2. 2019年6月21日 18:19:01 : RUZI6S7How : c0Y5eHpMaGVjMjI=[1]
「令和おじさん」と「ホリエモン」はおなじ匂いがする。ネーミングセンスのだささ。誰が動かしているのか。国家権力とはそもそも何か。
大衆の殆どは「盲目主義」に陥っている。前へ倣えで延々エンドレス。
世論などの見えない圧力を空気感としてただ感じているだけの序列。
かといって「見えない力」の存在を肯定して居る訳でもなく、
単に「見える"物理的圧力"=バイオレンスを畏怖しているというだけ。それらは呪信仰、邪宗教と同じ。
意識の負の働きが過敏であるということ。負け組の本質とはこれ。よってそこに類するのは所謂富裕層とされる人間ら、ホリエモンや令和おじさんも同様。彼らは頭が良いのでも計算高いのでもなく、ただ損得で割り切り、あざとく生きる事しか知らないというだけ。抵抗圧力を嫌うあまりただその圧力に屈服し遵い自らも抵抗して圧力を生むことにしかなっていない。よって彼らこそ行き場が閉ざされたものも無いというだけの事。自ら負け組を勝ち取った連中ということになる。
山本太郎がどうだという話は彼がどうした勢力を味方につけることが出来るかで変わってくる。だとしたら、盲目主義に陥ったままの大衆をいくら傍に多勢つけても何も変わらないということになるだろう。
彼自身がどう感じて、どう思い、どう行動するのかということだけが最重要であるはずだ。そして誰もが皆、彼の暫定的意見に現状ただ合わすだけで善しとは、本来的に誰も出来ないはずではないのか。社会、協調、妥協という支配者側にも都合勝手の良い使われ方をする言葉があるが、だとしたらもっと多様な意見と提案を寄せ集めできる寛容な態度、立場をもって多くの意見を出させ、同じ食卓の上に並べて吟味することが必要だろう。それはもしかしたら山本一人には無理かもしれない。だとすれば既成の政治枠の外側の世界でそのようなムーブメントを起こせれば良いだけではないか。知恵者はその知恵や能力というものを単独議決権を有する権威支配者に縛らせない事が必要である。
もしこのまま現状の社会システムを放任すれば、安倍が落ちても次に令和おじさん、その数年先にホリエモンが控えているだけである。だからいま必要なのは根本的改革案のみだろう。
野党はただ野党らしく対抗馬としてあればいいのか。いい加減この二大政党制は廃止にした方が良い。権威者がただ力の存在を見せつける場として存在するだけだから。それに与党と野党の立場がただ逆転するだけを喜んでみているのはどうなのか。
見た事も食べた事も無いが、活きが良く「新鮮な野菜」をはじめて手にとって食べる勇気がないから、既知ではあるが腐りかけた食材の方を手にとり続けるようなことが現在の大衆心理ではないか。しかしいまだ前者は同じ食卓テーブルには並んでいないと理解する。つまり与党と野党、そのどちらでもない立場を同じテーブルの上に並べる事が必要だ。それが出来ないうちは何も変わらないだろう。
いま必要なのは大衆の覚醒というが、その妨げとなっているのは心理的抵抗圧力だろう。その原因である与党をはじめ野党も、その派閥の利権構造の裏側と思惑を全部暴露する事がまず手始めとなるだろう。
とどのつまり、それをしないままではこうした場所はガス抜きの場にしかならない。
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