2. 2021年6月03日 13:31:52 : iu9MHzniCI : d0JQUjJZTE1tb1k=[1]
何処が なるほど なんですか。
この辺りがポイントかも。
眼・耳・鼻・舌・身体・心も存在しない。
つまり 私の眼・ 私の耳・ 私の鼻・ 私の舌・ 私の身体・ 私の心
と普通言われるが それでは 私 とは何ですか。
私の実態は何処にあるんですか、、、になる わ な。
仮に修行をつんだり見識を深めても誰も答えられない、、、ので不安にさせる。
でもって上手く信者を集めたカルトな教祖は持っている財産を全て私に預けて空にさせて私に頼りなさい、、、さすれば魂?は救われる、、、ホイホイで一丁上がりのパターンになる。
つまりボケーとしていると 空 の概念?で簡単に騙せるもしくは騙される。
投稿者 宇宙一いい加減な博士のように 既にほぼ確定しているような概念で遊ぶ阿保の何処かのオッサンにでも。
https://sousei.gr.jp/8619/
『摩訶般若波羅蜜多心経』現代語訳
偉大なる智慧の完成についての心髄の経
観自在菩薩が深遠なる智慧の完成を実践していたとき、もろもろの存在の五つの構成要素は、皆、固有の本性・実体を持たない「空」であると見極め、だからこそ、あらゆる苦しみと災いを克服した。
舎利子よ、形あるもの(色)は、空に異ならず、空は、形あるものと異ならないのである。形あるものは空であり、空は形あるものなのである。そして、感受作用・表象作用・形成作用・識別作用もまた、同じく空なのである。
舎利子よ、あらゆる存在は空を特質としているから、生じることも滅することもなく、汚れることも清まることもなく、増えることも減ることもない。だからこそ、空であることには、形あるものは存在せず、感受作用・表象作用・形成作用・識別作用も存在しない。眼・耳・鼻・舌・身体・心も存在しない。これらの感覚器官の対象である形・音・香り・味・触れられるもの・心の対象の法も存在しない。範疇としての眼から、意識にいたるまでの十八界もない。智慧が無い状態もなければ、智慧が無い状態も尽きることもない。また、老いて死ぬこともなければ、老いて死ぬことが尽きることもない。苦・集・滅・道という四諦もない。知ることもなければ得ることもない。
得るところのものが何もないからこそ、菩薩は智慧の完成に依るのであり、心には妨げるものがなく、心に妨げるものがないからこそ、恐怖があることもない。誤った考えや夢想を超越して、涅槃を究めるのである。また、過去・現在・未来の諸仏も、智慧の完成に依るからこそ、無上なる完全なさとりを得るのである。
だからこそ知るべきである。般若波羅蜜多とは、大いなる真言であり、大いなるさとりの智慧の真言であり、この上ない真言であり、比べるものがないほど素晴らしい真言なのである。よく一切の苦悩を除き、それは実在であり、虚ろなものではないのである。
だからこそ、般若波羅蜜多を讃える真言を、ここで説こう。
往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、さとりよ、幸いあれ。
偉大なる智慧の完成についての心髄の経
訳文提供:菅原研州師
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/335.html#c2