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[番外地7] グスタフ・レオンハルト 名演集 中川隆
1. 中川隆[-7487] koaQ7Jey 2025年3月08日 10:22:27 : xAtre4m98M : cTMudUhTVXk3enM=[1]
グスタフ・レオンハルト

Gustav Leonhardt - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=Gustav+Leonhardt&sp=CAI%253D
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/235.html#c1

[昼休み54] フィリピン女性が男を狂わせる理由 中川隆
28. 中川隆[-7485] koaQ7Jey 2025年3月08日 14:42:50 : xAtre4m98M : cTMudUhTVXk3enM=[3]
<■114行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
ストリートチルドレン20万人がうごめくフィリピンの惨状は解決できるのか?
2025.03.08
https://blackasia.net/?p=49166

低収入世帯は子供に十分な食事や教育を与えることができず、そのまま路上に放り出して「自分で何とかしろ」と育てる。だが、ストリートは危険な場所だ。子供たちはありとあらゆる被害に遭う。フィリピン政府は、ストリートチルドレンの増加を社会問題として認識しているが、この惨状を解決できるのか?(鈴木傾城)

ストリートチルドレン20万人
フィリピンの首都マニラを中心とする都市部には、公式統計だけでも20万人以上のストリートチルドレンがいる。

20万人というのは、尋常な数ではないのがわかるはずだ。たとえば、東京都世田谷区の15歳未満の子供の数は約18万6,353人なのだが、それくらいの人口の子供がフィリピンではストリートチルドレンなのだ。

この子供たちは、親の意図的な遺棄、親の失業、家庭内虐待など、さまざまな要因で家を追われ、路上での生活を余儀なくされている。

物乞いや空き瓶の回収といった日銭稼ぎに頼り、教育機会を失い、適切な医療も受けられないまま、病気や栄養失調に苦しむ場合が多い。都市部の過密状態と公的インフラと行政の脆弱さが相まって、子供たちに対する支援は追いついていない。

治安の問題も深刻で、暴力や犯罪被害に遭うリスクが常に隣り合わせだ。特にドラッグやバイシュンの温床となる地域では、弱い立場につけ込まれ、さらなる搾取に巻き込まれる事態が後を絶たない。

公的支援施設や国際NGOなども、慢性的な資金不足や行政の不備が原因で、多くの子供を保護しきれていない。家庭に戻る支援策も試みられているが、そもそも子供が逃げ出さざるを得なかった劣悪な家庭環境が変わらないのだから意味がない。

フィリピンでは貧富の格差が大きい。少数の富裕層は存在するが、その一方で貧困層が社会の大部分を占めるという極端な格差社会である。

低収入世帯は子供に十分な食事や教育を与えることができず、そのまま路上に放り出して「自分で何とかしろ」と育てる。だが、ストリートは危険な場所だ。子供たちはありとあらゆる被害に遭う。

こうした事態は子供個人の人生を破壊するだけでなく、社会全体に深刻な損失をもたらす。教育の機会を失うことで将来的な就労の幅が狭まり、貧困の連鎖が断ち切れずに続いていく。


遺棄という最悪の選択に走る親
フィリピンでは、両親によって子供が遺棄される問題も深刻化している。子供の遺棄は普通に発生しているのだ。この背景にあるのは、もちろん貧困である。物質的にも精神的にも子育てに耐えられない親が存在する。

ゴミ捨て場や公衆トイレなど、人目につかない場所で新生児を放置する事件が後を絶たない。2023年にセブ州で起きたケースでは、生まれて間もない赤ん坊が袋に入れられて捨てられているのが発見され、母親と同居人が逮捕された。

同様の事例は以前にも国内外で報道されており、特に海外へ出稼ぎにいった女性が帰国便の飛行機で出産し、そのまま機内のゴミ箱に捨てるといった衝撃的な事件も起きている。

これらは突発的に見えるが、背後には出稼ぎ労働や十代の妊娠などの社会問題が積み重なって起きている事件でもある。

フィリピンでは未婚の母に対する社会的な差別はそれほど強くはなく、生まれた子供は家族・親戚全員で面倒を見るという社会的文化がある。とはいっても、貧困が極まっていると、結果的に遺棄という最悪の選択に走る親がいるのだ。

さらに、乳児を見捨てることへの罪悪感や刑罰を恐れるあまり、発覚を恐れて赤ん坊を殺して隠蔽に走るケースもある。とくに、歳の若い母親が追いつめられて、子供に手をかける。虐待も多い。

フィリピンはカトリックの教えが強い国で、避妊に対する忌避感もある。そんな中で、十代の妊娠率も高い。経済的にも精神的にも準備の整っていない若年層が妊娠すると、育児への不安と経済的苦境が重くのしかかる。

宗教的側面と並行して、性教育の不足も問題に拍車をかけている。

多くの若者が正しい避妊方法や妊娠のリスクを学べないまま性行為に及び、そのまま望まない妊娠につながる。フィリピンの教育機関では性教育に関する議論が活発ではなく、文化や宗教の影響でオープンにしづらい現状がある。

ボンボン・マルコスはこうした状況を変えようと、積極的に性教育の普及を進めているのだが、その前に貧困を何とかしないと状況は改善しないだろう。


墓地に貧しい人たちが住む
ストリートチルドレンたちが多く住む場所として知られているのはマニラ北墓地である。ここはメトロ・マニラ最大の公共墓地として知られる場所で、単なる埋葬地にとどまらない特異な空間となっている。

54ヘクタールに及ぶ広大な敷地内では、貧困に苦しむ人々が「生活の場」として墓地を利用している。800世帯が墓石や納骨堂を住居代わりに使い、電気や水道の整備されない環境で自前のライフラインを確保して暮らしている。

800世帯もの人々が墓地で生活しているというのは、どう見ても異様な事態だ。そのため、こうした暮らしぶりは観光客やマスコミの目を引きつけるが、実態は衛生面や治安面で極めて厳しい。

この800世帯の中には、乳幼児を抱える母親も含まれている。貧困から逃れるすべがない人々は墓地に居を定め、日銭を稼ぐために墓の掃除や花売りをおこなう。

子供たちは施設に通うどころか外の世界をほとんど知らず、墓石の間を走り回って育つ。こうした環境では教育の拡充など夢のまた夢であり、社会から取り残された生活を余儀なくされる。

生まれたばかりの赤ん坊が墓地に放置される事件も起きている。捨てられた赤ん坊は、けっして余裕があるわけでもない住民に一時的に世話されるが、恒久的な保護につながらず、問題が複雑化する。

政府はこうした「墓場の貧困層」の強制退去を図るのだが、行き先のない住民はふたたび戻ってくるといういたちごっこが続いている。

マニラ北墓地の光景は、フィリピン社会が直面する貧困の縮図を痛烈に示している。生者と死者が入り混じる異様な情景は観光地としての関心を集める一方、救済が必要な子供たちが放置される場にもなっている。

貧困が極まっていけば、社会はどこまでも凄惨な光景を生み出す

社会に深く根差す貧困問題
フィリピン政府は、ストリートチルドレンの増加を重大な社会問題として認識し、社会福祉開発省(DSWD)を中心にさまざまな施策を掲げている。

一時保護施設の設置や就学支援プログラムの実施、警察や自治体との連携による巡回保護などがその例である。しかし、実際にはマニラ首都圏だけで20万人を超えるストリートチルドレンの大半を救い切れていない。

予算や人材が限られ、保護施設に空きがない地域も多く、縦割り行政の弊害によって支援が重複する一方で届かない地域が生じている。行政が一度保護しても路上に戻ってしまう子供が多く、継続的なフォローアップが難しい。

日雇い労働や農村部からの移住で不安定な収入しか得られない世帯は、子供を養う余裕がなく、路上に送り出してしまうことが多い。仮に保護施設でしばらく過ごせても、家族の経済状況が改善しない限り、子供が路上に戻るのは時間の問題である。

教育費や医療費を確保できないままでは、生活の基盤が脆弱なままで、ストリートチルドレンの数は減るどころか拡大し続ける。政府は就学機会の拡充を強調しているが、人口増加のスピードや都市部への集中が激しく、インフラと支援体制が追いつかない。

結局のところ、貧困が解消されない限り、問題は解決しない。

失業や低賃金労働、居住環境の不安定さが放置されたままでは、一時保護をいくら重ねても意味がない。子供たちが路上に出ざるを得ない根本原因を取り除かないままでは、政府の取り組みはいつまでも実を結ばず、対処は困難だ。

果たして、フィリピンは貧困から脱することができるのだろうか。今の政治を見ていると、状況は絶望的に思える。政府はあまりにも無力で、貧困はあまりにも根深い。それがフィリピンの現実でもある。
https://blackasia.net/?p=49166
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/143.html#c28

[近代史3] フィリピン女性が男をメロメロにする理由 中川隆
13. 中川隆[-7484] koaQ7Jey 2025年3月08日 14:43:02 : xAtre4m98M : cTMudUhTVXk3enM=[4]
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ストリートチルドレン20万人がうごめくフィリピンの惨状は解決できるのか?
2025.03.08
https://blackasia.net/?p=49166

低収入世帯は子供に十分な食事や教育を与えることができず、そのまま路上に放り出して「自分で何とかしろ」と育てる。だが、ストリートは危険な場所だ。子供たちはありとあらゆる被害に遭う。フィリピン政府は、ストリートチルドレンの増加を社会問題として認識しているが、この惨状を解決できるのか?(鈴木傾城)

ストリートチルドレン20万人
フィリピンの首都マニラを中心とする都市部には、公式統計だけでも20万人以上のストリートチルドレンがいる。

20万人というのは、尋常な数ではないのがわかるはずだ。たとえば、東京都世田谷区の15歳未満の子供の数は約18万6,353人なのだが、それくらいの人口の子供がフィリピンではストリートチルドレンなのだ。

この子供たちは、親の意図的な遺棄、親の失業、家庭内虐待など、さまざまな要因で家を追われ、路上での生活を余儀なくされている。

物乞いや空き瓶の回収といった日銭稼ぎに頼り、教育機会を失い、適切な医療も受けられないまま、病気や栄養失調に苦しむ場合が多い。都市部の過密状態と公的インフラと行政の脆弱さが相まって、子供たちに対する支援は追いついていない。

治安の問題も深刻で、暴力や犯罪被害に遭うリスクが常に隣り合わせだ。特にドラッグやバイシュンの温床となる地域では、弱い立場につけ込まれ、さらなる搾取に巻き込まれる事態が後を絶たない。

公的支援施設や国際NGOなども、慢性的な資金不足や行政の不備が原因で、多くの子供を保護しきれていない。家庭に戻る支援策も試みられているが、そもそも子供が逃げ出さざるを得なかった劣悪な家庭環境が変わらないのだから意味がない。

フィリピンでは貧富の格差が大きい。少数の富裕層は存在するが、その一方で貧困層が社会の大部分を占めるという極端な格差社会である。

低収入世帯は子供に十分な食事や教育を与えることができず、そのまま路上に放り出して「自分で何とかしろ」と育てる。だが、ストリートは危険な場所だ。子供たちはありとあらゆる被害に遭う。

こうした事態は子供個人の人生を破壊するだけでなく、社会全体に深刻な損失をもたらす。教育の機会を失うことで将来的な就労の幅が狭まり、貧困の連鎖が断ち切れずに続いていく。


遺棄という最悪の選択に走る親
フィリピンでは、両親によって子供が遺棄される問題も深刻化している。子供の遺棄は普通に発生しているのだ。この背景にあるのは、もちろん貧困である。物質的にも精神的にも子育てに耐えられない親が存在する。

ゴミ捨て場や公衆トイレなど、人目につかない場所で新生児を放置する事件が後を絶たない。2023年にセブ州で起きたケースでは、生まれて間もない赤ん坊が袋に入れられて捨てられているのが発見され、母親と同居人が逮捕された。

同様の事例は以前にも国内外で報道されており、特に海外へ出稼ぎにいった女性が帰国便の飛行機で出産し、そのまま機内のゴミ箱に捨てるといった衝撃的な事件も起きている。

これらは突発的に見えるが、背後には出稼ぎ労働や十代の妊娠などの社会問題が積み重なって起きている事件でもある。

フィリピンでは未婚の母に対する社会的な差別はそれほど強くはなく、生まれた子供は家族・親戚全員で面倒を見るという社会的文化がある。とはいっても、貧困が極まっていると、結果的に遺棄という最悪の選択に走る親がいるのだ。

さらに、乳児を見捨てることへの罪悪感や刑罰を恐れるあまり、発覚を恐れて赤ん坊を殺して隠蔽に走るケースもある。とくに、歳の若い母親が追いつめられて、子供に手をかける。虐待も多い。

フィリピンはカトリックの教えが強い国で、避妊に対する忌避感もある。そんな中で、十代の妊娠率も高い。経済的にも精神的にも準備の整っていない若年層が妊娠すると、育児への不安と経済的苦境が重くのしかかる。

宗教的側面と並行して、性教育の不足も問題に拍車をかけている。

多くの若者が正しい避妊方法や妊娠のリスクを学べないまま性行為に及び、そのまま望まない妊娠につながる。フィリピンの教育機関では性教育に関する議論が活発ではなく、文化や宗教の影響でオープンにしづらい現状がある。

ボンボン・マルコスはこうした状況を変えようと、積極的に性教育の普及を進めているのだが、その前に貧困を何とかしないと状況は改善しないだろう。


墓地に貧しい人たちが住む
ストリートチルドレンたちが多く住む場所として知られているのはマニラ北墓地である。ここはメトロ・マニラ最大の公共墓地として知られる場所で、単なる埋葬地にとどまらない特異な空間となっている。

54ヘクタールに及ぶ広大な敷地内では、貧困に苦しむ人々が「生活の場」として墓地を利用している。800世帯が墓石や納骨堂を住居代わりに使い、電気や水道の整備されない環境で自前のライフラインを確保して暮らしている。

800世帯もの人々が墓地で生活しているというのは、どう見ても異様な事態だ。そのため、こうした暮らしぶりは観光客やマスコミの目を引きつけるが、実態は衛生面や治安面で極めて厳しい。

この800世帯の中には、乳幼児を抱える母親も含まれている。貧困から逃れるすべがない人々は墓地に居を定め、日銭を稼ぐために墓の掃除や花売りをおこなう。

子供たちは施設に通うどころか外の世界をほとんど知らず、墓石の間を走り回って育つ。こうした環境では教育の拡充など夢のまた夢であり、社会から取り残された生活を余儀なくされる。

生まれたばかりの赤ん坊が墓地に放置される事件も起きている。捨てられた赤ん坊は、けっして余裕があるわけでもない住民に一時的に世話されるが、恒久的な保護につながらず、問題が複雑化する。

政府はこうした「墓場の貧困層」の強制退去を図るのだが、行き先のない住民はふたたび戻ってくるといういたちごっこが続いている。

マニラ北墓地の光景は、フィリピン社会が直面する貧困の縮図を痛烈に示している。生者と死者が入り混じる異様な情景は観光地としての関心を集める一方、救済が必要な子供たちが放置される場にもなっている。

貧困が極まっていけば、社会はどこまでも凄惨な光景を生み出す

社会に深く根差す貧困問題
フィリピン政府は、ストリートチルドレンの増加を重大な社会問題として認識し、社会福祉開発省(DSWD)を中心にさまざまな施策を掲げている。

一時保護施設の設置や就学支援プログラムの実施、警察や自治体との連携による巡回保護などがその例である。しかし、実際にはマニラ首都圏だけで20万人を超えるストリートチルドレンの大半を救い切れていない。

予算や人材が限られ、保護施設に空きがない地域も多く、縦割り行政の弊害によって支援が重複する一方で届かない地域が生じている。行政が一度保護しても路上に戻ってしまう子供が多く、継続的なフォローアップが難しい。

日雇い労働や農村部からの移住で不安定な収入しか得られない世帯は、子供を養う余裕がなく、路上に送り出してしまうことが多い。仮に保護施設でしばらく過ごせても、家族の経済状況が改善しない限り、子供が路上に戻るのは時間の問題である。

教育費や医療費を確保できないままでは、生活の基盤が脆弱なままで、ストリートチルドレンの数は減るどころか拡大し続ける。政府は就学機会の拡充を強調しているが、人口増加のスピードや都市部への集中が激しく、インフラと支援体制が追いつかない。

結局のところ、貧困が解消されない限り、問題は解決しない。

失業や低賃金労働、居住環境の不安定さが放置されたままでは、一時保護をいくら重ねても意味がない。子供たちが路上に出ざるを得ない根本原因を取り除かないままでは、政府の取り組みはいつまでも実を結ばず、対処は困難だ。

果たして、フィリピンは貧困から脱することができるのだろうか。今の政治を見ていると、状況は絶望的に思える。政府はあまりにも無力で、貧困はあまりにも根深い。それがフィリピンの現実でもある。
https://blackasia.net/?p=49166
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/170.html#c13

[近代史3] ドゥテルテ大統領はフィリピンの救世主である 中川隆
5. 中川隆[-7483] koaQ7Jey 2025年3月08日 14:43:16 : xAtre4m98M : cTMudUhTVXk3enM=[5]
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ストリートチルドレン20万人がうごめくフィリピンの惨状は解決できるのか?
2025.03.08
https://blackasia.net/?p=49166

低収入世帯は子供に十分な食事や教育を与えることができず、そのまま路上に放り出して「自分で何とかしろ」と育てる。だが、ストリートは危険な場所だ。子供たちはありとあらゆる被害に遭う。フィリピン政府は、ストリートチルドレンの増加を社会問題として認識しているが、この惨状を解決できるのか?(鈴木傾城)

ストリートチルドレン20万人
フィリピンの首都マニラを中心とする都市部には、公式統計だけでも20万人以上のストリートチルドレンがいる。

20万人というのは、尋常な数ではないのがわかるはずだ。たとえば、東京都世田谷区の15歳未満の子供の数は約18万6,353人なのだが、それくらいの人口の子供がフィリピンではストリートチルドレンなのだ。

この子供たちは、親の意図的な遺棄、親の失業、家庭内虐待など、さまざまな要因で家を追われ、路上での生活を余儀なくされている。

物乞いや空き瓶の回収といった日銭稼ぎに頼り、教育機会を失い、適切な医療も受けられないまま、病気や栄養失調に苦しむ場合が多い。都市部の過密状態と公的インフラと行政の脆弱さが相まって、子供たちに対する支援は追いついていない。

治安の問題も深刻で、暴力や犯罪被害に遭うリスクが常に隣り合わせだ。特にドラッグやバイシュンの温床となる地域では、弱い立場につけ込まれ、さらなる搾取に巻き込まれる事態が後を絶たない。

公的支援施設や国際NGOなども、慢性的な資金不足や行政の不備が原因で、多くの子供を保護しきれていない。家庭に戻る支援策も試みられているが、そもそも子供が逃げ出さざるを得なかった劣悪な家庭環境が変わらないのだから意味がない。

フィリピンでは貧富の格差が大きい。少数の富裕層は存在するが、その一方で貧困層が社会の大部分を占めるという極端な格差社会である。

低収入世帯は子供に十分な食事や教育を与えることができず、そのまま路上に放り出して「自分で何とかしろ」と育てる。だが、ストリートは危険な場所だ。子供たちはありとあらゆる被害に遭う。

こうした事態は子供個人の人生を破壊するだけでなく、社会全体に深刻な損失をもたらす。教育の機会を失うことで将来的な就労の幅が狭まり、貧困の連鎖が断ち切れずに続いていく。


遺棄という最悪の選択に走る親
フィリピンでは、両親によって子供が遺棄される問題も深刻化している。子供の遺棄は普通に発生しているのだ。この背景にあるのは、もちろん貧困である。物質的にも精神的にも子育てに耐えられない親が存在する。

ゴミ捨て場や公衆トイレなど、人目につかない場所で新生児を放置する事件が後を絶たない。2023年にセブ州で起きたケースでは、生まれて間もない赤ん坊が袋に入れられて捨てられているのが発見され、母親と同居人が逮捕された。

同様の事例は以前にも国内外で報道されており、特に海外へ出稼ぎにいった女性が帰国便の飛行機で出産し、そのまま機内のゴミ箱に捨てるといった衝撃的な事件も起きている。

これらは突発的に見えるが、背後には出稼ぎ労働や十代の妊娠などの社会問題が積み重なって起きている事件でもある。

フィリピンでは未婚の母に対する社会的な差別はそれほど強くはなく、生まれた子供は家族・親戚全員で面倒を見るという社会的文化がある。とはいっても、貧困が極まっていると、結果的に遺棄という最悪の選択に走る親がいるのだ。

さらに、乳児を見捨てることへの罪悪感や刑罰を恐れるあまり、発覚を恐れて赤ん坊を殺して隠蔽に走るケースもある。とくに、歳の若い母親が追いつめられて、子供に手をかける。虐待も多い。

フィリピンはカトリックの教えが強い国で、避妊に対する忌避感もある。そんな中で、十代の妊娠率も高い。経済的にも精神的にも準備の整っていない若年層が妊娠すると、育児への不安と経済的苦境が重くのしかかる。

宗教的側面と並行して、性教育の不足も問題に拍車をかけている。

多くの若者が正しい避妊方法や妊娠のリスクを学べないまま性行為に及び、そのまま望まない妊娠につながる。フィリピンの教育機関では性教育に関する議論が活発ではなく、文化や宗教の影響でオープンにしづらい現状がある。

ボンボン・マルコスはこうした状況を変えようと、積極的に性教育の普及を進めているのだが、その前に貧困を何とかしないと状況は改善しないだろう。


墓地に貧しい人たちが住む
ストリートチルドレンたちが多く住む場所として知られているのはマニラ北墓地である。ここはメトロ・マニラ最大の公共墓地として知られる場所で、単なる埋葬地にとどまらない特異な空間となっている。

54ヘクタールに及ぶ広大な敷地内では、貧困に苦しむ人々が「生活の場」として墓地を利用している。800世帯が墓石や納骨堂を住居代わりに使い、電気や水道の整備されない環境で自前のライフラインを確保して暮らしている。

800世帯もの人々が墓地で生活しているというのは、どう見ても異様な事態だ。そのため、こうした暮らしぶりは観光客やマスコミの目を引きつけるが、実態は衛生面や治安面で極めて厳しい。

この800世帯の中には、乳幼児を抱える母親も含まれている。貧困から逃れるすべがない人々は墓地に居を定め、日銭を稼ぐために墓の掃除や花売りをおこなう。

子供たちは施設に通うどころか外の世界をほとんど知らず、墓石の間を走り回って育つ。こうした環境では教育の拡充など夢のまた夢であり、社会から取り残された生活を余儀なくされる。

生まれたばかりの赤ん坊が墓地に放置される事件も起きている。捨てられた赤ん坊は、けっして余裕があるわけでもない住民に一時的に世話されるが、恒久的な保護につながらず、問題が複雑化する。

政府はこうした「墓場の貧困層」の強制退去を図るのだが、行き先のない住民はふたたび戻ってくるといういたちごっこが続いている。

マニラ北墓地の光景は、フィリピン社会が直面する貧困の縮図を痛烈に示している。生者と死者が入り混じる異様な情景は観光地としての関心を集める一方、救済が必要な子供たちが放置される場にもなっている。

貧困が極まっていけば、社会はどこまでも凄惨な光景を生み出す

社会に深く根差す貧困問題
フィリピン政府は、ストリートチルドレンの増加を重大な社会問題として認識し、社会福祉開発省(DSWD)を中心にさまざまな施策を掲げている。

一時保護施設の設置や就学支援プログラムの実施、警察や自治体との連携による巡回保護などがその例である。しかし、実際にはマニラ首都圏だけで20万人を超えるストリートチルドレンの大半を救い切れていない。

予算や人材が限られ、保護施設に空きがない地域も多く、縦割り行政の弊害によって支援が重複する一方で届かない地域が生じている。行政が一度保護しても路上に戻ってしまう子供が多く、継続的なフォローアップが難しい。

日雇い労働や農村部からの移住で不安定な収入しか得られない世帯は、子供を養う余裕がなく、路上に送り出してしまうことが多い。仮に保護施設でしばらく過ごせても、家族の経済状況が改善しない限り、子供が路上に戻るのは時間の問題である。

教育費や医療費を確保できないままでは、生活の基盤が脆弱なままで、ストリートチルドレンの数は減るどころか拡大し続ける。政府は就学機会の拡充を強調しているが、人口増加のスピードや都市部への集中が激しく、インフラと支援体制が追いつかない。

結局のところ、貧困が解消されない限り、問題は解決しない。

失業や低賃金労働、居住環境の不安定さが放置されたままでは、一時保護をいくら重ねても意味がない。子供たちが路上に出ざるを得ない根本原因を取り除かないままでは、政府の取り組みはいつまでも実を結ばず、対処は困難だ。

果たして、フィリピンは貧困から脱することができるのだろうか。今の政治を見ていると、状況は絶望的に思える。政府はあまりにも無力で、貧困はあまりにも根深い。それがフィリピンの現実でもある。
https://blackasia.net/?p=49166
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/226.html#c5

[外国人参政権・外国人住民基本法01] トヨタの為に毒塗オレンジを食べさせられている日本人 _ 日本を農業の無い国にして良いのか? 中川隆
159. 中川隆[-7482] koaQ7Jey 2025年3月08日 14:49:25 : xAtre4m98M : cTMudUhTVXk3enM=[6]
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いよいよ始まる「ごはん会議」 食料危機打開する力束ねるため 鈴木宣弘・東大教授を講師に全国21カ所で れいわ新選組(2025年2月28日付掲載)
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/34237

 「10年後、日本から食べ物がなくなる そんな未来を回避するために」――れいわ新選組(山本太郎代表)は2月末から5月にかけて、鈴木宣弘・東京大学大学院特任教授を講師に全国21カ所で「ごはん会議」と称する勉強会ツアーを開催する【日程表参照】。先立つ2月23日に埼玉県熊谷市で開かれたれいわ新選組の「おしゃべり会」には、山本代表、高井崇志幹事長に加え、鈴木教授も緊急参加し、食と農をめぐる現状と政策課題についてミニ講演と質疑をおこなった。ごはん会議は、全国各地の生産者や消費者を横に結び、食料危機を打開する新しいうねりを作り出す起点となることが期待される。直近の熊谷市でのおしゃべり会での鈴木教授のミニ講演(要旨)と質疑の一部を紹介する。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


おしゃべり会で講演する鈴木宣弘氏(2月23日、埼玉県熊谷市)

私たちに残された時間は多くない――農と食といのちを守るために

   東京大学大学院特任教授 鈴木宣弘

 日本の食料安全保障が懸念されている。今話題になっている「令和の米騒動」もなかなか収まらない。バター不足、オレンジの供給不足、牛肉高騰による焼肉店倒産に続き、いよいよ「日本の食料は大丈夫か?」という状況になってきた。

 なぜ日本の食料自給率がこんなに下がったのか? 要因として一番大きいのが、やはり戦後のアメリカによる占領政策だ。アメリカの余剰農産物を日本人に食べさせる――それで助けられた面もあるが、コメ以外の穀物等の関税が実質撤廃させられ、安い輸入品に押されて日本の麦、大豆、トウモロコシ生産は一度壊滅した。

 「それでもまだダメだ。日本人がコメを食べているとアメリカの小麦が胃袋に入れられない」ということで、学者の回し者を使って「コメを食べると馬鹿になる」と説いた本(慶應大学医学部教授・林髞著『頭脳』)まで出して大ベストセラーにした。こうしてアメリカは、日本人の食生活をアメリカの農産物でコントロールできるようにした。「食生活改善」という名目で、伝統的な食文化をこれほど短期間に一変させられた民族は他に類がない。

 一方、日本側もアメリカの思惑をうまく活用した。経産省中心の経済政策では、アメリカを喜ばせるために農産物の関税を撤廃して、農業・食料を生け贄に差し出した。その代わりに日本は自動車でもうけ、その利益があれば食料などいつでも安く買える――これが食料安全保障だと考える流れが強まった。それで戦後の日本経済は発展もしたが、今それが立ち行かなくなってきている。

 もう一つの問題が、財務省の財政政策だ。予算配分をみても1970年段階で農水予算は1兆円あったが、それから50年以上経っても2兆円余り。「これ以上出せるか」といわれている。総予算に占める割合は12%あったのが、いまや1%台だ。防衛予算は農水予算の半分だったのが、どんどん膨らんで現在は10兆円規模。どう考えてもバランスがおかしい。

 アメリカでは「軍事」「食料」「エネルギー」を国家存立の三本柱という。安全保障の最大の要は食料であり、それを生み出す農業だ。であれば、なぜ日本ではこんなに食料・農業予算が減らされてきたのかということが問われている。

本当の安全保障とは? 太る軍備、細る農業

 今、世界的な情勢悪化、「クワトロ・ショック(@コロナ禍、A中国の爆買いと日本の買い負け、B異常気象の通常化、C大規模紛争)」で食料争奪戦が広がっている。日本の農業も非常に厳しい状況に追い込まれた。まず穀物が十分手に入らなくなった。酪農ではエサの値段が約2倍に上がり、産地では農家の倒産が止まらない。

 また、日本は化学肥料の原料をほぼ100%輸入に頼っている。一番頼っていた中国がもう売ってくれない。カリウムを依存していたロシア、ベラルーシからも「敵国には売らない」といわれてお手上げとなり、肥料の値段も2倍に上がって高止まりだ。日本の農業は99・4%が化学肥料を普通に使う「慣行農業」なので、このままでは農業そのものが続けられるのかという問題になる。

 さらに中国の動向がある。中国はアメリカとの関係悪化に備えて、14億人の人口が1年半の間食べられるだけの食料を備蓄するため世界中の穀物を買い占めている。こうなると事態改善の見通しは「ほぼない」といわざるを得ない。

 一方、日本の食料備蓄はどれだけあるか? コメ消費量の1・5カ月分だけだ。これで小麦なども入らなくなったとき、私たちはどれだけの期間、子どもたちの命を守れるだろうか?

 本当は日本の農業には潜在生産力がある。米も減反政策(生産調整)で700万dにまで減らしているが、農家の皆さんにフル稼働していただいて全力で生産すれば今でも1300万dはできる。だから今こそ農家と消費者が一緒になって地域が食べる食料は地域みんなで作り、そのためにしっかりと政府は備蓄し、みんなの命をいつでも守れるようにすべきときだといっても、財務省から「馬鹿たれ。そんな金どこにあるんだ」と一蹴されて終わりだ。

 だが、馬鹿たれはどっちなのか? いざというときにみんなの命を守るのが安全保障だというならば、まともに飛びもしないような在庫処分のミサイルなどを買うのに43兆円も使う金があるのなら、食料・農業を守るために財政出動し、必要な備蓄をするのに仮に2兆円使ったとしても、その方がよっぽど有効な安全保障政策だ。こういう議論ができないところに日本の問題がある。

食料自給率は実質9% 種も肥料も輸入依存

 ここ数十年で実質賃金も所得も下がり、「規制撤廃して貿易自由化すれば、みんな幸せになる」という論議がいかにデタラメだったかが明らかになっている。一部の人だけが空前の利益を懐にする一方で、農業に限らずみんなが苦しくなった。

 それでも反省していない。「農家がいくら頑張っても、やっぱり海外に比べたらコストが高いんだから輸入すればいい」という思考が継続している。だが、お金を出せばいつでも輸入できる時代はもう終わった。農家は赤字でバタバタ倒れている。それを放置したまま、海外からの輸入が止まったら、子どもや国民の命を守ることはできない。

 それを考えると、国内の食料生産を維持することは、短期的には輸入農産物より高コストであっても、飢餓を招きかねない不測の事態に命を守るコストを考慮すれば、総合的コストは低いのだ。これこそが安全保障の考え方だ。

 食料自給率を考えるうえで、もう一つ問題がある。コロナ禍で露呈した生産資源の脆弱性、つまり「種」の問題だ。野菜の自給率は80%といわれるが、その種子の九割は海外の畑で採種したものだ。これが止まれば野菜は8%分しか作れない。さらに肥料が止まれば4%にまで落ちる。

 種は食料の源だ。だからこそ大事な種(在来の固定種)をみんなで守って循環させる仕組みを強化しないといけないときに、日本政府は何をしたか? まず種子法を廃止して公共の種事業をやめさせる方向に導き、公で守られてきた優良な種を民間企業に譲渡させ(農業競争力強化支援法八条四項)、さらに農家の自家採種を制限(種苗法改定)することで、日本の種を外資に売り渡すルールを作った。グローバル種子・農薬企業の要求に従ったと思わざるを得ない。

 日本の食料自給率は38%とされるが、種の輸入依存を考慮すると実質22%。さらに肥料の輸入依存、そして野菜だけでなくコメなどの種も海外に9割依存するような事態へと進んでいることを考慮すれば実質9・2%ということになる。これだけの人間しか生きられないのかということだ。

 追い打ちをかけるように、米ラトガース大学が、局地的な核戦争が起きた場合、被爆による直接死よりも物流が止まることによる餓死者が世界で2・5億人出て、そのうち3割(国内人口の6割におよぶ7200万人)が日本に集中するという試算を発表した。信じたくない話だが、上記のような事態を考えれば、これでもまだ過小評価だ。

 だからこそ私たちは、農家さんに頑張ってもらい、地域住民も一緒になって食料を増産し、子どもたちの命を守れるようにしなければならない。

令和のコメ騒動の本質 「余っている」はウソ


コメが消えたスーパーの棚(2024年8月)

 今年、コメの値段が上がって消費者は大変だが、少し前までは「コメは余っている」ということで米価は下がり続け、農家の売値も60`当り9000円にまで暴落していた。一方、農家の米生産コストは60`当り1万5000円はかかる。肥料も2倍になって大赤字となり、もう農業を続けられないところまで追い込まれていた。それが「令和のコメ騒動」の一番の根幹にあることを考えなければいけない。

 猛暑による不作、訪日外国人のインバウンド需要が増えたこともあるが、それはきっかけに過ぎない。それがなぜこれほどの騒ぎに発展してしまうのかといえば、もう生産現場が疲弊しきっているからだ。それでも国は「余っている」といってコメを作らせない。田を潰して畑にすれば1回限りの手切れ金を支給し、コスト高で苦しむ農家の赤字補填すらしない。

 酪農も同じだ。「牛乳は余っている」を理由に、農家に減産を要請し、「牛乳搾るな」「牛は殺せ」で、牛を処分すれば一時金を支給する。北海道では生乳を廃棄する事態にもなった。コスト高の酪農家の赤字補填もなく、逆に脱脂粉乳の在庫減らしのために重い負担金を拠出させ、小売・加工業界も乳価値上げを渋ったため、農家の廃業が急増して生乳生産も落ち込んだ。こんなことをしていたら生産現場は崩壊するしかなく、そういう状態のなかで「何か」が起きたら、大騒動になるのはわかりきっている。

 だからこそ、生産調整(減産)から増産へ切り替えなくてはいけない。だが、今回のコメ供給不足が起きても、政府はまだ「コメは余っている」「悪いのは流通だ」という。「コメはあるのに流通業界が勝手なことをやったから目詰まりが起きたのだ」と。だが、指摘される買いだめも市場関係者が「品薄感」を感じているから起こるわけで、政府が「足りている」と言い張るのは無理がある。このような事態が起きるのは、時給10円しかないような農家の苦境を放置し、国が減産を進めてきたからにほかならない。その責任を隠すために流通に責任転嫁しているわけだ。水田を潰し、農家の疲弊を放置する政策が続く限り、「コメ不足」は続く。

 だから農家を苦しめるような政策をやめ、国内生産基盤を強化するとともに、消費者も助けて出口(需要)を作るべきであり、そのために財政出動をすれば危機に備えられる。米も乳製品も「過剰」なのではなく、買いたくても買えない人が増えているのだから、本当は足りていないのだ。

 子ども食堂やフードバンクを通じたとりくみも、日本では民間ボランティア頼みだが、他国では、小麦や乳製品の生産量がある水準に達したら政府が直接買いとって国内外の援助に使っている。有事に備えた備蓄も安全保障の需要だ。

 小麦が入らなくなっても、コメでパンも麺も作れるし、トウモロコシが入らなければ飼料も保証できる。つまりコメの需要は減っているのではなく膨大にあり、政策でいくらでも拡大することができるのだ。

 生産者、消費者をともに助ける仕組みは世界中にある。なかでもアメリカは、日本にはいろいろ要求してくるが、国内では農業予算の64%を消費者支援に使っている。低所得者向け食料購入支援カードの支給だけで10兆円(日本の農水予算の5倍)だ。このような政策も日本にはない。

 これまで主要7カ国で最も貧困率が高いのはアメリカだったが、いまや日本がそれを抜いて1位になった。そればかりか国連食糧農業機関(FAO)の「飢餓マップ」を見ると、日本はアフリカ諸国と並んで世界でも最も栄養不足人口が多い国の仲間入りを果たしている。もはや「日本が先進国だと思っているのは日本人だけではないか?」といわれるくらい、日本の国民、消費者は苦境に追い込まれている。これを助ける政策が現在の政府にはないのだ。

 では、国は何をやっているのか? 財務省は「とにかく予算を減らせ」といって、とくに減らしやすい食料・農業予算を「切れ、切れ、もっと切れ」という。手切れ金を渡してでも田を潰せば、田を維持する予算を終わらせられる。だが、水田でコメを作ることが安全保障の支えであり、地域コミュニティや伝統文化を育み、そのとてつもない貯水機能によって洪水などの災害を防いでいる。そんなことは考慮もせず、「カネがもったいないからやめる」という論理だけ。国民から金を集めて、国土・国民を守る大局的見地もなく、削減することしか考えないのが財務省だ。

増産への転換こそ急務 立て直すしかない農業

 消費者も、高い生産コストと低い農産物価格のギャップに苦しむ農家を傍目に、「農業ってたいへんだよね…」と他人事のようにいっている場合ではない。農家は激減しており、海外からの物が止まれば、国民みんなが飢える事態がもうそこまで来ている。農業問題は生産者の問題をはるかにこえて、国民一人ひとりの命の問題、消費者自身の問題だ。

 そこで25年ぶりに、農業の憲法たる「食料・農業・農村基本法」(農業基本法)が改定された。予測される危機に備えて農業支援を強化し、自給率を上げていく方向へ転換するのかと思いきや、ふたを開ければ「食料自給率はもう重要な指標ではない」という内容だった。農業・農村をこれ以上支援しても、どうせみんな疲弊してやめていくのだからカネは出さない。既存農家がいなくなることを前提に、巨大企業を参入させて「輸出でバラ色」「スマート農業でバラ色」「それで一部がもうければ、それでいいじゃないか」みたいな話になっている。

 農業基幹従事者が今後20年で、現在の120万人から30万人にまで減る見込みだというが、それはこれまでの政策の延長が作り出す未来だ。だからこそ政策を抜本的に見直し、今を変えることで未来を創らなければいけない。

 そもそもこれでどうやって食料危機に備えるのかといえば、今年4月1日から施行される「有事立法」(食料供給困難事態対策法)があるから大丈夫だという。今苦しんでいる農家の支援はしないが、有事になったら命令する。野菜を育てている農家にも強制的にカロリーが高い穀物(サツマイモなど)を植えさせる。その増産命令に従って供出計画を出さない農家は処罰する。ヘトヘトになっている農家を罰金で脅して作らせればいいという法律だ。こんなことはできるわけもないし、やっていいわけもない。これも財務省の発想だ。

 象徴的に「サツマイモを植えろ」が世論の批判を浴びると、今度は法令の増産要請品目からサツマイモの名前を消してごまかすという姑息ぶりだ。何もわかっていない。

 財務省が最近、農業予算に対する考え方を示した【表参照】。「農業予算はまだ多すぎる」「備蓄米も多すぎるから減らせ」、極めつけは「食料自給率を上げるためにカネを使うのはもったいないからやめて輸入しろ」だ。これが霞ヶ関の危機認識力であることに愕然とするほかない。

 こんなことでは農業・農村の疲弊はさらに進み、地方に人が住めなくなって拠点都市への人口集中がさらに進むことになる。能登半島の地震被災地をみても、一年たっても復旧していない。国は予算を切ってきている。「もう住むのはやめたらいいじゃないか。漁業も農業もやめてどこかに行け」と思わせるような状態だ。また、全国各地で、台風被害を受けた水田の復旧予算を農家が要求してもなかなか出ないという声も聞く。

 もっと驚いたのが「消滅可能性自治体」(人口戦略会議)のレポートだ。よく読んでみると「消滅しろ」という文脈で書かれている。「そんな田舎に無理して住むから、カネを使ってインフラや学校・病院の整備、行政までしなければいけなくなる。もったいないから早くどこかへ行け」という論調だ。「目先の銭金だけの効率性」のためにみんなの暮らしを追いやり、農村・漁村を住めないような状態にしてしまえば、日本の地域の豊かな暮らしや人の命は守れるわけがない。

 この流れを変えていくため、地域で頑張っている農家とも一緒に手を組んで、自分たちの地域、子どもたちの命を守るため、さらに強力に活動を進めてもらわなければ間に合わない。

食料生産は社会の基礎 予算削減の本末転倒

 2022年の稲作経営収支は、1年間コメを作って農家の手元に残るのはわずか1万円。時給にして10円だ。こんな状態でも田を守り、みんなに米を供給したいという思いだけで農家は頑張ってきた。今年、米価が60`2万円をこえたといって騒ぎになっているが、実は米価は長い低迷期をへて、30年前(1990年)の価格に戻っただけなのだ。それが「高すぎる」と感じるほど、みんなの生活が苦しくなっていることに非常に大きな問題がある。

 いずれにしても、生産者にとっての適正な米価と消費者のみなさんが考える適正価格にギャップがある。それを解消する政策がなければ、生産者と消費者の両方を救うことはできない。

 こんな状況でも、政府は安全保障の話になると、アメリカから兵器やミサイルを買って「敵基地攻撃能力強化」といった話ばかりだ。そもそも食料が保証できないのに、中国がシーレーンを封鎖すれば、戦ってはいけないが、戦う前に飢え死にするのがオチだ。在庫処分のトマホークと型落ちオスプレイをかじって何日生き延びられるのか。そんな買い物をするカネがないから農業予算を削減するという本末転倒がおこなわれている。

 ある酪農家さんは、農水省前で「自分たちが潰れたら、従業員さん、獣医さん、エサ屋さん、機械屋さん、関連団体もみんな仕事を失う。皆さんにお詫びする」と訴えていたが、農漁業の消滅は、食料、農漁協、関連産業、そして地域の消滅を招く。私たちはまさに運命共同体だ。そして、第一次産業は小さな産業だという人がいるが、生産高は全国で10兆円規模でも、それを基礎にして成り立っている食料関連産業の規模は110兆円だ。すべての経済社会は第一次産業を基礎にして成り立っているといっても過言ではない。だから皆が支え合ってお互いを守っていくことを今やらなければ、泥船に乗って一緒に沈んで行く運命共同体になりかねない。

 江戸時代は鎖国政策だったので、日本は徹底的に地域の資源を循環させて、循環型農業、循環型社会を作り上げていた。それが世界を驚かせた。その持続的な仕組みをぶち壊したのがアメリカの占領政策であり、日本側もその思惑に乗って「経済発展」を遂げたのも事実だ。

 だが、私たちの試算では一つの大きな自由貿易協定を決めるごとに自動車産業が約3兆円もうける一方、農業はRCEP(地域的な包括的経済連携)ではマイナス5629億円、TPP11(環太平洋経済連携協定)ではマイナス1兆2645億円だ。自動車業界が過去最高益、内部留保をため込んでいるのなら、生け贄にしてきた農業や食料の現状に対しても責任を負うべきではないかという声が出るのも当然だ。

 日本の農業を生贄にしやすくするためにメディアを通じた洗脳もおこなわれてきた。農業過保護論だ。「日本の農業は補助金漬けだ」というが、実際に調べると農業所得における補助金割合はせいぜい3割。スイスやフランスはほぼ100%だ。命を守り、環境を守り、地域コミュニティを守り、国土・国境を守る産業(農漁業)を国民みんなで支えることは世界の常識だ。それを唯一「おかしなこと」と見なしている日本の常識が、世界の非常識といえる。

 手厚い農業政策があるフランスの農家の平均年齢は51歳。一方、ほとんど保護がない日本の農家の平均年齢は69歳だ。10年後どころか、「5年後にはここでコメを作れる人がいなくなって集落そのものが消えてしまう」という地域が山のように出てきている。いかに私たちに残された時間が少ないかということだ。

 輸入が増えて自給率が下がったのは、アメリカから無関税で入ってくる安い農産物に国民が飛びついているからでもある。だが、安い物には必ずワケがある。

 日本は発がん性物質を含むグリホサート(農薬)の基準が世界一緩和され、安全性への懸念が払拭されていない遺伝子組み換え食品の世界最大の消費国だ。またゲノム編集食品も「審査もするな」「表示もするな」の野放し状態で一般流通が始まり、子どもたちが実験台にされている(ゲノム編集トマトの苗は全国の学校に配布された)。その利益は特許を持っているアメリカのグローバル種子・農薬企業に入るという仕組みだ。日本の消費者には、選ぶための情報も提供されていない。

 こんなものを「安い、安い」といって食べ続けて病気になることを考えれば、実はこんなに「高い」ものはないのだ。終戦後、学校給食から「食生活改善」といってアメリカの企業がもうける政策がおこなわれたが、それが今も形を変えて継続しているといわざるを得ない。

地域で循環するしくみを 「飢えるか、植えるか」


農業組合法人の田植え作業(山口県)

 グローバル種子企業のような巨大な力に「種」を握られると、命を握られることになる。地域で育んできた在来の種をみんなで守り、その生産物を活用して、地域の安心・安全な食と食文化を維持することが食料安全保障の基盤となる。地域を食い物にしようとする「今だけ、カネだけ、自分だけ」の人たちを排除し、ローカル自給圏のような形で、種から消費までの地域住民ネットワークを強化し、地域循環型経済を確立するためにそれぞれの立場からリーダーとなって行動を起こしてもらいたい。

 私はこれを「飢えるか、植えるか」運動と呼んでいる。飢えないために、みんなが生産者になって農作物を植えようと。消費者・生産者という区別をなくし、住民が地域の農家と一体化して、市民全体で耕作放棄地も分担して耕す。家庭農園、市民農園を拡大することは、安心・安全な食料の確保、食料危機に耐えられる日本をつくる一つの鍵になり得る。学校給食は、その突破口となる。

 和歌山県では、母親グループを中心にして、学校給食のパンに輸入小麦を使うのではなく、耕作放棄地を活用してみんなで地元産小麦を作ろうという呼びかけが始まり、「給食スマイルプロジェクト〜県産小麦そだて隊!」がスタートした。2年前からは農薬と化学肥料を使わずに小麦を育てている農家と繋がり、種取りから収穫まで親や子どもたちも喜んで参加するようになり、今ではずいぶん生産量が増えてきた。このように生産者と消費者が一体化してみんなで食を守るとりくみを広げ、地域行政もそれに応える――そのうねりが国の政治行政も変えていくことにもなる。

 国の政治行政が変わらなければ、農家は赤字が酷すぎてもう持たなくなっている。今、農産物価格を上げなければ生産コストがまかなえず、上がりすぎると消費者も払えないというギャップを埋めるのが政策の役割だ。

 まず農地を維持するための交付金、それから農家の赤字を補填する。それによって消費者も安く買えるようになるのだから、そのための直接支払いがどうしても必要だ。

 もう一つ大事なのは、他の国のように備蓄や援助のために国が農作物を買い上げることだ。

 この三つをやるのに必要な予算は、私の大雑把な試算で約3兆円だ。現在の農水予算(2兆円)に3兆円を足しても5兆円だ。以前、農水予算は実質5兆円をこえていたのだから、元に戻すだけだ。安全保障の観点からいえば、農水省予算だけではなく、防衛省予算で確保することも視野に入れるべきだ。それほど食料、国民の生存をめぐる状況は切迫している。

 だから現在、地域で生産を支えてくれている農家の皆さんの踏ん張りと、それを支え合う仕組み(輸入に依存せず、地域資源循環型農業・社会)をみんなでつくっていくことが希望の光であり、子どもたちの未来を守る最大の保障だ。そういう思いは全国で高まっている。日本にはその実績があり、今でも世界で一番競争に晒されながらも世界10位の農業生産額を維持している日本の農家はまさに「精鋭」だ。私たちは世界の先駆者としての誇りと自信をもって、その底力を今こそ発揮しよう。地域みんなで作り、食べるという循環を強化し、その力でこの国の流れをまともな方向に持って行くうねりを作っていくために一緒に頑張ろう。

◆生産者を交えて論議――質疑応答より

予算つけぬ財務省の壁 農家支援切実な中

 生産者(男性) 今の話を泣きたいような気持ちで聞いた。私は1f未満の極めて零細の米農家だ。親父から農業を引き継いだ40年前は、コメ一俵が約2万円だった。今よりも楽に農業で食べていけた。でも今は無理だ。

 私は田植えをした後の青々とした水田が好きで農家を続けてきたが、この状態では続けることもできず、子どもに後を継げともいえない。子どもも親の悲惨さを見ているから継ぐ気もない。でも鈴木先生の話を聞いて希望はゼロではないと思った。しっかりしたバックアップの下に、「農業やるよ」という若者が生まれるような農政にぜひ作り替えてもらいたい。

 生産者(男性) 私は無農薬の有機農業をしている。普通の慣行農業とは農法も販売ルートも価格も違うのだが、それでも最近一番心配に思うのは田舎の人手不足問題だ。私の地域でも周りはみんな80歳以上の先輩方で「もう本当にやめる」「今年やめる」と毎年言いながら1年1年農業を続けていらっしゃる。去年は猛暑もあった。私は里山の麓で作業しているが、このまま作業する人がいなくなってしまえば、この田も畑もみんな山に呑み込まれていくのではないか、それはすぐそこまで来ているのではないかと感じる。

 今年の「コメ騒動」もあり、若い人たちが危機感を持ってまた畑に戻ってきてくれるのではないかと期待もしている。田舎に暮らす農家は、日本の景観を守っていることに誇りを持ってやっているのだが、政府がこれから日本をどうしていくつもりなのかがまったく見えない。政治の世界には、本当に日本のことを真剣に考えている方はいるのだろうか? 私には破滅すればいいと思っているようにしか見えない。

 山本太郎 農業を救うためには農家への直接支払いなどの仕組み作りが必要で、それを動かしていくのが政治家の役割だ。「この国が滅べばいい」と思いながら政治にかかわってる者は一人もいない。全員真剣なのだが、その方向性が違う。たとえば自動車でもうけるために農業を切り捨てることも、自動車が日本の一番の力なんだから当然だと真剣に考えているわけだ。だが、結局導いているのは破滅の道だ。

 農水官僚もやられていた鈴木先生は、内側と外側から農政を見てこられて、政治家の姿勢も含めてどう感じておられるか?

 鈴木 私がいたころの農水省は、食料・農業・農村を守るために戦う気概があった。ところが最近はその気概を持とうにも持てない。財政当局の壁だ。財務省の権限があまりにも強すぎて、とにかく農水予算は出さないという方向性が厳しくなって何もできない。

 だから、農水省が作ったはずの農業基本法改定案なのに、農水予算は切って、食料自給率など上げなくてもいいというような財務省と同じことが盛りこまれているわけだ。これでは誰がみんなの命を守るのか。少なくとも気概をとり戻してもらう必要がある。

 たとえば先ほど話したように、農地維持のための交付金を中山間地も含めてもう少し出せないのかという議論を提案したら、江藤農水大臣は「そういう政策が必要だ」ということで直接支払いの仕組みを作るという話が出てきたというので、少しは安心できると思っていた。だが、最低でも10e当り3万円はないとほとんど役に立たないところ、出てきた案は農地10e当り2000円だ。役に立たないどころか、子どもだましだ。

 財務省から「君たち、やる気なのはいいが出すカネはないよ」といわれ、限られた農水予算の中から組み替えて、薄く広くやるしかない。せっかく仕組みを作っても、「財政当局の壁」で予算が付かないため、まったく役に立たないものを平気で出してくるようになっている。諸悪の根源はどこなのかという話だ。

 驚くことに、財務省の方々はOBも含めて、話をすると口を揃えて同じことをいう。日本に必要なことは二つだけ。一つは増税。もう一つは歳出削減だと。税金はとって、使う方は切りまくるのが財務省の使命であると本当にいっている。今すべてがその壁にぶち当たっている。

 山本 結局、財布を握っている者が一番強い。さまざまある省庁の中で、最強なのはやはり財務省になってしまう。だが、30年前の「ノーパンしゃぶしゃぶ(接待汚職)事件」からこっち、大蔵省から財務省に組織が変わってから現在にいたるまで日本経済は悪化しかしていない。逆にいえば、この国を発展させるためのアイデアも才能も持ち合わせていないわけだから、こんなものはさっさと解体する方が話は早い。農地維持の交付金の出し方にしても狂っているというほかない。そういう者たちからこの国をとり戻さなければいけないということだ。

 高井崇志 私は昔、民主党にいたが、2009年当時の民主党のマニフェストには、財務省解体があった。解体とは書いていないが、内閣官房に新しく国家戦略局を作り、そこに官民の優秀な人材、それこそ農水省の若手なども集めて予算編成権を握る構想だった。財務省は予算編成権を奪われたら解体と同じだ。これを約束していたのに民主党政権はやらず、それどころか当時財務副大臣だった野田佳彦代表(現・立憲代表)は消費税増税までやった。

 財務省の発想は緊縮財政だ。これを改めない限り何もできない。国債発行で財政出動する以外にないのに、日本は債務残高が多いという理由で政府もマスコミもそれを叩く。だが日本はそれ以上の対外純資産を持ち、国債暴落の確率もドイツに次ぎ世界で2番目に低い。円建ての国債発行では財政破綻はしないということを国会でも徹底的に議論していきたい。


満席となり立ち見の参加者も多かった埼玉県熊谷市でのれいわ新選組の「おしゃべり会」(2月23日)

生産者も消費者も救え かつてはあった食管制度

 質問(男性) 42年間、弁当屋に勤めている。今、コメの値段が3年前の1・6倍になっている。弁当でいえばコロッケ1個、メンチ1枚買える値上がり幅だ。隣町では3月で配達の弁当屋がなくなる。弁当屋の危機だ。弁当の配達がなくなるとみんなのお昼もきつくなる。コメは3年前は30`で9000円だったのが、今は2万円を超えている。野菜も全部高い。うちの店は農家と提携しているので直接安く買えているが、そうでないところは大変だ。

 鈴木 消費者も業者さんも悲鳴を上げている。逆に農家にすれば、やっと30年前の米価に戻って、それでもまだ赤字だが一息付けるかといった程度だ。それだけ生産者と消費者それぞれの適正価格にギャップがある。

 以前は、国に食糧管理制度(食管制度)があり、たとえば生産者が作ったコメを政府が全量1俵2万円で買い、消費者向けにはそれを1万円で販売するという形で、生産者を助け、消費者も助けるという財政負担をしていた。今は食管制度は廃止されたが、特に主食のコメなどについては、そのような政策を復活させることも一つのアイデアだ。

 それができなくても生産者の赤字を埋めるための直接支払いをして、消費者が買う値段が上がらないようにすることもできる。生産者と消費者が払える価格のギャップを埋める政策はどうしても必要だ。

 質問(女性) ある大企業が太陽光パネルを敷設するために地権者と契約を結び、2年後、3年後に向けてこれからどんどん増やすために田畑を買い上げている。このまま農地がなくなっていくことへの懸念がある。大企業相手ではあるが、このような動きは止められないのだろうか?

 鈴木 農地に関連する部分では、営農型パネル(地面から浮かせる)などを使って、農業をしながら太陽光発電もやって両方の利益が得られるようにして農家を助けようという議論もある。一方、とにかく太陽光パネルを張れるようにして、それを投資目的で転売してもうけるビジネスがはびこっている。農水省は、営農型太陽光発電をやるときには、近隣の農地で単位当り収量が八割維持できることを条件に認めるといっていたが、官邸や経産省から横ヤリが入り、「そんな面倒くさいことはいい」「農業なんかやっている振りでいいから、とにかくそこら中の土地にパネルを張って、みんながもうけられるようにしろ」ということで規制が緩和された。そんな動きのなかで、今でも環境破壊みたいなことをしながら、誰かがもうければいいような動きがまた強まっていることに大きな懸念がある。

 質問(男性) これからの時代、就農する人が増えれば日本は豊かになるのか?

 鈴木 その通りだ。若い人たちに農業に入って来てもらえるようにするには、今一生懸命働いている人が報われる農業を取り戻さないといけない。そのためにしっかりと政策を組み直す必要がある。若い人が希望を持って農業に入り、頑張っている人たちがさらに頑張るぞ! と思える農業にしていくために、みんなで頑張っていかないといけない。

 山本 あまりにも人々の善意に甘えすぎた国になっている。農業も時給10円だという。それでも農業をやっておられるのは、自分たちのために作るということもあるだろうが、食料を供給する非常に重要な使命、地域を守る責任感があるからだ。現状はそれがまったく報われていない。介護にしても、保育にしても所得が低すぎる。それでも「私が抜けたらどうなるか? それを考えると辞められない」という人々の善意につけこんで国はちゃんとした施策を出さない。この舐めすぎた政治をみんなの手で変えるしかない。

 それはこの国の最高権力者にしか変えられない。それは皆さんだ。雇われ店長の総理大臣ではない。皆さんがそれを変える鍵を握る、非常に重要な存在であるということをもう一度みんなで思い出し、一緒にまともな社会を作っていこう。
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/34237
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/518.html#c159

[外国人参政権・外国人住民基本法01] 猿人間のジャップには毒入り牛肉でも食わせておけ 中川隆
28. 中川隆[-7481] koaQ7Jey 2025年3月08日 14:49:40 : xAtre4m98M : cTMudUhTVXk3enM=[7]
<■477行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
いよいよ始まる「ごはん会議」 食料危機打開する力束ねるため 鈴木宣弘・東大教授を講師に全国21カ所で れいわ新選組(2025年2月28日付掲載)
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/34237

 「10年後、日本から食べ物がなくなる そんな未来を回避するために」――れいわ新選組(山本太郎代表)は2月末から5月にかけて、鈴木宣弘・東京大学大学院特任教授を講師に全国21カ所で「ごはん会議」と称する勉強会ツアーを開催する【日程表参照】。先立つ2月23日に埼玉県熊谷市で開かれたれいわ新選組の「おしゃべり会」には、山本代表、高井崇志幹事長に加え、鈴木教授も緊急参加し、食と農をめぐる現状と政策課題についてミニ講演と質疑をおこなった。ごはん会議は、全国各地の生産者や消費者を横に結び、食料危機を打開する新しいうねりを作り出す起点となることが期待される。直近の熊谷市でのおしゃべり会での鈴木教授のミニ講演(要旨)と質疑の一部を紹介する。

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おしゃべり会で講演する鈴木宣弘氏(2月23日、埼玉県熊谷市)

私たちに残された時間は多くない――農と食といのちを守るために

   東京大学大学院特任教授 鈴木宣弘

 日本の食料安全保障が懸念されている。今話題になっている「令和の米騒動」もなかなか収まらない。バター不足、オレンジの供給不足、牛肉高騰による焼肉店倒産に続き、いよいよ「日本の食料は大丈夫か?」という状況になってきた。

 なぜ日本の食料自給率がこんなに下がったのか? 要因として一番大きいのが、やはり戦後のアメリカによる占領政策だ。アメリカの余剰農産物を日本人に食べさせる――それで助けられた面もあるが、コメ以外の穀物等の関税が実質撤廃させられ、安い輸入品に押されて日本の麦、大豆、トウモロコシ生産は一度壊滅した。

 「それでもまだダメだ。日本人がコメを食べているとアメリカの小麦が胃袋に入れられない」ということで、学者の回し者を使って「コメを食べると馬鹿になる」と説いた本(慶應大学医学部教授・林髞著『頭脳』)まで出して大ベストセラーにした。こうしてアメリカは、日本人の食生活をアメリカの農産物でコントロールできるようにした。「食生活改善」という名目で、伝統的な食文化をこれほど短期間に一変させられた民族は他に類がない。

 一方、日本側もアメリカの思惑をうまく活用した。経産省中心の経済政策では、アメリカを喜ばせるために農産物の関税を撤廃して、農業・食料を生け贄に差し出した。その代わりに日本は自動車でもうけ、その利益があれば食料などいつでも安く買える――これが食料安全保障だと考える流れが強まった。それで戦後の日本経済は発展もしたが、今それが立ち行かなくなってきている。

 もう一つの問題が、財務省の財政政策だ。予算配分をみても1970年段階で農水予算は1兆円あったが、それから50年以上経っても2兆円余り。「これ以上出せるか」といわれている。総予算に占める割合は12%あったのが、いまや1%台だ。防衛予算は農水予算の半分だったのが、どんどん膨らんで現在は10兆円規模。どう考えてもバランスがおかしい。

 アメリカでは「軍事」「食料」「エネルギー」を国家存立の三本柱という。安全保障の最大の要は食料であり、それを生み出す農業だ。であれば、なぜ日本ではこんなに食料・農業予算が減らされてきたのかということが問われている。

本当の安全保障とは? 太る軍備、細る農業

 今、世界的な情勢悪化、「クワトロ・ショック(@コロナ禍、A中国の爆買いと日本の買い負け、B異常気象の通常化、C大規模紛争)」で食料争奪戦が広がっている。日本の農業も非常に厳しい状況に追い込まれた。まず穀物が十分手に入らなくなった。酪農ではエサの値段が約2倍に上がり、産地では農家の倒産が止まらない。

 また、日本は化学肥料の原料をほぼ100%輸入に頼っている。一番頼っていた中国がもう売ってくれない。カリウムを依存していたロシア、ベラルーシからも「敵国には売らない」といわれてお手上げとなり、肥料の値段も2倍に上がって高止まりだ。日本の農業は99・4%が化学肥料を普通に使う「慣行農業」なので、このままでは農業そのものが続けられるのかという問題になる。

 さらに中国の動向がある。中国はアメリカとの関係悪化に備えて、14億人の人口が1年半の間食べられるだけの食料を備蓄するため世界中の穀物を買い占めている。こうなると事態改善の見通しは「ほぼない」といわざるを得ない。

 一方、日本の食料備蓄はどれだけあるか? コメ消費量の1・5カ月分だけだ。これで小麦なども入らなくなったとき、私たちはどれだけの期間、子どもたちの命を守れるだろうか?

 本当は日本の農業には潜在生産力がある。米も減反政策(生産調整)で700万dにまで減らしているが、農家の皆さんにフル稼働していただいて全力で生産すれば今でも1300万dはできる。だから今こそ農家と消費者が一緒になって地域が食べる食料は地域みんなで作り、そのためにしっかりと政府は備蓄し、みんなの命をいつでも守れるようにすべきときだといっても、財務省から「馬鹿たれ。そんな金どこにあるんだ」と一蹴されて終わりだ。

 だが、馬鹿たれはどっちなのか? いざというときにみんなの命を守るのが安全保障だというならば、まともに飛びもしないような在庫処分のミサイルなどを買うのに43兆円も使う金があるのなら、食料・農業を守るために財政出動し、必要な備蓄をするのに仮に2兆円使ったとしても、その方がよっぽど有効な安全保障政策だ。こういう議論ができないところに日本の問題がある。

食料自給率は実質9% 種も肥料も輸入依存

 ここ数十年で実質賃金も所得も下がり、「規制撤廃して貿易自由化すれば、みんな幸せになる」という論議がいかにデタラメだったかが明らかになっている。一部の人だけが空前の利益を懐にする一方で、農業に限らずみんなが苦しくなった。

 それでも反省していない。「農家がいくら頑張っても、やっぱり海外に比べたらコストが高いんだから輸入すればいい」という思考が継続している。だが、お金を出せばいつでも輸入できる時代はもう終わった。農家は赤字でバタバタ倒れている。それを放置したまま、海外からの輸入が止まったら、子どもや国民の命を守ることはできない。

 それを考えると、国内の食料生産を維持することは、短期的には輸入農産物より高コストであっても、飢餓を招きかねない不測の事態に命を守るコストを考慮すれば、総合的コストは低いのだ。これこそが安全保障の考え方だ。

 食料自給率を考えるうえで、もう一つ問題がある。コロナ禍で露呈した生産資源の脆弱性、つまり「種」の問題だ。野菜の自給率は80%といわれるが、その種子の九割は海外の畑で採種したものだ。これが止まれば野菜は8%分しか作れない。さらに肥料が止まれば4%にまで落ちる。

 種は食料の源だ。だからこそ大事な種(在来の固定種)をみんなで守って循環させる仕組みを強化しないといけないときに、日本政府は何をしたか? まず種子法を廃止して公共の種事業をやめさせる方向に導き、公で守られてきた優良な種を民間企業に譲渡させ(農業競争力強化支援法八条四項)、さらに農家の自家採種を制限(種苗法改定)することで、日本の種を外資に売り渡すルールを作った。グローバル種子・農薬企業の要求に従ったと思わざるを得ない。

 日本の食料自給率は38%とされるが、種の輸入依存を考慮すると実質22%。さらに肥料の輸入依存、そして野菜だけでなくコメなどの種も海外に9割依存するような事態へと進んでいることを考慮すれば実質9・2%ということになる。これだけの人間しか生きられないのかということだ。

 追い打ちをかけるように、米ラトガース大学が、局地的な核戦争が起きた場合、被爆による直接死よりも物流が止まることによる餓死者が世界で2・5億人出て、そのうち3割(国内人口の6割におよぶ7200万人)が日本に集中するという試算を発表した。信じたくない話だが、上記のような事態を考えれば、これでもまだ過小評価だ。

 だからこそ私たちは、農家さんに頑張ってもらい、地域住民も一緒になって食料を増産し、子どもたちの命を守れるようにしなければならない。

令和のコメ騒動の本質 「余っている」はウソ


コメが消えたスーパーの棚(2024年8月)

 今年、コメの値段が上がって消費者は大変だが、少し前までは「コメは余っている」ということで米価は下がり続け、農家の売値も60`当り9000円にまで暴落していた。一方、農家の米生産コストは60`当り1万5000円はかかる。肥料も2倍になって大赤字となり、もう農業を続けられないところまで追い込まれていた。それが「令和のコメ騒動」の一番の根幹にあることを考えなければいけない。

 猛暑による不作、訪日外国人のインバウンド需要が増えたこともあるが、それはきっかけに過ぎない。それがなぜこれほどの騒ぎに発展してしまうのかといえば、もう生産現場が疲弊しきっているからだ。それでも国は「余っている」といってコメを作らせない。田を潰して畑にすれば1回限りの手切れ金を支給し、コスト高で苦しむ農家の赤字補填すらしない。

 酪農も同じだ。「牛乳は余っている」を理由に、農家に減産を要請し、「牛乳搾るな」「牛は殺せ」で、牛を処分すれば一時金を支給する。北海道では生乳を廃棄する事態にもなった。コスト高の酪農家の赤字補填もなく、逆に脱脂粉乳の在庫減らしのために重い負担金を拠出させ、小売・加工業界も乳価値上げを渋ったため、農家の廃業が急増して生乳生産も落ち込んだ。こんなことをしていたら生産現場は崩壊するしかなく、そういう状態のなかで「何か」が起きたら、大騒動になるのはわかりきっている。

 だからこそ、生産調整(減産)から増産へ切り替えなくてはいけない。だが、今回のコメ供給不足が起きても、政府はまだ「コメは余っている」「悪いのは流通だ」という。「コメはあるのに流通業界が勝手なことをやったから目詰まりが起きたのだ」と。だが、指摘される買いだめも市場関係者が「品薄感」を感じているから起こるわけで、政府が「足りている」と言い張るのは無理がある。このような事態が起きるのは、時給10円しかないような農家の苦境を放置し、国が減産を進めてきたからにほかならない。その責任を隠すために流通に責任転嫁しているわけだ。水田を潰し、農家の疲弊を放置する政策が続く限り、「コメ不足」は続く。

 だから農家を苦しめるような政策をやめ、国内生産基盤を強化するとともに、消費者も助けて出口(需要)を作るべきであり、そのために財政出動をすれば危機に備えられる。米も乳製品も「過剰」なのではなく、買いたくても買えない人が増えているのだから、本当は足りていないのだ。

 子ども食堂やフードバンクを通じたとりくみも、日本では民間ボランティア頼みだが、他国では、小麦や乳製品の生産量がある水準に達したら政府が直接買いとって国内外の援助に使っている。有事に備えた備蓄も安全保障の需要だ。

 小麦が入らなくなっても、コメでパンも麺も作れるし、トウモロコシが入らなければ飼料も保証できる。つまりコメの需要は減っているのではなく膨大にあり、政策でいくらでも拡大することができるのだ。

 生産者、消費者をともに助ける仕組みは世界中にある。なかでもアメリカは、日本にはいろいろ要求してくるが、国内では農業予算の64%を消費者支援に使っている。低所得者向け食料購入支援カードの支給だけで10兆円(日本の農水予算の5倍)だ。このような政策も日本にはない。

 これまで主要7カ国で最も貧困率が高いのはアメリカだったが、いまや日本がそれを抜いて1位になった。そればかりか国連食糧農業機関(FAO)の「飢餓マップ」を見ると、日本はアフリカ諸国と並んで世界でも最も栄養不足人口が多い国の仲間入りを果たしている。もはや「日本が先進国だと思っているのは日本人だけではないか?」といわれるくらい、日本の国民、消費者は苦境に追い込まれている。これを助ける政策が現在の政府にはないのだ。

 では、国は何をやっているのか? 財務省は「とにかく予算を減らせ」といって、とくに減らしやすい食料・農業予算を「切れ、切れ、もっと切れ」という。手切れ金を渡してでも田を潰せば、田を維持する予算を終わらせられる。だが、水田でコメを作ることが安全保障の支えであり、地域コミュニティや伝統文化を育み、そのとてつもない貯水機能によって洪水などの災害を防いでいる。そんなことは考慮もせず、「カネがもったいないからやめる」という論理だけ。国民から金を集めて、国土・国民を守る大局的見地もなく、削減することしか考えないのが財務省だ。

増産への転換こそ急務 立て直すしかない農業

 消費者も、高い生産コストと低い農産物価格のギャップに苦しむ農家を傍目に、「農業ってたいへんだよね…」と他人事のようにいっている場合ではない。農家は激減しており、海外からの物が止まれば、国民みんなが飢える事態がもうそこまで来ている。農業問題は生産者の問題をはるかにこえて、国民一人ひとりの命の問題、消費者自身の問題だ。

 そこで25年ぶりに、農業の憲法たる「食料・農業・農村基本法」(農業基本法)が改定された。予測される危機に備えて農業支援を強化し、自給率を上げていく方向へ転換するのかと思いきや、ふたを開ければ「食料自給率はもう重要な指標ではない」という内容だった。農業・農村をこれ以上支援しても、どうせみんな疲弊してやめていくのだからカネは出さない。既存農家がいなくなることを前提に、巨大企業を参入させて「輸出でバラ色」「スマート農業でバラ色」「それで一部がもうければ、それでいいじゃないか」みたいな話になっている。

 農業基幹従事者が今後20年で、現在の120万人から30万人にまで減る見込みだというが、それはこれまでの政策の延長が作り出す未来だ。だからこそ政策を抜本的に見直し、今を変えることで未来を創らなければいけない。

 そもそもこれでどうやって食料危機に備えるのかといえば、今年4月1日から施行される「有事立法」(食料供給困難事態対策法)があるから大丈夫だという。今苦しんでいる農家の支援はしないが、有事になったら命令する。野菜を育てている農家にも強制的にカロリーが高い穀物(サツマイモなど)を植えさせる。その増産命令に従って供出計画を出さない農家は処罰する。ヘトヘトになっている農家を罰金で脅して作らせればいいという法律だ。こんなことはできるわけもないし、やっていいわけもない。これも財務省の発想だ。

 象徴的に「サツマイモを植えろ」が世論の批判を浴びると、今度は法令の増産要請品目からサツマイモの名前を消してごまかすという姑息ぶりだ。何もわかっていない。

 財務省が最近、農業予算に対する考え方を示した【表参照】。「農業予算はまだ多すぎる」「備蓄米も多すぎるから減らせ」、極めつけは「食料自給率を上げるためにカネを使うのはもったいないからやめて輸入しろ」だ。これが霞ヶ関の危機認識力であることに愕然とするほかない。

 こんなことでは農業・農村の疲弊はさらに進み、地方に人が住めなくなって拠点都市への人口集中がさらに進むことになる。能登半島の地震被災地をみても、一年たっても復旧していない。国は予算を切ってきている。「もう住むのはやめたらいいじゃないか。漁業も農業もやめてどこかに行け」と思わせるような状態だ。また、全国各地で、台風被害を受けた水田の復旧予算を農家が要求してもなかなか出ないという声も聞く。

 もっと驚いたのが「消滅可能性自治体」(人口戦略会議)のレポートだ。よく読んでみると「消滅しろ」という文脈で書かれている。「そんな田舎に無理して住むから、カネを使ってインフラや学校・病院の整備、行政までしなければいけなくなる。もったいないから早くどこかへ行け」という論調だ。「目先の銭金だけの効率性」のためにみんなの暮らしを追いやり、農村・漁村を住めないような状態にしてしまえば、日本の地域の豊かな暮らしや人の命は守れるわけがない。

 この流れを変えていくため、地域で頑張っている農家とも一緒に手を組んで、自分たちの地域、子どもたちの命を守るため、さらに強力に活動を進めてもらわなければ間に合わない。

食料生産は社会の基礎 予算削減の本末転倒

 2022年の稲作経営収支は、1年間コメを作って農家の手元に残るのはわずか1万円。時給にして10円だ。こんな状態でも田を守り、みんなに米を供給したいという思いだけで農家は頑張ってきた。今年、米価が60`2万円をこえたといって騒ぎになっているが、実は米価は長い低迷期をへて、30年前(1990年)の価格に戻っただけなのだ。それが「高すぎる」と感じるほど、みんなの生活が苦しくなっていることに非常に大きな問題がある。

 いずれにしても、生産者にとっての適正な米価と消費者のみなさんが考える適正価格にギャップがある。それを解消する政策がなければ、生産者と消費者の両方を救うことはできない。

 こんな状況でも、政府は安全保障の話になると、アメリカから兵器やミサイルを買って「敵基地攻撃能力強化」といった話ばかりだ。そもそも食料が保証できないのに、中国がシーレーンを封鎖すれば、戦ってはいけないが、戦う前に飢え死にするのがオチだ。在庫処分のトマホークと型落ちオスプレイをかじって何日生き延びられるのか。そんな買い物をするカネがないから農業予算を削減するという本末転倒がおこなわれている。

 ある酪農家さんは、農水省前で「自分たちが潰れたら、従業員さん、獣医さん、エサ屋さん、機械屋さん、関連団体もみんな仕事を失う。皆さんにお詫びする」と訴えていたが、農漁業の消滅は、食料、農漁協、関連産業、そして地域の消滅を招く。私たちはまさに運命共同体だ。そして、第一次産業は小さな産業だという人がいるが、生産高は全国で10兆円規模でも、それを基礎にして成り立っている食料関連産業の規模は110兆円だ。すべての経済社会は第一次産業を基礎にして成り立っているといっても過言ではない。だから皆が支え合ってお互いを守っていくことを今やらなければ、泥船に乗って一緒に沈んで行く運命共同体になりかねない。

 江戸時代は鎖国政策だったので、日本は徹底的に地域の資源を循環させて、循環型農業、循環型社会を作り上げていた。それが世界を驚かせた。その持続的な仕組みをぶち壊したのがアメリカの占領政策であり、日本側もその思惑に乗って「経済発展」を遂げたのも事実だ。

 だが、私たちの試算では一つの大きな自由貿易協定を決めるごとに自動車産業が約3兆円もうける一方、農業はRCEP(地域的な包括的経済連携)ではマイナス5629億円、TPP11(環太平洋経済連携協定)ではマイナス1兆2645億円だ。自動車業界が過去最高益、内部留保をため込んでいるのなら、生け贄にしてきた農業や食料の現状に対しても責任を負うべきではないかという声が出るのも当然だ。

 日本の農業を生贄にしやすくするためにメディアを通じた洗脳もおこなわれてきた。農業過保護論だ。「日本の農業は補助金漬けだ」というが、実際に調べると農業所得における補助金割合はせいぜい3割。スイスやフランスはほぼ100%だ。命を守り、環境を守り、地域コミュニティを守り、国土・国境を守る産業(農漁業)を国民みんなで支えることは世界の常識だ。それを唯一「おかしなこと」と見なしている日本の常識が、世界の非常識といえる。

 手厚い農業政策があるフランスの農家の平均年齢は51歳。一方、ほとんど保護がない日本の農家の平均年齢は69歳だ。10年後どころか、「5年後にはここでコメを作れる人がいなくなって集落そのものが消えてしまう」という地域が山のように出てきている。いかに私たちに残された時間が少ないかということだ。

 輸入が増えて自給率が下がったのは、アメリカから無関税で入ってくる安い農産物に国民が飛びついているからでもある。だが、安い物には必ずワケがある。

 日本は発がん性物質を含むグリホサート(農薬)の基準が世界一緩和され、安全性への懸念が払拭されていない遺伝子組み換え食品の世界最大の消費国だ。またゲノム編集食品も「審査もするな」「表示もするな」の野放し状態で一般流通が始まり、子どもたちが実験台にされている(ゲノム編集トマトの苗は全国の学校に配布された)。その利益は特許を持っているアメリカのグローバル種子・農薬企業に入るという仕組みだ。日本の消費者には、選ぶための情報も提供されていない。

 こんなものを「安い、安い」といって食べ続けて病気になることを考えれば、実はこんなに「高い」ものはないのだ。終戦後、学校給食から「食生活改善」といってアメリカの企業がもうける政策がおこなわれたが、それが今も形を変えて継続しているといわざるを得ない。

地域で循環するしくみを 「飢えるか、植えるか」


農業組合法人の田植え作業(山口県)

 グローバル種子企業のような巨大な力に「種」を握られると、命を握られることになる。地域で育んできた在来の種をみんなで守り、その生産物を活用して、地域の安心・安全な食と食文化を維持することが食料安全保障の基盤となる。地域を食い物にしようとする「今だけ、カネだけ、自分だけ」の人たちを排除し、ローカル自給圏のような形で、種から消費までの地域住民ネットワークを強化し、地域循環型経済を確立するためにそれぞれの立場からリーダーとなって行動を起こしてもらいたい。

 私はこれを「飢えるか、植えるか」運動と呼んでいる。飢えないために、みんなが生産者になって農作物を植えようと。消費者・生産者という区別をなくし、住民が地域の農家と一体化して、市民全体で耕作放棄地も分担して耕す。家庭農園、市民農園を拡大することは、安心・安全な食料の確保、食料危機に耐えられる日本をつくる一つの鍵になり得る。学校給食は、その突破口となる。

 和歌山県では、母親グループを中心にして、学校給食のパンに輸入小麦を使うのではなく、耕作放棄地を活用してみんなで地元産小麦を作ろうという呼びかけが始まり、「給食スマイルプロジェクト〜県産小麦そだて隊!」がスタートした。2年前からは農薬と化学肥料を使わずに小麦を育てている農家と繋がり、種取りから収穫まで親や子どもたちも喜んで参加するようになり、今ではずいぶん生産量が増えてきた。このように生産者と消費者が一体化してみんなで食を守るとりくみを広げ、地域行政もそれに応える――そのうねりが国の政治行政も変えていくことにもなる。

 国の政治行政が変わらなければ、農家は赤字が酷すぎてもう持たなくなっている。今、農産物価格を上げなければ生産コストがまかなえず、上がりすぎると消費者も払えないというギャップを埋めるのが政策の役割だ。

 まず農地を維持するための交付金、それから農家の赤字を補填する。それによって消費者も安く買えるようになるのだから、そのための直接支払いがどうしても必要だ。

 もう一つ大事なのは、他の国のように備蓄や援助のために国が農作物を買い上げることだ。

 この三つをやるのに必要な予算は、私の大雑把な試算で約3兆円だ。現在の農水予算(2兆円)に3兆円を足しても5兆円だ。以前、農水予算は実質5兆円をこえていたのだから、元に戻すだけだ。安全保障の観点からいえば、農水省予算だけではなく、防衛省予算で確保することも視野に入れるべきだ。それほど食料、国民の生存をめぐる状況は切迫している。

 だから現在、地域で生産を支えてくれている農家の皆さんの踏ん張りと、それを支え合う仕組み(輸入に依存せず、地域資源循環型農業・社会)をみんなでつくっていくことが希望の光であり、子どもたちの未来を守る最大の保障だ。そういう思いは全国で高まっている。日本にはその実績があり、今でも世界で一番競争に晒されながらも世界10位の農業生産額を維持している日本の農家はまさに「精鋭」だ。私たちは世界の先駆者としての誇りと自信をもって、その底力を今こそ発揮しよう。地域みんなで作り、食べるという循環を強化し、その力でこの国の流れをまともな方向に持って行くうねりを作っていくために一緒に頑張ろう。

◆生産者を交えて論議――質疑応答より

予算つけぬ財務省の壁 農家支援切実な中

 生産者(男性) 今の話を泣きたいような気持ちで聞いた。私は1f未満の極めて零細の米農家だ。親父から農業を引き継いだ40年前は、コメ一俵が約2万円だった。今よりも楽に農業で食べていけた。でも今は無理だ。

 私は田植えをした後の青々とした水田が好きで農家を続けてきたが、この状態では続けることもできず、子どもに後を継げともいえない。子どもも親の悲惨さを見ているから継ぐ気もない。でも鈴木先生の話を聞いて希望はゼロではないと思った。しっかりしたバックアップの下に、「農業やるよ」という若者が生まれるような農政にぜひ作り替えてもらいたい。

 生産者(男性) 私は無農薬の有機農業をしている。普通の慣行農業とは農法も販売ルートも価格も違うのだが、それでも最近一番心配に思うのは田舎の人手不足問題だ。私の地域でも周りはみんな80歳以上の先輩方で「もう本当にやめる」「今年やめる」と毎年言いながら1年1年農業を続けていらっしゃる。去年は猛暑もあった。私は里山の麓で作業しているが、このまま作業する人がいなくなってしまえば、この田も畑もみんな山に呑み込まれていくのではないか、それはすぐそこまで来ているのではないかと感じる。

 今年の「コメ騒動」もあり、若い人たちが危機感を持ってまた畑に戻ってきてくれるのではないかと期待もしている。田舎に暮らす農家は、日本の景観を守っていることに誇りを持ってやっているのだが、政府がこれから日本をどうしていくつもりなのかがまったく見えない。政治の世界には、本当に日本のことを真剣に考えている方はいるのだろうか? 私には破滅すればいいと思っているようにしか見えない。

 山本太郎 農業を救うためには農家への直接支払いなどの仕組み作りが必要で、それを動かしていくのが政治家の役割だ。「この国が滅べばいい」と思いながら政治にかかわってる者は一人もいない。全員真剣なのだが、その方向性が違う。たとえば自動車でもうけるために農業を切り捨てることも、自動車が日本の一番の力なんだから当然だと真剣に考えているわけだ。だが、結局導いているのは破滅の道だ。

 農水官僚もやられていた鈴木先生は、内側と外側から農政を見てこられて、政治家の姿勢も含めてどう感じておられるか?

 鈴木 私がいたころの農水省は、食料・農業・農村を守るために戦う気概があった。ところが最近はその気概を持とうにも持てない。財政当局の壁だ。財務省の権限があまりにも強すぎて、とにかく農水予算は出さないという方向性が厳しくなって何もできない。

 だから、農水省が作ったはずの農業基本法改定案なのに、農水予算は切って、食料自給率など上げなくてもいいというような財務省と同じことが盛りこまれているわけだ。これでは誰がみんなの命を守るのか。少なくとも気概をとり戻してもらう必要がある。

 たとえば先ほど話したように、農地維持のための交付金を中山間地も含めてもう少し出せないのかという議論を提案したら、江藤農水大臣は「そういう政策が必要だ」ということで直接支払いの仕組みを作るという話が出てきたというので、少しは安心できると思っていた。だが、最低でも10e当り3万円はないとほとんど役に立たないところ、出てきた案は農地10e当り2000円だ。役に立たないどころか、子どもだましだ。

 財務省から「君たち、やる気なのはいいが出すカネはないよ」といわれ、限られた農水予算の中から組み替えて、薄く広くやるしかない。せっかく仕組みを作っても、「財政当局の壁」で予算が付かないため、まったく役に立たないものを平気で出してくるようになっている。諸悪の根源はどこなのかという話だ。

 驚くことに、財務省の方々はOBも含めて、話をすると口を揃えて同じことをいう。日本に必要なことは二つだけ。一つは増税。もう一つは歳出削減だと。税金はとって、使う方は切りまくるのが財務省の使命であると本当にいっている。今すべてがその壁にぶち当たっている。

 山本 結局、財布を握っている者が一番強い。さまざまある省庁の中で、最強なのはやはり財務省になってしまう。だが、30年前の「ノーパンしゃぶしゃぶ(接待汚職)事件」からこっち、大蔵省から財務省に組織が変わってから現在にいたるまで日本経済は悪化しかしていない。逆にいえば、この国を発展させるためのアイデアも才能も持ち合わせていないわけだから、こんなものはさっさと解体する方が話は早い。農地維持の交付金の出し方にしても狂っているというほかない。そういう者たちからこの国をとり戻さなければいけないということだ。

 高井崇志 私は昔、民主党にいたが、2009年当時の民主党のマニフェストには、財務省解体があった。解体とは書いていないが、内閣官房に新しく国家戦略局を作り、そこに官民の優秀な人材、それこそ農水省の若手なども集めて予算編成権を握る構想だった。財務省は予算編成権を奪われたら解体と同じだ。これを約束していたのに民主党政権はやらず、それどころか当時財務副大臣だった野田佳彦代表(現・立憲代表)は消費税増税までやった。

 財務省の発想は緊縮財政だ。これを改めない限り何もできない。国債発行で財政出動する以外にないのに、日本は債務残高が多いという理由で政府もマスコミもそれを叩く。だが日本はそれ以上の対外純資産を持ち、国債暴落の確率もドイツに次ぎ世界で2番目に低い。円建ての国債発行では財政破綻はしないということを国会でも徹底的に議論していきたい。


満席となり立ち見の参加者も多かった埼玉県熊谷市でのれいわ新選組の「おしゃべり会」(2月23日)

生産者も消費者も救え かつてはあった食管制度

 質問(男性) 42年間、弁当屋に勤めている。今、コメの値段が3年前の1・6倍になっている。弁当でいえばコロッケ1個、メンチ1枚買える値上がり幅だ。隣町では3月で配達の弁当屋がなくなる。弁当屋の危機だ。弁当の配達がなくなるとみんなのお昼もきつくなる。コメは3年前は30`で9000円だったのが、今は2万円を超えている。野菜も全部高い。うちの店は農家と提携しているので直接安く買えているが、そうでないところは大変だ。

 鈴木 消費者も業者さんも悲鳴を上げている。逆に農家にすれば、やっと30年前の米価に戻って、それでもまだ赤字だが一息付けるかといった程度だ。それだけ生産者と消費者それぞれの適正価格にギャップがある。

 以前は、国に食糧管理制度(食管制度)があり、たとえば生産者が作ったコメを政府が全量1俵2万円で買い、消費者向けにはそれを1万円で販売するという形で、生産者を助け、消費者も助けるという財政負担をしていた。今は食管制度は廃止されたが、特に主食のコメなどについては、そのような政策を復活させることも一つのアイデアだ。

 それができなくても生産者の赤字を埋めるための直接支払いをして、消費者が買う値段が上がらないようにすることもできる。生産者と消費者が払える価格のギャップを埋める政策はどうしても必要だ。

 質問(女性) ある大企業が太陽光パネルを敷設するために地権者と契約を結び、2年後、3年後に向けてこれからどんどん増やすために田畑を買い上げている。このまま農地がなくなっていくことへの懸念がある。大企業相手ではあるが、このような動きは止められないのだろうか?

 鈴木 農地に関連する部分では、営農型パネル(地面から浮かせる)などを使って、農業をしながら太陽光発電もやって両方の利益が得られるようにして農家を助けようという議論もある。一方、とにかく太陽光パネルを張れるようにして、それを投資目的で転売してもうけるビジネスがはびこっている。農水省は、営農型太陽光発電をやるときには、近隣の農地で単位当り収量が八割維持できることを条件に認めるといっていたが、官邸や経産省から横ヤリが入り、「そんな面倒くさいことはいい」「農業なんかやっている振りでいいから、とにかくそこら中の土地にパネルを張って、みんながもうけられるようにしろ」ということで規制が緩和された。そんな動きのなかで、今でも環境破壊みたいなことをしながら、誰かがもうければいいような動きがまた強まっていることに大きな懸念がある。

 質問(男性) これからの時代、就農する人が増えれば日本は豊かになるのか?

 鈴木 その通りだ。若い人たちに農業に入って来てもらえるようにするには、今一生懸命働いている人が報われる農業を取り戻さないといけない。そのためにしっかりと政策を組み直す必要がある。若い人が希望を持って農業に入り、頑張っている人たちがさらに頑張るぞ! と思える農業にしていくために、みんなで頑張っていかないといけない。

 山本 あまりにも人々の善意に甘えすぎた国になっている。農業も時給10円だという。それでも農業をやっておられるのは、自分たちのために作るということもあるだろうが、食料を供給する非常に重要な使命、地域を守る責任感があるからだ。現状はそれがまったく報われていない。介護にしても、保育にしても所得が低すぎる。それでも「私が抜けたらどうなるか? それを考えると辞められない」という人々の善意につけこんで国はちゃんとした施策を出さない。この舐めすぎた政治をみんなの手で変えるしかない。

 それはこの国の最高権力者にしか変えられない。それは皆さんだ。雇われ店長の総理大臣ではない。皆さんがそれを変える鍵を握る、非常に重要な存在であるということをもう一度みんなで思い出し、一緒にまともな社会を作っていこう。
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/34237
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/516.html#c28

[近代史4] アメリカの食料戦略 中川隆
14. 中川隆[-7480] koaQ7Jey 2025年3月08日 14:50:09 : xAtre4m98M : cTMudUhTVXk3enM=[8]
<■477行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
いよいよ始まる「ごはん会議」 食料危機打開する力束ねるため 鈴木宣弘・東大教授を講師に全国21カ所で れいわ新選組(2025年2月28日付掲載)
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/34237

 「10年後、日本から食べ物がなくなる そんな未来を回避するために」――れいわ新選組(山本太郎代表)は2月末から5月にかけて、鈴木宣弘・東京大学大学院特任教授を講師に全国21カ所で「ごはん会議」と称する勉強会ツアーを開催する【日程表参照】。先立つ2月23日に埼玉県熊谷市で開かれたれいわ新選組の「おしゃべり会」には、山本代表、高井崇志幹事長に加え、鈴木教授も緊急参加し、食と農をめぐる現状と政策課題についてミニ講演と質疑をおこなった。ごはん会議は、全国各地の生産者や消費者を横に結び、食料危機を打開する新しいうねりを作り出す起点となることが期待される。直近の熊谷市でのおしゃべり会での鈴木教授のミニ講演(要旨)と質疑の一部を紹介する。

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おしゃべり会で講演する鈴木宣弘氏(2月23日、埼玉県熊谷市)

私たちに残された時間は多くない――農と食といのちを守るために

   東京大学大学院特任教授 鈴木宣弘

 日本の食料安全保障が懸念されている。今話題になっている「令和の米騒動」もなかなか収まらない。バター不足、オレンジの供給不足、牛肉高騰による焼肉店倒産に続き、いよいよ「日本の食料は大丈夫か?」という状況になってきた。

 なぜ日本の食料自給率がこんなに下がったのか? 要因として一番大きいのが、やはり戦後のアメリカによる占領政策だ。アメリカの余剰農産物を日本人に食べさせる――それで助けられた面もあるが、コメ以外の穀物等の関税が実質撤廃させられ、安い輸入品に押されて日本の麦、大豆、トウモロコシ生産は一度壊滅した。

 「それでもまだダメだ。日本人がコメを食べているとアメリカの小麦が胃袋に入れられない」ということで、学者の回し者を使って「コメを食べると馬鹿になる」と説いた本(慶應大学医学部教授・林髞著『頭脳』)まで出して大ベストセラーにした。こうしてアメリカは、日本人の食生活をアメリカの農産物でコントロールできるようにした。「食生活改善」という名目で、伝統的な食文化をこれほど短期間に一変させられた民族は他に類がない。

 一方、日本側もアメリカの思惑をうまく活用した。経産省中心の経済政策では、アメリカを喜ばせるために農産物の関税を撤廃して、農業・食料を生け贄に差し出した。その代わりに日本は自動車でもうけ、その利益があれば食料などいつでも安く買える――これが食料安全保障だと考える流れが強まった。それで戦後の日本経済は発展もしたが、今それが立ち行かなくなってきている。

 もう一つの問題が、財務省の財政政策だ。予算配分をみても1970年段階で農水予算は1兆円あったが、それから50年以上経っても2兆円余り。「これ以上出せるか」といわれている。総予算に占める割合は12%あったのが、いまや1%台だ。防衛予算は農水予算の半分だったのが、どんどん膨らんで現在は10兆円規模。どう考えてもバランスがおかしい。

 アメリカでは「軍事」「食料」「エネルギー」を国家存立の三本柱という。安全保障の最大の要は食料であり、それを生み出す農業だ。であれば、なぜ日本ではこんなに食料・農業予算が減らされてきたのかということが問われている。

本当の安全保障とは? 太る軍備、細る農業

 今、世界的な情勢悪化、「クワトロ・ショック(@コロナ禍、A中国の爆買いと日本の買い負け、B異常気象の通常化、C大規模紛争)」で食料争奪戦が広がっている。日本の農業も非常に厳しい状況に追い込まれた。まず穀物が十分手に入らなくなった。酪農ではエサの値段が約2倍に上がり、産地では農家の倒産が止まらない。

 また、日本は化学肥料の原料をほぼ100%輸入に頼っている。一番頼っていた中国がもう売ってくれない。カリウムを依存していたロシア、ベラルーシからも「敵国には売らない」といわれてお手上げとなり、肥料の値段も2倍に上がって高止まりだ。日本の農業は99・4%が化学肥料を普通に使う「慣行農業」なので、このままでは農業そのものが続けられるのかという問題になる。

 さらに中国の動向がある。中国はアメリカとの関係悪化に備えて、14億人の人口が1年半の間食べられるだけの食料を備蓄するため世界中の穀物を買い占めている。こうなると事態改善の見通しは「ほぼない」といわざるを得ない。

 一方、日本の食料備蓄はどれだけあるか? コメ消費量の1・5カ月分だけだ。これで小麦なども入らなくなったとき、私たちはどれだけの期間、子どもたちの命を守れるだろうか?

 本当は日本の農業には潜在生産力がある。米も減反政策(生産調整)で700万dにまで減らしているが、農家の皆さんにフル稼働していただいて全力で生産すれば今でも1300万dはできる。だから今こそ農家と消費者が一緒になって地域が食べる食料は地域みんなで作り、そのためにしっかりと政府は備蓄し、みんなの命をいつでも守れるようにすべきときだといっても、財務省から「馬鹿たれ。そんな金どこにあるんだ」と一蹴されて終わりだ。

 だが、馬鹿たれはどっちなのか? いざというときにみんなの命を守るのが安全保障だというならば、まともに飛びもしないような在庫処分のミサイルなどを買うのに43兆円も使う金があるのなら、食料・農業を守るために財政出動し、必要な備蓄をするのに仮に2兆円使ったとしても、その方がよっぽど有効な安全保障政策だ。こういう議論ができないところに日本の問題がある。

食料自給率は実質9% 種も肥料も輸入依存

 ここ数十年で実質賃金も所得も下がり、「規制撤廃して貿易自由化すれば、みんな幸せになる」という論議がいかにデタラメだったかが明らかになっている。一部の人だけが空前の利益を懐にする一方で、農業に限らずみんなが苦しくなった。

 それでも反省していない。「農家がいくら頑張っても、やっぱり海外に比べたらコストが高いんだから輸入すればいい」という思考が継続している。だが、お金を出せばいつでも輸入できる時代はもう終わった。農家は赤字でバタバタ倒れている。それを放置したまま、海外からの輸入が止まったら、子どもや国民の命を守ることはできない。

 それを考えると、国内の食料生産を維持することは、短期的には輸入農産物より高コストであっても、飢餓を招きかねない不測の事態に命を守るコストを考慮すれば、総合的コストは低いのだ。これこそが安全保障の考え方だ。

 食料自給率を考えるうえで、もう一つ問題がある。コロナ禍で露呈した生産資源の脆弱性、つまり「種」の問題だ。野菜の自給率は80%といわれるが、その種子の九割は海外の畑で採種したものだ。これが止まれば野菜は8%分しか作れない。さらに肥料が止まれば4%にまで落ちる。

 種は食料の源だ。だからこそ大事な種(在来の固定種)をみんなで守って循環させる仕組みを強化しないといけないときに、日本政府は何をしたか? まず種子法を廃止して公共の種事業をやめさせる方向に導き、公で守られてきた優良な種を民間企業に譲渡させ(農業競争力強化支援法八条四項)、さらに農家の自家採種を制限(種苗法改定)することで、日本の種を外資に売り渡すルールを作った。グローバル種子・農薬企業の要求に従ったと思わざるを得ない。

 日本の食料自給率は38%とされるが、種の輸入依存を考慮すると実質22%。さらに肥料の輸入依存、そして野菜だけでなくコメなどの種も海外に9割依存するような事態へと進んでいることを考慮すれば実質9・2%ということになる。これだけの人間しか生きられないのかということだ。

 追い打ちをかけるように、米ラトガース大学が、局地的な核戦争が起きた場合、被爆による直接死よりも物流が止まることによる餓死者が世界で2・5億人出て、そのうち3割(国内人口の6割におよぶ7200万人)が日本に集中するという試算を発表した。信じたくない話だが、上記のような事態を考えれば、これでもまだ過小評価だ。

 だからこそ私たちは、農家さんに頑張ってもらい、地域住民も一緒になって食料を増産し、子どもたちの命を守れるようにしなければならない。

令和のコメ騒動の本質 「余っている」はウソ


コメが消えたスーパーの棚(2024年8月)

 今年、コメの値段が上がって消費者は大変だが、少し前までは「コメは余っている」ということで米価は下がり続け、農家の売値も60`当り9000円にまで暴落していた。一方、農家の米生産コストは60`当り1万5000円はかかる。肥料も2倍になって大赤字となり、もう農業を続けられないところまで追い込まれていた。それが「令和のコメ騒動」の一番の根幹にあることを考えなければいけない。

 猛暑による不作、訪日外国人のインバウンド需要が増えたこともあるが、それはきっかけに過ぎない。それがなぜこれほどの騒ぎに発展してしまうのかといえば、もう生産現場が疲弊しきっているからだ。それでも国は「余っている」といってコメを作らせない。田を潰して畑にすれば1回限りの手切れ金を支給し、コスト高で苦しむ農家の赤字補填すらしない。

 酪農も同じだ。「牛乳は余っている」を理由に、農家に減産を要請し、「牛乳搾るな」「牛は殺せ」で、牛を処分すれば一時金を支給する。北海道では生乳を廃棄する事態にもなった。コスト高の酪農家の赤字補填もなく、逆に脱脂粉乳の在庫減らしのために重い負担金を拠出させ、小売・加工業界も乳価値上げを渋ったため、農家の廃業が急増して生乳生産も落ち込んだ。こんなことをしていたら生産現場は崩壊するしかなく、そういう状態のなかで「何か」が起きたら、大騒動になるのはわかりきっている。

 だからこそ、生産調整(減産)から増産へ切り替えなくてはいけない。だが、今回のコメ供給不足が起きても、政府はまだ「コメは余っている」「悪いのは流通だ」という。「コメはあるのに流通業界が勝手なことをやったから目詰まりが起きたのだ」と。だが、指摘される買いだめも市場関係者が「品薄感」を感じているから起こるわけで、政府が「足りている」と言い張るのは無理がある。このような事態が起きるのは、時給10円しかないような農家の苦境を放置し、国が減産を進めてきたからにほかならない。その責任を隠すために流通に責任転嫁しているわけだ。水田を潰し、農家の疲弊を放置する政策が続く限り、「コメ不足」は続く。

 だから農家を苦しめるような政策をやめ、国内生産基盤を強化するとともに、消費者も助けて出口(需要)を作るべきであり、そのために財政出動をすれば危機に備えられる。米も乳製品も「過剰」なのではなく、買いたくても買えない人が増えているのだから、本当は足りていないのだ。

 子ども食堂やフードバンクを通じたとりくみも、日本では民間ボランティア頼みだが、他国では、小麦や乳製品の生産量がある水準に達したら政府が直接買いとって国内外の援助に使っている。有事に備えた備蓄も安全保障の需要だ。

 小麦が入らなくなっても、コメでパンも麺も作れるし、トウモロコシが入らなければ飼料も保証できる。つまりコメの需要は減っているのではなく膨大にあり、政策でいくらでも拡大することができるのだ。

 生産者、消費者をともに助ける仕組みは世界中にある。なかでもアメリカは、日本にはいろいろ要求してくるが、国内では農業予算の64%を消費者支援に使っている。低所得者向け食料購入支援カードの支給だけで10兆円(日本の農水予算の5倍)だ。このような政策も日本にはない。

 これまで主要7カ国で最も貧困率が高いのはアメリカだったが、いまや日本がそれを抜いて1位になった。そればかりか国連食糧農業機関(FAO)の「飢餓マップ」を見ると、日本はアフリカ諸国と並んで世界でも最も栄養不足人口が多い国の仲間入りを果たしている。もはや「日本が先進国だと思っているのは日本人だけではないか?」といわれるくらい、日本の国民、消費者は苦境に追い込まれている。これを助ける政策が現在の政府にはないのだ。

 では、国は何をやっているのか? 財務省は「とにかく予算を減らせ」といって、とくに減らしやすい食料・農業予算を「切れ、切れ、もっと切れ」という。手切れ金を渡してでも田を潰せば、田を維持する予算を終わらせられる。だが、水田でコメを作ることが安全保障の支えであり、地域コミュニティや伝統文化を育み、そのとてつもない貯水機能によって洪水などの災害を防いでいる。そんなことは考慮もせず、「カネがもったいないからやめる」という論理だけ。国民から金を集めて、国土・国民を守る大局的見地もなく、削減することしか考えないのが財務省だ。

増産への転換こそ急務 立て直すしかない農業

 消費者も、高い生産コストと低い農産物価格のギャップに苦しむ農家を傍目に、「農業ってたいへんだよね…」と他人事のようにいっている場合ではない。農家は激減しており、海外からの物が止まれば、国民みんなが飢える事態がもうそこまで来ている。農業問題は生産者の問題をはるかにこえて、国民一人ひとりの命の問題、消費者自身の問題だ。

 そこで25年ぶりに、農業の憲法たる「食料・農業・農村基本法」(農業基本法)が改定された。予測される危機に備えて農業支援を強化し、自給率を上げていく方向へ転換するのかと思いきや、ふたを開ければ「食料自給率はもう重要な指標ではない」という内容だった。農業・農村をこれ以上支援しても、どうせみんな疲弊してやめていくのだからカネは出さない。既存農家がいなくなることを前提に、巨大企業を参入させて「輸出でバラ色」「スマート農業でバラ色」「それで一部がもうければ、それでいいじゃないか」みたいな話になっている。

 農業基幹従事者が今後20年で、現在の120万人から30万人にまで減る見込みだというが、それはこれまでの政策の延長が作り出す未来だ。だからこそ政策を抜本的に見直し、今を変えることで未来を創らなければいけない。

 そもそもこれでどうやって食料危機に備えるのかといえば、今年4月1日から施行される「有事立法」(食料供給困難事態対策法)があるから大丈夫だという。今苦しんでいる農家の支援はしないが、有事になったら命令する。野菜を育てている農家にも強制的にカロリーが高い穀物(サツマイモなど)を植えさせる。その増産命令に従って供出計画を出さない農家は処罰する。ヘトヘトになっている農家を罰金で脅して作らせればいいという法律だ。こんなことはできるわけもないし、やっていいわけもない。これも財務省の発想だ。

 象徴的に「サツマイモを植えろ」が世論の批判を浴びると、今度は法令の増産要請品目からサツマイモの名前を消してごまかすという姑息ぶりだ。何もわかっていない。

 財務省が最近、農業予算に対する考え方を示した【表参照】。「農業予算はまだ多すぎる」「備蓄米も多すぎるから減らせ」、極めつけは「食料自給率を上げるためにカネを使うのはもったいないからやめて輸入しろ」だ。これが霞ヶ関の危機認識力であることに愕然とするほかない。

 こんなことでは農業・農村の疲弊はさらに進み、地方に人が住めなくなって拠点都市への人口集中がさらに進むことになる。能登半島の地震被災地をみても、一年たっても復旧していない。国は予算を切ってきている。「もう住むのはやめたらいいじゃないか。漁業も農業もやめてどこかに行け」と思わせるような状態だ。また、全国各地で、台風被害を受けた水田の復旧予算を農家が要求してもなかなか出ないという声も聞く。

 もっと驚いたのが「消滅可能性自治体」(人口戦略会議)のレポートだ。よく読んでみると「消滅しろ」という文脈で書かれている。「そんな田舎に無理して住むから、カネを使ってインフラや学校・病院の整備、行政までしなければいけなくなる。もったいないから早くどこかへ行け」という論調だ。「目先の銭金だけの効率性」のためにみんなの暮らしを追いやり、農村・漁村を住めないような状態にしてしまえば、日本の地域の豊かな暮らしや人の命は守れるわけがない。

 この流れを変えていくため、地域で頑張っている農家とも一緒に手を組んで、自分たちの地域、子どもたちの命を守るため、さらに強力に活動を進めてもらわなければ間に合わない。

食料生産は社会の基礎 予算削減の本末転倒

 2022年の稲作経営収支は、1年間コメを作って農家の手元に残るのはわずか1万円。時給にして10円だ。こんな状態でも田を守り、みんなに米を供給したいという思いだけで農家は頑張ってきた。今年、米価が60`2万円をこえたといって騒ぎになっているが、実は米価は長い低迷期をへて、30年前(1990年)の価格に戻っただけなのだ。それが「高すぎる」と感じるほど、みんなの生活が苦しくなっていることに非常に大きな問題がある。

 いずれにしても、生産者にとっての適正な米価と消費者のみなさんが考える適正価格にギャップがある。それを解消する政策がなければ、生産者と消費者の両方を救うことはできない。

 こんな状況でも、政府は安全保障の話になると、アメリカから兵器やミサイルを買って「敵基地攻撃能力強化」といった話ばかりだ。そもそも食料が保証できないのに、中国がシーレーンを封鎖すれば、戦ってはいけないが、戦う前に飢え死にするのがオチだ。在庫処分のトマホークと型落ちオスプレイをかじって何日生き延びられるのか。そんな買い物をするカネがないから農業予算を削減するという本末転倒がおこなわれている。

 ある酪農家さんは、農水省前で「自分たちが潰れたら、従業員さん、獣医さん、エサ屋さん、機械屋さん、関連団体もみんな仕事を失う。皆さんにお詫びする」と訴えていたが、農漁業の消滅は、食料、農漁協、関連産業、そして地域の消滅を招く。私たちはまさに運命共同体だ。そして、第一次産業は小さな産業だという人がいるが、生産高は全国で10兆円規模でも、それを基礎にして成り立っている食料関連産業の規模は110兆円だ。すべての経済社会は第一次産業を基礎にして成り立っているといっても過言ではない。だから皆が支え合ってお互いを守っていくことを今やらなければ、泥船に乗って一緒に沈んで行く運命共同体になりかねない。

 江戸時代は鎖国政策だったので、日本は徹底的に地域の資源を循環させて、循環型農業、循環型社会を作り上げていた。それが世界を驚かせた。その持続的な仕組みをぶち壊したのがアメリカの占領政策であり、日本側もその思惑に乗って「経済発展」を遂げたのも事実だ。

 だが、私たちの試算では一つの大きな自由貿易協定を決めるごとに自動車産業が約3兆円もうける一方、農業はRCEP(地域的な包括的経済連携)ではマイナス5629億円、TPP11(環太平洋経済連携協定)ではマイナス1兆2645億円だ。自動車業界が過去最高益、内部留保をため込んでいるのなら、生け贄にしてきた農業や食料の現状に対しても責任を負うべきではないかという声が出るのも当然だ。

 日本の農業を生贄にしやすくするためにメディアを通じた洗脳もおこなわれてきた。農業過保護論だ。「日本の農業は補助金漬けだ」というが、実際に調べると農業所得における補助金割合はせいぜい3割。スイスやフランスはほぼ100%だ。命を守り、環境を守り、地域コミュニティを守り、国土・国境を守る産業(農漁業)を国民みんなで支えることは世界の常識だ。それを唯一「おかしなこと」と見なしている日本の常識が、世界の非常識といえる。

 手厚い農業政策があるフランスの農家の平均年齢は51歳。一方、ほとんど保護がない日本の農家の平均年齢は69歳だ。10年後どころか、「5年後にはここでコメを作れる人がいなくなって集落そのものが消えてしまう」という地域が山のように出てきている。いかに私たちに残された時間が少ないかということだ。

 輸入が増えて自給率が下がったのは、アメリカから無関税で入ってくる安い農産物に国民が飛びついているからでもある。だが、安い物には必ずワケがある。

 日本は発がん性物質を含むグリホサート(農薬)の基準が世界一緩和され、安全性への懸念が払拭されていない遺伝子組み換え食品の世界最大の消費国だ。またゲノム編集食品も「審査もするな」「表示もするな」の野放し状態で一般流通が始まり、子どもたちが実験台にされている(ゲノム編集トマトの苗は全国の学校に配布された)。その利益は特許を持っているアメリカのグローバル種子・農薬企業に入るという仕組みだ。日本の消費者には、選ぶための情報も提供されていない。

 こんなものを「安い、安い」といって食べ続けて病気になることを考えれば、実はこんなに「高い」ものはないのだ。終戦後、学校給食から「食生活改善」といってアメリカの企業がもうける政策がおこなわれたが、それが今も形を変えて継続しているといわざるを得ない。

地域で循環するしくみを 「飢えるか、植えるか」


農業組合法人の田植え作業(山口県)

 グローバル種子企業のような巨大な力に「種」を握られると、命を握られることになる。地域で育んできた在来の種をみんなで守り、その生産物を活用して、地域の安心・安全な食と食文化を維持することが食料安全保障の基盤となる。地域を食い物にしようとする「今だけ、カネだけ、自分だけ」の人たちを排除し、ローカル自給圏のような形で、種から消費までの地域住民ネットワークを強化し、地域循環型経済を確立するためにそれぞれの立場からリーダーとなって行動を起こしてもらいたい。

 私はこれを「飢えるか、植えるか」運動と呼んでいる。飢えないために、みんなが生産者になって農作物を植えようと。消費者・生産者という区別をなくし、住民が地域の農家と一体化して、市民全体で耕作放棄地も分担して耕す。家庭農園、市民農園を拡大することは、安心・安全な食料の確保、食料危機に耐えられる日本をつくる一つの鍵になり得る。学校給食は、その突破口となる。

 和歌山県では、母親グループを中心にして、学校給食のパンに輸入小麦を使うのではなく、耕作放棄地を活用してみんなで地元産小麦を作ろうという呼びかけが始まり、「給食スマイルプロジェクト〜県産小麦そだて隊!」がスタートした。2年前からは農薬と化学肥料を使わずに小麦を育てている農家と繋がり、種取りから収穫まで親や子どもたちも喜んで参加するようになり、今ではずいぶん生産量が増えてきた。このように生産者と消費者が一体化してみんなで食を守るとりくみを広げ、地域行政もそれに応える――そのうねりが国の政治行政も変えていくことにもなる。

 国の政治行政が変わらなければ、農家は赤字が酷すぎてもう持たなくなっている。今、農産物価格を上げなければ生産コストがまかなえず、上がりすぎると消費者も払えないというギャップを埋めるのが政策の役割だ。

 まず農地を維持するための交付金、それから農家の赤字を補填する。それによって消費者も安く買えるようになるのだから、そのための直接支払いがどうしても必要だ。

 もう一つ大事なのは、他の国のように備蓄や援助のために国が農作物を買い上げることだ。

 この三つをやるのに必要な予算は、私の大雑把な試算で約3兆円だ。現在の農水予算(2兆円)に3兆円を足しても5兆円だ。以前、農水予算は実質5兆円をこえていたのだから、元に戻すだけだ。安全保障の観点からいえば、農水省予算だけではなく、防衛省予算で確保することも視野に入れるべきだ。それほど食料、国民の生存をめぐる状況は切迫している。

 だから現在、地域で生産を支えてくれている農家の皆さんの踏ん張りと、それを支え合う仕組み(輸入に依存せず、地域資源循環型農業・社会)をみんなでつくっていくことが希望の光であり、子どもたちの未来を守る最大の保障だ。そういう思いは全国で高まっている。日本にはその実績があり、今でも世界で一番競争に晒されながらも世界10位の農業生産額を維持している日本の農家はまさに「精鋭」だ。私たちは世界の先駆者としての誇りと自信をもって、その底力を今こそ発揮しよう。地域みんなで作り、食べるという循環を強化し、その力でこの国の流れをまともな方向に持って行くうねりを作っていくために一緒に頑張ろう。

◆生産者を交えて論議――質疑応答より

予算つけぬ財務省の壁 農家支援切実な中

 生産者(男性) 今の話を泣きたいような気持ちで聞いた。私は1f未満の極めて零細の米農家だ。親父から農業を引き継いだ40年前は、コメ一俵が約2万円だった。今よりも楽に農業で食べていけた。でも今は無理だ。

 私は田植えをした後の青々とした水田が好きで農家を続けてきたが、この状態では続けることもできず、子どもに後を継げともいえない。子どもも親の悲惨さを見ているから継ぐ気もない。でも鈴木先生の話を聞いて希望はゼロではないと思った。しっかりしたバックアップの下に、「農業やるよ」という若者が生まれるような農政にぜひ作り替えてもらいたい。

 生産者(男性) 私は無農薬の有機農業をしている。普通の慣行農業とは農法も販売ルートも価格も違うのだが、それでも最近一番心配に思うのは田舎の人手不足問題だ。私の地域でも周りはみんな80歳以上の先輩方で「もう本当にやめる」「今年やめる」と毎年言いながら1年1年農業を続けていらっしゃる。去年は猛暑もあった。私は里山の麓で作業しているが、このまま作業する人がいなくなってしまえば、この田も畑もみんな山に呑み込まれていくのではないか、それはすぐそこまで来ているのではないかと感じる。

 今年の「コメ騒動」もあり、若い人たちが危機感を持ってまた畑に戻ってきてくれるのではないかと期待もしている。田舎に暮らす農家は、日本の景観を守っていることに誇りを持ってやっているのだが、政府がこれから日本をどうしていくつもりなのかがまったく見えない。政治の世界には、本当に日本のことを真剣に考えている方はいるのだろうか? 私には破滅すればいいと思っているようにしか見えない。

 山本太郎 農業を救うためには農家への直接支払いなどの仕組み作りが必要で、それを動かしていくのが政治家の役割だ。「この国が滅べばいい」と思いながら政治にかかわってる者は一人もいない。全員真剣なのだが、その方向性が違う。たとえば自動車でもうけるために農業を切り捨てることも、自動車が日本の一番の力なんだから当然だと真剣に考えているわけだ。だが、結局導いているのは破滅の道だ。

 農水官僚もやられていた鈴木先生は、内側と外側から農政を見てこられて、政治家の姿勢も含めてどう感じておられるか?

 鈴木 私がいたころの農水省は、食料・農業・農村を守るために戦う気概があった。ところが最近はその気概を持とうにも持てない。財政当局の壁だ。財務省の権限があまりにも強すぎて、とにかく農水予算は出さないという方向性が厳しくなって何もできない。

 だから、農水省が作ったはずの農業基本法改定案なのに、農水予算は切って、食料自給率など上げなくてもいいというような財務省と同じことが盛りこまれているわけだ。これでは誰がみんなの命を守るのか。少なくとも気概をとり戻してもらう必要がある。

 たとえば先ほど話したように、農地維持のための交付金を中山間地も含めてもう少し出せないのかという議論を提案したら、江藤農水大臣は「そういう政策が必要だ」ということで直接支払いの仕組みを作るという話が出てきたというので、少しは安心できると思っていた。だが、最低でも10e当り3万円はないとほとんど役に立たないところ、出てきた案は農地10e当り2000円だ。役に立たないどころか、子どもだましだ。

 財務省から「君たち、やる気なのはいいが出すカネはないよ」といわれ、限られた農水予算の中から組み替えて、薄く広くやるしかない。せっかく仕組みを作っても、「財政当局の壁」で予算が付かないため、まったく役に立たないものを平気で出してくるようになっている。諸悪の根源はどこなのかという話だ。

 驚くことに、財務省の方々はOBも含めて、話をすると口を揃えて同じことをいう。日本に必要なことは二つだけ。一つは増税。もう一つは歳出削減だと。税金はとって、使う方は切りまくるのが財務省の使命であると本当にいっている。今すべてがその壁にぶち当たっている。

 山本 結局、財布を握っている者が一番強い。さまざまある省庁の中で、最強なのはやはり財務省になってしまう。だが、30年前の「ノーパンしゃぶしゃぶ(接待汚職)事件」からこっち、大蔵省から財務省に組織が変わってから現在にいたるまで日本経済は悪化しかしていない。逆にいえば、この国を発展させるためのアイデアも才能も持ち合わせていないわけだから、こんなものはさっさと解体する方が話は早い。農地維持の交付金の出し方にしても狂っているというほかない。そういう者たちからこの国をとり戻さなければいけないということだ。

 高井崇志 私は昔、民主党にいたが、2009年当時の民主党のマニフェストには、財務省解体があった。解体とは書いていないが、内閣官房に新しく国家戦略局を作り、そこに官民の優秀な人材、それこそ農水省の若手なども集めて予算編成権を握る構想だった。財務省は予算編成権を奪われたら解体と同じだ。これを約束していたのに民主党政権はやらず、それどころか当時財務副大臣だった野田佳彦代表(現・立憲代表)は消費税増税までやった。

 財務省の発想は緊縮財政だ。これを改めない限り何もできない。国債発行で財政出動する以外にないのに、日本は債務残高が多いという理由で政府もマスコミもそれを叩く。だが日本はそれ以上の対外純資産を持ち、国債暴落の確率もドイツに次ぎ世界で2番目に低い。円建ての国債発行では財政破綻はしないということを国会でも徹底的に議論していきたい。


満席となり立ち見の参加者も多かった埼玉県熊谷市でのれいわ新選組の「おしゃべり会」(2月23日)

生産者も消費者も救え かつてはあった食管制度

 質問(男性) 42年間、弁当屋に勤めている。今、コメの値段が3年前の1・6倍になっている。弁当でいえばコロッケ1個、メンチ1枚買える値上がり幅だ。隣町では3月で配達の弁当屋がなくなる。弁当屋の危機だ。弁当の配達がなくなるとみんなのお昼もきつくなる。コメは3年前は30`で9000円だったのが、今は2万円を超えている。野菜も全部高い。うちの店は農家と提携しているので直接安く買えているが、そうでないところは大変だ。

 鈴木 消費者も業者さんも悲鳴を上げている。逆に農家にすれば、やっと30年前の米価に戻って、それでもまだ赤字だが一息付けるかといった程度だ。それだけ生産者と消費者それぞれの適正価格にギャップがある。

 以前は、国に食糧管理制度(食管制度)があり、たとえば生産者が作ったコメを政府が全量1俵2万円で買い、消費者向けにはそれを1万円で販売するという形で、生産者を助け、消費者も助けるという財政負担をしていた。今は食管制度は廃止されたが、特に主食のコメなどについては、そのような政策を復活させることも一つのアイデアだ。

 それができなくても生産者の赤字を埋めるための直接支払いをして、消費者が買う値段が上がらないようにすることもできる。生産者と消費者が払える価格のギャップを埋める政策はどうしても必要だ。

 質問(女性) ある大企業が太陽光パネルを敷設するために地権者と契約を結び、2年後、3年後に向けてこれからどんどん増やすために田畑を買い上げている。このまま農地がなくなっていくことへの懸念がある。大企業相手ではあるが、このような動きは止められないのだろうか?

 鈴木 農地に関連する部分では、営農型パネル(地面から浮かせる)などを使って、農業をしながら太陽光発電もやって両方の利益が得られるようにして農家を助けようという議論もある。一方、とにかく太陽光パネルを張れるようにして、それを投資目的で転売してもうけるビジネスがはびこっている。農水省は、営農型太陽光発電をやるときには、近隣の農地で単位当り収量が八割維持できることを条件に認めるといっていたが、官邸や経産省から横ヤリが入り、「そんな面倒くさいことはいい」「農業なんかやっている振りでいいから、とにかくそこら中の土地にパネルを張って、みんながもうけられるようにしろ」ということで規制が緩和された。そんな動きのなかで、今でも環境破壊みたいなことをしながら、誰かがもうければいいような動きがまた強まっていることに大きな懸念がある。

 質問(男性) これからの時代、就農する人が増えれば日本は豊かになるのか?

 鈴木 その通りだ。若い人たちに農業に入って来てもらえるようにするには、今一生懸命働いている人が報われる農業を取り戻さないといけない。そのためにしっかりと政策を組み直す必要がある。若い人が希望を持って農業に入り、頑張っている人たちがさらに頑張るぞ! と思える農業にしていくために、みんなで頑張っていかないといけない。

 山本 あまりにも人々の善意に甘えすぎた国になっている。農業も時給10円だという。それでも農業をやっておられるのは、自分たちのために作るということもあるだろうが、食料を供給する非常に重要な使命、地域を守る責任感があるからだ。現状はそれがまったく報われていない。介護にしても、保育にしても所得が低すぎる。それでも「私が抜けたらどうなるか? それを考えると辞められない」という人々の善意につけこんで国はちゃんとした施策を出さない。この舐めすぎた政治をみんなの手で変えるしかない。

 それはこの国の最高権力者にしか変えられない。それは皆さんだ。雇われ店長の総理大臣ではない。皆さんがそれを変える鍵を握る、非常に重要な存在であるということをもう一度みんなで思い出し、一緒にまともな社会を作っていこう。
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/34237
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/140.html#c14

[近代史02] 中国大好き 中川隆
92. 中川隆[-7482] koaQ7Jey 2025年3月08日 17:38:28 : xAtre4m98M : cTMudUhTVXk3enM=[9]
<▽40行くらい>
【中国】「5000年の歴史」という割に遺跡が少ない理由!王朝交代を繰り返した中国の歴史!
世界史解体新書 2024/11/30
https://www.youtube.com/watch?v=kyAh9R2mn1s&t=416s

【中国】中国5000年の歴史という嘘!75年、100年、かなり譲っても1000年の歴史です!
世界史解体新書 2024/03/15
https://www.youtube.com/watch?v=ifUrfSjrPps

【中国】百年国恥!屈辱の100年間の歴史と世界覇権をめざす現状!
世界史解体新書 2024/06/14
https://www.youtube.com/watch?v=r9LahgpnTmg

【中国】中国の夢!「中華民族の偉大な復興」の成果と闇を考える
世界史解体新書
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世界史解体新書 【中国】急速に没落する上海!習近平体制と中国経済は非常にマズい!
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コーカソイドだった黄河文明人が他民族の女をレイプしまくって生まれた子供の子孫が漢民族
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中国最古の王朝 殷
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古代中国の殷・匈奴とフン族の Y-DNA は N
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文明の衝突 Part 2 中華文明と北方異民族の光芒 宇山卓栄×ゆめラジオ 2025.03.06
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長江・江南の歴史
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ウイグル人の生証言ー中共の人類史上最も非道な政策
後漢はシルクロード交易で黄金を枯渇するほど流出させてしまい 衰退した
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[近代史4] どうしても戦争だけはやりたくなかったドナルド・トランプ大統領 中川隆
132. 中川隆[-7481] koaQ7Jey 2025年3月08日 20:47:37 : xAtre4m98M : cTMudUhTVXk3enM=[10]
【伊藤貫の真剣な雑談】第21回「大革命家トランプ!」[桜R7/3/8]
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