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[近代史3] 超高性能で激安なシーメンス・コアキシャルスピーカーが音楽ファンに全然人気が無い理由 中川隆
13. 中川隆[-11133] koaQ7Jey 2019年3月28日 16:35:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[884]

シーメンス SF−180/501

 アルテック601−8Dが自宅から去った後に、我が家のメインシステムに座ったのはシーメンスの17cmフルレンジです。

 フェライトマグネットを使ったダブルコーン型で、メインコーンはストレートコーン、サブコーンは小さなカーブドコーン。

 使用しているエンクロージャーは後面開放ですが、外枠はかなり古いスピーカーシステムを分解して活用したもので、バッフル板は新たに薄い合板を加工して取り付けてあります。

 と言っても、バッフル板を取り付けてから軽く20年が経過していますが・・・。 

 ユニットの取り付けは、601−8Dと同じく、U字金具によるマグネット支持です。 


 マグネット部分
 8Ω対応  エッジはギャザードタイプ

 後面開放箱に入れて使用  自宅のメインスピーカー

 いかにもドイツのスピーカーらしい骨格のしっかりした音です。
 17cmのユニットとは思えない堂々とした低音で、後面開放でも低音不足を感じさせません。

 もちろん本当の低い音は出ていないのですが、中低音あたりの低音を感じさせる情報がしっかり再生できているのでしょうか。

 バッフル板は薄い板なのですが、板鳴りは少ないように思います。
 直接ユニットが接していませんので、単なる仕切り板の機能です。
 バッフル面はユニットの前後の音圧が丁度打ち消しあう位置なので、薄い板でも大丈夫なのかもしれませんね。


 今のところ、長方形の音楽部屋の長手方向にスピーカーを設置しています。
 システムを正面に向けたり、内側に振ったりと、色々セッティングを試しましたが、今のところ45度内側に振るように設置しています。

 ユニットの軸線は頭のかなり前で交差しますが、高音も十分に聴き取れます。
 2つのスピーカーの間にぽっかりと音場が浮かびます。
http://www.chukai.ne.jp/~stail/siemens.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/310.html#c13

[近代史3] 超高性能で激安なシーメンス・コアキシャルスピーカーが音楽ファンに全然人気が無い理由 中川隆
14. 中川隆[-11132] koaQ7Jey 2019年3月28日 16:39:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[885]


バイオリンの名曲をシーメンスのフルレンジで聴く - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=aWlcNF5KYqM


シーメンス8インチフルレンジで聞く女性ボーカル - YouTube 動画
http://www.youtube.com/watch?v=L24oFs13oEo
http://www.youtube.com/watch?v=d-5XPX4imAg

Siemens fullrange - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Siemens+fullrange&sp=mAEB
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B9+%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8&sp=mAEB


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/310.html#c14

[近代史3] 超高性能で激安なシーメンス・コアキシャルスピーカーが音楽ファンに全然人気が無い理由 中川隆
15. 中川隆[-11131] koaQ7Jey 2019年3月28日 17:01:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[886]

クラング・クンスト 音響レンズでコアキシャルスピーカーを作る
https://www.klang.jp/index.php?f=&ci=10137&i=10509


SIEMENS(シーメンス)の10インチコアキシャルスピーカー「鉄仮面」を分解した状態

https://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/105/10509_801.jpg

 そもそもこの音響レンズを作ろうと考えたのは、「鉄仮面」と呼ばれる SIEMENS(シーメンス)のコアキシャルスピーカーユニットを入手したからです。入手したときはすでに、めぼしいドイツ製フルレンジスピーカーをほとんど蒐集済みでした。「鉄仮面」は日本で多く販売されたものの、ドイツではあまり使われなかったために品薄で、コレクションの最後のほうになっていました。見た目が貧弱な「鉄仮面」にはあまり興味がなかったのですが、いざ聴いてみると感心させられました。なにを聴いても上品でまとまりが良く、少し物足りなさはあるものの、コーン型スピーカーにありがちな「音の暴れ」をほとんど感じませんでした。

 「ブルーフレーム」とか「レッドニップル」という愛称で有名な TELEFUNKEN(テレフンケン)の L6 や、KLANGFILM(クラングフィルム)の KL-L307 といった名機とされるフルレンジユニットは、「鉄仮面」よりもスケール感と聴き応えのある音を出しますが、常にコーン型スピーカーであるということを意識させられる癖のようなものを感じてしまいます。私もかつて ALTEC(アルテック)や GOODMAN(グッドマン)、LOWTHER(ローサー)といった米英のフルレンジユニットを使いましたが、同様な傾向があります。単純にツィーターを追加すれば高音は延びるものの、やかましさがあって「鉄仮面」のような音のまとまりは得られません。なにが「鉄仮面」の音を作っているのでしょうか?

TELEFUNKEN(テレフンケン)の10インチフルレンジL6とSIEMENSのツィーターによるコアキシャル

https://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/105/10509_802.jpg

 答えは音響レンズに決まっています。「鉄仮面」の由来である仮面のような鉄のカバーは、中央部分が2枚のプレスされた鉄板の重ね合わせになっていて、ツィーターの高音だけでなく、ウーファーとなるフルレンジユニット中央部分の音も拡散します。中心部分の音は障害物が無いのでそのまま出ますが、その周囲の音は曲げられて通り道が長くなるので遅れ、ちょうど凹レンズのようになります。実際に音響レンズを作って取り付けてみるとみると、コアキシャルにしなくても L6 や KL-L307 のようなフルレンジスピーカーからまとまりの良い音が出ました。そして、コアキシャルにしたばあいは、もっと大きな効果が期待できます。

L6でホワイトノイズ再生時の音圧の周波数分布(後面開放箱に取り付けて軸上1メートルで測定)

https://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/105/10509_805.jpg

 上のグラフはL6の周波数特性で、測定に用いた箱が小さいために100 Hz以下の低音が減衰しています。高音はグラフの左端から2番目にある中心周波数が16 kHzの棒まで十分なレスポンスがあって立派な特性ですので、測定と同じ軸上の至近距離で聴けば、十分な高音どころか少し過剰に感じるほどです。しかし、軸上から外れると高音は減衰してしまうので、広い立体角の平均では高音は不足しています。ですから、広い部屋で徐々に離れていけば、ちょうどバランスが取れるリスニング位置があるはずですが、日本の住宅事情では無理なばあいが多いと思います。

 そのためか、「フルレンジにツィーターを追加して2ウェイにしても、うまくいかない」という話をよく耳にします。2〜3メートルくらいの近距離で聴くと、ただでさえ過剰な軸上の高音が、ツィーターでさらにやかましくなってしまうケースが多いようです。ヴィンテージのばあい、フルレンジの高音をカットせず、コンデンサーでツィーターの低音をカットするだけの2ウェイ化が多いので、両方の高音が重畳してしまってなおさらです。

 そういうときこそ音響レンズです。同軸にしないばあいでも効果があり、やかましいからと音響レンズをご購入された方から、「実験の結果ツィーターはそのままでフルレンジのほうに音響レンズを付けて成功した」といいうご報告をいただいたこともあります。普通はツィーターに音響レンズを取り付けようとしますが、フルレンジの高音に問題がある場合が多く、そんなときは逆のパターンが有効です。

 コアキシャルでは音響レンズ1個で両方のユニットの音が拡散できるだけでなく、音が融け合って一つのユニットのようになるという効果もあるのでとても有利です。フルレンジに音響レンズを取り付け、ツィーターを天井に向けるというのも良い方法で、デッカのデコラやテレフンケンの O 85 モニターに似た雰囲気のステレオ感が味わえます。ツィーターの数を増やすと、より近い雰囲気になります。

SIEMENS(シーメンス)のツィーターの裏面処理とスペーサー用コルク製ガスケット


https://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/105/10509_804.jpg

 音響レンズでコアキシャルを作るには、上の写真のようにツィーターを中央で支えるための板を用います。写真では黒い鉄板製ですが、5.5〜12ミリくらいの合板(ベニヤ板)でも良いと思います。注意点は、ウーファーとなるフルレンジユニットのコーン紙の正面に来る支持棒をあまり太くしないことです(3センチ以内にしましょう)。写真の板は外形も円ですが、四角でも問題ありません。板に2つのユニットと音響レンズを取り付ければ、コアキシャルの出来あがりです。

 シングルコーンフルレンジとちがって、コアキシャルには複雑な分だけ音をチューニングする要素がたくさんあることも楽しみです。上の写真はツィーターを板に取り付けた状態の裏側です。SIEMENSのアルニコ磁石のツィーターを使っていて、その裏側にフェルトを貼り付けてあります。SIEMENSのコアキシャルにも同様な吸音処理がしてあり、上質な音にするための秘訣といえます。

 周囲のコルク製ガスケットは、ツィーターのお尻がL6のコーン紙にぶつからないようにするためのスペーサーです。このようにツィーター支持板にはある程度の厚みが必要なので、写真のような鉄板ではなく、ベニヤ板で十分です。ユニットはいろいろとあるので共通化できず、鉄板で2枚だけ作るとCAD入力などで高額になってしまうので、ベニヤ板で作れば良かったと反省しています。多少雑に作っても、板が音響レンズに隠れてしまうので気になりません。

L6で作ったコアキシャルを音響レンズ正面の斜め下から見た様子

https://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/105/10509_803.jpg

 音響レンズは高音を広い角度に拡散させるだけで、量を減らしてしまうわけではありません。ですから、反射音の比重が大きい離れたリスニング位置では、音響レンズなしに比べてそれほど高音は減少しません。つまり、スピーカーからの距離や角度による高音のバランスの変化が小さくなるので、より自由なリスニングポジションで良い音を楽しむことができます。

 音響レンズを使えば好きなユニットを組み合わせて自分だけの「鉄仮面」を作ることができます。フェライト磁石の10W(「鉄仮面のウーファー」)よりも強力なL6やKL-L307、あるいはフィールド型フルレンジなどとヴィンテージツィーターを組み合わせて、SIEMENSのオリジナル以上のコアキシャルが作れます。今回作った「L6版鉄仮面」は、貸し出し中でなければ試聴可能です。私の耳にはSIEMENSの「鉄仮面」よりも中低音が充実しているように聴こえて物足りなさを感じませんし、シングルコーンフルレンジが苦手とするクラッシックのソプラノも楽しめます。
https://www.klang.jp/index.php?f=&ci=10137&i=10509
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/310.html#c15

[近代史3] 超高性能で激安なシーメンス・コアキシャルスピーカーが音楽ファンに全然人気が無い理由 中川隆
16. 中川隆[-11130] koaQ7Jey 2019年3月28日 17:17:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[887]

クラング・クンスト 【第2話】ドイツの同軸スピーカー「御三家」 2010年2月20日
https://www.klang.jp/index.php?f=&ci=10139&i=10211

 同軸スピーカーといえば、TANNOY の モニター・シリーズや ALTEC の 604 シリーズが有名ですが、「ドイツにも優れた同軸スピーカーがあります」といえば、「ああ、SIEMENS のコアキシャルことだろう」という程度の反応が多いようです。でも、凝ったメカの王国であるドイツに、優れた同軸スピーカーが無いはずがありません。なぜか、この年明けから不思議なくらい、ドイツから同軸スピーカーのオファーがあって、いろいろなユニットを吟味する機会がありました。そこで、それらも含めたドイツ製の同軸ユニットのうちで、わたしが代表的と思う3本をご紹介することにしました。

左からシュルツ、ジーメンス、イゾーフォンの同軸12インチ

https://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/102/10211_801.jpg

 さて、そのドイツの同軸スピーカー「御三家」とは、SCHULZ(シュルツ)、SIEMENS(ジーメンス)、そして ISOPHON(イゾーフォン)のことです。クリーム色のフェルトと保護用の金網でコーンがカバーされて見えない SCHULZ と、皮エッジに3本のアームで支えられた大きなツィーターの SIEMENS が極めて個性的な外見なのに比べると、ISOPHON は少し地味に見えますね。残念ながら ISOPHON 以外は数が少ないユニットで、入手は容易ではありません。

シュルツの後側(カバーを外したところ)

https://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/102/10211_802.jpg

 御三家の筆頭といえば、やはり SCHULZ になるでしょう。SCHULZ は戦中に帝国放送協会などが開発した世界初のステレオ・テープレコーダーとともに用いられた、Eckmiller の12インチ同軸ユニット O15 にまで遡る、ドイツの同軸スピーカーとして、最も深い歴史のあるユニットです。戦後になって東ドイツの SCHULZ に受け継がれて、O16、O17、O18と作り続けられ、シャルプラッテンのレコーディング・スタジオや、放送局でモニターとして使われました。ツィーターはアルミドームで、柔かい普通のアルミ材をプレス成形ではなく、ヘラで加工したように見えます。ウーハーのエッジは発砲ネオプレンゴムで、密閉箱や大型のバスレフが適しています。現代の基準でも十分にワイドレンジで、とても古いユニットとは思えません。能率が低いのが欠点ですが、極めて分析的な音でありながら耳にやさしいのは不思議です。ステレオの臨場感が素晴らしいのは、いうまでもありません。

ジーメンスの後側

https://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/102/10211_803.jpg

 つぎは SIEMENS ですが、俗に鉄仮面などと呼ばれる有名な(10インチの)コアキシャルではなく、12インチの同軸で、鉄仮面とは比較にならないほど本格的な作りのユニットです。能率は見た目ほど高くなく、皮のフリーエッジで延長された低音に対し、高域はアルミコーンなのに SCHULZ のようには伸びていません。そのせいかコアキシャルとしては重心が低くくて暖かい音色で、SIEMENS のユニットによくある硬さは感じません。入手は3つのなかで最も困難です。

イゾーフォンの後側

https://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/102/10211_804.jpg

 最後は ISOPHON で、複数モデルの同軸ユニットを製造しましたが、なんといっても有名なのはオーケストラです。このオーケストラ同軸ユニットは、テレフンケンのスタジオ・モニターとして多用されました。ご紹介するのは初期のもので、よく見かける後期のものとは異なっています。磁気回路の塗装が後期の黒に対して鮮やかな青であること、大きなマッチングトランスがあること、そして、ツィーターの背面に吸音処理のための大きめなカバーがあることが主なちがいです。地味な外見に反して明るく爽やかな音色なうえ、能率も3つのなかで一番高いので、3極管シングル・アンプ愛好家に重宝されているのも納得できます。
https://www.klang.jp/index.php?f=&ci=10139&i=10211
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/310.html#c16

[近代史3] 超高性能で激安なシーメンス・コアキシャルスピーカーが音楽ファンに全然人気が無い理由 中川隆
17. 中川隆[-11129] koaQ7Jey 2019年3月28日 17:20:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[888]

SIEMENS Coaxial+関本製後面開放箱(ペア) 販売 VintageAudio 2017/03/10
http://vintage-audio.jp/?p=1378

通称「鉄仮面」と呼ばれる西独SIEMENS製25cm同軸ユニットが入荷しましたので、関本特機部で生産された後面解放型キャビネットにセットしてみました。また、SIEMENS Coaxialは非常にレアなアルニコ・マグネット仕様です、更に両ユニット共1966年7月製でシリアルNo.も僅か「21」の差しかありません。SIEMENS Coaxialが好きな方には、朗報かと思います。


SIEMENS Coaxial:C72233-A10-A1(アルニコ・マグネット仕様)
ユニットの製造年:1966年7月(両ユニット共)
シリアルNo.150290、No.150269


関本特殊無線製後面開放型エンクロージャー

■サイズ:700mm(W)×915mm(H)×285mm(D)
※後面にサランネットが貼られた仕切り板が付属していますので、接続するアンプや設置場所によっては脱着して調整が可能です。


Vintage Audio(ヴィンテージ・オーディオ)

ネクストイノベーション株式会社
オーディオ事業部 担当者:大塚
〒706-0224岡山県玉野市八浜町大崎430-12

TEL: 0863-53-9922
FAX: 0863-53-9655

メール:vintageaudio@csis.jp

[店舗営業時間]
10〜22時(平日)/13〜22時(土・日・祝日)
※ご来店の際は場所がわかり難い為、事前にご連絡頂ければご案内致します。

アクセスマップ
https://www.google.com/maps?ll=34.531135,133.921079&z=15&t=m&hl=ja&gl=JP&mapclient=embed&q=%E3%80%92706-0224+%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E7%8E%89%E9%87%8E%E5%B8%82%E5%85%AB%E6%B5%9C%E7%94%BA%E5%A4%A7%E5%B4%8E%EF%BC%94%EF%BC%93%EF%BC%90%E2%88%92%EF%BC%91%EF%BC%92


http://vintage-audio.jp/?p=1378
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/310.html#c17

[リバイバル3] 中川隆 _ オーディオ関係投稿リンク 中川隆
156. 2019年3月28日 18:06:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[889]

シーメンス・コアキシャルスピーカー _ 超高性能で激安なんだけど使いこなせるかな?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/943.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/451.html#c156
[リバイバル3] シーメンス・コアキシャルスピーカー _ 超高性能で激安なんだけど使いこなせるかな? 中川隆
1. 中川隆[-11128] koaQ7Jey 2019年3月28日 18:08:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[890]

SIEMENS Coaxial+関本製後面開放箱(ペア) 販売 VintageAudio 2017/03/10
http://vintage-audio.jp/?p=1378

通称「鉄仮面」と呼ばれる西独SIEMENS製25cm同軸ユニットが入荷しましたので、関本特機部で生産された後面解放型キャビネットにセットしてみました。また、SIEMENS Coaxialは非常にレアなアルニコ・マグネット仕様です、更に両ユニット共1966年7月製でシリアルNo.も僅か「21」の差しかありません。SIEMENS Coaxialが好きな方には、朗報かと思います。

SIEMENS Coaxial:C72233-A10-A1(アルニコ・マグネット仕様)
ユニットの製造年:1966年7月(両ユニット共)
シリアルNo.150290、No.150269


関本特殊無線製後面開放型エンクロージャー

■サイズ:700mm(W)×915mm(H)×285mm(D)
※後面にサランネットが貼られた仕切り板が付属していますので、接続するアンプや設置場所によっては脱着して調整が可能です。

Vintage Audio(ヴィンテージ・オーディオ)

ネクストイノベーション株式会社
オーディオ事業部 担当者:大塚
〒706-0224岡山県玉野市八浜町大崎430-12

TEL: 0863-53-9922
FAX: 0863-53-9655

メール:vintageaudio@csis.jp

[店舗営業時間]
10〜22時(平日)/13〜22時(土・日・祝日)
※ご来店の際は場所がわかり難い為、事前にご連絡頂ければご案内致します。

アクセスマップ
https://www.google.com/maps?ll=34.531135,133.921079&z=15&t=m&hl=ja&gl=JP&mapclient=embed&q=%E3%80%92706-0224+%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E7%8E%89%E9%87%8E%E5%B8%82%E5%85%AB%E6%B5%9C%E7%94%BA%E5%A4%A7%E5%B4%8E%EF%BC%94%EF%BC%93%EF%BC%90%E2%88%92%EF%BC%91%EF%BC%92


http://vintage-audio.jp/?p=1378

スピーカー製品情報 真空管アンプ「カトレア」
20Cm用フロントホーンスピーカーボックス 販売価格 100,000円 (販売終了?)


私が作ると年間1ペアしかできなく 評判が良いので家具屋さんに製作依頼して出来てきた フロントホーンスピーカーボックスです 納期約一ヶ月です

すべて米松合板でウォールナットツキ板仕上げ後面開放型で作りました 70年代や80年代のユニットも聞けるように下側にダクトを作っています 

調節してバスレフ型フロントホーンスピーカーボックスとしても 使用できます 

やはり50年代や60年代のユニットは反応が良くフロントホーンスピーカーボックスで後面開放がスッキリした音が楽しめます 

只今はシーメンスベークダンパーの16Ωの試聴が出来ます ちなみにこのセットペアで280,000円です ボックスの仕上げは木目と風格でチークオイル仕上げがベストです写真は何もしていませ  

W370×H900×D500
http://www.cattlea.jp/product/speaker.php


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/943.html#c1

[リバイバル3] シーメンス・コアキシャルスピーカー _ 超高性能で激安なんだけど使いこなせるかな? 中川隆
2. 中川隆[-11127] koaQ7Jey 2019年3月28日 18:10:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[891]
スピーカーエンクロージャ:後面開放型スピーカー


平面バッフルは、スピーカーを大きな板に取り付けることで、スピーカー前後の空気の流れを遮断し、特に低音域で打ち消されてしまう現象を排除しようとする原理です。

それなりの効果を得ようとすれば、音の速さが約秒速340mということもあり、けっこう大きくないと低域の効果が得られません。

なかなかそんな大きなバッフルを置けるなんて珍しいので、それならば前後の空気を遮断すれば良い….という目的を発展させて、平面バッフルを折り曲げたような形となったスピーカーがあります。

これが後面開放型スピーカーと呼ばれるものです(図は後ろから見たイメージ)。
平面バッフル同様、前後の空気が回り込むにはグルリとスピーカー筐体を回る必要があり、これにより前後の空気の移動を遮断しようというものです。

密閉型の後ろ側が塞がれていないイメージになりますが、最近の市販品には見かけません。

メリットとしては、

・平面バッフルより小型化できる。
・密閉型と違いストレスのないユニットの動きが可能(平面バッフル同等)

でしょうか。

小型化できるのは見ての通りですし、密閉型では空気室内の空気が空気バネとしてユニットの動きを妨げていますが、後面開放型はその点ストレスフリーの動きとなり、抜けの良い音が期待できます。
デメリットとしては、

・共振が発生する
・定在波が発生する

といわれていますね。

共振は、ユニット背後がボックス状の大きなダクトといえますから、共振域は高めに出ると思いますが共振が発生してしまいます。これは平面バッフルではなかったもので、筒状になることで発生してしまいます。

また、筐体の上下、左右の面で定在波が発生しますが、先の共振と共にどれぐらい問題になるか分かりません。

それより個人的には、バスレフ型とは違い背後からも盛大に中高域の音が出ているので、壁などに近いとそれら中高域の反射音が気になるように思います。

逆に反射音が弱ければ、先の共振による不要な音も気付かないレベルかも…と想像しています。

ということで、後方に余裕が必要なスピーカーである点は、平面バッフルと同様でしょうね〜
http://diy-sound.net/archives/18


背面(後面)開放型エンクロージャー

 背面開放型エンクロージャー(後面開放型エンクロージャー)とは、密閉型スピーカーの背面の板を取り外してしまったもの、もしくは平面バッフルの4面を後ろ側に折り曲げて板を取り付けたものと考えればよいでしょう。基本的な特性は平面バッフルと同じで あるが、背面開放型にはそれにプラスして音響菅の要素が加わります。

 これは後ろに折り曲げた板の平行面で定在波が発生し、つまりパイプ共鳴の音が付加される。しかし、密閉やバスレフで発生する定在波はユニットの動きに悪影響を与えるが、背面開放の場合はユニットへの影響は少なく、むしろ背面からの音に付加される割合が多い。

 背面開放型のメリットは、スペースファクターが平面バッフル方に比べ優れていること。平面バッフルは完全な一枚板のため補強が難しく、板厚を厚く確保しないとどうしても板鳴りをおこしてしまう恐れがあるが、背面開放型は箱型であるため板鳴りはしにくいというメリットがある。ユニットの動きは自由で、微小信号への反応も平面バフルなみに良い。

 背面開放型の計算式は基本的には平面バフル型と同じ

で考えればよい。詳しい計算を出す場合はそれにプラスして共鳴管の計算式で低域のピーク、ディップを割り出せばよい。しかし、実際の測定は無響室で行わなければ、部屋の特性が強くでるので計算式どおりにはいかない(これはどのスタイルのエンクロージャーでも同じことだが)
http://www.diyloudspeakers.jp/6000html/speaker-enclosure/category1/haimenkaihou.html


エンジニア の 独り言

後面開放型エンクロージャー


オーディオ・マニアの方々には、古いオーディオ雑誌の記事を鵜呑みにして、確かめもせずに、システムを作ってしまう方もいらっしゃるようです。

仕事ではないのですから、どのような周波数特性や過渡特性で聴かれていても問題はないのかもしれませんが、それに慣れてしまうと、基準がドンドン元音から離れてしまうことになってしまいます。

このデータは、あるオーディオ・マニアの方のお宅へ伺って測定したALTECの同軸型
スピーカー604-8Hのウーファー部分のインピーダンス特性です。
この方は某オーディオ雑誌に載っていた

「後面開放型が一番癖が無いエンクロージャー である。」

との記事を信じ込まれ、ベニヤ板を木枠で補強して壁のようにして、そこに604-8Hを取り付けられていましたが、非常にQoが小さく、foも低いというこのユニット独特の特性を象徴的に表している特性の状態で鳴らしていらっしゃいました。

一見すると、foが32Hzと非常に低いので、低音が出るように思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、実際は全く逆です。


foに向かってインピーダンスが上昇するに連れて低音域は200Hzからダラ落ちになってしまっています。ベニヤ板パネルの面積から計算すると、もう少し低音が落ち始める周波数が低くても良いはずなのですが、パネルの共振のせいか、16cm口径のスピーカーより低音の出ないシステムになっていました。しかし、スピーカーの近くに寄って聴いてみると近接効果からか、音圧感は全くないものの、それなりの低音が聞こえてくるのが不思議なところです。

ちなみに上の周波数特性はHFのレベルを最大と最小にした時の変化で、下の方はMHの方を変化させたデータです。どちらも変化させない方のレベルは中間に設定してあります。


ホーン部分を単独で鳴らすと、それなりに高音域は出ていますので、複雑なネットワークの回路に問題があるのかもしれません。また、Hになってから、ホーンが定指向性型になってしまったため、ただでさえカットオフ周波数が高めだったのが、更にホーン・ロードがかかり難くなり、2kHz以下は使わない方が良い状態になっています。
(緑の周波数特性は正弦波での測定ですので、無響室以外では正確なデータは得られませんが、ホーンロードがかかっていないことをチェックする上で参考になると思います。

ちなみに1kHz付近が一転して上昇しているのは、ウーファーのコーン紙がホーンの一部として働いているからです。UREIでは以前このユニットのホーンをスリット付きの物に交換し、かなり低い周波数まで受け持てるように改造していましたが、この辺の効果を利用していたのかもしれません。


このユニットの場合、当然1kHz付近は使えませんので、クロスオーバー周波数は2kHz以上に追いやられてしまう結果になっています。38cmウーファーを2kHzまで使うのはやはり苦しいようです。

この方は、この後、バスレフ型エンクロージャーの別のシステムを購入されたようですが低音がこもるとか、高音がうるさいとか、ワイドレンジの音に慣れるのにだいぶ時間がかかったそうです。

癖のある音に慣れてしまうと、その分キャリブレーションに時間がかかってしまうようです。


上の特性表は別のお宅の604-8Hのデータですが、この方の場合は、民生用のイコライザー付きネットワークではなく、PAなどで使われているドライバー側のアッテネータだけのネットワークでしたが、高音域はこちらの方がはるかに優れているようです。

残念なことに、この方も壁バッフルだったため、200Hz以下の低音域はロールオフしています。このユニットの場合、比較的バランスが取れていますので、適切なバスレフの箱に入れれば、もっとまともな特性になるはずです。
http://www.kozystudio.com/bu2bu2/6048h/604.htm


クラングフィルム、シーメンスやSABA等のドイツ・スピーカーに平面バッフルか後面開放型を使う理由は要するに:


軽量コーンにあまりプレッシャーを掛けずに使用したい為、平面バッフルか後面開放型が適当だと思います。

密閉型、バスレフ型になるとバックプレッシャーのコントロールが難しくなる事とエンクロージャーの影響を受けやすくなります。
http://vintage-audio.jp/?p=390
http://www.barshinkukan.com/kizai.html


オイロダインのバッフル

オイロダインのバッフルは2m×2mが常識と言われています。でもそんなに大きいのが置ける部屋なんてまず一般には有りえません。

オイロダインはへたなエンクロージャー等に納めるよりも裸で鳴らした方がよほどまともな音がします。

今までの経験からこのサイズで行けると踏んで作ったのがこのバッフルです。幅1m、高さ1,2m。このサイズでしたら殆どの部屋で使えます。このぐらいのサイズですと、バッフルの余計な共振も無く、大型バッフルよりも明快な低音が聞こえます。

私は、一般家庭には大型バッフルは勧めていません。バッフルの補強が大変な事と低音が伸び過ぎ、部屋が悲鳴を上げてしまうからです。

ある小ホールでコアキシャル一発、1m×1mのバッフルで朗々と鳴らした経験が有ります。其の時に居合わせた人々は、この小型のユニットでナゼこんなに鳴るのか首を傾げていました。
http://hayashilab.syuriken.jp/oiredain1.htm


愛機、オイロダインの裏側です。オリジナルは鉄のアングルを溶接した物ですが、あれでは強度が足りず、高域に鉄の響きが付きまといます。

これをドイツの音だ、などと言われる方が居りますが、僕には我慢が出来ません。僕はドイツの音が聞きたいからオイロダインを使っているのではなく、レコード音楽に正直なスピーカーだとの思いから使っているのですから。
http://hayashilab.syuriken.jp/tentou1.htm


オイロダインの更なるグレードアップを求めて。

ネットワークは替えた。でもまだ有るのかな?  有ります有ります。ネットワークを取った後にアルミの板で補強と書きましたよね。実践しましたか?

其れをした方はもうお判りですよね。オイロダインのフレームの強度不足。

エーーーーー、オイロダインって業務用で強固に作られているんじゃないの?  確かに丈夫です。破壊強度は十分ですが、微振動(此れがオーディオでは怖い)に対しては、殆ど強度が有りません。

じゃあ、実験。

最後の1本ウーハー。上から見ると台形(三角にも見えるかな)のタイプ。ウーハーのマグネットが薄い鉄板で上下に繋がれて居ます。この鉄板を外し、同じ様な物をアルミ(5052)の10mmで作って取り付けて見て下さい。

嘘みたいに静かに成り、付帯音が少なく成ります。付帯音に消されていた音楽情報が聞こえてきます。これを経験したら、全てのフレームを作り直したくなるのは音楽愛好家なら誰しもでしょう。

ウーハーの止め方だって、適当な鉄板をL字型に曲げた物で、下側だけホールド。もう・・・・・・・・・・・・・。

オイロダインのユニットはとても優秀です。でも、周辺が其れを生かしていません。と言うか殺してしまっています。アノ状態はユニットにとっては、あまりにも可哀想です。

フレームをアルミの30mm角で作り直しましょう。(40mm角の方が更に良いとは思うのですが、重量の点で見送っています。)

ドイツの音って、単なる鉄フレームの共振音だと鳴らした瞬間に気付く筈です。オイロダインが苦手としていた音楽を鳴らして見て下さい。ネッ、苦手な音楽なんて無いでしょう。
http://hayashilab.syuriken.jp/aueurodyn21.htm


コアキシャルの全面パネル。鉄板を二枚張り合わせて作って有ります。

よくお客様に、此れは何の為についているの? と聞かれます。その時の僕の答えは、其れが無いとツィーターが落ちちゃうんですよー(笑)。

そうなんです。此処にツィーターは取り付けて有るのです。

冗談はさておいて、ツィーターの前の風車の様な部分は音響レンズ(拡散器)と思われます。ウーハーの10Wは十分高域が伸びていますが(LE8Tより伸びてます。)高域の指向性が強いのはフルレンジの宿命。其れの改善の為のツィーターと理解しています。

でも、過去に音響レンズを必要としたは経験は有りません。必要とするのはアンプに原因が有ります。オイロダインも、音響レンズは外した方がどれだけ喜んで鳴るかを知っている人は幸せです。音響レンズを付けたままのオイロダインを見るとかわいそうに成ってきます。

コアキシャルも同じで、全面パネルは音響的にNG。

具合が良い事にツィーターの取り付け面と、ウーハーの取り付け面は同一面。

全面パネルを外し、ツィーターを外し、バッフルにツィーター用の穴を開け、取り付ければ完成。

音響レンズが無くなった分、ツィーターの能率が上がりますから、ネットワークの調整が必要です。

生前の伊藤喜多男氏に、この事を話したら、『2ウェイか、いやな言葉だな。』って笑っていました。(オイロダインを使っているくせに、笑)

コアキシャルはあのデザインが好きなんだ。バラスなんてとんでもない。と考えている方に。

ユニットはバッフルの後ろに止めていますよね。もし前面でしたら、コアキシャルの設計者に笑われる(困った顔をする)かもしれません。あのユニットは後面に止めるように出来ています。でも前面に止めて売ってるよ。ですか? 其の業者は信用できませんね。(笑)
http://hayashilab.syuriken.jp/aucoaxial02.htm



▲△▽▼

シーメンス SF−180/501
 アルテック601−8Dが自宅から去った後に、我が家のメインシステムに座ったのはシーメンスの17cmフルレンジです。

 フェライトマグネットを使ったダブルコーン型で、メインコーンはストレートコーン、サブコーンは小さなカーブドコーン。

 使用しているエンクロージャーは後面開放ですが、外枠はかなり古いスピーカーシステムを分解して活用したもので、バッフル板は新たに薄い合板を加工して取り付けてあります。

 と言っても、バッフル板を取り付けてから軽く20年が経過していますが・・・。 

 ユニットの取り付けは、601−8Dと同じく、U字金具によるマグネット支持です。 


 マグネット部分
 8Ω対応  エッジはギャザードタイプ

 後面開放箱に入れて使用  自宅のメインスピーカー

 いかにもドイツのスピーカーらしい骨格のしっかりした音です。
 17cmのユニットとは思えない堂々とした低音で、後面開放でも低音不足を感じさせません。

 もちろん本当の低い音は出ていないのですが、中低音あたりの低音を感じさせる情報がしっかり再生できているのでしょうか。

 バッフル板は薄い板なのですが、板鳴りは少ないように思います。
 直接ユニットが接していませんので、単なる仕切り板の機能です。
 バッフル面はユニットの前後の音圧が丁度打ち消しあう位置なので、薄い板でも大丈夫なのかもしれませんね。


 今のところ、長方形の音楽部屋の長手方向にスピーカーを設置しています。
 システムを正面に向けたり、内側に振ったりと、色々セッティングを試しましたが、今のところ45度内側に振るように設置しています。

 ユニットの軸線は頭のかなり前で交差しますが、高音も十分に聴き取れます。
 2つのスピーカーの間にぽっかりと音場が浮かびます。
http://www.chukai.ne.jp/~stail/siemens.html



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/943.html#c2

[リバイバル3] シーメンス・コアキシャルスピーカー _ 超高性能で激安なんだけど使いこなせるかな? 中川隆
3. 中川隆[-11126] koaQ7Jey 2019年3月28日 18:11:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[892]

銚子の散歩道 2013年03月12日
独SIEMENS社製COAXIAL型スピーカーのエンクロージャ
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/52049071.html


独ジーメンス社製25p径コアキシアルは我国オーディオマニアには人気のあるユニットですが、私にしてみると好みの音ではありません。 グレイに在庫があったにもかかわらず食指が動きませんでした。 


http://livedoor.blogimg.jp/thorens/imgs/8/a/8a1b1ce0.jpg


いかにもドイツ臭く、リズム音痴だからです。 軍隊調のその音は軍靴の足音のように聞こえてしまい、気分が悪くなります。 このユニット、最大の弱点は音楽に必要不可欠である音色というものがほとんど出ないことです。 たまに出そうになる時もあるにはあるのですが、すぐに引っ込んでしまって、いつもの田舎くさい鈍重なドイツの音に戻ってしまいます。
 
しかしながら今回、お客様からこのユニットの注文を受けたのを機会に、専用エンクロージャを製作することになりました。 エンクロージャを製作するにあたっての一番の問題は、このユニットを設計製作した人の顔がみえてこないこと。 大体スピーカーユニットというのは作った人の顔、つまり人物像が音を聴いていれば浮かび上がって、どうすればユニットが鳴るか知らせてくれるのですが、このコアキシアルばかりはそれが全く見えてこない。 ドイツ人が考える業務用のユニットとはそういうものなのでしょう。 考えようによっては、このジーメンスのユニットからどのような音を出すかは、使う人のやり方に委ねられているといえなくもないのです。

コアキシアルに相応しいエンクロージャって

このユニットはほとんどが平面バッフルか裏板の無い後面開放型エンクロージャに取り付けられることが多いようですが、こうしたやり方はこのユニットの素性を考えればまったく理に適っておらず、結果として再生音は完全にPAと化してしまっているのです。

 ホームユースつまり家庭音楽鑑賞用として使用するのであれば、低音域を補正してやらないと、カリカリした音しか出ません。 そもそもこのユニットのfoは65Hzと高く、このfoでは二個三個平面バッフルや後面開放型エンクロージャに取り付けたところで、低音域は伸びません。 量は増えますが、増えるのは低音だけでなく高音はもっと増えてしまうのがこうしたエンクロージャの致命的な点でありますし、たとえ低音の量が増えたとしてもそれは伸びることとは違うのです。 こうした事はスピーカーシステムを作る上での常識であるにもかかわらず、ジーメンスのコアキシアルは平面バッフルか後面開放でキマリとばかりに平気で売ったり作ったりする方ばかりなのはどういうことなのでしょう。

それでは実際のところコアキシアルに相応しいエンクロージャはどのようなものなのでしょう。 まず浮かぶのは、低音を伸ばすために開口を大きめにとったバスレフ型が候補に挙がります。 でも、これで作ると音の腰が抜けます。 開口面積を小さくすると、今度は音が詰まります。 密閉型ではフィックスエッジでfoが高いユニットは不向き。

 バックロードホーンでは負荷が掛かり過ぎてコーン紙が参ってしまいます。 音響迷路型は何とかなるかもしれないけれど、ツィーターがついているコアキシアルでは中音域が抜ける恐れがある。 もっとも相応しいのは全帯域にわたって軽いロードをかけダンピングを強化したエンクロージャでしょう。 そんなのは不可能だよ、と皆平面バッフルや後面開放に逃げてしまうのです。 しかし、私にはひとつ思い当たる型があります。 ヨーロッパ流のフォルデッド・ホーンです。 そこで製作したのがこのエンクロージャです。 実はこれ、数年前の作りかけを改作したものです。 もともとは後方に開口を設けた箱で、逆相で後方に出した音が壁に当たって位相が整合するように設計したものです。 しかし試聴の結果、プログラムソースによって効果が変わってしまう不安定さが致命的だと判明しました。 スピーカーの完成度を判断するに重要なプログラムソースは私にとってはオーケストラとパイプオルガンです。 この二つのプログラムソースを如何に破綻なく自然に伸びやかに空間に拡げられるかで決まるのです。 それがこのエンクロージャはだめでした。 それでこの箱はしばらく放って置かれました。 昨年末、熱心なお客様が望まれたので、大幅に作り変える羽目になったのです。 

つづく
以上T氏
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/52049071.html

銚子の散歩道 2013年03月14日
独SIEMENS社製COAXIAL型スピーカーのエンクロージャ 2
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/52049334.html


エンクロージャの製作

今回考案したエンクロージャは二重箱構造です。 以前エンクロージャの振動における空中アース(エンクロージャ自体の共振が直接振動となって空気を揺する)と接地アース(エンクロージャの足を伝わって床に逃がす振動)について書きました。 この空中アースをなんとかコントロールすることは出来ないか、と考えた末に思いついた構造です。 空中アースを制動しなければならない理由は、あまり空中アースに頼り過ぎるとピアニッシモとフォルテッシモとの間で音色に違いが出てしまうからです。 ピアニシモからメゾフォルテあたりまでは目立つことはないけれど、連続してフォルテが続いたのちにフォルテッシモに至るとき、音が荒れてしまうことが時々起こるのはご存知でしょう。 これを解消するには空中アース力を接地アースに戻してやることが必要になります。 それを可能にしたのがこのエンクロージャです。 


http://livedoor.blogimg.jp/thorens/imgs/5/e/5e0c284b.jpg

内箱の振動を外箱に逃がしてやり、外箱に取り付けた脚部を接地アースとして働くように設計しました。 内箱と外箱はダイレクトに接触してはおらず、当て木をはさんでやり、この当て木の部分のみで内箱の振動を外箱に導くようにしました。 二つの箱はエンクロージャ裏側の背板にネジで固定されます。 つまり、この構造の重要な点は、内箱(本体)と外箱の間に空気層を持ち、二つの箱の振動の伝導はネジの締め具合によりコントロールされるところです。 この内箱本体はエンクロージャ前面の押さえ枠により固定されます。 フロントバッフルは音響共鳴型で中空です。 外板内板共に1cm厚桐ラミネイトボードを使用し4.5mmほどの空気層を持たせました。 この空気層に音響拡散板(8枚のフィン)があります。 このフィンは外板には接触させず、内板にのみ取り付けられています。 こうすることにより、エンクロージャ内部の振動が前面外板にダイレクトに伝わることを避けることができます。 ユニットは枠ごと外れるようになっています。

エンクロージャ後面下部にある蓋は後面に開口部を設けた当初の形の名残りで、つぶすのはもったいないので、蓋をネジ留めしてカバーしておきました。 そのかわりキャビネット底部に開口部を設けました。ここにもはね返り板を取り付け直接音が床に当たらないようにしました。 このエンクロージャの基本的構造は以前製作したデッカ社アーク型エンクロージャの変形で、正確には共鳴式のフォルデッド・ホーン型です。 もちろんバックロード・ホーンとは全然別のものです。

http://livedoor.blogimg.jp/thorens/imgs/8/2/8227a8a8.jpg


つづく 以上T氏 
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/52049334.html


銚子の散歩道 2013年03月16日
独SIEMENS社製COAXIAL型スピーカーのエンクロージャ 3
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/52049514.html


コアキシアルをエンクロージャに取り付けて視聴する

試聴に使用したのは仏ピエールクレマン社製の小型レコードプレイヤに同社L7Bカートリッヂを取り付け、プリアンプは蘭フィリップス社の回路を基にオランダの友人が製作したものにデンマークB&O社製スタジオ用EL84プッシュプル10Wモノブロックです。 スピーカーはドイツ製ですから、英米和抜きのコンチネントてんでんばらばらの混成組み合わせとなりました。 

試聴してみると平面バッフルと後面開放型では決して得られない深く伸びてくる重低音が再生されます。 しかし、AR密閉型のような詰まった音ではなく、どちらかと言えばBOZAKに近い音と思い描いていただければよいでしょう。 特にオーケストラとパイプオルガンは中々のものです。 RIMG0483いつも繰り返し言っていることですが、ヴァイオリンやジャズがいくら効果的に鳴ったとしても、オーケストラとパイプオルガンがきちんと再生されなければ、スピーカーとしては半人前どころか失格です。 オーケストラとパイプオルガンがちゃんと鳴ればあとは何とかなるものですが、その逆はあり得ません。
ひとつ言っておかなければならないのは、コアキシアルというユニットには泣きどころがあります。 英国の同サイズのスピーカーと較べると歪み率が一桁くらい大きいのです。

 しかし、ジーメンス社は責められません。 基はと言えばこのユニットはホームユース向けのHi-Fi仕様ではなくPA用に製作されたのであって、Hi-Fiにはあまり好ましくない歪みもPAに使用すると効が出てよりリアルな音が再生されるように設計されているのです。


http://livedoor.blogimg.jp/thorens/imgs/a/0/a05223de.jpg


しかし、果たして世のコアキシアル愛好家の中でそこまで責めてみた方はいらっしゃるでしょうか。 おそらくいないはずです。 このユニットの欠点が明らかになるのは周波数帯域をきちんと補正したエンクロージャに取り付けた場合に限り判ることです。 平面バッフルや後面開放型ではHi-FiではなくPAの音が出ているに過ぎないのですから。 しかし、歪みの捉え方感じ方は人それぞれ、私が好きでないからと言って悪いものではないのです。

このスピーカーシステムの特長はピアニッシモでもフォルテッシモでも音質が変わらないことでしょう。 これは製作前に意図したとおりにうまくいったと思います。 しかし、予想外のこともあります。 音量が上がるにつれて徐々に音場に静けさが増していくのです。 結構な音量で鳴っていても不思議な静けさがあるのです。 この現象は本来エンクロージャに仕掛けた空中アース力が空間に拡散されるべきところを外箱部がこれを設置アースに導いたことにより、振動の整流効果が生まれたのかもしれません。 空中アース力は裏板に6か所あるコイルばね付ネジを締めたり弛めたりすることによりココントローします。 


http://livedoor.blogimg.jp/thorens/imgs/a/2/a21e6964.jpg


実験の結果、締め付けると響きがタイトになる反面しなやかさに欠けます。 反対に弛めるとダンピングは減りますが倍音成分が増大しふっくら豊かな音になります。 ネジの締め具合弛め具合で、宝石のような音が出る時があり、音楽がこぼれ出してきます。 しかし、これも何度も言うことですが、よく調整されたプレイヤでなければ、こうした再生音の調整はできません。 プレイヤの不出来さが直截にコアキシアルの歪みと混然となって汚い音が出てきます。 ユニットの反応力が十分に上がってくると、自然にカートリッヂとスピーカーがダイレクトに結ばれるようにレコードが再生されます。 こうした音の感じ方は十分に調整されたニューヴィンテージにあっては常識であり、ストレスのたまらない再生音から音楽がらくらくと聞き取れるのです。  


この項おわり
以上T氏
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/52049514.html  

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/943.html#c3

[リバイバル3] シーメンス・コアキシャルスピーカー _ 超高性能で激安なんだけど使いこなせるかな? 中川隆
4. 中川隆[-11125] koaQ7Jey 2019年3月28日 18:12:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[893]

オイロダインはドイツスピーカーの代表格だから、ドイツスピーカーは劃して、つまりこういう物を家庭に持ち込ませようとしたから評判を落とし、我が国で普及しなかったのではないかと思われる。これは実に残念なことだ。

シーメンスにはコアキシャルという25センチウーハーの同軸上に9センチツイーターを装備した小劇場用のスピーカーがあるがこれを1メートル四方の平面バッフルに付けたものも他所で聴いた事があるが、オイロダイン同様Tメートル四方のバッフルでは音にならないのだろう、これも酷いものだった。


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我が、蹉跌のオーディオファイル #28.欲しかったスピーカー 2012.09.06
http://audio-file.jugem.jp/?eid=34


オーディオに興味を持ち始めてから約40年程経つが、当初最も欲しかったスピーカーにクラングフィルム、(後にシーメンス)オイロダインがある。

引き出しを整理していたらシーメンス当時のカタログが出てきて、オイロダインのスペックが載っていた。オイロダイン

ちょっと驚くのは再生周波数で、何と50Hz〜15,000Hzとあった。
今時数万円のスピーカーだって人間の可聴範囲20Hz〜20,000Hz付近をカバーしている。

そこで、スピーカーの再生周波数に付いて一寸調べてみたら、どうやらこういう事らしい。

スペックがどの様な数字であるかは兎も角、

「実際にスピーカーから出る低音の60Hz以下は音というよりも風圧として肌で感じるもので、強烈なドラムやベースの唸りの様な低音は大概80Hz〜100Hzくらいである」

という。だから、60Hzが出れば通常僕らが聴いているオーディオの低音に何ら不足を感じるものではなく、まして50Hzが出るなら映画館などの大鉄桟を巨大な大砲の発射音や炸裂音で揺るがすに実は充分な低音が出る事をオイロダインのスペックから読み取る事が出来るのだそうだ。

そして高音は「4KHz〜6KHz以上の純音の音色を判別する事は非常に難しく」この辺りで音程に対する判断は鈍って来るものらしい。

僕らが聴く「スピーカーの音(無論録音前の原音も)を決定づけるのは純音ではなく倍音であって、倍音は整数倍で膨らんで、大体13〜14KHzほど先からは殆ど聴こえてこない」ものらしい。

だから、オイロダインの50Hz〜15KHzという周波数帯域はこれらの条件を低音で10Hz、高音で1KHzばかり其々上回っており、従ってオイロダインで聴けない音は無いといってもよいという事になるらしい。

だから、2〜3万ながら矢鱈に周波数帯域の優秀なスピーカーが量販店などに出回っているのは、要するに僕ら消費者が悪いという事になるようだ。

_つまり、食紅で真っ赤な蛸しか買わないとか、胡瓜や大根や長芋も真直ぐなものしか買わないとか、そうした次元と同じ事で、本質よりも見た目を重視する発想と同じ理屈になると考えてよいだろう。

_生産者は売れなければ困るから、食紅が体に毒だろうが薬だろうが兎も角真赤っかに塗りたてちまう。流石に近頃では暮れの御徒町でもこんな蛸は滅多に見掛けないが、一昔前は真っ赤っかが常識だった。

_食の安全が叫ばれる現在でも、野菜などは相当にいかがわしい色付けや型の細工、或は遺伝子の組み換え、延命処置などをしてあるものが出回っているようだ。
そういうものでなければ、僕らが買わないから、言い換えるなら、音が良かろうが悪かろうが最低でも20Hz〜20KHz出る事にしなければ買う人が居ないから、メーカーは無理してでもこういうものを造るし、測定の仕方で再生周波数表示などどうとでも云える事でもあるから、何が何でもこれ以下の数字は発表すまいとする。

_基より、こんな数字は音質には何の係わりもない事で、それは曲った胡瓜も真っ直ぐな胡瓜も味や栄養価に変わりが無いどころか寧ろひん曲った胡瓜の方が(自然栽培)数段勝るというのと同じ事であるようだ。

_従って周波数50Hz〜15KHzのオイロダインのスペックは、実質的に巨大空間における再生音に何の不足もないということを示しているのだが、既に各メーカーの宣伝文句に毒されてしまっている僕らは、この数字に目を疑い「そんな程度のものか」と吃驚して「大したこと無い」と見下してしまう。

_でも評判は最高だから、それを僕らが住むマッチ箱の中の更に小さな書斎で鳴らそうと思う人もいる。結果的に手にはしなかったが自分がそうだった。


マッチ箱の中で鳴らすオイロダイン、実際は劇場の体積分の部屋の体積程度の実力も出せないのではあるまいか。
第一天井高が違い過ぎる。一般的な家庭用のスピーカーだって100%の実力を発揮させるには本当は5メートル以上の天井高を必要とするが、我々の住むマッチ箱の天井高は多寡だか2m半程度が通常の高さである。

単なる大音響ならば出そうと思えば出せるのかもしれないが、音楽としてはとても聴けたものではあるまい。今更ながらこんなものを買わなくてよかったと再度カタログを見直してそう思った。

オーディオ関係者の誰もが口をつぐんで決して口外しないのは部屋と音響の関係に付いてである事は知っておいた方が良いだろう。

本当の事を言ってしまうと、メーカーも評論家も雑誌も売れなくなって都合が悪いから口外しないのである。当時本気で購入を考えていた事が「阿呆なことだった」とはそれを知った今だから言うことが出来る。


「クラングフィルム」、ただの社名だそうだが何とも響きがいい。これだけで部屋中に心地よい音楽が広がってくるような錯覚すら覚える素敵な名称である。
僕はドイツの映画館で映画を見た事が無いから、オイロダインの本当の実力は知らない。

旧日劇には確かWEの巨大なホーンが入っていて、解体時に誰がかっぱらうかと話題になったらしいから、日劇で観劇した人達は知らぬ間にWEの劇場音を聴いていた事になるが、クラングフィルムを使っていた劇場や映画館となるとまず聴いた事がない。少なくとも僕は知らない。

そのオイロダインを今頃になって某所で聴いた。

まあ、一般家庭ではあまり望めない広さの部屋にデンと置かれたオイロダインは壮観であり、愛想もこそもない如何にもドイツ的な武骨さが却って、変な例えだがローライの写りの良さの様な、カメラの武骨さとは真逆の効果を期待させるのと同様、見ているだけで素晴らしい音が聞こえてくるような気さえしたものだ。

期待に胸を膨らませていざ鳴りだしたこの時の落胆はだから筆舌に尽くしがたい。
音はか細く、妙に高音ばかりがガラスを引っ掻くような音でキーキー鳴りだした。
おそらく原因はオイロダインそのものではなく他に有ったのだろう。配線間違いとか、プレイヤー周辺、或いは真空管・コンデンサー不良、等々、そして何よりも部屋。

それにしても酷かった。

ドイツスピーカーが如何に優れたものかは日常聴いているつもりだから、その遥か上位機種のオイロダインがこのていたらくである筈が無い。いや、このような音で許される筈が無いと思ったが、これはオイロダインが悪いのではなくて、映画館の大空間に向けて、且つスクリーンの後ろに置いて鳴らすように出来ているスピーカーを書斎に持ち込むこと自体が間違いだと云うべきなのだろう。

ここで聴いたか細い音を完璧主義のドイツ人が母国の映画館で鳴らして、経営者も観客もそれで満足する筈はなかろうとも思った。

あの若かった頃、首尾よく入手出来ていたら僕のオーディオ人生は悲惨なものに変わっていたことだろう。

何時か本当のオイロダインの音を聴いてみたいが、何処で聴く事が出来るのか今のところ当てが無い。

一昔前FMファンという雑誌があった。その創刊号のグラビアに野口さんという方のオーディオルームが掲載されていたが、この人は桁違いな人でコンサートホール程の広さのオーディオルームに有名どころのスピーカーがごろごろしており、壁にオイロダインが嵌めこんであったと記憶している。もしかしたら此処で聴く事が出来るかもしれないと思うが、とっくに物故されたのでどうにもならない。

カタログでオイロダインには2m×2mという平面バッフルを指定しているがこのサイズはどう考えても「最低これだけ必要ですよ」ということであって、何に依らず無限大を理想とするのが平面バッフルならば、オイロダインのバッフルが2メートル四方で充分というものではないにまっている。

然るに、その最低限の寸法だって家庭に持ち込むにはかなりの無理がある事が容易に想像できる。バッフルを左右の隙間なくピッタリくっ付けて置いても横幅4メートル必要である。

勿論これでは何かと不便だから実際は最低でも5メートル必要になるし、天井高は通常2.3メートルと考えて、部屋に入れるだけなら何とかなるだろうが、これもぎりぎりでは何かと苦しいだろうから少し余裕を持たせるとして3メートルほどは必要になるだろう。そしてバッフルの後ろにも最低2mほどの空間が必要になるし、今度はスピーカーから何メートル離れたところで聴くかを考えなければならない。最低でも8mほど必要とすれば、部屋の縦方向は10メートル以上必要になるだろう。長手10メートル、横幅5メートル、天井高3メートルが、オイロダインの最低条件のバッフルを置くスペースとして必要という事になる。

そしてこれは最低条件だから此処までやったからといって満足に鳴ってくれる保証はないのである。

メーカーも発売元も売れるものなら売りたいから、家庭用として組み上げる最低限の規格を無理やり発表した事を恰も証明するように、某所の音は再度云うが酷い音だった。低音など出てこなかった。

オイロダインはドイツスピーカーの代表格だから、ドイツスピーカーは劃して、つまりこういう物を家庭に持ち込ませようとしたから評判を落とし、我が国で普及しなかったのではないかと思われる。これは実に残念なことだ。


シーメンスにはコアキシャルという25センチウーハーの同軸上に9センチツイーターを装備した小劇場用のスピーカーがあるがこれを1メートル四方の平面バッフルに付けたものも他所で聴いた事があるが、オイロダイン同様Tメートル四方のバッフルでは音にならないのだろう、これも酷いものだった。


カタログにはもう一つスタジオモニターの「オイロフォン」とかいうスピーカーも載っていた。

W460,H1050,D310、2WEY,7スピーカー、アンプ内蔵密閉箱。
中高音は口径の記載はないが8pほどの物を拡散方向を変えて4個、低域用も口径の記載はないが20センチ程のコーンスピーカーを3個、という構成である。


「透明な音質は苛酷なまでに音源の判断を可能にします」

とあるから、音という音は細大漏らさず再現しますよ、と云っているわけで、だからこそアンプ内蔵なのかと推察するが、

「高域、低域共3db、6ステップの調整が可能」とあるし、

「壁面に接近して使用できます」

とあるから、敢えて業務用のスピーカーを家庭に持ち込もうというなら、大空間を要しないスタジオモニターの此方の方が扱いやすいかもしれない。尤も今でも発売しているかどうかは知らないが、カタログに記載されているくらいだから日本の何処かに存在するものと思われるので、何方か探してみられては如何だろう。

ヴァイオリンを弾く友人T君はELACの何とかいうスピーカーを使っているが素晴らしいとべた誉めである。僕は聴いていないから何とも言えないが、ELACのSTS322というMMカートリッジを愛用しているので、同様の音造りであればべた誉めも当然かと推察する。ドイツの音造りにはイギリス、アメリカとはまた違った如何にもドイツらしい堅めの哲学の様なものを感じさせる。

WEに代表され、JBLやアルテックで一般化したアメリカスピーカーも僕らを魅了するに充分な魅力を持っているが、イギリスのタンノイやヴァイタボックスは音の品性に於いて遥かにアメリカ系を上回る。全てそうだという訳ではないが、概してアメリカ系のスピーカーはジャズ、ロック系の音楽に適しており、其れ程の品性を必要としないのは云ってみればお国柄かもしれない。

どうあれ、ドイツスピーカーの胸を張ったようながっちりした、且つ繊細な音造りの魅力が正しく紹介されていない事は、オーディオ大国日本として画竜点睛を欠くと云うべきだろう。

4、5年前、捨てられていたラジオから外したような、ボロボロのドイツスピーカーがネットオークションなどで出回ったが、こうした事を積み重ねた結果がドイツスピーカーの評判を落としてしまったのではあるまいか。

あの手の8pほどのスピーカーはおそらくラジオから外したものと推察され、もしそうなら所詮人の声さえ満足に聴く事が出来れば事足りるので、其れなりの性能にしか造られていないだろう。それを50円か100円か或いは1000円か知らないが塵の山から安く拾って来て、オーケストラを鳴らし「フィールドスピーカーで御座い。付いては20万円頂きます。此方は上等のテレフンケンなので100万円頂きます」、これでは評判が落ちるのも無理はない。

スピーカーで一番難しいのは箱だという事は今更めく話で、とうに皆様御承知の通りである。

ただ造るだけなら大工仕事でも出来るが、ユニットの実力を実力通りに鳴らす事はそう簡単に出来ることではない。

指定の寸法で造ったから音になるかといっても、まずまともな音になった例を僕は知らない。無論素人仕事でも偶然の大当たりが無いとは言えないが、エンクロージャーの自作ばかりは決してお勧めできるものではない。

尤も、どう造ったって、音は出るに決まっているので、願望から僕らはつい錯覚する、出来たてのほやほやの時は「なんて良い音だ」と思いたいのである。

そして、JBLやアルテックのユニットを使っているんだから良い音に決まっているというブランドに対する先入観がまた僕らの耳を錯覚させる。

回路図通りに組み上げれば一応回路図通りの音が出るアンプなどとはわけが違って(これだって部品配置や配線方法等で俄然音は違ってくるが)目に見えない空気の振動に関する計算と現実の音の間には大きなギャップがあるようだ。

だが逆の事もあるだろう、コーラルのスピーカーユニットだって、箱を旨く造れば素晴らしい音に仕上がるかもしれない。今も云った通り偶然の産物が成功をおさめないとは云えないから、つい期待するし箱造りに嵌るのである。

この事は自作エンクロージャーに限った事ではなく、他社製造の箱つまり指定寸法に依る本職の仕事だってユニットがまともな音を出した例を聴いた事が無い。
まして、他社独自の設計によるエンクロージャーをや、である。

タンノイ然り、JBL,アルテック然りオリジナルとの音質の差は歴然としている。

古くはヴァイタボックスのコーナーホーンに物凄い奴があった。大メーカーともあろうものがよくぞここまでやってくれたものだとほとほと愛想が尽きて、以来このメーカーの物は何によらず買った事が無い。こういう音造りを平気でやる音響メーカーを信用出来ないのである。指定寸法という触れ込みながら、どう造ったってここまで酷い音にはなるまいと思うが、それがちゃんとそうなっているのだから驚く。

件のラジオ用スピーカーも当然箱を作らねばならないが、素人仕事も本職仕事も含めてちゃんと音になった例があるんだろうか、甚だ疑わしい。

僕の知っている限りでは、自称スピーカーの専門家の造ったへんてこりんなバッフルなど随分杜撰でいい加減なものだった。言うまでもなく音は出ていたが音にはなっていなかった。

会社の大小を問わず、どういうものを造るかというメーカーのコンセプトは、要は経営の先見性に加えて教養とセンスとモラルを根本とする筈だから、これが無いメーカーは気楽なものである。何でも有りなのだ。要は「だからこのスピーカーは良いのですよ」という話を造ってしまえば良い。

僕らはだから自分の耳をしっかり信じて、良い悪いもさることながら、好きか嫌いかをしっかり耳で判断したら良いのだろう。JBLだから好きなのではなくて、眼をつぶって聞けば自分の好き嫌いは誰に教えてもらわずとも基よりはっきりしている筈だ。

その耳で是非ともちゃんと整備されたドイツスピーカーの音を聞いてみては如何だろう。

ただし、どうしてもオイロダインをというなら、閉館した映画館を買ってしまうのが早道だろうから相当の費用も必要になるに決まっている。だが、価値はあると思う。勇者の出現を期待して、是非とも聴かせて頂きたいものだ。
http://audio-file.jugem.jp/?eid=34


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/943.html#c4

[リバイバル3] シーメンス・コアキシャルスピーカー _ 超高性能で激安なんだけど使いこなせるかな? 中川隆
5. 中川隆[-11124] koaQ7Jey 2019年3月28日 18:14:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[894]

ドイツ系 VintageAudio
http://vintage-audio.jp/?cat=8

Q1: ドイツのヴィンテージスピーカーの特長は何ですか?

音の違いから言いますと、まず聴きやすい、聴き疲れしにくい音だと思います。
決してつまらない音では有りません。多くのスピーカーはかまぼこ型の特性になっており高域と低域を欲張っておりません。音楽や人の声などの核となる中域重視となっております。

構造の違いから言いますと、まず軽いコーン紙にて能率が高いユニットがほとんどです。

レスポンスが大変良く、真空管アンプとの相性も抜群です。またコーンの素材であります紙の質がダントツ的にすばらしいという事でしょう。タンノイなども古いユニットはドイツのコーン紙を使用しております。このコーン紙が最大の特徴です。 


Q2: 古いスピーカー達のコンディション、また使用していて壊れないですか?

エッジに関しましては年間にして100ペア以上のユニットを見て来ておりますが、アメリカや日本のユニットのようにエッジがボロボロという物は見たことが有りません。約40〜50年以上前の物ですが有っても故意によるものや縦方向の切れが殆どです。一部のユニットにはガスケットと一緒に外れて切れてしまった物、
Grundigなどはガスケットにスポンジが使われている物がありスポンジを貼り付けていた

接着剤と一緒に硬化してボロボロになっている物も見られます。いずれにしろ
エッジ素材そのものによる劣化ではりません。ウーハーの一部には布エッジも見られますがほとんがフィックスドエッジであり問題なく使用出来ており、よほどの事がなければこれからも問題ないでしょう。                                 
ボイスコイルの擦れに関しましては、やはり物によっては見られます。
保存状態が悪く、錆による物、ゴミが入ってしまった物などです。

ドイツのユニットはボイスコイルとマグネットとの隙間が非常に狭く出来ております。よってレスポンスの良いサウンドを奏でます。日本やアメリカのユニット達はアロワンスをみて広めにとっております。当時のドイツの基本的な技術力、精度の確実さを裏つけております。

Grundigに多く見られるセンターキャップにスポンジを使っている物はスポンジがボロボロになっている物がほとんで要注意でも有ります。ボロボロになっていたら取ってしまった方が安心です。                                         
また蝶ダンパーの物はボイスコイル擦れの物も布ダンパーに比べると多いようです。

音の良いとされている蝶ダンパーから布に変わった点からも布の方が長期間の安定
が望めるからだと思われます。一部の蝶ダンパーはネジの調整によりセンター位置を変える事が可能になっておりますので、簡単に直す事も出来ます。 
   
使用に関しましては、よほどの事がなければまず壊れないでしょう。
これからもずっと使えるスピーカーだと理解しております。        


Q3: 最近のAMPに繋げることは可能ですか?

まず,入力インピーダンスになりますが、ドイツのユニットは殆どが4〜6Ωとなっております。

最近のAMPには4Ω端子も付くようになって来ましたが、殆どのトランジスタアンプは4Ω以上であれば問題なく繋げる事が可能です。真空管AMPの場合も出力端子がついていれば問題ありませんが8Ωに繋げても大きな問題はなく、普通に聴く事が可能です。厳密に言うと動作位置が多少狂い、定格より多少パワーが入ります。                                        
スピーカーの最大入力パワーですが、ヴィンテージの物はユニット本体にて10W以下、システムにて25W以下の物が殆どでしょう。50W,100Wのアンプにて聴いていてユニットが壊れるかというと普通に使用している限りでは問題なく使用出来ます。通常、オーディオショップでの音量にて5W程のパワーを使用していると言われますので、自宅でしたら5Wも出せないでしょう。


Q4: どのようなAMPと相性が良いのですか?

真空管AMPかトランジスタなど使用するAMPにてサウンドは変わります。

基本的にはどのAMPでも十分な表現力にて楽しめるかと思いますが当方のシステムでの比較にて参照下さい。

真空管AMPはドイツのBraun EL84PP,2A3シングルを試聴室では使用しておりますが
やはり年代的にも実際に当時も真空管にて鳴らしていたことでしょうから相性は良いと思います。能率が良いので1WクラスのシングルECL82でも十分に鳴ってくれます。 
         
トランジスタはテクにクスのSU-V7を使用しておりますが、低域特性がやはり真空管AMPよりは良いので低音の出方がかなり違います。サイズの割には低域が出ますので
驚ろかれる事でしょう。サウンドも古臭くはあまり感じないでしょう。
http://vintage-audio.jp/?cat=8

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/943.html#c5

[リバイバル3] シーメンス・コアキシャルスピーカー _ 超高性能で激安なんだけど使いこなせるかな? 中川隆
6. 中川隆[-11123] koaQ7Jey 2019年3月28日 18:15:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[895]

フルレンジSPに戻った方!!!- したらば掲示板

393:ディラン 2008/12/23(火) 00:10:55HOST:FL1-122-130-196-27.kyt.mesh.ad.jp

ジークフリート様。RW−2様。独国のSPはワーグナーを聴くのには良いですか?
ALTEC好きのディランは修理から帰ってきた409Bにああこんな物だったと失望しております。
ALTECモニターに色付けして、もうこれ以上は要らん。と思っておりますがワーグナーをもっと重く、暗く又目覚めるような明るさが独国のSPで、もしやと思ってしまいます。
如何なものでしょうか?ワーグナーを最高の音で聞くシステムとは?


394:RW-2 2008/12/23(火) 01:00:32HOST:34.19.87.61.ap.yournet.ne.jp

「ワーグナー最高」と言ったらやっぱりシーメンスでしょう。
シーメンスのコアキシャル平面バッフル。or 3発のワイドアングル。
お金があったらオイロダインに止めを刺すのでしょうが、いずれにしても本領発揮にはそうとうな忍耐と技術がいるようでっせ。

拙者はアルテック/JBL(西海岸勢)と表現をまったく別にする東海岸勢のボザークを使ってますが、音は暗く地味ですが 重圧で陰影に富み、そのへんをまずまず良く鳴らしてくれています。


395:ジークフリート 2008/12/23(火) 09:29:35HOST:wb56proxy08.ezweb.ne.jp
ボザークてのは、英国人が米国に来て作ったんだそうですね。渋く穏やか〜に、しかも雄大に鳴るとこなんか好きダナ〜。(菅野沖彦が使ってるマッキントッシュのスピーカーなんかはボザークの協力で出来たそうな)

ウチのテレフンケンは、中高域に若干セピア色の艶?と言いましょうかテカリ?が乗ってきまして、この辺りがドイツらしさかナ?と思っておりますが、何せちっちゃいので重く暗い低音なんぞは全く無理で御座いまして・・・
ワーグナー聴くなら、金管が堂々と鳴って欲しいし、ドーンと来るところもちゃんと出てもらいたいし。古レンジ一発ですと雰囲気だけチョコっと聴くってなカンジになっちゃいますから・・・
五味先生なんかはワーグナー聴くためにオートグラフ買ったみたいなこと書いてたようにも思いますが・・・
ホーン好きなワタクシとしては、(聴いた範囲なら)バイタボックス191かバスビン辺りで聴きたいですね〜。
(アルテックA5なんかと並べて聴くと、たくましさを感じさせながらも、アルテックほど開放的でなく、響きも渋いように思います。)


7:V-LZ 2007/08/22(水) 19:25:53HOST:server12.janis.or.jp

シーメンスコアキシャルを1m四方のバッフルに取り付けて聴いておりましたが、カントリィー系統は非常に明るく爽快な音がして陽気な感じは充分でしたがすぐに飽きるようです。
気分の浮き浮きしたときのみ聴きたい音ではありますが常に聴きたい音ではありませんでした。
しかしこの作りはドイツ的というかドイツの車に相通ずる所があり感心しております。


232:ジークフリート 2008/08/03(日) 09:33:05HOST:wacc2s3.ezweb.ne.jp

ワーグナー聴くには力強いプレイヤーと低音ホーンのスピーカーなんかで聴くと圧倒的に、如何にもドイツてカンジがしますが、あんまり迫って来られると腰が引けちゃう。


396:ディラン 2008/12/23(火) 09:50:36HOST:FL1-122-130-196-27.kyt.mesh.ad.jp
RW−2様。ジークフリート様。有難うございます。
何か魔界に入りそうで怖いです。
フルトヴェングラー/ベルリンのロシア版(メロディア?)なんかを聴いていると極北の音に惹かれますね。


441:RW-2 2009/02/07(土) 12:15:04HOST:34.19.87.61.ap.yournet.ne.jp

平面バッフルもサブロク板を半分に切った物程度では小さすぎますね。
やってみると150×150くらいは必要だす。


442:もみじ饅頭@広島 2009/02/07(土) 14:51:46HOST:4.17.183.58.megaegg.ne.jp
 >>441 RW−2さんへ

 私の部屋は、洋室7畳程度の見事なうさぎ小屋なんです。
言われるとおり150×150程度のバッフルは必要でしょう、

 その昔、SIEMENS COAXIAL (たしか25センチだった?)というのがあって、後面開放箱に収納されていたとの記憶があります。この程度の箱ならば何とかなるかなーと思って図面をいろいろ物色してみます。


443:RW-2 2009/02/08(日) 01:03:22HOST:34.19.87.61.ap.yournet.ne.jp

関本で売ってたSIEMENS COAXIAL12”一発入り後面開放箱は100×80ぐらいじゃなかったですかね。

後面開放型にすると相対的には大きな平面バッフルと同じになりますのでバッフル面積は減らせますね。関本の箱は定在波防止のためなのか台形のような形状の後面開放型だったですね。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/11602/1186306900/

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/943.html#c6

[リバイバル3] シーメンス・コアキシャルスピーカー _ 超高性能で激安なんだけど使いこなせるかな? 中川隆
7. 中川隆[-11122] koaQ7Jey 2019年3月28日 18:16:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[896]

情熱のオーディオ シーメンス コアキシャル 3/7/2005  
http://mikami.a.la9.jp/audio/siemens_coax/siemens_coax.htm
http://mikami.a.la9.jp/audio/speaker.htm

名器 - ドイツの音

  名器 Siemens Coaxial  


これもまた名器の誉れ高いスピーカーユニットである。私もJBL、タンノイと共に10年以上メインの装置として使用した。2本を一組にして、フロント・ロードホーンのシステムで天井に近い高さに設置してその朗々とした響きを、特にチェロの音楽で愉しんでいた。現在の住居に引越しして手狭になり、JBLもタンノイも友人宅に嫁に出したが、このオリジナルのコアキシャルも残念なことに手放さざるを得なかった。


  コアキシャルの音ははっきりと記憶にあるが、この音は、厳選したコーン紙によって作り出されたものだと思う。つまりは、たくさんのコーン紙を漉いて、そのなかから、規格に合った優れたものを徹底選別して作られたものだろう。歩留まりは決してよくなかったはずだ。ドイツのマイスターが気合を込めて漉き上げ、それをまた別のマイスターが徹底厳選して作られたとしたら、この音は確かに納得できる。
 
  このほか、テレフンケンの楕円型も使用したが、ドイツのスピーカーの音は、とにかく厳格、精密である。人に媚びることなく、実直に音楽を演奏をありのままに表現する。アメリカ西海岸系の明るく乾いた音に比べると一種独特の暗さを感じる人もいるだろう、同じヨーロッパでもタンノイ系の音とも異なる。而してモニターの音であ。プロが録音の違いを厳密に聴きわけるためのものだ。きらびやかに装りたてた演奏も、稚拙であれば、その弱点を如実に暴露してしまうという怖いスピーカーでもある。再生周波数レンジは、狭いが、魅力的な独特の中低音をもっている。このスピーカーでなければダメだというマニアの気持ちは、よく理解できる。  

 
  周波数補正実験  

  マイクロホンで、このスピーカーの周波数特性を採り、21チャンネルのグラフィックス・イコライザーを使い、この特性どおりの補正を他のスピーカーにかけたところ、コアキシャルの音色にちかいものを体験した。逆にこのコアキシャルの周波数特性をグラフィックス・イコライザーで、フラットになるように補正をかけたところ、現代的なハイファイ志向の音にもなった。こまかく聴き込むと、音の彫りの深さはたしかにこのスピーカー独特のものを聴き取れるが、音色というものが、こうも周波数特性で変わるものだということを実感したことがある。
 
  私の装置のフルレンジ部門では、このコアキシャルの後継は、Lowtherが受け継ぐが、そのLowtherも後年WE755Aに道を譲った。    
http://mikami.a.la9.jp/audio/siemens_coax/siemens_coax.htm

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/943.html#c7

[リバイバル3] シーメンス・コアキシャルスピーカー _ 超高性能で激安なんだけど使いこなせるかな? 中川隆
8. 中川隆[-11121] koaQ7Jey 2019年3月28日 18:17:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[897]

ハヤシラボ オイロダインをベースにした5ウェイシステム
http://hayashilab.syuriken.jp/audio.htm
http://hayashilab.blog.shinobi.jp/Entry/1018/


ハヤシラボ シーメンス、コアキシャル 2006.6.25
http://hayashilab.syuriken.jp/aucoaxial01.htm


僕のオーディオライフで一番長く付き合っていたのがこのスピーカーです。何の変哲も無いコーンユニットを同軸に取り付けただけの、あまり冴えない外観のユニットです。

でも其の能力は素晴らしく、殆どの大型スピーカーが霞んで見えます。只周りの条件に、もの凄く正直な為、誤解されてもいる可哀想なスピーカーです。

早い話が、このユニットが鳴らなければ、アンプやプレーヤーを疑うべきです。このユニットに繋がれたアンプは殆どが馬脚を現します。普通のスピーカーでは、ばれないアンプの欠点(欠陥)を一瞬で見抜いてしまう、恐ろしい(素晴らしい)スピーカーです。

でも、所詮メーカー製。僅かの所でのコストダウンで、其の能力がスポイルされています。でも、ユーザーの愛情で何とでも成る所ですので安心です。

一番の欠点はネットワーク。ウーハーには何も入っていず、インピーダンスの上昇に任せているだけです。ツィーターも定数は其の侭で良いのですが使っているパーツが粗悪品です。

このパーツをもっと良品の物に替えましょう。ツィーターだけなのに、低域まで変わって来ます。

もう一つ、ウーハーにシリーズにコイルを入れるのです。勿論良質の空芯コイルが必用です。定数は0,5mH。其の音を聞いたら、もう絶対に外せ無く成ります(注1)。

フレームの強度不足も気に成っています。マグネットを直接支持する事で解決します。(写真はこちら。)

世の中では、アルニコマグネットの物が珍重されているようですが、僕の処で鳴き比べをした時は差が出ませんでした。古いユニットでアルニコですと減磁の恐れも有りますし、一考を要すると思います。骨董品では無いのですから、古い物を珍重しすぎる風潮に不安を感じます。まあ、其れを手に入れて本人は幸せなんですから、余計なお節介なのですけれど。(笑)

 

オイロダインを買っても、ネットワークもフレームにも手を加えずに其の侭で鳴らすより、其の金額(オイロダインの購入額)をアンププレーヤーに廻し、コアキシャルをきちっと鳴らした方が、数倍良質な音楽を手にする事が出来ます。

それに気付かずに、オイロダインを持っているだけの人の何と多い事か・・。所詮音楽を聞く為の道具に過ぎないのに。

何を持っているかに価値を見出しているうちは、良質な音楽を手に入れるには時間が掛かりそうです。

 

僕のオイロダインは、良くなる度に、バランス、音色がコアキシャルに似て来ます。オイロダインでコアキシャルの鳴り方を出そうとしているのかも知れません。


追記です。

注1、の件です。コイルを入れた方が良い結果が出るのには、アンプも考えないといけない事が判りました。

僕のアンプの様なノンNFアンプでしたら、良い結果が出るのですが、NFを多量に掛けてあるアンプは上手く行かないことが多いのです。

この辺も考慮に入れて実験して見て下さい。2011.5.12
http://hayashilab.syuriken.jp/aucoaxial01.htm


コアキシャルの全面パネル。鉄板を二枚張り合わせて作って有ります。

よくお客様に、此れは何の為についているの? と聞かれます。その時の僕の答えは、其れが無いとツィーターが落ちちゃうんですよー(笑)。

そうなんです。此処にツィーターは取り付けて有るのです。

冗談はさておいて、ツィーターの前の風車の様な部分は音響レンズ(拡散器)と思われます。ウーハーの10Wは十分高域が伸びていますが(LE8Tより伸びてます。)高域の指向性が強いのはフルレンジの宿命。其れの改善の為のツィーターと理解しています。

でも、過去に音響レンズを必要としたは経験は有りません。必要とするのはアンプに原因が有ります。オイロダインも、音響レンズは外した方がどれだけ喜んで鳴るかを知っている人は幸せです。音響レンズを付けたままのオイロダインを見るとかわいそうに成ってきます。

コアキシャルも同じで、全面パネルは音響的にNG。

具合が良い事にツィーターの取り付け面と、ウーハーの取り付け面は同一面。

全面パネルを外し、ツィーターを外し、バッフルにツィーター用の穴を開け、取り付ければ完成。

音響レンズが無くなった分、ツィーターの能率が上がりますから、ネットワークの調整が必要です。

生前の伊藤喜多男氏に、この事を話したら、『2ウェイか、いやな言葉だな。』って笑っていました。(オイロダインを使っているくせに、笑)

コアキシャルはあのデザインが好きなんだ。バラスなんてとんでもない。と考えている方に。

ユニットはバッフルの後ろに止めていますよね。もし前面でしたら、コアキシャルの設計者に笑われる(困った顔をする)かもしれません。あのユニットは後面に止めるように出来ています。でも前面に止めて売ってるよ。ですか? 其の業者は信用できませんね。(笑)

2006.9.4
http://hayashilab.syuriken.jp/aucoaxial02.htm


シーメンス、コアキシャルユニットを片ch3本使ったシステムにワイドアングルが有ります。僕もオイロダインを導入する迄は使っていました。さすがに3本の威力。スケール感はコアキシャル一発の比では有りません。暫らく満足して使っていましたが、ナンカ変?

スケール感は確かに有るのですが、全体に大味。コアキシャルの得意とする細かなニュアンスの表現が出て来ない。早い話が、大男、総身に知恵が廻らない。を地で行っています。

ナンデだろう?

原因は、思いつく物からドンドン対策をして行きました。バッフルを替えたり、フレーム(ワイドアングル用)を作り直したり・・・。其々効果が有りましたが、皆今一歩。

待てよ?3本のユニットはパラって有る。其れって良いのかなー?スピーカーはマイクと同じ構造。モーターと発電機の関係と同じ。

お互いにアンプからの信号で振動している。で、其の振動は隣のユニットのコーン紙を振動させる。すると隣のユニットは其の振動で発電してしまう。其の電気は・・・・・・・・・・・・・。

パラ接続ですから、其の電気は元のユニットに戻って来て、アンプからの信号と別な信号(隣のユニットの発電信号)で動作をしてしまう。

エーーーーーーーッ。まさかそんな・・・・・・・。

で、実験です。普通に音楽を聴いていて、同じ部屋の中に有る、スピーカーユニットの発電電圧ってどんな物なんだろう?

ワイドアングルをチョイ大き目の音量で鳴らしました。その時部屋の中にはマクソニックのDS405が有りました。(アルテック604−8Gと似ています。)

其のスピーカー端子からケーブルをミリバルまでひきました。

ミリバルの針の動きを見てビックリ。音量の大きい所では300〜500mVも振れるのです。ま、まさかー。何度もミリバルのセット具合を見直しましたが間違いは無し。表通りをバスが通過するとミリバルの針は又振れます。

此れだけの電圧が隣のユニットへ流れ込んで、悪さをするのです。

じゃあ、ひょっとして・・・・。3本のユニットのパラレルを外し、ユニット単独でアンプ迄配線。アンプの処で3本をパラッたら見違える様。

でも此れでは根本的な解決には成りません。

で、作りました。入力1系統。出力3系統のパワーアンプを。

入力信号は初段管へ入る。初段管の出力はトランスへ。トランス二次ホット側を3本に別け、3本のパワー管のグリッドへ。3本のパワー管は其々の出力トランスを経てスピーカーへ信号を送る。このアンプをモノラル構成でステレオ分作り早速の試聴。

此れがワイドアングルの実力なんですね。今迄の不満が完全に解決。

此れが出来て直ぐに伊藤喜多男氏の処へ行く用事が。

この話をしたら、先生一瞬悔しそうな顔を・・・・。パワー管は何を使ったかとか、電流はどれだけ流したとか色々聞かれました。先生、自分では人に聞かれると嫌がるくせに、と思いながらも、全部ネタをばらしてしまいました。先生の亡くなる3〜4ヶ月前の話です。

最後に。もし今ワイドアングルを使っているのでしたら、あのフレーム(数度ずつ首を振っているあのフレームです。)は誰かにあげちゃいましょう。同じサイズの単なるラワンベニヤで良いですから、普通の1枚板に交換しましょう。愛聴盤が増えますよ。

2006.9.11


この経験が無ければ、今の装置(ネットワークによるマルチアンプ。)は無かったと思います。今に成って思うに、ワイドアングルにシッカリと勉強をさせてもらったのです。感謝。
http://hayashilab.syuriken.jp/auwideangle01.htm

10数年前に作ったワイドアングル専用アンプが帰って来ました。で、持ち主にはナイショで写真撮影。(○△□さん有難う。)

別に故障では有りません。其のぐらいの年月で壊れる様な柔なアンプは作りません(笑)。

現在はワイドアングルではなく、他のスピーカーをマルチで鳴らすのに活躍しています。その辺の改造での一時帰還です。

殆ど(特に外観は)オリジナルを保っていますので、紹介します。

初段管はWE310。別に僕はウェスタン信者では有りません。パワー管のVT25に姿を合わせたかっただけです。5極管を其の侭使うと、百花繚乱に成り易いので、3結で使っています。其の右のトランスで受け、二次側から3本出して25のグリットへ。25の後ろに有るトランス3個はOUT。端の一個と整流管の左がチョーク。右奥の大きなトランスが電源です。

僕のアンプの電源は殆ど(最近は全て)がチョークインプットで作られています。贅沢な方法ですが、再生音を聞き比べてしまうとコンデンサーインプットには戻れません。

当時、このアンプを見た人は、説明をしないと何だか判らず首を捻っていました。

僕の周りの、ワイドアングルを愛用していた人達は、殆ど全員がこのアンプを使い出しましたから、このアンプの性能はご理解できると思います。

アンプの前面にスクリーン印刷で、店の名前を入れて気取っていました。

今は、HPを起こしても知らん振りをしているのですから、僕も少しは大人に成ったみたいです。

2006.12.5
http://hayashilab.syuriken.jp/auvt2503.htm

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/943.html#c8

[リバイバル3] 保険会社に騙されるな 中川隆
22. 中川隆[-11120] koaQ7Jey 2019年3月28日 18:26:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[898]

2019年03月28日
「いざという時」は民間医療保険より公的保険が大事


3か月入院の自己負担は平均約15万円、医療費を貸してくれる制度もある

「いざという時」はどんな時なのか

テレビのcmやネット広告を見ていると「いざという時」の安心のためと言って多くの保険商品が販売されています。

ところが保険は保険料を支払ってその一部を受け取るものなので、加入者全体としてみると、必ずお金が減る制度です。

こうした制度だと滅多にない事態のために少額を支払うのは良いが、高額保険に多く加入するほど損をしてしまう。



それに日本の医療保険はいざ病気になった時に、実際には支払われずに終わることが多い。

というのは多くの民間医療保険は社保や国保への加入を前提にしていて、公的保険で先に支払われます。

公的保険の医療費負担は3割で、10万円なら3万円が自己負担になり国が7割を支払っています。


言ってみれば社保国保という医療保険に国民全員が既に加入していて、大半の医療費はここから支払われています。

それでも高額な医療費がかかった時には3割でも支払えない場合がありそうです。

例えば治療費100万円なら自己負担30万円、1000万なら300万円になり、これが数年間続いたらどんな人でも支払えない。


だが公的保険には高額療養費制度があって年間医療費の上限が定められていて、年収400万円以下なら月額およそ5万円台となっています。

外来と入院はそれぞれ別に計算するので、例えば年収350万円の人は最大で月11万円が自己負担になります。

これではとても支払えないので一時的に医療費を貸し付ける、高額医療費貸付制度というのもあります。

民間医療保険で払ってくれる範囲

それに医療費以外にも交通費がかかり、バスや電車に乗れないならタクシー代、付き添いの人の交通費やホテル代もかかります。

これらを合計すると医療費は月5万円程度でも、支払金額は月10万円程度になる可能性があります。

民間医療保険で払ってくれるのは医療費そのものだけで、交通費やつきそいのホテル代などは特別な契約でない限り支払われません。


例えばガンで3ヶ月入院して合計15万円、その後通院しても自己負担は年間30万円、医療保険で支払われるのはこの30万円に対してです。

滅多にない年30万円の支出のための保険料は、月1万円としても30年間で360万円の支出になります。

30年間で360万円も医療費を自己負担する人は滅多にいないから、保険会社の経営は成り立っています。


公的保険が適用されない高度な医療では民間保険が必要ですが、そもそも公的保険が適用されない治療はほとんどなく、適用範囲で治療すれば良い。

差額ベッド代は高額ですが、本人が希望したのでない差額ベッドは、支払い義務がありません。

病院のほうから差額ベッドしか空いていないと言われた場合は、支払い同意書にサインしなければ払わなくて良いのです。


病院はこの制度の抜け穴として、同意書にサインさせて患者側が差額ベッドを希望したように書類を作るが、堂々と拒否すれば良いのです。

このように考えると民間医療保険で支払われる範囲は非常に狭く、最小限の金額で掛けておけば良いと思います。

年間30万円の医療費支払いも困難になった場合は、生活保護を申請して医療費を免除してもらった方が良いです。
http://www.thutmosev.com/archives/79412366.html#more
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/841.html#c22

[リバイバル3] シーメンス・コアキシャルスピーカー _ 超高性能で激安なんだけど使いこなせるかな? 中川隆
9. 中川隆[-11119] koaQ7Jey 2019年3月28日 18:31:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[899]

クラング・クンスト 音響レンズでコアキシャルスピーカーを作る
https://www.klang.jp/index.php?f=&ci=10137&i=10509

SIEMENS(シーメンス)の10インチコアキシャルスピーカー「鉄仮面」を分解した状態

https://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/105/10509_801.jpg


 そもそもこの音響レンズを作ろうと考えたのは、「鉄仮面」と呼ばれる SIEMENS(シーメンス)のコアキシャルスピーカーユニットを入手したからです。入手したときはすでに、めぼしいドイツ製フルレンジスピーカーをほとんど蒐集済みでした。「鉄仮面」は日本で多く販売されたものの、ドイツではあまり使われなかったために品薄で、コレクションの最後のほうになっていました。見た目が貧弱な「鉄仮面」にはあまり興味がなかったのですが、いざ聴いてみると感心させられました。なにを聴いても上品でまとまりが良く、少し物足りなさはあるものの、コーン型スピーカーにありがちな「音の暴れ」をほとんど感じませんでした。

 「ブルーフレーム」とか「レッドニップル」という愛称で有名な TELEFUNKEN(テレフンケン)の L6 や、KLANGFILM(クラングフィルム)の KL-L307 といった名機とされるフルレンジユニットは、「鉄仮面」よりもスケール感と聴き応えのある音を出しますが、常にコーン型スピーカーであるということを意識させられる癖のようなものを感じてしまいます。私もかつて ALTEC(アルテック)や GOODMAN(グッドマン)、LOWTHER(ローサー)といった米英のフルレンジユニットを使いましたが、同様な傾向があります。単純にツィーターを追加すれば高音は延びるものの、やかましさがあって「鉄仮面」のような音のまとまりは得られません。なにが「鉄仮面」の音を作っているのでしょうか?


TELEFUNKEN(テレフンケン)の10インチフルレンジL6とSIEMENSのツィーターによるコアキシャル

https://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/105/10509_802.jpg


 答えは音響レンズに決まっています。「鉄仮面」の由来である仮面のような鉄のカバーは、中央部分が2枚のプレスされた鉄板の重ね合わせになっていて、ツィーターの高音だけでなく、ウーファーとなるフルレンジユニット中央部分の音も拡散します。中心部分の音は障害物が無いのでそのまま出ますが、その周囲の音は曲げられて通り道が長くなるので遅れ、ちょうど凹レンズのようになります。実際に音響レンズを作って取り付けてみるとみると、コアキシャルにしなくても L6 や KL-L307 のようなフルレンジスピーカーからまとまりの良い音が出ました。そして、コアキシャルにしたばあいは、もっと大きな効果が期待できます。


L6でホワイトノイズ再生時の音圧の周波数分布(後面開放箱に取り付けて軸上1メートルで測定)

https://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/105/10509_805.jpg

 上のグラフはL6の周波数特性で、測定に用いた箱が小さいために100 Hz以下の低音が減衰しています。高音はグラフの左端から2番目にある中心周波数が16 kHzの棒まで十分なレスポンスがあって立派な特性ですので、測定と同じ軸上の至近距離で聴けば、十分な高音どころか少し過剰に感じるほどです。しかし、軸上から外れると高音は減衰してしまうので、広い立体角の平均では高音は不足しています。ですから、広い部屋で徐々に離れていけば、ちょうどバランスが取れるリスニング位置があるはずですが、日本の住宅事情では無理なばあいが多いと思います。

 そのためか、「フルレンジにツィーターを追加して2ウェイにしても、うまくいかない」という話をよく耳にします。2〜3メートルくらいの近距離で聴くと、ただでさえ過剰な軸上の高音が、ツィーターでさらにやかましくなってしまうケースが多いようです。ヴィンテージのばあい、フルレンジの高音をカットせず、コンデンサーでツィーターの低音をカットするだけの2ウェイ化が多いので、両方の高音が重畳してしまってなおさらです。

 そういうときこそ音響レンズです。同軸にしないばあいでも効果があり、やかましいからと音響レンズをご購入された方から、「実験の結果ツィーターはそのままでフルレンジのほうに音響レンズを付けて成功した」といいうご報告をいただいたこともあります。普通はツィーターに音響レンズを取り付けようとしますが、フルレンジの高音に問題がある場合が多く、そんなときは逆のパターンが有効です。

 コアキシャルでは音響レンズ1個で両方のユニットの音が拡散できるだけでなく、音が融け合って一つのユニットのようになるという効果もあるのでとても有利です。フルレンジに音響レンズを取り付け、ツィーターを天井に向けるというのも良い方法で、デッカのデコラやテレフンケンの O 85 モニターに似た雰囲気のステレオ感が味わえます。ツィーターの数を増やすと、より近い雰囲気になります。


SIEMENS(シーメンス)のツィーターの裏面処理とスペーサー用コルク製ガスケット


https://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/105/10509_804.jpg


 音響レンズでコアキシャルを作るには、上の写真のようにツィーターを中央で支えるための板を用います。写真では黒い鉄板製ですが、5.5〜12ミリくらいの合板(ベニヤ板)でも良いと思います。注意点は、ウーファーとなるフルレンジユニットのコーン紙の正面に来る支持棒をあまり太くしないことです(3センチ以内にしましょう)。写真の板は外形も円ですが、四角でも問題ありません。板に2つのユニットと音響レンズを取り付ければ、コアキシャルの出来あがりです。

 シングルコーンフルレンジとちがって、コアキシャルには複雑な分だけ音をチューニングする要素がたくさんあることも楽しみです。上の写真はツィーターを板に取り付けた状態の裏側です。SIEMENSのアルニコ磁石のツィーターを使っていて、その裏側にフェルトを貼り付けてあります。SIEMENSのコアキシャルにも同様な吸音処理がしてあり、上質な音にするための秘訣といえます。

 周囲のコルク製ガスケットは、ツィーターのお尻がL6のコーン紙にぶつからないようにするためのスペーサーです。このようにツィーター支持板にはある程度の厚みが必要なので、写真のような鉄板ではなく、ベニヤ板で十分です。ユニットはいろいろとあるので共通化できず、鉄板で2枚だけ作るとCAD入力などで高額になってしまうので、ベニヤ板で作れば良かったと反省しています。多少雑に作っても、板が音響レンズに隠れてしまうので気になりません。


L6で作ったコアキシャルを音響レンズ正面の斜め下から見た様子

https://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/105/10509_803.jpg


 音響レンズは高音を広い角度に拡散させるだけで、量を減らしてしまうわけではありません。ですから、反射音の比重が大きい離れたリスニング位置では、音響レンズなしに比べてそれほど高音は減少しません。つまり、スピーカーからの距離や角度による高音のバランスの変化が小さくなるので、より自由なリスニングポジションで良い音を楽しむことができます。

 音響レンズを使えば好きなユニットを組み合わせて自分だけの「鉄仮面」を作ることができます。フェライト磁石の10W(「鉄仮面のウーファー」)よりも強力なL6やKL-L307、あるいはフィールド型フルレンジなどとヴィンテージツィーターを組み合わせて、SIEMENSのオリジナル以上のコアキシャルが作れます。今回作った「L6版鉄仮面」は、貸し出し中でなければ試聴可能です。私の耳にはSIEMENSの「鉄仮面」よりも中低音が充実しているように聴こえて物足りなさを感じませんし、シングルコーンフルレンジが苦手とするクラッシックのソプラノも楽しめます。
https://www.klang.jp/index.php?f=&ci=10137&i=10509



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クラング・クンスト 【第2話】ドイツの同軸スピーカー「御三家」 2010年2月20日
https://www.klang.jp/index.php?f=&ci=10139&i=10211


 同軸スピーカーといえば、TANNOY の モニター・シリーズや ALTEC の 604 シリーズが有名ですが、「ドイツにも優れた同軸スピーカーがあります」といえば、「ああ、SIEMENS のコアキシャルことだろう」という程度の反応が多いようです。でも、凝ったメカの王国であるドイツに、優れた同軸スピーカーが無いはずがありません。なぜか、この年明けから不思議なくらい、ドイツから同軸スピーカーのオファーがあって、いろいろなユニットを吟味する機会がありました。そこで、それらも含めたドイツ製の同軸ユニットのうちで、わたしが代表的と思う3本をご紹介することにしました。


左からシュルツ、ジーメンス、イゾーフォンの同軸12インチ

https://www.klang.jp/s/file/0000/000/000/102/10211_801.jpg


 さて、そのドイツの同軸スピーカー「御三家」とは、SCHULZ(シュルツ)、SIEMENS(ジーメンス)、そして ISOPHON(イゾーフォン)のことです。クリーム色のフェルトと保護用の金網でコーンがカバーされて見えない SCHULZ と、皮エッジに3本のアームで支えられた大きなツィーターの SIEMENS が極めて個性的な外見なのに比べると、ISOPHON は少し地味に見えますね。残念ながら ISOPHON 以外は数が少ないユニットで、入手は容易ではありません。


シュルツの後側(カバーを外したところ)

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 御三家の筆頭といえば、やはり SCHULZ になるでしょう。SCHULZ は戦中に帝国放送協会などが開発した世界初のステレオ・テープレコーダーとともに用いられた、Eckmiller の12インチ同軸ユニット O15 にまで遡る、ドイツの同軸スピーカーとして、最も深い歴史のあるユニットです。戦後になって東ドイツの SCHULZ に受け継がれて、O16、O17、O18と作り続けられ、シャルプラッテンのレコーディング・スタジオや、放送局でモニターとして使われました。ツィーターはアルミドームで、柔かい普通のアルミ材をプレス成形ではなく、ヘラで加工したように見えます。ウーハーのエッジは発砲ネオプレンゴムで、密閉箱や大型のバスレフが適しています。現代の基準でも十分にワイドレンジで、とても古いユニットとは思えません。能率が低いのが欠点ですが、極めて分析的な音でありながら耳にやさしいのは不思議です。ステレオの臨場感が素晴らしいのは、いうまでもありません。


ジーメンスの後側

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 つぎは SIEMENS ですが、俗に鉄仮面などと呼ばれる有名な(10インチの)コアキシャルではなく、12インチの同軸で、鉄仮面とは比較にならないほど本格的な作りのユニットです。能率は見た目ほど高くなく、皮のフリーエッジで延長された低音に対し、高域はアルミコーンなのに SCHULZ のようには伸びていません。そのせいかコアキシャルとしては重心が低くくて暖かい音色で、SIEMENS のユニットによくある硬さは感じません。入手は3つのなかで最も困難です。


イゾーフォンの後側

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 最後は ISOPHON で、複数モデルの同軸ユニットを製造しましたが、なんといっても有名なのはオーケストラです。このオーケストラ同軸ユニットは、テレフンケンのスタジオ・モニターとして多用されました。ご紹介するのは初期のもので、よく見かける後期のものとは異なっています。磁気回路の塗装が後期の黒に対して鮮やかな青であること、大きなマッチングトランスがあること、そして、ツィーターの背面に吸音処理のための大きめなカバーがあることが主なちがいです。地味な外見に反して明るく爽やかな音色なうえ、能率も3つのなかで一番高いので、3極管シングル・アンプ愛好家に重宝されているのも納得できます。
https://www.klang.jp/index.php?f=&ci=10139&i=10211


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/943.html#c9

[近代史02] 原爆投下が日本を救った_ ユダヤ人とトルーマンと昭和天皇に感謝 中川隆
39. 中川隆[-11118] koaQ7Jey 2019年3月28日 19:38:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[900]
2019.03.28
米下院の委員会がサウジへの機微の核技術を提供した疑いで新たなトランプ攻撃

下院監視・政府改革委員会

 ドナルド・トランプ米大統領を「ロシアゲート」で排除するという目論見の破綻は2月27日にアメリカ下院の監視・政府改革委員会におけるマイケル・コーエンの証言で決定的になった。本ブログでも書いたように、彼はトランプとロシアとのスキャンダルと言えるようなものは含まれていなかったのである。

 このロシアゲートとは2016年のアメリカ大統領選挙にロシア政府が介入したとする話で、ロバート・マラーが特別検察官に任命されて捜査が進んでいた。

 この「疑惑」に対する疑問は当初から指摘され、もしこれが事実ならすべての通信を傍受、記録しているNSAからその傍受記録を取り寄せるだけで決着が付く。つまり特別検察官を任命する必要はない。特別検察官が必要だったということは、でっち上げだろうと考える人は少なくなかった。

 アメリカでは別件で起訴し、司法取引で偽証させるという手法が使われている。ロシアゲートでもそうするしかなかったはず。そのターゲットのひとりがコーエンだったのだが、そのコーエンが司法省/FBIの望む偽証をせず、ウィリアム・バー司法長官へ提出されたマラーの報告書は疑惑を裏づける証拠を見つけられなかったと書かざるをえなかったのだろう。

サウジの核兵器開発話

 コーエンが証言した監視・政府改革委員会はやはり2月に機微な核技術をサウジアラビアへ渡す動きがあるとする​報告書​を公表した。内部告発者の話だとされている。

 それから間もない3月8日、イラクにおけるアメリカ軍の実態を明らかにした内部告発者のブラドレー・マニング(現在はチェルシー・マニングと名乗っている)特技兵が再び収監された。アメリカの司法システムはウィキリークスに対する弾圧を正当化する証言をマニングにさせようとしたのだが、それを拒否したからだ。

 アメリカでは同じ戦闘集団でも状況に応じ、「自由の戦士」や「テロリスト」というようにタグを付け替える。「内部告発者」というタグの使い方も似たようなものだ。

 ところで「機微な核技術」の問題だが、これはありえる。3年前の大統領選挙でトランプへ多額の寄付をしたカジノ経営者の​シェルドン・アデルソンは2013年にイランを核兵器で攻撃すべきだと主張​しているのだ。

 アデルソンはアメリカのラスベガス(ネバダ州)、ベスレヘム(ペンシルベニア州)、マカオ(中国)、マリナ湾(シンガポール)でカジノを経営、日本でもカジノを経営しようと計画している。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と近い関係にある。アデルソンが来日した3カ月ごにネタニヤフも日本を訪れているが、その際、​日本政府高官に対し、アデルソンへカジノのライセンスを速やかに出すよう求めた​という。これはイスラエルのハーレツ紙が2015年2月5日付け紙面で伝えたのだが、この記事はすぐに削除された。

日本の核兵器開発

 トランプの周辺にはイランを核攻撃するべきだと考えている人物がいるということだが、アメリカ支配層というように考えても核兵器の拡散には積極的な勢力が存在することがわかる。

 例えば、NHKが2010年10月に放送した「“核”を求めた日本」によると、1965年に訪米した佐藤栄作首相はリンドン・ジョンソン米大統領に対し、「個人的には中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきだと考える」と伝え、その後も核兵器の開発を進めた可能性が高い。

 リチャード・ニクソン政権の時代、大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャーは彼のスタッフに対し、日本もイスラエルと同じように核武装するべきだと語っていたとも言われている。(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” Random House, 1991)

 また、​ジャーナリストのジョセフ・トレントによると​、東京電力の福島第1原発が過酷事故を起こした2011年当時、日本には約70トンの兵器級プルトニウムがあったという。核兵器開発がそこまで達していたというのだが、その背景にはアメリカ側の事情があったとトレントは説明している。

 ロナルド・レーガン時代のアメリカでは増殖炉計画がスタート、1980年から87年にかけての期間にエネルギー省は160億ドルを投入したというが、87年に議会はこの計画への予算を打ち切られてしまう。

 そこで目をつけられたのが日本の電力業界で、共同研究という形で研究資金の大部分を負担させ、その代償として核関連の技術を格安の値段で売り渡しすことにしたという。そして高性能プルトニウム分離装置がサバンナ・リバー・サイトからRETFへ移転されたのである。

イスラエルの核兵器開発

 アメリカの支配層から核兵器の開発を支援された国で忘れてならないのはイスラエル。1986年10月にサンデー・タイムズ紙が掲載したモルデカイ・バヌヌの内部告発によると、イスラエルが保有している核弾頭の数は150から200発。水素爆弾をすでに保有、中性子爆弾の製造も始めていたという。中性子爆弾は実戦で使う準備ができていたとしていた。

 そのほかイツァク・シャミール首相の特別情報顧問を務めたアリ・ベンメナシェによると、1981年に時点でイスラエルがサイロの中に保有していた原爆の数は300発以上で、水爆の実験にも成功していた。(Seymour M. Hersh, "The Samson Option", Faber and Faber, 1991)またジミー・カーター元米大統領はイスラエルが保有する核兵器の数を150発だとしている。(BBC, May 26, 2008)

 イスラエルの核兵器開発は欧米の富豪、例えばアメリカのエイブ・フェインバーグやフランスのエドムンド・ド・ロスチャイルドたちの支援を受けていた。フェインバーグはダビッド・ベングリオンから信頼されていた人物で、ハリー・トルーマンやリンドン・ジョンソンのスポンサーとしても知られている。フランス政府も1949年から協力、1950年代の半ばに開発は本格化し、24メガワットの原子炉をフランスから手に入れた。

 こうしたイスラエルの核兵器開発にジョン・F・ケネディ大統領が厳しい姿勢で臨んだことは有名だが、ほかにも批判的な人は少なくなかった。そこで核兵器の開発に必要な核物質を密輸している。そうした工作で重要な役割を果たした会社のひとつが1957年に設立されたNUMEC。

 1960年頃になると、ウェスチングハウスやアメリカ海軍から同社へ持ち込まれた濃縮ウランのうち90キログラム以上が行方不明になっていることが発覚、「紛失核物質」の総量は178キログラムから270キログラムに達するとも言われている。

 フェインバーグをスポンサーとするジョンソンはイスラエルの核兵器開発に甘く、NUMECの事件も闇に葬り去られたかに思えたが、1977年にカール・ダケット元CIA副長官が暴露してしまう。

 イスラエルは重要な核物質の供給源を失ったのだが、西ドイツの化学会社をダミーに使うなどして1968年にはソシエテ・ジェネラル・ド・ベルジックから200トンの酸化ウラニウムを購入している。

 こうした工作以上に重要なルートが南アフリカ。イスラエルはウラニウムを入手するかわりに核技術や兵器を提供していた。1976年にはイスラエルのテルアビブに南アフリカ大使館が開設され、南アフリカのジョン・フォルスター首相がイスラエルを訪問している。

 しかし、両国の関係は1980年代後半から冷却、そこでイスラエルはペルーに目をつける。目的の物質はセンデロ・ルミノソ(輝く道)の支配地域にあったが、指導者のアビマエル・グスマン・レイノソはドイツ系ユダヤ人の父親とインディオのメイドとの間に生まれた人物で、交渉は順調に進み、取り引きは成立した。なお、グスマンは1992年に逮捕されている。

 イスラエルにおける核兵器開発の中心、ネゲブ砂漠にある原子力研究センターで1990年代の初めに大規模な事故があったと噂されている。内部の様子は不明だが、外部からは炎が見えたというのだ。

 この施設は1990年から94年頃まで閉鎖されたが、公的な説明はアメリカ政府からの圧力だったとされている。バヌヌの内部告発が影響したとも考えられるが、もし事故の影響だったなら、核兵器の生産が困難になっている可能性がある。そうなると、どこかで核弾頭に使うプルトニウムやウラニウムを製造しなけらばならないだろう。

イランへの核攻撃

 イスラエルがイランを核攻撃した場合、イスラム世界だけでなく世界中の批判がイスラエルへ向く。アメリカが実行する場合はロシアとの核戦争を覚悟する必要がある。サウジアラビアならイランと戦争になって両国が破壊されてもアメリカやイスラエルはダメージが少ない。破壊された後にエネルギー資源を支配することも可能だ。ということで、サウジアラビアを核武装させる可能性は小さくない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201903280000/

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html#c39

[番外地7] 中川隆投稿集 中川隆
3. 2019年3月28日 20:32:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[901]
高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html

http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/319.html#c3
[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
1. 中川隆[-11117] koaQ7Jey 2019年3月28日 20:36:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[902]

我が、蹉跌のオーディオファイル#01.現装置にたどり着くまで
http://audio-file.jugem.jp/?eid=27


終戦直後、まだ音楽など聴く余裕は我々国民には無かったが、当時レコードといえばSP、若い諸君にはピンと来ないかもしれないが、78回転でぶんぶん回るレコード盤に竹や鉄の針で音を拾い、ザーザーいう雑音の中から音楽を聴き分ける。超アナログの世界しかなかった。

片面の演奏時間はせいぜい5分だから、頻繁に裏返したりレコードを換えたり、とてもじゃないが落ち着いて音楽を聴いては居られないのだが、この時代にはこれしかないのだから、それを特に不便とも煩わしいとも思わず、音楽鑑賞の妨げになるものは何も感じなかった。適応とはそういうもので、より便利なものを知りさえしなければかなりラフな 環境にも人間はちゃんと順応するように出来ている。

アマゾンやボルネオの密林深く住み着いた人々を不幸と思うのは文明(と云っても多寡が知れているが)の中に居る我々 の思い上がりと勘違いでしかない。

我家にも数枚のSPと電蓄があった。

ワインガルトナー指揮する第9もその中にあり、8枚組だから第9一曲聴き終わるまでに16回立ったり座ったりしなければならなかった。
だから滅多に聴くことはなく、その分聴いたときの感動は何時も新鮮だった事を覚えている。

その後 SP から LP時代に移行した
レコードは一気にステレオの世界に突入した。

巷ではコンソール型ステレオが発売され、やがてコンポーネントステレオで自由に機器を組み合わせることが出来るよう になった頃から今迄は極限られた少数の音キチという奇妙な人種が次第に一般化し始め、互いの持ち物に羨望の眼差しを向け合い、電機メーカーと提灯持ちのオー ディオ評論家達の巧みな話術に乗せられ、悲惨な出費をする者が多発した。僕がこの人たちに担がれてこの世界に巻き込まれたのは昭和48年だった。

オーディオ評論家を信用しなくなったのは彼らが異口同音に誉めちぎる JBL のがさつな音に起因するが、それはさておき、その1年後にはVITAVOX(ヴァイタヴォック ス)CN191、Machintosh(マッキントッシュ)C-22、MC-275、MARANTZ(マランツ)10B,TEACのオープンデッキに換わった。

昼はレストランで御飯だけ頼み、塩をかけて食べた。

やがてマッキンのブワブワした音が気になり始め、色々物色したけれども、これといったものに当たらず、ものは試に本郷の小さな新藤ラボラトリーに飛び込んで実情を話すと、答えは明快で、C-22 と MC-275はそういう音なのだと云う。

VITAVOX CN191もオリジナルその儘では低音がぶわつく傾向がある。

「だからお前は悩むべくして悩んでおるのだ。お気のどくなことだ」だと。

そう云うかい。ならば買おうじゃないか。ということになってこの新藤ラボラトリーの アンプを買った。

それにプレイヤー装置は Garrard(ガラード) 301とOrtofon(オルトフォン)RMG309と SPU-A。

ご飯が小盛りになった。それから35年このシステムを持ち続けた。

このシステムで鳴らすレコードの音は一つの完成をみている事は確かで、大概何処の音を聴いても羨ましいと思ったことは無かった。

この35年の間に、オーディオ界はデジタル時代に突入していて今やレコードなどはすっかりCDに駆逐された。しかし断言してもよいが、その現在にあってまだ、CDの音はレコードの音に遠く及ばない。

我家にあったSPの第九をCD化したものがあったので過日買い求めたが、雑音だらけのSPの方が 遥かに音楽的なのに吃驚したことがある。それ以来CDはずっと敬遠してきた。
http://audio-file.jugem.jp/?month=201007


40年前、オーディオの世界ではJBLが半ば神話の世界に入っていた。

そしてマランツとマッキントッシュ。

オーディオファンの間ではこれらでなければ世も日も明けない一時代があった。アルテックも、JBLと並ぶ大ブランドだった。

一度ブランド品として名が売れて仕舞うと後は楽チンで、一定期間は黙っていても売れてゆく。音楽などは二の次で「何を聴くか」よりも「何で聴いているか」が一義的な問題であったようだ。

VANジャケットが自分に似合うか否かは二の次であったように

「何で聴いてるんですか」

と聴かれて

「JBLです」

と小鼻を膨らませて答えなければ格好にならなった。加えて

「アンプはマッキンです」、

「私はマランツです」

と答える事が出来れば大得意の満点であったのである。そう、マークレビンソンという腐れアンプもあったが、今日では「LINNです」と答えねばならんのだろうか。
今、「JBLです」と答えるマニアは随分減ったのかもしれない。でも換わりに「LINNです」と答えなければならないのなら心理的レベルは進歩していない事になる。どうあれ、カリスマ的な目玉商品を人々に印象付ける事が出来れば流行を造る事が出来る。

2007年以来、LINNはネットオーディオを引っ張ってきたというから、ならば日本の業者や提灯持ちの評論家がカリスマに祭り上げたということかもしれない。そのこと自体ちっとも悪い事ではないし、ネットオーディオも面白いから寧ろ歓迎すべきだが、アンプ一個が数百万円、プレイヤーも数百万円。何から何までLINNで揃えたら軽く1000万円を超えるという事になると、ウェスタン並みのバカバカしさである。

35年前、僕はぷっつりオーディオ雑誌を読まなくなった。

参考にならないからであったが、余りに過激な人達が登場して、全員揃ってパイプを咥えている姿が気持ち悪くて見るのが嫌になったのである。
表現が違っていても云う事が全員同じであるところも気に食わなかった。一人が誉めると全員が誉め、貶すと全員が貶す。そいう事なら評論家など一人で充分だったと思うが、当時はこの仕事が金になったのかゴロゴロいた。

一人の評論家がJBLを誉めると数人の評論家が異口同音に誉めちぎり、其れを読んだ読者が揃って JBLを求める。僕も私もJBLという構図が簡単に出来上がる。斯く云う僕だって僅か半年の間だったとはいえ、一度はJBLを手にした事がある。

今年の7月になって、僕は35年ぶりにオーディオ雑誌を読んだ。評論家のメンバーはすっかり代って往年のパイプオジサン達は一人も登場して来ない。代って彼らの子供か孫くらいの年齢と思しき若者達が評論家として登場している。

それにしても、昔も今も評論と云うのは何故あんなに表現が難しいのだろう。まどろっこしいと云うか、解読には随分な苦労を強いられる。うっかりすると結局何を言っているのか解らない事もある。権威付けでもしたいのなら阿呆な話だ。
http://audio-file.jugem.jp/?eid=27

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c1

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
2. 中川隆[-11116] koaQ7Jey 2019年3月28日 20:37:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[903]

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/03(月) 07:00:15.93 ID:8cT11jic

オーディオ機器の20〜20KHzの可聴域を勘違いし、音楽は、20Hz〜20KHzまでの音がまんべんなく再生されると思っている人が多い。
人間が扱う音楽や楽器は、

オペラのソプラノで6オクターブの最高高域では2.8KHz
ピアノで27.5Hz〜4.2KHz
シンバルで10KHzが最高高域

でオーディオ装置は倍音などを考慮しなければ12〜13KHzのフルレンジで超低域を除いて問題ない範囲での周波数でしかない。

2WAYや3WAYは超高域も再生できるが、実際は6KHzくらいからの高域の量を
可変増量して、あたかも楽器などの超高域が出てると感じるだけに過ぎない。
TVの垂直発信の15.75KHz(キーンという)音がほとんどの人には聴こえないのだから。


58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/06(木) 11:15:12.67 ID:TNLByYFY

適切なステレオ感を得られる適切な聴取距離というものがある

口径cm×10

というもので、例えば20cmなら2mの距離が適切というものである
2mで2wayだとユニット上端から下端の距離で考えてウーファは13cm程度、1.5mだと15cmで10cm程度になる

10cmだと流石に2wayは無意味になってくるので、聴取距離2m以下ならフルレンジを選ぶべきだろう


113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/11(火) 22:07:10.01 ID:bKEZ4kRW

音声帯域から上を再生するだけならスピーカーは小さく作れる。
ただ低音を再生するには大きくするしかない。


120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/16(日) 00:12:46.02 ID:4r9vWEJo

でかくしても有利なのは低音再生のみなんだが、、、
後は全て理論的に悪い方向にしかいかんよ。


133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/16(日) 11:34:11.96 ID:4r9vWEJo

大型にして有利なのは低音だけだから、

低音域だけ大型にして、中高域は、小型の別箱のシステムとかならまだお話は、わかるが、

昔ながらのJBLみたいな大型システムは、余程広い部屋で遠くから聞かないと、定位感は最悪だよ。

ツイーターとか、スコーカーがでかいバッフルについている奴は、最悪なんだよ。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/pav/1308134449/


215 名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2010/05/13 22:24:15

JBL のスピーカーって日本専用だったんですか、知らなかった。
日本で最も購買力のある団塊世代向けの音だったんですな。


216 名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2010/05/13 22:57:30

でかいバッフルスピーカーを壁ペタで使う団塊www


389 名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2010/05/25 19:20:05

むかしは6畳和室に馬鹿でかいSP入れて格闘するマニアの姿を評論家は

美しい、これぞオーディオ道だ、

と持ち上げ


金とやる気さえあれば設置環境など関係ない、調整次第で何とかなる


と推奨してた

売れまくったJBLの43シリーズは評論家の煽りのおかげ
導入するにふさわしい環境あった人は一握りでしょ
評論家が腐ってたのはむかしからなのね


138 名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2010/05/04 18:48:54

今の完全日本向けの家庭用スピーカーに「xxモニター」とかまだやってるのが
オモロイ。

そんなに日本人はモニタースピーカーが好きなのか不思議。
高級機種にはあえて日本人受けするホーンが「これでもか!」とばかりに
付いている。モニターとホーンがこんなに売れる国って日本以外にあるの?


953 名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2010/07/18 18:35:41

スタジオでプロが使ってなくても製品筐体に「モニター」とか「プロ」とか書いてると購入しまくる奴がいるのも事実。

スタジオでプロが使っているから「良い」と思って購入しまくる奴がいるのも事実。

そういう人を知っているが、リスニング環境は大体6畳和室。


155 名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2010/05/08 17:03:45
>138
プロの現場では使われてないのに筐体に「PROFESSIONAL」とか書いてる機器を見ると買いあさる人物も結構いるからね。


156 名無しさん@お腹いっぱい。[sega] 投稿日:2010/05/08 18:58:58
>138
日本人は馬鹿、ブランドとか呼び名にめちゃ弱い。


188 名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2010/05/10 23:23:54

バカ団塊を騙すにはでかい箱がいい。
耳ツンボだし、しかもバカ


318 名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2010/05/19 05:46:08

小さい箱に大型ウーファー入れたら量は出るが質が劇的に悪くなるというのを証明したのが43系モニター。だからプロは他に流れた。

ドスンドスンという懐かしい重低音なんてのも流行ったな。
今のSPは軽い低音ばかりなので希少価値はあるかも?
http://desktop2ch.info/pav/1271554664/

40Hz 以下の低音は聞こえない方がいい


954 名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2013/02/27 23:59:08  ID:WEYSA22W(2)

狭い部屋なのにデカイウーファー導入してしまった際、あのボワボワを聴いて

「こりゃ違う参った(>_>885
記事になるときは遠慮してるけど講演会だと 2、3%もないになりますよ。
SSだと全部合格です。


887: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/08/24(月) 19:48:29 ID:13xIkpFt

演奏家訪問で部屋の広さとスピーカーでマトモに鳴ってるか想像つくよね。
まあ、お金持ちが多いんだろうけどステサンはインテリの宗教だね。
http://2bangai.net/read/05ba12b399b8ea350fcbbec294a7977277fe6b10e0014ef46534d16d3dc2af87/all






http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c2

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
3. 中川隆[-11115] koaQ7Jey 2019年3月28日 20:51:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[904]

ジャズを聴くのでも JBL のモニタースピーカーよりはパルメコの方が遥かに上

ロンドンウェスタン直系BBC放送局用パルメコ・スピーカー


生演奏みたいなジャズ PARMEKO (パルメコ)LS/1で聴く - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=hTw4Q4KA2EY

PARMEKO (パルメコ)LS/1 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=PARMEKO++LS%2F1&sp=mAEB



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オレのガマンもこれまでだ「身の丈再生音って、ナニ?」の巻

オーディオシステムの再生音は使用する人の可聴帯域に則ったものであるべきだと、気付かせてくれたのは友人のお店で聴いたパルメコのスピーカーでした。 

1950年代に英国BBCの検聴用として用いられたもので、その再生音は全帯域に亘ってフラットでありながら、その音の内側に入れば信号に含まれたあらゆる音を聴き分けることが出来るのです。 その音を、全て聴き分ける事の出来る人がどれだけいるのか。 若く、恐ろしく耳の良い人でなければ、このパルメコの再生音の真の力を聴きとることは困難であり、音楽な暖かさとか、そういうものは期待するほうが野暮という完全プなロ仕様です。 

高価でもありますが、正直いって聴覚的に無理が伴います。 私自身の耳は全くついて行けず、ただ聴くしかありませんでした。 

その音は嘗ての JBL4350、4343等と似ていますが、それよりずっと上質で、JBL のスピーカーが時々聴かせる無機質感は微塵もなく、人間的な響きと格調高く涼やかな音です。 

IMG_0161真のモニタースピーカーの再生レンジは、聴覚能力の高い人が使ってこそ、真価が生かされる事にも気付かせてくれました。 検聴用のスタジオモータースピーカーを使っているユーザーで、実際に最低音域と最高音域を聴きとる事が出来るのは本当にわずかな人にすぎないと思います。 個人の聴覚レベルに合っていれば身の丈再生音こそ大切で、欲張りは避けるべきでしょう。 以上T氏
http://blog.livedoor.jp/thorens/archives/51620721.html



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サウンドポイント55 
http://www.geocities.jp/soundpoint55/newpage3.html


パルメコ 38cm同軸2WAY LS−1     

2ペアー在庫  写真1,2,3 ¥63万

 
(初代BBCモニター、WE系の特注品と思われる構造です。ドライバーは713か?)
 
(残念ながらコーン紙に破れ補修が御座いますが音質には問題御座いません。)
 
(超ヘビー級のユニットでコーン紙はジェンセンより遥かにパンパン、ロレンツのツイーターを付けて3WAYにしてBBCで使われました。あのアビーロードスタジオ、アメリカのバンガードのスタジオでも採用されてました。)


ビンテージの中でも最高に位置するユニット群です。
アルテック、JBL、TANNOYに愛想をつかした方御試聴ください。  
http://www.geocities.jp/soundpoint55/newpage3.html



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 米国がウェスタンエレクトリックなら英国はロンドンウェストレックス、ドイツはクラングフィルムになります。

一口に云ってロンドンウェストレックス(ロンドンウェスタン)はアメリカのウェスタンエレクトリックとは多少異なります。初期のロンドンウェスタンはアメリカ本国よりシステムを持ちこんでスタートでしたが英国の国策として海外からの輸入に制限を設けたためこのシアターシステムも対象になりロンドンウェスタンのシステムは自国での設計生産になったと思われる。

 

ロンドンウェスタン直系スピーカー

 初期のロンドンウェスタンは多分米国ウェスタンの改良型を使用したシステムでしたが私の憶測と情報ではその後ウェスタンエレクトリックからのシステムの供給はやめてイギリス本国での製品開発が行われたと推測されます。英国はアメリカと違って大変保守的なお国柄で海外から輸入するよりも自国で開発して販売する方法を取っていた、

 日本や米国と違ってロンドンウェスタンの立ち上げに当たってイギリス国内のスピーカーメーカーの第一線級のエンジニアが集まってロンドンウェスタンをスタートさせたと思われる。

当時のスピーカーメーカーと云えばシアター専門のヴァイタボックス、民生用のグッドマン、ローラ、タンノイ、パルメコ等メーカーのエンジニアが共同開発に当たったのではないだろうか、この辺が米国のメーカーや日本のメーカーとは事情が異なる。

 開発終了に伴い英国本土のすべてのシアターに供給するには生産量が問題になってくる。当時はヴァイタボックス社やタンノイ社では絶対数の生産ラインの供給システムがまだ確立されていなかった、

 当時のスピーカーメーカーではグッドマン社が大掛かりな生産ラインを有していたから多分ユニットはグッドマン社が中心となって製造していたのではないだろうか、

 当時の技術集団が開発した初期モデル(1950年代)のスピーカーユニットはすべてロンドンウェスタン直系のスピーカーになるので音質音色は同じである。またロンドンウェスタンのシステムには低域用にグッドマン、高域用はタンノイ、ケリー、ヴァイタボックスなどでの組み合わせによる混成システムが多かったのでは、

 実際ロンドンウェスタンの2080,2090Aのシステムとパルメコ、私が所有しているユニット等は音質や音色は良く似ており私が聴かさせて頂いた三上先生宅のロンドンウェスタンと瓜二つの音に安堵感を覚えた、

 また米国のウェスタンエレクトリックはすべて業務用でしか販売されなかったがロンドンウェスタンは家庭用のシステムも販売されていたがほとんど日本には入って来なかったからロンドンウェスタンを含めてロンドンウェスタン直系のスピーカーは幻のユニットと云える。

 ロンドンウェスタンのスピーカーのサウンドは皆さんご存知のアルテック、JBL、タンノイ等のスピーカーと比較してまったく異なる音質、音色を持っているのがロンドンウェスタンの特徴でもある。私も沢山の英国ヴィンテージユニットを聴いてきたが今回手に入れたロンドンウェスタン直系のユニットはこれらの音とは違っていた、

 ロンドンウェスタンのパルメコは初代BBC放送局のモニタースピーカーに採用されていたが有名なアルテックの604Eと外観的に非常によく似ているが音質音色は全く違う、

パルメコはもっと浸透力があり音味は大変美味しいエレガントな音ですがアルテックの604Eは残念ながら上手く調教された音を一度も聴いた経験がありませんので比較するのは無理かも知れません。

 またアルテックやJBLなどアメリカのスピーカーはジャズ向きと云われているがスピーカー開発者にとってこれはジャズ向きこれはクラシック向きとして設計はしていないはずですからやはり鳴らし方に問題がありそう、私の個人的な意見としてジャズが鳴ればクラシックも必ず鳴るはず、クラシックが上手く鳴らないのならジャズも鳴らない、ジャズが本当に上手く鳴れば大人のジャズサウンドになるはずだ、
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-027



▲△▽▼

パルメコスピーカーはBBC放送局の検聴用に使用されたスピーカーで製作本数は数百本しか作られなかったと云われる数の少ない幻のユニットになる。ほとんどの方は音も勿論だがパルメコスピーカーの存在すら知らない方が多いのではないだろうか、ウェスタン系をやっている方やオーディオを長くやっている方はパルメコスピーカーを知っているはずだがこのユニットは巷には出てこないのでほとんど聴く機会は少ないと思う、

 私が知る限りでは名古屋では西山氏、関西では今田氏と今回ご紹介する笹本氏の三人がこのユニットを所有していますが全国を探せばまだ使っている方は沢山いると思う、

 本来このスピーカーにロレンツのツィーターとリークのアンプを内蔵したシステムでBBC放送局に納入されていたらしい、パルメコスピーカーは写真でもおわかりですがコアキシャルタイプですが外観はアルテック604Eのホーン部分が大変似ておりますが振動板はウェスタンと同じものを使用しています。

 このユニットのホーン部分の形状が似ているのは皆さんご存知のアルテック604Eですが音味はまったく異なります。604Eは上手く鳴らされていない方が多いので残念ながら比較はできません。アルテックの604Eは38cmのコアキシャルですがパルメコはもう一回り大きい40cmのコアキシャルになります。

またマグネットは強力なアルニコマグネットを使いクロスオーバーは多分1KHZぐらいと思われる。このパルメコのエンジニアもロンドン・ウェストレックスの開発に協力したと思われそのサウンドは本家のロンドンウェスタンと瓜二つの音色、音質を持っている。
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-030



▲△▽▼

オーディオのパラレルワールド

パラレルワールドとは今の世界と平行したもう一つの世界をパラレルワールドと云います。

オーディオで云うならば皆さんが使っているアルテック、タンノイ、JBLや現代の代表的なスピーカーは一般的な(A)の世界の音ですが(B)の世界はこのようなスピーカーとは隔絶したもう一つの世界の音である。

 私が聴いた限り上手く鳴らされていたウェスタンエレクトリックのカールホーンを使ったホーンシステム、オイロダインやロンドンウェスタン及び直系の音こそ現代のサウンドとは異なる次元の違う(B)の世界と云えよう、


現代のシステムは駄目とは云わないが(B)の世界の音を聴くとオーディオ観も音楽観も変わるような気がする。


正面に鎮座しているWE−15Bホーンで聴くチェロは現代のサウンドとは全く異なるこれこそパラレルワールドのサウンドであった、


正面に設置してあるのが有名なシーメンスオイロダインシステム、このサウンドもWEやロンドンウェスタンとは少し系統が違うが見事なサウンドを聴かせて頂いた、


ロンドンウェスタン2080A、2090A

 最後に拝聴させて頂いたのは幻のスピーカーシステムでロンドンウェスタンだ、

このロンドンウェスタンの音は言葉では云えない一種独特のサウンドで現代の一般的なHiFiサウンドとは異なりこれこそパラレルワールドの音だ、

 ヴァイオリンの響きは電気臭くない木の香りすら漂ってくるのがわかる。

オーディオを追求していくと最後はこの音に魅了されるのは私だけではないはず、    
このロンドンウェスタンのサウンドを聴くと現代のHiFiサウンドは申し訳ないが長く聴いていると時間の経過と共につまらなくなり飽きが来てしまうがロンドンウェスタン系はオーディオマニア、音楽マニアを引き付ける魅力たっぷりのスピーカーと云えよう、

ただこのような音を出すには相当レベルの高いアンプと高度なテクニックと肥えた耳を持っていないと上手く鳴らないのではないか、

 ヴィンテージショップなどでウェスタンやその他ヴィンテージスピーカーを鳴らして店主は能書きばかりでまともに良い音で鳴っていないのが多いのと

すべてヴィンテージスピーカーだからパラレルワールドのサウンドと思ったら大間違いである。

やはりマニア宅で上手く鳴らされているのを聴くのがベスト、「百聞は一聴にしかず!」

 確かにオーディオは進歩しているが最終的に判断するのは聴く人の感性と鳴らし方ではなかろうか、またパラレルワールドのサウンドは装置を忘れてじっくりと音楽が聴ける。
https://www.kit-ya.jp/etc/club/audio/y-028  

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c3

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
4. 中川隆[-11114] koaQ7Jey 2019年3月28日 20:53:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[905]

井上卓也 JBLテクノロジーの変遷 1998年4月30日


JBLモニタースピーカー研究(ステレオサウンド別冊・1998年春発行)
「伝統と革新 JBLテクノロジーの変遷」より


 1946年の創業以来50年以上にわたり、JBLはオーディオ界の第一線で活躍してきた驚異のブランドである。この長きにわたる活躍は、高い技術力なくしては不可能であろう。創業者ジェームズ・バロー・ランシングの設計による卓越した性能のスピーカーユニットは、オーディオ・テクノロジーのいわば源となったウェスタン・エレクトリックの流れをくんだもので、現在にいたるまで、内外のスピーカーに多大な影響を与えた偉大なるユニット群であった。それに加え、エンクロージュア、ネットワークなどを含めた、システムづくりの技術力の高さもJBLの発展を支えてきたといえる。この伝統のうえに立ち、さらに時代とともに技術革新を行なってきたからこそ第一線で活躍できたのであろう。

 ここではJBLのテクノロジーの変遷を、モニター機を中心にたどっていくことにしたい。


コンプレッションドライバー

 それでは、スピーカーユニット/エンクロージュア/クロスオーバー・ネットワークの順でテクノロジーの変遷をたどっていくことにしよう。

 まずユニットであるが、最初はコンプレッションドライバーから。コンプレッションドライバーは、プレッシャードライバー/ホーンドライバーなどとも呼ばれ、振動板に空気制動がかかるようにして振幅を抑え、ホーンにとりつけて使用するユニットのことである。

 コンプレッションドライバーは、振動板(ダイアフラム)の後ろをバックカバーで覆うことで小さなチャンバーをつくり、また振動板前面にはイコライザー(フェイズプラグ)と呼ぶ、一種の圧縮(コンプレッション)経路を設けるのが一般的で、JBLもその例外ではなく、むしろこの形態をつくりだしたのがウェスタン〜ランシングなのである。

 さて、JBL最初のコンプレッションドライバーは175の型番を持つモデルで、ダイアフラム径は1・75インチ(44mm)、その素材はアルミ系金属、そしてホーンとの連結部であるスロート開口径は1インチ(25mm)のもの。周知のことであるが、J・B・ランシングはJBL創業前は、アルテック・ランシング社に在籍しており、アルテックでも数多くのユニットを設計している。

アルテックには、ランシングが設計した802という175相当のモデルがあるが、この両者を比べてみるとじつに面白い。すなわち、ダイアフラムのエッジ(サラウンド)はタンジュンシヤルエッジといって、円周方向斜めに山谷を設けた構造になっているのは両者共通だが、そのタンジュンシヤルの向きがアルテックとJBLでは逆、ボイスコイルの引き出し線はアルテックは振動板の後側(ダイアフラムがふくらんでいる方向)に出しているのにたいしJBLは前側、そして、極性もアルテックが正相にたいしてJBLは逆相……というように基本設計は同じでも変えられるところはすべてアルテックと変えたところが、JBLの特徴としてまず挙げられる。


 これらは目で見てすぐわかる部分だが、設計上非常に大きく違うのが、ボイスコイルが納まるフェイジングプラグとトッププレートの間隙、つまり磁気ギャップの部分がJBLのほうが狭いということと、磁気回路がより強力になっているということだ。アルテックは業務用途を主とし、ダイアフラム交換を容易にするためギャップを広くとっているのだが、JBLはその部分の精度を上げ、より高域を伸ばす設計に変えたのである。また磁気回路の強力化は、より高感度を求めたものと考えられる。

 この磁気回路を強力にするというのもJBLの大きな特徴で、175をさらに強力にした275、そしてLE85を開発していくことになる。この磁気回路の強力化は高感度化と、後述するホーンの話につながるのだが、磁気制動をかけて、空気の制動が少ない状態でも充分に鳴らせることにつながってくる。

 175〜275〜LE85は、1インチスロートであるが、4インチ・アルミ系金属ダイアフラム、2インチスロートという大型のコンプレッションドライバーが、有名な375である。375は磁束密度が2万ガウス以上という極めて強力なユニットで、ダイアフラムのエッジはロールエッジである。これらJBLのコンプレッションドライバーはすべてアルニコ磁石を用いており、このアルニコ磁石の積極的な導入は、J・B・ランシングの設計上のポイントでもあったようだ。

 ここまでが、JBLのスタジオモニター開発以前の話である。しかし1971年に登場した4320に搭載されたコンプレッションドライバー2420は、LE85のプロヴァージョンであり、事実上、同じモデルとみなせるものだ。したがってモニタースピーカー登場後しばらくは、これらランシング時代からのドライバーを用いていたのである。しかし、’80年代に入り、変革がおとずれる。それはまず、ダイアフラムのエッジ部分から始まった。それまでのタンジュンシャルエッジ/ロールエッジから、ダイアモンドエッジと呼ばれる、4角錐を組み合せた複雑な形状のものに変化したのである。これは高域特性の向上を目指した改良ということである。

 つぎなる変革は磁性体の変化である。これはウーファーなどコーン型ユニットが先行していたが、アルニコの原料であるコバルトの高騰により、フェライト磁石に移行したのだ。アルニコからフェライトに変れば、当然素材自体の鳴きも変り、磁気回路そのものも変化するためかなりの設計変更が必要となるが、高域ユニットでは低域ユニットに比べ比較的スムーズに移行できたようだ。磁性体材料ではもうひとつ、ネオジウム磁石への変革がある。これはアルニコからフェライトのように全面的な移行ではなく、現在でも限られたユニットだけにネオジウムを搭載しているが、軽量化と高感度/高駆動力を両立させる手法であろう。ユニットが軽量になれば慣性が減るため、より音の止まりが速くなる効果が期待できる。

 ダイアフラムに話を戻すと、アルミからチタンへの変更が’80年代に行なわれた。チタンは音速の速い物質であり、物性値の向上という意味で、技術的に魅力ある素材である。しかし、チタンの固有音のコントロールには苦労したあとがみられ、4インチ振動板モデルでいうと、最初にチタンを搭載した2445ではダイアフラムの頂点に小さな貼り物をしたり、つぎの2450ではリブ(これは軽量化と強度を両立させるためのものでもあったが)を入れたり、475Ndでは一種のダンピング材であるアクアプラスを塗布したりして、現在では固有音を感じさせない見事なコントロールが行なわれているようである。

 イコライザーにも変化があった。当初は環状(同心円状)スリットの、経路が直線で構成されるものであったが、2450/475Ndには、経路が曲線で形成されるサーペンタインと呼ばれる形状が採用されている。この形状にすることで、ダイアフラムの真ん中とその周辺での音の時間差をコントロールして、より自然な音をねらったものと思われる。

 コンプレッションドライバーから発展したものとして、075に代表されるリングラジエーターというホーントゥイーターがある。これはコンプレッションドライバーのダイアフラムをドーナツ型にしたようなもので、リング型の放射部分にあるダイアフラムの裏側に、ちょうどボイスコイルがくるようにして(ボイスコイルの部分がもっとも高城のレスポンスがいいため)、耐入力と高域特性の向上の両立を図ったものだ。モニター機にはもっばら2405が使われたが、基本的には075をベースにイコライザー部分を変えて、高域を伸ばしたものであり、この基本部分を同じくして各種のヴァリエーションをつくるというのも、JBLの大きな特徴である。モニター機では低音が比較的伸びたウーファーを使用するため、バランス上、075では高域が足らず、2405を使ったと思われるが、この低域と高域のレスポンスのバランスはオーディオで非常に大事なことである。なお、リングラジエーターと175/LE85等のボイスコイル径は同一である。


ホーン/音響レンズ

 JBLのホーンでもっとも特徴的なのはショートホーンであるということだ。通常コンプレッションドライバーは、ホーンでの空気制動を見込んで設計するのだが、先ほど述べたように、JBLのドライバーはもともと磁気制動が大きく、あまり長いホーンを必要としない。ホーンが短いメリットは、何といってもホーンの固有音を小さくできるということであるが、そのためには組み合わせるドライバーに物量を投入しなければならず、この方式の追従者は少なかった。強力な磁気ダンピングをかけるもうひとつのメリットとして、ダイアフラムが余計な動きをせず、S/Nがよくなるという点も挙げておきたい。

 しかし、いくらショートホーンといっても固有音がなくなるわけではなく、また、ウーファーと同一のバッフルにマウントしたときに発音源が奥に行き過ぎ、なおかつ平面波に近い状態で音が出てくるために、距離を感じてしまう。そこで考案されたのが音響レンズである。音響レンズによって指向性のコントロールができ、仮想の音源を前に持ってくることも可能となり、さらには、球面波に近い音をつくることが可能になった。たとえばスラントプレートタイプの音響レンズを見ると、真ん中が短く、両端が長い羽根が使われているが、こうすることによって真ん中の音は速く、端の音は遅くと極めてわずかではあるが時間差がついて音が放射されることになり、波の形状が球面になると考えられるのだ。パーフォレーテッドプレートというパンチングメタルを多数重ね合わせたタイプのレンズが、真ん中が薄く、端にいくにしたがって厚くなっているのも、同じ理由によるものと考えられる。
 モニター機にはもっぱらショートホーン+スラントプレートレンズが使われたわけだが、4430/35で突如姿を現わしたのがバイラジアルホーンである。音響レンズにはメリットがあるものの、やはりレンズ自体の固有音があり、ロスも生じる。

 また、ダイアフラムからの音はインダイレクトにしか聴けないわけであり、もう一度原点に戻って、ホーンの形状だけで音をコントロールしようとして出てきたのがバイラジアルホーンだと思う。レンズをなくすことで、ダイアフラムの音をよりダイレクトに聴けるようにして、高域感やS/Nを上げようとしたものであろう。また、通常のホーンは、高域にいくにしたがって指向性が狭くなり、軸をずれると高域がガクッと落ちるのであるが、この形状のホーンでは周波数が上がっても指向性があまり変らず、サービスエリアが広くとれるということである。現在のJBLは、このバイラジアルホーンに加え、スラントプレートタイプのホーンもつくり続けている。


コーン型/ドーム型ユニット

 コーン型ユニットに移るが、ここではウーファーに代表させて話を進めていく。ウーファーの磁気回路の変遷は、コンプレッションドライバーとほぼ同様だが、しかしフェライトへの移行に際し、JBLではウーファー用にSFGという回路を開発し、低歪化にも成功したのである。また、マグネットは過大入力によって磁力が低下(滅磁)する現象が起きることがあり、アルニコのひとつのウイークポイントであったのだが、フェライトには減磁に強いという性格があり、モニタースピーカーのように大パワーで鳴らされるケースでは、ひとつのメリットになると考えられる。

 JBLのウーファーは軽いコーンに強力な磁気回路を組み合わせた高感度の130Aからスタートしたが、最初の変革は1960年ごろに登場したLE15Aでもたらされたと考えられる。LE15Aは磁気回路が130系と異なっているのも特徴であるが、それよりも大きいことは、コーン紙にコルグーションを入れたことである。コルゲーションコーン自体は、その前のD123で始まっているのだが、ウーファーではLE15が初めてで、特性と音質のバランスのとれた画期的な形状であった。

ただし、130系に比べてコーンの質量が重くなったため(これはコルゲーションの問題というよりも振動系全体の設計によるもの)感度は低下した。現在でも全世界的に大口径コーン型ユニットの大多数はコルゲーションコーンを持ち、その形状もJBLに近似していることからも、いかに優れたものであったかがわかる。またLE15ではロール型エッジを採用して振幅を大きく取れる構造とし、低域特性を良くしているのも特徴である。


 モニターシステム第一号機の4320には、LE15Aのプロヴァージョン2215が使われたが、以後は、130系の磁気回路にLE15系の振動系を持ったウーファーが使いつづけられていくことになる。また、ボイスコイルの幅が磁気ギャップのプレート厚よりも広いために振幅が稼げる、いわゆるロングボイスコイル方式のウーファーをほとんどのモニター機では採用している。特筆すべきは、ことモニター機に使われた15インチウーファーに関していえば、4344まで130系のフレーム構造が継承されたことで(4344MkIIでようやく変化した)、JBLの特質がよく表われた事象といえよう。

 ロールエッジの材料はLE15の初期にはランサロイというものが使われていたが、ウレタンエッジに変更され、以後連綿とウレタンが使われつづけている。ただし、同じウレタンでも改良が行なわれつづけているようである。スピーカーというものは振動板からだけ音が出るわけではなく、あらゆるところから音が発生し、とくにエッジの総面積は広く、その材質・形状は予想以上に音質に影響することは覚えておきたい。

 コーン紙にはさらにアクアプラストリートメントを施して固有音のコントロールを行なっているのもJBLの特徴である。ただしそのベースとなる素材は、一貫してパルプを使用している。

 S9500/M9500では14インチのウーファー1400Ndが使われたが、これはネオジウム磁石を用い、独自のクーリングシステムを持った、新世代ユニットと呼ぶにふさわしいものであった。またこのユニットは、それまでの逆相ユニットから正相ユニットに変ったこともJBLサウンドの変化に大きく関係している。
 なお、モニター機に搭載されたユニットのなかで、最初にフェライト磁石を採用したのは、コーン型トゥイーターのLE25であるが、SFG回路開発以前のことであり、以後のトゥイーターにも、振幅が小さいためにSFGは採用されていない。

 ドーム型ユニットのモニター機への採用例は少ないが、メタルドームを搭載した4312系の例がある。素材はチタンがおもなものだが、途中リブ入りのものも使われ、最新の4312MkIIではプレーンな形状で、聴感上自然な音をねらつた設計となっている。


エンクロージュア

 JBLのエンクロージュアの特徴は、補強桟や隅木をあまり使わずに、まずは側板/天板/底板の接着を強固にして箱の強度を上げていることが挙げられる。材質はおもにパーティクルボードで、ほとんどが、バスレフ型。バスレフポートは当初はかなり簡易型の設計であった。これは、とくにスタジオモニターの場合、設置条件が非常にまちまちであり、厳密な計算で設計をしても現実には反映されにくいため、聴感を重視した結果であろう。

 エンクロージュアのプロポーションは、比較的奥行きが浅いタイプであるが、一般的に奥行きの浅いエンクロージュアのほうが、反応の速い音が得られるために、こうしたプロポーションを採用しているものと思われる。

 時代とともにエンクロージュアの強度は上がっていき、いわゆるクォリティ指向になっていく。材質は最近MDFを使うようになったが、これはバラツキが少なく、かなり強度のある素材である。JBLがMDFを採用したのには、システムの極性が正相になったことも関係しているだろう。すなわち、逆相システムはエッジのクッキリした音になりやすく、正相システムはナチュラルだが穏やかな音になりやすいため、MDFの明るく張った響きを利用して、正相ながらもそれまでのJBLトーンとの一貫性を持たせたのではないかと推察される。モニタースピーカーは音の基準となるものであるから、この正相システムへの変化は重要なことではあるが、コンシューマーに限れば、どちらでもお好きな音で楽しめばよいように思う。そのためにはスピーカーケーブルのプラスとマイナスを反対につなげばよいだけなのだから。

 エンクロージュアの表面仕上げも重要な問題である。JBLのモニター機は当初グレーの塗装仕上げであったが、これはいわゆるモニターライクな音になる仕上げであったが、途中から木目仕上げも登場した。木目仕上げは見た目からも家庭用にふさわしい雰囲気を持っているが、サウンド面でもモニターの峻厳な音というよりも、もう少しコンシューマー寄りの音になりやすいようだ。M9500ではエンクロージュアの余分な鳴きを止めるためにネクステル塗装が行なわれており、モニターらしい設計がなされているといえる。

 吸音材の材質/量/入れ方も音に大きく 影響するが、とくに’70年代に多用されたアメリカ製のグラスウールは、JBLサウンドの一端を大きく担っていたのである。


クロスオーバー・ネットワーク

 JBLのネットワークはもともと非常にシンプルなものであったが、年とともにコンデンサーや抵抗などのパラレル使用が増えてくる。これはフラットレスポンスをねらったものであるが、同時に、音色のコントロールも行なっているのである。たとえば、大容量コンデンサーに小容量のコンデンサーをパラレルに接続する手法を多用しているが、この程度の容量の変化は、特性的にはなんらの変化ももたらさない。しかし音色は確実に変化するのである。また、スピーカーユニットという動作時に複雑に特性が変化するものを相手にした場合、ネットワークはまず計算どおりには成り立たないもので、JBLの聴感上のチューニングのうまさが聴けるのが、このネットワークである。ネットワークの変化にともなって、音はよりスムーズで柔らかくなってきている。

 こうして非常に駆け足でテクノロジーの変遷をたどってきたわけだが、JBLがさまざまな変革を試みてきたことだけはおわかりいただけたのではないだろうか。そしてその革新にもかかわらず、JBLトーンを保ちつづけることが可能だったのは、ランシング以来の50年以上にわたる伝統があったからではないだろうか。
http://audiosharing.com/review/?cat=8


JBL 歴代スピーカーユニット一覧
http://audio-heritage.jp/JBL/unit/index.html
http://audio-heritage.jp/JBL/unit/index2.html


D175 / D175 1947年

ドライバー&マルチセルラホーン JBL創立時のドライバーホーン。

 元アルテックの技術担当副社長、ジェームズ・バロー・ラシングがジム・ラシング社を創業し、自ら設計して発売した記念すべきモデル。下記のフルレンジとウーファーの他、ネットワークとエンクロージャーが同時にラインナップされた。

 ドライバー「D175」は、後の「LE175」の原型モデルで、すでに800〜18,000Hzの広帯域特性を実現させていた。ホーンは、バッフルマウントを前提に設計された強みで、アルテックのホーンと比べると、驚くほどに小さい。

 翌年には、CBSが世界初のLPレコード発売し、本格的なHiFi時代の到来を告げる。


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D130 38cnフルレンジユニット 1947年
¥56,100(1966年当時)

古さを感じさせないJBLサウンドの源流。

 これもラシングの手になる。103dBの高能率を実現したアルミリボン線のエッジワイズ巻ボイスコイルと、メタルドームの共振を利用して聴感上の高域の不足感を補う構造は、後々、わが国のユニットに大きな影響は与えた。勿論、ローコンプライアンスのユニットゆえに、200〜300リッタークラスのバスレフ型エンクロージャーか、バックロードーホーン型を必要とするが、解き放たれた音の実在感はJBLサウンドの源流である。


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130A 38cnウーファーユニット  1947年
¥52,800(1966年当時)

 「130A」は、「D130」のセンタードームを取り去ったもので振動系とマグネットは同一。後に登場するLE系のウーファーの方が、小容積のエンクロージャーが使え、物理特性の面でも優れるが、中低域のリアリティーは甲乙着け難い。70年代後半のモデルからは、アルニコマグネットの原材料の一つであるコバルトの供給が止まりフェライトに変わった。これは国内外のユニットも同様である。


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175DLH ドライバー・音響レンズ一体ホーン 1950年
¥71,000(1966年当時)

 
水平垂直45°をカバーする優れた指向特性。

発売初期のものは、ドライバーに上記の「D-175」が使われ、後に「LE175」に変わった。推奨クロスオーバーは1,200Hz。それでも、ホームユースで使う限りは、800Hzからでも十分に使える。しかし、後にホーンの長さが、かなり短くなってしまった。


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537-509 音響レンズ付き角形ホーン 1953年


角形ホーンは固有の癖を持つ。
それでも、なんとか手なずけて みたい魅力は貴重。

 モノラル時代往年の名作「ハーツフィールド」で、下記ドラーバー「375」とのコンビで使われた。

一時期、製造が中止されたが後に復活。半世紀を経た今も、ほれぼれとする見事な姿である。

 ただ、この角形ホーンは、音道内で定在波が発生するためか、固有の癖をもち、自作システムのホーンとしては、いささか扱いにくい。ホーン内部にフェルトを貼るとかの処置をしたうえで、バッフルにマウントすることが必要だ。

 推奨クロスオーバーは500Hz以上。スロート径は5cmであるが、アダプターを介せばスロート径2.5cmのドライバーも使える。


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375 ドライバー 1953年
¥125,000(1966年当時)

名実ともに世界最強のドライバー。

 「375」のルーツは、ウエスタンのトーキー用ドライバー「594」(1936年)に遡る。ラシングはこれを範に、大型のホーンと組合わすトーキー用の強力ドライバー「288」をアルテック時代に実用化していた。この「375」は、それを上回る最強ドライバーである。より強力なマグネットを使用し、ホーンスロート部と大口径ダイアフラムとのギャップの精度を高めて、低い周波数で生じる歪を軽減させた。これで大型ホーンへの依存を解消したのである。

 そこで、「375」を使ったJBL歴代の名作、ハーツフィールドとパラゴンを見てみると、クロスオーバーが500Hzと低い割にはホーンの小さいことが良く分かると思う。さらにオリンパスになると、直接放射に近いショートホーンである。ともかく、過度特性の良さは比類がない。高域は10,000Hzぐらいまで伸びているので2ウエイでも使える。それでもツイターを加えた3ウェイが、やはりベターであろう。

スロート径は5cm。


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075 ホーンツイーター 1956年
¥38.600(1973年当時)

手にとって眺めるのもよし、鮮烈な音に酔うのもよし。

 LPの高音質化とFM先進国のアメリカにおいて、人間の可聴帯域の上限近くまで再生できる「075」が登場は必然であった。それでも‘50年代半ばに、こうした本格的なツイターが出てきたことは注目に値した。「075」が登場した翌年には、LPがステレオ化され、パラゴン、オリンパスの歴代システムに使われた。

 使い方の基本は二通りある。まずは「375」または、「LE85」と7,000Hzでクロスさせる3ウェイと、フルレンジの「D130」クラスと2,500Hzでクロスさせる2ウェイである。とりわけ、2,500Hzの低いクロスで、「075」の鮮烈な個性をたっぷりと引き出したときの生々しいシンバルの響きなどは、他に比べるべきものがない。


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LE15A 38cmウーファー 1957年
¥70,800(1968年当時)
 
JBL初のハイコンプライアンス強力ウーファーの名作。

 JBLがLEシリーズとして初めて投入した低foのハイコンプライアンス・ウーファーの名作。パラゴンとオリンパスに使われたウーファーとしても知られる。エンクロージャーは、比較的小型の密閉型でも使えるが、本領を発揮させるには、170リッターほどのバスレフ型が好ましい。ただ、ロールエッジが経年劣化に弱いのが玉に瑕。


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LE85 ドライバー 1962年
¥79,800(1966年当時)


いかなるホーンと組み合わせてもまずは期待を裏切らない。

 最強ドライバーの「375」よりも一般的には扱いやすい。ダイアフラムの口径が小さくなった分、2ウェイでも無理がなく、使い手の期待をまずは裏切らない。また、「375」用のホーンが、2.5cmスロートアダプターを介して使えるというのも魅力。


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HL91/ HL92 音響レンズ付きホーン
1962年HL91¥21,000(1981年当時) HL92¥24,000(1981年当時)

誰にでも間違えなく使え、ドライバーの素性の良さをストレートに引き出す。

 スロート径2.5cmのドライバー、「LE175」と「LE85」の標準ホーンで、特に感心し、また不思議に思うのは、音像がバッフル面に浮き立つことである。

 どちらも、推奨クロスオーバーは800Hz以上とされているが、ホームユースに限れば、500Hzからでも使えて、ドライバーの素性の良さをストレートに引き出す。ただ、小さなバッフルに取り付けた例を見掛けることがあるが、これは絶対に良くない。なお、ホーンの長い「HL92」は、1年ほど後に登場した。

 わが国の業界に与えた影響は大きく、オンキョー、コーラル、コロムビア、サンスイ、ヤマハなどが、この基本構造を挙って踏襲し、一つの時代を形成した。


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LE10A 25cmウーファー 1962年
¥31,200(1966年当時)
 
自作に最適な50リーターほどのバスレフ型2ウェイで、迫力の低音を引き出すには恰好のウーファー。

 超低foのハイコンプライアンスウーファーで、バスレフ型エンクロージャーとのチューニングを上手くとれば、この口径からは信じられぬ低音を引き出せる。これを基にシステムを組むには、JBLのユニットでまとめるのが常道であると思うが、評論家の井上卓也氏は、ダイヤトーンのローコストツイター「TW-23」(¥1,400)と組み合わせた2ウェイで、かなりの成果があったと記していた。


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LE20 5cmコーンツイーター 1962年
¥19,300(1973年当時)

コーンツイターといえども、JBLの血統を持つ。

 コーンツイーターとしては、割高感の印象が強いが、「075」に一脈通じる鮮烈な表現力は、国産の同類のツイターでは得られない個性であり魅力である。推奨クロスオーバーは2,500Hzとなっているが、大きなパワーを必要としなければ、さらに低くとることも可能である。組合わすウーファーは上記の「LE10A」が最適。


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LE8T 20cmフルレンジユニット 1962年
¥38,000(1966年当時)

未だに支持者の耐えないフルレンジの傑作ユニット。

 わが国に輸入されたフルレンジユニットの人気の高さで、この「LE8T」を超えるものは、まずないであろう。もちろん、国内のオーディオメーカーに与えた影響ははかり知れず、外観までそっくりの類似品が数多く出現した。

 ただ、「LE8T」で誤解されているのは、ジャズ向きという定説である。そんなことはなく、例えば、クラシック通の定番であったタンノイ「IIILZ」のユニットの弱点を十分にカバーし、シンフォニーを聴いても何ら不満はない。ソプラノ帯域においても分解能の高さがソノリティーの良さに表れている。「LE8T」を使ったオリジナルシステムのバリエーショーンは幾つかあるが、やはり、サンスイ製の「SP-LE8T」がひとつのスタンダードであろう。勿論、それ以上の容積の箱に入れて可能性をさらに引き出すことは可能だ。


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pro.2397 ディフラクションホーン 1974年
¥52,900(1974年当時)スロートアダプター別売

音の回折効果は、従来のマルチセルラーホーンよりも格段に優れる。

 高密度パーチクルボードでつくられたこのホーンの音道は、仕切りのスリットが設けられた構造で、そのホーンカーブは、エクスポネンシャル(指数関係)ホーンの正確な理論に基づく。それによって、ホーンの開口部での音の回折効果は、従来のマルチセルラホーンよりも格段に向上した。

理論はさて置き、見た目の扇形のカーブが実に美しい。音の性格は、金属製ホーンとは違った音声帯域の温もりを感じさせ、しかも、スカっとした音離れのよさを併せ持つ。ただセッティングで注意したいのは、ウーファーのバッフル面とホーン開口部を揃えるのは誤りで、音道内のスリット位置とバッフル面を揃えるのが正しい。クロスオーバーは500Hz以上。スロート径は5cmであるが、アダプターを介せばスロート径2.5cmのドライバーが使用化。わが国でこれを範としたものには、エクスクルーシブや赤坂工芸のホーンがあった。


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077 スーパーホーンツイター 1976年
¥40,000(1975年当時)

強力型のスーパーツイター。

自作用には「pro.2105」よりも扱いやすく響きは艶やか。

 JBLがスーパーツイターという用途に限定した初のユニット。それでも3,000Hzの下限の帯域まで無理なく伸びていてゆとりがある。基本的な構造は「075」をベースとしながら、可聴帯域の上限に向かって、心地良く伸び指向性も良い。試しに、自作のJBLシステムに使っていた、この「077」を、当時、評価の高かったパイオニアのリボンツイター「PT-R7」に替えてみたところ、音の実在感が影を潜めて素っ気ない音に一変した。

 気になるのは、プロ用の「2105」との比較だが、「2105」は、金属っぽい硬質感(これがいいと言う評論家もいた)があり、インピーダンスが16Ωということもあって、一般的にはこの「077」の方が扱いやすいし、響きは艶やかである。


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JBLのネットワークは単なる付属物ではない。

 これぞというユニットを選び出してマルチウェイのシステムを組む場合、ネットワークについて無神経ではいられない。すべての自社ユニットに適合するようにラインナップされたJBLのネットワークは、単なる付属物ではなく、れっきとしたコンポーネントと呼びたい信頼性と質の高さを備える。JBLの歴代ユニットが、性能の追求から生まれた無駄のない魅力ある形をしているのと同様に、ネットワークも無駄なく、実に使い勝手のよい形にまとめられている。

 パーツ類は長期に性能を保持できるよう、ほぼ完全に密封され筐体に納められ、使用しているコンデンサーやインダクターも信頼性に溢れる。回路図は公表されていないが、インピーサンス補正や位相歪への配慮も万全と思える。
ネットワークを教科書どおりに自作することは、誰にでもできる。しかし、ヒアリングを重ねながら、このレベルに近づけることは、まず無理であろう。


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コンシューマーユニットとプロフェッショナルユニットの違いについて

 1971年、プロフェッショナル・シリーズのユニットが大挙してラインアナップされると、旧来のユニットはコンシューマー用として扱われ、プロシリーズよりもランクが下という、誤った見方が、オピニオンリーダーたるオーディオ評論家筋のなかでまかり通った。また、そのような傾向は、高級志向マニアの傾倒ぶりにも表れた。それを助長したオーディオ評論家は、前提とすべきプロシリーズの目的と用途に関する正しい情報の提供を疎かにしていた。それは編集者の手落ちでもあるのだが・・・。

 ともかく、プロシリーズのユニットは、PA需要(ポップス系のコンサートは、主にホールから野外のスタジアムに変わった)の増大に対応するためであり、また当時、アルテックの占有率の高かったスタジオモニター分野への進出をはかるJBLの戦略でもあった。耐久性においては、過酷な使用環境での条件を満たしていたことは確かである。しかし、ホームユースとして使用したときの音の差となると、微妙なところでそれぞれに一長一短があったり、また、感知できないレベルのものであったりと、単純にプロユニットがすべてに優位とはいえないのである。それでも、プロシリーズのユニットの方が優れるといった偏った評価がまかり通っていたことは事実として、ここに記しておきたい。
http://members.jcom.home.ne.jp/ads/w-jbl-03.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c4

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
5. 中川隆[-11113] koaQ7Jey 2019年3月28日 20:57:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[906]

アメリカのモニター・スピーカー


・Western Electric TA7388 (1930年代) :  映写室用モニタースピーカーシステム , TA4189 フルレンジスピーカー + TA7355メタルキャビネット + WE95Aアンプ
https://blog.goo.ne.jp/kobmina/e/660c449fabb8b587763c63e6ac6199f9
http://www43.tok2.com/home/temasumo/article/2006/r-tec0601_(03)WE398A-single-monitor-power-amp_AtarashiT.pdf

・G.I.P.Laboratory GIP-225 : Western Electric の映写室用モニタースピーカーシステム TA7388 のレプリカ
http://www.gip-laboratory.com/seihin4189.html
http://www.gip-laboratory.com/seihin225system.html

・ALTEC LANSING 601 (1943)

・ALTEC LANSING 604 (1945)

・ALTEC LANSING 604E (1967)

・ALTEC LANSING 605B (1967)

・ALTEC LANSING 601-8D (1970)

・JBL 4320 (1971)

・JBL 4350 (1973)

・JBL 4343/4343WX (1976)

・JBL 4344 (1982)

・JBL 4348 (2002)

・JBL 4311B/4311BWX (1979)

・JBL 4312 (1982)

・UREI 811B (1984)

・UREI 813 (1984)

・Westlake Audio TM-1 (1971)

・Westlake Audio TM-2 (1974)

・Westlake Audio HR-1/HR-2/HRV-2 (1979)

・Westlake Audio TM-3/TMV-3/TM-4 (1981)

・Westlake Audio TM-1/TM-2mkII/TMV-2mkII (1982)

・Westlake Audio TM-6 (1982)

・Westlake Audio HR-7F (1982)

・Westlake Audio BBSM-6 (1982)

・Westlake Audio BBSM-10 (1984)

・Westlake Audio BBSM-15 (1990)

・Westlake Audio Referenceシリーズ Tower SM-1 : 4100万円・ペア/税抜

・Westlake Audio Referenceシリーズ SM-1F

・Westlake Audio Referenceシリーズ TM-3
http://www.avseartron.com/Referencer_series.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c5

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
6. 中川隆[-11112] koaQ7Jey 2019年3月28日 21:01:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[907]

JBLの名作スピーカー
・JBL D130(1948)

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・ JBL Hartsfield D30085 初期型 (1954) : 2 wayシステム, ドライバー 375SIG + ウーファー 150-4C
・ JBL Hartsfield D30085 中期型 (1959〜1963) ; 3 wayシステム, ドライバー 375SIG + ウーファー LE15A + トィーター 075
・ JBL Hartsfield D30085 replica 1 (1970年頃) : 外見だけ同じで中身は別物
http://island.geocities.jp/umanose8818/harts/hartsfield.html


・ JBL Hartsfield D30085 replica 2 (2017) ケンリックサウンド復刻版 : 630万円・ペア/税抜
http://jbl43.com/?pid=57641713

・JBL Paragon D44000 (1957)
http://audio-heritage.jp/JBL/speaker/paragon.html
http://fukuroo3.com/paragon1.html
http://fukuroo3.com/paragoninfo.html
http://fukuroo3.com/paragon55.html

・ JBL Paragon D44000 replica (2013) ケンリックサウンド復刻版 : 548万円・税抜
http://jbl43.com/?pid=49469572

・JBL Olympus (1960年)


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JBL の可もなく不可もない民生用スピーカー


・JBL LE15A (1962)
・JBL LE8T (1962)

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・JBL Project K2 S9500 (1989)

・JBL Project K2 S5500 (1993)

・JBL Pjoject K2 S9800 (2001)


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JBL のダメダメ・モニタースピーカー


・JBL 4320 (1971)

・JBL 4350 (1973)

・JBL 4343/4343WX (1976)

・JBL 4344 (1982)

・JBL 4348 (2002)

・JBL 4311B/4311BWX (1979)

・JBL 4312 (1982)


▲△▽▼


JBLのダメダメ・民生用スピーカー


・JBL EVEREST DD55000 (1986)

・JBL Project EVEREST DD66000 (2006) : 560万円・ペア/税抜

・JBL Project EVEREST DD67000 (2012) : 600万円・ペア/税抜
https://www.ippinkan.com/SP/jbl_page1.htm

・JBL Project K2 S9900 (2009) : 370万円・ペア/税抜
http://kakaku.com/item/K0000021389/spec/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c6

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
7. 中川隆[-11111] koaQ7Jey 2019年3月29日 07:12:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[908]


40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その19)


ステレオサウンド 52号、53号でのアンプの測定で注目すべきは、負荷条件を変えて行っている点である。

測定項目は混変調歪率、高調波歪率(20kHzの定格出力時)、それに周波数特性と項目としては少ないが、パワーアンプの負荷として、通常の測定で用いられるダミー抵抗の他に、ダミースピーカーと JBL の 4343 を用いている。

歪が、純抵抗を負荷としたときとダミースピーカーを負荷にしたときで、どう変化するのかしないのか。

大半のパワーアンプはダミースピーカー接続時よりも純抵抗接続時のほうが歪率は低い。
けれど中にはダミースピーカー接続時も変らないものもあるし、ダミースピーカー接続時のほうが低いアンプもある。

歪率のカーヴも純抵抗とダミースピーカーとで比較してみると興味深い。
このことについて書き始めると、本題から大きく外れてしまうのがわかっているからこのへんにしておくが、52号、53号に掲載されている測定データが、この項と関連することで興味深いのは、JBLの4343を負荷としたときの周波数特性である。

4343のインピーダンス特性はステレオサウンドのバックナンバーに何度か掲載されている。
f0で30Ω近くまで上昇した後200Hzあたりでゆるやかに盛り上り(とはいっても10Ωどまり)、その羽化ではややインピーダンスは低下して1kHzで最低値となり、こんどは一点上昇していく。

2kHzあたりで20Ωになり3kHzあたりまでこの値を保ち、また低くなっていくが、8kHzから上はほほ横ばい。
ようするにかなりうねったインピーダンス・カーヴである。

ステレオサウンド 52号、53号は1979年発売だから、このころのアンプの大半はトランジスター式でNFB量も多いほうといえる。
そのおかげでパワーアンプの出力インピーダンスはかなり低い値となっているものばかりといえよう。
つまりダンピングファクターは、NFB量の多い帯域ではかなり高い値となる。

ダンピングファクターをどう捉えるかについても、ここでは詳しくは述べない。
ここで書きたいのは、52号、53号に登場しているパワーアンプの中にダンピングファクターの低いものがあり、これらのアンプの周波数特性は、抵抗負荷時と4343負荷時では周波数特性が大きく変化する、ということである。
http://audiosharing.com/blog/?p=6958


40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その20)

ステレオサウンド 52号では53機種、53号では28機種のアンプがテストされている。
この81機種のうち3機種だけが、負荷を抵抗からJBLの4343にしたさいに周波数特性が、4343のインピータンス・カーヴをそのままなぞるようなカーヴになる。

具体的な機種名を挙げると、マッキントッシュのMCMC2205、オーディオリサーチのD79、マイケルソン&オースチンのTVA1である。

D79とTVA1は管球式パワーアンプ、MC2205はソリッドステート式だが、この3機種には出力トランス(オートフォーマーを含む)を搭載しているという共通点がある。
これら以外の出力トランスを搭載していないその他のパワーアンプでは、ごく僅か高域が上昇しているものがいくつか見受けられるし、逆に高域が減衰しているものもあるが、MC2205、D79、TVA1の4343負荷時のカーヴと比較すると変化なし、といいたくなる範囲でしかない。

MC2205もD79、TVA1も、出力インピーダンスが高いことは、この実測データからすぐにわかる。

ちなみにMC2205のダンピングファクターは8Ω負荷時で16、となっている。

他のアンプでは100とか200という数値が、ダンピングファクターの値としてカタログに表記されているから、トランジスター式とはいえ、MC2205の値は低い(出力インピーダンスが高い)。

MC2205の4343接続時の周波数特性のカーヴは、60Hzあたりに谷があり400Hzあたりにも小さな谷がある。

1kHzより上で上昇し+0.7dBあたりまでいき、10kHzあたりまでこの状態がつづき、少し下降して+0.4dB程度になる。

D79はもっともカーヴのうねりが多い機種で、ほぼ4343のインピーダンス・カーヴそのものといえる。

4343のf0あたりに-1.7dB程度の山がしり急激に0dBあたりまで下りうねりながら1kHzで急激に上昇する。

ほぼ+2dBほどあがり、MC2205と同じようにこの状態が続き、10kHzで少し落ち、また上昇する。

1kHzでは0dbを少し切るので、周波数特性の下限と上限の差は2dB強となる。
TVA1はD79と基本的に同じカーヴを描くが、レベル変動幅はD79の約半分程度である。

こんなふうに書いていくと、MC2205、D79、TVA1が聴かせる音は、周波数特性的にどこかおかしなところのある音と受けとられるかもしれないが、これらのアンプの試聴は、岡俊雄、上杉佳郎、菅野沖彦の三氏によるが、そんな指摘は出てこない。
http://audiosharing.com/blog/?p=6962

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その21)

ステレオサウンド 52号、53号で行われた4343負荷時の周波数特性の測定は、いうまでもないことだが、4343を無響室にいれて、4343の音をマイクロフォンで拾って、という測定方法ではない。
4343の入力端子にかかる電圧を測定して、パワーアンプの周波数特性として表示している。

パワーアンプの出力インピーダンスは、考え方としてはパワーアンプの出力に直列にはいるものとなる。
そしてスピーカーが、これに並列に接続されるわけで、パワーアンプからみれば、自身の出力インピーダンスとスピーカーのインピーダンスの合せたものが負荷となり、その形は、抵抗を2本使った減衰器(分割器)そのものとなる。

パワーアンプの出力インピーダンスが1Ωを切って、0.1Ωとかもっと低い値であれば、この値が直列に入っていたとしても、スピーカーのインピーダンスが8Ωと十分に大きければ、スピーカーにかかる電圧はほぼ一定となる。つまり周波数特性はフラットということだ。

ところが出力インピーダンスが、仮に8Ωでスピーカーのインピーダンスと同じだったとする。

こうなるとスピーカーにかかる電圧は半分になってしまう。
スピーカーのインピーダンスは周波数によって変化する。
スピーカーのインピーダンスが8Ωよりも低くなると、スピーカーにかかる電圧はさらに低くなり、8Ωよりも高くなるとかかる電圧は高くなるわけだ。
しかもパワーアンプの出力インピーダンスも周波数によって変化する。

可聴帯域内ではフラットなものもあるし、 低域では低い値のソリッドステート式のパワーアンプでも、中高域では出力インピーダンスが上昇するものも多い。

おおまかな説明だが、こういう理由により出力インピーダンスが高いパワーアンプだと、スピーカーのインピーダンスの変化と相似形の周波数特性となりがちだ。

TVA1では1kHz以上の帯域が約1dBほど、D79では2dBほど高くなっている。
たとえばスクロスオーバー周波数が1kHzのあたりにある2ウェイのスピーカーシステムで、レベルコントロールでトゥイーターを1dBなり2dBあげたら、はっきりと音のバランスは変化することが聴きとれる。

だからステレオサウンド 52号、53号の測定結果をみて、不思議に思った。

そうなることは頭で理解していても、このことがどう音に影響するのか、そのことを不思議に思った。

この測定で使われている信号は、いうまでもなくサインウェーヴである。
http://audiosharing.com/blog/?p=6968

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その23)

ステレオサウンド 54号のころには私も高校生になっていた。
高校生なりに考えた当時の結論は、電気には電圧・電流があって、電圧と電流の積が電力になる。
ということはスピーカーの周波数特性は音圧、これは電圧に相当するもので、電流に相当するもの、たとえば音流というものが実はあるのかもしれない。
もし電流ならぬ音流があれば、音圧と音流の積が電力ならぬ音力ということになるのかもしれない。

そう考えると、52号、53号でのMC2205、D79、TVA1の4343負荷時の周波数特性は、
この項の(その21)に書いたように、4343のスピーカー端子にかかる電圧である。

一方、トータル・エネルギー・レスポンスは、エネルギーがつくわけだから、エネルギー=力であり、音力と呼べるものなのかもしれない。

そしてスピーカーシステムの音としてわれわれが感じとっているものは、音圧ではなく、音力なのかもしれない──、こんなことを17歳の私の頭は考えていた。

では音流はどんなものなのか、音力とはどういうものなのか、について、これらの正体を具体的に掴んでいたわけではない。

単なる思いつきといわれれば、たしかにそうであることは認めるものの、 音力と呼べるものはある、といまでも思っている。

音力を表したものがトータル・エネルギー・レスポンス、とは断言できないものの、音力の一部を捉えたものである、と考えているし、この考えにたって、D130のトータル・エネルギー・レスポンスをみてみると、(その6)に書いた、コーヒーカップのスプーンがカチャカチャと音を立てはじめたことも納得がいく。
http://audiosharing.com/blog/?p=6982


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c7

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
8. 中川隆[-11110] koaQ7Jey 2019年3月29日 07:19:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[909]

JBL 現行のスピーカーシステム
https://jp.jbl.com/premium-speakers

JBL 歴代スピーカーユニット一覧
http://audio-heritage.jp/JBL/unit/index.html
http://audio-heritage.jp/JBL/unit/index2.html

JBL 歴代エンクロージャー-キャビネット一覧
http://audio-heritage.jp/JBL/unit/index3.html

JBL 歴代スピーカーシステム(民生用)一覧
http://audio-heritage.jp/JBL/speaker/index2.html

JBL 歴代スピーカーシステム(プロフェッショナルシリーズ)一覧
http://audio-heritage.jp/JBL/speaker/index.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c8

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
9. 中川隆[-11109] koaQ7Jey 2019年3月29日 07:36:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[910]
JBL Professional Series Model 4343B
【 JBL 】 James Bullough Lansing


それは、誰もが一度は聞いたことがある名称 。

( JBL = ジェームス・バロー・ランシングとは、スピーカーの開発技術者であり、JBL を創設した人物 )

ちなみに、JAPAN BASKETBALL LEAGUE = JBL ではありませんから (笑)
JBL は、1946年に設立され、アメリカ合衆国カリフォルニア州ノースリッジに本拠地を置く世界有数のスピーカー製造会社です。

JBL の多くのスピーカーの特徴は、ドライバーが軽く高効率であり、大型の低音用のドライバーを有していることです。

また、他社では珍しいホーンドライバー、コンプレッションドライバーを備えた製品群を持っていることも、このメーカーの特筆すべき特徴ですね。

JBL のスピーカーは初動特性と音場表現能力に優れているとされ、プロの録音スタジオ・映画館などで多く使われています。

昔は、国内の山水 (SANSUI) というメーカーが輸入元として取り扱っていましたが、現在はハーマンインターナショナルが取り扱っています。

JBLの歴史的 銘機 『4343』

いつかはクラウン...いや、いつかは 4343 ...

1980年代...そんな思いを抱いて 20代を過ごした私でした..

その頃のオーディオ雑誌の試聴におけるリファレンス・スピーカーと言えば、必ず JBL4343 が標準になっていました。

今は B&W (800 Series Diamond) が多いでしょうか?
本来 4343 はプロユースのスタジオモニターなのに、これが一般家庭に受けてしまった商品で有名です。

いわゆる 4343 ブームです。

JBL もこれだけの人気があるなら、わざわざコンシュマー版を出す必要もないとばかりに 2機種のみ。

@ エンクロージャーがグレイに黒バッフルの SF ・・・シルバーフィニッシュ
A ウオルナットにブルーのバッフル...いわゆる JBL の象徴? と言われたブルーバッフル


※ 写真はケンリックサウンドさんのHPからの抜粋

これがウオルナットにブルーのバッフル...いわゆる JBL の象徴? と言われたブルーバッフルの 4343B/WX


他の機種のようなプロ用とコンシュマー用を分けた製品作りはされなかった。
恐らく、あの時代でこれだけ高価なスピーカーが、かなりの台数売れたのは前代未聞だったでしょう。

特に本国アメリカでは不発だったのに、日本国内での爆発的な売れ行きに、JBL 本社の関係者が日本には録音スタジオがそんなにあるのか? ...と尋ねられた。 という話は有名です。

しかし、日本国内の録音スタジオで 4343 を見かけることはほとんどなかったのです。

つまり、売れていたのは録音スタジオではなく、日本の狭小住宅に住んでいる一般の家庭だったのです。

なかには、裸電球の 6畳間に入れている貧乏学生も少なくはなかったといいます。
ほとんどがローン、当時は月賦 (ゲップ) って呼ばれていました。

4343 の 4wayというマルチ構成は周波数帯域の最もつながりの難しい構成ですが、それを見事に解決していたのも 4343 の人気ではないかと思いますね。

そして、その性能の割には比較的コンパクトで一般のオーディオファイルでも使える大きさがあげられます。

つまり、ハード面で JBL のトップレベルでありながら、場違いな点さえ気にしなければ 6帖間にも収まる、という JBL の技術力の高さ?

さらに、JBL の巧みなビジネス戦略がマニアの心を揺さぶって、それに拍車をかけるように各オーディオ誌がこぞって称賛した、という充分な下地もあったかもしれませんね。

もう一つの大きなポイントはやはりそのデザインです。

グリルを取るとバッフル表面はポートの穴なども含めて日本人ならもっと丁寧に上手に仕上げるのではないか、という気がしますが、ユニット本体のデザイン、 各ユニットのレイアウトは正に機能美の結集したものと言ってよく、不要な飾りが一切無い見事なものだと思います。

そのような訳で、とにかくこの 4343 は実にカッコいい憧れのスピーカーだったのです。

70年代風のカッコ良さだけで音楽を真面目に聴くための機器であることを主張していたのも魅力の一つでしたね。

この 4343 は、とにかく音のぬけの良さに加え骨太な低音と力感があり、ダイナミックなサウンドに酔いしれていたのも確かです。

それは「いつでも低音を出せるぞ!」みたいな余裕の姿勢が感じられ、濃厚なのに嫌味にならない「気品と格調」感がありました。

70年代的なカッコいいサウンド、それが JBL4343 で、4343B はやや寛いでいて、より厚みを増した音質でしたね。

ジャズピアノに透明感、力感があって、実にスカッとした気分で試聴していたのを思い出します。

とにかくエネルギッシュで、ホットでライブネスのある演奏が楽しめた 4343 でした。

私の愛用スピーカー JBL4343B/SF(シルバーフィニッシュ)

4343 の背面にはヤマハの調音パネル <ACP-2> を設置    
※ ヤマハの調音パネルは他にも防音室の壁面に10枚設置済み

ちなみに、 JBL の象徴とも言われている 『ブルーバッフル』 ではなく、『シルバーフィニッシュ』 です。

この 4343B は、アルニコタイプの 4343 ではなく、後継機種のフェライト・マグネットタイプの 4343Bです。

ちなみに、アルニコタイプの 4343 を 4343 A と表現する方がいますが、正確には 4343A というモデルは存在しません。

正確には、4343 と色違いの 4343WX の2種類だけです。
この呼び方は、フェライト仕様の 4343B の発売後、前機
種のアルニコ仕様の 4343 と区別するため、あえてアルニコの "A" と呼び始めたと記憶しています。

ちなみに、『アルニコ』 とは、アルニコ磁石 (Al-Ni-Co) のことで、アルミニウム (Al)、ニッケル (Ni)、コバルト (Co) などを原料 として鋳造された磁石(鋳造磁石)のことです。

『アルニコ』 より 『フェライト』 を選んだ理由

4343B は、ユニットがアルニコからフェライトに変わり、より聴きやすくなった 4343 の後継型です。

4343B の主な特徴は、アルニコタイプの 4343 より 『 倍音 (※)』 が豊かで響きのバランスがまとまっていると感じます。

特に弦楽器(ウッドベース、アコースティックギター、ヴァイオリンなど)を視聴すると良く分かるハズです。

また、アルニコは経年で保磁力が弱まりますが、フェライトは弱まりません。 
したがって、アルニコは経年減磁してしまい、最終的には再着磁が必要です。

ちなみに、4343 アルニコの再着磁費用は本体持込の場合で、2 本セットで約 14 万円(工賃込み)かかるそうです。

さらに、21世紀の今だからこそ言えることは、最新のアンプは 4343 が発売された1970年台の時代のアンプと比べるとクオリティが格段に向上しているため、 最新のアンプで 4343 シリーズを鳴らした場合、アルニコタイプの 4343 よりフェライトタイプの 4343B の方が 『音の完成度が高く聴こえる』 ということも言われているため、中古市場では 4343B をあえて求められる方も少なくないです。

先にも述べましたが、材質の違いによる先入観だけで 『とにかく 4343B のフェライトなんかより、アルニコの 4343A が良いに決まっとる!』 っていう輩が 21世紀になっても存在することは事実ですね(笑)

おそらく、その方々は今でも昔の古い真空管アンプで鳴らしていることでしょう。

ですから、最新型のアンプを繋いで 4343 と 4343B をブラインド視聴しても聴き分けることが不可能だと思います。

また、ブルーバッフル (WX) よりシルバーフィニッシュ (SF) を選んだのは、グレーのエンクロージャーにブラックバッフルの方が、『クールで無骨な男の趣味』 という魅力が私には感じたからです。

※ 倍音とは?

音には基音と倍音があります。

 基音・・・元の音のことを云います。たとえば “ ド ” なら “ ド ” だけの音のことです。

      音は、元来「複合したもの」と考えられ、その複合音の最低音を基音といいます。

 倍音・・・基音の振動数 (周波数) に対して整数倍の振動数をもつ上音のことを云います。

      板や膜による上音は倍音を構成しませんが、弦の振動によって発生する上音はだいたい倍音を構成します。

      倍音の呼び方は、基音を1として第2倍音、第3倍音・・・のように呼びます。

      第1倍音(ユニゾン)、第2倍音(1オクターブ)、第3倍音(1オクターブと完全5度)、第4倍音(2オクターブ)のように呼びます。

      倍音は、豊かな音色を形成し、基音の高さを明確に感じさせる機能をもち、2個以上の音の協和にも関係します。

      また、上音の倍音だけでなく、下方にも倍音があります。


身近なもので、ギターで例えると... 

12フレット目 (弦の1/2のポイント) で鳴らすハーモニクス音は、2倍音 (開放弦の1オクターブ上)

7フレット目と19フレット目 (弦の1/3のポイント) で鳴らすハーモニクス音は、3倍音 (開放弦の1オクターブ上)

5フレット目と12フレット目と24フレット目 (弦の1/4のポイント) で鳴らすハーモニクス音は、4倍音 (開放弦の2オクターブ上)
4フレット目と 9フレット目と16フレット目 (弦の1/5のポイント) で鳴らすハーモニクス音は、5倍音 (開放弦の2オクターブ上)
ということです。


【 スピーカーユニットのメンテナンス 】 

4343B は、1980年頃に製造されたスピーカーなので経年劣化等により基本、数年ごとにメンテナンスが必要になります。

そこで、JBL のスピーカーメンテナンスと言えば、

ケンリックサウンド 【KENRICK SOUND】
http://jbl43.com/


ちなみに、日本人のケンさんとアメリカ人のリックさんが共同で始めた会社なので、ケンリック? なのかは不明です(笑)

このケンリックサウンドという会社は、修復にかける情熱と技術がとても素晴らしく、メンテ、レストア後の仕上がりの素晴らしさには脱帽させられるほど 評価の高い店舗だと思っています。

老朽化した私の 4343B のスピーカーユニットは、ケンリックサウンドさんの手によって蘇るため、今後も安心して 4343B を所有し 続けることが出来ます。

メンテナンスの主な目的は、エッジとダンパーの素材を 『セーム皮』 に取替えることにより、今までのウレタンのように経年劣化の心配がないよう、 半永久的に使用できるようにすること。

4343B スピーカーユニットのメンテナンスに至るまでの経緯については、次のブログを参照。


  ・ ウレタンエッジの亀裂発見
http://bmw-mini.jugem.jp/?eid=1626

  ・ 仮見積りからユニット送付
http://bmw-mini.jugem.jp/?eid=1627

  ・ 最終見積りと正式依頼
http://bmw-mini.jugem.jp/?eid=1628

  ・ メンテナンス完了

<主なメンテナンス内容>

 1.ウーファー < 2231H >
  (1) セーム皮エッジへ交換
  (2) ダンパー交換
  (3) ダストフィルター交換
  (4) ギャップ内の清掃
  (5) コーン紙の着色

 2.ミッドバス < 2121H >
  (1) セーム皮エッジへ交換
  (2) センターキャップ交換
  (3) ダストフィルター交換
  (4) ギャップ内の清掃
  (5) コーン紙の着色
 

<参 考> 4343Bの主な仕様

詳細は、

JBL 43XX シリーズ スペック比較表
http://jbl43.net/JBL43xxlist.html

を参照ください。


スピーカースタンドの設置

4343 は床に直置きするタイプのスピーカーではないので、ブロック等、なんらかのスタンドが必要なスピーカーです。

特に 4343 の場合は、15インチ (38cm) の大口径ウーファーがエンクロージャー底辺の間近にあるため、床への不必要な振動を避けるためにも最低でも床から ある程度離す必要があるスピーカーです。

そこで業界で高い評価をされている TAOC のスピーカースタンドと TAOC のスピーカーベースをそれぞれ購入し、それぞれの音がどの程度変わるのか試してみました。

 @ TAOCスピーカーベースに 4343 を乗せた場合
 A TAOC スピーカースタンド SPB-400DH を使用した場合

イメージ的には、次のイメージ図 (自作) のようだと思っていただければ良いでしょう。

結果、@ は予想どおり、床全体に低音が響き渡って、4343 の抜けの良い低音が楽しめなかったです。

映画インディ・ジョーンズの地響きの再生など、音響的には適していると思いますが、音楽的にはNG!でした。

A は、一瞬にして違いがわかりました。  それは、@ に比べてかなり低音が引き締まり、部屋全体にバランスの取れた音だったため、比較視聴する必要もなかったほどです。

ちなみに、次のような TAOC 推奨のセッティング 3種類を試してみましたが最終的には、音の切れが向上する 『 間隔小 』 が最適でした。 


スピーカーケーブル

一般的に接続コード、ケーブル類を変えると音が変わるのは事実です。
ただし、それ以上に音が変わるのが上記に記載した、スピーカーの設置場所(位置)です。

つまり、高価なスピーカーケーブルを購入してもスピーカーの設置場所によっては、まったく無駄な投資になる可能性が高いっていうことです。
したがって CP 性を重視するなら、高価でなくてもそこそこの価格帯のスピーカーケーブルで最適なスピーカーの設置場所を選んだ方が良いという訳です。

愛用しているスピーカーケーブルは、Zonotone の 『6NSP-Granster 7700α』 を床下の専用ダクトを通して使用しているため、全長15m分を使用しています。

この 6NSP-Granster 7700α は4芯構造のケーブルなので、4芯のうち2芯同士を捩るスターカッド接続によりJBL4343をシングル方式で鳴らしています。

ちなみに、私の場合は一般的に対角に向かい合う2芯同士を縒るスターカッド接続ではなく、隣り合う芯線を縒る方法で接続しています。

また、4芯まとめてプラス・マイナス別で左右 (LR) 計4本のケーブルを使って接続している方がいますが、実際は4芯そのまま使うとSNが悪くなるという現象が生じるため、お勧めしません。

もし、4芯のままお使いの方は一度 2芯接続して確認されることをお勧めします。


この 6NSP-Granster 7700α の特徴は、エネルギッシュなサウンドと厚み、そしてボーカルの定位が 『ストライク』 そのもので、私好みであったということです。
そしてパンチ力も兼ね備えているため、愛機 『JBL4343』 との相性も抜群なのです。

※ 私が使用している各種ケーブルについては、こちら をご覧ください。

http://www.ob.aitai.ne.jp/~bmwmini/cable.htm


4343の 2way マルチ対応端子

JBL4343 はスピーカー端子がバイアンプ方式に対応しており、300Hz 以下を受け持つウーファー部分とそれ以上を受け持つ中・高域の 3way ( mid/high/ultra high ) をそれぞれネットワークから切り離してドライブできる仕様になっています。
ただし、高域の 3ユニットは既存の内蔵ネットワークを介することになるので、正確にはマルチではないのですが、ウーファーを単独のアンプでドライブできるのは低域の コントロールが可能という意味では充分なアドバンテージがあると考えてのことらしいです。

したがって、4343 には内蔵のネットワークによるシングルドライブ (INTERNAL CROSSOVER) のほか、背面スイッチの切替によって 300Hz における 2 チャンネルのマルチアンプドライブ (EXTERNAL CROSSOVER) が可能になっています。

なお、マルチアンプドライブの時は、純正のチャンネルディバイダー 5234 とフィルター基板 52-5140 などが別途必要です。

ちなみに、4343 の標準の端子は簡易なプッシュ式のもので、直径 2mm ぐらいまでの細いケーブルしか通りません。

経年劣化により、どの個体もスプリング強度が確実に弱まっており、端子とケーブルの接地部分の圧着度が相当低くなっています。
これを金メッキなどの大型ターミナルに交換しました。

これで直径 5〜8mm のスピーカーケーブルや、バナナプラグ接続にも対応します。
メーカー純正にこだわる方以外は是非、交換されることをお勧めします。 

http://www.ob.aitai.ne.jp/~bmwmini/JBL4343.htm

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c9

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
10. 中川隆[-11108] koaQ7Jey 2019年3月29日 07:40:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[911]

オーディオ界のバブル…4343

その頃の、オディーオ誌の試聴におけるリファレンススピーカーと言えばJBL4343が標準になっていました。

本来4343はプロユースのスタジオモニターなのですが、これが一般受けしてしまった。いわゆる4343ブームです。


____


 JBL 礼賛
http://www7a.biglobe.ne.jp/~jacke842nov/html/jbl/koment.html

                目    次


            1.序 章…JBLの人気の秘密は?
            2.フルレンジ一発…D−130
            3. JBLのデザインの象徴…L−200B
            4. オーディオ界のバブル…4343


1.序 章…JBLの人気の秘密は?

ジャズレコードの再生にはなくてはならないスピーカーJBL…
今は国産のスピーカーも全く遜色の無い音質ですが、ジャズ喫茶全盛当時スピーカーと言えばJBL…

たまにアルティックを見かけるぐらいで、それ程JBLは人気がありました。
最もその頃のジャズ喫茶のカートリッジの定番と言えばシュアでしたから、ジャズの本場米国のスピーカーとカートリッジの組み合わせは、正にジャズのためにあったようなものでした。長い歴史と、その国の風土国民性、そして生活の慣習に培われた伝統の音楽は、例え再生音楽とは言え容易に日本人に真似のできるところではなかったのかもしれません。

JBLがそれ程人気があった理由の一つは、やはりその音質でしょう。

紙臭さが全く無く、生の音に限りなく近い再生音は魅了されるに充分でした。オーディオ専門誌でも圧倒的な支持を得ていますし、このような記事がその人気に拍車をかけたことは否めませんが、それを別にしても音にうるさいジャズ喫茶の殆どがJBLを採用していたことを思えばその人気は本物でした。


JBL人気のもう一つの理由はデザインの素晴らしさでしょう。

単体ユニット、完成品のどれを取っても非のうちどころがありません。もう一方の雄であるアルティックは米国流の考え方で、音質が全てに優先する、という合理性に沿ったものです。あの包み込まれるような空気感を伴った音質は魅力的です。ジャズ喫茶で聴く限りは何ら不満はありません。むしろアルティックを採用している店主に拍手を送りたくなります。

それでも私個人としては使う気になれません。物には全て形、色、質感があります。

「デザインで音を聴くわけじゃない!」と言ってしまえばそれまでですが、人間の五感の一つでもある視覚に訴える効果は絶大な物があります。元々アルティックは劇場用、JBLはコンシュマー用ですから当然の成り行きかもしれませんが…

JBL賞賛大ブローの序章ですが、JBLとて30年近く昔と今では製品も様変わりです。

これはJBLの一オールドファンの回顧録、懐古趣味といえるものですから、興味をお持ちの方だけお読みになって下さい。


2.フルレンジ一発…D−130

27年前になりますが、当時JBLはかなり高価で高嶺の花でした。

ジャズ喫茶と言えど後の4343に代表される大型フロアータイプを設置しているお店は
少なくランサー101やL−88ノバなどが記憶に残っています。
L−101を使用していた御茶ノ水の「響」にはよく行きました。大理石と手彫り組子の
デザインは斬新でかつ日本的で一目見てJBLの虜になってしまいました。
LE−14Aと175DLH(通称蜂の巣ホーン)の音は圧倒的なパワーで腹に響いてきました


              

     L-88ノヴァ       L-101ランサー        D-130              LE-8T


どうしてもJBLを手に入れたい、と思いましたが、完成品ではとても手が出ない。
その頃フルレンジのLE−8Tや、D−130を国産のBOXに入れたスピーカーが流行っていました。
そこで御茶ノ水の「オーディオユニオン」で進巧舎のBOXに入れたものを購入しました。
JBLはプロ仕様で製品化したものを、型番や多少仕様を変えてコンシュマー用にも出しています。D−130も元々はPAや楽器用のプロ用でした。能率は滅法高く、センタードームの採用でトーンコントロールを使えば上限は1万Hzぐらいまで出ます。

このスピーカーはジャズのためにある、と言っても過言ではない、それもピアノトリオには抜群の威力を発揮します。フルレンジですから、定位はバッチリでその音色といい、軽やかでリズミカル、よく弾むしなやかさとパワーに即応答するレスポンスの良さは飛びぬけていました

唯一の泣き所は当然ながら重低音が出ないこと(勿論高音も厳しいですが、ジャズのトリオを聴く限りにおいては不満はありません)オーケストラものでは音がダンゴ状になることです。私はクラシックも聴きますので、シンフォニーのffなどでは量感に乏しく音も一塊で役者不足の感を否めません。
元々JBLのスピーカーはクラシックの再生は得意ではありません。L−101のバイオリンは余りに太く、馬力がありすぎて、繊細感に欠けるものですし、分解能もそんなに良くない、クラシックも聴けるようになった、と言われ始めたのは4343出現以後ではないかと思います。
クラシックは欧州のスピーカーの得意とするところで、オーディオもその地域の長い歴史と伝統に培われた音楽に根ざすものである、といえます。
 

話がそれますが陰影の多いクラシックは少し音が湿っていた方がニュウアンスがよくでる、逆にジャズは音がカラッとしていないと欲求不満になる、これはスピーカーの能率とも関係があってジャズ向きは例外無く能率がいい、何か実際の音楽をスピーカーに閉じ込めてしまった様で面白いとは思いませんか?


               
   73年頃、両サイドが D-130         K-130       D-130オリジナルBox入れ(ハ−ツ・フィールド) 

 

3. JBLのデザインの象徴…L−200B

D−130のジャズ再生における素晴らしさは認めつつも、前途のような物足りなさとオーディオにのめり込め始めていた私は、一大決心をしてなけなしの有り金をはたき、その上ローンを組んで(正直なところ殆どローンでした)L−200Bを購入しました。

これはプロユースの4331Aのコンシュマー版で2wayです。プロ仕様ではホーンツウィーターを追加できますが、コンシュマーではできません。3wayはL−300です。

このBOXはかなり斬新なデザインでJBLの面目躍如たるものがあります。特にバーガンディの海綿状のグリルは、ほかでは見られないユニークなものです。
これは凸凹の連続的なデザインで、音の拡散にもそれなりの効果があったのではないかと思います。今考えると、6帖一間で聴いてるわけですから、もとより音量など上げられる筈もありません。そんな条件下で無駄な抵抗をしたものだ、という気もします。

しかし実用性一点張りでは趣味は限られてしまいます。限られたスペース、限られた条件下のもとで一つ一つ努力しながら自分の音にしていく、その過程が楽しみでもあり、苦しみでもある、それこそが趣味たるオーディオの醍醐味ではないでしょうか?

どの段階で一線をひくか、その見極めこそ大事なのではないか、と思います。


L−200Bも最初は音が硬く、全くなじまない、半年ぐらい駄目だったと思います。

何かそれまでのD−130とは明らかに違う、紛れも無くJBLの音なのですが、微妙なニュウアンスが異なる、低音は重くて弾まない、やたら中音が威勢がいい、2wayなのにどうも音がチグハグに聞こえる…

今考えると思い当たることばかりですが、なにせパワーを入れられないから、なじむまで時間を要しました。ウオルナットのオイルフィニッシュの香りが消える頃には音らしくなってきましたが、それからもかなり時間を要したように思います。


             

  海綿状のグリルがユニークなL-200B    4331コンポーネント          4331A

JBLがウレタンエッジを採用し始めたのはこの頃からではなかったか、と思います
良くも悪くもウレタンです。クラシックも聴けるようになった代わり、あの弾むようなべースの音は影を潜めてしまいました、と同時にJBL独特のジャズっぽさも消えて音が没個性化されたような気がします。


                          
        76〜80年頃、下のスピーカーがL-200B                     もう一方のコーナーのL-200B

4. オーディオ界のバブル…4343

その頃の、オディーオ誌の試聴におけるリファレンススピーカーと言えばJBL4343が標準になっていました。本来4343はプロユースのスタジオモニターなのですが、これが一般受けしてしまった。いわゆる4343ブームです。

JBLもそのへんは心得たもので、これだけの人気があるならわざわざコンシュマー版を出す必要もないとばかりBOXがグレイに黒のグリル、ウオルナットにブルーのグリルの2機種だけで、他の機種のようなプロ用とコンシュマー用を分けた製品作りはやりません。恐らくこれだけ高価なスピーカーがかなりの台数販売されたのは前代未聞でしょう。

4wayというマルチ構成は周波数帯域の最もつながりの難しい構成ですが、それを見事に解決しているのも4343の人気に貢献したのではないかと思います。そして、その性能の割には比較的コンパクトで一般のオーディオファイルでも使える大きさ、つまりはハード面でJBLのトップレベルでありながら、場違いな点さえ気にしなければ6帖間にも収まる、というJBLの技術力の高さと、巧みなビジネス戦略がマニアの心を揺さぶって、それに拍車をかけるように各オーディオ誌がこぞって賞賛した、という充分な下地もあったかもしれません。

もう一つの大きなポイントはやはりそのデザインです。

グリルを取るとバッフル表面はポートの穴なども含めて日本人ならもっと丁寧に上手に仕上げるのではないか、という気がしますがユニット本体のデザイン、各ユニットのレイアウトは正に機能美の結集したものと言ってよく不要な飾りの一切無い見事なものだと思います。


                    
                 
          4344             4344MK-U


4343は一世を風びしましたが、私自身はL−200Bの2wayと比較して、格段の差は感じませんでした。最もフルパワーに近い音量で、最低でも20帖ぐらいのルームで聞けば分解能の違いとか、それなりの差は現れるのでしょうけど、普通に聞く分にはそれ程遜色無い、いずれも製品としての完成度が高い、ということでしょう。

一時46cmウーファーを搭載した4345もありましたが、やり過ぎの感じを否めません。

現在は4344MKUになっています。各ユニットの改良と、ユニットのレイアウトを見なおしてよりスムーズな音の繋がりと位相を整えたものと思います。
現在ではオーディオから大分遠ざかっていますので、4344の人気の程は解かりませんが異常とも言えるあの4343ブームの再来は最早あり得ないでしょう。

昔のランサー101に代表される不織布のエッジに変わってウレタンが採用されるようになってクラシックも聴けるようになりました。しかしこのウレタンは弱点もあります。10年近く経つとウレタンがボロボロに崩れてしまうことです。

JBLの音、と言えばL−101に代表される太く、逞しく、迫力満点の音、そしてD−130の軽やかで、弾むようなリズミカルな音といずれもジャズに特化したような音が一番印象的です

スピーカーにも得意不得意があってよく、万能というのは反面独特の個性を失っているのかもしれません! 
      
http://www7a.biglobe.ne.jp/~jacke842nov/html/jbl/koment.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c10

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
11. 中川隆[-11107] koaQ7Jey 2019年3月29日 07:47:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[912]

中高域にホーンドライバーを持つ4ウェイという大がかりなシステムでありながら、JBL4343というスピーカーシステムが、プロのモニタースピーカーとしてではなく、日本のコンシューマー市場で空前のベストセラーとなった現象は、わが国の20世紀後半のオーディオ文化を分析する、


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モニタースピーカー論 1998年4月30日 菅野沖彦


JBLモニタースピーカー研究(ステレオサウンド別冊・1998年春発行)
「モニタースピーカー論」より
http://audiosharing.com/review/?p=4685


「モニタースピーカーとは何か?」というテーマは、オーディオの好きなアマチュアなら誰もが興味を持っている問題であろう。また、プロの録音の世界でも、専門家達によってつねに議論されているテーマでもある。私も長年の録音制作の仕事の経験と、半世紀以上の私的レコード音楽鑑賞生活を通じて、つねにこの問題にぶつかり、考え続けてきているが、録音再生の実体を知れば知るほど、一言で定義できない複雑な命題だと思わざるをえない。モニタースピーカーをテーマにして書いたことや、話をしたことは、過去にも数え切れないほど多くあったが、そのたびに明解な答えが得られない焦燥感を味わうのが常であった。モニタースピーカーの定義は、オーディオとは何か? の問題そのものに深く関わらざるを得ないものだからだと思っている。つまり、オーディオの代表と言ってよい、変換器コンポーネントであるスピーカーと、それが置かれる再生空間(ホール、スタジオ、モニタールーム、家庭のリスニングルームなど)の持つアコースティックの諸問題、さらには、各人の技術思想や音と音楽の感覚的嗜好の違いなどに密接に関係することを考えれば、その複雑さを理解していただけるのではないだろうか。いまや、モニタースピーカーを、単純に変換器としての物理特性の定量的な条件だけで定義することはできないという認識の時代になったと思う。

 モニタースピーカーには目的用途によって望ましい条件が異なる。本来は、再生の代表であるから、そのプログラムが聴かれる再生スピーカーに近いものであることが望ましい。しかし現在では、5cm口径の全帯域型からオールホーンの大型4ウェイ、5ウェイシステムなどといった多くのスピーカーシステムがあるわけだから、このどれを特定するかが問題である。AMラジオやカーオーディオからラジカセ、ミニコン、本格オーディオまでのすべてをひとまとめにするというのも無茶な話ではある。つまり、特定することは不可能であり、現実はかなりの大型モニターをメイン・モニタースピーカーとし、それと小型のニア・フィールド・モニターを併用し、この2機種に代表させているのが一般的であるのはご存じの通りである。また、各種の編集用やマスタリングなどのそれぞれに、最適のモニターのあり方は複雑である。厳密に言えば制作者のためのコントロールルーム・モニタースピーカーと、演奏者のためのプレイバック・モニターでも異なる必要がある場合もある。通常はスタジオ・ホールドバックはメインモニターと共通のものが多いようだ。演奏者のためのキューイング用ヘッドフォンやスピーカーも一種のモニターとして重要であるがこうなると切りがない。これは録音のための詳しい記事ではないのでこうした具体的な詳細については省略するが、とにかく、モニタースピーカーシステムの概念は単純に考えられるものではないことだけは強調しておきたい。
 モニタースピーカーだからといって、基本的には、観賞用スピーカーシステムと変るところがあるわけではないが、鍛えられたプロの耳にかなうべく、音響的にその時代の水準で最高度の性能を持つものであることが望まれると同時に、なによりも少々のことでは壊れないタフネスと制作者が音楽的判断がしやすく、長時間聴いても疲れない、好ましいバランスと質感のサウンドを兼ね備えるものであることが望ましい。周波数的にワイドレンジであり、リニアリティに優れ、歪みが少なく、全帯域にわたる位相特性が重視されるなどといった基本的な物理特性は、モニタースピーカーだけに特に要求される条件ではないわけだから、そんなことを、あらためて条件として述べる必要はないだろう。指向特性や放射波パターンは現在のところでは特定されていない。当然のことだが、理屈を言えば、肝心のモニターする部屋の問題はさらに重要である。かといって、特に音響設計をした部屋であらゆる音楽制作の仕事ができるわけでもないし、だいいち、モニタールームの理想的音響特性というものにも見解は不統一である。当然これに関しても、世界各国の多くの機関が推奨特性を提案してはいるが、世界中の録音スタジオのコントロールルームを同じ特性に統一できるはずはないし、コンサートホールの録音に部屋を担いでいくわけにはいかない。案外、放送局が使っている中継車が使いなれていれば、正解かもしれない。

 私個人のモニタースピーカーとしての条件をあえて言えば、「当人が好きで、聴きなれたスピーカーシステム」としか言えない。しかし、そう言っては元も子もなく、「多くの人間が共通して使える普遍性」というスピーカーシステムの本質にとってもっとも困難な問題こそがモニタースピーカーの条件なのである。

 過去には、ラジオ放送局や電気音響機器に関する各種の技術基準を定める関連団体が、サウンドのリファレンスとしてのモニタースピーカー規格を作成し、少なくとも単一団体やネットワークの中での共通項として定め、仕事の質的向上と組織化や円滑化に役立てられてきたのがモニタースピーカーと言われるものであった。そして、その機関は専門家の集団であり、放送局のように公共性を持つものだったことから、そこが定める規格は、それなりの権威とされたのはご存じの通りである。その代表的なものが海外にあってはRCAやBBCのモニタースピーカー規格であり、内にあってはNHKのBTSモニタースピーカー規格などである。この規格に準じた製品はメーカーが共同開発、あるいは設計、仕様書に基づいて製品を受注生産することになる。さらに一般マーケットでの販売に拡大し、一定の生産量を確保してコストの低下を図ることになる。そうなれば、そのような、ある種の権威ある機関が定めた規格を売り物にするという商業的傾向も生まれて当然であろう。その制定機関の承認を得て名称を使い、一般コンシューマー市場で、モニタースピーカーとししてのお墨付を優れた音の信頼の証しとするようになったのである。かくしてオーディオファイルの間でも、プロのモニターという存在が盲目的信仰の対象に近い存在になっていったと思われる。当時の技術水準とオーディオマインドのステージにあっては、こうしたお墨付が大きな意味があったのは、やむを得ないであろう。オーディオの文化水準もいまのようではなかったし、つねに自分の再生音に不安を持つのがアマチュア共通の心理である。プロのモニターというお墨付は、何よりの安心と保証である。

 この状況は、いまもオーディオファイル

に根強く残っているようではあるが、大きく変りつつある面もあり、実際に、そうしたお墨付の製品は少なくなっているようだ。それは、時代とともに(特に1960年代以後)、レコード産業や文化が発展し、オーディオ産業がより大きく多彩な世界に成長したことが要因と思われる。電気音響技術と教育の普及と向上も、放送局のような特定の公的機関や団体に集中していた技術や人材を分散させ、オーディオは広範囲に拡大化した。モニタースピーカーにも多様な用途が生まれてきたし、変換器としてプロ機器とコンシューマー機器をかならずしも共通に扱えないという認識も生まれてきた。また、技術レベルの格差も縮まり、物によっては逆転と言える傾向さえ見られるようになったのが現状である。一般にオーディオと呼ばれるレコード音楽の録音再生分野に限ってもモニタースピーカーの設計製作をする側も、仕事や趣味でそれを使う側でも、音への認識が高まり、スピーカーや室内音響の実体と本質への理解が深くなったことで、スピーカーを一元論的に定義する単純な考えは通用しない時代になったと思われる。

 このように、モニタースピーカーは、より多元的に論じられる時代になったと言えるだろうし、現に録音現場で採用されているプロのモニタースピーカーも、むかしとは比較にならないほど多種多彩で種類が多い。同じ企業の中で数種類のモニターが使われている例も珍しくはなく、同じ放送局内でさえ、ブランドはもちろんのこと、まったく異なる設計思想や構造によるスピーカーが、メインモニターとしてスタジオ別に設置されている例が見られるようになった。局が違いレコード会社が違えば、もはや、ある基準値による音の客観的標準化(本来有り得ないものだが)や、規格統一による互換性などは、ほとんど希薄になっていると言わざるを得ないであろう。多様化、個性化といった時代を反映しているのだろうが、これもまた、少々行き過ぎのように思われる面もある。

 私は、1971年のアメリカのJBL社のモニタースピーカー市場への参入を、このような、言わば「モニタースピーカー・ルネッサンス」と呼んでよいエポック・メイキングな動きの一つとして捉えている。

 そしてその後、中高域にホーンドライバーを持つ4ウェイという大がかりなシステムでありながら、JBL4343というスピーカーシステムが、プロのモニタースピーカーとしてではなく、日本のコンシューマー市場で空前のベストセラーとなった現象は、わが国の20世紀後半のオーディオ文化を分析する、歴史的、文化的、そして商業的に重要な材料だと思っている。ここでは本論から外れるから詳しくは触れないが、この問題を多面的に正確に把握することは、現在から近未来にかけてのオーディオ界の分析と展望に大いに役立つはずである。

 いまの若い方達はたぶん意外に感じられると思うのだが、JBLはもともとプロ用モニタースピーカーの専門メーカーではなかった。プロ機器(劇場用とモニター)の専門メーカーであったアルテック・ランシング社を離れ、1946年創立されたJBL社は、高級な家具調のエンクロージュアに入ったワイドレンジ・スピーカーシステムに多くの傑作を生み出している。ハーツフィールド、パラゴン、オリンパス、ランサーなどのシリーズがそれらである。これは、マーケットでのアルテック社の製品群との重複を避けたためもあるらしい。(実際、JBLの創設者J・B・ランシング氏は、アルテックの副社長兼技術部長時代に、アルテックのほとんどの主要製品、288、515、604、A4などを設計開発していた!)

 JBLがモニタースピーカーと銘打って登場させた最初のスピーカーシステムは、一般には1971年の4320だとみなされている。実際には、1962年にC50SM(スタジオ・モニター)というモデルが発表されているが、広く使われたものではなかったようであり、また4310というシステムが4320とほぼ同時に発売されているが、このモデルは、30cmウーファーをベースにした、オール・コーン型のダイレクトラジエーターによる3ウェイシステムだから、その後同社モニタースピーカーとして大発展をとげるシリーズがすべて、高城にホーンドライバーを持つシステムであることからすれば、4320を持ってその開祖とするのも間違いではない。4320は2215型38cmウーファーをベースに、2420+2307/2308のドライバー+ホーン/音響レンズで構成される2ウェイシステムである。

 1972年にはヴァリエーション機の4325も登場するが、同時にこの年、38cmウーファー2230A2基をベースとした4ウェイ5ユニット構成の大型スタジオモニターシステム、4350が発表となるのである。これは従来、モニタースピーカーはシングルコーン型か同軸型、せいぜいが2ウェイシステムと言われていた定説に真っ向から挑むものとしてエポック・メイキングな製品と言えるもので、その後の、世界中のスタジオモニターのあり方に大きな影響を与えたものであったと同時に、一足先に3ウェイ以上のマルチウェイ・システムに踏み込んでいたオーディオファイルの世界に、喜ばしい衝撃となったことは重大な意味を持っていると、私は考える。マルチウェイでもプロのモニターができたのか! という我が意を得たりと感じたファンも多かったと思う。かつての放送局規格のモニタースピーカーとはまったくの別物であった。私の知る限りでは、これらJBLのプロ・モニターは自称であり、どこかの機関の定めた規格に準拠するものではないと思う。

 アメリカでは歴史上の必然からウェスタン・エレクトリックとアルテック・ランシングがプロ用スピーカーシステムの標準のようなポジションを占めてきた。特にスタジオモニターとして、当時、独占的な地位とシェアを誇っていたのが、38cm同軸型ユニットの604Eを銀箱という愛称のエンクロージュアに納めたアルテックの612Aであったが、このJBLのプロ市場参入をきっかけとして、落日のように消えていったのである。既成概念の崩壊は雪崩のごとくプロ市場を襲い、その頃から多くのカスタムメイドのモニタースピーカーメーカーも登場したのである。ウーレイ、ウェストレイクなどがなかでも有名になったメーカーだ。

 さて、そうしたモニター・ルネッサンスを生み出したJBLの製品は、4320、4325、4331、4333、4341と続き、’76年に発表され大ヒットとなった4343、4343WXで、最初の絶頂期を迎えることになるわけだ。4343は、

2231Aウーファー、2121ミッドバス、2420+2307/2308ミッドハイ、2405トゥイーターという4ウェイ4ユニットが、4面仕上げの大型ブックシェルフ(?)タイプのエンクロージュアに納められた、以後お馴染みになる4ウェイシステムの原器である。その後、改良型の4343Bとなり、1982年には4344、さらにダブルウーファーモデルとして1983年には4355と発展したのである。

 しかし、その発展は、モニター・ルネッサンスというプロ業界での尖兵としての健闘もさることながら、JBLを商業的に支えたのは、むしろ、これが援兵となったコンシューマー・マーケットでの尖兵達の敢闘であった。特に日本のオーディオファイルはこれをハイファイのスタンダードという認識を待ったようである。ペアで100万円以上もするシステムが売れに売れたという1970年〜1980年のわが国のオーディオ界であった。4344は、1996年に4344MkIIが発売された時点でも残っているという人気ぶりで、ロングライフの名機となったのである。

 プロとコンシューマーの別はこうして取り除かれた。そしてたしかに、JBLによって’70年代から’80年代にかけて日本のオーディオ文化は円熟の時を迎えた。その結果、爛熟がカオスを招いたことも事実である。したがって、モニタースピーカーとは何か? という進路をも不透明にしてしまったように思える。その後JBLはバイラジアル・ホーンを持つモニターを発表し、さらにはプロジェクト・シリーズで気を吐くが、自らの進路を定めていない。むしろ、個々に鑑賞用として優れた魅力的なシステム群である。

 モニタースピーカーは録音再生の、いわば「音の羅針盤」だ。JBLが創り出したといってよい世界の現代モニタースピーカーのカオスから、なんらかの方向が定まることを期待したい。まさに群雄闊歩の時代なのである。

http://audiosharing.com/review/?p=4685
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c11

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
12. 中川隆[-11106] koaQ7Jey 2019年3月29日 10:29:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[913]

JBL 4343 the reView (in the past)
http://audiosharing.com/review/?tag=4343


JBL 4343 1979年10月30日 瀬川冬樹

続コンポーネントステレオのすすめ(ステレオサウンド別冊・1979年秋発行)
「第7項・例えばJBL4343について少し研究してみよう」より

 JBLの四桁ナンバーで、43××というように上二桁が43……ではじまる製品は、すべてこの系列だと思っていい。JBLではこれを「プロフェッショナル・モニター・シリーズ」と呼んでいる。

 モニタースピーカーと呼ばれる製品は26項でくわしく説明するように、アンプから加えられた入力信号を、できるかぎり正確に音波に復元することが要求される。すなわち前項までの分類の第一の、アキュレイトサウンドそのものといえる音を再生する。

 中でもこのJBLの4343は、その性能の優秀なこと、どんな条件下でもみごとな音を聴かせることで、音を創る側の人たちばかりでなく、再生の側の、それも専門家筋にとどまらず、音楽家、音楽評論家や熱心な観賞家、はてはごく普通の愛好家まで、広い分野の人びとが一様にほめる、稀有なスピーカーだといえる。クロウト筋の評価が高いのに一般受けしない、とか、市場では広く売れているのに専門家はほめない、などという製品はけっこう少なくないが、どんな立場の人からも広く支持されるスピーカーは、どちらかといえば珍しい部類に入る。

 実際、このJBL4343というスピーカーは、プロフェッショナルの立場の人が、音をどこまでも細かく分析したいと思うとき、その要求にどこまでも応じてくれる。このスピーカーなら、まあ、聴き洩らす音はないだろうという安心感を与えてくれるというのは、たいへんなことだ。

 それでありながらこれをふつうの家庭に収めて、音楽を鑑賞する立場になって聴いてみても、4343は、それが音楽の研究や分析という専門的な聴き方に対しても、また逆に、面倒を言わずにただ良い音、美しい音を楽しみたいという聴き方に対しても、それぞれにみごとに応じてくれる。眼前で楽器を演奏するような大きな音量でも音が少しもくずれない。逆に、夜遅くなって、思い切ってボリュウムを絞って観賞するようなときでも、音はぼけたりしない。クラシックのオーケストラも、ジャズも、ヴォーカルも、ロックやニューミュージックも、どこにも片寄ることなく、あらゆる音に対して忠実に、しかもみごとに反応する。

 このスピーカーに、何の先入観も持たない一般のひとが聴いても、素晴らしい音だと感心する。逆に、4343にいろいろな先入観を抱いている専門家や、半可通のアマチュアのほうが、このスピーカーをいろいろとけなしたりする。もちろん完全無欠の製品どころか、4343といえど、いろいろと弱点も残っている。部分的には4343以上の音を鳴らすスピーカーはいくつかある。けれど、いろいろな音楽を、いろいろな音量で、あらゆる条件を変えて聴いたときのトータルなバランスの良さ、それに見た目の美しさも加えると(これは大切な要素だ)、やはり4343は、こんにちのベストスピーカーのひとつにあげてよいと思う。

 なお、型番の末尾にWXとつくのは、外装がウォルナット木目のオイル仕上げで、前面グリルが濃いブルー。何もつかないほうは、スタジオグレイと呼ばれるライトグレイの粗いテクスチュアの塗装に、グリルは黒。WXは、前面木部のふちを斜めにカットしてあるので見た目にいっそうやわらかいエレガントな印象を与える。

 さて、当り前の話だがスピーカーはそれ自体では鳴らない。アンプやプレーヤーやチューナー、必要ならテープデッキ……というように、さまざまのコンポーネントパーツを上手に組合わせて、そこではじめて、スピーカー本来の能力を発揮できる。いくら優秀なスピーカーでも、それを鳴らしてやる条件が十分にととのわなくては、せっかくの性能も生かされない。

 そこで、JBL4343の、すでに書いたような優れた能力を、十全に発揮するための使いこなしを、いくつかの実例をあげながら研究してみることにする。

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JBL 4343BWX 1980年3月15日 瀬川冬樹

ステレオサウンド 54号(1980年3月発行)
特集・「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」より

 本誌所有のリファレンスの旧4343との比較には、何度も置き場所を入れかえて時間をかけた。並べて切替えたのでは、置き場所による音のちがいかそうでないかの判別ができない。さてその結果は、ミッドバスの領域では明らかに改善の効果が聴きとれ、歪が減ってすっきりと滑らかで透明感が増して、音像の輪郭がいっそうクリアーになったと思う。しかし低音に関しては、とくに重低音域では、旧型のキリッと引締って、しかしゆるめるべきところはゆるめて、ブースのアルコの甘いブーミングトーンがいかにも弦の振動しているような実感をともなって感じられる点が私には好ましい。Bタイプでは旧型より暖かみが増していて、総体的には、新型のほうが音のつながりが滑らかだし、ふっくらしている。ある意味では旧型のほうがキリリっと締って潔癖か。音量を絞り込んだときの音像のクリアネスでは、旧型がわずかによいのではないか。しかし厳密な比較をしないで、単独で聴かされたら、ちょっと気がつかないかもしれない。


総合採点:10
●9項目採点表

❶音域の広さ:10
❷バランス:10
❸質感:10
❹スケール感:10
❺ステレオエフェクト:9
❻耐入力・ダイナミックレンジ:10
❼音の魅力度:10
❽組合せ:あまり選ばない
❾設置・調整:やや工夫要


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JBL 4343B 1981年6月15日 瀬川冬樹

ステレオサウンド 59号(1981年6月発行)
特集・「’81最新2403機種から選ぶ価格帯別ベストバイ・コンポーネント518選」より


 発売後五年あまりを経過し、途中でBタイプ(フェライト磁石)に変更のあったりしたものの、こんにち世界じゅうで聴かれるあらゆる種類の音楽を、音色、音楽的バランス、音量の大小の幅、など含めてただ一本で(完璧ということはありえないながら)再生できるスピーカーは、決して多くはない。すでに#4345が発表されてはいるが、4343のキャビネットの大きさやプロポーションのよさ、あ、改めて認識させられる。


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Monitor Speaker System 1979年10月30日 瀬川冬樹


続コンポーネントステレオのすすめ(ステレオサウンド別冊・1979年秋発行)
「第26項・『モニタースピーカー』とは?」より

 たとえば7項から11項までかなりのページを割いたJBLの4343のネームプレートには「スタジオモニター」と書いてある。また18項のヤマハNS1000MのM≠ヘモニターの頭文字をあらわしている。17項のUREIもモニタースピーカーであることをはっきりと宣言している。20項のダイヤトーン2S305も、そしてこれらの例にとどまらず、ここ数年来、世界的に、ことにヨーロッパなどで、型名に「モニター」とはっきり書いたり、それほどでなくとも広告やカタログに「モニター用」と書く例が増えている。

 では「モニター」とは何か。実をいうと、はっきりした客観的な定義なり想定なりがあるわけではない。とうぜん、「モニタースピーカー」と名乗るための規格や資格が、明示されているわけでもない。極端を言えば、メーカーが勝手に「モニター」と書いても、取締る根拠は何もない。

 だが、そうは言っても、ごく概念的に「モニター」の定義ができなくはない。ただし、モニターにもいろいろの内容があるが……。

 その最も一般的な解釈としては、録音あるいは放送、あるいは映画などを含めたプログラムソース制作の過程で、制作に携わる技術者たちが、音を聴き分け、監視(モニター)するための目的にかなうような性能を具備したスピーカー、ということになる。

 粗面からこまかく分析してゆくと膨大な内容になってしまうので、この面を詳しく研究してみたい読者には、季刊「ステレオサウンド」の第46号(世界のモニタースピーカー)を参照されることをおすすめする。

 しかしひとことでいえば、すでに何度もくりかえしてきた「正確(アキュレイト)な音再現能力」という点が、最も重要な項目ということになる。ただし、いわゆるスタジオモニター(録音スタジオ、放送スタジオの調整室で使われるためのモニタースピーカー)としては、使われる場所の制約上、極端な大型になることを嫌う。また、プロフェッショナルの現場で、長期に亙って大きな音量で酷使されても、その音質が急激に変化しないような丈夫(タフネス)さも要求される。

「モニタースピーカー」には、こうした目的以外にも、スタジオの片隅でテープの編集のときに使われるような、小型で場所をとらないスピーカー、だとか、放送局の中継所などで間違いなく音が送られていることを単に確認するだけの(つまり音質のことはそううまさく言わない)スピーカーでも、プロが使うというだけで「プロフェッショナル用モニター」などと呼ばれることさえあるので、その目的について、少しばかり注意して調べる必要はある。

けれど、前述のスタジオ用のモニターは、一般的にいって、ほどほどの大きさで、できるかぎり正確に音を再生する能力を具えているわけで、しかも長期に亙っての使用にも安定度が高いはずだから、そうした特徴を生かすかぎり、一般家庭でのレコードやFMの鑑賞用として採用しても、何ら不都合はない理屈になる。

 少し前までは、スタジオモニターは「アラ探しスピーカー」などと呼ばれて、とても度ぎつい音のする、永く聴いていると疲れてしまうような音のスピーカーであるかのように解説する人があった。事実、そういうモニタースピーカーが、いまでもある。けれど、JBLやヤマハやKEFやUREI等の、鑑賞用としても優れたスピーカーが次第に開発されるようになって、こんにちでは、モニタースピーカーの概念はすっかり変わったといってよい。

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JBL 4343(部屋について) 1979年10月30日 瀬川冬樹

続コンポーネントステレオのすすめ(ステレオサウンド別冊・1979年秋発行)
「第12項・JBL4343にはどんなリスニングルームが必要か どういう環境条件が最低限必要か」より


 JBL4343をもとに、四通りの組合せを作ってみた。それぞれの関連説明からすでに想像のつくように、ひとつのスピーカーをもとにしても、組合せの答えはひとつに限らない。そのスピーカーの、どういう面を、どう生かすか、という設問に応じて、組合せは、極端にいえば無限と言えるほどの答えがある。もしも私以外の人が組合せを作れば、私の思いもつかない答えだって出てくるだろう。組合せとはそういうものだ。
           ※
 このように再生装置が一式揃ったところで、もっと切実な問題が出てくる。それは、この装置を設置し、鳴らすための部屋──いわゆるリスニングルーム──の条件、という問題だ。4343ほどのスピーカーになれば、よほどきちんとした、広い、できることなら音響的にもある程度配慮された、専用のリスニングルームが必要……なのだろうか。
 そういう部屋が確保できるなら、それにこしたことはない。そういう、専用のリスニングルームのありかた、考え方については別項でくわしく述べるが、ここでまずひとつの結論を書けば、たとえJBL4343だからといって、なにも特別な部屋が必要なのではない。たとえ六畳でもいい。実際、私自身もほんの少し前まで、この4343を(厳密にいえば4343の前身4341)、八畳弱ほどのスペースで聴いていた。
 繰り返して言うが、専用の(できれば広い、音の良い)部屋があるにこしたことはない。しかし、スピーカーを鳴らすのに、次に示す最低条件が確保できれば、意外に狭いスペースでも、音楽は十分に楽しめる。
 その必要条件とは──
㈰ 左右のスピーカーを、約2・5ないし3メートルの間隔にひろげてスピーカーの中心から中心まで)設置できるだけの、部屋の四方の壁面のうちどこか一方の壁面を確保する。できれば壁面の幅に対してシンメトリーにスピーカーが置けること。
㈪ 左右のスピーカーの間隔を一辺として正三角形を描き、その頂点に聴き手の坐る場所を確保する。ここが最適のリスニングポジション。必ず左右から等距離であること。
 部屋が十分に広く、音響的な条件の整っている場合は別として、必ずしも広くない部屋で、もしもできるかぎり良い音を聴きたいと考えたら、まず最低限度、右の二つの条件──スピーカーの最適設置場所と聴き手の最良の位置──を確保することが必要だ。そしてこの条件は、最低限度四畳半で確保できる。六畳ならまあまあ。八畳ならもう十分。むろんそれ以上なら言うことはない。
           ※
 つけ加えるまでもないことだが、部屋の音響的な処理──とくに、内外の音を遮断して、外部からの騒音に邪魔されず、また自分の楽しんでいる音で外に迷惑をかけないためのいわゆる遮音対策や、音質を向上させるための室内の音の反射・吸音の処理──については、条件の許すかぎりの対策が必要だ。そのことについてくわしくは、「ステレオサウンド」本誌に連載中の私のリスニングルーム≠参照されたい。

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JBL 4343(組合せ)1979年10月30日 瀬川冬樹


続コンポーネントステレオのすすめ(ステレオサウンド別冊・1979年秋発行)
「第8項・JBL4343の組合せ例(1)あくまでも生々しい、一種凄みを感じさせる音をどこまで抽き出せるか」より


 この第一の例は、ある意味では、録音スタジオなどでプレイバックされる音以上に、生々しい、レコードの録音によっては思わずゾクッと身ぶるいするほどの、一種凄みのある音を鳴らす可能性を秘めている。

 まずレコードプレーヤー。レコードの溝に刻み込まれた音を、細大洩らさず拾い出すという点で、西独EMTのプロ用のプレーヤーデッキ以上の製品を、私はいまのところ知らない。EMTのプロ用には、安いほうから順に、♯928、♯930、♯950の三機種があるが、最新型でDDモーターを搭載した♯950のモダーンな操作性の良さと新鮮な音質の良さを、この組合せに生かしたい。このほかに旧型の♯927Dstが特注で入手可能といわれる。927の音質の良さはまた格別なので、どうしてもというかたは、大きさを含めて950よりもやや扱いにくい点を承知の上で、927にしてもよい。いずれにしても、EMTのプレーヤーで一度でもレコードを聴けば、あのビニールの円盤の中に、よくもこんなに物凄い音が入っているものだと驚かされる。EMTで聴いたレコードを、ほかのプレーヤーに載せてみると、いままで聴こえていた音から何かひどく減ってしまったような印象さえ受ける。

 そのぐらい細かな音をプレーヤーが拾ってくるのだから、アンプリファイアーもまた、アメリカのマーク・レビンソンのような製品が必要になる。楽器の音そのものばかりでなく、その周辺に漂う雰囲気までも聴かせてくれる感じのするアンプは、そうザラにない。EMT→マーク・レビンソン→JBL4343、という組合せは、レコードというものの限界が、およそふつう考えられているような狭い世界のものではないことを聴かせてくれる。

 ただひとつ、マーク・レビンソンのパワーアンプ(ML2L)は、出力がわずか25ワットと小さい。むろん、ローコスト機の25ワットとくらべれば、信じられないような底力を持ってはいるものの、やや広い部屋(たとえば12畳以上)で、とくにピアノのような楽器を眼前に聴くような音量を求めようとすると、少々パワー不足になる。その場合は、音の透明感がわずかに損なわれるが、出力本位のML3のほうにすればよい。また、プリアンプは、トーンコントロールその他のこまかな調整機能のついていないML6にすると、いっそう自然な、素晴らしい音になる。ただしこれはモノーラル用なので、二台重ねて使う。入力セレクターとボリュウムも、二個のツマミをいっしょに動かさなくてはならないという不便さだが、音質本位にしようとするとこうなるのだ、とレビンソンは言う。ここまでくると、かなりマニアの色が濃くなってくるから、誰にでもおすすめするわけにはゆかないが。

 EMTの出力は、プリアンプのAUX(LNP2Lの場合)またはLINE(ML6の場合)に接続する。


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JBL 4343(組合せ)1979年10月30日 瀬川冬樹


続コンポーネントステレオのすすめ(ステレオサウンド別冊・1979年秋発行)
「第9項・JBL4343の組合せ例(2)全体にエレガントな雰囲気を持たせる」より

 例1の組合せは、一歩ふみ外すと非常にきわどい音を鳴らすおそれもある、いわば研究機、実験機のおもむきが強い。また、メカをいじることの好きな、そしてある程度、オーディオの技術(ハード)面での知識のある人でないと、使いこなせないところがある。

 それに対して、この第二の例は、基本的には正確な音の再生という4343の性格を生かしながら、すべてにこなれた、安定度の高いパーツを配して、メカっぽい雰囲気でなく、むしろエレガントなといいたい感じを、見た目ばかりでなく音質の面にも求めている。

 アンプ、チューナーのアキュフェーズは、日本ではむしろ数少ない本当の高級機専門のメーカーで、会社としての歴史はまだ六年ほどだが、社長以下、設計・製造にたずさわる人たちは、この分野での経験が深い。このメーカーはそしてめったにモデルチェンジをしない。ここで組合せ例にあげた製品群は、この会社の第二回目の新製品なのだから、製品の寿命の長さはたいへんなものだ。そして、この新しい一連の高級機は、どれをとっても、音質が素晴らしくよくこなれていて、きわどい音を全く出さない。音の透明度がみごとで、粗野なところは少しもなく、よく磨き上げられたような、上質の滑らかな音が楽しめる。そして、どんな種類の音楽に対しても、ディテールの鮮明でしかもバランスの良い、聴き手が思わず良い気分になってしまうような美しい音を聴かせる。

 レコードプレーヤーは、ほんの少々大げさな印象がなくはないが、エクスクルーシヴのP3。重量級のターンテーブルと、動作の安定なオイルダンプアームの組合せだが、自動式ではない。それなのにひどく高価なのは、音質をどこまでも追求した結果なのだから、この価格、大きさ、重さ──とくにガラス製の蓋の上げ下げの重いこと──は、まあ我慢しなくてはなるまい。

 カートリッジはデンマーク・オルトフォンのSPU−G/E型と、西独EMTのXSD15の二個を、好みに応じて使い分ける。オルトフォンの中味のいっぱい詰ったような実体感のある音。それに対してEMTの音の隈取りのくっきりしたシャープな音。この二つがあれば、なま半可な新製品には当分目移りしないで澄む。

 こういう雰囲気を持たせながら、アンプとプレーヤーをもう一ランクずつ落とすこともできるので、それを例中に示す。

 アンプ、チューナーは同じアキュフェーズの、それぞれランク下のシリーズ。レコードプレーヤーは、ラックスのアームレスプレーヤーに、オーディオクラフトのオイルダンプアームの組合せ。カートリッジは全く同じ。ただ、両者を含めて、デンオンの新製品DL303を加えると、これは今日の新しい傾向の、やわらかく自然な音を楽しめる。

 アキュフェーズのパワーアンプは、どちらもパネル面の切替スイッチで、Aクラス動作に切替えられる。出力はP400で50ワット、P260で30ワットと、共に小さくなるが、極端な音量を望まないときは(発熱が増加するので注意が要るが)音質が向上する。チューナーのT104は、リモート選局ボタンが附属していて便利である。

スピーカーシステム:JBL 4343WX ¥580,000×2
コントロールアンプ:アキュフェーズ C-240 ¥350,000
パワーアンプ:アキュフェーズ P-400 ¥400,000
チューナー:アキュフェーズ T-104 ¥250,000
プレーヤーシステム:パイオニア Exclusive P3 ¥530.000
カートリッジ:オルトフォン SPU-G/E ¥39,000
カートリッジ:EMT XSD15 ¥70,000
計¥2,774,000(オルトフォン SPU-G/E使用)
計¥2,805,000(EMT XSD15使用)

ランク下の組合せ

スピーカーシステム:JBL 4343WX ¥580,000×2
コントロールアンプ:アキュフェーズ C-230 ¥170,000
パワーアンプ:アキュフェーズ P-260 ¥200,000
チューナー:アキュフェーズ T-103 ¥150,000
ターンテーブル:ラックス PD-121 ¥135.000
トーンアーム:オーディオクラフト AC-3000MC ¥65,000
カートリッジ:オルトフォン SPU-G/E ¥39,000
カートリッジ:EMT XSD15 ¥70,000


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JBL 4343(組合せ)1979年10月30日 瀬川冬樹


続コンポーネントステレオのすすめ(ステレオサウンド別冊・1979年秋発行)
「第10項・JBL4343の組合せ例(3)コントラストのくっきりした、やや個性の強い音に仕上げてみる」より

 4343というスピーカーは、何度も書いたようにとても多面的な性格を具えているが、しかし本質的に、いくらか硬質でコントラストの強い音、言いかえれば、楽器ひとつの音の輪郭をきわ立たせるような性格を持っている。そこをあまり目立たせないように鳴らせば、クラシック系の柔らかでエレガントな音が楽しめるが、前ページの例2は言わばその方向での鳴らしかたといえそうだ。

 それに対して、むしろコントラストの強さを強調してゆくと、こんどは逆に、どちらかといえばポップスやジャズなど、楽器編成の少ない、そしてリズム楽器系の多いような種類の音楽を、目の前で演奏しているのを楽しむ感じになってくる。この例3はその方向で生かした組合せ例といえる。

 ひとつのメーカーの製品でも、五年、十年という単位で眺めれば、音の鳴らし方がずいぶん変っているが、ある一時期には、ひとつの方向を煮つめてゆく。このところのトリオのアンプは、音の輪郭ひとつひとつをくっきりと照らし出すような、いわばメリハリを強めるような鳴り方をしていると、私には聴きとれる。
 輪郭をくっきりと描いてゆくとき、中味をしっかり埋めておかないと、弱々しいうわついた音になりやすいが、トリオの音、ことにここに例をあげた07マークIIとつくシリーズは、中味のたっぷりした、味わいの濃い、それだけにやや個性的な音を持っている。

 こういう音は、前述のように、ポップス系の音楽をおもしろく聴かせる。とくにこの07シリーズは、音の表情をとても生き生きと描出する点が特徴で、演奏者自身が音楽にのめり込み、エキサイトして演奏してゆく雰囲気がよく聴きとれる。最近のアンプの中でも、特性を向上したという製品の中に、妙によそよそしい無機的な音でしか鳴らないアンプがあるが、そういう音では、音楽を楽しく聴かせない。とうぜん、4343を生かすとはいえない。その点、トリオの音は音楽そのものをとても生き生きとよみがえらせる。

 レコードプレーヤーは、マイクロ精機のやや実験的な性格の製品で、駆動モーター部分とターンテーブル部分とがセパレートされていて、ターンテーブル外周に糸(またはベルト)をかけて廻す、というユニークな形。超重量級のターンテーブルに糸をかけて廻すというのは方式としては古いのだが、こんにちの、電子制御されたDDターンテーブルとはひと味違って、音の輪郭がくっきりと鮮やかになり、充実感のある豊かで余韻の美しい独特の音を聴かせる。

 こういう組合せを、カートリッジでどう仕上げるか。たとえば米ピカリングの、XUV4500Qなら、ほんらいアキュレイトサウンドを目ざしている4343を、かなりショッキングな感じで鳴らすことができる。同じピカリングでも、XSV3000にすればこの組合せ本来の目ざすポップスのヴァイタリティをよく生かす。しかしここに、たとえばオルトフォンSPUや、さらにはデンオンDL303を持ってくるにつれて、濃いコントラストな個性の強さが次第におさえられて、この組合せなりに自然な感じでクラシックを楽しむことができるようになる。


スピーカーシステム:JBL 4343WX ¥580,000×2
コントロールアンプ:トリオ L-07CII ¥160,000
パワーアンプ:トリオ L-07MII ¥120,000×2
チューナー:トリオ L-07TII ¥130,000
ターンテーブル:マイクロ RX-5000+RY-5500 ¥430.000
トーンアーム:オーディオクラフト AC-3000MC ¥65,000
カートリッジ:ピカリング XUV/4500Q ¥53,000
カートリッジ:ピカリング XSV/3000 ¥40,000
カートリッジ:オルトフォン SPU-G/E ¥39,000
カートリッジ:デンオン DL-303 ¥45,000

計¥2,238,000(ピカリング XUV/4500Q使用)
計¥2,225,000(ピカリング XSV/3000使用)
計¥2,224,000(オルトフォン SPU-G/E使用)
計¥2,230,000(デンオン DL-303使用)


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JBL 4343(組合せ)1979年10月30日 瀬川冬樹


続コンポーネントステレオのすすめ(ステレオサウンド別冊・1979年秋発行)
「第11項・JBL4343の組合せ例(4)価格をほどほどにおさえて、穏やかで聴きやすい音に仕上げる」より

 4343の音が、正確で、クリアーで、生々しく鮮明で、ディテールを細かく分析してゆくばかりではないことは、すでに述べた。4343は、その本来持っている強い性格をおさえてゆくと、一面、おだやかでバランスのよい、神経質にならずにぽかんと楽しめる面をも聴かせる。モニター的な音ばかりでなく、そして、前三例のようなかなり高価な組合せばかりでなく、スピーカー以外のパーツをできるだけローコストにおさえて、あまりシビアな要求をしないで、しかし4343の持ち味を最少限生かすことのできるような組合せを作ってみよう。

 前の三つの例は、アンプリファイアーにすべてセパレートアンプを組合わせている。とうぜん高価だ。むろんセパレートアンプの中にも、とても廉価な製品もあるが、しかしローコスト・セパレートアンプを研究してみると、ふつうの組合せをするかぎりは、概して、同価格帯のプリメイン型のアンプの方が、音質の点からは優秀だという例が多い。ローコストのセパレートアンプは、厳格な意味での音質本位であるよりは、各部が細かく分かれていることによって、イクォライザーアンプや、マルチチャンネル用のエレクトロニック・クロスオーバーやメーターアンプ等々、複雑な機能を持たせたり、部分的な入れ替えでグレイドアップを計るなど、機能的な目的から作られていると考えたい。

 というわけでほどほどの価格で組合せを作る場合には、概して、セパレートアンプでなくプリメインアンプとチューナー、という組合せで考えるほうがいい。

 そして、この例の考え方のように、音の鮮明度や解像力よりは、全体として穏やかで聴きやすい音を狙うのであれば、たとえばラックスのアンプのような、本質的に粗々しい音を嫌う作り方のメーカーに目をつけたい。中でも、新しい製品であるL309Xは、こんにち的に改良されていながら、同クラスの他機種の中に混ぜると、明らかに、きわどい音、鋭い音を嫌った穏やかな鳴り方をすることが聴きとれる。このメーカー独特のリニア・イクォライザーのツマミを、ダウン・ティルトの側に廻しきると、いっそう穏やかな音が得られる。

 プレーヤーは、ものものしい感じの多い国産を避けて、英リン・ソンデックのモーターに、同じく英SMEのアームを組合わせる。とても小型にまとまる点がいい。ただし33一速度しかないのが難点で、もう少し安くあげることも含めて、ラックスのPD272を第二候補にあげておく。音質はむろん前者の方が優れている。

 カートリッジは、音をこまかく分析する傾向のMC(ムービングコイル)型を避けて、MM(ムービングマグネット)型の中から、ひとつは西独エラック(日本では商標登録の関係でエレクトロアクースティックと呼ぶが)のSTS455E。もうひとつ、アメリカ・スタントンの881Sを加えてもいい。455Eはどちらかといえばクラシック系のしっとりした味わいが得手だし、スタントンはジャズ、ポップス以降の新しい傾向の音楽表現が良い。

スピーカーシステム:JBL 4343WX ¥580,000×2
プリメインアンプ:ラックス L-309X ¥158,000
プレーヤーシステム:ラックス PD272 ¥69.000
カートリッジ:エレクトロアクースティック STS455E ¥29,900
カートリッジ:スタントン 881S ¥62,000
計¥1,416,900(エレクトロアクースティック STS455E使用)
計¥1,449,000(スタントン 881S使用)

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♯4343をマーク・レビンソンでバイアンプ・ドライブする試み(その1)

1979年12月15日 瀬川冬樹

ステレオサウンド 53号(1979年12月発行)
「JBL♯4343研究(3)」より

 ♯4343を鳴らすアンプに何がよいかというのが、オーディオファンのあいだで話題になる。少し前までは、コントロールアンプにマーク・レビンソンのLNP2L、パワーアンプにSAEの♯2500というのが、私の常用アンプだった。SAEの♯2500は低音に独特のふくらみがあり、そこを、低音のしまりが弱いと言う人もあるが、以前の私の部屋では低域が不足しがちであったこと、また、聴く曲が主としてクラシックでありしかもあまり大きな音量を出せない環境であったため、あまり低音を引締めないSAEがよかった。そのSAEが、ときとして少しぜい肉のつきすぎる傾向になりがちのところを、コントロールアンプのマーク・レビンソンLNP2Lがうまく抑えて、この組み合わせは悪くなかった。

 いまの部屋ができてみると、壁や床を思い切り頑丈に作ったためか、低音がはるかによく伸びて、また、残響をやや長めにとったせいもあってか、SAEの低音をもう少し引締めたくなった。このいきさつは前号(140ページ)でもすでに書いたが、そうなってみると、以前の部屋では少し音が締りすぎて聴こえたマーク・レビンソンのML2L(パワーアンプ)が、こんどはちょうど良くなってきた。しばらくしてプリアンプがML6×2になって、いっそうナイーヴで繊細な音が鳴りはじめた。それと前後してアキュフェーズのC240とP400の組合せを聴いたが、マーク・レビンソンの音が対象をどこまでもクールに分析してゆく感じなのに対して、アキュフェーズの音にはもう少しくつろいだやわらかさがあって、両者半々ぐらいで鳴らす日が続いた。けれどそのどちらにしても、まだ、♯4343を鳴らし切った、という実感がなかった。おそらくもっと透明な音も出せるスピーカーだろう、あるいはもっと力強さも出せるスピーカーに違いない。惚れた欲目かもしれない。それとも単に無意味な高望みかもしれない。だが、♯4343の音には、これほどのアンプで鳴らしてみてなお、そんなことを思わせるそこの深さが感じとれる。

 ♯4343というスピーカーが果してどこまで鳴るのか、どこまで実力を発揮できるのか、その可能性を追求する方法は無限に近いほどあるにちがいないが、そのひとつに、マルチアンプ(バイアンプ)ドライブがある。

 ♯4343は、背面のスピーカー接続端子のところで、スイッチの切替えによって、ウーファーのみを切り離すことができる。ウーファーとそれ以上とのクロスオーバー周波数は300Hzと発表されている。つまり300Hzを境(クロスオーバーポイント)として、それ以上と以下とを、別々のアンプでドライブしようというのである。

 コンポーネントの接続コードを替えてその音のさを聴き分ける日本のシビアなオーディオ愛好家にとっては、バイアンプ方式は、費用や手間をいとわずに音質の向上を望む確かな手段であるが、JBL♯4343がバイアンプドライブを可能に設計されているその意図は、必ずしも日本の愛好家の期待と同じとはいえないようだ。その証拠をいくつかあげることができる。

 まず第一はJBLの発行している印刷物の中にも、バイアンプ方式は、ハイパワー再生に有利な方式であるという意味あいの解説が載っている。スタジオモニターのプレイバック時のパワーがますます上がっている今日とくにJBLのように低音用のネットワークコイルに鉄芯入りを使っている場合、鉄芯の磁気歪が、非常な高出力の加わった際だけ、問題になる。とくに出力の大きな低音域のみ、アンプ直結で鳴らすメリットを、おそらくJBLはこの点から重視しているらしく思われる。

 第二に、本誌51号の332ページ、つまりこの「♯4343研究」の第一回目で、JBL社のゲイリー・マルゴリスが、バイアンプについての質問に対して「家庭用のシステムとして、それほどの費用をかけるメリットがあるかどうか疑問……」と答え、バイアンプの改善効果は「アンプのパワー不足の場合、またアンプ自身の特性──特に歪率などが──あまり良くない場合は(中略)IM歪を低減するという点で低域と高域の相互干渉がなくなるので、バイアンプのメリットは大きい」というように、必ずしも積極的でない意見を述べている。

 このマルゴリスの意見についての私個人の考えはいま少しあとにして、本題に戻って♯4343がバイアンプ方式を必ずしも音質改善の本質的手段とは考えていないと私が思う第三の証明として、♯4343の内蔵LCネットワークの回路を示す。

 スイッチを EXTERNAL CROSSOVER 側に切替えることによって、ウーファーはLC回路が完全に切り離されて、パワーアンプに直結される。それはよい。問題はミッドバスの回路だ。300Hz以下をカットするためのLCは回路から切り離される。これは当然だ。ところが、LCを通ったあとスピーカーとのあいだに挿入されている固定および可変のアッテネーター(抵抗減衰器)は、回路に入ったままなのだ。この中のR2、R3、R6からなるT型パッドは、あるいはミッドバスユニットのインピーダンス特性の補正を兼ねているようにも思われるので、一概に回路中から外すことがよいかどうか即断しかねるが、R4の可変抵抗、すなわちミッドバスとウーファーのあいだにとりつけられたパネルに顔を出している MID FREQUENCY LEVEL のアッテネーターは、できることなら取去ってしまいたいところだ。ただしそうすることによって、HFおよびUHFユニットとのバランスをとり直す必要が生じる。それせだからJBエルとしてもこの可変抵抗R4を取除きにくかったにはちがいないが、もしもバイアンプドライブによって、根本的に音質の向上を真の目的とJBLが考えるなら、この部分をこのままにしておくわけがない。あるいはまた、そんな細かいところまで問題にするのが、やはり日本のオーディオファイルの感覚というものなのかもしれないが。

 ともかく、右の三つの事実によって、JBLの考えるバイアンプドライブ・システムと、我々の考えるいっそうピュアなバイアンプ・ドライブへの理想とに、ほんのわずかに考えの違いのあることが説明できる。

 しかし今回は、それらの点、とくに右の第三の問題点は一応承知の上で、とりあえずその部分に修整の手を加えることをあえてせずに、JBLの指定の形のままでバイアンプ・ドライブを試みた。しかし、もしもあなたがいっそうのピュアリストで、オリジナルのネットワークにいささかの手を加えることをためらわず、かつ、HFおよびUHFのレベルセッティングを改めて大幅に修整──ということはアッテネーターに表示してあるゼロ・ポジションが意味を持たなくなるために、耳または測定器のみを頼りにレベルセッティングをおこなわなくてはならないが──する手間をいとわなければ、おそらくよりよい結果の得られるだろうことは申し添えてよいだろう。

 ところで、右の第二にあげたマルゴリスの意見の中で、ともすると誤解を招きやすい表現があるので、私から多少の補足を加えておきたい。

 彼は、アンプ自体の歪率等の特性のあまり良くないときにバイアンプはメリットがあるだろう、と言っている。たしかに彼の言う通り、パワーアンプを全帯域で使わずに、低域と高域とに分ければ、IM歪(混変調歪──振幅の小さな高音が大振幅の低音で変調される音のにごり)が軽減される。けれど、♯4343のように鋭敏なスピーカーは、歪のできるかぎり少ない良質なアンプでドライブしなくては、絶対に良い音で鳴らない。ましてバイアンプにするということが、前述のように♯4343の極限の音を追求しようとする手段なのであってみれば、低・高各帯域に、こんにち考えうる限りの最高の水準のアンプを用意するのでなければ、わざわざ費用と手間をかけて2台のパワーアンプを含む複雑なシステムを構成する意味が薄れてしまう。

 いまから十数年まえの一時期、日本のアマチュアのあいだでバイアンプリファイアー方式(日本ではマルチチャンネルアンプという独自の呼び方が一般化しているが)がかなり広まったことがあった。そのころ、スピーカーのユニットやアンプにあまり性能のよくないものを使っても、帯域を分割して使えばその悪さが出にくい、という説明を信じて実験した人々は、ほとんど失敗している。やってみればわかることだが、マルチスピーカーのマルチアンプドライブは、それぞれのユニットやアンプによほど良いものを使わなくては、結局うまくゆかないのだ。

 スピーカーユニットとドライブアンプに、最高の質のものを用意しなくてはうまくいかないという現実。それに対して、♯4343という優れたスピーカーシステムを、一度でよいから極限まで鳴らしてみたいという夢のような期待。それは個人の力ではなかなか実現できる問題ではないが、幸いなことに、たとえば専門誌の企画や、別項にも書いたサンスイオーディオセンターでの「チャレンジオーディオ」またはそれに類する全国各地での愛好家の集い、などで、いままでに何度か、♯4343あるいは♯4350のバイアンプ・ドライブを実験させて頂いた。そして、バイアンプ化することによって♯4343が一層高度な音で鳴ることを、、そのたびごとに確認させられた。中でも白眉は、マーク・レビンソンのモノーラル・パワーアンプ6台を使っての二度の実験で、ひとつは「スイングジャーナル」誌別冊での企画、もうひとつは前記サンスイ「チャレンジオーディオ」で、数十名の愛好家の前での公開実験で、いずれの場合も、そのあとしばらくのあいだはほかの音を聴くのが嫌になってしまうなどの、おそるべき音を体験した。

 その音を、一度ぐらい私の部屋で鳴らしてみたい。そんなことを口走ったのがきっかけになって、本誌およびマーク・レビンソンの輸入元RFエンタープライゼスの好意ある協力によって、今回の実験記が誕生した次第である。以下にその詳細を御報告する。

 ♯4343を、単にバイアンプ・ドライブするというだけなら、通常のシステムに1台のパワーアンプと1台のエレクトロニック・クロスオーバーアンプを追加すればそれでよい。追加したアンプが水準以上の良質な製品であるかぎり、それだけで、♯4343の音質にはいっそうの力強さと繊細さ、加えて音の鮮度の向上という、明らかな改善効果があらわれる。しかし今回の実験は、それとは少しばかり規模が違う。いや、このシステムに「少しばかり」などという表現はかえって嫌味にきこえる。なにしろ気狂いじみたおそろしい構成になった。それは、どうせやるのなら、マーク・レビンソンのアンプを、入り口のMCヘッドアンプから出口まですべて、完全なダブル・モノーラルで構成してみよう、というに加えて、パワーアンプのML2Lを低音域で2台ブリッジ接続にして、出力の増大と音質のいっそうの改善をはかろう、という、なんともおそろしいようなプランにふくれ上ったからだ。

 レビンソンのアンプは、パワーアンプのML2Lと最新作のプリアンプML6を除いては、すべてステレオ構成、つまりステレオの左右のチャンネルが一台にまとめられている。これはこんにちではむしろ当り前の作り方だ。

 しかし最近になって、アンプの音質の極限に挑むメーカーのあちこちから、モノーラル構成のアンプがいくつか発表されはじめた。

 パワーアンプに関するかぎり、近年のハイパワー化と、音質の追求にともなう各部の大型化によって、ステレオ用として組んだのでは、大きさや重量の点からひどく扱いにくい超弩級化しがちになることを避けて、モノーラルとして組むことが異例ではなくなりつつある。

 けれど、モノーラル化してみると、単にサイズやウェイトの低減という扱いやすさのメリットばかりでなく、同じアンプをそのままモノーラルタイプに組みかえるだけでも、明らかに音質の向上することが認められ、指摘されはじめた。その理由は簡単で、電源および信号回路を完全に切り離すことによって、ステレオの左右チャンネルの干渉がなくなり、クロスモジュレーション(ステレオの一方のチャンネルの信号が他方の信号によって変調される音の歪)が解消し、クロストークのなくなることも加わって、音像がしっかりと定位し、音のひと粒ひと粒の形がいっそう明確に聴きとれるようになる。

 おそらくレビンソンは、パワーアンプのML2Lを作った時点では、単に大型化を避ける意図からモノーラル化したのだと思われるが、プリアンプML6以降は、はっきりと前述の問題に気づいたようだ。そして、少し前から日本のマニアのあいだでも、レビンソンのMCヘッドアンプJC1ACを、一方のチャンネルを遊ばせてモノーラルで2台使うと、右に述べたような音質の改善のできることが、誰からとなく言われはじめた。

 こういう、いわばゼイタクな、もったいない、言いようによっては気狂いじみた一見無駄の多い使い方をして、費用を倍加してまで、おそろしく微妙な音質の向上に嬉々とするのは、、まあ、相当にクレイジーな人種だと、ここではっきり言っておいたほうがよさそうだ。そいういう音きちがいが、♯4343をオール・レビンソンで、ともかく極限まで鳴らしてみようというのが今回の試みだ。

 どうせそこまでやるのなら、MCヘッドアンプばかりではなく、エレクトロニック・クロスオーバーアンプのLNC2Lも、片チャンネル遊ばせて2台使わなくては意味がないだろう、と、ともかく入り口から出口までを、完全なモノーラル構成で徹底させてしまうことになった。

 その結果が、12台のレビンソンのアンプ群、そしてプリアンプとクロスオーバーアンプ用の6台の電源ユニット、という物凄いアンプシステムである。価格は合計¥8、300、000。この辺になると、いくら気狂いを自称する私も、ちょっと個人では買い切れない。

 物凄いのはしかしアンプの数と金額ばかりではない。消費電力が、ちょっと無視できない。その大半はパワーアンプのML2Lだ。

 ML2Lは、公称出力たった25ワット。そして純Aクラスだから効率はきわめて低く、消費電力は一台約400ワット。これがしかも常時なのだ。400ワットの電力を喰わせれば、Bクラスなら出力200ないし250ワットは軽く出る。しかもBクラスなら、消費電力は平均50ワット以下だ。だがML2Lとなると、電源スイッチをONした瞬間から、ボリュウムを絞ったままでも常時400ワットを喰い続ける。これが6台。合計2・4キロワット。プリアンプのほうはこれにくらべればはるかに少ない。新しい電源ユニットPLS153Lが、一台30ワット以下と発表されているから、6台でもせいぜい150ワット強というところだろう。

 それにしても合計約2・5キロワット強。30アンペア契約の一般家庭では、ほかの電源をほとんど切らなくては難しい。また、コンセントは一ヵ所1キロワットまでとされているから、少なくとも配線の互いに独立した3ヵ所から分散させてとらなくてはならない。というより、もしも個人でこのシステムを常用しようと計画する場合には、別に新規契約で配電線を引き直さなくては無理が生じる。エアコンだって、ふつうの型はせいぜい1・5キロワットどまりだというのに、ましてエネルギー危機の叫ばれるこんにち、いったい何という浪費なのだろう。全く空恐ろしくなる。

(もし新規に契約アンペアを増す場合は、ML2L1台あたり5アンペアを見込んでおいたほうが──ラッシュカレントも考えあわせて──安全で、コンセントは一ヵ所10アンペアまでだから、6台のアンプに3ヵ所のコンセントと、30アンペアの新規増設が必要になる)

 アンプとスピーカー以外のパーツ、といえば殆どプレーヤーだけだが、少々くわしく書いておきたい。

 ターンテーブルはマイクロ精機のリモートドライブ・ユニットRX5000+RY5500。直径31cm、重量16kgの砲金製のターンテーブルを、別シャーシのサーボモーターから糸(アラミッド繊維)をかけてドライブする。2月(79年)のはじめ、たまたま別冊FMfan誌の取材でこのターンテーブルの音を聴いて以来、私はすっかりいかれてしまった。たとえば今回の組合せのように、アンプ以降がおそろしいほどに音のディテールをくっきりと増幅する、いわば解像力のよい装置であれば、なおのこと、プレーヤーシステムにもむしろそれを上回るほどの高解像力が要求されるというのは当然すぎる話だろう。その意味でこんにち得られる製品の中でも、このマイクロ糸ドライブに、オーディオクラフトのAC3000(または4000)MC型アームの組合せ以外を、私はちょっと思いつかない。

 ところで、解像力の高さ、という表現についてぜひとも補足しておきたいことがある。音のひとつひとつが、くっきりと、鮮明に、ディテールがどこまでも見通せるほど澄み切って、しかも圧倒的なフォルティシモでも音が濁らない……そういう音を解像力が良いあるいは解像力が高い、ということは間違っていない。けれど、その面ばかり着目すると、ついうっかりして、音の輪郭鮮明であることだけが、解像力の良さであるかのように思い違いしやすい。音楽の音には、重量感もあればあくまで軽やかに柔らかく漂う響きもあり、暗い音もあればどこまでも沈潜してゆくかのような深い渋い味わいの音もある。また多くの複雑な音のひとつひとつは、互いに独立しているが、しかし全体としては美しく溶け合い響き合う。

 一見鮮明、一見粒立ちの良い、いかにもカリカリと硬い音のするばかりを、解像力が高いと誤解しているのではないかと思えるパーツが、少ないとはいえない。
 音の響きと溶け合いの美しさ。その中にくるみこまれた解像力とは、要するに楽器の精妙な色あいを最もそれらしく聴かせてくれることであり、その意味で、マイクロ+オーディオクラフトが、いつのまにか手離すことのできないプレーヤーシステムとなってしまった。ここに組合わされるカートリッジは、最近ではオルトフォンMC30が最も多く、次いでエレクトロアクースティック/エラックESG794E、それにEMTのTSD(またはXSD)15。

 EMTは専用のヘッドシェルマウントだが、エラックおよびオルトフォン用のヘッドシェルは、アームと同じくオーディオクラフトのAS4PL。とくに、オルトフォンのMCシリーズをシェルにいっそう確かに固定するためのアダプター(OF2)を併用すると、たいへんクリアーな音が得られる。これを併用すると、ヘッドシェル+カートリッジの自重は相当に大きくなるため、ほかのアームではバランスがとりにくくなるが、AC3000MCに関するかぎり大丈夫。また、このアームにはストレートパイプアームが付属しているが、こちらにとりつけたほうが、もっと音が素直になり、音質本位に考えるなら゛ストレートパイプのほうがいっそう良い。

 レビンソンのマルチドライブのように、おそろしくキメのこまかな装置に対しては、たとえばデンオンDL303のような音も、案外よく合う。性格的によく似た面を持っているからかもしれない。少なくとも、おおかたのMM型やIM型は、こういう装置では音が寝ぼけて聴こえてとても駄目だ。

     *

 ところでこのプレーヤーシステムは、意外にハウリングに弱い。私の場合、ターンテーブルユニットが乗る大きさの板を用意して、市販のインシュレーターを下に入れている。ただし、マイクロのユニットだけで合計約55キログラム弱。これにアームおよびその取付ベース、それに後述のターンテーブルシートやスタビライザーを含めると、ゆうに60キロを越える。たとえばオーディオテクニカのAT605Jは、一個あたりの耐荷重が4キロだから、ざっと15個以上必要という計算になる。
     *

 もうひとつ、マイクロは、砲金製のターンテーブルにレコードを直接乗せるように指示しているが、私の場合、これにトリオのTS10というセラミック製のシートを乗せたほうが、音に落ちつきが出てよいと感じている。この場合、適当なスタビライザーを併用するほうが良いようだ。しかしこの辺のところは、使用条件や聴き手の主観で大きく左右されるだろう。

 プレーヤーからアンプまで、そしてアンプ相互間のシールド線や、アンプとスピーカーを接続するコードについては、諸説入りみだれているが、まず原則としてすべてオリジナルの製品からはじめた。つまりプレーヤー(アーム)からの出力ケーブルは、AC3000MCに付属しているMC用低抵抗型(ARR−T)。これは標準型備品で長さ1・5mだが、もしもプレーヤーとヘッドアンプのあいだを短くできるなら、長さ1mのARR−T10(別売)のほうがいいと思う。

 アンプ相互の接続ケーブルは、レビンソンのアンプがスイスLEMO社の特殊なコネクターで統一されていて、一般に普及しているRCA型ピンプラグは、専用のアダプターが余分に必要になる。そこで最初はともかくレビンソン専用の(輸入元のRFエンタープライゼスでアセンブリーしている)、芯線に銀を使ったLEMO←→LEMOコードをすべて使った。一般市販のシールドワイアにくらべると、ずいぶん細く、何となく頼りなくみえるが、その結果はあとで書く。

 スピーカーコードのほうは、79年春、レビンソンが来日した折にサンプルを持参した、芯線が何と2500本入りの特殊コードが、同じく供給されている。2500芯といっても、一本ずつの線は髪の毛ほどに細く、被覆をはがした先端部は、毛の剛(こわ)い筆といった印象だ。これがちょうどTVのフィーダーのような並行コードに作られている。1mあたり4千円という驚異的価格だが、今回とは別の機会にスピーカーコードをあれこれ試聴した際、私はこれが最も気に入って、数ヵ月前から自家用として採用していた。ただ、末端処理がなかなかスマートにゆきにくい。専用のラグが3種類用意されている。また強電用のラグの中に一応使えそうなのがあるので併用するアンプおよびスピーカーの端子の形に合わせるように、いろいろ工夫しなくてはならない。なお最近では、パワーアンプML2Lを購入すると、末端処理ずみのコード3m(HF10C)が1ペア付属してくるとのことだ。

 このほかに、ML2Lを2台ブリッジ接続するためのT型LEMOコネクターと、二台のML2Lを接ぐ短いLEMOコネクターが必要になる。


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♯4343をマーク・レビンソンでバイアンプ・ドライブする試み(その2)
1979年12月15日 瀬川冬樹

ステレオサウンド 53号(1979年12月発行)
「JBL♯4343研究(3)」より

     *

 さて、いよいよ接続だ。まず、12台のアンプと6個の電源ユニット、それにプレーヤーユニットを、できるだけ合理的に配置しておかないと、あとでひどい目に合う。

 プレーヤーと、2台のJC1ACはひとまとめにする。ML6はそこからLEMOコードの届く範囲にあればよいが、操作上はプレーヤーの近くにある方が便利だろう。ML6と電源ユニットを結ぶコードは、なぜか非常に短いので、置き場所によっては、ML6用の二台の電源ユニット(PLS153L)は、タテに置くことになるかもしれない。

 LNC2Lは、一旦調整がすめばあとはめったにいずらないから、必ずしもML6と並べて置く必要はないが、今回は実験のためにML6と重ねて配置した。このとき注意すべきことは、ヘッドアンプのJC1ACは電源ユニットからハムを引きやすいので、JC1AC用の電源ユニットは、できるかぎりJC1ACから遠ざけて設置するよう工夫が必要になる。

 実験でなくこのシステムをもし自家用として試みられるような場合には、ML6の出力コードは相当に長く延長が可能だから、プレーヤー、ヘッドアンプ、プリアンプまでを手もとにひとまとめにして、LNC2Lはむしろパワーアンプ寄りにどこかに隠して設置するほうがスマートかもしれない。

 パワーアンプは、原則としてスピーカーに近づけたい。実験では、6台を横一列にスピーカーの直前に並べてしまったが、常用とする場合には、ラックマウント等の工夫が必要だろう。ただ、ML2Lは発熱が相当に大きいので、上下に重ねる場合には、2台のシャーシの間隔を最低6・5インチ(約17cm弱)以上は離すように、レビンソンは言っている。

 こうして配置を考えた上で、各アンプ間を必要最少限の長さのコードで結ぶ。実験では殆ど1・5mのコードで足りたが、実際には部分的にもっとはるかに長いコードが必要になるだろう。プレーヤー(アーム)からJC1AC、そしてML6の入力までは、できるかぎり短くする。また、パワーアンプからスピーカーまでのコードも、できるだけ切りつめたい。それ以外の部分は、配置上必要なだけ延ばして一応問題ないと考えておいてよい。

 各パーツ間の接続の概略図を図に示す。これはステレオの片チャンネルのみで、また電源ユニットの接続は図に入っていない。必要に応じて各アンプ間でアースを接続する。とくにターンテーブルおよびアームからのアース線と、JC1ACおよびML6の相互は、設置条件によってハム対策上いろいろ工夫の必要の生じることもあるかもしれない。実験では、アームのアースはML6のアース端子に結び、それとは別にJC1ACのシャーシ下でカバーをとめているネジからアース線を出して同じくML6のアース端子に落した。

 すでに紹介した本誌51号の♯4343研究第一回で、マルゴリスは、このスピーカーは本来、2π空間(半球自由空間)を基準にラジエイション(放射)パターンを設計しているので、原則としては壁に埋め込んだ形で使うことが望ましい、と述べ、さらに、床の上に直接、つまり床と壁に接して置かれた状態やましてコーナーへの設置は好ましくないことを言っている。けれど大切なことはそのすぐあとで「モニタールームにおいてでも、理想的な設置条件はこうだとは一概にいえないのです。ましてや、音響条件が千差万別な一般の方のリスニングルームでのセッティングには基準がありません。それぞれの部屋によって全く変ってしまうといっても過言ではありません」とつけ加えている。

 現実に私の部屋では、写真でみられるとおり、床の上に何の台を介さずに直接、背面を殆ど壁に接して置いている。この状態で、マルゴリスも前記の記事中で指摘しているような、低域のブーミングが多少感じられる。しかし私の場合は、クラシックの再生にどちらかといえば重点を置くために、いくぶん音量をおさえて再生したとき、いまの程度ぐらいに低域がややふくらむ傾向のほうが好ましいので、あえて何か台に乗せるということをしていない。もしもポップス系の低音のリズム楽器を、もっと引締めた感じで聴きたいと思えば、ほんのわずか(数センチ)持上げたほうがよいように思う。

 ただ、壁面の材質、工法、そして部屋の構造やその音響的特性などによっては、マルゴリスもいうように、全く別の置き方がよい場合もしばしば起りうる。

 私の場合は、別項に連載中のリスニングルームの構造で説明してあるように、床・壁とも、きわめて堅固な構造であり、また、低音域までほとんどフラットな音響特性を得ているという前提で、右のような置き方でうまくいっている。これも別項のJBLの新しいSFGユニットの解説中にもふれているように、この置き方のまま、来日したマルゴリス氏にも聴いてもらったが、彼はスピーカーの置き方については何も言わなかった(あるいは何か意見があったのを遠慮していただけかもしれないが)。

 少なくとも私の知るかぎり、♯4343を鳴らしておられる多くの方々や販売店、ショールーム等では、殆ど例外なしに♯4343をブロック等の台の上に乗せ、また多くの場合、背面も壁から離した状態でセッティングされている例が多いようだ。しかし、そのたいていの場合、概して低音が殆ど出ないか、あるいは逆に妙に共鳴性の嫌な低音が鳴っていることが多いように思える。♯4343の低音域については、あまりほめない人が多いのも、半分はその設置の方法が原因ではないだろうか。そういう私自身も、いまの置き方をみつけるまでは、♯4343の低域を必ずしも良いとは思っていなかったが、近ごろは自宅以外でも、まず台を外して床の上に直接置いてみることにしている。また背面の壁がガラン洞のタイコ張りなどでないかぎり、できるだけ壁に寄せてみる。スピーカーを置く、というと、反射的に、何か台を、という習慣は、考え直してみる必要がありそうだ。ブックシェルフ型は別として……。

 もうひとつ、♯4343はスーパートゥイーター(UHF)♯2405が、HFユニット(音響レンズ)の左右どちらかに自由につけかえられる。バッフルを外してつけかえる作業は、ひとりではちょっと難しいが、できるかぎり左右対称になるよう、片方の♯4343のUHFユニットをつけかえることが望ましい。そういう私も無精をきめこんでこのあいだまで手を加えていなかったが、今回の実験を機会に、編集部の諸氏の手を借りてつけかえた。

 ところでこのトゥイーターが、外側に対称になるようにするか、ともに内側になるようにするか、が問題になる。水平方向のラジエイションパターンを考えに入れると、互いに内側になるように設置する方が、音質も音像定位も概して良好である。

 ただし、スピーカー設置面の左右の幅があまり広くなく、しかもスピーカーに近い左右の壁面が、たとえば堅い板材、ブラスター、ガラス等、高音域を吸収しない材質である場合には、わざとトゥイーターが外側になるように設置すると、壁からの反射音の里謡で、独特の音のひろがり感の得られることもある。ただ音像の定位が甘くなるのは止むをえない。しかし左右の壁面が布張りその他、超高音域で吸収性の材質である場合は、壁にトゥイーターが近いとそのエネルギーが吸収されてしまい、逆に音の輝きや繊細さが損われる。

 2台の♯4343を、左右にどのくらい離したらよいのか。マルゴリスは最低2メートルと言う。3メートルくらいあけられれば相当に音のひろがりが期待できるが、しかし、そのためにスピーカーの両側の空間がほとんど無くなってしまうことは、概して好ましくない。いま私の家では、中心から中心まで約2・6メートル、バッフル面から耳までの直線距離約3メートルになっている。バッフル面は、真正面を向けずに、耳に向けてやや内側に傾ける。スピーカーの背面の、壁から離れた方の壁との距離は13センチほどで、この傾きによって、高音域の指向性パターン(放射パターン)が変化して音像定位や音の輪郭の明瞭度が変化すると同時に、低音の特性もまた若干変化して、音全体のバランスが変る。それぞれの部屋での最良の置き方を発見するまでには、数ヵ月はかける覚悟が必要かもしれない。

 バイアンプ(マルチチャンネルアンプ)システムの調整は非常に難しいものとされている。しかし、今回のこのシステムでは、調整はむしろ非常にやさしい。それは、スピーカーの♯4343がすでに完成しているシステムであること。および、,アンプのすべてをレビンソンで統一しているために、使用アンプによるゲイン差や、入出力の位相関係などに頭を悩ます必要が全くないからだ。

 調整の必要なのは二ヵ所。ひとつはLNC2Lの低音(LOW)側のレベル調整。もう一ヵ所は♯4343のアッテネーターの調整。しかし♯4343のほうは、粗調整の段階ではすべてを「0」ポジションに合わせておき、手を加えない。

     *

 接続にまちがいのないことを十分に確かめた上で、電源を入れる。アンプだけでも12台のスイッチを入れるのだからたいへんだ。この際、原則として入力側から、即ちJC1AC→ML6→LNC2L→そして高音用のML2L、最後に低音用のML2Lを2台ずつ……という順序をとる。間違ってもパワーアンプ側を先にしないこと。そして、ブリッジ接続の2台のML2Lは、なるべく同時に電源を入れること。

 まずLNC2LのレベルコントロールのLOWを、目盛50・0のところまで絞る。測定器用のバーニアダイアル式の独特のボリュウムコントロールなので、使い馴れない人はちょっとまごつくかもしれない。ダイアル左側の小レバーを、下におろすとロック、上にあげると解除になる。レバーを上に上げて、ツマミを回す。これがバーニア目盛になっていて、微調目盛を10目盛回すと、外側の目盛がひと目盛動く。デシベルで目盛ってないが、これは直線変化型のボリュウムなので、簡単に計算ができる。セミログ(片対数)のセクションペーパーか、計算尺があれはもっと容易だが、念のため、目盛のパーセンテージと減衰量dBの関係を示しておく。50・0まで絞ることは、-6dB絞ることを意味する。


0dB:100 %
– 1dB: 89 %
– 2dB: 79 %
– 3dB: 71 %
– 4dB: 63 %
– 5dB: 56 %
– 6dB: 50 %
– 7dB: 44.5%
– 8dB: 39.5%
– 9dB: 35.5%
-10dB: 31.5%
-11dB: 28 %
-12dB: 25 %
-13dB: 22.5%
-14dB: 20 %
-15dB: 18 %
-16dB: 16 %
-17dB: 14 %
-18dB: 12.5%
-19dB: 11.2%
-20dB: 10 %

 6dB絞る理由は簡単だ。ML2Lを2台ブリッジに接続すると、出力は4倍に増す。8Ω負かで公称25ワットが100ワットになる。言いかえれば一台のML2Lより6dBアップすることになる。一方、はバイアンプ接続にスイッチを切替えても、前述のようにアッテネーター回路が外れないから、もしもパワーアンプがまったく同一のもの(例えば高・低いずれもML2L一台ずつ)なら、LNC2Lのレベルコントロールは全くいじる必要がない。(全開=目盛100%のままでよい)。低音側をブリッジ接続したことにより6dBアップした分を、LNC2Lのアッテネーターで絞っておく、という意味である。厳密には、♯4343をバイアンプに切替えることによって、ウーファー側のーローパスフィルターが回路から外れるため、フィルターの挿入損失分だけはレベルが上ることになるが、そういうこまかな問題よりも、リスニングルームの特性やスピーカーの設置条件による低域特性の変化、そしてリスナーの求める音までを総合的に含めた聴感補整のための、これからあとの微調整のプロセスに、そうした問題はすべてくるみ込まれてしまう。

     *

 接続にまちがいのないかぎり、もうこの段階で大まかな調整はできたことになり、このまま何かレコードをかけてみれば、一応整ったバランスで鳴ってくる。あっけないようだが、ほんとうだ。むしろこれ以前の接続とそのチェックのほうに、よっぽど神経を使う。けれど、ここからあとの音の仕上げ──微調整──となると、ことは案外めんどうになってくる。そのひとつに、AC電源のプラグの向きを揃える作業がある。

 セパレートアンプを使っている人で、ちょっと神経のこまかなかたなら、プリとメインのACのプラグを、それぞれ逆向きに差し換えてみると、音質が微妙に違うことに気づく。プラグの向きをひっくり返しても、交流電源にはプラスマイナスなどあるはずがない。……それは理屈で、実際には、たとえば五味康祐氏も「西方の音」のなかでもう十年以上も前から、プラグのさしかえで音質の変ることを指摘しておられた。こういう問題には、なまじ理屈を知った人間のほうが最初は懐疑的だったが、最近では各メーカーの技術者たちもこの現象を問題にしはじめ、すでに一部のメーカーの製品は、シャーシー内部の配線からACプラグまでの方向性を統一しはじめている。プラグの差しかえによる音質の変化は、装置のグレイドが上るほどよく聴き分けられるし、また、この実験のようにアンプの数が増えてしかもモノーラル構成であるような場合、ACプラグの数が非常に多くなるため、幾何級数的に複雑化する。接続し終ったアンプを、やみくもに差しかえていても、とても問題は解決しない。

 そこで話が前後するが、この点に基本的な方向づけをするためには、まず、レビンソンのアンプを、最もシンプルな形で聴きながら、基本を整理しておくほうがよい。つまりバイアンプ接続以前に、ML6+ML2L(各二台)という、ごくふつうのセパレートアンプの構成にして(これでもACプラグが4本になるが)、♯4343もバイアンプでなくノーマル仕様で、聴きながらプラグの向きを研究する。

 プラクの向きで音はいったいどう変化するのか。

 たとえば音の立体感、音の粒立ち、音像の輪郭がどちらが明瞭になるか。そして全体の響きがどちらがきれいか……。ひと言でいえば、音がいっそうクリアーで美しい方向が、正しい接続といえる。それを聴き分けるには、よく聴き馴れたレコードでむろんよいが、たとえばオーディオ・ラボ・レコードの「ザ・ダイアログ」(菅野沖彦氏の録音)など、わりあい短時間で音を掴みやすいソースのひとつといえる。とくに冒頭のベースとドラムスのダイアログ。

 まずドラムスのソロから始まる。スネアの切れこみ、ハットシンバル、そしてバスドラム、すぐにベースが入ってくる。この部分だけでも、聴き分けができる。このACプラグの差しかえは、あまり長く聴いて考え込まずに、短時間で、なかば直感的に差を聴き分け、正しい方向を掴んでゆくことがひとつのコツだ。といって、雑にこれをやって一ヵ所間違えば結局うまくゆかない。きょうは冴えているな、と自分でも思える日に、十分に研ぎ澄ました神経で瞬間的に聴き分ける。

 この実験をしてみると、モノーラルでペアのアンプは、ステレオの左右のプラグを互いに逆向きに差し込むのがよいように思える。といっても、これもまたそう簡単ではなく、二台のパワーアンプを互いに逆にしたプラグを、もういちど、同時に反対側にひっくり返してみる。これをプリアンプを含めて試みる。これで、少なくともステレオのペアどうしは揃ったことになるから、プラグとコンセントに、ビニールの色テープ等でシルシをつけておく。

 ヒントはここまでしか書けない。ここから先は、右に書いたような音の変化をよく聴き分けながら、アンプ全体を、注意ぶかく揃えてゆく。つねにパワーアンプ(後段)側から。そして一ブロック揃えるたびに、その全体を裏返す、という、気の長い作業を、延々と続ける。

 またもうひとつ、モノーラル構成のアンプでは、いかに高級機といえども、二台ペアのどちらをステレオの右または左に使うかということも、よく聴いてみると多少の違いの出ることがある。ことに右のようにACのフェーズを合わせたあとでは。

 最初ただ接続し終えて、前記のようにレベルコントロールの粗調整後ためしに鳴らした音は、居合わせた一同が、へえ、これで一千万円もする音かなあ、と首をひねったくらい、何とも鈍い、ピントのぼけた、どこといって聴きどころの魅力の感じられない音だった。

 ところが、ACコンセントを少しずつ合わせて音のピントの合ってくるにつれ、まるで霧の少しずつ晴れてゆくかのように、音は次第に鮮度を増し、いっそうクリアーに、みずみずしくしかも雰囲気の豊かな、実に魅力的な音に仕上りはじめた。この調整をしないマルチ・レビンソンなんて、スーパートゥイーターの断線した♯4343(?)みたいなものだ。

 これほどすっきりとクリアーな音に仕上ってきたからこそ、ここからあとの、ほんとうの意味での微調整に、装置が鋭敏に反応しはじめるのだ。

 すでに書いたように、調整は、LNC2LのLOW側のレベル調整と、♯4343の3個のアッテネーターとの二ヵ所でおこなう。

 まずLNC側はそのままにしておいて、♯4343のアッテネーターの調整に入る。

 私の♯4343は、この実験のときまでに約10ヵ月ほど鳴らし込んだもので、アッテネーターは、日常殆ど、3個とも「0」ポジションのまま聴いていた。私の部屋では、クラシックのソースでもそれで全く自然な再生をした。

 ところが、このマルチ・レビンソンのような、おそろしく解像力の良いシステムでは──少なくともそういう方向に調整を合わせ込んでゆくと──、アッテネーターが「0」のままでは、弦の合奏などで、かなり鋭く聴こえはじめて、高音域を絞る必要が感じられた。こんなことは、これ以外のいかなるアンプでも体験しなかった。

 聴き馴れたクラシックのいろいろなレコード(最近ではフィリップス系の録音が、少数の例外を除けばほぼ一様に素晴らしいと思う。それにグラモフォン)で、自然に感じられるところまでアッテネーターを絞ってみると、UHFが-2から-3、HFが-1から2-あたりに、最適のポジションがくることがわかった。バイアンプでない場合は、ここまで絞ると(とくにUHFを絞ると)、音が少し寝惚け気味に思われたが、マルチ・レビンソンは、ここまで絞っても全くそのクリアネスを失わずに、しかもバランスがよく整う。

 ここで再びLNC2Lのレベルコントロールの微調整に戻る。ウーファーと、ミッドバス以上のバランスを整えるのだから、クロスオーバーポイントの300Hz近辺で、重要な音の活躍するソースを使う。たとえば男声ヴォーカル、あるいはチェロの独奏。しかし独奏や小編成ものばかりではバランスをあやまるので、フルオーケストラも使う。というより、音量をややおさえたときと、自分として最大音量近くまで上げたときと、そのいずれでもバランスの整うよう、LNC2Lの最適ポイントを探す。このとき、♯4343の向き、左右のひろげかた、何か台に乗せるか乗せないか、等の置き方についても、同時にチェックする。置き方の条件をひとつ変えるごとに、LNC2Lのレベルを1dBから3dB程度の範囲で上下させてみる。私の部屋では結局-5dB前後(目盛で55近辺)あたりのところで、一応納得のゆくバランスが得られた。

 こうして一応の微調整が終ったところでテストにかけた、コリン・デイヴィスの「春の祭典」(コンセルトヘボウ管弦楽団。フィリップスX7783。オランダ盤は9500323)は、居合せた私たちを圧倒した。とくに終曲(いけにえの踊り)で大太鼓(グラン・カッサ)のシンコペーションが続くが、その強打の音たるや全く恐るべき現実感で、これほど引締って打音が明確に、しかもこれほどの量感を持って鳴るのを私は初めて体験した。少なくとも私の知るかぎりこれほどの低音を鳴らすアンプはほかになく、またおそらく♯4343がこれほどの低音を鳴らすスピーカーだということを殆どの人は知らないはずだ。

 この低音に驚いたあと、念のため、低音用のML2Lを、ブリッジ接続をやめて一台だけにしてみた。むろんパワーは1/4になり、前述のようにその分だけLNC2Lのレベルコントロールの補整を要する。ブリッジ接続では5dB絞っていたので、ML2L一台のときは、LOWを一杯まで上げ゛逆にHIGHを約1dB(目盛約90)絞る。

 こうして再び同じレコードをかけてみたが、まるで拍子抜けしたように、低音の力は失われ、あの生々しい現実感を聴きとることはできなかった。ML2L二台をブリッジにして使う意味は、この聴きくらべだけで、もう明瞭だった。

 ♯4343の低音が、ここまで引締まりながら生々しい量感を鳴らすのを聴いてみると、低音の活躍するレコードを次々と聴いてみたくなる。するとどうしても、クラシックよりはジャズ系のレコードになる。たとえば前述の「ザ・ダイアログ」(オーディオ・ラボALJ1069)第1曲でのバスドラムやベースの低音は、概してダブつくか逆に不足するか、あるいは箱鳴り的にきこえやすいが、たとえばバスドラムの振動的な迫力、またベースのよく動く音階と弾みのついた弦のうなりと胴鳴りが、これほどよく聴き分けられしかも聴き手をエキサイトさせる例は稀だろう。

 最近のフュージョン系のレコードの中で、たとえばチャック・マンジョーネの「サンチェスの子供たち」、とくにその序曲の、冒頭のヴォーカルの直後から始まるドラムスや、もっと新しいアルバムではアース・ウインド&ファイアーの「黙示録」(中ではたとえばA面第4曲「天空に捧ぐ」の部分)など、少なくとも従来のいろいろいなジャンルのレコードでは聴くことのできなかった低音の極めて強大なエネルギーは、なかなか再生が難しいと思う。加えて、このシステムのミッドバス以上(300Hz以上)は、ML2L一台、つまり公称たった25ワットのパワーアンプでドライブするのだ。これで果して十分の音量が得られるのか……?

 十分、と答えてよいと思う。私の家ばかりでない。前述のようにこれとほぼ似た組合せを、以前にサンスイ・オーディオセンターでの「チャレンジオーディオ」で、約60人たちの前で鳴らしているが、そのときも「サンチェス」の序曲が、これだけの人数の前で圧倒的なパワーで鳴って、鳴り終って拍手が湧いたほどだった。ML2Lの25ワットというのは、実際鳴らしてみて通常のアンプの100ワットぐらいの実力があると思ってよいと思う。

 ところで、このジャズからフュージョンあるいはロック系の音楽を、もしも主として聴くのであれば、♯4343およびLNC2Lのレベルコントロールは、クラシックで合わせたポイントから少し変えたほうが好ましい音になる。まずLNC2LのLOWは-6dBないし-7dB(目盛50〜45前後)とやや引締める。同時に♯4343のHFは殆ど「0」か、ときに「+1」、UHFは「-1」から0程度。むろん部屋の特性や、製品の多少のバラつき、全体の調整や聴き手の好みなど複雑なファクターが絡み合っているから右の目盛はあくまでも、いくつもの答えの中のひとつにすぎないことをお断りしておくが、かんじんなことは、同じ条件の中でも、クラシック系を主として、その響きの美しさ、透明さ、やわらかさを狙って調整した場合と、ポップス系に主眼をおいてそのエネルギー感、迫力、リズムの明快さ、いかにも実体験しているかのような生々しさ、を狙った調整とは、自ずからその最適ポイントが違ってくることを、ぜひ言っておきたいのである。少なくとも、右のようなポップス系で合わせた音で、私はクラシックを楽しむ気にはとうていなれない。その逆に、クラシックで納得のゆくまで調整したポジションでポップスを聴いても、別に不自然な感じは受けない。もし、別の調整ポイントのありうることに気づかなければ、そのままでも一応楽しめるに違いない。けれど、一旦、別の調整ポイントを探り当てたら、もう、クラシック用のポジションでは物足りなくて聴く気がしない。私自身がそう思う。同席していたポップス愛好の若い編集者は、私があとから調整したポップス・ポジションの音に納得しながらも、自分ならもっとショッキングな方向に調整するだろう、と言った。もちろん、このシステムはそういう調整に十分に応えうる。だからこそ、ここに書いた最適ポジションは、固定的なものではなくてあくまでも目やすだと、重ねてお断りしておく。

 ところで最後にもうひとつ。♯4343をバイアンプに切替えたとき、ミッドバスのアッテネーターが回路に入ったままであることを何度か書いた。言いかえればミッドバスにアッテネーターを入れるのは、内蔵ネットワークのときにウーファーの能率に合わせるために絞る必要があるので、バイアンプ・ドライブなら、ミッドバスはアッテネーターを外してフル・ドライブして、ホーン・トゥイーター(HF、UHF)のみ絞ればよいという理屈になる。そのほうが、ミッドバス以上の能率が上がって、アンプのパワーに対して有利になる。

 しかし、アッテネーターを外すということまでしなくとも、ミッドバスのアッテネーターを全開まで上げて使うという手がある。目盛は+3dBまでしかふってないが、おそらくあと5dB程度の余裕はあるだろう。仮に目盛の信頼できる+3dBまで上げて使ったとしても、パワーアンプの見かけ上の出力が2倍になったことになり、ハイレベルの再生には有利になるはずだ。この際は、HF、UHFとも一応+3dBに合わせ、そこを基準として改めて微調整を加える。言うまでもなくこのときは、LNC2LのLOWも3dB上げる。

 音質は同じ、と言いたいところだが、アッテネーターの位置を変えれば音質もまた微妙に変化するから、決して同じにはならない。今回は時間切れで、このポジションをあまり深く合わせこむことはできなかった。ご参考までに書き添えておく次第。

     *

 というようなわけで、このぼう大なシステムも、この記事を作成するための実験が終了したあと、一人で楽しむこと数日を経ずして、とりこわされ、私の所有を除くアンプは再びきれいになくなってしまった。たまたま、とりこわす以前に、前述した「チャレンジオーディオ」のレギュラー参加者数氏に編集部から連絡をとって、一夜聴いて頂いた。そのご感想は別項に載っている。

 で、私自身はどう感じたか。

「春の祭典」のグラン・カッサの音、いや、そればかりでなくあの終章のおそるべき迫力に、冷や汗のにじむような体験をした記憶は、生々しく残っている。迫力ばかりでない。思い切り音量を落して、クラヴサンを、ヴァイオリンを、ひっそりと鳴らしたときでも、あくまでも繊細きわまりないその透明な音の美しさも、忘れがたい。ともかく、飛び切り上等の、めったに体験できない音が聴けた。

 けれど、ここまでレビンソンの音で徹底させてしまった装置の音(注)は、いかにスピーカーにJBLを使っても、カートリッジにオルトフォンを使っても、もうマーク・レビンソンというあのピュアリストの性格が、とても色濃く聴こえてくる。いや、色濃くなどというといかにもアクの強い音のような印象になってしまう。実際はその逆で、アクがない。サラッとしすぎている。決して肉を食べない草食主義の彼の、あるいはまた、おそらくワイ談に笑いころげるというようなことをしない真面目人間の音がした。

 だが、音のゆきつくところはここひとつではない。この方向では確かにここらあたりがひとつの限界だろう。その意味で常識や想像をはるかに越えた音が鳴った。ひとつの劇的な体験をした。ただ、そのゆきついた世界は、どこか一ヵ所、私の求めていた世界とは違和感があった。何だろう。暖かさ? 豊饒さ? もっと弾力のある艶やかな色っぽさ……? たぶんそんな要素が、もうひとつものたりないのだろう。

 そう思ってみてもなお、ここて鳴った音のおそろしいほど精巧な細やかさと、ぜい肉をそぎ落として音の姿をどこまでもあらわにする分析者のような鋭い迫力とは、やはりひとつ隔絶した世界だった。

注=調整の殆ど終った時点で、念のため、アンプ相互の接続コードに、レビンソン・オリジナルの銀線ではなく、銅線のふつうの──といっても日常の実験でかなり良い音がすると思っていた──シールド線に替えてみた。ところがおもしろいことに、こうすると、マーク・レビンソンで徹底させた音の中に、何か異分子が混じってしまったような、別の血が入りこんだような、違和感が出てきて、少なくともこの装置に関するかぎり、好むと好まざると、接続コードに至るまでレビンソンの音で徹底させてしまったほうがいい、と聴きとれた。とくにプリアンプのML6が、内部の配線に銀線を使っていることとも関係がありそうだ。私の体験でも、異種のワイアーをいろいろとり混ぜて使うと、概して好ましくない結果になることが多いように思う。

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「いま私がいちばん妥当と思うコンポーネント組合せ法、あるいはグレードアップ法」
1980年9月15日 瀬川冬樹

ステレオサウンド 56号(1980年9月発行)
特集・「スピーカーを中心とした最新コンポーネントによる組合せベスト17」より


 オーディオ装置の音を決定づけるのはスピーカーだ。決定とまではゆかないとしても支配する、あるいは方向づけるのが、スピーカーだ。とうぜん、スピーカーが選ばれることで、そのオーディオ装置の鳴らす音の方向は、殆ど決まってしまうことになる。だからこそ、自分自身の装置のパーツを選ぶためには、スピーカーをとめてかかること、が何よりも優先する。スピーカーがきまらないことには、アンプやカートリッジさえ、きまらない。

 このことは、オーディオ装置を考える上での、第一の「基本」といえる。だが、この基本でさえ、ときとして忘れられがちであることを知って、私など、びっくりさせられる。

 たとえば、次のような相談をよく受ける。「○○社製の××型アンプを買おうと思うのですが、このアンプに会うスピーカーを教えてくれませんか」

 アンプが先に決定されて、そのアンプに合うスピーカーを選ぶ──。そんなことはありえない。つねに、スピーカーが選ばれてのちに、アンプが選ばれる。

 あるスピーカーを選ぶ。その人が、どういう理由でそのスピーカーを選んだのか。そのスピーカーの、どんな点に惹かれて選んだのか。そのスピーカーを、どういう音に鳴らしたいのか。そのスピーカーの音が十分に気に入っていたとしても、その反面に、気に入らない部分があるのか、ないのか……。こんなぐあいに、ひとつのスピーカーの選ばれた理由や鳴らしたい音の方向が、こまかくわかってくるにつれて、そのスピーカーを、いっそう良く鳴らすアンプを選ぶことができる。それは、繰り返しになるが、音を鳴らす「要(かなめ)」はスピーカーであって、鳴らしたい音のイメージがはっきりしていれば、そのイメージにより一層近い音のアンプを選ぶことができる、という意味である。

 ヴェテランのマニアには、こんな話はもう当り前すぎてつまらないかもしれない。だが、ちょっと待って頂きたい。理屈の上では判りきったことかもしれないが、それでは、あなた自身、ほんとうに、自分のイメージに最もよく合ったスピーカーを選び、そのスピーカーを自分のイメージに最も近い形で鳴らすことのできるアンプを、ほんとうに、確かに、選び抜いているだろうか。

 なぜ、こんなにクドクドと判りきった念を押すのか、その理由を説明しよう。
 JBLの♯4343といえば、オーディオ愛好家なら知らない人はいない。本誌の愛読者調査(55号)の結果をみるまでもなく、いろいろな調査からも、このスピーカーが、非常に高価であるにもかかわらず、こんにち、日本のオーディオ・ファンのあいだでの、人気第一位のスピーカーであることも、すでによく知られている。実際に、いま日本のどこの町に行っても、オーディオ専門店があるかぎり、まずたいていは♯4343は置いてある。また、個人ですでに所有しておられる人も多い。ということは、ずいぶん多くの人たちが、このスピーカーの音を実際に聴いていることになる。

 オーディオに限らず、なにかズバ抜けて人気の高いものには、また逆に反発や反感も多い。安置JBLをとなえる人もまた少なくない。五木寛之の小説の中にさえ「なんだい、JBLなんてジャリの聴くスピーカーだぜ」とかなんとかいうセリフが飛び出してくる。

 ところでいまこんな話を始めたのは、アンチJBL派に喧嘩を売ろうなどという気持では決してない。それどころか、まったく逆だ。これほど大勢の人が聴いている♯4343の音が、しかしひどく誤解されている例が、近ごろあまりに多い。たとえば、次のような体験が、近ごろ多いのだ。

 全国各地で、オーディオ愛好家の集まりによくお招きを頂く。先方では、私が♯4343を好きなことを知っていて、会場に現物を用意しておいてくださる。しかし、残念ながら、あらかじめセッティングしておいてくださった状態では、とうてい、私の思うような音で鳴っていない。しかし会場は、多くの場合、販売店の試聴室や会議室や集会場といった形で、♯4343の理想的なセッティングなど、むろんとうてい望めない。それは承知の上で、その会場の制約の中で、せめて少しでもマシな、というよりも、レコードを鳴らして話をさせていただく3時間ほどのあいだ、一応我慢のできる程度に鳴ってくれるよう精一杯の設置替えと調整を試みる。それでも、仮に♯4343のベストの状態を100点とすれば、にわか作りのセッティングでは、最高にうまくいったとしても80点。ふつうは70点か60点ぐらいのところで鳴らさざるをえない。50点では話にならないが、それにしても60点ぐらいの音で鳴らさなくてはならないというのは、私自身とてもつらい。

 ところが、話はここからなので、仮にそうして、60点から70点ぐらいの音で鳴らしながら話を終えると、たいていの会場で、数十人の愛好家の中から、一人や二人、「JBL♯4343が、こんなふうな音で鳴るのを初めて聴いた。いままでJBLの音は嫌いだったが、こういう音で鳴るなら、JBLを見直さなくては……」といった感想が聞かれる。私としてはせいぜい60〜70点で鳴らした音でさえ、なのだ。だとすると、♯4343は、ふだん、どんな音で鳴らされているのだろう。

 また、こんなこともよくある。同じように鳴らし終えたあと、専門店のヴェテラン店員のかたに「いゃあ、きょうの♯4343の鳴り方は素晴らしかった。さすがですね」などとほめていただくことがある。これも、私にはひどくくすぐったい。いや、きょうの音はせいぜい65点で、などと言い訳をしても、先方は満更外交辞令でもないらしく、私の言い訳をさえ、謙遜と受けとってしまうありさまだ。すると、いつもの♯4343はどんな音で鳴らされているのか……。

 言うまでもなく、中には数少ないながら、個人で恐らく素晴らしい音で鳴らしておられる愛好家なのだろう。私が会場で鳴らした音を聴いて「あんなものですか?」と言われてこちらがしどろもどろに赤面することも決して少なくない。だがそういう例があるにしても、多くの場合は、私としては不満な音で鳴ったにもかかわらず、その音で、♯4343 の評価を変えた、といわれる方々が、決して少ないとはいえない。

 そのことは、また別の例でも説明できる。上記のように、たまたま鳴らす機会があるときはよいが、先方からのテーマによって、音は鳴らさず話だけ、というような集まりの席上、「♯4343を何度か聴いてみて、少しも良い音にきこえないのだが、専門誌上では常にベタほめみたいに書いてある。あんな音が本当にいいのか?」といった趣旨のおたずねを受ける。そういうときは、その場で鳴らせないことを、とても残念に思う。せめて65点でも、実際に鳴った音を皆で聴きながらディスカッションしたいと、痛切に思う。おとばかりは、百万言を費やしてもついに説明のしきれない部分がある。「百見は一聞に如かず」の名言があるように。

 だが、しかしここでまた声を大にして言いたいのだが、オーディオの音は、なまじ聴いてしまったことで、大きな誤解をしてしまうこともある。いま例にあげた♯4343の音がそうだ。♯4343は、こんにち、おそらく全国たいていのところで鳴っている。誰もがその音を聴ける。だが、良いコンディションで鳴っていなかったために、なまじその音を聴いてしまうと、それが、即、♯4343だと誤解されてしまう。百聞よりも一聴がむしろ怖い。

 JBLの♯4343ひとつについて長々と書いているのは、このスピーカーが、こんにちかなり一般的に広く知られ、そして聴かれているから、例としてわかりやすいと思うからだ。従ってもう少し♯4343の引用を続けることをお許し頂きたい。

 JBLの音を嫌い、という人が相当数に上がることは理解できる。ただ、それにしても♯4343の音は相当に誤解されている。たとえば次のように。

 第一に低音がよくない。中低域に妙にこもった感じがする。あるいは逆に中低域が薄い。そして最低音域が出ない。重低音の量感がない。少なくとも中低音から低音にかけて、ひどいクセがある……。これが、割合に多い誤解のひとつだ。たしかに、不用意に設置され、鳴らされている♯4343の音は、そのとおりだ。私も、何回いや何十回となく、あちこちでそういう音を聴いている。だがそれは♯4343の本当の姿ではない。♯4343の低音は、ふつう信じられているよりもずっと下までよく延びている。また、中低域から低音域にかけての音のクセ、あるいはエネルギーのバランスの過不足は、多くの場合、設置の方法、あるいは部屋の音響特性が原因している。♯4343自体は、完全なフラットでもないし、ノンカラーレイションでもないにしても、しかし広く信じられているよりも、はるかに自然な低音を鳴らすことができる。だが、私の聴いたかぎり、そういう音を鳴らすのに成功している人は意外に少ない。いまや国内の各メーカーでさえ、比較参考用に♯4343をたいてい持っているが、スピーカーを鳴らすことでは専門家であるべきはずの人が、私の家で♯4343の鳴っているのを聴いて、「これは特製品ですか」と質問するという有様なのだ。どういたしまして、特製品どころか、ウーファーの前面を凹ませてしまい、途中で一度ユニットを交換したような♯4343なのだ。

 誤解の第二。中〜高音が冷たい。金属的だ。やかましい。弦合奏はとうてい聴くに耐えない。ましてバロックの小編成の弦楽オーケストラやその裏で鳴るチェンバロの繊細な音色は、♯4343では無理だ……。

これもまた、たしかに、♯4343はよくそういう音で鳴りたがる。たとえばアルテックやUREIのあの暖い音色と比較すると、♯4343といわずJBLのスピーカー全体に、いくぶん冷たい、やや金属質の音色が共通してあることもまた事実だ。ある意味ではそこがJBLの個性でもあるが、しかしそのいくぶん冷たい肌ざわりと、わずかに金属質の音色とが、ほんらいの楽器のイメージを歪めるほど耳ざわりで鳴っているとしたら、それは♯4343を鳴らしこなしていない証拠だ。JBLの個性としての最少限度の、むしろ楽器の質感をいっそう生かすようなあの質感さえ、本当に嫌う人はある。たぶんイギリス系のスピーカーなら、そうした人々を納得させるだろう。そういう意味でのアンチJBLはもう本格派で、ここは本質的な音の世界感の相異である。しかし繰り返すが、そうでない場合に♯4343の中〜高音域に不自然さを感じたとすれば、♯4343は決して十全に鳴っていない。

 第三、第四、第5……の誤解については、この調子でかいていると本論に達しないうちに指定の枚数を超過してしまいそうなので、残念ながら別の機会にゆずろう。ともかく、よく知られている(はずの)JBL♯4343の音ひとつを例にとってみても、このように必ずしも正しく理解されていない。とうぜん、本来の能力が正しく発揮されている例もまた少ない。だとしたら(話はここから本題に戻るのだが)、自分の求める音を鳴らすスピーカーを、本当に正しく聴き分け、選び抜くということが、いかに難しい問題であるか、ということが、ほんの少しご理解頂けたのではないだろうか。

 自分に合ったスピーカーを適確に選ぶことはきわめて難しい。とすれば、いったい、何を拠りどころとしてスピーカーを探し、選んだらよいのか。あるいは、そのコツまたはヒントのようなものがあるのか──。

 残念ながら、確かな方法は何もない。スピーカーに関する限り、その難しさは配偶者を選ぶに似て、ともかく我家に収めて、何ヵ月か何年か、ていねいに鳴らし込み、暗中模索しながら、その可能性をさぐってゆくしか、手がないのだ。そうしてみて結局、何年かつきあったスピーカーが、本質的に自分に合わないということが、あとからわかってみたりする。そうして何回かの無駄を体験しながら、一方では、ナマの演奏会に足繁く通い、またどこかに素晴らしい再生音があると聞けば、出かけていって実際に音を聴かせてもらう。そうして、ナマと再生音の両方を、それもできるだけ上質の音ばかり選んで、数多く聴き、美しい音をそのイメージを、自分の身体に染み込ませてしまわなくては、自分自身がどういう音を鳴らしたいのか、その目標が作れない。そうして、何年かかけて自分自身の目指す音の目標を築き上げてゆくにつれて、ふしぎなことに、その目標に適ったスピーカーが、次第に確実に選べるようになってくる。何と面倒な! と思う人は、オーディオなんかに凝らないほうがいい。

 いまもしも、ふつうに音楽が好きで、レコードが好きで、好きなレコードが、程々の良い音で鳴ってくれればいい。というのであれば、ちょっと注意深くパーツを選び、組合わせれば、せいぜい二〜三十万円で、十二分に美しい音が聴ける。最新の録音のレコードから、旧い名盤レコードまでを、歪の少ない澄んだ音質で満喫できる。たとえば、プレーヤーにパイオニアPL30L、カートリッジは(一例として)デンオンDL103D、アンプはサンスイAU−D607(Fのほうではない)、スピーカーはKEF303。これで、定価で計算しても288600円。この組合せで、きちんとセッティング・調整してごらんなさい。最近のオーディオ製品が、手頃な価格でいかに本格的な音を鳴らすかがわかる。

 なまじ中途半端に投資するよりも、、こういうシンプルな組合せのほうが、よっぽど、音楽の本質をとらえた本筋の音がする。こういう装置で、レコードを聴き、心から満足感を味わうことのできる人は、何と幸福な人だろう。私自身が、ときたま、こういう簡素な装置で音楽を聴いて、何となくホッとすることがある。ただ、こういう音にいつまでも安住することができないというのが、私の悲しいところだ。この音で毎日心安らかにレコードを聴き続けるのは、ほんの少しものたりない。もう少し、音のひろがりや、オーケストラのスケール感が欲しい。あとほんの少し、キメ細かい音が聴こえて欲しい。それに、ピアノや打楽器の音に、もうちょっと鋭い切れ味があったらなおいいのに……。

 そこでカートリッジを一個追加してみる。音の切れ味が少し増したように思う。しばらくのあいだは、その新しい音の味わいに満足する。しかしまた数ヵ月すると、こんどはもう少し音のひろがりが出ないものか、と思いはじめる。この前、カートリッジ一個であれほど変ったのだから、もうひとつ別のカートリッジを追加してみようか?……

 ……どうやら、十分ではないが、一応うまくいったようだ。三個に増えたカートリッジを、レコードによって使い分ける日が何ヵ月か続く。

 だがやがて、もしかするとアンプを新型に交換すれば、もっとフレッシュな音が聴けるのではないか、と思いはじめる。そして次にはスピーカーをもう少し上のランクに……。気がついてみると、最初に買った組合せの中で、残っているのはプレーヤーだけ。しかしいまとなってはそれも、もう少し高級機に替えたほうがいいのじゃないか──。

 多くのオーディオ愛好家が、次から次と新製品に目移りするのは、おそらく右のような心理からだろう。そして気がついてみると、オーディオに凝る、どころか、オーディオ一辺倒にどっぷり浸り込んでしまっている自分を発見して愕然とする。

 このような、いわばオーディオの深い森の中に迷い込まないようにするためには、オーディオ機器およびレコードの録音、さらには音楽の作曲や演奏の様式が、どのような経路をたどってこんにちに至ったか、広く俯瞰しながら大筋を把握しておくことが必要ではないかと思う。少なくともここ十年あまりのあいだに、音楽の録音およびその再生に関するかぎり、単に技術的な意味あいにとどまらず、大きく転換し、かつ展開している。そのことを正しく掴んでいるかぎりは、むやみにオーディオに振り回されることはない。またそれを知ることが、結局は、自分に合ったスピーカーを、アンプを、選ぶための近道にもなるはずだ。

 レコードは、オーディオ装置の音を鳴らす単純な音源ではなく、ひとつの音楽の記録として、ときに人の魂を心底から揺り動かすほどの力を持っている。だからこそ私たちは、レコードの録音年代の古さ新しさに関係なく、自分の好きな音楽、好みの演奏家のレコードを探し求め、大切に保存して、何回も聴きかえす。

 だがそれをオーディオ再生装置の側から眺めると、少なくともステレオ化された1958(昭和33)粘以降の二十数年間に話を限ったとしても、ずいぶん大きな変化がみられる。

 まず、ステレオ化直後の頃の、録音機材すべてに真空管の使われていた頃。そして、マルチトラックでなく、比較的自然な楽器の配置に、シンプルなマイクアレンジ。ヴェロシティマイクの暖かく柔らかい音質。

 やがてトランジスターに入れ代りはじめるが、コンシュマー用のアンプが、初期のトランジスター時代にひどく硬い、いやな音を鳴らしたようにプロ用といえども、TR(トランジスター)化の初期には、録音機材にもずいぶん硬い音のシステムがあった。ノイズも少なくない。

 マルチマイク・マルチトラックがとり入れられた初期には、その複雑なシステムを消化しきれずに、ずいぶん音のバランスのおかしな録音があった。また、その頃から広まりはじめたロックグループの新しい音楽では、電気楽器・電子楽器が使われたために、スピーカーから一旦鳴らした音をもういちどマイクで拾うという、それまでにない録音法に、技術社のとまどったあとがみられ、ひどく歪んだ音のレコードがたくさん残っている。ロックのレコードは音が悪いもの、と相場がきまっていた。

 トランジスターの機器の性能向上、コンデンサーマイクの主流化、マルチトラック録音の定着……それをもとにした新しい録音技法が真に完成の域に達したのは、ほんのここ数年来のことといってよい。しかし、ここ数年来に作られた新しい録音のレコードの中には、クラシック、ポピュラーを問わず、従来、名録音と称賛されたようなレコードと比較してもなお、音のダイナミックス、、とくに強音での伸びのよさと、弱音でのバックグラウンドノイズのほとんど耳につかないほどの静けさ。そしてどんなに音が重なりあったときでも、歪や混濁感のない透明で繊細な解像力の良さ。十分に広い周波数レインジ……等、どこからみても、素晴らしい出来栄えで聴き手を喜ばせてくれるものが増えている。

 とうぜん、この新しい録音のレコードの新鮮な音を十全に聴きとるためには、再生装置の能力にもまた、これまでとは違った内容が要求される。しかし一方では、そういう新しい装置で、古い録音のレコードを再生したら、録音のアラやノイズばかり耳ざわりになるのではないか、といった愛好家の心配もあるようだ。そのあたりをふくめて、この辺でそろそろ、再生装置の各論に入ることにする。

 自分に合ったスピーカーを選ぶ適確に選ぶ手軽な方法はない、とは言ったけれど、だからといって、何の手がかりもないわけではない。ことに、前記のように、どのようなレコードを、どのようなイメージで鳴らしたいのか、というひとつの設問を立ててみると、そこから、スピーカーの目のつけかたの、ひとつの角度が見えてくる。

     *

 クラシックとポピュラーとで、それに適したスピーカーがそれぞれ違うか、という問題には、そう単純明快な解答はできない。だいいち、クラシックとポピュラーといった漫然とした分類では、スピーカーの鳴らす音のイメージは明確にならない。そこで、次のような考えかたをしてみる。

 クラシック音楽とそれ以外のさまざまなポピュラー音楽との、オーディオ的にみてのひとつの大きな違いは、PA装置(拡声装置、マイクロフォン)を使うか使わないか、という点にある。言うまでもなく、クラシックのコンサートでは、どんなに広いホールでの演奏であっても、そして、それがギターやチェンバロのような音量の非常に小さな楽器の場合でも独唱の場合でも、特殊な例外はあるにしても原則としてPAは使わない。従って聴衆は、常に、ナチュラルな楽器や声を、そのまま自然な姿で耳にする。また、音楽ホールのステージで演奏され、客席で聴く音は、音源(楽器や声)からの直接ONよりも、ホールのあちこちに反響して耳に到達する間接音、いわゆるホールトーンのほうが優勢で、とうぜん、クラシックの音楽は、ホールのたっぷりした響きが十分にブレンドされた形で記憶に残る。ただ、楽器を自分で演奏できる人たちや、ときにプロの演奏家が、ごく内輪に個人の家などで楽しむコンサートの場合には、ふだんホールで遠く距離をおいて聴くのとは全く違う生々しい音が聴きとれる。ヴァイオリンの音を、演奏会場でだけ聴き馴れた人が、初めて、目の前2〜3メートルの距離で演奏される音を聴くと、その音量の大きなことと、意外に鋭い、きつい音や、弓が弦をこする音、弦をおさえた指が離れるときの音、などの附帯雑音が非常に多いことに驚いたりする。

 このように、同じクラシックの楽器でも、原則的にホールで演奏される音をほどよい席で鑑賞するイメージを再生音(スピーカー)に求める場合と、楽器を自分で奏でたりすぐ目の前で演奏されるのを聴く感じを求めるのとでは、それだけでもずいぶん大きな違いがある。

 一般的に言えば、クラシック音楽を、ホールのほどよい席で鑑賞するイメージをよく再現するのは、おもにイギリスで開発されたスピーカーに多い。そして、新しい録音のレコードの音を十全に再生するには、その中でも開発年代の新しい、いわゆるモニタータイプのスピーカーに目をつけたい。たとえば、KEFの104aBや105/II、ハーベスのモニターHL、スペンドールのBCIIやBCIII、あるいはロジャースのエクスポート・モニターや、新型のPM210、410、510のシリーズ、そしてBBCモニターのLS5/8……。

 しかし、楽器が眼前で演奏されたときの鮮鋭なイメージを求めてゆくと、これは、イギリス系のスピーカーでは少し物足りない。やはりJBLのスタジオモニターのシリーズ(たとえば♯4343)や、アルテックの604の系統、同じスピーカーをベースにしたUREIのような、アメリカのモニタースピーカーが、そのようなイメージを満たしてくれやすい。

 さて、ポピュラーに目を転じる。ポピュラーとひと口に言っても、クラシックジャズからモダンジャズ後期に至るジャズの再生と、それ以後のクロスオーバーからフュージョンに至る音楽とでは、前者が原則的にPAを使わないで、楽器も古典的なナチュラルな楽器を前提としているのに対して、後者は、エレキギターからシンセサイザーに至る電気楽器・電子楽器を多用して、またそうした楽器と音色や音量のバランスをとるために、たとえばドラムスでもチューニングを大きく変えて使うというような点を考えてみても、それに適合するスピーカーの考え方は大幅に異なってくる。

 たとえばモダンジャズを含む50年代ジャズを中心に(仮にその時代のスタイルで新しく録音し直したレコードであっても)ジャズらしさを十分に再現したいと相談を受けたとしたら、私はたとえば、次のようなスピーカーを一例として上げる。

 ユニットは全部JBLだが、完成品でなく、パーツを購入して組み上げる。

 ウーファーは2220H(130H)、エンクロージュアは4530BK。場所が許せば4520BKに、ウーファーを2本入れる。あるいは4560BKA(フロントロードホーン)でエネルギーを確保して、最低音用として3D方式で補うという手もある。

 中音は376または2441。ホーンは、2397が人気があるようだが、私なら2395(HL90)にする。これに075トゥイーターを組合わせたときの、スネァドラムやシンバルの音の鮮烈な生々しさは、まるで目の前で楽器が炸裂するかのようで、もうそれ以外のユニットが思いつかないほどだ。ネットワークも、絶対にJBLオリジナルを使う。低←→中の間は3182、または3152。中←→高の間は3150またはN7000。LCでなくマルチアンプでも、うまく調整できればよい。

 少なくともこのシステムで、私は、クラシックを聴くことは全く考えもつかない。徹底してジャズにピントを合わせたスピーカーである。
 もちろんこのままでも、クロスオーバーやフュージョンが楽しめなくはない。けれど、それらの音楽は、ジャズにくらべると、もっと再生音域を広げなくては、十分とはいえない。たとえば、トゥイーターが075では、シンセサイザーの高域の倍音成分の微妙な色あいや、音が空間を駆けめぐり浮遊する感じを、十分に鳴らしにくい。そういう音を鳴らすには、同じJBLでも2405が必要になる。けれどスネァやシンバルのエネルギー感、実在感について、075を一旦聴いてしまうと2405の音では細く弱々しくて不満になる。

 低音についても、シンセサイザーの作り出すときに無機的な超低音や、片張りのバスドラムのストッと乾いた音は、ホーンロードスピーカーでは、必ずしも現代的に再現できるとはいいにくい。ここはどうしても、JBLの新しいエンクロージュアEN8Pまたは8Cに収めたい。中音は前記のままでよいが、ネットワークは新型のLX50AとN7000が指定される。このシステムは、たとえばロックあるいはアメリカの新しいポップスのさまざまな音楽に、すべて長所を発揮すると思う。さらにまた、日本のニューミュージック系にもよい。

 日本の、ということになると、歌謡曲や演歌・艶歌を、よく聴かせるスピーカーを探しておかなくてはならない。ここではやはりアルテック系が第一に浮かんでくる。620Bモニター。もう少しこってりした音のA7X……。タンノイのスーパーレッド・モニターは、三つのレベルコントロールをうまく合わせこむと、案外、艶歌をよく鳴らしてくれる。

 もうひとつ別の見方がある。国産の中級スピーカーの多くは、概して、日本の歌ものによく合うという説である。私自身はその点に全面的に賛意は表し難いが、その説というのがおもしろい。

 いわゆる量販店(大型家庭電器店、大量販売店)の店頭に積み上げたスピーカーを聴きにくる人達の半数以上は、歌謡曲、艶歌、またはニューミュージックの、つまり日本の歌の愛好家が多いという。そして、スピーカーを聴きくらべるとき、その人たちが頭に浮かべるイメージは、日頃コンサートやテレビやラジオで聴き馴れた、ごひいきの歌い手の声である。そこで、店頭で鳴らされたとき、できるかぎり、テレビのスピーカーを通じて耳にしみこんだタレント歌手たちの声のイメージに近い音づくりをしたスピーカーが、よく売れる、というのである。スピーカーを作る側のある大手メーカーの責任者から直接聞いた話だから、作り話などではない。もしそうだとしたら、日本の歌を楽しむには、結局、国産のそのようなタイプのスピーカーが一番だ、ということになるのかどうか。

 少なくとも右の話によれば、国産で、量販店むけに企画されるスピーカーは、クラシックはもちろん、ジャズやロックやその他の、西欧の音楽全般に対しては、ピントを合わせていない理くつになるわけだから、その主の音楽には避けるべきスピーカーということにもなりそうだ。

 話を少しもとに戻して、録音年代の新旧について考えてみる。クラシックでもポピュラーでも、真の意味で録音が良くなったのはここ数年来であることはすでにふれた。これまでにあげてきた少数の例は(ジャズのケースを除いては)、そうした新しい音の流れを前提としたスピーカーである。しかし、それらのスピーカーで、古い年代の録音が、そのまま十分に楽しめるか。それともまた、古い年代の録音を再生するのに、より1層適したスピーカーというものがあるのかどうか。

 ある、と言ったほうが正しいように思う。仮に、ステレオ化(1958年)以後に話を限ってみても、管球時代の暖かい自然な音を録音していた前期(1965年前後まで)と、TR化、マルチトラック化、マルチマイクレコーディングの、過渡期である中期(60年代半ば頃から70年代初め頃まで)、そして新時代の機材の性能向上と、録音テクニックの消化された70年代半ば以降からこんにちまで、という三つの時代に大きく分類ができる。この中で、いわば過渡期でもある中期の録音は、出来不出来のバラつきが非常に大きい。おそろしく不自然な音がある。ひどく歪んだ(ことにロック系の)音がある。やたらにマルチマイク・マルチトラックであることを強調するような、人工臭ぷんぷんの音もある。ステレオの録音に関するかぎり、1960年代の前半までと、70年代後半以降に、名録音が多く、中期の録音には注意した方がいいというのが私の考え方だ。

 それはともかく、ステレオ前期の録音をそれなりに楽しむには、むろんこんにちの最新鋭のスピーカーでも、さして不自然でなく再生できる例が多い。けれど反面、鑑賞にはむしろ邪魔なヒスノイズやその他の潜在雑音が耳障りになったり、音のバランスが多少変って、本来の録音よりもいくぶん冷たい肌ざわりで再生されるということも少なくない。

 そういう理由から、古い録音を再生するのに、一層適したスピーカーがある、という考え方が出てくるわけだ。

 たとえばクラシックなら、イギリスのローラ・セレッションのディットン25や66、あるいはデドハム。またはヴァイタボックスのバイトーン・メイジュアやCN191コーナーホーン・システム。また、もしも中古品で入手が可能なら、タンノイ社製のオリジナルGRFもオートグラフ、あるいは旧レクタンギュラー・ヨーク、など(国産エンクロージュア入りのタンノイは、私はとらない)。またアメリカなら、やはりアルテック。620BモニターやA7X。

 これらに共通しているのは、適度のナロウレインジ。低域も高域も、適度に落ちていて、そして中域にたっぷりと暖かみがある。そういうスピーカーが、古い録音を暖かく蘇らせる。

 その意味からは、必ずしもクラシックと話を限らなくとも、ポピュラー音楽全般についてもまた、似たことがいえる。ただ強いていえば、やはりポップス系は、イギリス系よりもアメリカ系のほうがその特長をよく生かす傾向のあること。イギリス系のスピーカーでポップスを鳴らすと、どうも音が渋く上品に仕上りすぎる傾向がある。ということは見方を変えれば、ストリングス・ムードやイージー・リスニング、あるいは懐かしいポピュラーソングなど、イギリスのスピーカーで特長を生かすことのできる音楽もむろんあるわけだ。だがそれにしてもやはり、私自身の感覚ではどうしても、イギリスのスピーカーの鳴らすポップスの世界は概して渋すぎる。

 ここまでは、スヒーカーを聴くときの拠りどころを、ひとつは録音の年代の新旧、もうひとつは音楽の音の性格の違い、という二つの角度から眺めてきた。しかし本当は、これは何の答えにもなっていない。というのは、ここに、ひとりひとりの聴き手の求める音のありかた、求める音の世界という、これこそ最も本質的に重要な条件をあはてはめてゆかなくてならないからだ。聴き手不在のオーディオなど、何の意味もありはしない。

 では聴き手の求める音、というものを、どう分類してゆくべきか。これも答えは多岐に亘る。

 たとえば音量の問題がある。これには音を鳴らす環境の問題もむろん含まれる。遮音の良好なリスニングルームで、心ゆくまで豊かな音量を満喫したい人。しかし反対に、そういう恵まれたリスニングルームを持っていてもなお、決して大きな音量を好まない人も少なからずある。一人の同じ人間でも、一日のうちの朝と夜、その日の気分や聴く曲の種類などに応じて、音量をさまざまに変化させるが、それにしても、平均的に、かなりの音量で楽しむ人と、おさえた音で聴くことの好きな人とに、やはり分かれる。

 大きな音量の好きな人には、アメリカ系のスピーカーが向いている。これまでにまだ登場していない製品を含めて、アメリカのスピーカーは概して、大きな音量で朗々と鳴らして楽しむのが、スピーカーを活かす使い方だ。

 反対に、小音量の好きな人は、イギリス系のスピーカーに目をつける。イギリスのスピーカーは、概してハイパワーを入れると音が十分に伸び切らないし、大きな音量を出すことを、設計者自身が殆ど考えていないようだ。イギリス人と一緒にレコードを聴いてみると、彼らがとても控えめな音量でレコード鳴らすことに驚かされる。そういう彼らの作るスピーカーは、とうぜん、小さな音量で鳴らしたときに音がバランスよく美しく聴こえるように作られている。

 音量の次には、音色の傾向があげられる。たとえば音のクリアネス、あるいは解像力。どこまでも、細密画のようにこまかく音を鳴らし分けるような、隅々まで見通せるようないわゆる解像力の高い音を求めるか。反対に、そういう細かい音は神経が疲れてしまうから、もっと全体をくるみ込んでしまうような音。前者が製図ペンや面相筆で細かく描き込んだ細密画なら、後者は筆太のタッチで、大らかに仕上げたという感じの音。

 解像力の優れているのは、やはり新しいモニタ系のスピーカーだ。そこに音量の問題を重ねてみると、高解像力・小音量ならイギリスの中型モニター。高解像力・大音量ならどうしてもJBLのスタジオ・モニタ、となるだろう。

 ふわっとくるみ込むような柔らかい音。そして小音量でよいのなら、前述のディットン245や、スペンドールのBCII。少しぜいたくなところでロジャースPM510。これはモニター系のスピーカーであるにもかかわらず、耳あたりのいいソフトな音も鳴らせる。

 ソフトタッチ、しかし音量は大きく、となるとここはアルテックやUREIの独壇場になる。それも、高音を少々絞り気味に調整して鳴らしたい。

 音のエネルギーの問題もある。とくに、新しいポップスの録音。たとえばシェフィールドのダイレクトカットの録音などを聴いてみると、これは、音に本当の力のあるスピーカーでなくては、ちっともおもしろくないことがわかる。その上で、十分にレインジが広く、そして音の質感がよく、良い意味で音がカラッと乾いていなくてはならない。となるとここはもう、イギリスの出番ではない。アルテックでもない。いや、あるてっくならせい一杯がんばって6041。しかしここはどうしてもJBLスタジオ・モニターだ。

 だが、ここにもっと欲ばった要求をしてみる。クラシックも好き、ジャズやロックも気が向けばよく聴く。ニューミュージックも、ときに艶歌も聴く。たまにはストリングス・ムードなどのイージー・リスニングも……。そういう聴き方だから、レコードの録音も新旧、内外、多岐に亘り、しかも再生するときの音量も、深夜はひっそりと、またあるときは目の前でピアノやドラムスが直接鳴るのを聴くような音量まで要求する──としたら?

 これは決して架空の設定ではない。私自身がそうだし、音楽を妙に差別しないで本当に好きで楽しむ人なら、そう特殊な要求とはいえない。だとしたら、どういうスピーカーがあるのか。

 再生能力の可能性の、こんにち考えられる範囲でできるだけ広いスピーカー、を選ぶしかない。となると、これが最上ではないが、といってこれ以外に具体的に何があるかと考えてみると、結局、これしかないという意味で、やはりJBL♯4343あたりに落ちつくのではないだろうか。あるいは、この本の出るころにはサンプルが日本に着くはずの、JBLの新型♯4345が、その期待にいっそう応えてくれるのかもしれない。

 スピーカー選びについて、いくつかのケースを想定しながら、具体例をいくつかあげてみた。次号では、これらのスピーカーを、どう鳴らしこなすのか、について、アンプその他に話をひろげて考えてみる。


http://audiosharing.com/review/?tag=4343
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c12

[近代史02] LPの音をSPの音に変える魔法のスピーカ タンノイ オートグラフ _ 2流オケの音もウイーン・フィルの響きに変える奇跡 中川隆
127. 中川隆[-11105] koaQ7Jey 2019年3月29日 10:33:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[914]
「私とタンノイ」1979年3月30日 瀬川冬樹
http://audiosharing.com/review/?p=802


ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ・タンノイ」(1979年春発行)
「タンノイ論 私とタンノイ」より

 日本酒やウイスキィの味が、何となく「わかる」ような気に、ようやく近頃なってきた。そう、ある友人に話をしたら、それが齢をとったということさ、と一言で片づけられた。なるほど、若い頃はただもう、飲むという行為に没入しているだけで、酒の量が次第に減ってくるにつれて、ようやく、その微妙な味わいの違いを楽しむ余裕ができる――といえば聞こえはいいがその実、もはや量を過ごすほどの体力が失われかけているからこそ、仕方なしに味そのものに注意が向けられるようになる――のだそうだ。実をいえばこれはもう三年ほど前の話なのだが、つい先夜のこと、連れて行かれた小さな、しかしとても気持の良い小料理屋で、品書に出ている四つの銘柄とも初めて目にする酒だったので、試みに銚子の代るたびに酒を変えてもらったところ、酒の違いが何とも微妙によくわかった気がして、ふと、先の友人の話が頭に浮かんで、そうか、俺はまた齢をとったのか、と、変に淋しいような妙な気分に襲われた。それにしても、あの晩の、「窓の梅」という名の佐賀の酒は、さっぱりした口あたりで、なかなかのものだった。

     *

 レコードを聴きはじめたのは、酒を飲みはじめたのよりもはるかに古い。だが、味にしても音色にしても、それがほんとうに「わかる」というのは、年季の長さではなく、結局のところ、若さを失った故に酒の味がわかってくると同じような、ある年齢に達することが必要なのではないのだろうか。いまになってそんな気がしてくる。つまり、酒の味が何となくわかるような気がしてきたと同じその頃以前に、果して、本当の意味で自分に音がわかっていたのだろうか、ということを、いまにして思う。むろん、長いこと音を聴き分ける訓練を重ねてきた。周波数レインジの広さや、その帯域の中での音のバランスや音色のつながりや、ひずみの多少や……を聴き分ける訓練は積んできた。けれど、それはいわば酒のアルコール度数を判定するのに似て、耳を測定器のように働かせていたにすぎないのではなかったか。音の味わい、そのニュアンスの微妙さや美しさを、ほんとうの意味で聴きとっていなかったのではないか。それだからこそ、ブラインドテストや環境の変化で簡単にひっかかるような失敗をしてきたのではないか。そういうことに気づかずに、メーカーのエンジニアに向かって、あなたがたは耳を測定器的に働かせるから本当の音がわからないのではないか、などと、もったいぶって説教していた自分が、全く恥ずかしいような気になっている。

     *

 おまえにとってのタンノイを書け、と言われて、右のようなことをまず思い浮かべた。私自身、いくつものタンノイを聴いてきた。デュアル・コンセントリック・ユニットやレクタンギュラーG・R・Fに身銭を切りもした。だが、ほんとうにタンノイの音を知っているのだろうか――。ふりかえってみると、さまざまなタンノイの音が思い起こされてくる。

タンノイ初体験

 はじめてタンノイの音に感激したときのことはよく憶えている。それは、五味康祐氏の「西方の音」の中にもたびたび出てくる(だから私も五味氏にならって頭文字で書くが)S氏のお宅で聴かせて頂いたタンノイだ。

 昭和28年か29年か、季節の記憶もないが、当時の私は夜間高校に通いながら、昼間は、雑誌「ラジオ技術」の編集の仕事をしていた。垢で光った学生服を着ていたか、それとも、一着しかなかったボロのジャンパーを着て行ったのか、いずれにしても、二人の先輩のお供をする形でついて行ったのだか、S氏はとても怖い方だと聞かされていて、リスニングルームに通されても私は隅の方で小さくなっていた。ビールのつまみに厚く切ったチーズが出たのをはっきり憶えているのは、そんなものが当時の私には珍しく、しかもひと口齧ったその味が、まるで天国の食べもののように美味で、いちどに食べてしまうのがもったいなくて、少しずつ少しずつ、半分も口にしないうちに、女中さんがさっと下げてしまったので、しまった! と腹の中でひどく口惜しんだが後の祭り。だがそれほどの美味を、一瞬に忘れさせたほど、鳴りはじめたタンノイは私を驚嘆させるに十分だった。

 そのときのS氏のタンノイは、コーナー型の相当に大きなフロントロードホーン・バッフルで、さらに低音を補うためにワーフェデイルの15インチ・ウーファーがパラレルに収められていた。そのどっしりと重厚な響きは、私がそれまで一度も耳にしたことのない渋い美しさだった。雑誌の編集という仕事の性質上、一般の愛好家よりもはるかに多く、有名、無名の人たちの装置を聴く機会はあった。それでなくとも、若さゆえの世間知らずともちまえの厚かましさで、少しでも音のよい装置があると聞けば、押しかけて行って聴かせて頂く毎日だったから、それまでにも相当数の再生装置の音は耳にしていた筈だが、S氏邸のタンノイの音は、それらの体験とは全く隔絶した本ものの音がした。それまで聴いた装置のすべては、高音がいかにもはっきりと耳につく反面、低音の支えがまるで無に等しい。S家のタンノイでそのことを教えられた。一聴すると、まるで高音が出ていないかのようにやわらかい。だがそれは、十分に厚みと力のある、だが決してその持てる力をあからさまに誇示しない渋い、だが堂々とした響きの中に、高音はしっかりと包まれて、高音自体がむき出しにシャリシャリ鳴るようなことが全くない。いわゆるピラミッド型の音のバランス、というのは誰が言い出したのか、うまい形容だと思うが、ほんとうにそれは美しく堂々とした、そしてわずかにほの暗い、つまり陽をまともに受けてギラギラと輝くのではなく、夕闇の迫る空にどっしりとシルエットで浮かび上がって見る者を圧倒するピラミッドだった。部屋の明りがとても暗かったことや、鳴っていたレコードがシベリウスのシンフォニイ(第二番)であったことも、そういう印象をいっそう強めているのかもしれない。

 こうして私は、ほとんど生まれて初めて聴いたといえる本もののレコード音楽の凄さにすっかり打ちのめされて、S氏邸を辞して大泉学園の駅まで、星の光る畑道を歩きながらすっかり考え込んでいた。その私の耳に、前を歩いてゆく二人の先輩の会話がきこえてきた。

「やっぱりタンノイでもコロムビアの高音はキンキンするんだね」

「どうもありゃ、レンジが狭いような気がするな。やっぱり毛唐のスピーカーはダメなんじゃないかな」

 二人の先輩も、タンノイを初めて聴いた筈だ。私の耳にも、シベリウスの最終楽章の金管は、たしかにキンキンと聴こえた。だがそんなことはほんの僅かの庇にすぎないと私には思えた。少なくともその全体の美しさとバランスのよさは、先輩たちにもわかっているだろうに、それを措いて欠点を話題にしながら歩く二人に、私は何となく抵抗をおぼえて、下を向いてふくれっ面をしながら、暗いあぜ道を、できるだけ遅れてついて歩いた。

     *

 古い記憶は、いつしか美化される。S家の音を聴かせて頂いたのは、後にも先にもそれ一度きりだから、かえってその音のイメージが神格化されている――のかもしれない。だが反面、数えきれないほどの音を聴いた中で、いまでもはっきり印象に残っている音というものは、やはり只者ではないと言える。こうして記憶をたどりながら書いているたった今、S家に匹敵する音としてすぐに思い浮かぶ音といったら、画家の岡鹿之介氏の広いアトリエで鳴ったフォーレのレクイエムだけといえる。少しばかり分析的な言い方をするなら、S氏邸の音はタンノイそのものに、そして岡邸の場合は部屋の響きに、それぞれびっくりしたと言えようか。

 そう思い返してみて、たしかに私のレコード体験はタンノイから本当の意味ではじまった、と言えそうだ。とはいうものの、S氏のタンノイの充実した響きの美しさには及ばないにしても、あのピラミッド型のバランスのよい音を、私はどうもまだ物心つく以前に、いつも耳にしていたような気がしてならない。そのことは、S氏邸で音を聴いている最中にも、もやもやとはっきりした形をとらなかったものの何か漠然と心の隅で感じていて、どこか懐かしさの混じった気持にとらわれていたように思う。そしていまとなって考えてみると、やはりあれは、まだ幼い頃、母の実家であった深川・木場のあの大きな陽当りの良い二階の部屋で、叔父たちが鳴らしていた電気蓄音器の音と共通の響きであったように思えてならない。だとすると、結局のところタンノイは、私の記憶の底に眠っていた幼い日の感覚を呼び覚ましたということになるのか。


モニター・レッド

 S氏邸のタンノイからそれほどの感銘を受けたにかかわらず、それから永いあいだ、タンノイは私にとって無縁の存在だった。なにしろ高価だった。「西方の音」によれば当時神田で17万円で売っていたらしいが、給料が8千円、社内原稿の稿料がせいぜい4〜5千円。それでも私の若さでは悪いほうではなかったが、その金で母と妹を食べさせなくてはならなかったから、17万円というのは、殆ど別の宇宙の出来事に等しかった。そんなものを、ウインドウで探そうとも思わなかった。グッドマンのAXIOM―80が2万5千円で、それか欲しくてたまらずに、二年間の貯金をしたと憶えている。このグッドマンは、私のオーディオの歴史の中で最も大きな部分なのだが、それは飛ばして私にとってタンノイが身近な存在になったのは、昭和三十年代の終り近くになってからの話だ。その頃は、工業デザインを職として、あるメーカーの嘱託をしていたので、少しは暮しが楽になっていた。デザインが一生の仕事になりそうに思えて、もうこの辺で、アンプの自作から足を洗おうと考えた。部屋は畳のすり切れた古い六畳和室だったが、当分のあいだ装置に手を加える気を起さないためには、ある程度以上のセットが必要だと考え、マランツ・セブンと、QUADのII型(管球式モノーラル・パワーアンプ)を二台という組合せに決めた。プレーヤーはガラードの301にSMEを持っていた。そこでスピーカーだが、これは迷うことなくタンノイのDC15にきめた。その頃、秋葉原で7万5千円になっていた。青みを帯びたメタリックのハンマートーン塗装のフレームに、磁極のカヴァーがワインレッドの同じくメタリック・ハンマートーン塗装。いわゆる「モニター・レッド」の時代であった。ただ、エンクロージュアまではとうてい手が出せない。G・R・Fやオートグラフは、まだほとんど知られていなかった。まして、怪しげなエンクロージュアに収めればせっかくのタンノイがどんなにひどい音で鳴るか、こんにちほど知られていない。グッドマンのAXIOM―80で、エンクロージュアの重要性を思い知らされていた筈なのに、タンノイの場合にそのことにまだ思い至っていなかったという点が、我ながらどうにも妙だが、要するところそこまででもう貯金をはたき尽くしたというのが真相だ。そして、このタンノイが、ごく貧弱ながらもエンクロージュアと名のつくものに収まるのは、もっとずっと後のことになる。

デュアル・コンセントリック・モニター15

 イギリス人は概して節倹の精神に富んでいると云われる。悪くいえばケチ。ツイードの服も靴も、ひどく長持ちするように出来ている。それか機械作りにもあらわれて、彼らは常に、必要最小限のことしかしない。たとえばクォードのアンプ。その設計者ピーター・ウォーカーは言う。「我々にはもっと大がかりなアンプを作る技術は十分にある。が、一般の家庭で、ごくふつうの常識的な愛好家がレコードやFMを楽しもうとするかぎり、いまのアンプやチューナー以上に大規模なものがなぜ必要だろうか。むしろ我々はいまの製品でさえ必要以上のクォリティをもっているとさえ思っている」と。

 タンノイのDC15――正確に書けばデュアル・コンセントリック・モニター15 Dual-Concentric Monitor 15 (同軸型15インチ2ウェイユニット)――は、よく知られているように、15インチのウーファーの中央、ウーファーの磁極の中心部を高音用のホーンが突き抜けて、磁極の背面にホーン・ドライヴァーユニットのダイアフラムとイクォライザーを持っている。そのことだけをみれば、アルテックの604シリーズと全く同じで、その基本は遠く1930年代に、ウエスターン・エレクトリックの設計にさかのぼる。

 だがそこから先が違っている。アルテック604は、トゥイーター用にウーファーと別の全く独立した磁極を持っていて、トゥイーターの開口部にはこれもまたウーファーとは全く切離された6セルのマルチセラーホーンがついている。つまり604では、ウーファーとホーントゥイーターは、材料も構造も完全に別個に独立していて、それを同軸型に収めるために、まるでやむをえずと言いたい程度に、ウーファーの磁極(センターポール)の中を、トゥイーターのホーンが貫通しているだけだ。

 ところがタンノイは違う。第一にトゥイーターのマグネットとウーファーのそれとが、完全に共通で、ただ一個の磁石で兼用させている。第二に、トゥイーターのホーンの先端の半分は、ウーファーのダイアフラムのカーヴにそのまま兼用させている。この設計は、おそろしく絶妙といえる反面、見方をかえればひどくしみったれた、まさにジョンブル精神丸出しの構造、にほかならない。クォードII型パワーアンプのネームプレートを止めている4本のビスが、シャーシの裏をかえすとそのまま、電解コンデンサーの足を止めるネジを兼ねていることがわかるが、このあたりの発想こそ、イギリスのメカニズムに共通の、おそるべき合理精神のあらわれだといえそうだ。

 しかもタンノイは、この同じ構造のまま、サイズを12インチ、10インチと増やしはしたものの、アメリカ・ハーマンの資本下に入る以前までは、ほとんど20年間以上、この3種類のユニットだけで、あとはエンクロージュアのヴァリエイションによって、製品の種類を保っていた。

 そう考えてみれば、タンノイの名声は、その半分以上はエンクロージュアの、つまり木工の技術に負うところが多いと、いまにして気がつく道理だ。
 オートグラフやG・R・Fの例を上げるまでもなく、中味のユニットよりもエンクロージュアのほうが高価、というスピーカーシステムは、タンノイ以外にも、またアメリカでもイギリスでも、モノーラル時代にはそれほど珍しいことではなかった。たとえばJBLハーツフィールド、EVのパトリシアン、ヴァイタヴォックスCN191クリプシュホーン……。だがしかし、ユニットの価格とエンクロージュアの価格との比率という点で、オートグラフ以上のスピーカーシステムは、かつて誰もが作り得なかった。イギリスで入手できるオーディオ製品のカタログ集ともいえるハイファイ・イヤーブック(HiFi year book)によれば、オートグラフはかなり永いこと英貨165ポンドだが、その中でDC15の占める価格はわずかに38ポンド。ユニットの3・3倍の価格がエンクロージュアだ。しかも図体がおそろしく大きいから、日本に輸入されたときにはこの比率はもっと大きくなる。ユニットが7万5千円の当時、オートグラフは45万円近かった筈だ。

 いまでこそ、エンクロージュアは単にスピーカーの容れ物ではなく、スピーカーシステム全体の音色を大きく支配していることを、たいていの人が知っている。その違いの大きさについて、心底驚いた体験をしたことのない人でも、少なくとも知識として知っている。

 けれど、昭和30年代から40年代にかけて、まだ日本全体が本当に豊かといえない時代に、スピーカーユニットにペアで15万円は支出できても、それを収めるエンクロージュアにあと80万円近く(オートグラフでないG・R・Fでさえ、ユニットごとのペアだとざっと60万円)を追加するというのは、よほどの人でなくては苦しい。そして、エンクロージュアは容れ物、という観念がどこかに残っているし、そうでなくとも、図面を入手して家具屋にでも作らせれば、ひとかどの音は出る筈だと、殆どの人が信じこんでいる。タンノイの真価の知られるのが、ことに日本でひどく遅れたのも仕方なかったことだろう。そのタンノイの真価を本当に一般の人に説得したのは、オーディオやレコードの専門誌ではなく、五味康祐氏が《芸術新潮》に連載していた「西方の音」であったのは、何と皮肉なことだったろう。そうしてやがて、西方……を孫引きするような形で、わけ知り顔のタンノイ評論が、オーディオ専門誌にも載るようになってくる……などと書くと、これはどうも薮蛇になりそうだが。


レクタンギュラーG・R・F

 あれはたぶん、昭和43年だったか。当時、音楽之友社が、我々オーディオ関係の執筆者たちに、お前たちも一度、アメリカやヨーロッパのオーディオや音楽事情を目のあたりにみてくる必要がある、といって、渡航資金に原稿料をプールしていてくれたことがあった。それは一応の額に達していた。

 ところで、前述の私のDC15は、その後、内容積が約100リッター足らずという、ごく小さな(ただし材質だけはやや吟味した)位相反転型のエンクロージュアに収まっていたが、これではどうにも音がまとまらない。かといって、レクタンギュラー・ヨークのクラスでは、わざわざ購入するのはおもしろくない。私の部屋は六畳のひと間に机から来客用のイスまでつめこんで、足のふみ場もない狭さだったが、それでもオーディオにはかなり狂っていて、JBLのユニットを自分流にまとめた3ウェイをメインとして、数機種のスピーカーシステムがひしめいていた。その頃、オートグラフの素晴らしさはすでによく知っていたが、どうやりくりしても私の部屋におさまる大きさではない。G・R・Fでもまだむずかしい。ところが、大きさはレクタンギュラーヨークと殆ど同じの、レクタンギュラーG・R・Fというのがあることを知って私の虫が突然頭をもたげて、矢も楯もたまらずに、前記の音楽之友社の積立金を無理矢理下ろしてもらって、あの飴色の美しいG・R・Fを、狭い六畳に押し込んでしまった。おかげでアメリカ・ヨーロッパゆきは私だけおジャンになったが、さてあのとき、どちらがよかったのかは、いまでもよくわからない。

 しかし皮肉なことに、このころを境にして次第に、自分の求めている音が自分自身に明確になってくるにつれて、ホーンバッフルの音は私の求めている音ではない、という確信に支配されるようになった。良いホーンロードの音は、たしかに、昔の良質の蓄音器から脈々と受け次がれてきたレコードの世界をみごとに構築する説得力はあったが、私自身はむしろ、そういう世界から少しでも遠いところに脱皮したかった。ホーンロード特有の、中〜低音域がかたまりのように鳴りがちの傾向――それはことに部屋の条件の整わない場合に耳ざわりになりやすい――が、私の求める方向と違っていたし、高音域もまた、へたに鳴らしたタンノイ特有の、ときとして耳を刺すような金属室の音が、それがときたまであってもレコードを聴いていて酔わせてくれない。

 お断りしておくが、オートグラフを、少なくともG・R・Fを、最良のコンディションに整えたときのタンノイが、どれほど素晴らしい世界を展いてくれるか、については、何度も引き合いに出した「西方の音」その他の五味氏の名文がつぶさに物語っている。私もその片鱗を、何度か耳にして、タンノイの真価を、多少は理解しているつもりでいる。

 だが、デッカの「デコラ」の素晴らしさを知りながら、それがS氏の愛蔵であるが故に、「今さら同じものを取り寄せることは(中略)

私の気持がゆるさない」(「西方の音」より)五味氏が未知のオートグラフに挑んだと同じ意味で、すでにこれほど周知の名器になってしまったオートグラフを、いまさら、手許に置くことは、私として何ともおもしろくない。つまらない意地の張り合いかもしれないが、これもまた、オーディオ・マニアに共通の心理だろう。

 そんなわけで、タンノイはついに私の家に落ちつくことなしに、レクタンギュラーG・R・Fは、いま、愛好家I氏の手に渡って二年あまりを経た。ほんの数日まえの夜、久しぶりにI氏の来訪を受けた。二年に及ぶI氏の愛情込めた調整で、レクタンギュラーG・R・Fは、いま、とても良い音色を奏ではじめたそうだ。私の家の音を久しぶりに聴いて頂いたI氏の表情に、少しの翳りも浮かばなかったところをみると、タンノイはほんとうに良い音で鳴っているのだろうと、私も安心して、うれしい気持になった。
http://audiosharing.com/review/?p=802
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/494.html#c127

[リバイバル3] 酷い音のインチキ・レプリカを量産して伝説の評価を落とした Goodmans Axiom80 中川隆
47. 中川隆[-11104] koaQ7Jey 2019年3月29日 10:36:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[915]



グッドマン AXIOM 80 1979年3月15日 瀬川冬樹

ステレオサウンド 50号(1979年3月発行)
特集・「栄光のコンポーネントに贈るステート・オブ・ジ・アート賞」より


 外径9・5インチ(約24センチ)というサイズは、過去どこの国にも例がなく、その点でもまず、これは相当に偏屈なスピーカーでないかと思わせる。しかも見た目がおそろしく変っている。しかし決して醜いわけではない。見馴れるにつれて惚れ惚れするほどの、機能に徹した形の生み出す美しさが理解できてくる。この一見変ったフレームの形は、メインコーン周辺(エッジ)とつけ根(ボイスコイルとコーンの接合部)との二ヵ所をそれぞれ円周上の三点でベークライトの小片によるカンチレバーで吊るす枠になっているためだ。

 これは、コーンの前後方向への動きをできるかぎりスムーズにさせるために、グッドマン社が創案した独特の梁持ち構造で、このため、コーンのフリーエア・レゾナンスは20Hzと、軽量コーンとしては驚異的に低い。

 ほとんど直線状で軽くコルゲーションの入ったメインコーンに、グッドマン独特の(AXIOMシリーズに共通の)高域再生用のサブコーンをとりつけたダブルコーン。外磁型の強力な磁極。耐入力は6Wといわめて少ないが能率は高く、音量はけっこう出る。こういう構造のため、反応がきわめて鋭敏で、アンプやエンクロージュアの良否におそろしく神経質なユニットだった。当時としてはかなりの数が輸入されている筈だが、AXIOM80の本ものの音──あくまでもふっくらと繊細で、エレガントで、透明で、やさしく、そしてえもいわれぬ色香の匂う艶やかな魅力──を、果してどれだけの人が本当に知っているのだろうか。
http://audiosharing.com/review/?p=2784

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瀬川 冬樹(せがわ ふゆき、1935年1月10日-1981年11月7日[1])は、工業デザイナー、オーディオ評論家。

本名・大村一郎。10歳頃から鉱石ラジオ作りに夢中になる。その後アンプづくりに発展し、16歳のときに自作の「2A3PP負帰還アンプ」が、『ラジオ技術』誌の「読者の研究」欄に掲載される。それが縁で同誌の編集部員となり、自筆のイラスト入りで原稿を執筆するなど大いに活躍。桑沢デザイン研究所出身。「瀬川冬樹」のペンネームは1953年頃に使い始めた[2]。46歳で死去。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E5%B7%9D%E5%86%AC%E6%A8%B9

瀬川冬樹は創刊まもない頃のSS誌で、ゴッホ美術館で手持ちの複製画の本物を見た時その本物は所蔵の複製画の複製に見えた、という小林秀雄の有名な一文を引いてオーディオ論を展開していました。今日眺めても極めて優れたオーディオ論で、瀬川畢生の名論文だとおもいます。

瀬川冬樹氏の名論文は1960年頃のラジオ技術誌の「私のリスニングルーム」、しばらくあとの「M夫人のクレオさん」(クレデンザのこと、M夫人は福岡で御健在)、1960年代半ばのラ技連載の一連の「これからのステレオ装置」などであり、個人的には1970年代の瀬川さんは抜け殻としか思えないのです。

それは瀬川さんも分かっていたようです。
お亡くなりになる直前のことですが倉敷在住のIさんに、

ぼくはもうだめなんだ、体もだめだしオーデイオも堕落してしまったんだ、

今一度昔に帰りたい、45とアキシオム80に戻りたい、

そのために80は8本用意しているんだが、、

と述懐されたそうです。

瀬川さんのピークは JBL の蜂の巣ホーンをお使いになられたマルチアンプ時代の頃まででしょう。

Iさんからその話を伺った時、なぜか太宰治を想いました。氏が癌に侵されていることはそのころは既に衆知のことでした。
しばらくしてお亡くなりになったのですが大村一郎としてはS字状結腸にできた腫瘍で亡くなったとしても瀬川冬樹としてはそうではないと思ったものです。
http://www.audio-maestro.com/luochi_sui_shii.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/686.html#c47

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
13. 中川隆[-11103] koaQ7Jey 2019年3月29日 10:45:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[916]

カラヤンと4343と日本人(その1)


五味先生と瀬川先生は、本質的に近い、と私は感じている。
それでもカラヤンに対する評価は、違っていた。

五味先生のカラヤン嫌いはよく知られていた。
瀬川先生はカラヤンをよく聴かれていた。

ここがスタートである。
カラヤンといえば、黒田先生が浮ぶ。
音楽之友社から「カラヤン・カタログ303」を出されている。

瀬川先生も黒田先生もJBLの4343を鳴らされていた。
この二人は、朝日新聞が出していたレコードジャケットサイズのオーディオムック「世界のステレオ」で、
カラヤンのベートーヴェンの交響曲全集の録音について対談されている。

JBLの4343という、フロアー型の4ウェイ、しかもペアで100万円を超えるスピーカーシステムが、
驚くほど売れたのは日本であり、
カラヤンのレコード(録音物)の売行きでも、おそらく日本が一番なのではないか。

こう書いてしまうと、日本人はブランドに弱いから、としたり顔で、
わかったようなことをいう人がいる。
そんな単純なことだろうか。

ステレオサウンドに書かれていた人では、岡先生もカラヤンを高く評価されていた。
1970年代、岡先生はARのスピーカーを鳴らされていた。


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カラヤンと4343と日本人(その2)


オーディオマニアとしての私の核は五味先生の文章によって、
そして骨格は瀬川先生の文章によってつくられた、としみじみおもう。

そんな私にとって、ここでのタイトル「カラヤンと4343と日本人」は最も書きたいことであり、
なかなか書きづらいテーマでもある。

熱心にステレオサウンドを読んでいたころ、
五味先生は4343をどう聴かれるのか、そのことが非常に知りたかった。

ステレオサウンド 47号から始まった「続・五味オーディオ巡礼」では、
南口重治氏の4350Aの音を、最終的に認められている。

     *

 プリはテクニクスA2、パワーアンプの高域はSAEからテクニクスA1にかえられていたが、それだけでこうも音は変わるのか? 信じ難い程のそれはスケールの大きな、しかもディテールでどんな弱音ももやつかせぬ、澄みとおって音色に重厚さのある凄い迫力のソノリティに一変していた。私は感嘆し降参した。

 ずいぶんこれまで、いろいろオーディオ愛好家の音を聴いてきたが、心底、参ったと思ったことはない。どこのオートグラフも拙宅のように鳴ったためしはない。併しテクニクスA1とスレッショールド800で鳴らされたJBL4350のフルメンバーのオケの迫力、気味わるい程な大音量を秘めたピアニシモはついに我が家で聞くことのかなわぬスリリングな迫真力を有っていた。ショルティ盤でマーラーの復活=Aアンセルメがスイスロマンドを振ったサンサーンスの第三番をつづけて聴いたが、とりわけ後者の、低音をブーストせず朗々とひびくオルガンペダルの重低音には、もう脱帽するほかはなかった。こんなオルガンはコンクリート・ホーンの高城重躬邸でも耳にしたことがない。

 小編成のチャンバー・オーケストラなら、あらためて聴きなおしたゴールド・タンノイのオートグラフでも遜色ないホール感とアンサンブルの美はきかせてくれる。だが大編成のそれもフォルテッシモでは、オートグラフの音など混変調をもったオモチャの合奏である。それほど、迫力がちがう。

     *

47号の「続・五味オーディオ巡礼」には、4343のことも少しばかり触れられている。

     *

 JBLでこれまで、私が感心して聴いたのは唯一度ロスアンジェルスの米人宅で、4343をマークレビンソンLNPと、SAEで駆動させたものだった。でもロスと日本では空気の湿度がちがう。西洋館と瓦葺きでは壁面の硬度がちがう。天井の高さが違う。4343より、4350は一ランク上のエンクロージァなのはわかっているが、さきの南口邸で「唾棄すべき」音と聴いた時もマークレビンソンで、低域はスレッショールド、高域はSAEを使用されていた。それが良くなったと言われるのである。南口さんの聴覚は信頼に値するが、正直、半信半疑で私は南口邸を訪ねた。そうして瞠目した。

     *

ここでの組合せのこまかなことはないが、
SAEのパワーアンプは、おそらくMark 2500なのだろう。
だとすれば、ここでの組合せは瀬川先生の組合せそのものといっていい。

組合せだけで音が決まるわけでないことはいうまでもない。
それでも、当時のマッキントッシュのアンプで駆動させた音と、
LNP2とMark 2500での音とは、大きく違う。
方向性が違う。

その方向性が、瀬川先生と同じであるところの組合せを、
五味先生は《感心して聴いた》とされている。

47号を何度も何度読み返した。
読み返すほど、五味先生が4343をどう評価されていたのかを知りたくなった。


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カラヤンと4343と日本人(その3)

五味先生の4343評。
それが読めたのは、「人間の死にざま」を古書店で見つけたであった。

     *

 JBLのうしろに、タンノイのIIILZをステレオ・サウンド社特製のエンクロージァがあった。設計の行き届いたこのエンクロージァは、IIILZのオリジナルより遙かに音域のゆたかな美音を聴かせることを、以前、拙宅に持ち込まれたのを聴いて私は知っていた。(このことは昨年述べた。)JBLが総じて打楽器──ピアノも一種の打楽器であるせんせんの 再生に卓抜な性能を発揮するのは以前からわかっていることで、但しパラゴン≠ノせよオリンパス≠ノせよ、弦音となると、馬の尻尾ではなく鋼線で弦をこするような、冷たくて即物的な音しか出さない。高域が鳴っているというだけで、松やにの粉が飛ぶあの擦音──何提ものヴァイオリン、ヴィオラが一斉に弓を動かせて響かすあのユニゾンの得も言えぬ多様で微妙な統一美──ハーモニイは、まるで鳴って来ないのである。人声も同様だ、咽チンコに鋼鉄の振動板でも付いているようなソプラノで、寒い時、吐く息が白くなるあの肉声ではない。その点、拙宅のオートグラフ≠はじめてタンノイのスピーカーから出る人声はあたたかく、ユニゾンは何提もの弦楽器の奏でる美しさを聴かせてくれる(チェロがどうかするとコントラバスの胴みたいに響くきらいはあるが)。4343≠ヘ、同じJBLでも最近評判のいい製品で、ピアノを聴いた感じも従来のパラゴン≠たりより数等、倍音が抜けきり──妙な言い方だが──いい余韻を響かせていた。それで、一丁、オペラを聴いてやろうか、という気になった。試聴室のレコード棚に倖い『パルジファル』(ショルティ盤)があったので、掛けてもらったわけである。

 大変これがよかったのである。ソプラノも、合唱も咽チンコにハガネの振動板のない、つまり人工的でない自然な声にきこえる。オーケストラも弦音の即物的な冷たさは矢っ張りあるが、高域が歪なく抜けきっているから耳には快い。ナマのウィーン・フィルは、もっと艶っぽいユニゾンを聴かせるゾ、といった拘泥さえしなければ、拙宅で聴くクナッパーツブッシュの『パルジファル』(バイロイト盤)より左右のチャンネル・セパレーションも良く、はるかにいい音である。私は感心した。トランジスター・アンプだから、音が飽和するとき空間に無数の鉄片(微粒子のような)が充満し、楽器の余韻は、空気中を楽器から伝わってきこえるのではなくて、それら微粒子が鋭敏に楽器に感応して音を出す、といったトランジスター特有の欠点──真に静謐な空間を有たぬ不自然さ──を別にすれば、思い切って私もこの装置にかえようかとさか思った程である。

     *

意外だった。
4343のことはそこそこ高く評価されるであろう、とは予想していたが、
ここまで高く評価されていたのか、と驚いた。

この時の組合せは、コントロールアンプがGASのThaedra、パワーアンプがマランツのModel 510、
カートリッジはエンパイアの4000(おそらく4000D/III)だろう)。
ステレオサウンドの試聴室で聴かれている。

アンプが、瀬川先生の好きな組合せだったら……、
カートリッジがエンパイアではなく、ヨーロッパのモノだったら……、
さらに高い評価だったのでは……、とは思うし、

できれば瀬川先生による調整がほどこされた音を聴かれていたら……、
とさらにそう思ってしまうが、

少なくとも4343をJBL嫌いの五味先生は、いいスピーカーだと認められている。
http://audiosharing.com/blog/?cat=4

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c13

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
14. 中川隆[-11102] koaQ7Jey 2019年3月29日 11:40:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[917]

JBL 4343(その1) 5月 3rd, 2014

4343のユニット配置はインライン配置である。

ただしスーパートゥイーターの2405に関してはインライン配置にしてしまうと、
エンクロージュアの高さがその分必要になるためなのか、
ミッドハイを受け持つ2420+2307-2308の横に取り付けられている。

つまり音響レンズの横に2405はある。
そして音響レンズの、2405が取り付けられている反対側には丸い穴がメクラ板でふさがれている。

ようするに4343は出荷時には左右の指定はない。
ユニット配置は左右対称ではなく左右共通である。
だからそのままの4343を部屋に設置すると、
片チャンネルの2405は外側に、反対チャンネルの2405は内側にくる。

ウーファー、ミッドバス、ミッドハイの三つのユニットはインライン配置なので、
2405だけがこういうふうになるのは気にする人にとっては、すぐにでも変更したくなる点である。

そうなるとミッドバス、ミッドハイ、
2405の三つのユニットを取り付けているバッフルをエンクロージュアから取り外して、
2405の位置を片チャンネルのみ変えることになる。

特に難しい作業ではないけれど、面倒な作業と思う人もいるだろう。

それにしても、なぜ4343は最初から左右対称のユニット配置で出荷しなかったのだろうか。

_____

JBL 4343(その2)

JBLは1960年代にハークネスで左右対称のユニット配置を取り入れている。
にも関わらず4343では左右対称にしていない。

4343の前身4341も左右対称ではない。
4341も2405の位置を変えられるようになっているが、
位置を変えたところで左右対称配置にはならない。

4350もユニットの位置を変えられるようになっている。
2405だけではなくミッドハイを受け持つ2440+2311-2308も入れ替えることになる。

4343も4350も出荷時に左右対称配置にしてくれれば、使い手としてはありがたい。
そうしてくれてれば2405の位置を変えたければ、スピーカーそのものを左右で変えればすむ。

4343は79kg、4350は110kg。軽いとはいえない重量だが、
2405の位置を変える手間からすれば4343そのものを左右で入れ替えた方がてっとりばやい。

4343はなぜ2405の取り付け位置をユーザーにまかせてしまったのか。
その理由をあれこれ、以前は考えていた。

まず誰もが思いつくのは、そうしたほうが生産しやすいからだろう、である。

だが細かく考えていくと、ほんとうにそうなんだろうか、と思えてくる。
2405の位置を変えるための穴を余計にひとつあけなくてはならない。
さらにそこを塞ぐための板を用意して取り付ける作業がふえる。
ネジも四本余計に必要になる。

手間もコストも、わずかとはいえ余分にかかる。
そんなことをメーカーがするだろうか。
これは別の理由があるのではないか。

私が出した答は、デザインがその理由である、ということだ。

_____


JBL 4343(その3)

ステレオサウンド 68号に、続々JBL4343研究が載っている。
井上先生が講師という役割で、元ユーザーの黒田先生に4343の使いこなしを伝える、というもの。

ステップIで、各ユニットの取り付けネジの増し締め。
この記事は聴感だけではなく、三菱電機の協力を得て測定も行っている。
誌面では4343のサブバッフルのモーダル解析が載っている。
ネジが緩んでいるとき、締めたときの二枚の図があり、視覚的にも増し締めの効果がわかる。

ステップIIではホーンの振動をコントロールしている。
これもダンプの有無による立ち下がり特性と振動特性の変化の図がある。

ステップIIIは、音響レンズの鳴きをコントロールするもので、
ダンプによる周波数特性の変化と振動特性の変化をグラフで示している。

ステップIVでバスレフポートと2405のメクラ板の鳴きを抑えるもの。
メクラ板の鳴きのコントロールとは、ここではブチルゴム(2cm×1cm)を、
セパレータ(ブチルゴムについている白い紙)とともに貼ることだ。

たったこれだけでどれほど音が変るのか──。
黒田先生の発言を引用しておく。
     *
これは見てるとちょっと信じられないですね。
さっき(ポートにブチルを貼ったとき)前に向って広がった感じが出てきたといいましたが、今度は、その広がった分の空気が澄んだという感じですね。さっきまでは湿度が高い感じだったのが、まるでクーラーが入ったように、すっと湿度が下がってさわやかになった。
     *
メクラ板に小さなブチルゴムを貼るだけで、それだけ音が変化するのかと訝しむ人もいるだろうし、
この記事を読んですぐさま試した人もいることだろう。

だがこの記事の最後にあるように、「相当使いこなしてきた上での話」だということ。
いいかげんな設置・調整で鳴らしている4343に同じことをしたからといって、
これだけの音の変化は得られない。

もうひとつ大事なことは、井上先生はこの記事で行ったことをそのまま4343に施せ、といわれているわけではない。
4343がもつ、いくつかの細かな問題点を指摘され、そこに手を加えることで、どういう音の変化が得られるのか。
このことを自分で試してみることで、その音の変化(方向、量)を確認することで、
それまで気がつかなかったことに気づき、使いこなしのステップを上に上がることができる、ということである。

______


JBL 4343(その4)

ステレオサウンド 68号は1983年の秋号。
JBLから4345が登場したのは二年前の1981年だし、続けて4344も出している。
このどちらにもメクラ板はない。

JBLも、おそらくメクラ板による音質への影響があることはすでにわかっていたのだろう。
メクラ板がついているのは4343で最後になっている。
(4350の後継機4355には残っているのは4343にメクラ板があるのと同じで、デザインが理由なのかもしれない。)

メクラ板の存在は音に干渉する。
メクラ板の板厚が4343のフロントバッフルの板厚よりも薄いということも、
フロントバッフルの板厚の分だけ奥に引っ込んでいることも、
音への影響を大きくしている、といえる。

ならばメクラ板のないサブバッフルをつくってしまえば、
メクラ板がそもそもないのだから、メクラ板の影響はなくなる。

ステレオサウンド 68号の記事を読みながら、私はそんなことをすぐに考えた。
4343のサブバッフルと同じ材質で同じ板厚で、同じ塗装を施す。
違うのは2405の取り付け穴がひとつだけ、ということ。

メクラ板がなくなった4343の姿を次に思い浮べた。
そこで気づいた。

4343は左右チャンネルとしては左右対称のスピーカーではないけれど、
一本のスピーカーシステムとしてみれば左右対称である、と。

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JBL 4343(その5)

世の中に左右対称のスピーカーシステムは、ゴマンとある。
左右チャンネルが左右対称のユニット配置ということではなく、
一本のスピーカーシステムで左右対称になっている、というスピーカーシステムのことで、
スピーカーユニットがインライン配置であれば、たいていは左右対称の仕上りとなる。

それらの中にあっても、4343はとびきり美しい。
見事なデザインだと、見るたびに思うだけでなく、
デザインへの関心が高くなるほどに、4343のデザインの見事さに気づく。

4343も基本的にはインライン配置のスピーカーシステムである。
では何が、他の同種のスピーカーシステムと違うのか。

それがメクラ板の存在である。

4343にメクラ板がなかったら、左右の対称性がくずれる。
とはいっても、4343は完全に左右対称ではない。
音響レンズの片方に2405があり、反対側にメクラ板がある。

メクラ板があることで左右の対称性を維持し、
ただ完全な左右対称ではなく、片方だけに2405があることで、
ほんのわずかだけ左右対称の、意図的なアンバランスさを生じさせている。

こんなふうに書いていくと、
おそらく瀬川先生がマランツのModel 7について書かれた文章を思い出される人が少なからずいる。

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JBL 4343(その6)

瀬川先生のマランツのModel 7のデザインに関しての文章は、すでに別項で引用している。
それでも、また一度引用しておこう。
     *
 なぜ、このパネルがこれほど見事に完成し、安定した感じを人に与えるのだろうか。答えは簡単だ。殆どパーフェクトに近いシンメトリーであるかにみせながら、その完璧に近いバランスを、わざとほんのちょっと崩している。厳密にいえば決して「ほんの少し」ではないのだが、そう思わせるほど、このバランスの崩しかたは絶妙で、これ以上でもこれ以下でもいけない。ギリギリに煮つめ、整えた形を、ほんのちょっとだけ崩す。これは、あらゆる芸術の奥義で、そこに無限の味わいが醸し出される。整えた形を崩した、などという意識を人に抱かせないほど、それは一見完璧に整った印象を与える。だが、もしも完全なシンメトリーであれば、味わいは極端に薄れ、永く見るに耐えられない。といって、崩しすぎたのではなおさらだ。絶妙。これしかない。マランツ♯7のパネルは、その絶妙の崩し方のひとつの良いサンプルだ。
     *
1981年にステレオサウンドから出た「’81世界の最新セパレートアンプ総テスト」の巻頭に書かれている。
マランツのModel 7がシンメトリーをあえて崩している点に関しては、
この瀬川先生の文章よりもはやく岩崎先生も指摘されている。

4343も、またModel 7と同じようにシンメトリーをほんのちょっと崩している、ように見ることができる。
だが4343のシンメトリーとModel 7のシンメトリー、その崩し方を完全に同じにとらえるわけにはいかない。

4343は本来必要でないメクラ板を設けてシンメトリーにした上で、
ほんの少しのアンバランスを形成しているからだ。

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JBL 4343(その7)

JBLの4ウェイは4350が最初であり、次に4341、4343と登場していて、これら三機種は、
何度か書いているようにパット・エヴァリッジの設計ということが、もうひとつの共通項でもある。

4350にもメクラ板がある。
2405用だけでなくミッドハイを受け持つ2440ドライバーとそのホーンの取り付け用もある。
4350の後継機4355にも同じようにメクラ板がある。

だが4350、4355を購入した人が、
2405とミッドハイを入れ替えて、左右対称のユニット配置にしたという話は聞いていない。

JBLのスタジオモニターは4345以降、リアバッフルが二分割され(といっても8:2ほどの割合)、
上部のサブバッフルはネジ止めされている。
ここを外すことで、2420、2405のダイアフラム交換のための取り外しが容易になっている。

けれどそれ以前の4350では2440、2405のダイアフラムを交換する、
もしくは取り付け位置を左右で入れ替えるとなると、けっこう大変な作業である。

まずウーファーを外す。
2440の真下に前後のバッフルをつなぐ補強棧があり、
この補強棧に金具にとって2440が固定されている。

2420の重量は5kg、24401は11.3kgあり、
バッフルに取り付けられたホーンだけでは支えきれないからである。

この補強棧が2440の取り外しの際にじゃまになる。
しかも2440は重く持ちづらい。しかもエンクロージュアの中ということで持ちづらさは増す。
それだけでなく補強棧の下にはバスレフポートがあり、これによりまた難儀させられる。

そういう構造だから、一度でも4350でユニットの左右の入れ替えをやっている人ならば、
その大変さを語ってくれるはずなのだが、そんな話はいままで一度も聞いたことはない。
ということは4350、4355は左右対称でJBLから出荷されているわけだ。

とすると4350、4355のメクラ板はいったい何のためにあるのか、と考えることになる。
4343のメクラ板とあわせて考えれば、自ずと答は出てくる。

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JBL 4343(その8)

JBL・4300シリーズの最初のモデル4320のエンクロージュアの仕上げは、いわゆるグレーだった。
グレーは灰色、鼠色なわけだが、JBLのグレーはそんな感じではなく、もっと明るい。
JBLではずっと以前から、この明るいグレーのことをサテングレーと呼んでいる。

4320はサテングレーの仕上げだった。
4320にもメクラ板はある。
トゥイーターを追加するために設けられている穴をふさいでいる。

4320のメクラ板の色はサテングレーである。
フロントバッフルもサテングレーである。

JBL・4300シリーズの仕上げにウォールナットが加わることになる。
両サイド、天板、底板の四面(もしくは底板をのぞく三面)がウォールナットになり、
フロントバッフルの色はブルーになっている。

このころからサテングレー仕上げはフロントバッフルの色を、
それまでのサテングレーからブラックに変更している。

1981年に登場した4345からサテングレー仕上げはなくなった。
4343が最後のサテングレーとウォールナット仕上げの両方があったモデルになってしまった。

メクラ板の色。
4320ではサテングレーだったが、4343では違う。
サテングレー仕上げ(フロントバッフルはブラック)であっても、
ウォールナット仕上げ(フロントバッフルはブルー)であっても、メクラ板はブラックである。

これがもしウォールナット仕上げではフロントバッフルと同じブルーであったら、どんな印象になるのか。
そして、なぜ4343のメクラ板はブラックなのか。

______

JBL 4343(その9)

4343のメクラ板がブラックなのは、コスト削減のためだろう。
そう安易に決めつける人はいる。

だがすでに書いてきたようにコスト削減が目的ならば、もともと余分な穴など開けなければメクラ板は不要になる。

それに4343に限らずJBLの4300シリーズのスタジオモニターは仕上げの違いに応じて、
ある箇所の細工も変えている。
これは多くの人が知っている(気づいている)ことだと思っていたけれど、
意外にも10年ほど前、
JBLの4300シリーズを使っていた人(この人は時期は違うがどちらの仕上げも使っていた)は、
私が指摘するまで気づいていなかった、ということがあった。

JBLはデザインに気をつかっている──、
ふだんからそういっている人がそのことに気づいていなかったことが私にはよほど意外だったけれど……。

現在の4300シリーズはフロントバッフルと側板とのツラが合うように作られているが、
以前の4300シリーズはフロントバッフルが少し奥まっていた。
つまり両側板、天板、底板の木口による額縁が形成されていた、ともいえる。

その額縁はサテングレー仕上げとウォールナット仕上げとでは、木口の処理が違っている。
サテングレーでは四角い板をそのまま組み合わせたつくりだが、
ウォールナットでは木口を斜めにカットしている。

天板の木口を真横からみると、サテングレーでは垂直になっているのに対して、
ウォールナットでは下部のわずかなところは垂直なのだが、そこから天板にかけては斜めになっている。

ただ仕上げを変えているだけではない。

そういうJBLがメクラ板をコスト削減だから、といって、どちらの仕上げも同じブラックにするわけがない。
ブラックにしているのは、そこにおさまるトゥイーターの2405がブラック仕上げだからである。
http://audiosharing.com/blog/?cat=5&paged=2


▲△▽▼

40年目の4343(その1) 1月 13th, 2015

JBLの4343は1976年秋に登場した。
来年(2016年)は、40年目である。

1976年中に4343を手にした人はそう多くはないだろうが、
円高ドル安のおかげで4343は価格は下っていった。
それに反比例するように、ステレオサウンド誌上に4343は毎号のように登場し、
特集記事も組まれていった。
ペアで百万円をこえるスピーカーシステムとしては、驚異的な本数が売れていった。

いまも4343を鳴らしている、持っている人はいる。
新品で購入した人ならば、長い人で40年、短い人でも30年以上経っている。
しかもウーファーの2231A(2231H)とミッドバスの2121(2121H)のエッジはウレタンだから、
エッジの補修は誰もがやられている。

それ以外にもリペアは必要となる。
ネットワークの部品も交換されていると思うし、スピーカー端子もバネがダメになることがある。
アルニコマグネットは衝撃に弱いため、減磁している可能性もある。

どんなに大切に使って(鳴らして)いても、リペアをせずにすむわけではない。

これから先もリペアしていくのか、それとも……。

リペア(repair)は、修理する、修繕する、回復する、取り戻す、といった意味をもつ動詞。
リペアと同じように使われる言葉にレストア(restore)がある。
元の状態に戻す、という意味の動詞である。
このふたつと同じように”re”がつく言葉に、リバース(rebirth)、リボーン(reborn)がある。
名詞と形容詞だ。

______

40年目の4343(その2)

10年くらい前のステレオサウンドで「名作4343を現代に甦らせる」というタイトルの連載があった。

私が4343というスピーカーの存在を知ったころ、日本ではテクニクスのリニアフェイズ、
それからKEFのModel 105、キャバスのブリガンタンなどが登場していた。
これらのスピーカーシステムは、スピーカーユニットを階段状に配置して、
マルチウェイにおけるそれぞれのユニットのボイスコイル位置を合わせる、というものだった。
実際にはネットワークを含めてのリニアフェイズなのだが。

これらのスピーカーメーカーがカタログ、広告で謳っていることからすれば、
4343の四つのユニットのボイスコイルの位置はバラバラということになる。

これを合わせるにはどうしたらいいのか。
そんなことをしょっちゅう考えていた。

ボイスコイルの位置がいちばん奥まったところにあるのは、
ミッドハイである。ホーン型だから、ホーンの長さの分だけコーン型ユニットよりも奥に位置する。
つまりこのミッドハイのボイスコイルの位置に、ミッドバス、ウーファーのボイスコイルの位置を下げる。
そのためにはどうしたらいいのか。

このころのソニーのスピーカーにSS-G7があった。
このスピーカーのスコーカーとトゥイーターはドーム型で、
ボイスコイル位置が奥にあるのはコーン型のウーファーだから、
SS-G7ではウーファーをすこし前に張り出させることで位置合せを行っている。

ならば4343では逆のことをやればいい。
ウーファーを引っ込めて、ミッドバスはコーンの頂角の違いからもう少し引っ込める。
こんなことをするとウーファーとミッドバスにはフロントショートホーンをつけることになる。

こんなスケッチを当時よく描いていた。
でもフロントショートホーンをつけると、4343はもう4343ではなくなる。
どんなに頭をひねってみても、4343というかっこいいスピーカーは消失してしまう。

それを記事としてやってしまったのが、「名作4343を現代に甦らせる」だった。
唖然とした。

______

40年目の4343(その3)

「名作4343を現代に甦らせる」の連載が始まった時、
すこしは期待していた。同時にどうなるのか心配な面も感じていた。
回が進むごとに、ほんとうにこの連載をこのまま続けていくのか、と思うようになっていた。

「名作4343を現代に甦らせる」について、ここで詳細に語りたいわけではない。
「名作4343を現代に甦らせる」が掲載された号をひっぱり出してくれば、
書こうと思えば、どれだけでも書いていける。
そのくらい、「名作4343を現代に甦らせる」にはあれこれいいたいことがある。

だが書くのはひとつだけにしておく。
この記事を読んで感じたのは、
「名作4343を現代に甦らせる」の筆者の佐伯多門氏は、
JBLの4343というスピーカーシステムを理解していなかった人だということ。
理解していなくとも、「名作4343を現代に甦らせる」の連載を続けるのであれば、理解しようとするべきである。
だが理解しようとされなかった。

少なくとも記事を読んで、そう感じられた。
だが佐伯多門氏だけではない。
ステレオサウンドの編集者も4343というスピーカーシステムを誰ひとりとして理解していなかった、といえる。
4343に憧れていた人は、もう編集部にはいなかったのかもしれない。
そうであっても、理解しようとするべきであった。
それがまったくといっていいほど感じられなかった。

新製品の紹介記事や徹底解剖とうたった記事をつくる以上に、
この手の記事では、対象となるオーディオ機器への理解がより深く求められる。
にも関わらず……、である。
そのことにがっかりした。

そして連載の最後、無惨に変り果てた、もう4343とは呼べなくなってしまったスピーカーを試聴した人、
この人こそ、オーディオ評論家を名乗っているのだから、
もっともオーディオへの理解が深い人であるべきだし、
読者、さらには編集者にとっても、理解することにおいて手本となるべき人なのに、
まったくそうではなかったことに腹が立った。
http://audiosharing.com/blog/?cat=5&paged=2

40年目の4343(その4)

理解していない、理解しようともしない。
このことはオーディオ評論家にとっても、オーディオ雑誌の編集者にとっても致命的なことである。
理解しようともせずに、オーディオ機器の記事を書いている、つくっている、と告白しているのと同じである。
そのことに、なぜ彼らは気づかないのか。

彼らは、目の前にある4343もどきのスピーカーをどうすればよかったのか。
ハンマーで敲きこわす。
これだけである。

4343を理解していない人には、怒りはなかったのだろう。
そうとしか考えられない。

そして思い出す。
五味先生の文章を思い出す。
     *
 とはいえ、これは事実なので、コンクリート・ホーンから響いてくるオルガンのたっぷりした、風の吹きぬけるような抵抗感や共振のまったくない、澄みとおった音色は、こたえられんものである。私の聴いていたのは無論モノーラル時代だが、ヘンデルのオルガン協奏曲全集をくり返し聴き、伸びやかなその低音にうっとりする快感は格別なものだった。だが、ぼくらの聴くレコードはオルガン曲ばかりではないんである。ひとたび弦楽四重奏曲を掛けると、ヴァイオリン独奏曲を鳴らすと、音そのものはいいにせよ、まるで音像に定位のない、どうかするとヴィオラがセロにきこえるような独活の大木的鳴り方は我慢ならなかった。ついに腹が立ってハンマーで我が家のコンクリート・ホーンを敲き毀した。
 以来、どうにもオルガン曲は聴く気になれない。以前にも言ったことだが、ぼくらは、自家の再生装置でうまく鳴るレコードを好んで聴くようになるものである。聴きたい楽器の音をうまく響かせてくれるオーディオをはじめは望み、そのような意図でアンプやスピーカー・エンクロージァを吟味して再生装置を購入しているはずなのだが、そのうち、いちばんうまく鳴る種類のレコードをつとめて買い揃え聴くようになってゆくものだ。コレクションのイニシァティヴは当然、聴く本人の趣味性にあるべきはずが、いつの間にやら機械にふり回されている。再生装置がイニシァティヴを取ってしまう。ここらがオーディオ愛好家の泣き所だろうか。
 そんな傾向に我ながら腹を立ててハンマーを揮ったのだが、痛かった。手のしびれる痛さのほかに心に痛みがはしったものだ。
(フランク《オルガン六曲集》より)
     *
もちろん、このときの五味先生がおかれていた状況と、
4343もどきのスピーカーを前にした状況は決して同じではない。
けれど、どちらにも怒りがある。
何に起因する怒りなのかの違いはある。

けれど怒りは怒りであり、その怒りがハンマーをふりおろす。

こんなことを書いていると、またバカなことを……、と思う人はいてもいい。
そういう人は4343というスピーカーシステムを理解していない人なのだから、
そんな人になんといわれようと、気にしない、どうでもいいことだ。

「名作4343を現代に甦らせる」の連載の最後にふさわしいのは、
ほんとうはなんだったのだろうか。
そのことを考えないで、オーディオについて語ることはできない。

______


40年目の4343(その5)

「名作4343を現代に甦らせる」という記事に対して否定的である私でも、
全面的に否定しているわけではないし、この記事の筆者である佐伯多門氏を否定・批判したいわけでもない。

佐伯多門氏は、いわばダイヤトーン・スピーカーの顏といえる人であった。
私がオーディオに興味をもちはじめた1976年、すでに佐伯氏はそういう人であった。
ダイヤトーン(三菱電機)には、こういう技術者がいるのか、と受けとめていた。

いま佐伯多門氏は無線と実験誌にスピーカーの歴史について執筆されている。
いい記事である。
こういう連載は、一冊の本にまとめてほしいし、
紙の本はどんなに良書であってもいつの日か絶版になる。
佐伯多門氏の連載は十年、二十年……、もっと後になればなるほど資料的は増していく内容である。
だからこそ絶版には基本的にはならない電子書籍でも出版してもらいたい。

佐伯多門氏はスピーカーの技術者である。
スピーカーの技術に関しての理解は、私の及ぶところではない。
けれど、ここがオーディオの難しいところだが、
スピーカーの技術を理解している人だからといって、他社製のスピーカーシステムを理解できるとは限らない。

他社製のスピーカーシステムを技術的に説明することはできても、
製品としてのスピーカーシステムの理解は、また別のものである。

私はそう考えているからこそ、「名作4343を現代に甦らせる」にはもうひとり別の人が必要だった、とする。
スピーカー技術に対しての理解は佐伯多門氏よりも低くていいけれど、
製品としてのスピーカーシステムへの理解が深くしっかりしている人が、最初から必要だったのである。

適任は井上先生だった。
ずっと以前のステレオサウンドに連載されたコーネッタの記事。
これを読み憶えている人は、どうしても「名作4343を現代に甦らせる」と比較してしまう。

そして井上先生の不在の大きさを感じてしまう。
オーディオ評論家を名乗っているだけの人ではだめなのだ。

「名作4343を現代に甦らせる」は、
4343を現代に甦らせることはできなかった意味では失敗ともいえるが、
エンジニアとオーディオ評論家の違いを、そして両者の存在する意味を間接的に語っている。
オーディオ評論家の役目、役割についても、である。

_____


40年目の4343(その6)

記事のタイトルが「名作4343を現代に甦らせる」ではなく、
「4343のユニットを現在に使う」とか「4343のユニットの現代的再構築」といった感じであれば、
何も書かなかった。

あくまでも「名作4343を現代に甦らせる」とあったからこそ、ここに書いている。

あれだけの数売れたスピーカーシステムだから、いまも所有されている人はけっこう多いし、
あのころ学生で買えなかった人が、中古の4343を手に入れていることも少なくない。

4343がいまもメインスピーカーである人、
メインスピーカーは別にあるけれども、4343が欲しかったから、という人、
いろいろな人がいる。

その人たちは、いまどういうふうに4343をみているのだろうか。
2016年には誕生40年に迎えるスピーカーシステムである。

いまもメインスピーカーとして使えるだけの実力をもつともいえるし、
細部を検討していくと、部分的にはどうしても……、と思えるところがないわけではない。

実際に行動にうつすかどうかは別として、
4343ユーザーなら、来年の4343誕生40周年を迎えるにあたって、
4343をどうしようか、ということを考えてみてはいかがだろうか。

徹底的にメンテナンスして、できるかぎりオリジナルの状態を保ったままで、これからも鳴らしていくのか。
オリジナルといっても、厳密な意味では発売当時の状態には戻せない。
コーン紙の製造工場も変っているし、工場が同じだとしても、
当時と同じ森林からパルプの材料となる木材を切り出しているわけではない。

細かくみていけばいくほど、1976年当時のオリジナルの状態に戻すことは、はっきりいえば不可能である。
オリジナル度に関しては、本人がどの程度で満足するか、でしかない。

ならば40年を機に手を加えてみる案はどうだろうか。
ステレオサウンドの記事のようにユニットだけを取り出して再利用して、
4343とはまったく別モノのスピーカーシステムに仕上げるのも考えられる。

私がここで書いていきたいのは、4343のアイデンティティを維持したまま、
どこまでやっていけるかである。

____


40年目の4343(その7)

ステレオサウンド 58号に4345の記事が載っている。
瀬川先生生が書かれている。
そこにこうある。
     *
JBLのLCネットワークの設計技術は、L150あたりを境に、格段に向上したと思われ、システム全体として総合的な特性のコントロール、ことに位相特性の補整技術の見事さは、こんにちの世界のスピーカー設計の水準の中でもきめて高いレヴェルにあるといえ、おそらくその技術が♯4345にも活用されているはずで、ここまでよくコントロールされているLCネットワークに対して、バイアンプでその性能を越えるには、もっと高度の調整が必要になるのではないかと考えられる。
     *
4343と4345の直接比較による試聴記事。
瀬川先生の文章を何度もくり返し読んだ。
読めば読むほど、4345のプロポーションの悪さが、
自分のモノとしてときにはどう感じるのだろうか。
買えるあてなどなかったけれど、そんなことを想像していた。

4343と4345が並んでいる写真もあった。
4343のままで、4345に近い音がしてくれれば、とも何度も思いながら読んでいたから、
4345のネットワークを4343に換装したらどうなるのだろうか、
JBLは4343の次のモデルで4345のネットワークと同じレベルのネットワークを搭載しないのか、
そんなことも思っていた。

4343は4344になった。
4344は4343の後継機というよりも、私にとっては4345のスケールダウンモデルにしか見えなかった。
4344のネットワークは、発表された回路図をみるかぎりでは、4345のネットワークとまったく同じである。

それならば4345のネットワークはそのまま4343に使っても、いい結果が得られる可能性が高いのではないか。
このころから、私の4343計画は始まっていた、といえる。

_____


40年目の4343(その8)

ステレオサウンド 58号の瀬川先生の4345の記事は何度読んだことだろうか。

読んではやっぱり4345の方が音はいいんだな、とか、
でもデザインは圧倒的に4343であるから、なんとか4343の音を4345に近づけることはできないのか。

内蔵ネットワークで鳴らす4345とマルチアンプで鳴らす4343とでは、どうなるのだろうか、
そんな書いていないことを想像するために、何度も読み返していた。

ネットワークについての記述を読んでは、前回書いたように、
4345のネットワーク技術で4343のネットワークが改良されれば、と思ったし、
もう少し現実的なところでは、2405のダイアフラムが、
4345搭載のモノと4343搭載のモノとでは違うとある。

ならば新しい2405のダイアフラムを4343の2405に換装したらどうなるのだろうか。
それからミッドハイの2420も、ダイアモンドエッジのダイアフラムになった2421が、
登場したかまだだったころではあったが、2440は2441へとすでに改良されていた。

2421の登場は確実であった。
このふたつの中高域を受け持つダイアフラムが新型に換装できれば、
ずいぶん4345へと近づくのではないのだろうか。

瀬川先生が書かれている。
     *
♯4343の新しいうちは、♯2405の超高音域が出しゃばりがちなのだが、♯4345ではそのようなことがない。試聴用に聴き馴れたフォーレのヴァイオリンソナタ(グリュミオー/クロスリー=フィリップス9500534/国内盤X7943)の第二楽章。アンダンテ、二短調の艶麗の旋律が相当にいい感じで鳴ってくれる。
     *
こういう音に4343が近づくような気がしていた。
それでも、この文章に続いて、こうも書かれている。
     *
 これはいい、と、少し安心してこんどは大パワーの音を聴いてみる。カラヤンの「アイーダ」。第三面、第二幕凱旋の場。大合唱に続く12本のアイーダ・トランペットの斉奏そして……このきわどい部分が、ほとんど危なげなく、悠揚せまらざる感じで、しかし十分の迫力をもって聴ける。この低音の量感と支えの豊かさは、大口径ウーファー、そして大型エンクロージュアでなくては聴けない。
     *
ここを読むと、やっぱり4345なのか、4343のデザインのままでは4345にはどうしても追いつけないのか……、
とまた少し落ち込んでいた。そんな一喜一憂をくり返しながら読み返していた。

4343のデザインのままで、4345の音が出せるのであれば、
JBLがやっていたはずである。
JBLが4345という、不格好なサイズで出してきたのは、
あのサイズではなければ出せない領域の音があるからなのはわかってはいた。

わかっていたからといって、あきらめられるものではない。
http://audiosharing.com/blog/?cat=5

▲△▽▼


40年目の4343(なぜ、ここまでこだわるのか) 4月 23rd, 2015

ブログを書いていて、われながら、なぜここまで4343にこだわるのか、と思わないわけでもない。
このブログで、オーディオ機器に関しては 4343のことをもっとも多く書いている。

読まれる方の中には、「また4343か」という人がいるのはわかる。
それでも、こうやって 4343 について書いているのは、
オーディオ界を見渡すためにも必要なことのように感じているからでもある。

もちろん個人的な理由の方が大きいとはいっても、
4343 という、いわばスタジオモニター、それも高価なスピーカーシステムが、
驚異的な本数が売れたということは、なにか象徴的な現象のように思える。

そういえば……、と思いだす。
菅野先生が、ステレオサウンド別冊「JBLモニター研究」で、次のように書かれている。
     *
 そしてその後、中高域にホーンドライバーを持つ4ウェイという大がかりなシステムでありながら、JBL4343というスピーカーシステムが、プロのモニターシステムとしてではなく、日本のコンシューマー市場で空前のベストセラーとなった現象は、わが国の20世紀後半のオーディオ文化を分析する、歴史的、文化的、そして商業的に重要な材料だと思っている。ここでは本論から外れるから詳しくは触れないが、この問題を多面的に正確に把握することは、現在から近未来にかけてのオーディオ界の分析と展望に大いに役立つはずである。

     *

1998年に書かれている。
4343 に憧れてきたひとりとして、そのとおりだと思うとともに、
残念に思うのは、いまのステレオサウンドには 4343という材料(問題)を、
多面的に正確に把握することは期待できない、ということだ。

「名作4343を現代に甦らせる」という記事が、強く裏付けている。
http://audiosharing.com/blog/?p=16848



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c14

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
15. 中川隆[-11101] koaQ7Jey 2019年3月29日 11:48:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[918]


JBL 4343BWX 1980年3月15日 黒田恭一

ステレオサウンド 54号(1980年3月発行)
特集・「いまいちばんいいスピーカーを選ぶ・最新の45機種テスト」より

 これはすばらしい。JBL4343の旧タイプにはない魅力が、ここにはある。個々の音が充分にみがきあげられているということでは、旧タイプと同じだが、旧タイプにはなかった一種の開放感がここにはある。別のいい方をすれば、音色面で、旧タイプの音よりあかるくなっているということになるだろう。旧タイプの音に多少のつめたさを感じていた人は、このスピーカーの音の、旧タイプのそれに比べればあきらかにふっくらとした音にひかれるにちがいない。旧タイプとの一対一比較で試聴したが、その結果、旧タイプの音にいささかの暗さがあったということを認めざるをえなくなる。しかし、だからといって、旧タイプの音の魅力になっていたあの精緻な表現力が失われているというわけではない。さまざまな面から考えて、旧タイプの音より、音の魅力ということでこっちの方が一枚上だと、認めざるをえなかった。

総合採点:10

試聴レコードとの対応
❶HERB ALPERT/RISE
(好ましい)
❷「グルダ・ワークス」より「ゴロヴィンの森の物語」
(好ましい)
❸ヴェルディ/オペラ「ドン・カルロ」
 カラヤン指揮ベルリン・フィル、バルツァ、フレーニ他
(好ましい)
http://audiosharing.com/review/?p=1783

JBL 4344 1982年3月15日 黒田恭一
ステレオサウンド 62号(1982年3月発行)
「4343のお姉さんのこと」より

 いま常用しているスピーカーはJBLの4343である。「B」ではない。旧タイプの方である。その旧4343が発売されたのは、たしか一九七六年であった。発売されてすぐに買った。したがってもうかれこれ五年以上つかっていることになる。この五年の問にアンプをかえたりプレーヤーをかえたりした。部屋もかわった。いまになってふりかえってみると、結構めまぐるしく変化したと思う。

 この五年の間に4343をとりまく機器のことごとくがすっかりかわってしまった。かならずしも4343の能力をより一層ひきだそうなどとことあらためて思ったわけではなかったが、結果として4343のためにアンプをかえたりプレーヤーをかえたりしてきたようであった。すくなくともパワーアンプのスレッショルド4000のためにスピーカーをとりかえようなどと考えたことはなかった。スレッショルド4000にしても4343のための選択であって、スレッショルド4000のための4343ではなかった。この五年間の変動はすべてがすべて4343のためであった。

 そしていまは、努力の甲斐あってというべきか、まあまあと思える音がでている――と自分では思っている。しかし音に関しての判断でなににもまして怖いのは独り善がりである。いい気になるとすぐに、音は、そのいい気になった人間を独善の沼につき落す。ぼくの音はまあまあの音であると心の七十パーセントで思っても、残りの三十パーセントに、これで本当にいいのであろうかと思う不安を保有しておくべきである。

 幸いぼくの4343から出る音は、岡俊雄さんや菅野沖彦さん、それに本誌の原田勲さんや黛健司さんといった音に対してとびきりうるさい方々にきいていただく機会にめぐまれた。みなさんそれぞれにほめて下さった。しかしながらほめられたからといって安心はできない。他人の再生装置の音をきいてそれを腐すのは、知人の子供のことを知人にむかって直接「お前のところの子供はものわかりがわるくて手におえないワルガキだね」というのと同じ位むずかしい。岡さんにしても菅野さんにしても、それに原田さんにしても黛さんにしても、みなさん紳士であるから、ぼくの4343の音をきいて、なんだこの音は、箸にも棒にもかからないではないかなどというはずもなかった。

 でも、きいて下さっているときの表情を盗みみした感じから、そんなにひどい音ではないのであろうと思ったりした。その結果、安心は、七十パーセントから七十五パーセントになった。したがってこれで本当にいいのかなと思う不安は二十五パーセントになった。二十五パーセントの不安というのは、音と緊張をもって対するのにちょうどいい不安というべきかもしれない。

 つまり、ちょっと前までは、ことさらの不都合や不充分さを感じることもなく、自分の部屋で膏をきけていたことになる。しかし歴史が教えるように太平の夢は長くはつづかない。ぼくの部屋の音はまあまあであると思ったがために、気持の上で隙があったのかもしれない。うっかりしていたためにダブルパンチをくらうことになった。

 最初のパンチはパイオニアの同軸型平面スピーカーシステムのS−F1によってくらった。このスピーカーシステムの音はこれまでに何回かきいてしっているつもりでいた。しかしながら今回はこれまでにきいたいずれのときにもましてすばらしかった。音はいかなる力からも解放されて、すーときこえてきた。まさに新鮮であった。「かつて体験したことのない音像の世界」という、このスピーカーシステムのための宣伝文句がなるほどと思える音のきこえ方であった。

 それこそ初めての体験であったが、そのS−F1をきいた日の夜、試聴のとききけなかったレコードのあれこれをきいている夢をみた。夢であるから不思議はないが、現実にはS−F1できいたことのないレコードが、このようにきこえるのであろうと思えるきこえ方できこえた。夢でみてしまうほどそのときのS−F1での音のきこえ方はショックであった。

 そこでせっかく七十五までいっていた安心のパーセンテイジはぐっと下って、四十五パーセント程度になってしまった。五年間みつづけてきた4343をみる目に疑いの色がまじりはじめたのもやむをえないことであった。ぼくの4343がいかにふんばってもなしえないことをS−F1はいとも容易になしえていた。

 しかしそこでとどまっていられればまだなんとか立ちなおることができたはずであった。もう一発のパンチをくらって、完全にマットに沈んだ。心の中には安心の欠片もなく、不安が一〇〇パーセントになってしまった。「ステレオサウンド」編集部の悪意にみちみちた親切にはめられて、すでに極度の心身症におちいってしまった。

 二発目のパンチはJBLの新しいスピーカーシステム4344によってくらった。みた目で4344は4343とたいしてちがわなかった。なんだJBLの、新しいスピーカーシステムを出すまでのワンポイントリリーフかと、きく前に思ったりした。高を括るとろくなことはない。JBLは4343を出してからの五年間をぶらぶら遊んでいたわけではなかった。ききてはおのずとその4344の音で五年という時間の重みをしらされた。4344の音をきいて、その新しいスピーカーの音に感心する前に、時代の推移を感じないではいられなかった。

 4344の音は、4343のそれに較べて、しっとりしたひびきへの対応がより一層しなやかで、はるかにエレガントであった。したがってその音の感じは、4343の、お兄さんではなく、お姉さんというべきであった。念のために書きそえておけば、エレガント、つまり上品で優雅なさまは、充分な力の支えがあってはじめて可能になるものである。そういう意味で4344の音はすこぶるエレガントであった。

 低い音のひびき方のゆたかさと無関係とはいえないであろうが、音の品位ということで、4344は、4343の一ランク、いや二ランクほど上と思った。鮮明であるが冷たくはなかった。肉付きのいい音は充分に肉付きよく示しながら、しかしついにぽてっとしなかった。

 シンセサイザーの音は特にきわだって印象的であった。ヴァンゲリスとジョン・アンダーソンの「ザ・フレンズ・オブ・ミスター・カイロ」などをきいたりしたが、一般にいわれるシンセサイザーの音が無機的で冷たいという言葉がかならずしも正しくないということを、4344は端的に示した。シンセサイザーならではのひびきの流れと、微妙な揺れ蕩さ方がそこではよくわかった。いや、わかっただけではなかった。4344できくヴァンゲリスのシンセサイザーの音は、ほかのいかなる楽器も伝ええないサムシングをあきらかにしていた。

 その音はかねてからこうききたいと思っていた音であった。ヴァンゲリスは、これまでの仕事の性格からもあきらかなように、現代の音楽家の中でもっともヒューマニスティックな心情にみちているひとりである。そういうヴァンゲリスにふさわしい音のきこえ方であった。そうなんだ、こうでなければいけないんだと、4344を通してヴァンゲリスの音楽にふれて、ひとりごちたりした。

 それに、4344のきかせる音は、奥行きという点でも傑出していた。この点ではパイオニアのS−F1でも驚かされたが、S−F1のそれとはあきらかにちがう感じで、4344ももののみごとに提示した。奥行きとは、別の言葉でいえば、深さである。聴感上の深度で、4344のきこえ方は、4343のそれのほぼ倍はあった。シンセサイザーのひびきの尻尾ははるか彼方の地平線上に消えていくという感じであった。

 シンセサイザーのひびきがそのようにきこえたことと無関係ではありえないが、声のなまなましさは、きいた人間をぞくっとさせるに充分であった。本来はマイクロフォンをつかわないオペラ歌手の声にも、もともとマイクロフォンをつかうことを前提に声をだすジャズやロックの歌い手の声にも、声ならではのひびきの温度と湿度がある。そのひびきの温度と湿度に対する反応のしかたが、4344はきわだって正確であった。

 きいているうちに、あの人の声もききたいさらにあの人の声もといったように、さまざまなジャンルのさまざまな歌い手のことを考えないではいられなかった。それほど声のきこえ方が魅力的であった。

 クリストファー・ホグウッドがコンティヌオをうけもち、ヤープ・シュレーダーがコンサートマスターをつとめたエンシェント室内管弦楽団による、たとえばモーツァルトの「ハフナー」と「リンツ」という二曲のシンフォニーをおさめたレコードがある。このオワゾリールのレコードにはちょっと微妙なころがある。エンシェント室内管弦楽団は authentic instruments で演奏している。そのためにひびきは大変にまろやかでやわらかい。その独自のひびきはききてを優しい気持にさせないではおかない。オーケストラのトゥッティで示される和音などにしても、この室内管弦楽団によった演奏ではふっくらとひびく。決してとげとげしない。

 そのレコードを、すくなくともぼくの部屋の4343できくと、いくぶんひびきの角がたちすぎる。むろん4343できいても、その演奏がいわゆる現代の通常のオーケストラで音にされたものではないということはわかる。そして authentic instruments によった演奏ならではの微妙なあじわいもわかる。しかしもう少しふっくらしてもいいように感じる。

 そう思いながら4343できいていた、そのレコードを4344できいてみた。そこで模範解答をみせられたような気持になった。そうか、このレコードは、このようにきこえるべきものなのかと思った。そこでの「リンツ」シンフォニーのアンダンテのきかせ方などはまさに4343のお姉さんならではのきかせ方であった。

 ひとりきりで時間の制限もなく試聴させてもらった。場所はステレオサウンド社の試聴室であった。試聴者は、自分でも気づかぬうちに、喜聴者に、そして歓聴者になっていた。編集部に迷惑がかかるのも忘れて、えんえんときかせてもらった。

 そうやってきいているうちにみえてきたものがあった。みえてきたのは、この時代に生きる人間の憧れであった。意識的な憧れではない。心の底で自分でも気づかずにひっそりと憧れている憧れがその音のうちにあると思った。いまのこういう黄昏の時代に生きている人は、むきだしのダイナミズムを求めず、肌に冷たい刺激を拒み、音楽が人間のおこないの結果であるということを思いだしたがっているのかもしれない。

 4344の音はそういう時代の音である。ひびきの細部をいささかも暖昧にすることなく示しながら、そのひびきの肌ざわりはあくまでもやわらかくあたたかい。きいていてしらずしらずのうちに心なごむ。

 4343には、STUDIO MONITOR という言葉がつけられている。モニターには、警告となるもの、注意をうながすものという意味があり、監視、監視装置をいう言葉である。スタジオ・モニターといえば、スタジオでの検聴を目的としたスピーカーと理解していいであろう。たしかに4343には検徳用スピーカーとしての性能のよさがある。どんなに細かい微妙な音でも正確にきかせてあげようといったきかせ方が4343の特徴といえなくもない。しかしぼくの部屋はスタジオではない(と、当人としては思いたい)。たとえレコードをきくことが仕事であっても、検聴しているとは考えたくない。喜聴していると考えたい。4343でも喜聴はむろん可能である。そうでなければとても五年間もつかえなかったであろう。事実、毎日レコードをきいているときにも、検聴しているなどと思ったことはなく、しっかり音楽をたのしんできた。そういうきき方が可能であったのは、4343の検聴スピーカーとしての性能を信頼できたからといえなくもない。

 4344にも、”STUDIO MONITOR” という言葉がつくのであろうか。ついてもつかなくてもどっちでもかまわないが、4344のきかせる音はおよそモニター・スピーカーらしからぬものである。すくなくとも一般にスタジオ・モニターという言葉が思い起させる音から遠くへだたったところにある音であるということはできるはずである。しかしながら4344はモニター・スピーカーといわれるものがそなえている美点は失っていない。そこが4344のすばらしいところである。

「JBL的」といういい方がある。ぼくの部屋の4343の音は、何人かの方に、「およそJBL的でないいい音だね」といって、ほめられた。しかし、ほめられた当人は、その「JBL的」ということが、いまだに正確にはわからないでいる。さまざまな人のその言葉のつかわれ方から推測すると、おおむね鮮明ではあっても硬目の、ひびきの輪郭はくっきり示すが充分にしなやかとはいいがたい、そして低い方のひびきがかならずしもたっぷりしているとはいいがたい音を「JBL的」というようである。おそらくそのためであろう、根づよいアンチJBL派がいるということをきいたことがある。

 理解できることである。なにかを選ぶにあたってなにを優先させて考えるかで、結果として選ぶものがかわってくる。はなしをわかりやすくするために単純化していえば、とにもかくにも鮮明であってほしいということであればJBLを選び、どうしてもやわらかいひびきでなければということになるとJBLを選ばないということである。しかしながらそのことはJBLのスピーカーシステムが「JBL的」であった時代にいえたことである。

 4343にもまだ多少はその「JBL的」なところが残っていたかもしれない。そのためにぼくの部屋の4343の音は何人かの方に「およそJBL的でないいい音」とほめられたのであろう。もっとも4343のうちの「JBL的」なところをおさえこもうとしたことはない。したがって、もしそのほめて下さった方の言葉を信じるとすれば、結果として非「JBL的」な音になったということでしかない。
 4344にはその「JBL的」なところがまったくといっていいほどない。音はあくまでもなめらかであり、しなやかであり、つまりエレガントである。それでいながら、ソリッドな音に対しても、鋭く反応するということで、4344はJBLファミリーのスピーカーであることをあきらかにしている。

 この4344を試聴したときに、もうひとつのJBLの新しいスピーカーシステムである変則2ウェイの4435もきかせてもらった。これもまたなかなかの魅力をそなえていた。電気楽器をつかっていない4ビートのジャズのレコードなどでは、これできまりといいたくなるような音をきかせた。音楽をホットにあじわいたいということなら、おそらくこっちの方が4344より上であろう。ただ、大編成のオーケストラのトゥッティでのひびきなどではちょっとつらいところがあったし、音像もいくぶん大きめであった。

 4435は音の並々ならぬエネルギーをききてにストレートに感じさせるということでとびぬけた力をそなえていた。しかしいわゆる表現力という点で大味なところがあった。2ウェイならではの(といっていいのであろう)思いきりのいいなり方に心ひかれなくもなかったが、どちらをとるかといわれれば、いささかもためらうことなく、4343のお姉さんの4344をとる。なぜなら4344というスピーカーシステムがいまのぼくがききたい音をきかせてくれたからである。

 いまの4343の音にも、4344の音をきくまでは、結構満足していた。しかしながらすぐれたオーディオ機器がそなえている一種の教育効果によって耳を養われてしまった。4343と4344とのちがいはほんのわずかとはいいがたい。そのちがいに4344によって気づかされた。もう後にはもどれない。

 ぼくの耳は不変である――と思いこめれば、ここでどぎまぎしないでいられるはずである。しかしながら耳は不変でもなければ不動でもない。昨日の耳がすでに今日の耳とはちがうということを、さまざまな場面でしらされつづけてきた。なにも新しもの好きで前へ前へと走りたいわけではない。一年前に美しいと感じられたものがいまでは美しいと感じられないということがある。すぐれたオーディオ機器の教育効果の影響をうけてということもあるであろうし、その一年間にきいたさまざまな音楽の影響ということもあるであろう。ともかく耳は不変でもなければ不動でもない。

 そういう自分の耳の変化にぼくは正直でいたいと思う。せっかく買ってうまくつかえるようになった4343である。できることなら4343をこのままつかりていきたい。しかしながら4344の音をきいて4343のいたらなさに気づいてしまった。すでにひっこみはつかない。

 しかしまだ4344を買うとはきめていない。まだ迷っている。もう少し正直に書けば、迷うための余地を必死になってさがしだして、そこに逃げこんで一息ついている。いかなることで迷うための余地を確保したかといえば、きいた場所が自分の部屋ではなくステレオサウンド社の試聴室であったことがひとつで、もうひとつはS−F1のことである。ぼくの部屋できけば4343と4344ではそんなにちがわないのかもしれないと、これは悪足掻き以外のなにものでもないと思うが、一生懸命思いこもうとしている。

 それにS−Flの音が耳から消えないということもある。この件に関してはS−F1と4344の一騎討ちをすれば解決する。その結果をみないことには結論はでない。

 いずれにしろそう遠くはない日にいまの4343と別れなければならないのであろうという予感はある。わが愛しの4343よ――といいたくなったりするが、ぼくは、スピーカーというものへの愛より、自分の耳への愛を優先させたいと思う。スピーカーというものにひっぱられて自分の耳が後をむくことはがまんできない。
http://audiosharing.com/review/?p=173
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c15

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
16. 中川隆[-11100] koaQ7Jey 2019年3月29日 12:04:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[919]

良い音とは、良いスピーカーとは?、JBL#4343研究 2013年09月17日
https://blog.goo.ne.jp/8417chiharu/e/704ca0325d1ad72958856a4c7b227d86

本屋で何気なくオーディオ関係の本を眺めていたら

やけに気になるタイトルの本が目に入った

お〜

瀬川冬樹著書


懐かし〜

うれしいな〜こんな本が出ていて

即購入、何年ぶりだろうSTEREO SOUND紙を買うのは


確か120号までぐらいは買っていたと思うのだが

私の世代はステレオサウンド紙はオーディオバイブルであった


高校生くらいの時であろうかこの本を読み始めたのは


FMレコパルから一気にジャンプアップした高級雑誌だった


何号から読み始めたのか、多分40号の後半からだと思うが

ショップに置いてあるステレオサウンド誌を借りて、

その教科書の数十倍の説得力のある内容に、かなり遡って一気に読んだ思い出がある

オーディオ評論家にあこがれ、オーディオにさらに興味を増す

そんな青春時代だった

評論家と言っても、当時はまだ本業を持っていたのかな?

趣味のオーディオそれがどんどんエスカレートして行って、

マニア発の評論家だから表現が楽しい


自分を語り、自分の軌跡や経過を語り、製品への思いを語り、評論を語る

今はそんな強烈な個性を持った評論家は、なかなかいない気がする


デザイナーとしての美、それに加えた自分の価値観と共に

真剣に製品について語った、強烈なオーディオ理論は、
私達の世代のオーディオの原点でもあり到達点でもあった

多くの著書の中でも特にJBL#4343研究はのめり込んだ、

当時とんでもない金額の夢のアンプを駆使し#4343を究極まで追い込んだ


最初の人であろう

夢の機材ML-2Lをなんと6台マルチチャンネルで低域をBTLで4台


プリアンプもML-6 &、ヘッドアンプのjc1も2台


完全なモノラル使用の当時としては超高級品での構成


当時まさに夢のシステムであった


このとき瀬川氏は「モニタースピーカは大音量で鳴らす」


こんなテーマで、しかも曇りなく歪みなくクリアーな大音量


このシステムに憧れたオーディオマニアの方は多かったのではないだろうか


もちろん私もその一人であったことは言うまでもない


時が過ぎ


私も若かった頃だったが、
夢叶え手に入れ、そして長年連れ添ったJBL#4343
と別れようと決断した時が来た

あれは今から20年くらい前


当時アンプはMLAS-JC2、チェロのアンコール、パレット、パフォーマンスがメインアンプであった


スピーカーは長らく憧れの#4343を愛用してきたが、

次第にマーチンローガンの音の速さ、広帯域フルレンジによるまとまりの良さや

アポジーのオールリボンによる新しい素材による、驚異のリアルさに惹きつけられ


ダイナミックスピーカーでは
B&Wシバーシグネチア のまったり、ねっとりとしながらも ピントの合った表現力豊かな音に興味を持ち始め、


何だか、ドン臭く、時代遅れに感じた
JBL4343は次第に聞かなくなってしまっていた為だ

当時の最新型のスピーカーを聞いて


時代は変った、

これからは新しい素材の、新しいスピーカーの時代になって行く、

残念だがJBL#4343の時代はもう終わった

そう感じていて、

いざ

JBL#4343との別れの決断をしたとき


俺は、本当にあれほど惚れ込んだJBL#4343の、

本当の実力の音を聞いたのだろうか?

そんな想いが襲ってきた、

無論、自分なりにかなりのレベルで鳴ったいたことは確かだと思うのだが・・


よし!


最後に瀬川氏が行った究極のJBL#4343の鳴らし込みをやろう


そして長年の夢を叶えよう!


でも手持ちのアンプはチェロしかない、

が、

やっぱりあれはレビンソンでなくちゃいけない

うーん、俺は持ってないけど周りにはML2Lを愛用している知人は多い


よし、

あの方とあの人、あいつとそれから彼に頼めばなんとかなる!

てなわけで

「あの〜、頼みがあるんだけどML2L貸してくんない?」

この頼みを繰り返し集まったML2Lはなんと8台!


やったー、瀬川氏でもやらなかった8台のBTLマルチができる〜


だが、問題は空間と電力だ!


このML2Lは25Wしか出力が無いのに消費電力は1台何と400Wの大食いアンプ


400Wが8台!ひえー!、それもピークではない常時400w


俺のところでは当然無理!ブレーカーが落ちちゃう


困ったときの神頼みはいつもあの人、仲人のS氏、いつも迷惑かけてすみませんが

「あの〜アンプ借りついでに部屋も貸して下さい」


返答:え?


大丈夫ですよ、4343は俺が運び込みますから

返事は聞かなかった気がするが、よしこれで準備は整った
写真は1994年6月11日、19年前の写真があったが、色がセピア色になっているのが残念、写っているみんなも若い!髪も黒い!生えてる・・

昔に戻る
まずは集まったML2Lを一列に並べてみる


お〜すげー!かっこイ〜


皆もやっぱりこの姿を見たかったようだ、やっぱりオーディオマニアにとっては至福の光景だ

あまりの数のML2Lに返すとき間違わないように


誰かがパネルにシールで持ち主の名前を書いたのを覚えている


よく集まったものだ

JC1DCにかえてベンデッタリサーチSCP2、これは作者は同じジョンカールで、新旧ヘッドアンプ


しっかりモノラル使用だ

ML6Lももちろん用意した、これもモノラル

ML6L用にコッターMk2もMONO使用で二台揃えて気がするが、写真はなぜか1台しか写っていない
もう一台はEMT用の基盤配線で変更がめんどくさかったからだったような気がする


デバイダーのLNCは残念ながらクロスがあったものが見つけられなかった

瀬川氏の時代には無かったパレットを入れてさらなる音の追い込みを狙ったが、


やはり拘ってモノラルで使うには2台必要!

頑張ってこれも揃えた


この時代にパレットをMONOで2台使用!これはなかなかいないぞ!カッコいい〜


ついでにスイートも借りてきたが、つなげたっけな?

まあ例のあの写真にも使われていないML2Lが写っていたし、

音が出なくても存在感があり何かいいかも

総額いくらになるんだろう、


当時の最高のアンプを並べたはいいが、その配線はとんでもなく大変!

オーディオショップには声をかけなかったので、集まった全員が素人!


ここはレモ-レモ、ここもレモこっちはRCA、ここはレモとフィッシャー、

なに!レモとフィッシャーのコードそんなものねーよ

何で用意しなかったんだ!


そんな言葉が飛び交いながらの作業、みんなで本当に頑張った!


だがこの配線作業は本当に大変で、この作業でほとんどのエネルギーを使ってしまった気がした


悪戦苦闘の末


やった〜壮大なシステムが完成した!


これで多分、音が出るはずだ

祈るような気持ちで、

感動と緊張で胸が張り裂けそうだったが、一台一台慎重に2Lの電源を入れた


あのときのML2Lのブレーカースイッチの感触は今も残っている


8台のML2Lに火が灯った


感無量

さすがマニアのオーディオルーム、ブレーカーが落ちない


聴いた音楽は、当然あの写真にも写っていた、コリンデイヴィスの春の祭典


を聞いたはずだが、何故か音は記憶に残っていない


どんな音だったっけ?


まだ髪が黒々していたKさん

覚えています?

なんかフツーの音だったような気が・・・


震える手で8台のアンプに灯を入れた感触は残っているが音の記憶がない


唯一残っているのは高域はBTLにしないほうが音がよかったような・・・


まあ音なんかこの際どうでもいい


こんな馬鹿ができる仲間に囲まれた環境で、オーディオができたことが私の最大の幸せだった


20年前はちゃんとお礼できなかったので、あらためて


大切なアンプをお借りした皆様

ほんとうに


「ありがとうございました」


感謝!感謝!感謝!

https://blog.goo.ne.jp/8417chiharu/e/704ca0325d1ad72958856a4c7b227d86
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c16

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
17. 中川隆[-11099] koaQ7Jey 2019年3月29日 12:34:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[920]

JBL 4343/4343WX モニタースピーカー考察
http://jblfan.mitsu-hide.com/JBL_4343_4343WX.html


JBL 4343/4343WX 解説

JBL 4343、4343WXは日本のJBL史上最も有名で一時期はオーディオマニアのステイタス的な存在でした。JBL 4343は日本国内で累計1万セット(2万台)も販売され、最大ピーク時の販売数量は年間3,000セットを超えたと言われています。

当時の異常な販売台数に、JBL本社では「日本にはそんなにスタジオがあるのか?」との、逸話が残っています。

実際にJBL 4343は4ウェイということもありレコーディングスタジオで使われることはほとんどありませんでしたが、JVCマスタリングセンターでは使われています。

低歪率、過渡応答に優れた4ウェイモニタースピーカーで、低域に38cmウーファーJBL 2231A、中低域は25cmミッドウーファーJBL2121を搭載し、中域はドラーバーJBL2420にホーンJBL 2307+音響レンズJBL 2308組み合わせ、高域にはトゥイーターJBL 2405を搭載しています。

ウーファーJBL2231Aのコーン紙はJBL独自のコーティング剤処理、ボイスコイルはエッジワイズ巻きリボン銅線を採用しています。

中低域(ミッドバス)として搭載されたJBL2121Aはトッププレート、ポールピース、ボイスコイル、ギャップなどに高度な精密加工を施し性能を大きく高めています。また、中高域(ミッドハイ)のドライバーJBL2420はダイアフラム0.05mmジュラン合金をニューマチックドローイング法で形成し、アルミリボン線エッジワイズ巻きボイスコイルやアルニコVマグネット、純銀製インピーダンス・コントロール・リング等を採用し高性能化を図っています。

高域のJBL2405には0.056mm厚のアルミ箔を空気圧で成型したリングダイアフラムを採用しています。 25cmミッドウーファーJBL2121はウーファーJBL 2231Aからの影響を避けるために、14Lのバックキャビティが設けられています。 JBL4333A,4331Aでも採用した内蔵ネットワークによるドライブと、エンクロージャー背面の切替スイッチによりによる2チャンネルマルチアンプドライブ(300Hzクロス)が可能です。

また、横置きでの使用を考慮しウーファーより上部の、ユニットをマウントしたバッフル板は90゜回転させることが可能です。 また、トゥイーターの配置も左右入替えが可能です。

当時のオーディオ評論家 故・瀬川冬樹氏がJBL4343を非常に高く評価しマークレビンソンとの組み合わせで自宅で常用していました。

●JBL 4343/4343WX:1976年発売


●JBL 4343/4343WX 試聴の感想・その他

一時期、JBLの代名詞のようにいわれたJBL 4343で安いプリメインアンプでも簡単に、それなりに良く鳴っていまいました。しかし、実のところは本当に良く鳴らそうとすると非常に難しいスピーカーです。

一番のネックはウーファーが底面に近い下の方に装着されているために床からの影響を受けやすかったことです。高さ調整に始まり、今でこそ珍しくなくなりましたが3点支持などいろいろなセッティング方法が雑誌等でも紹介されました。3点支持の場合、普通は前2点で後ろは1点が普通ですが、その逆、つまり前1点で後ろは2点という変則的パターンもありました。

当時、いろいろ試した中では前記の変則的3点支持で、10センチ程度の角材を長さ45センチ程度に切り、スピーカーと角材の間にベーゴマを入れのが一番音離れが良かったように思います。ブロック置きが一番簡単で、多くのユーザーがこの方法を用いました(何となく固い方が良いとのイメージから)が、ブロックは決して良い結果をもたらしませんでした。

また、背面からの距離によっても音が大きく変化し、ベストポジションを見つけるのに大変な労力を要します。苦労と引き替えに得られたベストセッティングのJBL4343は素晴らしい音で音楽を聴かせてくれます。特に不得意な音楽ジャンルもない優等生タイプで、それを逆に言えば”面白みがない”とも言えません。

昔からの、JBLファンには結果としてあまり高い評価は受けず、特にジャズファンからは中低域(300Hz〜1.25kHz)をコーンタイプのJBL2121が受け持っていたことから”紙臭い音がする”とも言われました。

●JBL 4343/4343WX 現状の中古マーケット状況・その他

JBL 4343、JBL4343WXを合わせると日本国内で累計1万セット(2万台)も販売された大ヒット製品であることから、Yahooオークションやネット上の中古販売店も含め、JBLの大型モニタースピーカーとしては豊富に出回っています。小まめにチェックしていると相当程度の良い物も頻繁に見かけます。

●JBL 4343/4343WX 当時の販売価格

JBL 4343A:\560,000
JBL 4343AWX:\580,000
*いずれも、1台の販売価格
http://jblfan.mitsu-hide.com/JBL_4343_4343WX.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c17

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
18. 中川隆[-11098] koaQ7Jey 2019年3月29日 12:39:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[921]

4343は日本でこそ二万セットも売れたらしいが、アメリカでは探すのも
難しいと聞くから、いかに日本人だけが4343贔屓かわかろうというもの。


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JBL4341 - オーディオマニア よっしーの部屋 2009/05/01
http://yosigaki.s214.xrea.com/nikki20090501.html


Pippinさん宅訪問。通称「鎌倉オフ」の始まりだ♪

この日はみゆきさんも一緒。
要するに休日が多くの方と違う人ばかり(笑)

…と、それは良いがいつものブルーバッフルが今日は少し小さくなっている??


いや、アホな呆けはやめよう。
JBL4341降臨。

そうです、Pippinさんは今回、4343を4341に入れ替えられたのだ。

JBLスタジオモニターの系譜をひもといてみよう。

JBL4341が生まれたのが'74年。
翌'75年に4340が登場。
そして'77年に4343が生まれる。

この4343が日本でベストセラーになったことは有名。

4341、4343共、故瀬川冬樹先生が導入された事で名を馳せたということもある。

4341と4343。

知られる様にユニットは同一。
ただ、とにかくキャビネットのプロポーションが違う。

4341は600W×950H×500D mm 。

4343は635W×1051H×435D mm 。

単純にいうと4341の方が幅、高さ共小さく、その分奥行きが深いという事になる。

僕はPippinさん宅で4343を拝見し続けていた。
同じ場所に4341があるのだから違いは数値以上にリアルに感じる。

奥行きは65oの違い、と書けばその通りなのだが
実際には数値以上に違って感じる。
4341の方が遙かに奥行きが深いという印象。

そして高さは100o違う訳で、これはかなりの雰囲気の違いにつながる。
4343は“そそり立つ”という感じがあるが、
4341は実にどっしりと構える感がある。

…と、細かい事は抜きにして4341と4343は同じユニットでキャビネットの縦横奥行き比が
若干異なるというのが大雑把なまとめ。


さてしかし、音の方はとてもそれだけの違いとは思えないくらいの違いを示す。

4341。これは正に、THEスタジオモニター、だ。

色々なディスクが掛けられるのだが、どれを聴いても
本当にスタジオのモニタールームで聴いているような錯覚に陥るのだ。

目の前にミキシングコンソールがあり、
更にその向こう側にガラス越しに見えるスタジオがある。

そんな感じ。

ラージモニターというと大雑把な感じを持つ人もいるかもしれないが
中高域を再生するユニットが比較的狭い範囲に集中していることも手伝って
“キュン”と引き締まった音が聞ける。

それでいて圧倒的な量感を持った低音に代表される開放感を持った音は、
これは小型スピーカーでは容易に聴くことの出来ない音だ。

超低音まで伸びて、それで居て切れが良く、“ストトン、ストトン”と決まる音は
正に最高♪

ここで軽く検証その1。

4341の高さ950oというのは一般家庭でソファーに腰掛けて聴くに理想的な高さ。

ちょうど良い位置にツイーター達が来る。そして同時にこれ以上高くなると圧迫感が出て来る
ぎりぎりの高さだ。

これが一つ効いていると思う。

そして4341はキャビネット下に最初から袴をはいている。
単純な事なのだが、これが実に理想的な位置にウーファーを持ってくるのに
一役買っているのは間違いなし。

「4343と入れ替えてポン置きでこれだけの音が出てしまうとは…」
と当のPippinさんご自身が呟かれていた。

本当にそれだけの音が出ている訳で、
4341恐るべしとしか言いようがない。

5月2日

ポン置き…とは言っても既にここ何年も掛けてPippinさんは
同じ位置で4343を相手にカットアンドトライをされて来た。

だから本当のポン置きとは意味が違う。
ある意味用意万端整った所に4341が満を侍して到来したとも言える。
この辺りの事情を見逃してはいけない。

しかし、それでも新しい環境に来てこれだけの仕事をしてくれる4341は
やはり名器だ。

思えば4341はそれほど有名ではない。

…というかその型番は皆知っているのだが案外本物を拝んだ事がない。
後継機の4343が馬鹿売れしてしまったため尚更影が薄い存在になっている。

ビックメジャーよりはマイナー掛かった物に肩入れしたくなるのが
よっしーの心情。こうなると4341を褒めちぎりたくなるが、
4343に口がきけたら、「勝手にベストセラーにしたのは君たち日本人だろ」
と言いたくもなるだろう。

何しろ4343は日本でこそ二万セットも売れたらしいが、アメリカでは探すのも
難しいと聞くから、いかに日本人だけが4343贔屓かわかろうというもの。


オーディオ。特にスピーカーというのは誠に面白いもので
ユニット同一でキャビネットの容積もほぼ同じ。
それでいてプロポーションが違うだけ(本当にそれだけとは思えないのだが)
でこれだけ音が違う。

実際に自分で使ったことがないよっしーがとやかく言うのは問題もあるが
どうも4343より4341の方がコントローラブルに思えるが違うかな?

ということはさておいても、実物を目にすると4341の縦横奥行き比は実に素晴らしく、
THE黄金比という気がする。
これは完成されたプロポーションとしか言いようがない。


さてさて、音を作っているのはスピーカーだけではない。
Pippinさんの装置はこれまでも幾たびがご紹介させて頂いているが
アナログプレーヤーがEMT930様。CDプレーヤーがスチューダーD730Mk2様。
プリがレビソンLNP-2L様とマランツ#7様。そしてパワーがマランツ#9様と、
軒並み“様“付けで呼びたくなるような名器の勢揃い。

もちろん名器を揃えればそれで良い音がするほど世の中は甘くない。
Pippinさんもあれやこれやと使いこなしを工夫されている。
が、今回はその部分は省略。

いきなりプリ差し替えで二つの音を楽しむというパラダイスに突入。
プリ二つというが、一つがレビンソンのLNP-2Lで、もう一つはマランツ#7オリジナルだ。
これはもう盆と正月が一緒に来たような、
(我ながらセンスがない比喩だ)
大騒ぎである。

ちなみにそれまで拝聴していたのはLNP-2L様。
これをマランツ#7に換えると、音はどうなる??

うーん、これも良い。
(当たり前?笑)

二大名器でどこがどう違うといっても仕方ないが、
レビンソン様が、あくまでも「俺はここに居る」と
力強く主張されるのに比べると、マランツ様は、やや端正(あくまでも比較の問題で
#7様も支配力は強いのだが)。

一歩引いて全体を見渡すという感じが出るので
4341が、よりモニター然としてくる感じがある。

しかし、まあそれもこのレベルまで来るとどうでも宜しいという気がしてくる。
何しろ気分次第で差し替え自由だもの(笑)

しかし、つくづくJBLは凄いスピーカーを作っていたものだ。

5月5日

ところで今回のオフにはもう一人ご参加の方が…

それはKenrickSound店長さんの細井さん

Pippinさんは4341をKenrickさんから購入されたのでした。
今日は嫁いだ4341の調子をご覧に
(もちろんビジネスとして、検品、アフターケアーという意味もあり)
いらしたのでした。

ごちゃごちゃ理屈を言うより、今回の一品を見て貰う方が早いのだが
とにかくKenrickさんは良い仕事をしていらっしゃる♪

ネジ一本に至るまで、こだわりの仕上げ。

そして何より、細井さんは語り口が静か。

余計な事は語らず、しかし訥々と語る時はその内容が濃い。

大体が良い仕事をしている人というのはそういう傾向にある。
詳しい事は上記サイトで確認すれば良いし、心配なら逢って話せば良い。
43XX系の導入をこれからお考えの方は一度相談してみても
損をすることはあるまい。

それにしても細井さんは、僕なんかから見ても大変お若いわけで、
その様な世代の人がJBLの名器を手掛けてくれるというのは
それだけでとっても心強いしありがたいことだ。

*なお、この日の様子を含めた日記が、Kenrick Soundさんのページに
アップされています。必見でしょう♪


5月6日

ここでレアアイテムをご紹介。

テクニカのシェルであることは一目見ておわかりだと思う。

しかし型番が…??

AT-LSEMTって…??

そうです。これはEMTプレーヤー用にテクニカが作ったシェルなのです。

実にレアー度が高い。
なんと言っても試しにテクニカに問い合わせたら
当のテクニカの社員でさえ現物は見たことが無かったというくらいだから(笑)

このシェルが沢山あれば、EMTプレーヤーで色々なカートリッジを
楽しみやすいのですが…。


そしていつもの様に僕らはN先生宅へ向かう…

N先生宅には4343が待っていてくれる。


いや、これはやはり4343改と呼ぶのが正しいのだろう。

マホガニー無垢材からギター職人が削りだしたという
ZYGOMA製ウッドホーン(ドライバーは2450J改)が天板に載るし
金色のツイーターは2405改だし…と詳しく説明するのが難しいくらいだ。
ネットワークも外付けとなっている。

本体の左横に見えるのが外付けネットワーク。持ち上げようとすると
ずっしり重い。
そして4343改とスピーカーベースの間にはこれまたZYGOMA製の
フローティングサスペンションが入っている。

今回この部分を初めてアップで撮影させて頂いた。
何でもピアノ線をスパイラル状に巻いたサスペンションらしいが
とにかくこの4343改は、ある意味フラフラなのだ。
手で揺すれば簡単に揺れる。

古来よりオーディオ機器。特にスピーカーはリジッドに固定すべし、
という黄金律みたいなものがあるが、そのような考えには真っ向から反対するような
セッティングだ。

しかし、これが音が良いのである。

特にウーファー領域が上手い具合に弾んで切れるのはこのセッティングによる所も大きいのでは?
と、どうしても思ってしまう。

Kenrickの細井さんは、ある意味僕など比較にならないくらい
多くのJBL43XX系の音を聴いていらっしゃるのだが
その細井さんをして、「これは…」と唸らせるものをこの4343改は持っているようだ。

吹き抜けるような中高音はウッドホーンが効いているのだろうと
感心しきりだったご様子。
さもありなん、という気がする。

もちろん、音はスピーカーだけで出るものではない。

これら駆動系装置の功績も大きい。
CDプレーヤーはスチューダーD730。
プリはレビンソンのLNP2。
アキュフェーズのデバイダ、F20を介して
パワーアンプはマッキンのMC-1000が四発。

正に威風堂々。

N先生サウンドは今日も健在、
しかし…


しかし、たいへん残念な事に、N先生は昨年他界されている。

僕らが前回お邪魔したのがちょうど一年位前。

その後急に体調を悪くされ、まさかと思われたのだが
帰らぬ人となってしまった。

それから数ヶ月。本格的に音を出すのはいつ以来?、ということで
音も変わってしまったかと危惧されたが
なんとN先生の音はそのまま保たれていた。

いや、音だけではない。部屋の空気さえもあの時のまま、という感じ。
そのせいもあって、どうしてもN先生が居ない事が現実のものとして
受け入れられない僕らが、そこにいた。

今にも「いや、失礼失礼。遅くなったね」と言って先生が
防音ドアーを開けて入って来られる様な気がしてならなかった。

「亡くなったなんて嘘だよ」、と誰かに言って欲しい。

遠い空の上から、今日のオフの様子も眺めていらっしゃったのだろうか。
だとしたら嬉しい。

鎌倉オフではこれからもN先生の音を鳴らし続ける事になると思う。
そう、その音を保ち続けるために…

あらためてN先生のご冥福をお祈りします。


*Kenrickの細井さんのブログにもこの時の様子がアップされています。


5月14日

さて、よそ様にお邪魔して4341だ4343だと騒いでいるが
今自宅で鳴っているのは、例の段ボール(!)マトリックススピーカーだ。


我ながら落差に愕然とするが仕方ない。

不思議なもので、これでも充分音楽は聴ける。
…というか美点も多いのだが詳しくは書かない。
たぶんわかる人には書かなくてもわかる♪


ただ、マトリックスの効果については納得していない。

で、また性懲りもなく真っ正面から立ち向かってみた。

すると、どうも左右で広がり感が違う気がした。

結線ミスはしつこいくらい確かめた。

結論をいうと、どうもユニットによって音が違うようだ?
三本中、特に異質な音を出している一本をセンターに持ってきて
比較的同質な音がする二本を左右に配置。

これでバランスは改善された。


10年も経ったユニットで色々言っても仕方ないが、
そもそもスピーカーユニットというのは一本一本音が違う。
それに経年変化が加わると事態は深刻になる。

四本のFE-87の内一本はコーンに盛大なシミが出ている。
写真の物は外観は一番綺麗なのだが皮肉な事に
エッジの剥離が起きている様でビリビリと雑音が出る。
(もちろん使用はしていない)

やれやれ、やっぱり正式には一斉にメンテナンスに出さないと駄目だろうか。
(まだ対応してくれるかどうか知らないが)

老朽化したユニットでとやかく言われても長岡先生も困るというものさ。

「あんたそんな事より、この痛んだ床を何とかしなさいよ、お父さん」

…と犬が言って…、いないな、たぶん(笑)


5月19日

先日新聞を読んでいたら、「リア充」という言葉を目にした。
?と思い記事を読んでみたら、
リアル充実を略してリア充というそうな。

つまり、「すみません、最近リア充で更新出来ませんでした」
みたいに使うらしい。

するってーとせっせとホームページを更新などしているヤツは
現実の生活が充実していないということになる?

思わず笑ってしまった。

そうとは限らないと思うのだが、それすらどうでもよろしい。

歳を取ると言うことはこういうことか。
全く違う意見、考えに出会ってもヘロヘロ笑ってしまう。

まあそれも可愛くないといえば可愛くない態度だが(笑)

さて、明らかにビリつきが出ているFE-87一本のエッジをめくって
補修してみた。

なんていうと格好良さそうだが、要は木工用ボンドで貼り付けただけ。

上手く行ったのかな?確認している時間が無いのだが…

しつこくマトリックススピーカーの検証はしたい。
出来れば四本のFE-87のリコーンくらいはしてみたい。

フォステクスは受け付けてくれるのか?
出来たとして四本だと6〜7千円くらいは掛かるか。
NEW 8pシリーズにも心惹かれるが四本買うとなると1万円を越す。
それもやりすぎか?

いじいじと悩んでいるが、取り敢えずこの8pユニットは本当に可愛らしい。

http://yosigaki.s214.xrea.com/nikki20090501.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c18

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
19. 中川隆[-11097] koaQ7Jey 2019年3月29日 12:48:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[922]

JBLは4341をやや大きくした、後継機種4343を発売した。
4343の用途は何であったのか?いまだによく分からない。
4343はプレイバック・モニター用途と言うが、スタジオで4343を見たこともないし、使った話も聴かなかった。

_____


イシノラボ/マスターズ店長の連載
JBLを愛した男たち 2010年1月2日掲載
https://www.ishinolab.com/modules/doc_serial/audio_history_japan/serial001_040.html


JBLの設立は1946年に遡る。創業者、ジェームス・バロー・ランシングは1949年9月24日、自ら、命を断ってしまった。以後、共同経営者だったビル・トーマスが社長となって、JBLは次第にスピーカ会社として発展していく。日本への輸入は、当初、河村研究所であった。1965年、サンスイはJBLと輸入総代理店契約を結び輸入を開始する。

1952年にはホーンレンズを取りつけた175DLHが誕生している。1954年には傑作“ハーツ・フィールド”が製品化されている。そして、1957年には、今なおあこがれの“レンジャー・パラゴン”が登場し、1988年までの31年間生産が継続された。(1971年、私がJBLを訪問したときも、パラゴンはハンドメードに近いかたちで日系アメリカ人の方がリーダーとなって、キャビネットの製作、スピーカユニットの組み込みがおこなわれていた。)そこに働く方達の誇らしげな顔を、いまなお思い出す。1960年には、最高級家庭用スピーカとして“オリンパス”が製品化されている。私が、JBLをオーディオ誌で知ったのはこの頃であったが、超高価で、夢のまた夢、そのまた夢の存在であった。

私が入社した1969年からオリンパスを聴いたが、サウンドが硬く、大した感動はなかった。ただ、大変美しい仕上げで、組格子のカバーがユニークであった。また、新宿、三幸町のショールームには、JBLのひととおりの高級スピーカシステム、ユニットが展示されていた。

評論家の皆さんも、この頃、ショールームで眺め、聴いて、特に、その素晴らしさに惚れて、無理してお金を算段して、購入したとの昔話を聞く。故、瀬川さん、山中さん、そして、オーディオ評論界の第一人者、菅野さん達であったと思う。

そうこうしているうちに、私は、スピーカ設計課に配属されて、さっそく、SP150の設計担当をやらせてもらうことになった。そのとき、傍らで、先輩エンジニアが薄型スピーカ(ドロンコーン付き)を設計していた。SL−5,7の2機種であった。とても格好が良く、大したものだと思ったが、それの元ネタはJBLのトリムラインであった。期待に反して、SLシリーズは大して売れなかった。

SP−150の設計過程において、ランサー77も聴いたが、能率が悪いスピーカだ、というくらいで、これも、感動は無かった。

しばらくして、SP LE8Tを比較試聴する機会があった。これも、能率の悪いスピーカだな!と言うのが第一印象であった。けれども、コーン紙に吹き付けてある白い物質は何だろう?ということになったが、取引のあるユニットメーカー(松下,フォスター,昭電)に聞いてみたが、分からないということであった。

このダンプ材がLE8Tのサウンドの秘密のひとつでもあった。また、ボイスコイル径は2インチあって、フルレンジ、8インチスピーカユニットにしては、非常識に大きかった。大きくなると、ボイスコイルのインダクタンスが大きくなって、高域になると、インピーダンスが上昇して、高域が出にくくなるのだ。また、コーン紙の中心には、大きなアルミダイアフラムをコーン紙に貼り付けてあった。ダイアフラムの裏には、ウレタン系のダンプ材が貼り付けてあり、共振防止を図って、なかなか配慮されていると感じた。

さすがに、LE8Tだけでは超高域が足りず、LE25のようなコーンツイータ(JBLではダイレクトラジェータと呼ぶ)を付加して2ウエイ構成にすると、バランスが取れてきた。

SP150の設計、アメリカ向けスピーカの設計を完了したあと、スピーカ関係の研究開発に携わることになった。そこで、再び、LE8Tにめぐり合った。

すなわち、フルレンジユニットはどのようにすればうまく設計出来るかのテーマであった。LE8Tのコーン紙を外してみると、まず、ボイスコイルは、他のように2重巻きではなく、占積率が100%と言えるエッジワイズ線を採用していた。従って、巻数はやや少なめであるので、巻線によりインダクタンスは少なく、従って、高域におけるインピーダンス上昇は、ボイスコイル径が大きいにも関わらず、かなり抑えられていた。

さらに、磁気回路を外してみると、ポールピースにはメッキが施されていて、磁気的にショートリングが施され、高域におけるインピーダンス上昇が抑えられるようになっていて、なるほど、JBLは凄いと感じた。実際、当時JBLの工場見学では、ボイスコイルはボイスコイルだけを独立して巻いて、筒状になったコイルを輪切りにして、それをボイスコイルボビンに装着していた。

これをもってして、フルレンジユニットとして、卓越した技術力であった。コーン紙エッジは当時、ホワイト系ラバーエッジで、共振周波数は充分下げられていたが、この重さで、効率は88dB程度に下がってしまったのは仕方ないことであった。そのサウンドはやや、JBLとしては大人しいもので、当時、若かった私には物足りなく感じた。

何とか、まずは真似をしてLE8Tレベルに到達しようと頑張ってみたが、当時ではとても部品メーカーがついてこれず、試作は勘弁して下さい!と言う始末であった。

さて、当時のサンスイ社内でのJBL販売体制は、JBL販売課があり、そのスタッフはJBLに心酔している男たちで締められていた。例えば、サンスイのショールームでJBLを聴いた社員が、どうしてもJBLの販売に関係したいと志願した男が主体であった。極端に言えば、JBLに命をささげた男もいた。

JBL販売課長であったS氏はチェロを弾く音楽、オーディオ大好き人間であった。オーディオフェアの前夜のJBLブース作成で徹夜して、会場で、くも膜下出血で倒れ、帰らぬ人となった。また、JBLのプロモーションを担当したM氏は北海道出張中、千歳空港内で脳出血に倒れ、帰らぬ人となった。お2人ともお酒が好きで、飲みだすとJBLの話が止まらない男であった。

私は、JBLは凄いと思ったが自分で使う気にはなれなかった。自宅では、自作3WAYシステムで頑張っていた。

1972年になって、私はスピーカ設計を離れて、今度は、当時サンスイが創りだした4chシステム開発促進部に携わることになり、ここで4chサウンドを聴くことになったのであったが、そこで衝撃的出会いがあった。アメリカでのサウンドプロモーションで、発売されたばかりの4320を使ったのであった。その場に立ち会った上司は、帰国して、我々に“JBL4320を4台、部で買うことにした。凄くエキサイティングなサウンドだ!”と興奮して語った。

しばらくして、4320が4台届いた。早速開けて見ると、何と、1台、ツイータの穴を塞ぐ板がついていない、穴があいたままになっていた。仕方なく板で穴を塞ぐことにした。アメリカの製造センスはラフだな!と嘆いたが、音が出て、腰を抜かした。

当時は、ここの部署はプロ用エンコーダの開発をしていたので、試聴用にレコード会社のマスターコピー、放送局の音楽ソーステープがたくさんあったし、オープンデッキはAMPEX AG440の4ch、2chの2台、プロ用マシンが揃っていた。

このような高品位の音源に対し、JBL4320の再現性がすばらしく、軽々とした中低音、立ち上がり抜群のホーンによる中域、高域と素晴らしかった。

しばらくして、各レコード会社のモニタースピーカは一時期、JBL4320が独占していた時期があった。ここにいたって、私はどうしても欲しくなった。お金がないから仕方なく国産イミテーションキャビネットにJBLユニットを取り付けて楽しんでみたものの、やはり、違うサウンドであった。これを諦めて、弟に譲って、今度は本物の入手に奔走した。やはり新品は買えず、何とかして知り合いのスタジオ技術者から中古JBL4320をやっとの思いで入手。ようやく満足を得て、その後、コーン紙の張替をしながら、今なお私の工房で稼動している。

社外では、POPS録音にかけては第一人者の当時東芝EMIミクサー、行方洋一さんも大のJBLファンであったし、JBL4320には惚れていた。行方さんはJBL4320を購入されて土浦の自宅に設置し、スーパーツイータ、JBL2405に1μのフィルムコンを付けて、3WAY構成にして楽しまれていた。私はご自宅に何度も伺って、その素晴らしいサウンドを聴かせていただいた。POPS、ジャズ、SOUL、SL、花火音などを心行くまで聴かせてくれた。

行方さんは当時、渚ゆう子のレコーディングを担当されていたので、渚ゆう子の情報は何かと入った。(私は渚ゆう子の大ファンで長女には“ゆう子”と名付けたほどである!)そうして、渚ゆう子がリサイタルをおこなうことになり、そのPA(SR)エンジニアは行方さんが担当することになった。行方さんから、“PA機材をどうしよう!”という相談があった。お話を伺うと、会場は新宿、厚生年金会館大ホールとのことであった。

PAスピーカーはJBL4320を特別に使いたい、アンプはタフなサンスイ BA5000が安心と言う。そこで、上司にお願いして、JBL、サンスイのPRになるからと言うことで許可を貰った。勿論、運搬、据付までは社員を動員するわけにいかず、私が担当することにした。当日は、休日、18:30開演であったから、14時頃から搬入、セッティングをスタートした。4320は縦置きに2台を積み重ねで、L/Rで4台使うことにし、BA5000もブリッジ接続で、1200W、の2台で4320をドライブすることになった。4320は本来、レコーディング・モニター用であったから、SRに使うことはまずない。渚ゆう子の透き通ったボーカルがホールに満ちたとき、渚ゆう子はいいなあ!と思うと同時に、4320は何て素晴らしいと惚れ直してしまった。

私のこのお手伝いのお礼に渚ゆう子からのサイン入りのレコードをいただいた。それにしても、4320のパフォーマンスは今聴いても凄い。

オーディオ評論家では菅野沖彦さんが一時期、4320を自宅試聴室で使っていた。私が伺ったとき、菅野さんがご自身で録音した宮沢明子、名古屋フィルのピアノコンチェルトを聴かされた。私は4320に惚れていたので感激して聴いていた。菅野さんはそれほど4320にはご執心ではなかった。その次に伺ったときは、4320は設置されていなかった。

さて、どうして、4320は程なくしてレコーディング会社で使われなくなったか?それはJBL側にあったように思う。4320のあとに4325を発売して、レコーデイング現場をやや混乱させてしまった。その後、4333Aが出てきたりして、JBL内部で技術的に葛藤してたのではないかと思う。

4320の強いて言う物足りなさは、重低音の不足にあった。重低音を出そうとすると、振動系を重くしなければならない。そうすると、軽々とした中低域が薄れてきてしまう。

結局、JBLは重低音優先の道を選択した。4333Aのウーファはボイスコイルボビンにアルミリングウエイトをつけたのであった。(このことは、サンスイのSP100/200でやっていたし、SP150でも数グラムのリングウエイトを付加している。)

このお話は、JBL4341につながっていく。

故、瀬川冬樹さんのお宅では、当時、日本に1台しかなかった4341をメインに使っていた。このサウンドを聴かせていただいて、それほど大きくないキャビネットに38cmウーファを入れて、よくまあこれだけの低音がでるなあ、さすがに使い方がうまいと感心したが、振動系を重くしたウーファを採用し、重くなった中低域を避ける意味で、ミッドバス・ユニット追加して、4WAY構成にしたことに秘密があったように思う。

しばらくして、JBLは4341をやや大きくした、後継機種4343を発売した。4343の用途は何であったのか?いまだによく分からない。4343はプレイバック・モニター用途と言うが、スタジオで4343を見たこともないし、使った話も聴かなかった。

瀬川さんはすぐ、4343に買い換えた。ちょうど自宅を新築されて、広い試聴室に置いてあった。パワーアンプはA級25Wのマークレビンソンをブリッジ接続で2台使っていた。さすがの瀬川さんも4343には苦労したと思う。まず、低音がゴロンとしたサウンドでまとまらない。これは水平使用出来るように、ウーファ位置がキャビネットの下端、ギリギリについていたので、低音が床に反射しておかしくなってしまうのであった。スピーカスタンドを使うと、響きが薄くなってしまう。瀬川さんがさんざんトライして、試聴室の長辺側に4343を設置して、壁との距離を微妙に調整して、ついに最適なサウンドバランスを獲得した。その苦闘記をオーディオ誌に切々と書いた。

その効果が大きかったせいもあろう。4343は高額であったにも関わらず、物凄い量で全国的に売れ始めた。4畳半に住む若者が4343を買って、寝るスペースを狭くして4343にかじりついて聴いている話は、営業からよく聞いた。とてもバランスの取れたサウンドではなかったであろうが、所有する喜びが大きかったのであろう。

そうそう、あまりにも4343が有名になったので、あやかって、HPのオーディオアナライザーのモデル名は4343にしたとの話を聞いたことがある。

4343を平行輸入した会社は大儲けをしたと言う話は本当であったらしい。サンスイの国内販売部門はJBLがないと赤字であったが、JBLのおかげで元気であった。

オーディオ誌各社の試聴室でのスピーカは4343で占められた。また、オーディオメーカーの試聴用スピーカは4343が多かった。さらに、部品会社にも4343が置いてあることが多かった。サンスイでは社内では1台使われていたが、アンプの音質決定には4343ではなく、ずっと4320であった。(私がサンスイを退いて、そして上司もサンスイを退いてから、B&W 803に代わったらしい)

私が聴いた中では、1990代、LUX社試聴室設置の4343は極めて反応の良いサウンドを発揮していて、後続のJBLエレベスト9500をはるかに凌駕していた。これは主に使っていた優秀エンジニアのO氏(後にブリッジオーディオを主宰)の使いこなし上手だと思う。

アルニコ・マグネットの枯渇、そして、フェライトマグネットの採用

1970年代、アフリカ、ザイール内戦が勃発して、コバルトの供給が極端に逼迫した。それ以前からアルニコマグネットの価格はじりじりと上がって、価格の安いフェライトへの移行がスピーカ各社進行していた。そんなわけで、TANNOY、ALTECなどのメーカーもフェライトマグネットに切り替えざるを得なくなってきた。

それでは、アルニコマグネットとフェライト系マグネットはどう違うのだろう。簡単に言うと、磁気抵抗が小さいのがアルニコ、大きいのがフェライトである。(ちなみに、最近、強力マグネット材料と言われているネオジウムもフェライト系の性質を示す。)

現在の学術レベルでも、スピーカにおいて、フェライトとアルニコとのサウンドの差異はうまく説明できていない。でも、オーディオに少し興味があれば、聴いてみれば、好みは別として、差異は指摘できるはずである。切れ味良く、ひずみ少なく聴こえるのがアルニコと言われているし、私もそう思う。

JBL技術陣は、アルニコマグネットの入手難、音質とのはざまで、ついにフェライトマグネットへの切換を決断する。切換えるからには、フェライトマグネットに最適な磁気回路があるべきと、研究・検討を重ねた結果、ついにSFGと称する新開発磁気回路を開発した。その主な特徴はポールピース、ヨーク形状を微妙に変更し、磁気回路によるひずみの改善を実現した。(近年、一部に電流ドライブアンプなるものが評価されているが、電流ドライブアンプを用いると、磁気回路によるボイスコイル電流ひずみが非常に改善(一桁以上)されるメリットがあると言われている。)

JBLは次々と磁気回路をフェライトに切り替えていった。4343は4343Bとなった。JBL技術陣も相当、気になっていたと思われ、わざわざ都内のホテルで発表会を兼ねた技術講演会を開いたほどであった。

ちなみに、当時のサンスイスピーカはすべてフェライトに切り替わっていたし、他社も、YL、ゴトー、エール音響とかのホーンドライバーを作っている会社以外は切り替わったと言って良かった。

JBL技術陣の最大目的は、JBL4343の最大評価者である瀬川冬樹さんに納得してもらうことであった。ゲイリー・マルゴリスをチーフとする説得チームは、瀬川さん宅に夜間訪問して、瀬川さんお使いの4343のウーファユニットを外し、新型フェライトマグネット採用のユニットを取りつけて、瀬川さんに聴いて貰った。そのトライアルは深夜にも及び、瀬川さんはOKを出した。彼等はほっとしたことであろう。でも、サウンドが変わったことは否定できなかった。フェライトマグネットを採用した4343Bは売れには売れたが、以前よりも売れなくなってきたのは仕方がないように思えた。 そうなると、JBLにとって4343は売上に大きな部分を占めるから、このままで良いはずはなかった。彼等はそれならば、フェライトマグネットを採用することによってユニットコストが下がるから、コストダウンした4343を作ろうということになった。

それは仮称4343CLASSICと呼んでいた機種であった。これなら定価は¥10万以上安くできそうであった。それが、4344であった。

一方、ホーン・ドライバのフェライト化も進めざるを得なかった。これはユーザであった評論家Oさんにテストして貰い、OKをいただいたが、後になって元のアルニコに戻されて、今なお健在に動作している。

このころになって、JBLは買収されたシドニー・ハーマン(元、商務長官)の影響が大きくなってきていた。また、サンスイのほうも、アルニコからフェライトに移行して思うように売れなくなってきて、友好関係が少しほころんできたような状況でもあった。

そして、ついにハーマンはすでに設立済みの日本法人、ハーマン・インターナショナルに販売権を移行することを決定、サンスイに通告した。

サンスイは、くるべきものが来たということであったが、非常な痛手であった。具体的には、社内のJBL販売課のスタッフの落胆ぶりは深刻であった。

過半数のスタッフはハーマンインターナショナルに転職したかたちでサンスイを去ることになってしまった。それ以降のJBLの動きは私が説明することもなく、JBLに関する書籍を読めば詳細に述べられている。ハーマン・インターナショナルに移った男たちも定年を迎える年齢になった。世は無常なりの言葉をかみ締めたい。

以上の文章のなかで私は渦中の当事者ではなかったので、憶測、間違いもあるかも知れないが、オーディオファンとして、JBLファンとして、書いたつもりである。

JBLは、今なお有力なスピーカブランドであることには間違いないが、ともすれば、ヨーロッパ勢の攻勢を受けている感がある。攻勢とは、技術的には、音場研究とかユニット開発において、他社はJBLとは異なった道を歩んで、異なったすばらしさを発揮しているような気がする。


次回は、またアンプ開発の話に戻りながら、オーディオ評論とその流れ、影響について記してみたい。ここまで読んでいただき、感謝に耐えません。
https://www.ishinolab.com/modules/doc_serial/audio_history_japan/serial001_040.html



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c19

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
20. 中川隆[-11096] koaQ7Jey 2019年3月29日 13:03:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[923]

JBLにとって日本は大きな市場だった。

サンスイの技術者だった人が、JBLがフェライト磁石に変更した当時のことを、自身のサイトに記しています。

「JBL技術陣の最大目的は、JBL4343の最大評価者である瀬川冬樹さんに納得してもらう」

「瀬川さん宅に夜間訪問して、瀬川さんお使いの4343のウーファユニットを外し、新型フェライトマグネット採用のユニットを取りつけて、瀬川さんに聴 いて貰った」

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JBLはいつ、どうやって日本に伝わったのか。《JBLと日本1》


1953年にJBLが日本に輸入された記録があります。その年に開かれた「第2回オーディオフェア」に、JBLのスピーカーシステム「ハーツフィールド」が出品されました。アメリカでこのスピーカーシステムが発売されたのは1953年ですから、その年のうちに日本で紹介されたことになります。

輸入したのは「河村電気研究所」でした。東京の新宿にあった「河村電気研究所」は、無線通信やラジオ製作マニアのたまり場でした。その所長は1950年代のはじめ、専門誌の『無線と実験』に「とにかく、ものすごく精密で高感度なスピーカーができた」と、JBLのスピーカーユニット、D130を紹介しています。

「ハーツフィールド」はアメリカで730ドルという価格で販売されていました。当時の為替レートで日本円に換算すると26万円ほどです。それに関税や諸費用を加えたうえ、現在の物価に置き換えれば200万円くらいでしょう。これが売れたかどうかは不明です。

音響のプロの世界ではJBLの名はすでに知られていました。1962年に発売されたJBLの最初のモニターススピーカーシステム、C50SM数台が、放送局かスタジオによって輸入されています。

日本ではじめて一般向けのオーディオ装置、当時の言葉で「ステレオ」が発売されたのは1958年です。早くも1960年代には今に残る日本のオーディオメーカーは顔をそろえています。

JBLはマニアのあいだでも噂になっていましたが、一般には手の届かないものでした。1965年にブランド名を「サンスイ」とした山水電気がJBLの日本総代理店になりました。大手のメーカーを押さえて山水電気が代理店になることができたのは、「サンスイ」のアンプのデモンストレーションで、JBLのスピーカーを使用してきた実績があったからと言われています。

まず輸入したのは「パラゴン」「オリンパス」「ランサー・シリーズ」でした。その後、JBLのスピーカーユニットのLE8Tを国内でキャビネットに組み込んだ「SP−LE8T」を発売します。多くの日本人がJBLの音を体験したのは、このLE8Tでした。
http://sdroxx.com/jbl_japan/


山水電気とJBLのコンビの時代。 《JBLと日本2》
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山水電気とJBLのコンビの時代。 《JBLと日本2》
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山水電気、ブランド名「サンスイ」がJBLの日本総代理店になってから、JBLは急速に日本の市場に出回りはじめます。山水電気はもともとトランスのメーカーでしたが、トリオ、パイオニアと並んで「オーディオ御三家」と呼ばれる有力メーカーでした。

まず売れたのは、1971年に発売したスタジオモニター4320です。4320は一時、日本のレコーディング・スタジオのモニターを独占しました。1台約40万円、当時としてはそうとう高価だったにもかかわらず、一般のオーディオファンも購入しました。オーディオ雑誌もJBL一色になり、この頃から日本のJBL神話がはじまりました。

もっとも人気があったのは1976年に発売したスタジオモニター4343でした。

1台の価格は56万。ペアなら110万円を超えます。
高さが1メートルを超えるこのスピーカーが、日本で飛ぶように売れたました。

JBLにとっても、日本は大きな市場だったようです。サンスイの技術者だった人が、JBLがフェライト磁石に変更した当時のことを、自身のサイトに記しています。

「JBL技術陣の最大目的は、JBL4343の最大評価者である瀬川冬樹さんに納得してもらう」

「瀬川さん宅に夜間訪問して、瀬川さんお使いの4343のウーファユニットを外し、新型フェライトマグネット採用のユニットを取りつけて、瀬川さんに聴 いて貰った」

瀬川さん、とはオーディオ評論家の故・瀬川冬樹です。

ちょうど、フェライト磁石に移行したころから、JBLは日本で売れなくなっていきます。

日本は「オーディオ不況」の時代に入り、オーディオメーカー各社が販売低迷に苦しみます。2012年に山水電気は破産します。その前にJBLとの代理店契約は終わっていました。JBLの販売は、JBLを傘下に置く「ハーマン・インターナショナル」の手に移っていました。

サンスイのアンプはJBLを鳴らすように設計されている、という説がありました。

実際にサンスイのアンプ「AU−907」などをJBLとセットで買うオーディオ・ファンが多かったのです。現在でも、JBLにはサンスイのアンプがもっとも合う、という声は残っています。
http://sdroxx.com/jbl_japan02/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c20

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
21. 中川隆[-11095] koaQ7Jey 2019年3月29日 13:18:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[924]


JBL 4343、同B ナンダヨー!フザケンジャナイヨー! 2006/3/22
https://blogs.yahoo.co.jp/kazu2001dd/30702799.html


ウエストコーストから日本のウサギ小屋へ嫁いできたアメリカ女は、いつもストレスでイライラ。金切り声を上げていた。僕はこのスピーカーがのびのびと鳴っている所に1回しか出くわした事がない。まあ、後にもう1回があるけどね。

説明は不用かも知れないが、4343AってのはB、つまりフェライトモデルの登場後に呼ばれる様になったもので、元々は何もついてなかった。アルニコモデル、って事とRev.Aってことをかけた通称みたいなもの。世界的な材料不足でフェライトモデルに移行したのだ。音質にうるさい人の中にはアルニコの方が音が良かった、と言って残念がる人もいたが、僕はJBLの努力は評価すべきだろうと思う。音の傾向はきちんと維持されたし、また様々な改良によってオリジナルモデルよりアンプを選ばなくなった。涙ぐましい努力はイヤ!って人は迷わずBモデルにしたほうがいいんじゃないかな。

4343は故・瀬川冬樹師の愛機である。師の活躍がなかったら、4343の評価は今日ほど高い物にはなっていなかった事だろう。師は日本の家庭で4343を使う事に関して、莫大な時間を実験と試行錯誤に費やし、ノウハウを僕たちに惜しげもなく公開してくれたのだ。

しかし、である。4343はやっぱりスタジオモニター。均整のとれた音が出てくる音圧は決して低くない。集合住宅で使うにはちょっと、いやかなり迷惑な音量を出さなくてはならない。最低でも一戸建ての家ってのが現実的。それに結構な駆動力をアンプに要求する。瀬川師は当時新進メーカーであったMarkLevinsonで駆動については一つの回答を提示していた。しかし誰もがMarkLevinsonというわけにもいかず、大抵の場合当時のまだまだ発展途上にあった国産アンプで駆動されたのだ。きちんと駆動されてないこのスピーカーの音は悲惨。ウーファーはまともに動かず、ショートホーンからは金切り声。なんとか憧れのスピーカーを購入したのはいいけれどまともな音で鳴らない、という悩みはこの当時良く聞くことだった。ちゃんとした手法でエージングしないとこの傾向のままの音になってしまうことも注意がいる。

様々な制約によってこんな状態の物が大半だったのかも知れない。だから4343はハイ上がり、ってイメージが一般には浸透してしまった様だった。メーカー側も気にしてか、その後出した4345は一回り大きいウーファーを使用して低音がやたら拡張されたスピーカーだった。ユーザーの方には悪いが、僕は瀬川師がこのスピーカーを聴かずして亡くなられた事は不幸中の幸いだったと思っている。過ぎたるは及ばざるがごとし、である。

師も楽しみにしておられた4343の後継機、長い間待ち続けたその音を聴いた日の落胆は、今でもありありと思い出される。

きちんと駆動された時、4343はそりゃあ凄い。ウエストコーストの晴れ渡った青空を思わせるような明るさをもちつつ、エネルギッシュでど迫力。大胆にして繊細。中身のぎっしりとつまった濃密な音。ノリのいいジャズなんか、もう、踊っちゃえ!って思わせる様な、その場の空気を一手に引きつけてしまう凄いパワーの様な音を持つスピーカー。今のB&Wみたいに優等生的なスピーカーには決して真似できない音。(まあ、彼らが真似しようとは決して思わないだろうけど。)破天荒な部分はあったが、それもまた魅力だった。

僕は瀬川師の記事を子供の頃から穴が開くほど読んでこのスピーカーに憧れ続けたけれど、今まで自分で所有した事はない。所有しても使いこなせる自信がないのかも。でも、もし今手に入れられたとしたなら、僕なら絶対アナログソースで聞きたい。デジタルじゃなんとなくつまらなくなりそうな気がする。熱くほとばしる情熱をもう一度音楽と共有したい、そんな思いのあなた。この子は一聴の価値ありです。ただね、決していいかげんなアンプで鳴らさないで下さい。もしも機嫌を損ねたら、あなたにはヒステリックに叫ぶ彼女のご機嫌取りに涙を流す日々が約束されてしまいます。(笑)
https://blogs.yahoo.co.jp/kazu2001dd/30702799.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c21

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
22. 中川隆[-11094] koaQ7Jey 2019年3月29日 13:26:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[925]

2014年11月01日
良い音とは、良いスピーカーとは? (別冊ステレオサウンド 瀬川冬樹著作集)


Streo Sound 復刻本_SL500_AA300_
瀬川冬樹著作集

良い音とは、良いスピーカーとは?
      (ステレオサウンド (2013/5/31))

  瀬川冬樹氏(1935.1〜1981.11)がStreo Sound誌に遺した遺稿集。 ユニオンJazz Tokyoにて。
 ユニオンの僕たち世代の嗜好をよく捉えた品揃えにはいつも感心する・・というかうまく分析されている。


 Stereo Sound誌やSwing Journal誌などで瀬川さんを知ったのは'70年代半ばだったと思う。

 20台の若造にとっては、オーディオ評論家の皆さんは、まさしく偉い「先生」だった。その中でも瀬川さんは、音楽趣味の方向は違うけれど、JBLを中心としたオーディオライフや評論は僕にとってあこがれだった。

 本書はStreo Sound誌の第1号1966 Winter号から1981の増刊まで、29話を収録。
'70年代後半の記事はリアルタイムに読んだ記事もあって懐かしさも感じる。


 力作は、表題の「良い音とは、良いスピーカーとは? 」7話 と「70年代後半のオーディオ界展望  7話」

 個人的に、懐かしく興味深いのは、JBL4343研究2,3(なぜか1がない) 
 JBL4343を、オールマークレビンソンの製品で、マルチアンプ、それも入り口のヘッドアンプからパワーアンプまでモノ使用、低域用は更にブリッジ接続(広域1台+低域2台)を左右で6台使いなどというクレイジーな、しかし一回でも聴いてみたいような試聴記が載っている。

最近のStreo Sound誌は製品紹介のヨイショ記事ばかりであまり読む気がしないが、この頃は自分たちの言葉、行動でオーディオが語られていて熱い。日本の高度成長期、そしてオーディオ界も誕生から急成長していた時期の評論で読んでいていちいち感心してしまう。

 僕が学生から社会人に成り立ての頃の記事で、僕の憧れの製品は夢のまた夢みたいなものだったが、読んでいるだけでも楽しかった。

 ただ、オーディオが熱い時代で国産メーカーも花盛りの時代、今のSS誌では考えられないが、数万円のアンプやスピーカーなど結構手頃な製品が多く取り上げられている。

 今は同じようなクラスの製品自体が少ないし、キチンと紹介されることも少ない。同じような製品の価格が当時の数倍から一桁違う感じで、趣味として裾野が大幅に狭まってしまったのは残念だ。

 今、僕自身は、JBLとLinnでアナログ&ネットワークオーディオを楽しんでいるのだが、今より、当時のほうが、はるかにJazzにもオーディオにも熱かったように思う。

 当時(今もか?)超高級機は買えないから、いろんなJazz喫茶に行って高級機の奏でるJazzを聴いた。 レコードブースに鎮座する高級Ampを眺めて楽しんでいた。パラゴン、43シリーズ、JBL Proシリーズのユニット群などのスピーカー、マッキントッシュやマランツのアンプ。

 そんな中でなぜ瀬川さんなのだろうか、表面的には僕のあこがれだったJBL43シリーズやマークレビンソンのアンプを使われていたからだが、本当は瀬川さんの書かれる音が僕の好きな音だったからだろう思っている。

 実際瀬川さんの出す音を聴いたことはないし、あくまで本書の記事を読んだイメージでしかないのだが。 瀬川さんは主にクラッシック、。小音量派だったようなので、Jazzの僕とは随分違うのだけど。

 
しかし、本書を読むと、30年以上前の憧れが蘇える。

我が家に収まりきらないグレーの43モニターシリーズ、そしてMark Levinsonの薄型プリアンプが欲しくなってくる。何といってもカッコいい!から。
http://blog.livedoor.jp/bitches_brew/archives/1880795.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c22

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
23. 中川隆[-11093] koaQ7Jey 2019年3月29日 13:29:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[926]

瀬川冬樹氏は私がオーディオに興味を持ちだした頃はまだ健在で、盛んに評論活動にいそしんでおられた。彼が亡くなったのは82年、私が初めて迎えた「高名なオーディオ評論家の死」だけに特に強く印象に残っている。

 瀬川氏の評論の特徴は「文学青年的繊細さ」あるいは「女性的感性」で綴られたきめ細やかな文章にあるだろう。音楽を聴いているその間、刻一刻と様々に表情を変えていく音そのものについて、瀬川氏はきめ細やかな、そしてやさしい言葉で描写を試みておられた。意識の表層に次々に捕らえられた数々の音の美しさを綴った文章は、その対象と同じように美しいものとなって読み手の意識に自然に流れ込んできたものだ。

 音楽評論の立場で音楽を文章化するのに誰よりも成功したのが吉田秀和氏だとすれば、オーディオ評論の立場でそれをなしとげ、詩情までも織り込むことができた唯一の例が、瀬川冬樹氏だと言えるのではないだろうか。

 文章の繊細さと同じように、実際に瀬川氏が鳴らしていた音についても、かのタンノイオートグラフを愛好し「アンチJBL」の筆頭だった五味康祐氏が、瀬川氏の鳴らすJBLのシステムを聴いて、「自分と同質の鳴らし方をしているこの青年の努力は、抱きしめてやりたくなるほどいじらしい」と評したのは有名な話だから、おそらくは繊細極まりない音が響いていたに違いない。

 瀬川氏と言えばJBL4343が印象に残っているが、本来はアキシオム80やロジャース系BBCモニターの音、つまりはブリティッシュサウンドを好まれたようなので、いわゆる「ジムラン」時代の家庭用システムの豪放さにはそれほどひかれず、ユニットとして使うことはあっても完成したスピーカーシステムは43シリーズのプロフェッショナルモニターになってから、その繊細さと迫力が両立した音に惚れ込まれて導入されたのではないだろうか。事実「4341以降はぼくの求める音の範疇に引っかかってきた」という表現を最晩年の文章の中でされている。

 タンノイとJBLと言えば、日本ではいまだに2大スピーカーメーカーとして評価されているが、日本にタンノイを根付かせたのが五味康祐氏だとすれば、JBLに関しては「岩崎千明氏が種をまき、瀬川冬樹氏が実らせた」と言えるのではないかと思う。

 この三氏が活躍された頃は、オーディオにまだ実現可能な夢や希望が残っていた本当にいい時代であった。これから先の時代には、はたして新しい夢と希望は生まれてくるのだろうか?
http://orion.mt.tama.hosei.ac.jp/faraday/nl/0060.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c23

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
24. 中川隆[-11092] koaQ7Jey 2019年3月29日 13:32:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[927]

「私の歌姫」

少しでも良い音で音楽を聴きたいと願って、もう何回機械を取り替えたことか。

日立HS500に始まり、次にJBL4343に変わり、それからアクースタット3Aを経て、現在アポジー・デーバーとなっている。

オーディオの主役は、やはりスピーカーである。日立HS500で聴いている時はそのフラットで刺激のない、何の匂いも感じない音がむしろ心地よく、現代音楽のシャープさも難解さも案外苦にならなくて、FMの現代音楽祭のライブ放送を心待ちにしたものである。

それが、作家五味康祐氏の「西方の音」に出てくるイギリスのタンノイというスピーカーへの礼賛ぶりを読み、またオーディオ評論家である瀬川冬樹氏の熱っぽいアメリカのJBLへの傾倒ぶりを読むにつけ、これらのスピーカーに対する思いは日毎夜毎いつも頭の片隅に消えることなく、なんとも落ち着かない日が過ぎた。

そして、ついにJBL4343を我が家に迎え入れたのであるが、その第1印象は音よりもスピーカーボックスから醸し出される塗装の匂いであった。聴いた。何よりも交響曲、それにジャズが素晴らしかった。この匂い、この音、まさしくアメリカであった。至福の日は続いた。

しかし、HS500が吉永小百合であるならば、このJBL4343はアーノルド・シュワルツネッガーであった。その音は明るく力感に満ち圧倒的な説得力を持っていた。だが、そこは湿度を感じることのない世界であった。ドライなのである。日が経つにつれ、やはり吉永小百合が恋しく思われてならなかった。

丁度その頃に、アクースタットが創り出す音の世界に遭遇する機会があった。これはかなりのショックであった。

今までの平面的な世界が一挙に立体的な世界になったのである。横のステレオが奥行きのあるステレオになったのである。フィシャーデスカウがピアノの前に立ったのである。吉永小百合も帰ってきた。夜毎に聴くホロビッツ、カラス、カラヤン、ゲーベル、メロス、かつてこれほどの音を聴いたことがなかった。また至福の時が陶然と過ぎた。

しかし、ハネムーンが終わってみると、この歌姫は言ってみればどうみても貧血気味でシュワルツネッガーのパワーと明るい太陽がないのである。悶々の日は続いた。

ここに至って左右のステレオ感があり、かつ奥行きのステレオ感があり、音に繊細感、力感、存在感があるという世界でなければもう満足できない病気に取り憑かれたのである。

これがビールス性なのか先天性なのか自己診断に頼るしかないが、この病気を解決するには、またまたスピーカーを取り換えなければ治らないのではないかと観念するに至った。

もう後はリボン型スピーカーしかなかった。即ち、アポジーである。

部屋に置かれたアポジー・デーバーは聴く前から胸をときめかすものを持っていた。

なんとも異様な姿なのである。高さ1.8メートル奥行き5センチ、アルミ箔の振動板が鈍く光っている。とにかく聴いてみる。目を閉じると、まさにそこに歌姫がいた。これこそ求めていた音であった。

このところ幸せな日が続いている。五味康祐氏は音楽を聴くには何サイクルまでフラットなどという再生装置はまるで必要ないと書いているが、とてもまだそのような枯淡の境地には到達できそうもない。

どの機種を購入した時も、最初は片時も離れていたくないほど夢中になるのであるが、4、5年で他のものに心を引かれてしまう。

そんな訳で、今お付き合いしている歌姫は4人目である。
http://www.aafc.jp/Essay/matumot2.htm
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c24

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
25. 中川隆[-11091] koaQ7Jey 2019年3月29日 14:14:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[928]

4343シリーズ、4350シリーズなどの大型モニター系は、基本的に日本では大ヒット商品でしたが、欧米では「まともな音」を得るのが難しく、扱いにくいスピーカーとして敬遠されたようです。

さらに、43**シリーズ、モニタースピーカーとされていますが、現実的なレコーディングスタジオ等で実際にモニター用に採用されたケースは非常に少ない


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質問!ITmedia - JBL 4343って音悪くないですか?
https://qa.itmedia.co.jp/qa8596567.html


JBL 4343って音悪くないですか?


良く遊びにいくお店に、JBL 4343が置いてあったので、
買うお金がないですが、聴かせてもらいました。
4343は今まで何回もお目にかかっていますが、
聴いたことがありませんでした。

古いアキュフェーズのモノラルパワーアンプとプリアンプと
DENONのCDプレーヤーで現代の録音のジャズを聴かせてくれました。

聴いた感想は「ひどい音」だと思いました。
これが昔、ものすごく売れたとは信じられないです。
お客さんの中には褒めている人もいましたが・・・。

正直、4343って音悪くないですか?
それとも私がきいたものがたまたま音が悪かったのでしょうか。

投稿日時 - 2014-05-15 18:28:48

アンサー


4343自体を聞いた経験が在りませんが、、、

私が昔(小中学生の頃)に聞いたのは、4343Bでした。
このスピーカを購入された近所の歯科医宅には、なんどもご招待を頂き、いろいろと聞かせてもらった経験があります。

4343Bに入れ替えるまでは、4333Bが置かれていて、私個人としては4333Bの時に聞いた音の方が好きでした。

実際に4343Bを購入されたご本人も、セッティングやパワーアンプの交換等、確か2年チョイまで、とにかくあれこれ変更させながらなんとか鳴らそうと頑張ったようです。

潜在能力は高く、その鱗片は時々出て来るのですが、どうしても納得出来る総合バランス、こういう鳴らし込みはとても難しいらしく、当時のオーディオ紙の中でも、キチンと鳴らし込まれている4343系はほんのわずかしか無いだろう、という意見が一般的でした。

全体的にはデカイスピーカーですが、ミッドバスのバックチャンバー(エンクロージャー)が存在するため、実質的にはウーファーもミッドバスもギリギリの小容量で使われている、というのが実情です。

そして、中学時代に4343Bの調整に立ち会い(いや、動かすのが大変だから、手伝わされた? 笑)、やはりミッドバス帯域の室内音響との関わり、このあたりの処理がほんとに難しいのではないか?と感じたのを思い出します。

完璧に鳴らし込めないまでも、せめてそれなりのバランスが得られる状況なら、大抵の人は満足できる音が得られるのでしょうけれど、わずかに失敗していると、各ユニットがそれぞれ主張し合い、バラバラに音が出ていて音楽的に楽しめる状況じゃない、なんて事もあるでしょう。

それから、製品自体がかなり古い時代の物ですので、はたして販売当時の性能が出せているか?という基本的な疑問はあり得ますね。

JBLは定期的な振動板交換を推薦しています、このためあえて耐久性が低い「発泡ウレタンエッジ」を採用しているのです。(振動板を見ても劣化したのが判りにくい、エッジが朽ちれば交換するしか無いのですね。)

コンシューマー用製品ならエッジの張り替え、でも良いのですが、モニターシリーズや PA/SR などに使うプロフェッショナルシリーズのユニットは、長く使うにはそれなりのメンテナンス費用を。

なお、4343シリーズ、4350シリーズなどの大型モニター系は、基本的に日本では大ヒット商品でしたが、欧米では「まともな音」を得るのが難しく、扱いにくいスピーカーとして敬遠されたようです。
(と、言うか、一般的にはコンシューマー向けモデルの方が好評だったようです。)

さらに、43**シリーズ、モニタースピーカーとされていますが、現実的なレコーディングスタジオ等で実際にモニター用に採用されたケースは非常に少ない。

トークバックなどの返しモニター等には天釣りを考慮した4311/4312系はかなり多用されたようです。

たまたま聞いた音を「ひどい音」だと感じたのは、おそらく音の本質を感じ取っていると思われます。
(まぁ、儀礼上で、その音を好む人の前では、言えませんけれどね。)

経年劣化の結果なのか、セッティング(チューニング)の未熟さなのかは文章だけでは判断出来ませんが、おそらく両方とも影響しているんじゃないか?って想像します。

とても苦労して、存分に鳴らし込めた人には、他のスピーカーでは得られない、至福のサウンドが体験出来るそうです。そういう4343系の音、一度は体験してみたいですね♪

投稿日時 - 2014-05-16 18:33:55

お礼

私が聴いたものも、4343Bですねきっと・・・。
4343は滅多にお目にかかれませんよね。

私自身、本当に失礼な質問をしていると思っています。
でも、この音が本当に伝説的とも言われるほど売れた音なのかと思ってしまい、このような質問をしました。

好みは別にして、この音を大半の方が「良い音」っと言うように調整できることが、改造もなしでできるのか本当に不思議に思います。

音の調整が終わる前に「耳が慣れてしまった」っというオチが多いような気がします。

4343のミッドバスとウーハーは弱いっということでしょうか。だから駆動力のあるアンプで・・・っと回答された方がいるのですね。

私は4311、4312系はかなり好きです。

JBLはシステムではなくて、ユニットを使用して自作をした方が好みの音を得られやすいと思ってしまいます。

投稿日時 - 2014-05-16 20:26:53



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fujitapari

私も、感心するような良い音でなってる4343を、聴いた事がありません。
それは多分、上手く鳴らしてる友達がいないのと、聞いた店の環境が悪いからだと思います。

昔沢山売れたのは、瀬川冬樹の影響が大きいと思います。
私も彼の解説文に惚れて、何台かSPを買いましたが、それなりに良く鳴ってくれました。
4343は高くて手が出ませんでしたが、買われた人は精魂こめて良い音で鳴らしていたのでは無いでしょうか。

他の方も言われてる様に、鳴らすのは難しいSPだと思います。
店頭で何台も並べて、それが一番良く鳴るようには、とてもできないでしょう。

昔、瀬川冬樹がサンスイのショールームで、JBLの大型SPを使用して、AMPの聞き比べか何かをしてたのを聞いた事がありますが、そのときでも素晴らしい音だったとは記憶していません。

季節やレコード盤や、窓の開け閉めなど、何か分からないことの影響で、音が変わってしまいます。
それでまた格闘が始まり、本当にいい音で鳴るのは、一瞬だなという思いがいつもあります。
4343も本当はいい音でなるのだと思いながら、常に高嶺の花であります。


投稿日時 - 2014-05-16 16:20:37


4343は鳴らしにくい。よく聴く言葉ですよね。

でも、デジタルチャンネルデバイダーを使えば、どんなスピーカーでもバランス良くなることは間違いないと思います。
その調整が難しいという人もいるでしょうけど、今なら機器が自動でやってしまうでしょう。

チャンネルデバイダーの機能と同時に、ディレイ機能、位相反転機能、音量調節機能、これを使用すれば、どんなスピーカーでも、そこそこ聴けてしまうことは事実だと思います。

私も一時期、デジタルチャンネルデバイダー機能が入った、業務用のデジタルプロセッサーを持っていました。
当時の定価で40万円もしました。

バイワイアリング端子があるスピーカーなどは、スピーカーのネットワークを活かして、デジタルプロセッサーのディレイ機能を使うだけで、音が相当変わります。ものすごく聴きやすくなります。さらに音量調整機能で、0.5db刻みに音量を調整すると、もうデジタルプロセッサーを通さない音は聴きたくなくなります。
これが故障したらどうしよう。っと思ってしまいました。

なので、私はこのデジタルプロセッサーを手放しました。
それ以降、音の調整は自作のネットワークと、ユニットの位置でするようにしました。

なので、箱の中にユニットがおさまってしまっている4343を改造なしでいい音にした人って、どのようなことをしたのか非常に興味があります。

投稿日時 - 2014-05-16 18:07:26


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現在も4343を愛聴している者です。

4343は大変に優れたスピーカーです 
というのはソース LP や CD またアンプの音を素直に再生するからです。

4343の音が悪いというのは見当ちがいで、音源やアンプの

音そのものが悪いのであって、4343は素直にそれをさらけだしてしまうのです。

ですから4343でいい音を聴くためにはそれ相当なレベルのオーディオ機器をセットしてあげる必要があります。もちろんセッテイングや部屋の環境もある程度

考えることが必要と思います。

多分質問者様がお聴きになった4343はシステムがアンバランスであったと思われ4343をドライブするにはかなり能力不足であったと思います。

ぜひ質問者様は十分にセッティングされている4343をお聴きになっていただき たいと思います。それを一度聴いていただければ、もう中毒になってしまわれることでしょう。


投稿日時 - 2014-05-16 11:47:23

おっしゃるとおりです。
お店に置いてあった4343を聴いたくらいで、こんな質問をしていること自体、とても失礼なことなのはよく理解しているつもりです。
きちんとしたオーディオルームで、吟味されたアンプで聴いた結果、判断しろっと言いたいと思います。

でも、そんな人は滅多にいないですし、私のまわりで4343を持っている人はいません。
なので、4343は「音が悪い?」っという質問をしました。


鳴らされていたアンプは、アキュフェーズのA−100です。
それでもドライブするには不十分でしょうか。
CDもDENONのS−10III、古いですが悪い機種ではないと思います。録音も悪くありません。

回答者さまは、部屋も広くてスピーカーからかなりの距離をとって聴くことができるのではないでしょうか。
だとしたら、素晴らしい音が聴けそうな気がします。

広い部屋、高級アンプ、高級プレーヤー、それが4343には必要っと言っているように感じます。
実際、サイズ的に一般家庭の10畳程度では、本領発揮をさせることは無理だと思います。
デジタルチャンネルデバイダーで細かく調整すれば10畳の部屋でも聴けると思いますが・・・。

投稿日時 - 2014-05-16 17:47:48

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kyushuwalker

30年くらい前、私の叔父は改造した4343でクラシックを聴いておりました。そのとき4343はいい音だと思った記憶があり、JBLでもクラシックは大丈夫と思っています。
では、なぜ4343がひどい音になったのか? 
マスターが年寄りで、ほめた客も年寄りだからではないでしょうか? 
高齢者は高音が聞こえず、中低音で音楽を聴くのですが、聞こえない高音をしつこく出そうとしてスーパーツイーターなどを使ってみたり、中低音は無理矢理分離させようとするので、セッティングがおかしくなり、結果としてひどい音になるという仮説はいかがでしょう? 若者が補聴器を使ったような感じになったのでは???


投稿日時 - 2014-05-16 08:19:36

耳は、私のほうが悪いと思います。
30代ですが、11kHzまでしか聴こえません。
しかし、音の善し悪しはわかるつもりです。

それ以前に、店員さんとお客さんがほめた原因は、4343世代の人だからではないでしょうか。

それよりも、回答者さまの「改造」っというのが気になります。
なにをどう改造したら、良い音になったのでしょう。
半端な改造では、いい音はでないと思います。

音の粗が目立たない程度の音量で聴き、足りない低音をイコライザーで持ち上げて聴いていたのなら、いい音に聴こえる可能性はあると思いますが・・・。

投稿日時 - 2014-05-16 17:16:48

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nokata

JBLのプロダクツがPA発祥ですので家庭でお聞きになるには無理があると思います。

PAではなくてオーディオとして捕らえるならばまさしくひどい音質です。
昔はこのひどい音が流行った時期があって、みんなでJBLサウンドだなんて もてはやしたものです。

特にご質問の4343は重要音域にホーン+音響レンズが使われており、
とてもカタログに書いてある低歪などというものは期待できない代物です。
周波数特性もめちゃくちゃですので、高歪とあいまってとてもまともに聞けるスピーカーシステムではないと思います。

そう感じているユーザーはきっと多いと思いますが、そんなことを言おうものなら
調整が難しい機種だから、あなたは4343の本当の良さを知らないだだとか
JAZZを聞くにはこれがいいとか言われます。

でもPAには向いていてもオーディオには向いていないのが正直なところですね。
質問者様の音を聴く感性は正しいと思います。

オーディオ評論家やメーカーに踊らされて、自分の感性をスポイルしてしまったオーディオマニアは多いと思います。

ほかにも有名メーカで評判良しとされているスピーカーでもひどいものが
たくさんありますよ。

投稿日時 - 2014-05-15 23:18:55


家庭でつかうのは無理があるっというのはとても理解ができます。
本領を発揮するには、かなり大きな部屋が必要に感じました。

昔、ステレオサウンドっという雑誌で4343をよみがえらせるっとような企画がありましたよね。短期連載で、それをすごく楽しみに読んでいました。
今は、もう捨ててしまい、細かい内容は思い出せませんが、最終的には、位相を合わせるためにドライバーを外し天板の上に乗せ、A-7のようなフロントホーンをつくり、さらにウィングもつけて、ネットワークの改造もしたと思います。
もはや4343ではなかった気がしました。

しかし、あえてチャンネルデバイダーを使わず、ユニットを活かしたっということは、ユニット自体は素晴らしいものだと思います。
実際に私も2420と2405は大好きです。

投稿日時 - 2014-05-16 16:59:40


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chandos

4343は使いこなしが難しいスピーカーだと言われます。

私も過去に4343を聴く機会を数多く持ったのですが、一度たりとも「良い音だ」と思ったことはありません。いずれも要領を得ない、聴き辛い音でした。

しかも、その「聴き辛さ」の傾向が毎回違うんですよね。あるときは低域がモヤモヤしたり、またある時は音場が極端に狭かったり、別の回では高域が伸びきらずに寸詰まりの音になっていました。使用するアンプやプレーヤー、またはセッティングの不適合のせいだとは思うのですが、逆に言えば「マニアが長い時間を掛けて格闘するのにふさわしい製品」ということになるのでしょうか。

同じJBLのスタジオモニターシリーズでも 4333B とか 4350 なんかは、割とバランスの良い音で鳴っている現場に遭遇したことはあるんですけどねぇ。4343だけは「鬼門」みたいな存在です。

まあ、どこかに 4343 から痛快な音を引っ張り出せているユーザーも存在するのかもしれませんが。

そういえば昔、三菱電機が DIATONEブランドで DS-5000というスピーカーを発売したことがあります。寸法と重量は4343とほぼ同じ。値段は4343より少し安かったという、明らかに4343を意識した製品で、設計者もそう公言したらしいですが、当初この話を聞いたとき「JBLとDIATONEでは音は全く違う。4343の愛用者が国産品に乗り換えるはずがない」と思ったものです。

しかし今から考えてみると、気難しい 4343に愛想を尽かして(それよりは鳴らしやすい)DIATONEに鞍替えするユーザーもけっこういたのではないかと想像しています。


投稿日時 - 2014-05-15 22:43:01

4343はならしにくそうですね。

あの音をバランスよく、聴きやすくするには、根気がいると思います。

アンプや設置にシビアに反応するんでしょうか・・・。

私もオールドJBLのユニットを使用しておりますが、2wayでも鳴らすのに時間がかかりましたので、4wayとなると気が遠くなる作業かもしれませんね。

DIATONEのds-5000も見たことがありますが、音は聴いたことがありませんが、見た目はすごいスピーカーですよね。

投稿日時 - 2014-05-16 00:42:54


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HALTWO


理由は 3つほど考えられます。


御質問者さんが聴いた JBL が本当に JBL4343 なのであれば酷い音がしたかもしれません。

何しろ JBL4343 は 1976 年から 1979 年まで販売されていた Model ですので、最後の Model としても 35 年を経過しています。

使用している Unit Parts は互換性を持つ代替品がありますので、Owner が定期的に Parts 交換を行ってきたものであれば酷い音はしないでしょうが、全く Maintenance をしていないものであるとすると酷い音が出るやも知れません。

古い ACCUPHASE の Pre-Amp' と Monaural Power Amp'、DENON の CD Player を組み合わせて『店』で使っているというのも気になります。

年間を通じて毎日平均数時間用いるなんていう使い方は一般家庭では余程の暇人(笑) か、半分仕事用みたいな使い方をしている人でもなければ難しいものですが、『店』で使うとなると業務時間の殆どを通電状態にしているのですから毎日平均 10 時間、年間で 3 千時間に達するなんていうのもザラです。

Amplifier の電源部に用いられている電源 Condenser の寿命は OS (Organic Semiconductive) Condenser でもない限りは数千時間程度ですので、業務で使うと数年で能力低下を起こします。

ACCUPHASE 社は同社製造初号機種に近い、とても古い機種でも修理に応じてくれることで著名な Maker で、その Aftercare の優秀さから各層の User 達から絶大な信頼を寄せられているのですが、だからこそきちんと定期的な Maintenance を行うべきものであり「有名で高額の製品だから古くても音が良いに違いない」と Maintenance をせずに使い続けると『酷い音』になるのは当然のことです(^_^;)。

Speaker System も家庭とは桁違いの埃量となる店で用いられることから Edge 裏部に埃が溜まり易く、Edge も振動板も家庭での使用に較べて数倍も酷使されることになります。

私は年間総通電時間 2 千時間 (平日は 5〜6 時間、週末休日は 10 時間以上) なんて使い方をする Mania ですが(汗)、Maintenance (部品交換) することなく 3 年以上故障せずに使えた機器は殆どなく、Amp' と CD Player は 20 万円以上の小売価格がするものを含めて全て 3 年以内に不具合を生じました。

Speaker System は改造でもしない限りは不具合が起きていることに気付きにくいものなのですが、自作 Mania の私は 1 千時間余り鳴らし込んでいる Speaker Unit と数十時間しか鳴らし込んでいない Speaker Unit とで音色が違うことを体験しています。……どちらも一長一短で優劣を付け難いのですが、総使用時間が 1 万時間に近付くにつれて、さすがに古い Unit は「新しい Unit では出せた音」が出なくなってきます。

どんな機器にも寿命があり、長く愛用したければ、定期的な Maintenance が不可欠であるということですね。


2 つ目の理由は『古い Audio System で新しい録音の Jazz を再生したこと』にあります。

店の System は JBL4343 を含めて 1970 年代に録音された Source を、当時の Recording Studio で Monitor System に採用されていた System の音に非常に近い音を出す System になっています。

しかし昨今の Recording Studio ではそのような Monitor System を用いませんので、当然のことながら Recording Enginner が「これで良い」と Go Sign を出した音色を出せるものではありません。

1960 年台から 1970 年台に揃えた Microphone で音波を電気に変換し、Bipolar Transistor 式 Amp' で増幅した信号を Open Reel Master Tape Recorder に記録、Bipolar Transistor 式 Amp' と JBL4350 のような Speaker で Monitor していた音ならば兎も角も、2000 年台以降に揃えた Microphone で電気変換された信号を Digitize して MOS-FET (Metal Oxydal Semiconductive - Field Effect Transistor) IC (Integrated Circuit) Chip の Amp' で増幅、Bowers & Wilkins 社の B&W801 に連なる Nautilus Series 等の Speaker System で Monitor する音とは全く異なる音になる筈です。

現代の Studio Monitor System と 50 年前の Studio Monitor System とが全く同質の音を出すのであれば、新しい System など必要ないものでしょうが、時代と共に性能と一緒に音色も変化しますので、数十年前の Audio System で最新の録音 Media を再生しても Studio で音決めされた音とは異なる傾向の音になるのも当然でしょう。


3 つ目の理由は御質問者さんが『店の System』とは異なる世代の Mania である場合です。

例えば御質問者さんが 20 台の方ならば JBL4343 や JBL4350 等の JBL Monitor Speaker System 全盛期の音を知っている筈がなく、B&W 等の現代 Speaker System で鳴らす最新録音 Media の音に慣れていらっしゃる筈です。

特に Jazz や Classic ではなく Pops 系を好んで聴く方であれば Post Production (後処理) による Compression が効いた音が好みである筈で、数十年前の録音を当時の Monitor System で再生する音に調整された System で鳴らす音は『酷い音』に聴こえることでしょう(^_^;)。

私なんぞは典型的な『古い System の音が好き』な Mania でして(^_^;)、最新の録音 Media を購入して iTunes に Ripping しても、敢えて真空管 Amp' を介したり小口径の安価な Full Range Speaker Unit を用いた自作 Speaker に自作 Super Woofer を加えた Speaker System で鳴らすことを至上の喜びとしているぐらいですので(笑)。


他にも理由があるかも知れませんが、思い付くのはそんなところかな。

都市伝説みたいな評価に惑わされず、御自身の耳 (感性) の最も良く Fit する音を目指してください。

素敵な Audio Life を(^_^)/


投稿日時 - 2014-05-15 22:03:18


私は毎日4時間以上音楽を聴いています(笑)

「劣化」が原因っということになるのでしょうか・・・。

非常に聴きづらい音で、低音が響き、高音が耳につく・・・っと言う感じでした。
全然スッキリした音ではないのです。
私もオールドJBLのユニットを使用しておりますので、似たような音がでると思い込んでいたようです。

ユニットのエッジは交換されていますが、ネットワークに手は入れてないと思います。

確かに初期性能は維持してはいないと思います。

投稿日時 - 2014-05-16 00:24:14

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chiha2525

何をどうとって『ひどい』と感じたかは分かりませんが、セッティングの難しいことでも有名だったように思います。また出音も、どちらかというとモニター的だったとか(いえJBLはモニターとして売ってたのですがね)。

実はパワーアンプが好みでなかったとか、CDに入ってる音が悪かったとか、そういう曲だったとか・・


投稿日時 - 2014-05-15 21:34:20


CDの音は悪くないですね・・・ほかのスピーカーでも聴いていますし。パワーアンプも別のJBLで聴いていますが、音は非常に聴きやすい音でした。

4343は頑丈な台車に乗っていました。台車は私の家でも使用しているので、台車自体音が悪くなる原因とは思っていません。

正直、私だけではなくて、彼女もいっしょだったのですが、彼女も「小さいスピーカー(JBL)のほうがずっとよかったよね」っと言ってたくらいでした。
お店は天井もたかく、広く、商品も展示してありますし、頑丈な床です。音が良く聞こえても、悪く聞こえたことはいままでないお店です。

ひどいっと言う意味は、聴きづらかったです。
お店に人にも「ちょっと聞きづらい音ですね」とは控えめに言ったら、「もうちょっと離れたらいい音ですよ。いかにもJBLっという感じで」っと言われましたが、私自身JBLを15年以上愛用しているので複雑な心境でした。


しかし、横にいた60代くらいのかたは、「いいねぇ」と言っていましたが・・・。

投稿日時 - 2014-05-15 21:49:09
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cayenne2003

JBL タンノイ、BOSE、ALTEC色々持ってましたが、どのスピーカーにも特色、似合う音源、環境によりなり方は色々あると思うんですが「ひどい音」にはならないと思うんですよ。

確かにひどい音はありましたがそれはスピーカーが壊れてました、コーンエッジが経年劣化でボロボロになっていたんですね。
そんなスピーカーを直して鳴らすのも楽しみなんですが。

今聞いているALTECシアターだと、ジャズ音源はまるでライブハウス並みの臨場感がありますし、ピアノの音は鍵盤の震え?まで聞こえてくるような素晴らしい音です。
でもボーカルが入ると鳴りが足りない感じですし、ロック音源とか掛けると低音が物足りなさを感じます。
チューニングすればそれなりになるかもしれませんが、このスピーカーはこういう音なんだと割り切っています。
そんなところが、もしかしたら貴殿にはひどい音?として聞こえるのかもしれませんね。


投稿日時 - 2014-05-15 19:29:34

ALTECシアター羨ましいです。

4343はひどいと感じましたね。
私は、JBL大好きなので、期待しすぎたのかもしれません。

ウーハーとミッドバスのエッジを取り換えてあったので、その時に左右のユニットの極性がどれか逆になっていたのかな・・・。

普通「ひどい音」にはならないですよね。

投稿日時 - 2014-05-15 21:14:26

https://qa.itmedia.co.jp/qa8596567.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c25

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
26. 中川隆[-11090] koaQ7Jey 2019年3月29日 14:17:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[929]

 瀬川冬樹先生の音が聴こえてくるかのような素晴らしい評論文とともに氏の愛用する 4341、4343、4344が売れに売れていました。

 ミニスピーカーを除いて、歴史上日本で一番売れたスピーカーはJBL4343だそうで、なんと1万セットも売れたそうです。輸入代理店のサンスイ(既に倒産)は自社製品よりもJBLで食べていたとか。

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JBL LE175、ツィーターとして使用します 2018/01/18


 実はこのLE175は私が初めて使ったJBLのユニットです。
 私がオーディオを始めた40年余前はJBLの全盛期でした。

 岩崎千明先生の豪胆と繊細が同居した魅力的な評論でD130、ハークネス、パラゴンが評判になり、実は苦労人の菅野沖彦先生が著された正統派の評論で375、HL88が注目され、ベイシーの菅原正二さんの2220B、HL90も注目を集めていました。

 瀬川冬樹先生の音が聴こえてくるかのような素晴らしい評論文とともに氏の愛用する 4341、4343、4344が売れに売れていました。

 ミニスピーカーを除いて、歴史上日本で一番売れたスピーカーはJBL4343だそうで、なんと1万セットも売れたそうです。輸入代理店のサンスイ(既に倒産)は自社製品よりもJBLで食べていたとか。

 私は国産のコーラルFLAT5自作箱のあとはタンノイHPD385A自作箱に行きました。五味康祐先生の「西方の音(さいほうのおと)」に傾倒しておりましたし、猫も杓子もJBLに逆らう気持ちもありました。
 
 当時のJBLの音を私が嫌いだった訳ではありません。アルテック、タンノイでは出ない分析的な音、隅々まで描き出す緻密な音には憧れもありました。

 40年の時を経て、JBLは現在のHIFIの主流ではなくなりました。

今はノンペーパー小型ウーハーの複数個使用、ドーム型のミッドレンジとツィーター、トールボーイでバッフル面が極小、密閉型、低能率がハイエンドです。

 JBLは創業者の意に反して、今ではSR中心のメーカーになっています。


 こうなるとね・・・ベンプレ親父はボチボチJBLを使いたくなっちゃうんだよね。これは生まれついての性分だから、どうにもなりませんなw

 JBL LE175はジェームス・バロウ・ランシングが実際に設計製作した最後のドライバーだそうです。

 ランシング・マニファクチャリングが経営不振でアルテックに吸収されアルテック・ランシング社となった時に作ったドライバーが288、ランシングが再度独立してランシング・サウンド・インコーポレイテッド社を起こした時に作ったユニットが175だとか。

 私はあるマニア氏の自宅で、ランシング・サウンド・インコーポレイテッド社当時のブルーグレイの175を見せてもらったことがあります。

 その後、アルテック・ランシング社がランシングの名前をつけることに異議を申し立て、ランシング・サウンド・インコーポレイテッド社はジェームス・B・ランシング・サウンド・インコーポレイテッド社=JBL社に社名を変更したそうです。私のLE175はJBL社になってからの製品です。

 高名な375ドライバーはランシング氏が経営不振のために自ら人生にピリオドを打ったあとに作られたものだとか。うーむ、JBL LE175、WE13A+WE555のツィーターとして充分な来歴ですなw

 (LE85の前身である275ドライバーはランシング氏存命中の製品でしょうか?ご存知の方、コメント欄で教えてくださると嬉しいです)

 さて上の写真、LE175のバックカバーを止めるネジの上に赤い蝋が垂らしてあり、小さなJBLの押印があるのがお分かりでしょうか。

 譲っていただいた方からお聞きしたのですが、この赤い蝋が付いているものはバックカバーが一度も外されていないことを示し、ダイヤフラムがオリジナルである証拠だそうです。

 生産時はネジの緩み防止に蝋が垂らされたんじゃないかと思うのですが、50年の時を経て別な意味が出てきたというビンテージらしい面白い事象ですね。

 バックカバーの内側には防振のためにスポンジが貼ってあると思います。スポンジは材質によっては経年劣化して粉状になるヤツがあるので、カバーが開けられていないなら開けられていないで心配しちゃうのはベンプレ親父の小心なところです。幸い、ユニットを振ってみたところ特に異音はしません。

 この当時のスポンジは大丈夫のようですね。

 今、今夜のオペラの予習にドミンゴのJ・シュトラウスU「こうもり」のCDを聴いています。JBL LE175はもっと刺激的な音かと思っていましたが、7.5KHzから使うと結構しっとりした音でクラシック向きですよ。

P.S.
 先ほど新国立劇場で「こうもり」を診て、ホテルに入りました。

 もちろん生は楽しいのですが、今日は老眼鏡を忘れて字幕が読めなかった上、1F奥の席で上に二階席が張り出していたためか、やたらと暑く、行儀が悪いですが、ネクタイも上着も外して聴きました。

 ( `・ω・) ウーム…

 好きな時間に、好きな音量で、好きな格好で、好きな室温で、なにかヤリながら聴けるバイタボックス・バスビン、ロンドンウエスタン2080・2090、WE13Aシステムで聴くオペラも悪くないよね。

 ブルーレイ&プロジェクターで観れば、映像付きでセンターチャンネルのオイロダイン、エフェクトスピーカーのラ・スカラ、シーメンス・コアキシャルも聴けちゃうしねw
https://91683924.at.webry.info/201801/article_12.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c26

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
27. 中川隆[-11089] koaQ7Jey 2019年3月29日 14:20:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[930]

オーディオ 買取の革命児
2010/12/21 | 投稿者: 高田修


音楽は哲学であると

実音樂にしても再生音樂でも実感する時に芸術という言葉を意識します
理想の音楽は十人十色というように、それぞれの人の心の中に存在し
経験と共に成長しています
だからこそ飽きずに聴き続けているようです


良くできたスピーカーや機器は、工芸品でありそれ自体が芸術品だと思います。

問題はそれをやっかみで判断するかどうかですね。
多少は仕方ないかもしれませんが、うまいこと揚げ足をとれなければ自分自身を晒しているのと同義です。

酸っぱい葡萄の類と思われるのもお嫌でしょう。
ここは素直に同意なり賛同の意を示しておくのが、賢いやり方なのかもしれませんね。
むしろ芸術とかアートとか感覚的で安っぽい概念ではなくて「道」だと思う。


ひょっとして…ハート達(複数ハート)
ゲイ術家、、じゃなかった芸術家じゃない理論派としては
いつかできるなら音声信号を蝸牛か脳に直接ブチ込みたいですね。

オーディオ 査定はゲージュツじゃないと思いますよ。ただし、楽器的・工芸品的側面はありますが、均一な製品をたくさんつくる工業製品。一点ものの芸術・美術品とは違うと思いますよ。

瀬川冬樹氏は当時、たしか、山水電気で扱っていたJBL4343を、なにも知らない日本人に売りつけることに、大いに貢献した商人的な側面もあったと思います。

ただ、わたしの個人的感想で、オーディオを芸術品と考える人とか、いろいろな人がいても良いと思います。

瀬川冬樹氏のお名前が出たので、少々書かせて頂きます。

氏が21世紀の今ご存命であれば、どのようなオーディオの楽しみ方をされるだろうかと夢想することがあります。

氏は経済的に裕福で無かったにも関わらず、身銭を切って高価な製品を導入されていたようです。

ご自身が惚れ込んだ製品の魅力について(金額に関係なく)入魂の文章を書いた方でした。

そしてその根底には、利害や損得とは一線を画した情熱があったと思います。
さて、全く別件ですがモリオバッハさんがオーディオについて「音楽の香気」「昔々のライブコンサート会場に行ける唯一のタイムマシン」と表現されたことに賛同します。

私のレベルではまだ無理ですが、生さながらのリアリティを再現している知人が何人かいます。

投じる金額の問題では無いのです。「音に関する正しい判断力」と言うべきことかもしれません。

オーディオ装置と良質のソフトにより、筆舌に尽くせぬ素晴らしい感動の世界が得られる可能性があります。

しかし将来、私がそうした音を再生できたとしても芸術の再現に成功したと思うだけです。

オーディオ自体を芸術とは思わないはずです。

少なかれ、評論家は紐付きと私は考えています。SS誌なども、アブソリュートサウンド誌のようであれば良いと思っています。

長く読んでいれば、どのメーカーが好きかわかりますねぴかぴか(新しい)
瀬川さんは恐らく紐付きじゃないでしょう。

がんにかかってからも、至極まじめにレビュー書いてたような人ですから
五味さんも設計者に説教するので、テクニカから視聴以来されなくなったそうです。

昔は提灯持ちしない人も居たのですよ。
https://blog.ap.teacup.com/tk40ta10/4.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c27

[近代史3] GHQ とユダヤ金融資本は戦後の日本を共産化しようとして農地改革、人為的インフレ生成、預金封鎖、日本国憲法制定を行った 中川隆
7. 中川隆[-11088] koaQ7Jey 2019年3月29日 14:45:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[931]
2019年3月27日
日本を実効支配し続けてきた米官業既得権勢力 植草一秀の『知られざる真実』
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2019/03/post-e1d3.html

日本の既得権者とは誰か。

憲法は日本の主権者は国民であり、国権の最高機関である国会には国民の代表者が送られることを定めている。

国民の代表者が集う国会での多数勢力が内閣を組織し、行政を担う。

本来は、主権者国民のための政治が実現するはずである。

ところが、現実には、これが実現していない。

特定の勢力が政治を支配し、特定の勢力の利益だけが追求されている。

この構造を打破しなければならない。

1945年に日本は敗戦した。

敗戦後の日本を支配したのはGHQで、その実態は米国だった。

米国による日本支配が実行され、形式上は1952年に日本は独立を回復した。

しかしながら、米国は日本支配を継続した。

その延長線上に現在の日本がある。

1945年から1947年にかけて、日本は急激に民主化された。

GHQ主導でドラスティックな民主化が実現した。

この過程で日本国憲法が制定された。

日本国憲法は日本民主化の過程で生み出された最大の財産=遺産である。

留意しなければならないことは、GHQの対日占領政策が1947年に劇的な転換を示したことだ。


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日本の敗戦当初、GHQを主導したのはGS=民政局である。

ホイットニー、ケーディス、マッカートに代表されるGSが占領政策を主導した。

この過程で、財閥解体、農地解放、労働組合育成などの戦後民主化措置が一気に実行された。

この民主化過程がなければ、日本に民主主義が埋め込まれることはなかっただろう。

NHKの改革も構想された。

NHK改革が実現していれば、日本の政治刷新ははるかに容易になっただろう。

しかし、NHK改革は具体化した段階で破壊された。

戦後日本の屈折点は1947年である。

米国の対日占領政策が大転換したのだ。

GHQの主導権がGSからGU=参謀二部に移行した。

GUを仕切ったのがウィロビー少将、ポール・ラッシュ中佐のラインである。

米国ではルーズベルト大統領が死去し、トルーマン大統領が後継大統領に就任していた。

トルーマン大統領は米国の外交方針を「ソ連封じ込め」に転換した。

1947年3月12日にトルーマン大統領は、議会への特別教書演説で共産主義に抵抗する政府の支援を宣言した。


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対日占領政策の基本路線が「民主化」から「非民主化=反共化」に大転換したのである。

この転換に取り残されたのが日本国憲法だった。

日本国憲法制定を主導したのはGSだったが、日本国憲法が施行された時点でGHQの実権はすでにGUに移行していたからである。

現時点において、対米従属勢力が日本国憲法改定を唱え、対米自立派が日本国憲法を守ろうとするのは、このためである。

これは矛盾でなく、日本国憲法の制定過程によって生じた「ねじれ」である。

1947年以降、日本民主化は中止され、非民主化=反共化の嵐が吹き荒れた。

米国で1950年から54年にかけてマッカーシズム旋風が吹き荒れるのに呼応して、日本ではレッドパージの嵐が吹き荒れた。

日本は「逆コース」に転じてしまった。

その流れが現在まで残存している。

「逆コース」後の日本で実権を握ったのが、米国を頂点とする利権複合体である。

官僚機構、大資本、電波産業、そして利権政治勢力が手を結び、日本を実効支配し続けてきた。

この権力構造の打破が求められている。

米国による支配、官僚機構による支配、大資本による支配。

この基本構造を打破することが「日本政治刷新」の意味だ。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/146.html#c7

[お知らせ・管理21] 2019年03月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
46. 中川隆[-11087] koaQ7Jey 2019年3月29日 15:26:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[932]
最近、阿修羅掲示板の記事が google 検索できなくなりましたが何とかならないでしょうか?
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/551.html#c46
[リバイバル3] 中川隆 _ オーディオ関係投稿リンク 中川隆
157. 2019年3月29日 16:14:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[933]

高名なオーディオ評論家は信用してはいけない 1 _ 瀬川冬樹
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/312.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/451.html#c157
[リバイバル3] 高層マンションには住んではいけない 中川隆
38. 中川隆[-11086] koaQ7Jey 2019年3月29日 16:30:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[934]

空き家地獄の時代「もうタワマンは法律で禁止すべきである」
2019年2月12日 NEWSポストセブン


「タワマンは法律で禁止すべき」訴えの背景に空き家地獄の時代

 平成の30年間でもっとも変わった都心部の風景──それは20階建て以上の超高層マンション、いわゆる“タワーマンション”が雨後の筍のごとく聳え立ったことだろう。眺望のいいタワマンの高層階に住むことは人々の憧れにもなっているが、「いずれ大きな負の遺産になる」と危惧するのは、住宅ジャーナリストの榊淳司氏だ。

 * * *

 今年は5年に一度行われる総務省の「住宅・土地統計調査」の結果が発表される。この調査でもっとも注目されるのは空き家率だ。5年前の2014年の発表では、全国の空き家率は13.5%だった。

 野村総合研究所の予測値によると、今年発表される2018年の空き家率は16.1%となっている。さらに5年後の2023年には19.4%、2033年には23.7%まで上昇するという。わずか14年後には、日本中の住宅の約4戸に1戸は空き家になっている──これは、ほぼ確実視できる未来図なのだ。

 空き家率の上昇は、地方や遠隔郊外だけの現象ではない。東京や大阪といった大都市の近郊でも空き家が増えることは確実だ。すでに人口増加時代に開発された「ニュータウン」的な街では空き家が目立ち始めている。また、現在は街の成長期にある東京の湾岸エリアでも、20年後には急速に空き家が増加するのではないかと予測できる。つまりはニュータウンと同じ運命をたどるということだ。

 しかし、それでも日本という国は新築の住宅を作り続けている。木造の一戸建てはもちろん鉄筋コンクリート造の分譲マンションも、その数は減少気味とはいえ毎年7万戸前後が市場に供給されている。

 首都圏においては、市場に供給される新築マンションに占めるタワーマンションの割合が、おおよそ4戸に1戸と高くなっている。特に湾岸の新興埋立地エリアでは、販売される大半の新築マンションがタワータイプである。

 東京の湾岸エリアでも比較的歴史の長いエリアではさほどでもないが、もっとも新しい部類に入る有明地区では、圧倒的にタワーマンションが多い。タワマン以外の分譲マンションは例外といってもいいほどだ。なぜそういうことが起こるのか?


 ここ数年、マンション市場を眺めていると“タワマン嫌悪派”と呼べる人々の行動や言動が目立ってきた。彼らがタワマンを嫌う理由は「空が狭くなる」、「不健康そう」、あるいは「見栄っ張りが住んでいる」とか「建物が醜悪」というようなことが多い。

 そういった人々は、自分の住んでいるエリアでタワーマンションの建設計画が持ち上がると、必ず反対派に回る。東京の湾岸エリアでも明治時代から人が住み始めた月島エリアではタワーマンション建設への根強い反対運動が起きている。あたり前だが、彼らにとって近所にタワーマンションが完成することによるデメリットは大きい。だから反対する。

 一方、新興埋立地である江東区の有明エリアには、今のところタワーマンションの居住者しか既存の住民がいない。だから、反対運動も巻き起こらない。

 タワーマンションを建設することによるメリットは、意外と少ない。もっとも大きな理由は土地の有効活用だろう。限られた面積の土地に多くの住宅を作ることができる。あとは、高層階に住む人にとっては開放的な眺望が得られる。

 もうひとつメリットを無理に挙げるとすれば、タワマンは規模が大きくなるケースが多いのでエントランスや共用施設を豪華にすることができる。有明のタワーマンションには屋内プールのついた物件も多い。一部の人しか利用しないプールの維持費を全区分所有者で負担しているのだ。

 多くの人はタワマンの様々なデメリットに気づいていない。

 まず、タワマンは普通の板状型に比べて住戸の造りがスカスカである。外壁は軽量気泡を用いたALCパネル、住戸間にはコンクリートの入っていない乾式壁が使われている。鉄筋コンクリートは建物を支えるために太く造られた柱と床(天井)にしか用いられていない。だから隣戸の生活音が聞こえやすい。あるいは外壁と躯体の隙間から雨漏りが生じやすい。

 いってみれば、タワーマンションは柱こそ太いが、その他は軽量な材料で作られた簡易住宅といってもいい建造物なのだ。

 さらに、タワーマンションの歴史は実質的にまだ20年程度。2回目の大規模修繕を終えた物件はほとんどない。エレベーターや配管類の交換を行うべき築30年前後の第2回大規模修繕について、我々は未だにノウハウを持っていない。それを考えると、タワーマンションという住宅建造物は、まだ完成品とは言い難い。私から見れば、かなり危うい住形態でもある。


 最初に述べたように、日本は今後深刻な住宅余剰に悩まされる。4戸に1戸が空き家になる未来が迫っているのに、新築住宅を無闇に作る必要はない。特に、土地が余っているからという理由で湾岸エリアにタワーマンションなど作るべきではない。

 仮にそういうタワーマンションを購入してしまったら、20年後あるいは30年後には資産価値の大幅な下落だけでなく建物としての存続すら危ぶまれるかもしれない。

 日本はひとまずタワーマンションの新たな建築を禁止すべきではないか。これは極端な主張のように思えるかもしれないが、世界の基準からすると正論に近い。ヨーロッパの多くの国では20階どころか、10数階の高層住宅さえも法律で規制しているケースが多い。特に高層住宅での子育てを禁止している国もある。

 冷静に考えれば、今の日本でタワーマンションを新たに建造する理由はほとんどない。あるとすれば、それを開発するデベロッパーが儲かるからである。あるいは、タワーマンションができるとその建物と住む人から税金が取れると目論む、一部の地方行政機関の思惑である。

 じつのところ、彼らは30年から40年先に大きなお荷物を抱えることになるという未来を、まったく理解していない。タワーマンションは普通のマンションよりも階数が高い程度にしか理解していないのだ。

 結論を述べよう。タワーマンションの建造は、法律で即刻禁止すべきである。そうしないと、我々は子孫の代に大きな負の遺産を残すことになる。
http://news.livedoor.com/article/detail/16007393/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/654.html#c38

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
28. 中川隆[-11085] koaQ7Jey 2019年3月29日 16:44:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[935]

JBL 4343 逆位相? シングルアンプセッティング編2014年9月23日
https://nack-audio.com/wordpress/jbl-4343-setting/

こんにちは ナックオーディオ中村です。

先日もこのブログに書きました私の JBL4343 がやっとこさ復活できました。

今日はちょっと時間ができたので当店ストックオフィスで鳴らす為のセッティングをしてみようかと思います。

そしてJBL4343の課題とも言える「位相について」「定位について」いろいろ探ってみます。

まずはこんな感じの配置で設置させます。

LRのスピーカーセンターからの幅は 約190cm ホントならもう少しLRを離したかったのですが、オフィスの狭さもあってリスニングポジションまでの距離が約3m程度と言う事で、これ以上左右の距離を離すと定位が定まりにくいので、泣く泣くLRの距離を詰めた感じです。

欲を言えば、リスニングポジションをあと1m離したい。。。
欲を言えば、背面壁からの距離をあと30cm離したい。。。

設置の足元はこんな感じに。。。

ホントはオーディオボードにTAOCスタンドで行く予定だったのですが、急遽高さを持ち上げる事にしたため、応急的に用意した重量コンクリートブロック、その上に3cm厚のバーチ集合材を2枚合わせました。このバーチ材も重量が結構あるのですが、手でコンコンと叩くと割と響いた為、またまた応急的に5mm厚のラバーシートを挟み込んで反響を緩和させます。

今度時間があるとき、改めて設置を検討します。。。

そして用意したアンプはMcIntosh MC275 オリジナルです。
管はGECのKT88です。

プリアンプは使用せず、PAF製のパッシブアッテネーターを使い、よりMC275の感じを出したいと思います。

スピーカーケーブルは WE 16GA です。

特に優秀なケーブルではありませんが、色付け無くフラットで落ち着きある定位が出せるケーブルですので個人的に気に入って使っています。

過去に4343を鳴らした時にはトランジスタのMC2500シルバーパネルを使っていたのですが、前々からMC275で4343を鳴らしてみたかったので、今回あえて真空管アンプを試します。

この JBL4343
とりあえず接続すれば音は出ますし、一応JBLらしいニュアンスは奏でます。
しかし、この4343をバランス良く鳴らすにはいろいろ試さないといけない事があります。

ちょっと前にこのブログでも書いたのですが、この時代のJBLユニットは位相が現在のホームオーディオ用スピーカーとは解釈がまったく違っており、各ユニット個々に位相が違っていたりします。

そして、その個々のユニットの位相特性を設置環境やメイン音源(個人の基準音源)に合わせて「ちゃんと」鳴るように見直す必要があります。


前記事「JBL 4343 逆位相? ハッキリさせようじゃないか!」
http://nack-audio.com/wordpress/jbl-4343-1


JBL 4343 の話題となると、必ず耳にするのが「まともに鳴ってる4343を聴いた事がない」という話。。

ちょっと言い過ぎだと思いますが、あながちウソではない話なんです。
この4343が販売された当時の状況から始まる話なのですが、以前の記事にも書いた内容になるので今回は割愛させていただきます。

そして4343を突き詰めると、やはりシングルアンプ接続では「無理」という結果にたどり着きます。

そんなの私自身とうに理解していますし、私だけじゃなく多くの方がシングルに限界を感じ、4343のポテンシャルを求めてマルチ接続、バイアンプ接続にたどり着きます。

【JBL 4343(3143)オリジナル回路図】は こちら をご覧ください。

http://nack-audio.com/wordpress/wp-content/uploads/2014/03/31432.jpg

(資料として掲載しますね)

今回この4343を設置させるにあたって私なりの課題を考えたんです。
それが「真空管アンプシングル接続で4343をどこまで鳴らせるか?」

とは言ってもやれる事と言えば、ユニットの接続を数パターン行い、どういった接続をすれば「位相」「定位感」が一番落ち着くか?を検証するだけなんですが。

まず、ネットワークがどうなっているのかを簡単にチェックしておきます。
シングル時バイアンプ時の違いも。

ウーファーユニット2231A ミッドバスユニット2121 このユニットは逆相ユニットです。

端子の赤+/黒-で接続し電気が流れればコーンが引っ込むって事です。

私の経験上、やはりJBLらしさを発揮させるにはウーファーユニットは確実に正相で鳴らさなくてはダメです。

特に15インチ(38cm)ウーファーは絶対正相でないと、あの低域の音圧と量感が薄れますので。

逆相でも好まれる方も稀にいますが、低域が整いすぎると言うか、マイルドになる傾向なんですが、JBLの低域にマイルドさを求めること自体が私の好みじゃないだけなんですけどね。。

とりあえず、基本ウーファーを正相接続とした数パターンの接続方法(結線方法)を試してみる事にします。

それぞれの接続の印象や感想はあくまで私個人の見解なので、人によってはまったく違う見解がありますので、これを参考程度と思ってくださいね。


【 パターン1 】
2231Aウーファー正位相接続(赤黒逆)
2121ミッドバス正位相接続(赤黒逆)
アンプ 正位相接続(赤黒順接続)

とりあえず4343らしいニュアンスは一応鳴ります。
低域と中域とのつながりの悪さがかなりあります。
アッテネーターでミッド中心にどう調整しても低域とのつながりがぎこちない感じです。

中域を誇張すればするほど2121の「紙コーン」の安い音に聴こえる。
印象としてはウーファー高域とミッド低域が離れすぎている感じです。
高域〜超高域にかけては定位感も良くまとまりがいい印象


【 パターン2 】
2231Aウーファー正位相接続(赤黒逆)
2121ミッドバス正位相接続(赤黒逆)
アンプ 逆位相接続(赤黒逆接続)

ウーファー低域が妙にもたつきます。
ベースラインのモ〜モ〜鳴る感じはそんなに悪くないが、その分歯切れがとても悪い感じ

低域と中域とのつながりもパターン1同様に良くない
中域〜高域2420ドライバーホーンとのつながりはなぜだかとても良く感じる。
しかし、高域〜超高域にかけて妙に定位が定まらない。
FiHi感が妙に増し高域〜超高域の定位感が散らばってる感じがする。

高域〜超高域はやはりアンプの逆接続に向かないかもしれない。


【 パターン3 】
2231Aウーファー逆位相接続(赤黒順接続)
2121ミッドバス正位相接続(赤黒逆)
アンプ 逆位相接続(赤黒逆接続)

低域〜中域にかけてのつながりは一番スムースに感じる
音量や音源にもよるが、低域〜中域の定位感が一番いい接続かもしれない。
ただ高域〜超高域にかけてがパターン2同様に散らばっている。

特に女性ボーカルのライブ音源なんかでは気持ちが悪いくらい高域の定位が定まらない

カメラ(写真)で言えば色合いは出てるが、ピンボケしてるイメージ。
私的にはちと却下

【 パターン4 】
2231Aウーファー正位相接続(赤黒逆)
2121ミッドバス逆位相接続(赤黒順接続)
アンプ 正位相接続(赤黒順接続)

ミッドだけ逆位相となる接続
数パターンの中ではトータル一番まともに鳴ってる感がある
低域〜中音域にかけてのつながりに多少距離を感じるが、JBLらしいドンシャリだと言えばそう聴こえなくもない

中音域〜高域にかけてもそんなに悪い感じがしないが、アッテネーターで中音域を補正する考えを欲張ると、2121の紙コーンっぽさが出てくるで注意
(YAMAHA NS-10Mの感じと言えばよいか)

【 パターン5 】
2231Aウーファー逆位相接続(赤黒順接続)
2121ミッドバス逆位相接続(赤黒順接続)
アンプ 正位相接続(赤黒順接続)

いわゆる販売時に多くみられるユニット接続にアンプ順接続
一応全体的にはJBL4343らしいニュアンスは鳴ってくれるが、すべての音域のつながりが良くない。


音域全体的に対してモノ申したくなる感じ
特に低域は量感だけは感じるが、ただモ〜モ〜いってる印象

当時高級スピーカーだった4343を、これで満足している人が多かったのが不思議に思えるくらいです。

他にも数パターン試しましたが、記事にするまでもない論外な結果、無駄な労力です。

以上のパターンを試した結果【パターン3】【パターン4】がまだまともな結果に思えました。

私個人の嗜好で【パターン4】でしばらく鳴らしてみようかと思います。
エッジも張りなおしたばかりですので、時間が経てばもう少し低域〜中音域も良い方向に鳴ってくれるんじゃないかとも思えますので。


結果として

やはり4343は位相に特化した外部ネットワークを用いて、バイアンプで鳴らすのが一番いいですねぇ

単純なシングルアンプで内部ネットワークを使うだけでは全然物足りない(補えてない)感じです。

しかし、4343のポテンシャルを引き出せば引き出すほど「モニター」色が濃くなる音色ですので、自宅のリスニングスピーカーとしてはちょっと不向きなのでは? とも、正直少し思ってしまいます。

やはり4343をカッチリ鳴らすにはセッティングや位相、定位、云々もありますが、単純にJBLの音に対して強いこだわりが無いと、ただの聴き疲れスピーカーになってしまう可能性も大きいですねぇ。。

でも、やっぱいいなぁ。 カッコイイです JBLサウンドって。

JBL 4343 をただなんとなく鳴らしているオーナーの方
ユニットのセッティングについて 一度試してみてはいかがですか?
https://nack-audio.com/wordpress/jbl-4343-setting/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c28

[近代史3] 高名なオーディオ評論家は信用してはいけない _ どうしようもないダメスピーカー JBL 4343 がバカ売れした理由 中川隆
29. 中川隆[-11084] koaQ7Jey 2019年3月29日 16:45:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[936]

音機館ロック大阪|オーディオ史に残る銘スピーカー JBL4343 2016/06/6
http://onkikan-rock.com/2016/06/06/jbl4343/

今回は、「我が国の」オーディオ史に残る銘スピーカーを取り上げます。
それは、JBLの4343。

我が国で、オーディオ・ブームの渦中にあって、当時、大変な高額スピーカーであったのにも係わらず、
一説には約20,000セットも売れたというベストセラー・スピーカー。

jbl4343

1・JBL・4343との出会い

筆者は1965(昭和40)年生まれであることから、1970年代のオーディオ・ブームを経験して育ちました。

そうは言っても、筆者がオーディオに意識的になり、オーディオ・ファンになったのは1978(昭和53)年のことです。

筆者が、オーディオ・ファンになったのは、その前年、下記のことによります。

1977(昭和52)年の春に筆者は洋楽ロックを聴くようになり、生まれて初めて自発的に音楽を聴き始めました。
小学6年生のことでした。

それで、小学校が夏休みになって間もない時期、7月下旬のことでした。

筆者は友人宅に遊びに行き、レッド・ツェッペリンの「Rock and Roll」のライブ・バージョンを友人に聴かされ、
強い衝撃を覚え、レッド・ツェッペリンの大ファンになりました。

筆者がそれまで好んで聴いていたビートルズ、キッス、クイーン等々は歌モノ・ロックだったのですが、
レッド・ツェッペリンは極めて器楽性の強いロック・バンドでした。ボーカルまでが楽器の一部として
機能していることを肌で実感したものです。

それから筆者は、ビートルズのレコードと共にレッド・ツェッペリンのレコードを収集し始めたのですが、
その初冬にレッド・ツェッペリンに関して気づきました。

(レッド・ツェッペリンとは、音の質感で勝負するロック・バンドだ)、と。

当時、筆者の家にあったオーディオ装置は、小さなポータブル・ステレオと新品のラジカセがあったのみ。
(これでは、レッド・ツェッペリンの音楽を聴くのに不十分だ)、ということを簡単に理解しました。

それで、小学校から中学校に進学する春休みに、筆者は1952(昭和27)年生まれでオーディオ・マニアの従兄宅に行き、
従兄が購読していた「ステレオ・サウンド」を何冊か見たのですが、JBL・4343が表紙で、
JBL・4343について少々記事になっている号を貪り見ました。少年の筆者にとって、JBL・4343は、
先ず最初に雑誌の写真から始まったのです。機能美がこの上なく美しいJBL・4343に筆者は、一目惚れをしました。

(JBL・4343の音を聴いてみたい)、そう思う変声期前の少年に神様は、4343を聴く機会を与えてくれました。

中学1年生の夏の終わりのことでした。筆者は、意を決し、『LED ZEPPELIN W』のレコードをたずさえ、
オーディオ店の入り口のドアを開けました。

すると、店員さんが笑顔を見せながら、私の4343の音を聴かせてくれたのです。プリ・アンプがマッキントッシュのC32。
パワー・アンプが同、MC2300。アナログ・プレーヤーはガラード301。

(一体、どんな人が買うんじゃい?)、という、ハイエンド・オーディオ・システムで、先ずは店員さんが、
マイルス・デイヴィスの『Kind of Blue』のレコードをかけました。

私は後に大のジャズ・ファンになることなど想像もせず、『Kind of Blue』を聴きました。

ただ、演奏がアコースティックであるが故に、眼前でマイルスたちがプレイしているかのような錯覚に陥りました。

それから店員さんは、私が持参した『LED ZEPPELIN W』のA面をかけてくれました。「Staiway to Heaven」の
ロック・パートは、もう信じられないようなサウンドでした。

そして、筆者はその後、初秋にテクニクスのコンポーネント(30万円)を導入したのですが、
(将来は、必ずJBLを、マッキントッシュを手に入れてみせる)、と心に誓いました。

2・JBL・4343

4343JBL

今さら、4343についてのご説明は不要でしょうし、オーディオ初心者の方でも検索をかければ、
4343に関する詳細は分かるものと思います。

筆者は、2001年に、経済的にも余裕が出来て、オーディオ道を邁進し始めたのですけれども、本当は上記の経験から
アルニコ仕様の4343が欲しかったのですが、訳あって4344になりました。今は自作JBLのスピーカーを使用していますが。

ただ、筆者の4344奮闘経験を踏まえて4343等について、ご説明したいことがあります。

4343や4344のネットワークを見ますと、中高域と低域のつなぎが非常にぞんざいで、いずれにしても
中高域と低域に分割してのマルチ・アンプ駆動(アクティブ・バイ・アンプ駆動)が最初から前提になっているのです。

4343はJBLが純然たるスタジオ・モニター・スピーカーとして開発をしたのですが、4343より前に出された4350は、
最初からマルチ・アンプ駆動(アクティブ・バイ・アンプ駆動)が前提。

すなわち、4343もほぼ同様な発想でつくられており、スタジオ内にパワー・アンプが1台しかない場合、
あるいは、マルチ・アンプ駆動(アクティブ・バイ・アンプ駆動)が面倒だ、という場合を考慮して、
かなりやっつけ仕事的な中高域と低域をつないだネットワークになっています。

従いまして、4343や4344をお使いの方は、マルチ・アンプ駆動(アクティブ・バイ・アンプ駆動)で鳴らして下さい。
筆者は、4344を4ウェイ・マルチ・アンプ駆動にまで発展させました。

今、筆者の友人で、アルニコ仕様の4343を、低域にMC500、中高域にMC275を用いて鳴らしている人がおりますが、
私は、その4343で『Kind of Blue』を聴く度に、上記の少年時代の体験を思い出します。

男が愛するものにはロマンがなくてはなりません。

オーディオには、ロマンがたくさんつまっています。

皆様もロマンを大いに楽しんで下さい。

(文 葛西唯史)
http://onkikan-rock.com/2016/06/06/jbl4343/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/311.html#c29

[リバイバル3] 高層マンションには住んではいけない 中川隆
39. 中川隆[-11083] koaQ7Jey 2019年3月29日 18:53:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[937]

タワーマンションは「超高層レオパレス」である - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=bOzn2v8mnVE


2019/03/26 に公開


レオパレスの建設したアパートが
建築基準法違反レベルの状態である、
ということが大きな問題になっています。
界壁がなかったり壁が薄かったり・・・
隣の生活音が丸聞こえである、
という指摘もたくさんあるようです。

実は、ブームになっているタワーマンションは
構造的にレオパレスと類似した状態であることが
世間ではあまり知られていません。
構造上、壁を薄くしなければいけないのが
日本のタワマンである、という現実を
榊淳司がズバリ指摘しています。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/654.html#c39

[昼休み53] 京都にだけは住んではいけない 中川隆
16. 中川隆[-11082] koaQ7Jey 2019年3月29日 19:00:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[938]

榊淳司が語る、私の「京都嫌い」 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Vs2Har_WTPs


2019/03/25 に公開


京都生まれ、京都育ちの榊淳司。
でも、決して京都に戻ることはない。
なぜか?
それは京都が嫌いだから。
具体的には京都人の社会を
「面倒くさい」と考えているから。
その思いのたけを語ってみました。

関連ブログ
http://www.sakakiatsushi.com/

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/918.html#c16

[地域13] 知ったら住みたくなるケンミン性 (第6回)魅力度ランキング2位「京都」に住んでわかる理想と現実 軽毛
28. 中川隆[-11081] koaQ7Jey 2019年3月29日 19:01:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[939]

榊淳司が語る、私の「京都嫌い」 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Vs2Har_WTPs


2019/03/25 に公開

京都生まれ、京都育ちの榊淳司。
でも、決して京都に戻ることはない。
なぜか?
それは京都が嫌いだから。
具体的には京都人の社会を
「面倒くさい」と考えているから。
その思いのたけを語ってみました。

関連ブログ
http://www.sakakiatsushi.com/

http://www.asyura2.com/09/ishihara13/msg/777.html#c28

[昼休み52] 皇族初夜の儀式 中川隆
58. 中川隆[-11080] koaQ7Jey 2019年3月29日 19:37:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[940]

皇族の性処理はタブー?天皇のセックス事情 2018年12月18日
https://thepartner.jp/3114


最近、小室圭さんと眞子様の婚約発表&延期や、新たな元号の発表でも話題の皇室。外からはうかがい知ることのできない世界ですが、そんな世界だからこそ気になってしまうの皇族のセックス事情。

天皇の初夜の迎え方や、やり方に関して特別なルールがあると言いますが、実際の所どうなのでしょうか。今回は、皇族のセックス・性処理事情について、歴史を踏まえて解説していきます。

天皇のセックスに関するしきたり

皇族には、代々の天皇から口頭で直接セックスに関する申し送りをするしきたりがあると言われています。これには皇室ならではのセックスに関する風習などが多く含まれており、初夜の作法、体位、出産しない時期の避妊法など多岐にわたります。

結婚をして、初夜を迎える者に対して代々申し伝えられているという仕組みです。こうした儀式・しきたりは、主に大正天皇の時代まで続けられていたと言われており、形式に変化はありつつも長い歴史の間続けられてきたと考えられています。

巫女の存在

こうしたしきたりの中でも重要な存在が、巫女です。皇室には巫女と呼ばれる女官が存在し、性において重要な役割を果たしてきました。女官は皇族の世話をおこなう女性たちのことで、性に関するものを含め多岐にわたる領域で役割を担ってきました。

皇室のセックスにおいては、巫女が重要な役割を果たしてきたと言われていますが、たとえば皇族の初夜において巫女がともに入浴するなど、数々の儀式において側には巫女がいたようです。

では、こうした儀式について見ていきましょう。

皇族の初夜の迎え方

皇族のセックスは巫女が手助けしますが、そのための準備や作法など、皇族の初夜はやらなければいけないことがたくさんあります。

初夜の床入りの際に白餅を用意しなければならなかったり、花婿と花嫁、巫女の3人で入浴をする入浴潔斎の儀など、皇族ではない私たちにとっては耳慣れないものばかり。

みそぎ

みそぎは皇室代々の風習で、皇族の直系男子である皇太子が、年頃(15歳から18歳頃)になると、性技に長けた巫女から性に関する技術を学ぶものです。

いわるゆる筆おろしの行為であり、このみそぎを担当した女官が巫女として、皇室男子の花婿とともに入浴をします。

入浴潔斎の儀

この入浴のことを、入浴潔斎(にゅうよくけっさい)の儀と呼びます。巫女とともに風呂に入り、体中を清めてもらいます。この際、花嫁も花婿も巫女とともに入浴すると言われています。

すでに述べた通り、ここで入浴する巫女はみそぎにおいて花婿に性に関する手ほどきをしており、花婿の生殖機能を確認しています。皇室にとって家系を途絶えさせないことは重要な役割のため、入浴潔斎の儀よりも前にみそぎを済まして、生殖機能に問題がないことを確認していることが大事なのです。

初夜装束を身につける

その後、花婿と花嫁は初夜を迎えますが、この時に初夜装束と呼ばれる着物を身に着けます。これは入浴潔斎の儀をすませた花嫁花婿が、初夜のために着る白い着物のことです。

この着物にはその下には一切何も下着をつけないと言われています。

初夜の床入り

いよいよ初夜の床入りですが、これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、初夜の床入りの際には白餅を用意します。

花嫁花婿はこの白餅を食べあうことで、初めてのセックスで子宝に恵まれるように霊力を与えることが願われます。

露見

床入りをへてセックスに至りますが、この際には介添人が、花嫁花婿のセックスの場に立ち会い、一部始終を見届けます。

またセックスが終わったあとは、寝所の扉を開けて、壁代と呼ばれる衝立を外し、寝具の上に並んで寝ている夫婦のシーツに処女の証である血がついているところを確認する役目も果たします。

現在の皇室におけるセックス事情は?

以上、皇室に代々伝わるセックスに関する話を紹介しました。皇室のセックスにおいては、巫女含めて3人で入浴をしたり、他人にセックスを見届けられなければいけなかったりと、一般人には驚きのしきたりが数多くあります。

もちろんこれらの儀式は、歴史的な皇室においておこなわれてたきもので、現在の天皇家において、どの程度まで続けられているかは不明です。一般的に、明治・大正天皇の時代までは儀式が重んじられていたと言われていますが、一部の儀式については現在も残っている可能性もあります。

ただし、人権意識が高まった現在においては、こうした儀式が天皇や皇室にとって負担になっている事実もあり、SPがついていたり、日々の行動が制限されているとはいえ、皇室や天皇も普通の人と同じような生活をすることが目指されていることから、あくまでも歴史的なセックスの儀式・しきたりだと考えていた方が良さそうです。
https://thepartner.jp/3114
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/851.html#c58

[昼休み52] 皇族初夜の儀式 中川隆
59. 中川隆[-11079] koaQ7Jey 2019年3月29日 19:40:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[941]
>>58
>いよいよ初夜の床入りですが、これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、初夜の床入りの際には白餅を用意します。

>花嫁花婿はこの白餅を食べあうことで、初めてのセックスで子宝に恵まれるように霊力を与えることが願われます。

昔、三宅さんから聞いた話 2012-11-16
あのころは、三宅さんに、竹村健一さん、飯島清さんが、


テレビで活躍中だった。

空港まで車で三宅さんを迎えに行った。

高速道路を走りながら車中で、


昭和天皇の話になった。


三宅さんが、日本史の江上波夫さんから聞いた話だと。

あの騎馬民族説の江上さんですね。


そう。

天皇陛下との晩餐で、歴史学者の江上波夫さんが、


昭和天皇に質問したそうだ。
陛下は、オフレコならばと前置きして答えられたそうだ。

Q:先祖は、どこから来たものだと思われますか?
A:朝鮮半島だと思う。
Q:どうしてそう思われますか?
A:皇室の重要な行事のなかで、お供えするもので、シルトックという餅がある。
これが、朝鮮半島由来のものだから、そう思います。

と答えられたと。


三宅さんは続けて、これはいまわれわれが普通に食べている、


もち米からの餅ではなくて、うるち米からつくる。


現在、文化庁は皇室の先祖の古墳を、保存という名目で閉鎖し公開してない。
古墳を公開すると、天皇家のルーツがはっきりするためだ。
と教えてくれた。


昭和天皇ゆかりの話をしたかったようだ。

いま、あのときの顔を思い出しています。

三宅さん、歯切れのいい話で、


日本の左傾化に歯止めを掛けていた。


やすらかにお眠りくださいますように。
https://blog.goo.ne.jp/akirakasan/e/a6f887959603d8e10b513314716d3643


http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/851.html#c59

[昼休み52] 皇族初夜の儀式 中川隆
60. 中川隆[-11078] koaQ7Jey 2019年3月29日 19:43:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[942]


天皇・皇室コミュの皇族初夜の儀式 2011年12月26日
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=16500&id=67001857

皇族初夜の儀式は束帯と十二単の正式な衣装をまとって宮中三殿の賢所で行う「賢所大前の儀」や、親と子の杯を交わす「朝見の儀」ら、
一連の結婚の儀をとどこおりなく終えると初夜を迎えるための準備「入浴潔斎の儀」を行う。

簡単に言えば、風呂に入って身を清めるということだが、花嫁は巫女と呼ばれる女官[正式には神社の娘(処女)だが、
実際は皇族に仕える中高年の女性が大半]と一緒に入浴する。

浴室に入ると花嫁は、仁王立ちのまま一切自分の体に手を触れてはならず、巫女が服を脱がせ、体の隅々まで洗う。

隅々というからには外側から触れることのできる内部(耳・口・鼻からアソコ・肛門など)にも手指を入れて清める。

これは暗に花嫁の生殖機能を確かめる意味合いも併せ持つと言われている。

ちなみに花婿も巫女と一緒に入浴し、同様に体を清めてもらうのだが、この時の巫女は花婿にとってみそぎ相手でもあり、
すでに生殖機能については確認済みということになる。

みそぎとはつまり筆おろしの意。これは皇族代々の風習で、皇族の直系男子は年頃(15歳から18歳)になるとみそぎを済ませる。
正式にはみそぎの段取りを教え込まれた巫女、つまり性技に長けた処女がお相手を務めるが、実際は経験豊富な熟女の女官になる。
入浴潔斎の儀を終えると「初夜装束」と呼ばれる白い着物に着替えて(その下には一切下着をつけない)いよいよ初夜の床入り。
これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、平安の時代から続く伝統的な儀式である。

まず、花嫁の歳の数だけの白餅を用意し、四枚の銀盤に乗せる。これを子宝に恵まれた老夫婦(主に子供のいる侍従上がりの人間)が
初夜の寝床に運んで供える。新婚夫婦はこの餅をひとつずつ食べてから行為に及ぶ。元々は3日間繰り返すものであったが、
近代は初夜のみとされる。要するに初めてのセックスで子宝に恵まれるよう霊力を与える儀式ということらしい。

さらに特筆すべきは、以上の儀式には夫と妻、それぞれの身分を保証する、一組の男女が介添人(仲人夫婦にあたる立場の人で
部屋の隅で行為の一部始終を見届ける)として立ち会っていることと、儀式が終了した(性行為を終えた)ということを知らせる露見という、
お披露目する点である。

露見とは、寝所の扉を開け壁代と呼ばれる衝立を外し、寝具の上に並んで座る夫婦の姿を廊下で待っていた親族に見せ、
行為終了後は再び初夜装束に着替え、寝具(厚手の布団)の掛け布団を外しシーツに処女の証である血がついているところを見せるのが
正式な方法である。

さらに皇族には「一世一代の秘事口伝」なるものがある。これは代々の帝が口頭で直接申し送りするもので…
その中にはセックスに関する風習も多く含まれており初夜の段取りから作法、体位、出産しない時期の避妊法などが伝えられている。

https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=16500&id=67001857

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/851.html#c60

[リバイバル3] 中川隆 _ 皇室関係投稿リンク 中川隆
26. 2019年3月29日 19:53:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[943]

皇族初夜の儀式「三箇夜餅の儀」 _ 朝鮮半島由来のシルトックという餅を使う儀式
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/313.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/458.html#c26
[近代史3] 皇族初夜の儀式「三箇夜餅の儀」 _ 朝鮮半島由来のシルトックという餅を使う儀式 中川隆
1. 中川隆[-11077] koaQ7Jey 2019年3月29日 19:55:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[944]

天皇霊について二三の事(メモ)


 天皇霊とはあまり聞いたことのない言葉かもしれないが、民俗学の創始において折口信夫博士が唱えた興味深い説の一つである。藤原氏の隆盛と他氏の没落の元となったことなのでここに置くこととした。


天皇霊とは、狭義にいえば天皇家の祖霊である。

祖霊はイエの祖先の御霊の集合体で、どのイエにも個々人にも存在し、さして特別なものではないが、天皇家の祖霊は大大和のうちでも最も力の強い祖霊であるとみなされ、とくに「天皇霊」と呼んだ。

天皇霊は天皇に即位するものに宿る。返していえば、天皇になるにはその霊を宿さねばならない。そしてそれを宿す儀式が即位後の秋に行なわれる「大嘗祭」 なのである。


 この大嘗祭の内容は秘中の秘で明らかにはされていない。しかし、ある程度のことは漏れ伝わってい て、それによれば天皇は殿中で三つの儀式を行なうとされる。


 一、「霊水沐浴」。白い帷子(天羽衣)をきて水風呂に浸かり、浴槽の中で着ている物を脱ぎ去る。

 二、「神人共食」。その年、悠紀田と主基田から取れた米を神と共に食する。

 三、「御衾秘儀」。衣に包まり眠る。


 この三つである。

 直接的に見ると、霊水沐浴は禊であり、天羽衣を脱ぎ去るのは地獄の「脱衣婆」が衣を剥ぎ取るのと 同じで、この世の穢れをすべて衣に移してしまい綺麗な体になることが目的である。

天羽衣の名は「日御子」のイメージからそう呼んだのであろうか、天皇が異人であることを強調している。

そして神人共食をすることでその「ケ」、つまり自然の力をその体内に取り込む。

また、御衾秘儀で神と共に添い寝することで「神婚」をするのである。

 異見として、これを「誕生の模倣」と見る向きもある。

つまり霊水に浸かり天羽衣を脱ぐことにより「羊水と胞衣からの離脱」を、「神人共食」で「歯固め」を、衣に包まることで「おくるみ或いはむつき」をあら わしているというのだ。

確かに「御衾秘儀」は『古事記』の「天孫降臨」に見られる「真床覆衾」(ニニギの 命があまりにも幼かったので天から降ろすときに包んだオクルミのこと)に比定されるのは揺るがないところだと思われる。多面的に見た場合そういう意味合いも含まれているのは否定はできないが、まずは 単純に見るべきであろう。

 最後の三、は古代中国にも見られる風習であると白川静先生が述べられているのを読んだことがあるし、古代バビロニアにも神降ろしの巫女との「神婚」による王位継承がなされたことをご指摘いただいてもいるので、おそらくこの御衾秘儀は相手のあって行われたものである可能性もある。

ではこの相手は誰か。

思うに「伊勢斎王」なのではないだろうか。

伊勢斎王は天皇の即位のたびに新しくなる。仕事は といえば伊勢神宮に天皇の代わりに年三度の奉幣をするだけである。だがこの斎王にはもっと重要な 仕事、「神降ろし」をするための、天皇霊の依り代であったのではないか。

柳田國男先生は

「神を降ろす には巫女とこの言葉を伝える司祭が必要であった。」

と述べられている。これは天皇と斎王の関係をよくよくあらわしている。

斎王は天皇霊をその身に降ろし、天皇はその口から発する言葉に従い政(まつり ごと=祀り事)を行なう。『魏志倭人伝』に描かれた卑弥呼とその弟の関係にそっくりではないか。(斎 宮と天皇の「神婚」は近親姦というタブーを神を介することで神聖化している。)

折口信夫先生によれば 「神婚」は神降ろしの巫女との添い寝と、先帝(の骸)との添い寝が考えられるとおっしゃっておられる。

エロスとタナトスが交錯する儀式。

いずれにしても、いつまでそのようなことをやっていたかは知る由もな く、その後はもっと形ばかりになり、先帝の御衣を身にまとうばかりとなったのだろう。

 これにより分かることは、天皇には二度の即位儀礼があるということである。

はじめは「即位礼」。そして「大嘗祭」。

即位礼は中国の皇帝の即位式を真似たもので、いわば対外的に見せる「昼の儀」であ る。

一方、大嘗祭は夜に秘して行なわれる「夜の儀」で、天皇を天皇足らしめる為の儀式はこちらなの である。


 ではこの天皇霊はどのように創造されたのか。

おそらく大化の改新以後、天智天皇から聖武天皇の 在位中に、祭祀を司っていた中臣氏により成形されたと推定される。それまで一大王家の祖霊であった 神を様々な工程を経る事で、日本全体を覆うまでの巨大な霊体に仕立てるのだから並の作業ではなか ったはずだ。それは取りも直さず「天皇霊=国家神」の創造であり、その先には「現人神」という危うい 一面も内包して誕生した思想であった。

 大化の改新以前でも天皇家(正しくは「大王家」であるが)の祖霊は特別な扱いを受けてきたが、けして国家の神ではなかった。そして天皇家の祖霊を祀る御諸山、いわゆる三輪山での祭祀は他氏と同じように族長たる天皇自らが司っていたのである。

そう、実は伊勢神宮が天皇家の祖霊を祀る地になったのは、そのかなり後になってからのことで、それまでは御諸山が天皇の祖霊の坐ます地(今でもお盆 には死者が山から帰ると言い伝えられる地域もある)であった。

この「天皇家の祖霊」を「国家神」とし、 御諸山から伊勢へと遷したのは、思金命を祖とする中臣氏であった。

古来より、中臣氏は忌部氏と共に 祭祀を職掌としいたが、両氏が祭祀してきたのは「国の霊(いまだアミニズムが抜け切らない自然と一体になっている神)」で、けして天皇家個人の祖霊ではなかったはずである。ところが、いつしか「天皇家の祖霊」は「国家の神」となり、両氏はこれを祭祀するようになっていたのである。

中臣鎌子が中大兄皇子の側近となり名を藤原鎌足に改めた頃から、不十分であった「大王」から「天皇」への移行を完全なも のにするため、様々な試みがなされている。「天皇家の祖霊」を「国家の神」と成すべく、中臣(藤原)氏 が奔走したのもその一端であったと見られる。

 まず、今までの歴史を再編することからこの作業は始まった。

天皇家の始祖を「日の光の神=アマテルの神」とし(これは元々そう云われていたのかもしれない)、これを天上の最高神にした。

と同時に『アマテラスオオミカミ』と改められた神の名は、天皇家の祖霊に付けられた名前でもあった。

この神を、三輪山から伊勢へと移したのもこの頃である。

なぜ伊勢か?

疑問はあるが、太陽神を日の昇る地、どこよりも早く日が拝せる地に祀るのは自然な考えであろう(鹿島神宮も香取神宮も海が近く、東が開けてい る。)。

元々伊勢は磯部氏の所領であったが、天皇家に献納され(というより壬申の乱で取り上げられた)、条件がよいとして遷宮の地と白羽の矢が立ったらしい。わざわざ遷宮させたのは、天皇家の神か ら国家の神へと変貌させるため、旧来染み付いた「祖霊」の記憶から切り離す意図があったのだろう。

三輪山は「大王家の祖霊を祀った地」の記憶を払拭するかのように、大国主命の和霊「大物主命」を祀り、のちに大田々根子(大三輪君)の一族にこれを祀らせている。寺山修二が「書き換えられない過去 はない」といったというが、まさに天皇家として新たな一歩を踏み出すためにすべての過去は都合の良いよう書き換えられた。

この功が認められてか、すでに奈良後期に中臣氏は朝廷で祭祀をつかさどる神祇官で重きをなし、平安初頭には神祇の官位を独占しいたため、他氏の介入は皆無となっていた。

これを憂いた斎部広成は『古語拾遺』を著し、史書の誤謬を指摘し、古来からの職掌の重要性を説き、 中臣氏の専横の非を論じたが、その後も改善は見られなかった。(少々脱線をする。この祭祀を司った 中臣氏と忌部氏、あるいは軍事を司った大伴氏と物部氏(衰退ののちに佐伯氏)など特定の職掌には必ず専らとする家が二つある。これは天皇が新たに即位するたびに斎王が入れ替わるように、各職掌の家も入れ替わったため「二家」あるのではないか。

時代が下るとその制度自体も明確さを失い、上記のようなことが起こったのである。膳部を任されていた安曇氏と高橋氏の争いも『高橋氏文』の上奏にまで発展している。)

「天皇霊」は稲の霊である。このような見解もある。なぜ「大嘗祭」に天皇霊を降ろすのか、という疑問に 対し、かなり傾いた答えではあるが、納得できる点も多く存在する。

 天皇はまず「神人共食」をし、その身に天皇霊を降ろす。

そうすると、本朝でもっとも強い「ケ」の塊で ある天皇霊は、天皇の身の中に充満する。「ケ」をたくさんに取り込んだ天皇はこれを小分けにし、「幣帛」にこめて、これを各地に配布する(奉幣)ことにより、ケが枯れていた各地に天皇霊が撒かれれ、国 はまた再生するのである。(民俗学講義になってしまうが、ここでいう「ハレ」と「ケ」と「ケガレ」は今一般 化されている「日常・非日常」の考え方とは違っている。

「ケ」は一種のエネルギーであり、生活をしてい るとだんだんに減ってくる。これが涸れて無くなると「ケ・ガレ」の状態となる。この状態を元に戻すため、 「ハレ」を作り、「ケ」を集め取り込むのである。)つまり天皇霊がケガレを回復してくれるのである。

 戦後まもなく、昭和天皇が各地を巡幸したことがあった。この行為は荒野となった日本の国土を「反閇」して清め、天皇霊を撒くことで「ケ」で満たそうとしたのだとみられている。
http://www8.plala.or.jp/furan/page064.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/313.html#c1

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
193. 中川隆[-11076] koaQ7Jey 2019年3月29日 20:13:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[945]
皇族初夜の儀式「三箇夜餅の儀」 _ 朝鮮半島由来のシルトックという餅を使う儀式


厳かに執り行われる皇族の初夜。神武天皇の染色体だか遺伝子だかは、こうして受け継がれていった…


皇族初夜の儀式は束帯と十二単の正式な衣装をまとって宮中三殿の賢所で行う「賢所大前の儀」や、親と子の杯を交わす「朝見の儀」ら、一連の結婚の儀をとどこおりなく終えると初夜を迎えるための準備「入浴潔斎の儀」を行う。

簡単に言えば、風呂に入って身を清めるということだが、花嫁は巫女と呼ばれる女官[正式には神社の娘(処女)だが、実際は皇族に仕える中高年の女性が大半]と一緒に入浴する。

浴室に入ると花嫁は、仁王立ちのまま一切自分の体に手を触れてはならず、巫女が服を脱がせ、体の隅々まで洗う。

隅々というからには外側から触れることのできる内部(耳・口・鼻からアソコ・肛門など)にも手指を入れて清める。

これは暗に花嫁の生殖機能を確かめる意味合いも併せ持つと言われている。

ちなみに花婿も巫女と一緒に入浴し、同様に体を清めてもらうのだが、この時の巫女は花婿にとってみそぎ相手でもあり、すでに生殖機能については確認済みということになる。

みそぎとはつまり筆おろしの意。これは皇族代々の風習で、皇族の直系男子は年頃(15歳から18歳)になるとみそぎを済ませる。正式にはみそぎの段取りを教え込まれた巫女、つまり性技に長けた処女がお相手を務めるが、実際は経験豊富な熟女の女官になる。

入浴潔斎の儀を終えると「初夜装束」と呼ばれる白い着物に着替えて(その下には一切下着をつけない)いよいよ初夜の床入り。これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、平安の時代から続く伝統的な儀式である。

まず、花嫁の歳の数だけの白餅を用意し、四枚の銀盤に乗せる。これを子宝に恵まれた老夫婦(主に子供のいる侍従上がりの人間)が初夜の寝床に運んで供える。新婚夫婦はこの餅をひとつずつ食べてから行為に及ぶ。元々は3日間繰り返すものであったが、近代は初夜のみとされる。要するに初めてのセックスで子宝に恵まれるよう霊力を与える儀式ということらしい。

さらに特筆すべきは、以上の儀式には夫と妻、それぞれの身分を保証する、一組の男女が介添人(仲人夫婦にあたる立場の人で部屋の隅で行為の一部始終を見届ける)として立ち会っていることと、儀式が終了した(性行為を終えた)ということを知らせる露見という、お披露目する点である。

露見とは、寝所の扉を開け壁代と呼ばれる衝立を外し、寝具の上に並んで座る夫婦の姿を廊下で待っていた親族に見せ、行為終了後は再び初夜装束に着替え、寝具(厚手の布団)の掛け布団を外しシーツに処女の証である血がついているところを見せるのが正式な方法である。

さらに皇族には「一世一代の秘事口伝」なるものがある。これは代々の帝が口頭で直接申し送りするもので…その中にはセックスに関する風習も多く含まれており初夜の段取りから作法、体位、出産しない時期の避妊法などが伝えられている。

この儀式、少なくとも大正天皇までは行われていただろうと推測される。それにしても、一般人にとっては驚愕の事ばかりだ。他人に初夜の一部始終を見てもらい、終いには「血のついたシーツ」を見せなければならない。

何れにしても、穢れを基本とした内容は、朝鮮半島からの影響が大きいと思われる。


歴代天皇で妾が一番多いのは、嵯峨天皇で29人。毎日違う女性を相手しても1ヶ月かかる。以下、桓武天皇が26人、清和天皇が25人、亀山天皇が21人、後醍醐天皇が20人となっている。金正日の喜び隊なみなのだ。
http://anarchist.seesaa.net/article/11013180.html


▲△▽▼


皇族の性処理はタブー?天皇のセックス事情 2018年12月18日
https://thepartner.jp/3114


最近、小室圭さんと眞子様の婚約発表&延期や、新たな元号の発表でも話題の皇室。外からはうかがい知ることのできない世界ですが、そんな世界だからこそ気になってしまうの皇族のセックス事情。

天皇の初夜の迎え方や、やり方に関して特別なルールがあると言いますが、実際の所どうなのでしょうか。今回は、皇族のセックス・性処理事情について、歴史を踏まえて解説していきます。


天皇のセックスに関するしきたり

皇族には、代々の天皇から口頭で直接セックスに関する申し送りをするしきたりがあると言われています。これには皇室ならではのセックスに関する風習などが多く含まれており、初夜の作法、体位、出産しない時期の避妊法など多岐にわたります。

結婚をして、初夜を迎える者に対して代々申し伝えられているという仕組みです。こうした儀式・しきたりは、主に大正天皇の時代まで続けられていたと言われており、形式に変化はありつつも長い歴史の間続けられてきたと考えられています。

巫女の存在

こうしたしきたりの中でも重要な存在が、巫女です。皇室には巫女と呼ばれる女官が存在し、性において重要な役割を果たしてきました。女官は皇族の世話をおこなう女性たちのことで、性に関するものを含め多岐にわたる領域で役割を担ってきました。

皇室のセックスにおいては、巫女が重要な役割を果たしてきたと言われていますが、たとえば皇族の初夜において巫女がともに入浴するなど、数々の儀式において側には巫女がいたようです。

では、こうした儀式について見ていきましょう。

皇族の初夜の迎え方

皇族のセックスは巫女が手助けしますが、そのための準備や作法など、皇族の初夜はやらなければいけないことがたくさんあります。

初夜の床入りの際に白餅を用意しなければならなかったり、花婿と花嫁、巫女の3人で入浴をする入浴潔斎の儀など、皇族ではない私たちにとっては耳慣れないものばかり。

みそぎ

みそぎは皇室代々の風習で、皇族の直系男子である皇太子が、年頃(15歳から18歳頃)になると、性技に長けた巫女から性に関する技術を学ぶものです。

いわるゆる筆おろしの行為であり、このみそぎを担当した女官が巫女として、皇室男子の花婿とともに入浴をします。

入浴潔斎の儀

この入浴のことを、入浴潔斎(にゅうよくけっさい)の儀と呼びます。巫女とともに風呂に入り、体中を清めてもらいます。この際、花嫁も花婿も巫女とともに入浴すると言われています。

すでに述べた通り、ここで入浴する巫女はみそぎにおいて花婿に性に関する手ほどきをしており、花婿の生殖機能を確認しています。皇室にとって家系を途絶えさせないことは重要な役割のため、入浴潔斎の儀よりも前にみそぎを済まして、生殖機能に問題がないことを確認していることが大事なのです。

初夜装束を身につける

その後、花婿と花嫁は初夜を迎えますが、この時に初夜装束と呼ばれる着物を身に着けます。これは入浴潔斎の儀をすませた花嫁花婿が、初夜のために着る白い着物のことです。

この着物にはその下には一切何も下着をつけないと言われています。

初夜の床入り

いよいよ初夜の床入りですが、これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、初夜の床入りの際には白餅を用意します。

花嫁花婿はこの白餅を食べあうことで、初めてのセックスで子宝に恵まれるように霊力を与えることが願われます。

露見

床入りをへてセックスに至りますが、この際には介添人が、花嫁花婿のセックスの場に立ち会い、一部始終を見届けます。

またセックスが終わったあとは、寝所の扉を開けて、壁代と呼ばれる衝立を外し、寝具の上に並んで寝ている夫婦のシーツに処女の証である血がついているところを確認する役目も果たします。

現在の皇室におけるセックス事情は?

以上、皇室に代々伝わるセックスに関する話を紹介しました。皇室のセックスにおいては、巫女含めて3人で入浴をしたり、他人にセックスを見届けられなければいけなかったりと、一般人には驚きのしきたりが数多くあります。

もちろんこれらの儀式は、歴史的な皇室においておこなわれてたきもので、現在の天皇家において、どの程度まで続けられているかは不明です。一般的に、明治・大正天皇の時代までは儀式が重んじられていたと言われていますが、一部の儀式については現在も残っている可能性もあります。

ただし、人権意識が高まった現在においては、こうした儀式が天皇や皇室にとって負担になっている事実もあり、SPがついていたり、日々の行動が制限されているとはいえ、皇室や天皇も普通の人と同じような生活をすることが目指されていることから、あくまでも歴史的なセックスの儀式・しきたりだと考えていた方が良さそうです。
https://thepartner.jp/3114

▲△▽▼


>花嫁の歳の数だけの白餅を用意し、四枚の銀盤に乗せる。これを子宝に恵まれた老夫婦(主に子供のいる侍従上がりの人間)が初夜の寝床に運んで供える。

>新婚夫婦はこの餅をひとつずつ食べてから行為に及ぶ。

>いよいよ初夜の床入りですが、これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、初夜の床入りの際には白餅を用意します。

>花嫁花婿はこの白餅を食べあうことで、初めてのセックスで子宝に恵まれるように霊力を与えることが願われます。

昔、三宅さんから聞いた話 2012-11-16
あのころは、三宅さんに、竹村健一さん、飯島清さんが、


テレビで活躍中だった。


空港まで車で三宅さんを迎えに行った。


高速道路を走りながら車中で、


昭和天皇の話になった。


三宅さんが、日本史の江上波夫さんから聞いた話だと。


あの騎馬民族説の江上さんですね。


そう。


天皇陛下との晩餐で、歴史学者の江上波夫さんが、


昭和天皇に質問したそうだ。
陛下は、オフレコならばと前置きして答えられたそうだ。

Q:先祖は、どこから来たものだと思われますか?

A:朝鮮半島だと思う。

Q:どうしてそう思われますか?

A:皇室の重要な行事のなかで、お供えするもので、シルトックという餅がある。
これが、朝鮮半島由来のものだから、そう思います。


と答えられたと。


三宅さんは続けて、これはいまわれわれが普通に食べている、


もち米からの餅ではなくて、うるち米からつくる。


現在、文化庁は皇室の先祖の古墳を、保存という名目で閉鎖し公開してない。
古墳を公開すると、天皇家のルーツがはっきりするためだ。
と教えてくれた。


昭和天皇ゆかりの話をしたかったようだ。


いま、あのときの顔を思い出しています。


三宅さん、歯切れのいい話で、


日本の左傾化に歯止めを掛けていた。


やすらかにお眠りくださいますように。
https://blog.goo.ne.jp/akirakasan/e/a6f887959603d8e10b513314716d3643


http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c193

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
177. 中川隆[-11075] koaQ7Jey 2019年3月29日 20:14:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[946]
皇族初夜の儀式「三箇夜餅の儀」 _ 朝鮮半島由来のシルトックという餅を使う儀式


厳かに執り行われる皇族の初夜。神武天皇の染色体だか遺伝子だかは、こうして受け継がれていった…


皇族初夜の儀式は束帯と十二単の正式な衣装をまとって宮中三殿の賢所で行う「賢所大前の儀」や、親と子の杯を交わす「朝見の儀」ら、一連の結婚の儀をとどこおりなく終えると初夜を迎えるための準備「入浴潔斎の儀」を行う。

簡単に言えば、風呂に入って身を清めるということだが、花嫁は巫女と呼ばれる女官[正式には神社の娘(処女)だが、実際は皇族に仕える中高年の女性が大半]と一緒に入浴する。

浴室に入ると花嫁は、仁王立ちのまま一切自分の体に手を触れてはならず、巫女が服を脱がせ、体の隅々まで洗う。

隅々というからには外側から触れることのできる内部(耳・口・鼻からアソコ・肛門など)にも手指を入れて清める。

これは暗に花嫁の生殖機能を確かめる意味合いも併せ持つと言われている。

ちなみに花婿も巫女と一緒に入浴し、同様に体を清めてもらうのだが、この時の巫女は花婿にとってみそぎ相手でもあり、すでに生殖機能については確認済みということになる。

みそぎとはつまり筆おろしの意。これは皇族代々の風習で、皇族の直系男子は年頃(15歳から18歳)になるとみそぎを済ませる。正式にはみそぎの段取りを教え込まれた巫女、つまり性技に長けた処女がお相手を務めるが、実際は経験豊富な熟女の女官になる。

入浴潔斎の儀を終えると「初夜装束」と呼ばれる白い着物に着替えて(その下には一切下着をつけない)いよいよ初夜の床入り。これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、平安の時代から続く伝統的な儀式である。

まず、花嫁の歳の数だけの白餅を用意し、四枚の銀盤に乗せる。これを子宝に恵まれた老夫婦(主に子供のいる侍従上がりの人間)が初夜の寝床に運んで供える。新婚夫婦はこの餅をひとつずつ食べてから行為に及ぶ。元々は3日間繰り返すものであったが、近代は初夜のみとされる。要するに初めてのセックスで子宝に恵まれるよう霊力を与える儀式ということらしい。

さらに特筆すべきは、以上の儀式には夫と妻、それぞれの身分を保証する、一組の男女が介添人(仲人夫婦にあたる立場の人で部屋の隅で行為の一部始終を見届ける)として立ち会っていることと、儀式が終了した(性行為を終えた)ということを知らせる露見という、お披露目する点である。

露見とは、寝所の扉を開け壁代と呼ばれる衝立を外し、寝具の上に並んで座る夫婦の姿を廊下で待っていた親族に見せ、行為終了後は再び初夜装束に着替え、寝具(厚手の布団)の掛け布団を外しシーツに処女の証である血がついているところを見せるのが正式な方法である。

さらに皇族には「一世一代の秘事口伝」なるものがある。これは代々の帝が口頭で直接申し送りするもので…その中にはセックスに関する風習も多く含まれており初夜の段取りから作法、体位、出産しない時期の避妊法などが伝えられている。

この儀式、少なくとも大正天皇までは行われていただろうと推測される。それにしても、一般人にとっては驚愕の事ばかりだ。他人に初夜の一部始終を見てもらい、終いには「血のついたシーツ」を見せなければならない。

何れにしても、穢れを基本とした内容は、朝鮮半島からの影響が大きいと思われる。


歴代天皇で妾が一番多いのは、嵯峨天皇で29人。毎日違う女性を相手しても1ヶ月かかる。以下、桓武天皇が26人、清和天皇が25人、亀山天皇が21人、後醍醐天皇が20人となっている。金正日の喜び隊なみなのだ。
http://anarchist.seesaa.net/article/11013180.html


▲△▽▼


皇族の性処理はタブー?天皇のセックス事情 2018年12月18日
https://thepartner.jp/3114


最近、小室圭さんと眞子様の婚約発表&延期や、新たな元号の発表でも話題の皇室。外からはうかがい知ることのできない世界ですが、そんな世界だからこそ気になってしまうの皇族のセックス事情。

天皇の初夜の迎え方や、やり方に関して特別なルールがあると言いますが、実際の所どうなのでしょうか。今回は、皇族のセックス・性処理事情について、歴史を踏まえて解説していきます。


天皇のセックスに関するしきたり

皇族には、代々の天皇から口頭で直接セックスに関する申し送りをするしきたりがあると言われています。これには皇室ならではのセックスに関する風習などが多く含まれており、初夜の作法、体位、出産しない時期の避妊法など多岐にわたります。

結婚をして、初夜を迎える者に対して代々申し伝えられているという仕組みです。こうした儀式・しきたりは、主に大正天皇の時代まで続けられていたと言われており、形式に変化はありつつも長い歴史の間続けられてきたと考えられています。

巫女の存在

こうしたしきたりの中でも重要な存在が、巫女です。皇室には巫女と呼ばれる女官が存在し、性において重要な役割を果たしてきました。女官は皇族の世話をおこなう女性たちのことで、性に関するものを含め多岐にわたる領域で役割を担ってきました。

皇室のセックスにおいては、巫女が重要な役割を果たしてきたと言われていますが、たとえば皇族の初夜において巫女がともに入浴するなど、数々の儀式において側には巫女がいたようです。

では、こうした儀式について見ていきましょう。

皇族の初夜の迎え方

皇族のセックスは巫女が手助けしますが、そのための準備や作法など、皇族の初夜はやらなければいけないことがたくさんあります。

初夜の床入りの際に白餅を用意しなければならなかったり、花婿と花嫁、巫女の3人で入浴をする入浴潔斎の儀など、皇族ではない私たちにとっては耳慣れないものばかり。

みそぎ

みそぎは皇室代々の風習で、皇族の直系男子である皇太子が、年頃(15歳から18歳頃)になると、性技に長けた巫女から性に関する技術を学ぶものです。

いわるゆる筆おろしの行為であり、このみそぎを担当した女官が巫女として、皇室男子の花婿とともに入浴をします。

入浴潔斎の儀

この入浴のことを、入浴潔斎(にゅうよくけっさい)の儀と呼びます。巫女とともに風呂に入り、体中を清めてもらいます。この際、花嫁も花婿も巫女とともに入浴すると言われています。

すでに述べた通り、ここで入浴する巫女はみそぎにおいて花婿に性に関する手ほどきをしており、花婿の生殖機能を確認しています。皇室にとって家系を途絶えさせないことは重要な役割のため、入浴潔斎の儀よりも前にみそぎを済まして、生殖機能に問題がないことを確認していることが大事なのです。

初夜装束を身につける

その後、花婿と花嫁は初夜を迎えますが、この時に初夜装束と呼ばれる着物を身に着けます。これは入浴潔斎の儀をすませた花嫁花婿が、初夜のために着る白い着物のことです。

この着物にはその下には一切何も下着をつけないと言われています。

初夜の床入り

いよいよ初夜の床入りですが、これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、初夜の床入りの際には白餅を用意します。

花嫁花婿はこの白餅を食べあうことで、初めてのセックスで子宝に恵まれるように霊力を与えることが願われます。

露見

床入りをへてセックスに至りますが、この際には介添人が、花嫁花婿のセックスの場に立ち会い、一部始終を見届けます。

またセックスが終わったあとは、寝所の扉を開けて、壁代と呼ばれる衝立を外し、寝具の上に並んで寝ている夫婦のシーツに処女の証である血がついているところを確認する役目も果たします。

現在の皇室におけるセックス事情は?

以上、皇室に代々伝わるセックスに関する話を紹介しました。皇室のセックスにおいては、巫女含めて3人で入浴をしたり、他人にセックスを見届けられなければいけなかったりと、一般人には驚きのしきたりが数多くあります。

もちろんこれらの儀式は、歴史的な皇室においておこなわれてたきもので、現在の天皇家において、どの程度まで続けられているかは不明です。一般的に、明治・大正天皇の時代までは儀式が重んじられていたと言われていますが、一部の儀式については現在も残っている可能性もあります。

ただし、人権意識が高まった現在においては、こうした儀式が天皇や皇室にとって負担になっている事実もあり、SPがついていたり、日々の行動が制限されているとはいえ、皇室や天皇も普通の人と同じような生活をすることが目指されていることから、あくまでも歴史的なセックスの儀式・しきたりだと考えていた方が良さそうです。
https://thepartner.jp/3114

▲△▽▼


>花嫁の歳の数だけの白餅を用意し、四枚の銀盤に乗せる。これを子宝に恵まれた老夫婦(主に子供のいる侍従上がりの人間)が初夜の寝床に運んで供える。

>新婚夫婦はこの餅をひとつずつ食べてから行為に及ぶ。

>いよいよ初夜の床入りですが、これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、初夜の床入りの際には白餅を用意します。

>花嫁花婿はこの白餅を食べあうことで、初めてのセックスで子宝に恵まれるように霊力を与えることが願われます。

昔、三宅さんから聞いた話 2012-11-16
あのころは、三宅さんに、竹村健一さん、飯島清さんが、


テレビで活躍中だった。


空港まで車で三宅さんを迎えに行った。


高速道路を走りながら車中で、


昭和天皇の話になった。


三宅さんが、日本史の江上波夫さんから聞いた話だと。


あの騎馬民族説の江上さんですね。


そう。


天皇陛下との晩餐で、歴史学者の江上波夫さんが、


昭和天皇に質問したそうだ。
陛下は、オフレコならばと前置きして答えられたそうだ。

Q:先祖は、どこから来たものだと思われますか?

A:朝鮮半島だと思う。

Q:どうしてそう思われますか?

A:皇室の重要な行事のなかで、お供えするもので、シルトックという餅がある。
これが、朝鮮半島由来のものだから、そう思います。


と答えられたと。


三宅さんは続けて、これはいまわれわれが普通に食べている、


もち米からの餅ではなくて、うるち米からつくる。


現在、文化庁は皇室の先祖の古墳を、保存という名目で閉鎖し公開してない。
古墳を公開すると、天皇家のルーツがはっきりするためだ。
と教えてくれた。


昭和天皇ゆかりの話をしたかったようだ。


いま、あのときの顔を思い出しています。


三宅さん、歯切れのいい話で、


日本の左傾化に歯止めを掛けていた。


やすらかにお眠りくださいますように。
https://blog.goo.ne.jp/akirakasan/e/a6f887959603d8e10b513314716d3643


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[近代史02] 神輿の黙示録(16)(天皇と役座の謎:何故役座は神輿に乗るのか) 五月晴郎
1. 中川隆[-11074] koaQ7Jey 2019年3月29日 20:15:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[947]

皇族初夜の儀式「三箇夜餅の儀」 _ 朝鮮半島由来のシルトックという餅を使う儀式


厳かに執り行われる皇族の初夜。神武天皇の染色体だか遺伝子だかは、こうして受け継がれていった…


皇族初夜の儀式は束帯と十二単の正式な衣装をまとって宮中三殿の賢所で行う「賢所大前の儀」や、親と子の杯を交わす「朝見の儀」ら、一連の結婚の儀をとどこおりなく終えると初夜を迎えるための準備「入浴潔斎の儀」を行う。

簡単に言えば、風呂に入って身を清めるということだが、花嫁は巫女と呼ばれる女官[正式には神社の娘(処女)だが、実際は皇族に仕える中高年の女性が大半]と一緒に入浴する。

浴室に入ると花嫁は、仁王立ちのまま一切自分の体に手を触れてはならず、巫女が服を脱がせ、体の隅々まで洗う。

隅々というからには外側から触れることのできる内部(耳・口・鼻からアソコ・肛門など)にも手指を入れて清める。

これは暗に花嫁の生殖機能を確かめる意味合いも併せ持つと言われている。

ちなみに花婿も巫女と一緒に入浴し、同様に体を清めてもらうのだが、この時の巫女は花婿にとってみそぎ相手でもあり、すでに生殖機能については確認済みということになる。

みそぎとはつまり筆おろしの意。これは皇族代々の風習で、皇族の直系男子は年頃(15歳から18歳)になるとみそぎを済ませる。正式にはみそぎの段取りを教え込まれた巫女、つまり性技に長けた処女がお相手を務めるが、実際は経験豊富な熟女の女官になる。

入浴潔斎の儀を終えると「初夜装束」と呼ばれる白い着物に着替えて(その下には一切下着をつけない)いよいよ初夜の床入り。これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、平安の時代から続く伝統的な儀式である。

まず、花嫁の歳の数だけの白餅を用意し、四枚の銀盤に乗せる。これを子宝に恵まれた老夫婦(主に子供のいる侍従上がりの人間)が初夜の寝床に運んで供える。新婚夫婦はこの餅をひとつずつ食べてから行為に及ぶ。元々は3日間繰り返すものであったが、近代は初夜のみとされる。要するに初めてのセックスで子宝に恵まれるよう霊力を与える儀式ということらしい。

さらに特筆すべきは、以上の儀式には夫と妻、それぞれの身分を保証する、一組の男女が介添人(仲人夫婦にあたる立場の人で部屋の隅で行為の一部始終を見届ける)として立ち会っていることと、儀式が終了した(性行為を終えた)ということを知らせる露見という、お披露目する点である。

露見とは、寝所の扉を開け壁代と呼ばれる衝立を外し、寝具の上に並んで座る夫婦の姿を廊下で待っていた親族に見せ、行為終了後は再び初夜装束に着替え、寝具(厚手の布団)の掛け布団を外しシーツに処女の証である血がついているところを見せるのが正式な方法である。

さらに皇族には「一世一代の秘事口伝」なるものがある。これは代々の帝が口頭で直接申し送りするもので…その中にはセックスに関する風習も多く含まれており初夜の段取りから作法、体位、出産しない時期の避妊法などが伝えられている。

この儀式、少なくとも大正天皇までは行われていただろうと推測される。それにしても、一般人にとっては驚愕の事ばかりだ。他人に初夜の一部始終を見てもらい、終いには「血のついたシーツ」を見せなければならない。

何れにしても、穢れを基本とした内容は、朝鮮半島からの影響が大きいと思われる。


歴代天皇で妾が一番多いのは、嵯峨天皇で29人。毎日違う女性を相手しても1ヶ月かかる。以下、桓武天皇が26人、清和天皇が25人、亀山天皇が21人、後醍醐天皇が20人となっている。金正日の喜び隊なみなのだ。
http://anarchist.seesaa.net/article/11013180.html


▲△▽▼


皇族の性処理はタブー?天皇のセックス事情 2018年12月18日
https://thepartner.jp/3114


最近、小室圭さんと眞子様の婚約発表&延期や、新たな元号の発表でも話題の皇室。外からはうかがい知ることのできない世界ですが、そんな世界だからこそ気になってしまうの皇族のセックス事情。

天皇の初夜の迎え方や、やり方に関して特別なルールがあると言いますが、実際の所どうなのでしょうか。今回は、皇族のセックス・性処理事情について、歴史を踏まえて解説していきます。


天皇のセックスに関するしきたり

皇族には、代々の天皇から口頭で直接セックスに関する申し送りをするしきたりがあると言われています。これには皇室ならではのセックスに関する風習などが多く含まれており、初夜の作法、体位、出産しない時期の避妊法など多岐にわたります。

結婚をして、初夜を迎える者に対して代々申し伝えられているという仕組みです。こうした儀式・しきたりは、主に大正天皇の時代まで続けられていたと言われており、形式に変化はありつつも長い歴史の間続けられてきたと考えられています。

巫女の存在

こうしたしきたりの中でも重要な存在が、巫女です。皇室には巫女と呼ばれる女官が存在し、性において重要な役割を果たしてきました。女官は皇族の世話をおこなう女性たちのことで、性に関するものを含め多岐にわたる領域で役割を担ってきました。

皇室のセックスにおいては、巫女が重要な役割を果たしてきたと言われていますが、たとえば皇族の初夜において巫女がともに入浴するなど、数々の儀式において側には巫女がいたようです。

では、こうした儀式について見ていきましょう。

皇族の初夜の迎え方

皇族のセックスは巫女が手助けしますが、そのための準備や作法など、皇族の初夜はやらなければいけないことがたくさんあります。

初夜の床入りの際に白餅を用意しなければならなかったり、花婿と花嫁、巫女の3人で入浴をする入浴潔斎の儀など、皇族ではない私たちにとっては耳慣れないものばかり。

みそぎ

みそぎは皇室代々の風習で、皇族の直系男子である皇太子が、年頃(15歳から18歳頃)になると、性技に長けた巫女から性に関する技術を学ぶものです。

いわるゆる筆おろしの行為であり、このみそぎを担当した女官が巫女として、皇室男子の花婿とともに入浴をします。

入浴潔斎の儀

この入浴のことを、入浴潔斎(にゅうよくけっさい)の儀と呼びます。巫女とともに風呂に入り、体中を清めてもらいます。この際、花嫁も花婿も巫女とともに入浴すると言われています。

すでに述べた通り、ここで入浴する巫女はみそぎにおいて花婿に性に関する手ほどきをしており、花婿の生殖機能を確認しています。皇室にとって家系を途絶えさせないことは重要な役割のため、入浴潔斎の儀よりも前にみそぎを済まして、生殖機能に問題がないことを確認していることが大事なのです。

初夜装束を身につける

その後、花婿と花嫁は初夜を迎えますが、この時に初夜装束と呼ばれる着物を身に着けます。これは入浴潔斎の儀をすませた花嫁花婿が、初夜のために着る白い着物のことです。

この着物にはその下には一切何も下着をつけないと言われています。

初夜の床入り

いよいよ初夜の床入りですが、これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、初夜の床入りの際には白餅を用意します。

花嫁花婿はこの白餅を食べあうことで、初めてのセックスで子宝に恵まれるように霊力を与えることが願われます。

露見

床入りをへてセックスに至りますが、この際には介添人が、花嫁花婿のセックスの場に立ち会い、一部始終を見届けます。

またセックスが終わったあとは、寝所の扉を開けて、壁代と呼ばれる衝立を外し、寝具の上に並んで寝ている夫婦のシーツに処女の証である血がついているところを確認する役目も果たします。

現在の皇室におけるセックス事情は?

以上、皇室に代々伝わるセックスに関する話を紹介しました。皇室のセックスにおいては、巫女含めて3人で入浴をしたり、他人にセックスを見届けられなければいけなかったりと、一般人には驚きのしきたりが数多くあります。

もちろんこれらの儀式は、歴史的な皇室においておこなわれてたきもので、現在の天皇家において、どの程度まで続けられているかは不明です。一般的に、明治・大正天皇の時代までは儀式が重んじられていたと言われていますが、一部の儀式については現在も残っている可能性もあります。

ただし、人権意識が高まった現在においては、こうした儀式が天皇や皇室にとって負担になっている事実もあり、SPがついていたり、日々の行動が制限されているとはいえ、皇室や天皇も普通の人と同じような生活をすることが目指されていることから、あくまでも歴史的なセックスの儀式・しきたりだと考えていた方が良さそうです。
https://thepartner.jp/3114

▲△▽▼


>花嫁の歳の数だけの白餅を用意し、四枚の銀盤に乗せる。これを子宝に恵まれた老夫婦(主に子供のいる侍従上がりの人間)が初夜の寝床に運んで供える。

>新婚夫婦はこの餅をひとつずつ食べてから行為に及ぶ。

>いよいよ初夜の床入りですが、これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、初夜の床入りの際には白餅を用意します。

>花嫁花婿はこの白餅を食べあうことで、初めてのセックスで子宝に恵まれるように霊力を与えることが願われます。

昔、三宅さんから聞いた話 2012-11-16
あのころは、三宅さんに、竹村健一さん、飯島清さんが、


テレビで活躍中だった。


空港まで車で三宅さんを迎えに行った。


高速道路を走りながら車中で、


昭和天皇の話になった。


三宅さんが、日本史の江上波夫さんから聞いた話だと。


あの騎馬民族説の江上さんですね。


そう。


天皇陛下との晩餐で、歴史学者の江上波夫さんが、


昭和天皇に質問したそうだ。
陛下は、オフレコならばと前置きして答えられたそうだ。

Q:先祖は、どこから来たものだと思われますか?

A:朝鮮半島だと思う。

Q:どうしてそう思われますか?

A:皇室の重要な行事のなかで、お供えするもので、シルトックという餅がある。
これが、朝鮮半島由来のものだから、そう思います。


と答えられたと。


三宅さんは続けて、これはいまわれわれが普通に食べている、


もち米からの餅ではなくて、うるち米からつくる。


現在、文化庁は皇室の先祖の古墳を、保存という名目で閉鎖し公開してない。
古墳を公開すると、天皇家のルーツがはっきりするためだ。
と教えてくれた。


昭和天皇ゆかりの話をしたかったようだ。


いま、あのときの顔を思い出しています。


三宅さん、歯切れのいい話で、


日本の左傾化に歯止めを掛けていた。


やすらかにお眠りくださいますように。
https://blog.goo.ne.jp/akirakasan/e/a6f887959603d8e10b513314716d3643


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[近代史3] 天皇一族の様な一重瞼・奥二重瞼は華北に居た漢民族にしかみられない 中川隆
17. 中川隆[-11076] koaQ7Jey 2019年3月29日 20:16:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[945]

皇族初夜の儀式「三箇夜餅の儀」 _ 朝鮮半島由来のシルトックという餅を使う儀式


厳かに執り行われる皇族の初夜。神武天皇の染色体だか遺伝子だかは、こうして受け継がれていった…


皇族初夜の儀式は束帯と十二単の正式な衣装をまとって宮中三殿の賢所で行う「賢所大前の儀」や、親と子の杯を交わす「朝見の儀」ら、一連の結婚の儀をとどこおりなく終えると初夜を迎えるための準備「入浴潔斎の儀」を行う。

簡単に言えば、風呂に入って身を清めるということだが、花嫁は巫女と呼ばれる女官[正式には神社の娘(処女)だが、実際は皇族に仕える中高年の女性が大半]と一緒に入浴する。

浴室に入ると花嫁は、仁王立ちのまま一切自分の体に手を触れてはならず、巫女が服を脱がせ、体の隅々まで洗う。

隅々というからには外側から触れることのできる内部(耳・口・鼻からアソコ・肛門など)にも手指を入れて清める。

これは暗に花嫁の生殖機能を確かめる意味合いも併せ持つと言われている。

ちなみに花婿も巫女と一緒に入浴し、同様に体を清めてもらうのだが、この時の巫女は花婿にとってみそぎ相手でもあり、すでに生殖機能については確認済みということになる。

みそぎとはつまり筆おろしの意。これは皇族代々の風習で、皇族の直系男子は年頃(15歳から18歳)になるとみそぎを済ませる。正式にはみそぎの段取りを教え込まれた巫女、つまり性技に長けた処女がお相手を務めるが、実際は経験豊富な熟女の女官になる。

入浴潔斎の儀を終えると「初夜装束」と呼ばれる白い着物に着替えて(その下には一切下着をつけない)いよいよ初夜の床入り。これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、平安の時代から続く伝統的な儀式である。

まず、花嫁の歳の数だけの白餅を用意し、四枚の銀盤に乗せる。これを子宝に恵まれた老夫婦(主に子供のいる侍従上がりの人間)が初夜の寝床に運んで供える。新婚夫婦はこの餅をひとつずつ食べてから行為に及ぶ。元々は3日間繰り返すものであったが、近代は初夜のみとされる。要するに初めてのセックスで子宝に恵まれるよう霊力を与える儀式ということらしい。

さらに特筆すべきは、以上の儀式には夫と妻、それぞれの身分を保証する、一組の男女が介添人(仲人夫婦にあたる立場の人で部屋の隅で行為の一部始終を見届ける)として立ち会っていることと、儀式が終了した(性行為を終えた)ということを知らせる露見という、お披露目する点である。

露見とは、寝所の扉を開け壁代と呼ばれる衝立を外し、寝具の上に並んで座る夫婦の姿を廊下で待っていた親族に見せ、行為終了後は再び初夜装束に着替え、寝具(厚手の布団)の掛け布団を外しシーツに処女の証である血がついているところを見せるのが正式な方法である。

さらに皇族には「一世一代の秘事口伝」なるものがある。これは代々の帝が口頭で直接申し送りするもので…その中にはセックスに関する風習も多く含まれており初夜の段取りから作法、体位、出産しない時期の避妊法などが伝えられている。

この儀式、少なくとも大正天皇までは行われていただろうと推測される。それにしても、一般人にとっては驚愕の事ばかりだ。他人に初夜の一部始終を見てもらい、終いには「血のついたシーツ」を見せなければならない。

何れにしても、穢れを基本とした内容は、朝鮮半島からの影響が大きいと思われる。


歴代天皇で妾が一番多いのは、嵯峨天皇で29人。毎日違う女性を相手しても1ヶ月かかる。以下、桓武天皇が26人、清和天皇が25人、亀山天皇が21人、後醍醐天皇が20人となっている。金正日の喜び隊なみなのだ。
http://anarchist.seesaa.net/article/11013180.html


▲△▽▼


皇族の性処理はタブー?天皇のセックス事情 2018年12月18日
https://thepartner.jp/3114


最近、小室圭さんと眞子様の婚約発表&延期や、新たな元号の発表でも話題の皇室。外からはうかがい知ることのできない世界ですが、そんな世界だからこそ気になってしまうの皇族のセックス事情。

天皇の初夜の迎え方や、やり方に関して特別なルールがあると言いますが、実際の所どうなのでしょうか。今回は、皇族のセックス・性処理事情について、歴史を踏まえて解説していきます。


天皇のセックスに関するしきたり

皇族には、代々の天皇から口頭で直接セックスに関する申し送りをするしきたりがあると言われています。これには皇室ならではのセックスに関する風習などが多く含まれており、初夜の作法、体位、出産しない時期の避妊法など多岐にわたります。

結婚をして、初夜を迎える者に対して代々申し伝えられているという仕組みです。こうした儀式・しきたりは、主に大正天皇の時代まで続けられていたと言われており、形式に変化はありつつも長い歴史の間続けられてきたと考えられています。

巫女の存在

こうしたしきたりの中でも重要な存在が、巫女です。皇室には巫女と呼ばれる女官が存在し、性において重要な役割を果たしてきました。女官は皇族の世話をおこなう女性たちのことで、性に関するものを含め多岐にわたる領域で役割を担ってきました。

皇室のセックスにおいては、巫女が重要な役割を果たしてきたと言われていますが、たとえば皇族の初夜において巫女がともに入浴するなど、数々の儀式において側には巫女がいたようです。

では、こうした儀式について見ていきましょう。

皇族の初夜の迎え方

皇族のセックスは巫女が手助けしますが、そのための準備や作法など、皇族の初夜はやらなければいけないことがたくさんあります。

初夜の床入りの際に白餅を用意しなければならなかったり、花婿と花嫁、巫女の3人で入浴をする入浴潔斎の儀など、皇族ではない私たちにとっては耳慣れないものばかり。

みそぎ

みそぎは皇室代々の風習で、皇族の直系男子である皇太子が、年頃(15歳から18歳頃)になると、性技に長けた巫女から性に関する技術を学ぶものです。

いわるゆる筆おろしの行為であり、このみそぎを担当した女官が巫女として、皇室男子の花婿とともに入浴をします。

入浴潔斎の儀

この入浴のことを、入浴潔斎(にゅうよくけっさい)の儀と呼びます。巫女とともに風呂に入り、体中を清めてもらいます。この際、花嫁も花婿も巫女とともに入浴すると言われています。

すでに述べた通り、ここで入浴する巫女はみそぎにおいて花婿に性に関する手ほどきをしており、花婿の生殖機能を確認しています。皇室にとって家系を途絶えさせないことは重要な役割のため、入浴潔斎の儀よりも前にみそぎを済まして、生殖機能に問題がないことを確認していることが大事なのです。

初夜装束を身につける

その後、花婿と花嫁は初夜を迎えますが、この時に初夜装束と呼ばれる着物を身に着けます。これは入浴潔斎の儀をすませた花嫁花婿が、初夜のために着る白い着物のことです。

この着物にはその下には一切何も下着をつけないと言われています。

初夜の床入り

いよいよ初夜の床入りですが、これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、初夜の床入りの際には白餅を用意します。

花嫁花婿はこの白餅を食べあうことで、初めてのセックスで子宝に恵まれるように霊力を与えることが願われます。

露見

床入りをへてセックスに至りますが、この際には介添人が、花嫁花婿のセックスの場に立ち会い、一部始終を見届けます。

またセックスが終わったあとは、寝所の扉を開けて、壁代と呼ばれる衝立を外し、寝具の上に並んで寝ている夫婦のシーツに処女の証である血がついているところを確認する役目も果たします。

現在の皇室におけるセックス事情は?

以上、皇室に代々伝わるセックスに関する話を紹介しました。皇室のセックスにおいては、巫女含めて3人で入浴をしたり、他人にセックスを見届けられなければいけなかったりと、一般人には驚きのしきたりが数多くあります。

もちろんこれらの儀式は、歴史的な皇室においておこなわれてたきもので、現在の天皇家において、どの程度まで続けられているかは不明です。一般的に、明治・大正天皇の時代までは儀式が重んじられていたと言われていますが、一部の儀式については現在も残っている可能性もあります。

ただし、人権意識が高まった現在においては、こうした儀式が天皇や皇室にとって負担になっている事実もあり、SPがついていたり、日々の行動が制限されているとはいえ、皇室や天皇も普通の人と同じような生活をすることが目指されていることから、あくまでも歴史的なセックスの儀式・しきたりだと考えていた方が良さそうです。
https://thepartner.jp/3114

▲△▽▼


>花嫁の歳の数だけの白餅を用意し、四枚の銀盤に乗せる。これを子宝に恵まれた老夫婦(主に子供のいる侍従上がりの人間)が初夜の寝床に運んで供える。

>新婚夫婦はこの餅をひとつずつ食べてから行為に及ぶ。

>いよいよ初夜の床入りですが、これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、初夜の床入りの際には白餅を用意します。

>花嫁花婿はこの白餅を食べあうことで、初めてのセックスで子宝に恵まれるように霊力を与えることが願われます。

昔、三宅さんから聞いた話 2012-11-16
あのころは、三宅さんに、竹村健一さん、飯島清さんが、


テレビで活躍中だった。


空港まで車で三宅さんを迎えに行った。


高速道路を走りながら車中で、


昭和天皇の話になった。


三宅さんが、日本史の江上波夫さんから聞いた話だと。


あの騎馬民族説の江上さんですね。


そう。


天皇陛下との晩餐で、歴史学者の江上波夫さんが、


昭和天皇に質問したそうだ。
陛下は、オフレコならばと前置きして答えられたそうだ。

Q:先祖は、どこから来たものだと思われますか?

A:朝鮮半島だと思う。

Q:どうしてそう思われますか?

A:皇室の重要な行事のなかで、お供えするもので、シルトックという餅がある。
これが、朝鮮半島由来のものだから、そう思います。


と答えられたと。


三宅さんは続けて、これはいまわれわれが普通に食べている、


もち米からの餅ではなくて、うるち米からつくる。


現在、文化庁は皇室の先祖の古墳を、保存という名目で閉鎖し公開してない。
古墳を公開すると、天皇家のルーツがはっきりするためだ。
と教えてくれた。


昭和天皇ゆかりの話をしたかったようだ。


いま、あのときの顔を思い出しています。


三宅さん、歯切れのいい話で、


日本の左傾化に歯止めを掛けていた。


やすらかにお眠りくださいますように。
https://blog.goo.ne.jp/akirakasan/e/a6f887959603d8e10b513314716d3643


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/103.html#c17

[近代史02] 神輿の黙示録(23)(明治政府はイギリス東インド会社の傀儡政府だ:夷を以って夷を制す) 五月晴郎
2. 中川隆[-11075] koaQ7Jey 2019年3月29日 20:17:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[946]

皇族初夜の儀式「三箇夜餅の儀」 _ 朝鮮半島由来のシルトックという餅を使う儀式


厳かに執り行われる皇族の初夜。神武天皇の染色体だか遺伝子だかは、こうして受け継がれていった…


皇族初夜の儀式は束帯と十二単の正式な衣装をまとって宮中三殿の賢所で行う「賢所大前の儀」や、親と子の杯を交わす「朝見の儀」ら、一連の結婚の儀をとどこおりなく終えると初夜を迎えるための準備「入浴潔斎の儀」を行う。

簡単に言えば、風呂に入って身を清めるということだが、花嫁は巫女と呼ばれる女官[正式には神社の娘(処女)だが、実際は皇族に仕える中高年の女性が大半]と一緒に入浴する。

浴室に入ると花嫁は、仁王立ちのまま一切自分の体に手を触れてはならず、巫女が服を脱がせ、体の隅々まで洗う。

隅々というからには外側から触れることのできる内部(耳・口・鼻からアソコ・肛門など)にも手指を入れて清める。

これは暗に花嫁の生殖機能を確かめる意味合いも併せ持つと言われている。

ちなみに花婿も巫女と一緒に入浴し、同様に体を清めてもらうのだが、この時の巫女は花婿にとってみそぎ相手でもあり、すでに生殖機能については確認済みということになる。

みそぎとはつまり筆おろしの意。これは皇族代々の風習で、皇族の直系男子は年頃(15歳から18歳)になるとみそぎを済ませる。正式にはみそぎの段取りを教え込まれた巫女、つまり性技に長けた処女がお相手を務めるが、実際は経験豊富な熟女の女官になる。

入浴潔斎の儀を終えると「初夜装束」と呼ばれる白い着物に着替えて(その下には一切下着をつけない)いよいよ初夜の床入り。これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、平安の時代から続く伝統的な儀式である。

まず、花嫁の歳の数だけの白餅を用意し、四枚の銀盤に乗せる。これを子宝に恵まれた老夫婦(主に子供のいる侍従上がりの人間)が初夜の寝床に運んで供える。新婚夫婦はこの餅をひとつずつ食べてから行為に及ぶ。元々は3日間繰り返すものであったが、近代は初夜のみとされる。要するに初めてのセックスで子宝に恵まれるよう霊力を与える儀式ということらしい。

さらに特筆すべきは、以上の儀式には夫と妻、それぞれの身分を保証する、一組の男女が介添人(仲人夫婦にあたる立場の人で部屋の隅で行為の一部始終を見届ける)として立ち会っていることと、儀式が終了した(性行為を終えた)ということを知らせる露見という、お披露目する点である。

露見とは、寝所の扉を開け壁代と呼ばれる衝立を外し、寝具の上に並んで座る夫婦の姿を廊下で待っていた親族に見せ、行為終了後は再び初夜装束に着替え、寝具(厚手の布団)の掛け布団を外しシーツに処女の証である血がついているところを見せるのが正式な方法である。

さらに皇族には「一世一代の秘事口伝」なるものがある。これは代々の帝が口頭で直接申し送りするもので…その中にはセックスに関する風習も多く含まれており初夜の段取りから作法、体位、出産しない時期の避妊法などが伝えられている。

この儀式、少なくとも大正天皇までは行われていただろうと推測される。それにしても、一般人にとっては驚愕の事ばかりだ。他人に初夜の一部始終を見てもらい、終いには「血のついたシーツ」を見せなければならない。

何れにしても、穢れを基本とした内容は、朝鮮半島からの影響が大きいと思われる。


歴代天皇で妾が一番多いのは、嵯峨天皇で29人。毎日違う女性を相手しても1ヶ月かかる。以下、桓武天皇が26人、清和天皇が25人、亀山天皇が21人、後醍醐天皇が20人となっている。金正日の喜び隊なみなのだ。
http://anarchist.seesaa.net/article/11013180.html


▲△▽▼


皇族の性処理はタブー?天皇のセックス事情 2018年12月18日
https://thepartner.jp/3114


最近、小室圭さんと眞子様の婚約発表&延期や、新たな元号の発表でも話題の皇室。外からはうかがい知ることのできない世界ですが、そんな世界だからこそ気になってしまうの皇族のセックス事情。

天皇の初夜の迎え方や、やり方に関して特別なルールがあると言いますが、実際の所どうなのでしょうか。今回は、皇族のセックス・性処理事情について、歴史を踏まえて解説していきます。


天皇のセックスに関するしきたり

皇族には、代々の天皇から口頭で直接セックスに関する申し送りをするしきたりがあると言われています。これには皇室ならではのセックスに関する風習などが多く含まれており、初夜の作法、体位、出産しない時期の避妊法など多岐にわたります。

結婚をして、初夜を迎える者に対して代々申し伝えられているという仕組みです。こうした儀式・しきたりは、主に大正天皇の時代まで続けられていたと言われており、形式に変化はありつつも長い歴史の間続けられてきたと考えられています。

巫女の存在

こうしたしきたりの中でも重要な存在が、巫女です。皇室には巫女と呼ばれる女官が存在し、性において重要な役割を果たしてきました。女官は皇族の世話をおこなう女性たちのことで、性に関するものを含め多岐にわたる領域で役割を担ってきました。

皇室のセックスにおいては、巫女が重要な役割を果たしてきたと言われていますが、たとえば皇族の初夜において巫女がともに入浴するなど、数々の儀式において側には巫女がいたようです。

では、こうした儀式について見ていきましょう。

皇族の初夜の迎え方

皇族のセックスは巫女が手助けしますが、そのための準備や作法など、皇族の初夜はやらなければいけないことがたくさんあります。

初夜の床入りの際に白餅を用意しなければならなかったり、花婿と花嫁、巫女の3人で入浴をする入浴潔斎の儀など、皇族ではない私たちにとっては耳慣れないものばかり。

みそぎ

みそぎは皇室代々の風習で、皇族の直系男子である皇太子が、年頃(15歳から18歳頃)になると、性技に長けた巫女から性に関する技術を学ぶものです。

いわるゆる筆おろしの行為であり、このみそぎを担当した女官が巫女として、皇室男子の花婿とともに入浴をします。

入浴潔斎の儀

この入浴のことを、入浴潔斎(にゅうよくけっさい)の儀と呼びます。巫女とともに風呂に入り、体中を清めてもらいます。この際、花嫁も花婿も巫女とともに入浴すると言われています。

すでに述べた通り、ここで入浴する巫女はみそぎにおいて花婿に性に関する手ほどきをしており、花婿の生殖機能を確認しています。皇室にとって家系を途絶えさせないことは重要な役割のため、入浴潔斎の儀よりも前にみそぎを済まして、生殖機能に問題がないことを確認していることが大事なのです。

初夜装束を身につける

その後、花婿と花嫁は初夜を迎えますが、この時に初夜装束と呼ばれる着物を身に着けます。これは入浴潔斎の儀をすませた花嫁花婿が、初夜のために着る白い着物のことです。

この着物にはその下には一切何も下着をつけないと言われています。

初夜の床入り

いよいよ初夜の床入りですが、これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、初夜の床入りの際には白餅を用意します。

花嫁花婿はこの白餅を食べあうことで、初めてのセックスで子宝に恵まれるように霊力を与えることが願われます。

露見

床入りをへてセックスに至りますが、この際には介添人が、花嫁花婿のセックスの場に立ち会い、一部始終を見届けます。

またセックスが終わったあとは、寝所の扉を開けて、壁代と呼ばれる衝立を外し、寝具の上に並んで寝ている夫婦のシーツに処女の証である血がついているところを確認する役目も果たします。

現在の皇室におけるセックス事情は?

以上、皇室に代々伝わるセックスに関する話を紹介しました。皇室のセックスにおいては、巫女含めて3人で入浴をしたり、他人にセックスを見届けられなければいけなかったりと、一般人には驚きのしきたりが数多くあります。

もちろんこれらの儀式は、歴史的な皇室においておこなわれてたきもので、現在の天皇家において、どの程度まで続けられているかは不明です。一般的に、明治・大正天皇の時代までは儀式が重んじられていたと言われていますが、一部の儀式については現在も残っている可能性もあります。

ただし、人権意識が高まった現在においては、こうした儀式が天皇や皇室にとって負担になっている事実もあり、SPがついていたり、日々の行動が制限されているとはいえ、皇室や天皇も普通の人と同じような生活をすることが目指されていることから、あくまでも歴史的なセックスの儀式・しきたりだと考えていた方が良さそうです。
https://thepartner.jp/3114

▲△▽▼


>花嫁の歳の数だけの白餅を用意し、四枚の銀盤に乗せる。これを子宝に恵まれた老夫婦(主に子供のいる侍従上がりの人間)が初夜の寝床に運んで供える。

>新婚夫婦はこの餅をひとつずつ食べてから行為に及ぶ。

>いよいよ初夜の床入りですが、これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、初夜の床入りの際には白餅を用意します。

>花嫁花婿はこの白餅を食べあうことで、初めてのセックスで子宝に恵まれるように霊力を与えることが願われます。

昔、三宅さんから聞いた話 2012-11-16
あのころは、三宅さんに、竹村健一さん、飯島清さんが、


テレビで活躍中だった。


空港まで車で三宅さんを迎えに行った。


高速道路を走りながら車中で、


昭和天皇の話になった。


三宅さんが、日本史の江上波夫さんから聞いた話だと。


あの騎馬民族説の江上さんですね。


そう。


天皇陛下との晩餐で、歴史学者の江上波夫さんが、


昭和天皇に質問したそうだ。
陛下は、オフレコならばと前置きして答えられたそうだ。

Q:先祖は、どこから来たものだと思われますか?

A:朝鮮半島だと思う。

Q:どうしてそう思われますか?

A:皇室の重要な行事のなかで、お供えするもので、シルトックという餅がある。
これが、朝鮮半島由来のものだから、そう思います。


と答えられたと。


三宅さんは続けて、これはいまわれわれが普通に食べている、


もち米からの餅ではなくて、うるち米からつくる。


現在、文化庁は皇室の先祖の古墳を、保存という名目で閉鎖し公開してない。
古墳を公開すると、天皇家のルーツがはっきりするためだ。
と教えてくれた。


昭和天皇ゆかりの話をしたかったようだ。


いま、あのときの顔を思い出しています。


三宅さん、歯切れのいい話で、


日本の左傾化に歯止めを掛けていた。


やすらかにお眠りくださいますように。
https://blog.goo.ne.jp/akirakasan/e/a6f887959603d8e10b513314716d3643


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/851.html#c2

[リバイバル3] 音楽はこういう部屋で聴きたい 中川隆
51. 中川隆[-11074] koaQ7Jey 2019年3月29日 21:39:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[947]

タワーマンションでは音楽は聴けない

タワーマンションは「超高層レオパレス」である - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=bOzn2v8mnVE

2019/03/26 に公開


レオパレスの建設したアパートが
建築基準法違反レベルの状態である、
ということが大きな問題になっています。
界壁がなかったり壁が薄かったり・・・
隣の生活音が丸聞こえである、
という指摘もたくさんあるようです。

実は、ブームになっているタワーマンションは
構造的にレオパレスと類似した状態であることが
世間ではあまり知られていません。
構造上、壁を薄くしなければいけないのが
日本のタワマンである、という現実を
榊淳司がズバリ指摘しています。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/655.html#c51

[近代史3] 皇族初夜の儀式「三箇夜餅の儀」 _ 朝鮮半島由来のシルトックという餅を使う儀式 中川隆
2. 中川隆[-11073] koaQ7Jey 2019年3月30日 07:04:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[948]

10. 2013年7月13日 17:47:40 : WUs3UH3xVg

天皇のルーツが渡来系である可能性は昔から指摘されています。

これは近代国家の枠組みから外れるために、社会一般にも研究者間でもある種のタブー、として扱われていた事は、昭和の時代から存在していました。

例としては、天皇家の埋葬が土葬で、朝鮮式の埋葬法で古墳と似て山のような盛り土である事は知られています。

古い時代の古墳が調査禁止となっているのは、そこから物的証拠が出てくるからです。

それは何を意味するかというと、大陸との繋がりを示すからですね。

終戦直後の占領軍はそうした調査を行ったようですが、現在は出来ない。
宮内庁が許可しないでしょうから、ですね。

当時の認識として、日本を象徴する人物が海外に関係していたとするならば、それは多くの人の混乱を招いたでしょうから簡単には認められない問題でしょう。


日本という国が単一民族ではない、という点もその通りです。

日本が単一民族といった概念を採用したのは近代国家の枠組みが成立する過程で
生み出された概念に過ぎません。

現実は違い、古来から移民の国として存在する、というのが正しいです。

民俗学的考古学的に調査を行った話としては、天皇のルーツは朝鮮半島の38°線付近の小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、それらは紛争地帯であるために容易に近づく事は出来ないだろう、

同行した当時KCIA局員の話としては、そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ

「知らない方が良いこともあるのだ」

と答えたという研究者の話が伝わっています。

この話はあるメディアに流れました。


38°線付近の集落という事は、朝鮮半島の南北の中間点であるので、仮にこの付近が関連する村であると、南だけではなく北とも天皇は接点を持つ可能性が浮かび上がります。

(私の直感として、天皇と北の接点が存在した場合に拉致問題と関係していなければ良いなあ、と思うのですが、、、、、気にしすぎでしょうかね)

こうした話題はタブーに属するので、ある種のオルタナティブメディアで爆弾発言として現れる事も当時としては多かったように思います。

天皇が戦争とどう関わったかについては、総括することは必要だという考えは
理解しますが、戦前の体制や、戦後の状況からいっても、昭和の時代、平成一桁の時代において戦争経験者が多く存在する時代ですし、天皇制や天皇と戦争との関連を法的に取り扱う事は、容易ではないといえるでしょう。

そうした意味では、棄却理由は無理があるとはいえ裁判所が天皇の戦争との関わり
以外に出自等歴史的タブーに絡み、歴史に挑戦するというのも難しいので、
棄却は無理も無いといえるでしょう。
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/523.html#c10

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/313.html#c2

[近代史3] 日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる 中川隆
30. 中川隆[-11072] koaQ7Jey 2019年3月30日 07:25:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[949]
2019.03.30
脅せば脅すほど自らが「張り子の虎」だということを知られてしまう米国

 ドナルド・トランプ米大統領は3月27日、ロシアがベネズエラから引き揚げなければ、あらゆる手段を使って追い出すとクレムリンを脅した。同じ日にマイク・ペンス副大統領は選挙で選ばれたニコラス・マドゥロ大統領を独裁者と呼び、出て行けと恫喝した。ジョン・ボルトン国家安全保障補佐官もロシアに対し、出て行けと叫んでいる。

 脅して邪魔者を排除するという手法はリビア、シリア、ウクライナでも使っていた。いずれも仕掛けたのはバラク・オバマ政権で、2011年春に始めたリビアとシリア、そして14年2月のウクライナで行った体制転覆作戦を同じ手口だ。

 このうちリビアではムアンマル・アル・カダフィ政権を倒し、カダフィ本人を惨殺した。ウクライナではビクトル・ヤヌコビッチ大統領を追い出し、ネオ・ナチが支配する体制を作り上げている。

 しかし、シリアでは政府軍が強かったこと、バシャール・アル・アサド大統領夫妻がアメリカなどの脅しに屈せず、逃げ出さなかったこと、前のケースの反省からロシアがNATO/アメリカの直接的な軍事介入を阻止、2015年9月からはシリア政府の要請で軍事介入したことなどの結果、アサド体制の転覆には失敗した。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、アメリカのリチャード・ニクソンはアメリカが何をしでかすかわからない国だと思わせることで世界を自分たちが望む方向へ導けると考え、イスラエルのモシェ・ダヤンはイスラエルを狂犬のように振る舞う国にすべきだと語った。

 「触らぬ神に祟りなし」と思わせるべきだということだが、これはネオコンの手口でもある。彼らは脅せば屈すると信じている。

 確かにこれまでは恫喝に大半の国、あるいは人びとは屈したのだが、シリアは屈しなかった。イランも屈しない。イラク国防省はアメリカ大統領の居座り発言に反発、同省の広報担当官を務めているタシーン・アル-カファジ少将は、他国を侵略するためにイラクの領土を使わせないと発言している。アメリカ軍の動きに対する不快感を表明したと言えるだろう。

 ジョージア軍との戦闘、クリミアでの手際、そしてシリアでの戦闘でロシア軍はその強さを世界に示した。同程度の規模の部隊が通常兵器で衝突した場合、アメリカ軍はロシア軍に勝てないことが明確になってしまった。おそらく、朝鮮がロシア、中国、韓国で進めているプランに乗った理由もそこにある。

 ロシアは3月23日、99名の兵員を乗せ、35トンの物資を積んだAn-124とIl-62の2機がカラカス空港へ到着した。トランプ、ペンス、ボルトンらの発言はこれを意識したものだが、ロシア政府は必要なだけ留まるとしている。

 かつてコンドリーサ・ライス元国務長官はFOXニュースのインタビューの中で、​控えめで穏やかに話すアメリカの言うことを聞く人はいない​と語ったが、それは事実。アメリカを信頼ししたり、まして尊敬して従っている人は少ないだろう。大半の人は怖いから従っているだけだが、その怖さが消えかかっている。「張り子の虎」だと考える人が増えている。アメリカを中心とする支配システムが崩れるのは時間の問題のように見える。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201903300000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html#c30

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
187. 中川隆[-11071] koaQ7Jey 2019年3月30日 07:31:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[950]

2019年03月30日
投資に頭を使うより少しの副業をしたほうが良い


投資より貰ったブランド品を売る方が儲かるという真実

ほとんどの人は投資しない方が良い

何度か投資関連の記事を書いていて思ったのは、投資でお金を増やすのも、減らさないのも簡単ではないという事です。

どんな投資能力の人が読むか分からないので、全員に当てはまりそうな事を書くが、全員が絶対勝てる投資はそもそも無い。

大多数の人が損をせず利益を出せそうなものとして、手数料格安の投資信託を何度か勧めています。



それでも相場変動で一時的に含み損になるのは避けられないし、不運が重なればトータルで損もありえます。

そうして得られる投資利益は年5%以下という所で、多くは年間利回り3%以下でしょう。

これは利回りが大きい投資ほどリスクが大きく、リスクが最小限の投資は必然的に利回りも最小になるからです。


政府やアナリストは盛んに投資を勧めますが、一定確率でお金が減るのを考えれば、投資はそれほど素晴らしいものではないです。

仮に孫正義のように10兆円も運用できるなら年間3%は3000億円ですが、100万円だったら年3万円、10万円なら年3千円に過ぎません。

数万円や数千円のために投資につかう労力と、10兆円投資も基本的には同じような事です。

例え数千円の投資でも真剣に考えてやらなければ、絶対に勝つことはできません。


数億円やもっと多くを投資するのも数千円を増やしていくのも同じなので、元手が少ないと割に合わないのです。

物価上昇分程度の利回りで良いなら別ですが、それ以上の利益を得るには人生を賭けるくらいの努力が必要になります。


投資よりバイトがましな真実

投資で副収入を得ようとして、相当な努力をしても保証がないのが投資であり、少額だから勝ち易いという事はありません。

投資額が1千万円以下だったら、投資のために使う労力と結果は、まったく釣り合わないのです。

毎月の小遣いを積み立て投資して利益が出るまで放置、というのがせいぜいでしょう。


投資額100万円の人が年間確実に得られる期待利益は3万円以下なので、時給1000円のバイト30時間分に相当します。

毎月3時間以下のバイトで100万円を1年間投資するのと同じ結果が得られ、しかもバイトは必ず約束したお金がもらえます。

100万円を投資した3%は「成功した場合」だけ貰える金額なので、非常に効率が悪いのが分かります。


最近はヤフオクとかメルカリとかで不用品を処分できるか、家の中の不用品を処分して年間3万円の売り上げはそう難しくないでしょう。

数十万円とか数100万円を投資するために毎日不眠不休で頑張るより、フリマやオークションで何か売ったほうがずっとマシです。

数年間投資で頑張ったが収支はマイナスで心身ともにボロボロという人の方が、投資成功者よりずっと多いのです。
http://www.thutmosev.com/archives/79421347.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c187

[リバイバル3] バッド・ディールよりもノー・ディールの方がいい 中川隆
1. 中川隆[-11070] koaQ7Jey 2019年3月30日 07:31:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[951]

2019年03月30日
投資に頭を使うより少しの副業をしたほうが良い


投資より貰ったブランド品を売る方が儲かるという真実

ほとんどの人は投資しない方が良い

何度か投資関連の記事を書いていて思ったのは、投資でお金を増やすのも、減らさないのも簡単ではないという事です。

どんな投資能力の人が読むか分からないので、全員に当てはまりそうな事を書くが、全員が絶対勝てる投資はそもそも無い。

大多数の人が損をせず利益を出せそうなものとして、手数料格安の投資信託を何度か勧めています。



それでも相場変動で一時的に含み損になるのは避けられないし、不運が重なればトータルで損もありえます。

そうして得られる投資利益は年5%以下という所で、多くは年間利回り3%以下でしょう。

これは利回りが大きい投資ほどリスクが大きく、リスクが最小限の投資は必然的に利回りも最小になるからです。


政府やアナリストは盛んに投資を勧めますが、一定確率でお金が減るのを考えれば、投資はそれほど素晴らしいものではないです。

仮に孫正義のように10兆円も運用できるなら年間3%は3000億円ですが、100万円だったら年3万円、10万円なら年3千円に過ぎません。

数万円や数千円のために投資につかう労力と、10兆円投資も基本的には同じような事です。

例え数千円の投資でも真剣に考えてやらなければ、絶対に勝つことはできません。


数億円やもっと多くを投資するのも数千円を増やしていくのも同じなので、元手が少ないと割に合わないのです。

物価上昇分程度の利回りで良いなら別ですが、それ以上の利益を得るには人生を賭けるくらいの努力が必要になります。


投資よりバイトがましな真実

投資で副収入を得ようとして、相当な努力をしても保証がないのが投資であり、少額だから勝ち易いという事はありません。

投資額が1千万円以下だったら、投資のために使う労力と結果は、まったく釣り合わないのです。

毎月の小遣いを積み立て投資して利益が出るまで放置、というのがせいぜいでしょう。


投資額100万円の人が年間確実に得られる期待利益は3万円以下なので、時給1000円のバイト30時間分に相当します。

毎月3時間以下のバイトで100万円を1年間投資するのと同じ結果が得られ、しかもバイトは必ず約束したお金がもらえます。

100万円を投資した3%は「成功した場合」だけ貰える金額なので、非常に効率が悪いのが分かります。


最近はヤフオクとかメルカリとかで不用品を処分できるか、家の中の不用品を処分して年間3万円の売り上げはそう難しくないでしょう。

数十万円とか数100万円を投資するために毎日不眠不休で頑張るより、フリマやオークションで何か売ったほうがずっとマシです。

数年間投資で頑張ったが収支はマイナスで心身ともにボロボロという人の方が、投資成功者よりずっと多いのです。
http://www.thutmosev.com/archives/79421347.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/938.html#c1

[リバイバル3] 優良株の長期投資以外はすべてギャンブル 中川隆
10. 中川隆[-11069] koaQ7Jey 2019年3月30日 07:32:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[952]

2019年03月30日
投資に頭を使うより少しの副業をしたほうが良い


投資より貰ったブランド品を売る方が儲かるという真実

ほとんどの人は投資しない方が良い

何度か投資関連の記事を書いていて思ったのは、投資でお金を増やすのも、減らさないのも簡単ではないという事です。

どんな投資能力の人が読むか分からないので、全員に当てはまりそうな事を書くが、全員が絶対勝てる投資はそもそも無い。

大多数の人が損をせず利益を出せそうなものとして、手数料格安の投資信託を何度か勧めています。



それでも相場変動で一時的に含み損になるのは避けられないし、不運が重なればトータルで損もありえます。

そうして得られる投資利益は年5%以下という所で、多くは年間利回り3%以下でしょう。

これは利回りが大きい投資ほどリスクが大きく、リスクが最小限の投資は必然的に利回りも最小になるからです。


政府やアナリストは盛んに投資を勧めますが、一定確率でお金が減るのを考えれば、投資はそれほど素晴らしいものではないです。

仮に孫正義のように10兆円も運用できるなら年間3%は3000億円ですが、100万円だったら年3万円、10万円なら年3千円に過ぎません。

数万円や数千円のために投資につかう労力と、10兆円投資も基本的には同じような事です。

例え数千円の投資でも真剣に考えてやらなければ、絶対に勝つことはできません。


数億円やもっと多くを投資するのも数千円を増やしていくのも同じなので、元手が少ないと割に合わないのです。

物価上昇分程度の利回りで良いなら別ですが、それ以上の利益を得るには人生を賭けるくらいの努力が必要になります。


投資よりバイトがましな真実

投資で副収入を得ようとして、相当な努力をしても保証がないのが投資であり、少額だから勝ち易いという事はありません。

投資額が1千万円以下だったら、投資のために使う労力と結果は、まったく釣り合わないのです。

毎月の小遣いを積み立て投資して利益が出るまで放置、というのがせいぜいでしょう。


投資額100万円の人が年間確実に得られる期待利益は3万円以下なので、時給1000円のバイト30時間分に相当します。

毎月3時間以下のバイトで100万円を1年間投資するのと同じ結果が得られ、しかもバイトは必ず約束したお金がもらえます。

100万円を投資した3%は「成功した場合」だけ貰える金額なので、非常に効率が悪いのが分かります。


最近はヤフオクとかメルカリとかで不用品を処分できるか、家の中の不用品を処分して年間3万円の売り上げはそう難しくないでしょう。

数十万円とか数100万円を投資するために毎日不眠不休で頑張るより、フリマやオークションで何か売ったほうがずっとマシです。

数年間投資で頑張ったが収支はマイナスで心身ともにボロボロという人の方が、投資成功者よりずっと多いのです。
http://www.thutmosev.com/archives/79421347.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/907.html#c10

[近代史3] 皇族初夜の儀式「三箇夜餅の儀」 _ 朝鮮半島由来のシルトックという餅を使う儀式 中川隆
3. 中川隆[-11068] koaQ7Jey 2019年3月30日 07:47:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[953]

天皇陛下との晩餐で、歴史学者の江上波夫さんが昭和天皇に質問したそうだ。
陛下は、オフレコならばと前置きして答えられたそうだ。

Q:先祖は、どこから来たものだと思われますか?

A:朝鮮半島だと思う。

Q:どうしてそう思われますか?

A:皇室の重要な行事のなかで、お供えするもので、シルトックという餅がある。
これが、朝鮮半島由来のものだから、そう思います。


と答えられた。


▲△▽▼


みぽりんの韓国歳時記
シルトック ー古代のお餅ー
http://www.geocities.co.jp/SweetHome/6347/c3.html


近所の市場に、キムチや塩を貯蔵するときに使う瓶を買いに行った時のことです。買い物を済ませてから、そこら辺に並べてある、壺や植木鉢も見物していたのですが、何やら植木鉢のように見える焼き物を発見しました。というのは見た目には植木鉢そっくりなのですが、底の穴が1個ではなく、3個くらいあるのです。

「パンジーを植えたらぴったりだけど、これでは土や小石が水と一緒に流れ出てしまう。一体これは何かしら。」と数ヶ月間考えたのですが、ある日女性雑誌に「シルを使って作るお餅」という特集を見つけました。そしてこの底にボコボコと穴の開いている器が、植木鉢ではなく、「シルトック」という名前のお餅を作るときに使う道具「シル」だということが分かったのです。  

シルトックはこの「シル」の底に、「シルミッ」という底敷きをひき、その上にうるち米の粉を入れて、底の穴を通して上がってくる、高温の蒸気で蒸して作るお餅です。紀元前の青銅器時代の住居跡からも「シル」が出土していて、韓国の最古のお餅と言っても過言ではないと思います。

ーいろいろなシルトックー  

さて一口にシルトックと言っても、歴史が長いだけあって、バラエティーに富んでいて、作る人やお店によっても千差万別、何種類あるのか分からないくらいです。さすが古代のお餅はすごいな、と感嘆してしまいます。   

まずはシルトックの代表格、「ベクソルギ(白雪肌)」。
うるち米の粉に少量の水と白砂糖を交ぜて作るので、出来上がったお餅が真っ白なところから、この名前が付きました。でもいくら上手に作っても、あまりお勧めできる味にはなりません。主材料がお米の粉と砂糖だけなのですから、それも当然のことでしょう。

子供の百日祝いや、一歳の誕生日には欠かせないお餅なのですが、まるで白いブロックの山のように、積み上げられたベクソルギは、食用と言うよりも観賞用で、食欲がグッと落ちてしまいます。

次は、ぱさぱさに煮た小豆とお米の粉を、サンドイッチの様に交互に入れて作るパッシルトック(パッは小豆のこと)です。

普通シルトックと言ったら、これを指すくらい有名で、シルトックの代名詞ようになっています。特にお店の開店祝いには欠かせないお餅なのですが、これも味の方は今一歩で、「あの美味しくない小豆のお餅。。。」などと悪口を言われている、悪名高きお餅です。

5色や7色に見事に層を作ったムジゲトック(ムジゲは虹)も、お祝いの席ではとても人気のお餅ですが、見た目ほど美味しくないのが難点です。今度こそ美味しいはずだと、期待して食べて、失望してしまった人は私だけではないはずです。  

さてシルトックも栗やナツメ、干しぶどう、ユズの砂糖付けなどがたっぷり入ったザッカビョン(雑果餅)や、ヨモギの粉を混ぜて作ったスッkトック(スッkはヨモギの意味)、カボチャ入りのホバクトック(ホバクはカボチャのこと)など、盛りだくさんに具をミックスしたものは非常に美味です。ただどれも出来損ないの蒸しパンのように、口当たりが、ぼそぼそがさがさとしていて、手放しで誉めまくれないのが残念なところです。そして昔ながらのシルトックは、「うっ!何だこれは」の一言で終わってしまう。う〜ん。苦しいところですね。
http://www.geocities.co.jp/SweetHome/6347/c3.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/313.html#c3

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
194. 中川隆[-11067] koaQ7Jey 2019年3月30日 07:48:26 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[954]
天皇陛下との晩餐で、歴史学者の江上波夫さんが昭和天皇に質問したそうだ。
陛下は、オフレコならばと前置きして答えられたそうだ。


Q:先祖は、どこから来たものだと思われますか?

A:朝鮮半島だと思う。

Q:どうしてそう思われますか?

A:皇室の重要な行事のなかで、お供えするもので、シルトックという餅がある。
これが、朝鮮半島由来のものだから、そう思います。


と答えられた。


▲△▽▼


みぽりんの韓国歳時記
シルトック ー古代のお餅ー
http://www.geocities.co.jp/SweetHome/6347/c3.html


近所の市場に、キムチや塩を貯蔵するときに使う瓶を買いに行った時のことです。買い物を済ませてから、そこら辺に並べてある、壺や植木鉢も見物していたのですが、何やら植木鉢のように見える焼き物を発見しました。というのは見た目には植木鉢そっくりなのですが、底の穴が1個ではなく、3個くらいあるのです。

「パンジーを植えたらぴったりだけど、これでは土や小石が水と一緒に流れ出てしまう。一体これは何かしら。」と数ヶ月間考えたのですが、ある日女性雑誌に「シルを使って作るお餅」という特集を見つけました。そしてこの底にボコボコと穴の開いている器が、植木鉢ではなく、「シルトック」という名前のお餅を作るときに使う道具「シル」だということが分かったのです。  

シルトックはこの「シル」の底に、「シルミッ」という底敷きをひき、その上にうるち米の粉を入れて、底の穴を通して上がってくる、高温の蒸気で蒸して作るお餅です。紀元前の青銅器時代の住居跡からも「シル」が出土していて、韓国の最古のお餅と言っても過言ではないと思います。

ーいろいろなシルトックー  

さて一口にシルトックと言っても、歴史が長いだけあって、バラエティーに富んでいて、作る人やお店によっても千差万別、何種類あるのか分からないくらいです。さすが古代のお餅はすごいな、と感嘆してしまいます。   

まずはシルトックの代表格、「ベクソルギ(白雪肌)」。
うるち米の粉に少量の水と白砂糖を交ぜて作るので、出来上がったお餅が真っ白なところから、この名前が付きました。でもいくら上手に作っても、あまりお勧めできる味にはなりません。主材料がお米の粉と砂糖だけなのですから、それも当然のことでしょう。

子供の百日祝いや、一歳の誕生日には欠かせないお餅なのですが、まるで白いブロックの山のように、積み上げられたベクソルギは、食用と言うよりも観賞用で、食欲がグッと落ちてしまいます。

次は、ぱさぱさに煮た小豆とお米の粉を、サンドイッチの様に交互に入れて作るパッシルトック(パッは小豆のこと)です。

普通シルトックと言ったら、これを指すくらい有名で、シルトックの代名詞ようになっています。特にお店の開店祝いには欠かせないお餅なのですが、これも味の方は今一歩で、「あの美味しくない小豆のお餅。。。」などと悪口を言われている、悪名高きお餅です。

5色や7色に見事に層を作ったムジゲトック(ムジゲは虹)も、お祝いの席ではとても人気のお餅ですが、見た目ほど美味しくないのが難点です。今度こそ美味しいはずだと、期待して食べて、失望してしまった人は私だけではないはずです。  

さてシルトックも栗やナツメ、干しぶどう、ユズの砂糖付けなどがたっぷり入ったザッカビョン(雑果餅)や、ヨモギの粉を混ぜて作ったスッkトック(スッkはヨモギの意味)、カボチャ入りのホバクトック(ホバクはカボチャのこと)など、盛りだくさんに具をミックスしたものは非常に美味です。ただどれも出来損ないの蒸しパンのように、口当たりが、ぼそぼそがさがさとしていて、手放しで誉めまくれないのが残念なところです。そして昔ながらのシルトックは、「うっ!何だこれは」の一言で終わってしまう。う〜ん。苦しいところですね。
http://www.geocities.co.jp/SweetHome/6347/c3.html

http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c194

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
178. 中川隆[-11066] koaQ7Jey 2019年3月30日 07:49:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[955]

天皇陛下との晩餐で、歴史学者の江上波夫さんが昭和天皇に質問したそうだ。
陛下は、オフレコならばと前置きして答えられたそうだ。

Q:先祖は、どこから来たものだと思われますか?

A:朝鮮半島だと思う。

Q:どうしてそう思われますか?

A:皇室の重要な行事のなかで、お供えするもので、シルトックという餅がある。
これが、朝鮮半島由来のものだから、そう思います。


と答えられた。


▲△▽▼


みぽりんの韓国歳時記
シルトック ー古代のお餅ー
http://www.geocities.co.jp/SweetHome/6347/c3.html


近所の市場に、キムチや塩を貯蔵するときに使う瓶を買いに行った時のことです。買い物を済ませてから、そこら辺に並べてある、壺や植木鉢も見物していたのですが、何やら植木鉢のように見える焼き物を発見しました。というのは見た目には植木鉢そっくりなのですが、底の穴が1個ではなく、3個くらいあるのです。

「パンジーを植えたらぴったりだけど、これでは土や小石が水と一緒に流れ出てしまう。一体これは何かしら。」と数ヶ月間考えたのですが、ある日女性雑誌に「シルを使って作るお餅」という特集を見つけました。そしてこの底にボコボコと穴の開いている器が、植木鉢ではなく、「シルトック」という名前のお餅を作るときに使う道具「シル」だということが分かったのです。  

シルトックはこの「シル」の底に、「シルミッ」という底敷きをひき、その上にうるち米の粉を入れて、底の穴を通して上がってくる、高温の蒸気で蒸して作るお餅です。紀元前の青銅器時代の住居跡からも「シル」が出土していて、韓国の最古のお餅と言っても過言ではないと思います。

ーいろいろなシルトックー  

さて一口にシルトックと言っても、歴史が長いだけあって、バラエティーに富んでいて、作る人やお店によっても千差万別、何種類あるのか分からないくらいです。さすが古代のお餅はすごいな、と感嘆してしまいます。   

まずはシルトックの代表格、「ベクソルギ(白雪肌)」。
うるち米の粉に少量の水と白砂糖を交ぜて作るので、出来上がったお餅が真っ白なところから、この名前が付きました。でもいくら上手に作っても、あまりお勧めできる味にはなりません。主材料がお米の粉と砂糖だけなのですから、それも当然のことでしょう。

子供の百日祝いや、一歳の誕生日には欠かせないお餅なのですが、まるで白いブロックの山のように、積み上げられたベクソルギは、食用と言うよりも観賞用で、食欲がグッと落ちてしまいます。

次は、ぱさぱさに煮た小豆とお米の粉を、サンドイッチの様に交互に入れて作るパッシルトック(パッは小豆のこと)です。

普通シルトックと言ったら、これを指すくらい有名で、シルトックの代名詞ようになっています。特にお店の開店祝いには欠かせないお餅なのですが、これも味の方は今一歩で、「あの美味しくない小豆のお餅。。。」などと悪口を言われている、悪名高きお餅です。

5色や7色に見事に層を作ったムジゲトック(ムジゲは虹)も、お祝いの席ではとても人気のお餅ですが、見た目ほど美味しくないのが難点です。今度こそ美味しいはずだと、期待して食べて、失望してしまった人は私だけではないはずです。  

さてシルトックも栗やナツメ、干しぶどう、ユズの砂糖付けなどがたっぷり入ったザッカビョン(雑果餅)や、ヨモギの粉を混ぜて作ったスッkトック(スッkはヨモギの意味)、カボチャ入りのホバクトック(ホバクはカボチャのこと)など、盛りだくさんに具をミックスしたものは非常に美味です。ただどれも出来損ないの蒸しパンのように、口当たりが、ぼそぼそがさがさとしていて、手放しで誉めまくれないのが残念なところです。そして昔ながらのシルトックは、「うっ!何だこれは」の一言で終わってしまう。う〜ん。苦しいところですね。
http://www.geocities.co.jp/SweetHome/6347/c3.html

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c178

[リバイバル3] 中川隆 _ 経済、ビジネス関係投稿リンク 中川隆
66. 2019年3月30日 10:55:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[953]
中野剛志 _ アメリカで大論争の「現代貨幣理論」とは何か
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/314.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/813.html#c66
[リバイバル3] 日本一の音楽喫茶 阿蘇 オーディオ道場 中川隆
13. 中川隆[-11068] koaQ7Jey 2019年3月30日 11:20:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[954]

久しぶりにオーディオ道場に行ってきました - Mr.トレイルのオーディオ回り道 2019年03月30日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/236c4f02f1e9cef318194514b7601986

珍しく1年以上もオーディオ道場に行っていませんでした。今回、ディネッセンのアンプの修理を「ゴットハンド」にお願いしに持って行ってきました。

久しぶりなので、いつもの登り口が行き辛くなっていました。そこで遠回りをしてゆっくり行きました。道場に着いて入り口を見ると張り紙してあります。「2018年3月をもって廃業します・・・」の文言が・・・。幸いにも「アトリエ」の方で絵を描いているとの事でしたので、早速アトリエの方に行きましたら、元気なマスターにお会いする事が出来ました。今回は先客が有り、3名の20代前半の男女の方達。マスターがコーヒーを入れてくれました。

道場の方に移って、久しぶりにサウンドを聴かせていただきました。若い3人組の方と一緒に。

眺めてみるとまたスピーカーが増えています。

奥の部屋に有ったトーレンスのリファレンスが表に出ています。他にもマイクロのターンテーブル類が増えています。かなりアナログプレーヤー機器が増えています。

アンプ類も管球・TR型共に増えています。相変わらず足の踏み場もない様な機器が転がっています。

CDPもスチューダーのD730に変わっていました。電蓄のクレデンザやB&WのモニターSP等ごろごろしています。オーディオ好きな人間には眺めるだけでもワクワクしますね。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/236c4f02f1e9cef318194514b7601986



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/713.html#c13

[リバイバル3] 果汁100%の濃縮還元ジュースは農薬入り砂糖水を飲むのと変わらない 中川隆
2. 中川隆[-11067] koaQ7Jey 2019年3月30日 11:25:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[955]

加糖ジュース、「飲めば飲むほど死亡リスク高まる」米研究で
https://www.newsweekjapan.jp/stories/woman/2019/03/post-155.php
2019年03月29日(金)17時20分 松丸さとみ ニューズウィーク


12万人弱のデータを追跡して...... monticelllo-iStock


<アメリカで12万人弱を対象に行われた大規模な調査で、加糖清涼飲料を飲みすぎると、心臓病やがんで死亡するリスクが高まることがわかった>

■12万人弱のデータを追跡

炭酸飲料やスポーツドリンクなど甘いジュースを飲みすぎると、心臓病やがんで死亡するリスクが高まることが、12万人弱を対象に行われた大規模な調査で明らかになった。米国心臓協会が発行する学術誌「サーキュレーション」に発表された。

米ニュース専門チャンネルCNBCは、「加糖清涼飲料を飲めば飲むほど心臓病で死亡するリスクが高まる」と伝えている。

調査は、ライフスタイルや食事について数十年にわたりアンケート用紙を送り、継続的に回答してもらう形で集めたデータを使用。男性3万7716人(収集期間1986〜2014年)と女性8万647人(収集期間1980〜2014年)の合計11万8363人分のデータを米ハーバード大学の研究者チームが分析した。

なお、もともと心臓病やがんなどがあった人はあらかじめ対象外となっている。また、ここでの「1杯」とは、通常サイズのコップ、ボトル、缶のいずれかを指すという。

調査は、清涼飲料水のうち、炭酸飲料やジュースなど自然の砂糖を加えたものと人工甘味料を使用したものをそれぞれ調べた。報告書によると、自然の砂糖を加えた清涼飲料を1日に2杯以上飲んでいた人は、あまり飲んでいなかった人と比べ、心臓疾患で死亡するリスクが31%高かった。自然の砂糖の清涼飲料の摂取が1杯増えるごとに、心臓病に関連する要因で死亡するリスクが10%高まったという。

また、心臓病ほどではないにせよ、砂糖を加えた清涼飲料は乳がんと大腸がんを誘引するリスクを高めることも示唆された。

一方で、人工甘味料を使用した清涼飲料の場合は、飲む量が多い人(1日4杯以上)に限り心臓疾患で死亡するリスクがあったという。がんで死亡するリスクは見られなかった。

■報告書は「水」を奨励、業界団体は反発

報告書によると、自然の砂糖を使った清涼飲料を1日1杯、人工甘味料のものに切り替えれば、死亡のリスクが全体で4%、心臓疾患関連の死亡リスクは5%、それぞれ低下する。そのため報告書は、砂糖を加えた清涼飲料の摂取を控え、人工甘味料のものに切り替えることを勧めている。

CNBCによると、報告書の筆頭執筆者である米ハーバード大学のヴァサンティ・マリク博士が考える「加糖飲料の適量」は「ゼロ」だ。しかし週に1杯か2杯程度なら健康への影響はあまりないだろうとしている。とはいえ、やはりおすすめのドリンクは「水」だという。

米大手清涼飲料メーカーの多くが加盟している、業界を代表する団体である米国清涼飲料協会は、今回の調査結果には反対との姿勢を示している。米ニュースサイト、クオーツによると同協会は声明の中で、「ソフトドリンクは、我々の業界が作るどの清涼飲料とも同じように、バランスのいい食生活の一部とするのに安全な飲み物だ。我々の業界の飲み物で使用されている砂糖は、他の食品に使用されている砂糖と同じものである」と述べている。

なお、米国では複数の都市で、炭酸飲料などの加糖清涼飲料に課税する「ソーダ税」を導入している。糖尿病や心臓疾患、虫歯など砂糖に関連した疾患を減らすのが狙いだ。(ロイター通信)によると2015年に全米でいち早く同税を導入した米カリフォルニア州バークレーでは、税導入前と比べ、バークレー住人のソフトドリンクの消費量は半減しており、変わって水の消費量が29%増えたという。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/909.html#c2

[リバイバル3] 中川隆 _ 欧米文化関係投稿リンク 中川隆
72. 2019年3月30日 11:41:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[956]
世界を支配する者たちの隠された歴史 _ ロックフェラー、ロスチャイルドは王族、貴族の「下僕」にしか過ぎない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/315.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/464.html#c72
[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
188. 中川隆[-11066] koaQ7Jey 2019年3月30日 11:55:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[957]

2019.3.28 週刊ダイヤモンド編集部+ 
株・債権・為替「機械取引」の正体、個人は短期の振れを追うな
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/725.html

株・債権・為替「機械取引」の正体、個人は短期の振れを追うな
『週刊ダイヤモンド』3月30日号の第1特集は「株・為替の新格言」です。

昨年10、12月の株価急落に、年明け早々の外国為替市場の短時間の急変動。主犯として機械取引が挙げられますが、中央銀行による相場への影響も大きいものとなっています。高頻度な取引を繰り返すHFTに加えて、高度な数式モデルを駆使して運用するヘッジファンド。その実態に迫りました。

「30年以上にわたり運用業界にいるが、クリスマスにこれほど相場が動いたのは初めて。衝撃だった」

 そう話すのは、富国生命投資顧問の林宏明常務取締役だ。昨年の株式相場は長らく続いたゴルディロックス(適温)相場から一転、2月のVIXショックや10、12月に相次いで起こった株価の暴落など、冷や水を浴びせられた。

 とりわけ12月は、クリスマスの12月25日にダウ工業株30種平均が約653ドル下落。それにつられて日経平均株価は約1000円もの大暴落となり、市場関係者を凍り付かせた。

 従来、米国での12月の相場といえば節税対策のために株式を売却することから株安傾向となるものの、株価は大きく動かない(年末から上昇する)というのが、市場の「アノマリー」(明確な根拠はないが、よく当たる相場における経験則)だ。とりわけ、クリスマスは市場関係者が休暇を取るため、「動かない相場だった」(林氏)。

 こうした相場変動に加え、年始の1月3日には早朝という時間帯にもかかわらず、わずか数分の間に1ドル当たり4円も上昇するという異変も起きた。

 これら“薄商い”のタイミングでの相場の大変動に対し、犯人説として挙がってくるのが、コンピューターが自動で注文を出す機械取引の存在だ。とりわけ、超高速で取引を繰り返す、「HFT(高頻度取引)悪玉論」が根強い。

 確かに、機関投資家からの注文を証券会社の人間が処理することは減り、あらかじめ定めておいた手順に従って、コンピューターが自動的に注文の数量やタイミングを判断する取引が増えている。いわゆる「アルゴリズム取引」だ。

 こうした取引は古くからあるが、AI技術の進化により、近年高度化が著しい。それは金融市場において、「超高速化」と「高難度化」の二つに大別される(下図参照)。


 まず、超高速化については、先のHFTの台頭が注目されている。マイクロ秒(100万分の1秒)単位で発注を繰り返す高速取引のことで、2010年5月に米株式市場で起こった「フラッシュクラッシュ」の主因とされている。

 日本においても、10年に東京証券取引所がアローヘッドを稼働させてHFTの環境が整った。東証の近くに「コロケーションエリア」を開設し、そこに置かれたサーバーにHFT業者がさまざまな売買プログラムを入力、アルゴリズム取引を行っている。

 金融庁によれば、東証の全取引に占めるコロケーションエリアからの注文は件数ベースで75%。「その半数以上がHFTだろう」と、複数の専門家たちはみる。

 いきおい膨大な受発注を繰り返すことで相場を支配、価格を操っているかに見えるが、さにあらず。「HFTが相場変動の振れ幅を増長している面もあるが、相場のゆがみをいち早く見つけてサヤ取りを行うことで、むしろ早期のゆがみ是正につながっている」というのが市場関係者の大方の見方だ。

 仮に、市場を支配するような存在であるならば巨額の利益を稼いでいるはずだが、そうした様は見当たらない。むしろ、「HFT最大手のバーチュでさえも厳しく、事業の多角化でしのいでいる状態」と、ある市場関係者は指摘する。

 実際、HFTのビジネスモデルは、相場でいう「1カイ2ヤリ」に近い。つまり、101円で買って102円で売る取引を超高速で行っているようなもの。ただし相場が逆に振れれば損をするので、その兆候をいち早く見つけて売買するために、スピードを速める技術を競い合っているというわけだ。

 例えば、CPUとメモリー間の電子的な距離すら縮めるため、「直接プログラムを書き込める特殊なチップを採用するケースもある」と、スパークス・アセット・マネジメントの水田孝信上席研究員は言う。

 一方で、HFTが市場に大量の流動性を供給しているという側面も見逃せない。占有率の高さは、裏を返せば、「HFT業者がいなくなれば、東京の株式市場はスカスカになるということ」だと別の市場関係者は指摘する。

 とはいえ、HFTの実態が不透明なのも確かだ。そこで金融庁は登録制度を進めているが、規制を厳しくすれば東京からHFTが去ることにもなりかねず、痛しかゆしといったところが実情だ。

 次に高難度化について見ていこう。こちらのアルゴリズムは、複雑な数理モデルを組んで高度な運用を行うクオンツ系のヘッジファンドで利用されることが多い。
 スピード重視のHFTとは異なり、クオンツで使う際のアルゴリズムは複雑なため、「HFTと比べるとスピードは格段に遅い」と、あるヘッジファンド関係者は話す。

 では、そのクオンツ系アルゴリズムについて、昨年11月に野村アセットマネジメントがリリースして話題を呼んだ投資信託「ダブル・ブレイン」を例に見てみよう。

 株と債券は、「逆相関」の関係にあるというのが定説だ。金利が低下すれば株価が上がり、片や債券価格は下がるといった具合だ。こうした局面にあるとみれば、株をロング(売り持ち)し、債券をショート(買い持ち)して運用する。


 逆もしかりだが、問題なのは、株と債券が同時に下落すること。実は前述の図のように株と債券の逆相関は2000年以降のことで、株と債券の同時安は現在でも起こり得る。実際、下図のように、10分置きという短い間隔で相関をチェックすれば、共に下落する局面が浮かび上がる。こうした“予兆”を高い確率で見抜けるのが、最新のアルゴリズムというわけだ。


 これら超高速化を極めたHFTと超難解な数式モデルを搭載した“電脳”が跋扈する相場は、かつてより振れ幅が大きくなるが、一方でゆがみの収縮も速い。個人投資家は、短期の“振れ”は無視するに越したことはないだろう。
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/725.html



http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c188

[近代史02] 知らぬが仏 _ FX は『ネットパチンコ』 _ 金はすべて胴元に取られる 中川隆
29. 中川隆[-11065] koaQ7Jey 2019年3月30日 11:56:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[958]

2019.3.28 週刊ダイヤモンド編集部+ 
株・債権・為替「機械取引」の正体、個人は短期の振れを追うな
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/725.html

株・債権・為替「機械取引」の正体、個人は短期の振れを追うな
『週刊ダイヤモンド』3月30日号の第1特集は「株・為替の新格言」です。

昨年10、12月の株価急落に、年明け早々の外国為替市場の短時間の急変動。主犯として機械取引が挙げられますが、中央銀行による相場への影響も大きいものとなっています。高頻度な取引を繰り返すHFTに加えて、高度な数式モデルを駆使して運用するヘッジファンド。その実態に迫りました。

「30年以上にわたり運用業界にいるが、クリスマスにこれほど相場が動いたのは初めて。衝撃だった」

 そう話すのは、富国生命投資顧問の林宏明常務取締役だ。昨年の株式相場は長らく続いたゴルディロックス(適温)相場から一転、2月のVIXショックや10、12月に相次いで起こった株価の暴落など、冷や水を浴びせられた。

 とりわけ12月は、クリスマスの12月25日にダウ工業株30種平均が約653ドル下落。それにつられて日経平均株価は約1000円もの大暴落となり、市場関係者を凍り付かせた。

 従来、米国での12月の相場といえば節税対策のために株式を売却することから株安傾向となるものの、株価は大きく動かない(年末から上昇する)というのが、市場の「アノマリー」(明確な根拠はないが、よく当たる相場における経験則)だ。とりわけ、クリスマスは市場関係者が休暇を取るため、「動かない相場だった」(林氏)。

 こうした相場変動に加え、年始の1月3日には早朝という時間帯にもかかわらず、わずか数分の間に1ドル当たり4円も上昇するという異変も起きた。

 これら“薄商い”のタイミングでの相場の大変動に対し、犯人説として挙がってくるのが、コンピューターが自動で注文を出す機械取引の存在だ。とりわけ、超高速で取引を繰り返す、「HFT(高頻度取引)悪玉論」が根強い。

 確かに、機関投資家からの注文を証券会社の人間が処理することは減り、あらかじめ定めておいた手順に従って、コンピューターが自動的に注文の数量やタイミングを判断する取引が増えている。いわゆる「アルゴリズム取引」だ。

 こうした取引は古くからあるが、AI技術の進化により、近年高度化が著しい。それは金融市場において、「超高速化」と「高難度化」の二つに大別される(下図参照)。


 まず、超高速化については、先のHFTの台頭が注目されている。マイクロ秒(100万分の1秒)単位で発注を繰り返す高速取引のことで、2010年5月に米株式市場で起こった「フラッシュクラッシュ」の主因とされている。

 日本においても、10年に東京証券取引所がアローヘッドを稼働させてHFTの環境が整った。東証の近くに「コロケーションエリア」を開設し、そこに置かれたサーバーにHFT業者がさまざまな売買プログラムを入力、アルゴリズム取引を行っている。

 金融庁によれば、東証の全取引に占めるコロケーションエリアからの注文は件数ベースで75%。「その半数以上がHFTだろう」と、複数の専門家たちはみる。

 いきおい膨大な受発注を繰り返すことで相場を支配、価格を操っているかに見えるが、さにあらず。「HFTが相場変動の振れ幅を増長している面もあるが、相場のゆがみをいち早く見つけてサヤ取りを行うことで、むしろ早期のゆがみ是正につながっている」というのが市場関係者の大方の見方だ。

 仮に、市場を支配するような存在であるならば巨額の利益を稼いでいるはずだが、そうした様は見当たらない。むしろ、「HFT最大手のバーチュでさえも厳しく、事業の多角化でしのいでいる状態」と、ある市場関係者は指摘する。

 実際、HFTのビジネスモデルは、相場でいう「1カイ2ヤリ」に近い。つまり、101円で買って102円で売る取引を超高速で行っているようなもの。ただし相場が逆に振れれば損をするので、その兆候をいち早く見つけて売買するために、スピードを速める技術を競い合っているというわけだ。

 例えば、CPUとメモリー間の電子的な距離すら縮めるため、「直接プログラムを書き込める特殊なチップを採用するケースもある」と、スパークス・アセット・マネジメントの水田孝信上席研究員は言う。

 一方で、HFTが市場に大量の流動性を供給しているという側面も見逃せない。占有率の高さは、裏を返せば、「HFT業者がいなくなれば、東京の株式市場はスカスカになるということ」だと別の市場関係者は指摘する。

 とはいえ、HFTの実態が不透明なのも確かだ。そこで金融庁は登録制度を進めているが、規制を厳しくすれば東京からHFTが去ることにもなりかねず、痛しかゆしといったところが実情だ。

 次に高難度化について見ていこう。こちらのアルゴリズムは、複雑な数理モデルを組んで高度な運用を行うクオンツ系のヘッジファンドで利用されることが多い。
 スピード重視のHFTとは異なり、クオンツで使う際のアルゴリズムは複雑なため、「HFTと比べるとスピードは格段に遅い」と、あるヘッジファンド関係者は話す。

 では、そのクオンツ系アルゴリズムについて、昨年11月に野村アセットマネジメントがリリースして話題を呼んだ投資信託「ダブル・ブレイン」を例に見てみよう。

 株と債券は、「逆相関」の関係にあるというのが定説だ。金利が低下すれば株価が上がり、片や債券価格は下がるといった具合だ。こうした局面にあるとみれば、株をロング(売り持ち)し、債券をショート(買い持ち)して運用する。


 逆もしかりだが、問題なのは、株と債券が同時に下落すること。実は前述の図のように株と債券の逆相関は2000年以降のことで、株と債券の同時安は現在でも起こり得る。実際、下図のように、10分置きという短い間隔で相関をチェックすれば、共に下落する局面が浮かび上がる。こうした“予兆”を高い確率で見抜けるのが、最新のアルゴリズムというわけだ。


 これら超高速化を極めたHFTと超難解な数式モデルを搭載した“電脳”が跋扈する相場は、かつてより振れ幅が大きくなるが、一方でゆがみの収縮も速い。個人投資家は、短期の“振れ”は無視するに越したことはないだろう。
http://www.asyura2.com/19/hasan131/msg/725.html



http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/892.html#c29

[昼休み53] 女子高生コンクリート詰め殺人事件 中川隆
127. 中川隆[-11064] koaQ7Jey 2019年3月30日 12:16:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[959]

女子高生コンクリ殺人 元少年が傷害事件の公判で裁判官に噛みつく 2019年03月06日
https://friday.kodansha.co.jp/article/34392


「なんで?なんで?」

坊主頭にアシックスの紺色ジャージ上下で法廷に現れた湊伸治被告は、程よく肉付きのよい中年となっていた。「被害者Aさんの首の後ろの傷は自分がつけたものではない」と主張するために必要な証拠を却下され、裁判官に興奮気味に問いかける。

「意見いいっすか、裁判官に手紙出したの届いてます? ナイフは頭に当たってない、捏造だと言ってるんです! 幅2センチ、深さ2センチの傷が……」

綾瀬・女子高生コンクリート殺人事件。東京都足立区で当時16歳から18歳の少年らが、見ず知らずの女子高校生(当時17)を拉致したうえ、一人の少年の家に監禁し、強姦や暴行を繰り返したのち死亡させ、その遺体をコンクリート詰めにして遺棄した凄惨な事件である。平成が始まったばかりの1989年に発覚し、世を震撼させたこの事件では、逮捕された主犯格の少年4人に対し実刑判決が下され、服役ののちそれぞれ社会復帰していた。

ところが昨年8月、女子高校生を監禁した家に住んでいた当時の少年、懲役4年以上6年以下の不定期刑を受けた湊伸治被告(46)が、埼玉県で逮捕された。同県川口市の路上で、当時32歳の男性の肩を警棒で殴り、首をナイフで刺したという殺人未遂容疑だ。その公判が現在、さいたま地裁(結城剛行裁判官)で開かれている。

ムエタイジムに所属していた当時の湊伸治容疑者。現在はこの頃よりがっしりしている

初公判は2月1日に行われた。逮捕容疑は殺人未遂罪で、そのまま起訴されれば裁判員裁判となるはずだったが、なぜか起訴罪名が傷害罪に変更されており、一人の裁判官が裁く単独事件となっていた。

この日読み上げられた起訴状によれば、湊被告は昨年8月19日の夕方、川口市の路上において、車に乗っていた男性Aさんの顔面を拳で数回殴り、その後車を降りたAさんの右肩を警棒で殴ったうえ、車に乗って立ち去ろうとしていたAさんの後頚部をナイフで刺したという。逮捕当初「殴ったり刺したりしたが、殺すつもりはなかった」と殺意は否認したものの行為自体は認めていた湊被告だったが、罪状認否では「えーと、警棒で右肩殴ったところ、ちょっと違う」と警棒で殴ったことを否認。ナイフで刺したことは認めていた。

ところが3月5日に開かれた第二回公判で再び主張が変遷。湊被告はAさんをナイフで刺したことも否認し始めた。弁護側が新たな証拠として、Aさんの“現在の”傷跡を撮影したいと証拠請求したが、裁判所は却下。これに納得いかない湊被告の発言が冒頭のシーンだ。

どうやら、湊被告は「自分が刺してはいない」という主張を、事前に手紙にしたため裁判官に直接送付していたようだ。裁判官も大きな声をさらに大きくして湊被告に呼びかけた。

「弁護人をすっ飛ばして、頭越しにあなたと直接やり取りすることはできないんです! その手紙は弁護人に渡してます! あなたのほうでどう考えるか、これ以上議論をするつもりはありませんっ!」

だが湊被告は止まらず、しばらく議論が続いたが「これから被告人質問であなたの主張を言う機会はあるから!」と裁判官が発言を抑え込み、Aさんの尋問が始まった。

湊伸治容疑者が男性を刃物で刺した事件現場。湊容疑者は近くのアパートに女性と住んでいたようだ

Aさんの供述によれば、事件の日、バーベキュー帰りに職場の後輩を助手席に乗せ、Aさんが運転する車で事件現場を通りかかると、湊被告が睨んでいることに気づいた。窓を開け「何見てんだよ」と言ったところ、湊被告に顔を殴られたという。

「ノシノシ歩いてきて殴られました。ん〜、5〜6発は入ってる。メガネぶっこわれて右のレンズが吹っ飛びました」(Aさん)

助手席の後輩が車を降り、湊被告ともみ合いに。これを止めようと湊被告を押さえつけ、手を離したところ警棒で殴られたのだと述べた。

「警棒で殴られて、よけて、先端が右肩に当たって切れた。そりゃ痛いっすよ。鈍器で殴られた痛みっすかね。(それが警棒だと分かったのは湊被告から警棒を)没収した時。そしたら警棒だった。すげえ、警棒普段から持ってんだ、やっべーと」(同)

その後、車に乗り込み立ち去り際に首を刺され、後輩に「血が出てます」と指摘を受け、首だけでなく警棒で殴られた肩からも血が出ていることに気づいたのだという。

「『大事になりそうだから行くよ』って(後輩に)言って二人で車に乗った。窓を開けっ放しだったから、そこから(首を)やられた」(同)

その後、病院で、後頚部を縫う処置をしてもらったが、仕事が忙しく抜糸に行けず、自分で糸を抜いたとAさんは語った。最後に処罰感情を問われ「これで、拘置所に入っただけで出てこられるんだったら、世の中ナイフで喧嘩しても出てこられるんだと思っちゃいますよね」と、厳しい処罰を望んでいた。

当日の様子を赤裸々に語ったAさんの尋問が終わったのちも、湊被告は「自分が刺したのではない」という主張を変えなかった。そのため、当初は予定されていなかった「Aさんの処置を行った医師」の証人尋問が今後行われる見通しだ。そして閉廷直前にも、ふたたび裁判官と湊被告とのバトルが繰り広げられた。声のボリュームはかなり大きめだ。

湊被告 「医者が言ってるんだったら、それは捏造だと思う!」
裁判官 「『ナイフによる攻撃は首には当たってない、仮に傷があるとすればそれは医師の捏造だ』とあなたは主張するんですか?」
湊被告 「医師というより、警察!」

こういった、支離滅裂なやり取りがこの後も続く。

裁判官 「初公判の法廷では『右肩は殴ってない、その他に間違いはない』と言っていたけど、今の話は違うわけね?」
湊被告 「いやそれは理由あるわけ! 結果だけ求めないで!」
裁判官 「なんで主張が変わったのかは後で十分聞くから。あのね、あなたとこうしてやり取りすること、イレギュラーなんです。直接あなたから裁判官に言われても、気持ちが先に立ってて主張を整理できないんです。法律のプロである弁護士がついてるんだから、ちゃんと打ち合わせて、その上で主張を出してほしいんですよ。今のあなたの言い分、弁護士と打ち合わせてください。あなたにとっても利益じゃないですよ!」

こうした議論を裁判官が打ち切り、今回は閉廷となった。「Aさんの首は刺していない」「警察の捏造である」と主張し始めた湊被告の公判はしばらく続く見通しだ。
https://friday.kodansha.co.jp/article/34392
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/458.html#c127

[昼休み52] 皇族初夜の儀式 中川隆
61. 中川隆[-11063] koaQ7Jey 2019年3月30日 12:39:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[960]

昭和天皇に質問したそうだ。
陛下は、オフレコならばと前置きして答えられたそうだ。

Q:先祖は、どこから来たものだと思われますか?
A:朝鮮半島だと思う。
Q:どうしてそう思われますか?
A:皇室の重要な行事のなかで、お供えするもので、シルトックという餅がある。
これが、朝鮮半島由来のものだから、そう思います。


____


みぽりんの韓国歳時記
シルトック ー古代のお餅ー
http://www.geocities.co.jp/SweetHome/6347/c3.html


近所の市場に、キムチや塩を貯蔵するときに使う瓶を買いに行った時のことです。買い物を済ませてから、そこら辺に並べてある、壺や植木鉢も見物していたのですが、何やら植木鉢のように見える焼き物を発見しました。というのは見た目には植木鉢そっくりなのですが、底の穴が1個ではなく、3個くらいあるのです。

「パンジーを植えたらぴったりだけど、これでは土や小石が水と一緒に流れ出てしまう。一体これは何かしら。」と数ヶ月間考えたのですが、ある日女性雑誌に「シルを使って作るお餅」という特集を見つけました。そしてこの底にボコボコと穴の開いている器が、植木鉢ではなく、「シルトック」という名前のお餅を作るときに使う道具「シル」だということが分かったのです。  

シルトックはこの「シル」の底に、「シルミッ」という底敷きをひき、その上にうるち米の粉を入れて、底の穴を通して上がってくる、高温の蒸気で蒸して作るお餅です。紀元前の青銅器時代の住居跡からも「シル」が出土していて、韓国の最古のお餅と言っても過言ではないと思います。

ーいろいろなシルトックー  

さて一口にシルトックと言っても、歴史が長いだけあって、バラエティーに富んでいて、作る人やお店によっても千差万別、何種類あるのか分からないくらいです。さすが古代のお餅はすごいな、と感嘆してしまいます。   

まずはシルトックの代表格、「ベクソルギ(白雪肌)」。
うるち米の粉に少量の水と白砂糖を交ぜて作るので、出来上がったお餅が真っ白なところから、この名前が付きました。でもいくら上手に作っても、あまりお勧めできる味にはなりません。主材料がお米の粉と砂糖だけなのですから、それも当然のことでしょう。

子供の百日祝いや、一歳の誕生日には欠かせないお餅なのですが、まるで白いブロックの山のように、積み上げられたベクソルギは、食用と言うよりも観賞用で、食欲がグッと落ちてしまいます。

次は、ぱさぱさに煮た小豆とお米の粉を、サンドイッチの様に交互に入れて作るパッシルトック(パッは小豆のこと)です。

普通シルトックと言ったら、これを指すくらい有名で、シルトックの代名詞ようになっています。特にお店の開店祝いには欠かせないお餅なのですが、これも味の方は今一歩で、「あの美味しくない小豆のお餅。。。」などと悪口を言われている、悪名高きお餅です。

5色や7色に見事に層を作ったムジゲトック(ムジゲは虹)も、お祝いの席ではとても人気のお餅ですが、見た目ほど美味しくないのが難点です。今度こそ美味しいはずだと、期待して食べて、失望してしまった人は私だけではないはずです。  

さてシルトックも栗やナツメ、干しぶどう、ユズの砂糖付けなどがたっぷり入ったザッカビョン(雑果餅)や、ヨモギの粉を混ぜて作ったスッkトック(スッkはヨモギの意味)、カボチャ入りのホバクトック(ホバクはカボチャのこと)など、盛りだくさんに具をミックスしたものは非常に美味です。ただどれも出来損ないの蒸しパンのように、口当たりが、ぼそぼそがさがさとしていて、手放しで誉めまくれないのが残念なところです。そして昔ながらのシルトックは、「うっ!何だこれは」の一言で終わってしまう。う〜ん。苦しいところですね。
http://www.geocities.co.jp/SweetHome/6347/c3.html


http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/851.html#c61

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
120. 中川隆[-11062] koaQ7Jey 2019年3月30日 12:54:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[961]
皇族初夜の儀式「三箇夜餅の儀」 _ 朝鮮半島由来のシルトックという餅を使う儀式

厳かに執り行われる皇族の初夜。神武天皇の染色体だか遺伝子だかは、こうして受け継がれていった…


皇族初夜の儀式は束帯と十二単の正式な衣装をまとって宮中三殿の賢所で行う「賢所大前の儀」や、親と子の杯を交わす「朝見の儀」ら、一連の結婚の儀をとどこおりなく終えると初夜を迎えるための準備「入浴潔斎の儀」を行う。

簡単に言えば、風呂に入って身を清めるということだが、花嫁は巫女と呼ばれる女官[正式には神社の娘(処女)だが、実際は皇族に仕える中高年の女性が大半]と一緒に入浴する。

浴室に入ると花嫁は、仁王立ちのまま一切自分の体に手を触れてはならず、巫女が服を脱がせ、体の隅々まで洗う。

隅々というからには外側から触れることのできる内部(耳・口・鼻からアソコ・肛門など)にも手指を入れて清める。

これは暗に花嫁の生殖機能を確かめる意味合いも併せ持つと言われている。

ちなみに花婿も巫女と一緒に入浴し、同様に体を清めてもらうのだが、この時の巫女は花婿にとってみそぎ相手でもあり、すでに生殖機能については確認済みということになる。

みそぎとはつまり筆おろしの意。これは皇族代々の風習で、皇族の直系男子は年頃(15歳から18歳)になるとみそぎを済ませる。正式にはみそぎの段取りを教え込まれた巫女、つまり性技に長けた処女がお相手を務めるが、実際は経験豊富な熟女の女官になる。

入浴潔斎の儀を終えると「初夜装束」と呼ばれる白い着物に着替えて(その下には一切下着をつけない)いよいよ初夜の床入り。これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、平安の時代から続く伝統的な儀式である。

まず、花嫁の歳の数だけの白餅を用意し、四枚の銀盤に乗せる。これを子宝に恵まれた老夫婦(主に子供のいる侍従上がりの人間)が初夜の寝床に運んで供える。新婚夫婦はこの餅をひとつずつ食べてから行為に及ぶ。元々は3日間繰り返すものであったが、近代は初夜のみとされる。要するに初めてのセックスで子宝に恵まれるよう霊力を与える儀式ということらしい。

さらに特筆すべきは、以上の儀式には夫と妻、それぞれの身分を保証する、一組の男女が介添人(仲人夫婦にあたる立場の人で部屋の隅で行為の一部始終を見届ける)として立ち会っていることと、儀式が終了した(性行為を終えた)ということを知らせる露見という、お披露目する点である。

露見とは、寝所の扉を開け壁代と呼ばれる衝立を外し、寝具の上に並んで座る夫婦の姿を廊下で待っていた親族に見せ、行為終了後は再び初夜装束に着替え、寝具(厚手の布団)の掛け布団を外しシーツに処女の証である血がついているところを見せるのが正式な方法である。

さらに皇族には「一世一代の秘事口伝」なるものがある。これは代々の帝が口頭で直接申し送りするもので…その中にはセックスに関する風習も多く含まれており初夜の段取りから作法、体位、出産しない時期の避妊法などが伝えられている。


この儀式、少なくとも大正天皇までは行われていただろうと推測される。それにしても、一般人にとっては驚愕の事ばかりだ。他人に初夜の一部始終を見てもらい、終いには「血のついたシーツ」を見せなければならない。

何れにしても、穢れを基本とした内容は、朝鮮半島からの影響が大きいと思われる。


歴代天皇で妾が一番多いのは、嵯峨天皇で29人。毎日違う女性を相手しても1ヶ月かかる。以下、桓武天皇が26人、清和天皇が25人、亀山天皇が21人、後醍醐天皇が20人となっている。金正日の喜び隊なみなのだ。
http://anarchist.seesaa.net/article/11013180.html


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皇族の性処理はタブー?天皇のセックス事情 2018年12月18日
https://thepartner.jp/3114


最近、小室圭さんと眞子様の婚約発表&延期や、新たな元号の発表でも話題の皇室。外からはうかがい知ることのできない世界ですが、そんな世界だからこそ気になってしまうの皇族のセックス事情。

天皇の初夜の迎え方や、やり方に関して特別なルールがあると言いますが、実際の所どうなのでしょうか。今回は、皇族のセックス・性処理事情について、歴史を踏まえて解説していきます。


天皇のセックスに関するしきたり

皇族には、代々の天皇から口頭で直接セックスに関する申し送りをするしきたりがあると言われています。これには皇室ならではのセックスに関する風習などが多く含まれており、初夜の作法、体位、出産しない時期の避妊法など多岐にわたります。

結婚をして、初夜を迎える者に対して代々申し伝えられているという仕組みです。こうした儀式・しきたりは、主に大正天皇の時代まで続けられていたと言われており、形式に変化はありつつも長い歴史の間続けられてきたと考えられています。

巫女の存在

こうしたしきたりの中でも重要な存在が、巫女です。皇室には巫女と呼ばれる女官が存在し、性において重要な役割を果たしてきました。女官は皇族の世話をおこなう女性たちのことで、性に関するものを含め多岐にわたる領域で役割を担ってきました。

皇室のセックスにおいては、巫女が重要な役割を果たしてきたと言われていますが、たとえば皇族の初夜において巫女がともに入浴するなど、数々の儀式において側には巫女がいたようです。

では、こうした儀式について見ていきましょう。

皇族の初夜の迎え方

皇族のセックスは巫女が手助けしますが、そのための準備や作法など、皇族の初夜はやらなければいけないことがたくさんあります。

初夜の床入りの際に白餅を用意しなければならなかったり、花婿と花嫁、巫女の3人で入浴をする入浴潔斎の儀など、皇族ではない私たちにとっては耳慣れないものばかり。

みそぎ

みそぎは皇室代々の風習で、皇族の直系男子である皇太子が、年頃(15歳から18歳頃)になると、性技に長けた巫女から性に関する技術を学ぶものです。

いわるゆる筆おろしの行為であり、このみそぎを担当した女官が巫女として、皇室男子の花婿とともに入浴をします。

入浴潔斎の儀

この入浴のことを、入浴潔斎(にゅうよくけっさい)の儀と呼びます。巫女とともに風呂に入り、体中を清めてもらいます。この際、花嫁も花婿も巫女とともに入浴すると言われています。

すでに述べた通り、ここで入浴する巫女はみそぎにおいて花婿に性に関する手ほどきをしており、花婿の生殖機能を確認しています。皇室にとって家系を途絶えさせないことは重要な役割のため、入浴潔斎の儀よりも前にみそぎを済まして、生殖機能に問題がないことを確認していることが大事なのです。

初夜装束を身につける

その後、花婿と花嫁は初夜を迎えますが、この時に初夜装束と呼ばれる着物を身に着けます。これは入浴潔斎の儀をすませた花嫁花婿が、初夜のために着る白い着物のことです。

この着物にはその下には一切何も下着をつけないと言われています。

初夜の床入り

いよいよ初夜の床入りですが、これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、初夜の床入りの際には白餅を用意します。

花嫁花婿はこの白餅を食べあうことで、初めてのセックスで子宝に恵まれるように霊力を与えることが願われます。

露見

床入りをへてセックスに至りますが、この際には介添人が、花嫁花婿のセックスの場に立ち会い、一部始終を見届けます。

またセックスが終わったあとは、寝所の扉を開けて、壁代と呼ばれる衝立を外し、寝具の上に並んで寝ている夫婦のシーツに処女の証である血がついているところを確認する役目も果たします。

現在の皇室におけるセックス事情は?

以上、皇室に代々伝わるセックスに関する話を紹介しました。皇室のセックスにおいては、巫女含めて3人で入浴をしたり、他人にセックスを見届けられなければいけなかったりと、一般人には驚きのしきたりが数多くあります。

もちろんこれらの儀式は、歴史的な皇室においておこなわれてたきもので、現在の天皇家において、どの程度まで続けられているかは不明です。一般的に、明治・大正天皇の時代までは儀式が重んじられていたと言われていますが、一部の儀式については現在も残っている可能性もあります。

ただし、人権意識が高まった現在においては、こうした儀式が天皇や皇室にとって負担になっている事実もあり、SPがついていたり、日々の行動が制限されているとはいえ、皇室や天皇も普通の人と同じような生活をすることが目指されていることから、あくまでも歴史的なセックスの儀式・しきたりだと考えていた方が良さそうです。
https://thepartner.jp/3114


▲△▽▼


>花嫁の歳の数だけの白餅を用意し、四枚の銀盤に乗せる。これを子宝に恵まれた老夫婦(主に子供のいる侍従上がりの人間)が初夜の寝床に運んで供える。

>新婚夫婦はこの餅をひとつずつ食べてから行為に及ぶ。

>いよいよ初夜の床入りですが、これは「三箇夜餅の儀」とも呼ばれ、初夜の床入りの際には白餅を用意します。

>花嫁花婿はこの白餅を食べあうことで、初めてのセックスで子宝に恵まれるように霊力を与えることが願われます。


昔、三宅さんから聞いた話 2012-11-16
あのころは、三宅さんに、竹村健一さん、飯島清さんが、


テレビで活躍中だった。


空港まで車で三宅さんを迎えに行った。


高速道路を走りながら車中で、


昭和天皇の話になった。


三宅さんが、日本史の江上波夫さんから聞いた話だと。


あの騎馬民族説の江上さんですね。


そう。


天皇陛下との晩餐で、歴史学者の江上波夫さんが、


昭和天皇に質問したそうだ。
陛下は、オフレコならばと前置きして答えられたそうだ。

Q:先祖は、どこから来たものだと思われますか?

A:朝鮮半島だと思う。

Q:どうしてそう思われますか?

A:皇室の重要な行事のなかで、お供えするもので、シルトックという餅がある。
これが、朝鮮半島由来のものだから、そう思います。


と答えられたと。


三宅さんは続けて、これはいまわれわれが普通に食べている、


もち米からの餅ではなくて、うるち米からつくる。


現在、文化庁は皇室の先祖の古墳を、保存という名目で閉鎖し公開してない。
古墳を公開すると、天皇家のルーツがはっきりするためだ。
と教えてくれた。


昭和天皇ゆかりの話をしたかったようだ。


いま、あのときの顔を思い出しています。


三宅さん、歯切れのいい話で、


日本の左傾化に歯止めを掛けていた。


やすらかにお眠りくださいますように。
https://blog.goo.ne.jp/akirakasan/e/a6f887959603d8e10b513314716d3643

[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理



▲△▽▼

天皇陛下との晩餐で、歴史学者の江上波夫さんが昭和天皇に質問したそうだ。
陛下は、オフレコならばと前置きして答えられたそうだ。

Q:先祖は、どこから来たものだと思われますか?

A:朝鮮半島だと思う。

Q:どうしてそう思われますか?

A:皇室の重要な行事のなかで、お供えするもので、シルトックという餅がある。
これが、朝鮮半島由来のものだから、そう思います。


と答えられた。


▲△▽▼


みぽりんの韓国歳時記
シルトック ー古代のお餅ー
http://www.geocities.co.jp/SweetHome/6347/c3.html


近所の市場に、キムチや塩を貯蔵するときに使う瓶を買いに行った時のことです。買い物を済ませてから、そこら辺に並べてある、壺や植木鉢も見物していたのですが、何やら植木鉢のように見える焼き物を発見しました。というのは見た目には植木鉢そっくりなのですが、底の穴が1個ではなく、3個くらいあるのです。

「パンジーを植えたらぴったりだけど、これでは土や小石が水と一緒に流れ出てしまう。一体これは何かしら。」と数ヶ月間考えたのですが、ある日女性雑誌に「シルを使って作るお餅」という特集を見つけました。そしてこの底にボコボコと穴の開いている器が、植木鉢ではなく、「シルトック」という名前のお餅を作るときに使う道具「シル」だということが分かったのです。  

シルトックはこの「シル」の底に、「シルミッ」という底敷きをひき、その上にうるち米の粉を入れて、底の穴を通して上がってくる、高温の蒸気で蒸して作るお餅です。紀元前の青銅器時代の住居跡からも「シル」が出土していて、韓国の最古のお餅と言っても過言ではないと思います。

ーいろいろなシルトックー  

さて一口にシルトックと言っても、歴史が長いだけあって、バラエティーに富んでいて、作る人やお店によっても千差万別、何種類あるのか分からないくらいです。さすが古代のお餅はすごいな、と感嘆してしまいます。   

まずはシルトックの代表格、「ベクソルギ(白雪肌)」。
うるち米の粉に少量の水と白砂糖を交ぜて作るので、出来上がったお餅が真っ白なところから、この名前が付きました。でもいくら上手に作っても、あまりお勧めできる味にはなりません。主材料がお米の粉と砂糖だけなのですから、それも当然のことでしょう。

子供の百日祝いや、一歳の誕生日には欠かせないお餅なのですが、まるで白いブロックの山のように、積み上げられたベクソルギは、食用と言うよりも観賞用で、食欲がグッと落ちてしまいます。

次は、ぱさぱさに煮た小豆とお米の粉を、サンドイッチの様に交互に入れて作るパッシルトック(パッは小豆のこと)です。

普通シルトックと言ったら、これを指すくらい有名で、シルトックの代名詞ようになっています。特にお店の開店祝いには欠かせないお餅なのですが、これも味の方は今一歩で、「あの美味しくない小豆のお餅。。。」などと悪口を言われている、悪名高きお餅です。

5色や7色に見事に層を作ったムジゲトック(ムジゲは虹)も、お祝いの席ではとても人気のお餅ですが、見た目ほど美味しくないのが難点です。今度こそ美味しいはずだと、期待して食べて、失望してしまった人は私だけではないはずです。  

さてシルトックも栗やナツメ、干しぶどう、ユズの砂糖付けなどがたっぷり入ったザッカビョン(雑果餅)や、ヨモギの粉を混ぜて作ったスッkトック(スッkはヨモギの意味)、カボチャ入りのホバクトック(ホバクはカボチャのこと)など、盛りだくさんに具をミックスしたものは非常に美味です。ただどれも出来損ないの蒸しパンのように、口当たりが、ぼそぼそがさがさとしていて、手放しで誉めまくれないのが残念なところです。そして昔ながらのシルトックは、「うっ!何だこれは」の一言で終わってしまう。う〜ん。苦しいところですね。
http://www.geocities.co.jp/SweetHome/6347/c3.html



http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c120

[昼休み52] 皇族初夜の儀式 中川隆
62. 中川隆[-11061] koaQ7Jey 2019年3月30日 12:55:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[962]
10. 2013年7月13日 17:47:40 : WUs3UH3xVg

天皇のルーツが渡来系である可能性は昔から指摘されています。

これは近代国家の枠組みから外れるために、社会一般にも研究者間でもある種のタブー、として扱われていた事は、昭和の時代から存在していました。

例としては、天皇家の埋葬が土葬で、朝鮮式の埋葬法で古墳と似て山のような盛り土である事は知られています。

古い時代の古墳が調査禁止となっているのは、そこから物的証拠が出てくるからです。

それは何を意味するかというと、大陸との繋がりを示すからですね。

終戦直後の占領軍はそうした調査を行ったようですが、現在は出来ない。
宮内庁が許可しないでしょうから、ですね。

当時の認識として、日本を象徴する人物が海外に関係していたとするならば、それは多くの人の混乱を招いたでしょうから簡単には認められない問題でしょう。


日本という国が単一民族ではない、という点もその通りです。

日本が単一民族といった概念を採用したのは近代国家の枠組みが成立する過程で
生み出された概念に過ぎません。

現実は違い、古来から移民の国として存在する、というのが正しいです。

民俗学的考古学的に調査を行った話としては、天皇のルーツは朝鮮半島の38°線付近の小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、それらは紛争地帯であるために容易に近づく事は出来ないだろう、

同行した当時KCIA局員の話としては、そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ

「知らない方が良いこともあるのだ」

と答えたという研究者の話が伝わっています。

この話はあるメディアに流れました。


38°線付近の集落という事は、朝鮮半島の南北の中間点であるので、仮にこの付近が関連する村であると、南だけではなく北とも天皇は接点を持つ可能性が浮かび上がります。

(私の直感として、天皇と北の接点が存在した場合に拉致問題と関係していなければ良いなあ、と思うのですが、、、、、気にしすぎでしょうかね)

こうした話題はタブーに属するので、ある種のオルタナティブメディアで爆弾発言として現れる事も当時としては多かったように思います。

天皇が戦争とどう関わったかについては、総括することは必要だという考えは
理解しますが、戦前の体制や、戦後の状況からいっても、昭和の時代、平成一桁の時代において戦争経験者が多く存在する時代ですし、天皇制や天皇と戦争との関連を法的に取り扱う事は、容易ではないといえるでしょう。

そうした意味では、棄却理由は無理があるとはいえ裁判所が天皇の戦争との関わり
以外に出自等歴史的タブーに絡み、歴史に挑戦するというのも難しいので、
棄却は無理も無いといえるでしょう。
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/523.html#c10

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/851.html#c62

[中国6] 日本の天皇は中国人か、それとも朝鮮人か?―中国メディア 赤かぶ
121. 中川隆[-11060] koaQ7Jey 2019年3月30日 12:56:29 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[963]
10. 2013年7月13日 17:47:40 : WUs3UH3xVg
天皇のルーツが渡来系である可能性は昔から指摘されています。

これは近代国家の枠組みから外れるために、社会一般にも研究者間でもある種のタブー、として扱われていた事は、昭和の時代から存在していました。

例としては、天皇家の埋葬が土葬で、朝鮮式の埋葬法で古墳と似て山のような盛り土である事は知られています。

古い時代の古墳が調査禁止となっているのは、そこから物的証拠が出てくるからです。

それは何を意味するかというと、大陸との繋がりを示すからですね。

終戦直後の占領軍はそうした調査を行ったようですが、現在は出来ない。
宮内庁が許可しないでしょうから、ですね。

当時の認識として、日本を象徴する人物が海外に関係していたとするならば、それは多くの人の混乱を招いたでしょうから簡単には認められない問題でしょう。


日本という国が単一民族ではない、という点もその通りです。

日本が単一民族といった概念を採用したのは近代国家の枠組みが成立する過程で
生み出された概念に過ぎません。

現実は違い、古来から移民の国として存在する、というのが正しいです。

民俗学的考古学的に調査を行った話としては、天皇のルーツは朝鮮半島の38°線付近の小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、それらは紛争地帯であるために容易に近づく事は出来ないだろう、

同行した当時KCIA局員の話としては、そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ

「知らない方が良いこともあるのだ」

と答えたという研究者の話が伝わっています。

この話はあるメディアに流れました。


38°線付近の集落という事は、朝鮮半島の南北の中間点であるので、仮にこの付近が関連する村であると、南だけではなく北とも天皇は接点を持つ可能性が浮かび上がります。

(私の直感として、天皇と北の接点が存在した場合に拉致問題と関係していなければ良いなあ、と思うのですが、、、、、気にしすぎでしょうかね)

こうした話題はタブーに属するので、ある種のオルタナティブメディアで爆弾発言として現れる事も当時としては多かったように思います。

天皇が戦争とどう関わったかについては、総括することは必要だという考えは
理解しますが、戦前の体制や、戦後の状況からいっても、昭和の時代、平成一桁の時代において戦争経験者が多く存在する時代ですし、天皇制や天皇と戦争との関連を法的に取り扱う事は、容易ではないといえるでしょう。

そうした意味では、棄却理由は無理があるとはいえ裁判所が天皇の戦争との関わり
以外に出自等歴史的タブーに絡み、歴史に挑戦するというのも難しいので、
棄却は無理も無いといえるでしょう。
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/523.html#c10

http://www.asyura2.com/15/china6/msg/675.html#c121

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
179. 中川隆[-11062] koaQ7Jey 2019年3月30日 13:14:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[961]

蘇我氏のルーツは渡来人? “古代の大悪人”か時代の変革者か 2018.8.7
https://www.sankei.com/west/news/180807/wst1808070003-n1.html


蘇我蝦夷の墓ともいわれる小山田古墳。墳丘の周囲は石が敷き詰められていた=奈良県明日香村(甘利慈撮影)

https://www.sankei.com/west/news/180807/wst1808070003-n1.html


 「大化の改新」として覚えている方も多いだろう。古代史最大のクーデター、乙巳(いっし)の変(645年)。蘇我入鹿(そがのいるか)が暗殺され、本家が滅亡した蘇我氏。奈良県明日香村では平成27年、この政変で自害に追い込まれた入鹿の父、蝦夷(えみし)の墓ともいわれる小山田(こやまだ)古墳が発掘され、蘇我氏の存在がクローズアップされた。一族のルーツは奈良を拠点とした「倭人」というのが学界では有力だが、「朝鮮半島からの渡来人だった」との新説が打ち出された。文楽や浄瑠璃(じょうるり)では古代の大悪人として語られる一方、時代の変革者ともいわれる蘇我氏。果たしてその実像は−。(小畑三秋)



 天皇の外戚として栄華

 渡来人説を唱えるのは、奈良県文化財保存課の坂靖(ばん・やすし)課長補佐。県立橿原考古学研究所の研究員当時は県内の遺跡発掘を長年手がけ、1年近く韓国国立文化財研究所で研修するなど、日韓の考古学に詳しい。

 新著「蘇我氏の古代学」(新泉社)で坂さんは、「蘇我氏の出自を考古学的に検証すると、飛鳥の開発を主導した渡来人にたどりつく」とし、出身地を朝鮮半島南西部の全羅道地域との説を唱える。「飛鳥時代を切り開くうえで歴史的に大きな役割を担った」と話す。

蘇我氏は稲目、馬子、蝦夷、入鹿が有名で「蘇我四代」と呼ばれる。日本書紀で政治の表舞台に最初に登場するのが稲目。第28代、宣化(せんか)天皇の時代に大臣となり、娘の堅塩媛(きたしひめ)を欽明天皇のもとに嫁がせ、のちの用明、推古天皇が生まれたことで外戚として権力基盤を築いた。

 稲目の子の馬子は聖徳太子とともに政治の実権を握り、第32代、崇峻(すしゅん)天皇を暗殺するなど独裁色を強め、蝦夷・入鹿父子の頃に絶頂期を迎えた。2人は自らの邸宅を「宮門(みかど)」、子供らを「王子」と呼ぶなど、天皇なみに振る舞ったという。



 しかし、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=のちの天智天皇)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が、宮殿の儀式の際に天皇の前で入鹿を殺害、邸宅に逃げ帰った蝦夷も自害し蘇我本家は滅亡した。この乙巳の変を機に大化の改新という政治改革が進められ、天皇を中心とする中央集権国家の道を歩むようになった。

 カギは朝鮮半島南西部「全羅道」

 日本書紀は蘇我氏の横暴をことさら強調するが、朝鮮半島から仏教や先進技術を取り入れて国際国家にしようと尽力した立役者だったとする見方が、研究者の間で広がっている。

こうしたなか、文献だけでなく出土遺物から蘇我氏の姿に迫ろうとしたのが坂さん。「蘇我氏の古代学」の「はじめに」では、「文献資料については専門外だが、あえてここでは大胆に考古学と文献資料を結びつけた。結びつけないと蘇我氏は解明できない」と記し、多角的なアプローチを試みた。

 平成16(2004)年の韓国への1年近い研修では、渡来人の出自を研究テーマとし、現地の遺跡や遺物を丹念に調査。韓国と奈良盆地の土器などを比較・研究した結果、明日香村北部を中心とする飛鳥地域では5世紀半ば以降、朝鮮半島南西部の全羅道とそっくりな土器が多いことに着目した。



 飛鳥地域は5世紀頃、ヤマト政権の中心地ではなかったが、全羅道地域から盛んに人々が渡ってきたことが浮かび上がった。坂さんは「5〜6世紀に密接な関係があった百済と倭国をつなぐ役割を果たしたのが、全羅道を拠点にした交易集団。そのなかで、飛鳥に移り住んだのがのちの蘇我氏になった」と推測する。

 “未開の地”を開拓

 飛鳥地域はもともと湿地帯で住みにくく、5世紀ごろまでは開発も進んでいなかった。しかし、こうした不便な土地を与えられた渡来人たちが、大陸の先進技術を生かして開発。経済だけでなく政治的にも実力をつけ、稲目の時代に権力の中枢に入り込んだという。


「渡来人としての技術と生産力を権力の源泉とし、外交でも実力を発揮。新しい時代を萌芽させたのが蘇我氏だった」と坂さん。明日香村で発掘された国内最大級の方墳、小山田古墳(一辺70メートル)こそが、一族の栄華の礎を築いた蝦夷の墓だと推測する。

 ただし、蘇我氏は渡来人ではなく奈良盆地出身の倭人との説は歴史研究者の間では有力だ。第8代・孝元天皇のひ孫の武内宿禰(たけうちのすくね)を祖とするとの伝承があり、明日香村に隣接する奈良県橿原市には曽我町という地名も残り、この一帯が本拠地だったとされる。



 ただし、こうした説を裏付ける根拠は乏しい。坂さんは「出土遺物を通じて出自をたどる研究はほとんどなかった。遺物から見ると、全羅道の可能性が高い」と指摘。「正史としての日本書紀だけでは歴史は分からない。蘇我氏の果たした歴史上の役割を客観的にみる必要がある」と話した。


https://www.sankei.com/west/news/180807/wst1808070003-n1.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c179

[近代史3] 馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった 中川隆
29. 中川隆[-11061] koaQ7Jey 2019年3月30日 14:33:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[962]

「ひとりがたり馬渕睦夫」#18
朝鮮半島問題とは何か?A 米国DSは北朝鮮を温存してきた - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Miq6ZkDy-kY


朝鮮戦争に参加したマッカーサー、クラーク、ウェデマイヤーという将校たちによる回想録から、歴史の真実を紐解く馬渕睦夫。その時、トルーマン大統領とマーシャル国防長官の背後にいたディープステート勢力は、現代まで北朝鮮を温存してきたという。

トランプ大統領は新しい扉を開けることができるのだろうか。もうこれ以上、無駄な戦争で無駄な血を流してはならない。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html#c29

[近代史3] 馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた 中川隆
9. 中川隆[-11060] koaQ7Jey 2019年3月30日 14:34:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[963]

「ひとりがたり馬渕睦夫」#18
朝鮮半島問題とは何か?A 米国DSは北朝鮮を温存してきた - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Miq6ZkDy-kY

朝鮮戦争に参加したマッカーサー、クラーク、ウェデマイヤーという将校たちによる回想録から、歴史の真実を紐解く馬渕睦夫。その時、トルーマン大統領とマーシャル国防長官の背後にいたディープステート勢力は、現代まで北朝鮮を温存してきたという。

トランプ大統領は新しい扉を開けることができるのだろうか。もうこれ以上、無駄な戦争で無駄な血を流してはならない。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html#c9

[近代史3] 右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた 中川隆
24. 中川隆[-11059] koaQ7Jey 2019年3月30日 14:35:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[964]

「ひとりがたり馬渕睦夫」#17
朝鮮半島問題とは何か?@ 朝鮮戦争に見る近代史の真実 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=B2p75lnFBfU

「ひとりがたり馬渕睦夫」#18
朝鮮半島問題とは何か?A 米国DSは北朝鮮を温存してきた - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Miq6ZkDy-kY

朝鮮戦争に参加したマッカーサー、クラーク、ウェデマイヤーという将校たちによる回想録から、歴史の真実を紐解く馬渕睦夫。その時、トルーマン大統領とマーシャル国防長官の背後にいたディープステート勢力は、現代まで北朝鮮を温存してきたという。

トランプ大統領は新しい扉を開けることができるのだろうか。もうこれ以上、無駄な戦争で無駄な血を流してはならない。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html#c24

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
157. 中川隆[-11058] koaQ7Jey 2019年3月30日 16:44:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[965]
>苗場に雪が無いと本気で思っているみたい
>筍山クローズ理由も上級コースクローズ理由もわからないらしい


かぐら でも苗場でも夜中に造雪機で雪を作って、コース外の雪も移動させて、初中級コースに雪を盛りつけてなんとか滑れる様にしてるんだよ

上級コースまでは雪を盛れないから、まず上級コースから雪不足で滑れなくなるんだ

女子リーゼンスラロームバーンは中央以外は土が出てるよ
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c157

[昼休み54] カルロス・ゴーンは所得税をゼロにする為に世界各地の日産所有豪邸を転々としていた 中川隆
26. 中川隆[-11057] koaQ7Jey 2019年3月30日 16:45:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[966]
>苗場に雪が無いと本気で思っているみたい
>筍山クローズ理由も上級コースクローズ理由もわからないらしい


かぐら でも苗場でも夜中に造雪機で雪を作って、コース外の雪も移動させて、初中級コースに雪を盛りつけてなんとか滑れる様にしてるんだよ

上級コースまでは雪を盛れないから、まず上級コースから雪不足で滑れなくなるんだ

女子リーゼンスラロームバーンは中央以外は土が出てるよ
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/333.html#c26

[近代史3] 中野剛志 _ アメリカで大論争の「現代貨幣理論」とは何か 中川隆
1. 中川隆[-11056] koaQ7Jey 2019年3月30日 16:47:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[967]

「没落について」中野 剛志氏(評論家)グローバル資本主義を超えてII - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=OoduEx7tl2k

2018/11/23 に公開

国際シンポジウム
「グローバル資本主義を超えてII——『EU体制の限界』と『緊縮日本の没落』」
2018年10月13日 京都大学 シンポジウムホールで行われた講演配信

▲△▽▼

【中野剛志】橋下徹、小池百合子が推める道州制がヤバい理由【JPN保守チャンネル】 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=8W0nCVC3pvY

2019/01/09 に公開

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【中野剛志×藤井聡】グローバリズムからの脱却!
経済再生フォーラム 2017年7月22日 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=qTis2wK1mrg

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『グローバリズム その先の悲劇に備えよ』刊行記念 中野剛志さん×柴山桂太さんトークイベント - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RqWpokdk_iA
https://www.youtube.com/watch?v=1DErfYEACvY
https://www.youtube.com/watch?v=5TBPefNLsY4

2017/09/14 に公開

『グローバリズム その先の悲劇に備えよ』刊行記念
中野剛志さん×柴山桂太さんトークイベント 
2017年8月20日(日)
会場: 紀伊国屋書店新宿本店



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/314.html#c1

[近代史3] 女性受刑者の40%は「覚醒剤」で刑務所に。女たちは知らずして堕とされる 中川隆
14. 中川隆[-11055] koaQ7Jey 2019年3月30日 16:57:16 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[968]

貧困、いじめ、10代で覚醒剤、強盗 「相談できる人いなかった」2019年3月30日


自身の体験を語る女性=神奈川県内で

 非行に走る少女の多くが、幼少期に親から虐待を受けている。少年と比べると、性暴力被害や妊娠・出産など女性ならではの問題を抱えるケースも少なくないが、周囲の大人たちの理解は不足しており、更生の糸口がなかなか見つからない。十代で強盗傷害事件を起こし、少年院に収容された経験のある関東地方の女性(26)の半生から考えた。 (竹谷直子)


 女性は本紙の取材に「相談できる人が誰もいなかった」と眉をひそめた。


 女性は幼いころに両親が離婚し、母と暮らした。新たな男性と交際しているらしい母はほとんど家に帰らなかった。生活は苦しく、三日分の食事はロールパン六個。空腹に耐えかねて小学生で万引を繰り返すようになった。料金未納でガスが止められた際には風呂に入れず、学校で「汚い」といじめられた。


 転落のきっかけは中学時代、友人からの「もらいたばこ」だった。たまたま吸っているところを上級生に見とがめられ、「親にばらすぞ」と万引や性的関係を強要された。本意ではないのに非行はエスカレート。思いあまって暴力団と関係のある男性を頼ると、守ってくれた代わりに覚醒剤を薦められた。初めは拒んだが、やがてやめられなくなった。


 覚醒剤を買う金を工面するために強盗傷害事件を起こしたのは高校一年の十六歳。東京都狛江市の女子少年院「愛光女子学園」に入所した。


 一年半の少年院生活では真剣に向き合ってくれる教官にも出会った。出所時は更生したとの自負もあった。しかし、別の高校に入学したものの、学生生活になじめずに退学。職探しでは「学歴がないと、全く相手にされなかった」。


 昔のグループとの関係は断ち切れず、その仲間らと結婚、DVを受けるなどして離婚を三回繰り返し、三人の子をもうけた。この間、少年院出所者の全国ネットワーク・NPO法人「セカンドチャンス!」(SC)に参加していたが、生活が困窮するたびに風俗店で働いた。住居と託児所を用意してくれるのが大きかった。「少年院に入っているときは、誰もが更生したいと思うけど、夢の世界と現実は違う」


 給料を減らされても風俗店から抜け出せずに働く四十代の女性の姿に将来を重ねた。一方、同じ四十代でも、SCの先輩は大学を卒業して就職した。ようやく三年前、子どものために大学進学を決意。中学卒業や高校中退の学歴でも、高校卒業と同等の資格が得られる大学通信教育の「特修生制度」を利用し、四月から学び始める。一定の単位を習得すれば一般の大学生になれる。税理士の資格を取るのが目標で「生活を立て直して、私と同じようなシングルマザーの支援がしたい」と前を向く。

◆幼少期に7割 虐待経験


 専門家からは切れ目のない支援を求める声が上がる。


 非行問題に詳しい千葉大学教育学部の羽間(はざま)京子教授が二〇一五年度、全国の少年院で実施した調査によると、幼少期に家族から虐待を受けた女性の割合は72%、第三者から暴力などを振るわれた被害経験のある女性は88%に達した。羽間教授は「地域や学校の先生など、子どもに関わる大人たちは背景に何があるかを知ることが必要。大人のまなざしが変われば、それ以上の非行を食い止めることにつながる」と指摘する。


 「女性は性被害の経験のある人が多く、人を信じられなくなることがある。一方で、生きていくために性を利用されがちだ」と語るのは、十代〜二十代の女性を支援するNPO法人「BONDプロジェクト」(東京都渋谷区)代表の橘ジュンさん(48)だ。「女性は子どもがいると就労の門戸が狭くなる。自立するまで支援する緩やかなシェルターが圧倒的に足りていない」と懸念する。


 羽間教授も、二十歳になると保護観察が終了することから「(成人後も)支援のつなぎ目になるNPOや自助団体がもっと必要だ」と強調した。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201903/CK2019033002000283.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/307.html#c14

[リバイバル3] スノーモービルで原野をかっとばそう 中川隆
1. 中川隆[-11054] koaQ7Jey 2019年3月30日 17:00:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[969]

「ルール守って」 岩木山で相次ぐ悪質走行 スノーモービル乗り入れ禁止なのに…
3/30(土) 12:24配信 Web東奥
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190330-00000001-webtoo-l02

岩木山に乗り入れる複数のスノーモービル=2017年3月20日午後0時15分ごろ(白神登山ガイド会提供)


 津軽国定公園特別保護地区に指定され、無許可での車両乗り入れが禁止されている青森県弘前市の岩木山山頂付近で、スノーモービルの乗り入れが後を絶たない。2017年4月と18年春には、山頂でスノーモービルによるものとみられる轍(わだち)、18年5月には山頂の岩木山神社奥宮が損傷していたのが見つかった。山頂付近以外にも走行の妨げになったとして切られた木も見つかり、森林法に抵触する可能性がある。県や県警など各機関は、乗り入れ禁止を呼び掛けている。

 特別保護地区に指定されているのは岩木山8合目より上の区域。公益上必要な場合を除いてスノーモービルの乗り入れは原則禁止で、特別保護地区以外においても生木を傷つけたり枝を折ったりする行為も許されていない。津軽森林管理署の唐澤智署長は「雪崩の危険性の高い場所が多く、またスノーモービルからまき散る油によって植生に影響が及ぶ可能性があることなどから車両の乗り入れは自粛してほしい」としている。

 「この前まで山頂に乗り入れしている動画がユーチューブ(動画投稿サイト)にあがっていた。無法地帯です」−。長年岩木山をパトロールしている白神登山ガイド会の渡邊禎仁代表は嘆く。渡邊代表はこれまで頻繁にスノーモービルによるものとみられる轍、鋸(のこ)のような物で木を切った跡を目撃し、スノーモービルが乗り入れ禁止区域で滑走している状況も写真に収めた。渡邊代表によれば、山麓東側の大黒沢や水無沢、北側の赤倉沢のほか登山道に沿ってスノーモービルに最適な立木のないルートが遊び場と化しており、中でも雪崩が起こる危険性が高いとされている8合目付近の西法寺森は人気スポットになっているという。「モービルの轍は雪質によって深さ1メートル近くになりスキーヤーが転倒する原因になる。過去にはスキーヤーとスノーモービルが接触しそうになったこともある。首都圏からスキーに来るお客さんもがっかりするのでは」と渡邊代表は危惧している。

 18年5月には山頂に鎮座する岩木山神社奥宮の屋根部分の一部が損傷していた。スノーモービルによるものとみられている。神社の須藤典子権禰宜(ごんねぎ)は「今までに雪の重みや落雷で損傷することは何度もあったが、今回は屋根が部分的に剥がれて割れており、自然による壊れ方とは違う」という。同年夏までに地元有志でつくる岩木山日乃出会によって修繕された。須藤権禰宜は「岩木山は自然もたくさんある神聖な山。意図的でないにしろ、(人為的な損傷なら)悲しいことです」と語った。今後は柵の設置も検討するという。

 こうした事態を受けて、ガイド会や県、県警などは2月末に青森市で「岩木山スノーモービル対策連絡会議」を開き、県内のスノーモービル販売店やスキー場で、乗り入れの規制について周知することを決定した。3月10日にはその一環で県と弘前、鯵ケ沢両警察署、津軽森林管理署が岩木山麓2カ所でパトロールを実施。チラシを配布して周知した。

 県内のスノーモービル事情に詳しい競技関係者は「このままでは雪上モータースポーツの健全な運営に支障が出るし、とても見過ごせない。ルールを守って楽しんでほしい」と話している。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/577.html#c1

[昼休み54] 中国は世界史上最悪の階級社会 中川隆
10. 中川隆[-11053] koaQ7Jey 2019年3月30日 17:38:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[970]

【我那覇真子「おおきなわ」#62】
川島博之氏が見た中国〜「戸籍アパルトヘイト」9億人の農民奴隷[桜H31-3-29] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=aFLdzfrGKM8
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html#c10
[リバイバル3] 株で損した理由教えてあげる 新スレ 中川隆
161. 中川隆[-11052] koaQ7Jey 2019年3月30日 18:25:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[971]

2019年3月29日
米国債利回り曲線の姿、過去の利下げ局面に接近


[25日 ロイター] - 米連邦準備理事会(FRB)の驚くようなハト派転換ぶりに低調な経済指標の発表が重なり、米国債のイールドカーブ(利回り曲線)の主要部分は、過去にFRBが利下げに動いた局面に見られた姿に近づいている。

FRBは20日までの連邦公開市場委員会(FOMC)で、年内の想定利上げ回数を従来の2回からゼロに変更し、3年続けてきた利上げサイクルに突如終止符を打っただけでなく、9月にはバランスシート縮小も停止すると表明した。


こうした姿勢は投資家の先行きに対する自信を強めるどころか、むしろ市場にこれまでにないほど悲観的な米経済の見通しを広めてしまった、と語るのはブラウン・ブラザーズ・ハリマンの通貨戦略グローバル責任者ウィン・シン氏だ。

そのため米国債の2年─5年利回りスプレッドはマイナス幅が拡大し、以前にFRBの利下げがあった水準に迫りつつある。

3カ月物財務省短期証券(Tビル)と10年債の利回りも22日に10年余りぶりに逆転し、このままの流れなら1─2年以内に米国が景気後退(リセッション)に陥る恐れがあると警鐘を鳴らしている。

Reuters Graphic

シティグループのチーフ・テクニカル・ストラテジスト、トム・フィッツパトリック氏によると、2─5年利回りスプレッドのマイナス、つまり逆イールドの幅が12ベーシスポイント(bp)より大きくなると、これまでは利下げが実施されてきた。

足元のマイナス幅は6bpだが、22日には9bpまで広がっていた。

例外的なケースだったのは2006年で、マイナス幅が19bpに達しながら、利下げまでさらに10カ月を要した。そしてやってきたのが07─09年の金融危機で、結局政策金利はゼロとなり、量的金融緩和が何年も継続した。

過去の逆イールド化とそれに続く利下げは、いずれも非常に大きなショックを背景に起きた現象だ。1989年は貯蓄貸付組合(S&L)危機、2000年はナスダック総合指数の急落、06年は住宅バブル崩壊だった。

それと比べると今回は、米中貿易摩擦や英国の欧州連合(EU)離脱問題が米経済を脅かす要因になっているものの、かつてのようなはっきりしたショックは見当たらない。

ただフィッツパトリック氏は、もし2─5年利回りスプレッドのマイナス幅が12bpを超えるようなことがあれば、市場の不安が相当なレベルに達しているからで、そうなった原因のイベントが発生していると思うと話す。

また同氏は、雇用情勢悪化がFRBの利下げを促す可能性もあり、従来は逆イールドと利下げに先立って失業保険申請件数が増加していると付け加えた。

Reuters Graphic
長期金利の低下が続いた場合も、FRBがリセッションを避けるために、先回り的に利下げするかもしれない。この方法は過去において効果を発揮しており、1995年と96年に利下げしたおかげで、リセッションを2001年以降に先送りできた。

モルガン・スタンレーのストラテジスト、マシュー・ホーンバック氏は25日付リポートで、1982年にFRBが政策金利の誘導目標を採用して以降に3回のリセッションが起きたが、FRBはいずれもその前に利下げしていたと指摘。利下げ時期は3カ月物Tビルと10年債の利回りが逆転したおよそ8カ月後だったので、今回に当てはめるなら12月に利下げがあることを意味すると説明した。

同氏は「当社のエコノミストはFRBの次の一手が利下げでなく、12月の25bpの利上げとみているものの、経済指標が今後数カ月持ち直さないなら、市場が織り込む年内の利下げ確率が一段と高まる余地はあるだろう」と述べた。

MUFGセキュリティーズ・アメリカズの金利ストラテジスト、ジョン・ハーマン氏は、経済見通し悪化を踏まえるとFRBが昨年12月に利上げしたのは「間違い」で、これを取り消す必要があるため、9月までの利下げが不可欠になるとの見方を示した。

「世界経済の成長が一貫して弱く、米国の成長も減速している。これは直近の不適切な利上げが取り除かれ、金融政策がFRBが望んできた経済でなく、現実の経済に合うように微調整され始めることを示唆している」という。

CMEグループのフェドウオッチに基づくと、現在の金利先物は12月までに利下げされる確率をおよそ60%と見込んでいる。
https://jp.reuters.com/article/us-yield-curves-idJPKCN1RA067
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/823.html#c161

[昼休み54] 中国は世界史上最悪の階級社会 中川隆
11. 中川隆[-11051] koaQ7Jey 2019年3月30日 19:08:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[972]

【川島博之】【特集】中国経済は本当に崩壊するの? - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=qPOCgC6EOEY

2019/01/02 に公開
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html#c11

[リバイバル3] 「住宅は資産」という幻想で誰があなたをカモにするのか? 中川隆
240. 中川隆[-11050] koaQ7Jey 2019年3月30日 19:33:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[973]

バブル崩壊・マンション暴落へのタイムスケジュール@
住宅ジャーナリスト榊淳司氏が大暴露㉕ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=eg4hh7g6_oA


バブル崩壊・マンション暴落へのタイムスケジュールA
住宅ジャーナリスト榊淳司氏が大暴露㉖ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=8RN0A95XlSk


マンションは日本人を幸せにするか 著者解説 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=sQuUt-k833o
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c240

[リバイバル3] 「住宅は資産」という幻想で誰があなたをカモにするのか? 中川隆
241. 中川隆[-11049] koaQ7Jey 2019年3月30日 19:34:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[974]

なぜマンションの価格はこんなに高くなったのか? - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=TSfhs2tjmWo
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c241
[近代史3] 日本円と日本の物価は異常に安過ぎる _ 1ドル=50円 が適正価格 中川隆
5. 中川隆[-11048] koaQ7Jey 2019年3月31日 07:42:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[975]

2019年03月31日
アメリカの1ドルショップと海外のダイソー


ダイソーはスポンジのようなどうでも良い商品の品質が高い


画像引用:https://images1.laweekly.com/imager/7-things-that-happen-when-you-start-shoppi/u/original/5366974/daiso4.jpg

海外のダイソーは最初赤字だった

100円均一(ではなくなっているが)のダイソーは海外店舗がどんどん増えて、国内3,278店舗、海外1,992店舗になっています。

増加ペースは圧倒的に海外店舗が速いので、遠くない将来ダイソーは海外店舗数のほうが多いグローバル企業になるでしょう。

ところでダイソーは日本国内では100円だが、海外では2ドルや3ドルで売られています。



1.5ドルならかなり安い方でアメリカでは2ドル、日本より物価が安いアジアでも2ドル程度で売られています。

言い換えると本来200円の価値がある商品を日本では108円で買えるので、日本のダイソーは世界でも超お買い得な店と言える。

ダイソーが劇的に変化したのは95年の阪神大震災と2011年の東北地震で、地震のあと1ドル70円台の円高になりました。


ダイソーのような100円ショップは中国など海外で生産した商品を販売していたので、円高で利益が大きいが円安では儲からない。

そこでダイソーは生産のグローバル化を進め、円高でも円安でも利益が出るシステムに改めた。

同時に品質向上と海外進出も進め、円高なら国内で円安なら海外で利益を出す事で、為替変動にも強くなった。


初の海外出店は2005年で、社員が反対するなかで創業者の矢野博丈が独断で決定し、大赤字を出したと言われている。

矢野博丈は100円均一が長続きするとは思わず、体力があるうちに「ニューヨークに店を出したい」という夢を叶えたかったようです。

2008年のリーマンショックから2011年の円高を乗り切ると海外でも利益が出るようになり、出店攻勢をかけている。

アメリカのダイソーは1.5ドルから2ドル

アメリカのダイソーには最初日本から商品を送っていたが、これだと中国から日本へ、日本からアメリカへ2倍の輸送費がかかっていました。

現在はベトナムなどで生産してアメリカに直送しているが、ほとんどの商品は日本と同一のものです。

商品の内容だけでなくパッケージや説明文も日本語のままなので、文字を見ただけでは何かわからない事もある。


もし販売国に合わせてパッケージを変更したら1割はコストが上昇する筈で、200円程度の商品には非常に痛い。

それに国ごとにパッケージや説明文を変えると少量生産になり、日本で販売する商品のコストも上昇し100円では売れなくなる。

アメリカには1ドルショップがあり、日本の100円ショップはアメリカの模倣だったのだが、本家の品質は数十年向上していない。


基本的に洗剤やお菓子など小分けできるものを少量販売していて、1ドルショップは実は普通の店より利益率が高い。

2ドルで500gの商品があったとすると1ドル200gとかで売っているので、安くはあってもお得な商品は少ない。

スプーンとかも日本の100円ショップは何回も使えるほど丈夫だが、1ドルショップのはヘナヘナしていて固いものには使用できない。


品質の違いを考慮するとアメリカのダイソーは1.5ドルから2ドルでも適正で、もし1ドルで売ったらダンピングで訴えられるかも知れない。
http://www.thutmosev.com/archives/79412718.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/189.html#c5

[リバイバル3] 株で儲ける方法教えてあげる(こっそり) 新スレ 中川隆
189. 中川隆[-11047] koaQ7Jey 2019年3月31日 08:31:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[976]
平野憲一の株のお話 2019.03.31 面白いストーリー。


 海外投資家は2001年以降、現物では18年連続で4月は買い越しになっています。

理由は、

@配当金の再投資、
Aファンドが税対策で海外へ移動させた分の戻し、
B海外ファンドに入っている日本企業の資金が会計年度の初めで増加するから


と言われていますが、今年も年初から現物を大幅に売り越していますので、19年連続買い越してくる事が考えられます。

先物との合計でも2005年と2012年以外は買い越しです。


 それから面白い話ですが、消費税増税が消えてなくなる事が政府内部では既に決まっていると言う事情通の情報です。

安倍首相は予定通りやると言っていますし、止めと言う事は口が裂けても自分からは言えませんね。アベノミクスの失敗を認める事になる訳ですから。しかし、ECBのマイナス金利、FRBのハト派転換、中国の減税と言う世界の流れの中で、日本の「増税」はいかにも違和感があります。従って、アベノミクスで日本経済は雇用情勢が示すように元気になったけれど、内外の圧力によってやむを得ず「消費税増税」は撤回します!国民の皆様を混乱に陥れた責任を感じ、国会を解散し信を問いますとやったら、野党はかないません。

兜町雀の勝手なシナリオですが、増税対策のポイント還元は中止(すでにシステムを変更しているカード会社は混乱しますが)することになりますが、今まで決定した増税対策(余分な景気刺激策)は中止できませんので、日本経済は「貰い得」となります。まさに「面白い話」ですが。
http://kasset.blog.fc2.com/
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/822.html#c189

[番外地6] 牧野田 彩(AYA)が AV に出演させられた理由とは 中川隆
164. 中川隆[-11046] koaQ7Jey 2019年3月31日 09:04:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[977]
2019.03.31
NGT48の事件は米国が支配する世界の縮図


 秋元康の率いる「アイドルグループ」のひとつとして誕生したNGT48。そのグループのメンバーが住むマンション内で昨年(2018年)12月8日にひとりのメンバーは襲われた。

 この事件を調べるとしてグループを運営するAKSは第三者委員会を設置したのだが、その委員会の窓口はAKSであり、報告書を作成した後に開かれた記者会見に現れたのはAKSの松村匠取締役とNGT48劇場支配人の早川麻依子を含む3名。松村はテレビ業界の出身だという。第三者委員会のメンバーやAKSの最高権力者である秋元康は現れなかった。

 厚生労働省の統計不正や神戸製鋼のデータ改竄などでも原因究明や再発防止のためだとして同じような委員会が設置されたが、「名ばかり」だと少なからぬ人が指摘している。実態を隠すため、形式を整えて幕引きというパターンだ。NGT48を巡る出来事は日本の現状を見せてくれているように思えるが、このパターンがNGT48のケースでは崩れかかっている。

 安倍晋三政権にも食い込んでいる秋元康が広く知られるようになったのは1985年4月から87年8月まで続いたフジテレビの番組「夕やけニャンニャン」。この番組を企画したのが秋元だという。

 そこで売り出され、人気になったのが女子高校生をメンバーとする「おニャン子クラブ」。1985年7月に発売されたこのグループが歌う「セーラー服を脱がさないで」が大ヒットする。秋元が作詞したのだが、内容は初めてのセックスを連想させるものだった。

 「セーラー服を脱がさないで」からはじまり、「友達より早くエッチをしたいけど、キスから先に進めない」「胸のリボンほどかないでね。男の子はその時どうなるの?興味津々しちゃうのよ」、そして「デートに誘われてバージンじゃつまらない。パパやママは知らないの、明日の外泊。ちょっぴり怖いけどバージンじゃつまらない」というような歌詞が続く。

 個人の行動をとやかく言う気はないが、秋元はテレビという強力な媒体を利用して高校生を煽っている。女子高校生に「つながる」ことを勧めている。これが秋元の原点だ。その延長線上に「AKB48グループ」や「坂道シリーズ」はある。


 秋元がAKB48をスタートさせたのは2005年12月。グループ創設に関わったのは秋元を含む3人だが、そのひとりが広域暴力団と関係していると報道されている。国外でも有名な団体で、人身売買や幼児ポルノを手がけてたともされていた。そうした背景を持つ人物をマスコミが盛んに使い、政権が重用している。「同じ穴の狢」という表現が頭に浮かぶ。

 そして2015年10月、AKB48グループのひとつとしてNGT48は新潟市で作られる。なぜ札幌市でも仙台市でもなく新潟市なのかと話題になるほど自然とは言いがたい決定だった。

 そのNGT48のメンバーである山口真帆が自室へ入ろうとした時に顔をつかまれ、押し倒されそうになったのが昨年12月8日のこと。この事件を芸能プロダクションAKSはもみ消そうとする。

 そうした会社側の対応に不審を抱いた山口がSHOWROOMで告発の動画を配信したのが今年1月8日。それが途中で途切れると、ツイッターで事件を明らかにした。

 おそらく発端の事件はシステムの末端で活動しているゴロツキがしでかしたのだろうが、その事件のもみ消しに失敗した結果、システム全体へ疑惑の目は向けられつつある。水面下で噂されていた話が浮上してきたとも言える。

 今回の事件について新潟県の花角英世知事は1月16日、事件によって「NGTの存在がより世に知られるようになったのは事実」と語り、批判された。秋元グループへの親近感が言わせたのだろう。

 その時、花角は「正常な状態に戻ってほしい」とも口にしていたが、ここにきて「今のままでは事態が収束しているとは思えない。」と語り、NGT48との広告契約を保留する意向を表明した。もみ消しに失敗したAKSへ引導を渡したように聞こえる。

 現在、アメリカをはじめとする西側の支配層も秋元と似たような状況に陥っている。新聞、放送、映画といった宣伝装置を支配し、情報をコントロールしてきたのだが、インターネットで秘密が漏れている。そうした秘密を「偽情報」だと宣伝する一方、インターネット上の検閲を強化しているが、思惑通りには進んでいないようだ。そうした意味でもNGT48の事件は日本、そしてアメリカを中心とする世界の縮図だと言えるだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201903310000/
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/190.html#c164

[近代史3] 北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない  中川隆
26. 中川隆[-11045] koaQ7Jey 2019年3月31日 10:03:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[978]

「2島返還」は完全に潰えた、代償大きかった対ロシア政策転換
樫山幸夫(産經新聞元論説委員長)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15795


 北方領土の「2島返還」への方針転換が無駄、無益な譲歩であったことがいよいよ鮮明になった。ロシアのガルージン駐日大使は3月28日に東京・内幸町の日本記者クラブで行った会見で、これについて一顧だにしない冷淡な態度を示した。

 「歯舞」「色丹」の2島を平和条約締結後に実際に引き渡すかについても言葉を濁した。「4島返還」という一貫した要求を事実上放擲することで領土問題の決着をめざした日本政府の狙いは潰えた。「4島」はおろか「2島」返還も従来よりむずかしくなったとみるべきだろう。


(laymul/gettyimages)

「引き渡しは善意=v

 ガルージン大使は、日本政府のあらたな方針「2島+アルファ」に対する受け止め方について、「ロシア側はそういう表現を使ったことはない。日本側が時々使っている。どう解釈すればいいかコメントするつもりはない」と無関心、冷淡な姿勢をみせた。

 1956(昭和31)年の日ソ共同宣言にもとづいて、平和条約が締結された後に、歯舞、色丹の返還に本当に応じるかについて念を押され、「ソ連は、日本の利益を考慮して引き渡すつもりだった。善意であったことを理解してほしい」と述べるにとどめた。「プーチン大統領、ラブロフ外相は引き渡し≠ニいう表現を用いている」とも述べ、これら諸島の主権がロシアにあるとの見解を暗に強調した

 「歯舞、色丹島にはロシア軍以外のいかなる軍隊の駐留も受け入れるものではない」として、返還後に日米安全保障条約が適用されて米軍が駐留することへの懸念も示した。

 領土問題を伴う平和条約交渉についてはプーチン大統領が3月15日、ロシア紙「コメルサント」のインタビューで「勢いが失われた」「まず日本が米国との(安保)条約を離脱しなければならない」と強調、北方領土への米軍駐留の可能性除去が交渉の前提との見解を示している。

 プーチン大統領は2016年12月、東京での安倍首相との会談後の記者会見で、同様の見方を示しており、ロシアにとっては従来からの懸念ではある。しかし、日本が2島返還に舵を切って妥結機運を盛り上げている時期にふたたび、この問題を前面に押し出してくるのは、状況に応じて交渉のハードルをあげる旧ソ連の手法そのままにもみえる。

 大使発言はもちろん、プーチン大統領の見解に従ったのものではあるが、一連の発言によって日本のめざした「2島+アルファ」は止め≠さされたというべきだろう。

「2島」で進展に感触あった?

 日本政府が「2島返還」へと方針を転換したのは、昨年11月のシンガポールでの日露首脳会談。戦争状態の終結、国交正常化と歯舞、色丹2島の日本への「引き渡し」が明記された日ソ共同宣言を平和条約交渉の基礎とすることで合意した。安倍首相はその後、国会などで、この合意は従来の国後、択捉をふくめた4島の返還要求から2島返還への転換であることを事実上認めた。 

 首相にしてみれば、70年間要求をつづけてきたにもかかわらず、返還をみなかった厳しい状況を考慮、歯舞、色丹返還に国後、択捉での共同経済活動を加味する「2島+アルファ」で決着を急ぐ方が得策という判断だった。

 日本の方針転換にもかかわらず、ロシアはかたくなな姿勢を崩そうとしなかった。2019年1月、交渉責任者に指名された河野太郎、ラブロフ両外相がモスクワで会談した際、先方は「北方領土は第2次大戦の結果、ロシア領になったことを日本側が認めない限り交渉は進まない」と、自らの不法占拠をタナにあげ、不当な歴史認識を押しつけてきた。

 この直後、安倍首相がモスクワに乗り込んでプーチン大統領と膝詰め談判したものの、事態を大きく打開するには至らず、「戦後70年以上残された問題の解決は容易ではない」ときびしい状況であることを認めざるをえなかった。

 翌2月、ドイツ・ミュンヘンで行われた外相会談の際も、河野外相は「戦後70年かけてやってきていることであり、一朝一夕に解決することではない」とやはり早期解決は困難との見通しを示した。

 シンガポールでの首脳会談の際、首相が「次の世代に先送りすることなく、私とプーチン大統領の手で必ず終止符を打つ」と大見得を切ったのに比べると大きな違いだ。


シンガポール会談で、日本はなぜ方針転換したのか

 あくまでも想像だが、ロシア側から事前に「2島なら解決」という何らかの感触を得ていたのではなかろうか。首相が自信たっぷりのコメントをしたのは、そのためだったのかもしれない。

 年明けの一連の首脳、外相会談でそれぞれ、どんなやりとりがあったのか明らかではないが、浮かれていた日本側を失望させ、再びきびしい認識に戻らざるを得ない何らかのやりとりがあったのだろう。

領土は返さないが経済協力は欲しい

 誠実さをかけらも示さず、ロシアは今後も北方領土で経済開発、軍事基地建設などロシア化≠進め、日本にも協力を求めてくるだろう。

 3月2日づけの産経新聞がロシアの「イズベスチヤ」紙を引用して報じたところによると、ロシアは北方領土と千島列島を対象とした経済特区の拡大、大規模投資などを検討しているという。2月20日づけの日本経済新聞は、ロシアの民間ガス大手が日本企業に対して、北極圏での液化天然ガス事業への出資を要請していると報じた。プーチン大統領も1月の首脳会談で首相に対して、日本企業の早期決断への期待感を伝えたという。この会談で日本側は、貿易額を数年間で1.5倍の300億ドルに拡大することを約束させられている。

 2月20日付けの読売新聞によると、ロシア政府系世論調査機関が北方領土の住民に聞き取りを行ったところ、96%の住民が、島の日本への引き渡しに反対したという。この結果を受けてサハリン州の知事代行は日本との領土交渉を打ち切るよう求め、国営テレビはこの結果を繰り返し報じたという。政府系機関の聞き取り調査に対して、4%の人が少なくとも反対しなかったことは、むしろ驚くべき事ではないかと思えるが、それはともかくとして、ロシアが返還反対の世論情勢工作を盛んに行っていることを示している。

 領土は絶対に返さないけど、経済協力はほしいというロシアの思惑をはっきりと示している。


今後は「2島」がスタートライン

 日本固有の領土である国後、択捉両島を断念して歯舞、色丹の2島で決着することは日本の主権放棄にも等しい。「2島返還」フィーバーが去ろうとしているのはむしろ幸いというべきだろうが、いったん「2島返還」の旗を掲げたからには、今後の交渉は2島返還をあらたなスタートラインにしなければならないだろう。

 本来の4島返還はますます遠のいたとみなければならない。まことに大きな代償だった。「2島返還」という妖怪≠ヘ。


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c26

[リバイバル3] 水道料金「月額2万円」時代へ? 値上げと地域格差拡大の背景 中川隆
21. 中川隆[-11044] koaQ7Jey 2019年3月31日 10:53:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[979]
イギリス国民の83%が「水道の再公有化」に賛成の衝撃 超高額報酬をもらう経営者たち
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/63729
2019.03.29 岸本 聡子 トランスナショナル研究所研究員 現代ビジネス


「再公有化」が大人気

英国は約30年にわたり深く広く公共サービスの民営化を体験してきた。そんな英国で、こんにち「公的所有(public ownership)」が政治的な主要課題として登場し、しかも大人気である。

同国のシンクタンクLegatum Instituteによる最新の世論調査(2017年)では、「水道の再公有化」が調査対象者の83%に支持されるという結果だった。さらに、鉄道は76%、エネルギーは77%の支持である(すべてLegatum Institute, 2017.We Own It キャンペーンの一覧が分かりやすい)。

この数十年にわたる重要な産業の民営化圧力は、程度の差はあれ世界共通の傾向で、日本も例外ではない。昨年末、水道法が改正され、今後自治体は官民連携の一モデルであるコンセッション方式を検討しなくてはいけなくなった(英国とは民営化の方法が異なる)。

英国は1980年代にサッチャー政権のもと、国民皆保険を除くほぼすべての公共サービスの資産を売却して民営化した。水道は1989年に世界でも稀な完全民営化を断行。約30年たった今、どうして英国民は水道の公的管理を求めているのだろうか。その理由を知ることで、日本の水道事業の変化についてもより深く考えることができるだろう。

まずは英国のこの数年の事情を見ておこう。英国の水道完全民営化は世界でも他に3か国しか例のない一番激しい民営化のモデルである(あとはチリとマレーシアのみ)。

その問題点は長く指摘されてきた。今回この原稿を書くにあたって2014年に書いた英国の水道完全民営化の論考を再読した。英国最大の上下水道サービス会社でロンドンを含むテムズ川流域の1500万人(英国の人口の27%)にサービスを提供しているテムズ・ウォーター社を例に、民間水道会社の組織形態の複雑化と金融化を概観し、水道利用者の利益が後回しになるばかりか、利用者の負担増で株主が利潤を最大化する構造が作られてきたことを示した。

その典型的な企業戦略は、過剰資金借入れやタックスヘイブン(税回避地)を利用した「租税回避」であることもこの当時からわかっていた。2014年の時点でイギリスの民間水道の信頼は失墜していたことは明らかだ(当時の調査では70%が再公有化に賛成だった)。

数年を経て、「信頼の失墜」は、人々の怒り(Public Anger)へと成長した。2018年3月1日、インデペンデント紙とファイナンシャルタイムズ(FT)紙が、ほぼ同じ内容をカバーする民間水道の問題点に関する記事を書いたことは象徴的だ。

保守党議員も怒り心頭

驚くべきは、民営化に好意的と考えられる保守党の議員すら、民間水道会社の問題に対して怒りを隠していないという点だ。両記事から察するに、マイケル・ゴーヴ環境食糧農村地域省大臣は、水道サービスを提供する企業の取締役を集めた会合で相当「キレた」ようだ。

「彼らは複雑な金融体制を作り精査の目を逃れ、税金を払わず、すでに裕福な取締役たちをさらに裕福にし、必要以上の料金値上げをし、漏水や水源汚染そのほかの失態を長すぎるほど続けてきた」と言ったゴーブは、緊縮財政と民営化を寵愛する現与党の保守党議員だ。保守党の大臣が英民間水道企業を前に怒りを隠さないのである。

ゴーブの指摘を見ておこう。まず問題にされたのは株主への巨大な還元だ。民間水道企業は2007年から2016年の間に合計181億英ポンド(約2.62兆円)の株主配当を払い、この金額はこの期間の企業の純利益(188億ポンド)とほぼ同じであると言い、「誰がこのような意思決定をしたのか、もちろんこの部屋にいる民間水道企業の最高経営責任者と取締役たちだ」と指摘した。

次に民間水道会社の経営陣の報酬が問題とされた。ゴーヴは水道企業のCEOの年酬はユナイテッド・ユーティリティー社280万ポンド(約4.06億円)、セブントレント社242万ポンド(約3.51億円)、アングリアン社とヨークシャー社120万ポンド(約1.74億円)、テムズウォーター社96万ポンド(約1.39億円)と名指しで列挙した。96万ポンドは英首相テリーザ・メイの給料の5倍だと言うのも忘れなかった。

さらに「昨年、アングリアンとサウザンとテムズは全く法人税を払っていない。しかもテムズにおいては過去10年まったく法人税を払っていない」「10年来、株主は何億円も、重役たちは何千万円も毎年受け取りながら、国庫への貢献はゼロである」と続けた。


マイケル・ゴーブ氏〔PHOTO〕Gettyimages

ゴーヴは「テムズ、サウザン、アングリア、ヨークシャーは特に洗練された金融工学に熱心だ」と非難を続け、これらの会社が「何層にもなる、めまいがするような複雑な法人形態」を創出しそれにはタックスヘイブンに拠点を置くオフショア法人の子会社※も含まれている。

※租税環境が優遇されている(租税回避地・タックスヘイブン)に法人を作り他の場所で作られた利益をそこに移す方法。海外収益は非課税でそのお金を使って再投資し、投資で発生した利益分についても税金はかからない。

その借金、本当に必要だった?

FT紙の記事もほぼ同様に報告した上、民間水道企業が行動を変えなければ、再公有化の圧力が増すばかりと警告した。会合ではテムズ、サウザン、ヨークシャーはケイマン諸島のオフショア法人をホールディングス構造から除くと約束した。

FT紙は債務問題にも触れている。1989年に上下水道が完全民営化されたとき、投資家は76億ポンド(約1.1兆円)で水道公社を買収したが、政府は当時水道公社が持っていた合計49億ポンドの負債を清算(つまり借金棒引き)したうえで、15億ポンドの公的資金を民間水道企業に供与した。つまり民間水道会社はほとんど債務ゼロ(どころか、政府からの支援を受けた状況)で出発したのだ。

こうした水道会社の債務問題がその7か月後に発表された学術論文でさらに詳しく発表され、ゴーブの怒りを裏付けることとなった。シンプルに言えば、水道会社は不必要な借金をし、その利子支払いが水道利用者の負担になっていた、という内容だ。

FT紙はこの論文を2018年10月12日の「投資家は消費者が払う民間水道の借金で潤う」で取り上げた。サッチャーが水道事業を売却してから28年、10のイングランドとウエールズの水道会社は合計で510億ポンド(約7.39兆円)の債務を持つに至った。つまり、水道の運営にあたり資金が必要なので、様々な金融機関から借り入れを行い、利子を支払っていたということだ。

ところが、この間10社は合計で1230億ポンド(約17.81兆円)の資本投資を行い、純収益の累計は360億ポンド(約5.21兆円)であった。つまり水道企業はまったく借金をせずとも投資を回収し、水道運営費を捻出できた可能性が極めて高いのだ。

言い換えれば、必要のない借金に利子を上乗せした返済に水道利用料金が使われ続けたということだ。水道利用者は年間12億ポンド(約1737億円・一世帯の負担額は年間53ポンド=約7637円)を、利子を含めた債務の返済のみに払ってきたと論文は分析した。

この必要のない債務の恩恵を受けたのは民間水道会社の株主たちだとされる。借金を資本投資返済に充てることで、同期間に合計560億ポンド(約8.11兆円)の株主報酬を払うことができたからだ。

英民間水道のスキャンダルはその規模、仕組みが広く明らかになり、選択肢のない水道利用者が長年の過剰な水道料金を払わせられたことに、多くの英国民が怒っている。

再公有化の盛り上がりと労働党人気の関係

英民間水道企業のこうした行動実態が明らかになっていく中で、水道利用者には興味深いまったく新しい変化もまた起こっている。注目すべきは、こうした「再公有化支持」の動きが労働党人気へと繋がっている可能性だ。

ジェレミー・コービンが2015年の労働党首選で勝利して党首になって以来、イギリスの最大野党である労働党はかつてと全く違うリーダーシップで勢力を急激に伸ばしている。


ジェレミー・コービン〔PHOTO〕Gettyimages

現首相テリーザ・メイが自身保守党の地盤を固めるために恣意的に行った2017年6月の総選挙では、彼女の目的が完全に裏目に出て、コービン率いる労働党が大躍進し、政権交代までにはならなかったものの世界を驚かせた。コービン党首になって9万人だった労働党員は54万人になった。

そしてとても重要なことに、新労働党に投票し、今も活動的に支援するのは40歳以下の若年層なのだ。「英国を再建する。多くの人々のために、少数者のためではなく‘for the many, not the few’」という言葉が政治的なスローガンを超える現実味があるのが現在のイギリスであり労働党である。

こうした動きの背景に、「再公有化」への期待があると考えられているのだ。2017年の選挙で労働党はマニフェストに水道、電力、鉄道、郵便の再国有化を掲げた。若年層が圧倒的に支持した新労働党の要の政策が公共サービスの再国有化だったのだ。この政策の国民的な人気は冒頭に述べた通りである。

大躍進したとはいえ、政権を取らなければ、国レベルの再公有化のような大胆なことはまずできない。コービン率いる労働党は来る時代に備えて公約を実現するための政策準備に取り掛かった。そしてそのやり方も今までに例を見ない画期的な様相を見せている。

2017年のマニフェストが発表されてから、党は党員を超えた多くの専門家や活動家たちを招集して政策の具体化のための「部会」を設置した。党の外から政策アドバイザーを積極的に採用し政策立案していくこの実験的な方法が、労働党に新しいエネルギーを呼び込み、現在のラディカルで活気ある政策策定の過程を演出している。

より民主的な水道は可能か

2018年9月リバプールで開かれた党大会で発表された「透明な水:公的所有の民主的で透明性のある現代的な水道のビジョン」も部会と議員たちの共同の成果物だ。この案によると、現在の9つの民営水道会社を議会が決める値段で買い取り、9つの流域公共水道機構へと移行する。

労働者はそのまま新しい流域公共水道機構に移行するが、現在の民間水道企業の取締役たちは全員去っていただく。上記の水道ビジョンはこの流域公共水道機構をいかに民主的な管理と公的な精査が及ぶよう組織するかの提案が要となっている。

党大会でコービンとコンビを組む「影の財務大臣(シャドーキャビネットの財務大臣)」ジョン・マクドネル議員は「過去を繰り返す政策だと批判する人がいるが、私たちが提案しているのは全く新しい政策だ。水やエネルギーといった重要な産業の公的な所有によって今までにないレベルで労働者、市民、コミュニティーに経済的な権力を取り戻す新しい挑戦なのだ」と語った。

もしこのビジョンに従って流域公共水道機構への移行を実現したら、世界でも一番民主的で水道利用者の参画を統治に組み込んだ野心的な公的水道となるだろうと私は予想している。

さらに、マクドネル議員は水道や他の重要なサービスの「民主的な公的管理を実現するためのコンサルテーション」を発表した。これは部会よりもさらに広く、国際的にこの分野の研究者や実践者から知恵と経験を集める作業である。私も私が持てる情報や分析を提供してこの労働党の政策の土台となる知識収集作業に参加している。

しかし、2018年9月の党大会から数か月、英国のEU離脱(Brexit)問題ででそれ以外の政策議論が文字通り凍ってしまっている。国家を分断する悩ましいBrexitは労働党内の勢力も激しく分断してきたが、今年2月末、コービンは労働党のBrexit案を議会で通せない場合、EU離脱を問う二回目の国民投票を支持すると表明した。

Brexitの行方がどうなるのか現在誰にも分らないが、40年の新自由主義で深く傷ついた英国に新しいビジョンが必要なことは確かである。水道について考えることは、その第一歩になると、私は考えている。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/908.html#c21

[不安と不健康15] コンビニ弁当やお握りは辞めた方がいいです。『拡散』 (カズちゃんのブログ)  赤かぶ
285. 中川隆[-11043] koaQ7Jey 2019年3月31日 13:14:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[980]

3月28日 最も危険な食べ物、飲み水、薬のトップ10
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52038632.html


一般的に販売されている食品の多くに何等かの有害な化学物質が含まれているの確かです。それらを日常的に食べている消費者は知らないうちに不健康になっていっています。ただ、運動を行ったり、栄養バランスの良い食事をしたり、ストレス発散ができたり、高い免疫力を維持していればそれらの有害物質も身体の外に排出されるのでしょう。免疫力が低下すると具合が悪くなってしまいます。
風邪くらいですぐに病院に行くのは考え物ですね。
日ごろから気を付けるべき主な食品、水、薬品(10点)だけでも覚えておきたいものです。

https://www.naturalnews.com/2019-03-26-top-10-poisons-in-american-food-water-and-medicine.html
(概要)
3月26日付け

最も危険な食べ物、飲み水、薬品のトップ10とは

Image: Top 10 “Poisons” in American food, water, and medicine – and which body functions they ATTACK

(Natural News)
人々は様々な添加物が含まれている食品を食べ、フッ化ナトリウム、塩素が含まれている水道水を飲み、人工甘味料を使い、身体に有害な薬を飲んでいるため、常に身体はこれらの有害物質に攻撃され続けています。


処方薬の副作用は医師の指示に従わないほんの一部の患者に起こるのであって医師の指示通りに飲んでいれば安全であると信じている人も多いのです。


しかし実際はこれらの有害物質は身体を弱らせ寿命を短くしているのです。
化学薬品がカビ、菌、バクテリアなどの殺菌作用があるなら、同じように体内の細胞や軟組織そして免疫系や神経系をゆっくりと破壊するのも確かです。

そのうちに医師も患者も具合が悪くなった原因を特定できなくなるでしょう。

どのような検査を受けても真の原因の特定ができなくなるのです。しかしこれこそがアメリカの医療産業複合体による犯罪なのです。
医師と病院は以下の4段階のプランに沿って患者を騙し慢性病の治療を受けさせています。しかし彼等が行う慢性病の治療とは症状を隠すだけの手術と投薬治療のみです。これらは病気を治すものではありません。

最初に、医師は患者に「あなたの病気は遺伝ですから家族も同じ病気になる確率が高いです。」と言います。次に、医師は全く役に立たない検査を患者に受けさせます。そして検査結果を1,2週間後に伝えます。その間、患者は何度も病院通いをします。
次に、医師は患者に対してどの治療法を望むのかを尋ねます。そうすることで患者は重要視されていると感じます。しかし患者がどの治療法を選んでも、みな身体には侵襲的であり、化学薬品まみれで、ストレスの多い治療法であり、さらに具合が悪くなっていきます。
最後に、医師は患者に複数の処方薬を与えることになります。しかし与えられた処方薬を飲んでも病気は治りません。病気の原因の多くが体内に悪い物を取り入れた結果だからです。
そしてアメリカで日常的に体内に取り入れられている最も危険な食品、水、薬品(トップ10)は以下の通りです。。

1. キャノーラ油

血液凝結、心臓病、肥満、記憶喪失そして認知症になりやすくなる。

2. 水道水に含まれるフッ素

体内からカルシウムを排出させてしまうため徐々に骨がもろくなる。さらに松果腺を石灰化する。また、IQを低下させる。フッ素は殺虫剤と同様であり癌を引き起こす。

3. インフルエンザ・ワクチンなどに含まれる水銀

水銀は地球上で最も危険な非放射性有害物質であり中枢神経系を攻撃する。ほんの微量の水銀でも体内に入ると危険である。1回のインフルエンザ・ワクチンの中には25mcgの水銀が含まれている。EPA米環境保護庁の安全性限界は5mcgである。インフルエンザ・ワクチン以外に複数のワクチンを接種させられている子供たちは1日の安全性限度の10倍以上の水銀を体内に取り入れている。

4.抗生物質

免疫系の微生物叢や腸内(善玉菌と悪玉菌)を破壊する。

5. 安息香酸ナトリウム(保存料)

体内のミトコンドリア細胞を覆うたんぱく質を攻撃し酸素を取り込むのを阻害する。その結果、プログラム細胞死を招き、最終的には脳腫瘍を引き起こす。

6. アスパルテーム
アスパルテームは神経系を攻撃し極度の不安症にさせる。また、体重を増加させる。

7. グルタミン酸ナトリウム

脳細胞と呼吸パターンを攻撃し、片頭痛、嘔吐、喘息、脳損傷(幼児)を引き起こす。様々なワクチンに含まれている。

8. グリフォサート除草剤(モンサント社のラウンドアップと呼ばれる除草剤に含まれる。)


栄養が腸壁から吸収されないようにしてしまうため免疫系が侵される。アメリカの農地には毎年2憶ポンドものグリフォサートが使用されている。その結果、一般的に販売されている殆どの食品や水道水にはグリフォサートが含まれている。

9. 漂白剤(漂白されたパン、パスタ、小麦粉、砂糖、他)

膵臓、膀胱、前立腺の上皮組織を腐食し、腐食部分に癌を引き起こす。

10. GMO遺伝子組み換え穀物と農作物

GMOのDNAには、人間の腸内の善玉菌を破壊し免疫系を衰弱させ、認知能力を衰えさせ、認知症、パーキンソン病、アルツハイマー病、不安症、うつ病を発症させる除草剤が含まれている。

これらの有害物質を日常的に体内に取り入れている我々は自らの寿命を短くしています。
また、病院でも病院食としてこれらの有害物質が含まれる食事を提供しています。

アメリカの大手食品メーカーと大手製薬メーカーは利益を増やすためにアメリカ人をわざと不健康にしています。

http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52038632.html



http://www.asyura2.com/09/health15/msg/764.html#c285

[リバイバル4] 食べてはいけない 中川隆
5. 中川隆[-11042] koaQ7Jey 2019年3月31日 13:15:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[981]

3月28日 最も危険な食べ物、飲み水、薬のトップ10
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52038632.html


一般的に販売されている食品の多くに何等かの有害な化学物質が含まれているの確かです。それらを日常的に食べている消費者は知らないうちに不健康になっていっています。ただ、運動を行ったり、栄養バランスの良い食事をしたり、ストレス発散ができたり、高い免疫力を維持していればそれらの有害物質も身体の外に排出されるのでしょう。免疫力が低下すると具合が悪くなってしまいます。
風邪くらいですぐに病院に行くのは考え物ですね。
日ごろから気を付けるべき主な食品、水、薬品(10点)だけでも覚えておきたいものです。

https://www.naturalnews.com/2019-03-26-top-10-poisons-in-american-food-water-and-medicine.html


最も危険な食べ物、飲み水、薬品のトップ10とは


人々は様々な添加物が含まれている食品を食べ、フッ化ナトリウム、塩素が含まれている水道水を飲み、人工甘味料を使い、身体に有害な薬を飲んでいるため、常に身体はこれらの有害物質に攻撃され続けています。


処方薬の副作用は医師の指示に従わないほんの一部の患者に起こるのであって医師の指示通りに飲んでいれば安全であると信じている人も多いのです。


しかし実際はこれらの有害物質は身体を弱らせ寿命を短くしているのです。
化学薬品がカビ、菌、バクテリアなどの殺菌作用があるなら、同じように体内の細胞や軟組織そして免疫系や神経系をゆっくりと破壊するのも確かです。

そのうちに医師も患者も具合が悪くなった原因を特定できなくなるでしょう。

どのような検査を受けても真の原因の特定ができなくなるのです。しかしこれこそがアメリカの医療産業複合体による犯罪なのです。
医師と病院は以下の4段階のプランに沿って患者を騙し慢性病の治療を受けさせています。しかし彼等が行う慢性病の治療とは症状を隠すだけの手術と投薬治療のみです。これらは病気を治すものではありません。

最初に、医師は患者に「あなたの病気は遺伝ですから家族も同じ病気になる確率が高いです。」と言います。次に、医師は全く役に立たない検査を患者に受けさせます。そして検査結果を1,2週間後に伝えます。その間、患者は何度も病院通いをします。
次に、医師は患者に対してどの治療法を望むのかを尋ねます。そうすることで患者は重要視されていると感じます。しかし患者がどの治療法を選んでも、みな身体には侵襲的であり、化学薬品まみれで、ストレスの多い治療法であり、さらに具合が悪くなっていきます。
最後に、医師は患者に複数の処方薬を与えることになります。しかし与えられた処方薬を飲んでも病気は治りません。病気の原因の多くが体内に悪い物を取り入れた結果だからです。
そしてアメリカで日常的に体内に取り入れられている最も危険な食品、水、薬品(トップ10)は以下の通りです。。

1. キャノーラ油

血液凝結、心臓病、肥満、記憶喪失そして認知症になりやすくなる。

2. 水道水に含まれるフッ素

体内からカルシウムを排出させてしまうため徐々に骨がもろくなる。さらに松果腺を石灰化する。また、IQを低下させる。フッ素は殺虫剤と同様であり癌を引き起こす。

3. インフルエンザ・ワクチンなどに含まれる水銀

水銀は地球上で最も危険な非放射性有害物質であり中枢神経系を攻撃する。ほんの微量の水銀でも体内に入ると危険である。1回のインフルエンザ・ワクチンの中には25mcgの水銀が含まれている。EPA米環境保護庁の安全性限界は5mcgである。インフルエンザ・ワクチン以外に複数のワクチンを接種させられている子供たちは1日の安全性限度の10倍以上の水銀を体内に取り入れている。

4.抗生物質

免疫系の微生物叢や腸内(善玉菌と悪玉菌)を破壊する。

5. 安息香酸ナトリウム(保存料)

体内のミトコンドリア細胞を覆うたんぱく質を攻撃し酸素を取り込むのを阻害する。その結果、プログラム細胞死を招き、最終的には脳腫瘍を引き起こす。

6. アスパルテーム
アスパルテームは神経系を攻撃し極度の不安症にさせる。また、体重を増加させる。

7. グルタミン酸ナトリウム

脳細胞と呼吸パターンを攻撃し、片頭痛、嘔吐、喘息、脳損傷(幼児)を引き起こす。様々なワクチンに含まれている。

8. グリフォサート除草剤(モンサント社のラウンドアップと呼ばれる除草剤に含まれる。)


栄養が腸壁から吸収されないようにしてしまうため免疫系が侵される。アメリカの農地には毎年2憶ポンドものグリフォサートが使用されている。その結果、一般的に販売されている殆どの食品や水道水にはグリフォサートが含まれている。

9. 漂白剤(漂白されたパン、パスタ、小麦粉、砂糖、他)

膵臓、膀胱、前立腺の上皮組織を腐食し、腐食部分に癌を引き起こす。

10. GMO遺伝子組み換え穀物と農作物

GMOのDNAには、人間の腸内の善玉菌を破壊し免疫系を衰弱させ、認知能力を衰えさせ、認知症、パーキンソン病、アルツハイマー病、不安症、うつ病を発症させる除草剤が含まれている。

これらの有害物質を日常的に体内に取り入れている我々は自らの寿命を短くしています。
また、病院でも病院食としてこれらの有害物質が含まれる食事を提供しています。

アメリカの大手食品メーカーと大手製薬メーカーは利益を増やすためにアメリカ人をわざと不健康にしています。

http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52038632.html



http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/130.html#c5

[お知らせ・管理21] 2019年03月 削除依頼・投稿制限・等管理スレ。突然投稿できなくなった方も見てください。 管理人さん
52. 中川隆[-11044] koaQ7Jey 2019年3月31日 16:52:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[979]
>>51
御迷惑をお掛けしてどうも申し訳ございません。

どうしたらいいか考えてみます。
http://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/551.html#c52

[昼休み52] 日本人女性2人、リゾート地・セブ島で知り合った韓国人の男2人と飲酒→集団強姦される…フィリピン 中川隆
299. 中川隆[-11043] koaQ7Jey 2019年3月31日 17:30:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[980]

韓国の異常な反日行動の根底にある観念とは - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=xqo0k-CIaWY

2019/03/30 に公開


慰安婦、徴用工、レーダ照射、天皇謝罪要求・・・
日本人には理解できない韓国の異様な反日行動。
しかし、彼らには彼らの「正義」がある。
その根底になるものを読み解くと・・・
韓国、北朝鮮のウォッチングを
40年以上続けてきた榊淳司が解説。

関連ブログ
http://www.sakakiatsushi.com/

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/334.html#c299

[近代史3] 朝鮮人は頭がおかしい _ あるのはウソだけのめんどくさい国 中川隆
2. 中川隆[-11042] koaQ7Jey 2019年3月31日 17:31:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[981]

韓国の異常な反日行動の根底にある観念とは - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=xqo0k-CIaWY

2019/03/30 に公開


慰安婦、徴用工、レーダ照射、天皇謝罪要求・・・
日本人には理解できない韓国の異様な反日行動。
しかし、彼らには彼らの「正義」がある。
その根底になるものを読み解くと・・・
韓国、北朝鮮のウォッチングを
40年以上続けてきた榊淳司が解説。

関連ブログ
http://www.sakakiatsushi.com/

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/193.html#c2

[昼休み53] 千葉県にだけは住んではいけない 中川隆
245. 中川隆[-11041] koaQ7Jey 2019年3月31日 21:15:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[982]
排せつ物持たせ撮影 父、強要罪とDV追起訴 野田小4虐待死
2019年3月30日


 野田市立小4年の栗原心愛(みあ)さん(10)が1月24日に自宅浴室で死亡した虐待事件で、千葉地検は29日、心愛さんを浴室に立たせ続けるなどした強要罪と、母親のなぎさ被告(32)=傷害ほう助罪で起訴=への暴行罪で、父親の勇一郎容疑者(41)=傷害致死罪などで起訴=を追起訴した。心愛さんに排せつ物を持たせ撮影していたことが新たに判明した。

 起訴状などによると、昨年7月30日午前5時40分〜同6時40分ごろ、自宅浴室で心愛さんを脅して排便させ、排せつ物を右手に持たせてスマートフォンで撮影したとされる。

 今年1月5日ごろには、自宅居間で「何も信用していないよお前のことなんか」「お前みたいに暇人じゃないんだよ」「立てよ。風呂場に行けよ」などと脅迫。首を横に振って嫌がる心愛さんの衣服をつかんで廊下に引っ張り出し、なぎさ被告に助けを求める心愛さんに「邪魔だから。行けよ。早く」などと威圧し、浴室や脱衣所に立たせ続けたとされる。

 なぎさ被告に対しては、同1日ごろ自宅で、胸ぐらをつかんで顔を平手で殴り、太ももを蹴るなどの暴行を加えたとしている。

 捜査関係者によると、なぎさ被告は、勇一郎被告による心愛さんへの虐待を「止めようとしたら暴力を振るわれた」という趣旨の供述をしている。

 千葉県警は、一家が沖縄県糸満市で暮らしていた2017年7月、なぎさ被告の親族が市に相談した内容に基づきドメスティックバイオレンス(DV)の状況を捜査。勇一郎被告を心愛さんへの強要容疑で4回目の逮捕後、なぎさ被告への暴行容疑でも追送検していた。

 勇一郎被告は心愛さんの死亡2日前から飢餓や強いストレス状態にさせた上で死なせたとする傷害致死罪などで起訴され、なぎさ被告は同時期に食事を与えず、暴行を制止しなかったとして傷害ほう助罪で起訴された。

http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/390.html#c245

[昼休み53] 千葉県にだけは住んではいけない 中川隆
246. 中川隆[-11040] koaQ7Jey 2019年3月31日 21:20:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[983]

小4女児死亡 凶暴さと穏やかさを使い分けた父親の「二面性」


ざっくり言うと

千葉県野田市の小4女児死亡事件で逮捕された父親を、週刊女性PRIMEが報じた
近隣住民や職場の上司によると、「しっかりした人」「温厚で穏やか」だそう
一方で、父親と面談した学校関係者は「非常に威圧的」などと話した


《小4女児虐待死》娘を死に追いやったモンスター男の「不気味な二面性」
2019年2月5日 週刊女性PRIME
http://news.livedoor.com/article/detail/15978397/

昨年11月、職場のイベントで撮影された勇一郎容疑者(読者提供)
写真拡大

「亡くなった子を見たことはあるよ。水色の自転車に乗ってね、楽しそうに友達と走ってたんだよ。何で覚えているかというと、その自転車がその後ずっとカギをかけられて放置されているからさ。

【写真】心愛さんのSOS、父親に渡されてしまった直筆のアンケート用紙

 自転車に乗っていたのは昨年の夏。それ以来ずっと自転車はカギをかけられたままさ」

 事件現場となったアパートの向かい側に住む男性(72)は、あの自転車、と指をさしながらそう振り返った。

24日午後11時08分、容疑者本人からの110番

 千葉県野田市の小学4年、栗原心愛さん(10)が自宅で死亡、傷害容疑で父親の勇一郎容疑者(41)が千葉県警野田署に逮捕された虐待事件。

「木曜日(1月24日)の深夜0時近くにパトカーと救急車がうるさくて、玄関を開けてみたら(容疑者が)連行されるところでね。顔が真っ白だったのを覚えています。うなだれていて、青白いを通り越して真っ白な顔だった」

 と同じアパートの男性住人。

「丁寧でしっかりした人という印象しかありません。虐待とは真逆のイメージです」

 と続けた。

 心愛さんは容疑者と母親(31)、妹(1)の4人暮らし。勇一郎容疑者の態度は家の中では一変。暴力で家族を支配していたのである。

 事件発覚の経緯を捜査関係者が明かす。

「24日午後11時08分、容疑者本人から110番がありました。『10歳の娘を風呂場に連れて行ってもみ合いになり、静かになり、呼吸がない』との通報でした。心愛さんは心肺停止状態で、あご付近に軽い死後硬直が始まっていた」

 冷水を浴びせられたためスウェット上下は濡れていて、はだし。髪の毛があちこちにちらばり、Tシャツに隠れた身体には、古いあざのようなものが複数確認されたが、

「死因に至るような大きなケガ、外傷はありませんでした。病死以外の何らかの原因で死亡したものと判断しています」(前出・捜査関係者)

妻にDV、娘を恫喝

 心愛さんは沖縄県出身。小学校1年から3年の7月まで、母親の実家がある沖縄県糸満市の市立小学校に通っていた。そのころから一家は『要支援家庭』として行政の支援対象になっていた。

 糸満市の担当者の話。

「2017年7月上旬に、心愛さんの母親が“夫にDVを受けている。心愛も恫喝を受けている”と親族に打ち明けたそうです。親族が市役所に相談して発覚しました」

 母親(妻)へのDVの内容は、およそすべてが含まれるモンスター級。精神的には“バカ”“お前は何もできない”と暴言を吐かれる。身体的には殴られる。経済的には貯蓄や生活費を厳しく管理される。社会的には行動の監視、ケータイの履歴をチェックしたり、妻が友人や両親と会うことを禁止したりする。

 さらに市は、心愛さんが通っていた小学校とも連携し、調査をするも虐待の痕跡は確認できなかったという。

「上の子の話をすると避けられる可能性があるため、低体重児で誕生した下の子の支援を通して、母子の様子を確認しました」と前出・担当者。

 家庭訪問の約束をとりつけたが、容疑者側の都合で延期され実現しなかった。

「一緒に(夫の出身地の)千葉で暮らすことになったと言っていました」(同担当者)

 糸満市は、転入先の野田市に対し、『不安定な状態のリスク家庭』と申し送りをした。

 その具体的内容は、

「夫が妻を支配、友人家族と連絡なく、メールを削除させられるなどの生活が日常的。妻へのDVや娘への恫喝があった。夫婦のパワーバランスが懸念される、というものです」(前出・担当者)

 糸満市の支援は、この段階で終了した。

 '17年9月、心愛さんは千葉県野田市立山崎小学校に転校する。同校の教頭の話。

「積極的な児童で、授業中も自分から挙手する。礼儀正しく、言葉遣いもしっかりしている。お友達にも優しく慕われていました。衣服が汚れていることもなく、“あのアンケート”以前には虐待を感じさせることはなかったです」

 “あのアンケート”とは、学校が児童に実施したいじめに関するアンケートのこと。

 '17年11月6日だった。

 心愛さんはアンケートの自由回答欄に《お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり、起きているときにはけられたりたたかれたりします。先生、どうにかできませんか》と綴っている。

 選択式の設問では「いじめを誰から受けましたか」という質問に「家族」。いじめの内容を問う設問では「ぼう力を受けている」と記入。心愛さんの、心からのSOSだった。

 学校はすぐさま動いた。

「その日のうちに本人から聞き取りを行い、市教育委員会に報告しました。市が児童相談所へ通報し、翌日、一時保護となりました」

 と前出の教頭。この対応に、勇一郎容疑者は怒った。家族に言わずに児相に通報するのはおかしいと不満をぶつけ、学校の考え方が信頼できないため転校すると宣言。

2つの顔を持つ容疑者

 年が明け'18年1月、話し合いの場が持たれた。前出の教頭がその様子を伝える。

「校長、教務、担任、市教委から2名、ご両親の7名で話し合いました。父親は非常に威圧的といいますか、訴えるなどと脅し文句を言われました。“誘拐だ!”“家族を引き離すのか!”“誘拐された親の気持ちがわかるのか”とバーッと言われまして……」

 学校は、勇一郎容疑者の圧に屈し、心愛さんを保護する際は父親に情報を公開するという「念書」を書いて渡したという。その数日後、市教委は心愛さんが勇気をもってSOSを発信した“あのアンケート”のコピーまで父親に手渡すという失態を演じた。

 心愛さんを一時保護した千葉県柏児童相談所の担当者は、

「親族宅で生活をするということで一時保護を解除し、その後2回の面談を経て、'18年2月28日には、自宅に戻す決定をしました」

 と経緯を説明。勇一郎容疑者は山崎小に不信感を持ったとして、心愛さんを野田市立二ツ塚小学校に転校させた。

 二ツ塚小の校長は、

「お父さんは、学校が家庭に介入することを拒みました。“家庭訪問するときは私の許可を取ってからにしてください”と言っていました」

 と明かす。児相は、

「児相への不信感を持っていて、拒否するような姿勢でした。……職員が強く怒鳴られることもありました」(前出・児相担当者)

 アンケートの内容について、心愛さんが父親から叱責されたかどうかはこれからの捜査で明らかになるが、転校先の学校で実施されたいじめアンケート('18年6月、11月)に、心愛さんが虐待について記入することはもうなかった。アンケートに記入する勇気が無駄になることを、心愛さんは味わったのか……。

何が不満だったのか

 家族を暴力的に支配し、学校の面談ですごんでみせた勇一郎容疑者だが、職場では低姿勢で人当たりのいい別の表情を見せていた。昨年4月から在籍する沖縄コンベンションビューロー東京事務所の上司は、事件と容疑者が結びつかないと首をひねる。

「非常に温厚で穏やかでコミュニケーション能力もあり、慕われていました。どんな人にも正しい敬語を使って、自己主張もしないし、人と意見がぶつかることもなく、みんなから頼られていました。彼を悪く言う人はいません」

 酒癖は普通、ニコニコと人の話を聞き、トラブルもなし。広島カープのファンで、家族の話もしょっちゅう。

「娘さんを“上のお姉ちゃん”と“下の子”と呼んでいました。上のお姉ちゃんの運動会だったとか授業参観だったとか、学校行事のことをよく話していました」(前出・上司)

 しかし、心愛さんは下校後、毎日のように同級生の家で過ごしていた。カギを持たされていなかったから。容疑者夫婦は同級生の家に心愛さんを迎えに行くとき、これまた平身低頭だったという。

「お父さんが相手のお宅にお邪魔して“すみません”とか菓子折りを持ってやってきて、丁寧すぎて怖いほどにお礼を言うそうです。ただ服装は全身真っ黒。背が高くて、威圧的な感じがして“不気味だった”って言う人もいました」

 と近隣の主婦。そんな外面のよい父親について心愛さんが、友達同士の会話で「お父さんが怖い」と本音をもらしていたこともあったという。

 一時保護時には、こんなエピソードも。

「食事の片づけのとき、調理の人に“ごちそうさまです。おいしかったです”って必ずお礼を言っていたらしい。よっぽど厳しくしつけられていたんでしょう」(市内の女性)

 同級生の1人は、心愛さんからもらった“手編みのマフラー”を宝物にしている。寒がりのこの同級生のために編んでくれたのだという。

 そんなやさしい子に育った心愛さんの何が不満だったのか。凶暴さと穏やかさの二面性を使い分け、「しつけ」と称した暴力でわが子を死に追いやったモンスター。歪んだ父親像に憑かれている。
http://news.livedoor.com/article/detail/15978397/
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/390.html#c246

[近代史3] 性欲を満たすために行く場所ではなかった!? 意外と知られていない吉原の実態 中川隆
1. 中川隆[-11039] koaQ7Jey 2019年4月01日 08:32:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[984]

「目が合う」ということと「セックスをする」ということの間に大きな一線がなかった古代以来、世界に類を見ない、性をめぐる日本の高度な文化はいかに生れたのか?先頃亡くなった橋本治の論考から引用します。

橋本治「性のタブーのない日本」より
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日本語には「FUCK」に対する動詞がありません。女性器名をサ変動詞にして「おまんこする」という種類の表現にしているだけで、性交自体を表す動詞がありません。だから、「FUCK」を日本語に訳すと、ただ「やる」です。「FUCK」にふさわしい品のない表現だと思って、私は「やる」とか「やっちゃった」を連発していますが、ただ「やる」だけだと、「なに」をやるのか分かりません。でも、それでいいのです。日本語は「FUCK」に対応する動詞がないのだから。

なぜその動詞がないのかというと、日本には「その行為」だけを特別にピックアップする習慣がなかったからです。日本ではその行為が「逢う」ということに含まれていて、逢ったらもうやっちゃっているわけで、「その行為の部分」だけを特別視する必要がないのです。

「逢う」は当然「会う」ですが、「合う」と元は一つです。旧仮名遣いでいくと、どちらも「逢ふ」で「合ふ」です。だから「古事記」には《御合而(みあいて)》という表現も登場します。

(中略)

「FUCK」に対応する動詞が存在しないということは、「その行為」自体を特別視しないということです。「FUCK」が「性交をする」という意味から離れて、「人を罵倒する時に使う下品な表現」になってしまっているのは、当然、アダムとイヴの時代から続く「神の怒りにふれちゃうようなよろしからぬ行為」という色彩を性交が背負ってしまっているからでしょうが、日本語の「合う」や「逢う」にはそんなニュアンスがありません。性行為であることを率直に語って、しかしそこに「FUCK」のような卑語表現がないのが日本語で、「合う」や「逢う」が「率直な表現の言葉」であるということを理解しないと、「表現にぼかしが入れられた」という風に感じてしまうことになります。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=344319


橋本治「性のタブーのない日本」より
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「遊女」というのをそもそも「売春を業とする女」と考えるが誤解です。「遊女」の「遊」は「エンターテインメント」の「遊」で、古い日本語で「あそぶ」というのは「音楽を楽しむ」「演奏する」であり「歌を歌う」で、「遊女」は「ポップスを歌う歌手」でもありました。「今様」というのは、「今の様(スタイル)」という意味の、院政の時代にポピュラーになった歌で、これがないと後の小唄とか歌謡曲という種類のものは生まれない、当時的な「ポップス」ですが、その時代の遊女はこのポップスのシンガーです。「今様の名手」である遊女達は、上皇や女院の御所に呼ばれて今様を披露していましたが、同時に遊女なので客を取ってもいました。

「長者」というと、「富裕な暮らしをしていられる人」ですが、女で「長者」ということになると、これは「遊女宿を経営する、自立した遊女」のことです。「遊女宿」というのは、当然、売春施設ではなくて、「遊女が客の接待をする宿泊施設」で、平安や鎌倉、室町の街道や、海や川の港や船着き場のある場所にはありました。江戸時代になって街道が整備されるとこういうものはなくなって、ただの宿場になってしまいますが、それでもその宿場の宿屋には「飯盛女(めしもりおんな)」という、客の求めに応じて肉体を提供する女が当たり前にいました。幕府の方には「一つの宿場には飯盛女は何人まで」という規定はありましたが。

こういう言い方をしても「遊女」というのがどういう種類の女かということの説明にはなりませんが、その説明がどうしてむずかしいのかというと、近代以降の我々は、「性交の有無」というところに一線を引いてしまっているからです。

「遊女」というものを存在させていた時代は、彼女達が客に対して性行為を提供していたかどうかを、あまり問題にしません。彼女達が、客にエンターテインメントを提供する職業の女性で、性行為はそのエンターテインメントと一線を引かれて特別扱いされるようなものではなかったのです。

(中略)

江戸の吉原よりも古い京都の遊郭島原は、旧京都の南西のはずれにあります。戦乱で荒れ果てていた京都を整備して、平安京の東半分だけの現在の京都市街の基盤を作ったのは豊臣秀吉ですが、豊臣秀吉の時代に遊郭は、もっと違う所にありました。もっと東北寄りの、京都御所のすぐ南で「柳の馬場」と言われたところが、江戸時代以前に遊郭のあった場所です。院政の時代に、上皇や女院が今様の名手である遊女達を御所へ呼んだように、朝廷は「芸能」を退けません。すぐ近くに遊郭があってもよかったのです。それが日本文化の本来系でもあったのですが、徳川幕府は「風紀上よろしくない」として、柳の馬場にあった遊郭を(当時の)京都のはずれへ移したのです。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=344613
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/152.html#c1

[近代史3] 性欲を満たすために行く場所ではなかった!? 意外と知られていない吉原の実態 中川隆
2. 中川隆[-11038] koaQ7Jey 2019年4月01日 08:34:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[985]


性のタブーのない日本 (集英社新書) – 2015/11/17
橋本 治 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E6%80%A7%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%83%96%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%84%E6%97%A5%E6%9C%AC-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%A9%8B%E6%9C%AC-%E6%B2%BB/dp/4087208109
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/152.html#c2

[リバイバル3] 苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった 中川隆
524. 中川隆[-11037] koaQ7Jey 2019年4月01日 09:11:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[986]

2019年04月01日
引っ越しで収入が上がる 田舎から都会へのiターン

やはり人が多い都市ほど平均収入が高い

好景気は大都市にしかない

世のなか都会を離れて田舎へ引っ越すUターンやiターンが盛んですが、逆はあまり話題になりません。

実際には田舎から都市部へ出てくる人の方が多く、今も日本の都市化は進んでいます。

総務省によると首都圏・中京圏・近畿圏の3大都市圏では人口が増えていて、その他の地域では減少が続いています。




このままの傾向が続くと今世紀後半には千葉から兵庫までの太平洋側は人口が微増で、他の地域の人口は4割ほどに減少します。

千葉から兵庫までと他の地域は別の国と言えるほど違っていて、就職状況も大きく異なります。

例えば人出不足と言われますがそれは3大都市圏だけで、他の地域には当てはまりません。


労働者の給与やバイト時給などの民間統計の多くは、需要の多い大都市だけしか取っていません。

好景気や不景気といった景況も、好景気は大都市から始まって田舎になるほど最後にやってきます。

そして不況は田舎から始まって、大都市には一番最後にやってくるものです。


過疎地には杉の値段が上がったとか行楽客が増えた、公共事業予算が増えたなどで好景気を感じられる程度です。

近い県や同一県内でも収入格差がある

大都市圏以外は募集企業も限られていて、田舎では昔ながらの職業しかない場合が多い。

田舎に留まったまま収入を上げるのは困難なので、お金を求めるなら都会に出た方が良い。

田舎の人口流出はまさに「お金を稼げないから」なので、そこに留まる限り収入は増えません。


すごく能力が高い人は田舎で出世したり高収入を得られるが、その場合も都会に出た方が収入は向上します。

田舎でも人口減少による労働者不足がありますが、この場合は人手不足でも企業は賃金を低く抑えようとします。

自分が住んでいる地域の平均収入を調べてみて、3大都市圏より大幅に少ないようだったら、真剣に移住を検討するべきかも知れません。


1位の東京都は615万円で5位の京都府は498万円、18位和歌山県の453万円あたりまでが3大都市圏に該当しています。

400万円以下は38位鳥取県の396万円、46位宮崎県は365万円、47位青森県は359万円などとなっています。

九州の中でも26位の福岡県、内陸部でも12位栃木県や16位群馬県は高収入県となっています。


東北でも19位の宮城県、四国では24位香川県、北陸でも22位石川県は比較的収入が高い。

同じ県内でも県庁所在地など最大都市の平均収入が高いので、同一県内でも過疎地から都市部に引っ越すメリットは大きい。
http://www.thutmosev.com/archives/79430347.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html#c524

[近代史3] 中野剛志 _ アメリカで大論争の「現代貨幣理論」とは何か 中川隆
2. 中川隆[-11036] koaQ7Jey 2019年4月01日 09:40:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[987]


MMT(財政赤字は問題ない)は、やはり危険 2019年4月1日
塚崎公義(久留米大学商学部教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15796


 米国で「財政赤字は問題ない」という新理論が話題になっていますが、『日本の財政が絶対に破綻しない理由』を記した楽観主義者の塚崎でさえも、「やはり危険だ」思います。


「財政赤字は問題ない」という新理論が米国で話題に

 米国でMMT(Modern Monetary Theory、現代金融理論)と呼ばれる理論が話題となっています。民主党左派が財政支出拡大を求める際の理論的根拠として支持しているようです。

 「政府は紙幣を印刷すれば借金を返せるのだから、政府が破産することはありえない。したがって、財政赤字を気にすることはない。もっとも、財政赤字は無限には増やせない。そんなことをしたらインフレになるので、インフレを抑制するために増税をする必要があるからだ」というわけです。

 つまり、「増税は財政赤字を減らすためではなく、インフレを抑制するために行うのであって、インフレが心配ないのであれば増税は不要である」というわけですね。

 従来の経済学の主流派からは「トンデモ理論」だと批判されているわけですが、「日本は巨額の財政赤字を続けているが、自国通貨で国債を発行しており、インフレにもなっていないので、何の問題も起きていないではないか」というのが彼らの主流派への反論となっているようです。

 「非常識だ」と批判するのは簡単ですが、ガリレオの地動説のように、「非常識だけれど正しいこと」もあり得るので、本稿では非常識だという批判は差し控えたいと思います。

 そうだとすると、MMTは本当に間違えているのでしょうか?

日本でも、MMTは危険

 もしも、「財政赤字が10%増えるとインフレ率が1%高まる」という安定的な関係があるのであれば、日本のような国ではMMTもある程度正しいのかもしれません。しかし実際には、そうした関係は決して安定的ではありません。

 財政赤字とインフレの関係は、直線的なものではなく、地震のエネルギーが蓄積されていって、ある時突然に暴走する可能性があるのです。

 財政赤字が続き、政府の借金が増えていくと、世の中に出回る紙幣が増えていきます。実際には紙幣は銀行に預金され、銀行は日銀に預金するでしょうから、増えるのは日銀の準備預金ですが、「いつでも人々が巨額の紙幣を手にすることができる状況」となっていくわけです。

 そうした時に、たとえば石油ショックなどが発生して、人々の間でインフレ予想が広まったとします。人々は一斉に預金を引き出して物を買うでしょうから、実際にインフレ率が急激に上昇し、それが一層の買い急ぎを誘うでしょう。

 あるいは、日本政府が破産するという噂が流れたとして、人々が「破産する政府の子会社が発行している日銀券など持ちたくない」と考えて外貨や実物資産を購入し始めるとすれば、やはり超インフレになりかねません。

 そうなったら、MMTが言うように「増税してインフレを止める」ことは極めて困難です。無理に超大幅増税を短期間で実行すれば、経済が大混乱するでしょう。

 実際には増税よりも即効性のある「大幅な利上げをする」、「預金準備率を急激に引き上げる」、といった手段が採れるでしょうから、本当に超インフレになってしまうことはないでしょうが、いずれにしても「暴走する車に急ブレーキをかける」ようなものですから、相当大きなショックを経済に与えることとなりかねません。

 したがって、筆者でさえも、「日本の財政赤字を脳天気に放置しておいて良い」とは思っていません。ただ、「放置するリスクと緊縮財政で景気を悪化させるリスクを天秤にかけると、前者のリスクの方が若干小さいだろう」と考えているだけです。


対外債務のある国では採用不可

 日本は巨額の対外純資産を持っていますし、対外債務も多くは自国通貨建てです。したがって、海外の債権者の反応を気にする必要がありません。しかし、対外債務の多い国は、海外の債権者の反応も大いに気になるところです。

 海外の投資家や銀行は、国内の投資家や銀行と比べて遥かに逃げ足が速いですから、MMTのリスクが大きいのです。海外の投資家が逃げ出すと、自国通貨をドルに替えて持ち帰るため、超ドル高となり、輸入インフレとなります。

 それだけではありません。倒産が増えるのです。海外からのドル建て債務を返済するには、自国通貨をドルに替える必要があります。海外からの返済要請が殺到した場合、最初に返済した人は良いのですが、その人がドルを買うことでドルが値上がりするため、2人目の返済負担は1人目より大きくなるのです。

 3人目以降も同様なので、最後の1人はわずかなドルを返済するのに巨額の自国通貨が必要となり、倒産しかねないのです。

 したがって、対外債務の大きな国がMMTを採用することは、大変危険なことだと言えるでしょう。

 ユーロ圏の国がユーロ建てで借金をしている場合や、米国が米ドル建てで借金をしている場合は、この限りではありませんが、米国の場合は反対に基軸通貨であるが故に世界に迷惑を撒き散らす可能性があるのです(後述)。


米国の方が日本よりインフレ体質

 米国の方が日本よりインフレになる可能性が高そうです。単に過去のインフレ率が高かったというだけではありません。インフレになった時に、それが加速する可能性が高そうだ、という点が問題なのです。その分だけ、MMTのリスクは高いと考えて良いでしょうから。

 インフレになると「買い急ぎ」をする傾向が、米国人は日本人よりも強いようなのです。日本人はインフレになると買い急ぎをするインセンティブと並んで「老後のための貯金が目減りしてしまったので、倹約して貯蓄に励む」というインセンティブも持ちますが、米国人はそうでもないようです。

 もともと楽天的で将来不安を日本人ほど感じないという国民性もあるのでしょうが、「インフレになると賃金が素直に上がる経済体質」「金融資産が株式などインフレに強いもの中心なので、インフレでも目減りしない構造」なども影響しているかもしれません。

基軸通貨の混乱は世界的な影響が大

 日本経済が混乱しても、日本の金利が急上昇しても、日本の円が暴落しても、影響は日本中心に発生するだけで、世界経済への影響は限定的なものにとどまるでしょうが、米国で同じことが起きると影響は世界中に広がります。それは、米国の通貨である米ドルが基軸通貨として世界中の貿易や投資等に使われているからです。

 米国の金利が急上昇すると、世界中の金の貸し借りが混乱します。米国のインフレを止める目的で利上げをすると、米ドルを海外から借りている途上国の経済が破綻したり、世界的に株価が暴落したりするわけです。

 そんなことになっても米国のインフレを止める効果は見込まれないのに、迷惑だけ世界中にかけるわけですね。そんなリスクを世界経済に負わせないでいただきたいものです。

 さらに問題が深刻化すると、基軸通貨が交代する、といった思惑が生じるかもしれません。そうなれば、世界経済の混乱は計り知れないものとなるでしょう。幸か不幸か現在はドルに代わって基軸通貨となり得る通貨が見当たらないこともあり、その可能性は非常に低いとは思われますが、影響の大きさを考えると、確率は低くても被害の期待値は無視できないと言えそうです。

 以上を総合的に考えると、筆者は米国がMMTを採用することに反対せざるを得ません。もっとも、米国が「米国ファーストだから、他国への悪影響など考慮せずに、米国経済だけのことを考えてMMTを採用する」と言い始めたら、止める術はありませんが(笑)。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/314.html#c2

[リバイバル3] 日本人は金髪美女に弱い _ 小布施からセーラ・カミングスの姿が消えた 中川隆
171. 中川隆[-11035] koaQ7Jey 2019年4月01日 15:24:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[988]

英語に堪能、母語に不自由 2019年3月29日


 次期学習指導要領で小学校5・6年生を対象に英語が正式教科となり、11歳、12歳の子どもたちが2年間で習得する英単語数は600〜700にもなるという。現在、中学校では1200単語、高校では1800単語のあわせて3000単語を習得させているが、中学校段階の半分以上を前倒しして小学校段階で覚えさせ、さらに疑問詞や代名詞、動名詞や助動詞、動詞の過去形などの表現も学ばせるのだという。そして上級学校に進学すると、中学校で1600〜1800単語、高校で1800〜2500単語にまで増やし、高卒段階の習得単語を3000からいっきに4000〜5000に引き上げるという。国を挙げてこれほど英語学習にムキになっているのは何のため、誰のためなのだろうか。

 「英語ができるオレは格好いい」の風潮なのか、はたまた英語熱の微妙な浸透による影響なのか、最近は何でもかんでも日本語の会話のなかに英単語を交えて話す人が増えてきた。一昔前ならルー大柴の芸風として笑われていたものが日常生活のなかで当たり前となり、いつの間にか意味や印象も脳味噌にすり込まれているから不思議だ。その度に「日本語でいえよ」と思いつつ、みずからが無意識のうちに使っている単語もままある。日本語で文法を使いこなしながら会話しているのに、単語は英語という奇妙な取り合わせである。

 企業ではコンプライアンス(法令遵守)やガバナンス(統治)といった言葉が当たり前に使われるようになり、会議や打ち合わせはミーティングなどという。選挙になれば公約といえばいいのにマニフェストといい、主導権を握ることをイニシアティブを握るといい、スターバックスに行くと、大中小でなくとも、せめてS・M・Lでよかろうものをスモール、トール、ラージ、グランデからサイズ(大きさ)をチョイス(選ぶ)し、「テイクアウト(持ち帰り)ですか?」と聞かれたりする。アイドルのAKB48は「アキバシジュウハチ」ではなく「エーケービー・フォーティーエイト」。昼飯に行こう→ランチに行こう、心から尊敬している→マジ・リスペクト、潜在能力を秘めていますね→ポテンシャルが高いね、売り切れています→ソールドアウトです−−。日常のなかに浸透している英単語はまだまだある。そして、暴力亭主→DV男(ドメスティックバイオレンス)、コストパフォーマンス(価格性能比)→コスパ、キャパシティ(収容能力)→キャパなどのように短縮して独自の和製英語化を遂げているものもあったりする。そして、昔の人がDをデーといおうものなら笑い者にするような風潮すらある。英語ができるものがすごいという価値基準から、そうでない者を卑下するのである。

 さて、話を本題に戻すと、常用漢字すら習得できていない小学生が、漢字の筆記学習(毎日習慣づける)に加えて英語の単語学習(スペルを何度も筆記したり、反復学習するほかない)までこなし、これまで中学校1年生段階で学んできたはずの学習量を受け止め、消化できるのかは甚だ疑問だ。恐らく無理な話で、取り残されて置いてけぼりを食う子どもが続出することは疑いない。よほどの秀才でない限りは、家庭での自学による蓄積がなければ英単語も漢字も覚えられるものではなく、そのために費やす学習時間分ほどその他が疎かになる関係だろう。現状でさえ読み書き計算ができず、そのまま放置されている子どもたちが多いなかで、一部の「できる子」とその他の多数を占める「できない子」との溝はさらに深まることが予想される。

 母語である日本語の読解力が落ち、テストで文章題の意味が理解できない子どもが増えていることがニュースになった。文章力についても、句読点の打ち方やてにをはの使い方、接続語の使い方などに不自由な子どもたちが増え、大学では卒論を書こうにも起承転結や文章のつなぎ方がわからない学生も増えているという。読書量の圧倒的不足など要因は様様あるだろうが、日本語に不自由であるというのが特徴だ。

 英語でもスペイン語でも中国語でも、語学に堪能であることにこしたことはない。何カ国語も操れるような人をみると、その努力に大いに感心する。しかし、現在のように母語を押しのけてでも政府挙げて英語学習に傾斜しているのは、植民地従属国としての仕様を完成させ、英語への反射神経を高め、外資に牛耳られたグローバル社会に適応するためでしかない。母語や母国から切り離れて世界を漂流するコスモポリタン(無国籍主義者)の道を進むという政府の宣言なのだろう。       
https://www.chosyu-journal.jp/column/11286
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/444.html#c171

[文化2] ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン 中川隆
183. 中川隆[-11034] koaQ7Jey 2019年4月01日 15:25:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[989]

英語に堪能、母語に不自由 2019年3月29日


 次期学習指導要領で小学校5・6年生を対象に英語が正式教科となり、11歳、12歳の子どもたちが2年間で習得する英単語数は600〜700にもなるという。現在、中学校では1200単語、高校では1800単語のあわせて3000単語を習得させているが、中学校段階の半分以上を前倒しして小学校段階で覚えさせ、さらに疑問詞や代名詞、動名詞や助動詞、動詞の過去形などの表現も学ばせるのだという。そして上級学校に進学すると、中学校で1600〜1800単語、高校で1800〜2500単語にまで増やし、高卒段階の習得単語を3000からいっきに4000〜5000に引き上げるという。国を挙げてこれほど英語学習にムキになっているのは何のため、誰のためなのだろうか。

 「英語ができるオレは格好いい」の風潮なのか、はたまた英語熱の微妙な浸透による影響なのか、最近は何でもかんでも日本語の会話のなかに英単語を交えて話す人が増えてきた。一昔前ならルー大柴の芸風として笑われていたものが日常生活のなかで当たり前となり、いつの間にか意味や印象も脳味噌にすり込まれているから不思議だ。その度に「日本語でいえよ」と思いつつ、みずからが無意識のうちに使っている単語もままある。日本語で文法を使いこなしながら会話しているのに、単語は英語という奇妙な取り合わせである。

 企業ではコンプライアンス(法令遵守)やガバナンス(統治)といった言葉が当たり前に使われるようになり、会議や打ち合わせはミーティングなどという。選挙になれば公約といえばいいのにマニフェストといい、主導権を握ることをイニシアティブを握るといい、スターバックスに行くと、大中小でなくとも、せめてS・M・Lでよかろうものをスモール、トール、ラージ、グランデからサイズ(大きさ)をチョイス(選ぶ)し、「テイクアウト(持ち帰り)ですか?」と聞かれたりする。アイドルのAKB48は「アキバシジュウハチ」ではなく「エーケービー・フォーティーエイト」。昼飯に行こう→ランチに行こう、心から尊敬している→マジ・リスペクト、潜在能力を秘めていますね→ポテンシャルが高いね、売り切れています→ソールドアウトです−−。日常のなかに浸透している英単語はまだまだある。そして、暴力亭主→DV男(ドメスティックバイオレンス)、コストパフォーマンス(価格性能比)→コスパ、キャパシティ(収容能力)→キャパなどのように短縮して独自の和製英語化を遂げているものもあったりする。そして、昔の人がDをデーといおうものなら笑い者にするような風潮すらある。英語ができるものがすごいという価値基準から、そうでない者を卑下するのである。

 さて、話を本題に戻すと、常用漢字すら習得できていない小学生が、漢字の筆記学習(毎日習慣づける)に加えて英語の単語学習(スペルを何度も筆記したり、反復学習するほかない)までこなし、これまで中学校1年生段階で学んできたはずの学習量を受け止め、消化できるのかは甚だ疑問だ。恐らく無理な話で、取り残されて置いてけぼりを食う子どもが続出することは疑いない。よほどの秀才でない限りは、家庭での自学による蓄積がなければ英単語も漢字も覚えられるものではなく、そのために費やす学習時間分ほどその他が疎かになる関係だろう。現状でさえ読み書き計算ができず、そのまま放置されている子どもたちが多いなかで、一部の「できる子」とその他の多数を占める「できない子」との溝はさらに深まることが予想される。

 母語である日本語の読解力が落ち、テストで文章題の意味が理解できない子どもが増えていることがニュースになった。文章力についても、句読点の打ち方やてにをはの使い方、接続語の使い方などに不自由な子どもたちが増え、大学では卒論を書こうにも起承転結や文章のつなぎ方がわからない学生も増えているという。読書量の圧倒的不足など要因は様様あるだろうが、日本語に不自由であるというのが特徴だ。

 英語でもスペイン語でも中国語でも、語学に堪能であることにこしたことはない。何カ国語も操れるような人をみると、その努力に大いに感心する。しかし、現在のように母語を押しのけてでも政府挙げて英語学習に傾斜しているのは、植民地従属国としての仕様を完成させ、英語への反射神経を高め、外資に牛耳られたグローバル社会に適応するためでしかない。母語や母国から切り離れて世界を漂流するコスモポリタン(無国籍主義者)の道を進むという政府の宣言なのだろう。       
https://www.chosyu-journal.jp/column/11286
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html#c183

[近代史3] 呪われたスキー場 _ 妙高 新井スキー場(ロッテアライリゾート) 中川隆
78. 中川隆[-11036] koaQ7Jey 2019年4月01日 18:24:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[987]

ロッテアライリゾートでダイナマイト爆発! - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=QShGYiWRXJ0


2019/03/18 に公開
ロッテアライリゾートスキー場で雪崩のコントロールをゲレンデのパトロールの皆さんがやっていると聞いて体験させてもらいに行ってきました。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/190.html#c78

[リバイバル3] ロッテアライリゾート 中川隆
14. 中川隆[-11035] koaQ7Jey 2019年4月01日 18:25:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[988]
ロッテアライリゾートでダイナマイト爆発! - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=QShGYiWRXJ0

2019/03/18 に公開
ロッテアライリゾートスキー場で雪崩のコントロールをゲレンデのパトロールの皆さんがやっていると聞いて体験させてもらいに行ってきました。

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/935.html#c14

[昼休み52] 名張ぶどう酒毒殺事件の真犯人は? 中川隆
38. 中川隆[-11034] koaQ7Jey 2019年4月01日 19:32:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[989]

m224「眠る村」齊藤潤一監督インタビュー - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=FSs2guhBx98


2019/02/15 に公開

●224「眠る村」齊藤潤一監督インタビュー
2019年2月13日シアターセブンにて
聞き手 浅尾典彦(夢人塔)

「サブカルmini」No.224
監督の齊藤潤一に、裁判の結果を待たずに
容疑者奥西勝が獄中死した事件をなぜまた扱うのか?
などインタビュー。事件が歴史になる瞬間をあなたは知るだろう。
撮影はこの映画プロデューサーの阿武野勝彦。

「眠る村〜名張毒ぶどう酒事件 57年目の真実〜」
東海テレビ劇場版第11作目
第66回 菊池寛賞、2017年 日本民間放送連盟賞
〈特別表彰部門/放送と公共性〉最優秀賞。
ナレーション 仲代達矢。

3/2より第七藝術劇場、京都シネマ、順次元町映画館ほか公開
配給 東海テレビ
(C)東海テレビ放送
企画協力  シアターセブン、松井寛子
番組制作・著作 (C)2019夢人塔

http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/254.html#c38

[リバイバル3] 苗場スキー場 中川隆
66. 中川隆[-11033] koaQ7Jey 2019年4月01日 19:45:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[990]


雪日記 3/27(水) 
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3554.html


本日の夜の部は越後湯沢特別編。
街からは遠くて中々訪れない苗場プリンスへ。

レストランアゼリアのブッフェでアーライッ!

“つなんポークロース肉の鉄板焼き”と“越の黄金豚ロース肉のしゃぶしゃぶ”
をとことんいただきます。

正規のお値段はまぁまぁしますが、料理の種類は豊富。
そして美味しい、
プレミアムシーズン券の割引チケット利用なら納得のお値段です。
シーズン券購入者のメリットはこんな所にもあります。

デザートのクオリティが意外に高かったのも嬉しい。
プリンスホテルのディナーバイキング、侮れないぞ!
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3554.html

____


雪日記 3/29(金) 
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3556.html


シーズン券の割引券がまだ余っているので、再び苗場プリンスへ。

ゲレンデが観える特等席で鍋ビュッフェ。
29(肉)の日なのですき焼き食べ放題です(笑)

目の前は第2高速と第8高速リフト。
8高が9高だったらリフトも29だったのにね。

まぁまぁ美味しかったけど、アゼリアのブッフェと比べるとイマイチ…。
この内容で4,500円なんて価格設定だから苗場はどんどん廃れていくのだろうと。
高級路線なのか格安路線なのか中途半端すぎです。
街で2,000円程度の食べ放題の方が内容は全然マシです。
リゾートなのだから、もう少し内容をまともにして値上げしてもいいし、
格安路線でいくなら値段がやはり高すぎ。

それを象徴するかのように、お客さんは外国からの観光客ばかり。
これが日本の鍋と思われたくない…(笑)
日本人にこの内容ではリピートしてくれる方はいないでしょう。

プリンスカードでお会計したらプリンスポイントが付きませんでした。
そっか、プリンスが直営している店舗ではなかったのですね。

そー言えば、プリンスはバイキング形式のレストランを“ブッフェ”と表記するけど、
こちらは“ブュッフェ”でした。

でもホテル内の飲食店なのだから、カード提示時にそれは伝えるべきでない?
もうクローズ時期が近付いているのに、慣れない感じのバイトくんばかりだったし何だかなぁ…。

ゲレンデ目の前のロケーションだけは良かった苗場夜の部でした。

苗場はホテルの外に素晴らしい飲食店がいくつかあるので、
プリンスに宿泊しても外で食べるのが一番だと思います。
でもそれじゃダメだよなぁ、プリンスホテル様…。
http://golgo13zilch.jp/blog-entry-3556.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/775.html#c66

[近代史3] 日本人は「狂ったアメリカ」を知らなすぎる 中川隆
31. 中川隆[-11032] koaQ7Jey 2019年4月01日 20:10:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[991]
2019.04.01
ウクライナの大統領選挙でコメディアンが首位となり、4月に決選投票へ

 3月31日はウクライナの次期大統領を決める投票日だった。言うまでもなく、この選挙は2014年2月にビクトル・ヤヌコビッチ大統領をクーデターで排除した体制が行うもので、ペトロ・ポロシェンコが現在の大統領。有力候補者はこのほかオリガルヒのユリア・ティモシェンコとコメディアンのボロディミル・ゼレンスキーだった。出口調査によると、ゼレンスキーが30%でトップ、ポロシェンコは18%、ティモシェンコは14%。ゼレンスキーとポロシェンコで4月21日に決選投票があると見られている。

 ウクライナでは2004年から05年にかけてロシアとの関係を重視するビクトル・ヤヌコビッチ政権を転覆させるため、アメリカなど西側支配層を後ろ盾とする勢力が「不正選挙だ」として抗議活動を展開した。いわゆるオレンジ革命だ。その時に西側が支援していた人物がビクトル・ユシチェンコ。2005年1月から2010年2月まで大統領を務め、新自由主義を導入した。その政策で大多数の庶民は貧困化、一部の腐敗勢力が巨万と富を築いてオリガルヒと呼ばれるようになる。

 そうしたオリガルヒのひとりがティモシェンコで、2005年1月から9月まで、そして07年12月から10年3月まで首相を務めた。彼女がいかにして蓄財したかを知っている人びとからは嫌われている。2010年にも大統領選挙に出馬するが、ヤヌコビッチに敗れた。そのヤヌコビッチをバラク・オバマ政権はネオ・ナチを使ったクーデターで2014年に倒したわけだ。ポロシェンコもオリガルヒのひとりで、チョコレート王、あるいはチョコレート・マフィアと呼ばれている。

 オレンジ革命の直前、2003年にジョージアでも政権が倒されている。いわゆるバラ革命だ。黒幕はアメリカ大使のリチャード・マイルズ。その前には、ユーゴスラビアで政権を転覆させている。マイルズはサーカシビリ支持の若者を扇動してシェワルナゼを辞任に追い込んだのだ。

 ポロシェンコとサーカシビリは国立キエフ大学の出身だが、そこでふたりは親しくなっている。サーカシビリは1994年にアメリカのコロンビア・ロー・スクールで学び、翌年にはジョージ・ワシントン大学ロー・スクールに通っている。卒業後、ニューヨークの法律事務所パターソン・ベルクナップ・ウェッブ・アンド・タイラーで働き、そこでエドゥアルド・シェワルナゼの下で働いていた旧友に誘われて政界入りしたという。

 ウクライナの庶民はふたりのオリガルヒを選挙で拒否したのだが、アメリカ支配層を後ろ盾とするネオ・ナチが大きな影響力を持っている。誰が大統領になっても軍事的な緊張は続きそうだ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904010001/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/175.html#c31

[近代史3] 憲法九条と GHQ のニューディーラーが考えていた事 _ アメリカ合衆国憲法も常備軍の存在は認めていない 中川隆
1. 中川隆[-11031] koaQ7Jey 2019年4月01日 20:17:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[992]
憲法について - 内田樹の研究室 2019-03-31
http://blog.tatsuru.com/2019/03/31_1053.html

 2018年の5月に日仏会館で憲法についての講演を行った。

 護憲派はなぜ「弱い」のかという問題について考察した。この日は憲法学の泰斗である樋口陽一先生も客席にいて、ずいぶん緊張した。さいわい、講演後の打ち上げでビールを酌み交わしながら、「おもしろいお話でした」と言って頂いて、ほっとした。


 今晩は。ご紹介いただきました内田です。

 錚々たる憲法学者の方たちが例年憲法講演会をされているところで、私のような何の専門家かわからない人間が登壇するというのは、まことに申し訳ないことです。

 時々改めて「あなた、何の専門家なの」って訊かれると、いつも返答に窮します。専門がないんです。いろんな分野に手を出して、いろいろな論点について一知半解のコメントをしているだけなので、ちょっと専門家に突っこまれると、すぐにしどろもどろになってしまう。

 でも、せっかく手を拡げている以上、どのトピックについても「その分野の専門家が誰も言っていそうもないことを言う」ということを原則にしています。他の人がすでに言っていること、その領域では「常識」として共有されていることを僕が繰り返しても意味がありませんから。せっかく発言の機会を頂いたら、どんな分野のことでも、「まだ誰も仰っていないこと」を言う。そういう方針でおります。

 ですから、憲法についても、「誰も言わないこと」を選択的に語ってきたのですけれども、最近は同じような意見を言って下さる方がだんだん増えてきました。僕が言わなくても言ってくださるのでしたら、わざわざ僕が出てくる必要はありません。白井聡さんなんかの書かれたものを読んでいると、「そう、その通りだ」と膝を叩いてしまいます。僕よりもはるかに見事に現状を分析しているので、こういう仕事はそういうできる人に任せて、僕はもっと違う分野に移動する時期かなとも思っております。それでもまだ僕や白井さんのような立場は圧倒的に少数意見ですので、当面は共同戦線を張って戦ってゆくつもりでいます。

 僕が憲法に関して言いたいことはたいへんシンプルです。それは現代日本において日本国憲法というのは「空語」であるということです。だから、この空語を充たさなければいけない、ということです。

 日本国憲の掲げたさまざまな理想は単なる概念です。「絵に描いた餅」です。この空疎な概念を、日本国民であるわれわれが「受肉」させ、生命を吹き込んでゆく、そういう働きかけをしていかなければいけないということです。

 憲法は書かれたらそれで完成するものではありません。憲法を完成させるのは、国民の長期にわたる、エンドレスの努力です。そして、その努力が十分でなかったために、日本国憲法はまだ「受肉」していると呼ぶにはほど遠い。というのが僕の考えです。

 もう一つ長期的な国民的課題があります。それは国家主権の回復ということです。

 日本はアメリカの属国であって国家主権を持っていない。その国家主権を回復するというのはわれわれの喫緊の国家目標です。これはおそらく百年がかりの事業となるでしょう。これもまた日本国民が引き受けなければならない重い課題です。
そして、国家主権の回復という国民的事業を一歩ずつでも前に進めるためには、「日本国民は今のところ完全な国家主権を持っていない」という痛ましい事実を認めるところから始めなければいけません。

 日本はアメリカの属国です。安全保障であれ、エネルギーであれ、食糧であれ、重要な国家戦略についてわれわれは自己決定権を有していない。この事実をまず国民的に認識するところから始めなければいけません。けれども、現在の政権を含めて、日本のエスタブリッシュメントはそれを認めていない。日本はすでに完全な国家主権を有しているという「嘘」を信じているか、信じているふりをしている。すでに国家主権を有しているなら、アメリカの属国身分から脱却するための努力の必要性そのものが否定される。この重篤な病から日本人が目覚めるまで、どれくらいの時間が要るのか、僕には予測できません。恐ろしく長い時間がかかることは間違いありません。
 
 最初に「憲法は空語である」という考え方について、少しご説明を申し上げておきます。

 憲法集会では、いろいろな団体に呼ばれます。もちろん、呼んでくれるのはどこも護憲派の方たちです。今日はちょっと違うようですが、護憲派の集会へ行くと、客席の年齢層が高いんです。ほとんどがお年寄りです。平均年齢はたぶん七十歳くらい。若い人はまず見かけることがありません。日頃から、駅頭でビラを撒いているの方たちもそうです。地域の市民たちが文字通り「老骨に鞭打つ」という感じで情宣活動をしたり、護憲派集会の会場設営の力仕事をされている。若い人が来ないんです。どうしてこんな老人ばっかりなんだろう。どうして日本の護憲派の運動は若い人に広がらないのか。

 それはどうやら、若い人たちはむしろ改憲派の言説の方にある種のリアリティーを感じているかららしい。改憲派の言葉の方に生々しさを感じる。そして、護憲派の言説は「空疎」だという印象を持っている。どうして護憲派の言説にはリアリティーがないのか。

 僕は1950年生まれです。僕にとって日本国憲法はリアルです。それを「空疎」だと思ったことがない。憲法は僕にとって山や海のような自然物と同じようなものだからです。生まれた時からそこにあった。良いも悪いもありません。自然物についてその良否を語らないのと同じです。「憲法を護ろう」というのは、僕たちの世代にとっては、当たり前のことなわけです。それは「大気を守ろう」とか「海洋を守ろう」とかいうのとほとんど変わらないくらい自然な主張に思えていました。

 でも、これはあくまで世代の問題なんです。だから、護憲派の人たちに六十代、七十代の人が多い。それが当然なんです。この世代にとっては、憲法は自然物としてのリアリティーがあるからです。でも、若い人は憲法にそのようなリアリティーを感じない。同じ文言であるにもかかわらず、育った年齢によって、その文言のリアリティーにこれほどの差がある。この差はどうして生まれたのか。この差を決定づけたのは戦中派の人たちが身近にいたか、いなかったのかという先行世代との関わりだと僕は思います。

 戦中派というと、われわれの世代では、親であったり、教師であったりした人たちです。この人たちの憲法観が僕たちの世代の憲法への考え方を決定づけた。戦中派の憲法理解が、戦後日本人の憲法への関わりを決定的に規定したというが、僕の仮説です。

 僕自身は、戦中派であるところの両親や教師たちやから、「とにかく日本国憲法は素晴らしいものだ」ということを繰り返し聞かされてきました。そして、「この憲法は素晴らしいものだ」と言う時に彼らが語る言葉は本当に重々しかったのです。声涙ともに落つという感じで。こんなよい憲法の下で育つことができて、お前たちはほんとうに幸せだ、と深い確信をこめて彼らは語った。その言葉に彼らはほとんどその実存を賭けていた。子どもにもそれは分かります。だから、「この憲法のどこが素晴らしいの?」というような質問は思いもつかなかった。大人たちがこれだけはっきりと、全身全霊をかけて言っている言葉に疑義を差し挟むことなんか、子どもにはできません。 
 
 僕らの子どもの頃、天皇制を批判する人は結構いたんです。学校の先生にもいました。天皇制について、はっきり反対だと言い切る先生はふつうの公立の小学校や中学校に何人もいました。「天ちゃん」というような侮蔑的な言葉遣いで天皇を呼ぶ人もいた。それを咎める人もいなかった。

でも、憲法について批判的なことを言う大人は、僕が子どもの頃には、周りにまったくいなかった。僕自身の個人的な経験から言うと、一人もいなかった。

 僕の世代には名前に「憲(のり)」っていう字が入っている男子がたくさんいます。今はもうほとんどいないと思うんですが、1946年の憲法公布から10年間ぐらいは、「憲男」とか「憲子」という名前はそれほど珍しくなかった。この時期だけに特徴的な命名だったと思います。それだけ親の世代が憲法に関して多くのものを期待していた。だから、自分の子どもには憲法の憲の字を背負って一生生きてもらいたいという強い願望をこめた。

 ですから、改憲論というものを僕はずいぶん後年になるまで聞いたことがなかったんです。自民党は党是として結党時から自主憲法制定を掲げていたようですが 、憲法を改正することが国家的急務であるというような言説がメディアを賑わせたことなんか、小学生から大学生時代に至るまで、僕はまったく記憶にありません。とくに1960年代末から70年にかけて、僕が高校生大学生の頃は、全共闘運動の時代ですから、改憲論なんて話題にもなりませんでした。活動家たちはブルジョワ民主制を打倒して革命をしようというような話をしている訳ですから、そもそもブルジョワ憲法の良否が政治的議論のテーマとなるはずもない。憲法を護持すべき、あるいは改正すべきだと真剣に語る学生なんか僕はその時代には見たことがないです 。

 ところが、ある時期から改憲論が声高に語られるようになって来た。そして、改憲論のほうが護憲論よりもリアリティーを持つようになってきた。若い世代において顕著だったと思います。ある時期から、護憲論を聞いてもそんな空疎な議論は聞きたくないという冷たい目を向けてくるようになった。そう言われると、確かに空疎な気がするんですね、護憲論というのは。

 憲法は素晴らしいものである。でも、突っこまれて一番厳しいところは、日本国憲法は日本人が人権を求める戦いを通じて自力で獲得したものではない、ということです。戦争に負けて、日本を占領したアメリカの軍人たちが「こういう憲法がよろしかろう」と判断して、下賜された。日本人が戦い取ったものではない。負けたせいで手に入ったものです。

 ところが、僕自身はそんなふうに思ったことがなかったのです。だって、生まれた時からあったわけですからね、憲法は。自然物として、あった。それが日本国民の闘いを通じて獲得されたものではないということは、歴史的事実としては知っていました。にもかかわらず、それを実感したことはなかったんです。なぜかというと、戦中派世代の人たちが、憲法の制定過程に関してほぼ完全に沈黙していたからです。日本側とGHQとの間で、どういう駆け引きがあって、どういうプロセスでこのような文言に定まったのか、僕たちには何も説明がなかった。

 戦中派は二つのことがらについて沈黙していたと僕は考えています。一つは戦争中における彼ら自身の加害経験についての沈黙。戦争の時の被害経験に関してはずいぶん語られてきましたけれど、加害者として、特に中国大陸や南方において自分たちが何をしたのかについては口を噤んでいた。どういう風に略奪したのか、強姦したのか、拷問したのか、人を殺したのか、そういうことについてはほぼ完全な沈黙を守った。

 それは戦争経験文学の欠如というかたちでも現れていると思います。敗戦直後の45年、46年にはほとんど見るべき文学的達成はありません。戦争から帰ってきた男たちが戦争と軍隊について書き出すのはその後です。

 最も早いのが吉田満の『戦艦大和ノ最期』で、46年には書き上げられていました。大岡昇平の『俘虜記』が48年。50年代になってからは、野間宏の『真空地帯』、五味川純平の『人間の条件』、大西巨人の『神聖喜劇』といった「戦争文学」の代表作が次々と出てきますけれど、加害経験について詳細にわたって記述した作品は僕の世代は少年時代についに見ることがありませんでした。ただ、僕は戦中派の人たちのこの沈黙を倫理的に断罪することにはためらいがあるのです。かれらの沈黙が善意に基づいたものであることが分かるからです。

 ひどい時代だった。ついこの間まで、ほんとうにひどいことがあった。たくさんの人が殺したり、殺されたりした。でも、それはもう終わった。今さら、戦争の時に自分たちがどんなことをしたのかを子どもたちに教えることはない。あえて、そんなことを告白して、子どもたちに憎まれたり、軽蔑されたりするのでは、戦争で苦しめられたことと引き比べて、「間尺に合わない」、彼らはたぶんそう考えたのだと思います。子どもたちには戦争の詳細を語る必要はない。子どもたちに人間性の暗部をわざわざ教えることはない。ただ「二度と戦争をしてはいけない」ということだけを繰り返し教えればいい。戦後生まれの子どもたちは戦争犯罪について何の責任もないのだから、無垢なまま育てればいい。戦争の醜い部分は自分たちだけの心の中に封印して、黙って墓場まで持って行けばいい。それが戦後生まれの子どもたちに対する先行世代からの「贈り物」だ、と。たぶんそういうふうに考えていたのではないかと思います。戦争の罪も穢れも、自分たちの世代だけで引き受けて、その有罪性を次世代に先送りするのは止めよう。1945年 8月15日以降に生まれた子どもたちは、新しい憲法の下で、市民的な権利を豊かに享受して、戦争の責任から完全に免罪された存在として生きればいい。その無垢な世代に日本の希望を託そう。そういうふうに戦争を経験した世代は思っていたのではないか。そうでなければ、戦中派の戦争の加害体験についての、あの組織的な沈黙と、憲法に対する手放しの信頼は説明が難しい。

 例えば僕の父親がどういう人間であるか、僕はよく知っているつもりでいます。筋目の通った人だったし、倫理的にもきちんとした人でした。だから、彼が戦争中にそれほどひどいことをしたとは思わないんです。でも、父は十代の終わりから三十代の半ばまで大陸に十数年いたわけです。でも、戦争中に中国で何をしていたのかは家族にさえ一言も言わなかった。北京の冬が寒かったとか、家のレコードコレクションにクラシックのSPが何千枚あったかとかいう戦争とは無関係な個人的回想も、ある時期から後はぱたりと口にしなくなりました。戦争経験についての黙秘というのは、あの世代の人たちの暗黙の同意事項だったんじゃないかという気がします。

 村上春樹がイスラエルでの講演の時に自分の父親の話をしています 。彼の父も京都大学の院生だった時に招集されて中国大陸に行っている。その父が毎朝仏壇に向かって読経をしている。「何してるの」と訊くと、「死んだ人たちのために祈っている。敵も味方もない、戦争で死んだすべての人たちのために祈っている」と答える。けれども、彼自身が中国大陸で何を経験したかに関してはついに死ぬまで一言も言わなかったそうです。

 そういう戦争経験についての沈黙というのが世代的な合意としてあったのだと思います。自分たちの戦争犯罪を隠蔽するとか、あるいは戦争責任を回避するといった利己的な動機もあったかもしれません。でも、もっと強い動機は、戦後世代をイノセントな状態で育ててあげたいということだったと僕は思います。そういう「穢れ」から隔離された、清らかな、戦後民主主義の恩恵をゆたかに享受する資格のある市民として子どもたちを育てる。それこそが日本の再生なのだ。この子たちが日本の未来を担っていくのだ。そういう希望を託されてきたという感覚が僕にはあります。それは僕と同年代の人は多分同意してくれると思うのです。

 僕が小学校五年の時の担任の先生がその頃で35歳ぐらいでした。もちろん戦争経験がある。その先生が大好きだったので、いつもまつわりついていました。何か時に「先生は戦争行ったことある?」と聞いたら、ちょっと緊張して、「ああ」と先生が答えた。で、僕がさらに重ねて「先生、人殺したことある?」って聞いたら、先生は顔面蒼白になったことがあった。聞いてはいけないことを聞いてしまったということは子どもにもわかりました。その時の先生の青ざめた顔色を今でも覚えています。大人たちにはうかつに戦争のことを聞いてはいけないという壁のようなものを感じました。

 戦争経験についての世代的な沈黙というのと対になるかたちで憲法制定過程についての沈黙があります。これも僕は子どもの頃から聞いたことがないのです、その世代からは。学校の教師も、親たちも、近所の大人たちも、憲法制定過程について、どういう制定過程でこの憲法が出来たのかという話を聞いたことがなかった。話題にされているのをかたわらで聴いた記憶さえない。憲法制定は親たち、教師たちの年齢でしたら、リアルタイムで、目の前で起きたことです。1945年から46年にかけて、大人たちは何が起きているか、新聞を読めばだいたいのことは分かったはずです。おそらく、かなりの人が憲法制定過程に関してさまざまな「裏情報」を聴き知っていた。でも、子どもたちには一切伝えなかった。子どもたちはテキストとしての日本国憲法をポンと与えられていて、どういう過程でこれが制定されたのかに関しては何も教えられなかった。

 改憲派が随分あとになってから「押し付け憲法」ということを言い出した時には実はびっくりした。子どもの時はそんなこと考えたこともなかったから。憲法が日本人が書いたのか、アメリカ人が書いたのかについて、あれこれの説が憲法制定時点から飛び交っていたということを知ったのは、恥ずかしながらずいぶん大人になってからです。

 最初に結婚した女の人のお父さんが平野三郎という当時岐阜県知事だった人でしたけれど、彼は長く衆議院の議員をやっていました。その岳父が、当時はもう70歳を過ぎていましたけれども、酔うと僕を呼んで日本国憲法制定秘話を語るわけです。僕が個人的に、日本国憲法の制定にはみんなが知らない秘密があるという話を聴いたのは彼からが最初です。25歳を過ぎてからです。岳父は議員時代に幣原喜重郎の秘書のような仕事をしていたので、死の床で幣原喜重郎が語ったことを、後に国会の憲法調査会で証言しているんです。九条二項を思いついてマッカーサーに進言したのは幣原さんだと岳父は主張するんです。憲法九条二項は日本人が自分で考えたんだ。押し付けられたものじゃない、と。彼は自民党の代議士ですよ。大野伴睦の派閥に属していたベタな自民党議員でした。その彼が憲法九条二項を書いたのは幣原さんだと切々と訴えるわけです。誰も信じてくれないけれども、と。ほとんど声涙共に落つという感じで。

 そういう話を聞いて、どうしてこういう事実がもっとオープンに議論されないのか不思議に思いました。憲法制定過程については、実にいろいろな説が語られているわけです。「藪の中」なんです。でも、憲法というのは国のかたちの根幹を決定するものじゃないですか。その制定過程に関して諸説があるというのはまずいでしょう。歴史的事実として確定しないと。国民全体として共有できる歴史的な事実を確定して、それ以上真偽について議論する必要はない、と。そうじゃないとまずいと思うんです。でも、現代日本では、憲法制定過程に関して、これだけは国民が事実関係に関しては争わないということで共有できるベースがない。

 なんでこんなことが起きたのか。それはリアルタイムで憲法制定過程を見ていたはずの世代の人たちが、それについて集団的に証言してくれなかったからです。知っていることを言わないまま、沈黙したまま死んでしまった。

 戦中派より上の世代、敗戦の時に40歳、50歳という人たちは銃後にいただけでさきの戦争には行っていません。実際に戦争に行ったのは明治末年から大正年間、昭和初年に生まれた世代です。この戦争を現場で経験したこの人たちが、戦争の現実についての証言を避けた。復員してきた後、結婚して、家庭を作って、市民として生活を始めた。当然、これからの日本はどうなるんだろうということを興味をもってみつめていた。日本の行く末がどうなるか心から案じていた。ですから、国のかたちを決める憲法については、その制定過程だって、日々どうなっているんだろうと目を広げて、日々話し合っていたはずなんです。でも、その過程で「では、憲法はこういうふうに制定されたという『話』を国民的合意として採用しよう」ということがなかった。

 日本国憲法には前文の前に「上諭」というものが付いていますが、僕はそれをずっと知りませんでした。上諭の主語が「朕」だということも知らなかった。でも、日本国憲法は「朕」が「公布」しているんです。天皇陛下が「枢密顧問の諮詢」と「帝国憲法73条による帝国議会の議決を経て」日本国憲法を公布している。日本国憲法を公布した主体は天皇なんです。ちゃんと「御名御璽」が付いている。でも、僕らが憲法について教えられた時には、その上諭が削除されたかたちで与えられた。どういう法理に基づいてこの憲法が制定されたかという「額縁」が外されて、テキストだけが与えられた。

 憲法の個々の条項については、その適否についていろいろな意見があっても構わないと思います。でも、その憲法がどういう歴史的な過程で、どういう議論を経て制定されていったのかという歴史的事実についてだけは国民的合意があるべきだと思うんです。その合意がなければ、憲法の個別的条項についての議論を始めることはできない。でも、日本人にはその合意がない。憲法制定の歴史的過程は集団的な黙契によって隠蔽されている。

 憲法についての試案があったとか、マッカーサー三原則があったとか、GHQの民生局が草案を作って、11日間で草案を作ったとか、いろんな説があって、それについていちいちそれは違うという反論がある。どれかが真実なのか、部分的な真実が諸説のうちに散乱しているのかわかりませんけれど、「これが出発すべき歴史的事実」として国民的に共有されているものがない。

 憲法ってわれわれの国の最高法規ですよね。最高法規の制定過程がどういうものだったのかについて国民的な合意が存在しない。マグナカルタでも、人権宣言でも、独立宣言でも、どういう歴史的状況の中で、何を実現しようとして、誰が起草したのか、どういう議論があったのか、どういう風に公布されたかということは歴史的な事実として開示されている。それが当然です。でも、日本国憲法については、それがない。制定過程が隠蔽されたしかたで僕たち戦後世代に憲法は与えられた。それをなんの疑いもなく、天から降ってきた厳然たる自然物のように受け止めて来たのが今や70にならんとしている僕らの世代の人間なんです。ですから、改憲派の人たちに、「こんなもの押し付けられた憲法だ」、「こんなものはGHQの作文だ」と言われるとびっくりしてしまうわけですよ。自然物だと思っていたものがこれは「張りぼて」だと、これは舞台の書き割りのようなものだと言われたわけですから。

 でも、この舞台の書き割りを自然物のように見せていたのは、先行世代の作為だったわけです。戦中派世代の悲願だったわけです。「張りぼて」の日本国憲法を、あたかも自然物であるかのように絶対的なリアリティーをもつものとして僕らに提示した。その戦中派の想いを僕は「可憐」だと思うんです。僕には彼らの気持ちがわかる気がする。もうみんな死んでしまいました。父も岳父も亡くなった。大事なことを言い残したまま死んでしまった。だから、僕らはそれに関しては想像力で補うしかない。

 僕が子どもの頃、内田家では、お正月には毎年日の丸を立てていました。どの家もそうでした。お正月や祝日には必ず日の丸を揚げた。黒と黄色に塗り分けられた旗竿の上に金のガラス玉を入れて、ぺらぺらの日の丸の旗を張って揚げた。僕は子どもでしたから、その儀式が大好きでした。だから、年末になると父が日の丸のセットを押し入れから出して、飾りつけをする手伝いをするのを楽しみにしていました。でも、ある年、僕が小学校の低学年の頃でしたけれど、お正月だから「お父さん、日の丸出そうよ」と言ったら、父親がふっと「もういいだろう」って言ったんです。

 もう日の丸を揚げる義理もなくなった、そういう感じでした。1958年か59年くらいのことだったと思います。その頃、たしかにまわりの家もだんだん日の丸を揚げなくなってしまった。こういうのってほんとに不思議なもので、別に「日の丸を揚げるのをやめましょう」なんていう運動があったわけじゃない。でも、申し合わせたように、揚げなくなった。その時の国旗掲揚を止める時の理由が「もういいだろう」だった。

 あとから思うと、1958年って大日本帝国の十三回忌なんですね。帝国臣民たちは帝国が死んでから13年くらいまでは死せる大日本帝国に対して弔意を抱いていた。当然ですよね、彼らは生まれてからずっと「神国不敗」「天壌無窮」の大日本帝国臣民だったわけですから。でも、もういつまでも消えた帝国を懐かしんでいてもしかたがない、と。親が死んでだいたい十三回忌になると親族が集まった法事の席で、喪主に当たる老人が言い出すことがありますよね。「いや、お疲れ様。これでなんとか亡き親の十三回忌まで営みました。でも、みんなも年を取ってきて、集まるのも大変になってきた。もう、この辺でいいんじゃないか」というようなことを。もう十分に悼んだから、このへんでいいだろう、と。1958年頃に、日の丸が一斉に東京の街角から消えていったのは、あれは大日本帝国の十三回忌も営んだし、もう昔のことは忘れようという暗黙の国民的な合意だったんじゃないか。

 そういうのって、やっている本人だって、自分が何をしているのかよくわかっていないんだと思います。口に出さないけれど、何となく、そんな気分になる。無意識的にやっているわけです。でも、僕はそういう暗黙の、無意識の集団的な行動が、結局はある時代のイデオロギー的な大気圧をかたちづくっていて、その時代を生きている人間たちの思考や感受性を深く規定していたんじゃないかという気がするのです。
 
 ですから、ずっと後年になって、安倍晋三が登場してきて「みっともない憲法だ」と言った時にほんとうに驚いたのです。海とか山のような自然物に向かって「みっともない」というような形容はふつうしませんから。

 でも、そう言われて初めて、憲法を自然物のように思いなすというのは、僕たちの世代的な「偏り」であって、戦中派の薫陶を受けていない世代は憲法を僕たちと同じようにはとらえていないのだということを知ったのです。

 だから、護憲論が空疎になるのです。護憲論を批判するのはほんとうに簡単なんです。こんなものただの空語じゃないか、「絵に描いた餅」じゃないか、国民のどこに主権があるのか、「平和を愛する諸国民の公正と信義」なんか誰が信じているのか、国際社会が「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている」なんて白々しい嘘をよく言えるな。そう言われると、まさにその通りなんです。

 憲法前文には、「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と書いてありますけれど、そもそも「日本国民」というもの自体が擬制なわけです。憲法が公布された1946年の11月3日の段階では、事実上も権利上も、「日本国民」などというものは存在していないわけですから。だって、公布前日の11月2日までは、列島に存在したのは大日本帝国だったわけですから。そこにいたのは「大日本帝国臣民」であって、「日本国国民」なんていうものはどこにもいない。どこにもいないものが憲法制定の主語になっている。「この主語の日本国民というのは、誰だ」と言われたら、答えようがない。

 日本国憲法を制定した主体は存在しない。存在しない「日本国国民」が制定した憲法であるというのが日本国憲法の根源的な脆弱性なわけです。

 と言っておいてすぐに前言撤回するのもどうかと思いますけれど、実は世の中の宣言というのは、多かれ少なかれ「そういうもの」なんです。宣言に込められている内容はおおかたが非現実なんです。宣言している当の主体自体だって、どれほど現実的なものであるか疑わしい。

 例えばアメリカの独立宣言(1776年7月4日公布)では「法の下で万民が平等である」と謳っていますけれど、実際にはそれから後も奴隷制度はずっと続いていました。奴隷解放宣言の発令は1862年です。独立宣言から100年近いタイムラグがある。奴隷解放宣言で人種差別が終わったわけじゃありません。人種差別を公的に禁じた公民権法が制定されたのは1964年。独立宣言から200年経っている。そして、もちろん今のアメリカに人種差別がなくなったわけじゃありません。厳然として存在している。独立宣言の内容と現状の間には乖離がある。

 でも、「独立宣言に書いてあることとアメリカの現状が違うから、現実に合わせて独立宣言を書き換えよう」というようなことを言うアメリカ人はいません。社会のあるべき姿を掲げた宣言と現実との間に乖離がある場合は、宣言を優先させる。それが世界標準なんです。でも、日本だけがそうではない。宣言と現実が乖離している場合は、現実に合わせて宣言を書き換えろということを堂々と言い立てる人たちが政権の座にいる。

 世界中どこでも、国のあるべきかたちを定めた文章は起草された時点では「絵に描いた餅」だったわけです。宣言を起草した主体が「われわれは」と一人称複数で書いている場合だって、その「われわれ」全員と合議して、承認を取り付けたわけじゃない。そうではなくて、このような宣言の起草主体の一人だという自覚を持つような「われわれ」をこれから創り出すために宣言というものは発令されたわけです。それでいいんです。日本国憲法を確定した「日本国民」なんてものは現実には存在しない。でも、そこで掲げられた理念が善きものであると人々が思うようになるのなら、「憲法を起草してくれ」と誰かに頼まれたら、すらすらとこれと同じ憲法を起草することができるなら、その時「日本国民」は空語ではなく、実体を持ったことになる。

 この憲法を自力で書き上げられるような国民に自己造型してゆくこと、それが憲法制定以後の実践的課題でなければならなかったはずなんです。ただし、その努力を行うためには、日本国民が「われわれは『日本国民』にまだなっていない。われわれは自力でこの憲法を起草できるような主体にまだなっていない」ということを自覚しなければならない。

 護憲論の弱さはそこにあります。護憲派はそういうふうには問題を立てなかったからです。そうではなくて、「日本国民は存在する」というところから話を始めてしまった。僕はそれが最初のボタンの掛け違えだったと思います。「日本国民」が集まって、熟議を凝らした末に、衆知を集めてこの憲法を制定したというふうに、たしかに憲法前文は読める。しかし、そういう事実はない。

 だから、護憲派は「そういう事実はない」ということを隠蔽した。僕はそれがいけなかったのだと思うのです。いいじゃないですか、「そういう事実」がなくても。歴史上のどんなすばらしい宣言だって、憲法だって、多かれ少なかれ「そういうもの」なんですから。たしかに日本国民が衆知を集めて憲法を制定したという事実は実際にはないのだけれども、仮にもう一度憲法制定のチャンスを与えられたら自発的にこれと同じ憲法を自力で書けるような日本国民を創り出してゆくという遂行的な責務は現に目の前にある。そういうふうに考えるべきだったんじゃないかと、後知恵ですけれども、僕は思います。戦中派の人たちが憲法制定過程における日本国民の関与の薄さということを僕たちに向かって率直に開示して、「でも、自力でこれを書けるようになろう」というかたちで戦後の市民意識の成熟の課題を掲げてくれたのであれば、それから何十年もして改憲派に足をすくわれるようなことは起きなかったと思います。

 改憲派の護憲派に対するアドバンテージというのは、まさにその一点に尽きるわけです。憲法制定過程に日本国民は関与していない、これはGHQの作文だ、これはアメリカが日本を弱体化させるため仕掛けた戦略的なトラップだ、というのが改憲論を基礎づけるロジックですけれど、ここには一片の真実があることは認めざるを得ない。一片の真実があるからこそ、改憲論はこれだけの政治的影響力を持ち得ているわけです。

 憲法制定過程に「超憲法的主体」であるGHQが深く関与したことが憲法の正当性を傷つけていると改憲派は言いますし、護憲派もGHQの関与については語りたがらない。でも、そんなのすらすら認めていっこうに構わないじゃないかと僕は思うのです。憲法を制定するのは「憲法条文内部的に主権者と認定された主体」ではありません。憲法を制定するのは、歴史上ほとんどの場合、戦争や革命や反乱によって前の政治体制を覆した政治的強者です。それは大日本憲法だって同じです。大日本帝国憲法において主権者は天皇でした。たしかに「大日本帝国ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と第一条に記してある。そして、その条項を起草したのも天皇自身であるということになっている。現に、大日本帝国憲法の「上諭」には「朕」は「朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典を宣布ス」と明記してあります。でも、別に憲法制定の「大権」が歴代天皇には認められていたなどということはありません。勅諭や綸旨ならいくらでも出したことがあるけれど、憲法という概念自身が近代の産物なんですから、憲法制定大権なる概念を明治天皇が「祖宗」に「承クル」はずがない。実際に明治憲法を書いたのは伊藤博文ら元勲です。明治維新で徳川幕府を倒し、維新後の権力闘争に勝ち残った政治家たちがその「超憲法的実力」を恃んでこの憲法を制定した。

 憲法というのは「そういうもの」なんです。圧倒的な政治的実力を持つ「超憲法的主体」がそれを制定するのだけれど、それが誰であり、どういう歴史的経緯があって、そのような特権をふるうに至ったのかという「前段」については、憲法のどこにも書かれていない。でも、書かれてなくても、知っている人は知っている。明治時代の人たちだって、憲法を起草したのが元勲たちで、それが近代国家としての「体面」を繕い、国際社会にフルメンバーとして加わり、欧米との不平等条約を改定するために必要だからということも知っていた。薩長のエリートたちによる支配を正当化し、恒久化するための政治的装置だということも知っていた。

 日本国憲法だってそうです。これもまた圧倒的な政治的実力を持つ超憲法的主体によって制定された。それが誰であり、どういう歴史的経緯があって、そのような特権をふるうに至ったのかという「前段」は、憲法のどこにも書かれていない。「上諭」にも書かれていない。でも、知っている人は知っている。そして、日本国憲法の場合は、「知っている人」たちがそれについて久しく口を噤んでいたということです。憲法が「ろくでもないもの」だと思っていたら、制定過程についての「裏情報」はもっと流布していただろうと思います。でも、戦中派はそう思わなかった。すばらしい憲法だと思った。だから、制定過程について何も語らないことにした。

 戦中派はそれを善意で行ったのだとおもいます。戦後の日本社会を1945年8月15日以前と完全に切り離したものとして、戦前と繋がる回路を遮断した無菌状態のものとして立ち上げようとした。だから、戦争の時に何があったのか、自分たちが何をして来たかについて口を噤んだ。憲法制定過程についても、黙して語らなかった。語るためには、日本には、主権者である「日本国民」のさらに上に日本国民に主権者の地位を「下賜」した超憲法的主体としてのアメリカがいる。それは自分たちが戦争をして、負けたせいだという真実を語らなければならない。それもまた戦後世代の子どもたちに言って聞かせるにはあまりにつらい事実だった。

 戦争経験について、とりわけ加害経験について語らないこと、憲法制定過程について、日本は国家主権を失い、憲法制定の主体たり得なかったということを語らないこと。この二種類の「戦中派の沈黙」が戦後日本に修正することの難しい「ねじれ」を呼びこんでしまった。僕はそう思います。でも、僕はそのことについて戦中派を責めるつもりはないのです。彼らは善意だったと思うから。僕たち戦後世代が戦争と無縁な、戦時における人間の醜さや邪悪さとも、敗戦の屈辱とも無縁な者として育つことを望んでいたからそうしたと思うからです。

 だから、彼らの沈黙には独特の重みがあった。実存的な凄みがあった。「その話はいいだろう」といって低い声で遮られたら、もうその先を聞けないような迫力があった。だから、彼らが生きているあいだは歴史修正主義というようなものの出る幕はなかったのです。仮に「南京虐殺はなかった」というようなことを言い出す人間がいても、「俺はそこにいた」という人が現にいた。そういう人たちがいれば、具体的に何があったかについて詳らかに証言しないまでも、「何もなかった」というような妄言を黙らせることはできた。

 歴史修正主義が出てくる文脈は世界中どこでも同じです。戦争経験者がしだいに高齢化し、鬼籍に入るようになると、ぞろぞろと出てくる。現実を知っている人間が生きている間は「修正」のしようがないのです。それは、ドイツでもフランスでもそうです。今日は日仏会館での講演ですから、フランスのことに詳しい方もおられるでしょう。
 
 フランス人も自国の戦中の経験に関しては記憶がきわめて選択的です。レジスタンスのことはいくらでも語りますけれど、ヴィシー政府のこと、対独協力のことは口にしたがらない。フランスでヴィシーについての本格的な研究が出て来たのは、1980年代以降です。それまではタブーだった。それはその時期を生きてきた人たちがまだ存命していたからです。自分自身がヴィシーに加担していた人もいたし、背に腹は代えられず対独協力をして、必死で占領下を生き延びた人もいた。彼らがそれぞれの個人的な葛藤や悔いを抱えながら、戦後フランスを生きていることを周りの人は知っていました。そして、それを居丈高に責めることに抵抗があった。

 ベルナール=アンリ・レヴィが『フランス・イデオロギー』という本を書いています。僕が訳したんですけれども 、ドイツの占領下でフランス人がどのようにナチに加担したのかを赤裸々に暴露した本です。レヴィは戦後生まれで、ユダヤ人ですから、戦時中のフランスの行為については何の責任もない。完全に「手が白い」立場からヴィシー派と対独協力者たちを批判した。でも、これが出版当時大論争を引き起こしました。

 少なからぬ戦中派の人々がレヴィの不寛容に対して嫌悪感を示しました。レイモン・アロンもレヴィを批判して、「ようやく傷がふさがったところなのに、傷口を開いて塩を擦り込むような不人情なことをするな」というようなことを書いていました。せっかく忘れかけているトラウマ的過去なのに、それをまた思い出させるようなことをすべきではない、と。

 アロンの言っていることは筋の通らない話なんです。でも、「大人の言葉」だとは思いました。「もう、その話はいいじゃないか」というアロンの言い分は政治的にはまったく正しくありません。でも、その時代を生きてきた人にしか言えない独特の迫力があった。アロン自身はユダヤ人ですし、自由フランス軍で戦ったわけですから、ヴィシーや対独協力者をかばう義理はないんです。だからこそ、彼がかつての敵について「済んだことはいいじゃないか。掘り返さなくても」と言った言葉には重みがあった。

 80年代からしばらくはヴィシー時代のフランスについてのそれまで表に出なかった歴史的資料が続々と出てきて、何冊も本が書かれました。でも、ヴィシーの当事者たちは沈黙を守った。秘密の多くを彼らは墓場に持っていってしまった。人間は弱いものですから、自分の犯した過ちについて黙秘したことは人情としては理解できますけれど、結果的にヴィシーの時代にフランス人が何をしたのかを隠蔽したせいで、そのあとに歴史修正主義者が登場して来て「ガス室はなかった」というようなことを言い出すようになった。そのあたりの事情は実は日本とそれほど変わらないのです。

 アルベール・カミュの逡巡もその適例です。カミュは地下出版の 『戦闘(コンバ)』の主筆としてレジスタンスの戦いを牽引しました。ナチス占領下のフランスの知性的・倫理的な尊厳を保ったという点で、カミュの貢献は卓越したものでした。ですから、戦後対独協力者の処刑が始まった時、カミュは最初は当然のようにそれを支持しました。彼の仲間たちが彼らとの戦いの中で何人も殺されたわけですし、カミュ自身ゲシュタポに逮捕されたら処刑されていた。ですから、彼には対独協力者を許すロジックはありません。でも、筋金入りの対独協力者だったロベール・ブラジャックの助命嘆願署名を求められた時、カミュは悩んだ末にそれに助命嘆願に署名します。ブラジャックの非行はたしかに許し難い。けれども、もうナチスもヴィシーも倒れた。今の彼らは無力だ。彼らはもうカミュを殺すことができない。自分を殺すことができない者に権力の手を借りて報復することに自分は賛同できない。カミュはそう考えました。このロジックはわかり易いものではありません。対独協力者の処刑を望むことが政治的には正しいのですけれども、カミュはそこに「いやな感じ」を覚えた。どうして「いやな感じ」がするのか、それを理論的に語ることはできないけれど、「いやなものはいやだ」というのがカミュの言い分でした。

 身体的な違和感に基づいて人は政治的な判断を下すことは許されるのかというのは、後に『反抗的人間』の主題となるわけですけれど、アルベール・カミュとレイモン・アロンは期せずして、「正義が正義であり過ぎることは人間的ではない」という分かりにくい主張をなしたわけです。

 歴史的事実が開示されないとことで苦しんだという点でカミュは人後に落ちません。というのは、戦後における歴史修正主義の最初のかたちは「レジスタンスについての詐称」だったからです。

 レジスタンスは初期の時点では、ほんとうにわずかなフランス人しか参加していなかった。地下活動という性格上、どこで誰が何をしたのかについて詳細な文書が残っているはずがないのですが、概数で1942年時点でレジスタンスの活動家は二千人と言われています。それが、パリ解放の時には何十万人にも膨れ上がっていた。44年の6月に連合軍がノルマンディーに上陸して、戦争の帰趨が決してから、それまでヴィシー政府の周りにたむろしていたナショナリストたちが雪崩打つようにレジスタンスの隊列に駆け込んできたからです。その「にわか」レジスタンたちが戦後大きな顔をして「私は祖国のためにドイツと戦った」と言い出した。そのことをカミュは苦々しい筆致で回想しています。最もよく戦った者はおのれの功績を誇ることもなく、無言のまま死に、あるいは市民生活に戻って行った。

 『ペスト』にはカミュのその屈託が書き込まれています。医師リウーとその友人のタルーはペストと戦うために「保健隊」というものを組織します。この保健隊は明らかにレジスタンスの比喩です。でも、隊員たちは命がけのこの任務を市民としての当然の義務として、さりげなく、粛々として果たす。別に英雄的なことをしているという気負いがないのです。保健隊のメンバーの一人であるグランはペストの災禍が過ぎ去ると、再び、以前と変わらない平凡な小役人としての日常生活に戻り、ペストの話も保健隊の話ももう口にしなくなります。カミュはこの凡庸な人物のうちにレジスタンス闘士の理想のかたちを見出したようです。

 フランスにおける歴史の修正はすでに1944年から始まりました。それはヴィシーの対独協力政策を支持していた人々が、ドイツの敗色が濃厚になってからレジスタンスに合流して、「愛国者」として戦後を迎えるという「経歴ロンダリング」というかたちで始まったのでした。でも、それを正面切って批判するということをカミュは自制しました。彼自身の地下活動での功績を誇ることを自制するのと同じ節度を以て、他人の功績の詐称を咎めることも自制した。他人を「えせレジスタンス」と批判するためには、自分が「真正のレジスタンス」であることをことさらに言い立てて、彼我の差別化を図らなければならない。それはカミュの倫理観にまったくなじまないふるまいでした。ですから、ナチス占領下のフランスで、ヴィシー政府にかかわったフランス人たちがどれほど卑劣なふるまいをしたのかというようなことをことさらに言挙げすることを戦後は控えた。カミュは「大人」ですから。

 でも、各国で歴史修正主義がそれから後に跳梁跋扈するようになったのは、一つにはこの「大人たち」の罪でもあったと僕は思います。彼らがおのれの功績を誇らず、他人の非行を咎めなかったことがいくぶんかは与っている。「大人」たちは、歴史的な事実をすべて詳らかにするには及ばないというふうに考えたのです。誇るべき過去であっても、恥ずべき過去であっても、そのすべてを開示するには及ばない。誇るべきことは自尊心というかたちで心の中にしまっておけばいいし、恥ずべき過去は一人で深く恥じ入ればいい。ことさらにあげつらって、屈辱を与えるには及ばない。そう考えるようになったのには対独協力者たちへの暴力的で節度を欠いた「粛清」に対する嫌悪感もかかわっていたと思います。「大人」たちは愛国者ですから、勝敗の帰趨が決まった後になって、敗者をいたぶるようなことはしない。それよりは同胞として改めて迎え入れようとした。人間的にはみごとなふるまいだと思いますけれど、実際には「大人」たちのこの雅量が歴史修正主義の温床となった。僕にはそんなふうに思えるのです。

 それと似たことが日本でもあった。それは戦中派の「大人たち」の僕たち戦後世代に対する気づかいというかたちで現れた。憲法は自分たちで制定したものではない。日本国民なるものは空語であるということを彼らは知っていた。でも、自分たちに与えられた憲法は望外に「よきもの」であった。だったら、黙ってそれを受け容れたらよい。それを「日本国民が制定した」という物語に仕立て上げたいというのなら、あえて異論を立てるに及ばない。それは戦後世代の子どもたちに「親たちや先生たちがこの憲法を制定したのだ」というはなはだしい「誤解」を扶植することだったわけですけれども、彼らはそのような誤解をあえて解こうとはしなかった。

 小津安二郎の映画『秋刀魚の味』には。駆逐艦の艦長だった平山(笠智衆)が、かつての乗組員であった部下坂本(加東大介)と語り合う場面があります。坂本が酔余の勢いで、「けど、艦長。これでもし日本が勝っていたらどうなっていたでしょうね?」と言い出します。平山はそれを制して「けど、負けてよかったじゃないか」とつぶやきます。意外な答えに一瞬戸惑った後、坂本も「そうですかね。うん。そうかも知れねえな。馬鹿な野郎が威張らなくなっただけでもね」と同意する。

 この「負けてよかったじゃないか」という言葉を僕も父の口から聴いた記憶があります。会社の部下たちが家に来て、酒を飲んでいる席で、なぜか話題が戦中のことになった。その時に父親が話を打ち切るように、「敗けて良かったじゃないか」と言ったことがあります。今となると、そこには「子どもたちの前で戦争の話をするな」というニュアンスがあったようでした。

「敗けて良かったじゃないか(だから、戦争の時に自分たちが何をしたのか、何を見たのかについて話すのはもう止めよう)」という戦争について語ることへの抑圧は1950年代から60年代にかけて多くの日本の戦中派が口にした言葉ではないかと思います。戦争は敗けたけれど、負けたせいで、こういう「良い社会」になったのだ。結果オーライじゃないか。自分たちがどれほど罪深いことをしたのか、どれほど理不尽な目に遭ったのかというようなことについては口を閉じて、黙って墓場まで持ってゆけばいい。

 小津安二郎の『秋刀魚の味』は1962年の映画です、戦争が終わって17年目です。小津の映画には戦争の話が始まると誰かがぴしゃりと話の腰を折るという場面がいくつかあります。『早春』でも、『彼岸花』でも、誰かが戦争の時の話を始めると、「その話はもういいじゃないか」と誰かが制して、話はそこで終わる。おそらく、これと同じ情景が60年頃までは日本のあちこちで実際にあったのではないかと思います。

 そして、この戦中派の節度と、僕たち戦後世代に対する気づかいが、その後の歴史修正主義者や改憲派の登場の素地を作ってしまった。僕たち戦後世代が憲法に対して、それをあたかも「自然物」のように見なして、イノセントな信頼を寄せていたのは、この憲法を日本人が持つに至った歴史的過程については子どもたちにはできるだけ何も言わずにおこうとした先行世代の黙契の力だったということです。憲法に力があったわけではなく、この憲法は素晴らしいものだと信じていた人たちの思いに力があった。彼らの生身が憲法の堅牢性を担保していたのです。ですから、その人たちが死んでいなくなってしまったとたんに、僕たちの手元には、保証人を失った一片の契約書のごときものとして日本国憲法が残された。

 これが改憲派が強くて、護憲派が弱いという現実を生み出した歴史的背景だと思うんです。この事実がなかなか前景化しなかったのは、それが「起きなかったこと」だからです。戦争における無数の加害事実・非人間的事実について明らかにする、憲法制定過程についてその全容を明らかにするということを怠ったという「不作為」が歴史修正主義者や改憲派が今こうして政治的勢いを有している理由なわけです。「何かをしなかったこと」「何かが起きなかったこと」が原因で現実が変わったわけです。歴史家は「起きたこと」「現実化したこと」を組み立てて、その因果関係について仮説を立てて歴史的事象を説明するのが仕事ですけれど、「起きなかったこと」を歴史的事象の「原因」として論じるということはふつうしません。

 それはフランスでもたぶん事情は同じで、もし戦後、対独協力者の徹底的な告発を行って、国民の相当数を「非国民」「裏切者」として処断した場合、その後のフランスの国民的統合はあり得なかったでしょう。対独協力したけれど、それを「恥じて、黙っていた」市民については、それ以上の追求を手控えたことで、フランスは国民的な和解を手にした。でも、それが歴史修正主義者の登場や、国民連合のような極右勢力の伸長に対して無防備な社会を創り出してしまった。もっと非寛容であるべきだったのか、と問われると僕にも答えようがありません。僕がその時代に生きていたら、レイモン・アロンやアルベール・カミュのような「大人の対応」に賛同の一票を投じたと思います。そして、今のフランスの排外主義や人種主義のありさまを見て、深く悔いるということをしたのではないかと思います。でも、それ以外にどうしようがあったのか。

 それは日本の戦中派も事情は同じだと思います。彼らが自分自身を含めて戦争責任を徹底追及し、憲法の空語性をきびしく難じて、「日本国民などというものは存在しない」と宣言した場合、戦後の日本はどうなったのか。たぶん僕たちの世代は国そのものと親たちの世代に対する嫌悪と軽蔑を扶植されることになったでしょう。子どもでも厳しく理不尽な現実を見つめて育った方がよいのだというタフな育児戦略を信じる人もいるかも知れませんけれど、僕は戦中派の「常識」に与します。それ以外にどうしようがあったのか。

 護憲派はこの常識と抑制の産物なわけです。だから、激しい感情や露悪趣味に対して弱い。ですから、護憲運動を1950年代60年代と同じように進めることはできないと思うのです。だって、当時の護憲運動の主体は戦中派だったわけですから。彼らはリアルな生身を持っていた。「空語としての憲法」に自分たちの願望と子どもたちの未来を託すというはっきりした自覚を持って護憲運動をやっていた。でも、僕らは違う。僕らは「自然物としての憲法」をぼんやりと豊かに享受しているうちに、ある日「お前たちが信じているものは人工物だ」と言われて仰天している「年取った子ども」に過ぎません。

 となると、これから僕らが進めるべき護憲運動とはどういうものになるのかというと、これはとにかく「護憲運動の劣勢」という痛苦な現実を受け入れるところから始めるしかない。現実を認めるしかない。われわれの憲法は脆弱である、と。根本的な脆弱性を孕んでいる、と。それを認めるしかない。そして、その上で、どのような宣言であっても、憲法であっても、法律であっても、そのリアリティーは最終的に生身の人間がその実存を賭けて担保する以外にないのだと腹をくくる。憲法条文がどんなに整合的であっても、どんなに綱領的に正しいものであっても、そのことだけでは憲法というのは自立できません。正しいだけでは自存できない。絶えず憲法に自分の生身で「信用供与」をする主体の関与がなければ、死文に過ぎない。

 死文に命を与えるのはわれわれの涙と血と汗です。そういう「ヴァイタルなもの」によって不断にエネルギーを備給していかなければ、憲法は生き続けられない。でも、そのことを語らないんです、護憲派は。憲法はそれ自体では空語だということを認めたがらない。憲法に実質をあらしめようと望むなら、身銭を切って憲法に生命を吹き込まなければならない。そうしないと、憲法はいずれ枯死し、倒れてしまうという切迫した危機感を僕は護憲派にあまり感じることができないのです。危機を感じるためには、この憲法は本質的には空語なのだということを認めなければならない。戦中派はこの憲法が空語であることを知っていたけれど、口にはしなかった。でも、知っていた。僕たちは、この憲法が空語だということを知らずに来た。そして、身銭を切って、この憲法のリアリティーを債務保証してくれていた人たちがいなくなってはじめて、そのことを知らされた。

 それを認めるというのは、言い方は厳しいけれど「護憲派は間抜けだった」と認めるということです。それはきっとみんな厭なんだと思います。でも、僕は認めます。僕は間抜けだった。だから、歴史修正主義者や改憲派がこれほど力を持つようになるまで、ぼんやり拱手傍観していた。憲法はもっと堅牢なものだとイノセントに信じていたから。でも、改憲して、日本をもう一度戦争ができる国にしたいと思っている人がこれだけ多く存在するということ、僕たちの失敗なわけです。それは認めなければいけない。

 だから、もう一度戦中派の常識と抑制が始まったところまで時計の針を戻して、護憲の運動をはじめから作り直さなければならない。戦中派がしたように、今度は僕たちが憲法の「債務保証」をしなければならない。これが護憲についての僕の基本的なスタンスです。なんだか護憲運動にとってあまり希望のない話になってしまって済みませんでした。長時間ご清聴ありがとうございました。

http://blog.tatsuru.com/2019/03/31_1053.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/229.html#c1

[近代史3] 呪われたスキー場 _ 妙高 新井スキー場(ロッテアライリゾート) 中川隆
79. 中川隆[-11030] koaQ7Jey 2019年4月01日 20:59:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[993]

ロッテアライリゾート まさかのコースアウト(笑)- YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=wNs2SAVCWPU


2019.02.09 ロッテアライリゾート

コースアウトして、プチ遭難です
地獄の登り返しをしました
だけど大変楽しかったです
極上パウダーでした
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/190.html#c79

[リバイバル3] 相次ぐ“バックカントリー”事故 中川隆
24. 中川隆[-11029] koaQ7Jey 2019年4月01日 21:01:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[994]

ロッテアライリゾート まさかのコースアウト(笑)- YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=wNs2SAVCWPU

2019.02.09 ロッテアライリゾート

コースアウトして、プチ遭難です
地獄の登り返しをしました
だけど大変楽しかったです
極上パウダーでした


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/695.html#c24

[リバイバル3] 8人死亡 那須温泉ファミリースキー場 _ どうやったら雪崩に合えるんだ、大田原高校 殺人山岳部 中川隆
8. 中川隆[-11028] koaQ7Jey 2019年4月01日 21:02:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[995]

ロッテアライリゾートでダイナマイト爆発! - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=QShGYiWRXJ0


2019/03/18 に公開
ロッテアライリゾートスキー場で雪崩のコントロールをゲレンデのパトロールの皆さんがやっていると聞いて体験させてもらいに行ってきました。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/788.html#c8

[リバイバル3] 2015年 かぐらスキー場スノボ遭難 雪洞に2晩ビバークして奇跡の帰還 _ 練子広寿は只者ではない 中川隆
11. 中川隆[-11027] koaQ7Jey 2019年4月01日 21:03:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[996]


ロッテアライリゾート まさかのコースアウト(笑)- YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=wNs2SAVCWPU

2019.02.09 ロッテアライリゾート

コースアウトして、プチ遭難です
地獄の登り返しをしました
だけど大変楽しかったです
極上パウダーでした


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/718.html#c11

[リバイバル3] 「住宅は資産」という幻想で誰があなたをカモにするのか? 中川隆
242. 中川隆[-11026] koaQ7Jey 2019年4月01日 21:34:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[997]
レオパレスが虫の息。施工不良・サブリース契約の2大厄災を蔓延らせた責任は誰にある? 2019年3月31日
https://www.mag2.com/p/money/658971



施工不良が発覚して大きな問題となっているレオパレス21。そもそもの元凶は、サブリース契約という「うまい話」で投資家を騙し続けてきたことにあります


騙される方が悪いのか?「サブリース契約」の問題点を総まとめ

元凶は「施工不良」と「サブリース契約」

当メルマガでは2018年4月2日(306号)で「かぼちゃの馬車」問題を取り上げました。そのときにも問題となったのが「サブリース」という契約です。そして昨年発覚したレオパレス21に関する問題でも、再びクローズアップされることになりました。

まずは、昨年発覚した「レオパレス21」問題を整理してみましょう。

この問題は、大きく2つの要素に分けて検証されると思われます。1つは「施工不良」、もう1つは「サブリース契約」です。

施工不良〜組織的、構造的な問題と国の責任

レオパレス21は、オーナーの物件を一括で借り上げて、それを転貸(いわゆるまた貸し)することを主な業としています。

今回の件で言えば、レオパレス21の収益は、
・投資物件の建築
・賃貸業務および物件管理
から得る仕組みとなっています。

物件建築においては、建築コストを抑えることで収益幅は大きく得られます。建築会社に対しては、違法にコストを抑えることによる収益確保に対しては、国は常に目を光らせなければならないという部分では、国家としての責任が問われるのではとの指摘もあります。

不動産コンサルタントの長嶋修さくら事務所会長はテレビ番組で、投資用物件建築を請け負う時の価格は、通常よりも高めに設定されることが多いそうです。



レオパレス21は、オーナーから依頼の投資用物件建築では、かなり収益を得ているのではと、長嶋氏はおっしゃっておられました。

この施工不良問題は、創業者の深山祐助元社長がかかわっているのではとの指摘があり、レオパレス21という会社の組織的・構造的な問題が問われています。

施工不良を調査している外部調査委員会中間報告書では、2006年まで社長を務めた深山祐助元社長の直轄部署だった商品開発部門で、施工業務の効率化などを目的に、仕様と異なる部材を使う方向性が示されたとしました。

また、アパートを開発する段階において、物件が建築基準法といった法規適合性を満たすかどうかの判断を、専門的に行う部署がなかったとしています。当然のことながら報告書では、屋根裏の界壁が未設置だったことをアパート施工時に見抜けなかったチェック体制を問題としています。

実はレオパレス21は2012年ごろから、オーナーとの民事訴訟を抱えていました。

オーナーは裁判で、屋根裏の界壁が施工されていないことを「建物の瑕疵にあたる」と主張していて、昨春にレオパレス21がこの問題を公表する以前から、経営陣は、界壁問題を認識していたのではないかとの疑いがあります。

「知らなかった…」深山英世現社長の主張ですが、経営陣が把握していたかどうかも今後問われることになりそうです。

事実として、天井の耐火性に問題のある物件で7,700人の入居者が引っ越しを迫られることになり、全国32都府県にわたり、問題のある物件があるということです。

国土交通省は他社物件でも同様の問題がないかを調査するとしています。


施工不良〜確認の不備、監理の不備

欠陥住宅に関しては、2つの不備が指摘されます。
・建築確認システムの不備
・建築監理の不備
前者がまさに、国の責任が問われることにもなります。

たしかにレオパレス21側の組織的な施工不良を行った経緯はありますが、それらの建物はすべて第三者機関による完了検査を受けて合格し、「検査済証」が交付されているはずです。

不正を見抜けなかった検査体制に対する疑問や非難が声高に上がってこないのはなぜでしょうか。

建物の検査には「中間検査」と「完了検査」があり、中間検査に合格しなければ「完了検査」を受けることができず、当然検査済証が発行されることもありません。最低でも2度にわたる検査が行われたにもかかわらず、界壁などの不法行為が見逃される検査体制に問題はないのでしょうか。

検査員は行政庁からの天下りが多く、建築関連退職者の再就職先の大口受け皿となっているのが現実だそうです。行政庁の建築関係部署を定年退職した人が何人も民間建築確認審査機関に再就職しており、大半の検査員はそれらの人が占めているという指摘もあります。

この事実と、今回のレオパレス21の施工不良の問題と関係があるのかどうかはわかりませんが、昔から、官僚の天下りという構造問題、民間企業と官僚の関係を紐付ける意見はあります。

地方公共団体の建築主事のみが建築確認、検査事務を行なってきたものを、人手不足等から生まれる杜撰な検査から欠陥住宅が生まれるという指摘から、1998年に当時の橋本内閣は、「建築確認、検査事務」を民間の指定確認検査機関に門戸を開放するべきと主張し、民間の指定確認検査機関を創設することにより、株式会社を含む民間機関に開放された検査体制を構築しました。

ゼネコンやハウスメーカーなどの株式会社(施工業者)が集まって指定確認検査機関を作ることもできる法案であることから、公正中立な確認検査が本当に担保されないという指摘がある中で、検査業務の民間機関への開放した後に、2005年に耐震偽装問題が発覚しました。

このときも、国が認めた機関が「検査済み」のお墨付きを与えていた物件に問題があったことは、大きくは取り上げられませんでした。



耐震偽装問題の根本は、「経済設計」というもっともらしい言葉によるコスト削減で、物件価格を低く抑えることで、消費者にもメリットがあるような印象を与えていたものでした。

後者の「建築監理」とは、設計図どおりに作業が進められているかを、建築士が現場に赴いて監督するものですが、これが十分になされていれば、こんな屋根の界壁未設置などは防げたはずなのです。

建築監理者である建築士は、レオパレス21側が選んだ人なのでしょうかね。

閑話休題〜広瀬すず事務所の訴え

レオパレス21のコマーシャルをめぐってこんな話があります。あくまでもネットで拾った「ネタ」であることを説明しておきます。

2015年から「レオパレス21」のCMに出演してきた広瀬すずさん。彼女の“出世作”ともいえるシリーズだったのですが、事務所側が「広瀬すずのイメージ低下懸念とほかのCM出演企業への配慮」から、レオパレス21にCM契約中止を申し入れたところ、レオパレス21側は違約金を請求するという態度に出ました。

その後、国土交通省の調査を受け、レオパレス21の社長は謝罪、逆に広瀬側が謝罪と違約金を求めることになったといういきさつがあるようです。この問題のこぼれ話としてとらえてください。


サブリース契約の問題点〜歴史から考える

サブリースとは、賃貸オーナーに代わり不動産会社が賃貸住宅を借り上げ、入居者の応募や建物メンテナンスまで一括して不動産会社が請負家賃保証や空室保証などを行うところもあります。

平たく言うと「転貸」、いわゆる「また貸し」のことですね。レオパレス21という会社は、このサブリース契約による事業最大手と言えます。

千葉商科大学国際教養学部太田昌志准教授がラジオ番組で、サブリース契約の歴史について語られていました。それを要約しますと「サブリース」制度とは…

もともとはアメリカで生まれた制度で、地主さんの使っていない土地を集めて、「使っていないなら自分達でテナントを探すから貸して…」という業者が現れ(今で言う「仲介業者」ですね)、「使っていないのだから安く貸してね…」という感じで取引がなされ、地主さんにしても「税金分が浮けばいいや…」という感覚で始まったものだそうです。

どちらかというと、大きく儲けるよりも、「使っていない土地からお金が生まれるだけで十分…」という感じでした。

ところがこの制度が日本に上陸したとたんに、「これで一発あててやろう…」という「儲け」の仕組みに変わったのだと、太田准教授はラジオ番組で語っていました。

使っていない土地の有効活用というサブリース制度を、不動産には絶対的な価値がある日本においては、「積極的な儲けの道具」となっていったようです。

そもそも土地に大きな価格がつくという日本社会では、土地を持っている者と持っていない者との間には絶対的格差が生じます。土地を持っているだけで「金持ち」となり、土地を持つ者と持たない者との格差は、バブル経済とともに大きく広がっていきました。

土地を持ちたくても高くて買えない人たちが、土地を持っているだけで「金持ち」に属している人たちに逆転勝利を狙う(この場合「勝利」は金持ちになるという意味で使っています)手段として「サブリース」手法が使われたところがあると太田准教授はおっしゃっておられました。



詳しいことは後述しますが、サブリース契約が広まった経緯を知る上で、サブリース制度が「夢のある博打」的な要素があったということです。

また「支配床(ゆか)」という概念も、サブリース制度普及にかかわっています。

自分の裁量でテナントを見つけられる面積を「支配床(ゆか)」と表現するそうです。自分たちの力でこの支配床を広げるには限界があり、仲介業者に頼めば、手数料はかかりますが、支配床を広げることができるという大手企業の思惑も、サブリース制度拡大につながったようです。

大手企業は、東京の一等地を手にすることができ、その土地があるだけで常に優位に立てますが、中堅企業には高い値段が付く土地を持つことができないので、中堅企業が大手企業に肩を並べるには、土地の再開発を進めて価値をつけるしかなく、その際にサブリース制度が用いられた経緯があります。

この「再開発」という言葉もポイントで、大きく成長するために強引な手法がとられたことも、レオパレス21問題の背景にあったとも言えそうです。

地主とテナント側が直接契約するよりも、サブリースでは、仲介業者への手数料がかかります。仲介会社の手間賃、いわゆるコストをそれぞれ少しずつ「損」として我慢しようというのが米国制度での考えですが、日本ではこれが少し違ってきます。

仲介業者のコストは、テナント側の賃料に転化されています。通常の賃料よりかは割高に設定されているようです。

またオーナー側は銀行融資で投資物件(アパート等)を建てますので、テナント賃料から仲介会社の取り分を除いたオーナー分は、銀行返済額よりも多くなければなりません。

賃料は、それらの思惑で決められるので割高になる傾向にあります。今回、このバランスが崩れたことにより問題が表沙汰になったと考えられます。

少し高めの賃料でも、経済環境が良ければ許容範囲であったものが、景気悪化でより安い賃料のところが求められるようになると、賃料割高のサブリース物件は空室が目立つようになり、他物件に対抗して賃料を引き下げることが求められてきます。

そうなるとオーナーは銀行への融資返済ができなくなる、いわゆる「赤字」に陥ってしまう恐れが出てきます。

この「賃料引き下げ」にいたる過程が、大きな問題となっています。これが、サブリース問題の本質ともいえる部分で、それが「契約問題」です。


サブリース契約の問題点〜契約から考える

レオパレス21等の仲介業者とサブリースをお願いする側(一応オーナーと表現:オーナーの詳細は後述)との間の契約事項が問題になっています。

というよりも、セールス・トークと契約内容の違いが問題になっているとも言えます。

米国では、もともと「使っていない土地」にテナントをつけてもらうことでサブリース契約を結びますが、日本の場合は、仲介業者が積極的に土地を持っている人(土地持ちオーナー、いわゆる地主さん)にサブリース契約を勧める、サブリース契約を武器に投資用物件を建てさせるのが目的となっています。

「サブリース契約を武器に」と表現しましたが、武器にするには、オーナーさんにメリットがあるように見えなければなりません。

それが
・自動増額特約
・空室保証特約 or 最低賃料保証特約
です。

土地を持っているオーナーには、アパート経営には二の足を踏む人が多く、不動産投資の難しさや面倒さを嫌う人が多いのはよくわかります。

具体的には、地価が上がり固定資産税が上がっても家賃を引き上げられるのかという不安や、もし空室になったときはどうするのかという不安があります。

将来の修理に大きな出費がかかるのではとの心配もあります。

そこでサブリース契約では、将来の賃料値上げに対応する自動増額特約と、一定期間は空室があっても定額を払うという空室保証特約あるいは最低賃料保証特約があり、この特約でオーナーを安心させていました。



サブリース制度が日本に普及した頃はバブル経済に突入する頃で、毎年発表される地価は上昇していました。土地の価値は上がり続けるものという妄想が蔓延していましたね。

オーナーへのセールストークは「儲かる・任せる(任せられる)・保証する」だと、荻上チキ氏がラジオ番組で表現していました。実に本質を言い当てた表現ですね。

この空室保証あるいは最低賃料保証特約ですが、ずっとではなく一定期間だけとなっています。「30年間一括借入れ」という言葉にオーナーは安心するのですが、実は業者側には「中途解約権」が認められているのです。契約書にも書いてあります。

中途解約権は一定の予告期間をおいていつでも契約を解約できる権利で、企業として採算が合わなくなれば撤退できるようにしてあるのです。

契約書は字も小さいですし、契約書を隅々まで読まないでしょうからね。でも、読まないほうが悪いのですがね…。


サブリース契約の問題点〜強引なセールストーク

セールストークが強引であることも指摘されています。裁判ではオーナー側から「聞いた話(セールストーク)と契約書が違う」と訴えているようです。

契約書に書いてある「賃料を見直す」可能性については、契約書の表現を「増減」としていて、「減ることばかりを考えていますが増えることだってある」とか「今まで減額した経験がない」と表現していたようです。

またサブリース契約自体を拒んでいるオーナーには「空室になったらどうするんですか」と詰め寄っていたとのことです。

将来の修繕費に関しても、小さく表現し、場合によっては触れないでいることもあるようです。

サブリース契約の問題点〜借地借家法との関連

借地借家法とは、 賃貸人に比べて立場も弱く、経済的にも不利がある借家人や借地人を保護するために、民法の規定を修正したり補った法律です。

サブリースで問題にあるのが「32条」で、これは経済環境が大きく変動し、あるいは物件の周辺環境が変わったことで賃料を見直すことができるというもので、家主の方から賃料を増減することができることが書かれています。

この「増減」という表現を、セールストークでうまく使っていることは紹介しました。

そもそもサブリースにおける定額保証で問題となるときは経済悪化による景気後退時で、最初にサブリースが社会で問題になったのがバブル崩壊時で、その次はリーマン・ショック後です。

バブル崩壊後のサブリース契約での悪質な例として、仲介業者が勝手に賃料を減額してオーナーに減額後の取り分を支払うというケースがあります。



このときの仲介業者の言い分は
・バブルが崩壊したから仕方がない
・予想できない出来事が起きた
・契約内容変更が妥当とされる重大な事態が起きた…
でした。

しかし、これは正当化される理論ではないという判断がされています。裁判所では、経済は波であり、乱高下するのは当たり前で、バブル崩壊が予想できないということに説得力はないというものです。

これはオーナー側も反省すべきことで、10年保証とか30年保証といっても、経済環境が変われば賃料が保証されることはありえないことは想像できたはずです。

サブリース契約は、平成4年、5年に契約されているものもたくさんあります。もう既にバブルははじけている時期です。それでも家賃保証もしっかりと謳っているのです。

業者の方は、投資物件を建築して引き渡しただけで収益は十分に得られます。まさに「売り逃げ」とも取れる行為ですが、オーナー側も経済状況を考えれば、将来にわたって定額支払が約束できるのかは疑えたはずではないでしょうか。

平成15年10月21日最高裁判所判決では、サブリース契約が賃貸借契約であることを明言していて、借地借家法が適用されるとしています。よって自動増額特約があっても借地借家法32条1項が適用されるという結論を下しています。

家賃は下げられるということになります。

業者側は、この判例を知っていながら自動増額特約をつけている、つまり自動増額特約は単なるえさで、いつでもはずすことができると思っていたなら悪意を感じざるを得ません。

バブル崩壊後は不良債権が社会問題となっていて、仲介業者が破綻したらオーナーも困るだろうということで、賃料減額を認めています。ただし地価下落による固定資産額減額分と変動金利での銀行融資における金利低下分の範囲としました。

この範囲だと約1割ほどの減額となります。業者は4割の賃料減額を求めていました。そうでないと、空室による賃料減とオーナーへの定額支払分では逆ザヤになってしまうのです。

中途解約権を行使する業者が増えました。サブリース契約から10年経過したものは、大きく家賃を下げる提案をして、それに応じなければ一方的に契約解消を迫っていたようです。

オーナーは、銀行への返済額を下回る賃料は認められないそうなるとサブリース契約は解消される…。

レオパレス21は、物件自体が施工不良で、部屋を借りている人は出て行くことになり、信用失墜で新しい入居者は見込めないでしょう。

結局、残るのは銀行ローンだけということになります。


オーナーって誰?

ここで「オーナー」という表現をしましたが、オーナーにも3通りあります。

・土地を持っているオーナー
・ワンルームマンションオーナー
・土地も建物もないオーナー

米国で始まったサブリースは、土地を持っているオーナー向けのものです。繰り返しますが、米国では「使っていない」土地の有効活用目的のサブリースですが、日本では土地持ちオーナーに上物(アパート等の投資用物件)を建てさせるためにあるのがサブリースです。

土地がなくてもワンルームマンションを持っていたり、あるいは新規で購入してもらうオーナーもいます。ワンルームマンションだと、購入と言ってもアパートを建てるよりも何とか手が届く金額になっているでしょう。アパートを建てるよりも身近に考えやすいのかもしれません。この一種の値ごろ感も「曲者」と言えそうですけどね。ワンルームマンションであっても立派な不動産オーナーですからね。でも、ワンルームマンションであってもサブリースのスキームは同じです。

問題とされるのは、土地を持っていない人に土地を購入させて上物を建ててオーナーにするケースです。サラリーパーソンに多く、十分な資産がなくても不動産投資ができるというスキームにサブリースが使われています。

「かぼちゃの馬車」問題では、この不動産投資を小口に分けて、少額で投資できるようにして、資産を持たない人に不動産オーナーになれる「夢」を与えたもので、前述しましたが、弁護士の中には「夢ある博打」と表現している方もいます。

小口と言えど不動産投資です。経済環境や投資環境によりスキームが崩れることを想定しないで、資産が持てる・殖えるというところに目を奪われた人(あえて投資素人と呼びますが)が多かったのでしょう。

「あなたも不動産オーナーになれる…」サラリーパーソンの虚栄心をくすぐるのでしょうか。

サブリース問題が表に出てくるのは景気後退局面に多く、バブル崩壊後には多く見られましたが、最初のうちはサブリース契約者は土地持ちオーナーが多かったようです。



銀行融資も正常に手続が行われていました。リーマン・ショック以降のサブリース問題での登場人物は、土地を持たないサラリーパーソンが多くなりました。土地をローンで買い、アパート建設にもローンを組むとなれば、仲介業者、不動産会社、銀行がチームとなる必要があります。

この間に不正手続があったのが「かぼちゃの馬車」問題です。スルガ銀行の融資書類改ざんは記憶に新しいでしょう。

<悪質になってきた「サブリース問題」>

「サブリース問題は性質が悪くなっている…」ある弁護士の方の言葉です。

銀行から融資を受けて投資を行う、このスキームで思い出すのは、保険会社によるバブル期の変額保険販売手法です。

バブル期では、土地と株が、持っているだけで利益を生んでいました。右肩上がりに上がる土地と株を横目に、保険会社は熟知たる思いでいたところに開発されたのが、特別勘定で保険料を株運用を行う変額保険です。

あろうことか、銀行から融資を受けさせて変額保険契約を勧める手口がとられ、銀行としても手数料がはいる、銀行・保険会社・契約者の「三方良し」の構図ができ上がったのですが、バブル崩壊で株価下落、変額保険評価額も下がり、変額保険を担保に銀行融資を受けていたので、追加の担保が求められ、結局はローンだけが残った契約者だけが損をする構図であったことは、後で気付かされました。確か法人契約だと法人税の節税にも有効というセールストークがあったのではないでしょうか。

今回のケースと全く同じです。

銀行融資でアパートを建てて、家賃保証のえさに飛びつき、経済環境変化によりその契約も解約されローンだけが残るというパターン、まったく同じですね。保険会社が不動産会社に変わっただけで、このスキームのパートナーが銀行であることは変わりません。

厳しい言い方ですが、常に損をするのは「欲に絡んだ無知な消費者」なのです。


相続税対策と年金不安が殺し文句

土地を持っているオーナーに向けては、相続対策。
土地を持たないサラリーパーソンに向けては、年金不安による自助努力。

これが殺し文句となっています。でもこれは不動産業界に限らず金融業界全般に言えることで、節税対策は弁護士や税理士も好んで使っている手法と言えます。

相続対策を謳ったサイトも多く見られ、更地のままよりもアパート等の投資用物件を建てたほうが、土地の相続税評価額は大きく下がるとしています。

ただ節税対策は、その効果はその時だけで、納税額を抑えることは魅力ですが、その後の投資という要素を考えると、長期安定を第一に考えるべきです。節税目的で融資を受けることが、長期スパンで考えて得策なのかを熟考するべきです。節税効果は単年で、必ず副作用があることを忘れてはいけません。自己資本で行うならともかく、融資を受けてまで行うべきことなのでしょうか。

年金不安から、給与以外の収入確保手段として不動産投資を行うのはわかりますが、年金代わりとなれば、やはり長期安定を求めたいところです。

世の中に長期安定が確約されている投資手法なんて存在しません。投資だからこそ、収益を得たら撤退しやすい方法を選ぶべきで、そのためには、換金性が良い手法が求められます。

不動産投資には換金性、つまり現金化に難点があります。

投資は「生もの」で、経済環境で投資環境は変化するものです。繰り返しますが、長期安定の投資手法は、絶対に存在しません。イギリス貴族が用いる手法には長期安定手法があるとは聞きますが、私たちは手にすることができるのでしょうかね。

目先の利益(節税等)にとらわれず、リスクもしっかりと把握して、リターンとリスクを冷静に天秤にかけることが大事です。目先のメリットばかりを大きく捉えないようにしたいものです。



立地は大事〜駅近物件しかダメ

そもそも全ての土地の投資物件が、収益物件になることはありません。やはり立地が重要で、一般的に相続税対策を必要とする人の土地は、駅から遠いところにあることが多いです。

「不動産はどれ1つとして同じ価値のものはない…」法政大学大学院真壁昭夫教授はこう指摘しています。立地条件が全部違うので、価値が同じ不動産は存在しないとのことです。

前述の不動産コンサルタントの長嶋修氏は「駅徒歩2分がベスト、5分以内でないと投資物件としては厳しい」と断言されていました。

長嶋氏によれば、駅から1分離れるごとに120万円価値が下落するとのことです。相続税対策をする土地は駅から遠いことが多く、バス利用の土地もあり、そこに投資用物件を建てても長期安定収入が得られる可能性は決して高くないようです。

長嶋氏曰く、投資の観点から考えるなら、駅から遠い土地を売って駅近の物件を買うほうが良いと解説されています。

「サブリース案件でもうまく言っているケースもある…」それはそうでしょう。立地の良い物件だってあるでしょう。また立地条件が悪くてもオーナーの努力次第で収益を安定化させている物件もあります。人任せで何もしないオーナーの物件では、安定収益を得られるはずがないとも言えます。

国交省が毎年発表する公示地価が上がっているのは、外国人観光客によるもので、商業地区が上がっていると言われています。これらの発表数字をもとに不動産投資の将来を計ってはいけません。

楽して儲けようという考えでは、絶対に投資では成功しません。


サブリース事業を規制する法律がない

賃貸住宅管理者登録制度というのがあります。

賃貸住宅管理業務に関して一定のルールを設けることで、借主と貸主の利益保護を図ることを目的としたもので、登録事業者を公表することにより、消費者は管理業者や物件選択の判断材料として活用することが可能となります。

ただ登録は任意であり、ずっとレオパレス21は登録していませんでした(現在は登録)。国土交通省としても登録は任意なので、全ての業者の状況を把握できているわけではないとコメントしています。

宅地建物取引業法により、不動産取引に関しては厳しい規制を設け指導もされていますが、サブリース事業に関しては、特別な規制はなく、監督指導する法制度はありません。

いまだに国交省による仲介業者へは、監督指導が届かない状況にあると弁護士は指摘しています。

消費者を保護する制度の重要性は言われています。消費者庁もできました。大家と店子の関係は、持つ者と持たざる者との間の力関係がはっきりとしているので、持たざる者である店子が守られる、いわゆる弱者救済措置が取られます。

では、土地を持っているオーナーは消費者なのでしょうか。

これがサブリースにおけるオーナー保護をややこしくしています。オーナーは、土地の所有者ではありますからね。

でもある弁護士は、仲介業者は資金力から情報知識にいたるまで明らかに長けていて、オーナーとのビジネス関係であっても、力の差は歴然だと主張しています。



2度とこのような問題が起こらないように、国としても法整備を急ぐことを望みたいですね…。

うまい話なんかない。そんなにすんなりと信じないで…

性善説はもうやめよう…。1つの土地には、それぞれ立場の違う人の思惑が幾重にも交差しています。土地の活用目的が、かかわる人の立場で全然違ってきます。その土地から得る利益の取り方も違います。土地を、お金を生む道具と見るのか、親からの引継ぎ物と見るのかでも違います。

「人任せ…」これは、投資する以前の話ですね。「難しいから、ややこしいから、面倒だから…」このような考えで投資を行えば、財産をなくしても仕方がありません。

「説明を受けたが良くわからなかった…」「契約書をきちんと読んでいない…」これらは、自己防衛意識の欠落以外のなにものでもありません。

「うまい話なんてない」「そんなにすんなり信じちゃいけない」前述の真壁教授は力説されています。儲かる・任せる(任せられる)・保証する…そんなうまい話はありません。

投資リテラシーという言葉が登場して久しいですが、私たち消費者や投資家が、もっと賢くならなければならないという指摘はずっとこの情報誌でも訴えてきました。

とにかく、都合の良い解釈をしてはいけません。情報を冷静に判断し、くれぐれも自分都合にアレンジして解釈しないようにしましょう。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c242

[リバイバル3] 不動産投資は絶対にやってはいけない 中川隆
24. 中川隆[-11025] koaQ7Jey 2019年4月01日 21:35:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[998]
レオパレスが虫の息。施工不良・サブリース契約の2大厄災を蔓延らせた責任は誰にある? 2019年3月31日
https://www.mag2.com/p/money/658971



施工不良が発覚して大きな問題となっているレオパレス21。そもそもの元凶は、サブリース契約という「うまい話」で投資家を騙し続けてきたことにあります


騙される方が悪いのか?「サブリース契約」の問題点を総まとめ

元凶は「施工不良」と「サブリース契約」

当メルマガでは2018年4月2日(306号)で「かぼちゃの馬車」問題を取り上げました。そのときにも問題となったのが「サブリース」という契約です。そして昨年発覚したレオパレス21に関する問題でも、再びクローズアップされることになりました。

まずは、昨年発覚した「レオパレス21」問題を整理してみましょう。

この問題は、大きく2つの要素に分けて検証されると思われます。1つは「施工不良」、もう1つは「サブリース契約」です。

施工不良〜組織的、構造的な問題と国の責任

レオパレス21は、オーナーの物件を一括で借り上げて、それを転貸(いわゆるまた貸し)することを主な業としています。

今回の件で言えば、レオパレス21の収益は、
・投資物件の建築
・賃貸業務および物件管理
から得る仕組みとなっています。

物件建築においては、建築コストを抑えることで収益幅は大きく得られます。建築会社に対しては、違法にコストを抑えることによる収益確保に対しては、国は常に目を光らせなければならないという部分では、国家としての責任が問われるのではとの指摘もあります。

不動産コンサルタントの長嶋修さくら事務所会長はテレビ番組で、投資用物件建築を請け負う時の価格は、通常よりも高めに設定されることが多いそうです。



レオパレス21は、オーナーから依頼の投資用物件建築では、かなり収益を得ているのではと、長嶋氏はおっしゃっておられました。

この施工不良問題は、創業者の深山祐助元社長がかかわっているのではとの指摘があり、レオパレス21という会社の組織的・構造的な問題が問われています。

施工不良を調査している外部調査委員会中間報告書では、2006年まで社長を務めた深山祐助元社長の直轄部署だった商品開発部門で、施工業務の効率化などを目的に、仕様と異なる部材を使う方向性が示されたとしました。

また、アパートを開発する段階において、物件が建築基準法といった法規適合性を満たすかどうかの判断を、専門的に行う部署がなかったとしています。当然のことながら報告書では、屋根裏の界壁が未設置だったことをアパート施工時に見抜けなかったチェック体制を問題としています。

実はレオパレス21は2012年ごろから、オーナーとの民事訴訟を抱えていました。

オーナーは裁判で、屋根裏の界壁が施工されていないことを「建物の瑕疵にあたる」と主張していて、昨春にレオパレス21がこの問題を公表する以前から、経営陣は、界壁問題を認識していたのではないかとの疑いがあります。

「知らなかった…」深山英世現社長の主張ですが、経営陣が把握していたかどうかも今後問われることになりそうです。

事実として、天井の耐火性に問題のある物件で7,700人の入居者が引っ越しを迫られることになり、全国32都府県にわたり、問題のある物件があるということです。

国土交通省は他社物件でも同様の問題がないかを調査するとしています。


施工不良〜確認の不備、監理の不備

欠陥住宅に関しては、2つの不備が指摘されます。
・建築確認システムの不備
・建築監理の不備
前者がまさに、国の責任が問われることにもなります。

たしかにレオパレス21側の組織的な施工不良を行った経緯はありますが、それらの建物はすべて第三者機関による完了検査を受けて合格し、「検査済証」が交付されているはずです。

不正を見抜けなかった検査体制に対する疑問や非難が声高に上がってこないのはなぜでしょうか。

建物の検査には「中間検査」と「完了検査」があり、中間検査に合格しなければ「完了検査」を受けることができず、当然検査済証が発行されることもありません。最低でも2度にわたる検査が行われたにもかかわらず、界壁などの不法行為が見逃される検査体制に問題はないのでしょうか。

検査員は行政庁からの天下りが多く、建築関連退職者の再就職先の大口受け皿となっているのが現実だそうです。行政庁の建築関係部署を定年退職した人が何人も民間建築確認審査機関に再就職しており、大半の検査員はそれらの人が占めているという指摘もあります。

この事実と、今回のレオパレス21の施工不良の問題と関係があるのかどうかはわかりませんが、昔から、官僚の天下りという構造問題、民間企業と官僚の関係を紐付ける意見はあります。

地方公共団体の建築主事のみが建築確認、検査事務を行なってきたものを、人手不足等から生まれる杜撰な検査から欠陥住宅が生まれるという指摘から、1998年に当時の橋本内閣は、「建築確認、検査事務」を民間の指定確認検査機関に門戸を開放するべきと主張し、民間の指定確認検査機関を創設することにより、株式会社を含む民間機関に開放された検査体制を構築しました。

ゼネコンやハウスメーカーなどの株式会社(施工業者)が集まって指定確認検査機関を作ることもできる法案であることから、公正中立な確認検査が本当に担保されないという指摘がある中で、検査業務の民間機関への開放した後に、2005年に耐震偽装問題が発覚しました。

このときも、国が認めた機関が「検査済み」のお墨付きを与えていた物件に問題があったことは、大きくは取り上げられませんでした。



耐震偽装問題の根本は、「経済設計」というもっともらしい言葉によるコスト削減で、物件価格を低く抑えることで、消費者にもメリットがあるような印象を与えていたものでした。

後者の「建築監理」とは、設計図どおりに作業が進められているかを、建築士が現場に赴いて監督するものですが、これが十分になされていれば、こんな屋根の界壁未設置などは防げたはずなのです。

建築監理者である建築士は、レオパレス21側が選んだ人なのでしょうかね。

閑話休題〜広瀬すず事務所の訴え

レオパレス21のコマーシャルをめぐってこんな話があります。あくまでもネットで拾った「ネタ」であることを説明しておきます。

2015年から「レオパレス21」のCMに出演してきた広瀬すずさん。彼女の“出世作”ともいえるシリーズだったのですが、事務所側が「広瀬すずのイメージ低下懸念とほかのCM出演企業への配慮」から、レオパレス21にCM契約中止を申し入れたところ、レオパレス21側は違約金を請求するという態度に出ました。

その後、国土交通省の調査を受け、レオパレス21の社長は謝罪、逆に広瀬側が謝罪と違約金を求めることになったといういきさつがあるようです。この問題のこぼれ話としてとらえてください。


サブリース契約の問題点〜歴史から考える

サブリースとは、賃貸オーナーに代わり不動産会社が賃貸住宅を借り上げ、入居者の応募や建物メンテナンスまで一括して不動産会社が請負家賃保証や空室保証などを行うところもあります。

平たく言うと「転貸」、いわゆる「また貸し」のことですね。レオパレス21という会社は、このサブリース契約による事業最大手と言えます。

千葉商科大学国際教養学部太田昌志准教授がラジオ番組で、サブリース契約の歴史について語られていました。それを要約しますと「サブリース」制度とは…

もともとはアメリカで生まれた制度で、地主さんの使っていない土地を集めて、「使っていないなら自分達でテナントを探すから貸して…」という業者が現れ(今で言う「仲介業者」ですね)、「使っていないのだから安く貸してね…」という感じで取引がなされ、地主さんにしても「税金分が浮けばいいや…」という感覚で始まったものだそうです。

どちらかというと、大きく儲けるよりも、「使っていない土地からお金が生まれるだけで十分…」という感じでした。

ところがこの制度が日本に上陸したとたんに、「これで一発あててやろう…」という「儲け」の仕組みに変わったのだと、太田准教授はラジオ番組で語っていました。

使っていない土地の有効活用というサブリース制度を、不動産には絶対的な価値がある日本においては、「積極的な儲けの道具」となっていったようです。

そもそも土地に大きな価格がつくという日本社会では、土地を持っている者と持っていない者との間には絶対的格差が生じます。土地を持っているだけで「金持ち」となり、土地を持つ者と持たない者との格差は、バブル経済とともに大きく広がっていきました。

土地を持ちたくても高くて買えない人たちが、土地を持っているだけで「金持ち」に属している人たちに逆転勝利を狙う(この場合「勝利」は金持ちになるという意味で使っています)手段として「サブリース」手法が使われたところがあると太田准教授はおっしゃっておられました。



詳しいことは後述しますが、サブリース契約が広まった経緯を知る上で、サブリース制度が「夢のある博打」的な要素があったということです。

また「支配床(ゆか)」という概念も、サブリース制度普及にかかわっています。

自分の裁量でテナントを見つけられる面積を「支配床(ゆか)」と表現するそうです。自分たちの力でこの支配床を広げるには限界があり、仲介業者に頼めば、手数料はかかりますが、支配床を広げることができるという大手企業の思惑も、サブリース制度拡大につながったようです。

大手企業は、東京の一等地を手にすることができ、その土地があるだけで常に優位に立てますが、中堅企業には高い値段が付く土地を持つことができないので、中堅企業が大手企業に肩を並べるには、土地の再開発を進めて価値をつけるしかなく、その際にサブリース制度が用いられた経緯があります。

この「再開発」という言葉もポイントで、大きく成長するために強引な手法がとられたことも、レオパレス21問題の背景にあったとも言えそうです。

地主とテナント側が直接契約するよりも、サブリースでは、仲介業者への手数料がかかります。仲介会社の手間賃、いわゆるコストをそれぞれ少しずつ「損」として我慢しようというのが米国制度での考えですが、日本ではこれが少し違ってきます。

仲介業者のコストは、テナント側の賃料に転化されています。通常の賃料よりかは割高に設定されているようです。

またオーナー側は銀行融資で投資物件(アパート等)を建てますので、テナント賃料から仲介会社の取り分を除いたオーナー分は、銀行返済額よりも多くなければなりません。

賃料は、それらの思惑で決められるので割高になる傾向にあります。今回、このバランスが崩れたことにより問題が表沙汰になったと考えられます。

少し高めの賃料でも、経済環境が良ければ許容範囲であったものが、景気悪化でより安い賃料のところが求められるようになると、賃料割高のサブリース物件は空室が目立つようになり、他物件に対抗して賃料を引き下げることが求められてきます。

そうなるとオーナーは銀行への融資返済ができなくなる、いわゆる「赤字」に陥ってしまう恐れが出てきます。

この「賃料引き下げ」にいたる過程が、大きな問題となっています。これが、サブリース問題の本質ともいえる部分で、それが「契約問題」です。


サブリース契約の問題点〜契約から考える

レオパレス21等の仲介業者とサブリースをお願いする側(一応オーナーと表現:オーナーの詳細は後述)との間の契約事項が問題になっています。

というよりも、セールス・トークと契約内容の違いが問題になっているとも言えます。

米国では、もともと「使っていない土地」にテナントをつけてもらうことでサブリース契約を結びますが、日本の場合は、仲介業者が積極的に土地を持っている人(土地持ちオーナー、いわゆる地主さん)にサブリース契約を勧める、サブリース契約を武器に投資用物件を建てさせるのが目的となっています。

「サブリース契約を武器に」と表現しましたが、武器にするには、オーナーさんにメリットがあるように見えなければなりません。

それが
・自動増額特約
・空室保証特約 or 最低賃料保証特約
です。

土地を持っているオーナーには、アパート経営には二の足を踏む人が多く、不動産投資の難しさや面倒さを嫌う人が多いのはよくわかります。

具体的には、地価が上がり固定資産税が上がっても家賃を引き上げられるのかという不安や、もし空室になったときはどうするのかという不安があります。

将来の修理に大きな出費がかかるのではとの心配もあります。

そこでサブリース契約では、将来の賃料値上げに対応する自動増額特約と、一定期間は空室があっても定額を払うという空室保証特約あるいは最低賃料保証特約があり、この特約でオーナーを安心させていました。



サブリース制度が日本に普及した頃はバブル経済に突入する頃で、毎年発表される地価は上昇していました。土地の価値は上がり続けるものという妄想が蔓延していましたね。

オーナーへのセールストークは「儲かる・任せる(任せられる)・保証する」だと、荻上チキ氏がラジオ番組で表現していました。実に本質を言い当てた表現ですね。

この空室保証あるいは最低賃料保証特約ですが、ずっとではなく一定期間だけとなっています。「30年間一括借入れ」という言葉にオーナーは安心するのですが、実は業者側には「中途解約権」が認められているのです。契約書にも書いてあります。

中途解約権は一定の予告期間をおいていつでも契約を解約できる権利で、企業として採算が合わなくなれば撤退できるようにしてあるのです。

契約書は字も小さいですし、契約書を隅々まで読まないでしょうからね。でも、読まないほうが悪いのですがね…。


サブリース契約の問題点〜強引なセールストーク

セールストークが強引であることも指摘されています。裁判ではオーナー側から「聞いた話(セールストーク)と契約書が違う」と訴えているようです。

契約書に書いてある「賃料を見直す」可能性については、契約書の表現を「増減」としていて、「減ることばかりを考えていますが増えることだってある」とか「今まで減額した経験がない」と表現していたようです。

またサブリース契約自体を拒んでいるオーナーには「空室になったらどうするんですか」と詰め寄っていたとのことです。

将来の修繕費に関しても、小さく表現し、場合によっては触れないでいることもあるようです。

サブリース契約の問題点〜借地借家法との関連

借地借家法とは、 賃貸人に比べて立場も弱く、経済的にも不利がある借家人や借地人を保護するために、民法の規定を修正したり補った法律です。

サブリースで問題にあるのが「32条」で、これは経済環境が大きく変動し、あるいは物件の周辺環境が変わったことで賃料を見直すことができるというもので、家主の方から賃料を増減することができることが書かれています。

この「増減」という表現を、セールストークでうまく使っていることは紹介しました。

そもそもサブリースにおける定額保証で問題となるときは経済悪化による景気後退時で、最初にサブリースが社会で問題になったのがバブル崩壊時で、その次はリーマン・ショック後です。

バブル崩壊後のサブリース契約での悪質な例として、仲介業者が勝手に賃料を減額してオーナーに減額後の取り分を支払うというケースがあります。



このときの仲介業者の言い分は
・バブルが崩壊したから仕方がない
・予想できない出来事が起きた
・契約内容変更が妥当とされる重大な事態が起きた…
でした。

しかし、これは正当化される理論ではないという判断がされています。裁判所では、経済は波であり、乱高下するのは当たり前で、バブル崩壊が予想できないということに説得力はないというものです。

これはオーナー側も反省すべきことで、10年保証とか30年保証といっても、経済環境が変われば賃料が保証されることはありえないことは想像できたはずです。

サブリース契約は、平成4年、5年に契約されているものもたくさんあります。もう既にバブルははじけている時期です。それでも家賃保証もしっかりと謳っているのです。

業者の方は、投資物件を建築して引き渡しただけで収益は十分に得られます。まさに「売り逃げ」とも取れる行為ですが、オーナー側も経済状況を考えれば、将来にわたって定額支払が約束できるのかは疑えたはずではないでしょうか。

平成15年10月21日最高裁判所判決では、サブリース契約が賃貸借契約であることを明言していて、借地借家法が適用されるとしています。よって自動増額特約があっても借地借家法32条1項が適用されるという結論を下しています。

家賃は下げられるということになります。

業者側は、この判例を知っていながら自動増額特約をつけている、つまり自動増額特約は単なるえさで、いつでもはずすことができると思っていたなら悪意を感じざるを得ません。

バブル崩壊後は不良債権が社会問題となっていて、仲介業者が破綻したらオーナーも困るだろうということで、賃料減額を認めています。ただし地価下落による固定資産額減額分と変動金利での銀行融資における金利低下分の範囲としました。

この範囲だと約1割ほどの減額となります。業者は4割の賃料減額を求めていました。そうでないと、空室による賃料減とオーナーへの定額支払分では逆ザヤになってしまうのです。

中途解約権を行使する業者が増えました。サブリース契約から10年経過したものは、大きく家賃を下げる提案をして、それに応じなければ一方的に契約解消を迫っていたようです。

オーナーは、銀行への返済額を下回る賃料は認められないそうなるとサブリース契約は解消される…。

レオパレス21は、物件自体が施工不良で、部屋を借りている人は出て行くことになり、信用失墜で新しい入居者は見込めないでしょう。

結局、残るのは銀行ローンだけということになります。


オーナーって誰?

ここで「オーナー」という表現をしましたが、オーナーにも3通りあります。

・土地を持っているオーナー
・ワンルームマンションオーナー
・土地も建物もないオーナー

米国で始まったサブリースは、土地を持っているオーナー向けのものです。繰り返しますが、米国では「使っていない」土地の有効活用目的のサブリースですが、日本では土地持ちオーナーに上物(アパート等の投資用物件)を建てさせるためにあるのがサブリースです。

土地がなくてもワンルームマンションを持っていたり、あるいは新規で購入してもらうオーナーもいます。ワンルームマンションだと、購入と言ってもアパートを建てるよりも何とか手が届く金額になっているでしょう。アパートを建てるよりも身近に考えやすいのかもしれません。この一種の値ごろ感も「曲者」と言えそうですけどね。ワンルームマンションであっても立派な不動産オーナーですからね。でも、ワンルームマンションであってもサブリースのスキームは同じです。

問題とされるのは、土地を持っていない人に土地を購入させて上物を建ててオーナーにするケースです。サラリーパーソンに多く、十分な資産がなくても不動産投資ができるというスキームにサブリースが使われています。

「かぼちゃの馬車」問題では、この不動産投資を小口に分けて、少額で投資できるようにして、資産を持たない人に不動産オーナーになれる「夢」を与えたもので、前述しましたが、弁護士の中には「夢ある博打」と表現している方もいます。

小口と言えど不動産投資です。経済環境や投資環境によりスキームが崩れることを想定しないで、資産が持てる・殖えるというところに目を奪われた人(あえて投資素人と呼びますが)が多かったのでしょう。

「あなたも不動産オーナーになれる…」サラリーパーソンの虚栄心をくすぐるのでしょうか。

サブリース問題が表に出てくるのは景気後退局面に多く、バブル崩壊後には多く見られましたが、最初のうちはサブリース契約者は土地持ちオーナーが多かったようです。



銀行融資も正常に手続が行われていました。リーマン・ショック以降のサブリース問題での登場人物は、土地を持たないサラリーパーソンが多くなりました。土地をローンで買い、アパート建設にもローンを組むとなれば、仲介業者、不動産会社、銀行がチームとなる必要があります。

この間に不正手続があったのが「かぼちゃの馬車」問題です。スルガ銀行の融資書類改ざんは記憶に新しいでしょう。

<悪質になってきた「サブリース問題」>

「サブリース問題は性質が悪くなっている…」ある弁護士の方の言葉です。

銀行から融資を受けて投資を行う、このスキームで思い出すのは、保険会社によるバブル期の変額保険販売手法です。

バブル期では、土地と株が、持っているだけで利益を生んでいました。右肩上がりに上がる土地と株を横目に、保険会社は熟知たる思いでいたところに開発されたのが、特別勘定で保険料を株運用を行う変額保険です。

あろうことか、銀行から融資を受けさせて変額保険契約を勧める手口がとられ、銀行としても手数料がはいる、銀行・保険会社・契約者の「三方良し」の構図ができ上がったのですが、バブル崩壊で株価下落、変額保険評価額も下がり、変額保険を担保に銀行融資を受けていたので、追加の担保が求められ、結局はローンだけが残った契約者だけが損をする構図であったことは、後で気付かされました。確か法人契約だと法人税の節税にも有効というセールストークがあったのではないでしょうか。

今回のケースと全く同じです。

銀行融資でアパートを建てて、家賃保証のえさに飛びつき、経済環境変化によりその契約も解約されローンだけが残るというパターン、まったく同じですね。保険会社が不動産会社に変わっただけで、このスキームのパートナーが銀行であることは変わりません。

厳しい言い方ですが、常に損をするのは「欲に絡んだ無知な消費者」なのです。


相続税対策と年金不安が殺し文句

土地を持っているオーナーに向けては、相続対策。
土地を持たないサラリーパーソンに向けては、年金不安による自助努力。

これが殺し文句となっています。でもこれは不動産業界に限らず金融業界全般に言えることで、節税対策は弁護士や税理士も好んで使っている手法と言えます。

相続対策を謳ったサイトも多く見られ、更地のままよりもアパート等の投資用物件を建てたほうが、土地の相続税評価額は大きく下がるとしています。

ただ節税対策は、その効果はその時だけで、納税額を抑えることは魅力ですが、その後の投資という要素を考えると、長期安定を第一に考えるべきです。節税目的で融資を受けることが、長期スパンで考えて得策なのかを熟考するべきです。節税効果は単年で、必ず副作用があることを忘れてはいけません。自己資本で行うならともかく、融資を受けてまで行うべきことなのでしょうか。

年金不安から、給与以外の収入確保手段として不動産投資を行うのはわかりますが、年金代わりとなれば、やはり長期安定を求めたいところです。

世の中に長期安定が確約されている投資手法なんて存在しません。投資だからこそ、収益を得たら撤退しやすい方法を選ぶべきで、そのためには、換金性が良い手法が求められます。

不動産投資には換金性、つまり現金化に難点があります。

投資は「生もの」で、経済環境で投資環境は変化するものです。繰り返しますが、長期安定の投資手法は、絶対に存在しません。イギリス貴族が用いる手法には長期安定手法があるとは聞きますが、私たちは手にすることができるのでしょうかね。

目先の利益(節税等)にとらわれず、リスクもしっかりと把握して、リターンとリスクを冷静に天秤にかけることが大事です。目先のメリットばかりを大きく捉えないようにしたいものです。



立地は大事〜駅近物件しかダメ

そもそも全ての土地の投資物件が、収益物件になることはありません。やはり立地が重要で、一般的に相続税対策を必要とする人の土地は、駅から遠いところにあることが多いです。

「不動産はどれ1つとして同じ価値のものはない…」法政大学大学院真壁昭夫教授はこう指摘しています。立地条件が全部違うので、価値が同じ不動産は存在しないとのことです。

前述の不動産コンサルタントの長嶋修氏は「駅徒歩2分がベスト、5分以内でないと投資物件としては厳しい」と断言されていました。

長嶋氏によれば、駅から1分離れるごとに120万円価値が下落するとのことです。相続税対策をする土地は駅から遠いことが多く、バス利用の土地もあり、そこに投資用物件を建てても長期安定収入が得られる可能性は決して高くないようです。

長嶋氏曰く、投資の観点から考えるなら、駅から遠い土地を売って駅近の物件を買うほうが良いと解説されています。

「サブリース案件でもうまく言っているケースもある…」それはそうでしょう。立地の良い物件だってあるでしょう。また立地条件が悪くてもオーナーの努力次第で収益を安定化させている物件もあります。人任せで何もしないオーナーの物件では、安定収益を得られるはずがないとも言えます。

国交省が毎年発表する公示地価が上がっているのは、外国人観光客によるもので、商業地区が上がっていると言われています。これらの発表数字をもとに不動産投資の将来を計ってはいけません。

楽して儲けようという考えでは、絶対に投資では成功しません。


サブリース事業を規制する法律がない

賃貸住宅管理者登録制度というのがあります。

賃貸住宅管理業務に関して一定のルールを設けることで、借主と貸主の利益保護を図ることを目的としたもので、登録事業者を公表することにより、消費者は管理業者や物件選択の判断材料として活用することが可能となります。

ただ登録は任意であり、ずっとレオパレス21は登録していませんでした(現在は登録)。国土交通省としても登録は任意なので、全ての業者の状況を把握できているわけではないとコメントしています。

宅地建物取引業法により、不動産取引に関しては厳しい規制を設け指導もされていますが、サブリース事業に関しては、特別な規制はなく、監督指導する法制度はありません。

いまだに国交省による仲介業者へは、監督指導が届かない状況にあると弁護士は指摘しています。

消費者を保護する制度の重要性は言われています。消費者庁もできました。大家と店子の関係は、持つ者と持たざる者との間の力関係がはっきりとしているので、持たざる者である店子が守られる、いわゆる弱者救済措置が取られます。

では、土地を持っているオーナーは消費者なのでしょうか。

これがサブリースにおけるオーナー保護をややこしくしています。オーナーは、土地の所有者ではありますからね。

でもある弁護士は、仲介業者は資金力から情報知識にいたるまで明らかに長けていて、オーナーとのビジネス関係であっても、力の差は歴然だと主張しています。



2度とこのような問題が起こらないように、国としても法整備を急ぐことを望みたいですね…。

うまい話なんかない。そんなにすんなりと信じないで…

性善説はもうやめよう…。1つの土地には、それぞれ立場の違う人の思惑が幾重にも交差しています。土地の活用目的が、かかわる人の立場で全然違ってきます。その土地から得る利益の取り方も違います。土地を、お金を生む道具と見るのか、親からの引継ぎ物と見るのかでも違います。

「人任せ…」これは、投資する以前の話ですね。「難しいから、ややこしいから、面倒だから…」このような考えで投資を行えば、財産をなくしても仕方がありません。

「説明を受けたが良くわからなかった…」「契約書をきちんと読んでいない…」これらは、自己防衛意識の欠落以外のなにものでもありません。

「うまい話なんてない」「そんなにすんなり信じちゃいけない」前述の真壁教授は力説されています。儲かる・任せる(任せられる)・保証する…そんなうまい話はありません。

投資リテラシーという言葉が登場して久しいですが、私たち消費者や投資家が、もっと賢くならなければならないという指摘はずっとこの情報誌でも訴えてきました。

とにかく、都合の良い解釈をしてはいけません。情報を冷静に判断し、くれぐれも自分都合にアレンジして解釈しないようにしましょう。


http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/827.html#c24

[近代史3] 北方領土 _ ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない  中川隆
27. 中川隆[-11024] koaQ7Jey 2019年4月01日 21:52:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[999]

ウクライナ人が日本に警告「北方領土の2島返還で笑うのはプーチンだけ」
3/26(火) 11:57配信 PHP Online 衆知(Voice)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190326-00010001-voice-pol

ウクライナ出身のグレンコ・アンドリー氏は安倍政権の対ロシア外交に警鐘を鳴らしている。


<<安倍総理は現在、プーチン大統領との友好関係を深めることで北方領土問題の解決をめざしている。だが、2014年に領土クリミアをあっという間にロシアに奪われたウクライナ人のグレンコ・アンドリー氏は異なる考え方をもつ。新著『プーチン幻想』(PHP新書)より、その理由を明らかにする。>>

※本稿はグレンコ・アンドリー著『プーチン幻想』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです
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じつは「対露国益献上外交」

最初に言っておきたいが、筆者はウクライナ人としてではなく、日本を好きな人間の一人という立場から考えを書くこととする。ウクライナからすれば、日露関係がどうなろうが、日本がどのような対露政策を取ろうが、その結果、日本がどうなろうが、ほとんど影響がないからだ。

だから本稿において、筆者はウクライナ人というより、親日外国人、日本をよくしたいと思い、日本の復活・発展と繁栄を心から望み、自分の将来を日本と結びつけて考える人の立場から、安倍政権の対露政策について考えたいと思う。

さて、安倍晋三総理大臣は20回以上プーチンと会い、友好をアピールしているのだが、総理の目的は何であろうか。総理の言動から判断すると、それはロシアと友好関係を作り、領土問題を解決した上で日露平和条約を結ぶことである、ということになる。

一見もっともらしく映るが、じつは安倍総理の対露外交の本質を表す言葉は「対露軟弱外交」もしくは「対露国益献上外交」である。なぜなら安倍総理の政策は、ロシアが一方的に日本から利益を引き出すだけであり、代わりに日本が得るものは何もないからだ。
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「領土返還」と「領土問題の解決」のすり替え

今まで日本政府は、少なくとも南千島、つまり択捉島・国後島・色丹島と歯舞群島は日本の領土である、という立場を一貫して取ってきた。

しかし、いつの間にか「領土返還」ではなく、「領土問題の解決」という言葉が日本の情報空間に飛び交うようになった。それは何を意味するのか。

「領土返還」という言葉には1つの意味しか含まれていない。しかし、「領土問題の解決」という言葉には2つの意味が含まれている。

「問題の解決」は「領土返還」という形でも「領土放棄」という形でも可能であり、どちらも「領土問題の解決」である。

したがって、領土返還ではなく領土問題の解決を繰り返し述べる日本の政治家やジャーナリストの発言は、「領土放棄という選択を排除しない」ことを意味している。

このように概念をすり替えれば、安倍総理は「実績を残す」ことができる。つまり北方領土を取り返せないが、領土を放棄することによって「領土問題を解決した首相」という「実績」を作ることができる。

そして支持層に対し、巧妙な情報発信で対露敗北を「安倍外交の勝利」と思わせることができる。

実際、総理はロシアが北方領土を返還しないことを分かっているので、「日本の面子が潰れない形で」北方領土の放棄を目指していることは明らかである。日本のメディアにおけるロシアに対する報道、もしくは日露関係に対する報道がそれを物語っている。

たとえばロシアに関する報道では、以下の話題が頻繁に出ている。すなわち「ロシアの美人スポーツ選手」「プーチン大統領は柔道が好き」「プーチン大統領に秋田犬が贈られた」「日本にシベリア猫が贈られた」などである。つまり、全く政治や外交と関係がない。

これはロシアが日本の領土を不法占領している事実から目を逸らすための戦略である、と言わざるをえない。先述のような報道だけを見れば、誰でもロシアによい印象を持ち、親近感が湧く。

日本中にこのようなロシアに対して甘いイメージが広まれば、ロシアに対する大きな譲歩も受け入れられやすくなる。

また、安倍政権が展開している対露外交についてマスコミはほとんど批判せずに、政府の発表をそのまま報道するだけである。

たとえば、日本の高官による「日露新時代」「(領土問題に関する)新しいアプローチ」「落ち着いた雰囲気での交渉」「両国に受け入れ可能な解決」などの表現を報道するだけで、反論は加えられない。

しかし、このような表現は日本の一方的な譲歩を示す婉曲表現にすぎない。このような発表の下で、安倍政権は歴代政権の立場を崩して北方領土を放棄しようとしているが、日本のメディアもそれを容認しているのである。


全島全域返還の前に平和条約を締結してはいけない

さて、安倍政権の対露外交は具体的にどこが間違っているのか。最も大きな間違いは、先述した「領土放棄の容認」である。安倍政権は明らかに「2島返還で平和条約」という解決を目指している。

しかし平和条約を締結すれば、それは事実上、国後島と択捉島のロシア帰属を認めることになる。

だから平和条約締結後、国後島と択捉島の返還を要求できなくなる。要求したとしても、「平和条約の時点で領土問題は解決した」という反論がくる。だから、いわゆる「2島先行返還論」はありえないのだ。

ロシアからだけではなく、第三国から見ても、平和条約締結後の日本の領土返還要求は正当に映らない。だから絶対に、全島全域返還の前に平和条約を締結してはいけないのだ。

ちなみになぜ、筆者は「安倍政権が2島返還を容認している」と断言できるのか。それにはいくつかの理由がある。

1つ目は、先述したメディア戦略である。安倍総理は明らかにプーチンとの個人的な友情をアピールし、日本人にロシアやプーチンに対して好印象を持ってもらいたがっている。

2つ目は、日ソ共同宣言への言及である。日ソ共同宣言は当時、違法にソ連に抑留されていた日本人の帰還のためのやむをえない措置だったかもしれないが、日本人の帰還終了後にこれを即、破棄するべきであった。その内容は大きく日本の国益を損なっているからである。

そして3つ目は、安倍総理は自分の在任中に領土問題を解決し、平和条約を締結する、と言っている。

しかし、安倍晋三総理大臣の在任中に北方領土全島を取り返すことは不可能である。だから「自分の在任中に解決する」と言っている時点で、安倍総理が「2島返還で平和条約」を容認しているのは明らかなのである。
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「在任中に解決」発言が日本の立場を不利にした

また「自分の在任中に解決する」という発言は、安倍政権の対露外交のもう1つの大きな欠陥である。

自分の在任中に解決する、というのは、問題解決に期限を設けることを意味している。

つまり、2021年9月までに北方領土問題を解決しなければならないということだ。それは交渉において、自分の立場を自ら不利にする行為である。

総理の発言のため、日本側には期限が迫っているという焦りが生じる。しかし、ロシアには一切何の期限もなく、時間が無限にある。だからロシアは、日本側に期限が迫るときまで待てばいいだけである。

他方、期限までに問題を解決しなければならない日本は、期限が近付いた頃に仕方なく譲歩せざるをえない。そして、ロシアは待つだけで自国に有利な結果での解決を獲得する。

以上のことから、安倍総理の発言は大きな誤りであり、現在の対露外交は日本の立場を不利にする行為であるので、即刻改めるべきである。

領土問題を始めとする難しい外交的問題において、期限を設けてはいけない。必要なだけ時間をかけて、必要な場合は次の代に解決を先送りすることを覚悟するべきだ。解決を焦ることは、自分の手で自らの首を絞めることである。
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グレンコ・アンドリー(ウクライナ出身)



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/180.html#c27

[リバイバル3] ロッテアライリゾート 中川隆
15. 中川隆[-11023] koaQ7Jey 2019年4月02日 07:43:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1000]

ロッテアライリゾート まさかのコースアウト(笑)- YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=wNs2SAVCWPU

2019.02.09 ロッテアライリゾート

コースアウトして、プチ遭難です
地獄の登り返しをしました
だけど大変楽しかったです
極上パウダーでした

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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/935.html#c15

[近代史3] 呪われたスキー場 _ 妙高 新井スキー場(ロッテアライリゾート) 中川隆
80. 中川隆[-11022] koaQ7Jey 2019年4月02日 07:44:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1001]

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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/190.html#c80

[昼休み54] ゴーン逮捕で仏マクロンの謀略を潰した日本政府 中川隆
158. 中川隆[-11021] koaQ7Jey 2019年4月02日 08:10:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1002]
“ゴーン前会長の支払いに不審点 ”ルノーが検察に通報の報道/nhk
2019年4月2日 4時26分ゴーン前会長
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190402/k10011870081000.html?utm_int=news-international_contents_list-items_006

フランスの自動車メーカー、ルノーは、カルロス・ゴーン前会長が経営トップ時代に行われた中東のオマーンにある販売代理店への支払いで不審な点が見つかったとして、検察当局に通報したとロイター通信が報じました。

それによりますと、ゴーン前会長が経営トップだった2011年ごろから5年の間、ルノーは中東のオマーンにある代理店に自動車を販売する際の報奨金として日本円で合わせて数十億円を支払いましたが、この多くがレバノンにあるゴーン前会長の関係者が運営する会社に流れていたことがわかったとしています。

このため、ルノーは資金の流れに不審な点があるとしてフランスの検察当局に通報したということです。

これまでルノーはゴーン前会長に不正がなかったか内部調査を進めていて、ゴーン前会長がフランスのベルサイユ宮殿で開いた自身の結婚披露宴についても、会社の資金が流用された疑いがあるとして検察当局に通報しています。
 

http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/323.html#c158

[近代史02] 君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか? 中川隆
155. 中川隆[-11020] koaQ7Jey 2019年4月02日 08:21:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1003]
2019.04.02
天皇制官僚国家の象徴としての「元号」
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904020000/

 安倍晋三政権は4月1日、新しい「元号」を「令和」にすると発表した。元号の法的な根拠は1979年に成立した「元号法」だが、その前提として天皇制がある。その天皇制については日本国憲法の第1条から第8条で定められ、いわゆる「戦争の放棄」を定めた第9条はその後だ。この順番から考えて、日本国憲法の主眼は天皇制の維持にあると言えるだろう。

 この憲法は「日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこ」んだ天皇が「枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し」て、1946年11月3日に公布したものである。

 第2次世界大戦でアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は反ファシストの立場から戦っていたが、1933年から34年にかけての時期にルーズベルトを中心とするニューディール派を排除し、ファシズム体制を樹立させようとした勢力がアメリカ支配層には存在した。その中心だったのは巨大金融資本だ。

 本ブログでは何度も書いてきたが、1923年9月に起こった関東大震災の復興資金をJPモルガンに頼って以来、日本はアメリカの巨大金融資本の強い影響下に入った。

 ウォール街の住人たちは反ルーズベルト政権のクーデター計画でも金本位制への復帰を強く求めていたが、日本政府に対しても同じことを要求、受け入れられた。JPモルガンに言われるまま、浜口雄幸政権は緊縮財政も推進する。その時に大蔵大臣を務めていたのが井上準之助だ。

 この結果、不況はますます深刻化し、東北地方では娘の身売りが増えて大きな社会問題になっている。こうした経済政策を推進した浜口首相は1930年11月に東京駅で銃撃されて翌年の8月に死亡、32年2月には井上が本郷追分の駒本小学校で射殺されている。

 1932年に駐日大使として日本へやってきたジョセフ・グルーがJPモルガンと極めて緊密な関係にあることも本ブログで繰り返し書いてきた。グルーの従兄弟がジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥と結婚していたのである。しかも、グルーの妻の曾祖父の弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。

 グルーは秩父宮、松平恒雄、徳川家達、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介などと昵懇にしていたが、中でも親しかったのは松岡洋右。戦争が始まり、離日する直前にグルーが岸とゴルフしたことも有名な逸話だ。安倍晋三の祖父は大戦前からアメリカの支配層と親しかったのである。敗戦後に「転向」したわけではない。

 戦前の天皇制官僚システムはウォール街の影響下にあった。ところが1933年から45年4月にルーズベルト大統領が急死するまでそのウォール街はホワイトハウスで主導権をニューディール派に奪われていた。ルーズベルトの死で日米主従関係は本来の姿に戻ったと言える。ウォール街が天皇制を存続させようとしたのは当然だ。その体制によって彼らは日本を支配していたからだ。それを攪乱させたのが血盟団や二・二六事件の将校たちだった。

 しかし、連合国の内部には天皇制官僚システムを破壊するべきだと考える人も少なくなかった。日本軍と直接戦ったイギリスやオーストラリア、そしてソ連。日本が降伏した直後はアメリカが日本をコントロールできる状態だったが、時間を経ればそうした国々の軍人や官僚が日本へやってきて民主化を要求、天皇制の廃止も主張する可能性が高い。それに留まらず、天皇の戦争責任は必ず問われる。

 日本の侵略を受けていた国々の人びとは、そうした軍人以上に厳しい目を向けていた。日本が降伏した直後、堀田善衛は上海で中国の学生から「あなた方日本の知識人は、あの天皇というものをどうしようと思っているのか?」と「噛みつくような工合に質問」されたという。(堀田善衛著『上海にて』)

 天皇制官僚システムを維持するためには、アメリカが日本で主導権を握っているうちに天皇制の存続を定めた憲法を制定し、天皇を被告席に立たせずに戦争責任を問う裁判を終わらせてしまう必要があった。それをアメリカは実行した。

 第2次世界大戦の帰趨が決したのは1944年6月にアメリカ軍を中心として実行されたノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)だと考えてる人が高名な学者の中にもいるが、実際はドイツ軍の主力がスターリングラードの戦いで壊滅、1943年1月に降伏した時に勝負はついていた。ノルマンディー上陸作戦で決着がついたという話はハリウッドが作り上げた幻影だ。

 アドルフ・ヒトラーの側近だったルドルフ・ヘスが飛行機でスコットランドへ渡ったのが1941年5月。そこでイギリス政府の要人と何かを話し合ったはずだが、その内容は未だに秘密。そして6月に310万人のドイツ軍が西側に90万人を残してソ連へ向かって進撃を開始する。バルバロッサ作戦だ。

 当然のことながら、このときにドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、アドルフ・ヒトラーがそれを退けたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)ヒトラーは西側から攻めてこないことを「予知」していたのだろう。

 ドイツ軍の主力が壊滅したことに驚いたアメリカとイギリスは急遽会談し、1943年7月に米英軍はシチリア島へ上陸、そしてノルマンディー上陸作戦だ。それと同時に西部戦線で戦っていたレジスタンスに対抗するため、OSSはゲリラ戦部隊ジェドバラを組織、それが大戦後、CIAの秘密工作部門になる。

 それまで傍観していた米英軍が慌てて動き始めたのだが、それと並行してドイツ側はOSS(CIAの前身)と盛んに接触するようになる。こうした接触はルーズベルト大統領には秘密にされていた。

 OSSのアレン・ダレスたちが接触した相手にはSA(突撃隊)を組織したヘルマン・ゲーリングも含まれ、ダレスたちは彼を戦犯リストから外そうとしたのだが、失敗した。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)

 しかし、ナチスの大物たちをアメリカ支配層は保護、逃亡させ、後に雇っている。その逃走にローマ教皇庁の一部勢力が参加していたことも広く知られている。

 日本では天皇制が存続、内務官僚、思想検察、特別高等警察といった治安体制の中枢は戦後も要職に就いた。「国体」は護持されたのだ。護持したのはウォール街である。

 大戦後、日本占領の中枢だったGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の中にも天皇を中心とする侵略戦争の象徴である靖国神社の焼却を主張した将校が多かったのだが、焼かれなかったのは、ローマ教皇庁が送り込んでいたブルーノ・ビッターが強く反対したからだという。ビッターは闇ドルにも手を出していた人物で、CIAのエージェントだったと見られている。靖国神社とCIAには何らかの関係があるのだろう。

(朝日ソノラマ編集部『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ、1973年)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%B6%99%E2%80%95%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%86%E3%83%AB%E7%A5%9E%E7%88%B6%E3%81%AB%E3%81%8D%E3%81%8F-1973%E5%B9%B4-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E3%82%BD%E3%83%8E%E3%83%A9%E3%83%9E%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8/dp/B000J9DIP6


https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904020000/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html#c155

[近代史3] 日本人と日本古来の文化を滅ぼそうとしているクリスチャンでグローバリストの天皇一族 _ 天皇は何人で何処から来たのか? 中川隆
28. 中川隆[-11019] koaQ7Jey 2019年4月02日 08:22:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1004]
天皇制官僚国家の象徴としての「元号」
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904020000/

 安倍晋三政権は4月1日、新しい「元号」を「令和」にすると発表した。元号の法的な根拠は1979年に成立した「元号法」だが、その前提として天皇制がある。その天皇制については日本国憲法の第1条から第8条で定められ、いわゆる「戦争の放棄」を定めた第9条はその後だ。この順番から考えて、日本国憲法の主眼は天皇制の維持にあると言えるだろう。


 この憲法は「日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこ」んだ天皇が「枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し」て、1946年11月3日に公布したものである。


 第2次世界大戦でアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は反ファシストの立場から戦っていたが、1933年から34年にかけての時期にルーズベルトを中心とするニューディール派を排除し、ファシズム体制を樹立させようとした勢力がアメリカ支配層には存在した。その中心だったのは巨大金融資本だ。


 本ブログでは何度も書いてきたが、1923年9月に起こった関東大震災の復興資金をJPモルガンに頼って以来、日本はアメリカの巨大金融資本の強い影響下に入った。


 ウォール街の住人たちは反ルーズベルト政権のクーデター計画でも金本位制への復帰を強く求めていたが、日本政府に対しても同じことを要求、受け入れられた。JPモルガンに言われるまま、浜口雄幸政権は緊縮財政も推進する。その時に大蔵大臣を務めていたのが井上準之助だ。


 この結果、不況はますます深刻化し、東北地方では娘の身売りが増えて大きな社会問題になっている。こうした経済政策を推進した浜口首相は1930年11月に東京駅で銃撃されて翌年の8月に死亡、32年2月には井上が本郷追分の駒本小学校で射殺されている。


 1932年に駐日大使として日本へやってきたジョセフ・グルーがJPモルガンと極めて緊密な関係にあることも本ブログで繰り返し書いてきた。グルーの従兄弟がジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥と結婚していたのである。しかも、グルーの妻の曾祖父の弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。


 グルーは秩父宮、松平恒雄、徳川家達、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介などと昵懇にしていたが、中でも親しかったのは松岡洋右。戦争が始まり、離日する直前にグルーが岸とゴルフしたことも有名な逸話だ。安倍晋三の祖父は大戦前からアメリカの支配層と親しかったのである。敗戦後に「転向」したわけではない。


 戦前の天皇制官僚システムはウォール街の影響下にあった。ところが1933年から45年4月にルーズベルト大統領が急死するまでそのウォール街はホワイトハウスで主導権をニューディール派に奪われていた。ルーズベルトの死で日米主従関係は本来の姿に戻ったと言える。ウォール街が天皇制を存続させようとしたのは当然だ。その体制によって彼らは日本を支配していたからだ。それを攪乱させたのが血盟団や二・二六事件の将校たちだった。


 しかし、連合国の内部には天皇制官僚システムを破壊するべきだと考える人も少なくなかった。日本軍と直接戦ったイギリスやオーストラリア、そしてソ連。日本が降伏した直後はアメリカが日本をコントロールできる状態だったが、時間を経ればそうした国々の軍人や官僚が日本へやってきて民主化を要求、天皇制の廃止も主張する可能性が高い。それに留まらず、天皇の戦争責任は必ず問われる。


 日本の侵略を受けていた国々の人びとは、そうした軍人以上に厳しい目を向けていた。日本が降伏した直後、堀田善衛は上海で中国の学生から「あなた方日本の知識人は、あの天皇というものをどうしようと思っているのか?」と「噛みつくような工合に質問」されたという。(堀田善衛著『上海にて』)


 天皇制官僚システムを維持するためには、アメリカが日本で主導権を握っているうちに天皇制の存続を定めた憲法を制定し、天皇を被告席に立たせずに戦争責任を問う裁判を終わらせてしまう必要があった。それをアメリカは実行した。


 第2次世界大戦の帰趨が決したのは1944年6月にアメリカ軍を中心として実行されたノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)だと考えてる人が高名な学者の中にもいるが、実際はドイツ軍の主力がスターリングラードの戦いで壊滅、1943年1月に降伏した時に勝負はついていた。ノルマンディー上陸作戦で決着がついたという話はハリウッドが作り上げた幻影だ。


 アドルフ・ヒトラーの側近だったルドルフ・ヘスが飛行機でスコットランドへ渡ったのが1941年5月。そこでイギリス政府の要人と何かを話し合ったはずだが、その内容は未だに秘密。そして6月に310万人のドイツ軍が西側に90万人を残してソ連へ向かって進撃を開始する。バルバロッサ作戦だ。


 当然のことながら、このときにドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、アドルフ・ヒトラーがそれを退けたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)ヒトラーは西側から攻めてこないことを「予知」していたのだろう。


 ドイツ軍の主力が壊滅したことに驚いたアメリカとイギリスは急遽会談し、1943年7月に米英軍はシチリア島へ上陸、そしてノルマンディー上陸作戦だ。それと同時に西部戦線で戦っていたレジスタンスに対抗するため、OSSはゲリラ戦部隊ジェドバラを組織、それが大戦後、CIAの秘密工作部門になる。


 それまで傍観していた米英軍が慌てて動き始めたのだが、それと並行してドイツ側はOSS(CIAの前身)と盛んに接触するようになる。こうした接触はルーズベルト大統領には秘密にされていた。


 OSSのアレン・ダレスたちが接触した相手にはSA(突撃隊)を組織したヘルマン・ゲーリングも含まれ、ダレスたちは彼を戦犯リストから外そうとしたのだが、失敗した。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)


 しかし、ナチスの大物たちをアメリカ支配層は保護、逃亡させ、後に雇っている。その逃走にローマ教皇庁の一部勢力が参加していたことも広く知られている。


 日本では天皇制が存続、内務官僚、思想検察、特別高等警察といった治安体制の中枢は戦後も要職に就いた。「国体」は護持されたのだ。護持したのはウォール街である。


 大戦後、日本占領の中枢だったGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の中にも天皇を中心とする侵略戦争の象徴である靖国神社の焼却を主張した将校が多かったのだが、焼かれなかったのは、ローマ教皇庁が送り込んでいたブルーノ・ビッターが強く反対したからだという。ビッターは闇ドルにも手を出していた人物で、CIAのエージェントだったと見られている。靖国神社とCIAには何らかの関係があるのだろう。

(朝日ソノラマ編集部『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ、1973年)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%B6%99%E2%80%95%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%86%E3%83%AB%E7%A5%9E%E7%88%B6%E3%81%AB%E3%81%8D%E3%81%8F-1973%E5%B9%B4-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E3%82%BD%E3%83%8E%E3%83%A9%E3%83%9E%E7%B7%A8%E9%9B%86%E9%83%A8/dp/B000J9DIP6


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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/102.html#c28

[近代史3] 靖国神道は軍人を殺人の前に奮い立たせる為のものであって、信仰ですらないインチキ神道 中川隆
3. 中川隆[-11018] koaQ7Jey 2019年4月02日 08:23:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1005]
天皇制官僚国家の象徴としての「元号」
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201904020000/


 安倍晋三政権は4月1日、新しい「元号」を「令和」にすると発表した。元号の法的な根拠は1979年に成立した「元号法」だが、その前提として天皇制がある。その天皇制については日本国憲法の第1条から第8条で定められ、いわゆる「戦争の放棄」を定めた第9条はその後だ。この順番から考えて、日本国憲法の主眼は天皇制の維持にあると言えるだろう。


 この憲法は「日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこ」んだ天皇が「枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し」て、1946年11月3日に公布したものである。


 第2次世界大戦でアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は反ファシストの立場から戦っていたが、1933年から34年にかけての時期にルーズベルトを中心とするニューディール派を排除し、ファシズム体制を樹立させようとした勢力がアメリカ支配層には存在した。その中心だったのは巨大金融資本だ。


 本ブログでは何度も書いてきたが、1923年9月に起こった関東大震災の復興資金をJPモルガンに頼って以来、日本はアメリカの巨大金融資本の強い影響下に入った。


 ウォール街の住人たちは反ルーズベルト政権のクーデター計画でも金本位制への復帰を強く求めていたが、日本政府に対しても同じことを要求、受け入れられた。JPモルガンに言われるまま、浜口雄幸政権は緊縮財政も推進する。その時に大蔵大臣を務めていたのが井上準之助だ。


 この結果、不況はますます深刻化し、東北地方では娘の身売りが増えて大きな社会問題になっている。こうした経済政策を推進した浜口首相は1930年11月に東京駅で銃撃されて翌年の8月に死亡、32年2月には井上が本郷追分の駒本小学校で射殺されている。


 1932年に駐日大使として日本へやってきたジョセフ・グルーがJPモルガンと極めて緊密な関係にあることも本ブログで繰り返し書いてきた。グルーの従兄弟がジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥と結婚していたのである。しかも、グルーの妻の曾祖父の弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーだ。


 グルーは秩父宮、松平恒雄、徳川家達、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介などと昵懇にしていたが、中でも親しかったのは松岡洋右。戦争が始まり、離日する直前にグルーが岸とゴルフしたことも有名な逸話だ。安倍晋三の祖父は大戦前からアメリカの支配層と親しかったのである。敗戦後に「転向」したわけではない。


 戦前の天皇制官僚システムはウォール街の影響下にあった。ところが1933年から45年4月にルーズベルト大統領が急死するまでそのウォール街はホワイトハウスで主導権をニューディール派に奪われていた。ルーズベルトの死で日米主従関係は本来の姿に戻ったと言える。ウォール街が天皇制を存続させようとしたのは当然だ。その体制によって彼らは日本を支配していたからだ。それを攪乱させたのが血盟団や二・二六事件の将校たちだった。


 しかし、連合国の内部には天皇制官僚システムを破壊するべきだと考える人も少なくなかった。日本軍と直接戦ったイギリスやオーストラリア、そしてソ連。日本が降伏した直後はアメリカが日本をコントロールできる状態だったが、時間を経ればそうした国々の軍人や官僚が日本へやってきて民主化を要求、天皇制の廃止も主張する可能性が高い。それに留まらず、天皇の戦争責任は必ず問われる。


 日本の侵略を受けていた国々の人びとは、そうした軍人以上に厳しい目を向けていた。日本が降伏した直後、堀田善衛は上海で中国の学生から「あなた方日本の知識人は、あの天皇というものをどうしようと思っているのか?」と「噛みつくような工合に質問」されたという。(堀田善衛著『上海にて』)


 天皇制官僚システムを維持するためには、アメリカが日本で主導権を握っているうちに天皇制の存続を定めた憲法を制定し、天皇を被告席に立たせずに戦争責任を問う裁判を終わらせてしまう必要があった。それをアメリカは実行した。


 第2次世界大戦の帰趨が決したのは1944年6月にアメリカ軍を中心として実行されたノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)だと考えてる人が高名な学者の中にもいるが、実際はドイツ軍の主力がスターリングラードの戦いで壊滅、1943年1月に降伏した時に勝負はついていた。ノルマンディー上陸作戦で決着がついたという話はハリウッドが作り上げた幻影だ。


 アドルフ・ヒトラーの側近だったルドルフ・ヘスが飛行機でスコットランドへ渡ったのが1941年5月。そこでイギリス政府の要人と何かを話し合ったはずだが、その内容は未だに秘密。そして6月に310万人のドイツ軍が西側に90万人を残してソ連へ向かって進撃を開始する。バルバロッサ作戦だ。


 当然のことながら、このときにドイツ軍の首脳は西部方面を防衛するために東へ向かう部隊に匹敵する数の将兵を配備するべきだと主張したが、アドルフ・ヒトラーがそれを退けたとされている。(David M. Glantz, The Soviet-German War 1941-1945,” Strom Thurmond Institute of Government and Public Affairs, Clemson University, October 11, 2001)ヒトラーは西側から攻めてこないことを「予知」していたのだろう。


 ドイツ軍の主力が壊滅したことに驚いたアメリカとイギリスは急遽会談し、1943年7月に米英軍はシチリア島へ上陸、そしてノルマンディー上陸作戦だ。それと同時に西部戦線で戦っていたレジスタンスに対抗するため、OSSはゲリラ戦部隊ジェドバラを組織、それが大戦後、CIAの秘密工作部門になる。


 それまで傍観していた米英軍が慌てて動き始めたのだが、それと並行してドイツ側はOSS(CIAの前身)と盛んに接触するようになる。こうした接触はルーズベルト大統領には秘密にされていた。


 OSSのアレン・ダレスたちが接触した相手にはSA(突撃隊)を組織したヘルマン・ゲーリングも含まれ、ダレスたちは彼を戦犯リストから外そうとしたのだが、失敗した。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)


 しかし、ナチスの大物たちをアメリカ支配層は保護、逃亡させ、後に雇っている。その逃走にローマ教皇庁の一部勢力が参加していたことも広く知られている。


 日本では天皇制が存続、内務官僚、思想検察、特別高等警察といった治安体制の中枢は戦後も要職に就いた。「国体」は護持されたのだ。護持したのはウォール街である。


 大戦後、日本占領の中枢だったGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の中にも天皇を中心とする侵略戦争の象徴である靖国神社の焼却を主張した将校が多かったのだが、焼かれなかったのは、ローマ教皇庁が送り込んでいたブルーノ・ビッターが強く反対したからだという。ビッターは闇ドルにも手を出していた人物で、CIAのエージェントだったと見られている。靖国神社とCIAには何らかの関係があるのだろう。

(朝日ソノラマ編集部『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ、1973年)
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[リバイバル3] 中川隆 _ 皇室関係投稿リンク 中川隆
27. 2019年4月02日 08:31:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1006]
天皇は兄弟相続するのが古くからの伝統
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/316.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/458.html#c27
[番外地6] 山の危険 _ 迷っているときは沢に下りてはいけません(絶対に!) 中川隆
40. 中川隆[-11017] koaQ7Jey 2019年4月02日 08:40:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1007]

ユーチューバー、山で遭難する Survival in japan - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=4GUExgIbHoY


2017/06/19 に公開

リアルに遭難し、手元にあるものだけで生還する動画です。
危険なので絶対に真似しないでください。

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[リバイバル3] 急増する山岳遭難 中川隆
2. 中川隆[-11016] koaQ7Jey 2019年4月02日 08:41:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1008]

ユーチューバー、山で遭難する Survival in japan - YouTube 動画
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2017/06/19 に公開

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3. 中川隆[-11015] koaQ7Jey 2019年4月02日 08:49:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1009]

【キチガイ】ペットボトルライフジャケットと丸太で川を下ったら死にかけた 遭難した山から脱出#5 survaival in japan - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=LsDpwFpSibo&list=PLYNIybi_CbuROtq5KtKBWKlhQfKBambTC&index=5


2017/06/30 に公開

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41. 中川隆[-11014] koaQ7Jey 2019年4月02日 08:50:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1010]

【キチガイ】ペットボトルライフジャケットと丸太で川を下ったら死にかけた 
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https://www.youtube.com/watch?v=LsDpwFpSibo&list=PLYNIybi_CbuROtq5KtKBWKlhQfKBambTC&index=5


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