35. AN[810] gmCCbQ 2020年3月05日 15:15:52 : 3DdkOdrczM : d0hVU3ZPNmZ1bzY=[1]
小幡 績様
小生もこの2本のコラムを読みまして、阿修羅に転載することを考えたのですが、あなた様の主張を理解できる読者は限られることを考慮いたしまして、見送っておりました。
てんさい(い)さんはやはり小幡様のコラムを阿修羅に紹介することが重要であると思われて転載したのだと思います。 しかし残念ながら小生の危惧は当たっており、三つの批判、
>第一には、教育よりも生活、命が重要だと。命あってのものだね、生活が成り立って初めて教育にいけるね、というものだ。
>第二の批判は、教育は学校だけではない。むしろいい勉強の機会だ。いまどき学校よりも勉強の効率の良い手段は沢山ある。学校の授業なんて教育の一部に過ぎないし、その代替手段もたくさんある、というものだ。
>第三の批判は、私の傲慢な人格、読者のテイストに合わない文章の書き方、頭の悪さ、に対するものだ。これは記事の内容には無関係なので、日本が終わりという結論には変わりがない。
など飛んでしまって、小幡様の主張をねじ曲げ、「学歴」をあげつらい、発表媒体を問題にし、とどのつまりは「名も無き者」が意見を表明すること自体に横槍を入れるコメントが多く見られましたことを残念に思います。
ただいくつかのコメントにはマトモなものもありましたことは、アシュラーの一人として強調したいところです。
さて小幡様の「日本が終わりという結論には変わりがない」と書かれておりますが、それには「終わらせてはならない」という強い裏の意味が込められているわけであり、小生も”終わらせない”ために今後とも微力を尽くして参りますので、小幡様にもご活躍を期待しております。
ただ小幡様の最初の論点には、現在の日本の教育レベルが非常に低下してしまっており、それが受けるのに値するものであるかどうか、はなはだ疑問である、という視点が抜けておりました。 しかし2つ目のコラムでははっきりと、
>学校の側に原因がある、ろくな教育をしていないなら、もっとそれに怒りをぶつけるべきだ。なんでもっとよい教育をしないのかと。入試制度の変更に騒ぐよりも、授業そのものの内容、質、効率性を批判し、提言をするべきだ。
と主張しておられますことを高く評価したいと存じます。