63. 2023年8月13日 10:48:39 : A21fw9JDis : dDZ3c0Vrd01rclE=[1]
「原爆」は、2発だけではなかった。広島と長崎に落とされる2週間あまり前から、予行演習として日本各地に49発の「模擬原爆」が投下され、400人以上が犠牲になった。それが知られるようになったのは、終戦から50年近くたってからだった。
「模擬原爆」は終戦から46年になる1991年、愛知県の市民団体が米軍の資料を分析・公表したのを機に、各地で調査が進んだ。
長崎に落とされた原爆と同じ形状で、重量も同様の約1万ポンド(約4・5トン)。プルトニウムを使う原爆より威力は劣るが、高性能の爆薬が詰め込まれていた。円形でオレンジがかった見た目から、運搬した爆撃機の搭乗員たちから「パンプキン」と呼ばれていたことも分かった。
広島と長崎への原爆投下では、45年末までだけでも推計21万人の命が奪われた。一方、模擬原爆の犠牲者は京都府舞鶴市の97人など、計400人あまり。それでも「模擬原爆で得た経験やデータが原爆投下に生かされたのだとしたら、模擬原爆の詳細も後世に残すべきだ」と調査に当たる若い世代がいる。
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神戸大大学院の法学研究科で学ぶ西岡孔貴(こうき)さん(25)は、大学1年生だった6年前に広島市の平和記念資料館を訪れ、初めて模擬原爆のことを知った。地元の大阪にも投下されていたが、それも知らなかった。
「自分も調べてみたくなった」。卒業論文は、東京駅付近に落ちた模擬原爆をテーマにした。調査を進めると、49発のうち3発は詳しい投下地点がまだ判明していないことが分かった。このうちの一つで米軍資料に「神戸製鋼所(神戸市)を第一目標にした」と記録が残る模擬原爆の投下地点を、昨年5月から約1年かけて調べた。
神戸市文書館で見つけた警防団員の日記を基に、日本地図センターつくば事務所(茨城県つくば市)などで米軍撮影の航空写真を繰り返し確認していると、神戸市街を見下ろすように立ち、今は夜景スポットでもある摩耶山(まやさん)に、山肌をえぐったような白い地表を見つけた。「これ、もしかして……」
研究者からも「投下地点の可能性が高い」と背中を押され、空襲・戦災を記録する会が発行する「空襲通信」に投稿。10日発刊号に掲載された。会の事務局長を務める工藤洋三さん(73)は「場所が絞り込め、今後の道筋を付けてくれた。戦争体験者やそれに近い世代を中心に進んできた研究を若い西岡さんが引き継いでくれるのは意義深い」と今後にも期待する。
投下地点かもしれない場所は登山道もないが、西岡さんはこの秋にも登ってみるつもりだ。【高木香奈、宮崎隆】
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%BA%83%E5%B3%B6-%E9%95%B7%E5%B4%8E%E5%89%8D%E3%81%AB49%E7%99%BA%E3%81%AE-%E6%A8%A1%E6%93%AC%E5%8E%9F%E7%88%86-3%E7%99%BA%E3%81%AF%E5%9C%B0%E7%82%B9%E4%B8%8D%E6%98%8E-%E4%BB%8A%E3%82%82%E7%B6%9A%E3%81%8F%E8%AA%BF%E6%9F%BB/ar-AA1fc4JK?cvid=1c8e4a34bb6d48a3b217942418fad43f&ei=23
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/327.html#c63