55. 2019年8月13日 21:27:27 : yDRW9rmySw : cE1JUGg1VDJqVXc=[1]
戦前は薬局で普通に売られていたようですね。
詳しく知りたい方はどうぞこちらに。
一部、転載します。
・・・1938年にドイツでメタンフェタミンが発売されます(商品名は「ぺルビチン」「ベンゼドリン」など)。ドイツ軍は長時間にわたる過度の軍務を容易にし、一方では士気が高まることから、兵士への供給を開始します。それを見た日本軍もさっそく導入を決め、製薬業者に生産させ、軍用に使ったのでした(1940年にメタンフェタミンの市販開始)。
その頃は覚醒剤の問題点(中毒性や精神障害など)は知られておらず、普通に薬局で市販されていました。宣伝の惹句は「除倦覚醒」で、内服用に1mgの錠剤のみ販売されていました。当時の覚醒剤は4〜5mgもあれば十分に効果があったので、錠剤4〜5錠飲んで徹夜するというのはわりと当たり前の光景でした。
軍隊でも軍需工場でも覚醒剤の使用が始まりました。よく特攻隊が自爆攻撃できたのは麻薬を服用していたからだといわれますが、これは事実でしょう。ただし、繰り返すように当時は普通の市販薬だったので、特に悪いことではなかったはずです。
薬害についても、戦時中は命令的に適量を一時的に使っていただけなので、深刻な被害は出ませんでした。
戦後、日本では大量のストックが市場に流れ出しました。新聞雑誌で大きく宣伝されたうえ、敗戦の混乱で希望のない気分に向いていたせいか、単なる医薬品というよりは嗜好品として大流行します。そのうち錠剤より効き目の強い注射薬が発売されるに及んで、大量使用が始まるのです。
アゴチン錠
こちら仕事場向けのアゴチン錠
(精神、肉体の過労に対する治療および予防、徹夜時の睡気、心身過労の除去に効果)
流行とともに覚醒剤は多くのブランドで発売されました。
・メタンフェタミン…「ヒロポン」「ホスピタン」など
・アンフェタミン……「ゼドリン」「アゴチン」「ソビリアン」など
なかでももっとも宣伝された大日本製薬のヒロポンが覚醒剤の代名詞となったのでした。
日本で覚醒剤のリスクが認識されたのは昭和22年に入ってからでした。
転載終わり