10. 2021年7月27日 13:37:05 : xEtuBknubU : cGtuY1RsTG1HMmM=[1]
バーガミニによれば、昭和天皇裕仁は、1945年8月の2、3か月前に、原爆計画を奨励したことになっている。
> Until a few months previously, he had patronized Japan’s own atomic research effort.
しかし原爆計画にゴーサインを出したのは、もっと早い時期であったと考えられる。
生物兵器に、早くから注目して、研究開発を、強力に推進していた、マニアックな戦争○鹿であった裕仁は、原爆の威力にも、早くから注目していたに違いない。
それが証拠に、8月6日に、広島で起きた、破壊的な爆発の、真相を究明しようと、陸軍参謀本部が、きゅうきゅうとしているときに、(バーガミニは、海軍の情報分析と東大の報告書からと言うが、)裕仁は、それが原爆であり、死傷者が13万人に及ぶことを知っていた。
> While the generals waited, Emperor Hirohito and his advisor Lord Privy Seal Kido already knew the answers, When they met in the Imperial Library that afternoon, both had seen Naval Intelligence analyses and reports from physicists at Tokyo Imperial University. ・・・・It had been an atomic bomb. Emperor Hirohito had received remarkably accurate statistics as to the Casualties: “130,000 killed and wounded.”
さて、日本の原爆計画の重要な拠点は、チッソの前身である日本窒素が、朝鮮半島に展開した、大規模な水力発電と工場群であった。
ウィルコックスは、著者「秘密戦争」において、日本が原爆を完成していたことを、強く示唆している。
戦後、米国で公開された公文書には、広島が、日本の原爆計画の拠点に一つであったことを示す情報がある。
当方は、様々な証拠から、広島、長崎の原爆は、地上起爆であったと考えているが、そうならば、何故、そのようなことが行われたかの解明が急務になる。(仁科博士が、原爆に対して抱いた、大きな苦悩とは、何であるのか?)
http://www.asyura2.com/21/senkyo282/msg/239.html#c10