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[] 在日朝鮮人タレント
82. 中川隆[-8866] koaQ7Jey 2019年7月24日 09:50:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3842]
ジャニー喜多川は、CIA工作員だった


東海アマブログ ジャニー喜多川の死 2019年07月10日 (水) 16:07
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-802.html


 7月10日朝のテレ朝モーニングショーは、87歳独身のまま亡くなったジャニー喜多川について、高く賛美する姿勢で長時間の報道を行った。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190709-00000382-oric-ent

 だが、私はジャニー喜多川と聞けば、北公次の暴露本が頭をよぎる。

 内容は凄すぎて、ここで紹介するのは気が引けるので自分の目で読んでいただきたい。
 現在、これと同じことが刑事告発を受ければ、ジャニーは懲役5年程度の実刑判決を受ける可能性がある。
 https://himajin-ibunroku.com/2019/07/10/%E3%80%90%E5%85%89genji%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%86%85%E5%AE%B9%E3%80%91%E5%8C%97%E5%85%AC%E6%AC%A1%E3%81%8C%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%8B%E3%83%BC%E5%96%9C%E5%A4%9A%E5%B7%9D%E3%81%AE%E5%B0%91%E5%B9%B4/

https://www.excite.co.jp/news/article/Cyzowoman_201008_post_2297/?p=3

 北は2012年、62歳のとき肝臓癌で死亡したことになっている。しかし、私には、以前、ジャニー喜多川の本当の素性を調べたことがあり、素直に頷けないものがある。


 ジャニーは、CIA工作員だった。
 http://www.thutmosev.com/archives/52688814.html


 美空ひばり米国公演のマネジメントを行った縁で、日本芸能界に進出したジャニーは、1952年に再来日。

 米大使館に陸軍犯罪捜査局 (USACIDC, CID) の情報員として勤務。アメリカ軍関係の仕事の一環として、当時勃発していた朝鮮戦争による戦災孤児に英語を教授するために、日本でわずか11ヶ月で朝鮮語を習得し、すぐ米軍側の板門店に出向き、1年2ヶ月間に渡って子供たちに英語を教授した。

 除隊後、再来日後はアメリカ合衆国大使館軍事顧問団に勤務。その傍ら上智大学国際部に進学し、上智大学を卒業。大学在学中の1955年、バンドを結成し芸能界へ参入した。以降は日本に永住している。

 この間、本国CIAの指示によって、日本の芸能界における左傾化を阻止する指令を与えられ、左寄りと目された歌手や俳優などを排除する活動を行ったとの記録が、以前ネット上にあったのだが、今はどこを探しても出てこない。

 これは実に面白かったが、消されてしまった今、ダウンロードしなかったことが悔やまれる。

 不確かな記憶だが、岡林信康・高田亘などの反戦フォーク運動を先鋭化させないための工作が依頼され、ダイレクトに差別を批判したり、侵略戦争や軍備増強、アメリカ盲従を批判する歌詞の歌を排除し、代わりに、あたりさわりのないイルカや南こうせつらの恋愛歌にすり替えていったと書かれていた。

 これを読んで、当時の記憶を思い出すと「そうだったのか!」と合点がいった。

 アメリカでは、1950年代前半からはじまったマッカーシー旋風による赤狩り思想が、ハリウッドをはじめ、全米に生々しく残っていた時代なので、「世界の共産主義(ときに民主主義)を排除する」という思想がもてはやされ、米本土のみならず、世界中のアメリカ支配地域で、メディアや芸能活動に至るまで「レッドパージ」の嵐が吹き荒れ続けていた。

 ベトナム戦争も、ニクソンによる北爆は、こうした当時の強迫観念と無関係ではない。

 そんななかで、ジャニーはCIA工作員としての実力を評価され、日米の芸能界に大きな人脈と利権を築き上げ、芸能界の隠れた巨人としての地位を確立していった。

 日本で、1960年代後半から1970年代後半くらいまで、たくさんの優れた独立シンガーソングライターを輩出しながら、80年代に入ると、個人的な実力を前面に出した歌手は、メディア界から排除され、ジャニーやナベプロのような大手芸能プロダクションを背景にしなければ活動できないようになった事情は、CIAの赤狩り指令によるものと考えて間違いないだろう。

 ジョーンバエズ・岡林信康・高田亘・高石知也ら「社会派」と呼ばれたシンガーソングライターたちは、80年くらいには、メディアが一切取り上げない事情によって、人々から忘れ去られていった。

 中島みゆき・八神純子・井上陽水・フォークルらも、芸能プロに背を向けた姿勢から、日本での活動が制限され、結局、海外脱出を図ったり、独立プロの小さな興業にしか活路を見いだせなくなった。

 メディアの中心に位置するテレビ界が、組織に頼らない個人的能力のシンガーを嫌ったからである。逆に言えば、メディアが喜んで取り上げた歌手たちには、CIAから特別の使命が託されていたと考えるべきだろう。

 80年代に入ると、芸能界は、ナベプロやジャニー事務所など大手芸能事務所による寡占状態になり、独立系のシンガーソングライターや社会派は、まったく登場しなくなった。
 我々から見ていても、何もかも演出された商売であり、ホンモノの魅力は失われ、テレビ芸能そのものの魅力が薄れ、社会の思想的リーダーたちからも相手にされなくなった。テレビ芸能には、社会的メッセージ性などどこにもない。

 唯一、アリスだけが「遠くに汽笛を聴きながら」など、社会的なメッセージ性を備えた曲を公表し、かつ情緒的な魅力を示したが、松山千春も陽水も、テレビ界を拒絶し、ローカルコンサートだけに活路を求めるしかなくなった。

 「個性」という魅力が排除され「組織の力」ばかりが表に出てきて、男女ともジャニーズや、ナントカ46などのグループ活動が主体に変わっていった。

 「部品が壊れたら、いつでも取り替え可能」が売りになった組織である。

 今朝の、ジャニー喜多川の、長時間にわたる賛美報道を見ていて、かつてのテレ朝、安倍信者、極右といわれる早川CEOが実権を握る前のテレ朝だったなら、あんな報道姿勢だっただろうかと暗い気持ちになった。

 玉川徹も、ジャニー持ち上げに迎合し、影の歴史について一切触れなかった。

 北公次によるジャニー喜多川への告発は、これで終わってしまったのだろうか?
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-802.html  

http://www.asyura2.com/2002/dispute2/msg/515.html#c82

[近代史3] マスコミの偽情報 _ CIA は有力メディアを情報操作のために使っている 中川隆
24. 中川隆[-8868] koaQ7Jey 2019年7月24日 10:05:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3840]
米軍撤退とジャニーズ吉本崩壊の流れ マスコミの住所に注目/
洗脳メディア 2019.07.23
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html

さて、ジャニーズとか吉本興業とか。
前から言ってるように崩壊の流れ来てますね。


バックの米軍横田基地が日本から撤退するのですから、
皆さんジャニーズなどに忖度する必要がなくなったのですね。
色んな所から醜聞出てきてます。

吉本興業も同じ。芸人の反乱いいね!


以下は吉本興業の株主一覧。


確かにフジとか日本テレビ、TBS、テレビ朝日等々。
キー局が株主です。フジが12%持ってたのか。

という訳でまさにこれ。


流行が完全に終わる。無くなる。
日本で今まで安定していて永遠だと思っていた何かが突然終わり、パニックになる。
娯楽産業の大企業のひとつが潰れて、大きな流れ(たぶん連鎖倒産)ができる。

ちなみに、今、日本が韓国との関係が切れ始めたのも同じ流れですね。

戦後アメリカが韓国を作った。
韓国は、アメリカが日本を押さえるために作った国。
日本に対する圧力のために作った国なのです。

そして日本は敵の敵は味方。
韓国を押さえるために北朝鮮を作ったのですた。

で、以下は、その昔書いたお話です。
情報は古いのですが再掲しときましょう。

これは偶然?

以下、テレビ局や新聞社の本社の住所に注目して下さい。
なぜ韓国かを考えましょう。


http://kenshin.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/09/post_a0a3.html

国内のマスコミのネタはアメリカのロイターと国内の共同通信が提供している。
即ち、良く耳にする「ロイター・共同」である。
現在、「ロイタ」ーは、2008年に買収されて正式名称は「トムソン・ロイター」である。
「AP通信」及び「AFP通信」と並び、世界3大通信社として情報通信を掌握している。
これらの組織は経済情報と広告収入等で莫大な利益をあげている。

「共同通信」は一般社団法人と子会社形態での株式会社から成り立っており、前進は「電通」である。
「電通」は日本の情報通信のドンである。
戦前には「同盟通信社」が、その任を負っていたがGHQによって解体され「電通」が設立。
「電通」から「共同通信」と「時事通信」が誕生している。
「共同通信」が社団法人であるのに対し、「時事通信」は株式会社である。
「時事通信」の筆頭株主は「電通」である。

日本の新聞社は殆どが「日本新聞協会」に加盟している。
「日本新聞協会」は社団法人であり、所管は文部科学省である。
この「日本新聞協会」にソースを提供しているのが、「共同通信」である。

(写真右下:電通本社)
dentuu2_2.jpg

「日本新聞協会」に加盟していない新聞社もある。
宗教紙(聖教新聞・世界日報)や政党紙(公明新聞・しんぶん赤旗)らが該当し、日刊ゲンダイも加盟していない。
これらの新聞社は「時事通信」よりニュースが配信されている。
余談ではあるが「産経新聞」は「統一教会」の機関紙である「世界日報」と合併している過去をもつ。

近年、ネットにて関係の指摘を受け、WIKIの書き換えが進む等の隠蔽工作に汗を流している。
産経新聞でシステム障害−世界日報の内容が混入
さて、ここからはCIAが構築した朝鮮人によるマスコミ監視システムをおさらいする。

先ず、戦後に設立された「電通」の最高顧問である「成田豊」は在日と言われている。
wiki成田豊

在日の記述も昨今は、改ざんが進みWIKIからも記述は消えた。
2009年には韓国政府から最高位の修交勲章光化章を受賞。
日本政府からは旭日大綬章受章。
韓日の架け橋役30年、電通の成田豊最高顧問 (中央日報 2009.03.25)

成田豊の人間相関図 (SPYSEE)

広告業界を束ねる「電通」にマスコミは逆らう事は出来ない。
実はNHKも間接的に「電通」に支配されている。
NHKの番組制作の委託を受けている「NHKエンタープライズ」は「総合ビジョン」に番組制作を丸投げしている。
「総合ビジョン」の株主は電通とNHKである。

wiki総合ビジョン

国民より強制徴収されるNHK受信料は「電通」の利益となって、利益の一部がNHKの役員の懐に収まる。
それでは次に、各新聞社の住所を列記する。

読売新聞東京本社  〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1
韓国日報       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 8F 

朝日新聞東京本社  〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2
東亜日報       〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2

毎日新聞東京本社  〒100-8051 東京都一ツ橋1-1-1
朝鮮日報       〒100-0004 東京都一ツ橋1-1-4F
 
産経新聞東京本社  〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
京郷新聞       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2

東京新聞       〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
中日新聞東京本社 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
大韓毎日 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13 4F

引き続き、テレビ局。

NHK放送センター    〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社       〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1 NHK東館710-C

フジテレビジョン      〒137-8088 東京都港区台場2-4-8
韓国文化放送(MBC)  〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F

TBSテレビ         〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6 
韓国総合TVNEWS 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6  

以上の様に、日本のマスコミは朝鮮人によってしっかりと監視されている。
マスコミを支配している朝鮮人は、芸能界と結託し様々な流行を巻き起こす。

今後アジアから米軍が撤退する。

ちなみに参院選でこんな政党も1議席取ったようですね。
見てて噴き出してしまいますた。


まぁ、これも米軍横田幕府閉鎖の影響なんでしょうかね。

とにかく今、多くの人の集合意識が上がって来た。
だから押さえられなくなってるんですね。
ディスクロージャーの波が確実に来てるのが分かるかと思います。

怯えて忖度してた人達。

ヒャッハー!
今こそ言いたいことを言っちまえ!
ってなもんでしょう。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/330.html#c24

[近代史3] マスコミは何時からフェイクニュースを流す様になったのか 中川隆
28. 中川隆[-8867] koaQ7Jey 2019年7月24日 10:06:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3841]
米軍撤退とジャニーズ吉本崩壊の流れ マスコミの住所に注目/
洗脳メディア 2019.07.23
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html

さて、ジャニーズとか吉本興業とか。
前から言ってるように崩壊の流れ来てますね。


バックの米軍横田基地が日本から撤退するのですから、
皆さんジャニーズなどに忖度する必要がなくなったのですね。
色んな所から醜聞出てきてます。

吉本興業も同じ。芸人の反乱いいね!


以下は吉本興業の株主一覧。


確かにフジとか日本テレビ、TBS、テレビ朝日等々。
キー局が株主です。フジが12%持ってたのか。

という訳でまさにこれ。


流行が完全に終わる。無くなる。
日本で今まで安定していて永遠だと思っていた何かが突然終わり、パニックになる。
娯楽産業の大企業のひとつが潰れて、大きな流れ(たぶん連鎖倒産)ができる。

ちなみに、今、日本が韓国との関係が切れ始めたのも同じ流れですね。

戦後アメリカが韓国を作った。
韓国は、アメリカが日本を押さえるために作った国。
日本に対する圧力のために作った国なのです。

そして日本は敵の敵は味方。
韓国を押さえるために北朝鮮を作ったのですた。

で、以下は、その昔書いたお話です。
情報は古いのですが再掲しときましょう。

これは偶然?

以下、テレビ局や新聞社の本社の住所に注目して下さい。
なぜ韓国かを考えましょう。


http://kenshin.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/09/post_a0a3.html

国内のマスコミのネタはアメリカのロイターと国内の共同通信が提供している。
即ち、良く耳にする「ロイター・共同」である。
現在、「ロイタ」ーは、2008年に買収されて正式名称は「トムソン・ロイター」である。
「AP通信」及び「AFP通信」と並び、世界3大通信社として情報通信を掌握している。
これらの組織は経済情報と広告収入等で莫大な利益をあげている。

「共同通信」は一般社団法人と子会社形態での株式会社から成り立っており、前進は「電通」である。
「電通」は日本の情報通信のドンである。
戦前には「同盟通信社」が、その任を負っていたがGHQによって解体され「電通」が設立。
「電通」から「共同通信」と「時事通信」が誕生している。
「共同通信」が社団法人であるのに対し、「時事通信」は株式会社である。
「時事通信」の筆頭株主は「電通」である。

日本の新聞社は殆どが「日本新聞協会」に加盟している。
「日本新聞協会」は社団法人であり、所管は文部科学省である。
この「日本新聞協会」にソースを提供しているのが、「共同通信」である。

(写真右下:電通本社)
dentuu2_2.jpg

「日本新聞協会」に加盟していない新聞社もある。
宗教紙(聖教新聞・世界日報)や政党紙(公明新聞・しんぶん赤旗)らが該当し、日刊ゲンダイも加盟していない。
これらの新聞社は「時事通信」よりニュースが配信されている。
余談ではあるが「産経新聞」は「統一教会」の機関紙である「世界日報」と合併している過去をもつ。

近年、ネットにて関係の指摘を受け、WIKIの書き換えが進む等の隠蔽工作に汗を流している。
産経新聞でシステム障害−世界日報の内容が混入
さて、ここからはCIAが構築した朝鮮人によるマスコミ監視システムをおさらいする。

先ず、戦後に設立された「電通」の最高顧問である「成田豊」は在日と言われている。
wiki成田豊

在日の記述も昨今は、改ざんが進みWIKIからも記述は消えた。
2009年には韓国政府から最高位の修交勲章光化章を受賞。
日本政府からは旭日大綬章受章。
韓日の架け橋役30年、電通の成田豊最高顧問 (中央日報 2009.03.25)

成田豊の人間相関図 (SPYSEE)

広告業界を束ねる「電通」にマスコミは逆らう事は出来ない。
実はNHKも間接的に「電通」に支配されている。
NHKの番組制作の委託を受けている「NHKエンタープライズ」は「総合ビジョン」に番組制作を丸投げしている。
「総合ビジョン」の株主は電通とNHKである。

wiki総合ビジョン

国民より強制徴収されるNHK受信料は「電通」の利益となって、利益の一部がNHKの役員の懐に収まる。
それでは次に、各新聞社の住所を列記する。

読売新聞東京本社  〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1
韓国日報       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 8F 

朝日新聞東京本社  〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2
東亜日報       〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2

毎日新聞東京本社  〒100-8051 東京都一ツ橋1-1-1
朝鮮日報       〒100-0004 東京都一ツ橋1-1-4F
 
産経新聞東京本社  〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
京郷新聞       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2

東京新聞       〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
中日新聞東京本社 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
大韓毎日 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13 4F

引き続き、テレビ局。

NHK放送センター    〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社       〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1 NHK東館710-C

フジテレビジョン      〒137-8088 東京都港区台場2-4-8
韓国文化放送(MBC)  〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F

TBSテレビ         〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6 
韓国総合TVNEWS 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6  

以上の様に、日本のマスコミは朝鮮人によってしっかりと監視されている。
マスコミを支配している朝鮮人は、芸能界と結託し様々な流行を巻き起こす。

今後アジアから米軍が撤退する。

ちなみに参院選でこんな政党も1議席取ったようですね。
見てて噴き出してしまいますた。


まぁ、これも米軍横田幕府閉鎖の影響なんでしょうかね。

とにかく今、多くの人の集合意識が上がって来た。
だから押さえられなくなってるんですね。
ディスクロージャーの波が確実に来てるのが分かるかと思います。

怯えて忖度してた人達。

ヒャッハー!
今こそ言いたいことを言っちまえ!
ってなもんでしょう。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/119.html#c28

[近代史3] 朝鮮戦争は八百長戦争だったのか? 中川隆
1. 中川隆[-8866] koaQ7Jey 2019年7月24日 10:07:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3842]
米軍撤退とジャニーズ吉本崩壊の流れ マスコミの住所に注目/
洗脳メディア 2019.07.23
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html

さて、ジャニーズとか吉本興業とか。
前から言ってるように崩壊の流れ来てますね。


バックの米軍横田基地が日本から撤退するのですから、
皆さんジャニーズなどに忖度する必要がなくなったのですね。
色んな所から醜聞出てきてます。

吉本興業も同じ。芸人の反乱いいね!


以下は吉本興業の株主一覧。


確かにフジとか日本テレビ、TBS、テレビ朝日等々。
キー局が株主です。フジが12%持ってたのか。

という訳でまさにこれ。


流行が完全に終わる。無くなる。
日本で今まで安定していて永遠だと思っていた何かが突然終わり、パニックになる。
娯楽産業の大企業のひとつが潰れて、大きな流れ(たぶん連鎖倒産)ができる。

ちなみに、今、日本が韓国との関係が切れ始めたのも同じ流れですね。

戦後アメリカが韓国を作った。
韓国は、アメリカが日本を押さえるために作った国。
日本に対する圧力のために作った国なのです。

そして日本は敵の敵は味方。
韓国を押さえるために北朝鮮を作ったのですた。

で、以下は、その昔書いたお話です。
情報は古いのですが再掲しときましょう。

これは偶然?

以下、テレビ局や新聞社の本社の住所に注目して下さい。
なぜ韓国かを考えましょう。


http://kenshin.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/09/post_a0a3.html

国内のマスコミのネタはアメリカのロイターと国内の共同通信が提供している。
即ち、良く耳にする「ロイター・共同」である。
現在、「ロイタ」ーは、2008年に買収されて正式名称は「トムソン・ロイター」である。
「AP通信」及び「AFP通信」と並び、世界3大通信社として情報通信を掌握している。
これらの組織は経済情報と広告収入等で莫大な利益をあげている。

「共同通信」は一般社団法人と子会社形態での株式会社から成り立っており、前進は「電通」である。
「電通」は日本の情報通信のドンである。
戦前には「同盟通信社」が、その任を負っていたがGHQによって解体され「電通」が設立。
「電通」から「共同通信」と「時事通信」が誕生している。
「共同通信」が社団法人であるのに対し、「時事通信」は株式会社である。
「時事通信」の筆頭株主は「電通」である。

日本の新聞社は殆どが「日本新聞協会」に加盟している。
「日本新聞協会」は社団法人であり、所管は文部科学省である。
この「日本新聞協会」にソースを提供しているのが、「共同通信」である。

(写真右下:電通本社)
dentuu2_2.jpg

「日本新聞協会」に加盟していない新聞社もある。
宗教紙(聖教新聞・世界日報)や政党紙(公明新聞・しんぶん赤旗)らが該当し、日刊ゲンダイも加盟していない。
これらの新聞社は「時事通信」よりニュースが配信されている。
余談ではあるが「産経新聞」は「統一教会」の機関紙である「世界日報」と合併している過去をもつ。

近年、ネットにて関係の指摘を受け、WIKIの書き換えが進む等の隠蔽工作に汗を流している。
産経新聞でシステム障害−世界日報の内容が混入
さて、ここからはCIAが構築した朝鮮人によるマスコミ監視システムをおさらいする。

先ず、戦後に設立された「電通」の最高顧問である「成田豊」は在日と言われている。
wiki成田豊

在日の記述も昨今は、改ざんが進みWIKIからも記述は消えた。
2009年には韓国政府から最高位の修交勲章光化章を受賞。
日本政府からは旭日大綬章受章。
韓日の架け橋役30年、電通の成田豊最高顧問 (中央日報 2009.03.25)

成田豊の人間相関図 (SPYSEE)

広告業界を束ねる「電通」にマスコミは逆らう事は出来ない。
実はNHKも間接的に「電通」に支配されている。
NHKの番組制作の委託を受けている「NHKエンタープライズ」は「総合ビジョン」に番組制作を丸投げしている。
「総合ビジョン」の株主は電通とNHKである。

wiki総合ビジョン

国民より強制徴収されるNHK受信料は「電通」の利益となって、利益の一部がNHKの役員の懐に収まる。
それでは次に、各新聞社の住所を列記する。

読売新聞東京本社  〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1
韓国日報       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 8F 

朝日新聞東京本社  〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2
東亜日報       〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2

毎日新聞東京本社  〒100-8051 東京都一ツ橋1-1-1
朝鮮日報       〒100-0004 東京都一ツ橋1-1-4F
 
産経新聞東京本社  〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
京郷新聞       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2

東京新聞       〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
中日新聞東京本社 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
大韓毎日 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13 4F

引き続き、テレビ局。

NHK放送センター    〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社       〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1 NHK東館710-C

フジテレビジョン      〒137-8088 東京都港区台場2-4-8
韓国文化放送(MBC)  〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F

TBSテレビ         〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6 
韓国総合TVNEWS 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6  

以上の様に、日本のマスコミは朝鮮人によってしっかりと監視されている。
マスコミを支配している朝鮮人は、芸能界と結託し様々な流行を巻き起こす。

今後アジアから米軍が撤退する。

ちなみに参院選でこんな政党も1議席取ったようですね。
見てて噴き出してしまいますた。


まぁ、これも米軍横田幕府閉鎖の影響なんでしょうかね。

とにかく今、多くの人の集合意識が上がって来た。
だから押さえられなくなってるんですね。
ディスクロージャーの波が確実に来てるのが分かるかと思います。

怯えて忖度してた人達。

ヒャッハー!
今こそ言いたいことを言っちまえ!
ってなもんでしょう。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/492.html#c1

[昼休み54] 日本の中枢は既に在日朝鮮人に乗っ取られている 中川隆
34. 中川隆[-8865] koaQ7Jey 2019年7月24日 10:09:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3843]
米軍撤退とジャニーズ吉本崩壊の流れ マスコミの住所に注目/
洗脳メディア 2019.07.23
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html

さて、ジャニーズとか吉本興業とか。
前から言ってるように崩壊の流れ来てますね。


バックの米軍横田基地が日本から撤退するのですから、
皆さんジャニーズなどに忖度する必要がなくなったのですね。
色んな所から醜聞出てきてます。

吉本興業も同じ。芸人の反乱いいね!


以下は吉本興業の株主一覧。


確かにフジとか日本テレビ、TBS、テレビ朝日等々。
キー局が株主です。フジが12%持ってたのか。

という訳でまさにこれ。


流行が完全に終わる。無くなる。
日本で今まで安定していて永遠だと思っていた何かが突然終わり、パニックになる。
娯楽産業の大企業のひとつが潰れて、大きな流れ(たぶん連鎖倒産)ができる。

ちなみに、今、日本が韓国との関係が切れ始めたのも同じ流れですね。

戦後アメリカが韓国を作った。
韓国は、アメリカが日本を押さえるために作った国。
日本に対する圧力のために作った国なのです。

そして日本は敵の敵は味方。
韓国を押さえるために北朝鮮を作ったのですた。

で、以下は、その昔書いたお話です。
情報は古いのですが再掲しときましょう。

これは偶然?

以下、テレビ局や新聞社の本社の住所に注目して下さい。
なぜ韓国かを考えましょう。


http://kenshin.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/09/post_a0a3.html

国内のマスコミのネタはアメリカのロイターと国内の共同通信が提供している。
即ち、良く耳にする「ロイター・共同」である。
現在、「ロイタ」ーは、2008年に買収されて正式名称は「トムソン・ロイター」である。
「AP通信」及び「AFP通信」と並び、世界3大通信社として情報通信を掌握している。
これらの組織は経済情報と広告収入等で莫大な利益をあげている。

「共同通信」は一般社団法人と子会社形態での株式会社から成り立っており、前進は「電通」である。
「電通」は日本の情報通信のドンである。
戦前には「同盟通信社」が、その任を負っていたがGHQによって解体され「電通」が設立。
「電通」から「共同通信」と「時事通信」が誕生している。
「共同通信」が社団法人であるのに対し、「時事通信」は株式会社である。
「時事通信」の筆頭株主は「電通」である。

日本の新聞社は殆どが「日本新聞協会」に加盟している。
「日本新聞協会」は社団法人であり、所管は文部科学省である。
この「日本新聞協会」にソースを提供しているのが、「共同通信」である。

(写真右下:電通本社)
dentuu2_2.jpg

「日本新聞協会」に加盟していない新聞社もある。
宗教紙(聖教新聞・世界日報)や政党紙(公明新聞・しんぶん赤旗)らが該当し、日刊ゲンダイも加盟していない。
これらの新聞社は「時事通信」よりニュースが配信されている。
余談ではあるが「産経新聞」は「統一教会」の機関紙である「世界日報」と合併している過去をもつ。

近年、ネットにて関係の指摘を受け、WIKIの書き換えが進む等の隠蔽工作に汗を流している。
産経新聞でシステム障害−世界日報の内容が混入
さて、ここからはCIAが構築した朝鮮人によるマスコミ監視システムをおさらいする。

先ず、戦後に設立された「電通」の最高顧問である「成田豊」は在日と言われている。
wiki成田豊

在日の記述も昨今は、改ざんが進みWIKIからも記述は消えた。
2009年には韓国政府から最高位の修交勲章光化章を受賞。
日本政府からは旭日大綬章受章。
韓日の架け橋役30年、電通の成田豊最高顧問 (中央日報 2009.03.25)

成田豊の人間相関図 (SPYSEE)

広告業界を束ねる「電通」にマスコミは逆らう事は出来ない。
実はNHKも間接的に「電通」に支配されている。
NHKの番組制作の委託を受けている「NHKエンタープライズ」は「総合ビジョン」に番組制作を丸投げしている。
「総合ビジョン」の株主は電通とNHKである。

wiki総合ビジョン

国民より強制徴収されるNHK受信料は「電通」の利益となって、利益の一部がNHKの役員の懐に収まる。
それでは次に、各新聞社の住所を列記する。

読売新聞東京本社  〒100-8055 東京都千代田区大手町1-7-1
韓国日報       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-1 8F 

朝日新聞東京本社  〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2
東亜日報       〒104-0045 東京都中央区築地5-3-2

毎日新聞東京本社  〒100-8051 東京都一ツ橋1-1-1
朝鮮日報       〒100-0004 東京都一ツ橋1-1-4F
 
産経新聞東京本社  〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2
京郷新聞       〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2

東京新聞       〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
中日新聞東京本社 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13
大韓毎日 〒108-8010 東京都港区港南2-3-13 4F

引き続き、テレビ局。

NHK放送センター    〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社       〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1 NHK東館710-C

フジテレビジョン      〒137-8088 東京都港区台場2-4-8
韓国文化放送(MBC)  〒135-0091 東京都港区台場2-4-8 18F

TBSテレビ         〒107-8006 東京都港区赤坂5-3-6 
韓国総合TVNEWS 〒105-0000 東京都港区赤坂5-3-6  

以上の様に、日本のマスコミは朝鮮人によってしっかりと監視されている。
マスコミを支配している朝鮮人は、芸能界と結託し様々な流行を巻き起こす。

今後アジアから米軍が撤退する。

ちなみに参院選でこんな政党も1議席取ったようですね。
見てて噴き出してしまいますた。


まぁ、これも米軍横田幕府閉鎖の影響なんでしょうかね。

とにかく今、多くの人の集合意識が上がって来た。
だから押さえられなくなってるんですね。
ディスクロージャーの波が確実に来てるのが分かるかと思います。

怯えて忖度してた人達。

ヒャッハー!
今こそ言いたいことを言っちまえ!
ってなもんでしょう。
https://golden-tamatama.com/blog-entry-jani-yoshimoto-vanish-soon.html

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/232.html#c34

[不安と不健康16] “早死にする人”ランキング 短命にある共通点とは…(ZAK×SPA!)  赤かぶ
122. 中川隆[-8864] koaQ7Jey 2019年7月24日 11:01:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3844]

死に至る可能性もあるジュースの危険性が明らかに 2019年07月18日

仏医師グループが、ジュースと炭酸飲料は少量でさえ腫瘍の発症リスクを高める可能性があると発表した。研究結果は英医学誌ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(BMJ)に掲載された。


研究はフランスに住む10万人余りを対象に行われた。平均年齢は42歳。食生活に関して質問したほか、年齢、性別、教育、がんを発症した親戚の有無、運動量、悪癖の有無などの要因も考慮された。


研究の結果、100%フルーツジュースなどの砂糖を含む飲料100ミリリットルとがんの発症リスクの上昇に関連が確認された。がん発症リスクは18%、乳がんリスクは22%上昇した。だが研究では、砂糖を含む飲料とがん発症リスク上昇のあいだに明らかな規則性は見つからなかった。

全てのジュースがからだに悪い?

砂糖を含むジュースが危険な可能性はあるが、野菜ジュースは反対に、健康に良い可能性がある。東京医科歯科大学の研究チームは、無塩トマトジュースが心血管系疾患リスクを下げるとの結論に至った。そして研究者によると、ザクロジュースは、マグネシウム、カリウム、カルシウム、リンを豊富に含んでいるため、パフォーマンスを向上させる。
https://jp.sputniknews.com/life/201907186479997/

http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c122

[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
307. 中川隆[-8863] koaQ7Jey 2019年7月24日 11:01:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3845]

死に至る可能性もあるジュースの危険性が明らかに 2019年07月18日

仏医師グループが、ジュースと炭酸飲料は少量でさえ腫瘍の発症リスクを高める可能性があると発表した。研究結果は英医学誌ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(BMJ)に掲載された。


研究はフランスに住む10万人余りを対象に行われた。平均年齢は42歳。食生活に関して質問したほか、年齢、性別、教育、がんを発症した親戚の有無、運動量、悪癖の有無などの要因も考慮された。


研究の結果、100%フルーツジュースなどの砂糖を含む飲料100ミリリットルとがんの発症リスクの上昇に関連が確認された。がん発症リスクは18%、乳がんリスクは22%上昇した。だが研究では、砂糖を含む飲料とがん発症リスク上昇のあいだに明らかな規則性は見つからなかった。

全てのジュースがからだに悪い?

砂糖を含むジュースが危険な可能性はあるが、野菜ジュースは反対に、健康に良い可能性がある。東京医科歯科大学の研究チームは、無塩トマトジュースが心血管系疾患リスクを下げるとの結論に至った。そして研究者によると、ザクロジュースは、マグネシウム、カリウム、カルシウム、リンを豊富に含んでいるため、パフォーマンスを向上させる。
https://jp.sputniknews.com/life/201907186479997/

http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c307

[リバイバル3] 果汁100%の濃縮還元ジュースは農薬入り砂糖水を飲むのと変わらない 中川隆
4. 中川隆[-8862] koaQ7Jey 2019年7月24日 11:02:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3846]

死に至る可能性もあるジュースの危険性が明らかに 2019年07月18日

仏医師グループが、ジュースと炭酸飲料は少量でさえ腫瘍の発症リスクを高める可能性があると発表した。研究結果は英医学誌ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(BMJ)に掲載された。


研究はフランスに住む10万人余りを対象に行われた。平均年齢は42歳。食生活に関して質問したほか、年齢、性別、教育、がんを発症した親戚の有無、運動量、悪癖の有無などの要因も考慮された。


研究の結果、100%フルーツジュースなどの砂糖を含む飲料100ミリリットルとがんの発症リスクの上昇に関連が確認された。がん発症リスクは18%、乳がんリスクは22%上昇した。だが研究では、砂糖を含む飲料とがん発症リスク上昇のあいだに明らかな規則性は見つからなかった。

全てのジュースがからだに悪い?

砂糖を含むジュースが危険な可能性はあるが、野菜ジュースは反対に、健康に良い可能性がある。東京医科歯科大学の研究チームは、無塩トマトジュースが心血管系疾患リスクを下げるとの結論に至った。そして研究者によると、ザクロジュースは、マグネシウム、カリウム、カルシウム、リンを豊富に含んでいるため、パフォーマンスを向上させる。
https://jp.sputniknews.com/life/201907186479997/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/909.html#c4

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
104. 中川隆[-8867] koaQ7Jey 2019年7月24日 11:47:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3841]
>>103

画像入りで ここに解説書けば読む物好きも居るだろうけど、書かなければキチガイの妄想としてスルーされるだけですね。

まあ、書いても書かなくても誰も理解できないんだから同じ事だけど。


コメント時に動画・ツイッターの埋め込みや画像の表示ができるようになりました
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/535.html
投稿者 管理人さん 日時 2018 年 9 月 06 日 10:36:40: Master iseXnZBsgrOC8Q
 



↓この部分で、「動画・ツイッター等」を選んで動画やツイッターの埋め込みタグをコメントします。信頼できるペンネームでのみ使用可能です。

★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向) 

ツイッター埋め込みタグの取得方法
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/535.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c104

[近代史02] 幻の柴田罫線 中川隆
105. 中川隆[-8866] koaQ7Jey 2019年7月24日 11:56:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3842]
どうせ書くなら新スレ建てれば超有名になるよ、

キチガイとしてか、天才としてか
どっちかはわからないけど


★阿修羅♪掲示板へ初めて投稿する方法

★阿修羅♪掲示板への投稿には、【ペンネーム】と【パスワード】の登録、そして投稿規定の音読3回が必要です。
http://www.asyura2.com/bbsup/nametoroku.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/429.html#c105

[リバイバル3] 中川隆 _ 朝鮮関係投稿リンク 中川隆
2. 2019年7月24日 17:41:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3844]
朝鮮人虐殺:親の目の前に子供たちを並べて首を切った「本庄事件」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/552.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/973.html#c2
[リバイバル3] 中川隆 _ 朝鮮関係投稿リンク 中川隆
3. 2019年7月24日 17:45:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3845]
警察署に保護された朝鮮人を「普通の日本人」たちが引きずり出して叩き殺した「藤岡事件」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/553.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/973.html#c3
[リバイバル3] 中川隆 _ 朝鮮関係投稿リンク 中川隆
4. 2019年7月24日 17:53:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3846]
関東大震災後の民衆(自警団)の手による朝鮮人虐殺
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/554.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/973.html#c4
[リバイバル3] 中川隆 _ 美術・文芸関係投稿リンク 中川隆
161. 2019年7月24日 19:30:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3847]
横溝正史 悪魔の手毬唄(フジテレビ 2009年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/555.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/452.html#c161
[リバイバル3] 中川隆 _ 登山関係投稿リンク 中川隆
6. 2019年7月25日 04:32:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3848]
東海アマ 山の歩き方
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/556.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/810.html#c6
[リバイバル3] 中川隆 _ 登山関係投稿リンク 中川隆
7. 2019年7月25日 04:33:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3849]
長い旅に出て、過去を消して人生をリセットしよう
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/357.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/810.html#c7
[近代史3] 東海アマ 山の歩き方 中川隆
1. 中川隆[-8864] koaQ7Jey 2019年7月25日 04:37:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3850]

東海アマのブログ 続 山の歩き方 2010年01月08日

 前回は獣道と人道の見分け方、疲れない歩き方などについて説明した。
 まだ少し言い足りない部分を補足しておきたい。

 前回、安全登山のために大切な姿勢は「ゆっくり歩く」ことだと説明したつもりだが、これでは説明不足で、急傾斜の山道を歩く上で意識しなければならないことは、ゆっくり歩き、かつ歩幅を狭くするということである。

 筆者は若い頃、先達から「猫のように、しなやかに歩け」と教わったことがある。一歩一歩、無理のないダメージの少ない歩き方を心がければ、長丁場では大きな違いになって返ってくる。

 「ゆっくり、歩幅を狭く、しなやかに歩く」

 これが基本だが、これでも、まだ足りない。筆者は16歳から今日まで約二千回程度の山歩きを行っていると思うが、この経験の蓄積から言わせていただくと、「余分な力を抜いて歩く」ということが一番大切である。全部力を抜いてしまえば当然歩けないので、歩くために本当に必要な筋肉だけを瞬時に使い、必要でなくなったら、瞬時に休ませるのである。

 必要なときにだけ筋肉を働かせ、必要でない筋肉は瞬時に完全にリラックスさせていることが、登山で疲れない、バテない最大の秘訣であると指摘しておきたい。

 このために、本当に力が必要な瞬間だけ筋肉が働くように、普段から感覚を養い、「無駄な力は使わない」訓練が必要である。

 もちろん、登山だけでなく、あらゆるスポーツに共通する深い奥義というべきだが、フリークライミングに凝った経験のある人なら、これがもの凄く身にしみて理解できるはずだ。

 クライミングを上手に行うコツは「力の抜き方」であり、必要な筋肉だけを、必要なタイミングだけに使い、それ以外では完全にリラックスさせ、疲労回復するテクニックがクライミングの真の奥義であることを思い知らされるはずだ。

 登山でも同様に考えるのである。「力を抜きなさい」

 この奥義こそ、普段は酒かっくらって寝ているだけの中年メタボ、ダメ親父が、10クラスの難ルートをあっというまに登って見物人を驚かせる本当の理由である。

 さて、ここまでは少しスポーツを囓った人なら誰でも知っている。この先は筆者のオリジナル奥義を伝授しよう。

 山頂から下山するとき、下り坂で滑って転倒した経験を持つ人も多いだろう。これは、単に足を滑らせたというだけでなく、実は山歩きのなかで大切な歩行メカニズムが隠されているのである。

 雪国の人なら、アイスバーンでの基本的な歩き方を知っているはずだ。それは、決してカカトで歩かない。つま先で歩くのである。つま先に力を入れ、足指を多用する。これが凍結路で滑らないコツである。

 だから凍結の多い寒い地域の人たちは、歴史的に足指が長くなる傾向がある。日本海側の人たちは、太平洋側に比べて足指が長いのである。このため、短距離走は若干苦手ということになる。

 実は、急傾斜の山道・坂道を歩くコツも、まったく同じメカニズムであり、滑らないような歩き方は、カカトではなくつま先に力を入れて歩くのである。

 これは山の場合、主に下りということになる。急傾斜の下りで、つま先に力を入れて足指を最大に利用しながら下れば滑らない。

 ところが、それでも滑って転ぶ人がいる。実は、このとき、つま先に力を入れているつもりでも腓腹筋が疲労して力が入らなくなってしまい、カカトだけで歩くような投げやりな歩行姿勢になっているのである。

 本人は登山で興奮しているから腓腹筋の疲労が分からないが、ベテランがまったく滑らない下りで滑ってばかりいる人は「カカト歩き」という状態に陥っていることを知っておく必要がある。

 どううして「カカト歩き」だと滑りやすいのだろう?

 それは、凍結路における「カカト歩き」と「つま先歩き」の違いと同じもので、つま先歩きの場合は、滑ってバランスが崩れたときに重力バランスを立て直す筋肉の可動域、幅が、足先全体にあって広いため容易に対応できるが、カカト歩きでは、足が棒状になっていて、滑ったときに、それを補正する動きが限定されるために転倒しやすくなるのである。

 滑ったとき、つま先に力が入っていれば、膝・足首・足指と三つの関節を動かして対応できるが、カカト歩きだと、事実上、膝だけで対応することになる。

 これで、急傾斜の下山時に、つま先歩きが必要なことが理解できると思うが、登山用筋肉が衰えている人、未発達な人は、意識しても、これができずにカカトで歩いてしまい、どうしても滑りやすくなる。

 このとき、補助アイテムとして活躍してくれるのがストックである。

 筆者がストックを一般登山に使い出したのは、30年前、1980年頃で、当時は、もちろんスキーストックなど無雪期に使う人などいなかったから、すれ違う人は奇異な目で見ていたが、今では、折りたたみの優秀なストックが開発されたこともあり、ダブルストックで歩く人は珍しくもない。

 筆者は1970年代、冬になると北鈴鹿の山々で山スキー歩行に凝っていて、ストック歩行が、どれほど役に立つか、さんざん思い知らされていたから、夏山でもスキーストックで歩くようになったのだ。

 今では痛風による膝関節のダメージ、衰えもあって、ストックなしでは山を歩けなくなってしまった。二本足よりは四本足の方がはるかに効率よく、山では安全なのである。イノシシや熊に遭遇したときも心強い。

 中高年の登山ハイキングには、ダブルストックは膝を守るために欠かすべからざる必須アイテムである。

 登山ハイキングで決して忘れてはいけないものとして、次のものをあげたい。


 1・ 純毛厚手セーターとヤッケ(雨具も可) これは軽ハイキングも含めて、最後の命綱と思っていただきたい。肌着が濡れたなら、セーターを肌に直接着込むこと。

 2・ ライト・スペア電池・地図 当然の装備、この他に水(ペット飲料可)食料、雨具ということになる。

 3・冒頭に述べた理由で、折りたたみストック二本を加えていただきたい。これは、どうしても必要とはいわないが、長い歩行積み重ねのなかで、あなたの膝を守ってくれる大切なアイテムだ。

 特殊装備について

 筆者は若い頃から、一般的な登山に飽きたらず、ロッククライミングや沢登りにも夢中になった。普通の人が敬遠する藪漕ぎも数多くこなした。
 そこで、あまり一般的とはいえないが、山のすべてを知りたいと思っている人のために、特殊な装備についても言及しておきたい。

 沢登りは登山道の整備されていなかった古典的な山登りでは常識であり、昔は沢道を経由しなければ頂上に立つことができず、今でも北海道では日高などで多くの登山道が沢を利用している。

 沢はコケがついていて滑りやすいのが普通で、昔は地下足袋ワラジや荒縄を靴に巻き付けて対処したものだ。80年あたりから沢用フェルト底靴が出てきたが、面倒な大荷物になるので、荷を減らしたい場合、古い穴のあいた毛糸靴下を代用すればよい。

 靴の代わりに使う靴下なので、三枚以上履き重ねることになる。靴の上から履ければ、それでもよい。これは凍結路でも役立つことを知っておいて損はない。

 下山時や出水時に、希にロープが必要になるときがある。本格的なロッククライミングなら9ミリ・40m以上、沢登りなら8ミリ・30m以上、非常装備なら1パーティで1本、7ミリ・20m程度(1キロ程度)を持参する。

 これで簡単な懸垂下降や徒渉を行う。懸垂下降は器具のいらない肩・股絡み下降を普段から訓練すること。
http://members.at.infoseek.co.jp/kuma3_3/kura/1.htm

 非常ロープはツエルトを張るときなども役に立ち、転落時に真の命綱になることもあり、誰でも一本は所持しておいたほうがよい。

 徒渉のときは、ロープを張るために特殊な結び方を覚える必要がある。筆者はトラック運送で覚えた「万力縛り」を利用することが多い。
http://www1.ocn.ne.jp/~tatsujin/ropework/truck/index.htm

 筆者の40年間の登山経験で、ヘルメットが必要だと思ったことは、ほとんどない。氷雪クライミングで確保のとき、上から氷が落ちてくるのに役に立ったくらいだ。ヒマラヤクラスなら必要だろうが、日本の沢登りくらいで持参するのはナンセンスだと思う。ロッククライミングでも、ゲレンデならほとんど無用だ。

 山は必要な装備を絶対に忘れてはいけないが、無用な装備を何一つ持参してもいけない。本当に役立つものだけを持って行こう。

 あって助かったものはザ・エクストラクター、ポイズンリムーバーという名の毒吸引器(3000円程度)だ。山ではアブ・ヒルから蜂など毒虫にやられることが少なくないので、マムシ・アブ・スズメバチ刺傷に有効な、この器具は必需品と位置づけてもよい。

 これまで、どれほど助けられたか分からない。これを使えばアブに刺されても数日で完治する。ブヨに刺されたときも腫れ上がらずにすむ。

 沢登りにヒルはつきもので、とりわけ鈴鹿は凄い。一度、足に百匹くらい貼り付いているのを見て卒倒しそうになったことがある。後で完治するまでに数ヶ月を要した。

 ヒル避けはいろいろあるが、簡単なのは塩や灯油、酢やクエン酸で、濃い溶液を百円噴霧器に入れて持参し、ときどき膝下に噴霧するだけでよい。帰宅後きちんと洗わないと金属部品が錆びてしまう。

 山の危険としては、迷い込みなど地理的条件以外に動物の危険がいわれる。
 99%は上にあげたように虫や小動物だが、希にヒグマや熊、イノシシとの遭遇がある。最近では、昨年、秋、御岳「ヒメシャガの湯」の近く巖立峡で子熊と遭遇した。

 過去40年間に、熊と遭遇したのは数十回、ヒグマとも5回以上あり、最大数メートルというニアミスもあった。

 しかし、熊に襲われたことは皆無で、みんながいうほど心配なものではない。

 それでも日本登山界の鉄人、山野井君が奥多摩でトレーニング中に熊に襲われたニュースを聞いて驚いた。おそらく、子連れでいた熊に気づかず、走って近づいたために母熊が母性本能で恐怖して攻撃したのだと思う。

 実は、動物が人間を襲うとき、人間のように攻撃してやろうという凶暴な意図で襲うことなど希であって、ほとんどは恐ろしさに震えて無我夢中で攻撃するのである。人間ほど怖い動物はないのだ。

 だから、熊に自分の存在を気づかせる鈴などの工夫が大切で、もし「いる」と分かったときは、優しい声で「おーい、おーい」と切れ目なく声をかけるのがよい。
 ほとんどの動物は、優しい声なら恐怖せず、その主を確かめようとする好奇心があり、攻撃本能は出てこない。

 筆者はこの手で、牛ほどの巨大なカモシカに5mまで近寄ったことがある。
 これまでの40年の経験で、イノシシと真正面から遭遇したことは皆無、姿を見たのも数回にとどまる。

 もし襲われたなら、ストックを使って対峙するしかないと思っている。襲うとしても、アホな猟師がしとめ損なった手負いくらいだろう。
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2149175.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/556.html#c1

[近代史3] 東海アマ 山の歩き方 中川隆
2. 中川隆[-8863] koaQ7Jey 2019年7月25日 04:41:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3851]

東海アマブログ 山の歩き方 その32019年07月24日 (水) 16:16
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-816.html


 
 数年前に「山の歩き方」を、続編とともに掲載した。
 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2143495.html

 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2149175.html

 それから病気で肺機能が衰えたせいで、大きな山には行けなくなったのだが、今でも、毎日1時間以上の山林歩行を欠かさないでいる。

 長い山歩きの経験をブログにしておけば、これから山歩きを始める人に、少しは役に立つかも知れないと考え、その3を書いておきたいと思った。

 若い頃から、ずいぶんたくさんの山を歩いてきたが、この時期(7月8月)は、なんといっても沢登りに夢中になった。

 かつては、鈴鹿や日本アルプスの沢を毎週、全身ずぶ濡れになって登り歩いていた。

 中央アルプスの沢に単独で入って、瀧で滑落して数カ所を骨折しながら這うように逃げ帰ってきたこともある。

 北海道の山、とりわけ日高山地では、登山道が沢道であることが多く、どこに行っても沢登りを強いられる。

 しかし、夏場の沢登りでは、さまざまな危険が待ち受けている。

 どんな危険があるのか? 最大の危険は、滑って岩場で転倒することである。

 沢にはコケがつきもので、足下の岩場がヌルヌルになっている沢も多い。

 このヌルで滑らないようにするには、私が一番一生懸命登ったのは、今から40年くらい前なのだが、1980年代までは、ワラジが主流だった。

 当時の価格は、一双で300円くらいだったと思う。今は700円くらいしてるようだ。
 
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 裸足に直にワラジをつけるのは、刺激が強いので、必ず地下足袋を履いてから装着した。農業用厚底足袋なら、そのまま山歩きをすることもできた。

 ワラジの滑り止め効果は非常に高いものだが、縦には強いが横滑りには弱かった。それは見てのとおり、繊維が横に走っているためだ。

 1980年代の半ばあたりから、釣り用のフェルト足袋が開発されて普及した。これはワラジほどの効果はないが、縦横ともに滑り止めになり、藁紐が切れる心配もなく、使いやすかった。

 ワラジが一回限りの使い捨てであるのに対し、フェルト足袋は数十回も使うことができた。だから3000円程度でも十分元はとれる。

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 そのうち、長靴フェルト底とか、短靴フェルト底とか、たくさんの種類が開発されて、今でも、滑りやすい沢道で多用されている。

 実は、このフェルト底、アイゼンが必要な凍結坂道でも滑り止めに使えるのだ。もちろんアイゼンほどの効果はないが、滑りにくくなるのは確かだ。

 私は、冬の低山で、アイゼンを持参しなかったときは、靴の上から純毛の靴下を履いて滑り止めに使った。

 これは山歩きの知恵として覚えても損はない。

 なお、長時間歩行を必要とする登山では、必ず複数の履き物を用意する必要がある。

 もちろんゴツイ登山靴を予備に持つのはアホらしいので軽量靴だが、地下足袋やフェルト足袋を予備靴として選択するのも悪くない。

 山では、予期しない靴擦れや、ゴム底の剥離なども珍しくなく、北海道のように沢ルートが多いと、予備靴がないと困ることも多い。

 沢登りの危険としては、滑り事故の次に、滝の直登における滑落事故だが、よくあるのは、いい加減に打ち込まれたハーケンを掴んですっぽ抜けで落下する事故である。

 滝のハーケンは絶対に信用してはいけない。岩場のハーケンのように丁寧には打ち込んでいないからだ。

 滝登りで事故を起こさないようにするためには、訓練によってフリークライミングの技量を上げるしかない。ハーケンが抜けたとき、掴んでる石が落下したとき、次にどうするという次善策を、いつでも考えながら 登らなければならない。

 フリークライミングの訓練をしないまま、危険な沢の直登をするのは自殺行為である。必ず、納得のゆくまで基礎的な岩登り訓練を行ってから沢に向かっていただきたい。

 私自身の滑落事故も、クライミングの技量が未熟なうちにアルプスの沢に入るという無謀行為を行ったせいだった。

 岩場の多い山歩きは非常に多い。有名なところでは、宝剣岳や槍穂高縦走、不帰険だが、日帰りでも秩父では普通だし、御在所や鎌ガ岳でもキレット状の危険地帯がたくさんある。

 ここで事故を起こさないために必要なことは、恐怖心を克服することである。

 高所恐怖症など、恐怖に硬直すると、実力の半分も出せなくなる。だから、自分の潜在力を出し切って岩場を乗り越えるには、まずは「怖くない、自分は絶対に落ちない」と自己暗示をかけ、全身の筋肉をリラックスさせることである。

 クライミングの上手な人は、そうした心のコントロールが上手な人である。「こうすれば絶対に安全」と確信を持てる行動パターンを持っていれば、その範囲から逸脱しない限り、安全は保証されると自分自身で信ずればよいのだ。

 力を抜きなさい、恐怖や緊張から解放されてリラックスしなさい、こういう行動をしていれば危険はないと、信じながら無理をせずに進みなさい。

 乾徳山などの長いハシゴを登るときも、「この手が、しっかりと桟棒を掴んでいれば、絶対に落ちない」と信じていれば、問題なく通過することができる。

 この、失敗すると命に関わるような行動で、恐怖心を克服しながら、自分を信じて前進するという登山の経験は、人生のあらゆる場所で、自分を守ってくれる大切な宝物になるだろう。

 なお、どうしても高所恐怖症を克服できない人が同行メンバーにいる場合、リーダーは安全確保しなければならない。

 通常は7ミリ20mのザイルを持参し、確保者には、テープスリングを八の字にして足を通して簡易ハーネスを作り、腰にもテープを巻き、ザイルに結んで確保する。これで懸垂下降も楽々こなせる。(以下は方法が異なるが簡単なので覚えておきたい) 
https://www.youtube.com/watch?v=WAbCqTInDAo

カラビナ一個あれば、懸垂下降が可能である。
 https://www.youtube.com/watch?v=VunyYaj_H7M


 実は、山でのトラブルで、もっとも多く、重要なのは、岩場事故や熊の襲撃ではなく、虫の襲撃である。

 わけても

@ブヨ Aアブ B蛭 Cマダニ Dドクガ 

に警戒が必要だ。

 ブヨは、ありふれた虫だが、刺されると被害が大きい点では、一番警戒が必要かもしれない。

 これは昨年、10月18日に、笠置山でブヨに刺されたときのもの。
  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-514.html

以下は、7月20日に、高峰湖畔でブヨに刺され、4日後の本日、撮影したもの。

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 ブヨの被害は、刺されたときには痛いだけだが、後から激しく現れる。指先を刺されると、筆記具が使えなくなるほど腫れるし、肩まで腫れ上がることもある。

 ムヒアルファのようなステロイド剤しか効果がないが、治癒まで十日以上もかかることがある。

 ブヨが刺しにくるのは、冷涼で湿度の極めて高い日が多い。晴れて28度以上もあるときに刺されることは少ない。気温が25°以下で、雨が降ったりやんだりのときが危ない。

 ブヨは極めて環境汚染に弱く、水質が非常に良い小沢にしか繁殖できない。
 もっぱら露出した肌が狙われるが、上の写真はTシャツの下を刺された。

 ブヨを忌避するには、ハッカ油が良いといわれる。ハッカ油をエタノールで50倍くらいに薄めたものをスプレーに移して、肌に散布しておくのだが、上の写真は、ジーグフリートの木の葉のように、塗り残した、わずかな場所が狙われた。

 ハッカ油は、アブにも高い効果があり、山歩きの前にスプレーしておくと多くの虫害を防除できる。

 ただし、ヤブ蚊にはあまり効果がない。マダニや蛭、ムカデには効果が高い。私の場合、6月から10月まで、山歩きの前には、携帯用スプレーに入れたハッカ油スプレーをたっぷり、全身にかけておく。一回かければ二時間程度は効くが、薄いと1時間もたないこともある。

 腐らないので、400CC瓶を購入しておけば、たっぷり長く使える。
 
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 蛭は、奥駿河・遠州・鈴鹿のように極端に繁殖している場所では、行けば必ずやられるほどで、とりわけ雨の日、高湿度の日には警戒が必要だ。

 蛭を伝播するのは鹿なので、鹿が多い山、鹿の食害によりアセビが増えている山では、特にひどい。鹿がいれば蛭がいると思った方がいい。

 市販の蛭避け剤は高価なので、昔からの知恵として、山に入る前に、膝下に灯油をかけたり、塩やクエン酸をかける人もいるが、金属部品が錆びてしまう。

 やはりハッカ油スプレーに強い忌避効果がある。私は一度に100匹近くも貼り付かれたことがあるが、血を吸われた痕の治癒に一ヶ月以上を要した。

 なお、遠州・駿河の山では蛭が木の上から降ってくる。だから首や肩にも散布する必要がある。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-96.html

  https://yamahack.com/220

 吸われた直後の対策としては、蛭の溶血酵素を洗い流しておくのが良い。

 以下の携帯洗浄機は、お尻用のものだが、私はザックの備品として、さまざまに使っている。
 https://item.rakuten.co.jp/apade/yew350/?scid=af_pc_etc&sc2id=af_113_0_10001868

 野糞(お花摘み)のとき、本当に清潔で便利だし、これで目を洗浄したり、虫刺されや、蛭害を洗浄するのに極めて有効。圧力が出るので、傷口に吹きかければ蛭毒を洗い流すこともできる。もう手放すことはできない。

 ただし、アブやブヨに刺された場合、ポイズンリムーバのような吸い取り器が必要になる。これも必需品といってよいだろう。
 https://sakidori.co/article/101872

 なお、女性用の密度の高いストッキングは、蛭の口器が入らないといわれる。私もハッカ油スプレーを、ビタビタにかけて愛用している。

 マダニは、わが東濃地方には、とても多く、私は恵那山で噛みつかれた。笠置山の山上休憩所にも出ている。
 https://www.hohto.co.jp/pmpnews/pmp370_2/

 私は家に帰ってから膝下に潜り込んでる黒い物体に気づいたのだが、マダニと知ってウイスキーをたっぷり流して、数分後にピンセットで除去できた。高濃度のアルコールに対して、マダニは食いつく力を失うようだ。

 放置するとライム病などの致死率の高い病気にかかることがあるので、早めにエタノールなどを使って自分で除去すべきだと思う。
 https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB/22-%E5%A4%96%E5%82%B7%E3%81%A8%E4%B8%AD%E6%AF%92/%E5%88%BA%E5%92%AC%E7%97%87/%E3%83%9E%E3%83%80%E3%83%8B%E5%92%AC%E5%82%B7

 ドクガの被害は、南アルプスの黒法師山の帰路で起きた。

 最初は、腕に強い痛みを感じたが、みるみるまだら状に赤く腫れて、治癒に一か月程度もかかった。
 http://www.city.kawasaki.jp/350/cmsfiles/contents/0000006/6005/dokuga.pdf

 これはツバキ科につく毒虫で、山の中では、ドクガが体に触れただけでひどい目に遭う。我が家でもチャドクガが出て、原因となるサザンカの木を見つけて、焼き払うまで被害が続いた。

 なお毒素は43度の湯に5分浸かれば解毒されるようだ。炎症を起こしてる部位だけでもいい。

 以上、自分が被害を受けた経験のあるものばかりを並べたが、襲われた経験のないことまで書いておく必要があるものがある。

 それは熊だ。

 中津川市は、中央アルプス恵那山が市街地に隣接していて、熊が頻繁に出没する地域だ。今年に入って、2回、近所の高山大橋の上の雑木林で見かけた。

 また笠置山山頂付近や、高峰山鎮之峠にも出没している痕跡を見つけた。去年は、我が家の裏山に出没していた。恵那神社では、最近、釣り人が襲われて大怪我をしている。

 襲われた経験がないのに申し訳ないが、これだけ熊が増えると、山登りに熊避けは必需品になったと思う。

 私の場合は、ザックにハンドベルを結びつけて、歩きながら自然に鳴るようにしている。
 
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 柄の部分に穴を開けてナイロン紐でザックに垂らしておくと、歩く刺激で自然に鳴っている。なお、ラジオやガラガラ鈴は、効果が乏しく、なるべく高音の鈴が良いそうだ。

 カーマでは山菜キノコ採取用に千円程度で販売されている。

 以前は、カウンターアソールトという熊専用スプレーを携帯していたが、1万円近い高価だし、自然に漏れて、ひどいことになるので使うのをやめた。

 代わりに爆竹をザックに忍ばせていて、糞を見つけると点火できるようにしている。

 また、危ないと感じるとき、ダブルストックを持参し、現れたら突いてやろうと思っている。

 熊は、年間を通じて定まった行動パターンがあり、好物であるタケノコや栗や柿などの果樹園近くに潜んでいることが多い。食物の縄張り意識があると、持ち主が採取したとき、自分の食物を横取りされたと思い込んで怒り狂って襲うことがあるようだ。

 以前、高山の展示民家を訪れたとき、果樹園の持ち主が、そのようにして殺害された話を詳しく聞いた。

 笠置山では、山頂付近のブナ林の実が落ちているときと、木イチゴなどの果物が出ているとき、よく徘徊していて、6月頃が危ない。真っ黒で、未消化物の含まれたベチャ糞が点々と落ちているときなど熊がいると思った方がいい。

 こちらが金属音を立てているときに襲ってくることは滅多にないようだ。
 糞が新しければ、必ず近くにいると思うべきで、すぐに爆竹を鳴らした方がいい。

 イノシシは、最近、あまりにも多すぎて、空気のように存在を忘れてしまうほどだ。

 我が家の周りや散歩先にも大量に生息している。今日も出会ったばかりだ。

 特徴は、ミミズを探すための掘り返しが登山道脇に広く見られることで、掘り返した土の新しさと気配の音で、近くにいることを知る。

 やは鈴が有効だと思う。近所にいれば爆竹を鳴らしておけばよい。

 また気づいたことがあれば、「山の歩き方 その4」を書きたいと思う。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-816.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/556.html#c2

[リバイバル3] 急増する山岳遭難 中川隆
5. 中川隆[-8862] koaQ7Jey 2019年7月25日 04:43:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3852]
東海アマのブログ 山の歩き方
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2143495.html


十数年前から痛風発作を繰り返すようになり、足の関節が変形して古い登山靴が履けなくなったりして、昔のように自由な山歩きができなくなったが、25〜40歳くらいまでは年間50回以上のペースで山歩きを続けていた。

 20歳頃から意識した日本百名山は前世紀の90年頃、とりあえず完全踏破することができた。(噴火立入規制などで山頂を踏んでいない山がいくつかあるが)
 今は友人などとともに二巡目の百名山ハイキングを楽しんでいる。

 通算では40年ほどの登山歴ということになり、まだ死んでいないところをみると、おそらく自分の山歩きが間違っていなかったように思っている。

 そこで今回は、おこがましいながら、私なりの山歩きの知恵をブログに書き残しておきたい。

 このところ冬山登山の遭難ニュースが非常に多いので、ハイキング気分で冬山に入るような甘い考えの人たちに警告を書かねばとも思っていた。

 私は若い頃から道に興味があり、登山道についても数千回の経験から、それが、どのように変遷するのか、ある程度理解することができたと思う。

 そこで、「登山道」の成り立ちについて私なりの考えを書いてみたい。

 山の主は基本的に人間ではない。それは獣たちである。人間は、獣たちの道を借りながら登山道を造り出すのである。だから、ほとんどの山で、登山道の原型は「獣道」であることを知っておかねばならない。

 山では、人道と獣道が無数に交差している。有名山岳では、しっかりした登山道が造られ、まず迷うことも少ないが、無名の藪山では、人道と獣道の区別はないと思う必要があり、その見分け方を叩き込んでおかねばならない。

 獣たちだって、通過の大変な藪漕ぎなんかしたくない。だから、山の中では一番歩きやすい場所を歩くことになり、そこに道ができる。

 ただし、人間ほど背の高い獣は希なので、おおむね狸や狐、イノシシや熊などの背丈に合わせた道ができあがることに注意が必要だ。

 すなわち、獣道と人間道を見分ける原則は、その高さにある。多くの場合、踏み跡だけでは見分けがつきにくいが、獣道は、すぐに人間が通るのが困難な腹より高い位置の枝葉や藪が出てくるから分かる。顔に枝葉が当たるような道は獣道である。

 それに人の道よりも歩幅が狭いし、多くの獣は人より軽いので人道ほど踏み固められていない。そこで、紛らわしい踏み跡があったとき、踏み込んでみれば獣道は柔らかく、人道は固いものだ。

 獣道は生活道路だ。餌場と水飲み場、寝場所を行き交うために踏みつけられる。
 獣たちがもっとも多く通う道は水飲みの道で、したがって沢筋に踏み跡が多く、これを利用するために人道も沢筋が第一になる。

 山の道は基本的に沢筋である。人が山菜採り、炭焼き、木材運搬などに利用するのも9割以上が沢筋である。しかし日本の沢には多くの滝があり、急峻危険なため、大滝やゴルジュ(水流に掘られた洞窟状水路)などで迂回路や他の安全な沢筋に移るトラバースルートが成立することになる。

 「沢筋に危険箇所が出てくると避難路がつけられる」これも覚えておく必要がある。

 次に、テリトリー拡大のため獣の峠越えルートもある。獣だって一番安全なルートを探すから、人様の峠道も獣道を利用することが多い。

 最後に、藪の多い道よりも歩きやすく、かつ外敵に遭遇したとき、いち早く逃げられる視界良好なルートということで尾根筋が利用される。もっとも、尾根筋に関してだけは、獣よりも人間の利用がはるかに多い。

 それは、一番高い場所で見晴らしが良いので、里などとの位置関係を確認できるからであり、尾根道というものは動物よりも人間が、より多く利用するものである。

 だから、尾根道は下界集落にまでつながっている場合が多く、山で迷ったときは、決していきなり沢筋に降りず、最初に尾根に登り、道を確認してから人間様ルートを利用して下界に向かうのが遭難しない大切なコツである。

 迷うと喉が渇くから沢に降りたくなり、そのまま人里につながっていると安易に想像してしまうが、決してそうではない。日本の沢は滝の連続であり、沢を下るのは危険に満ちている。

 冬山遭難以外の大半は、迷って沢に迷い込み、そのまま下って滝で滑って負傷・死亡するというケースである。

 ちなみに、獣たちは尾根道のてっぺんを歩くことは少なく、笹や藪の少ない北側の斜面の尾根より5〜20mほど下側に尾根に沿った獣道があることが多い。ベテラン猟師たちは、この道を使って猟を行う。

 歩きにくい笹藪が繁茂するのは南側の日当たりの良い場所で、北側の風雪に晒される場所は植生が悪く、逆に歩きやすいものだ。

 尾根のてっぺんにつけられた踏み跡は人間様のものであることが多い。日本中の尾根で、人道の皆無というルートは希で、そんなとき、その尾根は断崖絶壁に消えると覚悟すべきだ。

 山の道は、1・沢筋 2・尾根筋 3・峠道 4・滝・ゴルジュ迂回路 5・トラバース というように整理して覚えよう。今歩いている踏み跡は、獣道か人道か? 沢か尾根かトラバースか? などと、その属性を考え、記憶しながら歩けば、まず迷うことは少ない。

 最近は、わかりにくい場所に赤テープなどをつけても「クリーン作戦」などと余計なお節介の環境美化運動で剥がされてしまうことも多いが、迷いやすい藪山で、目印をつけるのは登山の大切な基本テクニックである。

 赤テープがダメなら、昔のようにナタで目印をつけよう。下山時の目標であるから、必ず上から降りてくるときに見えるよう人間の目の位置の皮を剥ぐ。これは自分の記号であるから、独特の分かりやすい形にする。

 マタギは目印に数十種類の共有暗号を含ませていた。形を見れば、この道が持つ情報が分かる仕組みになっていた。

 木を傷つけるのも良心が咎めるが、迷わないよう帰路を確認し、命を守る方が大事だ。必要もないのに、むやみに傷つけるのはもってのほかだが、安全のために、ためらってはいけない。

 最近は、警察検問で、車にナタやナイフが置いてあると逮捕されるらしい。必ず登山ザックに入れて、「理由なき所持」にならないように工夫する必要がある。

 私が山で目印をつけているとき、たまたま見ていた人から「自然破壊」と糾弾されたこともあった。山も難しくなったものだ。

 十分な標識が設置されているなら別だが、藪山でテープもアカン、目印もアカンじゃ困る。冬山では細い赤布をたくさん持参し、頭より高い位置の枝に縛りながら行く。一晩で2mも積もることもあり、低い位置では雪に埋もれてしまうことがある。木のない場所では、細い竹などを刺して結ぶことになる。

 結び目の作り方で、どちらが上下か分かるようにする。帰路、回収するのが常識なようだ。もちろん上から見る下山標識であることを忘れずに。

 次に、歩き方のコツを伝授する。

 歩き始めは、必ずゆっくり、最初の30分は持てる実力の三分の一しか使ってはいけない。これが準備運動だ。次の30分は二分の一の力でゆっくり歩き、十分に休んでお茶や菓子を飲食し、いよいよ本番だ。

 準備運動をしないで、いきなりハイペースで歩くと、必ずバテることになる。そんな人たちは結局、上の方で息が切れて苦しくなり、我々カメさんに追い抜かれてしまい、山歩きが楽しいものではなくなってしまう。

 1時間歩いてから、実力の8分目を出して山頂に向かう。休憩はおおむね1時間に5分程度。ほとんどの人が同じように休憩するので、有名山岳では、その位置に休憩所のような場所ができていることが多い。

 決して休みすぎてはいけない。軽く息を整える程度で、できるだけお菓子などを飲食しよう。糖尿病になりそうな甘いジュースも山ではOKだ。

 疲れてきたら、休むのではなく、「ゆっくり歩く」ことを心がける。休んでしまうと疲労が吹き出し、ますますバテることになる。

 飲食しながら、ゆっくり歩いていれば、疲れは消えてゆく。老人だって、若者のように早く歩けないが、ゆっくり山頂に着くことができる。体力のない人だって、ゆっくり歩けば、高体力の人と同じように楽しめる。

 最近、経験不足の中高年による遭難事故が多発しているが、最大の問題点は、「自分を知らないこと」である。

 自分を実力以上に過剰に評価するクセのある人は遭難しやすい。自分の実力に対して謙虚な姿勢が必要だ。

 山は大変なスポーツだ。準備があれば、困難を克服できる。装備を準備するだけではダメだ。体力・精神力を準備しなければならない。

 最初から苦しい大変な山など行ってはいけない。まずは高尾山や筑波山のような山を十数回も登り、基本的な歩き方の訓練を行い。普段から2時間程度歩く訓練を重ねる必要がある。

 そして、体力の必要な重い登山では、必ず「ゆっくり歩く」ようにすれば大丈夫、バテこそ遭難の第一歩であることを肝に銘ぜよ。

 バテない基本テクニックは、第一にゆっくり歩くこと。第二に、頻繁に軽い飲食を行うこと。第三に、こまめに衣類を脱着することだ。

 衣類を調節して、体温を一定に保つことは、非常に重要なテクニックで、山では非日常的な体験をしているので、普段の感覚が分かりにくくなる。

 体が寒がっているのに、本人は暑いと勘違いしている場合があり、着重ねしなければならない状況下で、強風に吹かれて体温が低下し、意識が朦朧としながら、そのまま死亡することも珍しくない。

 寒いと疲労度が加速する。体が熱を作るために余分なエネルギーを浪費するからだ。だから暖かく快適にすることが疲労を少なくするテクニックなのである。

 最近ではトムラウシ・ツアー登山の遭難が風に吹かれた低体温遭難だったようだ。

 強風で、少しでも寒さを感じたら、必ず、防風ヤッケ(雨具でもよい)を着ること。肌着は登山用か純毛薄手セーターを着ること。

 汗や雨に濡れて肌着の保温性が落ちたなら、純毛セーターを直接肌に着込むこと。純毛セーターは最後の命の綱である。どんなハイキングでも持参すること。

 雨中登山では、稜線に出ると凄まじい強風に遭って、とてもじゃないが、着替えなど不可能なことが多い。

 だから稜線に出る前に、藪の中で状況を予測して、先に着替えや着重ねを済ませること。

 冬山は、同じ山であっても、他のシーズンとは基本的に別世界だと思う必要がある。
 私は若い頃から鈴鹿の鈴北岳・御池岳をトレーニング場所にしていて鞍掛峠などから百回以上も登っているが、慣れきって地図も持参しないで、すべて知っているつもりでいた。

 ところが、ある冬、もの凄い暴風雪のときに登って、ホワイトアウトという現象に出くわした。これは降雪と薄い太陽光により、雪と空間の境目が認識できなくなる現象である。

 このとき、隅から隅まで知り抜いているはずの鈴北の地形が、今どこにいるのか、まったく分からなくなった。積雪で地形も変わり、自分が歩いている場所が尾根なのか、いつものルートなのかも完全に見失い、彷徨する羽目になった。

 このとき冬山が、どれほど恐ろしい魔物であるのか思い知らされることになった。
 ゲレンデとして百回も通っている地形でさえ、まったく理解できなくなる。

 1000m前後の低山でさえ、そんな現象が起きる。まして3000mの世界は凄い。
 正月に、吹雪の中で立派な登山道や標識のある間ノ岳から北岳に向かう尾根が、どうしても発見できなかったことがある。1時間も彷徨い、奇跡的に北岳への稜線が見えて助かった。

 冬山をなめてはいけない。数千回の登山経験があっても、見るも無惨に打ちのめされることがあるのだ。

 迷ったとき、行き先を確かめるのは、地図とコンパス、それに踏み跡や視界などだが、位置を確認するのに、一つや二つではダメで、高度計やGPS、無線機など、少なくとも五つくらいのアイテムを用意しておきたい。

 そして冷静に、自分を信じ、普段から訓練している自分は、必ず助かると確信して、自信をもって臨むのでなければ、冬山は地獄であり、命を奪いにくる魔物でしかない。
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2143495.html  


▲△▽▼

東海アマのブログ 続 山の歩き方 2010年01月08日


 前回は獣道と人道の見分け方、疲れない歩き方などについて説明した。
 まだ少し言い足りない部分を補足しておきたい。

 前回、安全登山のために大切な姿勢は「ゆっくり歩く」ことだと説明したつもりだが、これでは説明不足で、急傾斜の山道を歩く上で意識しなければならないことは、ゆっくり歩き、かつ歩幅を狭くするということである。

 筆者は若い頃、先達から「猫のように、しなやかに歩け」と教わったことがある。一歩一歩、無理のないダメージの少ない歩き方を心がければ、長丁場では大きな違いになって返ってくる。

 「ゆっくり、歩幅を狭く、しなやかに歩く」

 これが基本だが、これでも、まだ足りない。筆者は16歳から今日まで約二千回程度の山歩きを行っていると思うが、この経験の蓄積から言わせていただくと、「余分な力を抜いて歩く」ということが一番大切である。全部力を抜いてしまえば当然歩けないので、歩くために本当に必要な筋肉だけを瞬時に使い、必要でなくなったら、瞬時に休ませるのである。

 必要なときにだけ筋肉を働かせ、必要でない筋肉は瞬時に完全にリラックスさせていることが、登山で疲れない、バテない最大の秘訣であると指摘しておきたい。

 このために、本当に力が必要な瞬間だけ筋肉が働くように、普段から感覚を養い、「無駄な力は使わない」訓練が必要である。

 もちろん、登山だけでなく、あらゆるスポーツに共通する深い奥義というべきだが、フリークライミングに凝った経験のある人なら、これがもの凄く身にしみて理解できるはずだ。

 クライミングを上手に行うコツは「力の抜き方」であり、必要な筋肉だけを、必要なタイミングだけに使い、それ以外では完全にリラックスさせ、疲労回復するテクニックがクライミングの真の奥義であることを思い知らされるはずだ。

 登山でも同様に考えるのである。「力を抜きなさい」

 この奥義こそ、普段は酒かっくらって寝ているだけの中年メタボ、ダメ親父が、10クラスの難ルートをあっというまに登って見物人を驚かせる本当の理由である。

 さて、ここまでは少しスポーツを囓った人なら誰でも知っている。この先は筆者のオリジナル奥義を伝授しよう。

 山頂から下山するとき、下り坂で滑って転倒した経験を持つ人も多いだろう。これは、単に足を滑らせたというだけでなく、実は山歩きのなかで大切な歩行メカニズムが隠されているのである。

 雪国の人なら、アイスバーンでの基本的な歩き方を知っているはずだ。それは、決してカカトで歩かない。つま先で歩くのである。つま先に力を入れ、足指を多用する。これが凍結路で滑らないコツである。

 だから凍結の多い寒い地域の人たちは、歴史的に足指が長くなる傾向がある。日本海側の人たちは、太平洋側に比べて足指が長いのである。このため、短距離走は若干苦手ということになる。

 実は、急傾斜の山道・坂道を歩くコツも、まったく同じメカニズムであり、滑らないような歩き方は、カカトではなくつま先に力を入れて歩くのである。

 これは山の場合、主に下りということになる。急傾斜の下りで、つま先に力を入れて足指を最大に利用しながら下れば滑らない。

 ところが、それでも滑って転ぶ人がいる。実は、このとき、つま先に力を入れているつもりでも腓腹筋が疲労して力が入らなくなってしまい、カカトだけで歩くような投げやりな歩行姿勢になっているのである。

 本人は登山で興奮しているから腓腹筋の疲労が分からないが、ベテランがまったく滑らない下りで滑ってばかりいる人は「カカト歩き」という状態に陥っていることを知っておく必要がある。

 どううして「カカト歩き」だと滑りやすいのだろう?

 それは、凍結路における「カカト歩き」と「つま先歩き」の違いと同じもので、つま先歩きの場合は、滑ってバランスが崩れたときに重力バランスを立て直す筋肉の可動域、幅が、足先全体にあって広いため容易に対応できるが、カカト歩きでは、足が棒状になっていて、滑ったときに、それを補正する動きが限定されるために転倒しやすくなるのである。

 滑ったとき、つま先に力が入っていれば、膝・足首・足指と三つの関節を動かして対応できるが、カカト歩きだと、事実上、膝だけで対応することになる。

 これで、急傾斜の下山時に、つま先歩きが必要なことが理解できると思うが、登山用筋肉が衰えている人、未発達な人は、意識しても、これができずにカカトで歩いてしまい、どうしても滑りやすくなる。

 このとき、補助アイテムとして活躍してくれるのがストックである。

 筆者がストックを一般登山に使い出したのは、30年前、1980年頃で、当時は、もちろんスキーストックなど無雪期に使う人などいなかったから、すれ違う人は奇異な目で見ていたが、今では、折りたたみの優秀なストックが開発されたこともあり、ダブルストックで歩く人は珍しくもない。

 筆者は1970年代、冬になると北鈴鹿の山々で山スキー歩行に凝っていて、ストック歩行が、どれほど役に立つか、さんざん思い知らされていたから、夏山でもスキーストックで歩くようになったのだ。

 今では痛風による膝関節のダメージ、衰えもあって、ストックなしでは山を歩けなくなってしまった。二本足よりは四本足の方がはるかに効率よく、山では安全なのである。イノシシや熊に遭遇したときも心強い。

 中高年の登山ハイキングには、ダブルストックは膝を守るために欠かすべからざる必須アイテムである。


 登山ハイキングで決して忘れてはいけないものとして、次のものをあげたい。


 1・ 純毛厚手セーターとヤッケ(雨具も可) これは軽ハイキングも含めて、最後の命綱と思っていただきたい。肌着が濡れたなら、セーターを肌に直接着込むこと。

 2・ ライト・スペア電池・地図 当然の装備、この他に水(ペット飲料可)食料、雨具ということになる。

 3・冒頭に述べた理由で、折りたたみストック二本を加えていただきたい。これは、どうしても必要とはいわないが、長い歩行積み重ねのなかで、あなたの膝を守ってくれる大切なアイテムだ。


 特殊装備について

 筆者は若い頃から、一般的な登山に飽きたらず、ロッククライミングや沢登りにも夢中になった。普通の人が敬遠する藪漕ぎも数多くこなした。
 そこで、あまり一般的とはいえないが、山のすべてを知りたいと思っている人のために、特殊な装備についても言及しておきたい。

 沢登りは登山道の整備されていなかった古典的な山登りでは常識であり、昔は沢道を経由しなければ頂上に立つことができず、今でも北海道では日高などで多くの登山道が沢を利用している。

 沢はコケがついていて滑りやすいのが普通で、昔は地下足袋ワラジや荒縄を靴に巻き付けて対処したものだ。80年あたりから沢用フェルト底靴が出てきたが、面倒な大荷物になるので、荷を減らしたい場合、古い穴のあいた毛糸靴下を代用すればよい。

 靴の代わりに使う靴下なので、三枚以上履き重ねることになる。靴の上から履ければ、それでもよい。これは凍結路でも役立つことを知っておいて損はない。

 下山時や出水時に、希にロープが必要になるときがある。本格的なロッククライミングなら9ミリ・40m以上、沢登りなら8ミリ・30m以上、非常装備なら1パーティで1本、7ミリ・20m程度(1キロ程度)を持参する。

 これで簡単な懸垂下降や徒渉を行う。懸垂下降は器具のいらない肩・股絡み下降を普段から訓練すること。
http://members.at.infoseek.co.jp/kuma3_3/kura/1.htm

 非常ロープはツエルトを張るときなども役に立ち、転落時に真の命綱になることもあり、誰でも一本は所持しておいたほうがよい。

 徒渉のときは、ロープを張るために特殊な結び方を覚える必要がある。筆者はトラック運送で覚えた「万力縛り」を利用することが多い。
http://www1.ocn.ne.jp/~tatsujin/ropework/truck/index.htm

 筆者の40年間の登山経験で、ヘルメットが必要だと思ったことは、ほとんどない。氷雪クライミングで確保のとき、上から氷が落ちてくるのに役に立ったくらいだ。ヒマラヤクラスなら必要だろうが、日本の沢登りくらいで持参するのはナンセンスだと思う。ロッククライミングでも、ゲレンデならほとんど無用だ。

 山は必要な装備を絶対に忘れてはいけないが、無用な装備を何一つ持参してもいけない。本当に役立つものだけを持って行こう。

 あって助かったものはザ・エクストラクター、ポイズンリムーバーという名の毒吸引器(3000円程度)だ。山ではアブ・ヒルから蜂など毒虫にやられることが少なくないので、マムシ・アブ・スズメバチ刺傷に有効な、この器具は必需品と位置づけてもよい。

 これまで、どれほど助けられたか分からない。これを使えばアブに刺されても数日で完治する。ブヨに刺されたときも腫れ上がらずにすむ。

 沢登りにヒルはつきもので、とりわけ鈴鹿は凄い。一度、足に百匹くらい貼り付いているのを見て卒倒しそうになったことがある。後で完治するまでに数ヶ月を要した。

 ヒル避けはいろいろあるが、簡単なのは塩や灯油、酢やクエン酸で、濃い溶液を百円噴霧器に入れて持参し、ときどき膝下に噴霧するだけでよい。帰宅後きちんと洗わないと金属部品が錆びてしまう。

 山の危険としては、迷い込みなど地理的条件以外に動物の危険がいわれる。
 99%は上にあげたように虫や小動物だが、希にヒグマや熊、イノシシとの遭遇がある。最近では、昨年、秋、御岳「ヒメシャガの湯」の近く巖立峡で子熊と遭遇した。

 過去40年間に、熊と遭遇したのは数十回、ヒグマとも5回以上あり、最大数メートルというニアミスもあった。

 しかし、熊に襲われたことは皆無で、みんながいうほど心配なものではない。

 それでも日本登山界の鉄人、山野井君が奥多摩でトレーニング中に熊に襲われたニュースを聞いて驚いた。おそらく、子連れでいた熊に気づかず、走って近づいたために母熊が母性本能で恐怖して攻撃したのだと思う。

 実は、動物が人間を襲うとき、人間のように攻撃してやろうという凶暴な意図で襲うことなど希であって、ほとんどは恐ろしさに震えて無我夢中で攻撃するのである。人間ほど怖い動物はないのだ。

 だから、熊に自分の存在を気づかせる鈴などの工夫が大切で、もし「いる」と分かったときは、優しい声で「おーい、おーい」と切れ目なく声をかけるのがよい。
 ほとんどの動物は、優しい声なら恐怖せず、その主を確かめようとする好奇心があり、攻撃本能は出てこない。

 筆者はこの手で、牛ほどの巨大なカモシカに5mまで近寄ったことがある。
 これまでの40年の経験で、イノシシと真正面から遭遇したことは皆無、姿を見たのも数回にとどまる。

 もし襲われたなら、ストックを使って対峙するしかないと思っている。襲うとしても、アホな猟師がしとめ損なった手負いくらいだろう。
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2149175.html



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東海アマブログ 山の歩き方 その3 2019年07月24日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-816.html

 
 数年前に「山の歩き方」を、続編とともに掲載した。
 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2143495.html

 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2149175.html

 それから病気で肺機能が衰えたせいで、大きな山には行けなくなったのだが、今でも、毎日1時間以上の山林歩行を欠かさないでいる。

 長い山歩きの経験をブログにしておけば、これから山歩きを始める人に、少しは役に立つかも知れないと考え、その3を書いておきたいと思った。

 若い頃から、ずいぶんたくさんの山を歩いてきたが、この時期(7月8月)は、なんといっても沢登りに夢中になった。

 かつては、鈴鹿や日本アルプスの沢を毎週、全身ずぶ濡れになって登り歩いていた。

 中央アルプスの沢に単独で入って、瀧で滑落して数カ所を骨折しながら這うように逃げ帰ってきたこともある。

 北海道の山、とりわけ日高山地では、登山道が沢道であることが多く、どこに行っても沢登りを強いられる。

 しかし、夏場の沢登りでは、さまざまな危険が待ち受けている。

 どんな危険があるのか? 最大の危険は、滑って岩場で転倒することである。

 沢にはコケがつきもので、足下の岩場がヌルヌルになっている沢も多い。

 このヌルで滑らないようにするには、私が一番一生懸命登ったのは、今から40年くらい前なのだが、1980年代までは、ワラジが主流だった。

 当時の価格は、一双で300円くらいだったと思う。今は700円くらいしてるようだ。
 
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 裸足に直にワラジをつけるのは、刺激が強いので、必ず地下足袋を履いてから装着した。農業用厚底足袋なら、そのまま山歩きをすることもできた。

 ワラジの滑り止め効果は非常に高いものだが、縦には強いが横滑りには弱かった。それは見てのとおり、繊維が横に走っているためだ。

 1980年代の半ばあたりから、釣り用のフェルト足袋が開発されて普及した。これはワラジほどの効果はないが、縦横ともに滑り止めになり、藁紐が切れる心配もなく、使いやすかった。

 ワラジが一回限りの使い捨てであるのに対し、フェルト足袋は数十回も使うことができた。だから3000円程度でも十分元はとれる。

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 そのうち、長靴フェルト底とか、短靴フェルト底とか、たくさんの種類が開発されて、今でも、滑りやすい沢道で多用されている。

 実は、このフェルト底、アイゼンが必要な凍結坂道でも滑り止めに使えるのだ。もちろんアイゼンほどの効果はないが、滑りにくくなるのは確かだ。

 私は、冬の低山で、アイゼンを持参しなかったときは、靴の上から純毛の靴下を履いて滑り止めに使った。

 これは山歩きの知恵として覚えても損はない。

 なお、長時間歩行を必要とする登山では、必ず複数の履き物を用意する必要がある。

 もちろんゴツイ登山靴を予備に持つのはアホらしいので軽量靴だが、地下足袋やフェルト足袋を予備靴として選択するのも悪くない。

 山では、予期しない靴擦れや、ゴム底の剥離なども珍しくなく、北海道のように沢ルートが多いと、予備靴がないと困ることも多い。

 沢登りの危険としては、滑り事故の次に、滝の直登における滑落事故だが、よくあるのは、いい加減に打ち込まれたハーケンを掴んですっぽ抜けで落下する事故である。

 滝のハーケンは絶対に信用してはいけない。岩場のハーケンのように丁寧には打ち込んでいないからだ。

 滝登りで事故を起こさないようにするためには、訓練によってフリークライミングの技量を上げるしかない。ハーケンが抜けたとき、掴んでる石が落下したとき、次にどうするという次善策を、いつでも考えながら 登らなければならない。

 フリークライミングの訓練をしないまま、危険な沢の直登をするのは自殺行為である。必ず、納得のゆくまで基礎的な岩登り訓練を行ってから沢に向かっていただきたい。

 私自身の滑落事故も、クライミングの技量が未熟なうちにアルプスの沢に入るという無謀行為を行ったせいだった。

 岩場の多い山歩きは非常に多い。有名なところでは、宝剣岳や槍穂高縦走、不帰険だが、日帰りでも秩父では普通だし、御在所や鎌ガ岳でもキレット状の危険地帯がたくさんある。

 ここで事故を起こさないために必要なことは、恐怖心を克服することである。

 高所恐怖症など、恐怖に硬直すると、実力の半分も出せなくなる。だから、自分の潜在力を出し切って岩場を乗り越えるには、まずは「怖くない、自分は絶対に落ちない」と自己暗示をかけ、全身の筋肉をリラックスさせることである。

 クライミングの上手な人は、そうした心のコントロールが上手な人である。「こうすれば絶対に安全」と確信を持てる行動パターンを持っていれば、その範囲から逸脱しない限り、安全は保証されると自分自身で信ずればよいのだ。

 力を抜きなさい、恐怖や緊張から解放されてリラックスしなさい、こういう行動をしていれば危険はないと、信じながら無理をせずに進みなさい。

 乾徳山などの長いハシゴを登るときも、「この手が、しっかりと桟棒を掴んでいれば、絶対に落ちない」と信じていれば、問題なく通過することができる。

 この、失敗すると命に関わるような行動で、恐怖心を克服しながら、自分を信じて前進するという登山の経験は、人生のあらゆる場所で、自分を守ってくれる大切な宝物になるだろう。

 なお、どうしても高所恐怖症を克服できない人が同行メンバーにいる場合、リーダーは安全確保しなければならない。

 通常は7ミリ20mのザイルを持参し、確保者には、テープスリングを八の字にして足を通して簡易ハーネスを作り、腰にもテープを巻き、ザイルに結んで確保する。これで懸垂下降も楽々こなせる。(以下は方法が異なるが簡単なので覚えておきたい) 
https://www.youtube.com/watch?v=WAbCqTInDAo

カラビナ一個あれば、懸垂下降が可能である。
 https://www.youtube.com/watch?v=VunyYaj_H7M


 実は、山でのトラブルで、もっとも多く、重要なのは、岩場事故や熊の襲撃ではなく、虫の襲撃である。

 わけても

@ブヨ Aアブ B蛭 Cマダニ Dドクガ 

に警戒が必要だ。

 ブヨは、ありふれた虫だが、刺されると被害が大きい点では、一番警戒が必要かもしれない。

 これは昨年、10月18日に、笠置山でブヨに刺されたときのもの。
  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-514.html

以下は、7月20日に、高峰湖畔でブヨに刺され、4日後の本日、撮影したもの。

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 ブヨの被害は、刺されたときには痛いだけだが、後から激しく現れる。指先を刺されると、筆記具が使えなくなるほど腫れるし、肩まで腫れ上がることもある。

 ムヒアルファのようなステロイド剤しか効果がないが、治癒まで十日以上もかかることがある。

 ブヨが刺しにくるのは、冷涼で湿度の極めて高い日が多い。晴れて28度以上もあるときに刺されることは少ない。気温が25°以下で、雨が降ったりやんだりのときが危ない。

 ブヨは極めて環境汚染に弱く、水質が非常に良い小沢にしか繁殖できない。
 もっぱら露出した肌が狙われるが、上の写真はTシャツの下を刺された。

 ブヨを忌避するには、ハッカ油が良いといわれる。ハッカ油をエタノールで50倍くらいに薄めたものをスプレーに移して、肌に散布しておくのだが、上の写真は、ジーグフリートの木の葉のように、塗り残した、わずかな場所が狙われた。

 ハッカ油は、アブにも高い効果があり、山歩きの前にスプレーしておくと多くの虫害を防除できる。

 ただし、ヤブ蚊にはあまり効果がない。マダニや蛭、ムカデには効果が高い。私の場合、6月から10月まで、山歩きの前には、携帯用スプレーに入れたハッカ油スプレーをたっぷり、全身にかけておく。一回かければ二時間程度は効くが、薄いと1時間もたないこともある。

 腐らないので、400CC瓶を購入しておけば、たっぷり長く使える。
 
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 蛭は、奥駿河・遠州・鈴鹿のように極端に繁殖している場所では、行けば必ずやられるほどで、とりわけ雨の日、高湿度の日には警戒が必要だ。

 蛭を伝播するのは鹿なので、鹿が多い山、鹿の食害によりアセビが増えている山では、特にひどい。鹿がいれば蛭がいると思った方がいい。

 市販の蛭避け剤は高価なので、昔からの知恵として、山に入る前に、膝下に灯油をかけたり、塩やクエン酸をかける人もいるが、金属部品が錆びてしまう。

 やはりハッカ油スプレーに強い忌避効果がある。私は一度に100匹近くも貼り付かれたことがあるが、血を吸われた痕の治癒に一ヶ月以上を要した。

 なお、遠州・駿河の山では蛭が木の上から降ってくる。だから首や肩にも散布する必要がある。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-96.html

  https://yamahack.com/220

 吸われた直後の対策としては、蛭の溶血酵素を洗い流しておくのが良い。

 以下の携帯洗浄機は、お尻用のものだが、私はザックの備品として、さまざまに使っている。
 https://item.rakuten.co.jp/apade/yew350/?scid=af_pc_etc&sc2id=af_113_0_10001868

 野糞(お花摘み)のとき、本当に清潔で便利だし、これで目を洗浄したり、虫刺されや、蛭害を洗浄するのに極めて有効。圧力が出るので、傷口に吹きかければ蛭毒を洗い流すこともできる。もう手放すことはできない。

 ただし、アブやブヨに刺された場合、ポイズンリムーバのような吸い取り器が必要になる。これも必需品といってよいだろう。
 https://sakidori.co/article/101872

 なお、女性用の密度の高いストッキングは、蛭の口器が入らないといわれる。私もハッカ油スプレーを、ビタビタにかけて愛用している。

 マダニは、わが東濃地方には、とても多く、私は恵那山で噛みつかれた。笠置山の山上休憩所にも出ている。
 https://www.hohto.co.jp/pmpnews/pmp370_2/

 私は家に帰ってから膝下に潜り込んでる黒い物体に気づいたのだが、マダニと知ってウイスキーをたっぷり流して、数分後にピンセットで除去できた。高濃度のアルコールに対して、マダニは食いつく力を失うようだ。

 放置するとライム病などの致死率の高い病気にかかることがあるので、早めにエタノールなどを使って自分で除去すべきだと思う。
 https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB/22-%E5%A4%96%E5%82%B7%E3%81%A8%E4%B8%AD%E6%AF%92/%E5%88%BA%E5%92%AC%E7%97%87/%E3%83%9E%E3%83%80%E3%83%8B%E5%92%AC%E5%82%B7

 ドクガの被害は、南アルプスの黒法師山の帰路で起きた。

 最初は、腕に強い痛みを感じたが、みるみるまだら状に赤く腫れて、治癒に一か月程度もかかった。
 http://www.city.kawasaki.jp/350/cmsfiles/contents/0000006/6005/dokuga.pdf

 これはツバキ科につく毒虫で、山の中では、ドクガが体に触れただけでひどい目に遭う。我が家でもチャドクガが出て、原因となるサザンカの木を見つけて、焼き払うまで被害が続いた。

 なお毒素は43度の湯に5分浸かれば解毒されるようだ。炎症を起こしてる部位だけでもいい。

 以上、自分が被害を受けた経験のあるものばかりを並べたが、襲われた経験のないことまで書いておく必要があるものがある。

 それは熊だ。

 中津川市は、中央アルプス恵那山が市街地に隣接していて、熊が頻繁に出没する地域だ。今年に入って、2回、近所の高山大橋の上の雑木林で見かけた。

 また笠置山山頂付近や、高峰山鎮之峠にも出没している痕跡を見つけた。去年は、我が家の裏山に出没していた。恵那神社では、最近、釣り人が襲われて大怪我をしている。

 襲われた経験がないのに申し訳ないが、これだけ熊が増えると、山登りに熊避けは必需品になったと思う。

 私の場合は、ザックにハンドベルを結びつけて、歩きながら自然に鳴るようにしている。
 
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 柄の部分に穴を開けてナイロン紐でザックに垂らしておくと、歩く刺激で自然に鳴っている。なお、ラジオやガラガラ鈴は、効果が乏しく、なるべく高音の鈴が良いそうだ。

 カーマでは山菜キノコ採取用に千円程度で販売されている。

 以前は、カウンターアソールトという熊専用スプレーを携帯していたが、1万円近い高価だし、自然に漏れて、ひどいことになるので使うのをやめた。

 代わりに爆竹をザックに忍ばせていて、糞を見つけると点火できるようにしている。

 また、危ないと感じるとき、ダブルストックを持参し、現れたら突いてやろうと思っている。

 熊は、年間を通じて定まった行動パターンがあり、好物であるタケノコや栗や柿などの果樹園近くに潜んでいることが多い。食物の縄張り意識があると、持ち主が採取したとき、自分の食物を横取りされたと思い込んで怒り狂って襲うことがあるようだ。

 以前、高山の展示民家を訪れたとき、果樹園の持ち主が、そのようにして殺害された話を詳しく聞いた。

 笠置山では、山頂付近のブナ林の実が落ちているときと、木イチゴなどの果物が出ているとき、よく徘徊していて、6月頃が危ない。真っ黒で、未消化物の含まれたベチャ糞が点々と落ちているときなど熊がいると思った方がいい。

 こちらが金属音を立てているときに襲ってくることは滅多にないようだ。
 糞が新しければ、必ず近くにいると思うべきで、すぐに爆竹を鳴らした方がいい。

 イノシシは、最近、あまりにも多すぎて、空気のように存在を忘れてしまうほどだ。

 我が家の周りや散歩先にも大量に生息している。今日も出会ったばかりだ。

 特徴は、ミミズを探すための掘り返しが登山道脇に広く見られることで、掘り返した土の新しさと気配の音で、近くにいることを知る。

 やは鈴が有効だと思う。近所にいれば爆竹を鳴らしておけばよい。

 また気づいたことがあれば、「山の歩き方 その4」を書きたいと思う。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-816.html


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/792.html#c5

[番外地6] 山の危険 _ 迷っているときは沢に下りてはいけません(絶対に!) 中川隆
43. 中川隆[-8861] koaQ7Jey 2019年7月25日 04:44:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3853]
東海アマのブログ 山の歩き方
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2143495.html


十数年前から痛風発作を繰り返すようになり、足の関節が変形して古い登山靴が履けなくなったりして、昔のように自由な山歩きができなくなったが、25〜40歳くらいまでは年間50回以上のペースで山歩きを続けていた。

 20歳頃から意識した日本百名山は前世紀の90年頃、とりあえず完全踏破することができた。(噴火立入規制などで山頂を踏んでいない山がいくつかあるが)
 今は友人などとともに二巡目の百名山ハイキングを楽しんでいる。

 通算では40年ほどの登山歴ということになり、まだ死んでいないところをみると、おそらく自分の山歩きが間違っていなかったように思っている。

 そこで今回は、おこがましいながら、私なりの山歩きの知恵をブログに書き残しておきたい。

 このところ冬山登山の遭難ニュースが非常に多いので、ハイキング気分で冬山に入るような甘い考えの人たちに警告を書かねばとも思っていた。

 私は若い頃から道に興味があり、登山道についても数千回の経験から、それが、どのように変遷するのか、ある程度理解することができたと思う。

 そこで、「登山道」の成り立ちについて私なりの考えを書いてみたい。

 山の主は基本的に人間ではない。それは獣たちである。人間は、獣たちの道を借りながら登山道を造り出すのである。だから、ほとんどの山で、登山道の原型は「獣道」であることを知っておかねばならない。

 山では、人道と獣道が無数に交差している。有名山岳では、しっかりした登山道が造られ、まず迷うことも少ないが、無名の藪山では、人道と獣道の区別はないと思う必要があり、その見分け方を叩き込んでおかねばならない。

 獣たちだって、通過の大変な藪漕ぎなんかしたくない。だから、山の中では一番歩きやすい場所を歩くことになり、そこに道ができる。

 ただし、人間ほど背の高い獣は希なので、おおむね狸や狐、イノシシや熊などの背丈に合わせた道ができあがることに注意が必要だ。

 すなわち、獣道と人間道を見分ける原則は、その高さにある。多くの場合、踏み跡だけでは見分けがつきにくいが、獣道は、すぐに人間が通るのが困難な腹より高い位置の枝葉や藪が出てくるから分かる。顔に枝葉が当たるような道は獣道である。

 それに人の道よりも歩幅が狭いし、多くの獣は人より軽いので人道ほど踏み固められていない。そこで、紛らわしい踏み跡があったとき、踏み込んでみれば獣道は柔らかく、人道は固いものだ。

 獣道は生活道路だ。餌場と水飲み場、寝場所を行き交うために踏みつけられる。
 獣たちがもっとも多く通う道は水飲みの道で、したがって沢筋に踏み跡が多く、これを利用するために人道も沢筋が第一になる。

 山の道は基本的に沢筋である。人が山菜採り、炭焼き、木材運搬などに利用するのも9割以上が沢筋である。しかし日本の沢には多くの滝があり、急峻危険なため、大滝やゴルジュ(水流に掘られた洞窟状水路)などで迂回路や他の安全な沢筋に移るトラバースルートが成立することになる。

 「沢筋に危険箇所が出てくると避難路がつけられる」これも覚えておく必要がある。

 次に、テリトリー拡大のため獣の峠越えルートもある。獣だって一番安全なルートを探すから、人様の峠道も獣道を利用することが多い。

 最後に、藪の多い道よりも歩きやすく、かつ外敵に遭遇したとき、いち早く逃げられる視界良好なルートということで尾根筋が利用される。もっとも、尾根筋に関してだけは、獣よりも人間の利用がはるかに多い。

 それは、一番高い場所で見晴らしが良いので、里などとの位置関係を確認できるからであり、尾根道というものは動物よりも人間が、より多く利用するものである。

 だから、尾根道は下界集落にまでつながっている場合が多く、山で迷ったときは、決していきなり沢筋に降りず、最初に尾根に登り、道を確認してから人間様ルートを利用して下界に向かうのが遭難しない大切なコツである。

 迷うと喉が渇くから沢に降りたくなり、そのまま人里につながっていると安易に想像してしまうが、決してそうではない。日本の沢は滝の連続であり、沢を下るのは危険に満ちている。

 冬山遭難以外の大半は、迷って沢に迷い込み、そのまま下って滝で滑って負傷・死亡するというケースである。

 ちなみに、獣たちは尾根道のてっぺんを歩くことは少なく、笹や藪の少ない北側の斜面の尾根より5〜20mほど下側に尾根に沿った獣道があることが多い。ベテラン猟師たちは、この道を使って猟を行う。

 歩きにくい笹藪が繁茂するのは南側の日当たりの良い場所で、北側の風雪に晒される場所は植生が悪く、逆に歩きやすいものだ。

 尾根のてっぺんにつけられた踏み跡は人間様のものであることが多い。日本中の尾根で、人道の皆無というルートは希で、そんなとき、その尾根は断崖絶壁に消えると覚悟すべきだ。

 山の道は、1・沢筋 2・尾根筋 3・峠道 4・滝・ゴルジュ迂回路 5・トラバース というように整理して覚えよう。今歩いている踏み跡は、獣道か人道か? 沢か尾根かトラバースか? などと、その属性を考え、記憶しながら歩けば、まず迷うことは少ない。

 最近は、わかりにくい場所に赤テープなどをつけても「クリーン作戦」などと余計なお節介の環境美化運動で剥がされてしまうことも多いが、迷いやすい藪山で、目印をつけるのは登山の大切な基本テクニックである。

 赤テープがダメなら、昔のようにナタで目印をつけよう。下山時の目標であるから、必ず上から降りてくるときに見えるよう人間の目の位置の皮を剥ぐ。これは自分の記号であるから、独特の分かりやすい形にする。

 マタギは目印に数十種類の共有暗号を含ませていた。形を見れば、この道が持つ情報が分かる仕組みになっていた。

 木を傷つけるのも良心が咎めるが、迷わないよう帰路を確認し、命を守る方が大事だ。必要もないのに、むやみに傷つけるのはもってのほかだが、安全のために、ためらってはいけない。

 最近は、警察検問で、車にナタやナイフが置いてあると逮捕されるらしい。必ず登山ザックに入れて、「理由なき所持」にならないように工夫する必要がある。

 私が山で目印をつけているとき、たまたま見ていた人から「自然破壊」と糾弾されたこともあった。山も難しくなったものだ。

 十分な標識が設置されているなら別だが、藪山でテープもアカン、目印もアカンじゃ困る。冬山では細い赤布をたくさん持参し、頭より高い位置の枝に縛りながら行く。一晩で2mも積もることもあり、低い位置では雪に埋もれてしまうことがある。木のない場所では、細い竹などを刺して結ぶことになる。

 結び目の作り方で、どちらが上下か分かるようにする。帰路、回収するのが常識なようだ。もちろん上から見る下山標識であることを忘れずに。

 次に、歩き方のコツを伝授する。

 歩き始めは、必ずゆっくり、最初の30分は持てる実力の三分の一しか使ってはいけない。これが準備運動だ。次の30分は二分の一の力でゆっくり歩き、十分に休んでお茶や菓子を飲食し、いよいよ本番だ。

 準備運動をしないで、いきなりハイペースで歩くと、必ずバテることになる。そんな人たちは結局、上の方で息が切れて苦しくなり、我々カメさんに追い抜かれてしまい、山歩きが楽しいものではなくなってしまう。

 1時間歩いてから、実力の8分目を出して山頂に向かう。休憩はおおむね1時間に5分程度。ほとんどの人が同じように休憩するので、有名山岳では、その位置に休憩所のような場所ができていることが多い。

 決して休みすぎてはいけない。軽く息を整える程度で、できるだけお菓子などを飲食しよう。糖尿病になりそうな甘いジュースも山ではOKだ。

 疲れてきたら、休むのではなく、「ゆっくり歩く」ことを心がける。休んでしまうと疲労が吹き出し、ますますバテることになる。

 飲食しながら、ゆっくり歩いていれば、疲れは消えてゆく。老人だって、若者のように早く歩けないが、ゆっくり山頂に着くことができる。体力のない人だって、ゆっくり歩けば、高体力の人と同じように楽しめる。

 最近、経験不足の中高年による遭難事故が多発しているが、最大の問題点は、「自分を知らないこと」である。

 自分を実力以上に過剰に評価するクセのある人は遭難しやすい。自分の実力に対して謙虚な姿勢が必要だ。

 山は大変なスポーツだ。準備があれば、困難を克服できる。装備を準備するだけではダメだ。体力・精神力を準備しなければならない。

 最初から苦しい大変な山など行ってはいけない。まずは高尾山や筑波山のような山を十数回も登り、基本的な歩き方の訓練を行い。普段から2時間程度歩く訓練を重ねる必要がある。

 そして、体力の必要な重い登山では、必ず「ゆっくり歩く」ようにすれば大丈夫、バテこそ遭難の第一歩であることを肝に銘ぜよ。

 バテない基本テクニックは、第一にゆっくり歩くこと。第二に、頻繁に軽い飲食を行うこと。第三に、こまめに衣類を脱着することだ。

 衣類を調節して、体温を一定に保つことは、非常に重要なテクニックで、山では非日常的な体験をしているので、普段の感覚が分かりにくくなる。

 体が寒がっているのに、本人は暑いと勘違いしている場合があり、着重ねしなければならない状況下で、強風に吹かれて体温が低下し、意識が朦朧としながら、そのまま死亡することも珍しくない。

 寒いと疲労度が加速する。体が熱を作るために余分なエネルギーを浪費するからだ。だから暖かく快適にすることが疲労を少なくするテクニックなのである。

 最近ではトムラウシ・ツアー登山の遭難が風に吹かれた低体温遭難だったようだ。

 強風で、少しでも寒さを感じたら、必ず、防風ヤッケ(雨具でもよい)を着ること。肌着は登山用か純毛薄手セーターを着ること。

 汗や雨に濡れて肌着の保温性が落ちたなら、純毛セーターを直接肌に着込むこと。純毛セーターは最後の命の綱である。どんなハイキングでも持参すること。

 雨中登山では、稜線に出ると凄まじい強風に遭って、とてもじゃないが、着替えなど不可能なことが多い。

 だから稜線に出る前に、藪の中で状況を予測して、先に着替えや着重ねを済ませること。

 冬山は、同じ山であっても、他のシーズンとは基本的に別世界だと思う必要がある。
 私は若い頃から鈴鹿の鈴北岳・御池岳をトレーニング場所にしていて鞍掛峠などから百回以上も登っているが、慣れきって地図も持参しないで、すべて知っているつもりでいた。

 ところが、ある冬、もの凄い暴風雪のときに登って、ホワイトアウトという現象に出くわした。これは降雪と薄い太陽光により、雪と空間の境目が認識できなくなる現象である。

 このとき、隅から隅まで知り抜いているはずの鈴北の地形が、今どこにいるのか、まったく分からなくなった。積雪で地形も変わり、自分が歩いている場所が尾根なのか、いつものルートなのかも完全に見失い、彷徨する羽目になった。

 このとき冬山が、どれほど恐ろしい魔物であるのか思い知らされることになった。
 ゲレンデとして百回も通っている地形でさえ、まったく理解できなくなる。

 1000m前後の低山でさえ、そんな現象が起きる。まして3000mの世界は凄い。
 正月に、吹雪の中で立派な登山道や標識のある間ノ岳から北岳に向かう尾根が、どうしても発見できなかったことがある。1時間も彷徨い、奇跡的に北岳への稜線が見えて助かった。

 冬山をなめてはいけない。数千回の登山経験があっても、見るも無惨に打ちのめされることがあるのだ。

 迷ったとき、行き先を確かめるのは、地図とコンパス、それに踏み跡や視界などだが、位置を確認するのに、一つや二つではダメで、高度計やGPS、無線機など、少なくとも五つくらいのアイテムを用意しておきたい。

 そして冷静に、自分を信じ、普段から訓練している自分は、必ず助かると確信して、自信をもって臨むのでなければ、冬山は地獄であり、命を奪いにくる魔物でしかない。
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2143495.html  


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東海アマのブログ 続 山の歩き方 2010年01月08日


 前回は獣道と人道の見分け方、疲れない歩き方などについて説明した。
 まだ少し言い足りない部分を補足しておきたい。

 前回、安全登山のために大切な姿勢は「ゆっくり歩く」ことだと説明したつもりだが、これでは説明不足で、急傾斜の山道を歩く上で意識しなければならないことは、ゆっくり歩き、かつ歩幅を狭くするということである。

 筆者は若い頃、先達から「猫のように、しなやかに歩け」と教わったことがある。一歩一歩、無理のないダメージの少ない歩き方を心がければ、長丁場では大きな違いになって返ってくる。

 「ゆっくり、歩幅を狭く、しなやかに歩く」

 これが基本だが、これでも、まだ足りない。筆者は16歳から今日まで約二千回程度の山歩きを行っていると思うが、この経験の蓄積から言わせていただくと、「余分な力を抜いて歩く」ということが一番大切である。全部力を抜いてしまえば当然歩けないので、歩くために本当に必要な筋肉だけを瞬時に使い、必要でなくなったら、瞬時に休ませるのである。

 必要なときにだけ筋肉を働かせ、必要でない筋肉は瞬時に完全にリラックスさせていることが、登山で疲れない、バテない最大の秘訣であると指摘しておきたい。

 このために、本当に力が必要な瞬間だけ筋肉が働くように、普段から感覚を養い、「無駄な力は使わない」訓練が必要である。

 もちろん、登山だけでなく、あらゆるスポーツに共通する深い奥義というべきだが、フリークライミングに凝った経験のある人なら、これがもの凄く身にしみて理解できるはずだ。

 クライミングを上手に行うコツは「力の抜き方」であり、必要な筋肉だけを、必要なタイミングだけに使い、それ以外では完全にリラックスさせ、疲労回復するテクニックがクライミングの真の奥義であることを思い知らされるはずだ。

 登山でも同様に考えるのである。「力を抜きなさい」

 この奥義こそ、普段は酒かっくらって寝ているだけの中年メタボ、ダメ親父が、10クラスの難ルートをあっというまに登って見物人を驚かせる本当の理由である。

 さて、ここまでは少しスポーツを囓った人なら誰でも知っている。この先は筆者のオリジナル奥義を伝授しよう。

 山頂から下山するとき、下り坂で滑って転倒した経験を持つ人も多いだろう。これは、単に足を滑らせたというだけでなく、実は山歩きのなかで大切な歩行メカニズムが隠されているのである。

 雪国の人なら、アイスバーンでの基本的な歩き方を知っているはずだ。それは、決してカカトで歩かない。つま先で歩くのである。つま先に力を入れ、足指を多用する。これが凍結路で滑らないコツである。

 だから凍結の多い寒い地域の人たちは、歴史的に足指が長くなる傾向がある。日本海側の人たちは、太平洋側に比べて足指が長いのである。このため、短距離走は若干苦手ということになる。

 実は、急傾斜の山道・坂道を歩くコツも、まったく同じメカニズムであり、滑らないような歩き方は、カカトではなくつま先に力を入れて歩くのである。

 これは山の場合、主に下りということになる。急傾斜の下りで、つま先に力を入れて足指を最大に利用しながら下れば滑らない。

 ところが、それでも滑って転ぶ人がいる。実は、このとき、つま先に力を入れているつもりでも腓腹筋が疲労して力が入らなくなってしまい、カカトだけで歩くような投げやりな歩行姿勢になっているのである。

 本人は登山で興奮しているから腓腹筋の疲労が分からないが、ベテランがまったく滑らない下りで滑ってばかりいる人は「カカト歩き」という状態に陥っていることを知っておく必要がある。

 どううして「カカト歩き」だと滑りやすいのだろう?

 それは、凍結路における「カカト歩き」と「つま先歩き」の違いと同じもので、つま先歩きの場合は、滑ってバランスが崩れたときに重力バランスを立て直す筋肉の可動域、幅が、足先全体にあって広いため容易に対応できるが、カカト歩きでは、足が棒状になっていて、滑ったときに、それを補正する動きが限定されるために転倒しやすくなるのである。

 滑ったとき、つま先に力が入っていれば、膝・足首・足指と三つの関節を動かして対応できるが、カカト歩きだと、事実上、膝だけで対応することになる。

 これで、急傾斜の下山時に、つま先歩きが必要なことが理解できると思うが、登山用筋肉が衰えている人、未発達な人は、意識しても、これができずにカカトで歩いてしまい、どうしても滑りやすくなる。

 このとき、補助アイテムとして活躍してくれるのがストックである。

 筆者がストックを一般登山に使い出したのは、30年前、1980年頃で、当時は、もちろんスキーストックなど無雪期に使う人などいなかったから、すれ違う人は奇異な目で見ていたが、今では、折りたたみの優秀なストックが開発されたこともあり、ダブルストックで歩く人は珍しくもない。

 筆者は1970年代、冬になると北鈴鹿の山々で山スキー歩行に凝っていて、ストック歩行が、どれほど役に立つか、さんざん思い知らされていたから、夏山でもスキーストックで歩くようになったのだ。

 今では痛風による膝関節のダメージ、衰えもあって、ストックなしでは山を歩けなくなってしまった。二本足よりは四本足の方がはるかに効率よく、山では安全なのである。イノシシや熊に遭遇したときも心強い。

 中高年の登山ハイキングには、ダブルストックは膝を守るために欠かすべからざる必須アイテムである。


 登山ハイキングで決して忘れてはいけないものとして、次のものをあげたい。


 1・ 純毛厚手セーターとヤッケ(雨具も可) これは軽ハイキングも含めて、最後の命綱と思っていただきたい。肌着が濡れたなら、セーターを肌に直接着込むこと。

 2・ ライト・スペア電池・地図 当然の装備、この他に水(ペット飲料可)食料、雨具ということになる。

 3・冒頭に述べた理由で、折りたたみストック二本を加えていただきたい。これは、どうしても必要とはいわないが、長い歩行積み重ねのなかで、あなたの膝を守ってくれる大切なアイテムだ。


 特殊装備について

 筆者は若い頃から、一般的な登山に飽きたらず、ロッククライミングや沢登りにも夢中になった。普通の人が敬遠する藪漕ぎも数多くこなした。
 そこで、あまり一般的とはいえないが、山のすべてを知りたいと思っている人のために、特殊な装備についても言及しておきたい。

 沢登りは登山道の整備されていなかった古典的な山登りでは常識であり、昔は沢道を経由しなければ頂上に立つことができず、今でも北海道では日高などで多くの登山道が沢を利用している。

 沢はコケがついていて滑りやすいのが普通で、昔は地下足袋ワラジや荒縄を靴に巻き付けて対処したものだ。80年あたりから沢用フェルト底靴が出てきたが、面倒な大荷物になるので、荷を減らしたい場合、古い穴のあいた毛糸靴下を代用すればよい。

 靴の代わりに使う靴下なので、三枚以上履き重ねることになる。靴の上から履ければ、それでもよい。これは凍結路でも役立つことを知っておいて損はない。

 下山時や出水時に、希にロープが必要になるときがある。本格的なロッククライミングなら9ミリ・40m以上、沢登りなら8ミリ・30m以上、非常装備なら1パーティで1本、7ミリ・20m程度(1キロ程度)を持参する。

 これで簡単な懸垂下降や徒渉を行う。懸垂下降は器具のいらない肩・股絡み下降を普段から訓練すること。
http://members.at.infoseek.co.jp/kuma3_3/kura/1.htm

 非常ロープはツエルトを張るときなども役に立ち、転落時に真の命綱になることもあり、誰でも一本は所持しておいたほうがよい。

 徒渉のときは、ロープを張るために特殊な結び方を覚える必要がある。筆者はトラック運送で覚えた「万力縛り」を利用することが多い。
http://www1.ocn.ne.jp/~tatsujin/ropework/truck/index.htm

 筆者の40年間の登山経験で、ヘルメットが必要だと思ったことは、ほとんどない。氷雪クライミングで確保のとき、上から氷が落ちてくるのに役に立ったくらいだ。ヒマラヤクラスなら必要だろうが、日本の沢登りくらいで持参するのはナンセンスだと思う。ロッククライミングでも、ゲレンデならほとんど無用だ。

 山は必要な装備を絶対に忘れてはいけないが、無用な装備を何一つ持参してもいけない。本当に役立つものだけを持って行こう。

 あって助かったものはザ・エクストラクター、ポイズンリムーバーという名の毒吸引器(3000円程度)だ。山ではアブ・ヒルから蜂など毒虫にやられることが少なくないので、マムシ・アブ・スズメバチ刺傷に有効な、この器具は必需品と位置づけてもよい。

 これまで、どれほど助けられたか分からない。これを使えばアブに刺されても数日で完治する。ブヨに刺されたときも腫れ上がらずにすむ。

 沢登りにヒルはつきもので、とりわけ鈴鹿は凄い。一度、足に百匹くらい貼り付いているのを見て卒倒しそうになったことがある。後で完治するまでに数ヶ月を要した。

 ヒル避けはいろいろあるが、簡単なのは塩や灯油、酢やクエン酸で、濃い溶液を百円噴霧器に入れて持参し、ときどき膝下に噴霧するだけでよい。帰宅後きちんと洗わないと金属部品が錆びてしまう。

 山の危険としては、迷い込みなど地理的条件以外に動物の危険がいわれる。
 99%は上にあげたように虫や小動物だが、希にヒグマや熊、イノシシとの遭遇がある。最近では、昨年、秋、御岳「ヒメシャガの湯」の近く巖立峡で子熊と遭遇した。

 過去40年間に、熊と遭遇したのは数十回、ヒグマとも5回以上あり、最大数メートルというニアミスもあった。

 しかし、熊に襲われたことは皆無で、みんながいうほど心配なものではない。

 それでも日本登山界の鉄人、山野井君が奥多摩でトレーニング中に熊に襲われたニュースを聞いて驚いた。おそらく、子連れでいた熊に気づかず、走って近づいたために母熊が母性本能で恐怖して攻撃したのだと思う。

 実は、動物が人間を襲うとき、人間のように攻撃してやろうという凶暴な意図で襲うことなど希であって、ほとんどは恐ろしさに震えて無我夢中で攻撃するのである。人間ほど怖い動物はないのだ。

 だから、熊に自分の存在を気づかせる鈴などの工夫が大切で、もし「いる」と分かったときは、優しい声で「おーい、おーい」と切れ目なく声をかけるのがよい。
 ほとんどの動物は、優しい声なら恐怖せず、その主を確かめようとする好奇心があり、攻撃本能は出てこない。

 筆者はこの手で、牛ほどの巨大なカモシカに5mまで近寄ったことがある。
 これまでの40年の経験で、イノシシと真正面から遭遇したことは皆無、姿を見たのも数回にとどまる。

 もし襲われたなら、ストックを使って対峙するしかないと思っている。襲うとしても、アホな猟師がしとめ損なった手負いくらいだろう。
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2149175.html



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東海アマブログ 山の歩き方 その3 2019年07月24日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-816.html

 
 数年前に「山の歩き方」を、続編とともに掲載した。
 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2143495.html

 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2149175.html

 それから病気で肺機能が衰えたせいで、大きな山には行けなくなったのだが、今でも、毎日1時間以上の山林歩行を欠かさないでいる。

 長い山歩きの経験をブログにしておけば、これから山歩きを始める人に、少しは役に立つかも知れないと考え、その3を書いておきたいと思った。

 若い頃から、ずいぶんたくさんの山を歩いてきたが、この時期(7月8月)は、なんといっても沢登りに夢中になった。

 かつては、鈴鹿や日本アルプスの沢を毎週、全身ずぶ濡れになって登り歩いていた。

 中央アルプスの沢に単独で入って、瀧で滑落して数カ所を骨折しながら這うように逃げ帰ってきたこともある。

 北海道の山、とりわけ日高山地では、登山道が沢道であることが多く、どこに行っても沢登りを強いられる。

 しかし、夏場の沢登りでは、さまざまな危険が待ち受けている。

 どんな危険があるのか? 最大の危険は、滑って岩場で転倒することである。

 沢にはコケがつきもので、足下の岩場がヌルヌルになっている沢も多い。

 このヌルで滑らないようにするには、私が一番一生懸命登ったのは、今から40年くらい前なのだが、1980年代までは、ワラジが主流だった。

 当時の価格は、一双で300円くらいだったと思う。今は700円くらいしてるようだ。
 
yamaaruki1.jpg


 裸足に直にワラジをつけるのは、刺激が強いので、必ず地下足袋を履いてから装着した。農業用厚底足袋なら、そのまま山歩きをすることもできた。

 ワラジの滑り止め効果は非常に高いものだが、縦には強いが横滑りには弱かった。それは見てのとおり、繊維が横に走っているためだ。

 1980年代の半ばあたりから、釣り用のフェルト足袋が開発されて普及した。これはワラジほどの効果はないが、縦横ともに滑り止めになり、藁紐が切れる心配もなく、使いやすかった。

 ワラジが一回限りの使い捨てであるのに対し、フェルト足袋は数十回も使うことができた。だから3000円程度でも十分元はとれる。

 yamaaruki2.jpg
 

 そのうち、長靴フェルト底とか、短靴フェルト底とか、たくさんの種類が開発されて、今でも、滑りやすい沢道で多用されている。

 実は、このフェルト底、アイゼンが必要な凍結坂道でも滑り止めに使えるのだ。もちろんアイゼンほどの効果はないが、滑りにくくなるのは確かだ。

 私は、冬の低山で、アイゼンを持参しなかったときは、靴の上から純毛の靴下を履いて滑り止めに使った。

 これは山歩きの知恵として覚えても損はない。

 なお、長時間歩行を必要とする登山では、必ず複数の履き物を用意する必要がある。

 もちろんゴツイ登山靴を予備に持つのはアホらしいので軽量靴だが、地下足袋やフェルト足袋を予備靴として選択するのも悪くない。

 山では、予期しない靴擦れや、ゴム底の剥離なども珍しくなく、北海道のように沢ルートが多いと、予備靴がないと困ることも多い。

 沢登りの危険としては、滑り事故の次に、滝の直登における滑落事故だが、よくあるのは、いい加減に打ち込まれたハーケンを掴んですっぽ抜けで落下する事故である。

 滝のハーケンは絶対に信用してはいけない。岩場のハーケンのように丁寧には打ち込んでいないからだ。

 滝登りで事故を起こさないようにするためには、訓練によってフリークライミングの技量を上げるしかない。ハーケンが抜けたとき、掴んでる石が落下したとき、次にどうするという次善策を、いつでも考えながら 登らなければならない。

 フリークライミングの訓練をしないまま、危険な沢の直登をするのは自殺行為である。必ず、納得のゆくまで基礎的な岩登り訓練を行ってから沢に向かっていただきたい。

 私自身の滑落事故も、クライミングの技量が未熟なうちにアルプスの沢に入るという無謀行為を行ったせいだった。

 岩場の多い山歩きは非常に多い。有名なところでは、宝剣岳や槍穂高縦走、不帰険だが、日帰りでも秩父では普通だし、御在所や鎌ガ岳でもキレット状の危険地帯がたくさんある。

 ここで事故を起こさないために必要なことは、恐怖心を克服することである。

 高所恐怖症など、恐怖に硬直すると、実力の半分も出せなくなる。だから、自分の潜在力を出し切って岩場を乗り越えるには、まずは「怖くない、自分は絶対に落ちない」と自己暗示をかけ、全身の筋肉をリラックスさせることである。

 クライミングの上手な人は、そうした心のコントロールが上手な人である。「こうすれば絶対に安全」と確信を持てる行動パターンを持っていれば、その範囲から逸脱しない限り、安全は保証されると自分自身で信ずればよいのだ。

 力を抜きなさい、恐怖や緊張から解放されてリラックスしなさい、こういう行動をしていれば危険はないと、信じながら無理をせずに進みなさい。

 乾徳山などの長いハシゴを登るときも、「この手が、しっかりと桟棒を掴んでいれば、絶対に落ちない」と信じていれば、問題なく通過することができる。

 この、失敗すると命に関わるような行動で、恐怖心を克服しながら、自分を信じて前進するという登山の経験は、人生のあらゆる場所で、自分を守ってくれる大切な宝物になるだろう。

 なお、どうしても高所恐怖症を克服できない人が同行メンバーにいる場合、リーダーは安全確保しなければならない。

 通常は7ミリ20mのザイルを持参し、確保者には、テープスリングを八の字にして足を通して簡易ハーネスを作り、腰にもテープを巻き、ザイルに結んで確保する。これで懸垂下降も楽々こなせる。(以下は方法が異なるが簡単なので覚えておきたい) 
https://www.youtube.com/watch?v=WAbCqTInDAo

カラビナ一個あれば、懸垂下降が可能である。
 https://www.youtube.com/watch?v=VunyYaj_H7M


 実は、山でのトラブルで、もっとも多く、重要なのは、岩場事故や熊の襲撃ではなく、虫の襲撃である。

 わけても

@ブヨ Aアブ B蛭 Cマダニ Dドクガ 

に警戒が必要だ。

 ブヨは、ありふれた虫だが、刺されると被害が大きい点では、一番警戒が必要かもしれない。

 これは昨年、10月18日に、笠置山でブヨに刺されたときのもの。
  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-514.html

以下は、7月20日に、高峰湖畔でブヨに刺され、4日後の本日、撮影したもの。

 buyo1.jpg


 ブヨの被害は、刺されたときには痛いだけだが、後から激しく現れる。指先を刺されると、筆記具が使えなくなるほど腫れるし、肩まで腫れ上がることもある。

 ムヒアルファのようなステロイド剤しか効果がないが、治癒まで十日以上もかかることがある。

 ブヨが刺しにくるのは、冷涼で湿度の極めて高い日が多い。晴れて28度以上もあるときに刺されることは少ない。気温が25°以下で、雨が降ったりやんだりのときが危ない。

 ブヨは極めて環境汚染に弱く、水質が非常に良い小沢にしか繁殖できない。
 もっぱら露出した肌が狙われるが、上の写真はTシャツの下を刺された。

 ブヨを忌避するには、ハッカ油が良いといわれる。ハッカ油をエタノールで50倍くらいに薄めたものをスプレーに移して、肌に散布しておくのだが、上の写真は、ジーグフリートの木の葉のように、塗り残した、わずかな場所が狙われた。

 ハッカ油は、アブにも高い効果があり、山歩きの前にスプレーしておくと多くの虫害を防除できる。

 ただし、ヤブ蚊にはあまり効果がない。マダニや蛭、ムカデには効果が高い。私の場合、6月から10月まで、山歩きの前には、携帯用スプレーに入れたハッカ油スプレーをたっぷり、全身にかけておく。一回かければ二時間程度は効くが、薄いと1時間もたないこともある。

 腐らないので、400CC瓶を購入しておけば、たっぷり長く使える。
 
yamaaruki3.jpg

 蛭は、奥駿河・遠州・鈴鹿のように極端に繁殖している場所では、行けば必ずやられるほどで、とりわけ雨の日、高湿度の日には警戒が必要だ。

 蛭を伝播するのは鹿なので、鹿が多い山、鹿の食害によりアセビが増えている山では、特にひどい。鹿がいれば蛭がいると思った方がいい。

 市販の蛭避け剤は高価なので、昔からの知恵として、山に入る前に、膝下に灯油をかけたり、塩やクエン酸をかける人もいるが、金属部品が錆びてしまう。

 やはりハッカ油スプレーに強い忌避効果がある。私は一度に100匹近くも貼り付かれたことがあるが、血を吸われた痕の治癒に一ヶ月以上を要した。

 なお、遠州・駿河の山では蛭が木の上から降ってくる。だから首や肩にも散布する必要がある。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-96.html

  https://yamahack.com/220

 吸われた直後の対策としては、蛭の溶血酵素を洗い流しておくのが良い。

 以下の携帯洗浄機は、お尻用のものだが、私はザックの備品として、さまざまに使っている。
 https://item.rakuten.co.jp/apade/yew350/?scid=af_pc_etc&sc2id=af_113_0_10001868

 野糞(お花摘み)のとき、本当に清潔で便利だし、これで目を洗浄したり、虫刺されや、蛭害を洗浄するのに極めて有効。圧力が出るので、傷口に吹きかければ蛭毒を洗い流すこともできる。もう手放すことはできない。

 ただし、アブやブヨに刺された場合、ポイズンリムーバのような吸い取り器が必要になる。これも必需品といってよいだろう。
 https://sakidori.co/article/101872

 なお、女性用の密度の高いストッキングは、蛭の口器が入らないといわれる。私もハッカ油スプレーを、ビタビタにかけて愛用している。

 マダニは、わが東濃地方には、とても多く、私は恵那山で噛みつかれた。笠置山の山上休憩所にも出ている。
 https://www.hohto.co.jp/pmpnews/pmp370_2/

 私は家に帰ってから膝下に潜り込んでる黒い物体に気づいたのだが、マダニと知ってウイスキーをたっぷり流して、数分後にピンセットで除去できた。高濃度のアルコールに対して、マダニは食いつく力を失うようだ。

 放置するとライム病などの致死率の高い病気にかかることがあるので、早めにエタノールなどを使って自分で除去すべきだと思う。
 https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB/22-%E5%A4%96%E5%82%B7%E3%81%A8%E4%B8%AD%E6%AF%92/%E5%88%BA%E5%92%AC%E7%97%87/%E3%83%9E%E3%83%80%E3%83%8B%E5%92%AC%E5%82%B7

 ドクガの被害は、南アルプスの黒法師山の帰路で起きた。

 最初は、腕に強い痛みを感じたが、みるみるまだら状に赤く腫れて、治癒に一か月程度もかかった。
 http://www.city.kawasaki.jp/350/cmsfiles/contents/0000006/6005/dokuga.pdf

 これはツバキ科につく毒虫で、山の中では、ドクガが体に触れただけでひどい目に遭う。我が家でもチャドクガが出て、原因となるサザンカの木を見つけて、焼き払うまで被害が続いた。

 なお毒素は43度の湯に5分浸かれば解毒されるようだ。炎症を起こしてる部位だけでもいい。

 以上、自分が被害を受けた経験のあるものばかりを並べたが、襲われた経験のないことまで書いておく必要があるものがある。

 それは熊だ。

 中津川市は、中央アルプス恵那山が市街地に隣接していて、熊が頻繁に出没する地域だ。今年に入って、2回、近所の高山大橋の上の雑木林で見かけた。

 また笠置山山頂付近や、高峰山鎮之峠にも出没している痕跡を見つけた。去年は、我が家の裏山に出没していた。恵那神社では、最近、釣り人が襲われて大怪我をしている。

 襲われた経験がないのに申し訳ないが、これだけ熊が増えると、山登りに熊避けは必需品になったと思う。

 私の場合は、ザックにハンドベルを結びつけて、歩きながら自然に鳴るようにしている。
 
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 柄の部分に穴を開けてナイロン紐でザックに垂らしておくと、歩く刺激で自然に鳴っている。なお、ラジオやガラガラ鈴は、効果が乏しく、なるべく高音の鈴が良いそうだ。

 カーマでは山菜キノコ採取用に千円程度で販売されている。

 以前は、カウンターアソールトという熊専用スプレーを携帯していたが、1万円近い高価だし、自然に漏れて、ひどいことになるので使うのをやめた。

 代わりに爆竹をザックに忍ばせていて、糞を見つけると点火できるようにしている。

 また、危ないと感じるとき、ダブルストックを持参し、現れたら突いてやろうと思っている。

 熊は、年間を通じて定まった行動パターンがあり、好物であるタケノコや栗や柿などの果樹園近くに潜んでいることが多い。食物の縄張り意識があると、持ち主が採取したとき、自分の食物を横取りされたと思い込んで怒り狂って襲うことがあるようだ。

 以前、高山の展示民家を訪れたとき、果樹園の持ち主が、そのようにして殺害された話を詳しく聞いた。

 笠置山では、山頂付近のブナ林の実が落ちているときと、木イチゴなどの果物が出ているとき、よく徘徊していて、6月頃が危ない。真っ黒で、未消化物の含まれたベチャ糞が点々と落ちているときなど熊がいると思った方がいい。

 こちらが金属音を立てているときに襲ってくることは滅多にないようだ。
 糞が新しければ、必ず近くにいると思うべきで、すぐに爆竹を鳴らした方がいい。

 イノシシは、最近、あまりにも多すぎて、空気のように存在を忘れてしまうほどだ。

 我が家の周りや散歩先にも大量に生息している。今日も出会ったばかりだ。

 特徴は、ミミズを探すための掘り返しが登山道脇に広く見られることで、掘り返した土の新しさと気配の音で、近くにいることを知る。

 やは鈴が有効だと思う。近所にいれば爆竹を鳴らしておけばよい。

 また気づいたことがあれば、「山の歩き方 その4」を書きたいと思う。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-816.html


http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/587.html#c43

[近代史3] 関東大震災後の民衆(自警団)の手による朝鮮人虐殺 中川隆
1. 中川隆[-8860] koaQ7Jey 2019年7月25日 05:07:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3854]

朝鮮人の言うことが誇張表現ではなかった例


■「虐殺」という表現について

 関東震災後の日本人による朝鮮人殺害について、「虐殺」と表現するのが適当かどうか。今回の参考文献に、以下のような記述があった。俄かに信じられない(あるいは信じたくない)内容だと感じると同時に、ここに書かれているのはやはり事実なのではないかと思う。正直に言って、どう取り扱うべきかは手に余る問題だったので、虐殺と言う表現の妥当性については、各位の判断にお任せする。


 朝鮮人による、さらにすさまじい回想がある。
 
 所謂自警団、青年団等は「朝鮮人」と叫ぶ高声に一呼百応して狼の群の如くに東西南北より集まり来たり、一人の吾が同胞に対し数十人の倭奴<日本人>が取り捲きつつ剣にて刺し銃にて射、棒にて打ち、足にて蹴り転がし、死せしものの首を縛り曳きずりつつ猶も刺し蹴りつつし屍体にまでも陵辱をくわえたり、

婦人等を見れば両便(ママ)より左右の足を引き張り生殖器を剣にて刺し一身を四分五裂にしつつ、女子は如斯にして殺すこと妙味ありと笑ひつゝ談話せり……

身体を電信柱に縛り付け先ず眼球を抉り鼻を切り落とし、其の哀痛の光景を充分眺めた上、腹を刺して殺したるものあり……。

(姜徳相・他編『現代史資料・6』みすず書房、一九六三年)


 
 考えられないような殺害方法であるが、朝鮮人すなわち被害者側の怨念のこもった誇張した表現ではない。実は私は最初これだけ読んだ時には、朝鮮人の表現にはしばしば誇張表現がみられるので、その特有の誇張表現ではと思ったのである。そのように思わせるほどの残虐な殺し方である。

しかし誇張表現ではなかった。補強証言がある。


 まだ若いらしい女(女の死体はそれだけだった)が腹をさかれ、六、七ヵ月になろうかと思われる胎児が、はらわたのなかにころがっていた、その女の陰部に、ぐさりと竹槍がさしてあった、

という記録を日本人自身が残している(姜徳相・他編『現代史資料・6』田辺貞之助「女木川界隈」みすず書房、一九六三年)。なお、付近の別の住民も同じ光景を見ている(『労働運動研究・三七号)湊七良「その日の江東地区」労働運動研究所、一九九二年)。


 女性の陰部へ竹槍を刺したという目撃証言は、場所が特定できるものは江東のもの。したがっておそらく一つの事件、行為が複数の口で語られ、伝聞されていった結果であろう。
(『関東大震災と朝鮮人虐殺』 pp.102-104)


当時の日本人の多くは、自分達が朝鮮人から恨まれているという自覚を持っていました。背景には、朝鮮の植民地化と、そこに住んでいた朝鮮人に対する苛烈な差別待遇がありました。

植民地化に伴って、日本政府は朝鮮の土地所有に関する調査を行いました。そして、朝鮮人の土地を没収して日本人に分け与えました。その結果、土地を奪われ働き口をなくした朝鮮人は、生きる道を探して日本へ渡ります。しかし、そこでも差別待遇が待ち受けていました。

日本国内における朝鮮人の賃金は、日本人最低ランクに位置していた被差別部落出身者や沖縄出身者の5〜7割程度だったと言われています。日本に渡ってきた朝鮮人は同胞コミューンを形成しましたが、多くの場合そこはスラム化していきました。小規模ながら犯罪者集団も発生し、こうした朝鮮人の実情を目の当たりにする事で、日本人の朝鮮人に対する潜在的な不安感が醸成されていきました。
http://www5d.biglobe.ne.jp/DD2/Rumor/column/earthquake_demagogie.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/554.html#c1

[近代史3] 関東大震災後の民衆(自警団)の手による朝鮮人虐殺 中川隆
2. 中川隆[-8859] koaQ7Jey 2019年7月25日 05:08:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3855]

〈関東大震災から80年〉 朝鮮人女性への残虐な性的虐待


荒川放水路の四ツ木橋付近での虐殺に関する証言に次のようなものがある。


 「22、3人の朝鮮人を機関銃で殺したのは四ツ木橋の下流の土手だ。

西岸から連れてきた朝鮮人を交番のところから土手下におろすと同時にうしろから撃った。

1挺か2挺の機関銃であっという間に殺した。

それからひどくなった。

四ツ木橋で殺されるのをみんな見ていた。

なかには女もいた。


女は……ひどい。

話にならない。

真っ裸にしてね。いたずらをしていた」

(関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会「風よ 鳳仙花をはこべ」教育史料出版会、1992年、58〜59ページ)


 これは朝鮮人女性を性的にもてあそんだうえで虐殺したということなのであろう。

これは例外的な事件ではない。

女性に対する性的虐待、虐殺の事例は数多くあった。


 東京府南葛飾郡での朝鮮人女性に対する虐待、虐殺事件

 湊七良、亀戸五の橋で朝鮮人女性のむごたらしい惨死体を見た。

「惨殺されていたのは30ちょっと出たくらいの朝鮮婦人で、性器から竹槍を刺している。

しかも妊婦である。

正視することができず、サッサと帰ってきた」

と回想した。
(「その日の江東地区」『労働運動史研究』第37号、1963年7月、31ページ)


 亀戸署内では習志野騎兵連隊の軍人たちが朝鮮人や日本人労働者たちを虐殺した。

この状況を目撃した羅丸山の証言によると、殺された朝鮮人のなかには「妊娠した婦人も一人いた。

その婦人の腹を裂くと、腹の中から赤ん坊が出てきた。

赤ん坊が泣くのを見て赤ん坊まで突き殺した」

(崔承万「極熊無筆耕−崔承万文集−」金鎮英、1970年、83ページ)


 当時砂町に住んでいた田辺貞之助は多数の朝鮮人惨殺死体を見た。


「なかでも、いちばんあわれだったのは、まだ若い女が、腹をさかれ、6、7カ月くらいと思われる胎児が、腹ワタの中にころがっているのを見たときだ。


その女の陰部には、ぐさりと竹槍がさしてあった。

なんという残酷さ、

あのときほど、ぼくは日本人であることを恥ずかしく思ったことはなかった」

(「恥ずべき日本人」『潮』1971年9月号、98ページ)


 野戦銃砲兵士第一連隊兵士の久保野茂次は1923年9月29日の日記に岩波少尉たちが小松川で

「婦人の足を引っ張り又は引き裂き、あるいは針金を首に縛り池に投げ込み、苦しめて殺した」

ことを記した。

(関東大震災五十周年朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会編「歴史の真実 関東大震災と朝鮮人虐殺」現代史出版会、1975年、18ページ)


 朝鮮人女性に対する虐待、虐殺の歴史的意味


 上記のような朝鮮人女性に対する言語に絶する虐殺の残酷さは、民族差別にさらに女性差別が加わって行われた結果であろう。

このような日本人の行動は、朝鮮人が暴動を起こしたとデマが流されたので、自衛のために自警団を結成したといったものではなく、極めて攻撃的である。

それは民族的には支配民族としての優越心、性的には男性としての優越心に発した行動であったと思われる。


 朝鮮人女性に対する虐待、虐殺に関しては、当時も、その後も議論、反省されることは皆無だった。

その無反省がアジア・太平洋戦争の時期の「従軍慰安婦」制度を生み出したといえないだろうか。

吉野作造は、千葉で行われた朝鮮人少年に対する日本人の虐殺事件をつぶさに日記に記し、その末尾に「これを悔いざる国民は禍である」と記した。

(「吉野作造著作集」14、岩波書店、1996年、357ページ)


 日本人拉致事件発表後の他者のみに厳しく自己に甘い日本人の二重基準を見ると、朝鮮や中国に対する日本人の良心喪失を憂慮し続けた吉野の言葉を日本人は今もう一度かみしめなければならないように思われる。

(山田昭次、立教大学名誉教授)

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2003/j05/0305j0827-00001.htm


関東大震災直後の朝鮮人に対する殺人行為


 当時,埼玉県の「児玉郡本庄町」や「大里郡熊谷町」(いずれも当時の名称,現在の本庄市・熊谷市)で発生した朝鮮人殺戮事件は,関東大地震発生後,東京方面ですでに起きていた朝鮮人などに対する殺人行為から彼らを保護する目的で,その被害の少なかった埼玉県や群馬県方面に彼らを避難させようとする最中に起こされた出来事である。

 本庄町のばあい,地元の住民たちによって結成された自警団が,本庄警察署に到着したトラックに乗っていた朝鮮人たちに襲いかかり,リンチに発展した。

警察は人員不足から阻止することもできないまま,この事件で50人から100人程度の朝鮮人を殺させた。

しかも,殺された朝鮮人たちは,妊婦の女性や子どもたちも大勢含まれていた。


 それでも,このリンチにくわわった者の多くは,事後に開廷された裁判の判決では「執行猶予付の騒擾罪」を受けるだけの「穏便な処分」で済まされていた。

さらにあとでは「恩赦」があり,彼らの刑罰は免除されてもいた。


これが,朝鮮人の子どもたちの首を刎ね,女性(妊婦)にも竹槍を突きさし,男性を日本刀で切りさいて殺す,などという凶行を働いた人たちに対する「事後の法的刑罰」であった。 


この歴史的な殺人事件の犯人たちは,大地震後の社会不安の状況のなかで「流言蜚語」に惑わされてしまった結果,本庄町では,警察が避難させるために保護し護送してきた子どもや妊婦も含む朝鮮人たちを,50人か100人くらい殺してしまった。

けれども,事後にいちおう裁判がおこなわれたものの,犯人たちは「執行猶予」付きの判決で「実質無罪にされ」だけでなく,さらに恩赦もあって,受けた刑をとり消してもらっていた。


第2次大戦後後に法務省の高官は,外国人〔=在日韓国・朝鮮人など〕は「煮て食おうと焼いて食おうと自由だ」(1965年の発言)と言ってのけた。


 関東大震災直後に起きた朝鮮人〔など〕の虐殺事件は,それよりも32年も前の悲惨な出来事であったけれども,すでに庶民の次元で「朝鮮人はけしからぬ奴ども」だから,「煮て食おうと焼いて食おうと自由だ」という残虐な情念に即して,同じ地震の被災者でもあった朝鮮人たちを「殺してもかまわぬ」という気持を実行に移していた。


裁判の最中に殺人行為に関してみなで哄笑する

 1) 殺人行為の様子

 1910年に朝鮮〔当時は大韓帝国と称していた〕を軍事的に脅して合邦し,植民地にした日本帝国であった。

朝鮮民族の底しれぬ怒り・恨みを買ったことはいうまでもない。

この事実が反転されて,日本人・日本民族側の気分においてはどうなったかといえば,朝鮮民族を心底でひどく恐れる感情を醸成してもいた。

 関東大震災直後,官庁関係〔警察・政府・戒厳司令部など〕から意図的に提供された《流言蜚語》を真に受けた庶民たちは,

「朝鮮人が井戸に毒を撒いている」

「朝鮮人たちが徒党を組んで攻めてくる」

と聞かされたのだから,大地震のために混乱した状況のなかで自衛し,朝鮮人どもを「捕まえてなんとかしてもかまわぬ」と考えた。

ある意味でこの考えは理の必然でもあった。


 国家当局側,それも一部で作為的な虚報を流した部署の関係者においては,たとえば軍隊は「東京などでは朝鮮人が反抗したといった理由で銃剣で刺殺或いは射殺するなどの虐殺をおこなった。

こうしたことは,目撃者の談話などでも明らかにされている」。


さらに,その「流言の拡大に驚いて,日本刀,竹槍,鳶口,棍棒などで武装した自警団が各地に出現したが,こうした軍隊,警察の行動をみて,凶暴な行動に出たことはいうまでもない」。

 「各地で “鮮人狩り” がはじまった」。

その「あまりのひどさに驚いて出したと」いう「9月3日の警視庁の宣伝ビラ『急告』も」「鮮人の大部分は順良にして・・・」といいながらも「『不逞鮮人の妄動』を否定していない」始末であった(前掲『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件−』13頁)。

萱原白洞「東都大震災過眼録(1924)」の写真は,震災後にその記憶を頼りにして描かれた絵画であるが,よくみると右下部分には「虐殺された朝鮮人の死体」が転がっていた(つぎの左側にその部分を切りとった画像をかかげておく)。

まわりの人たちは「朝鮮人をやっつけたぞ!」といって「歓声を挙げている」図である。

これは,萱原の網膜に焼きついて忘れられなかった記憶を復元させたものである。

     

 この絵画全体(9月1日参照)を観察すると,警察官をはじめ,法被を着た男,そして手に棒切れをもった子どもまで描かれていることに気づく。

前段の著作『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件−』に説明された当時の,官民一体になる殺人実行の現場の様子がこの絵画には正直に写されている。

 前掲右側の写真は,関東大震災時における殺人行為を現わした〈有名な1葉〉である。

警察官と民間人が「殺した朝鮮人2体」を,それも民間人は棒で突くかのような格好で,あたかも記念写真を撮るかのように構えている(前掲書,口絵より)。


「凶器は日本刀,鳶口,竹槍,鉄棒や長さ6尺位の棍棒,小刀,包丁或いは石棒など奇抜なものがズラリ」(同書,167頁)。


 2) 裁判の様子

 さて,警察が東京方面からトラックに乗せて避難させてきた朝鮮人を殺した人たちのうち,埼玉県熊谷市の人びとに対する裁判もおなわれていた。『かくされていた歴史−関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件−』はその一場面をつぎのように描写している。


 a) ある被告の答弁。

裁判長から「お前は首を落とす積りで再びやったというぢゃないか」と叱られると

「そうです。そうですが首は落ちませんでした」

といい,石を打ちつけたことについては,「黒い石はこの位でした」と大きな輪を作る。

満廷もクスクス笑う。

事件とは思われぬ光景だ(158−159頁,1923年10月22日『東京日日』夕刊)。


 b) 「裁判長の突っ込みも茶気たっぷりで曽我廼家の芝居でも見ているようだ」。

「裁判長が『お前は一番最年長だのにどうしてそう無分別だ』と揶揄すると『毎晩4合ずつ引っかけやすのでツイその』と満廷を笑わせてひとまず休憩・・・」。

〇〇万治は

「私は倒れていた鮮人を殴っていると警官が『もう死んでいるからいいじゃないか』と申しました」
(159頁,1923年10月23日『東京日日』)。


 c) 「〇〇隣三郎は事実を是認したがこの樫棒で殴ったろうといわれた時ヘイそのちょっとやったまででと答え,

裁判長からこの6尺もある樫棒ではちょっとやられたってたまるものかといわれ,判官はじめ満廷も吹き出させた。

また,それがそのちょっと飲んでいたものですからというのに,裁判長が酒を飲んでいたのか,ちょっととはどの位飲んでいたのかと問われ,4合ですと答えてまた満廷を吹き出させた」(161頁,同上)。


 d) 「『本庄警察の方が騒がしかったのでいって見ますと,3台の自動車に鮮人が乗せられてその内ころがり落ちた3鮮人の胸を刺しました。

一ぱい機嫌でしたからついへゝゝ』

とありのままを申し立て『お前のやった事について今日はどう思っている』ときかれても返事も出来ぬ程の被告である」(175頁,1923年10月25日『東京日日』朝刊)。


それにしても,殺人事件の裁判であるにもかかわらず,この法廷に関する当時の報道をとおしても「ずいぶんに和気あいあい」とした雰囲気が,よく伝わってくるではないか。


 そもそも,関東大震災時のこうした虐殺事件で犯人=被告となって裁判を受けた人びとは,関係した非常に多人数の犯行者全員を被告とするわけにもいかない事情があったため,しかたなくその代表として選ばれ応じて出廷していた一部の者であった。

したがって,前段 a) b) c) d) に紹介した法廷におけるやりとりのように,人殺しの犯人たちにしてはふざけたような口調さえ聞こえてくる。

 つまり,関東大震災のさい「惹起された他民族殺戮行為」は,官憲がわがでっち上げた朝鮮人騒擾「説」を契機に起こされていた。

しかもこのように,殺人事件の審理とも思われない〈身内を庇うかのような共有の感情〉のなかで,被告たちが裁かれていた(!?)のであるから,その「異常な事態を異常とも思わない」当時の時代精神の恐ろしさがあらためて疑われてよい。


 要するに,この大量殺人事件を裁くために開廷された場所においては,裁判官にも被告にも傍聴席にも「満廷に笑いの渦」が吹き出ていたというのである。

そもそも軍隊が,多数の朝鮮人・中国人を大衆の面前で虐殺していただけでなく,社会主義者・無政府主義者もついでにといっていいように,無法なかたちでもって捕縛・虐殺していた。

これでは,国家機関である裁判所が,関東大震災時において殺人行為を犯した一般庶民をまともに裁けるはずもなかった。
http://pub.ne.jp/bbgmgt/?entry_id=2394667

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/554.html#c2

[近代史3] 関東大震災後の民衆(自警団)の手による朝鮮人虐殺 中川隆
3. 中川隆[-8858] koaQ7Jey 2019年7月25日 05:08:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3856]

歴史の汚点といえば、大正12年(1923年)関東大震災のときの朝鮮人虐殺はどうであろう。

日本人はよくアメリカ人のマネが得意だといわれるが、なぜこのような、おぞましいことまでまねる必要があったのだろうか。

それもたんなる排斥にとどまらず、虐殺の挙にでたところなど、出藍の誉れというべきか。

しかもその虐殺は、政府筋の計画的煽動に乗って一般の民間人がおかした犯行だという点で、アウシュビッツのことは、その存在さえも知らなかったというドイツ人のばあいとも異なる。


震災がおそった9月1日の午後、東京市内の被害状況を巡視した内務大臣水野錬太郎(元朝鮮総督府内務総監)は、その惨状のなかにあえぐ人々のいら立ちがが支配階級に向けられることを防ぐためには、朝鮮人と社会主義者の弾圧が必要であると判断し、

1日夜から2日夜にかけて、東京、神奈川の各警察署に朝鮮人暴動のデマを流させ、

さらに3日午前、朝鮮人暴動の「事実」についての電文を作成、船橋海軍無線送信所から全国地方長官当宛に打電させた。


中山競馬場の名物になっていたこの無電台が1971年夏撤去され、「なつかしい風物詩」が消え去ったことを嘆く人も少なくないという。

しかしわたしはあの不気味な鉄塔をながめるたびに、背筋に寒気をおぼえずにいられなかった。



朝鮮人暴動のデマは、またたく間に日本全国にひろまり、警察とそれに呼応した民間の自警団は、政府公認の朝鮮人虐殺を開始した。


竹槍で刺し、トビグチで頭を割り、ノコギリで首をひき、さしみ包丁で妊婦の腹をさく……


阿鼻叫喚の地獄絵図のなかで、抵抗のすべもなく殺されていった朝鮮人の数は6,000人をこえた。



「ハダカ同然の死がいが、目をあけたまま頭を北にして空地に並べられていました。

数は二百五十ほど。

ノドを切られて気管や食道が見えている人、

首筋を切られて肉がザクロのようにわれている人、

無理に首をねじ切られたらしく、皮と筋がほつれている人…


なかでもあわれだったのは、まだ若い女性の腹が真一文字に切りさかれ、その中に六、七ヶ月の胎児が目をとじて姿でした」



以上は仏文学者田辺貞之助氏が目撃した、その日の朝鮮人の姿である。



「旦那、朝鮮人はどうですい。

俺ァきょうまで六人やりました。…

天下晴れての人殺しだから、豪気なもんでさァ。…

電信柱へ、針金でしばりつけて、…

焼けちゃってナワなんかねえんだからネ…。


そして、殴る、蹴る、鳶で頭へ穴あける、竹槍で突く、めちゃめちゃでさァ。



けさもやりましたよ。…

奴、川へ飛び込んで、向かう河岸へ泳いで逃げようとした。…

みんなで石を投げたが、一つも当たらねえ、でとうとう舟を出した。


ところが旦那、強え野郎じゃねえか。十分位も水の中へもぐっていた。

しばらくすると、息がつまったとみえて、舟のじきそばへ頭を出した。

そこを舟にいた一人の野郎が、鳶でグサリと頭を引掛けて、ズルズル舟へ引きよせてしまった。…

舟のそばへ来れば、もうめちゃめちゃだ。

トビグチ一つでも死んでいる奴を、刀で斬る、竹槍でつく…」


『横浜市震災誌』に記録されている、ある日本人のその日の武勇談である。



サンフランシスコ震災で、日本人排斥運動が燃えあがったとき、大統領テオドル・ルーズベルトは怒りにふるえてこれを非難したという。

大統領が国会に送った年頭教書(1906年12月4日)を読むと、大統領は日本人排斥運動を「ウィキッド・アブサーディティー(悪辣な愚行)」と痛罵し、これがアメリカの恥であることを述べ、もしこのような愚行がやまないならば、日本人保護のために、軍隊を動員するとまでいきまいている。



日本のばあいどうか。


虐殺が行われた大正12年から今日にいたるまで、わたしたちは、責任ある日本の為政者から、一言たりとも陳謝の言葉を耳にした記憶はない。

いや、「貧乏人は麦を食え」で勇名を馳せた池田勇人元首相からは一言きいたことがある。


「朝鮮を併合してから、日本の非行に対しては私は寡聞にして存じません」。

http://blog.livedoor.jp/danjae/archives/51404976.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/554.html#c3

[近代史3] 関東大震災後の民衆(自警団)の手による朝鮮人虐殺 中川隆
4. 中川隆[-8857] koaQ7Jey 2019年7月25日 05:09:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3857]
震災当時、修羅の巷と化していた東京近郊では、もう一つの惨劇が発生していました。

事実無根の流言蜚語に踊らされた人々が、次々に無辜の朝鮮人を虐殺していったのです。


 元来、巨大地震などの激甚災害襲来直後には、情報の空白が生まれ、その中でさまざまな流言蜚語が生まれるといわれています。

関東大震災の時にもやはり、根拠の定かではない怪しげな噂が東京周辺を駆け巡っています。

最初は巨大地震再来や大津波襲来、富士山大噴火の噂が流れました。

これら自然の脅威に関する噂は、震災の記憶が生々しい間には威力を振るいますが、事態が小康を得るにつれ、次第にフェードアウトしていきます。

これに取って代わるように頭をもたげて来たのが、世情不安に絡む諸々の噂です。

地震によって刑務所から放たれた受刑者たちが暴動を起こすと言う噂、平生の世の中に不満を持つ社会主義者たちが混乱に乗じて暗躍すると言う噂…。


そして、日本社会で虐げられてきた朝鮮人が、震災を千載一遇のチャンスとばかりに日本人に対する逆襲を行うと言う噂です。

世情不安型の噂の中でも、朝鮮人に関する噂に対する反応は、前二者に比べてひときわ鋭敏だったようで、つまるところそれが虐殺に結びつきました。


 当時の日本人の多くは、自分達が朝鮮人から恨まれているという自覚を持っていました。

背景には、朝鮮の植民地化と、そこに住んでいた朝鮮人に対する苛烈な差別待遇がありました。

植民地化に伴って、日本政府は朝鮮の土地所有に関する調査を行いました。


そして、朝鮮人の土地を没収して日本人に分け与えました。

その結果、土地を奪われ働き口をなくした朝鮮人は、生きる道を探して日本へ渡ります。

しかし、そこでも差別待遇が待ち受けていました。

日本国内における朝鮮人の賃金は、日本人最低ランクに位置していた被差別部落出身者や沖縄出身者の5〜7割程度だったと言われています。

日本に渡ってきた朝鮮人は同胞コミューンを形成しましたが、多くの場合そこはスラム化していきました。

小規模ながら犯罪者集団も発生し、こうした朝鮮人の実情を目の当たりにする事で、日本人の朝鮮人に対する潜在的な不安感が醸成されていきました。


 惨劇を招いた流言はどこから発生したのか。

噂・流言研究の題材としては定番中の定番ともいえるようなこの関東大震災時流言ですが、実のところ最初の流言が、いつ、どこで発生したのかについて、はっきりとしたことは分かっていないようです。

確認できる範囲でもっとも早い段階の事例だと思われるものは、地震が発生した9月1日当日の夕方、横浜市本牧町あたりのもののようです。

実際には、似たような噂が同時多発的に発生していたと見るのが自然でしょう。

最初に囁かれた噂は、「地震の混乱に乗じて朝鮮人が放火を行っている」という様なものです。


噂は夜を越えるうちに、朝鮮人による強盗、強姦、殺人、井戸水への毒の投げ込みという形へ発展していきました。

噂の伝播・変質をもっと長いスパンで捉えた場合には、「朝鮮人が伊豆大島に爆弾を仕込んで地震を起こした」というような突飛なものまでも発生したようです。


 井戸水へ毒を投げ込まれるという毒水流言は、古くその歴史を遡る事ができ、決して関東大震災に特有の珍しいものではありません。

中世ヨーロッパでは、(大正期日本における朝鮮人と同じように差別待遇を受けていた)ユダヤ人が井戸水にペスト菌を投げ込むと言う噂が流れた事があります。

日本国内の酷似した事例では、明治19年、愛知県下之一色村(当時。現在の名古屋市中川区下之一色)での出来事があります。

当時、全国的にコレラが流行しており、下之一色でも患者が発生しました。

そこで官憲が公衆衛生維持のために井戸水へ消毒薬を投げ込んだのですが、これを見た村人たちは「住人を殺害するために毒薬を投入した」と誤解し、竹槍や鎌で武装して暴動を起こしました。

そして鎮圧に動いた官憲と衝突、双方に死者を出しています。

若干余談になりますが、この名古屋の事例からは、人間には自分の命を脅かす者を容赦なく殺す部分があることをうかがえます。

虐げられた朝鮮人の存在は、震災時に毒水流言の真実味を補強する材料となりましたが、虐殺という行為に直接つながったのは、民族差別とは別次元の要素なのかもしれません。


 地震によって井戸水が濁るのは良くあることです。

関東大震災の時も上野でこの現象があり、知識のない一般人にとっては、これが毒水流言の真実味を補強する材料となりました。


 東京帝国大学教授・吉野作蔵の調査によると、

「朝鮮人はもともとテロ活動を目論んでいたが、震災の破壊と混乱を千載一遇のチャンスとして蠢動しはじめた」

という見方が、数多くの流言の底流にあったと思われる節があります。

そう考えた人たちにしてみれば、「火災被害の拡大も朝鮮人の暗躍のせい」となりました。


 また偽情報の傾向を追っていくと、朝鮮人の襲撃は神奈川方面から東京を目指して行われると考えられていたようです。

あるいは、噂の伝播の傾向と一致するものなのでしょうか。

 このように流言蜚語による混乱が生じた場合の対処には、正確な情報の周知徹底が必要である事は論を待ちません。

現代的な感覚で言えば、行政の広報や、各種マスコミが正しい情報を発信する役割をになう事になります。

では関東大震災の時、各種情報インフラはどのような状態だったのでしょうか。


 当時まだテレビなど存在していなかった事は言わずもがなですが、大正12年にはラジオの放送も行われていませんでした。

NHKによるラジオ放送開始は、震災から2年後の1925年(大正14)の話です。

この時代の情報伝達の手段としては、電信・電話網が重要な役割をになっていたようですが、これも被災して壊滅状態。

在京各社の新聞報道も社屋の被害により停止状態。

復旧が順調だった東京日日新聞の場合で、新聞の発行が再開されたのは5日の夕刊から。遅いところでは19日になるまで新聞記事を発行する事ができませんでした。


これに対し、震災の被害を被らなかった地方新聞は、流言の内容を真に受け、そのまま報道するという失敗(脚注参照)を犯しています。

また地震により発令された戒厳令の関係で、官憲による情報管制も敷かれました。


 その官憲は、早い段階においては流言の内容を信じ、むしろ自分が朝鮮人虐殺に加担していたと言われています。


官憲は自分自身が流言情報の権威付けを行った上でこれを民衆に向けて発信し、そこから跳ね返ってきた情報を自分で受信してそれを信じ込むという過ちを犯してしまったようです(脚注参照)。


官憲による虐殺は、関連資料の多くが隠蔽されたため、実態が良く分かっていません。


そもそも、この流言の発生源が、他ならぬ官憲であったとする陰謀論の見方も根強く、これが一定の説得力を有しているようです。


亀戸事件・甘粕事件など、憲兵隊は流言による混乱に乗じて、日ごろから自分達が不穏分子と見なしていた集団の「粛清」を行ってもいます。

マッチポンプの可能性すら疑われている憲兵に比べ、警察や震災を受けて発足した戒厳令司令部は、比較的早い段階で流言はあくまで流言に過ぎないことを看破し、事態の収拾に向けて動き出しています。


 日本では伝統的に隣組的な組織が存在しており、その点で自警団の結成をうながす素地はあったと言えます。

関東大震災時に結成された多くの自警団も、もともとは朝鮮人に限らず火事場泥棒に対し、また、地震被害に対処するために自然結成されたものでした。

自警団に参加していた人の言によると、飢餓と流言が自警団を虐殺行為へと駆り立てたという実感があるようです。

また、民衆の中でも流言が流言である事に気づいている人が少なくなかったのかもしれません。


しかしながら、そのことに気づきつつ、これを積極的に吹聴した者もいました。

また、内容に不信を持っていても、頭からそれを否定するような事をしにくい空気があったようです。


噂を否定する事で回りから浮き上がってしまう恐れもあったのでしょうし、万一の危険の可能性を見逃してしまう事を恐れたからなのかもしれません。


ある種の使命感に駆られて積極的に言いふらした者もいたようですが、不思議なもので、事実かどうかは怪しいことを自覚しているはずの情報も、「事実である」と言う触れ込みで吹聴して回っているうちに、話者の中で次第に紛れもない事実であると認識されれるようになっていくようです。


 自警団の活動は、流言が盛んに飛び交い始めた前述の1日夜を越えたあたりから始まりました。

手近で武器になりそうなもの、中には銃や日本刀で武装した彼らは、中世ヨーロッパの魔女狩りを彷彿とさせる朝鮮人狩りを開始しました。

外見上では日本人との明確な差異を認められない朝鮮人を識別するために用いられた方法の代表的なものが、「十五円五十銭」と発音させてみる方法です。

朝鮮人には、「チュウゴエンコチュッセン」としか発音できない人が多いそうです。


この方法は官憲も用いていました。


これ以外の識別法としては、「教育勅語の暗誦」「座布団と言わせる」「歴代天皇の名前を答えさせる」「ザジズゼゾ、ガギグゲゴを発音させる」「君が代を歌わせる」「いろはカルタを言わせる」などといったものがあったようです。


もちろんこの方法は、簡易ではあるものの確実な識別法ではなく、勘違いから日本人や中国人も殺害されています。


被害者数は調査主体でまちまちですが、「朝鮮人231人、中国人3人、日本人59人」(内務省警保局調査)、「2711人」(吉野作造調査)、「6415人」(独立新聞調査)などの数字があがっています。内務省警保局の算出した数はあまりにも少ないと言えます。


事後の事務処理を簡略化するため、「虐殺」の認定条件を極端に厳しくしている可能性があるようです。

その反面、独立新聞=朝鮮人側の新聞が提示した6000人超と言う数字も、他の事実との整合性に問題があるために絶対的に信頼の寄せられるものではありません。

政治的思惑がもっとも薄いと思われるのが、吉野作造による調査結果ですが、組織力=調査力において他の二者に見劣りする感が否めないのも事実です。

なお、この件に関する犠牲者をもっとも多く出したのは、神奈川県ということで間違いないようです。


 最終的に事態が沈静化に向かったのは、民衆が警察などが発信する情報を受け入れて冷静さを取り戻したためではなく、自警団が軍による力での押さえつけに屈したからだと見るのが妥当なようです。

民衆が理性的な判断を行ったのは、力で行動を押さえつけられ、文字通り手も足も出なくなってからの事でした。

なお余談になりますが、当時の警察は、人員数はもちろん、そしてその武装の内容においても、自警団に劣っていたため、最終的には軍部の軍事力を背景にして事態の沈静化に乗り出さなければならなかったようです。


■各地方紙の誤報 ※『関東大震災と朝鮮人虐殺』P61より抜粋


「朝鮮人大暴動 食糧不足を口実に盛に掠奪 神奈川県知事よりは大阪、兵庫に向かひ食料の供給方を懇請せり。

東京市内は全部食料不足を口実として全市に亘り朝鮮人は大暴動を起こしつつあり……」(河北新報、九月三日)


「歩兵と不逞朝鮮人戦斗を交ゆ 京浜間に於て衝突す 

火災に乗じ不逞鮮人跋扈 近県より応援巡査派遣……」
(福島民友新聞、九月四日)


「放火・強盗・強姦・掠奪 驚くべき不逞鮮人暴行 

爆弾と毒薬を所持する不逞鮮人の大集団二日夜暗にまぎれて市内に潜入 

警備隊(自警団のこと)を組織して掃討中……」(河北新報、九月四日)


「不逞鮮人凶暴を極め飲食物に毒薬や石油を注ぐ 

彼らは缶詰に似た爆弾を所持しつつあり」

(北海タイムズ、九月五日)


■官憲の主な動き(時系列) ※『関東大震災と朝鮮人虐殺』P66より抜粋

九月二日十四時ごろ:内務省警保局長より呉鎮守府、地方長官宛電報。

東京付近ノ震災ヲ利用シ、朝鮮人ハ各地ニ放火シ、不貞ノ目的ヲ遂行セントシ、現ニ東京市内ニオイテ爆弾ヲ所持シ、朝鮮人ハ各地ニ放火シ、石油ヲ注ギテ放火スルモノアリ。

スデニ東京府下ニハ一部戒厳令ヲ施行シタルガ故ニ、各地ニ於テ十分周密ナル視察ヲ加エ、鮮人ノ行動ニ対シテハ厳密ナル取締ヲ加エラレタシ。


九月二日夕刻:警視庁、戒厳令司令部に、朝鮮人による火薬庫放火計画があると報告。

同    :警視庁菅下各警察署に通達。
 
鮮人中不逞ノ挙ニツイテ放火ソノ他凶暴ナル行為ニイズルモノアリテ、現ニ淀橋・大塚等ニ於テ検挙シタル向キアリ。

コノ際コレラ鮮人ニ対スル取締リヲ厳ニシテ警戒上違算ナキヲ期セラレタシ。


 九月三日十六時三十分:海軍省船橋送信所所長電信発信(独断)。全国で受信。

船橋送信所襲撃ノオソレアリ。至急救援頼ム。騎兵一個小隊応援ニ来ルハズナルモ、未ダ来タラズ。


九月四日八時十分:船橋送信所電信発信。

本所(船橋送信所)襲撃ノ目的ヲ以テ襲来セル不逞団接近、騎兵二十、青年団、消防隊等ニテ警戒中、

右ノ兵員ニテハ到底防御不可能ニ付約百五十ノ歩兵ノ急派取計イ度ク、当方面ノ陸軍ニハ右以上出兵ノ余力ナシ。


■不逞鮮人

 震災当時の政治用語。抗日的な運動を行う朝鮮人に対し、官憲が用いた呼称。

この言葉にも当然、「朝鮮人」と同じ問題が付きまとう。


 朝鮮人による、さらにすさまじい回想がある。

 
 所謂自警団、青年団等は「朝鮮人」と叫ぶ高声に一呼百応して狼の群の如くに東西南北より集まり来たり、

一人の吾が同胞に対し数十人の倭奴<日本人>が取り捲きつつ剣にて刺し銃にて射、棒にて打ち、足にて蹴り転がし、死せしものの首を縛り曳きずりつつ猶も刺し蹴りつつし屍体にまでも陵辱をくわえたり、

婦人等を見れば両便(ママ)より左右の足を引き張り生殖器を剣にて刺し一身を四分五裂にしつつ、女子は如斯にして殺すこと妙味ありと笑ひつゝ談話せり……


身体を電信柱に縛り付け先ず眼球を抉り鼻を切り落とし、其の哀痛の光景を充分眺めた上、腹を刺して殺したるものあり……。

(姜徳相・他編『現代史資料・6』みすず書房、一九六三年)


 
 考えられないような殺害方法であるが、朝鮮人すなわち被害者側の怨念のこもった誇張した表現ではない。

実は私は最初これだけ読んだ時には、朝鮮人の表現にはしばしば誇張表現がみられるので、その特有の誇張表現ではと思ったのである。

そのように思わせるほどの残虐な殺し方である。

しかし誇張表現ではなかった。補強証言がある。


 まだ若いらしい女(女の死体はそれだけだった)が腹をさかれ、六、七ヵ月になろうかと思われる胎児が、はらわたのなかにころがっていた、

その女の陰部に、ぐさりと竹槍がさしてあった、


という記録を日本人自身が残している(姜徳相・他編『現代史資料・6』田辺貞之助「女木川界隈」みすず書房、一九六三年)。


なお、付近の別の住民も同じ光景を見ている(『労働運動研究・三七号)湊七良「その日の江東地区」労働運動研究所、一九九二年)。


 女性の陰部へ竹槍を刺したという目撃証言は、場所が特定できるものは江東のもの。

したがっておそらく一つの事件、行為が複数の口で語られ、伝聞されていった結果であろう。

(『関東大震災と朝鮮人虐殺』 pp.102-104)


 魔女狩りを彷彿とさせる、集団ヒステリーが生んだ狂気か。


 この「虐殺」に関する話は、関東大震災を起源とする「防災の日」の各種行事の場面などでも、滅多に触れられる事がないのだという。

この種のイベントは専ら自然災害としての地震の恐ろしさに対する啓蒙を目的に行われるものらしく、天災から派生した人災についてはほとんど言及しないのだそうだ。そして、その現状を無念に思う韓国人・朝鮮人は多い。


参考文献
山岸秀 、2002年、『関東大震災と朝鮮人虐殺 80年後の徹底検証』、早稲田出版
http://www5d.biglobe.ne.jp/~DD2/Rumor/column/earthquake_demagogie.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/554.html#c4

[近代史3] 関東大震災後の民衆(自警団)の手による朝鮮人虐殺 中川隆
5. 中川隆[-8856] koaQ7Jey 2019年7月25日 05:11:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3858]

1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生。
この時政府の宣伝


「朝鮮人や社会主義者が震災に乗じて内乱を企てている」

に乗せられた民衆は、社会主義者、労働組合幹部や朝鮮人に対して野蛮なテロを行い、9.3日、亀戸事件により南葛労働組合の指導者・川合義虎らの社会主義者やアナーキストらが亀戸警察署で虐殺された。

9.16日、大杉栄が妻・伊藤野枝、甥(おい)の橘宗一と共に甘粕正彦憲兵大尉に殺害された。


 9.7日、政府は、関東大震災時の混乱に対して「治安維持の為の緊急勅令」を公布した。

これは、前に成立を見なかった「過激社会運動取締り法案」を、このたびは天皇の名のもとに議会の審議を要しない緊急勅令という形で公布したということである。

しかし、政府はなお満足せず、やがて治安維持法に向けて着々と周辺整備していく。


 「第一次共産党事件」と「関東大震災直後の反動攻勢」に接して、獄中闘争組の中からも解党的方向が提起されたようである。

幸徳秋水の大逆事件、関東大震災時の大杉栄虐殺事件という官憲側のテロル攻勢に「緊急避難」の名目で党の解党止む無し論が強まっていった。


 これに関連して福永操は次のように述べている。

「革命運動の犠牲者たちは、人民が(人民のほんの一部でもが)その犠牲の意義をみとめて心の中で支持してくれると思えば、よろこんで死ねるであろう。

なさけないのは、大逆事件関係者に対する日本の一般民衆の反感がものすごかったことであった。

事件そのものにまったく無関係であった社会主義者たちまでが、この事件のとばっちりを受けて、『主義者』というよびかたのもとに一括して世間からつまはじきされて、文字どおり広い世間に身のおきどころもない状態になったことであった。

労働運動も火が消えたような状態になった」(福永1978)。


 以下、検証する。 


【関東大震災発生】

 1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生した。

地震の規模はマグニチュード7.9、震度6であった。

焼失家屋24万戸、崩壊家屋2万4千棟、死者5万9千人、行方不明者を入れると犠牲者は10万人以上という被害が発生した。

これにより関東一円の商工業地区が壊滅的大打撃を受けた。被害総額は当時の金で約100億円(当時の一般会計の6.5年分、現在で数兆円)と推定される。


 関東大震災の翌9.2日急遽、軍による戒厳令司令部を設置した。

この日、後藤新平が内務大臣に就任している。

 警視庁は、非常事態に備えて臨時警戒本部を設置し、正力官房主事が特別諜報班長になって、不穏な動きを偵察する任務を持ち、その行動隊長として取締まりに専念した。

後藤内務大臣の指揮下で正力が果たした重要な役割は疑問の余地がない。


「内務大臣・後藤新平と正力の繋がり」について


 正力は、この後藤新平と深く繋がっており、「直接ルート」の間柄。正力の富山四高時代の友人にして官房主事であった品川主計は、回想録「叛骨の人生」の中で「正力君は、後藤新平内務大臣に非常に信用があった」と記している。

同書に拠れば、越権的な「汚れ役」(ダーティーワーク)仕事を躊躇無く引き受けることで信頼を得ていったとのことである。

「仕事の鬼としての出世主義的性格」が強かった、ということになる。

正力は、後藤内相の下で警視庁警務部長となる。

同時に、財界のご意見番的存在であった郷とも親しくなって行った。


【流言飛語飛び交い、朝鮮人、社会主義者、アナーキストの検束始まる】


 直後、

「朝鮮人、中国人、社会主義者、博徒、無頼の徒が放火掠奪の限りを尽くしている」

との噂が飛び交い始めた。

発生源は在郷軍人会、民間自警団辺りからとされているが、今日なお真相不明である。


 当時の支配階級は、震災の混乱に乗じて赤化騒乱が引き起こされることを怖れ、「朝鮮人による放火、井戸への投毒」という風評を逆手に取って朝鮮人と社会主義者、アナーキストの検束を始めた。

9.3日、亀戸署には、7百4、50名も検束された労働組合員や朝鮮人がいたと伝えられている。


 東京朝日の石井光次郎営業局長の次のような証言がある


 「建物は倒壊しなかったものの、9月1日の夕刻には、銀座一帯から出た火の手に囲まれ、石井以下朝日の社員たちは社屋を放棄することを余儀なくされていた。

夜に入って、石井は臨時編集部をつくるべく、部下を都内各所に差し向けた。

帝国ホテルにかけあってどうにか部屋を借りることは出来たが、その日、夜をすごす宮城前には何ひとつ食糧がない。

そのとき、内務省時代から顔見知りだった正力のことが、石井の頭に浮かんだ。

石井は部下の一人にこう言いつけて、正力のところへ走らせた。


 『正力君のところへ行って、情勢を聞いてこい。

それと同時に、あそこには食い物と飲み物が集まっているに違いないから、持てるだけもらってこい』。

間もなく食糧をかかえて戻ってきた部下は、意外なことを口にした。

その部下が言うには、正力から、

『朝鮮人が謀反を起こしているという噂があるから、各自、気をつけろ。

君たち記者が回るときにも、あっちこっちで触れ回ってくれ』

との伝言を託されてきたというのである。


 そこにたまたま居合わせたのが、台湾の民生長官から朝日新聞の専務に転じていた下村海南だった。

下村の『その話はどこから出たんだ』という質問に、石井が『警視庁の正力さんです』と答えると、下村は言下に『それはおかしい』と言った。

『地震が9月1日に起るということを、予想していた者は一人もいない。

予期していれば、こんなことになりはしない。

朝鮮人が9月1日に地震がくることを予知して、その時に暴動を起こすことを企むわけがないじゃないか。

流言飛語にきまっている。断じてそんなことをしゃべってはいかん』。


 石井は部下から正力の伝言を聞いたとき、警視庁の情報だから、そういうこともあるかも知れないと思ったが、ふだんから朝鮮や台湾問題を勉強し、経験も積んできた下村の断固たる信念にふれ、朝鮮人謀反説をたとえ一時とはいえ信じた自分の不明を恥じた。

正力は少なくとも、9月1日深夜までは、朝鮮人暴動説を信じていた。

いや、信じていたばかりではなく、その情報を新聞記者を通じて意図的に流していた」


 内務官僚上がりの石井のこの証言に加えて、戒厳司令部参謀だった森五六の回想談によると、正力は腕まくりして戒厳司令部を訪れ、

「こうなったらやりましょう」と息まいている。


この正力の鼻息の荒い発言を耳にした時に、当時の参謀本部総務部長で後に首相になる阿部信行をして、「正力は気が違ったのではないか」と言わしめたという。


 正力にまつわる一連の行動を分析した佐野は、

[正力は少なくとも大地震の直後から丸一日間は、朝鮮人暴動説をつゆ疑わず、この流言を積極的に流す一方、軍隊の力を借りて徹底的に鎮圧する方針を明確に打ち出している]

と結論づけている。

更に、警視庁に宛てた亀戸署の内部文書にも、


「この虐殺の原因はいずれも警察官の宣伝にして、当時は警察官のごときは盛んに支鮮人を見つけ次第、殺害すべしと宣伝せり」

と書いてあり、中国人労働者が300人ほど虐殺された大島事件も、正力がこの事件を発生直後から知っていたのは、間違いないと自身を持って断定するのである。


【関東大震災時事件その@、官憲、自警団員による朝鮮人、中国人の虐殺】


 当時の支配階級は、震災の混乱に乗じて赤化騒乱が引き起こされることを怖れ、

「朝鮮人による放火、井戸への投毒、襲撃」、

「震災の混乱にまぎれて、朝鮮人と社会主義者が政府転覆を図っている」

という風評を逆手に取って警察と軍による朝鮮人、中国人、社会主義者、社会主義的労働者の検束を始めた。


 9.3日、亀戸署には、7百4、50名も検束された労働組合員や朝鮮人がいたと伝えられている。

自警団員による朝鮮人、中国人の虐殺も発生している。

無抵抗の者を陸軍将校、近衛兵、憲兵、警察官、自警団員、暴徒らが一方的に撃ち殺したところに特質がある。この時官憲テロルに倒れた朝鮮人は3千名、中国人は3百名。

 その後毎年、9.1日は共産主義運動、朝鮮民族運動の逃走記念日として追悼されていくことになる。


【関東大震災時事件そのA、川合義虎らが虐殺される亀戸事件発生】


 9.3日午後10時頃、亀戸事件の被害者となる南葛労働組合の指導者にして共産青年同盟初代委員長にして党員北原龍雄と共に第一次共産党事件後の留守委員会を構成していた川合義虎ら8名の社会主義者と、アナーキスト系の元純労働組合長・平沢計七らが亀戸警察署に拘束監禁された。


 9.5日、河合義虎ら7名の革命的労働者(北島吉蔵、山岸実司、吉村光治(南喜一の弟)、加藤高寿、近藤広造、鈴木直一)、アナーキスト系の平沢計七らが亀戸警察署で虐殺された。

これを「亀戸事件」と云う。

 その遣り口が憤激に耐えない次のような史実を残している。

古森署長は事後対策を警視庁に上申。この時のこの時の警視庁官房主事が正力松太郎(米騒動の時に警視として民衆弾圧に当たり、後特高制度の生みの親であり、読売新聞社長へ転身し、ナチス・ドイツとの同盟を煽り、軍部の手先となって第二次世界大戦の世論形成に一役買った)で、正力は軍隊への応援依頼、千葉県習志野騎兵第13連隊(田村騎兵少尉指揮)がやって来て、留置された中から最も指導能力を有していた危険な人物を選別し、演武場前広場へ引きずり出し、銃剣と軍刀で虐殺した。

 その虐殺の様について今日奇跡的に伝えられた二葉の写真があり、これを見るに多数の刺傷はそれとしても生きたまま打ち首にされている。

遺体は家族に引き渡されず、二、三日放置された後、荒川放水路の一般の火葬死体の中に投擲された。

田村少尉らは軍法会議にもかけられておらず、「この乱痴気が軍隊と警察と裁判所、検事局と監獄とを、内部から腐敗堕落させた」(志賀義雄「日本革命運動の群像」)とある。

 ちなみに、南喜一は、弟の吉村光治虐殺という権力の横暴に義憤して、共産党活動に入った。

「大正13年の春、私は工場や家を全部処分し、17万円の金をつくつた。

妻子に4万円渡し、13万円を持って、亀戸の南葛飾労働組合に入った。

共産党に入党したのだ」、


「大正15年の共同印刷の争議までは、命ぜられることを名誉とし、火の中でも水の中へでも喜んで飛び込んだ」(「南喜一著作全集」)とある。


【関東大震災時事件そのB、中国人留学生・王希天虐殺事件発生】


 この時、東京中華日キリスト教青年会幹事、中華民国僑日共済会の会長という指導的立場にあった中国人留学生・王希天は、亀戸署に拉致監禁された上陸軍に引き渡され、陸軍将校の手で斬殺されている。

死体は切り刻まれて川に捨てられた。

警視庁や陸軍の公式発表では「行方不明」。警察と軍の関係を取り持っていたのは、官房主事の正力であった。


 10.20日、中国代理公使から王の殺害について抗議が為される。

中国政府は王希天殺害調査団を派遣してくることになり、一気に国際的大事件となった。日本政府はその対応に苦しむことになった。

警視庁はじめとする当局は口裏を合わせて知らぬ存ぜぬの「徹底的に隠蔽するの外無し」対応に終始した。

結局、事件そのものは当時の日中の力関係を反映し、最後にはうやむやのままに葬り去られることになった。


【関東大震災時事件そのC、大杉栄ら虐殺・甘粕憲兵大尉事件発生】


 9.16日関東大震災の混乱に際して、アナーキストで社会運動家のリーダー的存在だった大杉栄は妻・伊藤野枝(いとうのえ、28歳)、甥(おい)の橘宗一(たちばなそういち、6歳)と共に甘粕憲兵大尉(あまかすまさひこ、32歳)に殺害された。

享年38歳。妻野技は1895年1月12日生、享年28歳、甥橘宗一は1917年4月12日生、享年6歳。


 この日、大杉は、その妻(婚姻はしていなかったので正式には同棲)の伊藤野枝と横浜鶴見にあった弟の家から自宅へ帰る途中に東京憲兵隊本部に検束された。

一緒にいた甥の橘宗一も一緒に連れ去れた。検束された大杉達は、麹町憲兵分隊に連行された。


午後8時頃、取調中だった大杉に対し、部屋に入ってきた憲兵大尉《甘粕正彦がいきなり背後から大杉の喉に右腕を回し締め上げた。

大杉がもがき後ろに倒れると、背中に乗りさらに締め上げ絞殺したと伝えられている。

続いて伊藤野枝も絞殺され、橘宗一は部下の憲兵が殺害し、遺体は憲兵分隊内にあった古井戸に投げ込まれた。


 ちなみに甘粕のその後は次の通り。

大杉虐殺事件の軍法会議の進行は非常に早かった。戒厳令下の10.8日に第一回、以後、11.16日、17日、21日の4回で結審となり、12.8日に10年の禁固刑に処せられたものの、軍閥団体の助命運動によって3年で出獄、満州国へ渡り参議の地位に上り詰めていく。


 この大杉栄の拘束・殺害が発端となって、軍部による社会主義者の徹底的な弾圧が始まる。


【官房主事・正力松太郎の暗躍】


 この時、警察と軍の関係を取り持っていたのは、警視庁官房主事の正力松太郎であった。

これを追跡してみる。正力は米騒動の時に警視として民衆弾圧に当たり、特高制度の生みの親であった。

後に読売新聞社長へ転身し、ナチス・ドイツとの同盟を煽り、軍部の手先となって第二次世界大戦の世論形成に一役買うことになる。


 9.2日、大震災の翌日急遽、軍による戒厳令司令部が設置された。

船橋の海軍無線送信所から「付近鮮人不穏の噂」の打電が為されている。

今日判明するところ、「付近鮮人不穏の噂」を一番最初にメディアに流したのが、なんと正力自身であった。


 9.3日、「内務省警保局長」名で全国の「各地方長官」宛てに、要約概要「鮮人の行動に対して厳密なる取締要請」電文打たれる。

内務省が流した「朝鮮人暴動説」は、全国各地の新聞で報道された。


実際には「不逞鮮人暴動」は根拠が曖昧で「流言飛語」の観がある。


この指示が官憲、自警団員によるテロを誘発することとなった。

つまり、本来ならば緊急時のデマを取り締まり秩序維持の責任者の地位にある正力が逆に騒動をたきつけていたことになる。


 9.5日、警視庁は、正力官房主事と馬場警務部長名で、「社会主義者の所在を確実に掴み、その動きを監視せよ」なる通牒を出している。

 9.11日、更に、正力官房主事名で、

「社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ」命令


が発せられている。

 研究者によると、正力が「虚報」と表現した「朝鮮人来襲」のデマを一番最初にメディアを通じて意識的に広め、虐殺を煽ったのは、なんと、官房主事の正力自身であった。

自身も「悪戦苦闘」という本で、

「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました。

当局者として誠に面目なき次第」


と弁解しているように、朝鮮人大虐殺の張本人と目されている。

 この時、朝日新聞の記者の1人が警視庁で正力官房主事から、

「朝鮮人むほんの噂があるから、君たち記者があっちこっちで触れてくれ」

と示唆されたことを明らかにしている。

しかし、専務の下村海南が「流言飛語に決まっている」と制止したと云う。


「正力の胡散臭さ」について

 後に読売新聞の社主となって登場してきた正力松太郎には「負の過去」がある。


関東大震災当時、警視庁官房主事という警察高級官僚であった正力こそ朝鮮人大虐殺の指揮官であった形跡がある。

こういう人物が読売新聞に入り込み、大衆新聞として発展させていく。

その意味で、「読売新聞建て直しの功労者」ではある。

しかし、正力の本領は当時の「聖戦」賛美にあった。

新聞でさんざん戦争を煽った。

これが為、松太郎はA級戦犯指名で巣鴨プリズン入り、死刑になるところを占領軍の恩赦で出所する。

しかし、政権与党に食い入り常に御用記事を垂れ流す体質は戦前も戦後も変わらない。

「読売には権力癒着の清算されていない暗部がある」


 こうしたムショ帰りの権力主義者の社主に忠誠を誓い、その負の遺産を引き継ぐことで,出世したのがナベツネといえる。

日本ジャーナリズムの胡散臭さを知る上で、この流れを踏まえることを基本とすべきだろう。
http://www.gameou.com/~rendaico/daitoasenso/what_kyosantosoritu_oosugisakae.htm

正力松太郎の生態はもっと研究されて良いように思われる。
内務省特高課(戦前日帝の諜報・弾圧機関)の創設者にして終始黒幕で在り続けた後藤新平に見出され、米騒動、関東大震災時の「暗躍」で「血塗られた強固な同盟」が確立する。以下、この関係を追跡する。


【後藤新平の履歴(1857〜1929)】


 岩手県水沢市の小藩出身。

幕末の蘭学者高野長英の親族。

須賀川医学校を卒業して医師となりも愛知県立病院長を経て内務省に入る。

1892年衛生局長(現在の厚生省事務次官)。

その間ドイツに留学し、プロイセン国家の統一ドイツ建国過程をつぶさに見て、ビスマルク政治に憧憬したと伝えられている。

1895年日清戦争で台湾を割譲させたが、4代目台湾総督になった児玉源太郎が後藤を見出し民政長官となって赴任。


後藤は、「アメと鞭を併用した辣腕政治」で判明するだけで抗日ゲリラ1万1千余名を虐殺している。

結果的に「台湾島民の鎮圧と産業開発で名声を高めた」。


 後藤は、台湾総督府初代民政長官を皮切りに、以後、

1906年満鉄初代総裁、1908(明治41)年桂太郎内閣の下で逓信大臣兼鉄道院総裁、1916(大正5)年寺内正毅内閣の下で内務大臣、

続いて1918(大正7).4.23日外務大臣、

山本権兵衛内閣の下で内務大臣再任を歴任し、晩年に伯爵の位を得ている。


植民地政策の統合参謀本部・満鉄調査部を設置したのも後藤である。

未解明であるが、阿片政策にも手を出しており、その収入が機密費として縦横に駆使された形跡がある。


 その政治的軌跡は、伊藤博文の後継者。後藤は言論統制に著しく関与している。

 1919(大正8)年、後藤は、寺内内閣の総辞職を機会に欧米視察の旅に出た。

訪問先はアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スイス、オランダ。

帰国するやいなや、「大調査機関設立の議」建白書を政府に提出している。

これは、アメリカのCIA(中央情報局)のような強力な組織を設立せよという構想であった。


【内務省】


 内務省は、一口で云えば「天皇制警察国家」と呼ばれる当時の大日本帝国の最高官庁であった。

要するに内政にかかわる一切の行政権を一手に握っている中央官庁であった。

現在の機構に当て嵌めれば、国家公安委員会、警察庁、公安調査庁、消防庁、自治省、厚生省、労働省、建設省、農林省の一部、法務省の一部、文部省の一部的機能を持つ官庁であった。

全国の知事と高級官僚は、内務官僚が任命し派遣するというシステムで、地方行政は市町村議会の監督権まで含めて内務省が握っていた。

内務官僚は、天皇直属であり、平常時の警察機構、緊急時の法律に対抗する緊急勅令権、警察命令権を握っており、いわば万能であった。


 大逆事件の年の1911(明治44)年に高等課特高係(特高)が新設され、後に特別高等部に昇格し、得意な指揮系統を持つ事になった。

新聞の統制など言論動向の調査は特高の中の検閲課の任務であり、更に全国の警察機構の元締め内務省警保局の図書課でも行われた。

両者の関係は、図書課が本庁であり、検閲課は出先機関となる。


 内務省本省の図書課は、後藤新平内務大臣時代の1917(大正6).9月、直接の声係りでロシア革命への対応を意識して拡張された。

同時に警視庁の人員増強も要請され、当時の6000名が6年後には1万2000名に倍増された。特高も同時期に12名から80名へと約7倍化している。


【正力松太郎の履歴(1857〜1929)】

 1885(明治18).4.11日、富山県の土建請負業の旧家に生まれる。

青春時代を柔道に打ち込む。

 1911(明治44)年、東京帝国大学法科大学独語科卒業(26歳)。

翌年に内閣統計局に入り、高等文官試験に合格し、1913(大正2).6月、警視庁に雇用される。

直ちに警部となり、翌年に警視、日本橋堀留署長となる。


 1917年、第一方面監察官。

 1918(大正7)年、米騒動鎮圧に一役買い、勲章を貰う。

 1919(大正8)年、刑事課長。

 1920(大正9)年、普通選挙大会の取締まり、東京市電ストの鎮圧。

 1921(大正10)年、警視庁で警視総監に次ぐbQの位置とされる官房主事となり、高等課長を兼任(36歳)。


本人自身が「私ほど進級の早いのはいません」(「週間文春」1965.4.19日)と語っている。


 1923(大正12)年、正力の警視庁官房主事、共産党の猪俣津南雄宅にスパイを送り込み、早稲田大学研究室の捜査、6.5日、第一次共産党検挙を指揮した。

 「米騒動の時に警視として民衆弾圧に当たり、後特高制度の生みの親であり、

読売新聞社長へ転身し、ナチス・ドイツとの同盟を煽り、

軍部の手先となって第二次世界大戦の世論形成に一役買った」。


 「関東大震災時の暗躍」


 1923(大正12).9.1日、関東大震災が発生した。


 関東大震災の翌9.2日急遽、後藤新平が内務大臣に就任し、非常事態に備えて軍は戒厳令司令部を、警視庁も臨時警戒本部を設置した。

この時、正力は官房主事であったが、特別諜報班長になって不穏な動きの偵察、取締まりに専念した。

後藤内務大臣の指揮下で正力が果たした重要な役割は疑問の余地がない。


 今日判明するところ、「付近鮮人不穏の噂」を一番最初にメディアに流したのが、なんと正力自身であった。


「不逞鮮人暴動」に如何ほどの根拠があったのか不明であるが、本来ならば緊急時のデマを取り締まり秩序維持の責任者の地位にある正力が逆に騒動をたきつけていたことになる。

こうして、内務省が流した「朝鮮人暴動説」が全国各地の新聞で報道され、この指示が官憲、自警団員によるテロを誘発することとなった。


 後藤−正力ラインが警戒したのは、社会主義者の動きであった。

9.5日、警視庁は、正力官房主事と馬場警務部長名で、「社会主義者の所在を確実に掴み、その動きを監視せよ」なる通牒を出している。

9.11日、正力官房主事名で、「社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ」命令が発せられている。


 後藤−正力ラインはこうした通達のみならず、実際に迅速に先制的官憲テロをお見舞いしていった。


@、官憲、自警団員による朝鮮人、中国人の多数虐殺、

A、川合義虎らが虐殺される亀戸事件、

B、中国人留学生・王希天虐殺事件、

C、大杉栄ら虐殺・甘粕憲兵大尉事件)


等が記録されている。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mascomiron_yomiurico2.htm


53. 2010年10月25日 07:30:46: FtBpZiRG09
>僕は朝鮮人は大嫌いだし、
嫌日も結構だが、とは書いたが、朝鮮人の好き嫌いなんてことは訊いてないんだが(笑)
共産党な人だったのか・・・・・といいたいところだが実際は、朝鮮人も大好きなんでしょうね。
>混乱の中で、朝鮮人や社会主義者が暴動をたくらんでいるというデマが流れ、当局も
>「震災ヲ利用シ、朝鮮人ハ各地ニ放火シ、不逞ノ目的ヲ遂行セントシ…」
デマを聞きつけた上で、電信自体が海軍の持っていたものしか使えなかったことから
誤った情報が唯一の報告となって電信が打たれたのが現実。

実際はコレらしい↓
「東京付近ノ震災ヲ利用シ、朝鮮人ハ各地ニ放火シ、不貞ノ目的ヲ遂行セントシ、
現ニ東京市内ニオイテ爆弾ヲ所持シ、朝鮮人ハ各地ニ放火シ、石油ヲ注ギテ放火スルモノアリ。
スデニ東京府下ニハ一部戒厳令ヲ施行シタルガ故ニ、各地ニ於テ十分周密ナル視察ヲ加エ、
鮮人ノ行動ニ対シテハ厳密ナル取締ヲ加エラレタシ。」

あくまで取締りだったし、地方の鎮守府宛に発信されたので罹災民衆には届いていない。
それ以前に、この時点では社会主義者出てきてないけどね。
予め震災が起こることを予測し、それを利用して流言を流すとかできないだろ、普通に考えて。
現代科学でもムリ。

>この時政府の宣伝「朝鮮人や社会主義者が震災に乗じて内乱を企てている」に乗せられた民衆は
電信不通、電話不通、携帯なんてもちろんない。新聞社も関東方面はまともな配達は不可能
そんな状況で1日や2日で朝鮮人虐殺計画を広めるというのは根本的に無理、というより無茶。
元々、計画として民衆に流布していたというのなら可能だが。

震災によって不安にかられた民衆が、異民族排他に動いたのが、この結果。
社会主義者については、時期を狙っていた可能性はあったかも知れないがね。


それにして、またコピペネタ見つけて、無駄に長いだけのコピペ馬鹿中川隆に戻ったか。
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五月晴郎さん
>日本統治下の朝鮮は情報も厳しく統制されていた。
厳しいというのは、どういうのが厳しいとみるかで違ってくると思いますが。
どちらかというと詳細を知りたいですね。どこまでセーフで、どこからアウトだったとか。

>大震災時朝鮮人虐殺に関連する朝鮮人側のハングル資料なんかあるの?
自分も日本資料しか見れないのでなんとも。あるかどうかと考えれば、ないんじゃないですかね。
当時、日本に在住していて、朝鮮に戻った人が書いていない限り。
横浜市震災誌に出てきた李根榮さんみたいな人が書いていませんかね。

>あったとしても朝鮮人側が書いたの分かったらアレで残されてないだろうし
アレとはなんぞや?
コピペ馬鹿中川隆のいうところの、大震災を利用した社会主義者抹殺陰謀説
(今ならともかく印刷された大正13年当時ならそう言われておかしくない)物まで
印刷された本が残ってるくらいですから、朝鮮人側が書いた本でも、
仮にあったとすれば、全く残っていないとは思えませんけどね。
もっとも朝鮮にのみ流通していれば朝鮮戦争で消されている可能性もありますけど。

>虐殺行動自体は、真偽混じった情報を計画性を持って流し
まぁ、それは後知恵じゃないですか?としか言えませんね。
上でも書いたように、社会主義者については、時期を狙っていた可能性はあるでしょうが。


54. 中川隆 2010年10月25日 10:40:00: 3bF/xW6Ehzs4I : MiKEdq2F3Q
必死だね。
(そんな状況で1日や2日で朝鮮人虐殺計画を広めるというのは根本的に無理、というより無茶。)

朝鮮人を搾取して絶えず朝鮮人の怒りを感じていたんだから、後藤新平と正力松太郎はいざという時の準備をして待っていただけさ。

資料としてこれも貼っとくよ:


「朝鮮人来襲の虚報」または「朝鮮人暴動説」の発端については、軍関係者が積極的に情報を売りこんでいたという報告がある。

民間の「流言」が先行していた可能性も、完全には否定できない。

しかし、その場合でも、すでにいくつかの研究が明らかにしているように、それ以前から頻発していた警察発表「サツネタ」報道が、その感情的な下地を用意していたのである。

いわゆる「不逞鮮人」に関する過剰で煽情的な報道は、四年前の一九一九年三月一日にはじまる「三・一運動」以来、日本国内に氾濫していた。

 しかも、仮に出発点が「虚報」や「流言」だったとしても、本来ならばデマを取り締まるべき立場の内務省・警察関係者が、それを積極的に広めたという事実は否定しようもない。「失敗」で済む話ではないのである。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-5.html


関東大震災に便乗した治安対策


陸軍将校、近衛兵、憲兵、警察官、自警団員、暴徒

 正力が指揮した第一次共産党検挙が行われたのは、一九二三年(大12)六月五日である。

 それから三か月も経たない九月一日には、関東大震災が襲ってきた。

このときの警視庁の実質的な現場指揮者は、やはり正力であった。

この一九二三年という年は、日本全体にとっても正力個人にとっても激動の年であった。

月日と主要な経過を整理し、問題点と特徴を明確にしておきたい。


 六月五日に、第一次共産党検挙が行われた。

この時、正力は官房主事兼高等課長だった。

 九月一日に、関東大震災が起きた。正力の立場は前とおなじだった。

 一二月二七日には、虎の門事件が起きた。この時、正力は警務部長だった。

 虎の門事件の際、警備に関して正力は、警視総監につぐ地位の実質的最高責任者である。

警視総監の湯浅倉平とともに即刻辞表を提出し、翌年一月七日に懲戒免官となった。

ただし、同じ一月二六日には裕仁の結婚で特赦となっている。


 以上の三つの重大事件を並べて見なおすと、

第一次共産党検挙と虎の門事件の背景には、明らかに、国際および国内の政治的激動が反映している。

その両重大事件の中間に起きた関東大震災は、当時の技術では予測しがたい空前絶後の天災であるが、この不慮の事態を舞台にして、これまた空前絶後で、しかも、その国際的および国内的な政治的影響がさらに大きい人災が発生した。

朝鮮人・中国人・社会主義者の大量虐殺事件である。


 さて、以上のように改めて日程を整理してみたのは、ほかでもない。本書の主題と、関東大震災における朝鮮人・中国人・社会主義者の大量虐殺事件との間に、重大な因果関係があると確信するからである。

そこで以下、順序を追って、虐殺、報道、言論弾圧から、正力の読売乗りこみへと、その因果関係を解き明かしてみたい。


 どの虐殺事件においても明らかなことは、無抵抗の犠牲者を、陸軍将校、近衛兵、憲兵、警察官、自警団員、暴徒らが、一方的に打ち殺したという事実関係である。

正力は、当然、秩序維持の責任を問われる立場にあった。

正力と虐殺事件の関係、正力の立場上の責任などについては、これまでにも多数の著述がある。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-1.html


「朝鮮人暴動説」を新聞記者に意図的に流していた正力


 正力自身も『悪戦苦闘』のなかで、つぎのように弁明している。

「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました。警視庁当局者として誠に面目なき次第です」

 これだけを読むと、いかにも素直なわび方のように聞こえるが、本当に単なる「失敗」だったのだろうか。

以下では、わたし自身が旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』執筆に当たって参考にした資料に加えて、それ以後に出版された新資料をも紹介する。

いくつかの重要な指摘を要約しながら、正力と虐殺事件の関係の真相にせまってみる。

 興味深いことには、ほかならぬ正力が「ワンマン」として君臨していた当時の一九六〇年に、読売新聞社が発行した『日本の歴史』第一二巻には、「朝鮮人暴動説」の出所が、近衛第一師団から関東戒厳令司令官への報告の内容として、つぎのように記されていた。

「市内一般の秩序維持のための〇〇〇の好意的宣伝に出づるもの」

 この報告によれば、「朝鮮人暴動説」の出所は伏せ字の「〇〇〇」である。


伏せ字の解読は、虫食いの古文書研究などでは欠かせない技術である。

論理的な解明は不可能ではない。

ここではまず、情報発信の理由は「市内一般の秩序維持」であり、それが「好意的宣伝」として伝えられたという評価なのである。

「市内一般の秩序維持」を任務とする組織となれば、「警察」と考えるのが普通である。さらには、そのための情報を「好意的宣伝」として、近衛第一師団、つまりは天皇の身辺警護を本務とする軍の組織に伝えるとなると、その組織自体の権威も高くなければ筋が通らない。

字数が正しいと仮定すると、三字だから「警察」では短すぎるし、「官房主事」「警視総監」では長すぎる。「警視庁」「警保局」「内務省」なら、どれでもピッタリ収まる。

 詳しい研究は数多い。

『歴史の真実/関東大震災と朝鮮虐殺』(現代史出版会)の資料編によれば、すくなくとも震災の翌日の九月二日午後八時二〇分には、船橋の海軍無線送信所から、「付近鮮人不穏の噂」の打電がはじまっている。


 翌日の九月三日午前八時以降には、「内務省警保局長」から全国の「各地方長官宛」に、つぎのような電文が打たれた。

「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内において、爆弾を所持し、石油を注ぎて、放火するものあり、

すでに東京府下には、一部戒厳令を施行したるが故に、各地において、充分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし」


 正力の『悪戦苦闘』における弁解は、「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました」となっていた。

では、この「虚報」と正力の関係、「失敗」の経過は、どのようだったのだろうか。


 記録に残る限りでは、正力自身が「虚報」と表現した「朝鮮人来襲」の噂を一番最初に、メディアを通じて意識的に広めようとしたのは、なんと、正力自身なのである。


 シャンソン歌手、石井好子の父親としても名高かった自民党の大物、故石井光次郎は、関東大震災の当時、朝日新聞の営業局長だった。

石井は内務省の出身であり、元内務官僚の新聞人としては正力の先達である。

震災当日の一日夜、焼け出された朝日の社員たちは、帝国ホテルに臨時編集部を構えた。

ところが食料がまったくない。

石井の伝記『回想八十八年』(カルチャー出版社)には、つぎのように記されている。


「記者の一人を、警視庁に情勢を聞きにやらせた。当時、正力松太郎が官房主事だった。


『正力君の所へ行って、情勢を聞いてこい。

それと同時に、食い物と飲み物が、あそこには集まっているに違いないから、持てるだけもらってこい[中略]』といいつけた。

それで、幸いにも、食い物と飲み物が確保できた。

ところが、帰って来た者の報告では、正力君から、


『朝鮮人がむほんを起こしているといううわさがあるから、各自、気をつけろということを、君たち記者が回るときに、あっちこっちで触れてくれ』


と頼まれたということであった」

 ところが、その場に居合わせた当時の朝日の専務、下村海南が、「それはおかしい」と断言した、


予測不可能な地震の当日に暴動を起こす予定を立てるはずはない、

というのが下村の論拠だった。

下村は台湾総督府民政長官を経験している。

植民地や朝鮮人問題には詳しい。

そこで、石井によると、「他の新聞社の連中は触れて回ったが」、朝日は下村の「流言飛語に決まっている」という制止にしたがったというのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-2.html


東京の新聞の「朝鮮人暴動説」報道例の意外な発見


 ただし、石井の回想通りに、朝日が「朝鮮人暴動説」報道を抑制したのかどうかについては、いささか疑問がある。

内務省筋が流した「朝鮮人暴動説」は、全国各地の新聞で報道された。


『大阪朝日』は九月四日、「神戸に於ける某無線電信で三日傍受したところによると」、という書き出しで、さきの船橋送信所発電とほぼ同じ内容の記事を載せた。

『朝日新聞社史/大正・昭和戦前編』には、震災後の東京朝日と大阪朝日の協力関係について、非常に詳しい記述があるが、なぜか、大阪朝日が「朝鮮人暴動説」をそのまま報道した事実にふれていない。


『大阪朝日』ほかの実例は、『現代史資料(6)関東大震災と朝鮮人』に多数収録されている。

この基本資料を無視する朝日の姿勢には、厳しく疑問を呈したい。


 東京の新聞でも、同じ報道が流されたはずなのであるが、現物は残っていないようである。

わたしが目にした限りの関東大震災関係の著述には、東京の新聞の「朝鮮人暴動説」の報道例は記されていなかった。

念のためにわたし自身も直接調べたが、地震発生の九月二日から四日までの新聞資料は、実物を保存している東京大学新聞研究所(現社会情報研究所)にも、国会図書館のマイクロフィルムにも、まったく残されていなかった。


 たしかに地震後の混乱もあったに違いないが、そのために資料収集が不可能だったとは考えにくい。

報知、東京日日(現毎日)、都(現東京)のように、活字ケースが倒れた程度で、地震の被害が軽い社もあった。

各社とも、あらゆる手をつくして何十万部もの新聞を発行していたのである。

各社は保存していたはずだから、九月一日から四日までの東京の新聞の実物が、まるでないというのはおかしい。

戒厳令下の言論統制などの結果、抹殺されてしまった可能性が高い。


 ところが意外なことに、『日本マス・コミュニケーション史』(山本文雄編著、東海大学出版会)には、新聞報道の「混乱」の「最もよい例」として、「九月三日付けの『報知』の号外」の「全文」が紹介されていた。

要点はつぎのようである。


「東京の鮮人は三五名づつ昨二日、手を配り市内随所に放火したる模様にて、その筋に捕らわれし者約百名」


「程ヶ谷方面において鮮人約二百名徒党を組み、一日来の震災を機として暴動を起こし、同地青年団在郷軍人は防御に当たり、鮮人側に十余名の死傷者」


 同書の編著者で、当時は東海大学教授の山本文雄に、直接教えを乞うたところ、この号外の現物はないが、出典は『新聞生活三十年』であるという。


 実物は国会図書館にあった。著書の斉藤久治は当時の報知販売部員だった。

同書には、新聞学院における「販売学の講演」にもとづくものと記されている。

発行は一九三二年(昭7)である。のちの読売社長、務台光雄は元報知販売部長で、同時代人だから、この二人は旧知の仲だったに違いない。

ところが、この二人が残した記録は、肝心のところで、いささか食い違いを見せるのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-3.html


号外の秘密を抱いて墓場に入った元報知販売部長、務台光雄


 務台の伝記『闘魂の人/人間務台と読売新聞』(地産出版、以下『闘魂の人』)には、務台が、震災直後から一週間ほど社の講堂で寝泊まりしたことやら、その奮闘ぶりが克明に描き出されている。

「活字が崩れてしまったので、大きい活字を使って、号外のような新聞を、四日には出すところまでこぎつけた」ということになっている。

ところが、『新聞生活三十年』には、「写真1」のような「九月一日」付けの報知号外のトップ見出し部分のみが印刷されているのである。

「四日」と「一日」とでは、この緊急事態に際しては大変な相違がある。


 謎を解く鍵の一つは、まず、『別冊新聞研究』((4)、77・3)掲載、「太田さんの思い出」という題の、務台自身の名による文章である。

そこでは、「直ちに手刷り号外の発行を行う一方、本格的新聞の発行に着手、まず必要なのは用紙だ」となっている。

地震で電気がこないから、輪転機が動かせない。

輪転機用の巻紙もない。

だが、活字を組んでインクを塗れば、「手刷り」印刷は可能だった。

しかも、「手刷り」には、もう一つの手段があった。


 さきの『新聞生活三十年』を出典とする「朝鮮人暴動説」の号外は九月三日付けだが、「写真2」のようなガリ版印刷である。

本文中には、「汗だくになって号外を謄写版に刷る」という作業状況が記されている。


 務台のフトコロ刀といわれた元中部読売新聞社長、竹井博友の著書、『執念』(大自然出版局)によると、電気がこないので九月九日まで、「四谷の米屋からさがしてきたガス・エンジンでマリノニ輪転機を動かして」いたという。

普段よりは印刷能力が低かったので、手刷りやガリ版印刷で補ったのであろう。

晩年の務台から直接取材したという『新聞の鬼たち/小説務台光雄(むたいみつお)』(大下英治、光文社)では、震災当日に「手刷り」と「謄写版」の号外を出した事を認めている。

つまり、務台自身が、段々と真相の告白に迫っていたのだ。


 もう一つの手段は、近県の印刷所の借用である。

斉藤久治の表現によれば、「報知特有の快速自動車ケース号(最大時速一時間百五十哩)」で前橋の地方紙に原稿を届け、九月七日までに、「数十万枚を東京に発、送し、市内の読者に配ることに成功した」という。

 さて、そこからが一編の歴史サスペンスを感じさせるところである。

『新聞生活三十年』の本文には、問題の号外の文章は復原されていない。

そのほかにも本文には、「朝鮮人暴動説」報道に関しての記述はまったくないのである。

 「写真2」は同書の実物大(WEB上の注:87ミリ×53ミリ)である。

もともとのガリ版が乱筆の上に、かなりかすれている。

しかも、極端に縮尺されているから、拡大鏡で一字一字書き写してみなければ、判読できない状態である。

結果から見て断言できるのは、「写真2」のガリ版号外が、『新聞生活三十年』の本文の記述を裏切っているということである。


奇妙な話のようだが、当時の言論状況を考えれば、真相は意外に簡単なことかもしれない。

著者の斉藤が、手元に秘蔵していたガリ版号外の内容を後世に伝えるために、検閲の目を逃れやすいように判読しがたい状態の写真版にして、印刷の段階で、すべりこませたのかもしれないのである。

 わたしは、このガリ版号外の件を『噂の真相』(80・7)に書いた。

読売の役員室に電話をして務台自身の証言を求めたが、返事のないまま務台は死んでしまった。

あの時代の人々には、この種の秘密を墓場まで抱いていく例が多いようだ。残念なことである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-4.html


「米騒動」と「三・一朝鮮独立運動」の影に怯える当局者


「朝鮮人来襲の虚報」または「朝鮮人暴動説」の発端については、発生地帯の研究などもあるが、いまだに決定的な証拠が明らかではない。

軍関係者が積極的に情報を売りこんでいたという報告もある。

民間の「流言」が先行していた可能性も、完全には否定できない。

しかし、その場合でも、すでにいくつかの研究が明らかにしているように、それ以前から頻発していた警察発表「サツネタ」報道が、その感情的な下地を用意していたのである。


いわゆる「不逞鮮人」に関する過剰で煽情的な報道は、四年前の一九一九年三月一日にはじまる「三・一運動」以来、日本国内に氾濫していた。

 しかも、仮に出発点が「虚報」や「流言」だったとしても、本来ならばデマを取り締まるべき立場の内務省・警察関係者が、それを積極的に広めたという事実は否定しようもない。「失敗」で済む話ではないのである。

 さきに紹介した「内務省警保局長出」電文の打電の状況については、「船橋海軍無線送信所長/大森良三大尉記録」という文書も残されている。

歴史学者、松尾尊兌の論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」(『思想』93・9)によると、

大森大尉は、

「朝鮮人襲来の報におびえて、法典村長を通じて召集した自警団に対し四日夜、

『諸君ノ最良ナル手段ト報国的精神トニヨリ該敵ノ殲滅ニ努メラレ度シ』

と訓示したために現実に殺害事件を惹起せしめ」たのである。


 九月二日午後八時以降と、一応時間を限定すれば、「噂」「流言」、または「好意的宣伝」を積極的に流布していたのは、うたがいもなく内務省筋だったのである。

 なお、さきの船橋発の電文例でも、すでに「戒厳令」という用語が出てくる。

「戒厳」は、帝国憲法第一四条および戒厳令にもとづき、天皇の宣告によって成立するものだった。

前出の『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』では、この経過をつぎのように要約している。


「一日夜半には、内相官邸の中庭で、内田康哉臨時首相のもとに閣議がひらかれ、非常徴発令と臨時震災救護事務局官制とが起草された。

これらは戒厳に関する勅令とともに二日午前八時からの閣議で決定され、午前中に摂政の裁可を得て公布の運びとなったのである」


 前出の松尾論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」によると、この戒厳令公布の手続きは、「枢密院の議を経ない」もので「厳密にいえば違法行為である」という。

ただし、このような閣議から裁可の経過は、表面上の形式であって、警視庁は直ちに軍の出動を求め、それに応じて軍も「非常警備」の名目で出動を開始し、戒厳令の発布をも同時に建言していた。


 戒厳令には「敵」が必要だった。

警察と軍の首脳部の念頭に、一致して直ちにひらめいていたのは、一九一八年の米騒動と一九一九年の三・一朝鮮独立運動の際の鎮圧活動であったに違いない。

 首脳部とは誰かといえば、おりから山本権兵衛内閣の組閣準備中であり、臨時内閣に留任のままの内相、水野錬太郎は、米騒動当時の内相だった。

その後、水野は、三・一朝鮮独立運動に対処するために、朝鮮総督府政務総監に転じた。


 震災当時の警視総監、赤池濃は、水野の朝鮮赴任の際、朝鮮総督府の警務部長として水野に同行し、一九一九年九月二日、水野とともに朝鮮独立運動派から抗議の爆弾を浴びていた。

 震災発生の九月一日、東京の軍組織を統括する東京衛戍司令官代理だった第一師団長、石光真臣は、水野と赤池が爆弾を浴びた当時の朝鮮で、憲兵司令官を勤めていた。

 つまり、震災直後の東京で「市内一般の秩序維持」に当たる組織の長としての、内相、警視総監、東京衛戍司令官代理の三人までもが、朝鮮独立運動派から浴びせられた爆弾について、共通の強い恐怖の記憶を抱いていたことになる。

さらに軍関係者の方の脳裏には、二一か条の要求に反発する中国人へのいらだちが潜んでいたにちがいない。

 その下で、警視庁の実働部隊の指揮権をにぎる官房主事、正力は、第一次共産党検挙の血刀を下げたままの状態だった。

正力自身にも、朝鮮総督府への転任の打診を受けた経験がある。


 かれらの念頭の「仮想敵」を総合して列挙すると、朝鮮人、中国人、日本人の共産党員または社会主義者となる。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-5.html


戒厳司令部で「やりましょう」と腕まくりした正力と虐殺


 戒厳司令部の正式な設置は、形式上、震災発生の翌日の午前中の「裁可」以後のことになる。だが、震災発生直後から、実質的な戒厳体制が取られたに違いない。

前出の松尾論文「関東大震災下の朝鮮人虐殺事件(上)」には、当時の戒厳司令部の参謀だった森五六が一九六二年一一月二一日に語った回想談話の内容が、つぎのように紹介されている。

「当時の戒厳司令部参謀森五六氏は、正力松太郎警視庁官房主事が、腕まくりして司令部を訪れ

『こうなったらやりましょう』

といきまき、阿部信行参謀をして

『正力は気がちがったのではないか』

といわしめたと語っている」


 文中の「阿部信行参謀」は、当時の参謀本部総務部長で、のちに首相となった。

これらの戒厳司令部の軍参謀の目前で、腕まくりした正力が「やりましょう」といきまいたのは、どういう意図を示す行為だったのであろうか。

正力はいったい、どういう仕事を「やろう」としていたのだろうか。

「気がちがったのではないか」という阿部の感想からしても、その後に発生した、朝鮮人、中国人、社会主義者の大量「保護」と、それにともなう虐殺だったと考えるのが、いちばん自然ではないだろうか。


森五六元参謀の回想には、この意味深長な正力発言がなされた日時の特定がない。


だが、「やりましょう」という表現は、明確に、まだ行為がはじまる以前の発言であることを意味している。

だから、戒厳司令部設置前後の、非常に早い時点での発言であると推測できる。

警察と軍隊は震災発生の直後から、「保護」と称する事実上の予備検束を開始していた。

その検束作業が大量虐殺行動につながったのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-6.html


「社会主義者」の「監視」と「検束」を命令していた警視庁


 関東大震災後の虐殺事件では、直接の殺人犯を二種類に分けて考える必要がある。

 第一の種類は、いわゆる「流言」「噂」または「情報操作」にあおられて、朝鮮人や中国人を無差別に殺した一般の自警団員などの民衆である。

前項で検討した材料から判断すれば、虐殺を煽ったのは正力ほかの警察官であり、こちらの方がより悪質な間接殺人犯である。

背後には日本の最高権力の意思が働いていた。


 同じ中国人の殺害でも、のちにくわしくふれる王希天のような指導者の場合には、ハッキリと「指名手配」のような形で拉致監禁され、しかも、職業軍人の手で殺されている。

日頃から敵視していた相手を、地震騒ぎに乗じて殺したことが明らかである。

朝鮮人についても同じような実例があったのかもしれない。

社会主義者の虐殺に関与したのは、明白に、警察と軍隊だけであった。

これらの、相手を特定した虐殺の関与者が、第二の種類の職業的な直接的な殺人犯である。

その罪は第一の種類の場合よりもはるかに重いし、所属組織の上層部の機関責任をも厳しく問う必要がある。

上層部による事後の隠蔽工作は、さらに重大かつ悪質な政治犯罪である。


 正力らが犯した政治犯罪を明確にするために、虐殺事件の問題点を整理してみよう。

 中国人指導者の王希天や日本人の社会主義者の場合には、かれらが警察と軍の手で虐殺されたのは、いったん警察に「指名手配」のような形で拉致監禁されたのちのことである。

警察の方では、軍に身柄を引き渡せば殺す可能性があるということを、十分承知の上で引き渡している。

軍の方が虐殺業務の下請けなのである。

当時の制度では、戒厳令のあるなしにかかわらず、市内秩序維持に関するかぎりでは警視庁の要請で軍が動くのであった。

全体の指揮の責任は、警視庁にあった。警視庁と戒厳司令部の連絡に当たっていたのは、官房主事の正力であった。


『巨怪伝』では、つぎのような経過を指摘している。

「九月五日、警視庁は正力官房主事と馬場警務部長名で、

『社会主義者の所在を確実につかみ、その動きを監視せよ』

という通牒を出した。

さらに十一日には、正力官房主事名で、

『社会主義者に対する監視を厳にし、公安を害する恐れあると判断した者に対しては、容赦なく検束せよ』

という命令が発せられた」


 これによると、「社会主義者」の「監視」または「検束」に関する警視庁の公式の指示は、九月五日以後のことのようである。

ところが、「亀戸事件」の犠牲者、南葛労働組合の指導者、川合義虎ら八名の社会主義者が亀戸署に拉致監禁されたのは、それ以前の「三日午後十時ごろ」なのである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-7.html


「使命感すら感じていた」亀戸署長の暴走を弁護する正力


『関東大震災と王希天事件/もうひとつの虐殺秘史』(田原洋、三一書房、以下『関東大震災と王希天事件』)では、川合義虎ら八名の社会主義者が近衛騎兵によって虐殺された「亀戸事件」の経過を細部にわたり、「時系列にしたがって検分」している。

 かれら八名の社会主義者が

「三日午後十時ごろ、理由も何もなく、狙い打ちで検束されてしまった」

時点では、十一日の「検束」命令どころか、五日の「監視」通牒さえ出ていなかったのである。


 亀戸署管内では、別途、それに先立って、中国人大量虐殺の「大島事件」と、反抗的な自警団員四名をリンチ処刑した「第一次亀戸事件」も発生している。

署長の古森繁高は、社会主義者らの生命を奪うことに「使命感すら感じていた」という点で、「人後に落ちない男」であった。


古森は、「朝鮮人暴動説」が伝えられるや否や、自ら先頭に立ってサイドカーを駆使して管内を駆け巡り、「二夜で千三百余人検束」し、「演武場、小使室、事務室まで仮留置場にした」のである。


 社会主義者の検束に当たって古森が「とびついた」のは、「三日午後四時、首都警備の頂点に立つ一人、第一師団司令官石光真臣」が発した「訓令」の、つぎのような部分であった。

「鮮人ハ、必ズシモ不逞者ノミニアラズ、之ヲ悪用セントスル日本人アルヲ忘ルベカラズ」

 つまり、社会主義者が朝鮮人の「暴動」を「悪用」する可能性があるから、注意しろという意味である。

『20世紀を動かした人々』(講談社)所収の「正力松太郎」(高木教典)には、正力が亀戸事件について語った当時の新聞談話が収録されているが、つぎのような説明ぶりで、古森署長の行動の後追い弁護になっている。


「実際、二日、三日の亀戸一帯は、今にも暴動が起るという不安な空気が充満し、二日夜も古森署長は部下の警官を集めて決死の命令を下す程、あたかも無警察の状態で、思想団、自警団が横行していたそうで、

軍隊の力を頼んで治安維持を保つべく、ついにこうしたことになったのであるが、

今回の事件はまったく法に触れて刺殺されたものである。

警官が手を下したか否かは、僕としては、軍隊と協力、暴行者を留置場外に引き出したことは事実であるが、刺殺には絶対関与していないと信ずる」


 この新聞談話から、社会主義者にかかわる部分を抜き出して、検討してみよう。

 まずは、「思想団」が「横行していたそうで」というが、そのような事実があったと主張する歴史書は皆無である。

つぎには、「法に触れて刺殺」と断定していうが、せいぜいのところ、留置場のなかで抗議の大声を挙げたり、物音を立てたぐらいのことであって、

そのどこがどういう「法に触れ」たのかの説明がまったくない。

「暴行者を留置場外に引き出したことは事実」としているが、これも同じ趣旨である。

正力はいったい、どの行動を指して「暴行」だと断定しているのだろうか。


 最後の問題は、「[警察側が]刺殺には絶対関与していないと信ずる」という部分にある。

正力としては、虐殺の責任を「軍隊」になすりつけ、監督責任を逃れたかったのであろう。

だが、すでに指摘したように、当時の制度では警視庁の要請で軍が動くのであった。


『関東大震災と王希天事件』には、古森署長がみずからしたためた「第一次亀戸事件」に関する報告が収録されている。

警視庁が編集した『大正大震火災誌』からの引用である。

引き渡しの理由は、「兵器ヲ用ウルニアラザレバ之ヲ鎮圧シガタキヲ認メ」たからだとなっている。

古森は、「兵器」による「鎮圧」を予測しつつ、または希望しつつ、反抗的な自警団員四名を軍に引き渡したのだ。

結果は、違法なリンチ処刑だった。


 この四名の自警団員の場合は、道路で日本刀を持って通行人を検問していた。

警官が検問の中止を勧告したところ、「怒って日本刀で切りかかった」のだそうである。本人たちは、警察が流した「朝鮮人暴動説」に踊らされていたわけだから、中止勧告が不本意だったのだろう。

留置場内で警察の悪口を並べ、「さあ殺せ」とわめいたりしたようである。

「結局、軍・警察の処置は妥当と認められ、四人は死に損となった」とあるが、リンチ処刑が「横行」するような「無警察」状態を演出したのは、いったいどちらの方なのだろうか。

 しかも、『関東大震災と王希天事件』ではさらに、この四日夜の「第一次亀戸事件」を、川合義虎ら八名の社会主義者の虐殺、いわゆる「亀戸事件」への導火線になったのではないかと示唆している。

反抗的な自警団員四名の引き渡し以後、留置場内は「前にもまして騒然となった」のである。そこで「古森は、ついに五日午前三時」、川合らを騎兵隊に引き渡した。同書では時系列の記述の最後を、つぎのように結んでいる。

「古森は『失態』を告発する恐れのある川合らを抹殺した。

両次亀戸事件の犠牲者十四人の死体は、こっそり大島八丁目に運ばれ、多くの虐殺死体にまぎれて焼却された」


 同書はまた、この「両次亀戸事件」に、中国人指導者王希天虐殺事件と大杉栄ら虐殺事件に共通する「パターン」を指摘する。

「法にしばられる警察は、自ら手を下さずとも、戒厳令下で異常な使命感と功名心に燃え狂っている中下級軍人を、ちょっとそそのかすだけで、目的をとげることができた」のである。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-8-8.html


留学生で中華民国僑日共済会の会長、王希天の虐殺事件


 さらに重大な問題は、すでに何度か記した在日中国人の指導者、王希天の虐殺事件であった。

 ここで「さらに重大な問題」と記した意味には、虐殺そのものとは別の側面も含まれている。

この事件は、読売の紙面が輪転機にかける鉛版の段階で削除されるという事態を招いていた。

つまり、この事件は、本書の主題の読売の歴史に、深い影を落としているのだ。


 元警視庁警務部長が、こともあろうに首都の名門紙に「乗りこむ」という事態は、一種の政治犯罪を予測させる。

だが、およそ重大な犯罪の背景には、間接的または一般的な状況だけではなくて、直接的な契機、または引くに引けない特殊な動機があるものである。

とくに、一応は正常な社会人として通用してきた人物を「重大な犯罪」に駆り立てるためには、それだけ強力で衝動的な動機が必要である。

わたしは、この事件の真相を知ることによって初めて、長年の、もどかしい想いの疑問の核心部分に達したと感じる。

読売の紙面の鉛版削除という稀有な事態を招いたこの事件こそが、正力の読売「乗りこみ」という、これまた稀有な事態の直接的な動機だと、確信するに至ったのである。


 関東大震災と朝鮮人・社会主義者の虐殺の関係は一応、一般にも広く知られている。

 だが、虐殺の被害者の中でも「中国人」の三文字は、これまで付け足りのようだった。

とくに知られていなかったのは、王希天虐殺事件そのものと、その国際的な重要性であった。

中華民国僑日共済会の会長という指導的立場にあった中国人留学生、王希天は、陸軍将校から斬殺されていた。

「行方不明」と発表されていた王希天の捜査、調査活動は、当時の政界、言論界を揺るがす国際的な大事件に発展していたのである。


 一九九五年には、さまざまな角度から日本の戦後五〇年が問われた。

試みに、その年の暮れの集まりで会った在日朝鮮人の研究者と、駐日特派員の中国系ジャーナリストに、「王希天虐殺事件を知っていますか」という質問を向けてみた。

案の定、二人とも、まったく知らなかった。

詳しく話すと、真剣な表情で耳を傾けてくれたのちに、「大変に貴重な情報を教えていただき、ありがとうございました」と、ていねいにお礼をいわれた。

その後、何人かの日本人ジャーナリストにも同じ質問を向けてみたが、やはり、王希天の名を知っている人は非常に少ない。

ただし、わたし自身も数か月前に知ったばかりで、自慢などできる立場ではなかった。「五十歩百歩」そのものである。


 王希天が代表としてノミネートされる中国人の大量虐殺事件については、いまから七三年前の一九二三年(大正12)、関東大震災の直後に、中国政府が派遣した調査団が訪日している。

日本政府が対応に苦慮した国際的大事件である。ではなぜ、そんな大事件が、いまだに広くどころか専門家にさえ知られていないのだろうか。


 中心的な理由は簡単である。

当時、日本政府首脳が「徹底的に隠蔽」の方針を決定し、全国の警察組織を総動員して、新聞雑誌(放送は発足前)報道をほぼ完全に押さえこんだからである。

基本的には、そのままの言論封鎖状況が続いているのだ。


 王希天は、関東大震災の直後、亀戸署に留置されたのち陸軍に引き渡され、以後、警視庁や陸軍の公式発表では「行方不明」となっていた。

陸軍当局も、当時は警視庁官房主事兼高等課長の正力松太郎を実質的責任者とする警視庁も、王希天殺害の事実を知りながら、国際的追及の最中、必死になって、ひた隠しにしていた。

実際には王希天は、陸軍の野戦重砲第三旅団砲兵第一連隊の将校たちにだまされて連れ出され、背後から軍刀で切り殺されて、切り刻まれて川に捨てられていた。

事件そのものは、当時の日中の力関係を反映し、最後には、賠償問題さえうやむやのままに葬り去られた。


 象徴的なドラマは、「支那(ママ)人惨害事件」と題する読売新聞(23・11・7)の社説および関連記事の周辺に展開された。

同社説(別掲)と記事をそのまま載せた地方向けの早版は、少部数だが輪転機で刷り出され、発送まで済んでいたのだが、急遽、検閲で不許可、発売禁止となり、各地で押収されたのである。

同時に、その問題の紙面には、「写真3、4」のような鉛版段階での削除という稀有の処置が取られた。


 関係資料は十数点ある。

戦後最初の大手メディア報道は、毎日新聞(75・8・28夕)の「『王希天事件』真相に手掛かり/一兵士の日記公開/『誘い出して将校が切る』」だが、同記事の段階ではまだ、王希天殺害についての証言は、所属部隊の一兵士の「伝聞」にしかすぎない。

以後、日本の研究者、ジャーナリストらの招きで、王希天の遺児が来日した際に、数件の報道があった。

しかし、残念ながら、それらの報道の中には、当時の言論弾圧状況の紹介がなかった。

 専門雑誌の記事、少部数の単行本、断片的なマスコミ報道、それだけでは世間一般どころか普通の企業ジャーナリストの目にさえ、「事件は存在しない」と同様である。

わたしが湾岸戦争以来、「マスコミ・ブラックアウト」と名付けている現象である。

王希天事件の場合には、この現象が意識的かつ政治的に作り出され、しかも、約四分の三世紀にもわたって続いていることになる。

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「震災当時の新聞」による偶然の発掘から始まった再発見


 おおげさなようだが、わたし自身も、この問題に関する「マスコミ・ブラックアウト」の被害者の一人である。

というのは、旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』執筆の際、わたしは王希天について何も知らなかった。

正力と関東大震災後の虐殺事件の関係を調べるために、何冊かの関係書に当たったが、そこには王希天のことは書いてなかった。

実際には、すでにそのころ、雑誌論文や何冊かの単行本に、王希天に関する研究が発表されはじめていたのだが、わたしの資料探索は、そこまで達していなかったのである。


 旧著の発表後にも、つぎつぎと新たな資料が発表されていた。

 前出の『関東大震災と王希天事件』の終章の題は「事件発掘史」となっているが、それによれば、王希天に関して戦後に最初の国内論文が発表されたのは一九七二年である。

 関西大学講師の松岡文平は、『千里山文学論集』(8号)に「関東大震災と在日中国人」を発表した。

その研究の発端の説明は、「震災当時の新聞に、王の『行方不明』が大きく報じられているのに疑問を抱き」始めたからとなっている。

つまり、当時の新聞を調べていたら、偶然、「王希天」というキーワードに突き当たったわけである。


 一九七五年に出版された『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』(現代史出版会)には、松岡論文を米軍押収資料など裏付け、さらに発展させた横浜市立大学教授、今井清一の研究が収められている。

だが、その時点では、王希天虐殺の事実については、つぎのような推測の範囲にとどまっている。

「野重[野戦重砲第三旅団砲兵]第一連隊の将校が、おそらく旅団司令部の意もうけて人に知られない時間と場所とを選んで殺害したのであろう」


 『甘粕大尉』の著者、角田房子は、一九七九年に同書の中公文庫版の「付記」として、つぎのように記している。

「『甘粕大尉』執筆中私は、関東大震災直後のドサクサの中で惨殺された王奇天を調べたが、努力の甲斐もなく確かな資料を見つけることが出来なかった。

 本書初版は昭和五十[一九七五]年七月二十五日に出版された。それから一ヵ月後、八月二十八日の『毎日新聞』夕刊に『「王奇天事件』真相に手掛り/一兵士の日記公開』という記事と、王奇天の経歴が発表された。関連記事は九月一日夕刊にもあった」

 角田は「希」を「奇」と誤記している。わたしの旧著、『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』(汐文社、79刊)は、この『甘粕大尉』の「付記」が書かれたのと同じ年の、一九七九年に出版されている。そのころまでは、こんな状況だったのである。

 さきの毎日報道から七年後、『関東大震災と王希天事件』の著者、田原洋(よう)は、王希天を殺した本人の「K中尉」こと、元砲兵中尉(のち大佐)の垣内八州男を探し当てた。

垣内は、拉致された王希天の「後ろから一刀を浴びせた」ことを認める。

「[殺害を指示した佐々木大尉]は、上から命令を受けておったと思います。……

後で、王希天が人望家であったと聞いて……驚きました。

可哀そうなことをしたと……[殺害現場の]中川の鉄橋を渡るとき、いつも思い出しましたよ」、

などと、その後の心境を、ポツリ、ポツリと告白する。


『将軍の遺言/遠藤三郎日記』(宮武剛、毎日新聞社、86刊)は、毎日新聞の連載記事をまとめたものである。

のちに紹介するが、遠藤は当時、垣内中尉の直属上官だった。

 つい最近の一九九三年に発行された『震災下の中国人虐殺/中国人労働者と王希天はなぜ殺されたか』(仁木ふみ子、青木書店、以下『震災下の中国人虐殺』)には、「日本側資料について」の項目がある。

それによると、「軍関係資料」の内、参謀本部関係は米軍による接収以前に処分されており、防衛庁戦史資料室には皆無である。

警視庁関係は米軍に接収され、現在は国会図書館と早稲田大学で一部のマイクロフィルムを見ることができる。

一部の、しかし、きわめて貴重な資料が、外務省外交史料館に、「一目につかない工夫をして保存」されていたようである。

『関東大震災/中国人大虐殺』(岩波ブックレット、91刊)の著者でもある仁木ふみ子は、以上のような資料探索の結果、ついに、外務省外交資料館に眠っていた「まぼろしの読売新聞社説」までを発見した。

 これだけの材料が揃っているのを知ったとき、とりわけ、「まぼろしの読売新聞社説」の「発見」について、最初に『巨怪伝』の記述を目にしたとき、徐々に、そしてなお徐々に徐々に、長年の疑問と戦慄の想いが、わたしの胸の奥底からこみ上げ、背筋を走り、全身に広がり始めた。

これらの発見は、わたし自身にとっても、大変な半生のドラマの一部だったのである。

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「相手は外国人だから国際問題」という理解の重大な意味


 以上の資料に接するより一六年前、旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』の仕上げの段階で、わたしは一応、国会図書館のマイクロ・フィルムで当時の読売の記事を検索していたのである。

そこには明らかに、輪転機にかける鉛版の段階での削除と見られる紙面があった。だが、その時には、それ以上の詳しい追及をする時間の余裕がなかった。

そこで旧著では、「なお、読売新聞の紙面そのものの細部にわたる調査も必要である」という心覚えを残し、つぎの点だけを中間報告として記しておいたのである。

「実物をみると、関東大震災の記事に、相当量の、鉛版段階における全面削除がみられる。一部の残存文字から察するに、震災時の朝鮮人、社会主義者に関する記事であることに間違いない」

 ところが、「間違いない」と断定的に書いた記事内容の推測は、不十分であった。

まずは「中国人」が抜けていた。

拡大した「写真5」で見れば、全面を削り取られた一九二三年一一月七日の読売記事の残存文字のなかには、明らかにルビ付きで「王希天氏(おう き てん し)」とあるのだが、その意味が、当時のわたしには分からなかった。

その左隣の、やはりルビ付きの「震災當(しん さい たう)時鮮人(せん じん)」の方だけに気を取られて、王希天を朝鮮人だと思い込んでしまったのである。

残念といえば残念だが、わたしは、長年の戦慄の想いに終止符を打ち、この訂正と調査不足の告白を余儀なくしてくれた諸氏の研究に感謝する。


『関東大震災と王希天事件』の著者、田原洋の場合には、わたしとはまったく逆で、偶然の機会に王希天事件の存在を知り、それから追跡取材を開始した。

 念のために田原本人にも直接聞いて確かめたが、田原は別の用向きで、元陸軍中将の遠藤三郎と会った。

話がたまたま関東大震災当時におよび、遠藤が、当時は大尉で、江東地区の第一線の中隊長だったと語った。

田原が「大杉栄が殺されましたね」と相槌を打つと、遠藤は意外なことを語りだした。

 正確を期すために、田原の著書の方から引用すると、遠藤は、「大杉栄どころじゃない。もっと大変な(虐殺)事件があったんだ」と言い出した。

「オーキテンという支那人(原文傍点有り)労働者の親玉を、私の部隊のヤツが殺(ヤ)ってしまった。

朝鮮人(原文傍点付有り)とちがって、相手は外国人だから、国際問題になりそうなところを、ようやくのことで隠蔽(いんぺい)したんだ」

 文中の支那人(原文傍点有り)と朝鮮人(原文傍点有り)の傍点は、田原が付けたものである。

遠藤が育った時代の用語そのままだから、別に他意はないと思う。

最大の問題は「相手は外国人」の部分にある。

 わたしの場合、この部分を自分のワープロで入力した時に、初めて、その意味の重大さに気付いた。


それまでの頭の中では、「朝鮮人・中国人・社会主義者」を、関東大震災の際の「虐殺被害者」という項目で一括して考えていたのである。

「虐殺」を告発する立場の人々の多くは、わたしと同じ錯誤に陥っている可能性が高いと思う。

ところが、立場が違えば、同じ物が別の角度から見える。時の権力の頭の中では、「朝鮮人・中国人・社会主義者」の三者は、まったく別の項目で整理されていたのである。

とくに「中国人」は、別扱いの「外国人」だった。

監督官庁としても外務省が加わるから、行政上では決定的な違いが出てくる。


 震災時の朝鮮人の大量虐殺事件も、もちろん重大であるし、国際的にも非難を浴びた。

しかし、当時の国際法の秩序からいえば、植民地保有とその支配自体は非合法ではない。

許しがたいことではあるにしても、いわゆる欧米列強の帝国主義国を中心とする国際外交上で考えるかぎりでは、日本人の社会主義者の虐殺問題と同様の国内問題である。

ところが、中国人の虐殺となると、当然のことながら、明確に外国人の虐殺であり、国際外交上の問題とならざるをえない。

だから遠藤は、「大杉栄どころじゃない」と語ったのである。


 しかも、当時の日本は、満鉄の利権拡大を中心に、中国東北部への侵略の意図を露骨にしていた。

第一次世界大戦中の一九一五年(大4)には、火事場泥棒で奪った旧ドイツ領の青島に増兵を送って威圧を加えながら、対中国二一ヵ条要求を突き付け、その内の一六ヵ条を承認させていた。

中国の内部での反日運動も高まっていたし、国際的な批判も日を追って増大していた。

だから、「中国人指導者・王希天」の虐殺は、現在の日本人が感じるよりも、はるかに重大な国際問題だったのである。


 その後の資料探索で、田原は読売の紙面の削除を知り、紙面の検索をしている。田原は、事前に、その削除された紙面の執筆者が、中国通の著名記者、小村俊三郎だということまで知っていた。

「中国問題に詳しい小村俊三郎」については、『読売新聞百年史』にも非常に簡単ながら、その「入社」が、松山社長時代の項に記録されている。それだけのキャリアが認められる人物だったのである。

しかし、削除された紙面の内容については、まだ、残存文字という手掛りしかない。田原は、非常に残念そうに、つぎのように記していた。

「削除された記事は、いまとなっては復原の方法はない。

『読売』のバックナンバーは、削られた白紙のままだし、小村も記録は残していない」

 田原はさらに、つぎのような想像を付け加えていた。

「そこで推測するしかないが、この記事の筆者は小村俊三郎記者であった。

彼は期するところがあって、ある“過激な”記事を書こうとした。検閲にかけたのでは通りっこないから、何らかの策を使って『鉛版』をとり、ともかく早版を刷り出すところまでは行った。

が、いよいよ近郊版を刷ろうとしたところで誰かにストップをかけられてしまった。

鉛版工のベテランが、指定された記事に削り(のみを使う)を入れる。……

と、そのとき、小村が必死の形相で近より『ここだけ削り残してくれ』と耳打ちする。

あるいは何らかの方法で、小村の“頼み”が伝えられた。

残せといった文字は『王希天』の三文字であった。

この三文字が残っていれば、何が書かれていたか、およその察しはつくのである」

 田原の想像は、おそらく「当たらずといえども遠からず」であろう。

さきにも記したし、「写真3」で明らかなように三文字のみではないが、「王希天氏(おう き てん し)」と「震災當(しん さい たう)時鮮人(せん じん)」という決定的に重要なキーワードだけが、なぜか明瞭に残っているのだ。

とうてい偶然の結果とは思えない。

戒厳令が敷かれていた当時のことだから、その鉛版がはまっていた輪転機の側には、警察官、それもかなり重要な地位の検閲のベテランが、にらみを利かせていたのではないだろうか。

そうだとすれば、まさに、その目の前で、緊迫の鉛版削りのドラマが展開されていたことになる。

 この想像のドラマの緊迫感が、わたしの全身に、いい知れぬ戦慄を走らせるのだ。

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「まぼろしの読売社説」の劇的発見! 分散して資料を温存か?


 さて、それだけのドラマを秘めた削除紙面の実物が、また、なんとも劇的なことには、その後に発見されたのである。

削除は二か所にわたっていて、二面は社説、五面は関連記事であった。

「写真6、7」の「要保存/発売禁止トナレル読売新聞切抜」がそれである。

 発見者の仁木は、元日教組婦人部長である。

会ってみると、かつてのいかめしい肩書きとは違って、優しい教師そのままの気さくな人柄だった。

「定年後に時間ができて、ただただシラミ潰しに探し回っただけのことですから……」と、静かにほほ笑む。

とくに事前にお願いしたのでもないのに、貴重この上もない発見資料のコピーをも用意してくれていた。

わたしは、それを押し頂いて、発見の経過をうかがった。


 仁木は、『震災下の中国人虐殺』の中で、つぎのように記している。

「これは『要保存、発売禁止となれる読売新聞切抜』と墨書されて、外務省外交資料館にひっそりとしまわれていたのであった」

 この「ひっそりと」という表現の裏にも、おそらく大変な戦慄の人間ドラマが潜んでいたようなのである。

仁木は、「人目につかない工夫をして保存」されていたという表現もしている。

くわしくは同書を参照していただきたい。

何か所にも分かれて外務省外交資料館の資料管理状況が記されている。

とりあえず簡略に要約紹介すると、「書類を分散させて一見関係なさそうな項目の下に配列し」てあったのである。

最後には、つぎのように謎を解く鍵の人名が出てくる。


「だれがこのような文書配列をしたのであろうか。

事件の結末に何とも納得できなかった一青年事務官が、歴史の検証の日に備えて、暗号のように分散させ保管したのではなかったか。

かれの名は多分守島伍郎である。後の駐ソ大使、戦後は自由党代議士一期。

日本国連協会専務理事、善隣学生会館理事長をつとめ、一九七〇年、七〇歳で亡くなった」


 田原によれば、守島は、「同じ外交出身のワンマン吉田茂(一八七八〜一九六七)とは一定の距離を保ち、『オレは社会党から出てもおかしくはない』と語ることもあった」という。

いわゆるリベラル派であろう。

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中国側の調査団は「陸軍の手で殺されたと思う」と語って帰国


 さて、以上はまだ、王希天虐殺事件をめぐる緊迫のドラマの導入部にしかすぎない。

もう一度、物語の主人公を紹介し直し、この事件の国際的および国内的な位置付け、引いては歴史的な意味を確認し直したい。

 王希天は、当時はエリートの留学生で、その後に満州国がデッチ上げられる中国東北部の吉林省から来日していた。

推定二七歳。東京中華留日キリスト教青年会の幹事、および中華民国僑日共済会の会長という指導的立場にあった。


1948年、東京にて、前列右から周恩来、王希天
写真提供:仁木ふみ子


 事件発生当時においても、日本国内の報道よりも中国での報道の方が早かった。

『中華日報』(23・10・17)の社説では、「共済会長王希天が警察に捕らわれたまま行方不明」という事態を「故意の隠蔽」と疑い、「軍、警察の手」によって「殺された」可能性を指摘していた。

仁木はさらに、王希天の出身地、長春、吉林省の新聞、『大東日報』(23・11・1)の記事から、つぎのような憤激の呼び掛けの部分を紹介している。


「本件発生につき考うるに彼等は吾に人類の一分子と認めざる方法を試みたるものなり。

吾々もし放任し、彼等を問罪せず黙認せば吾々は人間にあらざるなり。同胞起きて醒めよ」


 情報源は、捜索に当たった王希天の友人の留学生や、震災発生後、上海に送還された中国人労働者たちだった。

上海や吉林省などの現地の憤激を背景にして、北京政府も調査団を日本に派遣した。

日本側当局は事実の隠蔽に終始したが、中国側代表団は帰国する前に日本の外務省書記官に対して、「王希天は大杉栄同様陸軍の手で殺されたと思う」と語っていた。

『震災下の中国人虐殺』では、「まぼろしの読売新聞社説」という小見出しを立てて、つぎのように指摘している。

「十一月七日、『読売新聞』の朝刊は発売禁止となり、二面の社説と五面の記事を削りとって、この部分は空白のまま発行された。

政府に強烈なインパクトを与えたといわれる『まぼろしの読売社説』は復原すると次のようである」

 以下、二面の社説、「支那人(ママ)惨害事件」の全文は、巻末(367頁・WEB版(15)資料)に小活字で紹介する。

とりあえず要約すると、「惨害」の犠牲者を「総数三百人くらい」としている。

「支那人労働者の間に設けられた僑日共済会の元会長王希天も亀戸署に留置された以後生死不明となった事実」を指摘し、「重大なる外交問題」の真相を明らかにしないのは、「一大失態」だと論じている。

 結論部分は、「本事件に対する政府の責任は他の朝鮮事件、甘粕事件同様、我が陸軍においてその大部分を負担すべきはずである。[中略]

故に吾人は我が国民の名において最後にこれをその陸軍に忠言する」となっている。

 仁木は、この「まぼろしの読売新聞社説」を、つぎのように評価している。

「戒厳令下の執筆であるが、実に堂々たる論調である。[中略]

一本の筆に正義を託す記者魂が厳然とそこに立つ」


 同時に鉛版から削除された五面の記事は、

「支那政府を代表し抗議委員が来朝する/王氏外百余名の虐殺事件につき精査の上正式に外務省へ抗議申込/我態度を疑う公使館」

という三段大見出しで、本文約八〇行である。

これは、もしかするとわたしの新発見なのかもしれないが、削除された二面の社説の下のベタ記事を眺めていたら、「虐殺調査委員/支那から派遣する」という本文七行の「北京四日国際発」電が残っていた。

いずれも記事の本文では「調査委員」または「特別委員」となっているのに、見出しで「抗議委員」または「虐殺調査委員」と表現している。

社説の題にも「惨害」とある。

当時の読売新聞のデスクの、この事件に対する判断基準が伝わってくるような気がする。

 読売の全面削除された社説は当然、王希天その人と中国側の動きを知り、その惨殺の事実を知るか、またはその事実にせまりつつあったジャーナリストの存在を示している。

 全面削除の社説を執筆した小村俊三郎(一八七二〜一九三三)は、「外務省一等通訳官退職後、東京朝日、読売、東京日日など各新聞社で中国問題を論評、硬骨漢として知られる中国通第一人者」だった。

王希天事件については、その後も独自の調査を続け、外務省に「支那人被害の実情踏査記事」と題する報告書を提出している。

 しかもこの小村俊三郎は、日露戦争後のポーツマス条約締結で有名な小村寿太郎と、祖父同士が兄弟の再従兄弟の関係にあった。

いわば名家の出でもあるし、もともと東京の主要名門紙に寄稿するコラムニストなのだから、顔も広い。

政府筋が個人的に攻撃すれば逆効果を生み出しかねない。

当時の松山社長時代の読売には、そういう人材が集まっていたのである。

『巨怪伝』では、当時の読売の報道姿勢を、つぎのように指摘している。

「大杉栄殺害の事実を、時事と並んでいち早く号外で報じたことにも示されるように、関東大震災下に起きた一連の虐殺事件の真相と、政府の責任を最も鋭く追及したのが読売新聞だった」

 もしかすると、内務省関係者は、田原が想像したような、「王希天」の三文字をかすかに残す印刷現場でのひそかな抵抗のドラマにも気付いて、警戒の念を高めていたのかもしれないのである。

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九二四件の発売禁止・差押処分を大手紙の社史はほぼ無視


 さて、ここで愕然とせざるをえないのは、日本の三大新聞、朝日・毎日・読売、すべての社史に、ほぼ共通する実情である。

王希天虐殺事件はもとより、関東大震災下の言論弾圧に関しての記述が、あまりにもお粗末なのである。

 まずは前項の「まぼろしの読売社説」の件であるが、『読売新聞百二十年史』を最新とする読売の社史には、たったの一行の記述もない。

それどころか、関東大震災後に報道規制があったことすら、まったく記されていない。

改めて呆れはしたが、読売のことだから、さもありなんと諦めた。


 毎日新聞はどうかというと、『毎日新聞七十年』にはまったく記載がないが、最新の『毎日新聞百年史』には、つぎのように記されている。

「新聞は“大杉栄殺し”を直感したが、戒厳令下、報道の自由はなかった」

 ただし、これだけでは、陸軍憲兵隊による社会主義者大杉栄の一家惨殺事件のみが、報道規制の対象になったかのような、誤解が生れかねない。

「王希天」の三文字はもとより、「朝鮮人」という単語も、「中国人」という単語もない。

 朝日の場合も、『朝日新聞の九十年』には確かに、「惨禍の中で特報や号外を連発」の見出しはある。

「『大阪朝日』数十万部を増刷して、船と汽車で東京に送」ったことなどの奮闘の経過は、八頁にもわたって克明に記されている。

だがやはり、報道規制の「キ」の字も出てこないのである。

 朝日は『百年史』を発行せずに、「百年史編修委員会」名で、創立から数えると一一一年目に当る一九九〇年から『朝日新聞社史』全四巻の社内版発行を開始し、一九九五年から全巻を市販している。

本文六五九頁の第二巻、『朝日新聞社史/大正昭和戦前編』には、つぎのように記されている。

「震災直後の流言からおこった社会主義者や朝鮮人の陰謀騒ぎで多数が殺された事件の実態は、九月二日に出された戒厳令によって報道が差し止められ、東朝[東京朝日]は十月二日になってその一部の報道が許された」

 ここでかろうじて「朝鮮人」という単語が、報道差し止めとの関係で登場する。

しかし、「中国人」も「王希天」もない。


 この状況は、いかにも不自然であり、不都合なのである。

国際的にも評判の「横並び」方式による隠蔽工作が、いまだに継続されているのではないかとさえ思えるのである。

 歴史的な資料がなかったわけではない。

さきに挙げたほかにも、たとえば、『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』(現代史出版会、75刊)では、これらの一連の虐殺事件に関する「ジャーナリズムの沈黙と右傾化」と、それを促進した権力の「強圧」を指摘している。

出典として『災害誌』(改造社編)などを挙げており、当時の新聞統制の模様を、つぎのように要約している。

「甘粕事件、内鮮人殺害、自警団暴挙に関する差止事項を掲げた日刊新聞で、発売頒布を禁止されたものは、寺内内閣当時の米騒動の際における処分に比すべきものと見られ、

新聞紙の差押えが、十一月頃まで殆ど三十以上に及び、一新聞紙の差押えが優に二十万枚に達したものがあった」


 ただし、ここにも「中国人」が登場しないという弱点があるし、さらには、この数字でも実は、まだまだ控え目だったようなのである。

おそらく、ここでいわれている「米騒動の際における処分に比すべきもの」という水準をはるかに越えていたに違いない。

日本の言論弾圧の歴史上、最大規模の問題として根本的な見直しをせよ、日本のメディア史の研究をやり直すべきだと、強調せざるをえないのである。

『関東大震災と王希天事件』の著者、田原は、当時の内務省警保局図書課の秘密報告を入手し、「表1」の「(秘)震災に関する記事に依り発売禁止並びに差押処分に付せられたる新聞件数調」を作成している。

「総件数」は、なんと、さきの『災害誌』の「三十以上」という数字を一桁以上も上回り、「九二四件」に達しているのである。

その内、「亀戸警察署刺殺事件に関する記事」(王希天行方不明記事を含む)と分類されているものだけでも、「三〇件」である。
http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-6.html


後藤内相が呼び掛けた「五大臣会議」で隠蔽工作を決定


 これだけの言論弾圧を行った当時の内務大臣は、いったい誰だったのであろうか。

 おりから新内閣の組閣中で、

関東大震災発生の九月一日までは留任中の水野錬太郎(一八六八〜一九四九)、

二日からは再任の後藤新平(一八五七〜一九二九)だった。

つまり、内務大臣としては水野の先輩に当る後藤が、この激動の際に、二度目の要職を引き受けていたのである。


 後藤が果たした役割については、『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』に、つぎのように記されている。


「一〇月中旬に王希天の行方不明が報道され、同二〇日に中国代理公使から王の殺害について抗議をうけると、日本政府も対策の検討をすすめた。

内務省当局では大島事件、王希天事件を両者とも隠蔽する意見で、

一一月七日には閣議のあと後藤内相、伊集院彦吉外相、平沼騏一郎法相、田中陸相、それに山本首相も加わって協議したうえ、

『徹底的に隠蔽するの外なし』と決定し、中国がわとの応対方法については警備会議に協議させることになった」


 この「閣議のあと」の「協議」については、『関東大震災と王希天事件』にも『震災下の中国人虐殺』にも、さらに詳しい記述がある。

内務省や外務省の関係者の記録が残されているからである。

「協議」の場は「五大臣会議」と通称されている。

 本稿の立場から見て、もっとも重要なことは、この「五大臣会議」が行われた「一一月七日」という日付である。

つまり、「まぼろしの読売社説」を掲載した少部数の早版が、輪転機で刷り出されてしまい、その後に急遽、鉛版が削られた日付なのである。

日付の一致は偶然どころではない。

これこそが「協議」開催の原因であることを示す明白な記録が、すでにたっぷりと発掘されているのである。

 閣議後に協議を呼び掛けたのは後藤である。

だが、内務大臣の後藤が「五大臣会議」を発案したという経過の裏には、なにやら、ご都合主義の謀略的な臭気がただよう。


 本来の建て前からいえば、内務省は、犯罪を捜査し、処罰すべき主務官庁である。

ところが後藤個人は、すでに簡略に紹介したように、外務大臣時代に推進したシベリア出兵とそれに続く米騒動に際して、外務省の霞倶楽部の記者たちと紛争を起こしたり、報道取締りの先頭に立ったりしていた。

メディア界の進歩的勢力とは激しい対立関係にあった。

すでに紹介したように「新聞連盟」結成工作、ただし時期尚早で実らず、などの「新聞利用」なり「新聞操縦」政策を展開していた。

ラディオ放送の支配に関する構想をも抱いていたはずである。

後藤は、しかも、首相の座を狙う最短距離にいた。

その機会に備えて、メディア界の敵対分子を排除したいと腹の底で願っていた可能性は、非常に高い。

当の読売社説の内容自体も重大な問題ではあったが、それを逆手を取って政府部内の主導権を握り、一挙に、かねてからの狙いを実現しようと図ったのではないだろうか。

 政府部内の主導権を握る上では、王希天の虐殺事件は絶好の材料だった。

後藤と田中陸相とは不仲だったというし、外務省は国際世論上、日頃から言論統制には消極的だった。

ところが、この際、後藤と相性の悪い陸軍は加害者であり、被告の立場である。

外務省は国際世論対策で四苦八苦である。

いまこそ特高の親玉、内務官僚の出番であった。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-7.html


「荒療治」を踏まえた「警備会議」と正力の「ニヤニヤ笑い」


『関東大震災と王希天事件』では、関係者が残したメモ類を多数収録している。

その日の午後五時から開かれた「警備会議」の冒頭で、岡田警保局長は、つぎのような発言をした。

「本日、急に五大臣会議を開いたのは、今朝の『読売』のためであります。

相手の出方を待つ姿勢で、政府がふらふらしていると、新聞に対する取締まりも徹底を欠くし、むずかしい。

今朝は、

危いところで削除 → 白紙のまま発行

という荒療治になってしまったが、今後は隠蔽の方針も定まったことであるし、お互いに緊密なる連携のもとに、ことを進めたいと思うので、よろしくご協力をお願いします」

 早版地区に送られた少部数の「削除前」の読売は、配達直前に押収されていた。

「五大臣会議」の決定は、あくまでも政府段階での正式決定であって、内務省はすでに隠蔽工作を実施していた。

検閲の実務担当者たちは、「まぼろしの読売社説」を目にした時、冷汗三斗の思いだったに違いないのである。

「警備会議」は、実務担当者による実行手段の相談の場である。

そこには、なんと、小村寿太郎の長男の小村欣一が、外務省情報部次長の立場で参加していた。

読売社説の執筆者、小村俊三郎は、東京高等師範学校に在学中、寿太郎の邸宅に書生として住み、この欣一の家庭教師をしていた。

岡田警保局長が、小村たちに事情を話して隠蔽の「諒解を求むる」という方針を報告すると、欣一は、小村たちについて、「主義上の運動者」だから「諒解を求ることすこぶる困難なるべし」という意見をのべ、「考慮を要する」と注意した。

 いやはや、こうなると最早、何ともものすごい接近戦である。

敵味方入り乱れての白兵戦の様相である。

関係者たちは、上を下への大騒ぎ、という感じがしてくる。

 警視総監の湯浅倉平は「すこぶる沈痛なる態度」であった。

以下、関係者のカナまじりのメモに残された湯浅の「熱心説述」を、ひらがなで読みやすいようにしてみよう。


「本件は、本官のいまだ際会せざる重大問題なり。

本件は実在の事件なれば、これを隠蔽するためには、あるいは新聞、言論または集会の取締をなすにつきても、事実においてある種の『クーデター』を行うこととなる義にて、誠に心苦しき次第なり。

また本件は必ず議会の問題となるべきところ、その際には秘密会議を求め得べきも、少くとも事前あらかじめ各派領袖の諒解を求めおく必要あり。

 さればとて、本件の隠蔽または摘発、いずれが国家のため得策なるかは、自分としては確信これ無く、政府において隠蔽と決定したる以上、もちろんこの方針を体し、最善の努力をなすべきも、自分の苦衷は諸君において十分推察されたし」

 この「苦衷」を訴えた警視総監、湯浅倉平は、その後、正力松太郎とともに虎の門事件で責任を追って即日辞任届けを提出し、のち懲戒免官、恩赦となる。

警視総監になる以前に岡山県知事、貴族院議員になっていた。

虎の門事件の恩赦以後には、宮内相、内相となっている。

 湯浅の発言のあとには、「北京政府が派遣する調査団および民間調査団の調査にどう対処するか、新聞取締などが話題」になった。

新聞取締に関する警保局長の提案は、つぎのようであった。

「適当の機会に主なる新聞代表者を招致し、大島町事件は厳密調査を遂げたるも、結局事実判明せず、

ついては事実不明なるにかかわらず揣摩(しま)憶測して無根の記事を掲載するにおいては、厳重取締をなすべき旨を告げ、

もって暗に発売禁止の意をほのめかせば、効果あるべし」


 この発言内容には、当時の言論弾圧の実情が露骨に表れている。

警保局長はさらに、「新聞取締の必要上、戒厳令撤廃の延期」まで提案したが、これには同意者が少く、そのままとなった。

 この時にはまだ官房主事兼高等課長だった正力松太郎は、職責からいえば、当然、右の「警備会議」に出席しているはずであるが、以上に挙げた資料の「警備会議」の発言者の中には、正力の名はない。

まだ位が低いのである。

もちろん、研究者たちは、正力の存在を十二分に意識してきた。

 田原は、遠藤元中将から直接の証言を得て、詳しい経過を記している。


 正力は、遠藤を警視庁に呼び出していた。

「ニヤニヤ笑いを浮かべ」ながら、「聞き込みも一応終わっています」などと脅しを入れた。

すでに後藤と「五大臣会議」の間にただよう「臭気」を指摘したが、この件で、正力または内務省勢力は、陸軍と対等に取り引きができるネタを握ったわけである。

その強みが正力の顔に表われていたのではないだろうか。

田原はさらに、その後の読売への正力の乗りこみと、小村俊三郎の退社との因果関係をも指摘している。

『将軍の遺書』の方には、つぎのような日記添付「メモ用紙」部分の記載がある。

「佐々木兵吉大尉、第三旅団長の許可を得て、王希天のみをもらい受け、中川堤防上にてK[垣内]中尉、その首を切り死がいを中川に流す。[中略]

正力警備課長[警視庁官房主事の誤記]は、その秘密を察知ありしが如きも深く追及せず」

 以上、概略の紹介にとどめるが、いやはや、驚くべき本音の記録の連続である。

これらの発言記録を発見したときの、田原ら先行研究者の興奮が、じかに伝わってくるような気がするのである。


 事件の翌年、一九二四年(大13)二月二六日に、正力は読売「乗りこみ」を果たす。

 同年一〇月四日、読売記者の安成二郎は、築地の料亭で開かれた前編集長千葉亀雄の慰労会での会話を、あとでメモし、「記憶のために」と注記しておいた。

本人が三六年後に自宅で再発見したこのメモは、『自由思想』(60・10)に発表された。

内容のほとんどは、大杉栄ら虐殺事件の関係であるが、その最後の短い(三)は、つぎのようになっている。

「(王希天はどうしたんでせう、軍隊では無いでせうが……)と千葉氏が言うと、

正力氏は(王希天か、ハハハ)と笑って何も言はなかった」


 この正力の「ハハハ」という笑い声は、どういう響きのものだったのだろうか。

壮年期の正力の声については、『経済往来』(10・3)に、「男性的で丸みがあり、声量があって曇りがない」と記されている。

六尺豊かの大男が、柔道で鍛え、警官隊を指揮してきたのだったから、それだけの迫力のある声だったに違いない。

だが、「虐殺」の話題で出た「ハハハ」という笑い声には、いわゆる「地獄の高笑い」のような、真相を知りつつとぼける不気味さが、漂っていたのではないだろうか。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-8.html


戒厳令から治安維持法への一本道の上に見る正力の配置


 軍や警察当局が恐れていたのは、新聞報道の内容や新聞そのものだけではなかった。

小村欣一の発言にもあったように、「主義上の運動者」の動きもあった。

すでに「警備会議」の「話題」にものぼっていた「民間調査団」がある。

そこには、読売の小村記者以外に、東京日日(毎日系)、大阪毎日、東京朝日の記者が参加していた。

かれらは中国から来日した宗教家の調査団と接触する一方、吉野作造邸で協議をしていた。北京政府が派遣した調査団も、吉野作造邸に立ち寄っていた。


 吉野作造(一八七九〜一九三三)は、東大法科卒で、同大教授として政治史を講義していた。

デモクラシーを「民本主義」と訳したことでも知られている。

東大新人会の総帥でもあり、いわゆる大正デモクラシーの理論的主柱ともいうべき存在であった。

後日談になるが、関東大震災の翌年に当たる一九二四年(大13)には、朝日新聞社論説顧問に迎えられ、五か月あまりで退社した。

退社の原因は、「五ヶ条のご誓文は明治政府の悲鳴」という講演内容などを、右翼団体が「不敬罪」として告発したためである。

『朝日新聞の九十年』でも、退社の経過について、「検察当局の意向もあり」と記している。

「不敬罪」の告発自体は不起訴となったが、この件でも朝日は「白虹事件」の時と同様、右翼と検察のチームプレーに屈服したのである。


 さて、以上のような状況を背景にしながら、強権の発動による王希天虐殺事件の隠蔽工作が行われたのだが、それはまず戒厳令下にはじまっている。戒厳令は約二か月半も続いた。

解除は一一月一六日である。『歴史の真実/関東大震災と朝鮮人虐殺』では、戒厳令の解除後に「かわって憲兵が大増強され、警察官もまたピストルまで配備された上に増員された」と指摘する。

 戒厳令下、および以後の虐殺問題報道の全体像をも、調べ直す必要があるだろう。

田原は、王希天虐殺事件の隠蔽工作と大杉殺害事件の関係を、つぎのように示唆する。


「王希天事件は『行方不明』扱いで、十月十七日から二十日にかけて、各紙に掲載された。

『殺害』をにおわせる記述は厳重にチェックされたので、さりげない震災エピソード風に受けとめられ、やがて“関係者”以外には忘れられた。

大杉栄殺害事件で、甘粕らがスケープゴートとなった意味は、単に『犯人』を買って出ただけでなく、報道操作の陽動作戦に必要な犠牲バントとしての役割もあったのである」

 大杉栄殺害事件の軍法会議の進行は、非常に早かった。

戒厳令下の一〇月八日に第一回、以後、一一月一六日、一七日、二一日の四回で結審となり、一二月八日には、甘粕に懲役一〇年などの判決が出ている。

この間の新聞報道は、シベリア出兵以来の「反ソ」キャンペーンとも呼応している。

社会主義者への世間一般の反感をも土台にして、甘粕らに同情的な風潮さえ作り出したようである。


 その後、甘粕はたったの三年で釈放され、満州国の黒幕となる。

緊急事態を根拠にして公布された「治安維持勅令」は、そのまま法律化され、翌々年の一九二五年(大14)に制定される治安維持法への橋渡しの役割を果たした。

このようなドサクサまぎれの突貫工事によって、外にはシベリア出兵、内には米騒動、関東大震災という人災、天災のはさみうちの混乱のなかで、昭和日本の憲兵・警察支配、治安維持法体制は完成を見たのである。


 わたしは、正力の読売「乗りこみ」を、以上の政治状況と深くかかわりながら企まれた一大政治謀略に相違ないと確信している。

 さらにさかのぼれば、当時の読売が「出る釘は打たれる」のたとえ通りの襲撃目標に選ばれた理由には、まさに日本のメディア史の矛盾を象徴するような典型的経過があったというべきであろう。

 第一の理由は、その明治初年以来の歴史的ブランドである。

第二の理由は、「白虹事件」残党を中心に形成されつつあった大正デモクラシーの「メディア梁山泊」としての位置づけである。

最後の第三の理由、すなわち、「まぼろしの読売社説」をめぐるオロドオドロの衝撃ドラマは、それらの歴史的経過の必然的な帰結であった。

読売は、日本の歴史の悲劇的なターニング・ポイントにおいて、右旋回を強要する不作法なパートナー、正力松太郎の、「汚い靴」のかかとに踏みにじられたのである。

 日本の最高権力と、それに追随する勢力は、関東大震災という天災を契機として、大量の中国人とその指導者を虐殺し、卑劣にも、その事実の徹底的な隠蔽を図った。

この虐殺と隠蔽工作とは共に、以後ますます拡大される中国大陸侵略への狼煙の役割を果たした。

 正力社長就任以後の読売新聞は、最左翼から急速に右旋回し、「中道」の朝日・毎日をも、さらに右へ引き寄せ、死なばもろとも、おりからのアジア太平洋全域侵略への思想的先兵となった。

正力の読売「乗りこみ」は、いいかえれば、この地獄の戦線拡大への坂道を転げ落ちようとしている日本にとって、雪だるまを突き落とす最初の、指のひと押しの位置づけだったのではないだろうか。

 正力本人は、戦後にA級戦犯として巣鴨入りした。

だが、この時も、アメリカの世界政策上の措置によって、その罪は裁かれずに終わってしまった。

今こそ改めて、多数の中国人労働者と王希天の虐殺事件とその報道状況とを、日本のジャーナリズムの歴史の中央に位置づけ直し、事実関係を確認し直すべきなのではないだろうか。

自社の歴史を正確に記して過去を反省するか否かは、また、メディア企業の決定的な試金石でもあろう。

 わたしは一応、読売新聞広報部に電話をした。本書に記したような事実を読売新聞は把握しているか、今後の社史などで明らかにする予定があるか、などを問いただした。

しかし、「お答えすべき筋のことではないと思う」という、番犬の唸り声のような返事だけだったので、この件について、本書を「公開質問状」とすると告げた。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-9-9.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/554.html#c5

[近代史3] 関東大震災後の民衆(自警団)の手による朝鮮人虐殺 中川隆
6. 中川隆[-8855] koaQ7Jey 2019年7月25日 05:14:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3859]

大河『いだてん』に関東大震災「朝鮮人虐殺」を示唆するシーンが! 右派の虐殺否定デマに抗した勇気
https://lite-ra.com/2019/06/post-4779.html
2019.06.17 『いだてん』が関東大震災「朝鮮人虐殺」を示唆! リテラ
    
    朝鮮人虐殺を示唆した『いだてん』(番組HPより)


 16日放送のNHK大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』が話題になっている。関東大震災時に起きた、朝鮮人虐殺を示唆する描写に踏み込んだからだ。

 ご存知のとおり、関東大震災は1923(大正12)年9月1日に起きたのだが、『いだてん』の主人公のひとり・マラソンランナーの金栗四三も当時東京府女子師範学校で教員として勤めており、震災に遭遇する。

 ドラマ中盤、ちょうどお昼時だった東京の街を地震が襲う。地震そのものも以上に火災の被害も大きく、浅草から日本橋、芝まで炎に包まれ、2日かけて東京が焼き尽くされる。なかでも浅草の被害は大きく、シンボルだった凌雲閣の倒壊をはじめ、2日で街が消えるほどの壊滅的な被害を受ける。

 混乱さめやらぬなか四三は、浅草で行方不明になっている同僚教師を懸命に探すのだが、そこで棒を手にした数人の男に声をかけられる。

 男らは「おまえ、日本人か? どこから、どうやって来た?」と、四三にいきなり出自を問う。四三が「いやいや、どぎゃんも、こぎゃんも……」と出身である熊本訛りで答えると、男らは「なんだ? なんだ、その言葉? 日本人じゃないな」四三を取り囲む。四三が「熊本! おら熊本だげん!」と答えても、「くまもとぉ?」とさらに問い詰める。

 そこへたまたま、四三の教え子の父親で医師の大作があらわれ、「娘の学校の先生だ、日本人だ」「大丈夫だ!」と、四三を助け出したことから、なんとか事なきを得たが、男らは「本当か!?」としつこく詰め寄っていた。

「ご無事で何より」と無事を労う四三に、大作は先ほどの男らについて「自警団ですよ」「この災害のどさくさで、根拠のない流言飛語が出回っている。大きな余震がくるとか、井戸に毒がまかれたとか、とんでもないデマがね」と説明する。

 時間にしてわずか1分足らずの場面で、「朝鮮人」という言葉こそ出していないものの、関東大震災時に起きた「朝鮮人虐殺」を描いたものだ。

 大作が流言飛語が飛び交っていると説明していたとおり、実際の震災時も「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒を入れた」「火をつけて回っている」などのデマ・流言飛語が飛び交い、それを信じた自警団を称する日本人たちにより多くの朝鮮人たちが殺害された。

 また熊本訛りの四三に対し「おまえ日本人か?」「なんだその言葉? 日本人じゃないな」と問い詰めていたのも、実際に当時「アイウエを言え」「教育勅語を言え」などと詰め寄り言葉に詰まったり発音が違ったりすると「朝鮮人だ」として暴行するという行為が横行していたことに基づいている。また、四三のように棒を手にした自警団に「朝鮮人だろう」と取り囲まれるというのは、実際、当時中学生だった故・黒澤明監督も同様の体験を自伝のなかに記している(https://lite-ra.com/2017/09/post-3425.html)。

■右派の圧力のためか、「朝鮮人」という言葉は使わなかったが…

 もちろん、『いだてん』も本来は「朝鮮人」という言葉をきちんと盛り込んで、「朝鮮人虐殺」というヘイトクライムを明確に描くべきだったと思うが、それでも現在の言論状況で、NHKがゴールデンタイムの看板ドラマで朝鮮人虐殺を示唆する場面を描いただけでも価値がある。

 というのも、近年、関東大震災時の朝鮮人虐殺の史実を闇に葬りなかったことにしようという歴史修正の動きが激しくなっているからだ。

 ネトウヨのみならず、ヘイト本や極右雑誌などがこぞって「朝鮮人虐殺はなかった」というデマや、「本当に朝鮮人の暴動があった」というデマを掲載し、朝鮮人虐殺否定を盛んに喧伝している。

 また東京都の小池百合子知事は、2017年から、それまで歴代都知事が毎年9月1日に行ってきた朝鮮人犠牲者の追悼式典への追悼文を取りやめた。

 さらに安倍首相も、2016年「政府は、関東大震災時における朝鮮人、中国人等の虐殺事件に日本政府が関与したことを事実として認定するか」との質問主意書に対し、「お尋ねの「関東大震災時における朝鮮人、中国人等の虐殺事件に日本政府が関与したこと」については、調査した限りでは、政府内にその事実関係を把握することができる記録が見当たらないことから、お尋ねについてお答えすることは困難である」との答弁書を出すなど、明らかな史実をなかったことにしようとしている。

 関東大震災の際、デマによって大規模な朝鮮人のジェノサイドが起き、警察や軍がこれに加担したのは、保守系の歴史学者も認めている歴史的事実であり、なにより、当時を生きた人々による膨大な証言が残されている。

■右派の虐殺否定はデマ、数々の資料が描く朝鮮人虐殺の凄惨な現場

 朝鮮人虐殺否定デマが活発化していた2014年、震災当時の証言や記録で構成されたノンフィクション本『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(加藤直樹/ころから)が出版されているが、同書には、公文書や軍の資料、戦後の検証記録から、被害者の朝鮮人、目撃した一般住民、さらには作家の芥川龍之介や国学者である折口信夫の証言まで、虐殺の事実を裏付ける資料がいくつも紹介されている。

 たとえば、『風よ鳳仙花の歌をはこべ』(教育史料出版会)にも収録された葛飾区四ツ木橋付近の地元住民からの聞き取り。ここには自警団と称する民間の日本人による凄惨きわまりない“朝鮮人狩り”の目撃証言がいくつも登場する。

「四ツ木橋のむこう(葛飾側)から血だらけの人を結わえて連れてきた。それを切って下に落とした。旧四ッ木はしの少し下手に穴を掘って投げ込むんだ」

「(自警団が殺したのは)なんとも残忍な殺し方だったね。日本刀で切ったり、竹槍で突いたり、鉄の棒で突き刺したりして殺したんです。女の人、なかにはお腹の大きい人もいましたが、突き刺して殺しました。私が見たのでは、30人ぐらい殺していたね」

 もっと生々しいのは子どもたちの証言だ。同書では、関東大震災から半年の間に書かれた子どもの作文を紹介しているが、そこには子どもならではのあまりにリアルすぎる目撃談が大量に出てくるのだ。

「朝鮮人がころされているというので私わ行ちゃんと二人で見にいつた。すると道のわきに二人ころされていた。こわいものみたさにそばによつてみた。すると頭わはれて血みどりにそまつていた」(横浜市・高等小学校1年女児)

「私たちは三尺余りの棒を持つて其の先へくぎを付けて居ました・それから方方へ行って見ますと鮮人の頭だけがころがつて居ました」(同1年女児)

「歩いて居ると朝鮮人が立木にゆはかれ竹槍で腹をぶつぶつさられ(刺され)のこぎりで切られてしまひました」(同小学校男児)

「するとみなさんがたが朝鮮人をつついていましたからは(わ)たくしも一ぺんつついてやりましたらきゆうとしんでしまひました」(横浜市尋常小学校4年男児)

■デマを広めた張本人・読売社主の正力松太郎も後にデマを認めていた

 さらに、自警団だけでなく、警察、軍隊まで出動して「戦争気分」で朝鮮人を虐殺した。当時、習志野騎兵連隊に入隊していた越中谷利一はこう記している。

「(亀戸駅付近に止まっていた列車の内外を調べ)その中にまじっている朝鮮人はみなひきずり下ろされた。そして直ちに白刃と銃剣下に次々と倒れていった。日本人避難民のなかからは嵐のように沸きおこる万歳歓呼の声──国賊!朝鮮人は皆殺しにしろ!」(『関東大震災の思い出』)

 実際、朝鮮人の暴動デマは、戦後、衆院議員、読売新聞社主として政界、マスコミ界に君臨した正力松太郎が警視庁官房主事時代に広めたことがわかっている。

『九月、東京の路上で』でもそのことは指摘されていて、「デモや集会を取り締まり、朝鮮人学生のひそかな独立運動に目を光らせていた」正力がそのデマに振り回され、「軍人達に『こうなったらやりましょう!』と腕まくりをして叫び、警視庁に駆けつけていた新聞記者たちには『朝鮮人が謀反を起こしているといううわさがあるから触れ回ってくれ』と要請する」とある。

 だが、その正力は後に、この朝鮮人暴動がデマだったと認めているのだ。正力の回顧録『米騒動や大震災の思い出』にはこんなくだりがある。

「しかるに鮮人がその後なかなか東京へ来襲しないので不思議に思うておるうちにようやく夜の10時ごろに至ってその来襲は虚報なることが判明いたしました。(中略)要するに人心が異常なる衝撃を受けて錯覚を起し、電信電話が不通のため、通信連絡を欠き、いわゆる一犬虚に吠えて万犬実を伝うるに至ったものと思います。警視庁当局として誠に面目なき次第であります(後略)」
 
 普通の人々が持つ潜在的な差別意識と恐怖心、加えて震災で通信が寸断され、何が正確な情報が分からなくなった時、虐殺は起こった。歴史修正主義者やネトウヨがどういおうと、これはまぎれもない事実なのだ

■『いだてん』は伊藤博文暗殺でもネトウヨから攻撃を受けていたが

 つまり、『いだてん』は、今回、右派政治家やネトウヨのデマ、歴史修正主義に屈することなく、こうした当たり前の史実を描こうとしたということだ。『いだてん』の場合、必ずしもこの1分足らずの場面があってもなくても、ストーリーの大勢には大きな影響はなかっただろう。それでもあえてこの場面を入れたのには、脚本の宮藤官九郎をはじめとした、製作陣の明確な意図があったことは間違いない。

 本サイトは『いだてん』について、国家主義や戦争と無縁ではいられないオリンピックというテーマを描くことの難しさについて書いたことがある。さらに『いだてん』はいまの日本で扱うと炎上しやすい近現代史を描くという高いハードルにも取り組んでいる。実際、伊藤博文暗殺に関するナレーションひとつで、ネトウヨ連中からイチャモンをつけられるなどしている。

 そんななかでも最もコントラバーシャルなトピックのひとつである朝鮮人虐殺について、『いだてん』がなかったことにせず少しでも描いたことは評価に値する。今後、戦争に突入していく日本をどう描くのか、ヒトラーのベルリン五輪をどう描くのか、そのベルリン五輪に日本選手として出場した朝鮮半島出身者たちの存在をどう描くのか。視聴率の低さばかりがニュースになっている『いだてん』だが、このチャレンジはもっと注目されていいのではないか。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/554.html#c6

[リバイバル3] ケーブル(電線)の世界 中川隆
88. 中川隆[-8854] koaQ7Jey 2019年7月25日 09:40:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3860]

ケーブル類について - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年07月25日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/41081149a50ba6ffb446e36cda77ff93


皆さんは「ケーブル」(配線)についてどのようなお考えだろうか? かたくなにケーブルの価格は¥15000までと決めておられる方もいらっしゃいます。どんな機器をお使いか?と尋ねるとCELLOのプリ+パワーアンプを使っているとの事。CELLOのプリ+パワーアンプなら当然¥100万円は軽々と超えている。


私の考えとは相いれないお考えだ。しかしそれも個人の自由、止めたりはしない。ただ、自分がケーブル材や配線で色々実験してきた結果や、「ケーブル」は「必要条件」である事の認識をしている。


どんなに高額な機器やSPであっても、ケーブルなしでは音は出ない。(必要条件の所以) 出て来たサウンドの半分以上は「ケーブル(配線)の音」である事。機器ばかりが音に影響しているのではないと云う事。


昔、オーディオ雑誌で色々な機器(アンプ)の比較試聴記が掲載されていたが、当時は「直だし電源ケーブル」全盛時代である。アンプの音など「電源ケーブル」の音で決まっていた。


電源ケーブルの重要性に気づいたパイオニア社ではエクスクルーシブC5・M5から独自の電源ケーブルを開発し採用し始めた。海外メーカーは1980年代から電源ケーブルをインレット化して、自由に好きな電源ケーブルが使える様になっていた。国産アンプメーカーがインレット化を始めたのは1990年代に入ってから・・・。如何に国産メーカーの「音質」に対する認識が甘いかが良く分かる。バランス回路についても同じことがいえる。


ただ一般ユーザーが困る事がある。国産のケーブル材の出来は「どんぐりの背比べ」的な処が強く、8N・OFC等とネーミングは良いが、芯材の断面積がφ10mm以上ないと使い物にならない。(音数的に) 更に、周波数特性的にも下も上も物足りない。更にもう一つ、「エネルギー感」が全く不足。 (安物ケーブルを束ねてSPケーブルにして実験してみると良い)


「耳に痛い音」が飛んでくるのは大体決まって、アンプやSPが「活性化していないか、ケーブル類の質と量(断面積)が極端に不足しているからである。


オーディオマニアと云いつつ「音質」を良くすることを避けている様では本当のマニアではないと思う。小さなシステムでもオーナーが精魂込めて成長させたシステムには聴かせる所が有る。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/41081149a50ba6ffb446e36cda77ff93

アンプの音色 - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年07月24日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/beb50f68a6789981c2672b203f4fa1dd


漸く落ち着きだした自宅システム。サウンドも大きく変貌して来ました。その中で「アンプ」の「音色」について述べておきます。


マッキントッシュC22を模倣したこの自作プリアンプには、大きな癖や音色は有りません。ソースから入ってきた信号をそのまま即座にパワーアンプに送り出す様な非常に俊敏なプリアンプです。音色的には「ライトブルー系」の淡い色合いかとも思います。使っている球は12AX7(テレフンケン)と12AU7(フィリップス5814A)です。それぞれ試聴して、自分の耳に合格した球しか使いません。「ライトブルー系」の音色は「内部配線」の音色ですね。

プリアンプに対してパワーアンプのWE101Dの音色は確実に出ていますね。どう表現すれば良いのか?・・・・1960年代に良い映画館に行った時のサウンド(おそらくWEの球や機器を使ってある様な・・・)です。おそらく周波数特性的には上も下もあまり伸びてはいませんが、音の通りが良くて中域が非常に充実しています。内部配線の影響か?独特の音色もそう強烈ではありません。「楽音」の再現には申し分ないサウンドです。特筆すべきは音の粒立ちでしょうね。


私の7SPユニットシステム3種とも、すべてのケーブルを自作の最高峰ケーブルで接続しています。その結果、「見通しの良い音」(ベールが全くない)になっています。音数もソフトに入っている情報をすべて引き出して、且、さらに余裕をもってSPから音を出していると思っています。その為にケーブル類はとんでもない太さ(銀線で)に見えるかも知れません。一般的なケーブルの太さでないことは確かです。これは「ケーブル材の断面積」がすべての情報を引き出すために必要な「断面積」にしているからです。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/beb50f68a6789981c2672b203f4fa1dd
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/757.html#c88

[リバイバル3] 「マイ電柱」は効果が有るのか? 中川隆
23. 中川隆[-8853] koaQ7Jey 2019年7月25日 09:41:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3861]

ケーブル類について - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年07月25日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/41081149a50ba6ffb446e36cda77ff93


皆さんは「ケーブル」(配線)についてどのようなお考えだろうか? かたくなにケーブルの価格は¥15000までと決めておられる方もいらっしゃいます。どんな機器をお使いか?と尋ねるとCELLOのプリ+パワーアンプを使っているとの事。CELLOのプリ+パワーアンプなら当然¥100万円は軽々と超えている。


私の考えとは相いれないお考えだ。しかしそれも個人の自由、止めたりはしない。ただ、自分がケーブル材や配線で色々実験してきた結果や、「ケーブル」は「必要条件」である事の認識をしている。


どんなに高額な機器やSPであっても、ケーブルなしでは音は出ない。(必要条件の所以) 出て来たサウンドの半分以上は「ケーブル(配線)の音」である事。機器ばかりが音に影響しているのではないと云う事。


昔、オーディオ雑誌で色々な機器(アンプ)の比較試聴記が掲載されていたが、当時は「直だし電源ケーブル」全盛時代である。アンプの音など「電源ケーブル」の音で決まっていた。


電源ケーブルの重要性に気づいたパイオニア社ではエクスクルーシブC5・M5から独自の電源ケーブルを開発し採用し始めた。海外メーカーは1980年代から電源ケーブルをインレット化して、自由に好きな電源ケーブルが使える様になっていた。国産アンプメーカーがインレット化を始めたのは1990年代に入ってから・・・。如何に国産メーカーの「音質」に対する認識が甘いかが良く分かる。バランス回路についても同じことがいえる。


ただ一般ユーザーが困る事がある。国産のケーブル材の出来は「どんぐりの背比べ」的な処が強く、8N・OFC等とネーミングは良いが、芯材の断面積がφ10mm以上ないと使い物にならない。(音数的に) 更に、周波数特性的にも下も上も物足りない。更にもう一つ、「エネルギー感」が全く不足。 (安物ケーブルを束ねてSPケーブルにして実験してみると良い)


「耳に痛い音」が飛んでくるのは大体決まって、アンプやSPが「活性化していないか、ケーブル類の質と量(断面積)が極端に不足しているからである。


オーディオマニアと云いつつ「音質」を良くすることを避けている様では本当のマニアではないと思う。小さなシステムでもオーナーが精魂込めて成長させたシステムには聴かせる所が有る。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/41081149a50ba6ffb446e36cda77ff93

アンプの音色 - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年07月24日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/beb50f68a6789981c2672b203f4fa1dd


漸く落ち着きだした自宅システム。サウンドも大きく変貌して来ました。その中で「アンプ」の「音色」について述べておきます。


マッキントッシュC22を模倣したこの自作プリアンプには、大きな癖や音色は有りません。ソースから入ってきた信号をそのまま即座にパワーアンプに送り出す様な非常に俊敏なプリアンプです。音色的には「ライトブルー系」の淡い色合いかとも思います。使っている球は12AX7(テレフンケン)と12AU7(フィリップス5814A)です。それぞれ試聴して、自分の耳に合格した球しか使いません。「ライトブルー系」の音色は「内部配線」の音色ですね。

プリアンプに対してパワーアンプのWE101Dの音色は確実に出ていますね。どう表現すれば良いのか?・・・・1960年代に良い映画館に行った時のサウンド(おそらくWEの球や機器を使ってある様な・・・)です。おそらく周波数特性的には上も下もあまり伸びてはいませんが、音の通りが良くて中域が非常に充実しています。内部配線の影響か?独特の音色もそう強烈ではありません。「楽音」の再現には申し分ないサウンドです。特筆すべきは音の粒立ちでしょうね。


私の7SPユニットシステム3種とも、すべてのケーブルを自作の最高峰ケーブルで接続しています。その結果、「見通しの良い音」(ベールが全くない)になっています。音数もソフトに入っている情報をすべて引き出して、且、さらに余裕をもってSPから音を出していると思っています。その為にケーブル類はとんでもない太さ(銀線で)に見えるかも知れません。一般的なケーブルの太さでないことは確かです。これは「ケーブル材の断面積」がすべての情報を引き出すために必要な「断面積」にしているからです。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/beb50f68a6789981c2672b203f4fa1dd
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/759.html#c23

[リバイバル3] 音がわからないアホ・オーディオマニアが良く引用する「オーディオの科学」の何処がおかしいか 中川隆
31. 中川隆[-8852] koaQ7Jey 2019年7月25日 09:42:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3862]

ケーブル類について - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年07月25日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/41081149a50ba6ffb446e36cda77ff93


皆さんは「ケーブル」(配線)についてどのようなお考えだろうか? かたくなにケーブルの価格は¥15000までと決めておられる方もいらっしゃいます。どんな機器をお使いか?と尋ねるとCELLOのプリ+パワーアンプを使っているとの事。CELLOのプリ+パワーアンプなら当然¥100万円は軽々と超えている。


私の考えとは相いれないお考えだ。しかしそれも個人の自由、止めたりはしない。ただ、自分がケーブル材や配線で色々実験してきた結果や、「ケーブル」は「必要条件」である事の認識をしている。


どんなに高額な機器やSPであっても、ケーブルなしでは音は出ない。(必要条件の所以) 出て来たサウンドの半分以上は「ケーブル(配線)の音」である事。機器ばかりが音に影響しているのではないと云う事。


昔、オーディオ雑誌で色々な機器(アンプ)の比較試聴記が掲載されていたが、当時は「直だし電源ケーブル」全盛時代である。アンプの音など「電源ケーブル」の音で決まっていた。


電源ケーブルの重要性に気づいたパイオニア社ではエクスクルーシブC5・M5から独自の電源ケーブルを開発し採用し始めた。海外メーカーは1980年代から電源ケーブルをインレット化して、自由に好きな電源ケーブルが使える様になっていた。国産アンプメーカーがインレット化を始めたのは1990年代に入ってから・・・。如何に国産メーカーの「音質」に対する認識が甘いかが良く分かる。バランス回路についても同じことがいえる。


ただ一般ユーザーが困る事がある。国産のケーブル材の出来は「どんぐりの背比べ」的な処が強く、8N・OFC等とネーミングは良いが、芯材の断面積がφ10mm以上ないと使い物にならない。(音数的に) 更に、周波数特性的にも下も上も物足りない。更にもう一つ、「エネルギー感」が全く不足。 (安物ケーブルを束ねてSPケーブルにして実験してみると良い)


「耳に痛い音」が飛んでくるのは大体決まって、アンプやSPが「活性化していないか、ケーブル類の質と量(断面積)が極端に不足しているからである。


オーディオマニアと云いつつ「音質」を良くすることを避けている様では本当のマニアではないと思う。小さなシステムでもオーナーが精魂込めて成長させたシステムには聴かせる所が有る。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/41081149a50ba6ffb446e36cda77ff93

アンプの音色 - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年07月24日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/beb50f68a6789981c2672b203f4fa1dd


漸く落ち着きだした自宅システム。サウンドも大きく変貌して来ました。その中で「アンプ」の「音色」について述べておきます。


マッキントッシュC22を模倣したこの自作プリアンプには、大きな癖や音色は有りません。ソースから入ってきた信号をそのまま即座にパワーアンプに送り出す様な非常に俊敏なプリアンプです。音色的には「ライトブルー系」の淡い色合いかとも思います。使っている球は12AX7(テレフンケン)と12AU7(フィリップス5814A)です。それぞれ試聴して、自分の耳に合格した球しか使いません。「ライトブルー系」の音色は「内部配線」の音色ですね。

プリアンプに対してパワーアンプのWE101Dの音色は確実に出ていますね。どう表現すれば良いのか?・・・・1960年代に良い映画館に行った時のサウンド(おそらくWEの球や機器を使ってある様な・・・)です。おそらく周波数特性的には上も下もあまり伸びてはいませんが、音の通りが良くて中域が非常に充実しています。内部配線の影響か?独特の音色もそう強烈ではありません。「楽音」の再現には申し分ないサウンドです。特筆すべきは音の粒立ちでしょうね。


私の7SPユニットシステム3種とも、すべてのケーブルを自作の最高峰ケーブルで接続しています。その結果、「見通しの良い音」(ベールが全くない)になっています。音数もソフトに入っている情報をすべて引き出して、且、さらに余裕をもってSPから音を出していると思っています。その為にケーブル類はとんでもない太さ(銀線で)に見えるかも知れません。一般的なケーブルの太さでないことは確かです。これは「ケーブル材の断面積」がすべての情報を引き出すために必要な「断面積」にしているからです。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/beb50f68a6789981c2672b203f4fa1dd
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/881.html#c31

[近代史3] 馬渕睦夫 韓国が反日である理由 _ 日本と隣国とを対立させ統治する分割統治 中川隆
3. 中川隆[-8851] koaQ7Jey 2019年7月25日 10:02:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3863]
目くらましとしての日韓対立
2019年7月24日   田中 宇
http://tanakanews.com/190724koreajapan.htm


7月23日、ロシアと中国の空軍機が日本海で初めて合同の巡回飛行訓練を行った。中露軍機(爆撃機とレーダー機)はその際、日韓の係争地である竹島(独島)の近くを飛行したため、竹島を実効支配している韓国が戦闘機を緊急発進させ、領空侵犯した露軍機(レーダー機)に近づいて猛烈な警告射撃を行った。合同飛行した中露の爆撃機は、領空の外側の防衛識別圏内を韓国(と日本)に無許可で飛行した。韓国政府は、ロシアと中国の駐韓大使を呼びつけて抗議した。日本政府は、竹島周辺に防空識別圏を設定していないことを理由に、記者会見で遺憾の意を表明しただけだった。 (Russia-China joint bomber patrol meets Japanese & S. Korean fighters, but missions will go on)

この事件は、日韓対立や「中露の脅威」の絡みで語られているが、私が注目したのはそこでなく、米国や米軍が全く出てこなかったことだ。中露は以前から日本海や極東で軍事協調や合同軍事演習を行っており、米国はこれに対して以前から沈黙してきた。それを考えると、米国の今回の沈黙も意外でない。だが同時に米国では、中国の台頭や中露の結束が米国にとって脅威であると繰り返し言われるようになっている。中露軍が合同で日韓の領土の近くを無断で飛び回り、日韓の戦闘機が緊急発進し、韓国機が露機に威嚇射撃して交戦しそうになった。中露の結束が米国の同盟(日韓)に脅威を与えた。それなのに米国は全く出てこず、日韓が別々に直接中露軍と対峙することになった。 (Russia, Japan, South Korea, China fighter jets in complex East Asia stand-off)

ちょうど7月23−24日には、米トランプ政権の好戦派のボルトン安保担当補佐が、日韓の軍隊をイラン正面のホルムズ海峡に出させて米国同盟とイランとの軍事対立を扇動す策を進めるため、日韓訪問している。好戦派のボルトンは、イランだけでなく露中も脅威とみなして敵視してきたはずだが、事件に関してボルトンは何の発表もしていない。(ボルトンは、日韓の対立を仲裁するためという触れ込みで日韓を訪問したが、対立の仲裁を全くやらず、イランに軍を出せとしか日韓に言っていない) (Seoul considers back US efforts in Hormuz)

米国は中露の台頭を防ぎたいはずなのに、なぜ中露軍が日韓の近くで脅威を振りまいて飛び回っても米政府や米軍が黙ってるのか。私の以前からの読者なら、すぐわかる問いだろう。トランプの米国は「隠れ多極主義」で、中露の台頭や結束を防ごうとするふりをして、実は台頭結束を扇動している。表向き同盟国である日韓を中露などの脅威から守ると言いつつ、実際は日韓を放置して自衛や対米自立せざるを得ない状態に追いやろうとしている。今回の中露軍の合同巡回飛行は、竹島や対馬海峡などで日韓の領空や防空識別圏にわざと入ることで、米国や日韓の政府や軍がどのように反応するかを見る作戦が含まれていたのでないか。 (中露に米国覇権を引き倒させるトランプ)

トランプの覇権放棄・多極化戦略が進むほど、駐留米軍は日韓を守らなくなって撤退の心理的な準備を日韓にさせるようになる。米国と日韓がその道をどのぐらいまで進んでいるのか、中露は知りたいはずだ。そのため今回、中露軍は合同で日韓の領空などに対する意図的な侵犯を行い、日韓と米国の反応を見た。とくに竹島は日韓の紛争地なので、中露としては極東に対する米国の覇権が低下して極東や日本海が中露の覇権下に移っていく中で、竹島(独島)に対する日韓の反応や防衛実務について把握しておく必要がある。

竹島(独島)や対馬海峡周辺の領空や防衛識別圏への中露軍機の侵入に対し、韓国の政府や軍は、威嚇射撃や、大使を呼び出して叱責するといった、激しく厳しい「きちんとした対応」をした。韓国は竹島(独島)を実効支配しているし、北朝鮮との長年の一触即発の軍事対立や本物の戦闘を経験しているため、露軍機の領空侵犯に対しても容赦せず、激しく警告射撃する本気の防衛を見せた。対称的に日本は、竹島を実効支配していないうえ、防衛を米国任せの対米従属なので「腰が引けて」おり、韓国同様、対馬海峡の防衛識別圏を侵犯されたのに中露大使を呼びつけて抗議せず、官房長官が遺憾の意を表明しただけだった。「素晴らしい平和主義」ともいえる。 (South Korea claims ‘warning shots’ fired after Russian military aircraft ‘violated airspace’)

今後、日本海に対する中露の支配は強まる一方だろう。米国の覇権が退潮し、北朝鮮の問題も、北が核開発を凍結する見返りに米国が対北制裁を一部解除し、韓国が中露と協力して北を経済支援していく流れになる。南北の和解が進み、米国でなく中露が朝鮮半島の後見役になっていく。極東や日本海は、中露の覇権下に入る。対米従属しか頭にない日本の影響力は低下する。今回の中露軍の飛行演習は、中露の日本海支配の強まりを見越したものだ。中露軍機は今後ますます日本海を飛び回り、独島周辺も通るだろうが、韓国軍から警告射撃を受けない範囲での接近を心がけるだろう。韓国軍は今回、体を張って独島を防衛した。中露は、それに敬意を表しそうだ。対照的に、竹島に対する日本の政府と国民の主張が口だけ(外交重視)であることが露呈した。日本が「素晴らしい平和主義」の国であることが示された。 (S. Korean pilots ‘acted unprofessionally’, Russian bombers did not violate airspace – Moscow)

最近の日韓の対立激化も、米国の覇権が低下し、日本も韓国もこれまで敵だった中国やロシア、北朝鮮に対する敵視をやめていかねばならない中での「目くらまし」として機能している。日本は今後、対米従属できなくなり、これまで日本国民をプロパガンダ漬けにして敵視させてきた中国・ロシア・北朝鮮と和解協調していかねばならない。だが日本政府は、中露北と和解しようとすると、政府自身がばらまいた中露北敵視のプロパガンダによって批判され潰されることになりかねない。そのため安倍政権は、まず官僚でなく官邸がマスコミを牛耳れるようプロパガンダのシステムを変更した上で、マスコミなどを扇動して目くらましとして韓国への敵視を強める一方で、マスコミに中国批判をやめさせつつ、安倍は習近平の中国にすり寄る戦略を目立たないように続けている。そのうち、ロシアや北朝鮮についても同じことをやるだろう。米国の覇権縮小は必ず起きるので、日本が中露北と和解するのも不可避だ。 (S.Korean Fighter Fires 360 Rounds Of Warning Shots At Russian Jet In "Mid-Air Confrontation")

同様に韓国も、これまで敵視してきた北朝鮮と和解するため、目くらまし的な代わりの敵視相手として日本を選んでいる。日韓は戦後の「腐れ縁」であり、くだらない話で感情的に対立しても、必要になれば(目くらましとしての敵対が必要なくなれば)いつでも仲を戻せる。日韓の対立は、日韓双方にとって、多極型世界への過渡期の目くらましとしてちょうど良い。最近、河野外務大臣がさかんに韓国側と喧嘩して見せているが、もともと韓国と仲が良かった河野の韓国敵視は、安倍に命じられた演技以外の何物でもない。 (Shinzo Abe's Underhanded Trade War Against South Korea)

今回の中露軍機の日本海飛行に関しても、日本のマスコミは、ロシアと韓国の2国間の軍の衝突であるかのように報じている。ロシア単独でなく、中露の合同演習だったことは詳細に読んでいかないとわからないようにしてある。安倍政権はマスコミに、中国が関与していないかのように報じさせ、日本人が中国を敵視せぬよう誘導している。 (How Trump’s arch-hawk lured Britain into dangerous trap to punish Iran)

日韓の対立は目くらましなので、国際的に誰かが仲裁して日韓を仲直りさせる必要がない。米国も中露もそれを知っている。トランプは「必要なら仲裁する」と言いつつ、何もしていない。ボルトンも仲裁すると言って日韓を訪問したくせに、実際にやったことはイラン前面への派兵要請だ。トランプは、英国など同盟諸国を動かしてイランと対決させたうえで、米国自身はイランと和解して同盟国のはしごをはずそうとしている。英国はそれに引っかかってひどい目にあっている。この策略はボルトンの担当だ。日本も韓国も、ボルトンの要請を受けない。安倍はイランに行って仲良くしてきたばかりだ。日本はすでに「派兵しません」と宣言している。 (Trump’s ambiguous attitude on Seoul-Tokyo disputes) (Tokyo not considering sending military for US-proposed maritime coalition: Suga)

トランプの米国は、極東だけでなく中東からも撤退しようとしている。米国が「中国やロシアの脅威」を扇動的に語るのは「中東より中露の方が脅威なので、米軍を中東から撤退させますよ」と言うための詭弁だ。米軍は、中東から撤退しても日韓など中露前面を増強するわけでない。北問題が解決していくので、米軍は日韓からも出ていく。米軍が中東インド洋から出ていくと、その後のインド洋航路の防衛は米国に頼れなくなる。日本や韓国中国がバラバラに航路防衛をやるのは大変なので、日中韓やイラン、インド、パキスタンなどが連携して航路防衛(海賊対策)するようになる。日本は韓国中国と仲良くする以外の道がない。トランプのイラン敵視策に乗る国が皆無なのも当然だ。 (中東インド洋の覇権を失う米国) (安倍イラン訪問を狙って日系タンカーを攻撃した意図)

日本や韓国を対米自立させたいトランプは多分、安倍が中国と仲良くするための目くらましとして韓国との対立を扇動していることに賛成している。安倍は最近、徴用工や従軍慰安婦など歴史の問題でなく、半導体の対韓輸出を規制する策で韓国と対立しているが、これはトランプの貿易戦争戦略と似ており、トランプが安倍に「歴史問題は構造的に日本が不利なので、歴史問題でなく貿易戦争で韓国と対立したら良い」と入れ知恵した結果でないかと推測される。このトランプの入れ知恵にも落とし穴がありそうだが、それはいずれ見えてくるだろう。 (Japan says no comment on International Court of Justice plan in South Korea dispute)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/551.html#c3

[近代史3] 東海アマ 統一教会の傀儡、安倍政権による移民政策で何が起きるのか? 中川隆
8. 中川隆[-8850] koaQ7Jey 2019年7月25日 10:31:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3864]
目くらましとしての日韓対立
2019年7月24日   田中 宇
http://tanakanews.com/190724koreajapan.htm

7月23日、ロシアと中国の空軍機が日本海で初めて合同の巡回飛行訓練を行った。中露軍機(爆撃機とレーダー機)はその際、日韓の係争地である竹島(独島)の近くを飛行したため、竹島を実効支配している韓国が戦闘機を緊急発進させ、領空侵犯した露軍機(レーダー機)に近づいて猛烈な警告射撃を行った。合同飛行した中露の爆撃機は、領空の外側の防衛識別圏内を韓国(と日本)に無許可で飛行した。韓国政府は、ロシアと中国の駐韓大使を呼びつけて抗議した。日本政府は、竹島周辺に防空識別圏を設定していないことを理由に、記者会見で遺憾の意を表明しただけだった。 (Russia-China joint bomber patrol meets Japanese & S. Korean fighters, but missions will go on)

この事件は、日韓対立や「中露の脅威」の絡みで語られているが、私が注目したのはそこでなく、米国や米軍が全く出てこなかったことだ。中露は以前から日本海や極東で軍事協調や合同軍事演習を行っており、米国はこれに対して以前から沈黙してきた。それを考えると、米国の今回の沈黙も意外でない。だが同時に米国では、中国の台頭や中露の結束が米国にとって脅威であると繰り返し言われるようになっている。中露軍が合同で日韓の領土の近くを無断で飛び回り、日韓の戦闘機が緊急発進し、韓国機が露機に威嚇射撃して交戦しそうになった。中露の結束が米国の同盟(日韓)に脅威を与えた。それなのに米国は全く出てこず、日韓が別々に直接中露軍と対峙することになった。 (Russia, Japan, South Korea, China fighter jets in complex East Asia stand-off)

ちょうど7月23−24日には、米トランプ政権の好戦派のボルトン安保担当補佐が、日韓の軍隊をイラン正面のホルムズ海峡に出させて米国同盟とイランとの軍事対立を扇動す策を進めるため、日韓訪問している。好戦派のボルトンは、イランだけでなく露中も脅威とみなして敵視してきたはずだが、事件に関してボルトンは何の発表もしていない。(ボルトンは、日韓の対立を仲裁するためという触れ込みで日韓を訪問したが、対立の仲裁を全くやらず、イランに軍を出せとしか日韓に言っていない) (Seoul considers back US efforts in Hormuz)

米国は中露の台頭を防ぎたいはずなのに、なぜ中露軍が日韓の近くで脅威を振りまいて飛び回っても米政府や米軍が黙ってるのか。私の以前からの読者なら、すぐわかる問いだろう。トランプの米国は「隠れ多極主義」で、中露の台頭や結束を防ごうとするふりをして、実は台頭結束を扇動している。表向き同盟国である日韓を中露などの脅威から守ると言いつつ、実際は日韓を放置して自衛や対米自立せざるを得ない状態に追いやろうとしている。今回の中露軍の合同巡回飛行は、竹島や対馬海峡などで日韓の領空や防空識別圏にわざと入ることで、米国や日韓の政府や軍がどのように反応するかを見る作戦が含まれていたのでないか。 (中露に米国覇権を引き倒させるトランプ)

トランプの覇権放棄・多極化戦略が進むほど、駐留米軍は日韓を守らなくなって撤退の心理的な準備を日韓にさせるようになる。米国と日韓がその道をどのぐらいまで進んでいるのか、中露は知りたいはずだ。そのため今回、中露軍は合同で日韓の領空などに対する意図的な侵犯を行い、日韓と米国の反応を見た。とくに竹島は日韓の紛争地なので、中露としては極東に対する米国の覇権が低下して極東や日本海が中露の覇権下に移っていく中で、竹島(独島)に対する日韓の反応や防衛実務について把握しておく必要がある。

竹島(独島)や対馬海峡周辺の領空や防衛識別圏への中露軍機の侵入に対し、韓国の政府や軍は、威嚇射撃や、大使を呼び出して叱責するといった、激しく厳しい「きちんとした対応」をした。韓国は竹島(独島)を実効支配しているし、北朝鮮との長年の一触即発の軍事対立や本物の戦闘を経験しているため、露軍機の領空侵犯に対しても容赦せず、激しく警告射撃する本気の防衛を見せた。対称的に日本は、竹島を実効支配していないうえ、防衛を米国任せの対米従属なので「腰が引けて」おり、韓国同様、対馬海峡の防衛識別圏を侵犯されたのに中露大使を呼びつけて抗議せず、官房長官が遺憾の意を表明しただけだった。「素晴らしい平和主義」ともいえる。 (South Korea claims ‘warning shots’ fired after Russian military aircraft ‘violated airspace’)

今後、日本海に対する中露の支配は強まる一方だろう。米国の覇権が退潮し、北朝鮮の問題も、北が核開発を凍結する見返りに米国が対北制裁を一部解除し、韓国が中露と協力して北を経済支援していく流れになる。南北の和解が進み、米国でなく中露が朝鮮半島の後見役になっていく。極東や日本海は、中露の覇権下に入る。対米従属しか頭にない日本の影響力は低下する。今回の中露軍の飛行演習は、中露の日本海支配の強まりを見越したものだ。中露軍機は今後ますます日本海を飛び回り、独島周辺も通るだろうが、韓国軍から警告射撃を受けない範囲での接近を心がけるだろう。韓国軍は今回、体を張って独島を防衛した。中露は、それに敬意を表しそうだ。対照的に、竹島に対する日本の政府と国民の主張が口だけ(外交重視)であることが露呈した。日本が「素晴らしい平和主義」の国であることが示された。 (S. Korean pilots ‘acted unprofessionally’, Russian bombers did not violate airspace – Moscow)

最近の日韓の対立激化も、米国の覇権が低下し、日本も韓国もこれまで敵だった中国やロシア、北朝鮮に対する敵視をやめていかねばならない中での「目くらまし」として機能している。日本は今後、対米従属できなくなり、これまで日本国民をプロパガンダ漬けにして敵視させてきた中国・ロシア・北朝鮮と和解協調していかねばならない。だが日本政府は、中露北と和解しようとすると、政府自身がばらまいた中露北敵視のプロパガンダによって批判され潰されることになりかねない。そのため安倍政権は、まず官僚でなく官邸がマスコミを牛耳れるようプロパガンダのシステムを変更した上で、マスコミなどを扇動して目くらましとして韓国への敵視を強める一方で、マスコミに中国批判をやめさせつつ、安倍は習近平の中国にすり寄る戦略を目立たないように続けている。そのうち、ロシアや北朝鮮についても同じことをやるだろう。米国の覇権縮小は必ず起きるので、日本が中露北と和解するのも不可避だ。 (S.Korean Fighter Fires 360 Rounds Of Warning Shots At Russian Jet In "Mid-Air Confrontation")

同様に韓国も、これまで敵視してきた北朝鮮と和解するため、目くらまし的な代わりの敵視相手として日本を選んでいる。日韓は戦後の「腐れ縁」であり、くだらない話で感情的に対立しても、必要になれば(目くらましとしての敵対が必要なくなれば)いつでも仲を戻せる。日韓の対立は、日韓双方にとって、多極型世界への過渡期の目くらましとしてちょうど良い。最近、河野外務大臣がさかんに韓国側と喧嘩して見せているが、もともと韓国と仲が良かった河野の韓国敵視は、安倍に命じられた演技以外の何物でもない。 (Shinzo Abe's Underhanded Trade War Against South Korea)

今回の中露軍機の日本海飛行に関しても、日本のマスコミは、ロシアと韓国の2国間の軍の衝突であるかのように報じている。ロシア単独でなく、中露の合同演習だったことは詳細に読んでいかないとわからないようにしてある。安倍政権はマスコミに、中国が関与していないかのように報じさせ、日本人が中国を敵視せぬよう誘導している。 (How Trump’s arch-hawk lured Britain into dangerous trap to punish Iran)

日韓の対立は目くらましなので、国際的に誰かが仲裁して日韓を仲直りさせる必要がない。米国も中露もそれを知っている。トランプは「必要なら仲裁する」と言いつつ、何もしていない。ボルトンも仲裁すると言って日韓を訪問したくせに、実際にやったことはイラン前面への派兵要請だ。トランプは、英国など同盟諸国を動かしてイランと対決させたうえで、米国自身はイランと和解して同盟国のはしごをはずそうとしている。英国はそれに引っかかってひどい目にあっている。この策略はボルトンの担当だ。日本も韓国も、ボルトンの要請を受けない。安倍はイランに行って仲良くしてきたばかりだ。日本はすでに「派兵しません」と宣言している。 (Trump’s ambiguous attitude on Seoul-Tokyo disputes) (Tokyo not considering sending military for US-proposed maritime coalition: Suga)

トランプの米国は、極東だけでなく中東からも撤退しようとしている。米国が「中国やロシアの脅威」を扇動的に語るのは「中東より中露の方が脅威なので、米軍を中東から撤退させますよ」と言うための詭弁だ。米軍は、中東から撤退しても日韓など中露前面を増強するわけでない。北問題が解決していくので、米軍は日韓からも出ていく。米軍が中東インド洋から出ていくと、その後のインド洋航路の防衛は米国に頼れなくなる。日本や韓国中国がバラバラに航路防衛をやるのは大変なので、日中韓やイラン、インド、パキスタンなどが連携して航路防衛(海賊対策)するようになる。日本は韓国中国と仲良くする以外の道がない。トランプのイラン敵視策に乗る国が皆無なのも当然だ。 (中東インド洋の覇権を失う米国) (安倍イラン訪問を狙って日系タンカーを攻撃した意図)

日本や韓国を対米自立させたいトランプは多分、安倍が中国と仲良くするための目くらましとして韓国との対立を扇動していることに賛成している。安倍は最近、徴用工や従軍慰安婦など歴史の問題でなく、半導体の対韓輸出を規制する策で韓国と対立しているが、これはトランプの貿易戦争戦略と似ており、トランプが安倍に「歴史問題は構造的に日本が不利なので、歴史問題でなく貿易戦争で韓国と対立したら良い」と入れ知恵した結果でないかと推測される。このトランプの入れ知恵にも落とし穴がありそうだが、それはいずれ見えてくるだろう。 (Japan says no comment on International Court of Justice plan in South Korea dispute)

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/496.html#c8

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
225. 中川隆[-8849] koaQ7Jey 2019年7月25日 10:56:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3865]

縄文人直系でなかった西北九州弥生人 ゲノム解析で判明
米山正寛 2019年7月23日
https://www.asahi.com/articles/ASM7J6TNBM7JULBJ01M.html

写真・図版
下本山岩陰遺跡から出土した人骨の一つ。臼歯を用いてDNAを抽出した(国立科学博物館提供)




 弥生時代に現在の長崎県周辺にいた「西北九州弥生人」は、縄文人直系と考えられていたが、実は渡来系弥生人との間でかなり混血が進んでいたことを、国立科学博物館などのグループが人骨に残された遺伝情報(核ゲノム)を解析して明らかにした。日本人類学会の機関誌Anthropological Science(日本語版)に発表した。

 九州の弥生人は三つに大別される。大陸から北部九州にやって来た渡来系弥生人、鹿児島県付近に住んでいた、頭の前後が極度に短いなどの特徴を持つ南九州弥生人、そして、西北九州弥生人だ。渡来系弥生人が在来の縄文人と交じり合う形で、現代の日本人につながる人々が生じていったとされるが、西北九州弥生人は影響をほとんど受けず、顔の彫りの深さや腕の太さなどに縄文人と共通する特徴を残していたと考えられてきた。

 今回、下本山岩陰遺跡(長崎県佐世保市)から1970年に発掘された約2千年前の西北九州弥生人の男女各1体の人骨を対象に、核ゲノムを構成するDNAの変異に注目して遺伝的特徴を解析した。2体はともに縄文人と現代日本人との中間に位置付けられた。縄文人直系と考えられてきた西北九州弥生人も、渡来系弥生人との間で混血が進行していた可能性が高まった。

 解析を進めた科博の篠田謙一・人類研究部長は「この結果をすべての西北九州弥生人に当てはめるのはまだ難しいが、対象となる古人骨を増やせば日本人が成立する過程の詳しいシナリオが分かってくるだろう」と語る。(米山正寛)

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c225

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
226. 中川隆[-8848] koaQ7Jey 2019年7月25日 11:12:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3866]

2019年04月27日
篠田謙一『日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造』
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_39.html


 NHKBOOKSの一冊として、2019年3月にNHK出版から刊行されました。

https://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E7%89%88-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%A5%96%E5%85%88%E3%81%9F%E3%81%A1%E2%80%95DNA%E3%81%8C%E8%A7%A3%E6%98%8E%E3%81%99%E3%82%8B%E5%A4%9A%E5%85%83%E7%9A%84%E6%A7%8B%E9%80%A0-NHK%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-No-1255-%E7%AF%A0%E7%94%B0/dp/4140912553


本書は

2007年2月刊行の『日本人になった祖先たち』(関連記事)
https://sicambre.at.webry.info/200703/article_9.html


の改訂版となります。本書は基礎的な解説に分量を割いており、DNA解析による人類集団の移動の推定の限界も指摘しているので、一般向けとして配慮された良書になっていると思います。著者が認めるように、前著刊行後の古代DNA研究の進展には目覚ましいものがあり、当然それもしっかりと取り入れられているため、一般層が日本語で読める遺伝学からの日本人形成論としてお勧めの一冊になっています。

 本書は、現生人類(Homo sapiens)の出アフリカと世界への拡散を簡潔に述べた後、日本列島への現生人類の拡散を詳しく解説しています。著者の見解については、報道や他の著書で読んでいたので、意外な感はありませんでした。ただ、最新の見解の体系的な解説ですから、より深く理解しやすくなっており、有益だと思います。縄文時代よりも前の日本列島の確実な人類遺骸はほぼ沖縄でしか発見されていないので、日本列島の古代DNA研究は縄文時代以降が主流となります。

 本書は「縄文人」について、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)の頻度の地域的差異から、均一だったのか、疑問を呈しています。縄文時代と現代の日本列島のmtHgの比較から、現代日本人に継承されているのは、東日本ではなくおもに西日本の「縄文人」のDNAだった、と本書は推測しています。Y染色体DNAハプログループ(YHg)でも、東日本の「縄文人」や「弥生人」は現代日本人によく見られるDであるものの、より詳しくは見ていくと、現代日本人で多いD1b1ではなくD1b2aで、こちらでも、東日本の「縄文人」のDNAが現代日本人にはあまり継承されていない、と示唆されます。

 「縄文人」の現代日本人への遺伝的影響については、北海道礼文島の船泊遺跡の女性遺骸からの高品質なゲノム配列から推定すると、10%程度となるそうです。しかし本書は、現代日本人には東日本よりも西日本の「縄文人」の方がより多くの遺伝的影響を残していると推定されることと、縄文時代と現代のmtHgの比較から、現代日本人における「縄文人」の遺伝的影響は20%程度になりそうだ、と推測しています。西日本の「縄文人」の高品質なゲノム配列の決定が期待されます。

 弥生時代の人類遺骸でもDNA解析が進められています。「渡来系弥生人」のゲノム解析はまだ福岡県那珂川市の安徳台遺跡で発見された1人でしか成功していないそうですが、現代日本人の範疇に収まり、在来の「縄文系」との交雑の進展を示唆します。また本書は、在来の「縄文系」と交雑した「渡来系弥生人」が東進して在来の「縄文系」を吸収していったとすると、現代日本人の比率よりもさらに「縄文系」の遺伝的影響が高くなることから、古墳時代以降の渡来集団の遺伝的影響を想定しています。

 「縄文系」と考えられていた長崎県佐世保市の下本山岩陰遺跡で発見された弥生時代の男女2人は、遺伝的には「縄文人」と現代日本人の中間に位置づけられ、形態から「渡来系」と「縄文系」に分類することの難しさを示しています。なお、下本山岩陰遺跡の2人のmtHgは、男性が「縄文系」のM7a、女性が「渡来系」のD4aとのことです。東北地方の弥生時代の男性は遺伝的には「縄文人」の範疇に収まるため、「弥生人」という均一な集団が存在したわけではない、と本書は指摘します。弥生時代末以降の古代DNA解析は進んでいないのですが、古墳時代に現代の「本土」日本人の遺伝的構成がおおむね形成されたのではないか、との見通しを本書は提示しています。

 本書は日本列島でもおもに「本土」を対象としていますが、沖縄も含む南西諸島と北海道は、「本土」とは異なる歴史・遺伝的構成があるとして、その形成過程を考察しています。南西諸島については、人類遺骸が少なく、不明なところが多分にあるのですが、「本土」の弥生時代から平安時代にかけて、「本土」から南西諸島へと人々が流入していき、在来集団と混合していったのではないか、と推測されています。北海道に関しては、「縄文人」のmtHgの構成が東北以南の「縄文人」と異なることから、ユーラシア北東部の周辺集団と把握されています。

 本書は日本語で読める最新の遺伝学からの日本人形成論で、良書と言えるでしょう。ただ、やや疑問に思ったところもあり、まずはYHg-A00系統がアフリカの(遺伝学的に)未知の「原人」に由来する、との認識です(P56)。その根拠として本書は、YHg-A00系統と現代人の他のYHg系統との推定分岐年代が34万年前頃であることを挙げています。ただ、YHg-A00系統と現代人の他のYHg系統との推定分岐年代については、当初338000年前(95%の信頼性で581000〜237000年前の間)とされていたものの(関連記事)、後の研究では239000年前頃(95.4%の信頼性で321000〜174000年前の間)とされています(関連記事)。いずれにしても、ゲノム解析では現生人類の最も深い分岐年代は35万〜26万年前頃と推定されていますし(関連記事)、現生人類の起源に関して、アフリカ単一起源説を前提としつつも、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が形成された、との「アフリカ多地域進化説」が有力になりつつあるように思えることを考えると(関連記事)、YHg-A00系統を「原人」由来と想定しなくともよいように思えます。

 次に、現生人類の起源に関して、各地域の「原人」が独自に進化して成立した、とする多地域進化説が1990年代初頭まで人類学では定説だった、との認識です(P154)。そもそも、多地域進化説の最終的な成立が1980年代になってからですし、その時点ではアフリカ単一起源説もすでに提唱されており、激論が展開されていました。中には、1989年の時点でアフリカ単一起源説は疑う余地がないものとされており、多地域進化説を検討しようものなら、たちまち異端扱いされたほどだった、との認識さえ見られます(関連記事)。こちらもまた極端な見解と言うべきで、1980年代半ば〜1990年代後半にかけて、現生人類の起源に関してアフリカ単一起源説と多地域進化説のどちらかが定説として確立していたわけではない、と思います。また、本書の主題ではないので簡略な説明になってしまうのは仕方ないとしても、各地域の「原人」が独自に進化して成立した、と多地域進化説を説明してしまうと、誤解を招くと思います。多地域進化説は、各地域独自の進化を強調しつつも、地域間の遺伝的交流も想定しており、そのため世界全体で、ホモ・エレクトス(Homo erectus)やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)のような段階を経て現生人類へと進化した、と想定しているからです(関連記事)。まあ、最近読んだ本もそうだったように、現生人類の起源をめぐる議論は激しいものだったので、関わった人々の認識がやや偏ってしまうのは仕方ないかな、とは思いますが(関連記事)。


参考文献:
篠田謙一(2019)『日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造』(NHK出版)
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_39.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c226

[近代史3] チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか? 中川隆
24. 中川隆[-8847] koaQ7Jey 2019年7月25日 11:33:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3867]

縄文人直系でなかった西北九州弥生人 ゲノム解析で判明
米山正寛 2019年7月23日
https://www.asahi.com/articles/ASM7J6TNBM7JULBJ01M.html


写真・図版
下本山岩陰遺跡から出土した人骨の一つ。臼歯を用いてDNAを抽出した(国立科学博物館提供)

 弥生時代に現在の長崎県周辺にいた「西北九州弥生人」は、縄文人直系と考えられていたが、実は渡来系弥生人との間でかなり混血が進んでいたことを、国立科学博物館などのグループが人骨に残された遺伝情報(核ゲノム)を解析して明らかにした。日本人類学会の機関誌Anthropological Science(日本語版)に発表した。

 九州の弥生人は三つに大別される。大陸から北部九州にやって来た渡来系弥生人、鹿児島県付近に住んでいた、頭の前後が極度に短いなどの特徴を持つ南九州弥生人、そして、西北九州弥生人だ。渡来系弥生人が在来の縄文人と交じり合う形で、現代の日本人につながる人々が生じていったとされるが、西北九州弥生人は影響をほとんど受けず、顔の彫りの深さや腕の太さなどに縄文人と共通する特徴を残していたと考えられてきた。

 今回、下本山岩陰遺跡(長崎県佐世保市)から1970年に発掘された約2千年前の西北九州弥生人の男女各1体の人骨を対象に、核ゲノムを構成するDNAの変異に注目して遺伝的特徴を解析した。2体はともに縄文人と現代日本人との中間に位置付けられた。縄文人直系と考えられてきた西北九州弥生人も、渡来系弥生人との間で混血が進行していた可能性が高まった。

 解析を進めた科博の篠田謙一・人類研究部長は「この結果をすべての西北九州弥生人に当てはめるのはまだ難しいが、対象となる古人骨を増やせば日本人が成立する過程の詳しいシナリオが分かってくるだろう」と語る。(米山正寛)




▲△▽▼

2019年04月27日
篠田謙一『日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造』
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_39.html


 NHKBOOKSの一冊として、2019年3月にNHK出版から刊行されました。

https://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E7%89%88-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%A5%96%E5%85%88%E3%81%9F%E3%81%A1%E2%80%95DNA%E3%81%8C%E8%A7%A3%E6%98%8E%E3%81%99%E3%82%8B%E5%A4%9A%E5%85%83%E7%9A%84%E6%A7%8B%E9%80%A0-NHK%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-No-1255-%E7%AF%A0%E7%94%B0/dp/4140912553


本書は

2007年2月刊行の『日本人になった祖先たち』(関連記事)
https://sicambre.at.webry.info/200703/article_9.html


の改訂版となります。本書は基礎的な解説に分量を割いており、DNA解析による人類集団の移動の推定の限界も指摘しているので、一般向けとして配慮された良書になっていると思います。著者が認めるように、前著刊行後の古代DNA研究の進展には目覚ましいものがあり、当然それもしっかりと取り入れられているため、一般層が日本語で読める遺伝学からの日本人形成論としてお勧めの一冊になっています。

 本書は、現生人類(Homo sapiens)の出アフリカと世界への拡散を簡潔に述べた後、日本列島への現生人類の拡散を詳しく解説しています。著者の見解については、報道や他の著書で読んでいたので、意外な感はありませんでした。ただ、最新の見解の体系的な解説ですから、より深く理解しやすくなっており、有益だと思います。縄文時代よりも前の日本列島の確実な人類遺骸はほぼ沖縄でしか発見されていないので、日本列島の古代DNA研究は縄文時代以降が主流となります。

 本書は「縄文人」について、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)の頻度の地域的差異から、均一だったのか、疑問を呈しています。縄文時代と現代の日本列島のmtHgの比較から、現代日本人に継承されているのは、東日本ではなくおもに西日本の「縄文人」のDNAだった、と本書は推測しています。Y染色体DNAハプログループ(YHg)でも、東日本の「縄文人」や「弥生人」は現代日本人によく見られるDであるものの、より詳しくは見ていくと、現代日本人で多いD1b1ではなくD1b2aで、こちらでも、東日本の「縄文人」のDNAが現代日本人にはあまり継承されていない、と示唆されます。

 「縄文人」の現代日本人への遺伝的影響については、北海道礼文島の船泊遺跡の女性遺骸からの高品質なゲノム配列から推定すると、10%程度となるそうです。しかし本書は、現代日本人には東日本よりも西日本の「縄文人」の方がより多くの遺伝的影響を残していると推定されることと、縄文時代と現代のmtHgの比較から、現代日本人における「縄文人」の遺伝的影響は20%程度になりそうだ、と推測しています。西日本の「縄文人」の高品質なゲノム配列の決定が期待されます。

 弥生時代の人類遺骸でもDNA解析が進められています。「渡来系弥生人」のゲノム解析はまだ福岡県那珂川市の安徳台遺跡で発見された1人でしか成功していないそうですが、現代日本人の範疇に収まり、在来の「縄文系」との交雑の進展を示唆します。また本書は、在来の「縄文系」と交雑した「渡来系弥生人」が東進して在来の「縄文系」を吸収していったとすると、現代日本人の比率よりもさらに「縄文系」の遺伝的影響が高くなることから、古墳時代以降の渡来集団の遺伝的影響を想定しています。

 「縄文系」と考えられていた長崎県佐世保市の下本山岩陰遺跡で発見された弥生時代の男女2人は、遺伝的には「縄文人」と現代日本人の中間に位置づけられ、形態から「渡来系」と「縄文系」に分類することの難しさを示しています。なお、下本山岩陰遺跡の2人のmtHgは、男性が「縄文系」のM7a、女性が「渡来系」のD4aとのことです。東北地方の弥生時代の男性は遺伝的には「縄文人」の範疇に収まるため、「弥生人」という均一な集団が存在したわけではない、と本書は指摘します。弥生時代末以降の古代DNA解析は進んでいないのですが、古墳時代に現代の「本土」日本人の遺伝的構成がおおむね形成されたのではないか、との見通しを本書は提示しています。

 本書は日本列島でもおもに「本土」を対象としていますが、沖縄も含む南西諸島と北海道は、「本土」とは異なる歴史・遺伝的構成があるとして、その形成過程を考察しています。南西諸島については、人類遺骸が少なく、不明なところが多分にあるのですが、「本土」の弥生時代から平安時代にかけて、「本土」から南西諸島へと人々が流入していき、在来集団と混合していったのではないか、と推測されています。北海道に関しては、「縄文人」のmtHgの構成が東北以南の「縄文人」と異なることから、ユーラシア北東部の周辺集団と把握されています。

 本書は日本語で読める最新の遺伝学からの日本人形成論で、良書と言えるでしょう。ただ、やや疑問に思ったところもあり、まずはYHg-A00系統がアフリカの(遺伝学的に)未知の「原人」に由来する、との認識です(P56)。その根拠として本書は、YHg-A00系統と現代人の他のYHg系統との推定分岐年代が34万年前頃であることを挙げています。ただ、YHg-A00系統と現代人の他のYHg系統との推定分岐年代については、当初338000年前(95%の信頼性で581000〜237000年前の間)とされていたものの(関連記事)、後の研究では239000年前頃(95.4%の信頼性で321000〜174000年前の間)とされています(関連記事)。いずれにしても、ゲノム解析では現生人類の最も深い分岐年代は35万〜26万年前頃と推定されていますし(関連記事)、現生人類の起源に関して、アフリカ単一起源説を前提としつつも、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が形成された、との「アフリカ多地域進化説」が有力になりつつあるように思えることを考えると(関連記事)、YHg-A00系統を「原人」由来と想定しなくともよいように思えます。

 次に、現生人類の起源に関して、各地域の「原人」が独自に進化して成立した、とする多地域進化説が1990年代初頭まで人類学では定説だった、との認識です(P154)。そもそも、多地域進化説の最終的な成立が1980年代になってからですし、その時点ではアフリカ単一起源説もすでに提唱されており、激論が展開されていました。中には、1989年の時点でアフリカ単一起源説は疑う余地がないものとされており、多地域進化説を検討しようものなら、たちまち異端扱いされたほどだった、との認識さえ見られます(関連記事)。こちらもまた極端な見解と言うべきで、1980年代半ば〜1990年代後半にかけて、現生人類の起源に関してアフリカ単一起源説と多地域進化説のどちらかが定説として確立していたわけではない、と思います。また、本書の主題ではないので簡略な説明になってしまうのは仕方ないとしても、各地域の「原人」が独自に進化して成立した、と多地域進化説を説明してしまうと、誤解を招くと思います。多地域進化説は、各地域独自の進化を強調しつつも、地域間の遺伝的交流も想定しており、そのため世界全体で、ホモ・エレクトス(Homo erectus)やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)のような段階を経て現生人類へと進化した、と想定しているからです(関連記事)。まあ、最近読んだ本もそうだったように、現生人類の起源をめぐる議論は激しいものだったので、関わった人々の認識がやや偏ってしまうのは仕方ないかな、とは思いますが(関連記事)。


参考文献:
篠田謙一(2019)『日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造』(NHK出版)
https://sicambre.at.webry.info/201904/article_39.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html#c24

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
227. 中川隆[-8846] koaQ7Jey 2019年7月25日 12:25:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3868]

現代人のゲノムから過去を知る
Y染色体の遺伝子系図解析からわかった縄文時代晩期から弥生時代にかけておきた急激な人口減少
2019-06-17 東京大学
https://tiisys.com/blog/2019/06/18/post-27212/

発表雑誌名:Scientific Reports

論文タイトル:Analysis of whole Y-chromosome sequences reveals the Japanese population history in the Jomon period

著者:Yusuke Watanabe, Izumi Naka, Seik-Soon Khor, Hiromi Sawai, Yuki Hitomi, Katsushi Tokunaga, Jun Ohashi*

発表のポイント

•日本人男性345名のY染色体全長の塩基配列解析を行い、縄文人に由来するY染色体系統を同定した。縄文人由来Y染色体の遺伝子系図解析によって、縄文時代晩期から弥生時代にかけて、急激な人口減少が起きていたことを明らかにした。

•現代人のゲノムデータから縄文時代の人口の変化を推定した。

•本研究の成果は、日本人の形成過程を解明する上で重要な知見となることが期待される。


発表概要

今回、東京大学大学院理学系研究科の渡部裕介大学院生と大橋順准教授らのグループは、東京大学大学院医学系研究科の徳永勝士教授(研究当時)らのグループと共同で、日本人男性345名のY染色体の全塩基配列決定と変異解析を行った。

他の東アジア人のY染色体データと併せて系統解析をすると、縄文人に由来するY染色体の系統が同定された。

縄文人由来Y染色体の遺伝子系図(共通祖先から現在に至るまでの分岐過程)を推定したところ、縄文時代晩期から弥生時代にかけて人口が急激に減少したことが示された。

縄文時代晩期は世界的に寒冷化した時期であり、気温が下がったことで食料供給量が減ったことが、急激な人口減少の要因の一つではないかと思われる。

本研究の結果は、縄文時代の遺跡数や規模などの変化から類推されてきた縄文時代後期・晩期に起きた急激な人口減少を裏付けるものである。

現代日本人のゲノム多様性を調べることで、その由来も含めて不明な点が多い縄文人の歴史、ひいては日本人の形成過程が解き明かされると期待される。

発表内容

現代日本人の成立過程に関しては諸説あるが、日本列島にいた縄文人と大陸から渡ってきた弥生人が混血したとする「混血説」が広く受け入れられている。日本列島人を対象としたゲノムワイドSNP解析においても、この説を支持する結果が得られている(Japanese Archipelago Human Population Genetics Consortium. 2012, J Hum Genet)。しかし、縄文人の歴史についてはいまだ不明な点が多い。

縄文人は、狩猟採集を生業としながらも定住生活を行い、非常に高い人口密度を達成した世界的にも注目される集団である。発見された遺跡数やその規模等をもとに、縄文時代の人口は縄文時代後期・晩期にかけて急減し、弥生時代に入って急増したと推定されている(Koyama. 1979, Senri Ethnological Studies)。しかし、遺跡の発見はそのロケーション等に依存しており、遺跡が無いのか(人口が少なかったのか)、それとも発見できていないのかを判断することは難しい。

今回、東京大学大学院理学系研究科の渡部裕介大学院生と大橋順准教授らのグループは、東京大学大学院医学系研究科の徳永勝士教授(研究当時)らのグループと共同で、日本人男性345名のY染色体(注1)の全塩基配列決定と変異解析を行った。

常染色体と異なりY染色体は組換えを受けないため、塩基配列の違いをもとにY染色体の系統を区別することができる。そこで、日本人男性345名のY染色体の系統解析(注2)を行ったところ、日本人のY染色体は7つの系統に分かれることが示された(図1)。


さらに、韓国人・中国人を含む他の東アジア人を併せて解析した結果、日本人で35%の頻度でみられる系統1は、他の東アジア人集団ではほとんど観察されないことが示された(図2)。

図1. 日本人345名のY染色体の分子系統樹。数値は各系統のブートストラップ値。
図2. 各Y染色体クレードの東アジア集団における地理的分布。
https://tiisys.com/blog/2019/06/18/post-27212/


系統1に属する日本人Y染色体の変異を詳細に解析したところ、系統1はYAP (注3)という特徴的な変異をもつY染色体ハプログループD1b (注4)に対応していることが示された。YAP変異は、形態学的に縄文人と近縁と考えられているアイヌ人において80%以上という高い頻度で観察されることが知られている。渡来系弥生人の主な母体である韓国人集団や中国人集団には系統1に属するY染色体が観察されなかったことも踏まえると、系統1のY染色体は縄文人に由来すると結論できる。ちなみに、同一検体のミトコンドリアDNA (注5)の系統解析も行ったが、明らかに縄文人由来と想定されるような系統は存在しなかった。

次に、系統1に含まれた122人の縄文人由来Y染色体を対象に遺伝子系図解析(注6)を行ったところ、縄文時代晩期から弥生時代にかけて、人口が急減した後、急増したことが示された(図3)。なお、本研究はY染色体を対象としており、厳密には男性の集団サイズの変化を推定したことになるが、男性の数のみが変化したとは考えにくいため、女性の集団サイズも同様の変化を示したと思われる。

図3. 系統1に含まれる縄文人由来Y染色体を用いて推定した集団サイズの変化。 縄文時代晩期から弥生時代にかけて縄文人の人口が減少したことを示している。本研究では系統1のY染色体のみを用いて推定しているため(バイアスがあるため)、相対的な人口の変化を示している。

縄文時代晩期は世界的に寒冷化した時期であり、気温が下がったことで食料供給量が減ったことが、急激な人口減少の要因の一つではないかと思われる。また、その後人口が増加したのは、渡来系弥生人がもたらした水田稲作技術によって、安定した食料供給が可能になったためと考えられる。

本研究では、現代日本人のY染色体データをもとに縄文時代の人口の変化を推定した。現代日本人のゲノムデータを調べることで、その由来も含めて不明な点が多い縄文人の歴史、ひいては日本人の形成過程が解き明かされると期待される。本研究は、混血した集団の祖先集団における人口の変化を推定する良いケーススタディであり、本研究がとったアプローチは日本人のみならず他の集団の解析にも役立つことが期待される。

用語解説

注1 Y染色体

男性がもつ性染色体の一つであり、性別決定に重要なSRY遺伝子を含む。父性遺伝するため、集団遺伝学的研究ではY染色体の系統は父系を反映する遺伝マーカーとして利用される。

注2 系統解析

塩基配列またはアミノ酸配列を比較し、配列間の進化的関係(分岐のパタン)を調べる統計学的手法。

注3 YAP

Y-chromosome Alu Polymorphismの略。Y染色体の長腕部にある約300塩基からなるAlu配列の挿入変異。アフリカ人集団にも観察されることから、アジア人の祖先がアフリカを出る前に誕生した変異と考えられている。

注4 Y染色体ハプログループD1b

Y染色体上の多型サイトの組合せによって分類される系統をハプログループといい、YAP変異をもつハプログループDの下位系統の1つ。

注5 ミトコンドリアDNA

細胞小器官であるミトコンドリア内にあるDNA。母性遺伝するため、集団遺伝学的研究では、ミトコンドリアDNAの系統は母系を反映する遺伝マーカーとして利用される。

注6 遺伝子系図解析

全ての生物において、親の遺伝子が複製されたコピーが子どもに伝わる。したがって、時間を遡って遺伝子コピーの親を辿っていくと、最終的に一つの共通祖先遺伝子に到達する。この過程を表現したものを遺伝子系図といい、遺伝子系図からその集団の人口の変化を推測することができる。

―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―
https://tiisys.com/blog/2019/06/18/post-27212/

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c227

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
228. 中川隆[-8845] koaQ7Jey 2019年7月25日 12:58:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3869]

2019年05月07日
現代日本人のY染色体DNAハプログループDの起源
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_11.html


 現代日本人のY染色体DNAハプログループ(YHg)では、Dが30〜40%と高い割合を占めています。YHg-Dは現代では珍しいハプログループで、おもにアジア東部の一部地域とアンダマン諸島で見られます。アンダマン諸島ではYHg-Dは高頻度で見られ、アジア東部では日本列島とチベットを除くときわめて低頻度でしか存在しません。そのため、YHg-Dを現代日本人の独自性の根拠とする言説をネットでよく見かけます。とくに、「縄文人」においてYHg-Dが確認されてからは、長期にわたる日本の独自性が強調される傾向にあるように思います。「縄文人」の父系は現代日本人においてもその多くが継続している、というわけです。

 確かに、現代日本人で高頻度なのはYHg-D1b(ちなみに、チベットで高頻度なのはYHg-D1aです)で、これは「縄文人」でも確認されていますから、そうした言説に一定以上の根拠があることは否定できません。ただ、現時点で確認されている「縄文人」およびゲノム解析で「縄文人」の変異内に収まる東北地方の弥生時代の男性は全員YHg-Dに分類されるものの、より詳細に分類できる個体は全員、YHg-D1b2aです(関連記事)。一方、現代日本人で多いのはYHg-D1b1です。YHg-D1bは、D1b1 とD1b2に分岐し、D1b2からD1b2aが派生します。つまり現時点では、現代日本人のYHgにおいて多数派のD1b1は「縄文人」では確認されていないので、弥生時代以降にアジア東部から到来した可能性も一定以上想定しておかねばならないだろう、と私は考えています。

 この問題は十数年前より考えていましたが、少なからぬ人も考えているであろうように、YHg-Dがかつてアジア東部に一定以上の頻度で広範に存在していた可能性は低くないように思います(関連記事)。もちろん、「縄文人」の核DNA解析数はまだ少なく、東日本に遍在しているため、今後西日本の「縄文人」の解析が進めば、YHg-D1b1がかなりの頻度で発見されるかもしれません。ただ、現代日本人のゲノムに占める「縄文人」由来の領域はせいぜい20%程度にしかならないと予想されており(関連記事)、父系の30〜40%が「縄文系」だと多いかな、とも思います。もちろん、あり得ない数値ではありませんし、仮に現代日本人のYHg-D1b1のうち一定以上の割合が弥生時代以降の「渡来系」だとしても、現代日本人の父系の一定以上の割合は「縄文系」だと思いますが。
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_11.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c228

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
229. 中川隆[-8844] koaQ7Jey 2019年7月25日 13:04:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3870]

2007年03月30日
日本とチベットの近縁性?
https://sicambre.at.webry.info/200703/article_31.html

 先日このブログで述べた、篠田謙一『日本人になった祖先たち』では、
http://sicambre.at.webry.info/200703/article_9.html

Y染色体DNAの分析にも1章割かれていると紹介しましたが、そこにはY染色体のハプログループについて興味深いデータが掲載されています。とはいっても、このデータは日本人の起源論に関心のある人にとってはよく知られたものなので、目新しさはありません。

 そのデータは、Y染色体のハプログループDについてのものなのですが、現代日本人男性の3〜4割はこれを持っています。しかし、ミトコンドリアDNAのハプログループ頻度で日本と近い韓国や北京の男性は、これをほとんど持っていません。しかしチベット(定義が厄介なのですが・・・)の男性の3割は、このY染色体のハプログループDを持っています。

 このことから、日本とチベットとの密接な関係を論じる人がいますが、『日本人になった祖先たち』で述べられているように、元々ハプログループDが広く分布していた東アジアにおいて、中国や朝鮮では後になってハプログループOの系統が勢力を拡張したのにたいし、日本とチベットではその影響を受けなかった、と考えるのがよさそうです。つまり、チベットでは山が、日本では海が障壁になったのではないか、というわけです。

 ブリテン島やアメリカ大陸の研究事例では、征服があったとされる地域において、土着系と征服系のDNAの割合について調べると、Y染色体(父系)と比較して、ミトコンドリアDNA(母系)のほうが、土着系と思われるハプログループの割合が高いという推定がなされています。おそらく、中国・朝鮮と日本とのY染色体ハプログループ頻度の違いは、有史以降も含めて、農耕開始以降の大規模な征服活動の有無に起因するところが大なのではないか、と推測されます。

 ちょっと考えてみると分かりますが、男性が潜在的に残せる子孫の数は、女性のそれよりはるかに多くなります。また、支配層の男性は複数の妻を持ち、庶民と比較すると多く子孫を残しやすくなります。そうすると、母系の遺伝的構成(ミトコンドリアDNA)には大きな変化がなくても、男系の遺伝的構成(Y染色体)では大きな変化が生じることもありえます。おそらく日本では、縄文〜弥生の変化も緩やかなものだったのでしょう。近年になって提示された、弥生時代の実年代の繰り上げが妥当かどうか、まだ結論は出ていませんが、縄文〜弥生の変化が緩やかだとすると、実年代の繰り上げのほうに分があると言えそうです。

 中国における春秋戦国・魏晋南北朝・五代十国のような、とくに父系の面での大きな遺伝的変化をもたらす人類集団の移動・争乱が日本になかったのは、日本が海に囲まれているからで、やはり海の障壁としての役割は重視しなければいけないのだと思います。もっとも私は、そこから日本孤立論、さらには日本文明独自論を主張するつもりはなく、前近代においては、日本が中国も含む東アジア文明圏の一員だったと考えていますが。

 こうした遺伝データを見て改めて思ったのは、チベットと朝鮮の運命の違いです。『日本人になった祖先たち』でも触れられているように、漢族は遺伝的には多様な集団なので一概には言えませんが、おそらく華北の漢族は、遺伝的にはチベット族よりも朝鮮族のほうに近いでしょう。文化的にも、中国文化の影響度はチベットよりも朝鮮のほうがずっと強かったでしょう。また政治的にも、中華文明の中心地に樹立された政権の歴史的な影響度は、少なくとも清朝の途中までは、チベットにおいてよりも朝鮮においてのほうがずっと強かったでしょう。しかし、現在チベットは中華人民共和国の一地域で、朝鮮は南北に分かれているとはいえ、独立国です。

 両者の違いは、清代以降の政治状況に起因するのですが、19世紀後半には、清朝にも朝鮮の支配を強化しようという動きがありましたから、あるいは朝鮮が中国領土に組み込まれていたかもしれません。しかし、清朝は日本に破れ、朝鮮の独立を公的に認めざるを得なくなり(もっとも清朝は、一時的にせよ直接支配を強めたチベットとは異なり、朝鮮を実質的には支配できていませんでしたが)、清朝末〜中華民国という混乱期においても、朝鮮を新生中国に組み入れようとの言説はなかったようです(あるいは、私の知らないところであったのかもしれませんが・・・)。

 チベットの独立派からすると、歴史的に漢族と疎遠だったチベットが中国に組み込まれていることや、中国政府の抑圧的体質に不満なのでしょうし、モンゴル(外蒙古)が独立国家なのになぜ自分たちが中国の支配下にあるのだ、との思いもあるのでしょうが、政治とは非情なもので、すべての人が満足のいくようにはならないものです。

 一方中国の漢族のなかには、中華民国も中華人民共和国も基本的には清朝を継承しているのに、モンゴル(外蒙古)が独立国家なのは納得がいかない、と考えている人も少なからずいるでしょうが(そうした漢族の人々は、チベットについてはとうぜん中国領と考えています)、ソ連という後ろ盾のあるモンゴル人民共和国を不本意ながらも承認してしまった経緯があるので、現在ではこの問題について公的に不満を表明する人はいないようです。
https://sicambre.at.webry.info/200703/article_31.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c229

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
230. 中川隆[-8843] koaQ7Jey 2019年7月25日 13:42:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3871]

2019年06月19日
Y染色体DNA解析から推測される縄文時代晩期の人口減少
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_38.html


 父系継承のY染色体(厳密にはわずかにX染色体との間で組換えが起きますが)DNA解析から縄文時代晩期の人口減少を推測した研究(Watanabe et al., 2019)が報道されました。

解説記事
https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2019/6431/

もあります。

本論文は、現代日本人を北海道のアイヌ、本州・四国・九州(およびそれぞれのごく近隣の島々)から構成される「本土」、沖縄の琉球の3集団に区分しています。私も、これは遺伝的にも文化的にもおおむね妥当な区分だと思います。ただ、言語を中心とする文化的には、本土集団と琉球集団が近縁なのにたいして、アイヌ集団は両集団とはかなり異なります。

 現代日本人の形成過程は、3集団それぞれで異なります。アイヌ集団は「縄文人」を基盤にオホーツク文化集団などユーラシア北東端集団との融合により形成された、と考えられています(関連記事)。本土集団は、縄文人と弥生時代以降にアジア東部から日本列島に到来した集団との融合により形成され、後者の方が現代人にはずっと多くの影響を残している、と推測されています(関連記事)。琉球集団は、在来の集団と中世に九州南部から到来した集団との融合により成立した、と考えられます(関連記事)。縄文人の現代日本人の各集団への遺伝的影響の推定は難しく、ある程度の幅が想定されていますが、アイヌ集団では66%、本土集団では9〜15%、琉球集団では27%です(関連記事)。アイヌ集団が最も強く縄文人の遺伝的影響を受けており、本土集団は、弥生時代以降のアジア東部からの渡来集団の遺伝的影響を強く受けている、と考えられています。

 本論文は現代日本人345人のY染色体の全塩基配列を決定し、28254ヶ所の一塩基多型を解析しました。本論文はこのデータを、3006ヶ所の一塩基多型を用いて解析されたアジア東部大陸部の各現代人集団と比較しました。対象となったのは、韓国人、ベトナムのキン人、中国北部(北京)の漢人、中国南部の漢人、中国のシーサンパンナタイ族自治州のタイ人です。現代日本人のY染色体DNAは異なる7クレード(単系統群)に区分されました。このうちクレード1はアジア東部大陸部で見られず、現代日本人において特異的です。一方、例外も報告されているものの(関連記事)、原則として母系継承のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析では、日本人特有のクレードが見られませんでした。

 クレード1の割合は、現代日本人の本土集団で35.34%、全体では35.7%です。クレード1はY染色体DNAハプログループ(YHg)D1bに相当します。クレード1の割合は現代日本人3集団において最も縄文人と遺伝的に近縁なアイヌ集団で81.3%と高く、本論文はクレード1が縄文人由来と推測しています。クレード2および3は日本人も含むアジア東部集団やアジア南東部集団で比較的高く、クレード2はYHg- O1、クレード3はYHg- O2に相当します。クレード4および5はYHg-C、クレード6および7はYHg-Nに相当します。本土集団における各クレードの割合は、クレード2が35.4%、クレード3が19.7%、クレード4が4.1%、クレード5が4.1%、クレード6が0.9%、クレード7が0.6%です。縄文人におけるY染色体DNAの7クレード割合は、クレード1が約70%、クレード2が14%、クレード3が2%と推定されました。本土集団のクレード3はほぼ弥生時代(以降の)移民に由来すると考えられます。

 本土集団のクレード1の122人のY染色体に関して、ベイジアンスカイラインプロット(BSP)分析が行なわれました。これは、組換えのない相同領域に注目してサンプルDNAに関する分岐パターンと分岐年代を推定し、そこから集団サイズの履歴を推定する方法です。縄文時代が始まった直後の12500年前頃以後に男性の有効人口規模はじょじょに増加し、3200年前頃に急激に減少しました。その後すぐ、クレード1の有効人口規模は増加しました。クレード3の68人の分析では人口減少は観察されず、弥生時代の移民が日本列島に到来した時に、深刻なボトルネック(瓶首効果)は起きなかった、と示唆されました。これは、本土集団のゲノムの80〜90%が弥生時代以降の日本列島への移民に由来する、という以前の観察と一致します。

 縄文時代は、草創期(16500〜11500年前頃)→早期(11500〜7000年前頃)→前期(7000〜5470年前頃)→中期(5470〜4420年前頃)→後期(4420〜3220年前頃)→晩期(3220〜2350年前頃)と一般的に区分されています(関連記事)。本論文は縄文時代の始まりを12500年前頃としていますが、これは、土器製作の開始だけでは縄文時代の指標とは言えず、より定住性が高いことなど縄文的な生活様式の定着が指標になる、との見解を本論文が採用しているからでしょう。もちろん、縄文時代もその次の弥生時代も、本土に限っても一律に移行したわけではなく、地域による年代差があったでしょう。なお、北海道が縄文時代に移行するのは本土に遅れて9000年前頃だった、との見解もあります(関連記事)。

 本論文の見解は、縄文時代後期〜晩期にかけての人口減少という考古学的知見と整合的です。以前の研究では、縄文時代後期〜晩期にかけて、気候変動とともに食性が変わった、と報告されており、狩猟採集への依存度の高い縄文人の人口は、寒冷化による食料不足により減少したのではないか、と本論文は指摘しています。本論文の知見は、弥生時代以降の急速な人口増加も示唆します。これは、本格的な稲作の導入により、食料を安定的に調達できたからではないか、と本論文は指摘しています。本論文の縄文時代後期〜弥生時代初期にかけての人口変動の推定は、厳密には男性に限定されています。人類集団の混合が起きる時、一般的に混合集団への遺伝的寄与は男女で異なるので、縄文人女性の人口史は縄文人男性のそれとは異なっていたかもしれない、と本論文は指摘しています。本論文というか一般的な見解に従えば、縄文人の現代日本人への遺伝的影響は、ゲノム解析からの推定よりもY染色体DNAからの推定の方がずっと高そうです。しかし、後述のように、この見解には疑問も残ります。

 YHg-D1bとなるクレード1は日本列島でしか見られず、YHg-D1もアジア東部ではほぼ日本列島とチベット人にしか見られません。中国と韓国でYHg-D1がほぼ見られないことから、YHg-D1系統の分岐と日本列島への拡散経路およびその年代について、現時点では詳細は不明です。本論文は、YHg-D1bの分岐は縄文人の祖先が日本列島に到達する前に起きた、と推測しています。ただ、現代日本人で多数派なのはYHg- D1b1なのに、縄文人では最近まで詳細な解析の可能な個体ではYHg-D1b2aしか確認されておらず(解説記事)、最近になってYHg-D1b2bが確認されました(関連記事)。いずれにしても、YHg- D1b1はまだ縄文人では確認されていないので、本論文でのクレード1がすべて縄文人由来なのか、断定は時期尚早だと思います。

 チベットと日本列島にYHg-D1が高頻度で存在し、その中間の中国と韓国にほぼ存在しないことから、YHg-D1はかつてユーラシア東部に広範に存在していたものの、文献が残っているような時代も含めてその後の大規模な人類集団の移動により、中国や韓国では他の系統に置換された可能性があります。私が想定しているのは、本論文でのクレード1の一定以上の割合が、弥生時代以降のアジア東部からの移民に由来している可能性なのですが、この仮説は、無視してよいほど可能性が低いわけではないものの、優先順位はかなり低いので後回しにしてもよい、といった水準ではなく、真剣に検証されるべきだと思います。この問題に関しては最近取り上げましたが(関連記事)、やはり現代人のDNA解析だけで過去の人類史を復元するのには大きな限界があり、ユーラシア東部の古代DNA研究の進展を俟つしかないでしょう。


参考文献:
Watanabe Y et al.(2019): Analysis of whole Y-chromosome sequences reveals the Japanese population history in the Jomon period. Scientific Reports, 9, 8556.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-44473-z

https://sicambre.at.webry.info/201906/article_38.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c230

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
231. 中川隆[-8842] koaQ7Jey 2019年7月25日 14:08:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3872]

2019年06月01日
北海道の「縄文人」の高品質なゲノム配列
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_2.html

 北海道の礼文島の船泊遺跡で発掘された3800年前頃の「縄文人」の高品質なゲノム配列を報告した研究(Kanzawa-Kiriyama et al., 2019)が公表されました。

この研究についてはすでに報道されていました(関連記事)。


https://sicambre.at.webry.info/201905/article_24.html

この研究はオンライン版での先行公開となります。現代日本人は大きく、アイヌ集団・「本土」集団・琉球集団に区分されます。現代日本人の起源は人類学・考古学・遺伝学で長く議論されており、縄文人が共通の祖先集団となっていることについては、おおむね共通認識になっている、と言えるでしょうが、縄文人と縄文時代以後の渡来集団の現代人への遺伝的影響度合など、これらの集団はそれぞれ異なる形成史を有する、と推測されています。

 さらに、縄文人の起源についても、形態学ではアジア北東部説と南東部説が提示されており、明確ではありません。20世紀第4四半期以降、縄文人のDNA解析も進められ、まずミトコンドリアDNA(mtDNA)で始まり、その後は核DNAも対象となり、ゲノム規模のデータも報告されています(関連記事)。しかし、高品質とは言えないのでその網羅率は高くなく、縄文人の遺伝的特徴を理解するのに充分ではありませんでした。これまで、縄文人の遺伝的特徴に関しては、本土集団よりも縄文人の遺伝的影響を強く保持していると推測されてきた、アイヌ集団と琉球集団から間接的に推測されてきました。

 本論文は、北海道の礼文島の船泊貝塚で1998年に発見された人類遺骸のうち2個体(F5およびF23)のDNA解析結果を報告しています。放射性炭素年代測定法による推定年代は3800〜3500年前頃です。この2人のミトコンドリアDNA(mtDNA)と核DNAが解析され、mtDNAハプログループ(mtHg)とY染色体DNAハプログループ(YHg)が決定されるとともに、F23の高品質なゲノム配列が得られました(DNA配列の深度のピークは、F5が1倍、F23が48倍です)。DNA解析からF5は男性、F23は女性と推定され、これは形態学的所見と一致します。この船泊縄文人のゲノムデータは世界各地の現代人および古代人と比較され、縄文人の遺伝的特徴がじゅうらいよりもずっと詳細に明らかになりました。

 F5もF23もmtHg-N9b1で、以前の研究と一致します。ただ、両者ともN9b1のサブグループであるN9b1a・N9b1b・N9b1cには分類されませんでした。F5はYHg-D1b2bで、これまで「縄文系」のYHgで詳細に分類できていた個体は全員D1b2aだったので(関連記事)、縄文系としては初めて確認されたD1b2bということになりそうです。いずれにしても、縄文系のYHgでは、現代日本人のYHg-Dにおいて多数派となるD1b1(32.7%、その他のD1bは6.1%)はまだ確認されていないことになります。この問題は最近取り上げましたが(関連記事)、現代日本人で多数派のYHg-D1b1が縄文人由来なのか、それとも弥生時代以降に日本列島に到来したユーラシア東部集団由来なのか判断するには、日本列島も含めてユーラシア東部の古代DNA研究の進展が必要だと思います。

 F23のゲノムから表現型も推測されています。F23の血液型は、ABO式ではA(AO)、Rh式ではRhD+です。ただ、ABO式血液型のAx02のアレル(対立遺伝子)では、縄文人のAx0201とAx0202は現代日本人も含む他集団では稀です。シャベル状切歯の程度はわずかで、歯冠サイズは中間的と推定され、これまでに報告されてきた縄文人の特徴と一致します。ただ、F23に切歯は残っていないので、じっさいに形態と一致するのか、確認できませんでした。F23の髪は細いと推測されています。F23の耳垢は湿性で、これは縄文人も含むアジア北東部集団において多数派だったと考えられています。F23のアルコール耐性は高く、肌と虹彩の色は中間程度の濃さと推定されています。F23の身長型スコアはやや低く、アジア東部の現代人集団と比較して身長が低い、と示唆されます。これらのF23の特徴は、形態学からしてきされていた、低身長、弥生時代以降の農耕民より小さな歯、現代アジア東部集団と比較しての非シャベル状切歯頻度の高さなどといった縄文人の特徴とよく合致しています。

 F23の色素関連遺伝子(MC1R)の多様体からは、ソバカスや深刻なシミ(日光黒子)の危険性の高さが推測されています。また、F23は心筋症や統合失調症と関連した多様体を有していました。F23がホモ接合型で有している、CPT1A遺伝子の多様体(p.Pro479Leu)はF5でも見られます。CPT1A遺伝子は脂肪酸代謝に必須で、F23の多様体は、ケトン性低血糖症や乳幼児死亡率の高さといった疾患、インシュリン抵抗性の低下、身長や体重など体格の低下と強く関連しています。この多様体は北極圏の先住民集団では70〜90%と高頻度で見られますが、他集団ではほぼ見られません。これは、高脂肪食や寒冷環境への適応と関連しており、脂肪の豊富な海生哺乳類を主要な食資源としていたことを反映しているのではないか、と推測されています。じっさい、同位体分析により、船泊縄文人は陸生および海生動物を食べていた、と推測されています。ただ、この多様体の起源がどの集団にあるのか、また北東部縄文人に共通しているのか、まだ明らかではありません。

 F23は現代人と比較してヘテロ接合性が低く、ホモ接合性が高い、と明らかになりました。これは、F23の遺伝的多様性の低さを示します。しかしF23は、長いホモ接合性領域が近親婚による個体と比較して少なく、直近世代での近親婚はなかっただろう、と推測されています。形態学的類似性と抜歯のような共通習慣から、北海道の最北部と南西部では文化的・遺伝的交流があったと推測されており、近親婚が避けられていた、と考えられます。F23の遺伝的多様性の低さと関連して、船泊縄文人集団系統の人口規模は小さく、次第に有効人口規模が小さくなっていったのではないか、と推測されます。具体的には、7700世代よりも前には20000人、7700世代前には10000人、2500世代前には5000人、100世代前には200人と減少していった、と推定されています。1世代を20〜30年と仮定すると、50000年前頃以降に顕著に有効人口規模が低下していったと推測され、これは現生人類(Homo sapiens)のアフリカから世界各地への拡散に伴う創始者効果と対応しているのでしょう。

 船泊縄文人(F23)は三貫地縄文人(関連記事)と同じく、アフリカ人・ヨーロッパ人・サフルランド(更新世寒冷期に陸続きになっていてたオーストラリア大陸・ニューギニア島・タスマニア島)人・アメリカ大陸先住民よりも、ユーラシア東部集団と遺伝的に密接でした。アジア東部集団との比較では、船泊縄文人は他の現代ユーラシア東部集団とは異なっており、現代日本人は船泊・三貫地・伊川津の縄文人とユーラシア北東部集団との間に位置します。船泊・三貫地・伊川津の縄文人は、他の集団との比較で遺伝的に相互に密接な関係にあります。

 船泊縄文人系統は、パプア系統とユーラシア東部系統が分岐し、次に4万年前頃の華北の田园(Tianyuan)男性(関連記事)系統と他のユーラシア東部系統が分岐した後、ユーラシア東部系統とアメリカ大陸先住民系統が36000±15000年前頃に分岐する前に、ユーラシア東部系統と分岐した、と推定されています。ただ、25000±1100年前頃まで両者の間には遺伝子流動があった、と推測されています(関連記事)。漢人と船泊縄文人との分岐は、38000〜18000年前頃と推定されており、この期間に船泊縄文人系統は他のユーラシア東部系統と分岐したのでしょう。なお、アメリカ大陸先住民は、ユーラシア東部系統と田园系統が分岐した後のユーラシア東部系統だけではなく、ヨーロッパ系統と近縁なシベリア南部中央系統(古代ユーラシア北部集団)の強い遺伝的影響を受けています(関連記事)。

 船泊縄文人と遺伝的に比較的近縁な地域集団は、現代人ではアムール川下流域のウリチ人(Ulchi)・韓国人・台湾先住民のアミ人(Ami)とタイヤル人(Atayal)・イゴロット人(Igorot)などのフィリピン人・日本人で、古代人では7700年前頃の朝鮮半島に近いロシア沿岸地域の悪魔の門(Devil’s Gate)遺跡集団(関連記事)です。いずれもアジア東部沿岸圏に存在します。船泊縄文人との遺伝的距離では、漢人は日本人・韓国人・台湾先住民よりも遠く、YHgでは船泊縄文人および日本人と密接なチベット人も、ゲノム解析では他のアジア東部集団と比較して、とくに船泊縄文人と近縁というわけではありませんでした。漢人など多くのアジア北東部集団よりも船泊縄文人と遺伝的に近い現代人集団の中では、日本人が最も近く、ウリチ人がそれに続き、その後が韓国人・アミ人・タイヤル人です。

 注目されるのは、F23が他のほとんどのアジア東部集団よりもオーストラリア大陸先住民と多くのハプロタイプを共有していた、と推定されたことです。アマゾンの一部アメリカ大陸先住民集団にはオーストラレシア人の遺伝的影響が指摘されていますが(関連記事)、船泊縄文人とほとんどのアジア東部集団は、このアマゾンの祖先集団とは近縁ではない、と推測されています。この問題は謎めいており、解明には現代人と古代人のゲノムデータのさらなる蓄積が必要となるでしょう。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と現生人類(Homo sapiens)との交雑はすでによく知られているでしょうが(関連記事)、F23のゲノムへのネアンデルタール人およびデニソワ人の影響は、アメリカ大陸先住民集団やアジア東部集団とほぼ同じです。

 上述のように、船泊縄文人ではmtHg- N9b1とYHg- D1b2bが確認されています。mtHg- N9bとYHg- D1bはいずれもほぼ日本列島にのみ存在し、共通祖先の推定年代は、前者が22000年前頃、後者が19400年前頃です。現代のユーラシア東部集団に遺伝的影響を残していない新石器時代ユーラシア東部集団が日本列島に拡散し、船泊縄文人も含む北部縄文人の祖先になった可能性もありますが、本論文は、北部縄文人を日本列島の更新世集団の子孫という見解を支持しています。

 上述のように、船泊縄文人は、アジア東部沿岸地域の現代人集団と遺伝的に近縁です。これはゲノムデータだけではなく、mtHgでも同様です。これに関しては、アジア東部沿岸地域への最初の移住集団を共有しているか、縄文人系統が他のアジア東部集団と分岐した後の遺伝子流動が考えられます。上述した日本人とウリチ人の船泊縄文人との遺伝的近縁性の高さと、ウリチ人の祖先集団と考えられる悪魔の門集団と船泊縄文人との遺伝的類似性の低さからも、両者の間の遺伝子流動が支持されています。しかし、韓国人やアミ人やタイヤル人に関しては、どちらの仮説がより妥当なのか、判断は困難で、もっと多くのゲノムデータが必要と本論文は指摘します。

 上述のように、船泊縄文人は漢人よりも日本人やウリチ人や韓国人や台湾先住民といったアジア東部沿岸地域の現代人集団と遺伝的に近縁なのですが、漢人よりもさらに遠い関係にあるのが、タイなどのアジア南東部集団です。船泊縄文人と漢人やアジア南東部集団との関係について本論文は、(1)未知の集団とアジア南東部祖先集団との交雑、(2)船泊縄文人系統と漢人関連古代集団との間の分岐後の遺伝子流動、(3)船泊縄文人およびアジア北東部大陸集団の共通祖先とアジア南東部集団との分岐後に、古代アジア南東部集団が大陸部アジア北東部集団と交雑した、という可能性を想定しています。本論文は、カンボジア人における遺伝的にヨーロッパ集団ともアジア東部集団とも等距離にある未知のユーラシア集団からの16%ほどの遺伝的影響から、(1)を支持しているものの、その他の2仮説のさらなる検証の必要性も指摘しています。

 現代日本人起源論との関連では、縄文人とアイヌ・本土・琉球という現代日本の3集団との関係が注目されます。船泊縄文人(F23)のゲノムデータは、アイヌ集団と琉球集団が本土集団より縄文人系統の遺伝的影響を強く保持している、というじゅうらいの見解を改めて支持します。F23で観察されたヒト白血球型抗原(HLA)アレルも、本土集団よりアイヌ集団と琉球集団において高頻度で見られました。縄文人の現代日本人の各集団への遺伝的影響の推定は難しく、本論文もある程度の幅を想定しているのですが、アイヌ集団では66%、本土日本人では9〜15%、琉球集団では27%です。

 じゅうらいの諸研究は、アイヌ集団は縄文人を基盤に、その後のオホーツク文化集団やその他のシベリア北東部集団の遺伝的影響を受けて成立した、と指摘します。これらのシベリア北東部集団は、現代人ではアムール川下流域の集団と近縁と推測されていますが、アイヌ集団の形成過程のより詳細な解明も、アジア北東部の古代DNA研究の進展が必要となります。アイヌ集団に関して、北海道の縄文人との遺伝的継続性を否定し、12世紀頃に樺太から北海道に渡来した、という認識さえネットでは見られますが(関連記事)、本論文により、そうした認識は与太話にすぎないと改めて示された、と言えるでしょう。

 本土集団と琉球集団は、先住の縄文人と後に渡来した人々との混合と考えられます。この後に渡来した集団は、おそらく弥生時代以降にアジア東部から日本列島に到来した農耕民で、現代人では韓国人や漢人と遺伝的に近縁です。もちろん、現代の韓国人や漢人も歴史的に形成されてきたわけで、紀元前9世紀〜紀元後6世紀にかけて日本列島に到来したアジア東部集団の遺伝的構成が、そのまま現代の韓国人や漢人と同じというわけではありません。本土集団における縄文人の遺伝的影響は高くとも15%程度と本論文では推定されていますが、この数字が独り歩きすることは懸念されます(関連記事)。上述したYHg-D1b1の問題からも、縄文人は均質的でありながらもある程度の地域差があり、本土集団に大きな影響を残しているのは西日本の縄文人とも考えられるからです。現代日本人の起源については、日本列島のみならずユーラシア東部の古代ゲノムデータの蓄積が必要で、日本人の私は今後の研究の進展をたいへん楽しみにしています。


参考文献:
Kanzawa-Kiriyama H. et al.(2019): Late Jomon male and female genome sequences from the Funadomari site in Hokkaido, Japan. Anthropological Science.
https://doi.org/10.1537/ase.190415


https://sicambre.at.webry.info/201906/article_2.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c231

[政治・選挙・NHK263] 日韓関係の改善には韓国が歴史ファンタジーをまずやめるべきだ。(日々雑感) 笑坊
2. 中川隆[-8841] koaQ7Jey 2019年7月25日 14:26:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3873]
そもそも日本軍が朝鮮に行かなければこういう問題は起きなかっただろ

朝鮮人が朝鮮を近代化してくれと頼んだ訳じゃないぞ

日本が朝鮮のコメを飢餓輸出して餓死者が続出したから日本人は憎まれたんだ
http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/616.html#c2

[政治・選挙・NHK263] 日韓関係の改善には韓国が歴史ファンタジーをまずやめるべきだ。(日々雑感) 笑坊
3. 中川隆[-8840] koaQ7Jey 2019年7月25日 14:29:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3874]
>>1

宮脇淳子 あるのはウソだけのめんどくさい国。韓国の異常さがよくわかる動画 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%AE%AE%E8%84%87%E6%B7%B3%E5%AD%90+%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%AF%E3%82%A6%E3%82%BD%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%AE%E3%82%81%E3%82%93%E3%81%A9%E3%81%8F%E3%81%95%E3%81%84%E5%9B%BD

【東京発信・Cool Eyes】第16回 歴史学者・宮脇淳子 朝鮮半島と満州の「なぜ」 - YouTube
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じっくり学ぼう!日韓近現代史【CGS 宮脇淳子】 - YouTube 動画
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宮脇淳子 朝鮮を語る - YouTube
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宮脇淳子 韓国を語る - YouTube
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韓流ドラマはSF・ファンタジーの世界 ~ 朝鮮史の真実【CGS宮脇淳子】
https://www.youtube.com/watch?v=z3UjCOXvFDQ

なぜ今、日韓近現代史なのか?~昔も今も韓国は韓国【CGS 宮脇淳子】
https://www.youtube.com/watch?v=qwyDpOJh1ig

さくらじ#50 大人気!宮脇淳子講座、韓国に挑む!?
http://www.youtube.com/watch?v=XpRj8TW1bo8

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/616.html#c3

[政治・選挙・NHK263] 日韓関係の改善には韓国が歴史ファンタジーをまずやめるべきだ。(日々雑感) 笑坊
4. 中川隆[-8845] koaQ7Jey 2019年7月25日 14:32:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3869]
>>1
ダメダメ家庭の目次録 05年4月22日
韓国の高校の歴史教科書
http://kinoufuzenkazoku.hariko.com/05-04/05-04-22.htm

歴史を眺めていると、ちょっとおもしろいことがあったりします。

ある国が滅んだ後で、別の体制となるわけですが、その滅んだ国の形式的後継者と、実質的というか心理的な後継者が違っていたりする事態が発生することもあります。

たとえば、最近の例では、ナチスドイツの形式的な後継者は、昔の西ドイツという国でした。正式な名称はドイツ連邦共和国・・・今の統一ドイツがこの国です。しかし、実質的にはナチスドイツの後継者は東ドイツの方でしたよね?

ナチスドイツと東ドイツは、権威主義だったり、秘密警察が暗躍する恐怖社会だったり、反米というスタイルにおいても同じと言えるかも?
ナチスドイツは共産主義に反対する立場の政府で、東ドイツは共産主義社会という意味では、本来は全く反対の統治システムになるはずですが、実質的には同じ社会。

同じようなことが、日本でも言えます。

現在の日本は、かつての大日本帝国の形式上の後継者であると言えますし、元首である天皇は共通していますが、その統治形態としては実質的にはかなり違っています。

かつての大日本帝国の実質的な後継者は、むしろ韓国だったり、北朝鮮だったりするわけ。

それこそ、言論弾圧の統制社会だし、権威主義だったり、妙な民族主義があったりするでしょ?それに反米だし、秘密警察が大活躍。

それにコンプレックスが強く、ムダに「大」の字を使いたがるところとか。

「日本が大嫌い!」の韓国や北朝鮮は、大日本帝国の統治システムを十分に受け継いでいるわけです。

さて、メールマガジン「ダメダメ家庭の目次録」では、一種の総集編として、「作品の中に描かれたダメダメ家庭」というカテゴリーで、種々な「作品」の中に描かれているダメダメ家庭の具体的事例をピックアップしたりしています。

今回はその「作品」として「韓国の高校の歴史教科書」を取り上げます。

「オイオイ!!教科書が『作品』かよ?」
と思われる方も多いでしょう?

しかし、これがまた目眩がするぐらいに、ダメダメなスタイルが詰まった「作品」なんですね。

よく韓国や中国が、日本の歴史教科書についてイチャモンをつけて来ますよね?
まあ、どうしてそこまで「人のすること」に関心を持ったりするのでしょうか?これって典型的なクレーマーの所業でしょ?クレーマーは「自分がやらなければいけないこと」には関心がなく、「人のやっていることに文句をつける。」そのような習性があるわけ。

では、日本の歴史教育に文句を付けてくる韓国の方は、どのように歴史を教えているのでしょうか?
何も「あら探し」と言うわけではないにせよ、韓国の歴史教科書を読んでみるのも悪くはないでしょう。

ちなみに、歴史的事件に限らず、事件を記述するのには、一種の定石があります。
よく言う「5W1H」というヤツです。「いつ(=WHEN)」、「どこで(=WHERE)」、「誰が(=WHO)」、「何故に(=WHY)」、「何を(=WHAT)」、「どのように(=HOW)」の6つを中心に記述していくものです。

たとえば、日本の有名な歴史的事件である戦国時代の長篠の合戦を例にしてみましょう。

「いつ」は1575年。「どこで」は今の愛知県の長篠の地で。「誰が」は織田信長と武田勝頼が。「何故に」は、織田家と武田家の領土争いで。「何を」は、合戦をした。「どのように」は武田家の側は、伝統的な騎馬軍で、織田軍は先進的な鉄砲部隊で・・・という記述になります。

また、歴史的事件だったら、上記の記述の他にも、「その影響」という事項も付け加える必要があります。長篠の合戦においては、織田家は最大のライバルを打ち破って、天下付武への強力な前進となりました。勿論のこと、軍事的戦法の革新という影響もあります。

と同時に、歴史的事件の記述に際しては、重要なことがあります。
資料名です。

たとえば、織田家では正式な記録として「信長公記」という記録があります。当然のこととして武田家にも正式な記録があり、その資料に、この長篠の合戦の公式の記録が収められているわけです。

そのような正式な記録だけでなく、部下たちによる非公式な日記のようなものもあるわけです。それらの資料をつきあわせることによって、歴史的事件の全貌がわかってくることになる。

だから、歴史的事件をまとめた、いわゆる歴史書では、上記の「5W1H」だけでなく、その結果と影響に関する記述や、資料名についての記述も必要なわけです。それは歴史教科書のような類の歴史書でも全く同じです。

何もこれは日本だけでなく、世界の文明国には共通の発想です。文章の言語自体は違っていても、歴史を記述する文章の記述の仕方、考え方には大きな違いはありません。

ところが韓国の国定歴史教科書では、そんな文明国の基本的スタイルとは無縁なんですね。

たとえば、例に挙げた長篠の合戦を記述する場合では、片や鉄砲部隊という最新鋭の戦法。片や騎馬戦という伝統的な戦法。その違いを記述することが不可欠でしょ?

ところが、韓国の歴史教科書では、そのような歴史的事件を記述する際に「どっちの側に愛国心があったか?」と言った記述だったり、「どっちが正義なのか?」と言った記述ばかりで、事件についての5W1Hのような具体的で客観的な記述が少ないわけ。

「どっちが正義だったか?」なんて、判断する人によりけりでしょ?人にはそれぞれの立場があるわけですからね。それこそ長篠合戦で、織田軍は武田軍を「敵」だと思っていたのは当然ですが、「悪」だとは思ってはいませんよね?
その点は、武田軍だって同じ。織田軍を「悪」だとは思ってはいないでしょ?
ただ、己の使命と野心に従って戦っただけでしょ?
それが「もののふ」の生き様であり、死に様でしょ?

韓国の国定歴史教科書の記述は、まるで「スポーツ根性モノのマンガの原作」のような趣なんですね。客観的な記述ではなく、ひたすら「ウヮー!」という叫び声が聞こえてくるよう。

客観的に事実を記述するというより、作者の「思い」を伝えることに主眼があるわけ。そんな「作品」なんですね。

まあ、そんな本で歴史を勉強させられていたら、バカになるのも当然ですよ。

では、そのような作者の「思い」に満ちた、韓国歴史教科書という「作品」を、具体的に、客観的に検証してみましょう。

検証に当たっては、「教科書の記述の問題点」というカテゴリーと、「教科書の記述から浮かび上がる韓国人のメンタリティー」そんな感じで分類して記述してみます。

【教科書の記述の問題点】

1.年号が出てこない・・・この韓国歴史教科書では年号の登場が実に少ない。何ページにもわたって、○○年と言う具体的な年号が出てこないわけ。事件の羅列があっても、その事件が西暦何年のことなのか?記述されていないわけです。チョット日本の方には信じられないことでしょうね。だって「なくよウグイス平安京」で794年・・・なんて年号をゴロで覚えるのに苦労しましたものね。年号が出てこない歴史教科書なんてこの世に存在すること自体、不思議でしょ?

韓国の歴史教科書でも、ほんの少しは年号が出てきたりしますが、後で年表の形でまとめられていて、今現在記述している歴史的事件が何年に起こったのか?分らないようにできているわけ。

年号というものは、覚えるのは面倒ですが、歴史的事件の客観的指標としては重要でしょ?年号を覚えていると事件の順番が明確になると同時に、外国の同時期の事件と比べることもできる。この時代に外国はこんなことをやっていたのに「我々の国は遅れているなぁ・・・」などと感想を持つこともあるでしょう。しかし、年号が記述されないと「我々は先進的だ!」と記述されていると、思慮の浅い人は盲目的に信じてしまうんですね。

2.資料名が出てこない・・・この韓国国定歴史教科書では、出典の資料名がほとんど出てきません。もしかしたら朝鮮半島では、資料を作るという習慣がないのかもしれません。データーを取るという習慣の欠落については、後で触れます。この韓国歴史教科書では出典の資料名もなく、「我々は正しい!」の一点張り。まるでカルト宗教のような趣になっている。資料名が無いので、疑問を持った読者が自分自身で調べ直すこともできないわけ。

3.差別用語の乱発・・・高校生が勉強するというこの教科書には、意図的な差別用語が乱発されています。日本を「倭」とか言うのはともかく、ヨーロッパ人を西洋蛮人と書いたり、清を建国した女真族をオランゲという差別用語で呼んだり・・・まあ、こんな差別意識丸出しの本は、日本だったら発禁処分でしょうし、当然のことに、他の一般の文明国でも発禁処分は確実でしょう。そんなアングラ本程度の本が教科書なんですね。そもそも、ヨーロッパ人を示したいのなら、西洋蛮人と書くのではなく、単に西洋人とでも表記すればいいだけですよ。しかし、わざわざ「蛮」を入れて勝手に喜んでいるんですね。

4.漠然とした記述・・・たとえば、上記で年号が出てこないと書きました。しかし、歴史書なんだから当然のこととして、時期に関する記述もあります。そのような場合では10世紀中葉とかの記述になっていて、漠然としてあいまいな記述になっています。しかし、10世紀中葉なんて書かなくても941年とか明確に年号を書けばいいじゃないの?しかし記述が漠然としているので、作者が意図的に読者を誘導することができているわけです。

年号の問題だけでなく、資料名も「ある民政文書」とかの表記になっている。そんな表記にするより、「△△が○○年にまとめた、☆☆という資料」と記述するのが文明国の歴史書のスタイルでしょ?
それこそ「1920年代のはじめ、全国の青年運動は100余りあり」・・・などと記述されています。しかし、文明国の歴史書だったら「政府による1922年の統計では、全国の青年運動は105団体あった。」と記述するものです。どうしてそんなにあいまいに記述するのかなぁ?

5.政治家がなかなか登場しない・・・歴史書だったら、当然のこととして多くの政治家が登場するだろう・・・と思われるでしょ?ところが韓国の歴史教科書では政治家の登場が実に少ない。その代わりに政治論者が実に多く登場するわけ。「国家はこうあるべきだ!」とワイワイ論じる人は多く登場しても、実際に政治を運営する人が出てこない。

6.やたら「べき」論・・・上記の実際の政治家より政治論者の数が多いことと関係していますが、この韓国歴史教科書はやたら「べき」論が多い。「こうすべき」「ああすべき」と、やたら説教くさい。

7.法律名が出てこない・・・具体的な人名は多く出てきますが、法律名は出てこない。上記のようにすべて「べき」論で片付けているので、具体的な法律を制定するという形で、実際的に国家を運営する気がないわけですね。

8.個人的感想がいっぱい・・・教科書と言うものは客観性が第一と考えてしまうのは、文明国の常識でしょう。しかし、さすがに韓国の教科書は作者の主観的な「思い」が詰まっている。

たとえば「高麗時代の石塔は安定感が不足し、造形感覚面では新羅時代の石塔に比して多少劣る気がする。」なる記述があったりする。しかし、執筆者が「気がする」のは勝手だけど、教科書の記述として書かれても、読んだ側は何を理解すればいいの?

あるいは後に中国で清王朝を作った女真族との戦争では「意外にも」負けた・・・との記述があります。アンタが「意外」に思うのは勝手だけど、そんなことは教科書に書く内容ではないでしょ?
それとも「気がする」とか「意外にも」とかが、試験に出たりするのかな?

9.ヴィジュアルが少ない・・・上記の石塔に関する記述だって、文章にするより、それぞれの写真を載せればいいじゃないの?ところが韓国の歴史教科書はヴィジュアルが実に少なく、文字ばかり。まあ、その文字による文章も、やたら説教くさいわけです。画家についてウダウダ説明するより、その画家の作品を載せればいいじゃないの?しかし、そのような客観的な記述を放棄して、ひたすら作者の「思い」を書き込んでいく・・・それが韓国の歴史教科書のスタイルなんですね。

10.やたら民族意識・・・この教科書には「民族意識」という言葉が実に多く出てきます。逆に日本だとそんな民族意識なんて出てこないでしょ?まあ、大日本帝国の教科書なら出てくるかもしれませんが・・・
韓国の歴史教科書では「民族意識」「民族文化」・・・そんな言葉ばかり。
しかし、ではその「民族意識」って具体的にどんな意識なの?

教科書を読んでいても、さっぱりわからないんですね。

どうやら、私がよく書いていますが「集団的被害者意識」と「オレたちはすごいんだ!」というエリート意識の混じったもののようです。しかし、「オレたちはすごいんだ!」と思うのはいいとして、具体的に見てどの辺りがスゴイのか全然書いていないわけです。まさにカルト宗教のような趣になっている。

「オレたちはすごいんだ!」「オレたちはすごいんだ!」「オレたちはすごいんだ!」と連発するだけ。

そして、そんな「本来はスゴイはずの我々がうまくいかないのは、全部○○のせいだ!」と被害者意識になるわけでしょうね。

11.経済に関する記述が少ない・・・この教科書には経済的なマターに関する記述が実に少ない。やたら「べき」論をぶつ政治論者がワイワイ言うだけ。使用していた貨幣とか税制とか、生産技術など実際的な問題についてほとんど触れていないわけ。だから読んでいても当時の人の暮らしぶりなど全然わからないわけです。

12.都合の悪いことは書かない・・・「朝鮮半島の進んだ文物が日本に伝えられた。」この韓国の歴史教科書に頻発する文言です。しかし、先進的な文物って、具体的には何なの?それが書いていないんですね。しかし、ちょっと離れた箇所で貿易に関する文言があって、朝鮮から日本への輸出品は米、木綿、人参だったとか書いてある。米、木綿、人参かぁ・・・たしかに『先進的』だねぇ・・・。しかし、先進的という言葉と米、木綿、人参という具体例が離れて記載されているので、「素朴」な韓国の高校生だったらダマされてしまうんでしょうね。

あるいは豊臣の朝鮮半島の侵攻のあと、朝鮮がロシアと戦争して朝鮮の鉄砲部隊が大活躍したとの記述があります。その鉄砲はどこから来たの?そんなことも書いていないわけ。あるいは、その豊臣軍の侵攻の後の時期に、朝鮮の農業技術が飛躍的に向上したらしい・・・この韓国の教科書では、いつものように「農民の民族意識」云々で片付けられてしまっています。

しかし、現実的に考えると違うでしょ?豊臣軍の中で農民出身の足軽が、朝鮮半島の遅れた農業技術に見るに見かねて実地でレクチャーした、と考えるのが現実的な思考でしょ?違うのなら、データーとか資料を出さないとね。農民の民族意識がどのように農業技術の発展に貢献したのか?とかの資料があるとでも言うのかな?しかし、この韓国歴史教科書ではそんなマトモな疑問には答えてくれないわけ。

13.データーが載っていない・・・この教科書にはそれぞれの時代の人口とか、生産量とかのデーターがほとんど出て来ません。これは前記のように政治を運営する気がなく、政治を論じることにしか興味がないので、データーを取る習慣がないのでしょうね。

しかし、韓国の歴史で突然に豊富なデーターが出てくる時期があります。それは日本統治時代。この時代になると、韓国の人口とか生産量の詳細なデーターが出てくるばかりではなく、事件における年号や被害などの詳細なデーターも記録されている。この時代になって初めて「政治」が行われていたことがわかるわけ。

14.判断が先に来る・・・たとえば、韓国人による伊藤博文の暗殺事件がありました。日本だと「暗殺」という言葉で記述されますよね?ところが韓国の教科書では「処断」という言葉になっている。「悪をやっつけた!」というわけでしょう。この手の価値判断を伝えるのが教科書の役目と認識しているようです。しかし、それは文明国の歴史教科書ではないでしょ?読者が自由に考えることができなくなりますよね?

しかし、この手の判断が先に来る歴史教科書は、大日本帝国の歴史教科書がそうだったはずです。たとえば足利尊氏と後醍醐上皇が争った南北朝時代の記述において、足利尊氏は一方的に「悪」にされていたそう。
文明国の歴史書のスタイルだったら足利尊氏の政策と、後醍醐上皇の政策を記述することに重点が置かれることになります。まあ、こんな感じで判断が先に来るような教科書で歴史を学んでいたので、大日本帝国の人間はバカになってしまったのでしょうね。

15.具体例が乏しい・・・たとえば「ハングルは優秀だ!」そんな記述が多く出てきます。しかし、ハングルで書かれた「おもしろい文章」の作品名は中々出てこない。ひたすら「ハングルは優秀だ!」「ハングルは優秀だ!」それだけ。文明国の書物だったら、ハングルで書かれたおもしろい作品の写真でも載せるでしょ?ひたすら判断を押しつける形なんですね。美術でも文学でも具体的作品名がなかなか出てこないわけ。

16.感情的表現・・・教科書は作者の「思い」を伝えることが韓国での常識なので、作者の感情的な表現が頻発している。・・・日帝の悪辣な・・・とかの言葉が頻発。しかし、その日帝が何年にどんな法律を作ったのか?とは記述していない。ただ「悪辣」とか「冷酷」とかの扇情的で感情的な文言が並ぶだけ。


【教科書から浮かび上がる韓国人のメンタリティー】

1.内輪もめ・・・それこそ新羅、高句麗、百済以降も、半島の人はやたら内輪モメをしている。いつの時代もこの内輪もめの記述がいっぱい。それだけ、「小山の大将」になりたがるようです。以前にも書きましたが、会話のできない人間は「手下はいても、味方がいない。」もの。どうしても「自分が大将」になりたがるわけです。

2.情報軽視・・・当事者として政治を進める人よりも、傍観者として政治を論じる政治論者が威張っていられるのは、やっぱり当事者意識の欠如が社会に蔓延しているからですね。実際に政治を進めるとなると、情報を集めて、情報を分析して、政策を立案して、法律化して、周知させ、実行する・・・そんなプロセスが必要でしょ?単なる「べき」論では片付きませんよ。地道な作業が必要なんですね。

朝鮮の歴史では情報というかデーターを集めている様子がない。情報もないのに、どうやって政策を立案するの?この韓国歴史教科書では「儒教の教えに従って、『○○のような政策をすすめた』・・・」なる記述が多くあります。しかし、マトモな政府だったら儒教の教え以前に、国家の人口とか生産量とか周辺国に関する情報を集めるものでしょ?そんな情報軽視の姿勢だからこそ、歴史のデーター資料も少ないわけでしょうね。

3.原理主義・・・当事者意識がなく、傍観者然なので、現実無視で原理原則を押し通そうとする。そしてうまく行かなくなったら、「アイツが悪い!」と他者に原因を押しつけることになってしまう。しかし、現実を無視して自分の原理原則を押し通してしまっても、うまくいかないのは当たり前でしょ?

4.対抗心が強い・・・ダメダメ家庭ではやたら対応心が強く「アンチ○○」なんて発想をしがちであることは以前にも書いています。韓国人が「アンチ日本」の発想をするのは勝手ですが、韓国人同士でもやたら対抗心が強いわけ。儒教の流派同士で対抗したり、儒教と仏教で対抗したりと、そんな記述ばかり。対抗する以前に、民衆のことを考えてみるとかそんな発想が全然ないんですね。

政治対立、学問対立、宗教対立、地域対立、身分対立・・・そのような記述ばかりが多くなる。自分自身を主張する方法として、まず最初に「私はあの○○に対立している!」と一声あげるのが、韓国人の流儀のようです。スグに排除の論理が出てきて、「お互いが、得意分野で一緒に協力してやっていこう!」とは行かないわけ。

5.排他的な愛国心・・・民族意識という言葉がやたら頻発するのに、では「その民族意識って、具体的には何?」という質問には答えられない。しかし、そのように強圧的に民族意識を押しつけるので、どうしても排他的な発想になってしまうことになる。20世紀になってアメリカなどの海外に移住した韓国人もいたそう。それはそれで結構ですが、その移住した人は韓国に対する強い愛国心を持ち続けたそう。

韓国にシンパシーを持つのは当然として、そんなに強い愛国心を持つのならアメリカに移住しなければいいでしょ?海外でそんな、「オレたちはスゴイんだ!」というような排他的な愛国心を持っているから、関東大震災やアメリカのロス暴動で焼き討ちにあうわけでしょ?アメリカに移住したらアメリカに忠誠を誓えばいいじゃないの?ねっ?

6.身分秩序・・・・ダメダメ人間は人間を序列化することが大好きのようです。まあ、カルトではこの手の序列化が好きなのはオウム真理教でもありましたよね?韓国もオウム真理教と同じように、やたら細かく身分が別れている。それにその身分間の移動が不可能のようです。妾腹の子供は絶対に出世できないとかが、あったそう。あるいは男尊女卑なども・・・そのような秩序を「倫理的」措置などとも記述してある。そんな身分体系は制度かもしれないけど、倫理とは言えないでしょ?

7.理屈をこねくり回す・・・現実を無視して理屈をこねくりまわすことが大好き。そしてその理屈も、権威主義で、おまけにすべて善悪で片付けてしまうので、思考に広がりがないわけ。教科書におもしろい記述があります。李氏朝鮮時代の農民の離脱に関するものです。
「農民の離脱は名分上、民生を安定させなければならないという儒教の王道政治論にあわないだけでなく、現実的にも、国家の財政を危うくするものであった。」
・・・しかし、一般の文明国だったら、記述の順序が逆でしょ?儒教の名分などより、国家財政の方が重要でしょ?

8.知識欲が乏しい・・・理屈をこねくり回すことは好きでも、新たな知識を得ようとはしない。まあ、目新しい学説には興味を持つようですが、知識って学説だけではないでしょ?たとえば世界地図を韓国が入手したのは17世紀末。しかし、日本にはイエズス会の宣教師より16世紀には入手していますよね?だから豊臣軍による朝鮮侵攻は、最新鋭の軍事設備と、世界全体に対する豊富な知識を持つ日本軍と、軍事的にも知識的にも乏しく、ただ「オレたちはスゴイんだ!」と自画自賛しているだけの朝鮮軍の戦いだったわけ。20世紀での太平洋戦争では、日本の立場は全く逆になってしまいましたが・・・戦争の善悪はともかく、何事でも事前準備は重要でしょ?

9.何でも反対・・・今のイラクのように何でも悪く取り、反対するのが韓国人。日本統治時代に貨幣の共通化をやろうとしたら、それに反対し、ブチブチ文句を言っている。勿論デメリットもあるでしょうが、本来は韓国人自身で貨幣の共通化なんてやらないといけないでしょ?他人にやってもらって感謝するどころか、文句を言う始末。
それに、そんなに貨幣の共通化がイヤだったのなら、今からでも元のバラバラの状態に戻せばいいじゃないの?
反対することには熱心でも、「で、結局は、どうしたいのか?」という点は何も考えていないんですね。

10.危機意識が乏しい・・・自分自身を自分で守ろうという当事者意識がないので、危機意識もない。だから周辺国の情勢にも気を配らない。だから簡単に侵略されてしまう。中国とか日本にスパイくらい派遣して情報収集するのが、マトモな国でしょ?そんな当然のこともやっているそぶりもないんですね。それに危機感がないので、優秀な人間を抜擢する必要がない。だから社会も停滞する。

11.ダメダメの連鎖・・・根拠のない「オレたちはスゴイんだ!」という思いこみや被害者意識だけの人・・・それに人の話を聞き、相手に自分の意向をわかりやすく伝える意欲のない人間を相手にしてくれる人って、一体全体誰がいるの?結局は、相手をしてくれるのは自分の子供・・・というか子孫だけになってしまうわけ。だからこんな教科書を作って子供たちをダメにしたがるわけです。
もし韓国人の子孫がマトモな発想をしてしまったら、こんな教科書を疑問もなく読んでいるような祖先は相手にしませんよ。
ダメダメな人間は、そのダメダメな集団から脱却しようとする人間の行動を妨害するものなんですね。この教科書はそのような効果があるわけ。

12.クレーマー・・・具体的にモノを考える習慣がないし、他者に対して具体的な説明をする習慣が身に付かないので、他者と上手に会話することができないわけ。その上に被害者意識が加わるので、どうしてもクレーマーになってしまう。

「一体、どうして欲しいの?」
「一体、アナタたちはどうしたいの?」

そう聞いても答えられないものでしょ?

そもそもそのような具体的な思考をするようには訓練されていないわけ。
しかし、こんな教科書で勉強した人たちが、他者とどのようにコミュニケートするの?
まさにこの教科書のように、感情的なスタイルで文句を言うだけで終わってしまうわけ。だってクレームをつけることくらいしかネタもないでしょ?


【トホホな記述】

韓国の教科書には結構トホホな記述が多くあります。まあ、狙ったユーモアではないでしょうが、笑えますよ。

1.新羅の王様の記述・・・「王が自ら藩田を耕して農事の規範を示したりした。」・・・今でも将軍様が何かと模範をお示しになりますよね?

2.16世紀頃の農民の食料に関する記述・・・・「政府は雑穀、ドングリ、木の皮などを加工して食べる方法を提示した。」・・・今でもやっていますよね?

3.陽明学に関する記述・・・「理屈をこねくり回す」だけではダメだ!これからは知行合一(知識と行動が一体になること)の陽明学だ!と言うことで、李氏朝鮮時代に陽明学の研究が始まり、結果的に立派な陽明学の学問体系が完成したとのこと。しかし、そんな立派な学問体系に意味はないというのが知行合一の陽明学じゃあないの?日本の大塩平八郎のように実践してみたら?

4.文盲率・・・日本が統治を始めた頃の、韓国の文盲率は80%だったそう。日本統治前までそんな統計も無かったようです。しかし、80%が字を読めないのなら、日本語で教えるのも理にかなっていますよね?ちなみに日本が韓国人に行ったとされる創氏改名だって、それ以前はほとんどの韓国人は苗字がなかったのだから、当然といえば当然ですよね?それに強制ではないわけですし。だからこの教科書では、その法律名も年号も出てこないわけ。

5.税制・・・16世紀頃の韓国の税制は「租庸調」を基礎にしていたらしい。それって日本だと大化の改新で制定された制度でしょ?韓国人が経済的な面を全然考えていない人間であることが実によくわかります。1000年も進歩がないわけ。

6.満州開拓についての記述・・・韓国人は満州の開拓を行ったらしい。その記述が秀逸です。「現地土着民から圧迫を受けながらも、荒蕪地を開拓した・・・」とのこと。しかし、これって、まさに侵略じゃあないの?それこそ現地土着民に謝罪しないとね。


私は何も偏見を持って、この「韓国国定歴史教科書」を読んだわけではありませんよ。

この教科書は図書館などで借りることができると思いますので、読者の方々も一度、虚心坦懐にお読みになられると、興味深いと思います。

何でも韓国では教科書は、この国定教科書一種類しかないそうです。まさに大日本帝国そのものですよね?

こんな教科書で歴史を学んでいる韓国人が、「ああ」なってしまったのも当然と言えば当然。そんな「おバカ」な韓国人が選んだ大統領のノ・ムヒョン氏が「おバカ」なのも当然と言えば当然。

だいたい大統領になる前に一度もアメリカに行ったことがない、なんて文明国では考えられないことでしょ?

しかし、今まで検討してきた韓国の教科書から見て、そのような人間が大統領になってしまうことも理解できますよね?それに、私が提示したこの教科書の特徴を思い起こすとノ・ムヒョン氏の発言が実に理解しやすいでしょ?

この教科書を読んでいると、「作者」が頭から湯気を出して怒って書いているのはわかりますが、何が言いたいのかさっぱりわからない。それに・・・この本からどうやって試験問題を作るのかな?だってこの教科書には「客観」がなく「主観」だけなんですからネ。

他者に対して物事を伝えるのは、客観的な5W1Hを伝えることが先で、次に個人的見解でしょ?そのようなスタイルでないと、聞いている側の人間は、「この人・・・いったい何が言いたいの?」となってしまいますよね?
まさにこの教科書はダメダメの聖典と言えるくらいです。

この教科書は人にわかりやすく伝えようとする意欲そのものが無く、ただ自分の思いを勝手に言い放しているだけの本なんですね。

実際のダメダメ家庭に育った読者の方の中には、ご自分の両親の「語り口」を思い出す人もいらっしゃるでしょう。

この教科書の文章と、ダメダメ家庭でのおなじみのセリフ

「一体誰のためにこんな苦労をしたと思っているんだ?!」とか

「オマエのために人生を棒に振ってしまった・・・」

とは実に近い位置にあります。あるいは、「悪いのは全部○○のせいだ!」という犯人認定にも近い。まあ、そのグチや犯人認定を言う対象がどこになっているのか?

この点は、日本人には悲劇的なことですね。

日本の会話不全のダメダメ人間が往々にして、韓国にシンパシーを持っている例が多く見受けられるでしょ?会話のできない人は、会話ができなくてグチばかり言っている人間と一緒になって、自分自身もグチを言いたがるもの。

まあ、私がよく書いていますが、それってハエやゴキブリが腐臭に吸い寄せられるようなもの。

グチを言うことが、一時的な楽しみになっていることはわからないでもありませんが、自分自身の尊厳を大切にすることが、ダメダメからの脱却の第一歩でしょ?こんな「人の話を聞くつもりもない」人たちと一緒にいて何が楽しいのかな?

いずれにせよ、図書館で借りて、実際にお読みになってみることを是非お勧めいたします。

まあ、読んで不快になることは・・・請け合いますが・・・
韓国を考える際に参考になるだけでなく、日本のダメダメ家庭を考える際にも非常に参考になると思います。

(終了)
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発信後記

メルマガの文章作成には、結構準備時間がかかったりします。
今回の文章だって、そもそもこの教科書自体が、日本語で500ページもあって読むのも大変。
ということで、取りかかった頃には中国や韓国での反日デモもまだ起きてはいませんでした。

今回のお題は、良くも悪くもグットタイミングになってしまいました。

多分、中国の教科書も、韓国と同じように異常な教科書なんだろうと思います。
だって、卒業した生徒があのザマなんですからね。

何も日本の教科書に問題が無いというわけではありませんが、韓国の教科書は100%の異常と言えると思います。というか、日本だったらこの執筆者は変質者扱いですよ。変質的なクレーマーが執筆した教科書で勉強?させられている韓国の生徒は、ある意味お気の毒ですが、そのうっぷんを日本に向けてくるのは、はた迷惑ですね。

以下に管理者による追加文章 (10年12月21日 アップ)

さて、本文においては、韓国の歴史教科書に表れている、韓国人のメンタリティーについて考えております。

私としては、何も韓国人の問題そのものを指摘したいと思っているわけではありません。

韓国人というスクリーンに映っているダメダメのメンタリティーを考えているだけです。

韓国人なり韓国の歴史教科書そのものに意味があるわけではなく、ダメダメの問題を映すのにあたって出来がいいスクリーンというだけです。

だから、今回言及したメンタリティーに近い様相は、別のところでも見えたりするもの。

それこそ、インターネットの掲示板において湯気を出しながら書き込んでいるような人間のメンタリティーと共通しているわけですし、別の国との共通性もあったりする。

それこそ、別のところでまとめておりますが、ヨーロッパのポーランドのメンタリティーとも実に近い。

あるいは、日本だと、茨城県の歴史を調べてみたら、なんとも、同じようなことをやっている。

ここで、その共通性をピックアップしてみましょう。

ちなみに、このようなメンタリティーは、水戸藩に関わる幕末での大事件である「天狗党事件」では典型的に見出されたりします。この「天狗党事件」については、皆さんも、例のウィキペディアでも使ってチェックしてみてくださいな。

ということで、茨城県と韓国の歴史において共通してみられるダメダメの様相をピックアップしてみましょう。

1. 対抗心・・・何かと言うと、スグに「あの○○に対抗する!」と息巻く。そして、それこそ平安時代の平将門のように乱をおこしたり、論争を起こしたりする。

2. 身近なものを否定・・・それこそ、「尊皇攘夷」だって、長州や薩摩のような外様の大名が言うのなら分りますが、御三家が尊皇攘夷というのはヘンでしょ?

しかし、自分の父親が嫌いなことを自分で認めたくない人間が、「お祖父さんは立派な人だった・・・」と過剰に言ったりする例があることを考えれば、その尊皇攘夷の心理的な意味も理解できるようになるわけです。より遠くのものを肯定することで、目の前のものを否定しているわけです。

3. 政治家よりも、政治論者・・・水戸藩には色々な政治論者が出てきますが、実際の政治家はほとんどいない。実際に出てくる政治家も、「善政を行った。」とかの漠然とした記述になって、「どんなデーターをもとに、どのような施策を進め、どのような効果を得たのか?」という点が出てこない。「べき論」を用い、現実を否定しているだけの学者さんが多いんですね。そして、現実否定的な主張をすると改革派とか言われてしまう。そんな流れは、韓国の歴史教科書ではおなじみのもの。

4. 各派対立・・・それぞれの考え方について、データーを取って検証するという発想がないので、「議論のための議論」になるばかり。だから、政治論者の各派対立が深刻になってしまう。だって、主義主張の有効性を検証しようがないんだから、論争になったら収まりようがありませんよ。

5. 内輪もめ・・・ということで、内部対立が頻発することになる。水戸藩の前の時代から、やたら内輪もめが多い。

6. 報復・・・内部対立が深刻化するので、自分の側が被害者だと確認する儀式としての報復行為が頻発し、その規模も過激になってしまう。親類縁者を皆殺しするという凄惨な報復行為が習慣化してしまう。

7. 芸術の不在・・・自分の内面を見るよりも、対立している相手方を見てしまうので、自己逃避が進行してしまう。だから、自分の内面を厳しく見つめた成果といえる芸術作品が生まれない。まあ、茨城県出身で有名な芸術家となると画家の横山大観くらいとなるわけですが、その名前の大観の中の「大」の字は、当人のコンプレックスを示すことが多いもの。大きいことを肯定したのではなく、「小さい自分がイヤ。」という二重否定的な心理状態につながることも多いんですね。そもそも、その大観の作品も、芸術的に見ると「悪くはない」と言った二重否定的な価値でしょ?

目の前の現実を踏まえ、自分の意向を自覚して、異なった見解を持つもの同士でも、会話によって合意形成を進めていくという発想がない。

現実無視のご高説を「べき論」で連呼するだけ。

そして、気に入らない相手に対しては、スグに武力に訴えることになる。
そして、武力に訴える自分に酔ってしまう。

それこそ、「桜田門外の変」もその典型と言えます。
茨城の歴史は、犯人認定と報復行為ばかりの歴史なんですね。

それこそ、「尊皇攘夷」だって、「悪いのは全部、今の江戸幕府のやつらだ!」とか「外国のヤツらが諸悪の根源だ!」という発想でしょ?
それはいいとして、「では、結局は、アンタたちはどうしたいの?」となってしまうでしょ?

まあ、そんなことばかりしているから、水戸藩は尊皇が実現された明治政府に対して人材を提供できなかったわけでしょ?敵が共通となっている時点では一緒にやれていても、達成目標を共有することはできないわけです。

クレームを付けることには優秀であっても、自分たちの理想を実現させるという肯定方向には何も貢献できない。

まるで、革命家チェ・ゲバラのできそこないが集まったような人物ばかりが登場してくる歴史なんですね。

ちなみに、私としては、何も茨城県の方を蔑視しているわけではありませんよ。
幸か不幸か、ダメダメを映すにあたって、優秀なスクリーンというだけです。
そして、その点について自覚できれば、現在茨城県にお住いの方がコケないように注意することができるわけですし、芸術家も出てくることにもなるでしょう。
R.10/12/21
http://kinoufuzenkazoku.hariko.com/05-04/05-04-22.htm

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/616.html#c4

[近代史3] チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか? 中川隆
25. 中川隆[-8847] koaQ7Jey 2019年7月25日 16:37:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3867]

2019年06月01日
北海道の「縄文人」の高品質なゲノム配列
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_2.html


 北海道の礼文島の船泊遺跡で発掘された3800年前頃の「縄文人」の高品質なゲノム配列を報告した研究(Kanzawa-Kiriyama et al., 2019)が公表されました。

この研究についてはすでに報道されていました(関連記事)。


https://sicambre.at.webry.info/201905/article_24.html


この研究はオンライン版での先行公開となります。現代日本人は大きく、アイヌ集団・「本土」集団・琉球集団に区分されます。現代日本人の起源は人類学・考古学・遺伝学で長く議論されており、縄文人が共通の祖先集団となっていることについては、おおむね共通認識になっている、と言えるでしょうが、縄文人と縄文時代以後の渡来集団の現代人への遺伝的影響度合など、これらの集団はそれぞれ異なる形成史を有する、と推測されています。

 さらに、縄文人の起源についても、形態学ではアジア北東部説と南東部説が提示されており、明確ではありません。20世紀第4四半期以降、縄文人のDNA解析も進められ、まずミトコンドリアDNA(mtDNA)で始まり、その後は核DNAも対象となり、ゲノム規模のデータも報告されています(関連記事)。しかし、高品質とは言えないのでその網羅率は高くなく、縄文人の遺伝的特徴を理解するのに充分ではありませんでした。これまで、縄文人の遺伝的特徴に関しては、本土集団よりも縄文人の遺伝的影響を強く保持していると推測されてきた、アイヌ集団と琉球集団から間接的に推測されてきました。

 本論文は、北海道の礼文島の船泊貝塚で1998年に発見された人類遺骸のうち2個体(F5およびF23)のDNA解析結果を報告しています。放射性炭素年代測定法による推定年代は3800〜3500年前頃です。この2人のミトコンドリアDNA(mtDNA)と核DNAが解析され、mtDNAハプログループ(mtHg)とY染色体DNAハプログループ(YHg)が決定されるとともに、F23の高品質なゲノム配列が得られました(DNA配列の深度のピークは、F5が1倍、F23が48倍です)。DNA解析からF5は男性、F23は女性と推定され、これは形態学的所見と一致します。この船泊縄文人のゲノムデータは世界各地の現代人および古代人と比較され、縄文人の遺伝的特徴がじゅうらいよりもずっと詳細に明らかになりました。

 F5もF23もmtHg-N9b1で、以前の研究と一致します。ただ、両者ともN9b1のサブグループであるN9b1a・N9b1b・N9b1cには分類されませんでした。F5はYHg-D1b2bで、これまで「縄文系」のYHgで詳細に分類できていた個体は全員D1b2aだったので(関連記事)、縄文系としては初めて確認されたD1b2bということになりそうです。いずれにしても、縄文系のYHgでは、現代日本人のYHg-Dにおいて多数派となるD1b1(32.7%、その他のD1bは6.1%)はまだ確認されていないことになります。この問題は最近取り上げましたが(関連記事)、現代日本人で多数派のYHg-D1b1が縄文人由来なのか、それとも弥生時代以降に日本列島に到来したユーラシア東部集団由来なのか判断するには、日本列島も含めてユーラシア東部の古代DNA研究の進展が必要だと思います。

 F23のゲノムから表現型も推測されています。F23の血液型は、ABO式ではA(AO)、Rh式ではRhD+です。ただ、ABO式血液型のAx02のアレル(対立遺伝子)では、縄文人のAx0201とAx0202は現代日本人も含む他集団では稀です。シャベル状切歯の程度はわずかで、歯冠サイズは中間的と推定され、これまでに報告されてきた縄文人の特徴と一致します。ただ、F23に切歯は残っていないので、じっさいに形態と一致するのか、確認できませんでした。F23の髪は細いと推測されています。F23の耳垢は湿性で、これは縄文人も含むアジア北東部集団において多数派だったと考えられています。F23のアルコール耐性は高く、肌と虹彩の色は中間程度の濃さと推定されています。F23の身長型スコアはやや低く、アジア東部の現代人集団と比較して身長が低い、と示唆されます。これらのF23の特徴は、形態学からしてきされていた、低身長、弥生時代以降の農耕民より小さな歯、現代アジア東部集団と比較しての非シャベル状切歯頻度の高さなどといった縄文人の特徴とよく合致しています。

 F23の色素関連遺伝子(MC1R)の多様体からは、ソバカスや深刻なシミ(日光黒子)の危険性の高さが推測されています。また、F23は心筋症や統合失調症と関連した多様体を有していました。F23がホモ接合型で有している、CPT1A遺伝子の多様体(p.Pro479Leu)はF5でも見られます。CPT1A遺伝子は脂肪酸代謝に必須で、F23の多様体は、ケトン性低血糖症や乳幼児死亡率の高さといった疾患、インシュリン抵抗性の低下、身長や体重など体格の低下と強く関連しています。この多様体は北極圏の先住民集団では70〜90%と高頻度で見られますが、他集団ではほぼ見られません。これは、高脂肪食や寒冷環境への適応と関連しており、脂肪の豊富な海生哺乳類を主要な食資源としていたことを反映しているのではないか、と推測されています。じっさい、同位体分析により、船泊縄文人は陸生および海生動物を食べていた、と推測されています。ただ、この多様体の起源がどの集団にあるのか、また北東部縄文人に共通しているのか、まだ明らかではありません。

 F23は現代人と比較してヘテロ接合性が低く、ホモ接合性が高い、と明らかになりました。これは、F23の遺伝的多様性の低さを示します。しかしF23は、長いホモ接合性領域が近親婚による個体と比較して少なく、直近世代での近親婚はなかっただろう、と推測されています。形態学的類似性と抜歯のような共通習慣から、北海道の最北部と南西部では文化的・遺伝的交流があったと推測されており、近親婚が避けられていた、と考えられます。F23の遺伝的多様性の低さと関連して、船泊縄文人集団系統の人口規模は小さく、次第に有効人口規模が小さくなっていったのではないか、と推測されます。具体的には、7700世代よりも前には20000人、7700世代前には10000人、2500世代前には5000人、100世代前には200人と減少していった、と推定されています。1世代を20〜30年と仮定すると、50000年前頃以降に顕著に有効人口規模が低下していったと推測され、これは現生人類(Homo sapiens)のアフリカから世界各地への拡散に伴う創始者効果と対応しているのでしょう。

 船泊縄文人(F23)は三貫地縄文人(関連記事)と同じく、アフリカ人・ヨーロッパ人・サフルランド(更新世寒冷期に陸続きになっていてたオーストラリア大陸・ニューギニア島・タスマニア島)人・アメリカ大陸先住民よりも、ユーラシア東部集団と遺伝的に密接でした。アジア東部集団との比較では、船泊縄文人は他の現代ユーラシア東部集団とは異なっており、現代日本人は船泊・三貫地・伊川津の縄文人とユーラシア北東部集団との間に位置します。船泊・三貫地・伊川津の縄文人は、他の集団との比較で遺伝的に相互に密接な関係にあります。

 船泊縄文人系統は、パプア系統とユーラシア東部系統が分岐し、次に4万年前頃の華北の田园(Tianyuan)男性(関連記事)系統と他のユーラシア東部系統が分岐した後、ユーラシア東部系統とアメリカ大陸先住民系統が36000±15000年前頃に分岐する前に、ユーラシア東部系統と分岐した、と推定されています。ただ、25000±1100年前頃まで両者の間には遺伝子流動があった、と推測されています(関連記事)。漢人と船泊縄文人との分岐は、38000〜18000年前頃と推定されており、この期間に船泊縄文人系統は他のユーラシア東部系統と分岐したのでしょう。なお、アメリカ大陸先住民は、ユーラシア東部系統と田园系統が分岐した後のユーラシア東部系統だけではなく、ヨーロッパ系統と近縁なシベリア南部中央系統(古代ユーラシア北部集団)の強い遺伝的影響を受けています(関連記事)。

 船泊縄文人と遺伝的に比較的近縁な地域集団は、現代人ではアムール川下流域のウリチ人(Ulchi)・韓国人・台湾先住民のアミ人(Ami)とタイヤル人(Atayal)・イゴロット人(Igorot)などのフィリピン人・日本人で、古代人では7700年前頃の朝鮮半島に近いロシア沿岸地域の悪魔の門(Devil’s Gate)遺跡集団(関連記事)です。いずれもアジア東部沿岸圏に存在します。船泊縄文人との遺伝的距離では、漢人は日本人・韓国人・台湾先住民よりも遠く、YHgでは船泊縄文人および日本人と密接なチベット人も、ゲノム解析では他のアジア東部集団と比較して、とくに船泊縄文人と近縁というわけではありませんでした。漢人など多くのアジア北東部集団よりも船泊縄文人と遺伝的に近い現代人集団の中では、日本人が最も近く、ウリチ人がそれに続き、その後が韓国人・アミ人・タイヤル人です。

 注目されるのは、F23が他のほとんどのアジア東部集団よりもオーストラリア大陸先住民と多くのハプロタイプを共有していた、と推定されたことです。アマゾンの一部アメリカ大陸先住民集団にはオーストラレシア人の遺伝的影響が指摘されていますが(関連記事)、船泊縄文人とほとんどのアジア東部集団は、このアマゾンの祖先集団とは近縁ではない、と推測されています。この問題は謎めいており、解明には現代人と古代人のゲノムデータのさらなる蓄積が必要となるでしょう。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と現生人類(Homo sapiens)との交雑はすでによく知られているでしょうが(関連記事)、F23のゲノムへのネアンデルタール人およびデニソワ人の影響は、アメリカ大陸先住民集団やアジア東部集団とほぼ同じです。

 上述のように、船泊縄文人ではmtHg- N9b1とYHg- D1b2bが確認されています。mtHg- N9bとYHg- D1bはいずれもほぼ日本列島にのみ存在し、共通祖先の推定年代は、前者が22000年前頃、後者が19400年前頃です。現代のユーラシア東部集団に遺伝的影響を残していない新石器時代ユーラシア東部集団が日本列島に拡散し、船泊縄文人も含む北部縄文人の祖先になった可能性もありますが、本論文は、北部縄文人を日本列島の更新世集団の子孫という見解を支持しています。

 上述のように、船泊縄文人は、アジア東部沿岸地域の現代人集団と遺伝的に近縁です。これはゲノムデータだけではなく、mtHgでも同様です。これに関しては、アジア東部沿岸地域への最初の移住集団を共有しているか、縄文人系統が他のアジア東部集団と分岐した後の遺伝子流動が考えられます。上述した日本人とウリチ人の船泊縄文人との遺伝的近縁性の高さと、ウリチ人の祖先集団と考えられる悪魔の門集団と船泊縄文人との遺伝的類似性の低さからも、両者の間の遺伝子流動が支持されています。しかし、韓国人やアミ人やタイヤル人に関しては、どちらの仮説がより妥当なのか、判断は困難で、もっと多くのゲノムデータが必要と本論文は指摘します。

 上述のように、船泊縄文人は漢人よりも日本人やウリチ人や韓国人や台湾先住民といったアジア東部沿岸地域の現代人集団と遺伝的に近縁なのですが、漢人よりもさらに遠い関係にあるのが、タイなどのアジア南東部集団です。船泊縄文人と漢人やアジア南東部集団との関係について本論文は、(1)未知の集団とアジア南東部祖先集団との交雑、(2)船泊縄文人系統と漢人関連古代集団との間の分岐後の遺伝子流動、(3)船泊縄文人およびアジア北東部大陸集団の共通祖先とアジア南東部集団との分岐後に、古代アジア南東部集団が大陸部アジア北東部集団と交雑した、という可能性を想定しています。本論文は、カンボジア人における遺伝的にヨーロッパ集団ともアジア東部集団とも等距離にある未知のユーラシア集団からの16%ほどの遺伝的影響から、(1)を支持しているものの、その他の2仮説のさらなる検証の必要性も指摘しています。

 現代日本人起源論との関連では、縄文人とアイヌ・本土・琉球という現代日本の3集団との関係が注目されます。船泊縄文人(F23)のゲノムデータは、アイヌ集団と琉球集団が本土集団より縄文人系統の遺伝的影響を強く保持している、というじゅうらいの見解を改めて支持します。F23で観察されたヒト白血球型抗原(HLA)アレルも、本土集団よりアイヌ集団と琉球集団において高頻度で見られました。縄文人の現代日本人の各集団への遺伝的影響の推定は難しく、本論文もある程度の幅を想定しているのですが、アイヌ集団では66%、本土日本人では9〜15%、琉球集団では27%です。

 じゅうらいの諸研究は、アイヌ集団は縄文人を基盤に、その後のオホーツク文化集団やその他のシベリア北東部集団の遺伝的影響を受けて成立した、と指摘します。これらのシベリア北東部集団は、現代人ではアムール川下流域の集団と近縁と推測されていますが、アイヌ集団の形成過程のより詳細な解明も、アジア北東部の古代DNA研究の進展が必要となります。アイヌ集団に関して、北海道の縄文人との遺伝的継続性を否定し、12世紀頃に樺太から北海道に渡来した、という認識さえネットでは見られますが(関連記事)、本論文により、そうした認識は与太話にすぎないと改めて示された、と言えるでしょう。

 本土集団と琉球集団は、先住の縄文人と後に渡来した人々との混合と考えられます。この後に渡来した集団は、おそらく弥生時代以降にアジア東部から日本列島に到来した農耕民で、現代人では韓国人や漢人と遺伝的に近縁です。もちろん、現代の韓国人や漢人も歴史的に形成されてきたわけで、紀元前9世紀〜紀元後6世紀にかけて日本列島に到来したアジア東部集団の遺伝的構成が、そのまま現代の韓国人や漢人と同じというわけではありません。本土集団における縄文人の遺伝的影響は高くとも15%程度と本論文では推定されていますが、この数字が独り歩きすることは懸念されます(関連記事)。上述したYHg-D1b1の問題からも、縄文人は均質的でありながらもある程度の地域差があり、本土集団に大きな影響を残しているのは西日本の縄文人とも考えられるからです。現代日本人の起源については、日本列島のみならずユーラシア東部の古代ゲノムデータの蓄積が必要で、日本人の私は今後の研究の進展をたいへん楽しみにしています。


参考文献:
Kanzawa-Kiriyama H. et al.(2019): Late Jomon male and female genome sequences from the Funadomari site in Hokkaido, Japan. Anthropological Science.
https://doi.org/10.1537/ase.190415


https://sicambre.at.webry.info/201906/article_2.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html#c25

[近代史3] アイヌ人は先住民ではない、日本人は単一民族だというデマを撒き散らすチャンネル桜 中川隆
7. 中川隆[-8846] koaQ7Jey 2019年7月25日 16:39:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3868]
2019年06月01日
北海道の「縄文人」の高品質なゲノム配列
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_2.html


 北海道の礼文島の船泊遺跡で発掘された3800年前頃の「縄文人」の高品質なゲノム配列を報告した研究(Kanzawa-Kiriyama et al., 2019)が公表されました。

この研究についてはすでに報道されていました(関連記事)。


https://sicambre.at.webry.info/201905/article_24.html


この研究はオンライン版での先行公開となります。現代日本人は大きく、アイヌ集団・「本土」集団・琉球集団に区分されます。現代日本人の起源は人類学・考古学・遺伝学で長く議論されており、縄文人が共通の祖先集団となっていることについては、おおむね共通認識になっている、と言えるでしょうが、縄文人と縄文時代以後の渡来集団の現代人への遺伝的影響度合など、これらの集団はそれぞれ異なる形成史を有する、と推測されています。

 さらに、縄文人の起源についても、形態学ではアジア北東部説と南東部説が提示されており、明確ではありません。20世紀第4四半期以降、縄文人のDNA解析も進められ、まずミトコンドリアDNA(mtDNA)で始まり、その後は核DNAも対象となり、ゲノム規模のデータも報告されています(関連記事)。しかし、高品質とは言えないのでその網羅率は高くなく、縄文人の遺伝的特徴を理解するのに充分ではありませんでした。これまで、縄文人の遺伝的特徴に関しては、本土集団よりも縄文人の遺伝的影響を強く保持していると推測されてきた、アイヌ集団と琉球集団から間接的に推測されてきました。

 本論文は、北海道の礼文島の船泊貝塚で1998年に発見された人類遺骸のうち2個体(F5およびF23)のDNA解析結果を報告しています。放射性炭素年代測定法による推定年代は3800〜3500年前頃です。この2人のミトコンドリアDNA(mtDNA)と核DNAが解析され、mtDNAハプログループ(mtHg)とY染色体DNAハプログループ(YHg)が決定されるとともに、F23の高品質なゲノム配列が得られました(DNA配列の深度のピークは、F5が1倍、F23が48倍です)。DNA解析からF5は男性、F23は女性と推定され、これは形態学的所見と一致します。この船泊縄文人のゲノムデータは世界各地の現代人および古代人と比較され、縄文人の遺伝的特徴がじゅうらいよりもずっと詳細に明らかになりました。

 F5もF23もmtHg-N9b1で、以前の研究と一致します。ただ、両者ともN9b1のサブグループであるN9b1a・N9b1b・N9b1cには分類されませんでした。F5はYHg-D1b2bで、これまで「縄文系」のYHgで詳細に分類できていた個体は全員D1b2aだったので(関連記事)、縄文系としては初めて確認されたD1b2bということになりそうです。いずれにしても、縄文系のYHgでは、現代日本人のYHg-Dにおいて多数派となるD1b1(32.7%、その他のD1bは6.1%)はまだ確認されていないことになります。この問題は最近取り上げましたが(関連記事)、現代日本人で多数派のYHg-D1b1が縄文人由来なのか、それとも弥生時代以降に日本列島に到来したユーラシア東部集団由来なのか判断するには、日本列島も含めてユーラシア東部の古代DNA研究の進展が必要だと思います。

 F23のゲノムから表現型も推測されています。F23の血液型は、ABO式ではA(AO)、Rh式ではRhD+です。ただ、ABO式血液型のAx02のアレル(対立遺伝子)では、縄文人のAx0201とAx0202は現代日本人も含む他集団では稀です。シャベル状切歯の程度はわずかで、歯冠サイズは中間的と推定され、これまでに報告されてきた縄文人の特徴と一致します。ただ、F23に切歯は残っていないので、じっさいに形態と一致するのか、確認できませんでした。F23の髪は細いと推測されています。F23の耳垢は湿性で、これは縄文人も含むアジア北東部集団において多数派だったと考えられています。F23のアルコール耐性は高く、肌と虹彩の色は中間程度の濃さと推定されています。F23の身長型スコアはやや低く、アジア東部の現代人集団と比較して身長が低い、と示唆されます。これらのF23の特徴は、形態学からしてきされていた、低身長、弥生時代以降の農耕民より小さな歯、現代アジア東部集団と比較しての非シャベル状切歯頻度の高さなどといった縄文人の特徴とよく合致しています。

 F23の色素関連遺伝子(MC1R)の多様体からは、ソバカスや深刻なシミ(日光黒子)の危険性の高さが推測されています。また、F23は心筋症や統合失調症と関連した多様体を有していました。F23がホモ接合型で有している、CPT1A遺伝子の多様体(p.Pro479Leu)はF5でも見られます。CPT1A遺伝子は脂肪酸代謝に必須で、F23の多様体は、ケトン性低血糖症や乳幼児死亡率の高さといった疾患、インシュリン抵抗性の低下、身長や体重など体格の低下と強く関連しています。この多様体は北極圏の先住民集団では70〜90%と高頻度で見られますが、他集団ではほぼ見られません。これは、高脂肪食や寒冷環境への適応と関連しており、脂肪の豊富な海生哺乳類を主要な食資源としていたことを反映しているのではないか、と推測されています。じっさい、同位体分析により、船泊縄文人は陸生および海生動物を食べていた、と推測されています。ただ、この多様体の起源がどの集団にあるのか、また北東部縄文人に共通しているのか、まだ明らかではありません。

 F23は現代人と比較してヘテロ接合性が低く、ホモ接合性が高い、と明らかになりました。これは、F23の遺伝的多様性の低さを示します。しかしF23は、長いホモ接合性領域が近親婚による個体と比較して少なく、直近世代での近親婚はなかっただろう、と推測されています。形態学的類似性と抜歯のような共通習慣から、北海道の最北部と南西部では文化的・遺伝的交流があったと推測されており、近親婚が避けられていた、と考えられます。F23の遺伝的多様性の低さと関連して、船泊縄文人集団系統の人口規模は小さく、次第に有効人口規模が小さくなっていったのではないか、と推測されます。具体的には、7700世代よりも前には20000人、7700世代前には10000人、2500世代前には5000人、100世代前には200人と減少していった、と推定されています。1世代を20〜30年と仮定すると、50000年前頃以降に顕著に有効人口規模が低下していったと推測され、これは現生人類(Homo sapiens)のアフリカから世界各地への拡散に伴う創始者効果と対応しているのでしょう。

 船泊縄文人(F23)は三貫地縄文人(関連記事)と同じく、アフリカ人・ヨーロッパ人・サフルランド(更新世寒冷期に陸続きになっていてたオーストラリア大陸・ニューギニア島・タスマニア島)人・アメリカ大陸先住民よりも、ユーラシア東部集団と遺伝的に密接でした。アジア東部集団との比較では、船泊縄文人は他の現代ユーラシア東部集団とは異なっており、現代日本人は船泊・三貫地・伊川津の縄文人とユーラシア北東部集団との間に位置します。船泊・三貫地・伊川津の縄文人は、他の集団との比較で遺伝的に相互に密接な関係にあります。

 船泊縄文人系統は、パプア系統とユーラシア東部系統が分岐し、次に4万年前頃の華北の田园(Tianyuan)男性(関連記事)系統と他のユーラシア東部系統が分岐した後、ユーラシア東部系統とアメリカ大陸先住民系統が36000±15000年前頃に分岐する前に、ユーラシア東部系統と分岐した、と推定されています。ただ、25000±1100年前頃まで両者の間には遺伝子流動があった、と推測されています(関連記事)。漢人と船泊縄文人との分岐は、38000〜18000年前頃と推定されており、この期間に船泊縄文人系統は他のユーラシア東部系統と分岐したのでしょう。なお、アメリカ大陸先住民は、ユーラシア東部系統と田园系統が分岐した後のユーラシア東部系統だけではなく、ヨーロッパ系統と近縁なシベリア南部中央系統(古代ユーラシア北部集団)の強い遺伝的影響を受けています(関連記事)。

 船泊縄文人と遺伝的に比較的近縁な地域集団は、現代人ではアムール川下流域のウリチ人(Ulchi)・韓国人・台湾先住民のアミ人(Ami)とタイヤル人(Atayal)・イゴロット人(Igorot)などのフィリピン人・日本人で、古代人では7700年前頃の朝鮮半島に近いロシア沿岸地域の悪魔の門(Devil’s Gate)遺跡集団(関連記事)です。いずれもアジア東部沿岸圏に存在します。船泊縄文人との遺伝的距離では、漢人は日本人・韓国人・台湾先住民よりも遠く、YHgでは船泊縄文人および日本人と密接なチベット人も、ゲノム解析では他のアジア東部集団と比較して、とくに船泊縄文人と近縁というわけではありませんでした。漢人など多くのアジア北東部集団よりも船泊縄文人と遺伝的に近い現代人集団の中では、日本人が最も近く、ウリチ人がそれに続き、その後が韓国人・アミ人・タイヤル人です。

 注目されるのは、F23が他のほとんどのアジア東部集団よりもオーストラリア大陸先住民と多くのハプロタイプを共有していた、と推定されたことです。アマゾンの一部アメリカ大陸先住民集団にはオーストラレシア人の遺伝的影響が指摘されていますが(関連記事)、船泊縄文人とほとんどのアジア東部集団は、このアマゾンの祖先集団とは近縁ではない、と推測されています。この問題は謎めいており、解明には現代人と古代人のゲノムデータのさらなる蓄積が必要となるでしょう。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と現生人類(Homo sapiens)との交雑はすでによく知られているでしょうが(関連記事)、F23のゲノムへのネアンデルタール人およびデニソワ人の影響は、アメリカ大陸先住民集団やアジア東部集団とほぼ同じです。

 上述のように、船泊縄文人ではmtHg- N9b1とYHg- D1b2bが確認されています。mtHg- N9bとYHg- D1bはいずれもほぼ日本列島にのみ存在し、共通祖先の推定年代は、前者が22000年前頃、後者が19400年前頃です。現代のユーラシア東部集団に遺伝的影響を残していない新石器時代ユーラシア東部集団が日本列島に拡散し、船泊縄文人も含む北部縄文人の祖先になった可能性もありますが、本論文は、北部縄文人を日本列島の更新世集団の子孫という見解を支持しています。

 上述のように、船泊縄文人は、アジア東部沿岸地域の現代人集団と遺伝的に近縁です。これはゲノムデータだけではなく、mtHgでも同様です。これに関しては、アジア東部沿岸地域への最初の移住集団を共有しているか、縄文人系統が他のアジア東部集団と分岐した後の遺伝子流動が考えられます。上述した日本人とウリチ人の船泊縄文人との遺伝的近縁性の高さと、ウリチ人の祖先集団と考えられる悪魔の門集団と船泊縄文人との遺伝的類似性の低さからも、両者の間の遺伝子流動が支持されています。しかし、韓国人やアミ人やタイヤル人に関しては、どちらの仮説がより妥当なのか、判断は困難で、もっと多くのゲノムデータが必要と本論文は指摘します。

 上述のように、船泊縄文人は漢人よりも日本人やウリチ人や韓国人や台湾先住民といったアジア東部沿岸地域の現代人集団と遺伝的に近縁なのですが、漢人よりもさらに遠い関係にあるのが、タイなどのアジア南東部集団です。船泊縄文人と漢人やアジア南東部集団との関係について本論文は、(1)未知の集団とアジア南東部祖先集団との交雑、(2)船泊縄文人系統と漢人関連古代集団との間の分岐後の遺伝子流動、(3)船泊縄文人およびアジア北東部大陸集団の共通祖先とアジア南東部集団との分岐後に、古代アジア南東部集団が大陸部アジア北東部集団と交雑した、という可能性を想定しています。本論文は、カンボジア人における遺伝的にヨーロッパ集団ともアジア東部集団とも等距離にある未知のユーラシア集団からの16%ほどの遺伝的影響から、(1)を支持しているものの、その他の2仮説のさらなる検証の必要性も指摘しています。

 現代日本人起源論との関連では、縄文人とアイヌ・本土・琉球という現代日本の3集団との関係が注目されます。船泊縄文人(F23)のゲノムデータは、アイヌ集団と琉球集団が本土集団より縄文人系統の遺伝的影響を強く保持している、というじゅうらいの見解を改めて支持します。F23で観察されたヒト白血球型抗原(HLA)アレルも、本土集団よりアイヌ集団と琉球集団において高頻度で見られました。縄文人の現代日本人の各集団への遺伝的影響の推定は難しく、本論文もある程度の幅を想定しているのですが、アイヌ集団では66%、本土日本人では9〜15%、琉球集団では27%です。

 じゅうらいの諸研究は、アイヌ集団は縄文人を基盤に、その後のオホーツク文化集団やその他のシベリア北東部集団の遺伝的影響を受けて成立した、と指摘します。これらのシベリア北東部集団は、現代人ではアムール川下流域の集団と近縁と推測されていますが、アイヌ集団の形成過程のより詳細な解明も、アジア北東部の古代DNA研究の進展が必要となります。アイヌ集団に関して、北海道の縄文人との遺伝的継続性を否定し、12世紀頃に樺太から北海道に渡来した、という認識さえネットでは見られますが(関連記事)、本論文により、そうした認識は与太話にすぎないと改めて示された、と言えるでしょう。

 本土集団と琉球集団は、先住の縄文人と後に渡来した人々との混合と考えられます。この後に渡来した集団は、おそらく弥生時代以降にアジア東部から日本列島に到来した農耕民で、現代人では韓国人や漢人と遺伝的に近縁です。もちろん、現代の韓国人や漢人も歴史的に形成されてきたわけで、紀元前9世紀〜紀元後6世紀にかけて日本列島に到来したアジア東部集団の遺伝的構成が、そのまま現代の韓国人や漢人と同じというわけではありません。本土集団における縄文人の遺伝的影響は高くとも15%程度と本論文では推定されていますが、この数字が独り歩きすることは懸念されます(関連記事)。上述したYHg-D1b1の問題からも、縄文人は均質的でありながらもある程度の地域差があり、本土集団に大きな影響を残しているのは西日本の縄文人とも考えられるからです。現代日本人の起源については、日本列島のみならずユーラシア東部の古代ゲノムデータの蓄積が必要で、日本人の私は今後の研究の進展をたいへん楽しみにしています。


参考文献:
Kanzawa-Kiriyama H. et al.(2019): Late Jomon male and female genome sequences from the Funadomari site in Hokkaido, Japan. Anthropological Science.
https://doi.org/10.1537/ase.190415


https://sicambre.at.webry.info/201906/article_2.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/323.html#c7

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
232. 中川隆[-8845] koaQ7Jey 2019年7月25日 16:42:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3869]

2019年05月14日
「縄文人」のゲノム解析(追記有)
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_24.html

 「縄文人」のゲノム解析について報道されました。「縄文人のすべての遺伝情報を初めて解読できた」とのことですので、「縄文人」としては初めて高品質なゲノム配列が決定された、ということでしょうか。この「縄文人」は北海道の礼文島の船泊遺跡で発掘された3800年前頃の女性です。表現型では、皮膚の色は濃く、髪は細く巻き毛で、瞳は茶色で酒に強く、耳垢は湿っていることなどが明らかになったそうです。また、北極圏の住民に多く見られる、脂肪分の多い食べ物を代謝するのに有利に働く遺伝子の変異も見つかり、狩りや漁を中心とした生活の様子が裏づけられた、とのことです。

 この船泊遺跡の「縄文人」女性から、現代日本人のゲノムに占める「縄文人」由来の領域は10%程度と推定されています。また、「縄文人」の祖先は、38000〜18000年前頃に、ユーラシア大陸の住民から分岐したと推定されているそうです。「縄文人」は遺伝的には、台湾先住民・韓国人・極東ロシアのウルチ人など、アジア東部沿岸の南北に広範な人々と近いことが明らかになった、とのことです。これらの情報はおおむね、篠田謙一氏の昨年(2018年)の解説記事(関連記事)や今年3月に刊行された著書(関連記事)で明らかにされていたので、とくに意外な感はありません。

 ただ、現代日本人のゲノムに占める「縄文人」由来の領域は10%程度との推定に関しては、まだ確定的とは言えないでしょう。篠田氏の今年3月に刊行された著書では、現代日本人には東日本よりも西日本の「縄文人」の方がより多くの遺伝的影響を残していると推定されることと、縄文時代と現代のミトコンドリアDNAハプログループの比較から、現代日本人における「縄文人」の遺伝的影響は20%程度になりそうだ、と推測されています。今後、「縄文人」やユーラシア東部の古代DNA研究が進めば、「縄文人」がどのように形成されたのか、また現代日本列島にどの程度の遺伝的影響を残し、地域差はどれくらいあるのか、といったことがより詳細に解明されるのではないか、と期待されます。


追記(2019年5月14日)
 国立科学博物館からのプレスリリースが公表されました。船泊遺跡の「縄文人」のゲノム解析に関する論文は今月(2019年5月)下旬に公表予定とのことです。


この記事へのコメント


kurozee 2019年05月22日 14:42

2018年7月、金沢大学の覺張隆史特任助教らが、伊川津貝塚遺跡から出土した約2千500年前の縄文晩期の女性人骨から、「世界で初めて」縄文人の全ゲノム配列を解読したと大学から発表されました。

この全ゲノム配列をもとに,現代の東アジア人,東南アジア人,8〜2千年前の東南アジア人など80を超える人類集団や世界各地の人類集団のゲノムの比較解析を実施したところ,この縄文人女性と現在のラオスに約8千年前にいた狩猟採集民の古人骨のゲノムがよく似ていることが分かったそうです。この論文は同月6日に国際学術誌「Science」に掲載されたとのことです。

この研究では、縄文時代から現代まで日本列島人は大陸南部地域の人々と遺伝的に深いつながりがあることが,独立した複数の国際研究機関のクロスチェック分析によって科学的に実証された初めての研究として位置付けられたとされています。

雑記帳では当時、この件についての記事を書かれましたか?(私は見つけられなかったのですが)

管理人 2019年05月22日 16:35

その研究は、昨年取り上げました。
https://sicambre.at.webry.info/201807/article_11.html

kurozee 2019年05月22日 18:50

すみません、「現代東南アジア人の形成過程」記事でしたね。縄文人ゲノムを手がかりに検索したので探せませんでした。この記事は読んでいました。
縄文人といっても、三貫地、伊川津そして今回の船泊と、時代と地域によってかなり差があるという印象を持っていますが、おっしゃる通り、今後の研究を待ちたいですね。

管理人 2019年05月23日 14:25

時代・地域による違いは間違いなくありますね。それがどの程度なのかということや、形成過程についての研究の進展が楽しみです。

https://sicambre.at.webry.info/201905/article_24.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c232

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
233. 中川隆[-8844] koaQ7Jey 2019年7月25日 18:37:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3870]

2019年01月24日
近世アイヌ集団のmtDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_45.html

 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、近世アイヌ集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果を報告した研究(Adachi et al., 2018)が公表されました。現代アイヌ人(と呼ぶと人間人のような意味となって不自然とも言えるかもしれませんが)の形成に関しては、現代日本人起源論との関連で議論されてきました。現代日本人起源論では、二重構造モデルが有力な仮説として認められてきました。更新世の日本列島最初の人類集団は東南アジア起源で、そこから縄文集団が形成され、弥生時代以降の北東アジアから移住者と在来の縄文集団との融合により現代日本人が形成された、と考えられています。

 これはおもに本州・四国・九州を中心とする日本列島「本土」での過程で、沖縄地域と北海道では、縄文集団の遺伝的影響が日本列島「本土」より強く残った、と想定されています。その結果、沖縄でも北海道でも日本列島「本土」とは大きく異なる文化集団が形成されました。これは北海道ではとくに顕著で、日本列島「本土」集団たる「日本人(もしくはヤマト人)」とは言語も含めて文化の大きく異なるアイヌ人が形成された、との理解が一般的です。アイヌ人と日本人とは異なる民族と考えるのが妥当でしょう。文化的観点では、アイヌ的な文化はおおむね紀元後13世紀に確立した、と一般的に考えられています。

 二重構造モデルでは当初、とくに北海道では、前近代において縄文集団の子孫と他地域集団との遺伝的混合はほとんどなかった、と想定されていました。しかし、その後の形態学および遺伝学的研究では、オホーツク文化集団がアイヌ集団の形成に影響を及ぼした、と推測されています。オホーツク文化集団はユーラシア北東部から拡散してきたと考えられており、紀元後5〜13世紀に北海道北部および北東部沿岸やサハリン南部に存在していましたが、北海道では本州の影響を受けた擦文文化の拡散に伴い急速に衰退し、10世紀初めまでにはほとんど消滅しました。オホーツク文化は擦文文化の影響を受けてトビニタイ文化へと変容し、13世紀に始まるアイヌ時代まで続きます。オホーツク文化集団の遺伝的影響とは、具体的には、北海道縄文集団には見られないmtDNAハプログループA・C・Yで、これらはオホーツク文化集団と現代のシベリア先住民集団に見られます。

 これまでのアイヌ人に関する遺伝研究の問題点は、現代人のDNAのみが解析されていることです。そのため、前近代の日本列島「本土」集団(以下、本土集団と省略)からの遺伝的影響の評価はできませんでした。また、これまでの研究の問題点として、対象地域が限定的もしくは不明であることが挙げられます。ほとんどの研究は北海道の平取町の51人の遺伝的データに基づいています。近世アイヌのDNA研究もありますが、標本の地域は明らかにされていません。そのため、これまでの研究ではアイヌ集団の遺伝的地域差の評価ができませんでした。本論文は、北海道全域のアイヌ集団の遺骸からmtDNAを解析しました。全標本の年代は江戸時代(近世)に収まり、通説では、本土集団の大規模な遺伝的影響は報告されておらず、本土集団のアイヌ集団への強い遺伝的影響は、明治時代以降の「開拓」に始まる、と想定されていました。

 本論文は、近世アイヌ集団115標本のうち94標本の配列に成功しました。江本論文は、近世アイヌ集団で観察されたハプログループの地域差を明らかにするために、次の4タイプに分類しました。それは、北海道縄文型(北海道縄文集団で見られるハプログループ)、オホーツク型(オホーツク文化集団に見られ、北海道縄文集団には存在しないハプログループ)、本土型(北海道縄文人とオホーツク文化人には存在せず、現代の本土日本人には現代のシベリア先住民集団よりも高い頻度で見られるハプログループ)、シベリア型(北海道縄文集団とオホーツク文化集団には存在せず、現代の本土日本人よりも高い頻度で現代のシベリア先住民集団に見られるハプログループ)です。

 mtDNAでも、北海道縄文集団と近世アイヌ集団との遺伝的連続性が確認されました。北海道縄文集団の中で最も高頻度のハプログループN9b1は、近世アイヌ集団でも比較的高頻度で見られます。Y染色体DNAでも、この連続性が確認されています。北海道縄文集団と近世アイヌ集団との違いは、北海道縄文集団に見られるmtDNAハプログループN9b4・N9b*・D4h2・M7aが近世アイヌ集団には確認されていない一方で、北海道縄文集団では確認されていない19のハプログループが近世アイヌ集団には見られることです。

 本論文は、この違いが何に起因するのか検証するため、近世アイヌ集団と、東アジアとシベリアの古代および現代の14集団を比較しました。以前の研究では、アイヌ人は北海道縄文集団とオホーツク文化集団を含むアムール川下流域集団との中間に位置します。これは、アイヌ人が北海道縄文集団とオホーツク文化集団との混合により成立した、との見解を支持します。しかし、近世アイヌ集団に見られるmtDNAハプログループの中には、M7a1などのように、北海道縄文集団にもオホーツク文化集団にも見られないものがあります。これは、北海道縄文集団とオホーツク文化集団以外にも、アイヌ人の遺伝的集団が存在することを示唆します。本論文は、本土集団とシベリア先住民集団も近世アイヌ集団に遺伝的影響を及ぼしている、と明らかにしました。

 近世アイヌ集団における各集団のタイプのmtDNAハプログループの割合は、オホーツク型で35.1%、北海道縄文型で30.9%、本土型で28.1%、シベリア型で7.3%となります。オホーツク型の割合の高さも注目されますが、何よりも注目されるのはオホーツク型・北海道縄文型とさほど変わらない本土型の割合で、前近代においてすでに、アイヌ集団と本土集団との混合がかなり進展していた、と示唆されます。シベリア型の存在は、オホーツク文化が北海道から消えた後でも、北海道のアイヌ集団とシベリア先住民集団との間に遺伝的関係が継続していたことを示唆します。

 北海道の近世アイヌ集団を南西と北東で区切ると、北海道型・オホーツク型・本土型・シベリア型の比率には、顕著な地域差が見られました。たとえば、北海道型の比率は北東アイヌ集団の方が高い一方で、本土型の比率は南西アイヌ集団の方が高くなっています。これについては地理的要因が考えられ、形態学的研究とも一致します。オホーツク型とシベリア型の比率に関しては、近世アイヌの両集団間で大きな差はありません。したがって、オホーツク文化集団の遺伝的影響は北海道全域の祖型アイヌ集団に急速に拡散した、と考えられます。

 このように、近世アイヌ集団は複数の起源集団を有しているわけて、アイヌ人もまた「交雑する人類」の例外ではなかったわけです(関連記事)。ただ、例外も報告されているとはいえ(関連記事)、mtDNAは基本的に母系遺伝です。そのため、mtDNAに基づく集団の歴史の解釈には慎重でなければならない、と本論文は指摘します。近世アイヌ集団における、各地域集団の遺伝的影響の比率やその歴史的経緯に関しては、やはり中世と古代までさかのぼって核DNAを解析し、周辺の各集団と比較していかねば、詳細は分からないのでしょう。今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Adachi N. et al.(2018): Ethnic derivation of the Ainu inferred from ancient mitochondrial DNA data. American Journal of Physical Anthropology, 165, 1, 139–148.
https://doi.org/10.1002/ajpa.23338


https://sicambre.at.webry.info/201901/article_45.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c233

[近代史3] チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか? 中川隆
26. 中川隆[-8843] koaQ7Jey 2019年7月25日 18:48:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3871]
2019年01月24日
近世アイヌ集団のmtDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_45.html


 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、近世アイヌ集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果を報告した研究(Adachi et al., 2018)が公表されました。現代アイヌ人(と呼ぶと人間人のような意味となって不自然とも言えるかもしれませんが)の形成に関しては、現代日本人起源論との関連で議論されてきました。現代日本人起源論では、二重構造モデルが有力な仮説として認められてきました。更新世の日本列島最初の人類集団は東南アジア起源で、そこから縄文集団が形成され、弥生時代以降の北東アジアから移住者と在来の縄文集団との融合により現代日本人が形成された、と考えられています。

 これはおもに本州・四国・九州を中心とする日本列島「本土」での過程で、沖縄地域と北海道では、縄文集団の遺伝的影響が日本列島「本土」より強く残った、と想定されています。その結果、沖縄でも北海道でも日本列島「本土」とは大きく異なる文化集団が形成されました。これは北海道ではとくに顕著で、日本列島「本土」集団たる「日本人(もしくはヤマト人)」とは言語も含めて文化の大きく異なるアイヌ人が形成された、との理解が一般的です。アイヌ人と日本人とは異なる民族と考えるのが妥当でしょう。文化的観点では、アイヌ的な文化はおおむね紀元後13世紀に確立した、と一般的に考えられています。

 二重構造モデルでは当初、とくに北海道では、前近代において縄文集団の子孫と他地域集団との遺伝的混合はほとんどなかった、と想定されていました。しかし、その後の形態学および遺伝学的研究では、オホーツク文化集団がアイヌ集団の形成に影響を及ぼした、と推測されています。オホーツク文化集団はユーラシア北東部から拡散してきたと考えられており、紀元後5〜13世紀に北海道北部および北東部沿岸やサハリン南部に存在していましたが、北海道では本州の影響を受けた擦文文化の拡散に伴い急速に衰退し、10世紀初めまでにはほとんど消滅しました。オホーツク文化は擦文文化の影響を受けてトビニタイ文化へと変容し、13世紀に始まるアイヌ時代まで続きます。オホーツク文化集団の遺伝的影響とは、具体的には、北海道縄文集団には見られないmtDNAハプログループA・C・Yで、これらはオホーツク文化集団と現代のシベリア先住民集団に見られます。

 これまでのアイヌ人に関する遺伝研究の問題点は、現代人のDNAのみが解析されていることです。そのため、前近代の日本列島「本土」集団(以下、本土集団と省略)からの遺伝的影響の評価はできませんでした。また、これまでの研究の問題点として、対象地域が限定的もしくは不明であることが挙げられます。ほとんどの研究は北海道の平取町の51人の遺伝的データに基づいています。近世アイヌのDNA研究もありますが、標本の地域は明らかにされていません。そのため、これまでの研究ではアイヌ集団の遺伝的地域差の評価ができませんでした。本論文は、北海道全域のアイヌ集団の遺骸からmtDNAを解析しました。全標本の年代は江戸時代(近世)に収まり、通説では、本土集団の大規模な遺伝的影響は報告されておらず、本土集団のアイヌ集団への強い遺伝的影響は、明治時代以降の「開拓」に始まる、と想定されていました。

 本論文は、近世アイヌ集団115標本のうち94標本の配列に成功しました。江本論文は、近世アイヌ集団で観察されたハプログループの地域差を明らかにするために、次の4タイプに分類しました。それは、北海道縄文型(北海道縄文集団で見られるハプログループ)、オホーツク型(オホーツク文化集団に見られ、北海道縄文集団には存在しないハプログループ)、本土型(北海道縄文人とオホーツク文化人には存在せず、現代の本土日本人には現代のシベリア先住民集団よりも高い頻度で見られるハプログループ)、シベリア型(北海道縄文集団とオホーツク文化集団には存在せず、現代の本土日本人よりも高い頻度で現代のシベリア先住民集団に見られるハプログループ)です。

 mtDNAでも、北海道縄文集団と近世アイヌ集団との遺伝的連続性が確認されました。北海道縄文集団の中で最も高頻度のハプログループN9b1は、近世アイヌ集団でも比較的高頻度で見られます。Y染色体DNAでも、この連続性が確認されています。北海道縄文集団と近世アイヌ集団との違いは、北海道縄文集団に見られるmtDNAハプログループN9b4・N9b*・D4h2・M7aが近世アイヌ集団には確認されていない一方で、北海道縄文集団では確認されていない19のハプログループが近世アイヌ集団には見られることです。

 本論文は、この違いが何に起因するのか検証するため、近世アイヌ集団と、東アジアとシベリアの古代および現代の14集団を比較しました。以前の研究では、アイヌ人は北海道縄文集団とオホーツク文化集団を含むアムール川下流域集団との中間に位置します。これは、アイヌ人が北海道縄文集団とオホーツク文化集団との混合により成立した、との見解を支持します。しかし、近世アイヌ集団に見られるmtDNAハプログループの中には、M7a1などのように、北海道縄文集団にもオホーツク文化集団にも見られないものがあります。これは、北海道縄文集団とオホーツク文化集団以外にも、アイヌ人の遺伝的集団が存在することを示唆します。本論文は、本土集団とシベリア先住民集団も近世アイヌ集団に遺伝的影響を及ぼしている、と明らかにしました。

 近世アイヌ集団における各集団のタイプのmtDNAハプログループの割合は、オホーツク型で35.1%、北海道縄文型で30.9%、本土型で28.1%、シベリア型で7.3%となります。オホーツク型の割合の高さも注目されますが、何よりも注目されるのはオホーツク型・北海道縄文型とさほど変わらない本土型の割合で、前近代においてすでに、アイヌ集団と本土集団との混合がかなり進展していた、と示唆されます。シベリア型の存在は、オホーツク文化が北海道から消えた後でも、北海道のアイヌ集団とシベリア先住民集団との間に遺伝的関係が継続していたことを示唆します。

 北海道の近世アイヌ集団を南西と北東で区切ると、北海道型・オホーツク型・本土型・シベリア型の比率には、顕著な地域差が見られました。たとえば、北海道型の比率は北東アイヌ集団の方が高い一方で、本土型の比率は南西アイヌ集団の方が高くなっています。これについては地理的要因が考えられ、形態学的研究とも一致します。オホーツク型とシベリア型の比率に関しては、近世アイヌの両集団間で大きな差はありません。したがって、オホーツク文化集団の遺伝的影響は北海道全域の祖型アイヌ集団に急速に拡散した、と考えられます。

 このように、近世アイヌ集団は複数の起源集団を有しているわけて、アイヌ人もまた「交雑する人類」の例外ではなかったわけです(関連記事)。ただ、例外も報告されているとはいえ(関連記事)、mtDNAは基本的に母系遺伝です。そのため、mtDNAに基づく集団の歴史の解釈には慎重でなければならない、と本論文は指摘します。近世アイヌ集団における、各地域集団の遺伝的影響の比率やその歴史的経緯に関しては、やはり中世と古代までさかのぼって核DNAを解析し、周辺の各集団と比較していかねば、詳細は分からないのでしょう。今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Adachi N. et al.(2018): Ethnic derivation of the Ainu inferred from ancient mitochondrial DNA data. American Journal of Physical Anthropology, 165, 1, 139–148.
https://doi.org/10.1002/ajpa.23338


https://sicambre.at.webry.info/201901/article_45.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html#c26

[近代史3] アイヌ人は先住民ではない、日本人は単一民族だというデマを撒き散らすチャンネル桜 中川隆
8. 中川隆[-8842] koaQ7Jey 2019年7月25日 18:48:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3872]
2019年01月24日
近世アイヌ集団のmtDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_45.html


 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、近世アイヌ集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果を報告した研究(Adachi et al., 2018)が公表されました。現代アイヌ人(と呼ぶと人間人のような意味となって不自然とも言えるかもしれませんが)の形成に関しては、現代日本人起源論との関連で議論されてきました。現代日本人起源論では、二重構造モデルが有力な仮説として認められてきました。更新世の日本列島最初の人類集団は東南アジア起源で、そこから縄文集団が形成され、弥生時代以降の北東アジアから移住者と在来の縄文集団との融合により現代日本人が形成された、と考えられています。

 これはおもに本州・四国・九州を中心とする日本列島「本土」での過程で、沖縄地域と北海道では、縄文集団の遺伝的影響が日本列島「本土」より強く残った、と想定されています。その結果、沖縄でも北海道でも日本列島「本土」とは大きく異なる文化集団が形成されました。これは北海道ではとくに顕著で、日本列島「本土」集団たる「日本人(もしくはヤマト人)」とは言語も含めて文化の大きく異なるアイヌ人が形成された、との理解が一般的です。アイヌ人と日本人とは異なる民族と考えるのが妥当でしょう。文化的観点では、アイヌ的な文化はおおむね紀元後13世紀に確立した、と一般的に考えられています。

 二重構造モデルでは当初、とくに北海道では、前近代において縄文集団の子孫と他地域集団との遺伝的混合はほとんどなかった、と想定されていました。しかし、その後の形態学および遺伝学的研究では、オホーツク文化集団がアイヌ集団の形成に影響を及ぼした、と推測されています。オホーツク文化集団はユーラシア北東部から拡散してきたと考えられており、紀元後5〜13世紀に北海道北部および北東部沿岸やサハリン南部に存在していましたが、北海道では本州の影響を受けた擦文文化の拡散に伴い急速に衰退し、10世紀初めまでにはほとんど消滅しました。オホーツク文化は擦文文化の影響を受けてトビニタイ文化へと変容し、13世紀に始まるアイヌ時代まで続きます。オホーツク文化集団の遺伝的影響とは、具体的には、北海道縄文集団には見られないmtDNAハプログループA・C・Yで、これらはオホーツク文化集団と現代のシベリア先住民集団に見られます。

 これまでのアイヌ人に関する遺伝研究の問題点は、現代人のDNAのみが解析されていることです。そのため、前近代の日本列島「本土」集団(以下、本土集団と省略)からの遺伝的影響の評価はできませんでした。また、これまでの研究の問題点として、対象地域が限定的もしくは不明であることが挙げられます。ほとんどの研究は北海道の平取町の51人の遺伝的データに基づいています。近世アイヌのDNA研究もありますが、標本の地域は明らかにされていません。そのため、これまでの研究ではアイヌ集団の遺伝的地域差の評価ができませんでした。本論文は、北海道全域のアイヌ集団の遺骸からmtDNAを解析しました。全標本の年代は江戸時代(近世)に収まり、通説では、本土集団の大規模な遺伝的影響は報告されておらず、本土集団のアイヌ集団への強い遺伝的影響は、明治時代以降の「開拓」に始まる、と想定されていました。

 本論文は、近世アイヌ集団115標本のうち94標本の配列に成功しました。江本論文は、近世アイヌ集団で観察されたハプログループの地域差を明らかにするために、次の4タイプに分類しました。それは、北海道縄文型(北海道縄文集団で見られるハプログループ)、オホーツク型(オホーツク文化集団に見られ、北海道縄文集団には存在しないハプログループ)、本土型(北海道縄文人とオホーツク文化人には存在せず、現代の本土日本人には現代のシベリア先住民集団よりも高い頻度で見られるハプログループ)、シベリア型(北海道縄文集団とオホーツク文化集団には存在せず、現代の本土日本人よりも高い頻度で現代のシベリア先住民集団に見られるハプログループ)です。

 mtDNAでも、北海道縄文集団と近世アイヌ集団との遺伝的連続性が確認されました。北海道縄文集団の中で最も高頻度のハプログループN9b1は、近世アイヌ集団でも比較的高頻度で見られます。Y染色体DNAでも、この連続性が確認されています。北海道縄文集団と近世アイヌ集団との違いは、北海道縄文集団に見られるmtDNAハプログループN9b4・N9b*・D4h2・M7aが近世アイヌ集団には確認されていない一方で、北海道縄文集団では確認されていない19のハプログループが近世アイヌ集団には見られることです。

 本論文は、この違いが何に起因するのか検証するため、近世アイヌ集団と、東アジアとシベリアの古代および現代の14集団を比較しました。以前の研究では、アイヌ人は北海道縄文集団とオホーツク文化集団を含むアムール川下流域集団との中間に位置します。これは、アイヌ人が北海道縄文集団とオホーツク文化集団との混合により成立した、との見解を支持します。しかし、近世アイヌ集団に見られるmtDNAハプログループの中には、M7a1などのように、北海道縄文集団にもオホーツク文化集団にも見られないものがあります。これは、北海道縄文集団とオホーツク文化集団以外にも、アイヌ人の遺伝的集団が存在することを示唆します。本論文は、本土集団とシベリア先住民集団も近世アイヌ集団に遺伝的影響を及ぼしている、と明らかにしました。

 近世アイヌ集団における各集団のタイプのmtDNAハプログループの割合は、オホーツク型で35.1%、北海道縄文型で30.9%、本土型で28.1%、シベリア型で7.3%となります。オホーツク型の割合の高さも注目されますが、何よりも注目されるのはオホーツク型・北海道縄文型とさほど変わらない本土型の割合で、前近代においてすでに、アイヌ集団と本土集団との混合がかなり進展していた、と示唆されます。シベリア型の存在は、オホーツク文化が北海道から消えた後でも、北海道のアイヌ集団とシベリア先住民集団との間に遺伝的関係が継続していたことを示唆します。

 北海道の近世アイヌ集団を南西と北東で区切ると、北海道型・オホーツク型・本土型・シベリア型の比率には、顕著な地域差が見られました。たとえば、北海道型の比率は北東アイヌ集団の方が高い一方で、本土型の比率は南西アイヌ集団の方が高くなっています。これについては地理的要因が考えられ、形態学的研究とも一致します。オホーツク型とシベリア型の比率に関しては、近世アイヌの両集団間で大きな差はありません。したがって、オホーツク文化集団の遺伝的影響は北海道全域の祖型アイヌ集団に急速に拡散した、と考えられます。

 このように、近世アイヌ集団は複数の起源集団を有しているわけて、アイヌ人もまた「交雑する人類」の例外ではなかったわけです(関連記事)。ただ、例外も報告されているとはいえ(関連記事)、mtDNAは基本的に母系遺伝です。そのため、mtDNAに基づく集団の歴史の解釈には慎重でなければならない、と本論文は指摘します。近世アイヌ集団における、各地域集団の遺伝的影響の比率やその歴史的経緯に関しては、やはり中世と古代までさかのぼって核DNAを解析し、周辺の各集団と比較していかねば、詳細は分からないのでしょう。今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Adachi N. et al.(2018): Ethnic derivation of the Ainu inferred from ancient mitochondrial DNA data. American Journal of Physical Anthropology, 165, 1, 139–148.
https://doi.org/10.1002/ajpa.23338


https://sicambre.at.webry.info/201901/article_45.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/323.html#c8

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
234. 中川隆[-8841] koaQ7Jey 2019年7月25日 18:52:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3873]
2019年03月11日
アイヌ民族が12世紀ごろ樺太から北海道に渡来した?
https://sicambre.at.webry.info/201903/article_20.html

 表題の呟きがTwitter上で流れてきました。全文引用すると、


DNA解析により、アイヌ民族が12世紀ごろ樺太から北海道に渡来したのが判明!
北海道の縄文人には、アイヌ民族の特徴であるミトコンドリアDNAのハプログループYがない。
よって、アイヌ民族は北海道先住民族ではない と北海道庁ご認定していた:そよ風
https://sicambre.at.webry.info/201903/article_20.html


となります。その根拠として、

「アイヌ民族は北海道先住民族ではない」と題するブログ記事
http://blog.livedoor.jp/soyokaze2009/archives/51838956.html


が挙げられています。


では、その根拠が何なのかというと、遺伝学的には、アイヌ民族の特徴であるミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループY(Y1)が北海道の「縄文人」にはない、ということです。上記ブログは、「北海道の縄文人とアイヌは全く関係ないと言える」と断定しています。以下、基本的には

近世アイヌ集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果を報告した研究(Adachi et al., 2018)
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/ajpa.23338

に依拠して述べていきます

(関連記事)2019年01月24日 近世アイヌ集団のmtDNA解析
https://sicambre.at.webry.info/201901/article_45.html


 確かに、現代アイヌ人のmtDNAハプログループに占めるY1の比率は19.6%で、比較的高いと言えそうです。また、北海道の縄文人ではY1は確認されていません。上記ブログは、江戸時代以降の日本人にもmtDNAハプログループY1が見られるので、江戸時代以前に倭人が北海道に多数いた、と推測しています。しかし、Y1が現代の「本土日本人」に占める割合は0.5%程度で、Y1はオホーツク集団由来と推測されています(オホーツク集団では43.2%)。

 また、現代アイヌ人にも近世アイヌ人にもN9bやG1bといった北海道縄文人のmtDNAハプログループは継承されており、現代アイヌ人では25%以上、近世アイヌ人では30%弱となります(M7a2も含めると30.9%)。もちろん、これは基本的には母系遺伝となるmtDNAのハプログループなので、核DNA解析ではまた違った割合になるでしょうが、少なくとも母系において、現代および近世アイヌ人は遺伝的に北海道縄文人と一定以上のつながりがある、と言えるでしょう。

 そもそも、民族は遺伝的に定義できるわけではない、という観点が上記ブログには欠けています。任意の2集団間、もしくは特定の集団と他集団とを比較すると、遺伝的構成が異なるのは当然です。民族に関しても同様で、ある民族を他の民族と比較すると遺伝的構成は異なり、その民族に固有の遺伝的構成が見出されます。しかし、それは民族という区分を前提として見出される遺伝的構成の違いであって、遺伝的構成の違いが民族を定義できるわけではありません。アイヌ人を遺伝的に云々といった見解の多くでは、論理の倒錯が見られるように思います。

 前近代において民族という概念を適用して歴史を語ることには問題が多い、と私は考えていますが、民族が近代の「発明」ではなく、各集団によりその影響度が異なるとはいえ、前近代の歴史的条件を多分に継承していることは否定できないでしょう。その意味で、前近代において多様な民族的集団の存在を認めることには、一定以上の妥当性があると思います。民族の基本は共通の自己認識でしょうが、「客観的に」判断するとなると、文化の共通性となるでしょうから、文字資料のない時代にも、考古学的にある程度以上の水準で「民族的集団」の存在を認定することは可能です。

 そうした前近代の「民族的集団」の中には、民族は遺伝的に定義できる、といった単純素朴な観念が通用しない事例も報告されています。たとえばスキタイ人は遺伝的に、東方系がヤムナヤ(Yamnaya)文化集団と、西方系が中央アジア北東部からシベリア南部のアファナシェヴォ(Afanasievo)およびアンドロノヴォ(Andronovo)文化集団と近縁です

(関連記事)
2018年10月07日
青銅器時代〜鉄器時代のユーラシア西部草原地帯の遊牧民集団の変遷
https://sicambre.at.webry.info/201810/article_11.html


青銅器時代のコーカサス地域のマイコープ(Maykop)文化集団は、山麓地域と草原地域とで遺伝的構成が明確に異なっており、遺伝的に異なる在来集団による共通の文化の形成・受容が想定されます

(関連記事)
2019年02月07日 コーカサス地域の銅石器時代〜青銅器時代の人類のゲノムデータ
https://sicambre.at.webry.info/201902/article_10.html


 もちろん、スキタイ人のようなユーラシア内陸部の遊牧民集団と、遊牧民が存在しなかったと言っても大過はないだろう日本列島の人類集団とを単純に比較できませんが、民族を遺伝的に定義することは基本的に間違っていると思います。民族はあくまでも文化的に定義された集団であり、任意の2集団間、もしくは特定の集団と他集団とを比較すると、必然的に遺伝的構成が異なる、というだけのことです。これを倒錯させて、遺伝的構成の違いから民族集団を定義することはできません。

 本題に戻すと、上記ブログでは、アイヌ民族が12世紀頃に樺太から北海道に南下してきてオホーツク集団を滅ぼした、と主張されています。その根拠となる、アイヌ民族は北海道縄文人と(遺伝的に)まったく関係ない、との見解が間違いであることは上述したので、それ話は終わりです。しかし、オホーツク文化が北海道から消えた後でも、北海道のアイヌ集団とシベリア先住民集団との間に遺伝的関係が継続していた可能性も指摘されていますので、これを過大評価というか歪めて解釈して、アイヌ人が12世紀頃に北海道に侵略してきた、との与太話が今後拡散されるかもしれません。しかし、オホーツク文化が北海道から消えた後のシベリア先住民集団の北海道集団への遺伝的影響は、母系ではせいぜい6.4%程度で、大きな影響があった可能性はきわめて低そうです。

 なお、上記ブログでは、平取町からは正倉院御物と同じ組成の奈良時代の青銅器が発見されており、奈良時代にすでに天皇の力が北海道にも及んでいた、と主張されています。平取町の青銅器の話についてはよく知りませんが、仮にそうだとして、アイヌが北海道の先住民族だという前提は物的証拠によって完全に覆されている、との評価は的外れでしょう。確かに、正倉院御物と同じ組成の青銅器が北海道にあることを、天皇の「力が及んでいた」と解釈することは、定義次第ではあるものの、できなくもありませんが(かなり無理筋ではありますが)、それを言うなら、弥生時代や古墳時代の「日本」には、もっと強く「中国」の「力が及んでいた」と解釈すべきでしょう。

平安時代の日本の知識層の領域観念(関連記事)
2018年08月29日 佐藤弘夫『「神国」日本 記紀から中世、そしてナショナリズムへ』(前編)
https://sicambre.at.webry.info/201808/article_51.html


からも、奈良時代の日本人には、北海道を「日本」に含めるような概念はなかっただろう、と思います。

 それにしても、与太話にすぎない上記の呟きがリツイート1300以上・いいね1600以上とは残念です。もちろん、リツイートやいいねが賛同を意味するとは限りませんが、多くの場合は賛同だと思います。これを呟いた城之内みな氏のフォロワーは約26000アカウントで、フォローは1674アカウントですから、相互フォローでフォロワーを増やしていったのではなく、呟きの内容でフォロワーを獲得したのでしょう。その意味で、かなり影響力の強いアカウントなのでしょうが、こんな与太話にすぎない呟きにも多数のリツイートやいいねが集まるとは、残念というだけではなく、脅威と考えねばならないようです。


参考文献:
Adachi N. et al.(2018): Ethnic derivation of the Ainu inferred from ancient mitochondrial DNA data. American Journal of Physical Anthropology, 165, 1, 139–148.
https://doi.org/10.1002/ajpa.23338


https://sicambre.at.webry.info/201903/article_20.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c234

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
235. 中川隆[-8840] koaQ7Jey 2019年7月25日 18:59:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3874]

2018年07月24日
『洋泉社ムック歴史REAL 日本人の起源』
https://sicambre.at.webry.info/201807/article_37.html


 洋泉社より2018年6月に刊行されました。

https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%B4%E5%8F%B2REAL%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90-%E6%B4%8B%E6%B3%89%E7%A4%BEMOOK-%E6%AD%B4%E5%8F%B2REAL/dp/4800314739


本書はおもに、弥生時代までの古代DNA研究・縄文時代研究・弥生時代研究の解説で構成されています。それぞれの執筆者は篠田謙一・山田康弘・藤尾慎一郎の各氏で、期待できそうなので購入しましたが、期待通りに最近の研究成果を知ることができました。とくに、弥生時代までの古代DNA研究の解説では、私が不勉強なため、多くの知見を新たに得ることができ、たいへん有益でした。以下、本書で注目した見解について、備忘録的に取り上げていきます。

 ミトコンドリアDNA(mtDNA)の解析から、縄文人にはハプログループM7aとN9bが広範囲で見つかっており、現代ではほぼ日本人にしか見られません。ただ、どちらも出現(分岐)年代が3万〜2万年前頃なので、38000年前頃に日本列島に進出してきた人類と縄文人とは直接的な祖先-子孫関係にはなかった可能性が指摘されています。もっとも、あくまでもmtDNA解析に基づく推測ですから、38000年前頃の日本列島の人類集団と縄文人とが、もちろんその後の流入による遺伝的影響はあるとしても、直接的な祖先-子孫関係にある可能性も考えられます。

 縄文人のmtDNA解析数も蓄積されて、地域差が見えてくるようになりました。琉球列島を含む関西以西ではM7aが卓越するのにたいして、北海道・東北ではN9bが多数を占めています。また、サブグループまで分類すると、関西以西と東北・北海道では、M7aでもそれぞれ異なるグループが分布しています。そのため本書では、地域間の人的交流が広範囲に及ぶものではなかったかもしれない、と指摘されています。もっとも、後述するように、遺伝的交流は盛んではなくとも、交易などによる文化的交流はある程度以上活発だった可能性もじゅうぶんあるとは思います。

 また、現代日本人では、N9bが2%程度で、7%程度存在するM7aも、縄文時代の関西以西のサブグループで大半を占めることから、現代日本人に継承されている縄文人のDNAは、おもに西日本の縄文人に由来するのかもしれません。そうだとすると、弥生時代最初期にユーラシア大陸から九州北部に渡来した集団が在地の縄文人と混合し、東進していったために、現代日本人に占める縄文人の遺伝的影響は、西日本系の方が東日本系より高くなったのかもしれない、と本書は推測しています。

 縄文人のゲノム解析も進められており、最近になって、北海道礼文島の船泊遺跡から出土した3800〜3500年前頃の女性のゲノムは、現代人とほぼ同じ精度で解析されたそうです。平均網羅率は明示されていませんでしたが、30倍以上ということでしょうか。この女性の血液型はA型で、耳垢は湿式、切歯はシャベル状ではなく、巻き毛だったことが明らかになっています。これらの表現型はおおむね予想通りでしたが、目の虹彩は茶色で、人骨からの推測通り、身長が低くなる傾向を有する遺伝子が確認されました。

 この女性の両親は近い血縁関係にあり、両親の近縁関係の程度はアマゾンの先住民と同じくらいと推測されています。船泊遺跡からは、新潟県の糸魚川沿いの翡翠や、シベリアで発見されたものと類似した貝製装飾品が発見されていますが、婚姻圏は狭かったのではないか、と本書は推測しています。ただ、こうした狭い婚姻関係が一般的だったのか否かは、もっと縄文人のゲノム解析数が蓄積されないと、判断が難しいように思います。

 船泊遺跡の女性のゲノム解析の結果、福島県相馬郡新地町の三貫地貝塚の縄文人と同様に(関連記事)、船泊縄文人も現代の東アジア集団とは大きく離れている、と明らかになりました。現代人の集団で船泊縄文人とある程度遺伝的に近縁性を示すのは、アイヌ・琉球・「本土」日本・台湾や沿海州などユーラシア東部圏沿岸地域の先住民でした。本書は、東南アジアからの初期拡散により北上した集団のなかでユーラシア東部圏沿岸地域に居住した人々が融合し、縄文人が形成されたのではないか、と推測していますが、確証するにはユーラシア大陸の古代DNA解析が必要だ、と指摘しています。

 船泊遺跡では縄文時代の男性遺骸も発見されており、ゲノムが部分的に解析されているそうです。この男性もゲノムが解析された女性も、海獣など脂肪分に富む食資源に依存している場合に有利となる、脂肪代謝に関連する多様体を有しており、北極圏の先住民集団も同様です。船泊遺跡ではじっさいに漁撈具や海獣の骨が多数発見されているので、海獣への依存度が高い食生活を送っていたようです。船泊遺跡の男性のY染色体ハプログループは、現代日本人では30%以上存在するものの、中国や韓国ではほとんど見られないD1bでした。しかし、船泊遺跡の男性のY染色体ハプログループは、D1bの中でも現代日本人で多数を占めるサブグループD1b1ではなく、Y染色体でも、北海道の縄文人が現代日本人にはさほど遺伝的影響を及ぼしていない、という可能性が想定されます。

 弥生時代の人類のゲノム解析も進められていますが、縄文系と渡来系という以前からの形態学的分類がそのまま当てはまるものではなく、複雑な様相を呈していることが明らかになってきました。福岡県那珂川町安徳台遺跡で発見された弥生時代中期の女性は、典型的な渡来系弥生人と考えられており、遺伝的には韓国や中国の集団と類似する、と予想されていましたが、ゲノム解析の結果、現代日本人の範疇に収まり、むしろやや縄文人に近い、と明らかになりました。本書は、安徳台遺跡の弥生時代中期の集団が東進し、在来の縄文系と混合していったとすると、現代日本人における縄文人の遺伝的影響はもっと高くなっていると予想されることから、弥生時代中期〜古墳時代におけるユーラシア大陸からの渡来を想定する必要がある、と指摘しています。

 縄文系とされる弥生人のゲノムも解析されています。長崎県佐世保市の下本山岩陰遺跡で発見された弥生時代後期の合葬された男女2人は、縄文人と共通する形態学的特徴を有している、と評価されています。mtDNAのハプログループでは、女性が縄文系と考えられるM7a、男性が渡来系と考えられるD4aと明らかになりました。しかし、核ゲノム解析では、縄文人と現代日本人の中間に位置する、との結果が得られました。上述した安徳台遺跡の事例からも、弥生時代には在来系と渡来系との融合が進んでおり、弥生人は均一な集団ではなく、独自の遺伝的構成を有していた、と言えるでしょう。本書は、弥生時代の渡来系は当初より在来系の縄文人と融合し始め、当時の朝鮮半島には渡来系弥生人と同じ遺伝的構成を有する集団はいなかっただろう、と推測しています。

 また本書は、弥生時代になっても日本列島の大半に縄文系の人々がいたと考えられることから、弥生時代以降もユーラシア大陸から日本列島への流入があり、現代日本人につながる集団の完成は古墳時代だろう、との見通しを提示しています。まだ予備的な研究の段階ですが、古墳時代になると、関東の集団の遺伝的な構成が大きく変わるそうで、古墳時代の日本列島の住民のDNA解析の進展が期待されます。また、飛鳥時代以降の古代DNAの解析も、日本史研究に大きく寄与するでしょうから、今後の研究の進展が楽しみです。


 これまで、先史時代の研究は考古学と形態学が主流でした。近年では古代DNA研究の進展が目覚ましいものの、考古学と形態学でも研究は着実に進展しています。日本列島最初期の土器は北海道では発見されておらず、朝鮮半島最古の土器は1万年前頃であることから、縄文土器は日本列島で開発された可能性が高そうです。また南島地域においては、縄文文化との共通性も相違点も見られ、時期により縄文文化と連動したり離れたりしていたそうです。本書は、他地域との交流はあるにしても、対馬海峡において文化的な境界線を引けることからも(関連記事)、縄文文化の空間的範囲は、現代の日本国の領域と厳密に一致しているわけではないものの、ほぼその範囲に収まる、との見解を提示しています。

 これは形態学的にも言えることで、縄文人の形質は、空間的には北海道から九州まで、時代的には早期から晩期前半までほぼ同一で、世界中で類似した古人骨は発見されていないそうです。そのため、縄文時代には、形質を大きく変化させるような他地域からの人的流入はなかった、と考えられています。それでも、やはり地域差はあり、北海道では地位内の差異が比較的大きい一方で、九州では小さいことが明らかになっており、縄文人の形成過程と関わっているかもしれません。

 縄文時代には定住が進みましたが、その度合いは地域により異なっており、その要因は依存していた食資源の違いだろう、と推測されています。縄文時代の農耕は近年よく主張されるようになりましたが、畑はまだ見つかっておらず、ダイズやアズキなどの作物が確定しただけだ、と本書は慎重な姿勢を示しています。縄文時代には、後期において、墓の分析から、北海道や東北でかなりの階層化が生じていた、と推測されています。しかし本書は、晩期にはこれらの地域で均質化が見られることから、おそらくは人口の少なさが要因で、階層社会は持続しなかっただろう、と指摘しています。

 弥生時代については、本書では紀元前10世紀にさかのぼるとする早期説が大前提となっていますが、まだ議論が決着したとは言えないようです(関連記事)。茨城県と栃木県以北では、水田稲作が行なわれても環濠集落が見られませんが、本書はその理由を、地域の核となる存在がなかったからではないか、と推測しています。水田稲作は、災害にあってもすぐに再開する傾向が強いのですが、東北の北部では、水田稲作が途絶えて数百年再開されませんでした。本書はその理由として、寒冷な気候が要因ではなく、東北の北部には水田稲作が始まっても土偶があることから、何らかの信仰形態・世界観の違いを挙げています。本書では古墳時代についても少し言及されており、九州や近畿では墳丘墓が早くから見られるものの、紀元後には衰退して古墳時代には直結しておらず、古墳時代の直接の起源は、紀元後2世紀半ば〜後半にかけての吉備や出雲にあるのではないか、との見解が提示されています。
https://sicambre.at.webry.info/201807/article_37.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c235

[近代史02] 鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い 中川隆
52. 中川隆[-8839] koaQ7Jey 2019年7月25日 19:22:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3875]

2019年07月25日
米IT企業の繁栄は続かない 30年で競争激化
http://www.thutmosev.com/archives/80496034.html


冷戦終了で米軍が技術を開放し、米IT産業は爆発的成長を遂げた(ウィンドウズ95発売日のようす)


画像引用:https://blog-imgs-117.fc2.com/n/a/2/na2ka4/news_1524146989_7701.jpg

冷戦崩壊で解放した軍事技術

1989(平成元)年12月29日、日経平均は史上最高値3万8,915円で大納会を迎え、平成は良い年が続くと日本人は思っていた。

この年のダウ平均は2,753ドルで10倍以上日経平均が高く、そのまま日米の勢いの差を表していた。

日本の天皇が代替わりしたのが合図だったかのように、世界では旧世界が終わり新世界が始まっていた。


新天皇即位が1989年1月7日、1989年6月4日には天安門事件、1989年11月9日にベルリンの壁崩壊

1989年6月にポーランド民主化、12月にルーマニア共産政府崩壊と、この年にソ連を中心とする東側陣営が崩壊した。

1991年(平成3年)3月には日本でバブル崩壊、1991年12月にはソ連邦が崩壊し、アメリカのIT革命が始まった。


昭和天皇崩御とソ連崩壊の関係は不明だが、ソ連崩壊と米株上昇の間には因果関係があった。

1945年から1991年までアメリカは東側陣営と冷戦を戦っていて、それまではドイツや日本の枢軸国と対決していました。

コンピュータは第二次大戦中にドイツとアメリカで開発されたが、軍事機密だったので民間利用はされなかった。


1961年から1972年のアポロ計画でアメリカは国家総動員体制を取ったため、この時コンピュータ技術が大学や研究機関に広まった。

冷戦が崩壊するともう軍事機密を守る必要がなくなり、1990年代にインターネットが民間に開放されネット時代が始まる。

インターネットは米軍技術でコンピュータの基幹技術も米軍が保有していたが、米民間企業に開放された。

空前の繁栄はいくまで続くか

カリフォルニア州のシリコンバレーは米軍やNASAの下請け企業が集まる城下町だったので、シリコンバレーにネット企業が続々と誕生した。

アップルやマイクロソフトやグーグルがシリコンバレーから発展したのは、そこに米軍の予算と技術が投下されたからで、優れた人材が自主的に集まったわけではなかった。

1995年にウィンドウズ95が発売され90年代末にITバブルと崩壊を経て、2000年代に米IT企業は巨大化した。


米IT企業の巨大化はアメリカ全体の企業収益を拡大し、落ち目だったアメリカのGDPを押し上げ再び超大国になった。

現在全世界のすべての企業の収益の3分の1をアメリカ企業が挙げ、アメリカGDPの10%は企業収益がもたらしている。

1990年から2019年にアメリカのGDPは3.6倍になり、ダウ平均株価は10倍以上になった。


この間物価は約2倍になったので、実質的に米株価は5倍になり、GDPや企業活動の伸びを大きく上回っている。

始まりがあるものには必ず終わりがあるので、米軍の技術解放に端を発した米IT産業の優位にもいつか終わりが訪れる。

歴史的に見て一つの国の一つの産業の優位は30年程度で、それ以上続くことは少ない。


米IT産業の絶対優位は米軍の技術に加えて、他にライバルが無く独占状態だったことでもたらされた。

1990年のソ連やインドは任天堂のファミコンを持ち帰って研究していたが、今では多くの国でシリコンバレーに近いことをしている。

米IT企業は競争によって収益を減らし、徐々に力を削がれていく可能性が高い。
http://www.thutmosev.com/archives/80496034.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c52

[近代史3] 日本や中国のバブルは簡単に崩壊するけれど、アメリカのバブルだけは絶対に崩壊しない理由 中川隆
19. 中川隆[-8838] koaQ7Jey 2019年7月25日 19:22:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3876]

2019年07月25日
米IT企業の繁栄は続かない 30年で競争激化
http://www.thutmosev.com/archives/80496034.html


冷戦終了で米軍が技術を開放し、米IT産業は爆発的成長を遂げた(ウィンドウズ95発売日のようす)


画像引用:https://blog-imgs-117.fc2.com/n/a/2/na2ka4/news_1524146989_7701.jpg

冷戦崩壊で解放した軍事技術

1989(平成元)年12月29日、日経平均は史上最高値3万8,915円で大納会を迎え、平成は良い年が続くと日本人は思っていた。

この年のダウ平均は2,753ドルで10倍以上日経平均が高く、そのまま日米の勢いの差を表していた。

日本の天皇が代替わりしたのが合図だったかのように、世界では旧世界が終わり新世界が始まっていた。


新天皇即位が1989年1月7日、1989年6月4日には天安門事件、1989年11月9日にベルリンの壁崩壊

1989年6月にポーランド民主化、12月にルーマニア共産政府崩壊と、この年にソ連を中心とする東側陣営が崩壊した。

1991年(平成3年)3月には日本でバブル崩壊、1991年12月にはソ連邦が崩壊し、アメリカのIT革命が始まった。


昭和天皇崩御とソ連崩壊の関係は不明だが、ソ連崩壊と米株上昇の間には因果関係があった。

1945年から1991年までアメリカは東側陣営と冷戦を戦っていて、それまではドイツや日本の枢軸国と対決していました。

コンピュータは第二次大戦中にドイツとアメリカで開発されたが、軍事機密だったので民間利用はされなかった。


1961年から1972年のアポロ計画でアメリカは国家総動員体制を取ったため、この時コンピュータ技術が大学や研究機関に広まった。

冷戦が崩壊するともう軍事機密を守る必要がなくなり、1990年代にインターネットが民間に開放されネット時代が始まる。

インターネットは米軍技術でコンピュータの基幹技術も米軍が保有していたが、米民間企業に開放された。

空前の繁栄はいくまで続くか

カリフォルニア州のシリコンバレーは米軍やNASAの下請け企業が集まる城下町だったので、シリコンバレーにネット企業が続々と誕生した。

アップルやマイクロソフトやグーグルがシリコンバレーから発展したのは、そこに米軍の予算と技術が投下されたからで、優れた人材が自主的に集まったわけではなかった。

1995年にウィンドウズ95が発売され90年代末にITバブルと崩壊を経て、2000年代に米IT企業は巨大化した。


米IT企業の巨大化はアメリカ全体の企業収益を拡大し、落ち目だったアメリカのGDPを押し上げ再び超大国になった。

現在全世界のすべての企業の収益の3分の1をアメリカ企業が挙げ、アメリカGDPの10%は企業収益がもたらしている。

1990年から2019年にアメリカのGDPは3.6倍になり、ダウ平均株価は10倍以上になった。


この間物価は約2倍になったので、実質的に米株価は5倍になり、GDPや企業活動の伸びを大きく上回っている。

始まりがあるものには必ず終わりがあるので、米軍の技術解放に端を発した米IT産業の優位にもいつか終わりが訪れる。

歴史的に見て一つの国の一つの産業の優位は30年程度で、それ以上続くことは少ない。


米IT産業の絶対優位は米軍の技術に加えて、他にライバルが無く独占状態だったことでもたらされた。

1990年のソ連やインドは任天堂のファミコンを持ち帰って研究していたが、今では多くの国でシリコンバレーに近いことをしている。

米IT企業は競争によって収益を減らし、徐々に力を削がれていく可能性が高い。
http://www.thutmosev.com/archives/80496034.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/121.html#c19

[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
185. 中川隆[-8837] koaQ7Jey 2019年7月25日 19:23:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3877]

2019年07月25日
米IT企業の繁栄は続かない 30年で競争激化
http://www.thutmosev.com/archives/80496034.html


冷戦終了で米軍が技術を開放し、米IT産業は爆発的成長を遂げた(ウィンドウズ95発売日のようす)


画像引用:https://blog-imgs-117.fc2.com/n/a/2/na2ka4/news_1524146989_7701.jpg

冷戦崩壊で解放した軍事技術

1989(平成元)年12月29日、日経平均は史上最高値3万8,915円で大納会を迎え、平成は良い年が続くと日本人は思っていた。

この年のダウ平均は2,753ドルで10倍以上日経平均が高く、そのまま日米の勢いの差を表していた。

日本の天皇が代替わりしたのが合図だったかのように、世界では旧世界が終わり新世界が始まっていた。


新天皇即位が1989年1月7日、1989年6月4日には天安門事件、1989年11月9日にベルリンの壁崩壊

1989年6月にポーランド民主化、12月にルーマニア共産政府崩壊と、この年にソ連を中心とする東側陣営が崩壊した。

1991年(平成3年)3月には日本でバブル崩壊、1991年12月にはソ連邦が崩壊し、アメリカのIT革命が始まった。


昭和天皇崩御とソ連崩壊の関係は不明だが、ソ連崩壊と米株上昇の間には因果関係があった。

1945年から1991年までアメリカは東側陣営と冷戦を戦っていて、それまではドイツや日本の枢軸国と対決していました。

コンピュータは第二次大戦中にドイツとアメリカで開発されたが、軍事機密だったので民間利用はされなかった。


1961年から1972年のアポロ計画でアメリカは国家総動員体制を取ったため、この時コンピュータ技術が大学や研究機関に広まった。

冷戦が崩壊するともう軍事機密を守る必要がなくなり、1990年代にインターネットが民間に開放されネット時代が始まる。

インターネットは米軍技術でコンピュータの基幹技術も米軍が保有していたが、米民間企業に開放された。

空前の繁栄はいくまで続くか

カリフォルニア州のシリコンバレーは米軍やNASAの下請け企業が集まる城下町だったので、シリコンバレーにネット企業が続々と誕生した。

アップルやマイクロソフトやグーグルがシリコンバレーから発展したのは、そこに米軍の予算と技術が投下されたからで、優れた人材が自主的に集まったわけではなかった。

1995年にウィンドウズ95が発売され90年代末にITバブルと崩壊を経て、2000年代に米IT企業は巨大化した。


米IT企業の巨大化はアメリカ全体の企業収益を拡大し、落ち目だったアメリカのGDPを押し上げ再び超大国になった。

現在全世界のすべての企業の収益の3分の1をアメリカ企業が挙げ、アメリカGDPの10%は企業収益がもたらしている。

1990年から2019年にアメリカのGDPは3.6倍になり、ダウ平均株価は10倍以上になった。


この間物価は約2倍になったので、実質的に米株価は5倍になり、GDPや企業活動の伸びを大きく上回っている。

始まりがあるものには必ず終わりがあるので、米軍の技術解放に端を発した米IT産業の優位にもいつか終わりが訪れる。

歴史的に見て一つの国の一つの産業の優位は30年程度で、それ以上続くことは少ない。


米IT産業の絶対優位は米軍の技術に加えて、他にライバルが無く独占状態だったことでもたらされた。

1990年のソ連やインドは任天堂のファミコンを持ち帰って研究していたが、今では多くの国でシリコンバレーに近いことをしている。

米IT企業は競争によって収益を減らし、徐々に力を削がれていく可能性が高い。
http://www.thutmosev.com/archives/80496034.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c185

[近代史3] ソフトバンク 孫正義は日本人の敵 中川隆
2. 中川隆[-8836] koaQ7Jey 2019年7月25日 19:24:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3878]
孫正義の詐欺の手口


2019年06月13日
ソフトバンクファンド第2段 投資集まらず不人気
http://www.thutmosev.com/archives/80097417.html


含み益は「架空の利益」なのでいくら儲けてもキャッシュフローは増えない

画像引用:ソフトバンクGが「投資ファンド化」、キャッシュなき過去最高営業益の実態 | News&Analysis | ダイヤモンド・オンラインhttps://diamond.jp/articles/-/201844


孫正義社長の信者集め苦戦

ソフトバンクは10兆円ファンドを立ち上げて年間1兆円の利益を挙げ、近く第二ファンドを立ち上げると発表している。

だがウォールストリートジャーナルなど米メディアによると、立ち上げに必要な投資が集まっていない。

不人気の理由は第一ファンドの運用が不透明なことで、本当に利益が出たのか懐疑的な意見が強い。

というのは説明会などで孫社長が掲げる数字は「含み益」にすぎず、これがどれほど意味のない数字かは「痛い目に遭った」投資家は誰でも知っている。

リーマンショック前の世界は好景気を謳歌していて、「人類は不況を克服した」とあらゆる経済学者が説明していた。

2度と不況は来ないのだと納得した投資家や銀行は、貧困者向け住宅ローン「サブプライムローン」に多額の投資をした。


サブプライムローンの中身はホームレスに無担保で数千万円融資するもので、返済できる筈がなかった。

返済困難な代わりに高金利だったので、投資家には絶対安心で高金利な投資運用だと説明していました。

2007年7月ごろに問題が表面化しはじめ、8月のお盆過ぎに全世界株価大暴落が発生、続いて米住宅公社やリーマンブラザースが連鎖倒産しリーマンショックに発展しました。


サブプライムショック以前に投資した人は皆かなりの含み益を持っていたが、ある日数時間で「含み損」に替わりました。

含み益を利益として計算する会計方法には大きな問題があり、儲かっていないのに外部からは儲けているように見えてしまう。

孫社長が語る「利益」は買収に要した金額が含まれておらず、投資家への配当も含まれているのか分からない。

含み益が含み損になる日

半分近く出資したサウジアラビアにいくら払い、今後いくら支払う契約なのかさっぱり分からない。

確定した訳ではない株価を利益として計算し「1兆円儲かった」というのは投資家への誠実な説明とは言えない。

そして孫社長が第二ファンドを立ち上げなくてはならない理由も、第一ファンドの問題点の中に隠れている。


ソフトバンクビジョンファンドの年間利益1.2兆円は大半が含み益なので、一瞬で含み損に変わり得る数字です。

ソフトバンクビジョンファンドは相場よりかなり高額で企業買収するので知られ、英アームの時は回収に数十年かかると酷評された。

逆にソフトバンクが買収することによって、投資先企業の株価は急上昇するので、一見すると株価が上がって利益が出ています。


だが本来の株価より相当割高なので、ソフトバンクという巨額投資先を差し引くと、価値としてはかなり低くなります。

ソフトバンクが買うことで上昇した株価は、逆にソフトバンクが保有株を整理し始めたら、一斉に下落するかも知れません。

非常に不安定なものなので、孫社長は追加の10兆円ファンドを投入して、市場を買い支える必要があるのです。


孫社長の負けず嫌いは度を越していて、米通信会社のスプリントは実際には赤字なのに、会計方法で黒字にしている。

同じようにソフトバンクビジョンファンドも、儲かっていても居なくても、孫社長は失敗を認める事ができない。

含み益があるうちは良いが、米景気後退で株価が下落したら大半が含み損になる事態が起こり得る。


その時孫社長はおそらく「含み損には意味がない」と言って含み損益の発表を辞めてしまうと予想している。

もし含み益の時だけ発表し、含み損の時には発表を辞めるとしたら、あまりに不誠実ではないだろうか?

第二ファンドに海外投資家が集まらないのも、こうした疑問があるからに他ならない。
http://www.thutmosev.com/archives/80097417.html  



▲△▽▼

2019年06月22日
ソフトバンクは投資家には利益1兆円、国税局には赤字と説明していた
http://www.thutmosev.com/archives/80199736.html


孫社長は株主には利益1兆円、国税局には赤字と説明していた


画像引用:https://www.rbbtoday.com/imgs/p/5Mv003Y5bG8YWlzdSjWJq4VMdEMsQ0JFREdG/397178.jpg

利益1兆円なのに納税ゼロ

ソフトバンクグループは2018年3月期決算で2兆円もの欠損金を計上し、赤字決算だったので法人税を納税していなかった。

決算では1兆389億円の純利益を出し、孫社長自身が説明会で「利益1兆円」を誇示していたのは記憶に新しい。

ところが決算発表と税務申告の内容が同じである必要はなく、株主には利益1兆円、国税局には赤字だったと報告していた。


ソフトバンクグループは2016年に3.3兆円で買収した英企業アームの株式を、18年3月期にビジョンファンドに移管しました。

その時1.4兆円の欠損金が発生したと申告し、計算すると3.3兆円で買ったアーム株を1.9兆円で売った事になる。

とはいえこれは同じグループ内で移動させただけなので、現実の損失は発生していませんでした。


18年3月期の欠損金は2兆円を超え、東京国税局は何らかの疑いを持って調査を始めたと推測されます。

結局国税局は18年3月期に1.4兆円の欠損金は確定していなかったとして、4200億円の納税を求めたが、翌年以降に繰り越される事になった。

英アームはソフトバンクが3.3兆円で買収した後、株式非公開になったので現在の株式価値はゼロとなっている。


これをそのままの価値で申告しても良いが、半分の価値で申告すると差額は損失金になり納税額数千億円を節約できます。

欠損金は10年間にわたって繰り越し可能なので、ソフトバンクは今後10年間納税額を少なくできる。

これが孫マジックなのだが、いつくかの点でソフトバンクの経営に疑問が残った。


ソフトバンクは赤字か黒字か

疑問その一はこの欠損金は税制が想定しなかった「抜け道」を利用したもので、東京国税局は当初脱税の疑いで調べていた可能性がある。

株移管による欠損金は別の会社への譲渡を想定したもので、会社を2つに分割して同じ会社で譲渡するとは立法時に予想していませんでした。

ソフトバンクは法の抜け穴を利用して税逃れをする企業だ、と国税職員の頭に叩き込まれたでしょう。


2つめの疑問はソフトバンクや孫社長の、株主や投資家への信義の問題です。


投資家には「1兆円、2兆円儲かっている」「100兆円企業だ」と煽っておいて、納税する時に「赤字だから1円も納税しない」というのは上場企業としてどうかと思います。

他人の金を100兆円以上集めて、他人の金で投資して、やっていることが法の抜け穴を突く行為というのは誠実でしょうか。


株主への説明では含み益を「利益だ」と言って莫大な利益が上がっていると言い、国税局には大赤字で損をしていると言って納税していませんでした。

真実はどちらか一つしかないのであり、株主説明会でも「ファンドは実は赤字です」と言うべきではないでしょうか。


ソフトバンクはアメリカの通信企業スプリントでも不思議な会計操作をし、米メディアは「合法的な会計操作」と指摘していました。

スプリントは赤字なのですがレンタル会社を作って設備機材を高額で買い取り、破格の安値でレンタルする事で黒字にしていると書かれていました。

孫社長は「スプリントの黒字化に成功した」と言いましたが、あっちからこっちに赤字を付け替えただけでした。
http://www.thutmosev.com/archives/80199736.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/549.html#c2

[リバイバル3] 孫正義の詐欺の手口 中川隆
2. 中川隆[-8835] koaQ7Jey 2019年7月25日 19:25:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3879]
2019年07月23日
ソフトバンク孫社長と韓国、文在寅・李明博との距離感
http://www.thutmosev.com/archives/80464263.html

李明博が過激な反日発言を連発したのは、孫社長と会った後からでした


画像引用:https://up.gc-img.net/post_img_web/2018/02/ed6cdd7e6517fdbe2a471b831edc03fa_7345.jpeg

李明博大統領と親しかった

韓国の文在寅大統領は日本に過激な反日外交をしかけ、日本側は反発して非難の応酬となっている。

今から8年前の2011年にもこれとそっくり同じ事があり、当時韓国は李明博大統領で、日本は民主党の野田首相だった。

2012年8月14日、李明博は「日王が韓国に来たいなら一人一人に土下座しろ」と発言し、これが決定的な分岐点になった。

李明博はこのような発言をした理由について、「大物在日実業家の助言に従った」と話していました。

その実業家は「日王は日本国民に支持されていないし、日本人は日王に謝罪させたがっている」という趣旨の事を話したそうです。

李明博はこの実業家にそそのかされたと言い訳をしたが、それが誰だったのか名前を明かさなかった。


李明博と親交がある韓国系の大物実業家としては某アミューズメント企業会長、某菓子メーカー会長らの名前が挙がった。

孫社長は2011年6月20日に韓国を訪問し、大統領府で李明博と直接対談している。

この時孫社長は日本では原発廃止を訴えていたが、「韓国の原発は安全ですばらしい」と称賛している。


このように孫社長の日本に対する態度と韓国への態度は、くい違うことが多いのはなぜだろうか?

不思議なことに李明博が過激な反日路線を打ち出したのは孫社長と対談した後で、12月に慰安婦への謝罪要求し「韓国中に慰安婦像を建てる」と宣言した

2012年に発言はさらに過激になり、8月14日の「日王は土下座しろ」発言へとつながっていく。

孫社長はソウルで「日本は犯罪者だ」と批判している

これを聞いた李明博はどう感じたでしょうか

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画像引用:https://stat.ameba.jp/user_images/20110817/03/japan-conserva/b5/60/j/o0644036411422351050.jpg


韓国を助けるため?アジアファンドを韓国に設立

さて2019年の韓国は文在寅大統領だが、李明博と同じように過激な反日外交を日本に仕掛けている。

19年7月1日に日本政府は半導体素材3品目の、韓国への優遇措置を撤廃し、事実上の経済制裁を科した。

すると孫社長は直後の7月4日に訪韓し、また大統領府で文在寅と1対1で対談し、AIの普及などを提言した。


この韓国大統領と大統領府で1対1で対談するというのは、朴大統領の洗脳疑惑にもなったほど韓国では特権と考えられている。

李明博は慰安婦や土下座発言の前に孫社長と対談し、今度は日本と国際紛争中の文在寅と1対1で対談している。

李明博と対談した後、孫社長は「日本は原発犯罪者だが韓国の原発は安全」という意味不明な名言を残した。


文在寅と対談した後も孫社長は「日本はAIの後進国になったのを自覚しろ」という一方で「韓国のAIへの協力を惜しまない」と発言した。

その言葉通り7月19日、ソフトバンクは韓国に、アジア投資ファンドを設立し、事実上韓国を支援した。

ファンドを通じてソフトバンクは数千億円を投資し、本部が韓国に置かれることで韓国政府と韓国経済はメリットがある。


その一方で孫社長は「日本はAI後進国だから投資する価値もない」と切り捨てている。


日本に対してはいつも侮蔑的な発言ばかり、韓国に対してはいつも称賛と協力ばかりです。


どうして孫社長の韓国への態度と、日本への態度はいつも180度違うのでしょうか?
http://www.thutmosev.com/archives/80464263.html  



▲△▽▼

孫 正義(そん まさよし[1]、1957年8月11日[2] - )は、日本の実業家である
ソフトバンクグループの創業者として知られ、ソフトバンクグループ代表取締役会長兼社長やヤフー取締役、スプリント会長、アーム会長、アリババ取締役[3]、福岡ソフトバンクホークス取締役などを務める。ソフトバンクグループの筆頭株主である。


家族・親族

系譜

孫正義は一直孫氏である。一直孫氏の始祖は朝鮮の土着民である荀凝で、元々名字は荀であった。荀凝は高麗時代に名前を孫凝に変えた。[61]


鐘慶

┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓
┃   ┃   ┃   ┃   ┃   ┃   ┃
三憲   某   某   某   女   女   真太郎

┣━━━┳━━━┳━━━┓
┃   ┃   ┃   ┃
正明  正義  正憲  泰蔵

実家

祖父と祖母は漁船の底に潜り込んで日本に入国したという[62]。

在日二世である父親の孫三憲は佐賀県鳥栖市に生まれ2017年現在福岡県で暮らしている[63]。子供の頃に父親の故郷である韓国の大邱に渡るも仕事が無く密入国の形で再び日本に住んでいる。一時期金融業や密造酒を家業としていた[5][64]。孫家は父親の方針の下、将来は韓国大統領を目指すよう教育されるなど非常に勉強熱心な家風であった[5][65]。「足が汚水につかるような場所で苦学して」部落を出て成功した。孫正義が中学生の頃に病気で倒れ、孫正義の1歳年上である兄の孫正明は高校を1年生で中退して家計を支えた。

15歳年下である末弟の孫泰蔵は実業家である。

在日韓国人実業家の二男として佐賀県鳥栖市の朝鮮人集落に出生。4人兄弟であった。いわゆる通名は「安本正義」[4]。

孫は佐賀県鳥栖市の朝鮮人集落で幼少期を過ごし、差別も経験する[5]。豚や羊と一緒に生活する非常に貧しく不衛生な場所であったが、「今だから言えるが密造酒も家で作っていた」と佐野眞一のインタビューで述べるとともに、父親の三憲が密造酒製造販売と消費者金融・パチンコ業で大成功し、長じてはパチンコ店数十店舗を所有し、高級車を何台も保有するほどの裕福な時期もあったことも明らかにしている[5][6]。

緑ヶ丘・第二幼稚園から北九州市立引野小学校に入学、福岡市立城南中学校に転入後、1973年に久留米大学附設高等学校に入学。


アメリカ時代

高校入学後、家庭教師に薦められた司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』を愛読し、脱藩に憧れて渡米を決意し、夏休みを利用して米国カリフォルニア州にて語学研修のため4週間の短期留学。1974年に久留米大学附設高等学校を中退し、渡米(2月)。米国ホーリー・ネームズ・カレッジ(英語版)の英語学校 (ESL) に入学。米国サンフランシスコセラモンテ高等学校の2年生に編入。3年生、4年生へと飛び級。高校卒業検定試験に合格したため、高等学校を3週間で退学(10月)。翌1975年に米国ホーリー・ネームズ・カレッジに入学。

1977年にカリフォルニア大学バークレー校経済学部の3年生に編入。さらに1979年、シャープに自動翻訳機を売り込んで得た資金1億円を元手に[7]、米国でソフトウェア開発会社の「Unison World」を設立。インベーダーゲーム機を日本から輸入。結婚。1980年にカリフォルニア大学バークレー校を卒業。学位は、経済学士。日本へ帰国後、会社を設立するために福岡市博多区雑餉隈に事務所を構えた。


実業家

1981年、福岡市博多区に事務所を移し、コンピュータ卸売事業の「ユニソン・ワールド」を、そして福岡県大野城市に「日本ソフトバンク」を設立。1983年における慢性肝炎での入院をきっかけに社長職を退き会長へ。この時、「お金じゃ無い、地位や名誉でもない、ばあちゃんがやっていたような、人に喜んでもらえることに、貢献できたら幸せだ。どこか、名前も知らない、小さな女の子に“ありがとう”と言ってもらえるような、そんな仕事がしたい」と思い、今に至る。「おばあちゃんは、いつも、人さまのお陰だ、と言っていたことから、人を恨んだりしてはいけない」とも語っている。その後、1986年をもって社長職に復帰、パソナの南部靖之、エイチ・アイ・エスの澤田秀雄とともにベンチャー三銃士と称された[8]。1990年をもって日本に帰化。

1990年、ソフトバンク株式会社に社名変更。

1994年にソフトバンク株式会社の株式を店頭公開。

1996年には米ヤフーとソフトバンクの合弁でヤフー株式会社を設立。

同年、衛星放送プラットフォームの運営会社としてジェイ・スカイ・ビー(JスカイB)をルパート・マードックのニューズ・コーポレーションと折半出資により設立、マードックが会長、自らは社長に就任。この際、旺文社より全国朝日放送(現テレビ朝日ホールディングス)の株式21%を取得するも、翌1997年3月に当時第3位株主だった朝日新聞社に全株式を譲渡して撤退。JスカイBは1997年にソニーとフジテレビジョン(現フジ・メディア・ホールディングス)がイコールパートナーとして資本参加した。

1998年にはパーフェクTV!を運営する日本デジタル放送サービス(現スカパーJSAT)と合併、スカイパーフェクTV!(スカパー!)として放送を開始した。

1999年、証券市場の開設を企図し米国のナスダック・ストック・マーケットとソフトバンク株式会社が共同出資しナスダック・ジャパンプランニング株式会社を設立。翌2000年には大阪証券取引所とナスダック・ジャパンプランニング株式会社にてナスダック・ジャパン市場を開始。

ソフトバンク株式会社が東京海上火災保険、オリックスとともに、日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)の株式を取得。取締役に就任した。

NTTドコモの第一期アドバイザリーボードのメンバーを1年程務める[注 1]。

2001年からヤフー株式会社と共同でADSL接続サービスのYahoo! BBの提供を開始。以降、それまでのPCソフト卸、PC出版から通信に本業の軸足を移す。

2002年、ナスダック・ジャパン株式会社が業務を停止。大阪証券取引所によりヘラクレスとして改組された。

2003年にあおぞら銀行の株式をサーベラス・キャピタル・マネジメント社に売却。

2004年には日本テレコム株式会社 (現ソフトバンクテレコム株式会社) を買収し、同社代表取締役会長に就任。2006年10月には同社の代表取締役社長に就任した。

さらに福岡ダイエーホークスと福岡ドームをダイエーから買収し、福岡ソフトバンクホークスのオーナーに就任。

続けてボーダフォン株式会社(現ソフトバンク株式会社)を買収し、同社代表執行役社長兼CEOに就任した。

2011年に東日本大震災が発生すると、義援金として個人で100億円および2011年から引退するまでソフトバンクグループ代表として受け取る報酬の全額を寄付することを表明し2011年7月14日100億円の寄付が終了した[10]。さらに福島第一原子力発電所事故を受け、自然エネルギー財団を設立[11][12]。『東日本大震災復興支援財団』を6月に設立[13]。

2015年4月1日、ソフトバンクモバイルの代表執行役社長から代表取締役会長に異動した(ソフトバンクモバイルは、同時に、ソフトバンクBB、ソフトバンクテレコム、ワイモバイルの3社を吸収合併)[14]。

2017年には海外の大物経営者が名を連ねている中国の清華大学経済管理学院顧問委員の一人となった[15][16]。
2017年12月14日、MLS参入を目指すデビッド・ベッカムの投資家グループへの参加が承認された。[17]


ソフトバンクの創業

設立経緯

自分で考案した「音声機能付き他言語翻訳機」[18]を当時シャープ専務の佐々木正に約1億円で売り込み、大銀行の紹介・融資の手引きをされて1億円の融資を手に入れた[19]。

その資金を元に米国で事業を起こし、1981年には福岡で不動産・産廃業を営む母方の親戚の在日韓国人から1億円の出資を受けて日本で起業する[5][20]。佐野眞一は創業時に1億円を投じた在日韓国人の親戚が個人株主としては現在も最大の株主であるとしている[20]。(ただし、孫自身を個人株主に含めれば孫が最大の株主となっている)。

電話の際に自動的に安い回線を選ぶ「NCC BOX」(いわゆるLCR)をフォーバルの大久保秀夫とともに開発した(その関係で、日本におけるLCRの基本特許は孫が保有している)[21]。大久保秀夫との交流は以後も続き、BBフォン、おとくラインの販売など、ソフトバンクグループの法人向けの営業では常にフォーバルと協力体制を取ってきた。

ソフトバンクの前身

自動翻訳機の売込みで得た資金(1億円)を元手に、米国でソフトウェア開発会社の「Unison World」を設立。日本で、流行していた「スペースインベーダー」を、ブームが沈静化した後に大量に安価で買い取り、アメリカで売り出して大きな利益を得た[要出典]。

「日本ソフトバンク」名義の会社を設立したのは1981年(昭和56年)であるが、孫自身は事あるごとに「私は、福岡の雑餉隈ざっしょのくまで、アルバイト社員二人とソフトバンクを始めました」と話している。雑餉隈の雑居ビルに存在した会社は、ソフトバンクの前身にあたる「ユニソン・ワールド」という会社であったが、孫自身はこの「ユニソン・ワールド」がソフトバンクの起業だと考えていることがこの言葉から分かる。孫は同社員の前で、立ち上げた会社を「10年で年商500億の会社にする」と豪語したが、これを聞いた二人は孫の可能性を信じることが出来ず非現実的な法螺話と受け取り、彼の力量を見限って辞めてしまったという話がある[22]。

通名ではなく本名で起業

ソフトバンクの前身であるユニソン・ワールドを起業する際、日本名である「安本」ではなく韓国名の「孫」の名前で会社を興すことを決め、そのことを一族に伝えた[23]。しかし親や親戚からは、在日が日常生活で差別されることはかなり減ったが、就職では間違いなく差別され銀行も絶対金を貸さない、お前の認識は甘い、ハードルは十倍あがる、わざわざ好んでその難しい道を行くのか、と猛反対された[23]。それに対して孫は「たとえ十倍難しい道であっても、俺は人間としてのプライドを優先したい、俺はどれだけ難しい道だって堂々と正面突破したいんだ」 と答えた[23]。一族からは「お前は青い」とも言われたが、父親は何も言わず黙って孫の話を聞いていたという[24]。

孫の名前にこだわった理由はもう一つあり、それは渡米する際に心に決めた志と通名による起業が矛盾するということであった。孫は佐野眞一に対して「何十万人といる在日韓国人が、日本で就職や結婚や、それこそ金を借りるとき差別を受けている。でも在日韓国人であろうが、日本人と同じだけの正義感があって、能力がある。それを自分が事業で成功して、 証明しなきゃならないと思ったんです。これからの在日の若者に、それを背中で示さなきゃいけないのに、俺が 本名を隠してこそこそやったんじゃ、意味がなくなるじゃないか、アメリカに行った目的が達成できないじゃないか。あとから、あの事業を興したのは、実は孫でしたと言ったって……」[25]と述べている。

震災やエネルギー分野での取り組み

東日本大震災復興資金の寄付

2011年4月3日、東日本大震災の被災者支援と復興資金として個人で100億円を寄付すると発表した[26]。また、2011年から引退するまでソフトバンクグループ代表として受け取る報酬の全額も、震災で両親を亡くした孤児の支援として寄付するとも発表した[27]。ソフトバンクも企業として東日本大震災に対し10億円の寄付を決定している。孫は3月22日福島県の避難所を訪れ、被災者数万人への携帯電話の無償貸与に加えて、震災孤児対象に18歳までの通信料の完全無料化を表明している。

2011年5月16日、寄付金の配分を発表した[28]。内訳は、日本赤十字社・中央共同募金会・岩手県・宮城県・福島県に各10億円、日本ユニセフ協会などの「震災遺児への支援を行う公益法人」に6億円、茨城県・千葉県に各2億円。40億円は、孫と自治体が共同で設立、孫自身が会長を務める東日本大震災復興支援財団[29]に託す。

2011年6月11日までに、財団分を除く60億円の寄付が各所に行われた[30][31]。

2011年7月14日に、東日本大震災復興支援財団に残りの40億円が寄付として渡され、全100億円分の寄付が完了した[32]。この寄付金は、10年以上の継続支援ができるよう、被災地の子どもたちを中心とした支援のみに100%使われていくという[33]。

日本での脱原発と再生可能エネルギー推進、韓国での原発推進[編集]

孫は福島第一原子力発電所事故後、元ソフトバンク社長室長で元民主党衆議院議員であった嶋聡の民主党人脈を使って、当時の菅直人首相とともに、再生可能エネルギー(「自然エネルギー」)の普及と脱原発を掲げて活動を始めた。菅首相が政府委員や公職者でもない孫の意見にエネルギー政策を頼っため、孫の個人的な持論が民主党政権の政策に反映された、と批判されることもある[34]。

2011年4月には発電コストについてはアメリカにおいて補助金の助けで風力発電と原子力発電のコストが2010年に逆転したとし、再生可能エネルギーの方が原子力より安価であるとの考えを表明して、日本で自家発電などで生産された再生可能エネルギーを電力会社が買い取る固定価格買取制度を導入することに期待感を示していた[35]。また、孫は「電力会社は悪なので、発送電分離によって解体すべき」「太陽光発電に支援を」「再エネ補助金を優遇せよ」「(固定価格)買い取り保証は超長期で」「原発はゼロに」と主張していたという[34]。

孫はエネルギー間のバランスを考えず[注 2]、再生可能エネルギーに偏重した政策を実施させ、しかもその後、自身が再生可能エネルギーで巨大ビジネスを展開したため、孫の動きを震災に便乗した補助金ビジネスとして「政商」と批判する声がある[36][37]。実際に、民主党政権による固定価格買取制度の導入に際して、孫は菅直人首相に強く働きかけて同制度を成立させている[注 3][38]。その際、孫は参考人として呼ばれた政府の委員会において、太陽光発電は造成コスト等も含めるとコストが非常に高く、最低でも40円/kWhの高い買取価格が必要だと主張した(孫はこのとき、太陽光発電は40円/kWhでは9割の地点で採算が合わず、本来は更に高い42〜45円/kWhが必要であるが、「消費者への負担とのバランスを考えると」最低でも40円/kWhが必要だと主張した)[注 4][39]。

そして実際に2012年、孫の希望通り、メガソーラー(大規模太陽光発電所)で「最低限の」40円/kWh、住宅用太陽光で42円/kWhで固定価格買取制度が開始した。これは太陽光発電を特に集中的に優遇し、申請時点の買取価格をプラント建設後20年間まで保証するというもので、この日本の太陽光発電買取価格は世界で最も高く[34]、他の先進諸国に比べても2倍以上と、異常に高い[40]。この制度によって日本国民が負担する賦課金額は、2016年時点で既に、年間2兆円という巨額に達しており[41]、最終的には累計53〜85兆円(廃炉・事故処理・賠償等を含む福島原発事故の被害総額(2016年推計)[42]のおよそ2.5〜4倍)程度に及ぶ、と試算されている[40]。

固定価格買取制度が開始した2012年以降、孫の率いるソフトバンク・グループは初期参入を果たして、国内各地に数多くのメガソーラー(大規模太陽光発電所)を建設し[43]、ビジネスを展開した。

また、この制度により、太陽光パネルの設置バブルが発生したと非難する声もある[44]。すなわち、固定価格買取制度に補助を受けた太陽光ビジネスは、上記の政府委員会での孫の主張とは裏腹に、年利回り8%以上、日照がよい場所なら10%以上の極めて魅力的なビジネスであり、しかも設置の小分けが出来るようにしたことで投資家が群がった。日照の良い一部の地域ではビジネス優遇のため、ドイツのような設置への規制を設けなかったため、自治体のレベルで差がついた。森林伐採や日射被害、土砂崩れなど、景観や住環境の破壊が進み、住民からの反対運動も生じるようになった[45][46]。

孫を取材し尊敬していたという旧知の堀義人も孫をツイッター上で「政商」だと批判し、その批判から孫と討論会を実施する運びとなった[47]。民主党の原口一博は孫の立てた大規模太陽光発電所(メガソーラー)構想に対して「太陽光か原発かという選択肢ではありません。『大規模・独占・集中・排除』か『小規模・分散・自立・共同』で選択しないといけない」と忠告したという[48]。

なお、孫の脱原発運動は日本限定の活動であり、訪韓して李明博大統領と会談した際には「脱原発は日本の話。韓国は地震が多い日本とは明らかに異なる」「安全に運営されている韓国の原発を高く評価している」と韓国の原子力発電所を高く評価しているという。また、再生可能エネルギー分野でも日韓協力の体制を敷くことに前向きなコメントを残している[49]。

データセンターの韓国設置について

東日本大震災を受け孫が経営するソフトバンクは電力供給と料金面で有利な韓国にデータセンターを立ち上げることでKT社と合意した。孫は韓国にデータセンターを置く利点として、「近い」「安い」「高いICTの先進性」の3点を挙げ、「韓国は非常に『近い』外国であり、産業用電気料金が日本の半額で『安い』」ことを挙げている[50]。

堀は上述の産経新聞記事にて、この件を原子力発電で電力を賄っている韓国に産業を移転し日本の産業を空洞化させるものとして批判している他、池田信夫はニューズウィーク日本版の連載コラムにて「メガソーラーで日本の電気代を上げて他社のコストを圧迫する一方で、ソフトバンクは韓国の原発でつくった安い電気を使ってもうけようというわけだ」という批判を紹介し「彼の挑戦がもう少しツボにはまれば、霞ヶ関にも応援団はかなり出てくるだろう」と評している[51]。

エピソード・人物[

好きな企業家

「最も好きな起業家」は本田宗一郎である[52]という。

将来計画

孫は19歳の時に「20代で名乗りを上げ、30代で軍資金を最低で1000億円貯め、40代でひと勝負し、50代で事業を完成させ、60代で事業を後継者に引き継ぐ」という人生50年計画を立て、今もその計画の実現に向けて走り続けているという[要出典]。

小学生時代のエピソード

小学生時代の夢は画家で、好きな画家はゴッホ[注 5]。
孫の父・三憲は小学生の正義に対し「今度お父さんが出す新製品に、何か言いたい事はあるかな」と問い、子ども扱いせずに関係者の一人として意見を聞いていた[5]。こうした体験が後に経営者としての手腕に繋がって行った。また「お前は在日朝鮮人だから、普通の日本人より頑張らないと出世出来ないぞ」と語っていた[5]。


藤田田を訪問

高校時代、藤田田の『ユダヤの商法―世界経済を動かす』という書籍(KKベストセラーズ、1972年)を読んで感動し、面会するために藤田の会社に行く。最初は門前払いを受けるが、何度も訪れて根負けした藤田についに社長室に通されたという。そこで「今度渡米するのだが、アメリカで何をすべきか」と尋ね、コンピューター関連を学ぶように助言された。その後成功した孫は藤田を食事に招待し、藤田はあの時尋ねてきた高校生が孫正義だったかと驚き、非常に感激し、孫の会社に自社パソコン300台を発注したという[54]。


大学検定試験のエピソード


この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2018年10月)


カリフォルニア州での大学の検定試験の際に「この問題は日本語ならば必ず解ける」と言い、辞書の貸し出しと時間延長を試験官に申し出た。試験官は、自分の上司にあたる人間に相談。さらにその上司は、自分の上司に相談。そうこうしているうちに、最後は州知事にまで孫は電話で交渉して、「辞書の貸出し」と「時間延長の要求」をのませたという。

さらに、州知事との交渉において知事は「厳密な終了時間」を決めておらず、「辞書を引くのに適当な時間だけ延長する」という結論が出されたことから、無期限の時間延長と孫は独自解釈して、最後までテストを受けて合格したという。


著名な発言

将来はヤフーを子会社化孫は2005年に雑誌の取材で「近い将来アメリカのヤフー本社も買収して子会社化しようと思う」と話している。[要出典]もっとも米国のYahoo!はかつてソフトバンクが筆頭株主だった[55]。噂にはコメントしないソフトバンクの新機種発表会で、「iPhone 3Gの発売はソフトバンクからか」と質問された時の発言。「iPhone 3GS」の発売前にも、同じコメントを残していた。首相四年連続辞任時に「日本の不幸」2010年、Twitterユーザーから首相辞任にコメントを求められた際に、「4人の首相[注 6]の任期が1年程度。民間会社ですら社長任期が1年では大きな事は成し得ない。日本の不幸」と述べた[56]。


在日割引デマ

2010年7月19日、週刊新潮に取り上げられていた「在日割引[注 7]」の存在について、一般ユーザーからの「ソフトバンクがそのような割引をしているのはデマか?」との質問に対し、直接の返答と詳細な経緯の説明を行った。これによれば、「この割引プランはデマ。2008年に代理店がソフトバンクの許可無く販売したが、ソフトバンク側が認知した後に書面で通知し、当該の割引営業行為を停止させた」と発言した[57][58]。ソフトバンクモバイル広報室は「この割引プランは、弊社の代理店が民団と勝手に取りまとめたもので、弊社サービスではありません」と発言した。


特許

スクリーンゴルフの周囲に空気ダクトを設置し風を送ることで臨場感を増した『ゴルフシミュレーションゲーム環境装置』を特許出願(特許4041197)しており[59]、自宅の地下に設置しているとされる[60]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E6%AD%A3%E7%BE%A9


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/965.html#c2

[昼休み54] ロリコン男は何を考えているのか? _ ロリコン向けラブドールの世界 中川隆
93. 中川隆[-8834] koaQ7Jey 2019年7月25日 19:35:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3880]
2019.07.25
欧米の著名人を窮地に追い込む可能性があるリストを持つ容疑者がほぼ意識不明

 ​独房内で「ほぼ意識をなくし」、倒れているジェフリー・エプシュタインを看守が発見した​と報じられている。首にけがをしているようで、病院へ運ばれた。自殺を図ったのか、病院へ移りたかったのか、ほかの囚人に襲われたのか、あるいは別の原因があるのかは不明だ。

 ​本ブログ​でも書いたように、エプシュタインは「友人」のリストを反撃の材料に使おうとしていたと言われている。このリストをエプシュタインの自宅から2009年に持ち出した人物によると、それは「小児性愛ネットワーク」を解き明かすものだという。しかも顧客には著名人の名前が記載されている。日本なら容疑者が「練炭自殺」しそうな事件だ。

 10年余り前にもエプシュタインは同様の容疑で起訴されているが、その時は「寛大な処分」ですんだ。担当地方検事でドナルド・トランプ政権の労働長官だったアレキサンダー・アコスタによると、​エプシュタインは「情報機関に所属している」ので放っておけと言われた​という。

 その話の信憑性を高める背後関係もある。エプシュタインの妻だったギスレイン・マクスウェルの父親はミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェルだが、この人物は1960年代からイスラエルの情報機関に協力、あるいはそのエージェントだったと言われている。しかもイギリスやソ連の情報機関ともつながっていた可能性がある。

 小児性愛の問題はアメリカ主導軍がイラクを先制攻撃、占領を始めた当時にも問題化している。その事実を隠蔽、あるいは自身も参加していたと噂されたひとりがデイビッド・ペトレイアス。当時は第101空挺師団の司令官だった。後にCIA長官を務めるが、2012年に辞任している。陸軍情報部に所属していた予備役中佐との性的な関係と情報の漏洩が原因だとされているが、真の理由は別にあるとも言われている。

 こうした問題はアメリカ以外、例えばイギリスや日本でもあると言われているが、もみ消されているようだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201907250000/
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/270.html#c93

[近代史3] プチエンジェル事件の深すぎる闇 中川隆
48. 中川隆[-8833] koaQ7Jey 2019年7月25日 19:37:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3881]
2019.07.25
欧米の著名人を窮地に追い込む可能性があるリストを持つ容疑者がほぼ意識不明

 ​独房内で「ほぼ意識をなくし」、倒れているジェフリー・エプシュタインを看守が発見した​と報じられている。首にけがをしているようで、病院へ運ばれた。自殺を図ったのか、病院へ移りたかったのか、ほかの囚人に襲われたのか、あるいは別の原因があるのかは不明だ。

 ​本ブログ​でも書いたように、エプシュタインは「友人」のリストを反撃の材料に使おうとしていたと言われている。このリストをエプシュタインの自宅から2009年に持ち出した人物によると、それは「小児性愛ネットワーク」を解き明かすものだという。しかも顧客には著名人の名前が記載されている。日本なら容疑者が「練炭自殺」しそうな事件だ。

 10年余り前にもエプシュタインは同様の容疑で起訴されているが、その時は「寛大な処分」ですんだ。担当地方検事でドナルド・トランプ政権の労働長官だったアレキサンダー・アコスタによると、​エプシュタインは「情報機関に所属している」ので放っておけと言われた​という。

 その話の信憑性を高める背後関係もある。エプシュタインの妻だったギスレイン・マクスウェルの父親はミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェルだが、この人物は1960年代からイスラエルの情報機関に協力、あるいはそのエージェントだったと言われている。しかもイギリスやソ連の情報機関ともつながっていた可能性がある。

 小児性愛の問題はアメリカ主導軍がイラクを先制攻撃、占領を始めた当時にも問題化している。その事実を隠蔽、あるいは自身も参加していたと噂されたひとりがデイビッド・ペトレイアス。当時は第101空挺師団の司令官だった。後にCIA長官を務めるが、2012年に辞任している。陸軍情報部に所属していた予備役中佐との性的な関係と情報の漏洩が原因だとされているが、真の理由は別にあるとも言われている。

 こうした問題はアメリカ以外、例えばイギリスや日本でもあると言われているが、もみ消されているようだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201907250000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/358.html#c48

[日本の事件17] プチエンジェル事件の真相
72. 中川隆[-8832] koaQ7Jey 2019年7月25日 19:39:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3882]
2019.07.25
欧米の著名人を窮地に追い込む可能性があるリストを持つ容疑者がほぼ意識不明

 ​独房内で「ほぼ意識をなくし」、倒れているジェフリー・エプシュタインを看守が発見した​と報じられている。首にけがをしているようで、病院へ運ばれた。自殺を図ったのか、病院へ移りたかったのか、ほかの囚人に襲われたのか、あるいは別の原因があるのかは不明だ。


 ​本ブログ​でも書いたように、エプシュタインは「友人」のリストを反撃の材料に使おうとしていたと言われている。このリストをエプシュタインの自宅から2009年に持ち出した人物によると、それは「小児性愛ネットワーク」を解き明かすものだという。しかも顧客には著名人の名前が記載されている。日本なら容疑者が「練炭自殺」しそうな事件だ。


 10年余り前にもエプシュタインは同様の容疑で起訴されているが、その時は「寛大な処分」ですんだ。担当地方検事でドナルド・トランプ政権の労働長官だったアレキサンダー・アコスタによると、​エプシュタインは「情報機関に所属している」ので放っておけと言われた​という。


 その話の信憑性を高める背後関係もある。エプシュタインの妻だったギスレイン・マクスウェルの父親はミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェルだが、この人物は1960年代からイスラエルの情報機関に協力、あるいはそのエージェントだったと言われている。しかもイギリスやソ連の情報機関ともつながっていた可能性がある。


 小児性愛の問題はアメリカ主導軍がイラクを先制攻撃、占領を始めた当時にも問題化している。その事実を隠蔽、あるいは自身も参加していたと噂されたひとりがデイビッド・ペトレイアス。当時は第101空挺師団の司令官だった。後にCIA長官を務めるが、2012年に辞任している。陸軍情報部に所属していた予備役中佐との性的な関係と情報の漏洩が原因だとされているが、真の理由は別にあるとも言われている。


 こうした問題はアメリカ以外、例えばイギリスや日本でもあると言われているが、もみ消されているようだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201907250000/

http://www.asyura2.com/0505/nihon17/msg/722.html#c72

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
236. 中川隆[-8834] koaQ7Jey 2019年7月25日 20:27:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3880]

2018年05月27日
縄文時代における九州と朝鮮半島との交流
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_45.html


 以前、当ブログで

山田康弘『つくられた縄文時代 日本文化の原像を探る』
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%83%8F%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%82%8B-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E5%B1%B1%E7%94%B0-%E5%BA%B7%E5%BC%98/dp/4106037785


を取り上げ、縄文時代における九州と朝鮮半島との交流についても少し言及しましたが(関連記事)、
https://sicambre.at.webry.info/201512/article_30.html


もう少し詳しく同書の見解を取り上げることにします(同書P129〜133)。じゅうらい、縄文時代の日本列島は他地域との交流がほとんどなかった、と考えられてきました。それは、「縄文人」のような形態の人類集団が他地域で確認されず、細かな地域差・時代差があるとはいえ、地理的範囲は北海道から九州まで、時間的範囲は早期から晩期前半まで、「縄文人」の形態はほぼ同一とされてきたからでした。

 しかし、考古学的資料により、縄文時代における九州、さらには西日本と朝鮮半島との交流が明らかになってきました。たとえば、西日本各地に分布する縄文時代前期の轟式土器や曽畑式土器は、朝鮮半島に分布する隆起線文土器や櫛目文土器との類似性が指摘されています。また、轟式土器と曽畑式土器の間に位置づけられる西唐津式土器と朝鮮半島の土器との関係も指摘されるようになっており、相互の土器形式に影響を及ぼす水準で交流があったことは確実とされています。

 朝鮮半島の煙臺島遺跡からは、縄文時代の石器として一般的な石匙が出土しています。縄文時代後期に西北九州で多くみられる石鋸も、朝鮮半島の松島遺跡など南岸部から出土しています。佐賀県の腰岳から産出する黒曜石は、朝鮮半島南岸部からも出土しています。また、朝鮮半島の土偶の中には、縄文時代早期のものとの類似性が指摘されるものもあります。その他にも、縄文時代には珍しくない貝輪・獣歯牙製装身具・土製耳飾りなどが、朝鮮半島南部で出土しています。こうした遺物だけではなく、人類遺骸でも、朝鮮半島と縄文時代の日本列島との交流の可能性が指摘されています。煙臺島遺跡から出土した人類遺骸には、縄文人の形態がよく認められるそうです。

 しかし、近年の研究の進展により、九州を中心とする縄文時代の西日本と朝鮮半島との交流については、一時期の過大評価が訂正される傾向にあるようです。まず、朝鮮半島における縄文(系)土器の出土点数は、在地の有文土器と比較すると0.1%にも満たない、とのことです。また、土器の製作技法・文様の割り付け方法・結合式釣針の製作技法などの比較の結果、縄文時代の日本列島と朝鮮半島との類似性は、同一の文様構成原理や技法で製作されたという水準ではなく、あくまでも視覚的な部分に留まっている、とも指摘されています。見た目は類似しているものの、人間が恒常的に往来して製作技法そのものが伝えられているような状況ではなかっただろう、というわけです。対馬の越高・尾崎遺跡や夫婦岩遺跡などでは、朝鮮半島系の土器が主体的に出土することもありますが、これは特定の時期だけの減少で、他の時期では基本的に縄文土器が出土するそうです。朝鮮半島には縄文(系)土器が主体的に出土する遺跡は存在せず、あくまでも単発的・客体的に出土するにすぎません。

 これまで、縄文時代の日本列島と朝鮮半島の考古学的資料の類似性は、交流の証明としてひじょうに高く評価されてきましたが、再考が必要ではないか、と本書は指摘します。縄文時代の北部九州と朝鮮半島南部との交流はさほど多くなく、南島地域との比較でも少なかったので、北部九州と朝鮮半島南部の間には言語の壁があったのではないか、との見解も提示されています。また本書は、朝鮮半島では土偶はほとんど出土せず、大型のものはないことと、縄文文化でよく見られる呪術具は朝鮮半島では出土頻度が低いことなどからも、縄文時代の北部九州と朝鮮半島南部は文化を共有するという状況ではなく、対馬海峡で線を引くことが可能ではないか、と指摘します。縄文文化がユーラシア大陸からの影響を受けたことは間違いないとしても、縄文文化はおおむね日本列島内に収まっているとの見解にも一理ある、と本書は指摘しています。
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_45.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c236

[近代史3] チャンネル桜関係者が大好きな自称日本史研究者 長浜浩明の学説(?)の何処がおかしいのか? 中川隆
27. 中川隆[-8833] koaQ7Jey 2019年7月25日 20:43:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3881]
2018年05月27日
縄文時代における九州と朝鮮半島との交流
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_45.html


 以前、当ブログで

山田康弘『つくられた縄文時代 日本文化の原像を探る』
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%83%8F%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%82%8B-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E5%B1%B1%E7%94%B0-%E5%BA%B7%E5%BC%98/dp/4106037785


を取り上げ、縄文時代における九州と朝鮮半島との交流についても少し言及しましたが(関連記事)、
https://sicambre.at.webry.info/201512/article_30.html


もう少し詳しく同書の見解を取り上げることにします(同書P129〜133)。じゅうらい、縄文時代の日本列島は他地域との交流がほとんどなかった、と考えられてきました。それは、「縄文人」のような形態の人類集団が他地域で確認されず、細かな地域差・時代差があるとはいえ、地理的範囲は北海道から九州まで、時間的範囲は早期から晩期前半まで、「縄文人」の形態はほぼ同一とされてきたからでした。

 しかし、考古学的資料により、縄文時代における九州、さらには西日本と朝鮮半島との交流が明らかになってきました。たとえば、西日本各地に分布する縄文時代前期の轟式土器や曽畑式土器は、朝鮮半島に分布する隆起線文土器や櫛目文土器との類似性が指摘されています。また、轟式土器と曽畑式土器の間に位置づけられる西唐津式土器と朝鮮半島の土器との関係も指摘されるようになっており、相互の土器形式に影響を及ぼす水準で交流があったことは確実とされています。

 朝鮮半島の煙臺島遺跡からは、縄文時代の石器として一般的な石匙が出土しています。縄文時代後期に西北九州で多くみられる石鋸も、朝鮮半島の松島遺跡など南岸部から出土しています。佐賀県の腰岳から産出する黒曜石は、朝鮮半島南岸部からも出土しています。また、朝鮮半島の土偶の中には、縄文時代早期のものとの類似性が指摘されるものもあります。その他にも、縄文時代には珍しくない貝輪・獣歯牙製装身具・土製耳飾りなどが、朝鮮半島南部で出土しています。こうした遺物だけではなく、人類遺骸でも、朝鮮半島と縄文時代の日本列島との交流の可能性が指摘されています。煙臺島遺跡から出土した人類遺骸には、縄文人の形態がよく認められるそうです。

 しかし、近年の研究の進展により、九州を中心とする縄文時代の西日本と朝鮮半島との交流については、一時期の過大評価が訂正される傾向にあるようです。まず、朝鮮半島における縄文(系)土器の出土点数は、在地の有文土器と比較すると0.1%にも満たない、とのことです。また、土器の製作技法・文様の割り付け方法・結合式釣針の製作技法などの比較の結果、縄文時代の日本列島と朝鮮半島との類似性は、同一の文様構成原理や技法で製作されたという水準ではなく、あくまでも視覚的な部分に留まっている、とも指摘されています。見た目は類似しているものの、人間が恒常的に往来して製作技法そのものが伝えられているような状況ではなかっただろう、というわけです。対馬の越高・尾崎遺跡や夫婦岩遺跡などでは、朝鮮半島系の土器が主体的に出土することもありますが、これは特定の時期だけの減少で、他の時期では基本的に縄文土器が出土するそうです。朝鮮半島には縄文(系)土器が主体的に出土する遺跡は存在せず、あくまでも単発的・客体的に出土するにすぎません。

 これまで、縄文時代の日本列島と朝鮮半島の考古学的資料の類似性は、交流の証明としてひじょうに高く評価されてきましたが、再考が必要ではないか、と本書は指摘します。縄文時代の北部九州と朝鮮半島南部との交流はさほど多くなく、南島地域との比較でも少なかったので、北部九州と朝鮮半島南部の間には言語の壁があったのではないか、との見解も提示されています。また本書は、朝鮮半島では土偶はほとんど出土せず、大型のものはないことと、縄文文化でよく見られる呪術具は朝鮮半島では出土頻度が低いことなどからも、縄文時代の北部九州と朝鮮半島南部は文化を共有するという状況ではなく、対馬海峡で線を引くことが可能ではないか、と指摘します。縄文文化がユーラシア大陸からの影響を受けたことは間違いないとしても、縄文文化はおおむね日本列島内に収まっているとの見解にも一理ある、と本書は指摘しています。
https://sicambre.at.webry.info/201805/article_45.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/498.html#c27

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
237. 中川隆[-8832] koaQ7Jey 2019年7月25日 20:54:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3882]

2019年05月24日
現代日本人における「縄文人」の遺伝的影響
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_43.html

 現代日本人のうち、人数では圧倒的な割合を占める本州・四国・九州(「本土日本人」)の人々がどの程度「縄文人」の遺伝的影響を受けているのか、という問題については、複数の推定値が提示されています。「本土日本人」のゲノムに占める「縄文人」由来の領域の割合は、福島県相馬郡新地町の三貫地貝塚の3000年前頃の「縄文人」の研究では15%程度(関連記事)、愛知県田原市伊川津町貝塚の2600年前頃の「縄文人」のゲノムも解析したアジア南東部現代人集団の形成過程についての研究では21%程度(関連記事)、北海道礼文町の船泊遺跡の3800年前頃の「縄文人」の研究では10%程度(関連記事)と推定されています。

 これらのうち、高品質なゲノム配列が得られているのは船泊遺跡の「縄文人」なので、これが最も信頼できる推定値とは言えます。では、現代「本土日本人」のゲノムに占める「縄文人」由来の領域の割合は10%で確定なのかというとそうではなく、篠田謙一『日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造』は、現代「本土日本人」のゲノムに占める「縄文人」由来の領域の割合を20%程度と推定しています(関連記事)。「10%」という数字が、あたかも確定的であるかのごとくネットなどで喧伝される危険性には注意しなければならないでしょう。

 なぜこのような違いが生じるのかというと、ゲノム配列の品質の問題もあるのですが、重要なのは、どの「縄文人」集団が現代「本土日本人」により強く遺伝的影響を残したのか、ということです。『日本人になった祖先たち』は、東日本よりも西日本の「縄文人」の方が現代「本土日本人」により多くの遺伝的影響を残している、と推定しています。その意味で、愛知県の2600年前頃の「縄文人」のゲノム解析から、現代「本土日本人」のゲノムへの「縄文人」の影響が21%程度と推定されていることを考慮すると、西日本「縄文人」のゲノム解析結果からは、現代「本土日本人」のゲノムへの「縄文人」の影響が、25%程度かそれ以上になっても不思議ではないと思います。

 最近当ブログにて、現代日本人のY染色体DNAハプログループ(YHg)で30〜40%と高い割合を占めるDの起源について、その多くが「縄文人」ではなく弥生時代以降の「渡来系」である可能性も考えられる、と述べました(関連記事)。しかし、現代「本土日本人」のゲノムに「縄文人」の中でより大きな影響を残したのが西日本集団だとすると、YHg-Dが西日本の「縄文人」である可能性もじゅうぶん考えられます。これについては、西日本だけではなく、ユーラシア東部の古代DNA研究が進まないと、なかなか確定的なことは言えないでしょう。

 このように、古代の人類集団の現代人のゲノムへの影響については、どの集団を対象とした比較かにより、推定値が異なってきます。古代人のゲノム解析事例はまだ少ないので、「縄文人」のように1個体もしくは2個体からのゲノム配列のみが比較の場合も多く、今後の研究の進展により、数値が変わってくる可能性は高いでしょう。A集団の現代人B集団への遺伝的影響とはいっても、A集団内部のA1集団とA2集団のどちらを比較対象として、どちらがB集団により強い遺伝的影響を残した集団と近縁なのかにより、推定値は変わってくる、というわけです。

 具体的には、たとえばネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の事例がそうです。以前には、ネアンデルタール人の高品質なゲノム配列は南シベリアのアルタイ地域でしか得られていなかったのですが(関連記事)、その後、クロアチアでも、ネアンデルタール人の高品質なゲノム配列が得られました(関連記事)。非アフリカ系現代人全員の祖先集団が交雑したネアンデルタール人集団は、南シベリアのネアンデルタール人よりもクロアチアのネアンデルタール人の方と近いと推定されており、非アフリカ系現代人のゲノムに占めるネアンデルタール人由来の領域の推定値は、以前よりも高いと見直されました。同様のことが、「縄文人」の現代「本土日本人」への遺伝的影響についても言えるでしょう。
https://sicambre.at.webry.info/201905/article_43.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c237

[リバイバル3] コップ一杯の重曹を飲むことでみるみる健康になる? 中川隆
12. 中川隆[-8831] koaQ7Jey 2019年7月26日 03:39:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3883]

【大活躍】重曹フル活用 2018年07月26日
お食事(食用重曹)のみならず、お掃除のみならず、アロマ、入浴、歯磨き粉、幅広く活躍する重曹の使い方をまとめました。また、癌治療のツールとしてはよく調べてから自己責任でお願いします
https://matome.naver.jp/odai/2153251151804441801?page=2


なぜ重曹水がいいのか

病原体の数を少なくさせるには、病原体の好む酸性に偏った体を、弱アルカリ化にして、病原体を寄せにくい体内環境を作ることです。日々の生活の中で、アルカリ性 8 : 酸性 2 の割合で食事をとっていると、ウイルスが集まりにくい体になると言われていますが、その食生活はとても難しいです。

そんな時、重曹水はお手軽に体を弱アルカリ性に導いてくれます。

重曹水の作り方と飲み方

基本的なコップサイズに水(水道水や、塩素のはいっていない水を1杯、重曹を小さじ1杯いれよく混ぜて溶かしてください。
溶けにくいのでお湯にいれて溶かしても良いです。これを朝食前に1杯飲んでください。

※注意1

食後に飲んでしまうと、食べ物の酸に中和されて効果がなくなってしまいます。
これを繰り返していくうちに、体は弱アルカリ化して、ウイルスを寄せ付けづらくなります。

※注意2
ケーキなどで使う重曹は本来の重曹以外の成分もはいっているため、この場合の重曹は薬局などで売っている炭酸水素ナトリウム(重曹)をおすすめします。

出典
重金属から身を守る〜重曹水〜 | 有田歯科 メタルフリー診療室

重曹の味

重曹が初めから味のしない人、まずい人様々な人がいます。
体が弱アルカリ化されている人は、無味です。味によってどこが悪いかわかるので以下を参考にしてみてください。

☆味の種類からみられる体の状態☆
・すっぱい味→腎臓が悪い
・腐った味→腸内環境が悪い
・苦い味→肝臓が悪い
・魚の生臭い味→酸とアルカリバランスが悪い もしくは カルシウムと亜鉛不足

毎日飲み続ける事によって、だんだん弱アルカリ化されて無味になっていきます。
もともと味が無い人も、一日1杯を目安に飲み続けると、体が弱アルカリ化で保たれます。

出典
重金属から身を守る〜重曹水〜 | 有田歯科 メタルフリー診療室


重曹水でうがい


重曹水でうがい


病原体と同じで、虫歯菌も口腔内が酸性の状態を好みます。新鮮な唾液はアルカリ性なので虫歯になりづらいですが、食事後や、日々の生活習慣により、口腔内が酸性の時は、虫歯菌も繁殖します。

体内から重曹水でアルカリ化することもそうですが、食事後、歯磨き後に重曹水でお口をゆすぐと、さらに効果的です。

癌治療にも?

・体液pHを改善することによって、免疫細胞がガン細胞に「反応」出来るようにする。
・がん患者は免疫力が衰えているわけではない。免疫細胞がガンに反応しなくなっているだけ。
・なので、体液pHを弱アルカリ性にすれば、免疫細胞がガン細胞を攻撃するようになる。
・食事「のみ」で体液pHをアルカリ化すること可能だが、おそらく非効率的・・・。
・野菜ジュースの大量摂取でも、体液がアルカリ化する人としない人とで明確に分けられることが分かった。
・この違いが、食事療法でガンが治る人と治らない人の違いであると思われる。

出典
がん治療戦略に関するメモ

・重曹やクエン酸を飲めば、いくら酸性食品(肉、卵、チーズなど)を食べても体液を弱アルカリ性へ保てることが分かった(測定済み)。

出典
がん治療戦略に関するメモ


体液pHに


体液pHに


・体液pHを改善することによって、免疫細胞がガン細胞に「反応」出来るようにする。
・がん患者は免疫力が衰えているわけではない。免疫細胞がガンに反応しなくなっているだけ。
・なので、体液pHを弱アルカリ性にすれば、免疫細胞がガン細胞を攻撃するようになる。
・食事「のみ」で体液pHをアルカリ化すること可能だが、おそらく非効率的・・・。
・野菜ジュースの大量摂取でも、体液がアルカリ化する人としない人とで明確に分けられることが分かった。
・この違いが、食事療法でガンが治る人と治らない人の違いであると思われる。

・クエン酸5g、重曹を5gを1セットとし、1日に計6セット飲む。
 → 起床時
 → 朝食中
 → 朝食と昼食の間
 → 昼食中
 → 昼食と夕食の間
 → 夕食中
 → 上記のタイミングでそれぞれ1セット行う
 → 運動中にもこまめに飲めば、疲れも溜まらなくなる

上記に書いた重曹の摂取量を塩分換算すると、厚生労働省や世界保健機関(WHO)が定めている食塩摂取の推奨量をゆうに超えてしまいます。

私個人の意見としては問題ないと思っていますし、上記以上の摂取量を数ヶ月間、毎日摂取し続けていますが、リスクはあると思いますので、実践される場合は自己責任でお願い致します。

出典
がん治療戦略に関するメモ

『重曹水(重曹液)』は、癌患者さんの体内、及び、癌の『乳酸アシドーシス』を改善する手助けをしたり、癌の成長を弱めたり、癌の転移を減少させたりするための「補佐役」として使用します。ですから、『重曹水(重曹液)』を癌治療の主役に考えてはいけません。
 『重曹水(重曹液)』はあくまで「補佐」ですが、『乳酸アシドーシス』の改善を強力に「補佐」してくれます。

出典
重曹で癌が治る理由


カナダの自然療法、『メープル重曹療法』


カナダの自然療法、『メープル重曹療法』


この方法は、あるサイトの説明では『IPT療法』に近いと言っています。

『IPT療法』は、メキシコティファナにある多くの代替医療病院で行なわれているガン療法で、
サンタモニカ病院では、末期ガンの70%近くが元気になり、3年以上、生存しているそうです。
特に合うのは、乳ガン、胃がん、肺ガン、膵ガンだそうです。

『IPT療法』の仕組みを簡単に説明すると、ガン細胞は「グルコース(ブドウ糖)」で増殖します。
 ガン細胞は「ブドウ糖」が大好きなのですね。
 なので、まず『IPT療法』では、即時性のインスリンを静注します。
 すると、80mg/di くらいの血糖値は20分くらいで20mg/di 台となり、低血糖になります。

 そこに、5%の「ブドウ糖」に「アミグダリン(ビタミンB17)」を溶かしたものを点滴静注します。
 そうすると、ガン細胞は「ブドウ糖」が欲しくてウズウズしているので、優先的に「ブドウ糖」を取り込みます。
 しかし、同時に「アミグダリン(ビタミンB17)」も取り込みます。
 「アミグダリン(ビタミンB17)」はガンにとっては猛毒なので、その結果、死滅してしまうそうです。

出典
メープルシロップと重曹の、癌の自然療法 〜 カナダの自然療法『メープル重曹療法』 : 癌と食養 ☆★☆ 自然療法による癌治療 〜 Cancer Therapies by Naturopathy

「メープルシロップ」には「ブドウ糖」が含まれていて、「重曹」は強アルカリ性です。
 通常の細胞には無害ですが、ガン細胞は強アルカリを取り込むと死滅します。
 また、「メープルシロップ」にも抗ガン作用のある成分が含まれているそうです。
 やはり、民間療法には素晴らしい智恵が隠されているのですね。

出典
メープルシロップと重曹の、癌の自然療法 〜 カナダの自然療法『メープル重曹療法』 : 癌と食養 ☆★☆ 自然療法による癌治療 〜 Cancer Therapies by Naturopathy

https://matome.naver.jp/odai/2153251151804441801?page=2

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/870.html#c12

[リバイバル3] 中川隆 _ 食べ物、農業関係投稿リンク 中川隆
32. 2019年7月26日 03:49:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3884]
アルミニウムを毎日摂取するとアルツハイマー病、パーキンソン病、中枢神経障害になる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/977.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/812.html#c32
[不安と不健康16] “早死にする人”ランキング 短命にある共通点とは…(ZAK×SPA!)  赤かぶ
123. 中川隆[-8830] koaQ7Jey 2019年7月26日 03:49:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3885]
アルミニウムを毎日摂取するとアルツハイマー病、パーキンソン病、中枢神経障害になる

アルミニウムの人体への影響 2019年07月03日
https://matome.naver.jp/odai/2153246284370764001


アルミニウム製の調理器具が人体に危険性があるとしてアメリカでは政府から公式発表されています。ドイツやフランス、スイス、イギリスなどではアルミ鍋から発生する有害物質の研究レポートに基づき、アルミニウム製の調理器具の販売規制を行っています


日常生活に欠かせないアルミニウム


昔からどこの家庭にも必ずと言ってもいいほど使われていたアルミ製の鍋ややかん。
軽くて使いやすく、安価で丈夫。
熱伝導の良さから日本食の煮物つくりに最適と各家庭に普及しました。

しかし日本での普及されている数とは裏腹に、アルミニウム製の調理器具が健康に及ぼす影響があるとして海外では販売規制が取り行われています。

食材はオーガニックのもので、と気を使われている方でも、意外に見落としがちな調理器具。
せっかく食材にこだわっていても毒性のある器具では身も蓋もありません。
あなたの使っているそのお鍋は大丈夫ですか?

地殻を構成する元素の中で、アルミニウムは酸素、ケイ素について3番目に多い元素です(約8パーセント)。自然界ではアルミニウムはいろいろな化合物の形態になっており、鉱物や土壌、水、空気、植物、動物などに含まれています。そして当然のことながら、食べ物や飲み物、水や空気などを通して、私たちは毎日アルミニウムを摂取しています。また食品添加物や医薬品、飲料水の浄化剤などにも、アルミニウムは広く使用されています。金属材料として使われる場合は、目で見てアルミニウムであることがよくわかります。よく知られているように、建築のサッシや外壁、自動車部品、容器や包装材、調理器具などに使われ、日常的に出会うことができます。このように、私たちはだれもがつねにアルミニウムのある環境の中で生活しており、アルミニウムのない環境を作り出そうとしてもそれは不可能です。そのぐらい、アルミニウムは私たちにとって身近な存在なのです。

出典
https://www.aluminum.or.jp/aluminum-hc/p_3/p3_main.html

アルミ鍋はほかの金属鍋に比べ、融点が600℃と非常に低いことが特徴です。
このことが加工しやすいメリットではありますが、それゆえに有害物質が溶け出しやすい、という面もあります。
同時にこれはわたしたちの身体にとって大きなデメリットとなります。
ほとんどの不要物質は排泄でデトックスされると言われますが、影響を受けやすい幼少期から長期に渡って取り続けていると、何らかの悪影響も否めないのでは、と思います。

出典
健康に有害な影響を与える、危険性のあるアルミ鍋・フライパンの実態と調理器具の選び方。

ドイツではものが売られる基準は、安全と証明されたもの以外売ってはならないのです。日本の場合は、危険と証明されない限り、何でも売っていい。そればかりか、基準値を設けて薄めた毒を入れて売っていますからね。

出典
痴呆症の原因の、アルミの溶け出た缶ジュース・缶ビール・アルミ鍋: zeraniumの掲示板

西独、仏、英、スイスでは販売規制がされています。

1. 水を沸かすと悪性酸化水素が発生
2. 卵をゆでると悪性リン酸塩を生成
3. 肉料理で悪性アルミ塩化物が発生
4. ベーコン調理で強麻酔性の酸が発生
5. アルミは酸性症、赤血球激減、貧血症状を起こす

この衝撃レポートを受けて、当時、西ドイツ、フランス、ベルギー、イギリス、スイス、ハンガリー、ブラジルなどでアルミニウム調理器具の販売は規制されたのです。

出典
【注意】アルミニウム製の鍋ややかんは体に毒、海外では販売規制が… アルミニウムが溶け出すと・・ - 愛詩tel by shig

人体への影響


アルミニウム製品によって起こりうる弊害


アルミニウム製品によって起こりうる弊害


・脳への蓄積→アルツハイマー病、パーキンソン病
・解毒を司る臓器への蓄積(腎臓・膀胱・肝臓)
・握力の低下
・肥満の傾向にある方は脂肪に溜まりやすい
・骨への蓄積
・神経系への影響

缶ビールとか缶ジュースがこれほど出回っているのは日本だけですよ。(自販機は外国にはない) あれは全部アルミ缶ですから、中に溶け出していますよ。アルミ摂取を国民がやめるだけで、医療費は3分の1になるそうです。

アルミは見事に脳に溜まりますから、認知症の大きな原因になります。子どもたちの多動症とか精神障害のための薬は全部アルミで溶かしてつくっていますから、飲むたびにアルミが体の中へ入っていきます。そうやって病気にしているのです。アメリカやヨーロッパではビンのビールが普通なのに、日本だけアルミ缶で大量に飲んでいる。

しかも塩素入りの水を使ってアルミ鍋で調理する。塩素とアルミが化合してとんでもないことになっている。素材に全部溶けて入っているのです。そしてアルミ張りのポットに入れた水を飲んでいるので、いつかみんな体を壊してしまう。

出典
痴呆症の原因の、アルミの溶け出た缶ジュース・缶ビール・アルミ鍋: zeraniumの掲示板

アルミニウムは大量に摂取すると中枢神経障害や骨軟化症、腎臓や握力に障害が起こることが動物実験で確認されています。

出典
【注意】アルミニウム製の鍋ややかんは体に毒、海外では販売規制が… アルミニウムが溶け出すと・・ - 愛詩tel by shig

アルツハイマー病は記憶や判断力など知的機能の著しい低下が中心的な症状です。
認知症の進行のステージとして、健忘期(記憶障害)→混乱期(失語、徘徊、精神混乱)→認知症期(高度の認知障害)があり、全経過は3年から10年以上と大きな差があります。全ての患者が認知症期まで至るとは限りませんし、健忘期に留まることが長い人もいると思われます。

このようにアルツハイマー病は、進行性の認知症を主症状とする脳の疾患です。国内外の医学界で遺伝子の異変を主原因と考えて、その発症機序解明の研究が行われています

出典
https://www.aluminum.or.jp/aluminum-hc/p_3/p3_main.html

パーキンソン病では、主に、手足がふるえる(振戦)、動きが遅くなる(無動)、筋肉が硬くなる(固縮)、体のバランスが悪くなる(姿勢反射障害)、といった症状がみられます。これらによって、顔の表情の乏しさ、小声、小書字、屈曲姿勢、小股・突進歩行など、いわゆるパーキンソン症状といわれる運動症状が生じます。

また、パーキンソン病では、運動症状以外にも、便秘や頻尿などの自律神経の症状、不眠などの睡眠障害、うつ症状などの精神症状、認知機能障害などがみられることがわかっています。これらを非運動症状と呼びます。うつ症状は患者さんの約半数にその傾向があるといわれていて、患者さん自身や家族の方も気づかないことの多い症状です。

出典
パーキンソン病の症状|パーキンソン病の基礎知識|パーキンソン病 サポートネット


映画俳優マイケル・J・フォックスさん


映画俳優マイケル・J・フォックスさん


ご自身がパーキンソン病となりましたが、彼はマイケル・J・フォックス・パーキンソン病研究財団の活動に積極的で、これまでに同財団として1億4000万ドル(約133億円)の資金をパーキンソン病研究のために提供しています。

アルミニウム製の調理器具が人体に危険性があるとしてアメリカでは政府から公式発表されています。
ドイツやフランス、スイス、イギリスなどではアルミ鍋から発生する有害物質の研究レポートに基づき、アルミニウム製の調理器具の販売規制を行っています。

日本でもアルツハイマー病との因果関係が様々なメディアで取り上げられましたが、研究結果はグレーゾーンとして販売規制までは至らず。
あくまでも個人の判断にゆだねられています。

しかし、主要国が販売規制を行うのは明確な理由があってこそ。
私たちの身体に影響がある害について挙げていきます。

出典
健康に有害な影響を与える、危険性のあるアルミ鍋・フライパンの実態と調理器具の選び方。

カナダのある学者の研究によると、アルツハイマー患者の脳から健常者の数十倍ものアルミニウムが検出されたそうです。この研究結果も「アルミニウム原因説」の一つの根拠という見方をされています。

出典
徹底調査!アルミが原因でアルツハイマーになる危険性はあるのか?

一般的な生活で摂取するアルミニウムの量

国際機関であるJECFA(FAO/WHO Joint Expert Committee on Foood Additives;FAO/WHO 合同食品添加物専門家委員会)が定めるアルミニウムの許容摂取量は、体重1kgあたり1週間に2mg、体重50kgの人であれば1週間に100mg(約14mg/日)です。

これは決して「これ以上摂取してはいけない」という基準ではなく、「これだけ摂取し続けても、一生涯健康に悪影響はない」というものなので、かなり低い水準で見積もりされています。

出典
徹底調査!アルミが原因でアルツハイマーになる危険性はあるのか?

WHOの報告によると、アルミニウムの1日あたりの摂取量は2.5〜13mgとのことです。地域差や食生活に大きく左右されます。

調理器具や保存容器などすべてアルミニウム製品を使ったとしても、容器由来のアルミニウム摂取量は最大で6mg/日程度なので、JECFAの許容摂取量内か、わずかに超えるくらいにおさまるといえるでしょう。

出典
徹底調査!アルミが原因でアルツハイマーになる危険性はあるのか?

日常生活に存在するアルミニウム


第二次世界大戦後に米軍がグアム島を統治した際に、島民の老人たちに認知症の割合が高いことが認められ、地下水を検査すると高濃度のアルミニウムイオンが確認されました。

また、日本の紀伊半島でアルツハイマー患者が非常に多い地域がありました。こちらも同様に地下水のアルミニウムイオンが高濃度であったことが確認されています。

いずれの場合も、他所からの給水や上水道の完備を進めることにより(アルミニウムイオン濃度の低い水を飲むようになったことで)、認知症患者の割合が減ったことから、アルミニウムがアルツハイマーの原因である、とする説がうまれました。

もともとアルミニウムは、土壌中に大量に存在している金属ですが、近年の酸性雨の影響で、土壌中で安定であったアルミニウムが水道水の原水中へ溶け出し、その濃度も年々増加しているという指摘もあるそうです。

さらには、土壌中で栽培野菜などにも取り込まれる可能性もあるそうです。

出典
なぜアルミニウムが体に入ってくるの? | なぜか突然、健康生活はじめました! 〜自分の食べているもの、使っているものをもっと知りたい!〜 - 楽天ブログ


不良たちの毛髪


不良たちの毛髪


非行に走る少年たちの毛髪には、普通の子供たちの毛髪に比べて、アルミニウムの量が多いことが報告されているそうです。清涼飲料水や「ジャンクフード」に使われている「レーキ色素」の影響が考えられるそうです。

・おにぎりなどを包むアルミホイルもアルミ製                
・胃潰瘍の薬(スクラルファート)、胃腸の薬の制酸剤にも
・練り磨き粉、ふくらし粉、化粧品の制汗剤にも

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なぜアルミニウムが体に入ってくるの? | なぜか突然、健康生活はじめました! 〜自分の食べているもの、使っているものをもっと知りたい!〜 - 楽天ブログ


食品添加物にも


食品添加物にも


アルミニウムが含まれた食品添加物があるのです。
合成着色料の中でもレーキ型というものです。
これは、石油から作られるタール色素(!)にアルミニウムをくっつけて水に溶けにくくしてあるものです。

赤色2、3、40号、黄4,5号、緑色3号、青色1,2号。
この8品目の着色料には、いずれもレーキ型が使われているそうです。そもそもタール色素とはなんでしょう。

タール色素は、「合成着色料の一種。食品、医薬品、口紅などの化粧品、衣服などの工業製品などの着色料、食品添加物として」幅広く使用されているものです。

「もともとはコールタールから得られるベンゼンやナフタレン、フェノールやアニリンといった芳香族化合物を原料として合成されたためこの名がある。現在ではこれらの芳香族化合物は主に石油精製の際に得られるナフサを原料として生産されており、コールタールを原料とすることはほとんどなくなっている。」

ではナフサとは、「原油を常圧蒸留装置によって蒸留分離して得られる製品のうち沸点範囲がおおむね35−180℃程度のものである。粗製ガソリン、直留ガソリンなどとも呼ばれる。」

つまりは、ガソリンということです

出典
なぜアルミニウムが体に入ってくるの? | なぜか突然、健康生活はじめました! 〜自分の食べているもの、使っているものをもっと知りたい!〜 - 楽天ブログ

日本においては特に「○色○号」と呼ばれる法定色素を総称した呼び名として用いられます。

「着色の際、タール色素を単体で使用することよりも複数の種類を混ぜて使用することが多く、それによって微妙な色加減を調整することが容易であり、様々な色合いを作り出すことができる。」

これがタール色素、着色料です。
そもそもが大問題です。ガソリンを食べていることになるわけですから。

そしてさらに問題を増やしているのが、アルミニウムを添加したレーキ型というわけです。
ガソリンとアルミニウムを一緒に食べているわけです

出典
なぜアルミニウムが体に入ってくるの? | なぜか突然、健康生活はじめました! 〜自分の食べているもの、使っているものをもっと知りたい!〜 - 楽天ブログ

https://matome.naver.jp/odai/2153246284370764001
 

http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c123

[不安と不健康16] “早死にする人”ランキング 短命にある共通点とは…(ZAK×SPA!)  赤かぶ
124. 中川隆[-8829] koaQ7Jey 2019年7月26日 04:00:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3886]

カップヌードルの人体への影響 2018年07月31日
https://matome.naver.jp/odai/2153301464478647201



子供たちにはNGな食品


「そんなことを言い出すと、食べられるものがなくなる」との声もあるだろうが、真実を知らされずに危険にさらされている状況は改善したいもの。こうしたリスクを踏まえて、我々はインスタント食品と付き合わなければいけない。

出典
がんや脳腫瘍も〜インスタント食品は危険?カップ麺、コーヒー、トクホコーラ… | ビジネスジャーナル


世界保健機関(WHO)では、大人の食塩摂取量の目標値を1日当たり5グラム未満としています。日本で市販されているカップ麺の塩分量は平均5〜6gですから、1個でWHOの目標値はオーバーします。インスタントラーメンも似たようなものですから、高血圧が心配な方は絶対に避けるべき食品といえるでしょう。

血圧の心配のない方でもカップ麺・インスタントラーメンはできるだけ食べないほうが無難です。特に子どもは要注意です。多くの添加物は、グルタミン酸ナトリウム、アスコルビン酸ナトリウム、クエン酸ナトリウムというようにナトリウムとくっついて製品化されています。加工食品の食塩含有量は、添加物にくっつくナトリウムも食塩換算して加えられています。添加物の使用量が多ければ、当然、食塩含有量も増えるのです。カップ麺・インスタントラーメンの食塩含有量が多いのは、添加物の使用量も多いからです。添加物と食塩でつくられた濃厚味に子どもの頃から慣れてしまうと、味覚が麻痺していき、ますます濃厚味を選んでいくようになり、食塩も添加物も過剰に摂取してしまいます。

出典
カップ麺、絶対に子供はNGの危険食品…異常な食塩量、発がんや緑内障のリスク増 | ビジネスジャーナル

アミノ酸と「アミノ酸等」の違い - NAVER まとめ


https://matome.naver.jp/odai/2153163229374702001


「アミノ酸等」と「アミノ酸」は全く違います。遺伝子組み換え技術を用いた菌からできた味覚を狂わせる化学調味料(グルタミン酸ナトリウム)とは、やっぱり完全に縁を切っ...


https://rr.img.naver.jp/mig?src=http%3A%2F%2Fimgcc.naver.jp%2Fkaze%2Fmission%2FUSER%2F20180715%2F45%2F4316055%2F14%2F302x302xbbd38dbf760d3bb50a5b861b.jpg%2F300%2F600&twidth=300&theight=300&qlt=80&res_format=jpg&op=r

カップ麺・インスタントラーメンには危険な食品添加物が多量に使われています。緑内障の原因物質と疑われている化学調味料のグルタミン酸ナトリウム、胃の粘膜を損傷させる恐れのある「かんすい」(炭酸カリウム、リン酸カリウムなど)、発がん性物質が含まれるカラメル色素は、ほとんどのカップ麺・インスタントラーメンに添加されています。

出典
カップ麺、絶対に子供はNGの危険食品…異常な食塩量、発がんや緑内障のリスク増 | ビジネスジャーナル

『買ってはいけないインスタント食品 買ってもいいインスタント食品』(渡辺雄二/だいわ文庫)によれば、下痢などの体調不良はおろか、がんまで起こしかねない危ないインスタント食品があるという。

出典
がんや脳腫瘍も〜インスタント食品は危険?カップ麺、コーヒー、トクホコーラ… | ビジネスジャーナル


カップラーメンの危険性


カップラーメンの危険性


デビューして約40年、ファンの数が決して減ることがないカップ麺。だがまた怖い話が再燃している。日本でもたびたび「カップ麺は有害か安全か」という問題が話題になるが、米国でこのほど新たな調査結果が発表され、「やはり有害」との警告がなされた。

かなり前からカップラーメンの危険性が専門家から指摘されていましたが、
アメリカ最大規模のメイヨー・クリニックという病院が改めて影響を調査してみたところ、
カップラーメンに想像以上の危険性があることがわかりました。

メイヨー・クリニックの発表によると、カップラーメンをよく食べる方は
心臓病、脳卒中、糖尿病、メタボリック症候群などの発症頻度が高く、
特に女性は週に二回カップラーメンを食べるだけで明らかに悪影響が見られたとのことです。

このような悪影響の原因としてメイヨー・クリニックは、
カップラーメンの容器から乱化学物質(環境ホルモン)が溶け出している事を指摘。
これにインスタント麺の油や添加物などと合わさる形で、様々な健康被害を誘発しているようです。

カップラーメンの容器が危険であることは私も前から小耳に挟んでいましたが、
ここまでハッキリと危険性が見られるのは脅威だと言えます。

出典
カップラーメンが人体に有害であることが判明!米医療研究チームが指摘!容器から内分泌かく乱化学物質が溶け出す恐れも! - 愛詩tel by shig

「過酸化脂質は有害で、ネズミやウサギに食べさせると成長が悪くなり、一定量を超えると死んでしまいます。
過酸化脂質は高温でできやすいため、揚げ油にはたくさん発生していて、揚げた麺に多く含まれてしまう」(同書)のだ。

ポテトチップスや天ぷら、フライなどを食べたときに、腹痛を催したり下痢の症状に見舞われる症状は「油あたり」と呼ばれるが、これは過酸化脂質が原因なのだ。

出典
がんや脳腫瘍も〜インスタント食品は危険?カップ麺、コーヒー、トクホコーラ… | ビジネスジャーナル


特に気を付けるべき成分


特に気を付けるべき成分


植物油脂、チキンエキス、ポークエキス、醤油、たん白加水分解物)、
スープ(醤油、食塩、たん白加水分解物、
チキンエキス、ポークエキス)、加工でん粉、調味料(アミノ酸等)、かんすい、カラメル色素、
増粘多糖類、乳化剤、カロチノイド色素、酸味料、香料、酸味料、香料

食品に含まれる様々な添加物 - NAVER まとめ


https://matome.naver.jp/odai/2153191633288564001


メーカーは「無添加」をキャッチフレーズにわたし達消費者の心をつかみます。 しかし、たとえ無添加であってもニセモノの可能性はゼロではありません。子供たちに安全そう...


https://rr.img.naver.jp/mig?src=http%3A%2F%2Fimgcc.naver.jp%2Fkaze%2Fmission%2FUSER%2F20180718%2F45%2F4316055%2F12%2F901x901xde9677ea3d533977f76bca01.jpg%2F300%2F600&twidth=300&theight=300&qlt=80&res_format=jpg&op=r

カップ麺の発泡スチロール容器に


食品添加物による健康問題の他にインスタントラーメンを懸念するもう1つは、カップ麺の容器からスチレンなどが溶け出す危険です。言うまでもなくカップ麺は、丼状に広がった発泡スチロールで作られた容器とカップヌードルに代表される紙から作られた縦長の容器に分けられます。そのうち発泡スチロール製の丼容器から、発ガン性があるスチレンが溶け出すことが確認されています。

発泡スチロールは、合成樹脂のポリスチレンに発泡剤を加えて作られます。ポリスチレンは、スチレンという化学物質を結合させたものです。スチレンをラットに吸入させた実験では、乳がんや白血病が生じました。また欧米のプラスチック工場では、長年、スチレンを吸入した労働者が、白血病やリンパ腫が多発したことが知られています。

カップ麺のスープに溶け出したスチレンを人間が摂取し続けた場合、どんな影響が出るか分かっていません。即席麺業界は安全を主張していますが、国内の研究者や当該学会がスチレンの影響性を強く指摘しています。ましてや国際がん研究機関でも発ガン性が確認されている物質なので、危険なことは間違いないことです。スチレン容器に熱湯を入れて使うのは、やめるべきと考えます。

出典
カップ麺の発泡スチロール容器から発ガン性物質が溶け出している/食品のカラクリ・麺穀類4 - 食品のカラクリと食べ物語

簡単にお湯を注ぐことにメリットがある訳ですが、できれば面倒でも予め食器(陶器)の丼に中身を移してから、お湯を入れたほうが賢明です。また資源の無駄使いの点からも、紙製あるいは袋入り麺にすべきでしょう。

出典
カップ麺の発泡スチロール容器から発ガン性物質が溶け出している/食品のカラクリ・麺穀類4 - 食品のカラクリと食べ物語


https://matome.naver.jp/odai/2153301464478647201


http://www.asyura2.com/13/health16/msg/134.html#c124

[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
308. 中川隆[-8828] koaQ7Jey 2019年7月26日 04:01:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3887]
カップヌードルの人体への影響 2018年07月31日
https://matome.naver.jp/odai/2153301464478647201


子供たちにはNGな食品


「そんなことを言い出すと、食べられるものがなくなる」との声もあるだろうが、真実を知らされずに危険にさらされている状況は改善したいもの。こうしたリスクを踏まえて、我々はインスタント食品と付き合わなければいけない。


出典
がんや脳腫瘍も〜インスタント食品は危険?カップ麺、コーヒー、トクホコーラ… | ビジネスジャーナル

世界保健機関(WHO)では、大人の食塩摂取量の目標値を1日当たり5グラム未満としています。日本で市販されているカップ麺の塩分量は平均5〜6gですから、1個でWHOの目標値はオーバーします。インスタントラーメンも似たようなものですから、高血圧が心配な方は絶対に避けるべき食品といえるでしょう。


血圧の心配のない方でもカップ麺・インスタントラーメンはできるだけ食べないほうが無難です。特に子どもは要注意です。多くの添加物は、グルタミン酸ナトリウム、アスコルビン酸ナトリウム、クエン酸ナトリウムというようにナトリウムとくっついて製品化されています。加工食品の食塩含有量は、添加物にくっつくナトリウムも食塩換算して加えられています。添加物の使用量が多ければ、当然、食塩含有量も増えるのです。カップ麺・インスタントラーメンの食塩含有量が多いのは、添加物の使用量も多いからです。添加物と食塩でつくられた濃厚味に子どもの頃から慣れてしまうと、味覚が麻痺していき、ますます濃厚味を選んでいくようになり、食塩も添加物も過剰に摂取してしまいます。


出典
カップ麺、絶対に子供はNGの危険食品…異常な食塩量、発がんや緑内障のリスク増 | ビジネスジャーナル


アミノ酸と「アミノ酸等」の違い - NAVER まとめ


https://matome.naver.jp/odai/2153163229374702001


「アミノ酸等」と「アミノ酸」は全く違います。遺伝子組み換え技術を用いた菌からできた味覚を狂わせる化学調味料(グルタミン酸ナトリウム)とは、やっぱり完全に縁を切っ...


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カップ麺・インスタントラーメンには危険な食品添加物が多量に使われています。緑内障の原因物質と疑われている化学調味料のグルタミン酸ナトリウム、胃の粘膜を損傷させる恐れのある「かんすい」(炭酸カリウム、リン酸カリウムなど)、発がん性物質が含まれるカラメル色素は、ほとんどのカップ麺・インスタントラーメンに添加されています。


出典
カップ麺、絶対に子供はNGの危険食品…異常な食塩量、発がんや緑内障のリスク増 | ビジネスジャーナル


『買ってはいけないインスタント食品 買ってもいいインスタント食品』(渡辺雄二/だいわ文庫)によれば、下痢などの体調不良はおろか、がんまで起こしかねない危ないインスタント食品があるという。


出典
がんや脳腫瘍も〜インスタント食品は危険?カップ麺、コーヒー、トクホコーラ… | ビジネスジャーナル

カップラーメンの危険性


カップラーメンの危険性


デビューして約40年、ファンの数が決して減ることがないカップ麺。だがまた怖い話が再燃している。日本でもたびたび「カップ麺は有害か安全か」という問題が話題になるが、米国でこのほど新たな調査結果が発表され、「やはり有害」との警告がなされた。


かなり前からカップラーメンの危険性が専門家から指摘されていましたが、
アメリカ最大規模のメイヨー・クリニックという病院が改めて影響を調査してみたところ、
カップラーメンに想像以上の危険性があることがわかりました。

メイヨー・クリニックの発表によると、カップラーメンをよく食べる方は
心臓病、脳卒中、糖尿病、メタボリック症候群などの発症頻度が高く、
特に女性は週に二回カップラーメンを食べるだけで明らかに悪影響が見られたとのことです。

このような悪影響の原因としてメイヨー・クリニックは、
カップラーメンの容器から乱化学物質(環境ホルモン)が溶け出している事を指摘。
これにインスタント麺の油や添加物などと合わさる形で、様々な健康被害を誘発しているようです。

カップラーメンの容器が危険であることは私も前から小耳に挟んでいましたが、
ここまでハッキリと危険性が見られるのは脅威だと言えます。


出典
カップラーメンが人体に有害であることが判明!米医療研究チームが指摘!容器から内分泌かく乱化学物質が溶け出す恐れも! - 愛詩tel by shig


「過酸化脂質は有害で、ネズミやウサギに食べさせると成長が悪くなり、一定量を超えると死んでしまいます。
過酸化脂質は高温でできやすいため、揚げ油にはたくさん発生していて、揚げた麺に多く含まれてしまう」(同書)のだ。

ポテトチップスや天ぷら、フライなどを食べたときに、腹痛を催したり下痢の症状に見舞われる症状は「油あたり」と呼ばれるが、これは過酸化脂質が原因なのだ。


出典
がんや脳腫瘍も〜インスタント食品は危険?カップ麺、コーヒー、トクホコーラ… | ビジネスジャーナル

特に気を付けるべき成分


特に気を付けるべき成分


植物油脂、チキンエキス、ポークエキス、醤油、たん白加水分解物)、
スープ(醤油、食塩、たん白加水分解物、
チキンエキス、ポークエキス)、加工でん粉、調味料(アミノ酸等)、かんすい、カラメル色素、
増粘多糖類、乳化剤、カロチノイド色素、酸味料、香料、酸味料、香料


食品に含まれる様々な添加物 - NAVER まとめ


https://matome.naver.jp/odai/2153191633288564001


メーカーは「無添加」をキャッチフレーズにわたし達消費者の心をつかみます。 しかし、たとえ無添加であってもニセモノの可能性はゼロではありません。子供たちに安全そう...


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カップ麺の発泡スチロール容器に


食品添加物による健康問題の他にインスタントラーメンを懸念するもう1つは、カップ麺の容器からスチレンなどが溶け出す危険です。言うまでもなくカップ麺は、丼状に広がった発泡スチロールで作られた容器とカップヌードルに代表される紙から作られた縦長の容器に分けられます。そのうち発泡スチロール製の丼容器から、発ガン性があるスチレンが溶け出すことが確認されています。


発泡スチロールは、合成樹脂のポリスチレンに発泡剤を加えて作られます。ポリスチレンは、スチレンという化学物質を結合させたものです。スチレンをラットに吸入させた実験では、乳がんや白血病が生じました。また欧米のプラスチック工場では、長年、スチレンを吸入した労働者が、白血病やリンパ腫が多発したことが知られています。

カップ麺のスープに溶け出したスチレンを人間が摂取し続けた場合、どんな影響が出るか分かっていません。即席麺業界は安全を主張していますが、国内の研究者や当該学会がスチレンの影響性を強く指摘しています。ましてや国際がん研究機関でも発ガン性が確認されている物質なので、危険なことは間違いないことです。スチレン容器に熱湯を入れて使うのは、やめるべきと考えます。


出典
カップ麺の発泡スチロール容器から発ガン性物質が溶け出している/食品のカラクリ・麺穀類4 - 食品のカラクリと食べ物語


簡単にお湯を注ぐことにメリットがある訳ですが、できれば面倒でも予め食器(陶器)の丼に中身を移してから、お湯を入れたほうが賢明です。また資源の無駄使いの点からも、紙製あるいは袋入り麺にすべきでしょう。


出典
カップ麺の発泡スチロール容器から発ガン性物質が溶け出している/食品のカラクリ・麺穀類4 - 食品のカラクリと食べ物語


https://matome.naver.jp/odai/2153301464478647201

http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c308

[リバイバル3] 中川隆 _ 食べ物、農業関係投稿リンク 中川隆
33. 中川隆[-8827] koaQ7Jey 2019年7月26日 04:03:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3888]
カップヌードルの人体への影響
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/557.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/812.html#c33
[近代史02] 平成バブル崩壊と ソロモン・ブラザース証券 相場師列伝3 スットン教
37. 中川隆[-8834] koaQ7Jey 2019年7月26日 04:25:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3881]
55. 中川隆[-8835] koaQ7Jey 2019年7月26日 04:25:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3880]

【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第8回
「国家の枠を超えた存在だった!世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形児とトランプの戦い」[桜R1-7-25] - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=CGi3-xR6XNQ
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/258.html#c37
[近代史02] 鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い 中川隆
53. 中川隆[-8833] koaQ7Jey 2019年7月26日 04:25:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3882]

【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第8回
「国家の枠を超えた存在だった!世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形児とトランプの戦い」[桜R1-7-25] - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=CGi3-xR6XNQ
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c53

[近代史3] 日本や中国のバブルは簡単に崩壊するけれど、アメリカのバブルだけは絶対に崩壊しない理由 中川隆
20. 中川隆[-8832] koaQ7Jey 2019年7月26日 04:26:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3883]

【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第8回
「国家の枠を超えた存在だった!世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形児とトランプの戦い」[桜R1-7-25] - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=CGi3-xR6XNQ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/121.html#c20

[近代史3] ケネディはヤラセの東西冷戦体制を終わらせようとしたのでユダヤ金融資本に殺された 中川隆
7. 中川隆[-8831] koaQ7Jey 2019年7月26日 04:27:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3884]

【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第8回
「国家の枠を超えた存在だった!世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形児とトランプの戦い」[桜R1-7-25] - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=CGi3-xR6XNQ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/126.html#c7

[リバイバル3] 中川隆 _ 経済、ビジネス関係投稿リンク 中川隆
101. 2019年7月26日 04:32:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3885]
馬渕睦夫 世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形児
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/558.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/813.html#c101
[リバイバル3] 高配当銘柄を買うとこういう目に遭う _ JT 日本たばこ産業 (2914) 中川隆
2. 中川隆[-8830] koaQ7Jey 2019年7月26日 09:14:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3886]

【高配当利回り銘柄】ベスト30 <割安株特集> 7月25日版
7月25日(木)21時00分配信 株探ニュース
https://news.finance.yahoo.co.jp/detail/20190725-00000200-stkms-stocks



 配当利回りとは、購入した株価に対し1年間でどれだけの配当を受けることができるかを示す数値。配当金額が同じで購入株価が高いと配当利回りは下がり、購入株価が低いと配当利回りは上がる。

 日銀のマイナス金利導入で、国債利回りや預貯金金利が下がる一方、利回り面に着目すれば株式の投資魅力が相対的に高まっている。

 本特集では東証上場全銘柄(REITを除く)を対象に利回りが高いベスト30銘柄をピックアップした。

●本日の高利回り【ベスト30】

順位 コード 銘柄      市場  利回り 7/25終値 決算期
  1   日工      東1  6.82   2932  20/03
  2   新明和     東1  6.43   1354  20/03
  3   JT      東1  6.35   2427  19/12
  4   あおぞら銀   東1  6.11   2554  20/03
  5   ベリテ     東2  6.08   328  20/03

  6   浅沼組     東1  5.88   3535  20/03
  7   ADワークス  東1  5.88    34  20/03
  8   SB      東1  5.86  1451.5  20/03
  9   ゲンダイ    JQ  5.72   437  20/03
 10   フージャース  東1  5.65   619  20/03

 11   合同鉄     東1  5.63   2043  20/03
 12   新日建物    JQ  5.62   356  20/03
 13   BPカストロ  東1  5.61   1337  19/12
 14   KHC     東2  5.58   788  20/03
 15   FPG     東1  5.58   949  19/09

 16   あかつき本社  東2  5.57   323  20/03
 17   住友商     東1  5.53  1628.5  20/03
 18   東和銀     東1  5.51   726  20/03
 19   ハードオフ   東1  5.49   728  20/03
 20   イーグランド  東1  5.41   703  20/03

 21   大東銀     東1  5.41   555  20/03
 22   SUBARU  東1  5.37  2683.5  20/03
 23   三菱ケミHD  東1  5.36  745.8  20/03
 24   明和地所    東1  5.33   563  20/03
 25   日特建     東1  5.32   602  20/03

 26   アサヒHD   東1  5.32   2254  20/03
 27   マミヤOP   東2  5.32   939  20/03
 28   日本国土開発  東1  5.31   527  20/05
 29   みらかHD   東1  5.27   2468  20/03
 30   大同メ     東1  5.25   667  20/03

※利回り:単位は「%」。権利付き最終日を過ぎた銘柄は除いた。

株探ニュース(minkabu PRESS)
https://news.finance.yahoo.co.jp/detail/20190725-00000200-stkms-stocks
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/976.html#c2

[近代史3] 韓国輸出規制の目的 _ 韓国企業に渡してたフッ化水素(ウラン濃縮素材)の3割は北朝鮮に流れていた 中川隆
11. 中川隆[-8829] koaQ7Jey 2019年7月26日 09:19:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3887]

2019年07月26日
サムスン、ファーウェイ ITの2大巨人が受けた罰


サムスンとファーウェイはルール無視で日米から技術を盗み成長したと言われている


画像引用:http://img.hani.co.kr/imgdb/japan/news/resize/2017/0407/149151443098_20170407.jpg

サムスンとファーウェイはなぜ罰を受けるのか

2019年にスマートフォン世界1位のサムスンと2位のファーウェイが、ともに自由主義国から制裁を受けている。

ファーウェイを制裁したのはアメリカで、サムスンを制裁したのは日本だが、ともに制裁ではないように装っている。

アメリカは安全保障上の懸念からファーウェイと米企業の取引を禁止し、日本も安全保障上の懸念から半導体素材3品目の輸出制限をした。


安倍首相はトランプ大統領の中国IT制裁を見て「これだ!」と思ったのかもしれない。

日米には微妙な差もあり、アメリカはファーウェイとすべての米企業の取引を禁止し、中國へのIT輸出や輸入も禁止するか高関税を掛けた。

日本はそこまで思い切ることはせず、半導体素材3品目の輸出制限と、ホワイト国除外による軍需物資輸出制限にとどまっている。


どちらも2018年には想像もつかなかった事で、アンケートでは日米両国民は自国政府の制裁を支持している。

一体何がそこまでアメリカ国民や日本国民を怒らせ、ファーウェイやサムスンと絶縁しようとしているのでしょうか?

一番目の理由は技術泥棒で、ファーウェイはシリコンバレーや米企業、米政府にスパイを送り込んで技術を盗んだとされている。


この手の産業スパイは今までの裁判を見ても立証が難しく、どの技術をいつ盗んだと証明されることはほとんどない。

サムスンも同じで日本企業と「協力」や「提携」しては技術を盗んだが、立証はほとんど不可能です。

日本企業やアメリカ企業が数兆円、あるいは数十兆円かけた技術をファーウェイやサムスンは無料で得てきた。

日米だけが法律を守り、中韓はルール無用

これでは日米企業がいくら研究開発費を投入してもサムスンやファーウェイの為にやっているようなもので、絶対に競争に勝てない。

困ったことに日本とアメリカには公正で民主的な法律があり、いくら疑わしくても罰せられることがない。

だが中国では日本人観光客が街で写真を撮っていただけで「スパイ容疑」で逮捕され、10人以上が何年も拘束されている。


韓国も同じで司法制度は公正ではないので、日米企業がサムスンの技術を盗んだりしたら、証拠がなくても逮捕し有罪にするでしょう。

サムスンとファーウェイはこうした制度を利用して数十年間利益を得てきたが、年貢の納め時が来た。

特にサムスンを始めとした韓国企業は慰安婦や過去の戦争に絡めて、日本企業の技術や資金支援を獲得してきた。


韓国の造船、電機、自動車、重工業などは全て日本企業が無償かタダ同然で供与したが、日本政府が戦後賠償の代わりとして企業に強要したものでした。

ファーウェイは実は民間企業ではなく国営企業であり、経営権は共産党にあり、稼いだ金が共産党や政府や軍に流れている。

中国は過去10年間に100兆円もの費用をIT開発に投じ、ファーウェイのようなIT企業はその金で技術開発した。


サムスンも韓国政府と一体であり、「韓国-サムスン=ゼロ」と言われるほど一点集中で優遇されている。

サムスンは労働基準法を守らなくて良く、一族は税金も払わず、電気料金やエネルギーコストや人件費を低く抑えている。

海外のサムスン工場で劣悪な労働環境が問題視されると、韓国政府が乗り込んでもみ消したり相手を恫喝する。


こうしたダーティで不公正な手口に日米はうんざりし、今や絶縁しようとしている。
http://www.thutmosev.com/archives/80499811.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/518.html#c11

[近代史3] ファーウェイ排除で世界に激震! 日本はどうなる? 中川隆
19. 中川隆[-8828] koaQ7Jey 2019年7月26日 09:20:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3888]

2019年07月26日
サムスン、ファーウェイ ITの2大巨人が受けた罰


サムスンとファーウェイはルール無視で日米から技術を盗み成長したと言われている


画像引用:http://img.hani.co.kr/imgdb/japan/news/resize/2017/0407/149151443098_20170407.jpg

サムスンとファーウェイはなぜ罰を受けるのか

2019年にスマートフォン世界1位のサムスンと2位のファーウェイが、ともに自由主義国から制裁を受けている。

ファーウェイを制裁したのはアメリカで、サムスンを制裁したのは日本だが、ともに制裁ではないように装っている。

アメリカは安全保障上の懸念からファーウェイと米企業の取引を禁止し、日本も安全保障上の懸念から半導体素材3品目の輸出制限をした。


安倍首相はトランプ大統領の中国IT制裁を見て「これだ!」と思ったのかもしれない。

日米には微妙な差もあり、アメリカはファーウェイとすべての米企業の取引を禁止し、中國へのIT輸出や輸入も禁止するか高関税を掛けた。

日本はそこまで思い切ることはせず、半導体素材3品目の輸出制限と、ホワイト国除外による軍需物資輸出制限にとどまっている。


どちらも2018年には想像もつかなかった事で、アンケートでは日米両国民は自国政府の制裁を支持している。

一体何がそこまでアメリカ国民や日本国民を怒らせ、ファーウェイやサムスンと絶縁しようとしているのでしょうか?

一番目の理由は技術泥棒で、ファーウェイはシリコンバレーや米企業、米政府にスパイを送り込んで技術を盗んだとされている。


この手の産業スパイは今までの裁判を見ても立証が難しく、どの技術をいつ盗んだと証明されることはほとんどない。

サムスンも同じで日本企業と「協力」や「提携」しては技術を盗んだが、立証はほとんど不可能です。

日本企業やアメリカ企業が数兆円、あるいは数十兆円かけた技術をファーウェイやサムスンは無料で得てきた。

日米だけが法律を守り、中韓はルール無用

これでは日米企業がいくら研究開発費を投入してもサムスンやファーウェイの為にやっているようなもので、絶対に競争に勝てない。

困ったことに日本とアメリカには公正で民主的な法律があり、いくら疑わしくても罰せられることがない。

だが中国では日本人観光客が街で写真を撮っていただけで「スパイ容疑」で逮捕され、10人以上が何年も拘束されている。


韓国も同じで司法制度は公正ではないので、日米企業がサムスンの技術を盗んだりしたら、証拠がなくても逮捕し有罪にするでしょう。

サムスンとファーウェイはこうした制度を利用して数十年間利益を得てきたが、年貢の納め時が来た。

特にサムスンを始めとした韓国企業は慰安婦や過去の戦争に絡めて、日本企業の技術や資金支援を獲得してきた。


韓国の造船、電機、自動車、重工業などは全て日本企業が無償かタダ同然で供与したが、日本政府が戦後賠償の代わりとして企業に強要したものでした。

ファーウェイは実は民間企業ではなく国営企業であり、経営権は共産党にあり、稼いだ金が共産党や政府や軍に流れている。

中国は過去10年間に100兆円もの費用をIT開発に投じ、ファーウェイのようなIT企業はその金で技術開発した。


サムスンも韓国政府と一体であり、「韓国-サムスン=ゼロ」と言われるほど一点集中で優遇されている。

サムスンは労働基準法を守らなくて良く、一族は税金も払わず、電気料金やエネルギーコストや人件費を低く抑えている。

海外のサムスン工場で劣悪な労働環境が問題視されると、韓国政府が乗り込んでもみ消したり相手を恫喝する。


こうしたダーティで不公正な手口に日米はうんざりし、今や絶縁しようとしている。
http://www.thutmosev.com/archives/80499811.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/452.html#c19

[近代史3] もうすぐ氷河時代が来る証拠 中川隆
26. 中川隆[-8827] koaQ7Jey 2019年7月26日 09:58:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3889]

記録的猛暑続く欧州、エアコン普及率5%未満 鉄道や原発もストップ
2019.07.26 Fri posted at 09:45 JST
https://www.cnn.co.jp/world/35140450.html

欧州で記録破りの猛暑が連日続いている/HENNING BAGGER/AFP/Getty Images



(CNN) 欧州全土が猛烈な熱波に覆われている。これまでに少なくとも12カ国で観測史上最高の猛暑を記録、列車が止まり、原子力発電所も運転を停止するなどの影響が広がっている。

欧州の7月の気温は、6月に続き、1880年に観測を始めて以来、最高を記録する見通しだ。

気象庁によると、オランダ、ドイツ、ベルギーの3カ国では、25日の気温が観測史上最高に達した。最高気温はドイツが42.6度、オランダは40.7度、ベルギーは40.6度だった。英国も24〜25日にかけて猛暑が続く。

6月はフランス、チェコ、スイスなど8カ国の気温が過去最高を記録し、フランスでは45.9度を観測していた。

今回の熱波でも、パリの気温は42度に達すると予想されている。

専門家によれば、地球温暖化ガスによる気温の上昇に伴い、今回のような熱波は欧州の新たな常態になりつつある。英セントアンドルーズ大学のマイケル・バーン教授は、「気候変動の影響で、間違いなく熱波の頻度は増え、厳しさが増すだろう」と予想する。

フランスの気象庁も、二酸化炭素の排出を大幅に削減しなければ、これまで以上に頻繁に熱波に見舞われ、厳しさも増すと警告している。


パリでは気温が42度に達すると予想されている/PHILIPPE LOPEZ/AFP/Getty Images


欧州の都市の多くは、これほどの猛暑を想定した設計になっていない。2017年の報告によると、欧州でエアコンの設備がある世帯は5%に満たない。影響は公共交通機関にも及んでいる。

欧州の多くの国では、列車が脱線する恐れがあるとして運行が停止された。24日にはベルギーからロンドンへ向かっていた長距離列車のユーロスターで故障が起き、乗客は40度の猛暑の中で、空調もないまま缶詰めになった。

英国の鉄道インフラを運行しているネットワーク・レールによると、ロンドン周辺の線路の温度は50度を突破すると予想されていた。これは平年のほぼ2倍に当たる。

フランス南部では気温が40度を超えたことから原発が運転を停止した。業界団体は、川の水の温度が上昇して海洋生物に危険が及ぶ恐れがあったと説明、環境に配慮した措置だったとしている。

極端な猛暑は欧州だけにとどまらない。インドは極度の干ばつと人的被害を伴う洪水を繰り返し、先週は米国で1億5700万人が猛烈な熱波に見舞われた。北極圏でも前例のない規模で山火事が頻発している。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/202.html#c26

[リバイバル3] 中川隆 _ 経済、ビジネス関係投稿リンク 中川隆
102. 2019年7月26日 11:04:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3890]
馬渕睦夫 : 山本太郎は反グローバリストを装って一般大衆を欺く極左の隠れグローバリスト
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/559.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/813.html#c102
[政治・選挙・NHK263] マスメディアの自由度を測るモノサシは「山本太郎氏」の露出度だ。(日々雑感) 笑坊
1. 中川隆[-8826] koaQ7Jey 2019年7月26日 11:07:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3891]

馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン

【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)


http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/645.html#c1

[政治・選挙・NHK263] れいわ旋風が問うものは〜「日本初の国会議員」/nhk 仁王像
11. 中川隆[-8825] koaQ7Jey 2019年7月26日 11:08:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3892]
馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン

【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/638.html#c11

[政治・選挙・NHK263] <これはいけるな。楽しみだ!>れいわ躍進 共感集める「反エリート」意識…「ヤンキー気質」山本太郎氏は地方に浸透するか・… 赤かぶ
26. 中川隆[-8824] koaQ7Jey 2019年7月26日 11:09:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3893]
馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン

【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/636.html#c26

[政治・選挙・NHK263] れいわから重度障害ある2議員誕生で、国会のバリアフリー化が進む。一般国民の理解も必要(日本がアブナイ!) 笑坊
2. 中川隆[-8823] koaQ7Jey 2019年7月26日 11:10:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3894]
馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン

【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/640.html#c2

[政治・選挙・NHK263] <参院選2019 7.21>山本太郎記者会見「力、合わせて、もう1回やりましょう!」 with ふなごやすひこ・はすいけ透・辻村ちひろ… 赤かぶ
7. 中川隆[-8822] koaQ7Jey 2019年7月26日 11:10:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3895]
馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン

【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/634.html#c7

[近代史3] 馬渕睦夫 : 山本太郎は反グローバリストを装って一般大衆を欺く極左の隠れグローバリスト 中川隆
1. 中川隆[-8836] koaQ7Jey 2019年7月26日 12:18:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3881]

激震走らせた「れいわ新選組」 2議席獲得し政党要件を突破 国政変えるスタートラインに立つ 2019年7月22日
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/12454


開票結果を受けて会見する山本太郎代表

 参院選の投開票がおこなわれた21日の午後8時、東京都千代田区のれいわ新選組の開票センターには、多くのボランティアが詰めかけて開票状況を見守った。「市民とともに本気でたたかう政党をつくる」と宣言し、6年間、参議院議員を務めた山本太郎氏が単独で立ち上げたれいわ新選組(東京選挙区1人、比例9人擁立)は、比例で228万249票(得票率4・6%)を得て2議席を獲得し、政党要件(得票率2%)を突破した。優先度の高い比例特定枠に新人2人を立てたため山本太郎代表は当選を逃すことになったが、比例での個人票は全党派別で単独トップの99万1752票を集めた。数々の選挙常識を覆し、政党として新段階に進んだれいわ新選組は、停滞した国政に確かな風穴を開け、次期衆院選でのさらなる躍進を見据えて大きな一歩を踏み出した。


 開票センターでは、早くから多数のボランティアが詰めかけ、開票状況を見守った。特定枠で、難病ALS患者の舩後靖彦氏、重度障害者の木村英子氏の当選確実が報じられると大きな歓声に包まれた。山本太郎代表は「私の一議席だったものが2議席になり、政党要件も獲得できた。みなさんと一緒に手にした大きな勝利だ」と、集まったボランティアたちににこやかに呼びかけた。


開票センターに駆けつけたボランティアたち

 「みんなで支えていきましょうね」――山本代表のアナウンスで登場した舩後氏は、「障害者への合理的配慮を実践する山本太郎代表こそが、これからの日本を変えていくと確信している。優しい国にするはずだ。選挙戦でも、一般の人がエレベーターを譲ってくれるなど障害者に対する国民のみなさんの意識が少しずつ変わってきたと感じる。障害者自立支援法が障害者総合支援法に名称が変わったが、小手先だけをいじる法律だけでなく、必要な支援とは何かを今一度考え直してもらえる制度を作っていきたい」とのべた。


比例特定枠で当選した難病ALS患者の舩後靖彦氏(左)

 同じく木村氏は、「たくさんの応援をいただき、厳しい状況にある障害者みなさんの一票一票が私の胸に突き刺さっている。地域で生きている障害者の生活環境は非常に厳しく、介護者がいなければ生きていけないのに介護者不足の状況もある。出るのには勇気がいったが、その状況を変えるために覚悟を決めて出馬した。地域で暮らすことを望む障害者が安心して生きられる環境を整えていきたい」と決意をのべた。


比例特定枠で当選した重度障害者の木村英子氏

 山本代表は、「日本は近い将来、高齢化が加速して寝たきりの人たちが増えていく。生産性で人間の価値がはかられる世の中にあって、この人たちに対する“いつまで生きているのか?”という空気も強まっていくだろう。医療費などによって命が選別さえされかねない時代になることを危惧している。パラリンピックのホスト国になり、“合理的配慮”などの言葉だけが踊っているが、国権の最高機関にそのような考えがない。寝たきりでありながら豊かな人生を実践し、この国の将来に必要な知見をもっている人を国会に送ることは非常に意義深い。誰も切り捨てられない社会を作るためには、寝たきりや難病の方の人間の尊厳が守られるべきであり、それを実践するために当事者に国会に入ってもらう意味は大きい。これから議会は議会活動のサポートをやるべきであり、参議院はじめ国権の最高機関である国会が柔軟に対応してほしい」と力を込めた。


 東京選挙区に立候補し、21万票を得ながら落選した野原善正氏をはじめ、7人の新人候補者たちも当選には届かなかったが、山本代表は「私一人の議席を守る選挙ではなく、この魅力的な候補者がいたからこそ2議席を確保できた。風穴を開けていくために立ち上げたれいわ新選組に対するみなさんの期待だ。すぐに来る衆院選でまたチャレンジする」とのべ、この選挙戦で作り出した地殻変動に対する確信をみんなで共有した。

 比例票が出揃い、みずからの落選が確定した22日午前4時45分、改めて会見の場に出てきた山本代表が、「後悔は一切ない。前回は東京選挙区の自分一人だけだったのが2議席になった」と支持者を前に語ると、みずからの身を切って勢力拡大を果たしたことへの惜しみない拍手が送られた。


 「立候補した10人を当選させることができなかったのは私の力不足だ。加えて、私自身も議席を得られなかったのは残念だが、みんなで全力でたたかった結果だ。とはいえ、政党要件を持たない諸派が議席を獲得したのは新制度に移行後はじめてのことだ。そのうえに2議席を頂戴して政党要件を満たしたというのは、決して負けてはいない。この波紋は今後大きく広がっていく。れいわ新選組として大きく前進した。


 旗揚げした理由は、まず国会の中に緊張感をもたらす野党勢力を作ること、そして一番の狙いは政権を取ることだ。2議席に加えて政党要件は大きな成果だ。政党助成金によってたたかうことができる。しかも障害をお持ちのお二人が通ったことで、日本の障害者施策は大きく前進する。山本太郎の一議席と引き換えに得られたものは、比べものにならないくらい大きい」と強調した。


 躍進の理由として、「そろそろみんなが怒るときに来ているということだ。20年以上続くデフレで生活や人生を削られる一方で、一部のものだけが好景気の恩恵を享受する。この国に生きるすべての人を慮(おもんばか)る政治へとみんなの力で変えようという訴えにみなさんが賛同してくれた結果だ。もっとも意識したのは小さな野党の票を狙うのではなく、最大多数である無関心層、浮動票だった。今回の投票率は戦後2番目に低いが、それだけ政治への幻滅が広がっている。と、同時に私たちが支援を呼びかける対象が増えているということだ。がんじがらめの永田町の中から変えることは不可能だが、その外側にいる数を生み出す人たちの力が動けば変えていける。山本一人ではできないが、それが2人、3人になっていくことで政治が必ず変えられることを今後も訴え続けていきたい」と力を込めた。


 今後は政党代表として国政にかかわるとともに、次期衆院選にみずからを含めて政権奪取可能な数の候補者を擁立するために全国で活動することも明言し、「すでにこの瞬間からそのたたかいがはじまっている」と口もとを引き締めた。


 この選挙戦で全国の人々から寄せられた寄付金は、約3万3000人から4億円を超える額にのぼった。有権者に支援を呼びかける公選ハガキは、法定数15万枚を大きく超える22万枚が1万1000人から返送された。配られた政党・個人のポスターは9万枚、ビラは270万枚。それらを掲示、配布することを含め、選挙戦を下で支えたボランティアの人数は集計不能な規模に膨らみ、四ッ谷の選挙事務所を訪れた人数だけでも17日間で3500人以上にのぼった。


 山本代表は、「身を削る思いで私たちに寄付をくださった方々、忙しい中で自分の時間を削ってポスター掲示やビラ配りをしてくださった方々、まるで自分が候補者に成り変わったかのように全国を走り回ってくださった方々が全国にいらっしゃることを私は知っている。残念ながら10人当選に至らなかったが、6年前の1議席しか得られなかった私および私たちの力が2議席に増え、政党要件を満たした。テレビが映さないなど、これまでの政党でないことから受ける数数の不条理を払拭するためのカードを手に入れることができた。次の選挙では、メディアも扱わなければならなくなるし、政党でなければ4、5人(×供託金600万円)立てなければ認められなかった衆院選のブロックに、1人でも立候補が認められるようになる。それによって費用も大きく抑えられる。かなり大きなシード権を手に入れることができたと思う。6年前に比べたら非常に大きな力だ。このような状況でこれからのたたかいをさらに進められるのは、みなさんのお力のお陰以外にない。足を向けて寝られない」と感謝の思いを伝えた。

 「あくまで目標は政権を取りに行く。そのための大きな一歩をみなさんの力で勝ち取った」――会見場に悲壮感はなく、一人一人の力を繋ぎながら全国を走り抜けた選挙戦で得た力を確信し、次期衆院選に向けてさらに勢力を拡大していくことを確認して、長い一日を終えた。
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/12454
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/559.html#c1

[リバイバル3] 中川隆 _ 経済、ビジネス関係投稿リンク 中川隆
103. 2019年7月26日 12:26:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3882]
Google は CIA や NSA のIT部門 _ シリコンバレーが人々に知られたくない本当の姿
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/560.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/813.html#c103
[リバイバル3] 中川隆 _ 欧米文化関係投稿リンク 中川隆
98. 中川隆[-8835] koaQ7Jey 2019年7月26日 12:27:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3883]
Google は CIA や NSA のIT部門 _ シリコンバレーが人々に知られたくない本当の姿
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/560.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/464.html#c98
[リバイバル3] 保険会社に騙されるな 中川隆
28. 中川隆[-8834] koaQ7Jey 2019年7月26日 13:48:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3884]

かんぽ、局員がざんげ うそまみれの顧客勧誘「申し訳なかった」
7/26(金) 10:14配信 西日本新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190726-00010001-nishinp-bus_all


過去に自身が行った保険の不正販売について説明する関西の郵便局員


 「ざんげしたいことがあります」。保険営業を担当する関西の郵便局の男性局員が重い口を開いた。

【写真】「あと2件アポ取れるまでは社員にも負荷を」郵便局幹部に上司から送られたメール

 男性は数年前まで、本来は保険に加入できない持病のある人に「告知の必要はない」と虚偽の説明をし、契約を結んでいた。

 この方法で契約させた40代の女性は持病が悪化して入院。かんぽ生命は「告知義務違反」を理由に保険金の支払いを拒否した。女性は「局員に告知しなくていいと言われた」と抗議したが、男性は会社の調査に「そんな説明はしていない」とうそをつき通した。

 上司から求められた1日5件の見込み客宅への訪問。訪問先がないときは、目的外使用が禁じられているゆうちょ銀行のデータを見て、資産がある顧客に電話をかけ続けた。多いときで1日50件。「制度が変わった」「相続税対策の説明をしたい」というのは表向きの訪問理由で、目的はもちろん保険契約の獲得だった。

 「だまして申し訳なかった。契約を取らないと局に帰れなかった」
.

次々に生み出される新たな勧誘方法

 営業の現場では、勧誘のテクニックとして複数の“話法”が存在する。昨年、関東の局員はインストラクターと呼ばれる指導役に同行し、「生前贈与話法」を目の当たりにした。

 インストラクターは高齢女性に「天国までお金を持って行ったらお子さんが困りますよ」「毎年100万円をお子さんの通帳に動かして保険の形で預けてもらえれば、相続税も贈与税もかかりません」。女性と同席した娘にサインさせた。

 局員は「そもそも相続税の課税対象者でない場合や、相続税より保険料が高くなることもあるが、そういった説明は一切しなかった」と明かす。

 マイナンバー話法、介護施設話法、凍結話法‐。次々に生み出される新たな勧誘方法。保険内容を理解しないまま契約する高齢者は後を絶たない。
.

 かんぽ生命のメイン商品である貯蓄型保険は長引く低金利政策によって魅力が薄れ、新規契約の獲得は困難になった。多くの局員は顧客が不利益となる「乗り換え」によって厳しい営業ノルマをしのいでいる。

 数年前に退職した九州の元局員は成績優秀者として表彰された経験があるが、ほとんどが乗り換えだった。「商品で勝負しても他社に負ける。お客さんに多少の不利益があっても乗り換えさせるしかなかった」

「もはや会社に自浄能力はない」

 報道によって発覚した9万件超の不正営業も、すべて乗り換えに関するものだった。旧保険の解約時期を意図的にずらすことで保険料を二重払いさせたり、無保険状態にさせたりする乗り換え隠しの「潜脱(せんだつ)」行為が横行。被保険者を変えることで新規契約を装い、満額の実績と手当金を稼ぐ手口も広まる。

 かんぽ生命の植平光彦社長は10日の記者会見で、不正営業を知ったのは「直近」と答えた。だが、実際は数年前から二重払いや無保険状態を問題視し、ひそかに件数を集計していた。

 「もはや会社に自浄能力はない」。現場の局員たちの間には無力感が漂う。

   ×    ×

 不正営業の発覚で窮地に立つ日本郵政グループ。民営化から12年。長年、地域に信頼されてきた郵便局で何が起こっているのか。巨大組織が抱える問題を探った。
.

契約減、歯止めかからず

 郵政民営化された2007年10月時点のかんぽ生命の保有契約件数は5518万件だったが、年々減少。18年度末には2914万件とほぼ半減している。

 一方、新規の契約件数は民営化後、200万件前後で推移。中高年の契約者が多くを占めているが、保有件数の減少分を穴埋めできていない。

 主力商品は貯蓄型の養老保険。長引く低金利で苦戦を強いられるが、民業圧迫を避けるとの理由で新商品開発には他社以上に厳しい規制が課されている。このため、大手生保と比べて競争力が低いとされる。

 近年は競争力を補うため他社との提携を進め、日本生命や住友生命の商品を郵便局で販売。日本郵政は、がん保険の販売委託を受けるアフラック生命の米国親会社にも出資し、今後はグループ会社化して新商品の共同開発などに取り組む。
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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/841.html#c28

[近代史3] 馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか? 中川隆
34. 中川隆[-8833] koaQ7Jey 2019年7月26日 15:32:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3885]
2019.07.26 《櫻井ジャーナル》
「ジェフリー・エプシュタイン逮捕の意味」


 エプシュタインには情報機関や捜査機関の人脈がつながり、有力者をおびき寄せてスキャンダルを作り、それを利用してコントロールするという工作が行われてきた可能性があります。同じことが日本でも実行されている疑いもあります。逮捕されたエプシュタインが防衛のために事実を話した場合、アメリカの支配層はパニックになりかねません。この話が出てきたということは、アメリカで権力抗争が激しくなっているのかもしれません。

 日本が第2次世界大戦で降伏したのは1945年9月2日のことですが、昭和天皇(裕仁)が日本人に対して生命を発表された8月15日に戦争に関する催しがあるようですので、その辺のことを話したいと思います。

 この戦争は民主主義とファシズムの戦いで民主主義が勝ったと言う人もいますが、それほど単純ではありません。本部ブログでは繰り返し書いてきましたが、日本は明治維新からイギリス資本の影響下に入り、関東大震災からはアメリカのウォール街に支配されています。そのウォール街で中心的な存在だったJPモルガンが日本へ駐日大使として送り込んできたのがジョセフ・グルーでした。1932年のことです。

 この年にはアメリカで大統領選挙があり、ウォール街と対立関係にあるニューディール派が勝利、フランクリン・ルーズベルトが大統領に選ばれました。ルーズベルトは1933年2月15日の狙撃事件をくぐり抜けますが、大統領に就任した直後から巨大金融資本はニューディール派を排除し、ファシズム体制を樹立する目的でクーデターを計画します。

 そのクーデター派と最も近い日本人は井上準之助だったと考えられています。アメリカのマサチューセッツ工科大学で学んだ三井財閥の最高指導者、団琢磨もアメリカ支配層と太いパイプがありました。井上や団の背後にはアメリカのファシズム勢力がいたということです。

 そのクーデター計画はスメドレー・バトラー海兵隊少将らによって阻止されますが、クーデター派は排除されませんでした。1935年9月10日にはニューディール派より労働者寄りのヒューイ・ロングが暗殺されます。

 1940年5月にイギリスではウィンストン・チャーチルが首相に就任、その年の9月から翌年の5月にかけてドイツ軍はロンドンを空襲しました。その5月にヒトラーの側近だったルドルフ・ヘスが飛行機でスコットランドへ飛びます。当然、イギリス政府の高官と話をしたはずです。

 そして1941年6月、ドイツ軍はソ連へ向かって進撃を開始します。バルバロッサ作戦ですが、この作戦には約310万人が参加し、西の守りのために残されたのは約90万人。ドイツ軍首脳の反対を押し切り、ヒトラーが決定しました。

 この状態で西から攻められたならドイツは窮地に陥りましたが、イギリスもアメリカも攻めません。西ヨーロッパでドイツ軍と戦っていたのは事実上、コミュニスト主体のレジスタンスだけでした。

 米英が傍観する中ドイツ軍は快進撃、1941年7月にレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲、42年8月にはスターリングラード市内へ突入して市街戦が始まります。

 ここへたどり着くまでの戦闘でもドイツ軍は苦しみ、予定より遅れていたようですが、まだ夏。ところが11月になってもソ連を降伏させられません。それどころか猛反撃にあい、ドイツ軍は包囲されて壊滅、43年1月に降伏します。ドイツ軍の主力が壊滅したとうことは、ドイツの敗北は決定的になったということです。アメリカとイギリスが慌てて動き始めるのはこれからです。

 そのアメリカとイギリス、つまりルーズベルトとチャーチルも激しく対立していました。ドイツ軍を打ち破ったソ連軍は西に向かって進撃を開始しますが、ルーズベルトはその阻止に熱心ではなく、チャーチルは激怒しました。チャーチルにとって好都合なことに、ルーズベルトは1945年4月に急死、ホワイトハウスはウォール街が奪還します。

 5月になってドイツは降伏、チャーチルは米英両軍とドイツの将兵でソ連を奇襲攻撃する作戦(アンシンカブル作戦)を立てますが、これは参謀本部の反対で実行されませんでした。

 その直後にチャーチルは下野しますが、ソ連打倒の熱意は冷めません。1946年にはアメリカのミズーリ州フルトンで「鉄のカーテン」演説を行い、FBIの文書によりますと、1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対してソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んだということです。

 ドイツ軍がスターリングラードで敗北してからナチスの幹部がアメリカの軍や情報機関と接触、国際情勢の次のステージについて話し合っています。アメリカ側の中心はOSSのアレン・ダレスなどウォール街の代理人でした。その後、アメリカがナチス幹部の闘争を助け、保護、雇用することになります。

 日本では戦前戦中に国民を弾圧した特高警察、思想検察、裁判官は事実上、責任を問われないまま戦後も要職につき、天皇制官僚システムは護持されました。その戦後日本を築いたジャパン・ロビーの中心にいたのは、あのジョセフ・グルーです。日本の戦後民主主義とはその程度の代物だということも言えるでしょう。

 2014年にバラク・オバマ政権はウクライナで実行したクーデターでネオ・ナチを使いました。これは必然なのです。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201907260000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html#c34

[政治・選挙・NHK263] 障害持つ議員にヘイト発言…人としてなにかが欠けている 室井佑月の「嗚呼、仰ってますが。」(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
6. 中川隆[-8832] koaQ7Jey 2019年7月26日 16:11:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3886]
馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン

【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/649.html#c6

[近代史3] 馬渕睦夫 韓国が反日である理由 _ 日本と隣国とを対立させ統治する分割統治 中川隆
4. 中川隆[-8834] koaQ7Jey 2019年7月26日 18:31:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3884]

【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第8回
「国家の枠を超えた存在だった!
世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形児とトランプの戦い」[桜R1-7-25] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CGi3-xR6XNQ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/551.html#c4
[近代史3] 馬渕睦夫 : 山本太郎は反グローバリストを装って一般大衆を欺く極左の隠れグローバリスト 中川隆
2. 中川隆[-8833] koaQ7Jey 2019年7月26日 18:31:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3885]

【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第8回
「国家の枠を超えた存在だった!
世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形児とトランプの戦い」[桜R1-7-25] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CGi3-xR6XNQ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/559.html#c2
[近代史3] 馬渕睦夫のユダヤ陰謀論はどこまで本当なのか? 中川隆
35. 中川隆[-8832] koaQ7Jey 2019年7月26日 18:32:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3886]

【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第8回
「国家の枠を超えた存在だった!
世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形児とトランプの戦い」[桜R1-7-25] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CGi3-xR6XNQ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/212.html#c35
[近代史3] 馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった 中川隆
48. 中川隆[-8831] koaQ7Jey 2019年7月26日 18:33:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3887]
【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第8回
「国家の枠を超えた存在だった!
世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形児とトランプの戦い」[桜R1-7-25] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CGi3-xR6XNQ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html#c48
[近代史3] これがチャンネル桜関係者とアホ右翼が信じている「ユダヤ陰謀史観」 中川隆
2. 中川隆[-8830] koaQ7Jey 2019年7月26日 18:34:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3888]
【桜無門関】馬渕睦夫×水島総 第8回
「国家の枠を超えた存在だった!
世界を支配する者達が生み出した『中央銀行』という奇形児とトランプの戦い」[桜R1-7-25] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CGi3-xR6XNQ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/505.html#c2
[政治・選挙・NHK263] 山本太郎、テレ朝で “放送事故”(田中龍作ジャーナル) 赤かぶ
97. 中川隆[-8829] koaQ7Jey 2019年7月26日 19:09:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3889]
馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン


【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)


http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/618.html#c97

[政治・選挙・NHK263] 山本太郎・れいわ代表が「モーニングショー」で吠えた! 他局の排除継続に山本は「オファーはここだけ、私は放送禁止物体」(リ… 赤かぶ
42. 中川隆[-8828] koaQ7Jey 2019年7月26日 19:10:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3890]

馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン

【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)


http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/632.html#c42

[リバイバル3] ケーブル(電線)の世界 中川隆
89. 中川隆[-8833] koaQ7Jey 2019年7月26日 20:02:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3885]

LPやCDの中にはどれだけ情報が入っているのだろうか?2019年07月26日


「LPやCDの中にはどれだけ情報が入っているのだろうか?」と云う疑問の形で、オーディオをやっている方はどれくらいいるんだろうか?


「LPやCDの情報をすべてSPから出すにはどうしたら良いんだろうか?」と云う「命題」にも繋がる。


自分は15年前にその「命題」にぶつかった。良い音と云うのはとにかく「音数」が多いのである。10万円の機器より100万円の機器の方が「音数」が多く緻密に聴こえる。だがある一定の機器のグレードに達すると価格差よりもメーカー差や「作り」の状態で変わってくる。


最初に戻って「CDの中の情報をすべて取り出す」為には何をしなければならないのか?を考えると、「ケーブル」(配線)の存在を抜きには語れない。


一般的なケーブルの線径は0.5〜1mm程度しかない。これで果たしていいのだろうか? もっと太くしたら?もっと良い材質にしたら?・・・と実験せずにはいられなかった。


0.5〜1mmぐらいの線径で銅線であれば「取り回し」は楽である。楽だからと「音数」や「音質」が良いとは限らない。それじゃどこまで線径を太くすればCDの中の情報をすべて取り出せるというのか? 結局現状のオーディオマニア達が機器をとっかえひっかえしているけど、「ケーブル類」が同じならそう大した音質変化はしない。


「音質アップ」に対する考え方が、根本的な「本質」に合っていない。「CDの中の情報をすべてSPから音に出して取り出す」という命題を自分はづっと追っかけて来た。「音数」が増えると「きつい音」は無調整でも自然と出なくなるものだ。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/dd40b9452cfeae9f4d830c9b44c7ebef
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/757.html#c89

[昼休み54] 櫻井ジャーナルに騙されるな 中川隆
12. 中川隆[-8832] koaQ7Jey 2019年7月26日 20:07:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3886]
続・戦略思考が苦手、周回遅れの前世紀の思考に凝り固まった敗北思想の伝道者、櫻井ジャを評す
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/685.html
投稿者 仁王像 日時 2019 年 7 月 26 日 20:02:58: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc
 



続・戦略思考が苦手、周回遅れの前世紀の思考に凝り固まった敗北思想の伝道者、櫻井ジャを評す

@http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/579.html#c3
 何だよ、この”へなちょこタイトル”は。前稿との整合性がヘンだぞ。

 いや、それがバレないように糊塗しようとしている。前世紀の発想の世界に読者を取り込もうとしている おそ松クンだ。。

 こんな櫻井ジャを信用できるかい?

A(”敗北思想”の伝道者、それが櫻井ジャ)
http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/560.html#c14
 良く読めば、この記事は”「米支配層」の意向に背いても徒労なのだ、勝てないのだ”という敗北思想に裏打ちされている事に気づかれるだろう。

http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/654.html#c3
 櫻井ジャの殺し文句の一つに「米支配層」が云々というのがある。これを言えば、泣く子も黙ると思っているらしい。

 前世紀は、この米支配層にやられっ放しになってきたことを執拗に強調し、今世紀も同じ伝で行くだろうことを読者に連想させ、「仕方ないか」とさせる”敗北思想”を植え付けているのだ。

 結局、世界金融勢力とその一翼を担う米支配層には適わないのだという諦観を注入する役割を担っている、ということは常に疑ってかかった方が間違いない。

 彼は、世界金融勢力のプロパガンダの一翼を担っている可能性がある。でなくば、単なるアホ、バカ、間抜けの類である。
 彼自身の外観(本性も)は、敗北主義者である。

Bhttp://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/317.html#c2
 櫻井ジャはインポ(陰謀)論の立場のようだ。退治したはずのISをいまでも黒幕となって操っていつかのように受け取れる。
 当時、阿修羅を足の踏み場もないほど汚染していた考え方だ。
 「土・中を攻撃の可能性」などと、当時の陰謀論者に受けそうなタイトル。攻撃とはどんな内容なのか、幅広い概念で読者を釣ろうとしている。彼らができるのはテロぐらいだ、今は。欧米がさんざん悩まされてきた。土・中にも小規模なものはあった。
 彼らが大規模な軍隊をを投入することなどできない相談。トルコならともかく中国にまでどうやって足を伸ばすのか。ISは過去も現在もそんなプロジェクション能力は持っていない。
 米国が彼らを操れるほどのインテリジェンス力・資金力もなかろう。トラ政権は世界から兵を引くモードに入っている。土・中に軍事攻撃を仕掛けて何の利益があるのか。子供のケンカじゃあるまいし。

 前世紀の思考法から抜け出せない。一皮も剥(む)けていない。
インポは櫻井ジャじゃ。役勃(た)たず。

Chttp://www.asyura2.com/18/warb22/msg/658.html#c9
 こりゃひどいタイトル。空母を撃沈してまでイラン攻撃して何になる? ”いらん”攻撃だ。

 イランと真向から戦争するには、ミサイルや空爆では済まない。大規模な地上軍を投入して全土を制圧しなければならない。各地で凄絶な白兵戦が起きるだろう。その過程で大量の米兵が死ぬ。
 数千人も死ねば、米国内の世論が沸騰する。さらには大量の難民が発生して欧州を襲うだろう。こんな政治目的も曖昧な戦争は欧州や国連の賛同も得られる訳がない。イラン、アフガンの二の舞になるのは間違いない。

 以上のようなオタンコやれば世界中の笑い者になるのは必定。ただでさえ失墜しつつある大国の権威がさらに失墜する。
 何考えてんの? 櫻井ジャよ。素人以下。

 (補)
 米兵の犠牲者の遺族には保証しなければならない。大量の資金が必須。ただでさえ貧困が蔓延している米国にその力もない。イランから調達した資金を回すなどというのは話が長すぎる(虫が良過ぎる)。

Dhttp://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/435.html#c1
 またまたズレたタイトル。
 何度も言ってきたが、このタイトルには「米国は前世紀の覇権を今世紀も維持するつもり」という意が込められている。

 そんなことは有り得ないことは、田中や副島が口をすっぱくして言っている。(こちらも口がすっぱい、すっぱい)

Ehttp://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/440.html#c1
 >支配層の内部で強まっている可能性

 ここの多くの読者はとうに気付いているよ。

 それはトラ大明神の行動から判断できる。支配層が戦争派と反戦争派に割れているからトラさんの大胆な行動が出来る。
 割れてなければ、いかに米大統領であってもトラさんのような奔放な行動はできない。(また、口が酸っぱく…)

Fhttp://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/720.html#c12
 (天安門事件について)櫻井ジャってえのは、本当に始末にいけない不良言論人だなー。

 こんなに腐り切っていたとはねぇ〜。

Ghttp://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/705.html#c4
 またまた櫻井ジャのフェイクっぽいタイトルだな。
 19世紀からアングロサックソンが手に入れたかった中国が手に入らなかったので、日本は手放さないーつまり安保破棄はないーという意味に取れるが…。そんなカバなステーションがあるかい。

 アングロサックソンが世界を支配する時代は前世紀でオワだ。その兆候は随所に現れ隠しようが無くなっている。多くの阿修羅人もそれを認識している。

 櫻井ジャ=不勉強ジャ。

・世界から兵を引かざるを得ない歴史局面に登場する運命に出逢ったトラ大明神
 http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/642.html
 投稿者 仁王像 日時 2018 年 12 月 26 日 20:04:35: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc

・今世紀の米国は、どこかの国または地域に大規模な地上軍を投入し、そこを制圧する体力も気力もない。…そこから得られる軍産勢力の利権も先細りの運命
 http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/643.html
 投稿者 仁王像 日時 2018 年 12 月 30 日 10:10:38: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc

・米国内に、米中の激突、大戦争を画策している勢力が存在〜トラ大は彼らを、自分の大統領としての権限(権力)で、押さえ込もうとして必死である/副島隆彦
 http://www.asyura2.com/19/cult21/msg/306.html
 投稿者 仁王像 日時 2019 年 6 月 09 日 11:05:08: jdZgmZ21Prm8E kG2JpJGc

I http://www.asyura2.com/19/senkyo262/msg/783.html#c13
 切れ味が非常に悪い文章。
 長々しく衒学じみている。読者に何かを思わせたいのだろうが明確に伝わってこない。

 山口など延々と復習必要はない。田中なども前置きのところに持ってくる必要なない。この人よほどヒマ人らしい。

 まず安倍の権力の源泉が何か。結論を先に持ってくるべきである。必要に応じてたとえば田中の場合はこうだったと持って行くのは良い。
 文章構成が下手くそである。プロではない。初心者の作文。

 自分の主張に説得力上がないと薄々感づいているから、過去の知識(経過)を累々と並べ立てて読者を誑(たら)し込もうとしている。

(補)
この記事だけでは、力の源泉が米国にあるから、何をやってもダメなんだ、と暗に言っているととられても仕方がない。敗北思想の伝道者らしいとは言える。

Jhttp://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/772.html#c1
 何だよまたピリッとしないタイトルだな。

 アングロ・サクソンの世界支配はオワだって言うのに、数世紀の世界支配が今世紀も継続しているように読者に連想させる例の手口だ。
 
 またもや得意のマッキンダーを持ち出して”権威”付けようとしているのがミエミエ。
 くだらん。

 (関連)
http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/560.html#c14

http://www.asyura2.com/19/kokusai25/msg/560.html#c3

Kttp://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/780.html#c2
 >有権者を裏切った…大敗した背景

 とはタイトルの前後の繋がり悪いな。裏切ったなら、大敗は普通のの事だろう。

 正確に言えば、「有権者を裏切った」んではなく、最初から欺いて来たんだろ? その結果も大敗が約束されていたはず。
 加えて新人にも米国の息がかかっているということだから。新人もまた次の選挙では大敗が予約されえいるというもの。

 こんな風に、ジャーナリストは正確を期すことに努めるべきと思う(ま、手遅れだが)。

L http://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/804.html#c4
 櫻井ジャの思わせぶりなタイトル。

 好戦派なるものは居ないとは断言できないが、彼らが米国と英国という国家をイニシアをもって本格開戦に持って行けるはずがない。

 その肝心なことにはタッチしてない。”立っち”できるほど大人になっていない櫻井ジャではある。

Mhttp://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/844.html#c3
 >露見しかかっている

 などと今更ショーアップしてどうなる?

 ボンクラ櫻井ジャが気付いていつぐらいだから「知る人ぞ知る」現象の一端に過ぎなかろう。
 これで世の中がひっくり返るのかい? 肝心な事には言及がない。

Nhttp://www.asyura2.com/19/kokusai26/msg/867.html#c1
 >リストを持つ容疑者

 とあるが、容疑者の発見時、リストを携行していたのかどうかが不明である。おそらく携行しえいない。
 つまりおどろおどろしく読者を釣ろうとしているタイトル。

 こうでもしないと飯が食えないのかというとになる。浅ましい!

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/421.html#c12

[リバイバル3] 北海道の温泉に行こう 中川隆
40. 中川隆[-8831] koaQ7Jey 2019年7月26日 21:18:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3887]
最安の相部屋で船旅するとこうなります。
関西⇒北海道編【新日本海フェリーはまなす:舞鶴⇒小樽】- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=zqtD7DjFtJs
https://youtu.be/zqtD7DjFtJs

札幌で食べてうまかったおすすめ北海道めしのまとめ
https://youtu.be/Y9htwMJu8Es

2018/12/30 に公開


■旅行やグルメ、面白い観光スポットについての動画を投稿しています。
チャンネル登録はこちら→ https://bit.ly/2FIiBwu

■SNS
ツイッター:https://twitter.com/tabini_deruka

■今回の感想
北海道に夜行フェリーで行ってきました。

のった船:
新日本海フェリー「はまなす」
(「あかしあ」という船も同じ路線で運行しているようです)

旅路:
舞鶴港→小樽

チケット:
ツーリストAという9960円の最安チケットです(神戸→舞鶴港へのバス代込)。
※時期と部屋のグレードでチケット代は変わります。

新日本海フェリー:http://www.snf.jp/

良い思い出になりました。
バイクツーリングする人にとっては定番となっているようですね。
おすすめです。

船内の揺れについてですが、ほとんどなかったです。
横になっている時に「あ、少し揺れてるな」と思う程度で、海の上だということすら忘れるくらいでした。船酔いもゼロです。
ただ、波や海、天気の状況にもよると思います。

動画を少しでも楽しんでいただけたら、登録、高評価、感想コメントなど頂けると嬉しいです。
皆さんからの反応はチャンネルを続ける中ですごく励みになっています。
いつもありがとうございます。

Please, take a second to like and subscribe if you enjoyed the video!
Thanks.
subscribe→ https://bit.ly/2FIiBwu



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/561.html#c40

[リバイバル3] ヒグマ注意 中川隆
27. 中川隆[-8830] koaQ7Jey 2019年7月26日 21:23:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3888]
【MIKIOジャーナル】《4K》知床 ヒグマに近づく人たち - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=itYaIRUOGPM


2017/09/12 に公開


8月、知床。数メートルの距離でヒグマを
撮影する人たちがいた。外国のメディアだ。
許可を得ず、鳥獣保護区のルシャにも立ち入っていた。

「追い払いによる安全策は、限界に達した」
知床財団の対策班は、ヒグマの追い払いを続けているが
人のほうがどんどんクマとの「距離」をつめている。

2017.9.12イチオシ!で放送

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/573.html#c27

[地域13] 札幌はいつまでヒグマを放置し続けるのか? チベットよわー
74. 中川隆[-8829] koaQ7Jey 2019年7月26日 21:24:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3889]
【MIKIOジャーナル】《4K》知床 ヒグマに近づく人たち - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=itYaIRUOGPM


2017/09/12 に公開


8月、知床。数メートルの距離でヒグマを
撮影する人たちがいた。外国のメディアだ。
許可を得ず、鳥獣保護区のルシャにも立ち入っていた。

「追い払いによる安全策は、限界に達した」
知床財団の対策班は、ヒグマの追い払いを続けているが
人のほうがどんどんクマとの「距離」をつめている。

2017.9.12イチオシ!で放送

http://www.asyura2.com/09/ishihara13/msg/658.html#c74

[近代史3] トランプは反グローバリズムの旗手なのか? それとも自分の支持率や人気を上げる事しか考えていない無知蒙昧なアホなのか? 中川隆
10. 中川隆[-8827] koaQ7Jey 2019年7月27日 06:36:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3891]

2019年07月26日
出身国に帰れ ! / トランプの失言は米国人の本音
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68773915.html


左翼陣営からの総攻撃

Ilhan Omar 23Trump 21
(左 : トランプ大統領と対立する女性議員 / 右 : 愛国者のトランプ大統領 )

  毎度「お騒がせ」のトランプ大統領は、またもやツイッターでヒットを飛ばしたようだ。今回は、レイシスト発言ときている。トランプは日頃から民衆党の左派議員を忌々しく思っており、7月14日に怒りを爆発させた。不満をぶつけた相手は、ミネソタ州選出の下院議員イルハン・オマール(Ilhan Abdullahi Omar)と三名の女性下院議員、すなわちニューヨーク州選出のアレクザンドリア・オカシオ・コルテス(Alexandria Ocasio-Cortez)と、マサチューセッツ州のアヤナ・プレスリー(Ayanna Pressley)、ミシガン州のラシーダ・タリーブ(Rashida Tlaib)である。合衆国の舵取りで忙しいトランプ大統領は、外野からゴチャゴチャと野次を飛ばし、自分の政策にイチャモンをつけてくる野党議員に一発喰らわしてやろうと思ったのだろう。彼はツイッターで、次のように呟いた。

  民衆党の“進歩的”下院議員を見ていると実に面白い。元々、彼女たちは世界中で最も不甲斐なく、腐敗しきったた国、そして完全に統治機構が崩壊している国からやって来たのだ。それなのに、この連中ときたら、地上で最も強力な国、すなわち合衆国の人々に向かって、政治をああしろ、こうしろと五月蠅(うるさ)く注文をつけている。どうして、彼女たちは犯罪がはびこり、無茶苦茶になった出身国に帰らないんだ? (Colin Dwyer, 'Go Back Where You Come From : The Long Rhetorical Roots of Trump's Racist Tweets', National Public Radio, July 15, 2019)

  さぁ〜すが、トランプ ! 素晴らしい。主要マスコミは彼の発言をケチョンケチョンに批判するが、一般のアメリカ白人は「トランプの言う通りだよなぁ〜」と心の中で思っている。普通の西歐系アメリカ人なら、左翼議員の政府批判を聞いて「またかっ!」とウンザリしてしまうだろう。しかも、その声を上げている連中がアフリカ系やヒスパニック系となれば、「そんなにアメリカが嫌なら、さっさと国を出て行けばいいじゃないか !」と言いたくなる。白人は非難を恐れて口に出さないが、「税金の大半を払っているのは俺達白人で、アメリカを政治的・社会的・軍事的に支えてきたのも俺達だ。有色人種は招かれもしないのに、勝手にアメリカへノコノコとやって来て問題ばかり起こしてやがる。ただでさえ“お荷物”なのに、厚かましくも社会福祉にタカるなんて何様のつもりなんだ ! アメリカは俺達の国で、お前らの国じゃない ! だいたい、俺たちはお前らが“ぶら下がる“”クリスマス・ツリーを支えていル訳じゃないんだぞ !」と思っている。

Trump 14Trump supporters 2


(左 : 演説をするトランプ大統領 / 右 : 熱心なトランプ支持者 )

  とりわけ、独立戦争や南北戦争を戦った祖先を持つ西歐系アメリカ人は、カメラの前でキャンキャン叫ぶ極左議員を忌々しく思っているはずだ。というのも、こうした政治家どもを選んだ有権者を目にすれば、「ああ、やっぱりね !」と納得するし、議員の素性を調べれば、「何だ、こいつらアメリカ人じゃないぞ !」と否定したくなる。現在のアメリカは雑多な種族がひしめき合う混淆社会となっているが、元々はイギリス系国民を中心とした西歐真の共和国であった。少なくとも、ジョンソン政権以前のアメリカは「白人国家」と言ってよく、日本人が好感を持てる中流家庭の白人が主流だった。しかし、今やソドムとゴモラに近づいている。大昔、聖書の創造主が天から硫黄の火を降らせ、穢れたソドムとゴモラを滅ぼそうとしたとき、ロトの妻は天主の言いつけに背き、後ろを振り返って「塩の柱」になってしまったそうだが、筆者はニューヨークの黒人街を目にしても塩の柱にならなかった。神様は善良な日本人を守ってくれるのかも知れない。

いかがわしい過去を持つ黒人議員

  現在の米国で各州から選出された議員を観ていると、「本当にアメリカ人なのか?」と疑いたくなる。件(くだん)のイルハン・オマール議員は、ソマリアの首都モガディシュ生まれで、1992年、10歳の頃ニューヨークにやって来たという。彼女の家族は難民認定を申請していたそうで、1995年に認可が下りたらしい。難民少女のイルハンはミネソタ州に移る前、ヴァージニア州アーリントンに住んでいた。彼女は地元の学校に通うが、ヒジャブ(顔を覆うベール)を着用していたので、級友から白眼視され、色々なイジメに遭ったそうだ。それでも、17歳になった2000年、彼女はアメリカに帰化した。晴れて「アメリカ国民」となったイルハンは、ノースダコタ州立大学に入ると、政治学や国際関係論を専攻したそうだ。議員になる前は、ミネソタ大学で働いていたそうで、地元民を集めて栄養学の指導をしていたそうだ。ミネソタ州には大勢のソマリア難民が居着いているので、たぶん、ソマリア・コミュニティーの黒人を相手にしていたのかも知れない。

  貧しい難民から輝かしい連邦下院議員への転身は、ハリウッド映画になりそうな出世物語だが、その半生には隠蔽したいほどの暗い過去があった。真実は未だ定かではないが、「イルハンは“兄”と結婚していた !」というスキャンダルが持ち上がったのだ。早速、トランプ大統領は自身のツイッターで、オマール議員が兄と違法に結婚することで移住詐欺を行った、と繰り返し述べた。(Niki Schwab and Ben Feuerherd, Trump repeats claim that Ilhan Omar married her brother, New York Post, July 17, 2019) つまり、英国に住んでいた兄貴を米国に呼び寄せるため、結婚を利用したという訳だ。一方、容疑を掛けられたオマール議員は、「根拠無き噂よ」と一蹴した。確かに、“結婚相手”じゃないかと目されたアフメド・ヌール・サイード・エルミ(Ahmed Nur Said Elmi)は実の兄だが、結婚相手が本当に実兄なのかは判らない。イルハンはその疑惑を「馬鹿げている !」と評していた。

Ilhan Omar 3Ahmed Hirsi 1(左 : イルハン・オマール / 右 : アフメド・ヒルシ)
  近親相姦を疑われたイルハン・オマールの私生活は、アフリカ人であるせいか、とにかく複雑である。2002年、彼女はイスラム教様式でアフメド・ヒルシ(Ahmed Hirsi)と結婚した。だが、それは法的な結婚ではなかった。それでも、彼らはこの「結婚」で二人の子に恵まれる。ところが、彼らの関係は2008年に破綻した。翌2009年、イルハンは問題の「アフメド・N・S・エルミ」と合法的に結婚しするが、二人は二年後の2011年に別れてしまう。ただ、厄介なのは、この訣別が“宗教”的な別居であって、“法律”的な離婚でなかった点である。2012年、イルハンはヒルシと“より”を戻す。そして彼女はもう一人子供を授かるが、二人は法的な結婚に至らなかった。それなのに、彼らは2014年度と2015年度の税申告で、あたかも合法的な夫婦であるかのように装い、税金の還付を受けていたのだ。イルハンは事実婚のようにヒルシと暮らしていたが、法律上では、未だにエルミと結婚している状態であった。

Ahmed Elmi 1(左 / アフメド・エルミ)
  こうなると、「一体、アフメド・エルミという亭主は“何者”なんだ」、という疑問が湧いてくる。この疑惑を複雑怪奇にしているのは、イルハンの祖国であるソマリアの風習だ。ソマリアでは一夫多妻が多く、異母兄弟が一緒に暮らす大家族なんて珍しくない。イルハンの夫であるエルミが「兄」と間違えられたのは、祖国の慣習に原因があった。人類学者のベルンハルト・ヘランダー(Bernhard Helander)氏によると、ソマリア文化では「兄弟(姉妹)」という言葉を従兄弟(従姉妹)にまで拡大して使ってしまうそうだ。(Will Sommer, How the Ilhan Omar Marriage Smear Went From Fever Swamp to Trump, The Daily Beast, July 19, 2019) この風習を知らぬアメリカ人が、イルハンとエルミの結婚証明書を見て、兄弟結婚と誤解したのも無理はない。ミネソタ州の地方紙である「アルファ・ニューズ(Alpha News)」も、この異文化に気づかず、エルミをイルハンの兄と早合点し、スキャンダルとして報道したようだ。ただし、両者のDNA鑑定を行っていないから、イルハンが言うように本当に「馬鹿げた噂」であるのかどうか判らない。もしかしたら、兄弟かも知れないし、単なる同姓同名の親戚かも知れないのだ。

  もし、エルミがヨーロッパ系の白人移民なら本国に問い合わせて、出生証明書を提示すれば「一件落着」となるんだろうが、、如何せん、ソマリアじゃどうしようもない。日本や西歐諸国と違って、アフリカでは厳格な国民管理と正確な記録を残す行政機構が無いから、戸籍制度が徹底している日本とは雲泥の差である。以前、アフリカのオリンピック選手が年齢不詳という記事が話題になったけど、第三世界では出生届や死亡届がいい加減なんて当たり前。別に驚くことではない。世界的に見れば、一人一人の国民が大切に扱われる日本の方が例外なのだ。内戦で国内が混乱しているソマリアで、日本のような国民管理があるはずはなく、誰が結婚しようが、死のうがお構いなしである。「高齢者が暴走運転 !」くらいで全国ニュースになるんだから、日本は底抜けに平和な国である。アフリカでは機関銃を搭載したトラックが暴走しているんだぞ。部族対立が激しいアフリカでは、捕まえた敵を縛り上げ、その首にガソリンを浸したタイヤをはめ、火を付けて焼き殺すという処刑法がある。こんな「ネックレス」は嫌だ。また、敵のペニスを次々と切り取って、この「戦利品」をネックレスにする奴もいるらしいから、日本人はアフリカという暗黒大陸をもっと具体的に勉強すべきだ。

  とにかく、イルハン・オマールは“叩けば埃(ほこり)が出てくる”人物で、過去を遡れば、偽証に加え、移住、結婚、納税、学生ローンについての詐欺も行っていたそうだ。(Katie Pavlich, Fraud : Judicail Watch Has Filed an Ethics Complaint Against Ilhan Omar, Townhall, July 23, 2019) 「偽装結婚」で入国してきたと疑われたエルミだが、彼もイルハンと同じくノース・ダコタ州立大学に入った。ところが、どうも彼はこの「偽装結婚」を利用して、連邦政府が支給する学生ローンを得たらしい。また、イルハン・オマールは選挙資金規制法にも抵触したそうで、500ドルの罰金を払った前科がある。もう、彼女の脛にはいくつのも傷があるようで、トランプはその古傷の一つを蒸し返したということだ。両者の喧嘩が激化したのは、トランプがイルハンの“痛い所”を突いたからだろう。

  余談なんだけど、オマールが選出された第5選挙区は、民衆党の指定席みたいな地域である。彼女の前任者は黒人左翼のキース・エリソン(Keith M. Ellison)であった。彼は学生時代、「ネイション・オブ・イスラム」の指導者として有名なルイス・ファラカン(Louis Farrakhan)の支持者で、同組織の旗振り役であったらしい。つまり、エリソン下院議員はバリバリの黒人活動家であったという訳だ。今は学生時代の黒歴史を「封印」しているようだが、その行動様式は変わっていないようである。さらに、エリソンの前任者も、これまた輪を掛けて凄い。マーティン・オラフ・サボ(Martin Olav Sabo)は、黒人じゃなくノルウェー系アメリカ人なんだけど、頭の中は隅から隅までリベラルだった。彼は1979年に当選してから2007年まで、約28年間も下院議員を務めていたのだ。連邦下院選挙で2、3回再選されるだけでも大変なのに、連続13回の再選なんてギネス記録級である。通常ならあり得ない。

Keith Ellison 1Louis Farrakhan 1Martin Sabo 2


(左 : キース・エリソン / 中央ルイス・ファラカン / 右 : マーティン・オラフ・サボ )

  歴史的経緯から、ミネソタ州には北歐系の移民が多く、人種的には白くても政治思想的に赤い人々が多い。例えば、ジョンソン政権で副大統領となったヒューバート・ハンフリー副大統領とカーター政権で副大統領を務めたウォルター・モンデールは、共に民衆党左翼リベラル派であった。ハンフリーは副大統領を辞めた後、上院に戻って議員を務めたが、1978年に死亡する。その後釜として上院議員になったのは、未亡人となったミュリエル・ハンフリー(Muriel Humphrey)夫人である。

Hubert Humphrey 1Muriel Humphrey 1Walter Mondale 1Rudy Boschwitz 1


(左 : ヒューバート・ハンフリー / ミュリエル・ハンフリー / ウォルター・モンデール / 右 : ルディー・ホシュウッツ )

   ミネソタ州から選出される上院議員には北歐系ばかりじゃなく、ユダヤ人左翼も選ばれていた。セクハラで辞任となった元コメディアンのアル・フランケン議員(民衆党)については、当ブログで以前述べたことがある。彼の前任者もユダヤ人であるが、ポール・ウェルストーン(Paul Wellstone)議員は根っからの左翼だった。彼は議員になる前、カールトン・カレッジの教授をしていたが、労働問題や福祉政策に熱心なコミュニティー・オーガナイザーであったというから、ユダヤ人版バラク・オバマといった感じだ。しかも、札付きの極左というから凄い。彼は反戦活動や抗議デモを行い、1970年と1984年に逮捕されるという前科を持つ。だから、FBIの監視対象者になっていたという。(Madeline Baran, From protester to senator, FBI tracked Paul Wellstone, Minnesota Public Radio News, October 25, 2010)

Paul Wellstone 1Sheila Wellstone 1Paul Weelstone & Sheila 1

( 左 : ポール・ウェルストーン / 中央 : シェイラ・ウェルストーン / 右 : 若い頃のウェルストーン夫妻 )

  ユダヤ人左翼について語ると長くなるから省略するが、ウェルストーンの前任者もユダヤ人であったが、ルディー・ホシュウッツ(Rudolph E. Boschwitz)の方は共和党議員であった。彼は同胞のウェルストーンと犬猿の仲で、民衆党のライバルを異教徒と結婚した「悪いユダヤ人」と評していた。(夫人のシェイラ・ウェルストーンは非ユダヤ人であるが、精神的には亭主と同じく極左で、人権活動家であった。) 不届きな同胞に腹を立てていたボシュウィッツは、米国でなくドイツのベルリン生まれで、敬虔なユダヤ教であったらしい。ボシュウィッツ家はナチ・ドイツの迫害を逃れて米国にやって来たユダヤ移民というから、信仰心に関しては敏感なんだろう。実際、彼は上院選で敗れた後、ブッシュ政権の「ソロモン作戦(Operation Solomon)」に携わり、多くの黒いユダヤ人をエチオピアからイスラエルへと導く役目に就いていた。

Jesse Ventura 2( 左 / ジェシー・ヴェンチュラ)
ユダヤ人左翼とは別に、ミネソタ州は変人に対しても寛容だった。海軍特殊部隊(Navy SEALs)出身で、プロレスラーにもなったジェシー・ヴェンチュラ(Jesse Ventura)は、ミネソタ州民の熱狂的な支持を得て、同州の知事に当選した。彼は鋭い判断力と強固な意志を持っているが、敵を作りやすい独立独歩の奇人である。この俳優上がりの知事は、既存の政党が大嫌いで、かつては「独立党」や「改革党」に属していたが、今では「緑の党」に心を寄せているそうだ。ベンチュラ元知事は合衆国政府の不正や腐敗にも敏感で、ジョン・F・ケネディー暗殺の本を書いたり、9/11テロの疑惑を追及するテレビ番組でも人気を博していた。彼がオズワルド単独説に疑念を抱き、イタリア製のライフルを用いて実際に狙撃を試みた番組は圧巻だった。元エリー部隊の軍人でも不可能な「狙撃」を、下っ端の通信兵に過ぎない海兵隊員ができたなんて、とても信じられない。この検証実験を観たアメリカ人は、狙撃に失敗するヴェンチュラを目にして「えぇぇっ〜」と驚き、ますます政府の報告書に疑念を抱いたという。ちなみに、オズワルドはソ連に亡命する前、厚木基地に勤務する通信兵だった。(ゴルゴ13より優秀な通信兵スナイパーなんて・・・、嘘みたい。)

出身国に送還せよ !

  脱線したので話を戻す。米国の主要メディアは、オマールを除く他の三名は「アメリカ生まれのアメリカ国民なんだぞ !」と強調していたが、その容姿を見ればアメリカ白人が毛嫌いするのも分かる。オカシオ・コルテス議員はプエルト・リコ移民の両親を持ち、ブロンクスで生まれた“ヒスパニック”系のアメリカ人だ。プレスリー議員はオハイオ州シンシナティー生まれだが、育ったのはイリノイ州のシカゴ。通ったのは“進歩的”教育の魁(さきがけ)となった「フランシス・W・パーカー校(Francis W. Parker School)」というから、筋金入りの極左分子になったのもうなづけよう。あの砒素よりも有害な教育者、ジョン・デューイ(John Dewey)が称讃したくらいだから、どんな学校か想像がつく。ちなみに、卒業生の中には『スプラッシュ』の美人女優ダリル・ハンナ(Darryl Hannah)や、『フラッシュ・ダンス』で主演を務めたジェニファ・ビールズ(Jennifer Beals)、脚本家のデイヴィッド・マメット(David Mamet)がいるそうだ。

Alexandra Ocasio Cortez 1Daryl Hannah 1Jennifer Beals 2


(左 : アレクサンドラ・オカシオ・コルテス / 中央 : ダリル・ハンナ / 右 : ジェニファー・ビールズ )

  トランプのツイッターに対し、「私は“我が国(OUR country)”の腐敗と戦っているの !」と反論したラシーダ・タリーブ議員だが、彼女はパレスチナ人の両親を持つコチコチの反ユダヤ主義者。(旧姓は「Harbi」であるが、ファイズ・タリーブと結婚したことで「タリーブ」姓を名乗っている。しかし、2015年彼女は離婚した。それでも、亭主の姓を使い続け、今では二人の子供を抱えるシングル・マザーなんだって。) リベラル派の知識人は肉体や血統による嗜好を否定したがるが、アラブ系として生まれたラシーダは、やはり民族の血が騒ぐのか、反イスラエルを掲げる「ボイコット・投資撤収・制裁(Boycott, Divesment and Sanction)運動」に傾倒しているそうだ。彼女はパレスチナ人の家庭に生まれたから、いくら「アメリカ人」として育っても、ユダヤ人に迫害される「同胞」のことが気になってしまうのだろう。

Rashida Tlaib 2(左 / セシーダ・タリーブ)
  ラシーダは人種差別を呪うが、彼女には人種的に有利な点ある。西歐系アメリカ人が同じ運動に賛同すれば、即座に「反ユダヤ主義者」のレッテルを貼られ失脚してしまうが、有色人種だとOKみたいで、マスコミの批判もへっちゃらだ。オマール議員も反ユダヤ的発言で批判されたけど、「レイシスト野郎」とか「ネオ・ナチ」、「KKK」といった罵倒は無かった。アメリカの輿論は妙に不公平である。もう一つビックリするのは、あラシーダが全知全能の主アッラーを「女性」と思っていることだ。このパレスチナ系アメリカ人は、偉大な神様を呼ぶ時に、「Him」じゃなくて「Her」を用いる。イスラム教徒からすれば、石を投げつけて殺したくなるほどの冒瀆なんだが、極左議員には屁のカッパ。同胞からの非難でも蛙の小便くらいにしか思っていないのだ。さぁ〜すが、「進歩的教育」を受けたリベラル派はひと味違う。

  トランプから悪態をつかれた四人の議員は烈火の如く怒ったが、民衆党の大物も非難の矢を放っていた。下院議長の席にふんぞり返っている民衆党の重鎮、ナンシー・ヘロシ(Nancy Pelosi)は、イタリア系白人の長老だが、有色人種やユダヤ人には多大な同情を示す。ペロシ議長はトランプの意図を見越して、「アメリカを再び偉大にする(Make America Great Again)」というのは、常に「アメリカを再び白くする(Make America White Again)」との計画なのよ、と述べていた。(Brian Naylor, 'lawmakers Respond To Trump's Racist Comments : We Are To Stay', National Publicb Radio, 15, 2019) トランプを憎むワシントン・ポスト紙も民衆党に負けじと、大統領を手厳しく批判する。同紙は、レイシズムの悪評を恐れる政治家の発言を掲載し、「みなさぁ〜ん、同僚議員からも多くの反対が出ていますよぉ〜」と吹聴していた。(Mike DeBonis, John Wagner and Rachel Bade, 'A divided House votes for resolution condemning Trump's racist remarks', The Washington Post, July 17, 2019)

  例えば、共和党の新人ダン・ミューザー(Dan Meuser)下院議員は、暴言問題の解決策を訊かれ、「解決策とは、大統領を困らせてやることだ !」と答えていた。民衆党のトム・マリノウスキー(Tom Malinowski)下院議員は、「トランプが如何なる人間なのかを知っている」と豪語し、「問題、つまり唯一の問題は、我々が誰であるのか、ということだ」と述べた。そして、彼は問いかける。「我々はまだ移民の国なのか?」、と。インド系下院議員のプラミラ・ジャヤパル(Pramila Jayapal)は、インドネシアとシンガポールで育ち、16歳の時に米国へやって来た移民であるから、レイシスト的発言に激怒しても不思議ではない。彼女はトランプ大統領を「反アメリカ的だ ! 名誉毀損だ !」と評していた。しかし、日本人やヨーロッパ人なら、「彼女も“見た目”はアメリカ人的じゃないけどね !」と付け加えたくなる。

Dan Meuser 2Tom Malinowski 2Pramila Jayapal 1


(左 : ダン・ミューザー / 中央 : トム・マリノウスキー / 右 : プラミラ・ジャヤパル)

Ayanna Pressley 2(左 / アヤナ・プレスリー )
  このように、トランプ大統領のツイッターは、主要マスコミから猛攻撃を受けたが、トランプ支持者からは拍手喝采だった。演説を行うトランプの周りでは白人ファンが熱狂し、オマール議員を叩き出そうと声を上げ、「彼女を追い返せ(Send her back !)」と大合唱。支持者からの声援を受けてトランプは満面の笑みを浮かべていた。日本の首相もこれくらいしなきゃ。ところが、安倍総理ときたら、支持してくれた保守派国民を悉く裏切って、日本を変えてしまうアジア移民を大歓迎。これでは、いずれ日本は本当にアジアの一部になってしまうだろう。そして、もし日系日本人がトランプ・ファンを真似て、「アジア人を出身国に追い返せ !」と言えば、ヘイトスピーチ法に触れて有罪となるに違いない。さらに恐ろしいのは、将来の総理大臣が朝鮮系や支那系になっていることだ。もし、朝鮮系帰化人か日鮮混血児が総理になれば、「多様性」とやらを持ち出して、外人系閣僚を抜擢するかも知れない。例えば、官房長官には「女性を活用する」と称して朝鮮の同胞を起用し、外務大臣にはタイ系かベトナム系の混血児、財務大臣には華僑の親を持つ支那系議員といった塩梅だ。不吉な予言になるけど、将来、オーストラリアみたいに、日本でも移住省が増設されるかも知れないぞ。

お前の民族性(血筋)は何なんだ?

  トランプに対する罵声は、政治家だけでなくジャーナリストからも噴出した。特に、「人種」や「差別」に敏感なユダヤ人が怒っている。記者会見でホワイトハウス顧問のケリーアン・コンウェイ(Kellyanne Conway)がトランプを擁護すると、「ブレックファスト・メディア(Breakfast Media)」のアンドリュー・ファインバーグ(Andrew Feinberg)記者が噛みついた。彼はコンウェイに向かって「もし、大統領が四人の議員に対し、出身国に帰れ、と言っていないのであれば、いったい彼はどこの国を指しているのか?」と質問したそうだ。すると、コンウェイは一呼吸置いて、ファインバーグに「あなたの民族性は?」と尋ねた。ファインバーグはすかさず、「それと何の関係があるんだ?」と聞き返した。しかし、コンウェイは表情を変えず、「私はあなたに尋ねているのよ !」と繰り返す。そして、「私の祖先はアイルランドとイタリアから来たの」と彼に告げたらしい。

Andrew Feinberg 1Kellyanne Conway 2

(左 : アンドリュー・ファインバーグ / 右 : ケリーアン・コンウェイ )

  コンウェイの質問に答えたくないファインバーグは、「私の民族性は、私の質問とは関係ない !」と回答を拒み、彼女に向かって再び問い質す。「大統領はパレスチナ系アメリカ人に対し、占領地区に帰れとでも言うのか?」と。後に、ファインバーグは自分のツイッターにコメントを投稿し、国旗の絵を用いて「私の民族性はポーランド、リトアニア、ロシア、オーストリアである」と公表した。しかし、こんな“情報開示”を目にしたら、西歐系アメリカ人のみならず、ユダヤ人でさえ腹を抱えて大爆笑するんじゃないか。正確に言えば、ファインバーグはオーストリアやポーランドに住んでいた“ユダヤ人”の親から生まれた、ということだ。ユダヤ人というのは本当に厚かましく、「寄生民族」と呼ばれてもおかしくない。謂わば、図々しい居候みたいなものだ。つまり、単なる宿泊客のくせに、ちょいっと長居すると勝手に養子を名乗ったりする。タカリ先の主人は、いつの間にかこの厄介者が「家族」になっていたことに気づいて驚く。父親か母親なのか知らないが、ファインバーグの片親は「ロシア系」らしい。でも、いくら鈍感なロシア人だって、ユダヤ人を「同胞」とは思わないだろう。ポーランド人なんか、本当にユダヤ人が大嫌いで、心の底から憎んでいる。第二次世界大戦が終わっても、ポーランド人の反ユダヤ主義が燻っていたのは有名で、ポーランド人はドイツ人並にユダヤ人を迫害していたのだ。

Adam Edelman 2(左 / アダム・エデルマン )
  会社の規模に関係なく、アメリカの報道機関にはユダヤ系が矢鱈と多い。ファインバーグの件を報じたNBCのアダム・エデルマン(Adam Edelman)もユダヤ人記者である。ヨーロッパ系アメリカ人がユダヤ人を攻撃すると、ユダヤ資本のテレビ局やユダヤ人が経営する新聞社がユダヤ人記者を派遣して批判記事を書かせ、ユダヤ人被害者を掩護する。これだから、一般のアメリカ人が怯んでしまうのも当然だ。いくら自分に正当な理由があっても、インタビュー映像で流される主張・反論はせいぜい1、2分程度。しかし、ユダヤ人記者のレポートは5分以上あったりするし、ゲスト解説者や専門家もユダヤ人か、ユダヤ人の協力者であったりする。こうなりゃ、ユダヤ・メディアによる公開処刑だ。卑劣なのは、こうした報道番組がレポーターや司会者、評論家の素性を明かさないことである。一般視聴者は彼らがユダヤ人であるにさえ気づかないから、その意見を鵜呑みにし、標的にされた人物を「悪人」とか「レイシスト」、あるいは「極右分子」と考えてしまう。

  大手メディアによるマインド・コントロールは実におそろい。無防備な一般視聴者は、思考の「枠組み」を知らないうちに形成され、決まった経路で判断するようになる。一般人はサーカスの動物と同じで、番組司会者が鞭を振り下ろしただけで、逆立ちしたり、踊ったりしても疑問に思わない。ヨーロッパやアメリカに渡ったユダヤ人が商売で成功すると、新聞社やテレビ局、雑誌社、出版社、映画会社などを創業したり買収したりするのは、主にお金儲けのためだが、寄生先の社会をコントロールするためでもある。何処へ行っても鼻つまみ者のユダヤ人は、いつ地元民から憎まれ、迫害されるか分からない。だから、自己防衛と亡命資金のために普段から財産を蓄えているし、追放されないためにも、政治権力を握って支配者になろうとする。そして、重要なのは、「同胞との結束」である。歐米諸国に多数のユダヤ人組織や圧力団体があるのはその為だ。(これを説明すると長くなるので省略する。)

  日本のマスコミは否定的に報道するが、トランプ大統領を支持するアメリカ白人が、オマール達に向かって「本国に帰れ !」と大合唱する気持ちはよく分かる。日本人だって、帰化鮮人が事あるごとに我が国を侮辱すれば不愉快だし、二度三度と続けば本当に腹が立つ。もし、帰化鮮人が我々に対して、「戦前、日本政府が俺の祖父母を強制連行したから、俺は仕方なく日本に住んでいたんだ ! 謝れ !」と言えば、「それなら、なぜお前の両親はさっさと朝鮮に帰らず、嫌いな日本に留まったのか?」と問いたくなるじゃないか。彼らは日本人に対する憤懣を爆発させ、「日本人は常に在日朝鮮人を差別する」とか、「天皇制は侵略を肯定する政治イデオロギーである」、「日本人は植民地支配を反省していない」など、日本に永住しながら言いたい放題だ。(在日朝鮮人社会・教育研究所編『帰化』については、いずれ紹介したい。穏健な日本人でも、この本を読めば激怒するぞ。)

Black area in BaltimoreBlacks in Alabama 1

(左 : ボルチモアの黒人街 / 右 : アラバマ州の貧しい黒人)

  トランプ支持者は声を荒げて「出身国に帰れ !」と叫ぶが、それは鬱憤晴らしに過ぎない。これは人種の如何に関わらず、国民の権利を尊重する文明国ゆえの悲劇である。だいたい、アジアやアフリカからやって来た有色人種は、一旦「アメリカ国民」になれば梃子でも動かない。彼らはアメリカにケチをつけても、絶対に祖先の国へと戻ることはないのだ。なぜなら、祖父母が生まれ育ったアフリカは、アメリカの貧民街よりも貧しく、その生活水準は比較にならぬほど酷い。そもそも、黒人はどうして奴隷をこき使った白人の国に留まっているんだ? 答えてみよ ! 彼らは口でブツブツと不満を述べるが、心の底ではアメリカを素晴らしい国と分かっている。アフリカでの惨めな生活を考えれば、アメリカでの人種差別なんか仔犬のゲップと同じで、一向に気にならない。

Blacks in America 2white model 1

(左 : 増加するアメリカの黒人 / 右 : 減少するアメリカの白人 )

  日本の報道機関はトランプの主張を「暴言」と伝えているが、そんなのは表面的な見方に過ぎない。トランプは再選に向けて、お得意様のファンを増やそうとしているのだ。いくらトランプが黒人やヒスパニック、あるいはアラブ系イスラム教徒にリップ・サービスしたって、彼らがトランプに投票することはない。それなら、自分を支援する白人保守層に向けてアピールした方がいい。白人は米国に悪態をつく民衆党左派を嫌っているし、普段の生活でも黒人やアラブ人を忌々しく思っている。だから、トランプが率直に黒人を批判すると、自分の気持ちを代弁してくれたように感じ、何となく嬉しくなるのだ。それに、民衆党が極左議員に引っ張られて、真っ赤な極左政党になってくれた方が有り難い。中流階級の白人は、黒いアカに占領された民衆党を避けるから、結果として白人主体の共和党に靡く。トランプを馬鹿呼ばわりする日本の評論家どもは本当にアホだ。「暴言王」の合衆国大統領は、意外と“したたか”なビジネスマンなんだぞ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68773915.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/493.html#c10

[近代史3] ケネディはヤラセの東西冷戦体制を終わらせようとしたのでユダヤ金融資本に殺された 中川隆
8. 中川隆[-8826] koaQ7Jey 2019年7月27日 06:57:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3892]
海軍特殊部隊(Navy SEALs)出身で、プロレスラーにもなったジェシー・ヴェンチュラ(Jesse Ventura)は、ミネソタ州民の熱狂的な支持を得て、同州の知事に当選した。

彼は鋭い判断力と強固な意志を持っているが、敵を作りやすい独立独歩の奇人である。この俳優上がりの知事は、既存の政党が大嫌いで、かつては「独立党」や「改革党」に属していたが、今では「緑の党」に心を寄せているそうだ。

ベンチュラ元知事は合衆国政府の不正や腐敗にも敏感で、ジョン・F・ケネディー暗殺の本を書いたり、9/11テロの疑惑を追及するテレビ番組でも人気を博していた。

彼がオズワルド単独説に疑念を抱き、イタリア製のライフルを用いて実際に狙撃を試みた番組は圧巻だった。

元エリー部隊の軍人でも不可能な「狙撃」を、下っ端の通信兵に過ぎない海兵隊員ができたなんて、とても信じられない。この検証実験を観たアメリカ人は、狙撃に失敗するヴェンチュラを目にして「えぇぇっ〜」と驚き、ますます政府の報告書に疑念を抱いたという。

ちなみに、オズワルドはソ連に亡命する前、厚木基地に勤務する通信兵だった。(ゴルゴ13より優秀な通信兵スナイパーなんて・・・、嘘みたい。)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68773915.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/126.html#c8

[近代史3] ユダヤ人がヨーロッパ人に嫌われる様になったのは白人女性を性奴隷としてイスラム教徒に売る商売で稼いでいた為 中川隆
5. 中川隆[-8825] koaQ7Jey 2019年7月27日 07:12:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3893]
お前の民族性(血筋)は何なんだ?

  トランプに対する罵声は、政治家だけでなくジャーナリストからも噴出した。特に、「人種」や「差別」に敏感なユダヤ人が怒っている。記者会見でホワイトハウス顧問のケリーアン・コンウェイ(Kellyanne Conway)がトランプを擁護すると、「ブレックファスト・メディア(Breakfast Media)」のアンドリュー・ファインバーグ(Andrew Feinberg)記者が噛みついた。彼はコンウェイに向かって「もし、大統領が四人の議員に対し、出身国に帰れ、と言っていないのであれば、いったい彼はどこの国を指しているのか?」と質問したそうだ。すると、コンウェイは一呼吸置いて、ファインバーグに「あなたの民族性は?」と尋ねた。ファインバーグはすかさず、「それと何の関係があるんだ?」と聞き返した。しかし、コンウェイは表情を変えず、「私はあなたに尋ねているのよ !」と繰り返す。そして、「私の祖先はアイルランドとイタリアから来たの」と彼に告げたらしい。

Andrew Feinberg 1Kellyanne Conway 2
(左 : アンドリュー・ファインバーグ / 右 : ケリーアン・コンウェイ )

  コンウェイの質問に答えたくないファインバーグは、「私の民族性は、私の質問とは関係ない !」と回答を拒み、彼女に向かって再び問い質す。「大統領はパレスチナ系アメリカ人に対し、占領地区に帰れとでも言うのか?」と。後に、ファインバーグは自分のツイッターにコメントを投稿し、国旗の絵を用いて「私の民族性はポーランド、リトアニア、ロシア、オーストリアである」と公表した。しかし、こんな“情報開示”を目にしたら、西歐系アメリカ人のみならず、ユダヤ人でさえ腹を抱えて大爆笑するんじゃないか。

正確に言えば、ファインバーグはオーストリアやポーランドに住んでいた“ユダヤ人”の親から生まれた、ということだ。ユダヤ人というのは本当に厚かましく、「寄生民族」と呼ばれてもおかしくない。謂わば、図々しい居候みたいなものだ。つまり、単なる宿泊客のくせに、ちょいっと長居すると勝手に養子を名乗ったりする。タカリ先の主人は、いつの間にかこの厄介者が「家族」になっていたことに気づいて驚く。

父親か母親なのか知らないが、ファインバーグの片親は「ロシア系」らしい。でも、いくら鈍感なロシア人だって、ユダヤ人を「同胞」とは思わないだろう。

ポーランド人なんか、本当にユダヤ人が大嫌いで、心の底から憎んでいる。第二次世界大戦が終わっても、ポーランド人の反ユダヤ主義が燻っていたのは有名で、ポーランド人はドイツ人並にユダヤ人を迫害していたのだ。


Adam Edelman 2(左 / アダム・エデルマン )

  会社の規模に関係なく、アメリカの報道機関にはユダヤ系が矢鱈と多い。ファインバーグの件を報じたNBCのアダム・エデルマン(Adam Edelman)もユダヤ人記者である。ヨーロッパ系アメリカ人がユダヤ人を攻撃すると、ユダヤ資本のテレビ局やユダヤ人が経営する新聞社がユダヤ人記者を派遣して批判記事を書かせ、ユダヤ人被害者を掩護する。これだから、一般のアメリカ人が怯んでしまうのも当然だ。

いくら自分に正当な理由があっても、インタビュー映像で流される主張・反論はせいぜい1、2分程度。しかし、ユダヤ人記者のレポートは5分以上あったりするし、ゲスト解説者や専門家もユダヤ人か、ユダヤ人の協力者であったりする。こうなりゃ、ユダヤ・メディアによる公開処刑だ。

卑劣なのは、こうした報道番組がレポーターや司会者、評論家の素性を明かさないことである。一般視聴者は彼らがユダヤ人であるにさえ気づかないから、その意見を鵜呑みにし、標的にされた人物を「悪人」とか「レイシスト」、あるいは「極右分子」と考えてしまう。

  大手メディアによるマインド・コントロールは実におそろい。無防備な一般視聴者は、思考の「枠組み」を知らないうちに形成され、決まった経路で判断するようになる。一般人はサーカスの動物と同じで、番組司会者が鞭を振り下ろしただけで、逆立ちしたり、踊ったりしても疑問に思わない。

ヨーロッパやアメリカに渡ったユダヤ人が商売で成功すると、新聞社やテレビ局、雑誌社、出版社、映画会社などを創業したり買収したりするのは、主にお金儲けのためだが、寄生先の社会をコントロールするためでもある。

何処へ行っても鼻つまみ者のユダヤ人は、いつ地元民から憎まれ、迫害されるか分からない。だから、自己防衛と亡命資金のために普段から財産を蓄えているし、追放されないためにも、政治権力を握って支配者になろうとする。そして、重要なのは、「同胞との結束」である。歐米諸国に多数のユダヤ人組織や圧力団体があるのはその為だ。(これを説明すると長くなるので省略する。)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68773915.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/210.html#c5

[政治・選挙・NHK263] 狙うは政権交代。勢いづく山本太郎「れいわ新選組」衆院選の勝算  新恭(まぐまぐニュース) 赤かぶ
9. 中川隆[-8824] koaQ7Jey 2019年7月27日 07:14:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3894]
馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン

【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/667.html#c9

[政治・選挙・NHK263] 野党共闘は消費税減税が条件と山本太郎!  赤かぶ
11. 中川隆[-8823] koaQ7Jey 2019年7月27日 07:14:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3895]
馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン

【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/665.html#c11

[政治・選挙・NHK263] <朝日新聞・フロントライン>「放送禁止物体だった」山本太郎氏 突風で揺さぶる政界  赤かぶ
20. 中川隆[-8822] koaQ7Jey 2019年7月27日 07:16:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3896]
馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン


【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/663.html#c20

[政治・選挙・NHK263] 山本太郎政権の可能性 − 参院選2019の結果をみて −(ちきゅう座) 肝話窮題
2. 中川隆[-8830] koaQ7Jey 2019年7月27日 07:16:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3888]
馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン


【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/660.html#c2

[政治・選挙・NHK263] 「放送禁止物体だった」山本太郎氏 突風で揺さぶる政界(朝日新聞) 肝話窮題
1. 中川隆[-8829] koaQ7Jey 2019年7月27日 07:17:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3889]

馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン


【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/661.html#c1

[政治・選挙・NHK263] 「消費税5%なら共闘」 山本太郎代表、野党連携で(東京新聞) 肝話窮題
5. 中川隆[-8828] koaQ7Jey 2019年7月27日 07:18:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3890]
馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン


【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/662.html#c5

[議論31] れいわ組としては、ズバリ!山本太郎の読み筋通りだったということになる 仁王像
3. 中川隆[-8827] koaQ7Jey 2019年7月27日 07:30:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3891]
馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン


【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)

http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/684.html#c3

[議論31] 山本太郎の安倍内閣入りとの気配に、疑問や批判のコメ集/無名氏・その他 仁王像
11. 中川隆[-8826] koaQ7Jey 2019年7月27日 07:31:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3892]

馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン


【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)

http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/680.html#c11

[近代史3] 重曹水が健康に効果あり?! 中川隆
2. 中川隆[-8840] koaQ7Jey 2019年7月27日 07:49:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3878]
【大活躍】重曹フル活用 2018年07月26日
お食事(食用重曹)のみならず、お掃除のみならず、アロマ、入浴、歯磨き粉、幅広く活躍する重曹の使い方をまとめました。また、癌治療のツールとしてはよく調べてから自己責任でお願いします
https://matome.naver.jp/odai/2153251151804441801?page=2

なぜ重曹水がいいのか


病原体の数を少なくさせるには、病原体の好む酸性に偏った体を、弱アルカリ化にして、病原体を寄せにくい体内環境を作ることです。日々の生活の中で、アルカリ性 8 : 酸性 2 の割合で食事をとっていると、ウイルスが集まりにくい体になると言われていますが、その食生活はとても難しいです。

そんな時、重曹水はお手軽に体を弱アルカリ性に導いてくれます。


重曹水の作り方と飲み方

基本的なコップサイズに水(水道水や、塩素のはいっていない水を1杯、重曹を小さじ1杯いれよく混ぜて溶かしてください。
溶けにくいのでお湯にいれて溶かしても良いです。これを朝食前に1杯飲んでください。

※注意1

食後に飲んでしまうと、食べ物の酸に中和されて効果がなくなってしまいます。
これを繰り返していくうちに、体は弱アルカリ化して、ウイルスを寄せ付けづらくなります。

※注意2
ケーキなどで使う重曹は本来の重曹以外の成分もはいっているため、この場合の重曹は薬局などで売っている炭酸水素ナトリウム(重曹)をおすすめします。


出典
重金属から身を守る〜重曹水〜 | 有田歯科 メタルフリー診療室


重曹の味

重曹が初めから味のしない人、まずい人様々な人がいます。
体が弱アルカリ化されている人は、無味です。味によってどこが悪いかわかるので以下を参考にしてみてください。

☆味の種類からみられる体の状態☆
・すっぱい味→腎臓が悪い
・腐った味→腸内環境が悪い
・苦い味→肝臓が悪い
・魚の生臭い味→酸とアルカリバランスが悪い もしくは カルシウムと亜鉛不足

毎日飲み続ける事によって、だんだん弱アルカリ化されて無味になっていきます。
もともと味が無い人も、一日1杯を目安に飲み続けると、体が弱アルカリ化で保たれます。


出典
重金属から身を守る〜重曹水〜 | 有田歯科 メタルフリー診療室

重曹水でうがい


重曹水でうがい


病原体と同じで、虫歯菌も口腔内が酸性の状態を好みます。新鮮な唾液はアルカリ性なので虫歯になりづらいですが、食事後や、日々の生活習慣により、口腔内が酸性の時は、虫歯菌も繁殖します。

体内から重曹水でアルカリ化することもそうですが、食事後、歯磨き後に重曹水でお口をゆすぐと、さらに効果的です。


癌治療にも?

・体液pHを改善することによって、免疫細胞がガン細胞に「反応」出来るようにする。
・がん患者は免疫力が衰えているわけではない。免疫細胞がガンに反応しなくなっているだけ。
・なので、体液pHを弱アルカリ性にすれば、免疫細胞がガン細胞を攻撃するようになる。
・食事「のみ」で体液pHをアルカリ化すること可能だが、おそらく非効率的・・・。
・野菜ジュースの大量摂取でも、体液がアルカリ化する人としない人とで明確に分けられることが分かった。
・この違いが、食事療法でガンが治る人と治らない人の違いであると思われる。


出典
がん治療戦略に関するメモ


・重曹やクエン酸を飲めば、いくら酸性食品(肉、卵、チーズなど)を食べても体液を弱アルカリ性へ保てることが分かった(測定済み)。


出典
がん治療戦略に関するメモ

体液pHに


体液pHに


・体液pHを改善することによって、免疫細胞がガン細胞に「反応」出来るようにする。
・がん患者は免疫力が衰えているわけではない。免疫細胞がガンに反応しなくなっているだけ。
・なので、体液pHを弱アルカリ性にすれば、免疫細胞がガン細胞を攻撃するようになる。
・食事「のみ」で体液pHをアルカリ化すること可能だが、おそらく非効率的・・・。
・野菜ジュースの大量摂取でも、体液がアルカリ化する人としない人とで明確に分けられることが分かった。
・この違いが、食事療法でガンが治る人と治らない人の違いであると思われる。


・クエン酸5g、重曹を5gを1セットとし、1日に計6セット飲む。
 → 起床時
 → 朝食中
 → 朝食と昼食の間
 → 昼食中
 → 昼食と夕食の間
 → 夕食中
 → 上記のタイミングでそれぞれ1セット行う
 → 運動中にもこまめに飲めば、疲れも溜まらなくなる

上記に書いた重曹の摂取量を塩分換算すると、厚生労働省や世界保健機関(WHO)が定めている食塩摂取の推奨量をゆうに超えてしまいます。

私個人の意見としては問題ないと思っていますし、上記以上の摂取量を数ヶ月間、毎日摂取し続けていますが、リスクはあると思いますので、実践される場合は自己責任でお願い致します。


出典
がん治療戦略に関するメモ

『重曹水(重曹液)』は、癌患者さんの体内、及び、癌の『乳酸アシドーシス』を改善する手助けをしたり、癌の成長を弱めたり、癌の転移を減少させたりするための「補佐役」として使用します。ですから、『重曹水(重曹液)』を癌治療の主役に考えてはいけません。
 『重曹水(重曹液)』はあくまで「補佐」ですが、『乳酸アシドーシス』の改善を強力に「補佐」してくれます。


出典
重曹で癌が治る理由

カナダの自然療法、『メープル重曹療法』


カナダの自然療法、『メープル重曹療法』


この方法は、あるサイトの説明では『IPT療法』に近いと言っています。

『IPT療法』は、メキシコティファナにある多くの代替医療病院で行なわれているガン療法で、
サンタモニカ病院では、末期ガンの70%近くが元気になり、3年以上、生存しているそうです。
特に合うのは、乳ガン、胃がん、肺ガン、膵ガンだそうです。


『IPT療法』の仕組みを簡単に説明すると、ガン細胞は「グルコース(ブドウ糖)」で増殖します。
 ガン細胞は「ブドウ糖」が大好きなのですね。
 なので、まず『IPT療法』では、即時性のインスリンを静注します。
 すると、80mg/di くらいの血糖値は20分くらいで20mg/di 台となり、低血糖になります。

 そこに、5%の「ブドウ糖」に「アミグダリン(ビタミンB17)」を溶かしたものを点滴静注します。
 そうすると、ガン細胞は「ブドウ糖」が欲しくてウズウズしているので、優先的に「ブドウ糖」を取り込みます。
 しかし、同時に「アミグダリン(ビタミンB17)」も取り込みます。
 「アミグダリン(ビタミンB17)」はガンにとっては猛毒なので、その結果、死滅してしまうそうです。


出典
メープルシロップと重曹の、癌の自然療法 〜 カナダの自然療法『メープル重曹療法』 : 癌と食養 ☆★☆ 自然療法による癌治療 〜 Cancer Therapies by Naturopathy


「メープルシロップ」には「ブドウ糖」が含まれていて、「重曹」は強アルカリ性です。
 通常の細胞には無害ですが、ガン細胞は強アルカリを取り込むと死滅します。
 また、「メープルシロップ」にも抗ガン作用のある成分が含まれているそうです。
 やはり、民間療法には素晴らしい智恵が隠されているのですね。


出典
メープルシロップと重曹の、癌の自然療法 〜 カナダの自然療法『メープル重曹療法』 : 癌と食養 ☆★☆ 自然療法による癌治療 〜 Cancer Therapies by Naturopathy

https://matome.naver.jp/odai/2153251151804441801?page=2

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/335.html#c2

[リバイバル3] 中川隆 _ 経済、ビジネス関係投稿リンク 中川隆
104. 2019年7月27日 08:16:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3879]
山本太郎は反グローバリストを装って一般大衆を欺く極左の隠れグローバリスト、既存の体制を破壊するだけで、その後の事は何も考えていない
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/436.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/813.html#c104
[政治・選挙・NHK263] 狙うは政権交代。勢いづく山本太郎「れいわ新選組」衆院選の勝算  新恭(まぐまぐニュース) 赤かぶ
19. 中川隆[-8839] koaQ7Jey 2019年7月27日 10:28:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3880]
>>18
国際も紙幣も日銀の借金で区別できないというだけの話だよ

紙幣をいくら発行してもインフレにならなければ問題ないだろ
http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/667.html#c19

[リバイバル3] 北海道の最低市町村ランキング 中川隆
205. 中川隆[-8841] koaQ7Jey 2019年7月27日 11:48:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3878]

冷え込む日韓関係 北海道を直撃 ススキノ飲食店 長期化すれば「死活問題」と悲鳴
7/27(土) 10:00配信 北海道ニュースUHB
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190727-00000001-hokkaibunv-hok



 日韓関係の冷え込みで、韓国から北海道を訪れる旅行客が激減しています。その影響で、ススキノの飲食店でもキャンセルが相次ぎ、売上に深刻なダメージを与えているのです。関係悪化が長期すれば、「死活問題」と関係者からは悲鳴が上がっています。

 【日韓なぜ冷え込んだ? 】

 自衛艦へのレーダー照射問題や、徴用工問題など、日本と韓国の関係はギクシャクしています。そんな中、7月政府は韓国への半導体材料の輸出規制を強化しました。

 半導体の製造が主力産業の韓国は大打撃を受け、日本の措置に反発しています。日本側は、徴用工問題への報復ではないとしていますが、事実上の対抗措置という見方がされています。

 【広がる不買運動】

 韓国はこれに反発し、日本製品の不買運動が広がっています。コンビニ大手では日本製のビールの売り上げが前月比40%減。

 旅行業界にも影響が出ています。韓国の旅行代理店大手では、7月上旬の日本への旅行の予約は前年比50%減、4000人も減っています。そのうち、北海道関連は1000人に上ります。

 韓国での世論調査によると、現在不買運動に参加しているという人は54.6%。今後参加するという人が66.0%に上っています。

 【旅行者減で飲食店も大打撃】

 旅行のキャンセルなど、道内にも影響が出ていますが、飲食店も大きな打撃を受けています。

 八木隆太郎アナウンサー:「こちらは海鮮、日本料理が食べられて、海外の方に非常に人気ということですが、きょうはほとんどタイからの観光客です」

 ススキノにある、「難陀(なんだ)」は、外国人観光客に人気のブッフェスタイルのお店です。タラバやズワイといったカニの食べ放題や、天ぷら、すしなど、北海道の美味しいグルメが食べられるので、お客さんの7割が外国人観光客です。

 ここ数年、タイ、台湾、中国、韓国といった順で、外国人観光客で賑わっていたということですが、日韓関係の悪化が影響し、売上に深刻なダメージを与えています。

 難陀 伊藤実会長:
「(Q.いつごろから韓国の観光客が減った? )5月末ぐらいから。今月も、来月も全部キャンセルです」

「(Q.今までと比べて? )全然ケタが違います。まるっきりダメです。(韓国とは)仲良くしてほしい。政治家や関連の人たちに尽力してもらうしかない」

 【冷え込み 北海道を直撃】

 大きな影響が出るのにはワケがあります。道内への海外からの観光客は中国に次いで、韓国が2番目に多く、2018年度の札幌市の宿泊者数を見ると、韓国は63万人。前年比の伸び率は1位の中国より高くなっています。

 難陀の伊藤会長は、「問題が長期化し、来年の雪まつり期間中にも影響が出たら、まさに死活問題」と、今後の影響を懸念しています。

 この他にも、ホテルのキャンセルや新千歳空港と韓国各地を結ぶ航空路線の維持にも影響が出てくるかもしれません。

 【北海道での影響 他にも…】

 北海道の自治体にも、影響が出ています。旭川市では8月、姉妹都市提携30周年を祝うために韓国の水原(スウォン)市から70人の訪問団が来る予定でしたが、中止となりました。

 函館市でも、姉妹都市の高陽(コヤン)市からの市職員の派遣研修などが延期となりました。

 韓国のテレビ通販大手では、中富良野町などのラベンダーを目玉とする商品を紹介する予定でしたが、中止となりました。

 いずれも日韓関係の悪化を理由に、韓国側が中止や延期を決めたということです。外交上、難しい問題はありますが、感情的になることなく冷静に対応したいですね。

 (UHB『みんテレ』内「ほぼ日刊八木タイムス」より)
.
UHB 北海道文化放送

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190727-00000001-hokkaibunv-hok
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/588.html#c205

[政治・選挙・NHK263] れいわ舩後氏、木村氏に当選証書「感無量」「奇跡」(日刊スポーツ) 赤かぶ
8. 中川隆[-8840] koaQ7Jey 2019年7月27日 15:26:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3879]
山本太郎は反グローバリストを装って一般大衆を欺く極左の隠れグローバリスト、既存の体制を破壊するだけで、その後の事は何も考えていない


馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト

選挙公約は既存の体制を破壊する事だけで、その後の事は何も考えていない

一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン

【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)



http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/682.html#c8

[リバイバル3] 中川隆 _ 欧米文化関係投稿リンク 中川隆
99. 中川隆[-8842] koaQ7Jey 2019年7月27日 16:38:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3877]
ロシア人は今でも日本の敵 _ あまりに辛辣!ロシア人の「日本人への本音」
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/561.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/464.html#c99
[近代史3] ロシア人は今でも日本の敵 _ あまりに辛辣!ロシア人の「日本人への本音」 中川隆
1. 中川隆[-8841] koaQ7Jey 2019年7月27日 16:51:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3878]

日本人がロシアに勝手に抱く「6つの誤解」
プーチン大統領は当然のことをしていただけ
中村 繁夫 : アドバンストマテリアルジャパン社長 2016/12/22
https://toyokeizai.net/articles/-/150982?utm_source=yahoo&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&utm_content=related

今回の日露交渉では「ロシアは食い逃げしただけ」なとという論調が多い。だがロシアに詳しいビジネスマンの筆者から見ると全く違う(撮影:日本雑誌協会代表取材)

先日、モスクワに商談に行った後、12月15日のプーチン・ロシア大統領の訪日に合わせて東京に戻ってきた。「ホテルニューオータニ」での「日露ビジネス対話」の分科会と日本経団連主催の全体会議・レセプション(16日)に出席するためである。ロシア側からは360名、日本側からは主要な各社からだけでも560名ほど(両方をあわせると900名超)が参加した。

さて、読者の皆さんの日露首脳会談やビジネス対話の印象はどうだろうか。「平和条約や北方領土の交渉は不調に終わった」との論調が目立つ。しかもロシアによる「経済協力のただ食いだった」というのが、大半の日本人の見方のようだ。

大変申し訳ないのだが、私に言わせると、残念ながらこれらは日本人がロシア人を理解しないばかりか、ロシアに対する悪しき印象から来ているものだと思う。私はロシアとのビジネスも長く、ロシアを知る一人の日本人ビジネスマンとして、できるだけ客観的な視点に立って一連の誤解を解きたいと思う。

そもそも最初から期待しすぎだった日露首脳会談

プーチン大統領が「2時間半も遅れてきた」とか「無愛想すぎる」とか、日本人評論家の評価はさんざんである。極端なことを言えば、一連の報道でまともな分析をしているのは元外交官の佐藤優氏くらいのものではないだろうか。

そもそも、日露ビジネス関係は実際には以前からそれほど進んでいない。だが、この半年間のニュースを見ていると、ちょっと錯覚してしまうほどだった。あたかも今回のプーチン大統領の訪日によって、四島返還も平和友好条約の締結も成功するかのような報道も、当初はあったのである。

また、日本政府にも、返還の見返りとして、ロシア支援を本格化するといった姿勢が見え隠れしたのではないか。だがロシア側は本当に日本の協力を必要としているのだが、日本企業となると、これは意外に冷淡である。仕方がないかもしれないが、実際にロシアに投融資した企業で、成功した例は少ないからである


今回の日露ビジネス対話に参加した関係者は多かったが、実は普段からの実績がまったくないか、少ない参加者が多かったように見えた。ビジネス対話で登壇した企業は、日本政府から事実上の資金援助を約束されている大企業だけである。普通の民間企業が政府に要請しても、資金はおろか、貿易保険も下りないのである。

しかも、日本人は熱しやすく冷めやすい。領土問題は難しいことは承知しているが、この際、長期的に本気でロシアと協力関係を継続するべきである。民間企業がリスクをものともせずに本気になれば、日露協力は必ず成功すると考えている。

私自身でいうと、旧ソ連時代からこれまでロシアとのビジネスは30年近くになる。ほとんど誰の助けも借りずに現場主義でビジネスをやってきた。私の経験で判断すれば、今回のプーチン大統領の対応は昔のロシアスタイルのままで、特段何ら悪気もなければ、日本人を馬鹿にしたわけでもない。外交とビジネスは違うというかもしれないが、そうでもない。彼らは、当たり前に外交の常道に従ってやってきただけだと私は思う。要は、日本側が勘違いして、ロシア側の変化球だと勝手に思い込んでいるだけである。

日本人ビジネスマンが陥りやすい「6つの誤解」とは?

では、具体的に日本人はロシアに対して、どんな誤解をしているのだろうか。実は、私は、ビジネスの世界でこれまで嫌と言うほどロシアに対して思い違いと失敗をしてきた経験があるので、その経験をもとに話してみたい。大きく分けると日露ビジネスの交渉において、日本人の誤解は6分類される。

(1)覚書に署名したら、日本人は「問題は前進する」と考える。だが、ロシア人は「全ての協議が終了し拘束力のある条約が発効した時が最終合意案である」と考える。

(2)日本人には、日本の法制度もロシアの法制度も「さすがに同じではないものの、大きくは変わらないのではないか」という漠然とした期待がある。一方、ロシア人は「ロシアの法制度が中心だ」と考えており、日本的な法制度は基本的に認めていない。

(3)日本人は、契約書の言語は英語版(あるいは翻訳後の日本語版)が原本であり、ロシア文は参照用の翻訳であると信じている。一方、ロシア人は、ロシア語版と英語版の両方を原本とし、もし両者に不一致がある場合は仲裁裁定で決定させると考える(両政府の条約などの場合は、当然ながら両言語に不一致は存在しないことが大前提である)。


(4)ビジネスの世界でいう準拠法(Governing Law)の取り扱いについて。準拠法とは、どこの国の法律を基準とするかを取り決める条項である。大体において問題が起こった場合は、国家によって解釈が違うからよく揉めるのだが、日本人はこの準拠法を軽く考えがちなのに対して、ロシア人は深刻に考える。

(5)紛争の解決について。日本人は性善説に立って「紛争が起こることはあまり想定していない」のに対して、ロシア人は紛争解決のためにはどこの機関を選択するのかを、常に真剣に考えている。

(6)契約の履行について。日本人は前出のように性善説で考えるから「ロシア側は正しく行動してくれるはずだ」と考える。だがロシア人は性悪説で考える。

日本人のほうがむしろロシア人より非常識!?

以上の6つが、私が日ごろからロシア企業との交渉や契約書締結時に注意している内容である。過去約30年間ロシア貿易を経験してきたはずだが、そこまで注意して成約したつもりでいても、いまだに考え方の違いや文化の違いでトラブルに発展することがある。

「お前はロシアとつきあいが長いのをいいことに、ロシア側に立ちすぎているのではないか」とお叱りを受けるかもしれない。だが「以心伝心」で考えてしまう日本人のほうが国際的には非常識であり、ロシア側の交渉の発想は極めて常識的である。

実は、ロシア人の気質の中にも浪花節的な部分もあり、宴会でウォッカを飲みだすとお互いに気が大きくなり「まあまあ、なあなあ」になる場合もあるのだ。ところがロシア人は実際に契約を交わす段になると論理的かつ合理的になるのである。それは当然であろう。

もちろん、両国のビジネス交渉と外交交渉を同列で議論するわけにはいかない部分もある。だが、長年にわたってもめ続けている今回のような北方領土や平和条約の交渉、あるいは日露経済協力交渉ともなると、当然ながら両国とも「駆け引き」や「思い込み」や「考え方の違い」も出てくるのである。

代表的なのは、「返還」と「引き渡し」の違いである。日本側は1956年の日ソ共同宣言で、日本側は四島返還をベースに考えたが、ロシア側(当時のソ連)は「二島だけの引き渡し」と考えた。つまり「日本は取られたものを返してもらおうと長年考えていた」が、ロシア側は正式に戦勝国の権利として得た北方領土を「プレゼントする交渉だと考える」のである。

いろいろな意見もあると思うが、先日の東洋経済オンラインでの鈴木宗男氏のインタビューにもあるように、吉田茂首相の時代、サンフランシスコ講和条約で、北方領土については、「歯舞と色丹は別にして、国後と択捉はロシア領である」と事実上日本はいったん諦めたのである。

また、小泉首相の時には、北方領土返還交渉を事実上中断した事実も有り、ロシア側に言わせれば、ロシア側から交渉を無視した事実はない。それでも今回の交渉では、安倍・プーチン会談で「いったんリセットして1956年からのスタートラインに戻って解決しなければ未来永劫に友好条約は締結されない」という理解が出来たように思う。私は今回の交渉の結果、機が熟してきつつあり、二島は将来返還されることは間違いないところまでは進んだはずだ、と思っている。

「日本人はNATOだ!」といわれる理由

さて、領土問題の話はいったん「棚上げ」して、ロシア人はそもそも日本人をどう見ているのか解説して見たい。われわれ日本人は、ロシア人とのビジネス交渉の際には日本人は「NATO」だとおちょくられることがある(私自身は、今は言われないが)。

NATOとは、もちろん北大西洋条約機構のことではない。ロシア人だけに限らないのだが、特にロシア人は、「日本人は『No Action Talk Only』だ」と揶揄するのである。いろいろな交渉役が来て良い話ばかりしてくるが、実際には行動に移さない。商売には繋がらず、調査ばかり繰り返していることが多いというわけだ。

面白いことに、ここがロシア人の愛すべきところなのだが、ロシア人も、自分たちのことを逆にアネクドート(風刺的な小話)で笑い飛ばすことも忘れない。

例えば、こんなアネクドートがある。ロシアの現地でビジネスの話をしていて、日本人の会社の代表(交渉役)に工場見学をしてもらうと、日本人は、工場のことや技術については褒めてくれないくせに『貴方の子供さんは可愛くて素晴らしいですね』といつも褒めてくれる。2軒目の工場でも、やはり工場ではなく、子供のことを褒めてくれる。3軒目の工場でもそうだった。別の日本人の代表が現地に来た時も、まったく同じパターンだった。

ロシア人は不審に思い、「なぜ日本人は、子供ばかりを褒めるのか?」と聞いた。日本人の代表はひとこと『ロシアでは、手を使わない技術は本当に素晴らしいですね』と言ったという。自虐的だが、実はこれがロシア人らしい笑い話なのである。おわかりだろうか??アネクドートは説明すると面白くないので、これ以上の「下ネタ」は言わないことにする。

では、ロシア人とどうやってつきあったらいいのだろうか。こんな話をしてみるので、参考にしていただきたい。

実は昔、ロシア人の友人から、牧羊犬をプレゼントされたことがある。「ボス」という名前のカフカス牧羊犬だった。当初は3キログラムしかない、縫いぐるみのような可愛いワンちゃんだったが、わずか半年で体重は20キロになって、最終的には何と80キロ!にまで成長してしまった。

従順で私にとっては可愛い「巨大犬」だったのだが、近所の人にとっては恐怖の的であった。警察と保健所が調査に来たこともある。珍しいのでTV局から取材に来て飼い主(つまり私)が持て余しているのを見て「ダメ犬」特集に出たこともあった。要はどう猛なのだがメッチャ可愛いのである。

私にとってのロシアの印象とは、このカフカス牧羊犬のようなものだ。まさに私にとっては、このロシア犬「ボス」との13年間もの(ふつうロシアでの寿命は7年)付き合いが、ロシアビジネスの原点になった。ロシア人には叱られるかもしれないが、ロシア人との付き合いは、「ボス」と私の関係に少し似ていると常々思う。つまり、どう猛だが、メッチャカワイイ。カフカス牧羊犬のように継続して交流することこそ、必要だというわけである。

プーチン大統領は真剣だった

さて、まとめよう。私は16日に間近にいたのでわかるが、日露ビジネス対話の会場でプーチン大統領を見ていると、少し疲れている印象だった。だが、それでも彼は、かなりハードな外交日程をこなしていた。真剣だったのである。

プーチン大統領のことをこきおろすのはわからないではないが、彼にとって日本との平和条約は重要ではあるが、「北方領土問題」は平和条約締結後に自然に決まれば良いことだから、急ぐ必要がないのだ。

日露の経済協力についても、日本からの経済支援を「勝ち取る」ことは大事なのだが、ビジネスの成功とは、お互いにWinWinになることだから、大国の立場から言えば「喰い逃げ」などと言われる筋合いはない。だから、私の目からみると、日露両国にとって今回の首脳会談やビジネス対話は成功だったと思っている。

われわれの会社(アドバンストマテリアルズ社)では、ロシア貿易の比率が比較的高いため、私も含め、社員はよくロシアや中央アジアに出張する。繰り返しになるが、ロシアとの取引は(中国との取引と違って)一定の馴染みにならないと、ビジネスがスムーズに進まないことが多いのだ。

だが、逆にいったん友達になると、親類のように深い付き合いになる。ただし、普通の日本人にとっては、ロシア人は第一印象がブスッとしていて、馴染めないケースが多いように思う。

プーチン大統領は今も「日露関係は継続的に発展している」といっているし、日露の貿易が増加傾向にあることも挙げながら、「2国間関係で最も難しい問題の解決のための良い環境ができている」と話している。

ロシアは日本にとっても最も近い外国の一つだ。 日本の資本や技術提供なしに極東経済の発展が難しいことは明らかで、ロシアは実は極東共同開発のテーブルに、北方領土のカードを乗せたくて仕方がないのである。

ロシアの複数の友人に聞いてまわっているが「日本を嫌いなロシア人など滅多にいない。だが、日本人はなぜかロシアを誤解している」とも言っている。こうした誤解を解くためには、双方の交流を進めるしか王道はないように思われる。そのためにも、日本企業が積極的に米ロ関係や欧ロ関係のパイプ役になるくらいの使命感がなければ、日本はアジアのリーダーにはなれないのではないか。

これから日本の民間企業は「No Action Talk Only」を脱することができるだろうか。例えば、日本から一番近い大都市であるウラジオストック(9月の東方経済フォーラムが行われた場所)は、成田から飛行機でたった2時間のところにある。だが、日本人旅行客はなぜか行きたがらない。私自身はこれまでロシアには60回以上の訪問をしているが、ロシア人ほどおおらかで親日的な国民はそうはいない。表面的にはとっつきが悪いから、日本人が誤解しているだけなのである。



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/561.html#c1

[政治・選挙・NHK263] “敵”からも高い評価受ける政治家・山本太郎!  赤かぶ
4. 中川隆[-8840] koaQ7Jey 2019年7月27日 17:24:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3879]
馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト

選挙公約は既存の体制を破壊する事だけで、その後の事は何も考えていない

一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン


【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/685.html#c4

[近代史3] ロシア人は今でも日本の敵 _ あまりに辛辣!ロシア人の「日本人への本音」 中川隆
2. 中川隆[-8839] koaQ7Jey 2019年7月27日 17:31:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3880]

2019年06月14日
GDP韓国以下のロシアに謝罪外交する日本

プーチンは安倍首相を「金を払うばか」としか見ていない


画像引用:http://d2dcan0armyq93.cloudfront.net/photo/odai/600/bbfdf1fdbeca67bf376b66ad6c2d529f_600.jpg

ロシアは大国なのか?

ロシアと言えばアメリカと張り合う超大国の一つだと思われているが、実際には韓国以下の経済規模しかない。

強大と思われている軍事力だが年間軍事費は7兆2700億円(2017年ストックホルム国際平和研究所調査)に過ぎない。

日本の5.2兆円(NATO計算方式では7.1兆円)より多いものの、アメリカの80兆円や中国の20兆円より少ない。


ロシアのGDPは約1.6兆ドル(176兆円)で韓国と同程度だが、韓国の軍事費は43兆ウォン(約4.1兆円)となっている。

フランスの軍事費はロシアと同程度でGDPは2.6兆ドル(286兆円)とロシアの1.6倍ある。

ロシアの人口は1.4億人で日本より少し多い程度で、ちょうど中国の10分の1しかない。


ロシアは領土こそ世界最大ではあるものの、経済は韓国レベルで人口はアジアでは普通、軍事力は世界5位に入るかどうかという規模です。

先日日本の野党議員が「ロシアと戦争して北方領土を取り返すのに賛成か」というアンケートをしたが、その反応は驚くようなものだった。

日本中の国会議員や有識者や政府関係者が一斉にロシアへの謝罪を表明し、この議員を国会から追放すべきだと騒いだ。


「日本国を廃止して中国に併合してもらう」と言った鳩山総理は誰も問題視しなかったのに、ロシアに盾突くと国会議員でも追放されてしまう。

日本人がいかにロシアを恐れているかがこれで明らかになったのだが、ロシアはそんなに「大国」なのでしょうか?

経済規模が同じ韓国やイタリアは恐れないのに、ロシアに謝罪を表明する日本人はとても奇妙です。


謝罪外交は日本の不利益になる

北方領土は戦争によってロシアに奪われた日本国の領土であり、非難されるべきはロシアであって日本ではない。

安倍首相は今まで何度もプーチンと会ったが、一島も返還してもらえないのに経済援助だけを繰り返している。

プーチンにしたら安倍は子分かいじめられっ子に過ぎず、今後も同じことを繰り返す。


安倍首相には外交がまったくわかっておらず、謝罪して頭を下げて金を渡せば「ボクをいじめるのを辞めてくれる」と考えている。

こんな人が総理大臣では北方領土は帰ってくるどころか、ロシア領土だと正式に認めかねない。

80年代から90年代に散々繰り返して失敗した「謝罪外交」そのもので、村山富市と何も変わらない。


ロシアは韓国以下の経済だからこそ、虚勢を張って問題を起こし、戦争の危機を煽っている。

シリアやベネズエラやトルコにロシア軍を派遣して、「核戦争になるぞ」と叫び、「戦争が嫌ならロシアを援助しろ」と言っている。

やってる事は北朝鮮の金正日や金正恩と同じで、いわゆる瀬戸際外交というものです。


こんな国家はもう一押しすれば倒れるのだが、クリントンやブッシュのような間抜けは「戦争にならないよう北朝鮮を援助しよう」と言って金を渡した。

渡した金を北朝鮮は国民には渡さず、全額核ミサイル開発に使ったのが分かっています。

安倍首相がやっているのもクリントンやブッシュと同じで、ロシアの軍備増強を助けているに過ぎない。
http://www.thutmosev.com/archives/80097952.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/561.html#c2

[近代史3] ロシア人は今でも日本の敵 _ あまりに辛辣!ロシア人の「日本人への本音」 中川隆
3. 中川隆[-8838] koaQ7Jey 2019年7月27日 17:46:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3881]

2019年04月22日
ロシアの年収は中国以下でタイと同水準 経済低迷も国民は物言わず

モスクワ労働者の月給は7万円くらい

日ロ交渉は決裂

安倍首相が前のめりになって進めてきた日ロ領土交渉はすべて決裂し、成果ゼロで終わったのが明らかになっている。

日本側は一時歯舞色丹のみ(面積比で北方4島の1割未満)まで妥協したようだが、ロシア側は拒絶した。

ロシアの言い分では北方領土すべての領有権を日本が認めるべきで、そうすれば北方領土への投資を認める。

つまり日本が領有権を放棄すれば「お金を受け取ってやる」という言い分で、一見めちゃくちゃに思える。

このように強気なロシアだが、国内経済は良くなく、原油や天然ガスの輸出価格に一喜一憂している。

ロシアの輸出金額の3分の2はエネルギー関連で、これがなければとっくに「第二のソ連崩壊」に至っています。


ソ連は資源国でありながら西側に輸出するどころか輸入する有様で、外貨が底をついて債務の支払いができなくなって倒れました。

原因は経済システムが機能しなかったことで、労働者はノルマを達成するとノルマが重くなるので、わざと達成しないようにしていました。

ロシアでは資本主義が機能しているので、天然ガスを多く採掘して輸出すれば労働者の収入が増え、生活が豊かになる。


とはいえロシア国内の経済状況は想像以上に厳しく、国民は苦しい生活をしているが発言の自由が無いので黙っている。

ロシアの平均年収が中国を下回ったのは2015年頃で、中国は全土で平均年収80万円はある。

対するロシアはモスクワで月給8万円ほど、地方では5万円ほどとされていて、かつてアメリカと超大国の座を争った国とは思えない。


ロシア人の年収はアジアの新興国並み

タイの平均年収は60万円を超えているのでロシア人はいつの間にかタイ人と同じ程度になり、他のアジア諸国も迫ってきている。

タイの生活費は日本の3分の1程度(現地の食事や生活レベルで)なので日本の年収200万円に相当し、先進国並みを求めなければ暮らせる。

最近10年でロシアの通貨ルーブルの価値は半減し、月収はそれほど上がっていないので実質賃金は下がっている。


ロシアの生活物価は西側先進国の半額程度だが、タイと比べると収入が同じくらいなのに、物価はロシアのほうが高い。

首都モスクワはロシアでは賃金が高いがそれでも月給7万円から10万円以下、地方では3万円や5万円で働いている人も少なくない。

天然ガスなどの輸出で儲けているのはそうした労働者と一部の資本家で、国民には渡っていない。


GDP総額でもロシアは韓国に抜かれてしまい、イタリアより少ないという微妙な「大国」になった。

ロシア人は異口同音に生活が苦しいというが、政府の取り締まりが厳しいので大規模な抗議運動はほとんど起きない。

最近の調査ではロシアの若者の半数近くが外国への移住を希望し、国民全体でも20%が国外移住を望んでいる。


ロシアの出生率は1.7ほどで出生数も160万人と日本よりかなり良いが、それでいて毎年10万人ほど人口減少している。

出生率低下の始まりが早いのと平均寿命の短さ(71歳)、国外移住者の多さなどが原因になっている。

これで政権が倒れないのが不思議だが、プーチンは強権とカリスマ性で高い支持率を保っている。
http://www.thutmosev.com/archives/79629338.html


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2019年7月14日
ロシア、2島返還協議入りも拒否
共同通信

 【モスクワ共同】安倍政権が進める日ロ平和条約交渉で、ロシア側が日米同盟による脅威などを理由に、1956年の日ソ共同宣言に明記された歯舞群島と色丹島の2島引き渡しの協議入りも拒否していたことが14日分かった。複数の日ロ関係筋が明らかにした。プーチン政権内で領土問題の譲歩による支持率低下の懸念が高まったためという。

 日本側はロシア側に配慮し、北方四島は「日本固有の領土」との従来の主張を封印して2島返還での決着を図ったが、こうした安倍晋三首相の戦略の行き詰まりが明確になった。ロシア主導の交渉が続けば、さらに譲歩を迫られる恐れがある。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/561.html#c3

[近代史3] ロシア人は今でも日本の敵 _ あまりに辛辣!ロシア人の「日本人への本音」 中川隆
4. 中川隆[-8837] koaQ7Jey 2019年7月27日 17:58:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3882]
北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない 


北方領土をロシア領と認めることが・・・ ロシア外相(18-12-18) - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=wd10h3bCtdk

ロシアのラブロフ外相は、日本側が北方領土は第2次大戦の結果、ロシア領になったと認めなければ平和条約締結交渉は進展しないという認識を示しました。


ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない 北方領土交渉の経緯からみる 1/20
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190120-00010000-wordleaf-pol

 北方領土交渉の進展が期待される1月22日の日露首脳会談ですが、北方領土をめぐっては、歯舞群島(はぼまいぐんとう)と色丹島(しこたんとう)の返還を軸とした「2島返還プラスアルファ」論も報じられるようになってきました。しかし、軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏は「ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない」と指摘します。それはどういうことなのか。これまでの北方領土交渉の経緯を振り返りながら、黒井氏が解説します。


【地図】突然の北方領土占拠 “千島”がほしいソ連に口実を与えた「ヤルタの密約」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161205-00000006-wordleaf-pol.view-001

[地図]北方領土周辺の地図
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190120-00010000-wordleaf-pol.view-001

[表]北方領土4島の比較
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190120-00010000-wordleaf-pol.view-002


ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない 北方領土交渉の経緯からみる

返還を期待させる日本メディアの報道は「不思議」

「なぜ日本政府はいつも島のことばかり言うのですか? ロシアの領土を私たちが渡すわけがないじゃないですか。形だけでも交渉してくれと日本の外務省が頼んでくるので、何も約束しない範囲で付き合っていますけど、これいつまで続けるつもりなのですかね」

 これは1990年代のエリツィン政権時代に、プライベートで交流があったロシア外務省の日本担当者が私に言った言葉です。

 私はかつてモスクワに2年ほど住んだことがあり、北方領土問題についてロシア側を取材していたことがあります。日本では1991年4月のゴルバチョフ初来日の前あたりから、日本の経済協力と引き換えにロシア(ソ連)が北方領土を返還する可能性があると度々報じられてきました。日露交渉はエリツィン時代も続き、「交渉進展か」との観測記事も頻繁に報じられてきました。それはプーチン政権になっても同様で、今日まで続いています。

 ところがこの28年間、1ミリたりとも領土は返ってきていません。つまり、繰り返されてきた領土返還を期待させる報道は、すべて「誤報」だったわけです。

 この日本メディアの報道を私は不思議に思っています。というのも、ロシア側からは28年間、領土返還への取り組みを示す情報が一切、出てきていなかったからです。ロシア側の政官界を取材して私が最初にこの問題の記事を書いたのは、前述したゴルバチョフ初来日の直前で、「最弱の支配者ゴルバチョフでは北方領土は還らない」という週刊誌記事でした。その後、エリツィン時代も同様の記事を発表してきました。

 プーチン政権になってからはこの問題で現地取材はしていませんが、特にロシア側の情報を細かくチェックしています。日本メディアが「交渉進展か」と報じる度、その根拠が「日本側の関係者がそう言った」以外にファクトが一切存在していないことを確認しています。

2001年に日ソ共同宣言を法的文書と確認したが……

 では、実際にどのような動きがあったのでしょうか? リアルな交渉の経緯を列記してみます。(肩書き等はいずれも当時)

1991年3月
 ソ連経済が崩壊し「カネで領土が買える」論が日本で浮上。特に同年4月のゴルバチョフ初来日の前に期待値は最大になります。日本では自民党執行部に怪しい領土返還話が持ち込まれ、大蔵省に資金支出も根回しをした上で、3月に小沢一郎幹事長が訪ソしてゴルバチョフ大統領と会談しました。が、まったく相手にされずに終了。

1992年3月
 コズイレフ外相と渡辺美智雄外相の会談の際、同席していたクナーゼ外務次官が非公式に「平和条約締結と2島引き渡し」に言及しました。ただし、ロシア政府が承認した公式提案ではなく、あくまでクナーゼ次官個人の行動でした。ロシア側では一切検討もされていません。

1993年10月
 東京宣言。初めて領土問題の存在が確認されました。日本側では「交渉進展」と盛り上がりましたが、返還への文言は一切盛り込まれていません。

1997年11月
 クラスノヤルスク合意。「2000年までに平和条約締結を目指す」と合意され、日本側でだけ「交渉進展」と盛り上がりました。

1998年4月
 川奈提案(※)。国境を4島の北に定めるかわりに、施政権をロシア側に残すことを日本側が提案。日本側関係者からは「エリツィン大統領は乗り気だったように見えた」との証言がありますが、実際にはロシア側は拒否しています。検討していたという情報も一切ありません。(※川奈は首脳会談が行われた静岡県伊東市の地名)

2001年3月
 イルクーツク声明。1956年の日ソ共同宣言を「交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書」とすることが確認されます。この共同宣言には、平和条約締結後に2島を引き渡すことが明記されています。このため、日本側では「プーチン大統領は2島返還で決着したがっている」との憶測が定説化しました。しかし、プーチン大統領本人もプーチン政権当局者も「2島なら引き渡してもいい」とはこの時も、それ以降現在に至るまでも、1度も発言していません。

 ロシア側からすれば、共同宣言が「交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書」だとしても、あくまで出発点であり、プーチン政権としてその通りに進めると約束したことにはならないという考え方です。同声明にはまた、両国の交渉で目指すべき目的を「相互に受け入れ可能な解決」とする文言もあり、意図的に過去経緯に縛られない曖昧さが織り込まれています。

2012年3月
 プーチン首相が各国メディア幹部との会見の席で「引き分け」発言。これを日本側は「2島返還で決着したがっている」と受け取っていますが、ロシア側は一切、そんな説明はしていません。

2013年4月
 首脳会談で、経済協力を進めて平和条約交渉を加速することが合意されます。しかし、領土返還には一切触れられていません。日本メディアは「交渉進展」と大々的に報道しています。

2016年12月
 首脳会談で領土返還については一切進展がありませんでしたが、日本側の巨額投資を中心とする経済協力を進めることが合意されます。

2019年1月14日
 外相会談でラブロフ外相が「日本は4島がロシア領土だと認めよ」「北方領土という用語を使うな」と要求します。

ロシア側は「返還する」と一度も明言していない

 以上のように過去の経緯を俯瞰して見れば、「1島たりとも」ロシア側が返還するなどと一度も明言していないことが明白です。明言しないということは、言質をとられないように注意していることを意味します。つまり、2島返還で決着「したがっている」わけではないことが証明されていることになります。

 この点、日本側には自らの願望によって相手の意図を誤認識する傾向が強くみられます。特に2001年のイルクーツク声明では日本政府もほとんどの日本メディアも「2島返還で決着したがっている」と誤認識しました。しかし、仮にそうであれば、これまでロシア側が一度もその意思に言及してこなかったことの説明がつきませんし、さらに今回のように、わざわざラブロフ外相が「まず4島のロシア領を認めよ」などと発言して交渉のハードルを上げ、2島返還決着の機運に水を差すこともないでしょう。

 さすがに最近は日本側でも「2島すら返す気はないのではないか」とのメディア解説が増えてきましたが、別に最近になって急にロシア側の態度が硬化した、ということではなく、ロシア側には最初から返還の意思はなかったといえます。

 今回、ラブロフ外相は平和条約締結を進めたいとすると同時に、日本側の事情が1956年の共同宣言時とは、60年の日米安保条約改定で大きく変化していることを指摘しています。つまり、現行の日米安保条約による日米同盟の現状、あるいは在日米軍の存在などを口実に、今後も2島引き渡しを拒否していくことを、事実上、宣言したようなものです。日本が現行の日米安保条約を解消する可能性は考えられませんから、ロシアは仮に平和条約が締結されても、2島引き渡しにはすんなり応じないと見るべきです。

 結局、ロシア側は1島すら返還する気はないと考えざるを得ません。1月22日には安倍首相とプーチン大統領の首脳会談が行われますが、北方領土返還に道が開ける可能性は、残念ながらまったく見えません。
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■黒井文太郎(くろい・ぶんたろう) 1963年生まれ。月刊『軍事研究』記者、『ワールド・インテリジェンス』編集長等を経て軍事ジャーナリスト。著書・編書に『イスラム国の正体』(KKベストセラーズ)『イスラムのテロリスト』『日本の情報機関』『北朝鮮に備える軍事学』(いずれも講談社)『アルカイダの全貌』(三修社)『ビンラディン抹殺指令』(洋泉社)等がある

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/561.html#c4

[近代史3] 北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない  中川隆
30. 中川隆[-8836] koaQ7Jey 2019年7月27日 18:14:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3883]
あまりに辛辣!ロシア人の「日本人への本音」
7/27 グレンコ・アンドリー :国際政治学者、日本研究者
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190727-00292654-toyo-bus_all&p=1

政府は今年4月、プーチン大統領の6月の訪日に合わせた北方領土問題を含めた平和条約締結の大筋合意を見送った。6月22日にもロシアの国営テレビ番組で「(北方領土を日本に引き渡す)計画はない」と語っている。安倍政権はプーチン大統領と対話を重ね、経済協力を結べば領土問題を解決できる、と考えていたようだが、はしごを外された結果となった。

2014年、ロシアに領土クリミアを侵攻されたウクライナ人のグレンコ・アンドリー氏は、自著

『プーチン幻想「ロシアの正体」と日本の危機』
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3%E5%B9%BB%E6%83%B3-%E3%80%8C%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93%E3%80%8D%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%8D%B1%E6%A9%9F-PHP%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC/dp/4569842828

で「ロシアとの約束はつねに破られる」と述べている。日本人のロシアに対する誤解について、文化を例にとって本書から紹介する。
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■文化に興味があるから親日とは限らない

 いま日本で広まっている幻想の1つは、「ロシアには日本文化や日本武道が好きな人が多く、彼らは親日に違いない」ということである。

 よく「プーチン自身が日本武道をやっているので、日本の伝統や文化をよく理解している」と言われている。しかし、これもまた現実に基づいた考えではなく、希望的観測である。つまり、「こうあってほしい」という強い願望から「こうに違いない」という錯覚に陥ってしまうのである。しかし現実にはそうなっていない。日本の文化に興味があるという理由で、その人が親日になると思い込んでいる日本人は認識が甘い、と言わざるをえない。
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 その国の文化が好きだから、またはその国に興味があるから、という理由でその国のシンパになるとは限らない。

 確かに日本では、特定の外国の学問分野を専門にする人がその国のシンパになることはよくある。例えば、ロシア文学を専門にする人が親露派(一昔前は親ソ連)になったり、中国哲学を専門にする人が親中派になったりすることは頻繁に聞く話である。また、日本の外務省における「チャイナスクール」「ロシアスクール」「アメリカスクール」は有名であり、日本の外交官であるにもかかわらず、日本の国益ではなく、外務省の中で専門とする国の国益を優先するという悪しき習慣も存在する。


しかし外国、ましてロシアではこのような事例は滅多にない。いずれの分野においても、日本を専門にする人が親日になるわけではない。もちろん、アメリカを専門にするロシア人が親米になることもない。

 むしろ、専門の対象とする国をよく知り、その特徴や弱点を把握することで、当該国に対するロシアの外交を有利に進めることに貢献するのが、外国を専門に研究する人々の目的である。これ自体は批判されるべきことではなく、むしろ普通の姿勢だと言わざるをえない。
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 この姿勢は仕事ではなく、趣味の世界であっても同じである。プーチンにとって日本武道はあくまで身を守る手段であり、闘う方法である。暗殺などを通常手段とするKGB出身のプーチンが、武道をやっているから日本文化を理解していると期待することは、いわゆる「お花畑思想」の類のものであると言わざるをえない。

 日本では、韓流ドラマを見すぎて韓国に憧れるあまり、韓国人になりたいとまで思う日本人はそれなりにいる、と聞いている。また、アメリカンドリームを題材にした映画を見てアメリカ人になりたいと思う日本人もそれなりにいるようだ。しかし、同じように、日本のアニメを好きなことによって日本そのものを好きになり、親日になると考えるのは、先述した「お花畑思想」である。
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■アニメ好きでも、「北方領土は返還すべきではない」

 じつは、筆者自身も日本に興味を持つきっかけの1つは日本のアニメであったので、一時期、日本のアニメをかなり見ていた。またその頃、ロシアのアニメが好きな人たちのコミュニティと交流があった(筆者はロシア語が話せる)ので、彼らが考えていることを直に聞くことができた。

 彼らのなかには、趣味として本当に日本のアニメに熱心な人もかなりいた。アニメグッズの一大コレクションを持ったり、コスプレショーなどのイベントを開いたり、日本への旅行を計画したりする人がいた。一見、まさに「親日」に当てはまる人たちである。


しかし、趣味ではなく現実世界の話になれば、まるで別人のようになる。北方領土のことを聞いたら、たいてい「一島も返すべきではない」「あの土地はわれわれの先祖が血を流して獲得したものだから、返還は先祖への侮辱である」「アニメは大好きだし、日本人とは仲良くしたいけど、なぜ彼らが私たちの領土を狙っているのか理解できない。仲良くしたらいいのに(女の子の場合)」「そんなに領土が欲しいなら、米軍基地を撤退させて空いた土地に住んだらいいじゃないか」「アメリカに支配されているくせに日本人はロシアに文句言うな!」「趣味と国家は別だ」「クリル諸島が欲しいなら、方法は簡単だ。日本列島がロシア領になればいい。それだったら日本人は皆ロシア国民になるので、いくらでもクリル諸島に住める」などである。
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 さらに歴史について聞くと、「日本人はヒトラーの味方だった」「日露戦争でロシアは日本に騙し討ちの攻撃を受けた。ソ連の対日参戦はそれに対する正当な報復だから、文句を言われる筋合いはない」「今の日本人は戦争に負けてから大人しくなったが、昔は残虐だった。731部隊で人体実験をやっていた。捕虜の首を切り、中国人の民間人を大量に殺していた」と言っている。

 強調するが、以上の意見を述べたのは日本のアニメが好きな人たち、つまり最も親日のはずの層である。ましてや、アニメに興味がない一般ロシア人の意識を想像することはさほど難しくないであろう。当時、このような発言を聞いて筆者は驚いたが、よく考えれば、趣味はどうであれ、ロシア人はロシア人なのである。
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 筆者が関わった人の中で、多くはないが一定数、「アニメそのものは好きだが、日本や日本人は大嫌い」という人もいた。本当にごくまれに、北方領土返還を容認し、ソ連の対日参戦を批判する人たちがいた。しかし繰り返しになるが、それはアニメが好きな人の層に限る話なので、ロシア全体で考えれば、その比率はさらに小さい。

■中国と韓国を見れば実証済み

 そもそも、アニメが好きな人が多い国が親日国になるわけではないということはすでに実証されている。世界の中で、日本のアニメファンが最も多い国はどこか。それは中国である。また、日本のアニメが好きな人の比率が最も高い国はどこか。それは韓国である。しかし、両国は親日国だろうか。決してそうではない。

日本のアニメが好きな人という点では、中国は数で、韓国は比率でロシアに勝っている。また日本文化や日本武道に興味のある人の数も、ロシア人より中国人や韓国人のほうが多い。

 しかし、それはまったく親日とは関係ないものである。中国と韓国は世界最大級の反日国家である。この自明な事実を、「アニメが好きなロシア人は親日」というデタラメを流している日本人はなぜ無視しているのだろうか。

 このように、大衆文化や伝統文化、もしくは日本武道への興味が、当該国の人々を政治的な親日にするわけではない。そのようなケースがあるのは事実だが、実際にはまれであり、そうならない場合がほとんどである。同じように、日本文化に興味がある人が多いという事実は、当該の国を親日国にするわけでもない。甘い幻想を捨てて、厳しい現実を認識することが日本の国益のためになるのではないか、と筆者は考えている。
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 ロシアにおいては日本が好きな人であっても嫌いな人であっても、昔の「日本が悪かった」ことと、「南クリル諸島に対する不当な領土的野心」を日本の欠点として取り上げている。

 歴史に関しては、多少、日露関係史に詳しいロシア人であれば、1855年の下田条約(日露和親条約)でロシアは日露友好のためにそれまでロシア領であった南クリル諸島を善意で日本に譲った、と主張している。

 さらに、一部の人は「北海道のアイヌはロシア王朝に朝貢をしており、それはロシア支配を認めていたことを意味する。本来はロシア帝国が北海道を領有するはずだったが、ロシアは日本に配慮して侵攻しなかった」と主張している。それこそがロシアが日本に対して友好的だったことの証しだ、とまで彼らは考えている。そして「ロシア人の寛大さに対して、日本人はロシア皇太子を襲い、だまし討ちで日露戦争を吹っかけた。まったく恩知らずの民族だ」と思っているのだ。
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 さらに、天皇陛下について「ソ連のスターリン崇拝が批判されるが、日本だって皇帝崇拝があったではないか。現在でも、一部の狂った民族主義者が日本の皇帝を崇拝している」と主張する人もいる(筆者からすれば、日本の国体の奥深さや皇室の尊さに対する理解をロシア人から期待することはもちろんできない。だが、それでも世界最古の王朝と1代限りの独裁者を同列に考えるのは、無知や非礼の極みである)。

 だからソ連による対日参戦は、ロシア人からすれば、先述した「ロシアに対する敵対行為への当然な報復」ということだ。したがってロシアは正当に南千島を「取り戻した」のだ、という理屈になる。

■「アメリカに支配されている」と考えている人も

 以上のことを前提として、現代のロシア人は日本のことをどう考えているのであろうか。その答えはもちろん人によってばらばらである。先述した認識はロシア人のほぼ全員が持っているが、それ以外の面では、考え方は人によって異なる。日本が嫌いなロシア人は「日本人はうそつきで本当のことを言わない」「日本は住居や道が狭くて住みにくい」「職場では人間を家畜扱いしているが、それに抵抗しない日本人にはぴったりの扱いだ」「奴隷根性が強い」など。
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 しかし、嫌いな人についてどれほど論じても仕方がない。日本のことが嫌いな人は、どの国でも一定数はいるであろう。重要なのは、「日本のことを嫌いじゃない人」である。彼らは、日本の長所とされる面を指摘する。まず「日本人は勤勉だ」「日本は技術が発展している」「文化が奥深い」「インフラが整っており、社会保障が充実しているので住みやすい」などと言う。だから日本に「住みたい」もしくは「住んでみたい」と言うロシア人もいる。
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 本当に大事なことなので何度も繰り返し言うが、たとえ日本のことが好きなロシア人であっても、「昔の日本は悪かった」「北方領土は一島も返すべきではない」と考えている。それだけではない。たとえ日本が好きなロシア人でも、「今の日本はアメリカに支配されている」と考えている。彼らの頭の中では、アメリカが日本の民族主義者と結託し、存在しない北方領土問題を掻き立て、日露友好を妨害していることになっている。

 基本的に、ロシア人の頭の中で友好とは「ロシアへの服従」を意味している。ロシア人は他国のロシアへの服従は当たり前の自然状態だと考えているので、それに反発が起きることを想定していない。したがって、反発が起きたときはそれを「敵対行為」と認識する。ロシア人は、他の民族には独立意思があるということを理解できない。だからこそ、ロシアへの服従に抵抗を示す民族がいることに対して驚くわけである。日本人の皆さんにはなかなか理解できない感覚だろうが、ロシア人はそういう国民である。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c30

[近代史3] ロシア人は今でも日本の敵 _ あまりに辛辣!ロシア人の「日本人への本音」 中川隆
5. 中川隆[-8835] koaQ7Jey 2019年7月27日 18:17:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3884]
日ロ領土問題と平和条約交渉について
森・プーチン会談と「イルクーツク声明」は何を示したか
2001年4月13日 日本共産党 政策委員会、同 国際局


 森首相とプーチン大統領との日ロ首脳会談は、「イルクーツク声明」(三月二十五日)を発表して終わりましたが、両国間の領土問題について、な んらの具体的な前進がなかったばかりか、いっそうの困難をつくりだすものとなりました。日本の各紙も、「依然隔たり大きい日ロ平和条約交渉」、「かすむ 『領土』 日本苦渋 日露交渉進展せず」などと、きびしい見方を示しています。

 いったい、このゆきづまりを打開する道はどこにあるのでしょう。そのためにも、あらためて、日ロ間の領土問題の原点はどこにあるのか、自民党外交のどこに問題があるのか、日本共産党はどう考えているのか――について明らかにしておくものです。

一、日ロ領土問題の原点と解決の基本方向は

(1)歯舞、色丹と千島列島全体が日本の歴史的な領土

 政府もマスコミも、ロシアとの領土問題というと「北方領土」という言葉を使います。「北方領土」という場合、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)の四島のことをさしています。

 しかし、日本の歴史的な領土は、この四島だけではありません。歯舞と色丹は、もともと北海道の一部です。国後と択捉は、千島列島のなかの南千 島部分だけです。本当は、その北にある得撫(うるっぷ)から占守(しゅむしゅ)までの北千島までを含む千島列島全体が、日本の歴史的な領土なのです。

 このことが確定したのは、幕末から明治にかけての十九世紀後半のことでした。

 それまでは、千島列島と樺太(サハリン)島がどの国の領土であるかは確定しておらず、千島列島の南からは日本が、北からはロシアが、それぞれ 進出し、利害が衝突したところでは紛争が起こるという具合でした。それが、千島は日本の領土、樺太はロシアの領土となったのは、二つの条約が結ばれたこと によってでした。

 一つは、徳川幕府と帝政ロシア政府との間に結ばれた、一八五五年(安政元年)の「日魯(にちろ)通好条約」です。伊豆の下田で結ばれたこの条 約によって、択捉島と国後島の南千島は日本領、得撫島から占守島までの北千島はロシア領とし、択捉島と得撫島のあいだの海峡を日ロ間の国境とすることが決 まりました。しかし、樺太島については、両国間の境界を決めず、従来どおり日本人もロシア人も自由に活動できる“雑居の地”とされました。

 もう一つが、その二十年後、一八七五年(明治八年)にロシアの首都サンクトペテルブルクで結ばれた「樺太・千島交換条約」です。この条約に よって、樺太全島をロシア領とするかわりに、北千島を日本領としました。この結果、千島列島全体が最終的に日本の領土となったのです。この点では、日露戦 争の結果、日本がロシアから奪いとった南樺太とは根本的に異なります。

 このように千島列島は、日本が暴力や戦争で他国から奪った領土ではなく、平和的な外交交渉によって日本への帰属が最終的に確定したものであ り、日本の歴史的な領土を問題にするなら、一八七五年の樺太・千島交換条約で画定した国境が、日本とロシアとのあいだの歴史的な境界線となるべきことは、 日ロ外交史が示す自明の結論です。

(2)日本の歴史的領土を奪ったスターリンの大国主義的誤り

 その千島列島や北海道の一部である歯舞、色丹が、どうして旧ソ連、現在のロシアの領土にされてしまったのでしょう。それは、第二次世界大戦の 最終段階に、ソ連の指導者だったスターリンが、日本の歴史的領土である千島列島の併合を対日参戦の条件として強引に要求し、しかも平和条約の締結もまたず に併合を実行してしまったからです。

 もともと、第二次世界大戦の戦後処理については、ソ連が支持した「大西洋憲章(英米共同宣言)」(一九四一年)でも、ソ連ものちに加盟した 「カイロ宣言」(一九四三年)でも、連合国側は「領土不拡大」を最大の原則として確認していました。「大西洋憲章」には、「両国は領土的その他の増大を求 めず」と明記され、カイロ宣言は「右同盟国は自国のために何等の利得をも欲求するものにあらず。また領土拡張の何等の念をも有するものにあらず」と強調し ていました。

 ところが、第二次世界大戦末期の一九四五年二月、クリミア半島のヤルタでおこなわれた米英ソ三国首脳による秘密会談でスターリンは、対日参戦 の条件に日本の正当な領土である千島のソ連への「引き渡し」を要求し、アメリカ、イギリスともこれを認めてしまったのです(「ヤルタ秘密協定」)。スター リンは、この会談で「ソ連が対日戦争に参戦するためには、ソ連が極東で欲している一定の利権が認められることが肝要である」とのべ、「利権の譲渡」を強く 要求したのです(当時の米国務長官ステティニアス著『ルーズベルトとロシア人』)。スターリンの要求は、「領土不拡大」というソ連も参加していた連合国の 戦後処理の原則を乱暴に踏みにじるもので、なんらの国際的道理ももたないものでした。

 しかもソ連は、千島列島だけでなく、ヤルタ協定で言及されなかった北海道の一部である歯舞、色丹まで軍事占領し、戦後まもない一九四六年に、平和条約も問題にならないあいだに、千島列島と歯舞・色丹のソ連領への「編入」を一方的に強行してしまいました。

 その後、一九五一年にサンフランシスコ平和条約が結ばれた時、日本は、この条約の領土条項で、千島列島にたいする「すべての権利、権原および 請求権を放棄」すること(第二条C項)を強要されました。これは、この条約の起案者であるアメリカが、一九四五年のヤルタ協定の内容を不当にもちこんだも のでした。しかし、日本はヤルタ協定の当事者ではなく、そこでの秘密の取り決めに日本国民が拘束される理由は、どこにもありません。

 日ロ間の領土交渉にあたっては、「領土不拡大」の原則を乱暴にふみにじったスターリンの横暴、大国主義的な領土拡張主義にこそ、今日の日ロ両国間の領土問題の根源があることを、しっかり見定めなければなりません。

 ロシア連邦の政府自身が、旧ソ連の国際的地位を継承したものとして、スターリンのこの重大な誤りを正す責任を負っていることは、当然です。

(3)ロシアに領土返還を要求する日本国民の大義は、
スターリンの大国主義的な誤りの是正にある

 日本国民がロシアに領土返還を要求する根拠は、スターリンの大国主義的な誤りを正して、日本の歴史的な領土の回復を求めるという点にあります。そこに、領土問題の解決にあたっての、日本国民の側の大義名分があるのです。

 領土交渉にあたっては、米英ソ三国のヤルタ協定はもちろん、サンフランシスコ平和条約の「千島放棄条項」にも拘束されないで、歴史的な領土の 回復を要求するという、日本側の大義を明白にすることが、重要です。このことを抜きにしては、日ロ交渉のなかでも、また国際世論の前でも、日本の領土返還 要求の正当な根拠を明らかにすることはできません。

 ところが、歴代自民党政府は、平和条約の「千島放棄条項」を絶対化し、この条項を不動の前提とするという立場で、ソ連およびロシアとの領土交 渉にあたってきました。つまり、スターリンの大国主義の誤りを是正するという根本問題を、自民党政府の対ソ・対ロ外交の内容から、完全に欠落させてしまっ たのです。

 その結果起こったことは、日本が領土交渉において、国際的に通用する大義を失ってしまうという、重大な事態でした。

(4)領土返還要求の大義を失った自民党外交

 自民党政府が、領土返還要求の唯一の国際法的な根拠としたのは、サンフランシスコ条約での「千島放棄条項」を認める、しかし、択捉、国後、歯 舞、色丹の四島は千島列島には含まれないのだから、日本に返還すべきだという主張、すなわち、“南千島は千島にあらず”という主張でした。

 これは、きわめて無理な主張でした。

 歯舞、色丹は、歴史的にいって、北海道の一部であり、千島列島には含まれません。しかし、択捉、国後は千島列島の一部であり、だからこそ、南 千島と呼ばれてきたことは、日本と世界の常識でした。だから、“千島でないから返せ”という主張は、歯舞、色丹の二島については成り立ちますが、択捉、国 後については成り立ちません。

 そして、国後、択捉が南千島であり、したがって千島の一部であることは、その放棄条項を決定したサンフランシスコ会議でも、当然の解釈とされ ていました。アメリカ代表も、その趣旨で発言していました。日本政府代表として出席した吉田首相も、放棄した千島列島には歯舞、色丹が含まれないことを主 張しましたが、択捉、国後については何の異論もとなえず、当時、「千島南部の二島、択捉、国後両島」という発言をしています。また、この条約を批准した一 九五一年の国会での政府の答弁は、「千島列島の範囲については、北千島と南千島の両者を含む」(外務省西村条約局長)という答弁で一貫していました。

 日本政府は、その五年後の一九五六年に、にわかにその立場を変更して、“南千島は千島にあらず”と主張しはじめたのです。それが、国際的に通 用しない、あとからのこじつけであったことは、当時、サンフランシスコ会議の参加国として、日本政府から見解を問われたイギリスやフランスの政府が、“南 千島は千島にあらず”という見解に同意することをきっぱり拒否したことにも、明確に示されました。

 自民党政府が、こうして、スターリンの大国主義の誤りを是正するという大義ある立場を投げ捨て、領土返還要求の根拠を、サンフランシスコ平和 条約の勝手な「解釈」論だけに求めるという道を選んだことは、ソ連およびロシアとの領土交渉における日本政府の立場をきわめて脆弱(ぜいじゃく)なものに しました。

 日本政府が“南千島は千島にあらず”と言い出してから、すでに四十五年という月日が経過しました。その間に、形だけの交渉は断続的におこなわ れましたが、交渉の内容――日本側が何を根拠にして領土返還を要求しているのか、ソ連あるいはロシア側がそれを拒否しているとしたら、どんな根拠をもちだ しているのか、そして日本側はそれにどのように反論しているのか等々については、日本国民も日本の国会も、政府から中身のある説明を受けたことは一度もあ りません。それは、日本政府の領土交渉の無力さを示すものです。

 領土交渉のこうした状態の根底には、日本政府が、スターリンの誤った領土拡張主義を正すという国際的な正義の立場を捨て、「千島放棄条項」の 枠内での領土返還要求というごまかしの道を選んだという、外交上の根本問題が横たわっていることを、いま、あらためて指摘せざるをえません。

二、領土問題での一方的譲歩を表明した「イルクーツク声明」

 自民党政府の領土交渉のこうした弱点は、今年三月二十五日、日ロ首脳会談で発表された「イルクーツク声明」のなかに、集中的な形で示されまし た。そこには、領土問題の根本にかかわる、三つの重大な問題点が含まれており、そのすべてが、領土問題での日本側の一方的な譲歩を表しているのです。

(1)北千島は最初から放棄

 「イルクーツク声明」(以下、「声明」)の第一の問題点は、領土交渉の対象を、択捉、国後、色丹、歯舞の四島に限定し、得撫以北の北千島については最初から放棄することを、あらためて確認したことです。

 「声明」は、「択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島の帰属にかんする問題を解決することにより、平和条約を締結」するとしています。この 「四島返還」論は、一九九三年の細川首相とエリツィン大統領との間の「東京宣言」でも明記され、一九九七年の橋本首相とエリツィン大統領との間の「クラス ノヤルスク合意」でも確認されてきたものです。

 「東京宣言」の際、わが党は当時不破哲三委員長の談話で、この立場は「北千島を最初から領土返還交渉の枠外におくと同時に、択捉、国後の南千 島についても領土返還要求の国際法上の根拠を失わせるものである」(「赤旗」一九九三年十月十四日付)と指摘しました。それは、この立場が最初から北千島 を放棄するというだけにとどまらず、“南千島は千島にあらず”という国際的に通用しない立場と一体のものだからです。

 日本が、ロシアに領土返還を要求する最大の論拠は、千島列島全体が日本の歴史的領土であるにもかかわらず、第二次大戦後の不公正な処理によっ てロシアに引き渡されたものだからです。それが、北千島は最初から領土返還交渉の枠外に置くというのでは、南千島の国後、択捉の返還要求も根拠がないとい うことになってしまうからです。

(2)歯舞、色丹の早期返還の道を閉ざす

 「声明」の第二の問題点は、歯舞、色丹の早期返還の道を閉ざしてしまったことです。

 歯舞、色丹は北海道の一部であり、もともと千島放棄条項の対象とはなりえない島々です。この点については、サンフランシスコ条約批准国会で日 本政府自身が、「色丹島および歯舞島が北海道の一部である事実は連合国の絶対多数の承認を得ておるところ」(西村条約局長)、「千島列島の中には歯舞、色 丹はこれは全然含まれない」(草葉外務政務次官)と明言しています。

 ですから、歯舞、色丹は、問題の性格からいって、平和条約の締結を待つことなく、その速やかな返還を要求して当然なのです。現に、日本共産党 は、旧ソ連の時代に、政権党であったソ連共産党と領土交渉をおこなったさい、平和条約の締結にいたる以前に、日ソ間で中間的な条約を結び、歯舞、色丹の二 島をまず返還すべきだと提案し、ソ連側に迫りました(一九七九年)。

 この点で、「声明」が、一九五六年の「日ソ共同宣言」を、「平和条約締結にかんする交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書」と確認 したことは、重大です。その「宣言」では、歯舞、色丹の日本への「引き渡し」について、両国間の「平和条約が締結された後」と明記されているからです。こ れを、領土交渉の出発点を設定した「基本的な法的文書」として扱うということは、日本側にとっては、平和条約以前に歯舞、色丹の返還問題を解決する道を閉 ざすという意味をもつものです。それはまた、ロシア側には、歯舞、色丹の返還を領土交渉の終着駅にしようとする思惑に有力な根拠を与えることになります。

 政府は、この部分を含む「宣言」の“有効性”を初めて両国の共同文書に明記したことを今回の首脳会談の大きな“成果”としていますが、成果どころか、平和条約締結以前の二島返還への道を閉ざしてしまったものであり、重大な後退というべきです。

(3)国後、択捉についても施政権の放棄という日本の譲歩だけが残った

 国後、択捉についても今後の交渉への新たな具体的手がかりはなんら得られませんでした。そればかりか、一方的な譲歩だけが残りました。

 日本政府は一九九八年の川奈での日ロ首脳会談のさい、択捉と得撫のあいだを想定した「国境線の画定」だけの合意で平和条約を締結し、国後、択捉の「施政権」はロシア側に残してよいという一方的な譲歩の提案をおこないました(橋本首相の「川奈提案」)。

 しかし、「施政権」問題の解決は先送りするといっても、いったん平和条約を結べば、戦後国境・領土問題は最終的に解決したと見なされ、施政権 の返還の保証はどこにもありません。これは事実上の放棄論に等しいものです。この川奈提案は今なお当時の両国首脳会談の記録に残っています。それどころ か、昨年十一月のブルネイでの日ロ首脳会談のさい、森首相は「川奈提案は今でも最良の案だと考えている」とのべて、それまで非公開の交渉で内々の提案とさ れていたものをみずから公表し、再確認してしまいました。こうして、ロシア側は何らの譲歩もしないのに、日本側が施政権放棄という一方的な譲歩の言明をお こない、その言明だけが日ロ交渉の記録に既定事実として残るという、重大な事態を招いてしまったのです。

 この足元を見すかされたのが、今回のイルクーツク会談です。日本側は、「日ソ共同宣言」を“初めて公式文書で明記したことにより歯舞、色丹の返還は法的に確認された。今後は国後、択捉の帰属問題の交渉をおこなう”などといっています。

 しかし、ロシア側の解釈はそうではありません。対日交渉を担当しているロシュコフ外務次官は四月四日、「宣言」にもとづいて歯舞、色丹を「引 き渡す」場合、残りの国後と択捉の帰属にかんする交渉を継続することは意味がなくなるとの立場を示しました。もし歯舞、色丹を返還したら、もう国後と択捉 の帰属問題は交渉しないというのです。

 このように、ロシアへの日本側の譲歩につぐ譲歩というのが、森・プーチン会談の実質だったのです。

 結論  一方的譲歩や小手先の外交では前進できない

 「イルクーツク声明」にいたる領土交渉の全経過が示しているのは、一方的な譲歩や小手先の対応だけの外交では、領土問題は解決できない、ということです。

 日本政府は近年、対ロ交渉のゆきづまりから抜け出そうとして、国民に真実を隠した密室交渉を進め、北千島放棄を確認するだけでなく、四島につ いても一方的な譲歩を重ねてきました。自民党の内部には、歯舞・色丹の返還だけで平和条約を結んではどうかといった声もあると伝えられています。この点で は、前述のロシュコフ発言と一致します。

 もう一つが、経済援助を領土問題打開の梃子(てこ)にしようとしたり、首脳間の個人的な“友好”関係に頼ったりすることでした。こうした小手先の対応では、積極的な結果をもたらすどころか、問題をいっそう複雑にするだけというのが、この間の教訓です。

 「イルクーツク声明」発表後、森首相は記者会見で、「これまでの交渉の姿を明確な形で総括した」とのべましたが、たしかに国際的大義をもたな い自民党の無原則外交のもとでは、領土返還が前進するどころか、一方的譲歩と後退しかもたらさないことを証明したという点で、自民党外交の破綻(はたん) を「総括」するものといえるでしょう。

 自民党の領土返還交渉がなんらの大義もなしにおこなわれていることは、三月二十七日、衆院本会議でのわが党の山口富男議員の質問でも鮮明にな りました。森首相は、山口議員が「いったいどういう根拠と大義を示してロシアとの領土交渉にあたったのか」と質問したのにたいし、なにひとつ大義を示すこ とができず、北千島を最初から放棄した一九九三年の「東京宣言」など日ロ間の合意事項を交渉指針としていると答えるだけでした。ロシアとの領土交渉にあ たって、そのロシアとの合意事項を指針にするなどとは、外交とは何であるかも知らないものの議論としかいわざるをえないものです。

 結局、自民党外交がもたらしたものは、北千島は完全放棄、国後、択捉が返還される可能性は限りなく小さい、歯舞・色丹の「引き渡し」は前途遼遠(りょうえん)――ということでしかありません。

三、問題解決への道を切り開くために 日本共産党の立場と見解

 では、どうすれば領土問題を解決することができるのでしょうか。

 日ロ間の領土問題は、前述のとおり、第二次世界大戦終結のさいスターリンが「領土不拡大」の原則を破り、千島と歯舞、色丹を一方的にソ連に併 合したことから起こったものです。したがって、問題解決の基本は、この大国主義的、覇権主義的な誤りを是正することにあります。そのためにも、一国の正当 な歴史的領土を他国が併合することは許されないという、二十世紀が到達した国際法の根本原理にたって、今後の交渉にあたることです。この立場から、わが党 は、領土

交渉にあたる基本的な態度として、次のことをあらためて提案するものです。 

(1)ヤルタ協定の「千島引き渡し条項」や
サンフランシスコ条約の「千島放棄条項」を不動の前提としないこと

 対ロ領土交渉にかんする日本政府の立場は、サンフランシスコ条約の千島放棄条項の絶対化です。ここから、“南千島は千島にあらず”という国際的に通用しない無力な奇弁も出てくるのです。これを根本から正すべきです。

 ソ連がヤルタ会談で対日参戦の条件の一つとして千島列島のソ連への「引き渡し」を要求したこと、それに米英が応じたことは、ともに「領土不拡 大」という戦後処理の原則に明白に背反する行為でした。その後、サンフランシスコ条約にアメリカの要求で「千島放棄条項」が入れられたことは、ヤルタ協定 での不公正な密約を具体化するものでした

 問題の公正な解決には、戦後処理のこの不公正を国際的な民主主義の道理にたって是正することが欠かせません。そのためには、ヤルタ協定やサンフランシスコ条約の千島関連条項を日ロ交渉の不動の前提としないことです。

 サンフランシスコ条約の個々の条項に明記された内容がその後、条文の公式な取り消しなしに、実際に変更された事例はあります。たとえばアメリ カは沖縄の施政権を確保しましたが、一九七〇年代はじめに、米軍基地の問題は残されたものの、施政権は返還されました。沖縄の祖国復帰が沖縄県民をはじめ とする国民的な強い要求と運動によってかちとられたことは、周知のとおりです。

 日本は、ロシアの世論にたいしても、世界の世論にたいしても、歯舞、色丹と千島列島が日本の歴史的領土であること、そのロシアへの併合が国際 道理に照らして不公正なものであり、それをもたらしたのがスターリンの大国主義的誤りであったことなどを正面にかかげ、訴えることこそ必要です。

(2)基本に十九世紀後半の日ロ両国政府間の
平和的な領土交渉の到達点をおくこと

 日ロ両国が、近代国家形成の過程で、戦争などの手段に訴えることなしに国境を画定しあった十九世紀後半の平和的な領土交渉の到達点を、両国間の国境画定の出発点、基準とすることが、強く求められています。

 この時期の国境画定にかんしては、すでにのべたように、一八五五年の日魯通好条約と一八七五年の樺太・千島交換条約があります。日本共産党 は、領土問題解決の歴史的な基準としては、当時の領土交渉の最終的な到達点である一八七五年の樺太・千島交換条約にもとづくべきだと主張してきました。平 和的な交渉の結果、同条約によって最終的に全千島列島が日本の領土と決められたのですから、全千島を返還の対象として平和条約締結交渉を進めることには、 十分な根拠があります。

(3)必要なら段階的な返還のための交渉をおこない、
平和条約は領土問題が最終的に解決されたときに締結すること

 歯舞、色丹は、サンフランシスコ条約で日本が放棄した千島には含まれていないのですから、日ロ平和条約締結を待たず、早期の返還を要求すべきです。そのさい、必要なら、両国間で中間的な条約を結ぶことも可能です。

 日ロ交渉は国家間の交渉であり、領土返還要求のすべてを一挙に実現できない場合もありうることです。戦後五十六年間の経過や現状を考えれば、なおさらそうです。

 その場合でも、段階的な返還ということで交渉に臨むべきであって、合意できなかった部分の放棄を安易に宣言すべきではありません。ましてや、日本政府が、すでに指摘したような一方的な譲歩を提案することは、絶対に容認できないことです。

 そして平和条約は、領土問題が最終的に解決され、日ロ両国間の境界が最終的に画定されたときに締結するべきです。

 さらに、外交交渉にあたって、日本側が、返還されるべき島々については、非軍事化すること、自然環境を保全すること、現在の住民が返還後もそ こでの定住を希望すれば彼らの生活と権利を保障するための措置をとることを、今から明らかにしておくことは、重要な意味をもつと考えます。

 このような立場を確立してこそ、真剣な領土交渉もできるし、ロシアの世論や国際世論にも訴えることができます。

 日本共産党は、これらの提案の実行をめざし、日ロ領土問題の公正な解決のために、今後も全力を尽くすものです。
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2001/04/post-296.html


▲△▽▼

共産党だけが北方4島ではなく全千島列島返還を主張中 2016.10.06

【返還を求めるのは北方4島だけでない?(外務省HPより)】


 12月のロシア、プーチン大統領の訪日を控え、北方領土返還交渉に日ロ間で進んでいる。「まず色丹・歯舞の2島を返還させるのか」「まず4島についての日本の主権をロシアに認めさせるのか」に注目が集まるなか、“異色の主張”を掲げているのが日本共産党だ。

 日本の主要政党のなかで唯一、共産党だけはカムチャツカ半島のすぐ南にある占守島以南の「全千島列島」の返還を要求している。同党HPに志位和夫・委員長名で公表された文書には〈全千島列島が返還されるべき正当な根拠をもった日本の領土〉とある。

 1951年のサンフランシスコ講和条約で日本は千島列島を放棄しているが、なぜ共産党はそれを丸ごと取り返すという「大きな要求」を掲げるのか。党本部の担当者はこう説明する。

「千島列島は歴史的にも日本の領土で、先の戦争で武力によって奪われた。ロシアと平和条約を締結するのであれば、4島のみならず千島列島の全島返還を求め、戦争前の状態に戻すことが正しい筋道でしょう」

 この話は、前提に微妙な食い違いがある。日本政府の立場は〈そもそも北方四島は千島列島には含まれません〉(外務省HPより)というもの。

 一方の共産党は、放棄した千島列島に択捉・国後が含まれていたとする立場だ(歯舞・色丹は北海道の一部)。

 たしかに1951年の講和条約批准にあたっての国会審議で外務省の担当局長は“千島列島に択捉・国後が含まれる”という旨の答弁をしている。共産党は、政府が1955年からの日ソ国交正常化交渉のなかで、〈突然それまでの立場を変え、「国後、択捉は千島列島ではないから返還せよ」と主張〉(同党HP)したと批判している。いったん放棄したものの一部を“やっぱり放棄していない”と言を翻したりするから、交渉が進まない──というのが共産党の主張である。

 では、今回浮上した「歯舞・色丹の2島引き渡し」については、どうみるか。この2島が千島列島ではなく北海道の一部、という点は、政府も共産党も一致している。

「まだ政府がその通り交渉をするかわからないのでコメントは控えたいが、国境を曖昧にしたまま、“まず2島返還で合意”などというやり方は、後世に火種を残す可能性が高い。そんな交渉で国民は納得するか疑問だ」(前出の党本部担当者)

 共産党は「全千島列島返還」を求め続けるようだが、その実現のハードルが高いことは間違いないだろう。

※週刊ポスト2016年10月14・21日号
https://www.news-postseven.com/archives/20161006_453465.html



▲△▽▼

党略で樺太を投げ棄てた日本共産党  ロシアを利するおかしな領土解釈
別冊正論25号『「樺太−カラフト」を知る』より
篠原常一郎(元日本共産党国会議員秘書) 
https://ironna.jp/article/2786?p=1

返還要求を「広さ」で競う?


 もう三十年くらい前だ。私が駆け出しの「職業革命家」(日本共産党の専従職員を指す党内用語)だったとき、衆議院議員候補者の秘書をさせられ、党中央委員会の幹部でもあった候補者の会話をごく間近で聞くことができた。中選挙区制度下での解散・総選挙を受けて選挙区内を朝から晩まで共に駆け回り、様々な階層の人たちを集めた小集会や演説会を日に何件もこなしていた。

 ソ連邦が崩壊するより何年も前で、「ソ連に奪われた北方領土の返還にどう道筋をつけるか」という問題について、集会に出席した人からよく質問が出た。そんなとき、党機関紙「赤旗」の外信部記者として海外駐在経験もある候補者氏はうれしそうにこう説明したものだ。

「ソ連から戦争で奪われた領土を取り返すことでは、日本共産党が主張しているやり方が一番筋の通ったものです。『北方領土』の四島返還だけではなく、全千島の返還を主張しています。これは歯舞、色丹、択捉、国後などの四島以外の放棄を決めたサンフランシスコ条約第二条C項の廃棄を通告すれば可能です」

「日本共産党は、日露戦争でロシアから賠償として奪った南サハリン(樺太)を除き、日露間の正常な交渉で平和的に画定した領土である全千島列島の返還を求めます。どの政党よりも一番広い範囲の返還をソ連に求めていることになるのですよ」


 質問者は「へえ、それはすごいね。共産党だからソ連の仲間だと思ったのに、そこまでものをいうんだね」「そんなに大きな広さの返還を求めているなんて、知らなかった」などと驚いていたように思う。


 すると、候補者氏、さらに喜んでこう付け加えたものだ。


「日本共産党は自主独立の党で、ソ連でもアメリカでも中国でも、どんな大国に対してもきっぱりものを言ってきましたから」


 平成初頭までの党最高権力者、宮本顕治が打ち出していた「自主独立路線」と結びつけて、ソ連からの領土返還論を日本共産党は語っていたのだ。この「自主独立」は、不破哲三など党最高指導者が懐柔され、中国共産党政権の海洋覇権追求のような対外膨張主義にも一切もの申さなくなった最近の日本共産党が、口にしなくなって久しい。


 私が候補者氏から「要求面積が最も広い返還」論を聞いた昭和六十年前後から、日本共産党は「四島返還を求める立場にも柔軟に対応する」と称し、毎年二月七日の「北方領土の日」の「北方領土返還要求全国大会」に参加するようになった。


 その一方で、相変わらず「日本政府は、千島の南半分の国後、択捉と、千島に含まれない歯舞、色丹のみ返還を求めています。これは日本政府が、一九五一(昭和二十六)年に各国と結んだサンフランシスコ平和条約で千島列島を放棄するという重大な表明をおこないながら、五六年になって『国後、択捉は千島に含まれない』との見解を出し、歯舞、色丹と合わせ『北方領土』として返還を求め始めたからです。この立場は国際的には通用せず、日ロ間の交渉の行き詰まりと迷走の一因」(平成二十二年一月二十七日付赤旗「千島問題をなぜ『北方領土問題』と呼ぶ?」)など、「全千島返還」論を唱える自党のみの正しさを言い続けている。


選挙目当てのご都合主義

 当時、若さゆえに党の路線と「科学的社会主義」(マルクス・レーニン主義の言い換え)に頭をしばられていた私は、こうした日本共産党のやり方に疑問は持たなかった。しかしその後、国会論戦や政策準備のため、政府側のレクチャー(担当省庁職員による説明)聴取や資料調査を長期にわたって経験し、さらに党から離れるに至る中で見方が変わった。


 自分なりの判断として「全千島返還」論など日本共産党の領土問題への主張と対応は「選挙目当てのご都合主義」にすぎないもの、と考えるようになったのである。


 理由の第一は、平和条約締結へ向けたソ連・ロシアとの領土返還交渉の経過と到達点を全く無視した、非現実的な議論であることだ。

宮本顕治元党中央委員会議長(右)と不破哲三前党中央委員会議長
宮本顕治元党中央委員会議長(右)と不破哲三前党中央委員会議長(左)

 ソ連時代、さらにソ連崩壊後はロシアのエリツィン、プーチン政権との交渉で、ともかくも昭和三十一年の日ソ共同宣言を出発点に領土返還交渉を行うという認識が、日露両国で共有されたのが到達点である。平和条約締結に向けて歯舞、色丹の「二島返還」は最低ラインで、後の問題は協議していくというものだ。


 日本共産党の「全千島返還」論は、この到達点を帳消しにして一から交渉し直せというものに等しい。現段階では北方四島を含め全千島、南樺太を不法占拠ながら実効支配するロシアがこんな議論に応じることは、現実的にまったく考えられない。


 日本政府が旧島民を含む国民世論を背景に交渉してきた到達点(不十分なものにせよ)に冷水をぶっかける議論が「全千島返還」論だ。こんな乱暴な主張は、政治的にどちらの国を利するものか明白である。


 理由の第二は、日露間の領土形成の歴史的事実を覆い隠し歪めた議論が「全千島返還」論の底流にあることだ。まず、「南サハリン(樺太)は戦争でロシアから奪ったもの」とする解釈が、樺太をめぐる我が国とロシアの歴史の事実をまったく無視したデタラメである。


 さらに「千島列島全体が一八五五年に江戸幕府と帝政ロシアが結んだ日魯通好(和親)条約と、七五年に明治政府と帝政ロシアが結んだ樺太・千島交換条約とにより、戦争ではなく平和的な交渉で日本領土として確定」(同)という説明は、幕末―明治初期の日露の力関係や帝政ロシアの帝国主義的ふるまいに目をつぶったもので不正確きわまりない。これらについては、後述する。

北方領土をめぐる見解について説明する日本共産党のホームページ
北方領土をめぐる見解について説明する日本共産党のホームページ

 結局、日本共産党の「全千島返還」論は、歴史の事実の中から選挙目当ての自己宣伝に都合のよいものを拾って、単純な理屈になるようつなぎ合わせたものとしかいいようがない。不勉強な候補者や議員でも有権者に説明しやすく加工した子供だましの「日露外交」論なのだ。


 まあ、共産党員の身内で何を信じようが勝手だが、これをデマゴギーよろしく有権者の間へ広範に流布し、国政に影響を与えることは日露交渉に有害な影響を与えかねないし、現実にそうだったのではないかと、私は危惧している。


樺太の開拓に先んじた日本

 樺太という名前は、かつて東北地方から北海道、千島列島、樺太全域、カムチャツカ半島に至るまで分布・居住していたアイヌ民族の言葉でこの地を呼んだ「カムイ・カラ・プト・ヤ・モシリ」(神が河口部に作った島)の中の「カラ・プト」が起源だ。


 一方、ロシア側が現在用いている地名「サハリン」は、同地を清王朝時代にツングース系の満洲語で呼んだ「サハリヤン・ウラ・アンガ・ハダ」(黒龍江河口の対岸の島)の最初の部分から来ている。これは、十八世紀に清朝がイエズス会修道士に命じて黒龍江沿岸を測地測量させた際に命名されたもので、「黒龍江(アムール川)河口にある島」という意味では、アイヌ語と共通だ。


 南北約千`にわたり面積は北海道より小さい樺太は、もともと周辺国(大陸や半島の歴代王朝)には地形的つらなりから「倭・日本の一部」として認識されていた。日本による同地の活動で最も古くは、飛鳥時代に斉明天皇(五九四―六六一)が阿倍比羅夫(あべのひらふ)に行わせた蝦夷征伐に続く粛慎(しゆくしん)(黒龍江沿岸から樺太周辺にかけて生活していたツングース系狩猟民族)討伐とする説がある。


https://ironna.jp/article/2786?p=3
「正保御国絵図」には樺太(上)や千島(右)などが書き込まれている

 十三世紀は、モンゴル帝国(元)と樺太の原住民、それに日本(鎌倉幕府が蝦夷(えぞ)管領(かんれい)を配置し対応)が同地を軸に覇権を争った。一二六四年に元が樺太に軍勢を派遣し、彼らが「骨嵬(クギ)」と呼ぶ現地民を征服したが、八四年には「骨嵬」側が反乱。九七年には蝦夷代官(管領)の安藤氏が樺太原住民(アイヌ民族など)に加勢し、彼らを率いて大陸の黒龍江沿岸まで攻め入って元軍と交戦した。


 結局、十四世紀になって「骨嵬」が元に朝貢するようになったが、その後も蝦夷地(北海道)を経由して日本との交流が継続された。


 ロシアでの統一帝国(ロマノフ朝)成立が一六一三年であり、樺太周辺での日本の活動の起点を粛慎討伐に置くなら、これより千年近く先んじている。ロシア帝国がその勢力圏を黒龍江河口周辺に届かせ始めたのは一六四四年、同地に辺境討伐のコサック先遣隊が到達してからだ。


 江戸時代に入っていたこの時期、松前藩が樺太について幕府に蝦夷地の北にある大きな島として地図を提出。これを含め各藩から提出された地図を基に幕府がまとめた日本全図「正保御国絵図」に樺太は描き込まれていた。


 以後、松前藩を軸とした開拓の拠点づくりが進み、一七五二年には樺太での商取引から租税徴収を行う樺太場所(場所請負制度=米を作れない蝦夷地特有の租税徴収システム)が設けられた。一方、北海道太平洋岸と千島は、幕府直轄領とされたので、樺太は松前藩の領地経営の上で、重要な位置づけのものとなった。


 以上の経過を見るなら、ロシアはもとより、周辺国よりも先駆けて日本は樺太の開拓に着手していたことがわかる。


間宮林蔵の功績とロシアの膨張圧力

 ロシア帝国が樺太に対して領土的野心を示し始めたのは、十九世紀に入ってからだ。十八世紀後半にはヨーロッパの大国に数えられるに至ったロシア帝国は、シベリア開発に本腰を入れると共に太平洋岸への進出を図った。


 その中で、鎖国政策をとっていた日本に開国と通商を求めるようになったが、文化三(一八〇六)年から四年にかけて、外交官ニコライ・レザノフ(一七六四―一八〇七)配下のロシア海軍艦船と将兵は、通商を日本から拒絶された報復として幕府直轄領の択捉島や松前藩領内の礼文島、樺太の留加多(るうたか)を武力攻撃した。


 これを受けて、幕府は蝦夷地や千島、樺太(北蝦夷地)全体を直轄領とし(その後、文政四=一八二一=年に一旦すべてを松前藩に返還)、その防備のために秋田藩、弘前藩、仙台藩、会津藩への出兵を命じた。


 一八〇八〜〇九年には、ロシア海軍の礼文島襲撃の際に同地に幕吏として赴任していた間宮林蔵(一七八〇―一八四四)が樺太全域と黒龍江下流域の探検調査を実施。伊能忠敬(一七四五―一八一八)から測量技術を伝授された間宮は、享和三(一八〇三)年から伊能と共に蝦夷の測量・地図作製に参画した。その経験を生かして樺太の探検に取り組み現地の地勢を正確に把握するとともに、最北端までの全域踏破により樺太が完全な島であることを確認した。


 この探検の際、間宮らは樺太最西端のラッカ岬に「大日本国国境」と刻んだ国標を設置している。これらは、本来、樺太に関する日本の領土的主張の歴史的根拠として不足のない事績であり、間宮の歴史的功績というべきものだ。


 また、文化元(一八〇四)年以降、幕府は北蝦夷地のアイヌの住民数を把握(同年で二千百人)。以後明治八年まで、住民数は幕府・明治政府が掌握するに至っている。


 幕末期が近づく十九世紀半ばには、東アジア進出へのロシア帝国の野心がいっそう強まり、引き続き江戸幕府への開国要求の機会を狙うとともに東シベリア総督ニコライ・ムラヴィヨフ(一八〇九―八一)は、海軍に樺太調査を命じ、一八四八年に初めて艦船によるタタール海峡(間宮海峡)の通航を実施。ムラヴィヨフは、樺太領有をめざす対日強硬論者で、その後も軍事力をちらつかせながら日本側に譲歩を迫り続けた。

ニコライ・ムラヴィヨフ
ニコライ・ムラヴィヨフ

 安政元(一八五五)年末に日露和親条約が下田で締結された。千島については択捉島と得撫島の間に国境線が引かれ、樺太については「界を分かたず是迄(これまで)仕来(しきたり)の通(とおり)」とした。幕府は「これまでどおり日本領であり、国境を設けるようなことはしない」という認識で、ロシア人の居留も黙認した。このため安政六(一八五九)年にムラヴィヨフ自ら七隻の海軍艦隊を率いて江戸・品川に来航し、幕府との交渉で樺太はロシア領であると強硬に主張した。


 以上のように、ロシア帝国は十九世紀の初めから後半にかけて執拗に日本側に軍事力を背景にした圧力をかけ続け、樺太をわがものとし、さらにそこを足場に日本本体にも進出する野心をあらわにしていた。


 江戸まで押し掛けたムラヴィヨフの横柄な要求を、幕府は退けた。しかしながら、ロシア以外にも中国大陸や東南アジアに西欧列強(英、米、仏など)が帝国主義的に進出し、日本にも開国を迫る中、長い治世を鎖国状態で推移した江戸幕府は、あまりに非力であった。


 こうした圧力下、樺太ではロシアの武力による支配が着実に広がり、日本側との摩擦が強まったので、慶応三(一八六七)年に幕府が国境画定交渉をロシアにもちかけるが、逆にロシアの新規進出を認めてしまう内容の「仮規則」を結ばされてしまう。これでロシアの支配が一層強まり、明治八(一八七五)年、樺太・千島交換条約で日本は樺太を放棄せざるを得なかったのである。

日露講和会議が行われたアメリカ東海岸のポーツマス海軍工廠
日露講和会議が行われたアメリカ東海岸のポーツマス海軍工廠

 当時の日本としては、自分のものである大きな島を、元々は自分のものだった小さな島と引き換えに泣く泣く手放したという感が強かったとされる。明治政府内も「北辺の樺太を手放して、北海道開拓に力を集中することが長期にわたる国益につながる」とする黒田清隆(開拓次官)らの「樺太放棄・北海道防衛」論と「日露が住み分ける国境を樺太に画定すべし」という副島種臣外務卿(外相)らの「住み分け」論に割れていた。加えて「征韓論」を主張する重鎮たちが下野するなど、新政府として基盤が安定しておらず、大国ロシアに屈せざるを得なかった。


 これが、日本共産党の言うところの「戦争ではなく平和的な交渉で日本領土として確定」した樺太や千島に関する日露両国の経過だ。「平和的な交渉」が大国ロシアの軍事恫喝を背景にしていたことは、歴史の事実をたどれば誰にでもわかる。

「南樺太割譲」は過小な失地回復

 樺太、千島をめぐる日露間の領土、国境変更がなされる次の機会は、明治三十八(一九〇五)年の日露戦争終結にともなうポーツマス講和条約だ。日本はロシアより北緯五十度を境に樺太南部の引き渡しを受けた。


 日本勝利が確実となった同年六―七月にかけて陸軍第十三師団が樺太全域を占領した。これが八月からアメリカ東海岸のポーツマス海軍工廠で開始された講和会議で日本側有利をもたらす力のひとつとなった。それは元々日本が開拓した土地を取り戻したとして、日本史上初の近代戦に疲弊した国民を一面で喜ばせた。


 ところが、同九月五日に調印された講和条約では「朝鮮での日本の優越権の承認」「ロシアが保有する東清鉄道の南満州支線及び租借地・炭鉱の日本引き渡し」「ロシアが清より与えられた関東州(遼東半島南部、旅順・大連など)の租借権の日本引き継ぎ」「日本による沿海州漁業権獲得」が南樺太回復以外の成果すべてであった。「戦争に勝ったというのに賠償金もとれず、元々日本のものであった土地の一部を返されただけだ」と、多くの日本国民が失望。「日比谷焼き討ち事件」の暴動にも発展した。

覇権国家による戦争や侵略を防ぐための安保法制を「戦争をするための法律」とすり替える日本共産党。樺太を「戦争でロシアから奪った」と歪曲するのと同じだ(同党ホームページ)
覇権国家による戦争や侵略を防ぐための安保法制を「戦争をするための法律」とすり替える日本共産党。樺太を「戦争でロシアから奪った」と歪曲するのと同じだ(同党ホームページ)

 講和による日本の獲得要件が、国民の希望とかけ離れていたのは、陸軍の奉天会戦や旅順攻囲戦、海軍の日本海大海戦など劇的な勝利とは裏腹に、武器弾薬確保や戦費調達に汲々として、これ以上の継戦は難しいというタイミングだったからだ。強気で要求を百%ロシアに呑ませられる状況ではなかった。


 こうした中で樺太回復が南部にとどまったことが、国民に相当なマイナス意識を抱かせたことは、樺太千島交換条約から三十年の時点では間違いないだろう。

歴史歪曲は国民的議論で克服を

 日露戦争の終結と講和まで俯瞰すれば、日本が「樺太の一部をロシアから戦争で奪った」といえる実態がないことは自然な歴史的理解だといえる。日本共産党の言い分は、樺太をめぐる日本とロシアの歴史に目をつぶるデタラメきわまるものだ。


 その後、第二次世界大戦末期にソ連軍が「火事場泥棒」的に南樺太、全千島列島と北海道の一部である歯舞、色丹まで軍事侵攻して占領した昭和二十年までを見ても、南樺太の 領有が日本と帝政ロシア・ソ連との国家関係を阻害したことは一度もない。一九一七(大正六)年の社会主義革命でソヴィエト・ロシア共和国が成立し、日本は米英仏などと軍事干渉してシベリアに出兵したが、ソ連邦成立後の一九二二年までに撤兵。尼港(虐殺)事件の賠償保障で占領した樺太北部からも大正十四年の日ソ国交樹立に伴い撤退した。


 以後、日本は昭和十年から満洲や朝鮮においてソ連やその衛星国(モンゴル人民共和国)が絡んだ国境紛争に何度か関与したが、樺太国境で武力紛争は生じなかった。それどころか、尼港事件の賠償として日ソ基本条約で取り決めた北樺太石油利権獲得で、日本はオハなど油田開発に資金をつぎ込んで事業を展開した。


 日独伊三国同盟成立時にソ連側サボタージュで石油の積み出しが妨害されるなど紆余曲折があったものの、昭和十六(一九四一)年の日ソ中立条約締結を機に、油田と附帯施設すべてをソ連側に譲渡した。


 以後、ソ連の日ソ中立条約廃棄通告が誤解に基づくと判明しながら、その有効期限内の昭和二十年八月九日に条約違反の対日宣戦を行ったことが決定的だった。日本が降伏条件を定めたポツダム宣言を受諾し、米戦艦ミズーリ号上で日本とソ連を含む連合国の各国代表が降伏文書に調印(九月二日)後も、ソ連は九月五日まで、最高指導者スターリンが宣言した「日露戦争の報復」を掲げた南樺太、千島列島、歯舞・色丹への軍事侵攻を停止しなかった。


 結果として、樺太での真岡郵便通信局での九人の女性交換手自決や三船殉難事件(樺太からの婦女子避難船三隻がソ連潜水艦の攻撃で沈没)などをはじめ、南樺太で生活を営んできたアイヌ民族を含む日本国民は多くの死傷者を出した上に故郷を追い立てられたのである。


 以後、樺太はソ連によってサハリン州とされた。日本政府は、公式にはソ連を引き継ぐロシア連邦との平和条約締結がされない限り、北方四島は日本固有の領土であり、樺太南部や千島列島(北千島)は帰属が画定していない地域としている。ただ、千島列島と南樺太はサンフランシスコ条約で放棄したとして、昭和三十一年の日ソ共同宣言以降、ソ連・ロシアとの返還交渉の対象にしたことはない。


 しかし「南樺太は日本がロシアから戦争で奪った」とする日本共産党の言い分は、樺太開拓に命をかけた先人の事績に泥を塗り、存命者のある南樺太出身者(多くは北海道各地に避難し、再出発した)の心を傷つけるものだ。こんな虚偽の前提に立つ「全千島返還」論は、国民的議論の中で克服されなくてはならない。

 歴史の事実の中での樺太をめぐる経緯、国民生活史の中での位置づけを明確にしてこそ、仮に返還交渉の焦点が北方四島であったにしろ、日本の歴史的主張の正当性を、ロシアを含め国際的に広く知らしめ交渉妥結へ進める道が拓かれるはずだ。

篠原常一郎(元日本共産党国会議員秘書) しのはら・じょういちろう 
昭和三十五年東京生まれ。五十九年立教大学文学部卒業。

臨時教員などを経て六十年日本共産党職員に。平成七年党中央委員会に移り、党政策委員長で参院議員だった筆坂秀世氏ら三人の国会議員公設秘書を務める。KSD(中小企業経営者福祉事業団)事件や国後島「ムネオハウス」事件、川辺川ダムなど公共事業問題、沖縄の米軍射撃演習問題などの調査、論戦準備に従事した。十六年に党の査問を受けて除籍された後、政治評論や共産党批判を展開。主な著作に『いますぐ読みたい 日本共産党の謎』(徳間書店)など。ソ連、中国その他旧社会主義国の政治外交・軍事史や共産主義理論の研究・批判も続けながら国会・地方議員のアドバイザー、海外事業コンサルタントとしても活動している。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/561.html#c5

[近代史3] ロシア人は今でも日本の敵 _ あまりに辛辣!ロシア人の「日本人への本音」 中川隆
6. 中川隆[-8834] koaQ7Jey 2019年7月27日 18:21:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3885]
ロシアが北方領土を「不法占拠」しているという考えは誤り 日本外交と政治の正体
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/246583
2019/02/01 日刊ゲンダイ


北海道・根室半島の納沙布岬(左下)沖に浮かぶ北方領土の歯舞群島(C)共同通信社

 今の日本では、国民が「官僚はウソと詭弁を言うのが当たり前」と思うようになった。例えば、国民が何の疑いも抱かずに信じている「ロシアは北方領土を不法占拠している」というのも「ウソと詭弁」が60年以上続いたことによるものだ。

 国民の反発を買うのを覚悟で説明したい。

 日本は1945年にポツダム宣言を受け入れて戦争を終えた。「ポツダム宣言を受け入れるべきでなかった」という人はほとんどいないだろう。このポツダム宣言には「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」とある。つまり、本州、北海道、九州及び四国以外の地に対し、「日本固有のものだから我が国のものだ」という主張は放棄したのである。

 日本はまた、1951年にサンフランシスコ講和条約に調印し、独立した。ポツダム宣言の受諾と同様、サンフランシスコ講和条約に調印すべきでなかった、という人はおそらくいない。

 条約には「日本国は千島列島に対するすべての権利を放棄する」と書いてあり、当時の全権代表・吉田茂首相は「国後・択捉は南千島」と演説している。

 つまり、国際法に照らし合わせれば、日本は千島列島を放棄したことに何の疑念もない。

 他方、米英ソ首脳はヤルタ協定で「千島列島ハソ連に引渡サルベシ」と決めた。1945年8月18日、トルーマン米大統領はスターリン元帥に「千島列島の全ての島をソ連に引き渡すことに同意する」と連絡している。

 米国は日本には千島を放棄させる一方、ソ連には千島を渡す、と約束していたのである。

 日本は1956年の日ソ国交回復後、12月に国連加盟し、国連憲章を受け入れた。この国連憲章第107条は次の規定がある。

〈この憲章のいかなる規定も、第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない〉

 つまり、国連憲章はソ連が日本から奪ったものでも、無効や排除はしない、としているのである。

 国民の間では、北方領土に対するさまざまな考えがあるだろう。しかし、ロシアが北方領土を「不法占拠」している、という考えは誤っている。




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「ダレスの恫喝」が北方領土返還をつぶした動かぬ証拠が出た!  
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/271.html
http://kenpo9.com/archives/5589
2019-02-07 天木直人のブログ

 きょう2月27日は北方領土の日(ほっぽうりょうどのひ)であるという。

 北方領土問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層の推進を図るために、1981年1月に閣議決定されたらしい。

 ロシアとの平和条約締結に前のめりになっている安倍首相は、果たしてきょう、その北方領土の日に出席して、これまで同様に北方領土返還を叫ぶのか。

 それとも、プーチン大統領を刺激しないように、あいまいな言葉でごまかすのか。

 そのことばかりメディアは注目している。

 しかし、そんな問題ではないのだ。

 北方領土はとっくに返って来たはずなのに、米国が反対したから日本の方からあきらめたのだ。

 その事を見事に教えてくれる衝撃的なスクープ報道を、今朝2月7のNHKが早朝のニュースで繰り返した。

 すなわち1956年の日ソ共同宣言をめぐる交渉の過程で、なんとソ連は北方2島を、米軍基地を置かない前提で、日本に返還する事を決めていたというのだ。

 それが書かれているソ連の極秘文書が見つかったというのだ。

 ダレスの恫喝(日本が北方領土返還を受け入れるなら沖縄は返さないという恫喝)に屈したのだ。

 返っていた北方2島すらあきらめたのは、日本政府だったのだ。

 当然プーチン大統領はこの文書の存在を知っている。

 それから60年余りたって、再びプーチン大統領は安倍首相の覚悟を試したのだ。

 もし安倍首相が、この文書の存在を知っていて、プーチン大統領の意図を見抜いていたなら、そしてトランプ大統領を説得する覚悟をしていたなら、2島返還は現実のものとなり、安倍首相は歴史に残る首相になったはずだ。

 しかし、見事に安倍首相は真逆の事をした。

 もはや安倍首相では北方領土は取り戻せない。

 きょう2月7日にあわせてその事を暴露したNHKのスクープを知って、安倍首相は、「NHK,おまえまでもか!」と思ったのだろうか。

 それとも、何も感じないほど安倍首相はおめでたい首相なのだろうか(了)


“2島引き渡し 平和条約交渉急ぐ” 旧ソビエト機密文書
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190207/k10011806551000.html
2019年2月7日 4時43分 NHK


動画→https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190207/k10011806551000.html


日本とロシアの両首脳が平和条約交渉の基礎としている1956年の日ソ共同宣言をめぐって、当時のソビエト指導部は、アメリカとの対抗上、交渉の進展を急ぐ必要に迫られ、早い段階から、北方領土の歯舞群島と色丹島の2島の引き渡しを最大の譲歩案として交渉に臨む方針を固めていたことが、NHKが入手した文書で明らかになりました。2島の引き渡しで最終決着を図ろうとしてきたプーチン大統領の考え方の基礎になる資料として注目されます。


日本とソビエトは、1955年の6月にイギリス ロンドンで、国交正常化に向けた交渉を始め、翌56年に平和条約の締結後、歯舞群島と色丹島を引き渡すことを明記した「日ソ共同宣言」に署名しました。

2島の引き渡しについては、ソビエト側の交渉責任者だったマリク全権が55年8月、非公式の場で、日本側に突然、持ちかけたものですが、その意図は不明でした。


これについてNHKが7日までに入手した当時のソビエト共産党指導部の機密文書では、交渉開始直前の6月2日付けで「両国関係が良好な方向に発展していく場合、歯舞群島と色丹島の引き渡しの交渉を始めることは可能だ」としていて、「外国軍の基地を置かない」ことを条件に、早い段階から2島の引き渡しを最大の譲歩案として交渉に臨む方針を固めていたことが明らかになりました。


その理由として文書では「日本に対する影響力を強め、アメリカの政治的、経済的立場を弱める措置をとる必要があり、その際に日本の経済的、政治的独立性の願望を利用する」と書かれていて、冷戦下のアメリカとの対抗上、交渉の進展を急ぐ必要に迫られていたことが背景にあるものとみられます。


今回の文書についてロシア政治に詳しい法政大学の下斗米伸夫教授は「歯舞・色丹の話が出てくるプロセスが初めて見えてきた。2島を提供するという譲歩で、ソビエトがアジアでの立場を強め、アメリカに対するけん制を強めようとした意図が明らかになった」と指摘しています。

そのうえで「プーチン政権の交渉態度も、当時の文書を基礎に考えている節が見てとれる」と述べていて、日ソ共同宣言に基づいて2島の引き渡しで最終決着を図ろうとしてきたプーチン大統領の考え方の基礎になる資料として注目されます。

ソビエト指導部の方針や経緯明らかに

今回NHKが入手した機密文書によって、日本との国交回復交渉に臨むソビエト指導部の方針や経緯の一部が明らかになりました。

このうち、1955年6月に交渉を開始する前の5月に出されたソビエト共産党指導部の指令文書の草案では「交渉の直接の目的は相互に大使館を設置すること」とされ、領土問題については「検討すべきものではない」と書かれています。

ところが、イギリス ロンドンで日本側との交渉を始める前日の6月2日付けの文書では、ソビエト共産党指導部が方針を大きく変えたことが分かります。文書では「ソビエトは日本に対する影響力を強め、アメリカの政治的、経済的立場を弱める措置を取る必要があり、その際に日本の経済的、政治的独立性の願望を利用する」と書かれていて、冷戦下、日本をアメリカから引き離そうというねらいがうかがえます。

中でも領土問題への対応については「日本が北海道に直接隣接する歯舞群島と色丹島の返還問題を提示する場合、ソビエトは特定の条件の下で検討することが可能だと宣言できる。両国関係が良好な方向に発展していく場合、歯舞群島と色丹島の引き渡しの交渉を始めることは可能だ」として、早い段階から2島の引き渡しを最大の譲歩案として交渉に臨む方針を固めていたことが明らかになりました。

この文書は、保守派と言われた当時のモロトフ外相が作成した案をフルシチョフ第1書記やブルガーニン首相が承認する形となっていて、歯舞、色丹の2島の引き渡しはソビエト政府の一致した考え方だったことが分かります。

その後、1955年7月14日付けの「歯舞群島と色丹島に関する指令の草案」と題された共産党中央委員会の文書には、ソビエト側の交渉団トップのマリク全権への具体的な指示が記されています。

この中では「島を引き渡したあとに軍事基地を設置しないという義務を果たすならば、日本側に歯舞群島と色丹島の引き渡しに合意する用意があると伝えること」と書かれ、交渉開始から1か月後には2島の引き渡しに合意する用意があったことも明らかになりました。

日ソ国交回復交渉から共同宣言署名まで

日本とソビエトの国交回復交渉は1955年6月3日、イギリスの首都ロンドンのソビエト大使館で始まりました。

日本側は松本俊一全権が、ソビエト側はヤコフ・マリク全権が交渉責任者を務めました。

交渉では、北方四島を含む領土問題も議題になりましたが、日本側が「歴史的に見ても日本の領土だ」と返還を主張したのに対して、ソビエト側は「第2次世界大戦の結果、解決された問題だ」として議論は平行線をたどりました。

ところが、松本氏の回顧録によりますと8月5日、ロンドンの日本大使館で松本氏に対してマリク氏が突然「ほかの問題が全部片づけばソビエト側は日本側の要求に応じて、歯舞、色丹を日本に引き渡してもいい」と述べたということです。

松本氏は「最初は自分の耳を疑ったが、内心非常に喜んだ」としています。しかし日本政府としては、国後島と択捉島を含めて4島の返還を求める姿勢を崩さず、ソビエト側も態度を硬化させていきました。

結局、1956年10月、モスクワを訪れた当時の鳩山総理大臣とブルガーニン首相が「平和条約の締結後に歯舞群島と色丹島を引き渡す」と明記した日ソ共同宣言に署名し、平和条約の締結には至りませんでした。

専門家「プーチン大統領も考え方を参考に」

NHKが入手した当時のソビエト共産党指導部の機密文書について、ロシア政治が専門の法政大学の下斗米伸夫教授は「歯舞群島と色丹島の2島の話が出てくる過程が初めて見えてきた」と評価しました。

具体的には、保守派で対日交渉に消極的とされた当時のモロトフ外相も2島の引き渡しを了承していたことがうかがえるとしたうえで、「最高指導部の決定として比較的最初から合意されていた方針だったことが分かるのではないか」と述べ、2島の引き渡しの方針が共産党指導部内で一致した考え方だったという見方を示しました。

その背景として下斗米教授は、アメリカとの冷戦が続く中で、ソビエトにとってどのようにして日本をアメリカから引き離すかが重要になっていたとし、「歯舞、色丹を日本に提供するという譲歩でソビエトがアジアでの立場を強め、アメリカに対するけん制を強めようとした意図が明らかになった」と指摘しています。

そのうえで「最近、ラブロフ外相が非常に厳しい発言をしているが、プーチン政権の交渉態度も当時の文書を基礎に考えている節が見てとれる」と述べました。具体的に下斗米教授は「小さな島は北海道の先だから平和条約の締結後に引き渡す。ただし国後、択捉は交渉しないということだ」と述べ、プーチン大統領も、北海道に隣接しているという理由で、歯舞群島と色丹島の引き渡しで最終決着を図ろうとした当時のソビエト指導部の考え方を参考にしているという見方を示しました。


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2019.01.21
旧ソ連の北方領土占領、米国が軍事支援していた…歴史の定説を覆す発見文=粟野仁雄/ジャーナリスト
https://biz-journal.jp/2019/01/post_26352.html


古釜布の旧集落に建つ、ソ連の国後島占領記念碑(「Wikipedia」より/敷香)

「平和条約へ向けて加速的に」と意気込む安倍晋三首相は21日から訪露する。だが実は北方領土問題において、四島をめぐる現代史が国民には知らされていない。

 2017年12月30日付北海道新聞に貴重な記事が載った。タイトルは『ソ連四島占領 米が援助』。ロシア史の大御所、和田春樹東大名誉教授が「北方四島を含む旧ソ連軍の対日作戦を米国が軍事援助していたことは、日本国内ではほとんど知られておらず、発見と言える。四島占領はソ連が勝手に行ったのではなく、米ソをリーダーとする連合国の作戦として行われたということを示している」と談話を寄せた記事を以下に引用する。

「1945年8、9月に行われた旧ソ連軍による、北方四島占領作戦に、米国が艦船10隻を貸与していたことを、根室振興局が米国とロシアの専門家による研究成果などを突き合わせ、明らかにした。米国はソ連の対日参戦に備え、大量の艦船の提供だけでなく、ソ連兵の訓練も行っており、米国の強力な軍事援助が四島占領の背景にあったことが浮かび上がった。(中略)振興局の調査結果によると、樺太南部の返還と千島列島の引き渡しと引き換えに、ソ連の対日参戦が決まった45年2月のヤルタ会談の直後、ともに連合国だった米ソは『プロジェクト・フラ』と呼ばれる合同の極秘作戦をスタートさせた。米国は45年5〜9月に掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、護衛艦28隻など計145隻の艦船をソ連に無償貸与。4〜8月にはソ連兵約1万2000人を米アラスカ州コールドベイの基地に集め、艦船やレーダーの習熟訓練を行った。コールドベイには常時1500人の米軍スタッフが詰め、ソ連兵の指導に当たったという。訓練を受けたソ連兵と貸与艦船は樺太南部や千島列島の作戦に投入された。8月28日からの択捉、国後、色丹、歯舞の四島占領作戦には、米の貸与艦船10隻を含む17隻が参加。ソ連軍は各島で日本兵の武装解除を行い、四島の占領は9月5日までに完了した」

 日本のポツダム宣言受諾にもかかわらず、ソ連は日ソ中立条約を破棄し千島列島を南下、米軍がいないのを見計らって択捉、国後島、歯舞群島、色丹島に侵攻し日本人を追い出したという「ソ連軍独断の占領」定説を覆す大ニュースは根室振興局が取り組む北方領土遺産発掘・継承事業の成果。同局の谷内紀夫前副局長は、ソ連が樺太南部と千島列島での作戦に投入した全艦船を調べたイーゴリ・サマリン氏(現ロシア・サハリン州戦勝記念館科学部長)の論文などを発見した。

都合がよかった「ソ連の独断占領」


 千島歯舞諸島居住者連盟の河田弘登志副理事長は「千島でソ連と戦った元日本兵は、アメリカの船を砲撃しようとしたらソ連の荷物を積んでいたので撃てなかった、と話していた」をあり得ることと見る。撃てなかったのは日ソ中立条約があったからだろう。同連盟の脇紀美夫理事長(元羅臼町長)は、「日本が降伏しているのに攻めて占領したソ連に対して、当時、アメリカが強く非難したということは聞かない。そうしたことからも、米国のソ連軍支援は十分考えられる事実では」と話す。

だが、同連盟の宮谷内亮一根室支部長が「驚いた。北方領土のソ連の占領にかかわっていたのならアメリカにも責任があるのでは」と話すように、初耳という元島民が多い。

 日本政府が「米軍の援助」を知らないはずはないが、冷戦下、米国の同盟国として米国に都合の悪い事実は表に出されなかったのだろう。納沙布岬にある北方館の小田嶋英男館長も「当時は連合国の一員、おかしくはない。引き揚げてきた人は国籍不明の船を見たとか、ロシアの船ではないと話していた。でもソ連軍の四島の占領にアメリカがかかわったという歴史を出さないほうがいい、ということになったのでしょう」と推測する。

あとから出た「北方領土」という言葉


 根釧漁船保険組合元専務理事の足立(あしだて)義明氏(80)は根室青年会議所で活躍していた頃、北方領土問題を研究し講演もした。「決してソ連が独断で決めて占領したのではなく、アメリカが支援していたはずということも話しました」と語る。「ソ連は釧路から留萌を結んだ線から以北をよこせと言っていた。安藤さん(北方領土返還運動の父と呼ばれた安藤石典根室町長)がソ連に対してではなくマッカーサーに占領軍の管理下に置いてほしいということを求めた経緯からも、占領時にも米軍が加担していたとみるほうが自然」とする。45年12月、安藤氏は占領軍のマッカーサー連合国最高司令官に対して、ソ連の不法占拠を訴え、国後、択捉、色丹、歯舞諸島を米国の管理下に置くことを求める直訴状を送った。足立氏は「尖閣諸島とか竹島とか言えばすぐわかるが、北方領土とか北方四島なんて表現して島の名を言わないから国民はわからない。返還運動が国民的に盛り上がらなかったひとつの原因」と指摘する。

 日本は戦後すぐにソ連に「四島を返せ」と主張したわけではない。「北方領土」という言葉も冷戦下、米国の同盟国として「ソ連敵視」の国論を煽るために後年、政府がつくり出したのだ。

「2島返還」でちょうちん行列


 元根室市総務部長の平山芳夫さん(90)は根室半島の歯舞村(現・根室市歯舞)の出身。戦前から村役場に就職し、56年の日ソ共同宣言締結時は20代。「提灯行列となり行燈を担いで納沙布まで行進した」。2島の返還だけでそんなに喜びに沸いたのだろうか。平山氏は語る。

「歯舞諸島は歯舞村の管轄。奪われていた豊富な漁業区域も村に戻ってくることが大きかった。当時、根室には国後や択捉の人はあまり戻っていなかった。住民大会も色丹と歯舞が還れば、という雰囲気。四島全部返せ、では平和条約はないと思っていました。しかし、すぐに国後や択捉出身の人の反発が強まっていったのです」

 平山氏は「もともとは『島を返せ』ではなく『島よ、還れ』だった。いつしか『返せ』という言い方になりました」と回顧する。強い言い回しに変わるのも対米追従が強まってからだ。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/561.html#c6

[近代史3] ロシア人は今でも日本の敵 _ あまりに辛辣!ロシア人の「日本人への本音」 中川隆
7. 中川隆[-8833] koaQ7Jey 2019年7月27日 18:23:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3886]
北方領土4島返還はありえない〜日本人の知らない歴史的な理由 2019/03/13
http://www.1242.com/lf/articles/164186/?cat=politics_economy&pg=cozy

ニッポン放送「飯田浩司の OK! Cozy up!」(3月13日放送)に数量政策学者の高橋洋一が出演。北方領土問題について、終戦記念日の世界的な史実を交えて解説した。


ロ、在日米軍で回答要求  モスクワで記者会見するロシアのプーチン大統領(タス=共同)=2018年12月20日 写真提供:共同通信社


ロシアが北方領土で軍事演習〜交渉の対象は2島だという意思表示か

ロシア軍は3月12日、北方領土の択捉島と国後島でおよそ500人が参加する軍事演習を開始した。ロシア軍は今月6日にも軍事演習を実施していて、平和条約の交渉を進めるなか、日本側を揺さぶる狙いがあると見られている。

飯田)ロシアの通信社、インターファクス通信が伝えたものだそうです。軍事演習ですよ。

高橋)揺さぶると言うか、交渉を明確にするということだと思いますけれどね。

飯田)交渉を明確にする。

高橋)対象を明確にすると。2島だということです。それ以外はないぞと、そういうことを言って来ているだけのことです。

飯田)そうすると、国後・択捉ではなく、歯舞・色丹だと。


首脳会談を終え、共同記者発表で握手するロシアのプーチン大統領(右)と安倍晋三首相(ロシア・モスクワ)=2019年1月22日 写真提供:時事通信

世界的な常識で終戦記念日は9月2日〜ソ連の日本侵略はそれ以前のこと

高橋)もともと4島は無理筋だということは、日本の国民はあまり言いませんが、外交の専門家であれば「4島は無理です」とはっきり言っています。これは終戦記念日がいつかという話で、私もアメリカに行ったときにこっぴどくやられた経験がありますが、日本人は終戦記念日は8月15日と言うではないですか。でも世界のどこに行っても、終戦記念日は9月2日です。

飯田)9月2日。

高橋)戦艦ミズーリで調印したとき。要するに、8月15日から9月2日の間の話については、日本はやられっぱなし、それだけの話です。

飯田)グレーゾーンではあるけれども、最後に終戦条約にサインをした9月2日までは…。

高橋)OKだということです。

飯田)戦争状態のままだったということが国際法上の在り方だったのですね。

高橋)日本では、終戦記念日以降にソ連が攻め入ってどうのこうのと習いますが、それは世界では通用しません。

飯田)国際社会では通用しないと。

高橋)いくら言っても無理です。他の国では9月2日だろうと、それまでは仕方なかったと言われる。私も多少知識があるから、実は日ソ不可侵条約の後、向こうが通告して来た後に、1年間自動延長という項目もあるのですが、これはEUのときと一緒で「でも協議は整わなかっただろう」と言われてしまいます。協議が整わなかったらおしまいだよ、日本はちゃんとソ連と協議をしたかと。するような状況ではなかったから、していないのですね。結果的にはそれも通用しないのが国際常識ですよ。
こういう常識を日本国民もある程度わからないと、安倍さんが一所懸命やっていることがわからないと思います。終戦は9月2日だから、4島は有り得ない。日ソ共同宣言で、1956年のときに2島の話しか書いていないでしょう。でもこれは、実は合理的なのですよ。4島は有り得ません。
その後なぜ日本が4島と言ったかというと、アメリカのダレス国務長官が4島と言え、と。4島と言わなければアメリカは沖縄を返さないぞと言ったので、日本は仕方なく4島と言わされたのです。4島と言っているうちは、ソ連は交渉しないと知っているから。そうすると日ソは絶対に平和条約を結べないので、わざとダレス氏は言ったのですよ。

飯田)日ソが当時の東西冷戦のなかで接近するのを恐れたアメリカが…。

高橋)絶対に4島と言え、と。4島と言っている間はソ連は絶対に日本と交渉しませんからね。日ソ共同宣言に戻って、2島という本当の真面目な話をすると、国民としては失望感が出て来るのですね。でも4島と言っている間は一切交渉できない。今回初めて2島で交渉するから、ロシアの方もちゃんとした対応をして来ているのです。それだけです。本当にきちんとした交渉をしていると、こういう話になるのです。


2006年11月のAPEC首脳会議にて、日本の首相(当時)の安倍晋三(左)と(ウラジーミル・プーチン – Wikipediaより)

2島が還って来れば100点

飯田)1956年に日ソ共同宣言が出ていますけれど、それを遡った少し前にサンフランシスコ講和条約があった。そこでは千島列島は放棄すると明記している。

高橋)千島に択捉、国後は入るのが普通ですね。

飯田)南列島の千島の部分に国後・択捉は入るから、当時のソ連、現ロシアとしてはそこまでは自分たちのものだと。国際的にもそれは認められているというのが向こうの主張ですね。

高橋)世界ではそうなっています。

飯田)これをひっくり返して行くのは相当難しい。

高橋)無理でしょう。日本だけなのですよ、終戦が8月15日と言うのは。それは事実です。アメリカも絶対に言わないし、他の連合国やヨーロッパも全部9月2日です。

飯田)そうすると、歯舞群島と色丹に関してどうするかが、日露交渉のメイン。

高橋)国際法から見たらそれしかない。2島が還って来れば日本は100点満点です。ロシアのほうは0島でしょうから。

飯田)あとはそこから先も長いスパンで。

高橋)30年、50年かけてプラスがあればいいというレベルです。


http://www.1242.com/lf/articles/164186/?cat=politics_economy&pg=cozy

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/561.html#c7

[近代史3] ロシア人は今でも日本の敵 _ あまりに辛辣!ロシア人の「日本人への本音」 中川隆
8. 中川隆[-8832] koaQ7Jey 2019年7月27日 18:25:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3887]
ウクライナ人が日本に警告「北方領土の2島返還で笑うのはプーチンだけ」
3/26(火) 11:57配信 PHP Online 衆知(Voice)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190326-00010001-voice-pol

ウクライナ出身のグレンコ・アンドリー氏は安倍政権の対ロシア外交に警鐘を鳴らしている。


<<安倍総理は現在、プーチン大統領との友好関係を深めることで北方領土問題の解決をめざしている。だが、2014年に領土クリミアをあっという間にロシアに奪われたウクライナ人のグレンコ・アンドリー氏は異なる考え方をもつ。新著『プーチン幻想』(PHP新書)より、その理由を明らかにする。>>

※本稿はグレンコ・アンドリー著『プーチン幻想』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです
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じつは「対露国益献上外交」

最初に言っておきたいが、筆者はウクライナ人としてではなく、日本を好きな人間の一人という立場から考えを書くこととする。ウクライナからすれば、日露関係がどうなろうが、日本がどのような対露政策を取ろうが、その結果、日本がどうなろうが、ほとんど影響がないからだ。

だから本稿において、筆者はウクライナ人というより、親日外国人、日本をよくしたいと思い、日本の復活・発展と繁栄を心から望み、自分の将来を日本と結びつけて考える人の立場から、安倍政権の対露政策について考えたいと思う。

さて、安倍晋三総理大臣は20回以上プーチンと会い、友好をアピールしているのだが、総理の目的は何であろうか。総理の言動から判断すると、それはロシアと友好関係を作り、領土問題を解決した上で日露平和条約を結ぶことである、ということになる。

一見もっともらしく映るが、じつは安倍総理の対露外交の本質を表す言葉は「対露軟弱外交」もしくは「対露国益献上外交」である。なぜなら安倍総理の政策は、ロシアが一方的に日本から利益を引き出すだけであり、代わりに日本が得るものは何もないからだ。
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「領土返還」と「領土問題の解決」のすり替え

今まで日本政府は、少なくとも南千島、つまり択捉島・国後島・色丹島と歯舞群島は日本の領土である、という立場を一貫して取ってきた。

しかし、いつの間にか「領土返還」ではなく、「領土問題の解決」という言葉が日本の情報空間に飛び交うようになった。それは何を意味するのか。

「領土返還」という言葉には1つの意味しか含まれていない。しかし、「領土問題の解決」という言葉には2つの意味が含まれている。

「問題の解決」は「領土返還」という形でも「領土放棄」という形でも可能であり、どちらも「領土問題の解決」である。

したがって、領土返還ではなく領土問題の解決を繰り返し述べる日本の政治家やジャーナリストの発言は、「領土放棄という選択を排除しない」ことを意味している。

このように概念をすり替えれば、安倍総理は「実績を残す」ことができる。つまり北方領土を取り返せないが、領土を放棄することによって「領土問題を解決した首相」という「実績」を作ることができる。

そして支持層に対し、巧妙な情報発信で対露敗北を「安倍外交の勝利」と思わせることができる。

実際、総理はロシアが北方領土を返還しないことを分かっているので、「日本の面子が潰れない形で」北方領土の放棄を目指していることは明らかである。日本のメディアにおけるロシアに対する報道、もしくは日露関係に対する報道がそれを物語っている。

たとえばロシアに関する報道では、以下の話題が頻繁に出ている。すなわち「ロシアの美人スポーツ選手」「プーチン大統領は柔道が好き」「プーチン大統領に秋田犬が贈られた」「日本にシベリア猫が贈られた」などである。つまり、全く政治や外交と関係がない。

これはロシアが日本の領土を不法占領している事実から目を逸らすための戦略である、と言わざるをえない。先述のような報道だけを見れば、誰でもロシアによい印象を持ち、親近感が湧く。

日本中にこのようなロシアに対して甘いイメージが広まれば、ロシアに対する大きな譲歩も受け入れられやすくなる。

また、安倍政権が展開している対露外交についてマスコミはほとんど批判せずに、政府の発表をそのまま報道するだけである。

たとえば、日本の高官による「日露新時代」「(領土問題に関する)新しいアプローチ」「落ち着いた雰囲気での交渉」「両国に受け入れ可能な解決」などの表現を報道するだけで、反論は加えられない。

しかし、このような表現は日本の一方的な譲歩を示す婉曲表現にすぎない。このような発表の下で、安倍政権は歴代政権の立場を崩して北方領土を放棄しようとしているが、日本のメディアもそれを容認しているのである。


全島全域返還の前に平和条約を締結してはいけない

さて、安倍政権の対露外交は具体的にどこが間違っているのか。最も大きな間違いは、先述した「領土放棄の容認」である。安倍政権は明らかに「2島返還で平和条約」という解決を目指している。

しかし平和条約を締結すれば、それは事実上、国後島と択捉島のロシア帰属を認めることになる。

だから平和条約締結後、国後島と択捉島の返還を要求できなくなる。要求したとしても、「平和条約の時点で領土問題は解決した」という反論がくる。だから、いわゆる「2島先行返還論」はありえないのだ。

ロシアからだけではなく、第三国から見ても、平和条約締結後の日本の領土返還要求は正当に映らない。だから絶対に、全島全域返還の前に平和条約を締結してはいけないのだ。

ちなみになぜ、筆者は「安倍政権が2島返還を容認している」と断言できるのか。それにはいくつかの理由がある。

1つ目は、先述したメディア戦略である。安倍総理は明らかにプーチンとの個人的な友情をアピールし、日本人にロシアやプーチンに対して好印象を持ってもらいたがっている。

2つ目は、日ソ共同宣言への言及である。日ソ共同宣言は当時、違法にソ連に抑留されていた日本人の帰還のためのやむをえない措置だったかもしれないが、日本人の帰還終了後にこれを即、破棄するべきであった。その内容は大きく日本の国益を損なっているからである。

そして3つ目は、安倍総理は自分の在任中に領土問題を解決し、平和条約を締結する、と言っている。

しかし、安倍晋三総理大臣の在任中に北方領土全島を取り返すことは不可能である。だから「自分の在任中に解決する」と言っている時点で、安倍総理が「2島返還で平和条約」を容認しているのは明らかなのである。
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「在任中に解決」発言が日本の立場を不利にした

また「自分の在任中に解決する」という発言は、安倍政権の対露外交のもう1つの大きな欠陥である。

自分の在任中に解決する、というのは、問題解決に期限を設けることを意味している。

つまり、2021年9月までに北方領土問題を解決しなければならないということだ。それは交渉において、自分の立場を自ら不利にする行為である。

総理の発言のため、日本側には期限が迫っているという焦りが生じる。しかし、ロシアには一切何の期限もなく、時間が無限にある。だからロシアは、日本側に期限が迫るときまで待てばいいだけである。

他方、期限までに問題を解決しなければならない日本は、期限が近付いた頃に仕方なく譲歩せざるをえない。そして、ロシアは待つだけで自国に有利な結果での解決を獲得する。

以上のことから、安倍総理の発言は大きな誤りであり、現在の対露外交は日本の立場を不利にする行為であるので、即刻改めるべきである。

領土問題を始めとする難しい外交的問題において、期限を設けてはいけない。必要なだけ時間をかけて、必要な場合は次の代に解決を先送りすることを覚悟するべきだ。解決を焦ることは、自分の手で自らの首を絞めることである。
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グレンコ・アンドリー(ウクライナ出身)





28. 中川隆[-10505] koaQ7Jey 2019年4月29日 18:50:28: b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1582] 報告
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北方領土「日本人が知らない」真実、占領の黒幕・返還交渉の矛盾…
粟野仁雄 2019/04/26
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%8C%97%E6%96%B9%E9%A0%98%E5%9C%9F%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%8C%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%8D%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E3%80%81%E5%8D%A0%E9%A0%98%E3%81%AE%E9%BB%92%E5%B9%95%E3%83%BB%E8%BF%94%E9%82%84%E4%BA%A4%E6%B8%89%E3%81%AE%E7%9F%9B%E7%9B%BE%E2%80%A6/ar-BBWikav?OCID=ansmsnnews11#page=2

北方領土と日本の複雑すぎる関係

「今、日本でニュースになっているクリル列島(千島列島)の問題をどう思いますか。日本じゃ北方領土と呼ぶのだけれど……」

 1月末、モスクワでの首脳会談に合わせて旧島民たちの取材に訪れた筆者は、北海道根室市のラーメン店で、隣に座った若いロシア人男性に拙いロシア語でこう尋ねた。サハリンから商売に来ていた体格のよい男は、「北方領土ではないよ。あの島は絶対に我国の『南方領土』なんだ。でも日本はいい国だよ。仲良くしたいね」と笑った。

 安倍首相とプーチン大統領による日ロ首脳会談の度に取り沙汰される北方領土問題だが、3月15日、ロシアの『コメルサント』紙が「大きく交渉スピードが後退した」とプーチン大統領が発言していたことを報じた。足もとでは、5月上旬の対ロ協議を前に、河野太郎外相が国会答弁においてロシア側を刺激しない配慮を見せるなど、交渉の「難しさ」が伝わってくる。

 近づいたとか思うと離れるブーメランのような「北方領土」とは、日本人にとってどんな存在なのか。筆者が若き記者時代から関わったこのテーマについて、まずは地理や歴史などの基本事項を解説したい。

 背の低い白い灯台が立つ根室半島先端の納沙布岬。眼下の岩礁にはかつて作家の三島由紀夫を信奉する国粋主義団体「楯の会」がペンキで描いた「千島を返せ」の文字があったが、積年の波で消えている。沖へ視線をやると、水平線上にまっ平で樹木の1本もない不思議な水晶島が見える。貝殻島の「日本時代」からの古い灯台が見える。右には勇留(ゆり)島。いずれもロシアの実効支配下にある歯舞群島の1つだ。

「うわあ、ロシアが見えるなんて」-――。若いカップルが驚いていたが、寒がって車に引っ込んでしまった。夏のシーズンは濃霧で見にくいため寒い時期がいいのだが、この地域の冬の寒さは半端ではない。見えていた数隻の漁船は、あまりの近さに日本の船かと思いたくなるが、潜水でウニを採るロシアの船である。ここから日露の海上の「中間ライン」(固有の領土、領海を主張してきた国は国境とは言えない)はわずか1.7キロだ。

「ロシア人はウニなんて食べないから、みんな日本に売るんです。この寒いのによく潜るよ」とは食堂兼土産物店「請望苑」を経営する竹村秀夫さんだ。訪問者たちの「北方領土って、こんなに近かったんですか」の言葉に地元民は辟易しているが、北海道旅行も根室まで行く人は少ないから、それも仕方がない。

 北方領土は、北から択捉島、国後島、並列する歯舞諸島と色丹島の「4島」だが、沖縄本島より大きい最大の択捉島と2番目に大きい国後島が、全面積の93%を占める。国後島は根室市からも見えるが、標津町からはより近く、好天なら主峰の爺々岳も見える。

 北方領土をめぐる国際的な取り決めの柱は、(1)1855年の日露通交(和親)条約、(2)1875年の千島樺太交換条約、(3)1904年のポーツマス条約、(4)1951年のサンフランシスコ講和条約、そして(5)1956年の日ソ共同宣言だろう。日ロ間における北方領土を巡るターニングポイントについて、おさらいしてみよう。


開国時にロシアだけは

友好な態度だった

 1855年2月7日、江戸幕府はロシア帝国と「日露通好条約」を結ぶ。「日露和親条約」ともいう。ロシア語では「貿易と国境の条約」だが、日本語では「貿易」も「国境」も消え、和親だとか通好とか、わけのわからぬ言葉になる。

 このとき、ニコライ一世の訓令・プチャーチン提督と対峙したのが、幕府の川路聖謨(かわじ・としあきら)という旗本。NHKの元モスクワ支局長の石川一洋解説委員は、2月に鳥取県倉吉市に招かれた講演会で、川路について「優れた人でしたが、ロシアの交渉団が彼の写真を撮ろうとしたら固辞した。『私のような醜男が貴国に紹介されては日本の恥です』と言ったのです」と素朴な人柄を紹介した。川路は戊辰戦争で幕府軍に殉じて自決した。

 この時期、米国のペリー提督が軍艦を連ねて開国を迫るなど、欧米列強が「鎖国日本」を力でこじ開けようとしたが、石川氏は「ロシアだけは非常に友好的な態度で日本に接してきたのです」と強調した。確かにその通りだ。

 この条約で国境線が得撫(ウルップ)島と択捉島の間とされ、樺太は「日露混住の地」となるが、20年後の1875年、ペテルブルグ(今のサンクトぺテルブルグ)で締結された「千島樺太交換条約」で、樺太は全島がロシア領、千島列島すべてが日本領となる。日本は大政奉還から7年目の明治8年、ロシア側は革命で銃殺されるロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ二世の父、アレクサンドル三世の時代だ。

 20世紀初頭、日露戦争で日本が勝利し、1905年に「ポーツマス条約」で樺太の南半分が日本領となる。これはロシア人にとって大変な屈辱だった。南樺太のロシア人は北緯50度以北へ追いやられ、代わりに日本の開拓団が多数樺太へ移住し、石炭生産、製紙産業、林業、農業、漁業などを繁栄させた。樺太や千島の日本人は、第二次大戦末期に日本本土の人たちが空襲などに苦しんでいた頃も平和を謳歌した。

 それが破られたのが、ポツダム宣言受諾後の1945年8月。日ソ中立条約を一方的に破ったソ連軍が、満州、樺太、北方領土へ侵攻したのだ。戦闘らしい戦闘もなかった北方領土では、樺太や満州のような悲劇は少ないが、金品を奪うソ連軍との諍いや、本土への脱走時に船が銃撃を受けるなどして、幾人かが命を落とした。

 その後、色丹島などでは2年間ほど日露混住の時代もあった。色丹島の混住時代に小学生時代を過ごした得能宏さん(85)は、「先生は怖がっていたけれど、ロシア兵が黒板のほうに来て、生徒の算数の間違いを直してくれた」と振り返る。

 最終的に4島から日本人すべてが追われた。根室や羅臼などに裸一貫で引き揚げた彼らの戦後の苦労は想像に難くない。


意外に知られていない

サンフランシスコ平和会議での失態

 ソ連の対日参戦は1945年2月の米、英、ソのヤルタ会談で密かに決められた。戦争を早期終結させ、米兵の犠牲を減らしたいルーズベルト・米国大統領の求めによるものだが、スターリン・ソ連書記長の談話録には「問題が起きているわけではない日本と戦争することに国民は納得しない」と、代償に領土拡大を求める巧みな会話が残されている。

 後にスターリンは、釧路と留萌を結ぶライン以北の北海道の北半分までも要求したが、米国が拒否した。実現していたら北海道は今頃、どうなっていたのだろうか。

 1951年、米国との単独講和だったサンフランシスコ平和条約で、日本は「クリルアイランズ(千島列島)」を放棄した。実はこのときに、現在に至るまで禍根を残す失態が生じる。批准国会で野党議員に「放棄した千島に国後や択捉を含むのか」と訊かれた西村熊雄条約局長が、「含む」と答えてしまったのだ。

 外務省はこの大失敗に触れられることを今も嫌がるが、和田春樹・東大名誉教授(ロシア史)は「どんなにつらくとも、放棄したことを認めて交渉すべきだ」と話す。外務省は、「サ条約にはソ連が参加していないから、ロシアのものとされたわけではない」としている。

 1956年、鳩山一郎首相とソ連のブルガーニン首相との間で「日ソ共同宣言」が締結された。今、盛んにニュースになっている史実だ。「平和条約締結後に、色丹島と歯舞諸島は日本に引き渡すとされた」が、「引き渡す」(ロシア語では「ペレダーチ」)とは、「返す」ではなく、「私の物ですが差し上げます」というニュアンスだった。

 結局、平和条約を結べないまま、世界は冷戦時代に突入。日本を自由主義陣営に引き込みたい米国のダレス国務長官が、「歯舞・色丹の返還を目指してソ連と平和条約を結ぶなら、沖縄を永久に占領する」とした有名な「恫喝」が大きな楔だった。

 そして、1960年の日米安保条約延長でソ連は態度を硬化し、「領土問題は解決済み」とされる。1973年、田中角栄首相がブレジネフ書記長に「両国間の未解決諸問題」に領土問題が含まれることを認めさせたが、その後進展はなかった。80年代にゴルバチョフ政権が誕生し、91年にソ連が崩壊、続くエリツィン政権ではロシアが一旦態度を軟化させたものの、日本は何度も好機を逃してきた(これについては、後述する)。

 日本人の最も身近にある国際問題の1つ、北方領土問題はこうした経緯を辿って来たのである。


忘れられがちな史実

本当の先住民は誰だったのか

 2月7日、筆者は大阪は中の島公会堂の「北方領土返還要求大会」に出かけた。入り口で「アイヌ民族抜きで交渉を進めることはおかしい」と抗議の横断幕を掲げる人たちがいた。

 北方領土史で忘れられがちなのは、「本当の先住民は誰だったのか」だ。筆者は1980年代、北海道で知り合いのソ連担当の公安関係者から、「ソ連の学者たちが北海道のアイヌ民族の存在を口実に、北方領土が古来、自分たちの領土だったことにしようとしている」と聞いた経験がある。アイヌはロシア側にも居ることをテコに、「日本人より先にロシアのアイヌが千島にいた」として、日本が主張する「固有の領土」を否定しようとし、「AS協会」という組織を立ち上げたと、といった話だった。

 詳細は省くが、国境という観念も希薄だったその昔、千島列島ではアリュート、樺太アイヌ、北海道アイヌら、様々な民族が狩猟生活や物々交換などをしていた。政府は、第二次大戦までは一度も外国の手に渡っていない「固有の領土」と強調している。 


ソ連の北方領土占領に米国が協力

なぜか後追いされない衝撃の事実

 2017年12月30日の北海道新聞に「歴史の常識を覆す」報道があった。タイトルは「ソ連の北方四島占領、米が援助、極秘に艦船貸与、訓練も」というものだ。

 概要は、1945年8、9月に行われた旧ソ連軍の北方4島占領作戦に、米国が艦船10隻を貸与していたというものだ。大量の艦船の提供だけではなく、ソ連兵の訓練も行ったといい、4島占領の背景に米国の強力な軍事援助があったことを示唆する内容だった。

 ヤルタ会談の直後、連合国だった米ソは「プロジェクト・フラ」という極秘作戦を実施した。米国は45年5月から掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、護衛艦28隻など計145隻の艦船をソ連に無償貸与。ソ連兵1万2000人を米アラスカ州の基地に集め、1500人の米軍人が艦船やレーダーの習熟訓練を行った。

 8月28日からソ連兵が攻め込んだ択捉、国後、色丹、歯舞の占領作戦には、米国に借りた艦船10隻を含む17隻が参加。ソ連軍は各島で日本兵の武装解除を行い、4島の占領は9月5日までに完了した。

 記事には、和田春樹・東京大学教授が次のような談話を寄せている。

「北方4島を含むソ連の対日作戦を米国が軍事援助していたことは、日本ではほとんど知られておらず、発見と言える。ソ連が勝手に行ったのではなく、米国をリーダーとする連合国の作戦だったことを示す」

 日本がポツダム宣言を受諾して降伏した後に、ソ連は日ソ中立条約を破棄して千島列島を南下、樺太からのソ連軍は米軍がいないことを確認して、択捉、国後島、歯舞群島、色丹島に侵攻したという「常識」を覆す話だ。

 ソ連が樺太南部と千島列島での作戦に投入した全艦船を調べた、ロシア・サハリン州戦勝記念館のイーゴリ・サマリン科学部長の論文を、同紙根室振興局が入手した。調査を主導した谷内紀夫前副局長は、「ボリス・スラビンスキーの著書『千島占領・一九四五年夏』(1993年)には、この経緯の一端が出ているが、話題にならなかった」と言う。

 記事を見た千島歯舞諸島居住者連盟の宮谷内亮一・根室支部長は、「驚いた。ソ連の占領に関わっていたのなら領土問題はアメリカにも責任がある」と話す。旧島民も初耳の人は多い。一方、連盟の脇紀美夫理事長(元羅臼町長)は、「日本が降伏しているのに攻めて占領したソ連に対して、当時、アメリカが強く非難したということは聞かないから、米国のソ連軍支援は十分考えられる」と話す。

 日本政府が「米軍の援助」を知らなかったはずはないが、冷戦下、米国とともに反ソ感情を煽るためにも都合の悪い事実だった。納沙布岬にある北方館の小田嶋英男館長も「ソ連は当時、連合国の一員なのでおかしくはない。引き揚げてきた人は国籍不明の船を見たとか、ロシアの船ではないと話していた。でも、ソ連軍の4島の占領にアメリカが関わった歴史を出さない方がいい、ということだったのでしょう」と推測する。

 事実は北海道新聞の報道後、釧路新聞と根室新聞が報じたが、全国紙は無視した。中央メディアも外務省などに問い合わせはしたはずだ。米国に追従する安倍政権に「忖度」したのなら、情けない話だ。現代史の中で語られる出来事は、今の政治に直結しているケースが多いため、こうしたことは多い。日露首脳会談のときだけ賑やかになる北方領土問題も、その実、4島をめぐる現代史の根本事実すら国民には知らされていない。 


一般人が島へ行くことはできるか?

「渡航禁止」にも矛盾はらむ外務省

 さて、こうした複雑な歴史を持つ北方領土だが、日本人が島を訪れることはできるのか。結論から言えば、行けないことはないものの、一般人が訪れるのはなかなか困難だ。

 時代を遡れば、1989年4月、北海道新聞がメディアとして戦後初めて北方領土、国後島の上陸取材を報じた。まだソ連時代でロシア人でも簡単には入れなかった。歴史的快挙だ。

 当時、筆者が親しくしていた札幌領事館のイワノフという副領事(日本語が堪能だった)は、「あんなところに大した秘密も何もないんです。日本のような発展した国の人に、あんな遅れた場所を見せたくないんですよ」と話した。

 残留日本人や韓国人などの取材でサハリンに通っていた筆者は、自然やロシア人の素朴さには魅かれたが、「何と後れた場所か、1世紀前に戻ったようだ」と感じていた。戦後初めて故郷を再訪した引揚者の女性も、「ロスケ(筆者注:ロシア人。必ずしも蔑称ではない)は何してたのよ。日本時代の方が進んでたわ」と呆れていた。

 ソ連社会の中で、極東地方はモスクワから見放された地域。筆者は「サハリン本島でこれなら、北方領土(同じくサハリン州)なんてどんなに原始的か」と感じていたので、イワノフ氏の話は納得できた。

 1992年に「ビザなし交流」が始まった。4島交流、墓参り、自由訪問などがあるが、誰でも行けるわけではない。元居住者(子孫を含む)、返還要求運動関係者、報道関係者、学者などの専門家に限定される。日本政府は一般人の渡航を自粛するように求めている。「旅券や査証を取っての上陸はロシアの領土であることを認めてしまう」というのが言い分だ。


ソ連に億単位のカネを払って

北方領土の海域で漁をさせてもらう

 とはいえ、北方領土や領海をめぐっては、政府とて「建前と本音」の狭間で矛盾だらけ。たとえば、一時期の中断を含めて1960年代から続く夏場の「貝殻島の昆布漁」は、ロシアに億単位の入漁料を払って北方領土の海域で昆布漁が続く。「日本固有の領土、領海」なら金を払うのは明らかにおかしいが、漁民救済の一助として止むを得ないのだ。

 旅券、ビザで上陸した北海道新聞の記事をきっかけに、1990年代はピースボートなど様々な団体が旅券を取って、サハリン経由で北方領土へ渡っている。政府とて、こうした行為を日本の法律で取り締まることはできない。

 1988年、アイヌ民族の男性が「国後のアイヌと共同事業をする」と言い、北海道水産部の制止を振り切って小舟で国後島へ渡った騒動があった。仲間と「ウタリ合同」というソ連との合弁会社を立ち上げて、色丹島海域で大量のカニを水揚げしてきた。北方領土を外国と認めてしまうことになる。結局、北海道海面漁業調整規則違反に問われ、国内法がソ連の実効支配海域に及ぶか どうかが最高裁まで争われたが、「及ぶ」と認定され、有罪となった。

 検疫も税関も無視だから、戻れば検疫法違反や関税法違反などに問われる可能性があった。しかし、そうすると「北方領土を外国と認めてしまう」ことになるためか、その男性の罪は問われなかった。政府としても「痛し痒し」だったのだ。

 日本人にとって「近くて遠い」北方領土――。返還を唱えるならば、まずはかの地を取り巻く状況がどうなっているのかを、日本人一人ひとりが深く知ることから始めるべきではないか。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%8C%97%E6%96%B9%E9%A0%98%E5%9C%9F%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%8C%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%8D%E7%9C%9F%E5%AE%9F%E3%80%81%E5%8D%A0%E9%A0%98%E3%81%AE%E9%BB%92%E5%B9%95%E3%83%BB%E8%BF%94%E9%82%84%E4%BA%A4%E6%B8%89%E3%81%AE%E7%9F%9B%E7%9B%BE%E2%80%A6/ar-BBWikav?OCID=ansmsnnews11#page=2


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/561.html#c8

[近代史3] ロシア人は今でも日本の敵 _ あまりに辛辣!ロシア人の「日本人への本音」 中川隆
9. 中川隆[-8831] koaQ7Jey 2019年7月27日 18:28:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3888]

ロシア77%、領土返還価値なし
対日関係で世論調査 2019/1/28 19:26
©一般社団法人共同通信社


 【モスクワ共同】ロシア政府系「全ロシア世論調査センター」は28日、日本との平和条約締結や関係発展について「南クリール諸島(北方領土)を引き渡して実現するほどの価値があるか」との質問に77%が価値がないと回答し、価値があるとした14%を上回ったとの調査結果を発表した。

 46%が「無条件に価値がない」、31%が「価値がない」と回答した。一方で10%が「価値がある」、4%が「無条件に価値がある」と答えた。

 領土問題での日本との交渉姿勢については51%が「長い時間がかかっても相互が受け入れられる結果に向けて交渉継続」と回答した。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/561.html#c9

[近代史3] 馬渕睦夫 : 山本太郎は反グローバリストを装って一般大衆を欺く極左の隠れグローバリスト 中川隆
3. 中川隆[-8830] koaQ7Jey 2019年7月27日 20:52:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3889]

チャンネル桜関係者は全員で必死の山本太郎叩きを始めましたね。
山本太郎=ムッソリーニの再来、山本太郎=毛沢東の再来 なんだそうです:

【討論】参議院選挙後の日本の近未来[桜R1-7-27] - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=e_mGl6vQV6Q


◆参議院選挙後の日本の近未来

パネリスト:
 安藤裕(内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官・衆議院議員)
 佐々木類(産経新聞論説副委員長)
 石平(評論家)
 長尾たかし(内閣府大臣政務官・衆議院議員)
 西岡力(「救う会」全国協議会会長・モラロジー研究所歴史研究室室長)
 浜崎洋介(文芸批評家)
 宮崎正弘(作家・評論家)
司会:水島総
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/559.html#c3

[政治・選挙・NHK263] “敵”からも高い評価受ける政治家・山本太郎!  赤かぶ
17. 中川隆[-8829] koaQ7Jey 2019年7月27日 20:52:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3890]
チャンネル桜関係者は全員で必死の山本太郎叩きを始めましたね。
山本太郎=ムッソリーニの再来、山本太郎=毛沢東の再来 なんだそうです:

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[政治・選挙・NHK263] 狙うは政権交代。勢いづく山本太郎「れいわ新選組」衆院選の勝算  新恭(まぐまぐニュース) 赤かぶ
43. 中川隆[-8828] koaQ7Jey 2019年7月27日 20:54:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3891]
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[政治・選挙・NHK263] <朝日新聞・フロントライン>「放送禁止物体だった」山本太郎氏 突風で揺さぶる政界  赤かぶ
35. 中川隆[-8827] koaQ7Jey 2019年7月27日 20:55:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3892]
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[政治・選挙・NHK263] 山本太郎政権の可能性 − 参院選2019の結果をみて −(ちきゅう座) 肝話窮題
5. 中川隆[-8835] koaQ7Jey 2019年7月27日 20:56:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3884]
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[議論31] れいわ組としては、ズバリ!山本太郎の読み筋通りだったということになる 仁王像
4. 中川隆[-8837] koaQ7Jey 2019年7月27日 20:56:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3882]
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http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/684.html#c4

[議論31] 山本太郎の安倍内閣入りとの気配に、疑問や批判のコメ集/無名氏・その他 仁王像
12. 中川隆[-8836] koaQ7Jey 2019年7月27日 20:57:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3883]
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[政治・選挙・NHK263] れいわ新選組の重度障碍者が、全国の障がい者の働く権利のための改革に繋げる。(かっちの言い分) 一平民
1. 中川隆[-8841] koaQ7Jey 2019年7月27日 22:28:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3878]

チャンネル桜関係者は全員で必死の山本太郎叩きを始めましたね。
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馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン

【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/692.html#c1

[政治・選挙・NHK263] 非正規溢れる殺伐社会 ニュースにならない日産リストラ 過去最高水準に達した非正規雇用37.9%(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
5. 中川隆[-8843] koaQ7Jey 2019年7月27日 22:34:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3876]
チャンネル桜関係者は全員で必死の山本太郎叩きを始めましたね。
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馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン


【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=7EfwUGSZFKs


■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)


http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/693.html#c5

[政治・選挙・NHK263] 野党 れいわと連携模索 次期衆院選、共闘に期待(毎日新聞) 赤かぶ
4. 中川隆[-8842] koaQ7Jey 2019年7月27日 23:02:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3877]
チャンネル桜関係者は全員で必死の山本太郎叩きを始めましたね。
山本太郎=ムッソリーニの再来、山本太郎=毛沢東の再来 なんだそうです:


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司会:水島総


馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン


【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
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■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)


http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/694.html#c4

[政治・選挙・NHK263] 「れいわ新選組」基本公約基軸に政権奪取目指そう(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
4. 中川隆[-8841] koaQ7Jey 2019年7月28日 06:54:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3878]
チャンネル桜関係者は全員で必死の山本太郎叩きを始めましたね。
山本太郎=ムッソリーニの再来、山本太郎=毛沢東の再来 なんだそうです:

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 安藤裕(内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官・衆議院議員)
 佐々木類(産経新聞論説副委員長)
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 西岡力(「救う会」全国協議会会長・モラロジー研究所歴史研究室室長)
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 宮崎正弘(作家・評論家)
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馬渕睦夫
山本太郎は反グローバリストを装った極左の隠れグローバリスト
一般大衆が喜ぶ事ばかり言って、権力を得たら180度政策を変えて独裁者になる
過去何度も繰り返されてきた典型的パターン


【Front Japan 桜】馬渕睦夫〜参院選の影に Deep State 在り [桜R1-7-25] - YouTube 動画
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■ 参議院選挙の影にディープステート在り (1:32 より)
 ゲスト:馬渕睦夫(元駐ウクライナ兼モルドバ大使)

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/696.html#c4

[昼休み54] 山本太郎は反グローバリストを装って一般大衆を欺く極左の隠れグローバリスト、既存の体制を破壊するだけで、その後の事は何も… 中川隆
1. 中川隆[-8843] koaQ7Jey 2019年7月28日 07:02:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3876]
チャンネル桜関係者は全員で必死の山本太郎叩きを始めましたね。
山本太郎=ムッソリーニの再来、山本太郎=毛沢東の再来 なんだそうです:

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◆参議院選挙後の日本の近未来

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 石平(評論家)
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 西岡力(「救う会」全国協議会会長・モラロジー研究所歴史研究室室長)
 浜崎洋介(文芸批評家)
 宮崎正弘(作家・評論家)
司会:水島総

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/436.html#c1

[昼休み54] 山本太郎は反グローバリストを装って一般大衆を欺く極左の隠れグローバリスト、既存の体制を破壊するだけで、その後の事は何も… 中川隆
2. 中川隆[-8842] koaQ7Jey 2019年7月28日 08:24:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3877]
山本太郎「寄付金集まったら候補者10人発表する」→現在蓮池1人 これって詐欺だろ!
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/giin/1560994532/l50

1 :無党派さん :2019/06/20(木) 10:35:32.13 .net

寄付額3億円くらいの場合

参院選で10人擁立(選挙区5人、比例5人)
供託金だけで4千500万円。
※1選挙区300万円・比例1人あたり600万円

https://www.reiwa-shinsengumi.com/donation/


3 :無党派さん:2019/06/20(木) 23:09:19.96 .net


https://i.imgur.com/bUGLNvO.jpg

酒井剛(偽名:斎藤まさし)、極左過激派。山本太郎議員選挙参謀。

父:過激派よど号ハイジャック犯、母:北朝鮮による日本人拉致の実行犯
の息子に目をつけ市議選に擁立。

次なるコマとして、山本太郎を当選させた。


4 :無党派さん:2019/06/20(木) 23:09:42.72 .net

山本太郎氏の「選挙参謀/ブレーン」斎藤まさし=極左過激派

菅総理・民主党と献金先団体、北朝鮮拉致問題の構図

https://i.imgur.com/qeW43FT.jpg


織田陽介 全学連 前委員長(山本太郎の秘書)

https://i.imgur.com/IqvGo4L.jpg

5 :無党派さん:2019/06/21(金) 20:55:56.90 .net

アルルこと中田安彦が、副島隆彦のコネ(裏口)で山本太郎の秘書をやっている。
副島隆彦のコネとは、副島隆彦の小沢一郎経由のコネらしい。
副島道場関係者の小沢言論は、全部偏向してると判断してよい。
ほかのフリージャーナリストとかも、小沢の「援助」を受けてるのがいそう。

https://twitter.com/JUlbDHOfgimcsGc/status/1089204772790448130


中田安彦が、副島隆彦のコネで山本太郎の秘書をやってるという話は、ツイッターで拡散させるべき。
中田安彦の関係者が、政治家秘書の年収が何千万といって、自慢してたことあっただろ。
裏では、こんなこと言って庶民を小馬鹿にしてますと暴き立てるべき。 副島隆彦も一緒に終わる。

https://twitter.com/JUlbDHOfgimcsGc/status/1085197266472775681
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http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/giin/1560994532/l50
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/436.html#c2

[近代史3] 馬渕睦夫 : 山本太郎は反グローバリストを装って一般大衆を欺く極左の隠れグローバリスト 中川隆
4. 中川隆[-8841] koaQ7Jey 2019年7月28日 08:24:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3878]

山本太郎「寄付金集まったら候補者10人発表する」→現在蓮池1人 これって詐欺だろ!
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/giin/1560994532/l50

1 :無党派さん :2019/06/20(木) 10:35:32.13 .net

寄付額3億円くらいの場合

参院選で10人擁立(選挙区5人、比例5人)
供託金だけで4千500万円。
※1選挙区300万円・比例1人あたり600万円

https://www.reiwa-shinsengumi.com/donation/


3 :無党派さん:2019/06/20(木) 23:09:19.96 .net


https://i.imgur.com/bUGLNvO.jpg

酒井剛(偽名:斎藤まさし)、極左過激派。山本太郎議員選挙参謀。

父:過激派よど号ハイジャック犯、母:北朝鮮による日本人拉致の実行犯
の息子に目をつけ市議選に擁立。

次なるコマとして、山本太郎を当選させた。


4 :無党派さん:2019/06/20(木) 23:09:42.72 .net

山本太郎氏の「選挙参謀/ブレーン」斎藤まさし=極左過激派

菅総理・民主党と献金先団体、北朝鮮拉致問題の構図

https://i.imgur.com/qeW43FT.jpg


織田陽介 全学連 前委員長(山本太郎の秘書)

https://i.imgur.com/IqvGo4L.jpg

5 :無党派さん:2019/06/21(金) 20:55:56.90 .net

アルルこと中田安彦が、副島隆彦のコネ(裏口)で山本太郎の秘書をやっている。
副島隆彦のコネとは、副島隆彦の小沢一郎経由のコネらしい。
副島道場関係者の小沢言論は、全部偏向してると判断してよい。
ほかのフリージャーナリストとかも、小沢の「援助」を受けてるのがいそう。

https://twitter.com/JUlbDHOfgimcsGc/status/1089204772790448130


中田安彦が、副島隆彦のコネで山本太郎の秘書をやってるという話は、ツイッターで拡散させるべき。
中田安彦の関係者が、政治家秘書の年収が何千万といって、自慢してたことあっただろ。
裏では、こんなこと言って庶民を小馬鹿にしてますと暴き立てるべき。 副島隆彦も一緒に終わる。

https://twitter.com/JUlbDHOfgimcsGc/status/1085197266472775681
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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/559.html#c4

[政治・選挙・NHK263] 「れいわ新選組」基本公約基軸に政権奪取目指そう(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
6. 中川隆[-8840] koaQ7Jey 2019年7月28日 08:28:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3879]
3 :無党派さん:2019/06/20(木) 23:09:19.96 .net


https://i.imgur.com/bUGLNvO.jpg

酒井剛(偽名:斎藤まさし)、極左過激派。山本太郎議員選挙参謀。

父:過激派よど号ハイジャック犯、母:北朝鮮による日本人拉致の実行犯
の息子に目をつけ市議選に擁立。

次なるコマとして、山本太郎を当選させた。


4 :無党派さん:2019/06/20(木) 23:09:42.72 .net

山本太郎氏の「選挙参謀/ブレーン」斎藤まさし=極左過激派

菅総理・民主党と献金先団体、北朝鮮拉致問題の構図

https://i.imgur.com/qeW43FT.jpg

織田陽介 全学連 前委員長(山本太郎の秘書)

https://i.imgur.com/IqvGo4L.jpg


5 :無党派さん:2019/06/21(金) 20:55:56.90 .net

アルルこと中田安彦が、副島隆彦のコネ(裏口)で山本太郎の秘書をやっている。
副島隆彦のコネとは、副島隆彦の小沢一郎経由のコネらしい。
副島道場関係者の小沢言論は、全部偏向してると判断してよい。
ほかのフリージャーナリストとかも、小沢の「援助」を受けてるのがいそう。

https://twitter.com/JUlbDHOfgimcsGc/status/1089204772790448130


中田安彦が、副島隆彦のコネで山本太郎の秘書をやってるという話は、ツイッターで拡散させるべき。
中田安彦の関係者が、政治家秘書の年収が何千万といって、自慢してたことあっただろ。
裏では、こんなこと言って庶民を小馬鹿にしてますと暴き立てるべき。 副島隆彦も一緒に終わる。

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http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/696.html#c6

[政治・選挙・NHK263] 狙うは政権交代。勢いづく山本太郎「れいわ新選組」衆院選の勝算  新恭(まぐまぐニュース) 赤かぶ
49. 中川隆[-8839] koaQ7Jey 2019年7月28日 08:29:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3880]
3 :無党派さん:2019/06/20(木) 23:09:19.96 .net


https://i.imgur.com/bUGLNvO.jpg

酒井剛(偽名:斎藤まさし)、極左過激派。山本太郎議員選挙参謀。

父:過激派よど号ハイジャック犯、母:北朝鮮による日本人拉致の実行犯
の息子に目をつけ市議選に擁立。

次なるコマとして、山本太郎を当選させた。


4 :無党派さん:2019/06/20(木) 23:09:42.72 .net

山本太郎氏の「選挙参謀/ブレーン」斎藤まさし=極左過激派

菅総理・民主党と献金先団体、北朝鮮拉致問題の構図

https://i.imgur.com/qeW43FT.jpg

織田陽介 全学連 前委員長(山本太郎の秘書)

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5 :無党派さん:2019/06/21(金) 20:55:56.90 .net

アルルこと中田安彦が、副島隆彦のコネ(裏口)で山本太郎の秘書をやっている。
副島隆彦のコネとは、副島隆彦の小沢一郎経由のコネらしい。
副島道場関係者の小沢言論は、全部偏向してると判断してよい。
ほかのフリージャーナリストとかも、小沢の「援助」を受けてるのがいそう。

https://twitter.com/JUlbDHOfgimcsGc/status/1089204772790448130


中田安彦が、副島隆彦のコネで山本太郎の秘書をやってるという話は、ツイッターで拡散させるべき。
中田安彦の関係者が、政治家秘書の年収が何千万といって、自慢してたことあっただろ。
裏では、こんなこと言って庶民を小馬鹿にしてますと暴き立てるべき。 副島隆彦も一緒に終わる。

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http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/667.html#c49

[政治・選挙・NHK263] “敵”からも高い評価受ける政治家・山本太郎!  赤かぶ
20. 中川隆[-8838] koaQ7Jey 2019年7月28日 08:29:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3881]
3 :無党派さん:2019/06/20(木) 23:09:19.96 .net


https://i.imgur.com/bUGLNvO.jpg

酒井剛(偽名:斎藤まさし)、極左過激派。山本太郎議員選挙参謀。

父:過激派よど号ハイジャック犯、母:北朝鮮による日本人拉致の実行犯
の息子に目をつけ市議選に擁立。

次なるコマとして、山本太郎を当選させた。


4 :無党派さん:2019/06/20(木) 23:09:42.72 .net

山本太郎氏の「選挙参謀/ブレーン」斎藤まさし=極左過激派

菅総理・民主党と献金先団体、北朝鮮拉致問題の構図

https://i.imgur.com/qeW43FT.jpg

織田陽介 全学連 前委員長(山本太郎の秘書)

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5 :無党派さん:2019/06/21(金) 20:55:56.90 .net

アルルこと中田安彦が、副島隆彦のコネ(裏口)で山本太郎の秘書をやっている。
副島隆彦のコネとは、副島隆彦の小沢一郎経由のコネらしい。
副島道場関係者の小沢言論は、全部偏向してると判断してよい。
ほかのフリージャーナリストとかも、小沢の「援助」を受けてるのがいそう。

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中田安彦が、副島隆彦のコネで山本太郎の秘書をやってるという話は、ツイッターで拡散させるべき。
中田安彦の関係者が、政治家秘書の年収が何千万といって、自慢してたことあっただろ。
裏では、こんなこと言って庶民を小馬鹿にしてますと暴き立てるべき。 副島隆彦も一緒に終わる。

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http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/685.html#c20

[政治・選挙・NHK263] 野党 れいわと連携模索 次期衆院選、共闘に期待(毎日新聞) 赤かぶ
16. 中川隆[-8837] koaQ7Jey 2019年7月28日 08:30:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3882]
3 :無党派さん:2019/06/20(木) 23:09:19.96 .net


https://i.imgur.com/bUGLNvO.jpg

酒井剛(偽名:斎藤まさし)、極左過激派。山本太郎議員選挙参謀。

父:過激派よど号ハイジャック犯、母:北朝鮮による日本人拉致の実行犯
の息子に目をつけ市議選に擁立。

次なるコマとして、山本太郎を当選させた。


4 :無党派さん:2019/06/20(木) 23:09:42.72 .net

山本太郎氏の「選挙参謀/ブレーン」斎藤まさし=極左過激派

菅総理・民主党と献金先団体、北朝鮮拉致問題の構図

https://i.imgur.com/qeW43FT.jpg

織田陽介 全学連 前委員長(山本太郎の秘書)

https://i.imgur.com/IqvGo4L.jpg


5 :無党派さん:2019/06/21(金) 20:55:56.90 .net

アルルこと中田安彦が、副島隆彦のコネ(裏口)で山本太郎の秘書をやっている。
副島隆彦のコネとは、副島隆彦の小沢一郎経由のコネらしい。
副島道場関係者の小沢言論は、全部偏向してると判断してよい。
ほかのフリージャーナリストとかも、小沢の「援助」を受けてるのがいそう。

https://twitter.com/JUlbDHOfgimcsGc/status/1089204772790448130


中田安彦が、副島隆彦のコネで山本太郎の秘書をやってるという話は、ツイッターで拡散させるべき。
中田安彦の関係者が、政治家秘書の年収が何千万といって、自慢してたことあっただろ。
裏では、こんなこと言って庶民を小馬鹿にしてますと暴き立てるべき。 副島隆彦も一緒に終わる。

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http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/694.html#c16

[議論31] れいわ組としては、ズバリ!山本太郎の読み筋通りだったということになる 仁王像
5. 中川隆[-8836] koaQ7Jey 2019年7月28日 08:31:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3883]
3 :無党派さん:2019/06/20(木) 23:09:19.96 .net


https://i.imgur.com/bUGLNvO.jpg

酒井剛(偽名:斎藤まさし)、極左過激派。山本太郎議員選挙参謀。

父:過激派よど号ハイジャック犯、母:北朝鮮による日本人拉致の実行犯
の息子に目をつけ市議選に擁立。

次なるコマとして、山本太郎を当選させた。


4 :無党派さん:2019/06/20(木) 23:09:42.72 .net

山本太郎氏の「選挙参謀/ブレーン」斎藤まさし=極左過激派

菅総理・民主党と献金先団体、北朝鮮拉致問題の構図

https://i.imgur.com/qeW43FT.jpg

織田陽介 全学連 前委員長(山本太郎の秘書)

https://i.imgur.com/IqvGo4L.jpg


5 :無党派さん:2019/06/21(金) 20:55:56.90 .net

アルルこと中田安彦が、副島隆彦のコネ(裏口)で山本太郎の秘書をやっている。
副島隆彦のコネとは、副島隆彦の小沢一郎経由のコネらしい。
副島道場関係者の小沢言論は、全部偏向してると判断してよい。
ほかのフリージャーナリストとかも、小沢の「援助」を受けてるのがいそう。

https://twitter.com/JUlbDHOfgimcsGc/status/1089204772790448130


中田安彦が、副島隆彦のコネで山本太郎の秘書をやってるという話は、ツイッターで拡散させるべき。
中田安彦の関係者が、政治家秘書の年収が何千万といって、自慢してたことあっただろ。
裏では、こんなこと言って庶民を小馬鹿にしてますと暴き立てるべき。 副島隆彦も一緒に終わる。

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http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/684.html#c5

[議論31] 山本太郎の安倍内閣入りとの気配に、疑問や批判のコメ集/無名氏・その他 仁王像
13. 中川隆[-8835] koaQ7Jey 2019年7月28日 08:31:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3884]
3 :無党派さん:2019/06/20(木) 23:09:19.96 .net


https://i.imgur.com/bUGLNvO.jpg

酒井剛(偽名:斎藤まさし)、極左過激派。山本太郎議員選挙参謀。

父:過激派よど号ハイジャック犯、母:北朝鮮による日本人拉致の実行犯
の息子に目をつけ市議選に擁立。

次なるコマとして、山本太郎を当選させた。


4 :無党派さん:2019/06/20(木) 23:09:42.72 .net

山本太郎氏の「選挙参謀/ブレーン」斎藤まさし=極左過激派

菅総理・民主党と献金先団体、北朝鮮拉致問題の構図

https://i.imgur.com/qeW43FT.jpg

織田陽介 全学連 前委員長(山本太郎の秘書)

https://i.imgur.com/IqvGo4L.jpg


5 :無党派さん:2019/06/21(金) 20:55:56.90 .net

アルルこと中田安彦が、副島隆彦のコネ(裏口)で山本太郎の秘書をやっている。
副島隆彦のコネとは、副島隆彦の小沢一郎経由のコネらしい。
副島道場関係者の小沢言論は、全部偏向してると判断してよい。
ほかのフリージャーナリストとかも、小沢の「援助」を受けてるのがいそう。

https://twitter.com/JUlbDHOfgimcsGc/status/1089204772790448130


中田安彦が、副島隆彦のコネで山本太郎の秘書をやってるという話は、ツイッターで拡散させるべき。
中田安彦の関係者が、政治家秘書の年収が何千万といって、自慢してたことあっただろ。
裏では、こんなこと言って庶民を小馬鹿にしてますと暴き立てるべき。 副島隆彦も一緒に終わる。

https://twitter.com/JUlbDHOfgimcsGc/status/1085197266472775681
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http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/680.html#c13

[近代史3] 馬渕睦夫 : 山本太郎は反グローバリストを装って一般大衆を欺く極左の隠れグローバリスト 中川隆
5. 中川隆[-8852] koaQ7Jey 2019年7月28日 08:38:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3867]
5. MO[142] gmyCbg 2019年7月28日 08:10:15: TBJAkqgY82 : ckZTMGdRMXFTLk0=[2]


正直言って、山本太郎やら、取り巻きの菅野やアルルの男・ヒロシ(中田安彦秘書)が、立憲攻撃を目的として「消費税廃止」、「もしくは5%までの引き下げ」といって難癖つけて譲らないのであれば、立憲と共産でこいつらと戦ってもいいと思うよ。俺和それで選挙にまけても文句は言わない。

はっきり言って、れいわ新選組が野党の主導権を握るようなら、自民が政権を握ってた方がまだましだと思う。非現実的な話ばかりして、ききわけのない連中と一緒にやっても、将来的に瓦解するのは明らか。

れいわの連中がやりたいのは、消費税廃止ではなくて、自分たちが権力を握ること。
いきなりの消費税廃止は現実的な政策でない。やるなら漸進的なものでしかできない。

ちなみに、れいわ幹部が主張する消費税廃止は、現職議員の船後さんの障碍者支援政策と明らかに矛盾している。税収が減る、もしくは横ばいであれば、障碍者向け支出も減るか現状維持のまま。
http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/696.html#c5
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/559.html#c5

[昼休み54] 山本太郎は反グローバリストを装って一般大衆を欺く極左の隠れグローバリスト、既存の体制を破壊するだけで、その後の事は何も… 中川隆
3. 中川隆[-8851] koaQ7Jey 2019年7月28日 08:38:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3868]

5. MO[142] gmyCbg 2019年7月28日 08:10:15: TBJAkqgY82 : ckZTMGdRMXFTLk0=[2]


正直言って、山本太郎やら、取り巻きの菅野やアルルの男・ヒロシ(中田安彦秘書)が、立憲攻撃を目的として「消費税廃止」、「もしくは5%までの引き下げ」といって難癖つけて譲らないのであれば、立憲と共産でこいつらと戦ってもいいと思うよ。俺和それで選挙にまけても文句は言わない。

はっきり言って、れいわ新選組が野党の主導権を握るようなら、自民が政権を握ってた方がまだましだと思う。非現実的な話ばかりして、ききわけのない連中と一緒にやっても、将来的に瓦解するのは明らか。

れいわの連中がやりたいのは、消費税廃止ではなくて、自分たちが権力を握ること。
いきなりの消費税廃止は現実的な政策でない。やるなら漸進的なものでしかできない。

ちなみに、れいわ幹部が主張する消費税廃止は、現職議員の船後さんの障碍者支援政策と明らかに矛盾している。税収が減る、もしくは横ばいであれば、障碍者向け支出も減るか現状維持のまま。
http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/696.html#c5
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/436.html#c3

[政治・選挙・NHK263] 「れいわ新選組」基本公約基軸に政権奪取目指そう(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
8. 中川隆[-8850] koaQ7Jey 2019年7月28日 09:40:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3869]
>>7
素人の妄想はもういいよ
消費税廃止したらトヨタとか輸出企業の業績が悪化して日経平均が1万円割れするだろ
http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/696.html#c8
[政治・選挙・NHK263] 「れいわ新選組」基本公約基軸に政権奪取目指そう(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
10. 中川隆[-8852] koaQ7Jey 2019年7月28日 09:52:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3867]
安倍が統一教会だろ
http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/696.html#c10
[政治・選挙・NHK263] 「れいわ新選組」基本公約基軸に政権奪取目指そう(植草一秀の『知られざる真実』) 赤かぶ
11. 中川隆[-8854] koaQ7Jey 2019年7月28日 10:02:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3865]
安倍政権が、どんな理由で、非常にはっきりした移民政策を始めたのか? といえば、第一に、日本人労働者の雇用条件を悪化させて給与を下げるという、経団連が推進している新自由主義の基本方針があったこと。

 それに安倍晋三が、韓国統一教会の代理人であり、韓国内の不況によって就職口を失った若者たちを日本に求職させるためだろうと予想している。

 統一教会は、宗教的洗脳を利用して、日本の若い娘たちを嫁の来てのない韓国農村に事実上の性奴隷として合同結婚式を通じて送り込んできた。
 親韓自民党政権を利用して、韓国のために日本人を利用してきたのだ。
 自民党安倍政権と統一教会
 https://hbol.jp/183496
 
韓国人の性奴隷とされた7000人の日本人女性と対韓ODAと安倍晋三
 http://wondrousjapanforever.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-6f76.html

  統一協会の合同結婚式に参加した後、行方不明になった日本人女性6500人!
 https://blog.goo.ne.jp/mokushiroku666/e/e8e06a9192c99e119ea54abe9b11aecb

  韓国人夫殺害の統一教会日本人妻に求刑を超える懲役9年の判決下る
  http://dailycult.blogspot.com/2013/01/9.html

 韓国では、伝統的に儒教の長幼序列意識が激しく、妻を服従させるため暴行する男性が多い。
 http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_9/view/id/2862770

 韓国では、現在、大不況のため、若者たちの就職先が極端に少なくなっている。

 韓国名門大学卒業生も難しい就職…大学街に迫る「就職寒波」
  https://japanese.joins.com/article/399/249399.html

 韓国就職難、若者は日本へ 2年で3割増、初の2万人超え 政権後押し補助金30億円 早期離職も多く
  https://www.nishinippon.co.jp/item/n/476103/

 こうしてみると、現在、日韓関係は最悪で、韓国内では日本排斥運動が沸騰しているというのは表向きのことで、相変わらず、ホンネでは、若者たちの日本移住熱が過熱しているのが実情である。日本以外に、彼らの選民意識を満足させてくれる就職口がないのだ。
 これを統一教会が、安倍晋三を使って制度的に充実させたというあたりだろう。

 韓国ロビーであるはずの安倍晋三が、反韓国政策を行い始めた理由は、韓国人の日本人見下し優越意識からの反日が進んで、反韓姿勢を見せなければ選挙に勝てなかったことと、それに、文在寅政権が韓国統一教会にとって好ましからざる方向に向いているため、文追放に利用したいという思惑ではないかと思われる。
 したがって、この移民法の、本当の狙いは韓国人の若者の日本移住を制度的に合法化することであった可能性が高い。

 韓国人が大量に日本に移住してくれば、何が起きるかといえば、ちょうど、過去に数回の朝鮮人大量移住があった歴史を振り返ってみればよい。

 日本史を振り返れば、奈良時代に先立つ西暦400年前後に、すでに、秦氏(弓月氏)が、百済の民、数十万人を引き連れて日本に移住してきたという記述があり、それから、奈良時代の全期にわたって、百済からの移住が記録されている。
 https://enkieden.exblog.jp/20854274/

 しかし、この民族は高句麗女真族(満州族)と思われ、現在の天皇家の祖先であり、日本人の源流をなした中央アジア由来の騎馬民族である。
 だが、奈良時代以降に、渤海や穢からエベンキ族が朝鮮半島に侵入し、高麗や新羅の主力になった。この民族は激しく戦闘的で、その後、現代に至るまで日本との軋轢を繰り返している。

 鎌倉時代の元寇で、高麗が元の手先として筆舌に尽くしがたい暴虐な侵略を行い、台風などによって撃退されたのだが、この復讐の意味があるのか、秀吉が朝鮮に侵攻し、数万の陶工を日本に連れ帰って、九州や中国地方に定住させた。
 これが、加世田や伊万里・有田・唐津などに大きな在日集落を形成したが、瀬戸もそうではないかと言われている。もしかしたら明智氏も、その一党かもしれない。

 1910年、日本政府による朝鮮併合によって、大量の朝鮮上流階級が日本に移住してきて、上の在日集落や東京などに定住したが、民俗的軋轢が重なり関東大震災、朝鮮人大虐殺に結びついている。

 戦前、1937年に日中戦争が開始され、このとき、朝鮮人渡航制限が解除され、大量の公募労働者が日本に入ってきた。1939年からは強制徴用が始まったこともあり、日本国内には、100万人規模の在日朝鮮人コミュニティが成立している。
 これらの人々は、戦後、140万人が朝鮮に帰国したが、同じくらいの人々が残留し、日本に生活基盤を築いた。 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E5%BE%B4%E7%94%A8

 したがって、現在の日本人口に占める朝鮮韓国系の人々の数は、おそらく数百万人の単位であり、芸能界・スポーツ界・土建業界・暴力団組織の主力を占めている。
 こうした非常に大規模な朝鮮・韓国コミュニティの存在によって、韓国人が日本に渡航しても、孤独感を感じないですむし、日本社会における深刻な差別意識に抗して強力な互助組織があることから、就業にも不自由することはない。
 この意味では、我々の日本人社会よりも、はるかに恵まれているといえなくもない。

 今回の移民法は、こうした基盤の上に、圧倒的な存在感を持った在日韓国社会を形成することが避けられず、いわば、日本のなかに強力な韓国が成立してしまうと予想される。
 安倍晋三は、自身が韓国由来の血脈であると自覚していて、意図的に韓国ロビーとしての活動を行ってきた。
 https://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=80386

 実父の安倍晋太郎が朝鮮王朝の系譜を継ぐというのが真実かどうかは不明だが、祖父、岸信介の時代から、異様なほど韓国よりの、韓国に甘い政策を実現してきたのは事実である。
 https://togetter.com/li/1321170

http://www.asyura2.com/19/senkyo263/msg/696.html#c11

[近代史3] 中野剛志 _ アメリカで大論争の「現代貨幣理論」とは何か 中川隆
31. 中川隆[-8856] koaQ7Jey 2019年7月28日 10:18:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3863]
特別寄稿 中野剛志 消費増税も量的緩和も愚の骨頂!

主流派経済学や政策当局の主張とは正反対のことをやるべき。これが、MMT(現代貨幣理論)から導き出される政策提言だ。

2019年8月号 BUSINESS [MMTの大逆襲]
by 中野剛志(評論家)

最近、MMT(現代貨幣理論)なる経済理論が大きな話題となっている。というよりは、大半の主流派経済学者や政策当局者によって「馬鹿げている」「トンデモ理論だ」と激しく攻撃されている。

このMMTなる代物、どうしてこんな大騒動を巻き起こしたのか。

MMTとは、その名のとおり、現代における貨幣についての正確な理解を基礎とする経済理論である。実のところは、その中身は、次のように、あっけないほど簡単である。


現代貨幣理論(MMT)を、我が国に初めて紹介した中野剛志氏の大著『富国と強兵』(東洋経済新報社)

今日、「通貨」と呼ばれるものには、「現金」と「銀行預金」がある。「銀行預金」が「通貨」に含まれるのは、我々が給料の支払いや納税などのために銀行預金を利用するなど、日常生活において、事実上「通貨」として使っているからである。ちなみに、「通貨」のうち、そのほとんどを預金通貨が占めており、現金通貨が占める割合は、ごくわずかである。
.

MMTの基本は単なる「事実」!

問題は、通貨のほとんどを占める「銀行預金」と貸出しとの関係である。

通俗的な見方によれば、銀行は、預金を集めて、それを貸し出しているものと思われている。主流派経済学もまた、そのような見解に立っている。しかし、これは銀行実務の実態とは異なっているのである。

実際には、銀行の預金が貸し出されているのではなく、その反対に、銀行が貸出しを行うことによって預金が生まれているのである。これを「信用創造」と言う。例えば、A銀行がα企業に1千万円を貸し出す場合、A銀行は手元にある1千万円を貸すのではない。単に、α企業の銀行口座に1千万円と記帳するだけである。

銀行は預金を元手に貸出しを行うのではなく、その反対に、銀行による貸出しが預金を生む。したがって、原理的には、銀行は手元資金の制約を受けずに、借り手さえいれば、いくらでも貸出しを行うことができる。驚かれたかもしれないが、これが紛れもない「事実」である。主流派経済学は、信用創造の理解を間違えているのだ。

ただし、銀行は、預金を現金と交換する要求があった場合には、それに応じなければならない。それゆえ、銀行は、そのような預金の引き出しに備えるために、預金の一定割合を中央銀行に「準備預金(日本であれば、日銀当座預金)」として預け入れることを法令で義務付けられている。

では、現金は、なにゆえに通貨としての価値をもち得るのか。それは、政府が価値を与えているからである。

まず、政府は、「通貨」の単位(例えば、円、ドル、ポンドなど)を決める。そして、政府(と中央銀行)は、その決められた単位の通貨を発行する権限をもつ。その上で、政府は、国民に対して、その通貨によって納税する義務を課す。すると、その通貨は、納税手段としての価値をもつので、取引や貯蓄の手段としても使われるようになる。紙切れに過ぎないお札が、おカネとしての価値をもって使われるのは、そのためだ。

MMTの基本は、これだけである。しかも、この説明は、単に、現代の貨幣というものを「事実」に沿って説明したまでのことである。だが、この単なる「事実」が、主流派経済学者や政策当局者を大いに動揺させたのだ。なぜなら、この貨幣の「事実」から導き出される財政金融政策のインプリケーションは、主流派経済学者が主張し、政策当局者が実施してきたものと、180度も異なるものだったからだ。
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ハイパーインフレは起こらない

MMTのインプリケーションとは、具体的には、次の通りである。

T 日米英のように、政府が通貨発行権を有する国は、自国通貨建てで発行した国債に関して、返済する意志がある限り、返済できなくなるということはない。

例えば、日本は、GDP(国内総生産)比の政府債務残高がおよそ240%であり、先進国中「最悪」の水準にあるとされるが、財政破綻していない。それもそのはず、日本政府には通貨発行権があり、発行する国債はすべて自国通貨建てだからだ。

アルゼンチンやギリシャなど、財政破綻の例としてあがるのは、いずれも、自国通貨建てではない国債が返済不能になったケースである。実際、アルゼンチンもギリシャも、GDP比政府債務残高は日本の半分程度だったのに、財政破綻に陥った。

日本政府は、家計や企業と違って、自国通貨を発行して債務を返済できるのだ。したがって、日本政府は、財源の制約なく、いくらでも支出できるのである。

ただし、政府が支出を野放図に拡大すると、いずれ需要過剰となって、インフレが止まらなくなってしまう。このため、政府は、インフレが行き過ぎないように、財政支出を抑制しなければならない。

言い換えれば、高インフレではない限り、財政支出はいくらでも拡大できるということだ。つまり、政府の財政支出の制約となるのは、政府債務の規模ではなく、「インフレ率」なのである。

さて、日本は、高インフレどころか、長期にわたってデフレである。したがって、日本には、財政支出の制約はない。デフレを脱却するまで、いくらでも財政支出を拡大できるし、すべきだということになる。

これに対して、「政治は、歳出削減や増税のような国民に痛みを強いる政策はできないので、インフレは抑制できない」などと論じる者がいるが、これは暴論としか言いようがない。

そもそも、インフレが制御不能となるハイパーインフレの事例というのは、戦争や内乱で供給能力が破壊された場合、独裁政権がでたらめな経済政策を行った場合、旧社会主義国が資本主義の移行の過程で混乱した場合、あるいは経済制裁により禁輸が行われた場合など、極めて異常なケースに限られる。

先進国の民主国家が、平時において、財政赤字を拡大し過ぎてインフレを止められなくなったなどという事例など、皆無だ。それもそのはず、物価の高騰は、国民の不満を高めるからだ。民主国家が、民意を無視して財政赤字を拡大し続け、ハイパーインフレを起こすのは不可能なのだ。

U 国家財政に財源という制約がないということは、課税によって財源を確保する必要はないということを意味する。

もちろん、MMTは、無税国家が可能だと主張しているわけではない。もし一切の課税を廃止したら、通貨の価値が暴落して、それこそハイパーインフレになってしまう。そこで、インフレを抑制するために、課税が必要となる。

つまり、増税は、インフレ抑止の手段なのだ。逆に言えば、減税は、デフレを阻止する手段である。また、格差是正のための累進所得税、あるいは地球温暖化対策のための炭素税など、政策誘導のためにも課税は有効である。

要するに、課税は、財源確保の手段ではなく、物価調整や資源再配分の手段なのである。日本は、長期のデフレ下で、消費増税を行い、今年、再度、消費増税を予定している。これは、MMTからすれば、デフレを悪化させる愚行でしかない。
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MMTが突きつける不都合な「事実」

V 量的緩和では、貨幣供給量を増やすことはできない。

黒田総裁率いる日本銀行は、2013年から大規模な量的緩和(準備預金の増加)を実施し、貨幣供給量を増やしてデフレを克服しようとしてきたが、結果は、周知のとおり失敗に終わっている。

その理由は、「貸出しが預金(貨幣)を生むのであって、その逆ではない」という信用創造の「事実」を知っていれば、明白である。デフレ下では、企業など借り手に資金需要が乏しい。それゆえ、銀行は貸出しを増やすことができないので、貨幣供給量は増えないのだ。

銀行の貸出しの増加が貨幣供給量を増やし、それに応じて準備預金が増えるのであって、その逆ではない。そうである以上、日銀が量的緩和をやっても、銀行の貸出しは増えるはずがないのだ。

W 財政赤字が民間資金を逼迫させ、国債金利を上昇させるというようなことは、あり得ない。

この理由も、貨幣や信用創造の「事実」を理解していれば、容易に分かる。銀行の貸出しは、預金を元手としない。反対に、貸出しが預金を生む。これは、政府の場合も同じである。すなわち、財政赤字は、それと同額の民間貯蓄(預金)を生むのだ。

もう少し説明すると、こうなる。

政府が赤字財政支出をするにあたって国債を発行し、その国債を銀行が購入する場合、銀行は中央銀行に設けられた準備預金を通じて買う。この準備預金は、中央銀行が供給したものであって、銀行が集めた民間預金ではない。そして、政府が財政支出を行うと、支出額と同額の民間預金が生まれる。つまり、財政赤字の拡大に依って、貨幣供給量は増えるのだ。

したがって、「財政赤字によって資金が逼迫して国債金利が上昇する」などということは、起きようがない。実際、日本では、過去20年にわたり、巨額の政府債務を累積し続ける中で、長期金利は世界最低水準で推移してきたのである(図1)。


https://facta.co.jp/article/201908017.html


以上の@からCは、いずれも主流派経済学者や政策当局者が主張してきたことと、ことごとく正反対である。それゆえ、ほとんどの主流派経済学者や政策当局者がMMTを激しく批判するのも当然であろう。

しかし、MMTには、この上なく強力な味方がいる。

それは「事実」である。

そもそも、MMTがその出発点とする貨幣論は、現代の貨幣に関する否定し得ない「事実」を説明したものに過ぎない。

また、日本は、巨額の政府債務残高を抱えながら財政破綻していない。1997年の消費増税以降、デフレに陥り、2014年の消費増税によってデフレ脱却に失敗している。量的緩和が物価上昇に失敗している。そして巨額の財政赤字にもかかわらず、長期金利は世界最低水準で推移している。いずれも否定し得ない「事実」である。

主流派経済学者や政策当局者がMMTをやっきになって批判している理由も、これで分かるだろう。MMTは、彼らに不都合な「事実」を突き付けたからだ。

再度、強調しておこう。

主流派経済学者たちが「馬鹿げている」「トンデモ理論だ」と揶揄している相手は、「事実」なのである。では、MMT(=「事実」)に基づいて考えた場合、今後の日本経済はどうなるのか、そしてどうすべきかを簡単に論じておこう。
.

行うべきは「減税」と「財政支出拡大」

本稿執筆時点では、急速に景気が悪化しているにもかかわらず、政府は財政健全化の旗を降ろしていないどころか、10月に消費増税を予定している。消費増税による景気の悪化に対しては、政府は景気対策を、そして日銀は量的緩和の追加を行う構えである。

しかし、その結果は火を見るより明らかだ。デフレ不況の深刻化である。

そもそも、主流派経済学者も認めるように、財政赤字の拡大はインフレを招く。ならば、財政赤字の縮小がデフレを招くのは当然であろう。また、消費への課税は、間違いなく消費を抑制する。温室効果ガスへの課税(炭素税)が温室効果ガスの排出を抑制するのと同じ道理である。

消費増税による不況を景気対策で克服すると言うが、それは、増税による税収を上回る規模の財政支出を行うしかない。ならば、なぜ、そもそも消費増税をしなければならないのか。社会保障費の財源として必要だと言うが、既に述べたように、課税は財源確保の手段ではない。自国通貨を発行する政府は、そもそも財源を懸念する必要はないのだ。

そして、量的緩和の追加など、何の意味もない。準備預金(マネタリーベース)をいくら増やしたところで、貸出しが増えない限り、貨幣供給量は増えず、デフレから脱却することはできない。それどころか、量的緩和でこれ以上金利を下げてしまったら、銀行の経営を圧迫し、かえってデフレ圧力を引き起こしかねない。

したがって、日本政府が行うべきは、消費増税の中止(できれば減税)、そして財政支出の拡大である。量的緩和についても、それを終了する「出口戦略」を模索すべきだ。要するに、主流派経済学や政策当局の主張とは正反対のことをやるべきなのだ。

これが、MMTから導き出される政策提言である。それでもなお、MMTの主張を受け入れがたいというのであるならば、再び「事実」を示しておこう。図2である。


https://facta.co.jp/article/201908017.html


この図から明らかなように、GDPと財政支出は、ほぼ相関している。1990年代後半以降、財政支出が抑制され続けているが、同時にGDPも成長を止めている。そして、マネタリーベースがいくら増えても、GDPは増えなくなっているのである。

この「事実」を見てもなお、MMTよりも、主流派経済学や政策当局の方が正しいと言えるのだろうか?
https://facta.co.jp/article/201908017.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/314.html#c31

[近代史3] まともな人間は音楽家になれない 中川隆
8. 中川隆[-8855] koaQ7Jey 2019年7月28日 10:21:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3864]
2019年07月27日
LSDなどの幻覚剤を摂取して仕事や家事をする人が増加中、そのメリットとデメリットとは?
https://gigazine.net/news/20190727-lsd-microdose-merit/

LSDはスティーブ・ジョブズやジョン・レノンといった著名人が使用してトリップ体験を得たことで知られている幻覚剤です。日本を含む多くの国で違法な薬物として規制されているLSDですが、近年ではこれをトリップではなく日常生活のために活用している人が増加しているとのこと。そんな人々への調査から判明した、LSDを微量摂取することのメリットとデメリットを学術系メディアThe Conversationがまとめています。

Psychedelic microdosing benefits and challenges: an empirical codebook
(PDFファイル)https://link.springer.com/epdf/10.1186/s12954-019-0308-4

Motives and Side-Effects of Microdosing With Psychedelics Among Users
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6600464/

'Microdosers' of psychedelics report improved mood, focus and creativity
https://theconversation.com/microdosers-of-psychedelics-report-improved-mood-focus-and-creativity-120279

What Happens When You Microdose? Why Focus May Only Be the Beginning | Inverse
https://www.inverse.com/article/57686-what-happens-when-you-microdose

LSDは幻覚作用を持つ薬物ですが、ごく少量の服用によりクリエイティビティが向上するといわれており、この使用法はかねてから「マイクロドーズ」として注目を集めていました。

マイクロドーズについての詳細は以下の記事に記載されています。

少量のLSDを服用することでクリエイティビティ向上・うつ症状の改善を行う「LSDマイクロドーズ」とは? - GIGAZINE



◆メリット
トロント大学の心理学者であるトーマス・アンダーソン氏らは、LSDやマジックマッシュルームの幻覚成分であるシロシビンのマイクロドーズを行っていることを明かしている278名に対し自由回答のアンケート調査を実施しました。


by GoaShape

その結果、LSDをマイクロドーズすることで「気分を改善する効果がある」と答えた対象者が全体の26.6%、また「集中力が向上する」と答えた人が14.8%いたとのこと。ほかにも、創造性や自己効力感、気力が向上したという回答もありました。

48名を対象にしたプラセボ対照試験では、ごく微量なLSDであっても人に影響を与えることが確認されており、LSDのマイクロドーズによって得られる効果は決して「気のせい」というわけではないということが示唆されています。

◆デメリット
その一方でデメリットも確かに存在しており、対象者の18%が頭痛・胃腸障害・不眠症といった「身体的な不調」を訴え、また6.7%が「不安感が増加した」と精神的な症状を報告しています。

また、全体のおよそ3分の1にあたる29.5%が「違法性」をデメリットとして挙げました。具体的には、違法な薬物を服用することの法的な不利益のほか、入手が困難で価格が高いことや、社会的な非難を浴びるリスクがあるといった回答が目立ったとのこと。


by KlausHausmann

また、マーストリヒト大学で神経心理学を研究するキム・カイパーズ氏は「LSDと構造的に似ているメチセルジドには心臓弁疾患を引き起こすという既知の問題があり、LSDにも同様の危険性があると思われます」と述べており、低量であっても長期的な使用にはリスクが伴うとのことです。


アンダーソン氏は「マイクロドーズを行っている人は総じてメリットがデメリットを上回っていると訴えていますが、長期利用による悪影響など未知数の部分も多く残っています」と話し、マイクロドーズが人に与える影響を確かめるにはさらなる研究が必要だとの見方を示しました
https://gigazine.net/news/20190727-lsd-microdose-merit/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/177.html#c8

[近代史02] 釈迦の悟りとは何であったのか? 富山誠
87. 中川隆[-8854] koaQ7Jey 2019年7月28日 10:22:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3865]
2019年07月27日
LSDなどの幻覚剤を摂取して仕事や家事をする人が増加中、そのメリットとデメリットとは?
https://gigazine.net/news/20190727-lsd-microdose-merit/

LSDはスティーブ・ジョブズやジョン・レノンといった著名人が使用してトリップ体験を得たことで知られている幻覚剤です。日本を含む多くの国で違法な薬物として規制されているLSDですが、近年ではこれをトリップではなく日常生活のために活用している人が増加しているとのこと。そんな人々への調査から判明した、LSDを微量摂取することのメリットとデメリットを学術系メディアThe Conversationがまとめています。

Psychedelic microdosing benefits and challenges: an empirical codebook
(PDFファイル)https://link.springer.com/epdf/10.1186/s12954-019-0308-4

Motives and Side-Effects of Microdosing With Psychedelics Among Users
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6600464/

'Microdosers' of psychedelics report improved mood, focus and creativity
https://theconversation.com/microdosers-of-psychedelics-report-improved-mood-focus-and-creativity-120279

What Happens When You Microdose? Why Focus May Only Be the Beginning | Inverse
https://www.inverse.com/article/57686-what-happens-when-you-microdose

LSDは幻覚作用を持つ薬物ですが、ごく少量の服用によりクリエイティビティが向上するといわれており、この使用法はかねてから「マイクロドーズ」として注目を集めていました。

マイクロドーズについての詳細は以下の記事に記載されています。

少量のLSDを服用することでクリエイティビティ向上・うつ症状の改善を行う「LSDマイクロドーズ」とは? - GIGAZINE



◆メリット
トロント大学の心理学者であるトーマス・アンダーソン氏らは、LSDやマジックマッシュルームの幻覚成分であるシロシビンのマイクロドーズを行っていることを明かしている278名に対し自由回答のアンケート調査を実施しました。


by GoaShape

その結果、LSDをマイクロドーズすることで「気分を改善する効果がある」と答えた対象者が全体の26.6%、また「集中力が向上する」と答えた人が14.8%いたとのこと。ほかにも、創造性や自己効力感、気力が向上したという回答もありました。

48名を対象にしたプラセボ対照試験では、ごく微量なLSDであっても人に影響を与えることが確認されており、LSDのマイクロドーズによって得られる効果は決して「気のせい」というわけではないということが示唆されています。

◆デメリット
その一方でデメリットも確かに存在しており、対象者の18%が頭痛・胃腸障害・不眠症といった「身体的な不調」を訴え、また6.7%が「不安感が増加した」と精神的な症状を報告しています。

また、全体のおよそ3分の1にあたる29.5%が「違法性」をデメリットとして挙げました。具体的には、違法な薬物を服用することの法的な不利益のほか、入手が困難で価格が高いことや、社会的な非難を浴びるリスクがあるといった回答が目立ったとのこと。


by KlausHausmann

また、マーストリヒト大学で神経心理学を研究するキム・カイパーズ氏は「LSDと構造的に似ているメチセルジドには心臓弁疾患を引き起こすという既知の問題があり、LSDにも同様の危険性があると思われます」と述べており、低量であっても長期的な使用にはリスクが伴うとのことです。


アンダーソン氏は「マイクロドーズを行っている人は総じてメリットがデメリットを上回っていると訴えていますが、長期利用による悪影響など未知数の部分も多く残っています」と話し、マイクロドーズが人に与える影響を確かめるにはさらなる研究が必要だとの見方を示しました
https://gigazine.net/news/20190727-lsd-microdose-merit/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html#c87

[近代史02] 釈迦の悟りとは何であったのか? 富山誠
88. 中川隆[-8853] koaQ7Jey 2019年7月28日 10:24:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3866]
2016年04月12日
「LSDが人の脳へ与える影響」が世界で初めて脳スキャンで判明
https://gigazine.net/news/20160412-brain-scans-lsd-affects/


幻覚剤の一種であるLSDが人間の脳に作用する研究はこれまで実施が難しかったのですが、新たな研究でLSD服用状態の人の脳が世界で初めてスキャンされ、LSDが脳にどのような影響を与えているのかが明らかにされました。

Brain scans reveal how LSD affects consciousness : Nature News & Comment
http://www.nature.com/news/brain-scans-reveal-how-lsd-affects-consciousness-1.19727

1960年代に入るまでは治療薬としての可能性が研究されてきたLSDは、1967年以降、アメリカ、イギリスを始めとする多くの国々で取り締まられるようになりました。この規制は国際的に広がりを見せ、それぞれの国家がLSDを「医療的価値のないもの」と主張したため、近年までLSDの研究を行うのは困難でした。一方で、国連や国際法は学術的研究のためにLSDを利用することを禁じておらず、イギリスの法律でも、治療法として用いない限り、研究でLSDを利用するのは合法です。そこで、インペリアル・カレッジ・ロンドンの神経薬理学者デイビッド・ナット氏らの研究チームは9カ月という時間をかけてイギリスの倫理委員会から許可を取り、ドラッグ服用経験のある被験者たちにLSDを投与し、8時間にわたって脳をスキャンするという方法を実現しました。


by --Tico--

ナット氏らの研究チームはまず、fMRIを使って脳の各パートの血流を観察すると共に、脳磁図を使って脳の電気的な活動を調べました。その結果、LSD服用状態の脳は通常であればコミュニケーションを取らないはずの部分のコミュニケーションがプラシーボ状態の被験者に比べて活動的であることが判明。例えば、視覚野は共通点のない脳の他の場所とコミュニケーションを取っており、これはLSDが幻覚を引き起こす原因の1つとして説明できます。

一方で、脳の重要なネットワークにおけるニューロンの信号が同期はずれの状態にあることもわかりました。これはLSD服用者の持つ自我の感覚を変化させ、自分が自分だけのものではなく、他者と感覚を共有しているかのような状態に陥らせるとのこと。

さらに、LSD服用状態では、記憶の符号化と検索において重要な役割を担う海馬傍回と視覚野のコミュニケーションが減少するのですが、音楽を聴くと視覚野が海馬傍回から情報を受け取ることも判明。そのため、目を閉じていても音楽を聴くとイメージや記憶が目の前に現れるそうです。LSDを治療として使う際は音楽が重要となってくるだろう、とナット氏は語りました。


by Taryn Nefdt

今回の研究の被験者は20人、しかもそのうち5人はスキャンの最中に激しく動いたのでちゃんとしたデータは15人分しかありませんが、得られたデータが示す影響は非常に明確かつ顕著で、過去の研究内容と一貫性があった、ナット氏。

LSDが脳に与える影響を研究することは、人間にとって意識とは何かを研究することにつながります。また、研究チームは最終的にLSDを治療法として確立することを目指しており、LSDの依存性や人を憂うつにする作用について調べるためにも、さらなるデータを必要としています。治療法としてのLSDは多くのアルコール中毒者を救う方法として1950年代に提唱されはじめ、2012年に行われた研究では当時のデータが分析されて「LSDはアルコールの摂取量を減らすのに役立つ」という結論が導き出されました。しかし、動物実験が行われていたものの、これまで人間を被験者とする実験は行われていませんでした。

なお、今後は「LSDは人のクリエイティビティに影響を与えるのか」「どのようにしてLSDは夢を見ているような状態を引き起こすのか」などについて調査が進められる模様です。
https://gigazine.net/news/20160412-brain-scans-lsd-affects/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html#c88

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
188. 中川隆[-8852] koaQ7Jey 2019年7月28日 10:35:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3867]

2019年07月28日
日産が実質赤字に転落 ゴーンとルノーの悪事とは


こういうデザインはフランス人のセンスなんだろうか(日産 ジューク)


画像引用:日産:ジューク [ JUKE ] コンパクトカー | 外観・内装https://www-asia.nissan-cdn.net/content/dam/Nissan/jp/vehicles/juke/1808/exterior_interior/juke_1808_exterior_interior_01.jpg.ximg.l_12_m.smart.jpg

日産が実質赤字に転落

日産は2019年4月から6月期に世界販売6%減、営業利益が前年比98.5%減の約16億円と、ほぼゼロに沈んだ。

16億円はおそらく会計上の「演出」で赤字を防いだのであり、実質的には赤字だった可能性が高い。

売上高は12.7%減の約2.3兆円、売上高に対する営業利益率は0.1%と、前年の4%から大きく落ち込んだ。




説明ではゴーンが逮捕された影響で世界的に販売が落ち込んだとされているが、腑に落ちない。

販売減はアメリカ、日本、欧州と全世界で起きているが、「ゴーンが逮捕されたから日産を買わない」というのは聞いたことがない。

またアメリカでの販売減が大きいという説明もおかしく、全世界で6%減だが米国は3.7%減なので、アメリカではむしろ健闘している。


中国ではわずかに増えたが同じ期間にトヨタ、ホンダは大幅増だったので、実質マイナスに近い。

日産は欧州で前年比24%減と苦戦しているが、同じ期間にトヨタは0.3%増、欧州首位のVWは4.1%減だった(1月から6月)

特にトヨタとの差は開くばかりでホンダにも水を開けられ、全世界で日産のひとり負け状態になった。


おかしいのはゴーンが買収した三菱自動車の販売は好調で、欧州では13.5%増だった。

三菱自動車の4月から6月の世界販売台数は前年比2%増だが、営業利益率は86.3%減の39億円となった。

中国・米国・欧州の販売不振から在庫整理つまり値引き販売した結果、利益がほとんど出なかったようです。

ゴーンとルノーの悪事

ルノー日産はゴーン時代に販売台数だけを追い求め、世界で数が売れる法人向けやリース、レンタカー、営業車などを増やした。

販売の際にもインセンティブ、つまり大幅値引きをして他社より安売りするのが恒例化していた。

ゴーンは数が売れない車に興味を示さず、結果として個人向けの魅力あるヒット車が皆無になった。


加えて親会社のルノーの経営を立て直すため、ルノー車を日産が製造し日産車をルノーが製造するような事をした。

日産が製造するルノー車は安く買いたたき、ルノーが製造する日産車を高く買い取らせる手法で日産の金をルノーに送金した。

おかげでルノーは万年赤字で倒産寸前だったのを立て直したが、日産がつぶれそうになっている。


日産の車種構成もルノーのためのものになっていて、例えば日産フェアレディZの中身はルノーとなっている。

ルノーはF1で数々の勝利を得てきたが、それは欧州メーカーの談合でルールを決めているからで、ルノーが優れているからではない。

例えば来年のF1のルールを決めるのに、ルノーとポルシェとフェラーリ、メルセデスの幹部が出席するが、ホンダやトヨタは決まってから知らされる。


ルノー、ポルシェ、フェラーリ、メルセデスはルール策定そのものに参加し、発表の1年も前からルール変更を知る事ができた。

アメリカや日本のメーカーは彼らが決めたルールをシーズン直前に知らされるので、絶対に勝てない仕組みになっている。


欧州の自動車レースは全てこんな仕組みで守られているから、ルノーやフェラーリのようなメーカーとして2流の会社でも優勝できる。
http://www.thutmosev.com/archives/80514065.html
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c188

[近代史3] 世界を反米にした殺人鬼ヒラリー・クリントン 中川隆
3. 中川隆[-8851] koaQ7Jey 2019年7月28日 10:37:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3868]
2019.07.27
特別検察官やFBIの捜査に関する調査が進む中、情報機関の活動も注目されている

 ロバート・マラーが7月24日にアメリカ下院の司法委員会と情報委員会に出席、いわゆる「ロシアゲート」について議員から質問を受けた。この疑惑が事実であることを示す証拠が存在しないことはマラーが特別検察官として​4月18日に発表した報告書​でも認めているが、何とか巻き返しを図りたい民主党はマラーの発言に期待していたのだろう。その期待は砕け散った。

 現在、FBIによる「ロシアゲート」に関する捜査の経緯をコネチカット州の連邦検事だったジョン・ドゥラムが調べているのだが、その結果ではマラーやFBI長官だったジェームズ・コミーらが刑事罰の対象になる可能性がある。

 そもそも、マラーが特別検察官に任命された段階で「ロシアゲート」が作り話であることはわかっていた。アメリカの電子情報機関NSAの技術部長を務め、通信傍受システムの開発を主導し、NSA史上最高の数学者にひとりと言われている内部告発者のウィリアム・ビニーが指摘しているように、NSAはすべての通信を傍受、保管している。もし疑惑が事実ならFBIは必要な証拠をすべて手にすることができたのだ。

 民主党が流したシナリオによると、ロシア政府が民主党のサーバーをハッキングさせたことになっているのだが、コンピュータの専門家、例えばIBMでプログラム・マネージャーを務めていたスキップ・フォルデンは​転送速度など技術的な分析からインターネットを通じたハッキングではないとしている​。インターネットから侵入したにしては、データの転送速度が速すぎにのである。つまり、内部でダウンロードされている。

 この「疑惑」の出発点はヒラリー・クリントンの電子メール。2016年3月にウィキリークスは民主党の幹部やヒラリー・クリントンの不正行為を明らかにする電子メールを公表、7月にはヒラリーを起訴するに十分な証拠を公表していくとジュリアン・アッサンジが発言、実際に発表することになる。

 それに対して民主党はサーバーがGuccifer 2.0にハッキングされ、その黒幕はロシアの情報機関だと主張した。それがウィキリークスへ渡されたというシナリオだ。

 その当時、すでに民主党の候補者選びでバーニー・サンダースへの支持が強まっていた。民主党の大統領候補はサンダースになる可能性が高くなったということである。そうした中、民主党の幹部はヒラリー・クリントンを支援するかのような行動をとり、それが批判されていた。

 そうした中、7月10日にDNC(民主党全国委員会)のスタッフだったセス・リッチが射殺される。警察は強盗に遭ったと発表するが、それに納得できないリッチの両親は元殺人課刑事の私立探偵リッチ・ウィーラーを雇って調査を始めた。

 この探偵によると、セスはウィキリークスと連絡を取り合い、DNC幹部の間で2015年1月から16年5月までの期間に遣り取りされた4万4053通の電子メールと1万7761通の添付ファイルをウィキリークスへ渡したとしている。この発言はウィラーが雇い主に無断で行ったことから問題になり、その後、探偵から情報は出なくなった。

 結局、選挙ではトランプが勝利するが、腹心で国家安全保障補佐官だったマイケル・フリンは民主党や有力メディアだけでなくトランプ政権の内部からも攻撃を受け、2017年2月に辞任させられる。

 その翌月、アダム・シッフ下院議員が下院情報委員会で前年の大統領選挙にロシアが介入したとする声明を出し、「ロシアゲート」なる茶番劇の幕が上がった。

 シッフが主張の根拠にしたのはイギリスの対外情報機関MI6(SIS)の元オフィサー、クリストファー・スティールが作成した報告書。根拠が薄弱だということはスティール自身も認めている代物だ。このスティールに調査を依頼したのはフュージョン、そのフュージョンを雇ったマーク・エリアス弁護士はヒラリー・クリントン陣営や民主党全国委員会の法律顧問を務めていた。

 こうした流れを考えると、マラーはハッキングされたというサーバーを調べ、リッチ殺害について捜査、ウィキリークスのジュリアン・アッサンジやスティールから事情を聞く必要がある。が、こうしたことは行われなかった。

 大統領選挙が展開されている段階でFBIの内部にトランプを引きずり下ろすための工作が始まっていたことが明らかにされている。そこで2013年9月から17年5月までFBI長官を務めたコミーの責任が問われるという話だ出ているわけだ。

 特別検察官になったマラーが胡散臭い人物だということは本ブログでも指摘したこと。彼は1988年にパンナム103便の爆破事件で主席捜査官を務め、リビア政府に責任が押しつて「リビア制裁」の口実を作ったが、実際はCIAが実行したのではないかと疑われている。

 またBCCIという銀行のスキャンダルの捜査を司法省で指揮した。この銀行はCIAがあるガニスタンで行っていた秘密工作の資金をロンダリングしていたことで知られているが、その真相を隠蔽したのだ。

 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとアーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された当時はFBI長官。この攻撃の背後にサウジアラビアとイスラエルが存在している疑いが濃厚だったのだが、これも封印した。

 もうひとつ注目されているのが結婚相手。1966年にアン・キャベル・スタンディッシュと一緒になったのだが、この女性は1953年4月から62年1月までCIA副長官を務めたチャールズ・キャベルの一族。

 チャールズやダレスは統合参謀本部議長だったライマン・レムニッツァーや空軍参謀総長だったカーティス・ルメイらと一緒にキューバ侵攻を目論んでいる。

 また、ダレスの側近のひとりで1959年1月から62年2月にかけてCIAの破壊工作(テロ)部門を統括していたリチャード・ビッセルはマラーの親戚だ。

 マラーがFBI長官だったのは2001年9月から13年9月までの機関だが、その間、08年にFBIはジェフリー・エプシュタインを情報屋として雇っている。最初に起訴された時期と重なる。この時は「寛大な処分」ですんだ。この事件を地方検事として担当したアレキサンダー・アコスタによると、エプシュタインは「情報機関に所属している」ので放っておけと言われたという。

 ロシアゲート話と小児性愛ネットワークは地下で結びついている可能性があり、CIAやMI6の影も見える。ヒラリーは上院議員時代から軍需産業のロッキード・マーチンを後ろ盾とし、巨大金融資本とも結びついている。漏洩した彼女の電子メールの中には投機家のジョージ・ソロスが政策的な指示を彼女に出していることを示すものが含まれていた。

 また、彼女はバラク・オバマと同じようにロシアとの関係を悪化させ、軍事的な緊張を高めようとしていた。1992年に作成されたウォルフォウィッツ・ドクトリンの前提条件、ロシアの属国化を再び実現しようとしているが、これは全面核戦争を覚悟しなければ不可能だ。そのロシアとの関係修復を訴えたトランプ大統領と側近のフリンが攻撃されたのは必然だった。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201907270000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/548.html#c3

[近代史3] まともな人間は音楽家になれない 中川隆
9. 中川隆[-8850] koaQ7Jey 2019年7月28日 11:27:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3869]

2016年08月30日
ジョン・レノンが初めて幻覚剤LSDをキメてトリップした様子を語るインタビュー音声がアニメ映像化される
https://gigazine.net/news/20160830-john-lennon-first-acid/


元ビートルズのジョン・レノンが初めて幻覚剤の「LSD」を使い、いわゆる「トリップ」した状態を振り返るインタビュー音声にアニメ映像を付けたムービー「John Lennon's First Acid Trip」をローリングストーン誌が公開しており、ジョンの肉声とともにアニメを見ることができます。

John Lennon's First Acid Trip - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=-jbTCyvKAKo


「ロンドンの歯科医が俺とジョージ(・ハリスン:元ビートルズのギター)、そして俺たちの妻のために『それ』を手配してたんだ。俺たちには何も教えず、彼の自宅でのディナーパーティーでそれを使った。彼はジョージの友人で、当時の俺たちの歯を診てくれていた人物だった」



「その場で彼は『それ』をコーヒーか何かの中に入れたんだ」



「そして彼は俺たちに『君らは帰らない方がいい』と忠告したんだ」この人物こそが、ジョンとジョージ、そして彼らの妻にLSDを体験させた歯科医のジョン・ライリー氏です。



さらにジョンが語ります。「彼は俺たちを家の中で乱痴気騒ぎさせようとしたんだ」この時、ジョンを含む4人はLSDを仕込んだライリー氏の行動に怒り狂ったとのこと。ちなみに、この時現場にいた2人の妻とは、ジョンの最初の妻であるシンシアと、ジョージの最初の妻で、後にエリック・クラプトンと結婚するパティ・ボイド。



「そしてその後に起こったことはまさに狂気じみたものだった」



4人はその後、なんとかライリー氏の自宅をあとにして、クラブ「Ad Lib」に向かいます。「俺たちはクラブに向かっていたんだが、そこは火事になっていると思っていた」



「そして俺たちは通りでキャッキャと騒いでいた」



「そしたら次は人々が『窓を割ろうぜ!』と叫んでいた。まあ、俺たちは完全におかしくなっていた。完全にブッ飛んでたんだ」



「そしてやっと、俺たちはエレベーターに乗った。そして俺たちはエレベーターが火に包まれていると思った」とパニック状態に。



「実際にはただの小さな赤いランプだったけど、俺たちは悲鳴をあげていた」



「エレベーターに乗って、エレベーターが止まってドアが開いたら俺たちは『ア"ァァァァァ!』ってな感じで飛び出した。そしてそこがクラブだってことに気がついたんだ」と語るジョン。かなりトリップしている様子が伝わってきます。



「店に入って席に着いたら、今度はテーブルが長く伸びていった」



「ただのテーブルで、俺たち4人しかいなかったけどこんな感じで長くなった」



「そしたら誰か歌手みたいなやつが俺たちのところに来て『お隣に座らせていただいてもよろしいですか?』なんて聞いてくるので……」



「俺は『ずっと黙ってるっていうならな!』と返してやった」



「そのあと、ジョージか誰かが運転するジョージのミニ(・クーパー)に乗って家に帰ったんだが、実にのろのろ運転で時速15kmぐらいしか出てなかった」



「でも俺たちには何千キロというスピードに感じられて、俺は気が狂ったような冗談が矢継ぎ早にどんどん思い浮かんできた」



「そしたらジョージは『笑わせんなよ!』てな感じで言うんだ。あぁ本当に、何か恐ろしかったけど、素晴らしいひとときだった」



「ジョージの家に着いたら、家全体がまるで大きな潜水艦のように感じられて、俺が操縦していた。みんなベッドに入り、俺は一人で操縦していた。全員が18フィート(約5.5メートル)ほどあるそれぞれの壁の上に浮かんでいて、俺が操縦していたんだ。そんな出来事だった」とジョンは当時を回想しています。



この出来事が起こったのは1965年の春とのこと。話の中に出てくる潜水艦は、後にビートルズが1968年に発表した「イエロー・サブマリン」を連想させるものだったり、「LSD」の文字からビートルズの楽曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ (Lucy in the Sky with Diamonds)」が生まれたとウワサされたりと、この時期のビートルズとドラッグの関係を強く印象づける出来事となっていました。

なお、このエピソードにまつわる詳細なストーリーは、アメリカ版ローリングストーンの記事でも読むことができます。

Beatles' 'Revolver': How LSD Opened the Door to a Masterpiece - Rolling Stone
http://www.rollingstone.com/music/news/beatles-revolver-how-lsd-opened-the-door-to-a-masterpiece-w436062


https://gigazine.net/news/20160830-john-lennon-first-acid/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/177.html#c9

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