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[政治・選挙・NHK285] <究極の選択になす術なし>ウクライナ玉砕か 世界大戦か(日刊ゲンダイ) 赤かぶ
56. 2022年3月12日 17:42:47 : aEt2qFhrSA : cXJ5ZTgzcFVwdVE=[1]

冬戦争
 
今回ウクライナ戦争で想起するんは冬戦争だ。緩衝国家ウクライナの挑発的な動きに対し、ロシア側が予防作戦的な動き見せたわけだが、83年前にも似た事例があった、それが冬戦争だ。ソ連とフィンランドの戦争は、1938〜39年の冬戦争、1941年の独ソ戦に関連した継続戦争、1943年枢軸国敗勢に伴うソ軍攻勢の3回に分けられるが、最初の冬戦争が今次ウクライナ戦と状況が似てると思う。
冬戦争はwikiによれば、<歴代のソビエト政権にとって、革命発祥の地であり、ソ連第2の大都市であるレニングラードと近すぎるフィンランド国境は、重要な安全保障上の課題であった。1930年代後半になり、ナチス・ドイツの膨張政策があきらかになるにつれて、この問題はスターリンにとって座視できるものではなくなった。 そこでソ連側は、1938年4月より、在ヘルシンキ大使館員ボリス・ヤルツェフ(NKVD職員)を通じて、フィンランド政府と非公式な交渉を始めた。今日、伝えられているこの時の最終的なソ連側の要求は、
•レニングラード湾上の4つの島嶼の割譲
•上記の代償として、ラドガ湖の北の東カレリアで、フィンランドとの係争地の一部をフィンランドへ割譲
というものであった。しかし、フィンランド側は応ぜず、この交渉は、1939年春には行き詰まってしまった>
 
その後、この年8月のソ連・ナチ独間の不可侵場条約で、フィンランドがソ連の勢力圏に属すると独が認めたことなどから、ソ連は更に厳しい要求をフィン側につきつけ、最終的に両国間交渉は10月に決裂し、ソ連側が仕掛けた偽旗作戦で、両国は冬戦争に突入した。
 
再度wikiによれば、<ソ連はフィンランド軍のおよそ 3倍[要出典]の兵力を投入したが、結局マンネルヘイム元帥率いるフィンランド軍の粘り強い抵抗の前に非常な苦戦を強いられた。 既に、ドイツと戦争中であったイギリス、フランスは、フィンランド支援を口実として、ドイツの軍需生産に不可欠なスウェーデンの鉄鉱石を抑えるために、地上軍の派遣をノルウェーなどスカンジナヴィア半島北部を経由して計画したが、ノルウェーとスウェーデンは軍隊の通過を拒否したために計画は実現しなかった。フィンランドは1940年3月まで戦い抜くが、フィンランド第二の都市であるヴィープリを含む国土の10%、工業生産の20%が集中する地域をソ連に譲り渡すという苛酷な条件の講和条約を結び、3月13日に停戦は成立した>

この戦争の与えた影響は大きく <スターリンの大粛清で弱体化したソ連軍の実態が諸外国に知れ渡ることになり、特にアドルフ・ヒトラーのソ連侵攻の決断に影響を与えたと言われる>(wiki)、今回ウクライナ戦も相当影響がありそうだ。尚、冬戦争開戦の直前に(39年)に、日ソ両軍の本格的な戦争”ノモンハン戦(ハルハ河戦)”があったことに注目しとこう。
(参考資料)梅本 弘『流血の夏』1999,KK大日本絵画
      パウル・カレル、松谷健二訳『バルバロッサ作戦』1976、フジ出版社

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