36. 罵愚[8810] lGyL8A 2020年11月13日 04:59:42 : P8c0JTVcz6 : c3ZrT3cub2duaEU=[1]
地球と呼ばれる惑星には、数えきれないほど多数の種類の動物が生息していて、生存競争を展開している。いわゆる弱肉強食の世界だな。そのなかには群れをつくることによって安全率を高めている種類もある。一匹の虚弱な個体の犠牲によって、群れ全体の安全を図るケースだな。
しかし、反対に、少数ながら、強い個体が虚弱な仲間を守って生存率を高めるものもある。多くの場合、戦うのは父親であり、母親である。子供は、両親に守られて育つ。両親の犠牲的行動を促すのは子供に対する愛情だな。
愛情とは、恋愛のケースに見られるプレゼントのように、自己犠牲によって表現される情感だが、生存競争のなかでの子供を守る家族の愛情は自然界のなかで至高のものだと思う。個人は家庭のなかでメンバーシップを発揮して過ごしているときが、最も幸福な時間だ。
この家族神話をスケールアップして、国家を疑似家族化したのが、伝統的な日本の統治理念だ。天国の神様から国づくりを委託された祖先が、この島国に降り立って、子孫を生んで、繁栄したというフィクションによってつくられたおとぎの国だな。
組織運営を、いつも疑似家族化して、親分・子分・兄弟分の居場所に坐り込んでいると、安心できる民族性だよ。組織は、成員に、いつも家族の一員としての活躍を期待する。それが伝統的な、日本人社会だ。ここにいると、個人は安住できる。
欧米の一神教社会を、そのままコピーした戦後民主主義がしっくりこないのは、これが理由だよ。日本は一神教社会のコピーをやめて、疑似家族社会に戻るべきだと思う。
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