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[近代史7] ロシア軍歌「カチューシャ」_ マトヴェイ・ブランテル (1903-1990) 作曲 中川隆
4. 2022年3月11日 15:29:21 : Yc6Bgmu6Wg : czQuUUlXQnBLTU0=[1]
カチューシャ
Катюша
作曲: M.ブランテル (Блантер, Матвей Исаакович)
作詞: M.イサコフスキー (Исаковский, Михаил Васильевич)
https://voenpesni.web.fc2.com/songs/Katyusha.html


和訳・原詩を表示
1.
Расцветали яблони и груши,
Поплыли туманы над рекой.
Выходила на берег Катюша,
На высокий берег на крутой.

2.
Выходила, песню заводила
Про степного, сизого орла,
Про того, которого любила,
Про того, чьи письма берегла.

3.
Ой ты, песня, песенка девичья,
Ты лети за ясным солнцем вслед.
И бойцу на дальнем пограничье
От Катюши передай привет.

4.
Пусть он вспомнит девушку простую,
Пусть услышит, как она поет,
Пусть он землю бережет родную,
А любовь Катюша сбережет.

1.
リンゴが、ナシが花開き
川面を霧が流れだす
岸に出てきたのはカチューシャ
高く険しい川岸に

2.
そぞろ歩きにたずさう歌は
草原の蒼き鷲の歌
それは娘が愛する人、
大切な手紙をくれる人

3.
ああ歌よ、娘の歌よ
飛んで行け、輝く太陽について
遠き国境に立つ戦士へと
カチューシャの挨拶を届けておくれ

4.
素朴な娘を、戦士が思い起こすように
娘の歌が届くように
彼が故郷の土地を守り、
カチューシャが愛を守り通すように

カチューシャ (Катюша)
ロシア人女性の名前エカチェリーナЕкатеринаの愛称です。
1938年に作られた、ロシア歌謡の代表的存在として世界的に知られる歌です。
作詞者イサコフスキー、作曲者ブランテルは当時すでに名声を手にしていた人気作家で、国立ジャズオーケストラの芸術監督に就任する事となっていたブランテルがイサコフスキーの書きかけの詞に目を付ける形で制作が始まりました。
ブランテルは秋に行われるオーケストラの初公演でこの新曲を披露するためにイサコフスキーを急がせ、3, 4番の8行をたった2日で書き上げさせたそうです。
女性ジャズ歌手バティシチェヴァによって歌われた初公演でこの歌は大成功を収め、ブランテルの見る目の確かさが証明される格好となりました。

この経緯の通り『カチューシャ』は当初はポピュラーなジャズ(ソ連式ジャズ)として作られた作品です。しかしすぐさま有名な女性民謡歌手ルスラーノヴァによって民謡調で歌われるなど早い段階からアレンジが始まっており、これはこの曲がジャズよりはむしろ人民歌謡、「民謡」としてよく知られるに至った一因と考えられます。

歌詞の内容は一面離れ離れの恋人を思う女性のラブソングであり、日本で良く知られる関鑑子による訳詞などではこの側面だけがクローズアップされているのですが、原詞は1938年という時代背景に色濃い影響を受けた内容です。
作詞者イサコフスキーは後年このように回想しています:

Время тогда было тревожное. Мы как бы уже предчувствовали войну, хотя и не знали точно, когда и откуда она может прийти. Впрочем, мы не только предчувствовали, что война будет, но в известной мере уже переживали ее: ведь в 1938 году еще пылало пламя войны в Испании; в том же году Красная Армия вынуждена была вести и вела тяжелые бои с японскими самураями у озера Хасан: не очень спокойно было и на западных наших границах.

当時は不穏な時代であった。それがいつ、どこから来るかは分からなかったが、我々はすでに戦争を予感していた。否、戦争が起こるという予感だけではない、我々はすでにある程度戦争を体験してきていたのだ。1938年になってもスペインでの戦火はくすぶり続けていた。同年には赤軍が日本のサムライ1達と大規模な戦闘をせざるを得なくなり、事実戦闘を行った。西方の国境もまた、平穏とはいえなかった。

По этим причинам тема родины, тема защиты ее от посягательств врага была темой самой важной, самой первостепенной, и я, конечно, никак не мог пройти мимо нее даже в лирической песне.

そのため祖国という、そして敵の侵略からの祖国の防衛というテーマは最も重要な、何にも優先するものであり、もちろん私も、たとえ抒情歌の中といえどもそれを避けて通ることは決してできなかったのだ。

1 サムライ: 当時の日本軍や日本軍人を指す、否定的な意味が込められた言葉です。『立ち入るな、サムライ共よ』のページ等をご覧ください。

これが作詞者の個人的愛国心の発露なのか、国民に意識の統一を促す全体主義的なソ連社会のあり方に作詞者が適応・迎合した結果なのか、単純に1938年という時代が他愛のないポピュラーソングにまで影を落とす程に緊迫していたということなのか、捉え方は様々かと思います。

この曲にまつわる有名なエピソードとして、大祖国戦争中赤軍が用いた多連装ロケット砲が兵士の愛唱歌であったこの曲から「カチューシャ」という愛称を名付けられたというものがあります。
この愛称の由来については異説もあるのですが、結果として逆にこの歌がロケット砲と結び付けられるという現象が様々に巻き起こりました。その例としては以下のようなものがあります:

『カチューシャ』の替え歌としてロケット砲賛歌が作られる (『前線のカチューシャ』)
別のロケット砲賛歌の作詞がイサコフスキーに依頼される (ザハーロフ作曲の『カチューシャの歌』)
ロケット砲部隊をテーマとする行進曲に『カチューシャ』の旋律が引用される (『親衛迫撃砲兵行進曲』)
もちろんロケット砲に関するものにとどまらず、『カチューシャ』の替え歌は戦中を通じて無数に作られました。これらは戦前に流行したこの歌が、いかに戦中も兵士たちに広く愛されたかの証左であるといえるでしょう。

その後も『カチューシャ』は様々な形で人気を博し続けています。最近も戦勝記念日のコンサート等では定番であり、毎年のように老若の新しい歌手が新しいアレンジで歌っているのが確認できます。
この曲の海外での受け容れられ方については本ページでは詳しく述べませんが、それは時に闘争のテーマであり、時にソ連やロシアへの親しみの挨拶であり、時に愛の旋律であり、時に女性の可愛さや強さの表現である事でしょう。

今後も多くの人々がこの曲の美しさにまず引きつけられていく事と思いますが、この曲に限らずいかなる音楽にも断ちがたい背景があるものと考えます。遠い国、過ぎた時代の音楽に馳せる思いも時にはエキゾチズムの域を超えて、それを生んだ世について考えるきっかけとなれば良いな、と愚考するところです。

参考リンク
雑誌"Костёр"1968年11月号より、作詞者イサコフスキーの回想
論文『「ソビエト語」の言説空間 -1930年代の大衆歌をめぐって-』

https://voenpesni.web.fc2.com/songs/Katyusha.html


[ソ連軍歌] カチューシャ 日本語歌詞付き Катюша - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=sVk9eyAWxPk



http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/705.html#c4
[近代史4] ロシア民謡 『カチューシャ』 中川隆
7. 中川隆[-13531] koaQ7Jey 2022年3月11日 15:32:09 : Yc6Bgmu6Wg : czQuUUlXQnBLTU0=[2]
カチューシャ
Катюша
作曲: M.ブランテル (Блантер, Матвей Исаакович)
作詞: M.イサコフスキー (Исаковский, Михаил Васильевич)
https://voenpesni.web.fc2.com/songs/Katyusha.html


和訳・原詩を表示
1.
Расцветали яблони и груши,
Поплыли туманы над рекой.
Выходила на берег Катюша,
На высокий берег на крутой.

2.
Выходила, песню заводила
Про степного, сизого орла,
Про того, которого любила,
Про того, чьи письма берегла.

3.
Ой ты, песня, песенка девичья,
Ты лети за ясным солнцем вслед.
И бойцу на дальнем пограничье
От Катюши передай привет.

4.
Пусть он вспомнит девушку простую,
Пусть услышит, как она поет,
Пусть он землю бережет родную,
А любовь Катюша сбережет.

1.
リンゴが、ナシが花開き
川面を霧が流れだす
岸に出てきたのはカチューシャ
高く険しい川岸に

2.
そぞろ歩きにたずさう歌は
草原の蒼き鷲の歌
それは娘が愛する人、
大切な手紙をくれる人

3.
ああ歌よ、娘の歌よ
飛んで行け、輝く太陽について
遠き国境に立つ戦士へと
カチューシャの挨拶を届けておくれ

4.
素朴な娘を、戦士が思い起こすように
娘の歌が届くように
彼が故郷の土地を守り、
カチューシャが愛を守り通すように

カチューシャ (Катюша)
ロシア人女性の名前エカチェリーナЕкатеринаの愛称です。
1938年に作られた、ロシア歌謡の代表的存在として世界的に知られる歌です。
作詞者イサコフスキー、作曲者ブランテルは当時すでに名声を手にしていた人気作家で、国立ジャズオーケストラの芸術監督に就任する事となっていたブランテルがイサコフスキーの書きかけの詞に目を付ける形で制作が始まりました。
ブランテルは秋に行われるオーケストラの初公演でこの新曲を披露するためにイサコフスキーを急がせ、3, 4番の8行をたった2日で書き上げさせたそうです。
女性ジャズ歌手バティシチェヴァによって歌われた初公演でこの歌は大成功を収め、ブランテルの見る目の確かさが証明される格好となりました。

この経緯の通り『カチューシャ』は当初はポピュラーなジャズ(ソ連式ジャズ)として作られた作品です。しかしすぐさま有名な女性民謡歌手ルスラーノヴァによって民謡調で歌われるなど早い段階からアレンジが始まっており、これはこの曲がジャズよりはむしろ人民歌謡、「民謡」としてよく知られるに至った一因と考えられます。

歌詞の内容は一面離れ離れの恋人を思う女性のラブソングであり、日本で良く知られる関鑑子による訳詞などではこの側面だけがクローズアップされているのですが、原詞は1938年という時代背景に色濃い影響を受けた内容です。
作詞者イサコフスキーは後年このように回想しています:

Время тогда было тревожное. Мы как бы уже предчувствовали войну, хотя и не знали точно, когда и откуда она может прийти. Впрочем, мы не только предчувствовали, что война будет, но в известной мере уже переживали ее: ведь в 1938 году еще пылало пламя войны в Испании; в том же году Красная Армия вынуждена была вести и вела тяжелые бои с японскими самураями у озера Хасан: не очень спокойно было и на западных наших границах.

当時は不穏な時代であった。それがいつ、どこから来るかは分からなかったが、我々はすでに戦争を予感していた。否、戦争が起こるという予感だけではない、我々はすでにある程度戦争を体験してきていたのだ。1938年になってもスペインでの戦火はくすぶり続けていた。同年には赤軍が日本のサムライ1達と大規模な戦闘をせざるを得なくなり、事実戦闘を行った。西方の国境もまた、平穏とはいえなかった。

По этим причинам тема родины, тема защиты ее от посягательств врага была темой самой важной, самой первостепенной, и я, конечно, никак не мог пройти мимо нее даже в лирической песне.

そのため祖国という、そして敵の侵略からの祖国の防衛というテーマは最も重要な、何にも優先するものであり、もちろん私も、たとえ抒情歌の中といえどもそれを避けて通ることは決してできなかったのだ。

1 サムライ: 当時の日本軍や日本軍人を指す、否定的な意味が込められた言葉です。『立ち入るな、サムライ共よ』のページ等をご覧ください。

これが作詞者の個人的愛国心の発露なのか、国民に意識の統一を促す全体主義的なソ連社会のあり方に作詞者が適応・迎合した結果なのか、単純に1938年という時代が他愛のないポピュラーソングにまで影を落とす程に緊迫していたということなのか、捉え方は様々かと思います。

この曲にまつわる有名なエピソードとして、大祖国戦争中赤軍が用いた多連装ロケット砲が兵士の愛唱歌であったこの曲から「カチューシャ」という愛称を名付けられたというものがあります。
この愛称の由来については異説もあるのですが、結果として逆にこの歌がロケット砲と結び付けられるという現象が様々に巻き起こりました。その例としては以下のようなものがあります:

『カチューシャ』の替え歌としてロケット砲賛歌が作られる (『前線のカチューシャ』)
別のロケット砲賛歌の作詞がイサコフスキーに依頼される (ザハーロフ作曲の『カチューシャの歌』)
ロケット砲部隊をテーマとする行進曲に『カチューシャ』の旋律が引用される (『親衛迫撃砲兵行進曲』)
もちろんロケット砲に関するものにとどまらず、『カチューシャ』の替え歌は戦中を通じて無数に作られました。これらは戦前に流行したこの歌が、いかに戦中も兵士たちに広く愛されたかの証左であるといえるでしょう。

その後も『カチューシャ』は様々な形で人気を博し続けています。最近も戦勝記念日のコンサート等では定番であり、毎年のように老若の新しい歌手が新しいアレンジで歌っているのが確認できます。
この曲の海外での受け容れられ方については本ページでは詳しく述べませんが、それは時に闘争のテーマであり、時にソ連やロシアへの親しみの挨拶であり、時に愛の旋律であり、時に女性の可愛さや強さの表現である事でしょう。

今後も多くの人々がこの曲の美しさにまず引きつけられていく事と思いますが、この曲に限らずいかなる音楽にも断ちがたい背景があるものと考えます。遠い国、過ぎた時代の音楽に馳せる思いも時にはエキゾチズムの域を超えて、それを生んだ世について考えるきっかけとなれば良いな、と愚考するところです。

参考リンク
雑誌"Костёр"1968年11月号より、作詞者イサコフスキーの回想
論文『「ソビエト語」の言説空間 -1930年代の大衆歌をめぐって-』

https://voenpesni.web.fc2.com/songs/Katyusha.html




[ソ連軍歌] カチューシャ 日本語歌詞付き Катюша


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[近代史3] ロシア民謡 「カチューシャ」 (Катюша) 中川隆
6. 中川隆[-13530] koaQ7Jey 2022年3月11日 15:32:46 : Yc6Bgmu6Wg : czQuUUlXQnBLTU0=[3]
カチューシャ
Катюша
作曲: M.ブランテル (Блантер, Матвей Исаакович)
作詞: M.イサコフスキー (Исаковский, Михаил Васильевич)
https://voenpesni.web.fc2.com/songs/Katyusha.html


和訳・原詩を表示
1.
Расцветали яблони и груши,
Поплыли туманы над рекой.
Выходила на берег Катюша,
На высокий берег на крутой.

2.
Выходила, песню заводила
Про степного, сизого орла,
Про того, которого любила,
Про того, чьи письма берегла.

3.
Ой ты, песня, песенка девичья,
Ты лети за ясным солнцем вслед.
И бойцу на дальнем пограничье
От Катюши передай привет.

4.
Пусть он вспомнит девушку простую,
Пусть услышит, как она поет,
Пусть он землю бережет родную,
А любовь Катюша сбережет.

1.
リンゴが、ナシが花開き
川面を霧が流れだす
岸に出てきたのはカチューシャ
高く険しい川岸に

2.
そぞろ歩きにたずさう歌は
草原の蒼き鷲の歌
それは娘が愛する人、
大切な手紙をくれる人

3.
ああ歌よ、娘の歌よ
飛んで行け、輝く太陽について
遠き国境に立つ戦士へと
カチューシャの挨拶を届けておくれ

4.
素朴な娘を、戦士が思い起こすように
娘の歌が届くように
彼が故郷の土地を守り、
カチューシャが愛を守り通すように

カチューシャ (Катюша)
ロシア人女性の名前エカチェリーナЕкатеринаの愛称です。
1938年に作られた、ロシア歌謡の代表的存在として世界的に知られる歌です。
作詞者イサコフスキー、作曲者ブランテルは当時すでに名声を手にしていた人気作家で、国立ジャズオーケストラの芸術監督に就任する事となっていたブランテルがイサコフスキーの書きかけの詞に目を付ける形で制作が始まりました。
ブランテルは秋に行われるオーケストラの初公演でこの新曲を披露するためにイサコフスキーを急がせ、3, 4番の8行をたった2日で書き上げさせたそうです。
女性ジャズ歌手バティシチェヴァによって歌われた初公演でこの歌は大成功を収め、ブランテルの見る目の確かさが証明される格好となりました。

この経緯の通り『カチューシャ』は当初はポピュラーなジャズ(ソ連式ジャズ)として作られた作品です。しかしすぐさま有名な女性民謡歌手ルスラーノヴァによって民謡調で歌われるなど早い段階からアレンジが始まっており、これはこの曲がジャズよりはむしろ人民歌謡、「民謡」としてよく知られるに至った一因と考えられます。

歌詞の内容は一面離れ離れの恋人を思う女性のラブソングであり、日本で良く知られる関鑑子による訳詞などではこの側面だけがクローズアップされているのですが、原詞は1938年という時代背景に色濃い影響を受けた内容です。
作詞者イサコフスキーは後年このように回想しています:

Время тогда было тревожное. Мы как бы уже предчувствовали войну, хотя и не знали точно, когда и откуда она может прийти. Впрочем, мы не только предчувствовали, что война будет, но в известной мере уже переживали ее: ведь в 1938 году еще пылало пламя войны в Испании; в том же году Красная Армия вынуждена была вести и вела тяжелые бои с японскими самураями у озера Хасан: не очень спокойно было и на западных наших границах.

当時は不穏な時代であった。それがいつ、どこから来るかは分からなかったが、我々はすでに戦争を予感していた。否、戦争が起こるという予感だけではない、我々はすでにある程度戦争を体験してきていたのだ。1938年になってもスペインでの戦火はくすぶり続けていた。同年には赤軍が日本のサムライ1達と大規模な戦闘をせざるを得なくなり、事実戦闘を行った。西方の国境もまた、平穏とはいえなかった。

По этим причинам тема родины, тема защиты ее от посягательств врага была темой самой важной, самой первостепенной, и я, конечно, никак не мог пройти мимо нее даже в лирической песне.

そのため祖国という、そして敵の侵略からの祖国の防衛というテーマは最も重要な、何にも優先するものであり、もちろん私も、たとえ抒情歌の中といえどもそれを避けて通ることは決してできなかったのだ。

1 サムライ: 当時の日本軍や日本軍人を指す、否定的な意味が込められた言葉です。『立ち入るな、サムライ共よ』のページ等をご覧ください。

これが作詞者の個人的愛国心の発露なのか、国民に意識の統一を促す全体主義的なソ連社会のあり方に作詞者が適応・迎合した結果なのか、単純に1938年という時代が他愛のないポピュラーソングにまで影を落とす程に緊迫していたということなのか、捉え方は様々かと思います。

この曲にまつわる有名なエピソードとして、大祖国戦争中赤軍が用いた多連装ロケット砲が兵士の愛唱歌であったこの曲から「カチューシャ」という愛称を名付けられたというものがあります。
この愛称の由来については異説もあるのですが、結果として逆にこの歌がロケット砲と結び付けられるという現象が様々に巻き起こりました。その例としては以下のようなものがあります:

『カチューシャ』の替え歌としてロケット砲賛歌が作られる (『前線のカチューシャ』)
別のロケット砲賛歌の作詞がイサコフスキーに依頼される (ザハーロフ作曲の『カチューシャの歌』)
ロケット砲部隊をテーマとする行進曲に『カチューシャ』の旋律が引用される (『親衛迫撃砲兵行進曲』)
もちろんロケット砲に関するものにとどまらず、『カチューシャ』の替え歌は戦中を通じて無数に作られました。これらは戦前に流行したこの歌が、いかに戦中も兵士たちに広く愛されたかの証左であるといえるでしょう。

その後も『カチューシャ』は様々な形で人気を博し続けています。最近も戦勝記念日のコンサート等では定番であり、毎年のように老若の新しい歌手が新しいアレンジで歌っているのが確認できます。
この曲の海外での受け容れられ方については本ページでは詳しく述べませんが、それは時に闘争のテーマであり、時にソ連やロシアへの親しみの挨拶であり、時に愛の旋律であり、時に女性の可愛さや強さの表現である事でしょう。

今後も多くの人々がこの曲の美しさにまず引きつけられていく事と思いますが、この曲に限らずいかなる音楽にも断ちがたい背景があるものと考えます。遠い国、過ぎた時代の音楽に馳せる思いも時にはエキゾチズムの域を超えて、それを生んだ世について考えるきっかけとなれば良いな、と愚考するところです。

参考リンク
雑誌"Костёр"1968年11月号より、作詞者イサコフスキーの回想
論文『「ソビエト語」の言説空間 -1930年代の大衆歌をめぐって-』

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[ソ連軍歌] カチューシャ 日本語歌詞付き Катюша


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/393.html#c6
[近代史4] 銀行振り込みや外貨との交換のシステム 中川隆
3. 2022年3月11日 16:55:07 : Yc6Bgmu6Wg : czQuUUlXQnBLTU0=[4]
419回 ロシア経済制裁で中国が抜け穴になる事は無理!企業さん逃げ出すのは今のうち
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[近代史5] 外貨との交換システム SWIFT 中川隆
1. 中川隆[-13529] koaQ7Jey 2022年3月11日 16:55:55 : Yc6Bgmu6Wg : czQuUUlXQnBLTU0=[5]
419回 ロシア経済制裁で中国が抜け穴になる事は無理!企業さん逃げ出すのは今のうち
2022/03/10


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1515.html#c1
[近代史5] ロシア7銀行をSWIFTから排除 EU決定、最大手は対象外 中川隆
5. 中川隆[-13528] koaQ7Jey 2022年3月11日 16:56:35 : Yc6Bgmu6Wg : czQuUUlXQnBLTU0=[6]
419回 ロシア経済制裁で中国が抜け穴になる事は無理!企業さん逃げ出すのは今のうち
2022/03/10


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1516.html#c5

   

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