を新たな「象徴」として全国巡幸させることによって、みごとな従属国をつくりあげました。

 この日本をモデルにしてイラクに乗り込んでいったのがブッシュ二世でした。「大量破壊兵器」を口実に侵略し、「イラクを第二の日本にする」と豪語していました。

イラク戦争下、バグダッドを訪れたブッシュ
 しかし、イラクには岸信介や昭和天皇に当たる人物を見つけることができず、この作戦は見事に失敗しました。残されたのは破壊された国土と大量の死者と難民でした。

 中南米では、アメリカ軍が経営する軍事学校“School of the Americas”で訓練された軍人が準軍事組織をつくり、クーデターで政権を取った後、腐敗する為政者に抵抗する民衆や活動家を虐殺していきました(チョムスキー『アメリカが本当に望んでいること』現代企画室)。

 しかし軍事独裁政権による民衆の抑圧ぶりがあまりにも残虐・凄惨で、評判が悪かったので、オバマ氏は、ウクライナでも、リビアでも、シリアでも、「民衆蜂起」というかたちで政権転覆をはかることにしました。

 ウクライナの政権転覆(2014年2月)は、極右勢力や旧ナチスの残党勢力を傭兵として使ったクーデターであったことは、今となっては歴然としてきています。この間の裏事情を櫻井ジャーナル(2017.0 1.1 9 )は次のように述べています。

ウクライナでは旧ナチスの残党が傭兵として使われた
 「ソ連が崩壊しロシアを自分の属国だと認識していた時期にもアメリカの好戦派は支配システムを築く努力はしていた。ビクトリア・ヌーランド国務次官補は、2013年12月に、米国ウクライナ基金の大会で、『ウクライナの政権転覆を支援するために1991年から50億ドルを投資した』と発言している。システムの構築にはNGOを利用した。」
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201508110000/

 リビアの政権転覆(2011年10月)の場合も、アメリカは、カダフィ大佐が「民衆蜂起」を弾圧しているという口実で、フランスを初めとするNATO軍を使って国土を破壊しカダフィ大佐を惨殺しました。

 このときはイスラム原理主義勢力を傭兵として使いましたが、その詳細は、物理化学者である藤永茂氏がブログ「私の闇の奥」で生々しく描写しています。
*リビア挽歌(上・下)
https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/af790e16376731460b2a7f5f493b758c
(2011/0 8/2 4)
https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/9cd61d906c0c02b82a34d5b70da709f5
(2011/0 8/3 1)

 シリアの場合も基本的には同じでした。「民衆蜂起」という体裁をとらせながら、サウジなどの王制独裁国家から送り込まれたイスラム原理主義勢力を傭兵として使いました。

 アル・カイダ系武装集団やダーイッシュをアメリカやその同盟国が支援してきたことも、次々と明らかになっています。

 例えば、2014年9月に米軍のトーマス・マッキナニー中将はアメリカがダーイッシュを作る手助けをしたとテレビで発言し、マーティン・デンプシー統合参謀本部議長(当時)もアラブの主要同盟国がダーイッシュに資金を提供していると議会で発言しています。

 また同年10月にはジョー・バイデン米副大統領がハーバード大学で中東におけるアメリカの主要な同盟国がダーイッシュの背後にいると語り、2015年にはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官もアメリカの友好国と同盟国がダーイッシュを作り上げたと述べています。
(櫻井ジャーナル2017.01.19.http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201701190000/

3―4
 このようにアメリカがウクライナで政変を企て、リビアを破壊し、またもやシリアで政変転覆を企ててきたことは、今では世界中の心あるひとにとっては自明のことになっているのですが、大手メディアはそれを報道しませんから、アメリカ国民のほとんどは(そして日本国民も)このような事実を知りません。

 それをよいことに、「シリアのアサド政権は化学兵器を使って自国民を殺害している」という宣伝を、壊れたレコード盤のように繰りかえしてきたのがオバマ政権でした。

 この「アサド政権の化学兵器」という嘘は、そのつどロシア政府や独立ジャーナリストなどによって、嘘であることが暴露されてきています。最近でも「ホワイトヘルメット」を使った同じたぐいの宣伝がなされ、すぐにその嘘がばれてしまいました。
*ピンクフロイドのメンバー、コンサートで「ホワイト・ヘルメット」を批判
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-4 1.html

 有名なイソップ寓話「オオカミが来る」に、何度も村人をだましてきた少年が、最後には村人から相手にされなくなるという話が出てきますが、この寓話は、そのままアメリカ政府に当てはまりそうです。

 今では、アメリカの言動をまともに信じる国は、イスラエルとEU諸国を除けば、世界でも圧倒的少数になりつつあるからです。これも世界の流れを大きく変える「大転換」です。

3―5
 ところがアメリカを支持するEU諸国でさえ、いまアメリカから離れようとする動きをし始めています。というのは、トランプ氏が「イランとの間に交わした核兵器協定から一方的に離脱しイランと経済交流する国には経済制裁を課す」と宣言をしたからです。

 この協定を10年近くもかけてまとめたドイツ、フランスからは強い抗議の声が起き、イギリスもこれに同調せざるを得なくなってきています。

 こうして「化学兵器」「大量破壊兵器」などという口実で中東に内紛をつくりだし、「オオカミ少年」として世界から孤立しつつあったアメリカは、このイランをめぐる問題で、さらにEU諸国の信頼さえも失いかねない危機に立たされました。

エルサレムをイスラエルの首都と公式に認めたトランプ
 このアメリカの孤立を、もう一歩さらに強めることになったのが、「エルサレムにアメリカ大使館を移す」というトランプ氏のもうひとつの宣言でした。

 これにたいしてもEU諸国は強い抗議の声を上げました。というのは、「エルサレムは国際管理とする」というのが1980年の国連決議だったからです。アメリカの同盟国であるEU諸国でさえ、受け入れることができなかったわけです。

 こうしてトランプ氏を大統領にいただくアメリカは、イスラエルと共にますます世界から孤立する道を選んでいるように見えます。

 アメリカが大使館をテルアビブからエルサレムに移転させた2018年5月14日は、イスラエルの建国記念日だった一方、15日はパレスチナ人にとっての「ナクバの日」でした。

 「ナクバ」とはアラビア語で「大惨事」を意味することばです。ユダヤ人が1948年5月14日、パレスチナにイスラエルを建国した際、70万人ものパレスチナ人が故郷を追われ難民となりました。

 トランプ大統領は、よりによって、このような日を大使館移転の日に選んだのですから、火に油を注ぐようなものです。

 予想どおりパレスチナ人の怒りは頂点に達し、6週間に及ぶ抗議行動の間、イスラエルによる銃撃で100人以上の抗議参加者が死亡し、数千人の負傷者が出ています。14日と15日の2日間だけでも「衝突の死者は62人に達した。催涙ガスの吸引により死亡した生後8カ月の女児も含まれる」そうです(毎日新聞2018年5月15日)。

 これでは、シリアのアサド政権を転覆することに協力していたサウジなどの王制独裁国家も、同じアラブ人イスラム教徒として、さすがに、このようなアメリカやイスラエルの蛮行に目をつむるわけにはいかず、アメリカとイスラエルの孤立ぶりは一層、際立つことになりました。

 事実、GCC(湾岸協力会議Gulf Cooperation Council)の一員であったカタールはアサド政権の転覆活動から完全に手を引き、独自の活動を始めています。オマーンとクウェートも、カタールに同調し始めています。

3―6
 考えてみれば、アメリカは「先住民を大虐殺し、その土地を奪いながら建国された国」ですから、アラビア半島の先住民であったパレスチナ人を追放・戮殺し、その土地を奪いながら建国されたイスラエルと波長が合うのも当然かも知れません。

 もうひとつアメリカとイスラエルの波長が合う理由があります。

 アメリカは先住民を虐殺しながら西海岸まで領土を拡大し、それを「明白なる運命」「神から与えられた明白な使命」と考えてきました(ハワード・ジン『肉声でつづる民衆のアメリカ史』上巻、256頁)。

 これが、「アメリカは特別な国であり何をしてもかまわない。国際法を踏みにじろうが、それは神から許された行為だから」という、「アメリカ例外主義」の根底を流れる考え方です。

 このような考えを土台にして、その後も太平洋を越えてハワイを併合しフィリピンまでも領有するようになりました。

 他方、イスラエルも「ユダヤ人は神によって選ばれた民族であり、エルサレムどころか聖書に書かれているとおりの領土を所有する権利がある」と考えているのですから、アメリカと波長が合うのも当然だったわけです。

 この間の事情をチョムスキーは次のように書いています。今後の資料としても重要だと思いますので、長くなりますが敢えて引用させていただきます。

 英国や米国の「キリスト教シオニズム」は、「ユダヤ教シオニズム」よりも古い歴史を持つ。
 ちなみに、「キリスト教シオニズム」は神がアブラハムと結んだ契約に基づき、エルサレムがアブラハムの子孫に永久に与えられたとする教理であり、「ユダヤ教シオニズム」はユダヤ人国家を建設しようとする一九世紀末以来の運動だ。
 「キリスト教シオニズム」は英米のエリート層には重大な意義があり、明確な政策も持っていた。ユダヤ民族のパレスチナ帰還を支持するバルフォア宣言もその一つだ。
 第一次世界大戦中に英国のエドモンド・アレンビー将軍がエルサレムを征服した。このとき、アレンビー将軍は米国の報道機関からリチャード獅子心王の再来だと大喝采を受けた。なぜなら、十字軍を率いて聖なる地から異教徒たちを追い出したのは、リチャード獅子心王だったからだ。
 そこで次なるステップは、選ばれた民たちを、神によって約束された土地に返すことになる。
 当時のエリートたちの典型的な見方は、フランクリン・ルーズベルト大統領の内務長官ハロルド・イッキーズの言葉によく示されている。彼はユダヤ人によるパレスチナ植民地化を讃え、「人類の歴史においてこれほどの業績はほかにない」と述べた。
 このような態度は、神意主義者(プロヴィデンシャリスト)の教義を信じる人々の間では、ごく普通のことだ。
 その教義は「神が世界に計画を持っており、神がすべてを計画済みである」とするもので、米国は聖なる指示に従って前進していると信じている。この教義は米国が建国されたときから大衆とエリートの文化の中で強い力を持っている。
(『誰が世界を支配しているのか』137―138頁、寺島が改訳)

 チョムスキーは上記でアメリカにおける「キリスト教シオニズム」「ユダヤ教シオニズム」および「神意主義者(プロヴィデンシャリスト)」について説明しているのですが、アメリカとイスラエルの関係について、ここでもうひとつ重要な指摘をしています。それは「キリスト教福音派」および「終末キリスト教福音派」についてです。

 「キリスト教福音派」は米国では主流派だ。さらに極端な教義を持つ「終末キリスト教福音派」も米国では大人気で国民に浸透している。
 彼らは1948年のイスラエル建国で元気づけられ、1967年にパレスチナを征服すると、さらに活気づいた。これらすべては終末の時とキリストの再臨が近づいている予徴だと、彼らは見ているからだ。
 これらの宗派の勢力はレーガン時代から強くなりはじめた。(中略)彼らは大きな恐れと憎しみを抱える外人嫌いの国粋主義者で、宗教面でも国際的な基準からみると過激だが、米国内では普通の範曙に入る。
 その結果、アメリカで強くなったのは聖書の予言に対する敬意だ。この新しい政治勢力はイスラエルを支持するだけでなく、イスラエルによる征服と拡大を喜び、情熱的にイスラエルを愛している。
(『誰が世界を支配しているのか』138頁、寺島が改訳)

 この叙述を読むと、蛮行を重ねるイスラエルを、なぜ共和党はもちろんのこと民主党すら支持して止まないのかがよく分かります。これではイスラエルと共にアメリカも世界から孤立していくのは時間の問題とすら思えてきます。

 このアメリカの「孤立」「停滞」「凋落」を加速させているのが、今まで述べてきたように、トランプ大統領の最近の言動でした。

 チョムスキーは、冒頭でも紹介したように、『アメリカンドリームの終わり』で大略、次のように述べています。

 「アメリカは第二次大戦で世界の頂点に立ったが、その衰退は終戦直後から始まっている。しかし急激な経済的停滞と凋落は1970年代から顕著となった。それでも軍事的優位は揺るがず、それが覇者としてのアメリカを支えてきたし世界的通貨としてのドルを支えてきた。」(傍点は寺島)

 このようなアメリカの「停滞と凋落」を回復すると称してトランプ氏は大統領選に立候補し、当選しました。しかし彼の主張する「アメリカ・ファースト」は、先述のとおり、大統領に就任した早々から Deep state”の巻き返しに会い、政策は180度、逆転することになってしまいました。

 トランプ氏は先述のとおり、選挙戦で、「国内の立て直しに専念する。そのため海外に手を出すことはやめ、ロシアと協力しながらイスラム原理主義勢力を一掃し、海外の米軍を撤退させ、軍事費を国家再建にまわす」と公約したのですが、今はオバマ前大統領も顔負けするほどの軍拡に走り出してしまいました。

 その後の言動は、ご覧のとおり、アメリカの威信を回復させるどころか、ますます世界から孤立させるものでした。

 しかし前節でも述べたように、トランプ氏はいまアメリカ大統領として世界に巨大な貢献をなしつつあるとも言えます。

 というのは、アメリカが振りかざしている「アメリカ例外主義」「神から与えられた明白な使命(マニフェスト・デスティニー)」が、このようにはっきりと目に見えるかたちで世界に提示されたことは、かつてなかったからです。

 繰り返しになりますが、これはトランプ氏の登場なしにはあり得なかったでしょう。オバマ氏の偽善的な姿勢が、アメリカの真の姿を覆い隠してきたからです。

 まだまだ核戦争の危機が完全に消えたとは言えませんが、絶対的帝国として世界に君臨していたアメリカが、これを機会に、その流れを多極主義へと転換することになるとすれば、世界の平和にとってこんなよいことはありません。

3―7

3―7―1
 この節を終えるにあたって、最後に付け加えておきたいことが二つあります。

 その一つ目はエルサレムについてです。

 トランプ氏はエルサレムを新しくイスラエルの首都と認めると宣言し、アメリカ大使館もそこに移転しました。

 そもそも、1947年11月29日の国連総会で、エルサレムは国際管理地区ということになっていました。

 しかし1967年6月の第三次中東戦争でイスラエルがエルサレム全域を押さえた以降は、イスラエルが実効支配し、そのうえ1980年には、イスラエル議会がエルサレムはイスラエルの首都と決議しました。

 これにたいして、143対1でその決定の無効を決議したのが、1980年の国連総会でした。これを踏みにじったのが、今回のアメリカ大使館エルサレム移転です。

 このことがアメリカとイスラエルをいっそう孤立化させることになったことは、何度も述べてきたとおりです。

3―7―2
 もうひとつ付け加えておきたいことは、なぜ中東問題が理解しにくいのかということです。

 シリアを初めとする現在の中東問題が理解しにくい理由のひとつは、アメリカが裏でイスラム原理主義勢力を育てながら表向きはそれを叩き攻撃するという高等戦術をとっているからです。

 ソ連軍がアフガニスタンに侵攻してきたときは、同じイスラム原理主義勢力を「自由の戦士」と称して裏で軍事訓練をし、武器を供給しながら彼らを支援しました。

 共産党・共産主義=悪という通念が、アメリカのみならず西側の世界では一般的でしたから、これは非常にわかりやすい構図でした。

 ましてソ連軍がアフガニスタンに「侵略」したとなれば、それをたたく絶好の口実になります。

 しかし、この戦略を考案したブレジンスキーは、後に「実はイスラム勢力を使ってソ連軍をアフガニスタンにおびき出したのは私だ」とインタビューで自慢しているのです。ビンラディンも、このような中で育てられた人物でした。
*ジョン・ピルジャー「タリバンを育てたアメリカ」その1〜3
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-271.html
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-272.html
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-2 7 3.html

 しかしソ連が崩壊した現在、アメリカの軍産複合体を維持するためには新しい敵が必要になります。それで標的になったのがイラクのサダム・フセインでありリビアのカダフィ大佐でした。いずれも「自国民を殺害する残虐な独裁者」というふれこみで、人道主義をふりかざしてイラクやリビアに乗りだし、独裁者を倒すという構図です。

 ところが、これらは全て嘘だったことが後で明らかになってきました。イラクやリビアは、サウジなどのイスラム原理主義の王制独裁国家と違って、世俗主義の国家であり、選挙もありましたし女性でも大学に行けました。

 現在、攻撃されているシリアも同じです。シリアが化学兵器を使っているというのも、すでに述べたとおり、すぐ嘘だということが暴露されてしまいました。

 だとするとシリアを攻撃する口実がなくなります。そこで考え出されたのが、シリアで残虐な行為を繰りかえしているイスラム原理主義勢力を「テロリスト」だとして、これを成敗するという口実です。

 昨日の「自由の戦士」が今日は「残虐なテロリスト」として宣伝され、そのためのビデオも制作されました。

 このようにアメリカは、自分の侵略を正当化するために新しい高等戦術を次々と編み出してきています。

 ですから、大手メディアだけを見ていると余りにも理解し難いことが多く、頭が混乱してきます。今では人権NGOという一見すると中立的な団体までつくって敵を悪魔化しますから、ますます混乱させられます。

 だとすると、いま私たちは容易ならざる時代に突入しているのだと言えるでしょう。よほど腹をすえてかからないかぎり真実は見えてこないからです。


4 大転換する朝鮮半島

4―1
 前節でも述べたとおり、トランプ氏は大統領選挙戦で、「国内の立て直しに専念する。そのため海外に手を出すことはやめ、ロシアと協力しながらイスラム原理主義勢力を一掃し、海外の米軍を撤退させ、軍事費を国家再建にまわす」ことを公約したのですが、今はオバマ前大統領も顔負けするほどの軍拡に走り出してしまいました。

 その後の言動は、アメリカの威信を回復させるどころかますます世界から孤立させるものだったことは、先述のとおりです。

 私がこのようにアメリカの孤立化を紹介して間もなく、「神によって選ばれた民」「神によって選ばれた国」の孤立化をさらに歴然と示す二つの出来事がありました。

 ひとつは、キム・ジョンウン(金正恩)朝鮮労働党委員長とトランプ大統領との直接対話が、2018年6月12日に、シンガポールで実現したことであり、もうひとつは、国連人権理事会からの脱退を、6月19日に、アメリカが表明したことです。

4―2
 キム委員長とトランプ大統領の直接対話が実現したことは世界の平和にとって非常に好ましいことでした。これは、核戦争を回避しようと努力してきたひとたちに大きな希望を与えるものでした。しかし、同時にこれは軍事帝国アメリカの一層の衰退と孤立化を象徴するできごとでもありました。

 というのは、これまでトランプ氏は、個人的にはキム氏との直接対話を望むと言いながらも、他方では、Deep state” の意向に沿って「朝鮮が完全な非核化を約束し実行しないかぎりキム委員長とは会わないし韓国との共同軍事演習もやめない」と言明し続けていたからです。

 にもかかわらずトランプ氏が一転して前言を翻し、直接対話に乗りだしたのは、韓国のムン・ジェイン(文在寅)大統領が先導して北朝鮮との直接対話の気運を作りだし、北朝鮮も、それに応えて、2018年5月25日に、米英韓中露5カ国の外国記者団まで招いて、核実験場の爆破を公開したからです。

 このような北朝鮮による核廃絶の意思表明は、韓国はもちろんのこと平和を望む多くの人々の支持を得ました。

 この高まる大きな世論を無視して、経済制裁や武力による恫喝のみを繰りかえしていては、ますますアメリカの傍若無人さが際立って、孤立が進行してしまいます。

 というよりも、世界中の世論によるアメリカの孤立化が、シンガポールでの直接対話となって実現したと言うべきでしょう。

 ではキム委員長に核実験場の廃棄・爆破を決断させた要因は何だったのでしょうか。これについて櫻井ジャーナルは次のような興味ある説明をしています。(傍点は寺島)

 ソ連崩壊後、ミハイル・ゴルバチョフに見捨てられてから生き残りに必死だったであろう朝鮮は、統一教会やイスラエルと手を組み、東アジアの軍事的な緊張を高めたいアメリカにとって好都合なこと、例えば核兵器の開発やミサイルの発射実験を行ってきた。
 こうしたことは中国やロシアから止めるよう説得されていたが、無視してきた。
 ロシアの前身であるソ連に裏切られたという思い、アメリカ軍の強さに対する恐れが朝鮮を動かしてきたのだろうが、昨年四月の攻撃でロシアや中国への信頼が戻った可能性がある。
 しかも、韓国がロシアや中国と連携している。ロシアの防空システムがあれば、アメリカ軍をそれまでのように恐れる必要はないと考えても不思議ではない。
(櫻井ジャーナル2016.06.17.https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201806160001/

 アメリカは、北朝鮮がミサイル実験をするたびに、それを口実に韓国や日本に巨額の武器を買わせ、THAAD(高高度防衛ミサイル)や地上配備型弾道ミサイル迎撃システム「イージス・アショア」を韓国や日本に配備して中国包囲網を強化してきました。

 と同時に、モリカケ問題などで安倍政権が国会で追い詰められているときに、具合のよいことに、いつも北朝鮮がミサイル騒ぎを起こしてくれ、NHKを初めとする大手メディアは、世論の批判が安倍政権に向かわず北朝鮮非難へと集中する役割を果たしてきました。

 このことを私はいつも不思議に思ってきました。そもそも貧困に喘いでいるはずの北朝鮮が、核実験やミサイル開発に向ける技術やお金はどこから手に入れたのだろうか。中国やロシアとの関係は悪化していたのだから、どこが裏で支援していたのだろうか。これが私にとって最大の謎でした。

 この疑問を解いてくれたように思われたのが、上記の櫻井ジャーナルで指摘されている二つの事実、すなわち「生き残りに必死だったであろう朝鮮は、統一教会やイスラエルと手を組み……」、および「昨年4月の攻撃でロシアや中国への信頼が戻った可能性がある」という説明でした。

 まず後者の「昨年4月の攻撃」ですが、これについて先述の櫻井ジャーナルは、「昨年4月の攻撃が中国や朝鮮の考え方に変化を与えた可能性はあるが、それはトランプ大統領の主張とは逆だろう」として、次のように説明しています。

 ドナルド・トランプ米大統領は、シンガポールで朝鮮の金正恩労働党委員長との会談を行った6月12日、FOXニュースのシーン・ハニティのインタビューを受けたが、その最後の部分で、昨年(2017年)4月6日にシリアで実行した攻撃について語っている。
 その攻撃とは、地中海にいたアメリカ海軍の2駆逐艦(ポーターとロス)が巡航ミサイル(トマホーク)59機をシリアのシャイラット空軍基地に向けて発射したもの。
 シリア政府軍が自国民に対して化学兵器を使ったという口実だったが、証拠はなく、それが事実でなかった可能性は極めて高い。(中略)
トランプ大統領は昨年4月6日のシリア攻撃で発射されたミサイル全てが目標にヒットしたと主張しているのだが、被害が事実上、なかったことが判明している。
 しかも、ロシア国防省によると、目標に到達したのは23機だけ。いくつかは地上に落下しているが、残りは不明。海中に落下した可能性が高い。
 トランプ大統領の主張とは違い、アメリカのミサイルはロシアの防空システムを突破できていないと言える。[引用終わり]

 つまり、アメリカは59機ものミサイルを発射したのですが、目標に到達したのは23機だけで、その6割は撃ち落とされているのです。しかも目標に到達した23機も、事実上は何も被害を与えていません。

 もうひとつ北朝鮮の姿勢を変えさせる事件がありました。それを櫻井ジャーナルは上記の解説に続けて、次のように伝えています。

 そして今年(2018年)4月、アメリカ軍は再び偽情報を宣伝しながらシリアをミサイル攻撃した。国防総省の発表によると、攻撃のターゲットはバルザー化学兵器研究開発センター(76機)、ヒム・シンシャー化学兵器貯蔵施設(22機)、ヒム・シンシャー化学兵器(7機)で、全て命中したとしている。
 しかし、「攻撃目標」と「使用されたミサイルの数」が不自然で、現地の様子とも符合しない。
 それに対し、ロシア国防省の説明によると、この攻撃で米英仏の3カ国は103機の巡航ミサイルを発射、そのうち71機をシリア軍が撃墜したという。
 今年は短距離用の防空システム、パーンツィリーS1が配備されていたが、これが効果的だったようだ。アメリカはリベンジを狙って返り討ちに遭った。
 ロシア国防省は攻撃された場所として、ダマスカス国際空港(4機。全て撃墜)、アル・ドゥマイル軍用空港(12機。全て撃墜)、バリー軍用空港(18機。全て撃墜)、サヤラト軍用空港(12機。全て撃墜)、メゼー軍用空港(9機。うち5機を撃墜)、ホムス軍用空港(16機。うち13機を撃墜)、バザーやジャラマニの地域(30機。うち7機を撃墜)を挙げている。[引用終わり]

 要するに、発射されたミサイルのうち7割は撃墜されているのです。前回の撃墜率は6割でしたから、大きな前進と言うべきでしょう。しかも狙ったのは化学兵器施設だったとするアメリカの主張が全く嘘だったということも暴露されてしまいました。

 そもそもシリアの化学兵器は国際団体監視の下で全て廃棄されているのですから、このような嘘は初めから意味のないことでした。

 だとすれば、「ロシアの防空システムがあれば、アメリカ軍をそれまでのように恐れる必要はない」と北朝鮮が考えて、自分もロシアや中国に接近したいと思ったとしても不思議ではないわけです。

 まして韓国のムン・ジェイン(文在寅)大統領がロシアや中国に接近し両国と連携し始めているのですから、なおさらのことです。

 こうしてキム委員長は急速に中国に接近し、習近平(シー・ジンピン)国家主席との会談に至ったのでした。

4―3
 では第二の事実「生き残りに必死だったであろう朝鮮は、統一教会やイスラエルと手を組み……」については、どうでしょうか。

 反共団体として名高い統一教会が、共産主義国家として悪罵を受けている北朝鮮と手を組んでいるという事実を、私は、初めは信じられなかったのですが、Yahoo!ニュース(2 0 1 5/8/3 0)が次のような事実を報道していることを知り、やっと納得することが出来ました。

 北朝鮮の国営メディアである朝鮮中央通信は8月30日、金正恩第一書記が、韓国発祥の宗教団体・世界基督教統一心霊協会(統一教会)の教祖である文鮮明(ムン・ソンミョン)氏の三周忌に際し、遺族らに弔電を送ったことを伝えた。

 日本では霊感商法や有名芸能人の「合同結婚式」などで社会問題化した統一教会だが、教祖の文氏は、もともと北朝鮮・平安北道(ピョンアンブクト)出身だ。

 社会主義体制の北朝鮮とは、反共団体である国際勝共連合の活動などを通じて長年対立していたが、1991年に電撃的に訪朝。当時の金日成主席と和解して以降、密接な関係を築いてきた。

 金正恩氏は文鮮明氏の死亡時と一周忌に際しても弔電を送っている。
https://news.yahoo.co.jp/byline/kohyoungki/20150830-00048987/

 この記事は、もうひとつ衝撃的事実を報じていました。何と安倍晋三氏や自民党タカ派勢力は、これまで統一教会(および北朝鮮?)と親密な関係を築いてきていたのです。Yahoo!ニュースは上記の報道に続けて、次のような解説を載せていました。

 それだけではない、文氏は安倍晋三ファミリーとも親密な関係を築いていた。
 統一教会は観光や自動車生産で北朝鮮を支援してきたほか、北朝鮮が旧ソ連製の弾道ミサイル潜水艦を「スクラップ」として輸入する際にも、同教団系の企業が関与していた。
 また、統一教会は、日本の弁護士グループから「信者らが違法な物品販売等で再三刑事摘発されている反社会的団体」と指弾されている一方、自民党政治家と親密な関係を築いてきたことで知られる。
 中でも、安倍晋三首相の祖父である岸信介元首相は文氏ととくに親密で、最近では、山谷えり子国家公安委員長と国際勝共連合の関係がメディアで取り沙汰された。
 石原慎太郎元都知事も同組織から選挙支援を受け、熱烈な感謝のメッセージを送っている。[引用終わり]

 要するに、安倍晋三氏は、表では「力で屈服させろ」と北朝鮮を声高に非難しつつ、裏では統一教会を通じて北朝鮮を支援し、アジアの緊張関係を高め、それを口実に日本の軍拡と改憲(=壊憲)を一気に進めるという、高度な戦術を取ってきたわけです。

 (ちなみに、山谷えり子国家公安委員長が関係していたとされる「国際勝共連合」は、統一教会の外郭団体です。)

 これはアメリカも全く同じで、「冷酷な独裁政権」と北朝鮮を声高に非難しつつ、「金正恩の斬首作戦」などの軍事演習を繰りかえしてアジアの緊張関係を高め、それを口実に韓国や日本に巨額の兵器を買わせてきました。

 と同時にアメリカは、緊張関係を口実に、THAADやイージスアショアなどの超巨額かつ超攻撃的な武器を韓国や日本に配備して中国包囲網を強化する、という高等戦術を駆使してきたのです。

 ですから北朝鮮は、このような高等戦術のなかで踊らせられてきたとも言えるわけです。

 もっとうがった見方をすれば、キム委員長とトランプ大統領は、「お互いに悪罵を投げつけ合いながら中国包囲網を強化するという猿芝居を演じてきたのではないか」という疑いすら浮かんで来ます。

 北朝鮮にしてみれば、このようなかたちで敵対しつつあった中国に恨みを晴らすつもりだったのかも知れません。

 しかし、シリアにおけるロシア軍とロシア兵器の目を見張るような働きが、キム委員長の姿勢を大逆転させたのではないか。これが櫻井ジャーナルの意見でした。

4―4
 では「生き残りに必死だったであろう朝鮮は、統一教会やイスラエルと手を組み……」と櫻井ジャーナルが指摘している「イスラエルとの関係」については、どうでしょうか。

 これについても先述の櫻井ジャーナルは次のように述べています。

 中国には一帯一路(海のシルクロードと陸のシルクロード)というプロジェクトがある。かつて、輸送は海路の方が早く、運搬能力も高かったのだが、技術の進歩によって高速鉄道が発達、パイプラインによるエネルギー源の輸送も可能になった。海の優位さが失われている。
 しかも中国は南シナ海からインド洋、ケニアのナイロビを経由して紅海に入り、そこからヨーロッパへ向かう海路も計画している。この海路を潰すため、東の出発点である南シナ海をアメリカは支配しようと考え、日本はアメリカに従ったということだ。
 ところが、2016年6月にフィリピン大統領となったロドリゴ・ドゥテルテはアメリカに従属する道を選ばない。ベトナムなどもアメリカの好戦的なプランから離れていく。
 他方、ロシアと中国は東アジアでの経済的な交流を活発化させて軍事的な緊張を緩和しようとする。
 例えば、今年(2017年)9月4日から5日に中国の厦門でBRICS諸国(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)の会議が開催され、9月6日から7日にかけてロシアのウラジオストックで同国主催のEEF(東方経済フォーラム)が開かれた。
 このイベントに朝鮮も韓国や日本と同様、代表団を送り込んでいる。韓国がロシアや中国との関係を強化しようとしていることは明白だ。
 こうしたなか、核兵器の爆発実験や弾道ミサイル(ロケット)の発射実験を繰り返し、アメリカとの軍事的な緊張を高める口実を提供してきたのが朝鮮にほかならない。BRICSの会議やEEF(東方経済フォーラム)が開かれた直後、9月15日にもIRBM(中距離弾道ミサイル)を発射している。
(櫻井ジャーナル https://plaza.rakuten.co.jp/condor3 3/diary/20171115/)

 上記の説明にあるように、今までアメリカによる中国包囲網に加わっていたベトナムやフィリピンも、アメリカ離れを始めているのです。

 ここでもアメリカの孤立化が進行していることは明らかです。この流れに唯ひとり従っているのが日本政府・安倍政権です。

 この路線を裏から支えてきたのが北朝鮮だったわけです。それが中国の北朝鮮にたいする姿勢を一層硬化させてきたことも疑いのないところです。しかし、これについて前記の櫻井ジャーナルは、さらに詳しく、次のように重要な事実を暴露しています。

 このところ朝鮮の爆発実験やミサイルの発射は成功しているようだが、少し前までは四苦八苦していた。
 ところが、短期間の間にICBMを開発し、水爆の爆破実験を成功させた可能性があるという。そこで、外国から技術、あるいは部品が持ち込まれたと推測する人もいる。
 ミサイルのエンジンについて、イギリスを拠点にするシンクタンクIISS(国際戦略研究所)のマイケル・エルマンは、朝鮮がICBMに使ったエンジンはソ連で開発されたRD―250がベースになっていると分析、朝鮮が使用したものと同じバージョンのエンジンを西側の専門家がウクライナの工場で見たとする目撃談を紹介している。
 また、ジャーナリストのロバート・パリーによると、エンジンの出所だと疑われている工場の所在地は、イゴール・コロモイスキーという富豪が知事をしていたドニプロペトロウシク市(ウクライナのドニプロペトロウシク州、現在はドニプロ市と呼ばれている)にある。[引用終わり]

 北朝鮮が核実験やミサイル発射をするたびに、私は、「そのような技術やお金はどこから出ているのだろうか」という疑問をもち続けてきたことは最初に述べたとおりですが、この叙述で、私の疑問はかなり解消された気がしました。

 しかし、ウクライナとイスラエルの関係はどうなっているのでしょうか。北朝鮮とイスラエルは、どのような関わりでつながっているのでしょうか。この疑問について櫻井ジャーナルは、さらに次のような説明を加えています。

 富豪コロモイスキーは、ウクライナ、キプロス、イスラエルの国籍を持つ人物で、2014年2月のクーデターを成功させたネオ・ナチのスポンサーとしても知られている。2014年7月17日にマレーシア航空17便を撃墜した黒幕だとも噂されている人物だ。
 国籍を見てもわかるようにコロモイスキーはイスラエルに近い人物だが、朝鮮はイスラエルと武器の取り引きをした過去がある。
 1980年のアメリカ大統領選挙で共和党はイランの革命政権に人質解放を遅らせるように要求。その代償としてロナルド・レーガン政権はイランへ武器を密輸した。その際、イランは大量のカチューシャロケット弾をアメリカ側へ発注。
 アメリカはイスラエルに調達を依頼し、イスラエルは朝鮮から購入してイランへ売っているのだ。この関係は切れていないと考えるのが自然だろう。
 その後も朝鮮とイスラエルとの関係は続き、イスラエルには朝鮮のエージェントがいるようだ。そのエージェントがエンジンの件でも重要な役割を果たしたという情報も流れている。[引用終わり]

 アメリカもEU諸国も、ウクライナの政変を、ネオ・ナチによるクーデターだったと、いまだに認めていません。

 しかし、これが長年にわたって大金を注ぎ込んでアメリカの仕組んだクーデターだったことは、オバマ政権時の国務次官補ビクトリア・ヌーランド女史が公開の場で堂々と述べたとおりです。

 前節でも紹介したように、彼女は、2013年12月13日にワシントンで開かれた「ウクライナを巡る会議」において、「米国は、ソ連崩壊時からウクライナの民主主義支援のため50億ドルを投資した」と語っています。

 またヌーランド女史は、2014年4月、テレビ局CNNのインタビューでも、米国は「より強い民主主義的な政府を目指すウクライナ国民の欲求をサポートするために」五〇億ドルを拠出した、と述べているのです。
https://jp.sputniknews.com/us/201701263276021/

ヌーランド女史とウクライナの自由党(ネオ・ナチ)指導者のチャニボク
 もし、これが事実だとすれば、アメリカが統一教会やイスラエルと協力しつつ裏で仕組んだ猿芝居に、金正恩委員長もまんまとのせられ、中国封じ込め政策に利用されてきたのではないか、という疑いすら出てきます。
(そして私たち日本人も、この猿芝居に騙され、日本中に鳴り響いた「Jアラート」に翻弄されたことになります。)

 とはいえ、いま北朝鮮はアメリカと正面から対峙し、中国やロシアとの関係改善へと、新しい方向に歩み出そうとしていることだけは確かなようですから、その意味でも、アジアにおけるアメリカの孤立化は、ますます鮮明になってきたように見えます。そこで慌てふためいているのが安倍政権です。

4―5

4―5―1
 以上で、「アメリカとイスラエルの孤立化を示す、さらなる二つの出来事」のうちの前者「朝鮮情勢の大転回」についての説明を終えたいと思います。

 しかし、この節を閉じるにあたってどうしても付記しておきたいことがふたつあるので、それを述べて本節を閉じたいと思います。

 その一つ目は、オバマ政権時に国務省国務次官補だったビクトリア・ヌーランド女史についてです。というのは、私が本節を書くに当たって、いろいろ調べているうちに、次のような衝撃的記述を見つけたからです。

 イラク戦争に失敗してネオコンは退潮した。それでもネオコンは生きていてオバマ政権にも入り込んだ。ネオコンとして今も生き残っているのがビクトリア・ヌーランド国務省国務次官補(ヨーロッパ・ユーラシア担当)である。彼女の夫のロバート・ケーガンがネオコン第三世代の代表だ。…ビクトリア・ヌーランド女史は、明らかにムーニー(統一教会員)である。そしてヒラリー派だ。」(副島隆彦『トランプ大統領とアメリカの真実』178頁)

 統一教会の旧名称は「世界基督教統一神霊協会」(今は「世界平和統一家庭連合」と名前を変更)で、アメリカにも支部があることは知っていたのですが、まさかヌーランド女史までが統一教会の一員であったことに驚愕させられました。

 これが事実だとすれば、統一教会とイスラエルは、北朝鮮だけでなくウクライナでも暗躍してきたことになります。

 ちなみに、ウィキペディアによれば、統一教会は「開祖・文鮮明の姓ムンから、俗にMoonies(ムーニーズ)の名で知られていて」、アメリカでの活動は次のように説明されています。

 「1954年5月に韓国ソウルで世界基督教統一神霊協会が創設され、1965年に文鮮明一家と幹部たちは宗教・政治的情宣活動の拠点をアメリカに移し、世界宣教・経済活動を拡大し、巨大な統一運動傘下組織を作った。韓国の多くの少数派宗教団体と異なり、朝鮮半島を超えて世界中に普及したという特異性を持つ。世界193か国に支部がある。…文鮮明は戦闘的な反共産主義者であり、共産主義は神の摂理に基づく民主主義に対抗する悪魔によるものとされた。」

 つまり、上記の副島説が正しいとすれば、オバマ政権内のネオコン一派として著名であったヌーランド女史は、ネオコンであるだけでなく、反共陣営・中国封じ込めの一員として、統一教会の一員でもあったのです。これも「事実は小説よりも奇なり」の好例かもしれません。

4―5―2
 私は、櫻井ジャーナル(2 0 1 7/1 1/1 5)から下記のような引用をしつつ、北朝鮮がイスラエルから援助を受けながら核実験やミサイル開発をしてきたのではないかと、述べてきました。

 「1980年のアメリカ大統領選挙で共和党はイランの革命政権に人質解放を遅らせるように要求、その代償としてロナルド・レーガン政権はイランへ武器を密輸したのだが、その際、イランは大量のカチューシャロケット弾をアメリカ側へ発注。アメリカはイスラエルに調達を依頼し、イスラエルは朝鮮から購入してイランへ売っているのだ。この関係は切れていないと考えるのが自然だろう。」[引用終わり、傍点は寺島]

 しかし、上記の引用で、1980年のアメリカ大統領選挙で共和党はイランの革命政権に人質解放を遅らせるように要求し、その代償としてロナルド・レーガン政権はイランへ武器を密輸したという件(くだり)については、もう少し説明を付け加えないと理解しにくいのではないかと思います。

 この「共和党とイラン革命政権との裏取引」について時系列に沿って略述すると次のようになります。

(1)1980年の大統領選挙では、現職ジミー・カーター大統領(民主党)とロナルド・レーガン候補(共和党)の間で接戦が繰り広げられていた。
 その当時、カーター政権は、イラン革命(1979)でテヘランのアメリカ大使館が占拠され、大使館員52人が人質にとられるという試練を抱えていた。

(2)1980年4月、特殊部隊デルタ・フォースによる人質救出作戦に失敗し、二期続投を目指すカーター政権への大きな打撃となった。
 このため、カーター政権の外交姿勢を「弱腰」と批判する共和党を勢いづかせる結果となった。

(3)1980年10月18、19日、共和党の大統領指名を争う予備選に出馬し、レーガン政権の副大統領へ転身を企むブッシュ一世(元CIA長官)は、レーガンの選挙チーム責任者ウイリアム・ケイシー(後のCIA長官)と共に、パリで密かにイラン政府関係者と会談した。
 共和党は、イランの最高責任者ホメイニ師ほかイラン政府関係者に賄賂と武器供給を約束し、人質解放時期をレーガン大統領就任時まで延長するように交渉した。

(4)これは、「レーガンが大統領に当選した暁にはお望みの武器を供給するから、それまでは人質解放をしてくれるな」という交渉だった。
 民主党カーター大統領の在任中に人質事件を解決させないことで彼の人気を落とし、接戦を繰り広げていた大統領選挙で、レーガンを当選させるという隠密作戦だった。

(5)その結果、この選挙でカーターは敗北し、1981年1月20日、レーガンが第40代大統領に就任した。

(6)同日、人質となっていたテヘランのアメリカ大使館員らも無事解放され、生還した。人質解放がレーガン大統領の誕生で実現し、共和党は「強いレーガン大統領」を演出することに成功した。

 このような経過を見ると、再び「事実は小説よりも奇なり」です。

 イラン革命は「アメリカを後ろ盾とする王制独裁国家に対する革命」でしたから、本来ならイラン政府とは敵対関係のはずです。

 にもかかわらず共和党は、自分たちの利益を最優先にして、イランと取引したのです。しかも何と!敵に武器(大量のカチューシャロケット弾)を売るというのですから、信じがたい光景です。

 そしてレーガン政権は、イスラエルに調達を依頼し、イスラエルは朝鮮から購入した武器をイランへ売っているのです。

 ですから、今度の核実験やミサイル開発でも、北朝鮮とアメリカとの間でどのような裏取引があったか、凡人にはとても推し量ることは出来ません。

 レーガン大統領は、この後も有名な「イラン・コントラ事件」で全く同じ手口を使っていますが、ここでも仲介役として暗躍していたのがイスラエルでした。

 だとすれば、私たちは何と恐ろしい世界に生きているのでしょう。よほど腹を据えてかからなければ、まんまと権力者がばらまく嘘に騙されてしまいます。


5 アメリカが支えるイスラエルの「民族浄化作戦」

5―1
 国連大使ヘイリー女史は去る2018年6月19日、アメリカは国連人権理事会から離脱すると表明しました。

 トランプ政権は、すでに2017年6月1日、地球温暖化防止の国際枠組み「パリ協定」からの離脱を決め、NATO同盟国のフランスからも強い批判を浴びました。

 またトランプ政権は、2017年10月、「反イスラエルの姿勢が目立つ」として、ユネスコからの脱退も表明しました。

 アメリカが「反イスラエルの姿勢が目立つ」とした理由は、ユネスコが2011年10月31日に総会を開き、賛成107、反対14、棄権52で、最も新しい加盟国として、パレスチナ国の正式加盟を承認したことでした。

 この決議案採択にたいして、アメリカ、イスラエルなどは反対し(日本は棄権でした)、アメリカ国務省は、この採択への対抗措置として、ユネスコ分担金の停止を実行し、さらに2017年10月にはユネスコを再脱退すると表明したのでした。

 パレスチナは元々、国連に加盟したかったのですが、常任理事国として拒否権を持つアメリカが、イスラエルの意向をくんで反対し、いまだに国連加盟を果たしていません。しかし国連の下部団体であるユネスコが、パレスチナの加盟を認めたことが、アメリカとイスラエルの怒りを買ったのです。

 しかし(2016年3月)、国連加盟国193カ国の中で、136カ国がパレスチナを国家承認しています。常任理事国ではロシアと中国が承認している他、南米ではコロンビア以外、アフリカではカメルーンとエリトリア以外のすべての国が承認しています。またアジアでは、日本、韓国、中華民国、シンガポール、ミャンマー以外の全ての国がパレスチナを承認しています。

 つまりアメリカの息のかかったNATO諸国およびアジアにおけるアメリカの属国・同盟国以外はすべて、パレスチナという国を承認しているのです。

 そういう意味では、アメリカのユネスコ脱退は、ユネスコが世界の知性を代表する国際機関と認められているだけに、「神によって選ばれた国」イスラエル、「神によって選ばれた民」アメリカの、孤立化を象徴する事件でもありました。

 この孤立化をさらに後押ししたのが、2018年6月19日に表明された国連人権理事会からの離脱でした。

 地球温暖化防止の国際枠組み「パリ協定」からの離脱、アメリカ大使館の「エルサレムへの移転」と併せて、アメリカの世界的威信を、これほど低下させた事件はなかったでしょう。

 言い換えれば、これらの国際機関からの離脱・脱退は、アメリカやイスラエルの強さの現れではなく、むしろ弱さの現れだとみるべきでしょう。

 以下、この点について、項を改めて検証してみたいと思います。

5―2
 先述のとおり、アメリカ国連大使ヘイリー女史が、2018年6月19日に「アメリカは国連人権理事会から離脱する」と表明したとき、その理由として挙げたのが、「人権理事会の最近の決議数はイスラエルを非難するものが突出して多い」「人権理事会が人権ではなく政治的な偏見によって動いている明確な証拠だ」という点でした。

 しかしイスラエルのパレスチナにたいする蛮行、とりわけガザ地区に対する蛮行は目を覆わんばかりの残虐行為に満ちていて、それにたいする非難決議が何度も国連安保理事会で提出されましたが、いつもアメリカによる拒否権の発動で実効あるものになりませんでした。

 しかし、このような蛮行は、もうすでに何十年も続いているものです。チョムスキーはすでに『チョムスキーの教育論』(明石書店、2006)の補章第1節「『歴史捏造』の技術を検証する」で、わざわざ「2 沈黙の義務」という項をもうけ、そこでイスラエルの残虐行為を詳しく論じているのです。

 この補章そのものは、中米ニカラグアでアメリカがいかに政権転覆活動をおこなったか、その過程でアメリカが特殊部隊を使いながら、ニカラグアやエルサルバドルでどんな残虐行為を展開したかを詳細に説明したものですから、本来イスラエルとは関係ないはずです。

 にもかかわらず、チョムスキーは、この節この項で、次のように更なる小項目をたてて、過剰とも思われるほどの頁数をついやして、イスラエルの蛮行を、怒りを込めて糾弾しているのです。
*米国ではタブーとされるイスラエル問題
*イスラエルでは何が起きていたのか
*無罪になった兵士達の蛮行
*米国で当然視されてきた民族浄化

 ユダヤ人であるチョムスキーの、ユダヤ人国家とされるイスラエルへの怒りが、いかに激しかったか、これだけでも分かっていただけるのではないでしょうか。

 この原書ペーパーバック版が出版されたのは2000年ですから、それから既に18年間も、イスラエルによる似たような蛮行が続いてきたことになります。

 しかし実を言うと、「『歴史捏造』の技術を検証する」は、 Necessary Illusionsという本に入っていたものを、編集者のドナルド・マセード氏が、チョムスキーの許可を得て、この原書に再録したものでした。

 この本の出版年は1989年でしたから、チョムスキーの怒りは18年前どころか、29年前から続いてきていることになります。

 というのは、最近のチョムスキーは、ガザの惨状を「青天井の牢獄」と名付けて、その怒りを表現しているからです。

 ガザの惨状は地区そのものが牢獄であり、そのような牢獄のなかで地区住民が毎日を生きていると、チョムスキーは言いたかったのです。詳しくは下記の拙論を御覧ください。
* 血に染まった「青天井の牢獄」ガザ、「民族浄化」としてのパレスチナ
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-105.html

 私がこの小論を書いたのは2012年ですが、それから2年も経たないうちに、次の大惨事が起きました。

 それをAFP通信(2014年7月24日)は、「パレスチナ側の死者700人超に、イスラエルがガザ攻撃続行」という見出しで次のように伝えています。

 「パレスチナ側の死者、700人超に イスラエルがガザ攻撃続行」
 パレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)でイスラエル軍が続ける軍事作戦は24日、17日目に突入し、医療関係者によるとパレスチナ側の死者数は718人に上った。同地区で活動する人権団体は、死者の8割以上が一般市民だと指摘している。ガザ地区では同日だけでも、イスラエル軍の空爆で21人が死亡。犠牲者の中には、5歳の女児と3歳の男児を含む6人家族もいた。[引用終わり]

 これを受けて、国連人権理事会は、パレスチナ自治政府とアラブ諸国などが共同で提出した「イスラエルのガザ侵攻を非難する決議」を、29カ国の賛成多数で可決し、理事会議長が派遣する調査委員会が国際人道法・国際人権法違反を調べることになりました(2014年7月23日)。

 しかし、これにたいして、いつものとおり、理事国ではアメリカ合衆国だけが反対でした。そしてEU諸国と日本など、アメリカの属国である17カ国が棄権しました。イスラエルは「衡平を欠く」と猛反発し、調査に協力することを拒否しました。

 これが、アメリカの国連大使ヘイリー女史の「人権理事会は、人権ではなく政治的な偏見によって動いている明確な証拠だ」という実態なのです。

 ヘイリー女史は、その場でさらに、中国、ベネズエラ、コンゴ民主共和国を名指しして「最も基本的な権利を明らかに軽視している」と指摘し、こうした国が理事会の参加国になっていることも批判したそうですが、これもまさに天に唾する行為でした。

 というのは、アメリカ自らが、「最も基本的な権利を明らかに軽視している」国々、たとえばイスラム教原理主義国家サウジアラビアなどの王制独裁国家を支援し、選挙で選ばれた政権の転覆を謀ってきたことは、今では誰の眼にも明らかになってきていることだからです。

 その典型例が、イラクのサダム・フセインやリビアのカダフィ大佐にたいする政権転覆と彼らの死刑または惨殺でした。

 初めは、「独裁者が民衆を弾圧している」「大量破壊兵器をもっている」という口実で、この政権転覆を国連が支持したかのように思われましたが、前節でも紹介したように、これらが全て嘘であったことは今では誰でも知っている事実となりました。

 アメリカやNATO諸国は、イラクやリビアの成功に味をしめて、今度はシリアのアサド政権転覆に乗りだしたのですが、イラクやリビアの件で騙されたことに気づいたロシアと中国は、今度は国連決議によるシリア侵略にGOサインを出しませんでした。

 「アサド政権が化学兵器を使っている」という嘘も繰り返し出されましたが、そのたびにロシアや現地を自分の眼で確かめたジャーナリストによって、その嘘が暴露されていることも先述したとおりです。

 アメリカが「オオカミ少年」であることがこれほど明らかになったことは、いまだかつてなかったことです。

 たとえば、ノーベル平和賞の候補になり映画化までされた「ホワイトヘルメットと言われる集団」も、アメリカやNATO諸国によってつくりあげられ、支援されたプロパガンダ部隊であったことも、調査報道記者として有名なセイモア・ハーシュによって暴き出されています。
*セイモア・ハーシュは語る「プロパガンダ組織ホワイトヘルメットがアサド政権転覆に従事」
https://www.rt.com/news/431379-white-helmets-propaganda-syria/


5―3
 こうして、イスラム原理主義勢力を裏で支えながらシリア侵略をすすめてきたのが、アメリカとNATO諸国、イスラエルおよびサウジアラビアなどのイスラム王制独裁国家でした。

 とりわけ自らの立場を、自らの行為で暴露してしまったのが、先述のイスラエルの「ホワイトヘルメット救出作戦」でした。

 シリア侵略勢力は、ロシア軍とアサド軍の目覚ましい働きによってますます追い詰められ、今やどうやってシリアから脱出したらよいかを深刻に考えなければならない状況になってきました。

 そこへ登場したのがイスラエルだったというわけです。
*イスラエルが「白ヘル部隊」をシリアからヨルダンへ避難させる
https://www.rt.com/news/433924-white-helmets-evacuation-israel/
*「白ヘル部隊」の救出作戦は、誰が彼らを雇っていたのかを明確に示すことになった
https://www.rt.com/news/434052-white-helmets-rescue-hypocrisy/

 このように世界平和にとって誰が脅威かをイスラエルは自らの行動によって示したわけですが、ご承知のように、このイスラエルを強力に擁護してきたのがアメリカでした。それを劇的なかたちで世界に見せつけたのが、「反イスラエルの姿勢が目立つ」という理由による、国連人権委員会からの脱退宣言だったわけです。

 ヘイリー女史は、その場でさらに中国、ベネズエラ、コンゴ民主共和国を名指しして「最も基本的な権利を明らかに軽視している」と指摘し、こうした国が理事会の参加国になっていることも批判しました。

 ところが皮肉なことに、彼女が強力に擁護するイスラエルは、最近、「国家自決」法を議会で可決しました(2018年6月18日)。

 これはイスラエルをユダヤ人だけの国だと宣言する法律ですから、かつてナチスがドイツですすめた「民族浄化」政策を、イスラエルの地で再現しようとするものと言うべきでしょう。
*イスラエルが、ユダヤ人だけの「国家自決」法を、議会で可決
https://www.rt.com/news/433655-israel-nation-state-law-passsed/

 イスラエルには、約180万人のアラブ系イスラエル人がいて、イスラエルの人口の約4分の1を占めています。今までは公用語として認められてきたアラビア語を話してきました。

 しかし今後は、正式な公用語はユダヤ人が話すヘブライ語だけとなります。つまり約180万人のアラブ人を「二級市民」として扱うことを、イスラエルは法律で正式に宣言したことになります。

 これでは、ヒトラーによる「民族浄化」政策や、かつて人種差別国家として有名であった南アフリカ共和国の「アパルトヘイト」とどこが違うのでしょうか。ヘイリー女史は、このようなイスラエルを、どのように擁護するのでしょうか。

 これでは、「神によって選ばれた国」と「神によって選ばれた民」の、世界からの孤立は、ますます深刻になることはあっても緩和することはないでしょう。
 (しかし残念なことに、このようなアメリカとイスラエルの行動に、ほとんどいつも歩調を合わせてきたのが我が国の政府なのです。)

5―4
 最後に、ヘイリー女史によって、「最も基本的な権利を明らかに軽視している」と名指しで非難された中国、ベネズエラ、コンゴ民主共和国についても、ここで言及しておきたいと思います。

 まず中国ですが、アメリカと違って現在の中国は、他国を侵略したり特殊部隊を密かに派遣して住民を虐殺してきたという過去を持っていません。

 それに比して、アメリカの過去は実におぞましいものです。先に紹介した『アメリカの国家犯罪全書』はアメリカ人自身による内部告発書です。

 たとえばベネズエラについても、アメリカはチャベス大統領を「独裁者」だとして口汚く非難してきました。しかし、チャベスが大統領になってからはベネズエラの貧困層は激減し、教育水準も驚くほどの高まりを見せました。

民衆の支持に応えるベネズエラのチャベス前大統領(2008年)
 ところが、2002年4月11日にはCIAの支援を受けて軍部によるクーデターが発生し、チャベスは軍に監禁され、代わりに元ベネズエラ商工会議所連合会議長のペドロ・カルモナが暫定大統領に就任しました。

 最初クーデターは成功したかに思われましたが、暫定政権が強権的な支配を強めたため、大統領の支持基盤である貧困層のデモが激化しました。

 情勢を見た軍や国家警備隊が寝返り、カルモナは逃亡。クーデターはわずか2日間で失敗に終わりました。

 これを見れば分かるように、チャベスの政策はベネズエラの富裕層・特権階級にとっては非常に不愉快なものでした。これはベネズエラの石油資源などに以前から目をつけているアメリカにとっても許せない政策でした。

 だからこそCIAはベネズエラにおけるアメリカ大使館を拠点に、何度も不安定化工作を実施しましたが、それが成功しなかったので、ベネズエラの軍部を利用したクーデターを企てたのです。

 ウィキペディアですら、このクーデターについて次のように記述しています。
 「このクーデター時、RCTVを含む民間テレビ4局は、チャベス派の狙撃兵による反チャベス派への銃撃事件を捏造し、繰り返し報道した。RCTVのグラニエル最高責任者はクーデター派のこの陰謀に直接、加担していたことが判明している。この報道機関として著しく中立性を欠いた行為が、のちのRCTV放送免許の更新問題を引き起こす原因となった。」

 まるで最近のアメリカによるウクライナ政変劇を思わせるような狙撃事件です。

 ベネズエラでは、チャベス大統領が癌で死去した(毒物による暗殺だとの説もある)あとを引き継いだマドゥロ大統領も、相変わらず「独裁者」だと罵られ、今でもアメリカによる不安定化工作が続けられています。

5―5
 最後は、ヘイリー女史が名指ししたコンゴについてです。これについては、ずいぶん長くなってきたので、櫻井ジャーナル(2 0 1 7.1 0.1 5)の次のような説明を引用するにとどめておきます。

 資源の宝庫、コンゴは1960年2月に独立し、6月の選挙でパトリス・ルムンバが初代首相に選ばれる。
 それを受け、コンゴ駐在アメリカ大使のクレアー・ティムバーレークはクーデターでルムンバを排除するように進言するが、同大使の下には後に国防長官となるフランク・カールッチがいた。
 ドワイト・アイゼンハワー大統領は同年8月にルムンバ排除の許可を出している。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2 0 1 5)
 アメリカ支配層に選ばれたモブツ・セセ・セコが9月にクーデターを成功させ、12月にルムンバは拘束された。
 1961年1月17日、ジョン・F・ケネディが大統領に就任する3日前に、ルムンバは刑務所から引き出されてベルギーのチャーター機に乗せられ、ルムンバの敵が支配する地域へ運ばれた。
 そして、そこで死刑を言い渡され、アメリカやベルギーの情報機関とつながっている集団によって殴り殺された。
 1961年1月26日にアレン・ダレスCIA長官はコンゴ情勢についてケネディ新大統領に説明しているが、ルムンバ殺害について触れていない。[引用終わり]

 つまり、民主的に選ばれたルムンバがCIAの暗躍によって殺されたことをケネディ大統領は知らなかったわけですが、アメリカが犯した国家犯罪であったことは間違いありません。

 そして今度はケネディ自身が、1963年11月22日に暗殺され、その2年後にキューバ革命の英雄ゲバラは独裁者モブツが支配するコンゴへ入って活動を始めます。

 しかし、そのゲバラも、CIAの手引きで、1967年10月9日にボリビアで殺されました。

 このように、調べれば調べるほど、アメリカやイスラエルの言う「人権」「民主主義」がいかに偽善に満ちたものであるかが見えてきます。


6 ユダヤ人フィンケルスタインのイスラエル批判

 それにしても、なぜアメリカは、これほどにまでイスラエルに肩入れしなければならないのでしょうか。

 先述のとおり、チョムスキーは『チョムスキーの教育論』の補章で「米国ではタブーとされるイスラエル問題」と述べていましたが、言論の自由を最も声高に叫び、「人権」や「民主主義」を口実に他国に干渉し、クーデターまで企ててきたアメリカが、なぜイスラエルの政策を非難できないのでしょうか。

 その理由のひとつとして考えられるのは、(アメリカのキリスト教原理主義とユダヤ教原理主義の奇妙な一致は別にして)イスラエル批判はユダヤ人差別と受けとられるのではないかという恐れでしょう。

 もちろんアメリカには通称AIPAC「エイパック」と呼ばれるロビー団体「アメリカ・イスラエル公共問題委員会」があり、全米ライフル協会をも上回ると言われる強力な組織です。

 この団体は全米50州に10万人の会員を数えており、またイギリスの経済誌『エコノミスト』によれば、その年間予算は5000万ドルに上るそうです。

 そこからの莫大な政治献金を考えれば、この団体の影響力も無視できないことは間違いないでしょう。彼らの意向に逆らうと絶対に議員や大統領になれないと言われているほどですから。

 しかし私がここでも問題にしたいのは、そのような政界の話ではなく、「言論の自由」を誇っているはずの学者・言論界の世界でさえ、その例外ではないという事実です。

 確かに、ユダヤ人以外のひとがイスラエルの政策や行動を批判すれば、「それはユダヤ人に対する差別・偏見だ」と言われかねないので、なかなかイスラエル批判に踏み切れないのも分からないでもありません。

 しかし、いまアメリカで深刻なのは、ユダヤ人でさえイスラエル批判ができないという現実です。チョムスキーはユダヤ人ですが、彼のように堂々とイスラエル批判ができるのは、彼が全く例外的存在だからです。

 とはいえ、そのように著名な例外的人物でさえ、大手メディアで発言したり執筆したりすることは、ほとんど許されていません。彼が『Play Boy』という通俗雑誌で発言しているのを見ると異様な感じがしますが、そのような場しかアメリカの一般市民に語りかける場が、彼に許されていないからです。

 ですから、博士課程にいる学生がイスラエル問題を取りあげて論文を書くことは不可能に近いと言えます。その不可能に挑戦したのがノーマン・フィンケルスタインでした。

 彼の父親はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所収監の、母親はマイダネク強制収容所収監のユダヤ人生存者でした。

 このようにアウシュヴィッツの生き残り、ホロコーストを身をもって体験した人物を両親にもつフィンケルスタインでさえ、イスラエル批判をやりとげることは容易なことではありませんでした。

 彼が、パレスチナ人はもともと存在しなかったとするジョーン・ピーターズの著書『ユダヤ人は有史以来』を取りあげて、プリンストン大学で、それを批判する博士論文を書こうとしたとき、助言を求められたチョムスキーが再考するよう求めたという話は、あまりにも有名です。

 チョムスキーが再考を求めた理由は、「そのような課題に挑戦すると研究者としての人生を送れなくなる恐れがある」「そもそもその論文を審査員として引きうける教授がいるかどうか」というものでした。

 しかしフィンケルスタインは、その助言を重く受け止めつつも、敢然と自分の目標に挑戦したのでした。そしてチョムスキーの援助も得ながら、名門プリンストン大学から博士号を取得し、なんとかシカゴのデポール大学に職を得ることが出来ました。

 このような研究のなかで誕生したのが、世界的話題となった『ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』(三交社、2004)、『イスラエル擁護論批判―反ユダヤ主義の悪用と歴史の冒涜』(三交社、2007)という2冊の本でした。

 彼は前著『ホロコースト産業』では、AIPACなどを中心とするアメリカのユダヤ人エリートが、自らの政治的・経済的利益にそぐわないものに対して反ユダヤ主義のレッテルを貼りつけることで、ホロコースト被害者としての立場を濫用し暴利をむさぼっていると強く批判しました。

 また後著『イスラエル擁護論批判』では、ハーバード大学ロー・スクール教授として著名であったアラン・ダーショウィッツ(彼自身もユダヤ人である)の『ケース・フォー・イスラエル―中東紛争の誤解と真実』に対して、虚偽に満ちているとして徹底した批判を展開しています。

 しかし、このイスラエルの擁護書を批判したことで、フィンケルスタインはダーショウィッツから、「ユダヤ人の裏切り者」と目されるようになり、その後の人生は、まさにチョムスキーの予言したとおりのものになりました。

 というのは、この本が出版された後に、准教授を務めていたデポール大学で間近に迫っていた終身在職権の取得が、大学上層部によって急に否決されるという事件がおきたからです。

 こうして彼はデポール大学で教授になる道を閉ざされただけでなく、大学そのものから去るよう追い込まれてしまいました。

 他方、ダーショウィッツは、この間、『イスラエル擁護論批判』の出版差し止めをカリフォルニア州知事(当時)のアーノルド・シュワルツェネッガーに依頼したり、出版元のカリフォルニア大学出版局に高額訴訟をほのめかす等の行動をとっていました。

 ですから、デポール大学で間近に迫っていた終身在職権を、大学上層部によって急に否決されることになったのも、ダーショウィッツによる裏工作の結果ではなかったのかと、強く疑われている所以です。

 いずれにしても、このフィンケルスタインをめぐる事件は、アメリカの誇る「言論表現の自由」「教育研究の自由」なるものがどの程度のものか、それを示す好事例ではなかったでしょうか。


7 おわりに

ボリバル革命20周年の集会で大統領の支持と外国の干渉に抗議するベネズエラ国民(2月)
 いま私がこの小論を執筆している現在(2019年2月5日)、トランプ大統領はベネズエラのマドゥロ大統領にたいして、「グアイド国会議長をベネズエラの暫定大統領として認める」と宣言し、「もし退陣しないのであれば米軍の派遣もありうる」と恫喝しています。

 しかし、ベネズエラの国民ではなく他国の元首がベネズエラの大統領を選ぶことができるのであれば、たとえば中国の元首が、トランプではなく、下院議長のペロシ女史をアメリカ大統領として宣言できることになります。このようなトランプ氏の言動は、自分が「ロシアの傀儡」ではないことを証明し、民主党や「影の政府」による大統領弾劾を逃れるための術策とも考えられないわけではありません。

 しかし、このような荒唐無稽な言動は、アメリカ大統領だけでなく、そのような言動を支持するアメリカ政界全体の「痴性」(「知性」ではない!)を証明するものであり、世界中にその恥をさらけ出すことになっています。

 そのような下劣さはEU諸国も似たり寄ったりで、フランスを初めイギリスやドイツも似たような声明を発表しました。

 こうなると、EUを代表するはずのフランス、ドイツ、イギリスの「知性」もその程度だったのかと、世界各国の心あるひとたちはあきれかえっているのではないでしょうか。

 その証拠に、イタリアは、「グアイド国会議長をベネズエラの暫定大統領と認める」というEU声明案を明確に拒否しています。

 フランスにしても、国内では「黄色いベスト運動」が、マクロン大統領の退陣と新しい選挙を要求しているのですが、マクロン氏はそれを拒否しながら、他方ではベネズエラのマドゥロ氏にたいして退陣と新しい選挙を要求しているのです。

 その厚顔無恥ぶりには開いた口が塞がらない思いの国々も少なくないでしょう。

 つまり、富裕層・特権階級を代表するEU首脳国(フランスやドイツなど)がアメリカの指示に従おうとしても、他の国がそれを認めようとしていないのです。

 まして中国、ロシア、インドなど、アジア、アフリカの諸国で、「神に選ばれた国」の指示に従おうとする国は今のところ見当たりません。

 そもそもトランプ氏が大統領選に立候補したときの政策の大きな柱の一つが「今後アメリカは他国の政権転覆に加担しない」というものだっただけに、今回のトランプ氏の言動は、アメリカ大統領だけでなく、アメリカという国の威信を大きく低下させることになってしまいました。

 とりわけトランプ氏自身が、「ロシアによる裏からの選挙介入によって大統領になった」と、民主党だけでなく大手メディアにも激しく攻撃されてきただけに、氏の醜態ぶりは特に際立っています。

 なぜなら、「トランプはプーチンの傀儡」「ロシアによる裏からの選挙介入」ということにたいして最も激しく反発してきたのがトランプ氏自身だったからです。

 そのトランプ氏が、手のひらを返したように、今度は「表から堂々と」クーデターを企てることに加担しているわけですから、「神に選ばれた国」が放つ腐臭に、多くの国は我慢ができなくなってきているのではないでしょうか。

 アメリカが放つ強い腐臭は、このような対外政策だけでなく国内政策からによってさらに強められています。

 というのは、アメリカ国内ではイスラエルの政策に反対する人は公職に就けなくなってきているからです。

 最近でもテキサス州の公立学校教師が「イスラエルの政策を支持しない」という理由で、州法によって公職から追放される事件が起きているからです。
*「いかなる場合でもイスラエルの政策を支持する、との誓約を拒否した理由で職を奪われた教師が提訴」
https://on.rt.com/9koj

 アメリカでは、イスラエルによるガザ地区への残虐な攻撃に抗議して、イスラエル商品にたいする「ボイコット・資本引き揚げ・制裁」を呼びかける「BDS運動」が広がりつつあるのですが、これに参加することを禁じる法律が、アメリカの少なからぬ州で法律化されています。

 すでに26の州がこのような法律を制定し、さらに13州が同様の法律を制定する予定だそうです。

 これを合計すると39州になりますから、アメリカ50州のうち8割近くが「思想信条の自由」を奪われていることになりかねません。チョムスキーが以前から心配していたアメリカの「ファシズム化」です。

 これが「民主主義のモデル国」と自称するアメリカ(および、そのような立法を裏で強力に後押しをしているイスラエル)の実態なのです。

 このような実態は早晩、世界中の国々に知れ渡ることになるでしょう。日本でも最近、BDSジャパンの発足集会が開かれているからです(大阪12月14日、東京12月16日)。

 こうして、トランプ氏の言動や州政府の行動が、ますます世界中のひとたちに、アメリカの真の姿を露呈させることになっています。「神に選ばれた民」と「神に選ばれた国」の孤立化とファシズム化は進む一方です。

 ローマ帝国の崩壊を見れば分かるように、「明けない夜はない」のです。それと同じく、帝国アメリカも永遠に続くとは思えません。むしろ「夜明けは近い」とさえ思えてきます。ですから、トランプ大統領に感謝です。

 むしろ深刻なのは、このようなアメリカに付き従っているだけの我が国の未来ではないでしょうか。


〈追加補節〉
「神に選ばれた国」と「神に選ばれた民」と緊迫するベネズエラ情勢


 この原稿を書いている2019年2月18日現在、アメリカによるベネズエラのマドゥロ政権転覆の動きは、ますます露骨になってきています。 今までアメリカは政権転覆を企てても、シリア、リビア、ウクライナのように、それを民衆運動によるかたちをとるか、中米ホンジュラスのように、裏で軍部を動かしてクーデターを起こさせるというかたちをとってきました。 

 しかしベネズエラの場合、このどちらもうまくいきませんでした。民衆運動のかたちをとろうにも、チャベス大統領が亡くなった後のマドゥロ政権に対する民衆の支持は、変わらなかったからです。

 アメリカは経済制裁を加えつつベネズエラを不安定化させ、裏でも白人富裕層を焚きつけて、民衆運動のかたちをとって政権転覆を試みますが、これにも失敗しました。

 というのはアメリカによる経済制裁のため、物価高騰と物資欠乏に苦しめられつつも、ベネズエラ民衆はマドゥロ政権に対する支持を変えることはなかったからです。

 大手メディアでは、マドゥロ政権にたいする反政府デモが巨大な支持を得ているかのように報道されていますが、この反政府デモに参加しているのは、そのほとんどが白人富裕層であり、有色人種が多数である民衆はその多くが、マドゥロ政権を支持しています。

 その一般民衆のデモの方が大きいのですが、大手メディアではほとんど紹介されていません。その実態は下記の『マスコミに載らない海外記事』による次の記事(2019年2月15日)を御覧ください。
*ベネズエラの白人優越主義がトランプ・クーデターの鍵
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2 0 1 9/0 2/post-7 6be.html



 そこで次の手段が軍部によるクーデターなのですが、アメリカにとって残念なことに今のところベネズエラ軍はマドゥロ政権にたいする支持を変えていません。

 そこでアメリカ大統領トランプ氏は裏工作を諦め、表から堂々と軍部に政権転覆に乗りだすよう呼びかけるに至りました。これは国際法に照らしても前代未聞の事件です。それは中国の国家主席がトランプ政権の打倒をアメリカ軍部に呼びかける図を想像するだけでも分かるはずです。

 しかも民主党や大手メディアから「トランプはロシアによる選挙工作で大統領になった」と攻撃されているトランプ氏が、今度は自分自らが、裏からどころか表から堂々と、他国の政権転覆に乗りだしているのですから、まったく唖然とさせられます。

 そのうえ、もっと奇々怪々なのは、「トランプはロシアによる裏工作で大統領になった」と攻撃してきたはずの民主党幹部や大手メディアが、自国によるあからさまな他国への介入には、まったく異を唱えていないことです。

 これほど見事な「アメリカ第一主義」は考えられません。まさに「『神に選ばれた国』は、何をしようがすべては許される」ということを、そのまま絵に描いたような行動ではないでしょうか。

 これは弱冠35歳の若者(ベネズエラ国民議会議長フアン・グアイド)を、「ベネズエラの暫定大統領として認める」とトランプ氏が宣言したことにも歴然と現れています。

 しかも、「大統領が不在になったとき国民議会議長を暫定大統領にする」という規則はベネズエラ憲法233条のどこにも書いてありません。詳しくは次の記事(『寺島メソッド翻訳NEWS』2019年2月12日)を御覧ください。
*欧州議会のダブルスタンダード   ベネズエラ情勢
http://tmmethod.blog.fc2.com/

 ここでも「神に選ばれた国」アメリカの傲慢さと、それに追随しているEU支配層の卑屈さが浮き彫りになってきます。プーチン大統領が、マクロンを気に入らないからという理由で、「黄色ベスト運動」の指導者をフランス大統領の座に据える図を想像すれば、もっと分かりやすいかも知れません。



 最後に、追記しておきたいことが、もうひとつだけあります。それはトランプ氏によってベネズエラ特別大使に任命されたエリオット・エイブラムスについてです。

 エリオット・エイブラムスは、1986年に発覚したイラン・コントラ事件について1991年に議会で聴聞された際に偽証し、そのため有罪になりました。しかし後にジョージ・H・W・ブッシュ大統領により恩赦されています。

 ここで問題になっているイラン・コントラ事件とは次のようなものでした。

 ロナルド・レーガンは、大統領選挙に立候補したとき、現職のカーター大統領に手柄を立てさせないため、イラン革命で人質になったアメリカ人の釈放を選挙後まで延期するよう、裏でこっそりイラン革命政権に要請しました。そして自分が大統領になったときには、その代償としてイランに武器を売る約束をしたのです。

 かくしてカーターは、人質を釈放させることの出来ない軟弱な大統領だと攻撃され、レーガンは、まんまと大統領の座を手にすることが出来たのでした。

 他方、レーガンはイランと裏取引をした上に、同国への武器売却代金を、反政府ゲリラ「コントラ」の援助に流用しました。ニカラグアの革命政権を転覆させるためです。

 これが後に発覚することになった有名なイラン・コントラ事件です。まるで嘘のような本当の話です。

 この件にかんしては以前の節でも紹介しましたが、まさに「事実は小説よりも奇なり」です。



 しかし事件の奇怪さはまだ続きます。

 というのは、アメリカ人を人質にしていたイランに武器を売るというのは、あまりに露骨すぎて、とても出来ない相談でしたから、その仲介役をイスラエルに頼んだわけです。

 こうして、イランに武器を売る役割をイスラエルが引きうけ、アメリカはその代金をニカラグアの反政府ゲリラに手渡して、ニカラグアだけでなくグアテマラやエルサルバドルを殺戮・虐殺の荒野に変えたのでした。

 これが「神に選ばれた国」「神に選ばれた民」が手を携えておこなった行為です。

 たとえば80年代にグアテマラでは、アメリカに後押しされた独裁者エフライン・リオス・モント将軍の下で、先住民の集団虐殺と拷問が行われ、エルサルバドルでもアメリカが訓練した暗殺部隊によって市民が800人以上も虐殺されました。

 これらの事件を議会で追及された際、エリオット・エイブラムスは、その虐殺行為を「中米に民主主義を植えつけるという点で素晴らしい成果だった」と擁護したのでした。しかも氏は、その当時、レーガン政権の国務省高官(人権部門担当)だったのです。

 選りに選って、このような人物をトランプ氏は、ベネズエラ特命大使として任命したのです。しかし、このような人物を特使に任命したことに対して、民主党幹部も大手メディアも、何ら異を唱えることはありませんでした。

 ただし民主党下院議員で、異を唱えた若い女性議員がいました。彼女はアメリカ史上で初の、イスラム教徒の女性議員でした。

 彼女は下院外交委員会の聴聞会で、スカーフを頭に巻いたままの姿で、舌鋒鋭くエイブラムス氏の過去を問い詰めたのです。「いまだに、アメリカの過去の行為を『素晴らしい成果だった』と考えているのか」と。
*Ilhan Omar grill US Venezuela envoy n war crimes of previous US-backed coups(イルハン・オマール下院議員が、ベネズエラ特使エイブラムスを、過去のアメリカ支援による政権転覆と戦争犯罪について厳しく追及)
https://on.rt.com/9oba

 しかし、この彼女の行為は、共和党どころか民主党幹部からも攻撃されています。何度も言いますが、これがアメリカ民主主義の実態、ファシズム化しつつあるアメリカの現状です。

 (とはいえ、このソマリア系アメリカ人のイルハン・オマール議員だけでなく、プエルトリコ系のアレクサンドリア・オカシオ=コルテスのように堂々と社会主義者を名乗りつつ下院議員に当選する若い女性の登場は、真っ暗なアメリカに微かな光を感じさせるものです。)



 ちなみに、グアテマラに関しては『グアテマラ虐殺の記憶―真実と和解を求めて』(岩波書店)という本があります。

 この本の訳者代表だった飯島みどりさんは、中南米を専門とする若い研究者で、まだ岐阜大学に教養部というものが存在していた頃の私の同僚でした。

 私は彼女から、しばしば次のように皮肉られたものでした。
 「スペイン語は簡単だけど英語は難しいですね」
 「寺島先生はあのような残酷な国アメリカに、よく行く気になりますね」
 その頃の私は、恥ずかしながら、アメリカの残酷さを(知ってはいたつもりでしたが)充分に知らなかったのです。

 そして学会参加を口実に、10年近くもアメリカに通い続けていくなかで、彼女の言い分を自分の眼でしっかり納得できるようになりました。

 この小論は、そのような私の中間総括です。(おわり)

https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/10854
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/548.html#c8

[リバイバル3] 酷い音のインチキ・レプリカを量産して伝説の評価を落とした Goodmans Axiom80 中川隆
53. 中川隆[-13971] koaQ7Jey 2020年2月07日 09:17:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-645]

「オーディオの相対性原理」とは
「音楽&オーディオ」の小部屋 2020年02月07日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/50578857d77fe085218a470ad7c418fb


現在9台のアンプがあるが、1台は外部に発注して改良中、3台はウェストミンスター(改)用として固定しているので残りは5台となる。

この5台を毎日の朝起きぬけに1台づつ取り換えてその日1日中聴くことにしている。

なにしろ機械ものなのでときどき通電してやらないと調子がおかしくなる。

つい最近の5日間の例を挙げてみると次のとおり。

すべてのアンプのタイトルには「出力管」名を冠している

月曜日 「171A」(前段管:AC/HL)シングルアンプ

火曜日 「300B」シングルアンプ

水曜日 「171Aプッシュプル」アンプ

木曜日 「171A」(前段管:A411)シングルアンプ

金曜日 「6098」シングルアンプ

いずれ劣らぬ個性派ぞろいだが、それぞれに長所と短所があって「帯に短し、たすきに長し」で完璧無欠なアンプなんて無いことを常に思い知らされている。

まあ、そもそも単独のオーディオ機器に100点を求めるのは「世間知らずのおバカさん」でしょうよ(笑)。

たとえば、50点同士のアンプとスピーカー同士を組み合わせても相性が良かったら80点以上に変身したりするから、結局は組み合わせ次第でどのようにも変身する。

つまり、オーディオ機器の性能は「組み合わせの妙」に尽きるので、常に相対性を意識する必要があり、我が家では勝手にこれを「オーディオの相対性原理」と呼称している。

話のついでに我が家の4系統のシステムの自己採点をしてみよう。

1 AXIOM80(最初期版)は90点

我が家の羅針盤的なスピーカーだが、ワーグナーやマーラーなど大規模編成の音楽には向かないのが実に惜しい。こればかりは、どんなに相性のいいアンプを持ってきても無い物ねだりというものだろう。

ただし、ユニットを容れる箱の工夫次第では何とかなりそうな気もするところ。

1.5センチくらいの薄い板厚の大きな箱(ARU付き)をつくって、うまく箱を共振させる手があるが、いずれチャレンジしてみたい気もする。それだけの値打ちのあるスピーカーである。

2 3ウェイチャンデバで鳴らすウェストミンスター(改)は85点

低音、中音、高音の各帯域のアンプと各SPユニットの両方の組み合わせにはまだ見直す余地があって、もっと良くなりそうな気がする。

3 「トライアクショム」は75点

つい先日(2日)、大分からオーディオ仲間が2名お見えになったので我が家のシステムを聴いていただいた。それぞれ「アルテックA5」と「オートグラフ」を愛用されている方々である。

聴いていただいた順番は2、3だったが2は大好評だったし、3もそこそこだったので「次はAXIOM80を聴いてみましょうかね」と、入れ替えたところあまりの落差に愕然としてしまった。

「こじんまりとした音の世界では」という注釈付きの話になるが、どんなに創意工夫を凝らしてみても結局「AXIOM80」には敵わないことが判明した。まったく次元が違う音といっていい。

したがって、トライアクショムの3ウェイへの改造は所詮は無駄な抵抗だと悟ったのでお客さんがお帰りになった後で「即解体」の運びとなりました(笑)。

4 JBL「LE8T」は70点

前述の3強に押されてなかなか出番が回ってこないが、口径20センチならではの音のスピード感を楽しめるスピーカーだ。日頃イギリス系の思慮深い音に囲まれる中で気分転換を図るにはもってこいだろう。

と、ここまで書いたところで、前回のブログの末尾にある「小鳥の名前」談義に付随して関東地方の熱烈な「AXIOM80」愛好家の方からとても興味深い示唆をいただいた。

近々、記事にしますのでどうかお愉しみに〜。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/50578857d77fe085218a470ad7c418fb
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/686.html#c53

[リバイバル3] ブリティッシュ・サウンドとは何か? _ 安物スピーカー スペンドール BCII から奇跡の音が… 中川隆
114. 中川隆[-13970] koaQ7Jey 2020年2月07日 09:17:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-644]

「オーディオの相対性原理」とは
「音楽&オーディオ」の小部屋 2020年02月07日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/50578857d77fe085218a470ad7c418fb


現在9台のアンプがあるが、1台は外部に発注して改良中、3台はウェストミンスター(改)用として固定しているので残りは5台となる。

この5台を毎日の朝起きぬけに1台づつ取り換えてその日1日中聴くことにしている。

なにしろ機械ものなのでときどき通電してやらないと調子がおかしくなる。

つい最近の5日間の例を挙げてみると次のとおり。

すべてのアンプのタイトルには「出力管」名を冠している

月曜日 「171A」(前段管:AC/HL)シングルアンプ

火曜日 「300B」シングルアンプ

水曜日 「171Aプッシュプル」アンプ

木曜日 「171A」(前段管:A411)シングルアンプ

金曜日 「6098」シングルアンプ

いずれ劣らぬ個性派ぞろいだが、それぞれに長所と短所があって「帯に短し、たすきに長し」で完璧無欠なアンプなんて無いことを常に思い知らされている。

まあ、そもそも単独のオーディオ機器に100点を求めるのは「世間知らずのおバカさん」でしょうよ(笑)。

たとえば、50点同士のアンプとスピーカー同士を組み合わせても相性が良かったら80点以上に変身したりするから、結局は組み合わせ次第でどのようにも変身する。

つまり、オーディオ機器の性能は「組み合わせの妙」に尽きるので、常に相対性を意識する必要があり、我が家では勝手にこれを「オーディオの相対性原理」と呼称している。

話のついでに我が家の4系統のシステムの自己採点をしてみよう。

1 AXIOM80(最初期版)は90点

我が家の羅針盤的なスピーカーだが、ワーグナーやマーラーなど大規模編成の音楽には向かないのが実に惜しい。こればかりは、どんなに相性のいいアンプを持ってきても無い物ねだりというものだろう。

ただし、ユニットを容れる箱の工夫次第では何とかなりそうな気もするところ。

1.5センチくらいの薄い板厚の大きな箱(ARU付き)をつくって、うまく箱を共振させる手があるが、いずれチャレンジしてみたい気もする。それだけの値打ちのあるスピーカーである。

2 3ウェイチャンデバで鳴らすウェストミンスター(改)は85点

低音、中音、高音の各帯域のアンプと各SPユニットの両方の組み合わせにはまだ見直す余地があって、もっと良くなりそうな気がする。

3 「トライアクショム」は75点

つい先日(2日)、大分からオーディオ仲間が2名お見えになったので我が家のシステムを聴いていただいた。それぞれ「アルテックA5」と「オートグラフ」を愛用されている方々である。

聴いていただいた順番は2、3だったが2は大好評だったし、3もそこそこだったので「次はAXIOM80を聴いてみましょうかね」と、入れ替えたところあまりの落差に愕然としてしまった。

「こじんまりとした音の世界では」という注釈付きの話になるが、どんなに創意工夫を凝らしてみても結局「AXIOM80」には敵わないことが判明した。まったく次元が違う音といっていい。

したがって、トライアクショムの3ウェイへの改造は所詮は無駄な抵抗だと悟ったのでお客さんがお帰りになった後で「即解体」の運びとなりました(笑)。

4 JBL「LE8T」は70点

前述の3強に押されてなかなか出番が回ってこないが、口径20センチならではの音のスピード感を楽しめるスピーカーだ。日頃イギリス系の思慮深い音に囲まれる中で気分転換を図るにはもってこいだろう。

と、ここまで書いたところで、前回のブログの末尾にある「小鳥の名前」談義に付随して関東地方の熱烈な「AXIOM80」愛好家の方からとても興味深い示唆をいただいた。

近々、記事にしますのでどうかお愉しみに〜。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/50578857d77fe085218a470ad7c418fb
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/690.html#c114

[リバイバル3] 真空管アンプについての よく有る誤解 中川隆
10. 中川隆[-13969] koaQ7Jey 2020年2月07日 09:19:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-643]

「オーディオの相対性原理」とは
「音楽&オーディオ」の小部屋 2020年02月07日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/50578857d77fe085218a470ad7c418fb


現在9台のアンプがあるが、1台は外部に発注して改良中、3台はウェストミンスター(改)用として固定しているので残りは5台となる。

この5台を毎日の朝起きぬけに1台づつ取り換えてその日1日中聴くことにしている。

なにしろ機械ものなのでときどき通電してやらないと調子がおかしくなる。

つい最近の5日間の例を挙げてみると次のとおり。

すべてのアンプのタイトルには「出力管」名を冠している

月曜日 「171A」(前段管:AC/HL)シングルアンプ

火曜日 「300B」シングルアンプ

水曜日 「171Aプッシュプル」アンプ

木曜日 「171A」(前段管:A411)シングルアンプ

金曜日 「6098」シングルアンプ

いずれ劣らぬ個性派ぞろいだが、それぞれに長所と短所があって「帯に短し、たすきに長し」で完璧無欠なアンプなんて無いことを常に思い知らされている。

まあ、そもそも単独のオーディオ機器に100点を求めるのは「世間知らずのおバカさん」でしょうよ(笑)。

たとえば、50点同士のアンプとスピーカー同士を組み合わせても相性が良かったら80点以上に変身したりするから、結局は組み合わせ次第でどのようにも変身する。

つまり、オーディオ機器の性能は「組み合わせの妙」に尽きるので、常に相対性を意識する必要があり、我が家では勝手にこれを「オーディオの相対性原理」と呼称している。

話のついでに我が家の4系統のシステムの自己採点をしてみよう。

1 AXIOM80(最初期版)は90点

我が家の羅針盤的なスピーカーだが、ワーグナーやマーラーなど大規模編成の音楽には向かないのが実に惜しい。こればかりは、どんなに相性のいいアンプを持ってきても無い物ねだりというものだろう。

ただし、ユニットを容れる箱の工夫次第では何とかなりそうな気もするところ。

1.5センチくらいの薄い板厚の大きな箱(ARU付き)をつくって、うまく箱を共振させる手があるが、いずれチャレンジしてみたい気もする。それだけの値打ちのあるスピーカーである。

2 3ウェイチャンデバで鳴らすウェストミンスター(改)は85点

低音、中音、高音の各帯域のアンプと各SPユニットの両方の組み合わせにはまだ見直す余地があって、もっと良くなりそうな気がする。

3 「トライアクショム」は75点

つい先日(2日)、大分からオーディオ仲間が2名お見えになったので我が家のシステムを聴いていただいた。それぞれ「アルテックA5」と「オートグラフ」を愛用されている方々である。

聴いていただいた順番は2、3だったが2は大好評だったし、3もそこそこだったので「次はAXIOM80を聴いてみましょうかね」と、入れ替えたところあまりの落差に愕然としてしまった。

「こじんまりとした音の世界では」という注釈付きの話になるが、どんなに創意工夫を凝らしてみても結局「AXIOM80」には敵わないことが判明した。まったく次元が違う音といっていい。

したがって、トライアクショムの3ウェイへの改造は所詮は無駄な抵抗だと悟ったのでお客さんがお帰りになった後で「即解体」の運びとなりました(笑)。

4 JBL「LE8T」は70点

前述の3強に押されてなかなか出番が回ってこないが、口径20センチならではの音のスピード感を楽しめるスピーカーだ。日頃イギリス系の思慮深い音に囲まれる中で気分転換を図るにはもってこいだろう。

と、ここまで書いたところで、前回のブログの末尾にある「小鳥の名前」談義に付随して関東地方の熱烈な「AXIOM80」愛好家の方からとても興味深い示唆をいただいた。

近々、記事にしますのでどうかお愉しみに〜。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/50578857d77fe085218a470ad7c418fb
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/923.html#c10

[リバイバル3] German Physiks 友の会 中川隆
4. 中川隆[-13968] koaQ7Jey 2020年2月07日 09:26:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-642]


GRFのある部屋 ユニコーン ユニット交換の頃 1 2020年 02月 06日
https://tannoy.exblog.jp/31044282/

今回のGerman Physiks News Letter 向けのUNICORNの写真を集めている時に、なぜ、初期のユニコーンを再生産してもらったか、その輸入時のいろいろなエピソードを思い出しました。

ユニコーン ユニット交換の頃 1_f0108399_13453352.jpg


はじめてユニコーンに邂逅したのが2007年の初夏。UNICORNさんのお宅でした。初期型のユニコーンは、2004年に製造をやめましたが、UNICORNさんは、ギリギリに特注で作っていただいたそうです。その時のモデルは、カーボン使用のキャビネット同様な、初期モデルの肩が落ちている形や、スカートの部分の形状がすっきりとされて、作りにくい特殊形状から、音を変えずに作りやすい形にと進化していたそうです。外見はすっきりとしましたが、内部は同じ構造です。

ユニコーン ユニット交換の頃 1_f0108399_13433067.png


UNICORNさんのお宅ですっかり魅了された私は、真剣に探し始めたのです。一年後、名古屋のサウンドピットさんが以前売られたユニコーンが引き取られてきたのです。2008年の5月の末に家に来たときにはすでに10年以上経っていて、二回ほど持ち主が変わっていました。小さなお子さんのいるご家庭で使われたこともあり、ただでさえ薄くてもろいチタンのユニットは、触られて凹みがありました。ですから、ある程度使用したらユニットを新品に交換をするという前提で、とても安くしていただいたのです。大山さんに相談したら、使われているバールの模様の木は、条約で在庫で持っている会社しかつかえなくなるので、ぜひ、手に入れろとの話でした。しかし、そのへこみ自身は、余り音に関係なく、その切れ味と分解能が高いスピーカーはお気に入りでした。

ユニコーン ユニット交換の頃 1_f0108399_14082798.jpg


この木目の話には後日談があります。北海道のある地方都市で全国の木材組合の集まりがあるのに遭遇しました。席が一杯なので、その組合の会長と同席することになりました。盛り上がったあとお互いの仕事の話をしたところ、銘木の木目を扱っている組合だと言うことがわかりました。そこで、私のUNICORNの写真を見せたら、これはすごい!もう日本では手に入らないから大事にしなさいといわれました。その後同じ木目を見たのは、マカオの高級カジノの廊下でした。いかにも豪華な造りで、嬉しかったです。


ユニコーン ユニット交換の頃 1_f0108399_16493576.jpg


2008年に家に持ち込まれたとき、大きな部屋でならしていたときは、低音は十分で浪々としたホールトーンも聞こえていました。それが、徐々に低音が聞こえなくなり、2012年の寒い二月にUNICORNさんに来ていただいた時は、何か変だと気がつきました。


メガホン形状のチタンの振動板を支えるエッジは、その頃になると材質の硬化が始まり、当初から円錐形のコーンにフィットするように切れ込みが入っていたエッジにひび割れが始まり、バックロードホーンのロード(負荷)が掛かると、その音圧に負けて空気が漏れロードが掛からなくなってきたのです。問題は、代理店も無いドイツの会社にどのように連絡を取るかの問題でした。

ユニコーン ユニット交換の頃 1_f0108399_14243134.jpg


悩んでいたところ、初期のユニコーンのオーナーで、友の会の会長をお願いしているAさんの主催する、ホワイトアスパラガスの会でこのユニコーンを輸入した商社の人と会い、直接連絡する方法を教えていただきました。それから、一月後、新品のユニットが交換用に送られてきました。14年間の進歩は大きく、そのエッジの形状ばかりでは無く、マグネットも強化され、新しい音へと進化していました。

ユニコーン ユニット交換の頃 1_f0108399_14532818.jpg

エッジの部分の形状が全く違いますね。それによりしっかりとしたバックロードが掛かるようになりました。また、カーボンの開発を通じて、マグネットの強化も図られ、その効果も大きいと思いました。この初期型の頃に比べて、四回ものユニットの改良が行われたそうです。その生まれ変わった音は従来までの高域重視の音では無く、低域まで豊かな音を聞かせてくれます。50Hzぐらいまでしかな理論上もならないのですが、倍音成分が位相差無くなるので、遙か下まで鳴っているような充実した低音が鳴るのです。キャビネットの中にウーファーが隠れているとのではとスカートの下からのぞき込もうとした人も何人かいたぐらいです(爆)。


そう、ユニコーンは、一本のスピーカーだけがなっているシングルスピーカーなのです。低音はバックロードを通って聞こえてきますから、若干の遅れはあるのですが、200Hz以上は、上のDDDドライバーだけでなります。そのため、位相特性が良く、音はチタンドライバーから聞こえずに、キャビネット中央あたりからなるのです。それも、中にウーファーが隠れていると思われた理由ですね。不思議です。

https://tannoy.exblog.jp/31044282/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1036.html#c4

[番外地7] カストロやチェ・ゲバラはアメリカのグローバリズムと戦う為にキューバを社会主義化してソ連と軍事同盟を結んだ 中川隆
13. 中川隆[-13967] koaQ7Jey 2020年2月07日 09:53:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-641]
@森さらしな
>レーニンもトロツキーもグローバリストでしたよ

グローバリストじゃないですね。
反共連合の経済弾圧・軍事弾圧に対抗する為には共産国家が連帯しないといけないというだけでしょう。
キューバや北朝鮮みたいに経済封鎖されたら一国ではやっていけないですからね。

ソ連のバルト海三か国併合やウクライナ・ポーランド併合をみても、中南米みたいな一応 自治や民主選挙を認めた支配ではなく、完全属国化・ミンゾクジョウカ政策ですね。つまり、共産国家の場合はグローバリズム支配ではなく民族消滅政策になるのです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/466.html#c13

[番外地7] 赤字黒字議論のバカバカしさ 中川隆
1. 中川隆[-13966] koaQ7Jey 2020年2月07日 10:02:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-640]
赤字黒字議論のバカバカしさ
お金くらい日銀が何十兆円でもすぐに発行できるというのを知らない人が多いですね。
どんな新しい事業や計画にも「採算が得られない」「赤字になる」と言って反対する人達がいる。一見正しそうに聞こえるこの理論だが、彼らの生活は丸ごと「赤字事業」で成り立っている。インフラ的なこと、道路や橋や鉄道や水道、信号機や公営駐輪場にいたるまで、大半が赤字事業です。


電気、ガス、インターネット、無線サービス、テレビ、ラジオのような物も、最初は赤字だった。

日本初のラジオもテレビも「国営放送局」NHKが強制的に金をぶんどったり税金で事業を始めている。

赤字・黒字理論に従えば、今日本にこれらのサービスは無く、全ての家でまだ汲み取りトイレの筈です。

新幹線については戦前、弾丸鉄道を作る計画があったが、そんなものは無駄だといって軍事予算の方に回しました。
戦後、同じ計画を新幹線と名前を変えて事業化しようとしたら、「そんな物に誰が乗るのかね?」と多くの人が反対した。

新幹線は現在儲かっているが、それは結果論でしかなく、採算度外視の赤字事業として始められました。


当時日本は第二次大戦で中止になった東京オリンピックをやり直す事になり、新生日本の国際デビューと考えていた。

世界を驚かせるような何かが欲しいという理由で、赤字の予定で建設したら、思いがけず儲かったので政府は驚いた。

インターネットは「利用者がいない」という理由で欧米より数年間遅れ、日本は致命的な遅れを取りました。


「日本に高速道路は不用」と言った専門家たち

始めなければ利用者が居ないのは当たり前で、あまりにも馬鹿げているが、当時は合理的判断だと支持された。

「インターネットなんか赤字になるから必要ない」という訳です。

一見正しそうな採算性重視が、実は一番非合理的で、採算性を悪化させているのです。


それは創造的な事業を作れない、新しい分野を開拓出来ないからです。

日本の高速道路は東京オリンピックの為、国家の威信とか見てくれを良くする為だけに作りました。

「オリンピックを開くのに高速道路が無いのはみっともない」という理由であって、必要だから作ったのではありません。


むしろ「国産車に時速100キロ出せる車が無いのに、高速道路建設は無駄な事業」という声が大きかった。

これは事実であり1959年に開催決定したとき、舗装道路があまりなく、国産車は砂利道を走る前提で設計されていた。

これではいけないと奮い立ったのが本田宗一郎で、日本初の本格サーキット「鈴鹿サーキット」を建設した。


首都高速そのものも鈴鹿サーキットを真似して舗装工事が行われ、「時速100キロ」を目指して第一回日本グランプリが開催された。

出場したのが後にスカイラインGTRに進化するプリンス自動車やトヨタ、日産といったメーカーだった。

日本武道館などの日本初の大型屋内競技場や、本格ホテルなども「必要が無かったのに」次々に建設された。
東京五輪が終わったら1万人も観客が集まるスポーツなんか、在る筈がないとされていました。

世界一無駄な事業「アポロ計画」

オリンピックが開催されたのは僅か2週間ほどで、大会が終わるとこれら全てが無駄な建造物になった。

だが話はここから始まり、「需要がなかったのに施設を建設したら需要が生まれた」のでした。

東京と大阪を日帰りしたい人なんか1人も居なかったが、新幹線を建設したから需要が生まれた。


自動車で時速100キロを出せる車は日本に存在しなかったが、高速道路を建設したら需要が生まれました。

テレビ放送も始めてみたら「テレビを見たい人」が生まれ、インターネットを始めたらネット需要が生まれました。

世の中は全てこういう事であり、日本初の鉄道も「誰も乗りたくないのに」作ったら需要が生まれたのです。


「需要がないからやらない」という意見が最も不合理で、最も採算を悪化させるとはこの事です。

「赤字黒字論者」が国の権力を握ると、新しい事業を何もしなくなり、ジワジワと経済力が低下していきます。

彼らが好むのは「既に需要がある事業」言い換えると将来性がまったくない、終わった事業だけだからです。


1961年にケネディ大統領は「10年以内に月に人を送る」と言って1969年に実現させました。

10年間で254億ドル(9.1兆円)かかり、日本の国家予算3.4兆円の3倍近くになりました。

世紀の馬鹿な計画といわれ「万里の長城、ピラミッド、アポロ計画」と世界の3つの無駄なものに数えられた。

需要はいつも後から生まれる

だがこの頃日本も負けておらず、東京オリンピックだけで国家予算の3分の1を投入し「破産するか勝利か」という賭けをやっていた。

結局アメリカは一時財政悪化で苦しんだが、アポロ計画のお陰で現在はIT大国、宇宙先進国となっている。

日本が東京オリンピックで投じた金も、施設が運用され経済が発展した事で、その後経済大国と呼ばれるきっかけを作った。


「赤字・黒字・採算」だけ考える人にはこういう事ができないので、結局かえって国を衰退させるのです。

北海道新幹線を巡ってまた間抜けな評論家や経済学者が「赤字だ黒字だ」と騒いだが、これも同じです。

北海道に新幹線を作ったら需要が出来るので、国家予算で網走までフル規格で作ってしまえば良いのです。


財務省が反対したら財務官僚を網走刑務所にぶち込んで見世物にすれば良い。

中途半端に作るから中途半端な需要しか生まれず、事業としても中途半歩なのです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/473.html#c1

[近代史3] シューベルト 『軍隊行進曲』 中川隆
1. 中川隆[-13965] koaQ7Jey 2020年2月07日 10:13:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-639]

メンゲルベルク

Franz Schubert : Marches Military (Willem Mengelberg 1942)







Conductor: Willem Mengelberg
Orchestra: Royal Concertgebouw Orchestra
Recorded in 1942

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/859.html#c1
[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
9. 中川隆[-13964] koaQ7Jey 2020年2月07日 10:53:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-638]

メンゲルベルク

Schubert: Symphony No.9 The Great D.944 / Mengelberg Concertgebouw Orchestra (1940 Live)





Willem Mengelberg
Concertgebouw Orchestra
1940.10.3 Live


ウィレム・メンゲルベルク指揮コンセルトヘボウ
PHILIPS。1940年12月19日ライヴ。同日演奏の「未完成」とカップリング。
アセテート盤録音のため断続的ノイズがある。
2013年にDECCAから旧PHILIPS発売音源15枚組BOXが出た(写真)。よってPHILIPS盤は譲渡した。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert9-m.htm


▲△▽▼

Willem Mengelberg (1871 - 1951): Schubert: Symphony No. 9 in C major "La Grande" (R.1942)







Concertgebouw Orchestra of Amsterdam
Willem mengelberg, conductor.
1942年11月録音


ウィレム・メンゲルベルク指揮コンセルトヘボウ
Biddulph。WHL 039。1943年6月16日録音テレフンケンSPの復刻。
表情づけをとことんやりつくしている。予想に違わず第2楽章がその頂点である。「レコード芸術」誌の輸入盤紹介欄でも絶賛されていたので早速入手した。
上のライヴよりもさらに名演である。音質も大変よい。
翌日録音の「未完成」とカップリング。
TAHRA TAH231 で同じ演奏が復刻されている。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert9-m.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c9
[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
10. 中川隆[-13963] koaQ7Jey 2020年2月07日 11:01:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-637]

クレメンス・クラウス

SCHUBERT: Symphony No. 9 in C major D. 944 "The Great" / Krauss · Wiener Symphoniker







Clemens Krauss (conductor)
Wiener Symphoniker
1951/03/02 Mono, Wien


クレメンス・クラウス指揮ウィーン交響楽団
TELDEC。1951年3月2日録音。

結構鮮明な音質で「粋な」演奏が聴ける。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert9-m.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c10
[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
11. 中川隆[-13962] koaQ7Jey 2020年2月07日 11:30:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-636]

カール・シューリヒト


Schubert: Symphony No. 8(9) `The Great`, Schuricht & SGRso (1960)


Carl Adolph Schuricht (1880-1967), Conductor
South German Radio Symphony Orchestra (Stuttgart Radio Symphony Orchestra)

Rec. September 1960, in Stuttgart

カール・シューリヒト指揮シュトゥットガルト放送交響楽団
コンサート・ホール・ソサエティ。1960年9月。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert9-m.htm


カール・シューリヒト指揮南ドイツ放送響(1960年録音/Scribendum盤) 

原盤がコンサートホールなので、音質が余り優れません。特にフォルテで音が割れ気味です。演奏解釈は1956年ライブと同じですが、加えてスタジオセッションらしいきめ細かさを感じます。特に後半の2楽章は単調になりがちなこの曲を、リズムを生かした名人芸で味わい深く乗り切っています。音質さえ良ければ、ランクがぐっと上がる、素晴らしい演奏だと思います。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/cat49966071/index.html

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Symphony No. 9 in C Major, D. 944 "Great":









Conductor: Carl Schuricht
Orchestra: Stuttgart Radio Symphony Orchestra
Composer: Franz Schubert

カール・シューリヒト指揮シュトゥットガルト放送交響楽団
アルヒフォン。1956年3月20日ライヴ。
しかし、放送用のライヴと思われ、結構録音も良い。
演奏もシューリヒトらしい端正さがよく出ている。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert9-m.htm

カール・シューリヒト指揮シュトゥットガルト放送響(1956年録音/archiphon盤) 

シューリヒトの「未完成」はオケがウイーン・フィルということもあって、儚い夢のような演奏でしたが、「グレート」の場合には古典的な造形性が非常に良く出ています。幾らか速めのテンポできりりと進むオーソドックスな演奏ですが、この人特有の”閃き”は有りません。放送局のライブでモノラル録音ですが、非常にしっかりした音で、後述の1960年ステレオ盤よりも優れていると思います。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/cat49966071/index.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c11
[近代史3] シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944 』 中川隆
12. 中川隆[-13961] koaQ7Jey 2020年2月07日 11:39:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-635]
シューベルト 交響曲第8(9)番ハ長調D.944「ザ・グレート」 名盤: ハルくんの音楽日記
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/8d759-74e0.html


ブルーノ・ワルター指揮コロムビア響(1959年録音/CBS盤)



冒頭から、歌い方の柔らかさに魅了されます。オケの響きの薄さも、必要以上にカロリー過多にならずに好ましく思えます。ゆったりとした落ち着きと推進力のバランスも自分には丁度良く感じられます。

スタジオ録音なので楽器の分離は良いですが、金管を常に抑え目に吹かせて、弦と溶け合わせるのはウイーン・スタイルでしょう。曲のどの部分をとっても表情に意味が有るので、この長い曲を少しも飽きさせません。特筆すべきは3楽章の中間部で、これほど浮遊感を感じさせる演奏は有りません。さすがに終楽章では音の薄さがマイナスに思えないことも有りませんが、騒々しいよりは好ましいので、これで充分満足です。




この曲の演奏においては、余りに感情移入が激しいものは好みません。
例えばフルトヴェングラーが第二次大戦中に指揮した壮絶な演奏が有りますが、個人的には余り好んでいません。

クナッパーツブッシュ/ウイーン・フィルのライブ盤(グラモフォン)もクナ・ファン曰く「片手で地球をひっくり返したような凄演」として大変に人気が有りますが、僕は違和感を感じます。

期待して聴いたクレメンス・クラウス/ウイーン交響楽団(テルデック)の演奏もさほど良い印象が残っていません。

フランツ・コンヴィチュニーが珍しくチェコ・フィルを指揮した演奏(スプラフォン)は、金管のド迫力が自分には論外でした。

イシュトヴァン・ケルテス/ウイーン・フィル(DECCA)、それにウイーン子のヨーゼフ・クリップス/ロンドン響(DECCA)も、さほど良い印象が有りません。
そうしてみると、好むのは結局のところワルターとベームの二人に絞られます。
特にワルターの演奏は奇跡的な素晴らしさだと思います。

ウイーン、ベルリン、ドレスデンと世界に冠たる名楽団を三つ指揮したベームが、アメリカのセッション・オーケストラを指揮したワルターに敵わないのですから、これは驚くべきことです。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/8d759-74e0.html





http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html#c12
[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
4. 中川隆[-13960] koaQ7Jey 2020年2月07日 11:47:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-634]
2020/2/6 21:31 投稿者:777


中国発新型コロナウイルスは2月5日に中国国内で2万8018人で前日から3694人増え、死者563人になりました。

前日からの増加率は約18%で依然として感染者の増加が続いている。

中国政府発表の感染者数は2万4,324人(2月5日)のうち武漢市は8351人、周辺を合わせても約1万人程度です。


湖北省の合計でも1万6678人、なぜ発表される感染者数がこんなに少ないのかは、現場からの証言が説明している。

武漢では最近2000人収容の仮設病院が建設されたが、従来からある病院と合わせても5000人に満たない。

1日に診察できる患者数は1月末の段階では2000人程度だった筈で、多くの来院者は門前払いされた。


市内にはまともな病院が4つしかなかったが、すべて断られた人もかなり居た。

新型ウイルスの検査キットが不足していて、仮に診察されても医師は検査できなかった。

入院できるのは重傷者のみとされ、90%以上の希望者が入院を拒否された。


このため一家全員が症状を訴えているのに放置されるなどし、感染者にカウントされていない。

中国政府にとっては「検査しなければ感染者ではない」という好都合な状況で、検査や治療をすると感染者数が増えてしまう。

幸い新型コロナウイルスの致死率は感染者の千人に1人程度で、しかも高齢者が大半なので亡くなっても別な病名に「付け替える」事が可能です。

治療しなければ「感染者」は増えないのでわざと放置している
治療したらその人は感染者になり、感染者数が増えて医療機関の落ち度になる

共産主義の論理「感染したと認めなければ感染者ではない」

このへ理屈は中国全土にも適用され、熱を訴えても病院で検査を受けられるのは希望者の1割未満しかいない。

病院の絶対数が不足しているのと、医療の未整備が主な原因で、病院で検査を受けなければ感染者にカウントされません。

中国政府にしてみれば放っておいた方が「感染者」が増えず、下手に検査したら10倍や100倍に増えかねない。

高齢者や深刻な持病持ちの人は、ウイルスに感染しなくても亡くなっていたかも知れず、死因は心不全とか適当に作れる。


中国はこうした偽装を行って感染者数を少なく見せるのに成功しているが、これが新型ウイルスの流行を招いた。

2020/2/6 10:57

投稿者:777


日本人も中国人もまともな人間は少ないし、まともな人間であっても一時的に異常な言動をする:

「徳島コロナ上陸しました」 新型肺炎、徳島市の医師が誤情報拡散 
2020/2/6 05:05 (JST)
©一般社団法人徳島新聞社

徳島県庁

 新型コロナウイルスによる肺炎の感染拡大に不安が高まる中、徳島県内で感染者が出たとの誤情報を徳島市の女性医師が会員制交流サイト(SNS)に投稿した。既に拡散されており、県は冷静な対応を呼び掛けている。

 医師は4日午後、フェイスブックに

「徳島コロナ上陸しました」
「犯人は中国人夫婦だそうで」
「ばらまかれてます」

などと書き込んだ。

 4日中に削除されたものの、投稿内容への不安や発信元に対する疑念の声がネット上に拡散。県立中央病院などの医療機関や県に問い合わせが相次いだ。

 県感染症・疾病対策室によると、感染疑い例を含め県内で感染者は確認されていない。

 阿南市の50代の自営業男性は「社会を混乱させたかったのだろうか。医療従事者の行為とは。考えられない」と憤った。投稿内容を知人に連絡したという女性は「もっと冷静に情報収集すればよかった」とした。

 医師の夫は謝罪した上で「妻は(難病の)潰瘍性大腸炎やインフルエンザを患っている。病気のせいでこんな行為に及んだのではないか」と話した。

2020/2/5 16:01 投稿者:777


中国はこういう事情なのでもう終息は無いでしょう:

現在中国では新型ウイルスで病院がパンク状態だが、実は以前からパンクしていた。

北京の病院では受付番号を「買う」だけで5400円必要で、それも転売屋が買い占めて8万円で売っている。

番号を買っても診察時間は3分以内で、医者にも賄賂を取られ、高額な薬を売りつけられています。

中国の医療保険制度は自治体ごとに分かれていて、職業別にも適用範囲が分かれています。

北京のように人口が多く発展している都市で、公務員をしているなら充実した医療を低価格で受ける事ができます。

ただし保険が適用される病院はほとんど存在せず、病院の受付は常に大渋滞が起きています。

一般人民が病院に受診するには、何週間も前から申し込んで順番待ちをする事になります。

しかも「受付番号」を貰う為に、まず何日も座り込んで順番を待つ状況で、数日泊り込んでやっと1ヵ月後の順番を貰えるのです。

だが診察時間は1分から3分という所で、話も聞かずに薬を出して終わりだったという。

医者はなるべく高額な薬を売って金儲けし、患者からも賄賂を受け取っています。

賄賂は病院のあらゆる場所で横行し、窓口の係が受け付け番号を出すのも、賄賂が多い順番です。

そもそも受け付け番号自体も、300元(約5,400円)で買わなければならないようです。

これが正規の料金なのかは分からないが、恐らく窓口係が患者全員から強制的に賄賂を取っているのでしょう。


中国人13億人の平均所得は80万円で、北京は高いがこの2倍程度なので、受付番号に5400円は法外です。

しかも日本で言う健康保険を適用されるのは公務員や大企業など上級市民だけで、貧しい人ほど医療費が高額負担です。


2020/2/5 11:18 投稿者:777

現時点で死者4500人程度だというのが定説ですけどね:

268【怒れるスリーメン】加藤×高橋×渡邉
https://www.youtube.com/watch?v=fyp_seC67rg
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c4

[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
5. 中川隆[-13959] koaQ7Jey 2020年2月07日 11:50:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-633]
2020/2/4 1:07 投稿者:777


厚労省

世界でデマが広がっていて、「青森県で感染者が出た」という内容のSNSが投稿されたが、実際は青森で感染者は出ていない。

また厚労省によると、ネット上に「入院中の重症者が抜け出して観光地でウイルスを撒き散らしている」などといった間違った情報が拡散された。

しかし、厚労省は正式に事実ではないと述べていて、「正しい情報に基づいて冷製に行動をしてほしい」と呼びかけている。

海外でも、1月29日にSNSに「中国でたくさんの人が死んでいる」とインドネシア語で投稿されたが、使われていた写真は2014年にドイツの「アートプレジェクト」で使われた写真だった。

今回のウイルスの特徴を紹介。国立感染症研究所によると、インフルエンザは感染者1人から約2人に感染し、致死率は0.1%以下。SARSの感染力は2人〜5人となり、致死率は約10%。新型コロナウイルスの感染力は、1.4人〜2.5人に感染し、致死率は約2%。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c5

[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
6. 中川隆[-13958] koaQ7Jey 2020年2月07日 12:13:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-632]
2020.02.07
国内で既に散発流行の可能性 新型コロナウイルス 進化中なのか
https://golden-tamatama.com/blog-entry-corona-virus-evolving.html


ヒャッハー!
さて、今日も元気に逝ってみよう。
死亡者635名になりますた。
昨日は564名だったのになぁ。感染者数は3万越え。
こりゃ1000人超えは時間の問題ですね。
日本は45人になりますたとさ。

内訳はこんな感じ。神奈川多いですね。
これはクルーズ船のためということでしょうか。

やめて欲しいな〜もう。
今日、新たに41名?

ってことは、昨日の45人+41人=86人。
いっきに増えますたね。
以下、日本感染症学会が既に国内で散発流行してる可能性があると言い始めました。
新型肺炎、既に国内で散発流行も
学会が見解「正しく恐れて」
2020/2/6 21:15 (JST)2/6 21:30 (JST)updated
日本感染症学会などは6日、新型コロナウイルスによる感染症について、政府が入国を禁止する前に中国湖北省武漢市から多くの人が日本に来たことを考えると「既に国内にウイルスが入り込み街の中で散発的な流行が起きていてもおかしくない」との見解をまとめた。
一方で、感染した人の経過を分析した結果「ウイルスの感染性や病原性はインフルエンザ相当か、やや強い程度と推察される」としている。
学会の舘田一博理事長は「新しい病原体なので油断は許されないが、パニックにならないよう、正しく恐れることが大切だ」と話した。
そう正しく恐れる。
またまた大げさな〜
今回も大したことないでしょ。
またいつものように収束するでしょう。
インフルの方が被害大きいでしょ。
そう思いたい気持ちも分かりますが。
それは完全に正常性バイアスです。
ワタスの大阪の知り合いからもこのような情報来てます。
その人の旦那さんが日本料理店で働いいる。
そこには中国人のアルバイトも何人かいる。
去年の年末にアルバイト達は中国帰国した。
昨日、旦那が帰宅したら真っ青な顔で熱を測ると42度だった。
インフルエンザか新型肺炎や〜
と大阪弁で心配しておりますた。
ワタスは地味に徐々に広がってるのでは?
と思ってます。
以下はシェアされて来た中国現地からの生の声のようですた。
コロナウイルスまとめ (2月6日現在)
こんにちは、ふーみんと申します。
中国で感染被害が拡大しているコロナウイルスについて、
少しでも現状や対策をお伝えできればと思います。
私の妻(中国人)の故郷が武漢から近く、ウイルスの被害拡大を大変心配しています。
妻の親戚からも感染者が出てしまい、
一緒に食卓を囲んでいた妻の両親、兄弟、親族は自宅から外出禁止になっています。
それに加えて、家族の住む場所や故郷が次々と封鎖されており、
街や自宅から一切身動きの取れない状況です。
助けようにも封鎖されていて双方手出しできない状況です。
中国政府の対応を見守って進捗を待つことしかできません。
ウイルス自体は致死力の高い恐ろしいものではないですが、
自覚症状がないまま感染が拡大していることが本当に怖いことだと思います。
症状が出ていない潜伏期間中にも他人に感染させている可能性が非常に高いです。
病院は患者でパンクしていて、治療を受けられない人も大勢います。
少しでも現状把握、予防のきっかけになれれば幸いです。
【 現状 】
・湖北省では街の封鎖が相次ぎ、人の出入りができない。
・必要以上の外出禁止。街に軍隊が入っていて勝手な外出は逮捕される。
・買物は2日に1回、家族で代表者1人のみ
・マスクを着用していないと入店禁止
・出社禁止にしている会社も多く、リモートワークで仕事をしている。
・感染の疑いがある人は報告の義務あり。感染を隠していると犯罪なので逮捕される。
・中国政府の備蓄倉庫から食料を供給し、食品価格の高騰を抑えている。
・感染者が死亡したら火葬するが、家族には事後報告。対応に追われている場合、国の対応が最優先のため火葬後に結果報告される。
・医者や病院のベッド不足による門前払いで、やむなく自宅の別室で隔離されている人もいる。
・欧米での差別問題。アジア人、マスクをしている人は避けられる。
・小中高の学校は春節休みの延長。大学はオンラインで授業開始予定。
・死者よりも完治人数が多いが、油断はできない。ウイルスが変異する可能性もある。
・潜伏期間中の人数が含まれておらず、実際の感染者は氷山の一角。無自覚のまま自分が感染源となって感染を拡大させる恐れがある。
・感染してから症状が現れるまでの期間は3〜14日。
・マスクが必要な家庭はネット予約、入手可能になった。
【 懸念 】
・拡散スピードが早い。
(春節前、中国本土中心の玄関口で発生。最悪の場所とタイミング)
・潜伏期間中にも感染するため、無自覚のまま感染が拡大している。
・自分が重症化しなくても、感染源となって周囲を巻き込む加害者になる恐れがある。
・中国人に次いで日本人の感染者が多い。
・ウイルスの変異
【 症状 】
発熱(37.5℃以上)
喉の痛み
咳や痰
胸部不快感
呼吸困難、息切れ
下痢
吐き気
頭痛
全身倦怠感
※症状がほとんどないケースもある。
【 重症化しやすい人 】
高齢者(60歳以上〜)
持病のある人
免疫力が低い人
【 予防 】
人混みに近付かない
不必要な外出を控える
接触感染に注意する(外出先で目や口に触れない)
手洗い
マスク
うがい
ゴーグル
使い捨て手袋
よく触れるものを消毒する
ペーパータオルを使う
免疫力アップさせる。温熱療法など。
運動、睡眠をしっかりとる
中国では病院、医者が不足していて、
治療が受けられない人も大勢います。
日本では感染の疑いがあっても検査対象者しか検査して貰えていません。
今この瞬間にも日本の感染者が水面下で増えている可能性が高いです。
本当に怖いのはこれからだと懸念しています。
危機感は人それぞれですが、予防できることはやった方が良いと思います。
自分が感染源となって人を死なせる恐れもあるからです。
自分の為だけでなく、人の為にも予防をすべきだと考えます。
現在、死者564人、治療できた方は1266人です。
このまま終息に向かうことを願いますが、
万全対策をし、油断せずに気をつけてください!
当事者になるとウイルスの恐ろしさと予防の必要性を強く感じます。
あとから手遅れにならないよう、自分と家族の身を守ってほしいです。
ありがとうございました。
※シェア拡散希望
症状がない人が拡散させてる可能性が高い。
だから日本で既に水面下で広がってると見てます。
ちなみに先日、タイのHIV治療薬で治る情報。

その後、これはタイのメディカルニュースの記事ですが。
ウイルスが進化しているんでは?との情報を載せてます。
最近!初期の抗ウイルス薬に耐性を示すコロナウイルスは進化しているようだ
出典:Thailand Medical News2020年2月5日

武漢総合病院、上海パスツール研究所、湖北省ウイルス学研究所の中国人医師や研究者は、コロナウイルスが進化し、毒性が強くなってきていると懸念している。
武漢総合病院の医師の観察によると、初期の患者では一旦症状が現れると、病気が潜伏期に進むまでに時間がかかり、そこで患者は重症肺炎とARDS(急性呼吸器疾患症候群)を発症し、続いて腎臓または多臓器不全を発症した。
しかし、最近では進歩が早くなってきているようで、それが現在、深刻な状態にある患者が多くなっている理由です。
また、流行の初期段階では、武漢総合病院の医師は、多数のHIV抗ウイルス薬、さらにはインフルエンザ抗ウイルス薬やその併用を用いた検査を行った後、オピナビルやリトナビルなどの抗ウイルス薬とネブライザーを用いたα-インターフェロンを併用する独自の治療プロトコルを開発し、その治療プロトコルは患者のほとんどに有効であった。
しかしながら、その後、同じ治療プロトコルはもはや機能していないようであり、多くの患者は耐性が生じた徴候を示しており、一部は悪化してコロナウイルスがこれらの薬剤に対する抗ウイルス耐性を発現し始めたことを示している。
上海パスツール研究所iの研究者らは、すでにさまざまな研究が、コロナウイルスが患者の体内で、また人から人へと感染しながら進化していることを示していると警告している。
症状を示さない患者がコロナウイルスを伝播できるという事実は、何か憂慮すべきことを示している。
典型的には、このような呼吸器系ウイルスは、通常、くしゃみや鼻をかむことによって鼻汁が放出されるときに、微小な飛沫が露出する咳を介して口から、または鼻から伝播される。
もし患者が何の症状も示さなければ、可能な唯一の手段は感染者の呼気を介することであり、これはウイルスが極めて強力な空中病原体であることを意味する。
また、武漢総合病院で現在行われているさまざまな新薬の臨床試験でも、良好な結果は得られていない。
これまで観察されてきたのは、若年で基礎的な問題がない患者のみであり、強い免疫システムが、感染者や死亡者と比較して少数ではあるが、回復しつつある患者である。
さらに現在では、基礎疾患のない若年患者の多くが、コロナウイルスに感染した後に重篤な状態に進行し、中には死亡する患者もいることがわかっている。
新たに報告された死亡例の中には、湖北省で基礎疾患を伴わずにコロナウイルスにより死亡した27歳という若年患者もすでにいる。
一方、米国の他の地域の専門家は、このコロナウイルスの本当の可能性が理解されるまでには、少なくともあと15日から一ヶ月はかかるだろうと述べている。
当初は致命的で強力なウイルスだったが、後には死滅し、解読の有力な候補となったSARSウイルスとは異なり、今回発見された非常にマイルドなコロナウイルスは、やや扱いにくく、解明が難しい。

まぁ、どうだか分かりませんが。
ワタスの見たところ今の時点では楽観論に流されない方が良い。

https://golden-tamatama.com/blog-entry-corona-virus-evolving.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c6

[番外地7] 正論・チャンネル桜関係者の嘘 _ 従軍慰安婦は売春婦だった 中川隆
3. 中川隆[-13957] koaQ7Jey 2020年2月07日 14:10:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-631]
正論・チャンネル桜関係者の嘘 _ 従軍慰安婦は売春婦だった
日本軍の慰安婦は13, 14歳から仕事をさせられていた
一方、売春婦は18歳以上でないと認可が下りない
従って、慰安婦は売春婦ではない 未成年の少女に売春させたら、たとえ本人が承諾していても担当者は死刑相当の重罪だからね チャンネル桜や文春・産経関係者が慰安婦・南京大虐殺に関するデマを流し続けているので、純真な人は そういうのを安易に信じてしまうんだな : 1925年に当時の日本政府が批准した『婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約』では21歳未満を児童つまり子どもと規定している。 日本政府は本条約の植民地への適応を行わなかった*2が、chousen における公娼制の下限は満17歳であり、上図で16歳以下に限ってみたとしても16歳以下の元「慰安婦」は89名、全体の51.5%に及ぶ。
この傾向は、kankoku を含めたアジア各国の元「慰安婦」でもみてとれる。以前のエントリで『DAYS JAPAN』2007年6月号の『特集「慰安婦」100人の証言』という記事を基に描いたグラフがあるのでそれを再掲する。 http://f.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20090728170811
http://f.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20080628173338
「年端もいかない子供たち」が「強姦」され、「売春」を強要され、日本軍の「性奴隷」を強要されたのだ。 安倍元首相の言うところの「狭義の強制性」の有無など全く重要ではない。 「慰安婦」と言う言葉自体が実態を表していないのだ。 要するに子供を騙して連れて来て、日本軍の建物に監禁してみんなでレイプしまくっただけ
▲△▽▼
朝日新聞の慰安婦強制連行報道はすべて本当だった従軍慰安婦強制連行 _ 吉田清治の話はやっぱり事実だった
経済ジャーナリスト・今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」
http://masato555.justhpbs.jp/newpage113.html
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/419.html#c3
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
13. 中川隆[-13956] koaQ7Jey 2020年2月07日 14:54:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-630]



カール・シューリヒト



Schubert: Symphony No.8 in B minor, D.759 - "Unfinished" Schuricht Wiener Philharmoniker





____






Wiener Philharmoniker
Carl Schuricht

カール・シューリヒト指揮ウイーン・フィル(1956年録音/IMG盤) 

この演奏はシューリヒトのファンにも滅多に取り上げられませんが、僕は素晴らしい演奏だと思っています。速いテンポで飄々と進み、フォルテもアタックも弱く軽く流しています。まるで霞のような印象なのですが、それが何とも儚さを感じさせます。2楽章も淡々として浮世離れした雰囲気ですが、儚さや寂寥感を他のどの演奏よりも感じてしまいます。

コメント
私がクラシック音楽を聴きはじめた頃(35年以上前・・・笑)は 交響曲第8番「未完成」でしたが・・・。やはり名曲です。儚く、ほの暗く、なにより美しい! そんなこの曲が大好きです。

CDは ウィーン・フィルや、SKドレスデンのような 弦の美しいオケで聴きたいですね。私が持っているのは シューリヒト盤、ワルター/ウィーン(EMI)盤、ニューヨーク盤、クリップス盤、ブロムシュテット盤、ヴァントの日本ライブ盤です。

どれも素晴らしいですが、やはり シューリヒトが一番、儚く、美しいと思います。
投稿: ヨシツグカ | 2012年7月 7日 (土) 12時54分


弦の美しいオケで行きたい・・・全く同感です。
それにしてもシューリヒト盤がお好きでしたか!
本当に儚い夢か幻を見ているかのように美しい演奏ですよね。
投稿: ハルくん | 2012年7月 7日 (土) 13時39分


シューベルトのこの未完成交響曲は、母親が私の為に買ってくれた初めてのレコードでした。

後日解説文を読み返してみると、何と!シューリヒト指揮ウィーンフィルの演奏だったのですよ!そして、解説文を書かれたのは、ハルくんさんご存知の宇野功芳先生!(笑)運命的なクラシック入門盤だったのですね!

さて、演奏の方は〜、淡々としてオケの盛り上がりも、いまひとつ物足りなさを感じて、当初はあまり印象に残らなかったのですが、聞き込むにつれて〜、弦楽器の深くそして微妙な美しさ、絶妙にブレンドされた木管金管楽器の意味深い響きに次第に魅了され、これほど浮世離れした?この世のものとは思われない儚く神秘的な音楽の虜となって、クラシック音楽ひいては〜シューベルトの音楽に開眼したのでした!

丁度あのベームが来日公演した際の’77年ライヴを聞いて、大いに感動・感銘〜これこそ!シューリヒト&ウィーンフィルの名盤に匹敵するぞ!と欣喜雀躍したものでしたよねぇ〜。

この二つの名演に接すると〜、ジュリーニ&シカゴ響の演奏は、いかにも大味で金管楽器が強すぎ人工的な印象が否めず、最近のピリオド奏法による演奏は〜、どうもテンポが早急に過ぎて情緒もへったくれもありません。むしろ、ティーレマンに期待が持てるのかな?
投稿: kazuma | 2014年8月15日 (金) 08時31分
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/d759-2979.html

カール・シューリヒト指揮ウィーン・フィル
DECCA。1956年6月3〜6日、ゾフィエンザールでの録音。
シューリヒトらしい枯淡の境地。
10:36,11:59。

DECCAの名プロデューサー、ジョン・カルショウがウィーンで手がけた最初のレコーディングであり、かつシューリヒトがDECCAに残した最後の録音である。
カルショウの著書「レコードはまっすぐに」の第16章冒頭に、この時のエピソードが書かれている。

彼(シューリヒト)とは何年か前にパリで仕事をしたことがあったが、ウィーンではもう老衰していて、シューベルトの「未完成」交響曲の第1楽章を、すべてテンポの異なる11の解釈で演奏した。オーケストラがうんざりしたのは当然のことで、理事会は私に文句を言うだけでなく、チューリヒとロンドンに電報を打って、指揮者を充分に管理できない私が悪いのだと訴えた。この「未完成」をどうにか終えると...

 うーむ、これはヒドい書き方だ。カルショウはこれより前の部分で、一時出向していたアメリカのレコード会社キャピトルが「大演奏家にも不調の時があり、それから復活して輝かしい黄昏を迎えることを理解できない」ことに困っていた、と書いている。そこでは、キャピトルがクレンペラーを「サンフランシスコで成功を収められなかった」という理由で拒絶したが、その後クレンペラーがEMIで大成功を収めたことまで指摘しているほどである。

しかし、ここでのシューリヒトに関する文章のあとには、彼もまたこのあとEMIにすぐれた録音をしていることを記していない。それは片手落ちというべきだろう。
(→シューリヒトのEMIでの初仕事はベートーヴェンの交響曲である。)
http://classic.music.coocan.jp/sym/beethoven/beethoven-m.htm

http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-s.htm


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Schubert: Symphony No. 8(9) `The Great`, Schuricht & SGRso (1960)


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Carl Adolph Schuricht (1880-1967), Conductor
South German Radio Symphony Orchestra (Stuttgart Radio Symphony Orchestra)

Rec. September 1960, in Stuttgart

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c13
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
14. 中川隆[-13955] koaQ7Jey 2020年2月07日 15:23:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-629]

オットー・クレンペラー

chubert: Symphony No. 8 "Unfinished" [Klemperer] Philharmonia Orchestra




Philharmonia Orchestra conducted by Otto Klemperer
Recorded: 4 & 6.II.1963, Kingsway Hall, London

オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア
EMI。1963年録音。
13:35,11:31。
クレンペラー・レガシー・シリーズでART処理された輸入盤で「グレイト」とカップリング。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-s.htm


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Schubert - Symphony n°8 "Unfinished" - Bayerischen Rundfunks / Klemperer





Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
Otto Klemperer
Live recording, Munich, 1.IV.1966

オットー・クレンペラー指揮バイエルン放送交響楽団
EMI。1966年4月1日、ヘルクレスザールでのライヴ。
14:25,11:23。
ART処理で正規発売。「スコットランド」とのカップリング。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-s.htm

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Otto Klemperer: Broadcast 21-03-1967: Bruckner No.5 & Schubert No.8


• Bruckner: Symphony No.5
• Schubert: Symphony No.8 D.759 ‘Unfinished’

New Philharmonia Orchestra Live @ Royal Festival Hall, London
21-03-1967

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Otto Klemperer Schubert - Symphony No.8 "Unvollendete" (1968) VPO


Otto Klemperer
Vienna Philharmonic Orchestra
June 16, 1968

オットー・クレンペラー指揮ウィーン・フィル
DGのVPO150周年記念CD(写真左)。
1968年6月16日、ムジークフェライン、ライヴ。
15:33,12:41。

最後の音が鳴り止んだ直後クレンペラー自身の「Schön」という声が聞こえる。
2005年夏、TESTAMENTから68年ウィーン音楽週間ライヴ8枚組SBT8 1365で再発売された(写真右)。
Paul Bailyによるリマスターで音質はより生々しくなっている。しかし、何とこの「Schön」という声が編集で消されている(怒)!
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-s.htm



オットー・クレンペラー指揮ウイーン・フィル(1968年録音/テスタメント盤)
 ウイーン芸術週間ライブBOXの中に収められています。

いくらか遅めのインテンポで淡々と進みます。俗世に背を向けたような趣は良いのですが、それにしては今一つ心を動かされません。

録音もウイーン・フィルの美しい音が充分に再現されているとも思えません。
ですので自分にとっては「普通に良い演奏」どまりです。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/d759-2979.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c14
[リバイバル3] 中川隆 _ アジア関係投稿リンク 中川隆
101. 2020年2月07日 16:39:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-628]
徳川時代の日本の経済力はアメリカより大きかったし、清国は当時の超大国イギリスより大きかった。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/893.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/465.html#c101
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
15. 中川隆[-13954] koaQ7Jey 2020年2月07日 17:29:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-627]

カール・ベーム

Schubert - Symphony n°8 "Unfinished" - Vienna / Böhm 1940


Wiener Philharmoniker
Karl Böhm
Studio recording, Vienna, 1940

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Karl Bohm Schubert - Symphony No.8 (1954) WPO


Karl Böhm
Wiener Philharmoniker
1954, Musikverein Grosser saal

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Schubert - Symphony n°8 "Unfinished" - Berlin / Böhm 1966


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Berliner Philharmoniker
Karl Böhm
Studio recording, Berlin, II & III.1966

カール・ベーム指揮ベルリン・フィル
DG。OIBP化国内盤。1966年録音。
11:31,11:29。
1973年度レコード・アカデミー賞の全集からの1枚である。「グレイト」とカップリング。
古典的・模範的・ドイツ的....な名演である。ベルリン・フィルの音色がまた素晴らしい。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-s.htm


カール・ベーム指揮ベルリン・フィル(1966年録音/グラモフォン盤) 

ベーム壮年期の記念碑的な交響曲全集に含まれます。
ウイーン風ではない、純ドイツ風の演奏ですが、当時のベルリン・フィルの暗く厚い響きがシューベルトの仄暗い抒情性に適していてとても魅力的です。
金管が目立つことも無く、常に弦と木管との絶妙なブレンドを
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/d759-2979.html


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KARL BÖHM DIRIGIERT SCHUBERT - DIE UNVOLLENDETE


Wiener Philharmoniker
Karl Böhm, Leitung

カール・ベーム指揮ウィーン・フィル
NHK。DVD。1975年3月18日、NHKホールでのライヴ。
同日の演奏では「マイスタージンガー前奏曲」が収録されている。画質は良くない。音はFM放送のものを使用している。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-s.htm

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Schubert Symphony No.8 "Unfinished" (Karl Böhm Wiener Philharmoniker 1977)





Karl Böhm
Wiener Philharmoniker
REC: 1977

カール・ベーム指揮ウィーン・フィル
DG。12:47,12:06。1977年6月、オーストリア・ホーエンエムスでのシューベルト音楽祭(シューベルティアーデ)におけるライヴ録音。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-s.htm


カール・ベーム指揮ウイーン・フィル(1977年録音/グラモフォン盤) 

オーストリアのホーエンエムスで行われたシューベルト音楽祭でのライブ録音です。
かなり遅いテンポで、力んだところの全く見られない枯淡の境地とも言える演奏です。フォルテでも管楽器が弦と完全に溶け合っていますので、外面的な迫力は有りません。そこが素晴らしいのです。それにしても、このしみじみとした味わいはどうでしょう。黄泉の国へと誘われるかのような雰囲気は極めてユニークですが、これこそがこの曲の本質なのではないかと思えるほどです。

このコンビの日本公演も美しい演奏でしたが、録音の良さも相まって、このウイーンでのライブが更に上を行くと思います。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/d759-2979.html


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Symphony No. 8 in B Minor, D. 759 "Unfinished" Karl Böhm's Dresden Farewell Concert in 1979 (Live)





Karl Böhm's Dresden Farewell Concert in 1979 (Live)
Conductor: Karl Böhm
Orchestra: Staatskapelle Dresden

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c15
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
16. 中川隆[-13953] koaQ7Jey 2020年2月07日 17:47:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-626]

カルロス・クライバー

Schubert - Symphony No 8 "Unfinished" - Kleiber, VPO (1978)





Vienna Philharmonic Orchestra conducted by Carlos Kleiber
Studio recording, Grosser Saal, Musikverein, Wien, Austria, September 1978


カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィル
DG。OIBP化輸入盤(写真左端)。1978年録音。
13:56,10:42。

自筆譜にあたった形跡が見られる(ディミヌエンド→アクセント)。
速いテンポの中で、微に入り細にわたって表現をつけている、ずいぶん「忙しい」演奏である。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schubert/schubert8-s.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c16
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
17. 中川隆[-13952] koaQ7Jey 2020年2月07日 18:03:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-625]
2012年7月 7日
シューベルト 交響曲第7(8)番ロ短調D.759「未完成」 名盤: ハルくんの音楽日記 
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/d759-2979.html


「未完成交響楽」(1933年 ドイツ=オーストリア作品)



昔、クラシック音楽を聴き始めた頃には、いわゆる「三大交響曲」と言えば、「運命」「未完成」「新世界より」でした。この他にも一般によく知られた交響曲は幾つも有りましたが、こと「三大」と呼べば、やはりこの御三家だったような気がします。それにしても完成していない曲が堂々と入るのですから大したものですね。


子供の頃に、テレビでよく古い名作映画を放送していました。音楽家ものも案外と多かったです。それらの中で特に記憶に残っているのが「未完成交響楽」という映画です。大人になって、懐かしさからDVDで購入しましたが、1933年の作品でした。

随分と古い映画だったわけです。話の内容はシューベルトがハンガリー貴族の令嬢と恋に落ちるが、実らずに終わってしまう悲恋映画です。事実を幾らかモチーフにしている面も有りますが、基本的には完全なフィクションなので、間違ってもシューベルトの歴史物語とは言えません。にもかかわらず、モノクロの映像と音の悪い背景音楽が不思議と郷愁を誘います。仮に子供のころに観ていなくても、この映画にはそのような雰囲気が一杯です。

それにしても、この映画で演奏をしているウイーン・フィルの当時の音の甘さと柔らかさは、ちょっと浮世離れをしています。

未完成のままに終わってしまった音楽作品というのは、歴史上に数えられないほど存在するでしょうが、最も有名な作品は、やはりシューベルトのこの曲です。通常の4楽章形式の前半しか書かれていないのに、これほどに名曲の扱いを受けているのは驚異です。それもこれも、とてもこの世のものとは思えないような音楽の美しさからでしょう。

シューベルトが何故この交響曲を第3楽章スケルツォの冒頭のスケッチでペンを置いてしまったのかは不明です。あの美しい2楽章に続くのに相応しいスケルツォ楽章がどうしても書けなかったのは、何となく分るような気もします。しかし、もしも後半の3、4楽章が完成していたら、「グレート」にも匹敵する長大な作品になったことでしょう。但し、引き替えに「未完成」という有名なタイトルを失うことにはなりますが。

僕はもちろんこの曲は大好きです。けれどもこの曲の魅力は演奏に極端に左右されるように思います。気に入った演奏で聴くと大変な名曲に感じますが、もしも気に入らない演奏で聴くと、退屈極まりない曲に感じてしまいます。それでは、それを左右するのは何かということですが、ごく簡単に言えば、「この世のものと思えないような音」を聴かせてくれれば好き、逆に音が単なる楽器の音に聞えてしまう場合は嫌い、ということです。たとえば第1楽章のフォルテで金管が強奏したりすると、すぐに耳が拒絶反応を起こしてしまいます。弦と管がしっかりと柔らかく溶け合った音を出してくれないと駄目なのです。そこに古き良きウイーンの情緒が加われば最高ですね。第2楽章の神秘的な美しさもブルックナーやシベリウスの世界に匹敵します。古典派と浪漫派の境界の時代にこんな音楽を書いたとは全くもって驚きです。

では、そういう基準で愛聴盤をご紹介してみます。


ブルーノ・ワルター指揮ウイーン・フィル(1936年録音/EMI盤) 




SP盤からの復刻ですので、当然音質は古めかしいのですが、あの「未完成交響楽」で聴いた懐かしい雰囲気をそのままに味うことが出来ます。ウイーンで生まれてウイーンで死んだシューベルトの音楽を演奏するウイーン・フィルの夢見るように甘く柔らかい音は何物にも代えられません。その音は戦後のウイーン・フィルをもってしても、もはや出すことは出来ないのです。参考ですが、オーパス蔵の復刻盤よりも東芝GR盤のほうが好みの音でした。


ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウイーン・フィル(1950年録音/EMI盤) 

フルトヴェングラーの「未完成」は演奏が物々し過ぎるので余り好みではありません。但し、ウイーン・フィルとの演奏はベルリン・フィルほどの激しさは有りませんし、弦楽器中心の響きですので好ましく思います。音の柔らかさは戦前のワルターほどではありませんが良く感じられます。年代を考えるともう少し録音が良くてもよいと思いますが、逆にレトロさが出ていることでもあり、良しとしておきます。

ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル(1953年録音/audite盤) このベルリンでのライブ演奏はRIASボックスで持っているものです。個人的にはフルトヴェングラーが「未完成」で聞かせる強烈なフォルテやアタックはこの曲には余計だと思っています。フレージングもくどすぎて、ウイーンの洒落っ気が全く感じられません。このボックスには1948年の演奏も収録されていますが、印象は同じです。録音が良い分、こちらを取るべきです。


カール・シューリヒト指揮ウイーン・フィル(1956年録音/IMG盤) 






DECCA音源ですが、僕はIMG盤で所有しています。この演奏はシューリヒトのファンにも滅多に取り上げられませんが、僕は素晴らしい演奏だと思っています。速いテンポで飄々と進み、フォルテもアタックも弱く軽く流しています。まるで霞のような印象なのですが、それが何とも儚さを感じさせます。2楽章も淡々として浮世離れした雰囲気ですが、儚さや寂寥感を他のどの演奏よりも感じてしまいます。

ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィル(1958年録音/CBS盤) 




ワルターの代表盤の一つです。これがアメリカの楽団の音だとは信じられないほどに柔らかく美しい響きを醸し出しています。ロマンティックな雰囲気も最高です。ウイーン・フィル以外のオケとこれほど美しい演奏が可能なのはワルターだけでしょう。ウイーン・フィルを超えるかと聞かれれば、そうとは言えませんが、これはステレオ録音ですし、不滅の価値を持っていると思います。



ブルーノ・ワルター指揮ウイーン・フィル(1960年録音/Music&Arts) 

マーラー生誕100年記念コンサートにワルターが招かれて指揮した時の演奏です。メインのマーラー4番の前に演奏されました。このコンサートはワルターとウイーンフィルの最後のコンサートです。マイクが近いので、楽器の分離が明確で、室内楽的なアンサンブルを楽しめます。時にバランスのおかしな箇所も見受けられますが、録音も悪くありません。歴史的なコンサートということを抜きにしても、素晴らしく味わいのある演奏です。



イシュトヴァン・ケルテス指揮ウイーン・フィル(1963年録音/DECCA盤) 

若くして亡くなる前に極めて評価の高かったケルテスでしたが、この「未完成」はいただけません。ウイーン・フィルを締め上げてダイナミックスの大きな演奏をさせているところは同郷のショルティさながらです。フォルテの音は硬く威圧的に感じられ、トロンボーンの強奏は耳をつんざき騒々しいです。弱音部ではウイーン・フィルの美しい音が聴けるのですが、前述の欠点が音楽全体を台無しにしていて残念です。


カール・ベーム指揮ベルリン・フィル(1966年録音/グラモフォン盤)

 

ベーム壮年期の記念碑的な交響曲全集に含まれます。ウイーン風ではない、純ドイツ風の演奏ですが、当時のベルリン・フィルの暗く厚い響きがシューベルトの仄暗い抒情性に適していてとても魅力的です。金管が目立つことも無く、常に弦と木管との絶妙なブレンドを響かせています。この曲の場合は余り立派な造形性はマイナスに思えますが、ベームはそれを少しも感じさせません。個人的には同じベルリン・フィルでは「グレート」以上の名演だと思っています。



オットー・クレンペラー指揮ウイーン・フィル(1968年録音/テスタメント盤) 

ウイーン芸術週間ライブBOXの中に収められています。いくらか遅めのインテンポで淡々と進みます。俗世に背を向けたような趣は良いのですが、それにしては今一つ心を動かされません。録音もウイーン・フィルの美しい音が充分に再現されているとも思えません。ですので自分にとっては「普通に良い演奏」どまりです。



カール・ベーム指揮ウイーン・フィル(1977年録音/グラモフォン盤)
 


オーストリアのホーエンエムスで行われたシューベルト音楽祭でのライブ録音です。かなり遅いテンポで、力んだところの全く見られない枯淡の境地とも言える演奏です。フォルテでも管楽器が弦と完全に溶け合っていますので、外面的な迫力は有りません。そこが素晴らしいのです。それにしても、このしみじみとした味わいはどうでしょう。黄泉の国へと誘われるかのような雰囲気は極めてユニークですが、これこそがこの曲の本質なのではないかと思えるほどです。このコンビの日本公演も美しい演奏でしたが、録音の良さも相まって、このウイーンでのライブが更に上を行くと思います。


ギュンター・ヴァント指揮ミュンヘン・フィル(2000年録音/Profile盤) 

ブルックナーを得意とするヴァントの音造りはこの曲にも適していると思います。管弦楽的な音よりも自然音に近い音が望ましいからです。1楽章はウイーン風の甘い情緒こそ有りませんが、繊細なフレージングと美しい響きが素晴らしいです。贅沢を言えば、金管の響きがもう一つ抑えられていれば更に満足できますが、凡百の指揮者よりはよほど優れています。2楽章はゾクゾクするほど瑞々しい美しさに包まれていて、現実離れした世界に我々を誘います。


ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送響(2000年録音/RCA盤) 

東京初台のオペラシティでのライブ録音です。メインのブルックナー9番の前に演奏されました。僕は、このコンサートに行ったのですが、仕事で遅刻してしまい「未完成」は聴き逃しました。同じ年の演奏なので、ミュンヘン盤と基本的解釈は変わりません。暗い北ドイツと明るめのミュンヘンとのオケの音色の違いが有るだけです。優劣は付けがたいですが、今回聴き比べた限りではミュンヘン盤のほうが良いような気がしました。


この他に、記憶に残るのはまずムラヴィンスキー/レニングラードPOです。
2楽章の途中で通常フォルテで演奏する部分を逆にぐっと音量を抑えて、まるで地獄の淵を覗かせるような緊張感を感じさせました。しかしシューベルトとしてはエクセントリックに思うので好みません。


ケルテス/ウイーンPOも定評有りますが、情緒に溺れない指揮ぶりがやはり好みでは有りません。

Cクライバーも同じように好みでは有りません。

カラヤン/BPOは最初のDG盤をLP時代に聴きましたが、曲の良さを全く感じませんでした。

ジュリーニ/シカゴ響なんてのも有りましたが、オケの迫力ある音が曲に不釣り合いでした。


ということで、この曲の自分の好みは余り一般的では無いかと思います。

最も好きなのがワルター/ウイーン・フィルの1936年盤。

2番目がベーム/ウイーン・フィルの1977年ライブ盤。

3番目がシューリヒト/ウイーン・フィルの1956年盤。

以上となります。恐らくは皆さんの好みと、だいぶ異ってしまうのではないでしょうか。

http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/d759-2979.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c17
[近代史3] シューベルト 『未完成交響曲』 中川隆
18. 中川隆[-13951] koaQ7Jey 2020年2月07日 18:13:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-624]

クラシック音楽 一口感想メモ
フランツ・ペーター・シューベルト( Franz Peter Schubert 1797 - 1828)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/シューベルト

シューベルトは作品の完成度が高まってきた矢先にたった31歳で亡くなってしまった。

曲が長くて冗長さのある場合が多いこと、また同じ曲の中で楽章により出来不出来が激しいために、とっつきにくいところがある。

同年齢比較ではモーツァルトとベートーヴェンに匹敵するような大作曲家ではあると思うが、この2人と比較してしまうとややマニアックな扱いの作曲家である。
若い時にも傑作はあるが、30歳を過ぎてからの最晩年の傑作群はハズレなしの史上最高峰の作品ばかりであり、せめてあと数年長く生きてくれたらと残念に思わざるを得ない。

ロマン派に分類されているが、曲の構成はかっちりしており、ベートーヴェンと同時代であることから、聴き方としては古典派に近いと思う。

交響曲

交響曲第1番 ニ長調 1813 D82
2.5点

どの楽章も主題の部分は古典派音楽としてかなり魅力的で才能を感じるのに、そこからの発展がかなり単純なことしかできておらず、音楽が進むにつれて残念なことになる。

交響曲第2番 変ロ長調 1814-15 D125
2.5点

形式も内容も1番より上かもしれないが、ただの18世紀古典派からベートーベン的な世界に脱出を計り始めている代償か、旋律や音楽の魅力は少し落ちてる気がする。

交響曲第3番 ニ長調 1815 D200
2.0点

作曲技術は上がっているのが分かる。しかし、快活で聞きにくくはないものの、音楽的な内容は薄く、心に響かない。

交響曲第4番 ハ短調『悲劇的』 1816 D417
2.0点

成長してがっちりした風格が出てきたのの、冗長な感も強くなっていて残念。短調の曲としてベートーベンやモーツァルトよりはるかに劣る。

交響曲第5番 変ロ長調 1816 D485
2.5点

後半が少しモーツァルトやハイドンを思い出させる。2人の若い時期の作品レベルに近く、たいした作品ではない。最終楽章が少し魅力あり。

交響曲第6番 ハ長調 1817-18 D589
2.5点

ハ長調らしい堂々とした曲調。アンダンテは美しい。他の楽章は悪くないのに聞いた後に記憶に残らない。

交響曲第7番 ロ短調『未完成』 D759
5.5点

シューベルトの器楽曲の入門には間違いなくオススメ。1楽章のスマートな美しさ、歌心にあふれたフレーズ、2楽章の天国的な美しさ、絶妙なメロディーや転調といい、端的なシューベルトが楽しめる。未完成なので曲の長さがちょうどいい。完成していたら長くて聞くのが大変だったろう。


交響曲第8番 ハ長調『ザ・グレート』 1825-26 D944
3.0点

高く評価する人も多い曲だが、自分には若いときの交響曲よりははるかに充実していて、旋律の魅力はそれなりにある者の、長さに見合った内容や未完成交響曲のように魅力にあふれた曲とは思えない。

大作曲家の名交響曲群と同列とするのは過大評価だろう。
他の多くのシューベルトの曲は好きだが、この曲は苦手である。

協奏曲

ヴァイオリンと管弦楽のための小協奏曲 ニ長調 1816 D345
2.8点

ヴァイオリン協奏曲として華やかに書けていてなかなか優秀である。モーツァルト等の強い影響を感じる。しかし、それ以上のものは感じない。


ヴァイオリンと弦楽のためのロンド イ長調 1816
3.0点

爽やかな古典派音楽で、あまりシューベルトらしさが感じられない。独奏ヴァイオリンが大半の場面でずっと表で出ずっぱりである。音楽的な内容は割と大人っぽいため、本格的な曲だと感じられる。

ヴァイオリンと管弦楽のためのポロネーズ 変ロ長調 1817 D580
2.0点

優雅で心地よいがそれだけである。独奏とオケの絡みはいまいちであり、音楽はモーツァルト以前のような素朴さである。


弦楽四重奏曲

弦楽四重奏曲第1番 ハ短調/変ロ長調 1811 D18
3.3点

伴奏は初期らしいシンプルさではあるが、バランスがよいため悪くない。少なくともつまらなさは全然感じない。そして、旋律にシューベルトらしいしなやかな旋律の良さがあり、単なる古典的な均整の取れたムード音楽でなく、どの楽章も聴き応えが十分にある。期待していなかっただけに、出来の良さに驚いた。

弦楽四重奏曲第2番 ハ長調 1812 D32
3.3点

1楽章は運動的な曲で工夫の意志を感じるが、成功とは思えない。2楽章は泣きのシューベルト節を全面に出した歌曲のような曲で、印象的で素晴らしい。3楽章は割と良い。4楽章はシューベルトの通例のように、頑張ってはいるがパンチが弱い。

弦楽四重奏曲第3番 変ロ長調 1813 D36
3.5点

1番2番よりずっと巨大な曲。ベートーヴェン的な構築性と強靭で壮健な力強さを全面に出した曲。巨匠的な響きに満ちており、非常に頑張っている。そして、その努力はほぼ完全に成功していると思う。若さゆえの複雑さの不足はあり、名曲の域には達することが出来ていないにせよ、この巨匠性は天才しか出せないものであり、見事な作品である。

弦楽四重奏曲第4番 ハ短調 1813 D46
3.3点

音に緊密な緊張感があり、高貴さがあるという巨匠性は3番同様に現れている。しかし、短調の響き方の問題からか、伴奏の単純さなどの若書きの欠点がやや気になってしまった。最終楽章がうまく高揚感を持たせられており、優れているのは良いところ。

弦楽四重奏曲第5番 変ロ長調 1813 D68
3.3点

1楽章は跳ねるようなリズムに極端に支配された曲であり珍しい。実験的と言ってよいほどである。2楽章はいきなり終楽章であり、極端ではないもののやはりリズムが重要である。シューベルトにしては高揚感に優れた2楽章がなかなか良いため、聴後感がよい。

弦楽四重奏曲第6番 ニ長調 1813 D74
3.5点

柔らかい歌謡性が主要な雰囲気を作っている曲。歌謡的な才能の豊かさには舌を巻く。ものすごい名作というにはまだ素朴すぎる感じはするものの、かなり素敵な曲として聞き入ってしまう。魅力の点では後年の作品に匹敵するかもしれない。素朴だが素直に自分の強みを活かしている。

弦楽四重奏曲第7番 ニ長調 1811 D94
3.5点

2楽章がとても美しいメロディー。これだけでも聴く価値がある。その他にも、冒頭でいきなり短調になるなど工夫が感じられる1楽章はなかなか面白いし、3楽章や.4楽章は普通の曲であるが、曲全体の価値を落とさない程度にはよく出来ている。ビアノよりも弦楽の方にシューベルトの適性があると感じさせられる。

弦楽四重奏断章 ハ短調 1814 未完 D103
3.5点

ハ短調の荘重で本格的で悲劇的な曲として、予想外の出来で驚いた。かなりの聴き応えであり、こういう曲も若い時から書けたのかと驚いた。音の密度はいまいちだが音感がよい。

弦楽四重奏曲第8番 変ロ長調 1814 Op.168 D112
3.3点

同じ時期の曲と比較して、かなり複雑で大人びた曲である。優美であるが古典的すぎる作風からの脱却を計っているように思える。その過渡的な作品であるがゆえに、魅力でいえば一歩引いたものになっているというのが率直な感想である。頑張っている感が出てしまっているし、複雑でよくわからない。曲がすんなり理解できない。ベートーヴェンの影響かなと思う箇所はある。とはいえ、天才的な作曲センスは相変わらず楽しめる。

弦楽四重奏曲第9番 ト短調 1815 D173
3.5点

1楽章は、真剣な短調曲であり、まだ内容の緊密さはないにしても、そこそこの満足は得られる。2楽章は短調の曲らしい、愛おしさにあふれた緩徐楽章であり、シンプルではあるがロマンチックであり、あのモーツァルトの短調の曲にかなり近い世界を構築できていると思う。3楽章や4楽章も簡素な書法ながら心に迫るものがあり十分に全体のバランスを取った曲になっている。

弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調 1813 D87
3.3点

優雅な曲から大人の曲に脱皮しようと背伸びしているのが、いかにも伝わってくる曲。ぎこなちさを感じてしまう。ベートーヴェン的な立派な堅さを少し帯びている。時にモーツァルト的な優美なセンスも見せている。やはり発展途上を楽しむ曲と思った方がよいと思う。

弦楽四重奏曲第11番 ホ長調 1816 D353
3.5点

まだ19世紀に書かれただけあって、古典的な均整が非常にしっかりと取れている作品である。20分とシューベルトにしては短くて、全ての楽章において緩みがない。個性が強くみられるわけではないが、ハイドンやモーツァルトにも匹敵するような古典派弦楽四重奏に聞こえた。古典的な完成度が高く、書法は密度が高くなっている。音に自分らしさを確立してきた自信を感じる。

弦楽四重奏曲第12番 ハ短調『四重奏断章』 1820 D703
3.5点

順番に聞くと、急に立派な作品になって驚く。ベートーヴェンにもひけを取らなと言ってもいいくらいに、重厚で規模が大きく、力の篭った力作である。強く訴える力を音楽に与えているのが印象的だ。場面のコントラストが強く、少し聞き疲れする感じもある。管弦楽的な響きの充実がある。後期の偉大さを見せた作品の一つであり、未完成なのが残念だ。

弦楽四重奏曲第13番 イ短調『ロザムンデ』 1824 D804
3.8点

音の濃密さ、ロマンチックな情緒と陰影の深さ、音のなめらかなつなぎなど、前作までとは大きく異なり、別の作曲家かと思うほどの成長を見せている。
このようなメロディーを楽しませる正統派の弦楽四重奏曲は少ないため、重宝されているのはよくわかる。弦楽四重奏曲への作曲者の個性の適性の良さは相変わらずである。メロディーと音と情緒の濃密さに心を委ねて聴くとあっという間に時間が過ぎていく。聴き方がベートーヴェン以前とは全然違う曲である。

弦楽四重奏曲第14番 ニ短調『死と乙女』 1824 D810
3.8点

全部の楽章が短調であり、全体としてはかなり暗澹とした気分にさせられる曲である。もちろん部分では多くの救いがあり、美しさにはっとする場面は多い。1楽章は特に立派であり、多くの素材を使っており幅広い世界を表現しており、交響的な充実感がある。13番で主役だったシューベルトらしい甘いロマンはここでは脇役であるベートーヴェン的な厳しさをもうすこしロマン派に近い情緒表現で使っているイメージだ。もちろんシューベルトらしい柔らかさと歌謡性は残っており、むしろこの曲独自のそのバランスが魅力になっている。個別部分の表現の濃厚さはすごい。2楽章の変奏曲の魅力は特に心惹かれる。

弦楽四重奏曲第15番 ト長調 1826 D887
3.8点

急な転調などで陰影を与えて心を撃つことで晩年のシューベルトらしい感動を与える。しかし多用されるトレモロが煽る不安定さは心にせまる。しかしたまにみせる管弦楽的な響きについては、効果的かというと個人的には疑問符がつく。副題付きの2曲と比較すると、わかりやすさや親しみやすさで一歩譲る。密度や内容でいえば一歩もひけをとらない作品である。晩年らしい達観の世界が、ここでは珍しく鬼気迫るような迫力に達しているのが良い。

その他の室内楽曲

ヴァイオリンソナタ(ソナチネ)第1番 ニ長調 1816 D384
3.5点

一見爽やかなだけの工夫のなく繰り返しが多い古典派音楽のようだが、もう一度聴きたいと思わせる魅力がある。リートの名手だけに純度の高い歌心がうまく込められており、ヴァイオリンソナタは相性の良い形式のようだ。

ヴァイオリンソナタ(ソナチネ)第2番 イ短調 1816 D385
2.8点

1番と違い音楽の密度が薄く、早く次に進まないかと思ってしまう場面が多い。美的なセンスは優れており、特に1楽章で短調の美しさを楽しめるものの、冗長すぎるのが残念。

ヴァイオリンソナタ(ソナチネ)第3番 ト短調 1816 D408
3.0点

シューベルトの仲では珍しいほどモーツァルトを感じる場面が多いのが特徴。古典的なオーソドックスな曲であり、プラスアルファはあまりないが、あまり冗長でないのは良い。

アダージョとロンド・コンチェルタンテ ヘ長調 1816 D487
3.5点

室内楽だが協奏曲のように書かれており、明るく華やかで楽しい曲。ピアノ協奏曲にもシューベルトの才能があった事が分かるだけに、もう少し長生きして本格的な協奏曲を残して欲しかったと思う。効果的な序奏と本編のロンドと両方良い。

ヴァイオリンソナタ(第4番) イ長調 1817 D574
3.0点

前の3作品はソナチネであり本作はソナタとされている通り、楽曲の規模も内容的なスケールも大きくなった。1年の成長もあるのか、より成熟感もある。名曲に分類できる内容ではないものの、作曲者の意欲を感じられるので印象は悪くない。

弦楽三重奏曲第2番 変ロ長調 1817 D581
2.8点

伴奏とメロディーが完全に分離してしまっており、うまく絡んでいない感じの箇所が多いのが残念。そういう箇所は息長くメロディーを歌い継がせる能力で間を持たせている印象がある。うまく書かれている箇所も所々にある。つまらない曲ではないが今一歩。

ピアノ五重奏曲 イ長調『鱒』 1819 D667
4.0点

若々しくてすがすがしくて、平明な音楽は非常に心地よくて気持ちよい。晩年のような深みはないものの、音楽的な充実度ではひけをとらないと思う。ユニゾンを中心とした軽いピアノが、コントラバスまで入った厚めの弦楽とバランスがよい。また、ヴァイオリンが2台ないため、ピアノ四重奏曲のバランスにも近くて、弦楽が分厚すぎないのもよい。難しく考えないで楽しめる娯楽作品として優秀だと思う。

『萎れた花』の主題による序奏と変奏曲 ホ短調 1824 D802
3.5点

フルートとピアノ。フルートの音色の美しさを生かした主題と変奏曲。長大だが、主題が良いので、美しさに浸る事が出来るのでゆったりと楽しむ事が出来る。シューベルトの歌心とフルートの相性が良く、秀逸な曲だと思った。

八重奏曲 ヘ長調 1824 D803
4.0点

編成の大きさも楽曲の規模も大きいが交響曲というよりセレナードに近い。明るくて柔らかく、巨匠的な質の響きに満たされている。1時間は長いが、集中して聴くというより軽い気分でゆったり聴く娯楽曲なのでしんどいものではない。シューベルトが力を入れて書いた曲と思われ、音に充実感がありメロディーやニュアンスが豊富な傑作である。これだけ心地よい曲は滅多になく、また聴きたくなる。

アルペジオーネ・ソナタ イ短調 1824 D821
3.8点

有名曲であるが、暗い曲であり、個人的にはあまり好んでは聴きたい気分と過去には思っていた。シューベルトらしい歌心が全体を覆っていて隙がなく、中身の詰まった聞き応えのある曲である。短調ではない場面も実は多いのだが、精神的な暗さや生への憧憬を色濃く感じさせる場面が非常に多い。しかし、アルペジオーネを使った演奏だとチェロほどしつこさがないため、もう少し軽い気分で聴くことができる。シューベルトの熟練した本格的な二重奏曲がこれだけになったのは非常に勿体無いと思う。

華麗なるロンド ロ短調 1826 D895
2.8点

ヴァイオリンとピアノ。悪い曲では無いかと思うが、特段優れている所もなく、シューベルトならいつでも書けそうな曲なので、15分は少し長すぎる。長大な序奏あり。最後はのエネルギッシュに締めるので聴後感は悪くない。

ピアノ三重奏曲 変ホ長調『ノットゥルノ』 1827/28 D897
4.0点

一聴して素敵と感じる独特の歌心に満ちた美しいメロディーの変奏曲。単品のピアノ三重奏曲。いい夢を見ながらすやすやと眠る子供のよう。おとぎ話のような温かくて幻想的な曲。

ピアノ三重奏曲第1番 変ロ長調 1828? D898
4.0点

晩年の成熟してワンランク上がった実力が発揮されている。曲の素晴らしさのわりに、知名度が低い気がする。寂寥感を常に持ちながらも、美の結晶のようなあまりにも美しいメロディーが連綿と続く。音のバランスや楽曲の活躍のさせかたが良く、ピアノ三重奏曲としての書法が優れていると思う。全く曲の長さが気にならず、むしろもっとずっと聴いていたいと思わせる。特に1楽章と2楽章は泣きそうになるほど感動的であり、密度が濃くて素晴らしい。3楽章と4楽章は比較すると軽いが、十分な聞き応えを持っている。

ピアノ三重奏曲第2番 変ホ長調 1827 D929
3.8点

1番ほどの神がかった素晴らしい感動は感じないが、壮健な精神と、堂々とした内容は素晴らしい。晩年に達した大作曲家らしい充実感のある筆致を見事に発揮している。長さも気にならない。爽快で力強い曲調だが、当然裏にはシューベルトらしい歌心も込められていて、陰影もある。ピアノ三重奏曲はメロディーを中心として、線をつなげて作られるシューベルトの音楽に合っているようだ。

幻想曲 ハ長調 1827 D934
2.5点

あまり聴き応えがある曲という印象がなかった。メロディーにインパクトがなく、編曲もいまいちであり、22分が長く感じた。ただし、冒頭の序奏はロマン派的な内容でありシューベルトにしては大胆で目新しい。

弦楽五重奏曲 ハ長調 1828 D956
3.8点

最晩年らしい充実感と、見通せないような深遠への扉を開けている曲。チェロが2本であるおかげで、低音のずっしりした重さが芯となり、弦楽四重奏の曖昧模糊とした雰囲気を避けている。空間的な広がりにも貢献している。この曲は巨匠的な充実感であり、かなり多くの素材を盛り込んで、長い曲であるにも関わらず飽きさせない。構成も良い。陰鬱さが少なく、大人になって前向きに人生を生きようとする、吹っ切れたものがあるのに感動する。

ピアノソナタ

ピアノソナタ第1番 ホ長調 1815 D157
3.0点

一、三楽章は若書きらしいありきたりさだが、二楽章がシューベルトらしい歌心が見事に込められていて素晴らしい。驚いた。

ピアノソナタ第2番 ハ長調 1815 D279
2.5点

緩叙楽章が一番よくて、スケルツォも割とよいが、いずれも一番ほどは光らない。

ピアノソナタ第3番 ホ長調 1817 D459
2.5点

5楽章の力作。全体的には音の充実感など二番までより大分進歩してる。いい曲といえるほどの楽章は無いが、どの楽章もなかなか美しい。

ピアノソナタ第4番 イ短調 1817 D537
3.0点

割としっかりと書かれていて大作曲家らしい風格が垣間見れる。短調だがあっさりしていて、心地よく楽しんで聴ける。

ピアノソナタ第5番 変イ長調 1817 D557
2.5点

未完成とされているが三楽章が最終楽章のような雰囲気を持っているので、知らずに聴けばあまり大きな違和感はない。出来はまあまあ。

ピアノソナタ第6番 ホ短調 1817 D566
3.0点

1楽章は所々美しい場面が出てくる。歌うような二楽章も魅力的。

ピアノソナタ第7番 変ホ長調 1817 D568
3.5点

完成作であり自分で出版した曲。3番から9番までの同年に書かれた作品の中でも特に非常に美しい歌心に満ちていて聞き応えがある。歌に身を任せてゆったり聴ける。

ピアノソナタ第8番 嬰ヘ短調 1817 D571
3.0点

1楽章だけ完成。特に第2主題以降が美しい。どこか寂寥感がある。自分の聞いた演奏のせいだろうか。

ピアノソナタ第9番 ロ長調 1817 D575
3.0点

ロ長調は珍しいので新鮮に感じる。力強さと明朗さがある。

ピアノソナタ第10番 ハ長調 D613
断片だけしか残ってないそうで全集にも未収録。

ピアノソナタ第11番 ヘ短調 1818 D625
3.0点

三楽章冒頭のユニゾンや一楽章の第2主題後のキラキラした部分などピアニスティックな箇所が印象的。

ピアノソナタ第12番 嬰ハ短調 1819 D655
未完成のため全集に収録なし

ピアノソナタ第13番 イ長調 1819 D664
3.5点

優美で温かみや優しさがある素敵な名曲。一楽章が非常に印象的で二楽章もかなりいい。楽章が3つでコンパクトなのもいい所である。しかし、14番以降の独自の魅力はまだなく、若書きの作品という印象は支配する。

ピアノソナタ第14番 イ短調 1823 D784
3.8点

最初は軽視していたが、よく聴くとこの曲はこれ以降にないほどの濃厚なロマンに満ちた強烈な魅力を持っている作品である。1楽章のムソグルスキーの展覧会の絵のような目新しさが耳を引く重々しさと、第2主題のショパン以降でも滅多に聞けないようなロマン的情緒が濃厚な旋律はいずれも素晴らしい。何度もなんども聞きたくなる。2楽章は平凡な旋律のようで、実は魅力がある。3楽章はふわふわと中空を彷徨うような冒頭の独特のパッセージと、ロマンでかつ落ち着いた情緒的な旋律が素晴らしい。

ピアノソナタ第15番 ハ長調『レリーク』 1825 D840
3.5点

あてもなく精神の赴くままに彷徨うような構成感の薄い音楽である。1楽章も2楽章も穏やかであるため、交響曲の未完成ほどに2つの楽章だけで十分完結している感じはない。未完結のソナタだなと感じる。とは言え、1楽章のしなやかで繊細さにゆっくりと流れに心を浸せる巨大さは良いし、それより2楽章はかなり美しい傑作の楽章であるため、心を捉えるような音楽の魅力がかなりある。

ピアノソナタ第16番 イ短調 1825 D845
3.5点

1楽章は最初は良さが分からなかったが、15番を少し密度を上げたが同系統の音楽と思ってゆったりと心を浸すように聞けば良いと気づいたら魅力的に感じるようになった。二楽章は美しい変奏曲で素晴らしい。三楽章は印象が薄い。四楽章はピアノ的な音楽でシューベルトのアレグロにしてはなかなかの盛り上げ方である。

ピアノソナタ第17番 ニ長調 1825 D850
3.5点

一楽章はあてのない感じがありつつも非常に快活な曲。二楽章はとりとめのない感じの中に、しつこいほどにじっくりと情緒的な曲である。三楽章は突然にベートーヴェンぽい曲。四楽章は大作の最終楽章の威厳が皆無なチャーミングな曲ではあるが、悲しみ喜び多くの感情が混ざるため重くはないが感慨を感じる印象的な作品である。ガチャガチャとしてまとまりはないが、ある意味で強いロマン的主張を持つ楽章が並んでいる曲。

ピアノソナタ第18番 ト長調『幻想』 1826 D894
3.8点

全体に穏やかで幻想的な雰囲気が支配的である。美しい幻想性のおかげで、他のソナタとは違う大きなワンアンドオンリーな存在感がある。特に1楽章はタイトルの元になった楽章であり、幻想性をたっぷり楽しめる。またこれは全楽章のバランスが良いソナタの一つであり、最後まで各楽章の個性を楽しめる。出版社が勝手にタイトルをつけて出版したソナタとのことだが、確かにソナタ形式でありながらも組曲的な楽しさがある曲である。

ピアノソナタ第19番 ハ短調 1828 D958
3.3点

この曲は個人的には、前後の大作群と比較すると、あまり魅力を感じていない。短調と長調が交錯する長大な曲は立派ではあるけれど、驚くべき傑作群の中では「これは」という名作と言える楽章がないと思う。

ピアノソナタ第20番 イ長調 1828 D959
4.5点

全ての楽章が均等な存在感を持っており、壮大なスケール感を持っている曲である。そして、英雄的な力強さや2楽章に代表されるような感情の起伏の激しさを持っている。全曲通しての素晴らしさでは21番以上のピアノソナタかもしれない。特に終楽章のイ長調らしい明るく伸びやかな主題を高揚感を保ちながら聞かせる音楽が大変素晴らしい。

ピアノソナタ第21番 変ロ長調 1828 D960
4.0点

最後のピアノソナタ。前半二楽章の特別感は素晴らしい。平安な心の中に感動と追憶をはらみ、未来を夢見て、現実に追い立てられるような感じで深い精神性。後半二楽章は音楽としてよくまとまっているが特別感が足りておらず、前半2楽章の深さを受け止めきれていない。特に4楽章がもう少し重量級の作品であってくれれば、最高級のピアノ音楽としての手放しで賞賛できるものになっていたと考えている。全体的に薄暗い中を長く細い道筋をたどって終わりまでたどり着くように聴く曲である。

その他のピアノ曲(連弾含む)

2つのスケルツォ 1817 D593
1曲目
3.5点

ちょっとしたお宝発見を感じた優れた小品。主題も挿入部分も魅力的で、聴き入ってしまう。

2曲目
3.0点

スケルツォにしては優雅である。どの部分もセンスはあって感心するのだが強い印象には残らない。

3つの英雄的行進曲 1818-24 4手 D602

ピアノ小品 イ長調 1816-17 D604
3.0点

ロマンチックさを秘めており、はっきりしない密やか感情がふわふわと揺らぐような小品。

行進曲 ホ長調 1818? D606

ロンド ニ長調 1818 D608
3.3点

ロンドの主題にシューベルトらしい柔らかくて夢のような美しい魅力があるので楽しめる曲。

アダージョ ホ長調 1818 D612
2.5点

センチメンタルな曲盛り上がった想いを即興演奏したものをそのまま書き留めたような曲。巨匠らしさは感じない。

大ソナタ 変ロ長調 1818 4手pf D617
3.5点

明快で陰がない曲。シューベルトらしい純度の高さと透明感と優しい手触りを単純に楽しんで聴ける。冗長でなく、割と引き締まった内容である所も良い。

幻想曲 ハ長調 『さすらい人』 1822 D760
4.0点

4楽章がつながっていて20分。リスト的な外面的な華やかさを持つシューベルトには珍しい作品。英雄的で勇壮で力強く、ピアノは技巧的であり聴いていて楽しい。精神的にも自由で広々とした精神的世界を旅するような趣がある。形式の自由さとテクニック的な楽しさを存分に聞かせる音楽として、リストに大きな影響を与えていると感じる。そして音使いのセンスに優れているだけあって、エンターテイメント的にかなり楽しめる音楽となっている。

楽興の時 1823-28 D780
4.0点

シューベルトの良さがよく現れている6曲の曲集。簡潔な書法の中に、静けさと歌心、メロディーの柔らかく儚い美しさが現れていて魅力的である。最後の締めが良いため、全曲を聴くと実にいいものを聴いたと満足感を得られる。とは言え書法の簡潔ゆえの物足りなさもなくはない。

ソナタ ハ長調『大二重奏曲』 4手 1824 D812
3点

シューベルトらしい曲。完成度はなかなかで大規模。
しかし、特記するべき特徴は感じなかった。

幻想曲ヘ短調 4手 1828 D940
4.5点

切なく奥ゆかしい悲しみに満ちた主題が大変に魅力的である。純粋なる美を湛えたその主題を何度も繰り返しながら、魅力たっぷりに場面展開していく。主題が何度も再現するたびに胸が締め付けられそうになる。主題以外も、全ての場面が音楽的な密度の高さを持っており、聴くものの心を強く捉えて離さないような歌心に満ちていて隙がないことから、シューベルトのピアノ音楽の中でも最も魅力的な曲の一つであることは間違いない。連弾曲ということで聴くのを避けては絶対にいけない曲である。

3つのピアノ曲 1828 D946
3.8点

1曲目と2曲目は、晩年らしい充実感であり、諦観や歌心などシューベルトらしい素晴らしさにあふれている佳曲。ただし、少し長いので曲を把握しにくいところがある。3曲目は早いテンポでソナタの最終楽章のような曲想であり、やはりシューベルトの最終楽章がとってつけたようで面白くないという弱点はそのままこの曲にも当てはまる。

アレグロ イ短調『人生の嵐』 4手 1828 D947

4つの即興曲 1827 D899

第1曲
4.5点

ハ短調の悲劇的な主題による変奏曲。はかなく切なく美しい心に強く訴える主題が、変奏しながら何度も切なく繰り返し演奏される事で深く心をえぐられる。短調と長調の交代が絶妙であることが、大変な効果を発揮している。

第2曲
4.0点

主題はショパン的な華麗さと軽やかさを持っている。挿入部分が対照的な短調の悲しい歌であり、絶妙な効果を挙げているため、全体にまとまりが良く演奏効果が高い曲になっている。

第3曲
4.0点

軽やかながらもしっとりとした歌心に満ちた曲。特に対比される部分による変化が無いのため間奏曲のような雰囲気ではあるのだが、そんなことは関係なく、メロディーも伴奏も完璧に美しく素晴らしく、強く心に感動を与える。

第4曲
4.0点

2曲目と同様のショパン的な軽やかなパッセージによる主題が魅力。中間は暗い旋律的な場面で強い対比を与えている。中間部分はわりと長いため、一度没入してしまった所で軽やかな冒頭に戻る。


4つの即興曲 1827 D935

曲集全体
4.0点

全体で一つの巨大なソナタのような構築性がある曲集。全体を通しでし聴くと素晴らしい大作であるが、個々の曲の良さはD899に負けると思う。

第1曲
3.5点

優雅でおおらかで幻想的。広大な空間の大きさを持っていて、心をあちこちに連れて行ってくれる。4曲セットのこの曲集の開始として素晴らしい雰囲気を作っている。印象的なメロディーではないので単独での名曲性は高くないが、大規模な曲の冒頭曲として優れている。

第2曲
3.8点

1曲目と違い、歌謡性のある曲で聞きやすい。優雅さとメヌエットのような舞曲性と重厚性を兼ね備えており、優れた曲。

第3曲
4.0点

儚く美しいメロディーを味わい尽くせる変奏曲。サロン的な上品な聴きやすさが優勢だが、シューベルトらしい陰もあり深みもある素晴らしい曲。

第4曲
3.3点

跳ねるようなリズムに民族的な味がある。豊富な時間を使って即興的な驚きのある展開を見せる面白さ、主題の面白さで楽しめる作品。とはいえ、最終楽章の苦手は払拭しきれていない印象はどうしても残ってしまった。

歌曲

歌曲集「美しき水車小屋の娘」(20曲) D795, Op.25 (1823)
4.3点

冬の旅と比較すると、心を揺さぶるような深い曲は少ないが、明朗で生き生きとして、青春の輝きに満ちているとともに、話のストーリーがあるのが特徴。最後の2曲の文学的な美しい締めくくり方は最高である。冬の旅と比較して曲の出来が平均的であり、ものすごい名作は少ないが、ほとんどの曲が最後まで聴きたくなる。リート作者としてのピアノと歌唱による表出力の才能の高さには脱帽するしかなく、まさに天才である。10曲目が好き。最後の20曲目は最高であり、感動で胸がいっぱいになる。

歌曲集「冬の旅」(24曲) D911, Op.89 (1827)
4.5点

1曲目から哀しい叙情の素晴らしさに心を奪われる。暗くしんみりした曲が多い。しかし鬱屈せずに輝きと静寂のなかにドラマを持っている。ピアノの表情の豊かさと詩情、次から次へと現れるシューベルトの天才的なメロディーは凄みがある。曲のつながりがよいし、短い曲も多いので聴きやすい。正直全てが名曲という訳ではないと思う。自分がリートに慣れていないせいかもしれないが、途中で次の曲に行きたくなる曲も3分の1位ある。しかし、強く心を揺さぶり、最後まで聞きほれてしまう曲も3分の1位ある。シューベルトの才能が最も端的に結晶している傑作であり、器楽曲が好きになったらぜひ聴いてみるべきと思う。

歌曲集「白鳥の歌」(14曲) D957,965A (1828)
3.8点

前半7曲は無名の詩人の詩によるもの。有名な4曲目のセレナーデこそ素晴らしいが、その他はあまり良いと感じない。後半は6曲がハイネ。非常に劇的で大胆なのに驚く。ロマン派的な世界により近づいており、凄みがある。かなり暗い。最後の一曲はまた無名の詩人による曲で毛色が違い、明るくて天真爛漫であり、ハイネでどんよりした気分を癒やして明るくしてくれる。この曲はシューベルトの絶筆だそうだが、非常に感動的で、この曲集で一番好き。本人が歌曲集として編纂したわけではなく、一つの連作歌曲と呼ぶにはまとまりが無いと思う。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/シューベルト
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/856.html#c18

[番外地7] 武漢肺炎の今後 中川隆
7. 中川隆[-13950] koaQ7Jey 2020年2月07日 18:21:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-623]
2020/2/7 16:11 投稿者:777


安倍政権に潜む売国奴議員や日本を嫌う左翼議員は、観光業者の利益を優先して個人の観光客を入国させたが、一般国民は「いつ武漢肺炎に罹るかわからない」と不安な日々を過ごしている。

しかも、日本は支那大陸に次いで第二位の感染者数を誇っているのだ。この患者数により、歐米諸国は日本を「感染地域」と判断し、日系日本人までを“危険外国人”と見なすようになった。

イタリア人やフランス人は、日本人と支那人との区別が付かないから、ヨーロッパを旅行する日本人を目にすれば、「あっ、ウィルス保持者だ!」と思うし、子供連れの母親は“あの東洋人”に近づかないよう我が子に諭す。したがって、日本人観光客はイタリアのブテックに入店すれ、周囲の客から妙な目つきでジロジロ見られるし、在仏の日本人留学生も、食堂や電車の中で理不尽な差別に遭う可能性がある。

  こうした差別や偏見を外国で味わえば、「なんで私を黴菌みたいに扱うの!」と腹立たしくなるが、日本人は徐々に支那人や朝鮮人と融合し、「アジア人」となっているから仕方がない。

例えば、イタリアの街角で立ち小便をしたり、道端に痰を吐き捨てる支那人でも、日本の旅券を持っていれば、現地の住民は「何だ、あの日本人は ! そこら辺に小便や痰をまき散らしやがって! さっさと、国へ帰れ !」と激怒するに違いない。

また、帰化朝鮮人がアメリカの大学に留学し、白人からの差別に耐えかねて、「アイゴォォ〜」と銃の乱射を行えば、「日本の大量殺人鬼」として報道されるだろう。現地の日本人は苦々しく思うけど、事情を知らないアメリカ人は、「日本人と付き合うのはやめておこう。彼らは危険だから、会っても話さないようにしなきゃ」と考えるはずだ。

  しかし、日系日本人の駐在員や留学生は、アメリカの友人に対し「いやいや、あれは帰化鮮人で、日本人じゃないんだ。一緒にされては困るよ !」と反論するだろう。ところが、CNNやPBSといった米国のメディアは犯人を「日本国籍者」と伝えるから、普通のアメリカ人は「日本人の犯罪者」と思い込む。

また、フランスやイタリアで日本の旅券を持った帰化支那人が、滞在中にウィルスに感染し、どこかで病気を発症すれば、現地のテレビや新聞は「日本人旅行者が陽性反応 !!」と書き立て、「日本人には気をつけよう !」と仄めかすはずだ。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/458.html#c7

[近代史3] 社会主義マジック _ 中共が GDP 世界第二位の超大国になれた理由 中川隆
33. 中川隆[-13949] koaQ7Jey 2020年2月07日 18:31:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-622]

2020年02月07日
ウイルスで中国経済は2割減、成長率4%、長期的なダメージ確実



封鎖されて人気のない武漢市内。これでは経済活動もできない


画像引用:https://static01-proxy.hket.com/res/v3/image/content/2555000/2556732/fung001_1024.jpg

ウイルスで中国成長率は4%に下落

中国発新型肺炎は他の国への拡大は防止できているが、中国では長期的な経済へのダメージが懸念されている。

ゴールドマン・サックスは中国の第1・四半期(3月まで)成長率予想をを5.6%から4%に引き下げた。

2019年の中国成長率は6%だったので最初の見通しの5.6%ですらかなり低いが、さらに引き下げています。



中国政府による成長率目標は実際には目標では無く共産主義の経済計画で、ノルマと言った方が良い。

19年目標は6.0から6.5%だったので、中央政府や地方政府はこのノルマ達成のためにいくら支出すべきかを決める。

日本の財務省のように財政状態をチェックする機関が中国には無いので、予算は調達できる限り無限です。


例年なら前年の12月に目標が決定され、3月の全人代(20年は3月5日)で公表される。

新型ウイルスの拡大が3月まで続いていれば、全人代の延期や開催されても目標発表を先送りするかも知れません。

中国経済は去年後半から減速し、今年に入ってさらに減速しているので、6%ですら達成不可能な目標です。


現実路線で5.5%以上などに設定し、例え達成できなくても例年通り「達成した」と虚偽の発表をするでしょう。

中国が発表する経済指標はどれも信憑性がないが、中国の石油国内消費が20%減少し備蓄在庫が急増している。

これは外国から輸入するので誤魔化せず、経済活動が2割減少したのを示しています。

中国の経済活動は2割減

生産や輸送を伴う物理的な経済活動は石油消費量に比例している筈なので、実体経済が前年より2割減というのが実態でしょう。

ウイルス発生源の武漢や湖南省など約6000万人が移動制限を受けていて、商店もほとんど閉まっている。

武漢市などでは外出禁令が出されていてウイルス関連や許可された以外の就業も禁止、買い物は2日に1度家族で1人に制限されている。


まるで文化大革命時に戻ったような状況なので、これらの地域では2割どころか半減以下になったかも知れません。

武漢では許可を得ていない自動車の走行が禁止され、市外から輸送トラックも進入できない。

日用品や食料やあらゆる物資は軍や政府が統制し、スーパーマーケットや市場に搬送している。


共産主義の本領発揮というところで、共産主義が始まった当時のソ連もこうした状況だった。

中国の混乱に対して、世界市場への影響は限定的で、2月5日には米S&Pが史上最高値を更新した。

中国以外で感染が拡大していない事や、中国が20兆円規模の資金供給を行ったのが好感された。


新型ウイルスのワクチンが開発されたという噂も流れたが、これはWHOが真偽不明として打ち消した。

治療薬開発のため2月11日に100人以上の専門家が会議を開くのが決まり、「特効薬」がすぐに出来るような期待も膨らんだ。


一方アメリカではインフルエンザが大流行し、2月5日時点で1900万人が感染し1万人が死亡している(米疾病対策センター(CDC))

1月25日までの1週間でインフルエンザ患者数は400万人増え1900万人になり、18万人が入院した。

インフルエンザ大流行があった18年は感染者数は4500万人、死者数は6万1000人だったので、さらなる拡大が懸念される。

アメリカでもインフルエンザ大流行

中国はこれを格好の材料とし「アメリカのインフルエンザの方がずっと酷い」とアメリカを非難している。

アメリカのインフルエンザは例年2月にピークとなり5月まで影響が続くので、中国の新型ウイルスも3月や4月まで続くでしょう。

2月7日時点で中国での新型ウイルス感染者は2447人増え2万2112人、死者は618人だった。


感染者数の増加ペースは毎日20%以上だったのが10%近くに下がったが、本当の感染者数は10倍以上という説が有力です。

日本での感染者数は6日深夜時点で45人で重傷者はなし、チャーター機の帰国者とクルーズ船が18人を占めている。

そのクルーズ船(ダイヤモンド・プリンセス)では7日、感染者が41人増えて計61人になったと発表された。


集計時刻や外国船を含めるかが違うので、それぞれの集計数は一致せず、全て合計すると7日朝時点の国内感染者数は86人となった。

クルーズ船には3700人が乗船していたので船内の感染率は約1.7%になる(香港で下船した1人を含む)

これはチャーター機で帰国した565人中8人の感染率1.4%よりも高い。


チャーター機では2月7日にも約200人が帰国する予定で、おそらく2%の4人以上は感染者が含まれているでしょう。

武漢から帰国した日本人や感染者が乗船した船の感染率がいずれも1.5%程度なので、武漢市内の感染者数も人口の1.5%と考えるのが妥当です。

武漢と周辺地域の人口は約1400万人だが封鎖前後に脱走して1000万人になったとして15万人、湖北省全体では20万人でしょう。

http://www.thutmosev.com/archives/82147956.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/203.html#c33

[番外地7] 自衛隊の中東派遣 中川隆
2. 中川隆[-13948] koaQ7Jey 2020年2月07日 18:47:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-621]
海上自衛隊の護衛艦「たかなみ」が2日、横須賀基地から出航し中東に向かった。

 安倍首相は出国行事で「日本関係船舶の安全を確保することは政府の重要な責務だ」と訓示していた。多くの国民はこの説明に理解を示し、例えば、読売新聞社の世論調査によると、海自の中東派遣を「評価する」は50%、「評価しない」は35%だった。

 今回の海自の中東派遣は果たして船舶を含め、日本の安全を高めるのかといえば、真逆であり、日本を危険にさらす行為である。

 米国とイランは今、大変な緊張状態にある。米国はイランが核開発に向けて動き出そうとしていることについて不満を抱き、経済制裁を科している。

 米国は1月初旬、イランのソレイマニ革命防衛隊司令官を無人機で殺害。これに対し、イランは米軍が駐留するイラクのアルアサド空軍基地に十数発のミサイルを発射して反撃した。これまでにない大変な緊張状態である。そして、イランは「米国のみならず、米国の同盟国も攻撃の対象とする」としている。

 こうした中で、中東に派遣される海自をイランはどう見ているのか。

 日本政府は海自の活動を「調査」と説明している。しかし、軍事的緊張が高まっている時の「調査」は「偵察行為」である。過去を見ても、偵察行為にあたっていた飛行機などへの攻撃例は複数ある。最近でも、イラン革命防衛隊が2019年6月20日、南部ホルムズガン州に侵入してきた米国の無人偵察機を撃墜している。

 自衛隊の「調査活動」はイランから見て決して「無害行為」ではないのである。

 日本政府は海自の中東派遣は日本独自の行動であり、イランに敵対する有志連合の一員としての行動ではない、とも説明している。

 しかし、菅官房長官は昨年10月18日の会見で、「米国とは緊密に連携していく」と語っており、今後も情報共有などを進めるとみられている。在京イラン大使館がこうした発言を本国に報告しないはずがない。

 イランを敵国にするという意味は、イラク、シリア、レバノン、イエメンなど湾岸諸国のシーア派を敵に回すことであり、これらの国の人々のテロ行為の危険性も高まるのである。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/454.html#c2

[番外地7] 日本人は北海道の侵略者 中川隆
1. 中川隆[-13947] koaQ7Jey 2020年2月07日 19:09:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-620]
北海道開拓の歴史=和人による北海道侵略の歴史
アイヌ文様 = 北海道縄文土器の模様
アイヌ語=縄文人の言葉
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/450.html#c1
[昼休み46] 731部隊・wikipedia(隊員の子孫は、先祖の功罪を相続し、米英以生物兵器の全ワクチンを発見・発表すべきです) 小沢内閣待望論
11. 中川隆[-13946] koaQ7Jey 2020年2月07日 20:29:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-619]
細菌戦「731部隊」の新資料発見 「ないはず」の戦後公文書 細菌生産を明記
京都新聞社 2020/02/07
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/細菌戦「731部隊」の新資料発見-「ないはず」の戦後公文書-細菌生産を明記/ar-BBZJYnx?ocid=ientp



© 京都新聞社 関東軍防疫給水部行動経過概況図の実寸複写と西山名誉教授

 第2次世界大戦中に細菌戦の準備を進めた旧関東軍防疫給水部(731部隊)について、戦後に日本政府が作成した公文書が6日までに、発見された。京都帝大などから派遣された医師らが人体実験を行ったとされる731部隊について、政府はこれまで国会で政府内に「活動詳細の資料は見当たらない」と答弁をしており、発見した西山勝夫滋賀医大名誉教授は「まだまだ731部隊に関係する資料が埋もれている可能性がある」と話している。

 発見された公文書は戦後5年目の1950年9月に厚生省(現・厚生労働省)復員局留守業務第三課が作成した「資料通報(B)第50号 関東軍防疫給水部」との文書。西山名誉教授が昨年11月、国立公文書館から開示決定を受けた。文書は計4ページあるが、もっと分厚い資料の一部だった可能性がある。戦後中ソに取り残された元731部隊の軍医や軍人らの状況を把握するために作成された資料で、「関東軍防疫給水部の特異性 前職に依る(サ)関係者が多い」と書かれている。
 うち1枚は「関東軍防疫給水部行動経過概況図」と題された縦約90センチ、横約60センチある大きな図面。「防給本部」について「部隊長 石井四郎中将以下約1300人内外 本部は開戦と共に全部を揚げて北鮮方面に移動すべく」などと満州(現・中国東北部)から日本に帰国するまでの経路が図説され、本部第一部が細菌研究、第四部が細菌生産などと部隊構成も記載されている。

 図は大連支部や牡丹江支部、ペスト防疫部隊など、関東軍防疫給水部の各支部がソ連参戦時にどういう部隊構成だったか、武装解除や敗走経路、ソ連に抑留された人数や指揮官の氏名、中国側に残留している人数なども記載している。731部隊はハルビン近郊にあった本部と実験施設を爆破し研究資料も廃棄処分したとされるが、撤退の経路が日本側公文書で裏付けられるのは初。731部隊の本部では日本に帰国し、戦後の医学界や製薬会社で活躍した人物が多いが、今回の資料で各支部は混乱した状況だったことも明らかになった。

 731部隊の生体実験やペスト菌散布などを示す戦時中に作成された文書や論文は国内や中国で発掘が相次ぎ、占領期に米国が石井元731部隊長や解剖した医学者らに尋問した調書も機密開示されているが、戦後に日本政府は731部隊について「調査しない」との見解を繰り返しており、公文書が存在した意義は大きい。
 日本政府は、731部隊のペスト菌散布を裏付ける金子軍医少佐論文(1943年付)が国会図書館関西館(精華町)で発見された際も、2012年の国会答弁で「政府内部に資料が見当たらないのが実態」と答弁している。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/細菌戦「731部隊」の新資料発見-「ないはず」の戦後公文書-細菌生産を明記/ar-BBZJYnx?ocid=ientp

http://www.asyura2.com/11/lunchbreak46/msg/167.html#c11

[近代史3] 731部隊と医療被曝 _ 無事に内地に帰還した731部隊員は何をやったのか? 中川隆
1. 中川隆[-13945] koaQ7Jey 2020年2月07日 20:30:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-618]
細菌戦「731部隊」の新資料発見 「ないはず」の戦後公文書 細菌生産を明記
京都新聞社 2020/02/07
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/細菌戦「731部隊」の新資料発見-「ないはず」の戦後公文書-細菌生産を明記/ar-BBZJYnx?ocid=ientp



© 京都新聞社 関東軍防疫給水部行動経過概況図の実寸複写と西山名誉教授

 第2次世界大戦中に細菌戦の準備を進めた旧関東軍防疫給水部(731部隊)について、戦後に日本政府が作成した公文書が6日までに、発見された。京都帝大などから派遣された医師らが人体実験を行ったとされる731部隊について、政府はこれまで国会で政府内に「活動詳細の資料は見当たらない」と答弁をしており、発見した西山勝夫滋賀医大名誉教授は「まだまだ731部隊に関係する資料が埋もれている可能性がある」と話している。

 発見された公文書は戦後5年目の1950年9月に厚生省(現・厚生労働省)復員局留守業務第三課が作成した「資料通報(B)第50号 関東軍防疫給水部」との文書。西山名誉教授が昨年11月、国立公文書館から開示決定を受けた。文書は計4ページあるが、もっと分厚い資料の一部だった可能性がある。戦後中ソに取り残された元731部隊の軍医や軍人らの状況を把握するために作成された資料で、「関東軍防疫給水部の特異性 前職に依る(サ)関係者が多い」と書かれている。
 うち1枚は「関東軍防疫給水部行動経過概況図」と題された縦約90センチ、横約60センチある大きな図面。「防給本部」について「部隊長 石井四郎中将以下約1300人内外 本部は開戦と共に全部を揚げて北鮮方面に移動すべく」などと満州(現・中国東北部)から日本に帰国するまでの経路が図説され、本部第一部が細菌研究、第四部が細菌生産などと部隊構成も記載されている。

 図は大連支部や牡丹江支部、ペスト防疫部隊など、関東軍防疫給水部の各支部がソ連参戦時にどういう部隊構成だったか、武装解除や敗走経路、ソ連に抑留された人数や指揮官の氏名、中国側に残留している人数なども記載している。731部隊はハルビン近郊にあった本部と実験施設を爆破し研究資料も廃棄処分したとされるが、撤退の経路が日本側公文書で裏付けられるのは初。731部隊の本部では日本に帰国し、戦後の医学界や製薬会社で活躍した人物が多いが、今回の資料で各支部は混乱した状況だったことも明らかになった。

 731部隊の生体実験やペスト菌散布などを示す戦時中に作成された文書や論文は国内や中国で発掘が相次ぎ、占領期に米国が石井元731部隊長や解剖した医学者らに尋問した調書も機密開示されているが、戦後に日本政府は731部隊について「調査しない」との見解を繰り返しており、公文書が存在した意義は大きい。
 日本政府は、731部隊のペスト菌散布を裏付ける金子軍医少佐論文(1943年付)が国会図書館関西館(精華町)で発見された際も、2012年の国会答弁で「政府内部に資料が見当たらないのが実態」と答弁している。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/細菌戦「731部隊」の新資料発見-「ないはず」の戦後公文書-細菌生産を明記/ar-BBZJYnx?ocid=ientp

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/471.html#c1

[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
129. 中川隆[-13944] koaQ7Jey 2020年2月07日 21:41:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-617]
メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/894.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c129
[リバイバル3] 敷金礼金ゼロで家賃半額も…超安値の「いわく付き」事故物件に人気殺到!首都圏にも多数 中川隆
35. 中川隆[-13943] koaQ7Jey 2020年2月07日 21:56:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-616]
非正規社員世代の40〜50代が孤独死2割の世界になった。異常事態と認識すべき!
https://31634308.at.webry.info/202002/article_5.html?1581076810

朝日新聞の『孤独死、40〜50代が2割の衝撃 不安定な雇用影響か』という記事を読んでついにそんな記事が出るようになったかと暗澹となる気持ちになった。この世代はロストジェネレーションと言われる世代である。れいわの山本太郎が政策としてロスジェネを含む底上げを行うとよく言う。山本はその危機感を持っている。この世代は、小泉首相の下で竹中が大臣の時、派遣法が制定され正規社員から非正規社員がどんどん増やしていく中で割を食った世代である。

失われた世代と言われている。まだまだ若い40〜50代世代の孤独死が全体の2割という。いよいよ、そういう事態が起き出したということである。孤独死は70、80歳の話では無くなった。非正規社員の年収は250万円も行かない。200万円とも言われている。孤独死が出ている背景にまだ脛をかじる親が居る場合はまだ生き延びる。しかし、親も死に、頼れる者が居なくなれば病気などで失業しすぐに立ち行かなくなってしまう。もしくは親が居ても介護状態に入り、どこにも入る施設がなくなり介護するために離職する場合もある。

今の自民の政治はそのような弱者を救済するような政治ではなくどんどん切り捨てる。今弱者のための政治を声高に謳っているのは、れいわと共産ぐらいしか聞かない。今後、日本の労働者の中で非正規社員率が50%を超えていく社会は異常そのものである。この非正規社員問題が抜き差しならぬ状態になるのは時間の問題である。山本は税金もあるところからとれ、無いところから剥ぎ取るなと叫んでいる。エンゲル係数の大きい弱者には消費税10%は途轍もなく重い。れいわ、共産のような政党の数を増やさない限り日本のロスジェネ世代の孤独死はもっともっと増えて行く。


孤独死、40〜50代が2割の衝撃 不安定な雇用影響か
https://www.asahi.com/articles/ASN26778HN25PTIL01G.html?iref=comtop_8_04


 1日に1体以上、死後1カ月あまりが経過した遺体が見つかる――。統計データがないことから、実態把握が困難だった孤独死。だが大阪府警が初めて実施した調査により、深刻化する実態が明らかになった。識者らは、国がこうした調査に取り組む必要性を訴える。


• 孤独死、65歳以上が7割 昨年2996人、大阪府警調査

 大阪府南部の団地で昨年1月、やせこけた80代男性の遺体が見つかった。ポストにたまっていた新聞に別の住人が気づいたが、死後1カ月ほどが経過。妻に先立たれ、近所づきあいは乏しかったという。同じく府南部のアパートで昨年11月に見つかった70代男性の遺体は激しく傷み、死因は不詳だった。室内には9カ月前に賞味期限が切れた食品があり、このころに亡くなった可能性がある。遺族は「3年ほど会っていない」と府警に説明した。

 大阪府警は昨年1年間に事件性がなく屋内で死亡し、死後2日以上経過して見つかった独居者(自殺含む)2996人について調べた。うち死後1カ月以上たって見つかった遺体は382体。ケアマネジャーなど介護現場の経験がある淑徳大学の結城康博教授(社会福祉学)は「臭いで気づくまで発見されなかったということ。周囲の無関心さ、孤独死への無関心さがあらわれている」という。

男性、女性の5倍以上

 382体のうち男性は321人で、女性の61人に比べ5倍以上。高齢者の孤立問題に詳しい河合克義・明治学院大学名誉教授(社会福祉学)はそこに「日本社会」のありようを見る。「これまでは男性が働き、女性が家庭にいるというパターンが多かった。その分女性は地域社会でつながりを持てるが、仕事ばかりの男性は、定年後に孤立しているのでは」と指摘した。

 年代別にみると、70代男性が全体の26・4%となる792人で、世代別では最多。一方で、65歳未満は29%(868人)。孤独死が高齢者だけの問題ではないことを物語っている。

 この中で「働き盛り層」とされる40代が159人、50代が392人と合わせて全体の18・4%にのぼったことについて、河合教授は「衝撃的だ」という。40代はバブル崩壊後の就職氷河期の影響で非正規雇用を余儀なくされる人も多く、また50代がリストラ対象となっているケースも目立つ。こうした雇用の不安定さが影を落としているとの立場だ。

 孤独死対策が求められる一方、全国的な統計データがないことについて、厚生労働省の担当者は「『孤独かどうか』は個人の内面の問題を含んでおり、孤独死をどう定義するかが難しい」とする。河合教授は「40、50代が高齢期を迎える20年後、30年後はさらに深刻になる。国は実態を把握し、対策に向け、早期に動くべきだ」と訴えた。(光墨祥吾、永野真奈)

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/662.html#c35

[近代史3] メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』 中川隆
1. 中川隆[-13942] koaQ7Jey 2020年2月07日 22:09:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-615]

ワインガルトナー

Felix Weingartner - Mendelssohn - Symphony No. 3







________





Felix Weingartner, conductor
Olo Royal Philharmonic Orchestra

Recorded in 27 March, 1929 at the Portman Rooms, Baker Street, London

フェリックス・ヴァインガルトナー指揮ロイヤル・フィル
EMI。新星堂によるSP復刻盤SGR8534。1929年録音。
テンポは結構速い。
カップリングは「魔弾の射手」序曲、「舞踏への勧誘」(いずれもバーゼル管弦楽団、1928年録音)
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/894.html#c1
[近代史3] メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』 中川隆
2. 中川隆[-13941] koaQ7Jey 2020年2月07日 22:40:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-614]


トスカニーニ



Symphony No.3 in A minor, Op.56 'Scottish' NBC Symphony Orchestra
1941









_________









NBC Symphony Orchestra
Arturo Toscanini (conductor)
1941年4月5日、8Hスタジオでのライヴ



アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団
TESTAMENT。SBT 1377。1941年4月5日、8Hスタジオでのライヴ。

カップリングの「フィンガルの洞窟」ともども貴重な録音がついに正規発売。
やっぱりNBCは上手い! 1週間前のシューマン第2も収録。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/894.html#c2
[近代史3] メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』 中川隆
3. 中川隆[-13940] koaQ7Jey 2020年2月07日 23:02:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-613]


ペーター・マーク

Mendelssohn: Symphony No. 3 `Scottish`, Maag & LSO (1960)








Peter Maag (1919-2001), Conductor
London Symphony Orchestra

Rec. April 1960, in London (or 1959)



ペーター・マーク指揮 ロンドン交響楽団
DECCA。1960年録音。
ながらくこの曲のベスト盤とされていたものである。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm


ペーター・マーク指揮ロンドン響(1957年録音/DECCA盤) 

マークは日本のオケにも度々客演しましたし、この演奏もかつては高く評価されていました。けれども最近ではすっかり忘れ去られた感が有ります。非常に残念です。

改めて聴いてみると、本当に若々しく瑞々しい演奏なので、若きメンデルスゾーンの異国への旅における喜びが余すところなく表現されていると思います。
DECCAの録音も年代を感じさせないほどに秀れているので不満は感じません。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-af8a.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/894.html#c3
[番外地7] 中国が戦争に勝った事は一度も無い 中川隆
3. 中川隆[-13939] koaQ7Jey 2020年2月08日 00:01:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-612]


77 73 分前(編集済み)

琉球人は日本人ではありません。 日本人や米軍に守って貰うというのが間違いなのです。チベットやウイグルと同じで、日本人でもないのに琉球人を日本人化させるのが間違っているのです。そもそも中国有史以来戦争に勝った事が一度も無い国なので、中国人移民さえ受け入れなければ国境を接しない日本には怖い事は何も無いんですね。中国の空母は艦載機を離陸させられないし、中国の兵隊は敵を見たら戦わないですぐに逃げ出しますからね、:

中国人は有史以来、戦争に勝ったことが無いが、人口爆弾で他国を乗っ取ってきた:漢民族は戦争にめちゃくちゃ弱いので、むやみに人数を増やして集まる。
それが始皇帝の兵馬俑で、北方の蛮族より弱かった。ユーラシア大陸の真ん中に陣取っている中国とロシアは、有史以来ほとんど戦争に勝った事が無い。中国とロシア(ソ連)は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。その代わり内陸の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。


勝てない中国

中国も同様で、秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。
モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。局地的には chousen 半島で勝利を得たりしているが、必ず chousen の統治者に追い出されています。ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。
だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。
さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。
今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。

戦争に勝てなくても領土を増やす方法
そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。
長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。
これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。
半島に住んでいる chousen 民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/411.html#c3

[番外地7] 沖縄 中川隆
1. 中川隆[-13938] koaQ7Jey 2020年2月08日 00:04:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-611]


77 73 分前(編集済み)

琉球人は日本人ではありません。 日本人や米軍に守って貰うというのが間違いなのです。チベットやウイグルと同じで、日本人でもないのに琉球人を日本人化させるのが間違っているのです。そもそも中国有史以来戦争に勝った事が一度も無い国なので、中国人移民さえ受け入れなければ国境を接しない日本には怖い事は何も無いんですね。中国の空母は艦載機を離陸させられないし、中国の兵隊は敵を見たら戦わないですぐに逃げ出しますからね、:

中国人は有史以来、戦争に勝ったことが無いが、人口爆弾で他国を乗っ取ってきた:漢民族は戦争にめちゃくちゃ弱いので、むやみに人数を増やして集まる。
それが始皇帝の兵馬俑で、北方の蛮族より弱かった。ユーラシア大陸の真ん中に陣取っている中国とロシアは、有史以来ほとんど戦争に勝った事が無い。中国とロシア(ソ連)は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。その代わり内陸の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。


勝てない中国

中国も同様で、秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。
モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。局地的には chousen 半島で勝利を得たりしているが、必ず chousen の統治者に追い出されています。ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。
だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。
さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。
今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。

戦争に勝てなくても領土を増やす方法

そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。
長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。

これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。

半島に住んでいる chousen 民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです。

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/381.html#c1

[番外地7] 中国が戦争に勝った事は一度も無い 中川隆
4. 中川隆[-13937] koaQ7Jey 2020年2月08日 00:10:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-610]
沖縄住民が戦後一貫して自民党支持だったというのは米軍に金を落として貰いたいからだもんね

ケビン・メア日本部長のお言葉 
 日本の文化は合意に基づく和の文化だ。合意形成は日本文化において重要だ。 しかし、彼らは合意と言うが、ここで言う合意とはゆすりで、日本人は合意文化をゆすりの手段に使う。合意を追い求めるふりをし、できるだけ多くの金を得ようとする。沖縄の人は日本政府に対するごまかしとゆすりの名人だ。

 沖縄の主産業は観光だ。農業もあり、ゴーヤー(ニガウリ)も栽培しているが、他県の栽培量の方が多い。沖縄の人は怠惰で栽培できないからだ。 日本に行ったら本音と建前について気を付けるように。言葉と本当の考えが違うということだ。私が沖縄にいたとき、「普天間飛行場は特別に危険ではない」と言ったところ、沖縄の人は私のオフィスの前で抗議をした。

 沖縄の人はいつも普天間飛行場は世界で最も危険な基地だと言うが、彼らは、それが本当でないと知っている。(住宅地に近い)福岡空港や伊丹空港だって同じように危険だ。 

 日本の政治家はいつも本音と建前を使う。沖縄の政治家は日本政府との交渉では合意しても沖縄に帰ると合意していないと言う。日本文化はあまりにも本音と建前を重視するので、駐日米国大使や担当者は真実を言うことによって批判され続けている。 (共同)
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/411.html#c4

[番外地7] 沖縄住民が戦後一貫して自民党支持だったのは米軍に金を落として貰いたいから 中川隆
1. 中川隆[-13936] koaQ7Jey 2020年2月08日 00:17:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-609]
琉球人は日本人ではありません。 日本人や米軍に守って貰うというのが間違いなのです。チベットやウイグルと同じで、日本人でもないのに琉球人を日本人化させるのが間違っているのです。そもそも中国有史以来戦争に勝った事が一度も無い国なので、中国人移民さえ受け入れなければ国境を接しない日本には怖い事は何も無いんですね。

中国の空母は艦載機を離陸させられないし、中国の兵隊は敵を見たら戦わないですぐに逃げ出しますからね、:

中国人は有史以来、戦争に勝ったことが無いが、人口爆弾で他国を乗っ取ってきた:漢民族は戦争にめちゃくちゃ弱いので、むやみに人数を増やして集まる。

それが始皇帝の兵馬俑で、北方の蛮族より弱かった。ユーラシア大陸の真ん中に陣取っている中国とロシアは、有史以来ほとんど戦争に勝った事が無い。中国とロシア(ソ連)は外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。もしかしたら紛争程度の小競り合いでは勝っているかも知れないが、国同士の戦争ではない。その代わり内陸の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。


勝てない中国

中国も同様で、秦の始皇帝が初の国家を作ってから、その領土を守っているだけで、対外戦争で勝った事はほぼない。

モンゴル帝国は強かったが、あれは「モンゴル」が植民地にしたので、中国は植民地側でした。局地的には chousen 半島で勝利を得たりしているが、必ず chousen の統治者に追い出されています。ベトナムなどインドシナ半島には何度も侵攻しているが、やはりほとんど勝った事が無い。台湾にすら負け、日本軍にはコテンパンに負け続け、何度も植民地になっています。清国はイギリスとの戦争に負けて植民地化したが、その清国がそもそも中国を植民地化し征服した国です。清国は女真族といい、いわゆる中国人とは別の人種で、満州人、満州民族とも言います。

だから辛亥革命で清国を倒したとき、中国人たちは異民族による植民地支配が終わったと言って喜んでいた。

さらにその前には、「中国人」とは北京周辺に住む黄河文明起源の人たちの事で、長江周辺の長江文明とは別な国だった。

今日「中国が発明した」と言っている文字とか火薬とか印刷とかは、ほとんどが長江文明の発明で長江こそ先進地域でした。黄河文明はただの植民地、蛮族という位置づけで日本や半島と比べても先進地域ではなかった。この黄河文明起源の「現在の中国人=漢民族」は粗野で教養が低く、戦争に弱いという特徴を持っています。

戦争に勝てなくても領土を増やす方法

そんな漢民族がなぜ中国を支配できたかというと、長江文明や半島や日本よりも、圧倒的に人口増加率が高かったからでした。稲作によって大量の食料を得て、子作りに励んでついに女真族やモンゴル族、長江人を数で圧倒して吸収したのでした。
長江文明の子孫である長江人は、漢民族に押し出されるようにして、現在のインドシナ半島に住んでいると言われています。漢民族の戦略はまず人口を爆発的に増やし、歩いて敵国に侵入して住み着き、その国を支配して領土化します。

これなら戦争に勝つ必要がなく、例えば女真族が住んでいた旧満州では、人口の99%は漢民族になったとされています。女真族は戦争では圧倒的に強かったが、人口を増やさなかったので漢民族の侵入で吸収されてしまいました。チベット、ウイグル、内蒙古、旧満州など多くの周辺民族をこの方法で倒してきました。

半島に住んでいる chousen 民族も最初は中国の東北部に住んでいたが、漢民族が移住してきて追い出されて、歩いて半島にやってきた。台湾島も島民が住んでいた場所に、多くの漢民族が移住してきて、今では人口の95%以上を移住者の子孫が占めている。このように中国からの移民や移住者を受け入れるのは、他の国の住民を受け入れるのとは、重大さがまったく違う。中国の場合は移住は軍事戦略であって、住民を移住させて国を乗っ取り、それから軍隊で占領するのです。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/474.html#c1

[近代史3] メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』 中川隆
4. 中川隆[-13935] koaQ7Jey 2020年2月08日 01:00:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-608]

ロジャー・ノリントン

Mendelssohn Symphony No 3 A minor Scottisch Roger Norrington Age of Enlightment


▲△▽▼

Sinfonie Nr. 3 a-Moll Op. 56, MWV N 18 "Schottische":












Orchestra: Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR
Conductor: Roger Norrington


ロジャー・ノリントン指揮 シュトゥットガルト放送交響楽団
ヘンスラー。2004年9月3,7日、シュトゥットガルト、リーダーハレにおけるライヴ録音。

同時録音の「イタリア」とカップリング。緩徐楽章では弦を約半分に減らして演奏している。

これはクレンペラー盤を別にすれば最高の名盤である。
第1楽章の起伏の激しさ。第2楽章と第3楽章の対比。そして終楽章(Allegro vivacissimo)は一転して堅実なテンポ。コーダに入る前にぐっとテンポを落として、...はたしてコーダのテンポは?(クレンペラーのテンポを採ってくれるか? まさかそれは無いだろう。でも一転して馬鹿騒ぎというのも無さそうだ。)

うん!やはり楽譜の指示(Allegro maestoso assai)の“maestoso”を損なわないギリギリのテンポだ。終楽章主部のテンポを抑え気味にしておいたことでコーダをこのテンポにすることができたのである。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm



▲△▽▼

Symphony No. 3 in A minor Op. 56, 'Scottish'









Orchestra: London Classical Players
Conductor: Roger Norrington

ロジャー・ノリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレーヤーズ

EMI。1989年録音。「イタリア」とカップリング。
国内盤が出ていないが、大変素晴らしい演奏だ。
古楽器の鄙びた音色がバグパイプ的でよい。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/894.html#c4
[近代史3] メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』 中川隆
5. 中川隆[-13934] koaQ7Jey 2020年2月08日 01:07:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-607]
カラヤン

Mendelssohn Symphony n. 3 / Karajan, BPO (24bit/96khz 2016)








Berliner Philharmoniker
Herbert von Karajan
Originally released by Deutsche Grammophon in 1971.


ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル
DG。第3番&第4番&「フィンガルの洞窟」でOIBP化。1971年録音。
カラヤン唯一のメンデルスゾーンの交響曲全集から。どれも聞かせ上手な名演だ。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/894.html#c5
[近代史3] メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』 中川隆
6. 中川隆[-13933] koaQ7Jey 2020年2月08日 01:23:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-606]

ブリュッヘン

Mendelssohn Symphony no. 3 ("Scottish"), op. 56. Brüggen, Orchestra of the 18th Century


Orchestra Of The 18th Century
Frans Brüggen

_____

Mendelssohn Symphonies 3 & 4 / Bruggen










Conductor: Frans Bruggen
Orchestra: Orchestra of the 18th Century
Released on: 2013-06-25


フランス・ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラ
GLOSSA。2012年11月録音。
19:16, 4:57, 10:12, 11:18。

09年録音の「イタリア」とのカップリング。
さらに何故かバッハの教会カンタータ第107番のコラールのオーケストラ版が入っている。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm

▲△▽▼

♪メンデルスゾーン:交響曲第3番 イ短調 「スコットランド」 Op. 56 / フランス・ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラ 1994年11月


Frans Bruggen & Orchestra of the 18th Century 1994



フランス・ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラ
PHILIPS。1994年録音。
16:27, 4:21, 9:21, 9:46。

古楽器の限界だ、などという人もいるようだが、そんなことは決してない!
コクのある名演である。第3〜5番+「フィンガルの洞窟」で2枚組。
http://classic.music.coocan.jp/sym/mendelssohn/mendelssohn3.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/894.html#c6
[近代史3] メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』 中川隆
7. 中川隆[-13932] koaQ7Jey 2020年2月08日 01:31:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-605]

クラシック音楽 一口感想メモ
フェリックス・メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809 - 1847
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/メンデルスゾーン


端正でバランスの取れており、典型的なロマン派の情緒を持ち、美的感覚の鋭さを見せる優れた作品を多く書いている。しかしながら、作品の持つ世界がコンパクトで品が良すぎる点でやや地味な印象がある。非常に早熟な作曲家の一人である。


交響曲

交響曲第1番 ハ短調 Op.11 MWV.N 13 (1824年)
3.5点

わずか15歳の作品というのが驚きである。精神的な成熟による深みは全然ないのだが、音を楽しく心地よく巨匠的に鳴らすセンスに関するメンデルスゾーンの早熟に驚かされる曲の一つである。歯切れの良い音の使い方で耳を楽しませてくれる。弦楽のための交響曲からの正常進化であり、八重奏曲の高みに至る進歩の過程において、完成に近付いてきている。

交響曲第2番 変ロ長調「賛歌」 Op.52 MWV.N 15(1840年)
3.8点

3楽章のシンフォニアとカンタータの合わさった大作。前半は成熟感が高くて出来がよく、ブラームスの交響曲を連想するほど。ただし分かりやすいメロディーはない。隠れた名曲と言える。後半も非常に充実した立派な作品なのは確かだ。高揚感があって感動的なのだが、かなり長く、ずっと合唱が続く。交響曲として聴くには敷居が高いと思う。

交響曲第3番 イ短調「スコットランド」 Op.56、MWV.N 16(1842年)
4.5点

ずっしりとした重厚な手応えと響きや内容の充実は、イタリア交響曲よりもずっと上。どの楽章も聴きごたえがある本格的な曲。しかし、だからこそメンデルスゾーンの音楽の線の細さによる限界も露わになっている。

交響曲第4番 イ長調「イタリア」 Op.90、MWV.N 17(1833年)
5.0点

1楽章は明るい陽光を浴びるような明快さで楽しくてメロディーは完璧であり、ロマン派屈指の名曲の一つと言えるだろう。その後の2楽章も3楽章も異国らしい情緒があり雰囲気が良くてメロディーも良く、楽章の構成が効果的で楽しい。4楽章がやや軽いのが弱点。親しみやすい交響曲。

交響曲第5番 ニ短調「宗教改革」 Op.107、MWV.N 18(1830年)
3.0点

青年期の特徴をまだ少し残しながらも大人の音楽に成長する過程の曲と思う。メンデルスゾーン本人がこの曲の何を気に入らなかった不明だが、たしかに序奏の壮大を初めとして多くを詰め込んでいながらも、本人のやりたい事がやりきれていない感じがする。重心が定まっていない。実力があるだけに立派には仕上げているが、あとから曲が思い出せない。インパクト不足である。

協奏曲

ピアノ協奏曲第1番 ト短調 Op.25、MWV.O 7(1831年)
2.5点

やや性急に感じられるほどのテキパキとした音楽、かっちりした構築感、これらの若いメンデルスゾーンの特質が全くピアノ協奏曲に合っていない。このために、一部の場面を除いてあまり面白くない曲になっている。ピアノ書法は頑張っていて音数は多いのだが、いまいち心に響かない。ピアノ協奏曲は耽美性や自由さが大事ということに気付かされる作品。

ピアノ協奏曲第2番 ニ短調 Op.40、MWV.O 11(1837年)
2.5点

1番よりはいいが、やっぱりメンデルスゾーンにしてはいい曲ではないと思う。ロマン派大作曲家のピアノ協奏曲の中では駄作の部類だと思う。

ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64、MWV.O 14(1844年)
5.5点

1楽章は冒頭の魅力から始まり、メロディーやつなぎの部分といい構成と展開といい完璧な完成度。メンデルスゾーンの音楽の線の細さがプラスに働いている。ヴァイオリンの奏でる歌は微かなメランコリーを常に持ちつつも繊細で美しくて魅力的。2楽章の憧れや儚さや人恋しさを歌い続けるヴァイオリンのメロディーの魅力も凄い。3楽章の妖精が踊るような楽しくて愛らしい音楽も非常に完成度が高くて魅力的。全体にほぼ全ての部分が完璧に近い完成度である。

序曲

『夏の夜の夢』序曲 “Ein Sommernachtstraum”Op.21(1826年)
3.8点

とても17歳の作品とは思えない完成度。各主題の良さとそれらの対比の素晴らしさ。妖精や幻獣の創意に満ちた描写の巧さは見事であり、想像を膨らませながら音楽の世界に入り込むことにより、絵巻物のような物語の世界を楽しめる。


トランペット序曲 Op.101(1826年、改訂1833年)
3.3点

なかなか快活で愉しい曲。ただ、それ以上ではないかなという気もする。とはいえ、9分間ずっとひたすら快活で華やかで飽きずに楽しめる曲は案外少ない気がする。シンプルな中に高い作曲技術が込められてはいるのだろう。


序曲「静かな海と楽しい航海」 “Meeresstille und glückliche Fahrt”Op.27(1828年、改訂1832年)
2.8点

大作の序曲であり、序奏の長さを初めとして立派ではあるのだが、分かりやすい華がない。じわじわとした良さしかないため、印象に残らずに終わる。

序曲「フィンガルの洞窟(ヘブリディーズ諸島)」 “Die Fingals-höhle”Op.26(1830年、改訂1832年)
3.3点

ワーグナー的な濃密で現実感のある自然描写が特徴の曲。ブルックナー的なオケのパワーを生かしたダイナミックさもある。ロマン派らしいとても優れた管弦楽曲と頭では分かるが、メロディーが明確さを欠いた曖昧な雰囲気の曲でもあり、自分は個人的にはあまり心を動かされないのが率直な感想である。生のオーケストラで聴いてみたい。

序曲「美しいメルジーネの物語」 “Das Märchen von der schönen Melusine”Op.32(1833年、改訂1835年)
3.0点

並みの作曲家には書けないメンデルスゾーンの作曲技術が駆使されたダイナミックな良作で十分に楽しめる。しかし、他の序曲と比較すると全体を通してインスピレーションがやや弱いため、強くは推せない曲である。

序曲「リュイ・ブラース」 “Ruy Blas”Op.95(1839年)
2.8点

この曲はあまり面白い曲ではなく、一般的な作曲家に近いレベルと思う。主題が地味であまり工夫を感じないし、それを繰り返す中での味付けや他のテーマとの対比もイマイチである。舞台的な明朗な快活さだけが印象に残った。

吹奏楽のための序曲 作品24
3.5点

前半はモーツァルトの傑作緩徐楽章に匹敵するほど、美しいメロディーの叙情的で切ない気分になる名曲で、しんみりする。後半はいつものサバサバした音楽だが、賑やかな感じが愉しい。メンデルスゾーンが吹奏楽を書くとこうなるのか、と興味をそそるが、成功度合いとしては、なかなか良いと思った。

ピアノ曲

ピアノ・ソナタ 第1番 ホ長調 Op.6(1826年)

ピアノ・ソナタ 第2番 ト短調 Op.105(1821年)

ピアノ・ソナタ 第3番 変ロ長調 Op.106(1827年)

3.3点

1、2楽章は性急な感じがピアノソナタに合っておらず、お仕着せな印象もあり、聴いていて面白くない。3楽章の柔らかくては穏やかな書法の産み出す夢幻的な音楽がかなり美しくて、なかなか感動しながら聴き入った。そのままの流れでジワジワと無言歌を大規模にしたかのように、柔らかさを保って盛り上げていく4楽章もなかなか良い。しかし、2楽章の主題がリプライズされてガッカリするのだが。後半2つの楽章が優れている曲。


厳格な変奏曲 ニ短調 Op.54(1841年)
4.0点

繊細で美しい主題。ロマンチックで美しく、華やかでありながら繊細な変奏の数々。ピアノの書法は見事。変奏曲の醍醐味を味わえる巨匠的な作品である。メンデルスゾーンのピアノ曲の中で一番素晴らしい。

幻想曲 嬰ヘ短調「スコットランド風ソナタ」Op.28(1833年)
3.8点

ロマンチックであるが、古典的な平衡感覚も十分に持っている。しかし、決して小さくまとまった行儀の良さだけではないとともに、繊細な歌心と美的な鋭敏な感覚を充分に発揮した曲である。ベートーヴェンとシューマンの間位に位置するような曲。一種のソナタとも言われるが、やはり雰囲気は幻想的。15分というなかなかの大曲。


ロンド・カプリチオーソ ホ長調 Op.14(1824年)
4.0点

ショパンのように華やかでメロディーが秀逸で耳に残る。上品で軽やかで聴いていて楽しい気分になれる名作。メロディーの対比は秀逸である。メンデルスゾーンのピアノ曲で一番よく演奏される曲であるのも当然の名作。

6つの子供の小品 Op.72(1847年刊)
3.5点

子供のための易しい小品集だが、決して子供だましのような幼い音楽ではなく、大人らしい精神の品位とリリシズムのある良い音楽である。従って、大人のとっても聞き応えがある作品となっている。

アルバムの綴り「無言歌」 ホ短調 Op.117(1837年)
3.5点

ホ短調であり、スマートで物憂さと情熱をはらんだ分かりやすいメロディーという点でヴァイオリン協奏曲に通ずるところがある。雰囲気は良いがすこし通俗的である。それより中間部分の長調のメロディーが、夢のような繊細さと柔らかさを持っていて素晴らしい。

ヴェネツィアの舟歌 イ長調(1837年)
3.5点

まさにタイトル通りの曲だが、ゆらゆらと揺られるような雰囲気、黄昏時の光のあたり方のような描写と詩情は素晴らしく、描写的な性格小品の傑作だと思う。描写力や詩情の素晴らしさはドビュッシーの小品を彷彿とさせる。

2つの小品
2.8点

対照的な2曲の小品。悪くはないがあまり優れた所もない。その意味で地味な作品。1曲目は歌があるし2曲目は高速で派手ではあるが。


無言歌集

第1巻 作品19 出版年代:1832年
3.5点

全6曲。1曲目から美しさにいきなり心を奪われる。それ以外の曲も捨て曲なしであり、全て個性的で素晴らしい。メロディーや雰囲気は素朴で音数は多くないが単純過ぎることはなく、シューベルトにも匹敵するような歌心を内包した音楽となっている。

第2巻 作品30 出版年代:1835年
3.3点

1集と比較すると薄味で、さらっと流して聴いてしまうような曲が多いと感じる。ただし最後の6曲目の憂鬱な重たさのあるメロディーはかなり印象的。

第3巻 作品38 出版年代:1837年
2.8点

悪い曲ではないが、ちょっと地味でパッとしない曲ばかりという印象。これはという名作がない。メンデルスゾーンの才能があればいつでも書けそうな浅い曲ばかり。

第4巻 作品53 出版年代:1841年
3.3点

成熟した骨太さと神経の繊細さを併せ持った曲が並んでいる。個々の曲が特に優れているというわけでないが、それぞれに美しさがあり、通して聞くとそれなりに魅力がある。

第5巻 作品62 出版年代:1844年
3.3点 ただし「春の歌」は4.0点

春の歌は一番有名なだけあって、他の曲と比較して断然魅力的。うららかな春の陽気と、そよ風の心地よさの楽しい気分が絶妙に表現されている。その他の曲は、4集よりやや精神的に落ち着いて成熟感が増した代わりに、美しさの魅力が少し減った印象。

第6巻 作品67 出版年代:1845年
3.3点

それまでの曲集と音楽的に大きく変わらないのだが、雰囲気が違う。この曲集はシューベルトを強く連想した。シンプルな中に、憂いと生への羨望の入った、静謐な世界。晩年らしい曲集となっている。

第7巻 作品85 出版年代:1851年
3.3点

没後4年目に、遺作として出版。4曲目がかなり美しい。歌曲以上の歌心を要求する曲。全体に様々な時代の曲が集められた曲集であり、統一感はあまりない。軽やかな曲も多くあり、それらがやけに心を癒される。

第8巻 作品102
2.5点

第7巻までの曲集と比較して、似ているようでも何かが足りないような曲ばかりが集まっている。特に印象に残った曲もない。やはり、死後に時間が経過した後にボツになった曲を集めた曲集というのが納得のレベルになってしまっている。

弦楽のための交響曲

弦楽のための交響曲 第1番 ハ長調(1821年)MWV.N 1
2.8点

12歳の習作にしては大人びている。少なくとも3、4歳位は上に感じる。音階が単純などまだまだ技術は足りないものの、快活さと音の豊さと耳を惹きつける魅力を既に持っていて驚く。


弦楽のための交響曲 第2番 ニ長調(1821年)MWV.N 2
3.3点

1楽章は快速な音で伴奏を埋めていて楽しい。2楽章はモーツァルトの五重奏40番2楽章のような柔らかさや哀愁が素晴らしい。3楽章はやや平凡。

弦楽のための交響曲 第3番 ホ短調(1821年)MWV.N 3
2.5点

1楽章は初めての短調曲だが全然面白くない。2楽章はモーツァルトのロマンチックなエッセンスを活用した感じで割とよい。3楽章は短調で対位法的に書かれているが、習作レベルという印象が強い。

弦楽のための交響曲 第4番 ハ短調(1821年)MWV.N 4
3.0点

1楽章は対位法的に書かれた短調のソナタであり、かなり成功しているように思える。提示部も展開部も対位法的とは面白い。2楽章も柔らかくて悪くない。3楽章は相変わらず弱点だが成長しているように思える。

弦楽のための交響曲 第5番 変ロ長調(1821年)MWV.N 5
3.0点

1楽章は小刻みの音が使われている快活な曲。2楽章はモーツァルト的な優美さ。3楽章も快活な曲。全体に精神的に一歩成熟した感がある。


弦楽のための交響曲 第6番 変ホ長調(1821年)MWV.N 6
3.3点

1楽章は快活だという程度の感想。2楽章は初めてメヌエットになり、それがセンスが良い曲であるとともに、変奏されていく複雑な構成。弱点だった3楽章のセンスが良くなり、しかも複雑な構成で楽しめる。

弦楽のための交響曲 第7番 ニ短調(1822年)MWV.N 7
2.5点

1楽章は切れ味が鋭いがザクザクしすぎ。2楽章は所々期待させつつ、盛り上がりに欠けて終わる。3楽章もいいのは瞬間的。4楽章は交響曲らしい力感のあるフィナーレになった。全体に約20分とこれまでより大作になったが、それに見合う楽しさがないと思う。


弦楽のための交響曲 第8番 ニ長調(1822年)(同年に管弦楽用に編曲)MWV.N 8
3.0点

交響的な響きの充実感がここまでの曲と違う。そのため精神的により成熟した印象を持つ。2楽章のチェロの活躍ぶりも良い効果を出している。最終楽章のモーツァルトのように活力あるたたみかけるような楽想溢れる曲も良い。

弦楽のための交響曲 第9番 ハ長調「スイス」(1823年)MWV.N 9
3.3点

25分。巨匠的な音楽的充実感と品位の高さがあり、管弦楽曲的な響きの豊さがある。冒頭の悲劇的な開幕に驚くが、本編は明るい。驚くべきメンデルスゾーンの成長が見られており、既にドイツロマン派の巨匠の域に達している。

弦楽のための交響曲 第10番 ロ短調(1823年)(一楽章のみ) MWV.N 10
3.0点

単一楽章。端正で均整の取れた美しさと、年齢の割に大人びた音楽と実力には関心するが、雰囲気的に中庸すぎてあっさりしており、これはというような目を引くものに欠ける。短いので盛り上がらずにあっさり終わる。

弦楽のための交響曲 第11番 ヘ長調/ヘ短調(1823年)MWV.N 11
3.0点

40分近いという弦楽のための交響曲の中でダントツの大作。長さを十分に生かしきっているとは思えないが、長いなりの音楽的内容になっており十分に頑張っている。目を引くような楽章は特にない。

弦楽のための交響曲 第12番 ト短調(1823年)MWV.N 12
3.5点

冒頭はまたしても短調の重厚で悲劇的な開始。2楽章は珍しくロマンチックの極みのような感動系の音楽で驚く。3楽章は短調で豊富な楽想を込めて対位法も活用したものすごい力作で圧倒される。この完成した最後の弦楽のための交響曲は、総決算であるとともに別次元の高みを目指してチャレンジした事は明白であり、試みとしては十分に成功していると言えるだろう。


弦楽のための交響曲 第13番 ハ短調(1823年) MWV.N 14
3.0点

重厚で悲劇的な前奏と対位法的曲な主部の1楽章のみ。自筆譜には番号無し。後のメンデルスゾーンの音楽を考えると、この後半数曲の音楽性はこの時期だけのマイブームだったのだと思う。出来は悪くないが、この一楽章だけでは総合性が無いので、未完成のまま放棄された曲として聴く事になる。

室内楽

メンデルスゾーンは室内楽マスターの一人だ。軽快な作風で音の重さに頼っていないし音感が良く、複数声部を絶妙に絡めることに長けているから室内楽に合っているのだろう。数が多いがどれも質が高く、名作揃いで楽しめる。

ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調(1820年)
2.8点

いかにも子供が書いた作品という音の使い方であり、巨匠的ではない。それにも関わらず、思いのほか印象が良い。爽やかだし、様々な工夫をこらして頑張っているのが伝わってきて微笑ましい。センスの良さには驚く。

ヴァイオリン・ソナタ ヘ短調 Op.4(1825年)
3.5点

若書きだが、メンデルスゾーンとヴァイオリン曲の相性の良さを強く感じる佳曲。冒頭から独奏のモノローグが悲しく響くのが独創的。1楽章の線の細さが産み出すもの悲しさは魅力的で、後のヴァイオリン協奏曲の萌芽を感じる。2楽章は端正なつくりのなかに感動的なロマンチックさを存分に発揮させていて、非常に魅力的で驚いた。3楽章はやや凡庸な曲ではあるが、やはりメンデルスゾーンらしい端正さともの悲しさの同居にそれなりの魅力を感じる。

ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調(1838年)
3.0点

若書きの作品と比べて、規模の大きさ、ピアノとヴァイオリンの有機的で混然となった関係など、ロマン派の進化に沿った充実した作品となっている。にも関わらず、心への響きも曲の魅力も不足しており、立派だが平凡で面白くない作品と感じる。メロディーの魅力があまりない。

ヴィオラ・ソナタ ハ短調 (1823年)

チェロとピアノのための協奏的変奏曲 ニ長調 Op.17(1829年)
3.3点

ベートーヴェンを強く連想する、品の良さと広大さのある正統派の変奏曲。かなり雰囲気はよい。ただ、かっちりとしており、ロマン派にしてはやや手堅すぎて物足りない感はある。

チェロ・ソナタ 第1番 変ロ長調 Op.45(1838年)
2.5点

チェロらしい良さがあまり感じられない。お勧めポイントがあまりない曲。自分で演奏したら充実しているのかもしれないとは感じたが、鑑賞用としてはいまいち。

チェロ・ソナタ 第2番 ニ長調 Op.58(1843年)
3.0点

発想の豊さ、楽想の自然さなど、4つの楽章に作曲者の充実が現れている。1番はいかにも作り物という印象であり、こちらの2番の方がずっと音楽的に良いとは思う。だが、鑑賞していて感動するほどの場面はなかった。

チェロとピアノのための無言歌 ニ長調 Op.109
2.8点

凡庸な曲かなと思う。しかし一方で、チェロをたっぷりと歌わせているため、音数たくさんで作り込んだソナタより安心して聴ける楽しさがある。

クラリネット、バセットホルンとピアノのための演奏会用小品第1番ヘ短調 Op.113
3.5点

3つの楽章に分かれたコンパクトな作品。月光ソナタのような三連符に乗せたロマンティックな甘さが素敵な2楽章が印象的。1楽章は正統派の悲劇的な短調のゴツい曲調のなかにクラリネットとバセットホルンの歌心のある音色の魅力を活かせていて十分に魅力的。3楽章の高揚感のなかにクラリネットとバセットホルンらしい陰もしのばせていて表情豊かなのも楽しい。

クラリネット、バセットホルンとピアノのための演奏会用小品第2番ニ短調 Op.114
3.5点

1楽章は充実感が素晴らしい。2楽章の管楽器の2重奏でモーツァルトにかなり似た雰囲気の歌謡的な旋律をロマン派の情緒も取り入れて存分に歌うのが、かなり魅力的。3楽章のポロネーズ風を取り入れた曲も新鮮で楽しい。もっと高揚感があるとさらに好みだったが。全般にとても愉しめる曲。


ピアノ三重奏曲 ハ短調 (1820年)(ピアノ・ヴァイオリン・ヴィオラ)

ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 Op.49(1839年)
3.8点

ベートーヴェンばりの本格派で精神的な厳しさのある曲。メンデルスゾーンの普段の柔らかい音楽とは違う顔を見せている。ピアノが名人芸的な難易度の高さであるのが非常に高い効果を上げている。音数が盛り上げる曲想の鋭さと複雑さと密度感は聞き応えを増しているし、単純に華やかでもある。全体に説得的で情熱的で大きな感情の揺れがあり素晴らしい。ベートーヴェンが30年生まれるのが遅かったらこんな曲を書いたかもと思わせる。楽章の出来もレベルが揃っているが4楽章がやや落ちるか。

ピアノ三重奏曲 第2番 ハ短調 Op.66(1845年頃)
3.8点

巨匠的な成熟感と音楽的内容における密度の高さが素晴らしい。三重奏曲における音の少なさがメンデルスゾーンの音楽に合っている。音の厚みに頼らず、端正で無駄がない。短調らしい情熱と、颯爽ときたさわやかさと力感や高揚感、可憐さを伴った美しさが共存している。全ての楽章が力感にあふれて素晴らしい。ピアニスティックで音数が多いのも楽しい。ロマン派屈指のピアノ三重奏曲。ただし、メロディーがあまり印象に残らない。1番ほどの厳しい緊密さがない代わりに、束縛のない自由な広大さがある。柔らかさと充実感が同居している。1楽章がやや地味で、2楽章以降が素晴らしい。

ピアノ四重奏曲 ニ短調 (1822年)

ピアノ四重奏曲 第1番 ハ短調 Op.1(1822年)
3.3点

若書きだが音は充実していて驚く。まだおおらかな典型的で古典的な音型のレベルから脱してはいないが、決してつまらない音楽ではないし、陳腐だとは全然感じない。知らないで聴いたらとても13歳の書いた音楽には聴こえない。弦は弱いがピアノパートがかなりよく出来ており、純粋に音楽としてなかなか楽しめる。室内楽らしいピアノパート語法をマスターしている。

ピアノ四重奏曲 第2番 ヘ短調 Op.2(1823年)
3.5点

1番よりさらに充実した作品。少なくともピアノパートは既に例えばシューベルトのピアノ五重奏曲くらいの充実感を実現しているように聴こえる。弦も、凄みを感じるほどではないが、十分によく書けているように聴こえる。大作曲家の作品として相応しい出来であり、習作感がなく、若書きと意識する必要がないくらいである。巨匠的な品格があり、屈性のない素直な初期のロマン派音楽を堪能できる。

ピアノ四重奏曲 第3番 ロ短調 Op.3(1825年)
3.3点

2番から2年後の作品だが、自分はあまり成長を感じない。むしろやや陳腐に聴こえる場面が増えていて、2番より面白くないと思った。最終楽章のゴツさやスケール感はなかなか楽しめるが。室内楽としての基本的な出来の良さはかなりのもので、とても16歳の作品とは思えないのだが。

ピアノ六重奏曲 ニ長調 Op.110(1824年)(ヴァイオリン1、ヴィオラ2、チェロ1、コントラバス1、ピアノ1)
3.0点

ピアノばかり活躍しすぎで、弦が薄いし活躍しない。4人もいる弦奏者が可哀想になる。くつろいで聴く曲なので、特に活躍は必要ではなのかもしれないが。たまに見せるピアノのテクニック以外は聞き応えもあまりない、まったりした曲である。悪くはないが、それなりの曲。

弦楽四重奏曲 変ホ長調 (1823年)
2.5点

これは明らかに習作レベルである。ときどき音の絡ませ方に14歳とは思えないセンスを見せる箇所はあるが、大半はごくシンプルな子供レベルの簡潔な書法ばかりである。聞いていて楽しめるレベルにない。同時期でもここまでシンプルでない曲もあるから、この曲は練習に書いたのではと思う。ただ、4楽章のフーガはなかなか楽しめて天才少年ぶりに驚かされる。

弦楽四重奏曲 第1番 変ホ長調 Op.12(1829年)
3.5点

かなり完成度は高いと感じた。全体に渋いと言ってよいと思うが、柔らかい中に多くを詰め込んでおり、室内楽としての書法はレベルが高いように思う。少し地味さがあるものの、演奏のせいかピアノ三重奏曲のような緊張感はなくマッタリしているものの、自分としては完成度を楽しむ意味ではなかなか感動できた。20歳とは思えないほど精神的にも音楽的にも成熟感がある。

弦楽四重奏曲 第2番 イ短調 Op.13(1827年)
3.5点

面白い曲。暗くてモヤモヤしたつかみどころのなさと自由闊達な動きに最初は驚いた。これが18歳の曲か?と思った。それが後期ベートーヴェンの作品に大きな影響を受けたのだと知って納得した。後期から、ロマン的で、耳が聞こえることによる音感の向上を施すと、このような曲になるかもしれない。曲そのものの絶対的な良さより、とにかく面白さが気に入った。

弦楽四重奏曲 第3番 ニ長調 Op.44-1(1838年)
3.8点

2番までとは全く違う、爽快で気持ちいい曲である。こちらが通常のメンデルスゾーンのイメージである。すっきりして正統派の書法や語法を使った音楽で、聴きやすいが決して表面的なだけでない内容の充実がある。楽しめて、音の愉しみに酔える音楽であり、素晴らしい。ロマン派の弦楽四重奏曲としての出来栄えはかなりのものである。メロディーが魅力的。

弦楽四重奏曲 第4番 ホ短調 Op.44-2(1837年)
3.5点

3楽章が非常に美しくて感動した。1楽章は規模が大きくて聴きごたえがあるが、苦労と努力で書かれているように聴こえてイマイチかと思ったが、後半が素晴らしい。4楽章も躍動感を見事に体現しており、しかもヴァイオリン協奏曲に通じるような繊細な陰影を見せており、音の織物が風になびくかのごとく自然に揺れて、感動させられる。

弦楽四重奏曲 第5番 変ホ長調 Op.44-3(1838年)
3.5点

作品44の他の2曲に比べると前半部分の感動はかなり落ちる。前半は余った材料で書いたのでは、と失礼なことを考えてしまう。一段階地味に聴こえる。しかし3楽章のアダージョは大変美しい。ベートーヴェンの渾身の名作アダージョにも匹敵するほどの素晴らしい。人生の重みと深みを表現し、多くの悲哀とその中にある生きる喜びを感じさせる曲といえよう。この楽章があるから曲全体を高く評価する。4楽章は料理の仕方は悪くないが材料がイマイチ。

弦楽四重奏曲 第6番 ヘ短調 Op.80(1847年)
3.5点

悲劇的で重たい沈んだ気分で書かれている。姉が亡くなった影響というのは明らかだと思われる。もちろん大作曲家らしく楽曲としての必要なバランスは考えられているが、鎮魂の気分と自身の喪失感はかなりの時間を占めている。若い頃の明快さと元気さは消えてしまってパワーが無くなっており、悲しい独奏や不協和音が挟まったりして、痛ましい気分になる。3つの楽章が短調であり、唯一の長調の楽章も暗い場面が多い。とはいえ内容は強靭な発想力に満ちており、充実した密度の高い音楽である。ハマる人は非常に気にいるかもしれない。また、人によってはあるタイミングでこの曲が心に強く響く体験をするかもしれない。

弦楽四重奏のための4つの小品 Op.81
2.8点

悪くはない小品集だが、これといって強い特徴もない。やはり弦楽四重奏の深く広大な世界と比較すると、いかにも重みに欠ける小品集といった感じであり、あっさりと終わる曲が集まっているように感じられる。

弦楽五重奏曲第1番 イ長調 Op.18(1826年)
3.3点

切れ味と整理の良さはあるものの、それだけの単純明快でない複雑な充実感に踏み出している。普通の五重奏曲と比べて、なぜか声部が多いように聴こえて、弦楽四重奏と差が大きいように感じる。そういう充実感はなかなか良い。メロディーや楽想に強い魅力は感じないが、佳作としての価値があると思う。

弦楽五重奏曲第2番 変ロ長調 Op.87(1845年)
3.3点

いまいち焦点が定まっていない感じがする曲。そのせいか気力が衰えたようであり、力強さとか展開の推進における生命感のようなものが、本来のメンデルスゾーンのそれと比較すると少し弱く感じる。ピアノ三重奏曲2番もその兆候はあるもののまだ大丈夫だったが、その後に書かれたこの曲でより強く現れたと解釈している。とはいえ、3楽章は非常にロマンチックで美しい、オーケストラ曲のようなスケール感があってよい。音は分厚い響きであり、弦楽四重奏より声部が多い恩恵を活かせていると思うが、1番ほどではないと思う。

弦楽八重奏曲 変ホ長調 Op.20(1825年)
3.5点

初期の歯切れの良さと爽やかさに中にみせる古典的かつ巨匠的な音感センスの音楽の総決算と思われる曲。弦楽四重奏二つは音は多すぎて全ては聴き取れない。これ以降は徐々に大人の複雑さを表現しはじめる。初期の純粋さと才能のきらめきの魅力における一つの創作活動の頂点である。勢いに乗りながら推進していきながらも歌心あふれるのがよい。楽想の豊かさや密度の濃さや構成力による完成度は16歳とは思えないが、メロディーの魅力はそこそこだと思う。

声楽曲・宗教音楽

オラトリオ

聖パウロ Op.36(1836年)

エリヤ Op.70(1846年)


https://classic.wiki.fc2.com/wiki/メンデルスゾーン
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/894.html#c7

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
127. 中川隆[-13931] koaQ7Jey 2020年2月08日 10:03:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-604]

柴田秋豊の様な自称株式投資成功者の正体は商材屋 _ 勝っている投資家は絶対に他人に手法を教えない


ネットで投資成功者を装う人たちの目的はお金を使わせる事

高級住宅地で写真を撮ってセレブを装うのは基本

成功自慢する人

インターネット黎明期の掲示板から、成功者を装って自慢する人たちが存在した。

目的は単に自慢して尊敬されたい、威張りたいというものから信者を増やしたい人まで様々です。

信者を獲得すると信者は「教祖」に従うようになり、勧められるままに行動するようになる。

広告を貼るとクリックして、教祖がお勧めする業者に口座開設するなどはまだ可愛い手口です。

悪質な教祖は投資法や必勝法と称してデタラメな必勝本や、高額な投資ソフトを購入させます。

もっと悪質なのは自分の投資ファンドに投資させたり、霊感商法さながらに価値のない物を買わせる。


原野が値上がりすると言って買わせる原野商法や、エビ養殖が儲かると言って投資させるエビ養殖詐欺と変わらない。

時代は下りインターネットは掲示板からSNSになり、フェイスブックやツイッターでファンを獲得しやすくなった。

成功者を装う人は証拠として業者の取引画面を掲示するが、これは画像加工ソフトで簡単に作れてしまう。


また業者によっては宣伝してもらうために、偽装の証拠画面を簡単に作れる偽口座を用意している。

こうしてカリスマ投資家は実際には投資で勝っていないのに、数千人や数万人のファン(信者)を獲得する。

毎日の(ウソの)取引を解説しながら、さりげなく商材購入や口座開設に誘導します。


成功者の正体は商材屋が多い

こうした信者獲得で成功者になった1人は与沢翼で、彼のメインの職業は商材販売でした。

自分は成功者であると名乗り、こうすれば成功できるという商材を数十万円や100万円以上で販売していた。

与沢は一度破産するが、立て直したのはブログによる信者獲得と、やはり商材販売のノウハウでした。


与沢が成功者であることは間違いないが、彼の商材を買って同じように成功できるかは、甚だ疑問です。

同様にSNSで成功者を名乗る人は、実際に成功者なのかも知れないが、その収入源は投資ではなく商材販売や紹介料です。

投資で大金を稼いでいる投資のプロが、ネット上で素人に教える事はなく、自分で自分の首を絞めたりしない。


簡単なロジックとして、「勝っている投資家は絶対に他人に手法を教えない」のであり、他人に教える情報はゴミだけです。

プロディーラーであろうと外資系ヘッジファンド役員であろうと、他人に教える投資家は100%投資で負けています。

ブログやユーチューブやツイッターやフェイスブックでは、自分は投資で勝っていると名乗る者が大勢います。


だが統計として、投資で生涯通算で勝つ人は5%以下であり、大金を得る人は万人に1人も居ません。

たとえば世界一を自称する有名FX業者は以前、「10万円を数億円に増やした」という体験談を広告に使っていました。

もっともらしく書いているが一目見てウソと分かる内容で、「水素水でガンが治った」のような類でした。


そんな悪徳業者が悪徳商材屋に金を渡し、偽の成功談や取引履歴で素人投資家を勧誘します。

こうして在りもしない成功談に騙されてお金を失う人が、後を絶ちません。
http://www.thutmosev.com/archives/82110665.html



▲△▽▼


2019年11月29日
与沢翼の成功、破産、そして復活 秒速1億円男

http://yozawa-matome.com/wp-content/uploads/f8ffa60452c588a699bfb9fde72f851e.png


秒速1億円を稼ぐ男と呼ばれた与沢翼は破産したという話が流れてから噂を聞かなくなり、自然に忘れられていった。

しかし2015年になってシンガポールで突然復活し、現在は『資産70億円男』として活躍している


この数年間に何があったのだろうか?


成功


与沢氏はテレビ番組で言っていたのとは違い、株や先物、為替取引のような金融投資で成り上がった訳ではない。

最初の成功はインターネットで「成功する法則」のような怪しい情報商材を販売して多額の資産を作った。

今でもそうであるように情報商材とは要するに、不遇な人に夢を与える代わりに金を騙し取る商売で、大半は嘘で出来ている。


多くは自分は貧乏から成り上がった成功者だと自称し、こうやって成功したという実体験が書かれている。

情報商材の料金は数十万円から数百万円で、月に1千万以上の収入があったようだ。

「成功の法則」のようなものには共通した矛盾があり、最初の一人が実行した時には大きな成果が得られるが、後になるほど取り分が小さくなり、最後にはマイナスになる。


例えば日本人全員が「情報商材」を販売したらどうなるか?、競馬の「必勝法」で全員が同じ馬券を買ったらどうなるかという事です。

これは株や投資にも当てはまり、その「必勝法」を実行する人数が増えるほど成果は低くなり、最後にはマイナスになる。

あらゆる成功の法則は、世間に広まった時点で無効になっているのです。


「情報商材」のような商売は必ずいつか行き詰るだろうが、与沢氏は行き詰る前に投資の世界に進出した。

ここら辺は見切りが上手く、その後の投資家としても全期間を含めて、最高月収は5000万円だと振り返っているので、年収にして数億円だった事になる。

しかも収入の多くは投資ではなく、情報商材や成功指南、マスコミへの出演報酬だったと見られている。

破綻


2014年4月、自身が経営する企業の法人税未納や実質経営破たん状態にあることを突如公表した。

彼がやっていたと自称している金融投資は先物とFXが中心だったようで、破産の原因はFXでの損失だった。

先物もFXも、素人が成功するような投資ではなく、両方とも投機、ハイリスクな賭けと言えます。


ハイリスク、ハイリターンな投資では、考えれば分かると思うのだが、成功者はほとんど居らず、全員が敗北する敗者のゲームです。

業者が天引きした残りを投資家同士が奪い合うのだが、1兆円以上をポンポン投資して相場自体を変動させるような機関投資家には絶対に勝てない。

与沢氏の金融投資は負けるべくして負けた。


与沢氏の経営する投資会社の破綻なのだが、多くの人は何故か奇妙な印象を受けた。

詳細は知らないが、破綻したファンド経営者など、一家で夜逃げして数年後にXXXで発見されるのが当たり前の世界である。

ところが与沢氏は堂々とマスコミに出て事情を説明したりしていました。


破綻したファンド経営者はまず逃げたり隠れたりするもので、そうしないのはおかしいのです。

それまで「俺は世界の支配者だ」とふんぞり返っていた人が、翌日無一文になったら、もう世間に出れるものではない。

もしかしたら個人的な資産を別に逃がしておいて、会社だけを破産させたのではないかと思った。

与沢はいつもカッコいい事だけを言うが、大元の資金源は商材とブログです


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画像引用:“元ネオヒルズ族”与沢翼、今の純資産は約75億円! 結婚を決めた妻の一言とは? | AbemaTIMEShttps://times.abema.tv/posts/7016004

復活 持つべきものは良いブログと商材?


復活後はシンガポールで展開している株式トレードと合法的な賭けで、月1000万円ほどを稼ぎ出していると報告していました。

主なビジネスは株式投資で、先物やFXのようなハイリスク投資は辞めたと言っている。

復活のきっかけになったのはブログだと言っていて、投資は全て止めてブログ執筆だけに専念したという。


ここで疑問なのはブログってそんなに儲かるのかという事だが、芸能人の人気ブログの多くは年に1億円以上を稼いでいる。

何かと話題になる元モーニング娘。の主婦とか、固定ファンが多ければ毎日30万円くらいにはなり、1年では1億円を超える。

芸能人にはステマ依頼があり「この化粧品を使ってみたら良かった」とか一言書くだけで数万から数十万円になる。


因みにこのブログではその数百分の1といった所で、そういう美味しい話は無いです。

与沢氏はブログの他にもLINEスタンプとか著書とか商材とか、地味だが堅実な収入源があり、破産後も月に1000万円の現金収入があったと考えられる。

彼自身は「投資を止めてブログに専念したら、かえって儲かった」と言っている。


2014年3月に、約3億5000万円の法人税未納に会社は破産したわけだが、家や高級外車を売却したら1億円程度に減ったと言っている。

残った1億2000万円の債務は、前年の巨額赤字によって還付金が受けられて帳消しになったようです。

つまり3億5000万円の負債は資産を売り払ってチャラに出来た。


銀行から融資を受けず、自己資金だけでやっていたので他に借金はなかったと言っている。

ブログと講演、著作権で月収1000万円以上あり、年収1億円の現金収入で再起できた。

確かに与沢氏の破産は注目を集めたので、ブログ収入が数千万円あったのは事実としても、僅か1年後に豪邸に住み、1億円のフェラーリを現金で購入するなどしている。

シンガポールに移住後はまず株とFXで稼ぎ、中東や東南アジアへの不動産投資で増やした。


さらにビットコインブームに乗って仮想通貨取引で14億円を稼いだと報告している。


所有する不動産40戸の価値は45億円で、その他資産が25億円ほどで合計約70億円だと語っている。

これらが本当なら不動産と仮想通貨以外の資産は10億円ほどにしかならず、使った分を含めても20億円未満でしょう。


ブログと商材販売など現金収入で年収1億円から2億あるので、このくらいはあってもおかしくないのかも知れない。


与沢翼の強みは結局ブログと商材の現金収入で、また破産したとしてもこの2つは確実に月収1千万円を稼いでくれます。
http://www.thutmosev.com/archives/33823225.html  

▲△▽▼

2020年02月05日
「天才」与沢翼が復活した錬金術 ブログと商材で瞬足1億円調達

破綻したのに妙にお金があるので、計画倒産も囁かれた


引用:https://s1-ssl.dmcdn.net/M3fVJ/1280x720-EYo.jpg


与沢翼は最近また「投資で成功しシンガポールで活動している」などと自身の活躍を誇示しています。

2014年に破産して無一文になった筈だが、どうやってそこから再起したのだろうか。


破綻したがお金持ちの理由

与沢翼は2014年4月に会社が破綻した筈だが、現在はシンガポールで投資家として活躍しているようです。

近況を伝えるマスコミによれば、株取引や土地投資で月に数千万円を稼ぎ、豪邸や高級車を所有しているという。


どうやって再起したのか調べてみると、相変わらず怪しさ満点の「ビジネス」をしていました。


まず2014年に会社が破綻した経緯は、情報商材などで稼いだ金で、もっと大きなビジネスをしようと思ったのがきっかけです。

情報商材は1件数十万円から数百万円の価格なので、月に1千万円以上の収入になりました。

その後テレビに出演し「投資で秒速1億円稼ぐ」と豪語していたが、実際は投資で儲けた金ではなかったようです。


収入の大半は情報商材販売とテレビ出演料、講演会の講演料のようなものだったとされています。

そんな与沢の転機になったのが東北地震と原発事故で、「日本はもう滅びる」と思って外国で投資しようと思った。

「All of me」という会社を立ち上げてゲーム開発をしようとしたが、思ったより面倒なのでFXに切り替えた。


ここで上手い話を持ちかけるペテン師に引っ掛かり、会社の運営資金数億円を持ち逃げされました。

「All of me」は与沢翼が出資した資金で運営されていたが、その大半を失ってしまいました。

「All of me」を立ち上げたのが2014年初めで、一ヵ月後には資金持ち逃げで破綻しました。


復活する与沢翼

この後税務署から3億5000万円の法人税を請求されたが収めることが出来ず、ブログで破産宣言をしました。

自宅や高級車を売ったら残り未納金は1億円になり、その後1億円の還付金があったのでチャラになりました。

この時与沢に他に借金は無かったので、無一文にはなったが、ただそれだけでした。


ここで重要な役割りを果たしたのがブログで、破産を報告してアクセスが殺到し、推定で毎月数百万の広告収入があったと思われます。

ブログ以外にもLINEスタンプ、著書の著作権料、情報商材売上げ、講演など現金収入が多く、どれも元手がタダでお金だけ入ってきます。

これらの合計だけで年間1億円近くに達し、破産後もシンガポールに移住してすぐに贅沢な暮らしを再開しました。


与沢は儲からないFXや株などを辞めて、ブログで儲ける事に集中しました。

推定一日数十万人のブログ読者に「商材」を売ることを思いつき、メールマガジン販売を始めました。

メルマガは一件600円だったが、一ヶ月で7万人の会員を集めたとされるので、数千万円の現金収入を得ました。


メルマガ会員にはさらに自分の商材を売ったりして、継続的に利益を上げているようです。

さらに与沢は得意のセミナー商法で会員限定の講演会を開き、経営塾のようなものも主催して料金を取りました。

このブログXメルマガX商材X講演会X経営塾の核分裂反応で、数億円を稼ぎました。


株投資はネタ話か

この間たった1年であり、なるほど与沢翼は何かの意味で「天才」なのかも知れません。

さらに申し込んだ人をネットで有名人にするというプログラムを販売し、ここでも数億円を得たようです。

これらもまた継続的に会員を獲得しているようで、確かに資産を増やし続けているようです。


では与沢翼が豪語している「株投資で毎千月数万円稼いでいる」は何かと言えば、会員を集める為の宣伝でしょう。


株投資(特にデイトレ)は継続的に儲かるものではないので、投資テクニックというのも作り話でしょう。


現在の主な収入源は土地を購入して賃貸するビジネスと、中長期の資産運用と考えられる。


資産運用の原資は相変わらず商材販売やブログなどの「現金収入」で、何にしろ現金が入ってくる商売は強い。


相変わらず与沢の本当の収入源は商材販売とか講演、ブログなどであって、土地投資や株投資は儲けた金を増やす手段だと思います。


1年の半分以上海外の同一国に居れば日本政府に納税しなくて済むのが、シンガポールに居る理由です。
http://www.thutmosev.com/archives/55986281.html


柴田罫線の様な商材販売屋に引っ掛かってはいけません。
柴田罫線で儲かった投資家なんか一人も居ないのです。


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c127

[リバイバル3] スイングトレードのやり方 中川隆
3. 中川隆[-13930] koaQ7Jey 2020年2月08日 10:08:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-603]
移動平均線で役に立つのは3日移動平均線だけ


日足の3日移動平均線以外は必要ありません。


株価が3日移動平均線を起点にして動いているというのに気付くかどうかがポイント。

連休明けなどで株価の位置がどうなるか良くわからない時は、大抵3日移動平均と同じ値に落ち着きます。

株価と3日移動平均線の乖離がいくら大きくなっても、2, 3日で3日移動平均線まで戻ります。


_____

私は移動平均なんて「3/9/25日線」しか見ませんが、理由は「株価は短期の動きで大きい波動を形成する」からで、「長期のポジションを想定できるものではない」と考えているからです。

 例えば、前述のTは「200日線を越えたのは、ここ1年での平均買いポジションがプラスに転じたことを意味する」と言いますが、そんな昔の玉持ってる連中が相場動かしているわけではありませんし、「200日ずっと買い増してたんかい!」とツッコミ入れたくなります。

今日上げている銘柄は輸出株が多かったのは朝から分かっていたことですが、チャートを見れば、すぐに察しがつきます。

 あぁ、3日線かと。

 今日の日経平均先物は3日線を頭にしています。
 主力銘柄の多くも、株価の位置はさまざまですが、3日線が上値になっています。

 決して、ロイターが指摘する「輸出株が買われ、小売株が売られた」ということではなく、個々の銘柄で3日線が意識されただけです。


25日線を3日線が上抜けた上に株価がそれを越えたことで買い戻しの上昇

25日線を3日線が上抜けた上に株価がそれを越えたことで買い戻しの上昇

 アドバンテストや東京エレクあたりは、3日線の上にいますが、これは25日線を3日線が上抜けた位置にあり、チャート妙味があるからです。

25日線を下抜けで弱いチャートだが、日経平均につられて3日線まで戻っただけ

25日線を下抜けで弱いチャートだが、25日線は横ばいでまだマシ。
しかし、売られているのは増資が原因か。


下がっている25日線を割り込んで、かなり悪いチャート。今日上げたのは3日線につられただけ。

あと、先行して下げており、23日の安値に寄り付きで近かったたことも上昇理由に上げられる。
ただし、悪い銘柄筆頭なので上値も重かった。


下がっている25日線を割り込んで、かなり悪いチャート。今日上げたのは3日線につられただけ。
あと、先行して下げており、23日の安値に寄り付きで近かったたことも上昇理由に上げられる。

 -------------------------------------------------


 ちなみに、普段から「3/9/25日線を見ましょう」と書いている理由は、日々の株価の節目というのが「3/9/25日線」を目途に動くからです。

 移動平均で「5/25/75日線」なんか見ても、株価の動きに遅れてしまいますので、「3/9/25日線」を見ましょう。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1038.html#c3

[リバイバル3] スイングトレードのやり方 中川隆
4. 中川隆[-13929] koaQ7Jey 2020年2月08日 10:13:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-602]

一般則として

外人投資家が買って、個人投資家が売っている → 株価は上昇中
外人投資家が売って、個人投資家が買っている → 株価は下降中

外国人が買って、日本人が売っていたら上昇トレンド

日本人が売りから買いに変わったらピーク

外国人が売って、日本人が買っていたら下降トレンド

日本人が買いから売りに変わったらボトム


海外投資家の売買動向
https://karauri.net/doukou/
http://www.traders.co.jp/domestic_stocks/stocks_data/investment_3/investment_3.asp
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-109.html


アダム・スミス2世の経済解説 投資部門別売買状況
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1038.html#c4

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
128. 中川隆[-13928] koaQ7Jey 2020年2月08日 10:19:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-601]
>勝っている投資家は絶対に他人に手法を教えない


スイングトレードのやり方教えてあげる


海外投資家の売買動向
https://karauri.net/doukou/

騰落レシオ(6日間)
https://nikkei225jp.com/data/touraku.php

3日移動平均線


の三つだけ見ていれば十分です。


海外投資家が買っていたら買い
海外投資家が売っていたら様子見

騰落レシオ(6日間) が 50以下になったらナンピンで買い
騰落レシオ(6日間) が 200以上になったらナンピンで利食い

株価が 3日移動平均線を下回ったら買い
株価が 3日移動平均線を上回ったら利食い
 


 
▲△▽▼
▲△▽▼


騰落レシオ(6日間) が 50以下になったらナンピンで買い
騰落レシオ(6日間) が 200以上になったらナンピンで利食い

日付 日経平均株価 日経平均(変化) 騰落レシオ(6日)
2020-01-30 22,977.75 -401.65 35.01

2020-01-31 23,205.18 +227.43 52.77

2020-02-05 23,319.56 +234.97 112.25


ソニーや東京エレクトロンみたいな日経平均連動の優良大型株を買っておけば失敗は無いです。


8035東京エレクトロン
https://kabutan.jp/stock/chart?code=8035

6758ソニー
https://kabutan.jp/stock/chart?code=6758

6501日立製作所
https://kabutan.jp/stock/chart?code=6501

7951ヤマハ
https://kabutan.jp/stock/?code=7951


▲△▽▼

JT やキャノンの様な日経平均に連動しない高配当銘柄は絶対に NG です

2914JT
https://kabutan.jp/stock/chart?code=2914

7751キヤノン
https://kabutan.jp/stock/chart?code=7751

7201日産自動車
https://kabutan.jp/stock/chart?code=7201


▲△▽▼
▲△▽▼


海外投資家が買っていたら買い
海外投資家が売っていたら様子見

一般則として

外人投資家が買って、個人投資家が売っている → 株価は上昇中
外人投資家が売って、個人投資家が買っている → 株価は下降中

外国人が買って、日本人が売っていたら上昇トレンド

日本人が売りから買いに変わったらピーク

外国人が売って、日本人が買っていたら下降トレンド

日本人が買いから売りに変わったらボトム

海外投資家の売買動向
https://karauri.net/doukou/
http://www.traders.co.jp/domestic_stocks/stocks_data/investment_3/investment_3.asp
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-109.html


アダム・スミス2世の経済解説 投資部門別売買状況
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/


▲△▽▼
▲△▽▼


株価が 3日移動平均線を下回ったら買い
株価が 3日移動平均線を上回ったら利食い



移動平均線で役に立つのは3日移動平均線だけ

日足の3日移動平均線以外は必要ありません。


株価が3日移動平均線を起点にして動いているというのに気付くかどうかがポイント。

連休明けなどで株価の位置がどうなるか良くわからない時は、大抵3日移動平均と同じ値に落ち着きます。

株価と3日移動平均線の乖離がいくら大きくなっても、2, 3日で3日移動平均線まで戻ります。


_____


私は移動平均なんて「3/9/25日線」しか見ませんが、理由は「株価は短期の動きで大きい波動を形成する」からで、「長期のポジションを想定できるものではない」と考えているからです。

 例えば、前述のTは「200日線を越えたのは、ここ1年での平均買いポジションがプラスに転じたことを意味する」と言いますが、そんな昔の玉持ってる連中が相場動かしているわけではありませんし、「200日ずっと買い増してたんかい!」とツッコミ入れたくなります。

今日上げている銘柄は輸出株が多かったのは朝から分かっていたことですが、チャートを見れば、すぐに察しがつきます。

 あぁ、3日線かと。

 今日の日経平均先物は3日線を頭にしています。
 主力銘柄の多くも、株価の位置はさまざまですが、3日線が上値になっています。

 決して、ロイターが指摘する「輸出株が買われ、小売株が売られた」ということではなく、個々の銘柄で3日線が意識されただけです。


25日線を3日線が上抜けた上に株価がそれを越えたことで買い戻しの上昇

25日線を3日線が上抜けた上に株価がそれを越えたことで買い戻しの上昇

 アドバンテストや東京エレクあたりは、3日線の上にいますが、これは25日線を3日線が上抜けた位置にあり、チャート妙味があるからです。

25日線を下抜けで弱いチャートだが、日経平均につられて3日線まで戻っただけ

25日線を下抜けで弱いチャートだが、25日線は横ばいでまだマシ。
しかし、売られているのは増資が原因か。


下がっている25日線を割り込んで、かなり悪いチャート。今日上げたのは3日線につられただけ。

あと、先行して下げており、23日の安値に寄り付きで近かったたことも上昇理由に上げられる。
ただし、悪い銘柄筆頭なので上値も重かった。


下がっている25日線を割り込んで、かなり悪いチャート。今日上げたのは3日線につられただけ。
あと、先行して下げており、23日の安値に寄り付きで近かったたことも上昇理由に上げられる。

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 ちなみに、普段から「3/9/25日線を見ましょう」と書いている理由は、日々の株価の節目というのが「3/9/25日線」を目途に動くからです。

 移動平均で「5/25/75日線」なんか見ても、株価の動きに遅れてしまいますので、「3/9/25日線」を見ましょう。


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c128

[近代史3] 日本円と日本の物価は異常に安過ぎる _ 1ドル=50円 が適正価格 中川隆
23. 中川隆[-13927] koaQ7Jey 2020年2月08日 10:30:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-600]
アダム・スミス2世の経済解説 2020-01-19
実質実効為替レート、名目実効為替レートの長期推移
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-110.html


http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20200120143024d99.png/


非貿易財を含む消費者物価指数から作成される実質実効為替レートを見る場合、バラッサ・サミュエルソン効果(経済成長率が相対的に高い国は購買力平価、ないしは実質実効為替レートも上昇するという現象)と合わせて見ることが必要。

日本はバラッサ・サミュエルソン効果に貿易摩擦も加わり、1995年までは異常な円高が発生。その後、日本経済の成長率低下に伴うバラッサ・サミュエルソン効果の是正=超円高の是正が起こった。しかし、超円高の是正は不十分。

日本周辺のアジア諸国では、固定レート制や政府・中央銀行の為替介入などにより経済成長に伴う通貨高=バラッサ・サミュエルソン効果がほとんど発生していない。


(購買力平価との関係)

IMFが算出している購買力平価で見ると、1ドル=97円であり現状はそれよりも円安。

従って、最近のIMFは円レートを適正とは評価しても、割安と評価することはない。

しかし、IMFの見方には3つの問題点がある。


第1点は、日本の購買力平価で見た一人当たりのGDPは欧米と比較すると過去のように高くはない。

先に示したバラッサ=サミュエルソン効果で示した通り、豊かではない国の為替レートは購買力平価で見て割安なのは当然。

これは、対米ドルや対欧州諸国の通貨に対して円が割安であることを正当化できる理由である。


第2点は、日本と貿易量の多いアジア諸国の通貨は、購買力平価で見ても非常に割安な国ばかり。

シンガポールなどの非常に豊かな国の通貨は日本よりかなり割安。

中国のようにあまり豊かとは言えない国の通貨はさらに割安。

日本と貿易量の多いアジア周辺諸国は、購買力平価で見ると超割安な国が多い。


第3点は、日本は1990年代後半のデフレ期以降は財価格↑≒サービス価格↑。

同期間の欧米諸国はサービス価格↑>財価格↑。

例 日米の消費者物価、財物価、サービス物価の差

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20190206130209f65.png/


日本の購買力平価比での円安や実質実効為替レートで見た円高是正はサービス価格の相対的な下落が原因。

財価格からみれば超円高の是正は全く不十分。


IMFなどの購買力平価だけからは見えないので、認識もされていない。

結果として、円は購買力平価で見ると円安、実質実効為替レートで見ると基準時点によっては円安。

しかし、財を主に生産する日本の輸出産業にとっては超円高が継続。

より厳密には欧米諸国の通貨に対しては超円高とは言えないが、大半のアジア諸国の通貨に対しては超円高。

詳細→アジア諸国の近隣窮乏化政策と日本経済の低迷
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-148.html


この超円高・アジア通貨安は是正されなければならない。


なお、購買力平価説の通説的解釈は物価変動の差→為替レートである。

1995年以降の日本については為替レート(円高)→物価とGDP変動の差(物価安とGDPの低迷)、という因果関係になる。

この因果関係についての考え方は特殊なように見える。

他方、通貨安→GDP増加という考え方は広く見られる。

アメリカは年に2度の為替報告書を公表して日本を通貨安誘導の疑いありと監視対象国に指定し続けている。


(超円高の是正方法)

1995年以降、実質実効レートが大きく円安方向に移動したことは事実。

しかし、名目実質実効レートは少ししか円安になっていない。

この現象下で発生したことは、日本の輸出産業の製品価格の下落、輸出産業の崩壊、物価下落、賃金下落、成長率低下。

賃金を見ても、世界の先進国の中で日本だけが上昇していない。


http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/2019101322232406e.png/


電機を中心とする輸出成長産業が大崩壊。

その結果、賃金は低下。

実質円高の是正方法としては最悪。

今後の実質円高の是正は名目円レートの引き下げでなければならない。

それならば賃金、物価の上昇も可能。


(経常黒字で円高進行?)

日本は円高が原因で全然豊かになれない。

反対に、浪費壁があるアメリカは豊かになり、同時に経常赤字も拡大。

日本=経常黒字、アメリカ=経常赤字の原因を通常の経済学で考えると、円が安すぎ、米ドルが高すぎになる。

そのため、先に書いた通りアメリカは為替報告書で日本は円安誘導の疑いありと監視し、実際に円安誘導をしていると非難することもある。

日本国内でも、経常黒字で円高になるのは当然という意見はある。

購買力平価説の通説的解釈とも言える。


しかし、経常黒字の原因は円高のために賃金上昇がなく、消費も節約しすぎで、輸入が増えないことも一因。

円高差損に懲りた日本企業も国内では設備投資をほとんど増やさず、対外直接投資は大きく増やす。

結果として貿易赤字は増えず、第一次所得収支の黒字が拡大し、経常収支も黒字を維持。


世界的には、通貨安が原因で経常黒字になる国が多い。

日本に関しては円高を原因とする経常黒字が継続。

円安になると所得が増え、輸入も増え、貿易黒字は減るかもしれない。

企業の対外直接投資も減り、経常黒字も減るかもしれない。

これに近い貿易・サービス黒字、経常黒字の縮小はバブル時代の末期に実際に発生、現在のアメリカとも共通点が多かった。


ところが、日本ではバブル=悪という全面否定論が強すぎる。

バブル時代は資産価格の上昇に対して、賃金と物価の上昇率が低すぎたことが失敗という総括に変えることが必要。


(経済成長の困難化)

長年の超円高・アジア通貨安継続の結果、日本の輸出産業の基盤は大きく崩壊し、現在も崩壊中。

その結果として、日本の先端製造技術、規模の経済、外部経済が失われただけではない。

日本人の夢と希望が失われ、勤労意欲、学習意欲も低下。


こうした夢と希望の消失などは少子高齢化でも発生。

ただ日本の場合、少子高齢化以上に超円高・アジア通貨安が寄与。

少子高齢化で夢と希望の消失が発生するからこそ、超円高・アジア通貨安は是正する必要があった。

実際は夢と希望の消失を少子高齢化や既得権益層の過保護が原因と決めつけ、超円高・アジア通貨安を是正しなかった。


現時点では、円安だけで経済を再生させようとしても完全に手遅れであり、もはや不可能。

しかし、円高進行なら、産業崩壊は加速=日本経済の崩壊も加速=国民は貧困化。

食料や石油など輸入品価格上昇という痛みを伴う割には、経済成長は簡単ではない。

それでも経済衰退の加速防止には円安が不可欠。


なお、コーポレートガバナンスコードは、ROE重視より先に、賃金上昇の重視へと改める必要がある。

今まで書いてきた日本のマクロ経済の特殊性を知らない経営学者が、欧米の常識をそのまま日本に導入したこともまた大きな失敗。


(参考)

上記の実質実効為替レート、名目実効為替レートは1964年1月が基準時点。

仮に1ドル=360円と決定された1949年4月を基準時点にすると、円は少なくとも米ドルとの実質レートではさらに割高になる。

仮に1ドル=4.27円であった1941年12月を基準時点にすると、1949年4月の1ドル360円はおそらく割安。

しかし、第2次世界大戦終了後のハイパーインフレ期の日本の消費者物価上昇率は精度の低い推測値しか存在しない。

正確な消費者物価上昇率を計算できないため、おそらく割安とは言えても、何%割安かという正確な数値を計算することは不可能。

従って、第2次世界大戦以前までさかのぼって実質実効為替レートの推移を見ようとしても、正確な計算が不可能である以上、正確な分析もできない。

第2次世界大戦以前までも含む分析は、正確性の低い分析にならざるをえない。

あまりにも誤差の大きい分析をして結論を出すのは、逆に危険になる。


(出所)
BIS effective exchange rate indices
Narrow indices comprising 27 economies, with data from 1964
中国だけは、Broad indices より

オーストラリア(ドル)、オーストリア(シリング→ユーロ)、ベルギー(フラン→ユーロ)、カナダ(ドル)、台湾(ドル)、デンマーク(クローネ)、ユーロ圏(ユーロ)、フィンランド(マルカ→ユーロ)、フランス(フラン→ユーロ)、ドイツ(マルク→ユーロ)、ギリシャ(ドラクマ→ユーロ)、香港(ドル)、アイルランド(ポンド→ユーロ)、イタリア(リラ→ユーロ)、日本(円)、韓国(ウォン)、メキシコ(ペソ)、オランダ(ギルダー→ユーロ)、ニュージーランド(ドル)、ノルウェー(クローネ)、ポルトガル(エスクード→ユーロ)、シンガポール(ドル)、スペイン(ペセタ→ユーロ)、スウェーデン(クローナ)、スイス(フラン)、イギリス(ポンド)、アメリカ(ドル)、中国(人民元)の合計27の国、地域の実質実効為替レートと名目実効為替レート。

メキシコ(ペソ)は実質実効為替レートだけ

2020年1月19日チャート更新

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-110.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/189.html#c23

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
229. 中川隆[-13926] koaQ7Jey 2020年2月08日 10:30:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-599]
アダム・スミス2世の経済解説 2020-01-19
実質実効為替レート、名目実効為替レートの長期推移
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-110.html


http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20200120143024d99.png/


非貿易財を含む消費者物価指数から作成される実質実効為替レートを見る場合、バラッサ・サミュエルソン効果(経済成長率が相対的に高い国は購買力平価、ないしは実質実効為替レートも上昇するという現象)と合わせて見ることが必要。

日本はバラッサ・サミュエルソン効果に貿易摩擦も加わり、1995年までは異常な円高が発生。その後、日本経済の成長率低下に伴うバラッサ・サミュエルソン効果の是正=超円高の是正が起こった。しかし、超円高の是正は不十分。

日本周辺のアジア諸国では、固定レート制や政府・中央銀行の為替介入などにより経済成長に伴う通貨高=バラッサ・サミュエルソン効果がほとんど発生していない。


(購買力平価との関係)

IMFが算出している購買力平価で見ると、1ドル=97円であり現状はそれよりも円安。

従って、最近のIMFは円レートを適正とは評価しても、割安と評価することはない。

しかし、IMFの見方には3つの問題点がある。


第1点は、日本の購買力平価で見た一人当たりのGDPは欧米と比較すると過去のように高くはない。

先に示したバラッサ=サミュエルソン効果で示した通り、豊かではない国の為替レートは購買力平価で見て割安なのは当然。

これは、対米ドルや対欧州諸国の通貨に対して円が割安であることを正当化できる理由である。


第2点は、日本と貿易量の多いアジア諸国の通貨は、購買力平価で見ても非常に割安な国ばかり。

シンガポールなどの非常に豊かな国の通貨は日本よりかなり割安。

中国のようにあまり豊かとは言えない国の通貨はさらに割安。

日本と貿易量の多いアジア周辺諸国は、購買力平価で見ると超割安な国が多い。


第3点は、日本は1990年代後半のデフレ期以降は財価格↑≒サービス価格↑。

同期間の欧米諸国はサービス価格↑>財価格↑。

例 日米の消費者物価、財物価、サービス物価の差

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20190206130209f65.png/


日本の購買力平価比での円安や実質実効為替レートで見た円高是正はサービス価格の相対的な下落が原因。

財価格からみれば超円高の是正は全く不十分。


IMFなどの購買力平価だけからは見えないので、認識もされていない。

結果として、円は購買力平価で見ると円安、実質実効為替レートで見ると基準時点によっては円安。

しかし、財を主に生産する日本の輸出産業にとっては超円高が継続。

より厳密には欧米諸国の通貨に対しては超円高とは言えないが、大半のアジア諸国の通貨に対しては超円高。

詳細→アジア諸国の近隣窮乏化政策と日本経済の低迷
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-148.html


この超円高・アジア通貨安は是正されなければならない。


なお、購買力平価説の通説的解釈は物価変動の差→為替レートである。

1995年以降の日本については為替レート(円高)→物価とGDP変動の差(物価安とGDPの低迷)、という因果関係になる。

この因果関係についての考え方は特殊なように見える。

他方、通貨安→GDP増加という考え方は広く見られる。

アメリカは年に2度の為替報告書を公表して日本を通貨安誘導の疑いありと監視対象国に指定し続けている。


(超円高の是正方法)

1995年以降、実質実効レートが大きく円安方向に移動したことは事実。

しかし、名目実質実効レートは少ししか円安になっていない。

この現象下で発生したことは、日本の輸出産業の製品価格の下落、輸出産業の崩壊、物価下落、賃金下落、成長率低下。

賃金を見ても、世界の先進国の中で日本だけが上昇していない。


http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/2019101322232406e.png/


電機を中心とする輸出成長産業が大崩壊。

その結果、賃金は低下。

実質円高の是正方法としては最悪。

今後の実質円高の是正は名目円レートの引き下げでなければならない。

それならば賃金、物価の上昇も可能。


(経常黒字で円高進行?)

日本は円高が原因で全然豊かになれない。

反対に、浪費壁があるアメリカは豊かになり、同時に経常赤字も拡大。

日本=経常黒字、アメリカ=経常赤字の原因を通常の経済学で考えると、円が安すぎ、米ドルが高すぎになる。

そのため、先に書いた通りアメリカは為替報告書で日本は円安誘導の疑いありと監視し、実際に円安誘導をしていると非難することもある。

日本国内でも、経常黒字で円高になるのは当然という意見はある。

購買力平価説の通説的解釈とも言える。


しかし、経常黒字の原因は円高のために賃金上昇がなく、消費も節約しすぎで、輸入が増えないことも一因。

円高差損に懲りた日本企業も国内では設備投資をほとんど増やさず、対外直接投資は大きく増やす。

結果として貿易赤字は増えず、第一次所得収支の黒字が拡大し、経常収支も黒字を維持。


世界的には、通貨安が原因で経常黒字になる国が多い。

日本に関しては円高を原因とする経常黒字が継続。

円安になると所得が増え、輸入も増え、貿易黒字は減るかもしれない。

企業の対外直接投資も減り、経常黒字も減るかもしれない。

これに近い貿易・サービス黒字、経常黒字の縮小はバブル時代の末期に実際に発生、現在のアメリカとも共通点が多かった。


ところが、日本ではバブル=悪という全面否定論が強すぎる。

バブル時代は資産価格の上昇に対して、賃金と物価の上昇率が低すぎたことが失敗という総括に変えることが必要。


(経済成長の困難化)

長年の超円高・アジア通貨安継続の結果、日本の輸出産業の基盤は大きく崩壊し、現在も崩壊中。

その結果として、日本の先端製造技術、規模の経済、外部経済が失われただけではない。

日本人の夢と希望が失われ、勤労意欲、学習意欲も低下。


こうした夢と希望の消失などは少子高齢化でも発生。

ただ日本の場合、少子高齢化以上に超円高・アジア通貨安が寄与。

少子高齢化で夢と希望の消失が発生するからこそ、超円高・アジア通貨安は是正する必要があった。

実際は夢と希望の消失を少子高齢化や既得権益層の過保護が原因と決めつけ、超円高・アジア通貨安を是正しなかった。


現時点では、円安だけで経済を再生させようとしても完全に手遅れであり、もはや不可能。

しかし、円高進行なら、産業崩壊は加速=日本経済の崩壊も加速=国民は貧困化。

食料や石油など輸入品価格上昇という痛みを伴う割には、経済成長は簡単ではない。

それでも経済衰退の加速防止には円安が不可欠。


なお、コーポレートガバナンスコードは、ROE重視より先に、賃金上昇の重視へと改める必要がある。

今まで書いてきた日本のマクロ経済の特殊性を知らない経営学者が、欧米の常識をそのまま日本に導入したこともまた大きな失敗。


(参考)

上記の実質実効為替レート、名目実効為替レートは1964年1月が基準時点。

仮に1ドル=360円と決定された1949年4月を基準時点にすると、円は少なくとも米ドルとの実質レートではさらに割高になる。

仮に1ドル=4.27円であった1941年12月を基準時点にすると、1949年4月の1ドル360円はおそらく割安。

しかし、第2次世界大戦終了後のハイパーインフレ期の日本の消費者物価上昇率は精度の低い推測値しか存在しない。

正確な消費者物価上昇率を計算できないため、おそらく割安とは言えても、何%割安かという正確な数値を計算することは不可能。

従って、第2次世界大戦以前までさかのぼって実質実効為替レートの推移を見ようとしても、正確な計算が不可能である以上、正確な分析もできない。

第2次世界大戦以前までも含む分析は、正確性の低い分析にならざるをえない。

あまりにも誤差の大きい分析をして結論を出すのは、逆に危険になる。


(出所)
BIS effective exchange rate indices
Narrow indices comprising 27 economies, with data from 1964
中国だけは、Broad indices より

オーストラリア(ドル)、オーストリア(シリング→ユーロ)、ベルギー(フラン→ユーロ)、カナダ(ドル)、台湾(ドル)、デンマーク(クローネ)、ユーロ圏(ユーロ)、フィンランド(マルカ→ユーロ)、フランス(フラン→ユーロ)、ドイツ(マルク→ユーロ)、ギリシャ(ドラクマ→ユーロ)、香港(ドル)、アイルランド(ポンド→ユーロ)、イタリア(リラ→ユーロ)、日本(円)、韓国(ウォン)、メキシコ(ペソ)、オランダ(ギルダー→ユーロ)、ニュージーランド(ドル)、ノルウェー(クローネ)、ポルトガル(エスクード→ユーロ)、シンガポール(ドル)、スペイン(ペセタ→ユーロ)、スウェーデン(クローナ)、スイス(フラン)、イギリス(ポンド)、アメリカ(ドル)、中国(人民元)の合計27の国、地域の実質実効為替レートと名目実効為替レート。

メキシコ(ペソ)は実質実効為替レートだけ

2020年1月19日チャート更新

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-110.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c229

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
129. 中川隆[-13925] koaQ7Jey 2020年2月08日 10:42:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-598]

柴田罫線の様な損切りを多用して相場の動きに付いて行くドテン売買法は完全な丁半バクチ売買法


勝つ投資家は暴落で買う マイナス金利、円高、株安、原油安

ソロスといえども神のように予言が当たった訳ではなく、半分は外れている。
つまり我々と予測の精度は変わらない。

引用:http://b2.img.mobypicture.com/befe2285c152c9fbb8f5f1047783f4eb_large.jpg


暴落は投資で勝つチャンス

現在は中国発新型ウイルスの脅威で市場の変動が大きくなり、儲けやすいが損もしやすい状況になっています。

2019年後半から米中貿易対立の影響で世界経済が減速し、悲観的な予想が増えていました。

2009年の世界経済危機を主要国は金融緩和つまりお金バラマキで乗り切ったが、限界が指摘されている。

各国の金融緩和の原資になったのは日本もそうだが中央銀行の借金であり、アメリカが100兆円ばら撒いた分はFRBの借金になった。

政府債務や企業の借金も増え、全世界の企業債務は8000兆円を超えた。(国際金融協会(IIF))

世界の債務合計金額は1京8000兆円(2016年、国際決済銀行(BIS))を超え、現在は2京円に達している筈です。


世界の経済成長はこうした借金に支えられているので、持続可能かどうか疑問視する声も出ている。

特に中国の債務は巨大で、政府債務だけで4000兆円、GDP比で300%を超えていると言われている。

世界的な経済危機が発生してもおかしくない状況であり、中国発世界経済危機が懸念されている。

ところが本当に「勝つ投資家」は大きな下げや暴落局面でしか、新たな投資を始めません。


大投資家は暴落で買う

一般的な投資家は上昇局面で買い、下がると耐えられなくなって売ります。

ジョージソロスは下げ相場で顧客の預かり金が20%以上減った時、「たった20%しか減っていないのに解約するなんてバカな連中だ」と言ったそうです。

彼にとっては暴落時こそ、安く株等を買うチャンスだったのです。


バフェットもほとんど同じ事を言っていて「肉が安ければ買うでしょう?私は安いから株を買うのです」とリーマンショックの時に言いました。

ここで一般的な投資家、例えば貴方や私の投資を検証して見ると、おそらく株価などが上昇しているときに買って儲けている。


日経平均は2008年から2012年までの民主党時代、7000円から9000円の間をうろうろしていました。


安倍首相が就任して金融緩和を始めると、あれよあれよと上昇して行き、2015年6月に2万952円の最高値をつけました。

多くの人は2013年に株高を確信して買い、2014年から2019年に掛けて儲けたと思います。

これは別に良いのですが、こうした人の多くは最後に高値で買ってしまって、損切りして終える。


一般的な投資家は、上昇局面からピークを超え、相場が下降してからも買い注文を入れています。

リーマンショックを例に取ると、危機前は1ドル124円でしたが110円や100円台の時に買った人が多く居ました。

その後ドル円は70円台まで下落して、株や為替を買った人は、全員が大損したが破産したと思います。


勝つ投資家は我々の真逆をやっている

優れた投資家は必ず分散投資をし、レバレッジは絶対に掛けません。

レバレッジを掛けると僅かな値動きで資産が底をついてしまうので、自分の戦略を制限されるからです。

自分が注目している相場が暴落して市場がパニックになっている最中に、やっと買い始めます。


それも相場が半額に下落しても痛くないような小額を、相場が下がるごとに、積み立て投資していきます。

相場の世界では指数が半分になるのは良くある事で、日経平均は5分の1、原油は4分の1に下落しました。

こうした指数がゼロになる事はないのですが、仮にゼロになっても深刻な打撃を受けない程度の金額を分散して積み立てます。


すると大抵数ヵ月後には反転し始めて、1年か2年後には大きな利益をもたらしている、というのが大人の投資です。

比較して見ると我々レベルとは、何もかも逆の事をしているのが分かります。

我々はなるべく高いレバレッジを掛けるが、大投資家はレバレッジなど掛けない。


我々は一度に可能な限りの金額を掛けて、後は相場が上昇するのを待つだけだが、大抵は下がり続ける。

我々は先の事など考えないが、大投資家は相場が半分になっても4分の1になっても、大きな打撃を受けないようにしている。(そうなる前に損切りするので、負けても損失は軽微)

我々は相場が上昇しているときに買い、あるいは少し下がった時に買い、暴落したときに損切りして破産する。


大投資家は暴落するほど買い進めて、上昇期では何もしない。

こうして優れた投資家は勝つべくして勝ち、劣った投資家は負けるべくして負けます。

欧米の投資機関が顧客を「勝っている人」と「負けている人」に分けて投資テクニックを分析したが、全く差は無かったという話があります。

勝ち組と負け組みは、ただ行動パターンが違っているだけでした。
http://www.thutmosev.com/archives/55367037.html


柴田罫線の様に損切りを勧める投資法は絶対にやってはいけません
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c129

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
130. 2020年2月08日 10:53:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-597]
空売りなんか絶対にやっちゃダメだよ

下げ相場では空売りで儲けて、見込みが外れたら損切りすればいい

とか、唯の妄想、

実際には損切りなんかできなくてどんどん損失が膨らんでいくだけ

現物株の最小単位づつのナンピン買いだけにして、株価が半値になっても 1/3になってもずっと持ち続けるのが正しい投資法です。

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c130

[番外地7] 琉球人の起源 中川隆
1. 中川隆[-13924] koaQ7Jey 2020年2月08日 11:26:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-596]
嘘八百の皇紀2680年(笑い)、天皇一族が2世紀に九州に移民して来たソウル出身の chousenjin だと知ってる?
琉球人は縄文人の子孫だから、天皇一族は琉球人の仇敵だよ
縄文人は日本人の先祖ではない 弥生人は縄文人と大して変わらないのですが、古墳時代以降に渡来人が大量に入って来て縄文時代の文化と古墳時代以降の文化は断絶しています:

日本人成立の謎。弥生人のDNA分析から意外な事実が判明

弥生人のDNAで迫る日本人成立の謎(後半) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=H1GFzg882d8

国立科学博物館の神沢秀明研究員らは、縄文人の全ゲノム(遺伝情報)を解析
東京でサンプルを取った本州の人々では縄文人のゲノムを約10%受け継ぐ一方、
北海道のアイヌの人たちでは割合が約7割、沖縄県の人たちで約3割だった。

縄文人のDNAがアイヌ、沖縄の人たち、本土日本人(ヤマト人)の順に多く受け継がれ、アイヌと沖縄の人たちが遺伝的に近いことが確かめられた。ヤマト人が縄文人から受け継いだ遺伝情報は約12%だった。

斎藤教授「その後、核DNAを解析した北海道・礼文島の船泊ふなどまり遺跡の縄文人骨(後期)でも同じような値が出ているので、東日本の縄文人に関してはそんなにずれることはないと思う」。アイヌと沖縄の人たちの遺伝情報の割合についてはヤマト人ほどくわしく調べていないとしたうえで、「アイヌは縄文人のDNAの50%以上を受け継いでいるのではないかと思う。沖縄の人たちは、それより低い20%前後ではないでしょうか」と推測する。

 以前から、アイヌと沖縄の人たちとの遺伝的な類似性が指摘されていたが、なぜ北のアイヌと南の沖縄の人たちに縄文人のDNAが、より濃く受け継がれているのだろうか。

 日本人の成り立ちに関する有力な仮説として、東大教授や国際日本文化研究センター教授を歴任した自然人類学者・埴原はにはら和郎かずろう(1927〜2004)が1980年代に提唱した「二重構造モデル」がある。弥生時代に大陸からやってきた渡来人が日本列島に移住し、縄文人と混血したが、列島の両端に住むアイヌと沖縄の人たちは渡来人との混血が少なかったために縄文人の遺伝的要素を強く残した、という学説だ。斎藤教授は「今回のDNA解析で、この『二重構造モデル』がほぼ裏付けられたと言っていい」という。
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/475.html#c1

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
230. 中川隆[-13923] koaQ7Jey 2020年2月08日 12:04:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-595]
アダム・スミス2世の経済解説 2014-10-16
アジア諸国の近隣窮乏化政策と日本経済の低迷
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-148.html


円安は日本経済にとってマイナス、という声が相変わらず聞こえてくる。特に1ドル=110円にタッチした頃は、これ以上の円安が進行すると日本は窮乏化する、という考え方が、違和感もなく受け入れられていた。黒田日銀総裁は、「行き過ぎた円高が是正され、円安になってきたということは全体として経済にはプラス。」と発言している。しかし、円安メリット論者の援護発言があまり聞こえてこないので、黒田総裁がやや孤立しているとすら感じられる。

私の考え方は、仮に1ドル=80円がずっと継続していた場合と現在とを比較すれば、現在の日本経済の方がはるかに良くなっている、と考えている。しかし、円安進行前と現在とを比較した場合、日本経済が円安により獲得した狭義の利益は、損失よりも少ない、利益を損失よりも大きくするためには、円安がいっそう進むことが必要である、と考えている。この考え方は、少し前に書いたとおりである。

今回は、円安誘導の必要性を、また別の角度から見ることにする。今まで何度も触れてきた考え方であるが、IMFのデータが更新された機会に、もう一度まとめて示したいと思う。現在の日本に必要な政策は、長年、アジア諸国が実施してきた円高・アジア通貨安という近隣窮乏化政策を解消させることである。現在の円レートは、少なくともアジア諸国の通貨に対しては割高であり、円安の是正ではなく、円高の是正が必要なのである。その理由を説明したいと思う。

まず、現在の円レートが、IMFが算出している購買力平価からどれほど割高、あるいは割安であるかを見る。そこで、円レートの購買力平価からの割高・割安度合いを他の先進諸国の通貨と比較する。なお、「購買力平価からの割高・割安度合い」という言葉は長いので、ここではこの言葉に「割高度合い」、「割安度合い」のどちらかを略語として使用することにする。円レートと他の先進諸国の通貨の割高度合いを表すグラフを下記に示す。

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20141013181224a92.gif/


1995年前後の時期に、超円高の状態にあったことは間違いのない事実である。2012年のアベノミクス相場以前の円レートもやや割高であったが、アベノミクス相場によって割高感は解消された。なお、2014年の円の購買力平価は102円05銭である。そして、それよりも0.4%割安である1ドル=102円44銭を、IMFは2014年の円レートとして採用している。これは、今年前半の円の平均レートだと考えられる。現在では当時より、対米ドルでは円安が進んでいる。ただ、ユーロの対ドルレートは、今年前半平均との比較で、円とあまり変わらないくらいの率だけ下落している。従って、円は、多くのヨーロッパ諸国の通貨に対しては、上記のグラフと変わらない位置にあるはずである。

次に、円レートの割高度合いを、日本周辺のアジア諸国と比較することにする。「日本周辺のアジア諸国」という言葉も長いので、ここではこの言葉に「アジア諸国」という略語を使用することにする。円とアジア諸国の通貨の割高度合いを表すグラフを下記に示す。


http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20141012012544d21.gif/


円レートの割安度合いは、アジア諸国の通貨の割安度合いを、大幅に下回っていることは間違いない。だが、正しいことはここまでである。この次に、「円レートは、購買力平価で見た場合、アジア諸国の通貨に対して大幅に割高である。」と言ってしまうと、完全な誤りとなる。

購買力平価にはたびたび言及してきたが、その扱い方は難しい。IMFの購買力平価が為替相場の適正レートに等しいならば、通貨問題は発生しない。すべての国の通貨の市場レートを、IMFの購買力平価に一致するように動かせばよいからだ。残念ながら、IMFの購買力平価は、為替相場の適正レートと一致しない。一致しないのであるが、適正レートと無関係というわけでもない。生活水準の高い国の通貨は、購買力平価に対する割高度合いが大きくなり、生活水準の低い国の通貨は、購買力平価に対する割安度合いが大きくなるという傾向は存在する。市場レートの購買力平価に対する割高度合いは、先進国ほど割高になりやすく、発展途上国ほど割安になりやすいことを、バラッサ=サミュエルソン効果(*1の最終段落を参照)として説明したことがある。

最初のグラフに示した、先進諸国の通貨の割高度合いを使って、「円は割高ではない。」と断言することは、厳密には正しくない。しかし、だいたいにおいては正しい。理由は、先進諸国の間の生活水準に格差は存在するが、それほど大きなものではないからだ。一方、アジア諸国の生活水準の格差は、先進諸国の間の生活水準の格差よりも大きく、その格差を無視することができない。従って、購買力平価に対する割安度合いを見て、その国の通貨は割安であると決めつけてはならないのである。

アメリカや日本のような、それなりに豊かな国は、インドやインドネシアのような、かなり貧しい国よりも、市場レートの割安度合いは小さくなりやすい。これは言い換えると、発展途上国が経済成長し、豊かになるにつれて、その国の通貨の購買力平価に対する割安度合いは、大きな割安から少しずつ小さな割安へと変化していくのが自然な姿であることを意味する。この法則も、常に成り立つわけではない。しかし、成り立たない場合、何らかの原因があるはずである。バラッサ=サミュエルソン効果が発生しない場合は、その原因を考える必要性が存在する。

ここでは豊かさの尺度に、購買力平価ベースの1人当たりGDPを用いることにする。「購買力平価ベースの1人当たりGDP」という言葉も長いので、ここでは、この言葉に「1人当たりGDP」という略語を使用することにする。アジア諸国の1人当たりGDPの、アメリカの1人当たりGDPとの割合を表すグラフを下記に示す。


http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20141016215613df9.gif/


上記のグラフの意味を別の角度から説明すると、アジア諸国が、アメリカとの相対比較で、どれほど豊かであるかを表すグラフでもある。アジア諸国の多くは、水準は異なるが、貧しい国から豊かな国へと進みつつある。唯一、フィリピンだけが、相対的な1人当たりGDPが、少しだけ低下している。日本は、ほぼ横ばいである。つまり、日本とアメリカとの生活水準の格差は、1980年も2014年もほとんど変わっていない。具体的には1980年67.9→1991年83.4→2014年68.9と推移している。1980年代のバブルの時代には、少しばかりアメリカとの差が縮まり、バブル崩壊後の失われた20年の間に再び差が少し開き、結局は元の水準に戻っている。この1人当たりGDPの動きと、バラッサ=サミュエルソン効果という観点から見ると、1985年以降の超円高は全く不要であったと言えるかもしれない。しかし、円レートは1985年のプラザ合意直後から急上昇に転じた。1995年までの超円高は異常としかいいようがない。1995年に円レートは頂点を打ち、割高度合いもようやく縮小に転じる。そして直近は、対米ドルでの割高度合いがほんの少しのマイナスになっている。

一方、アジア諸国の通貨の割安度合いは、日本とは全く異なっている。アジア諸国の多くは、日本よりも1人当たりGDPが継続的に増加してきた。日本は豊かになる途中で過剰ともいえる円高を経験してきた。アジア諸国の多くはそうした通貨高をほとんど経験していない。アジア諸国の多くは、通貨を割安に操作し続けることにより輸出を伸ばし、1人当たりGDPを引き上げてきたのである。通貨高にもかかわらず成長を実現してきた日本と、通貨安を武器に成長してきたアジア諸国との間には、大変大きな違いが存在する。

上から2番目のグラフで、日本以外のアジア諸国の通貨の割安度合いが拡大した局面において、市場の需給関係だけで拡大した局面はもちろん存在する。しかし、固定相場制下での国家による平価切り下げが原因であった場合も存在する。後で説明するが、中国の平価切り下げがこれに相当し、それは強烈なものであった。

アジア諸国の通貨の割安度合いが大きく維持されているもう一つの理由は、政府による大規模な為替介入である。アジア諸国の外貨準備の対GDP比率を表すグラフを下記に示す。

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20141012012542921.gif/

香港、シンガポール、台湾、タイ、マレーシア、中国、フィリピンの外貨準備の対GDP比率は上昇し続け、現在でも日本を上回っている。上から3番目の1人当たりGDPのグラフで示したように、シンガポールと香港は日本よりずっと豊かな国になっている。しかし、この2ヶ国の豊かさは、国家の大規模な介入という為替操作があって成立しているのである。この大規模な為替操作がなければ、この2ヶ国は繁栄していたであろうが、今ほどの繁栄はなかったはずである。

なお、アジア諸国の為替介入は、通貨価値の引き下げや維持を第一の目的としたケースは存在するが、それだけではない。最大の目的が、十分な外貨準備を保有し、国際収支危機が起こることを防ぐために為替介入を実施したケースの方が、数としては多かったと思われる。ただ、「十分な」の意味は、「過剰な」の意味とほとんど変わらない。そしてまた、国際収支危機防止のための為替介入の効果は、為替操作のための介入の効果と、結果は同じになる。為替操作目的だけではなく、外貨準備積み上げ目的の介入もまた、結果としてバラッサ=サミュエルソン効果の発生を防ぐことにつながったことは間違いない。

外貨準備の対GDP比率は、韓国、ベトナム、インド、インドネシアは日本より小さい。このうち、ベトナム、インド、インドネシアの比率は、日本よりも明らかに小さい。韓国も日本より小さいが、ほんの少しである。つまり、為替操作の規模は、日本を下回っているように見える。しかし、実質的には、韓国の為替操作の規模は、日本を上回っているのである。その理由は、分母に当たるドル建ての名目GDPの伸び率が高いことがあげられる。アジア諸国のドル建てGDPの推移を、1980年=100とした場合のグラフを下記に示す。


http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/2014101201253869a.gif/


見てわかるとおり、分母のドル建てGDPの上昇率は、中国、シンガポール、韓国の順に高い。日本は最下位である。分母が大きくなったため、韓国の介入規模が小さく見える。韓国の介入が、日本より効率的であるのだ。効率的な理由として、韓国ウォンは円とは異なって売買に少し制限があるので、韓国ウォンの市場規模が、GDP規模との比較で小さいことがあげられる。市場規模が小さければ、少額の介入で韓国ウォンの上昇を押さえ込むことが可能になる。そのため、実質的には日本よりも韓国の方が為替操作の規模が大きいと言っているわけである。

アジア諸国、具体名をあげると、香港、シンガポール、台湾、タイ、マレーシア、中国、韓国といった国々は、大規模な為替介入により、本来ならば、バラッサ=サミュエルソン効果により上昇しているはずの自国の通貨価値を、割安のまま維持することに成功したのであった。ベトナム、インドネシア、インドは、為替介入を実施してきたが、その規模は日本よりは小さかった。フィリピンは、大規模な為替介入を実施してきたのであるが、それにもかかわらず、アメリカとの相対比較で豊かになれなかった点が、他の国とは異なっている。

くり返すが、アジア諸国の多くは、平価切り下げや大規模な為替介入を実施することにより、為替レートを割安に維持することに成功してきた。その結果、割安な賃金で割安な製品を作り、輸出し続けることに成功してきた。割安な製品を作るための技術は、多くの先進諸国から移転してきたはずであるが、その最大の移転元は日本であった。そしてその技術を使った製品を世界中に輸出したのであるが、そうした製品の輸入割合が一番高い先進国も、日本であった。アジア諸国の多くは、そろって為替を安く操作し、主として日本から導入した技術によって作られた製品を、日本に多く輸出することによって、経済成長を遂げてきた。これは、アジア諸国の多くが、そろって教科書的な近隣窮乏化政策を実施し、結果として高度経済成長を実現することに、見事に成功したことを意味する。そして、割安な製品の輸入割合が一番高い日本は、教科書通りに見事に窮乏化してしまったことをも意味する。

日本の輸出競争力が、アジア諸国に対して大きく劣ってしまった原因は、アジア諸国の為替操作だけではない。アジア諸国が、長期間、アジア通貨安を維持し続けてきた点については、アジア諸国の側に責任がある。一方、日本側にも長期間、円高を容認してきたという責任がある。つまり、長年の超円高・アジア通貨安の半分は、日本側に責任があったのである。

そして、多くの人たちが考えているように、アジア諸国はまだ貧しいから、言い換えると、経済発展段階の差から発生する輸出競争力の差も、当然存在する。日本の輸出競争力が低下した原因は、私は、おおざっぱに、経済発展段階の差から生じた割合が50%、超円高・アジア通貨安から生じた割合が50%と考えている。ただ国別に見た場合、シンガポール、香港、台湾、韓国に勝てなくなった理由の大部分は、超円高・アジア通貨安の結果だとみている。マレーシア、タイ、中国に勝てなくなった理由が超円高・アジア通貨安から生じている割合は、50%を下回っていると思う。

日本が中国の製品に勝てなくなった理由が、超円高・人民元安よりも経済発展段階の差の割合の方が高いことは事実だと思う。しかし、中国の為替操作は、他のアジア諸国に見られない強烈なものであったことも事実である。上から2番目のグラフで示したように、1980年−1994年の期間に、中国は、人民元の割安度合いを、104から30へと71%も引き下げた。これを名目為替レートで見た場合、人民元レートは、1979年末−1994年末の15年間に、対ドルで83%、対円で91%も切り下げたのである。中国のような低賃金国家が工業生産力をつけてきたのであるから、日本の高賃金では競争に勝てるはずがない、日本はもの作りをあきらめるしかない、という意見が現在の日本で広がっており、多数説になっているかもしれない。この考え方の最大の誤りは、中国は最初から低賃金国家ではなかったということである。中国の低賃金は、1979年末−1994年末の15年間に、国家が人民元の為替レートを対米ドルで83%、対円で91%切り下げるという極端に大規模な為替操作を実施した結果、人為的に作り上げられた低賃金なのである。

こうした大規模な為替操作が可能であった一つの理由は、1980年時点、あるいはそれ以前の毛沢東時代の人民元レートが、当時の中国の生活水準から見た場合、割高であったことが一つの原因である。それにしても、15年間に83%とか91%の切り下げとは凄まじい切り下げである。中国は、国家成立以降、貧しい割には賃金が安くない国家であり続けた。それが、ケ小平が改革・開放路線を採用し始めた直後から、15年にわたる大規模な為替操作により、賃金が極端に低い国家へと大きく変貌したのであった。人民元の平価を大規模に切り下げた結果、賃金が劇的に低下し、中国製品の国際競争力が飛躍的に上昇した。そして、経常収支の黒字が累積したため、2000年頃から通貨に上昇の圧力がかかった。すると、現在までに4兆ドル近くの超大規模な人民元売り・外貨買い介入を実施し、人民元レートの上昇を最小限に抑えてきた。中国製の製品の国際競争力を語る際、こうした極端に大規模な為替操作があったことを忘れてはならないのである。

ただし、仮に中国が為替操作を実施せず、為替レートを完全に変動相場制にゆだねていた場合でも、人民元レートは1980年以降に、かなり安い水準にまで下落していたはずである。その場合、2014年の人民元の購買力平価は、今以上に低かったはずであるからだ。為替操作がなかった場合でも、経済発展の段階の差としての人民元安は、発生していたであろう。その結果、労働集約的な産業は、日本から中国へとかなりの程度移転していたはずである。為替操作を実施しなかった場合でも、現在よりは貧しかったであろうが、それなりの経済成長を遂げていたはずである。そして何年先かわからないが、いずれは日本を追い越し、世界第二の経済大国にまでのぼりつめていたであろう。中国の超大規模な為替操作は、中国の経済成長に必要な時間を圧縮するのに、大変大きく貢献したことは間違いない。

日本経済が長年低迷してきた原因は、アジア諸国による近隣窮乏化政策だけが原因ではないことは、先に書いたとおりである。しかし、アジア諸国による近隣窮乏化政策が大きな低迷原因の一つではあったことに間違いはない。アベノミクス相場開始以降の円安により、欧米諸国の通貨に対する円の割高は、かなり多くが解消されたと思う。しかし、割安に操作されているアジア諸国の通貨に対する円の割高は、まだ解消されていない。

まず最初に、アジア諸国が長年実施してきた近隣窮乏化政策と、円高・アジア通貨安は現在でも解消されていないという事実を認識することから始めなければならない。こうした認識が広まったならば、円高・アジア通貨安の解消は、当然必要であるという理解も広まるはずである。円高・アジア通貨安が完全に解消された場合、日本の輸出は多少は増えるであろうが、すぐに大きく増えることにはならない。理由は、長年にわたる超円高・アジア通貨安の結果、日本の多くの輸出産業が死に絶えてしまったからである。一旦、死んでしまった産業を生き返らせることは、不可能ではないが、非常に困難である。アベノミクス相場の開始以降、円安・ドル高にもかかわらず、先進諸国に対する日本の輸出が増えにくくなっている理由と同じである。それでも、競争の前提条件を等しくするために、円高・アジア通貨安の解消は行われなければならない。その場合、円安が自国窮乏化政策であるという認識が、とんでもなく間違った考え方であるという理解もまた、同時に広まるはずである。

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-148.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c230

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
231. 中川隆[-13922] koaQ7Jey 2020年2月08日 12:06:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-594]
アダム・スミス2世の経済解説 2012-05-27
購買力平価とは
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-5.html


購買力平価から見た、円相場の水準を調べることにする。ネット上で手に入る、あるいは、算出可能な購買力平価のデータとしては、IMF(2011年)、世銀(2010年)、CIA(2011年)、OECD(2011年)、ビッグマック指数(2012年)がある。

このうち、IMF(2011年)(2012年4月の公表値ではなく、2011年9月公表の2011年の推定値)とCIA(2011年)は、大部分が同じなので、CIAは、独自計算ではなく、IMF等からデータを借用していることがわかる。

IMF(2011年)と、世銀(2010年)は、いずれも、世銀が2005年の価格を基準としたICP(International Comparison Program:国際比較プログラム)という作業で求められた数値を元にして算出されている。 ICPは、国連統計部とペンシルベニア大学が、1970年から開始した、購買力平価を算出するためのプログラムである。2005年基準のICPは、第7回目である。この時は、世銀が中心となり、OECD、ユーロスタットが分担協力して、146の国、地域における約1000の商品・サービスを比較して算出するという大規模な購買力平価算出プログラムであった。第6回は1993年基準であったので、精度向上のために、過去6回よりも相当長い時間をかけて算出している。先進国から途上国まで、幅広くカバーしている。2006年以降は、それぞれが、購買力平価算出用デフレーターを作って算出するという手法により、アップデートした数値である。大元が同じであるため、IMF(2010年)と世銀(2010年)は、非常に似た数値を示している。直近の数値は、IMFの方が新しいので、IMF(2011年)を使用するのが妥当であろう。

OCED(2011年)は、OECDとユーロスタットが共同して、先進国を中心とする2008年の主要国の購買力平価を算出したデータを元にしている。ユーロスタットは、1960年代後半から、ヨーロッパの一部の国の購買力平価算出プログラムを開始した。1980年から、OECDと共同して先進国中心の購買力平価を算出し始めた。その後、何度も新たに計算を行い、現在は、OECD(2008年)の数値が元となっている。これは、主要国における約3000の商品・サービスを比較して算出された購買力平価の数値である。2008年の数値から、IMF・世銀方式よりも、より精密な購買力平価算出用デフレーター作って算出するという手法によりアップデートしたものが、OECD(2011年)である。OECD(2005年)はICPで算出された世銀(2005年)に組み入れられている。

ビッグマック指数は、イギリスのエコノミスト社が、マクドナルドのビッグマックという一つの商品から算出している購買力平価である。IMF等の購買力平価と違って、あまりにも簡易な算出方法であり、実体がどこまで反映されているか疑わしい。実際、ビッグマック指数は、IMF、世銀、OECDの購買力平価と、かなりかけ離れた数値が散見される。より厳密な購買力平価を使うとしたら、ビッグマック指数ではなくIMF等の数値を使うのが妥当であろう。

それでも、IMF、世銀、OECDの購買力平価には、いくつかの問題がある。その中で最大のものは、貿易財と非貿易財の問題である。先進国と途上国の生産性の格差は、貿易財の方が非貿易財よりも大きい。例えば、工業製品の生産性は、先進国と途上国との間に大きな格差が見られる。しかし、散髪のようなサービス・非貿易財の生産性は、先進国と途上国との間に、大きな格差は見られない。しかし、市場で決定される為替レートは、非貿易財の価格は無視され、貿易財の価格のみが反映される。そのため、途上国では、市場で決定される為替レートは、購買力平価よりも過小に評価される傾向がある。一方、先進国では、市場で決定される為替レートは、購買力平価よりも過大に評価される傾向がある。このことは、同時に、途上国が経済成長を実現して先進国へと移っていく間、市場で決定される為替レートは、経済成長と共に上昇していくことをも意味する(バラッサ・サミュエルソン効果)。この問題を頭に入れておけば、IMF、世銀、OECDの購買力平価は、通貨価値を比較する際の指標として、かなりの正確性を持つことになると考えられる。

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-5.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c231

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
232. 中川隆[-13921] koaQ7Jey 2020年2月08日 12:10:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-593]
アダム・スミス2世の経済解説
購買力平価から見た円相場 対主要国(OECD)
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-6.html


(2013年までデータを更新したグラフを最後に掲載)

OECDのHPに掲載されている購買力平価を使って、1960年から、米ドル=100とした場合の主要国通貨の購買力平価に対する割高、割安度合いを算出した結果が、上記のグラフである。39ヶ国もデータがあるので、その中から主要10ヶ国をピックアップしたものである。39ヶ国のデータを数値化した表を掲載すると、下記のようになる。

円相場は、直近の2011年において、購買力平価からのかい離率が、39ヶ国中、上から6番目とかなり割高な水準にある。

購買力平価で円相場の水準を判断すると、以前に示した実質実効為替レートとは違って、円が断トツに割高というわけではない。それは、日本以外の通貨で、購買力平価よりも割高な国の大半がヨーロッパ諸国であり、日本は、そうしたヨーロッパ諸国との貿易量はそれほど多くはないからである。日本と貿易量の多い、中国、アメリカ、韓国の購買力平価については、基準国であるアメリカは、プラザ合意の翌年の1986年からずっと日本より下方に位置し、中国、韓国は、常に日本より大幅に下方にかい離した位置にある。

従って、購買力平価で見た円相場は、かなり割高な水準に位置しているのであるが、国際競争力という観点からは、購買力平価が示すデータ以上に、円は割高な水準に位置していると考えられる。こうした超円高が、現在の日本の製造業を苦境に陥れている最大の原因なのである。


追記 2014年4月


2012年11月以降、円安が進行した。その結果、円レートの購買力平価に対する割高度合いは、フランス、イギリスを少し下回り、アメリカ、ドイツを少し上回る水準にまで修正された。それでもなお、韓国と比較すれば、かなり高い場所に位置している。

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-6.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c232

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
233. 中川隆[-13920] koaQ7Jey 2020年2月08日 12:12:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-592]
アダム・スミス2世の経済解説 2012-06-01
購買力平価から見た円相場 対アジア諸国(IMF)
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-7.html


(2013年までデータを更新したグラフを最後に掲載)

IMFのHPに掲載されている購買力平価を使って、1980年から、日本円=100とした場合の、アジア主要国通貨の購買力平価に対する割高、割安度合いを算出した結果が、上記のグラフである。今回は、アジアの主要国を対象にし、基準通貨を米ドルではなく、日本円とした。このグラフを数値化した表を掲載すると、下記のようになる。

1980年代のベトナムは、不規則な変動をしているが、この時期、ベトナムはカンボジア侵攻を続けており、経済も統計も相当混乱した状態であったと推測される。それを除けば、見て明らかな通り、アジア主要国の通貨は、円に対して恒常的に割安状態が継続している。2011年時点で、アジア主要国の通貨は、対円で
38%〜78%も安い。

このように、バラッサ・サミュエルソン効果(*1の最終段落を参照)が発生することなく、極端な円高、アジア主要国通貨安が何十年も継続する中で、アジア主要国の経済成長が続けば、日本の工業製品の競争力が失われていくのは当然である。実際、メイド・イン・ジャパンの製品の競争力は低下し、日本の製造業は、赤字で倒産したり、アジア諸国に生産・開発・一部の本社機能を続々と移転し続けている。こうした傾向が顕著に現れるようになったのは、2000年頃からである。
1990年代のバブル崩壊という傷口がようやく治りつつあった日本経済は、今度は、産業の空洞化という現象に苦しめられるようになった。

「世界の工場が、アメリカ→日本→アジアへと移っていくのは、歴史の定めであり、食い止めることは不可能である。日本は脱工業化社会を目指して成長していくべきだ。」という意見はよく聞かれる。私は、日本経済の空洞化現象は、半分は、運命的なものであって避けることはできないが、半分は、運命的なものではなく、日本政府は、政策対応によって避けるべきだと考える。そのことを次回(*1)に説明する。


追記 2014年4月


2012年11月以降、円安が進行した。それでも依然として円は対アジア通貨で割高であり、円高修正は不十分である。
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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c233

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
234. 中川隆[-13919] koaQ7Jey 2020年2月08日 12:13:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-591]
アダム・スミス2世の経済解説 2012-06-07
購買力平価から見た円相場 超円高による産業の空洞化
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-9.html


前々回(*1を参照)示した通り、アジア諸国の通貨の購買力平価に対する比率(日本円基準)を見ると、非常に割安である。その原因を調べるために、外貨準備のGDPに対する比率、経常収支のGDPに対する比率と、購買力平価ベースの1人当たりGDPをあわせて示す。そのデータを、3つのグループに編集し直し、下記の表に示す。

(古い2011年版を掲載しているが、最後に新しい2013年版までを掲載)


グループAは、シンガポール、香港、台湾である。この3ヶ国は、外貨準備の対GDP比率が、日本を大幅に上回っている。その結果、巨額の経常黒字を産み出し、購買力平価ベースの1人当たりGDPは、いずれも日本を上回っている。この3ヶ国が実施している政策は、大量の介入によって、自国の通貨を極端に割安に誘導し、巨額の経常黒字を産み出すことである。その結果として、日本以上に豊かな国をつくり出している。この3ヶ国が豊かになった理由は、通貨を極端に割安に誘導したことだけの結果ではないが、自国通貨安誘導政策なしには、ここまでの経済発展を成し遂げることは、不可能であったと思われる。このような自国通貨安誘導政策による経済成長が可能であったのは、3ヶ国がいずれも小国であり、アメリカなどの大国に対して、わずかな損害しか与えなかったからである。しかし、日本はこの3ヶ国から被害を受けている。

グループBは、韓国、中国、マレーシア、タイ、フィリピンである。この5ヶ国も、外貨準備の対GDP比率は、日本を上回っており、経常黒字の対GDP比率も、日本を上回っている。購買力平価ベースの1人当たりGDPは、フィリピンはまだ貧しいが、韓国は日本にあと一歩のところまで追い上げている。日本企業は、この5ヶ国に新規の工場を続々と建てているが、その最大の魅力は、低賃金である。しかし、その低賃金の何割かは、5ヶ国の政府・中央銀行による自国通貨安誘導政策の結果、実現されたものである。この5ヶ国が、実質的に日本を上回る多額の介入を実施しなければ、バラッサ・サミュエルソン効果(*2の最終段落を参照)により、経済成長とともに、通貨高が引き起こされていたはずなのである。政府・中央銀行による大量の介入により、5ヶ国の通貨の上昇は、ほとんど起こらなかった。中国の介入だけは、アメリカから、相当非難を浴びせられているが、中国は、そうした非難を跳ね返す政治力を保持している。残りの4ヶ国も、実質的には中国に匹敵する多額の介入を行っているが、大国ではないので、アメリカなどの大国への損害は少なく、ほとんど非難を受けることは無い。しかし、日本は、この5ヶ国からも大変大きな被害を受けている。

グループCのインドネシア、ベトナム、インドの外貨準備の対GDP比率は、日本よりは低い。従って、為替レートが割安である最大の原因は、この3ヶ国が、まだ貧しいからである。しかし、この3ヶ国の外貨準備の対GDP比率は、10%を超えており、アフリカの途上国の平均を、大幅に上回っている。この3ヶ国の経済成長が順調に進めば、近い将来、グループBのような国へと移行していく可能性は、十分考えられる。

以上のように、世界の工場が、アメリカ→日本→アジアへと移転しつつあるのであるが、市場原理だけで、このような現象が起こっているのではないのである。大半のアジア諸国は、介入という自国通貨安誘導政策により、自国の労働者の賃金を安く維持し、その低賃金を武器に、日本から工場や技術を引き付け、輸出を拡大することにより、経済成長を遂げているのである。きっかけの一つは、1997年のアジア通貨危機の影響を受けて、危機を二度と繰り返すまいとして、アジア諸国が外貨準備を積み増し始めたことである。それが継続し、大規模な自国通貨安誘導政策となって、現在も続いているのである。その結果が、日本の産業の空洞化現象である。従来のような工場の移転は加速化しており、研究開発施設や、本社機能の一部まで、日本からアジア諸国へと移転が継続している。

ただ、日本は、アジア諸国との貿易を通じて、日本自身も利益を受けており、全体としてはウィン・ウィンの関係にはあるのである。しかし、産業の空洞化を通じた雇用や技術の移転という点に関しては、日本が一方的に被害を受け、アジア諸国が一方的に利益を獲得している。従って、ウィン・ウィンといっても、全体としてみれば日本が小さなウィンを獲得し、アジア諸国が大きなウィンを獲得している、というのが現状である。これは、過去十数年間の日本とアジア諸国の実質GDPの成長率の差を見れば、明らかである。

世界の工場が、アメリカ→日本→アジアへと移転することは、ある程度は避けることができない運命的な現象である。ただ、現状は、アジア諸国の多くが、大規模な介入による自国通貨安誘導政策を実施しているため、移転の速度が速すぎるのである。日本が新製品を作り出しても、すぐにアジア諸国に移転してしまう。特に電機産業は、移転の速度が速く、日本の大手電機企業は、大赤字を出したり、倒産してしまう企業まで出てきている。日本としては、アジア諸国が実施している自国通貨安誘導政策と同じ程度の「円安誘導」政策を実施することが必要なのである。

現在の日本は、震災特需という一過性の原因により、経済成長を遂げている。しかし、その下で、産業の空洞化による潜在成長率の低下という現象が、従来以上のスピードで進行している。空洞化というのは、言葉を換えれば、大規模な構造改革(あるいは、生産構造の破壊と言った言葉が適切かもしれない)である。多くの日本企業は、工場の海外への移転という、生き残りのための血の出る構造改革を、毎日のように実施しているのである。こうした抜本的な構造改革により、日本企業は、生き残ることができるかもしれない。しかし、日本経済は、破壊され、潜在成長率が大きく低下して行くのである。日本経済の潜在成長率の低下を食い止めるためには、産業の空洞化という、日本企業の抜本的な構造改革の速度を緩めることが必要なのである。構造改革の速度を緩めるためには、政府・日銀による「円安誘導」政策が不可欠なのである。


(2013年版)


(2012年版)

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-9.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c234

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
235. 中川隆[-13918] koaQ7Jey 2020年2月08日 12:15:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-590]
アダム・スミス2世の経済解説 2013-02-09
ビッグマック指数の問題点
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-58.html


日本のエコノミストの中には、現在(2013年2月9日、1ドル=93円70銭)でも、為替レートが1ドル=70円台の時においても、円の為替レートは割高ではない、と主張する人たちがいる。そうしたエコノミストたちが円は割高ではないと主張する根拠の一つが、ビッグマック指数から見た円の購買力平価である。エコノミスト社が2013年2月1日に発表したビッグマック指数によれば、円はドルに対して、19%割安の水準であった。購買力平価の一つであるビッグマック指数から見ると、円は対ドルで20%近く安く評価されているので、現在の円相場は、円高ではなく円安である、という主張である。

以前、購買力平価とは何かを説明した際(*1)、ビッグマック指数を購買力平価として使用すべきではないと主張したが、今回は、その根拠をより詳しく説明する。エコノミスト社は、社内にEIUという調査・コンサルタント部門を抱えている。その EIUは、2013年2月4日に、駐在員用の生活費指数を発表している。これは、世界140都市における商品、サービス価格を160品目以上調査し、それをニューヨーク=100として比較するものである。この調査によれば、東京の指数は152であり、東京の生活費は世界で一番高いという評価であった。ちなみに、世界第2位は、大阪である。これは、東京の生活費がニューヨークを52%上回っている、ということを意味する。同時に、東京の物価がニューヨークを52%上回っている、という意味でもある。さらにこれは、購買力平価で見た場合、東京という日本を代表する都市で流通する円の価値が、ニューヨークというアメリカを代表する都市で流通するドルの価値を52%上回っている、ということをも意味している。

ビッグマック指数と生活費指数を使い、ドル=100とした基準で、円のドルに対する割高、割安度合いを示す数値をグラフ化したものが、最初に示したグラフである。このグラフには、IMFの購買力平価で見た円のドルに対する評価値も挿入した。グラフを見てわかることは、三つの指数の変動がよく似ている、ということである。一方、指数の水準は全く異なる。生活費指数は非常に高く、ビッグマック指数は非常に低い。IMFの購買力平価はその中間である。2013年の値は、生活費指数が152、IMFの購買力平価が127、ビッグマック指数は81である。

エコノミスト社の算出する生活費指数、ビックマック指数を用いてドル・円の為替レートを評価してみる。日本は生活費が非常に高いので、生活費指数を購買力平価として使用した場合、円の価値はドルを52%上回る。一方、ビッグマックという一商品に関しては、日本での価格が安いため、ビッグマック指数を購買力平価として使用した場合、円の価値はドルを19%下回る。

どちらの指数を購買力平価として使うのが正しいのであろうか。それは、生活費指数の方である。理由は、ビッグマック指数が、ビッグマックという一商品から算出される購買力平価であり、生活費指数は、160品目以上の商品、サービスから算出される購買力平価であるからだ。エコノミスト社は、ビッグマック指数を購買力平価として宣伝しているが、生活費指数を購買力平価としては扱っていない。しかし、本当は、エコノミスト社が算出する生活費指数の方が、ビッグマック指数よりも、購買力平価としては精度が高いのである。

では、エコノミスト社の生活費指数を購買力平価として使用することは正しいであろうか。これも誤りである。エコノミスト社の生活費指数で使用する商品、サービスは、160品目以上と少ない。IMFの購買力平価では、途上国においては、約1000品目、日本やアメリカなどの先進国においては約3000品目の商品、サービスから算出された指数である。EIUはエコノミスト社の一部門であり、その調査員が、毎年数多くの調査レポートを発表しているが、その中の一つのが、生活費指数である。IMFの購買力平価は、元をたどれば、世界銀行の ICP(International Comparison Program:国際比較プログラム)という購買力平価算出プログラムの中で作成された数値を元に計算されている。世界銀行が中心になり、OECD、ユーロスタットが協力して算出した購買力平価を、IMFがアップトゥデートしたものである。ICPという作業に何人が参加したかは分からないが、EIUの生活費指数よりも、遥かに膨大な人員、時間、統計の専門家が共同で算出した購買力平価であることは間違いない。世界銀行とIMFの購買力平価は、ICPで2005年を基準にして算出された購買力平価を大元に使っているので、全く同じではないが、似たような数値になっている。先進国に限った購買力平価については、OECDとユーロスタットが協力して算出したOECDの購買力平価も利用可能である。これも、ICPに組み入れられているので、2005年のOECDの購買力平価は、世界銀行、IMFと同じである。生活様式が異なる国々の物価を比較して計算し、購買力平価という一つの国を代表する一つの数値を算出している。どんなに多くの優秀な人員を長時間動員しても、欠点、欠陥を完全に除去することはできないと考えられ、その精度には、限界があるであろう。だが、現在、世界に存在する一番精度の高い購買力平価は、世界銀行、IMF、OECDの購買力平価であるはずだ。

2013年2月6日のエコノミスト紙に、「ビッグマック指数で見た通貨戦争」という題名の記事が書かれていた。ここでは「バーガノミックス」という名で、ビッグマック指数を使った通貨分析を行い、どの通貨が割高、割安であるかを評価している。その中では、円は対ドルで19%割安であるということも書かれており、その日本が通貨戦争の話題に火を付けた事を批判的に書いている。このエコノミスト紙の記事は非常に不適切であると考える。分析を行うなら、より精度の高い生活費指数を購買力平価として使った分析も同時に発表すべきであろう。生活費指数なら、円は、依然として世界一高く評価されている通貨なのである。

ビッグマック指数の大きな意義は、「わかりやすさ」にある。購買力平価とは何かを知らない人たちに対して、購買力平価の意味を説明する際、ビッグマック指数を例として使うと、非常に分かりやすい説明が可能になる。わかりやすく、かつ現実を正確に反映している指数であれば、いくら使用してもかまわない。しかし、ビッグ
マック指数はわかりやすいだけで、精度が低い物差しなので、使用すると、現実を歪んだ形でしか認識することができない。購買力平価を使うのであれば、世界銀行、IMF、OECDの購買力平価を使用すべきである。ビッグマック指数は、購買力平価を説明する際の入門者用のテキストだけに使途を限定して使用すべきである。ビックマック指数は、専門的な通貨問題の分析のために使用する尺度としての購買力平価からは、追放すべきである。

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-58.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c235

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
236. 中川隆[-13917] koaQ7Jey 2020年2月08日 12:17:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-589]
アダム・スミス2世の経済解説 2012-05-22
円の実質実効為替レート 継続する超円高
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-4.html

実質実効為替レートの最新のグラフはこちら

BIS(国際決済銀行)のHPには、1964年以降の主要27ヶ国の月次の実質実効為替レートが掲載されている。そのデータから、年次のレートを計算し、1964年=100として指数化する。数が多いので、ユーロ圏の国々をまとめてユーロ圏だけに代表させて、18ヶ国の実質実効為替レートをグラフ化すると、上記のようになる。

1964年の日本の経常収支は若干の赤字。スタート時点において、円は少し過大評価されていたことになる。

見て明らかなとおり、円の実質実効為替レートは、1964年−1995年の間、第2位のスイスフランを大きく引き離して、ずば抜けて高い上昇率を実現してきた。円は、昨年1年間に大きく値下がりしたが、超々円高が、超円高に変わった程度である。

円の実質実効為替レートが、米ドルの実質実効為替レートと比較して、大幅に上昇しているという事実は、1ドル=360円からピーク時には1ドル=75円にまで上昇したのであるから、実感できるはずである。

もう一つ注目すべきことは、中国、韓国、香港、台湾、シンガポールのアジア諸国である。いずれも、2013年の指数は、87以下である。これらの国の実質実効為替レートは、円の実質実効為替レートが71%上昇している間、13%以上値下がりしてきたのである。

なお、中国人民元のデータは、BISのHPには1994年以降のデータのみが掲載されている。そこで、1964年−1994年のデータは、人民元と米ドルの実質為替レートを計算し、実質実効為替レートに代用し、上記のグラフに掲載した。人民元は割安であるが、1994年以前のドルに対する円高が全く反映されていない。従って、1994年以前の実質実効為替レートが計算可能であるならば、上記のグラフのさらに下を進んでいた可能性が高い。

以上から、1964年−2013年という長期の実質実効為替レートの推移を見ると、円は、主要国の通貨の中で、値上がり率がずば抜けて高かったのである。特に、アメリカとアジア諸国の通貨に対しては、極端に大きく上昇してきたという事実は間違いないはずである。

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-4.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c236

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
131. 中川隆[-13916] koaQ7Jey 2020年2月08日 13:02:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-588]
日本が消費税率引き上げの為に令和大恐慌になろうとしているのに、日経平均だけが上がる理由:


[藤井聡]日本経済は緊急措置必要 もうこれは令和恐慌突入確実だ 2020/02/06




2019 年 12 月 11 日 宮田 直彦 エリオット波動マーケット分析
2015年、トヨタ株はドル 円に先んじてピークアウトした

かつて、レポート「トヨタ株が教える日経平均の転換点」(2015 年 4 月 15 日付 で、トヨタ株が重要な高値を付けた可能性があり、相関の強い日経平均とドル 円の調整入りが近いだろう、と予想したことがある。

結果的にこの見方は正しかった。トヨタ株が上場来高値 (8,783 円 を付けたのは
15 年 3 月 24 日、ドル 円高値 (125.86 円は同年 6 月 5 日だった。トヨタ株はドル円に先行してピークアウトし、その後は共に大型トライアングルを形成していくことになる。

なおトヨタ株の高値から3 ヵ月後、 15 年6 月 24 日に日経平均は当時の天井 (20,952円 を付け、その後の 1 年間で 30% 近く下落した。

トヨタ株は大型トライアングルから上放れ

最近になって注目すべきは、トヨタ株が大型トライアングルから明確に上放れた
ことだ。
代表的な輸出株であるトヨタ株とドル円の動きは互いに強く影響し合っている。
過去 10 年でみたときの相関係数は0.95 と高く、株価の上げ下げのほとんどは円相場で説明できるよう にみえる。

トヨタ株はドル高・円安を先取りか

2015年のトヨタ株がドル 円のピークを暗示していたように、現在のトヨタ株の
動きはドル 円の動きを先取りしているのではないか。

そうであれば、ドル円も 2015 年以来の大型トライアングルからの上放れが近い
だろう。そして 2020 年には、ドル高・円安トレンドが鮮明になっていくと思われ
る。

______



日本がインフレになって超円安になれば一般庶民の生活は滅茶苦茶になりますが、トヨタの様な輸出企業の利益だけは倍増するからです:


日本経済が長年低迷してきた原因は、アジア諸国による近隣窮乏化政策が大きな低迷原因であった。アベノミクス相場開始以降の円安により、欧米諸国の通貨に対する円の割高は、かなり多くが解消されたと思う。しかし、割安に操作されているアジア諸国の通貨に対する円の割高は、まだ解消されていない。

まず最初に、アジア諸国が長年実施してきた近隣窮乏化政策と、円高・アジア通貨安は現在でも解消されていないという事実を認識することから始めなければならない。こうした認識が広まったならば、円高・アジア通貨安の解消は、当然必要であるという理解も広まるはずである。

円高・アジア通貨安が完全に解消された場合、日本の輸出は多少は増えるであろうが、すぐに大きく増えることにはならない。理由は、長年にわたる超円高・アジア通貨安の結果、日本の多くの輸出産業が死に絶えてしまったからである。一旦、死んでしまった産業を生き返らせることは、不可能ではないが、非常に困難である。

アベノミクス相場の開始以降、円安・ドル高にもかかわらず、先進諸国に対する日本の輸出が増えにくくなっている理由と同じである。それでも、競争の前提条件を等しくするために、円高・アジア通貨安の解消は行われなければならない。その場合、円安が自国窮乏化政策であるという認識が、とんでもなく間違った考え方であるという理解もまた、同時に広まるはずである。
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-148.html



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アダム・スミス2世の経済解説 2012-05-27
購買力平価とは
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-5.html

購買力平価から見た、円相場の水準を調べることにする。ネット上で手に入る、あるいは、算出可能な購買力平価のデータとしては、IMF(2011年)、世銀(2010年)、CIA(2011年)、OECD(2011年)、ビッグマック指数(2012年)がある。

このうち、IMF(2011年)(2012年4月の公表値ではなく、2011年9月公表の2011年の推定値)とCIA(2011年)は、大部分が同じなので、CIAは、独自計算ではなく、IMF等からデータを借用していることがわかる。

IMF(2011年)と、世銀(2010年)は、いずれも、世銀が2005年の価格を基準としたICP(International Comparison Program:国際比較プログラム)という作業で求められた数値を元にして算出されている。 ICPは、国連統計部とペンシルベニア大学が、1970年から開始した、購買力平価を算出するためのプログラムである。2005年基準のICPは、第7回目である。この時は、世銀が中心となり、OECD、ユーロスタットが分担協力して、146の国、地域における約1000の商品・サービスを比較して算出するという大規模な購買力平価算出プログラムであった。第6回は1993年基準であったので、精度向上のために、過去6回よりも相当長い時間をかけて算出している。先進国から途上国まで、幅広くカバーしている。2006年以降は、それぞれが、購買力平価算出用デフレーターを作って算出するという手法により、アップデートした数値である。大元が同じであるため、IMF(2010年)と世銀(2010年)は、非常に似た数値を示している。直近の数値は、IMFの方が新しいので、IMF(2011年)を使用するのが妥当であろう。

OCED(2011年)は、OECDとユーロスタットが共同して、先進国を中心とする2008年の主要国の購買力平価を算出したデータを元にしている。ユーロスタットは、1960年代後半から、ヨーロッパの一部の国の購買力平価算出プログラムを開始した。1980年から、OECDと共同して先進国中心の購買力平価を算出し始めた。その後、何度も新たに計算を行い、現在は、OECD(2008年)の数値が元となっている。これは、主要国における約3000の商品・サービスを比較して算出された購買力平価の数値である。2008年の数値から、IMF・世銀方式よりも、より精密な購買力平価算出用デフレーター作って算出するという手法によりアップデートしたものが、OECD(2011年)である。OECD(2005年)はICPで算出された世銀(2005年)に組み入れられている。

ビッグマック指数は、イギリスのエコノミスト社が、マクドナルドのビッグマックという一つの商品から算出している購買力平価である。IMF等の購買力平価と違って、あまりにも簡易な算出方法であり、実体がどこまで反映されているか疑わしい。実際、ビッグマック指数は、IMF、世銀、OECDの購買力平価と、かなりかけ離れた数値が散見される。より厳密な購買力平価を使うとしたら、ビッグマック指数ではなくIMF等の数値を使うのが妥当であろう。

それでも、IMF、世銀、OECDの購買力平価には、いくつかの問題がある。その中で最大のものは、貿易財と非貿易財の問題である。先進国と途上国の生産性の格差は、貿易財の方が非貿易財よりも大きい。例えば、工業製品の生産性は、先進国と途上国との間に大きな格差が見られる。しかし、散髪のようなサービス・非貿易財の生産性は、先進国と途上国との間に、大きな格差は見られない。しかし、市場で決定される為替レートは、非貿易財の価格は無視され、貿易財の価格のみが反映される。そのため、途上国では、市場で決定される為替レートは、購買力平価よりも過小に評価される傾向がある。一方、先進国では、市場で決定される為替レートは、購買力平価よりも過大に評価される傾向がある。このことは、同時に、途上国が経済成長を実現して先進国へと移っていく間、市場で決定される為替レートは、経済成長と共に上昇していくことをも意味する(バラッサ・サミュエルソン効果)。この問題を頭に入れておけば、IMF、世銀、OECDの購買力平価は、通貨価値を比較する際の指標として、かなりの正確性を持つことになると考えられる。
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-5.html


アダム・スミス2世の経済解説 2020-01-19
実質実効為替レート、名目実効為替レートの長期推移
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-110.html

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20200120143024d99.png/


非貿易財を含む消費者物価指数から作成される実質実効為替レートを見る場合、バラッサ・サミュエルソン効果(経済成長率が相対的に高い国は購買力平価、ないしは実質実効為替レートも上昇するという現象)と合わせて見ることが必要。

日本はバラッサ・サミュエルソン効果に貿易摩擦も加わり、1995年までは異常な円高が発生。その後、日本経済の成長率低下に伴うバラッサ・サミュエルソン効果の是正=超円高の是正が起こった。しかし、超円高の是正は不十分。

日本周辺のアジア諸国では、固定レート制や政府・中央銀行の為替介入などにより経済成長に伴う通貨高=バラッサ・サミュエルソン効果がほとんど発生していない。


(購買力平価との関係)

IMFが算出している購買力平価で見ると、1ドル=97円であり現状はそれよりも円安。

従って、最近のIMFは円レートを適正とは評価しても、割安と評価することはない。

しかし、IMFの見方には3つの問題点がある。


第1点は、日本の購買力平価で見た一人当たりのGDPは欧米と比較すると過去のように高くはない。

先に示したバラッサ=サミュエルソン効果で示した通り、豊かではない国の為替レートは購買力平価で見て割安なのは当然。

これは、対米ドルや対欧州諸国の通貨に対して円が割安であることを正当化できる理由である。


第2点は、日本と貿易量の多いアジア諸国の通貨は、購買力平価で見ても非常に割安な国ばかり。

シンガポールなどの非常に豊かな国の通貨は日本よりかなり割安。

中国のようにあまり豊かとは言えない国の通貨はさらに割安。

日本と貿易量の多いアジア周辺諸国は、購買力平価で見ると超割安な国が多い。


第3点は、日本は1990年代後半のデフレ期以降は財価格↑≒サービス価格↑。

同期間の欧米諸国はサービス価格↑>財価格↑。

例 日米の消費者物価、財物価、サービス物価の差

http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20190206130209f65.png/


日本の購買力平価比での円安や実質実効為替レートで見た円高是正はサービス価格の相対的な下落が原因。

財価格からみれば超円高の是正は全く不十分。


IMFなどの購買力平価だけからは見えないので、認識もされていない。

結果として、円は購買力平価で見ると円安、実質実効為替レートで見ると基準時点によっては円安。

しかし、財を主に生産する日本の輸出産業にとっては超円高が継続。

より厳密には欧米諸国の通貨に対しては超円高とは言えないが、大半のアジア諸国の通貨に対しては超円高。

詳細→アジア諸国の近隣窮乏化政策と日本経済の低迷
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-148.html


この超円高・アジア通貨安は是正されなければならない。


なお、購買力平価説の通説的解釈は物価変動の差→為替レートである。

1995年以降の日本については為替レート(円高)→物価とGDP変動の差(物価安とGDPの低迷)、という因果関係になる。

この因果関係についての考え方は特殊なように見える。

他方、通貨安→GDP増加という考え方は広く見られる。

アメリカは年に2度の為替報告書を公表して日本を通貨安誘導の疑いありと監視対象国に指定し続けている。


(超円高の是正方法)

1995年以降、実質実効レートが大きく円安方向に移動したことは事実。

しかし、名目実質実効レートは少ししか円安になっていない。

この現象下で発生したことは、日本の輸出産業の製品価格の下落、輸出産業の崩壊、物価下落、賃金下落、成長率低下。

賃金を見ても、世界の先進国の中で日本だけが上昇していない。


http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/2019101322232406e.png/


電機を中心とする輸出成長産業が大崩壊。

その結果、賃金は低下。

実質円高の是正方法としては最悪。

今後の実質円高の是正は名目円レートの引き下げでなければならない。

それならば賃金、物価の上昇も可能。


(経常黒字で円高進行?)

日本は円高が原因で全然豊かになれない。

反対に、浪費壁があるアメリカは豊かになり、同時に経常赤字も拡大。

日本=経常黒字、アメリカ=経常赤字の原因を通常の経済学で考えると、円が安すぎ、米ドルが高すぎになる。

そのため、先に書いた通りアメリカは為替報告書で日本は円安誘導の疑いありと監視し、実際に円安誘導をしていると非難することもある。

日本国内でも、経常黒字で円高になるのは当然という意見はある。

購買力平価説の通説的解釈とも言える。


しかし、経常黒字の原因は円高のために賃金上昇がなく、消費も節約しすぎで、輸入が増えないことも一因。

円高差損に懲りた日本企業も国内では設備投資をほとんど増やさず、対外直接投資は大きく増やす。

結果として貿易赤字は増えず、第一次所得収支の黒字が拡大し、経常収支も黒字を維持。


世界的には、通貨安が原因で経常黒字になる国が多い。

日本に関しては円高を原因とする経常黒字が継続。

円安になると所得が増え、輸入も増え、貿易黒字は減るかもしれない。

企業の対外直接投資も減り、経常黒字も減るかもしれない。

これに近い貿易・サービス黒字、経常黒字の縮小はバブル時代の末期に実際に発生、現在のアメリカとも共通点が多かった。


ところが、日本ではバブル=悪という全面否定論が強すぎる。

バブル時代は資産価格の上昇に対して、賃金と物価の上昇率が低すぎたことが失敗という総括に変えることが必要。


(経済成長の困難化)

長年の超円高・アジア通貨安継続の結果、日本の輸出産業の基盤は大きく崩壊し、現在も崩壊中。

その結果として、日本の先端製造技術、規模の経済、外部経済が失われただけではない。

日本人の夢と希望が失われ、勤労意欲、学習意欲も低下。


こうした夢と希望の消失などは少子高齢化でも発生。

ただ日本の場合、少子高齢化以上に超円高・アジア通貨安が寄与。

少子高齢化で夢と希望の消失が発生するからこそ、超円高・アジア通貨安は是正する必要があった。

実際は夢と希望の消失を少子高齢化や既得権益層の過保護が原因と決めつけ、超円高・アジア通貨安を是正しなかった。


現時点では、円安だけで経済を再生させようとしても完全に手遅れであり、もはや不可能。

しかし、円高進行なら、産業崩壊は加速=日本経済の崩壊も加速=国民は貧困化。

食料や石油など輸入品価格上昇という痛みを伴う割には、経済成長は簡単ではない。

それでも経済衰退の加速防止には円安が不可欠。


なお、コーポレートガバナンスコードは、ROE重視より先に、賃金上昇の重視へと改める必要がある。

今まで書いてきた日本のマクロ経済の特殊性を知らない経営学者が、欧米の常識をそのまま日本に導入したこともまた大きな失敗。
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-110.html



http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c131
[リバイバル3] 中川隆 _ 音楽関係投稿リンク 中川隆
130. 中川隆[-13915] koaQ7Jey 2020年2月08日 14:48:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-587]
ロベルト・シューマン 交響曲第4番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/450.html#c130
[リバイバル3] 孫正義の詐欺の手口 中川隆
16. 中川隆[-13914] koaQ7Jey 2020年2月08日 15:20:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-586]
2020年02月08日
ソフトバンクの評価がた落ち ビジョンファンド赤字で第二弾の出資なし


小さな利益を積み上げて大きな損失を出すのは典型的な素人投資

画像引用:ソフトバンクG、15年ぶり営業赤字 米ウィーで大幅評価損、7〜9月期9702億円赤字 - SankeiBiz(サンケイビズ):自分を磨く経済情報サイトhttp://www.sankeibiz.jp/macro/news/191106/eca1911061628003-n1.htm

ビジョンファンドは「素人の火遊び」の評価

ソフトバンクグループについて悪い評価と良い評価が交錯し、今後の業績にも見方が分かれている。

ソフトバンクGの10兆円ファンド「ビジョンファンド」は第2弾の出資を募集しているが、思うように集まっていない。

第一弾の10兆円ファンドは2017年の立ち上げ、3年で使い切ったと言われている。


第一弾ファンドの運用状況は不明で、含み益を資産に含めて発表するなど実態を隠そうとする隠蔽工作も指摘されている。

第二弾は12兆円を募集したが、今までに応募したのはソフトバンクグループ(380億ドル)のみとなっている。

サウジアラビア政府ファンドは第一弾ファンドの最大出資者だったが、第二弾には参加しないと表明している。


ビジョンファンド1は2019年7−9月期に9703億円の営業赤字を計上、前年同期は3925億円の黒字だった。

投資先88銘柄のうちウーバーやウィーワークなど25銘柄の株価評価額が下落し評価損が響いた。

ソフトバンクGはウィーワークに約1兆円の金融支援をしたが上場延期となり、ウーバーやスラック・テクノロジーズでも損失となった。


ソフトバンクの投資事業への評価は低下し、企業価値を判断できない素人と欧米で酷評された。

ビジョンファンド1で投資した企業が最近相次いで事業縮小したり、従業員を解雇したり経営者が交代している。

不動産事業やカーシェアリング、ピザ宅配、ホテル、配車サービスなど投資先には何の脈絡もなく、ソフトバンクは事業への知識も持っていなかった。

ソフトバンクから離れていく大口投資家

孫正義は「一目見て惚れた」「フォースを感じた」「10分話しただけで数百億円投資した」のような話をしたがる。

それで投資家を驚かせて「さすがは孫さんだ」と言われると鼻高々で、集まった株主らに神々しく話しかける。

孫氏を信じる株主はそれで恐れ入るのだが、信者でない人から見ると気持ちが悪い宗教団体に過ぎない。


ビジョン・ファンド1は2019年9月末時点で、88社に707億ドル(約7兆7,900億円)を投資した。

ソフトバンクはこれら企業に776億ドル(約8兆5,500億円)の価値があると説明したが、実態は不透明です。

孫正義は独自の計算方法で企業価値を大きく見せているが、それが逆に投資家の不信感を生んでいる。


ビジョン・ファンド1はスタートアップ企業に法外な投資を行い、ソフトバンクが投資する事で株価を釣り上げた。

つまり本来10億円だった企業にソフトバンクが100億円を投じれば価値が100億円以上になり、上場すれば巨額の利益を得られる。

ソフトバンクの投資事業とは価値のないスタートアップ企業に投資して株価を釣り上げ、株式公開して利益を上げるビジネスモデルだった。


このため投資先企業の評価額が下落したり株式公開に失敗すると、ウーバーやウィーワークのように失敗する。

孫正義は長期的な投資のように言っているが、実際には超短期で株価を釣り上げて「売り抜ける」投資をしている。

ビジョンファンド第二弾は実現しないだろうという見方が増え、それどころか第一弾ファンドの存続も危うい。


第一弾に投資したサウジ政府などがビジョンファンドに反発し投資した資金を引き揚げないとも限らない。

実際第一弾に投資した大口投資家は、「充分な利益を上げていない」として一社も第二弾に参加していない。

錬金術師孫正義は手品の種が尽きて退場するのか、それとも再び世界を驚かせる何かをやるのだろうか?
http://www.thutmosev.com/archives/82151445.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/965.html#c16

[リバイバル3] 中川隆 _ 欧米文化関係投稿リンク 中川隆
137. 中川隆[-13913] koaQ7Jey 2020年2月08日 16:37:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-585]
東海アマ イスラム国を作ったのは、イスラエルであること
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/896.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/464.html#c137
[近代史3] 極貧のイギリス王室 _ イギリス王家の滅亡と「イギリス人」の消滅 中川隆
2. 中川隆[-13912] koaQ7Jey 2020年2月08日 16:50:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-584]
メーガン妃を王室追放したエリザベス女王の「やり場のない怒り」
「週刊文春」編集部 2020/02/08
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/メーガン妃を王室追放したエリザベス女王の「やり場のない怒り」/ar-BBZLNjQ?ocid=ientp


「こういうことになり、大きな悲しみに襲われている」

 英国のヘンリー王子(35)は1月19日、自分と妻のメーガン妃(38)が“王室追放”を言い渡された胸中をこう吐露した。

◆ ◆ ◆

〈独立した生活を送りたいという願いを尊重して理解する〉
〈王室の主要メンバーから退き、経済的に自立する〉
 ヘンリー王子夫妻がインスタグラムでそう発表したのは1月8日のこと。

 現地特派員が語る。

「当初、ヘンリー王子夫妻は公金を受け取らない代わりに公務を減らし、英国とカナダを行き来する王室と民間の“半々”の生活を希望していた。独立の動機はマスコミへの反発でした。収入が減った分は王室ブランドを売りにした活動で賄おうとしていた」

 離脱表明を受け、エリザベス女王(93)らが宮殿に集まり、家族会議を開いた。
「会議は5日間行われ、特に父のチャールズ皇太子(71)とヘンリーの兄であるウィリアム王子(37)が独立するなら王室を離れるよう強く迫ったと見られます。カナダに滞在しているメーガン妃もスカイプで参加したいと申し出たが、断られた」(英王室に詳しい元BBCシニアリポーターのダンカン・バートレット氏)

 エリザベス女王は13日、〈私たちは、彼らの家族としてより独立した生活を送りたいという願いを尊重して理解する〉とコメント。

 そして“ゴッドマザー”が断を下した。18日、英王室が、ヘンリー王子夫妻は「殿下」「妃殿下」の称号を返上し一切の公務から退くと発表。事実上の追放だった。

 夫妻は、ロンドン近郊にある居宅の改修に使われた公費240万ポンド(約3億4000万円)も返済する。

「ただ、チャールズ皇太子が夫妻に渡している年間200万ポンドの支援は継続される見通しです。またサセックス公爵としての爵位は維持されますが、公爵のブランドを使うビジネスがどこまで認められるか、まだ不明です」(前出・特派員)
女王は「やり場のない怒りを抱えていた」

 翌19日、エリザベス女王は穏やかな表情で教会の日曜礼拝に姿を現した。

「女王は一度もメディアのインタビューを受けたことがなく、公の場で自分の感情を表に出すことがない」(前出・バートレット氏)

 だが、女王は、憤怒していたという。英ガーディアン紙東京特派員のジャスティン・マッカリー氏が語る。

「エリザベス女王はかねてより王室を“会社”に例えてきました。王室は国民の税金で成り立っており、国民への奉仕が仕事だと。だが、ヘンリーたちが言うスタイルでは、それが成り立たない。元女優でアフリカ系米国人を母に持つメーガンと結婚したヘンリーは古い王室を変える“革新”の象徴で人気もあっただけに、本心ではこれまで通りフルタイムの王室の一員として働いて欲しかった。しかし、王室の最後の一線は守らなければならず、やり場のない怒りを抱えていたのではないでしょうか」

 愛するヘンリー王子の生い立ちが、女王の心情をより複雑なものにしていた。
「ヘンリー王子は子どもの頃に父チャールズ皇太子と母ダイアナ妃の離婚を経験し、母を事故で失っているため、『両親とは違う生き方をしたい』と語っています。女王はそれも理解しており、独立を強く止めることはできなかった」(同前)
 英国内では世代や人種間で様々な感情がないまぜとなり、世論を二分するヘンリー王子夫妻。今後について、メーガン妃の女優復帰や夫婦揃ってのテレビ局とのタイアップなど憶測が流れる。

「これまで巨費が投じられてきたカナダでの警備費をどうするかも決まっていない」(前出・バートレット氏)

 ブレグジット以上に、王室からの離脱は前途多難だ。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2020年1月30日号)
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/メーガン妃を王室追放したエリザベス女王の「やり場のない怒り」/ar-BBZLNjQ?ocid=ientp

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/800.html#c2

[近代史3] 監視国家 中国 中川隆
1. 中川隆[-13911] koaQ7Jey 2020年2月08日 17:11:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-583]

2020年02月08日
湖北省周辺の1億人超を封鎖、政府批判ジャーナリストや医師が失踪



武漢からの脱走者がいないか検閲する検問所、こんな事をしたら感染者は隠れて治療不可能になる


画像引用:「安全守るため」独自検問する北京の村 春節Uターンを警戒|【西日本新聞ニュース】https://www.nishinippon.co.jp/item/n/580655/

中国は共産主義の闇を見せた

共産主義には2面性があり表面は高い理想を掲げ、輝かしい成果を誇示している。

その裏側では例外なく膨大な収容所が存在し、中国では数百万人から数千万人が収容されている。

旧ソ連には100万人規模の収容所が存在し、中国は人口比で同じ比率としても1千万人以上が収容されている。




政府に不都合な活動をするジャーナリストは目を付けられやすく、定期的に失踪している。

2012年11月16日、貴州省畢節市でホームレス児童6人がゴミ箱の中でなくなっているのが発見された。

子供たちはこの辺でゴミをあさったり物乞いをしていて、寒さをしのぐためゴミ箱に入っていた。


このニュースをインターネットで報道し写真を公開した李元龍さんは公安に逮捕され、その後消息不明になった。

李元龍さんが撮影した写真もネット上から消えてしまい、今は見る事ができない。

こうした例は無数にあり、農民の反乱や地方の暴動を報じたジャーナリストの多くが行方不明になった。


そして現在、新型コロナウイルスで政府に批判的な報道をしたジャーナリストや医療関係者が姿を消しています。

中国では新聞記者は国家資格であり試験に合格して許可を得た者しか、新聞やニュース記事を書く事ができない。

ネットブログは許可制で、政府が指定する2人以上の審査員が審査し合格しないとブログを公開できない。

お人よしは中国では酷い目にあう

SNSや掲示板は実名登録制なので、ネット上に表示されなくとも公安や警察は誰が書いたのか把握している。

このように中国ではニュースや記事を書くのに政府の許可が必要で、無許可で記事を書いたり報道する行為は処罰されます。

政府に不都合な写真をネットで流したり、真実を暴露するとデマを流した罪で逮捕される。


武漢で新型ウイルスの危険性を最初にネット上で警告した眼科医の李文亮は、20年2月7日に新型ウイルスでなくなった。

李文亮は最後に、自分がしたことは何の役にも立たなかったという意味の言葉を語っていたそうです。

李文亮は19年12月30日にSNSの「微博(ウェイボ)」でウイルスの危険性を訴えたが、デマを流した罪で公安に逮捕されたようです。


武漢市が新型ウイルスの拡大を認めたのは1月23日の事で、1月20日に習近平が対策を指示したからでした。

武漢市民は1月23日になってもまだ、警察や公安が感染者らを「デマを流した」罪で拘束するのを目撃している。

日本の左翼マスコミは「中国人を一律に否定する日本人の方が異常だ」と言うが、中国はこのようなシステムなので、個人の善意には意味がないのです。


善意をもつお人よしの中国人がいたとしたら、李元龍や李文亮のような目に遭います。

李文亮医師は2月6日夜にネット上で死亡トピックが出たが、政府が統制し「死亡していない」事になった。

噂は収まらず抑えきれなくなって7日朝に亡くなった事になったが、本当はどうだったのか分からない。

最悪の場合、当局に消されたのではないかという噂すら流れている

共産主義は危機の時何をするか

中国政府がやっている感染拡大防止策は移動禁止と都市の封鎖だが、専門家は効果を疑問視している。

中国政府が認めただけで中国国内の感染者は3万人以上、一方移動制限していない中国以外の国で感染者は330人程となっている。

つまり都市の封鎖や移動制限は効果がなく、検査や医療、衛生といった基本的な事が重要なのを示している。


武漢市周辺では人口1400万人に対してまともな病院は4つか5つで、受け入れ可能な患者はそれぞれ500床程度だったようです。

ウイルス関連で1日に対応できる外来患者もその程度だった上に、感染を訴える人や医師を「デマを流した」と言って逮捕していました。

その後中国は武漢に1000床規模の病院を複数建設し、都市を封鎖し移動制限を行った。


だが武漢市長は「500万人が武漢から脱出した」と言っており、中国全土で潜伏している。

他の省では武漢からの潜入者を通報したら奨励金を出すなど指名手配扱いなので、感染した武漢市民は逃亡し潜伏している。

こうした政府や省の対策は感染を拡大しただけで、普通に武漢市民を治療したほうが良かった。


今までに移動制限が出された都市は60近くに達し、総人口は1億5000万人に達しているとされている。

中国発表の感染者数は3万4000人、死者は722人だが「10倍すると正しい数字になる」と揶揄されている。

共産党中枢が気にしているのは党の存続と習近平の権威だけで、人民の保護は気にかけていない。
http://www.thutmosev.com/archives/82156842.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/888.html#c1

[近代史3] ロベルト・シューマン 交響曲第4番 中川隆
1. 中川隆[-13910] koaQ7Jey 2020年2月08日 18:57:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-582]

クナッパーツブッシュ

Schumann: Symphony No. 4 - Vienna Philharmonic Orchestra/Knappertsbusch (1962) [PSEUDO STEREO]


_____









Wiener Philharmoniker
HANS KNAPPERTSBUSCH, conductor
Recording: Musikverein, Vienna, December 16, 1962



ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウイーン・フィル(1962年録音/Altus盤) 

クナッパーツブッシュ/ウイーン・フィルのライブ盤はどうしても外せません。
評論家の福嶋章恭さんが最高の演奏と述べておられる演奏です。
確かに余りのスケールの大きさに度肝を抜かれますし、これはフルトヴェングラーに対抗し得る唯一の演奏だと思います。

但し、クナ特有の大きな間の取り方や、時に最強奏する金管がまるでワーグナーを感じさせてしまい、シューマネスクな演奏という点ではやはりフルトヴェングラーのほうが上かなと感じるのです。

これまでは海賊盤でしか聴くことができませんでしたが、Altusから正規録音盤がリリースされました。モノラルですが音質は極上の素晴らしさで、演奏の凄さが改めて認識されます。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/op120-0c49.html

▲△▽▼

Hans Knappertsbusch Schumann Symphony No. 4









München Live 1962.6.1


 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
 ハンス・クナッパーツブッシュ(指揮)
 録音:1962年1月6日 ミュンヘン、コングレスザール(ライヴ)
 旧CD=セブンシーズ(KICC2374 1995.1.7)

 シューマンの4番は、他に2種(56年ドレスデン、62年ウィーン・フィル)録音(いずれもライヴ)があります。
「両端楽章の遅いテンポとスケールの大きさ、濃厚な幻想性は19世紀風であり、英雄的な気迫が圧倒的である」〜宇野功芳、レコ芸95年3月号の月評より
https://www.hmv.co.jp/en/news/article/1912251014/

▲△▽▼

Schumann Symphony No.4 Hans Knappertsbusch 1956




ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 シュターツカペレ・ドレスデン
1956年11月4日ライヴ。

冒頭から素晴らしい音色、フルトヴェングラーのようなうねりだが、しかし主部に入ると、がぜん「クナ的」になる。(所々クナ・パウゼ − フルトヴェングラー・パウゼとは質が違う − がある。)
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm






http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html#c1
[近代史3] ロベルト・シューマン 交響曲第4番 中川隆
2. 中川隆[-13909] koaQ7Jey 2020年2月08日 19:08:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-581]

ブルーノ・ワルター

Schumann sinf n 4 Bruno Walter NBC Symphony Orch 1940


NBC Symphony Orch.
Bruno Walter
(live rec. 02.03.1940)


▲△▽▼

Schumann:Symphony#4-Bruno Walter & Mozart Festival Orchestra(Paris)1928



Bruno Walter
The Mozart Festival Orchestra(Paris)
1928
Warning!Unedited Direct Playback From 78's with Side-Breaks

ブルーノ・ワルター指揮パリ・モーツァルト・フェスティヴァル管弦楽団
GRAMMOFONO。1928年SP復刻盤。「幻想交響曲」とカップリングされている。
その「幻想」同様、ワルターには向かない曲だ。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html#c2
[近代史3] ロベルト・シューマン 交響曲第4番 中川隆
3. 中川隆[-13908] koaQ7Jey 2020年2月08日 19:25:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-580]

アーベントロート

Schumann - Symphony n°4 - RSO Leipzig / Abendroth


Rundfunk-Sinfonie-Orchester Leipzig
Hermann Abendroth
Radio recording, Leipzig, 31.III.1956

▲△▽▼

Schumann: Symphony No. 4, Abendroth & LeipzigRSO (1951)


___










Hermann Paul Maximilian Abendroth (1883-1956), Conductor
Leipzig Radio Symphony Orchestra (MDR Leipzig Radio Symphony Orchestra)

Rec. 13 February 1951

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html#c3
[近代史3] ロベルト・シューマン 交響曲第4番 中川隆
4. 中川隆[-13907] koaQ7Jey 2020年2月08日 19:39:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-579]

カール・ベーム

Schumann: Symphony No.4 In D Minor, Op.120 Karl Böhm Wiener Philharmoniker









Wiener Philharmoniker
Karl Böhm


カール・ベーム指揮ウィーン・フィル
DG。1978年録音。ベーム唯一のシューマン録音である。

ゴッツイなかにも、晩年のベーム特有の懐の深さがあり、3〜4楽章のブリッジ部分など意外なほどロマン的である。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm


カール・ベーム指揮ウイーン・フィル(1969年録音/オルフェオ盤)
 
ベームには約10年後のグラモフォン盤も有りますが、これはザルツブルグでのライブ録音です。音質は年代相応ですが、幾らか高音に硬さを感じます。60年代のベームにしては意外に解放感があり堅苦しさを感じません。

ウイーン・フィルのしなやかな美しさも魅力です。シューマンの音楽に本来ベームの資質は合わないような気もしますが、ウイーン・フィルの音が中和させているように思います。終楽章の序奏で管のピッチが合わないのはご愛嬌ですが、続く主部のシューマン・リズムの味わいが忘れさせてくれます。
http://harucla.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/op120-0c49.html


▲△▽▼


Schumann - Symphony n°4 - LSO / Böhm


London Symphony Orchestra
Karl Böhm
Live recording, Salzburg, 10.VIII.1975



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html#c4
[近代史3] ロベルト・シューマン 交響曲第4番 中川隆
5. 中川隆[-13906] koaQ7Jey 2020年2月08日 20:03:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-578]

カラヤン

Schumann “Symphony No 4” Herbert von Karajan • Wiener Philharmoniker, 1987


Wiener Philharmoniker
Herbert von Karajan
1987

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィル
DG。1987年ライヴ録音。
やや豊かすぎるくらいのオケの音をしっかりと締めているあたりはさすがである。
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm



▲△▽▼

Schumann - Symphony No.4 - Karajan, Staatskapelle Dresden (Live 1972)



▲△▽▼

シューマン: 交響曲 第4番 ニ短調 作品120 カラヤン 1957





Herbert von Karajan
Berliner Philharmoniker
1957年4月25, 26日

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィル
EMI。1957年4月、グリューネヴァルト教会での録音。

このSACD盤の解説によると、ヴァーグナーが通常12インチ(30cm)のLPだったのに対し、シューマン第4は単独で10インチ(25cm)のレコードとして発売されたという。SACDの表ジャケットはヴァーグナーのLPのもので(写真左)、内側ジャケット写真がシューマン第4のものである(写真右)。

モノラルなのにカラヤンの録音は分離が良い。フルトヴェングラーはよく

「何でカラヤンの録音ははっきりとティンパニが聞こえるのか」

とレッグにクレームをつけていた、という話をどこかで読んだ覚えがある。しかし、この曲に関して言えば、フルトヴェングラーのDG録音のような渾然一体となった音こそがふさわしい。もちろんそれは録音だけのせいではなく、この時期のカラヤンの指揮そのものの特徴でもある。(これに対し、最晩年のウィーン・フィルとの録音はフルトヴェングラー的な音を指向している。)
http://classic.music.coocan.jp/sym/schumann/schumann4.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html#c5
[近代史3] 中国は何時から日本でマスコミ工作・ネット工作をしているのか? _ 赤かぶ氏は中国の工作員グループ 中川隆
12. 中川隆[-13905] koaQ7Jey 2020年2月08日 21:56:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-577]
 自民党議員の相当数が、中国共産党の 「藍金黄計画」に取り込まれていること
2020年02月08日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1023.html


 「藍金黄計画」とは何か?

 郭文貴氏、共産党の浸透工作を暴露 日本でも「藍金黄計画」を展開か
2017年10月12日
 https://www.epochtimes.jp/p/2017/10/28787-2.html

 以下一部引用

 郭氏は「中国共産党の藍金黄計画がアメリカを蝕んでいる」と指摘する。「藍金黄計画」とは、共産党が国外政府の幹部を丸め込む手段を指す。中国軍のサイバー部隊「ネット藍軍」に由来した「藍」とは、メディアやインターネットを利用して宣伝・洗脳活動、「金」とは金銭利益による誘惑、中国語ではポルノを意味する「黄」とはハニートラップのこと。

 大紀元が入手した情報によると、江沢民時代に買収された米政府の幹部や中国問題専門家は、今も江沢民派のために動いているという。

 ネット宣伝、金、美女…中国共産党のなりふり構わぬ籠絡工作に日本も踊らされている。近年、共産党機関紙の日本語版が急増している。新華社通信、人民日報、中国国際放送局などの電子版は、相次ぎ日本語サイトを開設した。共産党政策の宣伝、中国賛美を中心としたニュースが流されている。

 また、中国ニュース専門のフォーカス・アジアは、新華経済株式会社という「日本」の企業が運営しているとHPに記載されている。
 しかし、同社は設立当初、新華網の日本代理店としてニュースを配信していた。その後、「新華通信ネットジャパン」「毎日中国経済」などの社名を経て、現在に至った。同社の上級顧問は、日本新華僑通信社編集長・人民日報海外版日本月刊編集長の蔣豊氏が務めている。その肩書きからでも分かるように、蔣豊氏は在東京中国大使館とべったりの人物だ。

 中国共産党の魔の手は日本政界にも浸透している。
 石原慎太郎元都知事は2004年3月、産経新聞への寄稿文で「当時、東京在住の法輪功のメンバーからNPOとしての登録の申しこみが都庁にあった際、在日の中国大使館から陰に陽に、自民党の大物議員まで動員しての牽制があったものだ」と述べている。議員の名前は明かされていないが、中国共産党の意向を受けて動く議員の存在を証明する話だった。

 また、サピオ2006年10月号の記事「蠢く!中国対日特務工作白書」(執筆者・袁翔鳴)に「西日本選出で、大臣経験もある自民党の大物議員の妻が昨年、末期の肝臓ガンを患った。ある中国人男性は議員会館を訪ね、中国の病院で肝臓移植を受けるよう勧めた。男性の斡旋で中国軍の病院で無事に手術を終え、議員の妻は回復した」との記述があった。記事の最後に「あの先生は、奥さんのことで中国に頭が上がらなくなったとささやかれている」と書かれている。

 共産党のハニートラップに引っかかった政治家も少なくない。もっとも有名なのは橋本龍太郎元首相を籠絡した中国人女性通訳のケースだ。橋本氏と交流を持ちながら、中国へのODA増額などの働きかけを行なっていた疑いが持たれているこの女性は、北京市公安局の情報工作員だったことが判明している。

(東海アマ註=橋本龍太郎は、これが原因で、CIA工作員に殺害されたとの情報がある。 「米国債を売る」発言と、中国接近により殺された。情報は削除された)

 2016年1月、英国の諜報機関「MI6」が、中国の女性スパイによる「ハニー・トラップ」は過激組織「イスラム国」(IS)よりも国家安全保障にとって重大な脅威だという報告を当時のキャメロン首相に提出した。

 中国共産党は「藍金黄計画」を通じて、海外で親中共勢力を拡大させている。郭文貴氏は記者会見で「驚いたのはイベントの中止を説得しに来たのは中国人ではなく、アメリカ人だった。なんと滑稽な話だ」とも口にした。
********************************************************************

 私は、中国政府が、ダミーであるシンガポールやマレーシアの架空企業を使って、日本国内の軍事上の重要な土地を買い占めていることに、自民党政権がまったく反応せず、黙殺してきた事情について、「もしかしたら、自民党議員が大規模、個別に買収されているのかもしれない」と疑い続けてきた。

 それは、橋本龍太郎が、ハニートラップに引っかかって、中国に重要情報を提供していた事実が明らかになって殺された2006年、当時は江沢民政権だったが、首相まで籠絡している以上、二階俊博や高村正彦、それに小渕・福田らも橋本と同じように、賄賂工作に遭ってきたのだろうと印象づけられた。

 今年に入って、偶然というべきか、IRカジノ汚職が表面化し、多数の自民党議員が捜査対象になったが、「買収金額が少ない」という不可解な理由で、秋元を除く全員が不起訴となった。
 100万円以上が立件対象と説明されているが、自民党議員で「叩けばホコリの出ない者」など、ほとんどいないので、厳格に調査すれば、100万円以下などいるはずがない。
 これが、もしも辻元清美なら1万円でも立件しただろうに……。

「法の下の平等」は幻想か。IR汚職5議員が少額理由に立件見送り
 https://www.mag2.com/p/news/438833

 フクイチ事故前に、東電の杜撰な原発運営を批判した佐藤栄佐久元福島県知事は、賄賂額ゼロ円で起訴、有罪判決を受け、現在は、退職金7700万円を返還せよと県から訴訟を起こされている。

 収賄額0円の収賄罪…“抹殺”された福島県元知事が“現在”を語る
 https://dot.asahi.com/wa/2016121400206.html

「寄付金、中国企業用意」 IR汚職、観光会社会長
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200205-00000119-kyodonews-soci

 ここに出てくる「中国企業」とは、500ドットコムという会社であり、以下の情報がある。
 IR汚職、500ドットコムとは何者か?2020年01月05日
 https://www.newsweekjapan.jp/marukawa/2020/01/post-56.php

 正体は、精華大学の紫光集団という政府系の半導体製造企業で、オンライン博打ネットを経営しているとのこと。いわば、ネットパチンコ屋というところか。
 中国共産党の支配を受けていることは間違いないが、藍金黄計画の関連企業である証拠は見つからない。しかし、カジノは、人間の腐敗した欲望が、まともに出てくる業界なので、この関係議員なら買収籠絡しやすいと、中国共産党が考えるのは当然だろう。

 中国、習近平政権による対外政策の要は一帯一路計画であり、国内では南水北調計画が知られているが、この一帯一路計画では、非常に汚い「債務の罠」という、形を変えた帝国主義侵略が行われている。

 債務の罠
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%B5%E5%8B%99%E3%81%AE%E7%BD%A0

 今回のコロナウイルス騒動で、WHOが、まるで中国の飼い犬のように、中国共産党の言いなりになって、事態を矮小化し、感染対策を事実上妨害しているが、WHO事務局長のテドロスに対して国際的な非難が続いている。
 だが、テドロスこそは、債務の罠に取り込まれたエチオピアの大統領・首相有力候補であり、もしも中国に反逆したなら、恐ろしい国家デフォルトから領土簒奪までされかねないことで、中国に盲従しているとみられている。

 先に、ミャンマーの、ロヒンギャに対するジェノサイドが、中国企業のパイプラインン予定地からロヒンギャを追い出す中国の陰謀だったと書いた。
 https://courrier.jp/news/archives/182233/

 これも、一帯一路政策から生まれた残酷な悲劇である。中国は、世界中で、一帯一路の名に隠れて傲慢な帝国主義侵略を行っている。
 ところが、恐ろしいことに、安倍晋三自民党政権は、この、人権侵害と帝国主義を地で行く一帯一路政策に巨額の日本国民の税金を注ぎ込むというのだ。

 安倍政権が中国の「一帯一路」構想に巨額な金を出す!? 世界で報じられた日本人だけが知らないニュース 米国は懸念を表明
TABLO2019年11月25日
 https://www.excite.co.jp/news/article/Tablo_tablo_16685/

 この記事では、インドシナ半島に、中国が大規模なインフラ敷設を進めていて、その資金を日本が提供していると暴露している。
 中国、習近平は、インドシナ半島を中国が乗っ取ることに大きな執着を燃やしている。
 習近平という人物は、どうみても、中国の英雄譚、秦の始皇帝や漢の劉邦などと同じような後世の評価を狙って、無限大の中国権益拡大、帝国主義に邁進している。

 南水北調なんて馬鹿げた妄想工事を強要しているのも、始皇帝の馳道を再現して、高く評価されたいという自己肥大妄想に踊らされていることは明らかで、なんでもいいから、中国という国を無限大に強力ででかい国にしたいという意思が鮮明である。
 
 「自分だけが特別に偉くなりたい……誰よりも高く評価されたい」
 という幼児的な妄想から抜け出せず、調和とか抑制という言葉を知らない人物なのである。
 こんな無理難題の政策を続ければ、ちょうど始皇帝時代の中国のように、あらゆる人々が疲弊して、「一将功なりて万骨枯るる」という曹松の風景が待っているだけだ。
 http://www2.odn.ne.jp/kotowaza/BBS/KANSI/07-issyou-kounatte.htm

 始皇帝は、生涯を走り続けて、そのまま馬車の中で死んだが、習近平も同じような死に方をするのかもしれない。

 しかし、日本に対する藍金黄計画は、江沢民の時代から続いているもので、もう半世紀以上にわたって、日本の自民党政権内部に中国の拠点作りが進んでいるとみるべきなのだ。
 その人的拠点の代表が、二階俊博で、中国から彼に、どれだけの金が流れ込んでいるのか見当もつかない。その結果、日本中の大切な水源地が、中国政府のダミー企業が買い占めていて、北海道などの自衛隊基地の周辺が、同じように買い占められているのである。
外国資本の土地買い占め、国が方策を検討 日本人の所有者把握も対策 関係閣僚会議 (1/2ページ)2019.6.14
 https://www.sankeibiz.jp/workstyle/news/190614/cpd1906141137010-n1.htm

外資の土地買収の対策急げ!中国の実効支配がはじまっている! 2017年5月29日
 https://tanosimi2016.net/2017/05/29/post-2257/  

 https://ameblo.jp/icenakankan/entry-12315332833.html

 こんな非道な拡張主義に酔いしれてきた習近平中国共産党だが、今は、新型コロナウイルスによって、足下をすくわれる事態になっている。

 新型コロナウイルス、中国の死者は少なくとも717人に−SARSに迫る 2020年2月8日
 https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-02-07/Q5CVP86KLVR501

 これは、中国政府による公式情報であって、まともに信じる人など、ほとんどいない。
 その実態は、以下の通りだ。

 武漢市の火葬場、「1日116人の遺体を焼却」6割が自宅で死亡 2020年02月08日
 https://www.epochtimes.jp/p/2020/02/51563.html

 中国政府の公式情報は、病院で新型ウイルス感染者と認定された者だけが、新型疫病死者としてカウントされていて、火葬場の情報では、病院から来る死体は38%だけというので、残りの6割は自宅で死んだカウントされていない患者である。
 香港の研究者によれば、本当の感染死者は公表値の10倍以上だという。感染者数も、中国全土で数千万人に至っている可能性があるという。

 日本では、2月8日現在、感染者が86名、公式死者が1名で、世界第二の感染国になっていて、日本人の渡航禁止を決めた国も増えた。
 安倍政権が、春節の中国人流入を認めたため、感染数は想像を超える規模になっている可能性がある。
 そして、死者が少ないというが、実際には、中国でも、感染後半月以上を経て、普通に生活している人が、突然重篤な症状で意識を失い、そのまま死亡する例が多数報告されている。

 以下の動画では、警備員がいきなり倒れて痙攣を起こして死亡している。
 https://www.youtube.com/watch?v=WE37Km3rVwo
 
 もし、新型コロナ肺炎の終末期が、このように、突然意識を喪失、痙攣して死亡するようなら、感染後、半月以上を経ていても、突然死するリスクが大きいことが分かる。

 習近平政権は、対外侵略と拡張主義に夢中になっている足下で、中国を根底から崩壊させる恐ろしい事態が起きていることを、きちんと認識していないようだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1023.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/122.html#c12

[近代史02] 中国美女も日本男性が大好き 中川隆
82. 中川隆[-13904] koaQ7Jey 2020年2月08日 21:57:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-576]
 自民党議員の相当数が、中国共産党の 「藍金黄計画」に取り込まれていること
2020年02月08日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1023.html


 「藍金黄計画」とは何か?

 郭文貴氏、共産党の浸透工作を暴露 日本でも「藍金黄計画」を展開か
2017年10月12日
 https://www.epochtimes.jp/p/2017/10/28787-2.html

 以下一部引用

 郭氏は「中国共産党の藍金黄計画がアメリカを蝕んでいる」と指摘する。「藍金黄計画」とは、共産党が国外政府の幹部を丸め込む手段を指す。中国軍のサイバー部隊「ネット藍軍」に由来した「藍」とは、メディアやインターネットを利用して宣伝・洗脳活動、「金」とは金銭利益による誘惑、中国語ではポルノを意味する「黄」とはハニートラップのこと。

 大紀元が入手した情報によると、江沢民時代に買収された米政府の幹部や中国問題専門家は、今も江沢民派のために動いているという。

 ネット宣伝、金、美女…中国共産党のなりふり構わぬ籠絡工作に日本も踊らされている。近年、共産党機関紙の日本語版が急増している。新華社通信、人民日報、中国国際放送局などの電子版は、相次ぎ日本語サイトを開設した。共産党政策の宣伝、中国賛美を中心としたニュースが流されている。

 また、中国ニュース専門のフォーカス・アジアは、新華経済株式会社という「日本」の企業が運営しているとHPに記載されている。
 しかし、同社は設立当初、新華網の日本代理店としてニュースを配信していた。その後、「新華通信ネットジャパン」「毎日中国経済」などの社名を経て、現在に至った。同社の上級顧問は、日本新華僑通信社編集長・人民日報海外版日本月刊編集長の蔣豊氏が務めている。その肩書きからでも分かるように、蔣豊氏は在東京中国大使館とべったりの人物だ。

 中国共産党の魔の手は日本政界にも浸透している。
 石原慎太郎元都知事は2004年3月、産経新聞への寄稿文で「当時、東京在住の法輪功のメンバーからNPOとしての登録の申しこみが都庁にあった際、在日の中国大使館から陰に陽に、自民党の大物議員まで動員しての牽制があったものだ」と述べている。議員の名前は明かされていないが、中国共産党の意向を受けて動く議員の存在を証明する話だった。

 また、サピオ2006年10月号の記事「蠢く!中国対日特務工作白書」(執筆者・袁翔鳴)に「西日本選出で、大臣経験もある自民党の大物議員の妻が昨年、末期の肝臓ガンを患った。ある中国人男性は議員会館を訪ね、中国の病院で肝臓移植を受けるよう勧めた。男性の斡旋で中国軍の病院で無事に手術を終え、議員の妻は回復した」との記述があった。記事の最後に「あの先生は、奥さんのことで中国に頭が上がらなくなったとささやかれている」と書かれている。

 共産党のハニートラップに引っかかった政治家も少なくない。もっとも有名なのは橋本龍太郎元首相を籠絡した中国人女性通訳のケースだ。橋本氏と交流を持ちながら、中国へのODA増額などの働きかけを行なっていた疑いが持たれているこの女性は、北京市公安局の情報工作員だったことが判明している。

(東海アマ註=橋本龍太郎は、これが原因で、CIA工作員に殺害されたとの情報がある。 「米国債を売る」発言と、中国接近により殺された。情報は削除された)

 2016年1月、英国の諜報機関「MI6」が、中国の女性スパイによる「ハニー・トラップ」は過激組織「イスラム国」(IS)よりも国家安全保障にとって重大な脅威だという報告を当時のキャメロン首相に提出した。

 中国共産党は「藍金黄計画」を通じて、海外で親中共勢力を拡大させている。郭文貴氏は記者会見で「驚いたのはイベントの中止を説得しに来たのは中国人ではなく、アメリカ人だった。なんと滑稽な話だ」とも口にした。
********************************************************************

 私は、中国政府が、ダミーであるシンガポールやマレーシアの架空企業を使って、日本国内の軍事上の重要な土地を買い占めていることに、自民党政権がまったく反応せず、黙殺してきた事情について、「もしかしたら、自民党議員が大規模、個別に買収されているのかもしれない」と疑い続けてきた。

 それは、橋本龍太郎が、ハニートラップに引っかかって、中国に重要情報を提供していた事実が明らかになって殺された2006年、当時は江沢民政権だったが、首相まで籠絡している以上、二階俊博や高村正彦、それに小渕・福田らも橋本と同じように、賄賂工作に遭ってきたのだろうと印象づけられた。

 今年に入って、偶然というべきか、IRカジノ汚職が表面化し、多数の自民党議員が捜査対象になったが、「買収金額が少ない」という不可解な理由で、秋元を除く全員が不起訴となった。
 100万円以上が立件対象と説明されているが、自民党議員で「叩けばホコリの出ない者」など、ほとんどいないので、厳格に調査すれば、100万円以下などいるはずがない。
 これが、もしも辻元清美なら1万円でも立件しただろうに……。

「法の下の平等」は幻想か。IR汚職5議員が少額理由に立件見送り
 https://www.mag2.com/p/news/438833

 フクイチ事故前に、東電の杜撰な原発運営を批判した佐藤栄佐久元福島県知事は、賄賂額ゼロ円で起訴、有罪判決を受け、現在は、退職金7700万円を返還せよと県から訴訟を起こされている。

 収賄額0円の収賄罪…“抹殺”された福島県元知事が“現在”を語る
 https://dot.asahi.com/wa/2016121400206.html

「寄付金、中国企業用意」 IR汚職、観光会社会長
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200205-00000119-kyodonews-soci

 ここに出てくる「中国企業」とは、500ドットコムという会社であり、以下の情報がある。
 IR汚職、500ドットコムとは何者か?2020年01月05日
 https://www.newsweekjapan.jp/marukawa/2020/01/post-56.php

 正体は、精華大学の紫光集団という政府系の半導体製造企業で、オンライン博打ネットを経営しているとのこと。いわば、ネットパチンコ屋というところか。
 中国共産党の支配を受けていることは間違いないが、藍金黄計画の関連企業である証拠は見つからない。しかし、カジノは、人間の腐敗した欲望が、まともに出てくる業界なので、この関係議員なら買収籠絡しやすいと、中国共産党が考えるのは当然だろう。

 中国、習近平政権による対外政策の要は一帯一路計画であり、国内では南水北調計画が知られているが、この一帯一路計画では、非常に汚い「債務の罠」という、形を変えた帝国主義侵略が行われている。

 債務の罠
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%B5%E5%8B%99%E3%81%AE%E7%BD%A0

 今回のコロナウイルス騒動で、WHOが、まるで中国の飼い犬のように、中国共産党の言いなりになって、事態を矮小化し、感染対策を事実上妨害しているが、WHO事務局長のテドロスに対して国際的な非難が続いている。
 だが、テドロスこそは、債務の罠に取り込まれたエチオピアの大統領・首相有力候補であり、もしも中国に反逆したなら、恐ろしい国家デフォルトから領土簒奪までされかねないことで、中国に盲従しているとみられている。

 先に、ミャンマーの、ロヒンギャに対するジェノサイドが、中国企業のパイプラインン予定地からロヒンギャを追い出す中国の陰謀だったと書いた。
 https://courrier.jp/news/archives/182233/

 これも、一帯一路政策から生まれた残酷な悲劇である。中国は、世界中で、一帯一路の名に隠れて傲慢な帝国主義侵略を行っている。
 ところが、恐ろしいことに、安倍晋三自民党政権は、この、人権侵害と帝国主義を地で行く一帯一路政策に巨額の日本国民の税金を注ぎ込むというのだ。

 安倍政権が中国の「一帯一路」構想に巨額な金を出す!? 世界で報じられた日本人だけが知らないニュース 米国は懸念を表明
TABLO2019年11月25日
 https://www.excite.co.jp/news/article/Tablo_tablo_16685/

 この記事では、インドシナ半島に、中国が大規模なインフラ敷設を進めていて、その資金を日本が提供していると暴露している。
 中国、習近平は、インドシナ半島を中国が乗っ取ることに大きな執着を燃やしている。
 習近平という人物は、どうみても、中国の英雄譚、秦の始皇帝や漢の劉邦などと同じような後世の評価を狙って、無限大の中国権益拡大、帝国主義に邁進している。

 南水北調なんて馬鹿げた妄想工事を強要しているのも、始皇帝の馳道を再現して、高く評価されたいという自己肥大妄想に踊らされていることは明らかで、なんでもいいから、中国という国を無限大に強力ででかい国にしたいという意思が鮮明である。
 
 「自分だけが特別に偉くなりたい……誰よりも高く評価されたい」
 という幼児的な妄想から抜け出せず、調和とか抑制という言葉を知らない人物なのである。
 こんな無理難題の政策を続ければ、ちょうど始皇帝時代の中国のように、あらゆる人々が疲弊して、「一将功なりて万骨枯るる」という曹松の風景が待っているだけだ。
 http://www2.odn.ne.jp/kotowaza/BBS/KANSI/07-issyou-kounatte.htm

 始皇帝は、生涯を走り続けて、そのまま馬車の中で死んだが、習近平も同じような死に方をするのかもしれない。

 しかし、日本に対する藍金黄計画は、江沢民の時代から続いているもので、もう半世紀以上にわたって、日本の自民党政権内部に中国の拠点作りが進んでいるとみるべきなのだ。
 その人的拠点の代表が、二階俊博で、中国から彼に、どれだけの金が流れ込んでいるのか見当もつかない。その結果、日本中の大切な水源地が、中国政府のダミー企業が買い占めていて、北海道などの自衛隊基地の周辺が、同じように買い占められているのである。
外国資本の土地買い占め、国が方策を検討 日本人の所有者把握も対策 関係閣僚会議 (1/2ページ)2019.6.14
 https://www.sankeibiz.jp/workstyle/news/190614/cpd1906141137010-n1.htm

外資の土地買収の対策急げ!中国の実効支配がはじまっている! 2017年5月29日
 https://tanosimi2016.net/2017/05/29/post-2257/  

 https://ameblo.jp/icenakankan/entry-12315332833.html

 こんな非道な拡張主義に酔いしれてきた習近平中国共産党だが、今は、新型コロナウイルスによって、足下をすくわれる事態になっている。

 新型コロナウイルス、中国の死者は少なくとも717人に−SARSに迫る 2020年2月8日
 https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-02-07/Q5CVP86KLVR501

 これは、中国政府による公式情報であって、まともに信じる人など、ほとんどいない。
 その実態は、以下の通りだ。

 武漢市の火葬場、「1日116人の遺体を焼却」6割が自宅で死亡 2020年02月08日
 https://www.epochtimes.jp/p/2020/02/51563.html

 中国政府の公式情報は、病院で新型ウイルス感染者と認定された者だけが、新型疫病死者としてカウントされていて、火葬場の情報では、病院から来る死体は38%だけというので、残りの6割は自宅で死んだカウントされていない患者である。
 香港の研究者によれば、本当の感染死者は公表値の10倍以上だという。感染者数も、中国全土で数千万人に至っている可能性があるという。

 日本では、2月8日現在、感染者が86名、公式死者が1名で、世界第二の感染国になっていて、日本人の渡航禁止を決めた国も増えた。
 安倍政権が、春節の中国人流入を認めたため、感染数は想像を超える規模になっている可能性がある。
 そして、死者が少ないというが、実際には、中国でも、感染後半月以上を経て、普通に生活している人が、突然重篤な症状で意識を失い、そのまま死亡する例が多数報告されている。

 以下の動画では、警備員がいきなり倒れて痙攣を起こして死亡している。
 https://www.youtube.com/watch?v=WE37Km3rVwo
 
 もし、新型コロナ肺炎の終末期が、このように、突然意識を喪失、痙攣して死亡するようなら、感染後、半月以上を経ていても、突然死するリスクが大きいことが分かる。

 習近平政権は、対外侵略と拡張主義に夢中になっている足下で、中国を根底から崩壊させる恐ろしい事態が起きていることを、きちんと認識していないようだ。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1023.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/290.html#c82

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