★阿修羅♪ > dExuQ1VTNFhtYy4= > 100000
 
g検索 dExuQ1VTNFhtYy4=  
 
dExuQ1VTNFhtYy4= コメント履歴 No: 100000
http://www.asyura2.com/acat/d/de/dex/dExuQ1VTNFhtYy4=/100000.html
[リバイバル3] 「住宅は資産」という幻想で誰があなたをカモにするのか? 中川隆
319. 中川隆[-11762] koaQ7Jey 2024年1月23日 11:38:50 : kiJDkJjyC6 : dExuQ1VTNFhtYy4=[1]
<■92行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
住宅ローンで老後破産するのはどんな人か?
2024.01.23
https://www.thutmosev.com/archives/75616504mmm.html

4%程度が延滞し、4%程度が長期化など条件変更している

画像引用:http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/f/flats/20140513/20140513232421.jpg
住宅ローン抱えて老後?

2000年代から日本では不動産ブームが続き、多くのマンションや一戸建てが建設され個人が購入しました

その大半は金融機関の不動産ローンを利用したはずですが彼らの老後は必ずしも明るくない

特に返済が終わらないまま老後を迎えたときには、深刻な結末をむかえる可能性があります

多くの人が新築住宅やマンションを購入するのは30歳前後で、結婚して数年後という場合が多い

購入した時は安定した収入がある正社員で健康そのもの、会社には将来性があり出世や昇給の道も開けている筈です

ところがそれから30年後はもう60代で、返済が終わるのは65歳か60代後半の場合もあります

最後の10年が魔の期間となり、もう少しで完済するのに、力尽きて返済不能になる人が多い

住宅ローンを組んだ人のうち、返済不能になるのは2%ほどで50件に1件、新築住宅の2%は確実にそうなる

通常若い夫婦が住宅を購入する場合は、今後も収入が増えるのを当て込んで限度一杯まで借り入れます

自己資金と親からの援助が1000万円、住宅ローンが2000万円で合計3000万円というのが平均的な予算です

金融機関が貸した2000万円は30年から35年かけて返済し、金利と合計すると支払い金額は3000万円くらいになります

つまりこの若夫婦は年100万円を30年か35年払い続けるのだが、収入のピークは40代か50代です

50代後半で収入は下がり、60代になるとピーク時の3分の2か半額になるでしょう

500万円以上だった年収が300万円程度に下がったら、年100万円の住宅ローンが重くのしかかります

奥さんがパートで働いたとしても家計収入は下がり続け、貯金を切り崩すが底をつき借金に手を染めます

60代でローン破産する人
この頃には親はなくなっているので支援は受けられず、50代後半になると体力が衰えて病気がちになるので、労働時間を増やすことはできません

こうして返済不能になるのだが、通常住宅ローンはどの時点で物件を売却しても、残金が残ります

差し押さえられて競売になるよりは任意売却のほうが高く売れるが、後10年で返済が終わるとしても1000万近い負債が残ります

30年近く経ったら建物の価値はゼロに近くなり、土地の値段だけになります

60歳前後で500万円以上の借金が残り、家は公団住宅などを借りるにしても別に家賃がかかります

そのうえ住宅を売却した時点で住宅ローンは解消され、通常の銀行ローンに切り替わります

住宅ローンは金利3%以下かも知れないが、銀行ローンは10%以上にもなり、金利だけで月数万円の支払いになります

こうして身動きが取れなくなり、60代で老後破産する人が居ます

住宅ローンを組んでマイホームを購入した人のうち2%以上が返済不能になっているが、ゆとりローン(ステップローン)では6人に1人が破綻した事実がありました。

普通にローンを組んでも2%以上が破綻しているのですが、この破綻とはどういう状況なのでしょうか

住宅ローンの平均借入額は2000万円で住宅価格は平均3000万円、差額の1000万円は現金で用意しています

現在は超低金利なので金利は1%以下から3%台が多く、2%とすると30年間では約662万円の金利手数料負担になります

ところが金利は変動するので返済期間中に5%や10%に上昇する可能性があり、金利2%だと月の返済額は約7万4千円です

金利5%では返済額10万7千円で金利手数料は1865万円、金利10%では月返済額は約17万円で金利手数料は4318万円です

金利が上昇すると返済額も急上昇し、現在の金利で建てた返済プランは成立しなくなります

それに家を建てた時は30歳前後で十分な収入だったとして、その後年収が下がってしまう場合もあります

住宅ローン延滞するとどうなる
夫の収入が下がると妻が働くケースが多いが、体調が不安だったりして十分な収入を維持できないこともある

また夫の収入が下がると夫婦のもめごとが増え、離婚してローン破綻するケースも多い

延滞には無断延滞と銀行に事前連絡があった場合で違い、無断では3か月くらいで督促状や電話連絡が来ます

もう3か月経って6か月延滞すると、銀行は物件の差し押さえにかかります

差し押さえた物件は競売に掛けられるか、あるいは任意売却によって処分します

どちらにしても売却価格が債務残高を上回るのは99%あり得ず、数百万円から1000万円の残債が残ります

30年ローンだとして物件の売却価格で残り債務を完済できるのは、最後の5年以降だと言われています

どの時点かにもよりますが、300万円から1000万円の住宅ローンが残ります

物件を売却した時点で住宅ローンは解約されて通常の銀行ローンになり、金利は2%から15%に跳ね上がります

しかも住宅ローンの残りが15年だったとしても、銀行ローンでは3年以内などの支払いが求められます

ちょっと計算すると残債500万円を金利15%で3年払いだと総支払額は624万円、毎月17万3千円の支払いになります

毎月10万以下が払えなかった人が17万円払えるはずがないので、銀行は結局保証人に請求します

保証人の資産を差し押さえてやっと住宅ローンを完済するのが住宅ローン破産です

本人家族と両方の実家や親類など何十人も巻き添えになる事があります

ところで住宅ローンを延滞する前に銀行に連絡すると、銀行と支払いプランを相談することができます

銀行側はローン破綻を防ぎたいので、支払い期間を延ばしたり金利が高すぎたら低くするなどに応じる場合があります

残り期間が15年で毎月7万円なら、20年や25年に長期化すれば毎月の支払いは楽になります

破綻し競売になったら毎月17万円請求されるのに、銀行に相談して期間延長すれば月5万円になる可能性があるのです

銀行は貸し倒れをもっとも恐れているので、長期化して金利を下げてもらえば払えるのなら応じる可能性は高い

延長や借り換えすれば助かるのに、最後まで我慢するタイプの人が、家を失った上に借金まで背負います

https://www.thutmosev.com/archives/75616504mmm.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/615.html#c319

[近代史02] 釈迦の悟りとは何であったのか? 富山誠
101. 中川隆[-11761] koaQ7Jey 2024年1月23日 18:38:46 : kiJDkJjyC6 : dExuQ1VTNFhtYy4=[2]
<■188行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
悟りの階梯
悟りの道も一歩ずつ
藤本晃(慈照) 文学博士・誓教寺住職

第一回

悟りって何なのか誰か知ってる?
https://j-theravada.com/world/study/pali-sutta2-1/

悟りって言葉は知ってるけど、内容は分からない
「悟り」は、とても有名な言葉です。内容はよく分からなくても、それが仏教で目指す究極のゴールで、そのゴールに達した人が「悟った人・仏陀」になることは、よく知られています。でも、この、言葉だけ有名なことが、結構くせ者です。言葉は有名だけど中身がよく分からないものは、とかく言葉だけが一人歩きします。

インドでは、今の世で釈尊が初めて悟りを開かれる前から、「悟り」という言葉は知られていました。「『悟り』とは、とにかく滅多に到達することができない、生命の最高の状態らしい」ということも知られていました。「過去には実際に仏陀がいたようだけど、今の世にはいない」ということも知られていました。インドの真面目な修行者たちはみんな、それがどんなものか分からないまま、その「悟り」を目指して修行していたのです。

そんな状況でしたから、「仏陀が世に現れた」「釈尊が悟りを開かれた」という話が広まった時、人々は、「仏陀?悟り?何それ?」と尋ねたのではなく、「仏陀が、とうとうこの世に現れたか」と感嘆したのです。

釈尊が悟りを開かれたことが知れ渡り、仏陀の教えが広まってからは、バラモン教など他の宗教の人も、真面目な人は仏教で出家して仏弟子になったり、在家のまま熱心な仏教信者になったりして、多くの人がそれぞれの段階の悟りを開きました。端からはおよそ分かりませんが、完全に悟りを開いた人同士は、「あの人は悟っている」と、お互いによく分かっていたようです。

ちなみに仏教では、今の世で最初に、誰にも教えられずに一人で完全な悟りを開かれた釈尊だけを「仏陀」と呼び、その後、釈尊の指導で釈尊と同じく完全な悟りを開かれたお弟子さんたちは、その悟りの階梯の呼び名で「阿羅漢」と呼んで区別しています。

一方、一部の不真面目な宗教家たちは、仏教にあやかって「自分も『悟り』を開いた」とか「自分も世の中のことが何でも分かる」などと言いふらしました。一般の人々にはどうせ見分けが付かないと考えて、「悟り」という看板だけ立てて、騙してお布施をもらおうと考えたのです。

悟りの偽物を出して騙すことは、人々が正しく悟りを目指す道を誤らせる、最悪の罪・誹謗正法の行為です。釈尊は、ご自分が個人的に中傷されても心も動きませんし、放っておきましたが、仏陀の教え、特に「悟り」に対する騙し・ウソ偽りには、決して黙っていませんでした。人々が悟りに向かう道を邪魔することは、それほど重大な過ちだったのです。

釈尊は、相手にも聴衆にも分からない悟りの内容をただ説明しても無駄ですから、ホンの一言で相手をからかって、自分で恥をかくようにしてあげました。例えば釈尊の言葉だけを真似て「『悟り』の内容はこうだ」と言う人には、「私はこうも言いますが、それについてあなたはどうですか?」などと別の言い方をして、相手がそれ以上何も言えないようにしてあげました。それだけで、聴衆には何が真実で何がウソか分かりました。

釈尊が「ではあなたと議論しましょう」とおっしゃっただけで、恐ろしくなって身体も硬直して、その決められた日時に指定された場所に来ることさえできなくなった宗教家も大勢いました。真実のホンの一部でも見せたら、さらには「真実を見せてあげましょう」と言っただけでも、偽物は自滅するしかないのです。

「悟り」や「輪廻」はインド共通の「思想」?
それでも釈尊以降のインドでは、「輪廻からの解脱」など「悟り」に関係ありそうな文言が、いろいろな宗教の文献に見られるようになりました。

釈尊以前には、そんな言葉はどの宗教にも見られなかったのです。と言っても、釈尊の時代以前から伝わっていた宗教文献自体がほとんどなく、口頭伝承のヴェーダくらいのものでした。

ヴェーダは、釈尊の時代以前からバラモンたちの間で唱えられ伝えられていた、インド最古の宗教文献です。現在では第四のアタルヴァ・ヴェーダを加えて四ヴェーダを数えますが、釈尊の時代にはまだ三つだけが成立していました。リグ・ヴェーダ、サーマ・ヴェーダ、ヤジュル・ヴェーダです。これらヴェーダは、王族に仕えるバラモンたちが王族の祭祀を執行する時に唱える「祝詞」で、内容は神々や自然を讃えたり祈ったりするものですから、「輪廻」や「悟り」が、その「思想」も言葉さえも見られないのは当然です。

ところが釈尊の時代以後に製作され始めた、バラモン教のみならず全インドを代表する宗教哲学書と言われているウパニシャッド文献群には、その最初期のものに既に「輪廻」やそれからの「解脱」を説くかのような文言が、僅かですが見られます。ウパニシャッドの中の最初期のものに「輪廻と解脱の思想」の断片が見られ、でもその説明は短か過ぎて曖昧で不明瞭ですので、現代の学界では「ウパニシャッドが製作された時代から芽生えて徐々に発展した、インド共通の『輪廻と悟りの思想』が、後に仏教にも取り入れられ、やがて仏教で精密な体系に調えられた」と見ています。

でもそう結論する理由は、他愛のないものです。仏教の輪廻や悟りの教説が理路整然として体系的なのに対して、ウパニシャッドのものが未整理で不明瞭で原始的だからという、ただそれだけのことなのです。そこには、機械や文明の発展と同様に「思想」も、始めは原始的なレベルのアイデアが徐々に発展して体系化するはずだという「進化論」的思い込みがあるのでしょう。でも事実はそうではありません。

ウパニシャッドとは「側に仕える、座る」という意味で、バラモンたちが代々師匠から聞き伝えた教えを集めたものです。教えと言っても主としてヴェーダの解説ですから「祝詞」の説明の域を出ないはずなのですが、どうしても当時流行り始めた仏教やその他のいろいろな哲学・宗教の影響が入ります。それで総合的に何でもある文献のような感じになりますが、どれもただ聞いたもので、自分で体験したり発見したわけではありません。ウパニシャッド文献群は何百年もかけてたくさん製作されましたが、その最初の一本から既に、自分の体験ではなく、ただの聞き伝えなのです。

そのウパニシャッドの、最初の一本とされるチャンドーギャ・ウパニシャッドに、「輪廻」と呼ぶには稚拙な、天と地上を死後の魂が往復する思想が説かれていますが、それさえも、もともと王族のみに伝わる教えだったものを、バラモンが頼み込んで教えてもらったものです。正直なバラモンたちが、王やバラモンの名前も、教えを聞くに至った経緯までも記録しています。そんなわけですから、釈尊の体験に基づく輪廻と悟りの教説以前には、「輪廻」も「悟り」も、インドでさえその内容は知られていなかったのです。

ちなみに、現代のインドや学界では「身分制度の中でバラモンが最上で王族は二番目だ」と言いますが、これは釈尊の時代頃からバラモン階級が必死に主張してきたことが功を奏したものです。もともとの格は王族が第一で、バラモンは第二です。初期経典では必ずこの順番で出ます。日本の天皇家とその祭祀を勤める神主たちの主従関係に準えれば、インドの王族とバラモンの関係も想像できると思います。王族が、当時の知識人であるバラモンたちを大臣などとして雇い、政治や祭祀を執行する役目を負わせていたのです。

日本でも古代王権では祭政一致で、執行役を雇っていました。インドでは、バラモンたちが仕えていた王族が興亡を繰り返す一方、バラモンたちはどの王族にも仕えて祭祀を勤めましたから、血統や伝統が単一の王族より長くなって、歴史の代表格になっただけです。

悟りも輪廻も釈尊が体験した事実
そもそも、悟りも輪廻も、釈尊や他の宗教家たちがまず素朴なアイデアを出し、それからインド中で頭をひねって徐々に複雑に体系付けて完成させた「思想」なのではありません。輪廻は、もともと輪廻し続けているのに誰も気付かなかった明らかな事実、それからの解脱・悟りも、やってみれば悟れた人だけが体験として分かった明らかな事実です。その事実を、今の世界では釈尊が初めて体験し、体験したその内容を何とか言葉にして説明しただけです。言葉を練り上げる「思想」ではなく、単なる事実ですから、それまで全く知られていなかった内容が、釈尊が初めて体験して分かったところで、すぐに、その精密な階梯を順序立てて詳しく流暢に説明できたのです。

現代の学界でも、歴史を調べれば調べるほど、どのウパニシャッドも釈尊より後に製作されたことが分かり、現在では「ウパニシャッドの最初の二本だけは釈尊より古いはず」というところまで譲歩しています。でも、その二本もいずれ、釈尊より後に作られたと認められるでしょう。

何よりも、初期経典を読むと、どのウパニシャッドも釈尊より新しいものであることが分かるのです。経典の中で釈尊は、三ヴェーダの名は何度も挙げていますが(第四のアタルヴァ・ヴェーダはまだ製作されていませんでした)、ウパニシャッド文献のことは、何もおっしゃっていないのです。

釈尊は三ヴェーダを製作した十大仙人の子孫であるバラモンたちと知り合いで、十大仙人の釈尊当時までの家系や仙人たちの生活状況も、バラモンのある家系が釈迦族の奴隷を先祖とすることまで、何でもご存じでした。その知識の多くは、王族として釈迦国の王子であった頃に学ばれたもの、さらには、出家してから悟りを開かれるまでの六年間の遊行時代に学ばれたものです。悟りを開かれてからは、十大仙人の子孫を含む名高いバラモンたちが、釈尊のもとに教えを乞いに訪れて、釈尊と交流していました。そんな釈尊が、バラモンたちがその当時既に製作していたなら、ウパニシャッドのことだけたまたまご存じなかったということは、あり得ません。

釈尊が入滅された後に、釈尊が初めて説かれた輪廻や悟りの教えを基にして、ウパニシャッドの「思想」や文章が製作されたのです。でも輪廻や悟りは、どうせ悟りを体験しないと分かりませんし、「我」を説くバラモン教が絶え間なく「輪廻」転変する心を説くのも自己矛盾ですので、ウパニシャッドでは、ずーっと後代に製作された文献でも、「輪廻」や「悟り」の文言は相変わらず短くて曖昧で不明瞭で中途半端なままなのです。

「悟り」の言葉だけはインドで古くから知られていましたが、その内容めいたものがインドの文献に少しでも触れられるようになったのは、全部、釈尊が初めて明らかにされてから後のことです。それも、仏教以外のものは稚拙な喩え話程度のものです。

一気に悟る? 徐々に悟る? − 頓悟説と漸悟説 −
インドの諸宗教だけでなく同じ仏教の中でも、「悟り」がどんなものかよく分かっているとは言い切れないようです。

中国や日本の仏教では、「悟り」についての見解が、大きく二つに分かれています。一気にパッと「悟る」と主張するいわゆる「頓悟」説と、徐々に悟りを開いて最後に完全に「悟る」とするいわゆる「漸悟」説です。パッと悟る方は禅宗の一部や天台宗など大乗仏教の説で、徐々に悟るものは、北伝部派仏教の一派・説一切有部の『倶舎論』に基づく倶舎宗など、いわゆる「小乗」仏教の説です。

説一切有部と同じく「小乗」と見なされる南伝上座部が保持するパーリ経典では、『倶舎論』と同様に預流、一来、不還、阿羅漢の四段階の悟りを説きますから、上の分類に従えば、徐々に悟る「漸悟」説ということになります。

これについて学界では「始めは大乗のように『悟り』を一言で説明していたが、後にその『思想』を『小乗』が四段階に分類発展させたのだろう」と見ますが、これも「思想」は徐々に発展するはずという「進化論」的思考に過ぎません。何よりも、これでは大乗と「小乗」の成立順序が逆になってしまいます。初期経典やそれに基づく上座部、説一切有部などの部派仏教が始めにあって、それから後、大乗が成立発展したのですから、パーリ経典や部派仏教にしっかり残されている悟りの四段階が、大乗経典を製作する時に故意に除外された、あるいは単に抜け落ちたと考えるのが妥当です。大乗経典を製作した人々には、悟りの具体的な内容は理解できなかったか、興味が湧かなかったのかもしれません。

でも大乗経典にも、悟りの四段階の一端は見られます。いつかは完全な悟りを開くことが決定した「不退転・正定聚」の位は、四段階の最初・預流果に当たり、次に生まれ変わる時はそのまま悟るとする「一生補処」の位は、第三段階の不還果の影響を受けているでしょう。でも、どれも断片的で揃っていません。

何よりも釈尊ご自身が、経典(パーリ経典)の中で「悟りは順々に完成するもの」と明言されていますので、「頓悟」と「漸悟」の問題は、始めから起こらないはずのものだったのです。中国にはインド出身のお坊さんが単身で入ったことはあっても、正式な教団として入った記録はありません。当然、初期仏教は中国に根付きませんでした。初期経典も、幾つか漢訳はされたのですが、その後焼かれたり紛失したりして中国や日本のお坊さんの目にはほとんど留まらず、僅かに残った漢訳初期経典も、大乗経典に比べてあまり熱心に研究されませんでした。そのように初期仏教を知らないままの中国・日本仏教で、後にこのような問題が起こっただけなのです。

https://j-theravada.com/world/study/pali-sutta2-1/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html#c101

   

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > dExuQ1VTNFhtYy4= > 100000  g検索 dExuQ1VTNFhtYy4=

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。