82. 中川隆[-8866] koaQ7Jey 2019年7月24日 09:50:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3842]
ジャニー喜多川は、CIA工作員だった
東海アマブログ ジャニー喜多川の死 2019年07月10日 (水) 16:07
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-802.html
7月10日朝のテレ朝モーニングショーは、87歳独身のまま亡くなったジャニー喜多川について、高く賛美する姿勢で長時間の報道を行った。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190709-00000382-oric-ent
だが、私はジャニー喜多川と聞けば、北公次の暴露本が頭をよぎる。
内容は凄すぎて、ここで紹介するのは気が引けるので自分の目で読んでいただきたい。
現在、これと同じことが刑事告発を受ければ、ジャニーは懲役5年程度の実刑判決を受ける可能性がある。
https://himajin-ibunroku.com/2019/07/10/%E3%80%90%E5%85%89genji%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%86%85%E5%AE%B9%E3%80%91%E5%8C%97%E5%85%AC%E6%AC%A1%E3%81%8C%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%8B%E3%83%BC%E5%96%9C%E5%A4%9A%E5%B7%9D%E3%81%AE%E5%B0%91%E5%B9%B4/
https://www.excite.co.jp/news/article/Cyzowoman_201008_post_2297/?p=3
北は2012年、62歳のとき肝臓癌で死亡したことになっている。しかし、私には、以前、ジャニー喜多川の本当の素性を調べたことがあり、素直に頷けないものがある。
ジャニーは、CIA工作員だった。
http://www.thutmosev.com/archives/52688814.html
美空ひばり米国公演のマネジメントを行った縁で、日本芸能界に進出したジャニーは、1952年に再来日。
米大使館に陸軍犯罪捜査局 (USACIDC, CID) の情報員として勤務。アメリカ軍関係の仕事の一環として、当時勃発していた朝鮮戦争による戦災孤児に英語を教授するために、日本でわずか11ヶ月で朝鮮語を習得し、すぐ米軍側の板門店に出向き、1年2ヶ月間に渡って子供たちに英語を教授した。
除隊後、再来日後はアメリカ合衆国大使館軍事顧問団に勤務。その傍ら上智大学国際部に進学し、上智大学を卒業。大学在学中の1955年、バンドを結成し芸能界へ参入した。以降は日本に永住している。
この間、本国CIAの指示によって、日本の芸能界における左傾化を阻止する指令を与えられ、左寄りと目された歌手や俳優などを排除する活動を行ったとの記録が、以前ネット上にあったのだが、今はどこを探しても出てこない。
これは実に面白かったが、消されてしまった今、ダウンロードしなかったことが悔やまれる。
不確かな記憶だが、岡林信康・高田亘などの反戦フォーク運動を先鋭化させないための工作が依頼され、ダイレクトに差別を批判したり、侵略戦争や軍備増強、アメリカ盲従を批判する歌詞の歌を排除し、代わりに、あたりさわりのないイルカや南こうせつらの恋愛歌にすり替えていったと書かれていた。
これを読んで、当時の記憶を思い出すと「そうだったのか!」と合点がいった。
アメリカでは、1950年代前半からはじまったマッカーシー旋風による赤狩り思想が、ハリウッドをはじめ、全米に生々しく残っていた時代なので、「世界の共産主義(ときに民主主義)を排除する」という思想がもてはやされ、米本土のみならず、世界中のアメリカ支配地域で、メディアや芸能活動に至るまで「レッドパージ」の嵐が吹き荒れ続けていた。
ベトナム戦争も、ニクソンによる北爆は、こうした当時の強迫観念と無関係ではない。
そんななかで、ジャニーはCIA工作員としての実力を評価され、日米の芸能界に大きな人脈と利権を築き上げ、芸能界の隠れた巨人としての地位を確立していった。
日本で、1960年代後半から1970年代後半くらいまで、たくさんの優れた独立シンガーソングライターを輩出しながら、80年代に入ると、個人的な実力を前面に出した歌手は、メディア界から排除され、ジャニーやナベプロのような大手芸能プロダクションを背景にしなければ活動できないようになった事情は、CIAの赤狩り指令によるものと考えて間違いないだろう。
ジョーンバエズ・岡林信康・高田亘・高石知也ら「社会派」と呼ばれたシンガーソングライターたちは、80年くらいには、メディアが一切取り上げない事情によって、人々から忘れ去られていった。
中島みゆき・八神純子・井上陽水・フォークルらも、芸能プロに背を向けた姿勢から、日本での活動が制限され、結局、海外脱出を図ったり、独立プロの小さな興業にしか活路を見いだせなくなった。
メディアの中心に位置するテレビ界が、組織に頼らない個人的能力のシンガーを嫌ったからである。逆に言えば、メディアが喜んで取り上げた歌手たちには、CIAから特別の使命が託されていたと考えるべきだろう。
80年代に入ると、芸能界は、ナベプロやジャニー事務所など大手芸能事務所による寡占状態になり、独立系のシンガーソングライターや社会派は、まったく登場しなくなった。
我々から見ていても、何もかも演出された商売であり、ホンモノの魅力は失われ、テレビ芸能そのものの魅力が薄れ、社会の思想的リーダーたちからも相手にされなくなった。テレビ芸能には、社会的メッセージ性などどこにもない。
唯一、アリスだけが「遠くに汽笛を聴きながら」など、社会的なメッセージ性を備えた曲を公表し、かつ情緒的な魅力を示したが、松山千春も陽水も、テレビ界を拒絶し、ローカルコンサートだけに活路を求めるしかなくなった。
「個性」という魅力が排除され「組織の力」ばかりが表に出てきて、男女ともジャニーズや、ナントカ46などのグループ活動が主体に変わっていった。
「部品が壊れたら、いつでも取り替え可能」が売りになった組織である。
今朝の、ジャニー喜多川の、長時間にわたる賛美報道を見ていて、かつてのテレ朝、安倍信者、極右といわれる早川CEOが実権を握る前のテレ朝だったなら、あんな報道姿勢だっただろうかと暗い気持ちになった。
玉川徹も、ジャニー持ち上げに迎合し、影の歴史について一切触れなかった。
北公次によるジャニー喜多川への告発は、これで終わってしまったのだろうか?
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-802.html
http://www.asyura2.com/2002/dispute2/msg/515.html#c82