★阿修羅♪ > cmNNUFdGYUZmbjI= > 100000
 
g検索 cmNNUFdGYUZmbjI=  
 
cmNNUFdGYUZmbjI= コメント履歴 No: 100000
http://www.asyura2.com/acat/c/cm/cmn/cmNNUFdGYUZmbjI=/100000.html
[リバイバル3] B&W なんて買うと 10年後に後悔しまっせ _ 超高性能だけど中高音がキンキンして音楽にならないダメダメ・スピーカー 中川隆
20. 中川隆[-7875] koaQ7Jey 2025年1月27日 08:35:30 : FcM8GrYzGI : cmNNUFdGYUZmbjI=[1]
<△21行くらい>
Date: 1月 25th, 2025
あるスピーカーの述懐(その54)
http://audiosharing.com/blog/?p=42293

ステレオサウンドがながいことリファレンススピーカーとして使っているB&Wの800シリーズ、
このスピーカーシステムに惚れ込んでいる人は、
ステレオサウンドに書いている人にいるのだろうか。

私は、いないと思っている。

惚れ込んでいる人がいないからといって、
B&Wのスピーカーの音が悪いということではないし、
その優秀性を否定するわけでもない。

ただ、ステレオサウンドの執筆者の中にはいないというだけのこと。

昔は、どうだったか。
瀬川先生は4343に惚れ込まれていた。
そのことが、書かれたものから伝わってきていた。

4343の前には4341、その前はJBLのユニットによる3ウェイ。
そこには瀬川冬樹のJBLへの惚れ込み方があった。
それだけでなく菅野沖彦のJBLの惚れ込み方があった。
岩崎千明のJBLの惚れ込み方があった。
それぞれのJBLの惚れ込み方があった。

それぞれの惚れ込み方であり、その人ならではの惚れ込み方でもあった。
だからこそ、音が聴こえてこない誌面からでも伝わってくるものがあった。

そういう時代を、私は生きてきた。
http://audiosharing.com/blog/?p=42293
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/955.html#c20

[近代史3] 韓国の大卒失業者 新卒で正社員就職は1割だけ 中川隆
30. 中川隆[-7874] koaQ7Jey 2025年1月27日 15:35:03 : FcM8GrYzGI : cmNNUFdGYUZmbjI=[2]
<■67行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
韓国の平均年収350万円の虚構 200万円以下の労働者が多い
2025.01.27
https://www.thutmosev.com/archives/80309258.html

韓国は「平均値」「中央値」はそこそこだが貧困率が高い

財閥一族などが富を独占して見た目の「平均値」を上げている

20151214161427-2
画像引用:https://japanese.joins.com/upload/images/2015/12/20151214161427-2.jpg
韓国の平均年収が日本並みになった?

韓国のGDPは一人当たり3万ドルを上回り、4万ドル台だった日本は超円安で3万ドル台に下がったのでドルで計算すると韓国の方が多くなったと言っています

韓国では正式な失業率が2.8%と低いがこれは見た目を良くするために粉飾していて、低賃金や短時間労働の実質失業者が10%以上存在します

韓国の失業率は調査期間の2週間で1秒でも働いて1ウォンでも報酬を受け取ったら失業者ではなく、失業保険を受給した人だけが失業者として認められる

これだと韓国に失業者はほとんど存在しない事になるのだが、現実の韓国は不況で失業者が多く存在します

韓国の労働賃金の平均値は3475万ウォン(約349万円)だが、韓国経済研究院が調査した「全労働者」の総数は1519万人に過ぎない

韓国の労働人口は2,774万人なので、1519万人だと約55%だけの平均になります

失業者はもちろん非正規や低賃金も除外し、最低賃金以上の正社員だけを集計したと考えられている

経済研究院のデータでは韓国のすべての労働者の合計賃金は約80兆円で、発表したGDP160兆円の半分に過ぎない

これを日本と比較すると、総務省が4900万人を対象にした調査で、2017年に平均年収432万2000円でした

日本の「平均年収」432万円というのも嘘で、対象を非正規やフリーターまで広げると平均値は300万円に過ぎません

日本の労働者年収の中央値は250万円前後で最頻値(さいひんち)も同じくらいなので、250万円が日本人の本当の年収と言えます

では韓国人の「本当の年収」は一体いくらなのか、約350万円という公式な平均年収よりかなり低くなります

年収中央値は2720万ウォン(約270万円)でしたが、これは恵まれた正社員だけの平均で全体を表してはいません

韓国人の本当の年収は現代経済研究院調査で発表されていて、全韓国人労働者の中央値(中位所得)は月184万ウォンでした

月184万ウォン(約18万円)が韓国労働者の年収中央値で、25%の人が低位所得者(貧困層)で平均月47万ウォン(約4万7千円)でした

韓国の平均年収350万円は「夢の数字」
韓国の問題点は中央値より上はかなり良いのに、真ん中より下の貧困率が高いことで、中央値の半額に満たない貧困層が25%存在します

2015年の日本の所得中央値は245万円で、貧困ラインはその半分の127万5千円以下、貧困率は15.6%でした

高齢者はもっと差があり、韓国で66歳以上の貧困率は45.7%だったが、日本は19%でした

これは韓国高齢者の2人に1人近くが、年収92万円以下で生活しているのを示しています

対する日本は5人に1人近くが、年収127万5千円以下で生活している事になり、高齢者の暮らしぶりはかなり違います

さらに日本では86万世帯(90万人以上)の高齢者が生活保護を受給し、数十万人が無料や低料金の公的介護施設に入居している

韓国にはこうした制度がなく、生活保護にあたる公的生活扶助は満額支給で3万円程度です

今韓国で問題なのは大学を卒業後の就職年齢が上がっていることで、数年前で28歳でした

日本では大卒は22歳で就職するが、韓国では22歳で卒業してもそれから兵役2年(就職後でも良いが)、それから就職のために数年間浪人します

就職するために大学卒業後に専門学校や予備校に通い、何百社も面接を受けて1社に合格するのが平均28歳以降なのです

就職するまではバイトしても年収100万円くらいの極貧生活で、不況なので就職してもせいぜい年収200万円程度です

韓国の平均年収350万円は大ボラも良いところで、実際はその半分程度の人が多いし大学を卒業して就職できる30歳近くまでほとんどの人が無収入なのです

そしてある程度の企業の正社員になった人は高収入だが韓国では自営と非正規が多く、これらの人は調査対象に含めないので全体が「高収入」になる

一部の人が高収入なのは事実だが、韓国はコンビニバイトでも最低賃金が支払われる事が少なく、面接で「募集は8時間だが実際は10時間働いてもらう」などと言われるのが当たり前です
https://www.thutmosev.com/archives/80309258.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/491.html#c30

[近代史3] 韓国のチキン屋 解雇されたサラリーマンが開業 中川隆
27. 中川隆[-7873] koaQ7Jey 2025年1月27日 15:35:27 : FcM8GrYzGI : cmNNUFdGYUZmbjI=[3]
<■67行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
韓国の平均年収350万円の虚構 200万円以下の労働者が多い
2025.01.27
https://www.thutmosev.com/archives/80309258.html

韓国は「平均値」「中央値」はそこそこだが貧困率が高い

財閥一族などが富を独占して見た目の「平均値」を上げている

20151214161427-2
画像引用:https://japanese.joins.com/upload/images/2015/12/20151214161427-2.jpg
韓国の平均年収が日本並みになった?

韓国のGDPは一人当たり3万ドルを上回り、4万ドル台だった日本は超円安で3万ドル台に下がったのでドルで計算すると韓国の方が多くなったと言っています

韓国では正式な失業率が2.8%と低いがこれは見た目を良くするために粉飾していて、低賃金や短時間労働の実質失業者が10%以上存在します

韓国の失業率は調査期間の2週間で1秒でも働いて1ウォンでも報酬を受け取ったら失業者ではなく、失業保険を受給した人だけが失業者として認められる

これだと韓国に失業者はほとんど存在しない事になるのだが、現実の韓国は不況で失業者が多く存在します

韓国の労働賃金の平均値は3475万ウォン(約349万円)だが、韓国経済研究院が調査した「全労働者」の総数は1519万人に過ぎない

韓国の労働人口は2,774万人なので、1519万人だと約55%だけの平均になります

失業者はもちろん非正規や低賃金も除外し、最低賃金以上の正社員だけを集計したと考えられている

経済研究院のデータでは韓国のすべての労働者の合計賃金は約80兆円で、発表したGDP160兆円の半分に過ぎない

これを日本と比較すると、総務省が4900万人を対象にした調査で、2017年に平均年収432万2000円でした

日本の「平均年収」432万円というのも嘘で、対象を非正規やフリーターまで広げると平均値は300万円に過ぎません

日本の労働者年収の中央値は250万円前後で最頻値(さいひんち)も同じくらいなので、250万円が日本人の本当の年収と言えます

では韓国人の「本当の年収」は一体いくらなのか、約350万円という公式な平均年収よりかなり低くなります

年収中央値は2720万ウォン(約270万円)でしたが、これは恵まれた正社員だけの平均で全体を表してはいません

韓国人の本当の年収は現代経済研究院調査で発表されていて、全韓国人労働者の中央値(中位所得)は月184万ウォンでした

月184万ウォン(約18万円)が韓国労働者の年収中央値で、25%の人が低位所得者(貧困層)で平均月47万ウォン(約4万7千円)でした

韓国の平均年収350万円は「夢の数字」
韓国の問題点は中央値より上はかなり良いのに、真ん中より下の貧困率が高いことで、中央値の半額に満たない貧困層が25%存在します

2015年の日本の所得中央値は245万円で、貧困ラインはその半分の127万5千円以下、貧困率は15.6%でした

高齢者はもっと差があり、韓国で66歳以上の貧困率は45.7%だったが、日本は19%でした

これは韓国高齢者の2人に1人近くが、年収92万円以下で生活しているのを示しています

対する日本は5人に1人近くが、年収127万5千円以下で生活している事になり、高齢者の暮らしぶりはかなり違います

さらに日本では86万世帯(90万人以上)の高齢者が生活保護を受給し、数十万人が無料や低料金の公的介護施設に入居している

韓国にはこうした制度がなく、生活保護にあたる公的生活扶助は満額支給で3万円程度です

今韓国で問題なのは大学を卒業後の就職年齢が上がっていることで、数年前で28歳でした

日本では大卒は22歳で就職するが、韓国では22歳で卒業してもそれから兵役2年(就職後でも良いが)、それから就職のために数年間浪人します

就職するために大学卒業後に専門学校や予備校に通い、何百社も面接を受けて1社に合格するのが平均28歳以降なのです

就職するまではバイトしても年収100万円くらいの極貧生活で、不況なので就職してもせいぜい年収200万円程度です

韓国の平均年収350万円は大ボラも良いところで、実際はその半分程度の人が多いし大学を卒業して就職できる30歳近くまでほとんどの人が無収入なのです

そしてある程度の企業の正社員になった人は高収入だが韓国では自営と非正規が多く、これらの人は調査対象に含めないので全体が「高収入」になる

一部の人が高収入なのは事実だが、韓国はコンビニバイトでも最低賃金が支払われる事が少なく、面接で「募集は8時間だが実際は10時間働いてもらう」などと言われるのが当たり前です
https://www.thutmosev.com/archives/80309258.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/502.html#c27

[近代史4] J・F・ケネディ-はヤラセの東西冷戦体制を終わらせようとしたのでユダヤ金融資本に殺された 中川隆
24. 中川隆[-7872] koaQ7Jey 2025年1月27日 15:43:11 : FcM8GrYzGI : cmNNUFdGYUZmbjI=[4]
<■125行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2025.01.27XML
トランプ大統領がJFK、MLK、RFK暗殺に関する記録の機密解除を命じた意味
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202501270000/

 ​ドナルド・トランプ米大統領は1月23日、ジョン・F・ケネディ大統領(JFK)、ロバート・F・ケネディ上院議員(RFK)、マーティン・ルーサー・キング牧師(MLK)の暗殺に関する記録の機密を解除するように命じる大統領令に署名した​。この大統領令は、JFKの全暗殺記録を完全公開する計画を15日以内に提示し、RFKとMLKの暗殺に関しては記録を見直した上で完全公開する計画を45日以内に提示することを求めている。

ジョン・F・ケネディ暗殺

 JFKは1963年11月22日、MLKは1968年4月4日、RFKは1968年6月6日にそれぞれ暗殺されたが、いずれもアメリカの情報機関や治安機関が関係していると言われている。JFKの場合、有力な「親米国家」も関係していると推測する人もいる。これまで記録の公開が進まなかった理由のひとつはこうしたところにあるのだろう。

 しかし、推測通りCIAやFBIを含む政府機関が暗殺に関与していたとしても最も重要な情報は口頭のみで行われ、文書にはされていない可能性が高い。それに準ずる重要な情報の書かれた文書はすでに廃棄されているだろうが、想定外の場所に文書が眠っている可能性がある。

 ケネディ大統領は大統領に就任した直後、インフレを回避するために鉄鋼会社の経営者と労働者に協力を求めた。鉄鋼価格を引き上げないという前提で賃金を据え置いて欲しいと大統領は1962年4月に提案、労働者は受け入れたのだが、業界のトップ企業だったUSスチールの会長は4月、大統領と会談した翌日に3.5%の鋼材値上げを発表すると通告、実際に値上げを発表、業界第2位のベツレヘム・スチールなども後を追うのだが、この決定に大統領は怒り、鋼材の購入先をまだ値上げを発表していないルーケンスに変更した。このやり取りでケネディ政権と鉄鋼産業の関係は険悪になっている。

 第2次世界大戦後、アメリカの軍や情報機関の好戦派はソ連に対する先制核攻撃を計画していた。これは本ブログでも繰り返し書いてきたことだが、それに対してソ連はキューバへ中距離ミサイルを持ち込む。この事実をアメリカがわは1962年8月に察知、9月には地対空ミサイル発射装置を確認した。(Jeffrey T. Richelson, "The Wizards of Langley," Westview Press, 2001)

 1962年10月19日にケネディ大統領は統合参謀本部のメンバーと会うが、その多数派はカーチス・ルメイのような好戦派。運び込まれたミサイルを空爆で破壊すべきだと主張した。空爆してもソ連は手も足も出せないはずだというのだが、ケネディ大統領はこうした好戦派の主張を拒否する。

 そして10月22日に大統領はキューバにミサイルが存在する事実をテレビで公表、海上封鎖を宣言したが、戦略空軍はDEFCON3(通常より高度な防衛準備態勢)へ引き上げ、24日には一段階上のDEFCON2にする一方、ソ連を空爆する準備をしている。

 10月27日にはルドルフ・アンダーソンが乗った偵察機U2がキューバ上空で撃墜され、シベリア上空ではチャールズ・モールツビーが乗ったU2をソ連のミグ戦闘機が迎撃していた。モールツビーは事態を司令部に報告、引き返すように命じられてアラスカへ向かう。同時にアメリカ側はF102Aを護衛のために離陸させ、ミグよりも早く米軍機がU2を発見、無事帰還できた。こうした出来事を受け、ロバート・マクナマラ国防長官はU2の飛行停止を命令したが、その後も別のU2がモールツビー少佐と同じコースを飛行している。(Richard J. Aldrich, "The Hidden Hand," John Murray, 2001)

 結局ケネディ大統領とソ連の最高指導者だったニキータ・フルシチョフはキューバ危機を外交的に解決するが、ダニエル・エルズバーグによると、その後、国防総省の内部ではクーデター的な雰囲気が広がっていたという。ちなみに、ジョン・フランケンハイマーが監督した映画「5月の7日間」はケネディ大統領自身の勧めで制作されているが、映画が完成する前にケネディは暗殺された。(Peter Dale Scott, “The American Deep State,” Rowman & Littlefield, 2015)

 ケネディ大統領はイスラエルの核兵器の開発を懸念していたことでも知られている。ダビッド・ベングリオン首相と後任のレビ・エシュコル首相に対し、半年ごとの査察を要求する手紙を送りつけ、核兵器開発疑惑が解消されない場合、アメリカ政府のイスラエル支援は危機的な状況になるという警告されていた。(John J. Mearsheimer & Stephen M. Walt, “The Israel Lobby”, Farrar, Straus And Giroux, 2007)

 その一方、ケネディ大統領はイスラエル建国のために故郷を追われて難民化したパレスチナ人の苦境に同情、住んでいた家へ戻り、隣人と平和的に暮らす意思のある難民の帰還を認めた国連決議194号の履行を支持している。(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” Random House, 1991)

 キューバ危機を外交的に解決したケネディ大統領は1963年6月にアメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行い、はソ連と平和共存する道を歩き始めると宣言した。

 アメリカが軍事力で世界に押しつける「パックス・アメリカーナ(アメリカ支配による平和)」を否定することから演説は始まり、アメリカ市民は「まず内へ目を向けて、平和の可能性に対する、ソ連に対する、冷戦の経過に対する、また米国内の自由と平和に対する、自分自身の態度を検討しはじめるべき」(長谷川潔訳『英和対訳ケネディ大統領演説集』南雲堂、2007年)だと語りかけた。

 平和は不可能であると同時に非現実的だとする考えを「危険な敗北主義的」だとケネディ大統領は批判、そうした考え方は人類の破滅という結論に続いていると訴え、「関係者すべての利益になる一連の具体的措置と有効な協定に基づく、実際的で達成可能な平和に力を注ごう」と主張する。これはケネディ以降の大統領とは正反対の考え方だ。

 また、ケネディ大統領は通貨制度へもメスを入れようとする。1913年に連邦準備法が制定されて以来、アメリカでは通貨政策を民間の銀行が支配、連邦準備制度に加盟する市中銀行の出資する連邦準備銀行が紙幣も発行していた。第2次世界大戦後にドルが世界の基軸通貨になったことから米英の巨大金融資本が世界の金融に大きな影響力を及ぼすことになった。

 この仕組みが財政問題の根本にあると考えたケネディ大統領は1963年6月にEO11110と呼ばれている大統領令を出し、連邦準備制度の枠外で銀兌換紙幣を発行するように命令するが、1963年11月22日に大統領は暗殺され、この命令は取り消されてしまう。市中に流通していた紙幣は回収された。

マーチン・ルーサー・キング牧師暗殺

 公民権運動の指導者として知られるマーチン・ルーサー・キング牧師は1967年4月4日、ニューヨークのリバーサイド教会で開かれた「ベトナムを憂慮する牧師と信徒」主催の集まりに参加した。主催者の発表した声明の冒頭部分に書かれていた「沈黙が背信である時が来ている」という主張にキング牧師は賛成、「なぜ私はベトナムにおける戦争に反対するのか」というタイトルで演説している。

 ところがロン・ポール元下院議員によると、キング牧師の顧問たちは牧師に対し、ベトナム戦争に焦点を当てないよう懇願していたという。そうした発言はリンドン・ジョンソン大統領との関係を悪化させると判断したからだが、牧師はそうしたアドバイスを無視、「リベラル派」とされる人々と対立することになる。キング牧師が暗殺されたのはリバーサイド教会での説教から1年後の1968年4月4日のことだ。ダニエル・エルズバーグは宣誓供述書の中で、キング牧師を暗殺したのは非番、あるいは引退したFBI捜査官で編成されたJ・エドガー・フーバー長官直属のグループだと聞いたとしている。(William F. Pepper, “The Plot to Kill King,” Skyhorse, 2016)

ロバート・ケネディ暗殺

 キング牧師暗殺から2カ月後の1968年6月6日、その年に予定されていた大統領選挙で最有力候補だったロバート・ケネディ上院議員が暗殺された。検死をしたトーマス・ノグチによると、議員には3発の銃弾が命中、致命傷は右耳後方のもので、銃口は1インチ(2.5センチメートル)以内の距離にあり、残りの2発は議員の右脇に命中していたのだが、逮捕されたのは議員の60センチメートル以上前を歩いていたサーハン・サーハンだった。しかも命中した銃弾はサーハンのピストルから発射されたものでもなかった。

 JFK、MLK、RFK、いずれの暗殺とも公式見解に説得力はなく、事実に基づく非公式の調査が続けられてきた。そうした事実に基づく調査を封印するため、JFK暗殺の直後から唱えられ始めた呪文が「陰謀論」である。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202501270000/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1102.html#c24

[近代史3] ケネディはヤラセの東西冷戦体制を終わらせようとしたのでユダヤ金融資本に殺された 中川隆
26. 中川隆[-7871] koaQ7Jey 2025年1月27日 15:43:29 : FcM8GrYzGI : cmNNUFdGYUZmbjI=[5]
<■125行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2025.01.27XML
トランプ大統領がJFK、MLK、RFK暗殺に関する記録の機密解除を命じた意味
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202501270000/

 ​ドナルド・トランプ米大統領は1月23日、ジョン・F・ケネディ大統領(JFK)、ロバート・F・ケネディ上院議員(RFK)、マーティン・ルーサー・キング牧師(MLK)の暗殺に関する記録の機密を解除するように命じる大統領令に署名した​。この大統領令は、JFKの全暗殺記録を完全公開する計画を15日以内に提示し、RFKとMLKの暗殺に関しては記録を見直した上で完全公開する計画を45日以内に提示することを求めている。

ジョン・F・ケネディ暗殺

 JFKは1963年11月22日、MLKは1968年4月4日、RFKは1968年6月6日にそれぞれ暗殺されたが、いずれもアメリカの情報機関や治安機関が関係していると言われている。JFKの場合、有力な「親米国家」も関係していると推測する人もいる。これまで記録の公開が進まなかった理由のひとつはこうしたところにあるのだろう。

 しかし、推測通りCIAやFBIを含む政府機関が暗殺に関与していたとしても最も重要な情報は口頭のみで行われ、文書にはされていない可能性が高い。それに準ずる重要な情報の書かれた文書はすでに廃棄されているだろうが、想定外の場所に文書が眠っている可能性がある。

 ケネディ大統領は大統領に就任した直後、インフレを回避するために鉄鋼会社の経営者と労働者に協力を求めた。鉄鋼価格を引き上げないという前提で賃金を据え置いて欲しいと大統領は1962年4月に提案、労働者は受け入れたのだが、業界のトップ企業だったUSスチールの会長は4月、大統領と会談した翌日に3.5%の鋼材値上げを発表すると通告、実際に値上げを発表、業界第2位のベツレヘム・スチールなども後を追うのだが、この決定に大統領は怒り、鋼材の購入先をまだ値上げを発表していないルーケンスに変更した。このやり取りでケネディ政権と鉄鋼産業の関係は険悪になっている。

 第2次世界大戦後、アメリカの軍や情報機関の好戦派はソ連に対する先制核攻撃を計画していた。これは本ブログでも繰り返し書いてきたことだが、それに対してソ連はキューバへ中距離ミサイルを持ち込む。この事実をアメリカがわは1962年8月に察知、9月には地対空ミサイル発射装置を確認した。(Jeffrey T. Richelson, "The Wizards of Langley," Westview Press, 2001)

 1962年10月19日にケネディ大統領は統合参謀本部のメンバーと会うが、その多数派はカーチス・ルメイのような好戦派。運び込まれたミサイルを空爆で破壊すべきだと主張した。空爆してもソ連は手も足も出せないはずだというのだが、ケネディ大統領はこうした好戦派の主張を拒否する。

 そして10月22日に大統領はキューバにミサイルが存在する事実をテレビで公表、海上封鎖を宣言したが、戦略空軍はDEFCON3(通常より高度な防衛準備態勢)へ引き上げ、24日には一段階上のDEFCON2にする一方、ソ連を空爆する準備をしている。

 10月27日にはルドルフ・アンダーソンが乗った偵察機U2がキューバ上空で撃墜され、シベリア上空ではチャールズ・モールツビーが乗ったU2をソ連のミグ戦闘機が迎撃していた。モールツビーは事態を司令部に報告、引き返すように命じられてアラスカへ向かう。同時にアメリカ側はF102Aを護衛のために離陸させ、ミグよりも早く米軍機がU2を発見、無事帰還できた。こうした出来事を受け、ロバート・マクナマラ国防長官はU2の飛行停止を命令したが、その後も別のU2がモールツビー少佐と同じコースを飛行している。(Richard J. Aldrich, "The Hidden Hand," John Murray, 2001)

 結局ケネディ大統領とソ連の最高指導者だったニキータ・フルシチョフはキューバ危機を外交的に解決するが、ダニエル・エルズバーグによると、その後、国防総省の内部ではクーデター的な雰囲気が広がっていたという。ちなみに、ジョン・フランケンハイマーが監督した映画「5月の7日間」はケネディ大統領自身の勧めで制作されているが、映画が完成する前にケネディは暗殺された。(Peter Dale Scott, “The American Deep State,” Rowman & Littlefield, 2015)

 ケネディ大統領はイスラエルの核兵器の開発を懸念していたことでも知られている。ダビッド・ベングリオン首相と後任のレビ・エシュコル首相に対し、半年ごとの査察を要求する手紙を送りつけ、核兵器開発疑惑が解消されない場合、アメリカ政府のイスラエル支援は危機的な状況になるという警告されていた。(John J. Mearsheimer & Stephen M. Walt, “The Israel Lobby”, Farrar, Straus And Giroux, 2007)

 その一方、ケネディ大統領はイスラエル建国のために故郷を追われて難民化したパレスチナ人の苦境に同情、住んでいた家へ戻り、隣人と平和的に暮らす意思のある難民の帰還を認めた国連決議194号の履行を支持している。(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” Random House, 1991)

 キューバ危機を外交的に解決したケネディ大統領は1963年6月にアメリカン大学の卒業式で「平和の戦略」と呼ばれる演説を行い、はソ連と平和共存する道を歩き始めると宣言した。

 アメリカが軍事力で世界に押しつける「パックス・アメリカーナ(アメリカ支配による平和)」を否定することから演説は始まり、アメリカ市民は「まず内へ目を向けて、平和の可能性に対する、ソ連に対する、冷戦の経過に対する、また米国内の自由と平和に対する、自分自身の態度を検討しはじめるべき」(長谷川潔訳『英和対訳ケネディ大統領演説集』南雲堂、2007年)だと語りかけた。

 平和は不可能であると同時に非現実的だとする考えを「危険な敗北主義的」だとケネディ大統領は批判、そうした考え方は人類の破滅という結論に続いていると訴え、「関係者すべての利益になる一連の具体的措置と有効な協定に基づく、実際的で達成可能な平和に力を注ごう」と主張する。これはケネディ以降の大統領とは正反対の考え方だ。

 また、ケネディ大統領は通貨制度へもメスを入れようとする。1913年に連邦準備法が制定されて以来、アメリカでは通貨政策を民間の銀行が支配、連邦準備制度に加盟する市中銀行の出資する連邦準備銀行が紙幣も発行していた。第2次世界大戦後にドルが世界の基軸通貨になったことから米英の巨大金融資本が世界の金融に大きな影響力を及ぼすことになった。

 この仕組みが財政問題の根本にあると考えたケネディ大統領は1963年6月にEO11110と呼ばれている大統領令を出し、連邦準備制度の枠外で銀兌換紙幣を発行するように命令するが、1963年11月22日に大統領は暗殺され、この命令は取り消されてしまう。市中に流通していた紙幣は回収された。

マーチン・ルーサー・キング牧師暗殺

 公民権運動の指導者として知られるマーチン・ルーサー・キング牧師は1967年4月4日、ニューヨークのリバーサイド教会で開かれた「ベトナムを憂慮する牧師と信徒」主催の集まりに参加した。主催者の発表した声明の冒頭部分に書かれていた「沈黙が背信である時が来ている」という主張にキング牧師は賛成、「なぜ私はベトナムにおける戦争に反対するのか」というタイトルで演説している。

 ところがロン・ポール元下院議員によると、キング牧師の顧問たちは牧師に対し、ベトナム戦争に焦点を当てないよう懇願していたという。そうした発言はリンドン・ジョンソン大統領との関係を悪化させると判断したからだが、牧師はそうしたアドバイスを無視、「リベラル派」とされる人々と対立することになる。キング牧師が暗殺されたのはリバーサイド教会での説教から1年後の1968年4月4日のことだ。ダニエル・エルズバーグは宣誓供述書の中で、キング牧師を暗殺したのは非番、あるいは引退したFBI捜査官で編成されたJ・エドガー・フーバー長官直属のグループだと聞いたとしている。(William F. Pepper, “The Plot to Kill King,” Skyhorse, 2016)

ロバート・ケネディ暗殺

 キング牧師暗殺から2カ月後の1968年6月6日、その年に予定されていた大統領選挙で最有力候補だったロバート・ケネディ上院議員が暗殺された。検死をしたトーマス・ノグチによると、議員には3発の銃弾が命中、致命傷は右耳後方のもので、銃口は1インチ(2.5センチメートル)以内の距離にあり、残りの2発は議員の右脇に命中していたのだが、逮捕されたのは議員の60センチメートル以上前を歩いていたサーハン・サーハンだった。しかも命中した銃弾はサーハンのピストルから発射されたものでもなかった。

 JFK、MLK、RFK、いずれの暗殺とも公式見解に説得力はなく、事実に基づく非公式の調査が続けられてきた。そうした事実に基づく調査を封印するため、JFK暗殺の直後から唱えられ始めた呪文が「陰謀論」である。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202501270000/
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/126.html#c26

[近代史4]
25. 中川隆[-7870] koaQ7Jey 2025年1月27日 23:42:12 : FcM8GrYzGI : cmNNUFdGYUZmbjI=[6]
<■163行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2025年01月27日
JFK暗殺の闇は深かった / 機密文書の開示と真相究明
https://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68983438.html

科学捜査の基本と証拠の保管

JFK 7244LBJ oath

  第二次トランプ政権が発足し、懸案事項だったJFK暗殺に関する極秘ファイルの公開が行われるようになった。しかし、開示された文書で事件の全貌が明らかになるのかどうかは、今のところ判らない。ただ、JFK暗殺の捜査には驚くような“欠陥”や“手抜き”、そして巧妙な“隠蔽”があった。

  殺人事件において、物的証拠の収集や調査、そして証拠物件の保存は重要である。交番勤務の新米警官でも捜査の基本は弁えているものだ。ところが、米軍の最高司令官が殺害された時の捜査は違っていた。唖然としてしまうが、重要な証拠保全が“いい加減”であったのだ。これでは、アメリカ人じゃなくても驚く。

Cyril Wecht 11( 左 / シリル・ウェクト博士 )
  死体解剖は殺人捜査の初歩。特に、銃による殺人事件なら、現場の保全や兇器の特定、摘出された弾丸の鑑定、弾道の検査、遺体の検死、指紋採取やDNA型鑑定など“科学捜査”で犯人を突き止めなければならない。こうした“常識”を知っている者なら、法理病理学者(forensic pathologist)のシリル・ウェクト博士(Dr. Cyril Wecht)が語る驚愕の体験記に注目するはずだ。

  ウェクト博士は米国科学捜査アカデミー(American Academy of Forensic Sciences)の総裁や米国法医学カレッジ(American College of Legal Medicine)の学長を務めた人物だ。彼はまた、ピッツバーグ大学やデュクエシン大学の教授も務めた学者である。ウェクト氏はベストセラーになった『ベスト・エビデンス(Best Evidence : Disguise and Deception in the Assassination of John F. Kennedy』の著者、デイヴィッド・リフトン(David Lifton)の友人でもあったからJFK暗殺の資料を閲覧する際、リフトン氏に強力を求めたそうだ。

John Kingsley Lattimer 2(左 / ジョン・キングズリー・ラティマー)
  そこで、相談を受けたリフトンは、「ニューヨーク・タイムズ」紙で法律知識を有する記者のフレッド・グラハム(Fred Graham)を紹介した。このグラハム氏がJFKの検死に立ち会ったジョン・キングズリー・ラティマー(John Kingsley Lattimer)軍医に渡りをつけたそうで、ラティマー氏は陸軍に属する医者であった。しかし、彼はコロンビア大学にある泌尿器科の学部長を務めていた人物だ。殺人事件の被害者を調べる検死官じゃない。ラティマー氏の患者には有名人が多く、FBI長官のエドガー・フーバー(J.Edgar Hoover)や大空の英雄チャールズ・リンドバーグ、女優のキャサリン・ヘップバーンやグレタ・ガルボ、ニュルンベルク裁判に掛けられたナチスの高官などがいたが、銃器で殺された死体を調べることは専門外である。

  ただし、ラティマー軍医はJFKファイルを目にしてオズワルドによる狙撃や弾道を調べたそうだ。というのも、彼は古い武器や歴史的アンティークを集めるのが趣味のコレクターであったから、独立戦争や南北戦争で使われた銃器に詳しかった。それで、泌尿科の医者であるにもかかわらず、ラティマー氏は1980年に『Lincoln and Kennedy: Medical and Ballistic Comparisons of Their Assassinations』という著書を出版した。ところが、ラティマー氏の結論はウォーレン委員会の「オズワルド単独犯説」と同じで、ウォーレン判事らの推測を裏付けるものでしかなかった。日本人でも驚いてしまうが、独立した法医学の専門家で、初めてJFKの資料を調べたのはウェクト博士であったのだ。

  ウェクト博士はJFKアーカイヴ資料を管理するマリオン・ジョンソン(Marion Johnson)氏を訪ねることにした。謎解きに魅せられた博士は、アーカイヴに保存された資料や証拠物件のリストを見せてもらったそうだ。彼は有名なザプルーダー・フィルムや遺体のレントゲン写真、検死の報告書などを検証したが、思いがけない“衝撃”も受けていた。例えば、彼はケネディー大統領とジョン・コナリー(John Bowden Connally,Jr.)州知事が来ていた服を調べたが、それらはドライ・クリーニングされ、アイロンをかけられていたのだ。(Cyril H. Wecht and Dawn Kaufmann, The JFK Assassination, Jefferson, NC : Exposit, 2022, p.204.)これらの服は捜査上の重要な証拠物件なのに、そのまま保存されず、証拠能力を“汚染”するような“洗濯”にかけられていたんだから、呆れるほどの暴挙である。「証拠隠滅」とか「捜査妨害」と判断されてもおかしくはない。

James Humes & Thornton Boswell 2( 左 / ジェイムズ・ヒュームズとソーントン・ボスウェル )
  遺体の検死報告書にも“いかがわしい点”が多く、銃弾の貫通箇所にも“小細工”があった。大統領の遺体がベセスダ(Bethesda)の海軍医療センターに運ばれた時、それを検案したのは、海軍医療部隊のジェイムズ・ヒュームズ(James J. Humes)中佐と海軍メディカル・スクーの法医学者であったソーントン・ボスウェル(J. Thornton Boswell)中佐であった。二人とも実際に銃撃された死体を解剖したことはなく、彼らは遺体から摘出されたサンプルを検査するのが専門(通常の仕事)であったという。

  ウォーレン委員会のメンバーは、JFKの背中に空いた穴、つまり後ろの首元から5・3/4インチ下にある弾痕の位置は“まずい”とヒュームズ中佐に文句をつけたそうだ。そこで、ヒュームズ氏は自分と仲間の方が間違っていたと反省し、4インチ上げて弾道に合うよう穴の位置を修正したという。ヒュームズ氏によれば、当日の夜に行われた検死よりも、六ヶ月後に思い出した記憶や再吟味の方が正しいそうである。こんな再検証は馬鹿らしいけど、この修正を承認したのは、委員会のメンバーで後に大統領になるジェラルド・フォードであった。

  さらに“おかしい”のは、「魔法の弾丸(magic bullet)」と呼ばれる証拠品「No.399」の形状である。この弾丸は綿のクッションに包まれ、小さな箱に収められていた。しかし、とても人間の筋肉や骨、そして服の素材を貫通したとは思えぬほど綺麗な状態を保っていた。この弾丸はオリヴァー・ストーン監督のヒット作『JFK』でも紹介されているが、オズワルドのライフルから発射された兇弾は、ケネディー大統領の背中と胸部を突き抜けた後、コナリー知事に当たって彼の胸や手首を突き破り、太股の部分にめり込んでいたのだ。常識で考えれば、こんな弾道はSF漫画の空想である。たとえ、本当だとしても、四カ所も通過すれば、弾丸は原型を留めない。おそらく、滅茶苦茶な形になるはずだ。ところが、この奇蹟の弾丸は、全体の1.5%しか失っていないというのだ。すなわち、発射される前には161グレイン*(約10.44g)の重さで、遺体から摘出された時には158.6グレイン(約10.29g)であったという。(上掲書、p.205) *註/ ここでは「1グレイン(grain)」を「約0.0648グラム」として計算した。

JFK stretcher bulletsLee H Oswald 545
(左端が「魔法の弾丸」/ 右端が検証実験で使われた潰れた弾丸 / 右 : カルカノ・ライフルを持ったリー・H・オズワルド )

  一応、連邦政府は検証実験をしたそうで、リー・ハーヴェイ・オズワルドが使用したイタリア製のボルト・アクション式ライフル銃「マンリカ・カルカーノ・ライフル(Mannlicher-Carcano rifle)」を用いて、陸軍のエッジウッド兵器廠で再発射実験を行ったそうだ。担当者が撃ったのは、綿を詰めた標的と山羊の死体、そして人間の死体から取り出した手首の骨である。射撃実験の結果は予想通り。障碍物を貫通した弾丸は、「魔法の銃弾」とは全く違い、かなり変形して損傷していたそうだ。

  これだけでも驚くのに、JFK暗殺の証拠リストには重大な瑕疵(かし)があった。何と、大統領の頭蓋骨から取り出した脳味噌が“紛失”していたのだ。アメリカ人じゃなくても「えぇっっ〜! うそぉ〜! 信じられない!!」と絶叫してしまうが、これは本当の話である。1966年11月22日に行われた検死の後、大統領の頭から抜き取られた脳味噌は、ステンレス製のバケツに収納され、ベセスダ海軍メディカルセンターにあるジョージ・ギャロウェイ(George B. Galloway)提督のクローゼットに保管されたという。12月2日に脳味噌の写真が撮影され、重量1,500gと記録されている。12月6日、JFKの主治医であったジョージ・G・バックリー(George G. Buckley, Jr.)提督が、検死の品々を記したリストに署名していた。

JFK autopsy 2JFK skull picture 1JFK autopsy 11
(左と中央 : 検死の写真と銃弾で吹き飛ばされた頭蓋骨 / 右 : JFKの背中にある弾痕)

  バックリー提督やシークレット・サーヴィスのロバート・ボウク(Robert I. Bouck)特別捜査官、トマス・ケリー(Thomas J. Kelley)監査官らが、証拠品のリストを確認していたし、翌年には司法長官のラムゼー・クラーク(Ramsey Clark)もレントゲン写真や検死に関する品々を確認していた。司法解剖の資料や証拠物件は、後にケネディー大統領の私設秘書であるエヴリン・リンカン(Evelyn Lincoln)に託され、彼女が保管の責任者となっていたが、重要な物的証拠である脳味噌が“いつの間にか”無くなっていたのである。

Ramsey Clark 1Evelyn Lincoln 1George Burkley 213Angella Novello
(左 : ラムゼー・クラーク / エヴリン・リンカン / ジョージ・G・バックリー / 右 : RFKとアンジー・ノヴェロ)

  もっとも、リンカンはバックリー提督から渡された証拠の箱を開けたことがなく、ロバート・ケネディーの私設秘書であるアンジー・ノヴェロ(Angie Novello)に渡していたのだ。脳味噌を含めた証拠品は、何人かの手に渡っていたので、「何処で、誰が、何時」この物的証拠を盗んだのか判らない。ただ、考えられるのは、「致命傷となった銃弾何処から飛んできたのか、その方角を知られたくない人物が、この窃盗事件の首謀者なんじゃないか?」という点である。

  脳味噌の紛失は深刻な問題だが、暗殺事件から月日が経つと誰も気にしなくなったようだ。本来なら、マスコミが大騒ぎして一大事件になるはずなんだが、なぜか曖昧なまま無視され闇に葬られている。たぶん、暗殺を計画した闇組織が、政府に送り込んだ“モグラ”に命じて証拠品を盗ませたのだろう。JFKを殺した連中が誰なのか判らない。だが、もしかするとドナルド・トランプの失脚や暗殺を目論んだFBIやCIA、あるいはウォール街の闇組織と同じ類いで、ペンタゴンやシークレット・サーヴィスなどに子飼いの手下や協力者を潜伏させている可能性もある。

機密ファイルの公開に反対したJFKの孫

  ジョン・F・ケネディー大統領の甥で、暗殺されたロバート・ケネディー元司法長官の息子であるロバート・F・ケネディー・ジュニア(Robert F. Kennedy, Jr.)は、トランプと組む前から、秘密ファイルの解除を熱心に求めていた。そして、トランプが再選されたことで念願の情報公開が実行された訳だが、これで事件解明となるのかは不確かだ。

  しかし、被害者の親族であるケネディー家に内紛が起こっていたのだから驚く。JFKの孫で、元駐日アメリカ大使にもなったキャロライン・ケネディーには息子がいて、ジャック・シュロスバーグ(John Bouvier Kennedy Schlossberg)というジャーナリスト的作家だ。彼は機密文書の公開に不満なようである。というのも、共和党のドナルド・トランプが自分の利益にするため、祖父の事件を利用したからだ。ジャックは自身の「X」で「真実は神話より、もっと哀しいものである」と呟き、トランプのしたことはちっとも英雄的行為じゃない、と斬り捨てていた。(Lauren Irwin , Jack Schlossberg says ‘nothing heroic’ about Trump JFK declassification
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1102.html#c25

[近代史3]
27. 中川隆[-7869] koaQ7Jey 2025年1月27日 23:42:37 : FcM8GrYzGI : cmNNUFdGYUZmbjI=[7]
<■163行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2025年01月27日
JFK暗殺の闇は深かった / 機密文書の開示と真相究明
https://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68983438.html

科学捜査の基本と証拠の保管

JFK 7244LBJ oath

  第二次トランプ政権が発足し、懸案事項だったJFK暗殺に関する極秘ファイルの公開が行われるようになった。しかし、開示された文書で事件の全貌が明らかになるのかどうかは、今のところ判らない。ただ、JFK暗殺の捜査には驚くような“欠陥”や“手抜き”、そして巧妙な“隠蔽”があった。

  殺人事件において、物的証拠の収集や調査、そして証拠物件の保存は重要である。交番勤務の新米警官でも捜査の基本は弁えているものだ。ところが、米軍の最高司令官が殺害された時の捜査は違っていた。唖然としてしまうが、重要な証拠保全が“いい加減”であったのだ。これでは、アメリカ人じゃなくても驚く。

Cyril Wecht 11( 左 / シリル・ウェクト博士 )
  死体解剖は殺人捜査の初歩。特に、銃による殺人事件なら、現場の保全や兇器の特定、摘出された弾丸の鑑定、弾道の検査、遺体の検死、指紋採取やDNA型鑑定など“科学捜査”で犯人を突き止めなければならない。こうした“常識”を知っている者なら、法理病理学者(forensic pathologist)のシリル・ウェクト博士(Dr. Cyril Wecht)が語る驚愕の体験記に注目するはずだ。

  ウェクト博士は米国科学捜査アカデミー(American Academy of Forensic Sciences)の総裁や米国法医学カレッジ(American College of Legal Medicine)の学長を務めた人物だ。彼はまた、ピッツバーグ大学やデュクエシン大学の教授も務めた学者である。ウェクト氏はベストセラーになった『ベスト・エビデンス(Best Evidence : Disguise and Deception in the Assassination of John F. Kennedy』の著者、デイヴィッド・リフトン(David Lifton)の友人でもあったからJFK暗殺の資料を閲覧する際、リフトン氏に強力を求めたそうだ。

John Kingsley Lattimer 2(左 / ジョン・キングズリー・ラティマー)
  そこで、相談を受けたリフトンは、「ニューヨーク・タイムズ」紙で法律知識を有する記者のフレッド・グラハム(Fred Graham)を紹介した。このグラハム氏がJFKの検死に立ち会ったジョン・キングズリー・ラティマー(John Kingsley Lattimer)軍医に渡りをつけたそうで、ラティマー氏は陸軍に属する医者であった。しかし、彼はコロンビア大学にある泌尿器科の学部長を務めていた人物だ。殺人事件の被害者を調べる検死官じゃない。ラティマー氏の患者には有名人が多く、FBI長官のエドガー・フーバー(J.Edgar Hoover)や大空の英雄チャールズ・リンドバーグ、女優のキャサリン・ヘップバーンやグレタ・ガルボ、ニュルンベルク裁判に掛けられたナチスの高官などがいたが、銃器で殺された死体を調べることは専門外である。

  ただし、ラティマー軍医はJFKファイルを目にしてオズワルドによる狙撃や弾道を調べたそうだ。というのも、彼は古い武器や歴史的アンティークを集めるのが趣味のコレクターであったから、独立戦争や南北戦争で使われた銃器に詳しかった。それで、泌尿科の医者であるにもかかわらず、ラティマー氏は1980年に『Lincoln and Kennedy: Medical and Ballistic Comparisons of Their Assassinations』という著書を出版した。ところが、ラティマー氏の結論はウォーレン委員会の「オズワルド単独犯説」と同じで、ウォーレン判事らの推測を裏付けるものでしかなかった。日本人でも驚いてしまうが、独立した法医学の専門家で、初めてJFKの資料を調べたのはウェクト博士であったのだ。

  ウェクト博士はJFKアーカイヴ資料を管理するマリオン・ジョンソン(Marion Johnson)氏を訪ねることにした。謎解きに魅せられた博士は、アーカイヴに保存された資料や証拠物件のリストを見せてもらったそうだ。彼は有名なザプルーダー・フィルムや遺体のレントゲン写真、検死の報告書などを検証したが、思いがけない“衝撃”も受けていた。例えば、彼はケネディー大統領とジョン・コナリー(John Bowden Connally,Jr.)州知事が来ていた服を調べたが、それらはドライ・クリーニングされ、アイロンをかけられていたのだ。(Cyril H. Wecht and Dawn Kaufmann, The JFK Assassination, Jefferson, NC : Exposit, 2022, p.204.)これらの服は捜査上の重要な証拠物件なのに、そのまま保存されず、証拠能力を“汚染”するような“洗濯”にかけられていたんだから、呆れるほどの暴挙である。「証拠隠滅」とか「捜査妨害」と判断されてもおかしくはない。

James Humes & Thornton Boswell 2( 左 / ジェイムズ・ヒュームズとソーントン・ボスウェル )
  遺体の検死報告書にも“いかがわしい点”が多く、銃弾の貫通箇所にも“小細工”があった。大統領の遺体がベセスダ(Bethesda)の海軍医療センターに運ばれた時、それを検案したのは、海軍医療部隊のジェイムズ・ヒュームズ(James J. Humes)中佐と海軍メディカル・スクーの法医学者であったソーントン・ボスウェル(J. Thornton Boswell)中佐であった。二人とも実際に銃撃された死体を解剖したことはなく、彼らは遺体から摘出されたサンプルを検査するのが専門(通常の仕事)であったという。

  ウォーレン委員会のメンバーは、JFKの背中に空いた穴、つまり後ろの首元から5・3/4インチ下にある弾痕の位置は“まずい”とヒュームズ中佐に文句をつけたそうだ。そこで、ヒュームズ氏は自分と仲間の方が間違っていたと反省し、4インチ上げて弾道に合うよう穴の位置を修正したという。ヒュームズ氏によれば、当日の夜に行われた検死よりも、六ヶ月後に思い出した記憶や再吟味の方が正しいそうである。こんな再検証は馬鹿らしいけど、この修正を承認したのは、委員会のメンバーで後に大統領になるジェラルド・フォードであった。

  さらに“おかしい”のは、「魔法の弾丸(magic bullet)」と呼ばれる証拠品「No.399」の形状である。この弾丸は綿のクッションに包まれ、小さな箱に収められていた。しかし、とても人間の筋肉や骨、そして服の素材を貫通したとは思えぬほど綺麗な状態を保っていた。この弾丸はオリヴァー・ストーン監督のヒット作『JFK』でも紹介されているが、オズワルドのライフルから発射された兇弾は、ケネディー大統領の背中と胸部を突き抜けた後、コナリー知事に当たって彼の胸や手首を突き破り、太股の部分にめり込んでいたのだ。常識で考えれば、こんな弾道はSF漫画の空想である。たとえ、本当だとしても、四カ所も通過すれば、弾丸は原型を留めない。おそらく、滅茶苦茶な形になるはずだ。ところが、この奇蹟の弾丸は、全体の1.5%しか失っていないというのだ。すなわち、発射される前には161グレイン*(約10.44g)の重さで、遺体から摘出された時には158.6グレイン(約10.29g)であったという。(上掲書、p.205) *註/ ここでは「1グレイン(grain)」を「約0.0648グラム」として計算した。

JFK stretcher bulletsLee H Oswald 545
(左端が「魔法の弾丸」/ 右端が検証実験で使われた潰れた弾丸 / 右 : カルカノ・ライフルを持ったリー・H・オズワルド )

  一応、連邦政府は検証実験をしたそうで、リー・ハーヴェイ・オズワルドが使用したイタリア製のボルト・アクション式ライフル銃「マンリカ・カルカーノ・ライフル(Mannlicher-Carcano rifle)」を用いて、陸軍のエッジウッド兵器廠で再発射実験を行ったそうだ。担当者が撃ったのは、綿を詰めた標的と山羊の死体、そして人間の死体から取り出した手首の骨である。射撃実験の結果は予想通り。障碍物を貫通した弾丸は、「魔法の銃弾」とは全く違い、かなり変形して損傷していたそうだ。

  これだけでも驚くのに、JFK暗殺の証拠リストには重大な瑕疵(かし)があった。何と、大統領の頭蓋骨から取り出した脳味噌が“紛失”していたのだ。アメリカ人じゃなくても「えぇっっ〜! うそぉ〜! 信じられない!!」と絶叫してしまうが、これは本当の話である。1966年11月22日に行われた検死の後、大統領の頭から抜き取られた脳味噌は、ステンレス製のバケツに収納され、ベセスダ海軍メディカルセンターにあるジョージ・ギャロウェイ(George B. Galloway)提督のクローゼットに保管されたという。12月2日に脳味噌の写真が撮影され、重量1,500gと記録されている。12月6日、JFKの主治医であったジョージ・G・バックリー(George G. Buckley, Jr.)提督が、検死の品々を記したリストに署名していた。

JFK autopsy 2JFK skull picture 1JFK autopsy 11
(左と中央 : 検死の写真と銃弾で吹き飛ばされた頭蓋骨 / 右 : JFKの背中にある弾痕)

  バックリー提督やシークレット・サーヴィスのロバート・ボウク(Robert I. Bouck)特別捜査官、トマス・ケリー(Thomas J. Kelley)監査官らが、証拠品のリストを確認していたし、翌年には司法長官のラムゼー・クラーク(Ramsey Clark)もレントゲン写真や検死に関する品々を確認していた。司法解剖の資料や証拠物件は、後にケネディー大統領の私設秘書であるエヴリン・リンカン(Evelyn Lincoln)に託され、彼女が保管の責任者となっていたが、重要な物的証拠である脳味噌が“いつの間にか”無くなっていたのである。

Ramsey Clark 1Evelyn Lincoln 1George Burkley 213Angella Novello
(左 : ラムゼー・クラーク / エヴリン・リンカン / ジョージ・G・バックリー / 右 : RFKとアンジー・ノヴェロ)

  もっとも、リンカンはバックリー提督から渡された証拠の箱を開けたことがなく、ロバート・ケネディーの私設秘書であるアンジー・ノヴェロ(Angie Novello)に渡していたのだ。脳味噌を含めた証拠品は、何人かの手に渡っていたので、「何処で、誰が、何時」この物的証拠を盗んだのか判らない。ただ、考えられるのは、「致命傷となった銃弾何処から飛んできたのか、その方角を知られたくない人物が、この窃盗事件の首謀者なんじゃないか?」という点である。

  脳味噌の紛失は深刻な問題だが、暗殺事件から月日が経つと誰も気にしなくなったようだ。本来なら、マスコミが大騒ぎして一大事件になるはずなんだが、なぜか曖昧なまま無視され闇に葬られている。たぶん、暗殺を計画した闇組織が、政府に送り込んだ“モグラ”に命じて証拠品を盗ませたのだろう。JFKを殺した連中が誰なのか判らない。だが、もしかするとドナルド・トランプの失脚や暗殺を目論んだFBIやCIA、あるいはウォール街の闇組織と同じ類いで、ペンタゴンやシークレット・サーヴィスなどに子飼いの手下や協力者を潜伏させている可能性もある。

機密ファイルの公開に反対したJFKの孫

  ジョン・F・ケネディー大統領の甥で、暗殺されたロバート・ケネディー元司法長官の息子であるロバート・F・ケネディー・ジュニア(Robert F. Kennedy, Jr.)は、トランプと組む前から、秘密ファイルの解除を熱心に求めていた。そして、トランプが再選されたことで念願の情報公開が実行された訳だが、これで事件解明となるのかは不確かだ。

  しかし、被害者の親族であるケネディー家に内紛が起こっていたのだから驚く。JFKの孫で、元駐日アメリカ大使にもなったキャロライン・ケネディーには息子がいて、ジャック・シュロスバーグ(John Bouvier Kennedy Schlossberg)というジャーナリスト的作家だ。彼は機密文書の公開に不満なようである。というのも、共和党のドナルド・トランプが自分の利益にするため、祖父の事件を利用したからだ。ジャックは自身の「X」で「真実は神話より、もっと哀しいものである」と呟き、トランプのしたことはちっとも英雄的行為じゃない、と斬り捨てていた。(Lauren Irwin , Jack Schlossberg says ‘nothing heroic’ about Trump JFK declassification
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/126.html#c27

   

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > cmNNUFdGYUZmbjI= > 100000  g検索 cmNNUFdGYUZmbjI=

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。