★阿修羅♪ > dGhQLjRSQk5RSlE= > 100001
 
g検索 dGhQLjRSQk5RSlE=  
 前へ
dGhQLjRSQk5RSlE= コメント履歴 No: 100001
http://www.asyura2.com/acat/d/dg/dgh/dGhQLjRSQk5RSlE=/100001.html
[昼休み54] 日本の中枢は既に在日朝鮮人に乗っ取られている 中川隆
17. 中川隆[-11924] koaQ7Jey 2019年2月22日 23:37:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[50]

それにしても雅子という女は凄い女です。
気に入った相手とは手当たり次第という感じです男性経験は20人は超えている
https://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/68610e019843f20695a65523fb7823aa


それにしても雅子という女は凄い女です。気に入った相手とは手当たり次第という感じです
白人か黒人かも噂に出ない人数を合わせれば男性経験は20人は超えていると思います。


2018年4月26日 木曜日

◆【雅子妃】男性遍歴B婚約直前まで行った福田元総理の孫;越智隆雄現自民党衆議院議員 2015年4月3日 伏見顕正の政経塾と四柱推命


皆さんお元気ですか?

また出来てきました雅子の昔の男(笑)たたけば埃の出る女ならず、【たたけば昔の男が出る女】です。

越智隆雄という男は、福田赳夫元総理の娘が大蔵官僚の越智道雄に嫁ぎできた子で、孫に当たります。

同じく福田赳夫の孫で、チノパンの夫となった横手真一と同じく、慶應の幼稚舎から慶應義塾大学の経済学部までというコースは全く同じです。

就職も横手真一は三菱銀行(のちゴールドマンサックス)越智隆雄は住友銀行(後父越智道雄の秘書)というのも似ています。

祖父の赳夫が小和田恒を可愛がっていたこともあり、幼少の頃から小和田家と越智家は家族ぐるみの付き合いをしていました。

小和田家と越智家は一緒にスキーに行ったり、雅子の母の小和田優美子が、着物に「福」の字を入れて、福田家に忠誠を誓うようなこともしていました。

その中で年の近い雅子と隆雄は次第に親しくなり、雅子が外務省に入ったころに結婚を視野に入れた真剣な交際を始めました。

特に雅子がイギリスのオクスフォード大学に留学中に、隆雄も「フランスのエセック大学に留学したいと言い出し、父親の道雄から「なんでフランスなんだ?」と聞かれて「好きな女がイギリスにいるから」と答えたそうです。

そして二人は、ドーバー海峡をお互い行ったり来たりして逢瀬を楽しみます。

わざわざ、イギリスから海峡を渡って隆雄に会いに来て、「お茶と食事がすんだらさようなら〜」なんてことは常識的に考えて無いでしょう。お互い愛を確認しあったことは想像に難くありません。

しかし、気になるのはこの英国留学中の雅子の男関係です。

オクスフォードに一緒に留学したT氏と深い関係に落ちていました。

また白人男性との交際もありました。

少なくても三股はかけていたことになりますね(驚)

凄い女です。性欲が強いのはよくわかりますが、三人の男とのスケジュール管理もしっかりダブルブッキングしないようにやっていたのでしょう。

一人とSEXしているときに他の二人にばれないように完璧にやっていたんですね。

確かにこの時期男同士がかち合ってトラブルという話は聞きませんでした。

こういう能力はあるんですね(笑)

こんな雅子でも越智隆雄は真剣に愛していました。

二人とも帰国後に、越智家の方から、プロポーズしたのですが、小和田家は断っています。この辺の事情は、雅子入内後に、落ちとの関係を週刊文春や写真誌が掲載してたたいていました。

なぜなら、ハーバート→東大→外務省という箔付けが完了した今、一度断られた皇太子妃に名乗りを上げる環境が出来上がっていたからです。

皇室に食い込み権力と権勢欲を握りたい小和田恒がそのチャンスを逃すわけはありません。

また1988年当時に大勢いたお妃候補も、皇太子のちびで不細工な容貌で、早々と他の男と婚約したり、結婚したりして逃げ、残っていた候補も、ここが重要なところですが、創価学会が一人ずつスキャンダルを捏造し、辞退に追い込んでいました。

最終時点で残っていたのは、雅子と久邇(くに)晃子さんとタレントで皇太子のアイドルだった柏原好恵の三人でした。

柏原は早々に逃げるために「ヌード写真集」などを出して、自分が候補から抜けるように工作しました。

最後は雅子と久邇(くに)さんでした。

宮内庁は久邇(くに)さんを押していましたが、そこに皇族の小和田のトロイの木馬の高円宮夫妻が出てきて、自宅で皇太子と雅子を合わせたり、外務省の小和田の後輩の柳谷謙介が自宅を提供して二人を合わせたりして、水面下の工作をやり、女性経験のない皇太子は雅子にころっとつかまってしまいました。

久邇(くに)さんの方も着物まで準備して、待っていたところに、皇太子側が勝手に雅子内定記者会見を開いて、宮内庁と両殿下を出し抜きました。

小和田―高円宮―創価学会―外務省の連携工作にしてやられた【朝鮮女雅子入内事件】です。

それにしても雅子という女は凄い女です。気に入った相手とは手当たり次第という感じです

今も白人国家の元首があいさつに来たら出迎えに出ますが、黒人国家の元首が来たら絶対に出てきません。アメリカ時代に、黒人の子供を堕胎した経験がトラウマになっていて、出てこれないそうです。

名前が出た男だけでかなりの人数がいますから名前やイニシャル、白人か黒人かも噂に出ない人数を合わせれば男性経験は20人は超えていると思います。

雅子は、祖父から水俣病患者の怨念父から創価学会関係の邪気を受け継いで皇室に入りました。逆に言うと婚約を破棄された越智隆雄は変な悪霊を持ち込まれずラッキーだったかもしれません。

それでは越智隆雄の命式を見てみましょう。

(私のコメント)

たまたま「雅子妃 男性遍歴」でググると多くの記事が出てきます。皇室を侮辱するようなすざましい記事なのですが、名誉毀損で消されることもなくネットで読むことができます。本当の話かどうかは私にはわかりませんが、このようなことはマスコミで報道されることはないようだ。

最近では、眞子さまの相手の小室圭氏との話題がありましたが、小室氏にもいろいろと良からぬ噂話があるようで、成り行きが注目されます。皇太子と雅子妃が結婚されたのは1993年であり、インターネットは普及しておらず、情報はマスコミがほとんどコントロールしていた。だから雅子妃の男性遍歴が広まる事はなかったようだ。

「株式日記」でも雅子妃のことは何度か書きましたが、外務省と創価学会関係に関してであり、男関係のことはまだ知らなかった。ネットでこのような事が書かれても名誉毀損で消されないのは、明らかな事実もあるからであり、越智隆雄現自民党衆議院議員との仲は公然の事実だったようだ。

記事にもあるように、「その中で年の近い雅子と隆雄は次第に親しくなり、雅子が外務省に入ったころに結婚を視野に入れた真剣な交際を始めました。」という事ですが、しかし、「二人とも帰国後に、越智家の方から、プロポーズしたのですが、小和田家は断っています。」という事です。

相手としては、今は国会議員をしている福田元総理の孫なのだから相手に不足はないはずだ。つまり小和田家としては最初から皇太子の嫁の座を狙っていたわけだ。そして、「ハーバート→東大→外務省という箔付けが完了した今、一度断られた皇太子妃に名乗りを上げる環境が出来上がっていたからです。」ということで小和田恒の野望はかなった。

私は当時はテレビで報じる程度のことしか知らなかったが、ネット化社会になって雅子妃や小和田恒の良からぬ噂を「株式日記」で何度か書くようになった。気の毒なのは皇太子であり、20人もの男性遍歴のある雅子にしてみれば皇太子を手玉に取ることは簡単だっただろう。

記事では、「残っていた候補も、ここが重要なところですが、創価学会が一人ずつスキャンダルを捏造し、辞退に追い込んでいました。」とありますが、スキャンダルの巣窟とも言える雅子が残り、多くの他の候補が創価学会にスキャンダルを捏造されたとありますが、本当なのだろうか。

皇太子妃ともなれば、マスコミの注目の的となりますが、テレビでは一切このような事が報道されなかったのは、やはり創価学会の影響があるのだろうか。雅子妃は結婚後はひきこもり状態となり公務ができない状況ですが、やはり後ろめたい過去があるからだろうか。皇太子はこの事をどこまで知っているのだろうか。

皇室に雅子妃が入ったことで、天皇家は亀裂が入って影が差しているような感じですが、皇太子が女を見る目がなかったことが原因なのだろう。「宮内庁は久邇(くに)さんを押していましたが、」とありますが、そのほうがよかったように思える。顔つきからして皇太子と合いそうの思える。

一番悪いのは小和田恒であり、強引に雅子を皇室に送り込むことに成功した。それができたのも創価学会などのバックがあったからでしょうが、皇太子が天皇に即位した後の日本はどうなるのだろうか。雅子皇后が本性を表してくるかもしれない。

https://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/68610e019843f20695a65523fb7823aa
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/232.html#c17

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
7. 中川隆[-11923] koaQ7Jey 2019年2月22日 23:38:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[51]

2017.12.05
雅子様A@家系(1)部落解放同盟との関係
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4260

結論からいうと、

父方・小和田家=隠れ朝鮮人の背乗り家系

母方・江頭家=旧被差別民の家系

のようです。

徳仁皇太子と小和田雅子さんに決定の一報から、マスコミから発せられる「小和田雅子」さん像は、

@父は東大卒の外交官、二人の妹も名門校を卒業した。

A高学歴の一族で、本人はハーバート大、東大、オックスフォード大学を出た才媛。

B本人は才色兼備のバリバリのキャリアウーマンで、将来の女性大使候補だった。

C英語、フランス語、ロシア語に堪能。

➄父方は、新潟の村上藩士の家系で、母方は海軍で成功した人が多い。

E皇太子とのなれそめは、スペインの王女が来日時のパーティーで。皇太子の一目ぼれ。

F日本で一番優秀な女性。

これ、@以外は皆、ウソだったんですね。

Sponsored Link

まず、家系ですが、皇太子妃に内定した「小和田雅子」に関する家計調査について、部落解放同盟が「差別を増長させる」という理由で、抗議していました。何故でしょうか。それは、雅子さんの家系を正確にさかのぼると、旧被差別民につながるからでしょう。

転載させていただいてます。

部落解放同盟が、小和田雅子さんへの家計調査に対して抗議

東京読売新聞朝刊

1993年1月9日

1ページ
「確かに五年前、小和田さんの調査をしました」
皇室関係一筋の老調査員が都内の事務所で重い口を開いた。
宮内庁から直接、調査依頼を受けたのは東京・丸の内に事務所を構える大手興信所。
(略)小和田雅子さん(29)に関する分厚い調査報告書は、作成にまる一か月かかった。
直系は四代前までさかのぼり、大祖父、祖父の兄弟姉妹まで徹底的に調べた
両親については交友関係、勤務先、近所の評判も。肝心の本人は、さらに詳細をきわめた。
経歴、性格、趣味、素行、健康状態……。

結論は「優秀な家系に驚いたのを覚えています。もちろんご本人も申し分ありません
でした」。このベテラン調査員が手掛けたお妃候補は、実は雅子さんだけではない。
この五年間で十人以上にのぼる。雅子さんの調査書はその中でひときわ鮮明に記憶に残っているという。


部落解放同盟中央本部よりマスコミへ

皇室報道に対する抗議と申し入れ

1993年2月18日

「皇太子妃内定」いらいの皇室報道について、
部落解放同盟中央本部は、マスコミ・報道各社に、2月18日、抗議し申し入れた。

————————————————–

日頃よりの、マスコミ・報道関係者各位の人権尊重、差別撤廃のための取り組みに敬意を表します。
さて、私たち部落解放同盟は、部落差別はもとより、あらゆる差別を撤廃するために、
「部落解放基本法」制定をはじめ、「国際人権規約」「人種差別撤廃条約」の早期批准、世界人権宣言の具体化や、「国際先住民年」など、国内外において、さまざまな取り組みをすすめてきました。

しかしながらこうした平和と人権を守る取り組みの拡がりにもかかわらず、今日においてもなお、結婚差別によって、自らの命を絶つという悲惨な差別事件を起きています。
また行政書士や社会保険労務士などによる戸籍謄本等不正入手横流し事件のほか、パソコン通信を利用して、「部落地名総鑑」の一部や、差別文書を大量に送りつけるなど、いまだに差別事件が続発し、悪質な差別調査ともいえる身元調査がおこなわれていることが明らかになっています。

この間、私たち部落解放同盟は、大きな社会問題ともなった「部落地名総鑑」差別事件をはじめ、こうした悪質な身元調査による人権侵害の問題を取り上げ、戸籍閲覧制限や身元調査おことわり運動などに取り組み、大阪においては、興信所や探偵社の差別調査を法的に規制する、部落差別調査等規制等条例が制定されるなどの成果をあげています。

しかしながら、本年1月6日の「皇太子妃内定」の報道いらい、こうした差別撤廃、人権確立の立場から看過できない内容の報道が繰り返されています。

とくに、小和田家の家族の掲載や「家柄」賛美などの過熱ともいえる報道内容、さらには、「皇太子妃を選ぶにあたっては、皇室専門の興信所員が
4代前まで徹底調査などと、公然と身元調査が行われていることが報じられています。
こうした報道内容は、人権尊重というマスコミ、報道本来の使命に反するものであるばかりでなく、差別を助長するものであり、強く抗議するものであります。

私たち部落解放同盟は、昨年、全国水平社創立70周年を迎え、これまで取り組んできた国内外の反差別共同闘争を大きく発展させるとともに、「貴族あれば、賤族あり」として、生涯、部落差別撤廃と人間解放に取り組んできた、故・松本治一郎元委員長の取り組みに学び、差別なき社会の実現にむけて戦いをすすめていくことを誓い合いました。

いうまでもなく、私たちは、こうした人権確立の取り組みをすすめるにあたって

マスコミ・報道関係者各位の果たされる役割に、大きな期待を寄せるものでありますが、今回の一連の皇室報道の内容は、差別撤廃、人権尊重の姿勢に逆行するものであることを指摘せざるを得ません。

私たち部落解放同盟は、マスコミ・報道関係者各位が、今後の皇室報道において、
差別を助長する、これまでの過剰な報道を改め、差別撤廃と人権尊重の立場を明確にして報道に取り組んでいただくように、強く要望します。
(解放新聞 93.3.8)

以上


部落解放運動と「同和」行政の動き
解放同盟、抗議文書「皇太子妃報道差別助長する

1993.2.18

部落解放同盟中央本部(上杉佐一郎委員長は)は「一連の皇太子報道は人権尊重という報道の使命に反し、差別を助長する」との18日付の抗議・申し入れ文書を全国の新聞、通信、テレビ各社に送った。
近く雑誌出版社にも申し入れるという。

文書は「解放同盟は部落差別撤廃に向け、戸籍閲覧制度や身元調査おことわり運動に取り組んできた。
その中で、家系図が掲載され家柄を賛美する報道が繰り返され、
公然と身元調査が行われている事が報じられている」と指摘。
過剰報道を改め、人権尊重の立場を明確にするよう、要望している。
(朝日 93.2.25)


皇太子妃決定にかかわる身元調査等の差別助長行為に対する抗議と申し入れ
1993.3.16

(抜粋)
本年一月六日の「皇太子妃内定」の報道いらい、こうした差別撤廃、人権確立をすすめる立場から看過できない内容の報道がなされています。小和田雅子さんの「家系図」の掲載や「家柄」賛美などの過剰ともいえる報道内容、そして「皇太子妃を選ぶにあたっては、皇室専門の興信所員が四代前まで徹底調査」などと、宮内庁自らが公然と身元調査を指示していたことが報道されています。

いうまでもなく、すべての国民は法の下に平等であり(憲法第一四条)、婚姻は両性の
合意のみに基いて成立する(憲法第二四条)ものです。

したがって、私たちは、こうした宮内庁の身元調査の指示というものが、差別を助長・拡大させるものであるばかりでなく、憲法違反という重大な問題であると考え(略)強く抗議するものです。

転載以上


東京読売新聞朝刊

1993年3月20日

部落解放同盟(上杉佐一郎委員長)は十九日までに、「皇太子妃決定に際し、身元調査が行われたことは結婚差別を助長する」として、皇室会議のメンバーである宮沢首相や衆参両院の議長、最高裁長官の三権の長と宮内庁長官あてに抗議文書を送った。


1993年04月21日
第126回国会 大蔵委員会 第10号

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/126/0140/12604210140010a.html
上田(卓)委員 ぜひとも前向きに検討していただきたい、このように思います。
次に、皇太子の結婚にかかわって身元調査のことが新聞などで今までにいろいろ報道されておるわけです。

(略)

結婚や就職の際の身元調査や家系調査は差別につながるということで、我々は法務省や労働省あるいは地方自治体、民間企業、宗教界の皆さんとともに身元調査お断り運動というのですか、全国的に展開しておるわけでありまして、大阪などでは部落差別を目的とした興信所や探偵社による身元調査を規制する条例もできておるわけであります。

ところが、先ほど申し上げましたように、一月六日の皇太子妃内定以来、新聞、雑誌、テレビなどでは江戸時代にまでさかのぼる小和田家の家系図を掲載して、家柄や家族などについて過剰な報道をしておるわけでありまして、皇太子妃を選ぶに当たっては皇室専門の興信所員が四代前まで徹底調査、こういうような報道もあるわけでございまして、宮内庁みずからがそういう民間調査機関に指示して調査しておったのかどうか、その点についてお聞かせをいただきたい、このように思うわけであります。

その前に、法務省と労働省の方がお見えでございますが、一般的な身元調査についてどういう見解を持っているのかお答えいただきたい、このように思います。

『部落解放』1993年6月号
「皇太子妃決定に関わる身元調査等の差別助長行為にたいする抗議と申し入れ」記事

続きます。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4260

▲△▽▼

2017.12.05
雅子様A@家系(2)母方・江頭家は高祖父、父方・小和田家は曾祖父までしか遡れない
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4296


続きです。

父方・小和田家

河原敏明著(平成5年4月)
小和田家の系譜

ここで小和田家の戸籍系統図をみよう。本家は小和田岩夫氏といい、現在東京都下の小平市に住んでいる。
岩夫氏の5代前の群蔵から分かれた兵五郎が、雅子さんの直接先祖になる。
つまり 兵五郎―道蔵(匡利)―金吉―毅夫―恒―雅子の流れである。

その祖先が眠るという西真寺(さいしんじ)を訪ねた。西真寺は村上市にある浄土真宗の寺で、元和4年以来、ここで370年の歴史を持つ。住職本荘長弘師はその小和田家の墓について、毅夫氏が新潟市の学校に在勤中、父金吉の墓のみを新潟市の泉性寺に移した、という話をしてくれた。

ゆえにいま西真寺にある小和田家の墓には、兵五郎夫妻と道蔵(匡利)の妻とその子供だけで(夫の道蔵の墓は新潟に)二基の墓石が並んでいる。

高さが70cm、近隣のものと比べて極端に小さく墓域にも余裕がない。
「なぜ祖父の妻と子、および曽祖父夫妻の墓を残していったのか。

ふつう移すときはそっくりもっていくものなんですがねえ」と住職夫妻も不審気だった。


昭和61年11月、恒氏が外務省官房長のとき、恒、毅夫の両氏夫妻が村上市にきたが、そのときも祖父、曽祖父が眠っているにもかかわらず墓参していないことにも、理由をはかりかねていた。
そこで小和田毅夫氏が村上から墓を移したという新潟市の泉性寺に聞くと住職の広沢誠師が、
「小和田家の墓は明治七年よりうちにあるが、ただ金吉と兵五郎の墓はない。匡利(道蔵)の墓だけがあります。外務省の小和田家にとって初代に当たる兵五郎の墓は寺にはありません。
私の父が死んでいるので、その辺の詳細は分かりませんが。三十年くらい前に毅夫さんが父金吉の墓をうちに移したということはまったく知りません」

と西真寺の住職の話とはだいぶ食い違いがある。
しかも泉性寺が明治十三年の大火で類焼しているので資料が乏しいという。
昭和五十五年に毅夫氏が、この泉性寺にある墓の台座だけを、よりよいものに直している。
先の61年11月に新潟を訪ねた恒氏は夫人、両親とここの寺には墓参のため立ち寄っている。

以上

Sponsored Link


母方 江頭家

江藤淳『一族再会』
祖父
木原村

肥前国佐賀郡北川副村木原は、現在の佐賀市大字木原で、国鉄佐賀線の南佐賀駅にほど近い農村地帯である。
明治四十三年ごろ、祖父に連れられてはじめて佐賀に行った父は、市中に田圃があるのにおどろいたのを今でも印象にとどめている。
そのとき祖父は、小学生だった父にむかって、
「おれの生まれた家はこの田圃のはるか向うのほうだった」といったという。

つまりそれが木原である。
それから三年後に祖父は死んだ。

父の記憶にないところをみると、祖父はこの佐賀滞在を利用して生家のあった木原を訪ねようとはしなかったらしい。
それが何故であったかは私にもよくわからない。当時木原にはすでに近親の残存者は皆無で、裁判官になっていた祖父の兄も遠く東北の任地にあった。

しかし海軍少将で佐世保鎮守府参謀長の職に在った祖父が、久しぶりの帰郷にあえて生家の跡をおとずれようとしなかったのは、やはり彼に故郷に対する根強い嫌悪感があったからではないかと思われる。
彼はおそらく「錦を飾る」などというにはほど遠い心境だったのである。

以上


母方・江頭家は高祖父、父方・小和田家は曾祖父までしか遡れない


高原氏
小和田雅子さんの母方・江頭家は高祖父の江頭嘉蔵までは遡れます。
父方の小和田家は、曽祖父の小和田金吉までしか系譜は分かっていません。
3代前までしか遡れない小和田家の4代前を、その調査員の方はどうやって調査したのでしょうか?
また、4代前まで遡って調査したはずなのに、マスコミに公表された家系図の小和田金吉には職業や経歴は一切記されていないし、金吉以前の系図が記されていないのは何故ですか?


消えたお妃候補たち 指摘されたいくつかの問題点

小田桐誠

宮内庁は小和田について弁護士や興信所を通じ、直系三代に汚点がないか、両親の評判、本人の健康状態などを徹底的に調べ、独自にチェックしたといわれる。その結果は首相官邸にも報告されていたという。報告にはいくつかの問題点が指摘されていた。

一つは八七(昭和六十二)年暮れから八八(昭和六十三)年初めに発売された一部週刊誌が指摘していたように、小和田雅子の母方の祖父・江頭豊が、日本興業銀行の銀行マンから転じたとはいえ、代表的な公害企業・チッソの社長や会長を務めていたこと。

「お妃とともに全国を回らなければならぬ立場にある浩宮さまの訪問先で、水俣病の患者のムシロ旗が立つようなことがあっては」と宮内庁幹部は懸念したのである。

(中略)

母方の親戚に江口朴郎東大名誉教授(故人)のような左翼系の学者がいることをマイナス要因にあげる者もいたという。

(中略)

ただハーバード時代にボーイフレンドがいたことも一つのネックになっているのでは、とみるマスコミ関係者もいた。

小和田雅子の母方の祖父に難点ありとして、富田宮内庁長官は浩宮に
「(小和田さんには)こういう問題が付随しますからね」と伝えた。
「難しいですか」
「はい」
「ああ、そう。それなら仕方ないですね」
二人の間でこのようなやりとりがあったといわれる。

当時のことを富田は『週刊朝日』(九三年一月二十二日号)でこう答えている。

「私が(小和田さんに)反対したことはありません。ただ、当時は、いわゆる『チッソ問題』の被害者の方がまだ大勢おられました。加えて、批判勢力というか、社会運動派の人たちが(チッソの)東京本社に、押し掛けたりもしていた。そういう状況でしたから、もう少し様子をながめたほうがいいのではないかと、そう殿下に申し上げた。殿下はそれを『わかった』といわれたのです。
『おやめなさい』といったのではなく『みつめましょう』といったのです」

以上


毎日グラフ 1993年1月31日号
新潟県・村上市 慶祝ムード 小和田家のルーツ・系譜に論議わく

恒さん夫妻は87年11月22日、毅夫さん夫妻とともに、郷土資料館を訪ねている。
当時の館長、前田健さんは「士族の血を引く人物らしいエピソード」として、その模様を日記にこう書き残している。
「お父様(毅夫さんのこと)は足がお悪いとのことで車に残られ、お母様と奥様と恒さんをご案内した。
おしゃぎり(村上市の祭りで使われる山車)の説明を終えて、二階へ階段をのぼられる時、恒さんはお母様をおんぶされてのぼられたのには敬服した。なかなかの人だと思った」
小和田家と同じ村上藩士の子孫で、郷土史研究家の村上城跡保存育英会の竹沢盛夫理事長(77)も、小和田家のルーツ探しに追われる日々だ。

竹沢さん自身、雅子さんの父方の曽祖父、金吉さん以前の祖先がつかめていない。
「ご婚約は同じ士族の子孫として大変喜ばしいこと。
下級武士であったために小和田家のルーツは記録が少ないが、これで系譜を解きあかす興味が増えた」といきいきとした表情で語った。

以上

皇太子妃・雅子を生んだ小和田家の犯罪ルーツを徹底追跡!

噂の真相1993年4月号

現地水俣でも異変が……
それにしても、かつて自分たちを苦しめた加害者の孫娘が皇太子妃に選ばれたことを、
被害者である水俣の人々はどう感じているのだろうか。

マスコミは内定直後、宮内庁の言い分をあれだけたれ流しながら、
肝心の患者たちの生の声をほとんど取り上げようとしなかった。
「自主規制ですよ。わずかに共同通信熊本支局がきわめて当たり障りのない患者の声を配信しましたが、それとて掲載した新聞はほとんどなかった」(大手紙・社会部記者)
そして、驚いたことにそうした自主規制のムードは水俣病の患者自身にまで広がっている。

実際、取材をしてもほとんどの患者たちはこの件については、何もしゃべりたがらないのだ。
「何をいっても慶事に水を差すととられかねない、という恐れをいだいてるんですよ」
と語るのは地元支局の記者。
ある患者がマスコミにコメントを求められ、ごく素直なお祝いの気持ちを話したらしいんです。
ところが、それが掲載されたとたん、右翼と称する人物から『結婚を台なしにするつもりか』との脅迫電話がはいったらしい」

今なお残っている水俣病患者に対する差別構造。そして、その構造は天皇制という差別のシステムによって、さらに増幅されていく。しかし、ひとりの患者がようやく重い口を開き、本音を語ってくれた。

「正直いって、江頭については今も怒りの感情は消えていない。が、だからといってあの男の孫がお妃になることをどうこういうつもりもない。これはほとんどの患者がそう考えていると思う。
「ただ−」呼吸をおいて患者はこう続けた。
「許せないのは宮内庁だ。五年前、あの男の孫がお妃になれなかったのが水俣のせいだといわれて、我々が周囲からどれだけ白い目でみられたか、ところが、宮内庁は今度はまるで水俣病の問題が解決したようなことをいう。宮内庁にいったい水俣の何がわかるというんだ」

以上


美智子皇后と雅子さんのルーツ 三代前にニアミス

週刊朝日1993年1月29日号

佐賀 早逝した明治のエリート将軍
雅子さんが皇太子妃になって、天皇家には“佐賀の血”がさらに濃くなる。
美智子皇后の母の故正田富美子さんも、雅子さんの母の優美子さんもルーツは
佐賀だからだ。

正田富美子さんの実家は、佐賀県多久市の副島家。

優美子さんの祖父は、肥前国佐賀郡北川副村木原(現在は佐賀市内)出身の江頭安太郎海軍中将である。

安太郎は、慶応年間の生まれ。

中学、海軍兵学校、海軍大学と常に首席で、日露戦争の際は大本営参謀。海軍中枢の軍務局長に昇進し、海軍大臣を嘱望されたが、肺病のため、一九一三(大正二)年、四十七歳で亡くなった。
安太郎一家は東京に出て、佐賀には、安太郎の長女の嫁ぎ先の親類がいるくらいだ。
その一人、古賀治男さん(八一)は、こういう。
「新聞に出た系図に叔父の名前があって、驚いたとです」
佐賀市内の遠縁の女性も、「親戚づきあいもないのに、ある新聞に遠縁と書かれて迷惑でした」と、話すのである。

以上

「皇后美智子さま秘録」「正田家」と「小和田家」

ノンフィクション作家・工藤美代子

週刊新潮2014年10月9日号

(略)
雅子さんの父・小和田恆の血脈を遡行すれば、越後村上藩(現・新潟県村上市)藩士の流れを汲むとされる。
江戸中期、元文5(1740)年以降、村上藩の町同心や下横目(しもよこめ)といった職に小和田家が就いていたことが判明している。ただし、俸禄は石高ではなく、わずかな金銭・穀物を藩から支給されて暮らしていたようだ。

(略)
幕末期の当主・小和田道助は、郡方懸(こおりがたかかり)というやや上級の職に抜擢されるが、それは捕縛術に秀でていたためだった。
制剛流(せいごうりゅう)という独自の捕手(捕り方、および捕縛術を指す)の極意を体得した小和田道助は、村上藩公認の免許皆伝の腕前として知られたが、それでも俸禄は乏しかった。

村上市郷土資料博物館館員の説明を聞いてみよう。
「明治元(1868)年の村上藩士籍分限で、小和田家は二人扶持二両という年収になっていますね。
一人扶持が一日米五合ですから、二人扶持は一日一升。つまり年間で三百六十五升と二両という給料でした。
これは、おそらく日本でもっとも貧乏だった幕末の村上藩主内藤家に仕えている藩士の中でも、最低賃金労働者だったと思われます」

道助は町同心として優れた能力がありながらも、生活はかなり苦しかったようだ。

恆の父祖は、道助の弟・兵五郎が立てた分家で、その嫡男・道蔵匡利が跡を継いだとされている。
古史料「村上城下絵図」(村上市郷土資料館発行)を見れば、兵五郎の名は同心組が住む城下の足軽屋敷の一角に確かに見出すことができる。
ところが兵五郎と道蔵匡利が維新後に相次いで亡くなったため、道蔵匡利の次の世代があいまいなのだ。
現在分かっているのは、どういう出自かは判然としないものもの金吉という人物が現れ、税務署勤務をしながら小和田姓を継いだということである。
多くの系図資料を検討しても道蔵匡利と金吉を実線で繋ぐものはなく、点線でしか繋がっていない
(『週刊朝日』増刊号、1993年3月25日号ほか)。


いずれにせよ、小和田恆の祖父がこの金吉ということになる。金吉は、高田税務署に勤務していた
明治30(1897)年、熊倉竹野と結婚し、長男・毅夫、長女・ミヨシの二児をもうけるが、明治33に早世してしまった。
金吉に先立たれた竹野は苦労して助産婦の資格を取り、女手ひとつで子供を養育した。
長男・毅夫は当時としては最高学府といわれる広島高等師範学校を卒業、教員の道を歩む。
新潟県立旧制高等女学校の教員、校長を経て、戦後には新潟県立高田高校校長を長らく務め、地元では篤実な教育者として名が残っている。
毅夫は村上藩士の血を引く田村静を妻に迎え、五男三女に恵まれた(長女・節子は夭折)が、子供たちは全員が秀才・才媛ぞろいだった。

恆の兄弟五人の男子はすべて東京大学を卒業、二人の姉妹も旧制奈良女子高等師範(現・奈良女子大)、お茶の水女子大といった名門を卒業している。

この秀才一家の次男(第四子)として生まれたのが、雅子さんの父・恒である。

雅子さんからみれば、毅夫が父方の祖父で、金吉が曽祖父ということになる。

(略)
その雅子さんが東宮妃と内定したのは、平成5年1月19日に行われた皇室会議だった。
同年6月9日に予定されている結婚の儀とご成婚パレードを前にした4月17日、恆と妻・優美子は雅子さんとともに新潟市の菩提寺・泉性寺にある墓を詣で、テレビや新聞で大きく報じられた。
ただし、小和田家の墓はかつて村上市と新潟市で三ヵ所に分散されており、各寺の住職でさえ家系を辿るのは難しいと語っている。

墓碑の取り壊しやご遺骨移動の事情も絡み、小和田家代々が泉性寺に祀られているかどうかは不明なのだ。それだけ江戸時代から明治にかけて、小和田家先祖の苦節が偲ばれるわけだが、
墓の件にこれ以上分け入るのは今回は避けたい。

父祖の苦渋に満ちた歴史があればこそ、雅子さんが皇太子妃として入内し、恆が国連大使に就任したことで、家郷へ錦を飾った一家の誇らしい気持ちが溢れ出たのはうなずける。
そんな小和田家の高揚感の表れのひとつだろうか、新発田市の歴史を偲ばせる。

旧新発田藩下屋敷の庭園「清水園」の一角に、一つの木札(高さ百二十センチ、幅五十センチほど)がある。
恆の生誕地から至近距離にあるその木札は、雅子さんのご成婚記念として平成5年11月に市の職員の手によって
建てられたものである。

雅子さんの「お印」であるハマナスが側に植えられた木札には、次のような文言が記されている。

雅子妃殿下御父上誕生の地
樹種 ハマナス
寄贈 北蒲原郡聖籠町
平成五年十一月十三日
新発田市皇太子殿下御成婚記念実行委員会

「清水園」を管理する職員に話を聞いてみた。
「何度か、小和田さんご夫妻がお見えになっていますよ。最初は細長い木簡のような札に書いて建てたのですが、奥様から『なんだかお墓みたいね』と言われたので、市のほうであわてて現在の形に作り変えました」
これまで、東宮妃の父親り生誕の地が、わざわざ顕彰される事例はあまりなかっただろう。

平成10(1998)年10月23日のこと、新潟駅では駅長以下総出で皇太子妃殿下の父・小和田恆のお出迎えに奔走していた

新発田市の市民会館で、地元の敬和学園大が主催する小和田国連大使による特別講演会が開かれるためである。

新潟駅では駅長の先導で特別通路を通り、JR東日本新潟支社の正面玄関から用意された車で新発田市へ向った。
駅や道中での警備陣の対応も、地元民によれば「まるで天皇陛下並み」の緊張ぶりであったという。

また、平成21年2月に小和田恆が国際司法裁判所所長に就任した夏である。
恆はオランダから夏休みを兼ねて帰国すると、山形県にある山辺町を妻とともに訪れた。天童市に隣接する
この寒村に足を運んだのは、この地出身で日本人初の常設国際司法裁判所(国際司法裁判所の前身)所長となった安達峰一郎(1869〜1934)の生家を訪ね、同時に山形市で記念講演を行うためだった。
なにしろ皇太子妃の父の来訪とあって、地元での歓迎ぶりはいやが上にも盛り上がった。

この日、恆は国際司法の先達の生地に自らの手形と署名を残した。
翌年、生家前には黒御影石の立派な記念碑が建立された。石碑に刻まれた文字は、
「山辺町来町記念 国際司法裁判所所長 小和田恆」
とあり、中央に実物大の右手形が刻印されている。名前も自らの直筆文字を彫ったものだ。

もちろん、恆が申し出たわけではなく山辺町の役場やロータリークラブの発案で製作されたのであろう。
しかし、生誕の地の木札も、来町記念の石碑も本人の許可を得て建てられたものである。
個人の感覚はそれぞれ違うが、人前で自分の印象を強めるような振る舞いを極力避けてきた

正田英三郎との差異は歴然だといえる。
一方、ご成婚前に、小和田家の系図を遡って用意しようとしていた宮内庁は、部落解放同盟から思わぬ抗議を受けた。雅子さんの父方、三代前の金吉以前が繋がらず、調査に行き詰っていたときである。
今の時代、出自で人を云々することは、もとより許されない。だが、一般とは違う立場の歴代の皇太子妃はこれまで厳密な系図が準備されてきた。
「身元調査は差別である」との抗議が、部落解放同盟中央本部の機関誌『部落解放』(平成5年6月号)に掲載された。

抗議文から、一部引用しておこう(部分引用)。
「本年一月六日の『皇太子妃内定』の報道いらい、こうした差別撤廃、人権確立をすすめる立場から看過できない内容の報道がなされています。とくに、小和田雅子さんの『家系図』の掲載や『家柄』賛美などの過剰ともいえる報道内容、そして、『皇太子妃を選ぶにあたっては、皇室専門の興信所員が四代前まで徹底調査』などと、宮内庁自らが公然と身元調査を指示していたことが報道されています」

抗議文は3月16日付で、宮沢喜一皇室会議議長(内閣総理大臣)、衆議院議長、参議院議長、宮内庁長官にも送付された。

個人情報の管理が以前よりはるかに厳しくなっている時代に、「身元調査」は確かに差別といわれるのも当然である。

しかし、家柄や血筋と、家風や伝統は異質のものだ。子供にどのような教育をほどこすかは、
それぞれの家の価値観によって異なる。
(略)

続きます。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4296

▲△▽▼

2017.12.05
雅子様A@家系(3)小和田雅子の家系のトリック
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4300


続きです。

小和田匡利(道蔵)が12歳で長男をつくり、14歳の時次男金吉を作ったと考えたらつじつまが合う

あるホームページから syutuji.htm

江戸時代、山屋家は代々俸禄二人扶持の下級藩士であったてことでこれはこれで間違いではないけれど俸禄二人扶持は厳密に言うと武士ではない

扶持取りは原則非戦闘員なので戦の時は雑用係。平時は中間か小者だったはず
壬申戸籍(明治5年制定・昭和43年に封印)には「士族」ではなく「卒族」となっているはず

小和田金吉(宮内庁が隠蔽する小和田家の歴史)
まず、小和田新九郎と小和田新六匡安と小和田匡春(道助)(1858年64歳で死亡)が、
兄弟であることには間違いない。
新六の息子が小和田郡蔵。匡春(道助)の息子が勝治であることも間違いない。
勝治の弟が兵五郎であることも間違いなし。
小和田兵五郎の息子が小和田匡利(道蔵)であることも間違いないのである。
さて、問題はその先、小和田匡利(道蔵)の3男となっている小和田金吉。

こいつがクセものである。

雅子様の父が小和田恒。祖父が毅夫。
曽祖父が小和田金吉であるが、この金吉、1867年生まれのあたりの人になるが
この人の代に村上を離れ新潟に移住した。
だが、この人が村上を離れた年もわからない。村上にいるとき何してた人かもわからない。(足軽ということになっている)

どうも金吉の父は小和田匡利(道蔵)となっているがそうではないらしい。
宮内庁が隠蔽してるのはこの金吉の父の名前がわからないということと、半島出身という点らしい。
小和田匡利(道蔵)が12歳で長男をつくり、14歳の時次男金吉を作ったと考えたらつじつまが合う

※1868年時点で(もし生きていたら)
・小和田匡春(道助)(1858年64歳で死亡) 74歳
・匡春(道助)の次男 勝治        48歳?
・勝治の弟兵五郎(5男として)      42歳?
・小和田兵五郎の息子(3男)が匡利(道蔵)15歳?
・匡利(道蔵)の次男金吉         1才

金吉の戸籍がないのは明治30年代に金吉が死亡し(若死)
死亡から80年たって雅子様が嫁いだ頃戸籍は処分されたからではなくて初めから存在しなかった。
(明治19年式戸籍ならどんな役所でも取り寄せ可能だし、19年式戸籍を廃棄している自治体はほとんどない。)

以上

Sponsored Link

小和田雅子の系図のトリック

部落解放同盟系の研究者である上杉聡
マスコミが発表した小和田家の「優秀な家系図」の欺瞞性を指摘
『戸籍解体講座』
上杉聰

次の応用問題にいきたいと思います。お手元の資料の中に小和田雅子さんの系図が載っています。
この小和田雅子さんの系図が掲載された時、これは『朝日新聞』からとってきたんですけども、海軍大将なんかのりっぱな家系の娘さんだということが盛んに言われました。

これに対して部落解放同盟が抗議をしました。

宮内庁が四代前まで徹底的な調査をすると言っていたことに対して抗議をしたということは、やはり解放運動のおかげだというふうに思うんですけども。この系図を見て、うっかりすると唸ってしまうといのもまた我々の性なんですね。

そこで、これまでの予備知識を踏まえて、私もちょっと動揺を押さえながら、これをじっくり見てみました。

そうすると問題点がだんだん見えてきたんですね。一番上を見ていただきますと、
小和田金吉、田村又四郎、江頭安太郎、山屋他人、この人たちは聖母マリア様でもあるまいし、一人で子どもを生んでるという恰好になるんですね。

その下の段階になると男、女が確実に書かれてあるんですが、一番上の四人は配偶者なしなんですね。

一人で子どもを生んじゃってるんですね。

これ、「処女懐胎」じゃなくて「童貞懐胎」っていうやつですかね(笑)。

これは何だ、というふうに考えれば、やはり先ほどの、女は家系図から除かれる傾向を代表しているんだろうというふうに思うわけです。

それともう一つ。

二段目になってきますと、右の方に静さんという人と、
それと一番左に寿々子さんという人がいますね。これ、肩書きがないんですよ。
さらに寿々子さんの下に優美子さんという人がいますが、この人は外務省のキャリア・ウーマンということで、鳴り物入りで宣伝されたのもかかわらず、肩書きがないですね。
女性は一人として肩書きがないんですよ。

これも問題ですね。みんな専業主婦だったのか。

まさかそうじゃないですね。

これはやはり、女性は肩書きを除く傾向にある。
肩書きを除くまでして何で載せているのかと言えば、どうもそれは、海軍大将の山屋他人から雅子さんまで引っ張ってこようとすると、寿々子、優美子という二人の女性を経由してしかもってこれないわけですね。そのために肩書抜きで載っけているわけです。

それからもう一つ思いますことは、たとえば山屋他人さんには配偶者がいるはずなんですが、その子は一人っ子なのかということですね。

さらにその下のチッソの社長と寿々子さんの間にできた優美子さん、
これも一人っ子になっているんですね。

それから右の方の田村又四郎さんも一人っ子で静さんを生んでいる。

小和田金吉さんも一人っ子の家庭だったのか、と。

どうもおかしいんですね、これね。
これ、除かれているんだと思うんですよ。

まず女性は徹底的に除いたんだろうと思います。
そして肩書きがとるに足りないと考えられた男性も。

たとえば江頭安太郎さんの息子さんは三人おります。
隆さんと古賀博さんと豊さん。

豊さんが元チッソ社長というのが誇らしげな肩書きなのかどうかは問題がありますが、それはおいておきまして、この中で隆さんは肩書きがないんですよ。

何でかなと思ってよく見ると、その下にですね、評論家の江藤淳がおるんですね。

この江藤淳をもってきたいために隆さんを載っけてるんですが、
隆さんには肩書きがないんです。

書くに足らないような肩書きだと判断したんだろうと思うんですね。
この系図から除かれた男、女性も惨めですが、名前だけ書かれて肩書きを除かれた男も惨めだと思うんですね。

女性差別は必ず男性差別にもつながるという典型的な例だろうと思います。
そうすると、果たしてこれでも系図と言えるのか、ということがだんだん見えてくるわけですね。

要するに、何とかして雅子さんと海軍大将とか江藤淳とかを関係づけたいために、つないでみせたにすぎないわけですね。これはものすごい宣伝文書です。

彼女の血筋、家系がいかに立派かということを宣伝するための図です。家系図でも何でもないんですね。
それなのについ「なるほどね」と、私も含めて思いたくなるということです。
本来なら笑ってしまってもいいようなものが、大新聞に堂々と載せられて、我々も抗議すらしない。
我々の感性がいかに鈍ってしまっているのか、ということを思うわけです。

続きます。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4300

▲△▽▼

2018.04.25
雅子様A@家系(4)小和田家は朝鮮人密入国者の家系の可能性あり
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4349


ざっとまとめますと、、、、

・小和田家は村上藩士の小和田家とは無関係。

・小和田匡利(道蔵)が12歳で長男をつくり、14歳の時次男金吉を作ったと考えたらつじつまが合う、つまり嘘っぱち。

・宮内庁が公表している小和田家の家系図は、小和田雅子の血筋、家系がいかに立派かということを宣伝するための捏造家系図であり、家系図とはいえない。

・家計調査が入ったら、部落解放同盟から「差別を増長させる」として抗議がきた。

以上の事柄からみて、父母どちらかがかつての被差別階級につながる血筋であること、宮内庁から公表されている家系図がうそっぱちであることがわかります。

今は旧社会の階級制度からは解放されている時代です。仮に推測や指摘通り、最下層の階級の出身でもいいんじゃないのか、と思われる方もおおいとおもいますが、問題は、一族ぐるみで、日本国にたいする破壊活動に与していること、日本の国や国民を裏切っている可能性が高いところにあります。

話を家系にもどしますが、小和田家の先祖が、どこから来たのか、それは、小和田家の過去の行動や経歴からみていくと大方推測は可能です。

結論をいうと、北朝鮮からきた工作員の家系と思われます。


Sponsored Link

テーブルに置かれた、北朝鮮にゆかりのある花。


ハワイの韓国軍の記念施設に「コリアン プリンセス ベビー像」を設置

雅子さんが、愛子さんを生んだら、韓国人が大喜び。

なぜコリアンなのか、プリンセスなのか、という問い合わせが殺到したあと、「これは李方子さん」とごまかして、像を撤去。


東宮御所で飼われていた珍島犬の存在

時期的にみて、韓国大統領が北朝鮮の金正日におくった2頭のつがいの犬の子孫と思われ。

犬を飼い始めたときの宮内庁からのコメントは、

・東宮御所にメスの野犬が紛れ込んだ。

・犬は10匹の子供を産んだ。

・2匹を残してあとの子犬は職員で分けた

とか言ってましたが、

・東京に野犬はいない。

・中型犬が生む子犬の数としては10匹は多すぎ。ありえない。

・厳重な警備と張り巡らせれた柵を突破して犬が侵入することは不可能。

北朝鮮から下賜された犬かどうかは推測ですが、見た目からみて珍島犬なのは間違いないでしょう。


そして、よど号ハイジャック犯との関係

第67代総理大臣福田 赳夫

・雅子の父、小和田恒は福田首相(父)の秘書だった。

・秘書仲間に小泉純一郎がいた。

・小泉の父は鹿児島の朝鮮部落の出身であり、小泉の母は横須賀の朝鮮系ヤクザの娘だった。当然、小泉自身も、一滴も日本人の血を引いていない朝鮮系である。嫁も在日なので、3人の息子も当然、純朝鮮人である。

・よど号ハイジャック事件が起こった。

・莫大な身代金を与え、世界から非難された。犯人は北朝鮮へ亡命した。

・よど号ハイジャック犯が、新潟の朝鮮部落に居住していたころの小和田家と近所であった。

・よど号ハイジャック事件後、北朝鮮による拉致がはじまった。

・政府(自民党)は長い間、拉致事件に取り組まなかった。

横田めぐみさんの父「政府は、北朝鮮に弱みを握られているのではないのでしょうか」

・小泉が首相になった時、突然、北朝鮮を訪問。5人の拉致被害者を連れて帰った。

・仲立ちしたのが、総連の実力者だった。日朝に交流がない状態では、パイプがないと成立しない会談だった。

・噂によると、金日正は、小泉を別部屋につれていき「あなたの父祖の国へようこそ」といったとか。

マスコミは、小泉の手柄のように書いていたが、小泉が朝鮮人であることを自ら暴露したことでもある。


ここから、単純な推測が成り立ちますね。

・福田、小泉、小和田は、朝鮮系あるいは部落のつながりの仲間であり、代々、北朝鮮の工作員。

・よど号事件は福田と北朝鮮の共謀したヤラセだった。

・身代金のキックバックを、福田がうけとり口封じに自民党内に撒いた。

・その弱みを握られていたので、今にいたるまで自民党政治家は、北朝鮮のような犯罪国家に屈している。

あくまで推測ですが。


さらに、この連携は、皇位継承問題にも及んでいます。

・福田家は、群馬の部落の家。

・福田は、「雅子ちゃんを皇太子妃にするよ」と宣言していた。

・雅子が生んだ愛子さんを天皇にするための法案を通そうとしたのが、小泉純一郎。

なんとしても、朝鮮人、部落民の血を引く愛子さまを即位させるのが、部落解放同盟、および朝鮮人たちの宿願なのでしょう。

しかし、神の采配により、秋篠宮紀子妃殿下の第三子ご懐妊、そして悠仁親王ご出産により、その企ては頓挫しました。

まだ油断がなりませんが。愛子さま天皇実現運動は、部落民&朝鮮人のクーデターなのです。


大日本帝国時代の朝鮮

小和田家の祖とおもわれる人物が新潟に住み着き、背乗りしたころといえば、大日本帝国時代でしょう。

併合後のピクニック?の様子。いい雰囲気ですね。

このころは、朝鮮半島は普通に日本領であり、朝鮮人は朝鮮系日本人でした。すべての国民に対して戸籍もできましたし、選挙権もあり、出世して大臣になったり将軍になった人物もいます。スター的存在になり財をなした妓生もいます。戦後までは、半島と日本列島との間の行き来は普通にできていました。にもかかわらず、わざわざ、密入国して背乗りする必要があったとなると、

・半島で犯罪をおかして逃げてきた人物。あるいは一家離散などの憂き目にあった。

・半島でも身分の低い階級(例えば、白丁)に属しており、日本列島の北の果ての新潟に住み着きロンタリングする必要があるくらい、絶望的な階級だった。

・もともと目的があって日本に住み着いた「草」、すなわち工作員である。

・新潟の朝鮮部落にすんでいた朝鮮系の人間が、小和田家に背乗りした。

などが考えられます。

故中川昭一議員が、小和田恒の書斎にレーニン像があったと証言してますね。小和田恒が、ロシア大使だったころ、ロシアのハニトラにかかってダブルスパイをしていたことが、ソ連崩壊後の情報の公開によりわかっています。

小和田家は、不法入国する必要があったくらい社会階級の低い位置にあった朝鮮系であるだけではなく、思想的にも旧東側の人間の立ち位置を置く人物であり、代々、工作員の家系である可能性があります。


母方の江頭家もまた、部落の出身の可能性が高いですね。

雅子の母方の親族であり本家になるタレントが、「自分は部落だ」とカミングアウトしていたそうです。

さらには、祖父の江頭豊は、水俣病を引き起こし放置したばかりではなく、「腐った魚を喰った貧乏人がわるい」等の暴言、被害者の方々へのヤクザを使っての暴行と弾圧、ジャーナリストでカメラマンであったユージンスミスへの暴行などをヤクザとつるんで行った大量殺人犯でした。

つまり、雅子さんは父方、母方、ともに、日本、朝鮮それぞれの社会の、最下層の階級の出身でかつ犯罪性が高い家系ということになります。

続きます。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4349


▲△▽▼

2017.11.18
雅子様A@家系(5)小和田家の家業は犯罪?
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4435


今は江戸時代の階級制度から解放された時代であり、仮に皇太子の妻が、朝鮮系でもあるいは被差別階級につながる家系でも問題ないのではないか、と思われる方も多いと思います。親王妃になる方のご性質やご家族が立派な方であるなら、管理人も何代か前の先祖の境遇は問題にならないとは思います。

しかし、ご本人やその家系が皇族になるにふさわしくない場合、犯罪性があった場合、あるいは、国家破壊を目的としてて活動している家系である場合は、最下層からきた方であっても、あるいは名門であっても問題にしなくてはならないと思います。

こちらからの続きです

この写真一枚でも、不思議が一杯ですね。

・コスプレ感満載の、サングラスをしたお寺さん。

・数珠を持たないのは何故。

・つぎはぎだらけの墓石。


そして、この感覚感性、恥も遠慮もありません。自らをなんだと思っているのでしょう。まともな日本人なら恥ずかしくてできないことです。

小和田恒の石碑

なんじゃこりゃ?

小和田家の人々は自らを「宮家のようなもの」「準皇族」と称し、けじめのなさが非難を集めています。

・雅子が出席するはずの場に、出席できない雅子のかわりに妹がやってきた。

・東宮御所に住み着き、公使のケジメなく私物化している。

・東宮家の御静養に、妹の家族が一家ぐるみで同行する。東宮家の御静養は、ディズニーランドを貸し切り、スキー静養のおりにはホテルも貸切っての「御静養」です。新幹線も車両は貸し切り、莫大な費用が生じます。警備に動員される警備の費用も同じく税金から出されます。それに便乗して恥るところをしらないのが小和田家です。

・集まる大衆に向かって雅子の妹が、皇族になりきって手を振る、あるいはカメラを向けるなど、けじめのない行為が目立ちます。

・小和田雅子の母親が御所に来ては、調度品や美術品を持ち帰るという噂もあります。こうした噂が本当臭いのは、小和田優美子がつけているブローチを堂々とつけていることなどで、その性質を察することができます。

皇族女性の宝飾品は皇室財産であり、国家財産であり、所有権は国にあります。結婚などで、皇族女性がなんらかの事情で皇室を去る場合はおいていく決まりです。小和田母子がしていることは、国家財産の横領に値します。


Sponsored Link

小和田恒@ 二重スパイ疑惑

2015年11月30日  MI6コードネーム「ムツヒト」皇太子の義理の父、小和田恒はソ連との二重スパイだった、今も怪しい

※転載させていただいてます。

皇太子妃父の小和田恒は、旧ソ連では有名なスパイでミトロヒン文書にも明記されています。

KGBスパイとして活動した駐ソ連日本大使館勤務経験のある外交官たちがいる。ミトロヒン文書では「OVOD」(2回もハニートラップに引っ掛かった)、「MARCEL」などの存在が明記されています。

モスクワ時代、誘惑したのはロシア語教師で2回も行為を撮影され工作員にされた。(コードネームアナグラム)

レフチェンコが実名を明らかにしたのは、自民党の石田博英氏(フーバー)、社会党の勝間田清一氏(ギャバー)、伊藤茂氏(グレース)、佐藤保氏(アトス)である。

その他、レフチェンコ・メモに実名が記載されている人物に上田卓三氏がいる)サンケイ新聞編集局次長の山根卓二氏(コードネームは「カント」)、読売新聞の外山四郎記者(トマス)、テレビ朝日の三浦甲子二専務(ムーヒン)、『インサイダー』の山川暁夫氏(バッシン)の実名が明らかにされている。

実名は不明ながら、サンケイ新聞東京版記者で山根編集局次長を補強しうる「デービー」(コードネーム・以下同)、韓国問題専門家の東京新聞記者「カミュ」、共同通信記者の「アレス」、大手新聞元モスクワ特派員の「アギス」、フリージャーナリストの「ドクター」外山四郎氏、三浦甲子二氏。

東京新聞記者の「コーチ」、朝日新聞の「BLYUM」、読売新聞の「SEMIYON」、産経新聞の「KARL」(あるいは「KARLOV」)、東京新聞の「FUDZIE」、社名不詳大手新聞の「ODEKI」、社名不詳ジャーナリストの「ROY」

自民党関係者にさらに2人のエージェントがいたと指摘されている。

自民党議員の「KANI」と、田中角栄の側近の「FEN」は「フェン・フォーキング」と同一人物?

一部週刊誌(新潮)にも記載されていましたし、ジャーナリストからの情報ですか ら情報は確かだと思います。

民主党政権時に公安情報がかなり紛失・消失したとのことです。

(民主党政権時の国家公安院長の名前を思い出してみてください)

再構築しなければならないので、情報を提供してほしいと古屋議員から言われま した。

以上

続きます。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4435

▲△▽▼

2017.12.05
雅子様A@家系(6)小和田家の家風 ソ連文書からみるスパイ小和田夫妻
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4439


続きです。

1967年モスクワ

※こちらより転載させていただいたうえに、編集しています。

【武器輸出三原則違反】犯罪人的発想

雑誌正論2008年1月号 佐々淳行

カンボジア総選挙国際監視団に日本の文民警察を派遣するとき、装備として拳銃と若干の小銃、それに防弾チョッキを持たせようと提案したら、外務省の小和田恒が、
「丸腰で行け! 装備をもたせると、帰るときに売っぱらい、武器輸出三原則に違反するから」と言い放った。
日本の警察をバカにしたような発言に驚いた。

以上

※帰るときに売っぱらい、、、その発想は堅気の日本人にはない(管理人)

Sponsored Link

【論文紛失】国費留学しつつも、博士号はとっていない。

ニューヨーク大学での対談形式でのレクチャーのマニュスクリプトP8

ケンブリッジ大学が賞をくれて、その上で博士号コースを続けていた3年目。

ケンブリツジを離れる頃には論文をほとんど書き上げていたけど、もう少しいいものにして、それから提出したいと思った。
そこで、日本に戻ってから仕上げようと決めた。
いずれにしろ私は(日本)政府から派遣された身で、その時はもう日本に戻らなければならなかったから。
当時は全て船便で送らなければならない時代だったから、私も自分の物を船便で送ったら港でトランクが1つ紛失。
それには服や本などと一緒に大事な学位論文の原稿が入っていた。
トランクは二度と見つからず、ゆえに私は博士号を取る機会を失ってしまったのです。

以上

※博士号をとっていないいいわけが、陳腐すぎる気がする。(管理人)


機密費横領

防衛省OB太田述正メルマガ「小和田恆さんいい加減にしなさい。」

皇太子殿下の嫁の実父という立場にある君は恐れ多くも、皇太子殿下を利用し、次から次と悪事を働いて来ましたね。
ある時は、後藤田正晴氏と組んで想像も付かないような恐ろしい悪事を企てましたね、
元日銀総裁の三重野康氏を使って実行した事は日本国の信用を著しく損ねたのみならず、皇室の尊厳を著しく傷つけました。
それに懲りずに今度は武藤敏郎日銀副総裁(当時)、飯島勲(元小泉総理秘書)、等と組んで小泉純一郎氏を巻き込み某国の大統領にまで手を延ばして、恐ろしい事をしましたね、その時も恐れ多くも、皇太子殿下を欺いて利用しましたね。

【日銀総裁の座を狙っていた小和田恆氏】

何故小和田氏は日銀総裁の座を狙ったのか、それは国連大使、オランダハーグの国際司法裁判所判事と歩んできた最後の仕上げであった。
今、小和田氏は武藤総裁を実現して最後の賭けに出ようとしている、
これは皇室に災難をもたらす、あまりにも無謀な恐ろしい暴挙であると言わざるを得ない。小和田氏自身のみならず皇太子殿下にも災難が及ばないとも限らない。

このうえは天皇陛下の御英断を煩わせる他にないのか?
小和田氏はかねてソヴィエットロシアの大使館に勤務していた時、北朝鮮の工作員と接触しましたが、その時利益供与を受けたという疑いが某国の諜報機関に持たれています。
いづれにしても、小和田氏の信用と評価はアメリカでは最悪であり、EU諸国に於いても最低だと言われています。
自らの立場を猛省されて身を処されたらよいのではないか。

以上


ソ連共産党日本人工作員のなかに、小和田夫妻の名前が??

ソ連共産党・日本人工作員

70年2月26日に、ソ連共産党政治局は、日本社会党とその機関紙に助成金を支給 するために、合計10万ルーブル(当時、3571万円)の支出をKGBに承認し た。類似した助成金は、毎年払われたようだ。

たとえば、72年に支払われた10万ルーブルのうち、6万ルーブルは政治資金とし て各議員個人に渡された。

1万ルーブルは日本社会党とソ連共産党の交流資金、2万ルーブルが日本とアメ リカおよび中国との関係に打撃を与えるアクティブ・メジャーズ工作資金、1万 ルーブルが日本社会党に公明党や民社党など他の野党と提携させないためのアク ティブ・メジャーズ資金として使われた。

社会党最高幹部と自民党大物議員

▽勝間田清一コードネームはGAVR。

彼は66年の日本社会党書記長選挙の次点者で、74年 にその党内地位を強化するために400万円をKGBから受け取っている。 KGBでは社会党中道派のリーダーと評価されていた。

(※ミトロヒン文書に勝間田氏の名前はないが、後にレフチェンコ氏が GAVR=勝間田氏と断定した)

▽佐藤保 コードネームはATOS。

社会党左派(マルクス主義派)のリーダーで、4つ の党刊行物の責任者だった。KGBファイルには、佐藤氏が日本社会党機関誌に 記事を掲載するための資金として73年10月に40万円をKGBから渡した記録がある。

(※ミトロヒン文書に佐藤氏の名前はないが、これも後にレフチェンコ氏が ATOS=佐藤氏と断定)

▽ALFONS(実名不明)

社会新報に記事を書いていた。72年に250万円受け取っている。KGBファ イルには、社会新報に記事を書くために15万円が支払われた記録もある。

▽DUG(実名不明)

日本社会党委員長に非常に近かった社会党員。選挙資金として72年に39万円を 渡された。

▽DIK(実名不明)

選挙ビラとポスター制作費として72年に20万円を支給された。

――それ以外にも、社会党でKGBエージェントとファイルされていたのは以下の 通り。

▽JACK(キリル文字でDZHEK/実名不明)

73年からエージェント。社会党議員。

▽伊藤茂コードネームはGRACE。

社会党議員で党中央委員会のメンバー。おそらく 75年よりエージェント。

(※ミトロヒン文書に伊藤氏の名前はないが、これも後にレフチェンコ氏が断 定。レフチェンコ氏はその他に、ミトロヒン文書に出てこない2人の社会党員 「RAMSES」と「TIBR」の存在も断定している)

▽DENIS(実名不明)

江田三郎・社会党書記長の親しい側近。

▽KING(実名不明)

後に日本社会党の幹部となった。

▽KERK(実名不明)

勝間田派議員。KGB東京支部と日本社会党執行部のコネに重要な役割を果たした。

▽上田卓三・社会党議員

親ソ派の学者で「山本」という人物が、KGBの協力者として議会で影響力を行使したという。「山本」がリクルートされたのは77年。以後、彼はKGBの意に 沿うような国会質問が出るように議員に働きかけた。

▽石田博英・元労相(自民党幹部)

▽「HOOVER」自民党幹部の石田博英・元労相

石田氏は73年2月に「日ソ友好議員連盟」(コードネームはLOBBY)の代表 になり、同年の8月〜9月の訪ソ団の団長となった。この訪ソ団は17年ぶりの日 本国首相の訪ソとなる田中角栄首相訪ソの直前に行なわれた。石田氏がソ連中央 で重く扱われるようにKGBが裏で支援した。

石田博英氏は70年代を通じて日ソ友好議員連盟を足がかりに、「影響力のエー ジェント」として使われ続けた。

77年には、KGBの要請に基づき、彼は個人的に福田赳夫首相に意見した。

※福田赳夫は小和田恒の親分

モスクワの日本大使夫妻がソ連反体制派と接触し、「歓迎されざる人物」になっ たから、日本に呼び戻すようにということだった。

※モスクワの日本大使夫妻=小和田恒で間違いないと思います(笑)


09 Jun 1993 — PRESS CONFERENCE WITH THE PARENTS OF MASAKO OWADA — Image by © HARUYOSHI YAMAGUCHI/CORBIS SYGMA

▽田中角栄の側近だった「FEN」

角栄秘書『フェン・フォーキング』はこの中に?

曳田照治 榎本敏夫 山田泰司 田中利男 遠藤昭治 田中勇 高鳥修 佐藤昭 子 早坂茂三 麓(ふもと)邦明 古藤昇司 朝賀昭 工藤節子 中村喜四郎

本間幸一  小長啓一 桜井新 小谷兄弟  樺沢 城谷 片岡憲男 井上孝

高橋国一郎 下河辺淳 小野吉郎 西村尚治 長田裕二 山下元利 林義郎

大村襄治 両角良彦 小長啓一 後藤田正晴 秦野章


政治家『フェン・フォーキング』はこの中に?

木村武雄 西村英一、橋本登美三郎。二階堂進、小沢辰男、久野忠治

愛知揆一、木村俊夫 江崎真澄、小坂徳三郎 後藤田正晴 山下元利

小沢一郎 小沢辰男  渡辺紘三 高島修  西村英一  橋本登美三郎

木村武雄  植木庚子郎 足立篤郎 原田憲 亀岡高夫 前田正雄

金丸信 竹下登 橋本龍太郎  小渕恵三 田村元 小坂徳三郎

林義郎 大村襄治  羽田孜 梶山静六  渡部恒三

奥田敬和 高島修  佐藤恵  石井一  綿貫民輔

斎藤滋与史  中山利生 佐藤守義 稲村利幸  野中英二

有馬元治  浜田幸一

▽自民党議員の「KANI」→金丸信?


マスコミの記者

日本社会党機関紙以外に5人の一般マスコミの記者が特定。
・朝日新聞の「BLYUM」

・読売新聞の「SEMIYON」

・産経新聞の「KARL」(またはKARLOV)

・東京新聞の「FUDZIE」

・社名不明な主要新聞社の上級政治部記者の「ODEKI」

▲ジャーナリストの「ROY」=「ARES」(同一人物)

日本の防諜機関上級幹部の「KHUN」をリクルートするのに役立った。 KHUNはとくに中国に関する機密情報を提供した。

▲「FET」(あるいは「FOT」)

この人物については具体的な情報はない。

▲山川暁夫・インサイダー編集者

▲サンケイ新聞の編集局次長だった山根卓二氏

(コードネームはKANT)

▲三浦甲子二・テレビ朝日専務

▲杉森康二・日本対外文化協会事務局長

MADE IN RUSSIA―ロシアは何をつくったか 単行本 – 1997/11
森本 忠夫 (著), 江南 和幸 (著), 杉森 康二 (著)


2人の日本外交官

■「RENGO」

RENGOはまた、自ら新たなエージェントのスカウト

■「EMMA」

EMMAには、彼女がエージェントになったまもなく、運営者によってハンド バッグが与えられ外交文書の写真を複写するためのミノックスカメラが仕込まれていた。

■「OVOD」→小和田恒

合計6年間のモスクワ勤務の間に2回、ハニートラップに引っかかり、それをネ タにエージェントに仕立て上げられた。

彼へのハニートラップのうち2回目のほうは、MARIANAというコードネー ムのKGBエージェントによって実行された。彼女は、OVODのロシア語教師 として雇用されたが、まもなく男女関係となり、その性交渉時の写真が撮影さ

れ た。OVODはいやいやながらも、KGBに協力することを承認した。

■70年代前半にモスクワに駐在していた電信官「MISHA」

LANDYSHというコードネームのKGB工作員が誘惑したケースだった。

MISHAは、70年代後期に「NAZAR」というコードネームでKGBに運営 されていた東京の外務省本省に勤務する電信官と同一人物である。

■「MARCEL」

MARCELの協力で、「KONUS」というコードネームの自衛隊の駐ソ連の 防衛駐在官もリクルートされた。


KGBの科学技術情報スパイ

70年代に日本のハイテク産業と研究所の幹部職にある日本人エージェントは合計16人

◎東京地域のハイテク会社の社長で、「TONDA」

米国の空軍とミサイル部隊のための新しいマイクロ・エレクトロニクスのコン ピュータ・システムに関する重要な機密資料をKGB東京支部に提供した。

◎半導体製造会社オーナーの「TANI」

日米の半導体の機密情報やサンプルを提供した。

◎「LEDAL」日本の大学の半導体研究の責任者。

◎日本のハイテク産業と研究所の幹信技術研究者の「ARAM」

◎通信技術者の「ARGUS」

◎東京大学の科学者である「BRAT」

◎宇宙研究者の「EYR」

◎微生物学者の「KANDI」

◎物理学者の「KARI」

◎宇宙学者の「KISI」

◎日立社員の「RIONI」

◎三菱社員の「SAK」

◎技術専門家の「SOT」、

◎赤外線分光学者の「TAIR」、

◎電子技術者の「TONI」

◎核科学者の「UTI」

などである。

グレーゾーン工作員

※ソ連通でスパイではない?

自民党:鳩山一郎、河野一郎、赤城宗徳、田中角栄、中川一郎。

社会党:成田和巳、石橋正嗣、勝間田清一、飛鳥田一雄、土井たか子、五十嵐広 三、高沢寅男、山本政弘、岡田春夫、岩垂寿喜男、伊藤茂。

その他:三浦甲子二、杉森康二、堤清二、松前重義(東海大総長)、池田大作 (創価学会名誉会長)、千田恒(元サンケイ新聞記者)、秦正流(元朝日新聞編 集局長)、白井久也(朝日新聞記者)、中村曜子(画廊「月光荘」経営者)、長

谷川千恵子(画廊「日動画廊」経営者)、柴野安三郎(札幌日ソ友好会館オー ナー)、岡田茂(東映社長)(以上、肩書きは同書のまま)

ソ連崩壊後、中国共産党、北朝鮮のスパイに転向したものも多いのではないか。
コードネームをつけられているものは、KGB側が認めているスパイ。

続きます。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4439

▲△▽▼


お笑い「小和田家」家系図 2018-10-15
https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/f0ffe3a0cf6cc2088255576c74fa4848

ここ、結構笑えるので息抜きにたまに拝読させていただくのですが、今回はまた吉本的お笑い家系図の掲載。

遂に小和田家家系図完成!!  だって。


http://retsugaiha.blog.fc2.com/blog-entry-2312.html

突っ込もうかどうしようかと迷っていたら、トド子さんがいち早く目に止めて記事にしていらっしゃいました。

雅子卑のカレ〜なルーツニダ♪

なので、わざわざこちらで追求する必要もなくなり手間が省けて助かったのですが、それにしても「遂に小和田家家系図完成!!」って、雅子さまが入内されていったい何年経過しているのやら、即位直前になった今頃「家系図完成」とか。本家分家の区別も解らないまま、ずさんなこと。


それに無関係なはずの素人さんがわざわざ新潟まで出かけて調査、自費で「小和田家の家系」を調べます?


次男三男に養子がいたことにするとか・・・・嘘ももっとリアリティを持たせなくては。

武士の系譜という触れ込みですが、武家に「金吉」などという名前はありません。


後記 コメ欄にご指摘を頂きました。

>有馬藤吉、有馬彦吉、有馬静吉(有馬姓が並んでいたので一族でしょう)伊集院兼吉や、伊集院末吉もいます。


以上ですが、単に語感の問題なのかもしれませんが「金吉」に未だ違和感。
なぜなのだか?


最近はブログ仕様が異なって「いいね」ボタンがなくなりましたが、以前はコメントがどっさりある割に「いいね」がゼロという、不思議なブログでした。
と指摘されてから、仕様を変えたかな? コメントを書き込んでみたら、数分後にブロック。仕事、早いです。


秋篠宮殿下、妃殿下、悠仁親王殿下を悪し様に罵っているブログです。返す刀で皇后陛下を斬りまくり(まるで雅子妃が姑を見る目線で)、その一方高円宮家は褒めそやし・・・・という解りやすさで、どういう立ち位置の「身内」か見えて来るような? 文章にはそこはかとなく加齢臭。


即位を目前に、疑惑が再燃、吹き出すのを怖れて相当焦っていらっしゃるような。
こんな、すぐ見破られるような家系図を持って来たら、小和田家の家系のいかがわしさが、逆に見えて来るでしょうに。


いとこ(男)さんが大阪の精神病院に長く入っていらっしゃることなど、通名屁カテさんはどのように、今後は言いくるめるか楽しみなことです。外務省入省は、当時あったVIP子弟採用枠5人のうちの一人で縁故採用だとか、奥参事官との不倫とか。
ついでに言っておけば、雅子妃が精神に変調を来たしたのは皇室のせいなどではありません。元々ご家系にその因子をお持ちでした。


出自云々や精神を病んだ方への誹謗でも差別でもありません。あくまでも、宮中には入るべきご家系の方ではなかったという論旨です。江頭家も含めて。

I write my will across the sky in starsは、I write my lie across the earth in shit.

と書き換えたほうがよさげ。

トド子さんが紹介していらっしゃるけれど、こちらのブログさんが通名屁カテ様の基本的嘘の論破となりそうです。

http://kabanehosi.up.seesaa.net/image/syutuji.htm

台所婆は有名ですが、もう一つ身内臭がするサイトがこちらです。

h ttps://blog.goo.ne.jp/index2013/e/668bb73fc657778f7d78fe29e96604d3

これに対しても、上記のブロガーさん記事でその嘘がばれるでしょう。

しかし、あちら必死です。身内勢とあのワールド***という新興宗教勢でしょう。

情報をいくら操作しても無意味だと思います。即位されてからの雅子妃はより目立つようになり、それと共にいかがわしさも表に出ます。東宮の在位期間は短い、最長10年と思っていますが、それは単なる直感に過ぎません。


ついに小和田家【出自】の秘密 

2018-03-22 17:44:30

被災地訪問にも出る、品格の差。


https://blog.goo.ne.jp/bb-danwa/e/f0ffe3a0cf6cc2088255576c74fa4848


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c7

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
8. 中川隆[-11925] koaQ7Jey 2019年2月22日 23:44:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[49]

2018-04-23
皇太子殿下と雅子さま ご成婚の裏にあったもの
https://inbouron-toshidensetsu.hatenablog.com/entry/2018/04/23/080000

平成の世もあと一年余りになった。

来年4月30日をもって天皇皇后両陛下は、皇太子ご夫妻に天皇の地位を譲位され、上皇陛下、上皇后陛下となられる。

新しい時代が始まるわけだが、今の若い方々は、次期天皇皇后陛下となられる皇太子ご夫妻のことを、どれくらいご存知だろうか。

昭和の時代は、皇室の話題はごく普通にそして頻繁にテレビなどで取り上げられ、今の天皇陛下が皇太子殿下時代は、家族全員でのお写真も動画も頻繁に撮られ、お茶の間に流れていた。皇太子殿下、秋篠宮殿下、今は降嫁された黒田清子さんの学校行事や卒業式での様子、夏休みをお過ごしになるご一家の自然なご様子なども、しっかり写真や映像として納められ、実にオープンに披露されていた。そのため国民皆、当時の皇太子ご一家を「ふつうの家庭と変わらないご家族」という親しみを感じていた。当時は皇室に妃殿下も多くおられたので、ロイヤルファッションチェックの番組や週刊誌報道もとても多かった。

そんな華やかでオープンな皇室報道は、今はすっかりなくなってしまった。原因はおそらく、長い療養生活を送られる雅子さまを慮ってのことだと思われる。

皇室との縁組を熱望していた小和田家

平成の時代がもうすぐ終わるいま現在でも、ごく一般に言われていること。

『雅子さまは、皇太子殿下の熱烈なプロポーズに折れる形で、外務省でのキャリアを泣く泣くお捨てになった。しかし皇室は、雅子さまの高い能力や国際感覚を十分に発揮するにはあまりに旧態依然としたところで、外国育ちのキャリアウーマンであった雅子さまは適応障害を起こされた』

この流布は、ほぼ、真っ赤な嘘である。

雅子さまは、泣く泣く外務省でのスーパーキャリアを捨てて、皇室に嫁がれたのではない。外務省と当時外務省次官だった父、小和田恒氏を中心とした人々の猛烈な後押しによって、皇室に嫁いだのである。

1993年当時、皇太子婚約についての報道は、国内では報道協定が結ばれていた。しかし、その協定外にあったアメリカ合衆国の新聞『ワシントンポスト』が、同年1月6日に、日本の皇太子御婚約をスクープした。

このスクープを流したのは、ワシントンポストの日本人記者・東郷茂彦氏である。東郷茂彦の祖父・東郷茂徳は、太平洋戦争開戦時及び終戦時外務大臣、父・東郷文彦は戦後、外務省事務次官と駐米大使を務めている。茂彦の双子の弟・東郷和彦も、元駐オランダ大使・外務省欧亜局長などを務める外交官だった。

雅子さまと皇太子殿下と婚約の報道は、当時の外務省を中心とした関係者が熱烈にその縁組を望み、全力でサポートし、見切り発車的にスクープを飛ばしたものなのである。

ワシントンポストのスクープを受けて、同日夕、日本の報道機関もなし崩し的に、皇太子妃内定の速報を一斉に流した。

1月6日に皇太子妃内定の速報が出ても、当事者であるはずの宮内庁は数日間、完全に沈黙していた。宮内庁はおそらく、婚約スクープに関して完全に蚊帳の外に置かれていて、この騒動をどう収拾させるか苦悶していたと思われる…。

f:id:inbouron-toshidensetsu:20180421031302p:plain

外務省とマスコミが作り上げたお妃候補 小和田雅子さん

時代がまだ昭和だった頃、1960年生まれの浩宮徳仁親王殿下の結婚は、いつも注目の話題だった。そんな中、1980年後半頃から、外交官の娘、ハーバード大学卒の才媛、小和田雅子さんの名前がまるで何かのキャンペーンのように、たびたびマスコミで喧伝されていた。東京大学在学中に外交官試験に合格したというニュースは、NHKや新聞でもとても大きく取り上げられた。

当時は海外留学、帰国子女、バイリンガル、キャリアウーマンなどとという言葉が大ブームで、雅子さんはそのすべてを持ち合わせている女性として、マスコミに盛んに取り立てられていたのである。

皇太子殿下と雅子さまは、1986年10月のスペイン・エレナ王女のレセプションで、初めて運命的な出会いをしたと言われている。しかし本当はそのずっと以前より、お二人はかなり親密な知り合いだったのではないかと、まことしやかに言われている。

1984年、浩宮徳仁殿下と小和田雅子さんは、欧州・ドイツ国境に近いフランス・アルザス領コルマールという都市を、お忍びで旅行に行ったという話がある。お二人がその時、意気投合したのか、それともそのまま交際は自然消滅したのかは分からない。

しかし、運命の出会いとされる1986年10月のスペイン・エレナ王女のレセプション開催直前には、徳仁親王殿下本人の記事が掲載された写真週刊誌「FOCUS」10/17号に、まるで狙い定めたように、『父娘2代の外交官誕生!』と、雅子さんのグラビアがデカデカとねじ込んであったことを見ると、小和田家とその周辺の人々が引き続き必死になって、雅子さんを殿下に売り込んでいたことが分かる。

エレナ王女のレセプション当日には、出席者名簿に手書きで、小和田雅子さんの名前が急遽書き加えられた。      

小和田家、外務省、マスコミ、+αの人たちにとって、宮内庁が選ぶ良家出身のお妃候補には決して加えられない小和田雅子さんという女性が、とても重要な人物だったのは間違いないのだ。

昭和天皇は反対対されていた

当時まだご存命だった昭和天皇は、徳仁親王殿下と小和田雅子さんとの縁組は反対されていたと伝えられている。また当時の宮内庁が、小和田家の家系や雅子さんの異性関係を調査し、雅子さんとの縁組は断念するよう浩宮徳仁親王を説得したと言われている。

しかし、昭和天皇は1989年1月にご崩御。時代は昭和から平成に変わり、皇太子となった徳仁親王殿下の周辺がようやく落ち着いて来た頃に、小和田家とその周りの人々は、まだ独身だった皇太子殿下に、また猛烈なアタックを仕掛けてくるのである。

時にはご両親である天皇皇后両陛下や、宮内庁職員の目を欺いてまで、雅子さんとの密会の機会を作ったりしていたようである。

一度は破談になった雅子さん本人は、一時他の男性との結婚を考えていたとも言われているが、父親の小和田恒氏が、娘を皇太子妃にするという野望を、決してあきらめることはなかった。そして雅子さんも、結局は父親がひいたレール以外は歩いたことのないひとである。結婚も、親の言う通りの道を進んだのであった。

f:id:inbouron-toshidensetsu:20180421031305p:plain

雅子さまの背景にあるもの

1月6日のスクープから約2週間後の1月19日、皇室会議が開かれ、雅子さまは皇太子殿下の婚約者として内定した。この時、全会一致ではなく、昭和天皇の弟、三笠宮崇仁親王殿下は婚約反対の意思を出されたとされている。

そして6月9日、お二人は晴れて夫婦となられた。皇族の結婚式が行われる賢所での、十二単に身を包んだ雅子さまは、非常に険しい表情をされていたが、白のローブデコルテに着替えられると、明らかに幸せいっぱい、喜色満面の笑みを浮かべられていた。皇太子殿下の方が、これからの苦難の日々を何となく予感されてのことなのか、どこか神妙なお顔をされる場面が多かった。

1993年の世紀のロイヤルウエディングがあった当時は宮沢内閣、河野洋平氏が内閣官房長官、そして、外務省次官が皇太子妃の父となった小和田恒氏だった。

ロイヤルウエディングより2か月後の同年8月、その後、長期にわたって日本を苦悩させ、日韓関係を狂わせるあの「河野談話」が発表されるのである。

当時、新聞社は既に斜陽産業だったが、朝日新聞などの左派メディアの勢いはまだまだすさまじかった。マスコミの号令で時の政権を操作することは十分可能な時代であった。

いまから25年前、様々な人々の思惑を背負って皇室に嫁がれた雅子さま。来年の新天皇御即位を控え、今年の6月9日には皇太子殿下と銀婚式を迎えられる。


https://inbouron-toshidensetsu.hatenablog.com/entry/2018/04/23/080000
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c8

[近代史3] 皇太子妃の雅子さんは典型的なダメダメ家庭出身者  中川隆
14. 中川隆[-11924] koaQ7Jey 2019年2月22日 23:44:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[50]

2018-04-23
皇太子殿下と雅子さま ご成婚の裏にあったもの
https://inbouron-toshidensetsu.hatenablog.com/entry/2018/04/23/080000

平成の世もあと一年余りになった。

来年4月30日をもって天皇皇后両陛下は、皇太子ご夫妻に天皇の地位を譲位され、上皇陛下、上皇后陛下となられる。

新しい時代が始まるわけだが、今の若い方々は、次期天皇皇后陛下となられる皇太子ご夫妻のことを、どれくらいご存知だろうか。

昭和の時代は、皇室の話題はごく普通にそして頻繁にテレビなどで取り上げられ、今の天皇陛下が皇太子殿下時代は、家族全員でのお写真も動画も頻繁に撮られ、お茶の間に流れていた。皇太子殿下、秋篠宮殿下、今は降嫁された黒田清子さんの学校行事や卒業式での様子、夏休みをお過ごしになるご一家の自然なご様子なども、しっかり写真や映像として納められ、実にオープンに披露されていた。そのため国民皆、当時の皇太子ご一家を「ふつうの家庭と変わらないご家族」という親しみを感じていた。当時は皇室に妃殿下も多くおられたので、ロイヤルファッションチェックの番組や週刊誌報道もとても多かった。

そんな華やかでオープンな皇室報道は、今はすっかりなくなってしまった。原因はおそらく、長い療養生活を送られる雅子さまを慮ってのことだと思われる。

皇室との縁組を熱望していた小和田家

平成の時代がもうすぐ終わるいま現在でも、ごく一般に言われていること。

『雅子さまは、皇太子殿下の熱烈なプロポーズに折れる形で、外務省でのキャリアを泣く泣くお捨てになった。しかし皇室は、雅子さまの高い能力や国際感覚を十分に発揮するにはあまりに旧態依然としたところで、外国育ちのキャリアウーマンであった雅子さまは適応障害を起こされた』

この流布は、ほぼ、真っ赤な嘘である。

雅子さまは、泣く泣く外務省でのスーパーキャリアを捨てて、皇室に嫁がれたのではない。外務省と当時外務省次官だった父、小和田恒氏を中心とした人々の猛烈な後押しによって、皇室に嫁いだのである。

1993年当時、皇太子婚約についての報道は、国内では報道協定が結ばれていた。しかし、その協定外にあったアメリカ合衆国の新聞『ワシントンポスト』が、同年1月6日に、日本の皇太子御婚約をスクープした。

このスクープを流したのは、ワシントンポストの日本人記者・東郷茂彦氏である。東郷茂彦の祖父・東郷茂徳は、太平洋戦争開戦時及び終戦時外務大臣、父・東郷文彦は戦後、外務省事務次官と駐米大使を務めている。茂彦の双子の弟・東郷和彦も、元駐オランダ大使・外務省欧亜局長などを務める外交官だった。

雅子さまと皇太子殿下と婚約の報道は、当時の外務省を中心とした関係者が熱烈にその縁組を望み、全力でサポートし、見切り発車的にスクープを飛ばしたものなのである。

ワシントンポストのスクープを受けて、同日夕、日本の報道機関もなし崩し的に、皇太子妃内定の速報を一斉に流した。

1月6日に皇太子妃内定の速報が出ても、当事者であるはずの宮内庁は数日間、完全に沈黙していた。宮内庁はおそらく、婚約スクープに関して完全に蚊帳の外に置かれていて、この騒動をどう収拾させるか苦悶していたと思われる…。

f:id:inbouron-toshidensetsu:20180421031302p:plain

外務省とマスコミが作り上げたお妃候補 小和田雅子さん

時代がまだ昭和だった頃、1960年生まれの浩宮徳仁親王殿下の結婚は、いつも注目の話題だった。そんな中、1980年後半頃から、外交官の娘、ハーバード大学卒の才媛、小和田雅子さんの名前がまるで何かのキャンペーンのように、たびたびマスコミで喧伝されていた。東京大学在学中に外交官試験に合格したというニュースは、NHKや新聞でもとても大きく取り上げられた。

当時は海外留学、帰国子女、バイリンガル、キャリアウーマンなどとという言葉が大ブームで、雅子さんはそのすべてを持ち合わせている女性として、マスコミに盛んに取り立てられていたのである。

皇太子殿下と雅子さまは、1986年10月のスペイン・エレナ王女のレセプションで、初めて運命的な出会いをしたと言われている。しかし本当はそのずっと以前より、お二人はかなり親密な知り合いだったのではないかと、まことしやかに言われている。

1984年、浩宮徳仁殿下と小和田雅子さんは、欧州・ドイツ国境に近いフランス・アルザス領コルマールという都市を、お忍びで旅行に行ったという話がある。お二人がその時、意気投合したのか、それともそのまま交際は自然消滅したのかは分からない。

しかし、運命の出会いとされる1986年10月のスペイン・エレナ王女のレセプション開催直前には、徳仁親王殿下本人の記事が掲載された写真週刊誌「FOCUS」10/17号に、まるで狙い定めたように、『父娘2代の外交官誕生!』と、雅子さんのグラビアがデカデカとねじ込んであったことを見ると、小和田家とその周辺の人々が引き続き必死になって、雅子さんを殿下に売り込んでいたことが分かる。

エレナ王女のレセプション当日には、出席者名簿に手書きで、小和田雅子さんの名前が急遽書き加えられた。      

小和田家、外務省、マスコミ、+αの人たちにとって、宮内庁が選ぶ良家出身のお妃候補には決して加えられない小和田雅子さんという女性が、とても重要な人物だったのは間違いないのだ。

昭和天皇は反対対されていた

当時まだご存命だった昭和天皇は、徳仁親王殿下と小和田雅子さんとの縁組は反対されていたと伝えられている。また当時の宮内庁が、小和田家の家系や雅子さんの異性関係を調査し、雅子さんとの縁組は断念するよう浩宮徳仁親王を説得したと言われている。

しかし、昭和天皇は1989年1月にご崩御。時代は昭和から平成に変わり、皇太子となった徳仁親王殿下の周辺がようやく落ち着いて来た頃に、小和田家とその周りの人々は、まだ独身だった皇太子殿下に、また猛烈なアタックを仕掛けてくるのである。

時にはご両親である天皇皇后両陛下や、宮内庁職員の目を欺いてまで、雅子さんとの密会の機会を作ったりしていたようである。

一度は破談になった雅子さん本人は、一時他の男性との結婚を考えていたとも言われているが、父親の小和田恒氏が、娘を皇太子妃にするという野望を、決してあきらめることはなかった。そして雅子さんも、結局は父親がひいたレール以外は歩いたことのないひとである。結婚も、親の言う通りの道を進んだのであった。

f:id:inbouron-toshidensetsu:20180421031305p:plain

雅子さまの背景にあるもの

1月6日のスクープから約2週間後の1月19日、皇室会議が開かれ、雅子さまは皇太子殿下の婚約者として内定した。この時、全会一致ではなく、昭和天皇の弟、三笠宮崇仁親王殿下は婚約反対の意思を出されたとされている。

そして6月9日、お二人は晴れて夫婦となられた。皇族の結婚式が行われる賢所での、十二単に身を包んだ雅子さまは、非常に険しい表情をされていたが、白のローブデコルテに着替えられると、明らかに幸せいっぱい、喜色満面の笑みを浮かべられていた。皇太子殿下の方が、これからの苦難の日々を何となく予感されてのことなのか、どこか神妙なお顔をされる場面が多かった。

1993年の世紀のロイヤルウエディングがあった当時は宮沢内閣、河野洋平氏が内閣官房長官、そして、外務省次官が皇太子妃の父となった小和田恒氏だった。

ロイヤルウエディングより2か月後の同年8月、その後、長期にわたって日本を苦悩させ、日韓関係を狂わせるあの「河野談話」が発表されるのである。

当時、新聞社は既に斜陽産業だったが、朝日新聞などの左派メディアの勢いはまだまだすさまじかった。マスコミの号令で時の政権を操作することは十分可能な時代であった。

いまから25年前、様々な人々の思惑を背負って皇室に嫁がれた雅子さま。来年の新天皇御即位を控え、今年の6月9日には皇太子殿下と銀婚式を迎えられる。


https://inbouron-toshidensetsu.hatenablog.com/entry/2018/04/23/080000
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/179.html#c14

[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
12. 中川隆[-11923] koaQ7Jey 2019年2月22日 23:45:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[51]

2018-04-23
皇太子殿下と雅子さま ご成婚の裏にあったもの
https://inbouron-toshidensetsu.hatenablog.com/entry/2018/04/23/080000

平成の世もあと一年余りになった。

来年4月30日をもって天皇皇后両陛下は、皇太子ご夫妻に天皇の地位を譲位され、上皇陛下、上皇后陛下となられる。

新しい時代が始まるわけだが、今の若い方々は、次期天皇皇后陛下となられる皇太子ご夫妻のことを、どれくらいご存知だろうか。

昭和の時代は、皇室の話題はごく普通にそして頻繁にテレビなどで取り上げられ、今の天皇陛下が皇太子殿下時代は、家族全員でのお写真も動画も頻繁に撮られ、お茶の間に流れていた。皇太子殿下、秋篠宮殿下、今は降嫁された黒田清子さんの学校行事や卒業式での様子、夏休みをお過ごしになるご一家の自然なご様子なども、しっかり写真や映像として納められ、実にオープンに披露されていた。そのため国民皆、当時の皇太子ご一家を「ふつうの家庭と変わらないご家族」という親しみを感じていた。当時は皇室に妃殿下も多くおられたので、ロイヤルファッションチェックの番組や週刊誌報道もとても多かった。

そんな華やかでオープンな皇室報道は、今はすっかりなくなってしまった。原因はおそらく、長い療養生活を送られる雅子さまを慮ってのことだと思われる。

皇室との縁組を熱望していた小和田家

平成の時代がもうすぐ終わるいま現在でも、ごく一般に言われていること。

『雅子さまは、皇太子殿下の熱烈なプロポーズに折れる形で、外務省でのキャリアを泣く泣くお捨てになった。しかし皇室は、雅子さまの高い能力や国際感覚を十分に発揮するにはあまりに旧態依然としたところで、外国育ちのキャリアウーマンであった雅子さまは適応障害を起こされた』

この流布は、ほぼ、真っ赤な嘘である。

雅子さまは、泣く泣く外務省でのスーパーキャリアを捨てて、皇室に嫁がれたのではない。外務省と当時外務省次官だった父、小和田恒氏を中心とした人々の猛烈な後押しによって、皇室に嫁いだのである。

1993年当時、皇太子婚約についての報道は、国内では報道協定が結ばれていた。しかし、その協定外にあったアメリカ合衆国の新聞『ワシントンポスト』が、同年1月6日に、日本の皇太子御婚約をスクープした。

このスクープを流したのは、ワシントンポストの日本人記者・東郷茂彦氏である。東郷茂彦の祖父・東郷茂徳は、太平洋戦争開戦時及び終戦時外務大臣、父・東郷文彦は戦後、外務省事務次官と駐米大使を務めている。茂彦の双子の弟・東郷和彦も、元駐オランダ大使・外務省欧亜局長などを務める外交官だった。

雅子さまと皇太子殿下と婚約の報道は、当時の外務省を中心とした関係者が熱烈にその縁組を望み、全力でサポートし、見切り発車的にスクープを飛ばしたものなのである。

ワシントンポストのスクープを受けて、同日夕、日本の報道機関もなし崩し的に、皇太子妃内定の速報を一斉に流した。

1月6日に皇太子妃内定の速報が出ても、当事者であるはずの宮内庁は数日間、完全に沈黙していた。宮内庁はおそらく、婚約スクープに関して完全に蚊帳の外に置かれていて、この騒動をどう収拾させるか苦悶していたと思われる…。

f:id:inbouron-toshidensetsu:20180421031302p:plain

外務省とマスコミが作り上げたお妃候補 小和田雅子さん

時代がまだ昭和だった頃、1960年生まれの浩宮徳仁親王殿下の結婚は、いつも注目の話題だった。そんな中、1980年後半頃から、外交官の娘、ハーバード大学卒の才媛、小和田雅子さんの名前がまるで何かのキャンペーンのように、たびたびマスコミで喧伝されていた。東京大学在学中に外交官試験に合格したというニュースは、NHKや新聞でもとても大きく取り上げられた。

当時は海外留学、帰国子女、バイリンガル、キャリアウーマンなどとという言葉が大ブームで、雅子さんはそのすべてを持ち合わせている女性として、マスコミに盛んに取り立てられていたのである。

皇太子殿下と雅子さまは、1986年10月のスペイン・エレナ王女のレセプションで、初めて運命的な出会いをしたと言われている。しかし本当はそのずっと以前より、お二人はかなり親密な知り合いだったのではないかと、まことしやかに言われている。

1984年、浩宮徳仁殿下と小和田雅子さんは、欧州・ドイツ国境に近いフランス・アルザス領コルマールという都市を、お忍びで旅行に行ったという話がある。お二人がその時、意気投合したのか、それともそのまま交際は自然消滅したのかは分からない。

しかし、運命の出会いとされる1986年10月のスペイン・エレナ王女のレセプション開催直前には、徳仁親王殿下本人の記事が掲載された写真週刊誌「FOCUS」10/17号に、まるで狙い定めたように、『父娘2代の外交官誕生!』と、雅子さんのグラビアがデカデカとねじ込んであったことを見ると、小和田家とその周辺の人々が引き続き必死になって、雅子さんを殿下に売り込んでいたことが分かる。

エレナ王女のレセプション当日には、出席者名簿に手書きで、小和田雅子さんの名前が急遽書き加えられた。      

小和田家、外務省、マスコミ、+αの人たちにとって、宮内庁が選ぶ良家出身のお妃候補には決して加えられない小和田雅子さんという女性が、とても重要な人物だったのは間違いないのだ。

昭和天皇は反対対されていた

当時まだご存命だった昭和天皇は、徳仁親王殿下と小和田雅子さんとの縁組は反対されていたと伝えられている。また当時の宮内庁が、小和田家の家系や雅子さんの異性関係を調査し、雅子さんとの縁組は断念するよう浩宮徳仁親王を説得したと言われている。

しかし、昭和天皇は1989年1月にご崩御。時代は昭和から平成に変わり、皇太子となった徳仁親王殿下の周辺がようやく落ち着いて来た頃に、小和田家とその周りの人々は、まだ独身だった皇太子殿下に、また猛烈なアタックを仕掛けてくるのである。

時にはご両親である天皇皇后両陛下や、宮内庁職員の目を欺いてまで、雅子さんとの密会の機会を作ったりしていたようである。

一度は破談になった雅子さん本人は、一時他の男性との結婚を考えていたとも言われているが、父親の小和田恒氏が、娘を皇太子妃にするという野望を、決してあきらめることはなかった。そして雅子さんも、結局は父親がひいたレール以外は歩いたことのないひとである。結婚も、親の言う通りの道を進んだのであった。

f:id:inbouron-toshidensetsu:20180421031305p:plain

雅子さまの背景にあるもの

1月6日のスクープから約2週間後の1月19日、皇室会議が開かれ、雅子さまは皇太子殿下の婚約者として内定した。この時、全会一致ではなく、昭和天皇の弟、三笠宮崇仁親王殿下は婚約反対の意思を出されたとされている。

そして6月9日、お二人は晴れて夫婦となられた。皇族の結婚式が行われる賢所での、十二単に身を包んだ雅子さまは、非常に険しい表情をされていたが、白のローブデコルテに着替えられると、明らかに幸せいっぱい、喜色満面の笑みを浮かべられていた。皇太子殿下の方が、これからの苦難の日々を何となく予感されてのことなのか、どこか神妙なお顔をされる場面が多かった。

1993年の世紀のロイヤルウエディングがあった当時は宮沢内閣、河野洋平氏が内閣官房長官、そして、外務省次官が皇太子妃の父となった小和田恒氏だった。

ロイヤルウエディングより2か月後の同年8月、その後、長期にわたって日本を苦悩させ、日韓関係を狂わせるあの「河野談話」が発表されるのである。

当時、新聞社は既に斜陽産業だったが、朝日新聞などの左派メディアの勢いはまだまだすさまじかった。マスコミの号令で時の政権を操作することは十分可能な時代であった。

いまから25年前、様々な人々の思惑を背負って皇室に嫁がれた雅子さま。来年の新天皇御即位を控え、今年の6月9日には皇太子殿下と銀婚式を迎えられる。


https://inbouron-toshidensetsu.hatenablog.com/entry/2018/04/23/080000
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c12

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
40. 中川隆[-11922] koaQ7Jey 2019年2月22日 23:45:28 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[52]

2018-04-23
皇太子殿下と雅子さま ご成婚の裏にあったもの
https://inbouron-toshidensetsu.hatenablog.com/entry/2018/04/23/080000

平成の世もあと一年余りになった。

来年4月30日をもって天皇皇后両陛下は、皇太子ご夫妻に天皇の地位を譲位され、上皇陛下、上皇后陛下となられる。

新しい時代が始まるわけだが、今の若い方々は、次期天皇皇后陛下となられる皇太子ご夫妻のことを、どれくらいご存知だろうか。

昭和の時代は、皇室の話題はごく普通にそして頻繁にテレビなどで取り上げられ、今の天皇陛下が皇太子殿下時代は、家族全員でのお写真も動画も頻繁に撮られ、お茶の間に流れていた。皇太子殿下、秋篠宮殿下、今は降嫁された黒田清子さんの学校行事や卒業式での様子、夏休みをお過ごしになるご一家の自然なご様子なども、しっかり写真や映像として納められ、実にオープンに披露されていた。そのため国民皆、当時の皇太子ご一家を「ふつうの家庭と変わらないご家族」という親しみを感じていた。当時は皇室に妃殿下も多くおられたので、ロイヤルファッションチェックの番組や週刊誌報道もとても多かった。

そんな華やかでオープンな皇室報道は、今はすっかりなくなってしまった。原因はおそらく、長い療養生活を送られる雅子さまを慮ってのことだと思われる。

皇室との縁組を熱望していた小和田家

平成の時代がもうすぐ終わるいま現在でも、ごく一般に言われていること。

『雅子さまは、皇太子殿下の熱烈なプロポーズに折れる形で、外務省でのキャリアを泣く泣くお捨てになった。しかし皇室は、雅子さまの高い能力や国際感覚を十分に発揮するにはあまりに旧態依然としたところで、外国育ちのキャリアウーマンであった雅子さまは適応障害を起こされた』

この流布は、ほぼ、真っ赤な嘘である。

雅子さまは、泣く泣く外務省でのスーパーキャリアを捨てて、皇室に嫁がれたのではない。外務省と当時外務省次官だった父、小和田恒氏を中心とした人々の猛烈な後押しによって、皇室に嫁いだのである。

1993年当時、皇太子婚約についての報道は、国内では報道協定が結ばれていた。しかし、その協定外にあったアメリカ合衆国の新聞『ワシントンポスト』が、同年1月6日に、日本の皇太子御婚約をスクープした。

このスクープを流したのは、ワシントンポストの日本人記者・東郷茂彦氏である。東郷茂彦の祖父・東郷茂徳は、太平洋戦争開戦時及び終戦時外務大臣、父・東郷文彦は戦後、外務省事務次官と駐米大使を務めている。茂彦の双子の弟・東郷和彦も、元駐オランダ大使・外務省欧亜局長などを務める外交官だった。

雅子さまと皇太子殿下と婚約の報道は、当時の外務省を中心とした関係者が熱烈にその縁組を望み、全力でサポートし、見切り発車的にスクープを飛ばしたものなのである。

ワシントンポストのスクープを受けて、同日夕、日本の報道機関もなし崩し的に、皇太子妃内定の速報を一斉に流した。

1月6日に皇太子妃内定の速報が出ても、当事者であるはずの宮内庁は数日間、完全に沈黙していた。宮内庁はおそらく、婚約スクープに関して完全に蚊帳の外に置かれていて、この騒動をどう収拾させるか苦悶していたと思われる…。

f:id:inbouron-toshidensetsu:20180421031302p:plain

外務省とマスコミが作り上げたお妃候補 小和田雅子さん

時代がまだ昭和だった頃、1960年生まれの浩宮徳仁親王殿下の結婚は、いつも注目の話題だった。そんな中、1980年後半頃から、外交官の娘、ハーバード大学卒の才媛、小和田雅子さんの名前がまるで何かのキャンペーンのように、たびたびマスコミで喧伝されていた。東京大学在学中に外交官試験に合格したというニュースは、NHKや新聞でもとても大きく取り上げられた。

当時は海外留学、帰国子女、バイリンガル、キャリアウーマンなどとという言葉が大ブームで、雅子さんはそのすべてを持ち合わせている女性として、マスコミに盛んに取り立てられていたのである。

皇太子殿下と雅子さまは、1986年10月のスペイン・エレナ王女のレセプションで、初めて運命的な出会いをしたと言われている。しかし本当はそのずっと以前より、お二人はかなり親密な知り合いだったのではないかと、まことしやかに言われている。

1984年、浩宮徳仁殿下と小和田雅子さんは、欧州・ドイツ国境に近いフランス・アルザス領コルマールという都市を、お忍びで旅行に行ったという話がある。お二人がその時、意気投合したのか、それともそのまま交際は自然消滅したのかは分からない。

しかし、運命の出会いとされる1986年10月のスペイン・エレナ王女のレセプション開催直前には、徳仁親王殿下本人の記事が掲載された写真週刊誌「FOCUS」10/17号に、まるで狙い定めたように、『父娘2代の外交官誕生!』と、雅子さんのグラビアがデカデカとねじ込んであったことを見ると、小和田家とその周辺の人々が引き続き必死になって、雅子さんを殿下に売り込んでいたことが分かる。

エレナ王女のレセプション当日には、出席者名簿に手書きで、小和田雅子さんの名前が急遽書き加えられた。      

小和田家、外務省、マスコミ、+αの人たちにとって、宮内庁が選ぶ良家出身のお妃候補には決して加えられない小和田雅子さんという女性が、とても重要な人物だったのは間違いないのだ。

昭和天皇は反対対されていた

当時まだご存命だった昭和天皇は、徳仁親王殿下と小和田雅子さんとの縁組は反対されていたと伝えられている。また当時の宮内庁が、小和田家の家系や雅子さんの異性関係を調査し、雅子さんとの縁組は断念するよう浩宮徳仁親王を説得したと言われている。

しかし、昭和天皇は1989年1月にご崩御。時代は昭和から平成に変わり、皇太子となった徳仁親王殿下の周辺がようやく落ち着いて来た頃に、小和田家とその周りの人々は、まだ独身だった皇太子殿下に、また猛烈なアタックを仕掛けてくるのである。

時にはご両親である天皇皇后両陛下や、宮内庁職員の目を欺いてまで、雅子さんとの密会の機会を作ったりしていたようである。

一度は破談になった雅子さん本人は、一時他の男性との結婚を考えていたとも言われているが、父親の小和田恒氏が、娘を皇太子妃にするという野望を、決してあきらめることはなかった。そして雅子さんも、結局は父親がひいたレール以外は歩いたことのないひとである。結婚も、親の言う通りの道を進んだのであった。

f:id:inbouron-toshidensetsu:20180421031305p:plain

雅子さまの背景にあるもの

1月6日のスクープから約2週間後の1月19日、皇室会議が開かれ、雅子さまは皇太子殿下の婚約者として内定した。この時、全会一致ではなく、昭和天皇の弟、三笠宮崇仁親王殿下は婚約反対の意思を出されたとされている。

そして6月9日、お二人は晴れて夫婦となられた。皇族の結婚式が行われる賢所での、十二単に身を包んだ雅子さまは、非常に険しい表情をされていたが、白のローブデコルテに着替えられると、明らかに幸せいっぱい、喜色満面の笑みを浮かべられていた。皇太子殿下の方が、これからの苦難の日々を何となく予感されてのことなのか、どこか神妙なお顔をされる場面が多かった。

1993年の世紀のロイヤルウエディングがあった当時は宮沢内閣、河野洋平氏が内閣官房長官、そして、外務省次官が皇太子妃の父となった小和田恒氏だった。

ロイヤルウエディングより2か月後の同年8月、その後、長期にわたって日本を苦悩させ、日韓関係を狂わせるあの「河野談話」が発表されるのである。

当時、新聞社は既に斜陽産業だったが、朝日新聞などの左派メディアの勢いはまだまだすさまじかった。マスコミの号令で時の政権を操作することは十分可能な時代であった。

いまから25年前、様々な人々の思惑を背負って皇室に嫁がれた雅子さま。来年の新天皇御即位を控え、今年の6月9日には皇太子殿下と銀婚式を迎えられる。


https://inbouron-toshidensetsu.hatenablog.com/entry/2018/04/23/080000
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c40

[昼休み54] 日本の中枢は既に在日朝鮮人に乗っ取られている 中川隆
18. 中川隆[-11921] koaQ7Jey 2019年2月22日 23:45:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[53]

2018-04-23
皇太子殿下と雅子さま ご成婚の裏にあったもの
https://inbouron-toshidensetsu.hatenablog.com/entry/2018/04/23/080000

平成の世もあと一年余りになった。

来年4月30日をもって天皇皇后両陛下は、皇太子ご夫妻に天皇の地位を譲位され、上皇陛下、上皇后陛下となられる。

新しい時代が始まるわけだが、今の若い方々は、次期天皇皇后陛下となられる皇太子ご夫妻のことを、どれくらいご存知だろうか。

昭和の時代は、皇室の話題はごく普通にそして頻繁にテレビなどで取り上げられ、今の天皇陛下が皇太子殿下時代は、家族全員でのお写真も動画も頻繁に撮られ、お茶の間に流れていた。皇太子殿下、秋篠宮殿下、今は降嫁された黒田清子さんの学校行事や卒業式での様子、夏休みをお過ごしになるご一家の自然なご様子なども、しっかり写真や映像として納められ、実にオープンに披露されていた。そのため国民皆、当時の皇太子ご一家を「ふつうの家庭と変わらないご家族」という親しみを感じていた。当時は皇室に妃殿下も多くおられたので、ロイヤルファッションチェックの番組や週刊誌報道もとても多かった。

そんな華やかでオープンな皇室報道は、今はすっかりなくなってしまった。原因はおそらく、長い療養生活を送られる雅子さまを慮ってのことだと思われる。

皇室との縁組を熱望していた小和田家

平成の時代がもうすぐ終わるいま現在でも、ごく一般に言われていること。

『雅子さまは、皇太子殿下の熱烈なプロポーズに折れる形で、外務省でのキャリアを泣く泣くお捨てになった。しかし皇室は、雅子さまの高い能力や国際感覚を十分に発揮するにはあまりに旧態依然としたところで、外国育ちのキャリアウーマンであった雅子さまは適応障害を起こされた』

この流布は、ほぼ、真っ赤な嘘である。

雅子さまは、泣く泣く外務省でのスーパーキャリアを捨てて、皇室に嫁がれたのではない。外務省と当時外務省次官だった父、小和田恒氏を中心とした人々の猛烈な後押しによって、皇室に嫁いだのである。

1993年当時、皇太子婚約についての報道は、国内では報道協定が結ばれていた。しかし、その協定外にあったアメリカ合衆国の新聞『ワシントンポスト』が、同年1月6日に、日本の皇太子御婚約をスクープした。

このスクープを流したのは、ワシントンポストの日本人記者・東郷茂彦氏である。東郷茂彦の祖父・東郷茂徳は、太平洋戦争開戦時及び終戦時外務大臣、父・東郷文彦は戦後、外務省事務次官と駐米大使を務めている。茂彦の双子の弟・東郷和彦も、元駐オランダ大使・外務省欧亜局長などを務める外交官だった。

雅子さまと皇太子殿下と婚約の報道は、当時の外務省を中心とした関係者が熱烈にその縁組を望み、全力でサポートし、見切り発車的にスクープを飛ばしたものなのである。

ワシントンポストのスクープを受けて、同日夕、日本の報道機関もなし崩し的に、皇太子妃内定の速報を一斉に流した。

1月6日に皇太子妃内定の速報が出ても、当事者であるはずの宮内庁は数日間、完全に沈黙していた。宮内庁はおそらく、婚約スクープに関して完全に蚊帳の外に置かれていて、この騒動をどう収拾させるか苦悶していたと思われる…。

f:id:inbouron-toshidensetsu:20180421031302p:plain

外務省とマスコミが作り上げたお妃候補 小和田雅子さん

時代がまだ昭和だった頃、1960年生まれの浩宮徳仁親王殿下の結婚は、いつも注目の話題だった。そんな中、1980年後半頃から、外交官の娘、ハーバード大学卒の才媛、小和田雅子さんの名前がまるで何かのキャンペーンのように、たびたびマスコミで喧伝されていた。東京大学在学中に外交官試験に合格したというニュースは、NHKや新聞でもとても大きく取り上げられた。

当時は海外留学、帰国子女、バイリンガル、キャリアウーマンなどとという言葉が大ブームで、雅子さんはそのすべてを持ち合わせている女性として、マスコミに盛んに取り立てられていたのである。

皇太子殿下と雅子さまは、1986年10月のスペイン・エレナ王女のレセプションで、初めて運命的な出会いをしたと言われている。しかし本当はそのずっと以前より、お二人はかなり親密な知り合いだったのではないかと、まことしやかに言われている。

1984年、浩宮徳仁殿下と小和田雅子さんは、欧州・ドイツ国境に近いフランス・アルザス領コルマールという都市を、お忍びで旅行に行ったという話がある。お二人がその時、意気投合したのか、それともそのまま交際は自然消滅したのかは分からない。

しかし、運命の出会いとされる1986年10月のスペイン・エレナ王女のレセプション開催直前には、徳仁親王殿下本人の記事が掲載された写真週刊誌「FOCUS」10/17号に、まるで狙い定めたように、『父娘2代の外交官誕生!』と、雅子さんのグラビアがデカデカとねじ込んであったことを見ると、小和田家とその周辺の人々が引き続き必死になって、雅子さんを殿下に売り込んでいたことが分かる。

エレナ王女のレセプション当日には、出席者名簿に手書きで、小和田雅子さんの名前が急遽書き加えられた。      

小和田家、外務省、マスコミ、+αの人たちにとって、宮内庁が選ぶ良家出身のお妃候補には決して加えられない小和田雅子さんという女性が、とても重要な人物だったのは間違いないのだ。

昭和天皇は反対対されていた

当時まだご存命だった昭和天皇は、徳仁親王殿下と小和田雅子さんとの縁組は反対されていたと伝えられている。また当時の宮内庁が、小和田家の家系や雅子さんの異性関係を調査し、雅子さんとの縁組は断念するよう浩宮徳仁親王を説得したと言われている。

しかし、昭和天皇は1989年1月にご崩御。時代は昭和から平成に変わり、皇太子となった徳仁親王殿下の周辺がようやく落ち着いて来た頃に、小和田家とその周りの人々は、まだ独身だった皇太子殿下に、また猛烈なアタックを仕掛けてくるのである。

時にはご両親である天皇皇后両陛下や、宮内庁職員の目を欺いてまで、雅子さんとの密会の機会を作ったりしていたようである。

一度は破談になった雅子さん本人は、一時他の男性との結婚を考えていたとも言われているが、父親の小和田恒氏が、娘を皇太子妃にするという野望を、決してあきらめることはなかった。そして雅子さんも、結局は父親がひいたレール以外は歩いたことのないひとである。結婚も、親の言う通りの道を進んだのであった。

f:id:inbouron-toshidensetsu:20180421031305p:plain

雅子さまの背景にあるもの

1月6日のスクープから約2週間後の1月19日、皇室会議が開かれ、雅子さまは皇太子殿下の婚約者として内定した。この時、全会一致ではなく、昭和天皇の弟、三笠宮崇仁親王殿下は婚約反対の意思を出されたとされている。

そして6月9日、お二人は晴れて夫婦となられた。皇族の結婚式が行われる賢所での、十二単に身を包んだ雅子さまは、非常に険しい表情をされていたが、白のローブデコルテに着替えられると、明らかに幸せいっぱい、喜色満面の笑みを浮かべられていた。皇太子殿下の方が、これからの苦難の日々を何となく予感されてのことなのか、どこか神妙なお顔をされる場面が多かった。

1993年の世紀のロイヤルウエディングがあった当時は宮沢内閣、河野洋平氏が内閣官房長官、そして、外務省次官が皇太子妃の父となった小和田恒氏だった。

ロイヤルウエディングより2か月後の同年8月、その後、長期にわたって日本を苦悩させ、日韓関係を狂わせるあの「河野談話」が発表されるのである。

当時、新聞社は既に斜陽産業だったが、朝日新聞などの左派メディアの勢いはまだまだすさまじかった。マスコミの号令で時の政権を操作することは十分可能な時代であった。

いまから25年前、様々な人々の思惑を背負って皇室に嫁がれた雅子さま。来年の新天皇御即位を控え、今年の6月9日には皇太子殿下と銀婚式を迎えられる。


https://inbouron-toshidensetsu.hatenablog.com/entry/2018/04/23/080000
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/232.html#c18

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
162. 中川隆[-11920] koaQ7Jey 2019年2月22日 23:46:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[54]

2018-04-23
皇太子殿下と雅子さま ご成婚の裏にあったもの
https://inbouron-toshidensetsu.hatenablog.com/entry/2018/04/23/080000

平成の世もあと一年余りになった。

来年4月30日をもって天皇皇后両陛下は、皇太子ご夫妻に天皇の地位を譲位され、上皇陛下、上皇后陛下となられる。

新しい時代が始まるわけだが、今の若い方々は、次期天皇皇后陛下となられる皇太子ご夫妻のことを、どれくらいご存知だろうか。

昭和の時代は、皇室の話題はごく普通にそして頻繁にテレビなどで取り上げられ、今の天皇陛下が皇太子殿下時代は、家族全員でのお写真も動画も頻繁に撮られ、お茶の間に流れていた。皇太子殿下、秋篠宮殿下、今は降嫁された黒田清子さんの学校行事や卒業式での様子、夏休みをお過ごしになるご一家の自然なご様子なども、しっかり写真や映像として納められ、実にオープンに披露されていた。そのため国民皆、当時の皇太子ご一家を「ふつうの家庭と変わらないご家族」という親しみを感じていた。当時は皇室に妃殿下も多くおられたので、ロイヤルファッションチェックの番組や週刊誌報道もとても多かった。

そんな華やかでオープンな皇室報道は、今はすっかりなくなってしまった。原因はおそらく、長い療養生活を送られる雅子さまを慮ってのことだと思われる。

皇室との縁組を熱望していた小和田家

平成の時代がもうすぐ終わるいま現在でも、ごく一般に言われていること。

『雅子さまは、皇太子殿下の熱烈なプロポーズに折れる形で、外務省でのキャリアを泣く泣くお捨てになった。しかし皇室は、雅子さまの高い能力や国際感覚を十分に発揮するにはあまりに旧態依然としたところで、外国育ちのキャリアウーマンであった雅子さまは適応障害を起こされた』

この流布は、ほぼ、真っ赤な嘘である。

雅子さまは、泣く泣く外務省でのスーパーキャリアを捨てて、皇室に嫁がれたのではない。外務省と当時外務省次官だった父、小和田恒氏を中心とした人々の猛烈な後押しによって、皇室に嫁いだのである。

1993年当時、皇太子婚約についての報道は、国内では報道協定が結ばれていた。しかし、その協定外にあったアメリカ合衆国の新聞『ワシントンポスト』が、同年1月6日に、日本の皇太子御婚約をスクープした。

このスクープを流したのは、ワシントンポストの日本人記者・東郷茂彦氏である。東郷茂彦の祖父・東郷茂徳は、太平洋戦争開戦時及び終戦時外務大臣、父・東郷文彦は戦後、外務省事務次官と駐米大使を務めている。茂彦の双子の弟・東郷和彦も、元駐オランダ大使・外務省欧亜局長などを務める外交官だった。

雅子さまと皇太子殿下と婚約の報道は、当時の外務省を中心とした関係者が熱烈にその縁組を望み、全力でサポートし、見切り発車的にスクープを飛ばしたものなのである。

ワシントンポストのスクープを受けて、同日夕、日本の報道機関もなし崩し的に、皇太子妃内定の速報を一斉に流した。

1月6日に皇太子妃内定の速報が出ても、当事者であるはずの宮内庁は数日間、完全に沈黙していた。宮内庁はおそらく、婚約スクープに関して完全に蚊帳の外に置かれていて、この騒動をどう収拾させるか苦悶していたと思われる…。

f:id:inbouron-toshidensetsu:20180421031302p:plain

外務省とマスコミが作り上げたお妃候補 小和田雅子さん

時代がまだ昭和だった頃、1960年生まれの浩宮徳仁親王殿下の結婚は、いつも注目の話題だった。そんな中、1980年後半頃から、外交官の娘、ハーバード大学卒の才媛、小和田雅子さんの名前がまるで何かのキャンペーンのように、たびたびマスコミで喧伝されていた。東京大学在学中に外交官試験に合格したというニュースは、NHKや新聞でもとても大きく取り上げられた。

当時は海外留学、帰国子女、バイリンガル、キャリアウーマンなどとという言葉が大ブームで、雅子さんはそのすべてを持ち合わせている女性として、マスコミに盛んに取り立てられていたのである。

皇太子殿下と雅子さまは、1986年10月のスペイン・エレナ王女のレセプションで、初めて運命的な出会いをしたと言われている。しかし本当はそのずっと以前より、お二人はかなり親密な知り合いだったのではないかと、まことしやかに言われている。

1984年、浩宮徳仁殿下と小和田雅子さんは、欧州・ドイツ国境に近いフランス・アルザス領コルマールという都市を、お忍びで旅行に行ったという話がある。お二人がその時、意気投合したのか、それともそのまま交際は自然消滅したのかは分からない。

しかし、運命の出会いとされる1986年10月のスペイン・エレナ王女のレセプション開催直前には、徳仁親王殿下本人の記事が掲載された写真週刊誌「FOCUS」10/17号に、まるで狙い定めたように、『父娘2代の外交官誕生!』と、雅子さんのグラビアがデカデカとねじ込んであったことを見ると、小和田家とその周辺の人々が引き続き必死になって、雅子さんを殿下に売り込んでいたことが分かる。

エレナ王女のレセプション当日には、出席者名簿に手書きで、小和田雅子さんの名前が急遽書き加えられた。      

小和田家、外務省、マスコミ、+αの人たちにとって、宮内庁が選ぶ良家出身のお妃候補には決して加えられない小和田雅子さんという女性が、とても重要な人物だったのは間違いないのだ。

昭和天皇は反対対されていた

当時まだご存命だった昭和天皇は、徳仁親王殿下と小和田雅子さんとの縁組は反対されていたと伝えられている。また当時の宮内庁が、小和田家の家系や雅子さんの異性関係を調査し、雅子さんとの縁組は断念するよう浩宮徳仁親王を説得したと言われている。

しかし、昭和天皇は1989年1月にご崩御。時代は昭和から平成に変わり、皇太子となった徳仁親王殿下の周辺がようやく落ち着いて来た頃に、小和田家とその周りの人々は、まだ独身だった皇太子殿下に、また猛烈なアタックを仕掛けてくるのである。

時にはご両親である天皇皇后両陛下や、宮内庁職員の目を欺いてまで、雅子さんとの密会の機会を作ったりしていたようである。

一度は破談になった雅子さん本人は、一時他の男性との結婚を考えていたとも言われているが、父親の小和田恒氏が、娘を皇太子妃にするという野望を、決してあきらめることはなかった。そして雅子さんも、結局は父親がひいたレール以外は歩いたことのないひとである。結婚も、親の言う通りの道を進んだのであった。

f:id:inbouron-toshidensetsu:20180421031305p:plain

雅子さまの背景にあるもの

1月6日のスクープから約2週間後の1月19日、皇室会議が開かれ、雅子さまは皇太子殿下の婚約者として内定した。この時、全会一致ではなく、昭和天皇の弟、三笠宮崇仁親王殿下は婚約反対の意思を出されたとされている。

そして6月9日、お二人は晴れて夫婦となられた。皇族の結婚式が行われる賢所での、十二単に身を包んだ雅子さまは、非常に険しい表情をされていたが、白のローブデコルテに着替えられると、明らかに幸せいっぱい、喜色満面の笑みを浮かべられていた。皇太子殿下の方が、これからの苦難の日々を何となく予感されてのことなのか、どこか神妙なお顔をされる場面が多かった。

1993年の世紀のロイヤルウエディングがあった当時は宮沢内閣、河野洋平氏が内閣官房長官、そして、外務省次官が皇太子妃の父となった小和田恒氏だった。

ロイヤルウエディングより2か月後の同年8月、その後、長期にわたって日本を苦悩させ、日韓関係を狂わせるあの「河野談話」が発表されるのである。

当時、新聞社は既に斜陽産業だったが、朝日新聞などの左派メディアの勢いはまだまだすさまじかった。マスコミの号令で時の政権を操作することは十分可能な時代であった。

いまから25年前、様々な人々の思惑を背負って皇室に嫁がれた雅子さま。来年の新天皇御即位を控え、今年の6月9日には皇太子殿下と銀婚式を迎えられる。


https://inbouron-toshidensetsu.hatenablog.com/entry/2018/04/23/080000
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c162

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
163. 中川隆[-11922] koaQ7Jey 2019年2月22日 23:58:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[52]

2017.12.02
雅子様C@学歴 日本語も英語も話せない釣書詐欺
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764

「日本で一番優秀な女性」という触れ込みで皇太子の妻になった小和田雅子さんですが、実際はどうだったんでしょうか。

学歴がすべてを決めるわけではありませんが、実は高学歴とは程遠い方。学歴ロンタリングのの見本のような方です。

学歴が高低がもんだいなのではなく、嘘をつくとろに問題があると思います。ざっと見てみましょう

語学力 日本語が不自由

帰国子女やバイリンガルの場合、日本語がおかしいことは、よくあることですが、高校2年まで日本で育った雅子さまは、帰国子女とは言いません。にもかわらず、「天照大神」を、てんてるだいじん、とよむ知能のレベルでした

音読すると、変さが、いっそう解ります。支離滅裂です。

クワガタ、けれども、クワガタ、けれども、クワガタ、クワガタ、、、

言語は思考の土台だと思うのですが、言語能力が低いということは、知能が高くないということではないのかしら。


テレビ朝日 スーパーモーニング

工藤雪枝氏(雅子様の友人)の発言、小和田優美子さんの代弁として
「英語でのカウンセリングを希望」
「日本語では敬語や皇室用語が負担」

しかしながら、雅子さん、その英語が話せないようです。

Sponsored Link


語学力 英語が不自由

雅子様の英語のスピーチって、おおまっぴらに公表されてないけど、人前で話せるレベルではないんでしょうね。

本当に堪能なら、「英語が堪能な優秀な雅子様」として、スピーチの動画をマスコミを通じて拡散に励むはず。実際は、日常会話の、英検1級がやっとのレベルらしいですね。一般人なら問題ないけど、外務省勤務で将来の女性大使候補。名門ハーバート大卒、英国名門大学留学、という経歴には無理がある実力です。

ご成婚後、海外の音楽家に「サインして」とねだったらしいですね。それだけでも、ちょっと問題があるとおもうのですが、雅子はsignしてくれと頼んだそうです。

日本では署名も、色紙のサインも同じくサインといいますが、

英語では、Autographs。

signとは、書類に署名するサインのこと。それぞれ違うものです。

音楽家は「sign??はあ??」ってなったらしい。雅子さんの英語力は、その程度のレベル。

2015年のトンガ王の即位式に参列した折、雅子に通訳が付いていたところをみると、本当に話せないらしいらしいですね。

※以下、ドス子wiki様よりお借りしてます。

http://ja.dosuko.wikia.com/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

マサグリッシュとは、

雅子夫人が口にするトンデモ英語のこと。2008年10月9日、とある奥様により『English Journal』2008年11月号掲載のHayley Westenraさんインタビューで、2005年6月4日サントリーホールにてコンサート鑑賞した東宮夫妻が

“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

と超上流階級にあるまじき品のない表現でサインを求めたことが発見され、ヘイリーサインおねだり祭り・ウォンチュー祭りとなった。

『English Journal』2008年11月号

Hayley Westenraさんがインタビュー中で証言した雅子の台詞“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

Part1342-802 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:20:51 ID:mG+LOOXnO
そんなにたいした記事ではありませんが
English Journal 2008,11号でちょっとだけ盆丼について書いてあったのでレポします。
Haylay Westenra へのロングインタビューの中に、
「A Royal Stir」という記事があり
2005年6月4日にのコンサートに盆丼が来て、その後歓談したと書いてあります。
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった。
・二人とも「lovely」だった。(かわいい?)
・警備がすごかった
・ヘンリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

と言われて、ちょっと時間が長引いてしまったら、ドアの向こうの警備がパニックになってしまった。
という話でした。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:23:18 ID:mG+LOOXnO
続き、、、
上の英語を話したのは丼かな〜と思います。
英語は勉強中なので詳しくはわかりませんが、上品な英語ではありませんよね。
ヘンリーはフジテレビドラマの白い巨塔の主題歌を歌っていたので
ミーハーな気持ちで見に行ったのかと思いましたが、
なんとユニセフ史上の最年少の大使でした。
あと、ニュージーランド出身だそうです。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:37:21 ID:mG+LOOXnO
EJは48ページです。

『English Journal』2008年11月号(ヘイリーさんの大きな顔写真が表紙)
http://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1225897331546.jpg

Hayley Westenraロングインタビューpp.48-49より

A Royal Stir(やんごとなき珍事)

2005年6月4日のコンサートを皇太子夫妻が鑑賞して、その後歓談したことについて:
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった(いつものことながら迷惑)
・二人とも「lovely」だった(とりあえず褒めておく時の無難で典型的な言葉)
・警備がすごかった
・ヘイリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

But on the second knock, I was like“Oh”, you know, “Thank you very much. Um, I’d better, better be going. I’d better let you go.”
And they’re like,“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”
And so, I thought, “OK, well, I’ll, I’ll hang around then, and, um, better sign,”you know,
“Better do as they say.”And, um, not knowing that I was, you know, creating quite a stir outside.

アルク編集部がサインねだりにつけた対訳「いえいえ、ちょっと待って、何かにサインをしてちょうだい!」

マスコミ記事にて外務省で美しく正確な英語を話す、と散々宣伝されていた小和田雅子だが、
人にものを頼むときに「May I…」や「Would you…」を使うという初歩の初歩ができない
「sign」は書類に署名する場合に使い、有名人の所謂サインなら「autograph」を使うという、超初級英単語を知らなかった

…という、帰国子女(小中学校義務教育時期のほとんどを日本で過ごしている小和田雅子は厳密にはこの定義に当てはまらないが)ではありえない英語のレベルの低さが判明することになった。

転載以上

雅子「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

・signサイン 書類にする署名

・autograph 署名、(有名人の)サイン

ハーバート大卒業したはずの雅子さんは、この違いが判らなかったということ。

語学力 ロシア語・フランス語は問題外

釣書にあったはずの、ロシア語、フランス語は、全くダメ。

ドイツ語が堪能野のは、紀子様のほう。ドイツ語圏の人が、紀子妃はドイツ語を流ちょうに話すと書かれていたのだから、間違いなさそう。

雅子の場合、子供の障害や同和の出自や婚前の堕胎経験など自分の恥は紀子様にスライドして流布させ、紀子様のお手柄は自分のものにしているみたいですね。何語なら、まっとうに話せるのかしら。朝鮮語??

雅子様の「華麗な」学歴も経歴も全部無試験、親のコネ

・学習院初等部をうけるも落ちた。双葉には、なんども落ちた。

・双子の妹がうかったとき、お情けで入学を許された。

・高校2年生のとき、親とともに渡米。

この渡米も退学も意味が不明だとか。

大学受験もあるのに、中途半端な時期に日本の高校を退学して、わざわざレベルの低い米国の公立高校へ編入というのも不思議な話です。

アメリカの公立高校はレベルが低く、ちょっと勉強したらAが取れるそうですが、それでも雅子の成績は悪かったそうです。勉強ができない子のクラスに移動させようとすると、父親が乗り込んできて文句をいったそうで、、、どっかで聞いた話ですね。

紀子様はご成婚前になんども堕胎した。怒った川嶋教授が御所に乗り込み、「なんども堕胎さえやがって」「うちの娘を殺すきか」と天皇に詰めよった、という創価学会が流している流説に似てます。

アメリカの学校への転校の理由としては、雅子が学業がついていけない、あるいは、堕胎する必要ができるなどの不祥事をおこした、、、、など、理由があったとみなしたほうがよさそうです。

双子の妹は日本に残してますので、雅子だけ連れてというのもおかしな話です。雅子は、英語ができない子のクラスから上がれないままのレベルのままでした。

ハーバート大卒

実際に入学したのはラドグリフ女子大。14年後にハーバートに吸収されたので、小和田家は「ハーバート大卒」といいはっているだけ。

しかも、ハーバート大付属の女子大に父のコネで入学。試験なし。

卒論は、父のコネの大物のインタビューをまとめたもの。雅子さんが書いたかどうか不明。おそらくは代筆では??それでも優を取れなかった雅子さん。

東大

面接のみでの編入。ひとつも単位をとれず、ろくに授業も受けず、父のコネで職員の子弟枠をつかって外務省に入省。

外務省入省

父のコネで、子弟枠(今は廃止)をつかっての面接のみので入省。

省内では、仕事ができない人で有名だった。遅刻の常習犯。けじめがなく、小和田外務次官を「お父様」とよび、通勤手当をもらいながら車で通勤。通訳に呼ぶと、通訳が出来なくて泣く。できる仕事はコピーだけ。ついたあだ名がコピー番長。

当時、不倫をしていたのは省内でも有名な話らしい。すくなくとも、2人の不倫相手がいたらしい。

ひとりは、奥参事官。赴任先のイラクで「流れ弾にあったって」亡くなった方。しかし状況的に流れ弾がとんでくるなど、状況的に見てありえないという。

レベルの低いアメリカの公立高校の成績も、学力が低いクラスから抜け出せなかった雅子さん。

2015年のトンガ王国の戴冠式に参列した時は、通訳が付いてましたので、ハーバート大學どころか、付属の女子大も実力ではは無理でしょう。

オックスフォード大

外務省から国費留学させてもらうも、一人だけ学士がとれず帰国。

毎週洗濯物を抱えて、親がいるフランスへ渡ってたそうな。

この間、福田元首相の甥と恋愛関係にあり婚約まで発展。ほかにも付き合っていた彼氏がいたうえに、浩宮徳仁親王とはコルマールのホテルに同宿したことが確認されてます。「運命の出会い」とされているスペイン王女のパーティーでの出会いよりも数年前の話です。

もともと、「留学」の意味が解ってなかったのかもしれません。

続きます。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c163

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
41. 中川隆[-11921] koaQ7Jey 2019年2月22日 23:59:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[53]


2017.12.02
雅子様C@学歴 日本語も英語も話せない釣書詐欺
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764

「日本で一番優秀な女性」という触れ込みで皇太子の妻になった小和田雅子さんですが、実際はどうだったんでしょうか。

学歴がすべてを決めるわけではありませんが、実は高学歴とは程遠い方。学歴ロンタリングのの見本のような方です。

学歴が高低がもんだいなのではなく、嘘をつくとろに問題があると思います。ざっと見てみましょう

語学力 日本語が不自由

帰国子女やバイリンガルの場合、日本語がおかしいことは、よくあることですが、高校2年まで日本で育った雅子さまは、帰国子女とは言いません。にもかわらず、「天照大神」を、てんてるだいじん、とよむ知能のレベルでした

音読すると、変さが、いっそう解ります。支離滅裂です。

クワガタ、けれども、クワガタ、けれども、クワガタ、クワガタ、、、

言語は思考の土台だと思うのですが、言語能力が低いということは、知能が高くないということではないのかしら。


テレビ朝日 スーパーモーニング

工藤雪枝氏(雅子様の友人)の発言、小和田優美子さんの代弁として
「英語でのカウンセリングを希望」
「日本語では敬語や皇室用語が負担」

しかしながら、雅子さん、その英語が話せないようです。

Sponsored Link


語学力 英語が不自由

雅子様の英語のスピーチって、おおまっぴらに公表されてないけど、人前で話せるレベルではないんでしょうね。

本当に堪能なら、「英語が堪能な優秀な雅子様」として、スピーチの動画をマスコミを通じて拡散に励むはず。実際は、日常会話の、英検1級がやっとのレベルらしいですね。一般人なら問題ないけど、外務省勤務で将来の女性大使候補。名門ハーバート大卒、英国名門大学留学、という経歴には無理がある実力です。

ご成婚後、海外の音楽家に「サインして」とねだったらしいですね。それだけでも、ちょっと問題があるとおもうのですが、雅子はsignしてくれと頼んだそうです。

日本では署名も、色紙のサインも同じくサインといいますが、

英語では、Autographs。

signとは、書類に署名するサインのこと。それぞれ違うものです。

音楽家は「sign??はあ??」ってなったらしい。雅子さんの英語力は、その程度のレベル。

2015年のトンガ王の即位式に参列した折、雅子に通訳が付いていたところをみると、本当に話せないらしいらしいですね。

※以下、ドス子wiki様よりお借りしてます。

http://ja.dosuko.wikia.com/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

マサグリッシュとは、

雅子夫人が口にするトンデモ英語のこと。2008年10月9日、とある奥様により『English Journal』2008年11月号掲載のHayley Westenraさんインタビューで、2005年6月4日サントリーホールにてコンサート鑑賞した東宮夫妻が

“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

と超上流階級にあるまじき品のない表現でサインを求めたことが発見され、ヘイリーサインおねだり祭り・ウォンチュー祭りとなった。

『English Journal』2008年11月号

Hayley Westenraさんがインタビュー中で証言した雅子の台詞“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

Part1342-802 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:20:51 ID:mG+LOOXnO
そんなにたいした記事ではありませんが
English Journal 2008,11号でちょっとだけ盆丼について書いてあったのでレポします。
Haylay Westenra へのロングインタビューの中に、
「A Royal Stir」という記事があり
2005年6月4日にのコンサートに盆丼が来て、その後歓談したと書いてあります。
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった。
・二人とも「lovely」だった。(かわいい?)
・警備がすごかった
・ヘンリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

と言われて、ちょっと時間が長引いてしまったら、ドアの向こうの警備がパニックになってしまった。
という話でした。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:23:18 ID:mG+LOOXnO
続き、、、
上の英語を話したのは丼かな〜と思います。
英語は勉強中なので詳しくはわかりませんが、上品な英語ではありませんよね。
ヘンリーはフジテレビドラマの白い巨塔の主題歌を歌っていたので
ミーハーな気持ちで見に行ったのかと思いましたが、
なんとユニセフ史上の最年少の大使でした。
あと、ニュージーランド出身だそうです。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:37:21 ID:mG+LOOXnO
EJは48ページです。

『English Journal』2008年11月号(ヘイリーさんの大きな顔写真が表紙)
http://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1225897331546.jpg

Hayley Westenraロングインタビューpp.48-49より

A Royal Stir(やんごとなき珍事)

2005年6月4日のコンサートを皇太子夫妻が鑑賞して、その後歓談したことについて:
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった(いつものことながら迷惑)
・二人とも「lovely」だった(とりあえず褒めておく時の無難で典型的な言葉)
・警備がすごかった
・ヘイリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

But on the second knock, I was like“Oh”, you know, “Thank you very much. Um, I’d better, better be going. I’d better let you go.”
And they’re like,“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”
And so, I thought, “OK, well, I’ll, I’ll hang around then, and, um, better sign,”you know,
“Better do as they say.”And, um, not knowing that I was, you know, creating quite a stir outside.

アルク編集部がサインねだりにつけた対訳「いえいえ、ちょっと待って、何かにサインをしてちょうだい!」

マスコミ記事にて外務省で美しく正確な英語を話す、と散々宣伝されていた小和田雅子だが、
人にものを頼むときに「May I…」や「Would you…」を使うという初歩の初歩ができない
「sign」は書類に署名する場合に使い、有名人の所謂サインなら「autograph」を使うという、超初級英単語を知らなかった

…という、帰国子女(小中学校義務教育時期のほとんどを日本で過ごしている小和田雅子は厳密にはこの定義に当てはまらないが)ではありえない英語のレベルの低さが判明することになった。

転載以上

雅子「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

・signサイン 書類にする署名

・autograph 署名、(有名人の)サイン

ハーバート大卒業したはずの雅子さんは、この違いが判らなかったということ。

語学力 ロシア語・フランス語は問題外

釣書にあったはずの、ロシア語、フランス語は、全くダメ。

ドイツ語が堪能野のは、紀子様のほう。ドイツ語圏の人が、紀子妃はドイツ語を流ちょうに話すと書かれていたのだから、間違いなさそう。

雅子の場合、子供の障害や同和の出自や婚前の堕胎経験など自分の恥は紀子様にスライドして流布させ、紀子様のお手柄は自分のものにしているみたいですね。何語なら、まっとうに話せるのかしら。朝鮮語??

雅子様の「華麗な」学歴も経歴も全部無試験、親のコネ

・学習院初等部をうけるも落ちた。双葉には、なんども落ちた。

・双子の妹がうかったとき、お情けで入学を許された。

・高校2年生のとき、親とともに渡米。

この渡米も退学も意味が不明だとか。

大学受験もあるのに、中途半端な時期に日本の高校を退学して、わざわざレベルの低い米国の公立高校へ編入というのも不思議な話です。

アメリカの公立高校はレベルが低く、ちょっと勉強したらAが取れるそうですが、それでも雅子の成績は悪かったそうです。勉強ができない子のクラスに移動させようとすると、父親が乗り込んできて文句をいったそうで、、、どっかで聞いた話ですね。

紀子様はご成婚前になんども堕胎した。怒った川嶋教授が御所に乗り込み、「なんども堕胎さえやがって」「うちの娘を殺すきか」と天皇に詰めよった、という創価学会が流している流説に似てます。

アメリカの学校への転校の理由としては、雅子が学業がついていけない、あるいは、堕胎する必要ができるなどの不祥事をおこした、、、、など、理由があったとみなしたほうがよさそうです。

双子の妹は日本に残してますので、雅子だけ連れてというのもおかしな話です。雅子は、英語ができない子のクラスから上がれないままのレベルのままでした。

ハーバート大卒

実際に入学したのはラドグリフ女子大。14年後にハーバートに吸収されたので、小和田家は「ハーバート大卒」といいはっているだけ。

しかも、ハーバート大付属の女子大に父のコネで入学。試験なし。

卒論は、父のコネの大物のインタビューをまとめたもの。雅子さんが書いたかどうか不明。おそらくは代筆では??それでも優を取れなかった雅子さん。

東大

面接のみでの編入。ひとつも単位をとれず、ろくに授業も受けず、父のコネで職員の子弟枠をつかって外務省に入省。

外務省入省

父のコネで、子弟枠(今は廃止)をつかっての面接のみので入省。

省内では、仕事ができない人で有名だった。遅刻の常習犯。けじめがなく、小和田外務次官を「お父様」とよび、通勤手当をもらいながら車で通勤。通訳に呼ぶと、通訳が出来なくて泣く。できる仕事はコピーだけ。ついたあだ名がコピー番長。

当時、不倫をしていたのは省内でも有名な話らしい。すくなくとも、2人の不倫相手がいたらしい。

ひとりは、奥参事官。赴任先のイラクで「流れ弾にあったって」亡くなった方。しかし状況的に流れ弾がとんでくるなど、状況的に見てありえないという。

レベルの低いアメリカの公立高校の成績も、学力が低いクラスから抜け出せなかった雅子さん。

2015年のトンガ王国の戴冠式に参列した時は、通訳が付いてましたので、ハーバート大學どころか、付属の女子大も実力ではは無理でしょう。

オックスフォード大

外務省から国費留学させてもらうも、一人だけ学士がとれず帰国。

毎週洗濯物を抱えて、親がいるフランスへ渡ってたそうな。

この間、福田元首相の甥と恋愛関係にあり婚約まで発展。ほかにも付き合っていた彼氏がいたうえに、浩宮徳仁親王とはコルマールのホテルに同宿したことが確認されてます。「運命の出会い」とされているスペイン王女のパーティーでの出会いよりも数年前の話です。

もともと、「留学」の意味が解ってなかったのかもしれません。

続きます。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c41

[昼休み54] 日本の中枢は既に在日朝鮮人に乗っ取られている 中川隆
19. 中川隆[-11920] koaQ7Jey 2019年2月22日 23:59:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[54]


2017.12.02
雅子様C@学歴 日本語も英語も話せない釣書詐欺
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764

「日本で一番優秀な女性」という触れ込みで皇太子の妻になった小和田雅子さんですが、実際はどうだったんでしょうか。

学歴がすべてを決めるわけではありませんが、実は高学歴とは程遠い方。学歴ロンタリングのの見本のような方です。

学歴が高低がもんだいなのではなく、嘘をつくとろに問題があると思います。ざっと見てみましょう

語学力 日本語が不自由

帰国子女やバイリンガルの場合、日本語がおかしいことは、よくあることですが、高校2年まで日本で育った雅子さまは、帰国子女とは言いません。にもかわらず、「天照大神」を、てんてるだいじん、とよむ知能のレベルでした

音読すると、変さが、いっそう解ります。支離滅裂です。

クワガタ、けれども、クワガタ、けれども、クワガタ、クワガタ、、、

言語は思考の土台だと思うのですが、言語能力が低いということは、知能が高くないということではないのかしら。


テレビ朝日 スーパーモーニング

工藤雪枝氏(雅子様の友人)の発言、小和田優美子さんの代弁として
「英語でのカウンセリングを希望」
「日本語では敬語や皇室用語が負担」

しかしながら、雅子さん、その英語が話せないようです。

Sponsored Link


語学力 英語が不自由

雅子様の英語のスピーチって、おおまっぴらに公表されてないけど、人前で話せるレベルではないんでしょうね。

本当に堪能なら、「英語が堪能な優秀な雅子様」として、スピーチの動画をマスコミを通じて拡散に励むはず。実際は、日常会話の、英検1級がやっとのレベルらしいですね。一般人なら問題ないけど、外務省勤務で将来の女性大使候補。名門ハーバート大卒、英国名門大学留学、という経歴には無理がある実力です。

ご成婚後、海外の音楽家に「サインして」とねだったらしいですね。それだけでも、ちょっと問題があるとおもうのですが、雅子はsignしてくれと頼んだそうです。

日本では署名も、色紙のサインも同じくサインといいますが、

英語では、Autographs。

signとは、書類に署名するサインのこと。それぞれ違うものです。

音楽家は「sign??はあ??」ってなったらしい。雅子さんの英語力は、その程度のレベル。

2015年のトンガ王の即位式に参列した折、雅子に通訳が付いていたところをみると、本当に話せないらしいらしいですね。

※以下、ドス子wiki様よりお借りしてます。

http://ja.dosuko.wikia.com/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

マサグリッシュとは、

雅子夫人が口にするトンデモ英語のこと。2008年10月9日、とある奥様により『English Journal』2008年11月号掲載のHayley Westenraさんインタビューで、2005年6月4日サントリーホールにてコンサート鑑賞した東宮夫妻が

“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

と超上流階級にあるまじき品のない表現でサインを求めたことが発見され、ヘイリーサインおねだり祭り・ウォンチュー祭りとなった。

『English Journal』2008年11月号

Hayley Westenraさんがインタビュー中で証言した雅子の台詞“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

Part1342-802 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:20:51 ID:mG+LOOXnO
そんなにたいした記事ではありませんが
English Journal 2008,11号でちょっとだけ盆丼について書いてあったのでレポします。
Haylay Westenra へのロングインタビューの中に、
「A Royal Stir」という記事があり
2005年6月4日にのコンサートに盆丼が来て、その後歓談したと書いてあります。
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった。
・二人とも「lovely」だった。(かわいい?)
・警備がすごかった
・ヘンリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

と言われて、ちょっと時間が長引いてしまったら、ドアの向こうの警備がパニックになってしまった。
という話でした。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:23:18 ID:mG+LOOXnO
続き、、、
上の英語を話したのは丼かな〜と思います。
英語は勉強中なので詳しくはわかりませんが、上品な英語ではありませんよね。
ヘンリーはフジテレビドラマの白い巨塔の主題歌を歌っていたので
ミーハーな気持ちで見に行ったのかと思いましたが、
なんとユニセフ史上の最年少の大使でした。
あと、ニュージーランド出身だそうです。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:37:21 ID:mG+LOOXnO
EJは48ページです。

『English Journal』2008年11月号(ヘイリーさんの大きな顔写真が表紙)
http://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1225897331546.jpg

Hayley Westenraロングインタビューpp.48-49より

A Royal Stir(やんごとなき珍事)

2005年6月4日のコンサートを皇太子夫妻が鑑賞して、その後歓談したことについて:
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった(いつものことながら迷惑)
・二人とも「lovely」だった(とりあえず褒めておく時の無難で典型的な言葉)
・警備がすごかった
・ヘイリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

But on the second knock, I was like“Oh”, you know, “Thank you very much. Um, I’d better, better be going. I’d better let you go.”
And they’re like,“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”
And so, I thought, “OK, well, I’ll, I’ll hang around then, and, um, better sign,”you know,
“Better do as they say.”And, um, not knowing that I was, you know, creating quite a stir outside.

アルク編集部がサインねだりにつけた対訳「いえいえ、ちょっと待って、何かにサインをしてちょうだい!」

マスコミ記事にて外務省で美しく正確な英語を話す、と散々宣伝されていた小和田雅子だが、
人にものを頼むときに「May I…」や「Would you…」を使うという初歩の初歩ができない
「sign」は書類に署名する場合に使い、有名人の所謂サインなら「autograph」を使うという、超初級英単語を知らなかった

…という、帰国子女(小中学校義務教育時期のほとんどを日本で過ごしている小和田雅子は厳密にはこの定義に当てはまらないが)ではありえない英語のレベルの低さが判明することになった。

転載以上

雅子「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

・signサイン 書類にする署名

・autograph 署名、(有名人の)サイン

ハーバート大卒業したはずの雅子さんは、この違いが判らなかったということ。

語学力 ロシア語・フランス語は問題外

釣書にあったはずの、ロシア語、フランス語は、全くダメ。

ドイツ語が堪能野のは、紀子様のほう。ドイツ語圏の人が、紀子妃はドイツ語を流ちょうに話すと書かれていたのだから、間違いなさそう。

雅子の場合、子供の障害や同和の出自や婚前の堕胎経験など自分の恥は紀子様にスライドして流布させ、紀子様のお手柄は自分のものにしているみたいですね。何語なら、まっとうに話せるのかしら。朝鮮語??

雅子様の「華麗な」学歴も経歴も全部無試験、親のコネ

・学習院初等部をうけるも落ちた。双葉には、なんども落ちた。

・双子の妹がうかったとき、お情けで入学を許された。

・高校2年生のとき、親とともに渡米。

この渡米も退学も意味が不明だとか。

大学受験もあるのに、中途半端な時期に日本の高校を退学して、わざわざレベルの低い米国の公立高校へ編入というのも不思議な話です。

アメリカの公立高校はレベルが低く、ちょっと勉強したらAが取れるそうですが、それでも雅子の成績は悪かったそうです。勉強ができない子のクラスに移動させようとすると、父親が乗り込んできて文句をいったそうで、、、どっかで聞いた話ですね。

紀子様はご成婚前になんども堕胎した。怒った川嶋教授が御所に乗り込み、「なんども堕胎さえやがって」「うちの娘を殺すきか」と天皇に詰めよった、という創価学会が流している流説に似てます。

アメリカの学校への転校の理由としては、雅子が学業がついていけない、あるいは、堕胎する必要ができるなどの不祥事をおこした、、、、など、理由があったとみなしたほうがよさそうです。

双子の妹は日本に残してますので、雅子だけ連れてというのもおかしな話です。雅子は、英語ができない子のクラスから上がれないままのレベルのままでした。

ハーバート大卒

実際に入学したのはラドグリフ女子大。14年後にハーバートに吸収されたので、小和田家は「ハーバート大卒」といいはっているだけ。

しかも、ハーバート大付属の女子大に父のコネで入学。試験なし。

卒論は、父のコネの大物のインタビューをまとめたもの。雅子さんが書いたかどうか不明。おそらくは代筆では??それでも優を取れなかった雅子さん。

東大

面接のみでの編入。ひとつも単位をとれず、ろくに授業も受けず、父のコネで職員の子弟枠をつかって外務省に入省。

外務省入省

父のコネで、子弟枠(今は廃止)をつかっての面接のみので入省。

省内では、仕事ができない人で有名だった。遅刻の常習犯。けじめがなく、小和田外務次官を「お父様」とよび、通勤手当をもらいながら車で通勤。通訳に呼ぶと、通訳が出来なくて泣く。できる仕事はコピーだけ。ついたあだ名がコピー番長。

当時、不倫をしていたのは省内でも有名な話らしい。すくなくとも、2人の不倫相手がいたらしい。

ひとりは、奥参事官。赴任先のイラクで「流れ弾にあったって」亡くなった方。しかし状況的に流れ弾がとんでくるなど、状況的に見てありえないという。

レベルの低いアメリカの公立高校の成績も、学力が低いクラスから抜け出せなかった雅子さん。

2015年のトンガ王国の戴冠式に参列した時は、通訳が付いてましたので、ハーバート大學どころか、付属の女子大も実力ではは無理でしょう。

オックスフォード大

外務省から国費留学させてもらうも、一人だけ学士がとれず帰国。

毎週洗濯物を抱えて、親がいるフランスへ渡ってたそうな。

この間、福田元首相の甥と恋愛関係にあり婚約まで発展。ほかにも付き合っていた彼氏がいたうえに、浩宮徳仁親王とはコルマールのホテルに同宿したことが確認されてます。「運命の出会い」とされているスペイン王女のパーティーでの出会いよりも数年前の話です。

もともと、「留学」の意味が解ってなかったのかもしれません。

続きます。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/232.html#c19

[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
13. 中川隆[-11919] koaQ7Jey 2019年2月23日 00:00:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[55]


2017.12.02
雅子様C@学歴 日本語も英語も話せない釣書詐欺
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764

「日本で一番優秀な女性」という触れ込みで皇太子の妻になった小和田雅子さんですが、実際はどうだったんでしょうか。

学歴がすべてを決めるわけではありませんが、実は高学歴とは程遠い方。学歴ロンタリングのの見本のような方です。

学歴が高低がもんだいなのではなく、嘘をつくとろに問題があると思います。ざっと見てみましょう

語学力 日本語が不自由

帰国子女やバイリンガルの場合、日本語がおかしいことは、よくあることですが、高校2年まで日本で育った雅子さまは、帰国子女とは言いません。にもかわらず、「天照大神」を、てんてるだいじん、とよむ知能のレベルでした

音読すると、変さが、いっそう解ります。支離滅裂です。

クワガタ、けれども、クワガタ、けれども、クワガタ、クワガタ、、、

言語は思考の土台だと思うのですが、言語能力が低いということは、知能が高くないということではないのかしら。


テレビ朝日 スーパーモーニング

工藤雪枝氏(雅子様の友人)の発言、小和田優美子さんの代弁として
「英語でのカウンセリングを希望」
「日本語では敬語や皇室用語が負担」

しかしながら、雅子さん、その英語が話せないようです。

Sponsored Link


語学力 英語が不自由

雅子様の英語のスピーチって、おおまっぴらに公表されてないけど、人前で話せるレベルではないんでしょうね。

本当に堪能なら、「英語が堪能な優秀な雅子様」として、スピーチの動画をマスコミを通じて拡散に励むはず。実際は、日常会話の、英検1級がやっとのレベルらしいですね。一般人なら問題ないけど、外務省勤務で将来の女性大使候補。名門ハーバート大卒、英国名門大学留学、という経歴には無理がある実力です。

ご成婚後、海外の音楽家に「サインして」とねだったらしいですね。それだけでも、ちょっと問題があるとおもうのですが、雅子はsignしてくれと頼んだそうです。

日本では署名も、色紙のサインも同じくサインといいますが、

英語では、Autographs。

signとは、書類に署名するサインのこと。それぞれ違うものです。

音楽家は「sign??はあ??」ってなったらしい。雅子さんの英語力は、その程度のレベル。

2015年のトンガ王の即位式に参列した折、雅子に通訳が付いていたところをみると、本当に話せないらしいらしいですね。

※以下、ドス子wiki様よりお借りしてます。

http://ja.dosuko.wikia.com/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

マサグリッシュとは、

雅子夫人が口にするトンデモ英語のこと。2008年10月9日、とある奥様により『English Journal』2008年11月号掲載のHayley Westenraさんインタビューで、2005年6月4日サントリーホールにてコンサート鑑賞した東宮夫妻が

“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

と超上流階級にあるまじき品のない表現でサインを求めたことが発見され、ヘイリーサインおねだり祭り・ウォンチュー祭りとなった。

『English Journal』2008年11月号

Hayley Westenraさんがインタビュー中で証言した雅子の台詞“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

Part1342-802 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:20:51 ID:mG+LOOXnO
そんなにたいした記事ではありませんが
English Journal 2008,11号でちょっとだけ盆丼について書いてあったのでレポします。
Haylay Westenra へのロングインタビューの中に、
「A Royal Stir」という記事があり
2005年6月4日にのコンサートに盆丼が来て、その後歓談したと書いてあります。
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった。
・二人とも「lovely」だった。(かわいい?)
・警備がすごかった
・ヘンリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

と言われて、ちょっと時間が長引いてしまったら、ドアの向こうの警備がパニックになってしまった。
という話でした。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:23:18 ID:mG+LOOXnO
続き、、、
上の英語を話したのは丼かな〜と思います。
英語は勉強中なので詳しくはわかりませんが、上品な英語ではありませんよね。
ヘンリーはフジテレビドラマの白い巨塔の主題歌を歌っていたので
ミーハーな気持ちで見に行ったのかと思いましたが、
なんとユニセフ史上の最年少の大使でした。
あと、ニュージーランド出身だそうです。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:37:21 ID:mG+LOOXnO
EJは48ページです。

『English Journal』2008年11月号(ヘイリーさんの大きな顔写真が表紙)
http://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1225897331546.jpg

Hayley Westenraロングインタビューpp.48-49より

A Royal Stir(やんごとなき珍事)

2005年6月4日のコンサートを皇太子夫妻が鑑賞して、その後歓談したことについて:
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった(いつものことながら迷惑)
・二人とも「lovely」だった(とりあえず褒めておく時の無難で典型的な言葉)
・警備がすごかった
・ヘイリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

But on the second knock, I was like“Oh”, you know, “Thank you very much. Um, I’d better, better be going. I’d better let you go.”
And they’re like,“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”
And so, I thought, “OK, well, I’ll, I’ll hang around then, and, um, better sign,”you know,
“Better do as they say.”And, um, not knowing that I was, you know, creating quite a stir outside.

アルク編集部がサインねだりにつけた対訳「いえいえ、ちょっと待って、何かにサインをしてちょうだい!」

マスコミ記事にて外務省で美しく正確な英語を話す、と散々宣伝されていた小和田雅子だが、
人にものを頼むときに「May I…」や「Would you…」を使うという初歩の初歩ができない
「sign」は書類に署名する場合に使い、有名人の所謂サインなら「autograph」を使うという、超初級英単語を知らなかった

…という、帰国子女(小中学校義務教育時期のほとんどを日本で過ごしている小和田雅子は厳密にはこの定義に当てはまらないが)ではありえない英語のレベルの低さが判明することになった。

転載以上

雅子「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

・signサイン 書類にする署名

・autograph 署名、(有名人の)サイン

ハーバート大卒業したはずの雅子さんは、この違いが判らなかったということ。

語学力 ロシア語・フランス語は問題外

釣書にあったはずの、ロシア語、フランス語は、全くダメ。

ドイツ語が堪能野のは、紀子様のほう。ドイツ語圏の人が、紀子妃はドイツ語を流ちょうに話すと書かれていたのだから、間違いなさそう。

雅子の場合、子供の障害や同和の出自や婚前の堕胎経験など自分の恥は紀子様にスライドして流布させ、紀子様のお手柄は自分のものにしているみたいですね。何語なら、まっとうに話せるのかしら。朝鮮語??

雅子様の「華麗な」学歴も経歴も全部無試験、親のコネ

・学習院初等部をうけるも落ちた。双葉には、なんども落ちた。

・双子の妹がうかったとき、お情けで入学を許された。

・高校2年生のとき、親とともに渡米。

この渡米も退学も意味が不明だとか。

大学受験もあるのに、中途半端な時期に日本の高校を退学して、わざわざレベルの低い米国の公立高校へ編入というのも不思議な話です。

アメリカの公立高校はレベルが低く、ちょっと勉強したらAが取れるそうですが、それでも雅子の成績は悪かったそうです。勉強ができない子のクラスに移動させようとすると、父親が乗り込んできて文句をいったそうで、、、どっかで聞いた話ですね。

紀子様はご成婚前になんども堕胎した。怒った川嶋教授が御所に乗り込み、「なんども堕胎さえやがって」「うちの娘を殺すきか」と天皇に詰めよった、という創価学会が流している流説に似てます。

アメリカの学校への転校の理由としては、雅子が学業がついていけない、あるいは、堕胎する必要ができるなどの不祥事をおこした、、、、など、理由があったとみなしたほうがよさそうです。

双子の妹は日本に残してますので、雅子だけ連れてというのもおかしな話です。雅子は、英語ができない子のクラスから上がれないままのレベルのままでした。

ハーバート大卒

実際に入学したのはラドグリフ女子大。14年後にハーバートに吸収されたので、小和田家は「ハーバート大卒」といいはっているだけ。

しかも、ハーバート大付属の女子大に父のコネで入学。試験なし。

卒論は、父のコネの大物のインタビューをまとめたもの。雅子さんが書いたかどうか不明。おそらくは代筆では??それでも優を取れなかった雅子さん。

東大

面接のみでの編入。ひとつも単位をとれず、ろくに授業も受けず、父のコネで職員の子弟枠をつかって外務省に入省。

外務省入省

父のコネで、子弟枠(今は廃止)をつかっての面接のみので入省。

省内では、仕事ができない人で有名だった。遅刻の常習犯。けじめがなく、小和田外務次官を「お父様」とよび、通勤手当をもらいながら車で通勤。通訳に呼ぶと、通訳が出来なくて泣く。できる仕事はコピーだけ。ついたあだ名がコピー番長。

当時、不倫をしていたのは省内でも有名な話らしい。すくなくとも、2人の不倫相手がいたらしい。

ひとりは、奥参事官。赴任先のイラクで「流れ弾にあったって」亡くなった方。しかし状況的に流れ弾がとんでくるなど、状況的に見てありえないという。

レベルの低いアメリカの公立高校の成績も、学力が低いクラスから抜け出せなかった雅子さん。

2015年のトンガ王国の戴冠式に参列した時は、通訳が付いてましたので、ハーバート大學どころか、付属の女子大も実力ではは無理でしょう。

オックスフォード大

外務省から国費留学させてもらうも、一人だけ学士がとれず帰国。

毎週洗濯物を抱えて、親がいるフランスへ渡ってたそうな。

この間、福田元首相の甥と恋愛関係にあり婚約まで発展。ほかにも付き合っていた彼氏がいたうえに、浩宮徳仁親王とはコルマールのホテルに同宿したことが確認されてます。「運命の出会い」とされているスペイン王女のパーティーでの出会いよりも数年前の話です。

もともと、「留学」の意味が解ってなかったのかもしれません。

続きます。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c13

[近代史3] 皇太子妃の雅子さんは典型的なダメダメ家庭出身者  中川隆
15. 中川隆[-11918] koaQ7Jey 2019年2月23日 00:01:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[56]

2017.12.02
雅子様C@学歴 日本語も英語も話せない釣書詐欺
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764

「日本で一番優秀な女性」という触れ込みで皇太子の妻になった小和田雅子さんですが、実際はどうだったんでしょうか。

学歴がすべてを決めるわけではありませんが、実は高学歴とは程遠い方。学歴ロンタリングのの見本のような方です。

学歴が高低がもんだいなのではなく、嘘をつくとろに問題があると思います。ざっと見てみましょう

語学力 日本語が不自由

帰国子女やバイリンガルの場合、日本語がおかしいことは、よくあることですが、高校2年まで日本で育った雅子さまは、帰国子女とは言いません。にもかわらず、「天照大神」を、てんてるだいじん、とよむ知能のレベルでした

音読すると、変さが、いっそう解ります。支離滅裂です。

クワガタ、けれども、クワガタ、けれども、クワガタ、クワガタ、、、

言語は思考の土台だと思うのですが、言語能力が低いということは、知能が高くないということではないのかしら。


テレビ朝日 スーパーモーニング

工藤雪枝氏(雅子様の友人)の発言、小和田優美子さんの代弁として
「英語でのカウンセリングを希望」
「日本語では敬語や皇室用語が負担」

しかしながら、雅子さん、その英語が話せないようです。

Sponsored Link


語学力 英語が不自由

雅子様の英語のスピーチって、おおまっぴらに公表されてないけど、人前で話せるレベルではないんでしょうね。

本当に堪能なら、「英語が堪能な優秀な雅子様」として、スピーチの動画をマスコミを通じて拡散に励むはず。実際は、日常会話の、英検1級がやっとのレベルらしいですね。一般人なら問題ないけど、外務省勤務で将来の女性大使候補。名門ハーバート大卒、英国名門大学留学、という経歴には無理がある実力です。

ご成婚後、海外の音楽家に「サインして」とねだったらしいですね。それだけでも、ちょっと問題があるとおもうのですが、雅子はsignしてくれと頼んだそうです。

日本では署名も、色紙のサインも同じくサインといいますが、

英語では、Autographs。

signとは、書類に署名するサインのこと。それぞれ違うものです。

音楽家は「sign??はあ??」ってなったらしい。雅子さんの英語力は、その程度のレベル。

2015年のトンガ王の即位式に参列した折、雅子に通訳が付いていたところをみると、本当に話せないらしいらしいですね。

※以下、ドス子wiki様よりお借りしてます。

http://ja.dosuko.wikia.com/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

マサグリッシュとは、

雅子夫人が口にするトンデモ英語のこと。2008年10月9日、とある奥様により『English Journal』2008年11月号掲載のHayley Westenraさんインタビューで、2005年6月4日サントリーホールにてコンサート鑑賞した東宮夫妻が

“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

と超上流階級にあるまじき品のない表現でサインを求めたことが発見され、ヘイリーサインおねだり祭り・ウォンチュー祭りとなった。

『English Journal』2008年11月号

Hayley Westenraさんがインタビュー中で証言した雅子の台詞“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

Part1342-802 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:20:51 ID:mG+LOOXnO
そんなにたいした記事ではありませんが
English Journal 2008,11号でちょっとだけ盆丼について書いてあったのでレポします。
Haylay Westenra へのロングインタビューの中に、
「A Royal Stir」という記事があり
2005年6月4日にのコンサートに盆丼が来て、その後歓談したと書いてあります。
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった。
・二人とも「lovely」だった。(かわいい?)
・警備がすごかった
・ヘンリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

と言われて、ちょっと時間が長引いてしまったら、ドアの向こうの警備がパニックになってしまった。
という話でした。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:23:18 ID:mG+LOOXnO
続き、、、
上の英語を話したのは丼かな〜と思います。
英語は勉強中なので詳しくはわかりませんが、上品な英語ではありませんよね。
ヘンリーはフジテレビドラマの白い巨塔の主題歌を歌っていたので
ミーハーな気持ちで見に行ったのかと思いましたが、
なんとユニセフ史上の最年少の大使でした。
あと、ニュージーランド出身だそうです。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:37:21 ID:mG+LOOXnO
EJは48ページです。

『English Journal』2008年11月号(ヘイリーさんの大きな顔写真が表紙)
http://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1225897331546.jpg

Hayley Westenraロングインタビューpp.48-49より

A Royal Stir(やんごとなき珍事)

2005年6月4日のコンサートを皇太子夫妻が鑑賞して、その後歓談したことについて:
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった(いつものことながら迷惑)
・二人とも「lovely」だった(とりあえず褒めておく時の無難で典型的な言葉)
・警備がすごかった
・ヘイリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

But on the second knock, I was like“Oh”, you know, “Thank you very much. Um, I’d better, better be going. I’d better let you go.”
And they’re like,“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”
And so, I thought, “OK, well, I’ll, I’ll hang around then, and, um, better sign,”you know,
“Better do as they say.”And, um, not knowing that I was, you know, creating quite a stir outside.

アルク編集部がサインねだりにつけた対訳「いえいえ、ちょっと待って、何かにサインをしてちょうだい!」

マスコミ記事にて外務省で美しく正確な英語を話す、と散々宣伝されていた小和田雅子だが、
人にものを頼むときに「May I…」や「Would you…」を使うという初歩の初歩ができない
「sign」は書類に署名する場合に使い、有名人の所謂サインなら「autograph」を使うという、超初級英単語を知らなかった

…という、帰国子女(小中学校義務教育時期のほとんどを日本で過ごしている小和田雅子は厳密にはこの定義に当てはまらないが)ではありえない英語のレベルの低さが判明することになった。

転載以上

雅子「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

・signサイン 書類にする署名

・autograph 署名、(有名人の)サイン

ハーバート大卒業したはずの雅子さんは、この違いが判らなかったということ。

語学力 ロシア語・フランス語は問題外

釣書にあったはずの、ロシア語、フランス語は、全くダメ。

ドイツ語が堪能野のは、紀子様のほう。ドイツ語圏の人が、紀子妃はドイツ語を流ちょうに話すと書かれていたのだから、間違いなさそう。

雅子の場合、子供の障害や同和の出自や婚前の堕胎経験など自分の恥は紀子様にスライドして流布させ、紀子様のお手柄は自分のものにしているみたいですね。何語なら、まっとうに話せるのかしら。朝鮮語??

雅子様の「華麗な」学歴も経歴も全部無試験、親のコネ

・学習院初等部をうけるも落ちた。双葉には、なんども落ちた。

・双子の妹がうかったとき、お情けで入学を許された。

・高校2年生のとき、親とともに渡米。

この渡米も退学も意味が不明だとか。

大学受験もあるのに、中途半端な時期に日本の高校を退学して、わざわざレベルの低い米国の公立高校へ編入というのも不思議な話です。

アメリカの公立高校はレベルが低く、ちょっと勉強したらAが取れるそうですが、それでも雅子の成績は悪かったそうです。勉強ができない子のクラスに移動させようとすると、父親が乗り込んできて文句をいったそうで、、、どっかで聞いた話ですね。

紀子様はご成婚前になんども堕胎した。怒った川嶋教授が御所に乗り込み、「なんども堕胎さえやがって」「うちの娘を殺すきか」と天皇に詰めよった、という創価学会が流している流説に似てます。

アメリカの学校への転校の理由としては、雅子が学業がついていけない、あるいは、堕胎する必要ができるなどの不祥事をおこした、、、、など、理由があったとみなしたほうがよさそうです。

双子の妹は日本に残してますので、雅子だけ連れてというのもおかしな話です。雅子は、英語ができない子のクラスから上がれないままのレベルのままでした。

ハーバート大卒

実際に入学したのはラドグリフ女子大。14年後にハーバートに吸収されたので、小和田家は「ハーバート大卒」といいはっているだけ。

しかも、ハーバート大付属の女子大に父のコネで入学。試験なし。

卒論は、父のコネの大物のインタビューをまとめたもの。雅子さんが書いたかどうか不明。おそらくは代筆では??それでも優を取れなかった雅子さん。

東大

面接のみでの編入。ひとつも単位をとれず、ろくに授業も受けず、父のコネで職員の子弟枠をつかって外務省に入省。

外務省入省

父のコネで、子弟枠(今は廃止)をつかっての面接のみので入省。

省内では、仕事ができない人で有名だった。遅刻の常習犯。けじめがなく、小和田外務次官を「お父様」とよび、通勤手当をもらいながら車で通勤。通訳に呼ぶと、通訳が出来なくて泣く。できる仕事はコピーだけ。ついたあだ名がコピー番長。

当時、不倫をしていたのは省内でも有名な話らしい。すくなくとも、2人の不倫相手がいたらしい。

ひとりは、奥参事官。赴任先のイラクで「流れ弾にあったって」亡くなった方。しかし状況的に流れ弾がとんでくるなど、状況的に見てありえないという。

レベルの低いアメリカの公立高校の成績も、学力が低いクラスから抜け出せなかった雅子さん。

2015年のトンガ王国の戴冠式に参列した時は、通訳が付いてましたので、ハーバート大學どころか、付属の女子大も実力ではは無理でしょう。

オックスフォード大

外務省から国費留学させてもらうも、一人だけ学士がとれず帰国。

毎週洗濯物を抱えて、親がいるフランスへ渡ってたそうな。

この間、福田元首相の甥と恋愛関係にあり婚約まで発展。ほかにも付き合っていた彼氏がいたうえに、浩宮徳仁親王とはコルマールのホテルに同宿したことが確認されてます。「運命の出会い」とされているスペイン王女のパーティーでの出会いよりも数年前の話です。

もともと、「留学」の意味が解ってなかったのかもしれません。

続きます。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/179.html#c15

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
9. 中川隆[-11917] koaQ7Jey 2019年2月23日 00:02:07 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[57]

2017.12.02
雅子様C@学歴 日本語も英語も話せない釣書詐欺
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764

「日本で一番優秀な女性」という触れ込みで皇太子の妻になった小和田雅子さんですが、実際はどうだったんでしょうか。

学歴がすべてを決めるわけではありませんが、実は高学歴とは程遠い方。学歴ロンタリングのの見本のような方です。

学歴が高低がもんだいなのではなく、嘘をつくとろに問題があると思います。ざっと見てみましょう

語学力 日本語が不自由

帰国子女やバイリンガルの場合、日本語がおかしいことは、よくあることですが、高校2年まで日本で育った雅子さまは、帰国子女とは言いません。にもかわらず、「天照大神」を、てんてるだいじん、とよむ知能のレベルでした

音読すると、変さが、いっそう解ります。支離滅裂です。

クワガタ、けれども、クワガタ、けれども、クワガタ、クワガタ、、、

言語は思考の土台だと思うのですが、言語能力が低いということは、知能が高くないということではないのかしら。


テレビ朝日 スーパーモーニング

工藤雪枝氏(雅子様の友人)の発言、小和田優美子さんの代弁として
「英語でのカウンセリングを希望」
「日本語では敬語や皇室用語が負担」

しかしながら、雅子さん、その英語が話せないようです。

Sponsored Link


語学力 英語が不自由

雅子様の英語のスピーチって、おおまっぴらに公表されてないけど、人前で話せるレベルではないんでしょうね。

本当に堪能なら、「英語が堪能な優秀な雅子様」として、スピーチの動画をマスコミを通じて拡散に励むはず。実際は、日常会話の、英検1級がやっとのレベルらしいですね。一般人なら問題ないけど、外務省勤務で将来の女性大使候補。名門ハーバート大卒、英国名門大学留学、という経歴には無理がある実力です。

ご成婚後、海外の音楽家に「サインして」とねだったらしいですね。それだけでも、ちょっと問題があるとおもうのですが、雅子はsignしてくれと頼んだそうです。

日本では署名も、色紙のサインも同じくサインといいますが、

英語では、Autographs。

signとは、書類に署名するサインのこと。それぞれ違うものです。

音楽家は「sign??はあ??」ってなったらしい。雅子さんの英語力は、その程度のレベル。

2015年のトンガ王の即位式に参列した折、雅子に通訳が付いていたところをみると、本当に話せないらしいらしいですね。

※以下、ドス子wiki様よりお借りしてます。

http://ja.dosuko.wikia.com/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

マサグリッシュとは、

雅子夫人が口にするトンデモ英語のこと。2008年10月9日、とある奥様により『English Journal』2008年11月号掲載のHayley Westenraさんインタビューで、2005年6月4日サントリーホールにてコンサート鑑賞した東宮夫妻が

“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

と超上流階級にあるまじき品のない表現でサインを求めたことが発見され、ヘイリーサインおねだり祭り・ウォンチュー祭りとなった。

『English Journal』2008年11月号

Hayley Westenraさんがインタビュー中で証言した雅子の台詞“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”

Part1342-802 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:20:51 ID:mG+LOOXnO
そんなにたいした記事ではありませんが
English Journal 2008,11号でちょっとだけ盆丼について書いてあったのでレポします。
Haylay Westenra へのロングインタビューの中に、
「A Royal Stir」という記事があり
2005年6月4日にのコンサートに盆丼が来て、その後歓談したと書いてあります。
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった。
・二人とも「lovely」だった。(かわいい?)
・警備がすごかった
・ヘンリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

と言われて、ちょっと時間が長引いてしまったら、ドアの向こうの警備がパニックになってしまった。
という話でした。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:23:18 ID:mG+LOOXnO
続き、、、
上の英語を話したのは丼かな〜と思います。
英語は勉強中なので詳しくはわかりませんが、上品な英語ではありませんよね。
ヘンリーはフジテレビドラマの白い巨塔の主題歌を歌っていたので
ミーハーな気持ちで見に行ったのかと思いましたが、
なんとユニセフ史上の最年少の大使でした。
あと、ニュージーランド出身だそうです。

804 可愛い奥様 sage 2008/10/09(木) 12:37:21 ID:mG+LOOXnO
EJは48ページです。

『English Journal』2008年11月号(ヘイリーさんの大きな顔写真が表紙)
http://www.yuko2ch.net/mako/mako/src/1225897331546.jpg

Hayley Westenraロングインタビューpp.48-49より

A Royal Stir(やんごとなき珍事)

2005年6月4日のコンサートを皇太子夫妻が鑑賞して、その後歓談したことについて:
・来ると言う予告はあったが、始まるまで来るか来ないかわからなかった(いつものことながら迷惑)
・二人とも「lovely」だった(とりあえず褒めておく時の無難で典型的な言葉)
・警備がすごかった
・ヘイリーが「protocol」に従って歓談を終わらせようとしたら

But on the second knock, I was like“Oh”, you know, “Thank you very much. Um, I’d better, better be going. I’d better let you go.”
And they’re like,“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”
And so, I thought, “OK, well, I’ll, I’ll hang around then, and, um, better sign,”you know,
“Better do as they say.”And, um, not knowing that I was, you know, creating quite a stir outside.

アルク編集部がサインねだりにつけた対訳「いえいえ、ちょっと待って、何かにサインをしてちょうだい!」

マスコミ記事にて外務省で美しく正確な英語を話す、と散々宣伝されていた小和田雅子だが、
人にものを頼むときに「May I…」や「Would you…」を使うという初歩の初歩ができない
「sign」は書類に署名する場合に使い、有名人の所謂サインなら「autograph」を使うという、超初級英単語を知らなかった

…という、帰国子女(小中学校義務教育時期のほとんどを日本で過ごしている小和田雅子は厳密にはこの定義に当てはまらないが)ではありえない英語のレベルの低さが判明することになった。

転載以上

雅子「Oh,no,oh,wait,we want you to sign something for us」

・signサイン 書類にする署名

・autograph 署名、(有名人の)サイン

ハーバート大卒業したはずの雅子さんは、この違いが判らなかったということ。

語学力 ロシア語・フランス語は問題外

釣書にあったはずの、ロシア語、フランス語は、全くダメ。

ドイツ語が堪能野のは、紀子様のほう。ドイツ語圏の人が、紀子妃はドイツ語を流ちょうに話すと書かれていたのだから、間違いなさそう。

雅子の場合、子供の障害や同和の出自や婚前の堕胎経験など自分の恥は紀子様にスライドして流布させ、紀子様のお手柄は自分のものにしているみたいですね。何語なら、まっとうに話せるのかしら。朝鮮語??

雅子様の「華麗な」学歴も経歴も全部無試験、親のコネ

・学習院初等部をうけるも落ちた。双葉には、なんども落ちた。

・双子の妹がうかったとき、お情けで入学を許された。

・高校2年生のとき、親とともに渡米。

この渡米も退学も意味が不明だとか。

大学受験もあるのに、中途半端な時期に日本の高校を退学して、わざわざレベルの低い米国の公立高校へ編入というのも不思議な話です。

アメリカの公立高校はレベルが低く、ちょっと勉強したらAが取れるそうですが、それでも雅子の成績は悪かったそうです。勉強ができない子のクラスに移動させようとすると、父親が乗り込んできて文句をいったそうで、、、どっかで聞いた話ですね。

紀子様はご成婚前になんども堕胎した。怒った川嶋教授が御所に乗り込み、「なんども堕胎さえやがって」「うちの娘を殺すきか」と天皇に詰めよった、という創価学会が流している流説に似てます。

アメリカの学校への転校の理由としては、雅子が学業がついていけない、あるいは、堕胎する必要ができるなどの不祥事をおこした、、、、など、理由があったとみなしたほうがよさそうです。

双子の妹は日本に残してますので、雅子だけ連れてというのもおかしな話です。雅子は、英語ができない子のクラスから上がれないままのレベルのままでした。

ハーバート大卒

実際に入学したのはラドグリフ女子大。14年後にハーバートに吸収されたので、小和田家は「ハーバート大卒」といいはっているだけ。

しかも、ハーバート大付属の女子大に父のコネで入学。試験なし。

卒論は、父のコネの大物のインタビューをまとめたもの。雅子さんが書いたかどうか不明。おそらくは代筆では??それでも優を取れなかった雅子さん。

東大

面接のみでの編入。ひとつも単位をとれず、ろくに授業も受けず、父のコネで職員の子弟枠をつかって外務省に入省。

外務省入省

父のコネで、子弟枠(今は廃止)をつかっての面接のみので入省。

省内では、仕事ができない人で有名だった。遅刻の常習犯。けじめがなく、小和田外務次官を「お父様」とよび、通勤手当をもらいながら車で通勤。通訳に呼ぶと、通訳が出来なくて泣く。できる仕事はコピーだけ。ついたあだ名がコピー番長。

当時、不倫をしていたのは省内でも有名な話らしい。すくなくとも、2人の不倫相手がいたらしい。

ひとりは、奥参事官。赴任先のイラクで「流れ弾にあったって」亡くなった方。しかし状況的に流れ弾がとんでくるなど、状況的に見てありえないという。

レベルの低いアメリカの公立高校の成績も、学力が低いクラスから抜け出せなかった雅子さん。

2015年のトンガ王国の戴冠式に参列した時は、通訳が付いてましたので、ハーバート大學どころか、付属の女子大も実力ではは無理でしょう。

オックスフォード大

外務省から国費留学させてもらうも、一人だけ学士がとれず帰国。

毎週洗濯物を抱えて、親がいるフランスへ渡ってたそうな。

この間、福田元首相の甥と恋愛関係にあり婚約まで発展。ほかにも付き合っていた彼氏がいたうえに、浩宮徳仁親王とはコルマールのホテルに同宿したことが確認されてます。「運命の出会い」とされているスペイン王女のパーティーでの出会いよりも数年前の話です。

もともと、「留学」の意味が解ってなかったのかもしれません。

続きます。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4764
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c9

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
164. 中川隆[-11916] koaQ7Jey 2019年2月23日 00:09:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[58]


2017.12.02
雅子様➄@皇太子妃雅子様と後藤組と創価学会の素敵な関係
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4805

続きです。

親王妃の学歴が低くても、ご本人の気質が真面目で素晴らしければいいのではないのか、と思われる方も多いかもしれませんが、祭祀王の家系たる皇室に嫁ぐ方は、皇室とその信仰に適応していただかなくてはならないと思います。それができないなら、最初から皇室に嫁がなければよく、嫁いだ後も適応できないのなら、離婚されて同じ信仰のかたと再婚されればいいだけの話。


今更ですが、小和田雅子は創価学会員です。

創価の三色旗が振られるパレード。君が代が排除された異様な皇太子の成婚式でした。

Sponsored Link

今更ですが、小和田雅子は池田大作の落胤と言われています。

ほかにも池田大作の落胤と言われている人もいます。あくまで噂ですが。

Will 2016年10月号
内外に蠢く皇室を潰したい勢力(河添恵子氏)

p232〜
国連大学本部ビル前で聞いた話
皇室典範に触れた質問が、初めて飛び出してから13年を経た今年3月、国連の女子差別撤廃委員会が日本に関してまとめた最終見解案に、「皇室典範の改正を求める勧告が盛り込まれた」と報じられたのは記憶に新しい。
日本側が抗議して削除を要請したことで、皇室典範に関する記述は消えたが、日本側に提示された最終見解案は、「委員会は既存の差別的な規定に関するこれまでの勧告に、対応がされていないことを遺憾に思う」と前置きし、「特に懸念を有している」として、「皇室典範に男系男子の皇族のみに皇位継承権が継承されるとの規定を有している」と挙げた。その上で、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも「皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだ」と勧告した。

国連と関連づけたくなる、もう一つ別の理由もある。私の脳裏にこびりついて離れない話があるためだ。(中略)
創価学会の幹部A氏が、青山通りに面した国連大学本部ビルの前で上を指さしながら、私にこう語った。
「この最上階に雅子さまの執務室がある。裏側に専用エレベーターがあって、誰にも会うことなく部屋まで行かれる。雅子さまは毎日のように、こちらに通われている」
唐突なこの話に、私はおそらくこんな反応をした。
「え? 適応障害でご公務はお休みなのに・・・。毎日こちらで何をされているのでしょう? 確かに雅子さまは、国連大使までされたお父様をとても信頼されているようだけど」
(中略)
ただ、次の言葉にある種のショックを受けた。
「雅子さまの執務室を誰が用意したのか知っている? 池田大作先生だよ」
何か聞いてはいけないことを聞いてしまった、そんな気持ちが私の心を強く支配した。
以来、国連大学本部ビル周辺を通るたびに、この話を思い出すのだが、A氏が嘘を言う理由も考えられない上で、事実をこの目で確かめる術もなく、何より不用意に他言すべきではないと胸に収めていた。ただ、小和田家、東宮が国連や創価学会に近いことは、客観的な報道等からも徐々に知るようになっていく。
2008年6月、ブラジル連邦共和国のバラナ州で行われた日本人移住百周年を慶祝する記念式典に、皇太子さま、副大統領、州知事などの他、「式典委員会からの招聘を受けた池田SGI(創価学会インターナショナル)会長の名代として池田博正SGI副会長が出席したことが「聖教新聞」(同年7月1日号)に報じられている。
また、昨年3月には天皇、皇后両陛下が、国連防災世界会議で来日中の潘 基文(パンギムン)事務総長夫妻と仙台市内で会われたが、皇太子ご夫妻も総長夫妻と東宮御所で面談された。2007年から国連水と衛生に関する諮問委員会(UNSGAB)の名誉総裁となった皇太子さまは、昨年11月にニューヨーク国連大学本部に招かれ、基調講演を行っている。

※創価学会の新聞・聖教新聞。ブラジル訪問時、創価学会の大会に参加した皇太子徳仁。池田大作の息子が同列にならんでいるのがわかります。


異教徒どうしの結婚は認めないはず。皇太子徳仁は、創価学会に改宗している疑惑がありますね。

今更ですが、雅子は鳥居がくぐれない人。当然、祭祀は不可能。

天皇家は神道の祭祀王の家系ですが、天皇家に嫁いでおきながら、鳥居がくぐれません。

神武天皇陵参拝時の雅子。嫌悪感まるだし。

白人王族を前にした雅子

幸せいっぱい、歓喜にみちた雅子様のお顔

「、、、、、、、、、、、、、」

今更ですが、小和田雅子は北朝鮮系です。

三代前から家系が遡れません。北朝鮮の不法移民が新潟の朝鮮部落に住み着き、日本人に背乗りしたと思われます。

当時、朝鮮は日本領でしたから普通に行き来が出来ましたし、半島民にも戸籍が与えられていました。学校にも通えましたし、選挙権もありました。にもかかわらず、わざわざ、新潟までながれてきて日本人に背乗りするには、小和田家の先祖には、それなりの事情があったのではないのでしょうか。

※詳細はこちら

もちろん、雅子が朝鮮系であることは、南朝鮮人も知っています。愛子が生まれたときは大喜びで,ハワイの記念館に銅像を作りました。

今更ですが、小和田雅子とその夫は北朝鮮の将軍様の配下の工作員ではないのか

忠節と奉公の報酬に、朝鮮の犬珍島犬を下賜されました。

2に匹の犬は、大切に御所で飼われていました。

創価学会・池田大作会長は、朝鮮系であるといううわさが絶えない。

某掲示板のレス

1.朝鮮(東京都大田区大森北)出身
2.子供時代に父から朝鮮語を習った
3.父と母の氏名が不明確と言われている
4.成長とともに在日朝鮮人と多くであった
5.ところどころで朝鮮語風の発音をする。例えば、大臣をデージンと言う。
6.朝鮮人を擁護する発言が多い

以上

学会の上層部は、東大卒の在日もしくは朝鮮系が占めており、学会員を支配しているという。

こうした支配層の学会員は、出世にはばかるので、学会の名簿に名前が載らないそうです。小和田恒もその一人でしょう。


今更ですが、今は解散した後藤組は、創価学会の暴力装置でした。

世界的な映画監督を自殺に見せかけて殺害を実行したのは、この後藤組ではないかといわれています。

さらには、後藤組組長は、池田大作から、亀井静香元議員の殺害も依頼されたとか。

#114 2017/02/11 15:24

おまけ(笑)

877 名無しさん@お腹いっぱい。 2017/02/11(土) 13:59:28.34 id:jSCd/Ep1
創価学会本部 発砲事件

暴力団「後藤組」と決裂した創価学会は、
後藤組を解散させるため公明党を利用して警視庁・県警に圧力を掛けたという。
その後、管轄内に「暴力団対策本部」が設置された。
組の事務所は捜索され、組員はマナー違反など微罪ともいえない理由で逮捕され不当な扱いを受けたとしている。
教団に裏切られたと判断した組員は、創価学会本部で発砲事件を起こし、
池田会長が入院している病院の先々でも組員が発砲事件を起こしたという。

組長は「池田は相当ビビっただろうな」と自身の著書で振り返った。
創価学会との抗争については、後藤組組長の著書「憚りながら」をお読みください。

今更ですが、雅子は後藤組と何らかのつながりがあった可能性があります

※皇室掲示板より

無題 Name 名無し 17/04/13(木)20:53 id:tjAzK1fQ No.1966533
ここから髪の毛をどんどん伸ばし始めたんだよね。

何があったのだろう。

オウムみたいで気味が悪かった。

… 無題 Name 名無し 17/04/14(金)10:22 id:B2HIUCzg No.1966955
そりゃああのアヘ顔写真が出たからでしょ。

無題 Name 名無し 15/05/17(日)20:01 id:xpeiLuZU No.1335226

>誰が流失させたの?

隠し撮りされたのだから、流出元は分からないかも?
雅子のお相手が自ら流出させるとも思えないし…。
国連大学に隠しカメラを仕掛けたヤツが犯人では?

無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:28 ID:r.Oh9U8E No.1335346
こんな写真を入手できるのは普通の人間じゃないでしょうね。
解散させられた後藤組関係者じゃないの?
マイバッハ、国連大学、六本木夜遊び、一連の流れは悠仁親王誕生後から。
親王誕生で雅子ブチギレはある程度容認されたが、おかしな交際が度を越したんで後藤組解散まで行ったんじゃないの?

後藤忠政は雅子さんが出入りしていた六本木ヒルズに住んでたんだよね。
雅子さんが六本木ヒルズの会員制クラブに出没していたのは当時の御一行に書かれていた。

>529 :名無しさん@13周年:2013/04/07(日) 20:45:32.86 id:f1vvl+lj0
>雅子マイバッハに乗車  ←マイバッハ後藤組所有
>雅子六本木ヒルズ入り浸り←六本木ヒルズ地上げ+後藤組最上階居住
>東宮夫妻+小和田家煎餅疑惑 ←後藤組煎餅と癒着

… 無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:42 ID:r.Oh9U8E No.1335410
>後藤組は山口組内の「武闘派」という半面、「経済ヤクザ」としても知られ、大きな資金力を背景に山口組内での発言力も大きかった。

これが突如解散。
よほどのことがあったとしか思えない。
皇室絡みなら納得。

… 無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:47 ID:r.Oh9U8E No.1335437
2007年の週刊現代

>・六本木ヒルズ最上階の会員制クラブでも知人と一緒のところを目撃されている
「外出が「治療目的」と言われればそうかもしれないが、伝統的な皇室の姿とは乖離している。治療方針を国民にわかりやすく説明すべき」(皇室ジャーナリスト)

後藤組解散 2008年秋

… 無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:47 ID:0UHg8zgc No.1335441
やっぱ相手は組長なんすか?
そんな疑念を持たれる皇太子妃とかないわ

(以上)


後藤組と雅子さまの疑惑

・後藤組という暴力団があったそうな。

・創価学会の暴力装置だったそうな。

・ある時期、創価学会・池田会長の落胤「皇太子妃」雅子はしきりに後藤組に関連する場所に出没していたそうな。

・さらには、後藤組の所有と思われるマイバッハに乗っていたそうな。

・後藤組の組長が創価の「なんらかの」弱みを握り、学会を恐喝したそうな。

・失敗したそうな。

・組長はカンボジアに逃亡し、組は解散したそうな。

・組長は、カンボジアで伯爵になったそうな。

2005年 愛知万博

2006年08月 皇太子一家オランダ静養

2006年10月

東宮夫妻、第58回正倉院展鑑賞(奈良国立博物館)、京都御所視察 (宮内庁HP)

髪の長さから見て、これが雅子だとしたら、2005年あたりでしょうか。

2008年10月、後藤組解散

後藤組組長。6代目山口組の除籍処分を受け入れて引退

雅子の男たち

雅子の元カレたちは、顔長い、眼鏡、大鼻、長身、戸籍上の父・小和田恒に似ている男ばかり。

後藤組長は、雅子の好みかな??

カンボジアで伯爵になった後藤元組長。低身長ではなさそう。眼鏡かけてますね。

雅子は、主治医の大野医師とも関係があったといわれてますね。

組長も一緒に並べてみましょ。

眼鏡かけているし、顔が長いし鼻も大きいし、違和感なし。どうしよう。

掲示板のコメントにもありましたが、これが国連大学の池田大作が用意した部屋で、相手が現役の暴力団組長だったら笑いますね。

そういえば、雅子の母方の祖父は、写真家のユージン・スミスや水俣の被害者さまたちをヤクザを使って暴行させた鬼畜でした。つまりは江頭は経営者に化けたヤクザだったということです。雅子と後藤はヤクザ同士なので、同種なので引き合ったのかも。

雅子様はご病気ではなく、ただ畜生化しているだけのはなし

人間を人間たらしめているもの、知性、理性、思いやり、向上心、努力、道徳、、、これらを放棄しながら、ただ欲望のままに生きてた雅子。

病んでいるという言葉は使いたくないわ。本当に病を得ている方に失礼だもの。

雅子は、人間を人間たらしめているものを放棄しながら生きた末に、動物化しただけ。それだけの話だと思う。

週刊文春2015年12月31・2016年1月7日号

近年、雅子さまの母・優美子さんはある皇室ジャーナリストにこう語ったという。
「親馬鹿だと思われるかもしれませんが、私は妃殿下が心配なのです。妃殿下はありのままの人なのだから、演技はできない。何かあると『小和田家か悪い』と言われるけれど……。
日本も皇室も変らなければ」

以上

大切なのは雅子ではなく皇室なのですが、、、

公私のケジメのなさ、泥棒癖、水俣病問題にみられる残忍性、、江頭家も、日本人ばなれしたところがめだちますね。母親の小和田優美子(旧姓江頭)の実家の江頭家に関しては、雅子の本家筋の芸人が「部落なんだ」とカミングアウトしているそうです。

が、日本の部落にルーツがあっても、やはり日本人は日本人としてのケジメやモラルを吸収しながら成長すると思います。

半島にも昔からの階級があり、個人もそれぞれ個性があり、善悪賢愚、いろんな方がいますので一概にいえませんが、もしかしたら、小和田家だけではなく、江頭家も「半島の最下層・犯罪層」からきた背乗り家系かもしれないと疑う余地があります。

皇太子のツマ、親王妃という究極の公人には、公私のケジメがなく、というかそれ以前に、「公」という観念がかけている人は相応しくないでしょう。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4805
http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c164

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
42. 中川隆[-11915] koaQ7Jey 2019年2月23日 00:10:04 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[59]


2017.12.02
雅子様➄@皇太子妃雅子様と後藤組と創価学会の素敵な関係
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4805

続きです。

親王妃の学歴が低くても、ご本人の気質が真面目で素晴らしければいいのではないのか、と思われる方も多いかもしれませんが、祭祀王の家系たる皇室に嫁ぐ方は、皇室とその信仰に適応していただかなくてはならないと思います。それができないなら、最初から皇室に嫁がなければよく、嫁いだ後も適応できないのなら、離婚されて同じ信仰のかたと再婚されればいいだけの話。


今更ですが、小和田雅子は創価学会員です。

創価の三色旗が振られるパレード。君が代が排除された異様な皇太子の成婚式でした。

Sponsored Link

今更ですが、小和田雅子は池田大作の落胤と言われています。

ほかにも池田大作の落胤と言われている人もいます。あくまで噂ですが。

Will 2016年10月号
内外に蠢く皇室を潰したい勢力(河添恵子氏)

p232〜
国連大学本部ビル前で聞いた話
皇室典範に触れた質問が、初めて飛び出してから13年を経た今年3月、国連の女子差別撤廃委員会が日本に関してまとめた最終見解案に、「皇室典範の改正を求める勧告が盛り込まれた」と報じられたのは記憶に新しい。
日本側が抗議して削除を要請したことで、皇室典範に関する記述は消えたが、日本側に提示された最終見解案は、「委員会は既存の差別的な規定に関するこれまでの勧告に、対応がされていないことを遺憾に思う」と前置きし、「特に懸念を有している」として、「皇室典範に男系男子の皇族のみに皇位継承権が継承されるとの規定を有している」と挙げた。その上で、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも「皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだ」と勧告した。

国連と関連づけたくなる、もう一つ別の理由もある。私の脳裏にこびりついて離れない話があるためだ。(中略)
創価学会の幹部A氏が、青山通りに面した国連大学本部ビルの前で上を指さしながら、私にこう語った。
「この最上階に雅子さまの執務室がある。裏側に専用エレベーターがあって、誰にも会うことなく部屋まで行かれる。雅子さまは毎日のように、こちらに通われている」
唐突なこの話に、私はおそらくこんな反応をした。
「え? 適応障害でご公務はお休みなのに・・・。毎日こちらで何をされているのでしょう? 確かに雅子さまは、国連大使までされたお父様をとても信頼されているようだけど」
(中略)
ただ、次の言葉にある種のショックを受けた。
「雅子さまの執務室を誰が用意したのか知っている? 池田大作先生だよ」
何か聞いてはいけないことを聞いてしまった、そんな気持ちが私の心を強く支配した。
以来、国連大学本部ビル周辺を通るたびに、この話を思い出すのだが、A氏が嘘を言う理由も考えられない上で、事実をこの目で確かめる術もなく、何より不用意に他言すべきではないと胸に収めていた。ただ、小和田家、東宮が国連や創価学会に近いことは、客観的な報道等からも徐々に知るようになっていく。
2008年6月、ブラジル連邦共和国のバラナ州で行われた日本人移住百周年を慶祝する記念式典に、皇太子さま、副大統領、州知事などの他、「式典委員会からの招聘を受けた池田SGI(創価学会インターナショナル)会長の名代として池田博正SGI副会長が出席したことが「聖教新聞」(同年7月1日号)に報じられている。
また、昨年3月には天皇、皇后両陛下が、国連防災世界会議で来日中の潘 基文(パンギムン)事務総長夫妻と仙台市内で会われたが、皇太子ご夫妻も総長夫妻と東宮御所で面談された。2007年から国連水と衛生に関する諮問委員会(UNSGAB)の名誉総裁となった皇太子さまは、昨年11月にニューヨーク国連大学本部に招かれ、基調講演を行っている。

※創価学会の新聞・聖教新聞。ブラジル訪問時、創価学会の大会に参加した皇太子徳仁。池田大作の息子が同列にならんでいるのがわかります。


異教徒どうしの結婚は認めないはず。皇太子徳仁は、創価学会に改宗している疑惑がありますね。

今更ですが、雅子は鳥居がくぐれない人。当然、祭祀は不可能。

天皇家は神道の祭祀王の家系ですが、天皇家に嫁いでおきながら、鳥居がくぐれません。

神武天皇陵参拝時の雅子。嫌悪感まるだし。

白人王族を前にした雅子

幸せいっぱい、歓喜にみちた雅子様のお顔

「、、、、、、、、、、、、、」

今更ですが、小和田雅子は北朝鮮系です。

三代前から家系が遡れません。北朝鮮の不法移民が新潟の朝鮮部落に住み着き、日本人に背乗りしたと思われます。

当時、朝鮮は日本領でしたから普通に行き来が出来ましたし、半島民にも戸籍が与えられていました。学校にも通えましたし、選挙権もありました。にもかかわらず、わざわざ、新潟までながれてきて日本人に背乗りするには、小和田家の先祖には、それなりの事情があったのではないのでしょうか。

※詳細はこちら

もちろん、雅子が朝鮮系であることは、南朝鮮人も知っています。愛子が生まれたときは大喜びで,ハワイの記念館に銅像を作りました。

今更ですが、小和田雅子とその夫は北朝鮮の将軍様の配下の工作員ではないのか

忠節と奉公の報酬に、朝鮮の犬珍島犬を下賜されました。

2に匹の犬は、大切に御所で飼われていました。

創価学会・池田大作会長は、朝鮮系であるといううわさが絶えない。

某掲示板のレス

1.朝鮮(東京都大田区大森北)出身
2.子供時代に父から朝鮮語を習った
3.父と母の氏名が不明確と言われている
4.成長とともに在日朝鮮人と多くであった
5.ところどころで朝鮮語風の発音をする。例えば、大臣をデージンと言う。
6.朝鮮人を擁護する発言が多い

以上

学会の上層部は、東大卒の在日もしくは朝鮮系が占めており、学会員を支配しているという。

こうした支配層の学会員は、出世にはばかるので、学会の名簿に名前が載らないそうです。小和田恒もその一人でしょう。


今更ですが、今は解散した後藤組は、創価学会の暴力装置でした。

世界的な映画監督を自殺に見せかけて殺害を実行したのは、この後藤組ではないかといわれています。

さらには、後藤組組長は、池田大作から、亀井静香元議員の殺害も依頼されたとか。

#114 2017/02/11 15:24

おまけ(笑)

877 名無しさん@お腹いっぱい。 2017/02/11(土) 13:59:28.34 id:jSCd/Ep1
創価学会本部 発砲事件

暴力団「後藤組」と決裂した創価学会は、
後藤組を解散させるため公明党を利用して警視庁・県警に圧力を掛けたという。
その後、管轄内に「暴力団対策本部」が設置された。
組の事務所は捜索され、組員はマナー違反など微罪ともいえない理由で逮捕され不当な扱いを受けたとしている。
教団に裏切られたと判断した組員は、創価学会本部で発砲事件を起こし、
池田会長が入院している病院の先々でも組員が発砲事件を起こしたという。

組長は「池田は相当ビビっただろうな」と自身の著書で振り返った。
創価学会との抗争については、後藤組組長の著書「憚りながら」をお読みください。

今更ですが、雅子は後藤組と何らかのつながりがあった可能性があります

※皇室掲示板より

無題 Name 名無し 17/04/13(木)20:53 id:tjAzK1fQ No.1966533
ここから髪の毛をどんどん伸ばし始めたんだよね。

何があったのだろう。

オウムみたいで気味が悪かった。

… 無題 Name 名無し 17/04/14(金)10:22 id:B2HIUCzg No.1966955
そりゃああのアヘ顔写真が出たからでしょ。

無題 Name 名無し 15/05/17(日)20:01 id:xpeiLuZU No.1335226

>誰が流失させたの?

隠し撮りされたのだから、流出元は分からないかも?
雅子のお相手が自ら流出させるとも思えないし…。
国連大学に隠しカメラを仕掛けたヤツが犯人では?

無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:28 ID:r.Oh9U8E No.1335346
こんな写真を入手できるのは普通の人間じゃないでしょうね。
解散させられた後藤組関係者じゃないの?
マイバッハ、国連大学、六本木夜遊び、一連の流れは悠仁親王誕生後から。
親王誕生で雅子ブチギレはある程度容認されたが、おかしな交際が度を越したんで後藤組解散まで行ったんじゃないの?

後藤忠政は雅子さんが出入りしていた六本木ヒルズに住んでたんだよね。
雅子さんが六本木ヒルズの会員制クラブに出没していたのは当時の御一行に書かれていた。

>529 :名無しさん@13周年:2013/04/07(日) 20:45:32.86 id:f1vvl+lj0
>雅子マイバッハに乗車  ←マイバッハ後藤組所有
>雅子六本木ヒルズ入り浸り←六本木ヒルズ地上げ+後藤組最上階居住
>東宮夫妻+小和田家煎餅疑惑 ←後藤組煎餅と癒着

… 無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:42 ID:r.Oh9U8E No.1335410
>後藤組は山口組内の「武闘派」という半面、「経済ヤクザ」としても知られ、大きな資金力を背景に山口組内での発言力も大きかった。

これが突如解散。
よほどのことがあったとしか思えない。
皇室絡みなら納得。

… 無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:47 ID:r.Oh9U8E No.1335437
2007年の週刊現代

>・六本木ヒルズ最上階の会員制クラブでも知人と一緒のところを目撃されている
「外出が「治療目的」と言われればそうかもしれないが、伝統的な皇室の姿とは乖離している。治療方針を国民にわかりやすく説明すべき」(皇室ジャーナリスト)

後藤組解散 2008年秋

… 無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:47 ID:0UHg8zgc No.1335441
やっぱ相手は組長なんすか?
そんな疑念を持たれる皇太子妃とかないわ

(以上)


後藤組と雅子さまの疑惑

・後藤組という暴力団があったそうな。

・創価学会の暴力装置だったそうな。

・ある時期、創価学会・池田会長の落胤「皇太子妃」雅子はしきりに後藤組に関連する場所に出没していたそうな。

・さらには、後藤組の所有と思われるマイバッハに乗っていたそうな。

・後藤組の組長が創価の「なんらかの」弱みを握り、学会を恐喝したそうな。

・失敗したそうな。

・組長はカンボジアに逃亡し、組は解散したそうな。

・組長は、カンボジアで伯爵になったそうな。

2005年 愛知万博

2006年08月 皇太子一家オランダ静養

2006年10月

東宮夫妻、第58回正倉院展鑑賞(奈良国立博物館)、京都御所視察 (宮内庁HP)

髪の長さから見て、これが雅子だとしたら、2005年あたりでしょうか。

2008年10月、後藤組解散

後藤組組長。6代目山口組の除籍処分を受け入れて引退

雅子の男たち

雅子の元カレたちは、顔長い、眼鏡、大鼻、長身、戸籍上の父・小和田恒に似ている男ばかり。

後藤組長は、雅子の好みかな??

カンボジアで伯爵になった後藤元組長。低身長ではなさそう。眼鏡かけてますね。

雅子は、主治医の大野医師とも関係があったといわれてますね。

組長も一緒に並べてみましょ。

眼鏡かけているし、顔が長いし鼻も大きいし、違和感なし。どうしよう。

掲示板のコメントにもありましたが、これが国連大学の池田大作が用意した部屋で、相手が現役の暴力団組長だったら笑いますね。

そういえば、雅子の母方の祖父は、写真家のユージン・スミスや水俣の被害者さまたちをヤクザを使って暴行させた鬼畜でした。つまりは江頭は経営者に化けたヤクザだったということです。雅子と後藤はヤクザ同士なので、同種なので引き合ったのかも。

雅子様はご病気ではなく、ただ畜生化しているだけのはなし

人間を人間たらしめているもの、知性、理性、思いやり、向上心、努力、道徳、、、これらを放棄しながら、ただ欲望のままに生きてた雅子。

病んでいるという言葉は使いたくないわ。本当に病を得ている方に失礼だもの。

雅子は、人間を人間たらしめているものを放棄しながら生きた末に、動物化しただけ。それだけの話だと思う。

週刊文春2015年12月31・2016年1月7日号

近年、雅子さまの母・優美子さんはある皇室ジャーナリストにこう語ったという。
「親馬鹿だと思われるかもしれませんが、私は妃殿下が心配なのです。妃殿下はありのままの人なのだから、演技はできない。何かあると『小和田家か悪い』と言われるけれど……。
日本も皇室も変らなければ」

以上

大切なのは雅子ではなく皇室なのですが、、、

公私のケジメのなさ、泥棒癖、水俣病問題にみられる残忍性、、江頭家も、日本人ばなれしたところがめだちますね。母親の小和田優美子(旧姓江頭)の実家の江頭家に関しては、雅子の本家筋の芸人が「部落なんだ」とカミングアウトしているそうです。

が、日本の部落にルーツがあっても、やはり日本人は日本人としてのケジメやモラルを吸収しながら成長すると思います。

半島にも昔からの階級があり、個人もそれぞれ個性があり、善悪賢愚、いろんな方がいますので一概にいえませんが、もしかしたら、小和田家だけではなく、江頭家も「半島の最下層・犯罪層」からきた背乗り家系かもしれないと疑う余地があります。

皇太子のツマ、親王妃という究極の公人には、公私のケジメがなく、というかそれ以前に、「公」という観念がかけている人は相応しくないでしょう。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4805
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c42

[昼休み54] 日本の中枢は既に在日朝鮮人に乗っ取られている 中川隆
20. 中川隆[-11914] koaQ7Jey 2019年2月23日 00:10:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[60]


2017.12.02
雅子様➄@皇太子妃雅子様と後藤組と創価学会の素敵な関係
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4805

続きです。

親王妃の学歴が低くても、ご本人の気質が真面目で素晴らしければいいのではないのか、と思われる方も多いかもしれませんが、祭祀王の家系たる皇室に嫁ぐ方は、皇室とその信仰に適応していただかなくてはならないと思います。それができないなら、最初から皇室に嫁がなければよく、嫁いだ後も適応できないのなら、離婚されて同じ信仰のかたと再婚されればいいだけの話。


今更ですが、小和田雅子は創価学会員です。

創価の三色旗が振られるパレード。君が代が排除された異様な皇太子の成婚式でした。

Sponsored Link

今更ですが、小和田雅子は池田大作の落胤と言われています。

ほかにも池田大作の落胤と言われている人もいます。あくまで噂ですが。

Will 2016年10月号
内外に蠢く皇室を潰したい勢力(河添恵子氏)

p232〜
国連大学本部ビル前で聞いた話
皇室典範に触れた質問が、初めて飛び出してから13年を経た今年3月、国連の女子差別撤廃委員会が日本に関してまとめた最終見解案に、「皇室典範の改正を求める勧告が盛り込まれた」と報じられたのは記憶に新しい。
日本側が抗議して削除を要請したことで、皇室典範に関する記述は消えたが、日本側に提示された最終見解案は、「委員会は既存の差別的な規定に関するこれまでの勧告に、対応がされていないことを遺憾に思う」と前置きし、「特に懸念を有している」として、「皇室典範に男系男子の皇族のみに皇位継承権が継承されるとの規定を有している」と挙げた。その上で、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも「皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだ」と勧告した。

国連と関連づけたくなる、もう一つ別の理由もある。私の脳裏にこびりついて離れない話があるためだ。(中略)
創価学会の幹部A氏が、青山通りに面した国連大学本部ビルの前で上を指さしながら、私にこう語った。
「この最上階に雅子さまの執務室がある。裏側に専用エレベーターがあって、誰にも会うことなく部屋まで行かれる。雅子さまは毎日のように、こちらに通われている」
唐突なこの話に、私はおそらくこんな反応をした。
「え? 適応障害でご公務はお休みなのに・・・。毎日こちらで何をされているのでしょう? 確かに雅子さまは、国連大使までされたお父様をとても信頼されているようだけど」
(中略)
ただ、次の言葉にある種のショックを受けた。
「雅子さまの執務室を誰が用意したのか知っている? 池田大作先生だよ」
何か聞いてはいけないことを聞いてしまった、そんな気持ちが私の心を強く支配した。
以来、国連大学本部ビル周辺を通るたびに、この話を思い出すのだが、A氏が嘘を言う理由も考えられない上で、事実をこの目で確かめる術もなく、何より不用意に他言すべきではないと胸に収めていた。ただ、小和田家、東宮が国連や創価学会に近いことは、客観的な報道等からも徐々に知るようになっていく。
2008年6月、ブラジル連邦共和国のバラナ州で行われた日本人移住百周年を慶祝する記念式典に、皇太子さま、副大統領、州知事などの他、「式典委員会からの招聘を受けた池田SGI(創価学会インターナショナル)会長の名代として池田博正SGI副会長が出席したことが「聖教新聞」(同年7月1日号)に報じられている。
また、昨年3月には天皇、皇后両陛下が、国連防災世界会議で来日中の潘 基文(パンギムン)事務総長夫妻と仙台市内で会われたが、皇太子ご夫妻も総長夫妻と東宮御所で面談された。2007年から国連水と衛生に関する諮問委員会(UNSGAB)の名誉総裁となった皇太子さまは、昨年11月にニューヨーク国連大学本部に招かれ、基調講演を行っている。

※創価学会の新聞・聖教新聞。ブラジル訪問時、創価学会の大会に参加した皇太子徳仁。池田大作の息子が同列にならんでいるのがわかります。


異教徒どうしの結婚は認めないはず。皇太子徳仁は、創価学会に改宗している疑惑がありますね。

今更ですが、雅子は鳥居がくぐれない人。当然、祭祀は不可能。

天皇家は神道の祭祀王の家系ですが、天皇家に嫁いでおきながら、鳥居がくぐれません。

神武天皇陵参拝時の雅子。嫌悪感まるだし。

白人王族を前にした雅子

幸せいっぱい、歓喜にみちた雅子様のお顔

「、、、、、、、、、、、、、」

今更ですが、小和田雅子は北朝鮮系です。

三代前から家系が遡れません。北朝鮮の不法移民が新潟の朝鮮部落に住み着き、日本人に背乗りしたと思われます。

当時、朝鮮は日本領でしたから普通に行き来が出来ましたし、半島民にも戸籍が与えられていました。学校にも通えましたし、選挙権もありました。にもかかわらず、わざわざ、新潟までながれてきて日本人に背乗りするには、小和田家の先祖には、それなりの事情があったのではないのでしょうか。

※詳細はこちら

もちろん、雅子が朝鮮系であることは、南朝鮮人も知っています。愛子が生まれたときは大喜びで,ハワイの記念館に銅像を作りました。

今更ですが、小和田雅子とその夫は北朝鮮の将軍様の配下の工作員ではないのか

忠節と奉公の報酬に、朝鮮の犬珍島犬を下賜されました。

2に匹の犬は、大切に御所で飼われていました。

創価学会・池田大作会長は、朝鮮系であるといううわさが絶えない。

某掲示板のレス

1.朝鮮(東京都大田区大森北)出身
2.子供時代に父から朝鮮語を習った
3.父と母の氏名が不明確と言われている
4.成長とともに在日朝鮮人と多くであった
5.ところどころで朝鮮語風の発音をする。例えば、大臣をデージンと言う。
6.朝鮮人を擁護する発言が多い

以上

学会の上層部は、東大卒の在日もしくは朝鮮系が占めており、学会員を支配しているという。

こうした支配層の学会員は、出世にはばかるので、学会の名簿に名前が載らないそうです。小和田恒もその一人でしょう。


今更ですが、今は解散した後藤組は、創価学会の暴力装置でした。

世界的な映画監督を自殺に見せかけて殺害を実行したのは、この後藤組ではないかといわれています。

さらには、後藤組組長は、池田大作から、亀井静香元議員の殺害も依頼されたとか。

#114 2017/02/11 15:24

おまけ(笑)

877 名無しさん@お腹いっぱい。 2017/02/11(土) 13:59:28.34 id:jSCd/Ep1
創価学会本部 発砲事件

暴力団「後藤組」と決裂した創価学会は、
後藤組を解散させるため公明党を利用して警視庁・県警に圧力を掛けたという。
その後、管轄内に「暴力団対策本部」が設置された。
組の事務所は捜索され、組員はマナー違反など微罪ともいえない理由で逮捕され不当な扱いを受けたとしている。
教団に裏切られたと判断した組員は、創価学会本部で発砲事件を起こし、
池田会長が入院している病院の先々でも組員が発砲事件を起こしたという。

組長は「池田は相当ビビっただろうな」と自身の著書で振り返った。
創価学会との抗争については、後藤組組長の著書「憚りながら」をお読みください。

今更ですが、雅子は後藤組と何らかのつながりがあった可能性があります

※皇室掲示板より

無題 Name 名無し 17/04/13(木)20:53 id:tjAzK1fQ No.1966533
ここから髪の毛をどんどん伸ばし始めたんだよね。

何があったのだろう。

オウムみたいで気味が悪かった。

… 無題 Name 名無し 17/04/14(金)10:22 id:B2HIUCzg No.1966955
そりゃああのアヘ顔写真が出たからでしょ。

無題 Name 名無し 15/05/17(日)20:01 id:xpeiLuZU No.1335226

>誰が流失させたの?

隠し撮りされたのだから、流出元は分からないかも?
雅子のお相手が自ら流出させるとも思えないし…。
国連大学に隠しカメラを仕掛けたヤツが犯人では?

無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:28 ID:r.Oh9U8E No.1335346
こんな写真を入手できるのは普通の人間じゃないでしょうね。
解散させられた後藤組関係者じゃないの?
マイバッハ、国連大学、六本木夜遊び、一連の流れは悠仁親王誕生後から。
親王誕生で雅子ブチギレはある程度容認されたが、おかしな交際が度を越したんで後藤組解散まで行ったんじゃないの?

後藤忠政は雅子さんが出入りしていた六本木ヒルズに住んでたんだよね。
雅子さんが六本木ヒルズの会員制クラブに出没していたのは当時の御一行に書かれていた。

>529 :名無しさん@13周年:2013/04/07(日) 20:45:32.86 id:f1vvl+lj0
>雅子マイバッハに乗車  ←マイバッハ後藤組所有
>雅子六本木ヒルズ入り浸り←六本木ヒルズ地上げ+後藤組最上階居住
>東宮夫妻+小和田家煎餅疑惑 ←後藤組煎餅と癒着

… 無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:42 ID:r.Oh9U8E No.1335410
>後藤組は山口組内の「武闘派」という半面、「経済ヤクザ」としても知られ、大きな資金力を背景に山口組内での発言力も大きかった。

これが突如解散。
よほどのことがあったとしか思えない。
皇室絡みなら納得。

… 無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:47 ID:r.Oh9U8E No.1335437
2007年の週刊現代

>・六本木ヒルズ最上階の会員制クラブでも知人と一緒のところを目撃されている
「外出が「治療目的」と言われればそうかもしれないが、伝統的な皇室の姿とは乖離している。治療方針を国民にわかりやすく説明すべき」(皇室ジャーナリスト)

後藤組解散 2008年秋

… 無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:47 ID:0UHg8zgc No.1335441
やっぱ相手は組長なんすか?
そんな疑念を持たれる皇太子妃とかないわ

(以上)


後藤組と雅子さまの疑惑

・後藤組という暴力団があったそうな。

・創価学会の暴力装置だったそうな。

・ある時期、創価学会・池田会長の落胤「皇太子妃」雅子はしきりに後藤組に関連する場所に出没していたそうな。

・さらには、後藤組の所有と思われるマイバッハに乗っていたそうな。

・後藤組の組長が創価の「なんらかの」弱みを握り、学会を恐喝したそうな。

・失敗したそうな。

・組長はカンボジアに逃亡し、組は解散したそうな。

・組長は、カンボジアで伯爵になったそうな。

2005年 愛知万博

2006年08月 皇太子一家オランダ静養

2006年10月

東宮夫妻、第58回正倉院展鑑賞(奈良国立博物館)、京都御所視察 (宮内庁HP)

髪の長さから見て、これが雅子だとしたら、2005年あたりでしょうか。

2008年10月、後藤組解散

後藤組組長。6代目山口組の除籍処分を受け入れて引退

雅子の男たち

雅子の元カレたちは、顔長い、眼鏡、大鼻、長身、戸籍上の父・小和田恒に似ている男ばかり。

後藤組長は、雅子の好みかな??

カンボジアで伯爵になった後藤元組長。低身長ではなさそう。眼鏡かけてますね。

雅子は、主治医の大野医師とも関係があったといわれてますね。

組長も一緒に並べてみましょ。

眼鏡かけているし、顔が長いし鼻も大きいし、違和感なし。どうしよう。

掲示板のコメントにもありましたが、これが国連大学の池田大作が用意した部屋で、相手が現役の暴力団組長だったら笑いますね。

そういえば、雅子の母方の祖父は、写真家のユージン・スミスや水俣の被害者さまたちをヤクザを使って暴行させた鬼畜でした。つまりは江頭は経営者に化けたヤクザだったということです。雅子と後藤はヤクザ同士なので、同種なので引き合ったのかも。

雅子様はご病気ではなく、ただ畜生化しているだけのはなし

人間を人間たらしめているもの、知性、理性、思いやり、向上心、努力、道徳、、、これらを放棄しながら、ただ欲望のままに生きてた雅子。

病んでいるという言葉は使いたくないわ。本当に病を得ている方に失礼だもの。

雅子は、人間を人間たらしめているものを放棄しながら生きた末に、動物化しただけ。それだけの話だと思う。

週刊文春2015年12月31・2016年1月7日号

近年、雅子さまの母・優美子さんはある皇室ジャーナリストにこう語ったという。
「親馬鹿だと思われるかもしれませんが、私は妃殿下が心配なのです。妃殿下はありのままの人なのだから、演技はできない。何かあると『小和田家か悪い』と言われるけれど……。
日本も皇室も変らなければ」

以上

大切なのは雅子ではなく皇室なのですが、、、

公私のケジメのなさ、泥棒癖、水俣病問題にみられる残忍性、、江頭家も、日本人ばなれしたところがめだちますね。母親の小和田優美子(旧姓江頭)の実家の江頭家に関しては、雅子の本家筋の芸人が「部落なんだ」とカミングアウトしているそうです。

が、日本の部落にルーツがあっても、やはり日本人は日本人としてのケジメやモラルを吸収しながら成長すると思います。

半島にも昔からの階級があり、個人もそれぞれ個性があり、善悪賢愚、いろんな方がいますので一概にいえませんが、もしかしたら、小和田家だけではなく、江頭家も「半島の最下層・犯罪層」からきた背乗り家系かもしれないと疑う余地があります。

皇太子のツマ、親王妃という究極の公人には、公私のケジメがなく、というかそれ以前に、「公」という観念がかけている人は相応しくないでしょう。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4805
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/232.html#c20

[近代史3] 柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口 中川隆
14. 中川隆[-11913] koaQ7Jey 2019年2月23日 00:11:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[61]

2017.12.02
雅子様➄@皇太子妃雅子様と後藤組と創価学会の素敵な関係
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4805

続きです。

親王妃の学歴が低くても、ご本人の気質が真面目で素晴らしければいいのではないのか、と思われる方も多いかもしれませんが、祭祀王の家系たる皇室に嫁ぐ方は、皇室とその信仰に適応していただかなくてはならないと思います。それができないなら、最初から皇室に嫁がなければよく、嫁いだ後も適応できないのなら、離婚されて同じ信仰のかたと再婚されればいいだけの話。


今更ですが、小和田雅子は創価学会員です。

創価の三色旗が振られるパレード。君が代が排除された異様な皇太子の成婚式でした。

Sponsored Link

今更ですが、小和田雅子は池田大作の落胤と言われています。

ほかにも池田大作の落胤と言われている人もいます。あくまで噂ですが。

Will 2016年10月号
内外に蠢く皇室を潰したい勢力(河添恵子氏)

p232〜
国連大学本部ビル前で聞いた話
皇室典範に触れた質問が、初めて飛び出してから13年を経た今年3月、国連の女子差別撤廃委員会が日本に関してまとめた最終見解案に、「皇室典範の改正を求める勧告が盛り込まれた」と報じられたのは記憶に新しい。
日本側が抗議して削除を要請したことで、皇室典範に関する記述は消えたが、日本側に提示された最終見解案は、「委員会は既存の差別的な規定に関するこれまでの勧告に、対応がされていないことを遺憾に思う」と前置きし、「特に懸念を有している」として、「皇室典範に男系男子の皇族のみに皇位継承権が継承されるとの規定を有している」と挙げた。その上で、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも「皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだ」と勧告した。

国連と関連づけたくなる、もう一つ別の理由もある。私の脳裏にこびりついて離れない話があるためだ。(中略)
創価学会の幹部A氏が、青山通りに面した国連大学本部ビルの前で上を指さしながら、私にこう語った。
「この最上階に雅子さまの執務室がある。裏側に専用エレベーターがあって、誰にも会うことなく部屋まで行かれる。雅子さまは毎日のように、こちらに通われている」
唐突なこの話に、私はおそらくこんな反応をした。
「え? 適応障害でご公務はお休みなのに・・・。毎日こちらで何をされているのでしょう? 確かに雅子さまは、国連大使までされたお父様をとても信頼されているようだけど」
(中略)
ただ、次の言葉にある種のショックを受けた。
「雅子さまの執務室を誰が用意したのか知っている? 池田大作先生だよ」
何か聞いてはいけないことを聞いてしまった、そんな気持ちが私の心を強く支配した。
以来、国連大学本部ビル周辺を通るたびに、この話を思い出すのだが、A氏が嘘を言う理由も考えられない上で、事実をこの目で確かめる術もなく、何より不用意に他言すべきではないと胸に収めていた。ただ、小和田家、東宮が国連や創価学会に近いことは、客観的な報道等からも徐々に知るようになっていく。
2008年6月、ブラジル連邦共和国のバラナ州で行われた日本人移住百周年を慶祝する記念式典に、皇太子さま、副大統領、州知事などの他、「式典委員会からの招聘を受けた池田SGI(創価学会インターナショナル)会長の名代として池田博正SGI副会長が出席したことが「聖教新聞」(同年7月1日号)に報じられている。
また、昨年3月には天皇、皇后両陛下が、国連防災世界会議で来日中の潘 基文(パンギムン)事務総長夫妻と仙台市内で会われたが、皇太子ご夫妻も総長夫妻と東宮御所で面談された。2007年から国連水と衛生に関する諮問委員会(UNSGAB)の名誉総裁となった皇太子さまは、昨年11月にニューヨーク国連大学本部に招かれ、基調講演を行っている。

※創価学会の新聞・聖教新聞。ブラジル訪問時、創価学会の大会に参加した皇太子徳仁。池田大作の息子が同列にならんでいるのがわかります。


異教徒どうしの結婚は認めないはず。皇太子徳仁は、創価学会に改宗している疑惑がありますね。

今更ですが、雅子は鳥居がくぐれない人。当然、祭祀は不可能。

天皇家は神道の祭祀王の家系ですが、天皇家に嫁いでおきながら、鳥居がくぐれません。

神武天皇陵参拝時の雅子。嫌悪感まるだし。

白人王族を前にした雅子

幸せいっぱい、歓喜にみちた雅子様のお顔

「、、、、、、、、、、、、、」

今更ですが、小和田雅子は北朝鮮系です。

三代前から家系が遡れません。北朝鮮の不法移民が新潟の朝鮮部落に住み着き、日本人に背乗りしたと思われます。

当時、朝鮮は日本領でしたから普通に行き来が出来ましたし、半島民にも戸籍が与えられていました。学校にも通えましたし、選挙権もありました。にもかかわらず、わざわざ、新潟までながれてきて日本人に背乗りするには、小和田家の先祖には、それなりの事情があったのではないのでしょうか。

※詳細はこちら

もちろん、雅子が朝鮮系であることは、南朝鮮人も知っています。愛子が生まれたときは大喜びで,ハワイの記念館に銅像を作りました。

今更ですが、小和田雅子とその夫は北朝鮮の将軍様の配下の工作員ではないのか

忠節と奉公の報酬に、朝鮮の犬珍島犬を下賜されました。

2に匹の犬は、大切に御所で飼われていました。

創価学会・池田大作会長は、朝鮮系であるといううわさが絶えない。

某掲示板のレス

1.朝鮮(東京都大田区大森北)出身
2.子供時代に父から朝鮮語を習った
3.父と母の氏名が不明確と言われている
4.成長とともに在日朝鮮人と多くであった
5.ところどころで朝鮮語風の発音をする。例えば、大臣をデージンと言う。
6.朝鮮人を擁護する発言が多い

以上

学会の上層部は、東大卒の在日もしくは朝鮮系が占めており、学会員を支配しているという。

こうした支配層の学会員は、出世にはばかるので、学会の名簿に名前が載らないそうです。小和田恒もその一人でしょう。


今更ですが、今は解散した後藤組は、創価学会の暴力装置でした。

世界的な映画監督を自殺に見せかけて殺害を実行したのは、この後藤組ではないかといわれています。

さらには、後藤組組長は、池田大作から、亀井静香元議員の殺害も依頼されたとか。

#114 2017/02/11 15:24

おまけ(笑)

877 名無しさん@お腹いっぱい。 2017/02/11(土) 13:59:28.34 id:jSCd/Ep1
創価学会本部 発砲事件

暴力団「後藤組」と決裂した創価学会は、
後藤組を解散させるため公明党を利用して警視庁・県警に圧力を掛けたという。
その後、管轄内に「暴力団対策本部」が設置された。
組の事務所は捜索され、組員はマナー違反など微罪ともいえない理由で逮捕され不当な扱いを受けたとしている。
教団に裏切られたと判断した組員は、創価学会本部で発砲事件を起こし、
池田会長が入院している病院の先々でも組員が発砲事件を起こしたという。

組長は「池田は相当ビビっただろうな」と自身の著書で振り返った。
創価学会との抗争については、後藤組組長の著書「憚りながら」をお読みください。

今更ですが、雅子は後藤組と何らかのつながりがあった可能性があります

※皇室掲示板より

無題 Name 名無し 17/04/13(木)20:53 id:tjAzK1fQ No.1966533
ここから髪の毛をどんどん伸ばし始めたんだよね。

何があったのだろう。

オウムみたいで気味が悪かった。

… 無題 Name 名無し 17/04/14(金)10:22 id:B2HIUCzg No.1966955
そりゃああのアヘ顔写真が出たからでしょ。

無題 Name 名無し 15/05/17(日)20:01 id:xpeiLuZU No.1335226

>誰が流失させたの?

隠し撮りされたのだから、流出元は分からないかも?
雅子のお相手が自ら流出させるとも思えないし…。
国連大学に隠しカメラを仕掛けたヤツが犯人では?

無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:28 ID:r.Oh9U8E No.1335346
こんな写真を入手できるのは普通の人間じゃないでしょうね。
解散させられた後藤組関係者じゃないの?
マイバッハ、国連大学、六本木夜遊び、一連の流れは悠仁親王誕生後から。
親王誕生で雅子ブチギレはある程度容認されたが、おかしな交際が度を越したんで後藤組解散まで行ったんじゃないの?

後藤忠政は雅子さんが出入りしていた六本木ヒルズに住んでたんだよね。
雅子さんが六本木ヒルズの会員制クラブに出没していたのは当時の御一行に書かれていた。

>529 :名無しさん@13周年:2013/04/07(日) 20:45:32.86 id:f1vvl+lj0
>雅子マイバッハに乗車  ←マイバッハ後藤組所有
>雅子六本木ヒルズ入り浸り←六本木ヒルズ地上げ+後藤組最上階居住
>東宮夫妻+小和田家煎餅疑惑 ←後藤組煎餅と癒着

… 無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:42 ID:r.Oh9U8E No.1335410
>後藤組は山口組内の「武闘派」という半面、「経済ヤクザ」としても知られ、大きな資金力を背景に山口組内での発言力も大きかった。

これが突如解散。
よほどのことがあったとしか思えない。
皇室絡みなら納得。

… 無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:47 ID:r.Oh9U8E No.1335437
2007年の週刊現代

>・六本木ヒルズ最上階の会員制クラブでも知人と一緒のところを目撃されている
「外出が「治療目的」と言われればそうかもしれないが、伝統的な皇室の姿とは乖離している。治療方針を国民にわかりやすく説明すべき」(皇室ジャーナリスト)

後藤組解散 2008年秋

… 無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:47 ID:0UHg8zgc No.1335441
やっぱ相手は組長なんすか?
そんな疑念を持たれる皇太子妃とかないわ

(以上)


後藤組と雅子さまの疑惑

・後藤組という暴力団があったそうな。

・創価学会の暴力装置だったそうな。

・ある時期、創価学会・池田会長の落胤「皇太子妃」雅子はしきりに後藤組に関連する場所に出没していたそうな。

・さらには、後藤組の所有と思われるマイバッハに乗っていたそうな。

・後藤組の組長が創価の「なんらかの」弱みを握り、学会を恐喝したそうな。

・失敗したそうな。

・組長はカンボジアに逃亡し、組は解散したそうな。

・組長は、カンボジアで伯爵になったそうな。

2005年 愛知万博

2006年08月 皇太子一家オランダ静養

2006年10月

東宮夫妻、第58回正倉院展鑑賞(奈良国立博物館)、京都御所視察 (宮内庁HP)

髪の長さから見て、これが雅子だとしたら、2005年あたりでしょうか。

2008年10月、後藤組解散

後藤組組長。6代目山口組の除籍処分を受け入れて引退

雅子の男たち

雅子の元カレたちは、顔長い、眼鏡、大鼻、長身、戸籍上の父・小和田恒に似ている男ばかり。

後藤組長は、雅子の好みかな??

カンボジアで伯爵になった後藤元組長。低身長ではなさそう。眼鏡かけてますね。

雅子は、主治医の大野医師とも関係があったといわれてますね。

組長も一緒に並べてみましょ。

眼鏡かけているし、顔が長いし鼻も大きいし、違和感なし。どうしよう。

掲示板のコメントにもありましたが、これが国連大学の池田大作が用意した部屋で、相手が現役の暴力団組長だったら笑いますね。

そういえば、雅子の母方の祖父は、写真家のユージン・スミスや水俣の被害者さまたちをヤクザを使って暴行させた鬼畜でした。つまりは江頭は経営者に化けたヤクザだったということです。雅子と後藤はヤクザ同士なので、同種なので引き合ったのかも。

雅子様はご病気ではなく、ただ畜生化しているだけのはなし

人間を人間たらしめているもの、知性、理性、思いやり、向上心、努力、道徳、、、これらを放棄しながら、ただ欲望のままに生きてた雅子。

病んでいるという言葉は使いたくないわ。本当に病を得ている方に失礼だもの。

雅子は、人間を人間たらしめているものを放棄しながら生きた末に、動物化しただけ。それだけの話だと思う。

週刊文春2015年12月31・2016年1月7日号

近年、雅子さまの母・優美子さんはある皇室ジャーナリストにこう語ったという。
「親馬鹿だと思われるかもしれませんが、私は妃殿下が心配なのです。妃殿下はありのままの人なのだから、演技はできない。何かあると『小和田家か悪い』と言われるけれど……。
日本も皇室も変らなければ」

以上

大切なのは雅子ではなく皇室なのですが、、、

公私のケジメのなさ、泥棒癖、水俣病問題にみられる残忍性、、江頭家も、日本人ばなれしたところがめだちますね。母親の小和田優美子(旧姓江頭)の実家の江頭家に関しては、雅子の本家筋の芸人が「部落なんだ」とカミングアウトしているそうです。

が、日本の部落にルーツがあっても、やはり日本人は日本人としてのケジメやモラルを吸収しながら成長すると思います。

半島にも昔からの階級があり、個人もそれぞれ個性があり、善悪賢愚、いろんな方がいますので一概にいえませんが、もしかしたら、小和田家だけではなく、江頭家も「半島の最下層・犯罪層」からきた背乗り家系かもしれないと疑う余地があります。

皇太子のツマ、親王妃という究極の公人には、公私のケジメがなく、というかそれ以前に、「公」という観念がかけている人は相応しくないでしょう。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4805
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html#c14

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
10. 中川隆[-11912] koaQ7Jey 2019年2月23日 00:11:30 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[62]


2017.12.02
雅子様➄@皇太子妃雅子様と後藤組と創価学会の素敵な関係
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4805

続きです。

親王妃の学歴が低くても、ご本人の気質が真面目で素晴らしければいいのではないのか、と思われる方も多いかもしれませんが、祭祀王の家系たる皇室に嫁ぐ方は、皇室とその信仰に適応していただかなくてはならないと思います。それができないなら、最初から皇室に嫁がなければよく、嫁いだ後も適応できないのなら、離婚されて同じ信仰のかたと再婚されればいいだけの話。


今更ですが、小和田雅子は創価学会員です。

創価の三色旗が振られるパレード。君が代が排除された異様な皇太子の成婚式でした。

Sponsored Link

今更ですが、小和田雅子は池田大作の落胤と言われています。

ほかにも池田大作の落胤と言われている人もいます。あくまで噂ですが。

Will 2016年10月号
内外に蠢く皇室を潰したい勢力(河添恵子氏)

p232〜
国連大学本部ビル前で聞いた話
皇室典範に触れた質問が、初めて飛び出してから13年を経た今年3月、国連の女子差別撤廃委員会が日本に関してまとめた最終見解案に、「皇室典範の改正を求める勧告が盛り込まれた」と報じられたのは記憶に新しい。
日本側が抗議して削除を要請したことで、皇室典範に関する記述は消えたが、日本側に提示された最終見解案は、「委員会は既存の差別的な規定に関するこれまでの勧告に、対応がされていないことを遺憾に思う」と前置きし、「特に懸念を有している」として、「皇室典範に男系男子の皇族のみに皇位継承権が継承されるとの規定を有している」と挙げた。その上で、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも「皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだ」と勧告した。

国連と関連づけたくなる、もう一つ別の理由もある。私の脳裏にこびりついて離れない話があるためだ。(中略)
創価学会の幹部A氏が、青山通りに面した国連大学本部ビルの前で上を指さしながら、私にこう語った。
「この最上階に雅子さまの執務室がある。裏側に専用エレベーターがあって、誰にも会うことなく部屋まで行かれる。雅子さまは毎日のように、こちらに通われている」
唐突なこの話に、私はおそらくこんな反応をした。
「え? 適応障害でご公務はお休みなのに・・・。毎日こちらで何をされているのでしょう? 確かに雅子さまは、国連大使までされたお父様をとても信頼されているようだけど」
(中略)
ただ、次の言葉にある種のショックを受けた。
「雅子さまの執務室を誰が用意したのか知っている? 池田大作先生だよ」
何か聞いてはいけないことを聞いてしまった、そんな気持ちが私の心を強く支配した。
以来、国連大学本部ビル周辺を通るたびに、この話を思い出すのだが、A氏が嘘を言う理由も考えられない上で、事実をこの目で確かめる術もなく、何より不用意に他言すべきではないと胸に収めていた。ただ、小和田家、東宮が国連や創価学会に近いことは、客観的な報道等からも徐々に知るようになっていく。
2008年6月、ブラジル連邦共和国のバラナ州で行われた日本人移住百周年を慶祝する記念式典に、皇太子さま、副大統領、州知事などの他、「式典委員会からの招聘を受けた池田SGI(創価学会インターナショナル)会長の名代として池田博正SGI副会長が出席したことが「聖教新聞」(同年7月1日号)に報じられている。
また、昨年3月には天皇、皇后両陛下が、国連防災世界会議で来日中の潘 基文(パンギムン)事務総長夫妻と仙台市内で会われたが、皇太子ご夫妻も総長夫妻と東宮御所で面談された。2007年から国連水と衛生に関する諮問委員会(UNSGAB)の名誉総裁となった皇太子さまは、昨年11月にニューヨーク国連大学本部に招かれ、基調講演を行っている。

※創価学会の新聞・聖教新聞。ブラジル訪問時、創価学会の大会に参加した皇太子徳仁。池田大作の息子が同列にならんでいるのがわかります。


異教徒どうしの結婚は認めないはず。皇太子徳仁は、創価学会に改宗している疑惑がありますね。

今更ですが、雅子は鳥居がくぐれない人。当然、祭祀は不可能。

天皇家は神道の祭祀王の家系ですが、天皇家に嫁いでおきながら、鳥居がくぐれません。

神武天皇陵参拝時の雅子。嫌悪感まるだし。

白人王族を前にした雅子

幸せいっぱい、歓喜にみちた雅子様のお顔

「、、、、、、、、、、、、、」

今更ですが、小和田雅子は北朝鮮系です。

三代前から家系が遡れません。北朝鮮の不法移民が新潟の朝鮮部落に住み着き、日本人に背乗りしたと思われます。

当時、朝鮮は日本領でしたから普通に行き来が出来ましたし、半島民にも戸籍が与えられていました。学校にも通えましたし、選挙権もありました。にもかかわらず、わざわざ、新潟までながれてきて日本人に背乗りするには、小和田家の先祖には、それなりの事情があったのではないのでしょうか。

※詳細はこちら

もちろん、雅子が朝鮮系であることは、南朝鮮人も知っています。愛子が生まれたときは大喜びで,ハワイの記念館に銅像を作りました。

今更ですが、小和田雅子とその夫は北朝鮮の将軍様の配下の工作員ではないのか

忠節と奉公の報酬に、朝鮮の犬珍島犬を下賜されました。

2に匹の犬は、大切に御所で飼われていました。

創価学会・池田大作会長は、朝鮮系であるといううわさが絶えない。

某掲示板のレス

1.朝鮮(東京都大田区大森北)出身
2.子供時代に父から朝鮮語を習った
3.父と母の氏名が不明確と言われている
4.成長とともに在日朝鮮人と多くであった
5.ところどころで朝鮮語風の発音をする。例えば、大臣をデージンと言う。
6.朝鮮人を擁護する発言が多い

以上

学会の上層部は、東大卒の在日もしくは朝鮮系が占めており、学会員を支配しているという。

こうした支配層の学会員は、出世にはばかるので、学会の名簿に名前が載らないそうです。小和田恒もその一人でしょう。


今更ですが、今は解散した後藤組は、創価学会の暴力装置でした。

世界的な映画監督を自殺に見せかけて殺害を実行したのは、この後藤組ではないかといわれています。

さらには、後藤組組長は、池田大作から、亀井静香元議員の殺害も依頼されたとか。

#114 2017/02/11 15:24

おまけ(笑)

877 名無しさん@お腹いっぱい。 2017/02/11(土) 13:59:28.34 id:jSCd/Ep1
創価学会本部 発砲事件

暴力団「後藤組」と決裂した創価学会は、
後藤組を解散させるため公明党を利用して警視庁・県警に圧力を掛けたという。
その後、管轄内に「暴力団対策本部」が設置された。
組の事務所は捜索され、組員はマナー違反など微罪ともいえない理由で逮捕され不当な扱いを受けたとしている。
教団に裏切られたと判断した組員は、創価学会本部で発砲事件を起こし、
池田会長が入院している病院の先々でも組員が発砲事件を起こしたという。

組長は「池田は相当ビビっただろうな」と自身の著書で振り返った。
創価学会との抗争については、後藤組組長の著書「憚りながら」をお読みください。

今更ですが、雅子は後藤組と何らかのつながりがあった可能性があります

※皇室掲示板より

無題 Name 名無し 17/04/13(木)20:53 id:tjAzK1fQ No.1966533
ここから髪の毛をどんどん伸ばし始めたんだよね。

何があったのだろう。

オウムみたいで気味が悪かった。

… 無題 Name 名無し 17/04/14(金)10:22 id:B2HIUCzg No.1966955
そりゃああのアヘ顔写真が出たからでしょ。

無題 Name 名無し 15/05/17(日)20:01 id:xpeiLuZU No.1335226

>誰が流失させたの?

隠し撮りされたのだから、流出元は分からないかも?
雅子のお相手が自ら流出させるとも思えないし…。
国連大学に隠しカメラを仕掛けたヤツが犯人では?

無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:28 ID:r.Oh9U8E No.1335346
こんな写真を入手できるのは普通の人間じゃないでしょうね。
解散させられた後藤組関係者じゃないの?
マイバッハ、国連大学、六本木夜遊び、一連の流れは悠仁親王誕生後から。
親王誕生で雅子ブチギレはある程度容認されたが、おかしな交際が度を越したんで後藤組解散まで行ったんじゃないの?

後藤忠政は雅子さんが出入りしていた六本木ヒルズに住んでたんだよね。
雅子さんが六本木ヒルズの会員制クラブに出没していたのは当時の御一行に書かれていた。

>529 :名無しさん@13周年:2013/04/07(日) 20:45:32.86 id:f1vvl+lj0
>雅子マイバッハに乗車  ←マイバッハ後藤組所有
>雅子六本木ヒルズ入り浸り←六本木ヒルズ地上げ+後藤組最上階居住
>東宮夫妻+小和田家煎餅疑惑 ←後藤組煎餅と癒着

… 無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:42 ID:r.Oh9U8E No.1335410
>後藤組は山口組内の「武闘派」という半面、「経済ヤクザ」としても知られ、大きな資金力を背景に山口組内での発言力も大きかった。

これが突如解散。
よほどのことがあったとしか思えない。
皇室絡みなら納得。

… 無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:47 ID:r.Oh9U8E No.1335437
2007年の週刊現代

>・六本木ヒルズ最上階の会員制クラブでも知人と一緒のところを目撃されている
「外出が「治療目的」と言われればそうかもしれないが、伝統的な皇室の姿とは乖離している。治療方針を国民にわかりやすく説明すべき」(皇室ジャーナリスト)

後藤組解散 2008年秋

… 無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:47 ID:0UHg8zgc No.1335441
やっぱ相手は組長なんすか?
そんな疑念を持たれる皇太子妃とかないわ

(以上)


後藤組と雅子さまの疑惑

・後藤組という暴力団があったそうな。

・創価学会の暴力装置だったそうな。

・ある時期、創価学会・池田会長の落胤「皇太子妃」雅子はしきりに後藤組に関連する場所に出没していたそうな。

・さらには、後藤組の所有と思われるマイバッハに乗っていたそうな。

・後藤組の組長が創価の「なんらかの」弱みを握り、学会を恐喝したそうな。

・失敗したそうな。

・組長はカンボジアに逃亡し、組は解散したそうな。

・組長は、カンボジアで伯爵になったそうな。

2005年 愛知万博

2006年08月 皇太子一家オランダ静養

2006年10月

東宮夫妻、第58回正倉院展鑑賞(奈良国立博物館)、京都御所視察 (宮内庁HP)

髪の長さから見て、これが雅子だとしたら、2005年あたりでしょうか。

2008年10月、後藤組解散

後藤組組長。6代目山口組の除籍処分を受け入れて引退

雅子の男たち

雅子の元カレたちは、顔長い、眼鏡、大鼻、長身、戸籍上の父・小和田恒に似ている男ばかり。

後藤組長は、雅子の好みかな??

カンボジアで伯爵になった後藤元組長。低身長ではなさそう。眼鏡かけてますね。

雅子は、主治医の大野医師とも関係があったといわれてますね。

組長も一緒に並べてみましょ。

眼鏡かけているし、顔が長いし鼻も大きいし、違和感なし。どうしよう。

掲示板のコメントにもありましたが、これが国連大学の池田大作が用意した部屋で、相手が現役の暴力団組長だったら笑いますね。

そういえば、雅子の母方の祖父は、写真家のユージン・スミスや水俣の被害者さまたちをヤクザを使って暴行させた鬼畜でした。つまりは江頭は経営者に化けたヤクザだったということです。雅子と後藤はヤクザ同士なので、同種なので引き合ったのかも。

雅子様はご病気ではなく、ただ畜生化しているだけのはなし

人間を人間たらしめているもの、知性、理性、思いやり、向上心、努力、道徳、、、これらを放棄しながら、ただ欲望のままに生きてた雅子。

病んでいるという言葉は使いたくないわ。本当に病を得ている方に失礼だもの。

雅子は、人間を人間たらしめているものを放棄しながら生きた末に、動物化しただけ。それだけの話だと思う。

週刊文春2015年12月31・2016年1月7日号

近年、雅子さまの母・優美子さんはある皇室ジャーナリストにこう語ったという。
「親馬鹿だと思われるかもしれませんが、私は妃殿下が心配なのです。妃殿下はありのままの人なのだから、演技はできない。何かあると『小和田家か悪い』と言われるけれど……。
日本も皇室も変らなければ」

以上

大切なのは雅子ではなく皇室なのですが、、、

公私のケジメのなさ、泥棒癖、水俣病問題にみられる残忍性、、江頭家も、日本人ばなれしたところがめだちますね。母親の小和田優美子(旧姓江頭)の実家の江頭家に関しては、雅子の本家筋の芸人が「部落なんだ」とカミングアウトしているそうです。

が、日本の部落にルーツがあっても、やはり日本人は日本人としてのケジメやモラルを吸収しながら成長すると思います。

半島にも昔からの階級があり、個人もそれぞれ個性があり、善悪賢愚、いろんな方がいますので一概にいえませんが、もしかしたら、小和田家だけではなく、江頭家も「半島の最下層・犯罪層」からきた背乗り家系かもしれないと疑う余地があります。

皇太子のツマ、親王妃という究極の公人には、公私のケジメがなく、というかそれ以前に、「公」という観念がかけている人は相応しくないでしょう。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4805
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c10

[近代史3] 皇太子妃の雅子さんは典型的なダメダメ家庭出身者  中川隆
16. 中川隆[-11911] koaQ7Jey 2019年2月23日 00:12:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[63]

2017.12.02
雅子様➄@皇太子妃雅子様と後藤組と創価学会の素敵な関係
http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4805

続きです。

親王妃の学歴が低くても、ご本人の気質が真面目で素晴らしければいいのではないのか、と思われる方も多いかもしれませんが、祭祀王の家系たる皇室に嫁ぐ方は、皇室とその信仰に適応していただかなくてはならないと思います。それができないなら、最初から皇室に嫁がなければよく、嫁いだ後も適応できないのなら、離婚されて同じ信仰のかたと再婚されればいいだけの話。


今更ですが、小和田雅子は創価学会員です。

創価の三色旗が振られるパレード。君が代が排除された異様な皇太子の成婚式でした。

Sponsored Link

今更ですが、小和田雅子は池田大作の落胤と言われています。

ほかにも池田大作の落胤と言われている人もいます。あくまで噂ですが。

Will 2016年10月号
内外に蠢く皇室を潰したい勢力(河添恵子氏)

p232〜
国連大学本部ビル前で聞いた話
皇室典範に触れた質問が、初めて飛び出してから13年を経た今年3月、国連の女子差別撤廃委員会が日本に関してまとめた最終見解案に、「皇室典範の改正を求める勧告が盛り込まれた」と報じられたのは記憶に新しい。
日本側が抗議して削除を要請したことで、皇室典範に関する記述は消えたが、日本側に提示された最終見解案は、「委員会は既存の差別的な規定に関するこれまでの勧告に、対応がされていないことを遺憾に思う」と前置きし、「特に懸念を有している」として、「皇室典範に男系男子の皇族のみに皇位継承権が継承されるとの規定を有している」と挙げた。その上で、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも「皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだ」と勧告した。

国連と関連づけたくなる、もう一つ別の理由もある。私の脳裏にこびりついて離れない話があるためだ。(中略)
創価学会の幹部A氏が、青山通りに面した国連大学本部ビルの前で上を指さしながら、私にこう語った。
「この最上階に雅子さまの執務室がある。裏側に専用エレベーターがあって、誰にも会うことなく部屋まで行かれる。雅子さまは毎日のように、こちらに通われている」
唐突なこの話に、私はおそらくこんな反応をした。
「え? 適応障害でご公務はお休みなのに・・・。毎日こちらで何をされているのでしょう? 確かに雅子さまは、国連大使までされたお父様をとても信頼されているようだけど」
(中略)
ただ、次の言葉にある種のショックを受けた。
「雅子さまの執務室を誰が用意したのか知っている? 池田大作先生だよ」
何か聞いてはいけないことを聞いてしまった、そんな気持ちが私の心を強く支配した。
以来、国連大学本部ビル周辺を通るたびに、この話を思い出すのだが、A氏が嘘を言う理由も考えられない上で、事実をこの目で確かめる術もなく、何より不用意に他言すべきではないと胸に収めていた。ただ、小和田家、東宮が国連や創価学会に近いことは、客観的な報道等からも徐々に知るようになっていく。
2008年6月、ブラジル連邦共和国のバラナ州で行われた日本人移住百周年を慶祝する記念式典に、皇太子さま、副大統領、州知事などの他、「式典委員会からの招聘を受けた池田SGI(創価学会インターナショナル)会長の名代として池田博正SGI副会長が出席したことが「聖教新聞」(同年7月1日号)に報じられている。
また、昨年3月には天皇、皇后両陛下が、国連防災世界会議で来日中の潘 基文(パンギムン)事務総長夫妻と仙台市内で会われたが、皇太子ご夫妻も総長夫妻と東宮御所で面談された。2007年から国連水と衛生に関する諮問委員会(UNSGAB)の名誉総裁となった皇太子さまは、昨年11月にニューヨーク国連大学本部に招かれ、基調講演を行っている。

※創価学会の新聞・聖教新聞。ブラジル訪問時、創価学会の大会に参加した皇太子徳仁。池田大作の息子が同列にならんでいるのがわかります。


異教徒どうしの結婚は認めないはず。皇太子徳仁は、創価学会に改宗している疑惑がありますね。

今更ですが、雅子は鳥居がくぐれない人。当然、祭祀は不可能。

天皇家は神道の祭祀王の家系ですが、天皇家に嫁いでおきながら、鳥居がくぐれません。

神武天皇陵参拝時の雅子。嫌悪感まるだし。

白人王族を前にした雅子

幸せいっぱい、歓喜にみちた雅子様のお顔

「、、、、、、、、、、、、、」

今更ですが、小和田雅子は北朝鮮系です。

三代前から家系が遡れません。北朝鮮の不法移民が新潟の朝鮮部落に住み着き、日本人に背乗りしたと思われます。

当時、朝鮮は日本領でしたから普通に行き来が出来ましたし、半島民にも戸籍が与えられていました。学校にも通えましたし、選挙権もありました。にもかかわらず、わざわざ、新潟までながれてきて日本人に背乗りするには、小和田家の先祖には、それなりの事情があったのではないのでしょうか。

※詳細はこちら

もちろん、雅子が朝鮮系であることは、南朝鮮人も知っています。愛子が生まれたときは大喜びで,ハワイの記念館に銅像を作りました。

今更ですが、小和田雅子とその夫は北朝鮮の将軍様の配下の工作員ではないのか

忠節と奉公の報酬に、朝鮮の犬珍島犬を下賜されました。

2に匹の犬は、大切に御所で飼われていました。

創価学会・池田大作会長は、朝鮮系であるといううわさが絶えない。

某掲示板のレス

1.朝鮮(東京都大田区大森北)出身
2.子供時代に父から朝鮮語を習った
3.父と母の氏名が不明確と言われている
4.成長とともに在日朝鮮人と多くであった
5.ところどころで朝鮮語風の発音をする。例えば、大臣をデージンと言う。
6.朝鮮人を擁護する発言が多い

以上

学会の上層部は、東大卒の在日もしくは朝鮮系が占めており、学会員を支配しているという。

こうした支配層の学会員は、出世にはばかるので、学会の名簿に名前が載らないそうです。小和田恒もその一人でしょう。


今更ですが、今は解散した後藤組は、創価学会の暴力装置でした。

世界的な映画監督を自殺に見せかけて殺害を実行したのは、この後藤組ではないかといわれています。

さらには、後藤組組長は、池田大作から、亀井静香元議員の殺害も依頼されたとか。

#114 2017/02/11 15:24

おまけ(笑)

877 名無しさん@お腹いっぱい。 2017/02/11(土) 13:59:28.34 id:jSCd/Ep1
創価学会本部 発砲事件

暴力団「後藤組」と決裂した創価学会は、
後藤組を解散させるため公明党を利用して警視庁・県警に圧力を掛けたという。
その後、管轄内に「暴力団対策本部」が設置された。
組の事務所は捜索され、組員はマナー違反など微罪ともいえない理由で逮捕され不当な扱いを受けたとしている。
教団に裏切られたと判断した組員は、創価学会本部で発砲事件を起こし、
池田会長が入院している病院の先々でも組員が発砲事件を起こしたという。

組長は「池田は相当ビビっただろうな」と自身の著書で振り返った。
創価学会との抗争については、後藤組組長の著書「憚りながら」をお読みください。

今更ですが、雅子は後藤組と何らかのつながりがあった可能性があります

※皇室掲示板より

無題 Name 名無し 17/04/13(木)20:53 id:tjAzK1fQ No.1966533
ここから髪の毛をどんどん伸ばし始めたんだよね。

何があったのだろう。

オウムみたいで気味が悪かった。

… 無題 Name 名無し 17/04/14(金)10:22 id:B2HIUCzg No.1966955
そりゃああのアヘ顔写真が出たからでしょ。

無題 Name 名無し 15/05/17(日)20:01 id:xpeiLuZU No.1335226

>誰が流失させたの?

隠し撮りされたのだから、流出元は分からないかも?
雅子のお相手が自ら流出させるとも思えないし…。
国連大学に隠しカメラを仕掛けたヤツが犯人では?

無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:28 ID:r.Oh9U8E No.1335346
こんな写真を入手できるのは普通の人間じゃないでしょうね。
解散させられた後藤組関係者じゃないの?
マイバッハ、国連大学、六本木夜遊び、一連の流れは悠仁親王誕生後から。
親王誕生で雅子ブチギレはある程度容認されたが、おかしな交際が度を越したんで後藤組解散まで行ったんじゃないの?

後藤忠政は雅子さんが出入りしていた六本木ヒルズに住んでたんだよね。
雅子さんが六本木ヒルズの会員制クラブに出没していたのは当時の御一行に書かれていた。

>529 :名無しさん@13周年:2013/04/07(日) 20:45:32.86 id:f1vvl+lj0
>雅子マイバッハに乗車  ←マイバッハ後藤組所有
>雅子六本木ヒルズ入り浸り←六本木ヒルズ地上げ+後藤組最上階居住
>東宮夫妻+小和田家煎餅疑惑 ←後藤組煎餅と癒着

… 無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:42 ID:r.Oh9U8E No.1335410
>後藤組は山口組内の「武闘派」という半面、「経済ヤクザ」としても知られ、大きな資金力を背景に山口組内での発言力も大きかった。

これが突如解散。
よほどのことがあったとしか思えない。
皇室絡みなら納得。

… 無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:47 ID:r.Oh9U8E No.1335437
2007年の週刊現代

>・六本木ヒルズ最上階の会員制クラブでも知人と一緒のところを目撃されている
「外出が「治療目的」と言われればそうかもしれないが、伝統的な皇室の姿とは乖離している。治療方針を国民にわかりやすく説明すべき」(皇室ジャーナリスト)

後藤組解散 2008年秋

… 無題 Name 名無し 15/05/17(日)21:47 ID:0UHg8zgc No.1335441
やっぱ相手は組長なんすか?
そんな疑念を持たれる皇太子妃とかないわ

(以上)


後藤組と雅子さまの疑惑

・後藤組という暴力団があったそうな。

・創価学会の暴力装置だったそうな。

・ある時期、創価学会・池田会長の落胤「皇太子妃」雅子はしきりに後藤組に関連する場所に出没していたそうな。

・さらには、後藤組の所有と思われるマイバッハに乗っていたそうな。

・後藤組の組長が創価の「なんらかの」弱みを握り、学会を恐喝したそうな。

・失敗したそうな。

・組長はカンボジアに逃亡し、組は解散したそうな。

・組長は、カンボジアで伯爵になったそうな。

2005年 愛知万博

2006年08月 皇太子一家オランダ静養

2006年10月

東宮夫妻、第58回正倉院展鑑賞(奈良国立博物館)、京都御所視察 (宮内庁HP)

髪の長さから見て、これが雅子だとしたら、2005年あたりでしょうか。

2008年10月、後藤組解散

後藤組組長。6代目山口組の除籍処分を受け入れて引退

雅子の男たち

雅子の元カレたちは、顔長い、眼鏡、大鼻、長身、戸籍上の父・小和田恒に似ている男ばかり。

後藤組長は、雅子の好みかな??

カンボジアで伯爵になった後藤元組長。低身長ではなさそう。眼鏡かけてますね。

雅子は、主治医の大野医師とも関係があったといわれてますね。

組長も一緒に並べてみましょ。

眼鏡かけているし、顔が長いし鼻も大きいし、違和感なし。どうしよう。

掲示板のコメントにもありましたが、これが国連大学の池田大作が用意した部屋で、相手が現役の暴力団組長だったら笑いますね。

そういえば、雅子の母方の祖父は、写真家のユージン・スミスや水俣の被害者さまたちをヤクザを使って暴行させた鬼畜でした。つまりは江頭は経営者に化けたヤクザだったということです。雅子と後藤はヤクザ同士なので、同種なので引き合ったのかも。

雅子様はご病気ではなく、ただ畜生化しているだけのはなし

人間を人間たらしめているもの、知性、理性、思いやり、向上心、努力、道徳、、、これらを放棄しながら、ただ欲望のままに生きてた雅子。

病んでいるという言葉は使いたくないわ。本当に病を得ている方に失礼だもの。

雅子は、人間を人間たらしめているものを放棄しながら生きた末に、動物化しただけ。それだけの話だと思う。

週刊文春2015年12月31・2016年1月7日号

近年、雅子さまの母・優美子さんはある皇室ジャーナリストにこう語ったという。
「親馬鹿だと思われるかもしれませんが、私は妃殿下が心配なのです。妃殿下はありのままの人なのだから、演技はできない。何かあると『小和田家か悪い』と言われるけれど……。
日本も皇室も変らなければ」

以上

大切なのは雅子ではなく皇室なのですが、、、

公私のケジメのなさ、泥棒癖、水俣病問題にみられる残忍性、、江頭家も、日本人ばなれしたところがめだちますね。母親の小和田優美子(旧姓江頭)の実家の江頭家に関しては、雅子の本家筋の芸人が「部落なんだ」とカミングアウトしているそうです。

が、日本の部落にルーツがあっても、やはり日本人は日本人としてのケジメやモラルを吸収しながら成長すると思います。

半島にも昔からの階級があり、個人もそれぞれ個性があり、善悪賢愚、いろんな方がいますので一概にいえませんが、もしかしたら、小和田家だけではなく、江頭家も「半島の最下層・犯罪層」からきた背乗り家系かもしれないと疑う余地があります。

皇太子のツマ、親王妃という究極の公人には、公私のケジメがなく、というかそれ以前に、「公」という観念がかけている人は相応しくないでしょう。

http://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=4805
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/179.html#c16

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
1. 中川隆[-11916] koaQ7Jey 2019年2月23日 08:51:21 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[58]

知らぬが仏、まあ知恵遅れの皇太子にはわからないだろうな(嘲笑い)


2019.02.23
皇太子殿下の“誕生日会見”を拝して——秋篠宮殿下との違い
https://rondan.net/16492#comment-4602


Contents

1 皇太子として最後のお言葉
2 明るい前向きな内容
3 女性宮家、皇族復帰に言及
4 秋篠宮殿下の大嘗祭発言にについて
5 雅子さまのご体調は快復傾向に
6 愛子さまとのコミュニケーションも順調
7 まとめ


皇太子として最後のお言葉

本日、2019年2月23日は、皇太子殿下が、皇太子として迎える最後の誕生日です。来年のこの日は新天皇の誕生日となります。

この日を迎え誕生日会見が開かれ、皇太子殿下は、天皇に即位するお気持ちを率直に述べられました。

先の秋篠宮殿下の誕生日会見が「大嘗祭を簡素に」とか「眞子さまと小室圭さんの婚約はこのままではできない」など物議と波乱を呼ぶ内容でしたが、今回の皇太子殿下の会見は温和でとても明るい前向きな内容でした。順調な家庭事情を反映しているかもしれません。

東宮家におかれては、雅子さまの適応障害や、愛子さまの不登校など、その歩みは必ずしも平たんではありませんでした。しかし御代替わりを間近に控え、皇太子殿下の威風と仁徳がますます増しているように思えます。

これが天皇になる人間の宿命でしょうか?


関連記事皇太子殿下、お誕生日会見「全文」
2019年2月23日
明るい前向きな内容

皇太子殿下は、4月末で譲位される両陛下のこれまでの歩みに感謝しながら、自身が即位したならば両陛下にならい「国民を思い、国民のために祈」り、「国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、あるいは共に悲しみながら、象徴としての務めを果たして」いくと仰りました。


これからのことを思うと、とても厳粛な気持ちになりますが、引き続き自己研鑽(けんさん)に努めながら、過去の天皇のなさりようを心にとどめ、国民を思い、国民のために祈るとともに、両陛下がなさっておられるように、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、あるいは共に悲しみながら、象徴としての務めを果たしてまいりたいと思います。ま

皇太子殿下誕生日会見(2019.2.23)
また、少子化や高齢化の問題について言及され、諸外国の経験や知識を参考にしながら、この問題について考えていくことが必要な時代になっていると言及され、「今後は、この多様性を、各々が寛容の精神をもって受け入れ、お互いを高め合い、更に発展させていくことが大切になっていく」という諸外国との調和を重要視する発言もありました。

女性宮家、皇族復帰に言及

また皇族が極端に減るなかで、時代に合った対応が必要ではないかとの発言。


皇室の将来像についての御質問については、男性皇族の割合が減り、高齢化が進んでいること、また、女性皇族は結婚により皇籍を離脱しなければならないということは、将来の皇室の在り方とも関係する問題です。ただ、制度に関わる事項については、私からこの場で言及することは控えたいと思います。……

同時に、その時代時代で新しい風が吹くように、皇室の在り方もその時代時代によって変わってくるものと思います。私も、過去から様々なことを学び、古くからの伝統をしっかりと引き継いでいくとともに、それぞれの時代に応じて求められる皇室の在り方を追い求めていきたいと思います。

具体的な内容についてもちろん言及されませんでしたが、増え続ける公務に対応するためにも、女性宮家や、旧家の皇族復帰などを検討してほしいとの皇太子殿下の願いを感じ取ることができます。


秋篠宮殿下の大嘗祭発言にについて

また昨年の秋篠宮殿下発言では、大嘗祭を簡素にすべきと発言し、「聞く耳を持たなかった」と宮内庁に対して異例の発言をされました。

この発言内容が陛下や皇太子殿下とどの程度共有されているのか疑問だったのですが、皇太子殿下は政府の決定に理解を示しました。


即位に関わる一連の皇室行事の在り方については、平成のお代替わりの折の前例を踏まえ、政府において十分な検討を行った上で決定したものと理解をしております。また、様々な事項の決定については、私も折々に説明を受けてきております。したがいまして、今回政府が決定をした内容について、私がこの場で何か述べることは控えたいと思います。

政治的発言にならぬよう細心の注意を払われている様子がうかがえます。

雅子さまのご体調は快復傾向に

また適応障害など苦労されていた雅子さまの体調も快復系にあるとのことです。


活動の幅が、少しずつではありますが、着実に広がってきていることを、本人もうれしく思っておりますし、私も共にうれしく思います。……

雅子には、これまで、私や愛子のことにもいろいろと良く心を配り、私の活動を支えてきてくれています。私も、できる限り力になり、雅子を支えていきたいと思っております。

夫婦仲はとても良いようです。秋篠宮ご夫婦は、小室圭さん問題をめぐって夫婦仲が記紀であるとも報じられているのと対照的ですね…。(関連記事)

また将来的な国際的な仕事を務める可能性があるそうです。


今は体調の快復に一生懸命取り組んでおりますし、将来的には自分としてできることが見つかることを、私も心から願っておりますが、現在は、そういうものを少しずつ模索しているような段階なのではないかと思います。雅子自身もいろいろ海外での経験もありますし、このグローバル化の時代にあって、国際的な取組など本人だからできるような取組というのが、今後出てくると思います

今度こそ是非、前向きに頑張っていただきたいと思います。

愛子さまとのコミュニケーションも順調

また登校拒否や拒食症が心配された愛子さまも、順調に成長されているようで、親子のコミュニケーションも多いとか。


イートンでのサマースクールや修学旅行、学校の課題など、普段から、愛子から私たち二人にいろいろと話をしてくれていますし、大事な事柄については、その都度相談に来ることもあります。今後とも、大学への進路といった将来のことやその時々の悩みなどについて、相談を受けることもあると思いますが、親として、本人の気持ちをしっかりと聞きながら、良い助言ができればと思っております。

この点についても眞子さまとのコミュニケーションが殆どないという秋篠宮殿下と非常に対照的です。

まとめ

このように皇太子殿下の会見は、即位に向け、明るい未来に向けて準備万端であることを実感されます。

秋篠宮殿下の会見とは異なり、これを聞く人すべてが安堵できる、そんな内容でした。

思えば殿下は、雅子さまにプロポーズする際に「一生掛けて僕が全力で雅子さんをお守りします」と仰ったそうですが、雅子さまが慣れない皇室生活に心身疲弊した際には「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と異例のプライベート発言をされ、プロポーズの言葉通り雅子さまを全力で守りました。

このようなエピソードは皇太子殿下の高い人徳を象徴するものです。騒がれていた雅子さまと愛子さまの状況も改善しつつあり、御代替わりにむけ準備万端であるように思えます。

明るい次の時代を願います。
https://rondan.net/16492#comment-4602
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c1

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
11. 中川隆[-11915] koaQ7Jey 2019年2月23日 09:59:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[59]

元正田美智子さん、成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 2016-03-10
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12137728773.html


元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 

031回国会 内閣委員会 第5号
昭和三十四年二月六日(金曜日)
    午前十時十九分開議

敗戦後まだ14年しか経過していない時点での国会です。GHQの残存影響力がまだ甚大であったころ。この点に留意。サンフランシスコ講和条約 発効とともに連合国軍最高司令官総司令部は活動を形の上で表面上停止したのは昭和27年4月。

要点

 

昭和34年内閣委員会議事録より)

【国会も何ら御結婚について知らされておりません。】

皇室会議が開かれたのは(昭和34年)十一月二十七日でございますが、その前

★十一月二十四日に、宮内庁は公電をもって【館林=正田本家、正田醤油】に通知しております。

皇太子妃決定は公式発表の十日前、つまり十一月十七日のニューズウイークが最初に配信した。

BB:日本の皇室の成婚がまずアメリカで発表された面妖さ、背後のGHQ.

皇太子妃決定に関して小泉信三・田島前長官などが先頭に立ち、総理大臣はその報告を受けるだけで、なんら疑問をさしはさむ余地がなかった。

それでも「信仰」の問題は気になった。(岸信介元総理大臣)

BB;気にして当然、として気にしたのは正解だったのです。しかし、内閣置き去りに宮内庁が(その実GHQ勢力が)一方的に整えた成婚でした。

国民も国会も何も知らされておらず、しかも皇室会議が一度だけ開かれたのみ。

結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろい ろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのであります。

BB;GHQ決定だから誰も逆らえません。

要するに、「正田美智子さん」という人について、実は国民も総理大臣も、どんな出自の人でどんな考えを持ち、どんな性格なのかという事を全く知ら されていなかったんですよ。

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで 

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005a.html

○内海委員長 これより会議を開きます。

○平井委員 日本の天皇制が始まりまして、天皇または王様――あるいは外国の王様のごときは戦争をして、勝って王様になるというのが通例でございますが、日本の天皇制の場合、やまと民族の中心として天皇がおわしますというような観念であったのでありますが、長官は皇統連綿と続いて、たとい徳があろうとなかろうと天皇は皇統連綿として続いているのだ、あるいは非常に人格が高くてやまと民族の中心としてふさわしいお方が日本の中心になられておった、このいずれをおとりになりますか、お聞きしたい。

○宇佐美説明員 わが国の天皇制は世襲の制度でございまして、しかもその天皇の位につかれる方がやはり国民の崇敬の中になるようなりっぱな方であってほしいというのが国民の念願であろうと思います。

○平井委員 また北畠親房卿は「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」、こううたっております。 略

BB;昔からふさわしからぬ者は、天皇の地位には就けなかった。今が
異常なのです。これも、うがてば暗愚の皇太子でも、長男なら即位できる仕組みは、GHQの皇室典範関与が疑われます。

○宇佐美説明員 略 いろいろ一口に天皇制の民主化ということがいわれるのでございますが、そういう意味における民主化ということでございまして、やはり一般市民と全部同じになるという形式的な問題ではないと思います。

○平井委員 昔は先帝陛下がおなくなりになりますれば、皇位をお継ぎになる皇太子は、少くとも一年ないし三年の高座の行事をやられて、これならば民族の中心になり得るという確信がなかったならば、即位をしなかった ということを読んでおりますが、その昔の日本の天皇制に比べて、敗戦とはいえ、今日天皇制を維持するとするならば大きな差があると思いますが、この点長官はどう考えられますか。略

○宇佐美説明員 昔のいわゆる皇太子のお地位というものは、立太子の儀式によってその方に皇太子というものがきまったのでございます。必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます。その意味におきまして立太子ということは非常に重要な意味があったわけでございます。現在におきましては、法制上当然長子相続ということが定められておるわけでございまして、

○平井委員 略 象徴といえば、少くとも全国民の崇拝されるべき皇太子でなければならぬ。しかも立太子の式を終了された。しからば宮内庁長官として、あるいはおそばについておる人としては、民族の象徴にふさわしい教育、ふさわしい姿にさせることが職責ではなかろうか。そうならなければ、民族のより場もない。将来の日本を考えたときに、一体どうなるか、これは人ごとでない、日本民族の問題でありますから、

BB:「日本民族の問題」とまで、皇太子(今上)の資質に不安と疑念がもたれています。その疑念もゆえないことではなかった、と現在の言動を拝すれば、思わざるを得ませんね。

特に宮内庁長官はこの点をほんとうに真剣に考えなければ、これが一角がくずれていった場合には、宮内庁はもちろん要りません。宮城開放の問題も近く起ることは当然の話でありますが、現在のあり方が新憲法にふさわしい、あるいは日本民族が非常に尊崇して、喜んで天皇制を護持されると思われておるかどうか、この点を長官にお尋ねいたします。

○宇佐美説明員 略 今のような新しい憲法のもとにおける皇室におきましては、皇室の方々の御行動というものが非常に大事であると考えております。そういうような意味におきまして、皇太子殿下の御教育と申しますか、御研さんを願うことは、われわれとしても非常に強いわけであります。人を作るということは容易なわざではございませんけれども、われわれといたしましては、大きな一つの職責と考えておる次第であります。

BB;職責失敗して現在に至る。

○平井委員  略 しかし民族の象徴という観点から見まして、もしも天皇陛下が皇后陛下と銀座を毎晩散歩しておる、あるいは自分のしたいことをするということになっても、民族が尊敬をし崇拝をすると思われておるかどうか。

もしも伝え聞くように、皇太子殿下が軽井沢のテニス・コードで見そめて、自分がいいというようなことを言うたならば、ここにおられる代議士さんの子供と変りない。私の子供と変りない。これが果して民族の象徴と言い得るかどうか私は知りませんが、あなたから進言をされたものか、皇太子殿下が自分で見そめられたものか、この点をお尋ねしたい。

BB:テニスコートで見そめたはある意味事実です。ただし出会いは偶然ではなく、GHQ勢力延長クリスチャンたちによって仕組まれました。ある作意による仕掛けがあったこと、雅子妃の場合と同じです。

○平井委員 長官の説明を了としますが、われわれ、世上というか、宮内庁係の新聞記者連中ともよく知っておりますし、いろいろ聞くところによれば、小泉さんと田島さんが非常な推薦者であった、あとはむしろそう賛成をなさらなかった、これはどうだか知りません。世上の話でございます。そこで小泉さんあたりの教育の仕方がいいと言う人もあるし、悪いと言う人もある。私、小泉さん、田島さんがどういう意味で強硬に推薦されたか知りません。推薦する方にもまた考えはあると思いますが、非常な推薦をして、ついに宇佐見長官も同意をしたというふうに聞いておりますし、また東宮御所において、皇太子殿下が学友を集めてわあわあ言うた結果とうとうきまったのだというようなことが、御婚約の後にぼつぼつ週刊朝日などに載るようになりましたときの責任や重大なるものがあると思いますが、この点長官いかがお考えになりますか。

○宇佐美説明員 今度の御選考につきまして、皇太子殿下の御教育に顧問として参画しておられる小泉博士あるいは前長官であります田島氏や、その他の方々といろいろ御相談したことは事実でございます。略


○平井委員 略 将来日本の天皇制が傾いた場合に大へんな問題になるので、私は国民代表として言うておかぬと困ると思うのですが、まず参考に申し上げておきますが、私が先般いなかに帰りましたとき、非常な天皇崇拝者のおばあさんがこういうことを言った。先生、日本も天皇制はしまい(注 終わり)ましたね、だから金持ちのお嬢さんをもらったのだろう、そういうふうに心から言うのであります。そういう年寄りが全国津々浦々に非常に多い ということも長官は知らなければならぬ。いずれ天皇陛下になられるのでありますから、民族の象徴として、今日の皇太子がそれにふさわしいお方にならぬときは、日本はしまえるのですよ。

今日われわれ中共だとかソ連だとか言っておるけれども、内輪でしまえる(終わる)のですからこれは冗談じゃない。

BB:その「冗談じゃない」ことが起こりつつあるのが今です。内に巣食う白蟻が天皇と皇后であったという、GHQ製作のホラー大作「戦後皇室物語」です。

小泉さんあたり少しどうかしておられますまいか。よほど慎重に考えてくれなければ困る。もう皇室の尊厳というものは、小学校の本にもないし、だんだんなくなってくる。

略 九千万の象徴となられる方だから心配をしておるのであります。その点義宮の結婚と非常な違いがあるということも考えなければならぬ。

そういう場合には退位をされるといえば別でございますけれども、英国とは日本の皇室はかなり違った立場に置かれておるのでございます。英国ならば恋は自由でありますから、恋をなさい、そのかわり国民はあなたを養いませんよ、どうぞなさって下さいというようなことになると思いますけれども、

BB:「養いませんよ」という状態に、今なっています。


○平井委員 略 皇太子殿下の教育というものは、一般の学習院の生徒と別でなければならぬ。昔なら上御一人といわれたのです。一般の学習院の生徒並みに教えたのではこれは絶対に象徴になれない。われわれが欲しない点、またできない点、国民では及ばないという教育があると思います。

略 昔、北畠親房などはこれはもう け飛ばしおったという話です。たたきまくって教育をされたということも聞いておるが、あまりにも自由奔放な教育をされておるのじゃないか。そういうことからきて皇太子殿下の感覚が違ってくる。

BB:一議員の当時の卓見に、うなだれるのみ。

 ○高瀬委員  略 国会も何ら御結婚について知らされておりません。公式発表の十日前、つまり十一月十七日のニューズ・ウィークには事こまかに、全部私は翻訳して持っておりますが、「皇太子の恋」という表題で詳細に報道されております。結局知らないのは国民だけだ。 略

BB;GHQ作のラブストーリーが日本には「テニスコートの恋」というタイトルで、
逆輸入されたわけです。本当におかしな話。アメリカには関係のない、日本の
皇室の話なのに。誰よりもいち早くアメリカが知っていた、という事実。

略 皇室会議というものはただ一度しか開かれていない。結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろいろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのでありますが、こういうふうになりますと、皇室会議などというものは非常に形式的なものであって、国民や国体と重大な関係にある皇太子妃を決定するということは、あまりにも非民主主義的なやり方じゃないか。皇室会議というものは非常に形式的なものになって、たった一回、既成事実を承認するというだけになってしまったのでは、皇室会議のあり方としては非常に危険じゃないか、こういうふうに思うのであります。

特にたとえば皇室典範の第三条を見てみますと、世継ぎの方、皇嗣に重大な事故があるときは、皇室会議の議によって皇位継承の順序を変えることができる、

BB:皇太子がこれに該当します。それを国民の多くが知りつつあります。後は総理の決断だけ。

こういうふうに述べてあります。従ってこの皇室会議を開くのは、議長であるところの総理大臣ではありますけれども、形式的には宮内庁がイニシアチブをとることになりますから、これが非民主主義的に運営されるということになりますと、非常に重大な結果を及ぼすと思うのであります。

○菊池委員 略 私は、皇太子が平民の娘をそのきさきとして選ばれたことを非常に喜んでおります。平民であろうが新平民(注 部落民)であろうが、粉屋の娘であろうが何であろうが差しつかえないと私は考えておるのであります。

略 その婚約の過程においていろいろの謀略、策略が行われておるということが、最近の週刊雑誌やその他の刷りものにおいて世間に流布され、これによって国民が非常な疑惑を抱いて、国民の頭は割り切れないような感じになっておるのであります。


 まず第一にお伺いしたいのは、この婚約の前に、美智子嬢は二十五人の見合いをしておられた。そして最後に波多野という青年と婚約、これを破棄して皇太子の方に振りかえたというようなことが流布されております。週刊雑誌に出ておりますが、これは事実でありましょうかどうか。

宇佐美説明員 非常にりっぱな方で、従前にもいろいろ結婚のお申し込みがあったように伺いますけれども、お尋ねのようなことは全く聞いたこともございません。

BB:宮内庁はこう答えるしかないでしょうが・・・・見合い25回は知りませんが、美智子さんが婚活に熱心で15歳から、公職追放を免れた、ということはGHQ側の人間が主催する、エリート男性とのお見合いダンスパーティに常連として参加しています。

○菊池委員 片一方にそういう婚約がありながら、これを破棄して婚約をするということは、世俗、人情に反し、道義をじゅうりんし、将来の国民の象徴たるべき人を作り上げるにはふさわしいことではないと思うのでございます。そういう婚約者があるかどうか、その点をお伺いいたしたい。波多野という青年です。

宇佐美説明員 全くないものと考えます。

BB;「ない」と明言せず、出来ず? 「考えます」とは、つい出た本音?

○菊池委員 もう一つ重大なことは、この婚約を運ばれた方々、運動に当られた方々が全部カトリック教徒である。

BB:委員に、当時はありがちにキリスト教への認識が薄く、十把一からげに
カトリック呼ばわりしてしまったので、せっかく肉薄しながら逃げられています。
答える宇佐美さんもクリスチャンだった。

前の田島長官もカトリック教徒であり、それから宇佐美長官もカトリック教徒であり、小泉信三氏もカトリック教徒であり、それからしゅうとになられる正田英三郎氏もカトリック教徒である。それから最高裁判所長官の田中耕太郎氏もカトリック教徒である。カトリック教徒の一連のからくりによってこの婚約が運ばれたという説が流布されておるが、これはいかがであるか、承わりたい。

○宇佐美説明員 略 ただ出身せられた聖心学院というのはカトリック系の学校でありますが、御本人は洗礼を受けておられない。

BB:もはや、この嘘は成立しないでしょう。

あるいはカトリックが将来皇室に対して何らか影響を持たないかという心配をせられた方々が世上あるということは聞いたことがございます。しかし、もちろん美智子さんは洗礼を受けておられませんし、学校当局においても非常に慎重な態度をとっておられまして、この問題に対しては何ら御心配はないと考えるのでございます。従って、過去においてこの問題についてカトリック系の陰謀があったなどということは全然根拠がございません。

BB:「カトリックに陰謀があった」という説が当時にはあったということですね。
そして、それは事実でした。拙ブログ主が、キリスト教が手段として使われ、キリスト教信徒がGHQの手先として動いたのを掴んだのは、この情報を知る前です。

○菊池委員 もう一つ、この御結婚の話について、天皇皇后両陛下を初め皇族の方々がみな反対されたという説が流布されております。皇室会議が終りまして、その報告を宇佐美長官から天皇陛下に申し上げると、天皇陛下は怒られたお顔で、ふんまんやる方ないお顔で一言も発せられなかったというようなことも流布されておりますが、これはいかがでありますか。

○宇佐美説明員 今回の御結婚につきまして、御両親陛下であります両陛下その他皆様の御反対があって、進め得られるものではございません。

BB:進め得られます。背後にGHQがいれば。

ましてやただいま申されたようなデマは、取るに足らぬものと私は思います。

○宇佐美説明員  略 昔の規定によりますと、天皇は皇族を監督するというような規定もございました。今はございません。

BB:監督の義務を外してしまったのも、おそらくは憲法と同じく皇室典範を作らせた、GHQの意図でしょう。放置するほうが、バカ皇太子やバカ皇族が現れる確率が高くなるのですから。


反日韓国人、韓 昇洙(左)と、潘基文(右)に取り込まれた皇太子。

皇后陛下は、安倍総理の靖国神社を厳しく批判、捏造慰安婦を称して「性奴隷と言うべき」と言い捨てたヒラリー・クリントンと親密。

皇后も、強制の慰安婦がいたという捏造を信じこんでいらっしゃいます。

ヒラリー・クリントン曰く、

「韓国を見ろ。韓国人も経済開発をして民主主義を成し遂げる過程で多くの問題に直面した。これは一夜になるものではない」

米民主党の大統領候補であるヒラリー・クリントン前国務長官が27日、 4番目の選挙戦であるサウスカロライナ州のプライマリー(予備選挙)を控えて24日に開かれたタウンミーティングで、突然韓国について言及した。
「(中略)」

・・・・・・・・・・・・・・

親韓まで、反日クリントンと皇后陛下はシェア。

日本がなければ、韓国の急速発展はなかったものを。
皇后とクリントン。賢そうで、実はそうでもないのも共通項。


思われているほど偏差値は高くない聖心女子大(名門ですが)は、
敗戦後明らかにGHQの息がかかっています。(卒業生全員が、
カトリック左翼だという意味ではありません。GHQは日本/皇室弱体

化の手段としてキリスト教を用いました)

開校は1916年ですが、敗戦を機に1948年、新学制により聖心女子大学として発足。初代学長はエリザベス・ブリッドですが、この女性は、
皇太子(今上)洗脳係としてGHQが送り込んだ、バイニング夫人と
同じ船で来日。GHQの息がこの女性にもかかっていたと思っても、
ほぼ間違いはないでしょう。

元国連難民高等弁務官の緒方貞子は新制大学の第一期生。愛子天皇擁立論加担者で、女性宮家創設の知識人会議に皇后陛下の お声がけで参加。愛子天皇擁立論加担者。

緒方貞子は男女同権のフェミニズムでも皇后と同じ価値観。
日本は難民を受け入れるべきと主張しています。
日本にはすでに、政治難民・経済難民をルーツに持つ在日という名の、難民を60万人も受け入れさせられているのに。

◆マッカーサーが仕掛けた戦慄の時限装置


http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20091124/197024/?rt=nocnt


皇太子明仁の誕生日になぜA級戦犯が処刑されたのか?

・・・・・・・・・・・・

著者の猪瀬直樹は、ろくでもないところもある男ですが、この件に
関する考察は正確です


欧州の王室は見抜いていた「貴賤結婚」の娘。賤しい出自だと。

長いこと、皇太子妃とも書いてもらえず、「その妻 正田美智子」扱い。
雅子さんも同じく、賤しい出自の娘との認識。

紀子妃は、最初から正当な出自と認められています。

知らぬは日本人ばかり。日本人でも、成婚前後の国民(現在80歳以上)は、相当数が気づいていましたね。仕組まれた成婚、ふさわしからぬ嫁であることを。


◆参考ブログ伏見顕正(あきまさ)の「時を斬るブログ」様より

http://blog.goo.ne.jp/duque21
【重要事実発覚】自称皇后堤美智子の母、正田富美の戸籍ロンダリング、無限拡散希望 

投稿するべきかどうか悩みましたが、私は佐賀出身です。美智子妃殿下のお母さんの副島さんは本当の武士の副島さんではありません。

ご成婚が決まった時、副島さんのお宅に来られ、戸籍を買いたいと言われたそうです。

副島さんは断られました。どこの馬の骨とも知らぬ副島さんが武士を名乗るとは。
ましてや多久は炭鉱の町。非常に部落出身者が多く、副島さんの生家も誰も多久の人たちは知りません。

武家の家ならば、高齢の人ならば知っているはず。いろいろな噂がありますが、佐賀の人は知っていますよ。

美智子さんの従妹たちも当時はたくさんいらっしゃったし、成婚が決まり皆東京に行ってしまったけど、話は聞いています。

https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12137728773.html


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c11

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
12. 中川隆[-11914] koaQ7Jey 2019年2月23日 10:18:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[60]

衆議院会議録情報 第031回国会 内閣委員会 第5号

第031回国会 内閣委員会 第5号
昭和三十四年二月六日(金曜日)
    午前十時十九分開議
 出席委員
   委員長 内海 安吉君
   理事 岡崎 英城君 理事 高瀬  傳君
   理事 高橋 禎一君 理事 平井 義一君
   理事 前田 正男君 理事 受田 新吉君
      今松 治郎君    植木庚子郎君
      菊池 義郎君    小金 義照君
      始関 伊平君    田村  元君
      富田 健治君    橋本 正之君
      船田  中君    保科善四郎君
     茜ケ久保重光君    石橋 政嗣君
      柏  正男君    中原 健次君
 出席国務大臣
        国 務 大 臣 伊能繁次郎君
 出席政府委員
        法制局長官   林  修三君
        法制局次長   高辻 正巳君
        防衛庁参事官
        (長官官房長) 門叶 宗雄君
        防衛庁参事官
        (経理局長)  山下 武利君
 委員外の出席者
        宮内庁長官   宇佐美 毅君
        専  門  員 安倍 三郎君


     ――――◇―――――
○内海委員長 これより会議を開きます。

 総理府設置法の一部を改正する法律案を議題とし、これより質疑に入ります。質疑の通告がありますので、順次これを許します。平井義一君。

○平井委員 皇居造営審議会を設置する件につきまして、宇佐美宮内庁長官にお尋ねをいたします。皇居を造営するかしないかという問題に関しまして、まず長官に天皇制のあり方について所感を承わりたいと思いますが、天皇制といえば神武以来の天皇制でございますので、非常に長期にわたりますので、これを三つに区切って所感を承わりたい。神武天皇から孝明天皇まで、明治天皇から終戦までの天皇制、終戦になって新憲法のもとに作られた天皇制、この三段階に分けて、天皇制のあり方について長官の所感を承わりたいと思います。


○宇佐美説明員 天皇制のことにつきまして御質問があり、歴史的に大へんに古いところからの考え方を述べろということでございますが、私どもは日本の歴史を振り返って、わが国において天皇を中心にした一つの日本民族の国家が発展してきたものと考えております。これを明治以降におきまして一つの近代国家として新しい憲法制度のもとに、はっきりと国法的にも規定的に定められて参った特徴があると思うのであります。しかし明治制の憲法というのは、今さら申し上げるまでもなく天皇主権という立場において制定せられたものでございますが、新憲法によりまして国の象徴としてのお立場であり、主権は国民にあるという建前に立って、いわゆる民主主義国家の建設を行われたと考えるのであります。私どもは現憲法の趣旨に基いて今後発展していくべきものと考えておるわけであります。


○平井委員 日本の天皇制が始まりまして、天皇または王様――あるいは外国の王様のごときは戦争をして、勝って王様になるというのが通例でございますが、日本の天皇制の場合、やまと民族の中心として天皇がおわしますというような観念であったのでありますが、長官は皇統連綿と続いて、たとい徳があろうとなかろうと天皇は皇統連綿として続いているのだ、あるいは非常に人格が高くてやまと民族の中心としてふさわしいお方が日本の中心になられておった、このいずれをおとりになりますか、お聞きしたい。


○宇佐美説明員 わが国の天皇制は世襲の制度でございまして、しかもその天皇の位につかれる方がやはり国民の崇敬の中になるようなりっぱな方であってほしいというのが国民の念願であろうと思います。


○平井委員 続日本紀でしたかに「武烈天皇は性さがなくましまし、悪しきというてなさざるはなし。ゆえにここに皇統絶えにき。」と出ておりますが、そこで日本の皇統は絶えております。ところが民族の中心がないというので、当時のやまと民族が非常に心配をされていろいろ徳の高い人を探した結果、河内の国の山奥に非常に崇高なお方がおられた。その人をその次の天皇に中心として迎えた。これが孝昭天皇でございます。そういうふうで非常に徳の高い、民族の中心としてふさわしい方が中心となられ、これを親として崇拝をしておったということは長官も御承知のことと思います。また北畠親房卿は「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」、こううたっております。

そういうことで常に天皇と国民は一体の姿であられたということも長官は御承知の通りと思うのであります。そこで孝明天皇は、いよいよ王政復古の声が日本に立ち始めまして、当時御承知のごとく日本は徳川幕府によって支配をされておった。そのときも孝明天皇は「すましえぬ水にわが身は沈むともにごしはせじなよろづ国民」、これは若くして世を去られたとも聞き、あるいは切腹したとも私は承わっておる。明治天皇は幼少にして非常に苦労をされた。その結果明治天皇が王政復古の後に明治大帝とまで崇拝をされておるのであります。その後明治天皇は欽定憲法をしかれて、ほんとうに天皇主権のもとに天皇と国民は一体である。すなわち「罪あらばわれを咎めよ天つ神民はわが身の産みし子なれば」、全く一体の姿で来たのであります。その点から見まして日本の天皇制は諸外国と違って、ほんとうに天皇と国民が親子の姿であり、一体の姿であるところに天皇独裁ということでなく、ほんとうに国民と天皇といったような、決して天皇はオール・マイテイでないと私は考える。すべて民の世論、民の声を聞かれて、これで政治を行なったということが日本の天皇制の姿でなければならぬと思います。

従いまして天皇は国民の親であり、ほんとうの中心である。それが戦争がだんだん敗戦の姿をたどって終戦になる。国民の中にはあるいは戦犯、あるいは数百万の戦死者を出しておる。国民の親であるべき天皇は近代天皇でありますが、いかなる親としての行動をされたか、これは私は強く追及をすることもいたしませんが、だんだん敗戦後に天皇制に対する観念が薄らいできておるということは長官も御承知と思います。しかも皇室の尊厳について今日の日本の姿、あるいは日本の青少年の気持、これを考えて今後の天皇制、皇室の尊厳がどうあらなければならぬか、過去のことでなくこれからの天皇制でよろしゅうございますが、皇室の尊厳、今後の天皇制のあり方、これに対してどういう確信を持たれ、どういう天皇制のあり方がいいと思われるか、この点を一つ長官にお伺いいたしたいと思います。


○宇佐美説明員 ただいま平井委員がるるお述べになりました点につきましては、私どもきわめて同感いたすところでございます。常に皇室が国民とともにあられるということ、昔から皇室の念願とされ、その実現に心を砕かれたのであろうと考えるわけでございます。いろいろ機構上の変化があるといたしましても、皇室と国民との関係というものは、常に皇室は全国民のために行動せられるということであろうと思うのでございます。明治憲法時代の憲法上の地位に基く諸制度と変りました今日におきましては、やはりそこに新しい憲法に基く皇室のあり方というものが立っていかなければならないと考えております。もとより先ほど申しましたような基本的な問題は変らないと思いますが、この現われというものは常にその方向に向って進むべきものであると思います。天皇の御位地は、今は政治あるいは文化それぞれの長という意味ではもちろんございません。国民の統合の中心ということにあられるわけでありまして、そういうような立場から国民の進歩とともに皇室もまた歩かなければなりませんけれども、常に国民の大多数とともにおられるということが必要であると思うのでございます。いろいろ一口に天皇制の民主化ということがいわれるのでございますが、そういう意味における民主化ということでございまして、やはり一般市民と全部同じになるという形式的な問題ではないと思います。やはり国民の象徴としてのお立場というものははっきりお持ちにならなければならないと考えますし、国民もまた、そういうわが国民、民族の象徴であるということに対する尊敬もあるのが当然であろうと私どもは思うのでございます。皇族と国民が相親しみ、その間におのずからな尊敬があって、ともに日本国の発展のために尽されるというお姿が将来の考え方の基本であろう、かように考えております。


○平井委員 昔は先帝陛下がおなくなりになりますれば、皇位をお継ぎになる皇太子は、少くとも一年ないし三年の高座の行事をやられて、これならば民族の中心になり得るという確信がなかったならば、即位をしなかったということを読んでおりますが、その昔の日本の天皇制に比べて、敗戦とはいえ、今日天皇制を維持するとするならば大きな差があると思いますが、この点長官はどう考えられますか。戦争が負けたからどうでもいいのだというふうに考えておりますか。


○宇佐美説明員 昔のいわゆる皇太子のお地位というものは、立太子の儀式によってその方に皇太子というものがきまったのでございます。必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます。その意味におきまして立太子ということは非常に重要な意味があったわけでございます。現在におきましては、法制上当然長子相続ということが定められておるわけでございまして、昔の立太子とただいま行われます立太子の意味は非常に違っておると思うのでございます。昔のような行き方につきましても一つの方法でございますが、同時に、そこに政治的なあるいはいろいろな紛淆も起り得るのであります。私どもは、そういうことが皇室に行われませずに、現在のようなはっきりとした皇室典範に基いてそれが行われることが明確であり、紛淆を来たさずにいけるものであると考えておるわけであります。


○平井委員 終戦後に、御承知の通り日本は、国民として非常によりどころがない。せめて天皇制は維持されたのでありますから、これが一つの希望であり、よりどころであったと思うのであります。新憲法のもと国民の象徴となられたのでありますが、象徴ということの解釈は非常にむずかしいと思うのでありますが、象徴といえば、少くとも全国民の崇拝されるべき皇太子でなければならぬ。しかも立太子の式を終了された。しからば宮内庁長官として、あるいはおそばについておる人としては、民族の象徴にふさわしい教育、ふさわしい姿にさせることが職責ではなかろうか。そうならなければ、民族のより場もない。将来の日本を考えたときに、一体どうなるか、これは人ごとでない、日本民族の問題でありますから、特に宮内庁長官はこの点をほんとうに真剣に考えなければ、これが一角がくずれていった場合には、宮内庁はもちろん要りません。宮城開放の問題も近く起ることは当然の話でありますが、現在のあり方が新憲法にふさわしい、あるいは日本民族が非常に尊崇して、喜んで天皇制を護持されると思われておるかどうか、この点を長官にお尋ねいたします。


○宇佐美説明員 私どももただいまお述べになりましたようなことを深く考えておるつもりでございます。今のような新しい憲法のもとにおける皇室におきましては、皇室の方々の御行動というものが非常に大事であると考えております。そういうような意味におきまして、皇太子殿下の御教育と申しますか、御研さんを願うことは、われわれとしても非常に強いわけであります。人を作るということは容易なわざではございませんけれども、われわれといたしましては、大きな一つの職責と考えておる次第であります。


○平井委員 皇太子殿下の御結婚につきましてお尋ねいたしますが、新憲法のもと恋は自由でございますから、皇太子殿下も人間だから恋をするだろう、こうおっしゃるでしょう。それもまことにけっこうでございましょう。しかし民族の象徴という観点から見まして、もしも天皇陛下が皇后陛下と銀座を毎晩散歩しておる、あるいは自分のしたいことをするということになっても、民族が尊敬をし崇拝をすると思われておるかどうか。私は決してこの御結婚に反対をするものではありませんけれども、要するに、もしも皇太子殿下、天皇が民族の象徴とするならば、国民の声によって――いろいろお相手を探したけれどもなかった、民間からぜひもらっていただきたいとあなたから進言をされて御結婚あそばすならば、これは民族の声である、ほんとうに国民の声でありますから、私は大歓迎でございますが、もしも伝え聞くように、皇太子殿下が軽井沢のテニス・コードで見そめて、自分がいいというようなことを言うたならば、ここにおられる代議士さんの子供と変りない。

私の子供と変りない。これが果して民族の象徴と言い得るかどうか私は知りませんが、あなたから進言をされたものか、皇太子殿下が自分で見そめられたものか、この点をお尋ねしたい。


○宇佐美説明員 皇太子様の御婚約の実際についてのお尋ねでございます。これは世上いろいろ間違って伝わっておりますので、ただいま御質問がありましたので、私はこの機会にはっきり申し上げておきたいと思います。

 今回の御婚約につきましては、数年前からいろいろ準備を事務的に進めておったのでございますが、もちろんその選考の方針その他につきましても、皇太子殿下御自身はもちろん、両陛下のお考えも伺って、われわれとしては慎重にいたしておったわけでございます。殿下御自身の御性格も非常に慎重な方でございまして、御自身の義務というようなことにつきましては、はっきりとお考えをお持ちになっている方でございます。

今回の御内定になりました方につきまして、世上で一昨年あたりから軽井沢で恋愛が始まったというようなことが伝えられますが、その事実は全くございません。もちろん軽井沢でテニスを一、二度なさったことは事実でございます。しかしそれ以上の交際があったわけではもちろんございませず、この御婚約につきましても、その当時は何らそういう方がわれわれのあれにも入っておりません。しかしいろいろ候補者を選考して参りました過程におきましても、殿下に一々ごらんに入れているわけでございます。昨年の春ごろからいよいよ何人かの候補者をしぼって御相談申し上げ、そのうちからわれわれも御推薦申し上げ、殿下も冷静な観察をなさって御決心になったわけでございます。

世上伝わるようなうわついた御態度というものは、私どもは実際において全然お認めすることはできません。むしろ非常に老成された考え方を持って注意深く進められたのでありまして、このことはあの当時の発表後におきましても私どもは外に向ってもはっきり申しております。世上そういうふうに伝わっておることは事実と反していると私は考えます。なかなか先に出ますとあとから幾ら申しても徹底をいたしませんで、この点は非常に残念でございます。ただいま御質問をいただきましたのは、私としましてはむしろありがたいことでございます。


○平井委員 長官の説明を了としますが、われわれ、世上というか、宮内庁係の新聞記者連中ともよく知っておりますし、いろいろ聞くところによれば、小泉さんと田島さんが非常な推薦者であった、あとはむしろそう賛成をなさらなかった、これはどうだか知りません。世上の話でございます。そこで小泉さんあたりの教育の仕方がいいと言う人もあるし、悪いと言う人もある。

私、小泉さん、田島さんがどういう意味で強硬に推薦されたか知りません。推薦する方にもまた考えはあると思いますが、非常な推薦をして、ついに宇佐見長官も同意をしたというふうに聞いておりますし、また東宮御所において、皇太子殿下が学友を集めてわあわあ言うた結果とうとうきまったのだというようなことが、御婚約の後にぼつぼつ週刊朝日などに載るようになりましたときの責任や重大なるものがあると思いますが、この点長官いかがお考えになりますか。


○宇佐美説明員 今度の御選考につきまして、皇太子殿下の御教育に顧問として参画しておられる小泉博士あるいは前長官であります田島氏や、その他の方々といろいろ御相談したことは事実でございます。しかしながらこの間においてだれが反対をし、だれが強く推したということはございません。非常にこれは大事なことでありまして、一人の懸念もないということを私は慎重に考えて進めたわけでございます。こういうような点につきまして、私は内容について外に言ったこともございません。いろいろな憶測が出るようでございますが、これは全く事実と違うものと存じております。


○平井委員 これはなかなか大事な問題でございます。将来日本の天皇制が傾いた場合に大へんな問題になるので、私は国民代表として言うておかぬと困ると思うのですが、まず参考に申し上げておきますが、私が先般いなかに帰りましたとき、非常な天皇崇拝者のおばあさんがこういうことを言った。

先生、日本も天皇制はしまいましたね、だから金持ちのお嬢さんをもらったのだろう、そういうふうに心から言うのであります。そういう年寄りが全国津々浦々に非常に多いということも長官は知らなければならぬ。いずれ天皇陛下になられるのでありますから、民族の象徴として、今日の皇太子がそれにふさわしいお方にならぬときは、日本はしまえるのですよ。今日われわれ中共だとかソ連だとか言っておるけれども、内輪でしまえるのですからこれは冗談じゃない。小泉さんあたり少しどうかしておられますまいか。よほど慎重に考えてくれなければ困る。

もう皇室の尊厳というものは、小学校の本にもないし、だんだんなくなってくる。そういうお方を国民が崇拝して、宮内庁まで置いてああいう広いところで生活をする必要はないではないかというような段階まで行きはしないかと、私は非常に心配して言うのであります。長官は世上に伝わっておることはうそであるというけれども、一年前のテニスの写真を出したり、遊ぶところを写してみたり、ああいうことはあなたの責任ですよ。国民は決して喜んでいはしない。

それを国民は非常に御結婚には賛成だ、いよいよ皇室も民主主義になったのだ、こういうふうにもろ手をあげて喜んでいるというふうに考えることは、私は大きな間違いだと考えます。しかし婚約が整ってもう式も近まったのでありますから、これに対して私はとやかく言いませんけれども、英国の例によりましても、これは皇帝にならなければ心配はない。恋愛は自由ですから。私は退位して会社にでも勤めましょうということになると、われわれは一口も差しはさみません。九千万の象徴となられる方だから心配をしておるのであります。その点義宮の結婚と非常な違いがあるということも考えなければならぬ。

そういう場合には退位をされるといえば別でございますけれども、英国とは日本の皇室はかなり違った立場に置かれておるのでございます。英国ならば恋は自由でありますから、恋をなさい、そのかわり国民はあなたを養いませんよ、どうぞなさって下さいというようなことになると思いますけれども、日本はそこまで言わぬが、それだけに国民の気持というものは、あなた方が想像されるのとちょっと違いはすまいかと考えておりますので、今後の皇太子のあり方、今度婚約されるお方のあり方、写真等、これは宮内庁の宣伝と申しますか、そういうことについては特に私は留意をしなければならぬと思う。

これは共産党であったら大歓迎です。要するに天皇制のあり方、皇室の尊厳ということをもう少し高める上において、何かあなた方は研究をされておりますか、まだ何も考えておりませんか。将来どういうふうに日本のこの皇室というものを持っていきたいというお考えですか、この点一つ。これはあなたが長官のときですから大へんな問題になる。将来問題になったときに、私があそこで質問したがその通りになったと言わないように一つ心がけ、また今後あなたとしては、どういうふうに天皇制を持っていき、皇室の尊厳を高めていくというお考えであるか。


○宇佐美説明員 先ほど御指摘になりました殿下の今回のことについての御態度は、先ほど私がはっきり申し上げた通りでありますが、おきまりになりました以上は私どもはやはり将来殿下と妃殿下がほんとうの愛情を持って、りっぱに結ばれていかれるということをわれわれは望むものであります。しかし今御指摘になりました御行動についてはわれわれも非常にこまかい点まで注意をいたしております。最近の週刊雑誌等を見ましても、そういった問題についてわれわれも国民の疑惑が起らないように、いろいろ報道関係にもお話し申し上げたのですが、雑誌を見ますと、宮内庁は反動化したというようなことを盛んに座談会でも言っておりますけれども、国民に筋の通った報道というものはやはりなければいけない、どういう生活をなさるかということは当然なければならないと思いますけれども、むやみに追いかけ回されるということについては、われわれとしても心外でございます。そういう点で、殿下の御行動については慎重な注意をいたしておるわけであります。しかし昔のようにすべてを不自由なと申しますか、当然あっていいことまで押えるということもどうかという気がいたします。殿下が伸び伸びと自身の立場を思いながら御成長を願いたいとわれわれは思うわけであります。やたらに何でもかでも押えるということもどうかと思います。ただりっぱな地位に対する御自覚から、すべての行動をよく考えていただいて、われわれもそれをお助けして、ほんとうに国民の将来の象徴としての素質を十分伸ばしていただきたいということでございます。これは大きな政策とか、そういうことが表面に出ることではなく、日々の行動が重なってそこに現われていくものと思います。私は日々のことにつきましても、東宮職のおそばにおります者にもちろんるる申しますし、小泉博士も皇室の将来ということとあわせて考えてやっていただいておりますが、私もよく国会における御質問等も伝えますし、私の考えも始終述べておるわけでございます。

 なお今後の皇室のあり方につきましては、御指摘の通りに、ほんとうに真剣に慎重に私どもは考えなければならぬ。そういう問題について、ただ宮内庁の組織だけで考えていいのか。その間において世論を聞き、いろいろな立場から検討すべきはもちろんであります。そういう点についてもいろいろ今考えつつあるところでございます。まだ申し上げる程度にまとまりませんけれども、将来のためにこれはほんとうに考えていかなければならぬというふうに思っております。


○平井委員 皇室は、御承知の通りわれわれ国民と実は違うのでありまして、これは昔なら天皇学でございますが、今日の教育係というものの教育は、われわれ国民と違った立場においてされなければならぬと思うのであります。これはわれわれのようにちょっと代議士に立ちたいとか、金がほしいとか、名誉がほしいということ、全く教育に要らぬのであります。ほんとうに欲も得もない、ほんとうに人間の象徴としていかれればいいのでありますから、その教育は今あなたがおっしゃるように、あまり何もかにも押えるということではなく、民族の象徴にふさわしい教育、それを小泉さんはちょっとはき違えておりはしませんか。

国民らしく育てるということが小泉さんの教育の方針では困る。これは事実欲も得も要らない、選挙の必要もなければ何も要らぬのですから、その点の教育はあなたが小泉さんに教えてやって、皇太子殿下の教育というものは、一般の学習院の生徒と別でなければならぬ。昔なら上御一人といわれたのです。一般の学習院の生徒並みに教えたのではこれは絶対に象徴になれない。われわれが欲しない点、またできない点、国民では及ばないという教育があると思います。そういう教育を教えない限り――ただ昔と違って自由である、自由に教育をするのであるという行き方もありましょう。自由主義者の中にはありましょうけれども、そこは一つあなたが小泉さんあたりに教えてやって、一般の生徒とは違う立場においての昔なら天皇学、今日なら皇太子殿下の教育というものをされなければ、これは象徴として国民が崇拝するかどうかわからなくなってしまう。早い話が、皇太子殿下が銀座へ遊びに行かれる、友だちと一ぱい飲みたい、そういうことになったら、これは民族の象徴ということは絶対に言えない。天皇は常に大自然とともにあらねばならぬ。そうしなければ英国の国体と同じになるのですよ。日本の天皇というものは、常にもう大自然、どこから見ても富士山の姿のように拝まなければならぬというぐらいのあり方でなければ、国民は崇拝しませんよ。そういう点から見て、いま少し厳格な教育をされたらどうですか。昔、北畠親房などはこれはもうけ飛ばしおったという話です。たたきまくって教育をされたということも聞いておるが、あまりにも自由奔放な教育をされておるのじゃないか。そういうことからきて皇太子殿下の感覚が違ってくる。自分の将来民族の象徴としての感覚が狂ってくる。どうもこのごろはわれわれが考えても――われわれは子供のときから天皇一本で育ってきた、教育を受けてきた者でも、ちっとおかしいではないか。まして終戦後の教育を受けた青少年は、全くそういうことがなくなってしまう。

 そこで議題にありますところの皇居の造営ということになれば、これは非常にむずかしい。あなた方の教育いかんにより、天皇のあり方いかんによって、造営ができるかできぬかになるのです。お互いが天皇制護持者だから、何でもかんでも皇居を作れというふうなわけにはいかぬようになっておるのです。それを一つ長官は十分考えていただきたい。もしも教育があまり芳ばしくないというなら、小泉さんあたり入れかえたらどうですか。そんなことこそ民主主義だ。いつまでも、勤まっても勤まらぬでも、この人間をそこにつけておくということが一番封建的ですよ。もし皇太子殿下の教育係でも、これはちょっとあなたが悪いと思ったら、あなた方が入れかえたらいいじゃないですか。それが今日のあり方でございます。昔ならばかでも何でも一ぺんひっついたら、宮内省におればやめさせられなくなっておった。今日ではどんどんやっていいのですから、そういう新体制に切りかえていって、よりよく皇太子を教育するというふうにされなければ、天皇陛下は何もおっしゃらぬのですから、あなたがそういうふうに判断をしなければ、今後の、遠き将来というか近き将来というか、日本に変動が起った場合には、あのときの長官は宇佐美さんであったということになれば、あなたの人格はりっぱであるけれども、やはり時にぶつかればあなたの責任になりますから、その点、あなたが十分研究をされ、努力をされて、やはり皇室の尊厳を残していくというふうに努力をされなければならぬと私は思いますし、また皇太子殿下においても、これはあなたが直接進言できるのかどうかわかりませんけれども、十分そこを自覚されて、やはり国民の崇拝するに足る人間になってもらいたい。これは人間というか、昔は神様だったのです。御承知の通り明治憲法のもとにおいては、神聖にして侵すべからず。今日人間になったというだけで、やはり象徴ですから、象徴ということについての私の解釈が合うかどうか知りませんけれども、私は民族の象徴ということになれば、天皇は、国民が貧しければ貧しいものを食べ、国民の政治、経済に伴って生活をしていかれる、ああ陛下は銀座にも行かれぬし、映画も見られぬ、これはわれわれはひとしく崇拝しなければならぬという気持になっていくと思うのでありまして、民族の象徴というのはただ看板だけで、あとはわれわれ国民と同じ行動をとってよろしいのであるというふうに考えたならば、象徴とは言えないと私は思いますが、あなたは象徴ということをどう解釈されますか。


○宇佐美説明員 終戦後今まで皇室に対する一般的ないろいろな批判が行われて参りましたが、この大きな流れというものは、やはり一言で言われるような民主化、もっと自由にしてあげなければいけないのじゃないか、あるいは今おっしゃったような、銀座にもおいでになればいいし、喫茶店にもおいで願えばいいじゃないか、そういう議論が割合に多かったと思います。しかし私は決してそうは思っておりません。やはりすべて普通の国民と同じ生活をするということでは、ほんとうの象徴としての国民の尊敬を集め、親愛を得られることにはならない。それは、ある意味において自由が一部ないともいえます。しかしそれはやはり国民の中心となって、象徴としてお過ごしになるには当然負われるべき御責任であり、御義務であると思います。そういうことでなければ、何らわれわれと差がなくなってしまう、私は常にそう思うわけであります。最初に申し上げたような意見はいろいろございますし、いわゆる雲の上に上る行き過ぎた行き方は、もちろん直していくベき点があれば直さなければならぬのでございますけれども、やはりそこにはきぜんとしたことがなければ、秩序は保たれませんし、また尊敬や親愛というものも生まれてこないと私は常に考えております。そういう御修養もなさらなければなりませんし、そういう義務ということもしっかりとお持ちを願わなければならぬと私は考えております。しかしそういう点は御幼少のときからおそばの者が、そういういろいろな進言に対しては気持よく胸を開いてお受けになることをほんとうによく申し上げ、われわれが、あるいはそばの者が申し上げることは、よく御反省になる方だと私は思っております。もとよりまだお年もお若いことですし、御修養願うべきことは多々あるわけであります。小泉博士は、常に皇室の将来を最も心配しておられる一人だと私は考えております。しかし具体的にどういうことをということについては御相談もございますし、私も遠慮なく意見を申し上げておるわけであります。今後においても、そういったことについては最善を尽したい。今回のことにつきまして、大きなことを申すと仰せになるかもしれませんが、私が責任をとって済む事態ではない、それ以上の大きな事態であるというふうに考えて参ったつもりでございます。不敏でございますけれども、この覚悟だけはいたしておるつもりであります。


○平井委員 最後にお尋ねなりお願いをして終りたいと思いますが、御結婚式も近いのでありますから、今の長官の御説明で私は納得いたしましたが、なお宮内庁から国民が納得するようにしていただきたいと思うのと、これは長官に幾らわれわれが質問してもしようがないが、皇太子殿下並びに宮様のおつきの人は、悪ければ取りかえなければ教育というものはよくなりません。あなたが見はからつて、これはあまりよくないと思われる人はどんどん取りかえられて、そうしてりっぱな教育をされる方をお入れになって――今の人がいいか悪いか知りません。悪いと言う人もあり、いいと言う人もあるが、取りかえて教育をなさらぬと、将来非常に大きな問題が起るのではないか。天皇制のあり方ということは、日本の政治、経済あるいは世界の動静に従ってあらなければならぬと私は思うのであります。従って皇居造営の問題におきましても、まだ審議会はできないのでありますけれども、もしも審議会ができましたならば、時代に即応して、かつて三井、三菱の大財閥が十万坪の屋敷に住んでおったのが、今日一万坪の住居におるということを参考にして、今日の皇居のあり方はどういうふうでなければならないかというふうに、率先宮内庁は研究をされていかなければ、これまた非常な難関に到達すると思うのでありますから、日本の情勢、世界の情勢、東南アジア未開地のところにクーデターがあり、いろいろある世界の動向をよくながめて、ひとり日本だけが昔の風習ではいかれない、日本の皇室はこうあらなければならないという見地から、まず率先してあなたの方で案を立てられなければ、将来禍根を残すと私は思うのであります。どうか皇居の造営の問題につきましても、あなたの方で十分考えられて、先手を打つといってはおかしいのでありますけれども、この程度でよかろうとか、あるいはこうした方が今の日本の皇室にふさわしいのであるということを十分考えられてお作りにならなければ、将来禍根を残す。東宮御所の御造築のごときも、間組が一万円で引き受けた、こういう崇拝組も日本にはあります。また家がなくて困っておる国民もある。私は間さんに言いたい。そういう金があるならば、住宅のない人に建ててやったらどうかと間さんに言いたいが、あまり私は懇意でないから言うておりません。そういうお方もあるが、それが全部でないことも考えなければならない。そういう人もおります。いなかの年寄りの八十、九十の人は、日本が戦争に負けたことも知らないという人もおりますから、そういうことを十分考えて、あなたの方で考慮されて、現在の世の中にふさわしい皇居の造営を計画していただきたい。同時に今後の皇室の尊厳並びに天皇制のあり方を十分研究されなければ、日本の将来にいかなる変動が起るかわからぬということを肝に銘記して、今後長官としてりっぱに職責を全うされるようにあなたにお願いを申し上げて、私の質問を終ります。


○内海委員長 受田新吉君。


○受田委員 私は宮内庁長官並びに法制局長官並びに総理大臣にかわって御出席いただく官房長官に相次いでお尋ねを申し上げたいと思います。それは皇室に関係した事項で、今、平井議員よりお尋ねになった諸問題を別の角度からお尋ねしてみたいと思います。

 私は最初に、日本の天皇制というものが新憲法で国民の象徴とされているということに一応うなずき、またこれを支持していく一人であります。ただここで問題となるのは、天皇の御地位というものに対して、新しい憲法が保障する基本的人権、いわゆる憲法の第三章に掲げられてある基本的人権と矛盾する面が相当起っておらないか。この点が第一のお尋ねの問題であります。具体的に申し上げますが、新憲法は天皇を人間天皇として宣言せられておる。そういう意味からいうならば、その人権もまた十分尊重をするという意味で、象徴としての天皇の権威を傷つけない限度におけるゆとりある人権尊重のあり方が示されておらなければならぬと思います。一例をあげますが、天皇はいつまでも天皇の御地位におられなければならないということになると、非常に窮屈なお感じをなさることもあろうと思うのです。従って、たとえば皇太子が成年に達せられ、あるいは御結婚をされる。そして十分後継者として天皇の地位を守ってもらえるということになり、また天皇御自身も、一般でいうならば定年退職に当られるくらいの年配になられる、こういうことになるならば、天皇の御退位の自由ということが一応認められていいのではないかと思うのでございますが、この問題は、宮内庁としては、また法制局としては、どういう御見解を持っておられましょうか。


○林(修)政府委員 ただいまの問題は、非常に重要な問題であると思います。これは御承知の通りに、新憲法が当時の帝国議会において審議された際に、あるいは現行の皇室典範が法律案として議会で審議された際にも、非常に議論されたところでございまして、いろいろの角度から御議論があったわけであります。しかし当時の政府として、皇室典範にこういう制度を認めなかった理由としては、次のようなことがいわれております。現在の憲法は、もちろん皇位継承のことにつきましては法律に規定を譲っております。法律である程度のことは書き得る範囲のことがあるはずでございます。しかしこれは憲法第一条が、天皇は日本国の象徴とし、それからその地位が日本国民の総意に基くというこの規定、それから第二条に皇位は世襲のものである。こういう規定と離れて、ただいまの問題を議論することはできないと私は思うわけであります。なるほど新憲法によって人間天皇としての地位はできましたけれども、しかしそれだからといって、一般の人と同じようにこれを扱うわけにはもちろんいかない。やはりこの象徴たる地位、あるいは国民の総意に基くこの地位というものと相いれない範囲におけるもの、そこに制約があることは当然だと思うわけであります。これはやはり皇位というものは世襲のものである。それから古来ずっと一つの系統で受け継がれてきているということと、それからそこに天皇が過去においてはもちろん譲位ということはあったわけでございます。そういうことはありましたけれども、ただいま申し上げたような御地位、それからこの天皇のそういう象徴たる地位から考えまして、御自分の発意でその地位を退かれるということは、やはりその地位と矛盾するのではないか、これはやはり幾多過去の例からいっても、いろいろ弊害があったこともございます。これは一言で申しまして、天皇には私なく、すべて公事であるという考え方も一部にあるわけであります。やはり公けの御地位でございますので、それを自発的な御意思でどうこうするということは、やはり非常に考うべきことである。そういうような結論から、皇室典範のときに、退位制は認めなかったのであるということを、当時の金森国務大臣はるるとして述べておられます。この問題は、実は皇室典範の審議されたときの帝国議会においては、皇室典範の論議の半分ぐらいを占めております。そういうことで政府案が通過したような関係であります。その当時における政府側の見解は、ただいま直ちに変更するほどの理由は私はないと思っております。従いまして今、受田先生のおっしゃったようなことも確かに一つの議論としてはあることと思いますけれども、軽々にこれはきめられない、かように考えております。


○受田委員 私はこの新しい憲法や皇室典範の審議の際の問題を今持ち出しておるわけではない。当時は天皇のお立場が戦犯としての批判を受けようとされたり、戦争責任が追及されたりという渦中にあられた。しかし今日はようやく世界の情勢も落ちついてきたし、日本の復興もほぼでき上ってきたという段階になって、しかも世継ぎになられる皇太子が御結婚されるという段階になられるということになるならば、もうそうした戦犯論議とかその他の戦争責任問題を乗り越えた新しい段階にきて、この問題を考えなければならぬ時期にきておると思う。ことに現在の天皇は二十才になられたときに摂政になられて、自来すでに四十年に近い間を、まことに筆舌に絶する苦労をされておられる。ことに大東亜戦争の責任などという問題になってくると、御自身も非常に痛切に感じておられる。しかしあの大東亜戦争を締めくくる終戦というところへ踏み切られたのは今の天皇であられた。そういう意味からも、私は今の天皇御自身がその悲劇的運命の中に苦労されて今日に及んでおられることを思うときに、皇太子が御結婚されて、一人前の世継ぎとしてもりっぱな資格を備えられておるということになるならば、ここに終戦直後の混乱の中で論議された憲法論議や皇室典範論議とは別の意味で皇室典範は法律でありますので、この法律を改正して、天皇の退位の自由を認めてあげるということが、新憲法の第三章に掲げられた基本的人権の尊重の条項にも合致するものだと思う。従って象徴の尊厳を傷つけないで、後継者がりっぱにおられる場合に、皇室会議の議を経て退位をすることができる、そういう考え方は、私は成り立つと思う。この問題は、新しくそういう事態に遭遇しておるという気持を私は持っておるので、新しく検討をすべき段階ではないかと思う。昔のものを引っぱり出して、今ごろまだ依然として古い感覚で、憲法、皇室典範の論議をされた終戦直後の空気をそのまま今に持ち込むということは、どうも時代感覚のずれはなはだしいものありと認めざるを得ない。いかがですか。


○林(修)政府委員 決してその当時のいわゆる戦犯論議とかいうこととの関連のみで申しておるのではございませんので、やはり確かに受田先生のおっしゃるような基本的人権の尊重ということもございますけれども、憲法第一条、第二条等で規定しております象徴たる地位、あるいは国民の総意に基く地位、皇位世襲の継承ということと切り離して、この問題は解決できないと実は思っております。従いましてやはりそういう今おっしゃったようにいろいろ個々的の場合には、いろいろの事情が起ることはございましょうけれども、今おっしゃることであれば、結局制度としてそれを認めろということになるわけでありますが、この制度として認めろということは、国民の総意に基く御地位、象徴である御地位ということを考えますと、私はそう適当なものではない、過去の歴史を見ましてもそういうことは適当なものではないのじゃないかということも考えるのであります。あるいはこれは制度として認めれば、皇位継承の順位に異動を来たすこともあり得るわけであります。そういうことから考えまして、これはやはり慎重に扱わなければならない、軽々にきめられない問題だと思います。


○受田委員 もちろん軽々にきめるべき問題ではないでしょう。しかし世襲制度というこの憲法第二条の規定によっても、世襲には間違いないわけです。だから隠居する制度も考えられておるのですから、御隠居なされるという形になればいいわけです。従って世襲制度というこの憲法第二条の規定に矛盾する形にはならないわけです。お世継ぎがちゃんと成年に達しておられる、御自身も定年に達しておられるということになれば、当然そういう自由を認めてあげるという規定が、しかもそれが皇室会議という一応の機関の議を経てきめられるわけでありますから、軽々にきめるわけではありません。こういう制度を考えて差し上げることが、憲法の精神にマッチした皇室典範の改変であると思う。

 もう一つそれに関連して、天皇の行為の自由ということにもしばしば問題が起ってくる。たとえばただいまの陛下は、弟さんの秩父宮がなくなられるときに、ぜひ臨終の弟宮を見舞いに行こうとされたときに、ついに宮内庁は見舞いを押えたといわれる。ただいまの皇后は、お母さんの倶子さんがなくなられるというときに、これまたついにお母さんの臨終にもおもむかせしめられなかったという、おそるべき人権侵害をやっておると私は聞いておる。肉親の死に宮内庁がそういう圧力を加えて、人情の自然と美しさを押えるという、こういうことは一体どういうところに原因があるか、そういうことは絶対なかったかどうか、その事情をこの際あわせてお伺いしておきたい。


○宇佐美説明員 前段の陛下の自由な御意思に基く御退位ということにつきまして、法制局長官からお答えがございました。私も全く同様に考えておるわけでございます。現在の場合のみを考えるのでなく、日本永久の将来のことを考える場合に、自由なる御意思による御退位というようなことを、その象徴たる位地から見て、常に国民が全部異論なく認めるかという問題は、いろいろな将来のことを考えますと、容易なことではない。私どもはこれにつきましてすぐ御賛成を申し上げる気持になれないのでございます。

 また後段の御質問でございますが、これは宮中のいろいろな昔からの風習がございます。今の陛下は、そういう点について勇敢に直すべきものは直すお気持でございます。われわれといたしましても、そういう御趣旨に基いて、自然にそういった点につきまして十分考慮をいたしております。御指摘になりましたような点につきましては、われわれは宮内庁において阻止をしたというようなことは全然ございません。事実不幸にしてお間に合いにならなかったということでございます。


○受田委員 そういうお間に合いにならなかったというようなことで、その場をごまかすべきものではないと私は思う。こういうことは、お工合の悪い肉親がおられる場合に、自由にお見舞いができ、その臨終に立ち会われるという努力を、宮内庁がなぜなさらないのです。間に合わなかったのだという言い分は、はなはだ重大な問題だと思うのです。宮内庁としてそういう人情の美しさを押えるような措置をされたと解釈しても、これはやむを得ないじゃありませんか。今度皇太子が結婚される正田さんの場合でも同じことです。つまりこういう場合に正田家が非常に心配しておられる問題として、そうした人間としての自由性を圧迫される点はないかという点がおそらくあったと思う。そういうことについて宮内庁としては、人間としての美しさ、人情の自然というものを十分尊重して、一切こういう問題については人権を侵害するようなことはない、今後は絶対にさようなことはしないということをお約束できますか、まずそれを伺っておきます。


○宇佐美説明員 皇室の方々が、御両親その他の御不幸の場合にお見舞いなさることを、われわれは阻止するというようなことは考えてもおりません。しかし実際の場合に、やはり象徴としてのお立場から、今の例でなくても、そうあそばしたくてもなされないときもあろうかと思います。そこはやはり外から見ますと自由を押えているとわれわれは考えるわけであります。


○受田委員 九重雲深きあたりの一般国民に理解できないような形の宮内庁の措置は、やはり感心できません。宮内庁としては、そういう問題についてはもうあけっぱなしで、たとえばお見舞いに行かれるのに途中の警戒の問題などがあるとかいうことを気がねされて、肉親の死にも会うことができないというような御心配があるならば、そういう問題についてはあたたかい心組みをもってお役目の方をやられればいい。そういうことを十分含んで、何らか一般国民との間を隔離申し上げるような形のないように、一つ宮内庁としては御努力願いたいと思う。

 私はもとに話を戻しますが、もう一つこの御退位の問題に関係するのですけれども、もし退位の自由を認めたならば、皇位継承の順序にも問題があると今長官が仰せられました。これは私はどこに問題があるかということをお尋ねしてみたいのですが、たとえば皇族から、皇位継承の地位にある皇族の身分を離れるという申し出があったという場合のことですが、いかがですか。


○林(修)政府委員 これは仮定の問題ですから、そのつもりでお聞き願いたいと思いますが、かりにそういう制度がございました場合に、たとえば天皇が退位せられる、そのときに実は皇子がおられない、従って皇位継承が皇弟に行ったという場合に、あとから皇子が生れるという場合のことを考えれば、いろいろ問題があると思う。これは過去においても日本の国史を見れば問題があったと思う。そういうことも一つの形態としては考えられるということを申し上げたのであります。


○受田委員 私は、後継者がはっきりして御本人も相当の年令に達しておられる、こういう場合に皇室会議の議を経てきめられるのだと申し上げているわけです。皇子もおられない、もう本人はおやめになった、そのあとに皇子が生れた、そういう仮定の問題を今持ち出したら皇室会議の議が通りますか。皇室会議の議を経るということになれば、やはりそこにはっきりした後継者がおられる、天皇の長期にわたる御苦労に対してもいたわりの気持をもって御退位をお認めするという形になる場合です。そうでない場合には皇室会議の議は通りませんから、あなたの御懸念の問題は解決するのではありませんか、私はそう思うのですが、いかがですか。


○林(修)政府委員 先ほどから申し上げております通りに、今受田先生のおっしゃることは、やはり制度としてそういう制度を設けたらどうかというお話でございます。従いましてそれはやはり皇室典範の中にそういう規定を取り入れることになるわけであります。そうなればこれは一つの制度として将来に向っての問題になります。いろいろなことももちろん考えなければならないことになるわけであります。そういうことを考えてみました場合に、今の自発的な御退位の制度というものが、果して天皇の世襲制、皇室の世襲制、皇子の世襲制、あるいは天皇の象徴たる地位、あるいは国民の総意に基くという国民の信念から見た考え方、そういうところにマッチするであろうかどうか、これはやはり相当疑問のあるところだと思う。今、受田先生のおっしゃるような御議論ももちろんあることと思いますが、それに反対する議論も相当強い根拠を持っていると思います。従いまして私どもとして今簡単にそういうことに踏み切る決心はないわけであります。むしろ先ほど宮内庁長官が言われました通りに、簡単には賛成できない、こういうことでございます。


○受田委員 あなた方は天皇のお立場というものを考えていかなければならない。そこで、あなた方だけの御都合で、天皇の人権をいつまでも侵害していくことは問題だ。だから御用学者という立場であるなら仕方がない。しかしながらもっと純粋な理論的な立場でものを考えていく、あるいは日本の将来を考えてこう解釈したいというような、あなた方はやはりある程度の余裕のある解釈をしなければならぬ。

 もう一つ、これに関係するのですけれども、女帝です。皇族女子には皇位継承権がないわけですが、この皇族女子の皇位継承権を容認するという典範の改正というものは、これは決して差しつかえないわけです。今の憲法では男女平等である。憲法の十四条で、法のもとの平等、貴族の禁止、栄典というところにも、人種、信条、性別云々で差別されないことになっている。そういうところからいっても、国民の象徴だけを差別するということがあり得ますか。そういう意味からも新憲法の精神にのっとって、皇族女子の皇位継承権を認めるということは、私は当然考えられていいことだと思う。いかがですか。


○林(修)政府委員 これも皇室典範のときに議論されたところでございまして、一応議論済みのことだと私は思っております。重ねて申し上げますけれども、確かに憲法では男女平等、あるいは婚姻における男女平等、あるいは相続についての男女平等の原則をきめております。しかしこれはむしろ普通一般の家であれば、昔のような家の制度はもちろんないわけでありますから、主として財産相続についての男女平等でありますが、皇位あるいは象徴たる地位というものは、必ずしも今申しました民法上の相続と同じように考えるわけにはいかない問題が一つあります。そのほかにやはり古来の日本の国民の一つの総意と申しますか、国民の信念と申しますか、つまり男系相続ということで実は一貫して参っておるような状況でございます。従いまして男系相続ということを認める以上は、女帝を認めれば、そこで男系は断絶するわけです。別の系統に移動するということになってくるわけであります。そういうことから一つの問題点がある。また女系による相続を認めれば、これは別の問題でありますけれども、やはり日本のいろいろの古来の国民の感情あるいは現在における国民の感情からして、果していかがであろうかという問題があるわけであります。また過去における女帝の例、日本には幾つかの女帝の例がございますが、これはいろいろな特殊な事情に基いた例だと思っております。そういうところから、やはりこれは慎重に考えるべき問題だということで、皇室典範のときにもその問題はいろいろ話題に上りながら、そういう規定はされなかった。その事情を今直ちに――おしかりを受けるかもしれませんが、そういう事情を今直ちに解消するだけの事由はないのじゃないかと思っております。


○受田委員 この問題は、どうも男系相続が日本の伝統であるからなどという古くさい考えで御答弁されておるようでありますが、すでに英国においてもそういう制度が長期にわたって保持されている。ただ英国の制度には、女帝の場合には男子の兄弟がおらぬというような場合に、女子だけだというようなときに、女帝ができておるわけでありますけれども、一応程度の差はありましても、皇位の継承権に女子の相続権というものは認められておる。こういうところから見て、世界の大きな流れというものを見たときに、昔の古い伝統を今ごろ持ち出されて、男系相続が日本の伝統などというこの論議は、どうも法制局長官としてまずい論議じゃないか。新憲法の精神というものを――ここにおられた自民党の方の中にも、退位の自由と女帝は大賛成だという意見が出ておる。そういうふうな意見が……(「反対だ」と呼ぶ者あり)与党は分裂状況です。そういうことからも皇室典範に対して、もう少し人権を尊重し、象徴としての権威を傷つけない限度において人権を尊重するという配慮をなさるべきではないか。特に宮内庁長官とされても、そうした宮内庁の事務を担当される責任者として、常に日本の将来、国民の皇室に対する感情等の問題を十分洞察して、長い目で見た日本の皇室の将来への見通しを持った努力をしておかれないと、思いがけないところから、今回の御結婚を契機として、皇室に対する重大な国民の悪感情が起ってきたりするおそれが私はあると思うのです。そういう意味から、少くとももう少し大衆と溶け込んだ皇室という、同時に象徴としての立場は保持されるような配慮を払いながらという気持は必要でございますが、そういう努力をしておかれないといかん、かように思うのです。

 そこで、三笠宮に例をとりますけれども、三笠宮が紀元節に対する見解を表明されたというので、中にはこういう三笠宮のような皇族がおられては、皇室の尊厳に関係するから、皇族をやめてもらおうじゃないかという意見がある。宮御自身も皇族をやめたいというお気持を表明されたとも承わっておるのであります。宮が、皇族が、そういうことを発言されたということについて、これを政治問題として見ようとするならば、それはけしからぬじゃないか、皇位の継承予定者がそういうことではいかぬじゃないかという議論が成り立つかと思いますけれども、宮の学者としての良心から叫ばれたこの言葉に対してかれこれ議論する。自民党の諸君の中にそういう声があるわけです。そういうものに対して宮内庁としては、また法制局としては、皇族の身分にある者の発言について、何か常に注意をしておるとか、あるいは圧力を加えておるとかいうことがあるのかないのか、また三笠宮の皇族を離脱したいという気持を持っておられるという表明があったことがあるのかないのか、これも一つお答え願いたいと思います。


○宇佐美説明員 三笠宮様のことについてのお尋ねでございます。殿下は、終戦と同時に軍籍を離れられまして、将来のために東大にお入りになって歴史を御勉強になっておられます。非常に熱心に御勉強になっておるのであります。しかし私は、皇族であられることがまず第一でございまして、国民は学者になっていただくということにおいて皇族におなりを願っておるのじゃないと思います。やはり皇族としてのお立場、義務というものを第一にお考え願うべきであると思います。同時に、お仕事として御勉強になり、それを通じて国家、社会に貢献されるということも私はけっこうだと思う。しかしそれはあくまで学問的なことでありまして、そのお地位から申しまして、政治的問題に関与されていかれるということ、どうも私どもとしては御賛成できないと思います。そういうことにつきまして私も殿下とお話を申し上げておることがございますけれども、しかし今お話しになりましたような皇族の籍を云々ということは、何も私は伺ったことはございません。いろいろ著書等も御発表になるようであります。私といたしましては、もっと慎重な御態度を希望しておるところであります。


○受田委員 宮内庁長官、えらいかたくお考えですが、三笠宮は、紀元節の問題などについても、これは天皇一家の、皇室の私事であるという見解を表明され、これを国民の行事として取り上げることについての意見を持っておられるわけなんです。そういうことについて、これが政治的な見解であり、学者としての立場では行き過ぎだというような御注意を申し上げるということは、これはどうかと思います。皇族の御発言は何事もそれではできないということになる。純粋な御意見も述べられないということになる。それが多少でも述べられると、すぐどこかにひっかかるというような問題であれば、何事もこれは発言できないということになる。これこそ人権侵害もはなはだしいものになってくる。こういうことについて、もっと自由な気持で皇族としての立場を御自身が十分考えておられるのですから、もし皇族の立場をお考えにならなければ、もう皇族を離脱されることになるのですから、そこは成年に達せられて、しかも良識を持たれたりっぱな三笠宮の御言動に対して、一々御注意申し上げ、おしかり申し上げるということは、私は宮内庁長官としては行き過ぎだと思う。そうなりますと、皇族の身分に生まれた人は、そういう発言やらすべての行動にわたって非常に不幸な立場になる。(「もちろんだよ」と呼ぶ者あり)そういうことこそ人権侵害なんです。私が今申し上げていることは、あらゆる面に不幸な立場に追い込むということでなくて、許される限度内の御自由を認めてあげる、新憲法の御自由を認めてあげるという努力もしておらないで、すべてワクの中にはめ込んで、非常に窮屈な生活をさせていくというようなことは、お役人たちのとるべき道ではないと私は思っておる、そういうことを私は今指摘して、人権の尊重を可能な限りにおいて認める努力をしてあげるという、その配慮を希望しているわけなんです。これはもちろんと言われるかもしれないが、皇族の身分にあり、あるいは天皇の御地位にある人は、あらゆる角度からその人間性の豊かな暮しを押えられるということになる。いかがでしょうか、こういう点について、高い立場から今後の皇室のあり方、皇族の立場というものについての配慮をどうすべきかということについて、何かあなたはお考えになっていらっしゃることはないでしょうか。


○宇佐美説明員 重ねてのお尋ねでございますけれども、一つの学問をせられましてある結論に達せられるということは、これはだれも押えることはできません。またそれを周囲の人に多少お漏らしになるというようなこと、それもいけないとは思っておりません。しかしながらそのお考えが、言葉は悪うございますが、左右いずれにしろ政治的な問題になり、皇室に非常に影響するというようなことを国民が心配するときには、慎重な態度をとらるべきであるということは私は誤まりないと思います。


○受田委員 左右いずれにせよ、それが政治的な方向へ行ったとおっしゃっているのですが、三笠宮御自身としてはそういう政治的な気持はみじんもないわけなんです。そういう問題を政治的にこじつける人々がおり、それを悪意にとる人々がおるわけなんです。この問題は、つまり三笠宮の言動に対しての影響力というものを、外部から不純に利用しようということになるわけなんです。あなたはむしろその外部を押え、宮の考えておられることは正しいのだ、学問の研究の自由は尊重しなければならぬという立場で、特に政府与党の諸君などに厳重に御注意される方が、むしろ筋が通ると思う。

 もう一つ、皇室典範の規定の中で、退位の問題にも触れてきたのですが、天皇が崩ぜられたあとへ新しい天皇が即位されることによって元号が変るわけなんですが、その元号がどういうふうに変るかということは法律では規定してない。これはもし御退位が実現され、あるいは天皇がなくなられたという場合に、どういう規定が用意がされておるのか、法制局長官から一つ伺います。


○林(修)政府委員 御承知の通りに、これも旧皇室典範には規定があったと思います。それが新しい皇室典範を規定するときには、皇室典範のきめる事項ではなかろうということではずされておるわけであります。そこで残っておりますものは多少問題がございますが、明治初年の行政官布告というものがあるわけであります。しかしいずれにいたしましても元号の問題は、確かに天皇の御退位あるいは天皇がおなくなりになったあとの新しい天皇の即位という問題と相関連する問題でございますけれども、これは今の憲法のもとにおいて、そういう新しい元号を立てるということは、私はやはり法律できめるべき事項だろうと思っております。これはかつて新憲法施行当時、そういうような法案も予定されたこともあったようでございますが、当時の占領軍政策の事情でもってこれは消えております。その後御承知かと思いますが、当時の参議院の文教委員会において、いわゆる西歴紀元を採用したらどうかということも御議論になったこともございます。そういうようなこともございますが、いろいろな事情を考えて、これは将来のことでございますが、元号制をどう立てていくかということについては、法律をもってきめるべき問題である。かように考えまして、一応そういうことは私ども考えなくてはならないというふうに思っております。


○受田委員 元号の問題を考えなければならぬという御意見のようでございますが、これは西歴を用いるとか、いろいろなことがあるにしても、日本の立場からの特別な規定を設けておくということは大事なことだと思っております。大へんおそれ多い話ですが、天皇がいつなくなられても、ちゃんとした用意をされておくということが必要だと思う。

 あとお二人御質問があるので、最後に一言お尋ねしておきますが、今度の御結婚につきましても、天皇の国事事項としての御結婚の儀式と、天皇の御一家あるいは皇太子御自身の個人的な御儀式というものがある。こういう国事の儀式あるいは個人の儀式というものの限界線は、一体官内庁としてはどういう形でおとりになっておられるのか。もちろん国事に伴う費用というものは当然国会の承認で出されるものでありますけれども、国会の承認を要しなくても済む支出の面もありますので、そういう限界線をはっきりしておいていただきたい。今回の御儀式の中で国事として取り扱える儀式と、皇室の私事として取り扱える儀式の分別をちょっとお聞かせ願いたい。


○宇佐美説明員 今回の御結婚に関しまして、御婚約、いわゆる御結納のことから式の終りますまでいろいろの計画、すでに済みましたものもございますが、今後進められるものも研究中でございまして、こまかい点を今検討中でございますが、大綱につきましては、過日の閣議の決定におきまして、当日行われます結婚の儀と朝見の儀、それから引き続き行われます祝宴の儀が、国の儀式として行われるということが正式に決定になったわけでございます。そのほかの儀式につきましては、実は旧来の諸規定をもとにいたしまして、なるべく簡素に行う、あるいは時代に即するようにするという趣旨のもとに整備をいたしているわけであります。いろいろございます中で、特に国の儀式として考えましたものは今申しました三つでありまして、結婚の儀というのは、これはあくまで両殿下が誓い合われるという結婚の中心をなすものであります。朝見の儀と申しますのは、両陛下に両殿下が正式に会われてあいさつをされるという意味のものでございまして、これは前回の立太子礼、成年式礼の際にも国の儀式として行なったので、その例に従ったわけであります。最後の祝宴と申しますのは、天皇陛下が内外の人に御披露をなさるという公的なものとして、これを国の儀式の一つに入れたわけであります。その他お内輪でなさいますもの、あるいは皇室の御例によって神宮その他に参拝されるということは、一切内輪のこととしていたしたわけであります。


○内海委員長 高瀬傳君。


○高瀬委員 実は赤城官房長官においでを願いたいと申し上げてあったのですが、それはどうでしょうか。


○内海委員長 赤城さんは参議院の本会議に行っておりまして……。


○高瀬委員 実は私は皇室会議のあり方について私の所見も述べ、あるいは内閣あるいは宮内庁の意向も伺いたい、こういうことであるのであります。特に今回の皇太子殿下の結婚に関しまして、皇室会議のあり方について一言お伺いしたい。そして私の所見も述べたい、こういうのであります。もちろん前提条件として、私は皇太子妃が今回きまりまして、御成婚があるということについて、日本国民として心からお喜びを申し上げておる一人でございますから、そういう点は誤解のないようにお願いしたい。

 私は皇室のあり方というものについて、平井君などと意見が違うかもわかりませんが、敗戦直後陛下もおっしゃったように記憶しておるのでありますけれども、つまり英国の皇室のようなあり方、これが日本としては非常に望ましいということを陛下がおっしゃったように記憶しておるのであります。御承知のように私から申し上げるまでもなくいイギリスは今日存在しておるところの君主制の国家の典型的、代表的のものであると言ってもいいのでありまして、皇室と国民とが真に一体になっておるということは事実のようであります。従って敗戦後、日本が民主主義の国家として再出発した際に、英国流の皇室のあり方、あるいは英国流の議会の運営のあり方、あるいは英国流の国民と皇室の関係、こういうものを陛下は理想にしておられたのではないか、そういうふうに拝察される節があるのでございます。しかし現在必ずしも皇室と国民とが一体になっておるとは私は思えない点もございます。たとえば、これは言葉のあやでありますから、こんなことは理由にはならぬかもしれませんが、菊のカーテン、こういうような言葉をよく耳にいたします。従って現在の皇室に対する国民の感情というものは、今回の皇太子妃の選定に当りまして、端的にこれらの点を現わしておる点がなきにしもあらず、一般の世論というものは非常にお祝いを申し、私もその一人でありますが、必ずしもそればかりではない。先ほど平井君もちょっと触れたようであります。しかも憲法の第一条に明記してあります通り、天皇は日本国民統合の象徴でありますから、皇室と国民とが密接なつながりを持つということは当然でございますし、天皇御自身ももちろんそういうふうにお考えになっておると私は拝察いたします。ところが現在の、特に今回の結婚で国民感情から多少離れているような印象がある。これは実は私はあの発表の形式とか、そういうものをかれこれ言うのではありませんが、実際のところ皇太子妃の選定に当りまして、宮内庁の宇佐美さん初め関係者は長い間大へん御苦労になったと思うのです。この点私は敬意を表しておりますが、国会も何ら御結婚について知らされておりません。公式発表の十日前、つまり十一月十七日のニューズ・ウィークには事こまかに、全部私は翻訳して持っておりますが、「皇太子の恋」という表題で詳細に報道されております。結局知らないのは国民だけだ。私はこういう問題がありましたときに、宮内庁に電話をかけまして、宇佐美さんは当時お留守でありましたが、そういう事実があるかどうか、私はそれを尋ねたのでありますが、電話に出た人は相当の方だと思いましたが、全然知らないというお話でございました。それはいろいろ都合があったかもしれませんが、現在結納もかわされた今日ならば、その辺のいきさつを相当詳細に御報告を願って、そうしてやはり国会の記録に残しておく必要がある。これはやはり一つの国事でございますから、その点はぜひとも――先ほど、いろいろうわさされておるような事実はないとか、断片的におっしゃったようでございますが、ニューズ・ウィークにいろいろなことが書いてあります。特にこれは恋愛という言葉を盛んに使っております。たとえば「二人は恋愛中だが、果して因襲に刃向って結婚ができるだろうか、これが事情を知っている連中がもう何カ月も抱いている疑問である。」というようなこと、それから「皇太子が正田美智子さんに初めて会ったのは軽井沢のテニス・コートである。」それから、非常に反対があったということも載っております。「反対は大へんなものだ。一番驚いたのは米国の占領下に皇室を除いて爵位を全廃された元の公爵、伯爵、子爵、男爵などであった。天皇の義妹に当られる秩父宮妃のお母さんの松平信子前子爵夫人を先頭に、華族たちは皇族出の他の候補者を立てて運動したが、民主化がとうとう皇位にまで及んだことに一斉にろうばいした。」こんなことが書いてあります。これはもちろん単なるニュースでありますから、私はその信憑性のいかんは知りませんけれども、特にあのとき宇佐美長官もおっしゃったと思うのですが、あれは恋愛ではない、たとえば結婚は相互の合意のみによって成立し、相互の協力によって打ち立てなければならないという憲法の条章そのものとは関係がない、普通の恋愛ではないのだということを非常に強調されたようでございます。従ってこういうような問題について、先ほど長官も非常にいい機会を与えてもらって感謝すると言われましたが、私はやはり国家の一つの重大な国事でございますから、こういう点についても詳細に系統的にいきさつを説明されて、国会の記録に残しておく方がよかろう、私はこういうふうに考えるので申し上げているようなわけであります。ここで一問一答をして宇佐見さんをどうこうしようというのではございません。

 それから、特に私の念頭に浮びましたことは、皇室会議というものはただ一度しか開かれていない。結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろいろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのでありますが、こういうふうになりますと、皇室会議などというものは非常に形式的なものであって、国民や国体と重大な関係にある皇太子妃を決定するということは、あまりにも非民主主義的なやり方じゃないか。皇室会議というものは非常に形式的なものになって、たった一回、既成事実を承認するというだけになってしまったのでは、皇室会議のあり方としては非常に危険じゃないか、こういうふうに思うのであります。特にたとえば皇室典範の第三条を見てみますと、世継ぎの方、皇嗣に重大な事故があるときは、皇室会議の議によって皇位継承の順序を変えることができる、こういうふうに述べてあります。従ってこの皇室会議を開くのは、議長であるところの総理大臣ではありますけれども、形式的には宮内庁がイニシアチブをとることになりますから、これが非民主主義的に運営されるということになりますと、非常に重大な結果を及ぼすと思うのであります。従ってこれは宮内庁だけを責めるわけには参りません。政府の重大なる責任でもあると思いますが、一体こういうような点で、ただ既成事実だけを皇室会議に形式的にかけて、たった一回だけの会議でああいう重大な国事をきめるということが果していいのかどうか、その点が非常に私は重大だ、こう思うのであります。

 それからもう一つ、こういうような問題について、これは例は違いますけれども、イギリスなどの例をとってみますと、たびたび非公式の閣僚会議などを開いております。たとえば私はここにノーマン・バリメインの書いた「ザ・ストーリイ・オブ・ピーター・タウンゼント」という本を持っておりますが、これによりますと、あのプリンセス・マーガレットがタウンゼントと婚約するときに、非常に衆人環視の中で国民が納得するような状態でああいう問題を解決したようであります。従ってその当時のサー・アンソニー・イーデンはたびたび閣僚会議を開き、あるいはカンタベリー大僧正とも相談をし、あるいは上院の枢密院議長のソールスベリー卿などとも相談をして、慎重な手続をとってあのプリンセス・マーガレットの問題を解決した。私は当時ロンドンにおりました。非常にその点の合理的な国民と密着したやり方について、敬意を表して帰ってきた一人なのであります。従ってそれと比較して、この皇太子妃のきめ方が一回の皇室会議できまる。しかも私は、きょう内閣側からだれも出ておりませんが、この皇室会議の構成自体についても非常に疑問を持っております。両院の議長、副議長が出ているが、副議長というものは議長が事故あるときにだけこれを代理するものであって、院を代表して出るとすれば議長だけでいい、こういうような点も私の聞きたい点でございますが、答弁する人がおりません。

 そこで私は、この皇室会議の構成についても疑問があるし、ああいう皇位継承をきめるような重大な皇室会議というものはもっとたびたび開くなり、あるいは内閣と連絡するなり、そういうふうにして国民が納得するような状態であの御結婚をきめていただいたらなおよかったのじゃないか、こう思いますが、これらに対する宮内庁の見解、それから内閣の見解、それから宮内庁は内閣などとどういうふうな折衝をされたか、小泉という人は皇太子殿下の先生でありましょうけれども、大体田島、小泉などという方だけがイニシアチブをとって、きまったものを総理大臣に報告し、総理大臣はただ正田美智子さんの信仰の問題だけをお聞きになったというふうにしかわれわれは受け取れない。それの前にたびたび閣僚会議を開くなり、あるいは皇室会議を開くなり、こういうふうにして念には念を入れてきまったものならば私は非常にけっこうだと思うのですが、われわれ国民はその点は全然知らされてない。知らないのは国民だけだという結果になったわけであります。十一月十七日のニュースでこういうこともちゃんと出ているわけであります。それで私は電話をかけた。

 しかも十二月六日号の「エコノミスト」に日本の皇室と題して、宮内庁の役人の各位には非常に痛いことを書いてあるのであります。これは読むとはなはだ妙なことになりますが、一応読んでみましょう。「古くからの皇室の伝統のうち、残っているものは天皇一家が守っているよりも、むしろ皇室の役人が守っているといった方がいい。宮内庁の役人の数は一万人から一千人に激減したが、依然強力である。彼らは野心を持たず、別に悪い人間ではないが、強い義務感に縛られる傾向があるので、時代に取り残されがちである。彼らは渉外のセンスがないので、他の官庁のより進歩的な役人たちからきらわれ、一般国民から疑惑の目で見られている。」これは非常にお気の毒ですが、これはただ書いてあるので、私の意見ではございませんから……。「皇太子の婚約発表の際、発行部数の多い日刊紙「読売」は十一月二十八日の社説で辛らつに論じている。「天皇を独占することによって特権を維持しようとする暗い勢力が、かたくなに民衆への接近を妨げていたのである。皇太子の婚約は、これらの人たちの態度に対して、痛烈な反省のむちを与えたものと言ってよい」以上の言葉は、正しいと思っていることをやってきただけの役人たちにとって、やや点が辛いかもしれない。だが、大ていの日本人は、宮内庁の官僚が皇太子に、一般民間人と決して結婚させないと考えてきたが、今では皇太子みずからがこれら官僚に分を知らしめることによってのみ、自分の望みを貫徹したと信じ、皇太子の勇気ある行為に対して、熱烈な拍手を送っていることは事実だ。」というのであります。非常に長くかかりましたが、こういう批評もあるのでございますから、私は宮内庁の、特に皇室会議なんかに対するやり方に対して反省を促したい、こういうことでございます。

 それから先ほど三笠宮の問題で受田君からお話がありましたが、私は少くとも皇族方というものは政治的にもあらゆる点で中立性を持って、インパーシャルでなければいけないと思うのです。特に選挙権もない、被選挙権も行使されない、こういう地位にあるのでありますから、やはり政治的な影響のあることは発言されない方がいいと思うのであります。そういう点で宇佐美長官が率直に三笠宮におっしゃったことは私は正しいと考えております。従って今後も三笠宮殿下の学問のいろいろ結論とかなんとかを、そういうふうな中立の立場にある特殊な皇族方は、ぜひとも積極的に発表されないことを望む一人でございます。

 自分の意見だけを長々と述べましたが、これらについて実は内閣並びに宮内庁の意見を拝聴したい。特に私は宇佐美さんを責めるよりも、国家組織法によりましても、宮内庁は内閣の一つの庁になっておるのでありますから、内閣委員会としては赤城官房長官の臨席を願って、この点の所見をはっきりと聞く必要があると確信いたしておるのでありますが、どういうわけか来ない、それでは答弁を得ることもできませんが、宇佐美さんに一つ所見をお伺いしたい。


○宇佐美説明員 きわめて多岐にわたっての御質問でございます。今回の御結婚に対しまして、もう数年前から、私が長官になる前からいろいろな準備が始まっておった、調査があったわけであります。もちろんその調査につきましては先ほどもちょっと申し上げましたように、これは御両親陛下としても御心配になることであり、皇太子様自身のお考えということもございまして、十分お考えも伺いながら方針を立てて参ったわけであります。もとより御選考の基準と申しますものはこれは皇太子様の妃殿下にふさわしい方ということで、御健康にしろ何にしろ最上級、お尋ねがあればそう申し上げるよりほかないわけでございます。しかし現実の場合にはそういったすべて万全を備えるということはなかなか困難でございます。ただ国会においても各報道が漸次現われるにつれまして、ほとんど毎国会ごとに宮内庁の考えの御質問がございました。それにつきましてはお尋ねに従って、われわれは考えるところを率直に申し上げて参ったつもりでございます。その当初の考えは国会でもお答え申し上げたと思いますが、そういった諸要件がすぐれた方であられるのはもちろんでございますけれども、その御選考の範囲というものについてもお尋ねがあったわけでございます。御承知の通り前の皇室典範におきましては、皇族の結婚は皇族または華族に限るという規定がございました。それが新しい憲法に従ってできました新しい皇室典範におきましては、憲法の精神によって、華族制度はもちろん貴族の制度というものが廃止されたのでございます。従って、皇族男子の御結婚につきましては、何ら法制的には制限はございませんけれども、やはり皇室自体が長い歴史を持ったお家でありまするし、旧来の範囲から選考が始まるというのが、むしろ常識的であるということをわれわれも考えておったのでありますが、しかしそういったときにも、ときによっては、その範囲外に出ることもあり得る。御質問の中にも、全国民を対象にして選べというようなこともしばしば伺ったわけであります。われわれとしてはそういうようなことでお答えしたと記憶するのであります。実際の選考に当りますると、やはり終戦後の各家庭生活の変化でございますとか、あるいは優生学的な見地からの制限でありますとか、いろいろな点でなかなかむずかしい問題に逢着いたしました。従って、第一段の方針から一歩出るということにつきましても、実に時間をかけて慎重に考えたわけでございます。単純に考えたわけではなかったのであります。しかし実際問題といたしまして、一般と申しましても、どこでもいいというわけではございません。やはり日本の良識のあるりっぱな家庭ということを考えなければなりません。これのうちからまた候補を選ぶということにつきましては、相当苦心をいたしたわけであります。だんだんそれをしぼって参りまして、何人かの候補をあげ、殿下にもよく御説明をして、私どもの申し上げることと殿下の御決心も合致いたしまして、ことしになりましてようやく進行するようになったわけであります。その間私どもといたしましては、前内閣あるいは現内閣におきましても、総理大臣にはそういった経過を申し上げ、それからそういった大きな根本の方針の変更等についても説明申し上げて参ったのであります。

 皇室会議を開きますことは、先ほど仰せになりました通りに、議長たる内閣総理大臣の招集でございます。もちろん一国の官吏としての立場、議長としての立場から、私どもといたしましては、過去においても十分な御連絡と御意見を伺うということには意を配って参ったつもりでございます。そういうことで皇室会議が開会せられたわけでございます。実際先ほどお述べになりました通り、皇室会議を開くにつきましても、実は皇室会議が設置せられましてから第二回の例であります。第一回は御承知の通りに、新憲法の実施の当時に多くの皇族が下られまして、そのときが一回で、第二回であります。私といたしましてもこの取扱いについては、内々皇室会議の委員であられる方の御意見も聞きながらやったつもりであります。会議が開かれまして、できるだけ経過と資料を申し上げ、私といたしましては、世上でいわれまするいろいろな不安と申しますか、心配ということも率直に申し上げて、御説明をしたわけであります。その結果、満場一致でおきめをいただいたのであります。ただ今回の問題を離れて、将来のことを考えます際に、先ほど摂政の場合の例をお引きになりましたが、要するに結婚の場合におきましては、あくまで憲法の原則と申しますか、これは新しい憲法ばかりでなく、従前からも、これは人間の本質であろうと思いますが、結婚される方の合意がなければならぬわけでございます。事前にいろいろなものを多くの人が公式に論議をして、これを配合するというものではなかろうと思っております。皇室会議におきまする皇族男子の御結婚、将来も起るのでございますが、これはやはり両性、両方の合意というものがなければ、皇室会議の議にはならないのではないかというふうに思います。こういった選考の経過というものを国民に周知させてやるということは、その事柄の性質上、私は避けねばならないことだと考えております。その間においていろいろ派生的な問題が起りますし、人権の問題にも及ぶことであろうと思います。ただ皇室会議に慎重に審議を願うという意味から申しまして、私も今の皇室会議があのままでいいかどうかということは、実は今回当りまして、いささか考えたことでございます。今回の現実のことを申すのではなく、全体を進める上において、たとえば御結婚会のような重大なことを進めます際に、今の制度のままでいいかどうかということは多少私も考えました。まだこうしたらいいのではないかという結論はここで申し上げかねますけれども、単に御結婚のことばかりでなく、摂政の選定等いろいろ重大なことを議する制度でございますから、慎重に検討しなければなりませんが、私も正直に申し上げて、多少当時は考えて、幾らか申したこともございます。そういうような点から考えますと、皇室制につきましても、御発言のようなことが一つあるのかもしれません。どういうふうにしたらば、ほんとうに事を運ぶに容易であって、しかも慎重な審議を尽せるかという行き方について、将来検討すべきものであろう、こう考えます。申し落したことがあるかと思いますが、以上でございます。
○高瀬委員 私は別にこれ以上伺うことはありませんが、実はこういうふうな重大な国事というものは、やはり国会というものは国民の代表というか、国権の最高権威のところですから、こういうことはやはり内閣において公式に国会に報告があってしかるべきものだと思うのです。それは宇佐美さんに申し上げてもなんでありますが、私はその点を特に官房長官に念を押しておきたかったのでありますが、おりませんから、委員長を通してこれをお願いします。委員長、いいですか。特にこういう問題については、やはり公式に国会に内閣が報告する義務があると思うのです。そういうことを特に私は確かめたかったのですけれども、おりませんから、委員長を通してお願いいたします。それから、特に皇室会議のあり方ということについては、宇佐美長官もいろいろ考えておられるようでありますから、内閣においても慎重に考える必要がある。うまくいったときはいいのですが、いろいろ事が紛糾した場合に、あんなやり方、ほんとうの形式的な、イエスかノーかというようなやり方では、非常に国民が安心しない。私はこういう考えでございますから、どうぞ御善処方を要望いたしまして終ります。


○内海委員長 柏正男君。


○柏委員 今までの各委員の御質問を聞きまして、私もいろいろと考えさせられる点がございます。私は、国民の大多数は、自民党の委員さんの言われるような意味で皇太子の御成婚を考えてはいないのではないか、もっと明るい、朗らかな気持でこの御成婚を迎えておる、これが実態ではないかと感ずるものでございます。そうでなければ、これからの天皇制、これからの皇室というものに対して、私どもは安心ができないというように思います。そういう立場において私は、今度の皇太子の御成婚を契機として新しい皇室制度というものが自然に生まれてくるのではないか、そういう感じをいたしておるものでございますが、そういう観点から以下の質問をやってみたいと思います。

 今回の皇太子の御成婚は、皇太子御自身があるいはどの程度に意識されておったかはわかりませんけれども、古い封建的な皇室制度から、新しい時代に即した皇室制度に移っていこうというようにお考えになっておるのではないか、そういうように私どもは感ずるものでございます。すなわち従来の皇太子妃の選定方法と今度は、これが一変してしまっておる。皇太子みずからが、今までは日本民族の上に立つ皇室というようなものから、日本民族の中に溶け込んでいく皇室というような姿に変っていっている。古い意味の皇室制度というものは厳としてやはり中にはあるのでございましょうが、それに挑戦するように今度の新しい御成婚がわいてきておる。これに私ども国民の大多数は明るい希望をつないでおるのではないか、そういうように私は思います。しかしこういう御成婚の問題をまた違った意味で、何か皇室の尊厳を傷つけるように考えておる人たちも、今までの質問の中に出ておりますので、むしろ私どもは意外に思うくらいでございます。私どもは、戦後に民主主義の教育を受けられました皇太子が、身をもってこの時代の流れの中で、封建的なものではない、民主的なものを打ち立てよう、それを実践しようとしておられることに対して、ほんとうに力をかして、皇太子のお考えになる道を実現さしてあげねばならない、そういうように感じます。その意味におきまして、私どもはこのたびの御成婚の式につきましても、ほんとうにそういう皇太子のお気持がどの程度現わされておるだろうか、そういう点について、尊厳というよりもかえって、もっと違った意味合いの心配を感じております。しかしその点について先はほど長官からお話もございましたので、重ねて御質問する必要もないわけであります。皇太子が御婚約をされ、御婚礼の式をあげられて新しい生活にお入りになるという場に入ったわけでございますが、そのことはまた新しく次の天皇としての生活への第一歩でございます。そういう意味からして、果して皇太子のこれからの生活設計が、皇太子の意図されるような、国民の中に溶け込んでいくような皇室というようなものを、これからの生活設計の中に宮内庁としてお考えになっておるかどうか。そういう点について、新しい皇居の造営の問題とか、あるいは皇居の開放論とかいうふうなものと関連を持って、宮内庁ではどういうふうにお考えになっておるか、御見解を承わっておきたいと思います。


○宇佐美説明員 このたびの皇太子様の御婚約が、国民の大多数に非常に明るい気持を与えておるという点は、各種の面から見て間違いのないことだと私も考えております。しかし国の内外を通じまして、こういう問題にそれぞれの立場から他の意見を持ち、あるいは心配をなさる方があるということは、これまた間違いのないことだろうと思います。過去のこういった大きな問題につきましても、常にあったことであります。ただ先ほど来、非常に真情を披瀝しての御質問がございましたが、そういった一部における――将来のために御質問があったことと私はありがたく拝聴しておるわけであります。今回の御結婚がこれによってすぐどうなるということでなく、私が常に申しますように、御結婚は第一歩であります。今後これをスタートとしてりっぱな御家庭を作り、皇室の中心に立っていだたくということこそ願うべきことであろうと思います。そういうような点につきまして国民もまた相協力して、そうしてお互いに日本の将来のために進んで行くべきものであるということを考えるものでございます。われわれそのお手伝いをする立場におります者といたしましては、よく将来のこと、あるいは国民の気持を洞察して、日々そういうような問題を具体的な問題で現わしてこたえていきたいというふうに考えておるわけであります。


○柏委員 今の御答弁で私ども考えております明るい皇太子の御成婚ということに対して、皇室を初め関係者その他においても同じく考えておられることが私どもよくわかるのでございます。それだけに私は、こういう明るい日本の皇室を、再び昔のような菊のカーテンの中に追い込んでしまう、雲の上に押し上げてしまうというような形にならないように、これから天皇側近の皆さん方において特に留意をしていただきたい、そういう感じをいたしております。また正田美智子さんは民間人として宮中に入られるわけでございますから、それだけにいろいろと因襲のあるところにお入りになるので、心配もおありだろうと思います。国民もひとしくそのことを心配しております。普通の家庭でも家風の違うところに参りますと心配でございますが、それ以上の心配を国民がひとしく持っておる。この御成婚がうまくいかないようなことでもあったならば、その責任は一体どこに出てくるだろう。私ども国民のひとしく願うところは、この御成婚がやはりともにしらがの生えるまで、ほんとうに偕老同穴のりっぱな御生涯を送られますように、これを願っております。しかし宮中はなかなかむずかしいしきたりもあるそうで、先ほどお話のありましたように、肉親の方にも会いに行けないというような、あるいはおいでにならなかったというようなことがあるというようなことを聞くだけでも、胸のふさがるような思いがいたします。そういう点から人間美智子さんが人間としての生活を、これからの生涯を宮中において平穏無事にお過ごしになれるように、皆様方、特に御配慮を願いたいという気がいたします。

 その次に私の申し上げたいことは、従来とは異なって民主主義の教育を受けた天皇の時代がくる。今までのような帝王学を身につけられた天皇ではなくして、民主主義を身につけて、ほんとうに人間天皇として初めから教育された方が天皇の地位につかれ、国民統合の象徴としておふるまいになるという、今までと違った新しいケースができていく。その意味におきまして、決して帝王学が天皇に必要なのでなくして、良心至上主義に徹した、りっぱな人間としての天皇をお作りになっていくということこそ私どもは願いたいのでございまして、天皇が特別の教育を受けて、人間とかけ離れた者になっていかなければならないというお考えを持っておられるような発言に対しては、私どもはどうしても賛同いたしかねる。今の小泉さんがやっておられるような教育の仕方をこそ、私ども国民の大多数の者が、ほとんど全国民と言っていい、すべての人々がそういうことを願っているのではないか。今の皇太子に対して私ども日本民族が希望をかけ、期待をかげておるゆえんのものは、りっぱな人間としてすくすくと成長しておる純真な人である――そう頭脳明晰だというような感じをみんな持っておりません。そうでないが、人間としては実にりっぱな皇太子が、この次には天皇になられるのだというところに、日本民族の希望があるのだ、そういうふうに声なき国民の声というものを私ども感ずるものでございます。それだけに曲げられた教育をされていくというようなことはなるべくチェックしていただいて、今のようなりっぱな民主主義の教育を身につけられた天皇ができていかれることをお願いいたしたいと思っております。今まで明治憲法のもとにおきましては、確かに天皇は最終の決定権者でございました。それだけに私どもは最終の決定権者である天皇に対しましては、ほんとうに人間としての能力の最善なるものを要求しなければならなかったと思います。ある意味におきましては、明治天皇は確かに人間としても私らが考えられる能力の面から見ましても、最上級のお方であらせられたと思います。しかしそれに続く大正、昭和におきましては、明治天皇に求めた最上級のものを求めることは不可能であったと思います。明治憲法のようなほんとうの天皇制のもとにおきましては、天皇の人間としての能力が問題になっておったと思います。しかしながら新憲法におきましては、天皇はもうすでに最終の決定権者ではありません。その意味におきまして私は天皇が最終の決定権者でないそういう事態に即して、天皇が生物学をおやりになろうと、歴史学をおやりになろうと、それは天皇の自由であり、天皇もその意味において人間として十分にお好きな道をお進みになってけっこうだと思います。しかしながら私どもは天皇が国の象徴であるという点から見まして、皇室の天皇はいつもりっぱな状態であるようにおしつけを願いたいと思うのでございます。その意味からいきますと、先ほど受田委員からもお話がございましたが、現天皇におかせられては少しく身体的障害というようなものもこのごろはおありになるのではないかという懸念を私どもは感ずるのでございます。たとえば最近にございました開会式当日の天皇の御様子を見ましても、顔色はなはだすぐれられない、あるいは御歩行においてもまだ五十何才のお方にしてはしっかりされていない、言語もあまりきちっとされていないというような点から見ますと、あるいは天皇御自身に身体的障害というようなものでもおありになるのではないかという懸念さえ持つものでございます。かりにもしそういう事態でもございますものならば、皇室典範にも憲法にも規定されております摂政を置かれるということを、当然に宮内庁あるいは側近において何らかの形でお考えを願うことが出てくるのではないかという感じがいたします。そういう意味で今は一つの段階に来ておる。先ほど天皇退位のお話もございましたが、退位はいろいろの面でもし実現できないといたしましても、摂政を置かれるということは、憲法においても皇室典範においても定められておることでございますから、その限度においてこの際皇太子の御成婚を一つの機会にして、摂政を置かれるということについて何らかお考え合せになったようなことがございますかどうか、そういう点について伺いたいと思います。


○宇佐美説明員 皇太子殿下の明るい御結婚について、こういった気持を発展して明るい皇室、明るい国ということにつきましては、先ほど申し上げました通り私どもが今日がスタートで、この気持がほんとうに実りますように努めるべきものであると考えております。明治時代と現在におきましては、天皇の地位も変って参り、明治、大正、昭和と比較いたしまして、そのときの国家の情勢、社会の情勢、そういった諸制度、あるいはおそれ多いことでございますが、各天皇の御人格またそれぞれ御特徴があることと思います。常に同じ方ということはあり得ないわけでございます。日本将来のためにこの新しい感じ、国民とともに進まれるというお気持を大いに今後発展すべきであるということにつきましては、私どもそういうことで努めて参りたいと思います。ただお述べになりました陛下の御健康につきましては、最近数年間おかぜもおひきになったことございません。何ら御支障ございません。従ってただいまお述べになりましたようなことは夢にも考えたことはございません。


○柏委員 健康の点につきましては、おそばにおられる皆さん方の方がいつもごらんになっておられるので、かえってお気づきにならないのではないかというようなことさえ私どもは考えます。私どもはほんとうにときたま天皇にお目にかかるわけでございますが、ときたまのものであるがゆえになお、過去数年来の健康がお悪いのじゃないかという懸念を持つものでございます。そういう点は民間でございますればすぐ、顔色が悪いよ、人間ドックにお入りなさいということが言えるのでございますが、そういう精密検査というようなことをおやりになったことがございますか。


○宇佐美説明員 両陛下初め皇太子様、皆様方の御健康につきましては侍医が数名おりまして、常に拝診をいたしております。一切御心配ないことと存じます。


○柏委員 それではその点は私ども安心いたしますが、次に憲法改正の問題と天皇制との関連につきまして、現在憲法調査会においては第三委員会か何かでもって、すでにこういう問題は取り上げられていると思っております。こういう現在の流れの中におきましては、天皇制が憲法改正の問題の中に取り上げられるときに、昔の天皇制に返していくというような力が非常に多く動いております。民主主義政治への反動の形として、憲法改正と天皇制の問題とが結びついております。そういう状態ではございますが、しかしながら私どもが皇室の永遠の安泰という点を考えますと、現在皇太子御成婚において見られるような、すなわち皇室が今までの菊のカーテンをはずして、国民と一緒に溶け込んでいくというような姿、また先ほどお話のございました三笠宮の紀元節反対の態度と申しますか、お話というものが、かえって国民には皇室を身近なものとして感じさしていく。ある一部の人は、皇族の身分でそういうことを言うのはけしからぬというように言われるかもしれませんが、国民の大多数は、そうじゃない、なかなか三笠宮様は公平にものをお考えになっておる、皇室をして誤まらしめないようなものの考え方を持っておられるのだというように感じておるのじゃないかと私どもは考えるものでございます。そういうように、いろいろな意味合いから見まして、皇室が菊のカーテンをみずからおはずしになって、国民に溶け込もうという状態にありますだけに、この憲法改正の問題の中に天皇制が昔の姿になって返っていくというようなことは、かえってひいきの引き倒しになっていくのではないかということを私どもはおそれます。そういう意味で、宮内庁としては、こういうことに対して積極的に、天皇制をどういうようにするのか、あるいはまた将来においてもっと違う形に変えていこうとするのか、また皇室会議のようなものにそういう問題をかけて考えてみるというようなことがありますものかどうか、そういう点についてお話を承おりたいと思います。


○宇佐美説明員 憲法改正と皇室というものとの関係についてのお尋ねでございますが、現に政府では憲法調査会を設置せられまして調査の途中でございます。それはわが国としてきわめて大きな、全国民が関心を持つ政治的な問題でございまして、特に皇室のお世話をいたしております宮内庁といたしまして、そういう問題についてただいま意見を申し上げることは適当ではないと私どもは考えております。ただ歴史というものは昔のままには返らぬ、そのままには返らぬということを私はいつも考えております。


○柏委員 では最後に、実は私は昨日あるところから印刷物を届けられたのですが、その中に非常に不敬なことが書いてありますので、ちょっとそれを御披露します。その中には、粉屋の娘が殿下と呼ばれるようになり、さらに陛下というように敬われるということ自体からして、皇室の尊厳がなくなる、国民の尊崇というものが薄くなるのではないか、天皇制がそういう点から廃止されるのではないかというようなことを書いた印刷物を受け取りましたが、そういう点を考えますと、私どもは全く反対の考えを持っておるものでございます。これらは明らかに国粋主義の――昔国粋主義というのがございましたが、そういう国粋主義というか、あるいは右翼的といいますか、そういう非常に偏向したところではそういう考え方を持っておるということが考えられるのでございます。そういうことは、天皇を神格化しようという考えがあればこそ、今のような言葉が出るのでございまして、こういう考え方は、伊勢神宮を特殊化していこうとか、あるいは二月十一日の紀元節の復活をしようとかいうようなことに対する一連の連なりのある考え方であるといわざるを得ないと思っております。こういうことは、一つの皇室への忠誠のように見受けられるのでございますが、ほんとうはただひいきの引き倒しになっていく。皇室の永遠の安泰のためには、皇太子妃の選定に見られますような民主的な皇太子の考え方の方向が、私は実に大事な方向ではないかと考えます。そういう意味におきまして、宮内庁におきましても歴史の進み方に歯車を合せて、新しい社会制度がどういうように変革をいたしましても、永遠に日本民族とともに繁栄していける皇室制度を確立する。単なる目の前に見えるものだけでなくして、永遠に日本民族とともに生きていく皇室制度というものについて深くお考えを願って、国民の上に特殊な存在として作っていくという考え方よりも、もっと国民の中に溶け込んで、日本民族のほんとうの象徴として伸びていくというように一つお考え願い、新しい皇室制度もお考えいただくようにお願いいたしまして、この質問を終りたいと思います。


○内海委員長 次に菊池義郎君。


○菊池委員 宮内庁長官にお尋ねいたしますが、この皇太子殿下の御成婚につきまして諸説ふんぷんとして、国民はいろいろの誤解を抱いておるのでございます。私は、皇太子が平民の娘をそのきさきとして選ばれたことを非常に喜んでおります。平民であろうが新平民であろうが、粉屋の娘であろうが何であろうが差しつかえないと私は考えておるのであります。こういう点において、私は欣快にたえないと考えておりますが、その婚約の過程においていろいろの謀略、策略が行われておるということが、最近の週刊雑誌やその他の刷りものにおいて世間に流布され、これによって国民が非常な疑惑を抱いて、国民の頭は割り切れないような感じになっておるのであります。この際それが事実であるかいなかを長官から明確に発表されて、そうして流説の真偽を明らかにして下さるならば、国民は晴れやかな気持になり得ると思うのであります。私はもう時間がございませんので、端的にせんじ詰めて要点々々だけ申し上げますから、長官も簡単にお答えを願いたい。

 まず第一にお伺いしたいのは、この婚約の前に、美智子嬢は二十五人の見合いをしておられた。そして最後に波多野という青年と婚約、これを破棄して皇太子の方に振りかえたというようなことが流布されております。週刊雑誌に出ておりますが、これは事実でありましょうかどうか。


○宇佐美説明員 非常にりっぱな方で、従前にもいろいろ結婚のお申し込みがあったように伺いますけれども、お尋ねのようなことは全く聞いたこともございません。


○菊池委員 片一方にそういう婚約がありながら、これを破棄して婚約をするということは、世俗、人情に反し、道義をじゅうりんし、将来の国民の象徴たるべき人を作り上げるにはふさわしいことではないと思うのでございます。そういう婚約者があるかどうか、その点をお伺いいたしたい。波多野という青年です。


○宇佐美説明員 全くないものと考えます。


○菊池委員 もう一つ重大なことは、この婚約を運ばれた方々、運動に当られた方々が全部カトリック教徒である。前の田島長官もカトリック教徒であり、それから宇佐美長官もカトリック教徒であり、小泉信三氏もカトリック教徒であり、それからしゅうとになられる正田英三郎氏もカトリック教徒である。それから最高裁判所長官の田中耕太郎氏もカトリック教徒である。カトリック教徒の一連のからくりによってこの婚約が運ばれたという説が流布されておるが、これはいかがであるか、承わりたい。


○宇佐美説明員 関係なさった方々がどういう宗教であるかということは、私調べたことはございませんので、責任を持ってお答えいたしかねますが、私がカトリック教徒であるなどということはとんでもない間違いであります。ただ出身せられた聖心学院というのはカトリック系の学校でありますが、御本人は洗礼を受けておられない。あるいはカトリックが将来皇室に対して何らか影響を持たないかという心配をせられた方々が世上あるということは聞いたことがございます。しかし、もちろん美智子さんは洗礼を受けておられませんし、学校当局においても非常に慎重な態度をとっておられまして、この問題に対しては何ら御心配はないと考えるのでございます。従って、過去においてこの問題についてカトリック系の陰謀があったなどということは全然根拠がございません。


○菊池委員 もう一つ、この御結婚の話について、天皇皇后両陛下を初め皇族の方々がみな反対されたという説が流布されております。皇室会議が終りまして、その報告を宇佐美長官から天皇陛下に申し上げると、天皇陛下は怒られたお顔で、ふんまんやる方ないお顔で一言も発せられなかったというようなことも流布されておりますが、これはいかがでありますか。


○宇佐美説明員 今回の御結婚につきまして、御両親陛下であります両陛下その他皆様の御反対があって、進め得られるものではございません。ましてやただいま申されたようなデマは、取るに足らぬものと私は思います。


○菊池委員 さらに、皇室会議が開かれたのは十一月二十七日でございますが、その前十一月二十四日に、宮内庁は公電をもって館林に通知しております。こういうことは、皇室会議を無視し、皇室典範を無視し、国民を愚弄するもはなはだしき行動であるといわれても弁解の余地はないと思うのでありますが、この点はいかがでありましょう。


○宇佐美説明員 皇室会議の前に館林に電報を打ったなどということは、思いもよらぬことであります。ましてや館林に宮内庁がどうして電報を打つか、了解に苦しむところであります。


○菊池委員 別の問題に移りますが、東宮御所の造営であります。われわれは、赤坂離宮がありますので、国会図書館がドイツ大使館の跡に建ちますと、そこへ国会図書館を移して、東宮殿下が移られるものと考えておりました。ところが、もうその国会図書館の引っ越しまでそう長くもないのに東宮御所を建てるということは、費用は少いといたしましても、国民に与える影響がいかにもおもしろくないと思うのであります。それで、こういうことについては長官から天皇陛下にも進言し、東宮御所の造営は見合せて、御所ができてから赤坂離宮に引っ越されてはどうかというくらいのことはおっしゃられてもよかったのじゃないかと思いますが、この点はいかがでございますか。


○宇佐美説明員 御質問の趣旨は、皇居の建設と皇太子殿下の御所の関係でございますか。赤坂離宮でございますか。


○菊池委員 東宮御所です。


○宇佐美説明員 赤坂離宮が国会図書館に移管されまして、今国会図書館の所管になっておるわけでございます。それがあるのに東宮御所を作るのはおかしいじゃないかという御質問のように伺いましたが……


○菊池委員 引っ越しまでしんぼうせられてはどうかということです。


○宇佐美説明員 国会図書館がいつ新しいところに移られて、あとどうなるかということはまだきまっておらないことでございます。しかも一方皇太子様の御殿というのは、お一人でも非常に狭いのでありまして、御結婚を控えましてどうしても早く建設しなければならないという事情に迫られてお願いいたしたわけであります。あるいは世上説をなしで、皇居ができないのに東宮様の御所を作るのは早いのじゃないかという説を聞いたこともございますけれども、しかし実際の必要に迫られていたしたことでございます。御了承をいただきたいと思いますし、もう一つは、今国会図書館の入っております赤坂元離宮は、住居としてはとうてい使いにくいところでございます。これだけは申し上げておきたいと思います。


○菊池委員 そうすると、赤坂離宮ががらあき状態になったときには何に使うのですか。


○宇佐美説明員 現在国会図書館の所管でございまして、その後につきましてはどう措置されるか、まだはっきり決定はいたしておりません。しかしながらあれを国会図書館に移管いたしましたときに、皇室経済会議にかけておるわけでございますが、そのときの議事録を見ますると、希望としては、国会図書館が不要になりましたときは皇室の用に供するようにしてもらいたいという希望は出ておる。しかしそのあとのことはまだはっきりきまっておるわけではございません。


○菊池委員 そうしますと、東宮御所を今度新築するということは、要するに結婚のためにというだけでございますか。


○宇佐美説明員 現在お一人だけで外交団にお会いになりますとか、そのことでも困っております。また御結婚になりますればいよいよそれが激しくなるわけでございます。そういう全般的の考慮からいたしたわけでございます。


○菊池委員 国民の中には、家なくして困っております数百万の同胞がありますし、また失業者も三百万もあるということですが、そのくらいなら皇居を利用することもできようし、今の仮御所を利用することもできましょうし、どうにでもできると思いますが、皇室に限ってはそういう融通がきかぬものでございましょうか。


○宇佐美説明員 皇居の中の諸建物もきわめて狭隘でございます。またそういうわけで彼此融通すると申しましても簡単でございません。お述べになりましたように、国民の生活を重視しますならば、いろいろ問題もございましょう。しかし私どもといたしましては、昨年来国会の慎重な御審議を経て予算をいただいておるわけでございます。


○菊池委員 間組から七千万円の工事を一万円で受けると好意的に言ってきた。ああいう話は喜んで受くべきではないかと思いますが、いかがでございましょうか。向うはせっかく寄付しようと言っておるのに……。


○宇佐美説明員 東宮御所の建設につきまして、御審議になりました通りに、宮内庁の予算に上って、それを建設省に全部委託してございます。建設省が入札その他を進めておられることでございます。この間の問題につきましては、そういう申し出をせられた方の純粋なお気持をわれわれはもちろん疑いたくはございません。そういう意味で申すわけではございませんが、そういった全国民の上に立っておられる皇太子様、皇族、皇室の方々としては、一人の方の恩恵を多く受けるということはできない。これは憲法のいろいろな条章から見てもはっきり出ていることだと思います。


○菊池委員 最近皇居の移転論が盛んに行われて、読売新聞あたりで取り上げて議論まで起しておりますが、私は欧州あたりの宮城を見て、日本の皇居は世界の名城であると考えております。イタリアのローマ城、シナの北京城、エジプトのカイロ城を見ましたが、外観の美において日本の宮城に及ぶものはない。あそこから皇居を取りのけたら、世界の使臣は楽しみに来るのでありますから、彼らは失望するだろうと思います。宮城の上空の空気が悪いとかなんとか言っておりますが、それなら下町のあんな空気の悪いところに住んでおる何百万の住民は、死んでもいいのかということになるのであります。長官はこの皇居移転論についてどうお考えになりますか。また陛下はこれについてどういうお考えを持っておられますか。それを伺いたい。


○宇佐美説明員 皇居は戦災によって焼失いたしまして、その後事務所の一部を使って今日に至られたわけであります。講和条約ができましてから諸外国からの使臣もふえますし、国賓その他来訪者も非常に多く、国の力の充実とともにそういった行事も非常に多くなっております。前から国民の中におきましても、早く皇居を作るべきではないかということが盛んにわれわれの耳にも入って来るわけでございます。しかし陛下の従前までのお気持と申しますのは、戦後の国民の生活上の困苦をしのばれまして、常に先憂後楽というお気持から、今までこういう問題について触れることを私どもにはお許しにならなかったのが事実でございます。しかしいずれかはこれは建てなければならないという問題が起って参るわけでございます。われわれとしてもいろいろ調査をいたしておったわけであります。しかしその過程におきまして、皇居の位置その他についていろいろな意見が昔からございます。最近起ったわけではございません。新しく皇居を作るといたしますれば、その位置とかあるいは今までしばしば熱烈に出ております、国民が献金をしたいという各地における希望、その他建築のやり方につきましてもずいぶんいろいろな意見を申されます。ほんとうに全国民の皇居として考えるということにおきましては、単に宮内庁だけで事務的に結論をつけてしまうということは適当でないということで、今回皇居造営審議会を作り、広く御意見も聞いて、その上で慎重に進めたいというふうに考えておるのであります。ただ私どもはこの問題を解決するについては、宮殿あるいはお住居、あるいはまた陛下の御日常の模様でありますとか、世間でいわれます各種の条件を考え、しかも単に理想論でなくて、日本の経済にも合う点を考えなければならないというふうに考えております。私どもは今の皇居は一つも手をつけてはいけないというような考えはもちろん持っておりません。そういった意味におきまして、これは将来のために慎重に考えなければならない問題でありまして、単純な開放論という問題については、私は直ちに賛成いたしかねる次第でございます。


○菊池委員 つまり開放ということは、あの宮城から皇居を移転することでございますが、あの宮城から皇居を別のところに移転するということについて、長官はどうお考えになりますか。これをお伺いしているのです。現在の宮城内に皇居を置いた方がいいとお考えになりますか。ほかのどこかに移転した方がいいとお考えになりますか。陛下はこれについてどういうお考えを持っておられますか。その点をお伺いしたいと思います。


○宇佐美説明員 私どもの今までの事務的な調査では、諸種の条件から見て宮城内に作るということでいろいろな資料を集めつつございます。しかし今お尋ねのありました陛下がどうお考えになっているかは、審議会を作ろうという前に申し上げる時期でないというふうに私は考えております。


○菊池委員 結婚式に招待する外国の使臣の席順はどういうふうになるのですか。


○宇佐美説明員 今回の御結婚式において、多少他国の例もございますが、特派使節というものは前例によって受けないということでございます。ただ外交使節、外国使臣というものは、おそらく祝宴にお招きがあるだろうと思います。その席順ということでございますが、これはおのずから国際慣例によって、外務省とよく打ち合せたものがございます。おそらくそれによることだと思います。


○菊池委員 英国のエリザベス女王の戴冠式に皇太子が行かれたときに、その座席が実に右を見ても左を見ても黒人種ばかりであった。それで皇太子は憤慨されたということであった。今度の結婚式においては、英国の大使だけは黒人種の中にまぜてすわらせてもらいたいと思います。その点どうでしょうか。


○宇佐美説明員 皇太子様が戴冠式においでになって、そういう御感想を漏らされたということは、私は聞いたことはございません。席順はおのずから国際慣例があるので、今のようなまぜるということは、どうも解しかねることだと思います。


○菊池委員 それから結婚式が昔ながらの衣冠束帯、これはどうも南方の風俗のようで、世界各国に何となく日本が野蛮国のような印象を与えやすいと思うのであります。衣冠束帯というものはやめにして、最近の流行の洋風で一切がっさいやってしまったらどんなものですか。


○宇佐美説明員 過去の歴史に基かないで、新しくここでものを考えるとなれば、あるいはその場所柄も考えていろいろな案も立とうと思います。やはり皇室は一つの伝統に立っておられる、こういった大きなおめでたい儀式、結婚式場の場所柄を考えましても、やはりこれに合った服装をなさるべきだと思います。祝宴その他のときの服装は、これはまだはっきり決定いたしておりませんけれども、殿下が洋装をなさるか、あるいは妃殿下になられる方が和服になさるか、そういう点は今慎重に考えつつございます。


○菊池委員 別のことでございますが、皇太子殿下にしても陛下にしても、政治、経済学をさっぱり研究せられないで、生物学ばかり研究しておられるのでございますが、これからは皇太子にも政治、経済の学問を熱心にさせ、国際情勢も勉強させなければならぬというように私は考えておるのです。生物学の研究ばかりではどうも心配だと思う。日本が第二次大戦に突入したのも、天皇陛下が国際情勢を知らないで生物学ばかり研究して、カエルの目玉やホタルのしりばかりいじっておられた結果、とうとう軍部に押し切られて、ああいう悲惨な目に日本を陥れたのでございますが、これを考えるにつきましても、やはり天皇というものには政治経済学をしっかりやっていただかなければならぬと思うのでありますが、そういう点は長官はどうお考えになりますか。


○宇佐美説明員 ただいまの御発言は私どもはきわめて意外で、私どもはそういう認識は全然持っておりません。特に陛下や皇太子様が生物学ばかりというようなことは、全く根拠のないことでございます。現に外交問題については、毎週のように外務省の専門家に聞いておられます。経済問題についても、時々その道の人を呼んで聞いておられますし、皇太子様も御勉強になっておられます。皇太子様も今後だんだん学校を出られまして、そういう政治、社会、あらゆる問題についての御認識を深めていただく方針のもとに現に進めつつございます。御安心をいただきたいと思います。


○菊池委員 それから天皇という名称でございますが、外国語に訳しようがないそうですね。ヘブン・エンペラーというような訳はない。天皇という実に古めかしい、いかにも新興宗教のような名前で、われわれは聞き苦しいのでありますが、何とかこれを改めて――日露戦争当時には、宣戦の詔勅にも、大日本帝国皇帝となっていました。皇帝とか大帝というように現代語に改めてはどうかと思いますが、そういうことについて長官に何か構想はございませんか。


○宇佐美説明員 天皇ということにつきましての御発言でありますが、長い歴史と、現代の憲法、日本国民の大多数の感情から、そういうことは、私はないものと考えておるのでございます。


○菊池委員 さらに宮内庁の機構でありますが、一万人から現在は千人近くに減らされている。けれども、世界の宮廷を見ましても、千人もの吏員を擁している宮廷はどこにもない。日本がこういう貧弱な国家でもって、千人近くの吏員を擁しておるということは、いかにも不均衡であると思うのでありますが、これを敗戦の今日において、また陛下も今までの大権を失われた今日におきましては、そうたくさんの吏員は必要はないと思う。これは二分の一でも、あるいは五分の一でも私は間に合うのではないかと思いますが、これを大々的に削減して、三分の一ぐらいに減らす、そういったお考えはございませんでしょうか。


○宇佐美説明員 宮内庁の陣容につきましては、今仰せになりましたが、終戦当時においては約六千二百名でございました。現在千人以下でございます。もっとも六千といううちには、農林省に移管いたしました帝室林野局、それからただいまの国立博物館、学習院等、仕事とともに移ったものを除きましても、当時の三分の一でございます。終戦後十回以上にわたって徹底的に一人々々の仕事の内容を見て、減らしてきたわけであります。しかもわれわれといたしましては、中の配置転換につきましても、急不急を見ながら極力増員を避けていたしておるわけであります。われわれとしまして、終戦後とあまり変らないいろいろの諸施設を擁して、三分の一以下の人で全力をあげてやっておる状況でございます。外国との比較もございましたが、イギリスの王室等につきまして、幾ら向うへ行って調べてもなかなか実はわからない。しかし最近統計年鑑等を見ましても、課長ぐらいの幹部だけでも四百人、その下は幾らいるかわからないのであります。そういうようなことで、数というのは全国に散っている御陵七百八十カ所の管理まで含んでのことであります。私どもは現在の状況が多過ぎるということは現在考えておりません。しかし将来事務の必要によって――たとえば外国関係が非常にふえつつございますけれども、増員もいたしておりません。それは中のやり繰りをしてやっておるような実情でございます。


○菊池委員 千人ということは外務省とほぼ匹敵しているのでありますが、外務省にほぼ匹敵するぐらいの人員を擁するということは、今の宮内庁としてはあまりにも多過ぎると考える。この点一つ御工夫を願いまして、私の質問は終ります。


○内海委員長 高橋禎一君。


○高橋(禎)委員 もう時間もだいぶおそいようですし、あともう一人いらっしゃいますから、簡単に今日の委員会で出ました問題に関連して、長官に二、三お伺いをいたしておきたいと思います。

 私は宮内庁に対して非常な理解者といいますか、同情者といいますか、そのお立場を理解して、ほんとうにお気の毒だ、かような感情がわいてくるのであります。と申しますのは、昭和二十年、敗戦後占領政治の時代、これは日本の天皇制に対するいわば革命期といいますか、国民の天皇制に対する考え方が非常に動揺をした時代であります。ところが独立いたしました今日においても、一部には天皇制を否認するような考え方の人もありましょう。それからまた一部には、今の憲法の表現しておる天皇が日本国の象徴である、日本国民統合の象徴であるという、そういう言葉をもってしたのでは、まだいわゆる天皇制に対しての表現としては不徹底であるといったような考え方の人もありますでしょうし、天皇制についての考え方はいろいろあるわけであります。その間にあって、憲法は天皇制を認めているわけでありますから、天皇制を擁護し、憲法を守っていこうということに非常に関係の深いお仕事をしておられる宮内庁としては、なかなか仕事のやりにくい面があると思うのであります。しかしそのむずかしいことは、国民大多数は承知しているわけでありますから、憲法その他の法制の精神に従って、強い信念を持って私はお仕事をやっていただきたいと思うのであります。

 そこで、それに関連いたしましてお尋ねをいたしますが、天皇、摂政については、憲法に憲法擁護の義務を明らかに規定をしているのであります。御承知の通り第九十九条に、「天皇又は摂政」云々は、「この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」こういうように規定しておりますから、私は天皇御自身は、天皇制を擁護していこうということに対しての国家的な大きな責任をやはりお持ちになっておるように思われるのであります。ところが一般の皇族の方は、一体どういうふうな御関係にあられるか。お尋ねいたしますのは、国民全体が憲法を尊重し、憲法の認めている天皇制を守らなければならない責任があると思いますが、皇族の方々は、いわゆる普通国民と同じような意味においてであるか、あるいはまた天皇と格別御関係の深い方々であるから、天皇に準じての立場において天皇制を擁護していく責任をお持ちになっているのであるかどうか、その点についてのお考えがありましたらお聞かせ願いたいと思います。


○宇佐美説明員 皇族のお立場の御質問でございますが、現在の皇室典範におきまして皇位継承権の義務をになう方、皇室として法律的にも、その経済的な面においても、いろいろな規定があるわけであります。それはあくまで皇位継承権者としての責務であろうと思います。それだけに国家的な配慮がなされておる。従ってそういうお立場でございますから、よけい中立な立場におられて、それぞれの立場においで国のためにお尽しになるということであろうと思います。昔の規定によりますと、天皇は皇族を監督するというような規定もございました。今はございません。またその経済の立て方の問題、あるいはそこに勤めます職員の問題にいたしましても、あの規定のできましたのがまだ占領下の時代でございまして、占領軍の方のいろいろな意向も相当多く入ってきたのではないかと想像されます。今から見ますと、いろいろ実情に合わないような点もあろうかと思いますが、そういう点のはなはだしいところは多少訂正を国会でお願いしたこともございます。そういうような意味で、皇族という方が、やはり天皇の御一族と申しますか、そういうお立場から今申し上げましたようなふうに、りっぱな行動をしていただくようにわれわれは念願をするわけでございます。


○高橋(禎)委員 今長官のお話のありましたように、やはり皇族は一般国民とは異なった立場において、天皇制を擁護していくという責任があると私は思っておるのであります。そういうことになりますと、その責任を果されるために、やはり教育の問題も起ってくると思うのであります。学校教育、それから世間でいうその他の社会教育と言ってはちょっと表現が正しくないかもしれませんが、学校教育以外の教育によって、その線に沿ってほんとうにその職責を果されるようなことが必要であると思うのでありますが、皇族の方の教育に関して、宮内庁ではどういうふうな配慮がなされておるか、また制度上どうなっておるか、それについてお尋ねいたしたいと思います。


○宇佐美説明員 皇族と申し上げましても、陛下の御膝下にあらせられます未成年であられる方は、清宮様だけであります。そのほかの方はすでに成年に達しまして、学校を出て、それぞれ研修を積んでおられるわけであります。そのほか秩父、高松、三笠宮関係は、すでに相当のお年でございまして、一家をなされておりますので、特に私どもは教育というような面について何らいたしておりません。ただ三笠宮様のお子様が御五方おられますが、これは御両親が慈愛の目でもって教育なさっております。まだお小さいのでございまして、宮内庁としてはただいまのところ特に御方針なり、いろいろなことについて申し上げたこともございません。その御家庭において今御教育をお進めになっておるわけであります。まだ上の方が中学でいらっしゃる程度でございます。


○高橋(禎)委員 天皇それから皇族の点については今のお答えによりましてわかりましたが、今度は皇族でない、いわゆる御親族の方々については、これはもう一般の国民と同じであるか、あるいはまた先ほど来お話のあったような立場にあられる方々の親族であるという立場で、宮内庁としては、いわゆる皇室を守り、そして日本の天皇制、すなわちそれは憲法ということになりますが、守っていくために格別の配慮がなされておるか、あるいはそうでないか、その点いかがですか。


○宇佐美説明員 ただいま仰せの通りに、皇族でおられて御結婚等によってすでに皇族の籍を離れられておる、あるいは新憲法と同時に皇族籍を離れられた各宮家、あるいはその他の御親族の関係は、今お話のございます通りに、これは一国民としてのお立場でございまして、宮内庁でとやかく干渉すべきではございません。ただわれわれ皇室の私的な面についてのお手伝いをいたしておりますから、何か御連絡でありますとか、何かの御希望等がございますれば、お世話するときもございますが、これはあくまで役所の仕事ではありません。


○高橋(禎)委員 天皇及び皇族の方々が、先ほど来話に出ました人間としての幸福な生活を送っていただくように、国民は一人残らず念願しているわけであります。さらにその上に憲法上りっぱな立場にあられるのでございまして、またそれが確立擁護されていくということを、国民の大多数が念願しているわけでありますから、国民のその気持を尊重し、それを失望さすといったようなことのないように、私どもは現在のごとく将来もあっていただきたいということを念願しているわけでありまして、やはりそれには教育という問題が非常に関係があると思いますので、それらについても特段の御配慮が願いたい。また法制上必要なものについては、やはりその制度を確立する必要もあると思いますので、それらについてお考えがあれば伺いたいと存じます。

 次に、今度は物的設備の問題であります。皇居運営に関しての審議会設置法が提案されているわけでありますが、私どもりっぱな皇居の造営されることを希望する者の一人でありますが、ただこの場合に考えなければならぬと思いますことは、私、外国をちょっと回ってみましたところから受けた印象、あるいは日本の歴史及び現在残存している有名建築等を見まして、りっぱな建物というものが何かそこにやはり人間に対して大きな影響を与え、意味を持っているということを痛感しているわけであります。従ってやはり日本の国の象徴としての天皇のお住居なり、または憲法上認められておるお仕事をなさる関係、それからさらに国際的な影響というようなことを思いますときに、私は日本的な、そして非常にりっぱなものを造営されることが必要だ、いたずらに外国式のまねをしただけの建物で、バラックのような印象を与える。とても外国のまねをしましても、外国の宮殿のような大きなものを作るということはなかなか容易でない。それにまねをして洋間を作っても、それがまた貧弱であるということではいかぬので、やはり天皇制はその制度そのものが日本のいい伝統といいますか、国民の気持の現われでありますから、天皇がお住まいになりあるいはお仕事をなさる場所というものも、やはりそういう考えをくんでやられる必要がある。もちろんこういうことについては審議会等において十分検討されることであると思いますけれども、それらについての資料、お考えというようなものを、十分国会あるいは審議会等に出していただくようにされることがいいと私は考えておるのでありますが、それらについてはどういうふうなお考えでしょうか。


○宇佐美説明員 将来建設さるべき皇居の様式等についての御発言でございますが、私どももいたずらにヨーロッパのまねをする必要はないのじゃないか、私参ったのではございませんが、宮内庁から調査いたしました報告を見ましても、非常に歴史的なものが多いのでございまして、とうていそれをそのまままねることができないのは当然でございますし、日本で建てます以上は、日本の建築の技術と日本的な現代の建築最高の技術を合せて取り入れてやるべきだろう。もちろん様式等は周囲の風光その他にもよることでございますし、なお大ぜいの方が入られることでありますから、利用の面からも十分考えなければならぬ。またこれは何事でもそうでございますが、やはり質素にやってはどうかということ、いや豪華でやれという説もありましょうが、しかし宮殿と申しますか、皇居としてふさわしいものでなければならないと私は思っております。また昭和のほんとうにいい建築だといわれるような工夫をしなければならないというふうに思っております。


○高橋(禎)委員 では最後に同じようなことになりますけれども、希望を述べておきます。こういう問題については、いろいろの意見が出ますが、ただそのときに出た雑然とした思いつき等に押し流されるというのではなくて、憲法の認めておる天皇制を守るために、私はやはり皇居というものの規模その他が非常に影響すると思うのでありまして、人の問題、物的設備の問題等を十分総合的に考えて、大いに天皇制を守っていこう、憲法を守っていこう、そういう考えで一つ進めていただきたいということを特にお願いをいたして、私の質問を終ります。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005a.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c12

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
13. 中川隆[-11913] koaQ7Jey 2019年2月23日 10:20:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[61]

平井義一 (政治家、没年不明) - Wikipedia


平井 義一(ひらい ぎいち、1913年3月 - 没年不明)は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)。


経歴

東京都出身。明治大学法学部卒。東京地方専売局に勤務した後、計理士となり、麹町区議、東京市会議長秘書を歴任する。1947年の第23回衆議院議員総選挙で福岡4区から日本自由党公認で立候補して初当選。以来5期務める。

第4次吉田内閣で郵政政務次官に就任する。1955年の保守合同により自由民主党衆議院議員となる。

1960年の総選挙で落選。その後も複数回総選挙に出馬したが、いずれも及ばず、国政復帰はならなかった。

このほか横綱審議委員、日本プロレス協会長などを務めた。

1972年にはシングル「部隊長」(キングレコードに製造を委託した自主製作盤。品番:NCS-387)で歌手デビューもしている(B面は神田たかし「青年の歌」)。

参考文献
『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E7%BE%A9%E4%B8%80_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c13

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
14. 中川隆[-11912] koaQ7Jey 2019年2月23日 10:26:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[62]

それにしても、正田家と美智子さんの うさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね。


これでも皇后擁護? やり放題になった乱脈皇室 2015-12-02
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12101934575.html


それにしても、美智子さんのうさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね。


こちらは↓数ヶ月前から保存していた資料なのですが、


第三十一回 国会衆議院 内閣委員会
昭和三十四年二月六日(金曜日)午前十時十九分開議
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005.pdf


言及するには「続日本記」まで解読、その他勉強と関連資料集めがたくさん必要で一日延ばししている内に、不定期更新になってしまいました。

絶句するような、大変なことも述べられています。

いつ、きちんと学び解析できるか分かりませんので、とりあえず第一級「資料」として皆さまにご提示します。この記録もこの所、ぼちぼち表に出始めていはいるようだし。

これに併せて、美智子さまが大左翼政党社会党に支持されての入内であったことを、ぜひご記憶ください。またカトリック団体からの応援があったことも。

こちらの国会記録を通読してまず思ったのが、皇室への敬意は昔のほうが強かったと一般に思い込まれていますが、戦前はともかく戦後の数年間は皇室への国民への視線は非常に厳しく現在より冷静であったようです。

そして、巧妙になし崩しにことは運ばれて、現在は皇室の権力が危険水域に達するまで強大になっています。天皇陛下による、内閣に無断のイミョンバク元大統領への親書による接触で友好・謝罪訪問願い、

日本最大の巡視艇を私用に改造してのパラオ行き決行(政府は反対)、皇太子による習近平夫人への接触、創価学会イベント参加、池田大作氏の息子との会食、皇后陛下による従軍慰安婦問題への関与、A級戦犯発言、九条の会加担、元GHQメンバー賛美・・・・他、政府と国民の意向は無視して天皇皇后の「私情」正確には皇后の意志優先で「やりたい放題」になっているのが現在の皇室です。

要するにOSS発GHQの描いた10年がかりのシナリオ通りにことは運び、間もなく日本解体皇室弱体化劇は、エンディングを迎えようとしています。OSS3年間、GHQ7年間をプラスして10年間をかけて練り上げた完璧に近いシナリオです。

そこに、秋篠宮殿下による、シナリオライター(OSS、GHQ)の予想外の
ドンデン結末が付け加えられるかどうかが、今後の皇室のひいては日本の新たな物語の幕開けになるか、亡びへの序章となるか、でしょう。

政治も含め今の流れのまま、事が進むなら日本は変質して、もはや日本という国は消滅してしまうでしょう。

OSSは日本の精神性瓦解、GHQは日本の軍事力解体と2本の柱はありますが両者の目的はむろん通底してそれぞれ存在していました。いえ、過去形ではなくOSS発GHQの埋め込んだ自己増殖を続けるウィルスは現在も作動中、その目的を今や果たしつつあります。

安倍総理による後三年間の政治の安泰と、秋篠宮殿下の表舞台への御登場を切に望む次第です。

(お断りしておきますが以前から弊ブログでは安倍総理100%の支持者ではないことは繰り返し表明、批判すべきはして来ています。ただ現実厳しき中、この現実を踏まえつつ、現時点では他にいない以上安倍総理を推すしかないと思っています)

「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」

これを弊ブログ主は手を変え品を変え、訴え続けてきたわけです。
自称保守が、凝り固まって見ようとしない点。
昔から「民を苦しむる」天皇はいたからこその、北畠親房卿の言葉です。

*北畠親房

北畠 親房(きたばたけ ちかふさ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の公卿。著書の『神皇正統記』で名高い。

昔は、宮中に自浄作用がありました。だから不適格の皇太子や天皇が排除され、現在まで皇統を繋いできたのです。

現代、自浄作用は廃絶されました。雅子さん入内により、小和田王朝自虐史観王国が外務省創価派により形作られ、しかし小和田王朝成立の背後には、正田美智子さん入内により始まった、OSS発GHQによる皇室壊しが始まり、民の気づかぬ内に皇室への批判は公にはいつしかご法度とされ、政治家もこの分野には口をつぐんで硬直するようになってしまいました。

第三十一回 国会衆議院 内閣委員会の記録を 読めば解るように、昔は実に発言が自由、批判も可能だったのです。
「不敬」の一言で発言を封じられる今が異常なのです。
思考停止保守というのは、まさしくGHQ勢力の思う壺、皇室を崇めているようで、実は貶め弱体化したい勢力の催眠術にむざむざかかっています。


「(皇太子の地位は)必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます」

これも現代日本人が知らないことの一つではないでしょうか。思えば長子相続に何らの意味はなく、有能なほう、海外にお出ましになられた時の風采も押し出しも含めて決められるべきでしょう。

秋篠宮への委譲を主張するものに対して「不敬」呼ばわりする思考停止層は、歴史を知らぬと言うべきでしょう。

うがてば、長子相続制度の設定はGHQ勢力の目論見であった可能性もあるかもしれません。
A級戦犯の絞首刑を今上(当時は少年としての皇太子)にぶつけ、お前もいうことを聞かねば吊るすぞと脅しをかけ、更にはバイニング夫人による洗脳と、当時の長子である皇太子を洗脳したわけですから、それをさしおいて弟君に即位されたりすると、計画が覆るので、長子と限定させたとも(可能性として)考えられます。

「先生、日本はもう、しまいましたね」
皇室尊崇の老婆がこう言った、と。見抜いていたと言わざるを得ません。その尊崇故に老婆には却って見えるものがあったということではないですか?

現代も同じこと「尊崇故に」物申すのです。批判無き輩は皇室を真剣には思っていません。

「もう皇室の尊厳というものは・・・・だんだんなくなって来る」

その通りになっていますね。「不敬」という言葉を錦の御旗に、口封じしてその結果、国民の尊崇を得られない皇室に成り果ててているわけです。たかが庶民の粉屋の娘が、女帝として今は宮内庁も天皇も従え、皇室の頂点に君臨していますが、その皇室は政府の意志すら無視して、ことを決行するようになっています。韓国大統領への友好願い親書、巡視艇の私的改造、使用他。

それらを糊塗するがごとき、被災地訪問。これは昭和になって始まったことであり、しかし被災地に必ずしも心を沿わせてのご訪問ではないことに、国民は気づき始めています。鬼怒川の氾濫がきっかけでした。
まだ混乱の最中に、護衛の車を連ね人々を引き連れて乗り込まれ、ただお辞儀するだけの、プロモーション映像制作のためのパーフォーマンス。

しかも皇后陛下は、朝鮮式挨拶であるコンスのポーズでのお辞儀です。


「今少し厳格な教育をされたらいかがですか」

これは当時の皇太子(今上陛下)のことで、当時の言動を拝すれば「よくぞ言ってくださった」と思われます。軽薄極まりなく、朝9時から勤務して夕方5時には終わり、後は家庭生活を大事にしたい、などと。だったら、皇籍離脱してご自身でお稼ぎ遊ばせ、と当然なりますね。学習院大学を落第したのに、特別措置で「学業終了」として卒業扱いにしてもらったお方の頭脳で、何を考えられるやら。


特権と富は手放さず、権利は庶民と同じ生活形態を望む・・・・・現在の皇太子の在り方そのままです。元凶は天皇陛下にあり、ひいては皇后陛下にあります。

そして1959年(昭和34年)の頃は、民が「もっとまともな教育を」と宮内庁に注文がつけられていたのです。それも国会の場で! 今なら考えられませんね。一切の批判を許さず、という偏頗な形に持って来られ、それは決して皇室の健全な存続に資することはありません。

批判すればよってたかって「不敬」の連呼。こと皇室問題に関しては北朝鮮にさせられてしまいました。


三笠宮は皇族でありながら、神武天皇を否定するということは当然男子一系否定、つまりは自己否定なのですから、皇籍は離脱なさるべきだと思いますね。

皇族であるアイデンティティを否定しながら皇族として、無為の暮らしを送りつつ、大枚の国費を受け取りながらのありようは欺瞞です。あまつさえ、南京大虐殺の肯定。

今上陛下による、先祖に朝鮮人がいる発言も必ずしも歴史の定説とはならざることを含めて、言ってはならぬことをお弁えではありません。今上陛下も三笠宮もこの基本の禁句を心得ていらっしゃいません。


「美智子嬢は25人の見合いをしていられた」

「最後に波多野という青年と婚約。これを破棄して皇太子のほうに振り替えた」

宮内庁側は否定していますが、否定せざるを得ませんね。
むろん、当時の週刊誌の記事をまるごと信じるわけではありませんが、国会という言質が取られたら厄介な場で、見合い25回、25回目の婚約者が波多野、と極めて具体的な回数と名前が出てきていることに留意は必要でしょう。

「美智子嬢」が15歳から、見方によってはいささか下品な婚活パーティに出ていたことは既報の通り。主催者がGHQ寄りの人物である可能性についても触れました。15歳でエリート男子を狙っての婚活なら、25回見合い歴はない話ではないでしょう。三島由紀夫との見合いも否定する人がいるようですが否定の論拠は曖昧です。

拙ブログが最近掴んだ、入内にあたっての関係者がすべてプロテスタントかカトリックのキリスト教徒であるという事実が、当時も不可解に思われていたのですね。「カトリックの陰謀」と表現されていますが「カトリック(プロテスタントも含む)を日本と皇室弱体化ツール」として使ったのはGHQです。

ただこの時代にGHQを口にしたら、その地位から(場合によっては命さえ)消されかねない状況ではあったかもしれません。一番の恐怖はこれもGHQが日本弱体化の尖兵として使った朝鮮人が束になっての親、子供への押しかけ、恫喝であったでしょう。彼らが特権を奪い取るにあたっての、常套手段です。

美智子さまご成婚時は、GHQが表向き引き上げてから7年間が経過していますが、GHQが愛国者をバサバサ刈り取って残った自虐史観売国奴が国のあちこちを仕切っていました。雅子妃の父親、小和田恒氏が外務省におけるその典型です。だから形としてのGHQは解体しても、去った後GHQ勢力は根強く日本に残り、定着しました。

美智子さまの父上正田英三郎氏もカトリック教徒だったのですね。

冨美夫人との出会いが双葉高等女学校の「礼拝」であった、というから美智子さまの母、冨美さんもカトリック教徒だったということでしょう。
臨終洗礼とされていることに、拙ブログは疑問を呈してきました。
美智子さま入内にあたって、一族郎党全員カトリック教徒であることが解ると、当然美智子さまの信仰にも疑義が及ぶので、自らは受洗していないことにしたのではないか、と。

祖父母の代から一族郎党全員カトリック教徒(ブログ主独自の調査で現在ミャンマー在住の、正田姓を名乗るお身内の方もカトリックだと掴んでいます)の中、美智子さまだけ違うというのは無理があるのではないでしょうか。洗礼はまずお受けになられている・・・・つまり入内にあたって、嘘をつかれた可能性があるかもしれません。いや、相当濃厚にカトリック教徒として胸に十字架を抱いたままの入内ではなかったかと、考えるほうが自然でしょう。


信仰を密かに抱かれていなければ、その後のカトリックへの明らかに頻繁な接触が説明出来ません。
美智子さまは、大変な嘘をつかれての入内と拙ブログ主は心証的には色濃くそう思っています。

朝日新聞記者により、発表されたカトリック信徒を思わせるベール姿が公開された時、わっと泣き崩れた美智子さま。勝ち気な美智子さまが泣き崩れるほどの衝撃は、自らがカトリック教徒だったからではないのですか?

もしそうでないのなら、違いますと答えればいいだけのこと。

嘘をついての入内を今更難詰しても、現実を変える力はありませんが、皇后なるお方が政府と国民、そして昭和天皇皇后両陛下を裏切って、皇太子妃となった方かもしれないということは、国民は知っておくべきでしょう。

仮にカトリック教徒でないとしても、頻繁なるカトリック教徒たちとの交流、教会行き、ローマ法王への傾斜など、神道の祭祀王の妻としての立ち位置は著しく損ねていらっしゃいます。合唱練習を名目に母校への月一回の訪問は、敷地内にある聖堂で礼拝なさるためではないのですか?

私的お出ましにも、護衛の車10台が付き従うと仄聞します。そのつど大きなお金が出て、年間通算すると莫大になるでしょう。九条の会の音楽家の追悼コンサートへのお出ましも、公のお金が費やされています。

言葉を変えれば皇后の「反日左翼活動」に私たちが営々と時に苦しみながら納めている税金が、いとも安易に使われているということです。

美智子さまは、象徴であるということに対して何やら小難しい理屈を述べて、象徴であることは出来ないと言っていらっしゃいますが、そんな言い分は、屁理屈と申します。

ことは簡単でたとえば、浮世の政治的なイベントにお出にならぬこと。
あの大戦への言及、憲法に対するお考えなど、国民の世論を二分するそのどちらかへ加担などなさらないことなのです。

象徴であらんとすることは、何をすべきということではなく、してはならぬということをお守りになることです。

こんな簡単なことがお分かりにならない愚昧さ。


美智子さまの入内に関して皇族全員が反対という説は否定されていますが、しかしながら「全員」賛成という説のほうが首肯出来かねます。

不自然ですよ、美智子さまも雅子さまも入内にあたって周辺では強い反対に取り囲まれながら、皇室会議においては一人の反対もなく、すんなり決定。

双方、きちっと調査がなされれば絶対あり得なかった、と言いきってもいいほど
「瑕疵」のある縁談なのに。


外国先行報道、あるいは報道先行で既成事実化して現実周辺では
反対論が渦巻いているのに、皇室会議では反対者ゼロで通過の
不自然さも小和田雅子さん入内の時と同じ手口ですね。

他幾つも、新たな発見がある国会記録かと思われます。
読んでみてください。平成の世の皇后陛下を論じるにあたって
後世相当役に立つ資料だと思われます。それゆえ他の資料のように
押し隠しておきたいでしょうが、国会記録抹殺まではさすがに出来かねたのでしょうか、国民にとっては幸いなことでした。

後世の評価はおそらく前代未聞、希代の悪女皇后となるかと思われます。

その悪辣さにおいて美智子さま。無能力なダメさかげんにおいては雅子さま。
いずれも皇室の歴史上、突出した黒歴史として末代まで残ることでしょう。
そしてそれを支持した、愚かしい民衆が保守の名で存在していたことも。

備考 田島道治宮内庁長官(無教会 派)、宇佐美毅宮内庁長官(クエーカー)などもクリスチャンと、拾えますが決定的データは今のところ拾えないでいます。いずれにしても美智子さまの入内に絡んで動いた人々にキリスト教関係者が偶然の確率超えて以上に多いのは事実。荒っぽく言えば、宮内庁はクリスチャンと創価学会の巣窟となっているかもしれません。

美智子妃入内にあたってはキリスト教が背後に。
雅子妃入内にあたっては、創価学会。

・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


追記 読者さまよりコメ欄に寄せられた情報。


WiLL 1月号に、『皇后の真実』 工藤美代子 著 の書評があります。
元産経新聞記者の方が書かれていますが、最後の方の記述にびっくりしました。
この方が記者時代、皇后に直接関わった高名な二人から、激しい皇后批判を別々に聞き驚いたそうです。
口外していないけれど、今でも忘れられないということですから、ぜひどこかで書いていただきたいものです。

・・・・・・・・・・・・・・ここまで

逝去の後、少しずつでも結局全部語られ、さらされそうです。

更に追記 コメ欄への読者さまからの書き込み

質問に立った自民党議員は、昭和の憂国の臣だと思います。
天皇の本道・本質を明らかにし、すでに始まった劣化と将来迎える危機を鋭く指摘して下さった自民党議員に感謝とお詫びを申し上げたい思いで、どのような方なのか少し調べてみました。

《平井義一衆議院議員 自民党》
平井議員の深い洞察には改めて感服します。議員生命賭けての質

疑だったと思います。
しかし平井議員が憂慮されたとおりになってしまい、今、泉下からご覧になって何を思われていらっしゃるか。

平井議員は「吉田学校=吉田茂派閥」のメンバーで、第四次吉田内閣で郵政政務次官就任。その他に横綱審議委員や日本プロレス会長(893大親分複数が役員になっていたので警察に解散命令出された後の一新人事で会長就任)等務めた形。

入内するところまでは、吉田茂はミテコ押しだったはずなので、退陣後といえども親分に逆らったのですから…(後に御所でのプッツン振りを知り、アンチミテコになったとか)
義一さん、真の国士でいらっしゃいます。
この後の選挙は落選が続きそのまま引退されていますので…逆風吹いたかなぁ?
没年も判らないなんて、悪の藩屏に抑え込まれたのか?

写真中央が平井氏(横審時代でしょうか。元関脇北の洋・緒方昇氏宅とのこと)
h ttp://members3.jcom.home.ne.jp/abashirikai/jpeg/tuitou-3.jpg


《菊池義郎衆議院議員 自民党》
菊池議員に至っては、質問をするために、この回のみ町村金吾議員(故町村信孝議員の父上)と交代して委員になっています。
美智子さんの疑惑はもとより。国会図書館設立に尽力した人なので、赤坂離宮内の図書館廃止の件を取り上げたかったのでしょう。

せっかく、見合い25回で婚約者有り、入内チームがカトリック教徒(正確にはキリスト教徒と言うべき)だらけと良いところを突いていても。宇佐美長官に揚げ足取られたり突っ込みの甘さから、週刊誌報道の火消しに終わり、残念に思います。でも、当時から胡散臭さは知られていた事を記録に残してくださいました。

衣冠束帯では南方の風俗のようで野蛮国と見られやしないかとか、英国女王戴冠式では皇太子が黒人の中に座らされたので、婚礼では英国大使は黒人来賓の間に座らせろだの……_| ̄|○ (宇佐美長官の気持ち)
猪突猛進、一言居士、「黒潮に吼える男」という小説になっただけはあるオモロイおっちゃんです。平井議員と初当選当時から同期でしたが、菊池議員はこの後も当選を続け、叙勲もされています。

更に追記

尚、
菅原研究室の国会議員白書から両議員の議員歴を、
wikipediaから大方のプロフィールを把握し、さらに検索して確認しています。

平井議員の写真は"たぶん"ご本人ではないかと?……程度です。

平井義一議員
http://kokkai.sugawarataku.net/giin/r00419.html

菊池義郎議員
http://kokkai.sugawarataku.net/giin/r00139.html

菊池議員題材の小説
『黒潮に吼える男』上野登史郎著/三彩社刊
八丈島出身の自民党きっての硬骨漢・衆議院議員、菊池義郎の伝記小説。物語は彼の出生から国会議員になるまでが、明治時代の政治(大熊重信などとの交流)や文化(島村抱月や須磨子などとの交流)、そして島の様子がイキイキと描かれていて面白い。島抜けしてからの一徹な苦学生活、普通選挙実施や元老廃止などの演説運動、さらには議員になってからの私学振興議員連盟を作ったり、国会図書館などを作ったりと紹介されている。
h ttp://www.muse.dti.ne.jp/~squat/fiction.htm


それにしても、平井議員の消息が不明って…怖いですね。
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12101934575.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c14

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
15. 中川隆[-11911] koaQ7Jey 2019年2月23日 10:32:55 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[63]

それにしても、正田家と美智子さんの うさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね _ 2

これが、現代皇室の現実。ブサヨの巣窟に現れた皇后陛下 2016-06-22
https://blog.goo.ne.jp/sitihenge994/e/319d1c927965be306fdfa254b877efdd

正田美智子さんの入内にまつわり、キリスト教徒のみが関わっていることのうろんさをついた国会議員が当時いました。

1959年2月 国会で平井義一議員が正田美智子入内の胡乱さと出自を問い詰める。
その2ヶ月後の1959年、正田美智子入内。
その翌年の総選挙で、今まで5期落選したことのなかった平井義一落選。

天皇皇后の左翼化

皇后陛下が、左翼の連中や組織と親密であられることにテーマを
絞るつもりで書き始めたのですが、結果的に今までの「総まとめ」ともいうべき
記事になったようです。志ある方は保存なさってください。

左翼の巣窟に出入りの皇后陛下

http://www.asahi.com/articles/ASJ6673Z7J66UCVL01Y.html 

反日左翼「九条の会」秋山ちえ子さんお別れの会 皇后陛下が会場に
皇后陛下の入内には戦勝国GHQがからんでいます。入内前に、正田家とGHQの要人とがアメリカ産小麦粉利権を介在に癒着していたのは、事実です。
客観的史料があります。

やっぱり!! 正田家とGHQの癒着。美智子さま入内を仕組んだGHQ 

そして美智子さんの父親は、アメリカ産小麦粉の宣伝マンとして
GHQの協力要員でした。

日本の国会が知らなかった正田美智子さんの婚約が、アメリカで先に報じられたのはそういう理由です。入内にまつわり、キリスト教徒のみが関わっていることのうろんさをついた国会議員が当時いました。今は亡き平井義一氏ですが、おそらく議事録に残っていること以上の闇を承知していたと思います。
よく殺害されなかったことです。しかし・・・・・

1959年2月 国会で平井義一議員が正田美智子入内の胡乱さと出自を問い詰める。

その2ヶ月後の1959年、正田美智子入内。

その翌年の総選挙で、今まで5期落選したことのなかった平井義一落選。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E7%BE%A9%E4%B8%80_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)

【重要】 これでも皇后擁護? やり放題になった乱脈皇室

元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解

平井氏の他に、正田美智子さんの入内に不可解な点ありとして国会で疑義を表明した議員が2人もいたことは、脳裏に刻みつけておきましょう。

国会ですよ? 末代まで発言が残る場。軽々に言えることではありません。まして、国中が操作されて世紀のご成婚に浮き立っている時に、議員生命を賭けて成婚とやられ放題の宮内庁に疑問を呈した議員たちが3人いたということです。

なんと、社会党が支援していた美智子さま 

皇室史上初の民間妃の誕生は、異教徒の男女同権主義者である左翼思想の女性の入内をも意味していました。去ったはずの、GHQによる皇室と日本弱体化施策が本格的作動し始めたのが、正田美智子さんの入内の年であり、この年日本は伊勢湾台風が荒れ狂いました。

そして嫁いだお相手は、多感な少年時代にGHQに生涯忘れ得ない恫喝を受けた、今上陛下でした。当時皇太子であったその人の、誕生日めがけて時計の針がピクリと動いた瞬間から、東条英機らいわゆる「戦犯」が吊るされて行ったのです。GHQの言外の脅しは明白でした。
「お前もアメリカに逆らうなら、吊るすぞ。父親もな」。
そして、言うところの戦犯28名の処刑を決定、公表されたのが「父親」昭和天皇の誕生日だったのです。これも言外の恫喝です。恫喝であると同時に罪悪感の刷り込み。「お前と、お前の父親のせいで、こいつらは首をくくられるのだぞ」と。

http://hon.bunshun.jp/articles/-/226

いえ、恫喝は言外ではなく直接浴びせられたかもしれません。
昭和天皇を何度となくGHQ本部に呼びつけたほどのマッカーサーです。

当時の皇太子は「ジミー」と戦勝国名で呼ばれ、GHQが差し向けたバイニング夫人が張り付き、洗脳に明け暮れました。神道思想の破壊です。

破壊教育を受けた皇太子というよりはジミーに、異教徒の平民の娘があてがわれ相乗効果で皇室の神道的なるもの、そして伝統がなし崩しに壊されていくことをGHQは見越していました。皇后も幼児洗礼をもしお受けならマリア・テレジア・カテリーナなどというお名前をお持ちでしょうから、ジミーとはお似合いの夫婦でしょう。皇后のカトリック洗礼に関しては、(幾つもあるにせよ)傍証でしか示せません。
しかしながら、実は皇太子と平民の娘との成婚ではなく、ジミーとマリアとの婚姻だったのだと踏まえるとその後の皇室伝統の、あっという間の壊れように得心が行きます。

もともとルーズベルトのOSSの頃から、日本を共産化する計画がありました。
ルーズベルトの死去により、共産化は免れましたがそれと同等の、日本破壊ウィルスをGHQは日本の国体に仕込んでいきました。

NHKはいまだその体質を引きずるGHQの宣伝局であり、外務省には反日思想の者たちが跋扈。公職追放で、まともな日本人は追われ、反日であるほど、出世階段を駆け上り、その代表格が雅子妃の父、小和田恒氏です。
小和田雅子さんという、皇室にはおよそ馴染むはずもない女性の入内もまた、
偶然ではありません。

皇室には、バイニング夫人とカトリックという異教とワンセットで正田美智子さんが送り込まれ、現在に至ります。神道の祭祀王の家に嫁いでからも元正田美智子さんはカトリックを捨てませんでした。そのことは、皇祖神を奉じるには至らなかった・・・・・いえ、基本のところでないがしろになさった、ということです。
ご本人がいかほど、自覚されているかどうかは知りません。しかしながら、
GHQの目論見は100%成功でした。いえ皇室の伝統破壊と共に、アメリカ産小麦粉の売りつけの目論見通りであったので、一石二鳥、200%の成功でしょう。

今上陛下が実は学習院の講義について行けず、ご卒業なさってないという事実を国民は知りません。

学習院を落第した天皇陛下は左翼でいらっしゃいますか

悪い頭で政治と歴史、憲法を語られるな両陛下と皇太子 

乏しき頭脳で政治外交、史観を語られませぬよう、両陛下

天皇が必ずしも頭脳俊敏でなくてもよろしいのです。
しかしながら、敏いとは言えぬ頭脳にバイニング夫人、そして伴侶である元正田美智子さんという異教徒から、思想上の決定的洗脳を受け続け、更に将来の天皇たる者は政治学科に進まねばならぬところ、進めなかった父親より頭脳の働かない皇太子殿下が、両親から口移しで「GHQ作の平和憲法護持」という左翼思想を受け継ぎ、現在に至ります。

天皇と皇太子共に、脳細胞の不活発なところに女帝と化した皇后から洗脳を受け続け、さらにその不活発な脳で考えた政治外交上の言動は、国を損ないます。政治関与それ自体が、ご自身が護持を唱えられる憲法に反する行為なのですが、その矛盾をお解りではありません。

天皇も皇太子も頭がよろしくはない、という現実をまずは正視しましょう。ということは、周辺の者がしっかりと舵取りをしなければならないのですが、しかしその舵は今や女帝として皇室ヒェラルキーの頂点に君臨する左翼皇后の手に握られています。その皇后陛下も、巷間思い込まれているほどにはご優秀ではありません。聖心女子大学は名門ですが、偏差値は高くはありません。

大変言いづらいことをズバリいいます。頭のさしてよくない左翼が3人固まったのが、今の皇室です。行き過ぎた言動を止めるものは皆無です。

随分粗っぽい総括ですが、細目は過去記事に資料を添えながら具体的に提示してあります。

皇室に男女同権思想は馴染みません。民間では極端な男女不平等が、本来の皇室です。なぜなら夫婦である以前に、夫は神とつながる者、神道の大祭祀王であるからです。対等ではあり得ないし、生理出産を伴う女性に、この国最大の神官は務まりません。
しかし、溺愛の皇太子の系譜である愛子内親王を天皇にしたいというのが、GHQ仕込みの男女同権主義者・皇后陛下の執念であり、左翼お仲間を引き入れつつあれこれ画策していらっしゃいます。

左翼の巣窟に出入りの皇后陛下

http://www.asahi.com/articles/ASJ6673Z7J66UCVL01Y.html

4月6日に99歳で亡くなった、放送ジャーナリストの草分けで評論家の秋山ちえ子さんのお別れの会が6日、東京都千代田区の日比谷松本楼で開かれた。聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんや脚本家の小山内美江子さんらのほか、秋山さんと親交のあった皇后美智子さまが会場を訪れ、遺族らと言葉を交わした。

BB:秋山ちえ子氏がそもそも反日左翼の旗振り的オピニオンリーダーでしたが、
小山内美江子、反戦歌の森山良子他歴然たる左翼思想の人たちばかり。更に、仰天すべきことには、反日慰安婦問題の張本人である河野洋平が発起人代表を務めているという凄さ。

皇后陛下が、韓国側と左翼たちが捏造した慰安婦問題を信じこんでいらっしゃるさまは、それこそ「九条の会」の鶴見俊輔により、具体的に語られています。

会では、発起人代表の河野洋平元衆院議長が「父の河野一郎と秋山さんは信頼しあっている仲で、インタビュアーとして日本一だと言っていた」とあいさつ。

さすがに息子の河野太郎は、安倍内閣の清濁人事の濁のほうながら閣僚なので、出て来ていませんが、本来なら売国父息子としてこの場にいるべき人間です。

 秋山さんは毎年8月15日の終戦記念日に、上野動物園で戦時中に餓死させられたゾウの童話「かわいそうなぞう」をラジオ番組で朗読。会の終わりには2002年の収録分が流され、「地球上のすべての生物の命を守るために、ことを解決するのに戦争というものを手段に使うことのないことを祈りながら読ませていただきます」と語る秋山さんの声と朗読に、参列者は聴き入った。

ゾウの話は胸を打ちますが、そのことと日本が防衛的に無力で無防備であっていいということと何の因果関係もありません。そこがなぜ解らないのか、いつものことながら左翼と言われる人たちの奇妙なまでの頭の悪さを思わずにはいられません。
夏になると、震え声で反戦詩を朗読する大根女優・吉永小百合も同類です。
問題は、中国韓国北朝鮮で反戦詩など読まれないことです。読めば投獄、下手すりゃ処刑。日本の反戦運動は彼らがせせら笑いながら歓迎するところ。

 30年来の親交がある司会の大沢悠里さんは「秋山さんは一貫して戦争反対を訴え続けてきた。私たちはこの心をずっと受け継いでゆく覚悟が必要だ」と締めくくった。

戦争に賛成の人間など、武器商人か一握りのマニャックな戦闘愛好者しかいませんよ。誰しも平和は恒久的な願いなのです。問題は「戦争反対」と唱えていない国が至近に3カ国あり、折あらば日本人の命と国土が狙われているということなのです。

 夜には皇后美智子さまも会場を訪れ、展示された秋山さんの遺品などを見たり、遺族や発起人らと言葉を交わしたりした。

・・・・・・・・・・抜粋ここまで

社会的にはその存在が希薄になっていた秋山ちえ子の逝去と、そのマイナーなお別れの会を即座に嗅ぎつけ駆けつける皇后陛下。左翼ネットワークの親密な一員でいらっしゃるからです。

皇后陛下は上記の左翼運動家たちのまごうことなき、共感者であり仲間であるということなのです。それ以前に皇后陛下の政治思想の表明など、
とんでもないことがいつ許されるようになりました?この方の入内以来です。

▼「男性には戦争をしたがる人がいる」
「戦争の悲惨さを知らない政治家が憲法9条をなくそうとしている」

と売国左翼新聞朝日新聞「天声人語」で紹介された秋山ちえ子氏をはじめ、以下が皇后陛下のブサヨ仲間です。

▼左翼鶴見和子の会にもお忍び出席した皇后

 和子=鶴見和子(元・共産党員)

>和子さまの三回忌に、美智子妃殿下の御臨席をいただき、
>内山さんが宮中に御礼の記帳に行く予定の所、
>皇后様から「鶴見和子病床日記」持参で参内するようにとの連絡があり、
>宮中大変奥深くのお部屋で、一対一の四〇分の御下問で、緊張のし続けでした。との事でした。

ttp://www.php.co.jp/magazine/voice/?unique_issue_id=12369
(Voice 2008年9月号)
上坂冬子〈対談〉鶴見俊輔 158p

> 美智子皇后は姉の和子に対して、彼女の学友だった女官を通して
> 「宮中まで来てほしい」とお呼びになったことがありました。
> そのとき、「あなたがこのあいだの講演で慰安婦の問題を取り上げてくださって、
> とてもありがたかった」とおっしゃった。(略)

上坂冬子の対談相手、鶴見俊輔は皇后のシンパ鶴見和子の弟であり、市民運動組織「ベ平連」メンバーで、共産党支持。

皇后は九条の会の左翼音楽家・三善晃氏にも熱心に肩入れ、そして「日本も難民を引き受けるべき」などと、日本がすでに60万人の朝鮮人難民を抱えてあえいでいるのも知らぬげに反日国連をバックに、押し付けてくる緒方貞子も皇后の左翼お仲間で、女帝擁立肯定の皇室典範変更のための有識者会議には、皇后がこの人を押し込んでいます。

森村桂の軽井沢の家では社会党・党員と交流も。

敗戦後の日本を、もっと弱体化させるためGHQがキリスト教を、なかんずくカトリックをツールとして用いたことは事実ですが、カトリックすべてがそうだとは言いませんが、皇后と同じく「カトリック左翼」と名付けたい一派がいるのは事実です。

「憲法九条にノーベル賞を」という演題で講演したのは、カトリック教会の光延神父で、そのお仲間には、岡田大司教や高見大司教という人らがいるようです。

h ttp://www.jesuitsocialcenter-tokyo.com/?page_id=4979
この光延神父が、HPで述べた言葉を引用します。

《《実際、日本は第2次世界大戦以後の68年間、戦争で他国民を誰一人殺すことなく、また一人の自国民も死なせることがありませんでした。》》

あらゆる(日本の)左翼は頭が悪い、悪くなければ日本では左翼はやってられない、というのが拙ブログ主の持論ですが、上記の神父の言葉の馬鹿さ加減は、読者の皆様はお解りですよね。

この神父の脳裏には、北朝鮮への拉致被害者も竹島をめぐって殺戮され、半島に強制連行されて虐待され、そして死者も出た日本人船員約4千名の存在はないのです。

そしてこれらの、カトリック左翼ともいうべき神父たちと皇后陛下が昵懇であるという現実を国民は直視すべきでしょう。

捏造慰安婦問題で日本を追求する「女性国際戦犯法廷」の拠点はカトリック教会です。副題は「性国際戦犯法廷」です。この場合の戦犯とは、日本ですね。
とんでもない反日とカトリックが結びついているということであり、これもまたGHQの目論見通りです。

反米を唱える左翼ですらGHQ製作の憲法を後生大事にするのだから、占領政策はここでも大勝利です。

日本の武力放棄をほくそ笑んで喜ぶのは、中国、韓国・北朝鮮だけであるという
現実がなぜ見えないのでしょうね。

そして皇后陛下は、「憲法九条にノーベル賞を」という、カトリック界における“九条の会”もお仲間だということであり、憲法改正を掲げ、女性天皇の布石になる女性宮家の創設に反対する安倍政権には、アンチであり、皇陛下も皇太子殿下もそれに従っていらっしゃる、とこういうことです。

「マスコミ9条の会」も、皇后はシンパです。

2004年6月10日

井上ひさし 梅原 猛 大江健三郎 奥平康弘 小田 実 加藤周一 澤地久枝 鶴見俊輔 三木睦子さん九人による「九条の会」アピールが出されました。

東京では「新聞OB九条の会」「出版OB九条の会」「民放九条の会」「映画人九条の会」「音楽九条の会」

「所沢マスコミ文化九条の会」 「憲法九条にノーベル賞をの会」

・・・・・・・・惨状を来しています。

軽井沢九条の会を支援する牧師

http://karuizawa9.exblog.jp/

表立って、九条の会の理念を「平和憲法護持」という形で発信されるのは
天皇陛下ですが、皇后陛下も違う形でメッセージを出されています。

79歳のお誕生日、宮内記者会の質問に文書で次のように回答。

「五月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきるの市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた『五日市憲法草案』のことをしきりに思い出しておりました。

長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に育っていた民権意識を記録するものとして、世界的にも珍しい文化遺産ではないかと思います」

・・・・・・・・・ここまで

要するに、憲法改正派の唱える「GHQによる押し付け憲法」説へのアンチテーゼです。事実護憲派の左翼にこの言葉は賛美され、利用されています。

しかしながら、英語からの拙い翻訳文である現在の醜い日本語の憲法が戦勝国による押し付けである事実がいかに美辞麗句を連ねたとて消えるわけではなく、GHQ憲法に関わった白洲次郎の慟哭の告発記録があります。

雅子妃とともに反日組織である国連、国連大学に入り浸っていらっしゃる皇太子は、両陛下の仰る通りに、お言葉をなぞるだけです。オウム。腹話術の人形。

皇太子殿下 平成26年 2014年お誕生日

皇太子の政治発言 朝鮮日報が大喜び 

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/77824c824a67a7da9a0b85660cfd4223 

(抜粋)憲法に関しては、昨年末天皇陛下も触れられましたが、「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は」という出だしで、憲法の成立した由来を語られましたが、皇太子殿下の文言は、はっきり憲法順守。すなわち憲法改正反対ということかと思われます。

・・・・・・・・・・ここまで

皇太子もアンチ安倍政権だということを、意味します。
今度の選挙は、憲法改正が争点の一つですが、平和憲法護持の
天皇皇后皇太子は、その選挙に影響を及ぼす発言をずーっと
続けているということなのです。それがいつから許される日本になりました?
皇后陛下の入内以来です。

問題は、天皇皇后両陛下と皇太子殿下のご発言に喜び勇んでいるのが、まっとうな国民ではなく朝鮮日報だということでしょう。無論「朝鮮日報」はあらゆる反日メディアと勢力の表象として記号化して記しました。

天皇及び内廷皇族が、GHQ発反日左翼史観をベースに語っていらっしゃる現実を、国民は冷静に直視すべきでしょう。

秋篠宮文仁親王殿下と紀子妃に、このたぐいのご発言がないことに、一筋の光明を見る思いがすると同時に、皇位は秋篠宮殿下と悠仁親王殿下に渡るべきだと考えます。

本来当然のことながら左翼は皇室不要論、侮蔑の対象です。

http://mid.parfe.jp/kannyo/sukuukai/seimei-houkoku/tirasi-syomei/H18-5-13-asiya.pdf#search='%E7%9A%87%E5%90%8E+%E4%B9%9D%E6%9D%A1%E3%81%AE%E4%BC%9A'  

左翼コメンテーター 大谷昭宏も関わっている「九条 おおさかの会」で
行われた、天皇皇后愚弄芝居です。

その左翼がなぜ、最近共産党はじめ両陛下に擦り寄って来ているのか。
両陛下が自分たちの仲間だと、知ったからです。

九条の会の作曲家の追悼に、わざわざ静養先から駆けつけた皇后陛下。

皇后陛下は「アカ」でした 

左翼皇后と、愉快なブサヨフェミのお仲間たち 

男女同権主義者であった、憲法作成者の一人であったGHQ元メンバー、ベアテ・ゴードンへの皇后の思い入れは、よく知られたことで彼女の追悼式にはわざわざメッセージを出しています。

天皇陛下や皇太子殿下のように、直接的な表明はなさいませんが、皇后陛下は折に触れその言動により、九条護持の左翼思想を表明していらっしゃいます。
これ以上明白なお立場表明はないのに、しかし思い込みが国民の目を遮っています。

生来聡くはあられない天皇陛下と皇太子殿下を陣頭指揮、現在の左翼皇室を作り上げたのは皇后陛下であらせられます。

かつて皇室には、自浄能力がありました。廃太子、という形で、あるいは天皇の入牢、島流しという形で。今はチェック機構を失い(これとてGHQの仕掛けでしょう)やり放題です。

となれば、皇室の腐敗と歪みは国民が指摘するしかないではありませんか。
不敬という名の下に、批判一切許さずというのであれば、それは北朝鮮の社会機構と何らかわりなく、マンセーの対象が天皇皇后というだけのこと。それも敗戦後すっかりその実質を喪失し、左翼運動家夫婦と化した相手への盲目的崇拝です。実のところ、それが都合がいいのは天皇制否定の左翼と、中韓だけであり、天皇陛下への尊崇が国の要と心得ている人たちこそが、現状を憂えているということです。

不敬という言葉が成立していた時代には、皇室自体が自浄能力を有して、
悪しき因子は排除していた、今チェック機能はない、ということを忘れないようにしましょう。

あなたがもし、安倍政権支持派なら天皇皇后皇太子はあなたにアンチのご存在です。

◆GHQと皇后陛下 フェミニストとしての美智子様と皇室は共存し得るかhttp://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/b0b5919d022a094f259e8305c60b13f2

◆資料  皇后陛下、その精神を形作った生い立ちと環境

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/7c9cffa819831b24bbfbd63d9f8eb57b

◆ご慈愛仮面で言葉も仮面 《転載ご自由に》http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/95e08f125aa7af66013af19b1e216a00

◆人権蹂躙「子供を産むな」発言は、いったい誰? 

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/fdbfcdb2fe41a09f9b9d1a4ca385f1d6


https://blog.goo.ne.jp/sitihenge994/e/319d1c927965be306fdfa254b877efdd
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c15

[近代史3] 美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか? 中川隆
52. 中川隆[-11910] koaQ7Jey 2019年2月23日 10:41:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[64]

正田家と美智子さんの うさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね。


元正田美智子さん、成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 2016-03-10
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12137728773.html

元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 


031回国会 内閣委員会 第5号
昭和三十四年二月六日(金曜日)
    午前十時十九分開議

敗戦後まだ14年しか経過していない時点での国会です。GHQの残存影響力がまだ甚大であったころ。この点に留意。サンフランシスコ講和条約 発効とともに連合国軍最高司令官総司令部は活動を形の上で表面上停止したのは昭和27年4月。

要点

 

昭和34年内閣委員会議事録より)

【国会も何ら御結婚について知らされておりません。】

皇室会議が開かれたのは(昭和34年)十一月二十七日でございますが、その前

★十一月二十四日に、宮内庁は公電をもって【館林=正田本家、正田醤油】に通知しております。

皇太子妃決定は公式発表の十日前、つまり十一月十七日のニューズウイークが最初に配信した。

BB:日本の皇室の成婚がまずアメリカで発表された面妖さ、背後のGHQ.

皇太子妃決定に関して小泉信三・田島前長官などが先頭に立ち、総理大臣はその報告を受けるだけで、なんら疑問をさしはさむ余地がなかった。

それでも「信仰」の問題は気になった。(岸信介元総理大臣)

BB;気にして当然、として気にしたのは正解だったのです。しかし、内閣置き去りに宮内庁が(その実GHQ勢力が)一方的に整えた成婚でした。

国民も国会も何も知らされておらず、しかも皇室会議が一度だけ開かれたのみ。

結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろい ろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのであります。

BB;GHQ決定だから誰も逆らえません。

要するに、「正田美智子さん」という人について、実は国民も総理大臣も、どんな出自の人でどんな考えを持ち、どんな性格なのかという事を全く知ら されていなかったんですよ。

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで 

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005a.html

○内海委員長 これより会議を開きます。

○平井委員 日本の天皇制が始まりまして、天皇または王様――あるいは外国の王様のごときは戦争をして、勝って王様になるというのが通例でございますが、日本の天皇制の場合、やまと民族の中心として天皇がおわしますというような観念であったのでありますが、長官は皇統連綿と続いて、たとい徳があろうとなかろうと天皇は皇統連綿として続いているのだ、あるいは非常に人格が高くてやまと民族の中心としてふさわしいお方が日本の中心になられておった、このいずれをおとりになりますか、お聞きしたい。

○宇佐美説明員 わが国の天皇制は世襲の制度でございまして、しかもその天皇の位につかれる方がやはり国民の崇敬の中になるようなりっぱな方であってほしいというのが国民の念願であろうと思います。

○平井委員 また北畠親房卿は「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」、こううたっております。 略

BB;昔からふさわしからぬ者は、天皇の地位には就けなかった。今が
異常なのです。これも、うがてば暗愚の皇太子でも、長男なら即位できる仕組みは、GHQの皇室典範関与が疑われます。

○宇佐美説明員 略 いろいろ一口に天皇制の民主化ということがいわれるのでございますが、そういう意味における民主化ということでございまして、やはり一般市民と全部同じになるという形式的な問題ではないと思います。

○平井委員 昔は先帝陛下がおなくなりになりますれば、皇位をお継ぎになる皇太子は、少くとも一年ないし三年の高座の行事をやられて、これならば民族の中心になり得るという確信がなかったならば、即位をしなかった ということを読んでおりますが、その昔の日本の天皇制に比べて、敗戦とはいえ、今日天皇制を維持するとするならば大きな差があると思いますが、この点長官はどう考えられますか。略

○宇佐美説明員 昔のいわゆる皇太子のお地位というものは、立太子の儀式によってその方に皇太子というものがきまったのでございます。必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます。その意味におきまして立太子ということは非常に重要な意味があったわけでございます。現在におきましては、法制上当然長子相続ということが定められておるわけでございまして、

○平井委員 略 象徴といえば、少くとも全国民の崇拝されるべき皇太子でなければならぬ。しかも立太子の式を終了された。しからば宮内庁長官として、あるいはおそばについておる人としては、民族の象徴にふさわしい教育、ふさわしい姿にさせることが職責ではなかろうか。そうならなければ、民族のより場もない。将来の日本を考えたときに、一体どうなるか、これは人ごとでない、日本民族の問題でありますから、

BB:「日本民族の問題」とまで、皇太子(今上)の資質に不安と疑念がもたれています。その疑念もゆえないことではなかった、と現在の言動を拝すれば、思わざるを得ませんね。

特に宮内庁長官はこの点をほんとうに真剣に考えなければ、これが一角がくずれていった場合には、宮内庁はもちろん要りません。宮城開放の問題も近く起ることは当然の話でありますが、現在のあり方が新憲法にふさわしい、あるいは日本民族が非常に尊崇して、喜んで天皇制を護持されると思われておるかどうか、この点を長官にお尋ねいたします。

○宇佐美説明員 略 今のような新しい憲法のもとにおける皇室におきましては、皇室の方々の御行動というものが非常に大事であると考えております。そういうような意味におきまして、皇太子殿下の御教育と申しますか、御研さんを願うことは、われわれとしても非常に強いわけであります。人を作るということは容易なわざではございませんけれども、われわれといたしましては、大きな一つの職責と考えておる次第であります。

BB;職責失敗して現在に至る。

○平井委員  略 しかし民族の象徴という観点から見まして、もしも天皇陛下が皇后陛下と銀座を毎晩散歩しておる、あるいは自分のしたいことをするということになっても、民族が尊敬をし崇拝をすると思われておるかどうか。

もしも伝え聞くように、皇太子殿下が軽井沢のテニス・コードで見そめて、自分がいいというようなことを言うたならば、ここにおられる代議士さんの子供と変りない。私の子供と変りない。これが果して民族の象徴と言い得るかどうか私は知りませんが、あなたから進言をされたものか、皇太子殿下が自分で見そめられたものか、この点をお尋ねしたい。

BB:テニスコートで見そめたはある意味事実です。ただし出会いは偶然ではなく、GHQ勢力延長クリスチャンたちによって仕組まれました。ある作意による仕掛けがあったこと、雅子妃の場合と同じです。


○平井委員 長官の説明を了としますが、われわれ、世上というか、宮内庁係の新聞記者連中ともよく知っておりますし、いろいろ聞くところによれば、小泉さんと田島さんが非常な推薦者であった、あとはむしろそう賛成をなさらなかった、これはどうだか知りません。世上の話でございます。そこで小泉さんあたりの教育の仕方がいいと言う人もあるし、悪いと言う人もある。私、小泉さん、田島さんがどういう意味で強硬に推薦されたか知りません。推薦する方にもまた考えはあると思いますが、非常な推薦をして、ついに宇佐見長官も同意をしたというふうに聞いておりますし、また東宮御所において、皇太子殿下が学友を集めてわあわあ言うた結果とうとうきまったのだというようなことが、御婚約の後にぼつぼつ週刊朝日などに載るようになりましたときの責任や重大なるものがあると思いますが、この点長官いかがお考えになりますか。

○宇佐美説明員 今度の御選考につきまして、皇太子殿下の御教育に顧問として参画しておられる小泉博士あるいは前長官であります田島氏や、その他の方々といろいろ御相談したことは事実でございます。略


○平井委員 略 将来日本の天皇制が傾いた場合に大へんな問題になるので、私は国民代表として言うておかぬと困ると思うのですが、まず参考に申し上げておきますが、私が先般いなかに帰りましたとき、非常な天皇崇拝者のおばあさんがこういうことを言った。先生、日本も天皇制はしまい(注 終わり)ましたね、だから金持ちのお嬢さんをもらったのだろう、そういうふうに心から言うのであります。そういう年寄りが全国津々浦々に非常に多い ということも長官は知らなければならぬ。いずれ天皇陛下になられるのでありますから、民族の象徴として、今日の皇太子がそれにふさわしいお方にならぬときは、日本はしまえるのですよ。

今日われわれ中共だとかソ連だとか言っておるけれども、内輪でしまえる(終わる)のですからこれは冗談じゃない。

BB:その「冗談じゃない」ことが起こりつつあるのが今です。内に巣食う白蟻が天皇と皇后であったという、GHQ製作のホラー大作「戦後皇室物語」です。

小泉さんあたり少しどうかしておられますまいか。よほど慎重に考えてくれなければ困る。もう皇室の尊厳というものは、小学校の本にもないし、だんだんなくなってくる。

略 九千万の象徴となられる方だから心配をしておるのであります。その点義宮の結婚と非常な違いがあるということも考えなければならぬ。

そういう場合には退位をされるといえば別でございますけれども、英国とは日本の皇室はかなり違った立場に置かれておるのでございます。英国ならば恋は自由でありますから、恋をなさい、そのかわり国民はあなたを養いませんよ、どうぞなさって下さいというようなことになると思いますけれども、

BB:「養いませんよ」という状態に、今なっています。


○平井委員 略 皇太子殿下の教育というものは、一般の学習院の生徒と別でなければならぬ。昔なら上御一人といわれたのです。一般の学習院の生徒並みに教えたのではこれは絶対に象徴になれない。われわれが欲しない点、またできない点、国民では及ばないという教育があると思います。

略 昔、北畠親房などはこれはもう け飛ばしおったという話です。たたきまくって教育をされたということも聞いておるが、あまりにも自由奔放な教育をされておるのじゃないか。そういうことからきて皇太子殿下の感覚が違ってくる。

BB:一議員の当時の卓見に、うなだれるのみ。

 ○高瀬委員  略 国会も何ら御結婚について知らされておりません。公式発表の十日前、つまり十一月十七日のニューズ・ウィークには事こまかに、全部私は翻訳して持っておりますが、「皇太子の恋」という表題で詳細に報道されております。結局知らないのは国民だけだ。 略

BB;GHQ作のラブストーリーが日本には「テニスコートの恋」というタイトルで、
逆輸入されたわけです。本当におかしな話。アメリカには関係のない、日本の
皇室の話なのに。誰よりもいち早くアメリカが知っていた、という事実。

略 皇室会議というものはただ一度しか開かれていない。結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろいろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのでありますが、こういうふうになりますと、皇室会議などというものは非常に形式的なものであって、国民や国体と重大な関係にある皇太子妃を決定するということは、あまりにも非民主主義的なやり方じゃないか。皇室会議というものは非常に形式的なものになって、たった一回、既成事実を承認するというだけになってしまったのでは、皇室会議のあり方としては非常に危険じゃないか、こういうふうに思うのであります。


特にたとえば皇室典範の第三条を見てみますと、世継ぎの方、皇嗣に重大な事故があるときは、皇室会議の議によって皇位継承の順序を変えることができる、

BB:皇太子がこれに該当します。それを国民の多くが知りつつあります。後は総理の決断だけ。

こういうふうに述べてあります。従ってこの皇室会議を開くのは、議長であるところの総理大臣ではありますけれども、形式的には宮内庁がイニシアチブをとることになりますから、これが非民主主義的に運営されるということになりますと、非常に重大な結果を及ぼすと思うのであります。

○菊池委員 略 私は、皇太子が平民の娘をそのきさきとして選ばれたことを非常に喜んでおります。平民であろうが新平民(注 部落民)であろうが、粉屋の娘であろうが何であろうが差しつかえないと私は考えておるのであります。

略 その婚約の過程においていろいろの謀略、策略が行われておるということが、最近の週刊雑誌やその他の刷りものにおいて世間に流布され、これによって国民が非常な疑惑を抱いて、国民の頭は割り切れないような感じになっておるのであります。


 まず第一にお伺いしたいのは、この婚約の前に、美智子嬢は二十五人の見合いをしておられた。そして最後に波多野という青年と婚約、これを破棄して皇太子の方に振りかえたというようなことが流布されております。週刊雑誌に出ておりますが、これは事実でありましょうかどうか。

宇佐美説明員 非常にりっぱな方で、従前にもいろいろ結婚のお申し込みがあったように伺いますけれども、お尋ねのようなことは全く聞いたこともございません。


BB:宮内庁はこう答えるしかないでしょうが・・・・見合い25回は知りませんが、美智子さんが婚活に熱心で15歳から、公職追放を免れた、ということはGHQ側の人間が主催する、エリート男性とのお見合いダンスパーティに常連として参加しています。

○菊池委員 片一方にそういう婚約がありながら、これを破棄して婚約をするということは、世俗、人情に反し、道義をじゅうりんし、将来の国民の象徴たるべき人を作り上げるにはふさわしいことではないと思うのでございます。そういう婚約者があるかどうか、その点をお伺いいたしたい。波多野という青年です。

宇佐美説明員 全くないものと考えます。

BB;「ない」と明言せず、出来ず? 「考えます」とは、つい出た本音?

○菊池委員 もう一つ重大なことは、この婚約を運ばれた方々、運動に当られた方々が全部カトリック教徒である。

BB:委員に、当時はありがちにキリスト教への認識が薄く、十把一からげに
カトリック呼ばわりしてしまったので、せっかく肉薄しながら逃げられています。
答える宇佐美さんもクリスチャンだった。


前の田島長官もカトリック教徒であり、それから宇佐美長官もカトリック教徒であり、小泉信三氏もカトリック教徒であり、それからしゅうとになられる正田英三郎氏もカトリック教徒である。それから最高裁判所長官の田中耕太郎氏もカトリック教徒である。カトリック教徒の一連のからくりによってこの婚約が運ばれたという説が流布されておるが、これはいかがであるか、承わりたい。

○宇佐美説明員 略 ただ出身せられた聖心学院というのはカトリック系の学校でありますが、御本人は洗礼を受けておられない。

BB:もはや、この嘘は成立しないでしょう。

あるいはカトリックが将来皇室に対して何らか影響を持たないかという心配をせられた方々が世上あるということは聞いたことがございます。しかし、もちろん美智子さんは洗礼を受けておられませんし、学校当局においても非常に慎重な態度をとっておられまして、この問題に対しては何ら御心配はないと考えるのでございます。従って、過去においてこの問題についてカトリック系の陰謀があったなどということは全然根拠がございません。

BB:「カトリックに陰謀があった」という説が当時にはあったということですね。
そして、それは事実でした。拙ブログ主が、キリスト教が手段として使われ、キリスト教信徒がGHQの手先として動いたのを掴んだのは、この情報を知る前です。

○菊池委員 もう一つ、この御結婚の話について、天皇皇后両陛下を初め皇族の方々がみな反対されたという説が流布されております。皇室会議が終りまして、その報告を宇佐美長官から天皇陛下に申し上げると、天皇陛下は怒られたお顔で、ふんまんやる方ないお顔で一言も発せられなかったというようなことも流布されておりますが、これはいかがでありますか。

○宇佐美説明員 今回の御結婚につきまして、御両親陛下であります両陛下その他皆様の御反対があって、進め得られるものではございません。

BB:進め得られます。背後にGHQがいれば。

ましてやただいま申されたようなデマは、取るに足らぬものと私は思います。

○宇佐美説明員  略 昔の規定によりますと、天皇は皇族を監督するというような規定もございました。今はございません。

BB:監督の義務を外してしまったのも、おそらくは憲法と同じく皇室典範を作らせた、GHQの意図でしょう。放置するほうが、バカ皇太子やバカ皇族が現れる確率が高くなるのですから。


反日韓国人、韓 昇洙(左)と、潘基文(右)に取り込まれた皇太子。

皇后陛下は、安倍総理の靖国神社を厳しく批判、捏造慰安婦を称して「性奴隷と言うべき」と言い捨てたヒラリー・クリントンと親密。

皇后も、強制の慰安婦がいたという捏造を信じこんでいらっしゃいます。

ヒラリー・クリントン曰く、

「韓国を見ろ。韓国人も経済開発をして民主主義を成し遂げる過程で多くの問題に直面した。これは一夜になるものではない」

米民主党の大統領候補であるヒラリー・クリントン前国務長官が27日、 4番目の選挙戦であるサウスカロライナ州のプライマリー(予備選挙)を控えて24日に開かれたタウンミーティングで、突然韓国について言及した。
「(中略)」

・・・・・・・・・・・・・・

親韓まで、反日クリントンと皇后陛下はシェア。

日本がなければ、韓国の急速発展はなかったものを。
皇后とクリントン。賢そうで、実はそうでもないのも共通項。

思われているほど偏差値は高くない聖心女子大(名門ですが)は、
敗戦後明らかにGHQの息がかかっています。(卒業生全員が、
カトリック左翼だという意味ではありません。GHQは日本/皇室弱体

化の手段としてキリスト教を用いました)

開校は1916年ですが、敗戦を機に1948年、新学制により聖心女子大学として発足。初代学長はエリザベス・ブリッドですが、この女性は、
皇太子(今上)洗脳係としてGHQが送り込んだ、バイニング夫人と
同じ船で来日。GHQの息がこの女性にもかかっていたと思っても、
ほぼ間違いはないでしょう。

元国連難民高等弁務官の緒方貞子は新制大学の第一期生。愛子天皇擁立論加担者で、女性宮家創設の知識人会議に皇后陛下の お声がけで参加。愛子天皇擁立論加担者。

緒方貞子は男女同権のフェミニズムでも皇后と同じ価値観。
日本は難民を受け入れるべきと主張しています。
日本にはすでに、政治難民・経済難民をルーツに持つ在日という名の、難民を60万人も受け入れさせられているのに。

◆マッカーサーが仕掛けた戦慄の時限装置


http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20091124/197024/?rt=nocnt


皇太子明仁の誕生日になぜA級戦犯が処刑されたのか?

・・・・・・・・・・・・

著者の猪瀬直樹は、ろくでもないところもある男ですが、この件に
関する考察は正確です

欧州の王室は見抜いていた「貴賤結婚」の娘。賤しい出自だと。


長いこと、皇太子妃とも書いてもらえず、「その妻 正田美智子」扱い。
雅子さんも同じく、賤しい出自の娘との認識。

紀子妃は、最初から正当な出自と認められています。

知らぬは日本人ばかり。日本人でも、成婚前後の国民(現在80歳以上)は、相当数が気づいていましたね。仕組まれた成婚、ふさわしからぬ嫁であることを。

◆参考ブログ伏見顕正(あきまさ)の「時を斬るブログ」様より

http://blog.goo.ne.jp/duque21
【重要事実発覚】自称皇后堤美智子の母、正田富美の戸籍ロンダリング、無限拡散希望 


投稿するべきかどうか悩みましたが、私は佐賀出身です。美智子妃殿下のお母さんの副島さんは本当の武士の副島さんではありません。

ご成婚が決まった時、副島さんのお宅に来られ、戸籍を買いたいと言われたそうです。

副島さんは断られました。どこの馬の骨とも知らぬ副島さんが武士を名乗るとは。
ましてや多久は炭鉱の町。非常に部落出身者が多く、副島さんの生家も誰も多久の人たちは知りません。

武家の家ならば、高齢の人ならば知っているはず。いろいろな噂がありますが、佐賀の人は知っていますよ。

美智子さんの従妹たちも当時はたくさんいらっしゃったし、成婚が決まり皆東京に行ってしまったけど、話は聞いています。

https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12137728773.html



▲△▽▼

衆議院会議録情報 第031回国会 内閣委員会 第5号
第031回国会 内閣委員会 第5号
昭和三十四年二月六日(金曜日)
    午前十時十九分開議
 出席委員
   委員長 内海 安吉君
   理事 岡崎 英城君 理事 高瀬  傳君
   理事 高橋 禎一君 理事 平井 義一君
   理事 前田 正男君 理事 受田 新吉君
      今松 治郎君    植木庚子郎君
      菊池 義郎君    小金 義照君
      始関 伊平君    田村  元君
      富田 健治君    橋本 正之君
      船田  中君    保科善四郎君
     茜ケ久保重光君    石橋 政嗣君
      柏  正男君    中原 健次君
 出席国務大臣
        国 務 大 臣 伊能繁次郎君
 出席政府委員
        法制局長官   林  修三君
        法制局次長   高辻 正巳君
        防衛庁参事官
        (長官官房長) 門叶 宗雄君
        防衛庁参事官
        (経理局長)  山下 武利君
 委員外の出席者
        宮内庁長官   宇佐美 毅君
        専  門  員 安倍 三郎君


     ――――◇―――――
○内海委員長 これより会議を開きます。

 総理府設置法の一部を改正する法律案を議題とし、これより質疑に入ります。質疑の通告がありますので、順次これを許します。平井義一君。

○平井委員 皇居造営審議会を設置する件につきまして、宇佐美宮内庁長官にお尋ねをいたします。皇居を造営するかしないかという問題に関しまして、まず長官に天皇制のあり方について所感を承わりたいと思いますが、天皇制といえば神武以来の天皇制でございますので、非常に長期にわたりますので、これを三つに区切って所感を承わりたい。神武天皇から孝明天皇まで、明治天皇から終戦までの天皇制、終戦になって新憲法のもとに作られた天皇制、この三段階に分けて、天皇制のあり方について長官の所感を承わりたいと思います。


○宇佐美説明員 天皇制のことにつきまして御質問があり、歴史的に大へんに古いところからの考え方を述べろということでございますが、私どもは日本の歴史を振り返って、わが国において天皇を中心にした一つの日本民族の国家が発展してきたものと考えております。これを明治以降におきまして一つの近代国家として新しい憲法制度のもとに、はっきりと国法的にも規定的に定められて参った特徴があると思うのであります。しかし明治制の憲法というのは、今さら申し上げるまでもなく天皇主権という立場において制定せられたものでございますが、新憲法によりまして国の象徴としてのお立場であり、主権は国民にあるという建前に立って、いわゆる民主主義国家の建設を行われたと考えるのであります。私どもは現憲法の趣旨に基いて今後発展していくべきものと考えておるわけであります。


○平井委員 日本の天皇制が始まりまして、天皇または王様――あるいは外国の王様のごときは戦争をして、勝って王様になるというのが通例でございますが、日本の天皇制の場合、やまと民族の中心として天皇がおわしますというような観念であったのでありますが、長官は皇統連綿と続いて、たとい徳があろうとなかろうと天皇は皇統連綿として続いているのだ、あるいは非常に人格が高くてやまと民族の中心としてふさわしいお方が日本の中心になられておった、このいずれをおとりになりますか、お聞きしたい。


○宇佐美説明員 わが国の天皇制は世襲の制度でございまして、しかもその天皇の位につかれる方がやはり国民の崇敬の中になるようなりっぱな方であってほしいというのが国民の念願であろうと思います。


○平井委員 続日本紀でしたかに「武烈天皇は性さがなくましまし、悪しきというてなさざるはなし。ゆえにここに皇統絶えにき。」と出ておりますが、そこで日本の皇統は絶えております。ところが民族の中心がないというので、当時のやまと民族が非常に心配をされていろいろ徳の高い人を探した結果、河内の国の山奥に非常に崇高なお方がおられた。その人をその次の天皇に中心として迎えた。これが孝昭天皇でございます。そういうふうで非常に徳の高い、民族の中心としてふさわしい方が中心となられ、これを親として崇拝をしておったということは長官も御承知のことと思います。また北畠親房卿は「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」、こううたっております。

そういうことで常に天皇と国民は一体の姿であられたということも長官は御承知の通りと思うのであります。そこで孝明天皇は、いよいよ王政復古の声が日本に立ち始めまして、当時御承知のごとく日本は徳川幕府によって支配をされておった。そのときも孝明天皇は「すましえぬ水にわが身は沈むともにごしはせじなよろづ国民」、これは若くして世を去られたとも聞き、あるいは切腹したとも私は承わっておる。明治天皇は幼少にして非常に苦労をされた。その結果明治天皇が王政復古の後に明治大帝とまで崇拝をされておるのであります。その後明治天皇は欽定憲法をしかれて、ほんとうに天皇主権のもとに天皇と国民は一体である。すなわち「罪あらばわれを咎めよ天つ神民はわが身の産みし子なれば」、全く一体の姿で来たのであります。その点から見まして日本の天皇制は諸外国と違って、ほんとうに天皇と国民が親子の姿であり、一体の姿であるところに天皇独裁ということでなく、ほんとうに国民と天皇といったような、決して天皇はオール・マイテイでないと私は考える。すべて民の世論、民の声を聞かれて、これで政治を行なったということが日本の天皇制の姿でなければならぬと思います。

従いまして天皇は国民の親であり、ほんとうの中心である。それが戦争がだんだん敗戦の姿をたどって終戦になる。国民の中にはあるいは戦犯、あるいは数百万の戦死者を出しておる。国民の親であるべき天皇は近代天皇でありますが、いかなる親としての行動をされたか、これは私は強く追及をすることもいたしませんが、だんだん敗戦後に天皇制に対する観念が薄らいできておるということは長官も御承知と思います。しかも皇室の尊厳について今日の日本の姿、あるいは日本の青少年の気持、これを考えて今後の天皇制、皇室の尊厳がどうあらなければならぬか、過去のことでなくこれからの天皇制でよろしゅうございますが、皇室の尊厳、今後の天皇制のあり方、これに対してどういう確信を持たれ、どういう天皇制のあり方がいいと思われるか、この点を一つ長官にお伺いいたしたいと思います。


○宇佐美説明員 ただいま平井委員がるるお述べになりました点につきましては、私どもきわめて同感いたすところでございます。常に皇室が国民とともにあられるということ、昔から皇室の念願とされ、その実現に心を砕かれたのであろうと考えるわけでございます。いろいろ機構上の変化があるといたしましても、皇室と国民との関係というものは、常に皇室は全国民のために行動せられるということであろうと思うのでございます。明治憲法時代の憲法上の地位に基く諸制度と変りました今日におきましては、やはりそこに新しい憲法に基く皇室のあり方というものが立っていかなければならないと考えております。もとより先ほど申しましたような基本的な問題は変らないと思いますが、この現われというものは常にその方向に向って進むべきものであると思います。天皇の御位地は、今は政治あるいは文化それぞれの長という意味ではもちろんございません。国民の統合の中心ということにあられるわけでありまして、そういうような立場から国民の進歩とともに皇室もまた歩かなければなりませんけれども、常に国民の大多数とともにおられるということが必要であると思うのでございます。いろいろ一口に天皇制の民主化ということがいわれるのでございますが、そういう意味における民主化ということでございまして、やはり一般市民と全部同じになるという形式的な問題ではないと思います。やはり国民の象徴としてのお立場というものははっきりお持ちにならなければならないと考えますし、国民もまた、そういうわが国民、民族の象徴であるということに対する尊敬もあるのが当然であろうと私どもは思うのでございます。皇族と国民が相親しみ、その間におのずからな尊敬があって、ともに日本国の発展のために尽されるというお姿が将来の考え方の基本であろう、かように考えております。


○平井委員 昔は先帝陛下がおなくなりになりますれば、皇位をお継ぎになる皇太子は、少くとも一年ないし三年の高座の行事をやられて、これならば民族の中心になり得るという確信がなかったならば、即位をしなかったということを読んでおりますが、その昔の日本の天皇制に比べて、敗戦とはいえ、今日天皇制を維持するとするならば大きな差があると思いますが、この点長官はどう考えられますか。戦争が負けたからどうでもいいのだというふうに考えておりますか。


○宇佐美説明員 昔のいわゆる皇太子のお地位というものは、立太子の儀式によってその方に皇太子というものがきまったのでございます。必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます。その意味におきまして立太子ということは非常に重要な意味があったわけでございます。現在におきましては、法制上当然長子相続ということが定められておるわけでございまして、昔の立太子とただいま行われます立太子の意味は非常に違っておると思うのでございます。昔のような行き方につきましても一つの方法でございますが、同時に、そこに政治的なあるいはいろいろな紛淆も起り得るのであります。私どもは、そういうことが皇室に行われませずに、現在のようなはっきりとした皇室典範に基いてそれが行われることが明確であり、紛淆を来たさずにいけるものであると考えておるわけであります。


○平井委員 終戦後に、御承知の通り日本は、国民として非常によりどころがない。せめて天皇制は維持されたのでありますから、これが一つの希望であり、よりどころであったと思うのであります。新憲法のもと国民の象徴となられたのでありますが、象徴ということの解釈は非常にむずかしいと思うのでありますが、象徴といえば、少くとも全国民の崇拝されるべき皇太子でなければならぬ。しかも立太子の式を終了された。しからば宮内庁長官として、あるいはおそばについておる人としては、民族の象徴にふさわしい教育、ふさわしい姿にさせることが職責ではなかろうか。そうならなければ、民族のより場もない。将来の日本を考えたときに、一体どうなるか、これは人ごとでない、日本民族の問題でありますから、特に宮内庁長官はこの点をほんとうに真剣に考えなければ、これが一角がくずれていった場合には、宮内庁はもちろん要りません。宮城開放の問題も近く起ることは当然の話でありますが、現在のあり方が新憲法にふさわしい、あるいは日本民族が非常に尊崇して、喜んで天皇制を護持されると思われておるかどうか、この点を長官にお尋ねいたします。


○宇佐美説明員 私どももただいまお述べになりましたようなことを深く考えておるつもりでございます。今のような新しい憲法のもとにおける皇室におきましては、皇室の方々の御行動というものが非常に大事であると考えております。そういうような意味におきまして、皇太子殿下の御教育と申しますか、御研さんを願うことは、われわれとしても非常に強いわけであります。人を作るということは容易なわざではございませんけれども、われわれといたしましては、大きな一つの職責と考えておる次第であります。


○平井委員 皇太子殿下の御結婚につきましてお尋ねいたしますが、新憲法のもと恋は自由でございますから、皇太子殿下も人間だから恋をするだろう、こうおっしゃるでしょう。それもまことにけっこうでございましょう。しかし民族の象徴という観点から見まして、もしも天皇陛下が皇后陛下と銀座を毎晩散歩しておる、あるいは自分のしたいことをするということになっても、民族が尊敬をし崇拝をすると思われておるかどうか。私は決してこの御結婚に反対をするものではありませんけれども、要するに、もしも皇太子殿下、天皇が民族の象徴とするならば、国民の声によって――いろいろお相手を探したけれどもなかった、民間からぜひもらっていただきたいとあなたから進言をされて御結婚あそばすならば、これは民族の声である、ほんとうに国民の声でありますから、私は大歓迎でございますが、もしも伝え聞くように、皇太子殿下が軽井沢のテニス・コードで見そめて、自分がいいというようなことを言うたならば、ここにおられる代議士さんの子供と変りない。

私の子供と変りない。これが果して民族の象徴と言い得るかどうか私は知りませんが、あなたから進言をされたものか、皇太子殿下が自分で見そめられたものか、この点をお尋ねしたい。


○宇佐美説明員 皇太子様の御婚約の実際についてのお尋ねでございます。これは世上いろいろ間違って伝わっておりますので、ただいま御質問がありましたので、私はこの機会にはっきり申し上げておきたいと思います。

 今回の御婚約につきましては、数年前からいろいろ準備を事務的に進めておったのでございますが、もちろんその選考の方針その他につきましても、皇太子殿下御自身はもちろん、両陛下のお考えも伺って、われわれとしては慎重にいたしておったわけでございます。殿下御自身の御性格も非常に慎重な方でございまして、御自身の義務というようなことにつきましては、はっきりとお考えをお持ちになっている方でございます。

今回の御内定になりました方につきまして、世上で一昨年あたりから軽井沢で恋愛が始まったというようなことが伝えられますが、その事実は全くございません。もちろん軽井沢でテニスを一、二度なさったことは事実でございます。しかしそれ以上の交際があったわけではもちろんございませず、この御婚約につきましても、その当時は何らそういう方がわれわれのあれにも入っておりません。しかしいろいろ候補者を選考して参りました過程におきましても、殿下に一々ごらんに入れているわけでございます。昨年の春ごろからいよいよ何人かの候補者をしぼって御相談申し上げ、そのうちからわれわれも御推薦申し上げ、殿下も冷静な観察をなさって御決心になったわけでございます。

世上伝わるようなうわついた御態度というものは、私どもは実際において全然お認めすることはできません。むしろ非常に老成された考え方を持って注意深く進められたのでありまして、このことはあの当時の発表後におきましても私どもは外に向ってもはっきり申しております。世上そういうふうに伝わっておることは事実と反していると私は考えます。なかなか先に出ますとあとから幾ら申しても徹底をいたしませんで、この点は非常に残念でございます。ただいま御質問をいただきましたのは、私としましてはむしろありがたいことでございます。


○平井委員 長官の説明を了としますが、われわれ、世上というか、宮内庁係の新聞記者連中ともよく知っておりますし、いろいろ聞くところによれば、小泉さんと田島さんが非常な推薦者であった、あとはむしろそう賛成をなさらなかった、これはどうだか知りません。世上の話でございます。そこで小泉さんあたりの教育の仕方がいいと言う人もあるし、悪いと言う人もある。

私、小泉さん、田島さんがどういう意味で強硬に推薦されたか知りません。推薦する方にもまた考えはあると思いますが、非常な推薦をして、ついに宇佐見長官も同意をしたというふうに聞いておりますし、また東宮御所において、皇太子殿下が学友を集めてわあわあ言うた結果とうとうきまったのだというようなことが、御婚約の後にぼつぼつ週刊朝日などに載るようになりましたときの責任や重大なるものがあると思いますが、この点長官いかがお考えになりますか。


○宇佐美説明員 今度の御選考につきまして、皇太子殿下の御教育に顧問として参画しておられる小泉博士あるいは前長官であります田島氏や、その他の方々といろいろ御相談したことは事実でございます。しかしながらこの間においてだれが反対をし、だれが強く推したということはございません。非常にこれは大事なことでありまして、一人の懸念もないということを私は慎重に考えて進めたわけでございます。こういうような点につきまして、私は内容について外に言ったこともございません。いろいろな憶測が出るようでございますが、これは全く事実と違うものと存じております。


○平井委員 これはなかなか大事な問題でございます。将来日本の天皇制が傾いた場合に大へんな問題になるので、私は国民代表として言うておかぬと困ると思うのですが、まず参考に申し上げておきますが、私が先般いなかに帰りましたとき、非常な天皇崇拝者のおばあさんがこういうことを言った。

先生、日本も天皇制はしまいましたね、だから金持ちのお嬢さんをもらったのだろう、そういうふうに心から言うのであります。そういう年寄りが全国津々浦々に非常に多いということも長官は知らなければならぬ。いずれ天皇陛下になられるのでありますから、民族の象徴として、今日の皇太子がそれにふさわしいお方にならぬときは、日本はしまえるのですよ。今日われわれ中共だとかソ連だとか言っておるけれども、内輪でしまえるのですからこれは冗談じゃない。小泉さんあたり少しどうかしておられますまいか。よほど慎重に考えてくれなければ困る。

もう皇室の尊厳というものは、小学校の本にもないし、だんだんなくなってくる。そういうお方を国民が崇拝して、宮内庁まで置いてああいう広いところで生活をする必要はないではないかというような段階まで行きはしないかと、私は非常に心配して言うのであります。長官は世上に伝わっておることはうそであるというけれども、一年前のテニスの写真を出したり、遊ぶところを写してみたり、ああいうことはあなたの責任ですよ。国民は決して喜んでいはしない。

それを国民は非常に御結婚には賛成だ、いよいよ皇室も民主主義になったのだ、こういうふうにもろ手をあげて喜んでいるというふうに考えることは、私は大きな間違いだと考えます。しかし婚約が整ってもう式も近まったのでありますから、これに対して私はとやかく言いませんけれども、英国の例によりましても、これは皇帝にならなければ心配はない。恋愛は自由ですから。私は退位して会社にでも勤めましょうということになると、われわれは一口も差しはさみません。九千万の象徴となられる方だから心配をしておるのであります。その点義宮の結婚と非常な違いがあるということも考えなければならぬ。

そういう場合には退位をされるといえば別でございますけれども、英国とは日本の皇室はかなり違った立場に置かれておるのでございます。英国ならば恋は自由でありますから、恋をなさい、そのかわり国民はあなたを養いませんよ、どうぞなさって下さいというようなことになると思いますけれども、日本はそこまで言わぬが、それだけに国民の気持というものは、あなた方が想像されるのとちょっと違いはすまいかと考えておりますので、今後の皇太子のあり方、今度婚約されるお方のあり方、写真等、これは宮内庁の宣伝と申しますか、そういうことについては特に私は留意をしなければならぬと思う。

これは共産党であったら大歓迎です。要するに天皇制のあり方、皇室の尊厳ということをもう少し高める上において、何かあなた方は研究をされておりますか、まだ何も考えておりませんか。将来どういうふうに日本のこの皇室というものを持っていきたいというお考えですか、この点一つ。これはあなたが長官のときですから大へんな問題になる。将来問題になったときに、私があそこで質問したがその通りになったと言わないように一つ心がけ、また今後あなたとしては、どういうふうに天皇制を持っていき、皇室の尊厳を高めていくというお考えであるか。


○宇佐美説明員 先ほど御指摘になりました殿下の今回のことについての御態度は、先ほど私がはっきり申し上げた通りでありますが、おきまりになりました以上は私どもはやはり将来殿下と妃殿下がほんとうの愛情を持って、りっぱに結ばれていかれるということをわれわれは望むものであります。しかし今御指摘になりました御行動についてはわれわれも非常にこまかい点まで注意をいたしております。最近の週刊雑誌等を見ましても、そういった問題についてわれわれも国民の疑惑が起らないように、いろいろ報道関係にもお話し申し上げたのですが、雑誌を見ますと、宮内庁は反動化したというようなことを盛んに座談会でも言っておりますけれども、国民に筋の通った報道というものはやはりなければいけない、どういう生活をなさるかということは当然なければならないと思いますけれども、むやみに追いかけ回されるということについては、われわれとしても心外でございます。そういう点で、殿下の御行動については慎重な注意をいたしておるわけであります。しかし昔のようにすべてを不自由なと申しますか、当然あっていいことまで押えるということもどうかという気がいたします。殿下が伸び伸びと自身の立場を思いながら御成長を願いたいとわれわれは思うわけであります。やたらに何でもかでも押えるということもどうかと思います。ただりっぱな地位に対する御自覚から、すべての行動をよく考えていただいて、われわれもそれをお助けして、ほんとうに国民の将来の象徴としての素質を十分伸ばしていただきたいということでございます。これは大きな政策とか、そういうことが表面に出ることではなく、日々の行動が重なってそこに現われていくものと思います。私は日々のことにつきましても、東宮職のおそばにおります者にもちろんるる申しますし、小泉博士も皇室の将来ということとあわせて考えてやっていただいておりますが、私もよく国会における御質問等も伝えますし、私の考えも始終述べておるわけでございます。

 なお今後の皇室のあり方につきましては、御指摘の通りに、ほんとうに真剣に慎重に私どもは考えなければならぬ。そういう問題について、ただ宮内庁の組織だけで考えていいのか。その間において世論を聞き、いろいろな立場から検討すべきはもちろんであります。そういう点についてもいろいろ今考えつつあるところでございます。まだ申し上げる程度にまとまりませんけれども、将来のためにこれはほんとうに考えていかなければならぬというふうに思っております。


○平井委員 皇室は、御承知の通りわれわれ国民と実は違うのでありまして、これは昔なら天皇学でございますが、今日の教育係というものの教育は、われわれ国民と違った立場においてされなければならぬと思うのであります。これはわれわれのようにちょっと代議士に立ちたいとか、金がほしいとか、名誉がほしいということ、全く教育に要らぬのであります。ほんとうに欲も得もない、ほんとうに人間の象徴としていかれればいいのでありますから、その教育は今あなたがおっしゃるように、あまり何もかにも押えるということではなく、民族の象徴にふさわしい教育、それを小泉さんはちょっとはき違えておりはしませんか。

国民らしく育てるということが小泉さんの教育の方針では困る。これは事実欲も得も要らない、選挙の必要もなければ何も要らぬのですから、その点の教育はあなたが小泉さんに教えてやって、皇太子殿下の教育というものは、一般の学習院の生徒と別でなければならぬ。昔なら上御一人といわれたのです。一般の学習院の生徒並みに教えたのではこれは絶対に象徴になれない。われわれが欲しない点、またできない点、国民では及ばないという教育があると思います。そういう教育を教えない限り――ただ昔と違って自由である、自由に教育をするのであるという行き方もありましょう。自由主義者の中にはありましょうけれども、そこは一つあなたが小泉さんあたりに教えてやって、一般の生徒とは違う立場においての昔なら天皇学、今日なら皇太子殿下の教育というものをされなければ、これは象徴として国民が崇拝するかどうかわからなくなってしまう。早い話が、皇太子殿下が銀座へ遊びに行かれる、友だちと一ぱい飲みたい、そういうことになったら、これは民族の象徴ということは絶対に言えない。天皇は常に大自然とともにあらねばならぬ。そうしなければ英国の国体と同じになるのですよ。日本の天皇というものは、常にもう大自然、どこから見ても富士山の姿のように拝まなければならぬというぐらいのあり方でなければ、国民は崇拝しませんよ。そういう点から見て、いま少し厳格な教育をされたらどうですか。昔、北畠親房などはこれはもうけ飛ばしおったという話です。たたきまくって教育をされたということも聞いておるが、あまりにも自由奔放な教育をされておるのじゃないか。そういうことからきて皇太子殿下の感覚が違ってくる。自分の将来民族の象徴としての感覚が狂ってくる。どうもこのごろはわれわれが考えても――われわれは子供のときから天皇一本で育ってきた、教育を受けてきた者でも、ちっとおかしいではないか。まして終戦後の教育を受けた青少年は、全くそういうことがなくなってしまう。

 そこで議題にありますところの皇居の造営ということになれば、これは非常にむずかしい。あなた方の教育いかんにより、天皇のあり方いかんによって、造営ができるかできぬかになるのです。お互いが天皇制護持者だから、何でもかんでも皇居を作れというふうなわけにはいかぬようになっておるのです。それを一つ長官は十分考えていただきたい。もしも教育があまり芳ばしくないというなら、小泉さんあたり入れかえたらどうですか。そんなことこそ民主主義だ。いつまでも、勤まっても勤まらぬでも、この人間をそこにつけておくということが一番封建的ですよ。もし皇太子殿下の教育係でも、これはちょっとあなたが悪いと思ったら、あなた方が入れかえたらいいじゃないですか。それが今日のあり方でございます。昔ならばかでも何でも一ぺんひっついたら、宮内省におればやめさせられなくなっておった。今日ではどんどんやっていいのですから、そういう新体制に切りかえていって、よりよく皇太子を教育するというふうにされなければ、天皇陛下は何もおっしゃらぬのですから、あなたがそういうふうに判断をしなければ、今後の、遠き将来というか近き将来というか、日本に変動が起った場合には、あのときの長官は宇佐美さんであったということになれば、あなたの人格はりっぱであるけれども、やはり時にぶつかればあなたの責任になりますから、その点、あなたが十分研究をされ、努力をされて、やはり皇室の尊厳を残していくというふうに努力をされなければならぬと私は思いますし、また皇太子殿下においても、これはあなたが直接進言できるのかどうかわかりませんけれども、十分そこを自覚されて、やはり国民の崇拝するに足る人間になってもらいたい。これは人間というか、昔は神様だったのです。御承知の通り明治憲法のもとにおいては、神聖にして侵すべからず。今日人間になったというだけで、やはり象徴ですから、象徴ということについての私の解釈が合うかどうか知りませんけれども、私は民族の象徴ということになれば、天皇は、国民が貧しければ貧しいものを食べ、国民の政治、経済に伴って生活をしていかれる、ああ陛下は銀座にも行かれぬし、映画も見られぬ、これはわれわれはひとしく崇拝しなければならぬという気持になっていくと思うのでありまして、民族の象徴というのはただ看板だけで、あとはわれわれ国民と同じ行動をとってよろしいのであるというふうに考えたならば、象徴とは言えないと私は思いますが、あなたは象徴ということをどう解釈されますか。


○宇佐美説明員 終戦後今まで皇室に対する一般的ないろいろな批判が行われて参りましたが、この大きな流れというものは、やはり一言で言われるような民主化、もっと自由にしてあげなければいけないのじゃないか、あるいは今おっしゃったような、銀座にもおいでになればいいし、喫茶店にもおいで願えばいいじゃないか、そういう議論が割合に多かったと思います。しかし私は決してそうは思っておりません。やはりすべて普通の国民と同じ生活をするということでは、ほんとうの象徴としての国民の尊敬を集め、親愛を得られることにはならない。それは、ある意味において自由が一部ないともいえます。しかしそれはやはり国民の中心となって、象徴としてお過ごしになるには当然負われるべき御責任であり、御義務であると思います。そういうことでなければ、何らわれわれと差がなくなってしまう、私は常にそう思うわけであります。最初に申し上げたような意見はいろいろございますし、いわゆる雲の上に上る行き過ぎた行き方は、もちろん直していくベき点があれば直さなければならぬのでございますけれども、やはりそこにはきぜんとしたことがなければ、秩序は保たれませんし、また尊敬や親愛というものも生まれてこないと私は常に考えております。そういう御修養もなさらなければなりませんし、そういう義務ということもしっかりとお持ちを願わなければならぬと私は考えております。しかしそういう点は御幼少のときからおそばの者が、そういういろいろな進言に対しては気持よく胸を開いてお受けになることをほんとうによく申し上げ、われわれが、あるいはそばの者が申し上げることは、よく御反省になる方だと私は思っております。もとよりまだお年もお若いことですし、御修養願うべきことは多々あるわけであります。小泉博士は、常に皇室の将来を最も心配しておられる一人だと私は考えております。しかし具体的にどういうことをということについては御相談もございますし、私も遠慮なく意見を申し上げておるわけであります。今後においても、そういったことについては最善を尽したい。今回のことにつきまして、大きなことを申すと仰せになるかもしれませんが、私が責任をとって済む事態ではない、それ以上の大きな事態であるというふうに考えて参ったつもりでございます。不敏でございますけれども、この覚悟だけはいたしておるつもりであります。


○平井委員 最後にお尋ねなりお願いをして終りたいと思いますが、御結婚式も近いのでありますから、今の長官の御説明で私は納得いたしましたが、なお宮内庁から国民が納得するようにしていただきたいと思うのと、これは長官に幾らわれわれが質問してもしようがないが、皇太子殿下並びに宮様のおつきの人は、悪ければ取りかえなければ教育というものはよくなりません。あなたが見はからつて、これはあまりよくないと思われる人はどんどん取りかえられて、そうしてりっぱな教育をされる方をお入れになって――今の人がいいか悪いか知りません。悪いと言う人もあり、いいと言う人もあるが、取りかえて教育をなさらぬと、将来非常に大きな問題が起るのではないか。天皇制のあり方ということは、日本の政治、経済あるいは世界の動静に従ってあらなければならぬと私は思うのであります。従って皇居造営の問題におきましても、まだ審議会はできないのでありますけれども、もしも審議会ができましたならば、時代に即応して、かつて三井、三菱の大財閥が十万坪の屋敷に住んでおったのが、今日一万坪の住居におるということを参考にして、今日の皇居のあり方はどういうふうでなければならないかというふうに、率先宮内庁は研究をされていかなければ、これまた非常な難関に到達すると思うのでありますから、日本の情勢、世界の情勢、東南アジア未開地のところにクーデターがあり、いろいろある世界の動向をよくながめて、ひとり日本だけが昔の風習ではいかれない、日本の皇室はこうあらなければならないという見地から、まず率先してあなたの方で案を立てられなければ、将来禍根を残すと私は思うのであります。どうか皇居の造営の問題につきましても、あなたの方で十分考えられて、先手を打つといってはおかしいのでありますけれども、この程度でよかろうとか、あるいはこうした方が今の日本の皇室にふさわしいのであるということを十分考えられてお作りにならなければ、将来禍根を残す。東宮御所の御造築のごときも、間組が一万円で引き受けた、こういう崇拝組も日本にはあります。また家がなくて困っておる国民もある。私は間さんに言いたい。そういう金があるならば、住宅のない人に建ててやったらどうかと間さんに言いたいが、あまり私は懇意でないから言うておりません。そういうお方もあるが、それが全部でないことも考えなければならない。そういう人もおります。いなかの年寄りの八十、九十の人は、日本が戦争に負けたことも知らないという人もおりますから、そういうことを十分考えて、あなたの方で考慮されて、現在の世の中にふさわしい皇居の造営を計画していただきたい。同時に今後の皇室の尊厳並びに天皇制のあり方を十分研究されなければ、日本の将来にいかなる変動が起るかわからぬということを肝に銘記して、今後長官としてりっぱに職責を全うされるようにあなたにお願いを申し上げて、私の質問を終ります。


○内海委員長 受田新吉君。


○受田委員 私は宮内庁長官並びに法制局長官並びに総理大臣にかわって御出席いただく官房長官に相次いでお尋ねを申し上げたいと思います。それは皇室に関係した事項で、今、平井議員よりお尋ねになった諸問題を別の角度からお尋ねしてみたいと思います。

 私は最初に、日本の天皇制というものが新憲法で国民の象徴とされているということに一応うなずき、またこれを支持していく一人であります。ただここで問題となるのは、天皇の御地位というものに対して、新しい憲法が保障する基本的人権、いわゆる憲法の第三章に掲げられてある基本的人権と矛盾する面が相当起っておらないか。この点が第一のお尋ねの問題であります。具体的に申し上げますが、新憲法は天皇を人間天皇として宣言せられておる。そういう意味からいうならば、その人権もまた十分尊重をするという意味で、象徴としての天皇の権威を傷つけない限度におけるゆとりある人権尊重のあり方が示されておらなければならぬと思います。一例をあげますが、天皇はいつまでも天皇の御地位におられなければならないということになると、非常に窮屈なお感じをなさることもあろうと思うのです。従って、たとえば皇太子が成年に達せられ、あるいは御結婚をされる。そして十分後継者として天皇の地位を守ってもらえるということになり、また天皇御自身も、一般でいうならば定年退職に当られるくらいの年配になられる、こういうことになるならば、天皇の御退位の自由ということが一応認められていいのではないかと思うのでございますが、この問題は、宮内庁としては、また法制局としては、どういう御見解を持っておられましょうか。


○林(修)政府委員 ただいまの問題は、非常に重要な問題であると思います。これは御承知の通りに、新憲法が当時の帝国議会において審議された際に、あるいは現行の皇室典範が法律案として議会で審議された際にも、非常に議論されたところでございまして、いろいろの角度から御議論があったわけであります。しかし当時の政府として、皇室典範にこういう制度を認めなかった理由としては、次のようなことがいわれております。現在の憲法は、もちろん皇位継承のことにつきましては法律に規定を譲っております。法律である程度のことは書き得る範囲のことがあるはずでございます。しかしこれは憲法第一条が、天皇は日本国の象徴とし、それからその地位が日本国民の総意に基くというこの規定、それから第二条に皇位は世襲のものである。こういう規定と離れて、ただいまの問題を議論することはできないと私は思うわけであります。なるほど新憲法によって人間天皇としての地位はできましたけれども、しかしそれだからといって、一般の人と同じようにこれを扱うわけにはもちろんいかない。やはりこの象徴たる地位、あるいは国民の総意に基くこの地位というものと相いれない範囲におけるもの、そこに制約があることは当然だと思うわけであります。これはやはり皇位というものは世襲のものである。それから古来ずっと一つの系統で受け継がれてきているということと、それからそこに天皇が過去においてはもちろん譲位ということはあったわけでございます。そういうことはありましたけれども、ただいま申し上げたような御地位、それからこの天皇のそういう象徴たる地位から考えまして、御自分の発意でその地位を退かれるということは、やはりその地位と矛盾するのではないか、これはやはり幾多過去の例からいっても、いろいろ弊害があったこともございます。これは一言で申しまして、天皇には私なく、すべて公事であるという考え方も一部にあるわけであります。やはり公けの御地位でございますので、それを自発的な御意思でどうこうするということは、やはり非常に考うべきことである。そういうような結論から、皇室典範のときに、退位制は認めなかったのであるということを、当時の金森国務大臣はるるとして述べておられます。この問題は、実は皇室典範の審議されたときの帝国議会においては、皇室典範の論議の半分ぐらいを占めております。そういうことで政府案が通過したような関係であります。その当時における政府側の見解は、ただいま直ちに変更するほどの理由は私はないと思っております。従いまして今、受田先生のおっしゃったようなことも確かに一つの議論としてはあることと思いますけれども、軽々にこれはきめられない、かように考えております。


○受田委員 私はこの新しい憲法や皇室典範の審議の際の問題を今持ち出しておるわけではない。当時は天皇のお立場が戦犯としての批判を受けようとされたり、戦争責任が追及されたりという渦中にあられた。しかし今日はようやく世界の情勢も落ちついてきたし、日本の復興もほぼでき上ってきたという段階になって、しかも世継ぎになられる皇太子が御結婚されるという段階になられるということになるならば、もうそうした戦犯論議とかその他の戦争責任問題を乗り越えた新しい段階にきて、この問題を考えなければならぬ時期にきておると思う。ことに現在の天皇は二十才になられたときに摂政になられて、自来すでに四十年に近い間を、まことに筆舌に絶する苦労をされておられる。ことに大東亜戦争の責任などという問題になってくると、御自身も非常に痛切に感じておられる。しかしあの大東亜戦争を締めくくる終戦というところへ踏み切られたのは今の天皇であられた。そういう意味からも、私は今の天皇御自身がその悲劇的運命の中に苦労されて今日に及んでおられることを思うときに、皇太子が御結婚されて、一人前の世継ぎとしてもりっぱな資格を備えられておるということになるならば、ここに終戦直後の混乱の中で論議された憲法論議や皇室典範論議とは別の意味で皇室典範は法律でありますので、この法律を改正して、天皇の退位の自由を認めてあげるということが、新憲法の第三章に掲げられた基本的人権の尊重の条項にも合致するものだと思う。従って象徴の尊厳を傷つけないで、後継者がりっぱにおられる場合に、皇室会議の議を経て退位をすることができる、そういう考え方は、私は成り立つと思う。この問題は、新しくそういう事態に遭遇しておるという気持を私は持っておるので、新しく検討をすべき段階ではないかと思う。昔のものを引っぱり出して、今ごろまだ依然として古い感覚で、憲法、皇室典範の論議をされた終戦直後の空気をそのまま今に持ち込むということは、どうも時代感覚のずれはなはだしいものありと認めざるを得ない。いかがですか。


○林(修)政府委員 決してその当時のいわゆる戦犯論議とかいうこととの関連のみで申しておるのではございませんので、やはり確かに受田先生のおっしゃるような基本的人権の尊重ということもございますけれども、憲法第一条、第二条等で規定しております象徴たる地位、あるいは国民の総意に基く地位、皇位世襲の継承ということと切り離して、この問題は解決できないと実は思っております。従いましてやはりそういう今おっしゃったようにいろいろ個々的の場合には、いろいろの事情が起ることはございましょうけれども、今おっしゃることであれば、結局制度としてそれを認めろということになるわけでありますが、この制度として認めろということは、国民の総意に基く御地位、象徴である御地位ということを考えますと、私はそう適当なものではない、過去の歴史を見ましてもそういうことは適当なものではないのじゃないかということも考えるのであります。あるいはこれは制度として認めれば、皇位継承の順位に異動を来たすこともあり得るわけであります。そういうことから考えまして、これはやはり慎重に扱わなければならない、軽々にきめられない問題だと思います。


○受田委員 もちろん軽々にきめるべき問題ではないでしょう。しかし世襲制度というこの憲法第二条の規定によっても、世襲には間違いないわけです。だから隠居する制度も考えられておるのですから、御隠居なされるという形になればいいわけです。従って世襲制度というこの憲法第二条の規定に矛盾する形にはならないわけです。お世継ぎがちゃんと成年に達しておられる、御自身も定年に達しておられるということになれば、当然そういう自由を認めてあげるという規定が、しかもそれが皇室会議という一応の機関の議を経てきめられるわけでありますから、軽々にきめるわけではありません。こういう制度を考えて差し上げることが、憲法の精神にマッチした皇室典範の改変であると思う。

 もう一つそれに関連して、天皇の行為の自由ということにもしばしば問題が起ってくる。たとえばただいまの陛下は、弟さんの秩父宮がなくなられるときに、ぜひ臨終の弟宮を見舞いに行こうとされたときに、ついに宮内庁は見舞いを押えたといわれる。ただいまの皇后は、お母さんの倶子さんがなくなられるというときに、これまたついにお母さんの臨終にもおもむかせしめられなかったという、おそるべき人権侵害をやっておると私は聞いておる。肉親の死に宮内庁がそういう圧力を加えて、人情の自然と美しさを押えるという、こういうことは一体どういうところに原因があるか、そういうことは絶対なかったかどうか、その事情をこの際あわせてお伺いしておきたい。


○宇佐美説明員 前段の陛下の自由な御意思に基く御退位ということにつきまして、法制局長官からお答えがございました。私も全く同様に考えておるわけでございます。現在の場合のみを考えるのでなく、日本永久の将来のことを考える場合に、自由なる御意思による御退位というようなことを、その象徴たる位地から見て、常に国民が全部異論なく認めるかという問題は、いろいろな将来のことを考えますと、容易なことではない。私どもはこれにつきましてすぐ御賛成を申し上げる気持になれないのでございます。

 また後段の御質問でございますが、これは宮中のいろいろな昔からの風習がございます。今の陛下は、そういう点について勇敢に直すべきものは直すお気持でございます。われわれといたしましても、そういう御趣旨に基いて、自然にそういった点につきまして十分考慮をいたしております。御指摘になりましたような点につきましては、われわれは宮内庁において阻止をしたというようなことは全然ございません。事実不幸にしてお間に合いにならなかったということでございます。


○受田委員 そういうお間に合いにならなかったというようなことで、その場をごまかすべきものではないと私は思う。こういうことは、お工合の悪い肉親がおられる場合に、自由にお見舞いができ、その臨終に立ち会われるという努力を、宮内庁がなぜなさらないのです。間に合わなかったのだという言い分は、はなはだ重大な問題だと思うのです。宮内庁としてそういう人情の美しさを押えるような措置をされたと解釈しても、これはやむを得ないじゃありませんか。今度皇太子が結婚される正田さんの場合でも同じことです。つまりこういう場合に正田家が非常に心配しておられる問題として、そうした人間としての自由性を圧迫される点はないかという点がおそらくあったと思う。そういうことについて宮内庁としては、人間としての美しさ、人情の自然というものを十分尊重して、一切こういう問題については人権を侵害するようなことはない、今後は絶対にさようなことはしないということをお約束できますか、まずそれを伺っておきます。


○宇佐美説明員 皇室の方々が、御両親その他の御不幸の場合にお見舞いなさることを、われわれは阻止するというようなことは考えてもおりません。しかし実際の場合に、やはり象徴としてのお立場から、今の例でなくても、そうあそばしたくてもなされないときもあろうかと思います。そこはやはり外から見ますと自由を押えているとわれわれは考えるわけであります。


○受田委員 九重雲深きあたりの一般国民に理解できないような形の宮内庁の措置は、やはり感心できません。宮内庁としては、そういう問題についてはもうあけっぱなしで、たとえばお見舞いに行かれるのに途中の警戒の問題などがあるとかいうことを気がねされて、肉親の死にも会うことができないというような御心配があるならば、そういう問題についてはあたたかい心組みをもってお役目の方をやられればいい。そういうことを十分含んで、何らか一般国民との間を隔離申し上げるような形のないように、一つ宮内庁としては御努力願いたいと思う。

 私はもとに話を戻しますが、もう一つこの御退位の問題に関係するのですけれども、もし退位の自由を認めたならば、皇位継承の順序にも問題があると今長官が仰せられました。これは私はどこに問題があるかということをお尋ねしてみたいのですが、たとえば皇族から、皇位継承の地位にある皇族の身分を離れるという申し出があったという場合のことですが、いかがですか。


○林(修)政府委員 これは仮定の問題ですから、そのつもりでお聞き願いたいと思いますが、かりにそういう制度がございました場合に、たとえば天皇が退位せられる、そのときに実は皇子がおられない、従って皇位継承が皇弟に行ったという場合に、あとから皇子が生れるという場合のことを考えれば、いろいろ問題があると思う。これは過去においても日本の国史を見れば問題があったと思う。そういうことも一つの形態としては考えられるということを申し上げたのであります。


○受田委員 私は、後継者がはっきりして御本人も相当の年令に達しておられる、こういう場合に皇室会議の議を経てきめられるのだと申し上げているわけです。皇子もおられない、もう本人はおやめになった、そのあとに皇子が生れた、そういう仮定の問題を今持ち出したら皇室会議の議が通りますか。皇室会議の議を経るということになれば、やはりそこにはっきりした後継者がおられる、天皇の長期にわたる御苦労に対してもいたわりの気持をもって御退位をお認めするという形になる場合です。そうでない場合には皇室会議の議は通りませんから、あなたの御懸念の問題は解決するのではありませんか、私はそう思うのですが、いかがですか。


○林(修)政府委員 先ほどから申し上げております通りに、今受田先生のおっしゃることは、やはり制度としてそういう制度を設けたらどうかというお話でございます。従いましてそれはやはり皇室典範の中にそういう規定を取り入れることになるわけであります。そうなればこれは一つの制度として将来に向っての問題になります。いろいろなことももちろん考えなければならないことになるわけであります。そういうことを考えてみました場合に、今の自発的な御退位の制度というものが、果して天皇の世襲制、皇室の世襲制、皇子の世襲制、あるいは天皇の象徴たる地位、あるいは国民の総意に基くという国民の信念から見た考え方、そういうところにマッチするであろうかどうか、これはやはり相当疑問のあるところだと思う。今、受田先生のおっしゃるような御議論ももちろんあることと思いますが、それに反対する議論も相当強い根拠を持っていると思います。従いまして私どもとして今簡単にそういうことに踏み切る決心はないわけであります。むしろ先ほど宮内庁長官が言われました通りに、簡単には賛成できない、こういうことでございます。


○受田委員 あなた方は天皇のお立場というものを考えていかなければならない。そこで、あなた方だけの御都合で、天皇の人権をいつまでも侵害していくことは問題だ。だから御用学者という立場であるなら仕方がない。しかしながらもっと純粋な理論的な立場でものを考えていく、あるいは日本の将来を考えてこう解釈したいというような、あなた方はやはりある程度の余裕のある解釈をしなければならぬ。

 もう一つ、これに関係するのですけれども、女帝です。皇族女子には皇位継承権がないわけですが、この皇族女子の皇位継承権を容認するという典範の改正というものは、これは決して差しつかえないわけです。今の憲法では男女平等である。憲法の十四条で、法のもとの平等、貴族の禁止、栄典というところにも、人種、信条、性別云々で差別されないことになっている。そういうところからいっても、国民の象徴だけを差別するということがあり得ますか。そういう意味からも新憲法の精神にのっとって、皇族女子の皇位継承権を認めるということは、私は当然考えられていいことだと思う。いかがですか。


○林(修)政府委員 これも皇室典範のときに議論されたところでございまして、一応議論済みのことだと私は思っております。重ねて申し上げますけれども、確かに憲法では男女平等、あるいは婚姻における男女平等、あるいは相続についての男女平等の原則をきめております。しかしこれはむしろ普通一般の家であれば、昔のような家の制度はもちろんないわけでありますから、主として財産相続についての男女平等でありますが、皇位あるいは象徴たる地位というものは、必ずしも今申しました民法上の相続と同じように考えるわけにはいかない問題が一つあります。そのほかにやはり古来の日本の国民の一つの総意と申しますか、国民の信念と申しますか、つまり男系相続ということで実は一貫して参っておるような状況でございます。従いまして男系相続ということを認める以上は、女帝を認めれば、そこで男系は断絶するわけです。別の系統に移動するということになってくるわけであります。そういうことから一つの問題点がある。また女系による相続を認めれば、これは別の問題でありますけれども、やはり日本のいろいろの古来の国民の感情あるいは現在における国民の感情からして、果していかがであろうかという問題があるわけであります。また過去における女帝の例、日本には幾つかの女帝の例がございますが、これはいろいろな特殊な事情に基いた例だと思っております。そういうところから、やはりこれは慎重に考えるべき問題だということで、皇室典範のときにもその問題はいろいろ話題に上りながら、そういう規定はされなかった。その事情を今直ちに――おしかりを受けるかもしれませんが、そういう事情を今直ちに解消するだけの事由はないのじゃないかと思っております。


○受田委員 この問題は、どうも男系相続が日本の伝統であるからなどという古くさい考えで御答弁されておるようでありますが、すでに英国においてもそういう制度が長期にわたって保持されている。ただ英国の制度には、女帝の場合には男子の兄弟がおらぬというような場合に、女子だけだというようなときに、女帝ができておるわけでありますけれども、一応程度の差はありましても、皇位の継承権に女子の相続権というものは認められておる。こういうところから見て、世界の大きな流れというものを見たときに、昔の古い伝統を今ごろ持ち出されて、男系相続が日本の伝統などというこの論議は、どうも法制局長官としてまずい論議じゃないか。新憲法の精神というものを――ここにおられた自民党の方の中にも、退位の自由と女帝は大賛成だという意見が出ておる。そういうふうな意見が……(「反対だ」と呼ぶ者あり)与党は分裂状況です。そういうことからも皇室典範に対して、もう少し人権を尊重し、象徴としての権威を傷つけない限度において人権を尊重するという配慮をなさるべきではないか。特に宮内庁長官とされても、そうした宮内庁の事務を担当される責任者として、常に日本の将来、国民の皇室に対する感情等の問題を十分洞察して、長い目で見た日本の皇室の将来への見通しを持った努力をしておかれないと、思いがけないところから、今回の御結婚を契機として、皇室に対する重大な国民の悪感情が起ってきたりするおそれが私はあると思うのです。そういう意味から、少くとももう少し大衆と溶け込んだ皇室という、同時に象徴としての立場は保持されるような配慮を払いながらという気持は必要でございますが、そういう努力をしておかれないといかん、かように思うのです。

 そこで、三笠宮に例をとりますけれども、三笠宮が紀元節に対する見解を表明されたというので、中にはこういう三笠宮のような皇族がおられては、皇室の尊厳に関係するから、皇族をやめてもらおうじゃないかという意見がある。宮御自身も皇族をやめたいというお気持を表明されたとも承わっておるのであります。宮が、皇族が、そういうことを発言されたということについて、これを政治問題として見ようとするならば、それはけしからぬじゃないか、皇位の継承予定者がそういうことではいかぬじゃないかという議論が成り立つかと思いますけれども、宮の学者としての良心から叫ばれたこの言葉に対してかれこれ議論する。自民党の諸君の中にそういう声があるわけです。そういうものに対して宮内庁としては、また法制局としては、皇族の身分にある者の発言について、何か常に注意をしておるとか、あるいは圧力を加えておるとかいうことがあるのかないのか、また三笠宮の皇族を離脱したいという気持を持っておられるという表明があったことがあるのかないのか、これも一つお答え願いたいと思います。


○宇佐美説明員 三笠宮様のことについてのお尋ねでございます。殿下は、終戦と同時に軍籍を離れられまして、将来のために東大にお入りになって歴史を御勉強になっておられます。非常に熱心に御勉強になっておるのであります。しかし私は、皇族であられることがまず第一でございまして、国民は学者になっていただくということにおいて皇族におなりを願っておるのじゃないと思います。やはり皇族としてのお立場、義務というものを第一にお考え願うべきであると思います。同時に、お仕事として御勉強になり、それを通じて国家、社会に貢献されるということも私はけっこうだと思う。しかしそれはあくまで学問的なことでありまして、そのお地位から申しまして、政治的問題に関与されていかれるということ、どうも私どもとしては御賛成できないと思います。そういうことにつきまして私も殿下とお話を申し上げておることがございますけれども、しかし今お話しになりましたような皇族の籍を云々ということは、何も私は伺ったことはございません。いろいろ著書等も御発表になるようであります。私といたしましては、もっと慎重な御態度を希望しておるところであります。


○受田委員 宮内庁長官、えらいかたくお考えですが、三笠宮は、紀元節の問題などについても、これは天皇一家の、皇室の私事であるという見解を表明され、これを国民の行事として取り上げることについての意見を持っておられるわけなんです。そういうことについて、これが政治的な見解であり、学者としての立場では行き過ぎだというような御注意を申し上げるということは、これはどうかと思います。皇族の御発言は何事もそれではできないということになる。純粋な御意見も述べられないということになる。それが多少でも述べられると、すぐどこかにひっかかるというような問題であれば、何事もこれは発言できないということになる。これこそ人権侵害もはなはだしいものになってくる。こういうことについて、もっと自由な気持で皇族としての立場を御自身が十分考えておられるのですから、もし皇族の立場をお考えにならなければ、もう皇族を離脱されることになるのですから、そこは成年に達せられて、しかも良識を持たれたりっぱな三笠宮の御言動に対して、一々御注意申し上げ、おしかり申し上げるということは、私は宮内庁長官としては行き過ぎだと思う。そうなりますと、皇族の身分に生まれた人は、そういう発言やらすべての行動にわたって非常に不幸な立場になる。(「もちろんだよ」と呼ぶ者あり)そういうことこそ人権侵害なんです。私が今申し上げていることは、あらゆる面に不幸な立場に追い込むということでなくて、許される限度内の御自由を認めてあげる、新憲法の御自由を認めてあげるという努力もしておらないで、すべてワクの中にはめ込んで、非常に窮屈な生活をさせていくというようなことは、お役人たちのとるべき道ではないと私は思っておる、そういうことを私は今指摘して、人権の尊重を可能な限りにおいて認める努力をしてあげるという、その配慮を希望しているわけなんです。これはもちろんと言われるかもしれないが、皇族の身分にあり、あるいは天皇の御地位にある人は、あらゆる角度からその人間性の豊かな暮しを押えられるということになる。いかがでしょうか、こういう点について、高い立場から今後の皇室のあり方、皇族の立場というものについての配慮をどうすべきかということについて、何かあなたはお考えになっていらっしゃることはないでしょうか。


○宇佐美説明員 重ねてのお尋ねでございますけれども、一つの学問をせられましてある結論に達せられるということは、これはだれも押えることはできません。またそれを周囲の人に多少お漏らしになるというようなこと、それもいけないとは思っておりません。しかしながらそのお考えが、言葉は悪うございますが、左右いずれにしろ政治的な問題になり、皇室に非常に影響するというようなことを国民が心配するときには、慎重な態度をとらるべきであるということは私は誤まりないと思います。


○受田委員 左右いずれにせよ、それが政治的な方向へ行ったとおっしゃっているのですが、三笠宮御自身としてはそういう政治的な気持はみじんもないわけなんです。そういう問題を政治的にこじつける人々がおり、それを悪意にとる人々がおるわけなんです。この問題は、つまり三笠宮の言動に対しての影響力というものを、外部から不純に利用しようということになるわけなんです。あなたはむしろその外部を押え、宮の考えておられることは正しいのだ、学問の研究の自由は尊重しなければならぬという立場で、特に政府与党の諸君などに厳重に御注意される方が、むしろ筋が通ると思う。

 もう一つ、皇室典範の規定の中で、退位の問題にも触れてきたのですが、天皇が崩ぜられたあとへ新しい天皇が即位されることによって元号が変るわけなんですが、その元号がどういうふうに変るかということは法律では規定してない。これはもし御退位が実現され、あるいは天皇がなくなられたという場合に、どういう規定が用意がされておるのか、法制局長官から一つ伺います。


○林(修)政府委員 御承知の通りに、これも旧皇室典範には規定があったと思います。それが新しい皇室典範を規定するときには、皇室典範のきめる事項ではなかろうということではずされておるわけであります。そこで残っておりますものは多少問題がございますが、明治初年の行政官布告というものがあるわけであります。しかしいずれにいたしましても元号の問題は、確かに天皇の御退位あるいは天皇がおなくなりになったあとの新しい天皇の即位という問題と相関連する問題でございますけれども、これは今の憲法のもとにおいて、そういう新しい元号を立てるということは、私はやはり法律できめるべき事項だろうと思っております。これはかつて新憲法施行当時、そういうような法案も予定されたこともあったようでございますが、当時の占領軍政策の事情でもってこれは消えております。その後御承知かと思いますが、当時の参議院の文教委員会において、いわゆる西歴紀元を採用したらどうかということも御議論になったこともございます。そういうようなこともございますが、いろいろな事情を考えて、これは将来のことでございますが、元号制をどう立てていくかということについては、法律をもってきめるべき問題である。かように考えまして、一応そういうことは私ども考えなくてはならないというふうに思っております。


○受田委員 元号の問題を考えなければならぬという御意見のようでございますが、これは西歴を用いるとか、いろいろなことがあるにしても、日本の立場からの特別な規定を設けておくということは大事なことだと思っております。大へんおそれ多い話ですが、天皇がいつなくなられても、ちゃんとした用意をされておくということが必要だと思う。

 あとお二人御質問があるので、最後に一言お尋ねしておきますが、今度の御結婚につきましても、天皇の国事事項としての御結婚の儀式と、天皇の御一家あるいは皇太子御自身の個人的な御儀式というものがある。こういう国事の儀式あるいは個人の儀式というものの限界線は、一体官内庁としてはどういう形でおとりになっておられるのか。もちろん国事に伴う費用というものは当然国会の承認で出されるものでありますけれども、国会の承認を要しなくても済む支出の面もありますので、そういう限界線をはっきりしておいていただきたい。今回の御儀式の中で国事として取り扱える儀式と、皇室の私事として取り扱える儀式の分別をちょっとお聞かせ願いたい。


○宇佐美説明員 今回の御結婚に関しまして、御婚約、いわゆる御結納のことから式の終りますまでいろいろの計画、すでに済みましたものもございますが、今後進められるものも研究中でございまして、こまかい点を今検討中でございますが、大綱につきましては、過日の閣議の決定におきまして、当日行われます結婚の儀と朝見の儀、それから引き続き行われます祝宴の儀が、国の儀式として行われるということが正式に決定になったわけでございます。そのほかの儀式につきましては、実は旧来の諸規定をもとにいたしまして、なるべく簡素に行う、あるいは時代に即するようにするという趣旨のもとに整備をいたしているわけであります。いろいろございます中で、特に国の儀式として考えましたものは今申しました三つでありまして、結婚の儀というのは、これはあくまで両殿下が誓い合われるという結婚の中心をなすものであります。朝見の儀と申しますのは、両陛下に両殿下が正式に会われてあいさつをされるという意味のものでございまして、これは前回の立太子礼、成年式礼の際にも国の儀式として行なったので、その例に従ったわけであります。最後の祝宴と申しますのは、天皇陛下が内外の人に御披露をなさるという公的なものとして、これを国の儀式の一つに入れたわけであります。その他お内輪でなさいますもの、あるいは皇室の御例によって神宮その他に参拝されるということは、一切内輪のこととしていたしたわけであります。


○内海委員長 高瀬傳君。


○高瀬委員 実は赤城官房長官においでを願いたいと申し上げてあったのですが、それはどうでしょうか。


○内海委員長 赤城さんは参議院の本会議に行っておりまして……。


○高瀬委員 実は私は皇室会議のあり方について私の所見も述べ、あるいは内閣あるいは宮内庁の意向も伺いたい、こういうことであるのであります。特に今回の皇太子殿下の結婚に関しまして、皇室会議のあり方について一言お伺いしたい。そして私の所見も述べたい、こういうのであります。もちろん前提条件として、私は皇太子妃が今回きまりまして、御成婚があるということについて、日本国民として心からお喜びを申し上げておる一人でございますから、そういう点は誤解のないようにお願いしたい。

 私は皇室のあり方というものについて、平井君などと意見が違うかもわかりませんが、敗戦直後陛下もおっしゃったように記憶しておるのでありますけれども、つまり英国の皇室のようなあり方、これが日本としては非常に望ましいということを陛下がおっしゃったように記憶しておるのであります。御承知のように私から申し上げるまでもなくいイギリスは今日存在しておるところの君主制の国家の典型的、代表的のものであると言ってもいいのでありまして、皇室と国民とが真に一体になっておるということは事実のようであります。従って敗戦後、日本が民主主義の国家として再出発した際に、英国流の皇室のあり方、あるいは英国流の議会の運営のあり方、あるいは英国流の国民と皇室の関係、こういうものを陛下は理想にしておられたのではないか、そういうふうに拝察される節があるのでございます。しかし現在必ずしも皇室と国民とが一体になっておるとは私は思えない点もございます。たとえば、これは言葉のあやでありますから、こんなことは理由にはならぬかもしれませんが、菊のカーテン、こういうような言葉をよく耳にいたします。従って現在の皇室に対する国民の感情というものは、今回の皇太子妃の選定に当りまして、端的にこれらの点を現わしておる点がなきにしもあらず、一般の世論というものは非常にお祝いを申し、私もその一人でありますが、必ずしもそればかりではない。先ほど平井君もちょっと触れたようであります。しかも憲法の第一条に明記してあります通り、天皇は日本国民統合の象徴でありますから、皇室と国民とが密接なつながりを持つということは当然でございますし、天皇御自身ももちろんそういうふうにお考えになっておると私は拝察いたします。ところが現在の、特に今回の結婚で国民感情から多少離れているような印象がある。これは実は私はあの発表の形式とか、そういうものをかれこれ言うのではありませんが、実際のところ皇太子妃の選定に当りまして、宮内庁の宇佐美さん初め関係者は長い間大へん御苦労になったと思うのです。この点私は敬意を表しておりますが、国会も何ら御結婚について知らされておりません。公式発表の十日前、つまり十一月十七日のニューズ・ウィークには事こまかに、全部私は翻訳して持っておりますが、「皇太子の恋」という表題で詳細に報道されております。結局知らないのは国民だけだ。私はこういう問題がありましたときに、宮内庁に電話をかけまして、宇佐美さんは当時お留守でありましたが、そういう事実があるかどうか、私はそれを尋ねたのでありますが、電話に出た人は相当の方だと思いましたが、全然知らないというお話でございました。それはいろいろ都合があったかもしれませんが、現在結納もかわされた今日ならば、その辺のいきさつを相当詳細に御報告を願って、そうしてやはり国会の記録に残しておく必要がある。これはやはり一つの国事でございますから、その点はぜひとも――先ほど、いろいろうわさされておるような事実はないとか、断片的におっしゃったようでございますが、ニューズ・ウィークにいろいろなことが書いてあります。特にこれは恋愛という言葉を盛んに使っております。たとえば「二人は恋愛中だが、果して因襲に刃向って結婚ができるだろうか、これが事情を知っている連中がもう何カ月も抱いている疑問である。」というようなこと、それから「皇太子が正田美智子さんに初めて会ったのは軽井沢のテニス・コートである。」それから、非常に反対があったということも載っております。「反対は大へんなものだ。一番驚いたのは米国の占領下に皇室を除いて爵位を全廃された元の公爵、伯爵、子爵、男爵などであった。天皇の義妹に当られる秩父宮妃のお母さんの松平信子前子爵夫人を先頭に、華族たちは皇族出の他の候補者を立てて運動したが、民主化がとうとう皇位にまで及んだことに一斉にろうばいした。」こんなことが書いてあります。これはもちろん単なるニュースでありますから、私はその信憑性のいかんは知りませんけれども、特にあのとき宇佐美長官もおっしゃったと思うのですが、あれは恋愛ではない、たとえば結婚は相互の合意のみによって成立し、相互の協力によって打ち立てなければならないという憲法の条章そのものとは関係がない、普通の恋愛ではないのだということを非常に強調されたようでございます。従ってこういうような問題について、先ほど長官も非常にいい機会を与えてもらって感謝すると言われましたが、私はやはり国家の一つの重大な国事でございますから、こういう点についても詳細に系統的にいきさつを説明されて、国会の記録に残しておく方がよかろう、私はこういうふうに考えるので申し上げているようなわけであります。ここで一問一答をして宇佐見さんをどうこうしようというのではございません。

 それから、特に私の念頭に浮びましたことは、皇室会議というものはただ一度しか開かれていない。結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろいろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのでありますが、こういうふうになりますと、皇室会議などというものは非常に形式的なものであって、国民や国体と重大な関係にある皇太子妃を決定するということは、あまりにも非民主主義的なやり方じゃないか。皇室会議というものは非常に形式的なものになって、たった一回、既成事実を承認するというだけになってしまったのでは、皇室会議のあり方としては非常に危険じゃないか、こういうふうに思うのであります。特にたとえば皇室典範の第三条を見てみますと、世継ぎの方、皇嗣に重大な事故があるときは、皇室会議の議によって皇位継承の順序を変えることができる、こういうふうに述べてあります。従ってこの皇室会議を開くのは、議長であるところの総理大臣ではありますけれども、形式的には宮内庁がイニシアチブをとることになりますから、これが非民主主義的に運営されるということになりますと、非常に重大な結果を及ぼすと思うのであります。従ってこれは宮内庁だけを責めるわけには参りません。政府の重大なる責任でもあると思いますが、一体こういうような点で、ただ既成事実だけを皇室会議に形式的にかけて、たった一回だけの会議でああいう重大な国事をきめるということが果していいのかどうか、その点が非常に私は重大だ、こう思うのであります。

 それからもう一つ、こういうような問題について、これは例は違いますけれども、イギリスなどの例をとってみますと、たびたび非公式の閣僚会議などを開いております。たとえば私はここにノーマン・バリメインの書いた「ザ・ストーリイ・オブ・ピーター・タウンゼント」という本を持っておりますが、これによりますと、あのプリンセス・マーガレットがタウンゼントと婚約するときに、非常に衆人環視の中で国民が納得するような状態でああいう問題を解決したようであります。従ってその当時のサー・アンソニー・イーデンはたびたび閣僚会議を開き、あるいはカンタベリー大僧正とも相談をし、あるいは上院の枢密院議長のソールスベリー卿などとも相談をして、慎重な手続をとってあのプリンセス・マーガレットの問題を解決した。私は当時ロンドンにおりました。非常にその点の合理的な国民と密着したやり方について、敬意を表して帰ってきた一人なのであります。従ってそれと比較して、この皇太子妃のきめ方が一回の皇室会議できまる。しかも私は、きょう内閣側からだれも出ておりませんが、この皇室会議の構成自体についても非常に疑問を持っております。両院の議長、副議長が出ているが、副議長というものは議長が事故あるときにだけこれを代理するものであって、院を代表して出るとすれば議長だけでいい、こういうような点も私の聞きたい点でございますが、答弁する人がおりません。

 そこで私は、この皇室会議の構成についても疑問があるし、ああいう皇位継承をきめるような重大な皇室会議というものはもっとたびたび開くなり、あるいは内閣と連絡するなり、そういうふうにして国民が納得するような状態であの御結婚をきめていただいたらなおよかったのじゃないか、こう思いますが、これらに対する宮内庁の見解、それから内閣の見解、それから宮内庁は内閣などとどういうふうな折衝をされたか、小泉という人は皇太子殿下の先生でありましょうけれども、大体田島、小泉などという方だけがイニシアチブをとって、きまったものを総理大臣に報告し、総理大臣はただ正田美智子さんの信仰の問題だけをお聞きになったというふうにしかわれわれは受け取れない。それの前にたびたび閣僚会議を開くなり、あるいは皇室会議を開くなり、こういうふうにして念には念を入れてきまったものならば私は非常にけっこうだと思うのですが、われわれ国民はその点は全然知らされてない。知らないのは国民だけだという結果になったわけであります。十一月十七日のニュースでこういうこともちゃんと出ているわけであります。それで私は電話をかけた。

 しかも十二月六日号の「エコノミスト」に日本の皇室と題して、宮内庁の役人の各位には非常に痛いことを書いてあるのであります。これは読むとはなはだ妙なことになりますが、一応読んでみましょう。「古くからの皇室の伝統のうち、残っているものは天皇一家が守っているよりも、むしろ皇室の役人が守っているといった方がいい。宮内庁の役人の数は一万人から一千人に激減したが、依然強力である。彼らは野心を持たず、別に悪い人間ではないが、強い義務感に縛られる傾向があるので、時代に取り残されがちである。彼らは渉外のセンスがないので、他の官庁のより進歩的な役人たちからきらわれ、一般国民から疑惑の目で見られている。」これは非常にお気の毒ですが、これはただ書いてあるので、私の意見ではございませんから……。「皇太子の婚約発表の際、発行部数の多い日刊紙「読売」は十一月二十八日の社説で辛らつに論じている。「天皇を独占することによって特権を維持しようとする暗い勢力が、かたくなに民衆への接近を妨げていたのである。皇太子の婚約は、これらの人たちの態度に対して、痛烈な反省のむちを与えたものと言ってよい」以上の言葉は、正しいと思っていることをやってきただけの役人たちにとって、やや点が辛いかもしれない。だが、大ていの日本人は、宮内庁の官僚が皇太子に、一般民間人と決して結婚させないと考えてきたが、今では皇太子みずからがこれら官僚に分を知らしめることによってのみ、自分の望みを貫徹したと信じ、皇太子の勇気ある行為に対して、熱烈な拍手を送っていることは事実だ。」というのであります。非常に長くかかりましたが、こういう批評もあるのでございますから、私は宮内庁の、特に皇室会議なんかに対するやり方に対して反省を促したい、こういうことでございます。

 それから先ほど三笠宮の問題で受田君からお話がありましたが、私は少くとも皇族方というものは政治的にもあらゆる点で中立性を持って、インパーシャルでなければいけないと思うのです。特に選挙権もない、被選挙権も行使されない、こういう地位にあるのでありますから、やはり政治的な影響のあることは発言されない方がいいと思うのであります。そういう点で宇佐美長官が率直に三笠宮におっしゃったことは私は正しいと考えております。従って今後も三笠宮殿下の学問のいろいろ結論とかなんとかを、そういうふうな中立の立場にある特殊な皇族方は、ぜひとも積極的に発表されないことを望む一人でございます。

 自分の意見だけを長々と述べましたが、これらについて実は内閣並びに宮内庁の意見を拝聴したい。特に私は宇佐美さんを責めるよりも、国家組織法によりましても、宮内庁は内閣の一つの庁になっておるのでありますから、内閣委員会としては赤城官房長官の臨席を願って、この点の所見をはっきりと聞く必要があると確信いたしておるのでありますが、どういうわけか来ない、それでは答弁を得ることもできませんが、宇佐美さんに一つ所見をお伺いしたい。


○宇佐美説明員 きわめて多岐にわたっての御質問でございます。今回の御結婚に対しまして、もう数年前から、私が長官になる前からいろいろな準備が始まっておった、調査があったわけであります。もちろんその調査につきましては先ほどもちょっと申し上げましたように、これは御両親陛下としても御心配になることであり、皇太子様自身のお考えということもございまして、十分お考えも伺いながら方針を立てて参ったわけであります。もとより御選考の基準と申しますものはこれは皇太子様の妃殿下にふさわしい方ということで、御健康にしろ何にしろ最上級、お尋ねがあればそう申し上げるよりほかないわけでございます。しかし現実の場合にはそういったすべて万全を備えるということはなかなか困難でございます。ただ国会においても各報道が漸次現われるにつれまして、ほとんど毎国会ごとに宮内庁の考えの御質問がございました。それにつきましてはお尋ねに従って、われわれは考えるところを率直に申し上げて参ったつもりでございます。その当初の考えは国会でもお答え申し上げたと思いますが、そういった諸要件がすぐれた方であられるのはもちろんでございますけれども、その御選考の範囲というものについてもお尋ねがあったわけでございます。御承知の通り前の皇室典範におきましては、皇族の結婚は皇族または華族に限るという規定がございました。それが新しい憲法に従ってできました新しい皇室典範におきましては、憲法の精神によって、華族制度はもちろん貴族の制度というものが廃止されたのでございます。従って、皇族男子の御結婚につきましては、何ら法制的には制限はございませんけれども、やはり皇室自体が長い歴史を持ったお家でありまするし、旧来の範囲から選考が始まるというのが、むしろ常識的であるということをわれわれも考えておったのでありますが、しかしそういったときにも、ときによっては、その範囲外に出ることもあり得る。御質問の中にも、全国民を対象にして選べというようなこともしばしば伺ったわけであります。われわれとしてはそういうようなことでお答えしたと記憶するのであります。実際の選考に当りますると、やはり終戦後の各家庭生活の変化でございますとか、あるいは優生学的な見地からの制限でありますとか、いろいろな点でなかなかむずかしい問題に逢着いたしました。従って、第一段の方針から一歩出るということにつきましても、実に時間をかけて慎重に考えたわけでございます。単純に考えたわけではなかったのであります。しかし実際問題といたしまして、一般と申しましても、どこでもいいというわけではございません。やはり日本の良識のあるりっぱな家庭ということを考えなければなりません。これのうちからまた候補を選ぶということにつきましては、相当苦心をいたしたわけであります。だんだんそれをしぼって参りまして、何人かの候補をあげ、殿下にもよく御説明をして、私どもの申し上げることと殿下の御決心も合致いたしまして、ことしになりましてようやく進行するようになったわけであります。その間私どもといたしましては、前内閣あるいは現内閣におきましても、総理大臣にはそういった経過を申し上げ、それからそういった大きな根本の方針の変更等についても説明申し上げて参ったのであります。

 皇室会議を開きますことは、先ほど仰せになりました通りに、議長たる内閣総理大臣の招集でございます。もちろん一国の官吏としての立場、議長としての立場から、私どもといたしましては、過去においても十分な御連絡と御意見を伺うということには意を配って参ったつもりでございます。そういうことで皇室会議が開会せられたわけでございます。実際先ほどお述べになりました通り、皇室会議を開くにつきましても、実は皇室会議が設置せられましてから第二回の例であります。第一回は御承知の通りに、新憲法の実施の当時に多くの皇族が下られまして、そのときが一回で、第二回であります。私といたしましてもこの取扱いについては、内々皇室会議の委員であられる方の御意見も聞きながらやったつもりであります。会議が開かれまして、できるだけ経過と資料を申し上げ、私といたしましては、世上でいわれまするいろいろな不安と申しますか、心配ということも率直に申し上げて、御説明をしたわけであります。その結果、満場一致でおきめをいただいたのであります。ただ今回の問題を離れて、将来のことを考えます際に、先ほど摂政の場合の例をお引きになりましたが、要するに結婚の場合におきましては、あくまで憲法の原則と申しますか、これは新しい憲法ばかりでなく、従前からも、これは人間の本質であろうと思いますが、結婚される方の合意がなければならぬわけでございます。事前にいろいろなものを多くの人が公式に論議をして、これを配合するというものではなかろうと思っております。皇室会議におきまする皇族男子の御結婚、将来も起るのでございますが、これはやはり両性、両方の合意というものがなければ、皇室会議の議にはならないのではないかというふうに思います。こういった選考の経過というものを国民に周知させてやるということは、その事柄の性質上、私は避けねばならないことだと考えております。その間においていろいろ派生的な問題が起りますし、人権の問題にも及ぶことであろうと思います。ただ皇室会議に慎重に審議を願うという意味から申しまして、私も今の皇室会議があのままでいいかどうかということは、実は今回当りまして、いささか考えたことでございます。今回の現実のことを申すのではなく、全体を進める上において、たとえば御結婚会のような重大なことを進めます際に、今の制度のままでいいかどうかということは多少私も考えました。まだこうしたらいいのではないかという結論はここで申し上げかねますけれども、単に御結婚のことばかりでなく、摂政の選定等いろいろ重大なことを議する制度でございますから、慎重に検討しなければなりませんが、私も正直に申し上げて、多少当時は考えて、幾らか申したこともございます。そういうような点から考えますと、皇室制につきましても、御発言のようなことが一つあるのかもしれません。どういうふうにしたらば、ほんとうに事を運ぶに容易であって、しかも慎重な審議を尽せるかという行き方について、将来検討すべきものであろう、こう考えます。申し落したことがあるかと思いますが、以上でございます。
○高瀬委員 私は別にこれ以上伺うことはありませんが、実はこういうふうな重大な国事というものは、やはり国会というものは国民の代表というか、国権の最高権威のところですから、こういうことはやはり内閣において公式に国会に報告があってしかるべきものだと思うのです。それは宇佐美さんに申し上げてもなんでありますが、私はその点を特に官房長官に念を押しておきたかったのでありますが、おりませんから、委員長を通してこれをお願いします。委員長、いいですか。特にこういう問題については、やはり公式に国会に内閣が報告する義務があると思うのです。そういうことを特に私は確かめたかったのですけれども、おりませんから、委員長を通してお願いいたします。それから、特に皇室会議のあり方ということについては、宇佐美長官もいろいろ考えておられるようでありますから、内閣においても慎重に考える必要がある。うまくいったときはいいのですが、いろいろ事が紛糾した場合に、あんなやり方、ほんとうの形式的な、イエスかノーかというようなやり方では、非常に国民が安心しない。私はこういう考えでございますから、どうぞ御善処方を要望いたしまして終ります。


○内海委員長 柏正男君。


○柏委員 今までの各委員の御質問を聞きまして、私もいろいろと考えさせられる点がございます。私は、国民の大多数は、自民党の委員さんの言われるような意味で皇太子の御成婚を考えてはいないのではないか、もっと明るい、朗らかな気持でこの御成婚を迎えておる、これが実態ではないかと感ずるものでございます。そうでなければ、これからの天皇制、これからの皇室というものに対して、私どもは安心ができないというように思います。そういう立場において私は、今度の皇太子の御成婚を契機として新しい皇室制度というものが自然に生まれてくるのではないか、そういう感じをいたしておるものでございますが、そういう観点から以下の質問をやってみたいと思います。

 今回の皇太子の御成婚は、皇太子御自身があるいはどの程度に意識されておったかはわかりませんけれども、古い封建的な皇室制度から、新しい時代に即した皇室制度に移っていこうというようにお考えになっておるのではないか、そういうように私どもは感ずるものでございます。すなわち従来の皇太子妃の選定方法と今度は、これが一変してしまっておる。皇太子みずからが、今までは日本民族の上に立つ皇室というようなものから、日本民族の中に溶け込んでいく皇室というような姿に変っていっている。古い意味の皇室制度というものは厳としてやはり中にはあるのでございましょうが、それに挑戦するように今度の新しい御成婚がわいてきておる。これに私ども国民の大多数は明るい希望をつないでおるのではないか、そういうように私は思います。しかしこういう御成婚の問題をまた違った意味で、何か皇室の尊厳を傷つけるように考えておる人たちも、今までの質問の中に出ておりますので、むしろ私どもは意外に思うくらいでございます。私どもは、戦後に民主主義の教育を受けられました皇太子が、身をもってこの時代の流れの中で、封建的なものではない、民主的なものを打ち立てよう、それを実践しようとしておられることに対して、ほんとうに力をかして、皇太子のお考えになる道を実現さしてあげねばならない、そういうように感じます。その意味におきまして、私どもはこのたびの御成婚の式につきましても、ほんとうにそういう皇太子のお気持がどの程度現わされておるだろうか、そういう点について、尊厳というよりもかえって、もっと違った意味合いの心配を感じております。しかしその点について先はほど長官からお話もございましたので、重ねて御質問する必要もないわけであります。皇太子が御婚約をされ、御婚礼の式をあげられて新しい生活にお入りになるという場に入ったわけでございますが、そのことはまた新しく次の天皇としての生活への第一歩でございます。そういう意味からして、果して皇太子のこれからの生活設計が、皇太子の意図されるような、国民の中に溶け込んでいくような皇室というようなものを、これからの生活設計の中に宮内庁としてお考えになっておるかどうか。そういう点について、新しい皇居の造営の問題とか、あるいは皇居の開放論とかいうふうなものと関連を持って、宮内庁ではどういうふうにお考えになっておるか、御見解を承わっておきたいと思います。


○宇佐美説明員 このたびの皇太子様の御婚約が、国民の大多数に非常に明るい気持を与えておるという点は、各種の面から見て間違いのないことだと私も考えております。しかし国の内外を通じまして、こういう問題にそれぞれの立場から他の意見を持ち、あるいは心配をなさる方があるということは、これまた間違いのないことだろうと思います。過去のこういった大きな問題につきましても、常にあったことであります。ただ先ほど来、非常に真情を披瀝しての御質問がございましたが、そういった一部における――将来のために御質問があったことと私はありがたく拝聴しておるわけであります。今回の御結婚がこれによってすぐどうなるということでなく、私が常に申しますように、御結婚は第一歩であります。今後これをスタートとしてりっぱな御家庭を作り、皇室の中心に立っていだたくということこそ願うべきことであろうと思います。そういうような点につきまして国民もまた相協力して、そうしてお互いに日本の将来のために進んで行くべきものであるということを考えるものでございます。われわれそのお手伝いをする立場におります者といたしましては、よく将来のこと、あるいは国民の気持を洞察して、日々そういうような問題を具体的な問題で現わしてこたえていきたいというふうに考えておるわけであります。


○柏委員 今の御答弁で私ども考えております明るい皇太子の御成婚ということに対して、皇室を初め関係者その他においても同じく考えておられることが私どもよくわかるのでございます。それだけに私は、こういう明るい日本の皇室を、再び昔のような菊のカーテンの中に追い込んでしまう、雲の上に押し上げてしまうというような形にならないように、これから天皇側近の皆さん方において特に留意をしていただきたい、そういう感じをいたしております。また正田美智子さんは民間人として宮中に入られるわけでございますから、それだけにいろいろと因襲のあるところにお入りになるので、心配もおありだろうと思います。国民もひとしくそのことを心配しております。普通の家庭でも家風の違うところに参りますと心配でございますが、それ以上の心配を国民がひとしく持っておる。この御成婚がうまくいかないようなことでもあったならば、その責任は一体どこに出てくるだろう。私ども国民のひとしく願うところは、この御成婚がやはりともにしらがの生えるまで、ほんとうに偕老同穴のりっぱな御生涯を送られますように、これを願っております。しかし宮中はなかなかむずかしいしきたりもあるそうで、先ほどお話のありましたように、肉親の方にも会いに行けないというような、あるいはおいでにならなかったというようなことがあるというようなことを聞くだけでも、胸のふさがるような思いがいたします。そういう点から人間美智子さんが人間としての生活を、これからの生涯を宮中において平穏無事にお過ごしになれるように、皆様方、特に御配慮を願いたいという気がいたします。

 その次に私の申し上げたいことは、従来とは異なって民主主義の教育を受けた天皇の時代がくる。今までのような帝王学を身につけられた天皇ではなくして、民主主義を身につけて、ほんとうに人間天皇として初めから教育された方が天皇の地位につかれ、国民統合の象徴としておふるまいになるという、今までと違った新しいケースができていく。その意味におきまして、決して帝王学が天皇に必要なのでなくして、良心至上主義に徹した、りっぱな人間としての天皇をお作りになっていくということこそ私どもは願いたいのでございまして、天皇が特別の教育を受けて、人間とかけ離れた者になっていかなければならないというお考えを持っておられるような発言に対しては、私どもはどうしても賛同いたしかねる。今の小泉さんがやっておられるような教育の仕方をこそ、私ども国民の大多数の者が、ほとんど全国民と言っていい、すべての人々がそういうことを願っているのではないか。今の皇太子に対して私ども日本民族が希望をかけ、期待をかげておるゆえんのものは、りっぱな人間としてすくすくと成長しておる純真な人である――そう頭脳明晰だというような感じをみんな持っておりません。そうでないが、人間としては実にりっぱな皇太子が、この次には天皇になられるのだというところに、日本民族の希望があるのだ、そういうふうに声なき国民の声というものを私ども感ずるものでございます。それだけに曲げられた教育をされていくというようなことはなるべくチェックしていただいて、今のようなりっぱな民主主義の教育を身につけられた天皇ができていかれることをお願いいたしたいと思っております。今まで明治憲法のもとにおきましては、確かに天皇は最終の決定権者でございました。それだけに私どもは最終の決定権者である天皇に対しましては、ほんとうに人間としての能力の最善なるものを要求しなければならなかったと思います。ある意味におきましては、明治天皇は確かに人間としても私らが考えられる能力の面から見ましても、最上級のお方であらせられたと思います。しかしそれに続く大正、昭和におきましては、明治天皇に求めた最上級のものを求めることは不可能であったと思います。明治憲法のようなほんとうの天皇制のもとにおきましては、天皇の人間としての能力が問題になっておったと思います。しかしながら新憲法におきましては、天皇はもうすでに最終の決定権者ではありません。その意味におきまして私は天皇が最終の決定権者でないそういう事態に即して、天皇が生物学をおやりになろうと、歴史学をおやりになろうと、それは天皇の自由であり、天皇もその意味において人間として十分にお好きな道をお進みになってけっこうだと思います。しかしながら私どもは天皇が国の象徴であるという点から見まして、皇室の天皇はいつもりっぱな状態であるようにおしつけを願いたいと思うのでございます。その意味からいきますと、先ほど受田委員からもお話がございましたが、現天皇におかせられては少しく身体的障害というようなものもこのごろはおありになるのではないかという懸念を私どもは感ずるのでございます。たとえば最近にございました開会式当日の天皇の御様子を見ましても、顔色はなはだすぐれられない、あるいは御歩行においてもまだ五十何才のお方にしてはしっかりされていない、言語もあまりきちっとされていないというような点から見ますと、あるいは天皇御自身に身体的障害というようなものでもおありになるのではないかという懸念さえ持つものでございます。かりにもしそういう事態でもございますものならば、皇室典範にも憲法にも規定されております摂政を置かれるということを、当然に宮内庁あるいは側近において何らかの形でお考えを願うことが出てくるのではないかという感じがいたします。そういう意味で今は一つの段階に来ておる。先ほど天皇退位のお話もございましたが、退位はいろいろの面でもし実現できないといたしましても、摂政を置かれるということは、憲法においても皇室典範においても定められておることでございますから、その限度においてこの際皇太子の御成婚を一つの機会にして、摂政を置かれるということについて何らかお考え合せになったようなことがございますかどうか、そういう点について伺いたいと思います。


○宇佐美説明員 皇太子殿下の明るい御結婚について、こういった気持を発展して明るい皇室、明るい国ということにつきましては、先ほど申し上げました通り私どもが今日がスタートで、この気持がほんとうに実りますように努めるべきものであると考えております。明治時代と現在におきましては、天皇の地位も変って参り、明治、大正、昭和と比較いたしまして、そのときの国家の情勢、社会の情勢、そういった諸制度、あるいはおそれ多いことでございますが、各天皇の御人格またそれぞれ御特徴があることと思います。常に同じ方ということはあり得ないわけでございます。日本将来のためにこの新しい感じ、国民とともに進まれるというお気持を大いに今後発展すべきであるということにつきましては、私どもそういうことで努めて参りたいと思います。ただお述べになりました陛下の御健康につきましては、最近数年間おかぜもおひきになったことございません。何ら御支障ございません。従ってただいまお述べになりましたようなことは夢にも考えたことはございません。


○柏委員 健康の点につきましては、おそばにおられる皆さん方の方がいつもごらんになっておられるので、かえってお気づきにならないのではないかというようなことさえ私どもは考えます。私どもはほんとうにときたま天皇にお目にかかるわけでございますが、ときたまのものであるがゆえになお、過去数年来の健康がお悪いのじゃないかという懸念を持つものでございます。そういう点は民間でございますればすぐ、顔色が悪いよ、人間ドックにお入りなさいということが言えるのでございますが、そういう精密検査というようなことをおやりになったことがございますか。


○宇佐美説明員 両陛下初め皇太子様、皆様方の御健康につきましては侍医が数名おりまして、常に拝診をいたしております。一切御心配ないことと存じます。


○柏委員 それではその点は私ども安心いたしますが、次に憲法改正の問題と天皇制との関連につきまして、現在憲法調査会においては第三委員会か何かでもって、すでにこういう問題は取り上げられていると思っております。こういう現在の流れの中におきましては、天皇制が憲法改正の問題の中に取り上げられるときに、昔の天皇制に返していくというような力が非常に多く動いております。民主主義政治への反動の形として、憲法改正と天皇制の問題とが結びついております。そういう状態ではございますが、しかしながら私どもが皇室の永遠の安泰という点を考えますと、現在皇太子御成婚において見られるような、すなわち皇室が今までの菊のカーテンをはずして、国民と一緒に溶け込んでいくというような姿、また先ほどお話のございました三笠宮の紀元節反対の態度と申しますか、お話というものが、かえって国民には皇室を身近なものとして感じさしていく。ある一部の人は、皇族の身分でそういうことを言うのはけしからぬというように言われるかもしれませんが、国民の大多数は、そうじゃない、なかなか三笠宮様は公平にものをお考えになっておる、皇室をして誤まらしめないようなものの考え方を持っておられるのだというように感じておるのじゃないかと私どもは考えるものでございます。そういうように、いろいろな意味合いから見まして、皇室が菊のカーテンをみずからおはずしになって、国民に溶け込もうという状態にありますだけに、この憲法改正の問題の中に天皇制が昔の姿になって返っていくというようなことは、かえってひいきの引き倒しになっていくのではないかということを私どもはおそれます。そういう意味で、宮内庁としては、こういうことに対して積極的に、天皇制をどういうようにするのか、あるいはまた将来においてもっと違う形に変えていこうとするのか、また皇室会議のようなものにそういう問題をかけて考えてみるというようなことがありますものかどうか、そういう点についてお話を承おりたいと思います。


○宇佐美説明員 憲法改正と皇室というものとの関係についてのお尋ねでございますが、現に政府では憲法調査会を設置せられまして調査の途中でございます。それはわが国としてきわめて大きな、全国民が関心を持つ政治的な問題でございまして、特に皇室のお世話をいたしております宮内庁といたしまして、そういう問題についてただいま意見を申し上げることは適当ではないと私どもは考えております。ただ歴史というものは昔のままには返らぬ、そのままには返らぬということを私はいつも考えております。


○柏委員 では最後に、実は私は昨日あるところから印刷物を届けられたのですが、その中に非常に不敬なことが書いてありますので、ちょっとそれを御披露します。その中には、粉屋の娘が殿下と呼ばれるようになり、さらに陛下というように敬われるということ自体からして、皇室の尊厳がなくなる、国民の尊崇というものが薄くなるのではないか、天皇制がそういう点から廃止されるのではないかというようなことを書いた印刷物を受け取りましたが、そういう点を考えますと、私どもは全く反対の考えを持っておるものでございます。これらは明らかに国粋主義の――昔国粋主義というのがございましたが、そういう国粋主義というか、あるいは右翼的といいますか、そういう非常に偏向したところではそういう考え方を持っておるということが考えられるのでございます。そういうことは、天皇を神格化しようという考えがあればこそ、今のような言葉が出るのでございまして、こういう考え方は、伊勢神宮を特殊化していこうとか、あるいは二月十一日の紀元節の復活をしようとかいうようなことに対する一連の連なりのある考え方であるといわざるを得ないと思っております。こういうことは、一つの皇室への忠誠のように見受けられるのでございますが、ほんとうはただひいきの引き倒しになっていく。皇室の永遠の安泰のためには、皇太子妃の選定に見られますような民主的な皇太子の考え方の方向が、私は実に大事な方向ではないかと考えます。そういう意味におきまして、宮内庁におきましても歴史の進み方に歯車を合せて、新しい社会制度がどういうように変革をいたしましても、永遠に日本民族とともに繁栄していける皇室制度を確立する。単なる目の前に見えるものだけでなくして、永遠に日本民族とともに生きていく皇室制度というものについて深くお考えを願って、国民の上に特殊な存在として作っていくという考え方よりも、もっと国民の中に溶け込んで、日本民族のほんとうの象徴として伸びていくというように一つお考え願い、新しい皇室制度もお考えいただくようにお願いいたしまして、この質問を終りたいと思います。


○内海委員長 次に菊池義郎君。


○菊池委員 宮内庁長官にお尋ねいたしますが、この皇太子殿下の御成婚につきまして諸説ふんぷんとして、国民はいろいろの誤解を抱いておるのでございます。私は、皇太子が平民の娘をそのきさきとして選ばれたことを非常に喜んでおります。平民であろうが新平民であろうが、粉屋の娘であろうが何であろうが差しつかえないと私は考えておるのであります。こういう点において、私は欣快にたえないと考えておりますが、その婚約の過程においていろいろの謀略、策略が行われておるということが、最近の週刊雑誌やその他の刷りものにおいて世間に流布され、これによって国民が非常な疑惑を抱いて、国民の頭は割り切れないような感じになっておるのであります。この際それが事実であるかいなかを長官から明確に発表されて、そうして流説の真偽を明らかにして下さるならば、国民は晴れやかな気持になり得ると思うのであります。私はもう時間がございませんので、端的にせんじ詰めて要点々々だけ申し上げますから、長官も簡単にお答えを願いたい。

 まず第一にお伺いしたいのは、この婚約の前に、美智子嬢は二十五人の見合いをしておられた。そして最後に波多野という青年と婚約、これを破棄して皇太子の方に振りかえたというようなことが流布されております。週刊雑誌に出ておりますが、これは事実でありましょうかどうか。


○宇佐美説明員 非常にりっぱな方で、従前にもいろいろ結婚のお申し込みがあったように伺いますけれども、お尋ねのようなことは全く聞いたこともございません。


○菊池委員 片一方にそういう婚約がありながら、これを破棄して婚約をするということは、世俗、人情に反し、道義をじゅうりんし、将来の国民の象徴たるべき人を作り上げるにはふさわしいことではないと思うのでございます。そういう婚約者があるかどうか、その点をお伺いいたしたい。波多野という青年です。


○宇佐美説明員 全くないものと考えます。


○菊池委員 もう一つ重大なことは、この婚約を運ばれた方々、運動に当られた方々が全部カトリック教徒である。前の田島長官もカトリック教徒であり、それから宇佐美長官もカトリック教徒であり、小泉信三氏もカトリック教徒であり、それからしゅうとになられる正田英三郎氏もカトリック教徒である。それから最高裁判所長官の田中耕太郎氏もカトリック教徒である。カトリック教徒の一連のからくりによってこの婚約が運ばれたという説が流布されておるが、これはいかがであるか、承わりたい。


○宇佐美説明員 関係なさった方々がどういう宗教であるかということは、私調べたことはございませんので、責任を持ってお答えいたしかねますが、私がカトリック教徒であるなどということはとんでもない間違いであります。ただ出身せられた聖心学院というのはカトリック系の学校でありますが、御本人は洗礼を受けておられない。あるいはカトリックが将来皇室に対して何らか影響を持たないかという心配をせられた方々が世上あるということは聞いたことがございます。しかし、もちろん美智子さんは洗礼を受けておられませんし、学校当局においても非常に慎重な態度をとっておられまして、この問題に対しては何ら御心配はないと考えるのでございます。従って、過去においてこの問題についてカトリック系の陰謀があったなどということは全然根拠がございません。


○菊池委員 もう一つ、この御結婚の話について、天皇皇后両陛下を初め皇族の方々がみな反対されたという説が流布されております。皇室会議が終りまして、その報告を宇佐美長官から天皇陛下に申し上げると、天皇陛下は怒られたお顔で、ふんまんやる方ないお顔で一言も発せられなかったというようなことも流布されておりますが、これはいかがでありますか。


○宇佐美説明員 今回の御結婚につきまして、御両親陛下であります両陛下その他皆様の御反対があって、進め得られるものではございません。ましてやただいま申されたようなデマは、取るに足らぬものと私は思います。


○菊池委員 さらに、皇室会議が開かれたのは十一月二十七日でございますが、その前十一月二十四日に、宮内庁は公電をもって館林に通知しております。こういうことは、皇室会議を無視し、皇室典範を無視し、国民を愚弄するもはなはだしき行動であるといわれても弁解の余地はないと思うのでありますが、この点はいかがでありましょう。


○宇佐美説明員 皇室会議の前に館林に電報を打ったなどということは、思いもよらぬことであります。ましてや館林に宮内庁がどうして電報を打つか、了解に苦しむところであります。


○菊池委員 別の問題に移りますが、東宮御所の造営であります。われわれは、赤坂離宮がありますので、国会図書館がドイツ大使館の跡に建ちますと、そこへ国会図書館を移して、東宮殿下が移られるものと考えておりました。ところが、もうその国会図書館の引っ越しまでそう長くもないのに東宮御所を建てるということは、費用は少いといたしましても、国民に与える影響がいかにもおもしろくないと思うのであります。それで、こういうことについては長官から天皇陛下にも進言し、東宮御所の造営は見合せて、御所ができてから赤坂離宮に引っ越されてはどうかというくらいのことはおっしゃられてもよかったのじゃないかと思いますが、この点はいかがでございますか。


○宇佐美説明員 御質問の趣旨は、皇居の建設と皇太子殿下の御所の関係でございますか。赤坂離宮でございますか。


○菊池委員 東宮御所です。


○宇佐美説明員 赤坂離宮が国会図書館に移管されまして、今国会図書館の所管になっておるわけでございます。それがあるのに東宮御所を作るのはおかしいじゃないかという御質問のように伺いましたが……


○菊池委員 引っ越しまでしんぼうせられてはどうかということです。


○宇佐美説明員 国会図書館がいつ新しいところに移られて、あとどうなるかということはまだきまっておらないことでございます。しかも一方皇太子様の御殿というのは、お一人でも非常に狭いのでありまして、御結婚を控えましてどうしても早く建設しなければならないという事情に迫られてお願いいたしたわけであります。あるいは世上説をなしで、皇居ができないのに東宮様の御所を作るのは早いのじゃないかという説を聞いたこともございますけれども、しかし実際の必要に迫られていたしたことでございます。御了承をいただきたいと思いますし、もう一つは、今国会図書館の入っております赤坂元離宮は、住居としてはとうてい使いにくいところでございます。これだけは申し上げておきたいと思います。


○菊池委員 そうすると、赤坂離宮ががらあき状態になったときには何に使うのですか。


○宇佐美説明員 現在国会図書館の所管でございまして、その後につきましてはどう措置されるか、まだはっきり決定はいたしておりません。しかしながらあれを国会図書館に移管いたしましたときに、皇室経済会議にかけておるわけでございますが、そのときの議事録を見ますると、希望としては、国会図書館が不要になりましたときは皇室の用に供するようにしてもらいたいという希望は出ておる。しかしそのあとのことはまだはっきりきまっておるわけではございません。


○菊池委員 そうしますと、東宮御所を今度新築するということは、要するに結婚のためにというだけでございますか。


○宇佐美説明員 現在お一人だけで外交団にお会いになりますとか、そのことでも困っております。また御結婚になりますればいよいよそれが激しくなるわけでございます。そういう全般的の考慮からいたしたわけでございます。


○菊池委員 国民の中には、家なくして困っております数百万の同胞がありますし、また失業者も三百万もあるということですが、そのくらいなら皇居を利用することもできようし、今の仮御所を利用することもできましょうし、どうにでもできると思いますが、皇室に限ってはそういう融通がきかぬものでございましょうか。


○宇佐美説明員 皇居の中の諸建物もきわめて狭隘でございます。またそういうわけで彼此融通すると申しましても簡単でございません。お述べになりましたように、国民の生活を重視しますならば、いろいろ問題もございましょう。しかし私どもといたしましては、昨年来国会の慎重な御審議を経て予算をいただいておるわけでございます。


○菊池委員 間組から七千万円の工事を一万円で受けると好意的に言ってきた。ああいう話は喜んで受くべきではないかと思いますが、いかがでございましょうか。向うはせっかく寄付しようと言っておるのに……。


○宇佐美説明員 東宮御所の建設につきまして、御審議になりました通りに、宮内庁の予算に上って、それを建設省に全部委託してございます。建設省が入札その他を進めておられることでございます。この間の問題につきましては、そういう申し出をせられた方の純粋なお気持をわれわれはもちろん疑いたくはございません。そういう意味で申すわけではございませんが、そういった全国民の上に立っておられる皇太子様、皇族、皇室の方々としては、一人の方の恩恵を多く受けるということはできない。これは憲法のいろいろな条章から見てもはっきり出ていることだと思います。


○菊池委員 最近皇居の移転論が盛んに行われて、読売新聞あたりで取り上げて議論まで起しておりますが、私は欧州あたりの宮城を見て、日本の皇居は世界の名城であると考えております。イタリアのローマ城、シナの北京城、エジプトのカイロ城を見ましたが、外観の美において日本の宮城に及ぶものはない。あそこから皇居を取りのけたら、世界の使臣は楽しみに来るのでありますから、彼らは失望するだろうと思います。宮城の上空の空気が悪いとかなんとか言っておりますが、それなら下町のあんな空気の悪いところに住んでおる何百万の住民は、死んでもいいのかということになるのであります。長官はこの皇居移転論についてどうお考えになりますか。また陛下はこれについてどういうお考えを持っておられますか。それを伺いたい。


○宇佐美説明員 皇居は戦災によって焼失いたしまして、その後事務所の一部を使って今日に至られたわけであります。講和条約ができましてから諸外国からの使臣もふえますし、国賓その他来訪者も非常に多く、国の力の充実とともにそういった行事も非常に多くなっております。前から国民の中におきましても、早く皇居を作るべきではないかということが盛んにわれわれの耳にも入って来るわけでございます。しかし陛下の従前までのお気持と申しますのは、戦後の国民の生活上の困苦をしのばれまして、常に先憂後楽というお気持から、今までこういう問題について触れることを私どもにはお許しにならなかったのが事実でございます。しかしいずれかはこれは建てなければならないという問題が起って参るわけでございます。われわれとしてもいろいろ調査をいたしておったわけであります。しかしその過程におきまして、皇居の位置その他についていろいろな意見が昔からございます。最近起ったわけではございません。新しく皇居を作るといたしますれば、その位置とかあるいは今までしばしば熱烈に出ております、国民が献金をしたいという各地における希望、その他建築のやり方につきましてもずいぶんいろいろな意見を申されます。ほんとうに全国民の皇居として考えるということにおきましては、単に宮内庁だけで事務的に結論をつけてしまうということは適当でないということで、今回皇居造営審議会を作り、広く御意見も聞いて、その上で慎重に進めたいというふうに考えておるのであります。ただ私どもはこの問題を解決するについては、宮殿あるいはお住居、あるいはまた陛下の御日常の模様でありますとか、世間でいわれます各種の条件を考え、しかも単に理想論でなくて、日本の経済にも合う点を考えなければならないというふうに考えております。私どもは今の皇居は一つも手をつけてはいけないというような考えはもちろん持っておりません。そういった意味におきまして、これは将来のために慎重に考えなければならない問題でありまして、単純な開放論という問題については、私は直ちに賛成いたしかねる次第でございます。


○菊池委員 つまり開放ということは、あの宮城から皇居を移転することでございますが、あの宮城から皇居を別のところに移転するということについて、長官はどうお考えになりますか。これをお伺いしているのです。現在の宮城内に皇居を置いた方がいいとお考えになりますか。ほかのどこかに移転した方がいいとお考えになりますか。陛下はこれについてどういうお考えを持っておられますか。その点をお伺いしたいと思います。


○宇佐美説明員 私どもの今までの事務的な調査では、諸種の条件から見て宮城内に作るということでいろいろな資料を集めつつございます。しかし今お尋ねのありました陛下がどうお考えになっているかは、審議会を作ろうという前に申し上げる時期でないというふうに私は考えております。


○菊池委員 結婚式に招待する外国の使臣の席順はどういうふうになるのですか。


○宇佐美説明員 今回の御結婚式において、多少他国の例もございますが、特派使節というものは前例によって受けないということでございます。ただ外交使節、外国使臣というものは、おそらく祝宴にお招きがあるだろうと思います。その席順ということでございますが、これはおのずから国際慣例によって、外務省とよく打ち合せたものがございます。おそらくそれによることだと思います。


○菊池委員 英国のエリザベス女王の戴冠式に皇太子が行かれたときに、その座席が実に右を見ても左を見ても黒人種ばかりであった。それで皇太子は憤慨されたということであった。今度の結婚式においては、英国の大使だけは黒人種の中にまぜてすわらせてもらいたいと思います。その点どうでしょうか。


○宇佐美説明員 皇太子様が戴冠式においでになって、そういう御感想を漏らされたということは、私は聞いたことはございません。席順はおのずから国際慣例があるので、今のようなまぜるということは、どうも解しかねることだと思います。


○菊池委員 それから結婚式が昔ながらの衣冠束帯、これはどうも南方の風俗のようで、世界各国に何となく日本が野蛮国のような印象を与えやすいと思うのであります。衣冠束帯というものはやめにして、最近の流行の洋風で一切がっさいやってしまったらどんなものですか。


○宇佐美説明員 過去の歴史に基かないで、新しくここでものを考えるとなれば、あるいはその場所柄も考えていろいろな案も立とうと思います。やはり皇室は一つの伝統に立っておられる、こういった大きなおめでたい儀式、結婚式場の場所柄を考えましても、やはりこれに合った服装をなさるべきだと思います。祝宴その他のときの服装は、これはまだはっきり決定いたしておりませんけれども、殿下が洋装をなさるか、あるいは妃殿下になられる方が和服になさるか、そういう点は今慎重に考えつつございます。


○菊池委員 別のことでございますが、皇太子殿下にしても陛下にしても、政治、経済学をさっぱり研究せられないで、生物学ばかり研究しておられるのでございますが、これからは皇太子にも政治、経済の学問を熱心にさせ、国際情勢も勉強させなければならぬというように私は考えておるのです。生物学の研究ばかりではどうも心配だと思う。日本が第二次大戦に突入したのも、天皇陛下が国際情勢を知らないで生物学ばかり研究して、カエルの目玉やホタルのしりばかりいじっておられた結果、とうとう軍部に押し切られて、ああいう悲惨な目に日本を陥れたのでございますが、これを考えるにつきましても、やはり天皇というものには政治経済学をしっかりやっていただかなければならぬと思うのでありますが、そういう点は長官はどうお考えになりますか。


○宇佐美説明員 ただいまの御発言は私どもはきわめて意外で、私どもはそういう認識は全然持っておりません。特に陛下や皇太子様が生物学ばかりというようなことは、全く根拠のないことでございます。現に外交問題については、毎週のように外務省の専門家に聞いておられます。経済問題についても、時々その道の人を呼んで聞いておられますし、皇太子様も御勉強になっておられます。皇太子様も今後だんだん学校を出られまして、そういう政治、社会、あらゆる問題についての御認識を深めていただく方針のもとに現に進めつつございます。御安心をいただきたいと思います。


○菊池委員 それから天皇という名称でございますが、外国語に訳しようがないそうですね。ヘブン・エンペラーというような訳はない。天皇という実に古めかしい、いかにも新興宗教のような名前で、われわれは聞き苦しいのでありますが、何とかこれを改めて――日露戦争当時には、宣戦の詔勅にも、大日本帝国皇帝となっていました。皇帝とか大帝というように現代語に改めてはどうかと思いますが、そういうことについて長官に何か構想はございませんか。


○宇佐美説明員 天皇ということにつきましての御発言でありますが、長い歴史と、現代の憲法、日本国民の大多数の感情から、そういうことは、私はないものと考えておるのでございます。


○菊池委員 さらに宮内庁の機構でありますが、一万人から現在は千人近くに減らされている。けれども、世界の宮廷を見ましても、千人もの吏員を擁している宮廷はどこにもない。日本がこういう貧弱な国家でもって、千人近くの吏員を擁しておるということは、いかにも不均衡であると思うのでありますが、これを敗戦の今日において、また陛下も今までの大権を失われた今日におきましては、そうたくさんの吏員は必要はないと思う。これは二分の一でも、あるいは五分の一でも私は間に合うのではないかと思いますが、これを大々的に削減して、三分の一ぐらいに減らす、そういったお考えはございませんでしょうか。


○宇佐美説明員 宮内庁の陣容につきましては、今仰せになりましたが、終戦当時においては約六千二百名でございました。現在千人以下でございます。もっとも六千といううちには、農林省に移管いたしました帝室林野局、それからただいまの国立博物館、学習院等、仕事とともに移ったものを除きましても、当時の三分の一でございます。終戦後十回以上にわたって徹底的に一人々々の仕事の内容を見て、減らしてきたわけであります。しかもわれわれといたしましては、中の配置転換につきましても、急不急を見ながら極力増員を避けていたしておるわけであります。われわれとしまして、終戦後とあまり変らないいろいろの諸施設を擁して、三分の一以下の人で全力をあげてやっておる状況でございます。外国との比較もございましたが、イギリスの王室等につきまして、幾ら向うへ行って調べてもなかなか実はわからない。しかし最近統計年鑑等を見ましても、課長ぐらいの幹部だけでも四百人、その下は幾らいるかわからないのであります。そういうようなことで、数というのは全国に散っている御陵七百八十カ所の管理まで含んでのことであります。私どもは現在の状況が多過ぎるということは現在考えておりません。しかし将来事務の必要によって――たとえば外国関係が非常にふえつつございますけれども、増員もいたしておりません。それは中のやり繰りをしてやっておるような実情でございます。


○菊池委員 千人ということは外務省とほぼ匹敵しているのでありますが、外務省にほぼ匹敵するぐらいの人員を擁するということは、今の宮内庁としてはあまりにも多過ぎると考える。この点一つ御工夫を願いまして、私の質問は終ります。


○内海委員長 高橋禎一君。


○高橋(禎)委員 もう時間もだいぶおそいようですし、あともう一人いらっしゃいますから、簡単に今日の委員会で出ました問題に関連して、長官に二、三お伺いをいたしておきたいと思います。

 私は宮内庁に対して非常な理解者といいますか、同情者といいますか、そのお立場を理解して、ほんとうにお気の毒だ、かような感情がわいてくるのであります。と申しますのは、昭和二十年、敗戦後占領政治の時代、これは日本の天皇制に対するいわば革命期といいますか、国民の天皇制に対する考え方が非常に動揺をした時代であります。ところが独立いたしました今日においても、一部には天皇制を否認するような考え方の人もありましょう。それからまた一部には、今の憲法の表現しておる天皇が日本国の象徴である、日本国民統合の象徴であるという、そういう言葉をもってしたのでは、まだいわゆる天皇制に対しての表現としては不徹底であるといったような考え方の人もありますでしょうし、天皇制についての考え方はいろいろあるわけであります。その間にあって、憲法は天皇制を認めているわけでありますから、天皇制を擁護し、憲法を守っていこうということに非常に関係の深いお仕事をしておられる宮内庁としては、なかなか仕事のやりにくい面があると思うのであります。しかしそのむずかしいことは、国民大多数は承知しているわけでありますから、憲法その他の法制の精神に従って、強い信念を持って私はお仕事をやっていただきたいと思うのであります。

 そこで、それに関連いたしましてお尋ねをいたしますが、天皇、摂政については、憲法に憲法擁護の義務を明らかに規定をしているのであります。御承知の通り第九十九条に、「天皇又は摂政」云々は、「この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」こういうように規定しておりますから、私は天皇御自身は、天皇制を擁護していこうということに対しての国家的な大きな責任をやはりお持ちになっておるように思われるのであります。ところが一般の皇族の方は、一体どういうふうな御関係にあられるか。お尋ねいたしますのは、国民全体が憲法を尊重し、憲法の認めている天皇制を守らなければならない責任があると思いますが、皇族の方々は、いわゆる普通国民と同じような意味においてであるか、あるいはまた天皇と格別御関係の深い方々であるから、天皇に準じての立場において天皇制を擁護していく責任をお持ちになっているのであるかどうか、その点についてのお考えがありましたらお聞かせ願いたいと思います。


○宇佐美説明員 皇族のお立場の御質問でございますが、現在の皇室典範におきまして皇位継承権の義務をになう方、皇室として法律的にも、その経済的な面においても、いろいろな規定があるわけであります。それはあくまで皇位継承権者としての責務であろうと思います。それだけに国家的な配慮がなされておる。従ってそういうお立場でございますから、よけい中立な立場におられて、それぞれの立場においで国のためにお尽しになるということであろうと思います。昔の規定によりますと、天皇は皇族を監督するというような規定もございました。今はございません。またその経済の立て方の問題、あるいはそこに勤めます職員の問題にいたしましても、あの規定のできましたのがまだ占領下の時代でございまして、占領軍の方のいろいろな意向も相当多く入ってきたのではないかと想像されます。今から見ますと、いろいろ実情に合わないような点もあろうかと思いますが、そういう点のはなはだしいところは多少訂正を国会でお願いしたこともございます。そういうような意味で、皇族という方が、やはり天皇の御一族と申しますか、そういうお立場から今申し上げましたようなふうに、りっぱな行動をしていただくようにわれわれは念願をするわけでございます。


○高橋(禎)委員 今長官のお話のありましたように、やはり皇族は一般国民とは異なった立場において、天皇制を擁護していくという責任があると私は思っておるのであります。そういうことになりますと、その責任を果されるために、やはり教育の問題も起ってくると思うのであります。学校教育、それから世間でいうその他の社会教育と言ってはちょっと表現が正しくないかもしれませんが、学校教育以外の教育によって、その線に沿ってほんとうにその職責を果されるようなことが必要であると思うのでありますが、皇族の方の教育に関して、宮内庁ではどういうふうな配慮がなされておるか、また制度上どうなっておるか、それについてお尋ねいたしたいと思います。


○宇佐美説明員 皇族と申し上げましても、陛下の御膝下にあらせられます未成年であられる方は、清宮様だけであります。そのほかの方はすでに成年に達しまして、学校を出て、それぞれ研修を積んでおられるわけであります。そのほか秩父、高松、三笠宮関係は、すでに相当のお年でございまして、一家をなされておりますので、特に私どもは教育というような面について何らいたしておりません。ただ三笠宮様のお子様が御五方おられますが、これは御両親が慈愛の目でもって教育なさっております。まだお小さいのでございまして、宮内庁としてはただいまのところ特に御方針なり、いろいろなことについて申し上げたこともございません。その御家庭において今御教育をお進めになっておるわけであります。まだ上の方が中学でいらっしゃる程度でございます。


○高橋(禎)委員 天皇それから皇族の点については今のお答えによりましてわかりましたが、今度は皇族でない、いわゆる御親族の方々については、これはもう一般の国民と同じであるか、あるいはまた先ほど来お話のあったような立場にあられる方々の親族であるという立場で、宮内庁としては、いわゆる皇室を守り、そして日本の天皇制、すなわちそれは憲法ということになりますが、守っていくために格別の配慮がなされておるか、あるいはそうでないか、その点いかがですか。


○宇佐美説明員 ただいま仰せの通りに、皇族でおられて御結婚等によってすでに皇族の籍を離れられておる、あるいは新憲法と同時に皇族籍を離れられた各宮家、あるいはその他の御親族の関係は、今お話のございます通りに、これは一国民としてのお立場でございまして、宮内庁でとやかく干渉すべきではございません。ただわれわれ皇室の私的な面についてのお手伝いをいたしておりますから、何か御連絡でありますとか、何かの御希望等がございますれば、お世話するときもございますが、これはあくまで役所の仕事ではありません。


○高橋(禎)委員 天皇及び皇族の方々が、先ほど来話に出ました人間としての幸福な生活を送っていただくように、国民は一人残らず念願しているわけであります。さらにその上に憲法上りっぱな立場にあられるのでございまして、またそれが確立擁護されていくということを、国民の大多数が念願しているわけでありますから、国民のその気持を尊重し、それを失望さすといったようなことのないように、私どもは現在のごとく将来もあっていただきたいということを念願しているわけでありまして、やはりそれには教育という問題が非常に関係があると思いますので、それらについても特段の御配慮が願いたい。また法制上必要なものについては、やはりその制度を確立する必要もあると思いますので、それらについてお考えがあれば伺いたいと存じます。

 次に、今度は物的設備の問題であります。皇居運営に関しての審議会設置法が提案されているわけでありますが、私どもりっぱな皇居の造営されることを希望する者の一人でありますが、ただこの場合に考えなければならぬと思いますことは、私、外国をちょっと回ってみましたところから受けた印象、あるいは日本の歴史及び現在残存している有名建築等を見まして、りっぱな建物というものが何かそこにやはり人間に対して大きな影響を与え、意味を持っているということを痛感しているわけであります。従ってやはり日本の国の象徴としての天皇のお住居なり、または憲法上認められておるお仕事をなさる関係、それからさらに国際的な影響というようなことを思いますときに、私は日本的な、そして非常にりっぱなものを造営されることが必要だ、いたずらに外国式のまねをしただけの建物で、バラックのような印象を与える。とても外国のまねをしましても、外国の宮殿のような大きなものを作るということはなかなか容易でない。それにまねをして洋間を作っても、それがまた貧弱であるということではいかぬので、やはり天皇制はその制度そのものが日本のいい伝統といいますか、国民の気持の現われでありますから、天皇がお住まいになりあるいはお仕事をなさる場所というものも、やはりそういう考えをくんでやられる必要がある。もちろんこういうことについては審議会等において十分検討されることであると思いますけれども、それらについての資料、お考えというようなものを、十分国会あるいは審議会等に出していただくようにされることがいいと私は考えておるのでありますが、それらについてはどういうふうなお考えでしょうか。


○宇佐美説明員 将来建設さるべき皇居の様式等についての御発言でございますが、私どももいたずらにヨーロッパのまねをする必要はないのじゃないか、私参ったのではございませんが、宮内庁から調査いたしました報告を見ましても、非常に歴史的なものが多いのでございまして、とうていそれをそのまままねることができないのは当然でございますし、日本で建てます以上は、日本の建築の技術と日本的な現代の建築最高の技術を合せて取り入れてやるべきだろう。もちろん様式等は周囲の風光その他にもよることでございますし、なお大ぜいの方が入られることでありますから、利用の面からも十分考えなければならぬ。またこれは何事でもそうでございますが、やはり質素にやってはどうかということ、いや豪華でやれという説もありましょうが、しかし宮殿と申しますか、皇居としてふさわしいものでなければならないと私は思っております。また昭和のほんとうにいい建築だといわれるような工夫をしなければならないというふうに思っております。


○高橋(禎)委員 では最後に同じようなことになりますけれども、希望を述べておきます。こういう問題については、いろいろの意見が出ますが、ただそのときに出た雑然とした思いつき等に押し流されるというのではなくて、憲法の認めておる天皇制を守るために、私はやはり皇居というものの規模その他が非常に影響すると思うのでありまして、人の問題、物的設備の問題等を十分総合的に考えて、大いに天皇制を守っていこう、憲法を守っていこう、そういう考えで一つ進めていただきたいということを特にお願いをいたして、私の質問を終ります。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005a.html



▲△▽▼

平井義一 (政治家、没年不明) - Wikipedia

平井 義一(ひらい ぎいち、1913年3月 - 没年不明)は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)。


経歴

東京都出身。明治大学法学部卒。東京地方専売局に勤務した後、計理士となり、麹町区議、東京市会議長秘書を歴任する。1947年の第23回衆議院議員総選挙で福岡4区から日本自由党公認で立候補して初当選。以来5期務める。

第4次吉田内閣で郵政政務次官に就任する。1955年の保守合同により自由民主党衆議院議員となる。

1960年の総選挙で落選。その後も複数回総選挙に出馬したが、いずれも及ばず、国政復帰はならなかった。

このほか横綱審議委員、日本プロレス協会長などを務めた。

1972年にはシングル「部隊長」(キングレコードに製造を委託した自主製作盤。品番:NCS-387)で歌手デビューもしている(B面は神田たかし「青年の歌」)。


参考文献
『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E7%BE%A9%E4%B8%80_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)



▲△▽▼


それにしても、正田家と美智子さんの うさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね。

これでも皇后擁護? やり放題になった乱脈皇室 2015-12-02
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12101934575.html


それにしても、美智子さんのうさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね。


こちらは↓数ヶ月前から保存していた資料なのですが、

第三十一回 国会衆議院 内閣委員会
昭和三十四年二月六日(金曜日)午前十時十九分開議
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005.pdf


言及するには「続日本記」まで解読、その他勉強と関連資料集めがたくさん必要で一日延ばししている内に、不定期更新になってしまいました。

絶句するような、大変なことも述べられています。

いつ、きちんと学び解析できるか分かりませんので、とりあえず第一級「資料」として皆さまにご提示します。この記録もこの所、ぼちぼち表に出始めていはいるようだし。

これに併せて、美智子さまが大左翼政党社会党に支持されての入内であったことを、ぜひご記憶ください。またカトリック団体からの応援があったことも。

こちらの国会記録を通読してまず思ったのが、皇室への敬意は昔のほうが強かったと一般に思い込まれていますが、戦前はともかく戦後の数年間は皇室への国民への視線は非常に厳しく現在より冷静であったようです。

そして、巧妙になし崩しにことは運ばれて、現在は皇室の権力が危険水域に達するまで強大になっています。天皇陛下による、内閣に無断のイミョンバク元大統領への親書による接触で友好・謝罪訪問願い、

日本最大の巡視艇を私用に改造してのパラオ行き決行(政府は反対)、皇太子による習近平夫人への接触、創価学会イベント参加、池田大作氏の息子との会食、皇后陛下による従軍慰安婦問題への関与、A級戦犯発言、九条の会加担、元GHQメンバー賛美・・・・他、政府と国民の意向は無視して天皇皇后の「私情」正確には皇后の意志優先で「やりたい放題」になっているのが現在の皇室です。

要するにOSS発GHQの描いた10年がかりのシナリオ通りにことは運び、間もなく日本解体皇室弱体化劇は、エンディングを迎えようとしています。OSS3年間、GHQ7年間をプラスして10年間をかけて練り上げた完璧に近いシナリオです。

そこに、秋篠宮殿下による、シナリオライター(OSS、GHQ)の予想外の
ドンデン結末が付け加えられるかどうかが、今後の皇室のひいては日本の新たな物語の幕開けになるか、亡びへの序章となるか、でしょう。

政治も含め今の流れのまま、事が進むなら日本は変質して、もはや日本という国は消滅してしまうでしょう。

OSSは日本の精神性瓦解、GHQは日本の軍事力解体と2本の柱はありますが両者の目的はむろん通底してそれぞれ存在していました。いえ、過去形ではなくOSS発GHQの埋め込んだ自己増殖を続けるウィルスは現在も作動中、その目的を今や果たしつつあります。

安倍総理による後三年間の政治の安泰と、秋篠宮殿下の表舞台への御登場を切に望む次第です。

(お断りしておきますが以前から弊ブログでは安倍総理100%の支持者ではないことは繰り返し表明、批判すべきはして来ています。ただ現実厳しき中、この現実を踏まえつつ、現時点では他にいない以上安倍総理を推すしかないと思っています)

「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」

これを弊ブログ主は手を変え品を変え、訴え続けてきたわけです。
自称保守が、凝り固まって見ようとしない点。
昔から「民を苦しむる」天皇はいたからこその、北畠親房卿の言葉です。

*北畠親房

北畠 親房(きたばたけ ちかふさ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の公卿。著書の『神皇正統記』で名高い。

昔は、宮中に自浄作用がありました。だから不適格の皇太子や天皇が排除され、現在まで皇統を繋いできたのです。

現代、自浄作用は廃絶されました。雅子さん入内により、小和田王朝自虐史観王国が外務省創価派により形作られ、しかし小和田王朝成立の背後には、正田美智子さん入内により始まった、OSS発GHQによる皇室壊しが始まり、民の気づかぬ内に皇室への批判は公にはいつしかご法度とされ、政治家もこの分野には口をつぐんで硬直するようになってしまいました。

第三十一回 国会衆議院 内閣委員会の記録を 読めば解るように、昔は実に発言が自由、批判も可能だったのです。
「不敬」の一言で発言を封じられる今が異常なのです。
思考停止保守というのは、まさしくGHQ勢力の思う壺、皇室を崇めているようで、実は貶め弱体化したい勢力の催眠術にむざむざかかっています。

「(皇太子の地位は)必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます」

これも現代日本人が知らないことの一つではないでしょうか。思えば長子相続に何らの意味はなく、有能なほう、海外にお出ましになられた時の風采も押し出しも含めて決められるべきでしょう。

秋篠宮への委譲を主張するものに対して「不敬」呼ばわりする思考停止層は、歴史を知らぬと言うべきでしょう。

うがてば、長子相続制度の設定はGHQ勢力の目論見であった可能性もあるかもしれません。
A級戦犯の絞首刑を今上(当時は少年としての皇太子)にぶつけ、お前もいうことを聞かねば吊るすぞと脅しをかけ、更にはバイニング夫人による洗脳と、当時の長子である皇太子を洗脳したわけですから、それをさしおいて弟君に即位されたりすると、計画が覆るので、長子と限定させたとも(可能性として)考えられます。

「先生、日本はもう、しまいましたね」
皇室尊崇の老婆がこう言った、と。見抜いていたと言わざるを得ません。その尊崇故に老婆には却って見えるものがあったということではないですか?

現代も同じこと「尊崇故に」物申すのです。批判無き輩は皇室を真剣には思っていません。

「もう皇室の尊厳というものは・・・・だんだんなくなって来る」

その通りになっていますね。「不敬」という言葉を錦の御旗に、口封じしてその結果、国民の尊崇を得られない皇室に成り果ててているわけです。たかが庶民の粉屋の娘が、女帝として今は宮内庁も天皇も従え、皇室の頂点に君臨していますが、その皇室は政府の意志すら無視して、ことを決行するようになっています。韓国大統領への友好願い親書、巡視艇の私的改造、使用他。

それらを糊塗するがごとき、被災地訪問。これは昭和になって始まったことであり、しかし被災地に必ずしも心を沿わせてのご訪問ではないことに、国民は気づき始めています。鬼怒川の氾濫がきっかけでした。
まだ混乱の最中に、護衛の車を連ね人々を引き連れて乗り込まれ、ただお辞儀するだけの、プロモーション映像制作のためのパーフォーマンス。

しかも皇后陛下は、朝鮮式挨拶であるコンスのポーズでのお辞儀です。

「今少し厳格な教育をされたらいかがですか」

これは当時の皇太子(今上陛下)のことで、当時の言動を拝すれば「よくぞ言ってくださった」と思われます。軽薄極まりなく、朝9時から勤務して夕方5時には終わり、後は家庭生活を大事にしたい、などと。だったら、皇籍離脱してご自身でお稼ぎ遊ばせ、と当然なりますね。学習院大学を落第したのに、特別措置で「学業終了」として卒業扱いにしてもらったお方の頭脳で、何を考えられるやら。


特権と富は手放さず、権利は庶民と同じ生活形態を望む・・・・・現在の皇太子の在り方そのままです。元凶は天皇陛下にあり、ひいては皇后陛下にあります。

そして1959年(昭和34年)の頃は、民が「もっとまともな教育を」と宮内庁に注文がつけられていたのです。それも国会の場で! 今なら考えられませんね。一切の批判を許さず、という偏頗な形に持って来られ、それは決して皇室の健全な存続に資することはありません。

批判すればよってたかって「不敬」の連呼。こと皇室問題に関しては北朝鮮にさせられてしまいました。

三笠宮は皇族でありながら、神武天皇を否定するということは当然男子一系否定、つまりは自己否定なのですから、皇籍は離脱なさるべきだと思いますね。

皇族であるアイデンティティを否定しながら皇族として、無為の暮らしを送りつつ、大枚の国費を受け取りながらのありようは欺瞞です。あまつさえ、南京大虐殺の肯定。

今上陛下による、先祖に朝鮮人がいる発言も必ずしも歴史の定説とはならざることを含めて、言ってはならぬことをお弁えではありません。今上陛下も三笠宮もこの基本の禁句を心得ていらっしゃいません。


「美智子嬢は25人の見合いをしていられた」

「最後に波多野という青年と婚約。これを破棄して皇太子のほうに振り替えた」

宮内庁側は否定していますが、否定せざるを得ませんね。
むろん、当時の週刊誌の記事をまるごと信じるわけではありませんが、国会という言質が取られたら厄介な場で、見合い25回、25回目の婚約者が波多野、と極めて具体的な回数と名前が出てきていることに留意は必要でしょう。

「美智子嬢」が15歳から、見方によってはいささか下品な婚活パーティに出ていたことは既報の通り。主催者がGHQ寄りの人物である可能性についても触れました。15歳でエリート男子を狙っての婚活なら、25回見合い歴はない話ではないでしょう。三島由紀夫との見合いも否定する人がいるようですが否定の論拠は曖昧です。


拙ブログが最近掴んだ、入内にあたっての関係者がすべてプロテスタントかカトリックのキリスト教徒であるという事実が、当時も不可解に思われていたのですね。「カトリックの陰謀」と表現されていますが「カトリック(プロテスタントも含む)を日本と皇室弱体化ツール」として使ったのはGHQです。

ただこの時代にGHQを口にしたら、その地位から(場合によっては命さえ)消されかねない状況ではあったかもしれません。一番の恐怖はこれもGHQが日本弱体化の尖兵として使った朝鮮人が束になっての親、子供への押しかけ、恫喝であったでしょう。彼らが特権を奪い取るにあたっての、常套手段です。

美智子さまご成婚時は、GHQが表向き引き上げてから7年間が経過していますが、GHQが愛国者をバサバサ刈り取って残った自虐史観売国奴が国のあちこちを仕切っていました。雅子妃の父親、小和田恒氏が外務省におけるその典型です。だから形としてのGHQは解体しても、去った後GHQ勢力は根強く日本に残り、定着しました。

美智子さまの父上正田英三郎氏もカトリック教徒だったのですね。

冨美夫人との出会いが双葉高等女学校の「礼拝」であった、というから美智子さまの母、冨美さんもカトリック教徒だったということでしょう。
臨終洗礼とされていることに、拙ブログは疑問を呈してきました。
美智子さま入内にあたって、一族郎党全員カトリック教徒であることが解ると、当然美智子さまの信仰にも疑義が及ぶので、自らは受洗していないことにしたのではないか、と。

祖父母の代から一族郎党全員カトリック教徒(ブログ主独自の調査で現在ミャンマー在住の、正田姓を名乗るお身内の方もカトリックだと掴んでいます)の中、美智子さまだけ違うというのは無理があるのではないでしょうか。洗礼はまずお受けになられている・・・・つまり入内にあたって、嘘をつかれた可能性があるかもしれません。いや、相当濃厚にカトリック教徒として胸に十字架を抱いたままの入内ではなかったかと、考えるほうが自然でしょう。

信仰を密かに抱かれていなければ、その後のカトリックへの明らかに頻繁な接触が説明出来ません。
美智子さまは、大変な嘘をつかれての入内と拙ブログ主は心証的には色濃くそう思っています。

朝日新聞記者により、発表されたカトリック信徒を思わせるベール姿が公開された時、わっと泣き崩れた美智子さま。勝ち気な美智子さまが泣き崩れるほどの衝撃は、自らがカトリック教徒だったからではないのですか?

もしそうでないのなら、違いますと答えればいいだけのこと。

嘘をついての入内を今更難詰しても、現実を変える力はありませんが、皇后なるお方が政府と国民、そして昭和天皇皇后両陛下を裏切って、皇太子妃となった方かもしれないということは、国民は知っておくべきでしょう。

仮にカトリック教徒でないとしても、頻繁なるカトリック教徒たちとの交流、教会行き、ローマ法王への傾斜など、神道の祭祀王の妻としての立ち位置は著しく損ねていらっしゃいます。合唱練習を名目に母校への月一回の訪問は、敷地内にある聖堂で礼拝なさるためではないのですか?

私的お出ましにも、護衛の車10台が付き従うと仄聞します。そのつど大きなお金が出て、年間通算すると莫大になるでしょう。九条の会の音楽家の追悼コンサートへのお出ましも、公のお金が費やされています。

言葉を変えれば皇后の「反日左翼活動」に私たちが営々と時に苦しみながら納めている税金が、いとも安易に使われているということです。

美智子さまは、象徴であるということに対して何やら小難しい理屈を述べて、象徴であることは出来ないと言っていらっしゃいますが、そんな言い分は、屁理屈と申します。

ことは簡単でたとえば、浮世の政治的なイベントにお出にならぬこと。
あの大戦への言及、憲法に対するお考えなど、国民の世論を二分するそのどちらかへ加担などなさらないことなのです。

象徴であらんとすることは、何をすべきということではなく、してはならぬということをお守りになることです。

こんな簡単なことがお分かりにならない愚昧さ。

美智子さまの入内に関して皇族全員が反対という説は否定されていますが、しかしながら「全員」賛成という説のほうが首肯出来かねます。

不自然ですよ、美智子さまも雅子さまも入内にあたって周辺では強い反対に取り囲まれながら、皇室会議においては一人の反対もなく、すんなり決定。

双方、きちっと調査がなされれば絶対あり得なかった、と言いきってもいいほど
「瑕疵」のある縁談なのに。

外国先行報道、あるいは報道先行で既成事実化して現実周辺では
反対論が渦巻いているのに、皇室会議では反対者ゼロで通過の
不自然さも小和田雅子さん入内の時と同じ手口ですね。

他幾つも、新たな発見がある国会記録かと思われます。
読んでみてください。平成の世の皇后陛下を論じるにあたって
後世相当役に立つ資料だと思われます。それゆえ他の資料のように
押し隠しておきたいでしょうが、国会記録抹殺まではさすがに出来かねたのでしょうか、国民にとっては幸いなことでした。

後世の評価はおそらく前代未聞、希代の悪女皇后となるかと思われます。

その悪辣さにおいて美智子さま。無能力なダメさかげんにおいては雅子さま。
いずれも皇室の歴史上、突出した黒歴史として末代まで残ることでしょう。
そしてそれを支持した、愚かしい民衆が保守の名で存在していたことも。

備考 田島道治宮内庁長官(無教会 派)、宇佐美毅宮内庁長官(クエーカー)などもクリスチャンと、拾えますが決定的データは今のところ拾えないでいます。いずれにしても美智子さまの入内に絡んで動いた人々にキリスト教関係者が偶然の確率超えて以上に多いのは事実。荒っぽく言えば、宮内庁はクリスチャンと創価学会の巣窟となっているかもしれません。

美智子妃入内にあたってはキリスト教が背後に。
雅子妃入内にあたっては、創価学会。

・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


追記 読者さまよりコメ欄に寄せられた情報。


WiLL 1月号に、『皇后の真実』 工藤美代子 著 の書評があります。
元産経新聞記者の方が書かれていますが、最後の方の記述にびっくりしました。
この方が記者時代、皇后に直接関わった高名な二人から、激しい皇后批判を別々に聞き驚いたそうです。
口外していないけれど、今でも忘れられないということですから、ぜひどこかで書いていただきたいものです。

・・・・・・・・・・・・・・ここまで

逝去の後、少しずつでも結局全部語られ、さらされそうです。


更に追記 コメ欄への読者さまからの書き込み

質問に立った自民党議員は、昭和の憂国の臣だと思います。
天皇の本道・本質を明らかにし、すでに始まった劣化と将来迎える危機を鋭く指摘して下さった自民党議員に感謝とお詫びを申し上げたい思いで、どのような方なのか少し調べてみました。

《平井義一衆議院議員 自民党》
平井議員の深い洞察には改めて感服します。議員生命賭けての質

疑だったと思います。
しかし平井議員が憂慮されたとおりになってしまい、今、泉下からご覧になって何を思われていらっしゃるか。

平井議員は「吉田学校=吉田茂派閥」のメンバーで、第四次吉田内閣で郵政政務次官就任。その他に横綱審議委員や日本プロレス会長(893大親分複数が役員になっていたので警察に解散命令出された後の一新人事で会長就任)等務めた形。

入内するところまでは、吉田茂はミテコ押しだったはずなので、退陣後といえども親分に逆らったのですから…(後に御所でのプッツン振りを知り、アンチミテコになったとか)
義一さん、真の国士でいらっしゃいます。
この後の選挙は落選が続きそのまま引退されていますので…逆風吹いたかなぁ?
没年も判らないなんて、悪の藩屏に抑え込まれたのか?

写真中央が平井氏(横審時代でしょうか。元関脇北の洋・緒方昇氏宅とのこと)
h ttp://members3.jcom.home.ne.jp/abashirikai/jpeg/tuitou-3.jpg

《菊池義郎衆議院議員 自民党》
菊池議員に至っては、質問をするために、この回のみ町村金吾議員(故町村信孝議員の父上)と交代して委員になっています。
美智子さんの疑惑はもとより。国会図書館設立に尽力した人なので、赤坂離宮内の図書館廃止の件を取り上げたかったのでしょう。

せっかく、見合い25回で婚約者有り、入内チームがカトリック教徒(正確にはキリスト教徒と言うべき)だらけと良いところを突いていても。宇佐美長官に揚げ足取られたり突っ込みの甘さから、週刊誌報道の火消しに終わり、残念に思います。でも、当時から胡散臭さは知られていた事を記録に残してくださいました。

衣冠束帯では南方の風俗のようで野蛮国と見られやしないかとか、英国女王戴冠式では皇太子が黒人の中に座らされたので、婚礼では英国大使は黒人来賓の間に座らせろだの……_| ̄|○ (宇佐美長官の気持ち)
猪突猛進、一言居士、「黒潮に吼える男」という小説になっただけはあるオモロイおっちゃんです。平井議員と初当選当時から同期でしたが、菊池議員はこの後も当選を続け、叙勲もされています。

更に追記

尚、
菅原研究室の国会議員白書から両議員の議員歴を、
wikipediaから大方のプロフィールを把握し、さらに検索して確認しています。

平井議員の写真は"たぶん"ご本人ではないかと?……程度です。

平井義一議員
http://kokkai.sugawarataku.net/giin/r00419.html

菊池義郎議員
http://kokkai.sugawarataku.net/giin/r00139.html

菊池議員題材の小説
『黒潮に吼える男』上野登史郎著/三彩社刊
八丈島出身の自民党きっての硬骨漢・衆議院議員、菊池義郎の伝記小説。物語は彼の出生から国会議員になるまでが、明治時代の政治(大熊重信などとの交流)や文化(島村抱月や須磨子などとの交流)、そして島の様子がイキイキと描かれていて面白い。島抜けしてからの一徹な苦学生活、普通選挙実施や元老廃止などの演説運動、さらには議員になってからの私学振興議員連盟を作ったり、国会図書館などを作ったりと紹介されている。
h ttp://www.muse.dti.ne.jp/~squat/fiction.htm


それにしても、平井議員の消息が不明って…怖いですね。
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12101934575.html

▲△▽▼

それにしても、正田家と美智子さんの うさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね _ 2

これが、現代皇室の現実。ブサヨの巣窟に現れた皇后陛下 2016-06-22
https://blog.goo.ne.jp/sitihenge994/e/319d1c927965be306fdfa254b877efdd

正田美智子さんの入内にまつわり、キリスト教徒のみが関わっていることのうろんさをついた国会議員が当時いました。

1959年2月 国会で平井義一議員が正田美智子入内の胡乱さと出自を問い詰める。
その2ヶ月後の1959年、正田美智子入内。
その翌年の総選挙で、今まで5期落選したことのなかった平井義一落選。

天皇皇后の左翼化

皇后陛下が、左翼の連中や組織と親密であられることにテーマを
絞るつもりで書き始めたのですが、結果的に今までの「総まとめ」ともいうべき
記事になったようです。志ある方は保存なさってください。

左翼の巣窟に出入りの皇后陛下

http://www.asahi.com/articles/ASJ6673Z7J66UCVL01Y.html 

反日左翼「九条の会」秋山ちえ子さんお別れの会 皇后陛下が会場に
皇后陛下の入内には戦勝国GHQがからんでいます。入内前に、正田家とGHQの要人とがアメリカ産小麦粉利権を介在に癒着していたのは、事実です。
客観的史料があります。

やっぱり!! 正田家とGHQの癒着。美智子さま入内を仕組んだGHQ 

そして美智子さんの父親は、アメリカ産小麦粉の宣伝マンとして
GHQの協力要員でした。

日本の国会が知らなかった正田美智子さんの婚約が、アメリカで先に報じられたのはそういう理由です。入内にまつわり、キリスト教徒のみが関わっていることのうろんさをついた国会議員が当時いました。今は亡き平井義一氏ですが、おそらく議事録に残っていること以上の闇を承知していたと思います。
よく殺害されなかったことです。しかし・・・・・

1959年2月 国会で平井義一議員が正田美智子入内の胡乱さと出自を問い詰める。

その2ヶ月後の1959年、正田美智子入内。


その翌年の総選挙で、今まで5期落選したことのなかった平井義一落選。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E7%BE%A9%E4%B8%80_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)

【重要】 これでも皇后擁護? やり放題になった乱脈皇室

元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解

平井氏の他に、正田美智子さんの入内に不可解な点ありとして国会で疑義を表明した議員が2人もいたことは、脳裏に刻みつけておきましょう。

国会ですよ? 末代まで発言が残る場。軽々に言えることではありません。まして、国中が操作されて世紀のご成婚に浮き立っている時に、議員生命を賭けて成婚とやられ放題の宮内庁に疑問を呈した議員たちが3人いたということです。

なんと、社会党が支援していた美智子さま 

皇室史上初の民間妃の誕生は、異教徒の男女同権主義者である左翼思想の女性の入内をも意味していました。去ったはずの、GHQによる皇室と日本弱体化施策が本格的作動し始めたのが、正田美智子さんの入内の年であり、この年日本は伊勢湾台風が荒れ狂いました。

そして嫁いだお相手は、多感な少年時代にGHQに生涯忘れ得ない恫喝を受けた、今上陛下でした。当時皇太子であったその人の、誕生日めがけて時計の針がピクリと動いた瞬間から、東条英機らいわゆる「戦犯」が吊るされて行ったのです。GHQの言外の脅しは明白でした。
「お前もアメリカに逆らうなら、吊るすぞ。父親もな」。
そして、言うところの戦犯28名の処刑を決定、公表されたのが「父親」昭和天皇の誕生日だったのです。これも言外の恫喝です。恫喝であると同時に罪悪感の刷り込み。「お前と、お前の父親のせいで、こいつらは首をくくられるのだぞ」と。

http://hon.bunshun.jp/articles/-/226

いえ、恫喝は言外ではなく直接浴びせられたかもしれません。
昭和天皇を何度となくGHQ本部に呼びつけたほどのマッカーサーです。

当時の皇太子は「ジミー」と戦勝国名で呼ばれ、GHQが差し向けたバイニング夫人が張り付き、洗脳に明け暮れました。神道思想の破壊です。

破壊教育を受けた皇太子というよりはジミーに、異教徒の平民の娘があてがわれ相乗効果で皇室の神道的なるもの、そして伝統がなし崩しに壊されていくことをGHQは見越していました。皇后も幼児洗礼をもしお受けならマリア・テレジア・カテリーナなどというお名前をお持ちでしょうから、ジミーとはお似合いの夫婦でしょう。皇后のカトリック洗礼に関しては、(幾つもあるにせよ)傍証でしか示せません。
しかしながら、実は皇太子と平民の娘との成婚ではなく、ジミーとマリアとの婚姻だったのだと踏まえるとその後の皇室伝統の、あっという間の壊れように得心が行きます。

もともとルーズベルトのOSSの頃から、日本を共産化する計画がありました。
ルーズベルトの死去により、共産化は免れましたがそれと同等の、日本破壊ウィルスをGHQは日本の国体に仕込んでいきました。

NHKはいまだその体質を引きずるGHQの宣伝局であり、外務省には反日思想の者たちが跋扈。公職追放で、まともな日本人は追われ、反日であるほど、出世階段を駆け上り、その代表格が雅子妃の父、小和田恒氏です。
小和田雅子さんという、皇室にはおよそ馴染むはずもない女性の入内もまた、
偶然ではありません。

皇室には、バイニング夫人とカトリックという異教とワンセットで正田美智子さんが送り込まれ、現在に至ります。神道の祭祀王の家に嫁いでからも元正田美智子さんはカトリックを捨てませんでした。そのことは、皇祖神を奉じるには至らなかった・・・・・いえ、基本のところでないがしろになさった、ということです。
ご本人がいかほど、自覚されているかどうかは知りません。しかしながら、
GHQの目論見は100%成功でした。いえ皇室の伝統破壊と共に、アメリカ産小麦粉の売りつけの目論見通りであったので、一石二鳥、200%の成功でしょう。

今上陛下が実は学習院の講義について行けず、ご卒業なさってないという事実を国民は知りません。

学習院を落第した天皇陛下は左翼でいらっしゃいますか

悪い頭で政治と歴史、憲法を語られるな両陛下と皇太子 

乏しき頭脳で政治外交、史観を語られませぬよう、両陛下

天皇が必ずしも頭脳俊敏でなくてもよろしいのです。
しかしながら、敏いとは言えぬ頭脳にバイニング夫人、そして伴侶である元正田美智子さんという異教徒から、思想上の決定的洗脳を受け続け、更に将来の天皇たる者は政治学科に進まねばならぬところ、進めなかった父親より頭脳の働かない皇太子殿下が、両親から口移しで「GHQ作の平和憲法護持」という左翼思想を受け継ぎ、現在に至ります。

天皇と皇太子共に、脳細胞の不活発なところに女帝と化した皇后から洗脳を受け続け、さらにその不活発な脳で考えた政治外交上の言動は、国を損ないます。政治関与それ自体が、ご自身が護持を唱えられる憲法に反する行為なのですが、その矛盾をお解りではありません。

天皇も皇太子も頭がよろしくはない、という現実をまずは正視しましょう。ということは、周辺の者がしっかりと舵取りをしなければならないのですが、しかしその舵は今や女帝として皇室ヒェラルキーの頂点に君臨する左翼皇后の手に握られています。その皇后陛下も、巷間思い込まれているほどにはご優秀ではありません。聖心女子大学は名門ですが、偏差値は高くはありません。

大変言いづらいことをズバリいいます。頭のさしてよくない左翼が3人固まったのが、今の皇室です。行き過ぎた言動を止めるものは皆無です。

随分粗っぽい総括ですが、細目は過去記事に資料を添えながら具体的に提示してあります。

皇室に男女同権思想は馴染みません。民間では極端な男女不平等が、本来の皇室です。なぜなら夫婦である以前に、夫は神とつながる者、神道の大祭祀王であるからです。対等ではあり得ないし、生理出産を伴う女性に、この国最大の神官は務まりません。
しかし、溺愛の皇太子の系譜である愛子内親王を天皇にしたいというのが、GHQ仕込みの男女同権主義者・皇后陛下の執念であり、左翼お仲間を引き入れつつあれこれ画策していらっしゃいます。


左翼の巣窟に出入りの皇后陛下

http://www.asahi.com/articles/ASJ6673Z7J66UCVL01Y.html

4月6日に99歳で亡くなった、放送ジャーナリストの草分けで評論家の秋山ちえ子さんのお別れの会が6日、東京都千代田区の日比谷松本楼で開かれた。聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんや脚本家の小山内美江子さんらのほか、秋山さんと親交のあった皇后美智子さまが会場を訪れ、遺族らと言葉を交わした。

BB:秋山ちえ子氏がそもそも反日左翼の旗振り的オピニオンリーダーでしたが、
小山内美江子、反戦歌の森山良子他歴然たる左翼思想の人たちばかり。更に、仰天すべきことには、反日慰安婦問題の張本人である河野洋平が発起人代表を務めているという凄さ。

皇后陛下が、韓国側と左翼たちが捏造した慰安婦問題を信じこんでいらっしゃるさまは、それこそ「九条の会」の鶴見俊輔により、具体的に語られています。

会では、発起人代表の河野洋平元衆院議長が「父の河野一郎と秋山さんは信頼しあっている仲で、インタビュアーとして日本一だと言っていた」とあいさつ。

さすがに息子の河野太郎は、安倍内閣の清濁人事の濁のほうながら閣僚なので、出て来ていませんが、本来なら売国父息子としてこの場にいるべき人間です。


 秋山さんは毎年8月15日の終戦記念日に、上野動物園で戦時中に餓死させられたゾウの童話「かわいそうなぞう」をラジオ番組で朗読。会の終わりには2002年の収録分が流され、「地球上のすべての生物の命を守るために、ことを解決するのに戦争というものを手段に使うことのないことを祈りながら読ませていただきます」と語る秋山さんの声と朗読に、参列者は聴き入った。

ゾウの話は胸を打ちますが、そのことと日本が防衛的に無力で無防備であっていいということと何の因果関係もありません。そこがなぜ解らないのか、いつものことながら左翼と言われる人たちの奇妙なまでの頭の悪さを思わずにはいられません。
夏になると、震え声で反戦詩を朗読する大根女優・吉永小百合も同類です。
問題は、中国韓国北朝鮮で反戦詩など読まれないことです。読めば投獄、下手すりゃ処刑。日本の反戦運動は彼らがせせら笑いながら歓迎するところ。


 30年来の親交がある司会の大沢悠里さんは「秋山さんは一貫して戦争反対を訴え続けてきた。私たちはこの心をずっと受け継いでゆく覚悟が必要だ」と締めくくった。

戦争に賛成の人間など、武器商人か一握りのマニャックな戦闘愛好者しかいませんよ。誰しも平和は恒久的な願いなのです。問題は「戦争反対」と唱えていない国が至近に3カ国あり、折あらば日本人の命と国土が狙われているということなのです。


 夜には皇后美智子さまも会場を訪れ、展示された秋山さんの遺品などを見たり、遺族や発起人らと言葉を交わしたりした。

・・・・・・・・・・抜粋ここまで

社会的にはその存在が希薄になっていた秋山ちえ子の逝去と、そのマイナーなお別れの会を即座に嗅ぎつけ駆けつける皇后陛下。左翼ネットワークの親密な一員でいらっしゃるからです。

皇后陛下は上記の左翼運動家たちのまごうことなき、共感者であり仲間であるということなのです。それ以前に皇后陛下の政治思想の表明など、
とんでもないことがいつ許されるようになりました?この方の入内以来です。

▼「男性には戦争をしたがる人がいる」
「戦争の悲惨さを知らない政治家が憲法9条をなくそうとしている」

と売国左翼新聞朝日新聞「天声人語」で紹介された秋山ちえ子氏をはじめ、以下が皇后陛下のブサヨ仲間です。


▼左翼鶴見和子の会にもお忍び出席した皇后

 和子=鶴見和子(元・共産党員)

>和子さまの三回忌に、美智子妃殿下の御臨席をいただき、
>内山さんが宮中に御礼の記帳に行く予定の所、
>皇后様から「鶴見和子病床日記」持参で参内するようにとの連絡があり、
>宮中大変奥深くのお部屋で、一対一の四〇分の御下問で、緊張のし続けでした。との事でした。

ttp://www.php.co.jp/magazine/voice/?unique_issue_id=12369
(Voice 2008年9月号)
上坂冬子〈対談〉鶴見俊輔 158p

> 美智子皇后は姉の和子に対して、彼女の学友だった女官を通して
> 「宮中まで来てほしい」とお呼びになったことがありました。
> そのとき、「あなたがこのあいだの講演で慰安婦の問題を取り上げてくださって、
> とてもありがたかった」とおっしゃった。(略)


上坂冬子の対談相手、鶴見俊輔は皇后のシンパ鶴見和子の弟であり、市民運動組織「ベ平連」メンバーで、共産党支持。


皇后は九条の会の左翼音楽家・三善晃氏にも熱心に肩入れ、そして「日本も難民を引き受けるべき」などと、日本がすでに60万人の朝鮮人難民を抱えてあえいでいるのも知らぬげに反日国連をバックに、押し付けてくる緒方貞子も皇后の左翼お仲間で、女帝擁立肯定の皇室典範変更のための有識者会議には、皇后がこの人を押し込んでいます。


森村桂の軽井沢の家では社会党・党員と交流も。

敗戦後の日本を、もっと弱体化させるためGHQがキリスト教を、なかんずくカトリックをツールとして用いたことは事実ですが、カトリックすべてがそうだとは言いませんが、皇后と同じく「カトリック左翼」と名付けたい一派がいるのは事実です。

「憲法九条にノーベル賞を」という演題で講演したのは、カトリック教会の光延神父で、そのお仲間には、岡田大司教や高見大司教という人らがいるようです。

h ttp://www.jesuitsocialcenter-tokyo.com/?page_id=4979
この光延神父が、HPで述べた言葉を引用します。

《《実際、日本は第2次世界大戦以後の68年間、戦争で他国民を誰一人殺すことなく、また一人の自国民も死なせることがありませんでした。》》

あらゆる(日本の)左翼は頭が悪い、悪くなければ日本では左翼はやってられない、というのが拙ブログ主の持論ですが、上記の神父の言葉の馬鹿さ加減は、読者の皆様はお解りですよね。

この神父の脳裏には、北朝鮮への拉致被害者も竹島をめぐって殺戮され、半島に強制連行されて虐待され、そして死者も出た日本人船員約4千名の存在はないのです。

そしてこれらの、カトリック左翼ともいうべき神父たちと皇后陛下が昵懇であるという現実を国民は直視すべきでしょう。

捏造慰安婦問題で日本を追求する「女性国際戦犯法廷」の拠点はカトリック教会です。副題は「性国際戦犯法廷」です。この場合の戦犯とは、日本ですね。
とんでもない反日とカトリックが結びついているということであり、これもまたGHQの目論見通りです。

反米を唱える左翼ですらGHQ製作の憲法を後生大事にするのだから、占領政策はここでも大勝利です。

日本の武力放棄をほくそ笑んで喜ぶのは、中国、韓国・北朝鮮だけであるという
現実がなぜ見えないのでしょうね。

そして皇后陛下は、「憲法九条にノーベル賞を」という、カトリック界における“九条の会”もお仲間だということであり、憲法改正を掲げ、女性天皇の布石になる女性宮家の創設に反対する安倍政権には、アンチであり、皇陛下も皇太子殿下もそれに従っていらっしゃる、とこういうことです。

「マスコミ9条の会」も、皇后はシンパです。

2004年6月10日

井上ひさし 梅原 猛 大江健三郎 奥平康弘 小田 実 加藤周一 澤地久枝 鶴見俊輔 三木睦子さん九人による「九条の会」アピールが出されました。

東京では「新聞OB九条の会」「出版OB九条の会」「民放九条の会」「映画人九条の会」「音楽九条の会」

「所沢マスコミ文化九条の会」 「憲法九条にノーベル賞をの会」

・・・・・・・・惨状を来しています。


軽井沢九条の会を支援する牧師

http://karuizawa9.exblog.jp/

表立って、九条の会の理念を「平和憲法護持」という形で発信されるのは
天皇陛下ですが、皇后陛下も違う形でメッセージを出されています。

79歳のお誕生日、宮内記者会の質問に文書で次のように回答。

「五月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきるの市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた『五日市憲法草案』のことをしきりに思い出しておりました。


長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に育っていた民権意識を記録するものとして、世界的にも珍しい文化遺産ではないかと思います」

・・・・・・・・・ここまで

要するに、憲法改正派の唱える「GHQによる押し付け憲法」説へのアンチテーゼです。事実護憲派の左翼にこの言葉は賛美され、利用されています。

しかしながら、英語からの拙い翻訳文である現在の醜い日本語の憲法が戦勝国による押し付けである事実がいかに美辞麗句を連ねたとて消えるわけではなく、GHQ憲法に関わった白洲次郎の慟哭の告発記録があります。

雅子妃とともに反日組織である国連、国連大学に入り浸っていらっしゃる皇太子は、両陛下の仰る通りに、お言葉をなぞるだけです。オウム。腹話術の人形。

皇太子殿下 平成26年 2014年お誕生日

皇太子の政治発言 朝鮮日報が大喜び 

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/77824c824a67a7da9a0b85660cfd4223 

(抜粋)憲法に関しては、昨年末天皇陛下も触れられましたが、「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は」という出だしで、憲法の成立した由来を語られましたが、皇太子殿下の文言は、はっきり憲法順守。すなわち憲法改正反対ということかと思われます。

・・・・・・・・・・ここまで

皇太子もアンチ安倍政権だということを、意味します。
今度の選挙は、憲法改正が争点の一つですが、平和憲法護持の
天皇皇后皇太子は、その選挙に影響を及ぼす発言をずーっと
続けているということなのです。それがいつから許される日本になりました?
皇后陛下の入内以来です。

問題は、天皇皇后両陛下と皇太子殿下のご発言に喜び勇んでいるのが、まっとうな国民ではなく朝鮮日報だということでしょう。無論「朝鮮日報」はあらゆる反日メディアと勢力の表象として記号化して記しました。

天皇及び内廷皇族が、GHQ発反日左翼史観をベースに語っていらっしゃる現実を、国民は冷静に直視すべきでしょう。

秋篠宮文仁親王殿下と紀子妃に、このたぐいのご発言がないことに、一筋の光明を見る思いがすると同時に、皇位は秋篠宮殿下と悠仁親王殿下に渡るべきだと考えます。

本来当然のことながら左翼は皇室不要論、侮蔑の対象です。

http://mid.parfe.jp/kannyo/sukuukai/seimei-houkoku/tirasi-syomei/H18-5-13-asiya.pdf#search='%E7%9A%87%E5%90%8E+%E4%B9%9D%E6%9D%A1%E3%81%AE%E4%BC%9A'  

左翼コメンテーター 大谷昭宏も関わっている「九条 おおさかの会」で
行われた、天皇皇后愚弄芝居です。

その左翼がなぜ、最近共産党はじめ両陛下に擦り寄って来ているのか。
両陛下が自分たちの仲間だと、知ったからです。

九条の会の作曲家の追悼に、わざわざ静養先から駆けつけた皇后陛下。

皇后陛下は「アカ」でした 

左翼皇后と、愉快なブサヨフェミのお仲間たち 

男女同権主義者であった、憲法作成者の一人であったGHQ元メンバー、ベアテ・ゴードンへの皇后の思い入れは、よく知られたことで彼女の追悼式にはわざわざメッセージを出しています。

天皇陛下や皇太子殿下のように、直接的な表明はなさいませんが、皇后陛下は折に触れその言動により、九条護持の左翼思想を表明していらっしゃいます。
これ以上明白なお立場表明はないのに、しかし思い込みが国民の目を遮っています。

生来聡くはあられない天皇陛下と皇太子殿下を陣頭指揮、現在の左翼皇室を作り上げたのは皇后陛下であらせられます。

かつて皇室には、自浄能力がありました。廃太子、という形で、あるいは天皇の入牢、島流しという形で。今はチェック機構を失い(これとてGHQの仕掛けでしょう)やり放題です。

となれば、皇室の腐敗と歪みは国民が指摘するしかないではありませんか。
不敬という名の下に、批判一切許さずというのであれば、それは北朝鮮の社会機構と何らかわりなく、マンセーの対象が天皇皇后というだけのこと。それも敗戦後すっかりその実質を喪失し、左翼運動家夫婦と化した相手への盲目的崇拝です。実のところ、それが都合がいいのは天皇制否定の左翼と、中韓だけであり、天皇陛下への尊崇が国の要と心得ている人たちこそが、現状を憂えているということです。

不敬という言葉が成立していた時代には、皇室自体が自浄能力を有して、
悪しき因子は排除していた、今チェック機能はない、ということを忘れないようにしましょう。

あなたがもし、安倍政権支持派なら天皇皇后皇太子はあなたにアンチのご存在です。

◆GHQと皇后陛下 フェミニストとしての美智子様と皇室は共存し得るかhttp://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/b0b5919d022a094f259e8305c60b13f2

◆資料  皇后陛下、その精神を形作った生い立ちと環境

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/7c9cffa819831b24bbfbd63d9f8eb57b

◆ご慈愛仮面で言葉も仮面 《転載ご自由に》http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/95e08f125aa7af66013af19b1e216a00

◆人権蹂躙「子供を産むな」発言は、いったい誰? 

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/fdbfcdb2fe41a09f9b9d1a4ca385f1d6


https://blog.goo.ne.jp/sitihenge994/e/319d1c927965be306fdfa254b877efdd


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html#c52

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
43. 中川隆[-11909] koaQ7Jey 2019年2月23日 10:41:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[65]

正田家と美智子さんの うさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね。


元正田美智子さん、成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 2016-03-10
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12137728773.html

元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 


031回国会 内閣委員会 第5号
昭和三十四年二月六日(金曜日)
    午前十時十九分開議

敗戦後まだ14年しか経過していない時点での国会です。GHQの残存影響力がまだ甚大であったころ。この点に留意。サンフランシスコ講和条約 発効とともに連合国軍最高司令官総司令部は活動を形の上で表面上停止したのは昭和27年4月。

要点

 

昭和34年内閣委員会議事録より)

【国会も何ら御結婚について知らされておりません。】

皇室会議が開かれたのは(昭和34年)十一月二十七日でございますが、その前

★十一月二十四日に、宮内庁は公電をもって【館林=正田本家、正田醤油】に通知しております。

皇太子妃決定は公式発表の十日前、つまり十一月十七日のニューズウイークが最初に配信した。

BB:日本の皇室の成婚がまずアメリカで発表された面妖さ、背後のGHQ.

皇太子妃決定に関して小泉信三・田島前長官などが先頭に立ち、総理大臣はその報告を受けるだけで、なんら疑問をさしはさむ余地がなかった。

それでも「信仰」の問題は気になった。(岸信介元総理大臣)

BB;気にして当然、として気にしたのは正解だったのです。しかし、内閣置き去りに宮内庁が(その実GHQ勢力が)一方的に整えた成婚でした。

国民も国会も何も知らされておらず、しかも皇室会議が一度だけ開かれたのみ。

結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろい ろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのであります。

BB;GHQ決定だから誰も逆らえません。

要するに、「正田美智子さん」という人について、実は国民も総理大臣も、どんな出自の人でどんな考えを持ち、どんな性格なのかという事を全く知ら されていなかったんですよ。

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで 

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005a.html

○内海委員長 これより会議を開きます。

○平井委員 日本の天皇制が始まりまして、天皇または王様――あるいは外国の王様のごときは戦争をして、勝って王様になるというのが通例でございますが、日本の天皇制の場合、やまと民族の中心として天皇がおわしますというような観念であったのでありますが、長官は皇統連綿と続いて、たとい徳があろうとなかろうと天皇は皇統連綿として続いているのだ、あるいは非常に人格が高くてやまと民族の中心としてふさわしいお方が日本の中心になられておった、このいずれをおとりになりますか、お聞きしたい。

○宇佐美説明員 わが国の天皇制は世襲の制度でございまして、しかもその天皇の位につかれる方がやはり国民の崇敬の中になるようなりっぱな方であってほしいというのが国民の念願であろうと思います。

○平井委員 また北畠親房卿は「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」、こううたっております。 略

BB;昔からふさわしからぬ者は、天皇の地位には就けなかった。今が
異常なのです。これも、うがてば暗愚の皇太子でも、長男なら即位できる仕組みは、GHQの皇室典範関与が疑われます。

○宇佐美説明員 略 いろいろ一口に天皇制の民主化ということがいわれるのでございますが、そういう意味における民主化ということでございまして、やはり一般市民と全部同じになるという形式的な問題ではないと思います。

○平井委員 昔は先帝陛下がおなくなりになりますれば、皇位をお継ぎになる皇太子は、少くとも一年ないし三年の高座の行事をやられて、これならば民族の中心になり得るという確信がなかったならば、即位をしなかった ということを読んでおりますが、その昔の日本の天皇制に比べて、敗戦とはいえ、今日天皇制を維持するとするならば大きな差があると思いますが、この点長官はどう考えられますか。略

○宇佐美説明員 昔のいわゆる皇太子のお地位というものは、立太子の儀式によってその方に皇太子というものがきまったのでございます。必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます。その意味におきまして立太子ということは非常に重要な意味があったわけでございます。現在におきましては、法制上当然長子相続ということが定められておるわけでございまして、

○平井委員 略 象徴といえば、少くとも全国民の崇拝されるべき皇太子でなければならぬ。しかも立太子の式を終了された。しからば宮内庁長官として、あるいはおそばについておる人としては、民族の象徴にふさわしい教育、ふさわしい姿にさせることが職責ではなかろうか。そうならなければ、民族のより場もない。将来の日本を考えたときに、一体どうなるか、これは人ごとでない、日本民族の問題でありますから、

BB:「日本民族の問題」とまで、皇太子(今上)の資質に不安と疑念がもたれています。その疑念もゆえないことではなかった、と現在の言動を拝すれば、思わざるを得ませんね。

特に宮内庁長官はこの点をほんとうに真剣に考えなければ、これが一角がくずれていった場合には、宮内庁はもちろん要りません。宮城開放の問題も近く起ることは当然の話でありますが、現在のあり方が新憲法にふさわしい、あるいは日本民族が非常に尊崇して、喜んで天皇制を護持されると思われておるかどうか、この点を長官にお尋ねいたします。

○宇佐美説明員 略 今のような新しい憲法のもとにおける皇室におきましては、皇室の方々の御行動というものが非常に大事であると考えております。そういうような意味におきまして、皇太子殿下の御教育と申しますか、御研さんを願うことは、われわれとしても非常に強いわけであります。人を作るということは容易なわざではございませんけれども、われわれといたしましては、大きな一つの職責と考えておる次第であります。

BB;職責失敗して現在に至る。

○平井委員  略 しかし民族の象徴という観点から見まして、もしも天皇陛下が皇后陛下と銀座を毎晩散歩しておる、あるいは自分のしたいことをするということになっても、民族が尊敬をし崇拝をすると思われておるかどうか。

もしも伝え聞くように、皇太子殿下が軽井沢のテニス・コードで見そめて、自分がいいというようなことを言うたならば、ここにおられる代議士さんの子供と変りない。私の子供と変りない。これが果して民族の象徴と言い得るかどうか私は知りませんが、あなたから進言をされたものか、皇太子殿下が自分で見そめられたものか、この点をお尋ねしたい。

BB:テニスコートで見そめたはある意味事実です。ただし出会いは偶然ではなく、GHQ勢力延長クリスチャンたちによって仕組まれました。ある作意による仕掛けがあったこと、雅子妃の場合と同じです。


○平井委員 長官の説明を了としますが、われわれ、世上というか、宮内庁係の新聞記者連中ともよく知っておりますし、いろいろ聞くところによれば、小泉さんと田島さんが非常な推薦者であった、あとはむしろそう賛成をなさらなかった、これはどうだか知りません。世上の話でございます。そこで小泉さんあたりの教育の仕方がいいと言う人もあるし、悪いと言う人もある。私、小泉さん、田島さんがどういう意味で強硬に推薦されたか知りません。推薦する方にもまた考えはあると思いますが、非常な推薦をして、ついに宇佐見長官も同意をしたというふうに聞いておりますし、また東宮御所において、皇太子殿下が学友を集めてわあわあ言うた結果とうとうきまったのだというようなことが、御婚約の後にぼつぼつ週刊朝日などに載るようになりましたときの責任や重大なるものがあると思いますが、この点長官いかがお考えになりますか。

○宇佐美説明員 今度の御選考につきまして、皇太子殿下の御教育に顧問として参画しておられる小泉博士あるいは前長官であります田島氏や、その他の方々といろいろ御相談したことは事実でございます。略


○平井委員 略 将来日本の天皇制が傾いた場合に大へんな問題になるので、私は国民代表として言うておかぬと困ると思うのですが、まず参考に申し上げておきますが、私が先般いなかに帰りましたとき、非常な天皇崇拝者のおばあさんがこういうことを言った。先生、日本も天皇制はしまい(注 終わり)ましたね、だから金持ちのお嬢さんをもらったのだろう、そういうふうに心から言うのであります。そういう年寄りが全国津々浦々に非常に多い ということも長官は知らなければならぬ。いずれ天皇陛下になられるのでありますから、民族の象徴として、今日の皇太子がそれにふさわしいお方にならぬときは、日本はしまえるのですよ。

今日われわれ中共だとかソ連だとか言っておるけれども、内輪でしまえる(終わる)のですからこれは冗談じゃない。

BB:その「冗談じゃない」ことが起こりつつあるのが今です。内に巣食う白蟻が天皇と皇后であったという、GHQ製作のホラー大作「戦後皇室物語」です。

小泉さんあたり少しどうかしておられますまいか。よほど慎重に考えてくれなければ困る。もう皇室の尊厳というものは、小学校の本にもないし、だんだんなくなってくる。

略 九千万の象徴となられる方だから心配をしておるのであります。その点義宮の結婚と非常な違いがあるということも考えなければならぬ。

そういう場合には退位をされるといえば別でございますけれども、英国とは日本の皇室はかなり違った立場に置かれておるのでございます。英国ならば恋は自由でありますから、恋をなさい、そのかわり国民はあなたを養いませんよ、どうぞなさって下さいというようなことになると思いますけれども、

BB:「養いませんよ」という状態に、今なっています。


○平井委員 略 皇太子殿下の教育というものは、一般の学習院の生徒と別でなければならぬ。昔なら上御一人といわれたのです。一般の学習院の生徒並みに教えたのではこれは絶対に象徴になれない。われわれが欲しない点、またできない点、国民では及ばないという教育があると思います。

略 昔、北畠親房などはこれはもう け飛ばしおったという話です。たたきまくって教育をされたということも聞いておるが、あまりにも自由奔放な教育をされておるのじゃないか。そういうことからきて皇太子殿下の感覚が違ってくる。

BB:一議員の当時の卓見に、うなだれるのみ。

 ○高瀬委員  略 国会も何ら御結婚について知らされておりません。公式発表の十日前、つまり十一月十七日のニューズ・ウィークには事こまかに、全部私は翻訳して持っておりますが、「皇太子の恋」という表題で詳細に報道されております。結局知らないのは国民だけだ。 略

BB;GHQ作のラブストーリーが日本には「テニスコートの恋」というタイトルで、
逆輸入されたわけです。本当におかしな話。アメリカには関係のない、日本の
皇室の話なのに。誰よりもいち早くアメリカが知っていた、という事実。

略 皇室会議というものはただ一度しか開かれていない。結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろいろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのでありますが、こういうふうになりますと、皇室会議などというものは非常に形式的なものであって、国民や国体と重大な関係にある皇太子妃を決定するということは、あまりにも非民主主義的なやり方じゃないか。皇室会議というものは非常に形式的なものになって、たった一回、既成事実を承認するというだけになってしまったのでは、皇室会議のあり方としては非常に危険じゃないか、こういうふうに思うのであります。


特にたとえば皇室典範の第三条を見てみますと、世継ぎの方、皇嗣に重大な事故があるときは、皇室会議の議によって皇位継承の順序を変えることができる、

BB:皇太子がこれに該当します。それを国民の多くが知りつつあります。後は総理の決断だけ。

こういうふうに述べてあります。従ってこの皇室会議を開くのは、議長であるところの総理大臣ではありますけれども、形式的には宮内庁がイニシアチブをとることになりますから、これが非民主主義的に運営されるということになりますと、非常に重大な結果を及ぼすと思うのであります。

○菊池委員 略 私は、皇太子が平民の娘をそのきさきとして選ばれたことを非常に喜んでおります。平民であろうが新平民(注 部落民)であろうが、粉屋の娘であろうが何であろうが差しつかえないと私は考えておるのであります。

略 その婚約の過程においていろいろの謀略、策略が行われておるということが、最近の週刊雑誌やその他の刷りものにおいて世間に流布され、これによって国民が非常な疑惑を抱いて、国民の頭は割り切れないような感じになっておるのであります。


 まず第一にお伺いしたいのは、この婚約の前に、美智子嬢は二十五人の見合いをしておられた。そして最後に波多野という青年と婚約、これを破棄して皇太子の方に振りかえたというようなことが流布されております。週刊雑誌に出ておりますが、これは事実でありましょうかどうか。

宇佐美説明員 非常にりっぱな方で、従前にもいろいろ結婚のお申し込みがあったように伺いますけれども、お尋ねのようなことは全く聞いたこともございません。


BB:宮内庁はこう答えるしかないでしょうが・・・・見合い25回は知りませんが、美智子さんが婚活に熱心で15歳から、公職追放を免れた、ということはGHQ側の人間が主催する、エリート男性とのお見合いダンスパーティに常連として参加しています。

○菊池委員 片一方にそういう婚約がありながら、これを破棄して婚約をするということは、世俗、人情に反し、道義をじゅうりんし、将来の国民の象徴たるべき人を作り上げるにはふさわしいことではないと思うのでございます。そういう婚約者があるかどうか、その点をお伺いいたしたい。波多野という青年です。

宇佐美説明員 全くないものと考えます。

BB;「ない」と明言せず、出来ず? 「考えます」とは、つい出た本音?

○菊池委員 もう一つ重大なことは、この婚約を運ばれた方々、運動に当られた方々が全部カトリック教徒である。

BB:委員に、当時はありがちにキリスト教への認識が薄く、十把一からげに
カトリック呼ばわりしてしまったので、せっかく肉薄しながら逃げられています。
答える宇佐美さんもクリスチャンだった。


前の田島長官もカトリック教徒であり、それから宇佐美長官もカトリック教徒であり、小泉信三氏もカトリック教徒であり、それからしゅうとになられる正田英三郎氏もカトリック教徒である。それから最高裁判所長官の田中耕太郎氏もカトリック教徒である。カトリック教徒の一連のからくりによってこの婚約が運ばれたという説が流布されておるが、これはいかがであるか、承わりたい。

○宇佐美説明員 略 ただ出身せられた聖心学院というのはカトリック系の学校でありますが、御本人は洗礼を受けておられない。

BB:もはや、この嘘は成立しないでしょう。

あるいはカトリックが将来皇室に対して何らか影響を持たないかという心配をせられた方々が世上あるということは聞いたことがございます。しかし、もちろん美智子さんは洗礼を受けておられませんし、学校当局においても非常に慎重な態度をとっておられまして、この問題に対しては何ら御心配はないと考えるのでございます。従って、過去においてこの問題についてカトリック系の陰謀があったなどということは全然根拠がございません。

BB:「カトリックに陰謀があった」という説が当時にはあったということですね。
そして、それは事実でした。拙ブログ主が、キリスト教が手段として使われ、キリスト教信徒がGHQの手先として動いたのを掴んだのは、この情報を知る前です。

○菊池委員 もう一つ、この御結婚の話について、天皇皇后両陛下を初め皇族の方々がみな反対されたという説が流布されております。皇室会議が終りまして、その報告を宇佐美長官から天皇陛下に申し上げると、天皇陛下は怒られたお顔で、ふんまんやる方ないお顔で一言も発せられなかったというようなことも流布されておりますが、これはいかがでありますか。

○宇佐美説明員 今回の御結婚につきまして、御両親陛下であります両陛下その他皆様の御反対があって、進め得られるものではございません。

BB:進め得られます。背後にGHQがいれば。

ましてやただいま申されたようなデマは、取るに足らぬものと私は思います。

○宇佐美説明員  略 昔の規定によりますと、天皇は皇族を監督するというような規定もございました。今はございません。

BB:監督の義務を外してしまったのも、おそらくは憲法と同じく皇室典範を作らせた、GHQの意図でしょう。放置するほうが、バカ皇太子やバカ皇族が現れる確率が高くなるのですから。


反日韓国人、韓 昇洙(左)と、潘基文(右)に取り込まれた皇太子。

皇后陛下は、安倍総理の靖国神社を厳しく批判、捏造慰安婦を称して「性奴隷と言うべき」と言い捨てたヒラリー・クリントンと親密。

皇后も、強制の慰安婦がいたという捏造を信じこんでいらっしゃいます。

ヒラリー・クリントン曰く、

「韓国を見ろ。韓国人も経済開発をして民主主義を成し遂げる過程で多くの問題に直面した。これは一夜になるものではない」

米民主党の大統領候補であるヒラリー・クリントン前国務長官が27日、 4番目の選挙戦であるサウスカロライナ州のプライマリー(予備選挙)を控えて24日に開かれたタウンミーティングで、突然韓国について言及した。
「(中略)」

・・・・・・・・・・・・・・

親韓まで、反日クリントンと皇后陛下はシェア。

日本がなければ、韓国の急速発展はなかったものを。
皇后とクリントン。賢そうで、実はそうでもないのも共通項。

思われているほど偏差値は高くない聖心女子大(名門ですが)は、
敗戦後明らかにGHQの息がかかっています。(卒業生全員が、
カトリック左翼だという意味ではありません。GHQは日本/皇室弱体

化の手段としてキリスト教を用いました)

開校は1916年ですが、敗戦を機に1948年、新学制により聖心女子大学として発足。初代学長はエリザベス・ブリッドですが、この女性は、
皇太子(今上)洗脳係としてGHQが送り込んだ、バイニング夫人と
同じ船で来日。GHQの息がこの女性にもかかっていたと思っても、
ほぼ間違いはないでしょう。

元国連難民高等弁務官の緒方貞子は新制大学の第一期生。愛子天皇擁立論加担者で、女性宮家創設の知識人会議に皇后陛下の お声がけで参加。愛子天皇擁立論加担者。

緒方貞子は男女同権のフェミニズムでも皇后と同じ価値観。
日本は難民を受け入れるべきと主張しています。
日本にはすでに、政治難民・経済難民をルーツに持つ在日という名の、難民を60万人も受け入れさせられているのに。

◆マッカーサーが仕掛けた戦慄の時限装置


http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20091124/197024/?rt=nocnt


皇太子明仁の誕生日になぜA級戦犯が処刑されたのか?

・・・・・・・・・・・・

著者の猪瀬直樹は、ろくでもないところもある男ですが、この件に
関する考察は正確です

欧州の王室は見抜いていた「貴賤結婚」の娘。賤しい出自だと。


長いこと、皇太子妃とも書いてもらえず、「その妻 正田美智子」扱い。
雅子さんも同じく、賤しい出自の娘との認識。

紀子妃は、最初から正当な出自と認められています。

知らぬは日本人ばかり。日本人でも、成婚前後の国民(現在80歳以上)は、相当数が気づいていましたね。仕組まれた成婚、ふさわしからぬ嫁であることを。

◆参考ブログ伏見顕正(あきまさ)の「時を斬るブログ」様より

http://blog.goo.ne.jp/duque21
【重要事実発覚】自称皇后堤美智子の母、正田富美の戸籍ロンダリング、無限拡散希望 


投稿するべきかどうか悩みましたが、私は佐賀出身です。美智子妃殿下のお母さんの副島さんは本当の武士の副島さんではありません。

ご成婚が決まった時、副島さんのお宅に来られ、戸籍を買いたいと言われたそうです。

副島さんは断られました。どこの馬の骨とも知らぬ副島さんが武士を名乗るとは。
ましてや多久は炭鉱の町。非常に部落出身者が多く、副島さんの生家も誰も多久の人たちは知りません。

武家の家ならば、高齢の人ならば知っているはず。いろいろな噂がありますが、佐賀の人は知っていますよ。

美智子さんの従妹たちも当時はたくさんいらっしゃったし、成婚が決まり皆東京に行ってしまったけど、話は聞いています。

https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12137728773.html



▲△▽▼

衆議院会議録情報 第031回国会 内閣委員会 第5号
第031回国会 内閣委員会 第5号
昭和三十四年二月六日(金曜日)
    午前十時十九分開議
 出席委員
   委員長 内海 安吉君
   理事 岡崎 英城君 理事 高瀬  傳君
   理事 高橋 禎一君 理事 平井 義一君
   理事 前田 正男君 理事 受田 新吉君
      今松 治郎君    植木庚子郎君
      菊池 義郎君    小金 義照君
      始関 伊平君    田村  元君
      富田 健治君    橋本 正之君
      船田  中君    保科善四郎君
     茜ケ久保重光君    石橋 政嗣君
      柏  正男君    中原 健次君
 出席国務大臣
        国 務 大 臣 伊能繁次郎君
 出席政府委員
        法制局長官   林  修三君
        法制局次長   高辻 正巳君
        防衛庁参事官
        (長官官房長) 門叶 宗雄君
        防衛庁参事官
        (経理局長)  山下 武利君
 委員外の出席者
        宮内庁長官   宇佐美 毅君
        専  門  員 安倍 三郎君


     ――――◇―――――
○内海委員長 これより会議を開きます。

 総理府設置法の一部を改正する法律案を議題とし、これより質疑に入ります。質疑の通告がありますので、順次これを許します。平井義一君。

○平井委員 皇居造営審議会を設置する件につきまして、宇佐美宮内庁長官にお尋ねをいたします。皇居を造営するかしないかという問題に関しまして、まず長官に天皇制のあり方について所感を承わりたいと思いますが、天皇制といえば神武以来の天皇制でございますので、非常に長期にわたりますので、これを三つに区切って所感を承わりたい。神武天皇から孝明天皇まで、明治天皇から終戦までの天皇制、終戦になって新憲法のもとに作られた天皇制、この三段階に分けて、天皇制のあり方について長官の所感を承わりたいと思います。


○宇佐美説明員 天皇制のことにつきまして御質問があり、歴史的に大へんに古いところからの考え方を述べろということでございますが、私どもは日本の歴史を振り返って、わが国において天皇を中心にした一つの日本民族の国家が発展してきたものと考えております。これを明治以降におきまして一つの近代国家として新しい憲法制度のもとに、はっきりと国法的にも規定的に定められて参った特徴があると思うのであります。しかし明治制の憲法というのは、今さら申し上げるまでもなく天皇主権という立場において制定せられたものでございますが、新憲法によりまして国の象徴としてのお立場であり、主権は国民にあるという建前に立って、いわゆる民主主義国家の建設を行われたと考えるのであります。私どもは現憲法の趣旨に基いて今後発展していくべきものと考えておるわけであります。


○平井委員 日本の天皇制が始まりまして、天皇または王様――あるいは外国の王様のごときは戦争をして、勝って王様になるというのが通例でございますが、日本の天皇制の場合、やまと民族の中心として天皇がおわしますというような観念であったのでありますが、長官は皇統連綿と続いて、たとい徳があろうとなかろうと天皇は皇統連綿として続いているのだ、あるいは非常に人格が高くてやまと民族の中心としてふさわしいお方が日本の中心になられておった、このいずれをおとりになりますか、お聞きしたい。


○宇佐美説明員 わが国の天皇制は世襲の制度でございまして、しかもその天皇の位につかれる方がやはり国民の崇敬の中になるようなりっぱな方であってほしいというのが国民の念願であろうと思います。


○平井委員 続日本紀でしたかに「武烈天皇は性さがなくましまし、悪しきというてなさざるはなし。ゆえにここに皇統絶えにき。」と出ておりますが、そこで日本の皇統は絶えております。ところが民族の中心がないというので、当時のやまと民族が非常に心配をされていろいろ徳の高い人を探した結果、河内の国の山奥に非常に崇高なお方がおられた。その人をその次の天皇に中心として迎えた。これが孝昭天皇でございます。そういうふうで非常に徳の高い、民族の中心としてふさわしい方が中心となられ、これを親として崇拝をしておったということは長官も御承知のことと思います。また北畠親房卿は「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」、こううたっております。

そういうことで常に天皇と国民は一体の姿であられたということも長官は御承知の通りと思うのであります。そこで孝明天皇は、いよいよ王政復古の声が日本に立ち始めまして、当時御承知のごとく日本は徳川幕府によって支配をされておった。そのときも孝明天皇は「すましえぬ水にわが身は沈むともにごしはせじなよろづ国民」、これは若くして世を去られたとも聞き、あるいは切腹したとも私は承わっておる。明治天皇は幼少にして非常に苦労をされた。その結果明治天皇が王政復古の後に明治大帝とまで崇拝をされておるのであります。その後明治天皇は欽定憲法をしかれて、ほんとうに天皇主権のもとに天皇と国民は一体である。すなわち「罪あらばわれを咎めよ天つ神民はわが身の産みし子なれば」、全く一体の姿で来たのであります。その点から見まして日本の天皇制は諸外国と違って、ほんとうに天皇と国民が親子の姿であり、一体の姿であるところに天皇独裁ということでなく、ほんとうに国民と天皇といったような、決して天皇はオール・マイテイでないと私は考える。すべて民の世論、民の声を聞かれて、これで政治を行なったということが日本の天皇制の姿でなければならぬと思います。

従いまして天皇は国民の親であり、ほんとうの中心である。それが戦争がだんだん敗戦の姿をたどって終戦になる。国民の中にはあるいは戦犯、あるいは数百万の戦死者を出しておる。国民の親であるべき天皇は近代天皇でありますが、いかなる親としての行動をされたか、これは私は強く追及をすることもいたしませんが、だんだん敗戦後に天皇制に対する観念が薄らいできておるということは長官も御承知と思います。しかも皇室の尊厳について今日の日本の姿、あるいは日本の青少年の気持、これを考えて今後の天皇制、皇室の尊厳がどうあらなければならぬか、過去のことでなくこれからの天皇制でよろしゅうございますが、皇室の尊厳、今後の天皇制のあり方、これに対してどういう確信を持たれ、どういう天皇制のあり方がいいと思われるか、この点を一つ長官にお伺いいたしたいと思います。


○宇佐美説明員 ただいま平井委員がるるお述べになりました点につきましては、私どもきわめて同感いたすところでございます。常に皇室が国民とともにあられるということ、昔から皇室の念願とされ、その実現に心を砕かれたのであろうと考えるわけでございます。いろいろ機構上の変化があるといたしましても、皇室と国民との関係というものは、常に皇室は全国民のために行動せられるということであろうと思うのでございます。明治憲法時代の憲法上の地位に基く諸制度と変りました今日におきましては、やはりそこに新しい憲法に基く皇室のあり方というものが立っていかなければならないと考えております。もとより先ほど申しましたような基本的な問題は変らないと思いますが、この現われというものは常にその方向に向って進むべきものであると思います。天皇の御位地は、今は政治あるいは文化それぞれの長という意味ではもちろんございません。国民の統合の中心ということにあられるわけでありまして、そういうような立場から国民の進歩とともに皇室もまた歩かなければなりませんけれども、常に国民の大多数とともにおられるということが必要であると思うのでございます。いろいろ一口に天皇制の民主化ということがいわれるのでございますが、そういう意味における民主化ということでございまして、やはり一般市民と全部同じになるという形式的な問題ではないと思います。やはり国民の象徴としてのお立場というものははっきりお持ちにならなければならないと考えますし、国民もまた、そういうわが国民、民族の象徴であるということに対する尊敬もあるのが当然であろうと私どもは思うのでございます。皇族と国民が相親しみ、その間におのずからな尊敬があって、ともに日本国の発展のために尽されるというお姿が将来の考え方の基本であろう、かように考えております。


○平井委員 昔は先帝陛下がおなくなりになりますれば、皇位をお継ぎになる皇太子は、少くとも一年ないし三年の高座の行事をやられて、これならば民族の中心になり得るという確信がなかったならば、即位をしなかったということを読んでおりますが、その昔の日本の天皇制に比べて、敗戦とはいえ、今日天皇制を維持するとするならば大きな差があると思いますが、この点長官はどう考えられますか。戦争が負けたからどうでもいいのだというふうに考えておりますか。


○宇佐美説明員 昔のいわゆる皇太子のお地位というものは、立太子の儀式によってその方に皇太子というものがきまったのでございます。必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます。その意味におきまして立太子ということは非常に重要な意味があったわけでございます。現在におきましては、法制上当然長子相続ということが定められておるわけでございまして、昔の立太子とただいま行われます立太子の意味は非常に違っておると思うのでございます。昔のような行き方につきましても一つの方法でございますが、同時に、そこに政治的なあるいはいろいろな紛淆も起り得るのであります。私どもは、そういうことが皇室に行われませずに、現在のようなはっきりとした皇室典範に基いてそれが行われることが明確であり、紛淆を来たさずにいけるものであると考えておるわけであります。


○平井委員 終戦後に、御承知の通り日本は、国民として非常によりどころがない。せめて天皇制は維持されたのでありますから、これが一つの希望であり、よりどころであったと思うのであります。新憲法のもと国民の象徴となられたのでありますが、象徴ということの解釈は非常にむずかしいと思うのでありますが、象徴といえば、少くとも全国民の崇拝されるべき皇太子でなければならぬ。しかも立太子の式を終了された。しからば宮内庁長官として、あるいはおそばについておる人としては、民族の象徴にふさわしい教育、ふさわしい姿にさせることが職責ではなかろうか。そうならなければ、民族のより場もない。将来の日本を考えたときに、一体どうなるか、これは人ごとでない、日本民族の問題でありますから、特に宮内庁長官はこの点をほんとうに真剣に考えなければ、これが一角がくずれていった場合には、宮内庁はもちろん要りません。宮城開放の問題も近く起ることは当然の話でありますが、現在のあり方が新憲法にふさわしい、あるいは日本民族が非常に尊崇して、喜んで天皇制を護持されると思われておるかどうか、この点を長官にお尋ねいたします。


○宇佐美説明員 私どももただいまお述べになりましたようなことを深く考えておるつもりでございます。今のような新しい憲法のもとにおける皇室におきましては、皇室の方々の御行動というものが非常に大事であると考えております。そういうような意味におきまして、皇太子殿下の御教育と申しますか、御研さんを願うことは、われわれとしても非常に強いわけであります。人を作るということは容易なわざではございませんけれども、われわれといたしましては、大きな一つの職責と考えておる次第であります。


○平井委員 皇太子殿下の御結婚につきましてお尋ねいたしますが、新憲法のもと恋は自由でございますから、皇太子殿下も人間だから恋をするだろう、こうおっしゃるでしょう。それもまことにけっこうでございましょう。しかし民族の象徴という観点から見まして、もしも天皇陛下が皇后陛下と銀座を毎晩散歩しておる、あるいは自分のしたいことをするということになっても、民族が尊敬をし崇拝をすると思われておるかどうか。私は決してこの御結婚に反対をするものではありませんけれども、要するに、もしも皇太子殿下、天皇が民族の象徴とするならば、国民の声によって――いろいろお相手を探したけれどもなかった、民間からぜひもらっていただきたいとあなたから進言をされて御結婚あそばすならば、これは民族の声である、ほんとうに国民の声でありますから、私は大歓迎でございますが、もしも伝え聞くように、皇太子殿下が軽井沢のテニス・コードで見そめて、自分がいいというようなことを言うたならば、ここにおられる代議士さんの子供と変りない。

私の子供と変りない。これが果して民族の象徴と言い得るかどうか私は知りませんが、あなたから進言をされたものか、皇太子殿下が自分で見そめられたものか、この点をお尋ねしたい。


○宇佐美説明員 皇太子様の御婚約の実際についてのお尋ねでございます。これは世上いろいろ間違って伝わっておりますので、ただいま御質問がありましたので、私はこの機会にはっきり申し上げておきたいと思います。

 今回の御婚約につきましては、数年前からいろいろ準備を事務的に進めておったのでございますが、もちろんその選考の方針その他につきましても、皇太子殿下御自身はもちろん、両陛下のお考えも伺って、われわれとしては慎重にいたしておったわけでございます。殿下御自身の御性格も非常に慎重な方でございまして、御自身の義務というようなことにつきましては、はっきりとお考えをお持ちになっている方でございます。

今回の御内定になりました方につきまして、世上で一昨年あたりから軽井沢で恋愛が始まったというようなことが伝えられますが、その事実は全くございません。もちろん軽井沢でテニスを一、二度なさったことは事実でございます。しかしそれ以上の交際があったわけではもちろんございませず、この御婚約につきましても、その当時は何らそういう方がわれわれのあれにも入っておりません。しかしいろいろ候補者を選考して参りました過程におきましても、殿下に一々ごらんに入れているわけでございます。昨年の春ごろからいよいよ何人かの候補者をしぼって御相談申し上げ、そのうちからわれわれも御推薦申し上げ、殿下も冷静な観察をなさって御決心になったわけでございます。

世上伝わるようなうわついた御態度というものは、私どもは実際において全然お認めすることはできません。むしろ非常に老成された考え方を持って注意深く進められたのでありまして、このことはあの当時の発表後におきましても私どもは外に向ってもはっきり申しております。世上そういうふうに伝わっておることは事実と反していると私は考えます。なかなか先に出ますとあとから幾ら申しても徹底をいたしませんで、この点は非常に残念でございます。ただいま御質問をいただきましたのは、私としましてはむしろありがたいことでございます。


○平井委員 長官の説明を了としますが、われわれ、世上というか、宮内庁係の新聞記者連中ともよく知っておりますし、いろいろ聞くところによれば、小泉さんと田島さんが非常な推薦者であった、あとはむしろそう賛成をなさらなかった、これはどうだか知りません。世上の話でございます。そこで小泉さんあたりの教育の仕方がいいと言う人もあるし、悪いと言う人もある。

私、小泉さん、田島さんがどういう意味で強硬に推薦されたか知りません。推薦する方にもまた考えはあると思いますが、非常な推薦をして、ついに宇佐見長官も同意をしたというふうに聞いておりますし、また東宮御所において、皇太子殿下が学友を集めてわあわあ言うた結果とうとうきまったのだというようなことが、御婚約の後にぼつぼつ週刊朝日などに載るようになりましたときの責任や重大なるものがあると思いますが、この点長官いかがお考えになりますか。


○宇佐美説明員 今度の御選考につきまして、皇太子殿下の御教育に顧問として参画しておられる小泉博士あるいは前長官であります田島氏や、その他の方々といろいろ御相談したことは事実でございます。しかしながらこの間においてだれが反対をし、だれが強く推したということはございません。非常にこれは大事なことでありまして、一人の懸念もないということを私は慎重に考えて進めたわけでございます。こういうような点につきまして、私は内容について外に言ったこともございません。いろいろな憶測が出るようでございますが、これは全く事実と違うものと存じております。


○平井委員 これはなかなか大事な問題でございます。将来日本の天皇制が傾いた場合に大へんな問題になるので、私は国民代表として言うておかぬと困ると思うのですが、まず参考に申し上げておきますが、私が先般いなかに帰りましたとき、非常な天皇崇拝者のおばあさんがこういうことを言った。

先生、日本も天皇制はしまいましたね、だから金持ちのお嬢さんをもらったのだろう、そういうふうに心から言うのであります。そういう年寄りが全国津々浦々に非常に多いということも長官は知らなければならぬ。いずれ天皇陛下になられるのでありますから、民族の象徴として、今日の皇太子がそれにふさわしいお方にならぬときは、日本はしまえるのですよ。今日われわれ中共だとかソ連だとか言っておるけれども、内輪でしまえるのですからこれは冗談じゃない。小泉さんあたり少しどうかしておられますまいか。よほど慎重に考えてくれなければ困る。

もう皇室の尊厳というものは、小学校の本にもないし、だんだんなくなってくる。そういうお方を国民が崇拝して、宮内庁まで置いてああいう広いところで生活をする必要はないではないかというような段階まで行きはしないかと、私は非常に心配して言うのであります。長官は世上に伝わっておることはうそであるというけれども、一年前のテニスの写真を出したり、遊ぶところを写してみたり、ああいうことはあなたの責任ですよ。国民は決して喜んでいはしない。

それを国民は非常に御結婚には賛成だ、いよいよ皇室も民主主義になったのだ、こういうふうにもろ手をあげて喜んでいるというふうに考えることは、私は大きな間違いだと考えます。しかし婚約が整ってもう式も近まったのでありますから、これに対して私はとやかく言いませんけれども、英国の例によりましても、これは皇帝にならなければ心配はない。恋愛は自由ですから。私は退位して会社にでも勤めましょうということになると、われわれは一口も差しはさみません。九千万の象徴となられる方だから心配をしておるのであります。その点義宮の結婚と非常な違いがあるということも考えなければならぬ。

そういう場合には退位をされるといえば別でございますけれども、英国とは日本の皇室はかなり違った立場に置かれておるのでございます。英国ならば恋は自由でありますから、恋をなさい、そのかわり国民はあなたを養いませんよ、どうぞなさって下さいというようなことになると思いますけれども、日本はそこまで言わぬが、それだけに国民の気持というものは、あなた方が想像されるのとちょっと違いはすまいかと考えておりますので、今後の皇太子のあり方、今度婚約されるお方のあり方、写真等、これは宮内庁の宣伝と申しますか、そういうことについては特に私は留意をしなければならぬと思う。

これは共産党であったら大歓迎です。要するに天皇制のあり方、皇室の尊厳ということをもう少し高める上において、何かあなた方は研究をされておりますか、まだ何も考えておりませんか。将来どういうふうに日本のこの皇室というものを持っていきたいというお考えですか、この点一つ。これはあなたが長官のときですから大へんな問題になる。将来問題になったときに、私があそこで質問したがその通りになったと言わないように一つ心がけ、また今後あなたとしては、どういうふうに天皇制を持っていき、皇室の尊厳を高めていくというお考えであるか。


○宇佐美説明員 先ほど御指摘になりました殿下の今回のことについての御態度は、先ほど私がはっきり申し上げた通りでありますが、おきまりになりました以上は私どもはやはり将来殿下と妃殿下がほんとうの愛情を持って、りっぱに結ばれていかれるということをわれわれは望むものであります。しかし今御指摘になりました御行動についてはわれわれも非常にこまかい点まで注意をいたしております。最近の週刊雑誌等を見ましても、そういった問題についてわれわれも国民の疑惑が起らないように、いろいろ報道関係にもお話し申し上げたのですが、雑誌を見ますと、宮内庁は反動化したというようなことを盛んに座談会でも言っておりますけれども、国民に筋の通った報道というものはやはりなければいけない、どういう生活をなさるかということは当然なければならないと思いますけれども、むやみに追いかけ回されるということについては、われわれとしても心外でございます。そういう点で、殿下の御行動については慎重な注意をいたしておるわけであります。しかし昔のようにすべてを不自由なと申しますか、当然あっていいことまで押えるということもどうかという気がいたします。殿下が伸び伸びと自身の立場を思いながら御成長を願いたいとわれわれは思うわけであります。やたらに何でもかでも押えるということもどうかと思います。ただりっぱな地位に対する御自覚から、すべての行動をよく考えていただいて、われわれもそれをお助けして、ほんとうに国民の将来の象徴としての素質を十分伸ばしていただきたいということでございます。これは大きな政策とか、そういうことが表面に出ることではなく、日々の行動が重なってそこに現われていくものと思います。私は日々のことにつきましても、東宮職のおそばにおります者にもちろんるる申しますし、小泉博士も皇室の将来ということとあわせて考えてやっていただいておりますが、私もよく国会における御質問等も伝えますし、私の考えも始終述べておるわけでございます。

 なお今後の皇室のあり方につきましては、御指摘の通りに、ほんとうに真剣に慎重に私どもは考えなければならぬ。そういう問題について、ただ宮内庁の組織だけで考えていいのか。その間において世論を聞き、いろいろな立場から検討すべきはもちろんであります。そういう点についてもいろいろ今考えつつあるところでございます。まだ申し上げる程度にまとまりませんけれども、将来のためにこれはほんとうに考えていかなければならぬというふうに思っております。


○平井委員 皇室は、御承知の通りわれわれ国民と実は違うのでありまして、これは昔なら天皇学でございますが、今日の教育係というものの教育は、われわれ国民と違った立場においてされなければならぬと思うのであります。これはわれわれのようにちょっと代議士に立ちたいとか、金がほしいとか、名誉がほしいということ、全く教育に要らぬのであります。ほんとうに欲も得もない、ほんとうに人間の象徴としていかれればいいのでありますから、その教育は今あなたがおっしゃるように、あまり何もかにも押えるということではなく、民族の象徴にふさわしい教育、それを小泉さんはちょっとはき違えておりはしませんか。

国民らしく育てるということが小泉さんの教育の方針では困る。これは事実欲も得も要らない、選挙の必要もなければ何も要らぬのですから、その点の教育はあなたが小泉さんに教えてやって、皇太子殿下の教育というものは、一般の学習院の生徒と別でなければならぬ。昔なら上御一人といわれたのです。一般の学習院の生徒並みに教えたのではこれは絶対に象徴になれない。われわれが欲しない点、またできない点、国民では及ばないという教育があると思います。そういう教育を教えない限り――ただ昔と違って自由である、自由に教育をするのであるという行き方もありましょう。自由主義者の中にはありましょうけれども、そこは一つあなたが小泉さんあたりに教えてやって、一般の生徒とは違う立場においての昔なら天皇学、今日なら皇太子殿下の教育というものをされなければ、これは象徴として国民が崇拝するかどうかわからなくなってしまう。早い話が、皇太子殿下が銀座へ遊びに行かれる、友だちと一ぱい飲みたい、そういうことになったら、これは民族の象徴ということは絶対に言えない。天皇は常に大自然とともにあらねばならぬ。そうしなければ英国の国体と同じになるのですよ。日本の天皇というものは、常にもう大自然、どこから見ても富士山の姿のように拝まなければならぬというぐらいのあり方でなければ、国民は崇拝しませんよ。そういう点から見て、いま少し厳格な教育をされたらどうですか。昔、北畠親房などはこれはもうけ飛ばしおったという話です。たたきまくって教育をされたということも聞いておるが、あまりにも自由奔放な教育をされておるのじゃないか。そういうことからきて皇太子殿下の感覚が違ってくる。自分の将来民族の象徴としての感覚が狂ってくる。どうもこのごろはわれわれが考えても――われわれは子供のときから天皇一本で育ってきた、教育を受けてきた者でも、ちっとおかしいではないか。まして終戦後の教育を受けた青少年は、全くそういうことがなくなってしまう。

 そこで議題にありますところの皇居の造営ということになれば、これは非常にむずかしい。あなた方の教育いかんにより、天皇のあり方いかんによって、造営ができるかできぬかになるのです。お互いが天皇制護持者だから、何でもかんでも皇居を作れというふうなわけにはいかぬようになっておるのです。それを一つ長官は十分考えていただきたい。もしも教育があまり芳ばしくないというなら、小泉さんあたり入れかえたらどうですか。そんなことこそ民主主義だ。いつまでも、勤まっても勤まらぬでも、この人間をそこにつけておくということが一番封建的ですよ。もし皇太子殿下の教育係でも、これはちょっとあなたが悪いと思ったら、あなた方が入れかえたらいいじゃないですか。それが今日のあり方でございます。昔ならばかでも何でも一ぺんひっついたら、宮内省におればやめさせられなくなっておった。今日ではどんどんやっていいのですから、そういう新体制に切りかえていって、よりよく皇太子を教育するというふうにされなければ、天皇陛下は何もおっしゃらぬのですから、あなたがそういうふうに判断をしなければ、今後の、遠き将来というか近き将来というか、日本に変動が起った場合には、あのときの長官は宇佐美さんであったということになれば、あなたの人格はりっぱであるけれども、やはり時にぶつかればあなたの責任になりますから、その点、あなたが十分研究をされ、努力をされて、やはり皇室の尊厳を残していくというふうに努力をされなければならぬと私は思いますし、また皇太子殿下においても、これはあなたが直接進言できるのかどうかわかりませんけれども、十分そこを自覚されて、やはり国民の崇拝するに足る人間になってもらいたい。これは人間というか、昔は神様だったのです。御承知の通り明治憲法のもとにおいては、神聖にして侵すべからず。今日人間になったというだけで、やはり象徴ですから、象徴ということについての私の解釈が合うかどうか知りませんけれども、私は民族の象徴ということになれば、天皇は、国民が貧しければ貧しいものを食べ、国民の政治、経済に伴って生活をしていかれる、ああ陛下は銀座にも行かれぬし、映画も見られぬ、これはわれわれはひとしく崇拝しなければならぬという気持になっていくと思うのでありまして、民族の象徴というのはただ看板だけで、あとはわれわれ国民と同じ行動をとってよろしいのであるというふうに考えたならば、象徴とは言えないと私は思いますが、あなたは象徴ということをどう解釈されますか。


○宇佐美説明員 終戦後今まで皇室に対する一般的ないろいろな批判が行われて参りましたが、この大きな流れというものは、やはり一言で言われるような民主化、もっと自由にしてあげなければいけないのじゃないか、あるいは今おっしゃったような、銀座にもおいでになればいいし、喫茶店にもおいで願えばいいじゃないか、そういう議論が割合に多かったと思います。しかし私は決してそうは思っておりません。やはりすべて普通の国民と同じ生活をするということでは、ほんとうの象徴としての国民の尊敬を集め、親愛を得られることにはならない。それは、ある意味において自由が一部ないともいえます。しかしそれはやはり国民の中心となって、象徴としてお過ごしになるには当然負われるべき御責任であり、御義務であると思います。そういうことでなければ、何らわれわれと差がなくなってしまう、私は常にそう思うわけであります。最初に申し上げたような意見はいろいろございますし、いわゆる雲の上に上る行き過ぎた行き方は、もちろん直していくベき点があれば直さなければならぬのでございますけれども、やはりそこにはきぜんとしたことがなければ、秩序は保たれませんし、また尊敬や親愛というものも生まれてこないと私は常に考えております。そういう御修養もなさらなければなりませんし、そういう義務ということもしっかりとお持ちを願わなければならぬと私は考えております。しかしそういう点は御幼少のときからおそばの者が、そういういろいろな進言に対しては気持よく胸を開いてお受けになることをほんとうによく申し上げ、われわれが、あるいはそばの者が申し上げることは、よく御反省になる方だと私は思っております。もとよりまだお年もお若いことですし、御修養願うべきことは多々あるわけであります。小泉博士は、常に皇室の将来を最も心配しておられる一人だと私は考えております。しかし具体的にどういうことをということについては御相談もございますし、私も遠慮なく意見を申し上げておるわけであります。今後においても、そういったことについては最善を尽したい。今回のことにつきまして、大きなことを申すと仰せになるかもしれませんが、私が責任をとって済む事態ではない、それ以上の大きな事態であるというふうに考えて参ったつもりでございます。不敏でございますけれども、この覚悟だけはいたしておるつもりであります。


○平井委員 最後にお尋ねなりお願いをして終りたいと思いますが、御結婚式も近いのでありますから、今の長官の御説明で私は納得いたしましたが、なお宮内庁から国民が納得するようにしていただきたいと思うのと、これは長官に幾らわれわれが質問してもしようがないが、皇太子殿下並びに宮様のおつきの人は、悪ければ取りかえなければ教育というものはよくなりません。あなたが見はからつて、これはあまりよくないと思われる人はどんどん取りかえられて、そうしてりっぱな教育をされる方をお入れになって――今の人がいいか悪いか知りません。悪いと言う人もあり、いいと言う人もあるが、取りかえて教育をなさらぬと、将来非常に大きな問題が起るのではないか。天皇制のあり方ということは、日本の政治、経済あるいは世界の動静に従ってあらなければならぬと私は思うのであります。従って皇居造営の問題におきましても、まだ審議会はできないのでありますけれども、もしも審議会ができましたならば、時代に即応して、かつて三井、三菱の大財閥が十万坪の屋敷に住んでおったのが、今日一万坪の住居におるということを参考にして、今日の皇居のあり方はどういうふうでなければならないかというふうに、率先宮内庁は研究をされていかなければ、これまた非常な難関に到達すると思うのでありますから、日本の情勢、世界の情勢、東南アジア未開地のところにクーデターがあり、いろいろある世界の動向をよくながめて、ひとり日本だけが昔の風習ではいかれない、日本の皇室はこうあらなければならないという見地から、まず率先してあなたの方で案を立てられなければ、将来禍根を残すと私は思うのであります。どうか皇居の造営の問題につきましても、あなたの方で十分考えられて、先手を打つといってはおかしいのでありますけれども、この程度でよかろうとか、あるいはこうした方が今の日本の皇室にふさわしいのであるということを十分考えられてお作りにならなければ、将来禍根を残す。東宮御所の御造築のごときも、間組が一万円で引き受けた、こういう崇拝組も日本にはあります。また家がなくて困っておる国民もある。私は間さんに言いたい。そういう金があるならば、住宅のない人に建ててやったらどうかと間さんに言いたいが、あまり私は懇意でないから言うておりません。そういうお方もあるが、それが全部でないことも考えなければならない。そういう人もおります。いなかの年寄りの八十、九十の人は、日本が戦争に負けたことも知らないという人もおりますから、そういうことを十分考えて、あなたの方で考慮されて、現在の世の中にふさわしい皇居の造営を計画していただきたい。同時に今後の皇室の尊厳並びに天皇制のあり方を十分研究されなければ、日本の将来にいかなる変動が起るかわからぬということを肝に銘記して、今後長官としてりっぱに職責を全うされるようにあなたにお願いを申し上げて、私の質問を終ります。


○内海委員長 受田新吉君。


○受田委員 私は宮内庁長官並びに法制局長官並びに総理大臣にかわって御出席いただく官房長官に相次いでお尋ねを申し上げたいと思います。それは皇室に関係した事項で、今、平井議員よりお尋ねになった諸問題を別の角度からお尋ねしてみたいと思います。

 私は最初に、日本の天皇制というものが新憲法で国民の象徴とされているということに一応うなずき、またこれを支持していく一人であります。ただここで問題となるのは、天皇の御地位というものに対して、新しい憲法が保障する基本的人権、いわゆる憲法の第三章に掲げられてある基本的人権と矛盾する面が相当起っておらないか。この点が第一のお尋ねの問題であります。具体的に申し上げますが、新憲法は天皇を人間天皇として宣言せられておる。そういう意味からいうならば、その人権もまた十分尊重をするという意味で、象徴としての天皇の権威を傷つけない限度におけるゆとりある人権尊重のあり方が示されておらなければならぬと思います。一例をあげますが、天皇はいつまでも天皇の御地位におられなければならないということになると、非常に窮屈なお感じをなさることもあろうと思うのです。従って、たとえば皇太子が成年に達せられ、あるいは御結婚をされる。そして十分後継者として天皇の地位を守ってもらえるということになり、また天皇御自身も、一般でいうならば定年退職に当られるくらいの年配になられる、こういうことになるならば、天皇の御退位の自由ということが一応認められていいのではないかと思うのでございますが、この問題は、宮内庁としては、また法制局としては、どういう御見解を持っておられましょうか。


○林(修)政府委員 ただいまの問題は、非常に重要な問題であると思います。これは御承知の通りに、新憲法が当時の帝国議会において審議された際に、あるいは現行の皇室典範が法律案として議会で審議された際にも、非常に議論されたところでございまして、いろいろの角度から御議論があったわけであります。しかし当時の政府として、皇室典範にこういう制度を認めなかった理由としては、次のようなことがいわれております。現在の憲法は、もちろん皇位継承のことにつきましては法律に規定を譲っております。法律である程度のことは書き得る範囲のことがあるはずでございます。しかしこれは憲法第一条が、天皇は日本国の象徴とし、それからその地位が日本国民の総意に基くというこの規定、それから第二条に皇位は世襲のものである。こういう規定と離れて、ただいまの問題を議論することはできないと私は思うわけであります。なるほど新憲法によって人間天皇としての地位はできましたけれども、しかしそれだからといって、一般の人と同じようにこれを扱うわけにはもちろんいかない。やはりこの象徴たる地位、あるいは国民の総意に基くこの地位というものと相いれない範囲におけるもの、そこに制約があることは当然だと思うわけであります。これはやはり皇位というものは世襲のものである。それから古来ずっと一つの系統で受け継がれてきているということと、それからそこに天皇が過去においてはもちろん譲位ということはあったわけでございます。そういうことはありましたけれども、ただいま申し上げたような御地位、それからこの天皇のそういう象徴たる地位から考えまして、御自分の発意でその地位を退かれるということは、やはりその地位と矛盾するのではないか、これはやはり幾多過去の例からいっても、いろいろ弊害があったこともございます。これは一言で申しまして、天皇には私なく、すべて公事であるという考え方も一部にあるわけであります。やはり公けの御地位でございますので、それを自発的な御意思でどうこうするということは、やはり非常に考うべきことである。そういうような結論から、皇室典範のときに、退位制は認めなかったのであるということを、当時の金森国務大臣はるるとして述べておられます。この問題は、実は皇室典範の審議されたときの帝国議会においては、皇室典範の論議の半分ぐらいを占めております。そういうことで政府案が通過したような関係であります。その当時における政府側の見解は、ただいま直ちに変更するほどの理由は私はないと思っております。従いまして今、受田先生のおっしゃったようなことも確かに一つの議論としてはあることと思いますけれども、軽々にこれはきめられない、かように考えております。


○受田委員 私はこの新しい憲法や皇室典範の審議の際の問題を今持ち出しておるわけではない。当時は天皇のお立場が戦犯としての批判を受けようとされたり、戦争責任が追及されたりという渦中にあられた。しかし今日はようやく世界の情勢も落ちついてきたし、日本の復興もほぼでき上ってきたという段階になって、しかも世継ぎになられる皇太子が御結婚されるという段階になられるということになるならば、もうそうした戦犯論議とかその他の戦争責任問題を乗り越えた新しい段階にきて、この問題を考えなければならぬ時期にきておると思う。ことに現在の天皇は二十才になられたときに摂政になられて、自来すでに四十年に近い間を、まことに筆舌に絶する苦労をされておられる。ことに大東亜戦争の責任などという問題になってくると、御自身も非常に痛切に感じておられる。しかしあの大東亜戦争を締めくくる終戦というところへ踏み切られたのは今の天皇であられた。そういう意味からも、私は今の天皇御自身がその悲劇的運命の中に苦労されて今日に及んでおられることを思うときに、皇太子が御結婚されて、一人前の世継ぎとしてもりっぱな資格を備えられておるということになるならば、ここに終戦直後の混乱の中で論議された憲法論議や皇室典範論議とは別の意味で皇室典範は法律でありますので、この法律を改正して、天皇の退位の自由を認めてあげるということが、新憲法の第三章に掲げられた基本的人権の尊重の条項にも合致するものだと思う。従って象徴の尊厳を傷つけないで、後継者がりっぱにおられる場合に、皇室会議の議を経て退位をすることができる、そういう考え方は、私は成り立つと思う。この問題は、新しくそういう事態に遭遇しておるという気持を私は持っておるので、新しく検討をすべき段階ではないかと思う。昔のものを引っぱり出して、今ごろまだ依然として古い感覚で、憲法、皇室典範の論議をされた終戦直後の空気をそのまま今に持ち込むということは、どうも時代感覚のずれはなはだしいものありと認めざるを得ない。いかがですか。


○林(修)政府委員 決してその当時のいわゆる戦犯論議とかいうこととの関連のみで申しておるのではございませんので、やはり確かに受田先生のおっしゃるような基本的人権の尊重ということもございますけれども、憲法第一条、第二条等で規定しております象徴たる地位、あるいは国民の総意に基く地位、皇位世襲の継承ということと切り離して、この問題は解決できないと実は思っております。従いましてやはりそういう今おっしゃったようにいろいろ個々的の場合には、いろいろの事情が起ることはございましょうけれども、今おっしゃることであれば、結局制度としてそれを認めろということになるわけでありますが、この制度として認めろということは、国民の総意に基く御地位、象徴である御地位ということを考えますと、私はそう適当なものではない、過去の歴史を見ましてもそういうことは適当なものではないのじゃないかということも考えるのであります。あるいはこれは制度として認めれば、皇位継承の順位に異動を来たすこともあり得るわけであります。そういうことから考えまして、これはやはり慎重に扱わなければならない、軽々にきめられない問題だと思います。


○受田委員 もちろん軽々にきめるべき問題ではないでしょう。しかし世襲制度というこの憲法第二条の規定によっても、世襲には間違いないわけです。だから隠居する制度も考えられておるのですから、御隠居なされるという形になればいいわけです。従って世襲制度というこの憲法第二条の規定に矛盾する形にはならないわけです。お世継ぎがちゃんと成年に達しておられる、御自身も定年に達しておられるということになれば、当然そういう自由を認めてあげるという規定が、しかもそれが皇室会議という一応の機関の議を経てきめられるわけでありますから、軽々にきめるわけではありません。こういう制度を考えて差し上げることが、憲法の精神にマッチした皇室典範の改変であると思う。

 もう一つそれに関連して、天皇の行為の自由ということにもしばしば問題が起ってくる。たとえばただいまの陛下は、弟さんの秩父宮がなくなられるときに、ぜひ臨終の弟宮を見舞いに行こうとされたときに、ついに宮内庁は見舞いを押えたといわれる。ただいまの皇后は、お母さんの倶子さんがなくなられるというときに、これまたついにお母さんの臨終にもおもむかせしめられなかったという、おそるべき人権侵害をやっておると私は聞いておる。肉親の死に宮内庁がそういう圧力を加えて、人情の自然と美しさを押えるという、こういうことは一体どういうところに原因があるか、そういうことは絶対なかったかどうか、その事情をこの際あわせてお伺いしておきたい。


○宇佐美説明員 前段の陛下の自由な御意思に基く御退位ということにつきまして、法制局長官からお答えがございました。私も全く同様に考えておるわけでございます。現在の場合のみを考えるのでなく、日本永久の将来のことを考える場合に、自由なる御意思による御退位というようなことを、その象徴たる位地から見て、常に国民が全部異論なく認めるかという問題は、いろいろな将来のことを考えますと、容易なことではない。私どもはこれにつきましてすぐ御賛成を申し上げる気持になれないのでございます。

 また後段の御質問でございますが、これは宮中のいろいろな昔からの風習がございます。今の陛下は、そういう点について勇敢に直すべきものは直すお気持でございます。われわれといたしましても、そういう御趣旨に基いて、自然にそういった点につきまして十分考慮をいたしております。御指摘になりましたような点につきましては、われわれは宮内庁において阻止をしたというようなことは全然ございません。事実不幸にしてお間に合いにならなかったということでございます。


○受田委員 そういうお間に合いにならなかったというようなことで、その場をごまかすべきものではないと私は思う。こういうことは、お工合の悪い肉親がおられる場合に、自由にお見舞いができ、その臨終に立ち会われるという努力を、宮内庁がなぜなさらないのです。間に合わなかったのだという言い分は、はなはだ重大な問題だと思うのです。宮内庁としてそういう人情の美しさを押えるような措置をされたと解釈しても、これはやむを得ないじゃありませんか。今度皇太子が結婚される正田さんの場合でも同じことです。つまりこういう場合に正田家が非常に心配しておられる問題として、そうした人間としての自由性を圧迫される点はないかという点がおそらくあったと思う。そういうことについて宮内庁としては、人間としての美しさ、人情の自然というものを十分尊重して、一切こういう問題については人権を侵害するようなことはない、今後は絶対にさようなことはしないということをお約束できますか、まずそれを伺っておきます。


○宇佐美説明員 皇室の方々が、御両親その他の御不幸の場合にお見舞いなさることを、われわれは阻止するというようなことは考えてもおりません。しかし実際の場合に、やはり象徴としてのお立場から、今の例でなくても、そうあそばしたくてもなされないときもあろうかと思います。そこはやはり外から見ますと自由を押えているとわれわれは考えるわけであります。


○受田委員 九重雲深きあたりの一般国民に理解できないような形の宮内庁の措置は、やはり感心できません。宮内庁としては、そういう問題についてはもうあけっぱなしで、たとえばお見舞いに行かれるのに途中の警戒の問題などがあるとかいうことを気がねされて、肉親の死にも会うことができないというような御心配があるならば、そういう問題についてはあたたかい心組みをもってお役目の方をやられればいい。そういうことを十分含んで、何らか一般国民との間を隔離申し上げるような形のないように、一つ宮内庁としては御努力願いたいと思う。

 私はもとに話を戻しますが、もう一つこの御退位の問題に関係するのですけれども、もし退位の自由を認めたならば、皇位継承の順序にも問題があると今長官が仰せられました。これは私はどこに問題があるかということをお尋ねしてみたいのですが、たとえば皇族から、皇位継承の地位にある皇族の身分を離れるという申し出があったという場合のことですが、いかがですか。


○林(修)政府委員 これは仮定の問題ですから、そのつもりでお聞き願いたいと思いますが、かりにそういう制度がございました場合に、たとえば天皇が退位せられる、そのときに実は皇子がおられない、従って皇位継承が皇弟に行ったという場合に、あとから皇子が生れるという場合のことを考えれば、いろいろ問題があると思う。これは過去においても日本の国史を見れば問題があったと思う。そういうことも一つの形態としては考えられるということを申し上げたのであります。


○受田委員 私は、後継者がはっきりして御本人も相当の年令に達しておられる、こういう場合に皇室会議の議を経てきめられるのだと申し上げているわけです。皇子もおられない、もう本人はおやめになった、そのあとに皇子が生れた、そういう仮定の問題を今持ち出したら皇室会議の議が通りますか。皇室会議の議を経るということになれば、やはりそこにはっきりした後継者がおられる、天皇の長期にわたる御苦労に対してもいたわりの気持をもって御退位をお認めするという形になる場合です。そうでない場合には皇室会議の議は通りませんから、あなたの御懸念の問題は解決するのではありませんか、私はそう思うのですが、いかがですか。


○林(修)政府委員 先ほどから申し上げております通りに、今受田先生のおっしゃることは、やはり制度としてそういう制度を設けたらどうかというお話でございます。従いましてそれはやはり皇室典範の中にそういう規定を取り入れることになるわけであります。そうなればこれは一つの制度として将来に向っての問題になります。いろいろなことももちろん考えなければならないことになるわけであります。そういうことを考えてみました場合に、今の自発的な御退位の制度というものが、果して天皇の世襲制、皇室の世襲制、皇子の世襲制、あるいは天皇の象徴たる地位、あるいは国民の総意に基くという国民の信念から見た考え方、そういうところにマッチするであろうかどうか、これはやはり相当疑問のあるところだと思う。今、受田先生のおっしゃるような御議論ももちろんあることと思いますが、それに反対する議論も相当強い根拠を持っていると思います。従いまして私どもとして今簡単にそういうことに踏み切る決心はないわけであります。むしろ先ほど宮内庁長官が言われました通りに、簡単には賛成できない、こういうことでございます。


○受田委員 あなた方は天皇のお立場というものを考えていかなければならない。そこで、あなた方だけの御都合で、天皇の人権をいつまでも侵害していくことは問題だ。だから御用学者という立場であるなら仕方がない。しかしながらもっと純粋な理論的な立場でものを考えていく、あるいは日本の将来を考えてこう解釈したいというような、あなた方はやはりある程度の余裕のある解釈をしなければならぬ。

 もう一つ、これに関係するのですけれども、女帝です。皇族女子には皇位継承権がないわけですが、この皇族女子の皇位継承権を容認するという典範の改正というものは、これは決して差しつかえないわけです。今の憲法では男女平等である。憲法の十四条で、法のもとの平等、貴族の禁止、栄典というところにも、人種、信条、性別云々で差別されないことになっている。そういうところからいっても、国民の象徴だけを差別するということがあり得ますか。そういう意味からも新憲法の精神にのっとって、皇族女子の皇位継承権を認めるということは、私は当然考えられていいことだと思う。いかがですか。


○林(修)政府委員 これも皇室典範のときに議論されたところでございまして、一応議論済みのことだと私は思っております。重ねて申し上げますけれども、確かに憲法では男女平等、あるいは婚姻における男女平等、あるいは相続についての男女平等の原則をきめております。しかしこれはむしろ普通一般の家であれば、昔のような家の制度はもちろんないわけでありますから、主として財産相続についての男女平等でありますが、皇位あるいは象徴たる地位というものは、必ずしも今申しました民法上の相続と同じように考えるわけにはいかない問題が一つあります。そのほかにやはり古来の日本の国民の一つの総意と申しますか、国民の信念と申しますか、つまり男系相続ということで実は一貫して参っておるような状況でございます。従いまして男系相続ということを認める以上は、女帝を認めれば、そこで男系は断絶するわけです。別の系統に移動するということになってくるわけであります。そういうことから一つの問題点がある。また女系による相続を認めれば、これは別の問題でありますけれども、やはり日本のいろいろの古来の国民の感情あるいは現在における国民の感情からして、果していかがであろうかという問題があるわけであります。また過去における女帝の例、日本には幾つかの女帝の例がございますが、これはいろいろな特殊な事情に基いた例だと思っております。そういうところから、やはりこれは慎重に考えるべき問題だということで、皇室典範のときにもその問題はいろいろ話題に上りながら、そういう規定はされなかった。その事情を今直ちに――おしかりを受けるかもしれませんが、そういう事情を今直ちに解消するだけの事由はないのじゃないかと思っております。


○受田委員 この問題は、どうも男系相続が日本の伝統であるからなどという古くさい考えで御答弁されておるようでありますが、すでに英国においてもそういう制度が長期にわたって保持されている。ただ英国の制度には、女帝の場合には男子の兄弟がおらぬというような場合に、女子だけだというようなときに、女帝ができておるわけでありますけれども、一応程度の差はありましても、皇位の継承権に女子の相続権というものは認められておる。こういうところから見て、世界の大きな流れというものを見たときに、昔の古い伝統を今ごろ持ち出されて、男系相続が日本の伝統などというこの論議は、どうも法制局長官としてまずい論議じゃないか。新憲法の精神というものを――ここにおられた自民党の方の中にも、退位の自由と女帝は大賛成だという意見が出ておる。そういうふうな意見が……(「反対だ」と呼ぶ者あり)与党は分裂状況です。そういうことからも皇室典範に対して、もう少し人権を尊重し、象徴としての権威を傷つけない限度において人権を尊重するという配慮をなさるべきではないか。特に宮内庁長官とされても、そうした宮内庁の事務を担当される責任者として、常に日本の将来、国民の皇室に対する感情等の問題を十分洞察して、長い目で見た日本の皇室の将来への見通しを持った努力をしておかれないと、思いがけないところから、今回の御結婚を契機として、皇室に対する重大な国民の悪感情が起ってきたりするおそれが私はあると思うのです。そういう意味から、少くとももう少し大衆と溶け込んだ皇室という、同時に象徴としての立場は保持されるような配慮を払いながらという気持は必要でございますが、そういう努力をしておかれないといかん、かように思うのです。

 そこで、三笠宮に例をとりますけれども、三笠宮が紀元節に対する見解を表明されたというので、中にはこういう三笠宮のような皇族がおられては、皇室の尊厳に関係するから、皇族をやめてもらおうじゃないかという意見がある。宮御自身も皇族をやめたいというお気持を表明されたとも承わっておるのであります。宮が、皇族が、そういうことを発言されたということについて、これを政治問題として見ようとするならば、それはけしからぬじゃないか、皇位の継承予定者がそういうことではいかぬじゃないかという議論が成り立つかと思いますけれども、宮の学者としての良心から叫ばれたこの言葉に対してかれこれ議論する。自民党の諸君の中にそういう声があるわけです。そういうものに対して宮内庁としては、また法制局としては、皇族の身分にある者の発言について、何か常に注意をしておるとか、あるいは圧力を加えておるとかいうことがあるのかないのか、また三笠宮の皇族を離脱したいという気持を持っておられるという表明があったことがあるのかないのか、これも一つお答え願いたいと思います。


○宇佐美説明員 三笠宮様のことについてのお尋ねでございます。殿下は、終戦と同時に軍籍を離れられまして、将来のために東大にお入りになって歴史を御勉強になっておられます。非常に熱心に御勉強になっておるのであります。しかし私は、皇族であられることがまず第一でございまして、国民は学者になっていただくということにおいて皇族におなりを願っておるのじゃないと思います。やはり皇族としてのお立場、義務というものを第一にお考え願うべきであると思います。同時に、お仕事として御勉強になり、それを通じて国家、社会に貢献されるということも私はけっこうだと思う。しかしそれはあくまで学問的なことでありまして、そのお地位から申しまして、政治的問題に関与されていかれるということ、どうも私どもとしては御賛成できないと思います。そういうことにつきまして私も殿下とお話を申し上げておることがございますけれども、しかし今お話しになりましたような皇族の籍を云々ということは、何も私は伺ったことはございません。いろいろ著書等も御発表になるようであります。私といたしましては、もっと慎重な御態度を希望しておるところであります。


○受田委員 宮内庁長官、えらいかたくお考えですが、三笠宮は、紀元節の問題などについても、これは天皇一家の、皇室の私事であるという見解を表明され、これを国民の行事として取り上げることについての意見を持っておられるわけなんです。そういうことについて、これが政治的な見解であり、学者としての立場では行き過ぎだというような御注意を申し上げるということは、これはどうかと思います。皇族の御発言は何事もそれではできないということになる。純粋な御意見も述べられないということになる。それが多少でも述べられると、すぐどこかにひっかかるというような問題であれば、何事もこれは発言できないということになる。これこそ人権侵害もはなはだしいものになってくる。こういうことについて、もっと自由な気持で皇族としての立場を御自身が十分考えておられるのですから、もし皇族の立場をお考えにならなければ、もう皇族を離脱されることになるのですから、そこは成年に達せられて、しかも良識を持たれたりっぱな三笠宮の御言動に対して、一々御注意申し上げ、おしかり申し上げるということは、私は宮内庁長官としては行き過ぎだと思う。そうなりますと、皇族の身分に生まれた人は、そういう発言やらすべての行動にわたって非常に不幸な立場になる。(「もちろんだよ」と呼ぶ者あり)そういうことこそ人権侵害なんです。私が今申し上げていることは、あらゆる面に不幸な立場に追い込むということでなくて、許される限度内の御自由を認めてあげる、新憲法の御自由を認めてあげるという努力もしておらないで、すべてワクの中にはめ込んで、非常に窮屈な生活をさせていくというようなことは、お役人たちのとるべき道ではないと私は思っておる、そういうことを私は今指摘して、人権の尊重を可能な限りにおいて認める努力をしてあげるという、その配慮を希望しているわけなんです。これはもちろんと言われるかもしれないが、皇族の身分にあり、あるいは天皇の御地位にある人は、あらゆる角度からその人間性の豊かな暮しを押えられるということになる。いかがでしょうか、こういう点について、高い立場から今後の皇室のあり方、皇族の立場というものについての配慮をどうすべきかということについて、何かあなたはお考えになっていらっしゃることはないでしょうか。


○宇佐美説明員 重ねてのお尋ねでございますけれども、一つの学問をせられましてある結論に達せられるということは、これはだれも押えることはできません。またそれを周囲の人に多少お漏らしになるというようなこと、それもいけないとは思っておりません。しかしながらそのお考えが、言葉は悪うございますが、左右いずれにしろ政治的な問題になり、皇室に非常に影響するというようなことを国民が心配するときには、慎重な態度をとらるべきであるということは私は誤まりないと思います。


○受田委員 左右いずれにせよ、それが政治的な方向へ行ったとおっしゃっているのですが、三笠宮御自身としてはそういう政治的な気持はみじんもないわけなんです。そういう問題を政治的にこじつける人々がおり、それを悪意にとる人々がおるわけなんです。この問題は、つまり三笠宮の言動に対しての影響力というものを、外部から不純に利用しようということになるわけなんです。あなたはむしろその外部を押え、宮の考えておられることは正しいのだ、学問の研究の自由は尊重しなければならぬという立場で、特に政府与党の諸君などに厳重に御注意される方が、むしろ筋が通ると思う。

 もう一つ、皇室典範の規定の中で、退位の問題にも触れてきたのですが、天皇が崩ぜられたあとへ新しい天皇が即位されることによって元号が変るわけなんですが、その元号がどういうふうに変るかということは法律では規定してない。これはもし御退位が実現され、あるいは天皇がなくなられたという場合に、どういう規定が用意がされておるのか、法制局長官から一つ伺います。


○林(修)政府委員 御承知の通りに、これも旧皇室典範には規定があったと思います。それが新しい皇室典範を規定するときには、皇室典範のきめる事項ではなかろうということではずされておるわけであります。そこで残っておりますものは多少問題がございますが、明治初年の行政官布告というものがあるわけであります。しかしいずれにいたしましても元号の問題は、確かに天皇の御退位あるいは天皇がおなくなりになったあとの新しい天皇の即位という問題と相関連する問題でございますけれども、これは今の憲法のもとにおいて、そういう新しい元号を立てるということは、私はやはり法律できめるべき事項だろうと思っております。これはかつて新憲法施行当時、そういうような法案も予定されたこともあったようでございますが、当時の占領軍政策の事情でもってこれは消えております。その後御承知かと思いますが、当時の参議院の文教委員会において、いわゆる西歴紀元を採用したらどうかということも御議論になったこともございます。そういうようなこともございますが、いろいろな事情を考えて、これは将来のことでございますが、元号制をどう立てていくかということについては、法律をもってきめるべき問題である。かように考えまして、一応そういうことは私ども考えなくてはならないというふうに思っております。


○受田委員 元号の問題を考えなければならぬという御意見のようでございますが、これは西歴を用いるとか、いろいろなことがあるにしても、日本の立場からの特別な規定を設けておくということは大事なことだと思っております。大へんおそれ多い話ですが、天皇がいつなくなられても、ちゃんとした用意をされておくということが必要だと思う。

 あとお二人御質問があるので、最後に一言お尋ねしておきますが、今度の御結婚につきましても、天皇の国事事項としての御結婚の儀式と、天皇の御一家あるいは皇太子御自身の個人的な御儀式というものがある。こういう国事の儀式あるいは個人の儀式というものの限界線は、一体官内庁としてはどういう形でおとりになっておられるのか。もちろん国事に伴う費用というものは当然国会の承認で出されるものでありますけれども、国会の承認を要しなくても済む支出の面もありますので、そういう限界線をはっきりしておいていただきたい。今回の御儀式の中で国事として取り扱える儀式と、皇室の私事として取り扱える儀式の分別をちょっとお聞かせ願いたい。


○宇佐美説明員 今回の御結婚に関しまして、御婚約、いわゆる御結納のことから式の終りますまでいろいろの計画、すでに済みましたものもございますが、今後進められるものも研究中でございまして、こまかい点を今検討中でございますが、大綱につきましては、過日の閣議の決定におきまして、当日行われます結婚の儀と朝見の儀、それから引き続き行われます祝宴の儀が、国の儀式として行われるということが正式に決定になったわけでございます。そのほかの儀式につきましては、実は旧来の諸規定をもとにいたしまして、なるべく簡素に行う、あるいは時代に即するようにするという趣旨のもとに整備をいたしているわけであります。いろいろございます中で、特に国の儀式として考えましたものは今申しました三つでありまして、結婚の儀というのは、これはあくまで両殿下が誓い合われるという結婚の中心をなすものであります。朝見の儀と申しますのは、両陛下に両殿下が正式に会われてあいさつをされるという意味のものでございまして、これは前回の立太子礼、成年式礼の際にも国の儀式として行なったので、その例に従ったわけであります。最後の祝宴と申しますのは、天皇陛下が内外の人に御披露をなさるという公的なものとして、これを国の儀式の一つに入れたわけであります。その他お内輪でなさいますもの、あるいは皇室の御例によって神宮その他に参拝されるということは、一切内輪のこととしていたしたわけであります。


○内海委員長 高瀬傳君。


○高瀬委員 実は赤城官房長官においでを願いたいと申し上げてあったのですが、それはどうでしょうか。


○内海委員長 赤城さんは参議院の本会議に行っておりまして……。


○高瀬委員 実は私は皇室会議のあり方について私の所見も述べ、あるいは内閣あるいは宮内庁の意向も伺いたい、こういうことであるのであります。特に今回の皇太子殿下の結婚に関しまして、皇室会議のあり方について一言お伺いしたい。そして私の所見も述べたい、こういうのであります。もちろん前提条件として、私は皇太子妃が今回きまりまして、御成婚があるということについて、日本国民として心からお喜びを申し上げておる一人でございますから、そういう点は誤解のないようにお願いしたい。

 私は皇室のあり方というものについて、平井君などと意見が違うかもわかりませんが、敗戦直後陛下もおっしゃったように記憶しておるのでありますけれども、つまり英国の皇室のようなあり方、これが日本としては非常に望ましいということを陛下がおっしゃったように記憶しておるのであります。御承知のように私から申し上げるまでもなくいイギリスは今日存在しておるところの君主制の国家の典型的、代表的のものであると言ってもいいのでありまして、皇室と国民とが真に一体になっておるということは事実のようであります。従って敗戦後、日本が民主主義の国家として再出発した際に、英国流の皇室のあり方、あるいは英国流の議会の運営のあり方、あるいは英国流の国民と皇室の関係、こういうものを陛下は理想にしておられたのではないか、そういうふうに拝察される節があるのでございます。しかし現在必ずしも皇室と国民とが一体になっておるとは私は思えない点もございます。たとえば、これは言葉のあやでありますから、こんなことは理由にはならぬかもしれませんが、菊のカーテン、こういうような言葉をよく耳にいたします。従って現在の皇室に対する国民の感情というものは、今回の皇太子妃の選定に当りまして、端的にこれらの点を現わしておる点がなきにしもあらず、一般の世論というものは非常にお祝いを申し、私もその一人でありますが、必ずしもそればかりではない。先ほど平井君もちょっと触れたようであります。しかも憲法の第一条に明記してあります通り、天皇は日本国民統合の象徴でありますから、皇室と国民とが密接なつながりを持つということは当然でございますし、天皇御自身ももちろんそういうふうにお考えになっておると私は拝察いたします。ところが現在の、特に今回の結婚で国民感情から多少離れているような印象がある。これは実は私はあの発表の形式とか、そういうものをかれこれ言うのではありませんが、実際のところ皇太子妃の選定に当りまして、宮内庁の宇佐美さん初め関係者は長い間大へん御苦労になったと思うのです。この点私は敬意を表しておりますが、国会も何ら御結婚について知らされておりません。公式発表の十日前、つまり十一月十七日のニューズ・ウィークには事こまかに、全部私は翻訳して持っておりますが、「皇太子の恋」という表題で詳細に報道されております。結局知らないのは国民だけだ。私はこういう問題がありましたときに、宮内庁に電話をかけまして、宇佐美さんは当時お留守でありましたが、そういう事実があるかどうか、私はそれを尋ねたのでありますが、電話に出た人は相当の方だと思いましたが、全然知らないというお話でございました。それはいろいろ都合があったかもしれませんが、現在結納もかわされた今日ならば、その辺のいきさつを相当詳細に御報告を願って、そうしてやはり国会の記録に残しておく必要がある。これはやはり一つの国事でございますから、その点はぜひとも――先ほど、いろいろうわさされておるような事実はないとか、断片的におっしゃったようでございますが、ニューズ・ウィークにいろいろなことが書いてあります。特にこれは恋愛という言葉を盛んに使っております。たとえば「二人は恋愛中だが、果して因襲に刃向って結婚ができるだろうか、これが事情を知っている連中がもう何カ月も抱いている疑問である。」というようなこと、それから「皇太子が正田美智子さんに初めて会ったのは軽井沢のテニス・コートである。」それから、非常に反対があったということも載っております。「反対は大へんなものだ。一番驚いたのは米国の占領下に皇室を除いて爵位を全廃された元の公爵、伯爵、子爵、男爵などであった。天皇の義妹に当られる秩父宮妃のお母さんの松平信子前子爵夫人を先頭に、華族たちは皇族出の他の候補者を立てて運動したが、民主化がとうとう皇位にまで及んだことに一斉にろうばいした。」こんなことが書いてあります。これはもちろん単なるニュースでありますから、私はその信憑性のいかんは知りませんけれども、特にあのとき宇佐美長官もおっしゃったと思うのですが、あれは恋愛ではない、たとえば結婚は相互の合意のみによって成立し、相互の協力によって打ち立てなければならないという憲法の条章そのものとは関係がない、普通の恋愛ではないのだということを非常に強調されたようでございます。従ってこういうような問題について、先ほど長官も非常にいい機会を与えてもらって感謝すると言われましたが、私はやはり国家の一つの重大な国事でございますから、こういう点についても詳細に系統的にいきさつを説明されて、国会の記録に残しておく方がよかろう、私はこういうふうに考えるので申し上げているようなわけであります。ここで一問一答をして宇佐見さんをどうこうしようというのではございません。

 それから、特に私の念頭に浮びましたことは、皇室会議というものはただ一度しか開かれていない。結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろいろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのでありますが、こういうふうになりますと、皇室会議などというものは非常に形式的なものであって、国民や国体と重大な関係にある皇太子妃を決定するということは、あまりにも非民主主義的なやり方じゃないか。皇室会議というものは非常に形式的なものになって、たった一回、既成事実を承認するというだけになってしまったのでは、皇室会議のあり方としては非常に危険じゃないか、こういうふうに思うのであります。特にたとえば皇室典範の第三条を見てみますと、世継ぎの方、皇嗣に重大な事故があるときは、皇室会議の議によって皇位継承の順序を変えることができる、こういうふうに述べてあります。従ってこの皇室会議を開くのは、議長であるところの総理大臣ではありますけれども、形式的には宮内庁がイニシアチブをとることになりますから、これが非民主主義的に運営されるということになりますと、非常に重大な結果を及ぼすと思うのであります。従ってこれは宮内庁だけを責めるわけには参りません。政府の重大なる責任でもあると思いますが、一体こういうような点で、ただ既成事実だけを皇室会議に形式的にかけて、たった一回だけの会議でああいう重大な国事をきめるということが果していいのかどうか、その点が非常に私は重大だ、こう思うのであります。

 それからもう一つ、こういうような問題について、これは例は違いますけれども、イギリスなどの例をとってみますと、たびたび非公式の閣僚会議などを開いております。たとえば私はここにノーマン・バリメインの書いた「ザ・ストーリイ・オブ・ピーター・タウンゼント」という本を持っておりますが、これによりますと、あのプリンセス・マーガレットがタウンゼントと婚約するときに、非常に衆人環視の中で国民が納得するような状態でああいう問題を解決したようであります。従ってその当時のサー・アンソニー・イーデンはたびたび閣僚会議を開き、あるいはカンタベリー大僧正とも相談をし、あるいは上院の枢密院議長のソールスベリー卿などとも相談をして、慎重な手続をとってあのプリンセス・マーガレットの問題を解決した。私は当時ロンドンにおりました。非常にその点の合理的な国民と密着したやり方について、敬意を表して帰ってきた一人なのであります。従ってそれと比較して、この皇太子妃のきめ方が一回の皇室会議できまる。しかも私は、きょう内閣側からだれも出ておりませんが、この皇室会議の構成自体についても非常に疑問を持っております。両院の議長、副議長が出ているが、副議長というものは議長が事故あるときにだけこれを代理するものであって、院を代表して出るとすれば議長だけでいい、こういうような点も私の聞きたい点でございますが、答弁する人がおりません。

 そこで私は、この皇室会議の構成についても疑問があるし、ああいう皇位継承をきめるような重大な皇室会議というものはもっとたびたび開くなり、あるいは内閣と連絡するなり、そういうふうにして国民が納得するような状態であの御結婚をきめていただいたらなおよかったのじゃないか、こう思いますが、これらに対する宮内庁の見解、それから内閣の見解、それから宮内庁は内閣などとどういうふうな折衝をされたか、小泉という人は皇太子殿下の先生でありましょうけれども、大体田島、小泉などという方だけがイニシアチブをとって、きまったものを総理大臣に報告し、総理大臣はただ正田美智子さんの信仰の問題だけをお聞きになったというふうにしかわれわれは受け取れない。それの前にたびたび閣僚会議を開くなり、あるいは皇室会議を開くなり、こういうふうにして念には念を入れてきまったものならば私は非常にけっこうだと思うのですが、われわれ国民はその点は全然知らされてない。知らないのは国民だけだという結果になったわけであります。十一月十七日のニュースでこういうこともちゃんと出ているわけであります。それで私は電話をかけた。

 しかも十二月六日号の「エコノミスト」に日本の皇室と題して、宮内庁の役人の各位には非常に痛いことを書いてあるのであります。これは読むとはなはだ妙なことになりますが、一応読んでみましょう。「古くからの皇室の伝統のうち、残っているものは天皇一家が守っているよりも、むしろ皇室の役人が守っているといった方がいい。宮内庁の役人の数は一万人から一千人に激減したが、依然強力である。彼らは野心を持たず、別に悪い人間ではないが、強い義務感に縛られる傾向があるので、時代に取り残されがちである。彼らは渉外のセンスがないので、他の官庁のより進歩的な役人たちからきらわれ、一般国民から疑惑の目で見られている。」これは非常にお気の毒ですが、これはただ書いてあるので、私の意見ではございませんから……。「皇太子の婚約発表の際、発行部数の多い日刊紙「読売」は十一月二十八日の社説で辛らつに論じている。「天皇を独占することによって特権を維持しようとする暗い勢力が、かたくなに民衆への接近を妨げていたのである。皇太子の婚約は、これらの人たちの態度に対して、痛烈な反省のむちを与えたものと言ってよい」以上の言葉は、正しいと思っていることをやってきただけの役人たちにとって、やや点が辛いかもしれない。だが、大ていの日本人は、宮内庁の官僚が皇太子に、一般民間人と決して結婚させないと考えてきたが、今では皇太子みずからがこれら官僚に分を知らしめることによってのみ、自分の望みを貫徹したと信じ、皇太子の勇気ある行為に対して、熱烈な拍手を送っていることは事実だ。」というのであります。非常に長くかかりましたが、こういう批評もあるのでございますから、私は宮内庁の、特に皇室会議なんかに対するやり方に対して反省を促したい、こういうことでございます。

 それから先ほど三笠宮の問題で受田君からお話がありましたが、私は少くとも皇族方というものは政治的にもあらゆる点で中立性を持って、インパーシャルでなければいけないと思うのです。特に選挙権もない、被選挙権も行使されない、こういう地位にあるのでありますから、やはり政治的な影響のあることは発言されない方がいいと思うのであります。そういう点で宇佐美長官が率直に三笠宮におっしゃったことは私は正しいと考えております。従って今後も三笠宮殿下の学問のいろいろ結論とかなんとかを、そういうふうな中立の立場にある特殊な皇族方は、ぜひとも積極的に発表されないことを望む一人でございます。

 自分の意見だけを長々と述べましたが、これらについて実は内閣並びに宮内庁の意見を拝聴したい。特に私は宇佐美さんを責めるよりも、国家組織法によりましても、宮内庁は内閣の一つの庁になっておるのでありますから、内閣委員会としては赤城官房長官の臨席を願って、この点の所見をはっきりと聞く必要があると確信いたしておるのでありますが、どういうわけか来ない、それでは答弁を得ることもできませんが、宇佐美さんに一つ所見をお伺いしたい。


○宇佐美説明員 きわめて多岐にわたっての御質問でございます。今回の御結婚に対しまして、もう数年前から、私が長官になる前からいろいろな準備が始まっておった、調査があったわけであります。もちろんその調査につきましては先ほどもちょっと申し上げましたように、これは御両親陛下としても御心配になることであり、皇太子様自身のお考えということもございまして、十分お考えも伺いながら方針を立てて参ったわけであります。もとより御選考の基準と申しますものはこれは皇太子様の妃殿下にふさわしい方ということで、御健康にしろ何にしろ最上級、お尋ねがあればそう申し上げるよりほかないわけでございます。しかし現実の場合にはそういったすべて万全を備えるということはなかなか困難でございます。ただ国会においても各報道が漸次現われるにつれまして、ほとんど毎国会ごとに宮内庁の考えの御質問がございました。それにつきましてはお尋ねに従って、われわれは考えるところを率直に申し上げて参ったつもりでございます。その当初の考えは国会でもお答え申し上げたと思いますが、そういった諸要件がすぐれた方であられるのはもちろんでございますけれども、その御選考の範囲というものについてもお尋ねがあったわけでございます。御承知の通り前の皇室典範におきましては、皇族の結婚は皇族または華族に限るという規定がございました。それが新しい憲法に従ってできました新しい皇室典範におきましては、憲法の精神によって、華族制度はもちろん貴族の制度というものが廃止されたのでございます。従って、皇族男子の御結婚につきましては、何ら法制的には制限はございませんけれども、やはり皇室自体が長い歴史を持ったお家でありまするし、旧来の範囲から選考が始まるというのが、むしろ常識的であるということをわれわれも考えておったのでありますが、しかしそういったときにも、ときによっては、その範囲外に出ることもあり得る。御質問の中にも、全国民を対象にして選べというようなこともしばしば伺ったわけであります。われわれとしてはそういうようなことでお答えしたと記憶するのであります。実際の選考に当りますると、やはり終戦後の各家庭生活の変化でございますとか、あるいは優生学的な見地からの制限でありますとか、いろいろな点でなかなかむずかしい問題に逢着いたしました。従って、第一段の方針から一歩出るということにつきましても、実に時間をかけて慎重に考えたわけでございます。単純に考えたわけではなかったのであります。しかし実際問題といたしまして、一般と申しましても、どこでもいいというわけではございません。やはり日本の良識のあるりっぱな家庭ということを考えなければなりません。これのうちからまた候補を選ぶということにつきましては、相当苦心をいたしたわけであります。だんだんそれをしぼって参りまして、何人かの候補をあげ、殿下にもよく御説明をして、私どもの申し上げることと殿下の御決心も合致いたしまして、ことしになりましてようやく進行するようになったわけであります。その間私どもといたしましては、前内閣あるいは現内閣におきましても、総理大臣にはそういった経過を申し上げ、それからそういった大きな根本の方針の変更等についても説明申し上げて参ったのであります。

 皇室会議を開きますことは、先ほど仰せになりました通りに、議長たる内閣総理大臣の招集でございます。もちろん一国の官吏としての立場、議長としての立場から、私どもといたしましては、過去においても十分な御連絡と御意見を伺うということには意を配って参ったつもりでございます。そういうことで皇室会議が開会せられたわけでございます。実際先ほどお述べになりました通り、皇室会議を開くにつきましても、実は皇室会議が設置せられましてから第二回の例であります。第一回は御承知の通りに、新憲法の実施の当時に多くの皇族が下られまして、そのときが一回で、第二回であります。私といたしましてもこの取扱いについては、内々皇室会議の委員であられる方の御意見も聞きながらやったつもりであります。会議が開かれまして、できるだけ経過と資料を申し上げ、私といたしましては、世上でいわれまするいろいろな不安と申しますか、心配ということも率直に申し上げて、御説明をしたわけであります。その結果、満場一致でおきめをいただいたのであります。ただ今回の問題を離れて、将来のことを考えます際に、先ほど摂政の場合の例をお引きになりましたが、要するに結婚の場合におきましては、あくまで憲法の原則と申しますか、これは新しい憲法ばかりでなく、従前からも、これは人間の本質であろうと思いますが、結婚される方の合意がなければならぬわけでございます。事前にいろいろなものを多くの人が公式に論議をして、これを配合するというものではなかろうと思っております。皇室会議におきまする皇族男子の御結婚、将来も起るのでございますが、これはやはり両性、両方の合意というものがなければ、皇室会議の議にはならないのではないかというふうに思います。こういった選考の経過というものを国民に周知させてやるということは、その事柄の性質上、私は避けねばならないことだと考えております。その間においていろいろ派生的な問題が起りますし、人権の問題にも及ぶことであろうと思います。ただ皇室会議に慎重に審議を願うという意味から申しまして、私も今の皇室会議があのままでいいかどうかということは、実は今回当りまして、いささか考えたことでございます。今回の現実のことを申すのではなく、全体を進める上において、たとえば御結婚会のような重大なことを進めます際に、今の制度のままでいいかどうかということは多少私も考えました。まだこうしたらいいのではないかという結論はここで申し上げかねますけれども、単に御結婚のことばかりでなく、摂政の選定等いろいろ重大なことを議する制度でございますから、慎重に検討しなければなりませんが、私も正直に申し上げて、多少当時は考えて、幾らか申したこともございます。そういうような点から考えますと、皇室制につきましても、御発言のようなことが一つあるのかもしれません。どういうふうにしたらば、ほんとうに事を運ぶに容易であって、しかも慎重な審議を尽せるかという行き方について、将来検討すべきものであろう、こう考えます。申し落したことがあるかと思いますが、以上でございます。
○高瀬委員 私は別にこれ以上伺うことはありませんが、実はこういうふうな重大な国事というものは、やはり国会というものは国民の代表というか、国権の最高権威のところですから、こういうことはやはり内閣において公式に国会に報告があってしかるべきものだと思うのです。それは宇佐美さんに申し上げてもなんでありますが、私はその点を特に官房長官に念を押しておきたかったのでありますが、おりませんから、委員長を通してこれをお願いします。委員長、いいですか。特にこういう問題については、やはり公式に国会に内閣が報告する義務があると思うのです。そういうことを特に私は確かめたかったのですけれども、おりませんから、委員長を通してお願いいたします。それから、特に皇室会議のあり方ということについては、宇佐美長官もいろいろ考えておられるようでありますから、内閣においても慎重に考える必要がある。うまくいったときはいいのですが、いろいろ事が紛糾した場合に、あんなやり方、ほんとうの形式的な、イエスかノーかというようなやり方では、非常に国民が安心しない。私はこういう考えでございますから、どうぞ御善処方を要望いたしまして終ります。


○内海委員長 柏正男君。


○柏委員 今までの各委員の御質問を聞きまして、私もいろいろと考えさせられる点がございます。私は、国民の大多数は、自民党の委員さんの言われるような意味で皇太子の御成婚を考えてはいないのではないか、もっと明るい、朗らかな気持でこの御成婚を迎えておる、これが実態ではないかと感ずるものでございます。そうでなければ、これからの天皇制、これからの皇室というものに対して、私どもは安心ができないというように思います。そういう立場において私は、今度の皇太子の御成婚を契機として新しい皇室制度というものが自然に生まれてくるのではないか、そういう感じをいたしておるものでございますが、そういう観点から以下の質問をやってみたいと思います。

 今回の皇太子の御成婚は、皇太子御自身があるいはどの程度に意識されておったかはわかりませんけれども、古い封建的な皇室制度から、新しい時代に即した皇室制度に移っていこうというようにお考えになっておるのではないか、そういうように私どもは感ずるものでございます。すなわち従来の皇太子妃の選定方法と今度は、これが一変してしまっておる。皇太子みずからが、今までは日本民族の上に立つ皇室というようなものから、日本民族の中に溶け込んでいく皇室というような姿に変っていっている。古い意味の皇室制度というものは厳としてやはり中にはあるのでございましょうが、それに挑戦するように今度の新しい御成婚がわいてきておる。これに私ども国民の大多数は明るい希望をつないでおるのではないか、そういうように私は思います。しかしこういう御成婚の問題をまた違った意味で、何か皇室の尊厳を傷つけるように考えておる人たちも、今までの質問の中に出ておりますので、むしろ私どもは意外に思うくらいでございます。私どもは、戦後に民主主義の教育を受けられました皇太子が、身をもってこの時代の流れの中で、封建的なものではない、民主的なものを打ち立てよう、それを実践しようとしておられることに対して、ほんとうに力をかして、皇太子のお考えになる道を実現さしてあげねばならない、そういうように感じます。その意味におきまして、私どもはこのたびの御成婚の式につきましても、ほんとうにそういう皇太子のお気持がどの程度現わされておるだろうか、そういう点について、尊厳というよりもかえって、もっと違った意味合いの心配を感じております。しかしその点について先はほど長官からお話もございましたので、重ねて御質問する必要もないわけであります。皇太子が御婚約をされ、御婚礼の式をあげられて新しい生活にお入りになるという場に入ったわけでございますが、そのことはまた新しく次の天皇としての生活への第一歩でございます。そういう意味からして、果して皇太子のこれからの生活設計が、皇太子の意図されるような、国民の中に溶け込んでいくような皇室というようなものを、これからの生活設計の中に宮内庁としてお考えになっておるかどうか。そういう点について、新しい皇居の造営の問題とか、あるいは皇居の開放論とかいうふうなものと関連を持って、宮内庁ではどういうふうにお考えになっておるか、御見解を承わっておきたいと思います。


○宇佐美説明員 このたびの皇太子様の御婚約が、国民の大多数に非常に明るい気持を与えておるという点は、各種の面から見て間違いのないことだと私も考えております。しかし国の内外を通じまして、こういう問題にそれぞれの立場から他の意見を持ち、あるいは心配をなさる方があるということは、これまた間違いのないことだろうと思います。過去のこういった大きな問題につきましても、常にあったことであります。ただ先ほど来、非常に真情を披瀝しての御質問がございましたが、そういった一部における――将来のために御質問があったことと私はありがたく拝聴しておるわけであります。今回の御結婚がこれによってすぐどうなるということでなく、私が常に申しますように、御結婚は第一歩であります。今後これをスタートとしてりっぱな御家庭を作り、皇室の中心に立っていだたくということこそ願うべきことであろうと思います。そういうような点につきまして国民もまた相協力して、そうしてお互いに日本の将来のために進んで行くべきものであるということを考えるものでございます。われわれそのお手伝いをする立場におります者といたしましては、よく将来のこと、あるいは国民の気持を洞察して、日々そういうような問題を具体的な問題で現わしてこたえていきたいというふうに考えておるわけであります。


○柏委員 今の御答弁で私ども考えております明るい皇太子の御成婚ということに対して、皇室を初め関係者その他においても同じく考えておられることが私どもよくわかるのでございます。それだけに私は、こういう明るい日本の皇室を、再び昔のような菊のカーテンの中に追い込んでしまう、雲の上に押し上げてしまうというような形にならないように、これから天皇側近の皆さん方において特に留意をしていただきたい、そういう感じをいたしております。また正田美智子さんは民間人として宮中に入られるわけでございますから、それだけにいろいろと因襲のあるところにお入りになるので、心配もおありだろうと思います。国民もひとしくそのことを心配しております。普通の家庭でも家風の違うところに参りますと心配でございますが、それ以上の心配を国民がひとしく持っておる。この御成婚がうまくいかないようなことでもあったならば、その責任は一体どこに出てくるだろう。私ども国民のひとしく願うところは、この御成婚がやはりともにしらがの生えるまで、ほんとうに偕老同穴のりっぱな御生涯を送られますように、これを願っております。しかし宮中はなかなかむずかしいしきたりもあるそうで、先ほどお話のありましたように、肉親の方にも会いに行けないというような、あるいはおいでにならなかったというようなことがあるというようなことを聞くだけでも、胸のふさがるような思いがいたします。そういう点から人間美智子さんが人間としての生活を、これからの生涯を宮中において平穏無事にお過ごしになれるように、皆様方、特に御配慮を願いたいという気がいたします。

 その次に私の申し上げたいことは、従来とは異なって民主主義の教育を受けた天皇の時代がくる。今までのような帝王学を身につけられた天皇ではなくして、民主主義を身につけて、ほんとうに人間天皇として初めから教育された方が天皇の地位につかれ、国民統合の象徴としておふるまいになるという、今までと違った新しいケースができていく。その意味におきまして、決して帝王学が天皇に必要なのでなくして、良心至上主義に徹した、りっぱな人間としての天皇をお作りになっていくということこそ私どもは願いたいのでございまして、天皇が特別の教育を受けて、人間とかけ離れた者になっていかなければならないというお考えを持っておられるような発言に対しては、私どもはどうしても賛同いたしかねる。今の小泉さんがやっておられるような教育の仕方をこそ、私ども国民の大多数の者が、ほとんど全国民と言っていい、すべての人々がそういうことを願っているのではないか。今の皇太子に対して私ども日本民族が希望をかけ、期待をかげておるゆえんのものは、りっぱな人間としてすくすくと成長しておる純真な人である――そう頭脳明晰だというような感じをみんな持っておりません。そうでないが、人間としては実にりっぱな皇太子が、この次には天皇になられるのだというところに、日本民族の希望があるのだ、そういうふうに声なき国民の声というものを私ども感ずるものでございます。それだけに曲げられた教育をされていくというようなことはなるべくチェックしていただいて、今のようなりっぱな民主主義の教育を身につけられた天皇ができていかれることをお願いいたしたいと思っております。今まで明治憲法のもとにおきましては、確かに天皇は最終の決定権者でございました。それだけに私どもは最終の決定権者である天皇に対しましては、ほんとうに人間としての能力の最善なるものを要求しなければならなかったと思います。ある意味におきましては、明治天皇は確かに人間としても私らが考えられる能力の面から見ましても、最上級のお方であらせられたと思います。しかしそれに続く大正、昭和におきましては、明治天皇に求めた最上級のものを求めることは不可能であったと思います。明治憲法のようなほんとうの天皇制のもとにおきましては、天皇の人間としての能力が問題になっておったと思います。しかしながら新憲法におきましては、天皇はもうすでに最終の決定権者ではありません。その意味におきまして私は天皇が最終の決定権者でないそういう事態に即して、天皇が生物学をおやりになろうと、歴史学をおやりになろうと、それは天皇の自由であり、天皇もその意味において人間として十分にお好きな道をお進みになってけっこうだと思います。しかしながら私どもは天皇が国の象徴であるという点から見まして、皇室の天皇はいつもりっぱな状態であるようにおしつけを願いたいと思うのでございます。その意味からいきますと、先ほど受田委員からもお話がございましたが、現天皇におかせられては少しく身体的障害というようなものもこのごろはおありになるのではないかという懸念を私どもは感ずるのでございます。たとえば最近にございました開会式当日の天皇の御様子を見ましても、顔色はなはだすぐれられない、あるいは御歩行においてもまだ五十何才のお方にしてはしっかりされていない、言語もあまりきちっとされていないというような点から見ますと、あるいは天皇御自身に身体的障害というようなものでもおありになるのではないかという懸念さえ持つものでございます。かりにもしそういう事態でもございますものならば、皇室典範にも憲法にも規定されております摂政を置かれるということを、当然に宮内庁あるいは側近において何らかの形でお考えを願うことが出てくるのではないかという感じがいたします。そういう意味で今は一つの段階に来ておる。先ほど天皇退位のお話もございましたが、退位はいろいろの面でもし実現できないといたしましても、摂政を置かれるということは、憲法においても皇室典範においても定められておることでございますから、その限度においてこの際皇太子の御成婚を一つの機会にして、摂政を置かれるということについて何らかお考え合せになったようなことがございますかどうか、そういう点について伺いたいと思います。


○宇佐美説明員 皇太子殿下の明るい御結婚について、こういった気持を発展して明るい皇室、明るい国ということにつきましては、先ほど申し上げました通り私どもが今日がスタートで、この気持がほんとうに実りますように努めるべきものであると考えております。明治時代と現在におきましては、天皇の地位も変って参り、明治、大正、昭和と比較いたしまして、そのときの国家の情勢、社会の情勢、そういった諸制度、あるいはおそれ多いことでございますが、各天皇の御人格またそれぞれ御特徴があることと思います。常に同じ方ということはあり得ないわけでございます。日本将来のためにこの新しい感じ、国民とともに進まれるというお気持を大いに今後発展すべきであるということにつきましては、私どもそういうことで努めて参りたいと思います。ただお述べになりました陛下の御健康につきましては、最近数年間おかぜもおひきになったことございません。何ら御支障ございません。従ってただいまお述べになりましたようなことは夢にも考えたことはございません。


○柏委員 健康の点につきましては、おそばにおられる皆さん方の方がいつもごらんになっておられるので、かえってお気づきにならないのではないかというようなことさえ私どもは考えます。私どもはほんとうにときたま天皇にお目にかかるわけでございますが、ときたまのものであるがゆえになお、過去数年来の健康がお悪いのじゃないかという懸念を持つものでございます。そういう点は民間でございますればすぐ、顔色が悪いよ、人間ドックにお入りなさいということが言えるのでございますが、そういう精密検査というようなことをおやりになったことがございますか。


○宇佐美説明員 両陛下初め皇太子様、皆様方の御健康につきましては侍医が数名おりまして、常に拝診をいたしております。一切御心配ないことと存じます。


○柏委員 それではその点は私ども安心いたしますが、次に憲法改正の問題と天皇制との関連につきまして、現在憲法調査会においては第三委員会か何かでもって、すでにこういう問題は取り上げられていると思っております。こういう現在の流れの中におきましては、天皇制が憲法改正の問題の中に取り上げられるときに、昔の天皇制に返していくというような力が非常に多く動いております。民主主義政治への反動の形として、憲法改正と天皇制の問題とが結びついております。そういう状態ではございますが、しかしながら私どもが皇室の永遠の安泰という点を考えますと、現在皇太子御成婚において見られるような、すなわち皇室が今までの菊のカーテンをはずして、国民と一緒に溶け込んでいくというような姿、また先ほどお話のございました三笠宮の紀元節反対の態度と申しますか、お話というものが、かえって国民には皇室を身近なものとして感じさしていく。ある一部の人は、皇族の身分でそういうことを言うのはけしからぬというように言われるかもしれませんが、国民の大多数は、そうじゃない、なかなか三笠宮様は公平にものをお考えになっておる、皇室をして誤まらしめないようなものの考え方を持っておられるのだというように感じておるのじゃないかと私どもは考えるものでございます。そういうように、いろいろな意味合いから見まして、皇室が菊のカーテンをみずからおはずしになって、国民に溶け込もうという状態にありますだけに、この憲法改正の問題の中に天皇制が昔の姿になって返っていくというようなことは、かえってひいきの引き倒しになっていくのではないかということを私どもはおそれます。そういう意味で、宮内庁としては、こういうことに対して積極的に、天皇制をどういうようにするのか、あるいはまた将来においてもっと違う形に変えていこうとするのか、また皇室会議のようなものにそういう問題をかけて考えてみるというようなことがありますものかどうか、そういう点についてお話を承おりたいと思います。


○宇佐美説明員 憲法改正と皇室というものとの関係についてのお尋ねでございますが、現に政府では憲法調査会を設置せられまして調査の途中でございます。それはわが国としてきわめて大きな、全国民が関心を持つ政治的な問題でございまして、特に皇室のお世話をいたしております宮内庁といたしまして、そういう問題についてただいま意見を申し上げることは適当ではないと私どもは考えております。ただ歴史というものは昔のままには返らぬ、そのままには返らぬということを私はいつも考えております。


○柏委員 では最後に、実は私は昨日あるところから印刷物を届けられたのですが、その中に非常に不敬なことが書いてありますので、ちょっとそれを御披露します。その中には、粉屋の娘が殿下と呼ばれるようになり、さらに陛下というように敬われるということ自体からして、皇室の尊厳がなくなる、国民の尊崇というものが薄くなるのではないか、天皇制がそういう点から廃止されるのではないかというようなことを書いた印刷物を受け取りましたが、そういう点を考えますと、私どもは全く反対の考えを持っておるものでございます。これらは明らかに国粋主義の――昔国粋主義というのがございましたが、そういう国粋主義というか、あるいは右翼的といいますか、そういう非常に偏向したところではそういう考え方を持っておるということが考えられるのでございます。そういうことは、天皇を神格化しようという考えがあればこそ、今のような言葉が出るのでございまして、こういう考え方は、伊勢神宮を特殊化していこうとか、あるいは二月十一日の紀元節の復活をしようとかいうようなことに対する一連の連なりのある考え方であるといわざるを得ないと思っております。こういうことは、一つの皇室への忠誠のように見受けられるのでございますが、ほんとうはただひいきの引き倒しになっていく。皇室の永遠の安泰のためには、皇太子妃の選定に見られますような民主的な皇太子の考え方の方向が、私は実に大事な方向ではないかと考えます。そういう意味におきまして、宮内庁におきましても歴史の進み方に歯車を合せて、新しい社会制度がどういうように変革をいたしましても、永遠に日本民族とともに繁栄していける皇室制度を確立する。単なる目の前に見えるものだけでなくして、永遠に日本民族とともに生きていく皇室制度というものについて深くお考えを願って、国民の上に特殊な存在として作っていくという考え方よりも、もっと国民の中に溶け込んで、日本民族のほんとうの象徴として伸びていくというように一つお考え願い、新しい皇室制度もお考えいただくようにお願いいたしまして、この質問を終りたいと思います。


○内海委員長 次に菊池義郎君。


○菊池委員 宮内庁長官にお尋ねいたしますが、この皇太子殿下の御成婚につきまして諸説ふんぷんとして、国民はいろいろの誤解を抱いておるのでございます。私は、皇太子が平民の娘をそのきさきとして選ばれたことを非常に喜んでおります。平民であろうが新平民であろうが、粉屋の娘であろうが何であろうが差しつかえないと私は考えておるのであります。こういう点において、私は欣快にたえないと考えておりますが、その婚約の過程においていろいろの謀略、策略が行われておるということが、最近の週刊雑誌やその他の刷りものにおいて世間に流布され、これによって国民が非常な疑惑を抱いて、国民の頭は割り切れないような感じになっておるのであります。この際それが事実であるかいなかを長官から明確に発表されて、そうして流説の真偽を明らかにして下さるならば、国民は晴れやかな気持になり得ると思うのであります。私はもう時間がございませんので、端的にせんじ詰めて要点々々だけ申し上げますから、長官も簡単にお答えを願いたい。

 まず第一にお伺いしたいのは、この婚約の前に、美智子嬢は二十五人の見合いをしておられた。そして最後に波多野という青年と婚約、これを破棄して皇太子の方に振りかえたというようなことが流布されております。週刊雑誌に出ておりますが、これは事実でありましょうかどうか。


○宇佐美説明員 非常にりっぱな方で、従前にもいろいろ結婚のお申し込みがあったように伺いますけれども、お尋ねのようなことは全く聞いたこともございません。


○菊池委員 片一方にそういう婚約がありながら、これを破棄して婚約をするということは、世俗、人情に反し、道義をじゅうりんし、将来の国民の象徴たるべき人を作り上げるにはふさわしいことではないと思うのでございます。そういう婚約者があるかどうか、その点をお伺いいたしたい。波多野という青年です。


○宇佐美説明員 全くないものと考えます。


○菊池委員 もう一つ重大なことは、この婚約を運ばれた方々、運動に当られた方々が全部カトリック教徒である。前の田島長官もカトリック教徒であり、それから宇佐美長官もカトリック教徒であり、小泉信三氏もカトリック教徒であり、それからしゅうとになられる正田英三郎氏もカトリック教徒である。それから最高裁判所長官の田中耕太郎氏もカトリック教徒である。カトリック教徒の一連のからくりによってこの婚約が運ばれたという説が流布されておるが、これはいかがであるか、承わりたい。


○宇佐美説明員 関係なさった方々がどういう宗教であるかということは、私調べたことはございませんので、責任を持ってお答えいたしかねますが、私がカトリック教徒であるなどということはとんでもない間違いであります。ただ出身せられた聖心学院というのはカトリック系の学校でありますが、御本人は洗礼を受けておられない。あるいはカトリックが将来皇室に対して何らか影響を持たないかという心配をせられた方々が世上あるということは聞いたことがございます。しかし、もちろん美智子さんは洗礼を受けておられませんし、学校当局においても非常に慎重な態度をとっておられまして、この問題に対しては何ら御心配はないと考えるのでございます。従って、過去においてこの問題についてカトリック系の陰謀があったなどということは全然根拠がございません。


○菊池委員 もう一つ、この御結婚の話について、天皇皇后両陛下を初め皇族の方々がみな反対されたという説が流布されております。皇室会議が終りまして、その報告を宇佐美長官から天皇陛下に申し上げると、天皇陛下は怒られたお顔で、ふんまんやる方ないお顔で一言も発せられなかったというようなことも流布されておりますが、これはいかがでありますか。


○宇佐美説明員 今回の御結婚につきまして、御両親陛下であります両陛下その他皆様の御反対があって、進め得られるものではございません。ましてやただいま申されたようなデマは、取るに足らぬものと私は思います。


○菊池委員 さらに、皇室会議が開かれたのは十一月二十七日でございますが、その前十一月二十四日に、宮内庁は公電をもって館林に通知しております。こういうことは、皇室会議を無視し、皇室典範を無視し、国民を愚弄するもはなはだしき行動であるといわれても弁解の余地はないと思うのでありますが、この点はいかがでありましょう。


○宇佐美説明員 皇室会議の前に館林に電報を打ったなどということは、思いもよらぬことであります。ましてや館林に宮内庁がどうして電報を打つか、了解に苦しむところであります。


○菊池委員 別の問題に移りますが、東宮御所の造営であります。われわれは、赤坂離宮がありますので、国会図書館がドイツ大使館の跡に建ちますと、そこへ国会図書館を移して、東宮殿下が移られるものと考えておりました。ところが、もうその国会図書館の引っ越しまでそう長くもないのに東宮御所を建てるということは、費用は少いといたしましても、国民に与える影響がいかにもおもしろくないと思うのであります。それで、こういうことについては長官から天皇陛下にも進言し、東宮御所の造営は見合せて、御所ができてから赤坂離宮に引っ越されてはどうかというくらいのことはおっしゃられてもよかったのじゃないかと思いますが、この点はいかがでございますか。


○宇佐美説明員 御質問の趣旨は、皇居の建設と皇太子殿下の御所の関係でございますか。赤坂離宮でございますか。


○菊池委員 東宮御所です。


○宇佐美説明員 赤坂離宮が国会図書館に移管されまして、今国会図書館の所管になっておるわけでございます。それがあるのに東宮御所を作るのはおかしいじゃないかという御質問のように伺いましたが……


○菊池委員 引っ越しまでしんぼうせられてはどうかということです。


○宇佐美説明員 国会図書館がいつ新しいところに移られて、あとどうなるかということはまだきまっておらないことでございます。しかも一方皇太子様の御殿というのは、お一人でも非常に狭いのでありまして、御結婚を控えましてどうしても早く建設しなければならないという事情に迫られてお願いいたしたわけであります。あるいは世上説をなしで、皇居ができないのに東宮様の御所を作るのは早いのじゃないかという説を聞いたこともございますけれども、しかし実際の必要に迫られていたしたことでございます。御了承をいただきたいと思いますし、もう一つは、今国会図書館の入っております赤坂元離宮は、住居としてはとうてい使いにくいところでございます。これだけは申し上げておきたいと思います。


○菊池委員 そうすると、赤坂離宮ががらあき状態になったときには何に使うのですか。


○宇佐美説明員 現在国会図書館の所管でございまして、その後につきましてはどう措置されるか、まだはっきり決定はいたしておりません。しかしながらあれを国会図書館に移管いたしましたときに、皇室経済会議にかけておるわけでございますが、そのときの議事録を見ますると、希望としては、国会図書館が不要になりましたときは皇室の用に供するようにしてもらいたいという希望は出ておる。しかしそのあとのことはまだはっきりきまっておるわけではございません。


○菊池委員 そうしますと、東宮御所を今度新築するということは、要するに結婚のためにというだけでございますか。


○宇佐美説明員 現在お一人だけで外交団にお会いになりますとか、そのことでも困っております。また御結婚になりますればいよいよそれが激しくなるわけでございます。そういう全般的の考慮からいたしたわけでございます。


○菊池委員 国民の中には、家なくして困っております数百万の同胞がありますし、また失業者も三百万もあるということですが、そのくらいなら皇居を利用することもできようし、今の仮御所を利用することもできましょうし、どうにでもできると思いますが、皇室に限ってはそういう融通がきかぬものでございましょうか。


○宇佐美説明員 皇居の中の諸建物もきわめて狭隘でございます。またそういうわけで彼此融通すると申しましても簡単でございません。お述べになりましたように、国民の生活を重視しますならば、いろいろ問題もございましょう。しかし私どもといたしましては、昨年来国会の慎重な御審議を経て予算をいただいておるわけでございます。


○菊池委員 間組から七千万円の工事を一万円で受けると好意的に言ってきた。ああいう話は喜んで受くべきではないかと思いますが、いかがでございましょうか。向うはせっかく寄付しようと言っておるのに……。


○宇佐美説明員 東宮御所の建設につきまして、御審議になりました通りに、宮内庁の予算に上って、それを建設省に全部委託してございます。建設省が入札その他を進めておられることでございます。この間の問題につきましては、そういう申し出をせられた方の純粋なお気持をわれわれはもちろん疑いたくはございません。そういう意味で申すわけではございませんが、そういった全国民の上に立っておられる皇太子様、皇族、皇室の方々としては、一人の方の恩恵を多く受けるということはできない。これは憲法のいろいろな条章から見てもはっきり出ていることだと思います。


○菊池委員 最近皇居の移転論が盛んに行われて、読売新聞あたりで取り上げて議論まで起しておりますが、私は欧州あたりの宮城を見て、日本の皇居は世界の名城であると考えております。イタリアのローマ城、シナの北京城、エジプトのカイロ城を見ましたが、外観の美において日本の宮城に及ぶものはない。あそこから皇居を取りのけたら、世界の使臣は楽しみに来るのでありますから、彼らは失望するだろうと思います。宮城の上空の空気が悪いとかなんとか言っておりますが、それなら下町のあんな空気の悪いところに住んでおる何百万の住民は、死んでもいいのかということになるのであります。長官はこの皇居移転論についてどうお考えになりますか。また陛下はこれについてどういうお考えを持っておられますか。それを伺いたい。


○宇佐美説明員 皇居は戦災によって焼失いたしまして、その後事務所の一部を使って今日に至られたわけであります。講和条約ができましてから諸外国からの使臣もふえますし、国賓その他来訪者も非常に多く、国の力の充実とともにそういった行事も非常に多くなっております。前から国民の中におきましても、早く皇居を作るべきではないかということが盛んにわれわれの耳にも入って来るわけでございます。しかし陛下の従前までのお気持と申しますのは、戦後の国民の生活上の困苦をしのばれまして、常に先憂後楽というお気持から、今までこういう問題について触れることを私どもにはお許しにならなかったのが事実でございます。しかしいずれかはこれは建てなければならないという問題が起って参るわけでございます。われわれとしてもいろいろ調査をいたしておったわけであります。しかしその過程におきまして、皇居の位置その他についていろいろな意見が昔からございます。最近起ったわけではございません。新しく皇居を作るといたしますれば、その位置とかあるいは今までしばしば熱烈に出ております、国民が献金をしたいという各地における希望、その他建築のやり方につきましてもずいぶんいろいろな意見を申されます。ほんとうに全国民の皇居として考えるということにおきましては、単に宮内庁だけで事務的に結論をつけてしまうということは適当でないということで、今回皇居造営審議会を作り、広く御意見も聞いて、その上で慎重に進めたいというふうに考えておるのであります。ただ私どもはこの問題を解決するについては、宮殿あるいはお住居、あるいはまた陛下の御日常の模様でありますとか、世間でいわれます各種の条件を考え、しかも単に理想論でなくて、日本の経済にも合う点を考えなければならないというふうに考えております。私どもは今の皇居は一つも手をつけてはいけないというような考えはもちろん持っておりません。そういった意味におきまして、これは将来のために慎重に考えなければならない問題でありまして、単純な開放論という問題については、私は直ちに賛成いたしかねる次第でございます。


○菊池委員 つまり開放ということは、あの宮城から皇居を移転することでございますが、あの宮城から皇居を別のところに移転するということについて、長官はどうお考えになりますか。これをお伺いしているのです。現在の宮城内に皇居を置いた方がいいとお考えになりますか。ほかのどこかに移転した方がいいとお考えになりますか。陛下はこれについてどういうお考えを持っておられますか。その点をお伺いしたいと思います。


○宇佐美説明員 私どもの今までの事務的な調査では、諸種の条件から見て宮城内に作るということでいろいろな資料を集めつつございます。しかし今お尋ねのありました陛下がどうお考えになっているかは、審議会を作ろうという前に申し上げる時期でないというふうに私は考えております。


○菊池委員 結婚式に招待する外国の使臣の席順はどういうふうになるのですか。


○宇佐美説明員 今回の御結婚式において、多少他国の例もございますが、特派使節というものは前例によって受けないということでございます。ただ外交使節、外国使臣というものは、おそらく祝宴にお招きがあるだろうと思います。その席順ということでございますが、これはおのずから国際慣例によって、外務省とよく打ち合せたものがございます。おそらくそれによることだと思います。


○菊池委員 英国のエリザベス女王の戴冠式に皇太子が行かれたときに、その座席が実に右を見ても左を見ても黒人種ばかりであった。それで皇太子は憤慨されたということであった。今度の結婚式においては、英国の大使だけは黒人種の中にまぜてすわらせてもらいたいと思います。その点どうでしょうか。


○宇佐美説明員 皇太子様が戴冠式においでになって、そういう御感想を漏らされたということは、私は聞いたことはございません。席順はおのずから国際慣例があるので、今のようなまぜるということは、どうも解しかねることだと思います。


○菊池委員 それから結婚式が昔ながらの衣冠束帯、これはどうも南方の風俗のようで、世界各国に何となく日本が野蛮国のような印象を与えやすいと思うのであります。衣冠束帯というものはやめにして、最近の流行の洋風で一切がっさいやってしまったらどんなものですか。


○宇佐美説明員 過去の歴史に基かないで、新しくここでものを考えるとなれば、あるいはその場所柄も考えていろいろな案も立とうと思います。やはり皇室は一つの伝統に立っておられる、こういった大きなおめでたい儀式、結婚式場の場所柄を考えましても、やはりこれに合った服装をなさるべきだと思います。祝宴その他のときの服装は、これはまだはっきり決定いたしておりませんけれども、殿下が洋装をなさるか、あるいは妃殿下になられる方が和服になさるか、そういう点は今慎重に考えつつございます。


○菊池委員 別のことでございますが、皇太子殿下にしても陛下にしても、政治、経済学をさっぱり研究せられないで、生物学ばかり研究しておられるのでございますが、これからは皇太子にも政治、経済の学問を熱心にさせ、国際情勢も勉強させなければならぬというように私は考えておるのです。生物学の研究ばかりではどうも心配だと思う。日本が第二次大戦に突入したのも、天皇陛下が国際情勢を知らないで生物学ばかり研究して、カエルの目玉やホタルのしりばかりいじっておられた結果、とうとう軍部に押し切られて、ああいう悲惨な目に日本を陥れたのでございますが、これを考えるにつきましても、やはり天皇というものには政治経済学をしっかりやっていただかなければならぬと思うのでありますが、そういう点は長官はどうお考えになりますか。


○宇佐美説明員 ただいまの御発言は私どもはきわめて意外で、私どもはそういう認識は全然持っておりません。特に陛下や皇太子様が生物学ばかりというようなことは、全く根拠のないことでございます。現に外交問題については、毎週のように外務省の専門家に聞いておられます。経済問題についても、時々その道の人を呼んで聞いておられますし、皇太子様も御勉強になっておられます。皇太子様も今後だんだん学校を出られまして、そういう政治、社会、あらゆる問題についての御認識を深めていただく方針のもとに現に進めつつございます。御安心をいただきたいと思います。


○菊池委員 それから天皇という名称でございますが、外国語に訳しようがないそうですね。ヘブン・エンペラーというような訳はない。天皇という実に古めかしい、いかにも新興宗教のような名前で、われわれは聞き苦しいのでありますが、何とかこれを改めて――日露戦争当時には、宣戦の詔勅にも、大日本帝国皇帝となっていました。皇帝とか大帝というように現代語に改めてはどうかと思いますが、そういうことについて長官に何か構想はございませんか。


○宇佐美説明員 天皇ということにつきましての御発言でありますが、長い歴史と、現代の憲法、日本国民の大多数の感情から、そういうことは、私はないものと考えておるのでございます。


○菊池委員 さらに宮内庁の機構でありますが、一万人から現在は千人近くに減らされている。けれども、世界の宮廷を見ましても、千人もの吏員を擁している宮廷はどこにもない。日本がこういう貧弱な国家でもって、千人近くの吏員を擁しておるということは、いかにも不均衡であると思うのでありますが、これを敗戦の今日において、また陛下も今までの大権を失われた今日におきましては、そうたくさんの吏員は必要はないと思う。これは二分の一でも、あるいは五分の一でも私は間に合うのではないかと思いますが、これを大々的に削減して、三分の一ぐらいに減らす、そういったお考えはございませんでしょうか。


○宇佐美説明員 宮内庁の陣容につきましては、今仰せになりましたが、終戦当時においては約六千二百名でございました。現在千人以下でございます。もっとも六千といううちには、農林省に移管いたしました帝室林野局、それからただいまの国立博物館、学習院等、仕事とともに移ったものを除きましても、当時の三分の一でございます。終戦後十回以上にわたって徹底的に一人々々の仕事の内容を見て、減らしてきたわけであります。しかもわれわれといたしましては、中の配置転換につきましても、急不急を見ながら極力増員を避けていたしておるわけであります。われわれとしまして、終戦後とあまり変らないいろいろの諸施設を擁して、三分の一以下の人で全力をあげてやっておる状況でございます。外国との比較もございましたが、イギリスの王室等につきまして、幾ら向うへ行って調べてもなかなか実はわからない。しかし最近統計年鑑等を見ましても、課長ぐらいの幹部だけでも四百人、その下は幾らいるかわからないのであります。そういうようなことで、数というのは全国に散っている御陵七百八十カ所の管理まで含んでのことであります。私どもは現在の状況が多過ぎるということは現在考えておりません。しかし将来事務の必要によって――たとえば外国関係が非常にふえつつございますけれども、増員もいたしておりません。それは中のやり繰りをしてやっておるような実情でございます。


○菊池委員 千人ということは外務省とほぼ匹敵しているのでありますが、外務省にほぼ匹敵するぐらいの人員を擁するということは、今の宮内庁としてはあまりにも多過ぎると考える。この点一つ御工夫を願いまして、私の質問は終ります。


○内海委員長 高橋禎一君。


○高橋(禎)委員 もう時間もだいぶおそいようですし、あともう一人いらっしゃいますから、簡単に今日の委員会で出ました問題に関連して、長官に二、三お伺いをいたしておきたいと思います。

 私は宮内庁に対して非常な理解者といいますか、同情者といいますか、そのお立場を理解して、ほんとうにお気の毒だ、かような感情がわいてくるのであります。と申しますのは、昭和二十年、敗戦後占領政治の時代、これは日本の天皇制に対するいわば革命期といいますか、国民の天皇制に対する考え方が非常に動揺をした時代であります。ところが独立いたしました今日においても、一部には天皇制を否認するような考え方の人もありましょう。それからまた一部には、今の憲法の表現しておる天皇が日本国の象徴である、日本国民統合の象徴であるという、そういう言葉をもってしたのでは、まだいわゆる天皇制に対しての表現としては不徹底であるといったような考え方の人もありますでしょうし、天皇制についての考え方はいろいろあるわけであります。その間にあって、憲法は天皇制を認めているわけでありますから、天皇制を擁護し、憲法を守っていこうということに非常に関係の深いお仕事をしておられる宮内庁としては、なかなか仕事のやりにくい面があると思うのであります。しかしそのむずかしいことは、国民大多数は承知しているわけでありますから、憲法その他の法制の精神に従って、強い信念を持って私はお仕事をやっていただきたいと思うのであります。

 そこで、それに関連いたしましてお尋ねをいたしますが、天皇、摂政については、憲法に憲法擁護の義務を明らかに規定をしているのであります。御承知の通り第九十九条に、「天皇又は摂政」云々は、「この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」こういうように規定しておりますから、私は天皇御自身は、天皇制を擁護していこうということに対しての国家的な大きな責任をやはりお持ちになっておるように思われるのであります。ところが一般の皇族の方は、一体どういうふうな御関係にあられるか。お尋ねいたしますのは、国民全体が憲法を尊重し、憲法の認めている天皇制を守らなければならない責任があると思いますが、皇族の方々は、いわゆる普通国民と同じような意味においてであるか、あるいはまた天皇と格別御関係の深い方々であるから、天皇に準じての立場において天皇制を擁護していく責任をお持ちになっているのであるかどうか、その点についてのお考えがありましたらお聞かせ願いたいと思います。


○宇佐美説明員 皇族のお立場の御質問でございますが、現在の皇室典範におきまして皇位継承権の義務をになう方、皇室として法律的にも、その経済的な面においても、いろいろな規定があるわけであります。それはあくまで皇位継承権者としての責務であろうと思います。それだけに国家的な配慮がなされておる。従ってそういうお立場でございますから、よけい中立な立場におられて、それぞれの立場においで国のためにお尽しになるということであろうと思います。昔の規定によりますと、天皇は皇族を監督するというような規定もございました。今はございません。またその経済の立て方の問題、あるいはそこに勤めます職員の問題にいたしましても、あの規定のできましたのがまだ占領下の時代でございまして、占領軍の方のいろいろな意向も相当多く入ってきたのではないかと想像されます。今から見ますと、いろいろ実情に合わないような点もあろうかと思いますが、そういう点のはなはだしいところは多少訂正を国会でお願いしたこともございます。そういうような意味で、皇族という方が、やはり天皇の御一族と申しますか、そういうお立場から今申し上げましたようなふうに、りっぱな行動をしていただくようにわれわれは念願をするわけでございます。


○高橋(禎)委員 今長官のお話のありましたように、やはり皇族は一般国民とは異なった立場において、天皇制を擁護していくという責任があると私は思っておるのであります。そういうことになりますと、その責任を果されるために、やはり教育の問題も起ってくると思うのであります。学校教育、それから世間でいうその他の社会教育と言ってはちょっと表現が正しくないかもしれませんが、学校教育以外の教育によって、その線に沿ってほんとうにその職責を果されるようなことが必要であると思うのでありますが、皇族の方の教育に関して、宮内庁ではどういうふうな配慮がなされておるか、また制度上どうなっておるか、それについてお尋ねいたしたいと思います。


○宇佐美説明員 皇族と申し上げましても、陛下の御膝下にあらせられます未成年であられる方は、清宮様だけであります。そのほかの方はすでに成年に達しまして、学校を出て、それぞれ研修を積んでおられるわけであります。そのほか秩父、高松、三笠宮関係は、すでに相当のお年でございまして、一家をなされておりますので、特に私どもは教育というような面について何らいたしておりません。ただ三笠宮様のお子様が御五方おられますが、これは御両親が慈愛の目でもって教育なさっております。まだお小さいのでございまして、宮内庁としてはただいまのところ特に御方針なり、いろいろなことについて申し上げたこともございません。その御家庭において今御教育をお進めになっておるわけであります。まだ上の方が中学でいらっしゃる程度でございます。


○高橋(禎)委員 天皇それから皇族の点については今のお答えによりましてわかりましたが、今度は皇族でない、いわゆる御親族の方々については、これはもう一般の国民と同じであるか、あるいはまた先ほど来お話のあったような立場にあられる方々の親族であるという立場で、宮内庁としては、いわゆる皇室を守り、そして日本の天皇制、すなわちそれは憲法ということになりますが、守っていくために格別の配慮がなされておるか、あるいはそうでないか、その点いかがですか。


○宇佐美説明員 ただいま仰せの通りに、皇族でおられて御結婚等によってすでに皇族の籍を離れられておる、あるいは新憲法と同時に皇族籍を離れられた各宮家、あるいはその他の御親族の関係は、今お話のございます通りに、これは一国民としてのお立場でございまして、宮内庁でとやかく干渉すべきではございません。ただわれわれ皇室の私的な面についてのお手伝いをいたしておりますから、何か御連絡でありますとか、何かの御希望等がございますれば、お世話するときもございますが、これはあくまで役所の仕事ではありません。


○高橋(禎)委員 天皇及び皇族の方々が、先ほど来話に出ました人間としての幸福な生活を送っていただくように、国民は一人残らず念願しているわけであります。さらにその上に憲法上りっぱな立場にあられるのでございまして、またそれが確立擁護されていくということを、国民の大多数が念願しているわけでありますから、国民のその気持を尊重し、それを失望さすといったようなことのないように、私どもは現在のごとく将来もあっていただきたいということを念願しているわけでありまして、やはりそれには教育という問題が非常に関係があると思いますので、それらについても特段の御配慮が願いたい。また法制上必要なものについては、やはりその制度を確立する必要もあると思いますので、それらについてお考えがあれば伺いたいと存じます。

 次に、今度は物的設備の問題であります。皇居運営に関しての審議会設置法が提案されているわけでありますが、私どもりっぱな皇居の造営されることを希望する者の一人でありますが、ただこの場合に考えなければならぬと思いますことは、私、外国をちょっと回ってみましたところから受けた印象、あるいは日本の歴史及び現在残存している有名建築等を見まして、りっぱな建物というものが何かそこにやはり人間に対して大きな影響を与え、意味を持っているということを痛感しているわけであります。従ってやはり日本の国の象徴としての天皇のお住居なり、または憲法上認められておるお仕事をなさる関係、それからさらに国際的な影響というようなことを思いますときに、私は日本的な、そして非常にりっぱなものを造営されることが必要だ、いたずらに外国式のまねをしただけの建物で、バラックのような印象を与える。とても外国のまねをしましても、外国の宮殿のような大きなものを作るということはなかなか容易でない。それにまねをして洋間を作っても、それがまた貧弱であるということではいかぬので、やはり天皇制はその制度そのものが日本のいい伝統といいますか、国民の気持の現われでありますから、天皇がお住まいになりあるいはお仕事をなさる場所というものも、やはりそういう考えをくんでやられる必要がある。もちろんこういうことについては審議会等において十分検討されることであると思いますけれども、それらについての資料、お考えというようなものを、十分国会あるいは審議会等に出していただくようにされることがいいと私は考えておるのでありますが、それらについてはどういうふうなお考えでしょうか。


○宇佐美説明員 将来建設さるべき皇居の様式等についての御発言でございますが、私どももいたずらにヨーロッパのまねをする必要はないのじゃないか、私参ったのではございませんが、宮内庁から調査いたしました報告を見ましても、非常に歴史的なものが多いのでございまして、とうていそれをそのまままねることができないのは当然でございますし、日本で建てます以上は、日本の建築の技術と日本的な現代の建築最高の技術を合せて取り入れてやるべきだろう。もちろん様式等は周囲の風光その他にもよることでございますし、なお大ぜいの方が入られることでありますから、利用の面からも十分考えなければならぬ。またこれは何事でもそうでございますが、やはり質素にやってはどうかということ、いや豪華でやれという説もありましょうが、しかし宮殿と申しますか、皇居としてふさわしいものでなければならないと私は思っております。また昭和のほんとうにいい建築だといわれるような工夫をしなければならないというふうに思っております。


○高橋(禎)委員 では最後に同じようなことになりますけれども、希望を述べておきます。こういう問題については、いろいろの意見が出ますが、ただそのときに出た雑然とした思いつき等に押し流されるというのではなくて、憲法の認めておる天皇制を守るために、私はやはり皇居というものの規模その他が非常に影響すると思うのでありまして、人の問題、物的設備の問題等を十分総合的に考えて、大いに天皇制を守っていこう、憲法を守っていこう、そういう考えで一つ進めていただきたいということを特にお願いをいたして、私の質問を終ります。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005a.html



▲△▽▼

平井義一 (政治家、没年不明) - Wikipedia

平井 義一(ひらい ぎいち、1913年3月 - 没年不明)は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)。


経歴

東京都出身。明治大学法学部卒。東京地方専売局に勤務した後、計理士となり、麹町区議、東京市会議長秘書を歴任する。1947年の第23回衆議院議員総選挙で福岡4区から日本自由党公認で立候補して初当選。以来5期務める。

第4次吉田内閣で郵政政務次官に就任する。1955年の保守合同により自由民主党衆議院議員となる。

1960年の総選挙で落選。その後も複数回総選挙に出馬したが、いずれも及ばず、国政復帰はならなかった。

このほか横綱審議委員、日本プロレス協会長などを務めた。

1972年にはシングル「部隊長」(キングレコードに製造を委託した自主製作盤。品番:NCS-387)で歌手デビューもしている(B面は神田たかし「青年の歌」)。


参考文献
『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E7%BE%A9%E4%B8%80_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)



▲△▽▼


それにしても、正田家と美智子さんの うさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね。

これでも皇后擁護? やり放題になった乱脈皇室 2015-12-02
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12101934575.html


それにしても、美智子さんのうさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね。


こちらは↓数ヶ月前から保存していた資料なのですが、

第三十一回 国会衆議院 内閣委員会
昭和三十四年二月六日(金曜日)午前十時十九分開議
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005.pdf


言及するには「続日本記」まで解読、その他勉強と関連資料集めがたくさん必要で一日延ばししている内に、不定期更新になってしまいました。

絶句するような、大変なことも述べられています。

いつ、きちんと学び解析できるか分かりませんので、とりあえず第一級「資料」として皆さまにご提示します。この記録もこの所、ぼちぼち表に出始めていはいるようだし。

これに併せて、美智子さまが大左翼政党社会党に支持されての入内であったことを、ぜひご記憶ください。またカトリック団体からの応援があったことも。

こちらの国会記録を通読してまず思ったのが、皇室への敬意は昔のほうが強かったと一般に思い込まれていますが、戦前はともかく戦後の数年間は皇室への国民への視線は非常に厳しく現在より冷静であったようです。

そして、巧妙になし崩しにことは運ばれて、現在は皇室の権力が危険水域に達するまで強大になっています。天皇陛下による、内閣に無断のイミョンバク元大統領への親書による接触で友好・謝罪訪問願い、

日本最大の巡視艇を私用に改造してのパラオ行き決行(政府は反対)、皇太子による習近平夫人への接触、創価学会イベント参加、池田大作氏の息子との会食、皇后陛下による従軍慰安婦問題への関与、A級戦犯発言、九条の会加担、元GHQメンバー賛美・・・・他、政府と国民の意向は無視して天皇皇后の「私情」正確には皇后の意志優先で「やりたい放題」になっているのが現在の皇室です。

要するにOSS発GHQの描いた10年がかりのシナリオ通りにことは運び、間もなく日本解体皇室弱体化劇は、エンディングを迎えようとしています。OSS3年間、GHQ7年間をプラスして10年間をかけて練り上げた完璧に近いシナリオです。

そこに、秋篠宮殿下による、シナリオライター(OSS、GHQ)の予想外の
ドンデン結末が付け加えられるかどうかが、今後の皇室のひいては日本の新たな物語の幕開けになるか、亡びへの序章となるか、でしょう。

政治も含め今の流れのまま、事が進むなら日本は変質して、もはや日本という国は消滅してしまうでしょう。

OSSは日本の精神性瓦解、GHQは日本の軍事力解体と2本の柱はありますが両者の目的はむろん通底してそれぞれ存在していました。いえ、過去形ではなくOSS発GHQの埋め込んだ自己増殖を続けるウィルスは現在も作動中、その目的を今や果たしつつあります。

安倍総理による後三年間の政治の安泰と、秋篠宮殿下の表舞台への御登場を切に望む次第です。

(お断りしておきますが以前から弊ブログでは安倍総理100%の支持者ではないことは繰り返し表明、批判すべきはして来ています。ただ現実厳しき中、この現実を踏まえつつ、現時点では他にいない以上安倍総理を推すしかないと思っています)

「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」

これを弊ブログ主は手を変え品を変え、訴え続けてきたわけです。
自称保守が、凝り固まって見ようとしない点。
昔から「民を苦しむる」天皇はいたからこその、北畠親房卿の言葉です。

*北畠親房

北畠 親房(きたばたけ ちかふさ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の公卿。著書の『神皇正統記』で名高い。

昔は、宮中に自浄作用がありました。だから不適格の皇太子や天皇が排除され、現在まで皇統を繋いできたのです。

現代、自浄作用は廃絶されました。雅子さん入内により、小和田王朝自虐史観王国が外務省創価派により形作られ、しかし小和田王朝成立の背後には、正田美智子さん入内により始まった、OSS発GHQによる皇室壊しが始まり、民の気づかぬ内に皇室への批判は公にはいつしかご法度とされ、政治家もこの分野には口をつぐんで硬直するようになってしまいました。

第三十一回 国会衆議院 内閣委員会の記録を 読めば解るように、昔は実に発言が自由、批判も可能だったのです。
「不敬」の一言で発言を封じられる今が異常なのです。
思考停止保守というのは、まさしくGHQ勢力の思う壺、皇室を崇めているようで、実は貶め弱体化したい勢力の催眠術にむざむざかかっています。

「(皇太子の地位は)必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます」

これも現代日本人が知らないことの一つではないでしょうか。思えば長子相続に何らの意味はなく、有能なほう、海外にお出ましになられた時の風采も押し出しも含めて決められるべきでしょう。

秋篠宮への委譲を主張するものに対して「不敬」呼ばわりする思考停止層は、歴史を知らぬと言うべきでしょう。

うがてば、長子相続制度の設定はGHQ勢力の目論見であった可能性もあるかもしれません。
A級戦犯の絞首刑を今上(当時は少年としての皇太子)にぶつけ、お前もいうことを聞かねば吊るすぞと脅しをかけ、更にはバイニング夫人による洗脳と、当時の長子である皇太子を洗脳したわけですから、それをさしおいて弟君に即位されたりすると、計画が覆るので、長子と限定させたとも(可能性として)考えられます。

「先生、日本はもう、しまいましたね」
皇室尊崇の老婆がこう言った、と。見抜いていたと言わざるを得ません。その尊崇故に老婆には却って見えるものがあったということではないですか?

現代も同じこと「尊崇故に」物申すのです。批判無き輩は皇室を真剣には思っていません。

「もう皇室の尊厳というものは・・・・だんだんなくなって来る」

その通りになっていますね。「不敬」という言葉を錦の御旗に、口封じしてその結果、国民の尊崇を得られない皇室に成り果ててているわけです。たかが庶民の粉屋の娘が、女帝として今は宮内庁も天皇も従え、皇室の頂点に君臨していますが、その皇室は政府の意志すら無視して、ことを決行するようになっています。韓国大統領への友好願い親書、巡視艇の私的改造、使用他。

それらを糊塗するがごとき、被災地訪問。これは昭和になって始まったことであり、しかし被災地に必ずしも心を沿わせてのご訪問ではないことに、国民は気づき始めています。鬼怒川の氾濫がきっかけでした。
まだ混乱の最中に、護衛の車を連ね人々を引き連れて乗り込まれ、ただお辞儀するだけの、プロモーション映像制作のためのパーフォーマンス。

しかも皇后陛下は、朝鮮式挨拶であるコンスのポーズでのお辞儀です。

「今少し厳格な教育をされたらいかがですか」

これは当時の皇太子(今上陛下)のことで、当時の言動を拝すれば「よくぞ言ってくださった」と思われます。軽薄極まりなく、朝9時から勤務して夕方5時には終わり、後は家庭生活を大事にしたい、などと。だったら、皇籍離脱してご自身でお稼ぎ遊ばせ、と当然なりますね。学習院大学を落第したのに、特別措置で「学業終了」として卒業扱いにしてもらったお方の頭脳で、何を考えられるやら。


特権と富は手放さず、権利は庶民と同じ生活形態を望む・・・・・現在の皇太子の在り方そのままです。元凶は天皇陛下にあり、ひいては皇后陛下にあります。

そして1959年(昭和34年)の頃は、民が「もっとまともな教育を」と宮内庁に注文がつけられていたのです。それも国会の場で! 今なら考えられませんね。一切の批判を許さず、という偏頗な形に持って来られ、それは決して皇室の健全な存続に資することはありません。

批判すればよってたかって「不敬」の連呼。こと皇室問題に関しては北朝鮮にさせられてしまいました。

三笠宮は皇族でありながら、神武天皇を否定するということは当然男子一系否定、つまりは自己否定なのですから、皇籍は離脱なさるべきだと思いますね。

皇族であるアイデンティティを否定しながら皇族として、無為の暮らしを送りつつ、大枚の国費を受け取りながらのありようは欺瞞です。あまつさえ、南京大虐殺の肯定。

今上陛下による、先祖に朝鮮人がいる発言も必ずしも歴史の定説とはならざることを含めて、言ってはならぬことをお弁えではありません。今上陛下も三笠宮もこの基本の禁句を心得ていらっしゃいません。


「美智子嬢は25人の見合いをしていられた」

「最後に波多野という青年と婚約。これを破棄して皇太子のほうに振り替えた」

宮内庁側は否定していますが、否定せざるを得ませんね。
むろん、当時の週刊誌の記事をまるごと信じるわけではありませんが、国会という言質が取られたら厄介な場で、見合い25回、25回目の婚約者が波多野、と極めて具体的な回数と名前が出てきていることに留意は必要でしょう。

「美智子嬢」が15歳から、見方によってはいささか下品な婚活パーティに出ていたことは既報の通り。主催者がGHQ寄りの人物である可能性についても触れました。15歳でエリート男子を狙っての婚活なら、25回見合い歴はない話ではないでしょう。三島由紀夫との見合いも否定する人がいるようですが否定の論拠は曖昧です。


拙ブログが最近掴んだ、入内にあたっての関係者がすべてプロテスタントかカトリックのキリスト教徒であるという事実が、当時も不可解に思われていたのですね。「カトリックの陰謀」と表現されていますが「カトリック(プロテスタントも含む)を日本と皇室弱体化ツール」として使ったのはGHQです。

ただこの時代にGHQを口にしたら、その地位から(場合によっては命さえ)消されかねない状況ではあったかもしれません。一番の恐怖はこれもGHQが日本弱体化の尖兵として使った朝鮮人が束になっての親、子供への押しかけ、恫喝であったでしょう。彼らが特権を奪い取るにあたっての、常套手段です。

美智子さまご成婚時は、GHQが表向き引き上げてから7年間が経過していますが、GHQが愛国者をバサバサ刈り取って残った自虐史観売国奴が国のあちこちを仕切っていました。雅子妃の父親、小和田恒氏が外務省におけるその典型です。だから形としてのGHQは解体しても、去った後GHQ勢力は根強く日本に残り、定着しました。

美智子さまの父上正田英三郎氏もカトリック教徒だったのですね。

冨美夫人との出会いが双葉高等女学校の「礼拝」であった、というから美智子さまの母、冨美さんもカトリック教徒だったということでしょう。
臨終洗礼とされていることに、拙ブログは疑問を呈してきました。
美智子さま入内にあたって、一族郎党全員カトリック教徒であることが解ると、当然美智子さまの信仰にも疑義が及ぶので、自らは受洗していないことにしたのではないか、と。

祖父母の代から一族郎党全員カトリック教徒(ブログ主独自の調査で現在ミャンマー在住の、正田姓を名乗るお身内の方もカトリックだと掴んでいます)の中、美智子さまだけ違うというのは無理があるのではないでしょうか。洗礼はまずお受けになられている・・・・つまり入内にあたって、嘘をつかれた可能性があるかもしれません。いや、相当濃厚にカトリック教徒として胸に十字架を抱いたままの入内ではなかったかと、考えるほうが自然でしょう。

信仰を密かに抱かれていなければ、その後のカトリックへの明らかに頻繁な接触が説明出来ません。
美智子さまは、大変な嘘をつかれての入内と拙ブログ主は心証的には色濃くそう思っています。

朝日新聞記者により、発表されたカトリック信徒を思わせるベール姿が公開された時、わっと泣き崩れた美智子さま。勝ち気な美智子さまが泣き崩れるほどの衝撃は、自らがカトリック教徒だったからではないのですか?

もしそうでないのなら、違いますと答えればいいだけのこと。

嘘をついての入内を今更難詰しても、現実を変える力はありませんが、皇后なるお方が政府と国民、そして昭和天皇皇后両陛下を裏切って、皇太子妃となった方かもしれないということは、国民は知っておくべきでしょう。

仮にカトリック教徒でないとしても、頻繁なるカトリック教徒たちとの交流、教会行き、ローマ法王への傾斜など、神道の祭祀王の妻としての立ち位置は著しく損ねていらっしゃいます。合唱練習を名目に母校への月一回の訪問は、敷地内にある聖堂で礼拝なさるためではないのですか?

私的お出ましにも、護衛の車10台が付き従うと仄聞します。そのつど大きなお金が出て、年間通算すると莫大になるでしょう。九条の会の音楽家の追悼コンサートへのお出ましも、公のお金が費やされています。

言葉を変えれば皇后の「反日左翼活動」に私たちが営々と時に苦しみながら納めている税金が、いとも安易に使われているということです。

美智子さまは、象徴であるということに対して何やら小難しい理屈を述べて、象徴であることは出来ないと言っていらっしゃいますが、そんな言い分は、屁理屈と申します。

ことは簡単でたとえば、浮世の政治的なイベントにお出にならぬこと。
あの大戦への言及、憲法に対するお考えなど、国民の世論を二分するそのどちらかへ加担などなさらないことなのです。

象徴であらんとすることは、何をすべきということではなく、してはならぬということをお守りになることです。

こんな簡単なことがお分かりにならない愚昧さ。

美智子さまの入内に関して皇族全員が反対という説は否定されていますが、しかしながら「全員」賛成という説のほうが首肯出来かねます。

不自然ですよ、美智子さまも雅子さまも入内にあたって周辺では強い反対に取り囲まれながら、皇室会議においては一人の反対もなく、すんなり決定。

双方、きちっと調査がなされれば絶対あり得なかった、と言いきってもいいほど
「瑕疵」のある縁談なのに。

外国先行報道、あるいは報道先行で既成事実化して現実周辺では
反対論が渦巻いているのに、皇室会議では反対者ゼロで通過の
不自然さも小和田雅子さん入内の時と同じ手口ですね。

他幾つも、新たな発見がある国会記録かと思われます。
読んでみてください。平成の世の皇后陛下を論じるにあたって
後世相当役に立つ資料だと思われます。それゆえ他の資料のように
押し隠しておきたいでしょうが、国会記録抹殺まではさすがに出来かねたのでしょうか、国民にとっては幸いなことでした。

後世の評価はおそらく前代未聞、希代の悪女皇后となるかと思われます。

その悪辣さにおいて美智子さま。無能力なダメさかげんにおいては雅子さま。
いずれも皇室の歴史上、突出した黒歴史として末代まで残ることでしょう。
そしてそれを支持した、愚かしい民衆が保守の名で存在していたことも。

備考 田島道治宮内庁長官(無教会 派)、宇佐美毅宮内庁長官(クエーカー)などもクリスチャンと、拾えますが決定的データは今のところ拾えないでいます。いずれにしても美智子さまの入内に絡んで動いた人々にキリスト教関係者が偶然の確率超えて以上に多いのは事実。荒っぽく言えば、宮内庁はクリスチャンと創価学会の巣窟となっているかもしれません。

美智子妃入内にあたってはキリスト教が背後に。
雅子妃入内にあたっては、創価学会。

・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


追記 読者さまよりコメ欄に寄せられた情報。


WiLL 1月号に、『皇后の真実』 工藤美代子 著 の書評があります。
元産経新聞記者の方が書かれていますが、最後の方の記述にびっくりしました。
この方が記者時代、皇后に直接関わった高名な二人から、激しい皇后批判を別々に聞き驚いたそうです。
口外していないけれど、今でも忘れられないということですから、ぜひどこかで書いていただきたいものです。

・・・・・・・・・・・・・・ここまで

逝去の後、少しずつでも結局全部語られ、さらされそうです。


更に追記 コメ欄への読者さまからの書き込み

質問に立った自民党議員は、昭和の憂国の臣だと思います。
天皇の本道・本質を明らかにし、すでに始まった劣化と将来迎える危機を鋭く指摘して下さった自民党議員に感謝とお詫びを申し上げたい思いで、どのような方なのか少し調べてみました。

《平井義一衆議院議員 自民党》
平井議員の深い洞察には改めて感服します。議員生命賭けての質

疑だったと思います。
しかし平井議員が憂慮されたとおりになってしまい、今、泉下からご覧になって何を思われていらっしゃるか。

平井議員は「吉田学校=吉田茂派閥」のメンバーで、第四次吉田内閣で郵政政務次官就任。その他に横綱審議委員や日本プロレス会長(893大親分複数が役員になっていたので警察に解散命令出された後の一新人事で会長就任)等務めた形。

入内するところまでは、吉田茂はミテコ押しだったはずなので、退陣後といえども親分に逆らったのですから…(後に御所でのプッツン振りを知り、アンチミテコになったとか)
義一さん、真の国士でいらっしゃいます。
この後の選挙は落選が続きそのまま引退されていますので…逆風吹いたかなぁ?
没年も判らないなんて、悪の藩屏に抑え込まれたのか?

写真中央が平井氏(横審時代でしょうか。元関脇北の洋・緒方昇氏宅とのこと)
h ttp://members3.jcom.home.ne.jp/abashirikai/jpeg/tuitou-3.jpg

《菊池義郎衆議院議員 自民党》
菊池議員に至っては、質問をするために、この回のみ町村金吾議員(故町村信孝議員の父上)と交代して委員になっています。
美智子さんの疑惑はもとより。国会図書館設立に尽力した人なので、赤坂離宮内の図書館廃止の件を取り上げたかったのでしょう。

せっかく、見合い25回で婚約者有り、入内チームがカトリック教徒(正確にはキリスト教徒と言うべき)だらけと良いところを突いていても。宇佐美長官に揚げ足取られたり突っ込みの甘さから、週刊誌報道の火消しに終わり、残念に思います。でも、当時から胡散臭さは知られていた事を記録に残してくださいました。

衣冠束帯では南方の風俗のようで野蛮国と見られやしないかとか、英国女王戴冠式では皇太子が黒人の中に座らされたので、婚礼では英国大使は黒人来賓の間に座らせろだの……_| ̄|○ (宇佐美長官の気持ち)
猪突猛進、一言居士、「黒潮に吼える男」という小説になっただけはあるオモロイおっちゃんです。平井議員と初当選当時から同期でしたが、菊池議員はこの後も当選を続け、叙勲もされています。

更に追記

尚、
菅原研究室の国会議員白書から両議員の議員歴を、
wikipediaから大方のプロフィールを把握し、さらに検索して確認しています。

平井議員の写真は"たぶん"ご本人ではないかと?……程度です。

平井義一議員
http://kokkai.sugawarataku.net/giin/r00419.html

菊池義郎議員
http://kokkai.sugawarataku.net/giin/r00139.html

菊池議員題材の小説
『黒潮に吼える男』上野登史郎著/三彩社刊
八丈島出身の自民党きっての硬骨漢・衆議院議員、菊池義郎の伝記小説。物語は彼の出生から国会議員になるまでが、明治時代の政治(大熊重信などとの交流)や文化(島村抱月や須磨子などとの交流)、そして島の様子がイキイキと描かれていて面白い。島抜けしてからの一徹な苦学生活、普通選挙実施や元老廃止などの演説運動、さらには議員になってからの私学振興議員連盟を作ったり、国会図書館などを作ったりと紹介されている。
h ttp://www.muse.dti.ne.jp/~squat/fiction.htm


それにしても、平井議員の消息が不明って…怖いですね。
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12101934575.html

▲△▽▼

それにしても、正田家と美智子さんの うさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね _ 2

これが、現代皇室の現実。ブサヨの巣窟に現れた皇后陛下 2016-06-22
https://blog.goo.ne.jp/sitihenge994/e/319d1c927965be306fdfa254b877efdd

正田美智子さんの入内にまつわり、キリスト教徒のみが関わっていることのうろんさをついた国会議員が当時いました。

1959年2月 国会で平井義一議員が正田美智子入内の胡乱さと出自を問い詰める。
その2ヶ月後の1959年、正田美智子入内。
その翌年の総選挙で、今まで5期落選したことのなかった平井義一落選。

天皇皇后の左翼化

皇后陛下が、左翼の連中や組織と親密であられることにテーマを
絞るつもりで書き始めたのですが、結果的に今までの「総まとめ」ともいうべき
記事になったようです。志ある方は保存なさってください。

左翼の巣窟に出入りの皇后陛下

http://www.asahi.com/articles/ASJ6673Z7J66UCVL01Y.html 

反日左翼「九条の会」秋山ちえ子さんお別れの会 皇后陛下が会場に
皇后陛下の入内には戦勝国GHQがからんでいます。入内前に、正田家とGHQの要人とがアメリカ産小麦粉利権を介在に癒着していたのは、事実です。
客観的史料があります。

やっぱり!! 正田家とGHQの癒着。美智子さま入内を仕組んだGHQ 

そして美智子さんの父親は、アメリカ産小麦粉の宣伝マンとして
GHQの協力要員でした。

日本の国会が知らなかった正田美智子さんの婚約が、アメリカで先に報じられたのはそういう理由です。入内にまつわり、キリスト教徒のみが関わっていることのうろんさをついた国会議員が当時いました。今は亡き平井義一氏ですが、おそらく議事録に残っていること以上の闇を承知していたと思います。
よく殺害されなかったことです。しかし・・・・・

1959年2月 国会で平井義一議員が正田美智子入内の胡乱さと出自を問い詰める。

その2ヶ月後の1959年、正田美智子入内。


その翌年の総選挙で、今まで5期落選したことのなかった平井義一落選。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E7%BE%A9%E4%B8%80_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)

【重要】 これでも皇后擁護? やり放題になった乱脈皇室

元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解

平井氏の他に、正田美智子さんの入内に不可解な点ありとして国会で疑義を表明した議員が2人もいたことは、脳裏に刻みつけておきましょう。

国会ですよ? 末代まで発言が残る場。軽々に言えることではありません。まして、国中が操作されて世紀のご成婚に浮き立っている時に、議員生命を賭けて成婚とやられ放題の宮内庁に疑問を呈した議員たちが3人いたということです。

なんと、社会党が支援していた美智子さま 

皇室史上初の民間妃の誕生は、異教徒の男女同権主義者である左翼思想の女性の入内をも意味していました。去ったはずの、GHQによる皇室と日本弱体化施策が本格的作動し始めたのが、正田美智子さんの入内の年であり、この年日本は伊勢湾台風が荒れ狂いました。

そして嫁いだお相手は、多感な少年時代にGHQに生涯忘れ得ない恫喝を受けた、今上陛下でした。当時皇太子であったその人の、誕生日めがけて時計の針がピクリと動いた瞬間から、東条英機らいわゆる「戦犯」が吊るされて行ったのです。GHQの言外の脅しは明白でした。
「お前もアメリカに逆らうなら、吊るすぞ。父親もな」。
そして、言うところの戦犯28名の処刑を決定、公表されたのが「父親」昭和天皇の誕生日だったのです。これも言外の恫喝です。恫喝であると同時に罪悪感の刷り込み。「お前と、お前の父親のせいで、こいつらは首をくくられるのだぞ」と。

http://hon.bunshun.jp/articles/-/226

いえ、恫喝は言外ではなく直接浴びせられたかもしれません。
昭和天皇を何度となくGHQ本部に呼びつけたほどのマッカーサーです。

当時の皇太子は「ジミー」と戦勝国名で呼ばれ、GHQが差し向けたバイニング夫人が張り付き、洗脳に明け暮れました。神道思想の破壊です。

破壊教育を受けた皇太子というよりはジミーに、異教徒の平民の娘があてがわれ相乗効果で皇室の神道的なるもの、そして伝統がなし崩しに壊されていくことをGHQは見越していました。皇后も幼児洗礼をもしお受けならマリア・テレジア・カテリーナなどというお名前をお持ちでしょうから、ジミーとはお似合いの夫婦でしょう。皇后のカトリック洗礼に関しては、(幾つもあるにせよ)傍証でしか示せません。
しかしながら、実は皇太子と平民の娘との成婚ではなく、ジミーとマリアとの婚姻だったのだと踏まえるとその後の皇室伝統の、あっという間の壊れように得心が行きます。

もともとルーズベルトのOSSの頃から、日本を共産化する計画がありました。
ルーズベルトの死去により、共産化は免れましたがそれと同等の、日本破壊ウィルスをGHQは日本の国体に仕込んでいきました。

NHKはいまだその体質を引きずるGHQの宣伝局であり、外務省には反日思想の者たちが跋扈。公職追放で、まともな日本人は追われ、反日であるほど、出世階段を駆け上り、その代表格が雅子妃の父、小和田恒氏です。
小和田雅子さんという、皇室にはおよそ馴染むはずもない女性の入内もまた、
偶然ではありません。

皇室には、バイニング夫人とカトリックという異教とワンセットで正田美智子さんが送り込まれ、現在に至ります。神道の祭祀王の家に嫁いでからも元正田美智子さんはカトリックを捨てませんでした。そのことは、皇祖神を奉じるには至らなかった・・・・・いえ、基本のところでないがしろになさった、ということです。
ご本人がいかほど、自覚されているかどうかは知りません。しかしながら、
GHQの目論見は100%成功でした。いえ皇室の伝統破壊と共に、アメリカ産小麦粉の売りつけの目論見通りであったので、一石二鳥、200%の成功でしょう。

今上陛下が実は学習院の講義について行けず、ご卒業なさってないという事実を国民は知りません。

学習院を落第した天皇陛下は左翼でいらっしゃいますか

悪い頭で政治と歴史、憲法を語られるな両陛下と皇太子 

乏しき頭脳で政治外交、史観を語られませぬよう、両陛下

天皇が必ずしも頭脳俊敏でなくてもよろしいのです。
しかしながら、敏いとは言えぬ頭脳にバイニング夫人、そして伴侶である元正田美智子さんという異教徒から、思想上の決定的洗脳を受け続け、更に将来の天皇たる者は政治学科に進まねばならぬところ、進めなかった父親より頭脳の働かない皇太子殿下が、両親から口移しで「GHQ作の平和憲法護持」という左翼思想を受け継ぎ、現在に至ります。

天皇と皇太子共に、脳細胞の不活発なところに女帝と化した皇后から洗脳を受け続け、さらにその不活発な脳で考えた政治外交上の言動は、国を損ないます。政治関与それ自体が、ご自身が護持を唱えられる憲法に反する行為なのですが、その矛盾をお解りではありません。

天皇も皇太子も頭がよろしくはない、という現実をまずは正視しましょう。ということは、周辺の者がしっかりと舵取りをしなければならないのですが、しかしその舵は今や女帝として皇室ヒェラルキーの頂点に君臨する左翼皇后の手に握られています。その皇后陛下も、巷間思い込まれているほどにはご優秀ではありません。聖心女子大学は名門ですが、偏差値は高くはありません。

大変言いづらいことをズバリいいます。頭のさしてよくない左翼が3人固まったのが、今の皇室です。行き過ぎた言動を止めるものは皆無です。

随分粗っぽい総括ですが、細目は過去記事に資料を添えながら具体的に提示してあります。

皇室に男女同権思想は馴染みません。民間では極端な男女不平等が、本来の皇室です。なぜなら夫婦である以前に、夫は神とつながる者、神道の大祭祀王であるからです。対等ではあり得ないし、生理出産を伴う女性に、この国最大の神官は務まりません。
しかし、溺愛の皇太子の系譜である愛子内親王を天皇にしたいというのが、GHQ仕込みの男女同権主義者・皇后陛下の執念であり、左翼お仲間を引き入れつつあれこれ画策していらっしゃいます。


左翼の巣窟に出入りの皇后陛下

http://www.asahi.com/articles/ASJ6673Z7J66UCVL01Y.html

4月6日に99歳で亡くなった、放送ジャーナリストの草分けで評論家の秋山ちえ子さんのお別れの会が6日、東京都千代田区の日比谷松本楼で開かれた。聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんや脚本家の小山内美江子さんらのほか、秋山さんと親交のあった皇后美智子さまが会場を訪れ、遺族らと言葉を交わした。

BB:秋山ちえ子氏がそもそも反日左翼の旗振り的オピニオンリーダーでしたが、
小山内美江子、反戦歌の森山良子他歴然たる左翼思想の人たちばかり。更に、仰天すべきことには、反日慰安婦問題の張本人である河野洋平が発起人代表を務めているという凄さ。

皇后陛下が、韓国側と左翼たちが捏造した慰安婦問題を信じこんでいらっしゃるさまは、それこそ「九条の会」の鶴見俊輔により、具体的に語られています。

会では、発起人代表の河野洋平元衆院議長が「父の河野一郎と秋山さんは信頼しあっている仲で、インタビュアーとして日本一だと言っていた」とあいさつ。

さすがに息子の河野太郎は、安倍内閣の清濁人事の濁のほうながら閣僚なので、出て来ていませんが、本来なら売国父息子としてこの場にいるべき人間です。


 秋山さんは毎年8月15日の終戦記念日に、上野動物園で戦時中に餓死させられたゾウの童話「かわいそうなぞう」をラジオ番組で朗読。会の終わりには2002年の収録分が流され、「地球上のすべての生物の命を守るために、ことを解決するのに戦争というものを手段に使うことのないことを祈りながら読ませていただきます」と語る秋山さんの声と朗読に、参列者は聴き入った。

ゾウの話は胸を打ちますが、そのことと日本が防衛的に無力で無防備であっていいということと何の因果関係もありません。そこがなぜ解らないのか、いつものことながら左翼と言われる人たちの奇妙なまでの頭の悪さを思わずにはいられません。
夏になると、震え声で反戦詩を朗読する大根女優・吉永小百合も同類です。
問題は、中国韓国北朝鮮で反戦詩など読まれないことです。読めば投獄、下手すりゃ処刑。日本の反戦運動は彼らがせせら笑いながら歓迎するところ。


 30年来の親交がある司会の大沢悠里さんは「秋山さんは一貫して戦争反対を訴え続けてきた。私たちはこの心をずっと受け継いでゆく覚悟が必要だ」と締めくくった。

戦争に賛成の人間など、武器商人か一握りのマニャックな戦闘愛好者しかいませんよ。誰しも平和は恒久的な願いなのです。問題は「戦争反対」と唱えていない国が至近に3カ国あり、折あらば日本人の命と国土が狙われているということなのです。


 夜には皇后美智子さまも会場を訪れ、展示された秋山さんの遺品などを見たり、遺族や発起人らと言葉を交わしたりした。

・・・・・・・・・・抜粋ここまで

社会的にはその存在が希薄になっていた秋山ちえ子の逝去と、そのマイナーなお別れの会を即座に嗅ぎつけ駆けつける皇后陛下。左翼ネットワークの親密な一員でいらっしゃるからです。

皇后陛下は上記の左翼運動家たちのまごうことなき、共感者であり仲間であるということなのです。それ以前に皇后陛下の政治思想の表明など、
とんでもないことがいつ許されるようになりました?この方の入内以来です。

▼「男性には戦争をしたがる人がいる」
「戦争の悲惨さを知らない政治家が憲法9条をなくそうとしている」

と売国左翼新聞朝日新聞「天声人語」で紹介された秋山ちえ子氏をはじめ、以下が皇后陛下のブサヨ仲間です。


▼左翼鶴見和子の会にもお忍び出席した皇后

 和子=鶴見和子(元・共産党員)

>和子さまの三回忌に、美智子妃殿下の御臨席をいただき、
>内山さんが宮中に御礼の記帳に行く予定の所、
>皇后様から「鶴見和子病床日記」持参で参内するようにとの連絡があり、
>宮中大変奥深くのお部屋で、一対一の四〇分の御下問で、緊張のし続けでした。との事でした。

ttp://www.php.co.jp/magazine/voice/?unique_issue_id=12369
(Voice 2008年9月号)
上坂冬子〈対談〉鶴見俊輔 158p

> 美智子皇后は姉の和子に対して、彼女の学友だった女官を通して
> 「宮中まで来てほしい」とお呼びになったことがありました。
> そのとき、「あなたがこのあいだの講演で慰安婦の問題を取り上げてくださって、
> とてもありがたかった」とおっしゃった。(略)


上坂冬子の対談相手、鶴見俊輔は皇后のシンパ鶴見和子の弟であり、市民運動組織「ベ平連」メンバーで、共産党支持。


皇后は九条の会の左翼音楽家・三善晃氏にも熱心に肩入れ、そして「日本も難民を引き受けるべき」などと、日本がすでに60万人の朝鮮人難民を抱えてあえいでいるのも知らぬげに反日国連をバックに、押し付けてくる緒方貞子も皇后の左翼お仲間で、女帝擁立肯定の皇室典範変更のための有識者会議には、皇后がこの人を押し込んでいます。


森村桂の軽井沢の家では社会党・党員と交流も。

敗戦後の日本を、もっと弱体化させるためGHQがキリスト教を、なかんずくカトリックをツールとして用いたことは事実ですが、カトリックすべてがそうだとは言いませんが、皇后と同じく「カトリック左翼」と名付けたい一派がいるのは事実です。

「憲法九条にノーベル賞を」という演題で講演したのは、カトリック教会の光延神父で、そのお仲間には、岡田大司教や高見大司教という人らがいるようです。

h ttp://www.jesuitsocialcenter-tokyo.com/?page_id=4979
この光延神父が、HPで述べた言葉を引用します。

《《実際、日本は第2次世界大戦以後の68年間、戦争で他国民を誰一人殺すことなく、また一人の自国民も死なせることがありませんでした。》》

あらゆる(日本の)左翼は頭が悪い、悪くなければ日本では左翼はやってられない、というのが拙ブログ主の持論ですが、上記の神父の言葉の馬鹿さ加減は、読者の皆様はお解りですよね。

この神父の脳裏には、北朝鮮への拉致被害者も竹島をめぐって殺戮され、半島に強制連行されて虐待され、そして死者も出た日本人船員約4千名の存在はないのです。

そしてこれらの、カトリック左翼ともいうべき神父たちと皇后陛下が昵懇であるという現実を国民は直視すべきでしょう。

捏造慰安婦問題で日本を追求する「女性国際戦犯法廷」の拠点はカトリック教会です。副題は「性国際戦犯法廷」です。この場合の戦犯とは、日本ですね。
とんでもない反日とカトリックが結びついているということであり、これもまたGHQの目論見通りです。

反米を唱える左翼ですらGHQ製作の憲法を後生大事にするのだから、占領政策はここでも大勝利です。

日本の武力放棄をほくそ笑んで喜ぶのは、中国、韓国・北朝鮮だけであるという
現実がなぜ見えないのでしょうね。

そして皇后陛下は、「憲法九条にノーベル賞を」という、カトリック界における“九条の会”もお仲間だということであり、憲法改正を掲げ、女性天皇の布石になる女性宮家の創設に反対する安倍政権には、アンチであり、皇陛下も皇太子殿下もそれに従っていらっしゃる、とこういうことです。

「マスコミ9条の会」も、皇后はシンパです。

2004年6月10日

井上ひさし 梅原 猛 大江健三郎 奥平康弘 小田 実 加藤周一 澤地久枝 鶴見俊輔 三木睦子さん九人による「九条の会」アピールが出されました。

東京では「新聞OB九条の会」「出版OB九条の会」「民放九条の会」「映画人九条の会」「音楽九条の会」

「所沢マスコミ文化九条の会」 「憲法九条にノーベル賞をの会」

・・・・・・・・惨状を来しています。


軽井沢九条の会を支援する牧師

http://karuizawa9.exblog.jp/

表立って、九条の会の理念を「平和憲法護持」という形で発信されるのは
天皇陛下ですが、皇后陛下も違う形でメッセージを出されています。

79歳のお誕生日、宮内記者会の質問に文書で次のように回答。

「五月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきるの市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた『五日市憲法草案』のことをしきりに思い出しておりました。


長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に育っていた民権意識を記録するものとして、世界的にも珍しい文化遺産ではないかと思います」

・・・・・・・・・ここまで

要するに、憲法改正派の唱える「GHQによる押し付け憲法」説へのアンチテーゼです。事実護憲派の左翼にこの言葉は賛美され、利用されています。

しかしながら、英語からの拙い翻訳文である現在の醜い日本語の憲法が戦勝国による押し付けである事実がいかに美辞麗句を連ねたとて消えるわけではなく、GHQ憲法に関わった白洲次郎の慟哭の告発記録があります。

雅子妃とともに反日組織である国連、国連大学に入り浸っていらっしゃる皇太子は、両陛下の仰る通りに、お言葉をなぞるだけです。オウム。腹話術の人形。

皇太子殿下 平成26年 2014年お誕生日

皇太子の政治発言 朝鮮日報が大喜び 

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/77824c824a67a7da9a0b85660cfd4223 

(抜粋)憲法に関しては、昨年末天皇陛下も触れられましたが、「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は」という出だしで、憲法の成立した由来を語られましたが、皇太子殿下の文言は、はっきり憲法順守。すなわち憲法改正反対ということかと思われます。

・・・・・・・・・・ここまで

皇太子もアンチ安倍政権だということを、意味します。
今度の選挙は、憲法改正が争点の一つですが、平和憲法護持の
天皇皇后皇太子は、その選挙に影響を及ぼす発言をずーっと
続けているということなのです。それがいつから許される日本になりました?
皇后陛下の入内以来です。

問題は、天皇皇后両陛下と皇太子殿下のご発言に喜び勇んでいるのが、まっとうな国民ではなく朝鮮日報だということでしょう。無論「朝鮮日報」はあらゆる反日メディアと勢力の表象として記号化して記しました。

天皇及び内廷皇族が、GHQ発反日左翼史観をベースに語っていらっしゃる現実を、国民は冷静に直視すべきでしょう。

秋篠宮文仁親王殿下と紀子妃に、このたぐいのご発言がないことに、一筋の光明を見る思いがすると同時に、皇位は秋篠宮殿下と悠仁親王殿下に渡るべきだと考えます。

本来当然のことながら左翼は皇室不要論、侮蔑の対象です。

http://mid.parfe.jp/kannyo/sukuukai/seimei-houkoku/tirasi-syomei/H18-5-13-asiya.pdf#search='%E7%9A%87%E5%90%8E+%E4%B9%9D%E6%9D%A1%E3%81%AE%E4%BC%9A'  

左翼コメンテーター 大谷昭宏も関わっている「九条 おおさかの会」で
行われた、天皇皇后愚弄芝居です。

その左翼がなぜ、最近共産党はじめ両陛下に擦り寄って来ているのか。
両陛下が自分たちの仲間だと、知ったからです。

九条の会の作曲家の追悼に、わざわざ静養先から駆けつけた皇后陛下。

皇后陛下は「アカ」でした 

左翼皇后と、愉快なブサヨフェミのお仲間たち 

男女同権主義者であった、憲法作成者の一人であったGHQ元メンバー、ベアテ・ゴードンへの皇后の思い入れは、よく知られたことで彼女の追悼式にはわざわざメッセージを出しています。

天皇陛下や皇太子殿下のように、直接的な表明はなさいませんが、皇后陛下は折に触れその言動により、九条護持の左翼思想を表明していらっしゃいます。
これ以上明白なお立場表明はないのに、しかし思い込みが国民の目を遮っています。

生来聡くはあられない天皇陛下と皇太子殿下を陣頭指揮、現在の左翼皇室を作り上げたのは皇后陛下であらせられます。

かつて皇室には、自浄能力がありました。廃太子、という形で、あるいは天皇の入牢、島流しという形で。今はチェック機構を失い(これとてGHQの仕掛けでしょう)やり放題です。

となれば、皇室の腐敗と歪みは国民が指摘するしかないではありませんか。
不敬という名の下に、批判一切許さずというのであれば、それは北朝鮮の社会機構と何らかわりなく、マンセーの対象が天皇皇后というだけのこと。それも敗戦後すっかりその実質を喪失し、左翼運動家夫婦と化した相手への盲目的崇拝です。実のところ、それが都合がいいのは天皇制否定の左翼と、中韓だけであり、天皇陛下への尊崇が国の要と心得ている人たちこそが、現状を憂えているということです。

不敬という言葉が成立していた時代には、皇室自体が自浄能力を有して、
悪しき因子は排除していた、今チェック機能はない、ということを忘れないようにしましょう。

あなたがもし、安倍政権支持派なら天皇皇后皇太子はあなたにアンチのご存在です。

◆GHQと皇后陛下 フェミニストとしての美智子様と皇室は共存し得るかhttp://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/b0b5919d022a094f259e8305c60b13f2

◆資料  皇后陛下、その精神を形作った生い立ちと環境

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/7c9cffa819831b24bbfbd63d9f8eb57b

◆ご慈愛仮面で言葉も仮面 《転載ご自由に》http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/95e08f125aa7af66013af19b1e216a00

◆人権蹂躙「子供を産むな」発言は、いったい誰? 

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/fdbfcdb2fe41a09f9b9d1a4ca385f1d6


https://blog.goo.ne.jp/sitihenge994/e/319d1c927965be306fdfa254b877efdd


http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c43

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
165. 中川隆[-11908] koaQ7Jey 2019年2月23日 10:42:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[66]

正田家と美智子さんの うさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね。


元正田美智子さん、成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 2016-03-10
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12137728773.html

元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 


031回国会 内閣委員会 第5号
昭和三十四年二月六日(金曜日)
    午前十時十九分開議

敗戦後まだ14年しか経過していない時点での国会です。GHQの残存影響力がまだ甚大であったころ。この点に留意。サンフランシスコ講和条約 発効とともに連合国軍最高司令官総司令部は活動を形の上で表面上停止したのは昭和27年4月。

要点

 

昭和34年内閣委員会議事録より)

【国会も何ら御結婚について知らされておりません。】

皇室会議が開かれたのは(昭和34年)十一月二十七日でございますが、その前

★十一月二十四日に、宮内庁は公電をもって【館林=正田本家、正田醤油】に通知しております。

皇太子妃決定は公式発表の十日前、つまり十一月十七日のニューズウイークが最初に配信した。

BB:日本の皇室の成婚がまずアメリカで発表された面妖さ、背後のGHQ.

皇太子妃決定に関して小泉信三・田島前長官などが先頭に立ち、総理大臣はその報告を受けるだけで、なんら疑問をさしはさむ余地がなかった。

それでも「信仰」の問題は気になった。(岸信介元総理大臣)

BB;気にして当然、として気にしたのは正解だったのです。しかし、内閣置き去りに宮内庁が(その実GHQ勢力が)一方的に整えた成婚でした。

国民も国会も何も知らされておらず、しかも皇室会議が一度だけ開かれたのみ。

結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろい ろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのであります。

BB;GHQ決定だから誰も逆らえません。

要するに、「正田美智子さん」という人について、実は国民も総理大臣も、どんな出自の人でどんな考えを持ち、どんな性格なのかという事を全く知ら されていなかったんですよ。

        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここまで 

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005a.html

○内海委員長 これより会議を開きます。

○平井委員 日本の天皇制が始まりまして、天皇または王様――あるいは外国の王様のごときは戦争をして、勝って王様になるというのが通例でございますが、日本の天皇制の場合、やまと民族の中心として天皇がおわしますというような観念であったのでありますが、長官は皇統連綿と続いて、たとい徳があろうとなかろうと天皇は皇統連綿として続いているのだ、あるいは非常に人格が高くてやまと民族の中心としてふさわしいお方が日本の中心になられておった、このいずれをおとりになりますか、お聞きしたい。

○宇佐美説明員 わが国の天皇制は世襲の制度でございまして、しかもその天皇の位につかれる方がやはり国民の崇敬の中になるようなりっぱな方であってほしいというのが国民の念願であろうと思います。

○平井委員 また北畠親房卿は「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」、こううたっております。 略

BB;昔からふさわしからぬ者は、天皇の地位には就けなかった。今が
異常なのです。これも、うがてば暗愚の皇太子でも、長男なら即位できる仕組みは、GHQの皇室典範関与が疑われます。

○宇佐美説明員 略 いろいろ一口に天皇制の民主化ということがいわれるのでございますが、そういう意味における民主化ということでございまして、やはり一般市民と全部同じになるという形式的な問題ではないと思います。

○平井委員 昔は先帝陛下がおなくなりになりますれば、皇位をお継ぎになる皇太子は、少くとも一年ないし三年の高座の行事をやられて、これならば民族の中心になり得るという確信がなかったならば、即位をしなかった ということを読んでおりますが、その昔の日本の天皇制に比べて、敗戦とはいえ、今日天皇制を維持するとするならば大きな差があると思いますが、この点長官はどう考えられますか。略

○宇佐美説明員 昔のいわゆる皇太子のお地位というものは、立太子の儀式によってその方に皇太子というものがきまったのでございます。必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます。その意味におきまして立太子ということは非常に重要な意味があったわけでございます。現在におきましては、法制上当然長子相続ということが定められておるわけでございまして、

○平井委員 略 象徴といえば、少くとも全国民の崇拝されるべき皇太子でなければならぬ。しかも立太子の式を終了された。しからば宮内庁長官として、あるいはおそばについておる人としては、民族の象徴にふさわしい教育、ふさわしい姿にさせることが職責ではなかろうか。そうならなければ、民族のより場もない。将来の日本を考えたときに、一体どうなるか、これは人ごとでない、日本民族の問題でありますから、

BB:「日本民族の問題」とまで、皇太子(今上)の資質に不安と疑念がもたれています。その疑念もゆえないことではなかった、と現在の言動を拝すれば、思わざるを得ませんね。

特に宮内庁長官はこの点をほんとうに真剣に考えなければ、これが一角がくずれていった場合には、宮内庁はもちろん要りません。宮城開放の問題も近く起ることは当然の話でありますが、現在のあり方が新憲法にふさわしい、あるいは日本民族が非常に尊崇して、喜んで天皇制を護持されると思われておるかどうか、この点を長官にお尋ねいたします。

○宇佐美説明員 略 今のような新しい憲法のもとにおける皇室におきましては、皇室の方々の御行動というものが非常に大事であると考えております。そういうような意味におきまして、皇太子殿下の御教育と申しますか、御研さんを願うことは、われわれとしても非常に強いわけであります。人を作るということは容易なわざではございませんけれども、われわれといたしましては、大きな一つの職責と考えておる次第であります。

BB;職責失敗して現在に至る。

○平井委員  略 しかし民族の象徴という観点から見まして、もしも天皇陛下が皇后陛下と銀座を毎晩散歩しておる、あるいは自分のしたいことをするということになっても、民族が尊敬をし崇拝をすると思われておるかどうか。

もしも伝え聞くように、皇太子殿下が軽井沢のテニス・コードで見そめて、自分がいいというようなことを言うたならば、ここにおられる代議士さんの子供と変りない。私の子供と変りない。これが果して民族の象徴と言い得るかどうか私は知りませんが、あなたから進言をされたものか、皇太子殿下が自分で見そめられたものか、この点をお尋ねしたい。

BB:テニスコートで見そめたはある意味事実です。ただし出会いは偶然ではなく、GHQ勢力延長クリスチャンたちによって仕組まれました。ある作意による仕掛けがあったこと、雅子妃の場合と同じです。


○平井委員 長官の説明を了としますが、われわれ、世上というか、宮内庁係の新聞記者連中ともよく知っておりますし、いろいろ聞くところによれば、小泉さんと田島さんが非常な推薦者であった、あとはむしろそう賛成をなさらなかった、これはどうだか知りません。世上の話でございます。そこで小泉さんあたりの教育の仕方がいいと言う人もあるし、悪いと言う人もある。私、小泉さん、田島さんがどういう意味で強硬に推薦されたか知りません。推薦する方にもまた考えはあると思いますが、非常な推薦をして、ついに宇佐見長官も同意をしたというふうに聞いておりますし、また東宮御所において、皇太子殿下が学友を集めてわあわあ言うた結果とうとうきまったのだというようなことが、御婚約の後にぼつぼつ週刊朝日などに載るようになりましたときの責任や重大なるものがあると思いますが、この点長官いかがお考えになりますか。

○宇佐美説明員 今度の御選考につきまして、皇太子殿下の御教育に顧問として参画しておられる小泉博士あるいは前長官であります田島氏や、その他の方々といろいろ御相談したことは事実でございます。略


○平井委員 略 将来日本の天皇制が傾いた場合に大へんな問題になるので、私は国民代表として言うておかぬと困ると思うのですが、まず参考に申し上げておきますが、私が先般いなかに帰りましたとき、非常な天皇崇拝者のおばあさんがこういうことを言った。先生、日本も天皇制はしまい(注 終わり)ましたね、だから金持ちのお嬢さんをもらったのだろう、そういうふうに心から言うのであります。そういう年寄りが全国津々浦々に非常に多い ということも長官は知らなければならぬ。いずれ天皇陛下になられるのでありますから、民族の象徴として、今日の皇太子がそれにふさわしいお方にならぬときは、日本はしまえるのですよ。

今日われわれ中共だとかソ連だとか言っておるけれども、内輪でしまえる(終わる)のですからこれは冗談じゃない。

BB:その「冗談じゃない」ことが起こりつつあるのが今です。内に巣食う白蟻が天皇と皇后であったという、GHQ製作のホラー大作「戦後皇室物語」です。

小泉さんあたり少しどうかしておられますまいか。よほど慎重に考えてくれなければ困る。もう皇室の尊厳というものは、小学校の本にもないし、だんだんなくなってくる。

略 九千万の象徴となられる方だから心配をしておるのであります。その点義宮の結婚と非常な違いがあるということも考えなければならぬ。

そういう場合には退位をされるといえば別でございますけれども、英国とは日本の皇室はかなり違った立場に置かれておるのでございます。英国ならば恋は自由でありますから、恋をなさい、そのかわり国民はあなたを養いませんよ、どうぞなさって下さいというようなことになると思いますけれども、

BB:「養いませんよ」という状態に、今なっています。


○平井委員 略 皇太子殿下の教育というものは、一般の学習院の生徒と別でなければならぬ。昔なら上御一人といわれたのです。一般の学習院の生徒並みに教えたのではこれは絶対に象徴になれない。われわれが欲しない点、またできない点、国民では及ばないという教育があると思います。

略 昔、北畠親房などはこれはもう け飛ばしおったという話です。たたきまくって教育をされたということも聞いておるが、あまりにも自由奔放な教育をされておるのじゃないか。そういうことからきて皇太子殿下の感覚が違ってくる。

BB:一議員の当時の卓見に、うなだれるのみ。

 ○高瀬委員  略 国会も何ら御結婚について知らされておりません。公式発表の十日前、つまり十一月十七日のニューズ・ウィークには事こまかに、全部私は翻訳して持っておりますが、「皇太子の恋」という表題で詳細に報道されております。結局知らないのは国民だけだ。 略

BB;GHQ作のラブストーリーが日本には「テニスコートの恋」というタイトルで、
逆輸入されたわけです。本当におかしな話。アメリカには関係のない、日本の
皇室の話なのに。誰よりもいち早くアメリカが知っていた、という事実。

略 皇室会議というものはただ一度しか開かれていない。結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろいろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのでありますが、こういうふうになりますと、皇室会議などというものは非常に形式的なものであって、国民や国体と重大な関係にある皇太子妃を決定するということは、あまりにも非民主主義的なやり方じゃないか。皇室会議というものは非常に形式的なものになって、たった一回、既成事実を承認するというだけになってしまったのでは、皇室会議のあり方としては非常に危険じゃないか、こういうふうに思うのであります。


特にたとえば皇室典範の第三条を見てみますと、世継ぎの方、皇嗣に重大な事故があるときは、皇室会議の議によって皇位継承の順序を変えることができる、

BB:皇太子がこれに該当します。それを国民の多くが知りつつあります。後は総理の決断だけ。

こういうふうに述べてあります。従ってこの皇室会議を開くのは、議長であるところの総理大臣ではありますけれども、形式的には宮内庁がイニシアチブをとることになりますから、これが非民主主義的に運営されるということになりますと、非常に重大な結果を及ぼすと思うのであります。

○菊池委員 略 私は、皇太子が平民の娘をそのきさきとして選ばれたことを非常に喜んでおります。平民であろうが新平民(注 部落民)であろうが、粉屋の娘であろうが何であろうが差しつかえないと私は考えておるのであります。

略 その婚約の過程においていろいろの謀略、策略が行われておるということが、最近の週刊雑誌やその他の刷りものにおいて世間に流布され、これによって国民が非常な疑惑を抱いて、国民の頭は割り切れないような感じになっておるのであります。


 まず第一にお伺いしたいのは、この婚約の前に、美智子嬢は二十五人の見合いをしておられた。そして最後に波多野という青年と婚約、これを破棄して皇太子の方に振りかえたというようなことが流布されております。週刊雑誌に出ておりますが、これは事実でありましょうかどうか。

宇佐美説明員 非常にりっぱな方で、従前にもいろいろ結婚のお申し込みがあったように伺いますけれども、お尋ねのようなことは全く聞いたこともございません。


BB:宮内庁はこう答えるしかないでしょうが・・・・見合い25回は知りませんが、美智子さんが婚活に熱心で15歳から、公職追放を免れた、ということはGHQ側の人間が主催する、エリート男性とのお見合いダンスパーティに常連として参加しています。

○菊池委員 片一方にそういう婚約がありながら、これを破棄して婚約をするということは、世俗、人情に反し、道義をじゅうりんし、将来の国民の象徴たるべき人を作り上げるにはふさわしいことではないと思うのでございます。そういう婚約者があるかどうか、その点をお伺いいたしたい。波多野という青年です。

宇佐美説明員 全くないものと考えます。

BB;「ない」と明言せず、出来ず? 「考えます」とは、つい出た本音?

○菊池委員 もう一つ重大なことは、この婚約を運ばれた方々、運動に当られた方々が全部カトリック教徒である。

BB:委員に、当時はありがちにキリスト教への認識が薄く、十把一からげに
カトリック呼ばわりしてしまったので、せっかく肉薄しながら逃げられています。
答える宇佐美さんもクリスチャンだった。


前の田島長官もカトリック教徒であり、それから宇佐美長官もカトリック教徒であり、小泉信三氏もカトリック教徒であり、それからしゅうとになられる正田英三郎氏もカトリック教徒である。それから最高裁判所長官の田中耕太郎氏もカトリック教徒である。カトリック教徒の一連のからくりによってこの婚約が運ばれたという説が流布されておるが、これはいかがであるか、承わりたい。

○宇佐美説明員 略 ただ出身せられた聖心学院というのはカトリック系の学校でありますが、御本人は洗礼を受けておられない。

BB:もはや、この嘘は成立しないでしょう。

あるいはカトリックが将来皇室に対して何らか影響を持たないかという心配をせられた方々が世上あるということは聞いたことがございます。しかし、もちろん美智子さんは洗礼を受けておられませんし、学校当局においても非常に慎重な態度をとっておられまして、この問題に対しては何ら御心配はないと考えるのでございます。従って、過去においてこの問題についてカトリック系の陰謀があったなどということは全然根拠がございません。

BB:「カトリックに陰謀があった」という説が当時にはあったということですね。
そして、それは事実でした。拙ブログ主が、キリスト教が手段として使われ、キリスト教信徒がGHQの手先として動いたのを掴んだのは、この情報を知る前です。

○菊池委員 もう一つ、この御結婚の話について、天皇皇后両陛下を初め皇族の方々がみな反対されたという説が流布されております。皇室会議が終りまして、その報告を宇佐美長官から天皇陛下に申し上げると、天皇陛下は怒られたお顔で、ふんまんやる方ないお顔で一言も発せられなかったというようなことも流布されておりますが、これはいかがでありますか。

○宇佐美説明員 今回の御結婚につきまして、御両親陛下であります両陛下その他皆様の御反対があって、進め得られるものではございません。

BB:進め得られます。背後にGHQがいれば。

ましてやただいま申されたようなデマは、取るに足らぬものと私は思います。

○宇佐美説明員  略 昔の規定によりますと、天皇は皇族を監督するというような規定もございました。今はございません。

BB:監督の義務を外してしまったのも、おそらくは憲法と同じく皇室典範を作らせた、GHQの意図でしょう。放置するほうが、バカ皇太子やバカ皇族が現れる確率が高くなるのですから。


反日韓国人、韓 昇洙(左)と、潘基文(右)に取り込まれた皇太子。

皇后陛下は、安倍総理の靖国神社を厳しく批判、捏造慰安婦を称して「性奴隷と言うべき」と言い捨てたヒラリー・クリントンと親密。

皇后も、強制の慰安婦がいたという捏造を信じこんでいらっしゃいます。

ヒラリー・クリントン曰く、

「韓国を見ろ。韓国人も経済開発をして民主主義を成し遂げる過程で多くの問題に直面した。これは一夜になるものではない」

米民主党の大統領候補であるヒラリー・クリントン前国務長官が27日、 4番目の選挙戦であるサウスカロライナ州のプライマリー(予備選挙)を控えて24日に開かれたタウンミーティングで、突然韓国について言及した。
「(中略)」

・・・・・・・・・・・・・・

親韓まで、反日クリントンと皇后陛下はシェア。

日本がなければ、韓国の急速発展はなかったものを。
皇后とクリントン。賢そうで、実はそうでもないのも共通項。

思われているほど偏差値は高くない聖心女子大(名門ですが)は、
敗戦後明らかにGHQの息がかかっています。(卒業生全員が、
カトリック左翼だという意味ではありません。GHQは日本/皇室弱体

化の手段としてキリスト教を用いました)

開校は1916年ですが、敗戦を機に1948年、新学制により聖心女子大学として発足。初代学長はエリザベス・ブリッドですが、この女性は、
皇太子(今上)洗脳係としてGHQが送り込んだ、バイニング夫人と
同じ船で来日。GHQの息がこの女性にもかかっていたと思っても、
ほぼ間違いはないでしょう。

元国連難民高等弁務官の緒方貞子は新制大学の第一期生。愛子天皇擁立論加担者で、女性宮家創設の知識人会議に皇后陛下の お声がけで参加。愛子天皇擁立論加担者。

緒方貞子は男女同権のフェミニズムでも皇后と同じ価値観。
日本は難民を受け入れるべきと主張しています。
日本にはすでに、政治難民・経済難民をルーツに持つ在日という名の、難民を60万人も受け入れさせられているのに。

◆マッカーサーが仕掛けた戦慄の時限装置


http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20091124/197024/?rt=nocnt


皇太子明仁の誕生日になぜA級戦犯が処刑されたのか?

・・・・・・・・・・・・

著者の猪瀬直樹は、ろくでもないところもある男ですが、この件に
関する考察は正確です

欧州の王室は見抜いていた「貴賤結婚」の娘。賤しい出自だと。


長いこと、皇太子妃とも書いてもらえず、「その妻 正田美智子」扱い。
雅子さんも同じく、賤しい出自の娘との認識。

紀子妃は、最初から正当な出自と認められています。

知らぬは日本人ばかり。日本人でも、成婚前後の国民(現在80歳以上)は、相当数が気づいていましたね。仕組まれた成婚、ふさわしからぬ嫁であることを。

◆参考ブログ伏見顕正(あきまさ)の「時を斬るブログ」様より

http://blog.goo.ne.jp/duque21
【重要事実発覚】自称皇后堤美智子の母、正田富美の戸籍ロンダリング、無限拡散希望 


投稿するべきかどうか悩みましたが、私は佐賀出身です。美智子妃殿下のお母さんの副島さんは本当の武士の副島さんではありません。

ご成婚が決まった時、副島さんのお宅に来られ、戸籍を買いたいと言われたそうです。

副島さんは断られました。どこの馬の骨とも知らぬ副島さんが武士を名乗るとは。
ましてや多久は炭鉱の町。非常に部落出身者が多く、副島さんの生家も誰も多久の人たちは知りません。

武家の家ならば、高齢の人ならば知っているはず。いろいろな噂がありますが、佐賀の人は知っていますよ。

美智子さんの従妹たちも当時はたくさんいらっしゃったし、成婚が決まり皆東京に行ってしまったけど、話は聞いています。

https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12137728773.html



▲△▽▼

衆議院会議録情報 第031回国会 内閣委員会 第5号
第031回国会 内閣委員会 第5号
昭和三十四年二月六日(金曜日)
    午前十時十九分開議
 出席委員
   委員長 内海 安吉君
   理事 岡崎 英城君 理事 高瀬  傳君
   理事 高橋 禎一君 理事 平井 義一君
   理事 前田 正男君 理事 受田 新吉君
      今松 治郎君    植木庚子郎君
      菊池 義郎君    小金 義照君
      始関 伊平君    田村  元君
      富田 健治君    橋本 正之君
      船田  中君    保科善四郎君
     茜ケ久保重光君    石橋 政嗣君
      柏  正男君    中原 健次君
 出席国務大臣
        国 務 大 臣 伊能繁次郎君
 出席政府委員
        法制局長官   林  修三君
        法制局次長   高辻 正巳君
        防衛庁参事官
        (長官官房長) 門叶 宗雄君
        防衛庁参事官
        (経理局長)  山下 武利君
 委員外の出席者
        宮内庁長官   宇佐美 毅君
        専  門  員 安倍 三郎君


     ――――◇―――――
○内海委員長 これより会議を開きます。

 総理府設置法の一部を改正する法律案を議題とし、これより質疑に入ります。質疑の通告がありますので、順次これを許します。平井義一君。

○平井委員 皇居造営審議会を設置する件につきまして、宇佐美宮内庁長官にお尋ねをいたします。皇居を造営するかしないかという問題に関しまして、まず長官に天皇制のあり方について所感を承わりたいと思いますが、天皇制といえば神武以来の天皇制でございますので、非常に長期にわたりますので、これを三つに区切って所感を承わりたい。神武天皇から孝明天皇まで、明治天皇から終戦までの天皇制、終戦になって新憲法のもとに作られた天皇制、この三段階に分けて、天皇制のあり方について長官の所感を承わりたいと思います。


○宇佐美説明員 天皇制のことにつきまして御質問があり、歴史的に大へんに古いところからの考え方を述べろということでございますが、私どもは日本の歴史を振り返って、わが国において天皇を中心にした一つの日本民族の国家が発展してきたものと考えております。これを明治以降におきまして一つの近代国家として新しい憲法制度のもとに、はっきりと国法的にも規定的に定められて参った特徴があると思うのであります。しかし明治制の憲法というのは、今さら申し上げるまでもなく天皇主権という立場において制定せられたものでございますが、新憲法によりまして国の象徴としてのお立場であり、主権は国民にあるという建前に立って、いわゆる民主主義国家の建設を行われたと考えるのであります。私どもは現憲法の趣旨に基いて今後発展していくべきものと考えておるわけであります。


○平井委員 日本の天皇制が始まりまして、天皇または王様――あるいは外国の王様のごときは戦争をして、勝って王様になるというのが通例でございますが、日本の天皇制の場合、やまと民族の中心として天皇がおわしますというような観念であったのでありますが、長官は皇統連綿と続いて、たとい徳があろうとなかろうと天皇は皇統連綿として続いているのだ、あるいは非常に人格が高くてやまと民族の中心としてふさわしいお方が日本の中心になられておった、このいずれをおとりになりますか、お聞きしたい。


○宇佐美説明員 わが国の天皇制は世襲の制度でございまして、しかもその天皇の位につかれる方がやはり国民の崇敬の中になるようなりっぱな方であってほしいというのが国民の念願であろうと思います。


○平井委員 続日本紀でしたかに「武烈天皇は性さがなくましまし、悪しきというてなさざるはなし。ゆえにここに皇統絶えにき。」と出ておりますが、そこで日本の皇統は絶えております。ところが民族の中心がないというので、当時のやまと民族が非常に心配をされていろいろ徳の高い人を探した結果、河内の国の山奥に非常に崇高なお方がおられた。その人をその次の天皇に中心として迎えた。これが孝昭天皇でございます。そういうふうで非常に徳の高い、民族の中心としてふさわしい方が中心となられ、これを親として崇拝をしておったということは長官も御承知のことと思います。また北畠親房卿は「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」、こううたっております。

そういうことで常に天皇と国民は一体の姿であられたということも長官は御承知の通りと思うのであります。そこで孝明天皇は、いよいよ王政復古の声が日本に立ち始めまして、当時御承知のごとく日本は徳川幕府によって支配をされておった。そのときも孝明天皇は「すましえぬ水にわが身は沈むともにごしはせじなよろづ国民」、これは若くして世を去られたとも聞き、あるいは切腹したとも私は承わっておる。明治天皇は幼少にして非常に苦労をされた。その結果明治天皇が王政復古の後に明治大帝とまで崇拝をされておるのであります。その後明治天皇は欽定憲法をしかれて、ほんとうに天皇主権のもとに天皇と国民は一体である。すなわち「罪あらばわれを咎めよ天つ神民はわが身の産みし子なれば」、全く一体の姿で来たのであります。その点から見まして日本の天皇制は諸外国と違って、ほんとうに天皇と国民が親子の姿であり、一体の姿であるところに天皇独裁ということでなく、ほんとうに国民と天皇といったような、決して天皇はオール・マイテイでないと私は考える。すべて民の世論、民の声を聞かれて、これで政治を行なったということが日本の天皇制の姿でなければならぬと思います。

従いまして天皇は国民の親であり、ほんとうの中心である。それが戦争がだんだん敗戦の姿をたどって終戦になる。国民の中にはあるいは戦犯、あるいは数百万の戦死者を出しておる。国民の親であるべき天皇は近代天皇でありますが、いかなる親としての行動をされたか、これは私は強く追及をすることもいたしませんが、だんだん敗戦後に天皇制に対する観念が薄らいできておるということは長官も御承知と思います。しかも皇室の尊厳について今日の日本の姿、あるいは日本の青少年の気持、これを考えて今後の天皇制、皇室の尊厳がどうあらなければならぬか、過去のことでなくこれからの天皇制でよろしゅうございますが、皇室の尊厳、今後の天皇制のあり方、これに対してどういう確信を持たれ、どういう天皇制のあり方がいいと思われるか、この点を一つ長官にお伺いいたしたいと思います。


○宇佐美説明員 ただいま平井委員がるるお述べになりました点につきましては、私どもきわめて同感いたすところでございます。常に皇室が国民とともにあられるということ、昔から皇室の念願とされ、その実現に心を砕かれたのであろうと考えるわけでございます。いろいろ機構上の変化があるといたしましても、皇室と国民との関係というものは、常に皇室は全国民のために行動せられるということであろうと思うのでございます。明治憲法時代の憲法上の地位に基く諸制度と変りました今日におきましては、やはりそこに新しい憲法に基く皇室のあり方というものが立っていかなければならないと考えております。もとより先ほど申しましたような基本的な問題は変らないと思いますが、この現われというものは常にその方向に向って進むべきものであると思います。天皇の御位地は、今は政治あるいは文化それぞれの長という意味ではもちろんございません。国民の統合の中心ということにあられるわけでありまして、そういうような立場から国民の進歩とともに皇室もまた歩かなければなりませんけれども、常に国民の大多数とともにおられるということが必要であると思うのでございます。いろいろ一口に天皇制の民主化ということがいわれるのでございますが、そういう意味における民主化ということでございまして、やはり一般市民と全部同じになるという形式的な問題ではないと思います。やはり国民の象徴としてのお立場というものははっきりお持ちにならなければならないと考えますし、国民もまた、そういうわが国民、民族の象徴であるということに対する尊敬もあるのが当然であろうと私どもは思うのでございます。皇族と国民が相親しみ、その間におのずからな尊敬があって、ともに日本国の発展のために尽されるというお姿が将来の考え方の基本であろう、かように考えております。


○平井委員 昔は先帝陛下がおなくなりになりますれば、皇位をお継ぎになる皇太子は、少くとも一年ないし三年の高座の行事をやられて、これならば民族の中心になり得るという確信がなかったならば、即位をしなかったということを読んでおりますが、その昔の日本の天皇制に比べて、敗戦とはいえ、今日天皇制を維持するとするならば大きな差があると思いますが、この点長官はどう考えられますか。戦争が負けたからどうでもいいのだというふうに考えておりますか。


○宇佐美説明員 昔のいわゆる皇太子のお地位というものは、立太子の儀式によってその方に皇太子というものがきまったのでございます。必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます。その意味におきまして立太子ということは非常に重要な意味があったわけでございます。現在におきましては、法制上当然長子相続ということが定められておるわけでございまして、昔の立太子とただいま行われます立太子の意味は非常に違っておると思うのでございます。昔のような行き方につきましても一つの方法でございますが、同時に、そこに政治的なあるいはいろいろな紛淆も起り得るのであります。私どもは、そういうことが皇室に行われませずに、現在のようなはっきりとした皇室典範に基いてそれが行われることが明確であり、紛淆を来たさずにいけるものであると考えておるわけであります。


○平井委員 終戦後に、御承知の通り日本は、国民として非常によりどころがない。せめて天皇制は維持されたのでありますから、これが一つの希望であり、よりどころであったと思うのであります。新憲法のもと国民の象徴となられたのでありますが、象徴ということの解釈は非常にむずかしいと思うのでありますが、象徴といえば、少くとも全国民の崇拝されるべき皇太子でなければならぬ。しかも立太子の式を終了された。しからば宮内庁長官として、あるいはおそばについておる人としては、民族の象徴にふさわしい教育、ふさわしい姿にさせることが職責ではなかろうか。そうならなければ、民族のより場もない。将来の日本を考えたときに、一体どうなるか、これは人ごとでない、日本民族の問題でありますから、特に宮内庁長官はこの点をほんとうに真剣に考えなければ、これが一角がくずれていった場合には、宮内庁はもちろん要りません。宮城開放の問題も近く起ることは当然の話でありますが、現在のあり方が新憲法にふさわしい、あるいは日本民族が非常に尊崇して、喜んで天皇制を護持されると思われておるかどうか、この点を長官にお尋ねいたします。


○宇佐美説明員 私どももただいまお述べになりましたようなことを深く考えておるつもりでございます。今のような新しい憲法のもとにおける皇室におきましては、皇室の方々の御行動というものが非常に大事であると考えております。そういうような意味におきまして、皇太子殿下の御教育と申しますか、御研さんを願うことは、われわれとしても非常に強いわけであります。人を作るということは容易なわざではございませんけれども、われわれといたしましては、大きな一つの職責と考えておる次第であります。


○平井委員 皇太子殿下の御結婚につきましてお尋ねいたしますが、新憲法のもと恋は自由でございますから、皇太子殿下も人間だから恋をするだろう、こうおっしゃるでしょう。それもまことにけっこうでございましょう。しかし民族の象徴という観点から見まして、もしも天皇陛下が皇后陛下と銀座を毎晩散歩しておる、あるいは自分のしたいことをするということになっても、民族が尊敬をし崇拝をすると思われておるかどうか。私は決してこの御結婚に反対をするものではありませんけれども、要するに、もしも皇太子殿下、天皇が民族の象徴とするならば、国民の声によって――いろいろお相手を探したけれどもなかった、民間からぜひもらっていただきたいとあなたから進言をされて御結婚あそばすならば、これは民族の声である、ほんとうに国民の声でありますから、私は大歓迎でございますが、もしも伝え聞くように、皇太子殿下が軽井沢のテニス・コードで見そめて、自分がいいというようなことを言うたならば、ここにおられる代議士さんの子供と変りない。

私の子供と変りない。これが果して民族の象徴と言い得るかどうか私は知りませんが、あなたから進言をされたものか、皇太子殿下が自分で見そめられたものか、この点をお尋ねしたい。


○宇佐美説明員 皇太子様の御婚約の実際についてのお尋ねでございます。これは世上いろいろ間違って伝わっておりますので、ただいま御質問がありましたので、私はこの機会にはっきり申し上げておきたいと思います。

 今回の御婚約につきましては、数年前からいろいろ準備を事務的に進めておったのでございますが、もちろんその選考の方針その他につきましても、皇太子殿下御自身はもちろん、両陛下のお考えも伺って、われわれとしては慎重にいたしておったわけでございます。殿下御自身の御性格も非常に慎重な方でございまして、御自身の義務というようなことにつきましては、はっきりとお考えをお持ちになっている方でございます。

今回の御内定になりました方につきまして、世上で一昨年あたりから軽井沢で恋愛が始まったというようなことが伝えられますが、その事実は全くございません。もちろん軽井沢でテニスを一、二度なさったことは事実でございます。しかしそれ以上の交際があったわけではもちろんございませず、この御婚約につきましても、その当時は何らそういう方がわれわれのあれにも入っておりません。しかしいろいろ候補者を選考して参りました過程におきましても、殿下に一々ごらんに入れているわけでございます。昨年の春ごろからいよいよ何人かの候補者をしぼって御相談申し上げ、そのうちからわれわれも御推薦申し上げ、殿下も冷静な観察をなさって御決心になったわけでございます。

世上伝わるようなうわついた御態度というものは、私どもは実際において全然お認めすることはできません。むしろ非常に老成された考え方を持って注意深く進められたのでありまして、このことはあの当時の発表後におきましても私どもは外に向ってもはっきり申しております。世上そういうふうに伝わっておることは事実と反していると私は考えます。なかなか先に出ますとあとから幾ら申しても徹底をいたしませんで、この点は非常に残念でございます。ただいま御質問をいただきましたのは、私としましてはむしろありがたいことでございます。


○平井委員 長官の説明を了としますが、われわれ、世上というか、宮内庁係の新聞記者連中ともよく知っておりますし、いろいろ聞くところによれば、小泉さんと田島さんが非常な推薦者であった、あとはむしろそう賛成をなさらなかった、これはどうだか知りません。世上の話でございます。そこで小泉さんあたりの教育の仕方がいいと言う人もあるし、悪いと言う人もある。

私、小泉さん、田島さんがどういう意味で強硬に推薦されたか知りません。推薦する方にもまた考えはあると思いますが、非常な推薦をして、ついに宇佐見長官も同意をしたというふうに聞いておりますし、また東宮御所において、皇太子殿下が学友を集めてわあわあ言うた結果とうとうきまったのだというようなことが、御婚約の後にぼつぼつ週刊朝日などに載るようになりましたときの責任や重大なるものがあると思いますが、この点長官いかがお考えになりますか。


○宇佐美説明員 今度の御選考につきまして、皇太子殿下の御教育に顧問として参画しておられる小泉博士あるいは前長官であります田島氏や、その他の方々といろいろ御相談したことは事実でございます。しかしながらこの間においてだれが反対をし、だれが強く推したということはございません。非常にこれは大事なことでありまして、一人の懸念もないということを私は慎重に考えて進めたわけでございます。こういうような点につきまして、私は内容について外に言ったこともございません。いろいろな憶測が出るようでございますが、これは全く事実と違うものと存じております。


○平井委員 これはなかなか大事な問題でございます。将来日本の天皇制が傾いた場合に大へんな問題になるので、私は国民代表として言うておかぬと困ると思うのですが、まず参考に申し上げておきますが、私が先般いなかに帰りましたとき、非常な天皇崇拝者のおばあさんがこういうことを言った。

先生、日本も天皇制はしまいましたね、だから金持ちのお嬢さんをもらったのだろう、そういうふうに心から言うのであります。そういう年寄りが全国津々浦々に非常に多いということも長官は知らなければならぬ。いずれ天皇陛下になられるのでありますから、民族の象徴として、今日の皇太子がそれにふさわしいお方にならぬときは、日本はしまえるのですよ。今日われわれ中共だとかソ連だとか言っておるけれども、内輪でしまえるのですからこれは冗談じゃない。小泉さんあたり少しどうかしておられますまいか。よほど慎重に考えてくれなければ困る。

もう皇室の尊厳というものは、小学校の本にもないし、だんだんなくなってくる。そういうお方を国民が崇拝して、宮内庁まで置いてああいう広いところで生活をする必要はないではないかというような段階まで行きはしないかと、私は非常に心配して言うのであります。長官は世上に伝わっておることはうそであるというけれども、一年前のテニスの写真を出したり、遊ぶところを写してみたり、ああいうことはあなたの責任ですよ。国民は決して喜んでいはしない。

それを国民は非常に御結婚には賛成だ、いよいよ皇室も民主主義になったのだ、こういうふうにもろ手をあげて喜んでいるというふうに考えることは、私は大きな間違いだと考えます。しかし婚約が整ってもう式も近まったのでありますから、これに対して私はとやかく言いませんけれども、英国の例によりましても、これは皇帝にならなければ心配はない。恋愛は自由ですから。私は退位して会社にでも勤めましょうということになると、われわれは一口も差しはさみません。九千万の象徴となられる方だから心配をしておるのであります。その点義宮の結婚と非常な違いがあるということも考えなければならぬ。

そういう場合には退位をされるといえば別でございますけれども、英国とは日本の皇室はかなり違った立場に置かれておるのでございます。英国ならば恋は自由でありますから、恋をなさい、そのかわり国民はあなたを養いませんよ、どうぞなさって下さいというようなことになると思いますけれども、日本はそこまで言わぬが、それだけに国民の気持というものは、あなた方が想像されるのとちょっと違いはすまいかと考えておりますので、今後の皇太子のあり方、今度婚約されるお方のあり方、写真等、これは宮内庁の宣伝と申しますか、そういうことについては特に私は留意をしなければならぬと思う。

これは共産党であったら大歓迎です。要するに天皇制のあり方、皇室の尊厳ということをもう少し高める上において、何かあなた方は研究をされておりますか、まだ何も考えておりませんか。将来どういうふうに日本のこの皇室というものを持っていきたいというお考えですか、この点一つ。これはあなたが長官のときですから大へんな問題になる。将来問題になったときに、私があそこで質問したがその通りになったと言わないように一つ心がけ、また今後あなたとしては、どういうふうに天皇制を持っていき、皇室の尊厳を高めていくというお考えであるか。


○宇佐美説明員 先ほど御指摘になりました殿下の今回のことについての御態度は、先ほど私がはっきり申し上げた通りでありますが、おきまりになりました以上は私どもはやはり将来殿下と妃殿下がほんとうの愛情を持って、りっぱに結ばれていかれるということをわれわれは望むものであります。しかし今御指摘になりました御行動についてはわれわれも非常にこまかい点まで注意をいたしております。最近の週刊雑誌等を見ましても、そういった問題についてわれわれも国民の疑惑が起らないように、いろいろ報道関係にもお話し申し上げたのですが、雑誌を見ますと、宮内庁は反動化したというようなことを盛んに座談会でも言っておりますけれども、国民に筋の通った報道というものはやはりなければいけない、どういう生活をなさるかということは当然なければならないと思いますけれども、むやみに追いかけ回されるということについては、われわれとしても心外でございます。そういう点で、殿下の御行動については慎重な注意をいたしておるわけであります。しかし昔のようにすべてを不自由なと申しますか、当然あっていいことまで押えるということもどうかという気がいたします。殿下が伸び伸びと自身の立場を思いながら御成長を願いたいとわれわれは思うわけであります。やたらに何でもかでも押えるということもどうかと思います。ただりっぱな地位に対する御自覚から、すべての行動をよく考えていただいて、われわれもそれをお助けして、ほんとうに国民の将来の象徴としての素質を十分伸ばしていただきたいということでございます。これは大きな政策とか、そういうことが表面に出ることではなく、日々の行動が重なってそこに現われていくものと思います。私は日々のことにつきましても、東宮職のおそばにおります者にもちろんるる申しますし、小泉博士も皇室の将来ということとあわせて考えてやっていただいておりますが、私もよく国会における御質問等も伝えますし、私の考えも始終述べておるわけでございます。

 なお今後の皇室のあり方につきましては、御指摘の通りに、ほんとうに真剣に慎重に私どもは考えなければならぬ。そういう問題について、ただ宮内庁の組織だけで考えていいのか。その間において世論を聞き、いろいろな立場から検討すべきはもちろんであります。そういう点についてもいろいろ今考えつつあるところでございます。まだ申し上げる程度にまとまりませんけれども、将来のためにこれはほんとうに考えていかなければならぬというふうに思っております。


○平井委員 皇室は、御承知の通りわれわれ国民と実は違うのでありまして、これは昔なら天皇学でございますが、今日の教育係というものの教育は、われわれ国民と違った立場においてされなければならぬと思うのであります。これはわれわれのようにちょっと代議士に立ちたいとか、金がほしいとか、名誉がほしいということ、全く教育に要らぬのであります。ほんとうに欲も得もない、ほんとうに人間の象徴としていかれればいいのでありますから、その教育は今あなたがおっしゃるように、あまり何もかにも押えるということではなく、民族の象徴にふさわしい教育、それを小泉さんはちょっとはき違えておりはしませんか。

国民らしく育てるということが小泉さんの教育の方針では困る。これは事実欲も得も要らない、選挙の必要もなければ何も要らぬのですから、その点の教育はあなたが小泉さんに教えてやって、皇太子殿下の教育というものは、一般の学習院の生徒と別でなければならぬ。昔なら上御一人といわれたのです。一般の学習院の生徒並みに教えたのではこれは絶対に象徴になれない。われわれが欲しない点、またできない点、国民では及ばないという教育があると思います。そういう教育を教えない限り――ただ昔と違って自由である、自由に教育をするのであるという行き方もありましょう。自由主義者の中にはありましょうけれども、そこは一つあなたが小泉さんあたりに教えてやって、一般の生徒とは違う立場においての昔なら天皇学、今日なら皇太子殿下の教育というものをされなければ、これは象徴として国民が崇拝するかどうかわからなくなってしまう。早い話が、皇太子殿下が銀座へ遊びに行かれる、友だちと一ぱい飲みたい、そういうことになったら、これは民族の象徴ということは絶対に言えない。天皇は常に大自然とともにあらねばならぬ。そうしなければ英国の国体と同じになるのですよ。日本の天皇というものは、常にもう大自然、どこから見ても富士山の姿のように拝まなければならぬというぐらいのあり方でなければ、国民は崇拝しませんよ。そういう点から見て、いま少し厳格な教育をされたらどうですか。昔、北畠親房などはこれはもうけ飛ばしおったという話です。たたきまくって教育をされたということも聞いておるが、あまりにも自由奔放な教育をされておるのじゃないか。そういうことからきて皇太子殿下の感覚が違ってくる。自分の将来民族の象徴としての感覚が狂ってくる。どうもこのごろはわれわれが考えても――われわれは子供のときから天皇一本で育ってきた、教育を受けてきた者でも、ちっとおかしいではないか。まして終戦後の教育を受けた青少年は、全くそういうことがなくなってしまう。

 そこで議題にありますところの皇居の造営ということになれば、これは非常にむずかしい。あなた方の教育いかんにより、天皇のあり方いかんによって、造営ができるかできぬかになるのです。お互いが天皇制護持者だから、何でもかんでも皇居を作れというふうなわけにはいかぬようになっておるのです。それを一つ長官は十分考えていただきたい。もしも教育があまり芳ばしくないというなら、小泉さんあたり入れかえたらどうですか。そんなことこそ民主主義だ。いつまでも、勤まっても勤まらぬでも、この人間をそこにつけておくということが一番封建的ですよ。もし皇太子殿下の教育係でも、これはちょっとあなたが悪いと思ったら、あなた方が入れかえたらいいじゃないですか。それが今日のあり方でございます。昔ならばかでも何でも一ぺんひっついたら、宮内省におればやめさせられなくなっておった。今日ではどんどんやっていいのですから、そういう新体制に切りかえていって、よりよく皇太子を教育するというふうにされなければ、天皇陛下は何もおっしゃらぬのですから、あなたがそういうふうに判断をしなければ、今後の、遠き将来というか近き将来というか、日本に変動が起った場合には、あのときの長官は宇佐美さんであったということになれば、あなたの人格はりっぱであるけれども、やはり時にぶつかればあなたの責任になりますから、その点、あなたが十分研究をされ、努力をされて、やはり皇室の尊厳を残していくというふうに努力をされなければならぬと私は思いますし、また皇太子殿下においても、これはあなたが直接進言できるのかどうかわかりませんけれども、十分そこを自覚されて、やはり国民の崇拝するに足る人間になってもらいたい。これは人間というか、昔は神様だったのです。御承知の通り明治憲法のもとにおいては、神聖にして侵すべからず。今日人間になったというだけで、やはり象徴ですから、象徴ということについての私の解釈が合うかどうか知りませんけれども、私は民族の象徴ということになれば、天皇は、国民が貧しければ貧しいものを食べ、国民の政治、経済に伴って生活をしていかれる、ああ陛下は銀座にも行かれぬし、映画も見られぬ、これはわれわれはひとしく崇拝しなければならぬという気持になっていくと思うのでありまして、民族の象徴というのはただ看板だけで、あとはわれわれ国民と同じ行動をとってよろしいのであるというふうに考えたならば、象徴とは言えないと私は思いますが、あなたは象徴ということをどう解釈されますか。


○宇佐美説明員 終戦後今まで皇室に対する一般的ないろいろな批判が行われて参りましたが、この大きな流れというものは、やはり一言で言われるような民主化、もっと自由にしてあげなければいけないのじゃないか、あるいは今おっしゃったような、銀座にもおいでになればいいし、喫茶店にもおいで願えばいいじゃないか、そういう議論が割合に多かったと思います。しかし私は決してそうは思っておりません。やはりすべて普通の国民と同じ生活をするということでは、ほんとうの象徴としての国民の尊敬を集め、親愛を得られることにはならない。それは、ある意味において自由が一部ないともいえます。しかしそれはやはり国民の中心となって、象徴としてお過ごしになるには当然負われるべき御責任であり、御義務であると思います。そういうことでなければ、何らわれわれと差がなくなってしまう、私は常にそう思うわけであります。最初に申し上げたような意見はいろいろございますし、いわゆる雲の上に上る行き過ぎた行き方は、もちろん直していくベき点があれば直さなければならぬのでございますけれども、やはりそこにはきぜんとしたことがなければ、秩序は保たれませんし、また尊敬や親愛というものも生まれてこないと私は常に考えております。そういう御修養もなさらなければなりませんし、そういう義務ということもしっかりとお持ちを願わなければならぬと私は考えております。しかしそういう点は御幼少のときからおそばの者が、そういういろいろな進言に対しては気持よく胸を開いてお受けになることをほんとうによく申し上げ、われわれが、あるいはそばの者が申し上げることは、よく御反省になる方だと私は思っております。もとよりまだお年もお若いことですし、御修養願うべきことは多々あるわけであります。小泉博士は、常に皇室の将来を最も心配しておられる一人だと私は考えております。しかし具体的にどういうことをということについては御相談もございますし、私も遠慮なく意見を申し上げておるわけであります。今後においても、そういったことについては最善を尽したい。今回のことにつきまして、大きなことを申すと仰せになるかもしれませんが、私が責任をとって済む事態ではない、それ以上の大きな事態であるというふうに考えて参ったつもりでございます。不敏でございますけれども、この覚悟だけはいたしておるつもりであります。


○平井委員 最後にお尋ねなりお願いをして終りたいと思いますが、御結婚式も近いのでありますから、今の長官の御説明で私は納得いたしましたが、なお宮内庁から国民が納得するようにしていただきたいと思うのと、これは長官に幾らわれわれが質問してもしようがないが、皇太子殿下並びに宮様のおつきの人は、悪ければ取りかえなければ教育というものはよくなりません。あなたが見はからつて、これはあまりよくないと思われる人はどんどん取りかえられて、そうしてりっぱな教育をされる方をお入れになって――今の人がいいか悪いか知りません。悪いと言う人もあり、いいと言う人もあるが、取りかえて教育をなさらぬと、将来非常に大きな問題が起るのではないか。天皇制のあり方ということは、日本の政治、経済あるいは世界の動静に従ってあらなければならぬと私は思うのであります。従って皇居造営の問題におきましても、まだ審議会はできないのでありますけれども、もしも審議会ができましたならば、時代に即応して、かつて三井、三菱の大財閥が十万坪の屋敷に住んでおったのが、今日一万坪の住居におるということを参考にして、今日の皇居のあり方はどういうふうでなければならないかというふうに、率先宮内庁は研究をされていかなければ、これまた非常な難関に到達すると思うのでありますから、日本の情勢、世界の情勢、東南アジア未開地のところにクーデターがあり、いろいろある世界の動向をよくながめて、ひとり日本だけが昔の風習ではいかれない、日本の皇室はこうあらなければならないという見地から、まず率先してあなたの方で案を立てられなければ、将来禍根を残すと私は思うのであります。どうか皇居の造営の問題につきましても、あなたの方で十分考えられて、先手を打つといってはおかしいのでありますけれども、この程度でよかろうとか、あるいはこうした方が今の日本の皇室にふさわしいのであるということを十分考えられてお作りにならなければ、将来禍根を残す。東宮御所の御造築のごときも、間組が一万円で引き受けた、こういう崇拝組も日本にはあります。また家がなくて困っておる国民もある。私は間さんに言いたい。そういう金があるならば、住宅のない人に建ててやったらどうかと間さんに言いたいが、あまり私は懇意でないから言うておりません。そういうお方もあるが、それが全部でないことも考えなければならない。そういう人もおります。いなかの年寄りの八十、九十の人は、日本が戦争に負けたことも知らないという人もおりますから、そういうことを十分考えて、あなたの方で考慮されて、現在の世の中にふさわしい皇居の造営を計画していただきたい。同時に今後の皇室の尊厳並びに天皇制のあり方を十分研究されなければ、日本の将来にいかなる変動が起るかわからぬということを肝に銘記して、今後長官としてりっぱに職責を全うされるようにあなたにお願いを申し上げて、私の質問を終ります。


○内海委員長 受田新吉君。


○受田委員 私は宮内庁長官並びに法制局長官並びに総理大臣にかわって御出席いただく官房長官に相次いでお尋ねを申し上げたいと思います。それは皇室に関係した事項で、今、平井議員よりお尋ねになった諸問題を別の角度からお尋ねしてみたいと思います。

 私は最初に、日本の天皇制というものが新憲法で国民の象徴とされているということに一応うなずき、またこれを支持していく一人であります。ただここで問題となるのは、天皇の御地位というものに対して、新しい憲法が保障する基本的人権、いわゆる憲法の第三章に掲げられてある基本的人権と矛盾する面が相当起っておらないか。この点が第一のお尋ねの問題であります。具体的に申し上げますが、新憲法は天皇を人間天皇として宣言せられておる。そういう意味からいうならば、その人権もまた十分尊重をするという意味で、象徴としての天皇の権威を傷つけない限度におけるゆとりある人権尊重のあり方が示されておらなければならぬと思います。一例をあげますが、天皇はいつまでも天皇の御地位におられなければならないということになると、非常に窮屈なお感じをなさることもあろうと思うのです。従って、たとえば皇太子が成年に達せられ、あるいは御結婚をされる。そして十分後継者として天皇の地位を守ってもらえるということになり、また天皇御自身も、一般でいうならば定年退職に当られるくらいの年配になられる、こういうことになるならば、天皇の御退位の自由ということが一応認められていいのではないかと思うのでございますが、この問題は、宮内庁としては、また法制局としては、どういう御見解を持っておられましょうか。


○林(修)政府委員 ただいまの問題は、非常に重要な問題であると思います。これは御承知の通りに、新憲法が当時の帝国議会において審議された際に、あるいは現行の皇室典範が法律案として議会で審議された際にも、非常に議論されたところでございまして、いろいろの角度から御議論があったわけであります。しかし当時の政府として、皇室典範にこういう制度を認めなかった理由としては、次のようなことがいわれております。現在の憲法は、もちろん皇位継承のことにつきましては法律に規定を譲っております。法律である程度のことは書き得る範囲のことがあるはずでございます。しかしこれは憲法第一条が、天皇は日本国の象徴とし、それからその地位が日本国民の総意に基くというこの規定、それから第二条に皇位は世襲のものである。こういう規定と離れて、ただいまの問題を議論することはできないと私は思うわけであります。なるほど新憲法によって人間天皇としての地位はできましたけれども、しかしそれだからといって、一般の人と同じようにこれを扱うわけにはもちろんいかない。やはりこの象徴たる地位、あるいは国民の総意に基くこの地位というものと相いれない範囲におけるもの、そこに制約があることは当然だと思うわけであります。これはやはり皇位というものは世襲のものである。それから古来ずっと一つの系統で受け継がれてきているということと、それからそこに天皇が過去においてはもちろん譲位ということはあったわけでございます。そういうことはありましたけれども、ただいま申し上げたような御地位、それからこの天皇のそういう象徴たる地位から考えまして、御自分の発意でその地位を退かれるということは、やはりその地位と矛盾するのではないか、これはやはり幾多過去の例からいっても、いろいろ弊害があったこともございます。これは一言で申しまして、天皇には私なく、すべて公事であるという考え方も一部にあるわけであります。やはり公けの御地位でございますので、それを自発的な御意思でどうこうするということは、やはり非常に考うべきことである。そういうような結論から、皇室典範のときに、退位制は認めなかったのであるということを、当時の金森国務大臣はるるとして述べておられます。この問題は、実は皇室典範の審議されたときの帝国議会においては、皇室典範の論議の半分ぐらいを占めております。そういうことで政府案が通過したような関係であります。その当時における政府側の見解は、ただいま直ちに変更するほどの理由は私はないと思っております。従いまして今、受田先生のおっしゃったようなことも確かに一つの議論としてはあることと思いますけれども、軽々にこれはきめられない、かように考えております。


○受田委員 私はこの新しい憲法や皇室典範の審議の際の問題を今持ち出しておるわけではない。当時は天皇のお立場が戦犯としての批判を受けようとされたり、戦争責任が追及されたりという渦中にあられた。しかし今日はようやく世界の情勢も落ちついてきたし、日本の復興もほぼでき上ってきたという段階になって、しかも世継ぎになられる皇太子が御結婚されるという段階になられるということになるならば、もうそうした戦犯論議とかその他の戦争責任問題を乗り越えた新しい段階にきて、この問題を考えなければならぬ時期にきておると思う。ことに現在の天皇は二十才になられたときに摂政になられて、自来すでに四十年に近い間を、まことに筆舌に絶する苦労をされておられる。ことに大東亜戦争の責任などという問題になってくると、御自身も非常に痛切に感じておられる。しかしあの大東亜戦争を締めくくる終戦というところへ踏み切られたのは今の天皇であられた。そういう意味からも、私は今の天皇御自身がその悲劇的運命の中に苦労されて今日に及んでおられることを思うときに、皇太子が御結婚されて、一人前の世継ぎとしてもりっぱな資格を備えられておるということになるならば、ここに終戦直後の混乱の中で論議された憲法論議や皇室典範論議とは別の意味で皇室典範は法律でありますので、この法律を改正して、天皇の退位の自由を認めてあげるということが、新憲法の第三章に掲げられた基本的人権の尊重の条項にも合致するものだと思う。従って象徴の尊厳を傷つけないで、後継者がりっぱにおられる場合に、皇室会議の議を経て退位をすることができる、そういう考え方は、私は成り立つと思う。この問題は、新しくそういう事態に遭遇しておるという気持を私は持っておるので、新しく検討をすべき段階ではないかと思う。昔のものを引っぱり出して、今ごろまだ依然として古い感覚で、憲法、皇室典範の論議をされた終戦直後の空気をそのまま今に持ち込むということは、どうも時代感覚のずれはなはだしいものありと認めざるを得ない。いかがですか。


○林(修)政府委員 決してその当時のいわゆる戦犯論議とかいうこととの関連のみで申しておるのではございませんので、やはり確かに受田先生のおっしゃるような基本的人権の尊重ということもございますけれども、憲法第一条、第二条等で規定しております象徴たる地位、あるいは国民の総意に基く地位、皇位世襲の継承ということと切り離して、この問題は解決できないと実は思っております。従いましてやはりそういう今おっしゃったようにいろいろ個々的の場合には、いろいろの事情が起ることはございましょうけれども、今おっしゃることであれば、結局制度としてそれを認めろということになるわけでありますが、この制度として認めろということは、国民の総意に基く御地位、象徴である御地位ということを考えますと、私はそう適当なものではない、過去の歴史を見ましてもそういうことは適当なものではないのじゃないかということも考えるのであります。あるいはこれは制度として認めれば、皇位継承の順位に異動を来たすこともあり得るわけであります。そういうことから考えまして、これはやはり慎重に扱わなければならない、軽々にきめられない問題だと思います。


○受田委員 もちろん軽々にきめるべき問題ではないでしょう。しかし世襲制度というこの憲法第二条の規定によっても、世襲には間違いないわけです。だから隠居する制度も考えられておるのですから、御隠居なされるという形になればいいわけです。従って世襲制度というこの憲法第二条の規定に矛盾する形にはならないわけです。お世継ぎがちゃんと成年に達しておられる、御自身も定年に達しておられるということになれば、当然そういう自由を認めてあげるという規定が、しかもそれが皇室会議という一応の機関の議を経てきめられるわけでありますから、軽々にきめるわけではありません。こういう制度を考えて差し上げることが、憲法の精神にマッチした皇室典範の改変であると思う。

 もう一つそれに関連して、天皇の行為の自由ということにもしばしば問題が起ってくる。たとえばただいまの陛下は、弟さんの秩父宮がなくなられるときに、ぜひ臨終の弟宮を見舞いに行こうとされたときに、ついに宮内庁は見舞いを押えたといわれる。ただいまの皇后は、お母さんの倶子さんがなくなられるというときに、これまたついにお母さんの臨終にもおもむかせしめられなかったという、おそるべき人権侵害をやっておると私は聞いておる。肉親の死に宮内庁がそういう圧力を加えて、人情の自然と美しさを押えるという、こういうことは一体どういうところに原因があるか、そういうことは絶対なかったかどうか、その事情をこの際あわせてお伺いしておきたい。


○宇佐美説明員 前段の陛下の自由な御意思に基く御退位ということにつきまして、法制局長官からお答えがございました。私も全く同様に考えておるわけでございます。現在の場合のみを考えるのでなく、日本永久の将来のことを考える場合に、自由なる御意思による御退位というようなことを、その象徴たる位地から見て、常に国民が全部異論なく認めるかという問題は、いろいろな将来のことを考えますと、容易なことではない。私どもはこれにつきましてすぐ御賛成を申し上げる気持になれないのでございます。

 また後段の御質問でございますが、これは宮中のいろいろな昔からの風習がございます。今の陛下は、そういう点について勇敢に直すべきものは直すお気持でございます。われわれといたしましても、そういう御趣旨に基いて、自然にそういった点につきまして十分考慮をいたしております。御指摘になりましたような点につきましては、われわれは宮内庁において阻止をしたというようなことは全然ございません。事実不幸にしてお間に合いにならなかったということでございます。


○受田委員 そういうお間に合いにならなかったというようなことで、その場をごまかすべきものではないと私は思う。こういうことは、お工合の悪い肉親がおられる場合に、自由にお見舞いができ、その臨終に立ち会われるという努力を、宮内庁がなぜなさらないのです。間に合わなかったのだという言い分は、はなはだ重大な問題だと思うのです。宮内庁としてそういう人情の美しさを押えるような措置をされたと解釈しても、これはやむを得ないじゃありませんか。今度皇太子が結婚される正田さんの場合でも同じことです。つまりこういう場合に正田家が非常に心配しておられる問題として、そうした人間としての自由性を圧迫される点はないかという点がおそらくあったと思う。そういうことについて宮内庁としては、人間としての美しさ、人情の自然というものを十分尊重して、一切こういう問題については人権を侵害するようなことはない、今後は絶対にさようなことはしないということをお約束できますか、まずそれを伺っておきます。


○宇佐美説明員 皇室の方々が、御両親その他の御不幸の場合にお見舞いなさることを、われわれは阻止するというようなことは考えてもおりません。しかし実際の場合に、やはり象徴としてのお立場から、今の例でなくても、そうあそばしたくてもなされないときもあろうかと思います。そこはやはり外から見ますと自由を押えているとわれわれは考えるわけであります。


○受田委員 九重雲深きあたりの一般国民に理解できないような形の宮内庁の措置は、やはり感心できません。宮内庁としては、そういう問題についてはもうあけっぱなしで、たとえばお見舞いに行かれるのに途中の警戒の問題などがあるとかいうことを気がねされて、肉親の死にも会うことができないというような御心配があるならば、そういう問題についてはあたたかい心組みをもってお役目の方をやられればいい。そういうことを十分含んで、何らか一般国民との間を隔離申し上げるような形のないように、一つ宮内庁としては御努力願いたいと思う。

 私はもとに話を戻しますが、もう一つこの御退位の問題に関係するのですけれども、もし退位の自由を認めたならば、皇位継承の順序にも問題があると今長官が仰せられました。これは私はどこに問題があるかということをお尋ねしてみたいのですが、たとえば皇族から、皇位継承の地位にある皇族の身分を離れるという申し出があったという場合のことですが、いかがですか。


○林(修)政府委員 これは仮定の問題ですから、そのつもりでお聞き願いたいと思いますが、かりにそういう制度がございました場合に、たとえば天皇が退位せられる、そのときに実は皇子がおられない、従って皇位継承が皇弟に行ったという場合に、あとから皇子が生れるという場合のことを考えれば、いろいろ問題があると思う。これは過去においても日本の国史を見れば問題があったと思う。そういうことも一つの形態としては考えられるということを申し上げたのであります。


○受田委員 私は、後継者がはっきりして御本人も相当の年令に達しておられる、こういう場合に皇室会議の議を経てきめられるのだと申し上げているわけです。皇子もおられない、もう本人はおやめになった、そのあとに皇子が生れた、そういう仮定の問題を今持ち出したら皇室会議の議が通りますか。皇室会議の議を経るということになれば、やはりそこにはっきりした後継者がおられる、天皇の長期にわたる御苦労に対してもいたわりの気持をもって御退位をお認めするという形になる場合です。そうでない場合には皇室会議の議は通りませんから、あなたの御懸念の問題は解決するのではありませんか、私はそう思うのですが、いかがですか。


○林(修)政府委員 先ほどから申し上げております通りに、今受田先生のおっしゃることは、やはり制度としてそういう制度を設けたらどうかというお話でございます。従いましてそれはやはり皇室典範の中にそういう規定を取り入れることになるわけであります。そうなればこれは一つの制度として将来に向っての問題になります。いろいろなことももちろん考えなければならないことになるわけであります。そういうことを考えてみました場合に、今の自発的な御退位の制度というものが、果して天皇の世襲制、皇室の世襲制、皇子の世襲制、あるいは天皇の象徴たる地位、あるいは国民の総意に基くという国民の信念から見た考え方、そういうところにマッチするであろうかどうか、これはやはり相当疑問のあるところだと思う。今、受田先生のおっしゃるような御議論ももちろんあることと思いますが、それに反対する議論も相当強い根拠を持っていると思います。従いまして私どもとして今簡単にそういうことに踏み切る決心はないわけであります。むしろ先ほど宮内庁長官が言われました通りに、簡単には賛成できない、こういうことでございます。


○受田委員 あなた方は天皇のお立場というものを考えていかなければならない。そこで、あなた方だけの御都合で、天皇の人権をいつまでも侵害していくことは問題だ。だから御用学者という立場であるなら仕方がない。しかしながらもっと純粋な理論的な立場でものを考えていく、あるいは日本の将来を考えてこう解釈したいというような、あなた方はやはりある程度の余裕のある解釈をしなければならぬ。

 もう一つ、これに関係するのですけれども、女帝です。皇族女子には皇位継承権がないわけですが、この皇族女子の皇位継承権を容認するという典範の改正というものは、これは決して差しつかえないわけです。今の憲法では男女平等である。憲法の十四条で、法のもとの平等、貴族の禁止、栄典というところにも、人種、信条、性別云々で差別されないことになっている。そういうところからいっても、国民の象徴だけを差別するということがあり得ますか。そういう意味からも新憲法の精神にのっとって、皇族女子の皇位継承権を認めるということは、私は当然考えられていいことだと思う。いかがですか。


○林(修)政府委員 これも皇室典範のときに議論されたところでございまして、一応議論済みのことだと私は思っております。重ねて申し上げますけれども、確かに憲法では男女平等、あるいは婚姻における男女平等、あるいは相続についての男女平等の原則をきめております。しかしこれはむしろ普通一般の家であれば、昔のような家の制度はもちろんないわけでありますから、主として財産相続についての男女平等でありますが、皇位あるいは象徴たる地位というものは、必ずしも今申しました民法上の相続と同じように考えるわけにはいかない問題が一つあります。そのほかにやはり古来の日本の国民の一つの総意と申しますか、国民の信念と申しますか、つまり男系相続ということで実は一貫して参っておるような状況でございます。従いまして男系相続ということを認める以上は、女帝を認めれば、そこで男系は断絶するわけです。別の系統に移動するということになってくるわけであります。そういうことから一つの問題点がある。また女系による相続を認めれば、これは別の問題でありますけれども、やはり日本のいろいろの古来の国民の感情あるいは現在における国民の感情からして、果していかがであろうかという問題があるわけであります。また過去における女帝の例、日本には幾つかの女帝の例がございますが、これはいろいろな特殊な事情に基いた例だと思っております。そういうところから、やはりこれは慎重に考えるべき問題だということで、皇室典範のときにもその問題はいろいろ話題に上りながら、そういう規定はされなかった。その事情を今直ちに――おしかりを受けるかもしれませんが、そういう事情を今直ちに解消するだけの事由はないのじゃないかと思っております。


○受田委員 この問題は、どうも男系相続が日本の伝統であるからなどという古くさい考えで御答弁されておるようでありますが、すでに英国においてもそういう制度が長期にわたって保持されている。ただ英国の制度には、女帝の場合には男子の兄弟がおらぬというような場合に、女子だけだというようなときに、女帝ができておるわけでありますけれども、一応程度の差はありましても、皇位の継承権に女子の相続権というものは認められておる。こういうところから見て、世界の大きな流れというものを見たときに、昔の古い伝統を今ごろ持ち出されて、男系相続が日本の伝統などというこの論議は、どうも法制局長官としてまずい論議じゃないか。新憲法の精神というものを――ここにおられた自民党の方の中にも、退位の自由と女帝は大賛成だという意見が出ておる。そういうふうな意見が……(「反対だ」と呼ぶ者あり)与党は分裂状況です。そういうことからも皇室典範に対して、もう少し人権を尊重し、象徴としての権威を傷つけない限度において人権を尊重するという配慮をなさるべきではないか。特に宮内庁長官とされても、そうした宮内庁の事務を担当される責任者として、常に日本の将来、国民の皇室に対する感情等の問題を十分洞察して、長い目で見た日本の皇室の将来への見通しを持った努力をしておかれないと、思いがけないところから、今回の御結婚を契機として、皇室に対する重大な国民の悪感情が起ってきたりするおそれが私はあると思うのです。そういう意味から、少くとももう少し大衆と溶け込んだ皇室という、同時に象徴としての立場は保持されるような配慮を払いながらという気持は必要でございますが、そういう努力をしておかれないといかん、かように思うのです。

 そこで、三笠宮に例をとりますけれども、三笠宮が紀元節に対する見解を表明されたというので、中にはこういう三笠宮のような皇族がおられては、皇室の尊厳に関係するから、皇族をやめてもらおうじゃないかという意見がある。宮御自身も皇族をやめたいというお気持を表明されたとも承わっておるのであります。宮が、皇族が、そういうことを発言されたということについて、これを政治問題として見ようとするならば、それはけしからぬじゃないか、皇位の継承予定者がそういうことではいかぬじゃないかという議論が成り立つかと思いますけれども、宮の学者としての良心から叫ばれたこの言葉に対してかれこれ議論する。自民党の諸君の中にそういう声があるわけです。そういうものに対して宮内庁としては、また法制局としては、皇族の身分にある者の発言について、何か常に注意をしておるとか、あるいは圧力を加えておるとかいうことがあるのかないのか、また三笠宮の皇族を離脱したいという気持を持っておられるという表明があったことがあるのかないのか、これも一つお答え願いたいと思います。


○宇佐美説明員 三笠宮様のことについてのお尋ねでございます。殿下は、終戦と同時に軍籍を離れられまして、将来のために東大にお入りになって歴史を御勉強になっておられます。非常に熱心に御勉強になっておるのであります。しかし私は、皇族であられることがまず第一でございまして、国民は学者になっていただくということにおいて皇族におなりを願っておるのじゃないと思います。やはり皇族としてのお立場、義務というものを第一にお考え願うべきであると思います。同時に、お仕事として御勉強になり、それを通じて国家、社会に貢献されるということも私はけっこうだと思う。しかしそれはあくまで学問的なことでありまして、そのお地位から申しまして、政治的問題に関与されていかれるということ、どうも私どもとしては御賛成できないと思います。そういうことにつきまして私も殿下とお話を申し上げておることがございますけれども、しかし今お話しになりましたような皇族の籍を云々ということは、何も私は伺ったことはございません。いろいろ著書等も御発表になるようであります。私といたしましては、もっと慎重な御態度を希望しておるところであります。


○受田委員 宮内庁長官、えらいかたくお考えですが、三笠宮は、紀元節の問題などについても、これは天皇一家の、皇室の私事であるという見解を表明され、これを国民の行事として取り上げることについての意見を持っておられるわけなんです。そういうことについて、これが政治的な見解であり、学者としての立場では行き過ぎだというような御注意を申し上げるということは、これはどうかと思います。皇族の御発言は何事もそれではできないということになる。純粋な御意見も述べられないということになる。それが多少でも述べられると、すぐどこかにひっかかるというような問題であれば、何事もこれは発言できないということになる。これこそ人権侵害もはなはだしいものになってくる。こういうことについて、もっと自由な気持で皇族としての立場を御自身が十分考えておられるのですから、もし皇族の立場をお考えにならなければ、もう皇族を離脱されることになるのですから、そこは成年に達せられて、しかも良識を持たれたりっぱな三笠宮の御言動に対して、一々御注意申し上げ、おしかり申し上げるということは、私は宮内庁長官としては行き過ぎだと思う。そうなりますと、皇族の身分に生まれた人は、そういう発言やらすべての行動にわたって非常に不幸な立場になる。(「もちろんだよ」と呼ぶ者あり)そういうことこそ人権侵害なんです。私が今申し上げていることは、あらゆる面に不幸な立場に追い込むということでなくて、許される限度内の御自由を認めてあげる、新憲法の御自由を認めてあげるという努力もしておらないで、すべてワクの中にはめ込んで、非常に窮屈な生活をさせていくというようなことは、お役人たちのとるべき道ではないと私は思っておる、そういうことを私は今指摘して、人権の尊重を可能な限りにおいて認める努力をしてあげるという、その配慮を希望しているわけなんです。これはもちろんと言われるかもしれないが、皇族の身分にあり、あるいは天皇の御地位にある人は、あらゆる角度からその人間性の豊かな暮しを押えられるということになる。いかがでしょうか、こういう点について、高い立場から今後の皇室のあり方、皇族の立場というものについての配慮をどうすべきかということについて、何かあなたはお考えになっていらっしゃることはないでしょうか。


○宇佐美説明員 重ねてのお尋ねでございますけれども、一つの学問をせられましてある結論に達せられるということは、これはだれも押えることはできません。またそれを周囲の人に多少お漏らしになるというようなこと、それもいけないとは思っておりません。しかしながらそのお考えが、言葉は悪うございますが、左右いずれにしろ政治的な問題になり、皇室に非常に影響するというようなことを国民が心配するときには、慎重な態度をとらるべきであるということは私は誤まりないと思います。


○受田委員 左右いずれにせよ、それが政治的な方向へ行ったとおっしゃっているのですが、三笠宮御自身としてはそういう政治的な気持はみじんもないわけなんです。そういう問題を政治的にこじつける人々がおり、それを悪意にとる人々がおるわけなんです。この問題は、つまり三笠宮の言動に対しての影響力というものを、外部から不純に利用しようということになるわけなんです。あなたはむしろその外部を押え、宮の考えておられることは正しいのだ、学問の研究の自由は尊重しなければならぬという立場で、特に政府与党の諸君などに厳重に御注意される方が、むしろ筋が通ると思う。

 もう一つ、皇室典範の規定の中で、退位の問題にも触れてきたのですが、天皇が崩ぜられたあとへ新しい天皇が即位されることによって元号が変るわけなんですが、その元号がどういうふうに変るかということは法律では規定してない。これはもし御退位が実現され、あるいは天皇がなくなられたという場合に、どういう規定が用意がされておるのか、法制局長官から一つ伺います。


○林(修)政府委員 御承知の通りに、これも旧皇室典範には規定があったと思います。それが新しい皇室典範を規定するときには、皇室典範のきめる事項ではなかろうということではずされておるわけであります。そこで残っておりますものは多少問題がございますが、明治初年の行政官布告というものがあるわけであります。しかしいずれにいたしましても元号の問題は、確かに天皇の御退位あるいは天皇がおなくなりになったあとの新しい天皇の即位という問題と相関連する問題でございますけれども、これは今の憲法のもとにおいて、そういう新しい元号を立てるということは、私はやはり法律できめるべき事項だろうと思っております。これはかつて新憲法施行当時、そういうような法案も予定されたこともあったようでございますが、当時の占領軍政策の事情でもってこれは消えております。その後御承知かと思いますが、当時の参議院の文教委員会において、いわゆる西歴紀元を採用したらどうかということも御議論になったこともございます。そういうようなこともございますが、いろいろな事情を考えて、これは将来のことでございますが、元号制をどう立てていくかということについては、法律をもってきめるべき問題である。かように考えまして、一応そういうことは私ども考えなくてはならないというふうに思っております。


○受田委員 元号の問題を考えなければならぬという御意見のようでございますが、これは西歴を用いるとか、いろいろなことがあるにしても、日本の立場からの特別な規定を設けておくということは大事なことだと思っております。大へんおそれ多い話ですが、天皇がいつなくなられても、ちゃんとした用意をされておくということが必要だと思う。

 あとお二人御質問があるので、最後に一言お尋ねしておきますが、今度の御結婚につきましても、天皇の国事事項としての御結婚の儀式と、天皇の御一家あるいは皇太子御自身の個人的な御儀式というものがある。こういう国事の儀式あるいは個人の儀式というものの限界線は、一体官内庁としてはどういう形でおとりになっておられるのか。もちろん国事に伴う費用というものは当然国会の承認で出されるものでありますけれども、国会の承認を要しなくても済む支出の面もありますので、そういう限界線をはっきりしておいていただきたい。今回の御儀式の中で国事として取り扱える儀式と、皇室の私事として取り扱える儀式の分別をちょっとお聞かせ願いたい。


○宇佐美説明員 今回の御結婚に関しまして、御婚約、いわゆる御結納のことから式の終りますまでいろいろの計画、すでに済みましたものもございますが、今後進められるものも研究中でございまして、こまかい点を今検討中でございますが、大綱につきましては、過日の閣議の決定におきまして、当日行われます結婚の儀と朝見の儀、それから引き続き行われます祝宴の儀が、国の儀式として行われるということが正式に決定になったわけでございます。そのほかの儀式につきましては、実は旧来の諸規定をもとにいたしまして、なるべく簡素に行う、あるいは時代に即するようにするという趣旨のもとに整備をいたしているわけであります。いろいろございます中で、特に国の儀式として考えましたものは今申しました三つでありまして、結婚の儀というのは、これはあくまで両殿下が誓い合われるという結婚の中心をなすものであります。朝見の儀と申しますのは、両陛下に両殿下が正式に会われてあいさつをされるという意味のものでございまして、これは前回の立太子礼、成年式礼の際にも国の儀式として行なったので、その例に従ったわけであります。最後の祝宴と申しますのは、天皇陛下が内外の人に御披露をなさるという公的なものとして、これを国の儀式の一つに入れたわけであります。その他お内輪でなさいますもの、あるいは皇室の御例によって神宮その他に参拝されるということは、一切内輪のこととしていたしたわけであります。


○内海委員長 高瀬傳君。


○高瀬委員 実は赤城官房長官においでを願いたいと申し上げてあったのですが、それはどうでしょうか。


○内海委員長 赤城さんは参議院の本会議に行っておりまして……。


○高瀬委員 実は私は皇室会議のあり方について私の所見も述べ、あるいは内閣あるいは宮内庁の意向も伺いたい、こういうことであるのであります。特に今回の皇太子殿下の結婚に関しまして、皇室会議のあり方について一言お伺いしたい。そして私の所見も述べたい、こういうのであります。もちろん前提条件として、私は皇太子妃が今回きまりまして、御成婚があるということについて、日本国民として心からお喜びを申し上げておる一人でございますから、そういう点は誤解のないようにお願いしたい。

 私は皇室のあり方というものについて、平井君などと意見が違うかもわかりませんが、敗戦直後陛下もおっしゃったように記憶しておるのでありますけれども、つまり英国の皇室のようなあり方、これが日本としては非常に望ましいということを陛下がおっしゃったように記憶しておるのであります。御承知のように私から申し上げるまでもなくいイギリスは今日存在しておるところの君主制の国家の典型的、代表的のものであると言ってもいいのでありまして、皇室と国民とが真に一体になっておるということは事実のようであります。従って敗戦後、日本が民主主義の国家として再出発した際に、英国流の皇室のあり方、あるいは英国流の議会の運営のあり方、あるいは英国流の国民と皇室の関係、こういうものを陛下は理想にしておられたのではないか、そういうふうに拝察される節があるのでございます。しかし現在必ずしも皇室と国民とが一体になっておるとは私は思えない点もございます。たとえば、これは言葉のあやでありますから、こんなことは理由にはならぬかもしれませんが、菊のカーテン、こういうような言葉をよく耳にいたします。従って現在の皇室に対する国民の感情というものは、今回の皇太子妃の選定に当りまして、端的にこれらの点を現わしておる点がなきにしもあらず、一般の世論というものは非常にお祝いを申し、私もその一人でありますが、必ずしもそればかりではない。先ほど平井君もちょっと触れたようであります。しかも憲法の第一条に明記してあります通り、天皇は日本国民統合の象徴でありますから、皇室と国民とが密接なつながりを持つということは当然でございますし、天皇御自身ももちろんそういうふうにお考えになっておると私は拝察いたします。ところが現在の、特に今回の結婚で国民感情から多少離れているような印象がある。これは実は私はあの発表の形式とか、そういうものをかれこれ言うのではありませんが、実際のところ皇太子妃の選定に当りまして、宮内庁の宇佐美さん初め関係者は長い間大へん御苦労になったと思うのです。この点私は敬意を表しておりますが、国会も何ら御結婚について知らされておりません。公式発表の十日前、つまり十一月十七日のニューズ・ウィークには事こまかに、全部私は翻訳して持っておりますが、「皇太子の恋」という表題で詳細に報道されております。結局知らないのは国民だけだ。私はこういう問題がありましたときに、宮内庁に電話をかけまして、宇佐美さんは当時お留守でありましたが、そういう事実があるかどうか、私はそれを尋ねたのでありますが、電話に出た人は相当の方だと思いましたが、全然知らないというお話でございました。それはいろいろ都合があったかもしれませんが、現在結納もかわされた今日ならば、その辺のいきさつを相当詳細に御報告を願って、そうしてやはり国会の記録に残しておく必要がある。これはやはり一つの国事でございますから、その点はぜひとも――先ほど、いろいろうわさされておるような事実はないとか、断片的におっしゃったようでございますが、ニューズ・ウィークにいろいろなことが書いてあります。特にこれは恋愛という言葉を盛んに使っております。たとえば「二人は恋愛中だが、果して因襲に刃向って結婚ができるだろうか、これが事情を知っている連中がもう何カ月も抱いている疑問である。」というようなこと、それから「皇太子が正田美智子さんに初めて会ったのは軽井沢のテニス・コートである。」それから、非常に反対があったということも載っております。「反対は大へんなものだ。一番驚いたのは米国の占領下に皇室を除いて爵位を全廃された元の公爵、伯爵、子爵、男爵などであった。天皇の義妹に当られる秩父宮妃のお母さんの松平信子前子爵夫人を先頭に、華族たちは皇族出の他の候補者を立てて運動したが、民主化がとうとう皇位にまで及んだことに一斉にろうばいした。」こんなことが書いてあります。これはもちろん単なるニュースでありますから、私はその信憑性のいかんは知りませんけれども、特にあのとき宇佐美長官もおっしゃったと思うのですが、あれは恋愛ではない、たとえば結婚は相互の合意のみによって成立し、相互の協力によって打ち立てなければならないという憲法の条章そのものとは関係がない、普通の恋愛ではないのだということを非常に強調されたようでございます。従ってこういうような問題について、先ほど長官も非常にいい機会を与えてもらって感謝すると言われましたが、私はやはり国家の一つの重大な国事でございますから、こういう点についても詳細に系統的にいきさつを説明されて、国会の記録に残しておく方がよかろう、私はこういうふうに考えるので申し上げているようなわけであります。ここで一問一答をして宇佐見さんをどうこうしようというのではございません。

 それから、特に私の念頭に浮びましたことは、皇室会議というものはただ一度しか開かれていない。結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろいろ書類を渡されて、それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのでありますが、こういうふうになりますと、皇室会議などというものは非常に形式的なものであって、国民や国体と重大な関係にある皇太子妃を決定するということは、あまりにも非民主主義的なやり方じゃないか。皇室会議というものは非常に形式的なものになって、たった一回、既成事実を承認するというだけになってしまったのでは、皇室会議のあり方としては非常に危険じゃないか、こういうふうに思うのであります。特にたとえば皇室典範の第三条を見てみますと、世継ぎの方、皇嗣に重大な事故があるときは、皇室会議の議によって皇位継承の順序を変えることができる、こういうふうに述べてあります。従ってこの皇室会議を開くのは、議長であるところの総理大臣ではありますけれども、形式的には宮内庁がイニシアチブをとることになりますから、これが非民主主義的に運営されるということになりますと、非常に重大な結果を及ぼすと思うのであります。従ってこれは宮内庁だけを責めるわけには参りません。政府の重大なる責任でもあると思いますが、一体こういうような点で、ただ既成事実だけを皇室会議に形式的にかけて、たった一回だけの会議でああいう重大な国事をきめるということが果していいのかどうか、その点が非常に私は重大だ、こう思うのであります。

 それからもう一つ、こういうような問題について、これは例は違いますけれども、イギリスなどの例をとってみますと、たびたび非公式の閣僚会議などを開いております。たとえば私はここにノーマン・バリメインの書いた「ザ・ストーリイ・オブ・ピーター・タウンゼント」という本を持っておりますが、これによりますと、あのプリンセス・マーガレットがタウンゼントと婚約するときに、非常に衆人環視の中で国民が納得するような状態でああいう問題を解決したようであります。従ってその当時のサー・アンソニー・イーデンはたびたび閣僚会議を開き、あるいはカンタベリー大僧正とも相談をし、あるいは上院の枢密院議長のソールスベリー卿などとも相談をして、慎重な手続をとってあのプリンセス・マーガレットの問題を解決した。私は当時ロンドンにおりました。非常にその点の合理的な国民と密着したやり方について、敬意を表して帰ってきた一人なのであります。従ってそれと比較して、この皇太子妃のきめ方が一回の皇室会議できまる。しかも私は、きょう内閣側からだれも出ておりませんが、この皇室会議の構成自体についても非常に疑問を持っております。両院の議長、副議長が出ているが、副議長というものは議長が事故あるときにだけこれを代理するものであって、院を代表して出るとすれば議長だけでいい、こういうような点も私の聞きたい点でございますが、答弁する人がおりません。

 そこで私は、この皇室会議の構成についても疑問があるし、ああいう皇位継承をきめるような重大な皇室会議というものはもっとたびたび開くなり、あるいは内閣と連絡するなり、そういうふうにして国民が納得するような状態であの御結婚をきめていただいたらなおよかったのじゃないか、こう思いますが、これらに対する宮内庁の見解、それから内閣の見解、それから宮内庁は内閣などとどういうふうな折衝をされたか、小泉という人は皇太子殿下の先生でありましょうけれども、大体田島、小泉などという方だけがイニシアチブをとって、きまったものを総理大臣に報告し、総理大臣はただ正田美智子さんの信仰の問題だけをお聞きになったというふうにしかわれわれは受け取れない。それの前にたびたび閣僚会議を開くなり、あるいは皇室会議を開くなり、こういうふうにして念には念を入れてきまったものならば私は非常にけっこうだと思うのですが、われわれ国民はその点は全然知らされてない。知らないのは国民だけだという結果になったわけであります。十一月十七日のニュースでこういうこともちゃんと出ているわけであります。それで私は電話をかけた。

 しかも十二月六日号の「エコノミスト」に日本の皇室と題して、宮内庁の役人の各位には非常に痛いことを書いてあるのであります。これは読むとはなはだ妙なことになりますが、一応読んでみましょう。「古くからの皇室の伝統のうち、残っているものは天皇一家が守っているよりも、むしろ皇室の役人が守っているといった方がいい。宮内庁の役人の数は一万人から一千人に激減したが、依然強力である。彼らは野心を持たず、別に悪い人間ではないが、強い義務感に縛られる傾向があるので、時代に取り残されがちである。彼らは渉外のセンスがないので、他の官庁のより進歩的な役人たちからきらわれ、一般国民から疑惑の目で見られている。」これは非常にお気の毒ですが、これはただ書いてあるので、私の意見ではございませんから……。「皇太子の婚約発表の際、発行部数の多い日刊紙「読売」は十一月二十八日の社説で辛らつに論じている。「天皇を独占することによって特権を維持しようとする暗い勢力が、かたくなに民衆への接近を妨げていたのである。皇太子の婚約は、これらの人たちの態度に対して、痛烈な反省のむちを与えたものと言ってよい」以上の言葉は、正しいと思っていることをやってきただけの役人たちにとって、やや点が辛いかもしれない。だが、大ていの日本人は、宮内庁の官僚が皇太子に、一般民間人と決して結婚させないと考えてきたが、今では皇太子みずからがこれら官僚に分を知らしめることによってのみ、自分の望みを貫徹したと信じ、皇太子の勇気ある行為に対して、熱烈な拍手を送っていることは事実だ。」というのであります。非常に長くかかりましたが、こういう批評もあるのでございますから、私は宮内庁の、特に皇室会議なんかに対するやり方に対して反省を促したい、こういうことでございます。

 それから先ほど三笠宮の問題で受田君からお話がありましたが、私は少くとも皇族方というものは政治的にもあらゆる点で中立性を持って、インパーシャルでなければいけないと思うのです。特に選挙権もない、被選挙権も行使されない、こういう地位にあるのでありますから、やはり政治的な影響のあることは発言されない方がいいと思うのであります。そういう点で宇佐美長官が率直に三笠宮におっしゃったことは私は正しいと考えております。従って今後も三笠宮殿下の学問のいろいろ結論とかなんとかを、そういうふうな中立の立場にある特殊な皇族方は、ぜひとも積極的に発表されないことを望む一人でございます。

 自分の意見だけを長々と述べましたが、これらについて実は内閣並びに宮内庁の意見を拝聴したい。特に私は宇佐美さんを責めるよりも、国家組織法によりましても、宮内庁は内閣の一つの庁になっておるのでありますから、内閣委員会としては赤城官房長官の臨席を願って、この点の所見をはっきりと聞く必要があると確信いたしておるのでありますが、どういうわけか来ない、それでは答弁を得ることもできませんが、宇佐美さんに一つ所見をお伺いしたい。


○宇佐美説明員 きわめて多岐にわたっての御質問でございます。今回の御結婚に対しまして、もう数年前から、私が長官になる前からいろいろな準備が始まっておった、調査があったわけであります。もちろんその調査につきましては先ほどもちょっと申し上げましたように、これは御両親陛下としても御心配になることであり、皇太子様自身のお考えということもございまして、十分お考えも伺いながら方針を立てて参ったわけであります。もとより御選考の基準と申しますものはこれは皇太子様の妃殿下にふさわしい方ということで、御健康にしろ何にしろ最上級、お尋ねがあればそう申し上げるよりほかないわけでございます。しかし現実の場合にはそういったすべて万全を備えるということはなかなか困難でございます。ただ国会においても各報道が漸次現われるにつれまして、ほとんど毎国会ごとに宮内庁の考えの御質問がございました。それにつきましてはお尋ねに従って、われわれは考えるところを率直に申し上げて参ったつもりでございます。その当初の考えは国会でもお答え申し上げたと思いますが、そういった諸要件がすぐれた方であられるのはもちろんでございますけれども、その御選考の範囲というものについてもお尋ねがあったわけでございます。御承知の通り前の皇室典範におきましては、皇族の結婚は皇族または華族に限るという規定がございました。それが新しい憲法に従ってできました新しい皇室典範におきましては、憲法の精神によって、華族制度はもちろん貴族の制度というものが廃止されたのでございます。従って、皇族男子の御結婚につきましては、何ら法制的には制限はございませんけれども、やはり皇室自体が長い歴史を持ったお家でありまするし、旧来の範囲から選考が始まるというのが、むしろ常識的であるということをわれわれも考えておったのでありますが、しかしそういったときにも、ときによっては、その範囲外に出ることもあり得る。御質問の中にも、全国民を対象にして選べというようなこともしばしば伺ったわけであります。われわれとしてはそういうようなことでお答えしたと記憶するのであります。実際の選考に当りますると、やはり終戦後の各家庭生活の変化でございますとか、あるいは優生学的な見地からの制限でありますとか、いろいろな点でなかなかむずかしい問題に逢着いたしました。従って、第一段の方針から一歩出るということにつきましても、実に時間をかけて慎重に考えたわけでございます。単純に考えたわけではなかったのであります。しかし実際問題といたしまして、一般と申しましても、どこでもいいというわけではございません。やはり日本の良識のあるりっぱな家庭ということを考えなければなりません。これのうちからまた候補を選ぶということにつきましては、相当苦心をいたしたわけであります。だんだんそれをしぼって参りまして、何人かの候補をあげ、殿下にもよく御説明をして、私どもの申し上げることと殿下の御決心も合致いたしまして、ことしになりましてようやく進行するようになったわけであります。その間私どもといたしましては、前内閣あるいは現内閣におきましても、総理大臣にはそういった経過を申し上げ、それからそういった大きな根本の方針の変更等についても説明申し上げて参ったのであります。

 皇室会議を開きますことは、先ほど仰せになりました通りに、議長たる内閣総理大臣の招集でございます。もちろん一国の官吏としての立場、議長としての立場から、私どもといたしましては、過去においても十分な御連絡と御意見を伺うということには意を配って参ったつもりでございます。そういうことで皇室会議が開会せられたわけでございます。実際先ほどお述べになりました通り、皇室会議を開くにつきましても、実は皇室会議が設置せられましてから第二回の例であります。第一回は御承知の通りに、新憲法の実施の当時に多くの皇族が下られまして、そのときが一回で、第二回であります。私といたしましてもこの取扱いについては、内々皇室会議の委員であられる方の御意見も聞きながらやったつもりであります。会議が開かれまして、できるだけ経過と資料を申し上げ、私といたしましては、世上でいわれまするいろいろな不安と申しますか、心配ということも率直に申し上げて、御説明をしたわけであります。その結果、満場一致でおきめをいただいたのであります。ただ今回の問題を離れて、将来のことを考えます際に、先ほど摂政の場合の例をお引きになりましたが、要するに結婚の場合におきましては、あくまで憲法の原則と申しますか、これは新しい憲法ばかりでなく、従前からも、これは人間の本質であろうと思いますが、結婚される方の合意がなければならぬわけでございます。事前にいろいろなものを多くの人が公式に論議をして、これを配合するというものではなかろうと思っております。皇室会議におきまする皇族男子の御結婚、将来も起るのでございますが、これはやはり両性、両方の合意というものがなければ、皇室会議の議にはならないのではないかというふうに思います。こういった選考の経過というものを国民に周知させてやるということは、その事柄の性質上、私は避けねばならないことだと考えております。その間においていろいろ派生的な問題が起りますし、人権の問題にも及ぶことであろうと思います。ただ皇室会議に慎重に審議を願うという意味から申しまして、私も今の皇室会議があのままでいいかどうかということは、実は今回当りまして、いささか考えたことでございます。今回の現実のことを申すのではなく、全体を進める上において、たとえば御結婚会のような重大なことを進めます際に、今の制度のままでいいかどうかということは多少私も考えました。まだこうしたらいいのではないかという結論はここで申し上げかねますけれども、単に御結婚のことばかりでなく、摂政の選定等いろいろ重大なことを議する制度でございますから、慎重に検討しなければなりませんが、私も正直に申し上げて、多少当時は考えて、幾らか申したこともございます。そういうような点から考えますと、皇室制につきましても、御発言のようなことが一つあるのかもしれません。どういうふうにしたらば、ほんとうに事を運ぶに容易であって、しかも慎重な審議を尽せるかという行き方について、将来検討すべきものであろう、こう考えます。申し落したことがあるかと思いますが、以上でございます。
○高瀬委員 私は別にこれ以上伺うことはありませんが、実はこういうふうな重大な国事というものは、やはり国会というものは国民の代表というか、国権の最高権威のところですから、こういうことはやはり内閣において公式に国会に報告があってしかるべきものだと思うのです。それは宇佐美さんに申し上げてもなんでありますが、私はその点を特に官房長官に念を押しておきたかったのでありますが、おりませんから、委員長を通してこれをお願いします。委員長、いいですか。特にこういう問題については、やはり公式に国会に内閣が報告する義務があると思うのです。そういうことを特に私は確かめたかったのですけれども、おりませんから、委員長を通してお願いいたします。それから、特に皇室会議のあり方ということについては、宇佐美長官もいろいろ考えておられるようでありますから、内閣においても慎重に考える必要がある。うまくいったときはいいのですが、いろいろ事が紛糾した場合に、あんなやり方、ほんとうの形式的な、イエスかノーかというようなやり方では、非常に国民が安心しない。私はこういう考えでございますから、どうぞ御善処方を要望いたしまして終ります。


○内海委員長 柏正男君。


○柏委員 今までの各委員の御質問を聞きまして、私もいろいろと考えさせられる点がございます。私は、国民の大多数は、自民党の委員さんの言われるような意味で皇太子の御成婚を考えてはいないのではないか、もっと明るい、朗らかな気持でこの御成婚を迎えておる、これが実態ではないかと感ずるものでございます。そうでなければ、これからの天皇制、これからの皇室というものに対して、私どもは安心ができないというように思います。そういう立場において私は、今度の皇太子の御成婚を契機として新しい皇室制度というものが自然に生まれてくるのではないか、そういう感じをいたしておるものでございますが、そういう観点から以下の質問をやってみたいと思います。

 今回の皇太子の御成婚は、皇太子御自身があるいはどの程度に意識されておったかはわかりませんけれども、古い封建的な皇室制度から、新しい時代に即した皇室制度に移っていこうというようにお考えになっておるのではないか、そういうように私どもは感ずるものでございます。すなわち従来の皇太子妃の選定方法と今度は、これが一変してしまっておる。皇太子みずからが、今までは日本民族の上に立つ皇室というようなものから、日本民族の中に溶け込んでいく皇室というような姿に変っていっている。古い意味の皇室制度というものは厳としてやはり中にはあるのでございましょうが、それに挑戦するように今度の新しい御成婚がわいてきておる。これに私ども国民の大多数は明るい希望をつないでおるのではないか、そういうように私は思います。しかしこういう御成婚の問題をまた違った意味で、何か皇室の尊厳を傷つけるように考えておる人たちも、今までの質問の中に出ておりますので、むしろ私どもは意外に思うくらいでございます。私どもは、戦後に民主主義の教育を受けられました皇太子が、身をもってこの時代の流れの中で、封建的なものではない、民主的なものを打ち立てよう、それを実践しようとしておられることに対して、ほんとうに力をかして、皇太子のお考えになる道を実現さしてあげねばならない、そういうように感じます。その意味におきまして、私どもはこのたびの御成婚の式につきましても、ほんとうにそういう皇太子のお気持がどの程度現わされておるだろうか、そういう点について、尊厳というよりもかえって、もっと違った意味合いの心配を感じております。しかしその点について先はほど長官からお話もございましたので、重ねて御質問する必要もないわけであります。皇太子が御婚約をされ、御婚礼の式をあげられて新しい生活にお入りになるという場に入ったわけでございますが、そのことはまた新しく次の天皇としての生活への第一歩でございます。そういう意味からして、果して皇太子のこれからの生活設計が、皇太子の意図されるような、国民の中に溶け込んでいくような皇室というようなものを、これからの生活設計の中に宮内庁としてお考えになっておるかどうか。そういう点について、新しい皇居の造営の問題とか、あるいは皇居の開放論とかいうふうなものと関連を持って、宮内庁ではどういうふうにお考えになっておるか、御見解を承わっておきたいと思います。


○宇佐美説明員 このたびの皇太子様の御婚約が、国民の大多数に非常に明るい気持を与えておるという点は、各種の面から見て間違いのないことだと私も考えております。しかし国の内外を通じまして、こういう問題にそれぞれの立場から他の意見を持ち、あるいは心配をなさる方があるということは、これまた間違いのないことだろうと思います。過去のこういった大きな問題につきましても、常にあったことであります。ただ先ほど来、非常に真情を披瀝しての御質問がございましたが、そういった一部における――将来のために御質問があったことと私はありがたく拝聴しておるわけであります。今回の御結婚がこれによってすぐどうなるということでなく、私が常に申しますように、御結婚は第一歩であります。今後これをスタートとしてりっぱな御家庭を作り、皇室の中心に立っていだたくということこそ願うべきことであろうと思います。そういうような点につきまして国民もまた相協力して、そうしてお互いに日本の将来のために進んで行くべきものであるということを考えるものでございます。われわれそのお手伝いをする立場におります者といたしましては、よく将来のこと、あるいは国民の気持を洞察して、日々そういうような問題を具体的な問題で現わしてこたえていきたいというふうに考えておるわけであります。


○柏委員 今の御答弁で私ども考えております明るい皇太子の御成婚ということに対して、皇室を初め関係者その他においても同じく考えておられることが私どもよくわかるのでございます。それだけに私は、こういう明るい日本の皇室を、再び昔のような菊のカーテンの中に追い込んでしまう、雲の上に押し上げてしまうというような形にならないように、これから天皇側近の皆さん方において特に留意をしていただきたい、そういう感じをいたしております。また正田美智子さんは民間人として宮中に入られるわけでございますから、それだけにいろいろと因襲のあるところにお入りになるので、心配もおありだろうと思います。国民もひとしくそのことを心配しております。普通の家庭でも家風の違うところに参りますと心配でございますが、それ以上の心配を国民がひとしく持っておる。この御成婚がうまくいかないようなことでもあったならば、その責任は一体どこに出てくるだろう。私ども国民のひとしく願うところは、この御成婚がやはりともにしらがの生えるまで、ほんとうに偕老同穴のりっぱな御生涯を送られますように、これを願っております。しかし宮中はなかなかむずかしいしきたりもあるそうで、先ほどお話のありましたように、肉親の方にも会いに行けないというような、あるいはおいでにならなかったというようなことがあるというようなことを聞くだけでも、胸のふさがるような思いがいたします。そういう点から人間美智子さんが人間としての生活を、これからの生涯を宮中において平穏無事にお過ごしになれるように、皆様方、特に御配慮を願いたいという気がいたします。

 その次に私の申し上げたいことは、従来とは異なって民主主義の教育を受けた天皇の時代がくる。今までのような帝王学を身につけられた天皇ではなくして、民主主義を身につけて、ほんとうに人間天皇として初めから教育された方が天皇の地位につかれ、国民統合の象徴としておふるまいになるという、今までと違った新しいケースができていく。その意味におきまして、決して帝王学が天皇に必要なのでなくして、良心至上主義に徹した、りっぱな人間としての天皇をお作りになっていくということこそ私どもは願いたいのでございまして、天皇が特別の教育を受けて、人間とかけ離れた者になっていかなければならないというお考えを持っておられるような発言に対しては、私どもはどうしても賛同いたしかねる。今の小泉さんがやっておられるような教育の仕方をこそ、私ども国民の大多数の者が、ほとんど全国民と言っていい、すべての人々がそういうことを願っているのではないか。今の皇太子に対して私ども日本民族が希望をかけ、期待をかげておるゆえんのものは、りっぱな人間としてすくすくと成長しておる純真な人である――そう頭脳明晰だというような感じをみんな持っておりません。そうでないが、人間としては実にりっぱな皇太子が、この次には天皇になられるのだというところに、日本民族の希望があるのだ、そういうふうに声なき国民の声というものを私ども感ずるものでございます。それだけに曲げられた教育をされていくというようなことはなるべくチェックしていただいて、今のようなりっぱな民主主義の教育を身につけられた天皇ができていかれることをお願いいたしたいと思っております。今まで明治憲法のもとにおきましては、確かに天皇は最終の決定権者でございました。それだけに私どもは最終の決定権者である天皇に対しましては、ほんとうに人間としての能力の最善なるものを要求しなければならなかったと思います。ある意味におきましては、明治天皇は確かに人間としても私らが考えられる能力の面から見ましても、最上級のお方であらせられたと思います。しかしそれに続く大正、昭和におきましては、明治天皇に求めた最上級のものを求めることは不可能であったと思います。明治憲法のようなほんとうの天皇制のもとにおきましては、天皇の人間としての能力が問題になっておったと思います。しかしながら新憲法におきましては、天皇はもうすでに最終の決定権者ではありません。その意味におきまして私は天皇が最終の決定権者でないそういう事態に即して、天皇が生物学をおやりになろうと、歴史学をおやりになろうと、それは天皇の自由であり、天皇もその意味において人間として十分にお好きな道をお進みになってけっこうだと思います。しかしながら私どもは天皇が国の象徴であるという点から見まして、皇室の天皇はいつもりっぱな状態であるようにおしつけを願いたいと思うのでございます。その意味からいきますと、先ほど受田委員からもお話がございましたが、現天皇におかせられては少しく身体的障害というようなものもこのごろはおありになるのではないかという懸念を私どもは感ずるのでございます。たとえば最近にございました開会式当日の天皇の御様子を見ましても、顔色はなはだすぐれられない、あるいは御歩行においてもまだ五十何才のお方にしてはしっかりされていない、言語もあまりきちっとされていないというような点から見ますと、あるいは天皇御自身に身体的障害というようなものでもおありになるのではないかという懸念さえ持つものでございます。かりにもしそういう事態でもございますものならば、皇室典範にも憲法にも規定されております摂政を置かれるということを、当然に宮内庁あるいは側近において何らかの形でお考えを願うことが出てくるのではないかという感じがいたします。そういう意味で今は一つの段階に来ておる。先ほど天皇退位のお話もございましたが、退位はいろいろの面でもし実現できないといたしましても、摂政を置かれるということは、憲法においても皇室典範においても定められておることでございますから、その限度においてこの際皇太子の御成婚を一つの機会にして、摂政を置かれるということについて何らかお考え合せになったようなことがございますかどうか、そういう点について伺いたいと思います。


○宇佐美説明員 皇太子殿下の明るい御結婚について、こういった気持を発展して明るい皇室、明るい国ということにつきましては、先ほど申し上げました通り私どもが今日がスタートで、この気持がほんとうに実りますように努めるべきものであると考えております。明治時代と現在におきましては、天皇の地位も変って参り、明治、大正、昭和と比較いたしまして、そのときの国家の情勢、社会の情勢、そういった諸制度、あるいはおそれ多いことでございますが、各天皇の御人格またそれぞれ御特徴があることと思います。常に同じ方ということはあり得ないわけでございます。日本将来のためにこの新しい感じ、国民とともに進まれるというお気持を大いに今後発展すべきであるということにつきましては、私どもそういうことで努めて参りたいと思います。ただお述べになりました陛下の御健康につきましては、最近数年間おかぜもおひきになったことございません。何ら御支障ございません。従ってただいまお述べになりましたようなことは夢にも考えたことはございません。


○柏委員 健康の点につきましては、おそばにおられる皆さん方の方がいつもごらんになっておられるので、かえってお気づきにならないのではないかというようなことさえ私どもは考えます。私どもはほんとうにときたま天皇にお目にかかるわけでございますが、ときたまのものであるがゆえになお、過去数年来の健康がお悪いのじゃないかという懸念を持つものでございます。そういう点は民間でございますればすぐ、顔色が悪いよ、人間ドックにお入りなさいということが言えるのでございますが、そういう精密検査というようなことをおやりになったことがございますか。


○宇佐美説明員 両陛下初め皇太子様、皆様方の御健康につきましては侍医が数名おりまして、常に拝診をいたしております。一切御心配ないことと存じます。


○柏委員 それではその点は私ども安心いたしますが、次に憲法改正の問題と天皇制との関連につきまして、現在憲法調査会においては第三委員会か何かでもって、すでにこういう問題は取り上げられていると思っております。こういう現在の流れの中におきましては、天皇制が憲法改正の問題の中に取り上げられるときに、昔の天皇制に返していくというような力が非常に多く動いております。民主主義政治への反動の形として、憲法改正と天皇制の問題とが結びついております。そういう状態ではございますが、しかしながら私どもが皇室の永遠の安泰という点を考えますと、現在皇太子御成婚において見られるような、すなわち皇室が今までの菊のカーテンをはずして、国民と一緒に溶け込んでいくというような姿、また先ほどお話のございました三笠宮の紀元節反対の態度と申しますか、お話というものが、かえって国民には皇室を身近なものとして感じさしていく。ある一部の人は、皇族の身分でそういうことを言うのはけしからぬというように言われるかもしれませんが、国民の大多数は、そうじゃない、なかなか三笠宮様は公平にものをお考えになっておる、皇室をして誤まらしめないようなものの考え方を持っておられるのだというように感じておるのじゃないかと私どもは考えるものでございます。そういうように、いろいろな意味合いから見まして、皇室が菊のカーテンをみずからおはずしになって、国民に溶け込もうという状態にありますだけに、この憲法改正の問題の中に天皇制が昔の姿になって返っていくというようなことは、かえってひいきの引き倒しになっていくのではないかということを私どもはおそれます。そういう意味で、宮内庁としては、こういうことに対して積極的に、天皇制をどういうようにするのか、あるいはまた将来においてもっと違う形に変えていこうとするのか、また皇室会議のようなものにそういう問題をかけて考えてみるというようなことがありますものかどうか、そういう点についてお話を承おりたいと思います。


○宇佐美説明員 憲法改正と皇室というものとの関係についてのお尋ねでございますが、現に政府では憲法調査会を設置せられまして調査の途中でございます。それはわが国としてきわめて大きな、全国民が関心を持つ政治的な問題でございまして、特に皇室のお世話をいたしております宮内庁といたしまして、そういう問題についてただいま意見を申し上げることは適当ではないと私どもは考えております。ただ歴史というものは昔のままには返らぬ、そのままには返らぬということを私はいつも考えております。


○柏委員 では最後に、実は私は昨日あるところから印刷物を届けられたのですが、その中に非常に不敬なことが書いてありますので、ちょっとそれを御披露します。その中には、粉屋の娘が殿下と呼ばれるようになり、さらに陛下というように敬われるということ自体からして、皇室の尊厳がなくなる、国民の尊崇というものが薄くなるのではないか、天皇制がそういう点から廃止されるのではないかというようなことを書いた印刷物を受け取りましたが、そういう点を考えますと、私どもは全く反対の考えを持っておるものでございます。これらは明らかに国粋主義の――昔国粋主義というのがございましたが、そういう国粋主義というか、あるいは右翼的といいますか、そういう非常に偏向したところではそういう考え方を持っておるということが考えられるのでございます。そういうことは、天皇を神格化しようという考えがあればこそ、今のような言葉が出るのでございまして、こういう考え方は、伊勢神宮を特殊化していこうとか、あるいは二月十一日の紀元節の復活をしようとかいうようなことに対する一連の連なりのある考え方であるといわざるを得ないと思っております。こういうことは、一つの皇室への忠誠のように見受けられるのでございますが、ほんとうはただひいきの引き倒しになっていく。皇室の永遠の安泰のためには、皇太子妃の選定に見られますような民主的な皇太子の考え方の方向が、私は実に大事な方向ではないかと考えます。そういう意味におきまして、宮内庁におきましても歴史の進み方に歯車を合せて、新しい社会制度がどういうように変革をいたしましても、永遠に日本民族とともに繁栄していける皇室制度を確立する。単なる目の前に見えるものだけでなくして、永遠に日本民族とともに生きていく皇室制度というものについて深くお考えを願って、国民の上に特殊な存在として作っていくという考え方よりも、もっと国民の中に溶け込んで、日本民族のほんとうの象徴として伸びていくというように一つお考え願い、新しい皇室制度もお考えいただくようにお願いいたしまして、この質問を終りたいと思います。


○内海委員長 次に菊池義郎君。


○菊池委員 宮内庁長官にお尋ねいたしますが、この皇太子殿下の御成婚につきまして諸説ふんぷんとして、国民はいろいろの誤解を抱いておるのでございます。私は、皇太子が平民の娘をそのきさきとして選ばれたことを非常に喜んでおります。平民であろうが新平民であろうが、粉屋の娘であろうが何であろうが差しつかえないと私は考えておるのであります。こういう点において、私は欣快にたえないと考えておりますが、その婚約の過程においていろいろの謀略、策略が行われておるということが、最近の週刊雑誌やその他の刷りものにおいて世間に流布され、これによって国民が非常な疑惑を抱いて、国民の頭は割り切れないような感じになっておるのであります。この際それが事実であるかいなかを長官から明確に発表されて、そうして流説の真偽を明らかにして下さるならば、国民は晴れやかな気持になり得ると思うのであります。私はもう時間がございませんので、端的にせんじ詰めて要点々々だけ申し上げますから、長官も簡単にお答えを願いたい。

 まず第一にお伺いしたいのは、この婚約の前に、美智子嬢は二十五人の見合いをしておられた。そして最後に波多野という青年と婚約、これを破棄して皇太子の方に振りかえたというようなことが流布されております。週刊雑誌に出ておりますが、これは事実でありましょうかどうか。


○宇佐美説明員 非常にりっぱな方で、従前にもいろいろ結婚のお申し込みがあったように伺いますけれども、お尋ねのようなことは全く聞いたこともございません。


○菊池委員 片一方にそういう婚約がありながら、これを破棄して婚約をするということは、世俗、人情に反し、道義をじゅうりんし、将来の国民の象徴たるべき人を作り上げるにはふさわしいことではないと思うのでございます。そういう婚約者があるかどうか、その点をお伺いいたしたい。波多野という青年です。


○宇佐美説明員 全くないものと考えます。


○菊池委員 もう一つ重大なことは、この婚約を運ばれた方々、運動に当られた方々が全部カトリック教徒である。前の田島長官もカトリック教徒であり、それから宇佐美長官もカトリック教徒であり、小泉信三氏もカトリック教徒であり、それからしゅうとになられる正田英三郎氏もカトリック教徒である。それから最高裁判所長官の田中耕太郎氏もカトリック教徒である。カトリック教徒の一連のからくりによってこの婚約が運ばれたという説が流布されておるが、これはいかがであるか、承わりたい。


○宇佐美説明員 関係なさった方々がどういう宗教であるかということは、私調べたことはございませんので、責任を持ってお答えいたしかねますが、私がカトリック教徒であるなどということはとんでもない間違いであります。ただ出身せられた聖心学院というのはカトリック系の学校でありますが、御本人は洗礼を受けておられない。あるいはカトリックが将来皇室に対して何らか影響を持たないかという心配をせられた方々が世上あるということは聞いたことがございます。しかし、もちろん美智子さんは洗礼を受けておられませんし、学校当局においても非常に慎重な態度をとっておられまして、この問題に対しては何ら御心配はないと考えるのでございます。従って、過去においてこの問題についてカトリック系の陰謀があったなどということは全然根拠がございません。


○菊池委員 もう一つ、この御結婚の話について、天皇皇后両陛下を初め皇族の方々がみな反対されたという説が流布されております。皇室会議が終りまして、その報告を宇佐美長官から天皇陛下に申し上げると、天皇陛下は怒られたお顔で、ふんまんやる方ないお顔で一言も発せられなかったというようなことも流布されておりますが、これはいかがでありますか。


○宇佐美説明員 今回の御結婚につきまして、御両親陛下であります両陛下その他皆様の御反対があって、進め得られるものではございません。ましてやただいま申されたようなデマは、取るに足らぬものと私は思います。


○菊池委員 さらに、皇室会議が開かれたのは十一月二十七日でございますが、その前十一月二十四日に、宮内庁は公電をもって館林に通知しております。こういうことは、皇室会議を無視し、皇室典範を無視し、国民を愚弄するもはなはだしき行動であるといわれても弁解の余地はないと思うのでありますが、この点はいかがでありましょう。


○宇佐美説明員 皇室会議の前に館林に電報を打ったなどということは、思いもよらぬことであります。ましてや館林に宮内庁がどうして電報を打つか、了解に苦しむところであります。


○菊池委員 別の問題に移りますが、東宮御所の造営であります。われわれは、赤坂離宮がありますので、国会図書館がドイツ大使館の跡に建ちますと、そこへ国会図書館を移して、東宮殿下が移られるものと考えておりました。ところが、もうその国会図書館の引っ越しまでそう長くもないのに東宮御所を建てるということは、費用は少いといたしましても、国民に与える影響がいかにもおもしろくないと思うのであります。それで、こういうことについては長官から天皇陛下にも進言し、東宮御所の造営は見合せて、御所ができてから赤坂離宮に引っ越されてはどうかというくらいのことはおっしゃられてもよかったのじゃないかと思いますが、この点はいかがでございますか。


○宇佐美説明員 御質問の趣旨は、皇居の建設と皇太子殿下の御所の関係でございますか。赤坂離宮でございますか。


○菊池委員 東宮御所です。


○宇佐美説明員 赤坂離宮が国会図書館に移管されまして、今国会図書館の所管になっておるわけでございます。それがあるのに東宮御所を作るのはおかしいじゃないかという御質問のように伺いましたが……


○菊池委員 引っ越しまでしんぼうせられてはどうかということです。


○宇佐美説明員 国会図書館がいつ新しいところに移られて、あとどうなるかということはまだきまっておらないことでございます。しかも一方皇太子様の御殿というのは、お一人でも非常に狭いのでありまして、御結婚を控えましてどうしても早く建設しなければならないという事情に迫られてお願いいたしたわけであります。あるいは世上説をなしで、皇居ができないのに東宮様の御所を作るのは早いのじゃないかという説を聞いたこともございますけれども、しかし実際の必要に迫られていたしたことでございます。御了承をいただきたいと思いますし、もう一つは、今国会図書館の入っております赤坂元離宮は、住居としてはとうてい使いにくいところでございます。これだけは申し上げておきたいと思います。


○菊池委員 そうすると、赤坂離宮ががらあき状態になったときには何に使うのですか。


○宇佐美説明員 現在国会図書館の所管でございまして、その後につきましてはどう措置されるか、まだはっきり決定はいたしておりません。しかしながらあれを国会図書館に移管いたしましたときに、皇室経済会議にかけておるわけでございますが、そのときの議事録を見ますると、希望としては、国会図書館が不要になりましたときは皇室の用に供するようにしてもらいたいという希望は出ておる。しかしそのあとのことはまだはっきりきまっておるわけではございません。


○菊池委員 そうしますと、東宮御所を今度新築するということは、要するに結婚のためにというだけでございますか。


○宇佐美説明員 現在お一人だけで外交団にお会いになりますとか、そのことでも困っております。また御結婚になりますればいよいよそれが激しくなるわけでございます。そういう全般的の考慮からいたしたわけでございます。


○菊池委員 国民の中には、家なくして困っております数百万の同胞がありますし、また失業者も三百万もあるということですが、そのくらいなら皇居を利用することもできようし、今の仮御所を利用することもできましょうし、どうにでもできると思いますが、皇室に限ってはそういう融通がきかぬものでございましょうか。


○宇佐美説明員 皇居の中の諸建物もきわめて狭隘でございます。またそういうわけで彼此融通すると申しましても簡単でございません。お述べになりましたように、国民の生活を重視しますならば、いろいろ問題もございましょう。しかし私どもといたしましては、昨年来国会の慎重な御審議を経て予算をいただいておるわけでございます。


○菊池委員 間組から七千万円の工事を一万円で受けると好意的に言ってきた。ああいう話は喜んで受くべきではないかと思いますが、いかがでございましょうか。向うはせっかく寄付しようと言っておるのに……。


○宇佐美説明員 東宮御所の建設につきまして、御審議になりました通りに、宮内庁の予算に上って、それを建設省に全部委託してございます。建設省が入札その他を進めておられることでございます。この間の問題につきましては、そういう申し出をせられた方の純粋なお気持をわれわれはもちろん疑いたくはございません。そういう意味で申すわけではございませんが、そういった全国民の上に立っておられる皇太子様、皇族、皇室の方々としては、一人の方の恩恵を多く受けるということはできない。これは憲法のいろいろな条章から見てもはっきり出ていることだと思います。


○菊池委員 最近皇居の移転論が盛んに行われて、読売新聞あたりで取り上げて議論まで起しておりますが、私は欧州あたりの宮城を見て、日本の皇居は世界の名城であると考えております。イタリアのローマ城、シナの北京城、エジプトのカイロ城を見ましたが、外観の美において日本の宮城に及ぶものはない。あそこから皇居を取りのけたら、世界の使臣は楽しみに来るのでありますから、彼らは失望するだろうと思います。宮城の上空の空気が悪いとかなんとか言っておりますが、それなら下町のあんな空気の悪いところに住んでおる何百万の住民は、死んでもいいのかということになるのであります。長官はこの皇居移転論についてどうお考えになりますか。また陛下はこれについてどういうお考えを持っておられますか。それを伺いたい。


○宇佐美説明員 皇居は戦災によって焼失いたしまして、その後事務所の一部を使って今日に至られたわけであります。講和条約ができましてから諸外国からの使臣もふえますし、国賓その他来訪者も非常に多く、国の力の充実とともにそういった行事も非常に多くなっております。前から国民の中におきましても、早く皇居を作るべきではないかということが盛んにわれわれの耳にも入って来るわけでございます。しかし陛下の従前までのお気持と申しますのは、戦後の国民の生活上の困苦をしのばれまして、常に先憂後楽というお気持から、今までこういう問題について触れることを私どもにはお許しにならなかったのが事実でございます。しかしいずれかはこれは建てなければならないという問題が起って参るわけでございます。われわれとしてもいろいろ調査をいたしておったわけであります。しかしその過程におきまして、皇居の位置その他についていろいろな意見が昔からございます。最近起ったわけではございません。新しく皇居を作るといたしますれば、その位置とかあるいは今までしばしば熱烈に出ております、国民が献金をしたいという各地における希望、その他建築のやり方につきましてもずいぶんいろいろな意見を申されます。ほんとうに全国民の皇居として考えるということにおきましては、単に宮内庁だけで事務的に結論をつけてしまうということは適当でないということで、今回皇居造営審議会を作り、広く御意見も聞いて、その上で慎重に進めたいというふうに考えておるのであります。ただ私どもはこの問題を解決するについては、宮殿あるいはお住居、あるいはまた陛下の御日常の模様でありますとか、世間でいわれます各種の条件を考え、しかも単に理想論でなくて、日本の経済にも合う点を考えなければならないというふうに考えております。私どもは今の皇居は一つも手をつけてはいけないというような考えはもちろん持っておりません。そういった意味におきまして、これは将来のために慎重に考えなければならない問題でありまして、単純な開放論という問題については、私は直ちに賛成いたしかねる次第でございます。


○菊池委員 つまり開放ということは、あの宮城から皇居を移転することでございますが、あの宮城から皇居を別のところに移転するということについて、長官はどうお考えになりますか。これをお伺いしているのです。現在の宮城内に皇居を置いた方がいいとお考えになりますか。ほかのどこかに移転した方がいいとお考えになりますか。陛下はこれについてどういうお考えを持っておられますか。その点をお伺いしたいと思います。


○宇佐美説明員 私どもの今までの事務的な調査では、諸種の条件から見て宮城内に作るということでいろいろな資料を集めつつございます。しかし今お尋ねのありました陛下がどうお考えになっているかは、審議会を作ろうという前に申し上げる時期でないというふうに私は考えております。


○菊池委員 結婚式に招待する外国の使臣の席順はどういうふうになるのですか。


○宇佐美説明員 今回の御結婚式において、多少他国の例もございますが、特派使節というものは前例によって受けないということでございます。ただ外交使節、外国使臣というものは、おそらく祝宴にお招きがあるだろうと思います。その席順ということでございますが、これはおのずから国際慣例によって、外務省とよく打ち合せたものがございます。おそらくそれによることだと思います。


○菊池委員 英国のエリザベス女王の戴冠式に皇太子が行かれたときに、その座席が実に右を見ても左を見ても黒人種ばかりであった。それで皇太子は憤慨されたということであった。今度の結婚式においては、英国の大使だけは黒人種の中にまぜてすわらせてもらいたいと思います。その点どうでしょうか。


○宇佐美説明員 皇太子様が戴冠式においでになって、そういう御感想を漏らされたということは、私は聞いたことはございません。席順はおのずから国際慣例があるので、今のようなまぜるということは、どうも解しかねることだと思います。


○菊池委員 それから結婚式が昔ながらの衣冠束帯、これはどうも南方の風俗のようで、世界各国に何となく日本が野蛮国のような印象を与えやすいと思うのであります。衣冠束帯というものはやめにして、最近の流行の洋風で一切がっさいやってしまったらどんなものですか。


○宇佐美説明員 過去の歴史に基かないで、新しくここでものを考えるとなれば、あるいはその場所柄も考えていろいろな案も立とうと思います。やはり皇室は一つの伝統に立っておられる、こういった大きなおめでたい儀式、結婚式場の場所柄を考えましても、やはりこれに合った服装をなさるべきだと思います。祝宴その他のときの服装は、これはまだはっきり決定いたしておりませんけれども、殿下が洋装をなさるか、あるいは妃殿下になられる方が和服になさるか、そういう点は今慎重に考えつつございます。


○菊池委員 別のことでございますが、皇太子殿下にしても陛下にしても、政治、経済学をさっぱり研究せられないで、生物学ばかり研究しておられるのでございますが、これからは皇太子にも政治、経済の学問を熱心にさせ、国際情勢も勉強させなければならぬというように私は考えておるのです。生物学の研究ばかりではどうも心配だと思う。日本が第二次大戦に突入したのも、天皇陛下が国際情勢を知らないで生物学ばかり研究して、カエルの目玉やホタルのしりばかりいじっておられた結果、とうとう軍部に押し切られて、ああいう悲惨な目に日本を陥れたのでございますが、これを考えるにつきましても、やはり天皇というものには政治経済学をしっかりやっていただかなければならぬと思うのでありますが、そういう点は長官はどうお考えになりますか。


○宇佐美説明員 ただいまの御発言は私どもはきわめて意外で、私どもはそういう認識は全然持っておりません。特に陛下や皇太子様が生物学ばかりというようなことは、全く根拠のないことでございます。現に外交問題については、毎週のように外務省の専門家に聞いておられます。経済問題についても、時々その道の人を呼んで聞いておられますし、皇太子様も御勉強になっておられます。皇太子様も今後だんだん学校を出られまして、そういう政治、社会、あらゆる問題についての御認識を深めていただく方針のもとに現に進めつつございます。御安心をいただきたいと思います。


○菊池委員 それから天皇という名称でございますが、外国語に訳しようがないそうですね。ヘブン・エンペラーというような訳はない。天皇という実に古めかしい、いかにも新興宗教のような名前で、われわれは聞き苦しいのでありますが、何とかこれを改めて――日露戦争当時には、宣戦の詔勅にも、大日本帝国皇帝となっていました。皇帝とか大帝というように現代語に改めてはどうかと思いますが、そういうことについて長官に何か構想はございませんか。


○宇佐美説明員 天皇ということにつきましての御発言でありますが、長い歴史と、現代の憲法、日本国民の大多数の感情から、そういうことは、私はないものと考えておるのでございます。


○菊池委員 さらに宮内庁の機構でありますが、一万人から現在は千人近くに減らされている。けれども、世界の宮廷を見ましても、千人もの吏員を擁している宮廷はどこにもない。日本がこういう貧弱な国家でもって、千人近くの吏員を擁しておるということは、いかにも不均衡であると思うのでありますが、これを敗戦の今日において、また陛下も今までの大権を失われた今日におきましては、そうたくさんの吏員は必要はないと思う。これは二分の一でも、あるいは五分の一でも私は間に合うのではないかと思いますが、これを大々的に削減して、三分の一ぐらいに減らす、そういったお考えはございませんでしょうか。


○宇佐美説明員 宮内庁の陣容につきましては、今仰せになりましたが、終戦当時においては約六千二百名でございました。現在千人以下でございます。もっとも六千といううちには、農林省に移管いたしました帝室林野局、それからただいまの国立博物館、学習院等、仕事とともに移ったものを除きましても、当時の三分の一でございます。終戦後十回以上にわたって徹底的に一人々々の仕事の内容を見て、減らしてきたわけであります。しかもわれわれといたしましては、中の配置転換につきましても、急不急を見ながら極力増員を避けていたしておるわけであります。われわれとしまして、終戦後とあまり変らないいろいろの諸施設を擁して、三分の一以下の人で全力をあげてやっておる状況でございます。外国との比較もございましたが、イギリスの王室等につきまして、幾ら向うへ行って調べてもなかなか実はわからない。しかし最近統計年鑑等を見ましても、課長ぐらいの幹部だけでも四百人、その下は幾らいるかわからないのであります。そういうようなことで、数というのは全国に散っている御陵七百八十カ所の管理まで含んでのことであります。私どもは現在の状況が多過ぎるということは現在考えておりません。しかし将来事務の必要によって――たとえば外国関係が非常にふえつつございますけれども、増員もいたしておりません。それは中のやり繰りをしてやっておるような実情でございます。


○菊池委員 千人ということは外務省とほぼ匹敵しているのでありますが、外務省にほぼ匹敵するぐらいの人員を擁するということは、今の宮内庁としてはあまりにも多過ぎると考える。この点一つ御工夫を願いまして、私の質問は終ります。


○内海委員長 高橋禎一君。


○高橋(禎)委員 もう時間もだいぶおそいようですし、あともう一人いらっしゃいますから、簡単に今日の委員会で出ました問題に関連して、長官に二、三お伺いをいたしておきたいと思います。

 私は宮内庁に対して非常な理解者といいますか、同情者といいますか、そのお立場を理解して、ほんとうにお気の毒だ、かような感情がわいてくるのであります。と申しますのは、昭和二十年、敗戦後占領政治の時代、これは日本の天皇制に対するいわば革命期といいますか、国民の天皇制に対する考え方が非常に動揺をした時代であります。ところが独立いたしました今日においても、一部には天皇制を否認するような考え方の人もありましょう。それからまた一部には、今の憲法の表現しておる天皇が日本国の象徴である、日本国民統合の象徴であるという、そういう言葉をもってしたのでは、まだいわゆる天皇制に対しての表現としては不徹底であるといったような考え方の人もありますでしょうし、天皇制についての考え方はいろいろあるわけであります。その間にあって、憲法は天皇制を認めているわけでありますから、天皇制を擁護し、憲法を守っていこうということに非常に関係の深いお仕事をしておられる宮内庁としては、なかなか仕事のやりにくい面があると思うのであります。しかしそのむずかしいことは、国民大多数は承知しているわけでありますから、憲法その他の法制の精神に従って、強い信念を持って私はお仕事をやっていただきたいと思うのであります。

 そこで、それに関連いたしましてお尋ねをいたしますが、天皇、摂政については、憲法に憲法擁護の義務を明らかに規定をしているのであります。御承知の通り第九十九条に、「天皇又は摂政」云々は、「この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」こういうように規定しておりますから、私は天皇御自身は、天皇制を擁護していこうということに対しての国家的な大きな責任をやはりお持ちになっておるように思われるのであります。ところが一般の皇族の方は、一体どういうふうな御関係にあられるか。お尋ねいたしますのは、国民全体が憲法を尊重し、憲法の認めている天皇制を守らなければならない責任があると思いますが、皇族の方々は、いわゆる普通国民と同じような意味においてであるか、あるいはまた天皇と格別御関係の深い方々であるから、天皇に準じての立場において天皇制を擁護していく責任をお持ちになっているのであるかどうか、その点についてのお考えがありましたらお聞かせ願いたいと思います。


○宇佐美説明員 皇族のお立場の御質問でございますが、現在の皇室典範におきまして皇位継承権の義務をになう方、皇室として法律的にも、その経済的な面においても、いろいろな規定があるわけであります。それはあくまで皇位継承権者としての責務であろうと思います。それだけに国家的な配慮がなされておる。従ってそういうお立場でございますから、よけい中立な立場におられて、それぞれの立場においで国のためにお尽しになるということであろうと思います。昔の規定によりますと、天皇は皇族を監督するというような規定もございました。今はございません。またその経済の立て方の問題、あるいはそこに勤めます職員の問題にいたしましても、あの規定のできましたのがまだ占領下の時代でございまして、占領軍の方のいろいろな意向も相当多く入ってきたのではないかと想像されます。今から見ますと、いろいろ実情に合わないような点もあろうかと思いますが、そういう点のはなはだしいところは多少訂正を国会でお願いしたこともございます。そういうような意味で、皇族という方が、やはり天皇の御一族と申しますか、そういうお立場から今申し上げましたようなふうに、りっぱな行動をしていただくようにわれわれは念願をするわけでございます。


○高橋(禎)委員 今長官のお話のありましたように、やはり皇族は一般国民とは異なった立場において、天皇制を擁護していくという責任があると私は思っておるのであります。そういうことになりますと、その責任を果されるために、やはり教育の問題も起ってくると思うのであります。学校教育、それから世間でいうその他の社会教育と言ってはちょっと表現が正しくないかもしれませんが、学校教育以外の教育によって、その線に沿ってほんとうにその職責を果されるようなことが必要であると思うのでありますが、皇族の方の教育に関して、宮内庁ではどういうふうな配慮がなされておるか、また制度上どうなっておるか、それについてお尋ねいたしたいと思います。


○宇佐美説明員 皇族と申し上げましても、陛下の御膝下にあらせられます未成年であられる方は、清宮様だけであります。そのほかの方はすでに成年に達しまして、学校を出て、それぞれ研修を積んでおられるわけであります。そのほか秩父、高松、三笠宮関係は、すでに相当のお年でございまして、一家をなされておりますので、特に私どもは教育というような面について何らいたしておりません。ただ三笠宮様のお子様が御五方おられますが、これは御両親が慈愛の目でもって教育なさっております。まだお小さいのでございまして、宮内庁としてはただいまのところ特に御方針なり、いろいろなことについて申し上げたこともございません。その御家庭において今御教育をお進めになっておるわけであります。まだ上の方が中学でいらっしゃる程度でございます。


○高橋(禎)委員 天皇それから皇族の点については今のお答えによりましてわかりましたが、今度は皇族でない、いわゆる御親族の方々については、これはもう一般の国民と同じであるか、あるいはまた先ほど来お話のあったような立場にあられる方々の親族であるという立場で、宮内庁としては、いわゆる皇室を守り、そして日本の天皇制、すなわちそれは憲法ということになりますが、守っていくために格別の配慮がなされておるか、あるいはそうでないか、その点いかがですか。


○宇佐美説明員 ただいま仰せの通りに、皇族でおられて御結婚等によってすでに皇族の籍を離れられておる、あるいは新憲法と同時に皇族籍を離れられた各宮家、あるいはその他の御親族の関係は、今お話のございます通りに、これは一国民としてのお立場でございまして、宮内庁でとやかく干渉すべきではございません。ただわれわれ皇室の私的な面についてのお手伝いをいたしておりますから、何か御連絡でありますとか、何かの御希望等がございますれば、お世話するときもございますが、これはあくまで役所の仕事ではありません。


○高橋(禎)委員 天皇及び皇族の方々が、先ほど来話に出ました人間としての幸福な生活を送っていただくように、国民は一人残らず念願しているわけであります。さらにその上に憲法上りっぱな立場にあられるのでございまして、またそれが確立擁護されていくということを、国民の大多数が念願しているわけでありますから、国民のその気持を尊重し、それを失望さすといったようなことのないように、私どもは現在のごとく将来もあっていただきたいということを念願しているわけでありまして、やはりそれには教育という問題が非常に関係があると思いますので、それらについても特段の御配慮が願いたい。また法制上必要なものについては、やはりその制度を確立する必要もあると思いますので、それらについてお考えがあれば伺いたいと存じます。

 次に、今度は物的設備の問題であります。皇居運営に関しての審議会設置法が提案されているわけでありますが、私どもりっぱな皇居の造営されることを希望する者の一人でありますが、ただこの場合に考えなければならぬと思いますことは、私、外国をちょっと回ってみましたところから受けた印象、あるいは日本の歴史及び現在残存している有名建築等を見まして、りっぱな建物というものが何かそこにやはり人間に対して大きな影響を与え、意味を持っているということを痛感しているわけであります。従ってやはり日本の国の象徴としての天皇のお住居なり、または憲法上認められておるお仕事をなさる関係、それからさらに国際的な影響というようなことを思いますときに、私は日本的な、そして非常にりっぱなものを造営されることが必要だ、いたずらに外国式のまねをしただけの建物で、バラックのような印象を与える。とても外国のまねをしましても、外国の宮殿のような大きなものを作るということはなかなか容易でない。それにまねをして洋間を作っても、それがまた貧弱であるということではいかぬので、やはり天皇制はその制度そのものが日本のいい伝統といいますか、国民の気持の現われでありますから、天皇がお住まいになりあるいはお仕事をなさる場所というものも、やはりそういう考えをくんでやられる必要がある。もちろんこういうことについては審議会等において十分検討されることであると思いますけれども、それらについての資料、お考えというようなものを、十分国会あるいは審議会等に出していただくようにされることがいいと私は考えておるのでありますが、それらについてはどういうふうなお考えでしょうか。


○宇佐美説明員 将来建設さるべき皇居の様式等についての御発言でございますが、私どももいたずらにヨーロッパのまねをする必要はないのじゃないか、私参ったのではございませんが、宮内庁から調査いたしました報告を見ましても、非常に歴史的なものが多いのでございまして、とうていそれをそのまままねることができないのは当然でございますし、日本で建てます以上は、日本の建築の技術と日本的な現代の建築最高の技術を合せて取り入れてやるべきだろう。もちろん様式等は周囲の風光その他にもよることでございますし、なお大ぜいの方が入られることでありますから、利用の面からも十分考えなければならぬ。またこれは何事でもそうでございますが、やはり質素にやってはどうかということ、いや豪華でやれという説もありましょうが、しかし宮殿と申しますか、皇居としてふさわしいものでなければならないと私は思っております。また昭和のほんとうにいい建築だといわれるような工夫をしなければならないというふうに思っております。


○高橋(禎)委員 では最後に同じようなことになりますけれども、希望を述べておきます。こういう問題については、いろいろの意見が出ますが、ただそのときに出た雑然とした思いつき等に押し流されるというのではなくて、憲法の認めておる天皇制を守るために、私はやはり皇居というものの規模その他が非常に影響すると思うのでありまして、人の問題、物的設備の問題等を十分総合的に考えて、大いに天皇制を守っていこう、憲法を守っていこう、そういう考えで一つ進めていただきたいということを特にお願いをいたして、私の質問を終ります。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005a.html



▲△▽▼

平井義一 (政治家、没年不明) - Wikipedia

平井 義一(ひらい ぎいち、1913年3月 - 没年不明)は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)。


経歴

東京都出身。明治大学法学部卒。東京地方専売局に勤務した後、計理士となり、麹町区議、東京市会議長秘書を歴任する。1947年の第23回衆議院議員総選挙で福岡4区から日本自由党公認で立候補して初当選。以来5期務める。

第4次吉田内閣で郵政政務次官に就任する。1955年の保守合同により自由民主党衆議院議員となる。

1960年の総選挙で落選。その後も複数回総選挙に出馬したが、いずれも及ばず、国政復帰はならなかった。

このほか横綱審議委員、日本プロレス協会長などを務めた。

1972年にはシングル「部隊長」(キングレコードに製造を委託した自主製作盤。品番:NCS-387)で歌手デビューもしている(B面は神田たかし「青年の歌」)。


参考文献
『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E7%BE%A9%E4%B8%80_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)



▲△▽▼


それにしても、正田家と美智子さんの うさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね。

これでも皇后擁護? やり放題になった乱脈皇室 2015-12-02
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12101934575.html


それにしても、美智子さんのうさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね。


こちらは↓数ヶ月前から保存していた資料なのですが、

第三十一回 国会衆議院 内閣委員会
昭和三十四年二月六日(金曜日)午前十時十九分開議
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/031/0388/03102060388005.pdf


言及するには「続日本記」まで解読、その他勉強と関連資料集めがたくさん必要で一日延ばししている内に、不定期更新になってしまいました。

絶句するような、大変なことも述べられています。

いつ、きちんと学び解析できるか分かりませんので、とりあえず第一級「資料」として皆さまにご提示します。この記録もこの所、ぼちぼち表に出始めていはいるようだし。

これに併せて、美智子さまが大左翼政党社会党に支持されての入内であったことを、ぜひご記憶ください。またカトリック団体からの応援があったことも。

こちらの国会記録を通読してまず思ったのが、皇室への敬意は昔のほうが強かったと一般に思い込まれていますが、戦前はともかく戦後の数年間は皇室への国民への視線は非常に厳しく現在より冷静であったようです。

そして、巧妙になし崩しにことは運ばれて、現在は皇室の権力が危険水域に達するまで強大になっています。天皇陛下による、内閣に無断のイミョンバク元大統領への親書による接触で友好・謝罪訪問願い、

日本最大の巡視艇を私用に改造してのパラオ行き決行(政府は反対)、皇太子による習近平夫人への接触、創価学会イベント参加、池田大作氏の息子との会食、皇后陛下による従軍慰安婦問題への関与、A級戦犯発言、九条の会加担、元GHQメンバー賛美・・・・他、政府と国民の意向は無視して天皇皇后の「私情」正確には皇后の意志優先で「やりたい放題」になっているのが現在の皇室です。

要するにOSS発GHQの描いた10年がかりのシナリオ通りにことは運び、間もなく日本解体皇室弱体化劇は、エンディングを迎えようとしています。OSS3年間、GHQ7年間をプラスして10年間をかけて練り上げた完璧に近いシナリオです。

そこに、秋篠宮殿下による、シナリオライター(OSS、GHQ)の予想外の
ドンデン結末が付け加えられるかどうかが、今後の皇室のひいては日本の新たな物語の幕開けになるか、亡びへの序章となるか、でしょう。

政治も含め今の流れのまま、事が進むなら日本は変質して、もはや日本という国は消滅してしまうでしょう。

OSSは日本の精神性瓦解、GHQは日本の軍事力解体と2本の柱はありますが両者の目的はむろん通底してそれぞれ存在していました。いえ、過去形ではなくOSS発GHQの埋め込んだ自己増殖を続けるウィルスは現在も作動中、その目的を今や果たしつつあります。

安倍総理による後三年間の政治の安泰と、秋篠宮殿下の表舞台への御登場を切に望む次第です。

(お断りしておきますが以前から弊ブログでは安倍総理100%の支持者ではないことは繰り返し表明、批判すべきはして来ています。ただ現実厳しき中、この現実を踏まえつつ、現時点では他にいない以上安倍総理を推すしかないと思っています)

「君は尊くましませど、民を苦しむれば天これを許さず」

これを弊ブログ主は手を変え品を変え、訴え続けてきたわけです。
自称保守が、凝り固まって見ようとしない点。
昔から「民を苦しむる」天皇はいたからこその、北畠親房卿の言葉です。

*北畠親房

北畠 親房(きたばたけ ちかふさ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の公卿。著書の『神皇正統記』で名高い。

昔は、宮中に自浄作用がありました。だから不適格の皇太子や天皇が排除され、現在まで皇統を繋いできたのです。

現代、自浄作用は廃絶されました。雅子さん入内により、小和田王朝自虐史観王国が外務省創価派により形作られ、しかし小和田王朝成立の背後には、正田美智子さん入内により始まった、OSS発GHQによる皇室壊しが始まり、民の気づかぬ内に皇室への批判は公にはいつしかご法度とされ、政治家もこの分野には口をつぐんで硬直するようになってしまいました。

第三十一回 国会衆議院 内閣委員会の記録を 読めば解るように、昔は実に発言が自由、批判も可能だったのです。
「不敬」の一言で発言を封じられる今が異常なのです。
思考停止保守というのは、まさしくGHQ勢力の思う壺、皇室を崇めているようで、実は貶め弱体化したい勢力の催眠術にむざむざかかっています。

「(皇太子の地位は)必ずしも現在のような長子相続という形ばかりではなかったのでございます」

これも現代日本人が知らないことの一つではないでしょうか。思えば長子相続に何らの意味はなく、有能なほう、海外にお出ましになられた時の風采も押し出しも含めて決められるべきでしょう。

秋篠宮への委譲を主張するものに対して「不敬」呼ばわりする思考停止層は、歴史を知らぬと言うべきでしょう。

うがてば、長子相続制度の設定はGHQ勢力の目論見であった可能性もあるかもしれません。
A級戦犯の絞首刑を今上(当時は少年としての皇太子)にぶつけ、お前もいうことを聞かねば吊るすぞと脅しをかけ、更にはバイニング夫人による洗脳と、当時の長子である皇太子を洗脳したわけですから、それをさしおいて弟君に即位されたりすると、計画が覆るので、長子と限定させたとも(可能性として)考えられます。

「先生、日本はもう、しまいましたね」
皇室尊崇の老婆がこう言った、と。見抜いていたと言わざるを得ません。その尊崇故に老婆には却って見えるものがあったということではないですか?

現代も同じこと「尊崇故に」物申すのです。批判無き輩は皇室を真剣には思っていません。

「もう皇室の尊厳というものは・・・・だんだんなくなって来る」

その通りになっていますね。「不敬」という言葉を錦の御旗に、口封じしてその結果、国民の尊崇を得られない皇室に成り果ててているわけです。たかが庶民の粉屋の娘が、女帝として今は宮内庁も天皇も従え、皇室の頂点に君臨していますが、その皇室は政府の意志すら無視して、ことを決行するようになっています。韓国大統領への友好願い親書、巡視艇の私的改造、使用他。

それらを糊塗するがごとき、被災地訪問。これは昭和になって始まったことであり、しかし被災地に必ずしも心を沿わせてのご訪問ではないことに、国民は気づき始めています。鬼怒川の氾濫がきっかけでした。
まだ混乱の最中に、護衛の車を連ね人々を引き連れて乗り込まれ、ただお辞儀するだけの、プロモーション映像制作のためのパーフォーマンス。

しかも皇后陛下は、朝鮮式挨拶であるコンスのポーズでのお辞儀です。

「今少し厳格な教育をされたらいかがですか」

これは当時の皇太子(今上陛下)のことで、当時の言動を拝すれば「よくぞ言ってくださった」と思われます。軽薄極まりなく、朝9時から勤務して夕方5時には終わり、後は家庭生活を大事にしたい、などと。だったら、皇籍離脱してご自身でお稼ぎ遊ばせ、と当然なりますね。学習院大学を落第したのに、特別措置で「学業終了」として卒業扱いにしてもらったお方の頭脳で、何を考えられるやら。


特権と富は手放さず、権利は庶民と同じ生活形態を望む・・・・・現在の皇太子の在り方そのままです。元凶は天皇陛下にあり、ひいては皇后陛下にあります。

そして1959年(昭和34年)の頃は、民が「もっとまともな教育を」と宮内庁に注文がつけられていたのです。それも国会の場で! 今なら考えられませんね。一切の批判を許さず、という偏頗な形に持って来られ、それは決して皇室の健全な存続に資することはありません。

批判すればよってたかって「不敬」の連呼。こと皇室問題に関しては北朝鮮にさせられてしまいました。

三笠宮は皇族でありながら、神武天皇を否定するということは当然男子一系否定、つまりは自己否定なのですから、皇籍は離脱なさるべきだと思いますね。

皇族であるアイデンティティを否定しながら皇族として、無為の暮らしを送りつつ、大枚の国費を受け取りながらのありようは欺瞞です。あまつさえ、南京大虐殺の肯定。

今上陛下による、先祖に朝鮮人がいる発言も必ずしも歴史の定説とはならざることを含めて、言ってはならぬことをお弁えではありません。今上陛下も三笠宮もこの基本の禁句を心得ていらっしゃいません。


「美智子嬢は25人の見合いをしていられた」

「最後に波多野という青年と婚約。これを破棄して皇太子のほうに振り替えた」

宮内庁側は否定していますが、否定せざるを得ませんね。
むろん、当時の週刊誌の記事をまるごと信じるわけではありませんが、国会という言質が取られたら厄介な場で、見合い25回、25回目の婚約者が波多野、と極めて具体的な回数と名前が出てきていることに留意は必要でしょう。

「美智子嬢」が15歳から、見方によってはいささか下品な婚活パーティに出ていたことは既報の通り。主催者がGHQ寄りの人物である可能性についても触れました。15歳でエリート男子を狙っての婚活なら、25回見合い歴はない話ではないでしょう。三島由紀夫との見合いも否定する人がいるようですが否定の論拠は曖昧です。


拙ブログが最近掴んだ、入内にあたっての関係者がすべてプロテスタントかカトリックのキリスト教徒であるという事実が、当時も不可解に思われていたのですね。「カトリックの陰謀」と表現されていますが「カトリック(プロテスタントも含む)を日本と皇室弱体化ツール」として使ったのはGHQです。

ただこの時代にGHQを口にしたら、その地位から(場合によっては命さえ)消されかねない状況ではあったかもしれません。一番の恐怖はこれもGHQが日本弱体化の尖兵として使った朝鮮人が束になっての親、子供への押しかけ、恫喝であったでしょう。彼らが特権を奪い取るにあたっての、常套手段です。

美智子さまご成婚時は、GHQが表向き引き上げてから7年間が経過していますが、GHQが愛国者をバサバサ刈り取って残った自虐史観売国奴が国のあちこちを仕切っていました。雅子妃の父親、小和田恒氏が外務省におけるその典型です。だから形としてのGHQは解体しても、去った後GHQ勢力は根強く日本に残り、定着しました。

美智子さまの父上正田英三郎氏もカトリック教徒だったのですね。

冨美夫人との出会いが双葉高等女学校の「礼拝」であった、というから美智子さまの母、冨美さんもカトリック教徒だったということでしょう。
臨終洗礼とされていることに、拙ブログは疑問を呈してきました。
美智子さま入内にあたって、一族郎党全員カトリック教徒であることが解ると、当然美智子さまの信仰にも疑義が及ぶので、自らは受洗していないことにしたのではないか、と。

祖父母の代から一族郎党全員カトリック教徒(ブログ主独自の調査で現在ミャンマー在住の、正田姓を名乗るお身内の方もカトリックだと掴んでいます)の中、美智子さまだけ違うというのは無理があるのではないでしょうか。洗礼はまずお受けになられている・・・・つまり入内にあたって、嘘をつかれた可能性があるかもしれません。いや、相当濃厚にカトリック教徒として胸に十字架を抱いたままの入内ではなかったかと、考えるほうが自然でしょう。

信仰を密かに抱かれていなければ、その後のカトリックへの明らかに頻繁な接触が説明出来ません。
美智子さまは、大変な嘘をつかれての入内と拙ブログ主は心証的には色濃くそう思っています。

朝日新聞記者により、発表されたカトリック信徒を思わせるベール姿が公開された時、わっと泣き崩れた美智子さま。勝ち気な美智子さまが泣き崩れるほどの衝撃は、自らがカトリック教徒だったからではないのですか?

もしそうでないのなら、違いますと答えればいいだけのこと。

嘘をついての入内を今更難詰しても、現実を変える力はありませんが、皇后なるお方が政府と国民、そして昭和天皇皇后両陛下を裏切って、皇太子妃となった方かもしれないということは、国民は知っておくべきでしょう。

仮にカトリック教徒でないとしても、頻繁なるカトリック教徒たちとの交流、教会行き、ローマ法王への傾斜など、神道の祭祀王の妻としての立ち位置は著しく損ねていらっしゃいます。合唱練習を名目に母校への月一回の訪問は、敷地内にある聖堂で礼拝なさるためではないのですか?

私的お出ましにも、護衛の車10台が付き従うと仄聞します。そのつど大きなお金が出て、年間通算すると莫大になるでしょう。九条の会の音楽家の追悼コンサートへのお出ましも、公のお金が費やされています。

言葉を変えれば皇后の「反日左翼活動」に私たちが営々と時に苦しみながら納めている税金が、いとも安易に使われているということです。

美智子さまは、象徴であるということに対して何やら小難しい理屈を述べて、象徴であることは出来ないと言っていらっしゃいますが、そんな言い分は、屁理屈と申します。

ことは簡単でたとえば、浮世の政治的なイベントにお出にならぬこと。
あの大戦への言及、憲法に対するお考えなど、国民の世論を二分するそのどちらかへ加担などなさらないことなのです。

象徴であらんとすることは、何をすべきということではなく、してはならぬということをお守りになることです。

こんな簡単なことがお分かりにならない愚昧さ。

美智子さまの入内に関して皇族全員が反対という説は否定されていますが、しかしながら「全員」賛成という説のほうが首肯出来かねます。

不自然ですよ、美智子さまも雅子さまも入内にあたって周辺では強い反対に取り囲まれながら、皇室会議においては一人の反対もなく、すんなり決定。

双方、きちっと調査がなされれば絶対あり得なかった、と言いきってもいいほど
「瑕疵」のある縁談なのに。

外国先行報道、あるいは報道先行で既成事実化して現実周辺では
反対論が渦巻いているのに、皇室会議では反対者ゼロで通過の
不自然さも小和田雅子さん入内の時と同じ手口ですね。

他幾つも、新たな発見がある国会記録かと思われます。
読んでみてください。平成の世の皇后陛下を論じるにあたって
後世相当役に立つ資料だと思われます。それゆえ他の資料のように
押し隠しておきたいでしょうが、国会記録抹殺まではさすがに出来かねたのでしょうか、国民にとっては幸いなことでした。

後世の評価はおそらく前代未聞、希代の悪女皇后となるかと思われます。

その悪辣さにおいて美智子さま。無能力なダメさかげんにおいては雅子さま。
いずれも皇室の歴史上、突出した黒歴史として末代まで残ることでしょう。
そしてそれを支持した、愚かしい民衆が保守の名で存在していたことも。

備考 田島道治宮内庁長官(無教会 派)、宇佐美毅宮内庁長官(クエーカー)などもクリスチャンと、拾えますが決定的データは今のところ拾えないでいます。いずれにしても美智子さまの入内に絡んで動いた人々にキリスト教関係者が偶然の確率超えて以上に多いのは事実。荒っぽく言えば、宮内庁はクリスチャンと創価学会の巣窟となっているかもしれません。

美智子妃入内にあたってはキリスト教が背後に。
雅子妃入内にあたっては、創価学会。

・・・・・・・・ここまで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


追記 読者さまよりコメ欄に寄せられた情報。


WiLL 1月号に、『皇后の真実』 工藤美代子 著 の書評があります。
元産経新聞記者の方が書かれていますが、最後の方の記述にびっくりしました。
この方が記者時代、皇后に直接関わった高名な二人から、激しい皇后批判を別々に聞き驚いたそうです。
口外していないけれど、今でも忘れられないということですから、ぜひどこかで書いていただきたいものです。

・・・・・・・・・・・・・・ここまで

逝去の後、少しずつでも結局全部語られ、さらされそうです。


更に追記 コメ欄への読者さまからの書き込み

質問に立った自民党議員は、昭和の憂国の臣だと思います。
天皇の本道・本質を明らかにし、すでに始まった劣化と将来迎える危機を鋭く指摘して下さった自民党議員に感謝とお詫びを申し上げたい思いで、どのような方なのか少し調べてみました。

《平井義一衆議院議員 自民党》
平井議員の深い洞察には改めて感服します。議員生命賭けての質

疑だったと思います。
しかし平井議員が憂慮されたとおりになってしまい、今、泉下からご覧になって何を思われていらっしゃるか。

平井議員は「吉田学校=吉田茂派閥」のメンバーで、第四次吉田内閣で郵政政務次官就任。その他に横綱審議委員や日本プロレス会長(893大親分複数が役員になっていたので警察に解散命令出された後の一新人事で会長就任)等務めた形。

入内するところまでは、吉田茂はミテコ押しだったはずなので、退陣後といえども親分に逆らったのですから…(後に御所でのプッツン振りを知り、アンチミテコになったとか)
義一さん、真の国士でいらっしゃいます。
この後の選挙は落選が続きそのまま引退されていますので…逆風吹いたかなぁ?
没年も判らないなんて、悪の藩屏に抑え込まれたのか?

写真中央が平井氏(横審時代でしょうか。元関脇北の洋・緒方昇氏宅とのこと)
h ttp://members3.jcom.home.ne.jp/abashirikai/jpeg/tuitou-3.jpg

《菊池義郎衆議院議員 自民党》
菊池議員に至っては、質問をするために、この回のみ町村金吾議員(故町村信孝議員の父上)と交代して委員になっています。
美智子さんの疑惑はもとより。国会図書館設立に尽力した人なので、赤坂離宮内の図書館廃止の件を取り上げたかったのでしょう。

せっかく、見合い25回で婚約者有り、入内チームがカトリック教徒(正確にはキリスト教徒と言うべき)だらけと良いところを突いていても。宇佐美長官に揚げ足取られたり突っ込みの甘さから、週刊誌報道の火消しに終わり、残念に思います。でも、当時から胡散臭さは知られていた事を記録に残してくださいました。

衣冠束帯では南方の風俗のようで野蛮国と見られやしないかとか、英国女王戴冠式では皇太子が黒人の中に座らされたので、婚礼では英国大使は黒人来賓の間に座らせろだの……_| ̄|○ (宇佐美長官の気持ち)
猪突猛進、一言居士、「黒潮に吼える男」という小説になっただけはあるオモロイおっちゃんです。平井議員と初当選当時から同期でしたが、菊池議員はこの後も当選を続け、叙勲もされています。

更に追記

尚、
菅原研究室の国会議員白書から両議員の議員歴を、
wikipediaから大方のプロフィールを把握し、さらに検索して確認しています。

平井議員の写真は"たぶん"ご本人ではないかと?……程度です。

平井義一議員
http://kokkai.sugawarataku.net/giin/r00419.html

菊池義郎議員
http://kokkai.sugawarataku.net/giin/r00139.html

菊池議員題材の小説
『黒潮に吼える男』上野登史郎著/三彩社刊
八丈島出身の自民党きっての硬骨漢・衆議院議員、菊池義郎の伝記小説。物語は彼の出生から国会議員になるまでが、明治時代の政治(大熊重信などとの交流)や文化(島村抱月や須磨子などとの交流)、そして島の様子がイキイキと描かれていて面白い。島抜けしてからの一徹な苦学生活、普通選挙実施や元老廃止などの演説運動、さらには議員になってからの私学振興議員連盟を作ったり、国会図書館などを作ったりと紹介されている。
h ttp://www.muse.dti.ne.jp/~squat/fiction.htm


それにしても、平井議員の消息が不明って…怖いですね。
https://ameblo.jp/kusanagi-turugi-2014/entry-12101934575.html

▲△▽▼

それにしても、正田家と美智子さんの うさん臭さを国会で追及した平井議員の消息が不明って…怖いですね _ 2

これが、現代皇室の現実。ブサヨの巣窟に現れた皇后陛下 2016-06-22
https://blog.goo.ne.jp/sitihenge994/e/319d1c927965be306fdfa254b877efdd

正田美智子さんの入内にまつわり、キリスト教徒のみが関わっていることのうろんさをついた国会議員が当時いました。

1959年2月 国会で平井義一議員が正田美智子入内の胡乱さと出自を問い詰める。
その2ヶ月後の1959年、正田美智子入内。
その翌年の総選挙で、今まで5期落選したことのなかった平井義一落選。

天皇皇后の左翼化

皇后陛下が、左翼の連中や組織と親密であられることにテーマを
絞るつもりで書き始めたのですが、結果的に今までの「総まとめ」ともいうべき
記事になったようです。志ある方は保存なさってください。

左翼の巣窟に出入りの皇后陛下

http://www.asahi.com/articles/ASJ6673Z7J66UCVL01Y.html 

反日左翼「九条の会」秋山ちえ子さんお別れの会 皇后陛下が会場に
皇后陛下の入内には戦勝国GHQがからんでいます。入内前に、正田家とGHQの要人とがアメリカ産小麦粉利権を介在に癒着していたのは、事実です。
客観的史料があります。

やっぱり!! 正田家とGHQの癒着。美智子さま入内を仕組んだGHQ 

そして美智子さんの父親は、アメリカ産小麦粉の宣伝マンとして
GHQの協力要員でした。

日本の国会が知らなかった正田美智子さんの婚約が、アメリカで先に報じられたのはそういう理由です。入内にまつわり、キリスト教徒のみが関わっていることのうろんさをついた国会議員が当時いました。今は亡き平井義一氏ですが、おそらく議事録に残っていること以上の闇を承知していたと思います。
よく殺害されなかったことです。しかし・・・・・

1959年2月 国会で平井義一議員が正田美智子入内の胡乱さと出自を問い詰める。

その2ヶ月後の1959年、正田美智子入内。


その翌年の総選挙で、今まで5期落選したことのなかった平井義一落選。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E7%BE%A9%E4%B8%80_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)

【重要】 これでも皇后擁護? やり放題になった乱脈皇室

元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解

平井氏の他に、正田美智子さんの入内に不可解な点ありとして国会で疑義を表明した議員が2人もいたことは、脳裏に刻みつけておきましょう。

国会ですよ? 末代まで発言が残る場。軽々に言えることではありません。まして、国中が操作されて世紀のご成婚に浮き立っている時に、議員生命を賭けて成婚とやられ放題の宮内庁に疑問を呈した議員たちが3人いたということです。

なんと、社会党が支援していた美智子さま 

皇室史上初の民間妃の誕生は、異教徒の男女同権主義者である左翼思想の女性の入内をも意味していました。去ったはずの、GHQによる皇室と日本弱体化施策が本格的作動し始めたのが、正田美智子さんの入内の年であり、この年日本は伊勢湾台風が荒れ狂いました。

そして嫁いだお相手は、多感な少年時代にGHQに生涯忘れ得ない恫喝を受けた、今上陛下でした。当時皇太子であったその人の、誕生日めがけて時計の針がピクリと動いた瞬間から、東条英機らいわゆる「戦犯」が吊るされて行ったのです。GHQの言外の脅しは明白でした。
「お前もアメリカに逆らうなら、吊るすぞ。父親もな」。
そして、言うところの戦犯28名の処刑を決定、公表されたのが「父親」昭和天皇の誕生日だったのです。これも言外の恫喝です。恫喝であると同時に罪悪感の刷り込み。「お前と、お前の父親のせいで、こいつらは首をくくられるのだぞ」と。

http://hon.bunshun.jp/articles/-/226

いえ、恫喝は言外ではなく直接浴びせられたかもしれません。
昭和天皇を何度となくGHQ本部に呼びつけたほどのマッカーサーです。

当時の皇太子は「ジミー」と戦勝国名で呼ばれ、GHQが差し向けたバイニング夫人が張り付き、洗脳に明け暮れました。神道思想の破壊です。

破壊教育を受けた皇太子というよりはジミーに、異教徒の平民の娘があてがわれ相乗効果で皇室の神道的なるもの、そして伝統がなし崩しに壊されていくことをGHQは見越していました。皇后も幼児洗礼をもしお受けならマリア・テレジア・カテリーナなどというお名前をお持ちでしょうから、ジミーとはお似合いの夫婦でしょう。皇后のカトリック洗礼に関しては、(幾つもあるにせよ)傍証でしか示せません。
しかしながら、実は皇太子と平民の娘との成婚ではなく、ジミーとマリアとの婚姻だったのだと踏まえるとその後の皇室伝統の、あっという間の壊れように得心が行きます。

もともとルーズベルトのOSSの頃から、日本を共産化する計画がありました。
ルーズベルトの死去により、共産化は免れましたがそれと同等の、日本破壊ウィルスをGHQは日本の国体に仕込んでいきました。

NHKはいまだその体質を引きずるGHQの宣伝局であり、外務省には反日思想の者たちが跋扈。公職追放で、まともな日本人は追われ、反日であるほど、出世階段を駆け上り、その代表格が雅子妃の父、小和田恒氏です。
小和田雅子さんという、皇室にはおよそ馴染むはずもない女性の入内もまた、
偶然ではありません。

皇室には、バイニング夫人とカトリックという異教とワンセットで正田美智子さんが送り込まれ、現在に至ります。神道の祭祀王の家に嫁いでからも元正田美智子さんはカトリックを捨てませんでした。そのことは、皇祖神を奉じるには至らなかった・・・・・いえ、基本のところでないがしろになさった、ということです。
ご本人がいかほど、自覚されているかどうかは知りません。しかしながら、
GHQの目論見は100%成功でした。いえ皇室の伝統破壊と共に、アメリカ産小麦粉の売りつけの目論見通りであったので、一石二鳥、200%の成功でしょう。

今上陛下が実は学習院の講義について行けず、ご卒業なさってないという事実を国民は知りません。

学習院を落第した天皇陛下は左翼でいらっしゃいますか

悪い頭で政治と歴史、憲法を語られるな両陛下と皇太子 

乏しき頭脳で政治外交、史観を語られませぬよう、両陛下

天皇が必ずしも頭脳俊敏でなくてもよろしいのです。
しかしながら、敏いとは言えぬ頭脳にバイニング夫人、そして伴侶である元正田美智子さんという異教徒から、思想上の決定的洗脳を受け続け、更に将来の天皇たる者は政治学科に進まねばならぬところ、進めなかった父親より頭脳の働かない皇太子殿下が、両親から口移しで「GHQ作の平和憲法護持」という左翼思想を受け継ぎ、現在に至ります。

天皇と皇太子共に、脳細胞の不活発なところに女帝と化した皇后から洗脳を受け続け、さらにその不活発な脳で考えた政治外交上の言動は、国を損ないます。政治関与それ自体が、ご自身が護持を唱えられる憲法に反する行為なのですが、その矛盾をお解りではありません。

天皇も皇太子も頭がよろしくはない、という現実をまずは正視しましょう。ということは、周辺の者がしっかりと舵取りをしなければならないのですが、しかしその舵は今や女帝として皇室ヒェラルキーの頂点に君臨する左翼皇后の手に握られています。その皇后陛下も、巷間思い込まれているほどにはご優秀ではありません。聖心女子大学は名門ですが、偏差値は高くはありません。

大変言いづらいことをズバリいいます。頭のさしてよくない左翼が3人固まったのが、今の皇室です。行き過ぎた言動を止めるものは皆無です。

随分粗っぽい総括ですが、細目は過去記事に資料を添えながら具体的に提示してあります。

皇室に男女同権思想は馴染みません。民間では極端な男女不平等が、本来の皇室です。なぜなら夫婦である以前に、夫は神とつながる者、神道の大祭祀王であるからです。対等ではあり得ないし、生理出産を伴う女性に、この国最大の神官は務まりません。
しかし、溺愛の皇太子の系譜である愛子内親王を天皇にしたいというのが、GHQ仕込みの男女同権主義者・皇后陛下の執念であり、左翼お仲間を引き入れつつあれこれ画策していらっしゃいます。


左翼の巣窟に出入りの皇后陛下

http://www.asahi.com/articles/ASJ6673Z7J66UCVL01Y.html

4月6日に99歳で亡くなった、放送ジャーナリストの草分けで評論家の秋山ちえ子さんのお別れの会が6日、東京都千代田区の日比谷松本楼で開かれた。聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんや脚本家の小山内美江子さんらのほか、秋山さんと親交のあった皇后美智子さまが会場を訪れ、遺族らと言葉を交わした。

BB:秋山ちえ子氏がそもそも反日左翼の旗振り的オピニオンリーダーでしたが、
小山内美江子、反戦歌の森山良子他歴然たる左翼思想の人たちばかり。更に、仰天すべきことには、反日慰安婦問題の張本人である河野洋平が発起人代表を務めているという凄さ。

皇后陛下が、韓国側と左翼たちが捏造した慰安婦問題を信じこんでいらっしゃるさまは、それこそ「九条の会」の鶴見俊輔により、具体的に語られています。

会では、発起人代表の河野洋平元衆院議長が「父の河野一郎と秋山さんは信頼しあっている仲で、インタビュアーとして日本一だと言っていた」とあいさつ。

さすがに息子の河野太郎は、安倍内閣の清濁人事の濁のほうながら閣僚なので、出て来ていませんが、本来なら売国父息子としてこの場にいるべき人間です。


 秋山さんは毎年8月15日の終戦記念日に、上野動物園で戦時中に餓死させられたゾウの童話「かわいそうなぞう」をラジオ番組で朗読。会の終わりには2002年の収録分が流され、「地球上のすべての生物の命を守るために、ことを解決するのに戦争というものを手段に使うことのないことを祈りながら読ませていただきます」と語る秋山さんの声と朗読に、参列者は聴き入った。

ゾウの話は胸を打ちますが、そのことと日本が防衛的に無力で無防備であっていいということと何の因果関係もありません。そこがなぜ解らないのか、いつものことながら左翼と言われる人たちの奇妙なまでの頭の悪さを思わずにはいられません。
夏になると、震え声で反戦詩を朗読する大根女優・吉永小百合も同類です。
問題は、中国韓国北朝鮮で反戦詩など読まれないことです。読めば投獄、下手すりゃ処刑。日本の反戦運動は彼らがせせら笑いながら歓迎するところ。


 30年来の親交がある司会の大沢悠里さんは「秋山さんは一貫して戦争反対を訴え続けてきた。私たちはこの心をずっと受け継いでゆく覚悟が必要だ」と締めくくった。

戦争に賛成の人間など、武器商人か一握りのマニャックな戦闘愛好者しかいませんよ。誰しも平和は恒久的な願いなのです。問題は「戦争反対」と唱えていない国が至近に3カ国あり、折あらば日本人の命と国土が狙われているということなのです。


 夜には皇后美智子さまも会場を訪れ、展示された秋山さんの遺品などを見たり、遺族や発起人らと言葉を交わしたりした。

・・・・・・・・・・抜粋ここまで

社会的にはその存在が希薄になっていた秋山ちえ子の逝去と、そのマイナーなお別れの会を即座に嗅ぎつけ駆けつける皇后陛下。左翼ネットワークの親密な一員でいらっしゃるからです。

皇后陛下は上記の左翼運動家たちのまごうことなき、共感者であり仲間であるということなのです。それ以前に皇后陛下の政治思想の表明など、
とんでもないことがいつ許されるようになりました?この方の入内以来です。

▼「男性には戦争をしたがる人がいる」
「戦争の悲惨さを知らない政治家が憲法9条をなくそうとしている」

と売国左翼新聞朝日新聞「天声人語」で紹介された秋山ちえ子氏をはじめ、以下が皇后陛下のブサヨ仲間です。


▼左翼鶴見和子の会にもお忍び出席した皇后

 和子=鶴見和子(元・共産党員)

>和子さまの三回忌に、美智子妃殿下の御臨席をいただき、
>内山さんが宮中に御礼の記帳に行く予定の所、
>皇后様から「鶴見和子病床日記」持参で参内するようにとの連絡があり、
>宮中大変奥深くのお部屋で、一対一の四〇分の御下問で、緊張のし続けでした。との事でした。

ttp://www.php.co.jp/magazine/voice/?unique_issue_id=12369
(Voice 2008年9月号)
上坂冬子〈対談〉鶴見俊輔 158p

> 美智子皇后は姉の和子に対して、彼女の学友だった女官を通して
> 「宮中まで来てほしい」とお呼びになったことがありました。
> そのとき、「あなたがこのあいだの講演で慰安婦の問題を取り上げてくださって、
> とてもありがたかった」とおっしゃった。(略)


上坂冬子の対談相手、鶴見俊輔は皇后のシンパ鶴見和子の弟であり、市民運動組織「ベ平連」メンバーで、共産党支持。


皇后は九条の会の左翼音楽家・三善晃氏にも熱心に肩入れ、そして「日本も難民を引き受けるべき」などと、日本がすでに60万人の朝鮮人難民を抱えてあえいでいるのも知らぬげに反日国連をバックに、押し付けてくる緒方貞子も皇后の左翼お仲間で、女帝擁立肯定の皇室典範変更のための有識者会議には、皇后がこの人を押し込んでいます。


森村桂の軽井沢の家では社会党・党員と交流も。

敗戦後の日本を、もっと弱体化させるためGHQがキリスト教を、なかんずくカトリックをツールとして用いたことは事実ですが、カトリックすべてがそうだとは言いませんが、皇后と同じく「カトリック左翼」と名付けたい一派がいるのは事実です。

「憲法九条にノーベル賞を」という演題で講演したのは、カトリック教会の光延神父で、そのお仲間には、岡田大司教や高見大司教という人らがいるようです。

h ttp://www.jesuitsocialcenter-tokyo.com/?page_id=4979
この光延神父が、HPで述べた言葉を引用します。

《《実際、日本は第2次世界大戦以後の68年間、戦争で他国民を誰一人殺すことなく、また一人の自国民も死なせることがありませんでした。》》

あらゆる(日本の)左翼は頭が悪い、悪くなければ日本では左翼はやってられない、というのが拙ブログ主の持論ですが、上記の神父の言葉の馬鹿さ加減は、読者の皆様はお解りですよね。

この神父の脳裏には、北朝鮮への拉致被害者も竹島をめぐって殺戮され、半島に強制連行されて虐待され、そして死者も出た日本人船員約4千名の存在はないのです。

そしてこれらの、カトリック左翼ともいうべき神父たちと皇后陛下が昵懇であるという現実を国民は直視すべきでしょう。

捏造慰安婦問題で日本を追求する「女性国際戦犯法廷」の拠点はカトリック教会です。副題は「性国際戦犯法廷」です。この場合の戦犯とは、日本ですね。
とんでもない反日とカトリックが結びついているということであり、これもまたGHQの目論見通りです。

反米を唱える左翼ですらGHQ製作の憲法を後生大事にするのだから、占領政策はここでも大勝利です。

日本の武力放棄をほくそ笑んで喜ぶのは、中国、韓国・北朝鮮だけであるという
現実がなぜ見えないのでしょうね。

そして皇后陛下は、「憲法九条にノーベル賞を」という、カトリック界における“九条の会”もお仲間だということであり、憲法改正を掲げ、女性天皇の布石になる女性宮家の創設に反対する安倍政権には、アンチであり、皇陛下も皇太子殿下もそれに従っていらっしゃる、とこういうことです。

「マスコミ9条の会」も、皇后はシンパです。

2004年6月10日

井上ひさし 梅原 猛 大江健三郎 奥平康弘 小田 実 加藤周一 澤地久枝 鶴見俊輔 三木睦子さん九人による「九条の会」アピールが出されました。

東京では「新聞OB九条の会」「出版OB九条の会」「民放九条の会」「映画人九条の会」「音楽九条の会」

「所沢マスコミ文化九条の会」 「憲法九条にノーベル賞をの会」

・・・・・・・・惨状を来しています。


軽井沢九条の会を支援する牧師

http://karuizawa9.exblog.jp/

表立って、九条の会の理念を「平和憲法護持」という形で発信されるのは
天皇陛下ですが、皇后陛下も違う形でメッセージを出されています。

79歳のお誕生日、宮内記者会の質問に文書で次のように回答。

「五月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきるの市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた『五日市憲法草案』のことをしきりに思い出しておりました。


長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に育っていた民権意識を記録するものとして、世界的にも珍しい文化遺産ではないかと思います」

・・・・・・・・・ここまで

要するに、憲法改正派の唱える「GHQによる押し付け憲法」説へのアンチテーゼです。事実護憲派の左翼にこの言葉は賛美され、利用されています。

しかしながら、英語からの拙い翻訳文である現在の醜い日本語の憲法が戦勝国による押し付けである事実がいかに美辞麗句を連ねたとて消えるわけではなく、GHQ憲法に関わった白洲次郎の慟哭の告発記録があります。

雅子妃とともに反日組織である国連、国連大学に入り浸っていらっしゃる皇太子は、両陛下の仰る通りに、お言葉をなぞるだけです。オウム。腹話術の人形。

皇太子殿下 平成26年 2014年お誕生日

皇太子の政治発言 朝鮮日報が大喜び 

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/77824c824a67a7da9a0b85660cfd4223 

(抜粋)憲法に関しては、昨年末天皇陛下も触れられましたが、「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は」という出だしで、憲法の成立した由来を語られましたが、皇太子殿下の文言は、はっきり憲法順守。すなわち憲法改正反対ということかと思われます。

・・・・・・・・・・ここまで

皇太子もアンチ安倍政権だということを、意味します。
今度の選挙は、憲法改正が争点の一つですが、平和憲法護持の
天皇皇后皇太子は、その選挙に影響を及ぼす発言をずーっと
続けているということなのです。それがいつから許される日本になりました?
皇后陛下の入内以来です。

問題は、天皇皇后両陛下と皇太子殿下のご発言に喜び勇んでいるのが、まっとうな国民ではなく朝鮮日報だということでしょう。無論「朝鮮日報」はあらゆる反日メディアと勢力の表象として記号化して記しました。

天皇及び内廷皇族が、GHQ発反日左翼史観をベースに語っていらっしゃる現実を、国民は冷静に直視すべきでしょう。

秋篠宮文仁親王殿下と紀子妃に、このたぐいのご発言がないことに、一筋の光明を見る思いがすると同時に、皇位は秋篠宮殿下と悠仁親王殿下に渡るべきだと考えます。

本来当然のことながら左翼は皇室不要論、侮蔑の対象です。

http://mid.parfe.jp/kannyo/sukuukai/seimei-houkoku/tirasi-syomei/H18-5-13-asiya.pdf#search='%E7%9A%87%E5%90%8E+%E4%B9%9D%E6%9D%A1%E3%81%AE%E4%BC%9A'  

左翼コメンテーター 大谷昭宏も関わっている「九条 おおさかの会」で
行われた、天皇皇后愚弄芝居です。

その左翼がなぜ、最近共産党はじめ両陛下に擦り寄って来ているのか。
両陛下が自分たちの仲間だと、知ったからです。

九条の会の作曲家の追悼に、わざわざ静養先から駆けつけた皇后陛下。

皇后陛下は「アカ」でした 

左翼皇后と、愉快なブサヨフェミのお仲間たち 

男女同権主義者であった、憲法作成者の一人であったGHQ元メンバー、ベアテ・ゴードンへの皇后の思い入れは、よく知られたことで彼女の追悼式にはわざわざメッセージを出しています。

天皇陛下や皇太子殿下のように、直接的な表明はなさいませんが、皇后陛下は折に触れその言動により、九条護持の左翼思想を表明していらっしゃいます。
これ以上明白なお立場表明はないのに、しかし思い込みが国民の目を遮っています。

生来聡くはあられない天皇陛下と皇太子殿下を陣頭指揮、現在の左翼皇室を作り上げたのは皇后陛下であらせられます。

かつて皇室には、自浄能力がありました。廃太子、という形で、あるいは天皇の入牢、島流しという形で。今はチェック機構を失い(これとてGHQの仕掛けでしょう)やり放題です。

となれば、皇室の腐敗と歪みは国民が指摘するしかないではありませんか。
不敬という名の下に、批判一切許さずというのであれば、それは北朝鮮の社会機構と何らかわりなく、マンセーの対象が天皇皇后というだけのこと。それも敗戦後すっかりその実質を喪失し、左翼運動家夫婦と化した相手への盲目的崇拝です。実のところ、それが都合がいいのは天皇制否定の左翼と、中韓だけであり、天皇陛下への尊崇が国の要と心得ている人たちこそが、現状を憂えているということです。

不敬という言葉が成立していた時代には、皇室自体が自浄能力を有して、
悪しき因子は排除していた、今チェック機能はない、ということを忘れないようにしましょう。

あなたがもし、安倍政権支持派なら天皇皇后皇太子はあなたにアンチのご存在です。

◆GHQと皇后陛下 フェミニストとしての美智子様と皇室は共存し得るかhttp://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/b0b5919d022a094f259e8305c60b13f2

◆資料  皇后陛下、その精神を形作った生い立ちと環境

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/7c9cffa819831b24bbfbd63d9f8eb57b

◆ご慈愛仮面で言葉も仮面 《転載ご自由に》http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/95e08f125aa7af66013af19b1e216a00

◆人権蹂躙「子供を産むな」発言は、いったい誰? 

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/fdbfcdb2fe41a09f9b9d1a4ca385f1d6


https://blog.goo.ne.jp/sitihenge994/e/319d1c927965be306fdfa254b877efdd


http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c165

[リバイバル3] 中川隆 _ 美術・文芸関係投稿リンク 中川隆
129. 2019年2月23日 11:42:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[67]
エイゼンシュテイン イワン雷帝 (1944年,1958年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/266.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/452.html#c129
[リバイバル3] 中川隆 _ 皇室関係投稿リンク 中川隆
24. 2019年2月23日 11:43:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[68]
雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/458.html#c24
[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
2. 中川隆[-11907] koaQ7Jey 2019年2月23日 12:54:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[69]
2018.07.11
雅子妃|男性遍歴@外交評論家;岡本行夫
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/20/2016112020161120000000/

外交評論家;岡本行夫、外務省時代の尊敬する上司、二人の関係に怪文書が飛び交った 


今回は情報収集中に引っかかった雅子の乱脈な男性関係を具体的に斬っていこうと思います。

今から20数年前の1991年、あるニュースが週刊誌を賑わしました。

タイトルは「将来の次官候補、外務省北米一課長岡本行夫氏が退職」というもので、外務省内でエリートコースを突っ走っていて、周囲の期待も高く将来の事務次官候補と言われていた岡本氏がいきなり、不自然な止め方をした。

という趣旨の内容でした。

外務省は元々天下り先の少ない省です。ですから、一部の人を除いては、定年まで勤め上げます。その岡本氏が46歳という中途半端な年齢で、天下り先もないのに辞めるなんて・・・随分憶測を呼びました。

「上司と喧嘩したのだろう・・」とか。

しかし、出世コースを突っ走る男は上司と喧嘩するなんて馬鹿な真似はしません。

【あの世に持っていかなければならない理由】があったのでしょう。

そこでピ〜ンと来たのが外務省時代の小和田雅子です。

当時雅子は、隣の北米二課に所属してました。

バリバリ仕事する隣の課の課長の岡本に尊敬の念と憧れを抱いたのでしょう。雅子はいつも「岡本課長を尊敬している」と事あるごとに公言していたそうです。

働く女性が、同じ職場の上司を「尊敬している」と公言するのは、もっと踏み込んだ意味があります。

ちなみに岡本行夫の最初の妻は、有名バイオリニストの佐藤陽子です。

のち離婚して、「エーゲ海に捧ぐ」で有名になった池田満寿夫と事実婚しています。その恋愛経験が豊富な佐藤陽子が岡本を評して「SEXが本当に上手なの〜」と高評価をつけています。余程のテクニシャンなのでしょう。

当時独身のテクニシャン岡本と【SEX大好き雅子】が第一線を超えるのに時間はかからなかったでしょう。二人の関係は直ちに省内で有名になり、怪文書が省内を飛び交うありさまになりました。雅子が中絶したという噂が飛び交ったのもこのころです。

ただこの時の事務次官が雅子の実父の小和田恒でした。

恒としては、【雅子は皇太子に嫁がせる】という長年の野望がありましたので、娘の恋を許すわけにはいきませんでした。

「この恋を止めさせるには、岡本を止めさせるしかない。娘は皇太子に嫁がせるときにキャリアの外交官としてのブランドが必須の為辞めさせるわけにはいかない」

こう考えた小和田恒は、岡本に事務次官の目が無くなったことを告げ、退職することを勧めました。

代わりに、【一生雅子との関係を秘密にする】という条件で、退職後も、岡本の仕事を省を挙げてバックアップするという約束をしました。

そのお蔭で、岡本は外務省を退職すると、即「岡本アソシエイツ」なるコンサルティング会社を立ち上げました。

そして橋本政権の首相補佐官など、小渕内閣、小泉内閣でも外交ブレーンとして活躍しました。

その他、アサヒビール等5社の取締役を務めるなど、外務省中途退職者とは思えないほどの利権にありつけました。

しかし、彼の外交姿勢は徹底した【対米従属】なので私は評価しません。

日本をATMとしか思っていない、アメリカのジャパンハンドラー(日本の操り手)として有名な、リチャード・アーミテージ等の日本側の受け手です。

安倍総理が、対米協調しながらも、米国と対等な外交安保関係を築こうとしていますから、岡本の対米関係思考はもう古いのです。

今までの退職を飲む代わりにバックアップを惜しまずやってくれた小和田恒も一説には株の信用取引で大負けして、自己破産しているとのもっぱらの噂です。

自宅(目黒区)にも帰らずに、東宮御所に隠れ住んでいるとの説もあります。

権勢欲の強い小和田恒が世間に顔を見せないのは、余程恥ずかしいことをしたか、たいちょうがわるいかのどちらでしょう。

小和田恒が無くなれば、もう岡本をバックアップしてくれる人はいません。近いうちに仕事が無くなるでしょう。
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/20/2016112020161120000000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c2

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
3. 中川隆[-11906] koaQ7Jey 2019年2月23日 12:57:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[70]

2018.07.10
雅子妃|男性遍歴Aイラクで非業の死を遂げた奥参事官。英紙が二人の親密の中を暴露
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/21/2016112120161121000000/

今日は、雅子の男性遍歴Aです。

その相手は2003年にイラク戦争のさなか、非業の死を遂げた外務省奥克彦参事官です。

英紙はすかさず、「犯人は不明だが(米軍による)忙殺の可能性もある。

亡くなった奥参事官は、現在皇太子妃となっている雅子妃と昔から親密な仲だった」と報じました。

また出てきましたね〜(笑)

男性遍歴(笑)

しかも今度は妻子持ちだから立派な不倫ですね(笑)

いったい過去何人の男と関係を持ったんだ(怒)

当ブログで扱った中では、はっきりと名前が出ている二人だけです。

他にも東大の同級生で、一緒にオクスフォードに留学したT氏なる人物も留学中の交際も報じられていますが、名前もわからないので検証する方法がありません。きっと当ブログで把握した日本人、外国人を問わず男性経験の実際は倍の人数ぐらいあるのでしょう。

おまけに、彼女は、奥氏の死をきっかけに、主治医から、【適応障害】の診断書を引き出し、翌年の皇太子の【人格否定発言】以後、一切の公務を拒否するようになりました。

例の【人格否定発言】は、小和田恒が文章にしたのを皇太子が、何度も練習し、時には感情をあらわにする練習をして、記者会見に臨んだものでしょう。

【人格否定】などのげすな表現は、皇室や皇族にはありません。

皇室や皇族とは対極にいる極悪朝鮮人の小和田恒しか考える人間はいません。皇太子に記者会見をさせたのも小和田でしょう。

しかし、【昔の男の死】を良いチャンスとして【適応障害】とする大野裕氏筆頭にする医師団の判断も腑に落ちません。

雅子としては元々関心が無く嫌でしょうがなかった公務をさぼる良いチャンスと見たのでしょう。または、小和田恒の入れ知恵かもしれません。

この日から、我々の税金から、年収6千万円をふんだくる【公務おさぼり皇太子妃】ができ、もう12年もたっているのです。医師団がやぶ医者だといっても良い位です。

小和田に【人格否定発言】を言わせるほど、東宮にいうべきは言い、筋を通して厳しく接していたのは、当時の鎌倉節(さだめ)宮内庁長官でした。

鎌倉氏は警察官僚OBで警視総監→宮内庁長官という歴史的な王道を歩んできた人でした。昔は旧内務省系の警察官僚OBや厚労省OBが宮内庁長官を占めるのが王道であり、不文律でした。

今、長官をやっている風岡典之などは建設官僚出身で、宮内庁長官としては向いてないとして、そもそも選外でした。

亡くなった鎌倉元宮内庁長官は【東宮の天敵】といわれるほど立派に筋を通しました。しかし、その後は、小和田と創価の連合軍により、宮内庁長官は、創価信者(風岡)部落出身者(羽毛田)のような人物が続き、東宮太夫も外務省から小和田の息のかかった人物(小町)が送り込まれるようになりました。

皆【雅子の公務おさぼり】を邪魔させないためです。

それにしても雅子という女の男性経験の数には呆れます。

私の元プレイボーイとしての経験から言うと、人相鑑定すると、この女は食事して仲良くなってアルコールも入ると、ホテルに誘うと簡単についてくるタイプです。

英国の王室の妃になる人は「処女であること」が条件です。

日本皇室もそれを求めているのは、雅子が第一選考で外されたのを見ると分かります。雅子なんか、やりすぎて処女膜のかけらもなく、処女膜再生手術も不可能だったでしょう(笑)

徳仁君は結婚初夜に花嫁に出血が無いのに不信感を抱かなかったでしょうか(笑)
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/21/2016112120161121000000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c3

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
4. 中川隆[-11905] koaQ7Jey 2019年2月23日 12:59:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[71]


2018.08.09
雅子妃|男性遍歴B婚約直前まで行った福田元総理の孫;越智隆雄現自民党衆議院議員
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/19/2016112220161122092248/

婚約直前まで行った福田元総理の孫・越智隆雄現自民党衆議院議員


また出来てきました雅子の昔の男(笑)たたけば埃の出る女ならず、【たたけば昔の男が出る女】です。

越智隆雄という男は、福田赳夫元総理の娘が大蔵官僚の越智道雄に嫁ぎできた子で、孫に当たります。

同じく福田赳夫の孫で、チノパンの夫となった横手真一と同じく、慶應の幼稚舎から慶應義塾大学の経済学部までというコースは全く同じです。

就職も横手真一は三菱銀行(のちゴールドマンサックス)越智隆雄は住友銀行(後父越智道雄の秘書)というのも似ています。

祖父の赳夫が小和田恒を可愛がっていたこともあり、幼少の頃から小和田家と越智家は家族ぐるみの付き合いをしていました。

小和田家と越智家は一緒にスキーに行ったり、雅子の母の小和田優美子が、着物に「福」の字を入れて、福田家に忠誠を誓うようなこともしていました。

その中で年の近い雅子と隆雄は次第に親しくなり、雅子が外務省に入ったころに結婚を視野に入れた真剣な交際を始めました。

特に雅子がイギリスのオクスフォード大学に留学中に、隆雄も「フランスのエセック大学に留学したいと言い出し、父親の道雄から「なんでフランスなんだ?」と聞かれて「好きな女がイギリスにいるから」と答えたそうです。

そして二人は、ドーバー海峡をお互い行ったり来たりして逢瀬を楽しみます。

わざわざ、イギリスから海峡を渡って隆雄に会いに来て、「お茶と食事がすんだらさようなら〜」なんてことは常識的に考えて無いでしょう。お互い愛を確認しあったことは想像に難くありません。

スポンサードリンク


しかし、気になるのはこの英国留学中の雅子の男関係です。

オクスフォードに一緒に留学したT氏と深い関係に落ちていました。

また白人男性との交際もありました。

少なくても三股はかけていたことになりますね(驚)

凄い女です。性欲が強いのはよくわかりますが、三人の男とのスケジュール管理もしっかりダブルブッキングしないようにやっていたのでしょう。

一人とSEXしているときに他の二人にばれないように完璧にやっていたんですね。

確かにこの時期男同士がかち合ってトラブルという話は聞きませんでした。

こういう能力はあるんですね(笑)

こんな雅子でも越智隆雄は真剣に愛していました。

二人とも帰国後に、越智家の方から、プロポーズしたのですが、小和田家は断っています。この辺の事情は、雅子入内後に、落ちとの関係を週刊文春や写真誌が掲載してたたいていました。

なぜなら、ハーバート→東大→外務省という箔付けが完了した今、一度断られた皇太子妃に名乗りを上げる環境が出来上がっていたからです。

皇室に食い込み権力と権勢欲を握りたい小和田恒がそのチャンスを逃すわけはありません。

また1988年当時に大勢いたお妃候補も、皇太子のちびで不細工な容貌で、早々と他の男と婚約したり、結婚したりして逃げ、残っていた候補も、ここが重要なところですが、創価学会が一人ずつスキャンダルを捏造し、辞退に追い込んでいました。

最終時点で残っていたのは、雅子と久邇(くに)晃子さんとタレントで皇太子のアイドルだった柏原好恵の三人でした。

柏原は早々に逃げるために「ヌード写真集」などを出して、自分が候補から抜けるように工作しました。

最後は雅子と久邇(くに)さんでした。

宮内庁は久邇(くに)さんを押していましたが、そこに皇族の小和田のトロイの木馬の高円宮夫妻が出てきて、自宅で皇太子と雅子を合わせたり、外務省の小和田の後輩の柳谷謙介が自宅を提供して二人を合わせたりして、水面下の工作をやり、女性経験のない皇太子は雅子にころっとつかまってしまいました。

久邇(くに)さんの方も着物まで準備して、待っていたところに、皇太子側が勝手に雅子内定記者会見を開いて、宮内庁と両殿下を出し抜きました。

小和田―高円宮―創価学会―外務省の連携工作にしてやられた【朝鮮女雅子入内事件】です。

それにしても雅子という女は凄い女です。気に入った相手とは手当たり次第という感じです

今も白人国家の元首があいさつに来たら出迎えに出ますが、黒人国家の元首が来たら絶対に出てきません。アメリカ時代に、黒人の子供を堕胎した経験がトラウマになっていて、出てこれないそうです。

名前が出た男だけでかなりの人数がいますから名前やイニシャル、白人か黒人かも噂に出ない人数を合わせれば男性経験は20人は超えていると思います。

雅子は、祖父から水俣病患者の怨念父から創価学会関係の邪気を受け継いで皇室に入りました。逆に言うと婚約を破棄された越智隆雄は変な悪霊を持ち込まれずラッキーだったかもしれません。
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/19/2016112220161122092248/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c4

[近代史3] 雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている 中川隆
5. 中川隆[-11904] koaQ7Jey 2019年2月23日 13:04:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[72]

小和田雅子 取り巻く男たち(外務省時代の彼氏・・・・) 2013年05月16日
https://ameblo.jp/9023410651/entry-11523618963.html

 雅子は、白人・アラブ系の大使や来賓とは会っているのに、他人種の大使や
来賓とは会わない。(あきらかな人種差別的行為と言える)
昭和天皇妃の葬儀は欠席し、自分の母方の祖父の江頭豊の葬儀には、皇太子
に愛子ともども3日も参列した。
事実だけを連ねるだけで、その醜悪さが知れる。

 母方の祖父、江頭豊(えがしらゆたか)は、江頭安太郎の3男で、江頭家は
佐賀藩主鍋島家の下級藩士と伝えられているが、史料や系図が一切なく、
賤しい出自であると考えられる。(部落出身との噂がある)

 佐賀鍋島藩と言えば、藩校での成績で、家禄を減らすという歪な教育偏重を
行った藩として知られる。「佐賀んもんの通った後はペンペン草も生えん。」と
謂われ、平野しかないため、資源がなく、雑草1本でも拾って肥料にした。
出身者は独りよがりで意地汚く、潔くない、「鬼畜」と呼ばれる人材が多い。

 母方の祖父、江頭豊は、日本興業銀行から、水俣病を引き起こしたチッソに
専務として入った。社長時代、水俣病の原因が工場にあると知りながら稼働し
続け、患者や家族に謝罪はしても補償に応じず、悪質なデマを流し、患者や
家族を冒瀆し続けた。

会長時代の1972年1月7日、千葉県市原市のチッソ石油化学五井工場で、警備
員(暴力団員)ら約200人に、自主交渉派の被害者ら15人を集団で襲わせた。
「ライフ」誌などに水俣病の現実を発表し続け、「MINAMATA」を世界に知らせた
写真家、ユージン・スミス(53)と妻のアイリーン・美緒子・スミス(21)が同行して
いたが、この江頭豊の指示で暴力団にカメラを壊され脊椎を折られ、片目失明
の重症を負い、アイリーン・美緒子・スミスは強姦された。ユージン・スミスは
時間とエネルギーを写真に向けるため告訴せず、アイリーン・美緒子・スミスと
離婚後の1978年10月、アメリカで後遺症が元で発作を起こし死亡。

1999年、ユージン・スミスの娘も14歳で強姦されている。江頭豊は、その後も
相談役としてチッソに君臨した鬼畜である。

 こんな鬼畜・江頭豊の孫娘達の幸せそうな写真「小和田姉妹」と、ユージン
スミスが撮影した、15歳の胎児性水俣病の悲惨な「入浴する智子と母」(21歳で
死亡)を見比べて見るが良い。これだけでも、鬼畜の孫娘、雅子は幸せには
なってはならないと思う。

 江頭豊の地所(東京都目黒区南一丁目)に、雅子の実家はある。

父小和田恆(ひさし)は、実質入り婿である。

小和田家の血筋もかなり怪しい。

なりすまし朝鮮人疑惑の根拠に、父方の祖父、毅夫と父、恆は、村上
から新潟に墓を移した際、曽々祖父、曽々々祖父の墓も移さず、村上来訪
の際も墓参もしなかったと言われる出来事がある。小和田恆は、優美子とも
ども創価学会(大鳳会)との繋がりがある売国奴で、雅子も同様であるそうだ。
小和田恆は、収賄疑惑が多く、雅子を差し出さなければ、監獄に収監されて
いたのは間違いないそうだ。

売国奴とすれば当然かも知れないが、下劣醜悪極まりない。

さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を許さないでは、

出張先で夜中「缶切りをもってこい。」と要求があり、持っていくと「その缶切り
を試したかい。」と質問があり「試してない。」と答えると、そのままドアを
閉めてしまった。

     さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を
     許さないでは、 

 外務省を見限って課長を最後に退職したOBに、浅井基文と岡本行夫がいる。
しかしこの二人の生きざまはあまりのも好対照である。
 私の六年先輩にあたる浅井基文は、日米安保条約を聖域視する対米従属
外交に失望し、中国課長を最後に退職した。その後まもなく『日本外交』を
出版し、安保条約に全面的に依存する日本外交の危うさを訴えた。その浅井
を、外務省は組織をあげて潰しにかかった。直接、浅井から聞いた話だが
退職した当時の次官であった小和田恒は、「今後もし外務省に弓を引くよう
な真似をすれば、省をあげて潰しにかかる。」と、面と向かって引導を渡した
という。若い外務官僚たちもこれに迎合するように、「霞ヶ関に近づけば押し
返してやる。」と悪態をついたという。ろくに勉強もせず経験もない駆け出しの
若い官僚が、先輩に対しここまで品のない言動をとってしまうところに、外務省
の質の低下を感じる。

渡辺亮次郎のエッセイでは、
国際司法裁判所の判事とやらに選出されたからである。皇太子妃の実父
だから昔なら批判ご法度なのだが、最近の世相はだからと言って口さがない。
数年前、現職の小田判事を「任期途中で辞めさせてでも、」と、就任工作
(小田にとっては辞任工作である)をやらせたのはひどかった。」とか「あんな
顔していて、実にカネに汚い。」とか「公私混同がひどい。」とか「嫁入りに持た
すタンスをえらく値切られた。」という友人もいた。「そりゃお前、めでたいん
だから、お前んちのほうで値切って差し上げたんだろうからいいことをしたな。
とはなったが、ケチで鳴る小和田さんも他人の国際紛争ではけちはしない
だろう、で落ち着きかけた。皇室の親戚がケチで何が悪い。ところが「まだわ
からんぜ。」と付け加える仲間が言った。」何しろ誰も鈴を付けに来ないことを
いいことに国連大使に5年も居座って、まだ降りようとはしなかった。後任の
佐藤行雄が3年10ヶ月できちっと辞めて、もう東京にいるよ。そんなだから
小和田さん、判事の任期(7年)に果たして何期しがみつくか、興味
津々だね。」と、これは後輩外交官だった。結構、口が悪い。

 その娘、雅子、父恆、母優美子の第1子として、昭和38年12月9日誕生。
11歳下に礼子(父恆のコネで国連難民高等弁務官事務所職員)、節子という
2人の双子の妹がいる。父恆の赴任先モスクワとニューヨークで過ごし、7歳
で帰国。小学校4年からは東京・世田谷区の私立田園調布雙葉学園小学校に
編入。高校1年の1学期まで在籍。父恆がアメリカ公使の肩書で、ハーバード
大学客員教授を兼任。ボストン郊外のベルモント高校、ハーバード大学(私立)
に入った。アメリカの大学は、教員や有力者の子弟は無試験に近い状態で
入学できる。パパブッシュの出たエール大学に押し込んだ馬鹿ブッシュを思い
出せば良い。まして外国人。卒論も、糠沢和夫経団連理財部長と東京銀行の
真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長(いずれも当時)への
謝辞が綴られている。

よほど学歴にコンプレックスがあるのだろう、易しい帰国子女枠で東京大学
法学部(経済学部は不合格)に再入学している。在学中に外交官試験で
外務省に入省。小和田恆のコネの縁故採用だろう。国費(税金)で
オックスフォード大学大学院に留学し、修士号も取れずに帰国(税金の無駄
使い)しているので、脳味噌の程度がわかる。
世界遺産ともいえる皇室の伝統を破壊しているのも理解できてしまうのである。

小和田雅子をめぐる噂

 さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと
決定的な理由があった。
 それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。
妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という
女性に は常に男性の噂がつきまとってきた。
 実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。

「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。
それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだ
ったという結論にいつしか落ち着いてしまった」
 しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、
告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハー
バード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されていると
いうのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。
「『シカゴ−』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだと
したら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対
応が早すぎるし、不自然な点は多い」
 真偽はさておき、この「シカゴ−」紙の記事と同じようなハーバード大学留
学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。曰く「
白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。
 妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコ
ミに、やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメ
リカから送りつけられている。
                
雅子の相手をした男
 長崎選手
 デビットカオ
 カルロス
 奥参事官
 外務省上司
 外務省同僚
 大野医師
 国連大学総長
 皇太子・・・・・・・2回 ?(愛子は人工授精)
 雅子は床上手?
宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされ
ている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、とい
うような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方
もある。

「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。
チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても
小和田サンを
はずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっている
のは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長
時代のパイプを使って雅子サンのハーバード時代を徹底的に洗い直したと
いう話もある」

 いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学
に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフ
リーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボ
ツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。

 91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしてい
る、との噂がかけめぐった。この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する
北米二課のM課長補佐。

「たしかに小和田サンとMサンは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で
二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い
役所で すから、噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」
上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るな
ど、とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。

その相手とは東大法学部から彼女と同期で外務省に入省している男性。もちろ
ん独身である。ここでは仮にT氏としておこう。
「T君のことは我々の間でも有名でしたよ。この何年かというもの、小和田サンの
側には常に彼の姿がありましたからね。かなり真面目なつきあいという印象でし
たし、我々が小和田サンの可能性が薄いと判断したのも、T君の存在が大きかっ
たため」(女性週刊誌記者)

 たしかに二人は東大時代からかなり親しくつきあっていたようだ。
小和田雅子は 外交官試験に合格したばかりの86年10月、裏磐梯へ
男5人女5人で一泊二日の グループ旅行に出かけているが、T氏もこれに
参加しているまた、妃候補としてマスコミに追いかけ回されていた入省直後の
頃、通勤電車の 中でT氏が彼女をかばうように隣りにいる姿も何度か
目撃されている。

 二人の親密さを裏づけるようにこの間、週刊誌等に掲載された彼女の
プライべー ト写真の中にも、隣にT氏がピッタリと寄り添っている写真が
何点か存在する。

 そして88年7月、彼女は外務省の在外研修でオックスフォード大学に留学
するの だが、実はT氏も彼女と同じオックスフォードを希望、一緒に渡英して
いるのである。

 ある外務省関係者は絶対オフレコを条件にこう話す。
「二人の仲が本格化したのはこのオックスフォード時代と聞いています。
ちょうど彼 女が『否定会見』を開いて、お妃候補からはずれたのもこの時期。
おそらくこの頃、 彼女はTクンとの結婚を真剣に考えていたと思いますよ」

・・・・・皇室に対する復讐か

https://ameblo.jp/9023410651/entry-11523618963.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html#c5

[社会問題9] 語られ始めた皇太子「退位論」は説得力があるか・・が、語られるだけでも適応失調の天皇家! 墨染
166. 中川隆[-11903] koaQ7Jey 2019年2月23日 13:07:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[73]
2018.07.11
雅子妃|男性遍歴@外交評論家;岡本行夫
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/20/2016112020161120000000/

外交評論家;岡本行夫、外務省時代の尊敬する上司、二人の関係に怪文書が飛び交った 

今回は情報収集中に引っかかった雅子の乱脈な男性関係を具体的に斬っていこうと思います。

今から20数年前の1991年、あるニュースが週刊誌を賑わしました。

タイトルは「将来の次官候補、外務省北米一課長岡本行夫氏が退職」というもので、外務省内でエリートコースを突っ走っていて、周囲の期待も高く将来の事務次官候補と言われていた岡本氏がいきなり、不自然な止め方をした。

という趣旨の内容でした。

外務省は元々天下り先の少ない省です。ですから、一部の人を除いては、定年まで勤め上げます。その岡本氏が46歳という中途半端な年齢で、天下り先もないのに辞めるなんて・・・随分憶測を呼びました。

「上司と喧嘩したのだろう・・」とか。

しかし、出世コースを突っ走る男は上司と喧嘩するなんて馬鹿な真似はしません。

【あの世に持っていかなければならない理由】があったのでしょう。

そこでピ〜ンと来たのが外務省時代の小和田雅子です。

当時雅子は、隣の北米二課に所属してました。

バリバリ仕事する隣の課の課長の岡本に尊敬の念と憧れを抱いたのでしょう。雅子はいつも「岡本課長を尊敬している」と事あるごとに公言していたそうです。

働く女性が、同じ職場の上司を「尊敬している」と公言するのは、もっと踏み込んだ意味があります。

ちなみに岡本行夫の最初の妻は、有名バイオリニストの佐藤陽子です。

のち離婚して、「エーゲ海に捧ぐ」で有名になった池田満寿夫と事実婚しています。その恋愛経験が豊富な佐藤陽子が岡本を評して「SEXが本当に上手なの〜」と高評価をつけています。余程のテクニシャンなのでしょう。

当時独身のテクニシャン岡本と【SEX大好き雅子】が第一線を超えるのに時間はかからなかったでしょう。二人の関係は直ちに省内で有名になり、怪文書が省内を飛び交うありさまになりました。雅子が中絶したという噂が飛び交ったのもこのころです。

ただこの時の事務次官が雅子の実父の小和田恒でした。

恒としては、【雅子は皇太子に嫁がせる】という長年の野望がありましたので、娘の恋を許すわけにはいきませんでした。

「この恋を止めさせるには、岡本を止めさせるしかない。娘は皇太子に嫁がせるときにキャリアの外交官としてのブランドが必須の為辞めさせるわけにはいかない」

こう考えた小和田恒は、岡本に事務次官の目が無くなったことを告げ、退職することを勧めました。

代わりに、【一生雅子との関係を秘密にする】という条件で、退職後も、岡本の仕事を省を挙げてバックアップするという約束をしました。

そのお蔭で、岡本は外務省を退職すると、即「岡本アソシエイツ」なるコンサルティング会社を立ち上げました。

そして橋本政権の首相補佐官など、小渕内閣、小泉内閣でも外交ブレーンとして活躍しました。

その他、アサヒビール等5社の取締役を務めるなど、外務省中途退職者とは思えないほどの利権にありつけました。

しかし、彼の外交姿勢は徹底した【対米従属】なので私は評価しません。

日本をATMとしか思っていない、アメリカのジャパンハンドラー(日本の操り手)として有名な、リチャード・アーミテージ等の日本側の受け手です。

安倍総理が、対米協調しながらも、米国と対等な外交安保関係を築こうとしていますから、岡本の対米関係思考はもう古いのです。

今までの退職を飲む代わりにバックアップを惜しまずやってくれた小和田恒も一説には株の信用取引で大負けして、自己破産しているとのもっぱらの噂です。

自宅(目黒区)にも帰らずに、東宮御所に隠れ住んでいるとの説もあります。

権勢欲の強い小和田恒が世間に顔を見せないのは、余程恥ずかしいことをしたか、たいちょうがわるいかのどちらでしょう。

小和田恒が無くなれば、もう岡本をバックアップしてくれる人はいません。近いうちに仕事が無くなるでしょう。
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/20/2016112020161120000000/



▲△▽▼

2018.07.10
雅子妃|男性遍歴Aイラクで非業の死を遂げた奥参事官。英紙が二人の親密の中を暴露
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/21/2016112120161121000000/


今日は、雅子の男性遍歴Aです。

その相手は2003年にイラク戦争のさなか、非業の死を遂げた外務省奥克彦参事官です。

英紙はすかさず、「犯人は不明だが(米軍による)忙殺の可能性もある。

亡くなった奥参事官は、現在皇太子妃となっている雅子妃と昔から親密な仲だった」と報じました。

また出てきましたね〜(笑)

男性遍歴(笑)

しかも今度は妻子持ちだから立派な不倫ですね(笑)

いったい過去何人の男と関係を持ったんだ(怒)

当ブログで扱った中では、はっきりと名前が出ている二人だけです。

他にも東大の同級生で、一緒にオクスフォードに留学したT氏なる人物も留学中の交際も報じられていますが、名前もわからないので検証する方法がありません。きっと当ブログで把握した日本人、外国人を問わず男性経験の実際は倍の人数ぐらいあるのでしょう。

おまけに、彼女は、奥氏の死をきっかけに、主治医から、【適応障害】の診断書を引き出し、翌年の皇太子の【人格否定発言】以後、一切の公務を拒否するようになりました。

例の【人格否定発言】は、小和田恒が文章にしたのを皇太子が、何度も練習し、時には感情をあらわにする練習をして、記者会見に臨んだものでしょう。

【人格否定】などのげすな表現は、皇室や皇族にはありません。

皇室や皇族とは対極にいる極悪朝鮮人の小和田恒しか考える人間はいません。皇太子に記者会見をさせたのも小和田でしょう。

しかし、【昔の男の死】を良いチャンスとして【適応障害】とする大野裕氏筆頭にする医師団の判断も腑に落ちません。

雅子としては元々関心が無く嫌でしょうがなかった公務をさぼる良いチャンスと見たのでしょう。または、小和田恒の入れ知恵かもしれません。

この日から、我々の税金から、年収6千万円をふんだくる【公務おさぼり皇太子妃】ができ、もう12年もたっているのです。医師団がやぶ医者だといっても良い位です。

小和田に【人格否定発言】を言わせるほど、東宮にいうべきは言い、筋を通して厳しく接していたのは、当時の鎌倉節(さだめ)宮内庁長官でした。

鎌倉氏は警察官僚OBで警視総監→宮内庁長官という歴史的な王道を歩んできた人でした。昔は旧内務省系の警察官僚OBや厚労省OBが宮内庁長官を占めるのが王道であり、不文律でした。

今、長官をやっている風岡典之などは建設官僚出身で、宮内庁長官としては向いてないとして、そもそも選外でした。

亡くなった鎌倉元宮内庁長官は【東宮の天敵】といわれるほど立派に筋を通しました。しかし、その後は、小和田と創価の連合軍により、宮内庁長官は、創価信者(風岡)部落出身者(羽毛田)のような人物が続き、東宮太夫も外務省から小和田の息のかかった人物(小町)が送り込まれるようになりました。

皆【雅子の公務おさぼり】を邪魔させないためです。

それにしても雅子という女の男性経験の数には呆れます。

私の元プレイボーイとしての経験から言うと、人相鑑定すると、この女は食事して仲良くなってアルコールも入ると、ホテルに誘うと簡単についてくるタイプです。

英国の王室の妃になる人は「処女であること」が条件です。

日本皇室もそれを求めているのは、雅子が第一選考で外されたのを見ると分かります。雅子なんか、やりすぎて処女膜のかけらもなく、処女膜再生手術も不可能だったでしょう(笑)

徳仁君は結婚初夜に花嫁に出血が無いのに不信感を抱かなかったでしょうか(笑)
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/21/2016112120161121000000/



▲△▽▼

2018.08.09
雅子妃|男性遍歴B婚約直前まで行った福田元総理の孫;越智隆雄現自民党衆議院議員
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/19/2016112220161122092248/

婚約直前まで行った福田元総理の孫・越智隆雄現自民党衆議院議員

また出来てきました雅子の昔の男(笑)たたけば埃の出る女ならず、【たたけば昔の男が出る女】です。

越智隆雄という男は、福田赳夫元総理の娘が大蔵官僚の越智道雄に嫁ぎできた子で、孫に当たります。

同じく福田赳夫の孫で、チノパンの夫となった横手真一と同じく、慶應の幼稚舎から慶應義塾大学の経済学部までというコースは全く同じです。

就職も横手真一は三菱銀行(のちゴールドマンサックス)越智隆雄は住友銀行(後父越智道雄の秘書)というのも似ています。

祖父の赳夫が小和田恒を可愛がっていたこともあり、幼少の頃から小和田家と越智家は家族ぐるみの付き合いをしていました。

小和田家と越智家は一緒にスキーに行ったり、雅子の母の小和田優美子が、着物に「福」の字を入れて、福田家に忠誠を誓うようなこともしていました。

その中で年の近い雅子と隆雄は次第に親しくなり、雅子が外務省に入ったころに結婚を視野に入れた真剣な交際を始めました。

特に雅子がイギリスのオクスフォード大学に留学中に、隆雄も「フランスのエセック大学に留学したいと言い出し、父親の道雄から「なんでフランスなんだ?」と聞かれて「好きな女がイギリスにいるから」と答えたそうです。

そして二人は、ドーバー海峡をお互い行ったり来たりして逢瀬を楽しみます。

わざわざ、イギリスから海峡を渡って隆雄に会いに来て、「お茶と食事がすんだらさようなら〜」なんてことは常識的に考えて無いでしょう。お互い愛を確認しあったことは想像に難くありません。

スポンサードリンク


しかし、気になるのはこの英国留学中の雅子の男関係です。

オクスフォードに一緒に留学したT氏と深い関係に落ちていました。

また白人男性との交際もありました。

少なくても三股はかけていたことになりますね(驚)

凄い女です。性欲が強いのはよくわかりますが、三人の男とのスケジュール管理もしっかりダブルブッキングしないようにやっていたのでしょう。

一人とSEXしているときに他の二人にばれないように完璧にやっていたんですね。

確かにこの時期男同士がかち合ってトラブルという話は聞きませんでした。

こういう能力はあるんですね(笑)

こんな雅子でも越智隆雄は真剣に愛していました。

二人とも帰国後に、越智家の方から、プロポーズしたのですが、小和田家は断っています。この辺の事情は、雅子入内後に、落ちとの関係を週刊文春や写真誌が掲載してたたいていました。

なぜなら、ハーバート→東大→外務省という箔付けが完了した今、一度断られた皇太子妃に名乗りを上げる環境が出来上がっていたからです。

皇室に食い込み権力と権勢欲を握りたい小和田恒がそのチャンスを逃すわけはありません。

また1988年当時に大勢いたお妃候補も、皇太子のちびで不細工な容貌で、早々と他の男と婚約したり、結婚したりして逃げ、残っていた候補も、ここが重要なところですが、創価学会が一人ずつスキャンダルを捏造し、辞退に追い込んでいました。

最終時点で残っていたのは、雅子と久邇(くに)晃子さんとタレントで皇太子のアイドルだった柏原好恵の三人でした。

柏原は早々に逃げるために「ヌード写真集」などを出して、自分が候補から抜けるように工作しました。

最後は雅子と久邇(くに)さんでした。

宮内庁は久邇(くに)さんを押していましたが、そこに皇族の小和田のトロイの木馬の高円宮夫妻が出てきて、自宅で皇太子と雅子を合わせたり、外務省の小和田の後輩の柳谷謙介が自宅を提供して二人を合わせたりして、水面下の工作をやり、女性経験のない皇太子は雅子にころっとつかまってしまいました。

久邇(くに)さんの方も着物まで準備して、待っていたところに、皇太子側が勝手に雅子内定記者会見を開いて、宮内庁と両殿下を出し抜きました。

小和田―高円宮―創価学会―外務省の連携工作にしてやられた【朝鮮女雅子入内事件】です。

それにしても雅子という女は凄い女です。気に入った相手とは手当たり次第という感じです

今も白人国家の元首があいさつに来たら出迎えに出ますが、黒人国家の元首が来たら絶対に出てきません。アメリカ時代に、黒人の子供を堕胎した経験がトラウマになっていて、出てこれないそうです。

名前が出た男だけでかなりの人数がいますから名前やイニシャル、白人か黒人かも噂に出ない人数を合わせれば男性経験は20人は超えていると思います。

雅子は、祖父から水俣病患者の怨念父から創価学会関係の邪気を受け継いで皇室に入りました。逆に言うと婚約を破棄された越智隆雄は変な悪霊を持ち込まれずラッキーだったかもしれません。
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/19/2016112220161122092248/



▲△▽▼

小和田雅子 取り巻く男たち(外務省時代の彼氏・・・・) 2013年05月16日
https://ameblo.jp/9023410651/entry-11523618963.html

 雅子は、白人・アラブ系の大使や来賓とは会っているのに、他人種の大使や
来賓とは会わない。(あきらかな人種差別的行為と言える)
昭和天皇妃の葬儀は欠席し、自分の母方の祖父の江頭豊の葬儀には、皇太子
に愛子ともども3日も参列した。
事実だけを連ねるだけで、その醜悪さが知れる。

 母方の祖父、江頭豊(えがしらゆたか)は、江頭安太郎の3男で、江頭家は
佐賀藩主鍋島家の下級藩士と伝えられているが、史料や系図が一切なく、
賤しい出自であると考えられる。(部落出身との噂がある)

 佐賀鍋島藩と言えば、藩校での成績で、家禄を減らすという歪な教育偏重を
行った藩として知られる。「佐賀んもんの通った後はペンペン草も生えん。」と
謂われ、平野しかないため、資源がなく、雑草1本でも拾って肥料にした。
出身者は独りよがりで意地汚く、潔くない、「鬼畜」と呼ばれる人材が多い。

 母方の祖父、江頭豊は、日本興業銀行から、水俣病を引き起こしたチッソに
専務として入った。社長時代、水俣病の原因が工場にあると知りながら稼働し
続け、患者や家族に謝罪はしても補償に応じず、悪質なデマを流し、患者や
家族を冒瀆し続けた。

会長時代の1972年1月7日、千葉県市原市のチッソ石油化学五井工場で、警備
員(暴力団員)ら約200人に、自主交渉派の被害者ら15人を集団で襲わせた。
「ライフ」誌などに水俣病の現実を発表し続け、「MINAMATA」を世界に知らせた
写真家、ユージン・スミス(53)と妻のアイリーン・美緒子・スミス(21)が同行して
いたが、この江頭豊の指示で暴力団にカメラを壊され脊椎を折られ、片目失明
の重症を負い、アイリーン・美緒子・スミスは強姦された。ユージン・スミスは
時間とエネルギーを写真に向けるため告訴せず、アイリーン・美緒子・スミスと
離婚後の1978年10月、アメリカで後遺症が元で発作を起こし死亡。

1999年、ユージン・スミスの娘も14歳で強姦されている。江頭豊は、その後も
相談役としてチッソに君臨した鬼畜である。

 こんな鬼畜・江頭豊の孫娘達の幸せそうな写真「小和田姉妹」と、ユージン
スミスが撮影した、15歳の胎児性水俣病の悲惨な「入浴する智子と母」(21歳で
死亡)を見比べて見るが良い。これだけでも、鬼畜の孫娘、雅子は幸せには
なってはならないと思う。

 江頭豊の地所(東京都目黒区南一丁目)に、雅子の実家はある。

父小和田恆(ひさし)は、実質入り婿である。

小和田家の血筋もかなり怪しい。

なりすまし朝鮮人疑惑の根拠に、父方の祖父、毅夫と父、恆は、村上
から新潟に墓を移した際、曽々祖父、曽々々祖父の墓も移さず、村上来訪
の際も墓参もしなかったと言われる出来事がある。小和田恆は、優美子とも
ども創価学会(大鳳会)との繋がりがある売国奴で、雅子も同様であるそうだ。
小和田恆は、収賄疑惑が多く、雅子を差し出さなければ、監獄に収監されて
いたのは間違いないそうだ。

売国奴とすれば当然かも知れないが、下劣醜悪極まりない。

さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を許さないでは、

出張先で夜中「缶切りをもってこい。」と要求があり、持っていくと「その缶切り
を試したかい。」と質問があり「試してない。」と答えると、そのままドアを
閉めてしまった。

     さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を
     許さないでは、 

 外務省を見限って課長を最後に退職したOBに、浅井基文と岡本行夫がいる。
しかしこの二人の生きざまはあまりのも好対照である。
 私の六年先輩にあたる浅井基文は、日米安保条約を聖域視する対米従属
外交に失望し、中国課長を最後に退職した。その後まもなく『日本外交』を
出版し、安保条約に全面的に依存する日本外交の危うさを訴えた。その浅井
を、外務省は組織をあげて潰しにかかった。直接、浅井から聞いた話だが
退職した当時の次官であった小和田恒は、「今後もし外務省に弓を引くよう
な真似をすれば、省をあげて潰しにかかる。」と、面と向かって引導を渡した
という。若い外務官僚たちもこれに迎合するように、「霞ヶ関に近づけば押し
返してやる。」と悪態をついたという。ろくに勉強もせず経験もない駆け出しの
若い官僚が、先輩に対しここまで品のない言動をとってしまうところに、外務省
の質の低下を感じる。

渡辺亮次郎のエッセイでは、
国際司法裁判所の判事とやらに選出されたからである。皇太子妃の実父
だから昔なら批判ご法度なのだが、最近の世相はだからと言って口さがない。
数年前、現職の小田判事を「任期途中で辞めさせてでも、」と、就任工作
(小田にとっては辞任工作である)をやらせたのはひどかった。」とか「あんな
顔していて、実にカネに汚い。」とか「公私混同がひどい。」とか「嫁入りに持た
すタンスをえらく値切られた。」という友人もいた。「そりゃお前、めでたいん
だから、お前んちのほうで値切って差し上げたんだろうからいいことをしたな。
とはなったが、ケチで鳴る小和田さんも他人の国際紛争ではけちはしない
だろう、で落ち着きかけた。皇室の親戚がケチで何が悪い。ところが「まだわ
からんぜ。」と付け加える仲間が言った。」何しろ誰も鈴を付けに来ないことを
いいことに国連大使に5年も居座って、まだ降りようとはしなかった。後任の
佐藤行雄が3年10ヶ月できちっと辞めて、もう東京にいるよ。そんなだから
小和田さん、判事の任期(7年)に果たして何期しがみつくか、興味
津々だね。」と、これは後輩外交官だった。結構、口が悪い。

 その娘、雅子、父恆、母優美子の第1子として、昭和38年12月9日誕生。
11歳下に礼子(父恆のコネで国連難民高等弁務官事務所職員)、節子という
2人の双子の妹がいる。父恆の赴任先モスクワとニューヨークで過ごし、7歳
で帰国。小学校4年からは東京・世田谷区の私立田園調布雙葉学園小学校に
編入。高校1年の1学期まで在籍。父恆がアメリカ公使の肩書で、ハーバード
大学客員教授を兼任。ボストン郊外のベルモント高校、ハーバード大学(私立)
に入った。アメリカの大学は、教員や有力者の子弟は無試験に近い状態で
入学できる。パパブッシュの出たエール大学に押し込んだ馬鹿ブッシュを思い
出せば良い。まして外国人。卒論も、糠沢和夫経団連理財部長と東京銀行の
真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長(いずれも当時)への
謝辞が綴られている。

よほど学歴にコンプレックスがあるのだろう、易しい帰国子女枠で東京大学
法学部(経済学部は不合格)に再入学している。在学中に外交官試験で
外務省に入省。小和田恆のコネの縁故採用だろう。国費(税金)で
オックスフォード大学大学院に留学し、修士号も取れずに帰国(税金の無駄
使い)しているので、脳味噌の程度がわかる。
世界遺産ともいえる皇室の伝統を破壊しているのも理解できてしまうのである。

小和田雅子をめぐる噂

 さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと
決定的な理由があった。
 それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。
妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という
女性に は常に男性の噂がつきまとってきた。
 実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。

「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。
それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだ
ったという結論にいつしか落ち着いてしまった」
 しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、
告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハー
バード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されていると
いうのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。
「『シカゴ−』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだと
したら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対
応が早すぎるし、不自然な点は多い」
 真偽はさておき、この「シカゴ−」紙の記事と同じようなハーバード大学留
学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。曰く「
白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。
 妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコ
ミに、やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメ
リカから送りつけられている。
                
雅子の相手をした男
 長崎選手
 デビットカオ
 カルロス
 奥参事官
 外務省上司
 外務省同僚
 大野医師
 国連大学総長
 皇太子・・・・・・・2回 ?(愛子は人工授精)
 雅子は床上手?
宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされ
ている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、とい
うような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方
もある。

「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。
チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても
小和田サンを
はずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっている
のは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長
時代のパイプを使って雅子サンのハーバード時代を徹底的に洗い直したと
いう話もある」

 いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学
に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフ
リーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボ
ツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。

 91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしてい
る、との噂がかけめぐった。この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する
北米二課のM課長補佐。

「たしかに小和田サンとMサンは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で
二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い
役所で すから、噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」
上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るな
ど、とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。

その相手とは東大法学部から彼女と同期で外務省に入省している男性。もちろ
ん独身である。ここでは仮にT氏としておこう。
「T君のことは我々の間でも有名でしたよ。この何年かというもの、小和田サンの
側には常に彼の姿がありましたからね。かなり真面目なつきあいという印象でし
たし、我々が小和田サンの可能性が薄いと判断したのも、T君の存在が大きかっ
たため」(女性週刊誌記者)

 たしかに二人は東大時代からかなり親しくつきあっていたようだ。
小和田雅子は 外交官試験に合格したばかりの86年10月、裏磐梯へ
男5人女5人で一泊二日の グループ旅行に出かけているが、T氏もこれに
参加しているまた、妃候補としてマスコミに追いかけ回されていた入省直後の
頃、通勤電車の 中でT氏が彼女をかばうように隣りにいる姿も何度か
目撃されている。

 二人の親密さを裏づけるようにこの間、週刊誌等に掲載された彼女の
プライべー ト写真の中にも、隣にT氏がピッタリと寄り添っている写真が
何点か存在する。

 そして88年7月、彼女は外務省の在外研修でオックスフォード大学に留学
するの だが、実はT氏も彼女と同じオックスフォードを希望、一緒に渡英して
いるのである。

 ある外務省関係者は絶対オフレコを条件にこう話す。
「二人の仲が本格化したのはこのオックスフォード時代と聞いています。
ちょうど彼 女が『否定会見』を開いて、お妃候補からはずれたのもこの時期。
おそらくこの頃、 彼女はTクンとの結婚を真剣に考えていたと思いますよ」

・・・・・皇室に対する復讐か

https://ameblo.jp/9023410651/entry-11523618963.html


http://www.asyura2.com/12/social9/msg/352.html#c166

[昼休み53] 被差別部落出身の有名人は? 中川隆
44. 中川隆[-11902] koaQ7Jey 2019年2月23日 13:07:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[74]

2018.07.11
雅子妃|男性遍歴@外交評論家;岡本行夫
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/20/2016112020161120000000/

外交評論家;岡本行夫、外務省時代の尊敬する上司、二人の関係に怪文書が飛び交った 

今回は情報収集中に引っかかった雅子の乱脈な男性関係を具体的に斬っていこうと思います。

今から20数年前の1991年、あるニュースが週刊誌を賑わしました。

タイトルは「将来の次官候補、外務省北米一課長岡本行夫氏が退職」というもので、外務省内でエリートコースを突っ走っていて、周囲の期待も高く将来の事務次官候補と言われていた岡本氏がいきなり、不自然な止め方をした。

という趣旨の内容でした。

外務省は元々天下り先の少ない省です。ですから、一部の人を除いては、定年まで勤め上げます。その岡本氏が46歳という中途半端な年齢で、天下り先もないのに辞めるなんて・・・随分憶測を呼びました。

「上司と喧嘩したのだろう・・」とか。

しかし、出世コースを突っ走る男は上司と喧嘩するなんて馬鹿な真似はしません。

【あの世に持っていかなければならない理由】があったのでしょう。

そこでピ〜ンと来たのが外務省時代の小和田雅子です。

当時雅子は、隣の北米二課に所属してました。

バリバリ仕事する隣の課の課長の岡本に尊敬の念と憧れを抱いたのでしょう。雅子はいつも「岡本課長を尊敬している」と事あるごとに公言していたそうです。

働く女性が、同じ職場の上司を「尊敬している」と公言するのは、もっと踏み込んだ意味があります。

ちなみに岡本行夫の最初の妻は、有名バイオリニストの佐藤陽子です。

のち離婚して、「エーゲ海に捧ぐ」で有名になった池田満寿夫と事実婚しています。その恋愛経験が豊富な佐藤陽子が岡本を評して「SEXが本当に上手なの〜」と高評価をつけています。余程のテクニシャンなのでしょう。

当時独身のテクニシャン岡本と【SEX大好き雅子】が第一線を超えるのに時間はかからなかったでしょう。二人の関係は直ちに省内で有名になり、怪文書が省内を飛び交うありさまになりました。雅子が中絶したという噂が飛び交ったのもこのころです。

ただこの時の事務次官が雅子の実父の小和田恒でした。

恒としては、【雅子は皇太子に嫁がせる】という長年の野望がありましたので、娘の恋を許すわけにはいきませんでした。

「この恋を止めさせるには、岡本を止めさせるしかない。娘は皇太子に嫁がせるときにキャリアの外交官としてのブランドが必須の為辞めさせるわけにはいかない」

こう考えた小和田恒は、岡本に事務次官の目が無くなったことを告げ、退職することを勧めました。

代わりに、【一生雅子との関係を秘密にする】という条件で、退職後も、岡本の仕事を省を挙げてバックアップするという約束をしました。

そのお蔭で、岡本は外務省を退職すると、即「岡本アソシエイツ」なるコンサルティング会社を立ち上げました。

そして橋本政権の首相補佐官など、小渕内閣、小泉内閣でも外交ブレーンとして活躍しました。

その他、アサヒビール等5社の取締役を務めるなど、外務省中途退職者とは思えないほどの利権にありつけました。

しかし、彼の外交姿勢は徹底した【対米従属】なので私は評価しません。

日本をATMとしか思っていない、アメリカのジャパンハンドラー(日本の操り手)として有名な、リチャード・アーミテージ等の日本側の受け手です。

安倍総理が、対米協調しながらも、米国と対等な外交安保関係を築こうとしていますから、岡本の対米関係思考はもう古いのです。

今までの退職を飲む代わりにバックアップを惜しまずやってくれた小和田恒も一説には株の信用取引で大負けして、自己破産しているとのもっぱらの噂です。

自宅(目黒区)にも帰らずに、東宮御所に隠れ住んでいるとの説もあります。

権勢欲の強い小和田恒が世間に顔を見せないのは、余程恥ずかしいことをしたか、たいちょうがわるいかのどちらでしょう。

小和田恒が無くなれば、もう岡本をバックアップしてくれる人はいません。近いうちに仕事が無くなるでしょう。
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/20/2016112020161120000000/



▲△▽▼

2018.07.10
雅子妃|男性遍歴Aイラクで非業の死を遂げた奥参事官。英紙が二人の親密の中を暴露
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/21/2016112120161121000000/


今日は、雅子の男性遍歴Aです。

その相手は2003年にイラク戦争のさなか、非業の死を遂げた外務省奥克彦参事官です。

英紙はすかさず、「犯人は不明だが(米軍による)忙殺の可能性もある。

亡くなった奥参事官は、現在皇太子妃となっている雅子妃と昔から親密な仲だった」と報じました。

また出てきましたね〜(笑)

男性遍歴(笑)

しかも今度は妻子持ちだから立派な不倫ですね(笑)

いったい過去何人の男と関係を持ったんだ(怒)

当ブログで扱った中では、はっきりと名前が出ている二人だけです。

他にも東大の同級生で、一緒にオクスフォードに留学したT氏なる人物も留学中の交際も報じられていますが、名前もわからないので検証する方法がありません。きっと当ブログで把握した日本人、外国人を問わず男性経験の実際は倍の人数ぐらいあるのでしょう。

おまけに、彼女は、奥氏の死をきっかけに、主治医から、【適応障害】の診断書を引き出し、翌年の皇太子の【人格否定発言】以後、一切の公務を拒否するようになりました。

例の【人格否定発言】は、小和田恒が文章にしたのを皇太子が、何度も練習し、時には感情をあらわにする練習をして、記者会見に臨んだものでしょう。

【人格否定】などのげすな表現は、皇室や皇族にはありません。

皇室や皇族とは対極にいる極悪朝鮮人の小和田恒しか考える人間はいません。皇太子に記者会見をさせたのも小和田でしょう。

しかし、【昔の男の死】を良いチャンスとして【適応障害】とする大野裕氏筆頭にする医師団の判断も腑に落ちません。

雅子としては元々関心が無く嫌でしょうがなかった公務をさぼる良いチャンスと見たのでしょう。または、小和田恒の入れ知恵かもしれません。

この日から、我々の税金から、年収6千万円をふんだくる【公務おさぼり皇太子妃】ができ、もう12年もたっているのです。医師団がやぶ医者だといっても良い位です。

小和田に【人格否定発言】を言わせるほど、東宮にいうべきは言い、筋を通して厳しく接していたのは、当時の鎌倉節(さだめ)宮内庁長官でした。

鎌倉氏は警察官僚OBで警視総監→宮内庁長官という歴史的な王道を歩んできた人でした。昔は旧内務省系の警察官僚OBや厚労省OBが宮内庁長官を占めるのが王道であり、不文律でした。

今、長官をやっている風岡典之などは建設官僚出身で、宮内庁長官としては向いてないとして、そもそも選外でした。

亡くなった鎌倉元宮内庁長官は【東宮の天敵】といわれるほど立派に筋を通しました。しかし、その後は、小和田と創価の連合軍により、宮内庁長官は、創価信者(風岡)部落出身者(羽毛田)のような人物が続き、東宮太夫も外務省から小和田の息のかかった人物(小町)が送り込まれるようになりました。

皆【雅子の公務おさぼり】を邪魔させないためです。

それにしても雅子という女の男性経験の数には呆れます。

私の元プレイボーイとしての経験から言うと、人相鑑定すると、この女は食事して仲良くなってアルコールも入ると、ホテルに誘うと簡単についてくるタイプです。

英国の王室の妃になる人は「処女であること」が条件です。

日本皇室もそれを求めているのは、雅子が第一選考で外されたのを見ると分かります。雅子なんか、やりすぎて処女膜のかけらもなく、処女膜再生手術も不可能だったでしょう(笑)

徳仁君は結婚初夜に花嫁に出血が無いのに不信感を抱かなかったでしょうか(笑)
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/21/2016112120161121000000/



▲△▽▼

2018.08.09
雅子妃|男性遍歴B婚約直前まで行った福田元総理の孫;越智隆雄現自民党衆議院議員
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/19/2016112220161122092248/

婚約直前まで行った福田元総理の孫・越智隆雄現自民党衆議院議員

また出来てきました雅子の昔の男(笑)たたけば埃の出る女ならず、【たたけば昔の男が出る女】です。

越智隆雄という男は、福田赳夫元総理の娘が大蔵官僚の越智道雄に嫁ぎできた子で、孫に当たります。

同じく福田赳夫の孫で、チノパンの夫となった横手真一と同じく、慶應の幼稚舎から慶應義塾大学の経済学部までというコースは全く同じです。

就職も横手真一は三菱銀行(のちゴールドマンサックス)越智隆雄は住友銀行(後父越智道雄の秘書)というのも似ています。

祖父の赳夫が小和田恒を可愛がっていたこともあり、幼少の頃から小和田家と越智家は家族ぐるみの付き合いをしていました。

小和田家と越智家は一緒にスキーに行ったり、雅子の母の小和田優美子が、着物に「福」の字を入れて、福田家に忠誠を誓うようなこともしていました。

その中で年の近い雅子と隆雄は次第に親しくなり、雅子が外務省に入ったころに結婚を視野に入れた真剣な交際を始めました。

特に雅子がイギリスのオクスフォード大学に留学中に、隆雄も「フランスのエセック大学に留学したいと言い出し、父親の道雄から「なんでフランスなんだ?」と聞かれて「好きな女がイギリスにいるから」と答えたそうです。

そして二人は、ドーバー海峡をお互い行ったり来たりして逢瀬を楽しみます。

わざわざ、イギリスから海峡を渡って隆雄に会いに来て、「お茶と食事がすんだらさようなら〜」なんてことは常識的に考えて無いでしょう。お互い愛を確認しあったことは想像に難くありません。

スポンサードリンク


しかし、気になるのはこの英国留学中の雅子の男関係です。

オクスフォードに一緒に留学したT氏と深い関係に落ちていました。

また白人男性との交際もありました。

少なくても三股はかけていたことになりますね(驚)

凄い女です。性欲が強いのはよくわかりますが、三人の男とのスケジュール管理もしっかりダブルブッキングしないようにやっていたのでしょう。

一人とSEXしているときに他の二人にばれないように完璧にやっていたんですね。

確かにこの時期男同士がかち合ってトラブルという話は聞きませんでした。

こういう能力はあるんですね(笑)

こんな雅子でも越智隆雄は真剣に愛していました。

二人とも帰国後に、越智家の方から、プロポーズしたのですが、小和田家は断っています。この辺の事情は、雅子入内後に、落ちとの関係を週刊文春や写真誌が掲載してたたいていました。

なぜなら、ハーバート→東大→外務省という箔付けが完了した今、一度断られた皇太子妃に名乗りを上げる環境が出来上がっていたからです。

皇室に食い込み権力と権勢欲を握りたい小和田恒がそのチャンスを逃すわけはありません。

また1988年当時に大勢いたお妃候補も、皇太子のちびで不細工な容貌で、早々と他の男と婚約したり、結婚したりして逃げ、残っていた候補も、ここが重要なところですが、創価学会が一人ずつスキャンダルを捏造し、辞退に追い込んでいました。

最終時点で残っていたのは、雅子と久邇(くに)晃子さんとタレントで皇太子のアイドルだった柏原好恵の三人でした。

柏原は早々に逃げるために「ヌード写真集」などを出して、自分が候補から抜けるように工作しました。

最後は雅子と久邇(くに)さんでした。

宮内庁は久邇(くに)さんを押していましたが、そこに皇族の小和田のトロイの木馬の高円宮夫妻が出てきて、自宅で皇太子と雅子を合わせたり、外務省の小和田の後輩の柳谷謙介が自宅を提供して二人を合わせたりして、水面下の工作をやり、女性経験のない皇太子は雅子にころっとつかまってしまいました。

久邇(くに)さんの方も着物まで準備して、待っていたところに、皇太子側が勝手に雅子内定記者会見を開いて、宮内庁と両殿下を出し抜きました。

小和田―高円宮―創価学会―外務省の連携工作にしてやられた【朝鮮女雅子入内事件】です。

それにしても雅子という女は凄い女です。気に入った相手とは手当たり次第という感じです

今も白人国家の元首があいさつに来たら出迎えに出ますが、黒人国家の元首が来たら絶対に出てきません。アメリカ時代に、黒人の子供を堕胎した経験がトラウマになっていて、出てこれないそうです。

名前が出た男だけでかなりの人数がいますから名前やイニシャル、白人か黒人かも噂に出ない人数を合わせれば男性経験は20人は超えていると思います。

雅子は、祖父から水俣病患者の怨念父から創価学会関係の邪気を受け継いで皇室に入りました。逆に言うと婚約を破棄された越智隆雄は変な悪霊を持ち込まれずラッキーだったかもしれません。
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/19/2016112220161122092248/



▲△▽▼

小和田雅子 取り巻く男たち(外務省時代の彼氏・・・・) 2013年05月16日
https://ameblo.jp/9023410651/entry-11523618963.html

 雅子は、白人・アラブ系の大使や来賓とは会っているのに、他人種の大使や
来賓とは会わない。(あきらかな人種差別的行為と言える)
昭和天皇妃の葬儀は欠席し、自分の母方の祖父の江頭豊の葬儀には、皇太子
に愛子ともども3日も参列した。
事実だけを連ねるだけで、その醜悪さが知れる。

 母方の祖父、江頭豊(えがしらゆたか)は、江頭安太郎の3男で、江頭家は
佐賀藩主鍋島家の下級藩士と伝えられているが、史料や系図が一切なく、
賤しい出自であると考えられる。(部落出身との噂がある)

 佐賀鍋島藩と言えば、藩校での成績で、家禄を減らすという歪な教育偏重を
行った藩として知られる。「佐賀んもんの通った後はペンペン草も生えん。」と
謂われ、平野しかないため、資源がなく、雑草1本でも拾って肥料にした。
出身者は独りよがりで意地汚く、潔くない、「鬼畜」と呼ばれる人材が多い。

 母方の祖父、江頭豊は、日本興業銀行から、水俣病を引き起こしたチッソに
専務として入った。社長時代、水俣病の原因が工場にあると知りながら稼働し
続け、患者や家族に謝罪はしても補償に応じず、悪質なデマを流し、患者や
家族を冒瀆し続けた。

会長時代の1972年1月7日、千葉県市原市のチッソ石油化学五井工場で、警備
員(暴力団員)ら約200人に、自主交渉派の被害者ら15人を集団で襲わせた。
「ライフ」誌などに水俣病の現実を発表し続け、「MINAMATA」を世界に知らせた
写真家、ユージン・スミス(53)と妻のアイリーン・美緒子・スミス(21)が同行して
いたが、この江頭豊の指示で暴力団にカメラを壊され脊椎を折られ、片目失明
の重症を負い、アイリーン・美緒子・スミスは強姦された。ユージン・スミスは
時間とエネルギーを写真に向けるため告訴せず、アイリーン・美緒子・スミスと
離婚後の1978年10月、アメリカで後遺症が元で発作を起こし死亡。

1999年、ユージン・スミスの娘も14歳で強姦されている。江頭豊は、その後も
相談役としてチッソに君臨した鬼畜である。

 こんな鬼畜・江頭豊の孫娘達の幸せそうな写真「小和田姉妹」と、ユージン
スミスが撮影した、15歳の胎児性水俣病の悲惨な「入浴する智子と母」(21歳で
死亡)を見比べて見るが良い。これだけでも、鬼畜の孫娘、雅子は幸せには
なってはならないと思う。

 江頭豊の地所(東京都目黒区南一丁目)に、雅子の実家はある。

父小和田恆(ひさし)は、実質入り婿である。

小和田家の血筋もかなり怪しい。

なりすまし朝鮮人疑惑の根拠に、父方の祖父、毅夫と父、恆は、村上
から新潟に墓を移した際、曽々祖父、曽々々祖父の墓も移さず、村上来訪
の際も墓参もしなかったと言われる出来事がある。小和田恆は、優美子とも
ども創価学会(大鳳会)との繋がりがある売国奴で、雅子も同様であるそうだ。
小和田恆は、収賄疑惑が多く、雅子を差し出さなければ、監獄に収監されて
いたのは間違いないそうだ。

売国奴とすれば当然かも知れないが、下劣醜悪極まりない。

さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を許さないでは、

出張先で夜中「缶切りをもってこい。」と要求があり、持っていくと「その缶切り
を試したかい。」と質問があり「試してない。」と答えると、そのままドアを
閉めてしまった。

     さらば外務省!―私は小泉首相と売国官僚を
     許さないでは、 

 外務省を見限って課長を最後に退職したOBに、浅井基文と岡本行夫がいる。
しかしこの二人の生きざまはあまりのも好対照である。
 私の六年先輩にあたる浅井基文は、日米安保条約を聖域視する対米従属
外交に失望し、中国課長を最後に退職した。その後まもなく『日本外交』を
出版し、安保条約に全面的に依存する日本外交の危うさを訴えた。その浅井
を、外務省は組織をあげて潰しにかかった。直接、浅井から聞いた話だが
退職した当時の次官であった小和田恒は、「今後もし外務省に弓を引くよう
な真似をすれば、省をあげて潰しにかかる。」と、面と向かって引導を渡した
という。若い外務官僚たちもこれに迎合するように、「霞ヶ関に近づけば押し
返してやる。」と悪態をついたという。ろくに勉強もせず経験もない駆け出しの
若い官僚が、先輩に対しここまで品のない言動をとってしまうところに、外務省
の質の低下を感じる。

渡辺亮次郎のエッセイでは、
国際司法裁判所の判事とやらに選出されたからである。皇太子妃の実父
だから昔なら批判ご法度なのだが、最近の世相はだからと言って口さがない。
数年前、現職の小田判事を「任期途中で辞めさせてでも、」と、就任工作
(小田にとっては辞任工作である)をやらせたのはひどかった。」とか「あんな
顔していて、実にカネに汚い。」とか「公私混同がひどい。」とか「嫁入りに持た
すタンスをえらく値切られた。」という友人もいた。「そりゃお前、めでたいん
だから、お前んちのほうで値切って差し上げたんだろうからいいことをしたな。
とはなったが、ケチで鳴る小和田さんも他人の国際紛争ではけちはしない
だろう、で落ち着きかけた。皇室の親戚がケチで何が悪い。ところが「まだわ
からんぜ。」と付け加える仲間が言った。」何しろ誰も鈴を付けに来ないことを
いいことに国連大使に5年も居座って、まだ降りようとはしなかった。後任の
佐藤行雄が3年10ヶ月できちっと辞めて、もう東京にいるよ。そんなだから
小和田さん、判事の任期(7年)に果たして何期しがみつくか、興味
津々だね。」と、これは後輩外交官だった。結構、口が悪い。

 その娘、雅子、父恆、母優美子の第1子として、昭和38年12月9日誕生。
11歳下に礼子(父恆のコネで国連難民高等弁務官事務所職員)、節子という
2人の双子の妹がいる。父恆の赴任先モスクワとニューヨークで過ごし、7歳
で帰国。小学校4年からは東京・世田谷区の私立田園調布雙葉学園小学校に
編入。高校1年の1学期まで在籍。父恆がアメリカ公使の肩書で、ハーバード
大学客員教授を兼任。ボストン郊外のベルモント高校、ハーバード大学(私立)
に入った。アメリカの大学は、教員や有力者の子弟は無試験に近い状態で
入学できる。パパブッシュの出たエール大学に押し込んだ馬鹿ブッシュを思い
出せば良い。まして外国人。卒論も、糠沢和夫経団連理財部長と東京銀行の
真野調査部長、国際金融情報センターの榊原総務部長(いずれも当時)への
謝辞が綴られている。

よほど学歴にコンプレックスがあるのだろう、易しい帰国子女枠で東京大学
法学部(経済学部は不合格)に再入学している。在学中に外交官試験で
外務省に入省。小和田恆のコネの縁故採用だろう。国費(税金)で
オックスフォード大学大学院に留学し、修士号も取れずに帰国(税金の無駄
使い)しているので、脳味噌の程度がわかる。
世界遺産ともいえる皇室の伝統を破壊しているのも理解できてしまうのである。

小和田雅子をめぐる噂

 さらに皇室記者たちが「小和田雅子の可能性なし」と断定したのには、もっと
決定的な理由があった。
 それはズバリ、彼女の男性関係にまつわる噂だったという。
妃候補としてその名前がはじめて浮上した6年前から、小和田雅子という
女性に は常に男性の噂がつきまとってきた。
 実は妃内定直後の1月11日、アメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子サンの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載する騒ぎが起きている。

「日本のマスコミはこの記事の存在を知りながら一切黙殺していたようですね。
それに同紙もそのわずか4日後に記事を取消す続報を掲載して、あれはデマだ
ったという結論にいつしか落ち着いてしまった」
 しかし、地元では依然として噂はくすぶり続けているという。というのも、
告白したデビッド・カオなる男性は確かに実在しており、最低でも2回はハー
バード留学中の彼女と同じパーティーに出席していたことが確認されていると
いうのだ。在米特派員の一人もこう首をひねる。
「『シカゴ−』紙はいい加減な三流ゴシップ紙ではないですからね。デマだと
したら、どうしてあんな記事を載せたのか。その後の記事取消しもあまりに対
応が早すぎるし、不自然な点は多い」
 真偽はさておき、この「シカゴ−」紙の記事と同じようなハーバード大学留
学中の男性関係についての噂はこれまでもかなり頻繁に囁かれている。曰く「
白人男性とつきあっていた」「日本人留学生と半同棲生活を送っていた」等々。
 妃候補として彼女の名前がはじめて浮上した87年には、宮内庁と一部マスコ
ミに、やはり彼女が白人男性と交際していたことを英文で綴った怪文書がアメ
リカから送りつけられている。
                
雅子の相手をした男
 長崎選手
 デビットカオ
 カルロス
 奥参事官
 外務省上司
 外務省同僚
 大野医師
 国連大学総長
 皇太子・・・・・・・2回 ?(愛子は人工授精)
 雅子は床上手?
宮内庁が88年に突如として小和田雅子を妃候補から除外したのも、公にされ
ている母方の祖父が公害タレ流し企業のチッソ社長をつとめていたから、とい
うような理由ではなく、このハーバード時代の交友関係が原因だったとの見方
もある。

「妃候補の家系は皇太子に引き合わせる前に必ず調べますからね。
チッソを問題にするなら、最初から会わせていませんよ。時期的に見ても
小和田サンを
はずしたのは例の白人男性との交友が書かれた怪文書がキッカケになっている
のは確実です。一説には当時の宮内庁長官だった富田朝彦が内調室長
時代のパイプを使って雅子サンのハーバード時代を徹底的に洗い直したと
いう話もある」

 いや、ハーバード時代だけではない。外務省の研修でオックスフォード大学
に留学中の際には、イギリス人男性との交際が噂になったこともあり、あるフ
リーカメラマンがツーショットを撮影して、女性週刊誌に持ち込んだもののボ
ツになった、とのまことしやかな話も漏れ伝わっている。

 91年の春から92年のはじめにかけては外務省内で上司と不倫をしてい
る、との噂がかけめぐった。この時、相手と名指しされたのは彼女の所属する
北米二課のM課長補佐。

「たしかに小和田サンとMサンは例の半導体交渉でコンビを組んでいた関係で
二人きりで海外出張する機会も多かった。外務省は伝統的に不倫の多い
役所で すから、噂になるのもわかりますけど、でも実際はどうですかねえ」
上司との不倫ではS北米二課長との関係を指摘する怪文書が出回るな
ど、とにかくこのテの話は数えあげればキリがないほど流れてきたのである。

その相手とは東大法学部から彼女と同期で外務省に入省している男性。もちろ
ん独身である。ここでは仮にT氏としておこう。
「T君のことは我々の間でも有名でしたよ。この何年かというもの、小和田サンの
側には常に彼の姿がありましたからね。かなり真面目なつきあいという印象でし
たし、我々が小和田サンの可能性が薄いと判断したのも、T君の存在が大きかっ
たため」(女性週刊誌記者)

 たしかに二人は東大時代からかなり親しくつきあっていたようだ。
小和田雅子は 外交官試験に合格したばかりの86年10月、裏磐梯へ
男5人女5人で一泊二日の グループ旅行に出かけているが、T氏もこれに
参加しているまた、妃候補としてマスコミに追いかけ回されていた入省直後の
頃、通勤電車の 中でT氏が彼女をかばうように隣りにいる姿も何度か
目撃されている。

 二人の親密さを裏づけるようにこの間、週刊誌等に掲載された彼女の
プライべー ト写真の中にも、隣にT氏がピッタリと寄り添っている写真が
何点か存在する。

 そして88年7月、彼女は外務省の在外研修でオックスフォード大学に留学
するの だが、実はT氏も彼女と同じオックスフォードを希望、一緒に渡英して
いるのである。

 ある外務省関係者は絶対オフレコを条件にこう話す。
「二人の仲が本格化したのはこのオックスフォード時代と聞いています。
ちょうど彼 女が『否定会見』を開いて、お妃候補からはずれたのもこの時期。
おそらくこの頃、 彼女はTクンとの結婚を真剣に考えていたと思いますよ」

・・・・・皇室に対する復讐か

https://ameblo.jp/9023410651/entry-11523618963.html


http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/431.html#c44

   前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > dGhQLjRSQk5RSlE= > 100001  g検索 dGhQLjRSQk5RSlE=

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。